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漆 在古代都九州

1 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 17:39:07
第一条 責任をもってレスできる方の参加歓迎!
第二条 お互い思いやりで、対応しましょう。
第三条 無責任なレスは無視しましょう。
第四条 邪馬壹国九州論是非! 九州王朝是非! 参加してください!
第五条 畿内説畿内王朝説等の方の参加は禁止しませんが、九州諸説を阻害しないで下さい。
第六条 考古学の方は一般論を阻害しないよう、気を付け参加下さい。
第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
第八条 下げ進行奨励 !
第九条 太国・九州王朝大好き・一応九州王朝説・のんびりひまじん等の荒らしコテは参加禁止!
第十条 誘導や警告の方はキャップを貼ってください 荒らしと間違えます。


2 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:26:12
大宰府天満宮に伝わるうそ替え神事は、
鬼すべ神事に先立ち、境内広場にて木うそ(7日のみ授与)を手にした人々が注連縄で囲った斎場で
「替えましょう 替えましょう」と呼び合いながら、木うそを互いに取り替えることで、
一年間に知らずについた嘘やどうしてもつかなければばらなかった嘘を清算し、
御神前で天神さまの誠心に変えて幸運を戴き、新しい気持ちで本年を過ごす為の迎春の神事です。

意味深なお祭りですねw

3 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 06:06:46
嘘はね、今は虚意として事実とは違うと使われてはいるが、
漢字を見れば、口が虚ろで口が無くなる事を表します。
いわば喋らないって事。
はて?何を喋らないのかわかりませんけど、もっと意味深ですかね。

4 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 06:57:39
空言だった筈

5 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 12:17:40
天満宮の氏子達は示し合わせて真実を隠す事で、
祭神を替え由緒を替えても真実をほのめかす祭りを受け継いできた。
なにしろ九州元祖の天満宮の本来の祭神は雷神で、京都最高神の賀茂神社の祭神は別雷神。
雷神の子供が京都の最高神となる訳だ。

6 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:16:32
雷様と奈良は結びつかんね

7 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 19:46:02
雷様は記紀に疎遠だな
それで平安京の最高神
記紀は嘘ばっかなんだ

8 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 22:54:17
近年道真が天満の神で雷神は老松の神と分類してる事も見かけるけど
道真は10cの祭神だし後付なのは明らか
天満=老松=雷神は確実

9 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 23:21:49
どうしてもつかなければならなかった嘘
を多くの人がつかなければならない
真実を話す事で何が起こるかは簡単に想像付く

10 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 06:37:35
雷様が10Cの菅原道真のわけないね

11 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 06:59:45
天満宮も都であった太宰府の艮丑寅に有るわけで、平安京の息子と同じ鬼門を守りなさってる。

12 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:44:44
天満宮のご近所竈門神社が
本来の鬼門の役割を担って
僧坊も沢山あったそうですよ

13 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 10:07:19
竈門神社は明治廃仏でかなりやられたね
本来ならかなりの文化遺産なのに
進駐軍よりも明治政府はひどかったよね

14 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 16:17:49
日本の文化財は日本人自ら損なった
明治の革命の負の部分をもっと学ばないと歴史を習う意味がないな

15 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 18:39:56
太宰府周辺の地下に眠る歴史遺産はまだまだこれから
大発見で歴史を塗り替えますよ

16 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 21:35:50
まぁだいたいやね
太宰府の廻りにしか軍事構造物がないんやからね
冷静なら奈良の方が出先でど田舎って事やね
阿呆らしくて見とれんはな歴史は

17 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 23:13:51
無防備な都を作った人達は
今までの日本人とは異なり
じゃんじゃん銅鐸鳴らして
恐れ多い恐怖政治を展開し
軍事力ばかりに傾倒していたんだろうね
製造や土木建築の技術力には疎い上に必要性を感じず
屈服させて召し抱えたはずの僕供に再び取って代わられた
その変わって京都に住んだ人々が元々大宰府の住人なんだろうね

18 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 08:49:53
なんで天武系はそれまでの史書を駆り集めて新たな記紀を作ったのか
嘘かえ神事位しないと天満宮も生き残れなかった訳だな

19 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 09:28:41
孤独に千まで書き込む気分はどうなんだろうね

20 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:17:53
財団法人 古都大宰府保存協会
http://www.kotodazaifu.net/index.htm

21 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 11:30:56
炎の祭 鬼すべ-太宰府天満宮-(福岡県太宰府市)
http://www.kyuhaku-db.jp/dazaifu/archives/01.html

22 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 13:52:06
鬼すべのすべは皇と書いて旧王家を表したものではないでしょうか?
九州には他にもひょうすべと呼ぶ河童のような妖怪が伝えられますが
この起源は古代中国の水神の兵主神と云われ神からの格下げで伝承されており
皇(すべ)からの格下げを考える上で十分な証拠となると思います

23 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 21:58:01
神様=元王様守るのも楽じゃないね

24 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 06:10:05
詐称なんて腐るほどある

25 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 06:54:37
歴史ってのも殆どの時代が捏造されていて
特に勝ち残り組なんて嘘ばっかり
現代社会と一緒だな

26 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 09:45:49
胡散臭い記紀を盲目に信用する研究態度は、主義主張であって研究と読んではいけない。
証拠付きの理詰め議論がなされて、初めて説や論としなければならない。
だから史書と呼ぶべき事も、正直疑問である。

27 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 16:42:47
日本じゃ鬼が悪者に描かれない昔話が多いよな

28 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 18:18:26
来年の話をすると鬼が笑う
いつかは再び取って変わろう意気込むともとれますね

29 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 21:00:30
あんなに遠くへ遷都して馬車馬のように酷使された旧勢力の人々を思えばどっちが鬼なのか考えるよな

30 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 07:00:07
日本中に同じ名前が点在するのは一ヶ所から各地に広がった証拠
勝手に漢字迄同じような地名を名乗る訳ないからね

31 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 08:57:17
日吉なんて典型的だよね

32 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 14:15:25
同じ名前の神社が古来より全国に広がるのも同様の理由から
神社名が違っても祭神が同じなら一緒だし

33 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 18:17:25
神社名はあんなに要らないよね

34 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 07:00:47
天満宮の分社でそのまま名前を使うのを憚る場合は老松を使った

35 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 07:48:00
殆どの有力社が九州発祥だからね

36 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 11:52:50
天満宮と同じ雷神を祭るのは稲荷神社
こちらは九州以外に広く分布してる
かなり遅れて京都に出来たけど
京都最高神の賀茂のご先祖だけに
正一位と高い評価も受けている
なんだかややこしくされてるけど
そんなに神様は難しく考えなくていい

37 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 14:22:23
神様も改竄されたよな

38 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:09:04
戦後の1946年に神社本庁とは独立した単立宗教法人となり、「伏見稲荷大社」と改称した。
これは、神社本庁が伊勢神宮を本宗とするとしているが、
伏見稲荷としてはそれを受け入れるわけにいかないという理由である。
神社本庁とは「喧嘩別れ」したわけではなく、関係は良好である。

なんで受け入れる訳にいかないのかねw


39 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 22:54:42
弘仁七年(816年)にやっと現地鎮座したらしいね

40 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 07:00:33
現在独自に神仏習合を展開してるけど
それだけでは独立する意味がない
捏造された伊勢神宮にすべてか載るなら
真実が明らかとなればすべての神社の良心も問われるな

41 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 11:27:53
捏造記紀を肯定した北畠親房と吉田兼倶の説に江戸幕府が乗っかり
無理矢理歴史をねじ曲げた天武系の最高神伊勢神宮を復活させた
平安中期以降徐々に廃れていて祭司すら滞っていたのに

42 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 15:10:51
稲荷神社も伊勢神道を引っ繰り返す位の資料はもってるし後はそのキャンペーンをするかどうか
するなら対決色が強まった場合だろうけどどちらも現状得策だと考えていないから付かず離れず

43 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 16:58:34
そりゃ捏造記紀に拘らなきゃ稲荷は正一位だしね

44 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 20:47:45
二十二社 うち上七社
伊勢  天武系の作った記紀による捏造最高社 最終的に畿内に入れなかった事は何を意味するのかは考えれば解る筈
岩清水 九州から平安初期に移設された 道鏡事件からも天皇家の宗廟ではあるが 賀茂よりも上なのは建前
賀茂  平安京の鬼門を守る天皇家祖先守護神 斎院が斎宮を上回るように平安時代は実質No1 別雷神は雷神の子供 遷都に寄り添い移設 
松尾  平安京の裏鬼門を守る天皇家祖先守護神 別名武神として今に伝わる 秦氏伝承から天皇家の出自も注目される  
平野  桓武天皇母高野新笠の先祖百済聖明王が祭神と謂われ 平安からの天皇家母系祭神
稲荷  遅れて移設された 正一位とは最高位 ここでは6番目 稲光稲妻稲荷の雷神が元の祭神 よってここも先祖神 秦氏伝承の神社 
春日  鹿島からの移設由緒が有名 藤原氏の守護先祖神 いわずもがな奈良以降天皇家には母系から入る続けた天皇家母系先祖神

伊勢以外は全て先祖神で平安京近郊に遷宮されたんです

45 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:00:32
二十二社も伊勢神宮以外はすべて畿内にある
平安以降の無事な天皇の墓も殆ど畿内にある
例外ってどうゆう事か解るな

46 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:12:01
わざわざ他人の先祖を近くに呼び祭る訳が無い
北野天満宮も道真の祟り神が本当なら九州から呼ぶ意味が理解出来ない

47 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 22:47:32
世間じゃ道真が学問神様で通説だけど、本当は太宰府からは科挙の受験勉強をした木簡迄出土してて、高い学問を受けていた事は明らかなんだ。
平安の道真なんて蔭位の制である程度勝手に出世出来るし、果たして九州王朝時代程の学問の士どうかは疑問だ。まぁ観世音寺の戒壇も古い地層にあるし、太宰府じたいが学問の都だったからと見ていんじゃね。

48 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 06:43:52
学問の神様も後付けか
納得のいかない事ばかりだしね

49 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 07:01:14
道真だけじゃなく太宰府に左遷された奴は沢山いる
その後の菅原氏も目立った活躍も無いし

50 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 08:35:15
墓守とかが自分の先祖以外の墓を守る場合も
殆どのケースが墓守の先祖が墓の主の部下であり代々親従している
出雲大社のような大国主を天穂日の子孫が祭るなんて事は
記紀がめちゃくちゃ書いた弊害で辻褄合わないままにしてあるだけ
神様といってもお墓と考えていい筈だよ

51 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 13:41:05
大国主を絶対的なヒーローにしたくない記紀の作者連中は、大国主の子孫が出雲大社を奉仕して来たなんて書きたく無かっただけ。
どう考えても天穂日は大国主本人で無ければ、千年以上も祭祀が存続する説明が付かない。
それに大国主が一世代で国譲りするようなヒーローなら、こんな神社が出来る訳がないし、
本当の国譲りは大国主の子孫である大王から、天智天武系が行った政権奪取を指しているんだろうね。
記紀を額面通りにとったらもっと混乱するだけ、道真の天神様のように道理で考えた方が真理が出てくる。

52 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 23:27:00
神代の整理は記紀の要素を除く事で可能になる

53 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 04:11:30
記紀がしたかった事は改竄だ

54 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 07:06:14
改竄史書と扱うべき証拠だらけだよな

55 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 09:41:59
なんで推古以降は信用出来るのか聞いたら返事が無かったよw

56 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 10:01:02
一度でも偽証した奴を信用する奴はいない、増して複数回偽証したら尚更だ。
一つでも嘘が含まれてる史書を信用する奴はいない、増して多くの嘘を指摘されていたら尚更だ。
世間の常識が通用しないのは何故でしょう。

57 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 10:04:48
何このスレ?
なんかよく意味分からん。
独り言?

58 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 16:37:21
>>56
記紀の扱いは信用の置けないタブロイド紙並で充分
記紀とその他史料や伝承が食い違っていた場合は間違いなく記紀の改竄記事
記紀とその他史料や伝承が同じなら取り扱い慎重に一応の信用をする
神社伝承との食い違いは記紀の改竄確定

59 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 00:15:15
記紀のすべての都がいくら掘っても出てこないからね

60 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 05:59:43
記紀は都に関しては100%嘘って事ですね

61 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 07:56:54
天皇の呼び名も最後の天武持統以外は全て嘘
元々天皇とは全く呼んでいない
39/41=約95%の嘘
これを信用しますかねw

62 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 08:44:14
都も無いなら天皇の墓もすべて嘘や
100%無理矢理のこじつけ
前方後円墳が古い墓の訳無い
徳王仁徳が世界最大の墓に入る矛盾にはわろたw

63 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 08:56:55
時間も遣隋使以前は全くの嘘、天皇の年令なんて馬鹿げてる。
年暦いじる前に、信用が置ける史書かどうか、それ検討するのが先。
嘘だらけの時間軸を幾らいじっても嘘は嘘。

64 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 11:00:21
「馬子」とか「入鹿」とかの名前は、国記を所持し、クーデターを受けたのだから、明らかに王の蔑称である。
しかしその王の姓は蔑称では無く、「蘇我」と云う表意漢字で、「我は蘇る」とあるが、何が蘇ったのかは現代の通説じゃさっぱり解らない。
大量にある嘘を無視した上、表意文字のメッセージを無視していたら、いったいこの史書で何をしてると言えるのだろうか。

65 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 14:49:08
学者さん達も記紀の事なんて信用してない、ただ立場上建前で擁護してるだけ、それを真に受けてとんちんかんがよく騒ぐこと。

66 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 17:09:36
記紀の時代には中国の史書が明らかに信用性が高いけど
その中国史との記紀の記述が全く違うんだよね
中国側が辺境の日本の記述を改竄する動機は弱いから
疑いは当然記紀に掛けられる
ただでさえ嘘だらけが指摘されてるから申し開きがたたないよな

67 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 18:27:44
記紀の地名や施設をとっても、畿内にはそれらしき遺跡は全くみられない。鴻臚館なんて大阪の何処にあるのやら。福岡のそれは舶来品がごまん出ている。

68 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 20:55:03
奈良からは記紀を肯定するもんなんも無いな

69 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 07:27:08
記紀は時間も名前も地名箇所もほとんど間違い
冷静に考えれば何処を信用したらいいのか悩む程

70 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 12:23:12
何故千年以上も経過して記紀と食い違う伝承が根強く残るのかねw

71 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 16:25:24
それは真実だからさ

72 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 18:44:52
最近の歴史教科書も、記紀の内容が出てくるのは、やっと磐井の反乱からで、それ以前となると、中国史からの引用で倭の五王がでてきている。
要は記紀の半分以上は信用出来ないから引用出来ないと、文科省も教科書会社も言ってる訳。
磐井以後も記紀に信用は全く置けないけど、一度決めると幾ら証拠が無くても役所仕事だから、
コイツで癒着して無駄な税金つかってる訳。

73 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 06:13:43
磐井以後も捏造ばかり

74 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 07:00:42
記紀の場合無理矢理父系を繋げて体裁を整えてあるが
習俗が違い過ぎるな

75 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 08:42:26
神々と天武が繋がっているんだからねw

76 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:16:01
マキムク遺跡は誰も都とは言いたくは無い
でもお金や立場がそうさせるんだ

77 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 16:28:02
記紀ってさ、
大宝律令で公地公民をうたいながら田荘や部曲がいたり、
奈良の朝鮮式山城高安城は影も形無いし、
なんか絵に書いた餅なんじゃないかと思うよね。

78 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 17:58:38
幾ら奈良を掘っても都の形跡すらないしね

79 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:01:49
舎人親王や取り巻きは理想に燃えて公地公民にしたかったのかね?
何れにしても作った当時の事でさえそういう状況には無かったのに捏造した
してそれ以前の事については捏造してなかったなんてとても考えられないな

80 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:41:02
記紀の都合の悪いことは読まなかった事にする能力を身につけないと大学の先生にはなれないらしい

81 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 07:03:09
記紀を守りきれるのも時間の問題

82 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 10:47:07
ここだけまるで戦前

83 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 14:00:28
日本書紀を文学扱いにする心無い一般教養の参考書
まぁそういえば殆どが創作で史実なんて僅かだから的を射てるんだけどね

84 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 17:28:37
史書と云うべきじゃ無いのかもねw

85 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 22:20:59
国語学者にしてみれば、記紀なんて創作文学フィクションだよね。
掘っても都も出てこないし、教科書も殆ど嘘扱いだし、
史書と言いたいのは、日本の古代史の学者だけなのかもね。

86 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 06:59:54
結構ポロポロとボロが出て史書扱いするのも酷だよな
国書を持った部下にクーデターかけるなんて不審過ぎるね

87 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 08:00:41
磐井も蘇我も王様だよ

88 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 14:59:06
記紀の天皇は架空な王様で、ホントの王様の功績をかなり頂いたり真似したりしてる。

89 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 17:22:34
現在の学説では、継体天皇以前の記述は正確さを保証できないと、考えられているそうだが、
どうしてそれ以降が信用出来るのか、ちゃんと考察して欲しい。
信用出来る証拠らしい証拠に、未だ出くわした事が無いですからね。

90 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:58:05
畿内から継体の遺跡の一つ位出て来たら信用するけど

91 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 07:02:36
継体のモデルは九州にいたからね

92 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 10:16:40
越も大和も九州にあるから仕方ないね

93 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 12:14:12
ウィキによると考古学的証拠は九州よりも畿内が上なんだって
実名入りで投稿させないとこんなテロ投稿が増えるよなw

94 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 16:35:22
桜馬場遺跡
http://inoues.net/club/sakurababa.html
邪馬台国当時の遺跡にしても、佐賀唐津の桜馬場遺跡は末盧国の王墓と言われてますが、
ここは邪馬台国の一部であるにも関わらず、出土するものが畿内の物とは全く違う。
しかもどっちが都かと疑うほど豊富に豪華だ。
贔屓目に見ても同じ習俗の人達では無い事だけは確か。

考古学者は見て見ない振りしてるだけでしょうけど。(笑)

95 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 20:06:33
後漢の鏡なら邪馬台国の遺跡として文句無いよな

96 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 20:21:46
畿内の都によりも都会で先進地だったのかもよ

97 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 20:41:55
名前出して畿内の考古学が有利だと言ったら最後
一生お金を貰いながら逃げ回るだけの人生に変わる
普通ならノイローゼになるぜw

98 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 21:42:53
桜馬場の甕棺も畿内説にはかなり痛いよな

99 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 07:00:55
確実に邪馬台国の領土にある国を基礎としないで
未確定の国を基礎で研究する愚かさ

100 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 10:51:28
伊都国迄の位置に疑問を挟む余地は無いよな

101 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 17:10:24
邪馬台国の真実なんてあれだけ条件があれば殆ど解るはず
誤魔化しで飯食ってる奴が多いからね

102 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 18:52:51
畿内なんてある訳無い

103 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 21:23:09
考古学者はガードが固い
好きな事も言えず悲しい人生みたいよ

104 :のんびりひまじん:2008/10/19(日) 01:07:42
日本書紀のウソって深刻だね http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/214
〜100レスに一回くらい許してよと持論紹介します。(文献派より)

105 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 07:37:23
第九条 太国・九州王朝大好き・一応九州王朝説・のんびりひまじん等の荒らしコテは参加禁止!

