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謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!24

1 :神奈川県民:2008/10/31(金) 23:31:44
三國志卷三十 魏書三十 東夷傳 倭人伝
其國本亦以男子為王住七八十年倭國亂相攻伐歴年乃共立一女子為王名曰卑彌呼
事鬼道能惑衆年已長大無夫婿有男弟佐治國
自為王以來少有見者 以婢千人自侍唯有男子一人給飲食傳辭出入
居處宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛

謎の文献 魏志倭人伝に記された、
女王 卑弥呼 とは誰だったのか?
又、邪馬壹國 とはどこだったのか?
天皇家の祖や日本建国との関わりは? 古代最大の謎に挑戦しよう!



2 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:33:45
2!

3 :神奈川県民:2008/10/31(金) 23:36:59
終止符23スレが終了次第、お使い下さい。


↓これが終了してからね。
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!23
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1221483488/

4 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 14:25:10

トヨタンは? トヨタンは? トヨタンは?

トヨタン・・・・・・・・・・


5 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:46:01
>4    http://quote.yahoo.co.jp/q?s=7203&d=t

6 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 10:46:14
前スレ>>994
民惟國本(民は惟れ國本)
右三國本王皆栗?之子也.(右三國 本 王皆栗姫の子なり)
其國本與句驪在遼東之東,(其の國 本 高麗と遼東の東に在り)

倭人伝の「其國本」がどちらか、漢文を読める人なら間違わない。
ちなみに國本という言葉は、建國本 樹國本 爲國本 のように、動詞+國本の形で用いられることが多い。

>>995
後漢書と照らし合わせなくても、七八十年が70年〜80年である限り魏の時代に収まりきらない。
魏の時代に治めるには七年八年十年と無理読みしなければならない。それだけ。

7 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 10:48:47
邪馬台国(大和国)は奈良県にあった。

8 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/05(水) 11:03:16

前スレへの返答。他の方々が既に述べておられますが。

>>994
「其國、本亦以男子爲王住七八十年」です。どこに読点を置くのが妥当なのかは見解の相違です。
後漢代の事象を含むのは「以男子爲王住七八十年」の部分だけです。
他は魏代について書かれています。
>>996
それはあなたが読みやすくしたいが為の単なる希望でしょう?

>>993
魏書と後漢書の編者の認識の違いを微細に論じるのは無意味です。
特に魏書と後漢書の時代はそれぞれの編者の時代と逆転しているのでなおさらです。


9 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 12:10:00
>>8

>後漢代の事象を含むのは
含まないよ。
含むのであれば、何時からと分かるように書く。


何時の時代に書こうが
後漢書は後漢時の記録。
書かれた時期に飛行機が飛んでいたからと行って、後漢書に飛行機を意識した内容を組み込む事はない。

10 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 13:38:46
>>6

其國本與句驪在遼東之東

「(百済者)その國本、與し句驪は遼東の東に在す。」

11 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 13:43:26
>>10
君は、一生そう読んでいれば良いよw
どう読もうと、趣味の範囲でやてる限りは、社会的に困る事はないだろう。

12 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 13:47:15
>>11



よかったね
冥土の土産に捨て台詞言えて。

13 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 17:18:18
この時代の文体は、「本」の後ろに「亦」が来ると「本亦」でひとかたまり
の文形だったような..
旧唐書とかには
百濟國本亦夫餘之別種などの名残が..
本は、與とか亦が後ろにつくと定型としては「もとは」という意味になるはずで..
史書以外は例外もあるかもしれないけど


14 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 17:29:40
前スレ>>990
邪馬台国卑弥呼一族の台与(豊受加能売命)は京都府丹後地方の弥生時代末期
から信仰の対象であった大宮売神社の出身だった。
近隣の天橋立に遷宮伝説で有名な籠神社がありヘツ鏡(内行花文昭明鏡・前漢)
とオキツ鏡(長宜子孫花文鏡・後漢)を伝世している。宗像三神に関係あり。
宗像三神を祭る辺津宮、沖津宮、中津宮は三位一体のはずだがヘツとオキツは
あるのにナカツがない。近隣に遷宮伝説を持つ元伊勢内宮皇大神社がある。
崇神天皇39年に天照大神の御神体である八咫鏡を4年間祭ったとされる。
その鏡は54年後に現在の伊勢神宮に鎮座されたと伝わる。
八咫鏡こそ籠神社にあるはずのナカツ鏡だと思います。
これが伊勢神宮で邪馬台国の台与である豊受大神が大切にされる理由です。

15 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 17:33:36

トヨタン トヨタン・・・・・・・・・・


16 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/05(水) 18:06:46
倭人伝の壹與は豊受大御神ではない。卑弥呼も天照大御神ではない。

17 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 18:33:29
>>13
「なるはずで」って、そんな曖昧な答出さないで、白か黒か自分の命賭けるくらいな気持ちではっきり答ろ。
あいつを黙らせるにはそれしかない。

18 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 21:33:30
>>17
そんな、命賭けるほどの重大事なんかじゃないのでは?
単にスルーすりゃいいだけの話と違う?w


19 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 21:52:57
>>17
自分でモノを考えてないヤツに何を言っても無駄。臭いにおいは元から断たなきゃだめ。
元は自分のトピに引き籠って出てこない。わざわざ押しかける価値もないから、スルーするのが最上。

20 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:28:25
>>18-19
スルーすればいいって、スルーしてないんじゃない?
今こうして話題に出してるし。

21 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:44:53
>>19。俺はスルーしないし、あいつはあいつなりにモノを考えていると思うから

22 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:54:47
>>21
元に思考誘導されてるから、必死に考えてるのに、自分のオリジナルの思考じゃない。
そこは可哀想だと思う。でも、他人はどうもしてあげられない。だからスルーするしかない。


23 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:18:28
>>22
>元に思考誘導されてるから
みんな国家という組織に誘導されてるし、あいつだけが誘導されているわけでは
無いと思う。
それともアンタは誘導されていないのか?俺は知らず知らずに誘導されているんじゃ
ないかと、時々思う。

24 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:37:43
スルーなんて馬鹿がやることで、気に入らない奴がいるなら
徹底的に沈めてやればいい
所詮何処の馬の骨とも分からない相手なのだから、中途半端なシカトなんてしないで
二度と掲示板に参加出来なくなるほどにしてやればいいし、
それが健全な掲示板のあり方だと思う。




25 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:59:36
>>23
日本国家は、何が正しいのかという正解を、いつも君に示してくれるのか?
君の持つ疑問に国家がいつも解答を与えてくれるというのなら、君は国家に思考誘導されているのだろう。
しかし、僕の身の回りで、国家が正しい道を示してくれる。
国家は正解を知っていると信じている者は一人もいない。
国家が国民の思考を誘導するなんていうのは戦前のことで、いまや幻想だと思うよ。
今でも、規制とかで行動は制限されるけど、思考は国家に誘導されない。
むしろ、みなテレビ・雑誌に解答を求める。コメンテーターの言うことや雑誌の記事になるほどと思う。
そう言う意味で、テレビ・雑誌に思考誘導されている。しかし、この場合、誘導元は複数ある。
テレビ局も出版社も複数あって、いろんな方向に誘導されてふらふらしてる。
だから、特定の方向に思考が硬直化することは少ない。
ところが、この問題に関する彼の場合、誘導元は一人しかいない。
正解はいつも誘導元が用意してくれている。そして、そこにしか無い。
その用意された正解に辿り着くために、必死に思考している。結果、思考は硬直化する。

26 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 00:32:23
>>25
その対象が歴史なら有りじゃね?歴史は答が一つしかねえんだし、その
正解に近づくために努力してんなら、方向は間違ってねえと思う。
答が幾通りもあるなら話しは別だが、

27 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 01:14:34
>>26
様々な可能性の中から、自分の思考でただ一つの正解に辿り着くというのなら君の意見は正しい。
しかし、あらかじめ師匠が用意した正解に近付く努力というのは、
本当は、正解に近付く努力ではなく、自分を説得する努力だと思う。
それは、どう考えれば師匠が正解という説で、自分が納得できるかという問題。
様々な可能性の中から正解を見出そうとする思考と、
正解であることが決まっている説に納得しようとする思考。
両者は、似て非なるもの。

28 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 11:26:46
普通に漢文読む人たちには常識の話になんで命賭ける必要があるのさw

29 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 16:55:05
それで、結局、倭国の乱はいつの話ということになったのさ?

30 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 16:59:54
>>29
常識路線 後漢末
とんでも路線 後漢末と魏の二回

好きな方でどうぞ

31 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 17:02:01
>>29
>それで、結局、倭国の乱はいつの話ということになったのさ?

後漢代に起きた倭国大乱は、桓・霊間
魏時に起きた倭国乱は、魏代、卑弥呼共立の前

32 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/06(木) 18:16:30
>>29
>>31
再検討してみると以下のように修正しなければならないようだ。
説明は省略

後漢代に起きた倭国大乱は、桓・霊間(AD146〜AD189)、
後漢書の卑弥呼の共立は(AD190〜AD219)

魏時に起きた倭国乱は、三国志としての魏代(AD190〜AD237)、
魏志の卑弥呼の共立は(〜AD237)

33 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:10:28
>>32
>三国志としての魏代(AD190〜AD237)、

魏代は後漢王朝皇帝から禅譲を受けた220年からでは?

34 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:16:29
魏代卑弥呼共立はAD249年以降で、魏王朝から「親魏倭王」を下賜された卑弥呼は国内に於ける禅譲行為
にて女王に。

35 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:46:14
魏史倭人伝の時は既に
トヨの身世だから、卑弥呼は後漢の時代の人だというのは明白。

36 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/06(木) 21:48:48
>>33
後漢書視点からは、魏代は220年から。
三国志観点からは、後漢代は董卓による少帝弁の廃位(189年)により後漢は終り、190年から群雄割拠の三国志代。

>>35
魏書に卑彌呼が記載されているから、この卑彌呼は魏代の卑彌呼、後漢書の卑彌呼とは別人。
但し、AD190〜AD219年に卑彌呼が共立されておれば、両卑彌呼は同一人の可能性がある。

今言えるのはここまで。まだ詰めが完了していない。

37 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 21:49:43
偽書倭人伝のことは忘れたほうがいい。

38 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:09:52
そんな書はないから安心しろ>37

39 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:10:01
>>36
>三国志観点からは、後漢代は董卓による少帝弁の廃位(189年)により後漢は終り、190年から群雄割拠の三国志代。

後漢王朝から禅譲されなければ、まだ後漢代です。

>後漢書視点からは、魏代は220年から。

後漢書の視点から見えるのは、後漢代を含めそれ以前の過去です。
魏代は見えません。
見えてしまったら史書ではなく、予言書です。

40 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/07(金) 00:17:05
>>39
書き直し、
>後漢書視点からは、後漢代は219年まで。

41 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 04:40:09
>魏代の卑彌呼、後漢書の卑彌呼とは別人。
魏志が書いているのは魏代のこと、後漢書が書いているのは後漢代のことというのは
普通は正しいが、そのことにのみとらわれ卑弥呼が二人いたなどというのは誤り。
後漢書は魏志が書く倭国の乱を桓・霊間(AD146〜AD189)の話と思い込み、卑弥呼
共立も魏代では辻褄が合わないと考えて、後漢末のできごととしてしまっただけ。


42 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 06:34:46
>>41
普通に正しいなら、普通に考えればいいだけ。
記録はつじつまで記録するのではなく、当該記録を記載するだけです。

記録を弄っているのは
今の人達です。

43 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:30:34
資料が改竄されている理由を教えてやるよ。ニギハヤヒと卑弥呼は兄妹だったんだよ。
未来を透視できた二人は近親相姦をネタに日本が叩かれるのを嫌った。

44 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:16:47
>>42
>記録はつじつまで記録するのではなく、当該記録を記載するだけです。
資料を全部そのままに記載するわけではありません。取捨選択し、要約するなど
して記載するのです。当然、その過程で、史書を編纂した者の解釈が入ることに
なります。解釈を誤れば、史書に誤りが記載されることになります。




45 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:40:21
ニギハヤヒは卑弥弓呼だろ

46 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/07(金) 20:24:29
7,80年倭国乱れる
ホ27281 ヲヲモノヌシは フキネなり(神武の頃)
崇神60年 出雲臣之遠祖出雲振根主于神宝。是徃筑紫国而不遇矣。
則遣吉備津彦与武渟河別。以誅出雲振根。
ふきね、ふるね等“ね”の字がつくのが 大物主の系譜で有ろう。
出雲振根は国譲り後の大物主でタタネコの親。
188年崇神元年。
193年秋国譲りを終えた大物主に“大物主”の称号は無く出雲振根と呼ばれる。
193年迄は、九州から尾張、越まで影響力の有った大物主で有ったが国譲り後は、
九州から出雲に半減、210年頃崇神に誅せられ これ以降日本全国?を治める大王の不在。
この後出雲は、垂仁により再興されるが、九州では、これを纏める大王を立てられず、
やむなく、女王卑弥呼を立てて凌ぐ。
 九州では、
海洋民族”熊曽”が半島の鉄を得て強大化、是に同調する神香椎姫や黒麻呂。
その上 熊曽は、半島を襲う様になる(倭寇)。是に手を焼いた半島の宗主国
魏は、卑弥呼と手を結び 熊曽追討を図る。
しかし 卑弥呼には熊曽追討を実行するほどの勢力もなく、大和の景行を頼る。
新羅に於いて 熊曽倭寇は、249年頃終息 丁度倭国大乱の終息と同時。


47 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:43:29
首都大宰府


48 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:50:21
首都多賀城
  
    日高見国

49 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:59:17
>>44
実際編纂している様子を見たような事言ってるけど、記録されなかった資料は何処にあるの?

50 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 07:48:19
>>49
失われた部分もありますが、図書館へ行けば伝写されたものが少しは残ってます。

51 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:24:57
>>49
例えば、皇帝が生きている間、その言動は起居注として日記風に記録されます。
皇帝が崩御すると、起居注をもとに実録が編纂されます。
王朝が交替すると、実録をもとに本紀が編纂されます。
分量は当然、どんどん減っていきます。
ということは、元資料である起居注から、編纂者によって情報が取捨選択されるわけです。
何を残し何を捨てるかという編纂作業に、編纂者の考え方が反映されます。
たとえば本紀編纂で、起居注の中の1つの立派な行いを書いて、99の悪行を書かなければ、
本紀の内容がまぎれもない事実であっても、
後世に伝わる皇帝の人間像は、本来のものとは全く異なってしまいます。
だから、史書が仮に100%客観的な事実を記録しているとしても、
何かを書かないということで歴史像が歪むということはあるのです。

52 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:53:08
>>51
それは飽くまで理論的に考えられる事であって、
現実にはどうなのよ?
倭人伝を編纂するときにはどんな記録をどのように
編纂したか?と、いう問題なわけ

53 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 16:12:30
>>52
先に確認したいのだけど、君の立場は、記録されなかった資料などないというもの?

54 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:33:47
>>52
歴史は、書かれているものが全てであり、書かれている事が全てと考えているよ。

55 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:39:13
書いたもの勝。残したもの勝ちの焚書、禁書推奨派ですか?

56 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:45:16
>>55
書かれたもの、口伝されたもの以外で歴史を知る方法は何?(考古出土物を除く)

57 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:52:58
時代背景をよく検討すべきです。
前の時代、後の時代、歴史は継続するものですから。

58 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:54:31
話をもとに戻せば、倭人伝を普通に読めば、卑彌呼共立は後漢末になる。
桓霊の間という後漢書の記述が、倭人伝から計算したのか、独自に資料があったのか知るべくもないが、
二書の言う倭国が乱れて女王が共立されたというのは、同一事件。
二回あったとか、後漢書の卑彌呼と倭人伝の卑彌呼が別人とかは、
常識的に漢文を読む限り出てこない。

59 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:59:38
現在の常識で呼んでも何の意味もない。
その文書が書かれた当時の時代背景をもっと検証すべきです。

60 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:02:02
>>58
>二書のいう

言わないよ。
約百五十年の間は一書しか無いんだから。
魏書を読むのに後漢書なんて必要ないし、百五十年待たないと役に立たない歴史書なのかい?魏書は

61 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:10:37
>>58

>常識的に漢文を読む限り
その常識が古漢籍に滞りなく通用してるの?

62 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:18:47
当時の常識が、現在も常識である保証などどこにもない。

63 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:23:48
>>58結局、お前の常識でしかなかったことがはっきりした。

64 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:40:05
常識批判が花盛りだね。
伝統的・常識的な読みを否定する読み方は、早くても昭和、遅ければ平成に考え出された読み方。
「現在の」と批判されている「常識」こそ千年以上前から受け継がれた読み方で、
それを「現在の常識なんて」と批判する人の読み方こそ、現代に考え出されている。
おかしな話だね。


>>59
現在の常識ではないよ。連綿と受け継がれた常識は、現代人が作った常識ではないことを忘れていないか?

>>60
魏志倭人伝「倭國亂」 後漢書「桓霊間倭國大亂」
二書それぞれ言ってるね。
なんで
>言わないよ。
なんてレスしたの?
それに、魏書は単独で読めるよ。その結果、共立は後漢末。
後漢書はもちろん桓霊の間。
結局両者は同じこと。と書いたのです。
後漢書がないと魏志を読めないなどとは、一言も書いてないよ。もう少し、良く読んでレスしよう。

>>61
それは自分で検証してみて。僕が通用していると保証しても、君は信用しないだろう。

65 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:41:19
何か、プラムと知らずに相手をしている可哀想な奴がいるな。

66 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:44:01
邪魔台国は黄泉の国のことだったんだよ。

67 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 18:48:49
@南、邪馬壱國(邪馬台國)に至る。女王の都する所なり。水行十日、陸行一月。官に伊支馬有り。
A女王國の東、海を渡る千余里、また國あり、皆倭種なり、

@とAは、同じ畿内のことを指していると思われる。そうであるならば
倭人伝編纂には、複数の記録を編纂し、一つに纏めた。


68 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/08(土) 18:53:30
おや、河童さんが持論展開?

魏志東夷伝のうち、夫餘、高句麗、東沃沮、[手邑]婁、[シ歳]、韓
倭人伝以外はすべて漢代に言及しています。
倭人伝だけが漢代に触れず、いきなり魏代からというのは?
確かに漢代を明示する語句は無いかもしれませんが、「七八十年」で分かるからでしょう。
倭人伝の「其人壽考、或百年、或八九十年」は「八、九、十年」とは読めません。


69 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/08(土) 18:58:27
>>67
唐松山さん、@とAは違いますよ。
女王の都と、女王国の東の海を渡った国が何故同じですか?

70 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 19:17:08
倭人伝を民族誌と見ると 松浦辺りまでの民の描写
博物誌と見ると (野生の)牛馬虎無し等 畿内まで当てはまる
そして 冬野菜の記事から 山陰地方は、除外 畿内までほぼ当てはまる
地理誌と見ると 松浦以遠の方向が誤りである可能性がある
そして 距離が日にち表記になる
30カ国 これがまた問題
九州内の話か?畿内までの話か?関東まで含まれるのか?


71 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 19:25:55
>>68
或百年

これが有るか、無いか
で運命がわかれる

72 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 19:46:49
>>68
年代も記載せずに、別時代の事件を記載している
箇所なんてありますか?

73 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 19:59:42
倭人伝は珍壽が複数の記録を一つに纏めた物であるならば、
この位の錯誤は、有るであろう。

と言うこと。

74 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 20:00:04
倭人伝は珍壽が複数の記録を一つに纏めた物であるならば、
この位の錯誤は、有るであろう。

と言うこと。

75 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 20:04:53
>>74
複数の記録を一つに纏めると、錯誤が出るのですか?

76 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/08(土) 20:17:39
>>71
「或百年」が無くても、人の寿命が10年以下ということはありません。
男王が一代なら70〜80年は長過ぎ?
高句麗長寿王の79年もあるから完全否定はできませんが。
男王が数代続いたとすれば問題無し。
陳寿は范曄の後漢書は見ていないが、現存しない東觀漢記などは見ているはず。
57年と107年は50年差、50年より長く100年より短いと考え
「七八十年」とした。
ただ、乱の明確な年代が分からないので桓・霊などと明記しなかった。
韓伝の「桓靈之末、韓[シ歳]彊盛、郡縣不能制」から見て、倭国の乱も連動していると
推定はできますが・・・
「建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡、遣公孫模、張敞等、收集遺民、興兵伐韓[シ歳]。
舊民稍出、是後倭韓遂屬帶方」
とあることから、卑彌呼共立は210年代だろうと推定します。


77 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 20:22:45
>>76
何故?
個人の推測が入るの?

78 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 20:29:51
書き手の認識ではなく、読み手の認識。
読み手が当該書だけでわからなければ役立たず。
読み手が
ネット検索しながら当該書を読んだ記録はない。

79 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/08(土) 20:47:17
>>78
読み手とは皇帝のことでしょうが、皇帝が卑彌呼の即位年を厳密に知る必要などありますか?
倭人伝だけ漢代に触れないのは不自然で、周辺国の大雑把な歴史を知るのに不可欠では?
後漢書・宋書・梁書・隋書など、いずれも前代の歴史に触れています。

80 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 20:50:07
>複数の記録を一つに纏めると、錯誤が出る
倭語→古代朝鮮語→帯方→魏
当時の通訳の技量により どうしても誤差が出る
この誤差をどの様に修正するかに依って 大きな錯誤となるか小さくて済むか
これらが一つの文章となったとき錯誤は、文章内に埋没
その文章を一つに纏める。
錯誤も内包される。


81 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:22:20
>>79
>読み手とは皇帝のことでしょうが、皇帝が卑彌呼の即位年を厳密に知る必要などありますか?

ないのですか? それとも知ってはいけないのですか?

>倭人伝だけ漢代に触れないのは不自然で、周辺国の大雑把な歴史を知るのに不可欠では?
後漢書・宋書・梁書・隋書など、いずれも前代の歴史に触れています。

当然触れてもかまいませんよ過去の事ですから
しかし、別時代を記すなら当然時間の明記はするでしょうね
これは魏時を記録した魏書ですから   違いますか?

>後漢書・宋書・梁書・隋書など、いずれも前代の歴史に触れています。

きちんと時間の明記をしていますね



82 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:27:04
>>80

>倭語→古代朝鮮語→帯方→魏
当時の通訳の技量により どうしても誤差が出る

で、どのように誤差がでましたか?
始めから誤差が出るものという先入観で述べてはいませんでしょうか?
先入観でなければ、誤差がどのように出ているか説明できるはずです。

>文章内に埋没

埋没しているのなら分からないんだから、誤差も確認できませんよね

83 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:43:44
>>81
其國本亦  住七八十年
この二つで後漢末であることははっきりしている。
それを、これは國本だ、七年八年十年だと屁理屈をこねて時代の明記がないなどと言い張る。
無いのではなくて、君が無理読みしてなくしてるの。

84 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/08(土) 21:47:00
>>81
「七八十年」を「七、八、十年」と解釈できるかどうかですね。
日本語の感覚では有り得ませんが、漢籍では有り得る?
不勉強で済みません。

>きちんと時間の明記をしていますね

宋書倭国伝では「世修貢職」としているだけの例もあります。


85 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/08(土) 21:48:46
>67で書いたように この位の誤差が 有ったかもしれない。
沢山の資料が有れば修正できたかも知れない。
松浦からの方向と距離で邪馬台国が読めない以上この様な事にも配慮しないと。
 

86 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:53:33
>>83

>其國本亦  住七八十年
この二つで後漢末であることははっきりしている。

あなたの頭の中でね

最初から後漢末と分かっているなら、文頭に「後漢末」と記すればいいことでしょう?
韓伝ではそうしてますよね
それとも「後漢末」とは記する事の出来ない事情でも?


桓靈之末、韓wai[偏水旁歳]彊盛、郡縣不能制、民多流入韓國。建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡、
遣公孫模、張敞等、收集遺民、興兵伐韓wai[偏水旁歳]。舊民稍出、是後倭韓遂屬帶方。


87 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:07:23
>>84
>世修貢職

それが宋代以外の別時だとでも?
で、そのことを晋の皇帝に話しますか?

>七八十年

これを70〜80年と解す時は、文の内容が70〜80年と意味することを
要求するからです。
もともと「七八十年」は、漢語「七」「八」「十」「年」と独立した文字です。
その独立した文字を文章に使用し文脈に応じて「七八十年」という配列が出来上がり
ます。
ただ、一般的に70〜80年という意味で「七八十年」と記載されたる事がほとんどなので
今では70〜80年と反応してしまうだけです。

88 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:22:27
>>85

>>67で書いたように この位の誤差が 有ったかもしれない。
沢山の資料が有れば修正できたかも知れない。
松浦からの方向と距離で邪馬台国が読めない以上この様な事にも配慮しないと。

平成の世に創り出す歴史ですね
それだったら問題ありませんので、どうぞ続けてください。

89 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:08:32
では
後漢書が編纂された時代に視線を移してみると

「後漢書倭伝」と「魏志倭人伝」の内容がいかに違うかよくわかります。

後漢書倭伝【倭國大亂更相攻伐歴年無主】
魏志倭人伝【倭國亂相攻伐歴年】

後漢書では「更相攻伐」と書かれているので、相攻伐は倭國大亂と重なり起きています。が、一方
魏志では、倭國亂と相攻伐は流れであり、相攻伐の要因は倭國亂という説明文という形で書かれ
しかも、歴年は相攻伐の期間を表しています。が、後漢書では
倭國大亂と重なり発生した相攻伐がもたらしたものは「歴年無主」という
状況です。
文章の形は似ていますが、内容は全く違う事がわかります。
これでも同じ内容だと言いますか?  不思議です。

90 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/08(土) 23:14:47
話題は倭人伝ですか。

ところで河童さん名なしで書いたレスはどれでしょう。

91 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:23:26
改めドツボとプラム河童虫の競演に、美濃もん太が嫉妬

92 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:28:32
魏・晋って大韓国の後ろ盾があって蜀・呉を倒したのに、大韓国を滅ぼす計画立てたんだって。
じゃあ、金取っといて殺す『銀行強盗』と同じじゃねえかよ、そんなのチャンコロじゃねえか、チャンコロ。
だから、魏・呉はチャンコロなんだって。
なるほどな。そういやまた糞チャンコロがいい加減な仕事して首になったよ。
世界中でそうなんだよ、イスラエルなんかにも安いから置いといたんだけど、駄目で駄目で今はなくなちゃった。
そのうち、世界中からいなくなっちまうな〜、糞チャンコロ。
飢饉が起きれば共食いするし、タオイズム終わってるしね。
凄く駄目で不健康な奴なんだな〜、糞チャンコロ。
宇宙では常識だよ。

93 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:33:45
そもそも新羅統一以前に、朝鮮民族などこの世に存在しなかったんだから、安心しろ。

94 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:36:47
>話題は倭人伝ですか。

はい、後漢書が編纂される前(余計な知恵の付かない)の倭人伝です。

>ところで河童さん名なしで書いたレスはどれでしょう。

さ〜?

95 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:08:50
酔ってきたので一曲(*^。^*)

後漢書〜後漢書で半年暮らす〜よいよい♪
 後の半年ゃ寝て暮らす〜♪
  よ〜いよ〜い後漢書〜♪

96 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:36:25
>>95
しょうがね〜な〜ぁ

ホレっ

http://jp.youtube.com/watch?v=cpqrA70-GMk

97 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:06:12
さ〜て今週も始まりました。オールナイト邪馬台国

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4707476

この番組は・・・・・・の提供でお送り致します。
では 早速一曲目

http://www.nicovideo.jp/watch/sm2504419

98 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:17:20
では本日の二曲目
はたして何人の人が覚えているか楽しみです。

土曜の夜は、オールナイト・●●

http://jp.youtube.com/watch?v=RlLcZ_VSfEk

99 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 01:28:09
>>89
>文章の形は似ていますが、内容は全く違う事がわかります。

逆ではないでしょうか?
文章表現は全く違いますが、事実は同一のように思えます。
乱も相攻伐も無主も、一連の出来事として理解可能。

河童さんのご指摘の通り、「漢時」の指定が無いのは確かですね。
卑彌呼共立は220年に限りなく近く、陳寿は魏初として、
范曄は漢末として書いたと思われます。

100 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 01:47:37
漢書 王莽伝
越裳氏重譯獻白雉、黄支自三萬里貢生犀、東夷王度大海奉國珍、匈奴単于順制作去二名
(元始五年 紀元後5年)東夷の王、大海を渡り国珍を奉ず。

王莽の貨泉は日本各地で出土していますが、この記事は知りませんでした。
年代が分かる最古の倭人でしょう。
「国珍」何だったのか?

101 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/09(日) 04:40:51
>>99
>陳寿は魏初として、范曄は漢末として書いたと思われます。

陳寿は魏初として、范曄は漢末として書いたと見做しても間違いではない。
  范曄は漢の最終年を219年としていた。
  陳寿は、董卓の劉弁廃位189年をもって、三国志(魏)の始まりとした。
  
  つまり、190年〜219年の30年間は、范曄にとっては漢代であり、陳寿にとっては三国志代(魏代)である。


102 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 06:16:41
>>101
つまり陳壽は、魏の始まりを190年にする事によって、魏王朝は禅譲されないエセ王朝である。
と、述べた訳ですね?
そのエセ王朝を継いだ晋も又、勘違いしているエセ王朝だと。

103 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 06:35:28
魏は漢帝を無視して 王朝名乗ったんですか、そうですか。

しかしそれでは辻妻が合いませんね。
魏志はもう少し後、トヨの時代に書かれてないと
トヨの記事なんて書けないのに?
間に居たとされる男王はどうなるの?

104 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:12:31

トヨタン・・・・・・・・・・


105 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/09(日) 07:30:04
>>102
>>103
勘違いするな。
魏史は220年から。
三国史(志)は190年から。

>魏志はもう少し後、トヨの時代に書かれてないと
>トヨの記事なんて書けないのに?

意味不明。
陳寿は晋代の人。壹與の時代は魏代。


106 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:33:32

イヨタン・・・・・・・・・・


107 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/09(日) 09:16:16
>魏志はもう少し後、トヨの時代に書かれてないと
魏の使者」は、複数回倭に来ている。
当然政治状況も違ってくる、その複数回の倭国訪問の報告書を纏めた物が 倭国伝なら
初回訪問時と壹與の時代では、認識に差が出る、この認識の差を考慮せず 一つの文章に纏めたら
@とA位の誤差となる。


108 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 09:34:24
>>99
補足
乱が起きれば、攻め合うから「相攻伐」
全体の統治者がいなくなるから「無主」
魏志でも、「七八十年」は男子の王、「歴年」は「相攻伐」で「無主」です。

「七八十年」に漢の文字が無いのは、魏志夫余伝で
夫餘本屬玄菟。漢末,公孫度雄張海東,威服外夷,夫餘王尉仇台更屬遼東。
とあるのと同じ形。
「本」には王朝名が付いていません。

109 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 09:54:00
>>107
唐松山さん説では、卑彌呼も壹與も九州にいたのでしょう?
なぜ畿内が出てくるのですか?
方角が違うと言っても、「東南」が「南」、「東」が「東南」となる程度。
「東北」が「南」になるほど違うのは・・・?


110 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 10:13:51
>>109
それは彼の妄想が前提にあるから、そこから合うように論を考えるから、マルチ
の妄想たるそういう説になるわけ。そこまでならぬうちに妄想だと覚って、前に
バックするのがマインド・コントロールされてない用心深い思考者なわけだが、
なかなか彼とは云わないで他の方々はそういうマルチで自説を頑なに頑張るの
が大半。

111 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 11:27:48
魏志韓伝
建安中、公孫康分屯有縣以南荒地爲帶方郡、遣公孫模、張敞等、收集遺民、興兵伐韓[シ歳]。
舊民稍出、是後倭韓遂屬帶方。

倭が帯方郡に服属したのは「建安中」(196年-220年)よりも後ですから魏代ですね。
卑彌呼即位直後でしょう。

魏志夫余伝
夫餘本屬玄菟。漢末、公孫度雄張海東、威服外夷、夫餘王尉仇台更屬遼東。
時句麗、鮮卑彊、度以夫餘在二虜之間、妻以宗女。

「宗女」注目ですね。
公孫度の「宗女」のようです。

112 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 12:38:19
>>108

>乱が起きれば、攻め合うから「相攻伐」

相攻伐は
内部騒動、内輪もめ
倭国乱とは性質が全く違うもの、ワザワザ「乱」の性質なんて、文字を消費し説明しませんよ。
内容に相違があるから、三文字使い記載するのです。

113 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 12:41:58
>>105
>三国史は190年から

誰が決めたの?

114 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 12:58:39
>>105
魏志が例え190年から書かれようと、魏王朝が成立するまでは後漢時内容、別時となります。

115 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 13:14:23
>>112
さすが河童さん、鋭いですね!
(「河童虫」は封印されたのですか? 新しい名前にCHANGE?)
卑彌呼が亡くなる前後の状況に似ている?

倭女王卑彌呼與狗奴國男王卑彌弓呼素不和。遣倭載斯烏越等詣郡説相攻撃状。
更立男王、國中不服、更相誅殺、當時殺千餘人。

倭国乱は「相攻撃」相攻伐は「相誅殺」に当たると考えてよいでしょうか?
また、卑彌呼「宗女」壹與と夫余伝の公孫度「宗女」は違うとお考えですか?


116 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 13:34:15
>>115
>卑彌呼「宗女」壹與と夫余伝の公孫度「宗女」は違うとお考えですか?

補足
別人なのは当たり前で、「宗女」の意味です。
宗教上(鬼道)の弟子の巫女とする解釈もありますが、夫余伝では違うようです。
同じ宗族の女という意味か。

117 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:16:38
>>115県民さん

そもそも河童虫はヤフー専用でして。今の所、新しいコテは考えていません。ただ、ネタとして
自分なりに重要と考える時は、著作権の関係上コテを使わせてもらいます。


>相誅殺

「互いに責め殺す」と、解釈しています。

>宗女

選ばれし女
・宗家…同種の中から選ばれし家(一族の中から選ばれし中心な家)

〇〇宗〇
この〇〇に、個人的なモノ(一人称)は当て嵌まらず

118 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 14:50:08
>>117
著作権! 河童さんはプロの方ですか? 実は音楽プロデューサーなのでは?
10億円で全曲買ってくださいと言われても、私は買えませんので悪しからず(笑)


119 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/09(日) 15:20:33
また来週です。
ZZZ・・・・

120 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:25:58
>河童さんはプロの方ですか?

いいえ


121 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 16:27:28
>河童さんは池沼の方ですか?

