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任那日本府説その2

1 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:00:12
もうちっとばかし続くのじゃ。


前スレ
任那日本府説
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1090513470/



2 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:40:34
任那てなーに?

3 :サガミハラハラ:2008/11/08(土) 06:39:58
>>2
弥生時代の倭では、地方をマで区分けしておりました。これは、住居の間(土間、客間、居間)と同じようなものです。
中国人はこれを馬という漢字をあてはめました。倭人伝に出てくる馬はこれをあらわしています。
北部九州は邪馬です。宮崎は投馬です。鹿児島は薩摩です。熊本はクマです。糸島郡は斯馬です。
海峡にある二つ対になっている島は対馬です。半島の南部はミマです。
ミマナはこのミマにナ(国の意味か?)をつけたものです。
よって、もともと半島の南部は倭の領域なのです。

4 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:36:22
中国外交部、「任那日本府説」も紹介
ttp://www.chosunonline.com/article/20040722000059

5 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:42:06
※広開土王碑(好太王碑)と任那問題

 そもそもこの碑は広開土王の功績を讃えるために息子の長寿王が414年に立てたもので
、現在の中国吉林省集安県にある。ここに倭にかんする記述があって、特に391年倭が朝
鮮半島に侵攻して百済、新羅を支配したと読まれて来た。これが日本書紀(720年成立)
の記述と結び付けられて、任那日本府説の根拠とされてきた。即ち大和政権が4世紀後半
から約200年間朝鮮半島南部の加耶地方を支配したというものであり、また大和政権の日
本統一時期を決定づけるものとされた。
ところが、この碑文中の「倭」が日本の政権ではなく、半島の諸勢力が日本列島に作った
分国であったとする説(金錫亨)や、
碑文そのものが日本軍部によって改竄されたという説(李進煕)
などが次々と発表されて、今日では、大和政権が長期間にわたって半島南部を支配したと
いう説は定説とは言えなくなっている。

(『好太王碑の謎−日本古代史を書きかえるー』李進煕 講談社文庫 1985)

6 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:45:54
■好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致

 古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本が中国で発見され、
倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手した拓本と一致することが、中国社会科学院
の徐建新教授(日本古代史)の研究で分かった。
これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書き換えたとする
「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。

 好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本部が、4世紀に日本
が朝鮮半島を支配していたと解読した。

 戦後になって酒匂の拓本の信頼性が疑われ、李進煕・和光大名誉教授が1972年、「近代日本
の半島進出を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と主張。日本、中国、韓国、
北朝鮮4か国の研究者の間で大論争となった。その後、改竄を否定する有力な説も出たが、実物
の検証が困難な状況で、決着には至ってなかった。

7 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:46:35
 東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、
それまで最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが
判明した。その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。

 徐教授は「これで、皇国史観からも、軍の関与を証明するための研究からも脱却し、好太王碑
が4〜5世紀の東アジア史を解明する純粋な歴史資料として位置づけられるだろう」と自らの研究の
意義を強調した。

 ただ、碑文の解釈については、倭を打ち破った好太王の業績を誇張するために、倭を実際よりも
強大な勢力として記述したとの説が強く、改竄が否定されても古代の日本が朝鮮半島を支配して
いたかどうかの問題を決着させることにはならない。

 吉村武彦・明治大教授(古代史)は、「拓本には信憑性があり、長年の論争に終止符が打たれた
と言える。パソコンの画像で比較するという10年前には考えられなかった手法で、IT時代ならでは
の成果だ」と評価する。

 一方、李名誉教授は「拓本に付随する書き付けの記述を、製作年代の根拠にしているが、本物か
どうか疑問が残る。まだ疑惑が払拭されたわけではない。」と反論している。
ソース:読売新聞2006/04/14 朝刊19面

8 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:09:51
>>991
『辰国』

辰国(しんこく)は紀元前3世紀〜紀元前2世紀の間朝鮮半島南部と九州北岸一部を領有した
とされる鉄器時代国家。北は衛氏朝鮮に接し漢江の南に位置した。三韓の前身であると言われる。
細型銅剣、南式支石墓、甕棺墓文化を有する漁労農耕社会だったと推測されるが、記録は
非常に少なく、特定の一国を指すのか小国の集まりであったのかは定かではない。

『史記』では「真番旁衆国」または版本により「真番傍辰国」、『漢書』では「真番辰国」。
『資治通鑑』では「辰國」として登場する。『三国志』においては「辰韓者古之辰國也」とあり、
三韓のうちの一つ辰韓が辰国の後身とされ、『後漢書』では「韓有三種一曰馬韓二曰辰韓
三曰弁辰(略)凡七十八国(略)皆古之辰国也」とあり、馬韓、弁韓を含めた三韓の全ての
国々の起源が辰国にあるとしている、なお真番は馬韓の旧名と思われる。

"http://wikipedia.org/wiki/%E8%B0%E5%9B%BD" より作成


9 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:26:33
346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 王はこれを聞き、とても敵わないと恐れた。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城のうちに満ちる。【広開土王碑】

402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】

10 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:27:29
【「宋書」倭国伝】
(前略)
興死して弟武立ち、自ら使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事、安東大将軍、倭国王と称す。
順帝の昇明二年、使を遣わして上表す。いわく、「封国は偏遠にして、藩を外に作す。昔より祖禰躬(みずか)ら甲冑をツラヌき、山川を跋渉し、
寧処に遑あらず。東は毛人を征すること五十五国、西は衆夷を服すること六十六国、渡りて海北を平ぐること九十五国(中略)。」
詔して武を使持節都督倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事、安東大将軍、倭王に除す。

11 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:31:29
>>991 『辰国』

『後漢書』弁辰伝。『三国志魏書』馬韓伝。『後漢書』馬韓伝。『京畿道の由来』。

初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。
準後滅絶、馬韓人復自立為辰王。

初め、朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を撃ち破り、
韓王として自立した。準の後裔は滅絶し、馬韓人が再び辰王になった。

これは、燕国から千余の兵士を連れて朝鮮に逃亡してきた満(衛満)によって国家を
簒奪された朝鮮王準の後事を記したもの。具体的な年は不明だが、紀元前195年に燕王
が匈奴に亡命しており、同時期に衛満も燕国を脱出いるはず。そこから朝鮮の王権を
奪取するまでに何年を要したかだが、10年前後のことではないかと想像する。
いずれにせよ、紀元前二世紀には辰国が存在していたことだけは確実である。

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kochosen/kochosen6-sinkoku.htm



12 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:12:24
加羅の一部に倭韓共住地が「任那」があって
その中の日本大使館みたいな役所が
「日本府」とよばれてたんや

13 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 19:31:17
>紀元前二世紀には辰国が存在していたことだけは確実である。

ああ、邪馬台国の卑弥呼みたいなね。
でも「王家」なんてどこにも無いね。

14 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:25:53
「倭」とか「倭人」「倭国」って当時の中国人から見る蔑称だったんだろ
倭がなんで侮蔑擁護なのか知ってる人いる

15 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:53:46
日本人が自分達の国を「わ」と呼んでたから、
支那もそう呼んだだけだろ。漢字は当然侮蔑モンを当てた、と。

16 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:15:49
基本的に中国は異民族には酷い字をあてるんだよな
中華思想だな

17 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:54:39
人偏ついてるだけまし。

18 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 03:06:04
そういやそうだな
さすがの中国人も狄だのとケモノ偏の人外扱いはできなかったのかw

19 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 06:20:16
任那日本府が事実なら日本の教科書に記述しろよ


20 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 14:31:50
任那自体は乗ってたな。そして、デマと教わった。
ったくどうしようもないな、左翼教師は。

21 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:26:09
証拠がないという理由で教科書に載らなかったのならある程度理解できる。
韓国の前方後円墳から埴輪やベンガラ朱、貝製腕輪など日本的遺物が出土したり、
伽耶や百済から日本製の武具が出土したりするのが分かってきたのは最近の事だしね。

22 :48:2008/11/11(火) 20:01:32
任那は載ってる教科書と載ってない教科書とがあるんだろ。
日本は教科書選べるからね。
任那がデマだと日本書紀はデマだらけってことになる。
左翼教師は日本の歴史をどうしようってんだい?

23 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:04:46
任那も加羅も百済や高句麗の支配層は呉族=倭族じゃないのか?
DNA鑑定みたいな方法で証明できればいいんだがな



24 :48:2008/11/11(火) 21:12:44
新羅=韓族
百済=支配層が扶余、被支配層が韓族
高句麗=扶余
って感じだったみたいだよ。
その前の弁韓とか辰韓とかはみんな韓族。
扶余族って人たちがよく分からんよな。
北方から進出してきたらしいけど。
天智・天武から日本書紀ができるあたりまでに
百済から大挙して渡来したのは扶余族ってことになりそうだが・・・。

25 :48:2008/11/11(火) 21:21:55
いずれにせよ、平安時代になって源氏物語ができたころは、
もう列島と半島はぜんぜん違う国。
それ以降の歩みをみれば、半島が常に列島の後塵をはいし続けてるのは一目瞭然。
軍国主義の時代は自らは戦わず日本の懐に逃げ込み、
戦後の平和時代はGDPも貨幣価値も平均して10分の1前後。
経済危機のたびに影から日本の援助をあおいでいる。
大差がついちゃったね。

26 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:04:16
>>24
>百済から大挙して渡来したのは扶余族ってことになりそうだが・・・。

川べりに住み、殺牛祭祀を行う皮革の民・扶余族が、
日本に来てたら、その後どうなったかは想像つくよね。

27 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:17:25
祭りのときに牛を殺すのは中国人が連綿としてやっている。
北京の天壇公園に行ってみな。
牛を載せて縛りつけ、下から火をいぶして殺した台が今も残っている。
明、清の時代のものだな。
牛の像をのっけてある。

28 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:26:51
日本の友好国・百済から5世紀以降沢山の渡来人が来てるが、
それが百済の支配層と言われる扶余族なら、という話をしてるので、
大雑把に中国人と言われても…

29 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:50:58
82年に『沸流百済説』を提起した金聖昊(キム・ソンホ)韓国農村経済研究院顧問は、広開土大王碑から
出てきたように396年、沸流百済最後の応神が日本に渡り15代日王となったという。
金顧問は沸流百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国であり、したがって
応神日王は朝鮮半島南部に居住した倭族だったと主張する。
http://www.chosunonline.com/article/20011224000021

>百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国
>百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国
>百済は本来中国にいた呉族が朝鮮半島に渡り発展した倭族が作った国

韓国人学者も主張してるし、百済は高句麗から支配層が南下して出来た国みたいだから
同じ倭族なんじゃない


30 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:25:26
>26
弊牛馬やいきだおれた人の死体などを処理する業務を担当していた社会的集団が、
後の世になって被差別部落とされるようになったという経緯を見たか?
それが百済からの渡来人かどうかは知らんが、皮革の民は日本列島に(も)生き続けてたんだぞ。

31 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:30:18
>皮革の民は日本列島に(も)生き続けてたんだぞ。

そうだろうね。
だから何なんだ?


32 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 03:58:48
応神日王って書くぐらいなら応神王でいいんじゃねえのw
ほんと変な国

33 :48:2008/11/12(水) 04:20:52
あそこはずっと中国の家来で「王」だったから、
日本が独自に「天皇」を名乗ったのが悔しいんでしょ。
でも天皇は天皇なんだから、学者が感情論で日王なんて呼ぶのは
まったくおかしい。学者失格だよ。韓国人学者は論文ならぬ感想文しか
書けないって世界の学会から軽蔑されてるのにさ。本当、バカみたい。

34 :ふぁびょ〜ん:2008/11/12(水) 05:09:38
>>29
韓国人学者ってのが全く信用おけないんじゃないか。
便所の落書きレベルで学者だからな。
もっとも字が書けるだけで半島じゃ学者様かwww

広開土王碑にいちいち「大」の文字入れなきゃ気が済まないだけでDQNだろ。
そもそも新羅・百済は高句麗の属民であり、朝貢していた。
しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。
ってのが碑文の一般的解釈。
おまえの宗主国様もそう言ってるぞwww。

半島南部で年代の新しい前方後円墳墓しか出ないのは何故だ?普通に考えれば日本の支配下だったからだろう。
広開土王碑の一般的解釈とも『日本書紀』『三国史記』の記述とも合う。
だから半島で次々みつかる前方後円墳墓は
都合悪いってことでほとんどは埋められなかったことにされてるけどな。


35 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 08:01:33
「みまなのやまとのみこともち」である任那日本府に、なぜ天皇の
「みこと(勅)」が行かないのか?
この疑問を抜きにしては任那日本府は語れない。

36 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:45:41
■韓国文化に惹かれて写真集を出版…渡辺恒子さん

日本の伝統文化の礎石は韓国が築いてくれたものだということを知った」と明らかにした。
それとともに「日本はかつて韓半島の芸術や宗教を受け入れて最初の文明を生んだ。
日本人はこれに対して感謝の心をもつべきだと思う。
韓国の伝統文化は日本人の胸に重い響きを与えている」と話す。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=106175&servcode=400§code=430
中央日報

日本人が認めてんじゃんwww


37 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/12(水) 22:15:46
崇神(188〜215マバカ古墳)
任那は、3世紀初め崇神治世中に建てられた。
ただしこの時代は、文字による治世が出来なかったので、血縁に依る結びつきが主体と成る。
この下地が有るから、卑弥呼は、金印を下賜された。
その時の半島は、良くて属国。
神功渡海は、270年頃、半島南部も魏の「縛り」から解放されたばかりで在り
倭(金印を下賜)より下の位置に置かれている事は、承知。
この状態を把握していればこそ神功を素直に受け入れた(百済の場合)
百済は、倭が魏へ渡る中継港で有ったからこんな事は先刻ご承知。
神功に戦を仕掛ける=大陸を敵にまわす。
独立直後の百済王としては、最良の選択。

この時代を5、60年下ると此の考えは、否定されます。


38 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 22:41:57
http://jp.youtube.com/watch?v=k3VN-RRDJMI&feature=related
【歴史】中国は韓国領土だった

これが韓国の偉大な歴史
小日本など足元にも及ばない


39 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:49:39
脳内でだけは偉大な歴史なんだなあw

40 :48:2008/11/13(木) 12:56:14
そんなことやってる間に、
また韓国経済がかなりヤバイんだろ。
また裏ルートで日本に支援を求めるんだろうが、
まったく、いつまでたってもいい迷惑だ。
ただ、韓国政府も大変だな。
38に代表されるようなドキュンばかり大量に育てたから、
日本に支援を求めるにも秘密裏に、あるいは高飛車な態度でやるしかない。
もっとも自業自得かw

41 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 14:33:20
韓国の歴史って、まず自己満足が先にあるからな・・・。
歴史資料や遺跡はそれに合わせて歪曲、無視されるためにある。

42 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:03:24
高麗大学教授 金鉉球・鄭大均

わが国の中・高等学校教科書を見ると、百済・高句麗・新羅三国の文化が日本に伝えられた話が出てきますが、
その内容は日本古代史書である「日本書紀」を土台にしているもので、わが国の史書にはありません。
(そもそも韓国に古代の文献はほとんどない)
ところが、日本の学者が「日本書紀」を土台にして、古代日本が二百年余り朝鮮半島南部の伽耶(日本名任那)地域を支配したという
「任那日本府説」を主張すると、韓国の学界ではそれは信じることができないと主張しています。
これは明白な矛盾であり、こうした姿勢ゆえに日本の学界が韓国の学界を軽く見るのではありませんか、
という身の程を知らぬ質問をした。そしたらL教授は黙り込んで答えず、横に居られたC教授が「自信がないんだよ」とおっしゃった。
「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている。
しかし、韓国の中・高等学校では三国文化が日本に伝播される国際関係に関しては何の説明もされず、
ただ高句麗・新羅・百済の三国が日本に文化を伝えた事実だけを教えている。
そこで学生達は日本を客観的に理解できずに、無条件、対日優越意識だけを助長する結果をもたらせた。
外国に出かけたわが国の学生が「任那日本説」に接して戸惑うのも無理はない。


43 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 09:11:21
「最後の狩猟民族」エヴェンキ族が激減
     ↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1225978802/




44 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 19:04:37
>>42
>「日本書紀」には日本が「任那日本府」という機構を置いて朝鮮半島南部を
>支配しつつ、三国文化を運んでいったようになっている

日本書紀に、確かに任那日本府という名前は出てくる。しかし「支配した」とか、
「文化を運んだ」とか、任那日本府の機能を説明している個所があったら、
指摘してほしい。
単に願望でそう言っているのなら、韓国の学者と選ぶところはない。

45 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:41:16
■黄河文明の起源は韓民族

世界三大文明であるインダス文明、メソポタミア文明、黄河文明は有名であるが
実は黄河文明の起源こそ「韓文明」なのだ

漢民族(現在の中国人)に文明を教え発展させたのは当時優れた先進技術と
華やかな文化を誇っていた優越種族である韓民族(現在の朝鮮民族)である
しかし我々から優れた文化を学んだ下劣な漢民族達が反旗を翻し、卑怯な手段を
使って韓民族を攻撃し韓王朝は乗っ取られてしまった
そして後を引き継いだのが中国発祥と捏造された「黄河文明」である

追い出された韓民族はそれから東へ移り「高句麗」、南へ南下し「百済」「新羅」
と強国を作りだし漢民族の隋や唐と激戦を繰り広げた

優秀な韓民族の一部は朝鮮半島から海を渡り倭国に渡来し、野蛮だった倭人達に
優れた文明や教育をを授け「大和王権」を建国する、後の「日本」である
つまり東アジア文明は韓民族が創造し作り上げたものであり、中国や日本は
その恩恵に預かってるだけである


46 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 20:51:36
ホケノ山古墳 全長90mの帆立貝式前方後円墳 240年ごろの築造
この古墳からは石囲木槨(いしがこいもっかく)という埋葬施設が発見され,復元設置されている。これは朝鮮半島南部で見られる形式で,このことから,大和王権が朝鮮半島とつながっていたことがわかる。

238年 田島守常世国へ行く 同年垂仁崩御
239年 田島守帰国
この直後にホケノ山古墳が造られたとすると、田島守と共に任那の使者も一緒に大和へ来朝
ホケノ山古墳は、田島守(任那建国王の一族)の墓である蓋然性が高い。

崇神(188〜215)60年任那国を建てる。
「みまな」とは「みまきの国」の意味がある。
継体二十四年春二月,丁未朔, 詔曰:「自磐余彥之帝、水間城之王,…而神日本以盛;大…
自古為難.爰暨朕身,豈不慎歟!」
継体24年 継体は、水間城之王(ミマキの王=崇神)以来治めてきた任那の政策に
誤りを認めている。

それよりも、百済本記の誤りを早く訂正して、歴史書として使えるようにしてください。

47 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 21:12:50
神功の渡海は、270年頃
この時渡海先の半島3国とは、戦をしていません。何故かと言うと 半島には、”任那”が有ったから。
魏と卑弥呼の関係
新羅記に見る230〜250年頃倭寇が半島を襲っていました。
半島の宗主国”魏”はこの倭寇(熊襲=クの国)を押さえるため卑弥呼と手を結び熊襲追討をする。
その結果250年頃には、倭寇撲滅に成功したが、魏自信が間もなく滅ぶ、そして百済、新羅が暫時強大
となる、中に挟まれた任那 は、両方から圧迫される、そして倭に助けを求める、
倭は、天皇仲哀を殺しても直ぐに渡海せねば成らない程任那は、逼迫していた。
神功の帰国時に日食が有りました、273年です。


48 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 21:29:56
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
この空白を正しい日付で埋めると、326年5月辛卯朔 に成ります。
もし神功元年が275年なら 神功52年に当たります。


49 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 22:27:37
http://www.chosunonline.com/article/20081114000042
カッコイイ鎧だね
日本にはこんなのないよ


50 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:25:10
>>44
日本書紀内に「任那は神功皇后の時代から内屯倉」みたいなセリフが何度も出てくる。任那国司も任命されてる。
新羅が任那を侵略したときは、「我が官家をつぶした。我が人民を毒し害し、我が郡県を損なった。」と言ってる。

51 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:53:54
日本府って名称だけでもわかるだろ
総督府みたいなもんだな

52 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 06:59:49
>>50
その記述は「任那日本府」という名称と関連していない。

>>51
だから、その「総督府」たる任那日本府に天皇の勅が行かず、百済に聞きに
行かなければならないのはどういうわけか?

53 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:20:24
日本府だから日本の植民地だろ

54 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:48:36
日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:59:13
「最後の狩猟民族」エヴェンキ族が激減
     ↓
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1225978802/




55 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:42:39
>>53
広義の任那の一部、あるいは新羅にとられる以前の狭義の任那が日本の植民地
であることは否定しないよ。
「任那日本府」という名称の役所の機能の話をしているのだ。

もし任那日本府が狭義の任那そのものを指すというのなら、その狭義の
任那は、任那日本府と言う名称が出てくる時点ですでに新羅にとられて、
存在していない。

56 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 17:12:51
>任那が日本の植民地  こんな事実は、有りません。
任那は日本の領土 こちらが正しい。

200年頃の百済国や新羅国と同等 中華の王はこれらを国として認めていない。
印綬を見なさい ○○王乃印は有っても ○○国王乃印を貰ったのは倭国のみ。

半島に”国”が存在しない200年頃に任那建国(中華の言う国レベルより1段下)。
魏が滅んでからが”国”のレベル、東西から圧迫された任那は、大和に助けを求める。神功時代
それ以降任那は、百済や新羅と付いたり離れたり半島の覇権を競う 任那国と記載されず倭国と
記載されるのは、任那は倭国の領土であったから。
>任那日本府 こんな物は有りません 有ったとしたら”任那倭府”でなければ成らない。
有ったのは、宮宅(屯倉)でしょう。当時の日本国内も宮宅。
任那日本府=任那の宮宅 

57 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 18:50:24
>>55
>その狭義の任那は、任那日本府と言う名称が出てくる時点で
>すでに新羅にとられて、存在していない。

いつごろ取られたのだ?

58 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:14:51
>>57
欽明紀のときにはすでにとられているな。
欽明紀は「(狭義の)任那を奪還せよ」というテーマで貫かれている。

59 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 22:01:47
>58
継体二十四年春二月,丁未朔, 詔曰:「自磐余彥之帝、水間城之王,…而神日本以盛;大…
自古為難.爰暨朕身,豈不慎歟!」
継体24年 継体は、水間城之王(ミマキの王=崇神)以来治めてきた任那の政策に
誤りを認めている?。
百済に崇神以来の国土を分け与えた事をだ。


60 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:54:41
>>56
>任那日本府 こんな物は有りません 有ったとしたら”任那倭府”で
>なければ成らない。

欽明のころに日本という国号がなかったのは当たり前だ。
私は日本書紀に「任那日本府」という言葉が出てくるという話をしているだけだ。
日本と言う国号ができた後に日本書紀が書かれたからだ。
日本だろうが倭だろうが、読むときは「やまと」と読まれたのだろうから、
同じこと。

>任那日本府=任那の宮宅

「宮宅」という文字は、苗字としてはあるが、歴史用語としてあるのかな。
「官家」ならたしかにあるし、その語源が「御宅」だとも書いてあるが。


61 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 23:45:34
磐井が反乱したので伽耶にちょっかいかけてきた新羅の征伐が出来なかったのだよね。
まぁ鉄は自製出来始めてたから良かったかな。

62 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:41:23
任那について何が問題かというと
韓国による政治的検閲を受け
正常な研究と議論が妨げられ
歴史が歪曲されていること

63 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:42:26
何を言っても半島は植民地

64 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:50:14
属国、属領っつうんなら話は分かるが、植民地はない。移民してないじゃん。
駐留してる豪族(派遣軍?)がいるのは事実だけど、移住じゃなく派遣。

もっとも、律令国家になる前の段階では、日本列島内も含めて、
領土と、属領/属国との区別が困難な状態だが。
その時代の遺習を引きずった結果、律令期初期の軍事任免儀礼が、まるで朝貢の儀礼のごとき状況だったほどだ。

領土なのか朝貢国(一応独立国)なのかを区別することすら困難な状況。

そんな時代のことだから、「内屯倉」「官家」と書かれていても、(そしてそれが誇張無しの事実だったとしても)
一介の朝貢国(と向こう側は思っている)だった可能性も否定できんよな。

当時の日本の国力云々じゃなくて、支配形態の実態がそういう形式だったって事だ。

朝貢国のようでもあり、領土のようでもある。視点によって、どちらともとれる。
「日本の領土ではない」という主張もウソではないし、「日本の領土だった」という主張も、ウソではないってわけだ。

65 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 03:21:40
んなこというとインドに移民したイギリス人だってほとんどいないだろ

66 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 05:30:10
>>64
>属国、属領っつうんなら話は分かるが、植民地はない。移民してないじゃん。

というより、「植民地」という言葉じたいが問題なのだ。
「社会学小辞典」(有斐閣)を見ると、「植民地」の説明は:
「ある国が国外の領土およびその原住民を政治的・経済的に従属させ、かつ
支配関係のもとに占有する地域」となっている。
これだとますます「植民地」と「領土、属領、属国」の区別はつかない。
また移民の必要もない。
以前はそうでもなかったが、戦後、このように「植民地」という言葉の
使い方が変わった。

67 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:07:30
全裸南道のエイザン江流域に前方後円墳があるからあそこら辺が任那日本府でしょう。

68 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:12:07
>>67
欽明紀には任那日本府とならんで安羅日本府という言葉がでてくる。
これは「安羅にある任那日本府」という意味だろう。
「狭義の任那」がなくなったこの当時、任那日本府は安羅にあったのだ。

69 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:35:41
伽耶は継体天皇の6世紀初めごろ、新羅によって奪われたが、
全羅南道あたりは白村江の戦いまで日本領だったでいいのか。



70 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:43:23
任那なんてなかったんだよ。

71 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:52:45
雄略天皇の8年、新羅は高句麗に攻められた。
新羅王は使いを任那王のもとにやって、国が危ういことを訴え、「伏して
救いを日本府の行軍元帥等に請う」と言わせた。
任那王は膳臣斑鳩など3人の将軍に「勧めて」高句麗を討たせて勝利した。
(これが欽明以前に唯一、任那日本府と言う名称が出る個所である)

上記の記事を普通に読めば、このとき、
・新羅は任那(おそらく狭義の任那)の庇護を受けていた。
・任那日本府の将軍たちは任那王の指揮下にあった。(勧めて、というが
 たぶん命令したのだろう。

ということになる。
あるいはまた、このときの任那日本府は狭義の任那そのものだった、と
考えることもできる。

なおこのとき、任那日本府の将軍たちは高句麗軍を「歩騎挟攻」して破った。
すなわち、すでに騎兵戦術を持っていた。

72 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:40:39
今回は、「合法的に日本を併合できる」中国政府にとって千載一遇のチャンス
米国の国際政治力・経済力の弱っている今しかない。黒幕は経団連ではない

2008年 国籍法改正施行。施行と同時に毎日数十万人単位で認知。
     父親と名乗るホームレス・多重債務者が区役所に押しかける。認知は意思主義のため取締り断念。
     中国人満載のフェリーで続々来日。乗員全員が「19歳11か月」という(自称)。新日本人となる

2009年 解散総選挙。この時点で「新日本人」は戸籍上20歳なので、まだ立候補はできないが
     新日本人の投票率高く、親中派の候補が大勝。法案に反対した議員は全員落選

2013年 総選挙。新日本人25歳。ほぼすべての選挙区で新日本人(元中国人)の候補者が立つ
     この時点で、新日本人6000万人。日本の有権者の約40%が新日本人
     従前からの日本人の投票率が低いため及び小選挙区は1票でも上回れば全取りなので、
     新日本人圧勝。衆議院の2/3は新日本人となる。首班指名で、首相以下、全閣僚が
     元中国人となる

     首班指名の翌日、首相、訪中。日本国首相と中国主席、「日中併合条約」調印
     直ちに衆議院で批准。審議なし強行採決。その後、参議院で否決されるも、
     憲法61条により、条約は批准

     首相、国連に「日本国民の自由意思で日本という国家は消滅した」と通知した後
     内閣総辞職。日中併合条約に基づき、日本列島、正式に中国領土となる。

     中国政府、日本列島を「大和民族自治区」として、東京に総督府を設置、国家中央
     委員会で指名された者が総督として配置される。日本の各省庁は、東京総督府の
     下部組織となる

     警察及び自衛隊は全員解雇。大和民族自治区の治安は中国軍が担当する。
     天皇、英国王室を頼って、欧州に亡命

73 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:04:38
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222374987/399
399 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/11/16(日) 13:33:30
中期古墳の建造時に日本と半島の間に活発な交流があったことは認められても、
別にそれが、半島南部での軍事行動と連動している様には見えない。

弥生中期〜末まで、倭が半島南部への労働力の供給源であったと思われる事実(生活土器の搬入等)がある。
弥生終末〜古墳時代初頭になると、この人的移動に相互性が生じる(韓式生活土器の出土が西日本全体に広がる)。
古墳前期後葉になると畿内の古墳が大型化定型化する。
しかし、半島南部での倭人の活動には変化はない(人的移動は続く)、逆に半島南部の伽耶地方では王権の強大化が認められる。
古墳中期に至り、河内平野に巨大古墳群が出現する。
同じころ半島では高句麗、新羅、百済が強大化し、伽耶の勢力は相対的に低下したかのように見える。
ただし、このころ旧馬韓南部領域に前方後円型墳丘墓が出現することは事実。
こんな感じなんだけど、上記二点をもって倭による支配があったと認めるのは根拠としては弱い。

まあ、強いて言えば、倭王権が半島に対して継続的に人的供給(主として交易品としての生口ですね)を行った結果、
現地での倭人密度が高まり、倭人独自の自治的組織が成立したのかもしれない。

倭猿なみだ目wwwwwwwwww

74 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 14:30:01
>>73
この時代人間の移動は北から南。
大陸でこの状況が確認できる以上半島も北から押し寄せてくる
ベールを被してこの状況を説明すると
其の分半島の人間は倭に押し出された
この人口増が巨大古墳の築造に向かわせた。
日本国内の人口自然増では説明できない総合労働力。


75 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:15:46
>>73
コピペのレスもなんだが、
倭人は弥生時代から堂々と半島南部で鉄を採ってた。

>逆に半島南部の伽耶地方では王権の強大化が認められる

あのしょぼい地下墳墓が強大だと?
王の墓ってどれなのだろう。

大笑いなんだがw

76 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:59:00
http://inoues.net/korea/fukusendo_new2002a.jpg

これが強大な王権だそうですw

77 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:02:08
■「日本文化は韓国人が教えた」

韓国人は「朝鮮民族は偉大であり優秀だ、アジアを作ったのは我々である」と教えられている
所が外国に出て見て等身大の自分達にようやく気づくようになる
アメリカでもオーストラリアでもドイツでも彼らがアジアといえば思いつくのは「日本」だと
そこで彼らは相当ショックを受けるそうだ「我々が教わってきたことこ違うじゃないか」と、

西洋人にとってアジアといえば日本と中国であり韓国など誰も知らないからである
大英博物館もフランスの美術館にも日本と中国の物はたくさんあるが韓国の物は
ほとんどない、西洋の教科書も日本については教えているが韓国については記述さえない
国さえある、それを知った韓国人達はこう言い放つ

「事実が正しく伝わってない、捏造だ!」と

そして彼らはこう言う歪んだ考えにたどりつく

「アジア文明を創造し文明を発展させてきた偉大な朝鮮民族の教えを受けた
 日本人の作った日本文化であるサムライ、歌舞伎、武士道、忍者、浮世絵
 日本酒、剣道、盆栽、寿司、漫画、アニメも元々は我々が教え授けた文化だ」と

現実にアメリカでは「日本文化」は日本が独自に発展させたと思っている人が
たくさんいるのに驚いて韓国人達が必死に「日本文化の起源は我々韓国なんですよ!」
「日本文化は韓国人が教えたんだよ!」と講義までして説明しているそうだ

これが卑劣で恥知らずな韓国人の実態であり次々と日本文化を自分達に吸収してしまおう
という計画が実行されているのである、そしてこれは韓国の国家的なプロジェクトである
ぐずぐずと手を拱いていると日本は竹島も対馬も韓国に奪われる事になる





78 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 01:00:40
【対談】村上龍・金辰明「韓日両国が良き隣人に」
http://www.chosunonline.com/article/20060418000023
▲金=東アジアの歴史わい曲問題をそうした見方で掘り下げて見るととどうな
るだろうか。例えば任那日本府説の場合「その土地は、昔日本の土地だった
から取り戻そう」という極論さえ出て来かねない。中国もまた、東北工程に
より高句麗史を中国史に含めようとしている。あなたが語る「意思の疎通」
が容易でない3か国間の過去の歴史論争を解決することは出来るだろうか。

79 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 03:00:32
■韓国の正式国名「大韓民国」の「大」は一体何の「大」なのか?

そもそも何で大韓民国なんだろう?
大韓民国の「大」って何の大なんだ?
「大」とは大きい、偉大な、強大な、誇らしいなどの様々な意味がある

・領土の大きさの「大」?
・多国を植民地支配して大帝国を築いた「大」?
・偉大な歴史と優れた文化の「大」?
・世界有数の豊な経済大国の「大」?
・強大な軍事力を誇る国家の「大」?

驚くほどどれにも全く該当してないんだけどw
国の名前さえも事実とはかけ離れた捏造だった?

韓国の「大」は何の「大」なのか誰か知ってたら教えて?


80 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 06:48:50
>>79
自尊心のでかさだろ

81 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 09:42:02
>>73
交易品としての生口、と言っても具体的なイメージがわかない。少なくとも
奴隷貿易ではないだろう。
そこでヒントになるのが雄略紀の記事だ。
狭義の任那に倭人の将軍がいて、その倭人将軍は任那王の指示を受けた。
つまり生口とは将軍から兵士までを含む、戦闘集団の形をとる傭兵だったの
ではないか。

山田長政を考えるとわかりやすい。彼は日本人の戦闘集団の長であった。
そしてシャム王朝に仕えていた。
もっとも山田長政の集団はまったく私的なものであったが、それが幕府の
意向を受けて派遣された、という状況を想像すれば、それが任那日本府の姿だ。

山田長政の集団は帰国できない永住集団であった。
日本府の倭人集団は常駐ではあったろうが、少なくとも当初は永住では
なかっただろう。だから「交替」もあった。そのための交通を表している
のが隠岐の島遺跡なのではないか。

では欽明紀時代の、安羅日本府はなにか。
それについてはこの次に。

82 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:07:31
>>73
>半島南部での軍事行動と連動している様には見えない。

前提がおかしい。どう見ても連動している

83 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:59:07
>>74-75
よく見かけるコピペだけどこれが正しいなら交易品としての生口ってのは半島から倭の方向に流れていたって事かな?
■古代カラ半島における『民族戦争』の歴史
                                                                 
 西暦313年に、高句麗が楽浪郡に侵攻して滅ぼした。翌314年には楽浪郡南部の帯方郡を滅ぼした。
この時、楽浪郡に居住していた漢人および倭人が難民化し、半島の南部−任那(西韓)に流入した。
 任那を支配していた任那日本府(大和朝廷が半島南部の沿岸地区に設置した総督府。大宰府の協力機関)は、
これらの難民を保護し、彼らの一部を日本に移住させ、残りの漢人・倭人を任那北部(現在の忠清道地方)で
軍事組織化し、高句麗軍と戦わせた。
 そして346年、旧帯方郡地方(今の韓国・京幾道)を高句麗から奪還すると、その地を彼らに与え、国を建てさせた。
これが『百済』(バイヂェ)の始まりである。
 つまり、百済は楽浪郡の難民たちが、大和朝廷の政治的・軍事的支援を受けて建てた国なのである。
百済建国時に、半島中部の倭人たちが任那(西韓。百済領は後世、この地に移動する)に逃げてきた事実からも
明らかなように、全羅道(古代においては任那)は半島の倭人勢力の避難場所だったのである。
 任那へ避難したのは半島中部の倭人だけではない。西暦200年代初頭に、ケリン(現在の江原道南部にあった国)が
シラキ(知ら城。現在の韓国・慶尚道地方にあった倭人国)を侵略した際にも、シラキの倭人たちは西韓(任那)へ
避難したのである。
 西暦200年代から800年代にかけて、半島中部および東南部の倭人勢力は、高句麗や新羅(ケリン)の侵略によって、
半島南西部へ押し込められたのである。この半島南西部こそが今の全羅道なのだ。
 新羅(ケリン)を建国し、7世紀に半島を統一したワイ族は、古代から半島南西部を「倭人の地」と見なし、
敵視してきた。


84 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:59:49
 これが、韓国において全羅道人が他の地方出身者から敵視され、憎悪を受けている理由なのである。
つまり、古代ワイ族の倭人に対する憎悪が、中世にも受け継がれ、さらに現代にまで受け継がれているのである。
 もちろん、全羅道の住民を、「ワイ族ではない」と言っているわけではない。現在の半島人は全羅道人を含めて、
全員がワイ族の子孫である。ただ全羅道の住民は、韓国の他の地方の韓国人と比べて、倭人の血が濃いのは事実である。
全羅道人は、その事実をまったく自覚していないようであるが。
 現代の韓国人はワイ族の子孫であるが故に、古代ワイ族の倭人に対する「敵意」を受け継いでいるのであり、
これが、韓国における全羅道人差別と反日主義の原因なのである。
 ようするに、韓国社会の中に定着している『全羅道人差別』と『反日主義』は、実は同根なのだ。

■任那日本府は存在した
韓国の釜山・莱城遺跡、勒島遺跡などは
九州系弥生遺物が出土する倭人の鍛冶遺跡だ。
特に莱城遺跡では出土土器の94%が九州系弥生土器だ。
その九州に3世紀後半あたりから前方後円墳が作られる。
九州が何らかの形で畿内勢力の傘下に入った証拠だろう。
事実、半島南部から出土する日本系遺物も、九州系から畿内系へと変化する。
これらは大和朝廷が半島南部の豊富な鉄資源を手に入れた事を意味してる。


85 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:05:38
>>83>>84
そこに書いてあるソースは何?
そんなの韓国ではその妄想と言われるよw

86 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:15:17
続き。
安羅日本府とはなにか。
雄略時代には、狭義の任那の中心は釜山地区にあった。いわゆる福泉洞遺跡だ。
雄略時代の初期までは任那が新羅を支配していたが、その後新羅が急速に力をつけ、
力関係を逆転して遂に釜山地区の任那を傀儡政権とした。
このとき、従来の日本府、すなわち倭人戦闘集団は釜山地区を離れて安羅に
移った。安羅も倭の同盟国だから、移動は平和的に行われ、しかるべき
土地が与えられた。

しかしこの戦闘集団は、この時期にはすでに永住集団と化しており、
土着化・貴族化して、戦闘力は低下していた。八旗や旗本が弱くなったのと
同じだ。
また移動する前に釜山地区で、王朝とともに新羅の影響を受けており、
大和や百済から見ると、親新羅色が強かった。
だから、本来ならば任那再建の先頭に立つべき集団でありながら、
百済から尻を叩かれたり、大和に訴えが行ったりする始末だ。
欽明紀で安羅日本府がなんとなく浮いた存在なのは以上のようなわけだ。

こう考えてくれば、安羅日本府に天皇の指示が行かない理由は簡単、戦闘集団
だからだ。天皇の指示はそのときの司令官的地位にある百済に、まず行くのだ。
釜山地区にあったとき、新羅の使いが日本府に行かず、任那王のところに行った
のと同じだ。

87 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:54:13
百済自体が日本の植民地だろ

88 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:19:11
>>87
植民地という言葉は問題が多いから避ければ、属国だ。

89 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:26:38
日本人が 反韓である理由

王.貴族=朝鮮人
農奴=関西人
奴隷=関東人
流民=アイヌ

奴隷たちの集団ヒステリーwwwwwwwwwww

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36026

日本列島は紀元後 6世紀までも金属文明がなかったですねWWWWWW

90 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:29:50
古代日本土人たちの石斧には核爆弾が機能がありましたよね!!W

91 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:42:32
>>89
朝鮮土人は目の釣りあがった醜い北方人のレイプと、大得意の度重な
る近親相姦のおかげで、生きた劣等原人標本顔と汚らしい遺伝子の濃
さを獲得出来た事を、既に別の人種である祖先達に感謝しなさいwww

92 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:48:09
つまり歴史的に韓国は日本の領土って事だな!

汚物満載の超汚染半島なんて別に要らないけどw

93 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:56:36
日本馬の起源はポリネシア産 海馬W

94 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 05:59:53
哀れな朝鮮土人は日本への劣等感を払拭しようと今日もウリナラ歴史へ現実逃避に必死w

95 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:03:47
東京大学名誉教授 " 日本は韓国の地方歴史".. W

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36158&st=writer_id&sw=fpasp&start_range=36139&end_range=36291

96 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:15:20
出来損ない劣等属国朝鮮土人集団への素晴らしい優遇措置の数々w

・朝鮮国王は清の皇帝によって任命される。
・朝鮮国内の事件は全て皇帝に報告しなければならない。
・朝鮮国王は清の使節をソウル城門まで出迎えなければならない。
・朝鮮国王の地位は、清国の廷臣よりも下。
・朝鮮政府には、貨幣の鋳造権すら与えられてない。
・朝鮮政府には清国への食糧、兵士提供の要求権もない。
・朝鮮は清国に細かく定められた貢品を出す以外に、毎年、牛3000頭
馬3000頭、各地の美女3000人を選り抜いて貢がなければならない。


・中国の属邦の中でも朝鮮の地位は最も低く、 下国のなかの下国であった。

天朝の朝賀の席では、千官が赤色の礼服を着ていたのに対し、 朝鮮の使臣
だけは異色の丸首の衣である。

また、琉球の使臣は籠に乗って宮廷に入るのに対し、 朝鮮の使臣は籠に乗
ることを禁じられていたことが 「渓陰漫筆」に書かれている。

そして、李朝時代の臣民は琉球以下の扱いを受けたと嘆いている。

黄文雄『韓国は日本人が作った』

97 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:21:13
日本人が 反韓である理由

倭国乃日本国也. 本名倭既恥其名. 又自以在極東因号日本也. 今則臣属高麗也 - 郭若虚.『図画見聞志』 巻6. 高麗国

(●´艸`)ヾやっぱり日本人は永遠な奴隷..



98 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:31:29
劣等朝鮮土人集団の栄華を極める清潔な素晴らしい都市w

「イザベラ・バードが見たソウル」

都会であり首都であるにしては、そのお粗末さはじつに形容しがたい。

礼節上二階建ての家は建てられず、したがって推定25万人の住民は主に
迷路のような道の「地べた」で暮らしている。

Seoulには芸術品がまったくなく、公園もなければ見るべき催し物も
劇場もない。他の都会ならある魅力がSeoulにはことごとく欠けている。
 
古い都ではあるものの、旧跡も図書館も文献もなく、宗教にはおよそ
無関心だったため寺院もない。

結果として清国や日本のどんなみすぼらしい町にでもある堂々とした
宗教建築物の与える迫力がここにはない。
Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird

99 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:37:02
「イザベラ・バードが見たソウル」

路地の多くは荷物を積んだ牛同士が擦れ違えず、荷牛と人間ならかろうじて
擦れ違える程度の幅しかない。
おまけに、その幅は家々から出た糞、尿の汚物を受ける穴か溝で狭められて
いる酷い悪臭のするその穴や溝の横に好んで集まるのが、土ぼこりにまみれ
た半裸の子供たちと疥癬もちでかすみ目の大きな犬で、犬は汚物の中で転げ
まわったり、日向でまばたきしている。

ソウルの景色のひとつは小川というか下水というか水路である。
蓋のない広い水路を黒くよどんだ水がかつては砂利だった川床に堆積した
排泄物や、塵の間を悪臭を漂わせながらゆっくりと流れていく。
水ならぬ混合物を手桶にくんだり、小川ならぬ水たまりで洗濯している女
達の姿....
Korea and Her Neighbours" by Isabella Lucy Bird

100 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:39:28
日本地名辞書"日本は任那新羅百済人たちが支配した国"

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36182&st=writer_id&sw=fpasp&start_range=36139&end_range=36291

(●´艸`)ヾやっぱり日本人は永遠な奴隷..



101 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:51:21
好太王碑 最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致

 古代日本の朝鮮半島進出を記録した好太王碑(中国吉林省)の最古の拓本
が中国で発見され、倭(日本)との関係を示す記述が、旧日本陸軍が入手し
た拓本と一致することが、中国社会科学院の徐建新教授(日本古代史)の研
究で分かった。

これによって、1970年代以降論争が続いてきた、旧陸軍が碑文の内容を書
き換えたとする 「碑文改竄説」は成立しないことが確定的となった。

 好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民
とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本
部が、4世紀に日本が朝鮮半島を支配していたと解読した。
読売新聞2006/04/14 東京朝刊19面

102 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:57:14
>>100
哀れな朝鮮土人は日本への劣等感を払拭しようと今日もウリナラ歴史へ現実逃避に必死w

103 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 07:38:17
>>100
聞いたことない学者ばっかりw

104 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 08:23:35
王族と両班いがいは人間にも値しなかった、李氏朝鮮の姿。
王族を金一族に、両班を党員に置き換えれば、それは北朝鮮の姿。
北朝鮮は半島古来の伝統を保存しているのだ。

105 :48:2008/11/18(火) 10:13:37
>>100
漢字の間違い(征服を「征腹」だってw)一つを見ても
まともな話とは思えない。
こんなの振りかざして国際学会に登場したら、
今度こそ相手にされなくなるよ(すでに相手にされてないか)w

106 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 11:15:06
ウリナラがソースなら事実に違いないNIDA!!!

