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九州王朝説撲滅委員会

1 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:39:28
邪馬台国畿内論者も、一般的な九州論者も、
邪馬台国東遷論者も、出雲も吉備も阿波も関東も諏訪も沖縄も
呉越同舟で、この2ちゃんねるに蔓延るウィルス
「九州王朝説」を何とかしよう。

2 :長谷部タイ子:2008/09/17(水) 03:03:25
導尿カテーテル2げと

3 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/17(水) 07:02:30
九州王朝説の異常な価値観
7世紀以前の大和王権の優勢を認めたら
邪馬台国を九州に置いて畿内説を激烈に攻撃しても畿内説の一味扱い
(著書であれほどの畿内説批判を行っている奥野正男・安本美典両氏も畿内説になるんだそうな)

4 :いっとき傾きかけたが:2008/09/17(水) 07:36:56
確かに、九州王朝説はオモロイけど、ほぼトンデモ。
邪馬台国北九州説にとっても、極めて厄介。

いっしょにされたくない。
でも撲滅はいい。
とっくに珍説とされている。
信者さんたちの『世界』で盛り上がってもらおう。
UFO地球基地説、相対性理論ウソ説みたいに。

「東日流ナントカ」の唯一の功績は、
九州王朝説の胡散臭さを、逆にあぶりだしてしまったことだ。

祭は終わったんだ。


5 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/17(水) 16:23:41
別に俺は、九州王朝論者が畿内天皇家を侮辱する云々で
九州王朝説を嫌っているわけではない。
只、その説が明らかに嘘であるからだ。
定説に対抗すれば嘘でも良い、と言う世の中にはしたくない。

6 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 16:52:32
あっそ

7 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/17(水) 18:01:47
九州年号が多量に出ている。これを否定するのは、「台馬」主流煙
副流煙検査での結果値が数倍、十倍と、大幅に越えたことをことさら
否定するのと同様なことだな。

8 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 18:28:47
>>7
九州年号?笑撃!大笑撃!

9 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 18:40:13
邪馬台国畿内説なみの妄説ですな

10 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/17(水) 20:07:17
当時畿内と九州は別国だよ。それは大陸だって半島だって国が複数
あったことから、充分類推できる。日本に大王格が畿内と九州に
いたわけさ。畿内は萬世一系といって現今まで皇統は連綿として
続いている。しかき九州は文武世の前後で滅亡した。これが真だ。
年号が多々あることはゴカ化しがキカナ〜イ。冷静に存在を
肯定せざるをえないね。年号は氷山の一角が所々出たものなのだ。
当時の日本は畿内だけの一国ではないぜ。

11 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/17(水) 20:08:41
訂正
× しかき     ○ しかし

12 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 20:35:44
九州年号とやらが刻まれた金石文を見せてくれよ

13 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 20:38:24
いま作るからまっとれ

14 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/17(水) 20:50:07
金石文があるならもう知れわたるだろうがね。別に木、紙でも
あればそれでいいわけだ。証拠の木簡もあるというしね。
だいたい九州女王国など木造建築で金属、石は少ないんではないの
か? 過大な要求をするな。エジプトのピラミッド関係の王表は
石面にずらりとある。だからといって九州王朝に石面の王表があら
ねばならないとはならない。記紀も紙だろうが。
それに比売大神も九州王朝関係の女王あたりの身分の女性だぜ。
卑弥呼ではないよ。

15 :のんびりひまじん:2008/09/17(水) 23:34:03
>>12
法興(法隆寺の金石文)だけのようです。いまのところ

16 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 00:50:30
>>15
> 法興(法隆寺の金石文)だけのようです。いまのところ

それがなんで九州なん?九州年号だという客観的根拠ある?
wwwwWWWWWWWWWWW

17 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/18(木) 06:43:32
金石文とやらは、半島の広開土王碑文に半島に倭兵が攻め入ったと
あるその倭兵が九州王朝関係の兵だよ。その年は同文から倍暦にて

 仁徳即位元年=391年(辛卯年)

だ。同即位の元年に記紀に半島を攻めた記述なんてないだろうが。
つまり碑文は九州王朝関係の内容なんだよ。

18 :のんびりひまじん:2008/09/20(土) 12:58:13
>>16
鶴峯戊申「襲国偽僭考」に、九州年号なる書物あること、その内容を事実と認めたうえで、
そういう襲の国というものは、のち平成の明仁陛下の王朝(=公おおやけ)に反抗した、
私(わたくし)のしわざと表現したという。

九州年号という表題の書物は、明治以後にも存在して、昔九州は独立国年号あり という論文だそうだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou65/kai065.html


19 :のんびりひまじん:2008/09/20(土) 13:03:27
>>18訂正
>九州年号という表題の書物は、明治以後にも存在して、昔九州は独立国年号あり という論文だそうだ。

九州年号という表題の書物は、明治以後にも存在して、昔九州は独立国にて年号あり という論文に引用されたそうだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou65/kai065.html


20 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 13:04:53
マクモニーグルは山口県だと言った。

21 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:49:55
夏祭とローガンは、お笑い畿内説の代表。

22 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:24:17
>>21
論理的に自説を証明することが不可能なので
畿内説罵倒と結論布教に終始しているアンチ畿内な君等よりは
はるかにマシな人材だと思うが?

23 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:39:43
それは22の判断力がないだけ

神武東侵説話を拡大解釈し放題の、根拠のない邪馬台国東遷説→トンデモ夏祭
王宮も宮殿もなく木器しかない畿内で邪馬台国畿内自生説→ローガン


24 :ローガン:2008/10/15(水) 15:35:29
>>23
やあ!サイキバ君久しぶり。相変わらずだね、論理等微塵も感じられない罵倒と中傷。
もっとも君に論理性等期待できそうにありませんが。
それはそうと、君には以前から質問をしておいたはずだ。 君は「中国は漢以来薄葬」と言った。
そして問われもしないのに、「文帝薄葬の詔を知らないとは話になりません」と書いていたね。 さて?その詔のどの部分が漢以来薄葬の根拠になるの?
何ヵ月も前から質問してるのに一向に回答がない。
又、倭人伝の植生に書かれた「樟」は畿内にはなく「樟、楠」に纏わる物は全て「楠正成以降」だと言っていたね。
そこで延喜式にある樟本神社三座が南北朝を下るのか? と質問したが、これまた回答なしだ。
中傷もいいが、お気楽掲示板とはいえ質問に答える位は最低のマナーだ。ヨロシク。
そうだ。もう一つついでに質問しておこう。倭人伝にある卑弥呼の径百歩の墓を君は何処に比定する?
以上の3件に答えてみなさい。サイキバ君。

25 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 15:58:53
>>24
誰に向かって吼えてるんだよ。
今日日、邪馬台国畿内自生説なんて考古学的にも、文献学的にも完全否定されてるんだよ。
全世界の人類がお前の敵だぞw

26 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 17:01:11
あーあ、ハイエナを呼び寄せるようなスレタイつけちゃって

27 :ローガン:2008/10/15(水) 17:16:35
>>25
> 誰に向かって吼えてるんだよ。

おや?九州王朝のサイキバ君ではなかったの?それは失礼。

> 今日日、邪馬台国畿内自生説なんて考古学的にも、文献学的にも完全否定されてるんだよ。

自生説なあ…
前にも書いたけど、当時の倭国とは後漢末の乱を経て、旧来の祭祀を捨て、各地方の首長霊祭祀方法を総花的に採り入れた広域の連合体。
その後、各地方でみられる定型化した前方後円墳の魁となったのが、最初の共立女王の墓。
環状乳鏡、及び弥生第X様式が出土する地域が七万戸と書かれた邪馬台国。
ずいぶん大雑把にかきましたが、これを自生説とよぶとすれば、私は畿内自生説支持です。
どう完全否定されているのかご教示ください。


28 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/10/15(水) 17:53:08
>>27
お久しぶりです。
あいかわらずアンチ畿内の連中は自説を証明する気なんか無いですね。

自分は筑紫東遷論者ですが、ある意味では自生論者でもあります。
自分は基本的に神武東征に2世紀の筑紫東遷を当てている訳で、そういう意味では筑紫東遷論者ですが、
ただそれ以前に大和に何も勢力が無かったわけではない。
その東征前の大和の勢力も大和王権と呼べるなら、私は大和王権畿内自立論者でもあります。
ただ、「畿内自立論者」と呼ばれる人々は、大和王権に対する筑紫勢力の影響を軽視する傾向が昔からあります。
梅原末治・小林行雄・田辺昭三と言った面々はその代表格。
彼等は軽視どころか、太古の昔からの大和優勢・筑紫劣勢を主張。
しかし、その姿勢は間違っている。少なくとも2世紀までは、確実に筑紫は倭の代表だった。
考古学的に見ればそうです。

もちろんローガン氏が古代筑紫を蔑視しているとは思いませんが。


29 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:52:43
原始畿内王権は、あっさり滅亡し、漢籍に載ることなく消滅しました・・・・・・・・ローガン説全滅

30 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:56:24
夏祭は、范曄が勘違いしてでっち上げてしまった「倭国大乱」を丸ごと信じ、神武東遷説話に被せてる。
トンドモの上塗りですなw

31 :ローガン:2008/10/15(水) 19:50:42
>>28
はい、しばらくです。
> 少なくとも2世紀までは、確実に筑紫は倭の代表だった。
> 考古学的に見ればそうです。

特に異論はありません。畿内は女王共立頃?が画期となり大陸からの文物や技術の流入等により、発展したもので、
先進地域は北部九州でしょう。

32 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/10/15(水) 21:35:32
>>31
>>30みたいな証拠を持たない輩はほっといて話を進めましょう。

そう、漢「委」奴国王や「倭」面土国王帥升の「倭」、
あれは当時の事を考えたら明らかに筑紫。
それが2世紀後半から大和が隆盛になってくる。
そして大和が「倭」になる。考古学的に見ればこうなります。
それを、神話を全面否定したいがために
昔から大和が先進国だったように本を書く。
こういうことを昔の畿内大和説の考古学者の大部分がやっていた。
田辺昭三は、2世紀中ごろに畿内に石鏃が大量に出現することを
「このころから大和が先進地域だった」と言う風に書いていますが、
筑紫は出雲はもっと前から青銅や鉄を使ってるわけで、
全く話になりません。
こういう前科が畿内説にはあるわけで、そのために
「畿内自立説」と言うとついつい悪いイメージを持ちがちなんですわ。

33 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 21:47:41
九州王朝説
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/wiki.htm

34 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 22:37:08
>>31
あと思うんですがね、大和王権の形成は結構重層的ですよ。
前方後円墳を見ても分かるんですが、
周溝を掘ってるのは方形周溝墓、つまり昔からの大和の文化。
葺石なんかは出雲の四隅突出型墳丘墓の影響。
鏡・剣・勾玉なんかの副葬物は筑紫の影響。
埴輪(起源は特殊器台)や突出部なんかは吉備の影響。
古墳時代中期からの副葬物に急に武具や馬具が出て来だしたのは、
扶余族の影響もあるいはあるかも知れない。
日本神話でも、昔から大和の勢力があったところに饒速日が来て王になり、
さらに九州から神武天皇がやってきて所謂大和朝廷を築いたとある。
この饒速日は政府の歴史書や平安時代の文書なんかでは
大和に天孫降臨したとか、天火明の事だとか、天神だとか、
高天原に近いように書いてありますが、
官製で無く時代も記紀ぐらい古い播磨国風土記の「大国主の息子」あたりが原型でしょう。
更に崇神天皇は吉備津彦に吉備を平定させた。
これは逆の可能性もありますが、
とにかく崇神天皇の代に大和と吉備は関係を持っている。
応神天皇は神武天皇のように東方から大和入りをしている。
百済池を造ったり、百済系の王仁を連れてきたり、百済との関連も考えられる。
こうしてみると、応神以前の日本神話も割合史実を反映しているのではないか。
そう思われるわけです。








35 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 22:49:16
王宮も宮殿も鉄器もない畿内王権

36 :ローガン:2008/10/16(木) 01:03:53
>>34
> あと思うんですがね、大和王権の形成は結構重層的ですよ。

それはそうだと思います。


記紀については、記の上表者太朝臣安萬呂が自家の祖を初代天皇の子とし、他家の祖を時代の下る天皇の近親であると記述… つまり欠史八代あたりは縦系図として考えるべきではないのかなあ、なんて妄想しています。
ではお休みなさい。

37 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 03:07:47
前方後円墳は、いわば九州型古墳。
「九州型古墳があるから畿内こそ邪馬台国」なんてちゃんちゃらおかしい。

38 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 17:37:11
>>37
畿内に九州型古墳があるので九州こそ邪馬台国なり、
というのも良く分からない理屈だね。

39 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 18:41:56
>>38
主張されていない主張に反論して得意満面、乙!