106 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 22:14:31
第九条 太国・九州王朝大好き・一応九州王朝説・のんびりひまじん等の荒らしコテは参加禁止!

107 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 06:34:45
>>103
日本の考古学は政府お抱え建前論だから、学なんて呼び憚るな。
第一あの悪名高き編年に固執する必要性に欠ける。

108 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 07:00:12
科学的根拠が全く無い基準で全て想像だけに基づいた測定基準ですからね

109 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 07:51:25
末盧国の位置はは100%間違いないんだからなw
末盧国と邪馬台国の習俗が同じじゃなけりゃまず説明にならんよ


110 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 08:50:59
唐津周辺のどの遺跡も奈良の遺跡とは違いが鮮明!

111 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 12:16:12
末廬国を通らなかった証拠でも出てこないと
末廬国と違いがある地域は絶対邪馬台国じゃ無い
こんな簡単な消去論も出来ない奴等と議論はしたくない

112 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 18:22:40
邪馬台国の絶対条件位整理できない人は語るべきじゃない

113 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 18:57:18
何で舎人親王も稗田阿礼も邪馬台国の所まで捏造したのかね
直ぐにばれる事ははっきりしてるよな

114 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:40:47
力で歴史も変えられると思ったんだろ
バレバレだから当時の中国にも嘘指摘されてるからな

115 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 07:01:01
国は別であれ同時代の人に間違いを指摘されている史書だぜ
どれほど過剰な信頼を寄せるのかある意味滑稽

116 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 07:18:29
今回の新薬師寺基壇の発見にしても、奈良でみつかる信用の置ける発掘は、どれも記紀を遡れない。
一般人は騙せても、少し歴史を噛った人が持つ疑惑には、ちっとも影響を与えていない。
こんな奈良考古学の何処に、記紀以前を証明したものがあるのか。私には一つとして記憶に無い。

117 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 11:10:07
順番もつけられん奴の記紀信仰に付き合うだけで疲れるよなw

118 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 14:26:10
ここまで時間がたつと、昔にできた説が今覆る事に問題は無いのだが、
間違いに気付きながら、反論すらしてこなかった社会的責任を、各方面は恐れている。
社会的地位の高い人達の醜態は許しがたいからね。

119 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 19:42:22
末廬国の出土品は、邪馬台国の一部から掘り出された物として、充分な邪馬台国の証拠になるけど、
候補地でしかない奈良から、多量に出土したなんたら鏡が、なんで証拠になるのか考えて欲しいね。

120 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 21:21:36
邪馬台国は北九州しかありえないな
あまりにも奈良は違い過ぎる

121 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 06:12:36
どうみても末廬の鏡の方が奈良のなんたら鏡より程度いいわ

122 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 08:27:30
おはよ
奈良の鏡は中国に無いんだから検討の余地すらないでしょ

123 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 08:59:59
三角縁神獣鏡の銘文
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/innritu.htm

HP作者結論
(他の有力な後漢鏡の銘文には、押韻平仄が必ずあるが、三角縁神獣鏡の銘文の韻律は、ひどいものである)
〜魏の詩人がこの三角縁神獣鏡の銘文を見れぱ、押韻の意識すら持たない拙劣さをあざ笑うだろう。
「朕はアホなり」と言うに等しい銘文である。親魏倭王のみならず、皇帝自身の権威にも傷がつく。
こんな銘文をもつ鏡を特鋳して賜わるはずがない。 三角縁神獣鏡魏朝特鋳説は幻想だ。

124 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 10:07:47
古代大宰府に“交通ルール”!? 牛車と人 分かれて通行 奈良時代 道路にわだち跡
2008年10月9日 00:23 カテゴリー:文化 九州・山口 > 福岡
 福岡県太宰府市教委は8日、同市都府楼南5丁目の大宰府条坊跡発掘現場で、わだち跡のある奈良時代(8世紀)の条坊道路を発見したと発表した。わだちは路面の中央と左右の路肩に3本の筋を引くように見つかり、
同市教委は「二輪の牛車(ぎっしゃ)などが道路の左右に分かれて通行していたと考えられ、一定の交通ルールが既に確立されていたのではないか」と分析している。
 発見された道路の幅は約3メートル。路面には縦方向にいくつもの溝が残され、路面中央と左右の路肩に集中している。わだちとわだちの間は1.0‐1.2メートルで、往来した牛車などの車輪間の幅が推測できる。
わだちの深い部分は10センチ以上も地面に食い込んでいる様子が分かり、牛とみられる足跡も多数残されている。
 路肩の両側には側溝跡(幅2.0‐2.5メートル、深さ50センチ)も見つかった。片方(西側)の側溝にはわだちはなく、人や牛の足跡だけが見つかったことから、
「荷物を運ぶ車両は道路を通り、それ以外の人や牛は側溝を歩いていたのではないか。車両と歩行者を分離していたとも考えられる」(市教委)という。
 大宰府条坊は、大宰府政庁を北端の中心に置き、碁盤目状に道路を整備した約2キロ四方の計画都市。今回の発掘現場は、条坊の南端に近い、中央より約200メートル西側の地点。発見されたのは南北に走る道路に当たる。
 市教委は「条坊道路が高い道路機能を備えていたことが確認できた。古代大宰府の交通事情は文字による記録がないだけに今回の発見は貴重だ」としている。
=2008/10/09付 西日本新聞朝刊=

125 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 10:38:18
この記事のおかしいところは
奈良時代に奈良にもないような遺跡が見つかった事
交通量が地方の出先なのに馬鹿に多い事
なんで出先に条坊があるのか
数え上げたら切りが無いね

126 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 12:31:05
地元周辺では昔から、都府楼跡と呼んできましたから、当たり前の遺跡です。

127 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 12:57:01
大宰府文化ふれあい館
http://dazaifu.mma.co.jp/fureai/iseki_dayori/top.html

目から鱗でっせ

128 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 13:44:20
人間が引かないと牛は歩かないけどね。

129 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 17:19:29
>>126
民間伝承が真実の歴史を伝えている良い例ですね。
今後もきっと新たな発見が太宰府では見込めます。

130 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 19:01:58
>>123
ははは 記紀同様にメチャクチャな銘文だこと
最近畿内説が溜息に聞こえるよね

>>126
朱雀って地名も明らかに天子の都のみで使用可能
否定するのは歴史家のみなのが意味深だよね

131 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:19:08
奈良に朱雀があったらよかったね
奈良は鎌倉だったのよ

132 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 22:17:55
それいいね

133 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 23:09:31
奈良の鏡笑いました

134 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 10:35:53
鏡以外の奈良もトホホ

135 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 13:08:04
朱雀とは北を差し天子を差す
天子の居なかった場所には
この地名は残る事はありません

136 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 16:28:12
不丁=府庁
大裏=内裏
こんな小字も条坊制のあるところにあれば
都の地名としか取れない
無視するだけの史学なんてナンセンスだよね

137 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 17:38:39
大宰府の守護神竈門神社の社紋が菊なのも隠された歴史を物語りますね

138 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 19:24:07
都であり菊紋まであって何を疑うのって感じ?

139 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 19:34:23
朱雀は南。
北は玄武。

140 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:24:27
>138
北でも南でもそれを取り違えたところで私たちの議論には何も影響無いですし
都の要素を充分兼ね備えた藤原京をはるかに上回る形態だと話題は進んでいますから
それをどんどん進めて行きましょう

さてマキムクや奈良飛鳥の何処に都を確認できる遺伝があるんでしょうか
一部の人の思い込みは証拠にならない事は史学以外の学問の世界では常識ですよね

141 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:46:08
古代の中国でも日本でも都以外で朱雀が使われた例は無い
それが南でも北でも都にしか使われない地名
地名だけではなく朱雀大路がそのまま発掘されて
もう疑う余地も無くなりましたね

142 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:52:16
朱雀が北でも南でも、都府楼と呼ばれた裏付けは十分過ぎる。

143 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:57:56
朱雀が北でも南でも
曲水の宴は都以外じゃ福岡以外にやった記録すらないんですよ

144 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:02:18
訂正!
朱雀が北でも南でも
曲水の宴は都以外では福岡でしかやった記録はないんですよ

145 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:30:24
空気が読めなくて朱雀が北とか南とか指摘する馬鹿がいても、
太宰府が都であった事に疑いの余地はない。

146 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:52:42
太宰府の軍事施設が畿内を上回る理由もちゃんと聞きたいよな
そうゆうこと全部無視しかしてないからな

147 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 07:00:03
都なら当然備えるべき施設がある
山城なんて典型的

148 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 12:57:49
国際的な対立をしていながら無防備な都のままにしておけないよ

149 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 15:40:13
唐新羅百済揃って要塞のような都から戦い
日本だけ何も無い都で戦いますか?
アホも大概にしいや

150 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 15:52:46
礎石すら無い都もありえんね

151 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:21:53
そうだよね堀立て柱の都は無いよなw

152 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:26:59
白村江では百済の後ろ盾であった日本なのに百済よりもみすぼらしい都だけは無いだろ

153 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:52:41
みすぼらし過ぎんだよな

154 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 07:00:08
滋賀大津と奈良飛鳥には軍事施設どころか都の痕跡すらない

155 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:36:31
都じゃないのに都扱いもある意味滑稽

156 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 10:09:39
「曲水の宴」を検索してみよう。


157 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 15:13:25
>>155
滋賀大津の何処に都らしい遺物があるのかな?
攻め込まれて負けたなら唐の形跡位あるだろ
琵琶湖から出れない大きな港なんてね
記紀でも天智なんて生まれも育ちも博多大津って書いてあるぞ

158 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 15:55:27
滋賀大津三井寺の井戸の水で、天智天武持統が産湯に浸かったんだと。よくもまあこんなに矛盾だらけの由緒を、恥ずかしげも無く堂々と書けるもんだ。

159 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 19:00:43
ここのスレタイ読めば、曲水の宴は福岡と畿内で問題ないだろ。
毛越寺は半独立国奥州藤原氏の都で、かなり下った時代。
その他はすべて後の波及だから問題外。
日本じゃ宮廷儀礼だから都じゃなきゃまず残らない。
むしろこれで太宰府にも久留米にも古代都があった証拠となる。

160 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 20:28:10
曲水の宴の遺水(やりみず)が奈良明日香あんだけ掘っても何にも出てこない
書紀に「顕宗元年三月 上巳幸後苑曲水宴」とある
顕宗の都は近飛鳥八釣宮で 今の奈良明日香村八釣らしいけど さてさて何処にあるのやら
明日香村は遣水というよりも 奇岩に奇石の目立つ風変わりな場所で 雅な曲水の宴に向かない
都じたいも何処からも出てこないし 他の証拠からしても この記述の飛鳥は明日香村じゃ無いことだけは確か
実は顕宗も九州の王がモデルで 顕宗の都も九州の都の事 奈良から出てくる訳が無い
奈良から出てこない遣水が福岡から出てくるんですから

161 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 20:55:05
↑上の顕宗の曲水の宴の記事、ウィキによると書紀の編者が挿入した可能性が高いんだって。
だけど奈良に無い事わざわざ挿入するわけが無いだろ、なんらかの史書を真似たとしか言えないよな。
いつもながらウィキは矛盾山積みだよな。

162 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 23:49:26
九州から奈良を飛び越して平安京へ文化が伝わったとも考えられる

163 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 07:01:34
まず藤原京の都市計画は他とは違う

164 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 08:38:30
本当の漢民族の伝統として曲水の宴が南朝から九州に伝わり
それを覆した奈良政権は律令を始め唐の制度を真似てますから
両者は目指すものが違うんでしょうね
平安になり時間を隔てながら一気に南朝九州文化が復活するのは実に面白いですね


165 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 13:30:02
平安文化は実は九州文化
百人一首もすべて呉音であり平安当時の音ではない

166 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 15:06:37
飛鳥川の少ない水量がまるで曲水の宴
砂漠に雅びは難しい

167 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 21:48:42
飛鳥川って万葉集じゃ水量豊富

168 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 23:34:09
確かに飛鳥川が淀むような川じゃ無いよな

169 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 07:02:54
万葉集は平安人の編集にしか見えないぞ

170 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 07:39:44
飛鳥川は古くはもっと水量がなかった
今は半分以上疏水による増量ですから

171 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 11:07:24
漢の都を発掘すればなるほど王都と感心するが
奈良の飛鳥の何処が王都?

172 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 14:17:29
奈良明日香にホントに都あったのかな?(^^)

173 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 07:00:11
都だけは無かったと言い切れる

174 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 08:12:58
風水からいっても藤原京と奈良明日香は都の適地とは言えないな
北の方角が南より標高が高いし
藤原京もほんとに天皇住んだのかな?


175 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 13:10:02
天子の背から都へ入る人ばかり

176 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:33:45
福岡市西区元岡遺跡群
福岡市西区の元岡遺跡群の第20次調査で発見。
福岡市西区の九州大学移転用地内で、元岡遺跡群の発掘調査を進めている同市教委は10月23日、古代の役所が存在したことを示ず多数の木簡が出士した、と発表した。
木簡には律令制度の最初の年号である「大寶(宝)元年」(七○一年)の記載があるものや、朝廷が、延暦四(七八五)年に全国に発した勅含の一部もあった。
「大寶元年」の木簡は、年号が記載されたものとしては国内最古。
木簡は奈良時代から平安時代にかけての14点で、九大移転用地の東側にあたる第二十次調査地点のため池から出土。周囲で古墳時代後期や奈良・平安期の遣物のほか、
倉庫群とみられる掘立て桂建物跡、製鉄に使う鍛冶炉などが見つかつている。

「大寶元年」の木簡
大寶元年辛丑十二月廿二日
□□□□□鮑□□□代税
官川内□□黒毛馬胸白
狩野久・京都橘女子大教授(日本古代史)の話
「大寶元年」銘の木簡は飛鳥でも出土していない。文字のうまさも特徴的で、
官僚機構が整い始めたばかりの時期にあれほど字が書けたのはかなり上級の役人だろう。
嶋郡と大宰府、あるいは都の役所との強いつながりを感じる。
荷札や公文書として用いられる木簡は、大宝律令の施行(七○一年)を機に、年を干支から年号の記載に切り替えたとされる。
今回見つかった木簡の一つには両面に墨書があり、片面に「六人部」、もう一方の面に「大寶元年辛丑十二月廿二日□□□□□鮑
(あわび)□ □□代税官川内□□黒毛馬胸白」(□は判読不明)の記載があった。
これらは納税の際の物品名や運搬する馬の特徴で、関を通週するための通行手形とみられる。市教委は「大寶元年の記載によって、
律令制度の開始後すぐに、元岡遺跡群がある古代の嶋郡(現在の福岡県志摩町一帯)でも年号が使われたことが分かる」と説明。
嶋郡が朝廷にとって極めて重要な場所だったか、律令制度が短期間に全国のすみずみまで浸透した可能性を示すという。
また、「延麿四年六月廿四日」の木簡には、世帯数や家族数を示す「計帳」の文字も併記。平安時代中ごろの文献「類聚三代格」
(るいじゅさんだいきゃく)には、律令制度に基づいて朝廷がこの日、全国に世帯調査徹底を命令したとの記述があり、木簡の内容と合致する
(2000/10/24 西日本新聞記事)

177 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 07:13:50
大宝当時もまだ九州なのかね

178 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:01:15
伊都国周辺は日本板王家の谷
隠された王都があった場所
古代の重要地なのは変わり無い

179 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 15:10:31
記紀の歴史は前王朝から盗作だけど
そこにも伊都をほのめかす記述が多いな

180 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:47:15
原田○○氏もプライベートじゃ伊都の魅力にかられていたそうよ

181 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:34:47
表と裏位使い分けないとね

182 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 22:16:47
三角なんたら鏡の意味不明な議論もいいけど、れっきとした後漢鏡が出土してる伊都国は、紛れもなく九州なんだよね。
つかれて気の遠くなるような議論は正直遠慮。
中国に地理的だけじゃなく、中身が近いって事の議論どこにあるんだろ。
建前なんて2ちゃんで誰も期待してないもんな。