107 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 12:34:12

『辰国』

辰国(しんこく)は紀元前3世紀〜紀元前2世紀の間朝鮮半島南部と九州北岸一部を領有した
とされる鉄器時代国家。北は衛氏朝鮮に接し漢江の南に位置した。三韓の前身であると言われる。
細型銅剣、南式支石墓、甕棺墓文化を有する漁労農耕社会だったと推測されるが、記録は
非常に少なく、特定の一国を指すのか小国の集まりであったのかは定かではない。

『史記』では「真番旁衆国」または版本により「真番傍辰国」、『漢書』では「真番辰国」。
『資治通鑑』では「辰國」として登場する。『三国志』においては「辰韓者古之辰國也」とあり、
三韓のうちの一つ辰韓が辰国の後身とされ、『後漢書』では「韓有三種一曰馬韓二曰辰韓
三曰弁辰(略)凡七十八国(略)皆古之辰国也」とあり、馬韓、弁韓を含めた三韓の全ての
国々の起源が辰国にあるとしている、なお真番は馬韓の旧名と思われる。

"http://wikipedia.org/wiki/%E8%B0%E5%9B%BD" より作成


108 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 12:36:00
『辰国』

『後漢書』弁辰伝。『三国志魏書』馬韓伝。『後漢書』馬韓伝。『京畿道の由来』。

初、朝鮮王準為衛滿所破、乃將其餘衆數千人走入海、攻馬韓、破之、自立為韓王。
準後滅絶、馬韓人復自立為辰王。

初め、朝鮮王準が衛満に滅ぼされ、数千人の残党を連れて海に入り、馬韓を撃ち破り、
韓王として自立した。準の後裔は滅絶し、馬韓人が再び辰王になった。

これは、燕国から千余の兵士を連れて朝鮮に逃亡してきた満(衛満)によって国家を
簒奪された朝鮮王準の後事を記したもの。具体的な年は不明だが、紀元前195年に燕王
が匈奴に亡命しており、同時期に衛満も燕国を脱出いるはず。そこから朝鮮の王権を
奪取するまでに何年を要したかだが、10年前後のことではないかと想像する。
いずれにせよ、紀元前二世紀には辰国が存在していたことだけは確実である。

http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kochosen/kochosen6-sinkoku.htm


109 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 12:43:26
どうして新羅を倭人達は志良岐「シラキ」と言ってたか、其れはね表意文字で表すと
「白衣,白着」なんだよ、此の国の住民は穢れを嫌い身の潔白を表わす為に白い服を
着てたんだよ、
日本の神官や花嫁衣裳の白無垢と同意、でも王の様な尊敬される者は特別に錦の服を
着てた。だから志羅紀の王を「尼師今=ニシキ」錦の御旗のニシキって言うんだよ。

ちなみに渡沙寐錦の「寐錦」はミカ(甕、神酒などを入れる瓶の事、高貴な人を埋葬
する甕棺、高貴な人をミカヒト、帝ミカドと同意)ミキ(神酒、神に供える神聖なの意味)
御ニシキ、ミニシキも有りかも。?


110 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 12:54:45
百済の王を意味する「健吉支、昆吉支、コンキシ、コニキシ、コキシ」は

「ニニギの命」の別名「アメニキシ天邇岐志,クニニキシ国邇岐志...」
の「クニニキシ」が変化し「クニキシ、クンキシ」に訛ったと思われる。

志羅紀のニシキ、久多良のコニキシ、伊都国の官,爾岐ニキ、ニニギ、ニギハヤヒ
等々のニギ、ニギシは(賑わし処,国村)から古代の倭人語と思われる。

この意味からの発生で後、良き人能力の有る人文官などを「吉師」キシ、キッシ
と呼ばれる様に成る。例、王仁吉師


111 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 15:17:35
>>110>「ニニギの命」の別名「アメニキシ天邇岐志,クニニキシ国邇岐志...」

此れは「天のキシ,国のキシ」の事で「天の吉師,国の吉師」の事じゃないか。
キシは吉師、吉士で優れた能力の人、指導者の意味。

箕氏、姫氏、紀氏、貴志、騎士、岸など「キシ」と発音するのも関係有り?





112 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 18:18:27
韓国人の自国を優位にしようとする意図的な説はいつも失敗しますね。

113 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:05:05
日本書紀。
「(雄略天皇)21年春3月、天皇は百済が高麗(高句麗)の為に破れぬと聞きて、
熊津(公州)を汶洲王(文周)に賜りて、その国を救い興す」
‘ 雄略天皇が所領していた熊津の地を文周王に賜った ’というこの記述にたいし、
津田左右吉は「熊津が日本の領土であった形跡の毫も見えない以上、
潤色というよりむしろ虚構の説話である」(『古事記及日本書紀の研究』)と厳しく批判した。

しかし近年、百済地域から日本系武具が出土する事などを考慮すれば書紀の記述はが正しいのであろう。
津田左右吉の時代には判明してなかった事だ。

114 :48:2008/11/18(火) 19:07:42
>>112
だって優位性ゼロだもん。
どこ探しても、そんなものないだろ。
しかも、これからつくっていこう、という真面目さもゼロ。
ムダな書き込みしてないで少しは努力すればいいのに。
もっとも足りないのは品性ね。これヒント。

115 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:08:28
「吉師」は身分を表わす為にヤマドリの尾羽を頭に挿して印とした。
ヤマドリの中でも特に綺麗な尾羽を持った種類を「吉師」「キジ」と言った。

116 :48:2008/11/18(火) 19:18:12
>>113
津田に大きな功績があったことは認めるが、
神話の現実性を否定した以上のものは何もない。
あとは日本の古代史、全否定だもんなw
でも、節を曲げない偉い人だったと思う。
唾棄すべきは、戦後になってから津田に乗っかって
まるで自分の説みたいに古事記、日本書紀を否定した連中だ。
もう定年退職したろうけど、各大学にいた史学学界の重鎮たちだよw

117 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:33:04
>>116

http://www.chosunonline.com/article/20071123000032

百済地域の古墳で発見された、
横矧板鋲留短甲?と眉庇付冑。

日本では沢山出てる種類です。

例によって、「韓半島から(日本へと)伝わった可能性を示唆している」としたいために、
5世紀前半となってますが、
何を根拠に5世紀前半となってるのだか…

革綴短甲の後に鋲留短甲の順なのだし、
普通に考えて5世紀半ば〜後半であり、
日本から伝わった物でしょう。

118 :48:2008/11/18(火) 19:57:32
>>117
苦笑するしかないでしょう。
韓国マスコミにも中にはいいのがいるけど、
学者は御用学者ばかり。研究成果を上げる喜びより、
何でもいいから名誉欲。マスコミにコメントを求められたら
意向に従って歪曲でも何でもしゃべる(ようにしか見えない)。
彼らは学者とは言えないよね。

119 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:11:53
age

120 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/20(木) 21:54:37
>>117
5世紀前半倭は、半島を席巻した時代。
その遺物を半世紀も繰り下げるから、つけ込まれるんだ。
5世紀前半を信じるべき。


121 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:11:38
●ウガヤ(大伽耶)は倭国の出先機関
http://plaza.rakuten.co.jp/gonta0123/diary/?ctgy=4
「伽耶」「加羅」の語源が「離れる」と言う意味の言葉で、どちらの意味も「離れた場所・外国」である。

もし倭国の権力の主体が朝鮮半島にあったなら、その最大権力者が住んでいる主体の地を指して
「離れた場所」などと命名するだろうか?

権力中枢が日本のどこかにあり、そこから見て初めて、大海を隔て「離れた場所」=「から(加羅)
・かや(伽耶)」となることができるのである。
覇権を握っていたのだから、当然と言えば当然だが、伽耶、加羅が日本語である以上、これらの地名も
もちろん倭人(後の日本人)が名付けた地名である。

こう見てくると、倭国の主体はやはり元から日本列島にあり、<出先機関>である任那を日本語で「伽耶」
列島れとか「加羅」と呼び習わしたと考えた方がよさそうだ。
以上のように、語源を追っていくとチラッと本質が見えることがある。
それらは歴史を知るための大いなる手がかりとなることがあって結構役に立つ。


122 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 00:39:24
>>120
短甲などの編年も日韓で共有できてて、
「鋲止め」は後期になるみたい。
>117の短甲は大仙陵や江田船山古墳と同系の短甲だし5世紀後半でしょう。

韓国にまともな学者もいて、
韓国出土の短甲は日本からの輸入品と認めてる。

実際は倭人の墓の可能性も大いにあるんだけどw

123 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 01:40:49
>>122
しかし倭人の墓だと認めても任那日本府などの倭人支配に関しては認めてない


124 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 03:50:19
チョンだからなw

125 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:42:19
http://www.chosunonline.com/article/20071213000056
【歴史】日本の国宝に息づく新羅・百済文化

檀国大学のチョン・ヨンホ碩座教授(大学が基金を財源に教授に迎え入れた、学問的業績に
優れた人物)が説明するように九州・飛鳥・奈良・京都にかけて日本の各地には
約1500年前から伝えられてきた韓国文化の魂が今も深く息づいている。
長い歳月のうちに上塗りされてきた「日本らしさ」も、韓民族特有の文化を覆い隠すことはできなかった。

釜山テピョン小学校のアン・ジェホン教諭(39)は

「“日本に文化を伝えた”と、韓国は過剰な優越感を抱いていたのではないかと
反省させられる。韓国から伝わったものを基に、独特の文化を生み出した日本の底力も
認めるべきでは」と語ったのが印象的だった。

これが現実wwww



126 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 00:00:09
つまりだ
倭、国内で鎧を造って手漕ぎの船で半島へ持って行く手間と半島内で鎧を造る手間。
どちらに利が有るか?。当然倭へ帰国する時も重たい鎧は全部とは言わないが大部分は、現地に置いてくる。

もっとわかりやすく言えば南洋のジャングル(言い方が古いな)に0戦が何機も見つかったとする
未来の人間が其れを発見して、「南洋では0戦が造られていた。」此のレベルの話だ。


127 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 00:07:40
半島北部まで倭が進入する。
0戦では無いが倭軍には何か技術革新が有ったのだろう当然任那で造る。
鉄が有って、使用場所に近いから 任那で造る。
現在から見れば、半島内。

128 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 00:11:03
そして 前線が遠くなると、兵站にほころびが出る。
先の大戦と一緒。

129 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:48:51
>>125

346年 倭の軍隊が突然に風島を襲い、さらに進軍して金城を包囲して激しく攻めた。【三国史記・新羅本紀】
364年 倭兵大いに至る。 王はこれを聞き、とても敵わないと恐れた。【三国史記・新羅本紀】
391年 倭が海を渡り、百残(百済)、□□新羅を破り、これを臣民とする【広開土王碑】
393年 倭人が侵入し、金城を包囲して5日間も解かなかった。【三国史記・新羅本紀】
397年 百済、倭国と国交を結び王子の腆支(テンシ)を人質に送る。【三国史記・百済本紀】
399年 倭が新羅の国境に満ち城池を潰破し民を奴客とし、百済は誓いを違えて倭に通じた。【広開土王碑】
400年 倭が、新羅城のうちに満ちる。【広開土王碑】

402年 新羅、倭国と国交を結び奈忽王の子の未斯欣(ミシキン)を人質に送る。【三国史記・新羅本紀】
404年 倭、不軌にも帯方界に侵入。【広開土王碑】
405年 倭国に人質となっていた百済王子の腆支、倭国の護衛により海中の島にて待機してのち百済王として即位。【三国史記・百済本紀】
405年 倭兵が侵入し、明活城(慶州市普門里)を攻撃。【三国史記・新羅本紀】
407年 倭人が東部と南部へ侵入。【三国史記・新羅本紀】
407年 万を超える倭が進出。【広開土王碑】

これが現実www

130 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:57:02
>>129
韓国人に聞いてみな
誰もこんな歴史知らないからw

多くの韓国人が知ってる歴史は>>125のようなこと
「我々の進んだ文化や技術を野蛮で未開だった日本人に教えた」と言うのが定説


131 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:11:44
正しい言葉で書けば
韓国人だけが知らない
が事実だね


132 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:27:15
>>131
はぁ、中国人だって西洋人だって知らないよ
逆に>>129に書いてある事を勝手に信じてるのは日本人だけ

133 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:28:12
>>130
チョンが惨めな歴史を隠してるだけだw
史実は>>129だよ

134 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:28:51
>>132
いや、世界で否定してんのはチョンだけだよw
韓国の歴史学会は世界でまるで信用されてない

135 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:35:58
>>134
世界の人々が東アジアの歴史なんて誰も知らないし興味ないw
アメリカやヨーロッパの世界史の東アジア歴史で任那日本府なんて載ってないだろ

学者達の間で任那日本府が認知されてれば教科書に書けばいいだけの話
学会で認められてないから書けないんだろ


136 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:11:15
一般に知られてはなくても東アジア専門にしてる学者はたぶん先進国ならたいていいるだろ

137 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:20:43
中華、ヨーロッパをはじめ
世界中の方が韓国人に一方的に仲間にされるのを迷惑と思ってます
これが事実です

138 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:52:22
>>135
史実かどうかって話を、知る知らないにすり替えるチョンw
チョン教科書の捏造知識を知ってたからって何にもならん電波っぷり

139 :48:2008/11/22(土) 03:56:16
>>135
韓国が逆の立場だったら確実に書いてるなw
歴史に対する姿勢の違いってことだ。
それに日本では何種類か教科書があって、
学校ごとに選んでるんだろ(いまは違うのか?)。
日本府は書いてないのもあれば、書いてあるのもあるんじゃないの。

140 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:59:36
捏造起源精神が健在な韓国人

141 :48:2008/11/22(土) 04:07:01
>>135
いや少なくとも日本の歴史は各国で研究されている。
戦後に奇跡の高度経済成長を成し遂げた国を研究しない国はない。
特に欧米は、そういう点では抜かりがない。
ただ、東アジア史といっても中国史と日本史だけだろうけどw

142 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 08:12:49
任那日本府は中国でも認められてるよね。
韓国によれば中国と争ってる高句麗帰属問題の韓国へのあてつけだとか。

143 :48:2008/11/22(土) 09:47:57
>>142
笑うしかないねwwwwwwwwwwwwwww
笑ってみました。

144 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 13:32:32
>>126
>倭、国内で鎧を造って手漕ぎの船で半島へ持って行く手間と半島内で鎧を造る手間。
>「南洋では0戦が造られていた。」此のレベルの話だ。

半島で作ったほうが有利だと言いたいのだろう?
それなら零戦の譬えは矛盾するな。

半島で作ったということに反対するのではないよ。
鉄製鎧は両方で作られた。そして:
・共同作戦を通じての共通化
・製作地が離れていることによる独自性の発生
・相互に影響を及ぼし合うことによる再共通化

このような要素がからみあって、発掘からはどちらが鉄製鎧の本家とも言え
ないような状況が生まれたと思う。


145 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 18:14:23
>>144
>発掘からはどちらが鉄製鎧の本家とも言えないような状況が生まれたと思う。

本家ということでは質・量とも圧倒してる日本だろう。
日本では変遷段階の1〜10まで説明できるとして、
韓国では2、4、5、7、8、9と、まぁこんな感じみたいだな。


146 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:34:38
>>141
いや、だからアメリカ人やヨーロッパ人が世界史の授業で東アジア
の歴史について学ぶ時(ほとんど学んでいないと思うが)に
4世紀後半、倭国(日本)は海を渡り朝鮮半島の百済、新羅を属国にして半島南部に
任那日本府を設置して支配したなんて教えないだろ

日本だって教えてないんだからw
だから任那日本府が事実なら教科書に書けばいいだけだ
書けないのは根拠が乏しいからだろ

147 :48:2008/11/22(土) 20:51:59
>>146
それはそうだ。納得。
でも、教科書に書かないのは、君の祖国(?)からの
圧力もあるんじゃないの。日本の官吏はモメるのを嫌うからね。
100%確実なら書くだろうから、根拠が乏しいと言えばそうだ。
ひるがえって、君の国が主張する歴史は根拠が豊か(十分)ですか?

148 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:57:50
任那日王府

149 :48:2008/11/22(土) 21:09:28
この日王(イルワン)ってのやめてほしいんだけどね。
間違いだし、日本にケンカ売ってるようなもんだろ。

150 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:26:05
>>145
>日本では変遷段階の1〜10まで説明できるとして

その、発展段階の1というのはどこで出たどんな発掘品か、
説明してくれ

151 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:31:35
>>146
>任那日本府を設置して支配したなんて教えないだろ

そう言うと「総督府」のように聞こえるが、日本書紀を読む限り、
日本府は決して総督府ではなく、せいぜい「駐留部隊本部」だ。
まあ、「進出」していたことは間違いないよ。

152 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:56:53
>>151
間違いないなら日本の教科書に書いて教えればいいだろ
何で教科書に「任那日本府」の記述がないんだよ?

391年、倭国が海を渡って百済、新羅を破り属国にしたとか、高句麗の碑文だけでなく
中国の碑文とかにも同じことが書かれてるんだろう
だったらその歴史を日本人に教えるべきだろ



153 :48:2008/11/22(土) 23:04:29
>>152
君が繰り返すように、
教科書に書かれていないって本当なの?
書かれていない教科書もある、ってことではなく?
日本は学校ごとに教科書を選べるはずだよ。
オレたちの世代(聞くな!)には、しっかり書いてあったからさ。


154 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:06:24
>>150
弥生の木製短甲だよ。
その形がそのまま古墳時代の鉄の短甲へと発展していった。
韓国に木製短甲があるかどうか知らないので1を飛ばした。

155 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:07:17
皆さん大朝鮮帝国史というのを知ってますか?
世界の常識ではネタ本のたぐいなのですが
韓国に都合の悪いことは韓国の歴史教科書には掲載されない事実
韓国の教科書に韓国は近世まで文字も文献もなく
それ以前の歴史はすべて中華、日本に残る文献によるしかないと、さっさと記載して下さい

156 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:20:12
>>153
オレの世代では記述されてない(聞くな!)w

子供向けの「まんが日本史」でも任那日本府どころか、倭が百済や新羅を属国に
したとかまるで描かれてないし
むしろ未熟だった日本が朝鮮半島の技術や文化を学び発展したみたいに描かれてる

日本独自と言われる「前方後円墳」も朝鮮から渡来してきた技術者に倭人達が
コキ使われて作らされる場面さえあるのが衝撃的w

聖徳太子も「海の向こうには優れた仏教や文化がたくさんあります」見たいなこと
聞かされていた、あと新羅の最先端技術に倭国が負けたって言うことも描いていた

ま、これが日本の教育

157 :48:2008/11/22(土) 23:38:02
>>156
はあ、日本の教育も堕落したもんだ。
ひどいとは聞いていたが・・・。
君らの国が日教組に何かしたんじゃないのかw
で、君はよく勉強してるようだから、これがウソだって分かるんだろ。
日教組に投書でもしてやってくれよ。君の投書ならきっと効く。

158 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:39:09
>>156
海の向こうに優れた仏教や文化があります
と聖徳太子は隋に使者を派遣しましたね
遣隋使、後に遣唐使
倭、邪馬台国も後漢や魏に使者を派遣しました
中華文明と日本の結びつきの歴史ですね

159 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:05:19
>>158
「まんが日本史」では子供の聖徳太子に蘇我馬子が朝鮮半島を指して

「海の向こうには仏教と優れた文化がありますよ」見たいなこと言ってた

蘇我氏は朝鮮びいきだから百済人なんかをたくさん移民させてたんだろう


160 :48:2008/11/23(日) 00:15:00
>>159
蘇我氏は確か渡来系だったな。
あのころの日本は軍事大国、文化後進国だったようだ。
朝鮮には文化的な面で世話になっただろうね。
でも、日本人は習得が早いからさ。
そして、必ず「日本化」する。
芥川がいう「つくりかへる力」だね。
君のお国にはこれが足りなかったみたいだな。

161 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:37:18
>>160
蘇我が渡来系とは決まってない。
渡来系との関わりで勢力を増したのは事実だが。

韓子、高麗、馬子、蝦夷という夷名は、
蘇我氏を貶める意味があったからの当て字であって、
逆に蘇我は皇別だったからこそ、こういう夷字を当てたと思う。

162 :48:2008/11/23(日) 00:42:55
>>161
すまん、軽率だった。
日本書紀に曽我氏を貶める意図が働いているのは
オレも十分に感じてます。
自分の中で、物部=在来、蘇我=渡来と
パターン化してた時期があったもんだから、ついね。

163 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:45:28
>>159
史実に残る双方の事実として中華王朝側、大和朝廷側は
随に使者を送っていますね
マンガ日本史の中の蘇我氏
後の白村江の戦いにあるように
大和朝廷と百済の間に密接な関係はあったのは事実でしょうが
結局、大和朝廷が制度や文化などの面で交流し取り入れたのは中華王朝のものが多大ですね
どちらにしても百済、新羅側に文献がなく
中華王朝側、大和朝廷側にしか文献が残ってないので
こちらが研究の中心になりますね
後漢、魏、高句麗、随、唐これらの王朝の残した記録に
倭、大和朝廷が半島に影響力を持っており、なお軍事行動も行っていた
とはありますが
倭、大和朝廷が半島の国々の百済、新羅に多大な影響を受け支配されていた
と記録がない以上、半島が大和朝廷に影響力をは妄想や願望以外のものでしかありませんね
ちなみに蘇我氏は仏教を取り入れたと通説ですが
後の遣隋使、遣唐使はじめ日本の高僧は中華王朝で仏教を学び
中華王朝側も鑑真を日本に渡海させたりと
文化、文明の中心地は中原の中華王朝であると理解していたと思いますが?
中華王朝と大和朝廷の双方に、そう記録されているので揺るぎない事実ですね


164 :48:2008/11/23(日) 00:50:38
>>163
その通り!

165 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 01:53:07
韓国では日本で言われている百済や新羅が日本の属国だったなんて誰もしらない
その反対で日本が百済や新羅に朝貢していたと教えている
任那日本府もそうだけど日本とは温度差がありすぎるねw

概ね>>125に書かれていることが大部分の韓国人が習った通説
その頃の日本は文字もなく、馬もいない着るものもない野蛮国だと思われてる
その倭人に文化を教え、仏教を教え、精銅、鉄器などの技術を教えたのが
古代の韓国人達であるという教えで、韓国人もこれが事実だと思っている


166 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 02:15:29
ま、イデオロギーの前には真実などねじ伏せちゃる、って姿勢に関しちゃ、
ウヨと韓人は同根・同種だよな。
オレの理想とは対極にある人種。

167 :48:2008/11/23(日) 02:19:51
>>165
ふ〜ん、それは困ったね。
そんな教育をしてどうしようというんだろう。
韓国人の考え方が分からない。
空虚なプライドのなせるわざとしか言いようがないのだが・・・。
国家レベルでやることじゃないよな。
いろんな意味で不信感を抱かざるをえない。

168 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 02:42:55
豊臣秀吉が侵略してきた時も実際は明軍に助けられたんだろうけど
韓国では優秀な朝鮮民族が日本の秀吉軍を撃破して追い返したと教えている
日本の水軍に勝利した李瞬臣は韓国の英雄だよ
あくまで朝鮮民族が日本を破ったと教えているよ

実際は明の援軍によって膠着状態に入りろう城が続き、これではラチがあかないと
日本と明の司令官同士が偽造した和平文書を作成して手打ちにして明軍、秀吉軍は
引き上げたらしいけど専門家以外そんな事は韓国人は誰も知らない

李瞬臣将軍も実際は日本の水軍ではなく丸腰の物資補給船を沈めただけって知ってる
韓国人はいない、あくまで我が民族の勝利と称えている

これが韓国の教育だよ

169 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 03:22:20
>>165>>167
国の政策で国民に自国の都合のよい教育をして
国にとって都合のよい国民になってもらう
これが国内部の内輪だけのことなら中国も日本も外国のことで
関係はないのでほっておけるのですがね
なぜなら中国では学校で習わなくても新羅、高麗、李氏朝鮮など
歴代中華王朝に朝貢をしていた属国であり
間違って歴代中華王朝と対等な関係の国ではなかったと認識しているからです
ただこの関係を今の国家及び民族間の関係に当てはめた物言いはしません
問題があるとしたら、なぜ韓国の古代史の教育はこうでないといけないのか?
古代より朝鮮半島の国は日本より優位にあると間違った認識を振りかざし
日本より朝貢という形で金や最恵国待遇が受けたい
それがあるねでしょう
朝鮮半島の最古の文献は近世から
その事実から、それぐらいに今の朝鮮民族の母体が形作られた
通常、事実をそう認識するのが常識です
もちろんそれ以前に朝鮮半島に人がいなかったと言うことではありません
ただ現在の韓国人がどう考えようとも
日本の古代史はしっかりと動かしようのない事実として文献という史書の現存する
日中間の研究が中心になるのは仕方ないけとで
日中双方の見解の一致がより事実に近いもので、あることに変わりはありません


170 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 08:42:40
>>154
>弥生の木製短甲だよ。
>その形がそのまま古墳時代の鉄の短甲へと発展していった。

木製短甲が鉄製短甲に発展したというのは証明されていない。
形は胴体を覆うという目的から、おのずから決まってくる。

>韓国に木製短甲があるかどうか知らないので1を飛ばした。

知らなければ飛ばすこともできないではないか。

171 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 08:46:47
>>170

素材が木から鉄に変わっただけで、
継続してるのだから発展していったのだろう。
そうでないという人間を知らない。

>知らなければ飛ばすこともできないではないか。

あるのなら韓国に1を飛ばさずカウントすればいいだけだ。


172 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:01:21
>>171
木製短甲は板を縦に矧いだ、要するに桶のようなものだ。
それがそのまま鉄に変わったとすれば、それは縦矧ぎ式短甲になるわけだが、
この形式の短甲については次の資料がある。

http://www.miten.jp/miten/modules/popnupblog/index.php?param=8-200809
「古墳時代に入ると、鉄製の甲冑(かっちゅう=よろいかぶと)が出現する。
上半身を守る短甲(たんこう)は、細長い長方形の鉄板を縦位置に並べ、
隣り合う鉄板同士を革紐で緊縛したものであった。竪矧板革綴
(たてはぎいたかわとじ)短甲と呼ばれる。
 この形式の短甲は、韓半島で伝統的に数多く見られるものであり、当初の
製品は韓半島で製作されたものが列島に持ち込まれたものと考えられるが、
まもなく国内での生産が開始されたと考えられる。」

残念ながら1は半島のようだな。カウントしてくれ。




173 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 16:11:26
古代倭国は百済から当時の先進技術や経典を輸入して生口で支払っていた
生口とは奴隷の事だが、その使い道は対白羅、対高狗麗戦で最前線に送り出す兵隊
つまり傭兵だな
この売られた生口(傭兵)の駐屯地みたいなのが各地にあったわけだが
これを指すというのは無理かな?


174 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 17:07:07
妄想電波がまたやってきた。百済は倭に朝貢していた。たしかに仏教は百済から入ったものだが
技術者も経典も差し出させていた。力関係は倭の方が上

175 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 18:37:11
>>172
>残念ながら1は半島のようだな。カウントしてくれ。


竪矧板革綴は日本でも数点出てるので無理だな。
同時期と見るべきだろう。
カウントするとしても2だ。
あくまで1は木製短甲だ。

>この形式の短甲は、韓半島で伝統的に数多く見られるものであり、
>当初の製品は韓半島で製作されたものが列島に持ち込まれたものと考えられるが、
>まもなく国内での生産が開始されたと考えられる。

日本で鉄が生産されてないので当たり前だ。

で、1つまり木製短甲が半島にあるのかないのかどっちだ?
ないのなら突然、短甲(しかも鉄)が半島に現われたという事になる。
こういう場合、伝統的短甲文化を持つ民族・倭が、
鉄の産地・伽耶で作った可能性が高い。
実際、それを日本にも持ち込んでるしね。

176 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 18:39:58

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177 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:30:10
>>175
>日本で鉄が生産されてないので当たり前だ。

昨日の「世界ふしぎ発見」見た?
邪馬台国から大和王権になるまでの空白の150年についてやってたけど
奈良の「大和」と島根の「出雲」が手を組んで「大和朝廷」が誕生したと言う話し

その出雲から大量の「鉄」の武器がが発見されていて
出雲は砂鉄を使った武器を保有する強大な軍事力があったと定説になってる
大和王権が誕生する前だから250年〜400年間にもう大量の「鉄」を出雲で
生産していたことになる

178 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:41:37
>>175
>1つまり木製短甲が半島にあるのかないのかどっちだ?

君も言っているように、鉄製縦矧ぎ短甲は木製短甲をそのまま鉄製にした
ものと見なされる。そうであれば、半島で生まれた鉄製縦矧ぎ短甲のもとに
なった木製短甲が、それ以前に半島に存在したと見なされる。
(木製は腐りやすいから、出てないからなかった、とは言えない)
木製短甲を本土の倭人が半島に持ち込んだ、というのはもはや都合のよい
願望にすぎない。

いずれにしても以下のような君の主張はすでに崩れている。
1)日本にはすべての段階の短甲が揃っている。(発生段階の鉄製縦矧ぎ短甲はない)
2)木製短甲は日本の発祥。(鉄製縦矧ぎ短甲のもとになった木製短甲が半島にあった
  とみなされる)
3)鉄製短甲が日本発祥でないという人はいない。(少なくとも私が紹介したページの
  著者はそれに反する説を唱えている)

付け加えれば、この著者は宮崎にある、日韓の武装を比較する博物館の関係者だ。
つまり、一応この分野の専門家だ。

179 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:08:22
>177
「出雲の鉄」に関しちゃ、1年前に出た小学館の全集日本史にも紹介されてるし、
それ以前にもいくつか本が出てるから、テレビでデタラメを言ったってわけじゃあないだろうしな。

もっとも、「砂鉄から鉄素材を生産」じゃなく、輸入窓口だったんじゃないかって話がメインのようだが。(@1世紀ごろ)
生産が始まった時期って、研究が進んでんのかねぇ?


180 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:44:10
当時の鉄って主に農機具に使われていて兵器としては青銅器や石器が主だったって
聞いたが違うのか?

181 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:27:30
>発生段階の鉄製縦矧ぎ短甲はない

日本には縦矧ぎ革綴短甲があるがそれではないのか?
発生段階の鉄製縦矧ぎ短甲とは具体的にどういうものだ?

>鉄製縦矧ぎ短甲のもとになった木製短甲が半島にあった
  とみなされる

それじゃだめだ。
結局木製短甲は見つかってないのだな?
じゃ突然もたらされた可能性を否定できない。

3はそういう人もいるという事を認める。


182 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:29:51
>181は>>178へのレスね。

183 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:45:49
>178
忙しくてボーっとしてたんで訂正忘れてた。
>3)鉄製短甲が日本発祥でないという人はいない。(少なくとも私が紹介したページの
  著者はそれに反する説を唱えている)

鉄製短甲が日本発祥でないという人はいないという事でなく、
日本で、木製短甲から鉄製短甲への穏やかな変遷に何ほどか異論を唱える人はいないという事だ。

184 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:36:13
http://www.readersnews.com/imgdata/readersnews_com/200810/2008102732118132.jpg
▲チョン・ホスン詩人


詩人たちが片手間に日本の中の民族史現場を学術探訪しながら、その背後に隠れている歴史の真実を
追い求める詩作は韓国詩文学史の非常に大事な作業に違いない。

チョン・ホスン詩人の百済詩「私の手に仏様が」は日本の東京都の真ん中の名刹「浅草寺」を古代に
初めて建てたのは百済人、檜前(ヒノクマ)兄弟であり、彼ら兄弟は人の手に入る非常に小さなわず
か1寸8文(約5センチ)の仏像を浅草寺本堂「観音堂」の中に祭ったという。この小さな仏像は百済「観
音像」だというもの。しかし、まだ誰もこの観音像を見た事がないという「秘仏」で有名だ。

この寺の「本尊縁起」には、仏像を祭った人物が7世紀百済人、浅前浜成(ヒノクマノハマナリ)」
と浅前武成(ヒノクマノタケナリ)兄弟と言う。この二人の百済人兄弟は今の浅草に住みついて、そ
の場所の隅田川に出て魚を捕った。

推古女王36年(西紀628年)3月18日の朝には魚を捕ることができなかった。代わりにこの兄弟の網にか
かったのは観音の仏像だった。ヒノクマ兄弟は、観音像を引き上げると大変畏れ、魚肆を直して新し
い仏堂を作った。こちらに観音仏像を奉安して仕え、礼仏するようになった。正式に浅草寺が建立さ
れたのは孝徳王(645〜654在位)元年だ。

江戸時代(1603〜1868)の著名な考古学者だった鳥居竜蔵(1870〜1874)博士も浅前浜成兄弟の存在を認
めた。浅草寺の百済秘仏がどのような姿なのか、私たちはその代わり6世紀、百済扶蘇山で発掘された
小さな貴重な仏像を見て想像の翼を広げよう。

ソース:読書新聞(韓国語)[理解と鑑賞]日本の中百済仏教の真実追求
http://readersnews.com/sub_read.html?uid=13120§ion=sc3


185 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:53:34
まあチョンは万年属国

186 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:14:25
■■■好太王碑最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致■■■

好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本部が、4世紀に日本が朝鮮
半島を支配していたと解読した。

 戦後になって酒匂の拓本の信頼性が疑われ、李進煕・和光大名誉教授が1972年、「近代日本の半島進出
を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と主張。
日本、中国、韓国、北朝鮮4か国の研究者の間で大論争となった。
その後、改竄を否定する有力な説も出たが、実物の検証が困難な状況で、決着には至ってなかった。

 東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、それまで
最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。
その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。

読売新聞2006-04-14


=任那日本府

187 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:56:09
>>181
発生段階の鉄製縦矧ぎ短甲とは具体的にどういうものだ?

君は私が紹介した、縦矧ぎ式短甲が半島で発生して日本にもたらされたと
いう説に反対していない。それならば半島で発生した時点で、日本にはなかった
ということになるではないか。
まあそれは別として、半島の縦矧ぎ短甲は鋲留め式、日本のは革綴じ式だ。
だから鋲留め式縦矧ぎ短甲が日本にないということは言えるのではないか?

>結局木製短甲は見つかってないのだな?
>じゃ突然もたらされた可能性を否定できない。

宋桂[金玄]教授によれば、釜山の老圃洞31号墳から、「有機質性の甲冑
と見られる漆製品」が出土している。木は腐るから外側の漆だけが残ったのだ。
教授は、「縦矧板鋲留短甲は洛東江下流域で三世紀代の有機質の短甲をモデルに
開発されたもの」と言っている。
まあ、北九州と釜山地域は同じ文化圏だったから、半島だ日本だと言って
肩肘張るのがもともとおかしいのだけどね。

188 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:11:06
>>183
>日本で、木製短甲から鉄製短甲への穏やかな変遷に何ほどか異論を
>唱える人はいないという事だ。

だいぶ「穏やか」になったな。
少なくとも私は疑問を持つ。まず日本の木製短甲は、私が「桶」だと言った
のは間違いで、むしろ太鼓の胴だ。つまり丸太をくりぬいた加工品だ。
その出土例は11例しかない。その11例は、対馬で出た全く原始的
なものから、その他の場所で出た断片的なものまでを含む。
そしてその断片の多くは手の込んだ彫刻のある非常に装飾的、祭祀的な
ものだ。
これに対して三角板や横矧ぎの鉄製短甲は、はじめから実用品、量産品だ。
このような状態で、どうやって日本の木製短甲が鉄製短甲の先駆だと
決めつけられるのか、それがわからない。
むしろ日本の鉄製短甲が突然発生だということを否定できない。

189 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:34:40
>>187
>半島の縦矧ぎ短甲は鋲留め式

鋲留め技術というのは初期でなく後期のはずだぞ。
何か勘違いしてないか?

>「有機質性の甲冑 と見られる漆製品」が出土

非常に日本的だw

>>188
>このような状態で、日本の木製短甲が鉄製短甲の先駆だと決めつけられるのか、それがわからない

鉄製短甲は、当初、シンプルなものだったが、
技術が進化してくるとこういうものまで出てくるよな。
http://www.gwmy.or.kr/temp/jp/images/gall/gall3.jpg

このタイプは日本には出てないが、
この渦巻き文様などは日本の木製短甲の系譜とも思えるほど装飾的で祭祀的だ。

190 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:53:49
それと、
>>188
>その出土例は11例しかない

そういう言い方はダメだな。
韓国では釜山に痕跡らしきものしか出てないのに比べれば、
11例もあれば充分だろう。
その釜山の木製短甲も日本のものである可能性が高いね。
鉄採掘の倭人が移住してたしね。

191 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:56:46
4、5世紀、倭国は南朝鮮を征服していた....
だから戦うのに必要な最新兵器の鉄製装備が前線の朝鮮から多く出土するのは
至って当然だな

今の時代の軍隊も本国に持ち帰るのに費用が掛かって嵩張る銃器は現地に置き
去りにするし、この場合倭国が朝鮮に置き去りにする装備が鉄製鎧だった

192 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:30:08
>>189
>鋲留め技術というのは初期でなく後期のはずだぞ。
>何か勘違いしてないか?

そう思うだろうが事実は私が書いた通りだ。竪矧ぎ式短甲については半島では
革綴じのものが出ていないのだ。
君が示した写真(出典を示すべき)も鋲留式だ。よく見ると鋲が見えるだろう?
おそらく4世紀のもの。渦巻は君のいう「後期」の発達でなく、はじめから
ついている。

>韓国では釜山に痕跡らしきものしか出てないのに比べれば、
>11例もあれば充分だろう。

ではその11例のなかで、これが鉄製短甲の祖形だというものを、1例でも
いいから示してくれ。
私には、君の示した竪矧ぎ式短甲も、全体としては横矧ぎ式や三角板式と
よく似ているように見えるけどね。
念のためだがこれでも横矧ぎ式・三角板式とは技術的に別系統と言われている
のだよ。いわんや木製短甲をや(以下略)

>その釜山の木製短甲も日本のものである可能性が高いね。

ないないというからあることを示せば「日本のもの」?
それをダブルスタンダードという。
仮に「日本のもの」だったとしてそれがどうした?
前にも書いたが、倭人伝の時代には半島南部と北九州とは同じ文化圏だった。
半島も日本もないのだ。

193 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:14:08
>>189
>鉄製短甲は、当初、シンプルなものだったが、

普通はそうだね。眉庇付き兜の発達もそのように言える。
しかし日本の木製短甲から、日本の鉄製短甲が生じたとすれば、そのように
なっていない、すなわち装飾的な木製短甲から実用的でシンプルな鉄製短甲が
生じたことになる、
ということを言っているのだ。

194 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:41:30
>>192
>おそらく4世紀のもの。渦巻は君のいう「後期」の発達でなく、
はじめからついている。

ならますます木製短甲の系譜ではないのか。

半島では 竪矧ぎ式短甲の革綴じのものが出ていないのなら、
日本の4世紀の鉄製竪矧ぎ革綴短甲とは別ものという事かな。
つまり伽耶製でなく日本独自で作ったという事になるな。

>ではその11例のなかで、これが鉄製短甲の祖形だというものを、1例でも
>いいから示してくれ。

俺は木製短甲は鉄製短甲の祖形だと思う。
が、そう言った所で、
差異を強調して別系統だと恣意的に言われるのなら意味がないさ。


195 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:53:22
>しかし日本の木製短甲から、日本の鉄製短甲が生じたとすれば、
>そのようになっていない、すなわち装飾的な木製短甲から
>実用的でシンプルな鉄製短甲が生じたことになる、

別にいいんじゃないの。
加工し易い木だから装飾的にもできたが、
鉄なら難しかったというだけだろう。
伽耶の渦巻き短甲は極めて珍しい例だ。

196 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:17:22
>>191
>だから戦うのに必要な最新兵器の鉄製装備が前線の朝鮮から多く出土するのは
>至って当然だな

鉄製の鎧や冑は日本の方が圧倒的に多いよ。
確か日本が500で伽耶が80くらいだったはず。

197 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:33:27
>>194
>俺は木製短甲は鉄製短甲の祖形だと思う。
>が、そう言った所で、
>差異を強調して別系統だと恣意的に言われるのなら意味がないさ。

差異を強調しないよ。
できるだけ好意的に見るから、どれが祖形かを示して、その似ている
ところを説明してくれ。

198 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:59:12
【文化】熊本の鞠智城跡から百済系仏像 7世紀後半、遺臣が携行?

大和朝廷が朝鮮半島の白村江で唐・新羅軍に大敗後、九州防衛のために築いた山城の
一つで国史跡の鞠智(きくち)城跡(熊本県山鹿市)から、百済の遺臣が携行したとみられる
7世紀後半ごろの青銅製仏像(全長約13センチ)が4日までに出土した。
百済系仏像が国内の古代山城から出土したのは初めて。

「続日本紀」などの文献から、鞠智城は唐・新羅に滅ぼされた百済から落ち延びた
技術者の指導で築かれたとみられており、同館の担当者は「厨子などに入れて持ち運ぶ
念持仏を携えた百済の高官が来ていたことをうかがわせ、築城の背景を裏付ける貴重な
資料だ」と話している。
http://kumanichi.com/news/kyodo/culture/200811/20081104006.shtml

>百済から落ち延びた技術者の指導で築かれたとみられており
>百済から落ち延びた技術者の指導で築かれたとみられており
>百済から落ち延びた技術者の指導で築かれたとみられており


199 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:30:47
>>197
http://photoimg.enjoyjapan.naver.com/view/enjoybbs/viewphoto/phistory/94000/20071003119141243428447300.jpg

木製短甲でも、丸太をくり抜いた物と、
このように前後を別板にした物があるが、
君の意見なら別系統という事かな?
俺は同系統とみなすが。
これを後の鉄製短甲と似てないと言えばそう言えるし、
似てると言えばそう言える。

で、伽耶の渦巻き付き鉄製短甲と木製短甲の類似についてはどうだ?

200 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:49:42
しかし議論はしてみるものだな。
新しい知識を得る事が出来るからな。

伽耶には革綴の縦矧短甲がなく全部が鋲留短甲とは知らなかった。
鋲留技術は5世紀前後だと思ってた。
つまり伽耶の縦矧短甲は4世紀と言っても後期か末期だろう。

それに比べ、日本の革綴縦矧短甲が出土した椿井大塚山古墳は、
出土した三角縁神獣鏡から3世紀後半が有力だ。

俺は縦矧短甲は伽耶の方が早いかもと思ってたので、
そうではない事が判明した。w
この縦矧短甲も倭が木製短甲や帯金短甲と同じく、
日本の方が早いわけだ。

君が>>172で紹介した宮崎の学者は、
竪矧板革綴短甲は「韓半島で伝統的に数多く見られるものであり」と言ってるのを、
君が紹介してるのだが、これは間違いという事だな?
それとも>>192で言ってる鋲留しかないというのが間違いなのか?
どっちだ?w


201 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:52:23
×この縦矧短甲も倭が木製短甲や帯金短甲と同じく、 日本の方が早いわけだ。

○この縦矧短甲も木製短甲や帯金短甲と同じく、 日本の方が早いわけだ

202 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 03:17:31
>>198
敗戦で満州から内地に引き上げてくる日本人と同じ様なものだな
残念ながら半島南部は日本領の君のホルホルも大変そうだww


■■■好太王碑最古の拓本発見 旧日本陸軍入手のものと一致■■■

好太王碑には、「391年以来、倭が海を渡って、百済や新羅を破り、臣民とした」とする記述がある。
この碑文の拓本を、1883年に旧日本陸軍参謀本部の酒匂景信が入手。参謀本部が、4世紀に日本が朝鮮
半島を支配していたと解読した。

 戦後になって酒匂の拓本の信頼性が疑われ、李進煕・和光大名誉教授が1972年、「近代日本の半島進出
を正当化するため、都合のいいように旧陸軍が改変した」と主張。
日本、中国、韓国、北朝鮮4か国の研究者の間で大論争となった。
その後、改竄を否定する有力な説も出たが、実物の検証が困難な状況で、決着には至ってなかった。

 東アジア各国に散在する約50種の拓本を実際に確認する作業を続けていた徐教授は一昨年、それまで
最古とされていた酒匂の拓本より古い1881年作成の拓本を、北京のオークションで発見。
酒匂拓本とともにパソコンに取り込んで比較したところ、意図的な書き換えの痕跡はないことが判明した。
その成果は今年、『好太王碑拓本の研究』(東京堂出版)として発表された。

読売新聞2006-04-14

203 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 10:59:38
>>199
(木製短甲について)
>これを後の鉄製短甲と似てないと言えばそう言えるし、
>似てると言えばそう言える。

その通りだね。つまり、木製短甲と鉄製短甲との類似は、全体的な、漠然と
したものだ。
その程度の類似なら、別系統と言われる竪矧ぎ板鋲留め短甲と三角板/横矧ぎ
板短甲だって似ている。
つまり、竪矧ぎ板鋲留め短甲から三角板/横矧ぎ板短甲が発生したっていい
わけだ。

>で、伽耶の渦巻き付き鉄製短甲と木製短甲の類似についてはどうだ?