40 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:02:47
>>39
主張するつもりだった事を先に言われて悔しいの?

41 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:51:11
40は九州説に怯えてるんですね。わかります。

42 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 05:38:02
九州王朝に関する記録、文物は
総て日帝の前身たる朝廷が
焼いて隠滅してしまいましたとさ。


多分、超時空天下治大王(ときこえて、あめのしたしろしめすおおきみ)が

43 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 08:36:11
>>41
何故嘘に怯えなければならないの?

44 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 17:42:39
九州王朝説は嘘だと念じければ、夜道が怖いんですね。わかります。

45 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 22:25:40
原田実は「トンデモ日本史の真相」の中で、
「九州王朝説はもはや筑紫版皇国史観だ」旨の事を言っていた。
最初は言いすぎだと思ったが、
信者連中の罵倒と根拠の無い結論布教の書き込みを見て実感した。

46 :のんびりひまじん:2008/10/18(土) 23:49:33
>>44
>九州王朝説は嘘だ
ウソは、日本書紀にある。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/214



47 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 03:03:34
原田実は結婚直後、古田教授にねじ込めば、大学助手を続けられると思い込んだが、
延長されることなく、当初の契約期間どおりで新婚なのに失業してしまった。
それを逆恨みした私怨から、安本と組んで古田の九州王朝説を必死に攻撃している。

48 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 08:04:18
>>1
九州王朝説って何だか、「韮澤潤一郎」と「大槻教授」のUFOなどの超常現象
バトルとかぶって思われるのは私だけでしょうか。

49 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 09:32:03
>>48
強いて言えば大槻が安本、古田が韮澤、と学会が宝賀寿男だね。
(宝賀寿男の「邪馬台国東遷はなかった」は中々面白かった。)

50 :のんびりひまじん:2008/10/19(日) 15:32:07
>>48 >>49 私の主張を当てはめる(超常現象=ウソのようなことがら が前提)と

×九州王朝説=超常現象
○日本書紀=超常現象 >>46 ← 九州王朝説=この超常現象を説明する仮説の一つ
                      (日本書紀の超常現象を説明する別の仮説はあるか?)

51 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 16:46:57
>>48-49
年末特番で

 『ビートたけしの世界はこうしてダマされた!?』

に古田先生が出てくれるのキボンwwwwwww


52 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 20:51:40


  幻のアトランティス大陸説 = 畿内説

53 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 00:05:38
北朝鮮主体思想=九州説。

54 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 00:10:45
そんな一元史観は、畿内説の専売特許>53

55 :のんびりひまじん:2008/10/20(月) 01:07:27
>>42
>九州王朝に関する記録、文物は総て日帝の前身たる朝廷が焼いて隠滅してしまいましたとさ。
総て、でしょうか? 存在しているのに、見えていないものが多いのでは。
例えば野中寺の金石文はいかが? http://www5.ocn.ne.jp/~asukahis/mirokubosatu.html
当時の天智天皇に、中宮天皇というお名前はありません。
中宮天皇という方は、現在の明仁陛下のご先祖におられません。
666年にご病気の陛下と承りますと、まことに日本列島の天皇さまにふさわしい と
考えます。
∵白村江敗戦で多くの臣下国民を戦死し、唐には多くの捕虜が連れ去られ、
そこへ唐の使者がやって来ました。
こんな事情の中では、ご病気にでもなられるのが陛下らしい。

日本書紀の天智天皇は、このタイミングでの動静が明確ではありませんが、
病気の様子はありません。

法隆寺の金石文に出てくる、上宮法王さまという方も奇妙です。文面からは
上宮法王ご自身が日本列島の天子さまのようです。日本書紀の推古天皇はこの
文面からは存在しなかったように読みました。

56 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 14:30:12
大和朝廷も、さすがに木簡や風土記まで改竄できなかった。

筑紫都督府には都督が列島広域を統治→配下の評督が地方統治といった
九州王朝組織のもとで、行政区画「評」が700年まで存在したのを、
記紀では完璧に「郡」と書き換えたのだが、木簡や風土記には「評」が
大量に残ってしまった。

57 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 18:37:42
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

58 :のんびりひまじん:2008/10/20(月) 19:05:49
大化の改新はなかった!

TVにまで取り上げる時代になった
http://www.tv-tokyo.co.jp/shinsetsu/back/081014.html

遠山美都男 先生 や
森 博達 先生が出演されて、結論は、

大化の改新はなかった!    日本書紀の捏造!  となった。

そりゃ、九州王朝が白村江敗戦前の 640年代の改新 を行い
    近畿王朝が白村江敗戦後の 690年代の改新 つまり 大化の改新を
実行したという解説は今のところはされない。しかし >>50 に示したように

×九州王朝説=ウソのようなこと
○日本書紀=ウソのようなこと ← 九州王朝説=このウソのようなことを説明する仮説の一つ


    〜少しずつ、近づきつつある

59 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 23:43:53
>>104
東海地方で古墳時代初頭に鉄が減少した事実はない。
愛知県犬山市にある古墳時代前期の東之宮古墳から鉄剣、鉄斧、鉄刀が
多数出土している。

60 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 23:56:03
>>59はクラスター爆弾級の誤爆でした。遺憾。遺憾。

61 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 10:14:03
観世音寺の鐘の兄弟鐘である妙心寺の鐘に刻まれた日付。

62 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 20:59:29
九州王朝説は、邪馬台国九州論者にとって
被害甚大。

トンデモとうりこして、もうカルトだ。

63 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 21:30:30
そりゃ真逆。九州王朝説に庇護されているのが九州説。

64 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 21:53:07
さいきん、きゅうしゅうおうちょういがいのきゅうしゅうせつっているの?
もはやぜつめつしゅじゃない?

65 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 21:48:06
ほらね、近畿論者がよろこんで九州王朝説を煽る。

迷惑このうえない。

66 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:55:21
>>65
ああ、九州王朝説でない九州論者が悪ノリしている。
まるで民主党支持者が意気揚々と
「自公共の陰謀」を語るようだ。
本質的に結びつかないものを「自分達にとって邪魔」と言う理由で
一緒くた。

67 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/10/23(木) 17:27:55
大和王朝に滅ぼされたクマソ王朝は九州にあったんじゃないの?




68 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 18:47:06
九州王朝畿内出張所は、九州王朝系の天武に滅ぼされました。おしまい。

69 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 12:26:04
徐福先到朝鮮南部再到九州,實際他是日本最早的天皇

70 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 21:40:42
のあ「ブラジルの勝ち組」みたいなもんで
実害はないけどウザい。

71 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:43:12
>>67
>大和王朝に滅ぼされたクマソ王朝は九州にあったんじゃないの?
滅ぼされた? 何時? 


72 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 22:10:34
熊襲王朝に滅ぼされた大和王権?
熊襲王朝がわざわざ南九州から出向かなくても、
大和なんか再三、滅亡してるだろ。

73 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 07:29:00
クマソは
「球磨国むと「蘇国むの合成地名だと思う。
九州勢力に対する蔑称。
異族と呼べるのはむしろ「隼人」

おそらく南九州の縄文人。
だがその服属後、朝廷ではエラく優遇され、崇敬を集めてない?
ここんとこ妙なんだよな。
いまでも「薩摩隼人」なんて誉め言葉だし。

74 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:32:11
天武=九州系畿内政権から、畿内土着系勢力に政権を取り戻した聖武天皇からすれば、
北部九州は敵だが、敵の敵である南部九州隼人は魅力的な仲間となる。
呼称としても、「はやと」は「はやひと」、つまり「俊敏な人」という意味で、蔑視感はない。

75 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 19:41:32
            _r うー 、
           と ,-、  }
           丶_,、_.、ヽ
        ,. -─‐- 、   ヽl
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     /      , '´ ヽ:`: : ´ : : __`ヽ
      l      //: : : : : : : : : ´: : :ヽ: ヽ
     l     / /: :/´: :l: :l: : : l: l: :ヽ: :ヽ: :ヽ
     ヽ   /.イ: :/:l: : :l: :ll:l: : :l: l: l:l:ト 、ハ: : l
         l/ l: :l: l: : lト.、ll:l: : lH弋l: l>'/、> !
       , '⌒ヽ: N',: :lォ=ュ !l:/ォ=ァリ V: : l: :l ,. ‐ 、
       { ⊂ N l:ヽl ""rァ─、""イ: :l l: : :l: i ⊃ i
       丶-、 \: :l ヽ l    l , l: :l: :l: : l'´ ァ '′
             \ \: 忖` ┬ '´ケl: /7´l: :l /  もーーーーぅっ!
          //:\/:〉:lミ r'゙ く 彡l:/:l   l: l: : l
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76 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 22:07:50
>>67
元々無い物は滅びようがない

77 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 02:06:29
大和王朝も、7世紀以前には存在しない

78 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 09:26:10
邪馬台国九州説の人はコタツを使用してはいけない。
邪馬台国九州説の人はストーブを使用してはいけない。
邪馬台国九州説の人はエアコンの暖房を使用してはいけない。冷房を使用しろ!

79 ::2008/10/31(金) 19:09:34
相変わらず、意味不明な畿内説

80 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:49:35
>>79
九州説によると倭地は温暖だから暖房はいらないでしょう。

81 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:53:45
「九州説によると」・・・漢籍にはっきり書いてあるんですが。
暖房不要かどうかは、その人によるでしょう。
ニューギニアの山の夜ですら相当涼しいですから。

82 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:31:06
>78>>79
こういうの見ると>>79の自演っぽく見える


83 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:36:37
日本書紀の記述の矛盾を指摘してるのは面白いが、それで九州王朝の実在を証明できていると思っているのが不思議だ。

84 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:17:26
っていうか、九州王朝説なしでは、全然古代を説明できないんだが

85 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:32:56
>>84
どれほど合理的に説明できても証拠がなければただの妄想。

86 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:46:33
>>85
それは畿内説に対して言う言葉

87 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:57:30
我が国最大の古墳がある→我が国最高の権力者がいた証拠→邪馬台国があったこと
が認められる。 これが畿内説論者のいう証拠。

88 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 12:04:37
九州王朝が仮に存在したとして、なぜその歴史を抹殺する必要があったのか
わからない。事実を自分たちの都合のいいように改竄するのはわかるけど、
存在まで否定する必要はないのでは?
当時のインテリ層なら中国の史書を読んでいるだろうし、王朝が交代したり
並立する王朝が片方を併合することは正当性を失うことにならないことくらい
知っていたように思うんだが。


89 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 12:18:39
血みどろの戦いをした隋唐帝国の前で、畿内国が九州王朝の皇統を隠蔽しないはずが無い。
いっぽうで天孫の王統である由緒(2度も金印受領した国家の系譜)はしっかり確保したいだろう。



90 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 12:58:59
>>88 >>89 最近考えているのは 
近畿王朝のマボロシ そして

集団裏切り説
×     九州王朝    VS 近畿王朝
◎九州王朝 九州派(朝廷) VS 関西派(幕府)

勝利した関西派(幕府)集団が皇位を奪ったついでに、ほぼ全員共謀で
皇統を偽装する書物・日本書紀を残した。

∵ 後世に反逆(者の子孫という)汚名を残さない。

   〜二王朝の対立(の勝敗)と考えるから分からなくなっているようだ

91 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:32:28
壬申の乱・・・畿内王国土着権力者天智 VS 九州王朝畿内派天武 ・・・後者の勝ち

文武即位・・・畿内王国土着権力者天智系派閥 VS 九州王朝畿内派天武派閥 ・・・前者の勝ち

記紀編纂・・・畿内王国土着権力者天智系派閥 VS 九州王朝畿内派天武派閥 ・・・前者による後者の締め上げ

92 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 14:13:23
>>91 
形式:地図の方式にあわせて西を左側、東を右側と表示するのが分かりやすい
内容:仮説の一つとしましょう。(天智は日本書紀で悪役が多いのだが・・・・)
  
             〜このスレでこうゆうレス交換って変な気分

93 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:47:47
撲滅委員会が逆に撲滅されていくのを、生暖かく眺めるスレです。

94 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:52:54
>>88
つうかそのような500年以上にわたる文物を全て証拠隠滅する事が果たして可能なのか?っちゅう話やねwwwwwwwww

九州王朝説なんて「記紀のここが矛盾している」と言わば”攻勢”の時は良いんだけど
じゃあ自説の立証と言う”守勢”に回ったときはもう馬脚を現すどころじゃないw


まあ「陰謀論」「トンデモ」%8

95 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:54:25
>>88
つうかそのような500年以上にわたる文物を全て証拠隠滅する事が果たして可能なのか?っちゅう話やねwwwwwwwww

九州王朝説なんて「記紀のここが矛盾している」と言わば”攻勢”の時は良いんだけど
じゃあ自説の立証と言う”守勢”に回ったときはもう馬脚を現すどころじゃないw


まあ「陰謀論」「トンデモ」に良くある話です、ハイwwwwwwwwwwwwwwwwwww

96 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 16:57:59
>>95
可能でなかったから、千年以上後世の人間があたかも見て来たような九州王朝の
歴史を語るわけだから、笑えるよね。

97 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 17:51:40
>>94 >>95
>そのような500年以上にわたる文物を全て証拠隠滅する事が果たして可能なのか?