183 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:36:49
邪馬台国論議も伊都国迄はスルーのみ
国の補助金が無駄に消えてく

184 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 07:42:44
伊都の高祖神社に浦島太郎で有名なヒコホホデミが祭られているのに驚いた

185 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 11:22:49
昔話に君が代に色んな伝承が殆ど九州発
移設後全国に広がった伝承もあるが大概がここから

186 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:57:15
記録された伊都国の変遷
伊都国 魏志の倭人伝 3世紀 陳寿
伊斗村 古事記 712年 太安万侶
伊都県主 日本書紀 720年 舎人親王
怡土城 続日本書紀 797年 菅野真道
怡土郡 倭名抄 797年 源順ら
絲州太守 海東諸国記 1471年 申叔舟
『イト』は3世紀の歴史書である魏志の倭人伝の中に『伊都国』として登場している。
奈良時代の古事記、日本書紀には『伊都』と書かれ、以後『怡土』、『絲』、『糸』へと移り変わって来た。


187 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 07:07:58
音表記ですか
漢字がこれだけ変わるのも意図的でしょうねw

188 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 10:51:44
伊都だけに意図的ですか
冗談はさて置きここの出土品は全国最高クラスですね

189 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:35:40
雷山なんかもあるね

190 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:48:37
雷山千如寺
私の知る中で最古の由緒を持つ寺
伊都にある事が味噌

191 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:14:40
この郡の志登神社だけが延喜式に記載される意味は、
この神社だけ移設されなかったからだそうです。

192 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:58:28
何にも無い小さな神社ですが名前等意味深ですよね

193 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 10:54:48
志登神社が海際の港であったとは今の状況から想像がつきませんね

194 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 11:09:33
あそこには島郡と糸郡を分かつ水道があって、
実はとても水運の恵まれた場所だった。
当時の船は外海でも比較的底が浅い船だから、
遠浅の海でも航行可能だった筈、
今の下関や明石のイメージ。

195 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 14:02:05
志摩郡は島だった志摩郡だよね

196 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:26:15
高祖神社に雷山神社とも移設されたという訳ですね

197 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 06:59:36
高祖神社の創建と山城の築造は同時期とみるべき
何故なら世代が別ならばわざわざ同じ場所に作るだろうか
隠され続けた山城をほのめかすような神社ですし

198 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 16:16:19
漢字と音に妙に拘りがある地域らしいですね

199 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 21:58:31
これ全くの想像だけど
伊都って伊藤と言う姓の元じゃね
藤原さんもこの辺のご出身だし

200 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:56:29
それありえるね
伊都郡には海部(あま)郷なんてあるからね
藤原さんが何故あんな天皇家に準じる地位に居続けたのか
ただの臣下なら源平台頭時没落してなんら疑問が無い
どうも曰く付きの出自というのは間違いない
藤姓で伊藤は異常に多いのも疑問に感じていたんだ
おもしろいよ

201 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:33:35
朝倉郡にサタ郷もある
佐藤や斎藤もあるね

202 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 09:39:16
自然発生的な姓氏の偏りじゃ説明にならないよな

203 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 10:11:10
説明の出来ない有力姓が多いのは、現在日本はきちんとした歴史を伝えてないって事だな。
そんな姓はお隣中国朝鮮じゃ僅かしかないから、如何にこの国の通説がいい加減か判るだろ。
たとえば有名な通説で、家康のおかげで江戸時代が平和だったなんて、とんでもない。馬鹿げてる。
僅か300年足らずで3000件以上の百姓一揆が起こってるんだぜ。
これ年に10件以上だからまるで内戦状態の後進国並みで尋常じゃ無い数字。
むしろ戦国時代の方が静かだったとも云えるのかな。
だから江戸時代に一旦禁止した姓に偏りがあるんだから、なんかあるのは確実って事よ。
結局歴史を読むならね、信用出来るか見定めが一番大事って事だな。

204 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 11:47:51
記紀の捏造なんて平安時代の書物を見れば殆ど騙せてないから可愛いものだけど
林羅山等の徳川ご機嫌取りが主導し踏絵の如く行なった教化捏造政策は徹底してたよな
未だ徳川の捏造通説が幾つも生きてるからな

205 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 16:53:12
古代にしても徳川の政治方針抜きに語ったら本質をまるで掴めない

206 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:24:16
ホントダヨネ
日本の歴史はただでさえ研究不足なのに
時代区分してるようじゃ何時まで経っても真実は掴めないね
一貫して研究しなきゃ理解出来ないことばかりだ

207 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 06:43:36
古代から続く天皇家を落としめたのも徳川江戸幕府
大名以下の冷遇を続け明治維新でお取り潰しとあいなりました

208 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 07:01:00
江戸将軍が朱子学等を以てして天皇王統の保護に努めたなんても真っ赤な嘘
権現=神迄上り高めた家康が朱子でも最高神に決まっています
江戸期の天皇家とは血が断絶してる天武系の伊勢神宮をわざわざ再興するからね

209 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 08:10:12
徳川が室町以前の歴史をええ加減にしときたいのは実に良く解りますな。それを引き摺って今の歴史がええ加減なのはちと困りますけど。

210 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 09:42:57
禁中並公家諸法度
これ出来た時点で天皇墜落してんね

211 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:42:40
天皇や宗教は庶民を手懐ける為だけにあったから
神社なんかも意味不明な神名が五万とあるね
これは記紀から徳川が習った事みたい

212 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:53:17
伊勢神宮の神名を見てると思い出す。腹黒い教授の誰も読み取れない論文を。伝える目的は鼻から無いから、時間が経つと本人ですら読み取れない。これを真似する奴は、意図的じゃなきゃトロイだけ。

213 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:28:33
徳川は常識も変えた
敵対してない仏教宗派だけは認可し
そのどれかの檀家として管理されるように民衆に強制した
そしてその仏教に朱子学を混ぜて洗脳した
証拠も無いのに擦り込まれた常識が未だ多いこと多いこと

214 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 19:58:59
鎌倉仏教も実際は徳川のお墨付きで安定したものばかり、
それ以前の庶民の多くは、実は古代の九州仏教を信仰していた。
これ徳川に隠匿されたけど、地蔵や道祖の数は全国的にダントツだから当たり前だよね。
徳川に排他され、路傍や境内に地蔵等を残す事で命脈だけは守ったけれど、
島原だけじゃなく、仏教宗派弾圧は恐ろしく酷かったんだよ。

結局命脈を残すような過去の権威は、全て排他する方針だったって事ね。

215 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:36:43
ここまで来ると伊勢神宮の祭神も家康じゃないかと疑いたくなるね

216 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 06:17:54
伊勢神宮は延喜式とは祭神名も形式もまったく違う。
徳川の勝手な考えで新たに作り変えたのだから、家康の可能性も充分ありえる。
東照宮が何を意図してつけられた名前かも、それを補足する。

217 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 07:51:58
東を照らすとはまさしく太陽の事かw

218 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 09:02:35
家康は大日如来と天照大御神の権現で最高神だって事だな

明治維新では徳川は政権を譲渡しただけで取り潰された訳じゃない
維新後どの神社でも天照大御神と今上天皇を重ねて祀ってた意味も解るな
所謂明治政府・徳川幕府JVだな

219 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:09:04
結局徳川の歴史じゃ偏向がひどく真実は掴めない、記紀もメチャクチャで同様だから、その間の平安から室町の歴史が重要となるわけか。

220 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:09:10
福岡辺りじゃ江戸でかえられた地名もあるんですよ

221 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 15:35:09
室町迄は律令崩れの荘園が未だ存続してたように、古き伝統や制度を少しづつ修正しつつ、古きものも保存してきました。
だから戦国時代を調べる事で、江戸の改竄はわかる筈なのですが、どうやら徳川の焚書は予想以上にひどく、あまり有効な史書が少ないのが現実のようです。

222 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:51:16
室町安土桃山なら史料は少ないが能楽やお伽草子がお勧め
記紀とは違う歴史が沢山確認できます

223 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:24:54
能楽の出典は古代の日本や中国のものも多く是非古代研究の糧とするべきだな

224 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 22:29:09
能楽の高砂が聞きたくなりました

225 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:59:13
能の原典が無いものはやはり焚書と考えるべきでしょうね

226 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 10:59:51
世阿弥の頃には原典はあったのでしょうね
徳川の功罪はでかいよね

227 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:36:35
世阿弥は花伝書の冒頭で、秦河勝が猿楽の祖だと暴露してます。
しかも能はインド発の輸入品で、日本の物じゃなく、春日や日吉神職が神事として伝承していると言う。
これは猿楽=神社で、神社も輸入品とも言ってるともとれるんです。
色々と宗教史の概念が変わりますね。

228 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:04:46
世阿弥の時代には徳川の宗教捏造と違う歴史がありますね

229 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:49:28
日吉大社は徳川宗教の縮図だね

230 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:06:01
東照宮まで日吉にあるんだな。
東と西の本宮もまるで史実を知っていたからこその配置。
この神社は徳川が初期に整備したものとしか判断できない。

231 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:24:41
秦河勝の広隆寺も今は京都太秦にあるけど、
移設元はハッキリしないが移設されたのは確実なんだってさ。
聖徳太子の建立七大寺で、現在の広隆寺の本堂に当たる上宮王院の本尊は聖徳太子像。
なんだかいつも思うけど、聖徳太子=秦河勝なのはミエミエだよね。
部下がそんなに目立つ意味あるのか疑問だしね。
記紀作った天武系も、過去の偉い立派な奴は、出来るだけ小さくしたかっただろうしね。

232 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:00:22
聖徳太子は偉大だから記紀天武系の目の上のたんこぶ
現代まで信仰が続く隠れたヒーロー
比べ天武系の人気の無い事

233 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 08:58:43
どの神社でも神楽のように舞われいた名残が「翁」
すべて世阿弥の芸能にすることで誤魔化したいみたいだけど

234 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 11:03:35
藤原の祖廟春日大社が能楽の根本。
この人達福岡志賀島より入らしたのは確実だし、
秦氏の広隆寺も移設確実で、同様に九州発としか考えられなくなる。

235 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:07:07
平安京作る時に場所を移しただけだろ。

236 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:34:35
>>234
世阿弥が云うとりますな。猿楽は秦氏が春日や日吉で伝えて来たって。別々の場所の訳無いよね。

237 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 15:06:23
世阿弥は暗に秦=藤原又は秦→藤原をほのめかしているからね 世阿弥が云わなくても他の史料からわかるけどさ

238 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 18:02:28
記紀って代物の下敷きは過去の日本の歴史だけど
前政権の善行や功績を出来るだけ分散させて
製作当時の状態を肯定する事に心血注いでいる
古代の大国主にしても幾つもの別名で功績を別けられてるように
聖徳太子の功績も別けられていて不自然は無い
名前を幾つも使えばそれだけで個性が幾つもあるように感じる
簡単なトリックだな

239 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 19:27:07
八幡の「や」は尊敬だから、「はた」しか残らない。
これも秦氏と別と考えていいのかな。

240 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 19:49:38
秦さんを含めて多くの有名人は重なるとしないと実は辻褄が会わなくなる
だけど通説と会わなくなるから仕方なく無視を決め込む
こんな歴史家さんがおおいよな

241 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 20:23:45
風姿花伝は元元一族のみの秘伝書だから、徳川の検閲を逃れ史実を今に伝える事ができたそうです。
江戸時代の写本は明らかに改訂が加えられているそうですが、世阿弥当時に近い写本を一族が保存してた為、今に史実を伝える事が出来たそうです。

242 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:36:53
世阿弥の父観阿弥は、春日大社の大和猿楽四座の結崎座に所属し、猿楽の歴史は知らぬ方が不自然。
しかも秘伝とした物に虚実を紛れさす必要を感じ得ない。風姿花伝の歴史は真と取るべきでしょう。

243 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 07:04:13
現在の宇佐八幡も西からの移設がはっきりしていて、少しづつ移動した形跡がのこるが、
福岡の倭が移設元と考えられるのは周知の事実。
秦氏の本拠と同じ所から移設された訳だ。

244 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 08:42:07
記紀の言う宇佐島って移設元なんだろね
地名も変えられているから解り難いよな

245 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 12:59:26
源氏の宇佐等の八幡と、平家の厳島神社は、元は同じ神社から分離移設されたようです。
主祭神も同じですし、桓武平氏の平将門は、八幡大菩薩から御宣託を受け新皇になったそうです。
道鏡事件含め、八幡は古代皇族すべての祖廟と見て間違いなさそうです。
すると記紀の宇佐島が移設後厳島と呼び改められたとも考えられますが、もう少し検討もいりますかね。

246 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:22:45
宇佐島は宗像三神からして宗像でもよさそうだけど
あそこ遺跡も極めて薄いし今の宗像本宮にはあった訳ないだろうな
まぁ筑前の海浜部しかないだろうけど

247 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:15:41
古代の宗像辺津宮の場所は、ありゃ確かに海の底だな。

248 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 07:02:34
宗像奥津島と楢山節考がだぶって仕方ない
宗像大社の神紋は楢

249 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 09:54:27
今でも葬儀場や墓地は奥津島って云うね

250 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 12:39:01
こんな大規模な宗像は王家の墓として信仰されてるんだろうな

251 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 21:54:21
問題はどの王家の墓かでしょう

252 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:13:37
記紀をヒントに考えれば順当に宇佐=八幡等の神々の墓として使われた可能性が最も高い
後のタリシホコ王朝は記紀でも世代的でも仏教や中国南朝の影響が強く風葬よりもより墳墓の可能性が高い
掘立柱なら風葬で違和感ないしな

253 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:20:15
王族は墳墓に入らず独自の葬送をしたとも考えられる
補陀落渡海(船葬)もインド発中国経由だから
王族の風習として風葬もなんら問題無い


254 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 14:18:25
平安時代ですら鳥葬を望んだ内親王がいた

255 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 14:42:18
記紀以前の天皇陵は、すべて明治になってから明治政府がコジツケた、理由も根拠は何もないとこばかり。
記紀の天皇陵付近の地名も、江戸時代に強制的に付けられた地名が多く、その周辺の陵を明治政府が選んだだけ。
もしかしたら奥津島の地名が幾つもあったとも考えられる。記紀の都の多くは太宰府の事だから。

256 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:06:50
徳川作の神無天皇陵(笑)

257 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:16:22
奥津島にはわりかし新しい出土品もあるから、宗像=八幡からの王朝が表向きの墳墓とは別に、秘墓として内密に伝承されてきたんじゃないかな。
その間何度か王朝が変わっても、記紀の云うように母系で王統は続き、風習も後々迄続いた思いますね。
表向きの墓はどの国でも盗掘話が耐えませんし、私が王ならいくら僻地でも、平和な安全の地を選択するでしょうからね。
表向きの墓には、身代わりと明らかにまがい物の三角鏡を入れるという寸法ですかね。

258 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:58:31
乱造された三角なんたら鏡の使い道って案外それかもねw

259 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 19:42:30
代々の王朝が奥津島に葬られたとすれば 古墳とかって部下の墓ってとこになるな これ以外とありえるよね
例えば吉備の大古墳とかだけど それだけで吉備王朝とか妄想する奴が多いけど 都も構造物も何も無いのに王朝がある訳ないだろ
だけどこれね今でもよくある事だけど 都会で出世成功した田舎出身者や縁故者が 田舎に墓や記念館作るのと同じとしたらどうだろう
古代なら差し詰め田舎に領土のあるような有力者とすればいい これだとどんどん田舎に古墳が出来る事も納得するだろ
これだけじゃない 矛盾だらけの古代の定義も多くは見直しが必要だよね

260 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 20:17:17
多種の舶来鏡を含め日本一の鏡出土地沖ノ島(奥津島)。
ここも乱造三角なんたら鏡がかなりでてるけど、後期の儀礼化とみるべきだな。

比べりゃ一目粗悪品。!

261 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:00:33
沖の島・祭祀遺跡
http://inoues.net/ruins/okinosima.html

歴史家のみなさんはこれを絡めて歴史の研究しないからおかしくなるよね

262 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 07:00:01
この遺跡の出土鏡を見て未だ卑弥呼が三角縁神獣鏡を貰ったと言い続けるのもかなり勇気がいるよな

263 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 07:47:36
三角なんたら鏡が卑弥呼の鏡じゃない事は
証拠が揃い過ぎてて議論どころの話じゃ無いよな

264 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 12:13:27
正倉院は浦島太郎(天武系)が九州(鬼ヶ島)からの略奪品を集めた倉庫
沖ノ島は鬼達先祖代々の墓 浦島の子孫が死に絶えて後祭司が復活した
平安以降表向き浦島の国 だけどホントは鬼の国 鬼が笑う意味もわかるだろ

265 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 19:54:12
浦島太郎に近いことが起きたのは確かだね

266 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:41:39
宗像沖津島には少なくても10Cまで祭祀が続いていた
多くの点で通説と辻褄が会わずキチンと説明された文書を見たことない

267 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 06:39:04
記紀の記述では宗像三女神は宇佐島に降臨したよりも先に筑紫国に降臨したとも書かれる
宇佐島にしても葦原中国の宇佐島に降臨で那珂国って書いてある
降臨の場所もだいたい想像つく

268 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 07:06:12
博多の櫛田神社
小さな神社が凄い祭りを行いポテンシャルが凄い
祭神は降臨しなかった母アマテラスと那珂つ国で暴れたスサノオ
河口の三角州で宗像三女神の島にぴったり
結局この辺に決まってるよね

269 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:01:50
それ正解。
延喜式の宗像郡はなんと博多が飛び地。大荒郷、小荒郷。
飛び地の意味ってそれ位しか考えられない。神郡としてずっと崇められた場所。

270 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:38:39
宗=中心=那珂
辺津宮ここにあったのか?