君の論法なら、伽耶から渦巻文様つきの木製短甲が出なければならないな。

204 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 11:22:17
>>200
>鋲留技術は5世紀前後だと思ってた。
>つまり伽耶の縦矧短甲は4世紀と言っても後期か末期だろう。

鋲留技術が5世紀だというのは君の思い込みに過ぎない。
竪矧ぎ板鋲留短甲の最古のものは4世紀初めの慶州九政洞3号木郭墓
から出ている。どうも半島では最初から鋲留めなのだ。おそらく北方
民族の影響によるものだろう。
http://dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8609/1/80384_40.pdf

>この縦矧短甲も倭が木製短甲や帯金短甲と同じく、日本の方が早い
>わけだ。

鋲留めだから5世紀、という君の思い込みを取り除けば、両者は
誤差範囲内で同時期と言っていいだろう。
日韓の縦矧ぎ式短甲は平行進化的に同時期に独自に発生したか、
それともどちらかが他方を、自分の技術を用いて模倣したか、
のどちらかだろう。
後者だとすれば、日韓の武装は互いに影響し合って発達した、という
私の主張を裏付ける。

205 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 11:25:23
>>203


その通りだな。

>伽耶から渦巻文様つきの木製短甲が出なければならないな。

変な論法だな。
伽耶の鉄製渦巻き短甲は日本の木製短甲の流れを汲んでるというのが俺の意見だが、
伽耶に渦巻文様つきの木製短甲が出てないなら、
それはそれで倭人がもたらしたという唐突性を説明できるわけだ。

それより>>200の質問に答えてくれ。
半島の縦矧式短甲は鋲留めしかないのか?




206 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 11:35:07
あ〜すまん、かぶったな。

なるほど4世紀初めからあるという事か。
なら日本になぜ鋲留技術導入が遅れたのかは謎だがまぁいいや。

どっちにしても縦矧式革綴短甲が半島にあるという宮崎の学者の意見は間違いだな。

207 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 15:47:04
>>205
>伽耶の鉄製渦巻き短甲は日本の木製短甲の流れを汲んでるというのが俺の意見

渦巻さえあれば日本、というのも君の勝手な思い込みに過ぎない。
渦巻文様など世界中にあるし、伽耶に限れば、例えば大成洞2号墳(4世紀)
から「渦巻文鏡板付轡」というのが出ている。ネットで画像を見つけられない
が、「伽耶と古代東アジア」という本にカラー写真が出ている。
鉄板を切り抜いて作ってあるから、縦矧ぎ板短甲の渦巻装飾板によほど近い。
北方民族にも渦巻文様はある、ということを示している。

>縦矧式革綴短甲が半島にあるという宮崎の学者の意見は間違いだな。

私は「反論もある」という証拠として紹介しただけだが、確かに誤解される
文章だ。
いずれにしても、「日本には全ての形式が揃っている」という君の主張は
崩れたわけだ。

208 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 16:31:35
>>207
なるほど「日本には全ての形式が揃っている」とは言い過ぎだったようだ。
実際、縦矧板鋲留短甲は日本では見つかってないようだ。

しかしながら君の「残念ながら1は半島のようだな。カウントしてくれ。」も無理だな。

209 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 17:26:08
>>200
三角縁神獣鏡がある時点で4世紀以後でしょ。

210 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 18:19:58
>>209
3世紀後半という説。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E4%BA%95%E5%A4%A7%E5%A1%9A%E5%B1%B1%E5%8F%A4%E5%A2%B3

211 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/25(火) 20:11:42
三角縁神獣鏡が大和で流行るのは、「243 正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人」
倭王(タリシヒコ、景行)が使わした「いわか(六雁の諱と思われる)」
273年日食、274年神功、326年(神功52年プラス1年)

この数字で議論しないと全て百済が、倭より進んで見える。
新羅本記は、非常に正しい。新羅本記に合わせられる編年は、上記の年代。

半島系の人間を書紀で見ると死亡年が特定できるのは、田島守(都市牛利)
http://www.asuka-tobira.com/kofun/kofun.html#shinwa
ホケノ山古墳の一郭に土産の入った壷と共に葬られる。



212 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 08:31:51
>>211
「大夫」であれくらいの大きな古墳を作る事を許されるだろうか?
やはり大王かその近親者ではないか?


213 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:09:53
>>208
>しかしながら君の「残念ながら1は半島のようだな。カウントしてくれ。」も無理だな。

君も指摘しているように、私が言った1は「鉄製縦矧ぎ短甲」の段階を指す。
縦矧板鋲留短甲が伽耶オリジナルだとすれば半島にカウントしなければ
ならない。実際、オリジナルである可能性は高い。日本の縦矧ぎ短甲は
少なくとも鋲留め、渦巻文装飾板という二つの要素を欠くからね。
だから君の段階の呼び方で言えば、半島には1の痕跡と、2とが揃っている
わけだ。

214 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:09:10
>>213
そうかなぁ。
屁理屈を言えば鉄製縦矧板短甲の段階では
「革綴じ」の方が古いのではないか?
したがってわずかだが日本の方が古いと思うけどな。
で、縦矧板短甲自体が北方民族の物かと言えば、
鋲という文化を受けてない最古級の物が日本に存在する以上、
縦矧板短甲は北方民族の物ではないと言えるだろう。
もちろん伽耶からの輸入品ではない。
輸入品なら鋲があるだろうからね。

鋲留めという技術を北方系が持ち込んだものなら、
5世紀になって製鉄技術を持ってた秦氏が渡来して
日本にも鋲留め技術が根付いた事を説明できるけどね。

215 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:05:39
いずれにせよ、新羅、百済、高句麗は今の韓国北朝鮮とは関係ない国ですから。
しいて言えば、新羅、百済、高句麗があった場所に韓国、北朝鮮があるというだけ。
歴史には地理史と民族氏がある。

216 :48:2008/11/26(水) 19:10:21
ホント、彼らは何者なんだろうね。
それを明らかにしてから、日本に文句を言ってくるのが筋だなw

217 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 20:08:43
>>214
>屁理屈を言えば鉄製縦矧板短甲の段階では 「革綴じ」の方が古いのではないか?
>したがってわずかだが日本の方が古いと思うけどな。

ギネスブックやパテントの話ではあるまいし、わずかな年数の前後がどんな意味
があるのか?
この議論がはじまったきっかけに戻れば、竪矧板鋲留短甲が日本製か、半島製かが
問題なのではないか? その意味で言えばこの短甲は、当時日本になかった
鋲留め技法で作られているのだから、半島製と言うしかない。
なおここで「伽耶製」と言わなかったのは、いちばん古いのが出た慶州九政洞
は伽耶ではなく新羅だからだ。

>縦矧板短甲自体が北方民族の物かと言えば、

私が北方民族の影響と言ったのは、短甲じたいではなく、鋲留めという技術
のことだ。だがこれも、本を読み直したら違っていた。北方系の鋲留め技術
は、[木圭]甲に付属する頸甲に使われているのだが、これは丸頭鋲なのに
対して、竪矧板鋲留短甲のは頭が明瞭でないという。
こうなると竪矧板鋲留短甲の鋲留め技術は半島南部で独自に発生したものであり、
したがって短甲じしんも北方系ではなく土着のものだといういことになる。

218 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 20:47:56
>>217
訂正:
[木圭]甲>[才圭]甲

219 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:10:08
>>217
>この議論がはじまったきっかけに戻れば、竪矧板鋲留短甲が日本製か、
>半島製かが問題なのではないか?

いいや、俺は半島の4世紀の竪矧板短甲が鋲留めとは知らなかったからね。
で、革綴じであろうが鋲留めであろうが竪矧板短甲自体がどっちが早いかを知りたかったんだ。
君はごくわずかな年数の前後と言うが、
帯金短甲が日本製である証拠は、
日本に鋲留め技術が移入された直後の帯金短甲の種類が韓国にないという、
ほんのごくわずかな差が証拠となったらしい。

220 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 08:13:39
>>219
>いいや、俺は半島の4世紀の竪矧板短甲が鋲留めとは知らなかったからね。

竪矧板鋲留短甲が半島製であることを認めるということか?
それならば、半島には少なくとも君のいう1(痕跡)と2の段階が連続して
存在しているではないか。
このことがなぜ重要かと言えば:
「日本には1、2、3、4・・・の段階が連続して存在している、だから
一般に鉄製短甲は日本製だ」
というのが君の論法だからだ。

221 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 08:42:37
>>220
>竪矧板鋲留短甲が半島製であることを認めるということか?

日本に鋲留タイプが出てないのだから当たり前ではないか。

>それならば、半島には少なくとも君のいう1(痕跡)と2の段階が連続して
>存在しているではないか。

してない。
だから革綴の話をしてるのだ。
おそらく革綴の方が古いだろうから。

木製短甲を1として鉄製縦矧「革綴」を2、鉄製縦矧「鋲留」を3とすると、
日本は1と2が連続してるけど3がなく、
半島は1と3が出てて途中の2がないという事になる。
これは鉄製縦矧という形式が日本製である証拠になるのではないかという事だ。


222 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 14:26:04
>>221
そんなことは鋲留めの前には必ず革綴じの段階がある、ということが証明
されて、はじめて言えることだ。
はじめから鋲留めであってなぜいけないのか?
新羅は金工などにおいても日本より進んでいた。鉄の鋲留めの技術が
あっても不思議ではない。

>鉄製縦矧という形式が日本製である証拠になるのではないかという事だ。

竪矧板鋲留短甲を半島製と認めていながら、
「鉄製縦矧という形式が日本製である証拠」というのはなぜか。
読んでいて頭が痛くなる。
「日本系」と言いたいのか?

223 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:00:39
朝鮮南部の日本式古墳からはオオキミとか
書かれた文字が見つかってるわけでして
半島南部に日本の文化圏が広がっていたというのは妥当だし
任那日本府が無いというのはちょっとどうかしてるね

224 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:06:58
>>223
任那日本府はあった。
ただしそれは「任那総督府」ではなく、「任那駐留部隊本部」であった、
というのが私の意見だ。
日本書紀の雄略紀、欽明紀を読めばそういう結論になる。

225 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:14:38
>>222
>そんなことは鋲留めの前には必ず革綴じの段階がある、
ということが証明 されて、はじめて言えることだ。

証明も何も常識的に言って革が先だろう。

いったん半島のことを置いといて、
日本の事を考えれば、
半島からの輸入品でない竪矧板革綴じ短甲を持ってる。
これが半島の鋲留めより時期的に早いのではないかと言ってるだけだ。
この形が定型化してて半島の縦矧鋲留を産んだのではないかという事だ。

>「日本系」と言いたいのか?

形式としてはそういう事だ。
技術的には半島が進んでいたが。

226 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:59:03
>>225
>証明も何も常識的に言って革が先だろう。

事実はなかなか「常識」どおりにはならない。
例えば、北方系の武装で、桂(当て字)甲が革綴じなのは可動性のため
と考えれば「常識」に合うが、同時に用いられた頸甲に鋲留め技術が用い
られるのならば、なによりもまず兜を鋲留めにするのが「常識」だろう。
ところが竪矧板革綴兜(いわゆる蒙古鉢型兜)というのが、5世紀まで残る
のだ。

>この形が定型化してて半島の縦矧鋲留を産んだのではないかという事だ。

そうかも知れないし、その逆かも知れない。そうだと断定するには時期が
近過ぎる。考えても見よ。墓の年代からして確実なものではない。土器に
よる編年が可能であったとしても、前後関係がわかるだけだ。絶対年代は
なにを基準に取るかによって変わる。
また墓から出る副葬品は、少なくとも墓よりも新しくないということが
言えるだけで、副葬品の製作年代を示すものではない。製作年代は、被葬者の
活動期間だけの幅を見なければならない。

最後に、半島の縦矧板短甲が日本のそれの系統を引いたとしても、それが
どうした? ということだ。
竪矧板鋲留短甲が伽耶で製作されたことが確実ならば、その出土はその時期の
倭の半島進出を証明するものではない。
議論の始まりは実にここにあったのだよ。
もちろん、それより新しい三角板、横矧板などは別だ。これも議論は多いが、
日本製の可能性は、より高くなると思う。

227 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 19:29:30
>>244
継体の末に話の中にミマキ王が出てくる。
ミマキ王=崇神→この時代に任那の話が出てくる。

継体は、話の中で崇神天皇が開拓した任那の地を百済に譲ったのは、誤りであったと
反省している。
その意思をくんだ欽明が任那を本に戻そうとした。


228 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 19:49:41
>>212
だからホケノ山古墳の一郭と書いた。
ホケノ山古墳=垂仁稜、もあり?

規制にひっかっかて遅れた。

229 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:16:43
>>227
おおざっぱな話は困る。
継体が百済に割譲したのは今の全羅南道の一部、つまり広義の任那の一部。
これに対して欽明が「任那を立てよ」と悲願にしたのは金海から釜山に
かけての地域。つまり狭義の任那、本来の任那だ。

230 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:32:32
>>226
帯金短甲にしても革綴じのものが、
半島でかなり遅くまで副葬品として出るみたいだ。
ひょっとして高級品と見られてたのかもという意見もあるそうだ。

>墓の年代からして確実なものではない。
>土器による編年が可能であったとしても、前後関係がわかるだけだ。
>絶対年代はなにを基準に取るかによって変わる。

そうだから縦矧短甲と三角縁神獣鏡が出た椿井大塚山の例を出したんだ。
3世紀末、おそくても4世紀初めが有力だと思うが。
そうだとしたら日本の縦矧板短甲という形式が
半島で鋲留め技術を伴い発展したのではないかと思うのだ。

>竪矧板鋲留短甲が伽耶で製作されたことが確実ならば、
>その出土はその時期の倭の半島進出を証明するものではない。

鋲留短甲は伽耶で製作されたことは確実だろう。この時代の日本にはないのだし。
ただ伽耶が広義の意味での倭の傘下であり、
繰り返すが「倭の形式」の短甲を最新式の半島の技術で作ってたのではないかというのが俺の意見だ。
といっても4世紀後半あたりから伽耶で日本系遺物が沢山出土するのに比べ、
4世紀前半はかなり少ないのだろうが。

231 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 22:20:09
>>229
継体が百済に割譲したのは,広義の任那の一部。
これだけの割譲でも任那王は、先祖伝来の土地を割かれたと反発し、
新羅にすり寄る。
この辺の土地が崇神以来の土地である可能性は高い。

是までの編年が私の編年より40年位遅れているのが、原因ではないか?
泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
西暦326年なら5月16日丙午に成ります。 これ以外の西暦では、5月16日丙午
に成らない。東晉明帝太寧4年5月16日丙午 実在した日付。
この日付を支持しないと、ウソの日付を入れた物を贈った。となります。



232 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:28:22
朝鮮は日本の植民地だったし

233 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:23:59
なんとなんと、申敬チョル教授は最近、江上説に接近したようだ。
金海大成洞の集団は畿内に移動した、と唱えているらしい。
殉葬や木郭墓がなくても、「騎馬民族は柔軟に変化する」など江上説に
そっくり。
あの世の江上氏も後継者ができて安心していることだろう。
(ただし、移住したと言っているだけで、支配者になったとまでは言って
いない)
http://e-asia.board.coocan.jp/?m=listthread&t_id=175

234 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:42:15
>>233
一応まともな学者と言われてたが、しょせん朝鮮人。

235 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/28(金) 20:12:57
「騎馬民族」って北方朝鮮でなく、其の北側大陸発祥でしょう。
「騎馬民族」って大平原が有って、初めて成立する。
半島は、「騎馬民族」に依って征服された。とまっとうな考え方をしているのでは?
「騎馬民族」の最大の弱点、大陸平原育ちに執って、海は、城壁よりも近づきがたい。
もう少し小さい弱点、山河の連なりでは、騎馬戦に成らない。それでも最低半島は、席巻した。
胡散臭い思考だ。


236 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 01:16:08
韓国から抗議があって、
日本の教科書から任那が消え、伽耶、加羅に変更させられた
のはいつ頃?

「宋書」など日本以外の資料にも任那は記述されているのに。
前方後円墳やヒスイ製勾玉など存在から、大和朝廷の影響が
あったのは事実なのに。
反日感情で歴史を変えるとは恐るべし。

237 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 08:40:52
>>235
「騎馬民族」という言葉にとらわれないほうがよい。
申敬チョルはちゃんと「扶余」と限定しているのだからね。
扶余が住んでいた満洲中部は草原でも大平原でもない。
まさに「山河の連なり」だ。

238 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 08:56:54
>>231
「謎の七支刀」(宮崎市定)にある、「丙午」は吉祥句であるという見方に
ついてはどうですか?
鏡などに、丙午の日がなくても五月丙午と彫る例が多いというのですが。

239 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 10:18:18
騎馬民族説の支持者って面白いのだ。
元々この説が、今と同じく「天皇陵が発掘されてない状況」から出てきた説であるにも関わらず、
論破されそうになると、天皇陵を発掘してみないと分からないじゃないか!と言ってくるのだ。

自分達がこの土俵で相撲しようと言ってきたのに、負けそうになると土俵を拡げろと泣き言言ってるのと同じw

240 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 12:00:33
今でも騎馬民族説を支持している人っているの?
あれはもう、義経=ジンギスカン伝説と同等程度の扱いなのでは?
もともとの発想からして、この二つは大して違いはないし。

241 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 18:52:44
>>240
支持している人はほとんどいない。

もし、支持してる人たちがいたら新興宗教に近い感じだろうねw

242 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/29(土) 19:50:10
>>238
五月丙午なら 吉祥句でも良いが、中に16日を差し込んだら、16日丙午
でないと、ウソに成る。
景初4年5月丙午は、暦日ですが、同年
正始元年5月丙午は、暦日に成らない、 1ヶ月の調整が有るため。
だから、景初4年5月丙午は、”5月丙午”を入れるために 景初4年
にしたのかも知れない。
「五月丙午は 吉祥句」、疑ってかかった方が良い。


243 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/29(土) 20:22:13
それから 是まで多数の人たちが、卑弥呼=崇神時代として、思考を重ねている。
そして考古学の発掘品に数字や干支が入っていると、自分の信じている年度に合わせようとする。
まあその殆どが合わないわけですが、自分の思考と合わせるための”方便”を考える。
その一つが「五月丙午は 吉祥句」でも有る。
それでも合わなければ「無視する」。
神功前紀に日食と思われる記事、私には日食以外の何物でもない。
この記事一つ合理的に説明している本が有りますか? 
この日食を273年初夏とする。畿内で93%以上の食
翌年を神功元年とすると、神功52年(実際には1年少ない)が七支刀
この数字をそのまま信じるわけでは無いが、とんでも無いところへ七支刀を
持って行って、「五月丙午は 吉祥句」と言うのが現在の”歴史?”なわけで
あげくに「神功は居なかった」とくる。
書紀の記事と暦上の出来事、考古学的合理性に新羅や三国誌と「同じ事柄」の双方からの見た目
の違い程度で一致させなければいけない。


244 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/29(土) 20:42:02
255年魏が滅び、半島は、中華の影響力が無くなる。
西に百済、東に新羅、この2国が強大化しはじめる。
間に挟まれた、任那小国連合は、両側から圧迫される。
圧迫された任那は、大和に助けを求めるが、仲哀は半島に国が有る事も疑う
仲哀の説得を待っていたらその間に任那が滅んでしまうかも知れない、
仲哀には、気の毒だが”神”となって頂いて、直ぐに渡海
渡海に戦は、有りません。半島3国と顔合わせをして、帰国。

これより数十年後の出来事として、合理的説明が出来る人 居ますか?


245 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:17:11
扶余は古代の満洲族、というのが私の見方。
満洲族はどんな民族だったか。彼らは満洲中部から東部にかけて、すなわち
扶余の領域とほとんど同じ地域に住み、半農半牧畜、あわせて採集・狩猟
(にんじんとテン)を事とした。遊牧ではなく定住であり、「半農」とは
言ってもそれは拉致した漢人にやらせる奴隷農業であった。国民皆兵の
軍事組織を持っていた。その軍事力は騎馬隊を基本にしていた。

一方、東夷伝扶余条を見ると、まったく上記をなぞったのではないかと
思えるほど、同じようなことが書いてある。つまり、騎馬民族と言っても
この程度の「騎馬民族度」なのだ。

扶余は古代の満洲族、満洲族は近世の扶余。

246 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:26:34
殺牛祭祀を持ってたんだよね。

247 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/29(土) 23:45:56
定住の牧畜…柵は作らにゃいかんし、狼は出るわ
戦には、かり出されるわ
このシノギは、成立しない。

殺牛祭祀位 可愛いもんだ、古代諏訪の神には、生きた人間が生け贄。


248 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:48:39
>>233
申教授に限らず、
日本の学者もそうなんだが、
金海から消えた集団として、
何故、秦氏を想起しないのだろうか。

まず時代がぴったり合う。
そして宇治で最古の須恵器が発見されてるし、
秦氏には製鉄技術もあった。
元々の出自も伽耶ではなく北方経由だ。
さらには聖武天皇の時代にまで秦氏の末裔が天皇の騎馬護衛を勤めてる。

何故想起しないのかが分からない。

249 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:54:11
>>247
>古代諏訪の神には、生きた人間が生け贄

丸太に載る御柱祭り?
実際に生け贄にしてたわけではないでしょ?
あの祭りと聖書との類似を言う人もいるけど、
実際、日本にはギリシャ神話に類似したのも入ってるので不思議でないが。


250 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 00:55:27
>>249
諏訪の祭り
広場の中央に子供を置き、騎馬の武者が弓でその子供を射る、
逃げる子供、射る武者。巧く逃げ切れば生き残る事も出来る。
生き残ってもカタワに成ることも、それでもその後死ぬまで
生活の面倒は看てもらえる。 江戸初期まで。
丸太に載る御柱祭りは、明治以降。それまで神である御柱に乗るなど
誰も考えの及ばない出来事。

生け贄の話は、伝承以上に有ったと考えて可笑しくない。
「食人」だけなら、日本が半島に入るまで、現地の常識。大陸中華でも同様。


251 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:11:10
>>250

ソースを教えてくれ。



252 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:26:23
扶余が満州人なら高句麗は中国人の歴史だな
韓国人はワイ族の子孫だが扶余の子孫でもあると主張している

253 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 01:30:38
諏訪、生け贄 これでググれば、面白い物は出てこないかも知れないが
幾つかは、出てくる。他言無用の神事だから。
http://miyokame.blog82.fc2.com/blog-entry-85.html



254 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 06:55:52
>>253

>>250のような殺される子供の話は出てこないじゃん。
我が子を殺される神事に捧げなければならないの家は、
被差別階級か何かか?

255 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:51:33
>>252
>扶余が満州人なら高句麗は中国人の歴史だな

短絡しては困る。扶余の在り方、生き方が後世の満洲族と重なるということ
を言ったのだ。
民族的には、同じ地域だから扶余の血が満洲族に流れ込んではいるだろうが、
その後の混血もあるだろうし、直接の関係はない。
高句麗は扶余の歴史であって、中国の歴史ではない。
バイキングの歴史がイギリスの歴史でないのと同じことだ。

>>247
>定住の牧畜…柵は作らにゃいかんし、狼は出るわ 戦には、かり出されるわ
>このシノギは、成立しない。

現に満洲族において成立しているではないか。
定住して戦力用、貿易用の馬を牧畜し、食料の豚を飼った。
一方で戦争に駆り出されて周辺や中国本土の軍隊を破った。

256 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 09:18:55
【誉田天皇 十四年 百済の弓月君(ゆつきのきみ)が誉田天皇に対し、
百済の民人を連れて帰化したいけれども新羅が邪魔をして加羅から海を渡ってくることができないことを告げる。
天皇は襲津彦を加羅に遣わして百済の民を連れ帰るように命令するが、三年なんの音沙汰もなくなった。】

【誉田天皇 十六年八月、天皇は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)・的戸田宿禰(いくはのとだのすくね)に
「襲津彦が帰ってこないのはきっと新羅が邪魔をしているのに違いない、加羅に赴いて襲津彦を助けろ」といって、
加羅に兵を派遣した。新羅の王はその軍勢に怖じけづいて逃げ帰った。
そして襲津彦はやっと弓月氏の民を連れて帰国した。】

加羅は日本にとって半島での拠点だったろうから、
そこに居た北方系の製鉄文化を持つ集団と日本人とは馴染みだったろう。
混乱時に彼ら(弓月氏)を連れて来たのだろうね。

257 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 10:11:49
>>254
”おこう”と呼ばれる赤い装束を着た少年の手を柱に添えさせ、
祭壇に柱ごと持ち上げると、神官が藤刀で柱の先を幾度も斬りつけ、
数種の小枝を飾り付け、一本の矢も括り付ける。
もう一本の柱も同じようにし、左右の柱を縄で結び、
柱に向かって神官たちが祝詞を読み上げる。
そして鍬の皮をよった縄で、柱に少年たちを縛り上げるのだ。

そこで大紋を着た男が子供を追いかけて神前に出てきて、
一方神長官(これが守矢氏)は神前を退出し、
藤の茂る大木の前に行き八本の刃物を投げる。



258 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 10:17:11
>>257

だからそれで実際に少年が殺されてるの?
生贄を意味する儀式だという事だろ?

259 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 10:26:38
>>254 被差別階級か何かか?
ンな訳無いだろう まず白羽の矢が当たる家が無ければならない。
まあこれは、表向き 時代が下ってくると、乞食等の子供を引き取り、
その日まで神に選ばれし我が子共として養育する。

スサノオの伝説では、我が子を差し出す。これが本来。

260 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 10:42:34
>>259
仮に「生け贄」なんてのをやってたとして
血統もわからないようなコジキや奴隷なんて生け贄にならないよ

高貴な僧が疫病を防ぐ為に自ら死ぬまで飲まず食わずで祈り続けて疫病を押さえた
とかそんな話なら聞いた事はあるけど


ただ天皇の即位の際の大誉祭は人肉を食う儀式だって言う都市伝説もあるにはあるよ

261 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 11:29:31
>>260 だから 貰い受けて、我が子として育てる、
時代が下れば、形だけとなり消滅
諏訪に仏教の入ったのはかなり時代が下がってから、にはこんな風習も関係してくる。

こんな本でも読んで勉強してくれ。

http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/4-7885-0842-7.htm


262 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 11:42:25
>>261
つまりそれだと血統はコジキや奴隷のままじゃん
生け贄にする奴がどんな血統の奴でもいいならいちいち育てたりする必要無いっての



263 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 11:54:51
諏訪 生け贄
で、くぐったけど、カエルやシカや兎やイノシシを祭りの際に神に捧げてたってだけじゃん

コジキの子供を譲り受け、、、なんて、どっから出てきたの?
自分で想像しただけです?

264 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 12:15:00
>>261
>本書はそうした血なまぐさい「人身御供の語り」が、その由来譚として伝承される祭(これを「人身御供祭祀」と呼ぶことにする)
>の分析を通して、祭に要請される「暴力」とその意味を中心に考えてみたい

しつこいようだけど、
「人身御供の語り」がその由来譚として伝承される祭りなんで、
実際、子供を殺してた祭りではないでしょうに。

265 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 14:49:52
もん太君の説では、スサノオ=諏訪
人身御供を止めさした人間スサノオ=最後まで人身御供を続けた諏訪
支持できない気持ちは解るが、現実は…。
江戸城の櫓の下から人身御供と思われる人骨が出土したことがある。
否定しても無視しても良いが、 当時の現実に目を向けて下さい。


266 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 02:06:38
人肉食う儀式のわけねーだろw
お前天皇を何だと思ってんだw
一年の収穫を感謝する儀式だろうが

267 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 07:58:13
継体天皇6年-7年のいわゆる「任那四県二郡の割譲」については、そもそもの
「任那日本府」をどう捉えるかによって解釈が分かれてくる。
日本府の存在を否定する井上秀雄は、百済が半島南東方面へ勢力を伸長して伽耶諸国地域を
領有するにあたって、第三者立場にあるヤマト王権の調停を要請し、ヤマト王権が百済に
有利な裁定を行なったために伽耶諸国にそのことを了解させて領有を果たした、言わば
百済の外交にヤマト王権が利用されたものと見ている[1]。

また、同じく田中俊明は、百済が自らの力で領土を拡大していったことを記した「百済本紀」
などの史料を、『日本書紀』が改変して用いたものと見ている[2]。日本府について
倭の軍事を主とした外交機関として捉える吉田孝は、任那加羅(駕洛国・金官伽耶)が
高句麗・新羅への対抗手段として倭の軍事力を利用しようと当該地域に倭人を
移住させたとし、倭系豪族が百済の支配下に入ったことを割譲と言っているとしている。[3]

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B

>百済が自らの力で領土を拡大していったことを記した「百済本紀」
>などの史料を、『日本書紀』が改変して用いたものと見ている

>倭系豪族が百済の支配下に入ったことを割譲と言っている

これ日本人の学者の主張なんだけど・・ww

268 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 08:46:02
>>267
>倭系豪族が百済の支配下に入ったことを割譲と言っている

その倭系豪族の前方後円墳がものすごく立派なんだけど?
副葬品は別としても百済王の墓より立派だが?

269 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 08:57:56
三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長

韓半島で墳丘墓が最も活発に造られたのは栄山江流域だが、5世紀中頃まで塚はそれほど高く盛られてなかった。
が、その後、一転して高塚化が進み、墳丘の形も方台形墳、円台形墳、前方後円形墳などと多様になった。
埋葬主体部も、方台形墳や円台形墳では在地的な甕棺だが、前方後円形墳では横穴式石室になる。
この次期に出現する横穴式石室は百済系とする見解もあるが、前方後円形の墳丘とともに日本列島系と推定され、
古墳の高塚化は、以前の低墳丘墓から成立したとみるより、5世紀後半に突如、高塚へ飛躍する現象を示唆しており、
日本列島からの刺激があったと推測される。
高塚の墳丘は、松鶴洞古墳など西部の慶尚南道・固城地方でも築かれ、
やはり石室構造など日本列島系の要素を伴う。
最近、百済の金銅製冠帽などが出土し注目された全羅南道・高興安東古墳も、
同様の墳丘で石室構造や遺物などから同じ要素が強いと判断される。


こんな事を言う韓国人もいるのだ。w
しかも韓国考古学会会長。

270 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 01:37:41
つまり日本の影響下にあったんだなチョン半島は

271 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 09:31:39
>>239
>騎馬民族説の反対者って面白いのだ。

騎馬民族説の反対者って面白いのだ。江上も申も、ちゃんと「扶余だ」と
規定しているのに、わざわざ「騎馬民族」というイメージを自分で作り
上げて、そのイメージを攻撃するのだ。

「扶余だ」に対して、「扶余は騎馬民族ではない」と言った反対者がいた
のには笑った。

272 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 12:57:43
>>271
騎馬民族の定義があいまいだからね。
蒙古のイメージが強烈にあるものだから、
騎馬民族=遊牧民と決め付ける人が多いのではないか?

俺の騎馬民族の定義は簡単、
遊牧民であれ、半農であれ、半農半漁であれ、
騎馬戦術を有する事。

273 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:36:14
>>271
訂正:
誤:>騎馬民族説の反対者って面白いのだ。
正:>騎馬民族説の支持者って面白いのだ。

274 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:40:59
>>272
>遊牧民であれ、半農であれ、半農半漁であれ、騎馬戦術を有する事。

その通りだね。
馬を持っていても、単に使役するだけなら入らない。



275 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 22:04:29
?


276 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:26:38
ちょっと説明が必要かな。
私が「騎馬戦術を持っていれば騎馬民族」という見方に賛成したのは、次の
ような理由だ。
江上によれば、征服者である騎馬民族は扶余なのだが、その扶余がどの程度
「騎馬民族」であったかは、私が上のほうで説明したとおり。
もし扶余程度の「騎馬民族度」で騎馬民族と呼ばれるのならば、北方民族との
戦いの過程で騎馬戦術を入手した漢人もまた、騎馬民族と呼ばれなければなら
ない。字面に忠実なら、このようなことになる。

だが、これだけでは終わらない。江上が「騎馬民族」という言葉によって
表そうとしたのはもう一つの意味、「武力本位民族」とでも言うべきものだ。
その典型は、比較的よく知られている満洲族の在り方に見ることができる。
満洲族は、自らは耕さず、拉致した他民族を使って奴隷農業を行った。
拉致はもちろん武力による。武力を養うには国民皆兵制度をとった。
そして遂には、その武力によって漢族を征服して、支配階級に納まった。

江上はこのような、武力を基本にして多民族を支配することをシノギとする
ような民族のありかたを騎馬民族と呼んだのだ。だからバイキングもまた
騎馬民族の例として挙げられる。うそだと思ったら江上の本を読んでごらん。

扶余はまさに、このような意味の騎馬民族なのであり、農業を基本とする
漢民族はこのような意味の騎馬民族ではないのだ。

277 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 23:07:10
>>276
後半がちょっと分かったような分からないような。

国民皆兵制度で武力を養い、
多民族を支配することをシノギとしたのが騎馬民族という事?

ま、拉致した他民族を使って奴隷農業を行ったのは、
元々農業が苦手だった事もあるのだろうけど。

というか世界史で多民族を支配するのに武力を使わなかった例ってあるのか?w



278 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 23:12:27
>>287
騎馬民族は、「拉致した他民族を使って奴隷農業を行った」
そして 徴兵の号令を聞くと、農奴を放り出して、戦に参戦。
農奴も参戦となると、農奴も必死でその命令に従い、国に帰った後は、農奴。

少しズレがある。

「騎馬民族」とは、その年の秋 略奪の軍を南に送り出す。
翌年は、更に南の土地に軍を送る。
逆に漢から見れば、アガリの無い土地は、「治めている」とは、言えない。



279 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 08:46:40
>>276
訂正:
多民族>他民族
被支配民族は「多く」なくてもよい。

280 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 08:58:25
サムライアリという蟻がいる。
普通の蟻は働き蜂が営々として食べ物を集めて暮らしている。
しかしサムライアリはじぶんでは採集しないし、働き蜂を育てることもしない。
どうやって暮らすかと言うと、普通の蟻の巣を襲って、働き蜂の卵や蛹を
奪って来る。これを、すでに成長している普通の蟻の働き蜂に育てさせる。
育った働き蜂はまた拉致されて来た卵を育て、かつはサムライアリの
食べ物を採集する。
サムライアリのあり方は、満洲族のような「騎馬民族」と通じるものがある。

281 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:14:33
>>277
>というか世界史で多民族を支配するのに武力を使わなかった例ってあるのか?

それは当たり前だ。(ただし多民族>他民族)
問題は武力を涵養するための、その民族のなりたち、あるいは制度だ。
例えば満洲族には八旗という国民皆兵制度があった。モンゴルも似たような
ものだったろう。
扶余についても、東夷伝扶余条を読むと、「家々に武器がある」と
書いてあり、国民皆兵であったことが分かる。
国民皆兵だと、いきおい生業はおろそかになる。だから他民族を拉致
したり征服して、糊口を得る。
これが「騎馬民族」のありかただ。

282 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:16:01
>>280
申し訳ない。またまた訂正:
働き蜂>働き蟻

283 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 09:29:29
>>278
>農奴も参戦となると、農奴も必死でその命令に従い、国に帰った後は、農奴。

その通りだね。東夷伝扶余条には「戦争になると上戸は戦い、下戸は
食料を運ぶ」というようなことが書いてある。
恐らく、上戸とは国民皆兵の支配階級であり、下戸とは農奴だろう。

284 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 10:27:30
>>281
なるほどそういうのが「騎馬民族」のありかたか。

一見、そのようなあり方は強そうに感じるが、
拉致された人間が、戦争の時に親方のために命がけで戦うかとなれば、
そうはならないだろうね。
組織としての基盤はもろいだろう。


285 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:29:25
>>284
満洲族の八旗軍は、少なくとも康煕乾隆の時代まではもろかったと言えない。
その後、八旗軍がだんだん貴族化して弱くなったが、これはまた別の話だ。
そうなってからも、八旗制度が国民皆兵(=支配階級皆兵)制度であること
から生じる別の機能、つまり支配階級の戸籍制度としての機能はゆるがなかった。

286 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:56:12
http://www.myj7000.jp-biz.net/clan/03/03.htm

【任那帰化族】
 
任那国王の末裔【道田氏】【大市氏】【清水氏】【多々良氏】【大伴氏】
 
任那国人の末裔【豊津氏】


大伴って古代からの有力氏族だよね。
大伴氏の一部が任那経営に関わってて帰国したのだろうか。

287 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 20:28:01
韓国の古墳
http://www.tscc.tohoku-gakuin.ac.jp/~orc/rep/20040316.htm
・韓国の陶質土器の制作技術の中に分割して成形し、組み合わせる手法が基本的にないことが予想外。樽形ハソウや提瓶などの技法は日本で発達したものか。

馬韓が百済の影響力の無い土地であり、そこに前方後円墳など在ってはならない。
http://toron.chu.jp/kodai/nicchou/kofunkr.html

金海大成洞古墳群
http://www.netlaputa.ne.jp/~andreus/bbs0209/bbs/134.html
神功渡海直後より。


288 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 21:37:08
@ 韓国の陶質土器の制作技術は、中華より輸入したまま発達しなかった。
A 馬韓の土地は、倭人が治めていた。 継体がこの地を割いて百済に分譲。
任那が怒って倭から距離をとる。
B 私の編年どうり。


289 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:04:08
>>288

今まで韓国の須恵器は4世紀後半で、
日本は5世紀前半と言われてたけど、
日本でも4世紀後半の須恵器が宇治で発見されて、
ほとんど時間差がないようになった。
少しだけでも半島の方が早いのは当たり前なのだが。

290 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:07:46
>>286
古代の豪族大伴氏が任那で国王になってたという事か。

291 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:59:11
結局、任那の最大の問題は、王墓らしきものがない事だね。

高塚古墳が出来始めても、日本のどこにでもある円墳程度のものだし。

292 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 01:04:42
官僚統治だったんだろ

293 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:49:28
http://www.kamakura-burabura.com/meisyokamakurayoritomonohaka.htm

これが、日本の実質的な「王」であった源頼朝の墓。

294 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 10:08:18
http://blogs.yahoo.co.jp/yjnd2299/22838968.html/

これが、元寇のときの日本の実質的な「王」であった北条時宗の墓。

295 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 18:01:17
http://en.wikipedia.org/wiki/Mausoleum_of_Genghis_Khan

これがかのジンギスカンの陵。
といってもこれは観光用に中国人がでっちあげたもの。
本物はいまだに発見されていない。ということは、地上の構造物が
まったくないと言うことだな。

296 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:26:23
>>295

盗掘を恐れたのかな。



297 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:27:21
古代エジプトの王墓と言えばピラミッド・・・と言ってもそれは古王国時代
の話。BC15世紀ごろ以降の新王国では、王たちは
http://www.kjps.net/user/pharaoh/king01.htm
のように、王家の谷に葬られた。写真に見るように地上の建造物はまったく
ない。だから今なお「発見」され続けている。

298 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:13:39
>>297
伽耶でも例の地下墓が王の墓と言いたいのか?
王墓というにはしょぼいな。
地下墓の大きいのを仮に王の墓だとしても、
他の地下墓とさほど大して変わらない。
王と配下の者の差がほとんどない。
というわけで王墓らしくないな。

日向にも地下墓があるが、
高塚に比べ劣位の者の墓である事は言うまでもない。
それを広義の意味で伽耶に当てはめたら分かりやすい。

299 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/05(金) 22:03:46
ホケノ山古墳=240年ごろの築造 朝鮮半島南部で見られる形式 全長90mの帆立貝式
ホケノ山古墳に祀られたのは、都市牛利こと田島守。
持ち帰った土産の入った壷と共に任那から付いてきた任那王の遣使等により祀られる。
田島守は、任那王家の親戚。


300 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:01:58
「任那王」は日本書紀にその名が出る。

301 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:14:17
源頼朝の墓は、普通の武士の墓と大して変わらない。

302 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:30:56
そもそもwこの頼朝の墓は江戸時代に島津が建立した供養塔だしw

ちなみにこの辺りに、三浦宗家が全滅をした法華堂があったような……。

303 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:22:11
>>299
>ホケノ山古墳=240年ごろの築造 
>朝鮮半島南部で見られる形式 全長90mの帆立貝

朝鮮半島南部で見られる形式というのは石囲い木槨の事かな?
石囲い木槨なら出雲の四隅突出墳墓ですでに見られてる。

「持ち帰った土産の入った壷」って瀬戸内の大壺が出てたよね。
土産が入ってたのか?

というかそんなに被葬者がはっきり判ったなら大発見なのだがw


304 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 08:37:42
後生の人が墓を建てたということは、頼朝の墓が「残っていなかった」という
こと。つまり、それほど質素だったのだね。
事実上の日本国王の墓が。

305 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 08:46:40
http://homepage1.nifty.com/t-kubo/siseki/kbosho.htm
によると、島津重豪が「整備した」となっているな。
本物はこれよりもっと質素だったのだろう。
事実上の日本国王の墓が。

306 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:21:13
>>304
>>305

仏教渡来後、皇族の墓でさえどんどん質素になってるのだから、
それよりさらに後の鎌倉時代の話なんてしても意味ないだろ?

王が立派な墳墓を作ってた時代に、それがないというのは致命傷だ。


307 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:41:39
ジンギスカンは、中国の王たちが巨大な墳丘を有する墓を作っていた時代に、
地上からはわからないような墓を作った。

308 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:50:01
>>307
中国の王ったって、
チンギスハーンはその中国を支配したのだろうが。

309 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:10:22
http://lifestyle50.blog.so-net.ne.jp/2008-09-25

これが、11世紀の西夏王国の王たちの墓だ。ちょっとおおげさだが
「東洋のピラミッド」と呼ばれる。中国の寧夏回族自治区銀川市にある。

西夏王国はジンギスカン軍に滅ぼされた。
そのジンギスカンの墓は(以下略)

310 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:39:41
なるほど元に滅ぼされ、このような文化もなくなったのか。

しかし伽耶では元々から塚がない。
塚を作れないという文化が続いてただけだ。
5世紀になってやっと塚が出来た。

311 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 15:01:57
>>310
下記を読んでくれ
>>287
金海大成洞古墳群は西紀 2世紀後半から 5世紀初半まで造営された


312 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:05:49
西夏はこのようなピラミッドを作るような国力があった。
ピラミッドに葬られたのは、まさにそれにふさわしい王であった。
しかしモンゴルは・・・
その墓は哀れな地下墓、どこにあるのかもわからない。
モンゴルの国力は西夏と比べるも愚か。
いや、チンギスハーンなどという王が実在したかも疑わしい。
ピラミッドも作れないのだから。
ん?

313 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:52:16
>ジンギスカンは

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%B9%E3%83%8F%E3%83%B3#.E6.9C.80.E5.BE.8C.E3.81.AE.E9.81.A0.E5.BE.81

オルドスの人々によって保たれたチンギス・カン廟はいつしか8帳のゲルからなるようになり、八白室(ナイマン・チャガン・ゲル)と呼ばれた


ゲルねぇ・・・
残らないはずだわ。

314 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:04:33
>>312
>その墓は哀れな地下墓、どこにあるのかもわからない。

どこにあるのかもわからないのに何故哀れな墓だと判るのだ?
ま、伽耶の地下墓は日本や高句麗と比べるとある意味哀れだけどなw

315 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:44:35
チンギスハーンの独り言。
馬鹿な西夏のやつらめ。あんなろくでもないばかでかい墓に国力を費やしおって。
墓にいれあげてろくに軍勢も揃えられないから、我々の騎馬隊にいちころに
やられおった。
我々は誇り高き北方民族、頼むは鍛え抜かれた馬と兵士、墓などくその役にも
たたぬものに目もくれぬわ。
わしが死んでもあんなくだらないものを建てるでないぞ。石ころひとつで十分じゃ。
これは国是と覚えておけ。
墓など建てるのは亡国の始まりじゃ。


316 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:24:56
今年改訂された詳説日本史研究に、わざわざ脚注で任那説を根拠なく捏造呼ばわりする記述を載せてる
馬鹿山川出版は倒産しろ。

317 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:21:45
日本の教科書にも載ってないんだから「任那日本府」は事実無根なんだよ
山川出版は正しい

318 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:40:50
>>317

任那日本府を認めないのは勝手だが、
韓国は自国の前方後円墳について、
説明に困る状態が永遠に続くのだ。

319 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:45:08

今、興味あるのは大和朝廷による百済簒奪だ。
武寧王は倭人だろ、ありゃ。
熊津を譲った見返りに倭人王を立てたんじゃないか?

320 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:05:42
>>318
潰して日本の妄言認定で終了

321 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:18:08
>>319
倭人じゃない、根拠もなく言うな
武寧王は日本で育ったが正当な百済王家の血筋
日本の女との間に子供を作ったが、その8代目の子孫が高野新笠
桓武天皇の母親だ

322 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:01:11
>>321
根拠もなく天皇家が渡来系であるとかの妄言が広まるのは構わないが、
その逆は困るのか?