(日本書紀成立当時の)現代史なので、抹消不可能な部分が日本書紀に残った例として、
大化、白雉、朱鳥 という三個の変てこ年号は、当時の現代史部分の九州年号。

                〜こんなにミエミエなのに・・・・

98 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 18:21:37
>>97 のんびりひまじん

はあ?

瑞祥をもって年号とされた物が多い中で「大化」と言うのはいかにも風変わり

そして墓誌、売地券、木簡etc・・・にその記述が無く
「大化」が後付けされた物、実際に制定された物であっても殆ど普及しなかった物
…なんて普通に言われているが?

別に九州説のお世話になる必要はサラサラ無いwww


99 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 18:59:55
出土する木簡から九州王朝の痕跡がたくさん・・・
風土記に九州王朝の痕跡が・・・
日本書紀に筑紫都督府の文字が・・・
万葉集には九州出身者の歌がごっそりと抜け落ちて・・・

九州王朝の痕跡だらけだな

100 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 19:13:25
>>98 まず、
×九州説
○九州王朝説   のつもりでしょうね。


九州年号と言うと過剰反応したがる(らしい)。

そこで 古代年号 を考えるべし。  (九州王朝説者は同じものを九州年号という。)
よって 古代年号(九州年号)としておく。

さて(続日本紀 に出る)白鳳、朱雀も加える。(法興 もあるが少し別)。


古代年号(九州年号)の現代史部分



白雉(白のA)
白鳳(白のB)
朱雀(朱のA)
朱鳥(朱のB)
大化(大のA)→大宝(大のB’)で近畿王朝が明確に対立・・・西東二朝時期
大長(大のB)



           〜いったん、ここまで

イヤだろうが、覗いて見給え
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html


101 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 20:06:21
>>98 大化の年号は、実に面白い。

近畿王朝の日本書紀では、元年=645年で、有名な改新の詔がある。
古代年号(九州年号)では、元年=695年。

改新の詔は、古代年号(九州年号)の大化時代(=690年代)に出たもの 
と仮説する九州王朝説者がいる。その一方、

改新の詔は、670年代以後のはずだ。分からないナゾだと書いている。(今、本屋に並んでます。)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1221572368/ 「大化の改新」隠された真相(谷口雅一)

102 :のんびりひまじん:2008/11/01(土) 20:10:07
>>101 http://blog.fc2.com/goods/4478006067/rekishhyor02-22

103 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:34:21
>>99
> 日本書紀に筑紫都督府の文字が・・・

それが、何で九州王朝の痕跡になるの(笑)

104 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:46:47
>>103

都督(都督府)って、都護(都護府)の命令を受ける、中国の職だったって知ってた?
畿内王権が都督府や都督府を設置した記録もないわけだが。

105 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:07:02
>>104
お前の頭は弁髪か?いつ日本が中国の植民地になった?アホ馬鹿中国人!

106 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:08:48
>>104
> 畿内王権が都督府や都督府を設置した記録もないわけだが。

畿内王権? 何を言ってるんだ。 九州王朝の痕跡になるのかと言っているのになんで畿内王権が出てくる?

107 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:12:47
>>104
アホのサイキバ君だろw
畿内 否定 命!w
畿内説さえ自分なりに否定出来たら自分の妄想に光が指すと勘違い! よくいるトンデモの見本だね。


108 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:25:39
畿内王権しか眼中に無い馬鹿だから、畿内王権を否定してやってるんだが?

109 :のんびりひまじん:2008/11/02(日) 00:35:49
>>105さん ウヨ思想家みたいな、汚いコトバが出るのは事実を無視したい場合。
日本書紀 の書かれ方では
天智6(667)年に(前々年に遣唐使とした)境部石積を、百済(を支配した唐)の鎮将劉仁願が(百済の)
熊津都督府の司馬法聰に命じて、
筑紫都督府まで送ってきた。            とある。

663年の白村江戦に勝った唐側は占領のつもりで、(百済の)
熊津都督府と同様に
筑紫都督府を設置し(都督を任命し)たことを、日本書紀は隠していない。  このように読む。

以上、気に入らなくても、素直に理解し受け止めてください。

ただし、即座に、日本列島に植民地が成立したと言えるかどうかは、また別問題。(ともかくこのとき、敗戦後)

110 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:55:11
>>109
筑紫都督府って日本側が設置したんじゃないの?
普通に防衛強化のためだと思ってたけど。

111 :のんびりひまじん:2008/11/02(日) 01:34:41
九州王朝説者は、(郡制度以前の)評の制度は、九州王朝の制度だったと言うのだが・・・

(那須国造碑)
@689年に那須国造は、評督(こほりのかみ)を賜った。
A700年に死んだのでこの石碑を建てた。

この年代表記は
@永昌元年・・・・なんと 唐の年号!
A庚子年・・・こっちは、同時期の木簡に見える。

以上を、
九州王朝は、唐に屈服する意識で年号まで、自前の年号すら表向きには使わない屁タレぶり。
怒った近畿派は、年号を干支表記して抗議していたのが、那須方面でも同調された。
701年、独自に大宝という年号とともに、自立した。>>100 などの解釈がありうる。
   (同時に派遣された粟田真人は、堂々唐と交渉し、則天武后から対日本列島国交正常化を獲得。)    

112 :のんびりひまじん:2008/11/02(日) 02:30:32
>>110 日本が設置したという解釈もあり得るでしょう。でも
一続きの文章に、都督府が二つ出ています。どっちも同じ主体=唐が設置した解釈で自然。

ところで、文中の
劉仁願:668年には、占領がはかばかしくないので、辞めさせられる。
司馬法聰:唐人でなくて、唐に降伏した百済人。のち670年代に、
唐(+降伏百済+降伏高句麗)VS 統一新羅(新羅+百済遺臣+高句麗遺臣)戦争で、
新羅の捕虜にされ、講和交渉で唐に送還(三国史記 新羅本紀)。
(660年、百済が唐に降伏後、)唐の手先に使われる百済人として、>>109再読されたい。


   〜よく読みこみ、トンデモ解釈に注意しよう・・・って、このスレ何だったっけ?

113 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 14:52:44
このスレは、撲滅委員会が逆に撲滅されていくのを、生暖かく眺めるスレです。

114 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:16:29
那珂八幡古墳最高にシュール


115 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 18:25:23
>>113
素晴らしい!最高でしょう!
お前の人生が最高の状態で終了するように眺め終わったら朝鮮半島に帰れ!

116 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:38:09
また祖国に戻れない、被差別白丁が騒いでます >115

117 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 10:36:58
もし筑紫都督府があったら水城・大野城とか防人で敵中に孤立してしまう。

118 :本田:2008/11/03(月) 10:50:13
>>117
水城は朝鮮式水城、大野城は朝鮮式山城。
つまり倭韓を支配する統一新羅皇帝文武王(倭名:天武天皇)が建設した。


119 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 11:54:35
>>118 
新撰姓氏録によると、諸蕃のうち、大半が百済で、高句麗・任那、漢呉と続き
新羅は1%程度とか。

120 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 11:57:22
>>118
薄汚い朝鮮人の方、こんにちは。耽羅(済州島)は日本固有の領土です。
今すぐ竹島と一緒に返しなさい。あなたは臭い朝鮮半島に帰りなさい。

121 :本田:2008/11/03(月) 12:16:57
>>119
○武天皇は、易姓革命の勝者に対する称号。
新撰姓氏録は桓武天皇による易姓革命の後で、
彼の孫の嵯峨天皇により編纂された。
桓武天皇の父の光仁天皇は、天智天皇(別名:百済王善光)の孫。



122 :本田:2008/11/03(月) 12:29:57
>>121
天智天皇は、百済王善光と兄の扶余豊璋の二人一役かも。

123 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 12:39:50
>>67 美濃もんた
>大和王朝に滅ぼされたクマソ王朝は九州にあったんじゃないの?

最後の古代年号(九州年号)の大長9(712=続日本紀の和銅5)年に、九州王朝滅亡と考えられる。
  翌年4月、日向国を分け大隅国を置く。7月、隼賊討つ将軍士卒たち1280余人を授勲。(続日本紀※)
↓  このときは、元明女帝。
>>68
>九州王朝畿内出張所は、九州王朝系の天武に滅ぼされました。

※この授勲に対応すべき戦闘記事がない(←例によって九州王朝かくし)。前年で九州年号終了が傍証と考える。
古賀達也さんが 古代に真実を求めて第11集(2008)に書いている。(←好き嫌い関係なく読むべし)

なお、こののちの熊襲の反乱は、後九州王朝の抵抗と見る。
例えば、大伴旅人の活躍(日本書紀成立720前後)


   〜ジョーダンないし軽蔑のつもりかも知れぬが、真実に近そうだ

124 :本田:2008/11/03(月) 13:12:22
>>122
大阪・百済寺跡
百済王氏の邸宅か 大型建物跡が初の出土
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is60411a.htm
壊した後に建立
 大阪府枚方市中宮西之町の国特別史跡・百済寺跡(8世紀後半)の下層から、大型建物跡が初めて出土したことが、同市教委などの調査でわかった。
同寺を建立した渡来系氏族・百済王(くだらのこにきし)氏の邸宅とみられ、邸宅をつぶして寺院にしたらしい。
奈良時代には鎮護国家のため国家が寺院を造営しており、その影響下、有力氏族が寺院を建てて地方経営にあたった実態を知る資料となりそうだ。
百済寺跡の下層から出土した大型建物跡。右上方の高まりが西塔跡(大阪府枚方市で)
 西塔跡の北側で、直径0・8メートルの円形の柱穴を持つ建物跡の一部が出土。
それと重なるように1・1メートル四方の柱穴を持つ建物跡も出土した。
柱穴の大きさや間隔から、いずれも大型の建物だったと判断した。
 これまでの調査で付近から7世紀後半の瓦が見つかっており、百済寺が完成する8世紀後半までの間、初めは円形の柱穴の建物が建ち、後に一回り大きな方形の柱穴の建物に建て替えられていたらしい。
 百済王氏は、朝鮮半島・百済の滅亡とともに、日本に亡命した王族で、朝廷に高級官僚として仕えた。
百済寺を建てたとされる百済王敬福(698〜766年)は、奈良・東大寺造営時に砂金を献上した功績で河内守となった。
 北約500メートルの禁野本町遺跡からは整然と並んだ建物跡や、郡の長官を指す「大領」と書かれた木簡が出土。
一帯には百済王氏一族の邸宅や関係する役所が広がっていた可能性が高く、都市計画のもとに整備されたことをうかがわせる。
 森郁夫・帝塚山大教授(考古学)の話「相当大きな邸宅だったと推定でき、百済王氏の力の大きさと、邸宅をつぶしてまで鎮護国家の寺院を造り、朝廷と密接な関係を保とうとした意志を示す成果だ」
(2006年04月11日 読売新聞)

125 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 13:30:09
>>118 >>121 >>122 で(奇妙な仮説として)言うところは;
○百済王=日本天皇


>>124 の資料の言うところは;
○百済王=日本の高級官僚
×百済王=朝廷(日本天皇)      と読めますが・・・

         

  〜百済王氏一族が優遇されたことは理解します。(明治の大韓帝国皇族も同様でした)

126 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 14:03:56
訂正
>>118 
○新羅王=日本天皇 と 言うのに続いて
>>121 >>122      
○百済王=日本天皇  と、別の奇妙な仮説を言う のですが


>>124 の資料の言うところは;
○百済王=日本の高級官僚
×百済王=朝廷(日本天皇)  と読めます。

(新羅系が少ないことは >>119で別途言及しました)

127 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 15:07:32
>>96
>千年以上後世の人間があたかも見て来たような九州王朝の歴史を語るわけだから、笑えるよね。

笑いましょうか? http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1223605783/8-9 笑いましょうか?