271 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 18:17:29
順当なせんだね

272 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 20:35:19
幾つもの別名にして移設されたんだね

273 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:54:02
方々に那珂=まん中でも無いのに那珂川那珂郡那珂津あれこれ那珂那珂多いw
中じゃ無い処だから通説じゃ説明出来ないような那珂が多い
どう中なのか説明してくれ

274 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:49:20
いい空気(^^)

275 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:50:42
同じ地名は同じ人達がいた印、日本基準じゃなんで違うの。

276 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 07:00:21
中○という名字凄く多いな

277 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:01:12
あんまし気にしてなかったが中川さん中山さん多いよな

278 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:57:23
伊都−博多−久留米
このラインに古代の全てがある
記紀の云う全国移動なんて出来る訳が無いね

279 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:18:06
出雲と日向近かったから行き来出来た

280 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 14:32:29
今の日向は古墳しかないよな

281 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:43:52
那珂郡 筑前 武蔵 讃岐 日向
那賀郡 伊豆 紀伊 石見
国の中だからなんて説明誰も聞いてねぇよ

282 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 07:02:46
同じ名前の郡郷が多いのは一ヶ所からの分離移設としか考えられない
同名神社がかなり有るものも含めるともっと解りやすい

283 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 09:58:25
斎島姫

284 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:51:30
神社なんてのもモトモトは僅かな元社から、複雑に別れたんだろうな。
氏族の数だけ神社が別れたとも云える。
江戸からの神社はちと違うけど。

285 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 18:09:39
出雲スサノオと日向のアマテラスは8神もお子さんが居るんだね
これじゃ遠く離れて暮らせる訳無いよね
姉弟が別々に国作る訳ないし
まったく同じ場所だよね

286 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:03:22
天照の日向の設定は建て前上天津国で天上界
庶民には恐れ多く顔見せなかっただけ
その国をスサノオが取り仕切っていただけの事を話
尾ひれ付けてデカクしただけ

287 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:33:07
二択も出来ないでつから歴史も出来ないできないんでつね
よくわかったでつ(^^)

288 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:10:08
ここと、危険人物中傷スレとどう違うの?
全部一人だよね。 ずっと一人だよね。時間がいっぱいあっていいね。

289 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 11:44:25
福岡の日向から三種の神器がでたよね

290 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 13:11:25
福岡の日向から福岡の大和へ東遷したらしね(^^)

291 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 15:03:35
福岡の大和に代々都があったのか

292 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 16:16:25
このスレの閲覧率高いそうでつよ(^^)

293 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:37:17
福岡の方は遺跡の宝庫出てくるものが違う
残念ながら後期の都は根こそぎかっさられたけど
三種の神器なんて奈良じゃ出て来る訳もないよな

294 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:09:01
福岡日向の野芥にも櫛田神社なんてある
なんだか今は寂れて不明だけど嫌に濃いとこにあるよね

295 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 23:46:38
サイキバってお前ダロwww

296 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 07:04:07
櫛田さんの博多祇園山笠
なんとインドに瓜二つのお祭りがあります
中国に名残が無いですから南朝の時代に輸入され
博多が先で八坂祇園はその後と自ずと解る
道理を得れば正理を得れる

297 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 10:02:08
隋唐の前は全く別の中国
漢字の音も習俗も違う
漢民族はここで断絶してる

298 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 11:40:43
インドと日本にあって中国に無い。明らかに中国だけが変わったとしか考えられない。鳥居なんかもそうらしい。日本形成はかなり古い時代だな。

299 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:05:01
記紀じゃ辻褄合わないことばかり

300 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:57:15
櫛田の山笠公式由緒じゃ鎌倉時代から
それでどうやったらインドの祭りが伝わるのかな?
海回りルートでも発達してたのかねw

301 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:01:08
祇園はインドの祇園精舎から来てるのは明白。
隋唐以降は、儒教の勢いが強くなり、仏教は禅宗・浄土教・密教・華厳宗・天台宗といった、
日本では奈良以降に流行するものばかりで、祇園の牛頭天王を説明付ける宗派は、確かに難しい。
祇園と言う仏教は、九州からの仏教としか分類出来ないだろう。

302 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 06:59:51
インドの仏じゃ無く神として輸入されてるのも多い

303 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 12:13:12
神仏習合は九州時代からだろうな

304 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:40:02
祇園社=八坂神社は、延暦寺や興福寺の管理下に置かれてたそうだ。
宗派からいって脈略が無い事から、実際は弾圧して監視していたんだろう。
ほっとけば祇園祭りのパワーは驚異だから、武力のある寺に見張らせた訳。

305 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 18:59:54
何で南都北嶺が祇園を見張るのか。徳川明治史学では理解不能。
最近は奈良と平安の違いすら、説明出来ない歴史学者迄いるから、ある意味仕方ないのかね。

306 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:00:41
平安の古きから寺には宗派があり、神社も氏族毎に神社を分ける。
それなのに京都の庶民が宗派を問わず、総出で祭りを執り行うのは、どうも解せない。
これが室町以降の事なら当たり前の事だが、明らかに時代が早すぎる。
正直なんかおかしい。

307 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 07:01:30
祇園とは云いますが鎮魂祭らしいです
庶民総出の鎮魂祭って何なんでしょうね

308 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 07:52:41
庶民は新たな神や仏より昔の神や仏を熱烈歓迎した訳だ

309 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 12:17:40
それが今でも日本三大祭り。
歴史はちゃんと繋がってる。一連で勉強しないと何の事やら解らない。
可愛そうに蘇民将来なんて今や暗号状態。

310 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:50:09
蘇民将来子孫
蘇の民まさに子孫来んとす
蘇の民は今にも子孫が蘇ろうとしている
直訳ですが意味のこもった祭りですね

311 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 06:38:19
「蘇民将来」と云う名前の人の「子孫」と勘違いしてる向きが多いのかな
無理矢理免罪符話をスサノオに絡めた由緒で誤魔化しているけど
そのまま読めば良いだけなんだな

312 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 12:26:13
蘇の民って蘇我氏の事だろね

313 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 16:18:57
八坂神社 玄松子
http://www.genbu.net/data/yamasiro/yasaka_title.htm

古くは祇園社が先でスサノオとか八坂神社は平安移設後の付会
蘇民将来の子孫がスサノオを絡めたのもこじ付けですな

314 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 18:42:56
祇園精舎=祇樹給孤独園 精舎
祇樹=祇陀(ジェータ)太子の寄付した森
給孤独園=身寄りのない者に施しをする須達多(スダッタ)と云う釈迦の賛同者が作った園
精舎=寺
だから祇園とは所謂救護寺

でも
平安以降は延暦寺の監視下で祇園社はそんな使われ方はしておらず仏教自体が身分の高い人のものであった
当然奈良にそんな話も何も無いし平安以上に庶民の影すらない
すると九州時代の菩薩天子の国が最有力となる

祇園の由来を調べて政治体制も仏教と庶民の係わりも九州との違いが鮮明だと思った

315 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:15:00
祇園の意味物知りだけじゃすまないね

316 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 07:00:21
庶民は九州時代の祇園社を懐かしんで蘇る事を期待したのか
教科書の言う庶民宗教が無かったなんてとんでもないな

317 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:06:10
成る程地蔵と同様抑圧された都の庶民が熱烈に信仰した理由がおぼろげに解ったよ

318 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:24:33
救護院でははぁんと来た人も多いだろ

319 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:49:03
来た当時の仏教は民衆にも受け入れられた崇高な教義なのは解ったが
現代まで続く仏教の間違いは奈良の大仏作った頃から始まった訳ね
あの莫大な製造費用と労力と祇園の理念は相反するもの

320 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:44:06
ホントの仏教は神社扱いでええ加減な仏教がいまに残っとるは

321 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:36:26
平安の寺院は朝廷やその取り巻きのもの。虐げられた庶民には、祇園祭に込められた願いに縋るだけなのか。羅生門の世界は当時庶民の困窮した世相。祇園は唯一の蜘蛛の糸。

322 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:57:10
確かにね
羅生門の原拠今昔物語集は平安庶民文学とも考えられていますが
それが何故三国(インド・中国・日本)を扱うのか考えれば
当時庶民の考え方も自ずと理解できますよね

323 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:10:31
「今は昔」このなぞ多き書き出しですが、「昔が良かった」と聞こえてならないよ。

324 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:17:37
平安の国風文化って庶民とって何だったのかなwww

325 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:00:03
「今の方がまるで古い昔のようだ」とも読み取れるよね

326 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 06:20:06
祇園の山車には総てエピソードが込められてて
それが九州時代の話多いんだよね

327 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 11:27:36
殆どが古い曰く付き山鉾だから平安には祇園の形は出来てたみたいね
ここも今昔物語のように中国の由緒が嫌に多いな

328 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:17:02
八坂って弥栄の意味かと思ってたけど違いそう

329 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:10:46
奈良以前の仏教宗派は何でないのかな?
仏教伝来時に宗派が無かった訳無いよね
まるで抹殺されたみたいだね

330 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 07:00:08
伝来していたのに伝来時の仏教やその記録が殆ど無い
仏教は教典学習が主だから文字史料が無いなんてありえない
まるでクーデター並みの焚書があった事は確定のようです

331 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 09:58:24
九州仏教の残党が祇園・愛宕=地蔵・法隆寺等など、
徳川の扱いで仏教に残れたものもあるが、天武以後は虐げられて天台宗等に抑えられた事は事実。

332 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 12:37:19
祇園の九州仏教はやっとこさ命脈を守ってたのに徳川に仏教から外された
天皇家同様過去の権威に対する仕打ちはここでもひど過ぎる

333 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 18:14:29
黄檗宗に普化宗
徳川の御許可おりず他宗に属さざるおえない時期有り
徳川の締め付け予想以上に激し

334 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:02:21
祇園の理念が九州以降再び復活したのが
吉宗の目安箱で小石川養生所かな?
庶民救済なんて時代を逆行したわけだ

335 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 11:51:49
実際には蘇の民の血筋は蘇ったが、困民救済の理念はなかなか蘇らず、庶民の祇園信仰は強まるばかり。

336 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:46:28
聖徳太子の逸話は当時の象徴だな

337 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:35:12
祇園社の本当の祭神は誰だろね

338 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:00:16
蘇我馬子=聖徳太子=菩薩天子以外に考えられんでしょ

339 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 06:31:22
記紀じゃ部下が嫌に目立ったり、功績が並列に別れていたり、見え見えの個性分離がおおいからな。隋書じゃ王様一人しか書かれてないからな。

340 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 07:01:36
推古に馬子に太子
熱烈な人気を持つ有名人の功績を分ける事で誤魔化したのは解る
だけど隋書との整合性を取らなかったのは御粗末だね
男王で一人しか有名人は居なかった事は明白だからね
目撃者が語っているもんね

341 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 11:47:56
書紀に蘇我氏が国史を持っていたと、ついうっかり書いてしまった。
世界中何処をさがしても、部下が国史を持ってる国はない。
個性分離はともかく、蘇我氏が隠された王家であることに間違いはない。

342 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:55:43
推古の当時の天皇相続は矛盾だらけだし
蘇我氏のように嫡男が相続する方が常識的だよな

343 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:48:16
推古世代が兄弟相続ばかりする、理由はいったい何だろう。
これ記紀をよく読むと直ぐわかる。
最初に即位した敏達は50歳近くで死に、成人した子供がいるにも係わらず、
兄弟の用名崇峻と横滑りしたのは、どうもこの時代も末子相続をしていた疑いが強い。
末子相続の場合は最後に即位した弟が嫡子で、その前の兄たちは繋ぎ役となる。
これ彼らの父である欽明も、兄王安閑宣化の後に即位してるから、
二世代続けて末子相続らしき事をしていて、間違いないようだ。
では問題は嫡子であったはずの崇峻を何故暗殺したのか。
蘇我氏が殺した事になってるが、どうも動機が不純だ。
兄王やその子孫としたなら、すべてが丸くおさまるのだが。
果たしてどうだろう。

344 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 07:00:35
祟峻天皇の唯一皇子である蜂子皇子の出羽三山開創話は意味深
山岳仏教の草分けなのは解るが残った史料の不足が痛い

345 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 07:53:07
記紀の系図から末子相続でいけば、嫡王が殺されその嫡子が追放されれば、前王用名の子である聖徳太子の相続が順当。そこで推古となったのは、暗殺者の思惑としか考えられない。しかもその暗殺者は推古本人又は近親者以外ありえません。

346 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 11:34:19
祟峻死去後に俄然登場したのも順当な相続なら太子だった現れかな
これ以降太子の活躍ばかり書かれるのも史実王は太子で
天武系に繋がる系図を高める為に推古を捏造王とした可能性もある

347 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 12:35:56
通常の末子相続の場合は兄王は生きてますから、世界的には兄弟喧嘩がよくある話。
力のある兄王が二人とも亡くなった後に、末子が即位する方が、不自然この上ない。

348 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 18:18:32
推古が末子の可能性は無いからな

349 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 19:00:16
推古の相続の理由には思い当たるものは殆ど無いが
敏達がご尊命で上皇として政治力を行使したんだろうな



350 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:45:35
そういえば敏達天皇が生きていなければ未亡人の推古天皇を推す理由は何処にも無いよな

351 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 23:32:27
確か一級文字史料でそれもどきを補足する話があったよな
余程皇族が少ない状況でも無ければ推古の出番はまず無いもんね

352 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 07:02:55
通説とは異なりこの時代にも上皇制度は既にあったのに
記紀では末子相続を含めて隠匿したから不自然な死去や相続が多発してしまう

353 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 09:43:01
政権奪取した天武系が、自分達の風習で、それまでの歴史を再構築すると、どうしても所々矛盾が出てくる。
問題は、その矛盾がどうしてできたのか、将来の為にどう究明するのが歴史学であるのだが、
矛盾だらけ歴史をただひたすら暗記させるだけでは、歴史の意義が全く無い。
最近矛盾に気が付かない能天気な輩も増えたな。

354 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 11:23:41
天武系は長男相続の何でも隋唐式

355 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 16:17:15
日本に影響を与えた中国は、隋唐の前と以降では習俗も考え方もまるで違う。
だから隋唐を真似た史書を作るならば、隋唐前迄真似てしまうと、いかにも捏造しましたとなる。
そんなことお構いなしで大胆な史書を作ったもんだ。
三角なんたら鏡の無知な銘文を見てるようだ。

356 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 05:52:18
何が漢で中国なのかそれが先決だ

357 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:00:38
地名からいけば記紀のすべてが捏造

358 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 11:08:59
最後の藤原京ですら完全に出来上がっていないよなw

359 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 17:51:00
明年、上遣文林郎裴清使於倭國。度百濟、行至竹島、南望○羅國、經都斯麻國、迥在大海中。
又東至一支國、又至竹斯國、又東至秦王國。其人同於華夏、以為夷洲、疑不能明也。
又經十餘國、達於海岸。自竹斯國以東、皆附庸於倭。
・・・竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。

奈良が都なら途中経過が必ずあるはずだよな


360 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:09:52
中国史と言えばこの記事
『旧唐書』には、「倭国伝」と「日本伝」の2つが別国扱いで記述されている。
「倭国伝」は「倭国は古の倭奴国なり」と始まり、末尾は 648年(唐高表仁帰国)の記事で終っている。
記紀の捏造を一番よく表している

361 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:27:40
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

362 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:38:36
>>359-360
隋書唐書と並べてみれば並列説はありえない事位わかるよね

363 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:13:31
筑紫より東は一国でそれは交替した

364 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 05:49:50
倭国=秦王国ってのも重要だな

365 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 06:52:36
普通なら王国に王様が住むものだよね

366 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 09:53:36
秦氏がなんかとんでもない妄想氏族にでっちあげられているけど、
唐書を見れば、何のことはない聖徳太子も秦の王様なんだ。
だから秦川勝も太子の別名疑いが濃厚。

367 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 11:51:41
松尾大社は秦氏に対する認識の混乱を狙ってるだけかも
あの時代に外国人じゃ無い方が可笑しい

368 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 14:38:04
八幡宮は秦さんの祖廟って事

369 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 23:31:35
「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」

隋と倭国=秦大国は対等?それ以上だとも言いたげ

370 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 06:59:48
日没にムッときたな

371 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 10:19:20
唯一の存在である天子を東の果ての野蛮人が名乗り、
「やあ!元気かい?」と言ってきたので怒ったの。

372 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 11:20:43
今でも秦漢の風習を保存しているのは日本だけ、大型古墳に舞踊、呉服、呉音と限りない。
こっちが本流なのに隋に服属なんてするなんて、まずありえないw
漢民族の南朝からは沢山将軍位を貰ったが、隋からは将軍位どころか挑発しかしてない。
皇帝が激怒していながら、それでも外交使節をださざるおえないなんて、まるで上杉景勝。
明らかに格下。まるで外様大名のようだ。

373 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 12:40:31
中華圏域に、中国皇帝が三人もいた時代もあるし、日本には未だ天皇が永らく続いている。皇は沢山いるもの。

374 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 14:43:39
当時中国の標準語呉音を使いこなせず、新たに漢音(隋唐以降の音)を使った王家こそ異民族ですね。