熊津(公州)周辺に武寧王以降、前方後円墳が作られ始めるね。
また帯金短甲という日本の武具が百済地域にまで波及する。
武寧王陵にしても、まるで日本の臣下を意味してるような小さな土饅頭のような塚だ。

323 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:09:12
言い忘れた。
何よりも百済人がコウヤマキの木棺で永眠するか?

324 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:25:23
>>321
おまいさんの立場を慮って言ってみようw

高 野 新 笠 は 半 島 人 じ ゃ な い w
ましてや
桓 武 天 皇 は 半 島 人 じ ゃ な い w

せいぜい百済系倭人ってとこだろjk
無論、韓国系日本人(在日)とも無関係ww
(そういえばw朝鮮陶工の末裔たる酒井田柿右衛門?だったかが、半島のTV局だかの取材受け
「在日ですか?」「半島系ですか?」とか聞かれて、ふざけんなヴォケ!日本人じゃ!みたいに
返答したとか何とかwww)

325 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:43:56
久尓辛王の母って倭人っぽい名前じゃね?
昆支を蓋鹵王の「母弟」と表現するのって倭人っぽくね?

326 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:47:44
>>322
根拠もなく天皇家が渡来系であるとかの妄言が広まる〜

十分根拠があるだろw
「日本書紀」に書いてあるし天皇だって認めたろw
古文書に書いてもいないことよりよっぽど根拠がある

事実、武寧王の墓に書かれていた年号と「日本書紀」の記述は一致していたことから
韓国の学者も「日本書紀」にかかれている事は正しいと認めている
武寧王は日本で生まれたということ事体は否定していない
ただ倭人だったというのには無理がある、なぜなら百済から人質として倭国に渡ったと
記述されているからだ
だから武寧王は百済人であって倭人ではない



327 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 01:49:48
>>326
>「日本書紀」に書いてあるし天皇だって認めたろw

日本書紀のどこに書いてあるのだ?
アホかおまえw

328 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:07:08
>>327
[編集] 『日本書紀』の記述は武寧王の出生の話として雄略天皇紀5年(461年)条に、「百済の加須利君(蓋鹵王)が
弟の軍君昆伎王を倭国に人質として派遣する際、一婦人を与えて、途中で子が生まれれば
送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が
生まれたので嶋君と名付けて百済に送り返した。これが武寧王である」としている。
また、即位については武烈天皇紀4年(502年)是歳条には「百済の末多王(東城王)が
暴虐であったので、百済の国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王とした」としている。

『続日本紀』によれば、桓武天皇の生母の高野新笠は、この淳陀太子を遠祖とする
百済系の帰化氏族和氏の出自であるとしている。新笠は皇后になることはできなかったが、
桓武天皇の生母として皇太夫人と称された。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%AF%A7%E7%8E%8B

武寧王が人質として倭国で生まれ育ったこと、そしてその子孫が桓武天皇で
あることだと書いてあんだろボケ!
2002年に天皇自身がこれを認めたんだよ
天皇家には百済王室の血が入ってることを自ら認めたんだよ分かるかお前w
それを今になって武寧王は倭人とか勝手に捏造すんなよボケ!



329 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:15:01
>>328
質問に答えてない。
日本書紀のどこに天皇が渡来系と書いてあるのだ?



330 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:16:06
俺には革新的考えを持っていた天皇が身分の低い渡来系氏族を正室に迎えることで
渡来人全体の地位向上を図ったとしか思えないのだが。こういうの在日の人は自慢に
なるのか?高野新笠って渡来して十代目、帰化して五代目でしょ。どう見てももう日
本人じゃん

331 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:17:41
>>328
アホか!wそれで天皇が「渡来系」になるなら
武寧王は倭人系になるだろがwww

かつ、日韓W杯にまつわる今上陛下のお言葉を曲解しない限り
「天皇は渡来系」っつう理解は生まれないな。

陛下は単に、高野新笠が武寧王後裔だという事実に触れて
「半島との縁を感じる」と述べたに過ぎず、陛下自らが
「百済の血を享けている」「百済の後裔である」などとは述べて
いない、とw

332 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:25:50
>>328
そんなに日本書紀を例に出すなら、
任那日本府はあったという事でいいな?w

333 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:38:41
>>328
まっかっかにしてやんよ(笑)

334 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 02:54:57
都合のいいとこだけ日本書紀をつまみ食いなチョン哀れw

335 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 03:06:30
チョンなんてそんなもんでしょw
エンコリ伝統板でも、比較的良心的でそこそこ議論を戦わせることも出来なくはない
青組nida0クンでさえ、漢籍の記述を都合よくw読み違えるから。以前はもっと良心的なフリして
実は捏造民族チョンの面目躍如たるやを見せつけてたyumipopみたいなのもいたけれどw

ウリナラマンセー(笑)ファンタジーのコリエイトwこそ、かれらのお家芸ww

336 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 10:36:27
「任那日本府」を歴史に載せられないのは、
正しい西暦での認識が無いからです。
数字に直せない物は神代の話と同等。
だから私は、数字に直し、その数字の正当性を主張する。
崇神6年=新羅本記の193年の記事。
この数字で魏志倭人伝も説明出来る、依って崇神末の任那からの朝貢も正しいと主張できる。
是を認めたくないのがいわゆる「百済人の末裔」
早く百済本記を歴史書として読めるよう解読して下さい。
意味もなく同名の親子が 王である様な状態を解消して下さい。


337 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:20:42
天皇が百済王室の血を引いていてどうして困るのか、まったく理解できない。
そんなのはヨーロッパでは当たり前だ。
イギリスの王室はノルマン人のウィリアムという征服者からずっと血が
つながっているが、途中にはいろんな外国の王室の血が入っている。
だいたいウィリアムじたいがそれまでの王とは関係ないまったくの
侵入者だ。

338 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 14:27:24
>>337
百済王も新羅王も天つ神の血統を継いだ日本人だってば
昔の日本人は乾国へ国造りへ行き、乾三国を建国統治してたんだよ
稲作などが日本から乾国に伝わったのもこの時だよ


339 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 14:49:05
朝鮮半島にあった国だからって朝鮮人の王朝だって決め付けてる事が間違いすよ
日本が百済や新羅を建国する以前は、朝鮮半島には漢の王朝の漢城があった場所だけど
だからといって漢が朝鮮人の王朝だった訳じゃないよ


日本が朝鮮半島に縁があるのは朝鮮半島に渡来した氏族が沢山居るからだよ


340 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:54:05
>>337
そもそも欧州における王権と我が国の皇統のあり方に大きな違いがあるからね。
まあ英国王室も、ウィリアム征服王以来、傍系女系で辿れば血統、王統は一貫して
繋がっているが、日本の皇統は少なくとも継体天皇以降は男系で継続している。
加えて存在の意味も性格付けも著しく異なる。欧州における王権と我が国皇統を
単純に比較するのは間違いや誤解を招くと思われ。

ちなみに百済系の血が混入していようといまいと、それは本質的問題ではないし、寧ろ
誰も困らない。このスレで反発を招いているであろう根本には、差し詰め「天皇は韓国系」
という表現への反発が端的に示す通り、曲解とこじつけへの強烈な拒否反応と思われ。

341 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:01:06
>>340の五行目を若干訂正。

× 単純に比較するのは間違いや誤解を招くと思われ。
○ 単純にスライドして眺めるのは、間違いや誤解を招く愚と思われ。

342 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:13:35
武寧王が倭人であろうが百済人であろうが、
倭と百済のハーフであろうが関係ない。

武寧王以降、半島南部に土まんじゅう程度の武寧王陵を、
はるかにしのぐ規模の前方後円墳が作られ(被葬者はおそらく倭人)、
日本の武具も浸透し、日本の覇権が顕著になった。
つまり騎馬民族説のカウンターパンチのような状況があったわけだ。

343 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:26:31
>>337
>天皇が百済王室の血を引いていてどうして困るのか、まったく理解できない。

誰も困ると言ってない。
根拠がないのに百済王室の血を引いているとか言う人たちに困ってる。

応神天皇が扶余という騎馬民族だったという説もあるし、
何の根拠もなく継体天皇=新羅人説を言う人もいるし
天皇=渡来人説って見事にバラバラなんだよね。

いい加減ひとつにまとめて欲しい気もするが。

まとめれないという事は論理が破綻してるという事だ。

344 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:17:31
>>343
>根拠がないのに百済王室の血を引いているとか言う人たちに困ってる。

それがわからない。量、濃度はともあれ、血を引いているか否かは
単に記録上の問題だ。

345 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:23:09
>>340
>「天皇は韓国系」という表現への反発

「韓国系」が不正確かつ反発を招きやすいのはわかるが、
「百済系」でも反発するのだろう?
反発する人は。

346 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:27:15
>>344
記録上でも、ものすごく薄いのに、
引いてる事を鬼の首を取ったように言う連中が困ると言ってるのだ。
天皇たるもの、神武以来の男系遺伝子を持ってたらいいだけで、
母親なんてだれでもいいと思う俺には不思議で仕方ないのだ。

347 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:52:00
>>345
「百済系」に対しては反発ではなく違和感を憶える、という手合いの方が多いようにも思える。
高野新笠からして武寧王から200年以上経過しているし、況して今上陛下とは1500年近く
もの時を隔てる。例えば今日、日本人の末裔とされるハポン姓のスペイン人を指して、我々は
「日系スペイン人」などと呼ぶであろうか?

「天皇は百済系」と規定される際に憶える違和感は、まさに「ハポン姓=日系スペイン人」と
断ずるのに似たような違和感ではないか、という気がする。

勿論「韓国系」は完璧な誤りであるから、反発を招くのは当然であろうが。

348 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 19:23:12
>>342
武寧王以前から前方後円墳は、半島に存在
それを認めないのが現在の韓国考古学。


349 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:39:20
古代に現ロシア地域からアメリカ大陸に移住した
アメリカインディアンはロシア系アメリカ人?

インディアンはロシア人に土下座して感謝しろ〜〜〜〜〜お!
文化を教えて貰ったロシア人に感謝しろ〜〜〜〜〜〜お?

??????って云う事、何処かの国の人が良く云うよね??????


350 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:48:29
>>347
200年で「百済系」とは呼べなくなると言うが、それなら現在の中国の
少数民族はどうか。例えば満洲族はちゃんと「満族」として区別されている。
その歴史は200年どころではない。
満族は一つの集団だと言うかもしれないが、百済系だって日本に来るときは
王族がぽつぽつと来たのではなく部民を含む集団で来ている。

351 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 21:58:05
百済系は大量に日本に入っている。
だから 大型古墳も大量に作れた。
この人足の総合計は、国内倭人だけでは説明できない ,
なにしろ古墳が大量に作られ始めた時の倭人の自然増では、タイムラグが発生。
労働力を外に求める以外説明が出来ない。


352 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:17:57
>>350
では問うが、今日の日本に「百済系」「新羅系」を名乗りかつ、それを一定の根拠に「血統」を主体とする
「母集団」を核とする「公認された自治組織」が存在するだろうか?

本質は、歴史が積み重ねてきた過程とその渦中で「百済」にせよ「新羅」にせよ「高句麗」にせよ、それぞれの
「血統」をアイデンティティとして掲げる集団が「何処」に帰属意識を感じてきたか、ではなかろうか? その点こそ
重要な気がするのだが。

そのような意味で、古代から「他民族集団」を意識しつつ、さまざまな形態で「国家」を生ましめてきた中華と
日本を単純に比べるのははっきり申し上げて「意味がない」。それは一部欧州地域に重ね合わせてみても
一目瞭然。例えばヤギェウォ朝以降のポーランドとリトアニア、あるいはポーランドと隣接するゲルマン系の
諸公国との係わりと今日の地図を引き写しで眺めれば馬鹿でも判りそうなもの。民族は混然一体としているし、
それでいて帰属意識は「ヤギェウォ朝以降の栄光に輝く大ポーランド」に収斂されている。

それと曲解されているようだが、200年経過すれば「百済系」と呼べなくなるとは書いていないのだが。
「違和感を憶える」のと「呼べなくなる」のとは、明らかにニュアンスとして異なる。違和感を憶えるからと言って、
「イコール百済系ではない」などと断じてはいないのだが、さてどうして「呼べない」なとと邪推されるのか不思議だ。



353 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:36:15
自己レス>>352に一部加筆。

× 帰属意識は「ヤギェウォ朝以降の栄光に輝く大ポーランド」に収斂されている。
○ 現・ポーランドに居住する大半の民族が有する帰属意識は「ヤギェウォ朝以降の栄光に輝く大ポーランド」に収斂されている。

354 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 23:21:24
>>345
別に百済系には反発はしない
ただ百済王も新羅王も大和から国造りに向かった日本の天孫が建国した国って事を理解してれば百済系とか新羅系なんて言い方はしないよ

355 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:37:12
>>351
5世紀前後、弓月の民・秦氏が渡来して、急に古墳が巨大化してるね。
彼らの土木技術によるものでしょう。

356 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:25:36
>>312
チンギスハーンも地下に埋葬されて、
ある意味伽耶と同じみたいだが、
ハーンには霊を祀る廟があるね。
伽耶には廟はないだろう。

357 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:26:25




どうして属国の貢妃が一人いただけで天皇家が百済系になるの?




新羅は倭人、高麗はモンゴル、李氏朝鮮に至っては建国時の王妃が女真人なのにww

358 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:36:43
>>357
新羅は2代目の王の婿養子が倭人で、
その倭人が4代目の王になったんじゃね?

359 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:26:40
朝鮮は結局周辺民族の草刈場

360 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:36:22
新羅の王統は倭との関連が深いよね。
ココウとかセキダッカイとかね。

361 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 08:49:12
>>352
比べるのは意味がない、というなら、後世のいろいろな垢が付着した
今日の対半島感情で古代のことを論じるのも意味がない。

恐らく、少なくとも白村江のころまでは、百済王室に対する日本の支配階級の
感情は、ひとことで言って「身内」だっただろう。それでなければあれだけ
百済にのめり込んだことは説明できない。高野新笠の時代にも、その感情は色濃く
残っていたのではないか。

新笠の母方、土師氏もまた渡来系の可能性が高く、その本家のあたりは渡来系
豪族の本拠だ。桓武天皇はこの母方の家で成長し、即位してからはここに近い
長岡に遷都した。遷都を推進したブレーンのトップ、藤原継縄の妻はその名も
百済王(くだらこにきし)明信だ。

藤原じたいも百済系との説がある。いまのところトンデモ扱いだが、もし
そうなったら新笠どころの話ではない。
奈良、平安時代を通じて、藤原の血は皇統に注入され続けたのだから。

362 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 11:23:07
>>361
「だっただろう」
「可能性が高く」
「との説がある」

これじゃダメだw

363 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 12:44:26
>>361
土師氏がなんで渡来系なんだ?
野見宿祢ゆかりの出雲だろうが。

もうなんでもかんでも渡来系にしたがるな。
いい加減にしろよチョン。

364 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:14:57
>>363
「古来土師氏は出雲氏と血族関係があったことに疑問視する専門家も多い。
本来は、古墳築造、土師器生産などの新技術を有する渡来系の氏族では
ないかとする説がその中心である。新羅臭の強い氏族とされてきた。
これがどこかの段階で出雲氏系図に組み込まれたのである。と主張されて
いる。記紀にも突如として野見宿禰が登場するのである。それ以後もこの
氏族は出雲の地に存在していた形跡が全くない。野見宿禰の墓は播磨国に
あるともされている。勿論政治的な事績記事も殆どないが、記紀にはちょく
ちょく顔を出す氏族であった。」

と、出雲の氏族の研究家も言っている。
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-26.html
より

365 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 21:00:44
>>355
5世紀は大型古墳が全国へ分散した時期。
この前に神籠石もある。
この労働力も勘案して。


366 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:01:29
>>364
>古墳築造、土師器生産などの新技術を有する渡来系の氏族では
>ないかとする説がその中心である。新羅臭の強い氏族とされてきた。

どこの研究家が言ってるのか知らんが、全く意味不明。
日本の、土を盛るという古墳築造の技術が半島と関係あるのか?
高塚は日本の方が早いだろうに。
また、庄内式や布留式という土師器の生産技術が何故半島と関係あるのか?
須恵器なら分かるけどね。
これらの何をどう見れば新羅臭になるのだろうか?

ま、騎馬民族説というアホ説の生みの親でも文化勲章をもらう世の中だからなw

367 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:17:29
新笠の母方の土師氏は、いちおう豪族だがすでに落ちぶれており、父の
和氏については百姓と書いてある資料もある。
そんな身分の低い家から出た妾に過ぎない新笠が、その息子が天皇になり、
みずからは最終的に皇太后になり、土師一族もまたそれぞれに新しい姓を
賜る、という大出世をとげた。

新笠が出世したきっかけは、競争相手の皇后が罪を着せられて、皇太子を
含む息子たちともども、抹殺されたことだ。これは陰謀の臭いがする。
藤原氏は、みずからが渡来系でないとしても、渡来系の超強力なパトロンで
あったと言える。

368 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:42:16
>>366
まあここは、
「この氏族(土師氏)は出雲の地に存在していた形跡が全くない」
に注目してくれ。

ところで土師氏を「渡来系」と書かないと、「京都検定」には合格しない。
http://cre-m.bb4u.ne.jp/~kyt-saku/index.html

369 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 22:02:23
弥生情勢図
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/g01.files/12/ad50jousei.gif

一応此方にも張っておく。
百済人の影はあるか?


370 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:06:45
>>366
>「この氏族(土師氏)は出雲の地に存在していた形跡が全くない」

んじゃ渡来系というなら、半島のどこに存在してた形跡があるのか聞いてみたいものだ。

371 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:10:39
>>361
藤原氏だけでなく古代、中世の日本の貴族は渡来系だと言うのはほぼ定説
藤原氏が百済系なんだから武寧王の血なんか関係なく日本の天皇は韓国系なんだな
日本ではそれを認めたがらない学者が多いんだよ


372 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 22:13:00
須恵村出身の たたねこの運命や如何に。

上図で解る通り 馬韓の地は発達が遅れている。
その馬韓の一部は、任那にも百済にも属さず独立をとおした。
と韓国人が申しております。


373 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:15:55
>>371
その与太話のソースplz


374 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:19:18
>藤原氏が渡来系というのは定説

↑脳に湧いたお花畑の典型

375 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:24:58
>>368
>ところで土師氏を「渡来系」と書かないと、「京都検定」には合格しない。
って書いてるけれど、そんなに配点が高いの?(笑)

376 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:26:54
>>369
その図の根拠を教えて欲しいのだが。

377 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:32:27
■韓国では日本の藤原氏は百済人

【噴水台】低姿勢
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=101133&servcode=100§code=120

日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
学説が少なくない。 それなら、われわれの血筋にも奉仕の美学が残っているのは
明らかなのだが…。

>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという
>日本の史学界では、百済(ぺクジェ)王族が渡っていって藤原家門を立てたという











378 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 22:38:08
>>376
当然文章も一緒に在ったが現在私の処には無い。
悪いが探してくれ。


379 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:58:54
136 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/12/08(月) 22:50:52
あ〜中央日報の記事かw
二年前に「神社の起源」でもやらかしてるからなあ(笑)
あの時は素盞烏尊を新羅起源とか抜かしてが、それで記紀の内容を全く理解してない事実を暴露して
華麗に自爆してたっけな(大爆笑)
そのうえ……
「 牛 頭 天 王 を 牛 頭 天 皇 だ っ て !」pgr
エンコリの該当スレじゃあ、韓国人からさえ記事は「曲解ニダ!」って非難されてたなあそういえば(大爆笑)
中央日報って自国民からも信用されてないんだね(大大大爆笑)

中央日報って自国民からも信用されてないんだね(大大大爆笑)
中央日報って自国民からも信用されてないんだね(大大大爆笑)
中央日報って自国民からも信用されてないんだね(大大大爆笑)
中央日報って自国民からも信用されてないんだね(大大大爆笑)


http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222986020/135-136



380 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:01:57
百済なんて高句麗に漢城を落とされ、
熊津に遷都した時点で国力疲弊してて、
大和朝廷の傀儡国家に成り下がったんだ。
だから半島では武寧王の墓より倭人の前方後円墳の方が立派なんだ。
普通こんな事はありえないんだけどね。
つまり日本が百済を簒奪してたんだ。
天皇家と百済の関わりはこのあたりが原点だな。
韓国側が言うように、百済が日本の天皇家に入り込んだのじゃなく、
日本が百済の王家に入りこんでたのだ。

この図は新羅の2代目王に倭人が婿養子に入って4代目の王になったのと似てるね。

381 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:07:32
>363
少なくとも、律令期の朝廷では
「土師氏は渡来系」と扱われてただろ。

本当に渡来系だったかどうかはともかく、公式には渡来系って事になってた。
それで充分じゃないか?

382 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:20:02
>>381
>少なくとも、律令期の朝廷では
>「土師氏は渡来系」と扱われてただろ。

土師氏の祖である野見宿祢が諸蕃とされてたのか?
出雲なら神別じゃないのか?

お前の言ってる事のソースを出せ。
いい加減なことばっかり言って荒らすな。

383 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:27:50
>>377
なんだよ、根拠が中央日報って。舐めてんの?

あくまで親切で教えてやるんだが
日本の学界にそのような学説は「無い」よ。
学界外にはあらゆる電波説が出てるけどね。
-----
>>381
土師氏といってもカバネによって複数の系統があるんじゃないの?
メジャーな土師氏は「公式にも」渡来系じゃないだろ。
実際にどうだったかはさておいて。
実際にどうだったかは現代人の詮索だから
あくまで「説」な。

384 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:32:34


http://homepage1.nifty.com/k-kitagawa/data/shoji02.html

515

山城国

神別

天孫

土師宿祢

天穂日命十四世孫野見宿祢之後也

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

予想通り神別だ。
>>381
いい加減な事言うなハゲ。



385 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:37:17
>>381
>少なくとも、律令期の朝廷では
の根拠は、新撰姓氏録で「諸蕃」とされていたからだろうが、その根拠は
「天日槍命」の後裔を称する、この一点のみだろう?

386 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:42:45
>>385
新撰姓氏録で「諸蕃」とされてない。
>>381が思いつきで適当な事を言ってるだけ。

387 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:51:43
>>386
385だが、自分も勘違いしていたすまぬ。
諸蕃を採録している第三帙に当たったが、確かに土師氏は採録されていなかった。

388 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:52:38
>>385
「天日槍命」でなく「天穂日命」。
似てるのでややこしいねw

389 :386:2008/12/08(月) 23:56:43
ということで土師氏が諸蕃に採録されていないのが明らかとなったわけだが、もしも仮に
新撰姓氏録にそう分類されていたとして、それだけを根拠に断定は不可能だと自分は考えている。
新撰姓氏録に限らず、例えば尊卑文脈であれ、ずっと後年の寛政重修諸家譜であれ、それのみを
根拠に判断するのは最低限の「史料批判」さえ行っていないという意味でも無理だろうな。


390 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:58:24
すまぬ↑名前欄が386になってしまったorz
>>386重ね重ねすまぬorz

391 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:00:27
>>389

386は俺だ。
何勝手に名乗ってるんだ、いい加減な事言うな。

>それだけを根拠に断定は不可能だと自分は考えている

渡来系という根拠もないのに偉そうに言ってるんじゃねぇぞ。

392 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:03:00
あ〜謝ってたのかすまん。
何かグチャグチャだなw

393 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:07:44
というか藤原氏も神別なんだよね。


394 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:14:37
>>392
385=389なんだが、ほんとすまんかった(´Д`)
酒が入ってるんで許しておくれw呑ってるのは勿論、日本酒で焼酒(ソジュ)じゃないw

395 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:20:50
神別の藤原がなぜあんなに栄えたのだろうか?



396 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 01:21:17
>藤原氏が渡来系というのは定説

↑こいつずっと前から電波飛ばしてるチョンw

397 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 11:00:24
白村江で百済に肩入れしたばかりに、どっとやってきた百済難民に乗っ取られて
しまった。
韓国が北朝鮮を援助して、北朝鮮が崩壊したときに北朝鮮系に乗っ取られるのと
同じ構図。

398 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 11:11:05
>>397
何を乗っ取られたのだ?

399 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 12:26:12
藤原氏って元々が中臣氏だろ?
中臣って忌部と並ぶ名門豪族だよね。
なんで渡来系にされなきゃいけないんだ?

400 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 14:42:17
中臣てのは本来役名だから、いろんな中臣があるんじゃなかったっけ。

401 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 14:58:14
>>400
大中臣があるくらいじゃないの?

402 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:08:53
自前の神話を持ってないからじゃないの?

忌部も職種の名前だから、各地の豪族に忌部が居たと思う。

403 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 18:06:27
職種の名前というのがいまいち意味が分からないな。
「氏」というのは一応一族だと思うが。
忌部もいろんな土地に移住してるよね。

404 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:55:58
ヒ(ノ)ミコも役職だよね

405 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 04:43:14
藤原氏ってか中臣氏が百済からの渡来系なんて聞いたことねーわw
と思ったらやっぱウリナラキチガイ共の電波かよ。

406 :武庫川女子大学総長 ◆gqBBZUnUPk :2008/12/10(水) 07:32:34
>>380
実はそうだったんだよ。
もっとも、白村江の戦で羅唐同盟の軍勢に敗北してしまったがためにペクチェの一部の人々は日本に逃げ出した。
大和朝廷としても大陸で足場を失ってしまったことは痛過ぎるほどに痛い。

407 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 10:18:17
忌部(斎部)は、部民。

408 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 10:50:26
百済人の亡命者の末裔は意外と多い。

409 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 11:59:47
高句麗が滅んだ時にも亡命者が来てるね。
不思議だ。
高句麗ってずっと日本の宿敵だったのにな。

そこで俺は考えた。
百済、高句麗、新羅と国名は違えど、
日本に渡来してきた人達はほぼ同一民族だったのではと。
昔は国境なんてなかったし、
例えば仏教を広めようとする集団なら、
国の垣根を越えて住んでただろうからね。

410 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:15:52
>>324
内容にはほぼ同意。
>韓国系日本人(在日)
いわゆる在日は韓国人か北朝鮮人もしくは朝鮮人。
在日はあくまで在日であって日本人ではありません。

気化して日本国籍を得たものは韓国系日本人になるでしょう。

411 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 13:55:20
日本は任那に征服され大和政権が出来ました

412 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:22:56
>>411
そんなことを言ったらチョンと言われるよ。
あの人たちにとって、「任那は日本」なんだけど日本である任那が日本を
征服すると「任那はチョン」になるらしい。

413 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 20:42:03
任那に日本人がいてなんらかの連合組織があったということは間違いが無いが、
ただ、それが日本政府との繋がりのあるものであったかどうかは怪しい。

例えば中世期には倭寇が大陸海岸部を侵食していたが、
彼らに日本政府とのつながりが無かったがそれと同じ。

っていうのをなんかの本で読んだ。

414 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:07:26
>>413
半島南部では縄文人の骨が見つかり、
弥生土器も見つかり、
日本の祭器や武具があり前方後円墳もある。

倭寇の話なんて意味がない。

415 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 06:15:59
歴史的に見て渡来系が一番活躍したのは昭和時代ではないか。

416 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 08:58:39
>>415
活躍したのは裏世界と芸能界。

417 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:55:59
どっちもヤクザ業界w
とんでもねーな

418 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 19:47:09
美智子と雅子をいじめたのは、皇妃の独占という既得権益を侵された藤原系
の女たちだ。
これだけ長い間独占して来たのだから天皇の血は95%の藤原女系と5%の
天皇家男系でできていると言ってもいいだろう。
男系をありがたがっても5%の話だ。

419 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:35:48
>>418
まあ藤原不比等は天智天皇の皇胤だからどっちにしろ神武男系なんだけどな。

420 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:55:16
そもそも、どこのウマの骨かわからんOWDより藤原摂関家の方がマシに決まってる。

421 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:00:47
新撰性氏録でも藤原氏(中臣)は神別だしね。

422 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:39:48
長男が孝徳天皇のご落胤で、談山神社に眠っているのは彼だとテレビでやってた。

423 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:47:47
あーw青いのと白いのが電波ゆんゆん対決しつつ、北斗晶が「徳川家康は関ヶ原戦役で死んでいる!」とか
力説するあの番組でつか?w

424 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 12:06:31
実際さあ、一番資料が豊富な中国人でさえ認めてるんだからなあ。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%BB%E9%82%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%9C
指古代(朝鲜半岛三国时代,日本列岛古坟时代)大和王权在朝鲜半岛南部任那的统治机构。

425 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 18:03:59
で韓国側は、伽耶は日本に鉄を売っていたという説だが、
鉄の見返りが何か判明したのかな?
コウヤマキではないかという説もあるみたいだが、まぁ可能性は薄いだろう。

見返りなんてないだろうなw

426 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:43:14
談山神社の事をやってたのはNHK。
長男の死亡時期から考えると、彼が鎌足を談山神社に埋葬するのは無理だと言ってた。

427 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 04:40:11
>>425
古代出雲が半島からの鉄の主な流入先だったようだ。見返りは生口だろう

428 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 05:04:19
ないないw

429 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 05:05:48
>>427
っうか出雲人そのものが渡来人だろ
鉄と一緒に朝鮮から来たわけで
百済ではなく、新羅系だったっけ?
出雲は倭人(日本人)ではない


430 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 05:23:36
また珍説をでっち上げ始めたぞチョン公w

431 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 06:43:59
>>430
いや事実だろ、出雲を倭人の国にするなよw
新羅系移民が鉄と一緒に渡来して建国した国が出雲王国



432 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 10:28:28
>>427
倭人が堂々と鉄を採掘してたのだから見返りなんていらないのだ。

>>429
出雲の四隅突出墳は弥生中期に中国山地で発祥したようだ。
大陸に初現はない。
その後5世紀後半に前方後円墳が出来始める。
出雲も大和朝廷に組み込まれたのだ。
(国譲りとはこの事か…)

製鉄の民も出雲に来てるだろうが出雲建国とは関係ない。

433 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 10:38:22
四隅突出墳が山奥で発生し、
最終的に日本海側を東北まで北上してる。
出雲と東北の言葉の類似は松本清張の小説にもあったね。
つまり出雲は縄文系なんじゃないか。

434 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 11:13:15
>>431
>新羅系移民が鉄と一緒に渡来して建国した国が出雲王国

半島南部では弥生時代からすでに北九州系倭人が鉄の採掘をしてて、
その北九州を大和朝廷が傘下に入れ、半島での鉄の採掘を握ってたのだが、
5世紀になり高句麗の南下など半島の情勢が混乱してきて、
その時に半島南部にいた倭人が製鉄技術を持って出雲に来たのだろう。
それって、そのまま高天原から半島に渡って日本に帰ってきたスサノオの話に通じる。

435 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 21:21:09
>>433
一般に類似しているというのではなくて、方言の飛び地があるという
話じゃなかったか?

436 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:20:51
>>435
そうだったかねw

どっちにしても四隅突出墳で最大の西谷3号墳などは、
大量の朱や勾玉が埋葬されてたりする。
非常に縄文の息吹が強いと思う。


437 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 02:16:00
>>431
妄想を事実にすんなチョンw
チョン半島が日本の植民地だったんだから

438 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 02:29:28
>>437
三国史記の叙述を見る限り、新羅最初の王とされる赫居世居西干とか重臣とされる瓢公、
第四代新羅王・脱解尼師今、いずれも倭人である蓋然性の高さを示しているしね。4〜5世紀頃迄の
半島南東部のコミュニティ(社会)は、倭人中心だったかもしれないね。

439 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 09:50:02
講談社から出ている、現代語訳日本書紀の欽明紀を読んだが、任那日本府と
言うのは実に正体不明だな。
大和と百済からは、日本府は親新羅と見られている。
百済は、日本府の三人の将軍が任那復興の障碍になっている、彼らさえ
いなければ復興はなんとかなるから本国に召還して欲しいと、なんども
大和に要請するが、大和の態度はあいまいで、ついに召喚は実現しない。
大和の指示はまず百済王に行って、百済王が任那諸国を招集する。
日本府は任那諸国と同列でこれに参加する。
少なくとも「任那総督府」の姿ではないな。
この本は読みやすいから、任那日本府を論じるなら一度読んだほうがいいよ。

440 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 13:30:19
>>439
>大和の指示はまず百済王に行って、百済王が任那諸国を招集する。
>日本府は任那諸国と同列でこれに参加する

記紀編纂時の百済系の文官に配慮したのではないか?
繰り返すが半島では武寧王の墓より前方後円墳の方が立派だ。
100M近い大きさの前方後円墳もあるらしい。


441 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 14:24:32
>>439
>大和と百済からは、日本府は親新羅と見られている。

ん、つまり任那日本府は新羅の属国と言うことでいいのかな
391年に倭が新羅を属国にしたと書かれている高句麗の碑文や、日本書紀に記述
されている「新羅が倭に朝貢した」と言うのはウソだったわけか

442 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 14:37:41
>>441
つ現代語訳


443 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 15:17:34
>>441
少なくとも形式的には新羅の属国ではなく、大和に従属している。

それでいて親新羅とはどんな状態か。
すこし前の韓国を考えればよいのではないか。
つまり、韓国は形式的には、日本とともにアメリカに従属している。
しかしその実態は、政府の中枢にいたるまで親北朝鮮だった。

444 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 15:24:17
>>441
>日本書紀に記述されている「新羅が倭に朝貢した」と言うのはウソ
>だったわけか

ウソではない。上記のような状態のもとでも、新羅は大和に朝貢して
いる。いわゆる面従腹背だな。
なにしろ一度欽明紀を読んだほうがいいよ。


445 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 16:21:23
【文化】今なお日本に息づく百済の香り

【新刊】ホン・ユンギ著『日本の中の百済』(ハンヌリ・メディア)

「“くだらない”という言葉は、日本で長い歴史を持っている。かつて古代日本では
百済(くだら)ブームが起こっており、それが韓流の原点だった」。
くだらないという言葉は、「日本人の百済にたいするほめ言葉」を指す。
著者は大阪や奈良・飛鳥地方を訪ね、日本に浸透した百済の歴史の香りを生き生きと描いた。

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/article/20081214000004


446 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 16:55:35
>>445
都より地方に行く事をクダル、クダリ物、って言うんだ。
例、東下り、アズマクダリ

百済は大和から見て地方だからクダラ、クダリ物って言うんだよ。


447 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 18:35:30
またかよ またかよ 朝鮮カルト マインドコントロール。

448 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:59:18
逆だ。下り物は京都から地方に下って来たから尊いのだ。
だから京都からではない、地方土着のものは下らない、くだらない物になる。
ということは百済は?

449 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 23:02:39
倭国大乱登場人物
崇神(ミマキ イリヒコ イムナヰソニヱ)西暦188年4才で即位32才崩御
伊支馬=垂仁 (イクメ イリヒコ イムナヰソサチ)西暦215年13才で即位41才崩御
倭王=景行(ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ) 西暦239年18才で即位46才崩御
都市牛利=タジマモリ 、 アメヒホコの4世孫、ホケノ山古墳に祀られる
240 伊聲耆掖邪狗=伊勢のベテランいわか=イワカ=六雁、大彦(169年生まれ)の孫=率善中郎將
240 難升米=倭女王の部下で大夫=率善中郎將
240 狗奴國=狗古智卑狗

見ていないとピントがぼける。
「いわか」が景行の部下であり、魏国から戦の仕方や治世のあり方を学んで帰国。
この時点で半島より技術、政治共倭国が上。
鎧も半島から倭国にもたらされたか疑問。


450 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 23:04:33
一つ落とした
出雲=新羅はあり得る。
193年の凶作前の話として。

451 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 23:17:10
>>450
>出雲=新羅はあり得る。
>193年の凶作前の話として。

193年以前からそれ以後まで出雲の王墓は四隅突出墳。
新羅にそんな墳墓はない。

452 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 23:42:20
出雲振根が成敗されたのが、210年頃。
垂仁が出雲を再生する。
この時点でどれだけ出雲に実力が残っていたか?。
青谷上寺地遺跡
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=69171


453 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 23:55:49
>>452
悪いがもっと主語をはっきりさせてくれないか?
青谷上寺地遺跡の事は知ってるが、
あれは誰が誰に成敗されたのだ?


454 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 12:43:42
>>448
だからそれ元ネタが俗説だから。
設問が無意味。

455 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 17:52:23
192年(崇神5年)凶作
193年(崇神6年)引き続き天候不順、日本海地方では、田植えを失敗した可能性がある。
新羅193年倭人が大飢饉となり避難民到来 この年新羅の京都で6月(太陽暦8月)1尺の積雪。
青谷上寺地遺跡 の人々は、加工製品を外販することで、生計を立てていた。と仮定
崇神6年2年続きの凶作で、加工製品を食料に交換できない。隣村の食料を襲う等、戦の勃発
秋、大国主の国譲り、書紀では確認できないが ホツマに「宮移し」と書かれている、「宮」とは生きた神様の住まいです。

青谷上寺地遺跡は、内部崩壊。大物主の国が立ち行かなくなった。
その後大物主の宝を崇神が検察出来る地位に付いた、と言うこと。

456 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 18:14:24
流浪した民を、国として流入されたら一大事
大彦を越の主として派遣
10年には、減少した”民”の補充に四道将軍を各地に使わす。悪く言えば人さらい。
11年春、異族多帰。はその結果。2世紀末、巻向に各地の土器。が考古学

流浪の民は、九州に向かったと思われる。
景行の”土蜘蛛”盗賊集団として、現れる。

457 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 18:19:24
その他 流浪の民の行き着く先として、高地集落も考えられる。


458 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 18:27:13
もっと面白い物を出しましょうか。
崇神6年、ヌナキイリ姫は、餓死した処を発見された。

459 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 18:50:27
さらに言う
崇神の手にした鉄は、総量として余り多くない、大国主の残量を手にする程度
巻向石塚古墳=2世紀初頭、マバカ古墳=2世紀初め、ホケノ山古墳=240年頃=田島守
此の240年頃 ソナカシチが任那より朝貢。ここから鉄は、増えるが全て天皇家の物、種貸しと共に鉄器も貸し出し、
戦国時代の雑兵の持ち物は、褌1丁、後は、全て領主よりの借り物。と同等。
畿内より”鉄”の出土の少ない訳。

460 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:33:15
任那日本府は駐留軍が土着豪族化したものだ。
と、考えればすべて氷解する。
なにしろ土着だから、将来を見越して身の安全を図らなければならない。
新羅がこの先、このあたりの支配者になると見通せば、親新羅という布石も
打っておくのだ。
形式的には大和に従属しながらもね。
徳川につくか、豊臣につくかの選択を迫られた戦国領主たちの行動と同じだ。

461 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 00:54:09
磐井の乱の真相は何なんだろ?

俺は応神以来の九州系が絶え、
越前系の継体に変わって、
九州の磐井が利権を失った事が一番の理由だと思う。



462 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 01:46:08
>>454
じゃなんなんだ?
百済はまるで関係ないだろ

463 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 08:36:55
ではなぜ、新新羅の日本府が新羅と戦うのか? と疑問がでるだろう。
しかしこれも、考えてみれば当然だ。
親新羅といえども身分の上ではまだ大和/百済に属しているから、
指示があれば新羅と戦わなければならない。
しかしそれは自分の不利にはならない。
なぜなら、戦闘で目立てば、それは新羅に対して将来の自分の値打ち
を上げることになるからだ。

464 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 09:18:28
新羅の話なんてどうでもいいよw

狡猾にあっちにつきこっちにつきの屁みたいな国だし。

465 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 10:03:43
新羅との戦争を避けるために聖徳太子の弟は暗殺されたんだと思う。

466 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 11:45:08
>>464
「狡猾にあっちにつきこっちにつきの屁みたいな」のが任那日本府だ
という話をしたのだが、通じなかったかな。

467 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 13:27:08
>>466
そうかねぇ?
ドーンとどでかい古墳を作ってたのだが。

新羅って35代景徳王の時代に、
それまでの倭風の官職名や地名を変えるという大改革したのだろ?

468 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 15:43:02
新羅の4代目王の出身地タバナ国というのは日本のどこなのだろうか?
大和朝廷に対立的な地域だったのだろうか。
それとも書紀では神武天皇の兄が王になったと書かれてるので皇別か。

469 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 15:52:28
百済=(くだら) (くだらない)は日本人の百済にたいするほめ言葉

新羅=(しらぎ) (しらき=しろき=白着)は白着の巫女さんは新羅が起源

侍=(さむらい) (百済語のサウラビが変化し〜さむらい) 侍の由来は百済




470 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:25:02
>>467
私は欽明紀から読み取れる任那日本府の性格について書いただけだ。
古墳の話などしていない。

で、欽明紀から読み取れるのは
「狡猾にあっちにつきこっちにつきの屁みたいな」任那日本府なのだ。


471 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:35:04
【萬物相】新羅の仏像
http://www.chosunonline.com/article/20081218000031

その後この仏像は新羅で作られたという説が学会で多数を占めるようになった。
広隆寺を創建した新羅系豪族の秦何勝が、病で倒れた推古天皇の快癒を祈って新羅に
この仏像を注文したとの記録も日本書紀などに残っている。

ドイツの哲学者ヤスパースは京都の半跏思惟像を見て、「地上のあらゆる束縛を超越し
到達した、人間存在の最も清浄で円満かつ永遠な姿」と絶賛した。
彼が韓国の国宝83号「金銅製弥勒菩薩半跏像」を見ていれば、さらに驚いていただろう。


>広隆寺を創建した新羅系豪族の秦何勝が、病で倒れた推古天皇の快癒を祈って新羅に
>この仏像を注文したとの記録も日本書紀などに残っている。

>広隆寺を創建した新羅系豪族の秦何勝が、病で倒れた推古天皇の快癒を祈って新羅に
>この仏像を注文したとの記録も日本書紀などに残っている。

>広隆寺を創建した新羅系豪族の秦何勝が、病で倒れた推古天皇の快癒を祈って新羅に
>この仏像を注文したとの記録も日本書紀などに残っている。


472 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:49:25
>>468
タバナ国は旦波国(丹後国)のことで現在の京都府丹後地方です。
日女命(卑弥呼)大倭姫命(台与)の実家にあたります。

473 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 17:24:40
>>471
秦氏は新羅系豪族ではありません。中国系豪族です。
広隆寺は仏教寺院ではありません。ネストリウス派キリスト教の聖堂です。
秦氏が広隆寺に仏像を安置することはありません。あれは景教の聖像です。
ついでに秦氏が管理していた伏見稲荷の稲荷はローマ字で書くとINARIで
Aを消すとI・N・R・Iとなり「ユダヤ人の王ナザレのイエス」となります。
ちなみに伏見稲荷の裏側の地名はなんと栗栖(クルス)です。

474 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 17:49:28
■日本の学者の主張

任那日本府の正体1
http://jp.youtube.com/watch?v=6VcHEgIEWSU&feature=related
「大和政権が任那を支配したものではなくただの外交使節だ」

任那日本府の正体2
http://jp.youtube.com/watch?v=UhGbCTif4zI&feature=related
「日本では4〜5世紀に鉄は作れなかったので半島の加羅から輸入していた」

正倉院
http://jp.youtube.com/watch?v=zx7VtkdX0Ng&feature=related
「7〜8世紀の国際色豊な天平文化は直接遣唐使によってもたらされただけでなく
 朝鮮半島との交流で日本の国家制度が作り上げられていった」



475 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 20:46:56
>>463-470
任那日本府の役人は「あっちつきこっちつき」というよりは
一貫して新羅派。ただ本国は反新羅路線だったから
ぬらりくらりな態度になっただけ。

476 :454:2008/12/18(木) 20:49:00
>>462
「百済はまるで関係ない」っていうその一点に限っては
たしかにその通りだよ。

477 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:01:14
>>463
訂正:
新新羅の日本府>親新羅の日本府

478 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:10:04
>>475
>任那日本府の役人は「あっちつきこっちつき」というよりは
一貫して新羅派。

その通りだと思う。ただ、心は新羅、形は日本、というのは同時並行
で「あっちつきこっちつき」であるわけだ。本国から指示が来て
いやいやながら新羅と戦えば、その時点では日本についていること
になるしね。

479 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/18(木) 21:58:56
>>474 ■日本の学者の主張
日本の学者は、未だ日本書紀を実年代に直せない。
直せない以上”任那”について 消極的発言しか出来ない。


480 :475:2008/12/18(木) 21:59:44
>>478
ごめん、少し訂正する。
任那日本府(ただし欽明朝の)は、
親新羅派というより、むしろ「アンチ百済」だと思う。

481 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/18(木) 22:23:55
其四年,倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人,
倭王(景行)復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等 伊勢のベテランいわか。
壹與(五百野姫)遣倭大夫率善中郎將掖邪狗
倭女王と倭王(景行)の2人3脚
この時魏より戦の仕方や武器、政治も学ぶ。


482 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:45:29
>>469
サムライのルーツは蝦夷だよ。

平安時代、地方の領主達の反乱を抑える目的で、
全国に武力に長けた蝦夷の俘囚が配置されたが、
その俘囚たちから武術の手ほどきを受けた人たちがルーツ。
日本刀も蝦夷刀から発展してるし。


483 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:30:00
>>469
チョン100%だなw

484 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:31:19
>>473
面白いけど、
何で稲荷をローマ字で書かないといけないのだ?
何でINARIのAを消さないといけないのだ?
栗栖(クルス)は栗の木と関係ある地名だと考えてもいいだろ?