128 :本田:2008/11/03(月) 20:17:52
>>126
>(新羅系が少ないことは >>119で別途言及しました)

それは桓武天皇の易姓革命の後の話です。
天武天皇とその子孫の治世では、当てはまりません。

129 :のんびりひまじん:2008/11/03(月) 21:54:25
唐年号(を新羅が使った時期の)竜朔3(663)年8月、白村江勝利直後部分の新羅側記録。

(新羅の)大王[文武王]は、倭人に語って、
「考えてみると、われわれとお前の国とは、海をへだてて境界を分かち、いまだかつて交戦した
ことがなかった。ただ、交誼を結び、和を講じて、訪問し交通してきた。それにもかかわらず、
どうして今、百済と悪事をともにして、わが国を欺こうとするのか。今、お前の兵士は、わが掌中に
ある。これを殺すのに忍びない。お前は、国に帰ってお前の王に報告せよ。」と、言った。(そして)
その思うままにさせた。(王は)軍隊を分けて(残る百済の)諸城を攻撃し、降伏させた。
   〜三国史記 列伝 金ユ信 (岩波文庫 佐伯有清編訳 〔88〕P123)

日本列島と新羅の関係は上記のごとくであった(その後以上の双方の関係はこの基本路線・・・重要!)。
>>118 >>128 ←なんぞの妄想しているのでないかい?

注)わざわざ、ここまで引用したのは、ここに掲げる文武王のことばとして示される、

新羅の重臣:金ユ信の偉大な構想(=日本と朝鮮との相互不可侵)を伝えたかったから。

金ユ信こそは、(近代日本の伊藤博文と山県有朋を兼ね備えたほどの)古代極東の偉大な英雄!

その後の1300年以上、現代に至る 日本列島と朝鮮半島との政治上の関係が、この
白村江の戦後処理で決まった。←金ユ信の構想

              〜このスレって、どうなっている?

130 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:40:56
このスレは、撲滅委員会が逆に撲滅されていくのを、生暖かく眺めるスレです。

131 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 22:50:45
ま、厭きる迄ほっとこう。

132 :本田:2008/11/04(火) 00:12:30
>>129
そんなにまるくおさまっていたら朝鮮式山城や筑紫都督府なんか無いでしょう。
どちらも倭国占領政策の産物です。

朝鮮式古代山城一覧
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/yamziro.html

133 :のんびりひまじん:2008/11/04(火) 01:02:57
>>132
日本では、やっと22城か。

講談社学術文庫 古代朝鮮(井上秀雄)くらい読みなさい。三国史記のダイジェスト説明だ。
その当時の朝鮮半島事情を理解するためには、中央の貴族集団ばかり見ていてはダメと書いている。

・660年、百済滅亡といっても、首都の王族を含む貴族(の私兵)たちが負けただけ。
地方の在地豪族たち(=遺臣)が、百済から新羅に乗り換えて、唐に対抗した。
・663年、白村江で百済遺臣援助(さらに高句麗にも野心)の倭軍(と言っても貴族の私兵)大敗
・668年、高句麗滅亡といっても、首都の王族を含む貴族(の私兵)たちが負けただけ。
地方の在地豪族たち(=遺臣)が、高句麗から新羅に乗り換えて、唐に対抗した。

百済や高句麗の在地豪族たちの、抵抗拠点となったのが、現在でも半島に百以上残る、山城。

倭国の場合、この建設が遅れたようだ。←608年使者が来た隋の記録は「城郭なし」(隋書 イ妥国伝)
  あわてて建設始めたらしいのが、斉明2(656)年の記事、狂心の溝、多武の峰 (日本書紀)

・670年以降、唐 VS 新羅 戦争。>>109 >>112 も参考。

    〜いったん、ここまで

134 :のんびりひまじん:2008/11/04(火) 02:01:59
・668(天智7)年9月、新羅からの使者に金ユ信あてに船一艘(分のプレゼント)を
中臣鎌足が委託とある。 金ユ信と鎌足は、>>129 の相互不可侵の精神で一致したと考える。※

※三国史記 新羅本紀では、このとき、高句麗ピョンヤン落城寸前なのだが、若い文武王が指揮、
老人の金ユ信は新羅の首都(慶州)で留守を守った(なんと日本書紀と対応)。日本列島へ状況を伝えて、
(高句麗戦後の新羅は、唐と対立見込みにつき)協力 ないし せめて中立を依頼しておかしくない。
このために5年前、恩を売った(=日本列島の兵を捕虜としなかった。)

(まとめ)
日本列島に残っている朝鮮式山城は白村江以前に建設された。
文献の筑紫都督府なるものは機能しなかった。唐と新羅は戦争する。日本列島に手出しどころでない。
新羅と日本列島の政府はその後も相互交通を続けた。唐は結局677年朝鮮半島から撤退。

・670年代、唐VS新羅 の戦争は、派手なことはない。新羅の中央貴族の私兵は何度も負ける。
それでいながら全体として新羅は勝ってゆく。
歴史は、中央貴族たちが書くので、記録されることのない地方の在地豪族の活躍であろうと井上秀雄さんは書く。

なお、古田武彦さんは白村江のとき、近畿の天智は、母・斉明の死を口実に九州王朝を裏切って
動員した兵を朝鮮へ送らなかったと書く。そうだとしたら、日本列島には残存兵力があったので、
占領されるなどは考えられないはずなのだが、今度は占領されたなどと言い出す。
(マッカーサー世代の人らしい恐外国軍病から抜け出せない。)

135 :すいぜい:2008/11/05(水) 23:01:49
まあ、邪馬台国などどこにあろうが 九州王朝等と言う空想とは全く関係ない!と 言っておく。

136 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/05(水) 23:05:11
年号がうんと出てるからもう間違いない。あとは無いとか云って
る連中の偽作だとか私年号とか因縁をつける労働だけ。

ZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・

137 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:28:50
九州王朝説に立たないと、倭の五王や煬帝への国書問題など、一連の漢籍をまったく解明できない

138 :すいぜい:2008/11/06(木) 00:07:40
>>137
> 九州王朝説に立たないと、倭の五王や煬帝への国書問題など、一連の漢籍をまったく解明できない

全く、いつもいつもお経のようなレスだな。エンドレスな自己結論書くなよ。
〜でないと説明できない→よって自説は真なり。
宗教だよ、そんなの。しかも出来たつもりの説明もマイナーだし・・・
けど改心させるつもりはないよ。めんどくさいだけだからな。


139 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 00:50:07
>>137     
>九州王朝説に立たないと、倭の五王や煬帝への国書問題など、一連の漢籍をまったく解明できない
倭の五王や煬帝への国書問題など、一連の漢籍をまったく解明できない理由の説明仮説が
九州王朝説。     また、
邪馬台国や倭奴国についての事情が解明できない説明仮説も
九州王朝説。

古事記日本書紀において、説明がなされていないから解明できない。
古事記日本書紀において、説明しないで隠蔽した事情の説明仮説が九州王朝説。

>>138
>めんどくさいだけだから
古事記日本書紀に説明が存在しないことを不思議と考えたがらないことの別表現。

140 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 01:26:46
>>138 考えたがらないこと(=思考停止)を再度認識されよ

(この異常さを見なされ!)
531年、安蔵王死。<梁書に526年死とあるのは誤りである。>(三国史記 高句麗本紀)

531(辛亥)年、高麗その王安を殺す、また 日本天皇太子皇子ともに死。(日本書紀に引用の百済本紀)

こういう外国の記録があるので、(おそらく日本国内の)別の書物では、534年とあるが、531年に継体は死んだことにする。(日本書紀P 継体紀)

・・・・(有名な3年のズレ:2年の空位)

534年、継体天皇が死んで、即日、安閑天皇が即位。(日本書紀Q 安閑紀)  

日本書紀の記事の異常のはなはだしさを、高句麗の記録ぶりと比較認識すべし。

                     
                    〜ここは説明仮説を控える

141 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 02:08:40
>>140 日本書紀の記事の異常さを認識できますか?     成立年は
・梁書   629年
・日本書紀 720年
・三国史記1145年

(異常さ認識のため、もう一例)
545年、安原王死。<梁書に548年死とあるのは誤りである。>(三国史記 高句麗本紀)

545(欽明6)年、高麗大乱、国香岡上の王死。546(欽明7)年、高麗大乱、およそ戦いて死ぬる者二千余。(日本書紀 欽明紀)

外国(高句麗)の対外極秘事項を知っていることを暴露している。
現代のきむじょんいる戦国時代の武田信玄など生死安否の情報が極秘となることがある。
他国の極秘事項を知っていることまでもが極秘のはず。(上記で中国側に誤伝したことも極秘を示す)
その一方で 自分の国の天皇の死を変てこな年代記事にしている。>>140

6世紀時代の自国の一番基本のこと(天皇の生死年)ですら、
かくし事をしていることミエミエの日本書紀。

このような異常な書物・日本書紀には、五王の倭、卑弥呼壱與の邪馬台国、金印の倭奴国もすべて
真実を隠したと読めないのかい?

142 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 14:46:19
>>141
隠した? 五王、卑弥呼、倭奴国当時の九州は畿内と別国だから、
別に隠したってしようがない。書かれてないのが当たり前。書いて
いてもいいが、九州が他国では書くまでもないことだということ。
日本書紀は卑弥呼、壹與の記事を隠したんなら、神功39年等の記事
も紀に載せるまいが。だから卑弥呼は隠したことにはならない。

143 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 15:28:57
不比等の我田引水記紀を少しは疑えよ!

少なくともその家系と対立した蘇我辺りから

144 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 15:38:32
記紀は探偵小説ではない。勿論間違い個所もあるが、大した利害も
見当たらないものを隠す必要もなかろう。それは記紀の成立に近い
年代はいささか利害はあろうから、その辺の時代は可能性としては
ありえよう。卑弥呼を隠すなら進んで神功39年の記事を載せるわけ
がない。載せれば卑弥呼がいたことが分かろうし、いずれは倭人伝
を一般の日本人が読むだろうから、隠しても時間の問題で存在が
発覚するのは舎人親王らでも予想はつく。だから五王、卑弥呼あたり
の時代の史実を隠すことは、やっても無駄なのは親王は承知の筈だ。

145 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 16:00:34
>>142
日本書紀:不思議な隠し方です。
おんな であることは
おんな じですが
卑弥呼(独身)・壱與(独・婦不詳)の二人 と 神功(亭主持ち)一人 が同じ年代と言うだけ。

別国の別人と読めなかったらどうかしてる。→本居宣長のクマソ女酋説も(差別語を抜けば)説得性あり。


(稲荷山鉄剣という金石文)
・杖刀・・・・三国志 蜀志 張飛伝 に 張飛杖刀して立つ とあるそうです。
・佐治・・・・魏志倭人伝にあり。

辛亥(471)の年、関東にまで 陳寿の三国志 が知られていたこと明白。(古代人を見くびるなかれ)

さては >>90 裏切り集団共謀のウソ歴史書・日本書紀。有名な卑弥呼壱與の邪馬台国は神功同時代と示しつつ、
真相知ったうえで、とぼけて隠したに相違ない。(一方で 高句麗機密に暴露能力 >>140 >>141 )

   〜日本書紀の中途半端な隠し事ぶりと執筆者たちの能力をテーマしたいところ・・・

146 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 16:08:16
日本書紀は多数でこさえただろう? だからそういうことをすれば
連中の一部の者らがいさめるに違いない。利害が見あたらなけりゃぁ
そんな隠し立ては無用だから、そんなことくらいでトボケなんか
ない。それより単独とか少人数とかになると秘密を文面に文底秘沈
をやる。七支刀とか隅田八幡鏡などがそれ。研究すれば隠した秘密
が分かるようになっている。