はい

122 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:08:58
>>1

結局のところ、魏志東夷伝倭人条による邪馬台国の記述は、北部九州のしょぼい
国々を限定的に紹介したものだろう。

その頃は別途、畿内大和の連合大王家が存在し、吉備や出雲、遠くは尾張や群馬
あたりまでの国々と交易がなされていた。

そして、3世紀末頃以降、北九州の邪馬台国連合は、畿内大和の連合大王家に吸収
・併合され、史実から完全に消え去っていった。

これがすべて。終止符が打たれました。

123 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:16:13
× その頃は別途、畿内大和の連合大王家が存在し、

○ その頃は別途、畿内大和に流れ者の部落が点在し、

124 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:20:16
× そして、3世紀末頃以降、北九州の邪馬台国連合は、畿内大和の連合大王家に吸収
   ・併合され、史実から完全に消え去っていった。

○ そして、3世紀末頃以降、北九州の倭国は、畿内大和の諸部落を支援し、また税を取り徴兵してきたが
   壬申の乱で九州勢力天武らに再度占領され、ついに畿内政権は史実から完全に消え去っていった。


125 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:40:57

>>124
もしや貴方は、かの有名な『韮澤潤一郎』様では・・・


126 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:59:36
125は松下見林

127 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 04:21:52
>>101
九州王朝さんのこの意見は、あながち間違いではないと思う。
殷周革命の際、殷を滅ぼしたのは武王だけど、紂王の臣下で一諸侯だった父親の文王が已に天命を受けていて、
周王朝は文王から始まるというのが儒教の正当観念だから。
曹操が皇帝を号していなかったとしても、帝位を追贈して本紀を立てている以上、曹操が已に天命を受けていたということになる。
漢では、劉邦の父親に皇帝号を追贈していないし、当然本紀も立てられていない。
受命したのはあくまで劉邦だと考えられていたから。
189年と確定できるかはちょっと慎重な検討が必要な気がするが、すでに漢は天命を失っていたという前提でなければ、
魏書に武帝紀があるのは、詐称ということになってしまう。
天命を中心に見れば、受命した曹操の時代は已に魏の世ということになる。

128 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 04:41:38
そうそう。

129 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/10(月) 18:28:11
>相誅殺=「互いに責め殺す」と、解釈しています。
これでは ”誅”を無視している 乱でなくただの戦。
大乱≠大戦。


130 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:43:54
>>129

>“誅”を無視してる

無視していません。

誅=責める、責を負わせる

131 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:51:16
>>129

倭國乱と相攻伐は別物です。

後漢書の相攻伐は、倭國大亂が要因となり起きた内紛。
魏志の相攻伐は、倭國亂と平行するように起きた内紛です。「更相攻伐歴年」

132 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/10(月) 18:54:23
県民さんへ
238年の卑弥呼の朝貢に「使い」の名前に 太夫と次使の2名が記されたか考えました?
大夫難升米・次使都市牛利
この2名は卑弥呼の朝貢の1団の人員では有るが、併記しなければ成らない理由が
魏国側に有った。と言う事です。
大夫難升米=卑弥呼の派遣
次使都市牛利=垂仁の派遣
依って、倭人伝においても卑弥呼の宮城と大和を併記した。 
此の併記した文章の正確な分類が出来なかったのが、倭人伝。


133 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/10(月) 19:03:38
乱とは、上下の乱れ
書紀で見ると 九州を治めていた天照の末裔?(この辺は私の推定)
其の部下であるべき 神香椎姫や黒麻呂(熊曽の領袖では無い)
書紀で神香椎姫と景行の件を読めば解る様に、神香椎姫は天照の後継者の如き振る舞い
この様子を「大乱」と呼ぶ。上下の乱れ。


134 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 21:11:15
相誅殺當時殺千餘人
これだけ殺し合えばどこかに鎮魂神社くらいありそうなもんだけど、どこだろう?

135 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 21:20:05
一か所で一度に千人死んだのならね。
戦場は一か所ではなかったろうし、戦闘も一度ではなかったろうから、鎮魂社があったかどうかはわからんね。
あったとしても、1800年もたってると何の社かわからなくなってると思う。

136 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/10(月) 22:05:17
今 私が崇神陵では無いか?と 疑っている古墳の一つ

http://www.asuka-tobira.com/kofun/kofun.html#shinwa

最近になって,纏向古墳群の近くにあるマバカ古墳(奈良県天理市)が最古級ではないかという調査報告がされた。全長約74mのこの古墳の発掘によって土器や堀状区画が見つかり,3世紀前半に築造された可能性が高くなった。
太田茶臼山古墳や今城塚古墳(どちらも継体天皇陵とされる)

マバカ古墳を崇神陵と見るには、
手白香皇后陵(衾田墓)は、『延喜式』諸陵寮によると、大和国山辺郡にあり、城上郡にあった崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)の陵戸に兼ね守らしめたことになっている。
今城塚古墳を継体天皇陵と見なし継体の后 手白髪郎女命/仁賢女の御陵は“西山塚古墳が衾田墓である蓋然性はきわめて大きい。”と此方も移転。
!23の最後近くに “福井県通史”の「継体天皇陵と手白香皇后陵」を掲載しましたので そちらを読んでください。
崇神治世 188〜215年は、是で是認出来る。

>相誅殺當時殺千餘人 景行記参照のこと。

137 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:26:08
>>136
古墳の一つって・・あんた、いくつ候補があるんだよ?この浮気者。

138 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:40:47
邪馬台国は、やはり四国だと思うのです。
卑弥呼さまも、道後温泉「にきたつゆ」に使って疲れをいやしていたんじゃないかな?
そして、讃岐富士に今も眠っている。

139 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/10(月) 22:44:33
>>138
毎回の妄想 オツカレ!

140 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:48:54
相「誅殺」ってくらいだから一回の戦いで一族郎党皆殺しだったと思うんだ
神社ではなくやはり古墳になってるかな

141 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 23:37:05
卑弥呼の後継に男王を擁立したが有力な豪族が服従せず戦乱となって千人余り
戦死した。この戦場になった所は京都府南山城で椿井大塚山古墳の西側にある
祝園という場所。近くに祝園神社と和伎神社があって一対をなしている。
反乱の首謀者は武埴安彦と思われ祝園神社に祀ってある。
祝園神社と和伎神社では「いごもり祭」が行われる。

142 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 06:06:12
邪馬壹國は女王の都する所(邪馬壹國女王之所都)であって、倭人条では他は全て女王國
と記載されている。

果たして、邪馬壹國=女王國 なのだたろうか。

女王國の関係では全てに里数が用いられている。
しかし、邪馬壹國には日数表示が用いられている。

確か、隋書倭国伝にも、倭人は里数を知らない(夷人不知里數)があったはず。
女王國までは郡使が直接現地に入って確認しており、邪馬壹國までは郡使は入って
いない。

つまり、邪馬壹國と女王國は別物とは考えられないだろうか。
多くの方が推論していることだが・・如何に



143 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/11(火) 14:39:57
>>127さんの書かれた通りです。
少し違うところは、
>189年と確定できるかはちょっと慎重な検討が必要な気がするが
の部分だけです。

三国志において、実名で出てくる漢の皇帝は、霊帝の次の少帝(弁)が最後になっています。
献帝については、ただ「帝」と書かれているだけで(魏書董卓伝)、漢の皇帝あること認めていません。
もしこの帝(献帝)を漢の皇帝とみているならば少帝(協)とでも書かれるべきところです。
陳寿は少帝弁の廃位をもって漢代の終わりとし、献帝の擁立をもって三国史の始まりとしたと思われます。



144 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 16:02:01
>>136
「○○古墳」
「○○天皇陵」

この名前が付いてるものは全て明治時代以降にそう名前を付けられたものだよ
だから○○天皇陵や○○古墳って名前のものは、明治時代以前にそこが元々は何て名前で呼ばれてたのかを調べた方がいいよ


本当に誰かが埋蔵されてるなら明治時代以前から「○○の墓」って呼ばれてるはずだから


蘇我の石川の墓(岐阜)見たいにね

145 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 16:04:29
>>142
「國」と言う漢字は「地域」の意味すよ

邪馬壹國ってのは女王が統治してた複数の國(地域)の一つって意味だと思うよ

countryの意味の国じゃないすよ

146 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/11(火) 16:06:35
そもそも「国(country)」って国家観念は近代産まれたもの

それまでは血統に由来する民族や朝廷とかだよ

147 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:55:28
せいぜいアクロポリスだよな。

148 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:58:48
美濃もん太に反応する人もいるのか・・・

149 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 07:35:13
>>142
女王国は万二千里から始まり、狗奴国の北にある奴国がその境界の尽きる所。
東には渡海千里にまた倭種の人が住んでいる所。
邪馬台国と投馬国を核としその周辺に旁国がある。それらの全てをひっくるめて
女王国と呼んでいた。そう考えると分かりやすい。つまり、熊本、大分辺りから
南は全てが女王国だったのです。大隅半島あたりの狗奴国を除いてね。
邪馬台国はその中の女王が都を置く所。ですから、女王国の一部にすぎません。

女王国がそのように大きいということは、会稽東冶の東という言葉によって裏づけ
られる。会稽と東冶、会稽の東あたりが女王国の北の境界、東冶の東あたりが女王
国の尽きる所。そう考えたのではないかということで。

150 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:21:40
自分が大陸からの人間の血が濃いか、
本土の人間の血が濃いかの見分け方

耳垢が湿ってる人は縄文系すなわち本土人
耳垢が乾いてる人は弥生系すなわち大陸人

だと言われています。お試しあれ

151 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 19:41:41
>>150
耳垢が湿ってる人と乾いてる人が結婚して子どもを産んだとしよう。
その子どもは、耳垢は湿ってるのか、乾いてるのか?

152 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/12(水) 20:22:18
>「國」と言う漢字は「地域」の意味すよ
もん太君
文字を持たない弥生時代〜 文字も無しで統制出来た範囲が当時の「國」の大きさ。
「國」のその後も使われ続けた為、「國」=「地域」と貴方が勘違いをしているだけ。


153 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 20:38:02
(会津っぽ)國はどこだべ?
(薩摩っぽ)薩摩でごわす。
(会津っぽ)んだか。たまには國さ帰んのけ?
(薩摩っぽ)正月には帰るつもりでごわす。

てな感じで、同一文化圏を指して国と称します。

しかし、薩摩と会津だけ「っぽ」が付くのはなぜか?
北斗(妙見)信仰という共通項あり、神武東遷との関係はいかに?

154 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:16:22
っぽっぽっぽ〜ぽっぽ。

155 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/12(水) 21:36:26
もん太君  今の君の”論”は、耳くそを鼻糞の大きさに誇張しているだけ。

PS
小さく纏まらずに大きく考えろ。 私からの応援歌だ。


156 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:55:08
>>151
どちらかのDNAで決まるようですね。
因みに私は湿り気味でした。母は乾燥、父は湿っています。

157 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 22:13:04
>>152
文字は持ってましたよ
だから日本は大陸と違いカナ混じりにしたり、音読み付けたり漢字を表音文字としても使えてるんだよ

○○國は今の国家とは意味は違うすよ
○○國は江戸時代で言う潘と同じでしょ?


158 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/12(水) 22:18:02
もん太君 
カタかな、ひらがなは 何時出来たか知っているの?


159 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 22:33:08
>>158
カナ文字以前の神代文字の事を言ってるんですよ
あいうえお
かきくけこ
さしすせそ
って表音表記出来る文字
だから漢字が入って来てもいきなり「伊佐那美」とか言う使い方が出来てたんだよ


字を持たない大陸の奴らは漢字をいまだに表意文字としてしか使えてないすよ

160 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 22:42:00
美濃もん太と、会話できる人は、まずこの世にはいないだろう。
「自分の判断だけが、この世の基準だ法則だ」という、超ウルトラ大非常識が前提ですから。

161 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 23:00:33
>>160
記期には百済から漢字と儒教が伝わって来た記述があって、百済が晋など大陸周辺の国に普及させた記述もあるよ

漢字は古代漢人が作った字でしょ?
だとしたらまずこの記述で解るのは晋は漢人の王朝じゃ無いって事すよ
晋がどこにあって何民族の朝廷だったのかは知らないけど、多分日本のように漢字に音読みを付けたりカナ混じりにして表音文字としては使ってないと思うよ
だから大陸では漢字は日本と違いいまだに文法も無い表意文字のままでしか使えて無いんじゃないかな?って事すよ

まあ文字の使い方一つ取っても日本の文学は優れてたんだと俺は思うよ

162 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 23:14:52
>>160
> 「自分の判断だけが、この世の基準だ法則だ」という、超ウルトラ大非常識が前提ですから。

なら九州王朝と仲良しダロですw

163 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/12(水) 23:29:58
>>162
九州王朝の主張は、あれ意味が解らんすよ
熊蘇王朝の事じゃないんでしょ?
記期では神功天皇が朝鮮を統治する際に筑紫に宮を構えてたとあるけど、この時の宮の事でも無いんでしょ?


なんかつまり「今の日本は九州にあった王朝が日本列島を制圧して統治した国であって日本の発祥は九州」見たいな事が言いたいんすよね?
あれ聞く旅にまるで日本は大陸や半島から来た移民が統治した見たいに聞こえて、日本をバカにすんなって思うよ
あんなもん間に受けたら、じゃあ天孫以前の話は朝鮮半島での出来事かよってなるし

「発祥」に拘る意味も俺には良く解らんし

同じ民族の国家なんだからどの時代に何処に都や朝廷があって誰が治めてたのかってだけじゃんね

164 :ワロス:2008/11/13(木) 00:06:33
オカルト板から
[269]本当にあった怖い名無し<age>
2008/11/12(水) 23:51:09 ID:2gKtc2OP0
>>260
箸墓古墳(宮内庁・ヤマトトトヒモモソ媛命の陵墓)は
卑弥呼の墓の可能性が高まっているな。

[270]古神道の最高権威▲soregasi<sage>
2008/11/13(木) 00:00:50 ID:IBN3bV6G0
>>269
嘘を書いてはいけない。日本史板のごく一部がそう言っているだけ。
考古板では否定的。スレチなので、該当板で会いましょう


165 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:14:40
其菓子!何菓子!綿菓子!

166 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:45:37
>>160
一人だけいる。w

167 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/13(木) 20:14:15
私も、お手上げ
もん太君 「数字を書きなさい」と言っているんだが…。

継体二十四年春二月,丁未朔, 詔曰:「自磐余彥之帝、水間城之王,…而神日本以盛;大…
自古為難.爰暨朕身,豈不慎歟!」
継体24年 継体は、水間城之王(ミマキの王=崇神)以来治めてきた任那の政策に
誤りを認めている?。

巻向石塚古墳=3世紀初頭=百襲姫
マバカ古墳=3世紀初め=崇神
年代は、今の考古学が言ってます。


168 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 20:47:30
C14による年代測定法に疑問あり。
実は大和に古墳が造られた時期はもっと古い。

神武天皇の在位は辛酉年(神武天皇元年)1月1日(紀元前660年2月11日)。
この大前提は崩してはいけない。

169 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:13:52
>>168
じゃあ、あの神武陵は紀元前7Cの考古遺跡か?

170 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:51:51
C14も確に誤差が有りすぎるが紀元前660迄ほどの誤差が有り
うるデータある?

171 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:52:06
神武天皇陵は江戸時代の文久年間に造られた、真っ赤な偽物。

172 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:57:59
>>168
そもそもその年月は大昔に明治政府が定めたものなのだが。

173 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 22:16:12
>>171
みつけたよ。サイキバ君

174 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 22:36:49
>>173
あなたの頭に銅鐸を被せてトンカチで『ゴ〜〜ン!』とします。

175 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:19:47
>>174
脳あるサイは牙隠す。

176 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/14(金) 18:47:14
ホケノ山古墳 全長90mの帆立貝式前方後円墳 240年ごろの築造

この古墳からは石囲木槨(いしがこいもっかく)という埋葬施設が発見され,復元設置されている。これは朝鮮半島南部で見られる形式で,このことから,大和王権が朝鮮半島とつながっていたことがわかる。

238年 田島守常世国へ行く 同年垂仁崩御
239年 田島守帰国
この直後にホケノ山古墳が造られたとすると、田島守と共に任那の使者も一緒に大和へ来朝
ホケノ山古墳は、田島守(任那建国王の一族)の墓である蓋然性が高い。


177 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:12:45
>>175
>脳あるサイは牙隠す。

それゆうなら 能ある鷹は爪を隠す だろwww



178 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:14:38
>>177
サイキバ君にかけてんだろうよ。少しは真意を読め

179 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:21:53
>>178
おめー何語だ???wwww

180 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 21:03:49
>>179
日本語でおk

181 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 21:51:56
へめこも訛ってたのけ?

182 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:56:21
ありゃあ、無理やり読んだんだろ
当て字にしちゃ悪い字ばかりだけど。
大陸人の見下し態度か、敵対してたからかは知らんが

183 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 08:40:43
へめこがツングース系だったら、思いっきり訛ってた可能性があっぺ?
んだんだ。

184 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:13:45
平田神道?

185 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 13:24:18
幻の邪馬台国みにいったやついる?

186 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 14:38:13
ガチ盲目ジジイの戯言に
嫁が介護を兼ねて付き合ってあげた

って映画だろ?数年後にでもテレビでやってたらチラ見するかな

187 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 14:54:05
卑弥呼役の吉永小百合が建物の中で両手を左右に振りながら祈祷
やってるシーンはよかったが、ほんの少時間だった。まあまあだな。
ただ真物の卑弥呼には全然似てはいないが、映画だから集客のために
止むを得んだろうなぁ。魏からもらった鏡を並べたりするシーンを
期待してたが、こういうのはなかった。w

188 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 16:27:24
>>132
>大夫難升米=卑弥呼の派遣
>次使都市牛利=垂仁の派遣
唐松山さん
そうであるなら、垂仁天皇も卑弥呼と並んで金印をもらって当然では?
彼らが「大夫」「都市」と自称したのは、卑弥呼が公孫氏から「親燕倭王」?に
任じられていたからでしょう。
57年の「漢委奴國王」の使者が「大夫」を自称したのも、王莽から「新委奴國王」?に
任じられていたためと思われます。
漢書王莽伝で西暦5年(元始五年)に「東夷王度大海奉國珍」とあるのが倭の王でしょう。
この年12月には前漢最後の平帝(孝平皇帝)が王莽に毒殺され、孺子嬰の三年間を経て
「新」の建国となります。
志賀島の金印は平帝から与えられたものか?

189 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 16:29:14
>>187
太国さんはご覧になりましたか?
私は吉永小百合でなく本物の卑彌呼が見たいです。
古代ローマの銀貨に描かれたクレオパトラは現代から見ると?という顔ですね。
卑彌呼の肖像は残ってないでしょうね・・・

190 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 16:31:21
長崎県は、「熊襲の本場」依って卑弥呼が出てこないのは、当たり前。


191 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 17:13:09
考古学で見ると、楽浪郡と出雲のつながりは深いらしい。

中国の植民地で朝鮮半島北部にあった楽浪郡(紀元前108年 - 313年)との交流があったと考えられている。
壱岐の原の辻遺跡では楽浪郡の文物と一緒に弥生時代の出雲の土器が出土しており、これは、楽浪郡、任那と壱岐、古代出雲の間の交流を示す。
より直接的な例としては、弥生後期(2世紀前半)の田和山遺跡(島根県松江市)出土の石板が楽浪郡のすずりと判明している。
(wikipedia「古代出雲」)

>>190
>長崎県は、「熊襲の本場」

長崎県といえば対馬・壱岐・末盧を含みますが?
「熊襲の本場」は熊本県・鹿児島県ではありませんか?


192 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 17:22:47
>188
大和は倭国の中の1小国
大和=日の本(ひのもと)九州倭国に対する名前です、決して「中華に対して」では有りません。
だから後の時代 倭を日本と改めたとき 日本は倭国統一の時 日本は元小国と記録される。


193 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 17:34:49
日本武尊が熊襲征伐に出かけた所は、サガミさんの言う小城の近く。
神功の熊襲 田油津姫は、田平津姫(平戸の瀬戸)の間違い 九州南部には、さしたる物は無い。
渡海に必要なのは、平戸の瀬戸。

ついでに 神代の鹿児島は、現在の北九州市…松…半島…ど忘れした。
この様に 「幻の邪馬台国」作者が言ってます←私も賛成。

194 : サガミハラハラ:2008/11/15(土) 18:24:56
映画みてきました。卑弥呼役の吉永小百合さんが演じた場所は(ロケ地は吉野ヶ里北内郭であるという)邪馬台国の都がおかれていたところです。
北内郭は、大乱が終息して就任した卑弥呼のために作られたものです。
1800年の時を越え偶然にも吉永小百合さんによって同じところで再現されたことはまことに喜ばしく感慨深いものがあります。

 






195 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 18:35:11
>>189 愛知県民さん

所定の操作にて、それがしが真像を持ちあわせてます。

196 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 18:48:07
>>195
>それがしが真像を持ちあわせてます。

にわかに信じられませんが?
事実であれば大発見ですね。
クレオパトラと違って、銀貨ではないですよね?

197 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 18:51:55
>>192
>大和は倭国の中の1小国

1小国が、卑彌呼と同等の使者を派遣ですか?

198 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 19:55:32
銀貨〜? そうではありません。モノは秘蔵中です。

199 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/15(土) 20:07:36
>>198
>モノは秘蔵中です。

そうですか、それは残念。
世界の為に、いつか公開していただきたいものです。


200 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:43:53



201 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 20:49:30
今年の初め、吉永小百合のまぼたいをやるということで、彼女が
卑弥呼役をやるというので期待しておりました。残念ながらその姿
は映画用に美麗すぎて、真物とはほど遠いでしょう。真物を眺めれば
がっかりするのが、こんな女か〜?と思われるのが予想でき、また
さらに信じにくいでしょうがね? それはさておき、そのまぼたいを
知ってから、それがしの伝家の宝刀たるウラゴト(卜事)の操作の
腕が上がって来たことから、材料を集めて1ヶ月余をかけてのんびり
仕事をしておりましたが、とうとう出来上がって判断したものの
少し操作運用に誤用を発見し、8分どおりのデキで終了しました。
それでちょっと本物とは鼻、口が相違が出てるはずですが、素顔の
上半分はピタリです。失敗部分は分かりましたので、今一度手がけて
全容が出ます。手元にすこし誤差ある卑弥呼の姿をいつも見てすごし
ていますが〜これがそれがしの得意技なので・・・。いつかは・・・。

202 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:03:14
太国は盗掘品を所蔵しているぞ!太国は墓泥棒の犯罪者だ!

203 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 21:53:27
オマエ少し頭がおかしいんじゃないのか〜?
盗掘だと〜〜! ふざけるのもいい加減にしろ!!
そんなことやってない。

204 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 21:57:23
太国さんの思考には、
虚像(年代)は有っても実像(考古学)が付いてこない。


205 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 22:01:12
この前、鷲崎さんの板で隅田八幡鏡で論を張ったろうが・・・。

206 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:02:30
それじゃなんで三角を持っているんだ?
あれはレプリカだとでも言って開き直るのか?

207 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 22:03:41
だから稲荷山鉄剣銘文の七人の系譜は作者が471年の3年前の七支刀
の七数にあわせたんだよ。だから七に略系譜としてるわけだ。

208 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/15(土) 22:22:33
>197
大和には、任那という 秘蔵っ子が有りますよ。
倭国(九州)とタメを張れるだけの実力、ただし国内に於いては、です。
魏から見たら 倭国王は、「九州王」言葉や礼儀作法を知っている上
漢以来の付き合いが有りますから。その九州を通りすぎないと行き着けない
大和より重用するのは、むしろ当然。
それでも無視出来ない存在だから、2名の名を載せる。


209 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/15(土) 22:32:21
>>193
>日本武尊が熊襲征伐に出かけた所は、サガミさんの言う小城の近く

ほう はっきりとした場所分かりますか?
どこなんでしょうね

210 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 00:04:18
>>208
2名の使者は「大夫」「都市」で、そもそも役職が違います。
政治・軍事担当と経済・交易担当といった分業と考えればよいのでは?


211 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 00:13:16
>>210
?2名の使者は「大夫」「都市」で、そもそも役職が違います。
>政治・軍事担当と経済・交易担当といった分業と考えればよいのでは?

その根拠は?
「大夫」については以前、やったと思います。
「都市」についてはなぜそうなったんでしょうか。

212 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 00:15:39
河童さん来ないのかな?

おーい

213 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 00:20:00
関係ないけど“オグシオ”こと小椋久美子、潮田玲子
シオのがかわいいよね

結構、タイプだったりw

214 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 00:28:20
>>211
「都○」は○をつかさどる官の意味。
都督(軍を督することをつかさどる)
都護(地方の守護をつかさどる)
都市(市場をつかさどる)
「國國有市、交易有無、使大倭監之」の「大倭」のことでしょう。

>>213
スエマエかわいそう。

215 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 00:45:57
>>214
「つかさどる」はいいとして、
「國國有市、交易有無、使大倭監之」の「大倭」としたのはどこからですか?
単なる感なのか何か理由があるのか聞いてみたいです。


216 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:54:17
>>214県民さん

市=集合  いろいろなモノ(品物とは限らない)が集合する場だから(市場)

だから都市と言ったら 京 
魏代なら洛陽

都市=洛陽の事だよ

217 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 00:59:36
わたしは、この「都市」についてまだ何も調べてないというか
何か役職ぽいな・・・と考えてるところというか。

>>216さんは、都市=洛陽としていますが、
そういえるのはなぜですか?

218 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:10:14
>>217

216読まなかった?

219 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 01:10:17
>>215
理由は簡単で、意味が同じだからです。

>>216
「都市牛利」は2回目からは「牛利」となっており、「都市」と「牛利」に分かれることは確かです。
「都市」は姓か役職か?
吉田孝氏によると中国の印譜集「十鐘山房印挙」の官印に「都市」という印が伝わっており、
「市を統べる官」と解されているとのこと。
「都市」という姓は漢籍に見当たらないそうですが・・・

220 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:21:59
>>219

都市牛利とは
名前でも役職でもなく
その人物を形容した語句です。
もちろん
難升米や掖邪狗、卑弥呼や卑弥弓呼も

221 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 01:32:50
>>220

>都市牛利とは名前でも役職でもなくその人物を形容した語句です。

何かその「牛利」という人物をあらわした何かでしょうね。
まあ、役職みたいなその人物をあらわす何か...。
たとえば、 「キューティ鈴木」という人物がいたとして
名前の部分は「鈴木」で「キューティ」の部分が「都市」に当たるわけで。


222 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 01:34:47
>>220
「都市牛利」は「難升米」と同じ単位とお考えのようですが、
「大夫・難升米」と「都市・牛利」、「牛利」と「難升米」が同じ単位なのではありませんか?

制詔親魏倭王卑彌呼。 帶方太守劉夏遣使送汝「大夫難升米」・ 次使「都市牛利」、
奉汝所獻男生口四人、女生口六人、 班布二匹二丈、以到。
汝所在踰遠、乃遣使貢獻、 是汝之忠孝、我甚哀汝。
今以汝爲親魏倭王、假金印紫綬、 裝付帶方太守假授汝。 其綏撫種人、勉爲孝順。
汝來使「難升米」「牛利」渉遠道路勤勞。
今以「難升米」爲率善中郎將、 「牛利」爲率善校尉、 假銀印青綬、引見勞賜遣還。

223 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 01:35:36
>>219
>「都市」は姓か役職か?

姓てことはないのでは?
では、なぜ他の人物の「姓」はナイのですか?という話になる。
「役職」か「その人物を表すなにかか」という考えのが自然。


224 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 01:44:19
224
>>223
姓とは思いません。
張政が2回目からは「政」とだけ記されているので、一応考えてみたまで。
倭人の名はそういう書き方ではなさそうです。
名無しさんは河童さんのようですね。

225 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 01:54:32
>>187
>卑弥呼役の吉永小百合が

貴方も観賞したみたいですね。

なんか、年配の人向けに作られてたようですが。

226 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 01:57:13
>>224
「都市」は役職で決まりですかね。

牛利爲率善校尉ですから。
大夫=長官より位は低いみたいですし。

227 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 02:02:55
映画、幻のヤマタイでは、

初めに出てくる南至奴國百里の「奴國」と後に出てくる
次有奴國の「奴國」は同じで、
次有斯馬國から〜円を囲むようにそれぞれの国が並べられ「奴國」で終わる
とか言ってたようですが、その辺、みなさんの考えは同じなんでしょうか。

228 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 02:06:56
>>226
今のところそう考えています。
問題はありますけどね。
「都市」「監市」は地方の下級役人で、偉い「大夫」とは差がありすぎるとか。
ただ「大倭」の職務を聞いて、「大夫」と同じく中国風に記したのかも。


229 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 06:34:37
>>168
「(イワレビコがナガツネヒコを倒した後)橿原に都を遷都し辛酉年に即位した」

この天皇は天武天皇で西暦661年の事だよ

神武天皇なんて人の話なんて記期には出てこないよ

230 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:38:50

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・  (><;) 

231 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:40:23

>>227

前者の奴國は伊都國から東南100里にあり、いずれの説でも北部九州に比定されていま

すが、後者の奴國は『自女王國以北其戸数道里可得略載其餘旁國遠絶不可得詳』とされ、

斯馬國以下いずれの国もあまりにも遠いので国名のみが掲載された国であって、特に奴國は

『此女王境界所盡』とされ、境界のはずれにあり最遠端にあるもと理解できます。

これが普通の考え方では??


232 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 08:57:52
>>231
まあ、自分の考えもそんあかんじですが、
映画では、初めの「奴國」と後のとでは同じようなかんじで言ってた記憶があります。

どうなんでしょうね

233 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 08:58:34
>>231
つまり 複数の資料を正確に分類せず1つに纏めてしまった、んですよ。
大夫難升米、次使都市牛利
下級の”牛利”にのみ2度役職名を付ける必要は無い。
名前を記録した人間とそれを本に纏めた人間は別人で、タジマモリの4文字を
姓名と勝手に判断し半分だけを記載した。
>>67
官に伊支馬有り。=いくめ=垂仁
此方の読み方は?みなさんどの様にお考えですか。

このまま認めると、中華に名の轟く大王の名は、オオタラシヒコですね。



234 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:15:39
>>231

>斯馬國以下いずれの国もあまりにも遠いので

何が遠いの?「旁国」と書いてあるのに?

>これが普通の考え方では??

普通に誤解釈だよね

235 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:27:56
>>228県民さん
当時倭人に帝国の様な、名前なんて存在しませんよ
ただ記事にする場合
関係した人を個人特定しなければならないという便宜があるから
難升米や牛利といった漢字を割り振られてはいますが


景初二年六月の倭の女王の使いとしてアホな大夫が・・・・

このアホの部分に難升米という漢字を割り振っただけです。
そう書くことによって
女王の使いは(見るからにアホそう)という事が読み手に伝わるわけです。

236 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:30:13
>>233
>つまり 複数の資料を正確に分類せず1つに纏めてしまった、んですよ。

単数ではなく複数とする根拠は?
で、その資料とは何と何?

237 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 09:30:58
>>233
唐松山さん、「次使」は本国での役職ではありませんよ。
(大使)大夫難升米、次使都市牛利
「汝來使難升米・牛利渉遠道路勤勞」
難升米・牛利とも「汝來使」=卑彌呼の使者です。

238 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:39:56
>>237県民さん

>難升米・牛利とも「汝來使」=卑彌呼の使者です

卑弥呼の使者と言いきっていいのかな〜?

239 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 09:44:37
>>233
>官に伊支馬有り。=いくめ=垂仁
>此方の読み方は?みなさんどの様にお考えですか。

何も考えてません。
というか、発音がちがうではないか。

それと関係ないが、ななしは河童さんのようです。


240 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 09:45:24
>>235
>当時倭人に帝国の様な、名前なんて存在しませんよ
>ただ記事にする場合
>関係した人を個人特定しなければならないという便宜があるから

よく分かりませんが・・・
個人を特定するものが名前。
名前の無い社会など存在しないのでは?
確かに中国式の「姓」は無かったと思われますが。

241 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:45:49
牛利は飽くまでも「次使」であって
景初二年六月 女王の使いとしての 大夫難升米・牛利ではなく

大夫難升米・次使都市牛利なんですよね

242 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 09:51:26
>>241

少しつっこんでみようかな。
「大夫難升米・牛利」なんてどこにも書いてませんが
どこを見てそのようなことを述べたのでしょう?


243 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:52:23
>>240

名前ではなく、他と区別するもの(名)という表現がいいですか?

難升米・牛利の名にしても
自国でそう呼ばれていたわけではなく、飽くまでも文章表現上の便宜的なもの

244 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 09:52:46
>>241
あれ、唐松山さんと同意見ですか?
「汝來使難升米牛利」と書いてあるのに?

245 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 09:55:38
>>243
>難升米・牛利の名にしても
>自国でそう呼ばれていたわけではなく、飽くまでも文章表現上の便宜的なもの

ええ? 「自国でそう呼ばれていたわけではなく」と何故言えるのでしょうか?

246 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 09:56:58
改めさん 風土記も読んで下さい。
火燎肥前國風土記 佐嘉郡/小城郡/松浦郡
○昔者,此村有土蜘蛛,造堡隱之,不從皇命.日本武尊,巡幸之日,皆悉誅之.因號-小城郡.
中身はもう少し面白い
○天皇,敕,且令誅殺.時大耳等,叩頭陳聞曰:「大耳等之罪,實當極刑.萬被戮殺,不足塞罪.若降恩情,得再生者,奉造御贄,恆貢御膳.」
官の名に耳が出てきたり
○此島白水郎,容貌似隼人,恆好騎射,其言語,異俗人也.
其処にはこの様


247 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 10:03:12
風土記?
風土記読んでどうなるんですか?
なにか邪馬台国について書かれてるとでもいいたいのかな?

火燎肥前國風土記〜のどの部分を見ればよいのでしょうか?

248 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:04:13
>>245

>ええ? 「自国でそう呼ばれていたわけではなく」と何故言えるのでしょうか?

そう呼ばれていた史料が存在しませんから
唯一の史料である記紀に
そう呼ばれていた記載文がありますか?

249 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 10:09:53
>>248
魏志倭人伝に書いてあるのは偽名ということですか?

250 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 10:13:59
長安三年、其大臣朝臣真人、来貢方物。
旧唐書倭国伝・日本伝では粟田真人の名が書かれています。
何故偽名を書かないのでしょう?

251 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:16:13
>>248

>魏志倭人伝に書いてあるのは偽名ということですか?