375 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:25:51
タリシホコは煬帝を田舎者扱いしてるのさ
中国歴代王朝にもそうゆう時期位はある
何が何でも中国様様じゃ歴史を見誤る

376 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 18:52:59
隋の煬帝は晩年南朝文化の虜となり、江南に入り浸り国を破滅させた。
彼の欲求は田舎者そのままで、黄河平原を支配する中華の天子は、
この時代には存在しなかったようですね。

377 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:17:27
中華とは世界の中心 さて何処が中心なんだろね

378 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 07:01:29
隋の少し前に中国では
南朝が梁から陳への政権交替に伴う政情不安が続き
北朝では北周の仏教排斥が続いた為
南北全土に渡り僧侶が留まれない混乱があった
この後タリシヒコの九州仏教が花開くのはこんな要因あったから

379 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 08:29:22
九州の廃寺跡ざっと20は下らない
しかも由緒も言い伝えも殆ど無いなんてどうなんでしょうか

380 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 10:57:44
くれぐれも古い寺瓦がゴマンと出る九州と、同じタイプの畿内の寺瓦は、比較しないでください。
あと畿内にはそれをつくったはずの瓦窯が、殆ど出てこない事も指摘しないでください。
世間は愚かですら解るわけありませんから。

381 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 11:29:54
面白い法則を紹介する。中国史上廃仏は漢民族王朝では行なっていない。
北魏・北周・唐・・・といつも異民族王朝が政権強化の為に行なう。
強力な王制を作るなら、儒教のような権力者の為の宗教を保護して、
庶民宗教である仏教道教を弾圧すれば、簡単だからである。
ここで気になるのが、過去に宗派弾圧はあれど、仏教全体の弾圧はしていない日本と、
中国共産党の宗教弾圧である。マルクス主義は名前を代えた儒教なのは言までもありません。
さてさてこの法則は如何程か。

382 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 13:03:37
兵庫県明石市 高丘古窯跡群


383 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 13:09:16
もう漢民族は住んでいない中国と
未だ庶民的な漢民族の住む日本
すりかわったなよな

384 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 14:25:39
日本の仏教も庶民に流布したのは九州時代だけ
後は雑密地蔵等の亜流宗教として公認されていない

385 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 17:56:15
>>382
だいたいそれ畿外だろ
瓦もほんの僅かしか出てないなんてなんかおかしいね
あんまとんちんかんに上げるなよ

386 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 18:34:43
陶棺作ってたなんて移設後確実だな、熱残留でもしてほしいな。

387 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:25:30
陶棺は岡山兵庫周辺ばかりの極端な地域流行品。しかも石棺と一緒に出土することが多い。明らかに格下の模造品で、古墳時代末期の疑いが強し。

388 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:47:57
連投訂正
古墳時代末期×
古墳期末期○      ちなみに通説の古墳時代の時代設定は妄想。

389 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 21:45:12
平安時代になっても古墳作っていた事が普通に地図だけで解るもんなw

390 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:57:04
陶棺は畿内移設後の石棺需要に対応した代換品、これが平安時代初めでもちっとも可笑しくはない。
なぜなら、桓武天皇柏原陵は『延喜式』諸陵寮に
「柏原陵 平安宮御宇桓武天皇、在山城国紀伊郡、兆域東八町、西三町、南五町、北六町、加丑寅角二岑一谷」
とあり、一辺11町(1.2km)四方という、仁徳天皇陵を超える恐ろしくデカイ墳墓に入っていた。
さて本当の古墳時代は、いったい何時なんでしょうか。

391 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 07:02:08
薄葬令はあくまでも前王朝孝徳の頃に出されただけのカモフラージュ
天武系は畿内移設後全国に渡りそれまでにも増して古墳を作り始めた
それに伴い不足した棺を陶製で補っただけ

392 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 07:16:21
古代の奈良じゃ、墓ばっかり立派に作って、生きてる者は大王にしても質素にすました。
世界で此処だけの珍妙な風習。信じるものは救われる。

393 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 11:52:07
ちょっと感想。
幾ら1000年経っていても、血の繋がりがあるのならば、古墳の位置位正確に解るはず。
だから天武系は現代に血を残してないので、陵墓の所在不明なのは解る。
だけどまさか桓武陵まで所在不明なのは呆れた。
これは建前の歴史とは違い、天皇本諸流のどれも桓武を先祖とはみなしてないとも言える。
あの源平もひたすら八幡祖廟は信仰しているのに、大事なキーマン桓武蔑ろにしつづけた。

本当の歴史の解明は難し過ぎるよね。

394 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:16:47
やっぱり昔の天皇は宗像奥津島が本墓なんだろ
副葬品の時代設定が同じだから
見せ掛けだけの墓をこっちに作ったんじゃね

395 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:50:39
それは桓武には八幡=宗像の何かが足りないんだな
それよか神武と似た柏原陵なのが気になるな
天智の子孫じゃなくて本当は始祖だと言いたげ

396 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 14:40:57
桓武が百済の母系だから再興の始祖なのかもね

397 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 14:52:14
>>393
当時の死後の霊魂観として、平安時代にもみられるような概念、つまり
個人の霊魂は土の中で骨が溶けて消滅してしまうような期間を経て、
祖先霊に統合されてしまうとする判断があったと思う。

そうすると個人の墓は百年後には無意味な存在になり、
誰の墓なのか語り伝える必要もなく、大事に守る必要もない。

398 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:00:26
古神社は千年をはるかに超えた祖廟、場所を変えた墓。永らく語り継がれました。

399 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:19:21
神社はその起源からみても、また伝統からいっても、墓ではない。むしろ例外。
墓を起源とする古神社とは?

400 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 15:51:21
奈良の大神神社を超える神社など存在しない。
日本の神社は葛城王朝を祖とする大和国によって伝えられた。
いい加減にしろ基地害どもが。



401 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:26:40
宗像大社って明らかな墓w
住吉も石上も大神も九州の元祖は墓w

402 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:56:12
新しい神社ばかり挙げてくるなw

403 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:57:33
まあ、401は嘘八百なわけだが

404 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 17:54:52
廟とは、墓所もしくは、その墓所から分離移設された崇拝所として、神に対峙する所。
仏教で言えば舎利殿で、そこには仏陀の骨は無いが、骨の代用品に参拝する事と同様。

延喜式神名帳 西海道 豊前國
 宇佐郡 三座 並大
  八幡大菩薩宇佐宮 名神大       
  比賣神社 名神大
  大帯姫廟神社 名神大

ご覧のように延喜式にもはっきりと廟と書かれ、古来より天皇家の宗廟とも語り継がれる。
当然この宗廟は墓所に対する崇拝所の意味。全国第二位の神社は墓所に対する廟なのです。

405 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 17:56:14
だから墓じゃないとはっきり言えるわけだが。

406 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:00:52
古神社の例に、さして古くない神社ばかり出してくる謎。

407 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:00:52
>>398
これよく読んだらw

408 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:01:44
>>407
398って、真逆のまちがいでしょ。

409 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:08:03
>>406
どうせ証拠が無いのは解ってるけど
その古い基準は出せないんだろwww
伊勢五部書とかは書紀の神代は証拠じゃないよ
www

410 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:09:18
×伊勢五部書とかは書紀の神代は証拠じゃないよ
○伊勢五部書とか書紀の神代は証拠じゃないよ


411 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 18:25:59
書紀神代紀を信じる知識人は皆無
五部書は江戸時代の編纂としか考えられず

412 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:38:27
>>409
縄文の伝承を伝えている諏訪神社、
三輪山を祭る大神神社、
日本最古といわれる大己貴神社
などは語らないんだね。

ちなみに宗像大社はお墓の神社だなんて、大笑い。

413 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:57:04
じゃその縄文の伝承だけで神社なるだろ
三輪山だけで神社になるだろ
なんで神様がつくんだよw
情けないおまけ神様か?
どっちが先かも解らん馬鹿は来るなよwwww

414 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:00:27
お墓が神社
お墓が神社
お墓が神社

・・・例外ですねw

415 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:10:20
大神神社 
大きな神様の神社って書いてあるじゃん 
大山神社なら三輪山かもな 
しっかりしろいつもの馬鹿

神代紀でも信用されないのに縄文だってさ
スワに幽閉されて墓が無いわけ無いじゃん
アホダナいつもながら


416 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:12:42
ついでに大己貴神社は地元じゃ大神神社

417 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:26:09
またまたついでに延喜式
奈良は 大神大物主神社
福岡は 於保奈牟智神社
どちらも神様の名前が神社名 どちらもおまけが三輪山です

418 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:26:16
じゃあお墓じゃないですなあ。嘘だったわけね。

419 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:26:58
?主語述語つけたら意味不明?

420 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:28:19
神社は遥拝殿だったりしたわけで、お墓じゃないでしょ。
トンデモ電波振りまいても無駄ですね。

421 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:29:54
よく読め馬鹿w

422 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:34:39
各神社の元祖神社が墓とは書いてあるけど すべて墓なんて書いてあるか?
だいじょうぶ???

423 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:01:43
>>422

そうだそうだ、同感だ。>>398に100回言ってやってくれ。

424 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:03:14
>>398
古神社は千年をはるかに超えた祖廟、場所を変えた墓。永らく語り継がれました。
>>401
宗像大社って明らかな墓w
住吉も石上も大神も九州の元祖は墓w
>>404
廟とは、墓所もしくは、その墓所から分離移設された崇拝所として、神に対峙する所。
仏教で言えば舎利殿で、そこには仏陀の骨は無いが、骨の代用品に参拝する事と同様。

延喜式神名帳 西海道 豊前國
 宇佐郡 三座 並大
  八幡大菩薩宇佐宮 名神大       
  比賣神社 名神大
  大帯姫廟神社 名神大

ご覧のように延喜式にもはっきりと廟と書かれ、古来より天皇家の宗廟とも語り継がれる。
当然この宗廟は墓所に対する崇拝所の意味。全国第二位の神社は墓所に対する廟なのです。

                            
  ●すべてが墓なんて書かれてないし とっくに崇拝所だと書いてありますねw●

425 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:04:14
で、古神社は墓って主張は、嘘だったわけね、了解。

426 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:07:24
ちゃんと読めてないよ ほっとこwww

427 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:17:04
おれさ宗像大社が墓じゃ無いなんて初めて聞いたよ
あのおびただしい人骨と副葬品はいったいなんなんだろうね

428 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:08:05
あのさ、聖地なだけなんだよ。墓が神社と断定できないだろ。

429 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:12:21
寺から神への移籍組や、徳川伊勢教団をのぞけば、
殆どの神社は墓か廟で間違いはない。これは孔子の墓と孔子廟の関係を見れば明らか。
この関係は宗像が墓で八幡が廟のように、日本の場合名前が変わる場合が多く、
移設が激しい上に秘密とされたため、墓の方が衰退する事が非常に多い。
墓の代表例として宮地岳神社を参考とされたい。秘匿伝承や古墳の隠され方等が注目される。
これの廟は幾つも候補があるが今回は差し控える。
墓神社も廟神社でも祝詞や様式が全く変わらない事も墓から発展した証拠だと言える。

430 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:20:49
嘘をつけ。湯殿山神社や箱根神社みたいなところがたくさんある。

431 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:22:18
>>428
あなた浅はかでしつこいですね。
聖地だけならなぜあの島を神社と呼ぶか説明して下さい。
なぜ神官が祭司を続けたのか説明して下さい。

432 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:24:25
>>430
?意味不明 もうこないほうがいいですよ

433 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 02:31:24
>>431
神社と言う呼称以外ないからだ。それでどうした?

434 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:14:59
屁理屈しか捏ねられないなら来ないほうがいいぞ馬鹿w
一段と孤独になるだけだぞwww

435 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:34:18
>>433
漢字はね一文字変えれば簡単に新たな呼称になるだよ 日本でも幾らでも造語がある
聖地ならさ 神社が聖社でいいじゃない神官が聖官でいいじゃない
ふるくから神社とは神様の社だから神社なの

この返事忘れてるぞ
なぜ宗像大社の神官が祭司を続けたのか説明しろ?
あと宗像郡が神郡と呼ばれた理由も教えてくれ?
せっかくだからみんなに見て貰おうなw

436 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 06:54:54
>>433
神社という呼称じたいが日本だけの造語
だから幾らでも聖地の造語が出来ますよ心配しないでいいよw

437 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 07:49:07
>>433
沖津島でも祝詞読んでいるそうですよ。貴方も一度祝詞読んで見なさい。www

438 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 09:54:01
>>433
神社と言う墓や墓の崇拝所が現実にある
そこは神様が先でおまけが後
墓が百年で忘れ去られるってなんだそれ?
恥を知れ!

439 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 11:22:10
>>433
あのよ世界中のどこかに人骨の散乱する聖地ってあったっけ?
儀式をする場所と埋葬する場所は必ず違うんだよ
おまえ原始宗教にも無知で知ったかぶってる訳ね
みっともないな

440 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:18:52
>>433
葬儀を仏式で行なうのは江戸時代からの新しい習わし、
それ以前は神道でやっていたから、仏式なのに神道用語用具が沢山残っている。
沖津島(葬儀)・沖津城(墓)・喪上りの宮(安置所)・白装束(神主の正装)・・・
みんな神社からきてます、神社と墓は切っても切れません。

441 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 15:55:00
>>433
漢字はね中国漢の時代に出来たものですが、その漢字で宗像沖ノ島を連想させるものについて、参考にご紹介致します。

葬と言う字は草冠で解るとおり、漢の時代は風葬であった事を示します。
墳と言う字は島の意味があり、日本の古墳の環濠が何故あるのか、何処から来たかを教えてくれます。

いやはや、この漢字ともに沖ノ島のそれ、そのままですね。

442 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 18:15:52
冠婚葬祭
日本古来の四大礼式、元服・婚礼・葬式・祖先の祭礼のこと。
また、一般に、慶弔の儀式。

室町以前はこれらすべてが神式にて執り行われ、日本人にとって墓を守ることは大切な礼儀だった。
徳川により強制的に宗教改革が押し付けられたので、天照等の祖先以外の神へも祭礼が行われる事となったが、
元々日本人なら先ず自分の祖先を祭る事が重要視されていた訳です。
他人の神社や聖地巡礼なんて、全て江戸以降の流行なんですよ。

443 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 19:29:05
>>397 >>399-400 >>402-403 >>405-406 >>408 >>414
>>418 >>420 >>423 >>425 >>428 >>430 >>433
全敗男のトンチンカンなレス御覧あれ 特に後半は臭逸w

444 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:15:55
だから、神社は墓では全くなくて、せいぜい遥拝施設でしょ。

445 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:57:31
室町以前の神社は単純に墓や祖廟であった
基本的に藤原氏は春日系の神社にしか祭祀しないし
源氏は八幡宮で平家は厳島といったように
それぞれ分派した氏族がそれぞれの神社のみを祭祀していくことになる
だから本拠移転すればそれを分祀して行く事になり
各地の八幡宮は源氏の末裔が居た事あらわす事になる
後に身分の高い者は徐々に寺を祖廟とする事になるが
足利氏等も寺と同時に八幡宮を奉っていたことは言うまでもない

ただこれには多少例外があり伊勢神宮は天武系の祖廟だが
天武系が死絶え建前後継の光仁天皇以下が祭祀を続けたけれども
末裔がいないだけに平安後期以降徐々に衰退し
室町期の伊勢神宮ともなると祭祀が滞っていたらしい
家康の肝煎りで祭祀は復活するが本来の祖廟の機能からは変化している

あと過渡期の豊国神社は秀吉の墓として祭られてその分祀した廟が各地にあるのだが
子孫により祭祀が続けられている訳ではない

その他元来寺から始まった神社や亜流の神社も多いのでその都度検討を要すが
神社の本来の機能は氏族として祭り事を行う墓や祖廟でなのである

446 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:34:59
墓が神社だ 分祀も沢山してるw
http://inoues.net/ruins/okinosima.html
http://www.miyajidake.or.jp/midokoro/takara/index.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/toyokuni_title.htm


447 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:48:41
山や巨石や巨木を祭った神社などザラ。
そういう神社のほうが古い。

448 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:56:05
×徭拝 遠くから拝む事
○崇拝 目の前を拝む事
○参拝 神社に参る事
遠くから拝んだら分祀して神社造る意味無いだろw

449 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:58:05
書き直し
×遥拝 遠くから拝む事
○崇拝 目の前を拝む事
○参拝 神社に参る事
遠くから拝んだら分祀して神社造る意味無いだろw

450 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:59:26
>>447
何度も言ってるけど
神社じゃなくて山社と石社と木社になるだろw

451 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:05:57
>>447
どうせその古い証拠出せないんだろ
神社の自称なんてやめてくれw

452 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:22:43
民俗学に無知な451って、おつむ弱いだろ

453 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:26:05
その民俗学に証拠が無いから信用しないの
勝手な事は誰でも言える
せめて信用できる考古学データ位つけろよ

454 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:32:30
巨石の近くから例えば須恵器が出てきたら真面目に調べてやるw
情けない妄想に誰が付き合う?

455 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:44:06
ここは妄想の発表会ではありません 証拠の無い意見は禁止します
ここは妄想の発表会ではありません 証拠の無い意見は禁止します
ここは妄想の発表会ではありません 証拠の無い意見は禁止します
ここは妄想の発表会ではありません 証拠の無い意見は禁止します
ここは妄想の発表会ではありません 証拠の無い意見は禁止します

456 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 01:32:35
証拠の無い意見=古神社は墓である

457 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:02:30
↑どのレスにそんな事書いてある? よく読め馬鹿! 字も読めないなら迷惑だ!