147 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 16:13:51
隅田八幡鏡銘文の作者が明確に書かず、日十大王(=武烈天皇)と
など、他で聞いたこともないような大王名になってるのは、天皇が
人間虐待をやってると直接書けば作者が殺されてしまう。そういう
利害があって分からないように真相を書いているわけ。

148 :ローガン:2008/11/06(木) 16:42:14
>>145
> (稲荷山鉄剣という金石文)
> ・杖刀・・・・三国志 蜀志 張飛伝 に 張飛杖刀して立つ とあるそうです。
> ・佐治・・・・魏志倭人伝にあり。
> ↓
> 辛亥(471)の年、関東にまで 陳寿の三国志 が知られていたこと明白。(古代人を見くびるなかれ)

「杖刀立直」蜀志馬超伝裴松之注引用山陽公載記ですね?
裴松之没が451年かな? えらい速く日本の関東迄来たものですな。

149 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 16:51:19
ローガンみたいな耄碌した使者ばかりじゃないからね
周の評判が今一のときに倭人は成王に使者送ってポイント稼いだし、
卑弥呼も魏に速攻で使者を出してたくらいだし、
古代に行くほどグローバルだったりする。

150 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 17:12:46
>>146
>文底秘沈

良いコトバを教わりました。ありがとう。
日本書紀は、相当数の巻に、その文底秘沈の内部告発者(おそらく複数)による
不調和乱雑が充満しています。(貴殿ならキットそう読むようになります。)

    〜すばらしいレス交換。このスレどうなっているの 

現代史のウソって深刻に思いますか?    
(例えば、中国はじめ各共産党によるウソ、朝鮮半島から仕掛けるウソ、日本戦時中のウヨクウソ・・・)
現代史ウソは日本書紀の古代にもあった。それを見破らない現代(=平成)の人びと・・・・
私はいま本気でそう考えています。(このスレ逆上って読んでください。)

151 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 17:28:47
文底秘沈って正宗臭いからやめたほうが それに意味少し違うし

152 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 18:45:23
>>151
そのへんの借り物の語。別に正宗を支持してるとかいうのではない。

153 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 21:56:41
500年以上?にわたる九州王朝の存在の証拠隠滅といっても

筆先一つで何とでもなる文献ならいざ知らず
実際の都の跡、考古学的資料となると
物理的に不可能だろうって話でw

じゃあ裴世清が訪れた九州王朝の都とは具体的に何処なんだ?
そこに都があったと言う痕跡は?
…と言う話でw

通説だと飛鳥だが、確かに大徳から小智に至る官僚制を持った都に相応しい規模と言えるだろうし
積極的に仏教を興し飛鳥から天平にかけ飛鳥寺、山田寺、橘寺、川原寺、大官大寺etc…
の大寺院が林立している。

一体九州の何処にこれだけの規模の都の跡があるのか?

邪馬台国なら
「それは環濠集落で見つかっていないだけ」
「既に宅地開発その他で破壊された可能性がある」
でもいいかもしれんが7世紀の事となるとそうもいかない。

九州王朝説信者の脳内では綺麗さっぱり、跡形も無く消し去る事ができるみたいだがwwwwwwww


154 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 21:59:55
>>151が学会員でないことを祈ろう。

>>153
古田教信者に考古学なんか分からないよ、やっぱり。

155 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 22:01:58
ジョーカーがわめこうと年号が多々出てるから、あとはジョーカーら
の偽作だとか私年号だとかの因縁をつける行動が残るのみ。
反論者という残党は次第に減るだろう。wwwwwwwwwwwww

156 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:07:06
>>153

ていうか、畿内纏向に、王宮も宮殿もいっさい無いから、畿内こそ都が無かったわけだが

157 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:14:20
>>155 犬

負け犬の遠吠えは良いから
「裴世清が訪れた九州王朝の都」 が何処だったのか具体的に述べた上で
その存在を示す物証を出せ。

>>156 サイキバ?

いつものピンポンダッシュは良いから
「裴世清が訪れた九州王朝の都」 が何処だったのか具体的に述べた上で
その存在を示す物証を出せ。

畿内纏向に王宮も宮殿もない?
お前はいまだ発掘されていない90%のエリアを透視する ちょーのーりょく でもあるのか?アホw

で九州の何処に3世紀、王宮宮殿を備えた九州王朝の都があるんだ?


158 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:15:27
>>156
九州の薄汚い朝鮮人の都は日本のどこを探してもありませんよ。

159 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 22:25:09
>>157 ジョーカー
証拠と言い出す野郎はもう「ジョーカーは追い詰められてます」と
いうメッセージのようなもんだぜ。wwwwwwwwwwwww

映画演劇でよく犯人が土壇場へ来て証拠証拠と言い出すのが通り場
だからねェ。wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

それに裴世清が九州の都を訪れたなどということは余は云っては
いないぞ。他の論者だろうが?
多々出てる年号は氷山の一角、多角だ。そーいう行ったとうぬ
の云う都が定まれば尚可だろうが、それは必要条件にはならない。
まぁ〜あきらめて肯定したほうが賢明。wwwwwwwwwwww

160 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:26:29
宮殿も王宮もない畿内纏向。
百万言を費やして邪馬台国畿内説を訴えても、自爆崩壊w

161 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:44:09
まあ 犬国 や サイキバ のアホが幾ら喚こうが
九州王朝の都のあった考古学的資料なんか出てこないわけで

年号にしても前にも書いたが「大化」自体後付け
仮に交付されていても何処まで浸透していたか疑問
…なんてことは普通に言われている事で

「年号」なんか王朝の立証にもなるはずも無いw

例えば・・・

関東の那須国造碑に中国の年号「永昌元年」が見えるんだが
じゃあ当時関東は中国の領土だったのかと?wwwwwwwww



162 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:03:44
参考までにw

>那須国造碑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%82%A3%E9%A0%88%E5%9B%BD%E9%80%A0%E7%A2%91
>銘文
>■は、外字であり、()内は釈文である。
>永昌元年■(己)丑四月飛鳥浄御■■■■■(原宮那須国)造


163 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 23:06:05
>>161 ジョーカー
そんなあがきしか云えないわけだ。
だったらそれらはどこの年号だというんだ?
卑弥呼の女王国エジプト説も成立させるような虚勢だな? wwww
ゴッサム・シティの年号か〜?wwwwwwwwwwwwwwwww


164 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:12:46
>>163
はい九州王朝説信者の

  犬 国 年号ロジック により

7世紀の関東那須国は、中国の領土に決定しますたwwwwwwwwww

165 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 23:13:41
畿内に出る△にも景初の年号はあろう。それと同類のことだよ。
発倒だとか僧聴、同要、貴楽、結清・・・とか、こんな年号が中国
にあるんか?ジョーカーよ。wwwwwwwwwwwwwww
なきゃぁ中国の年号ではあるまいが。www

166 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 23:18:08
ジョーカーよ
結清、兄弟だとか、蔵和、師安、和僧、金光・・・・・
こんなのも中国にあるのか〜?wwwwwwwwwwwwww
もう諦めて肯定したほうが賢明だな。

167 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:23:58
まあつまりのところ記紀に出てくる年号と言っても
実際にリアルタイムで発せられた物かも分からず
仮にそうだとして全国津々浦々に浸透していたかは別問題。

その中で他の年号が出てきても何ら不思議ではなく

九州王朝説信者が「九州王朝の証」とかなんとか言っても意味が無いって話だなwwwww

168 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/06(木) 23:26:19
ジョーカー
こういう年号はどうなんだ??
賢接とか鏡當とか勝照、瑞政、従貴、煩転とか、こいうのはどこの国
のだというんだ? 南極か〜〜??wwwwwwwwwwww Pu!

ZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・

169 :ローガン:2008/11/06(木) 23:28:23
>>166
横レスです。 太国さん。それがどうして九州王朝と繋がるの?

170 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:30:52
>>168 犬国

さあ?
何処なんだろうな?

それが九州王朝の年号だと言う事を示すのは九州王朝説信者のお仕事。
甘えるなカスw

 記紀に見られない年号がある→九州王朝の証明

なんてロジックは成立し得ないって事が分からないほど
ボケが進行してしまっているのかな?御老人www


171 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 23:38:30
>>161 >>162 へは >>111
なお新羅が唐の年号を使用した例として >>129 ←これは残っても新羅は唐の領土でない


172 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 23:47:37
>>170
>それが九州王朝の年号だと言う事を示すのは九州王朝説信者のお仕事。

>>18
>鶴峯戊申「襲国偽僭考」に、九州年号なる書物あること、その内容を事実と認めたうえで、そういう襲の国というものは、のち平成の明仁陛下の王朝(=公おおやけ)に反抗した、
>私(わたくし)のしわざと表現したという。

>九州年号という表題の書物は、明治以後にも存在して、
昔九州は独立国にて年号あり  という論文に引用されたそうだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou65/kai065.html

>甘えるなカスw

こうゆうコトバ使いは学問スレには不適格者
(横スレかも知れぬが)

>>100 同様に イヤだろうが覗いてみますか?
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html

173 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 23:55:28
太国氏の言ってる年号は奇妙な年号だ。慶事・祝い事という感じがしない。
遊牧民の五胡の年号ではないか。特に前燕、後燕、西燕、南燕、北燕が怪しい。

174 :のんびりひまじん:2008/11/06(木) 23:56:51
>>161
>年号にしても前にも書いたが「大化」自体後付け 仮に交付されていても何処まで浸透していたか疑問…なんてことは普通に言われている事で

後付け とはどうゆう意味?

日本書紀を信じられないと考えるのですか?

信じられない理由を考えているのですか?

私なりの答えは >>100


175 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 00:03:00
>>173
>太国氏の言ってる年号は奇妙な年号だ

貴殿も覗いてみなされ http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html

176 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:10:29
>>174 のんびりひまじん

>日本書紀を信じられないと考えるのですか?

以下をもってその答

>>98
>瑞祥をもって年号とされた物が多い中で「大化」と言うのはいかにも風変わり
>そして墓誌、売地券、木簡etc・・・にその記述が無く


つうかお前さんは>>153の飛鳥に代わる九州王朝の都に関してどう言う説明をするのかね?
到底物理的に不可能だとしか思えないがw

7世紀に大寺院が林立していた都の伝承を全て抹殺する事も与太にしか聞こえないwww


177 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 00:21:58
金光とゆう年号が、平家物語に出ている。こんな有名な書物! に、なんということなしに出現している。
http://nnagoya.blog64.fc2.com/blog-entry-321.html   私もビックリした。参考まで。

   
〜古代年号(九州年号)は、意外にありふれて出現している。一部九州王朝説者が研究するだけ。毛嫌いして知らぬふりしていると恥

178 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:37:56
そうした年号は6〜9世紀頃の九州出土の金石文、木簡、墨書土器等に幾らかでもあるのか?

179 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:45:59
つまり、源氏物語に続き平家物語も九州王朝文学だというわけか。
すごいすごい

180 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 00:52:27
>>176 再度説明しよう。 >>101の再掲

古代年号(九州年号)の現代史部分


白雉(白のA)
白鳳(白のB)
朱雀(朱のA)
朱鳥(朱のB)
大化(大のA)→→→大宝(大のB’)で近畿王朝が自立としよう・・・西(大A・B)と東(大B’)の年号と二朝対立時期
大長(大のB)

この時期の古代年号は、白・朱・大 という文字を一字ずつ共有しつつ繰り返してゆく。(なぜかまでは知らない。現象としてそうなのです。)

日本書紀には、
・トビトビに
・建元(はじめて年号を立てる表現)でなく、改元(既存年号を改める表現)で、改元理由も乏しく
  大化 白雉  朱鳥 の三年号が出現する。何も説明なしに廃止される。←これを異常と感じない鈍感ならハンシになりません
続日本紀には、
 大宝 年号が建元 として出現(理由も付記・対馬で金)。その後は、改元 表現。(以後 平成に続く)

 ここで変なことに、聖武天皇は、白鳳 朱雀 の二年号の存在を勅語中に出現。 
  
  〜いったん ここまで

ところで、もう覗いてみましたか? http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html

181 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 00:55:53
>>175
これは酷い、九州年号はアホの安本にも批判されるトンデモ説なんだ。
九州年号は国が滅んで追い出された渡来人が勝手につけた年号と結論つけた。

182 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 01:00:43
隋書でタリシヒコが女帝推古であるのはおかしいとするのなら
推古朝の時代の他の人物を当たるのが大方の方向w

九州王朝説は「キャスティング」のみならず
その話の「舞台」まで変更するって話なんだから
舞台が九州であった事の立証から入るのが筋。

記紀の矛盾を説明する仮説の一つであると言う事を認めたとしても
あくまで「ワン・オブ・ゼム」

矛盾があったから即九州説と言う訳ではない。
むしろハードルが高いと言う事を自覚して欲しいもんだwww

結局、裴世清が訪れた九州王朝の都は何処ですか?