偽名ではないだろう
偽名なら真名が存在するわけだから。その真名が存在しない限り偽名という表現は使えないよ
ただ、大陸で作成された事には違いないけど(漢字で書かれているから)
私は形容表現と解しています。

252 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 10:17:50
>>246 は尻切れトンボに成った。

タジマモリと言う発音を聞いた書記が「都市牛利 」と記録した。
イクメと言う発音を聞いた書記が「伊支馬 」と記録した。
この様に考えている訳ですが この証明は難しいのでその他の状況証拠を集めますヮ。


253 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:18:52
>>250

何時の話をしているんだね
時代が新しくなれば様々なシステムも変化していくのは世の常



254 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 10:22:33
>>250
粟田真人の名は 本人が申請した。
時代が違えば漢字も使える と言う事。

255 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 10:27:00
>>247
官の名に耳が出てきたり …
官の名前に興味が無いと言うことですか?。


256 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 10:30:00
大耳等?
オオミミとミミナリは違うでしょ?

官の名にが一致していれば興味深いですが...。

257 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 10:37:34
タジマモリと書記の間に >>246 の白水郎の様な通訳も居たでしょうし。
発音事態が正しく伝わっていたかも解らない。


258 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 10:39:43
唐松山氏は「南」を「東」とか言い出しそうな人ですね。

違うものは違いのであって〜正しく伝わらなかったとか言って
無理やりにつなげてもしょうがないと思いますよ。

259 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 10:40:44
>>253
>時代が新しくなれば様々なシステムも変化していくのは世の常
なるほど、失礼しました。

>>248
>そう呼ばれていた史料が存在しませんから

そう呼ばれていなかった史料も存在しませんが?


260 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 10:47:28
>>258
同意 彼は不合があるとそれをやる癖があるよう〜。
妄想の域に入る行動なわけ。

261 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 10:50:32
>>258
大丈夫 私は倭人伝の距離と方向には当分手を付けないつもり。

状況証拠のひとつに”古墳”を上げましたが 此方の考えは?。

262 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:52:11
>>259
>そう呼ばれていなかった史料も存在しませんが?

そう呼ばれなかった史料なんて存在しないよ
それは言葉上に発生する単なる理屈

歴史は存在する資料だけが歴史であり、それ以外は歴史じゃないよ
否定する資料がないからと言って、当時に宇宙戦艦ヤマトでも登場させるかい?

確かに存在しなかったとする材料はないから
貴方の論法だと存在しちゃうことになるけどね

263 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 10:58:14
>状況証拠のひとつに”古墳”を上げましたが 此方の考えは?。

その「古墳」と邪馬台国がどのように結び付くんですか?
なんでも古墳とか言ってれば、みんなが納得してくれるいとは限りませんよ。

私の考えは、まず邪馬台国のことは倭人伝に記されてるのだからそこから見つけていくべきで
金印など当時のモノが確実に残っている証拠品を追及していくべきで
何も分からない古墳から手をつけるべきではないかと思います。

264 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 11:01:45
>>262
>歴史は存在する資料だけが歴史であり、それ以外は歴史じゃないよ

これは賛成です。
ただ、本国での名前と違うと何故断定できるか?ということです。

魏志高句麗伝に出てくる「宮」や「伯固」は三国史記にも出ています。
特段の事情が無ければ、普通に本国での名前を書くと思いますが?

265 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 11:06:45
倭人伝のみで日本の歴史を追究するのは、
書紀のみで半島の歴史を作る様な物。
日本には書紀を初め沢山の文章が残っている、それらと倭人伝を摺り合わせて
初めて正しい日本史が出来る。
是が私の方針。

266 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:12:10
倭人伝のみ、書紀のみ、考古学のみ・・・・
そんなんじゃなく、みんな総動員、総合して、歴史を探るのがいい

267 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/16(日) 11:14:16
倭人伝に出てくる人物は天皇家が日本統一する前の列島の様子が
記されてるわけで、記紀から探しても見つかりませんでした。

倭人伝と記紀とを”横並び”にして考えるとはまってしまいますよ。


268 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:16:16
>>246

>魏志高句麗伝に出てくる「宮」や「伯固」は三国史記にも出ています。

両者に同じ名詞が出てくることと
難升米や牛利にどう関係するの? 

それに
この場合、魏志高句麗伝は三国史記より新しく編纂されたとする条件が必要になってくるよね

問題とする「宮」や「伯固」の三国史記での名詞が記載が
魏志高句麗伝よりも新しくては、全く意味をなさないからね
当然魏志高句麗伝が、三国史記を手本にした形がほしいところだから



269 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 11:24:51
書紀より継体二十四年春二月,丁未朔, 詔曰:「自磐余彥之帝、水間城之王,…而神日本以盛;大…
自古為難.爰暨朕身,豈不慎歟!」

崇神がミマキと呼ばれていた事はほぼ確実、で有るならば垂仁がイクメで何の問題も無い。

270 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 11:33:29
当時は語の上位二字と同一にする国名、人名がはやっていたようで、
倭人伝に弥馬獲支とあってもこれが崇神のミマキとはならない。
また語句の間にも二字同一となる名もけっこうあったようで、
ミミナリとかも神沼河耳尊になるわけもない。
ヤマトとという国名があっても倭人伝の邪馬壹国とは別物であって、

 邪馬台国→ヤマト国→畿内

という即断考えは妄想に至るものなのである。

271 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:36:45
>>269

>詔曰

詔を寸分違わず記載したのではなく、詔に何等かの解釈が介在するから「曰」
「曰」を参考史料に使う時は気をつけないと

272 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 11:36:59
記紀には卑弥呼は登場しない←其の通り、しかし
書紀を仮名に直した様なホツマに書紀と違う漢字を当てはめると、其処に
卑弥呼、男王、イヨが順番通り出てくる。
だからホツマは止められない。

273 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 11:39:10
>>268
三国史記は12世紀の編纂ですから新しいですね。
多くの古記録に依っていますが、詳細は不明です。

難升米や牛利が倭人の名の音写であるとしても、さほど不自然とは思えませんが。
確かに漢字は表意文字だから、漢字の選択では中国人の意図が現れるとは思います。
まさか卑彌呼自身が「邪悪な国の卑劣な女王」と思っていたわけないですから(笑)
しかし、選ばれた漢字の意味だけが重要で、音は全く無関係なのかな?
国名の「末盧」=「松浦」、官名の「彌彌」=「耳」、卑奴母離=「夷守」と思われるし、
魏人が倭人の音を全く無視していたとも考えにくいですが。


274 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:39:27

イヨタン・・・・・・・・・・


275 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:40:18

ミミタン・・・・・・・・


276 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:41:37
あれ?ww

277 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/16(日) 11:43:19
だいたいイクメ(垂仁)だって、神代に活津日子根尊が登場する。
やはり上二字が同一である。似てるからといって、軽率に同一人と
するのは妄想なのである。伊支馬が垂仁になるわけがない。

278 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:44:06
>>272
ホツマが倭人伝を参照し、そう解釈して編纂されればそうなるし、2ちゃん
でも 倭人伝を母体に話しているから
卑弥呼や壹與が登場するよ

279 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:52:30
>>273
個人の名と、地名を比較するのはどうかな?
個人は瞬時的なもの、一方地名は継続的なもので
全く性質が違うと考えるよ

280 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 11:55:31
>>271 水間城之王
通常日本に於いては官位で呼ばれるのが正当、当たり前
しかし同じ官位であれば本名(本名=諱=忌む名)でなく通称名で呼ばれる
崇神=ミマキ イリヒコの イムナヰソニヱですからヰソニヱと呼ばれることは無い
崇神はミマキと呼ばれる。「ホ34002 ミマキのミヨミマナのアヤ」



281 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:07:09
>>280

>通常日本に於いては官位で呼ばれるのが正当、当たり前

その通常とされる時代がいつから通常と認識されてきたか?
後世そう認識されたものが、現代においてはごっちゃに解釈され
水間城之王の時代もそうであったの如くに解釈されてしまう。
で、何時から?

282 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 12:12:55
河童さんとのやり取りが噛み合わないのは、こういうこと?
発音される「ことば」と書かれる「文字」は、本来違うものです。
河童さんは漢字で表記したこと自体「新しい名前をつけた」という解釈。
私は倭人の発音に基づいて漢字を当てはめたなら、そこまで言うのは言い過ぎでは?と思う。

漢字は表意文字ですが、外国語を翻訳するとき
たとえば仏典を漢訳するときは、漢字を表音文字のように使う場合もあるわけで、「阿弥陀」とか。
魏の側が倭人をバカにしきって、全く発音を無視して命名したのかといえば
そこまでやるかな? と思うわけです。
そこまでやったかもしれませんが・・・

確かに倭語の意味と違う意味の漢字で表記されたなら、「違う名前」だと言われればそうですが。
音が何処まで正しく写されたかは、不明というしかないのでは?


283 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 12:21:51
本名(本名=諱=忌む名)でなく通称名で呼ばれる 。
神世の時代から 呪詛には相手の名前を入れなければ成らなかった。
だから本名の事を忌む名と呼ぶ、依って本名を知る人間は非常に限られた者のみ
そうなれば呼び合う時の名は通称、あだ名←この名前で呪詛は通じません。
日本に官位が入ってきた時が”官位”で呼ばれる初め。

これ以上の事は、太国さんに聞いて下さい。


284 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:28:00
>>282

帝国の人(倭人伝)にとって倭人が自国で使用している名など必要性がなかった
必要なのは、帝国と係わりがあった個人がどのような性質であったかという説明

帝国側の読み手にとって、自国で「ナシマ」と発音されていたかなんて関係ないのです。
漢字で「難升米」と記載することによって
三文字分の漢字の役目を有意義に使う事が出来るということなんです
たかだか個人の名に「難升米」と音写した記事を載せる無意味さを述べているのです。
陳寿という学者が優れていればいるほど、三文字の貴重さは知りえたことでしょう。
倭人伝に於いて重要なのは「難升米」という漢字そのものなんです。

そこが現代の我々ではなかなか理解しがたい所かと

285 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:34:05
>>283
>神世の時代から 呪詛には相手の名前を入れなければ成らなかった。

神世の時代からとはいったい何時からですか?

で、「呪詛には相手の名前を入れなければ成らなかった」とする
一番古い記録は何時でしょうか?

286 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 12:44:58
>>284
魏志倭人伝は魏略の丸写し ではないんですか?。


287 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 12:48:12
太国さ〜ん >>285 のお相手をしてあげて。

288 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 12:57:22
>>284
>必要なのは、帝国と係わりがあった個人がどのような性質であったかという説明

性質・・・?
「難升米」「升」はお米の体積の単位。→お米に困った!
日本書紀では「難斗米」→「斗」は「升」の十倍。もっとたくさんくれ!
「牛利」「其地無牛馬虎豹羊鵲」真っ先に「牛」が無いとある。
牛を輸入して利益をもたらす。

頭が悪くて、このぐらいしか思いつきません。

289 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:06:07
>>288

>「難升米」「升」はお米の体積の単位。→お米に困った!
日本書紀では「難斗米」→「斗」は「升」の十倍。もっとたくさんくれ!
「牛利」「其地無牛馬虎豹羊鵲」真っ先に「牛」が無いとある。
牛を輸入して利益をもたらす。

面白い見解です。
でも、感じ的にはいいかも

だからそんな使者を送った女王には「卑」(いやしい)文字をプレゼント
朝貢交易なんて 10の品物が100になって返ってくる交易ですから

290 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 13:09:52
都市牛利なんだから 洛陽に入った牛
四つ足なら机以外何でも食べるお国柄 この都に入った牛にどんなご利益?
もしタジマモリなら 果草、果木かも。


291 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 13:33:27
伊聲耆掖邪狗
これはどういう性質?
声に特徴のある老人と、そのわきの犬?

292 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:38:59
>>291
>伊聲耆掖邪狗
これはどういう性質?
声に特徴のある老人と、そのわきの犬?

解釈の領域だからなんとも言えないよ

293 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 13:46:26
伊聲耆掖邪狗
これは 伊勢の耆掖邪狗 とくれば
伊勢は風早の耆掖(ベテラン)の邪狗(戦士)
阿閉武濡河の末裔


294 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 14:14:45
>>293 を訂正
伊聲耆掖邪狗  伊勢のベテラン掖邪狗 (いわか)
”いわか”とは 後景行に使え関東行幸に出てくる”六雁”の別名。


295 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:18:14
>>294
そのまえに伊聲耆掖邪狗は「伊聲耆」「掖邪狗」と別人

296 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 14:31:16
難升米=天之忍穂耳(天忍骨)
都市牛利=手力説もあるようです。
下のサイトは邪馬台国=東四国説。
ttp://www.geocities.co.jp/Bookend-Ryunosuke/5468/oasa/detail.html
いろいろな説がある・・・


297 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 14:34:17
伊聲耆は、物部の軍隊
掖邪狗は、その長官 でどうだ?。


298 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/16(日) 14:46:15
ホ40358 ムツカリが ガマタスキして とるウムギ ナマスになして
すゝむれば カシハトモべと ナをたまふ ヲホヒコのマゴ イワカなり

県民さん こんな半分遊びの思考でも 私はメチャクチャな思考ではない。
>>296 の書き込みでは美濃もん太君の思考と同等。 


299 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/16(日) 15:20:52
>>298
> 美濃もん太君の思考と同等。
すいません、私はもん太君の名付け親でして・・・
もん太君、気にいらなければ改名してくださいね。

ごみ箱にも宝石が混じっているかもしれません。
21か國が本当に順番通りに並ぶとすれば、凄いことですし。
唐松山さんは21か國を何処としていますか?

また来週です。
ZZZ・・・・

300 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 15:31:17
愛知県民氏はどうしてこんな早い時間に寝るのだろう?

301 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 02:55:02
>>295
でも、伊聲耆掖邪狗という文字列を、「伊聲耆」「掖邪狗」と三字ずつに区切るという決定的な理由は何もないんじゃないか。
標点本はそのように点を打っていて、まあ、穏当な判断かなと思うけれど、版本に点なんて何もないからね。
あくまで標点を打った現代の陳乃乾という学者の見解ということになるのではないかい。

302 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:25:32
>>301
>「伊聲耆」「掖邪狗」三字ずつに区切るという決定的な理由は何もないんじゃないか。
理由はあるよ。「伊聲耆掖邪狗」の次に「掖邪狗等」という言葉が出ている。
これは「伊聲耆」「掖邪狗」と三字ずつに区切れることを示しているというべきだな。
もちろん、「伊聲耆」を肩書きか何かと読めば全体で一人と読む余地はあるが。


303 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 12:55:01
>>302
>「伊聲耆」を肩書きか何かと読めば全体で一人と読む余地はあるが。

そういうこと。オレも「伊聲耆」「掖邪狗」で二人のほうが穏当だとは思う。
だけどその場合、先に書いてある「伊聲耆」が上位であるはずなのに
率善中郎將を授かるのに「掖邪狗」だけ書いて「伊聲耆」が無いのが不自然。
となると、姓+名 もしくは 官職+名 の可能性も捨てきれない。

304 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:01:11
>>303
別に不自然ではない。
そこに編纂者の意図が

305 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 13:22:48
そして「掖邪狗」の「狗」文字、
正始四年の記事だけが「拘」となっている。

306 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:59:01
>>272
唐松様
基本ロム専の者ですけど、
「ほつまつたゑ」初めてちゃんと見ました。
めちゃくちゃ面白いですね、神代の事が全部書いてあるじゃないですか!!!
勉強に成りました、ありがとうございます。
他のコテハンの方々は「ほつまつたゑ」をどう考えているのか知りたいですね。
http://www1.ocn.ne.jp/~hotsuma8/index.html

307 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:43:04
秀真伝えは偽書。
竹内文書も偽書。
宮下文書も偽書。
東日流外三郡史は偽書。
検証に値しない。

というのがまじめに古代史を論じている人の間では通説です。


308 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 22:59:39
307は偽書本で儲ける原田実

309 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:28:46
>>307
まじめに論じてる人にこそ検証して欲しいと思うのは素人考えでしょうか。
創作にしては実に具体的な出来事の記述があって、そこそこ神社の伝承と整合性がありそうな感じがするんですけどねぇ

310 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 23:41:24
>>306
ホツマの元ネタは記紀です。記紀をアレンジし後世創り出されたのがホツマ

311 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:22:24
>>310
なるほど
で、根拠は?

312 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 00:25:23
>>310
あれが創作なら、作者は正に江戸時代のトルーキンですな。w

313 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:47:57
>>311
記紀が作った架空の天皇を描いているというところかな・・

314 :銀河 秋彩:2008/11/18(火) 04:08:33
● 『記、紀、万葉』とは何か? (2) 

★『古事記』は、【石上 布留、<古>の<事>を<記>した、
  倭国・九州筑紫王朝(卑弥呼)・物部系<夏>の史書】……概して「物語」。
  
★『日本書紀』は、八代市沖の不知火海の、【御所ケ浦島】の、
【(百済と同胞の)日本国大和朝廷・(君臨は)近江(淡海)王朝・蘇我大王家(秋)と

 統治は(新羅王武烈=百濟鎮將・劉仁願=天智天皇)天智系[春]の史書】。
決して、鯨魚の居ない琵琶湖では無い。
 外国、主として唐への「独立宣言書」の意味合いを持つ。……概して『古事記』のコピペ。

★『万葉集』は、表裏一体の二重構造を持つ、「表」は歌集、【裏】は史書。
【裏】=【皇統君臨家・大倭国・蘇我大王家〔秋〕聖武天皇〔石川朝臣君子〕の勅撰史書】。
=【和歌に依って綴られた、勅撰史書】
 聖武天皇の実名は、『万葉集』(巻3・248)の左注に在り。
「新編国歌大観」準拠版 『万葉集』(上下巻)を使用。


【史実】は、『万葉集』に記載の、
「統治者・舒明天皇(田村皇子)」は、巨勢・百済の大臣「金 多遂」=【藤原鎌足(冬)】。

315 :銀河 秋彩:2008/11/18(火) 04:13:00
『万葉集』や古典文学に共通する、【暗号】

「表意」=【擬物法や諷喩(寓喩)に依る、裏意(真意)】

●「花、鳥、風、月」=【「花と風」は、君臨者(&)「鳥と月」は、統治者】

★「花」=【君臨者(太上天皇・女王)】
☆青によし奈良の都は咲く花【君臨者・牟漏(むろ)女王】のにほふが如く今盛りなり
  小野老朝臣(巻3・331)
☆花【君臨者】の色はうつりにけりないたづらにわが身 世【御世】にふるながめせし間に  小野小町
☆みな人の花【君臨者】や蝶【統治者】やと急ぐ日もわがこころをば君ぞ知りける  中宮(君臨者)・定子
☆散りぬべき時知りてこそ世の中の花【君臨者】は花なれ人は人なれ  細川ガラシャ
 「蕗の薹」=【吹黄刀自(斉明太上天皇)・安見児・鏡皇女】
川の上のゆつ岩群に草生(む)さず常にもがもな常処女(とこをとめ)にて  (巻1・22)
 「山吹」=【(毒殺された)君臨者・大田(十市)皇女】
山吹【君臨者・額田王、大田(十市)皇女】の立ちよそひたる山清水汲みに行かめど道の知らなく
  高市皇子(巻2・158)
 「躑躅(つつじ)」=【君臨者・額田王、大伯(明日香)皇女】
水伝ふ磯の浦廻の岩つつじ【大伯(明日香)皇女】茂く咲く道をまたも見むかも  (巻2・285)
 「桜(児)」=【君臨者・持統太上天皇】
桜田【臺の桜児・鵜野讃良皇女】へ鶴【房前】鳴き渡る年魚市潟潮干にけらし鶴鳴き渡る
  高市連黒人【人麻呂】(巻3・273)
 「椿」=【君臨者・藤原宮子(人麻呂(仁徳天皇)が禁忌した、文武天皇妃=嫉妬深い磐姫皇后)】
巨勢山【藤原系】のつらつら椿【君臨者(藤原宮子)】つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野【文武天皇】を (巻1・54)


316 :銀河 秋彩:2008/11/18(火) 04:14:01
★「鳥」=【統治者(天皇・大臣・男王)】
鳥【統治者】となりて(鳥翔成)あり通ひつつ見らめども人こそ知らめ松は知るらむ 憶良(巻2・145)
いにしへに恋ふらむ鳥【統治者】はほととぎす【物部系(弓削皇子)】けだしや鳴きし吾が恋ふるごと
  額田王【大伯(明日香)皇女】(巻2・112)
世間を厭(う)しと恥(やさ)しと思へども飛び立ちかねつ鳥【統治者】にしあらねば (巻5・897)
 「鶯」=【聖武天皇】
 「霍公鳥(ほととぎす)」=【物部系<夏>の統治者】
 「雲雀(ひばり)」=【藤原朝臣仲麻呂・恵美押勝】
うらうらに照れる春日【鮮卑】にひばり【仲麻呂】上がり心悲しも独り【隠岐島流罪】し思へば
  大伴宿禰家持【(借名の)聖武天皇】(巻19・4316)

   
★「風」=【君臨者(太上天皇・女王)】
君待つと我が恋ひ居れば我がやどの簾動かし秋【蘇我大王家】の風【君臨者】吹く
  額田王【娘・大田(十市)皇女】(巻4・491)
風【君臨者】をだに恋ふるはともし風をだに来むとし待たば何か嘆かむ
  吹黄刀自【(春の初めを告げる、蕗の薹)母・斉明太上天皇】(巻4・492)


★「月」=【統治者(天皇・大臣・男王)】
世の中は空しきものとあらむとぞこの照る月は満ち欠けしける  膳部王【のちに聖武天皇】(巻3・445)
この世をばわが世とぞ思ふ望月【統治者(の権勢)】の欠けたることのなしと思へば  藤原道長
めぐりあひて見しやそれとも分かぬまに雲がくれにし夜半の月【統治者(道隆)】かな  (源)紫式部

317 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:24:54

>>1

当時は南に呉の孫権がいて、魏は南部からの圧力を相当に受けていただろう。

そして、魏の北側には騎馬戦を得意とした鮮卑族が控えており、魏は正に

両者の板ばさみ状態にあった。高句麗や倭国を含めて、魏から東側の諸国から

の朝貢(同盟)は弱小諸国であっても相当に心強かっただろう。

このとき魏は、実態のつかめない倭国を呉の西側(計其道里當在會稽東冶之東)

にある強大な国であると誇張・偽りの伝記としてまとめ、呉の孫権にプレッシャ

をかけ、呉は魏と倭国で挟まれていると黙示的に示したんでしょう。

ということで結局、倭国は北九州の貧弱な小国であった。

318 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:54:52
蘇我大王家[秋]

夏と冬の間に、秋を置きました。
だから秋は少しだけ
中途半端なのです。

ほのぼのあ〜何となく
心淋しくて
知らないう〜ちに誰かと
隙間が出来たりします。
それで好きな人と
別れた人のために
この詩は、僕から貴女への(こころから )
贈り物です。

319 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 06:56:07
日本地名辞書"日本は任那新羅百済人たちが支配した国"

http://enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmything&nid=36182&st=writer_id&sw=fpasp&start_range=36139&end_range=36291

(●´艸`)ヾやっぱり日本人は永遠な奴隷..

320 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 07:40:19
天智系[春]


冬と夏の間に、春を置きました。
だから春は少しだけ
中途半端なのです。

ほのぼのあ〜何となく
心楽しくて
知らないう〜ちに誰かを
好きになぁたりします。
それでも好きな人が
出来なかった人のために
この詩は、僕から貴女への(こころから )
贈り物です。

321 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/18(火) 19:21:24
>>306 さん ホツマ伝を読むと、神代の昔から”暦”は使われている。
書紀編纂者が引き延ばした物では無く、当時の暦法です。
どの様に引き延ばしたか?、 太陰暦(四分暦)は19年6940日を一つの単位として
見ることが出来る、そうなれば 正しい年数に19*n回の虚数日を差し込む。
これで 外見上は、正しい暦の様に見える。 
「ほつま」の各天皇記の初めに新暦と書かれていれば、前天皇の治世+19*n年の”増し”
この様に考えています。
増し で 治世推定
西暦   治世  
神武天皇  40年 19年間  
空白(タギシミミ) 3年間
綏靖天皇  60年 14年間
安寧天皇  74年 11年間
懿徳天皇  85年 5年間
孝昭天皇  90年 26年間
孝安天皇 116年 26年間
孝霊天皇 142年  19年間
孝元天皇 161年 19年間
開化天皇 180年  8年間
崇神天皇 188年  25年間
垂仁天皇 213年 23年間
景行天皇 236年 22年間
成務天皇 266年 4年間  
仲哀天皇 270年 3年間
神功皇后 273年
現在の思考と少しズレが有りますがだいたいこんな所。
考昭元年の干支を元年とする”出雲暦”と言う思考方法も。
過去ログには、ほつま干支の計算式もありますよ。

322 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 21:00:57
>>317
日本語としては「じっぽん」が正しいが、レッドブックの「とおほん」(×とうほん)も間違いではない
ただ朝鮮人や一部の関西人が良く使う「じゅっぽん」は明らかに間違い
これを使っていると日本人である事を疑われるので気を付けるように

323 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 21:57:00
誰だよ?九州は温暖とか言った奴は!!
宮崎で雪降ってるじゃねーか!!

324 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:14:14
>>322
ほほう、関西人は日本人ではないと。
では君は純血の毛人か?アイヌ族か?クマソか?

純日本人なんかもうこの世にいねーよ、馬鹿じゃねーの

325 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:29:14
>323
雪降ってもすぐ溶ける温暖な土地(例えばケニア)と、
春まで全然溶けない土地(例えばグリーンランド)をいっしょにするな。

326 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:34:12
九州は標高の高い所が多くて、東北なみの寒冷地なんだぞ。

327 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:37:47
それじゃ奈良県など、シベリア同然。

328 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:17:04
東北の山間部は南極大陸かよ?

329 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:53:43
意外と奈良は雪降らないw金剛おろしが寒いけどね

紀伊山地が雲を遮って台風もなかなか来ない。
大阪ドシャ降りで奈良曇りとかよくある

んで奈良盆地は糞蒸し暑く、夏は茹だる様な暑さ。。


330 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 02:53:13
>>329
盆地が真夏に暑いのは山形も同様だが、山形は奈良同様、温暖じゃない。

331 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 05:16:29
国籍法改正案成立

日本ブランド終了のお知らせ
生態史観でいう第二文明圏の漢人や朝鮮人が
第一文明圏の日本人を名乗るなんてお終いです
日本人になりたくて大挙野蛮人どもが押し寄せるでしょう。
汚らわしい薄汚い自己中で法治を理解できず
真の封建制を経験せず自律的秩序を作れない
第二文明圏の連中が日本人になりたがってます。
ロシアを破り、先進国になり、
有色人種唯一の第一文明圏日本の終了です。

332 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/19(水) 09:30:11
おさらい
164年孝元元年 169年大彦誕生
ここから1代20年で世継ぎをすると
189年武濡河誕生 238年垂仁崩御
209年六雁(いわか)誕生 260年景行崩御
大彦、武濡河、六雁の活躍年代に違和感は無い。
243年正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗
伊聲耆掖邪狗が六雁と同年齢で有ればこの時点で 35才
田島守の跡を掖邪狗が継ぐ。大和の代表で有るから
この後正始八年卑弥呼が「黄幢拜假難升米為檄告喩之」難升米を使わしても矛盾しない。
「倭王復遣使」と「倭女王卑彌呼」は、別人で有る。
掖邪狗=六雁の蓋然性は、高まる。正始四年の倭王とは、オオタラシヒコになる。
大彦から7代継いでも雄略にたどり着かない事は必定。



333 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 13:42:42
ヒント:大彦は崇神の甥

334 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 16:03:36
卑弥呼。あると思います

335 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:42:42
>>334
なにがあるの?

336 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:12:06
卑弥呼。ないんじゃないのか?

337 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 00:38:29
常連さん連中は、全員退避したか…。
原爆並みの威力だからな。


338 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 10:21:10
もん太が出ると皆近寄らなくなります。

339 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 10:41:04
登場人物
都市牛利=タジマモリ
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=タラシヒコ=景行
伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁
難升米=倭女王の部下で大夫
狗奴國=狗古智卑狗
ついでに書紀より
卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
イヨ=五百野姫

景初二年 卑弥呼は魏に遣使 タジマモリが帰国した翌年には、天皇イクメは、墓の中
失望したタジマモリは、殉職 持ち帰った土産(カグ四棹、カコ四棹)此の土産の入った
壺一つと共に半島式の造りの墓に祀られる(垂仁墓の一郭)=ホケノ山古墳。
正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
倭王タラシヒコは、代替わりの上奏に伊聲耆掖邪狗=イワカを送る。
 正始六年 難升米は郡まで出張、黄幢假授を受ける。
景行12年8月景行は九州に出発
正始八年郡の使いが卑弥呼に合いに来たがすでに卑弥呼は、塚に埋葬されていた。合掌。
筑紫で男王が立つが、此方も間もなく死亡。景行18年の死亡。
景行20年 伊勢に居た五百野姫を卑弥呼の宗女として、筑紫に軍隊付きで送り出す。
景行25年 武内を関東、東北の巡察に出す。
景行27年には、関東平定を決定、その時九州でも熊襲が翻ったので、コウスの派遣を決定。
景行治世16年目か。



340 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:01:24
お前ら黙って、不思議発見見ろ


341 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 03:41:27
三国志魏書東夷伝は夫餘・高句麗・東沃沮・[手邑]婁・[シ歳]・韓・倭から成るが、
ウィキペディア「ワイ人」によると・・・
夫餘・高句麗・東沃沮・[シ歳]は、前二世紀の中国東北部にいた[シ歳]の後身で、
「[シ歳]系種族」とか「夫餘系種族」と言われる。
紀元前108年、衛氏朝鮮を滅ぼしその跡地に楽浪郡を、周辺に真番・臨屯の二郡を設置。
このうち臨屯郡は現在の韓国江原道にあたり、[シ歳]族の居住地の一部(最東端)だった。
紀元前107年、玄菟郡設置時「[シ歳]王之印」を所持した[シ歳]人の政権は北へ逃亡し
「鹿山」の地に依って「夫餘国」を建てた。夫餘とは[シ歳]人の言葉で鹿の意味という。
紀元前82年、真番郡・臨屯郡が廃止。臨屯郡の跡地は[シ歳]人の首長たちを多くの「県侯」に任じて治めさせたと思われる。
紀元前75年、玄菟郡が西へ縮小移転され、日本海沿岸部(咸鏡道)は放棄され、「沃沮」として独立。
紀元前59年、玄菟郡はさらに西方へ縮小移転を開始し、中国と朝鮮の国境山岳部も放棄され、「高句麗」として独立。
高句麗語の研究から、[シ歳]族の言語は倭人に近いとする説もある。

三国史記・高句麗本紀に登場する「倭山」も気になるところです。

342 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 05:43:09
邪馬台国の卑弥呼は天照大神です。卑弥呼の後継者台与は豊受大神です。
以上のように決定しました。

343 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 08:01:29
>>317
>呉の孫権にプレッシャをかけ、呉は魏と倭国で挟まれていると黙示的に示したんでしょう。
南九州はもともと中国南部と通交していました。王侯に与えられる玉璧だって出ているでは
ありませんか。ですから、魏が北九州の小国を大国のように装ったところで、実態を知って
いる呉に笑われるだけです。倭人伝は、事実をありのままに書いていると読むべきです。


344 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 08:06:42
>>340
溝が作られてました、木のお面がありました、そんな話から諸国の王が纏向に
集まってましたとはね。近畿説はしょせんあの程度の話ってことだ。

345 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 10:58:15
壷と共に埋葬された半島式墳墓 ホケノ山古墳も出てた。


346 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 11:44:02
>>343
>南九州はもともと中国南部と通交していました。王侯に与えられる玉璧だって出ているでは
ありませんか。

これは凄い! 無知で知りませんでした。
宮崎県最南端の串間市から1818年出土とは!
ttp://blog.q-ring.jp/sonobo/4

347 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:48:08
>>344
木の面がある時点で、何かしらの宗教があったという実証がされたし、

溝がある時点で、土木技術が進んでいたという実証がされたし、

高床式住居相当数があり、各地の特産物が出て来た時点で

九州説の入る余地なんか無いのだが。

348 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:01:57
>>346のはhttp://blog.q-ring.jp/sonobo/4 のまちがい。


349 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:08:12
>>347
どこのスーパーにだって各地の産物がきてるよ。

350 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 12:12:49
http://www.town-takajo.jp/syoukai/tyosi/002/003.htm
那珂郡今町の農夫佐吉が、所有地の王の山というところで、石棺を掘り当て、その中から玉や鉄器と一緒に発見したものであった。
串間地区に王の山という地名は残っていないので、確かに串間から出土したという記録はあっても、石棺の王墓についての詳細は不明のままである。
県文化財調査の石川専門委員は、王の山は大納山であろうかと、都井岬北海岸の大納を調査し、ここから箱式石棺の遺跡を発見している。
穀璧を掘り出された王の山は、大納にあったか今町附近にあったか、それは確証されないとしても、串間地方に夜光の璧を受けるような王がいて、
一つの国があったという事実は了解できる。

後漢書、魏志の(第二)奴國はこちらの那珂郡だった可能性もありそう?

351 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 13:52:15
王の山が串間市大納の都井岬だとすると、「倭國之極南界也」という表現も分からなくはない。
北海道の知床岬は地理的には最北端ではないが、アイヌ語の「シリエトク」(大地の突端)という。


352 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 14:08:51
製作時期から見て 天孫降臨の方がマッチする。
ただ 南九州は、六千年前の噴火の後遺症から考えないといけない。

353 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 14:19:24
南方で細々暮らしていた、天孫族‥このままでは発展が無いと北部九州
へ戦いを挑み、筑紫の日向の高千穂辺りに前線基地を設け、葦原へ攻め込む。
対する現地人は、大物主。天孫族は暦を大物主に提供する事で話は纏まり
共同して、九州の経営に当たる。天照大神の時代です。


354 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 14:27:02
唐松山さん、天孫降臨が天照大神の時代より前なんですか?
書紀でもホツマでも、百七十九万年前(!)でしたね。

355 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/23(日) 15:37:35
アマテル神の懐妊96か月での誕生とは・・・?