458 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 06:30:57
>>456
なんだお前『廟』の意味すら分かんないのか?人騒がせな馬鹿www

459 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:04:55
>>456
解らない字はよく調べてから書こうねw

460 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:00:27
びょう〔ベウ〕【×廟】
1 祖先・先人の霊を祭る建物。おたまや。「香椎(かしい)―」「レーニン―」
2 神社。社(やしろ)。祠(ほこら)。
3 王宮の正殿。東西に庇(ひさし)のある建物で、政治を行う所。
・・・YAHOO辞書by「大辞泉」
  
  ※これ以外にも墓という意味でも使われますが、通常は崇拝所参拝所と言う様に使われます。

461 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 13:24:55
いやだから、神社は墓ですって断定しちゃってる馬鹿が沸いてるわけで、
苦しくなって途中から話を変えて後出しで「廟」と言い換えちゃったわけでしょ。

462 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:12:26
頼朝は鎌倉の中心に、先祖からの祖廟である鶴岡八幡宮を自ら据え、他の神社は殆ど移設していない。
頼朝自身の墓は八幡宮から500m程離れてはいるが、八幡宮の神域内だと判断できる。
子孫達は頼朝も鶴岡八幡宮に併せ祭ったのだから、鶴岡八幡宮は頼朝の墓=神社と考えて間違いは無いだろう。
このように神社が祖廟+最寄の先祖の墓となるパターンは、古くから畿内等にも多々見られる。
寺域に墓を作った場合も神仏習合の影響神社が祖廟というケースもある。神社と葬祭は切っても切れないもの。
※現代の仏式葬祭となってからも、檀家が寺境内に墓を作るのはその名残。

463 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 14:57:51
鎌倉政権では伊勢神宮を否定して天照を非難しました。
室町以前ならこれは当然の事で、自らの祖廟以外は祭司しないのです。
たた八幡衆でもその本家にあたる別廟でも立てますけどね。

464 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:00:29
×別廟でも立てますけどね
○別廟なら立てますけどね

465 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:19:02
氏神 産土神

466 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 15:50:52
>>462
よく政子の菩提寺はあるが頼朝のは無いと言われますが
頼朝は古来からの墓として神社に祭られたわけですね
源氏の棟梁が伝統の葬祭を受けるのは当然ですね
成る程合点がいきました

467 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 16:21:53
北条泰時は「御成敗式目」を定め、鎌倉幕府の治政の基本を示し、
『神社を修理し、祭祀を専らにすべき事』を第一条に掲げている。
如何に鶴岡八幡宮の祭祀が重要視されたのかが解る。
何の為に祭祀されたかはご察しの通り。

468 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 04:02:58
>>462
>八幡宮の神域内だと判断できる。
>鶴岡八幡宮は頼朝の墓=神社と考えて間違いは無いだろう。
妄想乙!
すくなくとも鶴岡八幡自体は「頼朝の墓所」あるいは「廟」という社伝を持っていないようだが
それはどう説明するのかな?

469 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 04:28:18
何が何でも神社と墓を結び付けたい、変な人がいるから困るよね

470 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 05:29:15
墓=死体を埋めた場所
古代神社(かみやしろ)=山そのものを「かみのやしろ」として信仰してたものが古代神社、古代の神社だった山には盤座(イワクラ)と呼ばれる巨石遺跡がある

神社と墓は違うし、明治時代以前の歴代の天皇達は仏教なんだし、御所が檀家に入ってる寺にちゃんと歴代天皇の墓もあるよ


471 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 07:03:30
>>468-470
ご主張は総て証拠が無いか調査不足ですね 自分自身で調べ直して下さいねw

472 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 07:25:39
>>471
「氏神」とか「産土神」ってのを知らないの?
君も日本人なら(現代では明治政府が廃止したから解らなくなっちゃってる人が多いけど)江戸時代まではちゃんと、自身の祖である氏神を祀って信仰してたんだよ
君が日本人なら君の先祖や血統はちゃんと氏神まで遡る事ができる血統だよ

神社ってのは本来は氏神を奉る社の事で墓では無いよ
家の裏山とかに小さな社を立てて祀ってたりとかさ
初詣とかってのも本来は自身の氏神を参拝する行事だよ

473 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 07:45:46
↑何いってるのか分からないよw
説得してるの反論してるの?
氏神は先祖じゃないのか?
社はあって墓はないのか?
それで誰を説得するつもり?
www

474 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 08:04:01
>>473
神棚ってのも本来は氏神を祀ってるんだよ
先祖にしろ祖氏(氏神)にしろ、墓は墓でそらどっかには有るでしょ?

つかそもそも墓は神社じゃなく寺にあるんだよ

475 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 08:17:47
つか仏教伝来以前の古代神社と、明治維新後に神仏分離させて出来た近代の神社(神宮)は別物な気がするよ


全てがそうとは言わなくとも古代の神社は同時に葬られた墓でもあった場合もあるとは思うよ
盤座などが置かれてる場合は古代の神社な気はするし

476 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:18:54
>>468
調べ方が甘いw貴方が妄想ですね?
創建以来江戸時代まで頼朝の墓は鶴岡八幡宮で祭祀してました
これは紛れもない事実です

>>470 >>474 
その天皇家の墓があるのは泉涌寺の事? 墓があるにはあるけど室町以降だろw
それ以前はどうすんだw

その氏神って祖先とどう違うんだ?www

477 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 08:35:38
>>476
江戸時代まで日本にあった戸籍ってのは平安時代以前に作られた戸籍で、その人がどの氏神を祖とした氏族の血統の人なのかが解るようになってるんだよ
平安時代だか飛鳥時代に確か1200氏族ぐらいの氏族が氏神として戸籍に纏められて、個人の戸籍を調べれば氏神(血統)がきちんと辿れるようになってた
(つかそれだけ長い間、戸籍を付けてたって事)
例えば各潘の藩主ってのは徳川と縁のある血統の人が藩主として配置されたりとかだよ
秀吉がセイイ大将軍に慣れなかったのも天皇とあまり縁の無い氏神の血統だからだよ

例えば氏神が物部氏なら近くに物部の祖神を祀る物部神社を建てたりとかだよ

あと氏神ってもその子孫(俺らも)は結婚とかで複雑に混血してる訳だから、個人の血統は複数の氏神に辿り着くよ
だから血統ってより家系って言い方した方がいいかもだけど
明治政府が血統や家系を表す氏神制度を廃止しちゃったけど、現代では家紋って形で残ってるよ

478 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:36:52
あんまりしつこいからきいてあげる
古い神社の岩祭祀
氏神の事
その証拠はどこにあるんだ?
古い伝承だとご主張するなら室町以前の史料で残っているものを上げてください

479 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:39:17
>>477
それって氏神=先祖で問題ないんだろw

480 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 08:51:43
>>476
明治政府のアホが神仏分離や氏神制度廃止や、古代から続く戸籍制度廃止とか、城廃止とか、和暦廃止とか、、

とにかくそれまでの日本にあった沢山の文化や歴史を破壊しちゃってるからややこしいかも知れないね


ちなみにあなたが言ってる鶴岡八幡宮ってのは明治維新前までは「寺」ですよ
明治政府がやった神仏分離ってのがややこしいんだよ
今ある「神道」とか「神宮」とか「神社」ってのの観念は全て明治維新後に明治政府が新しく作ったものだから



481 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:53:50
神仏習合で寺であり神社だったのw
ウダウダいって証拠無いんだろwww

482 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:00:26
頼朝の八幡宮も家康の東照宮も、神仏分離以前は「寺」だよ
で、寺に墓があるんだよ

基本的に明治維新以前に今あるような「神社(じんじゃ)」なんてのは日本には無いよ

元々は神社(かみやしろ)ってのは山の山頂などに置かれた小さな社(解るかな?犬小屋見たいな大きさで小さな扉とかがついてるやつ)の事なんだし

483 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:06:30
だから神仏習合していたのwww
延喜式や二十二社の神社リストはどう説明してくれるw
妄想も大概にした方がいいw

484 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:12:14
>>481
明治時代以前は寺だってば

「神仏習合」って言うけど、それが本来の日本の宗教の形であって、今ある神社とか神道ってのは明治政府が天皇を神道のトップとして天皇に威厳を持たせる為に作った全く新しい形の宗教だよ


485 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:15:03
六国史に出てくる神社にはそんな記述無いだろ
神社は神社としか書いてないぞwww
もうやめてくれwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

486 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:20:44
>>483
だから延喜式や神名帳に乗ってるのは神社じゃなく「宮社」や「官社」だってば

今ある「神社」だの「神宮」なんてのは明治以降に出来たものだよ

あと仏教っても大乗仏教と密教とは違うから

487 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:22:04
↑もう来るな馬鹿w

488 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:32:58
>>487
いや神仏分離なんて言うけど、ようは神も仏も一緒だってば
氏神の祖神にしろ仏にしろ「先祖」とか、その「御霊」って意味だから
(日本の神はキリスト教のようなgodの意味じゃない)


どのみち神社にしろ寺にしろ宮にしろ「墓」では無いよ

489 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:34:45
墓が神社だ 分祀も沢山してるw
http://inoues.net/ruins/okinosima.html
http://www.miyajidake.or.jp/midokoro/takara/index.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/toyokuni_title.htm


490 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:35:41
頼朝は鎌倉の中心に、先祖からの祖廟である鶴岡八幡宮を自ら据え、他の神社は殆ど移設していない。
頼朝自身の墓は八幡宮から500m程離れてはいるが、八幡宮の神域内だと判断できる。
子孫達は頼朝も鶴岡八幡宮に併せ祭ったのだから、鶴岡八幡宮は頼朝の墓=神社と考えて間違いは無いだろう。
このように神社が祖廟+最寄の先祖の墓となるパターンは、古くから畿内等にも多々見られる。
寺域に墓を作った場合も神仏習合の影響神社が祖廟というケースもある。神社と葬祭は切っても切れないもの。
※現代の仏式葬祭となってからも、檀家が寺境内に墓を作るのはその名残。

491 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:36:18
創建以来江戸時代まで頼朝の墓は鶴岡八幡宮で祭祀してました
これは紛れもない事実です

492 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:39:25
北条泰時は「御成敗式目」を定め、鎌倉幕府の治政の基本を示し、
『神社を修理し、祭祀を専らにすべき事』を第一条に掲げている。
如何に鶴岡八幡宮の祭祀が重要視されたのかが解る。
何の為に祭祀されたかはご察しの通り。

493 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:42:01
>>489
墓は墓だってば
つか墓に分祀も何も無いよ
あと古墳は別に神社じゃないでしょ?

例えば家康であれば東照宮の中に自分の墓を建てたって事だよ


494 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:43:33
墓が神社だ 分祀も沢山してるw
http://inoues.net/ruins/okinosima.html
http://www.miyajidake.or.jp/midokoro/takara/index.html
http://www.genbu.net/data/yamasiro/toyokuni_title.htm

宗像神社全国にたくさんあります 同じ祭神の神社もたくさんあります

495 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:47:49
東照宮も全国にたくさんあるんだよw
なんでだろwww

496 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 09:48:12
>>494
遺体を埋葬した場所が墓なんだってば

スサノオや天照が祀神の神社は沢山あるけど、じゃあその全てが墓って言い方はおかしいでしょ?

分祀ってのは例えばスサノオ氏族の人が氏神をいつでも祀れるように、その土地にも祖氏を祀る社を建てるから各地に沢山あるだけだよ
各家にある神棚だって言わば神社な訳だから

497 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:50:32
意味わからんwww

498 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:51:55
反論なのか?葛藤なのか?馬鹿だなw

499 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:02:06
(家康の)遺体を埋葬した場所が墓であり東照宮という神社なんだろ
その東照宮も分祀されてね
何も問題ないねw

500 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:06:43
寺だと分祀はなかなか難しいらしいよ
坊さんありきだから

501 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 10:18:21
>>499
家康の遺体を埋葬した場所は駿河国の久能山
後の徳川将軍が日光の東照宮に、家康の御霊を祀る立派な霊廟を建てたんだよ


502 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:24:14
御成敗式目第一条『神社を修理し、祭祀を専らにすべき事』

この祭祀の「祭」は冠婚葬祭の「祭」。 祖先の祭礼をする事。
だから鎌倉幕府では「神社で祖先の祭礼をしなさい」と法で定めた訳。

503 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:24:55
>>501
それは知ってる
そこも東照宮だよw

504 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 10:34:17
頼朝も調べたら亡骸は源の祖先と同じ持仏堂に埋葬されてるじゃんよ
八幡神社は頼朝が建てたってだけで墓でもなければ頼朝が祀られてる訳でもないじゃん



霊廟と墓とは違うって事ぐらい解んないかな?

505 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:38:45
あのさせっかくだからちゃんと調べろよw
持仏堂がどうなって それは何処がずっと管理してたんだwww
しっかりしろよw

506 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 10:47:38
>>505
法華堂って鎌倉尾張美濃信濃京都、、、沢山あるからなあ
源頼朝の氏神が誰で何処の氏族なのかが解ればその地にある法華堂が頼朝の墓だよ

鎌倉にある法華堂は違うよ

507 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:49:57
↑調べられないの?馬鹿だねw
ちゃんとネットにも書いてあったから調べて納得してねw
もうこれ以上君が書き込むのは御遠慮するよwww

508 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:52:54
頼朝は鎌倉の中心に、先祖からの祖廟である鶴岡八幡宮を自ら据え、他の神社は殆ど移設していない。
頼朝自身の墓は八幡宮から500m程離れてはいるが、八幡宮の神域内だと判断できる。
子孫達は頼朝も鶴岡八幡宮に併せ祭ったのだから、鶴岡八幡宮は頼朝の墓=神社と考えて間違いは無いだろう。
このように神社が祖廟+最寄の先祖の墓となるパターンは、古くから畿内等にも多々見られる。
寺域に墓を作った場合も神仏習合の影響神社が祖廟というケースもある。神社と葬祭は切っても切れないもの。
※現代の仏式葬祭となってからも、檀家が寺境内に墓を作るのはその名残。

創建以来江戸時代まで頼朝の墓(法華堂)は鶴岡八幡宮で祭祀してました
これは紛れもない事実です

509 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 10:54:07
御成敗式目第一条『神社を修理し、祭祀を専らにすべき事』

この祭祀の「祭」は冠婚葬祭の「祭」。 祖先の祭礼をする事。
だから鎌倉幕府では「神社で祖先の祭礼をしなさい」と法で定めた訳。


510 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 11:06:23
>>509
一般の家庭で考えてみ。同じだから

まずは先祖の墓がある
んで家には先祖を祀る仏壇がある
んで、お彼岸に墓参りに行ったりはするけど、祖先の祭礼は墓前ではなく仏壇の前で行うでしょ?

この祭礼を行う仏壇は墓じゃないでしょ?
先祖の御霊に対する祭礼な訳で、埋葬された遺体に対して祭礼を行う訳でも無いでしょ?
このあたりの日本の文化を理解出来ないすか?

511 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:11:28
お前っちはそうするかもしれないが
おれっち一々近所の墓にもお参りにいきます
常識無いね君w

512 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 11:18:41
>>511
墓参りには行くよ

墓前までわざわざ坊主に来てもらって祭礼を行うのか?って事だよ
法事だったりお盆の先祖迎えるのだったり、祭礼を行うのは仏壇の前でしょ?
あと例えば遠くに引っ越した場合とかもお盆に先祖を迎えるには、引っ越した先の家で迎えるでしょ?


513 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:26:31
ここでなんで坊主が必要なんだ?
坊主がいなくても祭礼は祭礼だよ

仏壇は神棚の真似 大概の家は江戸時代から半強制的に仏壇も設置させられた
神棚は分祀できるの引っ越しても大丈夫

古い集落の墓地は自宅の敷地か神社の近くが多いんだよ

常識無いねw

514 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 11:35:30
>>513
坊主じゃなくてもいいよ
毎朝お経やお供えをする場所は何処なの?
お墓まで行ってるの?
普通は仏壇(神棚)の前でしょ?


あと仏壇も神棚も元は同じだってば
明治維新以降は神仏分離って事で仏壇と神棚を別けて神棚には天皇縁の伊勢の神宮大麻を各家庭に配布して崇めさせただけだよ
元々は氏神(先祖)信仰だったのを、明治政府が氏神を祀る事などを禁止して天皇を信仰させようとした政策だよ

ちなみに昔の墓地は自分の家の敷地内にある事ぐらい知ってるよ
つか俺は旧家の土地にそういった墓地が残ってるもん


515 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 11:40:16
先祖や氏神の御霊はお墓(遺体の埋められた場所)に居る訳じゃ無いんだよ?


御霊は四十九日は現世に残った後に、霊界に行くんだよ
お墓に行く訳じゃないよ

516 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:47:29
だから
先祖の墓=神社から分祀したのが神棚(仏壇)
分祀できるの!これが神社の流儀なの!www
例えば宇佐八幡宮の古い頃の御神体を調べてみろよ
元社の近所から取ってきた雑草だよ
室町以前の庶民の神棚だって
棚に墓から取ってきた雑草だけで良かったの
お経なんて要らないの 2礼2拝1礼だけで

伊勢の流儀は徳川からで検討範囲外
常識無いねw

517 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:51:44
あのさ徳川以降の仏教祭礼なんて知ってるし
古代のスレだよここ?