485 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:46:02
>>484
まあ「ムー的w日ユ同祖論」にありがちなこじつけと同じ類のトンデモ話だろう。

486 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:33:26
MMRのコピペみたいだなw

487 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 09:48:05
任那日本府の役人がのらりくらりという話だが、
新羅は皇別の人間が王になってる国だという意識は役人にもあったろうし。
むしろ百済は「外国人の王」であったろうけどね。


488 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 16:52:28
■広隆寺
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BA%83%E9%9A%86%E5%AF%BA
秦氏は、新羅系の帰化人の家系であり、葛野郡(かどのごおり、現・京都市右京区南部・
西京区あたり)を本拠とし、養蚕、機織、酒造、治水などの技術をもった一族であった。

広隆寺の近くにある木嶋坐天照御魂神社(蚕の社)や、右京区梅津の梅宮大社、西京区嵐山の
松尾大社(ともに酒造の神)も秦氏関係の神社といわれている。

■秦 河勝
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B2%B3%E5%8B%9D
聖徳太子のブレーンとして活躍した。また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に
関わっていたといわれ、その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わった。

猿楽などに従事した芸能の民にも河勝の裔を名乗る者は多く、代表的なものとしては金春流が挙げられる。
彼らの伝承では河勝は猿楽の祖でもある。能楽の観阿弥、世阿弥親子も河勝の子孫を称した。
また、現在楽家として知られる東儀家は河勝の子孫であるという[要出典]。

あ〜あ日本の中心地と言われる「平安京」やあの「伊勢神宮」さえ新羅系(古代韓国人)が
作ったなんて飛鳥寺や四天王寺も正倉院も百済人技術者が建てたし、実は飛鳥や奈良、京都の
建築で日本人が建てたたものなんてないんじゃないのw
奈良や京都は日本人の歴史ではなく韓国人の歴史だ


489 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 18:14:17
>>488
秦氏のような有能な民を半島に留まらせておけば、
今頃、韓国は技術立国になってたかもしれないのに残念だなw

有能な民が日本に来たせいで半島には残りカスしかいなくなっちゃったなw


490 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 18:34:53
>>488 >伊勢神宮の創建などに関わった。
伊勢神宮の創建は、垂仁時代。
そんな事を言うから 信用されない嘘つき呼ばわりされる。



491 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 19:01:59
其六年,詔賜倭難升米黄幢,付郡假授。←この意味がわかるか?

黄幢を賜うとは、魏国の正規軍(又は、郡」の正規軍)の地位を授けられた。
当然戦の仕方から、武器等正規軍としての全てを魏から直接学ぶ。
対し半島の属国が、強力に成られては、敵わないので半島据え置き。
270年頃この軍隊が神功皇后の元、渡海。
半島に直接刃向かう勢力は、有りません。
郡の官僚達は、政変を逃れて百済辺りに居たが、神功に従い倭国へ移住。


492 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 19:21:53
其六年,詔賜倭難升米黄幢,付郡假授。←この意味がわかるか?

黄幢を賜うとは、魏国の正規軍(又は、郡」の正規軍)の地位を授けられた。
当然戦の仕方から、武器等正規軍としての全てを魏から直接学ぶ。
対し半島の属国が、強力に成られては、敵わないので半島据え置き。
270年頃この軍隊が神功皇后の元、渡海。
半島に直接刃向かう勢力は、有りません。
郡の官僚達は、政変を逃れて百済辺りに居たが、神功に従い倭国へ移住。


493 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:18:04
>>490
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%A6%E6%B2%B3%E5%8B%9D
ウィキに書いてあるだろ

494 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:21:05
ウィキペディアを無批判的に信用しちゃう男の人って・・・

495 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 22:06:44
ちゃんと「可能性もある」と逃げている。
>>488 は、其の大事な文字を削った。



496 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 22:10:37
崇神時代=卑弥呼などと 妄想編年でなく、記事と考古学、他国の書物。
これらの接点を合わせなくては、正しい歴史に成らない。


497 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:17:51
というか今のような神社の形態の始まりはは平安時代じゃないの?
それ以前ははっきりしてないし、
前方後円墳は墓である事は当たり前なんだが、
神殿の役割もあったという説を聞いた事ある。

498 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 00:38:43
天皇陵には鳥居があるよね。
お墓なのに奇妙だ。

つまり前方後円墳の前方部と後円部の二重構造が、
そのまま神社の拝殿と本殿の二重構造に引き継がれたのかも。

499 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 07:46:11
>>498
なるほど、そうかもしれないですね。

500 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:27:19
>>487
皇別氏族なんて日本国内に腐るほどあるから
何代もたってしまえばたいして貴種って感じでもないだろう。

任那日本府の役人は「百済憎し」に嫌がらせやってるだけ。
別に新羅が好きで新羅の応援したわけじゃないだろう。
百済が潰れるなり失敗くりかえせば、
百済には統治能力がない・危なくて任せられない
ということになり、四県二郡が戻ってくる可能性がある。
任那日本府の役人が考えてたのはこんなところだろう。

501 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:40:41
>>500
神武の兄が作った国という事なら
「たいして貴種って感じでもない」とはならないだろう。

新羅との確執は近親憎悪みたいなものだろう。


502 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:00:37
親新羅に好き嫌いの感情は関係ないだろう。
今の日本だって別にアメリカが好きではないが、やむを得ず親米を
やっている。
感情より勘定。

503 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 22:13:27
>502
そんな事はない。
日本は開国以来ずっとアメリカが好きだ。
俺はあんまりアメリカが好きではないが…

504 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 23:04:55
>>504
では李氏朝鮮はどうか。腹の底から満洲を嫌いながら、親清国を
やったではないか。

505 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 23:14:09
>>504
李氏朝鮮の場合は清と国力が違いすぎ逆らえなかったからだろうな。

例えにするのがおかしい。






506 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 02:06:45
李氏朝鮮は東アジアで最弱だったからなあ…

507 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 09:16:57
>>505
国力というなら、任那は結局は新羅に呑み込まれた。
これは新羅のほうが任那より「国力」が強かったからではないのか?
相手国のほうが国力が強いと思うからこそ、支配された時のじぶんの立場を
考えてすり寄るのだ。

508 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:17:31
>>507
>「国力」が強かったからではないのか?

強さの度合いとして清と李氏朝鮮の例はふさわしくない。

新羅に飲み込まれたというのは狭義の任那・伽耶地域の事か?
前方後円墳があったあたりは白村江まで飲み込まれてないよな。

509 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:49:14
>前方後円墳があったあたりは白村江まで飲み込まれてないよな。

継体天皇のときから、すでに百済だよ。

>強さの度合いとして清と李氏朝鮮の例はふさわしくない。

507は清国のことは言っていない。
国力の差は相手を吞み込むのに十分なだけあればそれ以上は同じこと。
呑み込まれたときのことを考えて強国にすり寄る原理は同じだ。

510 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/21(日) 12:27:46
百済誌、新羅誌とも 百済と新羅間の戦は、常時出てくるが
任那との戦は極少数 任那が取るに足りない小国ならとっくに消滅している。
百済、新羅にとって、任那は、強国過ぎて戦の相手ではなく、友好国として生きる。
この任那を割ったのが、継体。

511 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:53:11
>>510
ってことは任那のバックには大和政権がいたから
百済も新羅も手がだせなかったって推測が成り立つな

しかし現実はこうだからw

■日本の学者の主張

任那日本府の正体1
http://jp.youtube.com/watch?v=6VcHEgIEWSU&feature=related
「大和政権が任那を支配したものではなくただの外交使節だ」

任那日本府の正体2
http://jp.youtube.com/watch?v=UhGbCTif4zI&feature=related
「日本では4〜5世紀に鉄は作れなかったので半島の加羅から輸入していた」

正倉院
http://jp.youtube.com/watch?v=zx7VtkdX0Ng&feature=related
「7〜8世紀の国際色豊な天平文化は直接遣唐使によってもたらされただけでなく
 朝鮮半島との交流で日本の国家制度が作り上げられていった」




512 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/21(日) 14:07:56
>>511
だから日本の学者は、馬鹿だから書紀一つ正しい年代に直せない
書紀を歴史に載せられない以上、任那は「お世辞」程度のお付き合い。

こんな見方も出来る。
何処の王も住民も酒が好きだ、酒の材料”米”倭から任那を通って百済、新羅に入る
任那=倭ですから、任那を攻める=酒の材料”米”が入らない。
酒飲みにとって最悪のシナリオ、鉄から酒を得る為には、元気な任那の存続を願う。

513 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:34:23
【文化】日本に残る韓民族の足跡をたどる(上)
http://www.chosunonline.com/article/20081221000008

「高松塚古墳、法隆寺、東大寺、広隆寺、大宰府、船山古墳、石舞台古墳…。日本が誇るこれらの遺跡の共通点は何か。
それは韓民族、すなわち大韓民国の祖先の霊と魂、汗が染み込んだ代表的な場所だということだ。」

「檀国大の鄭永鎬教授は「大宰府の建造と水城の築城には、百済の先進技術が活用されたことが立証されている」

【文化】日本に残る韓民族の足跡をたどる(中)
http://www.chosunonline.com/article/20081221000009

「石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている」
また、日本の戦後最大の発掘と評価されている高松塚古墳は、北斗七星などを描いた「星宿図」と「四神図」、
そして華麗な服を身にまとった男女の姿が描かれ、完ぺきな高句麗彩色壁画だといわれている。」

【文化】日本に残る韓民族の足跡をたどる(下)
http://www.chosunonline.com/article/20081221000010

「日本が誇る遺跡が韓国の先祖の魂と汗で作られていることをこの目で確認でき、民族的自負心を持つようになった」と語った。
「これまで教科書を通じての間接的経験にとどまっていたが、直接経験する機会を得られてとてもうれしい。
学校で子供たちに、わたしが見て感じたことを一つ一つ伝えるつもりだ」

江原大の孫承赴ウ授は「わが韓民族が古代日本の領土に文明と文化をもたらしたという
華麗な過去の歴史を振り返り、自己陶酔に陥ってはならない。」


514 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/21(日) 16:11:05
高句麗=楽浪=中華
任那=倭
七支刀=鋳造品≠百済製


515 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:06:01
任那は対立する百済と新羅との間の緩衝地帯だった。
ある時点までは任那も強力、倭からの駐留軍(任那日本府の前身)も強力
だったから新羅は手を出せなかったが、時とともに任那は貴族化、駐留軍は
土着化してともに弱体化した。

新羅は国力を充実するとともに任那に浸透して、任那を内部から新羅化して
しまった。(ちょうど北朝鮮が韓国に対してやったように)
百済は緩衝地帯がなくなると困るから必死に大和に訴えるが、大和は等距離
外交に徹して、基本的に中立を守る。新羅は大和の態度をいいことに、
大和に対して朝貢を続けながらも実力で任那の一部を切り取る。

百済はいよいよ必死だが大和は依然としてぐずぐず。そのくせ百済に対して
すべてを押し付けて、任那を回復せよと迫る。大和もまた貴族化、官僚化
していたのだ。

こうして新羅は任那を完全に乗っ取った。後は百済と新羅の直接対決となり、
新羅は独力では無理と見て唐を引きこんだ。今度ばかりは大和も逃げる
わけには行かず、白村江へと突き進んだ。

もともと内向的になっていた大和が無理して白村江をやった後は、完全に
内向的な時代に入るわけだ。15年に一回の遣唐使なんか大勢に影響なし。

516 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:11:05
【文化】日本の国宝に息づく新羅・百済文化 [2007/12/13 12:05:09]
http://www.chosunonline.com/article/20071213000056

「4‐6世紀ごろ、古代日本に花開いた飛鳥文化もこの道を通して形成されたのです」

【文化】「今日の日本を作った原動力の一つは韓民族」 [2005/12/07 19:52:00]
http://www.chosunonline.com/article/20051207000073

「渡来人。京都造形芸術大学の仲尾宏客員教授(70)は、われわれの祖先をそのように呼んでいた。」

【文化】「百済は今も日本に息づいていた」 日本の中の韓民族史探訪 [2004/12/10 18:17:41]
http://www.chosunonline.com/article/20041210000061

「百済の遺物をコピーしたかのような日本の遺物や遺跡からも、「百済」と
名づけられた駅からも、百済遺跡地に住んでいる現代の日本人の心からも、百済の生存を
感じ取ることができる」

【文化】 教師たちの「日本の中の韓民族史探訪」 [2000/12/11 15:06:04]
http://www.chosunonline.com/article/20001211000009

「現存する世界最大の木造建築物である東大寺大仏殿は、8世紀中盤に百済からの移住民が建てた寺です。」






517 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 19:13:15
向こうの学者も言ってる事だが、



「古代朝鮮半島国家が中国文化の強い影響下にあったこと」
「日本列島に技術者が渡来した当時の国際関係」




を無視してはいけないよな。

518 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 19:21:19
で、当の中国人はこう見てる。

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E6%BF%9F
>这个时期百济积极地吸收了中国文化和技术。384年,佛教成为百济的国教。与此同时,
百济也发展成为海上强国,并与日本发展了良好的关系。中国的汉字,佛教,制陶技术和
其它文化在这一时期从百济传入日本。.

http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
>聖コ大王神鍾具有非常獨特的鍾音,吸引許多慕名而來的遊客。


中国人からしてみても、朝鮮はただの通り道だったらしいな。

519 :日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 19:48:10
文字化けしてんだよ使えねーなカス野郎。

520 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 19:51:41
>>518
何て書いてあるんだよ


521 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 20:13:01
>这个时期百济积极地吸收了中国文化和技术。384年,佛教成为百济的国教。与此同时,
百济也发展成为海上强国,并与日本发展了良好的关系。中国的汉字,佛教,制陶技术和
其它文化在这一时期从百济传入日本。.

この時期、百済は積極的に中国の文化および技術を吸収した。384年に仏教が
百済の国教となった。これと同時にに百済は発展して海上の強国となり、また日本との
良好な関係を発展させた。中国の漢字、仏教、製陶技術およびその他の文化はこの
時期に百済から日本に伝わった。

522 :日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 20:17:42
わけわかんねー!池沼だろお前?

523 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 20:39:57
>>521
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85
>聖コ大王神鍾具有非常獨特的鍾音,吸引許多慕名而來的遊客。

こっちは?

524 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:09:55
【日韓】 韓日歴史共同委員会の結論「任那日本府説に根拠なし」〜日本側学者認める[12/21]
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1229859600/

525 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:20:43
>>524
韓国ソースで、飽くまで日本の報道関係者がどう報じるかにもよるが、少なくとも
「日本側学者らはこれまで主張して来た任那日本府説、すなわち4世紀に日本が韓半島(朝鮮半島)
に進出して百済と新羅、伽揶などを支配したという説は一部妥当ではない、と認めたと言う。」
って文脈から推して「任那日本府説に根拠なし」ってのは、ここの整理部記者に読解力が不足してる
証拠にしかならないと思うんだがwまあ報道の見出しってのは、得てしてそういうものだったりはするがww

526 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:31:22
宮崎あおい発言
「過去に起こしたことだったらきちんとぜんぶ教えるべき!」
日本が過去に戦争でやった悪いことでも「ちょっと人を殺しちゃった」みたいにわざと小さく書いたり、載せなかったっていうのを見てそれはキチンと載せなきゃいけないのにな」って思ってたんです。

宮崎あおい旦那発言
「個人的には日本という国はあまり好きではない。韓国に対し、日本は卑劣なように思える。日本政府は正しい情報を国民に伝えるよう願う」


宮崎夫婦反日記録
http://d.hatena.ne.jp/boutarou/20060725/1153824014


527 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:44:04
>>515

まるで見てきたように言うね。
どこまでが君の想像でどこまでが真実か分からない。
新羅の浸透というのは何故わかるのだ?
どこかの史料にあるのか?
考古学的に新羅系土器が増えてるという程度なら避難民という見方もできるぞ。

もっとも6世紀以降の半島情勢に興味はないがね。

528 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:16:02
>聖コ大王神鍾具有非常獨特的鍾音,吸引許多慕名而來的遊客。

(新羅の33代)聖コ大王の神鐘は非常に独特の鐘音を持っていたので、
その名を慕ってやって来る多くの遊客を引き付けた。

529 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:21:34
>>527
日本書紀に書いてあることをまとめただけだ。
ただし「浸透して」というのは人間が入り込んだという意味ではない。
影響力を浸透させたという意味だ。
北朝鮮だって、多くの人間を韓国に送り込んだわけではないが、韓国
の中枢を北朝鮮シンパにすることに成功した。それと同じだ。

530 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:32:31
やはり任那日本府はなかったようだな
日本の学者が認めたんだからこの議論はもう終わり

531 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:48:37
>>529
>北朝鮮だって、多くの人間を韓国に送り込んだわけではないが、韓国
>の中枢を北朝鮮シンパにすることに成功した。それと同じだ。

なんじゃそりゃw

葛城襲津彦もひっかかった新羅得意のハニートラップってのはあっただろうなw


532 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:57:21
>>530
あの記事を読んでそういう結論に達するって、どれだけ情弱?(大爆笑)

533 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 01:02:26
>>513
http://www.chosunonline.com/article/20081221000009
>石舞台古墳は7世紀ごろ百済系の蘇我氏が作った大規模な墓として推定されている

日本で蘇我氏渡来人説があったが韓国でも蘇我氏は百済系と朝鮮日報が書いてるw

>蘇我氏は当時、天皇をしのぐほどの強い権力を持っていたことが分かっている」と語った。

これって事実上の韓国系の日本征服宣言だろ
7世紀に蘇我氏が日本を支配していたのは事実なんだからw




534 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 01:32:30
蘇我を渡来系と決めるな。
一億歩譲って渡来系だったとしても大化の改新で負けた。

535 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 03:37:45
朝鮮では蘇我氏が百済系と事実化してるのか、
木満致と蘇我満智の名前が似てるから同一人物かも?って説があるというだけなんだが。
ほんと都合のいい説だけはすぐに飛びつくな。

536 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 07:57:37
日本の歴史は東漢 駒のように渡来系で出世したならちゃんとそう書いてるのだから
渡来系と書かれててない家系を渡来系にする意図こそが朝鮮人の下品さ。

537 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 09:09:49
>>531
欽明紀で、百済王は次のように言っている。
「任那日本府は地元生まれの二人の成り上がり者が取り仕切っており、三人
の倭人将軍たちも彼らの指示にしたがっている。二人は新羅の冠位を示す
服装をして、しょっちゅう新羅と行き来している。この二人や、倭人将軍
たちを除かなければ、任那は、新羅への内応者によって滅びた卓淳国などと
同じ運命になるだろう。」

任那の「内部からの新羅化」とはこのようなことだ。

538 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 12:40:13
東大寺大仏殿、法隆寺、広隆寺、飛鳥寺、大宰府などは百済の技術者が渡来して
建てたと言う記述があるが、いつのまにか被葬者特定不明の「高松塚古墳」や「キトラ古墳」
蘇我馬子の墓と言われる「石舞台古墳」などが韓国系認定されているw

この毎年韓国人がやってる「日本の中の韓民族史探訪」って行事は1988年ぐらいから
やってるそうで500人ぐらいの団体で九州、飛鳥、奈良、京都、大阪などを回って
百済人が建てた仏教寺院や新羅人がもたらした仏像や、高句麗の影響を受けた古墳などを
見て周り「我々韓国人の先祖は古代日本に文化と文明をもたらした」と優越感に浸る
行事だそうだ、「日本の国宝」と言われたものも実は古代韓国人が作ったと言いたいのだろう

このペースで行くと後20年後には奈良、京都だけでなく日光や山口県の萩や
島根の出雲、宮崎の高千穂まで「日本の中の韓民族史探訪」にされるだろうw


539 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 13:32:08
>>537

そうなのかと言うしかないw

540 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 13:53:01
蘇我には韓子や高麗という名前があるから渡来系と思いたいのだろうな。
なら蘇我蝦夷をどう説明するのだろうか?

つまり蘇我を貶めるために当て付けられた蝦夷、入鹿、馬子という名前と、
韓子や高麗は同類であり、同じ貶める意味あいだったわけだ。

これは逆に蘇我が渡来系ではなかった証拠だ。
おそらく皇別だろう。

541 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 17:49:55
>>539
任那日本府の「内部からの新羅化」について、納得したようだな。
私の書いたことがうそだと思ったら欽明紀を読んでみればいいよ。

まあ、欽明紀の任那日本府は、君たちが望むようなかっこいいもの
ではない。

542 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 18:05:50
>>541
どっちみち白村江で半島から撤退してるのだからどうでもいいよ。
半島に足がかり持っててそれを失った事を、
領土欲から残念がる日本人もいるが俺はそうではない。

7世紀以降、半島と実質的な関わりがなくなって本当に良かったと思う。

543 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 18:27:17
昔から朝鮮人って実力ないくせに、
その時の強国に取り入る事だけは上手で、
元や明も朝鮮人の役人(一部は宦官か)のせいで国が弱体化されたと聞いた。
戦前の日本も朝鮮人の議員がいたんだよね。

544 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 20:10:06
まあ、日本が半島に強力な影響力を持ってたのは変わり無いわけで。

545 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 01:22:33
チョンはみっともないな

546 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 08:41:12
私は任那日本府は実在したと思う。
実在しないとすれば日本書紀は架空の任那日本府を創作したことになるが、
どうせ創作するなら、欽明紀にあるような情けない姿に描く必要はない。

547 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 08:50:35
反蘇我クーデターが成功した直後に百済救援の白村江戦が実現するのだから、
蘇我氏は新羅系ないし新羅シンパだろう。

548 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 09:17:13
>>547
「シンパ」は分かるが「系」と言うな。
こういう場合の系は祖先に新羅人を持つ者という意味あいだが何の証拠もない。
今の政治家にも「中国シンパ」が少なからずいるが、
彼らを「中国系」とは言わないのと同じだ。

それでも新羅系にしたいのなら、蘇我=百済系説を論破してからにしてくれw


549 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 10:23:50
親がハーフを意味する韓子で、その子が高麗だから蘇我氏は高句麗系とみた!根拠は無い。

550 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 11:01:27
>>548
ネットを見ても、蘇我を渡来系と見る説の中で百済説と新羅説は半々
ぐらいだな。どっちにしても決定的な証拠はないのだから、「言うな」と
言うことはできない。

551 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 12:42:29
>>550
言うのは勝手だがそれなりの証拠を出せ。

552 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 13:44:51
新羅系か百系かは、どちらも状況証拠しかないだろう。
渡来系である根拠は
継体24年秋9月の条の注「大日本人娶蕃女所生為韓子也」
これが事実なら韓子は母が渡来系であるわけだ。

553 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 15:10:56
>>549
稲目の代だが大伴狭手彦が高句麗を攻めた際
捕縛した貴族の娘を献上しているな。

554 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:45:08
>>552
訂正:
百系>百済系

555 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 17:20:04
>>552
決め手のない説だ。
思い切って男系で渡来系と言えないしみったれ度が笑える。

556 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 17:52:29
>>555
男系の渡来系もいただろうが、おそらく自然に飲み込まれてしまっただろうな

557 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:23:51
>>555
なぜ男系でなければいけないのかわからない。
女系であれば蘇我氏が皇別でありながら渡来系であることを
説明できる。

558 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:28:47
任那は、
親百済政権の日本
(日本に人質としていた百済の王子が百済王になっって帰国したりしているが、
まったくの傀儡国家というわけでもない)
の韓半島の出先機関みたいな一地域。


559 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:29:05
日本は百済とは友好関係で新羅と仲が悪かったのだから、
もし蘇我が新羅系なら、
新羅系の憎っくき蘇我を征伐したと記紀に書けばいいだけ。


560 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 22:59:50
>>557
>女系であれば蘇我氏が皇別でありながら渡来系であることを説明できる

説明をどうぞ。

561 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/23(火) 23:02:15
>>557 蘇我氏が皇別でありながら渡来系である

別に渡来系とする必要もない。
大和から任那へ派遣していた者が帰朝した、でも説明できる。


562 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 23:07:14
>>552
継体24年秋9月の条の注「大日本人娶蕃女所生為韓子也」
の韓子は吉備韓子を説明するものであって、蘇我韓子の事なのか?

563 :日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/23(火) 23:37:28
世の中知らないほうがいいこともあるんだよ。

564 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 05:42:05
>>546
【文化】新羅王がひざまずいた“任那日本府説”の掛け軸、米国博物館で展示

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=90019&servcode=400§code=400
4世紀日本の神功皇后が倭軍を率いて新羅を征伐したという『日本書紀』の内容を描いた
場面(写真)が描かれている。絵の横には「韓国南部の新羅王国との戦争で夫を失った
神功皇后が魔法の石を得て新羅との復讐戦で勝つ場面。よろいを着た皇后が新羅王を
ひざまずかせている」という説明が付いている。
横14メートル、縦30センチと長いこの巻き紙には日本軍が竜を先に立たせて新羅軍を
征伐する場面もある。

これって 神話だろ

565 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 05:54:02
>>552
>「大日本人娶蕃女所生為韓子也」

継体24年に大日本人なんて言語が記述されてるとは驚いた
この時代はまだ倭国(大和政権)の時代であり国名が日本って改名されるだいぶ前だし
韓子とか高麗=朝鮮半島ってこの時代の通念だったのか?


566 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 08:40:15
>>564
三国史記にも新羅が倭に侵入されたという事例が何十回も書かれるはず。
好太王碑文にも新羅城中に倭軍が沢山いるみたいな記述があったはず。

韓国側が文句言うのなら自分達の祖先に言え。

567 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 08:41:45
×書かれるはず。
○書かれてるはず。

568 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:13:11
>>559
>日本は百済とは友好関係で新羅と仲が悪かったのだから、

日本じたいが新羅派と百済派を抱えているから、なかなかそう単純には
行かない。聖徳太子だって蘇我系だし。



569 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:18:02
>>560
>説明をどうぞ。

わからないかな。
皇別の男が渡来人の女に子を産ませれば、その子(韓子)は皇別であって
しかも女系において渡来系ということになる。

570 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:22:10
>>562
>継体24年秋9月の条の注「大日本人娶蕃女所生為韓子也」
>の韓子は吉備韓子を説明するものであって、蘇我韓子の事なのか?

この注は吉備韓子の説明ではなく、「韓子」という言葉の意味を
一般的に説明するものだ。
だからずっと以前に出てくる「蘇我韓子」という名前の「韓子」の
意味がさかのぼって説明される。


571 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:25:17
>>565
>継体24年に大日本人なんて言語が記述されてるとは驚いた

日本という言葉ができた後に日本書紀が書かれた、というだけ。

572 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:29:52
>>561
>別に渡来系とする必要もない。
>大和から任那へ派遣していた者が帰朝した、でも説明できる。

それには「韓子」に日本書紀の説明とは別の意味を与える必要がある。

573 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 09:44:54
>>570
>この注は吉備韓子の説明ではなく、「韓子」という言葉の意味を
>一般的に説明するものだ。

蘇我韓子は雄略紀に出てこないか?
「韓子」という言葉の意味を一般的に説明するものなら、
継体より前の雄略紀に先に書かれてるはずだ。
「大日本人娶蕃女所生為韓子也」 はやはり吉備韓子個人のの説明だろう。


574 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 10:30:30
「なんとか系」っていう時の「系」は男系の意味。

575 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 10:45:20
だよねえ
渡来系の女性に子供を産ませただけでは
一般的に渡来系とは言わないんじゃないか

576 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 11:03:49
>>571
では「日本書紀」を書いた藤原不比等が捏造した可能性が高いな
日本という言葉は継体24年はなかったのだから韓子や高麗も怪しい
聖徳太子も捏造だったし信じられんわな

577 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:38:53
>>573
>「韓子」という言葉の意味を一般的に説明するものなら、
>継体より前の雄略紀に先に書かれてるはずだ。

複数執筆者説が有力で、注釈したのはまた別人である日本書紀に、そんな
厳密性を求めても無理。

>「大日本人娶蕃女所生為韓子也」 はやはり吉備韓子個人のの説明だろう。

「大日本人が蕃女を娶りて埋めるを韓子と為すなり」
これが個人に関する説明か?


578 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:43:49
>>574
>「なんとか系」っていう時の「系」は男系の意味。

それもそうだ。ネットを見ると、この話に関しては「蘇我氏渡来人説」
という言葉を使っているな。だから私も
「皇別であると同時に渡来人」または「皇別であると同時に渡来人系」
と言い直そう。渡来人系というのは「渡来人の血を引いている」という
意味だ。



579 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 13:50:11
>>555
>思い切って男系で渡来系と言えないしみったれ度が笑える。

女系を馬鹿にしてはいけない。この時代、女系は重要だ。
なぜなら、桓武天皇が高野新笠の実家で育ったように、この時代は
生まれた子は母の実家で育てられたからだ。
極端なことを言えば、雄略時代の蘇我韓子は新羅語で育てられた
可能性だってあるのだ。
文化伝承という観点からは、男系なぞ種付け馬に過ぎない。

580 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 15:00:29
そもそも「女系から見れば渡来人」云々になぜ拘るのだろう。
文化伝承をキーワードとしているが、翻っては飛鳥時代〜平安初期、中期までに
どれほどの渡来人文化がそれとして残ったのだろう。
「女系で見れば渡来系」と主張し、言葉の定義で修正を加えられれば「渡来人」と
強弁し、剰え「母の実家で育てられたから」と、どうにも食い下がっているようにしか
見えない。雄略天皇の時代は新羅と倭との関係は文化的にも人種的にも混然一体と
しているし、この時代、新羅で話されていた言語に関しては杳として知れない。
また、8世紀頃の和史の一族が、百済の文化を濃厚に反映した生活を送っていた根拠が
あるのだろうか。

「母系で眺めれば渡来人」と強弁する論の空しさは、母系のmt遺伝子で解析すれば
半島と日本は系統的に混然一体としている、そんな分布や系統樹を見ても一目瞭然で、
宝来説のような話もあれば、近年、韓国・檀君大学の金教授が唱える「2300年前頃に、
日本から半島へ弥生人系民族が大量に移入した結果」とする見解もある。

百済の文化が和風文化と混淆することなく、およそ1300年前の姿のまま日本に残されて
いるならいざ知らず、「母系」「文化伝承という観点から」などと食い下がることの本意が
理解出来ない。

581 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 15:36:45
>>577
>これが個人に関する説明か?

是以投湯爛死者衆。又殺吉備韓子那多利。斯布利。
大日本 人. 娶蕃女所生為韓子也。

吉備韓子の説明だと思うが?

582 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 15:50:12
小野妹子の息子に小野毛人という人物がいる。
江戸時代に墓誌も見つかってて(国宝)毛人と名乗ってたのは確かなのだが、もちろんアイヌではなく皇別の家系だ。
当時は呪術が関係してたのか、名前を悟られるのを嫌がった節がある。
そういや侍も幼少期に犬丸や捨千代など変な名前つけてるな。
蘇我蝦夷・入鹿・馬子なども後から貶めるためにつけられた名前なのか、
それとも自ら厄除けの意味でわざとヘンテコな名前をつけたのか諸説あるが、
とにかく名前で蝦夷や韓子とあるからアイヌや半島人を想起するのはいかがなものか。

583 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 15:58:21
>>579
>極端なことを言えば、雄略時代の蘇我韓子は新羅語で育てられた
>可能性だってあるのだ。

そうすると韓子の息子である蘇我高麗は高句麗人の母に育てられたのか?
お忙しいことでw

584 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 16:52:22
>>577
訂正
埋める>生める

585 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 17:10:30
>>581
>是以投湯爛死者衆。又殺吉備韓子那多利。斯布利。
>大日本 人. 娶蕃女所生為韓子也。

>吉備韓子の説明だと思うが?

ごまかしてはいけない。その引用は末尾をはしよっている。
その漢文の訳は、正確には次のようになるのだ。
「是を以て、湯に投じて爛れ死ぬ者衆し。又、吉備韓子は那多利、斯布利を
殺し、(大日本人が蕃女を娶りて生める所のものを韓子と為す也)恒に人民
を悩ましてついに和解すること無し」

( )のなかが原文では小さい文字で書かれた注だ。韓子という名前がこの
文章ではじめて出て来たからその意味を注釈しているのだ。

586 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 17:36:39
>>580
>雄略天皇の時代は新羅と倭との関係は文化的にも人種的にも混然一体

そうなのか? ソース希望。

>この時代、新羅で話されていた言語に関しては杳として知れない。

杳として知れないのになぜ渾然一体とわかる?
まあ、渾然一体だったと思うなら、私の文章の「新羅語」を
「新羅方言」に入れ替えてくれ。方言までなかったとは言うまい。

>8世紀頃の和史の一族が、百済の文化を濃厚に反映した生活を送っていた根拠

よく読んでくれ。私が桓武天皇の例を挙げたのは「母の実家で育つ」
例を挙げたのだ。8世紀まで下れば百済文化はあやしいが、少なくとも
桓武は「百済系シンパ]に育っただろうな。

私は渾然一体であろうがなかろうが、どちらでもいいのだよ。
ほんとうに渾然一体であったのなら、渡来系とか渡来人とかいう
言葉に敏感に反応する必要もまたないではないか。
今日、「九州人」とか「東北人」とか言うのと同じなのだから。

587 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 18:37:33
>>585
ごまかしてねぇよ。
どこかから拾ってきただけだ。
>韓子という名前がこの文章ではじめて出て来たからその意味を注釈しているのだ

どう読んでも吉備韓子についての注釈と思うが?
吉備韓子より前の蘇我韓子についてなんで注釈がないのだ?
また「複数執筆者説が有力で、注釈したのはまた別人である日本書紀に、そんな
厳密性を求めても無理。」と意味不明な解釈を言うのか?

588 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 19:09:12
>>582に続けて言うが、
小野毛人の他にも毛人って名前には佐伯今毛人という人物もいるらしい。
ただ佐伯氏は蝦夷との関連が強い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E6%B0%8F

つまり蝦夷系も皇別も毛人って名前を使ってるのだから、韓子も同じだろう。
だいたい韓子の息子が高麗ってのもすごく変だ。

589 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 19:34:21
>>587
もうすこし分析して説明しよう。
「大日本人が蕃女を娶りて生める所のものを韓子と為す也」

これを今日の言葉で言えば、例えば
「日本人が朝鮮人の女を娶って生まれた子供を日朝混血児という」
ということだ。これが特定の人に関する説明でないことはわかるだろう。
つまり上の漢文の「韓子」は「日朝混血児」に相当する一般名詞なのだ。

ところが君の頭が混乱するわけは、吉備韓子の「韓子」が特定の人の
固有名詞だということだ。つまり吉備韓子は、一般名詞である「韓子」
を固有名詞にしてしまった名前なのだ。
これを今日にあてはめれば、例えば田中さんと言う人が朝鮮人の女性と結婚
して生まれた子供に「田中・日朝混血児」とか、「田中・あいのこ」とか
名づけることに相当する。
おかしく思われるが、古代にはそんな命名法があったのだろうね。

590 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 19:59:47
もしかしてブラックキャンディがいる?(笑)
なんかいろいろ食い違ってるっぽいw
論点がずれていってるって感じ(笑)

591 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 20:24:14
>>589
まぁ別に言い張るつもりはないけど、
韓子はあいの子という意味で捉えると分かりやすいって話だな。

で、その韓子の息子は高麗ってんだから、
今度は高句麗系って訳か?

毛人って名前をつける例もあるのでどっちにしても証拠には弱いな。


592 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 23:40:05
韓子・高麗・馬子・入鹿・蝦夷
自称であろうが他称であろうが単に夷言をあてただけ。

593 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 11:04:49
田中日鮮とかだな。

594 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 15:32:04
韓子や蝦夷や馬子などけったいな名前は、
蘇我を侮蔑する為に、後の記紀編纂時代に当て字を付けられたのかと思ってたが、
それなら満智や稲目は説明できない。
やはり自分で名乗ってた名前だろうが、本名ではないだろう。
本名を知られると呪いに使われるから、わざと変な名前で対応してたとしか考えられないな。
それだけ敵が多かった証拠だな。

595 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 15:57:11
>>594
>やはり自分で名乗ってた名前だろうが、本名ではないだろう。

私もそう思う。自分で名乗るというか、親がつけた名前だ。
子供に変な名前、いやしい名前をつける風習はずっと後まであった。
恐らく江戸時代初期まであったのではないか。
それは敵に狙われるというよりも、いい名前をつけると悪鬼などに
狙われるからという意味だった、と読んだ気がする。
幼児の死亡率が高かったころの風習だ。

満智などは悪い名前かどうかさえわからないから、半島語の可能性も
ある。

596 :日本@名無しさん:2008/12/26(金) 17:05:34
「満」「智」は佳字ですから、悪いとは言えないのでは。
尤も、名に佳字を充てる習慣ができるのはもう少し後のことですが・・・

597 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 17:41:42
陰陽道も関係あるのかなぁ?
わら人形で人を呪い殺す術も陰陽道の一種と聞いた。
本名を知られてたら、どこのどいつに呪われるか分かったもんじゃない。

598 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/26(金) 21:35:53
本名は呪いのみに必要では無い、寿ぎにも必要、
彼女との恋を偽名で神にお願いして神は叶えてくれるか?
両刃の剣。


599 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:57:48
だから本名は呪いのみに必要なんて言ってるんじゃなくて、
知られたらヤバいんで隠すという事なんだ。
彼女との恋こそ本名で神にお願いしたらいい。

600 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 22:04:52
>>589                  
韓人とか韓子というのは、朝鮮人じゃないんだが・・・。

韓人と対立していた北方のワイ族が、今の朝鮮人の先祖だよ。




601 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 22:27:44
ハザラ人の成りすましユダヤ人みたいなものか?

ワイ人の成りすまし韓人、朝鮮人みたいなものか?

602 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 23:13:04
>>601
成りすましユダヤはハザラ人でなくてハザール人だろ。
ハザラ人はアフガンで被差別階級になったモンゴル系だ。

603 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 23:56:18
まあ伽羅諸国とか一部新羅、及び百済被支配層間で話されていたらしい韓(から)語系住民が
混血・吸収された可能性はあるだろうね。もっとも領域面積とか、人口もそれほどでもなかったかも
しれないから、野郎連中は絶滅させられたろう気もする。結果として男系の血は殆んど残らず、
当時の半島南部の民族は吸収されて消えたも同然だろうね、と。

604 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:02:01
>>600 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 22:04:52  
                
>韓人とか韓子というのは、朝鮮人じゃないんだが・・・。

朝鮮というのは現在にあてはめて言ったのだ。
カラは当時の感覚では特定の民族ではなく、半島あるいは外国を指す。
もちろん任那や、特定の任那諸国を指すときもあるけどね。

ついでだが「日朝混血児」は「ひさみこ」と読む。
日が「ひ」、朝が「さ」、混血が「ミックス」で「み」、そして児が「こ」。
この読み方は相撲協会に考えてもらった。

605 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:07:13
蘇我が横暴で権力を欲しいままにしたと言われるが、
それはむしろ大化の改新後の藤原氏の事であって、
大化の改新は神別側からの皇別へのクーデターと言えるな。
自分たちの事をまるで人事のように相手側になすりつけるのは今もある事。
横暴で権力を欲しいままにした藤原は、
それを蘇我の行いであるかの様になすりつけたのだろう。

606 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:08:57
>>604
訂正
特定の民族ではなく > 特定の国や地方ではなく

607 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:16:59
>>605
皇室に自分の血筋の女を送り込むことによって権力を握ったのだから
藤原氏の先行モデルには違いない。


608 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:37:40
>>607
蘇我の血筋っても皇別なんだから問題は無い。
神別の藤原の血筋こそクーデターだ。

609 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 11:27:34
>>588
高麗って名前はべつに不思議じゃない。
当時は乳母の出身氏族名をつけることがあるだろ。
天智天皇の名前は「葛城皇子」、
これは養育係が葛城氏の出身だったから。
推古天皇の名は「額田部皇女」なのは同じく額田部氏。
蘇我高麗も、高麗氏の乳母に育てられたんだろう。

>>594
侮辱的な名前は馬子・蝦夷・入鹿の3人だけ。
(これとて庶民の名ならそれほど侮辱的に感じないが
つけられた理由というか元になったらしきエピソードが
日本書紀にあるよね)
稲目や満智はまだそこまで嫌われるほどの専横はなかった
んだろう。
侮辱的な名前は、当時のアンチがそう呼んだだけで
記紀はたまたまアンチ蘇我だからそんな名が採用されたけど
本名は島・豊浦・鞍作でしょ。

>>600
三国志東夷伝を見る限り少なくても三世紀には
ワイ人と韓人は別の種族だな。
六世紀以降、新羅が強大化してからは江原道あたりのワイが新羅に併合されるが
まぁ新羅はもともといろんな種族の雑種だからとくにワイが主体ってこともない。

610 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 15:44:57
>>601
>カラは当時の感覚では特定の民族ではなく、半島あるいは外国を指す。
>もちろん任那や、特定の任那諸国を指すときもあるけどね。

7世紀以前は、カラ(韓)といえば半島南部のこと。
カラが唐の意味を持つようになるのは、8世紀(平安時代)以降だろう。
7世紀以前の唐、そして隋はモロコシと呼ばれた。
また、8世紀以降も、唐についてはモロコシとカラという二つの呼称が使われた。
唐が、カラという呼称だけで語られるようになったのは、平安後期からではないか。
少なくとも、7世紀以前の時代は、カラといえば半島南部のことだ。

カラの語源は、もちろん、古代日本語の離る(カル)である。
大八嶋から「離れた土地」という意味だ。

ワイ族というのは狩猟民族であり、農耕民族の韓人(からびと)とは異種。
ちなみに、辰韓というのは韓人の国ではない。辰韓地方は元は弁韓(シラキ)の
一部であったが、3世紀の初頭に南下してきたワイ族に乗っ取られた。
したがって、辰韓はワイ族の国だ。





611 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 15:49:52
>>604
>朝鮮というのは現在にあてはめて言ったのだ。

そういう呼称はやめたほうが良いよ。
古代の半島全域に、今の朝鮮人=ワイ人が住んでいたかのような
イメージになるから。
7世紀以前の時代、ワイ族の居住地は新羅とワイだけだからね。
半島の東海岸に集中して居住していたわけだから。






612 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 16:59:03
>>611
朝鮮半島もだめだと言いたいわけか?

613 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:17:08
>>609
>本名は島・豊浦・鞍作でしょ。

別名。

614 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:19:45
>>612
今の半島について語る場合は、朝鮮半島でいいだろ。

だけど、古代の半島について語るなら、ミマナ半島とか、カラ半島と呼ぶほうがよい。
古代の半島に倭人が住んでいた事実を、明確にする上でもね。



615 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:57:43
http://nekhet.ddo.jp/people/japan/soga.html

この蘇我韓子宿禰 の欄に征新羅将軍 とあるが、
父の蘇我満智宿禰 が征新羅将軍という事だろうか?
どっちにしても韓子とは>>579が言うような新羅とは関係がないだろう。
この韓は倭系の意味合いを含む伽耶人という事だろう。

616 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 18:26:46
調べたら韓子のことだった。
征新羅将軍の一人として紀小弓、大伴談等とともに朝鮮に派遣されたが、
紀大磐と仲違いして、殺されたという事だな。

つまりこの韓は「加羅」という事だろう。

617 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 18:40:24
敗戦直後の日本女性強姦についてはソ連兵が悪名高いが、実際には
朝鮮人によるものがダントツで多い。

「水子の譜(うた)」上坪 隆
----- ドキュメント引揚孤児と女たち -----
ttp://www.ebookjapan.jp/shop/book.asp?sku=60009096&genreid=10010

二日市保養所の資料は、六月十日の報告書
183 ページ "地域別と加害者"
これは、2ヶ月分だけの記録
加害者の6割が朝鮮人だと示しています。

618 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 08:44:24
>>614 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:19:45
>今の半島について語る場合は、朝鮮半島でいいだろ。

だから、「今の半島」について「朝鮮」を使ったのだ。
古代の「から(広義)」を今にあてはめるときは「朝鮮」を使う
しかない。そしてそこに住む人は「朝鮮人」だ。

>ミマナ半島とか、カラ半島と呼ぶほうがよい。

その用語を使う学者はゼロであることだけは確かだね。

619 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 08:52:41
>>615
>どっちにしても韓子とは>>579が言うような新羅とは関係がないだろう。
>この韓は倭系の意味合いを含む伽耶人という事だろう。

違う。「外国人との混血児」を意味する「からこ」という倭語が先にあって、
それを漢字で表わすのに仮に「韓子」を当てたのだ。

特定の「韓子」の母親が新羅人か、百済人か、伽耶人かはまた別の問題だ。

620 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 10:05:41
追加。
「韓子」の「韓」が特定でない証拠に、日本書紀の註は「蕃女」と言っている。

それとも、「蕃」も「伽耶」あるいは「半島南部」を指すのか?

621 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 15:14:03
>>619
カラ子の意味がどうこうじゃなくて、
新羅系の人間が征新羅将軍になるのは変だろという事だ。

622 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 15:28:17
>>621
論点を変えるのは「韓子」については納得したという意味だな?

それでは「新羅系」に移るが、この場合「新羅系」は女系だが
「新羅系」でいいのか?