宮崎県にはまだ秘密がありそうです。

今週はこれにて逃亡します。
GRRR・・・・

356 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:37:35

 数詞対照表の最新版 (娜々志娑无氏提供)

  古代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   Φi1to2    −−  hっtっn hっtっn   hΛnah    hana
                 (一等)  (河屯)
2   Φuta    −−  tu¨pっ¨l tuβっr   tulh      tu:l
                 (二尸)  (途孛)
3    mi1     mil    siet    sei     s∂ih     se:s
            (密)    (悉)   (洒)
4    'jo2     −−   −−   nei     n∂ih     ne:s
                       (廼)
5    'itu     'utsu   −−   ta∫us   tasΛs    tasっs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−   −−  'jul∫us  'jっsΛs    'jっsっs
                       (逸戍)
7   nana    nanun  −−  'ilkup    nilgub    'ilgob
            (難隠)        (一急)
8    'ja     −−   −−  'jultap   'jっdщlp    'jっdっl
                       (逸答)
9  ko2ko2no2  −−   −−  'ahop    'ahob     'ahob
                       (鴉好)
10   to2'wo    t∂k   −−   'jっl     'jっlh     'jっ:l
            (徳)         (噎)

※古代日本語の[i1]はイ列甲類、[o2]はオ列乙類。[っ]は母音[?]の代用。
 高句麗語の数詞「5」については村山説を挙げたが、李基文や板橋義三は
 再構語形を[uc]としている。

357 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 17:47:58
数字には、”振りと増し”がある、と昔書き込みました。
八百屋の大根が100万両するのは、”万両”が振りだから、現実は100円となる
間違っても1円=1万両では無い。


358 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 18:30:29
>>357 程度ならまだ暦に直せないこともない。
しかし 古代の数字は二重にも成っている。
振りと増しと二重、この3重奏を解き明かさなくては。


359 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:30:15
>>349
煽ってるようで、君は凄いことを書いてるね。
大和マキムクが中心だと言うことにならないか?

九州説の人は奈良のド田舎だと言ってるが、
各地の産物がスーパーやデパートのように流通し、
市を開き、商売をしていたとすれば、
マキムクを統治していた国はかなりの大勢力か
もしくは大連合国家だったというわけだ。

そもそも九州説論者は
マキムク遺跡や三輪山をどういうものだと考えているのか
聞いてみたい。

360 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:05:22
九州のスーパーには何があるの?

361 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:20:12
火山灰と人喰い人種

362 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:15:02
>>359
極東大戦争への徴兵を嫌って逃げ回った、弱小勢力の掃き溜めが纏向でしょう。
木器と土器しか出ないのがその証拠。

363 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:39:33
>>362
>極東大戦争への徴兵を嫌って

初耳だが、これは脳内妄想だろう
史料の裏付け、あるのか?

それと念のため聞いておくが、九州説では倭国大乱は九州島内限定の戦争とするのだよな
本州は当時(2世紀末)まだ倭国の範囲ではない、とするのだったよな、確か
違うか?

364 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:45:21
はあ?倭が極東でバンバン戦争をし続けた歴史を、全く知らない人がいるんだな?
ねえ、漢籍読まない人?

365 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:57:59
>>364
いいから早く「徴兵を嫌って」と書いてあるその漢籍とやらのの史料を示せ

366 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:02:58
>>364
何が言いたいんだ。薄汚い朝鮮ゴキブリさん。

367 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:14:43
>>363自己レス

後半の倭国大乱についての疑問は♪邪馬台国ドンと来い♪スレに移した
そっちで議論してほしい

368 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:20:38
>>364
漢籍には畿内に邪馬台国があったって書いてあったよ

369 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:31:59
ここは卑弥呼スレだからな
所在地争いは二の次にしようぜ

ただ共立された卑弥呼の出身地、つまり生まれ故郷だな、そこと
宮室があったという邪馬台国の都とは
必ずしも同じ場所でなくともいいだろうと考えている
どうかな?

370 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:05:46
>>369
卑弥呼の一族で後継者台与は丹後国の大宮売神社(京丹後市)が出身地。
TBSの主張する天橋立の籠神社(宮津市)より14km離れた場所。

371 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:13:33
卑弥呼の国には鉄器と絹があるんだから、畿内じゃないことだけは確かだな。
まあ、北部九州以外にありえない。

372 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:17:57
昨日の海部氏の国宝家系図、日女命と豊與命とあっただろ。
あれで日本書紀と同じころのものとすぐわかったよwww

三世紀ごろから伝わってる名称なら、まだ漢字を意味を成さずに使っていた
当て字だったはず。そのころ使われていたヒメ=比売でなく日女とかな。
天照と一緒じゃん。構想が同じ。
それとも何?後のひとが比売を勝手に日女に変えたの?
だからもう、いつ頃書かれたものかよくわかるよ。


373 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:22:00
>>372
で海部氏の国宝巻物はいつ頃?
あれは見たけど紙も新しすぎだし字もはっきりしすぎww

374 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 03:13:11
あ、書き方が悪かったな。
「いつ頃」っていうのは最初の日本書紀と同じ頃のものだろ、って推測
を指してるものだよ。

記紀がいろんな文献を参照にして卑弥呼を神功皇后に当てはめてるような
節があるだろ。それと同じようなものだよ。

375 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 03:21:43
>>372-373
国宝の海部氏系図には養老3年(719年)3月22日の日付があります。
これまでの伝承を元に書かれたか原本は失われたかどちらかでしょう。

376 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 04:25:14
>>375
ほう・・情報ありがとう。
そんなに古けりゃそりゃ国宝だよなあ。写しじゃなく8世紀の原本なの?凄いな。

ところでそれ以前の原本なんて初めから存在しないだろうね。
やはり記紀と同じ穴のムジナだ思われ。

377 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 07:02:23
四国だろ!
理由はない!

378 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:29:58
>>373
シンジタクナーイシンジタクナーイかwww

379 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:05:07
少なくとも、北九州と言う近場には無い。
魏志倭人伝読んだらこれぐらいすぐ分かるだろ。

380 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:16:02
少なくとも、唐津の東北にあたる大和には無い。
魏志倭人伝読んだらこれもすぐ分かるだろ。

381 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:36:11
なぜ唐津に拘るのか理解できん


382 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:40:21
だから邪馬台国は南海の海に沈んだ幻の大陸にあったと・・・
何度言ったらわかるんだろう?

383 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:07:56
>>382
インファント島にでもしとけwカス

384 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:21:19
>>375
今、「源氏物語」1000年の特集番組やってるけど当時に書かれた「源氏物語」
の原本や最古の源氏絵(1008年以前に書かれた)見たけどボロボロで
紙なんか茶色に腐敗して源氏絵は世界中に出まわってる1450年頃に書かれた
源氏絵とは明かに違うと分かるほど色が変色していた

719年ならさらに古いわけであんな紙の腐敗ではすまないと思うが
日本書紀の原本も腐敗がすごかったことからあの海部氏の巻物は719年に
書かれたものかもしれないがその後書き写してる可能性が高い
日本書紀や源氏物語の原本を知ってれば「?」と思うのは当然

385 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:26:26
木器しかない畿内にはないない

386 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:52:46
宗女 オトヨ...
本物なら卑弥呼とのつながり書いてあるよね。弟の曾孫とか。
魏志倭人伝参考にしたのかな?


387 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:08:19
記紀で倭人伝を参考にするぐらいだから
8世紀に家系図をつくるとして
倭人伝の中の倭人の名前を知らない訳はないよな。

だって3世紀やら4世紀の記述なんて中国の史書読まずには
わからない訳よ。記紀が最初の正史なんだから。その記紀も8世紀だよな。
とてつもなく遅すぎる。

それ以前に何があったかは先に造ったもん勝ちじゃねーの?

388 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:14:06
8世紀に正史を編纂したんだから、それを正当化できるほどの
地位や権力を築いたのは、それほど昔じゃないと思うね。

王になれば一代、あるいは息子の代ぐらいには、そういうの造るだろうよ。


389 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:22:01
天皇記は燃えた

390 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:54:55
>>384
TBSが国宝の海部氏系図ではなく海部氏勘注系図の方を放送した疑惑が
わいてきました。海部氏系図には丹後国印が捺してあるはずです。
海部氏勘注系図は成立が平安時代だが書き写されたのは江戸時代初期のはずで
文物が新しいのも理解できます。神社の人は国宝を白手袋で触ってたかなぁ?
TBS怪しい。また誤報やったなぁ!

391 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 09:33:24
馬鹿め

392 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 12:55:47
ふーん、だから?
疑い出したらキリがない。
九州の人間であるという、証拠になるような
家系図なり、なんなりが出てくればイイネw

393 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 16:11:23
日女命が本当の呼び名らしいね。
そもそも名前に「卑」なんて蔑む漢字使うはず無いし
中国が日本を貶める為にそういう漢字をあてただけ。

教科書も「日女命」と書くべき。

394 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 17:24:43
>>393
「卑弥呼=火明命六世の日女命」
と言いたいの?

395 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 18:47:44
>>394
「先代旧事本紀」に日女命と書かれているし「万葉集」も
天照大神=日女命と書かれているから卑弥呼=日女命で良いと思います。

396 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:55:12
>>395
ならまず「卑弥呼=天照大神」て事を証明しなくちゃ。
まだ決着も付いてないのに卑弥呼の正体を断定して教科書に書くのは良くないよ。

397 :393:2008/11/25(火) 22:16:59
395とは別人ですのでまずそれを理解してください。

で、私の主張は卑弥呼の漢字が当時の中国の日本貶めによって当てられた漢字であることです。
そういう漢字をそのまま使うのは日本の過去を汚すことに他なりません。
なので正しい漢字と思われる日女命を使うべき、それが日本の歴史を正しく理解することに繋がるって考えです。

卑弥呼と聞いてイメージする人物像と日女命と聞いてイメージする人物像って随分違うと思いませんか?
それだけでも教科書を改める意味は大きいと思います。

398 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:50:46
>>397
何の為に「卑弥呼女王」を「日女命」のイメージする人物像として子供達に
教える必要があんの? 馬鹿じゃねえだろうか、こいつ。。。。

そしてあんたみたいな馬鹿丸出し人間の「考え」がなんで教科書に
反映させんの? wwwww
歴史はイメージで教えるものじゃない。当時はヒメって発音するところは
ほぼ間違いなく「比売」という字を当てられている。それは自分でちゃんと調べろ。

それを「日女」などと当て字してる時点で記紀と同じ発想なんだよ。つまり
自分の血筋(創作含む)と中国の史書に出てくる倭人の整合性と正当化。

しかも>>395によれば日女命=天照大神

つまり卑弥呼=天照大神=>>395>>397の考え。

卑弥呼が天照大神とは違うだろ。
そこまで言うなら卑弥呼=天照大神の説いってみ? 日本の歴史の正しい理解のために。

399 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:03:05
ここで問いてるのは「魏志倭人伝」に書かれた「卑弥呼」という
「倭国」の女王が誰か、ということ。

だから「魏志倭人伝」の「卑弥呼」っていうことで使い続けているんだよ。

「正しい」漢字って何?w 8世紀ごろの当て字が?で、その日女命は
金印もらった証拠とかあるの?そんな「イメージ」とかで教科書の話だすな、このボケ


400 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:33:54
そういや、大分県に海部古墳郡ってあるが3世紀ぐらいから
6,7世紀にかけてのものだ。まあ海部という土地は全国ほかにもあるが
豊(トヨ)の国と地主神の比売大神の伝承と。妙に繋がるけどな。



401 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 05:01:10
卑弥呼は崇神天皇の義姉で崇神天皇には実妹である大海媛が嫁いでいる。
卑弥呼の後継者の臺與は甥の娘にあたる。

402 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:09:41

イヨタン・・・・・・・・・・


403 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 11:05:00
>>399
じゃ魏志倭人伝の卑弥呼が誰なのか早く論じてください。
さぁ、早く。笑

404 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:12:36
>>401
まあ、それが九州の大分県と繋がったりすると
まずいよな。祟神天皇の義姉や甥の娘がなんで九州の
海部にいるんだと...

405 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:13:33
>>403
天照大神(日女命)ではないのは確か。



406 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:22:15
>>405
それじゃ論じたことにはなりません。
まず誰なのか仮定でも良いから設定してこそ論じる事が出来るのではないですか?
否定ばかりしてないで論じなさい。

407 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:28:37
大分県の「豊」(トヨの国)の語源と
伊勢神宮の豊受大神との繋がりは郷土の話で出てくる。
しかし、それは海の幸や山の幸が豊富で食べ物に恵まれた大分と
食物の神様の豊受大神にあやかったんだろ、ぐらいに普通は考えるがな。

>>401
祟神天皇の義姉に「卑弥呼」という漢字で脳内決定して読むとは
まさに「歴史を歪んで伝えようとしている」典型だな。哀れなやつw

408 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:29:22
祟神=神武?


409 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:50:05
>>406
あんたには持論が全くないね。しかし「否定」という言葉を
使ってるから卑弥呼=天照説なんだろ?

で、その根拠のすべては海部家系図なのか?
その家系図丸ごと信じてる説か....そりゃお気楽だな



410 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:52:46
卑弥呼=日女命=天照大神。
臺與=天豊媛命=豊受大神。
葛木高千名媛命=大海媛=崇神天皇妃。
「海部氏勘注系図」によって九州説は壊滅した。

411 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:53:53
>>406
自分の否定理由はな、卑弥呼女王が
倭王の金印をもらうわけないからだよ。あと倭国大乱と台与の引継ぎ
は?台与天皇はだれなのよ、家系図ではさ?

祟神天皇がいるのに完全無視されて卑弥呼を女王と呼ぶか?
だからもう、おかしいわけよ。

412 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:59:28
>>409
>>411

質問返しばかりでごまかそうと必死ですね。
で、卑弥呼は誰なんですか?

はやく答えなさい。

413 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:06:27
あんたの頭は九州説でいっぱいのようだがwww
まず自分の足元みてみ?

まず海部氏勘注系図に「倭人伝の卑弥呼」を当てはめると
おかしなことがたくさんあるし、記紀とも倭人伝とも整合性が
まったく合わないんだよ。

天照は中国に貢いでは倭王の金印もらったりしてたのに
戦争中に死んだ? で弟(祟神)が継いだけど国が荒れて豊受大神が
女王になる。そんなん?w

>>412
「卑弥呼」と呼ばれる人物は、いいかい?w 
「卑弥呼」は「魏志倭人伝」の中の人物なんだよ。
 中国の皇帝に倭国から貢をし倭王と認められた人物。
   
それが天照=祟神の兄では記紀からも家系図からも読みとれないが。



414 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:10:39
>>413
九州説?
誰と話してるの?笑

だから、倭王と認められた人物は誰なのよ、はやく答えなさい。

415 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:21:06
>>414
だんだん焦ってるねw 必死さが伝わるww

>>413は 海部家系図の日女命は卑弥呼ではない説なんだよ。
君は全く反論できないし、言い返すこともできない。

九州説以前に、海部家系図は卑弥呼は当てはまらない。そんだけ。
崩壊したねw はいw 

416 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:24:41
>>415
頭大丈夫? 笑
必死も何も九州説なんて唱えてませんが。

唱えてもないものに反論も何もありません。

で、卑弥呼は誰なの?
それを論じるスレじゃなかったの?

さぁ、早く答えなさい。

417 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 15:05:10
朝廷は五月を忌月として嫌っている。だからこの月は朝廷の連中は
ジッとして消極的活動にて日々をすごしている。せいぜい葬儀等位
での活動である。五月は別名を悪月ともいう。5月は彼らにとって
凶月なのだ。それは高天原の五月蝿なす暗黒の混乱をアマテラスが
嫌って天の岩戸に籠ったわけで、卑弥呼がアマテラスならば五月に
活動なんぞ ↓ するはずがな〜い。二人の女は別人である。

新羅本紀
「阿達羅二十年五月 倭女王卑弥呼遣使來聘」


418 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 15:28:27
>>417
阿達羅二十年???卑弥呼がいつから神功皇后になった!ボケが!

419 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 15:31:54
それでどうして卑弥呼が神功皇后になるのか?
オマエ早く説明しろい!

420 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:02:22
>>419
「増補文献備考」李朝弘文館
阿達羅王二十年「倭王仲哀死、歴年無君、人立其妻卑弥呼、為女君称神功天皇、
至是遣使来聘」とある。薄汚い朝鮮人の歴史書を使うとアホの太国になる。

421 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:10:01
隣のみよちゃんが生まれ変わりだと言って踊っていた


422 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:15:07
ミ、ミヨちゃん

423 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 16:28:42
>>420
使うとか? 文献もスカウトか〜?wwwww
オマエ、「増補文献考」は新羅本紀なのか?
日本人にも薄汚い奴はいるぞぅ〜。

424 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:29:39
疲れるスレ。。

425 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:36:20
スレがキナ臭くなってきたぞ・・・
竹島がどうとか言い出すなよ

426 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:42:02
「増補文献備考」
朝鮮の歴史書。250巻。李太王の命により朴容大らが編集。1908年刊。朝鮮の古今の文物・制度などを16項目に分類・集録したもの。


427 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 16:46:18
だからそれはそこを書いた連中が日本が倍暦を使用してたのを
知らないで編年してたから、神功と卑弥呼が同時代になったものよ。
紀の編纂者も同様に神功39年に入れてるじゃないか?w

428 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 20:56:16
>>416
基地害海部厨wwwww
ここでいってるのは海部家系図の「日女命」=卑弥呼説崩壊っていってるんだよ。
卑弥呼を日女命に教科書として載せろなどという狂言を
書いた馬鹿に一喝してやっただけ。
はい、論破w

429 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:17:59
>>428
で、卑弥呼は誰なの?
早く答えなさい。

430 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:24:47
卑弥呼は卑弥呼じゃん。

海部家系図説を論破されて反論できずについにキレちゃったのねw

安心しろ、日女命は天照として宮崎に居たって説も残ってるよん♪

431 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:28:00
答えられないから必死ですね。笑>卑弥呼は卑弥呼

432 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:31:36
>>431
ほんと、残念だよね♪

卑弥呼を日女命として日本全国の教科書に載せるという素晴しい発言をしたのに

もうそんな馬鹿な台詞かけないもんねw

ストーカーカキコ頑張ってねんw こっちも海部家系図

まだまだ書くこと一杯あるよん♪ させと

433 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:33:22
丹後にいるときゃ卑弥呼と呼ばれたの〜♪
奈良じゃ百襲姫と名乗ったの〜♪
博多の酒場にもどったその日から〜♪
あなたが探してくれるの松浦♪
神功の名前ででています〜♪

遷宮するたびに名前が変わったのではないでしょうか?


434 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:36:29
卑弥呼が卑弥呼ならこんなスレいらないのに
答えに詰まって必死ですね。
頑張って毎日wwwwwwって繰り返してくださいね。

435 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:45:49
まず 世界ふしぎ発見!の国宝海部家系図。
まず海部家系図には2種類ある。どちらもそんなに古いものじゃない。
そして国宝でありながらも後世による偽図との指摘もある。
内容を見ればそれもわかるんだよな。

ひとつは平安時代初期のもので『祝部系図』で8世紀。本系図。
こちらは丹後国印があり、当時公的にも認められていたものとされる。

しかし、そこには日女命の名もないし、豊與命の名もない。


436 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:04:59
海部氏勘注系図。
これは江戸時代初期のもので突如、本系図にはなかった詳細が出てくる。
後世による偽系図だから国宝取り消し云々という議論がなされているのは
そのため。



437 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:34:48
倭国大乱の内戦に疲れた各地の有力な豪族が大和に集まって会議を開催した。
その時に大和国(邪馬台国)の女王に擁立されたのが日女命(卑弥呼)である。
女王日女命(卑弥呼)を補佐する男弟に女王の実妹(大海媛)の婿の崇神天皇が
就任して中国の魏に使節を送り親魏倭王の金印と鏡と剣等を贈られた。
日女命(卑弥呼)が亡くなった時に後継者争いが勃発し武埴安彦命が反乱を
起こした。男弟(崇神天皇)と有力な豪族は日女命(卑弥呼)の甥の娘である
天豊媛命(臺與)を女王に擁立して四道将軍を派遣し京都府南山城の祝園で
武埴安彦を撃滅した。その後中国の晋に使節を送り親晋倭王の金印を贈られた。
その後二人の女王は伊勢神宮に天照大神(日女命)豊受大神(天豊媛命)として
手厚く祭られている。以上近い将来日本史の教科書に転載される文章でした。

438 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:36:36
偽系図による妄想拡大中 

439 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:37:34

竹島は朝鮮のものだと言いたいわけ?
出て行け腐れ外道が

440 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:43:53
>>437
君は元伊勢を全く知らないんだなあ。

神様は君に伊勢神宮の歴史がわかるような頭にしてくれなかったんだね
存在自体が罰当たりだよ。こんなんじゃあ、いくら参拝してもどうだろう?
今の時期、病気に気をつけなさい


441 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:53:54
>>438>>440
君らさぁ、偽系図と言うのなら、
九州説論者は海部氏の系図は嘘ですでっち上げでしたと
認めさせるような家系図なりの物的証拠をあげろよ。
このままだと海部氏の存在自体を否定しているようで失礼極まりない。

何もないのにシンジタクナーイシンジタクナーイ言ってても説得力が無い。
駄々をこねてる子供のようだなwww


442 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:17:38
畿内説の最後のあがき。
wwwwwの数が多くて必死ですね

443 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:22:26
「海部氏系図」「海部氏勘注系図」は620年聖徳太子が天皇記・国記を
つくる時に書かれた「丹波国造本記」が元祖原本である。
719年養老3年に籠神社が丹後一の宮に定められた時に朝廷へ提出したのが
「海部氏系図」の原本である。その時朝廷から危険視されて
859〜876年貞観年間に書き直して朝廷へ提出したのが
「籠名神社祝部氏系図」で871〜877年間に書き写して丹後国印を捺した
ものが現在の国宝「海部氏系図」である。
721年養老5年に書かれた「籠名神社祝部氏之本記」が「海部氏勘注系図」
の原本である。その後885〜889年仁和年間に書き写されたのが
「籠名神宮祝部丹後国造海部直等氏之本記」である。その後江戸時代初期に
書き写されたのが現在の「海部氏勘注系図」である。
噂を聞いた徳川光圀が見たいといったが拒否された。戦前の日本政府からも
危険視され秘蔵されていたがパナソニックの創業者松下幸之助等の努力で
昭和50年代に一部公開され平成4年に全面公開された。
神道大系古典編13に入れられている。

444 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:23:01
>>441
偽系図と言ったのは>>438のみじゃん。
しかも、>>440はあまりに稚拙な>>437のお粗末さを親切に
指摘しただけで偽などとどこにも書いてないし海部氏のことさえ
言及していない。

ついに頭がおかしくなってきてる>>441
やはり伊勢の神様の罰があたったのかな?



445 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:26:23
箸墓古墳の倭迹迹日百襲媛命説はどこから出てきたんだ?
卑弥呼とは時代が違うようなんだが?

446 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:29:46
あ、今いろいろ書こうとしてた矢先
>>443 出た!ありがとう!

>噂を聞いた徳川光圀が見たいといったが拒否

↑これこそ偽系図疑惑の発端のひとつでもある。
徳川光圀は「先代旧事本紀」の偽書疑惑に対して徹底調査を
命じ、偽書認定した張本人。
そして、この「勘注系図」は「先代旧事本紀」を参考にしたとまで言われる
書物。


447 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:44:57
いくらでもまだ書けるが小出しにするか..

この「海部氏勘注系図」を語るには「先代旧事本紀」がはずせない。
それに海部氏も同じ物部系だし切ってもきれない。

「先代旧事本紀」は平安時代から記紀より重宝された信じられてきた歴史書。
それを調査していた徳川光圀に存在を知られたが「門外不出」を理由に拒否



448 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:48:05
馬鹿め

449 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:52:08
「海部氏系図」「海部氏勘注系図」など、一見して偽書と看破せなあかんよ。

450 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:06:25
物部系の独自の解釈が多いとされる「先代旧事本紀」は620年に
推古天皇のもと聖徳太子が書いたとされる。が、実際は8,9世紀頃とされ
物部氏の権威付けのために創作した書物とされている。

その「海部氏勘注系図」だけれど、国宝に指定されているのは712年でも
885〜889年のほうでも、それを「書き写した」とされる江戸初期のもの。

なぜ8世紀の『祝部系図』を出して国宝認定されているのに「勘注系図」は
江戸時代のものしか出せないのか。なぜ、それさえも偽書の疑いで
「先代旧事本紀」を調査していた徳川光圀公、国学者たちに出せなかったのか。

それ以前に、この「海部氏勘注系図」と比べられるものは
尾張氏系図の「先代旧事本紀」以外何がある? 記紀より重宝されてきた
物部系「先代旧事本紀」が偽書認定されるのだから、江戸時代初期の「勘注系図」
も徹底調査されるべき。

それと「籠名神社祝部氏之本記」あるいは「籠名神宮祝部丹後国造海部直等氏之本記」
これがあるなら、国宝で当然だが、ないの?どうして?

451 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:20:04
>>449
祝部系図(本系図)のほうは、平安時代初期のもの、そのものであり
しかも丹後国印のもと当時の大和朝廷に認められているもの。
本物というか、それだけで十分国宝に値すると思うが...


452 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:30:27
龍神社はまぎれもなく元伊勢、非常に由緒正しいうえに
美しい神社だよ。それはそうだ。海部氏の血統も祝部系図で証明されている。

しかしね「海部氏勘注系図」は、>>443にあるような平安時代のいづれかの
原本ならともかく(しかし、それでも「先代旧事本紀」は偽書とされたが)
これは江戸時代初期のものであり、偽書の調査をしていた人間に見せるのを
断ったもの。その系図は他の古来より存在する文献では全く確かめられないものが
突如、多数出てきている。「先代旧事本紀」を除いてね。

「先代旧事本紀」は記紀より尊重され、それを元に江戸時代に古史古伝まで
作成されている。似てるんだな、どことなく。

453 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:47:42
>>445
え!?卑弥呼がいた時代が何年か知っているのですか!?

教えてください。お願いします!!!!!

454 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:55:24
海部氏の系図にケチつけるのはいいけどさぁ〜、
九州説には確固足る物証はあるの?
それこそ系図とかさ〜?
もしかして…ないの?

ひょっとして倭人伝を勝手に解釈して
妄想膨らませてシコシコしてるだけ?

グダグダ文句はいいから物証出してよ、ね?

「畿内説は〜」とかモウイイヨ

455 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:00:13
>>453
そんなことも知らないで書き込んでいるのかw

倭国大乱が2世紀末
親魏倭王が239年、狗奴国と戦ったのが247年
つまり3世紀前半を生きた人物ということになるな

456 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:09:53
>>455
それは本当に正確なのか?

457 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:26:04
>>456
100%信頼できる訳ではないが、これまで疑ったら古代史そのものの議論が成り立たないよ
資料の信憑性としては高い方だろ

458 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 02:41:20
実は間違ってました

459 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 10:36:32
>>451
国府へ提出した系図の副本ではないかという見方があるね。
しかし、副本に何で国府印が押されるのかな?そこがおかしいと言われている。
それに国府印が薄くて良く見えない、本物の印を押すときにそんなことはしな
いはずだよ。内容もでたらめ、これは説明がむずかしいが。

460 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 11:09:45
>>455
倭国大乱が2世紀末というのは、疑ってみた方がいいな。
倭人伝にはそんなことは全く書かれていない。倭人伝はどうして書かなかった
のか? そこが問題なんだよ。

461 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 12:06:09
>>459
籠神社の保存用の副本に丹後国印が捺されているのは会社に提出する書類と
手元控えの両方に印鑑を捺すのと同じです。籠神社と丹後国府はわずか2km
しか離れていません。歩いて行ける距離です。
内容がでたらめで4世孫の笠水彦から17世孫の明國彦まで欠けているのは
勅命で書くのに朝廷に不都合な事を書いたら処罰されます。

462 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:57:42
「海部氏勘注系図」の不都合な真実。
第8代孝元天皇の妃が伊香色謎命で子が彦太忍信命。第9代開化天皇の皇后が
伊香色謎命で子が第10代崇神天皇である。
勘注系図と古事記によると日女命の実妹の葛木高千名媛の婿が
比古布都押之信命(彦太忍信命)。葛木高千名媛の別名が大海媛で
第10代崇神天皇の妃も大海媛である。
2人の伊香色謎命が同一人物であると日女命(卑弥呼)の義弟が
第10代崇神天皇ということになる。

463 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:12:32
「海部氏勘注系図」の不都合な真実2。
宇那比媛命の主な別名は日女命だが他にもたくさんの別名がある。
倭迹迹日百襲媛命・神大市媛命・中津媛命・日神・千々速日女命である。
天照大神は別名に大日靈貴と日神がある。大日靈貴は日巫女の意味があり
日女命とそっくりで日神は日神そのものだ。万葉集でも天照大神は日女命と
表現されている。やはり天照大神は日女命(卑弥呼)ということになる。

464 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:42:44
九州説が墓穴を掘ってるの図?



465 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:31:25
先代旧事本紀が偽書なのは確定として、
海部氏勘注系図を偽書というのはいかがなものか。


466 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:45:21
先代旧事本紀が偽書とされる理由は、
ニギハヤヒが天火明と同一としてることだね。
これは、物部氏の祖のニギハヤヒをニニギやヒコホホデミなんかと同列にしたいための作為。

日本書紀は注釈の中で「この神はこの氏族の祖」と多く書かれてるけど、
ニギハヤヒが天火明と同一とはどこにも書かれていない。

実際、天火明を祭ってる神社で天火明をニギハヤヒだと言ってるとこは無いし、
尾張氏だって天火明をニギハヤヒとは言ってない。

もともと先代旧事本紀は偽書とされていたところに追い討ちをかけたのが海部氏勘注系図。
海部氏勘注系図に出てくる天火明がニギハヤヒだとはどこにも書いてないし、
物部氏とのつながりも一切ないからね。
これで先代旧事本紀は完全にアウト。

で、先代旧事本紀が偽書にされると都合が悪いのは安本という人。
安本という人は、先代旧事本紀を邪馬台国東遷説に加えて物部氏東遷説にも利用していたから、
海部氏勘注系図の存在は非常にイタイというわけ。

467 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:55:10
判りやすい!
素晴らしい解説だ!
皆こんな書き込みなら良いのに

468 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:42:56
邪馬台国が実在したとして…
大和朝廷が邪馬台国を知らないはずはなく
詳細に中国との交流など外交面に触れてるにもかかわらず
国史で一切触れてないのは意図的としか考えられない
少なくとも邪馬台国は天皇家ではない。
邪馬台国の末裔は被支配側ということ。

469 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 19:23:45
誰かかまってやれよ・・・

470 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 19:42:30
>>462
孝元の后=イカシコメ→子供タケウチを産むが1年足らずで死亡する。
タケウチはその後改名「オシマコト、忍信」となる。
孝元は妾を后とする、名前をイカシコメと名付ける、そして崇神を産む。
忍信は、紀へ下り、孫娘が景行の子供「武内」を産む。

471 : サガミハラハラ:2008/11/27(木) 19:52:52
>>468拙の考えであるが、(まだ固まっていないのであるが)大和朝廷が九州をその配下に置いたときん、大和朝廷内では天皇の先祖は九州出身であることから一種の九州ブームがおきたようである。
いきなり巨大な古墳が近畿につくられたりヤマトヒコの埋葬において従者を殉死させたなどは九州の邪馬台国卑弥呼のことを聞いての影響であろう。また、多くの九州起源の神話等も流入したようである。

472 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 20:27:29
普通に邪馬台国の末裔は物部なんじゃねーの?

473 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 20:36:34
>>471
>多くの九州起源の神話等

九州起源の神話なんて何がある?
天孫降臨以外は、一個も思いつかないが。

474 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 21:01:34
登場人物
都市牛利=タジマモリ
伊支馬=イクメ=垂仁
倭王=タリヒコ =景行
伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁
難升米=倭女王の部下で大夫
狗奴國=狗古智卑狗
ついでに書紀より
倭女王卑弥呼=巾3尺の石
男王=筑紫の大木
イヨ=五百野姫
景行=大帯日子淤斯呂和気=大足彦忍代別=ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ

邪馬台国は、大和です。でも卑弥呼は九州。
後世、倭王と言えばタリヒコは、景行が元祖


475 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:10:10
不都合な真実ってのは実は嘘。

龍神社はもうサイトに出してねーな。やっぱ自分らでも
わかってんじゃねーの?



476 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:19:41
本当に不都合な真実ってのは、江戸時代に「勘注系図」写本を
いきなり、何?、800年ぶりにぐらいにやっといてさあw

やっぱ同時期にあった「先代旧事本紀大成経」に刺激されたのかも
しれんが偽書の古史古伝とされたあとに提出拒否。

どうして江戸時代の書物がオリジナル無しに、しかも参考文献、比較史料が
全くない独自の内容で(普通はそれを偽書と認定する)、国宝なんだ?

このあたりをはっきりすべし。畿内説の学者やパナソニックを喜ばせるために
出しとというんじゃねーだろうなw 大体、家訓に背いたのなら
天罰当たるぞ。ちゃんと説明してほしいね。誰が?って感じだけどw

477 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:52:10
竹内文書的には卑弥呼はどうなんですか?
誰か教えて。

478 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/27(木) 23:21:42
>>477
>竹内文書的には卑弥呼はどうなんですか?
誰か教えて。 <

竹内文書〜実際に読んだことはないのですが、それを読んだ人に聞いたところ
「卑弥呼」は登場してないハズ。

天皇家の初代 天皇より以前の事(神武天皇より70〜90代前だっけ?忘れた...)が
古代文字で書かれてるよう。

まあ、詳しくはご自分で調べてくださいな。

卑弥呼〜発見んsいたらすぐに知らせてください(笑)


479 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/27(木) 23:23:17
唐松山&太国さん〜竹内文書について何か知っていますか?

お暇な時でいいので書き込んでくださいな。

480 :改め ◆PWTcGEfp1s :2008/11/27(木) 23:25:35
>>471
>大和朝廷内では天皇の先祖は九州出身であることから

この前、九州の高千穂へ行ってきましたが、
確かにそうゆう感じで語られていますね。

わたしも天皇家は九州からやってきたものと思っています。

481 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:42:33
竹内文書はやめろ!! 
何考えてんだ?出すための自演だろ!!

竹内文書と同じ行に出てくるようになる勘注系図ww
これが家訓破って晒した罰かもなw
俺はいくら国宝でも偽系図だと思ってるからな。


482 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:16:36
九州説が必死wwwwwwwwwwwww




483 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 03:19:44
>>468
だって大和も邪馬台も同じ国だぞ?大和と言う当て字で腐るほど出て来るだろ?

484 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 03:32:50
>>344
シャーマンにとって木の仮面が重要な要素なのだが?