518 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 11:54:56
>>516
神棚に供えるのは雑草じゃなく神が宿る大麻だってば


あと全国各地に神様が分祀されてるのは、お墓を「分祀」してる訳じゃないよ
「分祀」や「合祀」ってのをするにあたって、特に儀式的な決め事や決まりは何も無いんだよ
スサノオを信仰してた集落が天照も信仰したくなったら同じ神社で天照も崇めればこれが分祀だよ


519 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:00:58
大麻は伊勢の徳川仕様 元社の近くの雑草でいいのwww
伊勢の祭礼を固めた五部書も江戸以降の捏造と学会でも評判だなw

証拠も無いのに想像ばっかすんなw

520 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:03:34
もう飽きた何にも知らないからw

521 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 12:10:37
>>517
古代のスレだからまず日本の文化が大きくかわった明治維新以降の感覚で考えるのは違うって言いたいんだよ


1、仏教伝来以前の古代信仰
2、仏教伝来以降の信仰(〜江戸時代まで)
3、明治維新後の近代信仰(明治時代から〜)


例えば氏神信仰を禁止した明治維新後は日本人は自分の氏神が誰で氏族が誰なのかとか、とにかく先祖すら遡れなくなっちゃったりしてるし(戸籍も明治政府に燃やされた)


また天皇の歴史や血統にしても
・江戸時代までは南朝系
・明治維新後は北朝系を正統と改め、それまで続いてきた南朝系の天皇系譜を破棄し歴代の南朝系の天皇を天皇史から排除、新しく北朝系の系譜を作成。 北朝系譜を歴史の天皇史と改める
とかもやってるんだよ

明治維新以降の歴史に関しては新しく造られた歴史が多いから気を付けないとダメスよ

522 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:17:12
誰が明治維新以降なんだ?
こっちの話は全部室町以前の古い史料に基づいてる
お前の史料出してみろwwwwwwwwww
五部書とか江戸以降の史料は勘弁しろ

お前の史料出してみろwwwwwwwwww
お前の史料出してみろwwwwwwwwww
お前の史料出してみろwwwwwwwwww

523 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 12:26:46
>>522
だいたい室町以前の古い資料に「○○神社」なんて名前は出てこないだろ
○○神社なんて名前は神仏分離の際に付けられた名前なんだから




524 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 12:34:44
http://isaniwa.ddo.jp/yuisho/engishiki.htm

525 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 12:56:42
>>524
ありがとう
「○○神社」ってあるのはあるんすね


ただこの時代の「○○神社」を現在の神社と同じ物と考えて良いものかどうかが良く解んないや
とりあえずその時の時代の神社が今はどうなってるのかちと調べてみるっす


526 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:59:56
資料がなくても、墓じゃない神社などいくらでもある。
ていうか、ほとんどの神社は墓じゃないだろ。

527 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:13:37
そもそも古代日本において実在の個人が神となることは
怨霊化をおそれられた人物以外にはなかった
これ常識ね

528 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 14:18:50
>>527
神=尊=命=ミコト
だよ

日本での神はgodの意味じゃなく、祖先だったり精霊の事だよ
天照にしろイザナミにしろ過去に実在した人物だよ


529 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:52:48
氏族の神が氏神。
生まれ育った土地の神が産土神。
子どもを妊娠した時は、産土神の境内の砂を取ってきて守りにする。

530 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:02:53
第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
キチンと信用の置ける証拠を出せる方以外の書き込みは禁止です。
美濃もん太=太国=全敗男は出入り禁止

第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
キチンと信用の置ける証拠を出せる方以外の書き込みは禁止です。
美濃もん太=太国=全敗男は出入り禁止

第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
キチンと信用の置ける証拠を出せる方以外の書き込みは禁止です。
美濃もん太=太国=全敗男は出入り禁止

531 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:17:03
「神社は原則すべて墓である」・・・こんな妄想論禁止!

532 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 15:17:33
証拠の無い虚言は反応せずに、放置しましょう。
証拠の無い虚言は反応せずに、放置しましょう。
証拠の無い虚言は反応せずに、放置しましょう。

533 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 21:04:04
>>532

> 証拠の無い虚言は反応せずに、放置しましょう。


証拠はあるぜ!九州王朝の証拠は占いなんだよ。占いでわかったんだよ!九州王朝説の根拠は占いなんだよ!
ハハハハハハwww

534 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 08:41:30
天を拝し、地に祈り、あまねく山川を祀る。

535 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:47:47
推古十五二月戊子
詔曰 朕 聞之 曩者 我皇祖天皇等 宰世也 跼天 蹐地 敦禮神祗 周祠山川 幽通乾坤 
是以 陽 開 和 造化 共調 今當朕世 祭祠神祗 豈有怠乎 故 羣臣 共爲竭心 宜拜神祗


要は天皇は山川へ行って、宜拜神祗=神に会い事がよいでしょう)と指示してます。
参考 祗=うやまう 祇=氏を示す神

536 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 10:09:05
天神 山神 川上 石上
何処にでも神=上がいると言葉にちゃんと残っている

537 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 17:58:49
別の音だろ、昔はw
あほや

538 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 10:07:18
↑証拠出せいつもの馬鹿w

539 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 16:19:29
第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
キチンと信用の置ける証拠を出せる方以外の書き込みは禁止です。
美濃もん太=太国=全敗男は出入り禁止

第七条 証拠主義にてレスしてください。妄想論禁止!注意啓発!
キチンと信用の置ける証拠を出せる方以外の書き込みは禁止です。
美濃もん太=太国=全敗男は出入り禁止

540 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 21:50:58
美濃もん太=太国=九州王朝大好き=孤独人が荒らしなのはこのスレ見ればよく解る

541 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 22:02:43
美濃もん太=太国=九州王朝大好き=孤独人が頭が悪いのもこのスレ見ればよく解るw

542 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 01:13:51
日本最古の史書にも殆どの神はイザナギイザナミの作品とある
自然宗教的な神を信じたいのは好きだけどそんな証拠は妄想しか無く議論にならん
ダダっ子の相手する方の気持ちにもなって貰いたい

543 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 07:04:26
日本でアミニズムを主張する輩も多いけど
想像だけで誰が首を縦に振るんだろうな?

544 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 07:46:18
だいたい日本においてアニミズムは縄文等の原始風習で、社会システムの変わった集権化王権による祖廟崇拝とは、時代も社会構造も全く別。それが並列する事の矛盾に気が付かないようなら、議論する相手じゃない。

545 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 11:30:40
周祀山川 あまねく山川を祀る

546 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 11:50:39
祀=神としてまつる
奉祀=先祖をまつる
絶祀=先祖のまつりを絶やす
何が言いたいのやらw

547 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 14:37:57
天神地祇
社稷

548 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 15:02:28
社会システムが変わってるとかゴネても、律令制下に編纂された日本書紀に書かれてるんだから諦めろ。

549 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 17:28:25
社稷も地祇もあきらかに人神についての言葉w

550 :日本@名無史さん:2009/02/27(金) 22:24:06
何の爲に書いたのよ

551 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 00:00:57
>>548
言ってみたかっただけか?

552 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 07:12:59
あのね書紀に自然宗教をほのめかす事書く訳無いだろ
あの史書は何を言いたいのか解らないのか
山川が素晴らしいと書いて何になる
私の先祖も私も素晴らしいと史書は書くものなんだよ

これは世界中何処でも一緒だから覚えとけ!

553 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 09:04:07
天皇の祖先より自然宗教が偉いとすれば、史書作る意味すら薄れてくるよ。

554 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 15:03:41
アニミズムと古墳が並立する矛盾
全く異種のものだね

555 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 15:57:03
社 土地神
稷 穀物神

556 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 16:04:47
推古の詔は、力を強める仏教勢力と旧来の勢力とのバランスを取ろうとしたんだろ。

557 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 16:21:15
社稷 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E7%A8%B7
ちゃんと調べろ
都合のいいとこばっかり引用するな

558 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 20:41:55
示す偏はみんな人神に対する人の動作。
土地神も穀物神もすべて人神。
記紀の何処にアニミズムの入る余地なんてあるのやら。
方向違いの荒らしは迷惑だ

559 :日本@名無史さん:2009/02/28(土) 21:07:36
無知な人に教えてあげる
稷=禝=中国古代の伝説上の人神、周の始祖、五穀の神。
言わば社稷=社禝とは漢民族の全体の最高人神であり、転じて自らの宗廟を差すようになる。

560 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 07:49:20
神と呼ばれる者は古代中国でも古代日本でも必ず人神
神とは字面の通り物申す者山や川は何も言えない
証拠も調べもしないでアニミズムで妄想かよw

561 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 10:53:56
「神」のつくりの(申)は稲妻。
神は、自然。

562 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 10:58:38
古代中国では宮殿の右側に社稷を祭り、左側に祖霊を祭ったの。
社稷は国家としての公的な祭祀で、祖霊はその家系の私的な祭祀。

563 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 12:17:09
>>561それ誰の珍説?教えてくれwww
>>562しつこいね 稷は漢民族始祖神だから祀るの
既出だろw あんた勉強不足w

564 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 12:30:13
561は、諸橋轍次の説。

稷は、きび・たかきび(コーリャン)。

(稷契)稷は五穀を司り、契は教育を司った。


565 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 12:45:27
よくある現代の珍説に用は無いだろw
だれがそれを信じるんだwww
それが本当なら申に雷の意を用いた慣用句や熟語が一つでもあるんじゃねえのw
論語でも記紀でも歴史的史書から「申が雷」の証拠もってこいよw
国語音痴さんよw

566 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:04:48
申は日本の訓で「のべる」「もうす」と言うように、伸ばしたり薄くしたりするのが原義。それが意向を広げるとして使われたの。
国語学者の間違いなんて幾らでもある。原義が稲妻なら、それらしき熟語が必ずある。つながりを証明出来なきゃ全く別物。

567 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:13:14
>>564 稷がきびなら何で稷ごときを宮殿に祭るか教えてくれ

568 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:45:34
当時の主食だから。

569 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:49:25
天神

570 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 13:54:15
おかしいなそんなありふれた主食何処にでもあるのに何でわざわざ宮殿に祭るんだ?
どの畑も皇帝より偉くなるじゃんよw
皇帝が畑を見たらいちいちひれ伏すのか 馬鹿らしい説だなwww

571 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 14:28:19
漢字解字の解釈は学者によってまちまちだから、辞書の鵜呑みは禁物。
「申」が甲骨文字や金文で稲妻と解釈されるのは、
「電」が「雨」と「申」で出来ていると解釈されることが多分に影響していて、
「申」が稲妻の象形だったのではないか?程度の話。
この解字解釈だと何時までたっても、似てる似てないの想像の域を出ない。
しかも甲骨や金文の頃とは全く別の意味だった可能性もあるし、
意味が繋がらない稲妻=申はどう考えても、学者の暴走の観強し。
稲妻≠申の方が字義的には妥当だし。
多分に「神」が輸入された後、日本にて「神鳴り」の言葉ができ、
そこからのイメージで申を稲妻に結び付けた可能性も高い。

解字の解釈ではっきり言えるのは、現在の意味の繋がる処まで。

572 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 16:22:20
后禝(稷)  周(姫氏)の始祖 農業神
http://1st.geocities.jp/tng4380/kousyoku.html

この人アダムとイブのような漢民族国家の始祖神なんです。
中国では表向き三皇五帝を称えていますが、
周以前となると伝説の世界になりますから、
確実に血を遡る事のできる国父は、この后禝となるんです。
周の後の春秋時代には、殆どの国の国姓は周と同じ姫氏であり、
直接の子孫も氏姓を変えて残ったのでしょうが、
その子孫以外の王朝も、漢民族国家建国の父として信仰したんです。
丁度中国史上最初の皇帝である、始皇帝を崇拝するのと同様の話です。
それが何時の間にか、農業神として暗に目立たぬようにされ、性格が変ったという訳です。
ですから社稷の后禝は間違いなく人神です。
黍が神様ではちょっと困りますから。

573 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 18:27:14
諸橋轍次の大修館を始め「申」の原字は稲妻との説が多いのは事実。
だけど解字の変遷で「稲妻」から「臼+|」に突然変わって、意味も「稲妻」から「引き伸ばす」に突然変わって、その説明が全く無い。
せめて意味を引き継いでいれば理解も出来るが、そんな熟語すら無い。
なんかどっかの妄想史学の捏造に似てるよね。

574 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 20:45:34
申(さる)とはよく言ったもの
滑稽な事を山が出来るか

575 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 21:35:33
申楽って中国から伝わって日本にしか残っていない
しかし稲妻から引き伸ばした後に猿だと言語学的には変り過ぎってやつだなw

576 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 22:49:20

世界のどんな王様でも祖先信仰は必ず行なう

稷はどうかな?

577 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 23:38:43
まず日本には主食が権力者より偉くなることは無かったねw

578 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 23:57:09
>>575イチョウもな
中国の天然のイチョウは絶滅してる
今、中国にあるイチョウは逆輸入した物

579 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 02:52:23
九州という名称自体、漢語では
古来、中国そのものを示す別名なのである。




580 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 09:06:46
臼+|?
家に有る本だと、Fと逆さまになったFの縦棒を繋げて裏返した象形文字が紹介されてる。

申には、致す・明らか(明らかにする)と言う意味もある。
雷の力を明らかにしたのが稲妻。



581 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 09:16:54
そんなコジツケで誰が納得するのよ
どれが明らかになる使い方か言ってみろ
また笑われないようにしなよw

582 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 11:46:12
>>580人騒がせな君
明らかな「申」も稲妻な「申」も無いのかな?
有るって書き込んのに何処にも無かったのかな?www

583 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 13:57:58
本屋へ行って漢字辞典を調べたところ、
「明らか」説は問題外、「申証」等「申」以外に明らかの意が有るものばかり。
「稲妻」説は、語源解字に多くの辞書が「稲妻」を採用しているが、二つ程は載せていない。
当然ながら意味の繋がりの無い語源を敬遠している。
すべての辞書において「稲妻」と意味の繋がりのある熟語は皆無。
残念ながら「稲妻が明らか」は妄想と断言します。

584 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 14:28:45
明らかは勝手に考えた事だから妄想で正解。


FとFと書いたが、長く伸ばしたSを裏返して、両側の曲線の内側に短い横棒と言うほうが正しいな。

歪んだEの縦棒が上に少し出た物が上下に並び、右上から左下への曲線が二つのEを隔てている。

丸みのあるEが向かい合わせにあり、真ん中を直線が縦に通る。

縦線とEの間の隙間が無くなって一体に。

丸みが無くなって、現在の四角の(申)に。


神が全部人であるならば、三礼や三霊のように三つに分けるのは何故だろうね。
で、社は誰?
後、中国には「封禅」と言うのもあったね。

585 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 14:38:51
>まず日本には主食が権力者より偉くなることは無かったね。w

植物に命令して従わせる事が出来た権力者が居たなら教えて。

586 :日本@名無史さん:2009/03/04(水) 09:43:34
臼+|が分った。
臼によく似ているが完全に二つに分かれている(きょく)と言う字で、左右の手を表している象形文字。
興・與と、学の旧字体に使われている。
全てが繋がっている申は別系統の文字。

社が后土で、稷が稷正と言う事ね。
ギリシャのゼウスは何であんなにスケベで子沢山なんだろうね?

587 :日本@名無史さん:2009/03/05(木) 22:43:09
封禅 
「古代中国より泰山にて、天地に対し皇帝の即位を知らしめる儀式」
とは言われているが、実の所良くは解かっていない。
秦の始皇帝の時には、既に過去の儀礼内容は不明で、、
始皇帝の創作により行われたと伝えられている。
皇帝の自称のように、意図的に変えられた疑いも否定出来ない。
始皇帝後に書かれた史記に、封禅が紹介されてはいるが、
それも当然始皇帝の封禅が書かれている事は疑いにくく、
古来の封禅は闇の中。

この秘密を知るのは漢字。「天子」と「封禅」で見えてくる。
始皇帝以前の中国の王は天子と呼ばれていた。
これは言い換えれば天の子供であり。天は先祖を指す疑いが強い。
しかも封禅を字面で読めば、封とは任命の意で、禅とは譲渡の意。
まさか天を天子が任命する訳はないから、天から天子が任命を受ける。
これらを纏めると「天(先祖)より譲りうけた即位式」と書いてある。

なんだか始皇帝は驕り昂ぶり、封禅を逆様にしてしまった疑いが強い。
歴史通説の鵜呑みは禁物です。

588 :日本@名無史さん:2009/03/05(木) 23:07:52
詩経「先祖是皇神保是饗」
中国最古の詩集にも神に饗ふとある
饗ふとは【人】をもてなす事
間違いに早く気付くべきですな

589 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 07:00:17
常識があれば封禅の異様さには直ぐに気が付く
日本以上に中国の歴史には捏造が付き物だという事

590 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 10:04:09
捏造が付き物に賛成。

申と同じく十二支の寅も両手を表している部分が有ると言われているが、
甲骨文字で見ると妊婦のような姿をしているので、家の中でお腹に両手を
当てている女性の姿だと思われる。
申の(伸びる)と言う意味は、字の形状から屯(とどまる)の対比として
使われて(伸びる)と言う意味を持たされるようになったか、屯と同じく
くさかんむりの元々の字の(ソウ)の系統の字の可能性も考えられる。
申の甲骨文字の形が稲妻ではなく、蕨か蔓草を表現しているとか。



591 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 20:03:05
>>588
「詠神聖功書之碑」李商隠
神聖とは天子の事
「朱顔類神仙」寒山
神仙とは仙人の事
すべて人神をさす

592 :日本@名無史さん:2009/03/07(土) 16:13:12
禅(ゆずる)とすると、禅譲は同じ言葉が二つ重なる事になる。
単の意味を調べると封禅と禅譲の意味が見えてくる。
天の祭祀は、後から付け足された物のようだね。

593 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 14:08:22
「東アジアの古代王朝」で検索を。