細かいことは置いとくとして、新羅系の将軍が新羅と戦うのが変ならば、
同じ扶余同士の高句麗と百済が戦うのも変だ、ということになるな。

623 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 15:33:12
傍から見ていると「論点を変える云々」以前に「論点がぼやけていて」噛みあってない気がするw
どうやらブラックキャンディーっぽいのがいるみたいだねw

624 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 15:45:47
>>622
>論点を変えるのは「韓子」については納得したという意味だな?

論点変えてるんじゃなくて君に伝わらなかっただけ。
韓子は「あいの子」という事だろうが、
そういう名前がついてるからって混血児とは限らないという事だ。
毛人という名前でアイヌではない例もある。

>同じ扶余同士の高句麗と百済が戦うのも変だ、ということになるな。

それは「扶余系」という事で高句麗と百済は別の国だ。
というか百済は扶余系とも決まってないぞ。
君のよう事を言うなら倭人同士が戦わなかったのかというアホな論理にもなる。


625 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:24:37
>>624
>そういう名前がついてるからって混血児とは限らないという事だ。

それは全くその通りだ。親が意図的に悪い名前をつけるのならば、
顔がちょっと新羅っぽい(あるいは百済っぽい)からと言って、
混血でもないのに「韓子」とつける可能性はある。
だからウィキも「決め手がない」と言っているのだろう。
しかしそれは「韓子」が伽耶系だという君の主張とは別のことだ。

>というか百済は扶余系とも決まってないぞ。

百済の王家は墓碑銘で扶余とわかる稀な例だ。

>倭人同士が戦わなかったのかというアホな論理にもなる。

そんなことを言うほうがアホだ。日本人同士は日本の歴史を通じて内戦に
明け暮れたではないか。

新羅同士は戦わないと考える方がおかしい。日本に来た新羅系は新羅
国内ではじき出された一派かも知れない。それが王族同士であれば
近親憎悪はすごい。
また言えば「新羅系」の母親は単なる現地妻、ということもあり得る。

626 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 17:53:46
>>625
>しかしそれは「韓子」が伽耶系だという君の主張とは別のことだ。

うざいな。
俺がいつそんな主張したのだ?
渡来系だなんて何の証拠もないが、
「もし渡来系だとしても」伽耶系と考える方が新羅系と考えるより合理性があるという意味だ。
吉備韓子は新羅との混血という意味か?
カラ地域の女との混血という事だろ。

627 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 19:55:59
>>626
私が最初から言っていることを、もう忘れたかも知れないが、
次の通りだ。

「蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分。
(だから新羅系の可能性も否定できない)
渡来系(あるいは渡来人系)であるという根拠を出せ、というならば
例えば日本書紀の「韓子」の意味に関する注釈がある。」

スレをさかのぼって確かめて見よ。

>俺がいつそんな主張したのだ?

2行下で主張している。


628 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:51:17
>>627
>2行下で主張している。

2行下とはどういう意味だ、うざいな。

で、吉備韓子は新羅との混血という意味か? は無視か?

皇別でも蝦夷または毛人という名前があるのだから、
名前で韓子とあっても証拠にならないと何度も言ってる。
しかしながら渡来系である可能性もまったく否定できないが、
「もし渡来系なら」という前提で伽耶ではないかという意味だ。

うざいやつだ。



629 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:57:08
http://209.85.175.132/search?q=cache:TQsLT4-9IGoJ:www.loops.jp/~asukaclub/syoki/syoki099.html+%E5%90%89%E5%82%99%E9%9F%93%E5%AD%90&hl=ja&ct=clnk&cd=7&gl=jp

任那の使者> 毛野臣は久斯牟羅(くしむら)に住居をつくり、
滞留2年、政務も怠っています。
日本人と任那人の間に生まれた子供の帰属の争いについても、
裁定の能力もありません。
毛野臣は好んで誓湯(うけいゆ)を設け、
「本当のことを言う者は爛れないが、うそを言う者はきっと爛れる」と言って、
湯の中に手を入れさせ、湯につけられて爛れ死ぬ者も多く、
また吉備韓子那多利(きびのからこなたり)、斯希利(しふり)を殺したりと、
常に人民を悩まし、少しも融和するところがありません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

書紀の韓子の注釈がある条の現代語訳だが、
韓子は伽耶人との間の子の事だろうな。
新羅なんて可能性薄いよ。

630 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:43:17
とにかく新羅系にしたくてたまんないのかね

631 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:52:31
>>627
>蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分。

百済系は門脇氏が言ってるけど新羅系なんて誰が言ってるの?


632 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:00:13
蘇我が渡来系なんてのは、戦後の一時期の異端説だろ。

伝承では、武内宿禰が蘇我の始まりとなる。
http://nekhet.ddo.jp/people/japan/soga.html
その後の系譜も途切れることなく続いている。

同じ武内宿禰の子孫である葛城氏が没収された領地を、後世に
天皇に所望して断られるという伝承もある。

韓子がいるから朝鮮系とか、高麗がいるから高麗系とか、
蝦夷がいるから蝦夷系とか、入鹿がいるからイルカ系とか、
稲目がいるから植物系とか、日向がいるから太陽系とか、
そんなのは、語呂合わせの域を出ない。

633 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 23:12:20
http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r18-113.htm
>満智−韓子−高麗の三代の名は、
>三韓よりの貢納物の倉管理を職掌して
>「韓人」とあだ名された蘇我倉家の系譜にふさわしい。

個人の歴史観を書いてるサイトだが、
「三韓よりの貢納物の倉管理を職掌して
「韓人」とあだ名された」とは何かに書かれてるのだろうか。
もしそうなら渡来系説を否定できるけどね。


634 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 23:15:41
遠山 美都男氏は素人ではなく、
けっこう著名な歴史家だった、スマソ…(汗

635 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 01:48:58
チョンの電波は迷惑すぎ

636 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 06:06:32
>>626
>吉備韓子は新羅との混血という意味か?
>カラ地域の女との混血という事だろ。

だからその前に君に聞いている。
「蕃女」の「蕃」は加羅を意味するのか?
それとも一般に外国を意味するのか?

637 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 07:27:00
>>636
「化外」という意味だろう。

638 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 07:38:40
ふん。
どうせ「蕃」の和訓は「となりのくに」だから、
任那のとなりの国は新羅だろという屁理屈言うのだろうがそうはいかないぞ。
「蕃女」の現代語訳は皇別でも神別でもない「任那に居たそこらへんの女」だろう。

639 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 11:55:27
>>638
どうして加羅や任那にくっつけたがるのか。
倭語は語彙が少ないから「となりのくに」でさえ苦労した和訓だ。
「蕃」は単に「外国の」という意味だ。
だから「蕃女」が生んだ「からこ、韓子」も「外人女とのあいのこ」
以上の意味を持たない。
新羅系とも加羅系とも百済系とも特定できない。
それだけのことだ。
このことを繰り返し言ってるのだが、なんかい言ったらわかるのだろうか。

もちろん、ある個人について状況証拠から特定できる場合もあるだろうが、
それはまた別の話だ。

640 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:13:25
>>639
>「蕃」は単に「外国の」という意味だ
>新羅系とも加羅系とも百済系とも特定できない。

別にそれでいいよ。

>どうして加羅や任那にくっつけたがるのか。

それはこっちの台詞だ。
「蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分。」
等と言ってた君こそ、どうして新羅にくっつけたがるのだ?
新羅系だなんて言ってる学者はいるのか?
普通、吉備韓子の例を出すまでもなく、
日本が関わってた多くの事象は任那・加羅がらみではないか。
だから任那・加羅の方が整合性があると言ってるだけだが。



641 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:39:22
横レス失礼。

そもそも新羅系はおろか、百済系の可能性を指摘する学者も門脇禎二氏らくらいで、
少し前のレスにもあるが蘇我氏=渡来系とする説・論調自体少数派もしくは既に顧みられなくなった
説という認識があるんだが、

>蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分。
>(だから新羅系の可能性も否定できない)

などという書き方は、捉え方によってはあたかも「蘇我氏=渡来系」とする認識がスタンダードなものと
して受け入れられているような印象を与えかねない。つまり印象操作と疑義を呈されても仕方のない
書き方にも思える。半島の係わりを議論する以前に、上記引用のような文節をしれっと挿入するから、
論点がずれてかみ合わないとか、ウィキペディアで悪名高いブラックキャンディーがいるのか?などと
茶化されるのではないか?
いずれ「蘇我氏=渡来系」とする認識がこの場でコンセンサスを形成していない以上、それを前提として
語るのは如何だろうか?という気がするんだが。


642 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:46:45
>>640
>「蕃」は単に「外国の」という意味だ
>新羅系とも加羅系とも百済系とも特定できない。

>別にそれでいいよ。

それでいいなら議論はそれで終わりだ。

643 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 14:50:05
>>641
古代史に関するかぎり前提とかコンセンサスとか言うほうがおかしい。
それを言うことじたいなんらかのバイアスがかかっている。

644 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 15:13:50
論点のすり替えがされていく様子が見えた希ガスw
やっぱ某黒飴にソックリww

645 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 21:12:52
>>640
>君こそ、どうして新羅にくっつけたがるのだ?

スレをさかのぼって見てくれればわかるが、私は「韓子」を新羅系に
くっつけてはいない。「渡来系」「渡来人」にくっつけたのだ。
そして「韓子」が混血とは無関係のあだ名である可能性も認めている。
だから「決め手がない」のだ。

646 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 01:31:42
>>645

じゃなんで、

>蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分。

なんて台詞が出てくるのだ?
新羅系なんて説は聞いた事ない。


647 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:16:33
>>646
わかるとおもうが「蘇我が百済系か新羅系かは、両説あって五分五分」と
言うのは、「韓子」と直接の関係はない。

蘇我氏新羅系説は、「蘇我、新羅」でぐぐればいくらでも出てくるよ。

面白いのを見つけた。
「百済記によると、木満致は百済の将軍であった木羅斤資が新羅に遠征した
とき、新羅の婦人と結婚して生まれた子供であるといわれる。」

百済系説はこの木満致が蘇我満智と同一人であるという見方から出ている
と思うが、これに百済記を合わせれば、蘇我氏は百済系であると同時に
新羅人系でもあるわけだ。めでたしめでたし。

ついでに言っておけば加羅系説もある。金官加羅の王家・金氏から新羅王家
が別れて、その末が蘇我氏であるという説もあるな。
これがほんとなら蘇我氏は加羅系であると同時に新羅系でもあるわけだ。
めでたしめでたし。

648 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 11:14:12
>>647
そういうのは五分五分とは言えない。

百済系という説は、今では支持者もほとんどいないだろうが、
門脇禎二氏という学者が出した一つの説だ。
ならば「五分五分」という場合には、
門脇氏に匹敵するそれなりの学者が「新羅説」を出して初めて五分五分と言えるのだ。
母親が新羅人程度で五分五分なんて言えない。
五分の意味が違うだろ。

君は>>641氏に対して
「それを言うことじたいなんらかのバイアスがかかっている。」
と言ってたが、その言葉をそっくりそのまま君にお返しする。




649 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:53:10
>>648
私はバイアスがないからこそ「それなりの学者」の説もワンノブゼムとしか
捉えないのだ。それは別として:

門脇説+百済記で百済新羅混血となることの意味は、「韓子」に基づいて
渡来人説を唱えることと同じである、つまりどちらも母系に着目している
ことに気付かないかな?

「韓子」に基づく渡来人説は「決め手がない」というだけで、別に否定
されているわけではない。

650 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:48:27
うわーやっぱ黒飴並みの詭弁と論旨はぐらかしっぽい臭いだわー

651 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:57:13
>>649
>「決め手がない」というだけで、別に否定されているわけではない

「成立しない」に言い換えてくれ。

騎馬民族説を唱えてた君にバイアスがないなんて大笑いだw

652 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 19:34:21
>>651
え? 成立しない?
これは驚いた。
「韓子」に関係するのは蘇我氏渡来人説だよ。
君は蘇我氏・加羅系説を唱えているのだから渡来人説ではないのか?

653 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 21:35:37
多分wブラックキャンディーっぽいと指摘されてる人が加羅系にまつわる話者と>>651を混同しているかもな件。
史板もID制にしないとワケ分からんな。>>652がブラックキャンディーっぽいと揶揄されてる人かどうかも定かで
ないし。

654 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 22:25:41
>>647で紹介した金官加羅王家と新羅王家との関係、すなわち新羅王家は
金官加羅の金氏からの分家であり、その分家が金官加羅から「独立」した
のだ、という見方は、考古学からも裏付けられる。

新羅の王墓は、金官加羅で例の北方式木郭墓が築かれるようになった後、
これと同じ形式の木郭墓が築かれるようになる。
それがある時期から、木郭墓ではあるが金官加羅に対する独自色を帯びる
ようになるのだ。

そうであれば、新羅王家もまた金官加羅と同じく扶余系であり、新羅と任那
(金官加羅)との抗争は典型的な近親憎悪だということになる。
任那や任那日本府が新羅と敵対しながらも、どこか腰が入らないのは、
こんなことにも理由があるのかもしれない。

655 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 23:15:17
>>652
>君は蘇我氏・加羅系説を唱えているのだから渡来人説ではないのか?

唱えてないよ。
蘇我が木満致をルーツとする男系渡来人である確立5%。
渡来人の奥さんをもらった女系の渡来系である確立30%。
その30%の中で、
加羅系であるが確立70%。
だいたいそんな感じなので、
「もし渡来系であったら」という意味で加羅の話をしてただけ。



656 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 23:18:49
失礼、>>655は確立でなく「確率」。



657 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 23:22:09
>>654
伽耶と新羅の関係はそんなのだろうが、
どっちにしても大和王朝の大きな影響下での話だな。


658 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 08:19:28
>そうであれば、新羅王家もまた金官加羅と同じく扶余系であり

ないないw

659 :YAP?:2009/01/01(木) 09:46:16
 新羅の王家(慶州金氏)は、本来、馬韓の出自で、王姓として「募」氏、
即ち、「馬韓」=「慕韓」の「馬〜慕(募)」を称していた可能性が高い。
「法興王」の「慕泰」が521年に朝貢いている(『梁書新羅伝』)。
『隋書』では、新羅王金真平で「金氏」に化けているが、同時に、王は
「馬韓人」だったとも記載している。

 高句麗の王姓が「高氏」、倭の五王が「倭氏」、金官伽耶国の王姓が
「金氏」、だとすれば、百済王家が扶余王の子孫を称して「扶余氏」を称し、
「馬韓人」の出自であるとされる新羅王(辰韓王)が「募・慕」氏を
称するのが当然だ。
法興王と金真平の間に系譜の断絶が予想されないとすれば、新羅王家は
「馬韓」出自を思わせる「慕(募)」姓をおそらく、百済との対抗上嫌って
征服した金官王家の姓に変えたのだろう。本来、金官王家は大伽耶王家と
同族で南韓の名族であり、新羅王家より格上だったのだろう。

慕氏は、百済の王姓ではないが、解・木氏などの百済八大姓に伍する
有力姓だった。
『南斉書百済国伝』には、「慕遺」なる人物が百済王の使者(「長史」
とあるから使者の主席だ)として、朝貢し、「竜<馬襄>将軍楽浪太守」
となっている。
新羅の王家は、この百済の募氏と同族であり、明らかに百済王家より
下位なのを嫌い、改姓したのだろう。

660 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:51:50
古事記で、イザナギとイザナミの最初の子で、
不具に産まれて流された水蛭子(ひるこ)の話があるが、
新撰姓氏録に神武天皇の兄稲氷命が新羅の国王になったという話と、
なんとなくこれとかぶってる気がする。
覇権をなくしてしまった国に関する話が最初の子・水蛭子になったのではなかろうか。

661 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 11:21:11
>>621
>新羅系の人間が征新羅将軍になるのは変だろという事だ。

と言ったのに対して、私が>>625

> 新羅同士は戦わないと考える方がおかしい。日本に来た新羅系は新羅
>国内ではじき出された一派かも知れない。それが王族同士であれば
>近親憎悪はすごい。

と答えているが、まさにこの答に相当する説があるな。
それは、新羅王家の金氏は13代からで、それ以前は昔氏だった。
この昔氏が日本にのがれて蘇我氏になった。それ以後、金王家への
報復が蘇我氏(=昔氏)の命題はになった、という説だ。

この説は蘇我氏の新羅系と、反新羅傾向とをいずれも説明している。
「昔」の音と「蘇我」は似ているとも言えるな。

662 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 11:43:23
高天原から追い出され、新羅に行って、
ここは自分の住む国ではないと言ってまた帰ってきたという事では、
スサノオ伝承とも通じるけどね。

蘇我とゆかりの大阪南東部の須賀の地名や、
出雲大社と須賀神社の関係も面白い。
http://blogs.yahoo.co.jp/seki115000/25094610.html

出雲大社HPの、
「ところが素戔鳴尊の経営なされた出雲の国はまだ小さい国であるばかりか、
帯のようにその幅が狭いので、ある時八束水臣津野命がとくとこれをご覧になって、
「どうにもこれではあまりにも狭い、こんなに狭くては思うように大きな事業が出来ない。
他の国に余ったところがあれば縫い足すようにしていかなくては」とお考えになりました。

 さっそく海岸に出て一段高い山の上によじ登って立ち、
小手をかざしながら「さてどこかに国の余りがありそうなものじゃ」と、
はるか彼方に雲か山かと見えるのは新羅のみ崎でありました。」も面白い。

663 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:35:07
>>654
>金官加羅王家と新羅王家との関係、すなわち新羅王家は金官加羅の金氏からの分家であり、
>その分家が金官加羅から「独立」したのだ。

間違い。
逆だろ。まず、新羅王家であるケリン金氏が存在した。
いわゆるワイ族系の『キム族』の酋長一族だ。このケリン金氏から分かれたのが、
10世紀以降、金官加羅という名で呼ばれる任那金氏である。
もちろん、本家であるケリン金氏も分家の任那金氏もワイ族であり、
われわれ日本人とは、何の血縁関係もない。







664 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:01:34
>>661
>日本に来た新羅系は新羅国内ではじき出された一派かも知れない。

新羅系の人間で日本に移住した人間は一人もいないよ。

任那系はいる。神功皇后の先祖だと言われている天日日子(天日矛)とかね。
しかし、天日日子も、本当は日本列島の出身で、開化天皇の命令で任那国司になった
可能性がある。




665 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:01:53
>>24
あれ、百済は支配層が扶余、国民はほとんどが漢人と倭人だっとか書いてあった気がするが。

666 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:11:51
>>661
朝鮮に、「昔氏」などという姓は無いのだが・・・。

金氏が多いのは、朝鮮=新羅を建国したのが、ワイ族系の「キム族」だからである。
つまり、古代(9世紀以前)の半島には「キム族の○○」と名乗る人間が多かった。
その名残で、今の朝鮮人には「金氏」が多いわけである。




667 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 13:18:27
                          
まあ、百済は倭人(日本列島からの移住組)が建国した国で、
支配階級は移住組の倭人で構成されていたがね。
百済の支配者としていちばん有名なのが、軍君と呼ばれた市辺押岩皇子であり、
その息子、武寧王だ。


百済の被支配階級は、土着の倭人(馬韓人)と楽浪難民だったようだが。





668 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:10:45
>>666
>朝鮮に、「昔氏」などという姓は無いのだが・・・。

無いというのは「現在の」朝鮮に無い、という意味だろう?
現在の朝鮮に無い姓なら、他に「王」もない。
高麗王朝の姓であったにも拘わらず。


669 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:39:50
>>668
それは嘘。
些か古い数値で恐縮だが、1985年の韓国における人口調査によれば
「王」姓は85位、4913世帯20196人。
あるいは中国大陸から移入した人々とその後裔かもしれないが、まるっきり存在しないわけではない。

670 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:59:33
>>667
>百済の支配者としていちばん有名なのが、軍君と呼ばれた市辺押岩皇子であり、
>その息子、武寧王だ。

武寧王に関しては出生が謎だし、日本人の可能性もあるとは思ってるが、
そんな簡単に断定されてもな…

671 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:12:18
>>668
>無いというのは現在の朝鮮に無い

現在も無いし、古代にも無い。
南加羅(ありし日の加羅)を統治していた日本から派遣された国司のことを、
「昔加羅の王」と解釈した三国史記の編纂者−金富式が、南加羅(昔加羅)を
「昔氏の加羅」という意味にとらえ、昔氏という王族がいたのだと勘違いしたのが、
新羅本紀に登場する「昔氏」の真相。
そのような姓の王族は、最初から存在しない。
そもそも、新羅本紀はまったく異なる二つの国、弁韓(シラキ)と辰韓(ケリン)の歴史を、
意図的に混同し、結合させ、「同一国の歴史」に仕立てている。
昔氏と呼ばれているのは、ヤマト朝廷から派遣された国司なのだ。
その前にいたという朴氏も、実は存在せず、日本皇族の男子を意味する日子(ボコ)に
朴の字を当てたというのが真相である。




672 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:22:57
                          
軍君というのは称号であって、個人名じゃないよね。
軍君には子供が5人いたという記録があるが、押磐王にも5人の子供が
いたと日本書紀に記されている。




673 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:49:31
>>671
何でこういう根拠もないことを自信満々で語る馬鹿が居るのだろう?


674 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 19:29:34
>>669
「王」姓がなぜ少ないか。
李氏朝鮮の開祖、李成桂が高麗王朝の王氏を徹底的に抹殺したので、
かかわりを恐れた王姓の人たちが改姓してしまったからだ。

675 :669:2009/01/01(木) 20:22:53
勿論それは知っている。全姓や玉姓等々。
>>668氏が
>現在の朝鮮に無い姓なら、他に「王」もない。
と仰られていたので挙げてみたと。

676 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 20:56:39
ネットを当たって見て、金姓以前の王は創作されたという考え方が多いこと
はわかった。
一方でそれに反対する意見もある。たとえば
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/uchi/uchisuk1.htm
(宝賀寿男)

これによれば、昔于老という新羅の重臣がいたことが三国史記にあるが、
この人と関連する日本側武将の名前の表記が、葛城ソツ彦および武内スクネ
に比定されることから、昔于老も実在と考えられる、と言う。

677 :YAP?:2009/01/01(木) 22:23:48
韓国では高麗王氏の子孫は、族滅を免れるために、「王」姓を、「王」の字が
入った別な性に変えたと言う事になっているそうだ。

 「車」「田」などがそうらしい。

678 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 22:31:51
というか国民の大半が奴婢や白丁で、
彼らに姓なんてなかったと聞いたが?

だいたい中国式の一字姓になったのもそんなに古くないんだよね?

679 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 11:26:31
新羅の官職名の伊伐(いばつ)さん、伊尺(いしゃく)さん…
大奈麻(だいなま)奈麻(なま)

これらは夷言であり意味が分からないという事で
8世紀の景徳王が唐風に変更してるよね。
夷言とは倭言って事だ。
8世紀まで倭風の官職名使ってたなんてw

680 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:00:54
百済王の姓は『梁書』など中国側の資料で「余」となってるだけで、実際は余と名乗ってはいないだろう。
倭の五王の讃、珍も中国側の呼称であるのと同じだ。
つまり百済王の姓が「余」だから扶余系というのは実にあいまいだ。

武寧王の墓誌は「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」
斯麻(しま)王だからな。

681 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:19:14
これは、2世紀頃の半島の文明圏を、簡単な図にしたものだが、文明が北部では西北部
(楽浪郡)に偏り、南部では東南部(シラキ)に偏っている。
半島の東南部=シラキでは、紀元前の時代から漢字が使われていたが、西南部(クタラ)で
漢字が使われるようになるのは、4世紀以降である。
では、シラキの漢字はどこから伝えられたものなのか? それが古代史における
重要なポイントである。

シナ   楽浪郡
↓     ↓
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★★★★★★
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆★★★★←ウォヅゥ(倭人系民族・ウォヅゥの領土)                        
◆◆・・・◆◆◆▽▽▽
◆◆・・・◆◆◆▽▽▽
◆◆・・・◆◆◆▽▽▽←ケリン(ワイ族国)
◆◆・東・◆◆◆▽▽▽
◆◆・シ・□□□■■■
◆◆・ナ・□□□■■■
◆◆・海・□□□■■■←シラキ(カラ。倭人国)
◆◆・・・□□□■■■
      ↑
     クタラ


682 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 12:36:58
>>618
>だから、「今の半島」について「朝鮮」を使ったのだ。
>古代の「から(広義)」を今にあてはめるときは「朝鮮」を使うしかない。

だから、古代のカラと今の朝鮮は違うでしょ。7世紀以前のカラと8世紀以降の
カラも違うのに、7世紀以前のカラと現在の朝鮮を混同してどうするの?
古代史研究を混乱させるだけだよ。

>そしてそこに住む人は「朝鮮人」だ。
カラ人は倭人系なの。今の朝鮮人(ワイ族系)とはぜんぜん違うの。
スペイン人とメキシコ人を「同一民族」として扱うようなんもん。

>>ミマナ半島とか、カラ半島と呼ぶほうがよい。
>その用語を使う学者はゼロであることだけは確かだね。

学者がどうこうじゃなくて、
倭人とワイ族は異種であり、両者をきちんと区別しなさいって話だよ。
民族を区別するように、古代国家も区別しないと。
政治的・軍事的に敵対関係にあった倭人国とワイ族国を、
「同じ国」として扱うのは変でしょ。


683 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:26:44
                           
★韓国の首都名・「ソウル」は古代日本語か。

韓国の首都は「ソウル」という名前だが、韓国人はソウルの語源が分からないという。
中世・古代の韓国語(朝鮮語)をいくら調べても、ソウルの意味は不明だそうだ。

この「ソウル」は、実は古代半島の南部=カラに住んでいた倭人たちの言葉ではないか。
つまり、古代日本語ではないだろうか。
おそらく、「ソウル」とはソ・ウラ(曾浦)の意味であろう。
ソ(曾)は、熊曾・クマソのソであり、古代日本語で「遠くの」あるいは「遠い土地」という
意味の言葉である。
ウラ(浦)は日本語で「海辺」の意味である。
ようするに、ソ・ウラとは「遠方の海辺」という意味であり、半島南部(馬韓)に住んでいた倭人たちが、
京畿湾の沿岸地方をソ・ウラと呼んでいたのだろう。
半島南部の倭人が滅びた後も、ソウラという呼称は使われ続け、ソウルと訛って、
今に至っている・・・これが真実であろう。
韓国の首都名が日本語であるという事実は驚くべきことだが、古代倭人文明の残像が、
今の韓国にも残っているということなのだ。

今のイタリアに、異民族・ローマ人が残した古代文明遺跡が残っているようなものだ。



684 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:20:59
>>682
>だから、古代のカラと今の朝鮮は違うでしょ。

古代の記述を今にあてはめた「譬え話」だよ。
「大日本人が蕃女を娶って生める所のものを韓子と為す」
同じ趣旨を、例えば植民地時代の日本人が言ったらどうなるか。
「日本人が朝鮮人女性を娶って生まれた子を日朝混血児と言う」
となるではないか。
このように言いかえればイメージが具体的になると思って言った
譬え話だ。はっちゃきになるほどのことではない。

>>ミマナ半島とか、カラ半島と呼ぶほうがよい。

歴史を語るときの地域名は難しい。
上記とは方向が逆だが、例えば扶余の故郷の地をなんと言ったらよいか。
中国東北部? 満洲?
どちらも大いに問題があることはわかるだろう。
それでも現在あるいは近現在の呼称を使うしか方法がないのだ。

685 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:30:02
>>680
>武寧王の墓誌は「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」
>斯麻(しま)王だからな。

私が言おうとしたのは百済の最後の王子、夫余隆の墓誌銘だ。
http://blog.daum.net/see1357/4977118
に全文が載っている。長文の最後に「使持節熊津都督帯方群王扶余君墓誌」
とある。

686 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 21:15:45
>>684
そういう喩えはミスリードを時として招き易いし、それこそバイアスがかかっているように思えるなあ。

687 :YAP?:2009/01/02(金) 22:45:29
新羅の王姓三氏(朴・昔=積・金)の内、古朴氏(金氏の後の新羅末代の諸王を除いた
赫居世などの初期の新羅王とされる朴氏)や昔氏(積氏)が倭人之出自だっただろうと
言う事には異論が無いが、金氏については、少なくとも韓族だろう。
 半島南部の倭人や倭種が韓族の南下に押されて、列島に移住し、また、韓族に同化吸収
されて行ったことは確かだろうから、金氏が古くは倭種であった可能性も否定はできないが。

688 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:53:48
新羅で史実性があるのは4世紀の第17代奈勿王からということらしいが、
倭系の昔氏が日本に帰ってきて蘇我になったという説は面白いが時代が合わないな。
やはり無理か。


689 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:08:52
朝鮮出兵関係の王族、豪族を見てみると・・・・

王族の武内宿禰が神功皇后に伴い三韓征伐に行った。

武内宿禰を始祖とする、葛城氏の葛城襲津彦は、朝鮮から工人を連れ帰って
葛城の本拠地に住ませた。

葛城と同じ武内宿禰を始祖とする蘇我氏も、朝鮮からの帰化人を多く擁していた。


690 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:49:04
出戻り倭人のことを渡来系とか言ってるんだろ

691 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:09:03
>>686
>そういう喩えはミスリードを時として招き易いし、それこそバイアスがかかっているように思えるなあ。

たったこれだけの譬え話にバイアスがかかって見えるには、よほどのバイアス
をもって見る必要があるだろうね。

692 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 11:32:23
>>688
奈勿王は武内宿禰と同時代で、初めて蘇我を名乗る石川宿禰はそれより後だから
時代が合わないこともないのでは?

693 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:21:09
>>684
>「大日本人が蕃女を娶って生める所のものを韓子と為す」
>同じ趣旨を、例えば植民地時代の日本人が言ったらどうなるか。

「日本生まれの日本男性が、半島生まれの日本女性と結婚して帰国子女が生まれた」
こういう表現になるだろうな。

>「日本人が朝鮮人女性を娶って生まれた子を日朝混血児と言う」
>となるではないか。

だから、日本生まれの日本男性と半島生まれの日本女性の間に生まれるの
日本人だろ。父母の出身地が日本列島と半島であっても、父母が日本人(倭人)
であることに変わりはない。

日本男性と朝鮮女性の間に生まれた混血児とは違うだろう。日本男性と朝鮮女性とでは
単に「出身地」が異なるというだけでなく、「民族」が異なるだろう。
その朝鮮女性が日本生まれの日本育ちであっても、やはり朝鮮人であり、
日本男性と朝鮮女性の間に生まれた子は、「混血児」になる。
倭人男性とワイ族女性という、異なる民族を父母に持つのだから混血児だよ。

しかし、古代の日本男性(ヤシマ人)と韓人女性(カラ女性)との間に生まれた子供は、
父母ともに「倭人」なのだから、混血児ではない。単に父母の戸籍が異なるだけのこと。




694 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:44:19
>>670
>武寧王に関しては出生が謎だし、日本人の可能性もあるとは思ってるが、

中国の歴史書に、百済の支配階級は日本列島から来た倭人で、平民階級は土着の倭人、
だから、支配階級と平民階級では言葉が異なるという記録があるでしょ。

「支配階級は日本から来た」と、はっきり書かれてはいないけど、言葉が異なるという
事実を指摘しながら、百済の支配階級が「日本列島出身の倭人」であることを匂わせている。



695 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 13:17:44
>>694
平民も倭人なのか?
まぁ、百済支配階級が倭人系だったとしてもそれを証明するのは無理
母型遺伝のミトコンドリアDNAでしか過去を探れないし、ミトコンドリアで
調べれば中国北東の満州地域の種が世界で一番繁殖に成功したグループだそうだ

つまり中国人は99%近い漢民族と、残り1割にも満たない満州族を称して
中華民族と呼んでいるがこれはDNAレベルでは否定されることになる
漢民族と呼ばれているおよそ半数近くは満州起源のグループだからだ
これは朝鮮半島や日本にも一番多いタイプだそうだ

696 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 13:43:12
>漢民族と呼ばれているおよそ半数近くは満州起源のグループ

つーか、モンゴル・満州起源の遊牧民族だろうね、漢人の主流派はね。
それが、黄河流域に文明を築いていた倭人系民族を征服し、混血して誕生したのが
漢人なんだろう。



697 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:28:06
>>695
倭人=日本人じゃないしね、倭人と言うより倭民族で
その中で日本に住んでいたのが日本人で、当時は半島にも
多くの倭人が住んでいたんだろう、だから異民族が百済を攻略したとき、
同一民族の住む日本に多くの百済人が逃れてきたんだと俺は考えてる。

698 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:25:46
>>693
前にも言ったが、「蕃」というのは「皇別」「神別」「諸蕃」と用い
られるように、単に「日本土着でない」「外国の」という意味だ。
だから「蕃女」は加羅人とは限らず、新羅人でも、百済人でも、ワイ人でも、
はては漢人でもいいのだ。
それだけのことだ。

だから譬え話も、もっと正確に言えば、
「日本人が外国人女性を娶って生まれた子を混血児と言う」
ということになる。

699 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:28:53
>>694
>中国の歴史書に、百済の支配階級は日本列島から来た倭人で、平民階級は土着の倭人、
>だから、支配階級と平民階級では言葉が異なるという記録があるでしょ。

670は俺だが初めて聞いた。何と言う資料だ?

武寧王が倭人の可能性もあると思った理由は、
5世紀後半に百済が高句麗に押され、倭の領地である熊津に遷都したとき、
実質的に倭が百済王権を簒奪した可能性もあると思うのだ。
小さな武寧王の墓より、はるかに立派な前方後円墳も作ってるしね。


700 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:30:41
>>697
>倭人=日本人じゃないしね、倭人と言うより倭民族で

その通りだね。まだ日本に来る前の倭人は半島南部にもいたし、
中国本土にもいたと思う。


701 :YAP?:2009/01/03(土) 21:43:10
mtDNAのデータではなく、父系を単系統で追えるY−DNAで見れば、漢民族は、シノ・チベット(漢蔵)語族
系統の集団、Y−O3a3cが最多の集団であることは明らかでアリ、満州族やモンゴル族は、Y−C3系統であり、
漢民族内でのシェアは低い。
むしろ、ミャオ・ヤオ族やタイ・カダイ語族が属するとされるY−O3a3bやO3a3aもそこそこ多い。

702 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 01:21:08

    λ   
   λ !.! /      免許証を返せ・・・
   >Y〃
  (ヘ <                 免許証を返せ・・・
   ヽヾ、、     
    ヾ ヽ     /_⌒ヽ⌒ヽ
     ヾ  ゙'-、,  /` ゚` :.; "゚`ヽ
      ゙'し  `/    ,_!.!、  ヽ
        ゙'-、( __ ⊂⊃  , , )
           ヽ__(r  `〜〜ュ_
              `ヽ  ノ    \
                Y /~    ト、
       __        ノ !   ,、--'" ヽ
      \_>>    ___ノン /,'" ヽ--'" ヽ
      -= \__,、-'"  _゙',_ノ-'"ヽ'--'" -'" ヽ
       ゙'、,__,ニ、,二,、-'"     ヽ'--'"゙'--'"ヽ
                     /    :::::::::::ゞ〜ヾ
                     !::::::::::::::::::〆⌒
                    ⌒⌒⌒⌒゙'〜〜



703 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 09:22:29
>>692
昔氏の里帰りが蘇我氏だとしたら、
昔氏は一応12代目までなので、
第17代奈勿王(4世紀)よりかなり前ということになり、
3世紀ごろになってしまう。
だから合わないんじゃないかと。

704 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:47:07
新羅の騎馬土偶。
明らかに西域人の顔立ちだね。

http://img.blog.yahoo.co.kr/ybi/1/9a/3d/shim4ro/folder/226/img_226_2638_1?1221313463.pg

http://img.blog.yahoo.co.kr/ybi/1/9a/3d/shim4ro/folder/226/img_226_2638_0?1221313463.jpg

日本に来た秦氏や東漢氏もこのような人たちであったろう。

705 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 13:30:08
>>698
>だから「蕃女」は加羅人とは限らず、新羅人でも、百済人でも、ワイ人でもでもいいのだ。

いや、ワイ人=新羅人はダメでしょ。
倭人勢力と敵対関係にあったから。

蕃女というのは、蕃国(属国)の女という意味だから、
半島南部の倭人の女でしょ。
 たとえば、古代豪族の蟻臣は、蕃国出身の倭人である可能性が高いが、
外国人ではないし、異民族ではない。
古代日本人にとっての異民族は、ケリン族(ワイ族)でしょ。
漢人も異民族ではあるが、楽浪系の漢人は倭人と混血したから、同胞に近い。






706 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 17:41:50
>>705
蕃国=属国なんてどうして言えるのか。
高句麗系、中国系の諸蕃だっているではないか。

707 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 17:43:51
                     
高句麗は敵じゃん。

渤海は蕃国だけど。





708 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:01:23
>>703
16代まで昔氏だよ。

709 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:05:00
>>707
敵だからどうした?
高句麗系と明記された諸蕃氏族がいる、ということを言ったのだが。

710 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:08:12
>>709
高句麗系と明記された諸蕃氏族はいないよ。

百済系(コマ系)はいるけどな。
高麗と書いて百済(コマ)と読むんだよ。

埼玉県の高麗神社は百済系(コマ系)の玄武若光の神社だ。




711 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:23:22
                                
7世紀以前の日本の文献には、コマを百済と書いたり、高麗と書いたり、
志羅紀のことを新羅と書いたり、任那と書いたり、
任那のことを任那と書いたり、安羅と書いたり、百済と書いたりして表記が混乱してるよね。
だから、注意して読む必要がある。
日本書紀の中でも、百済のことを高麗と書いたりするからね。
また、晋のことを呉国と書いたりもしてる。




712 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:34:53
>>710
姓氏録には高麗人、狛人、高句麗人と、3通りの書き方がある。
「高句麗人」も百済人のことなのか?

さらに祖先が書いてあるのが多いが、そのなかに次のようなのもある。

狛首。高麗国安岡上王の後。右京諸蕃。

「安岡上王」は高句麗の安原王(在位531〜545)の別名だ。

713 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:07:19
>>694 中国の歴史書に、百済の支配階級は日本列島から来た倭人で、平民階級は土着の倭人、
だから、支配階級と平民階級では言葉が異なるという記録があるでしょ。

・・・支配層は王をオラカ、王妃をオリクと言い、民衆は王を建吉支(コニキシ)と呼んでいたという記録なら

 支配層は夫余系、民衆は新羅系で、言語上、倭人系という記録はないはずだが。

714 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:13:13
しかし不思議だ。
5世紀あたりからずっと戦ってた高句麗が7世紀に崩壊したわけだが、
いきなり多くの高句麗人が日本に亡命してきた。
友好国の百済なら分かるが。
俺が思うに、秦や東漢と「同系」の人たちだったのじゃないだろうか。
東漢などは計数に明るい一族で高度な数的管理能力を持っていて朝鮮でも重宝されてたというし。
同族が日本に帰化して安住してるので自分達も日本に来たのじゃないかな。

715 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:50:48
高句麗も末期は日本との関係もある程度改善していたようだし、
高句麗の支配者層内にも、当然日本と良好な関係を築いていた者もいたろうから、
そこまで不思議という気もしなくはない。

716 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 09:38:09
>>714
>俺が思うに、秦や東漢と「同系」の人たちだったのじゃないだろうか。

高句麗系諸蕃には王族が多い。
高句麗王朝は「秦や東漢と同系」だったと言いたいわけか?

717 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 09:50:58
>>714 >>715
高句麗は、白村江戦の前に日本に軍事同盟を申し入れている。
高句麗と倭は広開土王の昔から争って来たが、それは中国がずっと
弱体であったからこそ起きた現象だ。
中国が強大になれば連携するのだ。

前にも書いたが、アテネ、スパルタなどギリシャ諸国が互いに
戦争を繰り返していても、大国ペルシャが攻めよせて来れば
ただちに軍事同盟したのと似ている。

718 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 12:46:33
>>716
>高句麗系諸蕃には王族が多い。

それもどうだろうか。
それを言うなら秦氏は始皇帝の末裔という事になってる。
そんな事を信じる方があれだな。


719 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 20:55:26
>>718
秦氏とでは古さが違い過ぎる。秦氏が渡来したのが400年ごろとすれば、
姓氏録編纂の810年代まで400年以上ある。
それに対して高句麗滅亡からは140年ぐらいしかない。
これがどのくらいのスパンかというと我々にとっての明治維新ぐらいだ。
十分記録が残っているだろう。

神話的なチュモン王の末だなどというのは怪しいが、実在の王の末だと
いうのは信用していいのではないか。
また、全部が王族だというのでもない。肩書のない祖先を持つ氏族も
たくさんいる。

720 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:09:11
>>714
日本と敵同士であった高句麗が、唐の脅威の前に日本を頼るのはおかしい
と言うならば、それ以上の仇敵同士であった高句麗と百済が、白村江戦の
前には連携して唐/新羅と戦っている。
唐は数次にわたって高句麗/百済軍と闘って勝てず、遂に百済の各個撃破
に転じたのが白村江戦だ。
残った高句麗もその5年後に滅びた。

高句麗と百済の共同作戦は、共通の敵に対する扶余の連携の例だ。

721 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:19:42
で最終的に日本の武蔵野に落ち着いたんだな高句麗は。
興味ないけどめでたしめでたし。

722 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:34:11
>>710
埼玉の高麗神社は百済人ではなく高句麗人が建てた神社だろ
>>714
高句麗が滅んで渤海が誕生して、渤海の高官が日本に朝貢しに来た時
「先祖の高句麗人と日本人は同祖」と言うようなことを語ったそうだが

つまり高句麗の支配層と百済の支配層と大和朝廷とは同じ倭族が建てた国であり
言語的にも似ていたから後に高句麗や百済が滅んで日本に亡命しても不自由はなかった


723 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 23:55:50
>>722
>「先祖の高句麗人と日本人は同祖」と言うようなことを語ったそうだが

「伏して惟(おも)うに、大王の天朝、命を受け、日本の基(もとい)を開き、
奕葉(えきよう)光重く本枝百世なり」だね。


こんな事言ってきたからって正しいって事にはならない。
相手に対して兄弟だなんだ言うのは昔はよくあったと聞いた。
だいたい日本の王家に扶余の要素なんてまったくと言ってない。



724 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:51:44
wikiによると渤海使は朝貢貿易の形態を取ったため、
渤海からの貢物に対して、日本側では数倍の回賜でもって応える義務が生じ、
多大な利益を渤海にもたらしたそうだ。

そして「日本の基(もとい)を開き…」だ。

そういや、日本なんて我々祖先が創ったと言い、
来日のたびに何なりかのゲスな利益ばかり考える今のチョンそっくりだなw

725 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 09:19:52
>>724
>そして「日本の基(もとい)を開き…」だ。

「日本の基を開き」の主語は「大王」すなわち日本の天皇だよ。


726 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:53:27
神別、皇別、諸蕃について水野祐氏がある講演会で面白いことを言っている。

 「ところが皇別という氏族をみていきますと、天皇から分かれて出てきた
のが皇別の氏族で、これは尊貴な家系なのかと言いますと、皇別よりも神別
の方が上位のようです。
 そうすると、いたかいないかわからない神様から出てきたより、れっきと
した日本の最高の主君である天皇から出てきた皇別のほうが上位に立つべき
であると思うのですが、そうではなくて、神別のほうが上で皇別は下なのです。

 (中略)あとの皇別氏族というのは何かというと、崇神天皇以前、すなわち
神武天皇から開化天皇まで九代の、私が言うあとから歴代に加えられた天皇の
中の一天皇を祖先としているのが皇別氏族のほとんどなのです。

 (中略)ですから神別の下に皇別があって、そして蕃というのは一番あと
から入ってきて、隼人の出であるとか、あるいは高麗の王の出であるとかいう
ような人が蕃になった。
 ですから蕃より、数世紀も前から定着していた帰化した人は皇別になるの
です。そしてそれ以外のものは最初から日本にいた、いわゆる神別の古い氏族
だというふうに私は解釈しているのです。」


727 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:56:04
朝鮮人は古代から「世界は一家、人類は皆兄弟」といって外国をたらし込む習性があるようだな。

728 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 14:45:59
>>726
>皇別よりも神別 の方が上位のようです。

どういう事象で神別 の方が上位なのかの説明が不十分だな。

 
>ですから蕃より、数世紀も前から定着していた帰化した人は皇別になるのです。

帰化と言ってるので渡来形という意味だろうか。
このあたりはネオ騎馬民族説の学者らしい言い方だなw
巻向にもその前の唐古鍵にも渡来系の痕跡などほとんどないのだが。

古過ぎる意見だね。

729 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 14:46:41
>>726
この考え方に立てば、蘇我について韓子だの女系だのと無理することは
なかった。
渡来系だからこそ皇別なのだ、と言えばそれでよかったのだ。

730 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 15:30:39
というよりも、先のレスにもある通り既に「水野氏の学説」そのものが顧みられなくなりつつあるのが実情。
新たに発見された考古学的識見も交えて眺めれば、如何にも古過ぎて支持を失うのも致し方なしか。
>>726が引用する水野講演の一節は、氏が唱える王朝交代説が定説・通説化するどころか、否定
意見が多数を占めつつある今日では、顧慮し直すための再構築が必要かと。現状のままでは俎上にする
意味すらない。

731 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 17:07:12
なかったシリーズ
王朝交代はなかった。

732 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:51:27
任那日本府ってさ、参謀本部が碑文を改竄して捏造したんだよ。
日本の朝鮮侵略を正当化するために。

733 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:19:18
ダルいやつが来たな…

734 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:32:13
>>732
広開土王碑の内容が気にくわないって言って
都合の良い内容に改ざんして
国内に6つも新しい広開土王碑を建てちゃった
大韓民国って国のことを君は言いたいんだね?