485 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 03:36:48
>>347
> 木の面がある時点で、何かしらの宗教があったという実証がされたし、

実は畿内では仮面が発見され。九州では仮面を被ったであろう変形した頭蓋骨が発見されてる。シャーマンは多数存在していたことになる。

486 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 05:04:18
>>468
そのとおり。邪馬台国と大和は別。邪馬台国は太伯伝説の国。大和は天孫降臨伝説
の国。同じわけはない。
大和が邪馬台国の存在を知っていたことも当然。だから、記紀に倭の五王の話など
を書かなかった(書けなかった)。
大和が邪馬台国をどのように描いたか?そこが面白いところ。

487 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 10:24:16
>>479
シドニー浜という方が詳しく、竹内文献の掲示板を開いているから、ググッて
みると出るはずだ。彼は詳しいぜ。質問を書きこめば回答してくれるはず。

488 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 10:33:15
「海部氏勘注系図」の不都合な真実3。
奈良県桜井市にある箸中山古墳の別名が箸墓で倭迹迹日百襲媛命の古墳だと
言われている。勘注系図によると日女命の別名は倭迹迹日百襲媛命である。
さらに箸中山古墳は別名で大市墓と言われている。日女命は別名で神大市媛命と
言われている。日女命(卑弥呼)の古墳は箸中山古墳ということになる。
奈良県北葛城に巣山古墳があり第10代崇神天皇の妃で日女命の実妹の
葛木高千名媛の古墳だと言われている。全長200m以上もあり妃の古墳と
言うより皇后クラスの古墳である。

489 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 13:11:00
>>485
>九州では仮面を被ったであろう変形した頭蓋骨が発見されてる。


何と言う曖昧

490 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:58:47
今度は海部氏系図か、畿内説の持ち出す邪馬台国の証拠ってどこかピントが外れてるんだよな
考古学上とか言いながら箸墓伝説だったり
それに一つ持ち出したら畿内人盲目的に一丸となって…馬鹿の一つ覚えというかなんというか


491 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 18:17:24
>>490
九州説の証拠はBOOK・OFFに¥100であるそうだ。
他にはないねぇ。

492 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/28(金) 19:50:15
>>488
箸中山古墳の別名が箸墓で倭迹迹日百襲媛命の古墳だと言われていた。
しかし 現在の考古学は、
継体天皇陵と手白香皇后陵
手白香皇后陵(衾田墓)は、『延喜式』諸陵寮によると、大和国山辺郡にあり、
城上郡にあった崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)の陵戸に兼ね守らしめたことになっている。
崇神天皇陵は柳本古墳群(奈良県天理市)に所在した可能性が強く、それに北接する
山辺郡内における六世紀前半代の比較的大規模な前方後円墳は、大和古墳群
(奈良県桜井市・天理市)の西山塚古墳(天理市、墳丘長一一六メートル)しかなく、
現在治定されている西殿塚古墳ではなく、西山塚古墳が衾田墓である蓋然性はきわめて大きい。。しかも、新池埴輪窯跡(大阪府高槻市)で焼成された埴輪が、太田茶臼山古墳や今城塚古墳は
もとより西山塚古墳にまで搬入されていることは、そのことを一層裏づけているようである。
と申しております。
崇神陵も引っ越し、倭迹迹日百襲媛命もお引っ越し願いま〜す。


493 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:05:41
>>491
畿内説の証拠は、橿原研の神勅だけだそうだ。これは100円以下。

494 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:13:09
>>492
手白香皇后陵は明らかにおかしいし、崇神陵に対する唐松山氏の疑義もわかる。
西殿塚古墳が真の崇神陵であった可能性はあると思う。

でも百襲媛命墓がなぜ引っ越し?
箸中山古墳で全然文句ないと思うのだが。

495 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:28:45
海部氏系図は記紀に比べりゃトイレットペーパーみたいなもの。
とくに江戸時代のほうは信用に値しない。
あんな古史古伝の定義にあてはまるようなものが何故国宝なんだ?

しかし、海部光彦氏は1200年もの家訓を破ってまで出版したのだから
相当な理由があったんだろうよ。相当な馬鹿じゃなければ偽書疑惑がでるのは
百も承知だろうに。



496 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:32:44
>>490
考古学とかいいながら、日本史板にいること自体考古学では
にわかなんだよ。考古学板では覗くたびなんかコテンパンに
やられて畿内説あんまり居ないしww

で、ここで考古学とかいいながら箸墓伝説とか持ってきたり
記紀を当てにするが都合のいいところだけ拾ってる。
この矛盾がわかってないのかな?



497 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:35:13
>>491
それは>>490の返事になってないんだが?www

畿内説の批判や疑問を投げかけた人間に、そうやって強迫観念で
突然九州説の話をする。頭おかしいんじゃね? 
そんな返事じゃ九州説100円以下なら君の説はドブに落ちてるよw




498 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:37:40
考古学板で畿内説をコテンパンにしてるスレってどれ?

脳内妄想じゃなかったら、アドレス貼ってくれ。

499 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:03:32
すっげー頭悪い4流大学なんだろ、奈良の。

そういう奴らって喋ると馬鹿だってわかるし考古学の知識も
欠けるからどこにも相手にされない。

だから考古学板にいけずに日本史板にきて「考古学畿内説」を語ろうと
必死なやつ ドブに落ちてる>>498 とか?





500 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:14:48
>>497
訂正します。
九州説の証拠はBOOK・OFFにて税込¥105で絶賛販売中!

501 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/28(金) 21:29:44
>>494
西山塚古墳を衾田墓と見て、その至近距離に崇神陵を探す。
私は、崇神=マバカ古墳(3世紀初期)そうするとモモソ姫の古墳は、
是よりも古い「巻向石塚古墳」(3世紀初頭)となる。
箸中山古墳には、埴輪が有る以上垂仁以後で無くてはならない。
垂仁稜=ホケノ山古墳←一郭に半島式の墓祉=田島守
み〜んな お引っ越し。


502 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/28(金) 22:04:27
引っ越しで疲れたので 旅行
楽浪郡を出発、釜山経由対馬そこから壱岐は通らず南下(潮に流されやや東へ)
北九州市へ到着、ここまで20日。
関門海峡(早鞆ノ瀬戸)を通過この先に大和や女王国が有ります。

シーカヤックだと時速4Km位 可能でしょうか?

もちろん帰り(北行)は、松浦経由で、

503 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 05:32:26
>>489
九州で仮面は発見されてないのでWでも顔面がまっ平らに矯正された頭蓋骨が出土されてる。何故矯正されたのか理由は九州だけではわからないが畿内で発見された仮面と繋げれば用途がわかってきます。


504 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 05:34:12
>>486
妄言乙

505 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 10:46:33
>>503
九州に侵攻して来た日女命(卑弥呼)の大和軍に殴る蹴るの暴行を受けて
顔面がまっ平になったんですね。カワイソウニ・・・。

506 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 11:52:04
28日(土)16:00〜NHK「にっぽん巡礼」
新しい材料が出るかな?

507 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 11:58:44
>>506
訂正。29日(土)でした。聖地をたずねる心の旅、恐山・天橋立ほかだって。

508 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 14:53:08
●大阪府立近つ飛鳥博物館 平成20年度 秋季特別展
『考古学からみた古代の女性』−巫女王卑弥呼の残影−

■11月30日(日) 秋季特別展会期中の催し
【講演会】 「考古学からみたヒメ・ヒコ制」 白石太一郎(館長)

午後2時〜3時30分  地階ホール
定 員: 200名
※講演会参加には、今季特別展入館券の半券または年間パスポートが必要です。
  12時より1階ロビーにて入場整理券を配布します。

大阪府立近つ飛鳥博物館  大阪府南河内郡河南町大字東山299番地
http://www.mediajoy.com/chikatsu/2008_autumn/index.html

■秋季特別展 『考古学からみた古代の女性』
 近年の女性史研究の進展によって、我が国の歴史における女性の実像も少しずつ明らかになっているが、本展では出土品からイメージされる古代の女性像を展示。
女性にまつわる造形物から古代の女性がの存在感を、古墳における埋葬位置やその副葬品から、女性の役割を考え、当時の王権の実態に迫り、女性の人物埴輪の表現している世界や意味についても探る。

・期間: 平成20年10月11日(土) 〜 平成20年12月7日(日) 休館日は毎週月曜日
・入館料: 一般 600 円/65 歳以上・高大生 400 円/中学生以下・障がい者は無料
・開館時間: 午前10時〜午後5時 (入館は午後4時30分まで)
・主な展示品:
長野県下比良遺跡 お産する土偶
山梨県御所前遺跡 顔面把手付深鉢   【山梨県指定文化財】
兵庫県桜ヶ丘出土 桜ヶ丘5号銅鐸    【国宝】
大分県吹上遺跡出土 4号・5号甕棺出土品
奈良県島の山古墳前方部粘土槨出土品 【重要文化財】
大阪府和泉黄金塚古墳中央槨出土品   【重要文化財】
岐阜県矢道長塚古墳西槨出土品
大分県免ヶ平古墳2号主体部出土品
栃木県鶏塚古墳出土 裸の女子埴輪

509 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/29(土) 21:56:13
先週、夫余や高句麗と倭について書き込みましたが、古朝鮮や孤竹国、殷も考慮すべきでしょう。
宝賀寿男氏によると、李丙Z『韓国古代史』では、夫余や高句麗の始祖降臨伝承が檀君神話に通じるとするという。
このほうが、檀君を神話として全く否定するよりも、また単純な肯定をするよりも説得力が強いという。
朝鮮の檀君は殷の箕子に通じ、日本の高木神(タカミムスヒ)にも通じるかもしれない。
『山海経』には魏志倭人伝にも出てくる「黒歯の国」が登場し、殷の祖神にあたる帝俊の子孫の国という。
黒歯の北に神木・扶桑があり、そこから太陽が昇るとされていた。
このあたり、面白い。
改めさん・唐松山さん、出発は九州でも楽浪郡でもなく黄河上流かもしれません。
最終的にはアフリカでしょうがね、そこまで言ったら終わりか。

510 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:09:42
>>503
なんで仮面の矯正だと決め付ける?

仮面は見つかってないのに?

511 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/29(土) 22:10:40
>>509
神木の扶桑(帚木)は今も実際に切り株だけは残ってるよ

「東」って漢字は「日+木」
日が登る木がある方角って意味だよ


512 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:29:48
いやでも実際のとこ朝鮮半島に住んでいたのは
今のおかしな劣等民族でなく後の日本人も多数居たのでは?だって
それぐらい渡来してるよね。

513 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:31:01
げ、下のスレと間違えた

514 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/29(土) 23:48:40
多くの太陽を弓の名人が射落とす「射日神話」
恐れて岩戸に隠れた1個の太陽を呼び戻す「招日神話」
この二つはセットとして各民族に見られるらしい。
日本神話では何故「招日神話」だけなのか不思議。
もっとも、スサノヲの乱暴でワカヒルメが死んだのが「射日神話」に当たるのかも?

台湾には「射日塔」があるらしい。
http://jp.taiwan.net.tw/lan/Cht/attractions/scenic_spots.asp?id=5962&sid=65


515 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:04:54
>>514
旧日本軍が無理やり立てたんじゃねーの?

516 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 00:19:09
出発地は、会稽。
ゴホウラ貝は、それを証明してくれます。
鑑真和尚は、初め随の船で渡海しようとして失敗。
日本の遣隋使船でやっと、渡海。
倭の白水郎なら、可能
ただ九州南部は、六千年前のシラスが数メートル積もった土地
人口は少なく、痩せた土地。人口も多く、肥えた筑紫に乗り込む。
農奴と肥えた水田適地を得て発展。

まだ半島経由を否定しきれないが…。

それより 水行二十日、楽浪から北九州の何処かに着いてしまいますが
倭の白水郎の実力で倭国内を水行二十日行きますか。
一日25Kmとすると500Km、20Kmで400Km。半分休日で200〜250Km。
投馬=トモ=巴が語源=鞆とも書く。
九州の最北端にこんな形の半島が有りましたね、早鞆の瀬戸の南
ここから 南へ行くと女王国、東へ行くと大和。瀬戸内の白水郎は、外海の白水郎
とは、違うし比較に成らないか。



517 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 00:39:05
>>511「東」って漢字は「日+木」
こちらも説明してくれ
「果」って漢字は「日+木」?


518 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/30(日) 01:07:05
>>517
会意。「木」の上の、耕作用の「田」から。
(ウィクショナリー日本語版)

519 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 01:36:38
田島守のお土産
カグ=果草=稲籾
カコ=果木=橘
ですかネ。


520 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 11:20:12
倭国大乱?

誰か知ってる人答えて

521 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/30(日) 11:30:44
>>516
長江文明も重要ですが、文献が残っていないのが残念ですね。
後の梁書倭伝に見える扶桑国王「乙祁」は顕宗天皇と思われますが
十干の文字を持ち、歴代の殷王の名にも似ています。
梁書では倭王の都が「祁馬臺國」となっているのも、単なる誤字ではなさそう。
天山山脈を匈奴の語で「祁連山」=天山という。
隅田八幡鏡の「日十大王」の「日十」=「扶桑」という説もあり、
十個の太陽の「射日神話」が伝わっていたかもしれません。


522 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 12:19:32
倭国大乱
崇神時代(188〜215)この辺から寒冷化が始まる。
193年2年続きの凶作←これが大きい、5年凶作、6年民散る。
193年新羅に餓えた倭人が千人以上渡海してくる。この年新羅の都では五月(現7月)一尺
以上の雪が積もる、6月(現8月)倭人が押し寄せる。
山陰ムギバンダ遺跡も参照の事
同年秋大国主の国譲り、是までの日本は大国主に依って治められていた。
流動化した民の南下を防ぐため、大彦を越に派遣
崇神10年 先の飢餓で半減した農奴の獲得と譲り受けた国々の平定のため、4道将軍を派遣。
任那も治める。崇神末、出雲の神宝のいざこざから大物主(振根)を殺す。
これで九州は、不安定を増す。
九州は、大きく分けて3グループに分裂。筑紫、女王、熊襲。
このうち女王は、筑紫系なのですが、女王の周りの土地は、反筑紫系により占領される。
239年景初3年女王朝貢(難升米=倭女王の部下で大夫、都市牛利=タジマモリ垂仁の部下)
243 正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人(倭王=景行、伊聲耆掖邪狗=いわか=六雁)
247年頃 景行は九州に軍を送る。
神香椎姫(筑紫の東)を倒す。そして女王の周りに居た国麻呂等(反筑紫系)も倒す。
この頃女王死亡。景行は最大の敵熊襲との戦いに入る。
筑紫の男王が死亡、景行は、五百野姫を送り込む。

続く



523 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 12:25:20
>>521
>梁書では倭王の都が「祁馬臺國」となっているのも、単なる誤字ではなさそう。

単なる誤字ですよ。w

524 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 12:28:01
>>523
弥烏邪馬國は?
単なる誤記?

525 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/30(日) 13:26:38
>>522
>山陰ムギバンダ遺跡も参照の事
ウィキペディアより

妻木晩田遺跡(むきばんだいせき)
鳥取県西伯郡大山町富岡・妻木・長田から米子市淀江町福岡に所在する国内最大級の弥生集落遺跡。
遺跡の面積は156ヘクタールにもなり、これは発掘当時国内最大級と喧伝された吉野ヶ里遺跡
(当時32ヘクタール、現在は調査が進み、約2倍の面積になっている)の5倍にも及ぶ大規模なものである。


526 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 14:17:04
続き
266年“伊代”の朝貢
これは、天皇の代替わりに伴う物ではないか?
書紀では
景行(239~260)
成務(261~265)
仲哀(266~273) となりますが別の資料によると、
景行(239~265)景行没年265を支持。
成務(266~269)
仲哀(270~273) となる
仲哀の朝貢では、任那の存在も信じない人間ですから、あり得ない。
その点 成務は景行の跡を継ぎ、シノギの屯倉化を推し進める。
この屯倉化の陰と成らなければ成らなかった部分、倭国内の小国の半独立
神功帰国後の、渡海派と残留組との戦争。


527 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 14:38:19
ぼちぼち
妻木晩田遺跡の墓から戦で死亡した遺体が大量に出土する
この年代が私の編年と重なれば、「変更の必要無し」と来るのだが。

書紀の編年は、神功元年=274年
七支刀が神功52年なら 神功元年=275年 1年の誤差がある。
神功紀には、神功時代の出来事を纏めて書いてあるので、新羅記等で
正しい年度に直さないといけない。


528 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/30(日) 14:55:45
>>527
>神功紀には、神功時代の出来事を纏めて書いてあるので、新羅記等で
正しい年度に直さないといけない。

新羅本紀にも延長があると考えます。

単純換算の問題点は、例えば、第17代奈勿王とその妻のイトコにあたる同世代の第15代基臨王の治世期間が
それぞれ 356〜402年、298〜310年とされて同世代でありえないほど長いと思われる点や、
于老自体が西暦209年から249年ないし253年にかけて活動しているにもかかわらず、
その死没時に嫡子の訖解王がまだ歩行できないほどの幼児であったと記されることに現れる。

宝賀氏のこの疑問はもっともです。
後者については豊臣秀吉など、特異な例はありますが、確率は低い。
神功紀分注の新羅王「宇流助富利智干(ウル・ソホリチカ)」=于老・舒弗邯spurkan
于老を殺した倭の将軍「于道朱君」=(武)内宿祢
使臣「葛那古」=葛城襲津彦

529 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/11/30(日) 15:37:37
助賁王三年(232年)には、倭兵が初めて内陸部まで進出し王都の金城(慶州)まで包囲。
この時は王自ら撃退、翌年再び攻めてきた倭人を于老が撃退したという。
これが神功遠征の反映とすると、日本書紀と同様、過去に延長されていることになります。
私も過去に無批判な書き込みをしましたが、再考の必要がありそうです。

ただ微叱己知波珍干岐の人質(新羅本紀では未斯欣402〜418年)と波沙寝錦(新羅本紀では婆娑尼師今
在位80〜112年)が神功紀に書かれている件についてはどう考えればよいか、
頭の痛いところです。

今回はこの辺りで・・・
GRRRR・・・・


530 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 15:53:28
>>528
新羅本記の180〜300年頃の日食は、正しい。
これが私の点検結果
そうすると
神功、応神、仁徳で274〜400年まで埋めなければならない。
此所は、飛びますよ でも未だ飛び方が解らないダケ。


531 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/30(日) 16:01:44
古墳の数も、質、量とも特定出来ていない。
これらの古墳の主が大王で在った可能性大。


532 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 17:37:50
>>531
そんなの全国の古墳も同じ。
古墳の主が大王で在った可能性大。
四国や関東の墓郡も室大墓もホケノもキトラも馬見もその他大多数の墓も
誰の墓なのか謎。

533 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 04:02:09
>>505
違う…
乳児の頃から板の仮面を被せ平らに矯正した
九州〜畿内まで同じ文化圏

534 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 04:13:01
>>510
王、シャーマンなど位のある人だから。
因みにまだ決まってないよ最近テレビでやったが九州の頭蓋骨と畿内の仮面はそれぞれ別の番組で他局
しかも九州の変形頭蓋骨は何故変形してるか理由がわかっていないようだった。畿内では仮面出たぞ凄いだろと言う感じだが板状の仮面なので被る物なのか半信半疑のようだった。あんた学者なら研究して発表でもしてみたら?

535 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 11:37:52
板状の仮面をかぶるマツリは今でもありますが。

536 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 13:25:44
>>534
このスレに学者なんかいるのかw?
学者は殆ど畿内説だから、
九州の頭蓋骨なんか見向きもしないだろw

537 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 16:19:22
愛知県民氏は尾張なのに先代旧事本紀を勉強しないの?

538 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 16:45:17
尾張氏「物部氏なんて知りません。こっち見んな。」

539 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 16:45:38
http://www.jaac.or.jp/cgi-bin/tree/tree.cgi?log=&v=43120&e=msg&lp=43120&st=0

540 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:22:15
>>536
そういう姿勢は学者として失格 研究内容のお里が知れるね
「九州の頭蓋骨」だから見向きもしない。

これが畿内説の頭のなかね

541 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 20:17:03
>>540
お互い様と書いたら一番良いのかなw?

九州説論者は アーアーキコエナーイじゃん

542 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:19:45
レベル低すぎ

543 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:57:52
>>541
『お互い様』でおk


544 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:47:18
>>540
九州説の弱点を一切無視して
「邪馬台国畿内説徹底批判」とか言ってる連中に言われたかないね。

545 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:56:32
レベル低い 

546 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 00:03:50
それでもさ、妄想が前提となっている畿内説とは、次元が違う。

547 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 12:30:37
近畿の広域首長国連合が、北九州の弱小国を支配してたのは事実だし。

548 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:51:45
広域首長国連合なんて存在していないし、考古学が
少しでもわかるなら、北九州は鉄で鉄壁で西から
滅ぼされたなどという考えは妄想でも無い限りでてこない>>547wwww

畿内の弱小国の塊が周辺諸国から徐々に支配され、大平野を
利用されながら流通の中心となっていったと見るのが正解。


549 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 13:54:37
確かに奈良はBが多いよね。
やはり支配されて古墳などを築く朝鮮半島などの奴隷を
丹後経由で釣れてきて集落を造らせたのではないかな。
でなければ、どうして関西人は身体的に一番朝鮮人に近いのか?

550 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 14:00:23
もちろん、関西には渡来人が多い。

文化的に遅れた九州より、先進文化を多く受け入れてきた畿内に渡来人が住み着くのは当然。



551 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:15:56

独自な文化の九州を嫌がって畿内に行ったんだろ…



552 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:33:20
畿内ローカルに篭っている状態を、大連合って言うのかw 

553 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:35:09
>551

極東戦争を嫌がって、徴兵やら物資供給やらを回避しに逃げてきたのが畿内部落

554 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 16:20:40
>>553
極東戦争ってなに???

555 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:28:23
彼の脳内にある 倭国大乱
奈良にBがいるのは 蘇我などの葛城氏の末裔。


556 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/02(火) 19:31:42
>>537 先代旧事本紀で一番重要なのは、考昭の段。
考昭の后は、手研耳の落とし子天忍男の孫娘、手研耳は、アビラ姫と神武の子供。
アビラ姫が、天照大神の直系。神武は何故手研耳では無く綏靖を世継ぎとしたのか?。


557 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:41:50
>>548
そして畿内に邪馬台国を築いた…
目出度し目出度し。

558 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/02(火) 22:40:17
まぼたいの吉永小百合の卑弥呼のシーンでは、確か鏡が1枚も映像
には写っていなかったと想う? 惜しいねえ〜。 監督さんは忘れ
たのかなぁ??

559 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:44:45
>>556

ちょっとまて。

考昭の后、世襲足媛が「手研耳の落とし子天忍男の孫娘」とは初耳だが、
先代旧事本紀には、天忍男は「手研耳の落とし子」などと書かれてるのか?

唐松山が嘘をついてると他の人が迷惑するから、正しい情報を書いておく。

考昭の后は、尾張連祖瀛津世襲の娘である世襲足媛だ。
手研耳との血縁は無い。


560 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:50:46
>>556
>アビラ姫が、天照大神の直系。

これも初耳だな。
九州のアビラ姫が、天照大神の直系なら、
九州の田油津姫も天照大神の直系なんだろうな。
土蜘蛛として征伐されたが。


561 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:56:10
>>556
孝昭天皇の皇后は世襲足媛命で兄が置津世襲命。なぜか海部氏勘注系図に
同一人物が書かれている。なんと日女命と兄弟姉妹?

562 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 12:38:42
置津世襲命は、葛城彦命とも言いますですなあ。

葛城には高尾張邑があったと言いますし。
丹波〜葛城〜尾張の結びつきは強そうですなあ。

広域首長国連合の姿が見えてきますなあ。



563 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 13:38:38
葛城の研究は進めるべきだよね。
室大墓とスクネの関係も気になるし。

相撲のはじまりも 三輪vs葛城だし、
葛城の蘇我氏も、三輪の大王に消されたし、
葛城に伝承が多い雄略大王も紀記にボロクソに書かれてるし

564 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 15:05:48
崇神天皇妃の大海媛は別名葛城高名媛又は葛木高千名媛で日女命の妹で婿が
比古布都押之信命(この人は崇神天皇の別名か?)ややこしい厄介な問題だ。

565 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 15:19:20
実は単純な話ですよ。

神武が東征してくる前に、葛城には高尾張邑があり、これを制圧した。
神武が東征してくる前に、大和にはニギハヤヒがいて、これを制圧した。

ニギハヤヒが天火明命とすれば、尾張氏の祖になる。
つまり、神武が東征してくる前の大和盆地には、尾張氏の勢力があったと。
大和から東海系土器が多く出てくることの裏づけにもなる。

尾張氏と海部氏が天火明命で結びつくということは、
丹波と東海は、天火明命の治める連合国だった。
丹波と東海にまたがる銅鐸の分布がこれを裏づける。

銅鐸は1世紀には消えるので、神武東征は1世紀となる。

566 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 15:56:06
>>564
崇神天皇妃が葛城なら、
姉の卑弥呼は葛城の人なのか?
うーん、
天照大神は高天原に降りて来たとある。
葛城氏の本拠地の御所市には高天原がある。ついでに鴨氏もいる。
事代主神も葛城、武内スクネも葛城氏、

興味深いですね

567 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 19:11:56
葛城にはタカミムスビも祭られてるよ。

568 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:09:04
>>566
さらに葛城氏末裔の蘇我がまるで大王のように振る舞い、
大王しか行えない行事をしたとある。

蘇我は大王だったのでは?
という人までいる。

569 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:37:24
帝(みかど)の語源は蘇我氏の館。

570 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 22:35:29
青谷上寺地遺跡
【ヤマト】纏向は王権の礎の地か【マキムク】その4
496 名前: 日本@名無史さん 紹介
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=69171



571 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 22:39:40
>>561 ,>>565
ほつま伝を読め。

今説明文を啓上使用としたが、規制に合ったので、飲んでしまった。
依って 説明省略。


572 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:47:27
蘇我はオオキミでしょう。蘇我が自害とともに国記、天皇記を焼いたというのは、支配者がクーデターに負けたとしか読めない。

573 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 23:17:51
>>572 その読み方で間違いは、無い。
書紀はその様に編纂した。
では、その時オオキミの地位に付ける実力の在った家系は、何組?
此方も思考の内。

574 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 23:51:38
葛城王朝の話と大和朝廷の話をごっちゃにしすぎ。


575 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:03:13
葛城王朝は滅んだけれど、傍系の蘇我氏がその血を残したのではないの?

576 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:04:51
葛城王朝の女王が卑弥呼だったんだけど、蘇我氏が国記を焼いちゃったからなあ。

577 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:09:51
まあ何を言ようとこの筋で話を進めると
そんな感じの結論で落ち着くしかないわけね。

578 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:12:37
第三者に話をするとしたら
「卑弥呼は蘇我氏の巫女だった! 焼かれた歴史」




579 :蘇我馬子:2008/12/04(木) 12:37:22
要するに、畿内や宇佐神宮あたりの古墳を暴いて、DNAを調べるしかないのではないだろうか?

580 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:26:27
調べるって誰のために? 

581 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:32:37
>>576
葛城王朝の女王=卑弥呼 の系譜をなぜ蘇我氏が焼いたの?


582 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:19:36
どれもこれも妄想ばかりwwwwwww

御所市内に高天原神社なんてあるから文献なんて
いらないし、記紀は嘘にしちゃえばいいし。楽でいいわ、こりゃあwwwww

なんせ相撲発祥の地だからなwwwwwwwwwww

583 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:26:34
誰が記紀をウソだといった?

記紀には葛城を滅ぼしたことが明記してあるが?

584 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:41:29
>>582
高天彦な。顔真っ赤レスもいいが、
見てて恥ずかしいぞ。

葛城は確かに研究すべきだよな。


585 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:43:56
>>583
あほ
記紀では卑弥呼を神功皇后に設定してある。

日本書紀も一度はまともに読んでみろwwwww



586 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:45:56
葛城「王朝」は奈良盆地のただの土着豪族の話だろ。
研究など必要ないしwwwwwww






587 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:47:46

葛城「王朝」は奈良盆地から出てもないのに


いつのまにか倭王扱いwwwww


すっげー wwwwwww 

588 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:03:26
葛城襲津彦は、朝鮮半島に出兵してましたなあ。


589 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:59:19
後進地帯の葛城などさしたる文化などなく、
北九州の卑弥呼は葛城など相手にしていない。

590 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:57:21
北九州の将軍が朝鮮半島に出兵したという話は聞きませんなあ。

591 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:13:07
まだ北九州にあるとか言ってる奴いるんだなw

九州説論者は内陸部もしくは南に比定しているのにw
九州説の頼みの綱の水行…陸行…の一説からも北九州はありえないのにw

592 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:39:42
まだ、時々移転したのを知らない九州論者がいるんだな。
福岡や佐賀、熊本と移転してるのに。

593 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:54:11
なるほど、奈良に寄り道してた時の事が倭人伝に書かれてるわけか

594 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:59:22
いや,奈良は不毛の地だったから立ち寄らなかった。

595 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 21:43:43
周防サバと大和の距離 ここを景行は、20日で動いた。
合計40日あれば、往復出来る、女王国から東へ海を渡る(難波)皆倭種なり。


596 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:55:19
九州説の拠所は最早「畿内の隆盛は4世紀から」と言う古い年代間のみだな。

597 :サガミハラハラ:2008/12/04(木) 22:04:57
邪馬台国の衰退と大和の隆盛は時を同じくしておこったのであるが、
相互になんのかかわりもなかったのである。山門が九州に達したとき、九州にはもはや組織だって
大和に抵抗しようとする中心的国家はなかったのである。

598 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:05:16
木器でウハウハやってた畿内は4世紀も文化水準が低いですがなにか?

599 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:31:12
文化レベルが低いから、卑弥呼はいなかったというのは
間違いだと気付けよ。

大体、神憑りな巫女を祭り上げる
国の文化が高いのか?

600 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:40:45
>>588
それは、もちろん、記紀の神功皇后と三韓征伐が本当ならのお話。

しかし倭人伝他の中国の史書による卑弥呼の時代に
三韓征伐らしき話が全く見えないどころか、隋書・百済記などを
よめば、百済が倭の支配を受けていたのが確認できるのが4世紀後半。

つまり、三韓征伐はあったとしても卑弥呼の時代より百年はあと。ずれている。
邪馬台国による三韓征伐はなかった。つまり記紀が言おうとしている
神功皇后=卑弥呼は嘘っぱち。別の時代なのよ。大和朝廷≠邪馬台国



601 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:42:02
シャーマニズムは日本中にあった。巫女などどこにでもいた。
アイヌでさえシャーマニズムだぞ。

602 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:03:03
神功皇后が実在したとして見えてくるのが4世紀半ば以降
日本武尊だけで良いものを、倭人伝にあわせて創作した可能性もある。

景行天皇も実在性が乏しいが在位したとしてせいぜい4世紀前半 
記紀だと日本武尊での話としても重なる部分があり古事記語り部の覚え違いも
あってwww やはり怪しい。
この辺りで俺が睨むのは崇神=神武 で4世紀。
隋書あたりとも話があってくる感じ。 





603 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:03:31
>>598
サイキバ君だね。

604 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:07:36
大体、纏向を興したのが景行天皇だと記紀にある。
それを考えれば時期もピッタシ。

605 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 23:08:04
wwwwwwwwwwww

606 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:20:19
三韓征伐の時期の実際の時期(中国・朝鮮側文献参照)と
記紀の話と系譜を年号にあわせてみたただけの話。
これだけでも神功皇后時代は邪馬台国とこんなにずれているとわかる。


607 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:43:08
太国って九州説だろ?どこ比定してるの?九州王朝派?
大宰府か?


608 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:44:28
>>600
つまり>>583のような九州説論者は間違いであるということですなぁ。

確かにそう思います。葛城氏の娘の日女命が神功皇后な訳がない。

609 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:50:01
海部家系図も記紀とたいして変わらない時期に
書かれているんだから信用しないほうがいいよ。

彼らの「葛城氏の日女命=卑弥呼」とは、「記紀の神功皇后=卑弥呼」と同じこと。

大体、どちらにせよ三韓征伐は邪馬台国時代より百年後だし、卑弥呼より
さらに大きく書かれている豊輿に匹敵する人物が描かれていない。
匹敵


610 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:53:02
匹敵って意味わかるか?家系図に「ほらトヨ」とありますww記紀より
こっちが本当でしょwww
じゃなく、卑弥呼同様、男王が降りたあとに女王の座につく豊輿。
それだけの国を興しておきながら誰もこれっぽっちも出てこない。

611 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:54:39
九州説派が必死になるということは、
邪馬台国は葛城ということなんだな。


612 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:03:44
>>611
葛城家は記紀がなければ
何もないのが気づかないのかなあ。
にぶすぎる。三韓征伐も邪馬台国の時代のずっと後なんだよ。
彼らが奈良の豪族でしかなかったことは確か。

613 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:07:30
まあ偽書疑惑を逃れただけの江戸時代の家系図に
執着してて幸せならそうしててもいいかもな。
他に全く当てがないわけだし。


614 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:09:45
壬申の乱で、九州王朝が畿内を倒したってわかってないから、
畿内至上主義の妄想が炸裂するんだよ。

615 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:17:12
>>614
そうですね〜
天智は九州王で
今現在もも首都機能を操ってるのは
九州王朝なんですよね〜

ああ、おもしろい

616 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:20:27
あ、違うわ、
天武が九州王なのか〜

あ!あと太宰府の地下三階に家あるんでしょw?

関デンパの小説おもろいね〜ww

617 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:22:00
面白いのは江戸時代から妄想を墨守してる畿内説だろw

618 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:25:49
>>612
こらこら、武内スクネや日女命、
事代主、蘇我氏、巨勢氏を単なる豪族扱いするなよwww

おおざっぱ過ぎるだろ。
徳川家を単なる武士って括るようなもんだ

619 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:30:17
>>617
いや、一番笑えるのは
学者に見放された九州なんて島の村興しを未だに信じて、
顔真っ赤に熱弁を2ちゃんねるで奮ってる、
少数精鋭たちの必死ぶりだろ。

620 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:33:55
九州王朝より葛城王朝のほうがよほど面白いけどなあ。


621 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:38:49
葛城は弥生時代に三輪に負けて吸収されたんで、

九州みたいに平成の今もあるとか言わないw
太宰府掘れとかwwwなんもねーよwww

622 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:52:00
まあ葛城王朝説は時代も支配地域も限定的で
7・8世紀頃まで日本を支配していたなんて言う九州王朝説に比べれば
まだまともに思えるから不思議wwwwwww

九州王朝説なんて正気じゃないよwwwwwwwwwwww

623 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 02:32:56
鉄器や絹がほとんどなかった畿内が極東を制覇できる道理がないよな。
畿内説って江戸時代から進歩してないよw

624 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 05:56:15
やっかいな問題「卑弥呼」はどっち?(海部氏勘注系図より)
6世孫「宇那比姫命」別名が天造日女命、大倭姫、竹野姫、大海靈姫命、日女命。
9世孫「日女命」別名が中津姫命、千々速日女命、日神、神大市姫命、倭迹々日百襲姫命。
みなさん、どっちだと思う?