594 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 09:03:54
漢字解字の解釈は学者によってまちまちだから、辞書の鵜呑みは禁物。
「申」が甲骨文字や金文で稲妻と解釈されるのは、
「電」が「雨」と「申」で出来ていると解釈されることが多分に影響していて、
「申」が稲妻の象形だったのではないか?程度の話。
この解字解釈だと何時までたっても、似てる似てないの想像の域を出ない。
しかも甲骨や金文の頃とは全く別の意味だった可能性もあるし、
意味が繋がらない稲妻=申はどう考えても、学者の暴走の観強し。
稲妻≠申の方が字義的には妥当だし。
多分に「神」が輸入された後、日本にて「神鳴り」の言葉ができ、
そこからのイメージで申を稲妻に結び付けた可能性も高い。

解字の解釈ではっきり言えるのは、現在の意味の繋がる処まで。

595 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 21:21:29
意味以上の拡大解釈が横行している
私たちは冷静にどれが正しいか見極めなければならない
これはどんな分野も同じ

596 :日本@名無史さん:2009/03/30(月) 16:08:44
申は日本の訓で「のべる」「もうす」と言うように、伸ばしたり薄くしたりするのが原義。それが意向を広げるとして使われたの。
国語学者の間違いなんて幾らでもある。原義が稲妻なら、それらしき熟語が必ずある。つながりを証明出来なきゃ全く別物。

597 :日本@名無史さん:2009/03/31(火) 09:01:32
矛盾した内容を矛盾したまま納得できる記憶力過多のタイプはお呼びでない

598 :日本@名無史さん:2009/03/31(火) 23:40:55
述べる・延べる・展べる・伸べる・申べる
模(摸)薄・模(摸)臼・模(摸)碓・申す
訓の残るこれを原義として間違いありません

599 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 07:02:43
今の意味からいけば広げ伝える
謙譲語として使われた理由も容易に理解出来る

600 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 09:18:45
聖徳太子より前に、最後の漢民族王朝六朝文化の頃、
隋唐以前に訓は生まれている。
現在迄使われる楷書は、隋唐時代に確立したので、
その先行字体の隷書は、秦漢南北朝時代迄使われていたと考えられる。
ですから隷書の使われていた時代に、訓は輸入されたと考えられる訳。

問題はそれ以前だが、史記以前の書となれば、中国でも僅かしか無く。
篆書・金文・甲骨文字は、発見はされるのだが、
成り立ちといっても、想像に任される部分が多い。
要は殆ど解らないものを、僅かな証拠で想像している時代なんだ。

それより寧ろ、隷書と訓の組み合わせは、どちらも文字資料が豊富で、いい研究資料になる。
想像過多よりは余程増しだとは思う。

601 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 11:28:45
漢字もその音もガラリと変わったこの時代
東アジアの政治体制もガラリと変わった
これ一番大事な事

602 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 15:30:47
そのころ奈良盆地の変化は極端で
急に発展して都が馬鹿でかくなる
これは田舎が都になった印

603 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 15:57:43
【示】の解字にも参ったね。
神に生け贄を捧げる台の象形だって、
当然そんな意味の熟語用例は何処にもない。
国語学者って空想ばかりだな。

604 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 16:50:59
>>602
明日香村は狭すぎて都あったわけない

605 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 22:11:22
都のあった明日香村からは石ころと穴しか出て来ない
東北の田舎の弥生遺跡並

606 :日本@名無史さん:2009/04/02(木) 07:00:12
あんなに急激に都が大きくなるわけない

607 :日本@名無史さん:2009/04/02(木) 19:46:19
奈良が都なら当時は国際都市
外人の墓だってあって然るべき

608 :日本@名無史さん:2009/04/02(木) 20:52:33
奈良は似たような古墳ばかりだからな

609 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 07:58:39
>>603
示すは動詞 示す偏も祭祀動作から発展したものばかり 台なんて国語力も疑う

610 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 14:04:49
とっくに亡くなった偉い先生のちょっと頼りないご意志を継ぐのが学閥です

611 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 17:04:12
無駄な税金使ってね

612 :日本@名無史さん:2009/04/03(金) 17:34:09
延喜式 神名帳
大和 大神大物主神社
筑前 於保奈牟智神社
どちらも神様の名前が神社名 どちらもおまけが三輪山です

613 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 10:06:38
神様のお社だから神社
神様は自然物ではなく人格を持つ
古代中国でも同じ

614 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 16:31:23
日本の山信仰は虐げられた旧勢力の拠り所
けっして山自体の信仰ではない
書紀にも大物主=大国主伝説として虐げられた神として紹介されている
大国主は言わば国譲りをした神

615 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 22:11:44
山信仰なんて言いだしたのは、江戸以降国家プロジェクトとして、怪しい記紀を正史と位置付け、伊勢神宮を復権させてから。
神武天皇陵まで捏造したり、矛盾を補うため、時代に則した新しい解釈をふんだんに取り入れたり、
祭司と言う言葉を覆すような神道にしてしまった。だから今のまま神道を解釈したら不味いんだな。

616 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 09:49:10
天照=東照 
家康は太陽神又は天照の正当な後継者だという大義名分から始まってます。
こんなコジツケしてますと、山が信仰されるとまで発展します。
元は山に神が眠り、鎮められ。仏が修業の場や逃避の場として習合しただけです。
奈良の三輪山などいってみれば明らかに神社とし出来たものではありません。
矛盾の多いコジツケが非常に目に付きます。

617 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 13:22:41
山は山でしかない

618 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 16:10:27
奈良の三輪山等の神山は、移設されて適当に決められたから、有り難みも何も無い。
移設元と目される場所には必ず何かの遺物があります。

619 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 09:56:32
奈良は移設地名だから海地名なんかもある

620 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 13:45:48
椿市なんて悲しくなる誰が聞いても嘘バレバレ

621 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 19:57:57
仏教伝来の地はあそこの訳ないな

622 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 07:02:21
あんな盆地の奥まった場所は、逃げる準備をした防衛施設。町が栄える筈はない。

623 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 12:13:41
交通の便も完全無視w

624 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 08:23:14
掘っても掘っても石ころと穴しか出てこない大都市椿市w

625 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 13:59:31
真面目に信じちゃうピュアな人が多いから困っちゃう
それが偉い人でもね

626 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 19:22:15
法隆寺のように交通の便が勝れた場所なら説得力もあるけどな

627 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 20:53:46
若草伽藍は法隆寺本体から逆算すれば、盆地に何にもない頃の建造と思われる。
盆地の入り口の交通最適地に、その名の通り寺=役所が建てられた可能性が高い。
すべて証拠による推定。

628 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 07:57:10
古代に交通や生活の至便性を問う事は重要
ありえない場所の妄想はウンザリ

629 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 12:34:19
明日香村が都だったなんてウンザリ

630 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:55:09
巻向が都だったのはもっとうんざり

631 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 08:23:15
世界の都の遺跡では都らしい出土品の一つ位はでてくる
日本じゃ穴と石だけで都だそうだ

632 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 13:49:05
1mの矢板が出てくると大規模河川があった事になってしまう

633 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 19:30:10
側溝程度の機能しか果たせないけど凄いんだよ

634 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 22:22:53
側溝だけで都

635 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 06:59:46
これがwikiにまで書かれているから笑うな

636 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 19:33:10
高坂城も何なのよあれ

637 :九州王朝大好き:2009/04/13(月) 20:55:50
>>627
>盆地の入り口の交通最適地に、その名の通り寺=役所が建てられた可能性が高い。

地勢的にも最適地。

638 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 00:46:33
何時になったら正常化するんですかね

639 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 11:17:21
>>637
出入り禁止だぞ

640 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:50:38
さっきのNHKニュースで
箸墓の上に載っていた土器に付着していた炭で、炭素を測ったら3世紀だったんだって、
これで邪馬台国畿内説の人が大喜びだってさ。www
近畿の古墳の石棺が九州から運ばれてる時代に、これが何の証拠になるんだよ。w
しかも都の形跡も古窯も無い、墓だけしかない奈良盆地なら、運ばれた可能性しかないじゃん。
馬鹿らし。www

641 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 03:28:18
なぜかコンクリートで墓ができてる半島よりマシしゃね?

642 :日本@名無史さん:2009/07/16(木) 01:20:35
はげ

643 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 17:41:58
>>640
タイムリーな皆既日食の話。
有名な「魏志倭人伝」邪馬台国の皆既日食ですが、
日の巫女=卑弥呼だけに天照はこの時代の疑いが強いですよね。
科学的計測で、247年も248年も皆既日食は北九州だけしか見えなかったそうです。
中国「斉王紀」でも247年の日食を記録していて、華南とは日食のルートも合うそうです。
なんだか記紀が、ますます嘘臭く感じますね。

644 :日本@名無史さん:2009/07/23(木) 21:38:44
邪馬台国の時代の伊都国までの位置はほぼ間違い無いのに
そこと似通った遺跡が奈良に無いなんて笑っちゃうね
同じ国だったと書いてあるのにね
これだけで畿内の確率0%でしょw

645 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 12:44:19
>>643
全くだよね
卑弥呼が畿内にいたなら『日食?ハァ?こっちじゃそんなんシラネ』ってなってるだろうし

646 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 00:34:58
福岡で計算すると

247年は3月24日
17時36分過ぎから欠けはじめ、最大は18時33分、終わりは19時27分
最大時点はすでに日没後
ちょっと夜が早い程度にしか感じないだろうね

248年は9月5日
4時54分過ぎから始まり最大が5時48分、終わりが6時46分
最大時点は日の出前
ちょっと夜明けが遅いくらいにしか感じないだろうね
そもそもその日が晴れていて日食に気付くことができたかどうかの保証もないけどね

647 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 02:14:33
今みたいにビルだらけだとそうかもね
現代と同じ感覚で言われてもね

648 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 17:27:06
>>646
デマなトンチンカン情報有難うw
あのね朝日と夕日は肉眼で見れるのw
天気ならほぼ総ての人が
どんな朝日夕日を見るか解って無いねw
その効果は昼間の皆既日食以上だよw
少し考えれば解るだろw
笑わせないでくれwwwww

649 :日本@名無史さん:2009/07/25(土) 20:04:34
横からすまんが
>>648
当時の普通に生活している人々が日食に気付くのはどんな状況か想像力を働かせたらいいと思うよ

>>647
日の出、日没、食の始まりと終わりなどの時間の計算にはビルがあるかどうかなんて関係ないよ

>>646
計算上、日食の時間は算出されているけど、247年も248年も福岡では観察できないことにされてるよ
247年はもっと西の地域、248年はもっと北の地域がメインだね
詳しくは下記北大のサイトで調べてみてね
www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10553/

650 :646:2009/07/26(日) 00:55:38
>>649
俺もそのサイト見てたwww
確かに局地情報で福岡を指定しても
247年のは選択肢にも含まれてないし
248年のは「この地点では日食は起きません」て表示されるな

651 :日本@名無史さん:2009/07/28(火) 00:18:37
結局、北部九州では247年も248年も皆既日食にはならなかったってことですな

652 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 18:15:02
>>649-651
デマなトンチンカン自作自演いつもご苦労様 君いつも程度低いね
www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10553/
このスレちゃんと調べたのか
247・ 18:34: 6 福岡の最大日食時間18:34: 6  
18:34: 6 それでは福岡の平均日没時間はどれくらいでしょう
それは18:33(笑)
皆既日食一歩手前で日没しました
これ庶民にはどんな映像に映るかな(笑)
庶民すべてが太陽の欠けるのを見れた訳
ほぼ皆既日食の太陽が沈んだ訳

笑わすな頭悪い奴(笑)

653 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 18:17:30
数字修正
>>649-651
デマなトンチンカン自作自演いつもご苦労様 君いつも程度低いね
www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10553/
このスレちゃんと調べたのか
247・3・24 福岡の最大日食時間18:34: 6  
それでは3・24 の福岡の平均日没時間はどれくらいでしょう
それは18:33(笑)
皆既日食一歩手前で日没しました
これ庶民にはどんな映像に映るかな(笑)
庶民すべてが太陽の欠けるのを見れた訳
ほぼ皆既日食の太陽が沈んだ訳

笑わすな頭悪い奴(笑)

654 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 18:59:15
これ以上バカボンに餌は与えないで下さい
馬鹿ですからどうせ一から十迄教わっても解りませんよ

655 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 20:17:56
>>653
福岡市から25km/minのところに皆既日食と同時に日没した場所があるって事だね
福岡市中央部には皆既日食は無かったみたいだけど
25km/minってちかいね嫌に
福岡県から見えたね

656 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 08:49:16
日中の日食は皆既日食にならなければ、大概の人が気付かず見る事が出来ないのが道理。

日の出日の入りの日食は誰か一人気付けば、周りの全ての人が何も介さずに見れる事も道理。

しかもほぼ全て欠けたところで日没とは、皆既日食より不吉な事この上ない。

「春は曙〜、秋は夕暮〜」電気の無い時代なら、日の出日の入りを確認するのは、今より遥かに多かったと思いますし。

とんでもない椿事だったでしょうね。

657 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 12:50:47
ニートだと気がつかないんだろ
日の出日の入りが生活の基準だなんて想像つかないんだよ

658 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 22:43:04
皆既日食にならなくても、それに近くなれば、かなり暗くから、それだけで恐怖を煽る足りる。
だから皆既日食になったかどうかなんて議論はナンセンス。
要はどんなシュチュエーションが、より恐ろしく感じるかであって、
皆既日食寸前での日没なんて、そんな偶然が247年に福岡にあったなんて正に驚き。

659 :日本@名無史さん:2009/08/07(金) 09:05:49
太陽がほぼ欠けたまま地平線に沈んでいく。
もちろん、夕刻であることと日食のせいで
辺りはかなり真っ暗に近い。

明日、また日が昇るのか、これはびびるだろうな。

660 :日本@名無史さん:2009/08/18(火) 07:56:44
日没前って結構明るい。
日が完全に沈んでから辺りが徐々に暗くなる。

661 :のんびりひまじん:2009/09/24(木) 08:55:44
都が九州から遷りはじめた=九州王朝の滅亡のはじまり 状況です。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html

〜出入り禁止らしいので最小限のレスにて

なお、九州王朝の滅亡事情が解明されつつあって、
九州王朝説 は ますます元気です。

662 :日本@名無史さん:2009/09/24(木) 15:51:37
>>660
畿内説皆既日食のみっともない言い訳は何だろうね
何調べても卑弥呼は北九州しか考えられないのに
畿内の貧弱な出土品では出先のはずの伊都国の豪華さとくらべものにならない
田舎確定だって

663 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 11:31:11
中国の学者曰く
「卑弥呼の鏡が三角縁なんたら鏡の可能性はゼロに等しい」そうだw
当時の中国皇帝が送るには質が低すぎるそうですw
ど田舎に擬い物が出回ったみたいwww
鳩山さんに胡散臭い馬鹿な役人学者のリストラお願いしようぜwwwww

664 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:51:18
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

665 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 09:16:02
>>663
歴史は学問であって真実を追究する事
楽しい妄想なんて馬鹿な役人学者にだけやらしておけばいい

あのチャチな三角鏡の事真面目に調べてるのかな?

666 :日本@名無史さん:2009/10/14(水) 11:42:36
畿内説を信じ込む奴は鳩山の脱官僚が嘘だと見抜けない程のレベルの低い節穴くん
どっちも間違いなく嘘だという証拠は山程ある

667 :日本@名無史さん:2009/10/20(火) 14:11:07
歴代の都の所在地にはそれなりの都らしい遺蹟がのこる
明日香に都があった訳ない

668 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 01:18:25
住みやすい所には人が集まるもんね

669 :日本@名無史さん:2009/10/26(月) 18:39:01
あほう

670 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 13:46:25
>>666
よほど馬鹿じゃないと畿内説を主張することなんて無理だよなw

671 :日本@名無史さん:2009/10/27(火) 19:35:28
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

672 :のんびりひまじん:2009/11/06(金) 10:12:48
太宰府には、正倉院をしのぐ古代最大の建物群があった。
http://mainichi.jp/photo/news/20091022k0000m040075000c.html


(ここのスレ主が怠慢なので私が投稿しておきます。)

673 :日本@名無史さん:2009/11/06(金) 10:24:10
スレ主が怠慢?何期待してるの?
一人でシコシコやってるくせにwwww

674 :日本@名無史さん:2009/11/20(金) 08:54:57
マキムクの発見が邪馬台国だって
大きいだけの穴と石で都だってさ
時代もいい加減だし
田舎遺跡と何が違うんだ?w

675 :日本@名無史さん:2009/12/06(日) 18:35:50
あれが邪馬台国ならなんで王の装飾品が皆無なんだよw

676 :日本@名無史さん:2009/12/17(木) 16:39:09
マキムクと東北の遺跡の違いは僅かw

677 :日本@名無史さん:2009/12/18(金) 17:33:34
土器片の種類が多いんだってw
そんなの首都じゃなくても流通が激しい所なら何処でもあるよ
王様の調度品や王仕様の区画整理とか
王様の影も形の無いのにね

678 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 18:54:37
マキムクあたりは奈良時代以降の本格的に奈良に都が移ってからの時間差コジツケ遺跡
ちゃんと科学的な時代調査やってないから妄想だけで都になる

679 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 19:46:59
科学的な時代調査やってないの?
じゃあ何で判定してるんだろう・・・

680 :日本@名無史さん:2009/12/31(木) 18:08:14
金欲しさの空論を大人数で肯定してるだけ

681 :日本@名無史さん:2010/02/04(木) 21:42:17
何の根拠も無いことをね

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