735 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:51:13
>>734
初めて聞いた。本当か?


736 :日本@名無しさん:2009/01/06(火) 21:30:40
>>735
「復元中 広開土王碑」でぐぐってみたら・・・

737 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:31:52
なかったシリーズ
碑文の改竄はなかった。

738 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:19:08
>>730 そだね。
基本は戦後サヨク思想を背景とした反皇国史観。
当初は連合政権で王権は弱くて、王朝交代が何回もあった。
天皇の外戚の蘇我の伝承は後世の捏造で、本当は渡来系で日本は
渡来系の豪族が支配していた。
もちろん、欠史8代や成務、仲哀、神功は実在しなかった・・・

今ではトンデモにさえも入れてもらえないような珍説の連続。


739 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:09:19
>>730
顧慮し直すための再構築が必要と言ったって、
何故そんな事が必要かわからない。
考古学と文献をあるがままに見たら良いだけで
まず結論ありきみたいなのは変じゃないのか。
だからバイアスが入ってると言われるのだ。


740 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:18:21
バイアスって言葉使いだけの人がいるぽ(笑)
古過ぎて説得力のなくなった学説に意味を与えたい人がいるなら、
学術用語としてのリビジョニズムで説得力ある説を導けばいい、それだけの話じゃんw
なんかアホくさ〜ww

741 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:54:26
>>738
蘇我氏どころか葛城氏まで惰弱変態左翼学者に渡来系にされてたからな。


742 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 11:58:10
>>734
ぐぐって見たら最も最近復元された一つに関する記事が出たが、
碑文および解説文は「日本式」のままで、韓国内で非難の的に
なっているという。

743 :サガミハラハラ:2009/01/07(水) 12:12:15
>>742なかなか良心的じゃないですか。

744 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 20:38:05
改ざんを言い続けるのは、韓国人も荷が重いのだろうね。

745 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:30:38
皇別のトップ、真人のなかに百済王/百済親王を祖とするのが多いのは
なぜ?

746 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:53:03
>>745
真人は主に皇別に与えられたが、
百済王の末裔にも与えられたという事だろうね。

747 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:23:21
>>741
葛城はソツヒコが朝鮮から技術者を大勢連れ帰ってきたのが、勢力を伸ばした
理由とはなろうが、渡来系ってのは、無理だわな。

雄略が葛城(南部)を滅ぼしたのは、葛城配下の渡来人を手中にするためだろう。
実際に手に入れているし、秦氏の再編もこれと同じ方向性だろうね。

葛城は渡来人と組んで馬(葛城のあたりに牧がいくつかあった)や牛の輸入、飼育を
独占していただろうし、陶器や織物の技術や書物の輸入にも関っていただろうから、
葛城を滅ぼして、それを手に入れるってのが、雄略の目的だったんだろう。

葛城から手に入れた韓媛ってのも渡来系の血の入った美人だったのかもしれんね。

748 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 07:56:31
>>746
真人は皇別なのだ。
百済王の末裔がなぜ、諸蕃でなくて皇別なのか?

749 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 09:16:48
>>748

>>746

750 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 09:46:30
>>748
百済王って名前だけで百済人ではないだろう。

751 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:24:21
女真族=満州人 ワイ族=朝鮮人

佚余=?

752 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 15:49:00
>>750
そのようだね。
古事記に(ク)タラ王として載っている人物と同一のようだ。

753 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 02:06:39
ただの称号だし出生地を表すわけではないから

754 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 09:00:59
王は草壁王などと同じで皇子の意味。
百済は固有名だが、関連する地名、人名(たとえば百済系の乳母)など
からついた可能性がある。

755 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 10:52:03
本物の百済王 善光はちゃんと記録に残ってるしね。

756 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 10:57:01
>>747
>葛城配下の渡来人を手中にするためだろう。
>葛城から手に入れた韓媛ってのも渡来系の血の入った美人だったのかもしれんね

赤尾崩谷古墳
http://www2.odn.ne.jp/kofun/akaokudure.htm

渡来系の女性の墓ではないかと思ってる。

757 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 18:43:40
>>751は電波。
前漢代のワイ族が三世紀には四つに分かれていた
その四つの中の一つが夫餘。
朝鮮人の先祖は新羅人。新羅人は辰韓人をベースにした混血。
ワイと韓は別系統で三世紀にすでに別々のものとして
三国志に出ている。

758 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 19:45:10
>>757
扶余=ワイ族の一つってのは初めて聞くんだが、
後学のためにもソースplz

759 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 01:45:29
>>756
朝鮮側の史料では、懐柔のために女性をあてがったということがあるし、
多数の人間を日本に連れ帰ったことは間違いないだろうから、葛城系で
朝鮮の血筋もある女性の可能性は十分あるだろうね。

760 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 01:58:03
>>759
朝鮮側?もしかして三国史記のこと?

761 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:13:16
まだチョンが電波飛ばしてんな

762 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:55:27
ほら、大好きな
バ ・ イ ・ ア ・ ス !?

763 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:57:01
>>758
ソースは史記・漢書・三国志。

ワイ族は楽浪郡設置以前の前漢の頃は満州の種族をさした。
このワイ族は満州だけでなく現在の咸鏡道・江原道まで分布していた。
楽浪郡設置以前、漢の東のはては遼東郡だから当時漢帝国が交渉したワイ族というのは
満州の部族で問題ない。
この頃、漢はワイ君の南櫚らに「ワイ王の印」を授けている(史記・漢書)。
後にこの地を征服して玄菟郡を置いた時、ワイの王族は北に逃げて夫餘を建国した。
だから夫餘には「ワイ王の印」が継承されていた(三国志)。
臨屯郡が廃止された時に江原道のワイ族は解放された。これを「東ワイ」というのは「東施ワイ」の略。東施というのは臨屯郡の郡治(郡治というのは郡の首都なる県)。
この時、漢帝国の郡県支配の外にあったワイは江原道のワイだけだったのでその後もワイといえば江原道のワイをさすようになる。
さらに玄菟郡が縮小され夫租県を中心とする咸鏡道一帯のワイも解放されるとそこの種族は沃沮とよばれるようになった。
さらに玄菟郡が西に移転すると高句驪県を中心とする一帯のワイも独立しその種族は高句麗国を建てる。
三国志に、夫餘・高句麗・沃沮・ワイ(江原道のワイ)の四者が「言語がみな似ている」と書かれているのは
みな前漢の頃(玄菟郡設置以前)にはひとしくワイとよばれていた同一種族だから。

ウィキペディアで「ワイ人」を検索すればもっと詳しく出ている。

764 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 03:14:42
>>763
あ、待ってたんだ。サンクス!
それと申し訳ないんだが、ウィキペは今一つ信用置けないんで、ワイ族関連と思しき部分を
各史書から原典でお願い出来たらな、と……。

765 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 11:27:08
国宝・隅田八幡神社人物画像鏡に「穢人今州利」という文があるな。
この今州利が本当に穢人かどうかは別として、
渡来系にはまちがいないだろう。
このように穢人という呼称が日本にもあったのだから、]
「穢多」というのは渡来系という事だろうな。

766 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 12:44:14
>「穢多」というのは渡来系という事だろうな
いくら何でも、それは根拠なさ過ぎ。

767 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 18:23:18
>>766
皮なめしは渡来系がもたらした技術だよ。

768 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:37:21
>>765
>穢人という呼称が日本にもあったのだから

この鏡は百済製で、銘文の主は百済王だよ。

769 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:40:50
>>768

意味不明。
穢人という呼称が日本にあったという事の反論が、
鏡が百済製で、銘文の主が百済王という事か?
何が何やら…

770 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:42:11
>>768
日本語で文が書かれてるだろが


771 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:52:25
>>769
百済の武寧王が継体天皇に送った物と説がある
百済っても武寧王だからさ


772 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:59:16
>>771
いやだからそれは分かるけど、
穢人という呼称が日本にあったという事への反論なのか何なんだ?

773 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:10:53
>>772
おれは>>668じゃない
ただ>>668が武寧王が継体天皇に送った物なら
反論にならずに、そのまま日本に穢人の呼名があったと証明になるレスだろと言いたかった
本人は百済王だけ書いて反論したつもりなんだろけどね

774 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:08:41
http://www.news.janjan.jp/government/0402/0402131089/2.php
歴史を振り返りなさい……在日コリアンの人にも歴史を振り返って欲しい。
日本の文化が朝鮮から来たのは歴然としている。奈良の大仏しかり。
他の遺跡をみても日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている……
日本もそのことをちゃんと認めないのが不思議でならない。
風下に立つと何か言われるんじゃないか、そんなことは引け目を感じることではありません。

●人間は知識の分だけ優しくなれる

……私たちは文化を輸入しました……しかし、私たちが誇りたいのは、日本に渡来文化が
来た時に、その中から日本独自の文化を築き上げた、日本社会を築き上げたということ。
日本人は朝鮮半島から教えてもらったけれども引け目は感じない。

By 櫻井よしこ


775 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:35:20
私たちが誇りたいのは、半島ではみだし、生きる道を失くした人たちを受け入れ、
その能力に応じて生きる道をあたえた事だ。
その人たちは主に朝鮮を通過してきただけで今の朝鮮人ではない。

776 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:53:44
>>767
石器時代からあるだろそんなもん

777 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 03:06:17
>>774
歴史を振り返るなら武寧東陵から出土した数々の品が、いかに大和朝廷の影響が強かったか
寧東大将軍百済斯麻王と記され品も出土されてるんだから日本書記に書かれている武寧王の記述が事実であるとか認めたほうがいいんじゃないか
それと朝鮮半島で文字が発明されるのは近代ですとか認めたほうがいいんじゃない


778 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 08:09:53
>>776
石器時代からあるのは毛皮。
皮なめしは水中のバクテリアで毛を抜いてなめすから、
水質が大事なのでどこの川でもいいというわけでなく、
非常に高度な技術を要する。

779 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:22:26
>>771 その他

癸未年八月日十 大王年 男弟王 在意柴沙加宮時 斯麻念長寿
遣開中費直 穢人今州利二人等 取白上同二百旱 作此竟

年代や倭王名など、いろいろ問題のある銘文だが、百済王「斯麻」が倭王の
「長寿」を「念」じて、「開中費直」と「穢人今州利」の「二人」を「遣」して、
鏡を作らせたことは間違いない。

だから「穢人」がという呼び方が百済にあったこと、それが倭に通じることを
百済王が期待したことの直接の証拠にはなるが、倭王がそれを理解した、
つまり日本にも「穢人」という呼び方があったことの、直接の証拠にはならない。

780 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:24:32
>>779
訂正
だから「穢人」がという呼び方が > だから「穢人」という呼び方が

781 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:47:06
どうでもいいので屁理屈言うと、
日本にも「穢人」という呼び方があったことの証拠にはならないが、
倭王がそれを理解した証拠にはなるだろう。
鏡に書かれてるのだから、
「穢人」という字を目にした時にもし理解できず、
どこなのかという疑問があれば人に聞いただろうしw

782 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:51:28
>>779
寧東大将軍百済斯麻王つまり斯麻王=武寧王だろ
武寧王は日本生まれ
彼の嫡子も日本で没している
武寧王陵の発掘と出土品の数々から大和朝廷の影響や日本書記に記された武寧王の記述信憑性の確かさが証明されているのに
男弟王=継体天皇の長寿を願って作らせた鏡の文だけ大和朝廷側に意味不明の文にするわけないだろ
それとも武寧王関連の出土品から百済の文字や言葉について何か手がかりでも発見されたのかな?

783 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:57:40
>>781
もっと屁理屈こねちゃうと百済王が書かせた文を倭王と倭人が理解できない
つまり文は倭人からみて外国語
穢人は百済語かよってことになるよね


784 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 10:15:38
>>774
>日本の歴史文化は朝鮮半島から来たものから基礎が出来ている

んな事ない。
基礎は縄文時代からちゃんとある。
仏教にしてもその基礎に加味されただけ。

だいたい百済も高句麗も仏教を外国から受け入れた。
しかしながら日本のように熟成させれないまま潰れた。

ひるがえって日本を見よ!ギネスブック認定世界最古の企業・金剛組。
創業は578年
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%91%E5%89%9B%E7%B5%84

785 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 17:53:01
百済の武寧王が第三者に穢人という呼称を使ってたなら、
自分が穢系の扶余ではないという自覚があったのか…
武寧王は日本生まれ育ったので精神的には倭人だったのかもな。

786 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 19:50:20
「穢」という文字がものすごいので、みな特別の目で見ているようだが、
単なる民族名だ。
「穢人」と扶余との関係は、八旗に組織された「満洲」と、未組織の満洲族
との関係を考えればよいと思う。

間宮林蔵は黒竜江下流域に設けられた清国の出張所を訪れている。
出張所を仕切っているのは牡丹江地方から出張してきた満洲八旗の役人
であり、そこへ毛皮税などを納めに来るのはこのあたりの原住民であるが、
原住民もまた満洲族固有の風習として辮髪をし、満洲語を話す。

役人と原住民とは私的には大いに打ちとけて、満洲語で話し合うが、
公的な立場になると役人が原住民を鞭打って処罰したりする。
役人と原住民との違いは、国家によって組織された「満洲」であるか、
まだ組織されていない単なる満洲族であるかの違いである。
(もちろん役人は読み書きができたり、官服を着ていたりはするけどね)

その役人と言えども、清国成立後に二次的に組織されたいわゆる「新満洲」
であり、それ以前は彼らもまた単なる満洲族だったのである。

「扶余」と「穢人」の関係もこんな風ではなかったろうか。

787 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 21:31:44
>>785
>武寧王は日本生まれ育ったので精神的には倭人だったのかもな。
武寧王陵から出土した品々が当時いかに政治的な配慮があったにせよ
倭国生まれの倭人として百済の王位についたんだと
武寧王の自らの立ち位置ちを証明してると思いますよ
日本書記の記述をも証明してしまってますし

788 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 00:14:57
>>787
日本的な物は高野マキの木棺と勾玉が出てるね。
ただその他は中国・南朝の出土品だな。
武寧王が倭人かどうかよりも、
武寧王陵よりはるかに大きい前方後円墳が韓国に出来てる事実が気になる。
これは明らかに倭人の墓だろうから。


789 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 05:10:13
wikipedia英語版→http://en.wikipedia.org/wiki/Gaya_Confederacy
Politicsのところひどいな
反日韓国人が書いたのだろうか・・・

790 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 09:17:23
武寧王の時代以降の百済は、
満州国と似て日本の傀儡だろうな。

791 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 16:24:11
>>788
倭は高句麗進攻の最前線である百済をテコ入れして、ここで高句麗を食い止めたい
倭国の百済への任那2県4群譲渡は武寧王が倭国生まれで倭本国の意向で高句麗阻止のために百済の王にした人物(ようは倭人支配の国にした)
でないと任那の領主(倭人達)が納得しなかったんでしょうね
自然な流れで任那は倭人系が支配していた
倭本国は高句麗の進攻に百済をテコ入れしてどうにか防波堤にしたい
そのために倭本国が倭国系の王として百済に武寧王を送り込み百済へのテコ入れと百済、任那の高句麗進攻に対する連合化を図った
少なくからず後の天智天皇などが百済にこたわったのは
この武寧王の百済への送り込みの出来事で百済自体が任那より新しい時代に倭本国から送り出された人々(枝分かれした親族)が支配した国になったんじゃないでしょうかね


792 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:11:11
>>784
それが要するに大陸や半島から渡来してきた技術者達だろ
蘇我氏や聖徳太子が百済人の技術者達に飛鳥寺や法隆寺などを作らせて
そしてそのままその地に定住した
つまり起源は百済人

793 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:18:14
ウリの起源は百済ニダ!<ヽ`∀´>

794 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:18:25
はて、それでは今現在の朝鮮半島にどういった百済文化が残ってるんですかな?


795 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:23:09
>>792
百済に仏教を伝えたのは東晋の僧・摩羅難陀。
何人かは分からないが西域だろうね。
仏教建築関係者も同じだろう。
文化が通過しただけの朝鮮に偉そうに言われる筋合いはない。
ましてや朝鮮文化などと言われるのはもってのほか。

796 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:27:38
百済人が倭人、日本人と関わりがある文献や品々が残ってても
百済人と現在の半島の人々の関わりがある証明ができないんじゃねえ
北アフリカがローマ帝国の領土だったから北アフリカの人間はローマ人の子孫だとか
東ローマはギリシャ人の国だからトルコはギリシャ人の国なんだと
そんな理屈じゃねえ

797 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:00:40
>>795
でも現実に飛鳥寺や法隆寺、広隆寺などの仏教寺を建てたのは百済人技術者
壮大な瓦建築や正倉院に見られる校倉造りなどを日本に伝授したのは百済人

聖武天皇の代になっても奈良の大仏と大仏殿を建てたのも百済人
韓国人が毎年200人ぐらい奈良にやって来て東大寺大仏殿や正倉院などを
指差し「あれは我々韓国人の先祖が日本に伝えたモノ」と優越感浸っている

仏教はインドが発祥だが寺院を含む瓦建築は朝鮮から学んだのは事実


798 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:10:09
>>797
日本初の仏教建築であった飛鳥寺創設の際には
日本に仏教を信仰するように勧めた百済が僧と技術者を派遣している
しかしほかはどうだろう
奈良時代、聖武天皇が平城京の東域の東大寺に大仏を建立した際には
大仏師として国中連公麻呂、鋳師として高市大国、高市真麻呂といった技術者名が伝わり、
こちらは明らかに日本人。
初期の仏教建築には朝鮮半島から渡ってきた渡来人が直に関与しただろうが、
その技術は日本人に受け継がれて定着し、
奈良時代には日本人の手によって仏像や巨大建築物が建てられるようになっていたのだ

799 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:11:34
そうだ!ウリの起源は百済人ニダ!<ヽ`∀´>ホルホルホル
ウリの先祖が仏教を教え、ウリの先祖が法隆寺を建てたニダ!<ヽ`∀´>ホルホルホル

800 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:19:09
>>797>>798
それで百済人と現代韓国人はどうゆう関係が?
そして渡来人と現代韓国人がどういった関係が?
あなたの意見は現代韓国人が百済人や渡来人とどういった関係があるか?を研究証明せねば成り立たない理論をとばして
今、韓国人は朝鮮半島にいる民族なんだから古代の時代半島にいた百済人や半島を通り倭に渡った渡来人も韓国人にちがいないんだ
ただこんなことを書き込んでるにすぎない


801 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:47:47
>>800は日本人か?
文章からはどうもそうとは思えないのだが。

802 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 21:06:06
チョクバリをおちょくったら駄目ニダ!ウリの評判が更に悪くなるニダ!<ヽ`Д´>アイゴー!

803 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 21:18:35




朝鮮人って、日本に伝えた文物を中国から学んだ事実は口に出さないよね。




まあ、中国の植民地から始まった国だし。

804 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 21:56:16
日本文化のルーツは韓国だと必死でアピールしてもしょせんこんなもの。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=109884&servcode=100

フランス人の41%「韓国がどのような国か分からない」
68%は「韓国について知りいと思わない」

805 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 22:14:51
>>804 西欧人から見れば仏教もキリスト教、イスラム教と並んで、コーカソイドが作った宗教と思っているだろうな。

806 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 22:41:43
>>798
>国中連公麻呂、鋳師として高市大国、高市真麻呂といった技術者名が伝わり、
>こちらは明らかに日本人。

違う名前は日本人の名前だがおそらく百済からの帰化人だろう
百済人技術者達は聖徳太子の命で現地に定住し日本名を貰いこれかれも天皇の
命で都や仏教寺を建立するよう彼らに要請したんだよ

奈良の東大寺大仏殿だけでなく後の平安京建立にも彼らの子孫が関っている
同じ渡来系の秦氏とは別に飛鳥時代からの百済系ゼネコン一族がね



807 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:10:18
かつては半島に華開かせながらも、歴史の不幸か、今やかの地でその片鱗を探るのも極めて困難な
「百済を偲ばせる粋」が、金剛組を通じてこの日本の地には確かに息衝いている……非常に素晴らしいことだ。

808 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:13:16
日本文化って冷めたコップの底に養分が溜まってるようなものだな。

809 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:16:40
>>797
だから百済人っていうのはいいけど、
それを今の韓国人が誇ってどうすんだという話。
かつてサダムフセインがメソポタミア文化を誇ってたのと感覚が近い。
自分達が滅ぼした側の子孫であるにもかかわらず…

810 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:48:38
【韓国】「我が国を侮辱している!」… 日本製アニメ『ヘタリア』「日本での」放送反対運動がネチズンの間で加速。国際紛争化との指摘も★9[01/11]
http://imgnews.naver.com/image/143/2009/01/12/090112min03.jpg

このマンガでの「韓国」の特徴は、
△日章旗が大好きで、いつも持ち歩いている、
△アメリカにすぐ依存しようとする、
△日本の真似をする、
△中国を「お兄さん」と呼ぶ、
△いつも「ウリナラマンセー(我が国万歳)」を叫ぶ、
△何でも「ウリナラの物」と言い張る、

マンガの中で韓国キャラが変態行為をしたり、アメリカに弱く、何でも韓国が元祖だと主張し、
中国と兄弟関係に設定されており、これを通じて韓国を蔑視している、と主張している。

そのほかにも、在日韓国人3世の声優・朴ロミさんが「スイス」役でこのマンガに参加するという事実は、
怒りとともに虚脱感さえ抱かせている。
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1231767746/
http://imgnews.naver.com/image/moneytoday/2009/01/12/2009011215585562586_3.jpg




811 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:59:10
四天王寺と法興寺(飛鳥寺)造営の百済人

寺工・太良未(だらみた)、
鑪盤博士・将徳白昧淳(しょうとくはくまいじゅん)、
瓦博士・麻奈文奴(まなもんぬ)、
陽貴文(ようきもん)

中世ペルシャ語で
「だらみた」=寺工、
「しょうとくはくまいじゅん」=露盤受け、
「まなもんぬ」=屋根葺き、
「ようきもん」=丸瓦、の意味

812 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:03:44
>>809
自分たちが激しく攻め滅ぼしたものだから百済の文化も言語も何も残ってないんですよね
三国史記編纂の時代ですらすでに半島人は百済と百済人に関して中世ヨーロッパ人がローマの遺跡でも見る状態になってしまっていたですよね
もっと皮肉るならインカを攻め滅ぼしたスペイン人の子孫状態であると

813 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:07:35
飛鳥文化にペルシャの要素があるのは言うまでもないこと。

余談だがNHKの連ドラにも良く出てた、
劇団新感線の女優・高田聖子(羽野晶紀と同期で友人)は、
法隆寺第208世管主の娘。
つまり実家が法隆寺。
http://talent.yahoo.co.jp/talent/16/w99-0357.html


814 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 01:28:43
ペルシャ人といえば猿岩石が有名だな。

815 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 01:31:41
>>811 東大寺の修復時に屋根裏の梁にアラビア文字が書いてあったという話もあったな。

816 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 08:51:48
>>805 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 22:14:51
>西欧人から見れば仏教もキリスト教、イスラム教と並んで、コーカソイドが作った宗教と思っているだろうな。

釈迦(ゴータマ・シッダールタ)はコーカソイドならぬ、コーカシアンそのもの
なのだが。


817 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 10:53:34
>>814
それは猿石。
猿岩石はお笑い芸人。

818 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 13:15:39
>>816 だから白人から言えば、世界の3大宗教は白人が作ったもので、黄色人種には普遍宗教など作れないと思っているだろう。

 アジアの仏教圏もコーカソイドが作ったものだという。


819 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 13:20:04
>>816 現に教祖の御釈迦さんも仏教寺院の建設者、ペルシャ人もコーカソイドだった。

820 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 13:23:22
>>815
それは知らないが法隆寺にソグド文字が書かれてる護摩木があるらしい。

821 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 15:11:48
皇族の百済王は敏達天皇の孫で、大原真人等多くの皇別氏の始祖。

822 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 15:25:11
38代天智天皇の兄弟に「漢皇子」という皇族がいるが、
勿論漢人ではなく、同じくの単なる個人名

823 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 16:49:19
飛鳥時代の建築物絡み・・・
その後のレスを見ていくと、「寺院を含む瓦建築は朝鮮から学んだのは事実」は朝鮮っていう
不正確な言葉が混ざってるって意味では嘘として、日本最古の企業「金剛組」が
「飛鳥時代からの百済系ゼネコン一族」って表現もそんなに正確じゃないっぽいね

百済経由で、百済人も含まれる技術者らが招聘されたってところだろうかね?ちなみに
金剛重光を明確に「百済人」って証言する典拠はあるの?朝鮮日報の記事とかみたいな
二次、三次編纂物でなく、典拠として申し分ない一次史料とか・・・

824 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 18:31:30
コーカソイドって白人の原種みたいなものだね。
釈迦もイエスもコーカソイドではないよな、当然。
唯一、大乗仏教がペルシャ系クシャン人によって作られたと聞いたが。

825 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 20:57:29
>>824
コーカソイドといいうのはコーケイジアンとほぼ同じ意味で、広い範囲の
人種を包含する。
釈迦はインド北部のアーリア人だから、ヨーロッパ人と近い関係にある。
その言語(当然、仏経の言葉)であるサンスクリット語も「印欧語」という
くらいで、ヨーロッパの各言語と同じグループに属する。

イエスはユダヤ人で、ユダヤ人はアラブ人の一派だが、アラブ人は普通、
コーカソイドに入れられる。だからマホメットも当然コーカソイドである。

ついでに言えば拝火教(ゾロアスター教)はペルシャ人が作ったが、
ペルシャ人はアーリア人の一派だからもちろんコーカソイドである。

826 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 21:36:26
>>825 そういえば松本清張が奈良のお水取りをペルシャの拝火教の儀式だと言っていたな。

 唐の時代だから洛陽に西域人が大勢いて、日本の寺院建設ラッシュのために出稼ぎに来ていたんではないか。

827 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 21:51:47
>>825
>ユダヤ人はアラブ人の一派だが、アラブ人は普通、
>コーカソイドに入れられる。

ユダヤもアラブもセムではないのか?

828 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:07:47
>>827
だからセムはコーカソイドなのだ。

829 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:13:56
>>827 インド人(北部)もアラブ人も、色が黒いだけで容貌をみれば白人と同じだろう。インド人は言語のつながりもある。

 日本人やシナ人と、インドネシア人が肌色の違いだけで同じ黄色人種なのと同じことだ。

830 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 22:27:48
日本や中国などの東アジア人は新モンゴロイド
インドネシアやマレーシアなどの東南アジア人は古モンゴロイド

スタイルは古モンゴロイドのほうがいいんだけどね


831 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 23:14:11
金剛組は2006年に事実上倒産したのでギネスから外れたみたいだな。
経営母体が替わって今も存続しているのだが…

832 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 00:03:06
そういや聖書の「申命記」に、
神が与える「祝福」の様子が書かれてるが、
要約すると、

・自然の豊かな土地に住む
・治安が良い
・技術力を活かした貿易立国
・長寿

まぁこんな感じだな。
ユダヤだか白人だか知らないが、
あいつらより日本の方がよっぽど聖書の祝福を受けてるという現実がある。
ざまぁみやがれって思うよ。w



833 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 02:21:26
なんでも都合よく白人の功績にすんなよw
コーカソイドと白人を都合よく使い分けるんだもんなあw

834 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 08:05:54
>>833
それは使い分けではない。
コーカソイド(caucasoid)と白人(white)とは同じ意味なのだ。

835 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 10:23:38
大雑把な分け方でコーカソイドって事だな。
分かりやすく言えば「鼻高人」みたいなものかw
分けた学者もコーカソイドだろうなw

836 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 15:40:34
そうは言っても、コーカソイド=白人は狭い意味の白人にとっては
我々以上に複雑なようだ。
ネットを見ると、裁判でcaucasianとwhiteとは同じ意味であるという
判例がある一方で、一般人が、例えばパキスタン人を見てホワイトと
呼べるかと質問されると、賛否両論に分かれ、むしろ反対のほうが多い。

837 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 23:48:47
イランなどはイスラムだがアラブ人ではなくアーリア人というべきだし、
コーカソイドという分け方で一緒くたにするとややこしくなるね。

838 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 02:38:16
>>834
違うだろ
白人はヨーロッパあたりの人間でコーカソイドの一種みたいな位置付けだろ

839 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 11:06:25
>>838
>白人はヨーロッパあたりの人間でコーカソイドの一種みたいな位置付けだろ

我々の感覚としてはそうだね。そしてその感覚は、アメリカやヨーロッパの
肌の白い人たちは、我々より濃厚に持っているだろう。
しかし問題は言葉の定義なのだ。現在では、白人かどうかは肌の色によらない
ということになっている。
例えば英文ウィキペディアの"white people"の項は次のように言う。

Caucasoid people from the Middle East, North Africa, and parts of
Central and South Asia[4] may also be considered "white."

訳:中東、北アフリカ、および中央および南アジアの一部からのコーカソイドの
人々もまた「白人」と見なされてよい。

840 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 11:38:09
イエスキリストをなんとかコーカソイド(白人)に持っていこうという下心見え見えの分け方だな。
本来のユダヤ人は周辺民族に比べて極めて背が低い民族なんだけどな。


841 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 16:50:41
ユダヤ人はフランス人やスペイン人と比べても小さくないよ
ゲルマン系のドイツやオランダと比べれば低いがそれはユダヤに限ったことではない


842 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 19:06:02
>>841
それはアシュケナジーユダヤだろう。
聖書には、周辺諸民族がことごとく「あなたより大きい」と書かれてる。
つまり極めて小さいという事だ。

843 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 19:50:39
アシュケナージは本来のユダヤ人じゃないしね。
あいつら政治的理由で途中でユダヤ教に改宗した。

844 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 20:46:02
■日本の学者の主張

任那日本府の正体1
http://jp.youtube.com/watch?v=6VcHEgIEWSU&feature=related
「大和政権が任那を支配したものではなくただの外交使節だ」

任那日本府の正体2
http://jp.youtube.com/watch?v=UhGbCTif4zI&feature=related
「日本では4〜5世紀に鉄は作れなかったので半島の加羅から輸入していた」

正倉院
http://jp.youtube.com/watch?v=zx7VtkdX0Ng&feature=related
「7〜8世紀の国際色豊な天平文化は直接遣唐使によってもたらされただけでなく
 朝鮮半島との交流で日本の国家制度が作り上げられていった」


845 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 21:07:08
222 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2009/01/15(木) 21:05:47
ま〜た馬鹿の一つ覚えが惚け老人学者の与太話を引っ張ってきてるのかww
思考停止極まれりのアホだなwww



846 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 21:11:48
>>840 キリストは誰が見てもモンゴロイドやニグロイドでなくてコーカソイド(白人種)だが。

847 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 22:32:48
>>846
ほ〜!君はキリストを見た事あるのかい?www

848 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 01:27:14
>>847 ほお、モンゴロイドやニグロイドの古代ユダヤ人がいたというのか?


849 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 01:47:46
>>839
白人必死すぎだなw
ムリヤリ拡大していってんなw

850 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 03:30:32
>>846
君が見たキリストは絵だ


851 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 05:41:00
>>844
>>加羅から輸入していた

つまり加羅に鉄を本土に供給する倭の直営地があった。

もし交易でそれらを手に入れていた場合、その代価は何か?ということになるが
捏ね繰り回して、それは倭の傭兵だったと述べる学者もいるが
そんな推測などせずとも、もっと単純明快に記紀どおり倭の領土があった。
それだけで済むんだよね。

852 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 06:03:03
>>848
誰が古代ユダヤ人をモンゴロイドやニグロイドと言ったんだ、論点すり替えるな。
古代ユダヤ人はセムとしか言いようがない。
それをコーカソイドに、ましてや白人white peopleに含めようとするところに、
白人の嫌らしさがあると言ってるんだ。
あいつら白人が何故そうしたいか…
ノアの子セム、ハム、ヤフェトのうち、
「祝福」をセムが受け継いでいるからだ。
白人はヤフェトの子孫と言われてて祝福を受け継いでない。
それが悔しいのだよ彼らは。
だから祝福を受け継いでるセムを強引に白人という範疇に入れようとしてるのさ。



853 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 13:17:43
>>851
確かに。
鉄の見返りに生口っていうのは、古代史学界に漂う「隣国への配慮」が生ましめた
穿ち過ぎた説といえなくもない気はする。こうかくと、例の「バイアス君」がバイアスがかった
反論レスをしてきそうだがw

854 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 20:35:27
数日ぶりにきてみれば
つまんない方向にズレてたんだな

855 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 20:38:07
>>726
皇別は世代を経れば庶民に近づくのだから
徐々に下位になっていくのは当然。
神別は皇室と同じでその宗家は万世一系。

856 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 00:37:28
韓国人はそんなに半島に日本の領土があったと認めるのが嫌なのかね
日本の勢力を追い出した我々は誇らしいでだめなのか

857 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 08:15:12
>>855
宗家が万世一系だから尊いのか?
それなら皇別の源氏だって、その宗家はずいぶん後まで「貴種」とされた
ではないか。

858 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 08:53:06
>>856
20世紀のぶざまな歴史を払拭したいのに、
20世紀と同じ事が古代にもあったとなれば惨め過ぎるので、
絶対認めたくないのだろうね。
だから「先に結論ありき」の古代史なんだろうね。

859 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 13:47:10
>>712
>姓氏録には高麗人、狛人、高句麗人と、3通りの書き方がある。

だから、コマのことだろ。コマは3世紀以前は楽浪郡のこと。
4世紀以降は百済のこと。百済と書いて「コマ」と読んだわけ。
馬韓(クタラ)の北方地域を、古代日本人はコマと呼んだわけだよ。
6世紀(継体天皇の時代)以降は、百済をクタラと呼ぶようになった。
これは、任那(クタラ)と百済(コマ)が合併し、百済領が旧任那地方に
移動したため。

>「高句麗人」も百済人のことなのか?
高句麗人は高句麗人。コマ人は百済人。5世紀以前の百済人のこと。
楽浪系漢人を意味する場合もある。

>さらに祖先が書いてあるのが多いが、そのなかに次のようなのもある。
>狛首。高麗国安岡上王の後。右京諸蕃。
それは帰化人のホラ。大和朝廷内で優遇してもらいたいから、そう言ってるだけ。

>「安岡上王」は高句麗の安原王(在位531〜545)の別名だ。
だから、ただのホラ。




860 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 13:56:05
>>715
>高句麗も末期は日本との関係もある程度改善していたようだし、
根拠なし。

>高句麗の支配者層内にも、当然日本と良好な関係を築いていた者もいたろうから、
根拠なし。

>そこまで不思議という気もしなくはない。
あり得ん(w





861 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 14:13:19
                         
高句麗と日本の間に交流はないよね。
百済と高句麗は、対新羅戦争のために手を組んだが、あくまでも戦略的なものであって、
両国が友好関係にあったわけではないよ。

高麗神社の玄武若光は百済人だしね。玄武一族は百済王家から別れた貴族だろうな。




862 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 16:11:27
>>859
>「高句麗人」も百済人のことなのか?
>高句麗人は高句麗人。

なんの話をしているのか。君は高句麗から帰化した人は一人もいない
と言ったのではないのか?
だから姓氏録に「高句麗人**の後}と明記してある人がいる、ということを
言ったのだ。
「高句麗人」は高句麗人であることを認めるなら、その時点で君の説は
崩れているではないか。



863 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 17:44:52
                    
高句麗人は帰化していないだろう。

帰化したのはコマ人と呼ばれた百済人だろ。
任那の北方、今の韓国・京畿道やさらに北の地域を古代日本人はコマと呼んだのだから。
ようするに、旧楽浪郡・帯方郡地方はコマなんだよ。5世紀以降は忠清道地方もコマ。
そこに住んでいた倭人はコマ人と呼ばれた。
そのコマ人のことを、高句麗人だと誤解して文書を書いた日本人が、
7世紀〜10世紀の日本には多かったんだな。


だから、


864 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 17:51:12
                   
だから、百済人(コマ地方出身の百済人)のことを、コマ人と呼んでいるわけだ。

百済人とは異なる民族(フヨ族)である高句麗人のことをコマ人と呼ぶようになるのは、
8世紀以降だろう。
日本書紀の中では、高句麗人のことを「夫余」と呼んでいる箇所があるけどな。



☆那覇市牧志のゲラゲラから書き込みできん(w




865 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 17:56:34
                       
「日本に帰化した高麗人(コマ人)」

こういう呼ばれ方をしているコマ人とは、実は百済人(コマ地方の百済人)
なのだよ。
そこのところを頭に入れて、古代の文書を読む必要がある。

 

866 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 22:44:04
もう一度聞くが、姓氏録に「高句麗人**の後」と記されている人は、
何人の子孫なのか?

867 :日本@名無史さん:2009/01/17(土) 23:10:21
>>866
利権やら何やらの絡みで僭称・仮冒つう選択肢も当時から存在してたって理解出来るよな?

868 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:14:00
高句麗崩壊時に多くの人が帰化したのは事実。
信濃の高句麗人は須々木や村上、玉川などの日本風の姓をもらっている。


869 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:19:44
高句麗人は高句麗崩壊時以前から一応日本にいるよ。

http://www5f.biglobe.ne.jp/~sinanodaimon/sinanodaimonmain.files/daimonheya.files/hukaisi.files/2hukaitomii.htm
 「信濃の国の人外従六位下、卦婁真老。後部黒足・前部黒麻呂
・前部佐根人・下部奈弖麻呂・前部秋足・小県郡人無位上部豊人・下部文代・高麗家継・高麗継楯
・前部貞麻呂・上部色布知等がせ調停に申し上げた。
我々の祖先は、高麗人であります。
推古天皇・舒明天皇の時(飛鳥時代593〜641)に入国帰化しました。
それから今まで、代々平民で、まだ高麗のときの姓を改めないで使っております。去る天平勝宝9年(757)には詔著句勅も出たことでございますから、
どうか日本の姓を賜りたく存じます。
そこで朝廷は、次のように姓を与えた。
信濃国人卦婁真老等には須々岐。信濃国人後部黒足等には豊岡。
信濃国人前部黒麻呂等には村上。信濃国人前部秋足等には篠井。
小県郡人上部豊人等には玉川。小県郡下部文代等には清岡。
小県郡人高麗家継等には御井。小県郡人前部貞麻呂等には朝治。
小県郡人上部色知等には玉井………」

870 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:28:48
>>869
そこで引く文献の「高麗人」を
コマ人=百済人など、と前レスで度々指摘されてるんでないの?
それに引用箇所(リンクはオミットw)には「高麗人」とはあっても「高句麗人」とはないし。
過去レスくらい読めって!ww

871 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:41:55
>>870
高麗人は百済人なのか?
前レスで度々指摘されてると言われても、それが正しいと決まってるのか?

872 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:46:23
「卦婁(ケル)」とは高句麗の五部の一つ桂婁部だろ?

873 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:59:19
>>871
君のバヤイw「指摘されてる事象=正しくない故に」って理解なの?
仮にそうなら、反論としては日本に入植した高麗人=高句麗人って
傍証の引用がまず先だと思うんだけどなあ。

あくまで
>コマ人=百済人など、と前レスで度々指摘されてるんでないの?
と疑問系で問うているだけで、コマ人=百済人を確定次項として扱う
文意は>>870のどこにも存在しないと思うんだがなぁww

874 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:05:31
高麗神社がある埼玉に埼玉古墳があるがその王であろう石棺の尺に高句麗尺が
使われているようだがそれも百済人なのか?

高句麗から渡来してきた夫余人達じゃないのか?
高麗神社を建てたのは百済人ではなく高句麗人だろ
高句麗を当時日本人は高麗と呼んでいたと言うだけで百済とは関係ないだろ
聖徳太子の仏教の師匠は高句麗の坊さんだよな
高句麗人は古代日本に住みついてる


875 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:06:20
>>873
>傍証の引用がまず先

だから「卦婁(ケル)」とは高句麗の五部の一つ桂婁部ではないのか?

>>コマ人=百済人など、と前レスで度々指摘されてるんでないの?
>と疑問系で問うているだけで、コマ人=百済人を確定次項として扱う
>文意は>>870のどこにも存在しないと思うんだがなぁww

なら確定ではないという事でいいな?



876 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:10:13
>>874
高句麗尺がつかわれてるから高句麗から渡来してきた夫余人だとはならない。
何故一部分だけつまみあげて高句麗系にしたがるのだ?

877 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:31:35
>>875
>>870の文意は明らかだと思うの。

んで、>>875>>872を傍証として引用してるんだけど、レスも進んでいるんだし、誠実に論を進めるなら
>>872を補強する別の傍証なり、異なる側面からコマ人or高麗人=高句麗人を主張する説を提示すべきと
思うの。

878 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 01:51:51
>>877
変な言い回しだな。
別の傍証を示す前に、
「卦婁(ケル)」とは高句麗の五部の一つ桂婁部ではないのか?」
に答えてくれないか?
話はそれからだ。

879 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 02:04:28
横レスだが高句麗滅亡時の状況考えたら唐、新羅で奴隷になるか
倭に渡るしかないんだから、それ考えたら高句麗滅亡から高句麗棄民、そして難民は日本に来たと考えたほうが自然だと思う


880 :877:2009/01/18(日) 02:11:30
悪いんだけど、>>870,873は俺、しかし>>872は別人。
ID制申請すっか?w

881 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 08:47:02
>>867
>利権やら何やらの絡みで僭称・仮冒つう選択肢も当時から存在してたって
>理解出来るよな?

姓氏録の「高句麗人」は逃げられないから、それについては僭称・仮冒に
するわけか。

君は高句麗は「敵国」だと言っていたのではなかったか?
敵国人を仮冒してなんの得があったのか?

882 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 08:59:39
我々は、高句麗が日本に軍事同盟を打診したことは知っているが、
それは打診に終わって、実際はなんの関係もなかったと思っている。

しかし前に書いたように百済はすでに高句麗と共同作戦していた。
その作戦は、実際に高句麗と共に唐軍と戦ったこともあったが、
それよりも、唐軍と協働するために遠征する新羅軍の通り道を抑えたり、
遠征の留守に新羅の本拠を衝いたりという、新羅に対する妨害が
主体だった。

これに業を煮やした唐が百済の各個撃破に転換するのだが、それは
高句麗にとっても危機だった。その百済を日本が応援して共同作戦に
踏み切ったのだ。高句麗にとっては日本の参戦は百万の見方を得た
気持ちだっただろう。

失敗には終わったが、上記の意味で日本はすでに高句麗とも軍事同盟
関係にあったと言えるのである。滅亡後に高句麗人の多くが日本を
頼った気持は十分理解できる。

883 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 09:01:20
>>882
訂正:
見方 > 味方

884 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 10:19:42
渡来人が王権を取ったなんてアホな事言うやつも何だが、
かたくなに渡来人が来てない事にしたがるやつも変。
高句麗人だって来たのは当たり前。

885 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 02:54:13
渡来人っていうか帰化人な。
はじめは首都とその近辺に集まっていた。
地方の開拓にまわされるようになったのは
百済・高句麗が滅亡してからだな。

886 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 02:58:11
>>870
>それに引用箇所(リンクはオミットw)には「高麗人」とはあっても「高句麗人」とはないし。

あほかw
これ↑だけで議論に参加する資格なし!
基本中の基本を知らんとは…。
高句麗は520年以降は正しくは高麗なんだよ
半島の王氏高麗(後高麗)ができてからの後世の人間が区別するために
高句麗というようになったけど正式には高麗。
だから半島の高麗がまだまかった時代に書かれた日本書紀は
高句麗のことを高麗と書いている。

887 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 03:43:30
別に真赤な顔して(るかどーか知らんが)議論参加資格なし!とか
叫ぶほどでもねーんじゃね?
意図的っぽく三国時代とか朝鮮とかまぜまぜしてる
バイアス君とかもいるくらいだし。

888 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 13:43:41
任那と、呼ばれる地域はあったのだろうけど、
日本府かどうかって話はマユツバだよね。 関係の深い地域だったろうとは思う。
そんな程度の解釈です 

889 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 17:40:56
>>888
5世紀、日本の軍装(帯金短甲)が伽耶に波及している。
軍装が波及するというのは伽耶が日本の強い影響下にあったという事だ。

騎馬民族の乗馬道具の轡(くつわ)や鐙(あぶみ)が日本で見つかるからと言って、
日本が騎馬民族に征服されたという説を唱えた学者がいたが、
実際はその正反対の状況なのだ。

道具ごときが波及するのと、
軍装自体が波及するのでは全然意味が違うだろうに、
なぜか道具が波及した騎馬民族説が左翼学者によって持ち上げられてきたのが現実なのだ。


890 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 19:32:57
>>888
>任那と、呼ばれる地域はあったのだろうけど、日本府かどうかって話はマユツバだよね。 関係の深い地域だったろうとは思う。

変なことを言うね。
任那が日本府なのではない。任那の中に日本府があったのだ。

891 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 19:48:29
>>890
それは任那日本府の解釈次第でどうとでも取れる。
任那日本府=みまなのやまとのみこともち(任那倭宰)
なのか否か。機関なのか地位・立場なのか。

892 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 22:46:05
>>891
任那の中に任那日本府があった。
これは雄略紀および欽明紀を読めば明らかだ。
雄略紀では、新羅が任那王に助けを求めて、任那王が日本府の将軍たちを
新羅の応援に行かせた。
欽明紀では、百済王が任那諸国および日本府を招集して天皇の勅を伝えた。

以上から、日本府の性格に関する解釈は人によって別れるだろうが、
任那諸国と日本府は別であるということは動かない。

893 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:11:10
>>892
>欽明紀では、百済王が任那諸国および日本府を招集して天皇の勅を伝えた。

武寧王以降、百済は実質日本の傀儡であったという俺の意見に合致するな。

894 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 23:36:08
>>893
テンシ王以来では?
テンシ王自身倭国に質として滞在していたし倭王に泣きついて百済王にしてもらった人だから。

895 :日本@名無しさん:2009/01/23(金) 08:47:50
>>856
土地(のブランド性)にしがみついている人たちだから。土地が「汚れた」と思えたらダメ。
自力で外国勢力を追い出したこともないから、さらにその辺の自信も持てない。
三韓時代しかり、朝鮮役しかり、大東亜戦争以後しかり。


896 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 08:50:19
私の見方では、任那日本府とは「駐留軍本部」である。

雄略紀の時代には戦力として機能していた。しかしその地位は任那王の
下位にあった。すなわち「総督府」ではあり得ない。

欽明紀の時代には土着化して一地方豪族と化しており、戦力として機能
したかどうか疑わしい。

897 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 10:23:52
>>896
しかし任那王の墓というものがあいまいだ。
倭人の墓の方がはるかにデカい。

898 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 13:33:20
>>897
その「倭人の墓」とは例の11基の前方後円墳のことだろうが、これが
あるのは倭の直轄地であって、上記の議論の対象ではない。

899 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 13:59:40
>>898
んじゃ任那王の墓ってどんなのだ?