625 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:13:28
再びやっかいな問題「台与」はどっち?(海部氏勘注系図より)
8世孫「天豊姫命」別名が大倭姫命。
10世孫「大倭姫命」別名が倭迹々姫命、豊鋤入姫命、八坂振天其逸命。
みなさん、どっちと思う?

626 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:41:01
>>624 >>625
どちらもまちがい。記紀は神功皇后=卑弥呼だよ。

627 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:02:10
>>623
ああ、度々論破されてる極東君でしたかwww
鉄器があるから強いって言うその発想、可愛いよwww

当時の主力武器は弓矢。
剣は刀のように使うものではなく叩いたり突いたりして使うもの
鉄である必要は全く無い。青銅で十分。

628 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:42:55
香椎が女王国。卑弥呼は神功。なぜこんなこともわからんかなぁ

629 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 12:45:05
>>627

>当時の主力武器は弓矢。
たしかにな。

いくら、鉄の鎧や刀や盾を持ってても、矢が降り注ぐ敵陣に攻め入りたくは無いな。
あと、接近戦では竹ヤリが有利。
古代の鉄刀で竹ヤリをぶったぎるのは無理。
もっと楽なのは石つぶて。子供だけでも大人を撃退できる。

ほんとに、鉄器があるから有利有利とか言ってるやつはバカなんだなあと思うよ。


630 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:06:55
少なくとも 七支刀は青銅

631 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:29:42
七支刀は鉄製です。
上記は、少なくとも七支刀は青銅ではない、との書きかけですか?
接近戦では竹やりが有利とありますが、当時竹やりにつかえるような竹が日本にあったのでしょうか。
青銅の刀で叩くとありますが、叩いたら折れませんか。青銅は脆いとききましたが。

632 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 13:38:20
>>631
いやだから、剣はあくまでも副装備品。
槍や弓矢が主武器だと何度いえば。。

七支刀が鉄とは驚いたw
何処のレプリカ品ですかwww

竹槍だけじゃなくて、銅鉾もあろうに

633 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:09:42
Wikiで七支刀を検索してみてください。

634 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:03:53
へぇ、今の七支刀は鉄製なんですねw

635 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:52:43
青銅は、錫と銅の配合の比率で脆さや色が変化する。

昔の七支刀って、どこにあるの?

636 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 16:34:35
>>622
まだまともに見えるんじゃないんだよ。
まだまともなんだよ。
ちゃんと畿内が栄えていたことを分かった上で論じているから
まだまともなんだよ
>>627
むしろ叩いたり突いたりする分には青銅の方が便利なんだよな。
確かに「硬度(引っかき傷が付き易い・難い)」は鉄の方が勝ってるけど
単純な「強度」なら青銅の方が上だから、叩いたりする分には丁度良い。
おまけに錆び難いから、血が付いても鉄と比べて大丈夫なんだよ。
>>631
「硬度」と「強度」の違いくらい覚えような。
「硬度」はダイヤモンドの方がハンマーより有るけど、
「強度」は逆だから、叩き方が分かればハンマーでダイヤモンドを割れる。
>>635
もともと銅自体鉄より強度があるからね。
錫を混ぜすぎなかったら鉄より強い。

もっとも、帯方郡の使者が見た範囲では
倭人は鉄を使っていた事に変わりはないんだがな
(それも、郡使が伊都国までしか行ってない、と言う事で容易に説明できる。)

637 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 17:29:54
九州の八女の近くにある木像が持っている七支刀は木製です。
青銅製の七支刀はどこにあるのでしょうか?

638 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:17:53
鉄器に必ず負ける青銅器。
九州が鉄器、畿内が青銅器。
これ以上なにも言わなくても、結論が出ましたねw

639 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/05(金) 21:20:03
青谷上寺地遺跡
溝から発見された人骨は、きちんと埋葬された状態ではなく、バラバラになって散
乱した状態で発見されました。この人骨を調べてみると、骨に達する傷がついていました。
 傷ついた骨の年齢や性別を調べてみると、男性ばかりでなく女性の骨もありました。
さらに、10 歳程度の子供まで犠牲になっていることがわかりました。
これらの人骨は、弥生時代後期後葉…

一応西暦192、3年の凶作で村人どうし、又は隣村程度の戦。
この辺りの大王は、大国主。
手工業製品を流通させて、米に交換していたが、凶作のため流通が滞り
餓えた村民同士が争う。生き残った者は、新羅へ渡る。
大国主は、職務放棄、崇神を頼る。



640 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:01:07
>>618
>武内スクネ

武内宿禰な。もし存在したとして4世紀後半。神功皇后と一緒じゃん。
しかも、約300才の異様な長命ぶり。偽造だらけの人生。
葛城襲津彦は4世紀後半以降。それが百済記に書かれているからな。

葛城王朝だってわかってる史料読んだだけでもそんなに古くない。
やっぱ、神武=崇神 だろうな。 邪馬台国とは関係なさそ。

641 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:01:20
>>638
同じ説明を何回させる気だ?
「鉄器鉄器鉄器、全てを超えた鉄器」
て妄想自体間違ってるんだってば。
叩いたり突いたりする分には鉄より青銅の方が向いてるんだってば。
大体何?今まで「畿内は石器と木器の蛮族だ!」て騒いで
青銅器の存在を否認してたのに、
青銅器の存在の告知と鉄器神話の崩壊の告知をしたら
また鉄器神話で騒いでる。
いい加減にせえよ。

642 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:09:31
しかし、武内宿禰が300歳まで生きていないという証拠も残っていない。
生物学的にありえないと言っているだけの話だ。
鉄器時代は今も続いているし、青銅器も銅線や10円玉として欠かせない存在。

鉄器文化があったから青銅器が存在しなかったとか、そう二者選一ではなかったはず。
考えが浅い。

643 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:10:34
>>640
誰がいつ、スクネと卑弥呼を同じ時代の人だと書いた?

葛城地方の人間を挙げただけだろ。

644 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:28:57
>>643
記紀は神功皇后を卑弥呼に当てて書いてるんだよ。「魏に貢いだとか」www
偽造ありあり時期ズレありあり。武内宿禰もそこに出てきて存在自体怪しい。

書記編纂者は倭人伝を読んで卑弥呼に神功を当てたように、百済記も読んで
葛城襲津彦をみて父親の武内宿禰を創作したのが正解。
しかし神功も宿禰もやってることは卑弥呼や襲津彦より凄いのに
肝心の百済記や倭人伝に全くでてこないどころか、倭は半島にまだ
入ってない時期。月延石とか300歳とか嘘八百ばかりだよ。 




645 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/05(金) 23:02:54
>>640 >>642
300歳というのは倍暦での歳数のようだ。武内宿彌は実際は111歳か
105歳のいずれかだな。仁徳天皇は(当時の)日本一の長寿者と
謳っている。

646 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:03:21
関係ないが。

>>642
武内宿禰の長寿は、神功を3世紀に設定した日本書紀の都合。
神功が4世紀なら問題ない。

647 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:05:11
>>644

つまり、葛城襲津彦の朝鮮出兵は認めるわけね。


648 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/05(金) 23:09:47
倍暦計上で

 神功皇后摂政皇太后=353年

つまり4世紀だ。

649 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:51:44
>葛城襲津彦の朝鮮出兵は認めるわけね。
襲津彦は朝鮮には行ってないな。沙至比跪とは別人だろ。



650 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:25:36
>>649
沙至比跪=葛那古=葛城襲津彦

于道朱君=武内宿彌

651 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:06:22
叩いたり突いたりするのには逆に青銅の方が適している
という事を教えるのと、
三雲は呼子から見てほぼ東にあるという事を教えるのと
どっちが楽だろうね

652 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:07:35
日本中に前方後円墳を作って回った古墳職工集団はどこから来たのか?
それがわかればすべての謎が解ける。
漢が滅んで万里の長城を作っていた今でいうところの大手ゼネコンが、
新しい顧客を求めて日本にやってきて、日本人好みの商品、
つまり前方後円墳を作って回ったのです。

653 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:15:26
>日本中に前方後円墳を作って回った古墳職工集団はどこから来たのか?

徳島ですね。

654 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:25:26
うどん君 乙

655 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 14:39:55
>>652
ついでに 鐵と人足も半島から調達してくれ。
それから 神籠石、朝鮮式山城の建設も平行して築城の事。


656 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 15:42:12
神功皇后紀
墓標より
279香坂王/仲哀子  丙戌年12月9日30  269生 享年10才
280忍熊王/仲哀子  丁亥年7月15日28  272生 享年8才
280押別王命/景行子  癸酉年4月19日40 240生 享年40才

香坂王、忍熊王は皇紀の墓標で享年に+20の加増
押別王命は出雲暦の墓標で加増無し。
神功軍は、273年に畿内へ帰るが、大和に入れず紀国へ落ち着く。
九州より。住吉等を難波によびよせる。
奇計をもって在大和中枢を撃破。


657 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 17:15:15
>>656
ムチャクチャな西暦年号だ。何の目的で偽説を流布する?
曲学の徒氏のHP「日本建国史」とずいぶん違うな。

658 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 17:23:10
>>657
曲学の徒氏は 卑弥呼=崇神時代 彼に次のような質問をしたが、返答無し。
神功前紀に日食の記事が有る=273年
曲学の徒さんへ
@ 泰■四年■月十六日丙午正陽造百錬■七支刀■
A 泰和四年五月十六日丙午正陽、百練の鉄の七支刀を造る。
B 泰和四年は東晋の大和四年と解釈され、西暦369年のこととされる。
下記の文章に大きな誤りが有ります。
西暦369年=泰和四年五月十六日丙午 
十六日丙午=辛卯朔になります。 西暦369年に辛卯朔が有ったことを証明してください。
1を満たす西暦は、326年5月辛卯朔 
東晉明帝太寧元年 ?次:癸未 生肖:羊 西元323年4月22日(星期一)起 12月甲辰朔より数える、
東晉廢帝太和元年 ?次:丙寅 生肖:虎 西元366年1月28日(星期六)起 12月甲午朔。

神功元年=274年とすると 神功52年(326+1)七支刀


659 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 17:29:58
崇神五,六年の凶作
新羅本記 193年倭人餓えの為千人以上が押し寄せる。
考古学より
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=69171
青谷上寺地遺跡


660 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:38:13
魏志倭人条の書き方が伊都国起点放射説でOKなのは
豊田、安藤、榎、山尾、原田の説明で確認済み。
方角に関しては、室賀信夫の研究により
末盧国以降は90度北にずれた認識だったことが実証されている。
そういった観点で行くと、

・末盧国=佐賀県唐津市桜馬場
・伊都国=福岡県前原市三雲
・奴国=福岡県福岡市博多区比恵
・不弥国=福岡県福岡市東区志賀島
・投馬国=岡山県児島半島(吉備国)
・邪馬台国=奈良県桜井市纏向(畿内)

「水行十日陸行一月」は「水行十日と陸行一月」
「唐六典」より、荷物を積んだ状態で船は一日約25キロ進む。
そうすると、糸島半島より十日進むと今の広島県呉市辺りに着く。
この辺りは昔から良港として知られており、上陸地点としても相応しい。
そこから歩いて一月。一日に約10キロ歩く計算になる。
呉からまた十日進むと、今の岡山県児島半島に着く。

661 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/07(日) 09:08:42
>>660
放射説など今やほとんど否定された説。
自分の希望の比定地に行程をもってくるための曲解の手法にすぎない。

放射説で距離を適当にあわせ、方位を適当な理由をつけて曲解すれば、
自分の好きな所に比定地をもってこられる素晴らしい手法。

まったく意味なし。

662 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 09:28:10
見方が良くない
九州へ渡るのに何故マツ羅を経由するのか?
海流を考えれば、対馬又は壱岐から南東へ移動するのが楽で常道。
帰りは、マツ羅、呼子を通って帰る。

シーカヤックのスピードが時速4〜5Km。
荷物満載では、壱岐からマツ羅間がつらいどうしても東に流される
糸島の鼻先を通ってマツ羅に付く。


663 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:48:59
海流から推察すると、唐津はない

664 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/07(日) 12:15:44
>>530
>新羅本記の180〜300年頃の日食は、正しい。
>これが私の点検結果

唐松山さんは、「中国の史書にある日食は正しい」と言っているだけです。
三国史記独自の天文記事は、「1件あった!大発見!」と言っている人がいたような?
うろ覚えですみませんが。
新羅本紀で世代・年代がおかしい点は多々あります。
たとえば第16代の訖解尼師今は356年死去ですが、父の昔于老が倭人に殺されたのは
249年(本紀)253年(列伝)どちらも100年以上前。
98歳で死んだ高句麗・長寿王より長寿だったのに、年齢について記事が無い。

665 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/07(日) 12:34:58
>>537
>愛知県民氏は尾張なのに先代旧事本紀を勉強しないの?

愛知県には三河もありますが?
重要な文献ですが、九州説なので卑彌呼との関連は薄いかな?

666 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:19:42
>>665
>九州説なので卑彌呼との関連は薄い

この辺が偏った考え方の原因になるんだろうな

667 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 13:22:27
>>660
妄想ご苦労。ww

668 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:02:38
もしも畿内説が正しかったら、魏志倭人伝の描写はすべてマチガイでしたという結論になるなw

669 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:05:17
>>665
>九州説なので卑彌呼との関連は薄い

考え方として大きく間違ってるなら。まず九州説ありきか。

先代旧事本紀を勉強した結果として、九州説を支持するならともかく。

>>668

もちろん、そういう結論もありだよ。

670 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/07(日) 14:47:12
魏志倭人伝の行程論は泥沼になりがちですが、
風俗記事を読むと、九州南部が妥当のようです。
あと、私は九州王朝説支持ではありません。
倭人伝と記紀を読むと、4世紀には後ろ盾を失った邪馬壹國は衰え、
ヤマトに吸収されたと考えられます。

671 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:48:06
>>660
>方角に関しては、室賀信夫の研究により末盧国以降は90度北にずれた認識
>だったことが実証されている。
方角を90度も間違えるとは思えませんね。室賀の説明の要点は何ですか?

>糸島半島より十日進むと今の広島県呉市辺りに着く。そこから歩いて一月。一日に約10キロ歩く計算になる。
>呉からまた十日進むと、今の岡山県児島半島に着く。
投馬国は児島半島付近ということですか。しかし、児島半島まで船で行けるのに呉で上陸して陸行するとは
不自然ですね。船で行けるところは船で行く、それが当然でしょう。その方が楽ですから。




672 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:57:22
>>661
>放射説など今やほとんど否定された説。
最近はどんな人が否定説を述べているのですか?
放射説は今でも主張されてますよ。


673 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 15:09:58
出発点を明らかにしないと、陸行何日とかを探っても意味ないよ

つか魏志倭人伝を書いたのは古代漢人って前提で良いのかな?
としたらまず「漢王朝が何処にあった朝廷なのか?」ってのを調べて見た方が良いよ

漢城ってのは朝鮮半島にあった城で、古代漢人ってのは大陸河東北部の遼東付近にいる少数民族でしかないし、三国志の時代は朝鮮半島の三韓時代の時代と同じ時代だよ
乾=韓=漢


ちなみに魏志倭人伝を書いた漢の司馬氏族は日本に渡来して来た鞍作氏でしょ?


674 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/07(日) 15:25:34
>>673
>つか魏志倭人伝を書いたのは古代漢人って前提で良いのかな?

魏志倭人伝を書いたのは晋の陳寿です。

>としたらまず「漢王朝が何処にあった朝廷なのか?」ってのを調べて見た方が良いよ

中国の中原地方(後漢・魏・晋の都は洛陽)

>ちなみに魏志倭人伝を書いた漢の司馬氏族は日本に渡来して来た鞍作氏でしょ?

司馬氏は魏の家臣で、晋の王家です。

675 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/07(日) 15:43:09
所有無與[憺(にんべん)]耳、朱崖同。
倭地温暖、冬夏食生菜、皆徒跣。
南九州と思われます。

GRRR・・・

676 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:02:04
福岡県から佐賀県に入ると、真冬でもほとんど雪が降らないから、
絹や鉄器の出ない南九州まで、無理やり持っていくまでもない

677 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 16:02:14
>>674
としたら、晋も古代漢人の朝廷なの?

各陽は解るし確かに漢人も多少は居るけど、あそこはそれこそ多種多民族が集まってるアメリカや今のイスラエル見たいな都市だよ

古代漢王朝は漢語を話す古代漢人でしょ?
元はモンゴル語を話すモンゴル人
明王朝は北京に移り住んだ江南人だし
清王朝は満州人で満州語
毛沢東やショウカイセキも重慶とかの江南人だったはず
つか北京語と江南語と一緒だっけ?

北京語、満州語、漢語、上海語、、、とにかく今でも中国は沢山の民族と語源がある国だし


例えば「漢字は中国人が作った」って言い方は間違いで、「漢人が作った漢字が大陸に広まった」って認識が正しい訳だし

で、漢語を話す古代からの漢人ってなると中国には遼東付近にいる少数民族でしか無いよ


678 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:05:42
>>674 >>675
倭人伝の描く状況が南九州というのは素直な感覚だろう。無理やり持ってい
ってる訳ではない。北九州だというのが無理矢理だな。


679 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:06:45
↑アンカー一つずれた。

680 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 16:13:25
ちなみに朝鮮語を話す「朝鮮民族」ってのは何となく解ったよ
中国の書物によれば秦に滅ぼされた燕って国の氏族が朝鮮半島北部に移り住んで来たのが衛氏朝鮮王朝
けどその朝廷も直ぐに滅んで、んでようやく再び朝鮮人の王朝が出来たのが明の従国として使えた李氏朝鮮
この李氏が朝鮮半島を統治して、あのとちが朝鮮って呼ばれるようになった(それまでは韓って名前)


百済も新羅も高句羅も朝鮮人の国じゃないよ

681 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:21:07
>>671
15世紀の「混一彊里国都之図」は知ってるだろ。
あの、日本列島が90度南に傾いてる奴。
その回転日本列島の源流を追うんだよ。
その元となった地図は14世紀の「混一彊里図」と「声教広被図」がある。
このうち、「混一彊里図」に書かれてる日本列島は普通だ。
従って、「声教広被図」の方に回転日本列島が書かれていると考えられる。
(「行基図」もあるが、アレは西を上にして書いてるだけで、方角が変わってるわけではない)
ところが、この「声教広被図」は現存していない。だが、それを基にして書かれた地図ならある。
それが明の時代の「東南海夷図」だ。この地図に書かれてる日本列島も普通だ。
だが、よく見ると、日本の南に、「倭奴」「日本」「毛人」「蝦夷」と言う島がある。
これはそれぞれ「九州」「畿内」「関東」「東北」を指す。それが北から南へ並んでいる。
「声教広被図」を元にした二つの地図に回転日本列島が書かれていることからして、
「声教広被図」には南に90度回転した日本列島が書かれていたことは確実だ。
では、14世紀のこの地図より古い時代に「回転日本列島」の概念はあったのか。
あるんだな、これが。
13世紀の「宋宅輿地図」にも北から「日本」「毛人」「蝦夷」とある。
更に11世紀の「古今華夷区域総要図」にも北から「倭奴」「日本」「毛人」「蝦夷」とある。
少し下るが12世紀の「華夷図」「兎跡図」にも北から
「東夷海中之図、濊狛、三韓、扶桑、日本、倭国、大漢、文身、毛人、蝦夷、女国、琉球」
とある。
さらにこの2つは8世紀の「海内華夷図」の略図。
少なくとも8世紀の中国には「回転日本列島」の概念が存在した。
この2つの略図には、方眼が引いてある。
この図法は、3世紀の西晋の建設長官裴秀が確立した図法だ。
ここで、一つの仮説が建てられる。
少なくとも、8世紀以前には「回転日本列島」の概念が発祥した。
恐らく、「回転日本列島」の概念は裴秀の地図にあるのではないか。
そしてそれは3世紀中国人の普遍な地理感だった。
こういう具合だよ。

682 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:21:40
>>678
宮崎・鹿児島県(除く島嶼部)では、潜水漁が盛んじゃないから無理だし、
絹と鉄器が出ないのは致命的。

683 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 16:24:48
古代の王朝や国ってのは何処も「都市国家」って奴で中国も同じように都市それぞれに統治者(王)がいる都市国家だよ
つか特に中国は清王朝の時代でもまだその都市国家のままの国だったし(都市ごとで語源も違う多民族だから仕方ないかもだけど)
漢にしろ髄にしろ唐にしろ、単なる都市王朝の名前なだけだと思うよ
何しろ中国の歴史っても過去の王朝は、どの都市のどの民族の王朝なのかすら解って無いし



684 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 16:37:51
>>682
絹(蚕)を日本に伝えたのは大秦(ローマ)から来た秦氏だよ

ちなみに秦氏は日本へは越(富山、石川、新潟)の港から渡って来てるよ
つか仏教の伝来にしろ渡来人との交易で使ってた港は九州じゃなく越の港の方だと思うよ
大陸との交流っても、河北の地域と交流してたなら九州の方には行かないだろうし

685 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:48:22
>>671
>しかし、児島半島まで〜
所詮は内陸に暮らす漢民族だ。慣れない航海でくたくただったろう。
そこで、良港の呉から先は慣れた徒歩に切り替えたと言う訳だ。
投馬国については、倭人から「更に此処からあなた方の船で十日行くと投馬国がある」
と聞かされた。

これで辻褄が合う。

686 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:07:26
なるほど。8世紀ごろから14世紀ごろまでの地図に「回転日本列島」が書かれて
いるということですか。でも、それで急に3世紀に遡ることはできないですね。
8世紀といえば、もう、我が国の中心は大和だったですね。となれば、8世紀に我
が国の略図を手に入れた者が日本列島をどのように考えるか、倭人伝と略図を手に
考えたとき、邪馬台国=大和と思い込めば、対馬、一支国の南に大和を配置するで
しょう。それで、回転日本列島ができてしまいます。
回転日本列島図は、8世紀以後の大和に合わせて地図を回転させただけで、3世紀
のころの邪馬台国はどこかについては何の証拠にもならないですね。




687 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:13:47
>>682
>宮崎・鹿児島県(除く島嶼部)では、潜水漁が盛んじゃないから無理だし、
>絹と鉄器が出ないのは致命的。
千三百年前の漁法が分かるわけないじゃないか。絹は邪馬台国時代のものなど
どっからも出ていないぞ。鉄は南九州からも出ているな。

688 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:20:38
>>685
おいおい、呉から大和へ歩いたら岡山は途中だぜ。分かってんのか?

689 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:20:43
たった一個の鉄器が出てるか出てないかじゃなくて、
圧倒的な消費地かどうかって事なんだけどね。

潜水漁で漁獲が期待できない場所は、古代もほぼ同じ。

690 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:55:41
邪馬台国は大和でしょう。

常識だよね。

691 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:56:26
まさに江戸時代からつづく、非科学的妄想>690

692 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:04:45
>>689
>潜水漁で漁獲が期待できない場所は、古代もほぼ同じ。
南九州は素潜り漁が盛んだったよ。今は漁業権の保護から制限されているけど。


693 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 19:11:24
>>644
書紀は、魏誌の干支を神功の干支と同じ処に差し込んだ。
依って朔の干支は、合わない
神功52年を西暦369年と見ると 年、朔とも合わない
神功52年を西暦326年と見ると 年、朔とも合わないが
神功元年を274年と見ると52+1年が326年。


694 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:16:49
>南九州は素潜り漁が盛んだったよ

邪馬台国候補地と無関係な島嶼部だけはね。

695 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 19:36:16
南九州は六千年前の鬼界島爆発で数メートルのシラスに覆われる。
縄文人の減少
その後沖縄方面より海人族が入り込む。
隼人などがその末裔。


696 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:40:10
>>694
アホか、日向の東海岸だって盛んだったんだよ。

697 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:48:50
>>696
残念だけど日向は投馬国だよ。

698 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:19:12
>>693
奇妙な年号だ。仲哀天皇崩御が362年壬戌、応神天皇崩御が394年甲午
したがって神功皇后の年号はまったく合ってない。

699 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 20:43:17
>>693
旧暦をアジアに普及させたのは倭人でしょ?
旧暦、漢字、仏教はセットでアジアに普及してるよ

あと干支ってのは12進法上での数字だよ
英語のトゥエルブからも解るように、元々数字は干支と同じ12進法だよ
ね、うし、とら、う、、、

ひい、ふう、みい、よ、、
が、十進法。
日本は更に十二支(12進法)と干支(10進法)を組み合わせて使ってた国
アジアで普及して使われてた旧暦ってのは日本の緯度や季候に合わせて作られてる暦だよ


700 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 20:59:14
>>698
神功が帰京中に日食があった。
273年の日食が是に当たる
>仲哀天皇崩御が362年壬戌 として
神功52年は?


701 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 21:13:22
>>700
「どの地域で」日食があったのかまでちゃんと解ってる?
日食ってのは地球上の一部地域でしか観測出来ない事とか知ってます?


ちなみに旧暦ってのは惑星の動き(特に太陽と月の動きと位置)を熟知してないと作れないよ
暦を作れるほど天文学を熟知してた古代人は日食や月食が起きる事ぐらい知ってるよ
明けの明星、宵の明星と金星の位置により呼び方を変えたり、木星の12年周期や浮遊運動をも熟知してるし
五亡星や六亡星(亀甲紋)ってのも天体運動から来てる形だよ
つか普段使ってる旧暦以外にも五陽暦や陰陽暦をも日本にはある

天文学や暦に関しては現代人より古代人のが優れてるのは間違い無いとは思うよ

702 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 21:17:14
履中元年の干支は、西暦400年の干支
朔まで400年の干支。
この干支をどの様に誤魔化したら、応神天皇崩御が394年甲午 になる?


703 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 21:21:14
妄想で編年で混迷しているな。wwwww

704 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:26:06
>>691
非科学的とかwww
こいつ、九州説論者だったらお笑いだねwww


705 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 21:30:33
日食があったと書いたら、それ位調べて書いています。
日本中部で完全日食、畿内で94%の食
1日を二つに別ける大きな日食。
五陽暦や陰陽暦が書紀の記事から読み取れるのか?
200〜300年頃の話として。
歴史時代になれば、書かれているが。

もん太君も数字を使って話を纏めること。まだ出来ていない。
諏訪の話も二万全て調べた?それでも出てこない話では有るが。

273年の日食を調べて掲載してくれ。
実力試しだ。



706 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 21:34:10
紀の神功元年のは日食じゃないしね。ww

707 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:36:22
>>686
確かに、地図上は「回転日本列島」の概念は8世紀までしか遡れない。
だが、「倭とは南北に長く伸びた国」と言う価値観そのものは3世紀どころか
遅くとも1世紀から存在している。
その典型的な例が「漢委奴国王印」だ。
倭奴国は後漢書には「倭国の極南界」と記されており、
金印にも南方の王に送られる金印についてる蛇紐がついている。
これ一つとっても、古代中国人の「南北に伸びる倭」と言う発想が分かる。
邪馬台国そのものについては、魏志倭人伝にも邪馬台国について「会稽東冶の東にあるべし」と書かれている。
つまり、古代中国人にとって邪馬台国とはかなり遠くにあり、
倭は南北に伸びてるわけだからそのぐらいの位置にあるべきだ、と言う事。
邪馬台国が本当に九州島内にあるなら、南九州でも精々陸行数日で着くわけだから、
こんな風に記す必要なんかない。
つまり、邪馬台国は今の九州島より遠い所にあった、と言うわけだ。
ただ、それだけだったら沖縄やジャワの方が有力だ。方角も正直なんだから。
だが、ジャワになると最早「東夷」では無く「南蛮」になり、
沖縄には残念ながらそれらしい遺跡も遺物も皆無だ。
そうすると、どうも南の方には無い可能性が強い、という事になる。
そこで注目されるのが「回転日本列島」だ。
ご存知の通り、九州から離れた当時の近畿は、
考古学的にも急な隆盛を見せ、まさに「倭王」と認められた卑弥呼の国に相応しい。
そこで、邪馬台国とは当時急な隆盛を見せていた近畿、恐らくは大和国ではないか、
と言う説が成り立つわけだ。
>>688
だから、投馬国の存在は倭人からの伝聞なんだよ。
郡使にとって、投馬国と言うのは倭人から「更に十日行けばある」
と言う話だけの存在で、自分達で投馬国に行こうと言う意思は無かった。
あくまで自分達の目的は邪馬台国なわけだから。
だから実際の児島半島は、
郡使からすれば呉から大和の間に大量にあったであろう休憩地の一つに過ぎなかった。
大国投馬とは直接結びつかなかったわけだ。

708 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:44:03
>>707
どうせなら北海道にした方が良い。極南海の稚内掘れば金印出てくるかもよ。


709 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 21:47:35
逆さの日本地図とか世界地図なんか現代でもある。それがしも
それを見たことがある。だからといって
方位が逆になるわけでもない。陸行一月なんぞは遣使らの九州が
どんなところかのいろんな所を見物したための日数とかだから、
九州説の不合理はない。それに遣使らには健康に優れない奴も
いたろうし、さらに道中盗賊とか台風、道間違いとかで道草が
あろうわけで、九州説で不合理にはならん。

710 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:56:24
>>709
そんな苦しい解釈するより陸行一月は陸行一日と書き間違い説を取る。

711 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:01:07
>>709
今現在の「逆さ地図」は南を上にして書くとかそういうもので、
実際の方位と食い違うわけではない。
ところが、所謂「回転日本列島」は北を上にする地図にも関わらず、
九州が北、東北が南に書かれてる。
実際の方位とは逆になってるわけだ。
これぐらい分からないか?偉そうにしゃべってるくせに。
あと、郡使が倭に来たのは何も観光目的ではなく、政治的な目的なわけだから、
普通に歩くより行程を著しく遅らすほどとどまるとは思えない。
盗賊、台風、道草、そんなんで数日が一月になるくらい足止めを食らうのか?

逆に言えば、見物、郡使の病気、盗賊、台風、道間違い、
そういう要素を詰め込めるだけ詰め込まないと説明がつかないのが
九州説だ、とも言える。

712 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:04:43
>>710
それは安直過ぎる。
証明できないし、論理的否定も出来ない。

713 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:08:43
>>711
まあどちらにしろ倭人伝には女王国以北に里程がはっきりした国を記し
女王国以南には行ってないので書き記せないわけだ、つまり南北はしっかり認識している(常識だが)
九州北部以外ありえないよ。

714 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/07(日) 22:14:53
>>711
それが倭人伝の方位を逆転させる根拠にはなり難い。現代でも
当時でも、女が男装をしたりはしているし、卑弥呼がオマエは男
だとか主張してるのと方位が南を東にするなどど、似たような部類の
主張なわけだ。オマエの妄想が増幅したもの。

今日は北九州でマラソンをやってたが、たとえばボルト選手が100m
を9秒台で走れたとしても、単純計算で42.195kmをその全距離を
その調子で走れるわけがない。疲労が出るからだ。だからもっと
時間がかかる。こういうことをオマエは無視しているから不味い
のだよ。これを考えたとき、見知らぬ土地に行く〜遠出などは何が
起こるかわからんほど危険なのだ。そういうことで遣使の道中、
不可抗力の病氣とか道に迷うとか〜観光をして
時間をかけるとかの予定変更はいくらでもありうることで、陸行一月
が南を東に取替える論と同一視はできない〜かなり起こりうる出来事
なのである。そんないい加減な地図で畿内に誘導せずともよい。
畿内に卑弥呼の国があるんなら、倭人伝以上に卑弥呼の記事がこれ
でもかというほど記紀に載るわ!!

715 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 22:16:21
>>705
日食マップなどの計算上では、248年、273年、522年の石川県地方で日食
ちなみにこの時の日食は畿内や九州では観測出来ないよ



「数字を出せ」ってのは解るけど、まだそこまで細かく調べてないすよ
例えばイワレビコの話なら「辛酉年、天皇は橿原宮に即位」見たいに書いてある

この場合は辛酉年に橿原宮で即位した天皇は誰かなって探したりはしてるよ
ちなみに記紀の記述通りに、辛酉年に遷都された橿原で即位した天皇を探すと天武天皇が出てくるんすよ

他の記紀の十二支干支年数も、こうしていっこいっこ調べてけばだいたいの年数は解るとは思うよ
年数なんて大まかに解れば良いと思うし面倒臭いから調べてないけど

試しに記紀の記述の十二支干支年数がいつの事か一緒に検証してみます?
つか唐松さんはどうやって西暦を割り出してますか?

例えば辛酉年って書いてあれば約60年に一度ある訳だから、簡単に「○○年」って言えないと思うけどな


716 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:23:15
回転地図について聞く
建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬

金印もらった奴国は倭国の極南海と表記、奴国は博多
君の回転地図論法では奴国は倭国の極北にならないかんのでは?

当時の倭国としての中国での認識は九州オンリー
四国や本州は倭種として別に表記されている。
九州だけなら奴国を筆頭に投馬国やクナ国など南北に認識できる
後の大倭=大和政権はこの認識を巨大化したのに昔のまま引きずった形だろうな

717 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:35:39
>>699
朝鮮人が、なんでもかんでも朝鮮起源にしたがるのと同様に、
美濃もん太は、なんでもかんでも日本起源にしたがるのな。

なんとなく感じていた異質性は、美濃もん太が朝鮮人だからなのか・・

718 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 22:59:02
>>717
何でもかんでも大陸起源って考え方(先入観)の人も朝鮮人って事でオッケーですか?

だいたい「大陸から、、」とか言うけど、大陸には民族や文化や語源が統一されてる国があった訳じゃないよ


719 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:37:03
博多は好古都国でしょ?

720 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:40:13
博多って地名はそんなに古い地名ではないぞ。

721 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:43:54
博多=好古都国だったら畿内説崩壊だから(笑)

722 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:49:51
>>707
>古代中国人の「南北に伸びる倭」と言う発想が分かる。
>邪馬台国そのものについては、魏志倭人伝にも邪馬台国について「会稽東冶の東にあるべし」
>と書かれている。
それは九州のこと。けして本州まで含んだ話ではない。本州は邪馬台国時代はまだ毛人の国。
九州の倭国の勢力下には入っていなかったんだよ。
会稽東冶の東は女王国の範囲を書いたもの。始まりが会稽となっているのは九州を実際より
も南方だと思い込んでいたということだな。


723 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:52:22
>>710
古典的な説だが、畿内説をとる場合にはそれが一番だね。
畿内説はごちゃごちゃ説明しようとしてまったく成功していない。

724 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:23:46
>>723

アホか?w

「陸行一月は陸行一日と書き間違い説」

と言えば
九州説の白鳥庫吉大先生だろうが!