まさか阿蘇だけ見て帰った訳じゃないんだろう?wwwwwwwww

183 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 01:03:47
>>180 訂正
×異常と感じない鈍感ならハンシになりません
○異常と感じない鈍感ならハナシになりません

こうゆう異常を説明せずに放置するのが既成学者たちのようで・・・

もう少し、ハナシできるとしてつづけましょうか

大化 年号は、(>>101 の再掲)

近畿王朝の日本書紀では、元年=645年で、有名な改新の詔がある。
古代年号(九州年号)では、元年=695年。

改新の詔は、古代年号(九州年号)の大化時代(=690年代)に出たもの 
と仮説する九州王朝説者がいる。その一方、

改新の詔は、670年代以後のはずだ。分からないナゾだと書いている。(今、本屋に並んでます。)
「大化の改新」隠された真相(谷口雅一)

お読みになりましたか?

184 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 01:30:37
>>182
>矛盾があったから即九州説と言う訳ではない。むしろハードルが高いと言う事を自覚して欲しいもんだwww

×九州説
○九州王朝説  でしょうね。(どうも、ほかの九州説の方が迷惑するようです。)

回答としては、
日本書紀の記述のすさまじいまでの異常さの説明仮説が九州王朝説としておこう。
ワンノブゼムというのも結構ですが、その他の説得力ある説明はいかに?

金石文でいうと
http://www5.ocn.ne.jp/~asukahis/mirokubosatu.html ←これなど、どう説明しているのですか?

諸君は、日本書紀の記述の異常さがどの程度か知ってますか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/214

185 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 01:53:28
>>181
>アホの安本

お前さん。自分をなに様だと思ってこうゆう言い方するのですか?

安本美典という人は、その方法からして、信頼しがたい記紀とはいえ、
なんとか記紀の天皇系譜だけは守ろうというイデオロギーに忠実な人だ。

論点に苦しくなると、スルーもする。それだけ正直な人だ。業績もある。

短里説は、古田さんが創見で安本さんが追随した。
   両者の短里論争(1980)は安本さんに理があったと見る。しかし、怒ってしまったのは安本さんのほう。
二倍年暦は、安本さんが創見で古田さんが追随している。

186 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 02:28:29
>>185
>なんとか記紀の天皇系譜だけは守ろうというイデオロギーに忠実な人だ。


   爆 笑 ! wwwwwwwwwwwwwwwwwwwww



187 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 02:29:21
古田の主張のように、もし九州王朝の支配域で九州年号が通用していたとすれば、
九州年号を書くか刻むかした6〜7世紀の同時代資料が、いかほどかは出土するであろう。
金石文、木簡、墨書土器などだ。

物によってはしばらく地上で伝世する可能性もあるだろうからやや長めにとって
6世紀〜9世紀の九州内の遺跡・遺構を対象とし、
出土品としてそうした九州年号を記す考古文字資料が何点見つかっているのか。

ともかく数を示してくれ。

188 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 02:49:02
>>184 のんびりひまじん

わははw

>結局、裴世清が訪れた九州王朝の都は何処ですか?

って質問には答えず他の矛盾の説明を求めてくるのみかw


まあ無論答えなきゃならない義理は無いが

 「何処か分からないが、♪不思議の国の九州王朝の都〜」

なんて話じゃあ説得力無いと思うぞ?www

189 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 07:14:22
>>187>>15 繰り返すな

>>188 
信じ込んでいることが仮説と気付きなされ。
関西に、日本書紀の天皇が実在した金石文など何処にある?
http://www5.ocn.ne.jp/~asukahis/mirokubosatu.html

「何処か分からないが、不思議の関西の都」を信じ込んでいるだけだ。


(参考事項)
百済には、武寧王墓の金石文があった。

190 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 08:12:26
>>176
>7世紀に大寺院が林立していた都

なぜ、7世紀という 遅さ なのか説明する仮説を進呈する。

618(九州年号の倭京元)年、首都・倭京を大宰府に建設
649(九州年号の常色3)年、副都・難波の建設開始※(九州王朝が半分東遷)・・・>のち九州王朝関西派
652(九州年号の白雉元)年、副都完成(記念に改元)
661 に改元:九州年号の白鳳元年(この年・辛酉)

このころ、副都を中心に、九州から続々寺院が移転<・・・これが7世紀の関西に寺院が林立した理由。また、
白鳳年号は23年も続き、白鳳年間の寺院創建伝承は多すぎて消しがたく白鳳文化というコトバだけ残った。

※この副都建設の詔は、日本書紀 天武12(683・九州年号の白鳳23)年に変形記載されたと考える。

                〜いったん、ここまで

191 :のんびりひまじん:2008/11/07(金) 08:47:54
>>190
あくまで仮説なので、今後、
大宰府の古さ
難波京の古さ   その他の関西などに知られない都城遺跡があるのか。など
日本考古学の力量でどう立証できるものか 注目したいと考える。

192 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 08:51:42
>>190
じゃあ大宰府の周り掘り返したら大寺院の跡(礎石とか)宮殿の跡がわんさか出土だなw
…そんな話聞いた事が無いんですが?w

まあ地面の下に何層かの古い遺構が埋まっているってのは聞いた事があるが
全部そこに埋める訳にもいかんわなwww

193 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 09:15:29
>>190
各地で飛鳥・白鳳時代の寺院が無くなってますが、それも全部畿内に
移設されたのでしょうか?

194 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 09:17:01
九州に都があったとか、飛鳥の遺跡は貧弱と言う人は、
ウィキペディアで「大宰府」を調べてみましょう。

195 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 09:25:34
>>194
Wikiだと身も蓋も無いわけだがw


>九州王朝説では、大宰府が、古代北九州王朝の首都(倭京)であったと主張している。
>しかし、査読のある学術雑誌において、九州王朝を肯定的に取り上げた学術論文は皆無であり、
>一般に九州王朝説および関連する主張は科学的な学説とはみなされていない。

196 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 10:31:24
>>192
太宰府移築もしらない馬鹿はっけソ

197 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:45:59
>>190

大宰府が「遠の朝廷」といわれるのは、そういうことですね。

198 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:51:24
いにしえの 奈良のみやこの 八重桜
    きょう九重に においぬるかな

199 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/07(金) 14:56:29
以前言ったが、九州王朝っていうのは、江戸時代には京都の朝廷と
江戸の徳川幕府があったことのように、当時は畿内の朝廷と九州の
この王朝の両者が並行して時代を作っていたということだ。
もう年号が多々出てるし、ジョーカーが強く否定しても順次九州王朝
の存在は浮かびあがっていく。こういう年号は氷山の一角がところ
どころ見え見えしているわけ。こういう年号が多々あることは葬ろう
としても、すべきことではない。葬る側の論が間違っていることを
無言でそれらの年号が語っている。

200 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:27:16
Wiki 『大宰府』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E5%AE%B0%E5%BA%9C

>その後、福岡県教育委員会、九州歴史資料館、太宰府市教育委員会、筑紫野市教育委員会によって
>条坊施工想定範囲内での発掘調査が断続的に行われており、現時点では下記のような成果を得ている。

大宰府政庁…九州王妄説だとこれを王宮にする訳だろうから
中心地も分かっていてその範囲も絞り込めている。

でも大寺院の跡がわんさか出てきたと言う話も無いみたいだなw

礎石を剥がしたところでその跡が残るし
でなければ掘立柱建物跡なんか分からないだろうw

「火を放った」で済まそうとしても、その痕跡は残る↓

 >第2期遺構面上に堆積する焼土層によって焼失の事実は証明されたものの

「政庁」の地面下にかなり古い遺構があったとて周辺に都と言える規模の広がりは伺えないのではないか?w



九州王妄説の困った時の「大宰府頼み」って感じだが、大宰府に何もかも押し込め杉だなwww


201 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:31:08
で、この大宰府から>>187が求めたような
九州年号を記した金石文、木簡、墨書土器の類がどれだけ出ているんだい?

九州王朝の王の名も出てきやしていないのかな?w

202 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:31:45
太国は「年号、年号」と騒ぎ立てているが、
ようはそれぐらいしか証拠が無いってことじゃないの?

203 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:49:59
別に独自の年号を使っていた勢力が九州にあっても不思議ではないんだが…

そもそも「九州年号」なるものが
本当に九州で使われていたか、どうかが疑問だなw


204 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:57:00
金印ひとつ出てこない畿台と五十歩百歩、眼糞はな糞

205 :ローガン:2008/11/07(金) 18:02:40
>>202
> ようはそれぐらいしか証拠が無いってことじゃないの?

証拠なんかにならんでしょう。証拠とするならせめて九州地方で使われていた年号であるという根拠が必要ですが。ありませんね。

206 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 18:55:03
結局、何の証拠も無いんかい!

207 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 19:59:27
「九州年号」の一次史料は何もない。
古田があれこれ挙げているのはすべて後代に書かれたもの。
同時代の考古の資料も皆無だ。

「短里」もそうだが、古田の論法の特徴は、一次史料が得られていないのに
自分の想像があたかも史実であるかのように言いまくるレトリックにある。
それで多くの素人歴史ファンが騙された。その罪は重い。

208 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:32:56
ん〜 サイキバ君たちは被害者かw

209 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:17:02
朝鮮の文化はすごかった→証拠は?→秀吉が徹底的に破壊し略奪したから残ってない。断片があるだけだ。
九州王朝はすごかった→証拠は?→大和朝廷が徹底的に破壊し略奪したから残ってない。断片があるだけだ。

思考回路が同じにだ。なんとなく仲良くなれる気がするニダ

       |
   \  __  /
   _ (m) _ピコーン
      |ミ|
   /  .`´  \
     ∧_∧  
    <丶`∀´∩  !
    (つ  丿   
    ⊂_ ノ    
      (_)


210 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/07(金) 21:39:06
>>202
証拠は持ってるよ。ただここではちょっと出せないがね。
古代史の秘密の全開はすべてウラゴト(卜事)さ。それを知ってるの
は、世界で俺様くらいだ。もっとも完全ではないがね。w
最高機密は軽くは出せないぜ〜。それでだ〜
だからジョーカーが誤理押しの否定してもだ、そうじゃないと言う
わけだよ。年号があれば、存在に対しては充分だ。それでいい。
ウラゴトをやれば、卑弥呼の女王国が九州王朝の始祖のようなもの
がわかる。王朝の終焉は文武天皇の前後と出てる。
ただそのときから王朝の体制が強力だったものでもなく、次第に
王朝化して行ったもの。その間いろいろ葛藤とか難事はあったろう。


211 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/07(金) 21:45:14
>>210 訂正
× ただそのときから
○ ただ卑弥呼のときから

212 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:53:23
証拠を必要としないなら、イマニュエル・ヴェリコフスキーやフォン・デニケンでも
それなりに説得力のあることを言っている。

213 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:00:10
>>211 犬国

犬国の ちょーのーりき …

とうとう最終兵器と言うか出るもんが出たなw

板違いだ下記の板に逝けwww

http://anchorage.2ch.net/utu/

214 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:30:54

太国ってマジで精神○害者だろ…


215 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 22:52:07
太国はアホ・馬鹿・間抜け・愚か者の合併症だから治療したら治るかも。

216 :ローガン:2008/11/07(金) 22:55:09
>>214
> 太国ってマジで精神○害者だろ…

いえ、きっと色々詳しいんだと思います。
ただレスを読む限り九州王朝説とはこことは違うカテゴリーのものだと言うなのでしょう。



217 :ローガン:2008/11/07(金) 23:06:24
>>216訂正

>言うなのでしょう。

言う事なのでしょう。

218 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:08:52
>>207
先ず通説で語られている歴史の中に矛盾と言うかニッチ(隙間)を見つける。
そこへいくつもの事実の断片を組み合わせ、ぴったりと埋めて見せる。
それを見せられた読者は感動して同じ様に自分なりにそのパズルゲームをやって
益々その中へ引き摺りこまれる。

…とまあこんな感じかな?