900 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 21:01:13
たぶん知っていて聞いているのだろうが、もしほんとに知らないのなら
ぐぐればいくらでもページはある。
ひとつだけ教えてやれば、
http://mugentoyugen.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_59ad.html

901 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 01:17:07
>>900
なんでい、結局地下式木槨墓かよ。
あんなもの王墓とは言えないし、
あれ以外、5世紀になってからの王墓があるのかと思ったよ。

902 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 01:27:06
任那は大和朝廷の領地で、大和朝廷から派遣された役人と軍の
「統治機関」が「任那日本府」。

903 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 07:53:21
>>901

アレが王墓としたら、近畿の古墳は皇帝陵だよなw

904 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 08:32:54
>>902
王がいるから少なくとも直轄領ではない。
(これに対して全羅南道は直轄領である)
また日本府の将軍が任那王の指示を受けているから、統治機関(総督府)
ではあり得ない。

905 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 10:01:57
だから任那王なんて考古学的に確認できないのに、
その指示受けたと言われても。
その任那王とは倭人で最前線指揮官だったかもしれないしね。
ならば彼は日本で埋葬されたわけだw

906 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 11:53:01
>>905
考えて見よ。任那日本府はどこから出て来たのか。
唯一、日本書紀の記述ではないか。

任那日本府の存在については日本書紀を根拠にし、任那日本府の性格に
ついては日本書紀の記述を否定して、なにか知らない勝手な根拠を持って
来るのならば、それはダブルスタンダードと言うものだ。

日本書紀には「駐留軍本部」あるいは「土着化した豪族」以上のものを
推定させるものは書かれていないのに、なにか「植民地総督府」のような
ものを想定して、賛成派はこれをもとに任那植民地を主張し、反対派は
総督府がなかったことを理由にして(駐留軍本部としての)任那日本府の
存在まで否定する。これが現在の任那日本府論争の姿だ。

907 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 18:17:25
>>906
>ダブルスタンダードと言うものだ。

日本書紀を根拠に任那王の存在を語り、
「日本府の将軍が任那王の指示を受けている」という君も同じだろうけどね。

大成洞の木槨墓の後、池山洞古墳群、玉田古墳群(多羅国)に任那の権力が移行するようだが、この両古墳群とも土まんじゅう式の高塚の円墳だ。
しかも倭系武具が多く出土する。
日本で円墳なんて腐るほどあるわけだが、それらは前方後円墳の臣下の者だな。
池山洞や玉田も直轄領である全羅南道の前方後円墳の臣下である者の円墳ではないのか?
つまり任那王とは倭人の軍事将校クラスではないのか?

908 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 20:10:29
>>907
>日本書紀を根拠に任那王の存在を語り、
>「日本府の将軍が任那王の指示を受けている」という君も同じだろうけどね。

わかってないな。上記こそシングルスタンダードだ。
なぜなら、任那王の存在も、日本府への任那王の指示も、どちらも日本書紀
に記述されているからだ。


909 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:28:49
>>908
ならその任那王とやらは池山洞古墳群、玉田古墳群に埋葬されてるという事でいいのか?



910 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:40:51
>>908
日本書紀に書かれてることを根拠にするなら、
神功皇后の三韓征伐もあったでいいな。
話は早い。

911 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 08:21:05
>>909
この場合は狭義の任那だから、はじめは大成洞、後には福泉洞だ。

>>910
君に聞きたいが、任那日本府は日本書紀以外に、どんな根拠があるのか?

912 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 08:30:01
もう一度南朝鮮を併合して日本が発掘調査でもすれば、いくらかでも明らかになるのかな。

913 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 08:46:32
>>911
5世紀以降の福泉洞古墳群は地下式が主流なのか、それとも高塚が主流なのか?

あと狭義の任那というが池山洞も玉田もその狭義の中に含まれるだろ?

914 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 14:50:38
>>913
>5世紀以降の福泉洞古墳群は地下式が主流なのか、それとも高塚が主流なのか?

たまには自分で調べて、私に報告してくれ。

>あと狭義の任那というが池山洞も玉田もその狭義の中に含まれるだろ?

含まれない。厳密には狭義の任那は金官一国だ。
私はその他の任那諸国までを含めたものを中義の任那
さらに直轄地の全羅南道までを含めたものを広義の任那
としているが、これは人によって異なると思う。


915 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 15:24:09
>>878
>「卦婁(ケル)」とは高句麗の五部の一つ桂婁部だろ?

断定はできんが、その可能性はあるだろうな。
しかし、卦婁(ケル)=桂婁部、だったとしても、
高句麗人の子孫と限らないよ。
大和朝廷内で出世するために、自分を高句麗王族の子孫であるとか、
高句麗王族の血を引く貴族であると称した百済人がいただろうからね。





916 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 15:34:16
                    
高句麗は新羅と対立していた。

高句麗は半島の北部にあり、新羅は南部にある。
もし、高句麗人が新羅軍に追われて逃げるとしたら、北方(満州)だろう。
南方(半島南部)に逃げたら、新羅軍に捕らえられ、殺されてしまう。
したがって、高句麗人が南方に逃げて日本に亡命し、帰化した、
なんてことは有り得ない。ふつうに考えれば分かることだ。

コマ人は百済人(コマ=忠清道の百済人)と考えるのが正しい。


917 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 16:50:36
>>914
福泉洞を調べたが高塚らしきものはないのだ。
もちろん簡単に調べただけなんで断言はできないが。
竪穴式石槨はあるようだ。
この竪穴式石槨って倭系ではないのか。
そして池山洞も玉田も高塚の円墳だ。
つまり福泉洞、池山洞、玉田のどこに任那王ってのがいたのかは分からないが、
実態は倭人だろう。

918 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 16:53:57
>>915
>大和朝廷内で出世するために、自分を高句麗王族の子孫であるとか、
>高句麗王族の血を引く貴族であると称した百済人がいただろうからね。

なら高句麗王族の血を引く貴族であると称した百済人がいた事を証明しないといけないな。
できないなら高句麗人だと認めないとな。

919 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 21:45:29
>>917
>福泉洞を調べたが高塚らしきものはないのだ。

計37基あって、墳丘があったかどうかは不明となっているな。つまり
現在は墳丘がないのだろう。

>竪穴式石槨はあるようだ。

はじめは木郭墓、後に石槨墓になったようだな。

>つまり福泉洞、池山洞、玉田のどこに任那王ってのがいたのかは分からない

私が「狭義の任那の王」と言ったのは雄略紀の記事に出て来る任那王に関して
だ。雄略天皇は五世紀後半だから「狭義の任那」すなわち金官国は福泉洞の
時代だ。そして最後の金官王、金仇亥(仇衡王)は欽明天皇になる前の
532年に新羅に降伏した。

>実態は倭人だろう。

福泉洞の集団は大成洞の北方化がはじまる前からあったらしい。その支配者
が土着人か、それとも大成洞集団の一派かは不明である。前者だとすれば
倭系の可能性は強い。このあたりはもともと倭人居住地だからね。(本土から
来たという意味でなく土着)

なお、池山洞は大加羅国、玉田は多羅国で、これらにももちろん王はいた。
欽明記は彼らを表すのに「カンキ等」と呼んでいるな。これは雄略紀の
「任那王」と区別したのかもしれない。


920 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 10:34:45
5世紀になれば金官国より大伽耶国の方が盟主になるのではないのか。


921 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 11:57:29
>>920
だからといって雄略紀の「任那王」は大加羅王のことであった、とは言い
にくいだろう。
衰えたとは言え金官国が存在する間は、倭との関係は金官国が最も深かった
のではないか?
でなければ金官国(と周辺の若干の小国)だけが滅んだ段階で、欽明天皇が
あれだけしゃかりきになって、「任那を立てよ」「任那は棟梁ぞ」と叫ぶ
はずがない。
また大加羅の王は日本書紀では「加羅王」と表されたと思う。

922 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 23:59:24
金首露王の墓って土盛りなんで実際は5世紀だろうな。

923 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 17:16:15
ニニギノミコトに当たる伝説上の人物なんだからなんだってできる。
宮殿まで「復元」されているが、日本人はあそこまではできないね。

924 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 20:57:14
「新説日本ミステリー」で蘇我氏が新羅人にされてるぞ
しかも新羅は『新しい羅馬』でローマ人だとw


925 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 21:45:17
マルハンが大スポンサーで、製作にも口を出すらしい噂(飽くまで噂w)もあるからね。
連中からすれば『英語の起源は韓国』『英国の起源は韓国』『四大河文明の起源は韓国』だから
『古代ローマ帝国の起源は韓国』への布石と思えばある意味でさほど驚かんよ。

蘇我氏=新羅系は、可能性としてはかなり低いだろうけどね。

926 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 22:13:44
蘇我氏は百済系じゃなかったのか?
何で新羅人?

天皇よりも強大な権力を誇った一族とか言ってたな
蘇我氏=新羅人なら大変な事だぞ
2000年の日本の歴史で王朝を他民族に乗っ取られたことを認めることに
なるんだからな

927 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 22:37:04
>>926
百済系なら大変な事じゃないのか?

928 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 22:45:19
任那の意味の範疇をめぐって齟齬があるようだね。
もう10年以上前から2chでは「任那とはなにか」をめぐって議論があり
一度は(当時の段階での)結論がでていて
その前提でスレが進行してた時代もあったんだがなぁ。
-------------
広義の任那は、百済領でも新羅領でもないところの総称だろう。
中義の任那は全羅道方面の四県二郡と慶尚道の加羅諸国のどちらか一方だけをさす。
狭義の任那は加羅諸国の中の中心的な国(前期は大加羅=伴跛、後期は駕洛=金官)
加羅諸国と新羅と百済は内政権は自治権としてもっていたが軍事指揮権は倭王にあった。
中国の江南王朝は百済に対する軍事指揮権だけは倭王に認めてはいなかったが
百済と倭が友好関係だったので形式上の軍事指揮権は守られたが
新羅は反抗的だったので有効に発揮されなかった節はある。
(所謂倭の五王の将軍号叙任)

そしてその倭王の軍事指揮権は前期は「みこともち(宰・吉)」とか
「いくさのきみ(将軍・書紀の表現では任那行軍元帥)」とか
三国史記で「倭国大臣」とか「倭使臣」とかいわれる臨時の官として派遣されることで機能するのであって、
前期は常駐の官ではなかった。
常駐の官としては倭の直轄地である四県二郡(6国)の「くにのみこともち(書紀の表記では「国司」)」がいた。このポストは吉備氏の利権だったようだ。
が、四県二郡が百済に割譲された時、それら任那国司は百済に仕えるべきだった
(実際、百済には倭人系の官僚がいた)のに、
今までは威張ってたのが百済人の下に立つのは嫌だし、
かといって失職して故郷に帰るのも嫌で、安羅に逃げてきて別のしかるべき地位を本国に請求。
憐れんだ本国が余計なポストを用意して安羅に居候できるように取りはからったんだろう。
それが本来なら臨時の官であるはずの、倭王の軍事指揮権を行使する官。
「任那日本府」が常駐の官となったのはこの時が最初。
つまり「もともと無駄なポスト」。
彼らは四県二郡を奪った百済が憎くて、百済に嫌がらせをしてただけ。
任那の諸王(=加羅諸国の旱岐たち)はとんでもない状況に追い込まれ、
北の伴跛国(連衡派)と南の安羅国(合従派)の二派に分裂したけれども、
どっちにしろこうなっては滅亡をまぬがれるのは難しい情況。

929 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 02:00:18
蘇我は渡来系ではない。

何度言えば分かるのだろうか。



930 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 02:19:46
チョンに記憶力などないので何度言っても覚えない

931 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 09:47:33
>>928
>(前期は大加羅=伴跛、後期は駕洛=金官)

金官衰亡後にまた大加羅の時代があったのではないか?

>前期は常駐の官ではなかった。

雄略紀に「日本府」の言葉が出てくるのをどう解釈する?

>憐れんだ本国が余計なポストを用意して安羅に居候できるように取りはからった

これらの国司が任那日本府に属するようにという指示が出されたという記事が
どこかにあったのではないか? 
ということはそれ以前に(所属先となるべき)任那日本府があったことを
意味しないか?



932 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 20:12:11
>>924 この説テレビ屋が興味本位で作りだしたものではない。あなどってはならない。
「ローマ文化王国ー新羅」由水(よしみず)常雄 著 新潮社 という本がある。由水氏は美術史学者でガラス研究の第一人者。
この本も奇をてらったものではなく、新羅出土のガラスをはじめとする遺物の研究を基礎として、それらが古代ローマに起源をもつものであることを証明している。
テレビがこの本をどう扱うかは知らないが、韓国にありがちなウリジナル説以外にもこのような説があることは知っておくべき。

933 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 20:18:58
>>932
その件と「新しい羅馬=新羅」を安直かつ一緒くたにするのはどうかと。
安直かつ一緒くたにして論じるようなら「ウリジナルをコリエイト」するような
話に終始する可能性も否めないし。てかここは任那日本府スレなんで。

934 :YAP?:2009/01/28(水) 23:29:31
 良く分らんのだが、何故、金官国を大加羅と混同するのだ?
金官伽耶国は、日本側では「南加羅(ありひしのから)」であって、
「大加羅」即ち「意富加羅(おほから)」とは、別国であることは明白だ。
加羅諸国即ち、伽耶(五伽耶〜六伽耶)は、大伽耶山を中心に結成された
祭祀同盟だったとすれば、大伽耶山を領域内に抱える(もしくは隣接する)
弁辰弥烏邪馬国の後身たる意富加羅国が, 加羅(伽耶)諸国の中心で
あることは確かだ。
金官国は、弁辰狗邪国の交信だろうが、地理的条件から行っても、(日本との
交通上の要地では会っても)、六伽耶の中心国としては南方に偏している。
加羅〜伽耶は、弁辰諸国の後身であり、馬韓から、辰韓諸部族が分離し、
更に辰韓諸部族と「雑居」していた弁辰諸部族(国家)が、分離して南下した
とすれば、そもそも、加羅諸国の中心が、北方の大伽耶であり、次いで、小伽耶、
阿羅(安羅)伽耶=「新(あら)加羅」、更に「南加羅=金官伽耶国」と展開したと考えるべきだろう。

 おそらく、馬韓から韓系諸部族が東進・南下する間では、倭人が選挙していたのだろうが、
韓族の南下に際して、倭人の一部が、韓族中心の祭祀同盟(辰韓や弁辰)に
加盟したのだろう。大加羅の前身と考えられる「弁辰弥烏邪馬国」の「邪馬」
などは、上代日本語の「やま」の音を移したものと考えてよい。
同じ『三国志』の東夷伝の倭人条の「邪馬台国」「邪馬国(旁国の一つ)」と
韓条の「弁辰弥烏邪馬国」で、「邪馬」の音が異なっていたと考えるわけには行くまい。

935 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 00:17:21
>>931
>金官衰亡後にまた大加羅の時代があった

そうです。衰亡後っていうか滅亡後ね。正確には北の大加羅と南の安羅の分裂期。

>雄略紀に「日本府」の言葉が出てくるのをどう解釈する?

「やまとのみこともち」に漢字をあてる際の潤色。
仮名日本紀のとおり「倭宰」と読み替えるべきことは
江戸国学の時代からいわれてること。

>それ以前に(所属先となるべき)任那日本府があったことを意味しないか?

さぁ。その可能性を否定はしないが手っ取り早い論証が思いつかない。
三世紀すでに倭宰(またはその前身)が常駐の官としてあったなら
北九州の一大率とともに対馬海峡を挟んでその両岸に相呼応する存在だったんだろうね。
------
>>932-933の問題は新羅スレでやろう。
--------
>>934
混同してないでしょ、>>928以降は。

936 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 17:05:11
>>935
931で「これらの国司が任那日本府に属するようにという指示が出された」
と書いたのは間違いだったので取り消す。

これは欽明4年に、「任那の下韓に在る百済郡令城主は宜しく日本府に
附けよ」という詔が百済に対して出されたのを勘違いした。
上のものは先に移り、さらに下のものも、というようにも取れるから、むしろ
君の説に有利だ。

937 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 17:11:45
>>935
(雄略紀の日本府は)「やまとのみこともち」に漢字をあてる際の潤色。
仮名日本紀のとおり「倭宰」と読み替えるべき

それは言葉の問題に過ぎない。
それは別として、雄略紀の日本府の倭人将軍たちが「任那王」の指示に
従っていることをどう考える?

938 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 18:23:27
>>936
「郡令城主」? 「軍主」じゃなくて?

>欽明4年に、「任那の下韓に在る百済郡令城主は宜しく日本府に
>附けよ」という詔が百済に対して出された
>上のものは先に移り、さらに下のものも、というようにも取れる

百済が任那諸国にそれぞれ軍主を派遣していたのは
倭国にあるはずの軍事指揮権を干犯してることになるから
本来の管轄者である日本府の下に配置替えするということでは?

この百済が派遣していた「軍主」ってのも
元は四県二郡の役人を百済が斡旋して(?)
任那に押し付けた手合いかも知れないが。

939 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 20:10:35
>>932>>933
直接にはスレ違いだが、他山の石にはなるんだよなあ。
「電波が案の定電波を発した」という話とは、やや違う。
ちゃんとした専門家が、応用問題を解いてみようと思ったら、
デタラメもデタラメ、とんでもない電波説を創りあげてしまったという話で、
歴史分野にはときどきある。
日本語アクセント史のまともな議論を滅茶苦茶にしてしまった
強力電波本である、小泉保「縄文語の発見」が典型例。
言語音声学の第一人者だったから、
一応何らかの意味はあるだろうと思われてしまい、
珍説大洪水のトリガーの一つとなって、ついに学問自体が崩壊してしまった。
大野晋の「日本語タミル語起源説」も似たところがある。
この種の説には、本当に気を付けないといけない。

940 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 20:15:34
>>938
「軍主」というのがあるかどうか知らないが、郡令城主というのは
「こおりのつかさ・きのつかさ」と読むのだ。
「下韓(あるしからくに)」というのがどの範囲なのか、調べてもわから
なかったが、おおかたの解釈では安羅の一部らしい。

つまり百済が新羅に対抗して任那を回復するために出兵した際、安羅の
百済寄りの領土に居座って、そこに文官、武官を置いた。
安羅はこの地域が百済に取られてしまうのではないかと心配だから、日本に
対して文句を言ったのを受けて、日本が、これらの官を(安羅の中にある)
日本府に属させるという形で、安羅の領土的不安を解消しようとした、
という解釈だ。


941 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 01:19:18
記録に残ってなくても「下韓(あろしから)」があったなら
「上韓(おこしから)」もあったろうと想像できるね。
この上下は洛東江(当時は洛東江とはいわなかったろうが)の
川上(かわかみ)川下(かわしも)のことだろう。
下韓は安羅を中心とする南(日本府系)の加羅諸国
上韓は伴跛(大加羅)を中心とする北(独立派)の加羅諸国

軍主というのは三国史記の用語。
たぶん郡令城主と同じものをさしているのかな。

942 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 03:29:06
コイツら絶対天孫降臨とか信じてる口だな。

943 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 03:44:31
はいはい、ぜんぜん信じてませんがなにか?

そんなみえみえな煽りよりも
中世にできた三国史記が漢籍史書より
信憑性があるとおもってるほうが
歴史研究には有害だけどね。

944 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 08:21:06
>>941
ところで君に再質問。
雄略紀で、日本府の倭人将軍たちが「任那王」の指示に従っている
ことをどう考える?



945 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 09:23:39
941ではないが、

【46】雄略紀8年2月条
 新羅国は日本に背いて8年の間朝貢してこないばかりか、国を高麗(こま=高句麗)に護ってもらうことにした。
 高麗の軍人の一人が、使用人である馬飼の新羅人に「お前の国は、そのうち我が国のものになるのだ。」と話した。新羅王がそのことを聞いて高麗と戦争になった。
 新羅は劣勢であったので、任那の王に使いをやり「日本府(やまとのみこともち)に援軍をだしてもらいたい。」と頼んだ。
 任那の将軍は、高麗を追い払った後で新羅に言った、「今後、日本の朝廷に背くことの無い様に。」

>「任那王」の指示に従っている

と言えるほどのものか?
というかそんな特筆すべき事象でもないと思うが。
何をそんなに気にしてるのだ?


946 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 11:42:48
>>945
いいところだけをつまんで書いてはいけない。
講談社の現代語訳日本書紀から引用:

新羅王は夜、高麗軍が四方に歌う歌を聞き、新羅の地にことごとく敵が入って
いることを知った。そこで任那王のもとへ人を遣わし、「高麗王がわが国を
攻めようとしている。いまやわが国は吊り下げられた旗の如く、敵の思うまま
に振り回されている。国は累卵の危うきにあり、命の長短も計られない。どうか
助けを日本府の将軍たちにお願いします」と言った。任那王は膳臣斑鳩、吉備臣
小梨、難波吉士赤目子などを送り、新羅を助けさせた。

任那王の指示に従ってるだろうが。
それと、日本府が「軍事指揮権」を持っているのなら、新羅王はなぜ、日本府
をすっ飛ばして任那王のところに行くのか?

947 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 12:00:42
任那が日本から見て半島の出先機関だからだろうが。

948 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 14:23:01
説明完了w

949 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 15:09:19
>>946
>945は俺が訳したのでなく拾ってきただけなのだがな。

>任那王の指示に従ってるだろうが。

そうかなぁ。
(屈強な)日本府の将軍たちにお願いしますという事からして、
任那王は単なるパシリのような感じもするが?w
まぁ任那王が上ということでもいいが、
例えて言うなら旧日本軍の元帥クラスと満州国皇帝の関係のような感じかな。

何でそんな事を気にするのだ?



950 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 15:14:17
任那王に助けてくれとは言ってないよな。
あくまで日本府の将軍が主体だな。

951 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 17:10:28
>>949
>例えて言うなら旧日本軍の元帥クラスと満州国皇帝の関係のような感じかな。

なるほど。
例えば蒙古がソ連に攻められると言って、満洲国皇帝のところに行って、
どうか関東軍を出動させて下さい、と言った。
満洲国皇帝は関東軍司令官に指示して、部隊を出動させて蒙古を助けた、
とする。
この場合、関東軍司令部には「軍事指揮権がある」と言うのか?

952 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:40:53
>>921
>だからといって雄略紀の「任那王」は大加羅王のことであった、
>とは言いにくいだろう。
>衰えたとは言え金官国が存在する間は、倭との関係は金官国が
>最も深かったのではないか?

雄略天皇の時代に、金官国という国は存在しないだろ。
金官国(ワイ族の国)が出現するのは、継体天皇の時代だろ。




953 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:52:37
>>918
>なら高句麗王族の血を引く貴族であると称した百済人がいた事を
>証明しないといけないな。

いや、そんなもん、証明する必要ないだろ。
古代日本人が、百済のことを「コマ」と呼んでいた事実だけを指摘すれば
十分じゃん。
高句麗のことは「フヨ」と呼んでいたし。
高句麗が古代日本人から「コマ」と呼ばれるようになったのは、早くても7世紀頃だろ。
3世紀以前の時代は、クタラ(半島の南西部=馬韓地方)の北方地域を
コマと呼んでいたのだから。


954 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:59:35
                        
 『日本書紀』の継体紀に、奇妙な記録がありますよ。

 継体23年に、大和朝廷が物部伊勢連・父根らを勅使として任那に派遣し、任那・加羅の多沙津の港を
百済に与えようとしたが、加羅王(任那国司の下位にある国主)が異議を唱えたため、多沙津の地を今与えるのは
難しいと判断し、多沙津を与えるのをやめて帰国した、という記録に続いて、大和朝廷が別の時期に録使(文部)を
半島に派遣し、その録使を、扶余(高句麗)に与えたのだという。
 継体23年頃、大和朝廷は高句麗と外交交渉を行っていたのだろうか。それとも、この録使は奴隷なのだろうか。
おそらく大和朝廷は、新羅との戦争に備えて、高句麗との軍事協力を模索していたのかもしれない。



955 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 20:31:50
>>952 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 19:40:53
>>921
>雄略天皇の時代に、金官国という国は存在しないだろ。

金官国の前身は狗耶韓国。
前期の金官国(大成洞遺跡)は3世紀末から5世紀初頭まで。
後期の金官国(福泉洞
遺跡)は5世紀初頭から6世紀前半まで。

雄略の時代は後期の金官国に当たる。



956 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 20:51:31
>>964
扶余とは百済のことだ。
多沙津を百済に与えようとしたが、加羅(おそらく大加羅)王が反対
したので、その場で与えるのは難しい(原文:難以面賜)と判断して
そのまま帰国し、別に文官を派遣して結局は(おそらく文書で)百済に
(多沙津を)与えた。(原文:別遣録史、果賜扶余)

こういう経過だから、そのすぐ後の、加羅王が恨みに思って新羅と
結んだ、という文章に続く。

957 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:25:40
>>951
>この場合、関東軍司令部には「軍事指揮権がある」と言うのか?

形の上ではどうか知らないが、実質の軍事指揮権は「軍」なんだから関東軍司令部だろう。
当たり前ではないのか?


958 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:31:39
>>951
天皇の権限を考えたら満州国皇帝が偉そうに日本軍に指図なんて出来るわけないよ。



959 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 21:33:33
今宵もバイアス君は元気であった(笑)

960 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 02:54:41
チョンの電波スレ

961 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 03:36:31
>>952,>>953はいつもの既知外コマ厨

>>945
>何をそんなに気にしてるのだ?
>>949
>何でそんな事を気にするのだ?

もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。

任那王に軍事指揮権があるのなら、単純に任那王に支援要請すればいいのであって
「日本府」などという言葉が出てくる必然性はない。
通常なら新羅はいきなり日本に支援に支援要請すればよいのだが
雄略紀の文脈では、新羅は日本への貢納を停止して高麗(敵方)に附いていたのだから
日本とは気まずい関係にあった。それで任那王に取り次いでもらったわけだろう。

>>949から続く関東軍の喩え話はうまいと思わない。
こういうもののたとえは大雑把なものなのだから
当然細かい事情は異なる。
関東軍がソ連を恐れて衝突回避を画策してたとしたら
蒙古は救援要請してもうまくいかないと考えるかもしれない、
しかし関東軍は必ずしも日本政府の意のままに動いてるわけでもないから
ダメ元で満州国皇帝を通じて日本政府から圧力かけてもらおうとするかも知れない。
でもこんな例えはどうでもいいや。
「喩え」に細かいつっこみ入れるのは卑怯だし
そういうつっこみ相手にするのは無駄だから
さっさと例え話なんぞはひっこめた方がいい。

962 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 08:25:50
「どうか新羅を助けてあげてくれませんか」と
「指令。新羅を助けなさい」のどっちだろうか?w

日本府の将軍たちは大王(おおきみ)の意に反する事はしないだろうね。

963 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 08:53:15
Happy new year for 2009!I hope you passed some good moment for
the end of the years 2008.I don’t know if it’s the same in
Japan,but in France,we usually give our best wishes during all
of the month of January.For example,this week,the French
president gave it to radio and newspapers.I’m just in time.If
you remember,since the end of my studies,I live in Paris.I work
as a project manager in a little start-up and my job is very
interesting.But I just realized that I know very few things
about you work.Next time,don’t hesitate to teach me about this
topic.Because I worked since less than one year,I had no
vacation for Christmas and the end of the years.Except the 25/12
and the 01/01 which are free for all people in France.That's
why my Family and my friends came together in Paris.But we were
very disappointed by the New Year.On the“Champs Elysés", they
were more policemen than visitors.And near the Eiffel Tower,the
place was so dirty that we decided to come back and passed the
end of the night in my little flat.Too bad!According to me,
it’s a shame for a city like Paris.I assumed that you heard
about the world financial crisis.Contrary to appearance,all is
not in trouble in France.(Even if we are often on strike.)
That’s true it’s hard,but we continue to live, to buy and to
work.Part of my job was related to recruitment,that’s why I
know well that my company will continue to hire people.I hope
that this crisis can help the walk of the world to change.We
will see.Now we arrived at the end of this letter. As you know,
even if I took some time to answer,it’s always a pleasure to
hear about you and Japan countries.All the best to you !
Pierre Ps1: Please, forgive me if they are some English mistakes
in this mail.I’m still trying to improve this skills Ps2:

964 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 09:10:02
>>962
>日本府の将軍たちは大王(おおきみ)の意に反する事はしないだろうね。

時期による。
四県二郡を百済に割譲してからは日本府は反百済・親新羅。
欽明紀をみれば天皇の勅令に背くのも平気なようで。

あと既知外が寄ってくるからいちいち揚げないでくれ

965 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 09:25:36
>>957
>実質の軍事指揮権は「軍」なんだから関東軍司令部だろう。
>当たり前ではないのか?

なるほど。関東軍司令部が関東軍の部隊に命令する権限を「軍事指揮権」と
言うのか。それなら任那日本府の「軍事指揮権」も、配下の倭人部隊に及ぶ
だけだったのだな?

>>958
>満州国皇帝が偉そうに日本軍に指図なんて出来るわけないよ。

当たり前だ。指揮どころか、蒙古の訴えを直接に聞いた段階で、関東軍は
皇帝を幽閉しただろう。
「軍事指揮権」という言葉が一人歩きしているから、その定義を考えるために、
そのあり得ない状況を想定したのだ。雄略紀に合わせてね。

>>961
>もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。

実際に矮小ではないか。欽明記になるともっと矮小だ。
新羅の位を持つ現地生まれの男が日本府を乗っ取って、倭人将軍たちを
意のままに動かしていたと言うのだからな。
どうも任那日本府の存在を極大化したいという願望が多いようだ。

966 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:07:38
>>965
韓国側が言うように任那日本府がなかったという意見ならともかく、
あったのは事実なんだから、その内容については多少の差異があろうとも、
そこまで細かく興味のあるやつはほとんどいないだろう。
日本府があったのが確かなら、
あとははっきり言ってどうでもいいというのが大方の意見だろう。
しかるに君は、

>倭人将軍たちを意のままに動かしていたと言うのだからな。

そんな小さな事がよっぽど嬉しいのか?w

967 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:16:59
>>965
>それなら任那日本府の「軍事指揮権」も、配下の倭人部隊に及ぶ
>だけだったのだな?

弱国の任那王に倭人将軍を指揮する軍事権限なんてあったと思うのか?
福泉洞ごときのへたれた古墳でなく、
もっと立派な墓を作れる身分になってたら一応考えてやってもいい。




968 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 11:31:00
>>966
煽るなYO

>>961で言った通り関東軍の例えはもうやめようよ

>>965
>>もちろん日本府の存在をなるべく矮小化したいという願望。
>任那日本府の存在を極大化したいという願望が多いようだ。

なるほど、主観的にならないように気をつけよう。
>>964の通り、欽明期の日本府がしょうもなかったのはその通りだが
権勢が時期によって隆盛したり衰退したりという変化があるだろうね。

969 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 12:10:07
任那あるいは任那日本府と半島南部で発見された
前方後円墳との関係について興味があるのだけど、
これらのことについて研究した資料は何かあるでしょうか。

970 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 12:17:50
>>969
資料は知らないが貝製腕輪・ベンガラ朱・埴輪まで見つかってるのだから、
誰が考えても倭人の墓という事になるのだろうが、
韓国側は認めてないのじゃないの?

971 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 13:32:10
>>966
あったことは間違いないのだから、そっとしておいてくれと言うのなら、
「軍事指揮権」などと大きなことを言わなければよいのだ。

>>968
>権勢が時期によって隆盛したり衰退したりという変化があるだろうね。

それはその通りだろうが、日本書紀のなかで任那日本府のことを述べている
のは、任那日本府が「どうしようもなかった」欽明紀の他には、日本府が
任那王の指示を受けた雄略紀しかない。
だから、その「隆盛」期の日本府について述べた個所はどこにもない。
隆盛期というのは想像の産物に過ぎない、ということははっきりして置く
べきだ。

972 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 18:30:15
>>971
>「軍事指揮権」などと大きなことを

軍事指揮権などと言い出したのはおまえであり、
俺は任那王ごときにそんなものはないと言ってる。


>任那王の指示を受けた雄略紀しかない

君の恣意的見解。
任那王など大和王権への単なる取次ぎにしか思えないし、
「考古学的」にも任那王の墓など、
王墓とは呼べないもの。



973 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 20:17:54
>>966
「軍事指揮権」を持ち出したのは私ではなく、>>928だ。

>加羅諸国と新羅と百済は内政権は自治権としてもっていたが軍事指揮権は倭王にあった。

この言い方なら加羅諸国、百済、新羅は「内政権」のみを持っている。
ということは倭王の代理である日本府は、外交権、軍事権を含むそれ以外の
権限をすべて持っていたことになる。
任那王は日本府を通さず勝手に新羅と外交や戦争をする権限はないのだ。
私はそのような意味での「軍事指揮権」を、少なくとも日本書紀に書かれた
任那日本府が持っていたようには読み取れない、ということを言っているのだ。

>任那王など大和王権への単なる取次ぎにしか思えないし、

上記の考え方なら新羅王はまず任那日本府へ使いをやるべきである。
そうせずに任那王のもとに使いをやったことだけでも、この地方での
「日本府」の「軍事指揮権」が完全なものではないことになる。

誤解がないように言っておけば、百済に譲渡する前の全羅南道の直轄領に
いた倭の国司(くにのつかさであり、やまとのみこともちでもある)が、
完全な「軍事指揮権」を持っていたことに反対しているわけではないよ。

974 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 22:29:05
>上記の考え方なら新羅王はまず任那日本府へ使いをやるべきである。
>そうせずに任那王のもとに使いをやったことだけでも、この地方での
>「日本府」の「軍事指揮権」が完全なものではないことになる。

そこのところは>>961が言う、
「新羅は日本への貢納を停止して高麗(敵方)に附いていたのだから
日本とは気まずい関係にあった。」という事でないの。

975 :928:2009/02/01(日) 00:12:10
>>973
>この言い方なら加羅諸国、百済、新羅は「内政権」のみを持っている。
>ということは倭王の代理である日本府は、外交権、軍事権を含むそれ以外の
>権限をすべて持っていたことになる。

ウリは928ニダ。
あなた素人じゃないとしたら、わざとやってない?
「内政権をもっていた」とはいったが「内政権しかもってなかった」とはいってないよ。
加羅も百済も新羅も独自外交を展開してたのは周知の事実じゃん。
また倭王がもっていたのは軍事指揮権といっているのであって、
軍の所有権とも、軍政権ともいってない。
これは倭の五王の官職についての研究史の中から
長年かけて慎重に模索されてきた表現だと理解している。
俺が個人的にいきなり思いついて言い出した表現ではないよ。
さらには、建前上の権限と実際の情況ともズレはある。
この場合の建前とは、中国の南朝政府の脳内の建前だから
現実と多少はズレても当たり前なのだが。

976 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 06:32:27
>>975
ではその「軍事指揮権」の定義を教えてくれ。
任那日本府はどんな権限を持っていたのか、具体的に列挙すればそれで
定義される。

977 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 10:50:29
>>975
答えをもらう前だが、考えてみたら君の言いたいことがわかった。
譬えとしては関東軍と満洲国皇帝の関係を持ち出すのでなく、
日清戦争における在朝鮮日本軍と朝鮮王国の関係を持ち出すべきだったのだ。

このとき、朝鮮王国は内政権はもちろん、軍事権、外交権まで一揃い保有
している。その状態で、朝鮮国内における日本の軍事行動の自由を許したのだ。

古代に戻れば、任那諸国は倭の朝貢国である。朝貢国は倭に朝貢する以外は
内政権、外交権、軍事権を保有している。
しかし朝貢国は、他の大国が狙うところでもある。大国とは例えば高句麗だ。
倭は宗主国の責任として、あるいは自分の利益から、朝貢国を他の大国から
守らねばならない。守るについては朝貢国の国内における軍事行動の自由を
保障されなければならない。(実際、倭はそのような軍事行動を任那国内、
あるいは新羅・百済国内で行った。)

これが「軍事指揮権」なのではないか?
そうだとすれば「軍事行動権」とでも言うほうがイメージが合うな。

しかし、そうだとしても、そのような軍事行動権を保有していたのは、
任那日本府のいつの時代なのか?ということを考えなければならない。



978 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:10:15




まあ、朝鮮は古代から日本の属国だったってことでFA。




だろう?バイアス君(笑)

979 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 15:57:21
>>928 を読み直したら、「軍事指揮権」はもともと任那日本府のことではなかったね。
まあ、それにしても「軍事行動権」にしてもらいたいが。

で、任那日本府については、私はだんだん下記の 928 の説に傾いて来た。

>失職して故郷に帰るのも嫌で、安羅に逃げてきて別のしかるべき地位を本国に請求。
>憐れんだ本国が余計なポストを用意して安羅に居候できるように取りはからった

この考え方に立てば、なぜ「任那日本府」と呼ばれるのかも同時に説明できる。
もうひとつのスレにも書いたが、彼ら元国司たちは、全羅南道にいるときは
「任那にいる大和から来た行政官」だから、まさに「みまなのやまとのみこともち」
であった。

それが安羅に逃げて来て、しかるべき領地を貰って安住した段階では、
もはや「みまなのやまとのみこともち」にふさわしい職責を持っているわけ
ではない。しかし従来からのいきさつから、便宜的に従来の職名で呼ばれて
いた。これが安羅の「みまなのやまとみこともち」であり、それに漢字を
あてたのが「任那日本府」だ、という考え方だ。



980 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:44:19
話が細かくなりすぎだ。
ここまで行くとどうでもいいし興味のあるやつはほとんどいないだろう。

981 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 01:21:22
栄山江の前方後円墳について教えてくれ。
被葬者は倭人なのか、百済との関係は?

982 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 05:23:50
うめ

983 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 08:35:45
>>981
倭人だろう。
前方後円墳は皇別でそれなりの人物しか作れないだろう。
書紀には穂積臣押山という名前が見られる。
ただ古墳の土の盛り方や埴輪などは地元の人間が行ったのか、
日本と微妙に雰囲気が違うと聞いた。
百済との関係だが武寧王の墓よりはるかに大きいし、
それが力関係を表してると思う。


984 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 14:18:45
>>983
力関係というなら倭王との力関係だろう。体制の異なる国同士で墓を比較して
どうする。

穂積臣押山は百済王から賄賂を貰って領土割譲のために働いた使いパシリだ。

985 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:15:53
>>984
賄賂を貰って領土割譲のために働いたのが何でパシリなんだ?
頭下げたのは百済王だろうが。
百済が臣民にされたことは広開土王碑にもあるが?
5世紀からの半島南部の古墳の高塚化は日本の強い影響だと韓国考古学会長も認めてる。

986 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:24:28
>>984
賄賂ってのは普通、口利きとして立場が下の人間が上の人間に渡すものだ。
百済王が穂積臣押山より下だと自分で認めてるじゃん。
アホだろおまえw

987 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 16:51:54
>>985
>5世紀からの半島南部の古墳の高塚化は日本の強い影響だと韓国考古学会長も認めてる。

日本の強い影響?
全羅南道の前方後円墳は「影響」どころか日本そのものだ。直轄領なのだから。

任那諸国の円墳のことを言っているのなら日本というより百済の影響だろうな。



988 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 17:03:58
>>985 >>986
君たちは日本語がわかるのか?
賄賂とは法律用語で「職務に関して授受する不法な報酬」のことだ。
上も下もない。

使い走りで悪ければ押山は「売国奴」だな。国を売ったことは間違い
ないからな。


989 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:27:21
>>988
>上も下もない。

ごまかすなハゲ。
上も下もないなら「パシリ」というおまえの言い方が間違いだな。

その「職務に関して授受する不法な報酬」を出す方は、
口利きをお願いするわけだろ?
建設会社と運輸大臣のどちらの立場が上なんだ?



990 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:29:15
>>987
>日本というより百済の影響だろうな。

百済に5世紀以前土盛りの高塚があったのか?

991 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 18:46:46
>>988

おい、何か言えやwww



992 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:01:27
まあ、押山が受け取ったのは賄賂ではないと言いたいのなら、その
可能性もある。
押山は事実上、倭王と百済王に両属しているから、百済王の臣下として
受け取ったのなら、それは正当な報酬であるから、賄賂ではない。
その場合の上下関係はわかるね?

993 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:15:55




【ドラえもん】   ガチャ子  【ドラえもん】

ドラえもんの連載ごく初期に存在したものの、わずか半年・数回の登場で消え去ったという幻のキャラクター『ガチャ子』。
ドラえもんのライバルとして登場したにも関わらず、作者にさえも見捨てられた水子のようなキャラクター「ガチャ子」について語るスレである。




http://changi.2ch.net/test/read.cgi/csaloon/1233571617/


994 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:30:47
>>989
>上も下もないなら「パシリ」というおまえの言い方が間違いだな。

お前は相変わらず日本語がわからないな。
「上も下もない」というのは賄賂と言う言葉は本来上下関係を表さない、
ということを言ったのだ。
で、どちらが上かというのなら、倭の臣と百済王は、国が異なるから
直接の上下関係はない。ただ百済の臣でもあった可能性については
上記の通り。

>その「職務に関して授受する不法な報酬」を出す方は、
>口利きをお願いするわけだろ?
>建設会社と運輸大臣のどちらの立場が上なんだ?

お願いしたら必ず下なのか。
日本の政府が、外国の会社に金を払ってなにかを依頼したら、外国の
会社のほうが上なのか?

995 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:30:56
>>992
>賄賂ではないと言いたいのなら

論点ごまかすな。
賄賂ではないなんて誰が言った?
そんな事一言も言ってません。

賄賂でいいんだよ。

賄賂の場合の上下関係について反論できないようだな。
反論できないから論点ずらしてるのだろ?w


996 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:41:43
>>994
>お願いしたら必ず下なのか。
>日本の政府が、外国の会社に金を払ってなにかを依頼したら、外国の
>会社のほうが上なのか?

上だな。
その会社の背後にある政府なり国に怯えてるからだろ。
したがってその会社も上になる。
民間の会社だけなら何も引け目なんて感じることはないからな。

百済と押山の関係だなw



997 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:50:39
百済の5世紀以前の高塚を教えれや。
任那の円墳のどこが百済の影響なんだ?
ふざけるな。

998 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:55:06
なるほど。
お前が探偵業者に金を払って他人の調査を依頼したら、探偵業者の
ほうが上なんだな?

999 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:57:30
ところで墓に関する君の質問。

加耶地域(本発表では、洛東江以西地域を指す)において横穴式石室墳が
どのように受容され展開するのかについては、不明な点が多い。ただ、
6世紀中葉以降、この地域が新羅化するなかで急激にその広がりが
確認される横穴式石室墳が出現する以前に、おそらく百済の影響に
おいて出現したと思われる横穴式石室墳が存在する。これらを石室構造
と分布域からみると、晋州・咸安などに広がる1群と、高霊を中心
として広がる1群に大分できそうである。

http://hb3.seikyou.ne.jp/home/Hideo.Yoshii/gyouseki/kyuhan99.html
より引用

1000 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 21:00:02
どんどん瑣末な例でごまかそうとしてるな。
探偵は自分に出来ない事をしてくれるという事なので、
ある意味当たり前だろう。

歴史上、朝鮮の王は中国の長官クラスにさえ頭が上がらなかったよな。
そういう例を言え。

1001 :1001:Over 1000 Thread
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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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