無論

 「普通に読んだら放射説が正しい」

と言う連中にかかれば、およそ漢籍もまともに読めない
ボンクラだったと言う評価になるんだろうがwwwwwwwwwwwww



725 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:59:58
>>724
>「陸行一月は陸行一日と書き間違い説」と言えば九州説の白鳥庫吉大先生だろうが!
何とかの一つ覚えと言われないようにね。陸行一月を1日の誤りとする説は、本居宣長
以来、多くの学者がとるところで、三宅米吉や橋本増吉らの畿内説論者も採用している。
畿内説の場合、瀬戸内海を航行し大阪で上陸すれば、大和までは陸行一月もかかるはず
はない。そこで1日説が非常に都合がよい。九州論者の1日説は榎の「水行十日又は陸
行一月」読み以来下火だが、畿内説の読みとしては今も価値がある。
覚えておいてね。



726 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:03:22
まあ陸行一日として九州に上陸して一日で行ける所といえば邪馬台国の場所も見えてくるもんだ。

727 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:04:14
若狭湾から大和へ向かえば、ちょうど陸行一月です。

邪馬台国は、畿内に間違いないですよ。



728 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:14:33
丹後から大和へ陸行1月だと思います。熱烈歓迎の大宴会込みで。

729 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:17:55
ということは
弥生時代に伊都国は若狭湾と呼ばれていて九州は畿内と呼ばれていた事になる。

730 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:18:01
九州説にはなんの具体性もないけど、
畿内説はきちんと筋道たてて論証されてるね。



731 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:19:08
>>723でまったく成功していない畿内説と言ったのは727や728のような説ね。
数字合わせに気をとられてその不自然さに気づかない。

732 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:19:57
九州説は、〜思う、〜だろう、だけで、客観性が無いからな。



733 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:23:56
>丹後から大和へ陸行1月だと思います

〜思う、〜だろう、だけで、客観性が無いからなw


734 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:25:19
ていうか、絹や鉄器は圧倒的に九州で、畿内説はダメダメなんだが。

735 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:29:17
もう従来の古い畿内説はマキムクスレから出てくるなよ
相手にされてないだろ?反論さえされないのに虚しくないか?
内輪でヤマトモモソ姫の話してろよ。
畿内説でも何か新しい切り口を持ち出せたら相手してやるよ。

736 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/08(月) 01:32:36
邪馬壹國と邪馬壱國と邪馬國って別の国なの?
それとも同じ国?

737 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:37:54
日本中でアンケートとったら、畿内説がダントツ一位。

九州説は、もはや九州でしか相手にされてない。

738 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:41:30
>>737
正直それはないw

やっぱ大衆には畿内説よりは九州説の方が人気があるw
以前のNHKの番組内での電話アンケートでもそうだったwww

まあ古代に滅び去った幻の女王国…の方がロマンチックだと俺ですら思うものwwwwww

739 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:46:25
>>737
なんかわざと畿内説を貶めてない?
邪馬台国にまったく関係ないとされる畿内説でも
一応古代畿内の歴史を知る上で聞く耳だけはあるんだが…

仕方ない聞いてやるから自慢の畿内説を開陳してみろ
えっと若狭から一月だっけ?それからそれから?

740 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 01:55:48
畿内説応援してやるよw

若狭から一月でピッタリ大和盆地そこには幻のヤマトモモソヒメとマキムクがある
そして卑弥呼はアマテラス
鉄も絹も実はたくさんあったけど宮内庁でが掘らせてくれない
南は東の誤りで邪馬台国は西日本を牛耳る超大国、毛野国はクナ国

畿内説応援してやったぞ俺の畿内説凄いだろ。




741 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 02:00:25
>>740
畿内説のニューウェーブだなw



742 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:07:00
>>738
九州説に騙されるやつは、
やっぱり、あのNHKのアンケートにも騙されてるんだね。

あのアンケートは、九州か畿内かの2択だったけど、
本当なら、畿内説、甘木説、吉野ヶ里説、日向説くらいにわけるべきだった。
そうすりゃ、「九州説」は分散されて、畿内説が1位になるんだぜ。
さらに、実際には「どちらかわからない」層がいるはずだから、「九州説」の比率はもっと下がる。

まあ、これくらいの頭が働かないやつは、九州説にコロっと騙されるわけよ。

ばーか。


743 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:12:02
>>740

うーん、すこし違うね。
絹や鉄は無くてもいいんだよ。
大和にはもっとすごい宗教的権威である卑弥呼(日巫女)がいたんだから、
鉄や絹がなくても、日本中から貢物が集まってたわけ。

744 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:22:03
九州は鉄器があったから強かったみたいな論法は矛盾している。

そんなに強かったら、まず朝鮮半島を武力支配して鉄器の安定供給を図るべき。
畿内に東征したって「鉄は無い」んだからな。
ゲラゲラ。
大笑い。


745 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 03:27:46
邪馬台国は奈良にあったにきまってるだろ
九州とか言ってるやつはアホ? ゆとり?

746 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:11:15
>>743
別に邪馬台国がどこにあろうが、
伊都国や奴国など北九州の国々を支配下に治めてたんだから
絹でもなんでも手に入れられるわけだ。
従って、絹の存在は九州説には+にも−にもならない。

747 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:42:33

畿内説はイスラム原理主義並みの宗教の強要だな。

748 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:43:46
邪馬台国は大和に決まってるじゃん。それ以外の説を唱えるやつは低脳

749 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:56:34
それでいいからwバイバイw

750 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:06:21
>>749
九州は無いということで良いんですね?分かりました。

751 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:10:00
九州の未開の地でウホウホ裸踊りしてたのが卑弥呼。

渡来文化を積極的に受け入れてきた大和王権は前方後円墳をつくって全国支配した。


752 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:23:02
畿内説に質問ですが

























今日のウンコ何色?

753 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:36:46
卑弥呼「ヤマタイコクは九州なるぞ。 ウホウホ。」

754 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 20:56:25
金印が発見されれば邪馬台国論争も決着がつくんだけどな。アスファルトの下に埋まってるのかな。

755 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:10:53
論争なんて過去のものだよ。
奈良で決着したのは10年も前のこと。

756 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:34:13
「畿内説」・・・という未開な説が橿原から追放されるまで、古代史の夜明けはないな。

757 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 00:26:07
「九州説」・・・という抱腹絶倒な説が日本から追放されるまで、古代史の夜明けはないな。

758 :↑ ↑ ↑ ↑ ↑ :2008/12/09(火) 03:04:15
マキムク・マッキー君

759 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:21:45
ただただセンスを疑う

760 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 19:07:17
>>725
>三宅米吉や橋本増吉らの畿内説論者も採用している。

はああああああ????????????
橋本増吉が畿内説?
アホですか?

橋本増吉つったら内藤湖南に対し批判を繰り広げ
内藤の国名比定に対し九州の地名でそれをやって見せたりしてるんだぞ?

とりあえず下記の商品説明でも見てみろw

http://www.amazon.co.jp/%E9%82%AA%E9%A6%AC%E5%8F%B0%E5%9B%BD%E8%AB%96%E8%80%83%E3%80%881%E3%80%89-%E6%9D%B1%E6%B4%8B%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%A9%8B%E6%9C%AC-%E5%A2%97%E5%90%89/dp/4582806139


>畿内説の読みとしては今も価値がある。

大体の話大阪(当時は河内湖か)の何処に上陸して
1日で大和(奈良盆地南部)に付くってどう言うコースなんだよ?www
現在において「陸行一日」で畿内説を唱えているって誰なんだよ?w





761 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:14:12
奈良なんてウリナラが語源の国じゃ困るだろ ヤマタイは九州

762 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:49:22
>>725
対して価値はないよ。つーか、
「書き間違い」を持ち出したら証明も否定も出来なくなるから
議論が出来なくなるんだよ。分かる?
>>730
全ての説が一応「筋道立てて論証」はされている。
問題は、その「筋道」の立て方と「論証」の仕方。
>>760
>>725が何処で「橋本増吉=畿内説」と覚えたのか知る由もないが、
「原田大六=九州説」というのと同じくらい恥ずかしい間違いだな。
橋本増吉と言えば、「畿内説を最も論理的に解いた(by井上修二)」笠井新也に並ぶ
「九州説を最も論理的に解いた(by佐伯有清)」人物なのに。
>>761
なんか「主体思想=共産主義」と信じて主体思想を批判する
反共主義者を見たときのような歯がゆさが…
奈良は「均した土地」と言う意味なのは常識だろ
冗談で言ってるんだとは思うが


763 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/09(火) 22:23:54
>>715
間違っても礫川全次にハマるな。
古代の諏訪社では、神のために人の命を捧げる人身供犠が行われていた可能性があるといわれる。
一年神主としての大祝の殺害が .... 189 :天之御名無主:04/04/04 01:47: え〜と、
『生贄と人柱の民俗学』礫川全次 編 とか? 新しいトコで『神、人を喰う』 ...

日食は、調べ直し。

私の編年の仕方は、君(もん太君)が読まずにやり過ごしただけ。

764 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:25:07
邪馬台国は大和だったとわかりました。

765 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/09(火) 22:40:01
>>762ほ〜 曲学の徒氏並みにキレが良い。
でも 自分の思考も曲学の徒氏並みか?


766 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 22:49:05
というか九州説にしろ畿内説にしろ学者にしろ町の邪馬台国博士にしろ
研究者の書いた本は害悪だよ、知らぬ間に洗脳されるだけで自由な発想を失う。
俺はあえて原文しか読まないよ。邪馬台国の各サイトを見ても今のところ笑わせる物しかないな。



767 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:04:14
>>760
橋本を畿内説と言ったのは、日数の問題だったからだ。橋本は確かに邪馬台国
は筑後に比定するが、問題の日数は後代の大和への情報だとして、「水行三十
日陸行一月となす日程記事は瀬戸内海路について記せしものとみなければ、〜
従って陸行一月は1日の誤記と認めなければならないこととなる」としている。
つまり畿内への日数だとして処理しているんだよ。

768 :サガミハラハラ:2008/12/10(水) 07:11:04
邪馬台国は九州佐賀県小城市甘木と確定しています。距離日数ともピタリです。
私が見つけました。
小城甘木以前は吉野ヶ里に都していました。卑弥呼の時代に遷都したのです。
吉野ヶ里北内郭に卑弥呼は住んでいたのです。

769 :記紀きりん:2008/12/10(水) 11:47:16
記紀は8世紀初頭に作られたわけですが、
その少し前、天武天皇がご即位あそばしています。
この人は大海人皇子という人ですが、これは九州北部の海洋民族(たぶん朝鮮系)
の出身ということを意味してやしませんか?

また、8世紀後半に女性天皇が道鏡の巨根に狂って天皇職を譲ろうとした際には
支社が大分県の宇佐神宮にお伺いを立てた、というのもここが血統の始まり
だったとみるべきではないでしょうか。

で、卑弥呼はどこに?
もう少し考えます


770 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:48:10
なんてレベルの低いスレなんだ。改めさんやプラム氏を追い出した奴らは責任を取ってくれ。

771 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 13:51:34
改めドツボ、プラム、美濃もん太は2ch永久追放が吉

772 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 15:01:21
邪馬台国は大和とわかりました。

773 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 16:39:04
>>766
人が何を言ってるかも知らないで自分だけでやってると、
既に人が考えたことを「俺の新発見!」とか思っちゃうこともあるよ。

774 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 17:21:01
>>767
はあ?
またまた何言ってるのお前?

>問題の日数は後代の大和への情報だとして

…と言うのなら、陳寿の書いた原文は 『陸行一日』 であって

それを後代「邪馬台国=大和」と言う認識で 『陸行一日』 
と誤記(改訂)したと言う話だろう?

九州説の橋本にすりゃそう言う話なんじゃないのか?
言っている事が良く分からんわw


そもそも『陸行一日』 で畿内説を説いた(有名どこのw)学者って本当にいるのかってのが疑問なんだがwww

もう>767は信用もできないので、誰か該当する学者を知っていたら教えて欲しい。

大体、一日で大和に入るって言うのがどう言うコースを想定するのか良く分からないw

現在の東大阪日下あたり行けるところまで船で行って
奈良県の北部に入って邪馬台国に着いたとでもするのか?



775 :774訂正:2008/12/10(水) 17:43:25
誤)それを後代「邪馬台国=大和」と言う認識で 『陸行一日』
  と誤記(改訂)したと言う話だろう?

正)それを後代「邪馬台国=大和」と言う認識で 『陸行一月』
  と誤記(改訂)したと言う話だろう?
 


776 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 18:26:34
>>768
岡田英弘先生の本は読まれましたか?サガミ殿。

777 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/10(水) 21:11:14
>>766
>自由な発想を失う。
その前に正しい歴史認識が必要なんですよ。
今殆どの諸先輩大先生方みんな 卑弥呼=崇神時代で読んでいる。
この数字では、書紀の記事と西暦の合わせ目が無い。依って
書紀は、西暦に直せないいい加減な代物 と言うことになっている。
その割に、「ホツマは偽書である」と宣伝し 持論を書紀に固定し 我が論は正しいと主張する。
サガミハラハラさんもその一人
書紀の記事を西暦、考古学等で説明できるのは、私だけ?
「自由な発想」が「妄想」に成らないことを願う。


778 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:19:06
崇神天皇なんて他所の国の人物スレ違い
正しい歴史認識なんて考え方自体止めた方が良い

779 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/10(水) 21:27:00
>>778
とりあえず此の”終止符!”を初めから読んで
書紀の記事と考古学を西暦に直している 唐松山論をつぶしてみたら?
歓迎しますよ。


780 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:39:35
>>774
悲しいことに、原田大六が「一日の畿内説」を説いちゃってるんだよね。
「邪馬台国論争」にちょこっとそんな文章が出てるんだけど、
他の部分からは予想も出来ないような安直な説明に頭抱えた記憶がある。

あと彼は「魏志倭人伝は確かに伊都国起点放射式で書いてあるが、それは当時の間違い」
と言ってるんだが、別に「間違い」としなくても投馬=玉島、邪馬台=大和は説けるのに。

781 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:25:19
>>780
サンクス。

でも白鳥庫吉以前ってのは無いのかな?

>>725だと本居宣長以来、現在に至っても畿内説で脈々と語り継がれている風なんだがwwwwwww


782 :サガミハラハラ:2008/12/11(木) 00:27:53
私は「ホツマは偽書である」と、宣伝はしていません。持論を書紀に固定し、我が論が正しいと主張する、はそのとおりです。

783 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:36:25
三品彰英の「邪馬台国研究総覧」の注解(83頁)には、次のようにあるよ。

延喜式の主計式に平安京〜河内国・摂津国の行程を1日と記しており、陸行一月を1日と
訂正する以外に瀬戸内海航路による大和説は存立し得ない。このように陸行一月の日程は
九州論者同様、大和論者にとっても説明困難な問題なのである。


784 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:59:28
邪馬台国の風俗は、裸で、刺青して、海に潜る。
南洋の土人だ。
九州しかあり得ないでしょ。
東日本にはこういう土人はいないし畿内も無理でしょう。

785 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:24:19
つーか、九州でもそれができるところは
南半分。明らかに南部九州。
そのあたりは大分県中部を境に南とみる。

佐伯湾辺り、まさに南国の海の幸豊富なところだが。
険しい山脈に一面囲まれていて「山大国」 東海に四国。
ピッタリだけどな。
どうしても、その辺探ると天照大神とか神武天皇の場所と被る。
この被るのも偶然じゃなく、何か意味があるのかなとか思うんだが。




786 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:28:34
南九州じゃ遺跡発掘との整合性がないので、
有明海沿岸じゃないか。

787 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:35:42
>有明海沿岸

具体的にどの辺?
整合性とかも気になるけど、
東の海の向こうに、また倭人の国って描写が意味をなさなくなる。
あ、その場合「そこは間違い」って解釈?


788 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 01:38:40
佐賀県の福岡県寄りの地帯

789 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 02:13:57
>>783
>平安京〜河内国・摂津国の行程を1日と記しており

そんな史料読まなくともわかることだwww



790 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 03:21:20
若狭湾から陸行1月ですよ。




791 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 04:09:31
>>766
>邪馬台国の各サイトを見ても今のところ笑わせる物しかないな。
私の説はどうでしたでしょうか?感想などあればお願いします♪

http://yamat-2007.blogspot.com/

792 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 15:50:56
>>784
畿内のすぐ近くに海はあるし
大体南方系なのは江南の民族を祖に持つ弥生人全般に言えることだし
西日本は大体そんな感じだろうよ。

793 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 18:00:14
>>791
以前国の広さを1河川単位で考えていた。
今はともかく 「当時の大河川は、国境であった」
福岡市と博多市も河川で仕切られていた。
土手の無い川に治水無し。←河川を以て国境とする。

この辺の思考から、やり直し。


794 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 18:10:31
>>791
報告書が複数有った。
あながち間違いではないが、
倭人伝として纏めた文章に、少し時間のずれた報告書複数を使った。

>>339 を参照の事。

795 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 18:16:42
>>791 さんへ質問
倭人伝に 「398年倭女王」と「342年倭王」
二人の登場人物を別けて考えていますか?。

796 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 18:33:11
>邪馬台国の風俗は、裸で、刺青して、海に潜る。

いやいや倭の風俗。

797 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 20:42:22
邪馬壹國は倭人の女王が統治してた「加羅」の国
卑弥呼は沢山の戦争の殉職者と共に戦死した善徳女王(皇極天皇)で
卑弥呼(善徳女王)の墓は狼山の南にある「須弥山」だよ


ちなみに卑弥呼や邪馬壹國や三國志伝や漢や唐な和国大乱も西暦600年頃の話


↑色々調べて俺的にはこれで大体結論に近づいたよ
なんか質問有りますか?

798 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 20:44:19
>>795
唐松さん
倭人伝には「398年」なんて書いて有りませんよ
西暦600年頃の話を398年頃の話と勘違いしてるんだと思いますよ


ちなみに三國志伝自体が西暦600年頃の話すよ

799 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 21:01:21
>>797
ちょい訂正

卑弥呼(善徳女王・皇極天皇)の墓は須弥山じゃなく「狼山」の方だった

ちなみに善徳女王は蘇我馬子の娘だよ


800 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 21:10:22
ちなみに漢字や儒教を作ったのは「(古代)漢人」とされてるけど、もっと言えば漢氏や秦(湊)氏の祖とされる『王仁氏族』だと思うよ

漢も湊も語源は同じ「乾土地から来た氏族」見たいな意味らしいね
ちなみに乾いた土地ってのはイスラエルとかエジプトの方だよ
そこからシルクロードを経て東亜に来た氏族



801 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 21:12:09
>>798 有り難う 依って訂正
238年倭女王
242年倭王
魏明帝景初元年 ?次:丁巳 生肖:蛇 西元237年4月13日(星期四)起
もん太君の詳しい暦だ。 上の数字をどう読む?

そう言えば、私の数字の出し方を知りたがっていたようだが、
終止符!を全部読んで少しは解りましたか?。



802 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/11(木) 21:56:39
>>793
唐松山さんこんにちは。
河川が国境になるのは、国が広がり国境が接し、その後拡大を続けた国が他国の領域を奪い、
結果、川が国境となるのです。
最初から同じ川の左岸と右岸で別の国なり文化なりが発展することは、世界中を見てもないはずです。

339は見ましたが、正直なにが言いたいのか分かりません。
どこが「少し時間のずれた報告書複数」の説明になるのでしょうか?
またそれは、私の言っている説とどのように違うものでしょうか?

242年倭王というのは「其四年倭王」ですね? 卑弥呼の亡くなる前ですので彼女の事と思われます。


803 :サガミハラハラ:2008/12/11(木) 22:06:14
>>776岡田氏の倭国 東アジア世界の中で をパラパラめくってみました。
邪馬台国にかんしては「かんじんの邪馬台国の位置は、親魏倭王をめぐる中国の内部事情のおかげで、「東夷伝」の方向も里程も意図的に歪曲されているので、
北九州のマツロ、伊都、奴、不弥の諸国から、さらに海路を航行した先にあるとしかいえない。
(中略)これから言うように、『日本書紀』のなかでもっとも古い層に属する伝承では、最初の倭国大王は河内を本拠としている。
邪馬台国も、瀬戸内海の東端の、畿内のどこかと考えるのが穏当であろう。」
とありました。まあ、昭和52年初版の話ですが、この内容は当時の学界の一般的な説であるようです。
他の本については、近くの図書館にはみあたらないので入手するにもちっと時間がかかります。

804 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 22:13:53
>>801
「西元」=「現代中国での西暦の中国語表記」

例えば今の中国では「西元2008年=西暦2008年」って意味


ただ「現代中国の西元の意味」と「三國志伝の中の西元の意味」は違うよ

ちなみに「西暦(西元、キリスト暦、ローマ暦)」が、西洋(ローマ)で作られたのは西暦400年以降

三國志伝の中の「西元○○年」は単に「元号+○○年」なだけだよ
三國志伝の中の西元をそのまま西暦に置き換えるからおかしいんだよ

805 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 22:16:07
>>802
では 何故 倭女王と倭王が必要なのか?
遣使の名前が違う 女王が別人を送り込んでも良いが、倭女王と倭王は、別人
と言う考え方をしています。
倭女王と倭王がまだ同一人物という見方は、まだ其処まで分解能が無いと見る。
景初二年の遣使に太夫と次使の2名が記載される。もし卑弥呼単独の遣使なら、
「太夫等8人?」で充分でしょう。
古い土地ほど河川が国境として使われています。


806 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 22:23:48
>>802さん
>>321 の編年も見ておいて下さい。
この編年が正しい事を検証するために出てきたスリアワセの一つが >>339


807 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/11(木) 22:35:53
西元=西暦 どちらも現代語
西元=中国語
西暦=日本語
中華ン千年の数字を数えるために 中華年号を便せん的に西暦を使う
太陰暦と太陽暦の年始の違い程度で簡単だから使われるんです。


808 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 22:50:28
>>807
ちょい倭人伝の暦調べたよ

つか、三國志伝も倭人伝も、やっぱ日本と同じで「十二支干支表記」だよ

例えば「太歳丙申」とか「太歳己末」とかだよ

809 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 23:09:10
ちなみに魏志倭人伝に書かれてる「景初二年」は
十二支干支では「太歳己末」

810 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 23:16:42
ちなみに魏志倭人伝に書かれてる「景初二年」は
十二支干支では「太歳己末」


ちなみに唐松さんは、魏志倭人伝の景初二年(干支で己末年)を西暦239年と解釈してるって事で良いのかな?

俺なりに調べた結果は、魏志倭人伝の景初二年(己末年)は、西暦の659年の事だよ
加羅に弥烏邪馬國があり、倭人の女王で独身の善徳女王(皇極天皇)が戦争で沢山の兵が殉職する中で死んだ後の
真徳女王(斉明天皇)が唐(加羅?)に使者などを使えた年




811 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 23:29:35
>>806
唐松さんは「十二支干支」「西暦」「和暦」「景初暦」などの【暦】ね意味をきちんと理解してますか?


三國志伝、魏志倭人伝、魏書、漢書、日本書紀、古事記、ほつまつたえ、中国正史二十四史、、、

これら全て「十二支干支」の暦で書かれてますよ?(元号と干支の違いは解りますよね?)



×景初2年=西暦(西元)239年
○景初2年=己末年(西暦の179年、239年、299年、359年、419年、479年、539年、599年、659年、719年、779年、、、)


魏志倭人伝の「景初二年(己末年)」は、俺は659年の事と思うぞ?
倭人の女王国の弥烏邪馬國とかが加羅に存在してたのもこの頃なんだし

812 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 23:45:35
唐松さんは良く「年数を出せ」って言うけど
俺からしたら「マズは西暦に解釈された年数の前に、書物に書かれてる暦の年数(十二支干支表記年数)をきちんと出しましょう」って言いたいですよ



魏志倭人伝に書いてある「卑弥呼の遣師」何てのは、単なる遣唐師達の事だよ
卑弥呼の金印授与が己末年だったっけ?
己末年の659年の時に斉明天皇(真徳女王)が遣唐師を出してる




魏志倭人伝に書いてある「景初二年(己末年)」は、西暦659年の事だと思うよ



813 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/11(木) 23:58:48
己末年

239年(と、解釈されてる)
6月、邪馬壹國の女王・卑弥呼が魏に使者を派遣
12月、明帝から「親魏倭王」の金印・銅鏡などを紫綬される



659年(斉明天皇、真徳女王)
6月、坂合部石布、津守連吉祥らを遣唐師に派遣
7月、唐に到着
10月、唐の帝にも諸見
12月、唐の冬至の儀式において日本(倭)からの遣唐師の風采挙措が最も優れてたとの評価を得る



239年のは魏志倭人伝に書いてある事柄で239年の出来事と解釈されてる出来事

659年のは実際の出来事。多数の書物や書籍があり、また魏志倭人伝より詳しく記述もある出来事


共に十二支干支の「己末年」の出来事


これは魏志倭人伝も単に、659年の己末年の事を書いてあるだけだでしょ?

卑弥呼や邪馬壹國は西暦600年頃の話だよ

814 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/12(金) 09:43:43
>>805
倭女王=倭王です、女王も王です。
史の名前が違うのは別人を送り出したからです。同じ人である必要はありますか?
行くだけで魏からお墨付きの肩書きが貰えるのですから、候補者が殺到していたのかもしれません。

>古い土地ほど河川が国境として使われています。
802の書き込みを読みました? その様な例はどこですか?

編年については、賛同できるものではありませんが、
今の私の範疇にはない話なので置いておきます。

815 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/12(金) 18:40:08
◆.L.MXSPOgcさん >編年については、賛同できるものではありませんが、

私の編年は、各天皇紀−19年*n回 かなり単純ですが、是が基本。
この方法だと太陰暦で書かれた書紀を太陰暦で読める数少ない方法。
そして 書紀の記事と外国の書物、考古学、等と2ヶ所を合わせる
設定が正しければこの2ヶ所の間に幾つか外国の書物と同じ事と思われる
記事が出てくる。その記事が、倭人伝と書紀を重ねた物です。

書紀の編年がない分 ピンボケ。


816 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/12(金) 19:07:02
@景初二年十二月,詔書報倭女王曰:制詔親魏倭王卑彌呼。
帶方太守劉夏遣使送汝大夫難升米、次使都市牛利,
A正始四年,倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人,…掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。
B正始六年,詔賜倭難升米黄幢,付郡假授。
C正始八年,太守王頎到官。倭女王卑彌呼
卑彌呼以死,大作冢,
D政等以檄告喩壹與。壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人

@倭女王と垂仁等の共同朝貢
卑弥呼の部下大夫難升米が率善中郎將を授けられる。
垂仁の部下 次使都市牛利は率善校尉
A倭王景行がイワカ等を送り込む
イワカは率善中郎將を授けられる。
位で言えば、難升米=イワカ=率善中郎將であり、1国に2名の国防大臣の誕生となる。
ありえない話ですね。
D壹與は イワカを魏に送り込む。
倭王(景行)、壹與(五百野姫)、 イワカ(景行の部下六雁)倭大夫率善中郎將

女王卑弥呼と倭王は別人である。



817 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:00:32

イヨタン・・・・・・・・・・・・


818 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/13(土) 06:58:53
>>816
よくしりませんが、中郎將が1国に1名という原則などあったのでしょうか。
肩書きが形骸化し、乱発とはいいませんがそれなりの人々に与えていた可能性は?

壹與は卑彌呼宗女であり、この2人が別の国の人というほうがありえない話でしょう。


819 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:40:45
『平成祭礼データ』 高天彦神社
由緒
本社は大和朝廷に先行する葛城王朝の祖神、
高皇産霊尊を奉斎する名社であります。
神話では天照大神の御子の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)に、
本社の御祭 神の娘の栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)が嫁がれ、
その間にお生まれに なったニニギノミコトが高天原から
この国土に降臨されます。その天孫降臨にあたって、
国つ神の征伐に赴く武士の派遣から、天孫の降臨命令まで、
すべて本社の御祭神 がお世話申し上げたのであります。

日本民族が太古から神々の住み給うところと信じていた「高天原」も、
実は御祭神の 鎮まるこの高天の台地であります。
御本社の背後には美しい円錐状の御神体山がそびえていますが、
社殿ができる以前は 、この御神体山の聖林に御祭神を鎮め祀っていました。
古杉のそびえる参道は北窪・ 西窪の集落に通じていますが、
そこがかつての葛城族の住地であります。彼らは背後 にひろがる
広大な台地を、神々のいますところと信じて「高天原」と呼び、
その名称が神話として伝えられてきたのです。
葛城族は弥生時代中期に、現在の御所市柏原の地に移って
水稲農耕を始めました。そして葛城川流域の鴨族と手を結んで
部族国家を形成しました。神武天皇が橿原宮で帝位につかれたというのも、
この柏原の地であります。


820 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 10:41:15
日本書記に、腋上(わきがみ)のホホマの丘に登りまして、
国のかたちをめぐらしお せりてのたまわく、
あなにえや、くにみえつ。うちゆふのマサキクニといえども、
なおアキツのとなめせる如くあるか。これによりて始めてアキツシマのナあり。
とある 腋上は御所市の平野の古称で今でも伝わり、ホホマ丘も丘裾に本馬(ほんま)の地名
を残しています。国号のアキツシマもこの地に最初の王朝が築かれたことに由来します。

葛城王朝は神武天皇から開化天皇に至る、九代で滅びますが、
竹内宿祢によって復興し大臣は葛城一族が独占して平群・巨勢・蘇我氏へと世襲されました。
これら葛城一族の祖神を奉斎することから、清和天皇の貞観元(八五九)年に神位従 二位に叙せられ、
延喜の制では最高の名神大社となって、月次・相嘗・新嘗の祭りに は官幣にあずかってきた古社であります。


821 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/13(土) 15:59:10
>>818
@で示したように,1団と成って朝貢したとき 田島守は、難升米より1段低い位を授けられる。
Aは景行単独で使者を出す。魏から見れば、任那を傘下に持つ景行の方が頼りになる。
Dで五百野姫の傘下に「イワカ」が来る。

↑の様に読める書物は、「ホツマ伝」です。なにしろ書紀では、卑弥呼=巾3尺の石に化けているから
書紀では、読めない。
ホ38168  はゝミタあつさ ヒトタヰキ
ホ38273 アフミヨカ ツクシチのチの タカタミヤ ヲホミケたをれ
ホ38300      フソサミヱ キサラギヨカに
ホ38301 ヰオノヒメ クスコウチミコ イセノカミ まつるいわひは ツクシむけ ヒメコトシソヨ
ヤマトヒメ コトシモモヤツ… わがヤソモノべ ソフツカサ ヰオノにうつし つかえしむ






822 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 01:55:20
唐松山さんがよく言われる六、七千年前の鬼界カルデラ大噴火は有名ですが、
最近二千年間では、10世紀の白頭山が最大の噴火らしい。
下のサイトでは946〜947年と推定。
http://www.edu.gunma-u.ac.jp/~hayakawa/paper/946/index.html

823 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 09:07:37
◆.L.MXSPOgc さんは果たして「ホツマ伝」を認めるで有ろうか?
崇神=卑弥呼を支持する皆様は対外「ホツマ伝」=偽書
>>819,>>820 の天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)を「ホツマ伝」で見ると ”へたれ”の代表
依って>>819さんには是非「ホツマ伝」を読んで頂きたい。


824 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 09:35:11
四年 夏四月 丁卯晦 日有食之 五月 五星聚於東方 日者畏王之怒 誣告曰 是君之コ也 國之福也 王喜
(三國史記 卷第十五 高句麗本紀第三 次大王)
西暦149年に当たりますが、高句麗では古くから独自の天体観測があったようです。
この時代、新羅の天文記事は王の行動などと結びつかない孤立した記事であり、中国史書からのコピーと考えられます。



825 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 09:44:53
唐松山さんは新羅本紀の2世紀での年代を正しいとしています。
173年の卑彌乎の記事より後に193年の倭人大饑があり、これを崇神初期とされる。
卑彌呼は崇神以前ということになる。

826 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 10:24:35
173年の卑彌乎=240年代の卑弥呼を同一人物とすればそうなるでしょうが
同一人物とするのは名前が同じと捉えるから、卑弥呼=姫巫女(姫神子)と読めば、
神カシイ姫以下大勢居ます。

>中国史書からのコピーと考えられます。
もしコピーとして支持出来ないのなら、193年条項が書紀の○○年に当たるとか
提示できますか?
例えば
七支刀の 16日丙午は、326年の暦日であり、その53年ほど前に日本で大きな日食が有った
この年を273年の出来事であろう。とか
193年〜273年この辺の出来事を 太陰暦で各天皇の治世、年齢、その他の登場人物も含め 違和感無く説明、
是までの年代感で 更に違和感無く説明出来れば良いが…。
「書紀の記事は、西暦に直せない」でのりきりますか。
 


827 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 10:38:37
>>823
貴方は太国の次にアホですね。
>>819の一番最初の行をよく読めよ。神道に喧嘩売ってるのかwww?

このスレの歴史としてはこうか?

改めドツボ→梅毒河童→ブタ太国→チョロ松山

828 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 10:40:15
どうもほつまに絡んだ奴はみんな病気に侵されてるなwww
美濃もん太は別として。

829 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 10:43:42
>>827 もん太クンもお忘れなく。

830 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 10:58:34
>>826
193年条項は卑彌呼が死んだ248年頃に当たり、畿内では崇神初期と考えられます。
卑彌乎を別人と考えなくても、時代的に違和感はありません。
新羅の年代をそのまま正しいとすると、世代的に違和感出まくりでとても無理。
高句麗の場合はやや事情が異なり、年代の延長ではなく、代数の脱落がありそうです。

831 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 11:55:22
ヘタレが神なら土左衛門も神
心を広く持ちましょう。


832 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 12:20:47
では >>819 の神様に質問
モモソ姫の箸塚に石を運んだのは、貴方ですか?