しかし彼らの頭の中からすっぽり抜けているのは言わば自立的に自説を証明しようとする方向と言うか
「じゃあ九州王朝の都は何処か?それを示す考古学的資料は?」
と言う方向には中々向かないwww

これが最初からフィクションとして楽しむのなら趣味として高尚な部類にいれても良いとも思うけど…
無論サイキバ君レベルは論外だがwwwwwww




219 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/07(金) 23:29:16
>>213 ジョーカー
オマエもメンタルとかカルト板ヘ行ったらどうだ。オマエも卑弥呼の
鬼道というカルトに拘っているではないか? それともスケアクロウ
になりたいのか〜? ア〜ンどうだ〜〜?

220 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/07(金) 23:45:20
もう年号で間違いないな。年号を踏み倒すのがジョーカーだ。
ローガン氏もその気配がある。
借金を踏み倒したって、借金は残ってるわけだし〜コレデ決まりだ。

まず金印の漢倭奴国王名がある。これは畿内の国王ではない。これ
は57年当時九州に国王がいたということだな。まだ王朝までには
至っていないが、その50年後の帥升もそのへんか将軍クラスか
だろう。これも九州だ。帥升当時、畿内には孝昭天皇が統治して
るし、九州だな。ついで卑弥呼の女王国。これも推古の世まで畿内
に女王国はない。男王たる天皇ばかりだ。天皇を差し置いて記紀にも
独立して載って卑弥呼のことがか書かれてはいない。つまりこれも
九州だ。そして倭の五王、これも天皇ではないし、九州の将軍級
だということだ。さらに倭人伝にも多数の小国があった記述が
あるし、それを掌握したのが女王卑弥呼だということだ。このように
九州には王クラス、準王クラスが当時うんといたわけだ。
なると戦国大名の中から徳川政権が出て270年ばかり朝廷と幕府の
2極での日本の歴史があるように、卑弥呼の時代からも九州に王朝の
始めたる女王国があってその後身が数百年、畿内の朝廷とともに
2極の状態だったということだ。これが正解だぜ。
さらにこれは確定というわけにはまだまだだが、神武以前に九州には
ウガヤ朝数十代の記述が古史古伝にもある。これもまた九州だ。

221 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:09:23
>>220
そうやって脳内既成事実を必死に羅列しても意味が無いな。

それだけ自分の妄想を書き殴りたいのならブログでも立ち上げたらどうだ?

「これが真」
「これが事実」
「これが正解」
と念仏の如く繰り返しても理論的な裏づけが無いと説得力の欠片も無い。

222 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:43:42
>>220
>卑弥呼の時代からも九州に王朝の始めたる女王国があってその後身が数百年、畿内の朝廷とともに
>2極の状態だったということだ。これが正解だぜ。
九州に王朝があったという説明は分かったけど、畿内の朝廷の方の説明はないな。
畿内に朝廷があったという証拠は何? 信用のできない記紀だけかな?

223 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:18:22
仮説を立てたらとにかく掘って掘って掘りまくるんだ!
目指せシュリーマン

224 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 08:32:22
>>207
>「九州年号」の一次史料は何もない。

「白鳳以来、朱雀以前」とは聖武天皇のことば(続日本紀 神亀元(724)年10月)

日本書紀 と違って、続日本紀 には天皇のことばにウソや間違いは見当たらぬ。(と先回りして断っておく。)

つい4年前 :養老4(720)年に成立した 日本書紀 に、 白鳳 朱雀 という二つの年号がない!
日本書紀の異常さ、不調和乱雑 と何度も繰り返してきたことはこうゆう矛盾をいうのじゃ。
   ↑
  (この板の読者で、初心者向けの解説部分)

225 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 09:37:28
>>221
オマエのほうこそ>>220のどこがどのような事由で妄想なのかというブツが
抽象的言説にとどまり、まるで無〜い。
なきゃぁ結局オマエの妄想が、オマエの便器のコビリついたクソの
ように残存してる如く、オマエの豆脳に剥がれないで残っているという
ことだ。wwwwwwww

226 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 09:39:54
>>222
オマエあたまがおかしいんじゃないのか? すでに稲荷山鉄剣の銘文からも
うなずけるように、雄略天皇名があるんだから、畿内に朝廷が無かったなどと、
これこそトンデモだ。よく顔を洗ってこい。www

227 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 10:03:37
>>218
>通説で語られている歴史の中に矛盾と言うかニッチ(隙間)を見つける。

日本書紀には、矛盾が異常に多い。
日本書紀には、矛盾の内容がヒドい。  年号もその例 >>180 >>224

(知ってる日本書紀の矛盾を一部紹介・・・・繰り返すが)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/189-

自分も、以前は、これほどとは知らぬアマチュアだった。
初心者諸君こそ、読んだら認識が変わるのかも・・・・
(異常に鈍感になった 業界プロの常識 = 世間アマチュアには非常識・・・・>やがてスキャンダルかも)

228 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 10:06:44
>>227
そんじゃ古事記に肩を持つわけ??

229 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 10:27:42
>>228
古事記は、日本書紀の下書き と考えます。
奈良時代の当時の官人たちの歴史書への関心は、自分の氏族の先祖偽装にあった。
下書きとして古事記が作られ、(ひょっとすると回覧して)内容を利害関係者へ
確認して、内容補正した(正式の)日本書紀完成後廃棄するはずだったものが
執筆者:太安万イ呂が持ち帰っておって後に世に出てしまったと思います。

少しの時期差で、先行した古事記が、残ったので日本書紀のウソの解明に役立つ。
古事記・日本書紀ともに、ウソだらけ。(古事記のウソのほうが困った性質)

230 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 10:45:32
>>229
ウソは確かにあるでしょう。が、それが故意との確定はうまくないですね。
記の年数を替えて紀の年数があり、しかも記が下書きならば、紀の年代は修正
したと考えられることになり、記よりも信憑性が高いということになります。

231 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:46:55
古事記と日本書紀の関係については、「邪馬台国の暗号」(安田哲也著)がおもしろい。
元検事の書いた本だが、今まで聞いたこともない解釈。しかし、思考の組み立て方によ
ってはこうも解釈できるのかと目を開かされる一冊。

232 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 10:50:31
暗号となれば、女王国が畿内だとか九州だとか、それにもう少し女王国
の位置等の記述が隠してハッキリ倭人伝の中に暗号であるのかい?

233 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 11:59:13
>>230
>、紀の年代は修正したと考えられる

古事記の段階で、年代もすでにあやしいが、造作は少なかった。
日本書紀は、まったくヒドいものになった。←外交記事を入れるため、とくに神功紀を卑弥呼時代とする操作

紀年論はほとんど関心を持たないのですが、基本的に
辛酉革命説は(20運1200年か21運1260年かなどはどうでも良くて)正しいと思います。
この正しいという意味は、ウソの作成方法の説明としてですが・・・

234 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 12:01:45
また、系譜論も細かく追求するつもりはありませんが、
>>229
>奈良時代の当時の官人たちの歴史書への関心は、自分の氏族の先祖偽装にあった。

尾張連、上毛野君とか地方の在地豪族、多品治(安万イ呂の父らしい)のような下級貴族など、
壬申の功臣たちを、先祖は天皇の皇子の家柄だったと
>>90
>全員共謀で皇統を偽装する書物・日本書紀を残した。

235 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 14:07:45
辛酉年に革命があったのですか? なけりゃぁ那珂博士と伴の妄想。

236 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 16:47:31
>>235
>辛酉年に革命があったのですか?

つくり話(造作)なので、辛酉年に革命的事件があったということにした。
初代神武は辛酉年に即位(ハツクニシラスA)。それから10運600年後は
第10代崇神38年に相当したのでハツクニシラスBらしくなる話を作った。
A=創業;武力で関西(〜全国)を制圧
B=守成:文治で全国を教化
ここで、A,Bともに天武が持っている(と造作した)人物像を二人にコピーしたのです。
次の10運600年後は、欽明2年でこの治世中、準革命的事件=任那喪失が欽明23(562)年(これは事実)。

辛酉革命説:辛酉の年に革命が起きるという思想(革命が起きたか検証などしない時代)

辛酉の年に革命が起きると考えて、それに対応する思想、よって
対応@辛酉の年(を治世した天皇の御世)に革命的事件を造作した。←歴史造作が可能だった
対応A辛酉の年には、改元。

確か、古代年号(九州年号)以来、明仁陛下の天皇王朝の明治維新まで継続。

237 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 18:29:20
>>236
そんなことすれば、なおさらバレるのがオチ。ソコマデ迷路のように
入り組んで紀をこさえたなど、むしろ貴殿の考えが入り組んで(考え
すぎで)そう解釈に至っただけのこと。編年だけでもうまく行かず
厄介なのに、また労力を有して知恵の輪のように入り組んでそんな
マネなんかしないよ。貴殿の考えの超過がそんな論理になってしま
ったということだ。バックしなけりゃいけませんな。
ハツクニシラスが二人いたっておかしくはない。いまでも最初の月、
正月は旧正月もあるから、二回初があっても疑惑を持つ必要なし。
なんらかの事情があることだけのこと。


238 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 21:39:23
世界中で日本書紀にだけ見られる珍現象(@同一紀年の類似)

○○天皇の×年の記事   と
△△天皇の×年の記事   とがそっくり という現象。

(例題)
欽明13(552)年:仏教伝来受容の対立

(13年つながりで、@天皇A蘇我B物部:@〜Bそれぞれ親子、難波堀江、百済仏像・・・という共通)

敏達13〜14(584〜585)年:仏教伝来受容の対立

※上記のどちらかの天皇の13年記事は造作(つくり話)・・・・コピー→変形→ペーストでしょう。

    〜いったんここまで・・・初心者諸君は日本書紀で読み比べて不思議を味わってください

239 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 21:54:43
世界中で日本書紀にだけ見られる珍現象(@同一紀年の類似) ・・・応用です

崇神10〜12(BC88〜86)・・・崇神紀に珍しく記事が多い(混んでる)

↑共通する説話:四人の臣下を各地へ派遣、戸口調査・公平課税、外国使が祝福、百姓平穏・・・

天武10〜12(681〜683)

※上記を見つめての推察:天武紀↑↑↑崇神紀というコピー変形ペーストであろう。よって
ハツクニシラスBとは、天武(に造作された)人物像からの変形なのだから、間接的に
           天武を指している。

※古い説話と思い込むと、意外に後世の、多少は確実な事実からの造作があるから注意

240 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/08(土) 22:13:55
>>238 >>239
共通点があるから造作だとは云えないですよ。それに崇神と天武では
時代がかけ離れている感がある。そのくらい離れているうちに共通点
がある事象があってもおかしくはないですよ。世界中の他の文献を
貴殿だって全部読んでるわけがないと思いますが?
そういうことは参考までに留めるできですよ。それを貴殿はもう造作
に飛びはねをやってます。それが誤解のマルチとなり、なおも誤解の
海に入りこんで信じてしまい、もはや抜けられなくなりますよ。

考えすぎですよ。将棋だって序盤はソックリの局面がけっこう
あるはずです。だからといって、過去の棋譜が造作にはならないで
しょうが。貴殿の云う場合も稀にはあります。音楽の作曲だって
けっこう似てきたのがありますが、別々の場合もありますし、他人
の曲を盗作して裁判沙汰もありましょうし、和歌なんかもそういう
こともあるでしょう。ですが、そっくりだから造作だとは早計です。
むかしソックリさんのTV番組がありましたが、彼らソックリさんは
整形造作で故意にソックリにした例は聞かないですがね。飛び越え
は解釈誤解の始まりですよ。ブレーキをかけ忘れないでね。

241 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 22:37:31
干支とは;No.1を甲子とし・・・
No.8を辛未、No.9を壬申とし・・・
No.19を壬午とし、No.20を癸未とし・・・No.60に至る。

世界中で日本書紀にだけ見られる珍現象(A同一干支での類似)

干支□○の記事   と
干支□○の記事   とが類似・相関する現象が相当に見られる。

(例題)
262壬午(神功62)年、任那=加羅王の妹 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/191-

↑この間5運=300年(関連記事。変形がある:例えば大伴狭手彦→葛城ソツヒコ)

562壬午(欽明23)年、新羅が任那の官家を滅ぼす(これは重要事実。が周辺記述少ない) 
563癸未(欽明24)年、まったく記事がない(ここで反撃して新羅を降伏させ復旧したい・・・執筆者の空想)

↓この間、1運=60年・・・よく読むとわかるのだが、空想願望が記事になってゆく

623癸未(推古31)年、記述したかった60年前の願望が記事に変形。

 〜いったんここまで・・・諸君はここでテーマに着目できず、固有名詞にこだわる自分のクセに気付きたい

242 :のんびりひまじん:2008/11/08(土) 23:23:56
世界中で日本書紀にだけ見られる珍現象(A同一干支での類似)・・・応用編

(兄弟の相続争い・譲り合い)
BC50辛未(崇神48)年、兄と弟の相続の説話・・・・前後に記事ない。(何故この年か説明しよう)

↑この間12運=720年(下の有名な場面に取材した造作)

671辛未(天智10)年、天智病気、弟の大海皇子に位を譲ろうとする・・・有名な説話
672壬申(天武元)年、有名な壬申の乱

↓6運=360年(こちらにも有名場面をヒントにした)

312壬申(応神41)年、ここでは兄と弟が相続譲り合い説話

※上記を見つめての推察:天武紀↑↑↑崇神紀というコピー変形ペーストであろう。よって
ハツクニシラスBとは、天武(に造作された)人物像からの変形なのだから、間接的に
           天武を指しているという論拠の二番目。

※古い説話と思い込むと、意外に後世の、多少は確実な事実からの造作があるから注意


243 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 10:33:43
7六歩 3四歩 2五歩 ・・・・

こんなのはしょっちゅうソックリだ。しかし棋譜を造作したんではないだろうが。
これは造作ですか?