833 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 12:32:17
畿内と海外の史料を対照できるのは神功・應神紀以後。
三年 夏四月 倭人猝至圍金城 王親出戰 賊潰走 遣輕騎追撃之 殺獲一千餘級
(三國史記 卷第二 新羅本紀第二 助賁尼師今)
西暦232年となっているが、実年代362年の神功遠征でしょう。

834 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 12:54:39
>248年頃に当たり、畿内では崇神初期

崇神11年の異族多帰は?
2世紀末の巻向の土器は?
垂仁半ば以前の古墳には埴輪なし。
埴輪の無い古墳、巻向石塚、マバカ、ホケノ山
書紀で大きな塚造りの話はモモソ姫より。確かに箸墓と呼ばれたんでしょうが、
埴輪がジャマしています。


835 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 13:02:42
>>833
魏が滅んで100年間、半島情勢に全く変化が無ければ362年神功遠征
も考えられるが、此の100年の間に半島に前方後円墳が作られる。
前方後円墳が畿内発祥ならその間の記事が書紀に見えない。


836 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 13:08:57
チョロ松(笑)

837 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 13:39:07
>>834
>崇神11年の異族多帰は?
>2世紀末の巻向の土器は?
それは列島内の話です。どちらかといえば東海など東方。

>垂仁半ば以前の古墳には埴輪なし。
野見宿禰は土部(ハジ)連の祖とされ、箸墓=ハジ墓か?
皇后日葉酢媛命は古事記では垂仁崩御後も生きており、
日本書紀の記事を妄信は出来ないと考えます。

>>835
>その間の記事が書紀に見えない。
蘇那曷叱智の記事がありますが?

838 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 13:54:40
魏志倭人伝には「食飮用[竹/邊]豆、手食。」とあるので箸は無かったようです。
ハシ墓=ハツクニシラス墓かもしれません。

839 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/14(日) 14:03:04
http://www.pref.tottori.lg.jp/dd.aspx?menuid=69171
青谷上寺地遺跡
この辺が 新羅193年、崇神6年

倭国乱の始まり。

840 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 14:07:00
>>839
>この辺が 新羅193年、崇神6年

>倭国乱の始まり。

卑彌呼は倭国乱の後に擁立されたのでは?
173年の遣使記事はやはり「変」(今年の漢字)

841 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 14:52:39
魏志倭人伝に出てくる帯方太守・王[斤頁]はその前の玄兎太守時代、幽州刺史・毋丘倹の高句麗討伐に参加。
東沃沮まで逃げる高句麗王・位宮を追って日本海に達しました。

王頎別遣追討宮、盡其東界。問其耆老「海東復有人不」?
耆老言國人嘗乘船捕魚、遭風見吹數十日、東得一島、上有人、言語不相曉、其俗常以七月取童女沈海。
又言有一國亦在海中、純女無男。又説得一布衣、從海中浮出、其身如中(國)人衣、其兩袖長三丈。
又得一破船、隨波出在海岸邊、有一人項中復有面、生得之、與語不相通、不食而死。其域皆在沃沮東大海中。
(魏志東沃沮伝)
これは日本列島のことか?

842 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 15:00:37
ホツマツタヘと山海経をベースにして語る奴に、まともな奴を見たことがない。

843 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/14(日) 15:26:27
>>339
登場人物は、唐松山さんが卑弥呼の女王国が何時の時代でどこに
あったかに関して迷いに迷って答えを出すことのできな状態の時、
脳内で即興的にあれこれといいとこ採りをやって辻褄を合わせ
た妄想の産物だ。w

844 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/14(日) 15:38:37
反論に期待します。
GRRR・・・

845 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:33:11
>>838
しかしホトを箸で突いて死んだ、日の巫女はどうすれば良い?
箸という意味は今の箸とは違うものなのか?

846 : ◆.L.MXSPOgc :2008/12/14(日) 21:58:55
>>823
ホツマは偽書。
例えば邪馬台国を舞台にしたアニメがあって、それについて仔細に話すマニアが居ても別に構わないですが、
やはりちょっと別の世界の話というか、そんな感じ、それと同じです。

なお卑弥呼の発音はピミヲ、現在的にいえばヒミオだと思います。
巫女にこだわるのはどうでしょうか。

847 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 22:24:13
ホツマツタヘと山海経をベースにして語る奴に、まともな奴を見たことがない。

848 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:22:41
>>846
女王って書いてあるのに・・・?

849 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:22:55
邪馬壹國をヤマタイ国とかヤマイチ国とか間違って読んだから
これほどまでの誤解が始まったのであって
ヤマト国と読むのが正しい。おしまい。

850 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:27:48
卑弥呼も適当に当て字したからおかしいのであって
ヒミコ(日神子)が正しい。おしまい。

851 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:40:54
ヒミコはじゃあ誰かということだが、
大和国の日神子なんだから、天皇で、女性ということだから、
年代的にも神功皇后ということでしょう。おしまい。

852 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:45:39
>>849
近畿大和の大和って地名、いつできたか知ってる? 8世紀だよ。

853 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:50:24
九州王朝が滅んだら、馬鹿どもがどうでもいい麻生なんぞを総理にしやがって・・・

854 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:00:45
日本書紀巻第一 神代上 第四段本文 に以下の文があります。
「・・・〈日本。此云耶麻騰。下皆效此。〉豊秋津洲。」
ですので、大分前から本州のことは「耶麻騰(ヤマト)」といっていたようです。

855 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:14:52
>>854
8世紀にできた本だろ。日本書紀って。
何の証拠にもならんな。

856 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:23:34
>>855
あらら・・・日本書紀まで否定しちゃったよwww
もう何でもありだなwwww

857 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:41:06
日本書紀って、九州王朝隠蔽改竄書だからな。


858 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:44:25
  
  偉
  大
  な
  る
  九
  州
  王 
  朝
  マ
  ン
  セ
  | 
  !!




859 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 01:04:06
邪馬台国九州説・九州王朝説・九州年号説の破綻、バンザイ!万歳!
九州のチャプターイレブン連邦破産法第11条の申請、バンザイ!万歳!

860 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 01:04:31
>>866
泣き言言わずに、ちゃんと証拠をみることだな。

861 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 01:49:45
記紀ではしっかり隠蔽したのに、
平家物語と続日本紀では、
九州元号をうっかり使っちゃったのが笑える。

862 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 02:12:00
>>860
さすがは九州王朝論者様、未来のカキコまで御見通しですか!

>>861
笑えます!!お笑いです!!
なんとジョークまでおっしゃるとは!!

参りましたwww

863 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 02:40:13
862はゆとり。哀れだなw


864 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 03:03:06
〈ヽ`∀´〉九州人ニダ!

865 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 06:54:36
>>863
さすがは九州王朝論者様!!
妄想が止まりませんね!!
確かにボーナスが入って財布の方は若干の余裕はございますよ!!

太宰府早く掘ってくださいよ!!
ナウマン象…いや、恐竜の化石が出て来るかも!!
いや、温泉かもwww

866 :記紀きりん:2008/12/15(月) 09:48:24
神功皇后って仲哀天皇の后ですよね。
で、この天皇、何年生きてたかわからない、ほとんど架空の人物らしいんですが、
博多で死んだ、とか宮崎で死んだ、とかの伝説があって、やっぱり、畿内の
人ではなさそう。

867 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 10:37:38
仲哀天皇 九年 
是歳、新羅の役に由りて、天皇を葬りまつること得ず。

868 :サガミハラハラ:2008/12/15(月) 11:43:51
復元日本書紀紀年法によれば
仲哀天皇329年近江高穴穂宮で生まれ
    352年即位
    355年筑紫の香椎宮にて死亡
    末年は356年春年


869 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 12:10:40
>>855
日本書紀の史料価値を全否定?

そんなことしたら神武東征伝承に基づく邪馬台国東遷説(安本ほか)も、
書紀の中の細かい疑点をほじって打ち立てた九州王朝説(古田『盗まれた神話』)も、
ぜ〜んぶ成り立たなくなるがそれでいいのか。

870 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/15(月) 12:38:39
>>486 ◆.L.MXSPOgc
ホツマは偽書。やはりちょっと別の世界の話というか、そんな感じ
良くお解りで…
ホツマで肯定出来る、年代は、書紀でも肯定できる。
書紀で肯定出来る、年代は、ホツマで肯定出来るとは限らない。
現在の年代感 卑弥呼=崇神時代。
書紀の記事に於いても肯定出来ない。

新羅193年=崇神6年≒青谷上寺地遺跡
崇神11年=巻向に各地の土器=4道将軍の結果
2世紀初頭、巻向石塚古墳
崇神18年初めて船を造る。
238年、田島守(都市牛利)、イクメ(伊支馬)
240年頃ホケノ山古墳、半島式墓墳に特異な壷
242年 正始四年,倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人、伊勢のベテランイワカ
正始六年,詔賜倭難升米黄幢,付郡假授。
正始八年,太守王頎到官。倭女王卑彌呼
卑彌呼以死,大作冢,
政等以檄告喩壹與。壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人
書紀と倭人伝を合わせました。
是で 魏鏡も景行のシノギを屯倉に移行も読める。

邪馬台国を九州に置いておくと読めない。



871 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/15(月) 12:52:57
新羅208 倭人が侵入
新羅 233 倭軍が東部へ侵入、倭の船を焼く
この辺の記事が熊襲に依る倭寇此の富は熊襲国に蓄積
半島の宗主国魏は、倭寇撲滅の為倭女王及び大和と手を結ぶ
戦の仕方も治世のあり方も教える。
273年日食
274年神功元年
半島より遅れていた倭国では任那を治められない。この時点では、倭国は、半島より進んでいる。
326年≒神功52年七支刀



872 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 13:09:12
>>869
日本書紀は九州王朝抹殺本だから、そこは信用できないだろ。

873 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 13:21:01
>>872
もし日本書紀がなかったら、古田は九州王朝説など提出できなかった筈だ。
日本書紀の史料価値を全否定するのであれば、日本書紀の記事は一切使わず
中国文献と考古資料だけで九州王朝を論証するがよかろう。

874 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 13:26:01
だな。いいとこ取りしただけじゃ、
嘲笑されても仕方がない

875 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 15:20:57
馬鹿?日本書紀の全面否定でも全面肯定でもないだろ。
日本書紀が意図的に事実を捻じ曲げているのを暴いて裏を読んだら、
九州王朝の実在が浮き彫りになってくるだけだ。


876 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/15(月) 15:23:35
日本書紀は、天皇家の自家歴史本
神功皇后に敗れた、大和残留組がその本流。


877 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 16:02:04
王年代記という書物があったらしい。
西暦984年に、東大寺の僧が宋にわたり、この書物を献上している。
宋史の日本伝にそれが載っているのだが、皇室の系譜が、記紀とはちょっと
異なる。

王年代記によると、最初の主は、天御中主。その後ずっと続いて
17代目が伊弉諾尊(イザナギノミコト)。
18代目が素戔鳴尊(スサノオノミコト)。
19代目が天照大神となっている。
この18代目と19代目のつながりが面白い。

そのあとはだいたい記紀と同じで、神武天皇の前まで
「凡そ二十三世、並びに筑紫の日向宮に都す。」となっている。

で、「彦瀲の第四子を神武天皇と号す。筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に
居す。」となっている。

http://www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/soushi/frame/soushi_frame_yomi.htm

878 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 16:22:50
>>877

日本書紀に準じているだけだが?





879 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 16:25:03
>>877
>筑紫の宮より入りて大和州橿原宮に居す。
>即位の元年甲寅は周の僖王の時に當る也

とも書いてあるが。
こっちは面白いとは思わないのか?



880 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/15(月) 16:50:52
http://www.geocities.jp/yasuko8787/80203.htm
即位の元年甲寅は周の僖王の時に當る也。
(日本書紀の神武天皇の記事は甲寅〔周の恵王十年前667年〕から始めるが、即位は
辛酉〔周の恵王十七年前660年〕とする。恵王の一代前の僖王の在位中に甲寅はない)

881 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 03:31:06
天皇崩御年の干支
崇神天皇=戊寅=西暦318年崩御。成務天皇=乙卯=西暦355年崩御。
仲哀天皇=壬戌=西暦362年崩御。応神天皇=甲午=西暦394年崩御。
仁徳天皇=丁卯=西暦427年崩御。履中天皇=壬申=西暦432年崩御。
反正天皇=丁丑=西暦437年崩御。允恭天皇=甲午=西暦454年崩御。
雄略天皇=己巳=西暦489年崩御。継体天皇=丁未=西暦527年崩御。
安閑天皇=乙卯=西暦535年崩御。敏達天皇=甲辰=西暦584年崩御。
用明天皇=丁未=西暦587年崩御。崇峻天皇=壬子=西暦592年崩御。
推古天皇=戊子=西暦628年崩御。

882 :41:2008/12/16(火) 07:17:31
>>881
記紀は神功皇后を卑弥呼の時代と一致させている。仲哀が362年崩御というの
では辻褄があわないのでは?

883 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 09:18:38
邪馬台国は何処説が多いの?

884 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 12:22:52
大和 大倭 倭 やまと ヤマト 邪麻騰
で決まりジャマイカ
三輪山のあたり

885 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 16:01:08
>>882
仲哀天皇が362年崩御は正しい。しかし日女命(卑弥呼)大倭姫命(台与)に
崇神天皇を結びつけなければいけないので崇神天皇の318年崩御があやしく
なってしまう。やはり崇神天皇の258年崩御が正しいのかな・・・。

886 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 16:05:23
倍暦計上で、

 崇神天皇崩御=259年

古事記の崇神の没年干支は258年とするのが相当である。記の崇神の
没年干支は、非常に正確だったということだ。

887 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 16:11:02
倍暦計上で 仲哀崩御=352年 だ。なお日女命は卑弥呼ではない。

888 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 17:37:47
>>887
日女命=卑弥呼=天照大神、大倭姫命=台与=豊受大神、崇神天皇=男弟。
倍暦などイラン!ゴミ箱にポイ!

889 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 17:42:39
>>881>>882>>885>>886

天皇崩御年は>>881氏の一覧表で、成務以降は良い。
しかしながら、崇神の崩御年についてのみ、>>881氏のものは一運(60年)、遅きに過ぎる。
崇神318年・・・成務355年と、この間わずか37年しかないのは、常識からして有り得ない。

成務は崇神からすれば直系の曾孫(=孫の子)である。
仲哀は崇神からすれば直系の玄孫(=孫の孫)である。

系図;

    崇神──垂仁──景行┬─成務
                  │
                  └─日本武尊──仲哀

http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5f/Emperor_family_tree8-15.png

親族呼称;
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:Japanese_Kinship.svg

崇神の崩御年は、>>885氏また>>886太国氏が言われるように、258年、或いはその前後であろう。
少なくとも3世紀の崩御であるのは確実で、そうしないと他の天皇との辻褄が合わなくなる。

890 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 17:47:39
>>888
オマエ飛鳥昭雄さん方式だな。wwwwwwwwww
あの人はなんでもイコールだからな。オマエの盲象だよ。www
そのうち 神武=崇神=應神 になるんだろ? PuPu! www

891 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 19:19:57
>>890
何を言ってるんだチミは。神武天皇=崇神天皇は同じ別名の同一人物で正しい。

892 :神奈川県民:2008/12/16(火) 21:49:55
次スレへはここが終わってから書き込んで下さいね。


次スレ
謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229431401/l50

893 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 22:36:38
>>889
書紀に”1運”等という読み方は無い。
朔で読まないでどうする? 朔は1日単位で記録されている。
60年経っても朔は、その日付を否定する。


894 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 22:41:57
>>891
神武=崇神 だと〜? PuPu!wwwwwwwwwwwwww

そのうち

神武=崇神=應神=神功=卑弥呼=天照大御神 か〜? wwwww

まぁ〜精神科へ行ってオマエのお脳の点検でもしてもらって来い。

895 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:54:20
>>891
それ、関デンパ病だよ。
太デブ国にまで笑われるのは切ないね。。
同情するよ

896 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:58:24
関西電気保安協会。

897 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 23:05:58
卑弥呼時代の船は手漕ぎのみ?帆船はあったの?


898 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 23:07:35
太国さん 極さんの代わりにサガミさんがたててくれました。

899 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 23:09:05
サガミ氏はコスいから相手にしない。また明日。

ZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・

900 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/16(火) 23:36:31
>>897
難しい話だが 多分この頃から帆が有った。
埴輪の手漕ぎは、内海では無いかと?。
でも 旗筵程度とは思う。

901 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 23:49:29
勇ましく外洋漕いだ連中もいるんでないの?w

902 :日本@名無しさん:2008/12/17(水) 00:35:39
壁画や土器、埴輪や銅鐸などからごく原始的な帆も使われていたことがわかっていますが、
常用するようになったのはかなり後世のことで、当時は手漕ぎが主でした。
ポリネシアに見られる航海カヌーのようなものでしたが、これでも外用航海は十分可能。
「準構造船」でググったら復元例や航海例が山ほど出てきますよ。

これに関する邪馬台国の話がご希望なら、ここへどうぞ。
http://inoues.net/science/war.html



903 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 03:13:07
>>877
それ辻褄があうな。
つまり筑紫の日向宮の歴代の王は記紀の神代記の話で天皇ではない。
神武が大和の橿原宮に移って、天皇家の代々の系譜となる。

まあ、ぶっちゃけ天皇家の東遷というか、筑紫の神武の血筋が橿原宮の
血筋をのっ取ったってわけだね。 だから記紀は「東征話」になったんだ。



904 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 06:43:56
「天皇家の東遷」は、紀元前の話だと忘れるなよ?

905 :記紀きりん:2008/12/17(水) 10:17:34
私が高校時代、日本史の史料で「魏志倭人伝」を最初に読んだときに最もびっくるした
ことは、「男子は大小なくみなイレズミをしている」というくだりだった。
イレズミについては、やはり大和朝廷は犯罪者、とか被差別民族のあかしに
、いわば汚らわしいものの表示にしていたのではなかったか?

イレズミは中国西南部の山岳少数民族が期限と言われ(私が確認したわけではないですが)
その後、東南アジアから台湾、沖縄、と北上して、鹿児島の先住民族の隼人なんか
していたそうです。
最も、畿内にあった邪馬台国を別種の大和朝廷が征服した、という考え方もあるはずですが

906 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 10:36:19
態度のでかい土人に朝廷の奥深くを良く警備させるよなw
不思議でならん。

907 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 16:52:55
>>891
確かに両方とも「ハツクニシラススメラミコト」だよ。
で、それだけで何故同一人物と分かるの?
別の王朝の始祖なだけかも知れないじゃないの。

908 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:30:36
>>907

別人でOKだよ。
「ハツクニシラススメラミコト」と呼んだのは、平安時代以降だからな。
もとの漢字はまったく違う。

909 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 19:44:02
同一人物の可能性を示唆した津田左右吉は、記紀が信用するに足らない一例として出したのみ。
本当に同一人物である立証は誰もしたことがなく、また出来もしないのだが、
戦後、津田左右吉の権威が高まってしまったため、まるで同一人物と実証済みのような風説が流布されている。

910 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/17(水) 19:55:31
神武=崇神=應神  だとか
神功皇后=卑弥呼=天照大御神  だとか、まるで K−20 的
探偵小説の読みすぎだな。wwwwwww
これら、彼らは二十面相じゃぁないんだよ。wwwwwww

911 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/17(水) 20:07:27
ホ27101 フネをうむ キフネノカミは フナタマか フネはイニシエ シマツヒコ クチキにのれる
ウノトリの アヅミカワゆく イカダのり サヲさしをぼえ フネとなす コのヲキツヒコ
カモをみて カイをつくれは マゴのシガ ホワニなすナヨ カナザキは ヲカメをつくる
そのマゴの ハテカミのコの トヨタマと ミツハメとフネ つくるカミ ムツフナタマぞ

ホワニとは、帆の付いたワニ船。
キス船、ワニ船、カメ船 此の3種 どの様に分類するか?未だ思考外。



912 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 00:09:55
西暦100年ごろ後漢の安帝に奴隷160人を献じたとある (後漢書東夷伝)

九州(博多あたり?)から中国の洛陽まで160人も運んだのだから
船の乗員としては何百人にもなる。仮に100人乗りの船で4隻が
船団を組んで、九州から船で、黄河を遡り洛陽に行ったとすると凄いことだ。
恐らく、既に遣唐使船程度まで進んでいたに違いない。

913 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 01:15:00
>>906
敵に警護させるはずはない。天皇は南九州出身だったんだよ。

914 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 01:42:54
>>912
いや遣唐使を超えてる

915 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 01:49:48
>>910
神武天皇=崇神天皇、卑弥呼=日女命=天照大神、台与=大倭姫命=豊受大神。
これらは正しい。太国=アホ=馬鹿=間抜け=愚か者=ハゲ=メタボ=加齢臭。
これらの太国変換も正しい。

916 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 04:11:42
915はデタラメの極致

917 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 04:33:53
遣唐使も遣隋使も超えてるどころか
ちゃんと外交マナーを知っている。
だから皇帝から金印までもらう国が九州にあって普通に史書に残ってる。
倭の五王とか全部九州だろ。

明らかに奈良がベースの巻向宮とは全く別物。7世紀まで中国に使いなど送ったことが
ないんだから。

918 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 05:49:19
>>916-917
地面に穴堀って住んでる九州の土蜘蛛発見!殺虫剤、ブシュ〜〜〜ッ!

919 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 07:22:12
>>917
え?雄略も九州人なんですか?
ハツミミダナー

920 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 13:35:43
>918は、木器振り回してウハウハ言ってる纏向土人

921 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 14:14:40
みっともない罵り合いは、やめれ。

922 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 16:50:25
1世紀の金印を3世紀の国、しまいには5世紀の王の証拠にする
こんな馬鹿げたことがあるかい

923 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 18:04:56
明治維新も九州が起源です。

924 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 18:37:29
>>923
アホ!京都じゃあ!ボケ!

925 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:41:55
>>918
巻向宮開いたとされる景行天皇の時代でさえ、宇佐以南は全部
土蜘蛛だらけ、つまり大和朝廷とは名ばかりで、日本統一とは程遠い。
神功皇后が早くても4世紀半ば、おそらくは4世紀後半として

景行天皇はせいぜい4世紀初頭。こんなもんだ、邪馬台国がマキムクなわけねーwww

926 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:08:41
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。



927 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:20:17
>>925
なぜ邪馬台が日本を統一していなければならない?

928 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:34:40
つまり九州王朝の天武は、壬申の乱を起こして天下を統一したと。

929 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/18(木) 22:47:21
>>915
オマエ古代史は探偵小説ではないぞ。wwwwwwwwww
これじゃぁ多羅尾伴内のように、あるときは片目の運転手、ある
ときは易者、あるときは大道芸人、またあるときは・・・・・
・・・・そしてその実体は〜〜〜? PuPu! wwwwwwww

これがオマエのやり方だよ。笑われるぞぅ〜〜〜。wwwwwwww

930 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:53:59
デブ国、ますますドツボに似て来たな

もう救いようがないわ。
そっちにチョロ松も逝きそうだが

931 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:54:55
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


932 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/18(木) 23:11:20
>>930
オマエ、あんなに等号が飛鳥昭雄さんのようにつけるなんぞ、
トンデモもいいところだ。wwwwwwwwwwwwww

これじゃぁ K−20 の二十面相と同様だろうが。それが分からん
ならオマエ、明日でも精神科でオマエのお脳を検査してもらえ。
オマエ、相当イカレているな。wwwwwwwwwwwwwww

933 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 00:15:58
つまり、九州王朝の天武一人の力で、木器で土いじりしか能が無かった大和勢力は、あっさり滅んだわけだね。

934 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 00:43:24
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


935 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:11:24
後進国の大和が、九州王朝のほんの一撃で、滅亡しちゃったのが壬申の乱。弱かったね。

936 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:28:32
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


937 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:47:36
土いじりばかりやってた大和国は、九州王朝にあっさりと簒奪されちゃいました。

938 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:07:09
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


939 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:38:51
国際政治オンチで武力も弱い大和国は、九州王朝の天武に、国ごとあっさり簒奪されました。

940 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 03:34:10
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


941 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 04:04:50
鉄器も無かった野蛮国大和は、文化豊かな九州王朝の天武に、あっさりと滅ぼされました。

942 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 04:28:44
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


943 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 04:52:58
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


944 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 07:14:37
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


945 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 07:33:54
つまり、九州の部落国家は、大和朝廷に追い詰められて滅んだわけだね。

946 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 07:42:21
つまり、九州の土蜘蛛国は、大和朝廷に追い詰められて滅んだわけだね。

947 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 12:19:52
極東を支配した九州王朝の天武が、文化の遅れた大和に入って、大和を征服しました。
これが日本の起源です。

948 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 12:50:49
>>947
地面に穴堀って住んでる九州の土蜘蛛発見!殺虫剤、鹵\ブシュ〜〜〜ッ!

949 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 14:25:25
948は、負け組みが逃げ集まって、木器で土いじりばかりしていた被差別纏向人。カワイソス。

950 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 15:14:47
>>949
〈ヽ`∀´〉九州の土蜘蛛朝鮮人発見!殺虫剤、鹵\ブシュ〜〜〜ッ!

951 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 15:33:08
纏向ローカル被差別民w

952 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 16:10:06
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。

953 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 17:37:19
九州王朝は今の日本を作るために、畿内の劣等国を滅ぼしました。

954 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 17:39:38
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


955 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 17:45:47
粘着はやめれ

956 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 18:01:18
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


957 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 18:19:24
>>955

畿内説の人ですか?
残念ならが、邪馬台国は九州にあったと、万人が認めている。

つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。



958 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 19:55:14
天武は九州王朝の為政者ですがなにか?

959 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:27:37
きょうはガンガン書き込み宜しく!

次スレいくぞ

960 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:29:55
>>958
つまり、九州の土蜘蛛国は、大和朝廷に追い詰められて滅んだわけだね。

961 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:39:38
九州王朝が奴婢を征伐して、初めて畿内に大和朝廷を作りました。

962 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:55:20
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


963 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 21:46:51
今の日本は、九州王朝が畿内の土人を征伐して興しました。

964 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 22:03:33
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


965 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/19(金) 22:26:00
其六年,詔賜倭難升米黄幢,付郡假授。
「黄幢を賜う」について考えよう。

黄幢を賜うとは、魏国の正規軍(又は、郡」の正規軍)の地位を授けられた。
当然戦の仕方から、武器等正規軍としての全てを魏から直接学ぶ。
対し半島の属国が、強力に成られては、敵わないので半島据え置き。
270年頃この軍隊が神功皇后の元、渡海。
半島に直接刃向かう勢力は、有りません。

966 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:48:50
ここは、卑弥呼は誰?っていうスレだから、
卑弥呼の人物像とか、男弟や台与や鬼道のこととか、古代の女性とか、
関連して議論すべき話題はもっともっとあるだろう。

九州王朝説の是非は別スレが立ってる。そっちでやれよ。

967 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 03:26:29
日女命=倭迹迹日百襲姫命=卑弥呼=天照大神。大倭姫命=台与=豊受大神。
葛木高千名姫命=日女命の妹=崇神天皇の妃。日女命の義弟は崇神天皇となり
魏志倭人伝の言う卑弥呼の男弟になります。

968 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 13:12:43
さらに葛城氏の
本拠地には高天原があります。
さらに
高天彦神社、武内宿ネ、
欠史八代の古墳
蘇我、巨勢、鴨、平群etc

969 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/20(土) 14:43:36
>>967
崇神天皇の男弟ではないことを断定してる。

970 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:18:07
>>969
崇神天皇に男弟なんていないぞ!アホか!日女命(卑弥呼)の男弟じゃ!
ちなみに大倭姫命(台与)の男弟は垂仁天皇で一緒に晋から爵命を受けた。

971 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:22:35

トヨタン・・・・・・・・・・


972 ::2008/12/20(土) 15:26:44
じゃ、訂正だ
崇神も垂仁も卑弥呼と直接の関係はない。卑弥呼は日女命ではない。
外出なので間違えたな。

973 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:37:58
デブ国がただのデブになっててワロタ

974 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:50:45
>>965
時系列的に見てみると、

景初三年(西暦239年)に、卑弥呼は、初めて帯方郡に使者を派遣する。
その翌年の正始元年に、梯儁が証書や鏡などの下賜品を持ってやってくる。

正始四年に、卑弥呼はまた帯方郡に遣使し朝貢する。
正始六年に、黄幢が帯方郡に到着する。

この間に、韓の反乱があり、帯方郡の太守が戦死する。

正始八年に、帯方郡の新しい太守が到着する。
(この時、卑弥呼はまた使者を派遣し、狗奴国と戦争状態にあることを
説明している)
張政が倭国に派遣され、証書、黄幢が難升米に授けられる。

黄幢は、魏の軍旗なのだが、これをよその国に授ける習慣があったのか
どうか。もし、そういう習慣がなかったとすれば、これは卑弥呼の方が要求
したのかもしれない。要求した理由は「錦の御旗」としてだろう。

つまり、これは狗奴国に対する牽制になる。卑弥呼は狗奴国によっぽど困って
いたのではないかと思うのだが。

975 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 16:35:51
邪馬台国を分断する場所にあったんだな

976 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:24:45
邪馬台国は宮崎に決まったんじゃないの?
常識的に考えて、地理的にも妥当な推論じゃない。

当時の中国人は宮崎までしか分からなかったから、そこを女王之所都としたけど
畿内まで勢力を持っているって書いてあるんだから畿内説の人も文句無いじゃん。
大体、畿内の人が、黥面なんてありえないし、まあ、宮崎なら良いんじゃね?

977 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:43:30
宮崎県にいたのは地面に穴堀って住んでる土蜘蛛の人食い人種の熊襲です。
ただし例外は蛯原友里、ただ1人。

978 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:58:31
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


979 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 18:35:06
伊都は北九州でそっから、
水行なんだから普通に
瀬戸内海じゃない?
伊都からかなりの日数がかかるとあるし、
マツロが吉備かあの辺で、女王の国は畿内と。

本家九州説はどんな?

980 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 18:52:35
じゃないや、投馬が広島か岡山だ。

中国人は
両サイドが陸地だから瀬戸内海は川だと思ったろうな。

981 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 19:13:24
>>979>>980
まず倭人伝読もう
意見はそれから

982 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/20(土) 19:31:31
http://homepage2.nifty.com/toka3aki/geography/fudoits8.html#koku8a
釋日本紀 卷十
筑前の國の風土記に曰はく、怡土の郡。
昔者、穴戸の豐浦の宮に御宇(あめのしたしろ)しめしし足仲彦(たらしなかつひこ)の天皇(仲哀天皇)、球磨噌唹(くまそ)を討たむとして筑紫に幸しし時、
怡土の縣主等が祖(おや)、五十跡手(いとて)、天皇幸しぬと聞きて、五百枝(いほえ)の賢木(さかき)を抜取(こぢと)りて船の舳艫(へとも)に立て、
上枝(ほつえ)に八尺瓊(やさかに)を挂(か)け、中枝(なかつえ)に白銅鏡(ますみのかがみ)を挂け、下枝(しづえ)に十握劔(とつかのつるぎ)を挂けて、
穴門の引嶋(下關市彦島)に參迎(まゐむか)へて獻(たてまつ)りき。天皇、勅して、「阿誰(たれ)人ぞ」と問ひたまへば、五十跡手奏(まを)ししく、
「高麗の國の意呂山(おろやま・蔚山)に、天より降り來し日桙(ひぼこ)の苗裔(すゑ)、五十跡手是なり」とまをしき。
天皇、ここに五十跡手を譽めて曰りたまひしく、「恪(いそ)しきかも伊蘇志(いそし)と謂ふ。五十跡手が本土(もとつくに)は恪勤(いそ)の國と謂ふべし」とのりたまひき。
今、怡土の郡と謂ふは訛れるなり。

九州説確定か。

983 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/20(土) 20:04:24
>>974
黄幢を賜るとは、「魏国の旗下になる」ではないか?
「錦の御旗」なら自前で作らねば成らない。
「錦の御旗」=「他人の旗印」を歴史書に載せる価値なし。
旗を洛陽から取り寄せるとは、授ける許可もある。
授ける以上魏軍としての編成に入ることを意味する。
難升米為率善中郎將、率善中郎將掖邪狗
「率善中郎將」がこの軍の大将なら、軍編成として2隊必要。
それが、倭女王軍と倭王軍では無いか?


984 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:05:16
>>979
南に水行するんだから有明海だよ。
そんで、島原とか熊本とかの田舎を通って
それから、九州を横断して日向だよ。

985 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:08:40
>>983
当時の中国なんて、外洋航海もままならない国なんだから、当てにする訳無いよ。
それより、独占貿易させろとか、そういった利権争いだよ。

986 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/20(土) 20:21:44
>>983
唐松山さん、率善中郎將は九人いますよ。難升米+掖邪狗等八人
率善中郎將は「定員無し」のようです。


987 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:21:57
それと、中国国内で山賊よけに役立つんじゃないかな?
中国は朝貢なんて、如何にも日本を子分にしたようなこと書いてるけど
諸国は単に貿易のために山賊の親分に邪魔しないように頼んでただけだろう。

988 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:29:38
>>977
だって、あれだろ?神武というか、神日本磐余彦尊が、
宮崎から奈良まで遠征して勝ったんで、橿原に住み着いたんだから
出身地は宮崎なんだから良いじゃん。

989 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:31:01
卑弥呼でイメージ検索したらエロ画像ばっか出てくるんだが

990 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/20(土) 20:31:11
倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗等八人
掖邪狗等壹拜率善中郎將印綬。
これで8人と読むわけですね
私は、掖邪狗の 率善中郎將印綬に同席と読んでいます。
掖邪狗以外名無しばかりですから。

991 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/20(土) 20:38:24
五十跡手(いとて)は、田島守の末裔で良いのでは?



992 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/20(土) 20:45:35
県民さん、邪馬台国=九州としたとき
魏鏡と古墳の全国展開をどの様に説明しますか?


993 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/20(土) 20:48:15
>>990
「伊聲耆」さんは?

>>991
「田島守」はどの文献に出ていますか?
古事記では「多遅麻毛理」書紀では「田道間守」ですが。

994 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:48:31
>>982
豊浦と言えば蘇我の邸宅、
甘樫丘ですね。

995 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:53:35
>>989
卑弥呼の本名である「日女命」で検索してください。

996 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:53:55
次スレ

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!25
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1229431401/l50

997 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:54:41
続きは25スレでおねがいします

998 :愛知県民 ◆/aQLbFNNDU :2008/12/20(土) 20:55:03
>>992
鏡は移動しやすい物品です。
ヤマト政権が五十跡手たちから取り上げたものもあるでしょうし、
交易で各地に渡ったものもあるでしょうね。
ニセブランドもあるでしょうし、一概には言えないでしょう。

999 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:55:54
「日女命」?

人気あるんだね

1000 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 20:57:09
九 州 王 朝 マ ン セ ー !!!!!!!!

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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