244 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 14:24:02
>>173
「倭京」なんて年号、その国が使うのか?
>>169
反問するが、「倭京」っていうのは畿内の年号なのか?

245 :のんびりひまじん:2008/11/09(日) 14:30:20
世界中で日本書紀にだけ見られる珍現象(A同一干支での類似)・・・応用編もう一つ

(朝鮮半島へ出兵直前に挫折中止)
600庚申(推古8)〜603癸亥(推古11)朝鮮半島(任那回復目的)出兵。(新羅降伏までは>>241そっくり。)
↑           (再度の遠征のため)兵25000、指揮官来目皇子死。後任当麻皇子の妻死。挫折→遠征中止。

↑この間1運=60年(変形 転写 を疑いましょう)

660庚申(斉明6)〜663癸亥(天智2)朝鮮半島(百済回復目的)出兵。←有名な白村江の敗戦(その裏面)
             遠征軍27000。伊勢の王死。中大兄の母(斉明)死。→これを口実に遠征取りやめ(備中風土記※)

※日本書紀には記述がないが、遠征中止で助かった人びとの記録。

同一干支60年を隔てて、経過がそっくりの事件があったと記述。
・朝鮮半島への出兵(任那   VS百済)
・皇子の死    (来目皇子 VS伊勢の王)
・皇子親族女性の死(当間皇子妻VS中大兄母)   どちらも遠征中止

>>241 と合わせて、6世紀はじめ推古朝の「任那復興企図」はマボロシとしか見えません。


 〜そう言えば、推古朝の摂政 聖徳太子はいなかった と主張もありました・・・・

246 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 14:36:42
こんなの、ソックリなのいくらでも紀譜はあるんじゃないの?

   歩歩
歩歩銀金
 王金角
香桂

これが造作??

247 :のんびりひまじん:2008/11/09(日) 14:49:40
>>243
>これは造作ですか?

なんらかの造作でしょう。すべてがウソ記述だとは言いませんが・・・

ナポレオンのロシア遠征失敗
ヒトラーのソビエト遠征失敗 類似のことが
              日本書紀は不思議な間隔で発生と記述しています。

>>238
○○天皇の×年の記事   と
△△天皇の×年の記事   とがそっくり という現象
>>241
干支□○の記事   と
干支□○の記事   とが類似・相関する現象


 〜読者諸君へ。日本書紀だから、私のようなアマチュアでも相当数の例示ができました

248 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 14:57:25
歩 歩歩
 歩銀金
 皇金角
香桂


????

249 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 16:52:52
詰め将棋は造作で、そのあとは単独戦だよな。しかしソックリ性は
薄いんじゃないかい?
しかし上の紀譜は最初から実践形だし、ソックリはしょっちゅう
あるよ? こういうのを造作とは・・・?

250 :のんびりひまじん:2008/11/09(日) 17:04:15
>>244
倭京   よりも むしろ
倭京縄  のほうが妥当らしい。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou65/kai06506.html
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/nengo/nengou.html


251 :のんびりひまじん:2008/11/09(日) 17:48:08
>>238 (解説)
日本書紀に たった二回だけの記録が
@欽明13年(親の天皇の13年)  と
A敏達13年(子の天皇の13年)  という13年つながりの同じ年紀に

@では(崇仏)蘇我 VS (廃仏)物部・中臣(双方親) 
Aでも(崇仏)蘇我 VS (廃仏)物部・中臣(双方子) 

@Aどちらも百済からの仏像が来て
@Aどちらも天皇の命で蘇我が仏教を受容しようとして
@Aどちらも諸国に疫病が流行して
@Aどちらも物部が仏像を難波の堀江に投げ捨てた。

いくら将棋の記録が似るといっても
たった二回だけの記録が、基本的にほとんど同じ棋譜で
>>246 欽明13年、立会い:欽明天皇、対局者:先手蘇我親VS物部親 →物部親が投げた
>>248 敏達13年、立会い:敏達天皇、対局者:先手蘇我子VS物部子 →物部子が投げた 

(池田定道さんの評語)
同じ年紀に父と子が同じ行動をしたという考えには、
いかに『書紀』無批判の徒とて、敢て首肯しにくいことではなかろうか。
        〜推古朝こそ原帝紀成立期1995近代文明社 P124

252 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:15:04
まあ、蘇我氏が担ぐ欽明と、大伴氏が担ぐ安閑・宣化との
所謂「二朝並立論」成る物はあるが

別に九州王朝を無理矢理引っ張ってくる必要も無いwww


「記紀にはこんな矛盾があるんですよ!」→「だから九州王朝説ですよ」
…と言う幼稚な印象操作wwwwwww

253 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:24:17
畿内に王朝がないときに、九州には王宮も都督府も紫宸殿もあった。
九州王朝と呼ばずになんと呼ぶ?

254 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/09(日) 20:59:17
>>251
将棋の名人戦、順位戦、王将戦、紀正戦、王位戦等の紀譜は詰め将棋
ではないから造作は殆どなかろう。つめ将棋はこれは造作でソックリ
はまず無いし、上記の棋戦はソックリは四六時中あるが造作はまず
なかろう。つまり貴殿の最初から紀を造作と誤想していて、似た記事
を長年探し出し、いよいよ誤想の迷宮にはまって酔ってしまった状態
のようだ。

255 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:22:38
最高位の竜王戦がないようだが?
あんなもの飾りです。偉い人にはそれがわからんのです。

256 :のんびりひまじん:2008/11/10(月) 08:54:06
>>254
学者とされる人びとが、
@欽明13(552)年(親の天皇の13年)の仏教伝来  と
A敏達13(584)年(子の天皇の13年)の仏教伝来  との両方を ともに

歴史事実とは言ってないでしょう。(とっくに気付いていて当たり前ですもの。)

それをアマチュアらしく分解強調して見せただけのことです。
学者は@だけを事実とし、他資料と比較して正しい仏教公伝はいつか? と議論してました。
(私には異論ありですが・・・・ ・・ ・

257 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 10:41:44
ま、何を言っても九州王朝と繋がるものはないわな

258 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:41:42
7世紀まで、畿内に王朝がなかったことははっきりしてるな。
九州には紫宸殿があったけどな。

259 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:52:31
紫宸殿持ち出すのはやめれ。

260 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:53:20
>>258
2世紀までの筑紫の繁栄は見掛け倒しだ!と言ってた
梅原・小林・田辺等大昔の畿内説考古学者と同じ脳味噌なんだな

261 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:57:04
>九州には紫宸殿があったけどな。
そのような地名があったとしてもそれが即古代に遡るとはかぎらないんだけどね
自分たちに都合のいい事柄は簡単に時空を越えさせるのが九州王朝クオリティ
まともな歴史学者はそんなアホなことはしない

262 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/10(月) 23:01:38
何を云おうと古史古伝にもウガヤ朝数十代の記録があるし、否定して
もまだ年号もあるし、「倭京」なんて年号は紀無いにはなかろう。w

263 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 23:06:38
他スレにもあったが7世紀の時点で「紫宸殿」がネーミングチョイスされるのはいささかおかしいというやつだな。


264 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 23:54:16
木器しかない畿内は、貧困地域でしょ。九州には対抗できないでしょ。

265 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:17:38
>>262
オウオウ、犬。倭京か? 九州王朝の年号だと証明してみろ!
機内でないから九州だ。なんて幼児レスはいらんぞ。九州王朝を証明してみろよ。
畿内でなきゃ九州だなんて、なんら証明にならん事くらい知ってるよなwwwww

266 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:23:27
>>264
>木器しかない畿内
>貧困地域

利器の材料で分類すると木器のほか、石器、骨角器、青銅器・・・だがまあそれは争わん
鉄器が少ないのは認めよう
(皆無じゃないぞ、次からは「鉄器が少ない」と言えよな、お互い正確な物言いをしようぜ)

で、九州が畿内にいきなり攻め入る?
それ、いくら鉄器豊富でも危ないのと違うか?

ふつう戦略的には、吉備や播磨、讃岐や淡路を先に攻めて、
きちんと前線に橋頭堡を築き、
畿内攻めの最中にそいつらから背後を突かれないようにすると思うが、略しちゃったのか?

吉備・播磨・讃岐・淡路に考古学的に見て九州勢侵攻の跡があるのか?


267 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:39:46
>>264>>266
このスレは九州王朝説に批判を加えるスレ。
畿内説と東遷説の争いはよそでやってくれ。論点がボケる。
つか、おまいら、反九州王朝で協力できるだろ。

268 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 01:10:45
九州王朝説、反九州王朝説からは倭人伝で四国はどの地名が有力なので?
いっしょくたに傍國?

269 :のんびりひまじん:2008/11/11(火) 01:15:54
>>257
>ま、何を言っても九州王朝と繋がるものはないわな

>>256
>A敏達13(584)年 の仏教伝来 

仏法の初、ここよりおこれり と書いてあるのは兵庫県から坊さんに来てもらったこと。

蘇我馬子時代の奈良県というのは兵庫県よりも文化後進地域であり、
しかも、敏達天皇や蘇我馬子にとって兵庫県は支配外だったことも示しています。

270 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 09:33:51
>>269
上の方で日本書紀を否定しておきながら、都合の良い部分だけ持ち出すだもんなぁ
これがサイキバ脳ってやつか?

271 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:29:58
>>269
それも、九州王朝の存在を示すものではないわなw

272 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 10:56:20
>>265
オマエ「倭京」の年号で、大陸半島にでもあるというのか? 『倭』だぞwww
卑弥呼の女王国だって紀無いと九州しか話題に上らす必要などなかろう。その他
はみんなトンデモなわけだよ。紀無いにこの年号がなけりゃぁ後は九州としか考
える他はない。なお古代史は刑事裁判級の証明度は不要。紀無い、九州と
大陸半島しか考える必要はな〜い。まさかアメリカにあったとはうぬでも云う
まいが・・・。wwwwwwwww
だいた証明証明などど云ってることは、もう追い詰められてる証明だな。www

273 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:09:53
>>272
無双OROCHIやってみろ。卑弥呼が関西弁しゃべってるんだよ!
決定的な証拠だよ。

274 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 11:12:59
吉備は?

275 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:10:22
>271
総合的に考えれば、九州王朝の存在を否定すると古代が説明できない。それが最終結論。

276 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 16:55:37
総合的に考えれば、九州王朝は存在しない。
人食い人種の熊襲の首長ならいたらしい。

277 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 17:05:16
継体 善化 正和 発倒 僧聴 同要 貴楽 結清 兄弟 蔵和
師安 和僧 金光 賢接 鏡當 勝照 瑞政 従貴 煩転 光元
定居【倭京】仁王 聖徳 僧要 命長 常色 白雉 白鳳 朱雀
大和 大長

278 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:18:40
>>277
違和感のある年号だ。慶事・祝い事の感じがしない薄汚い年号だ。

279 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 19:37:44
結清の『清』の漢字は汚い意味なのか?

280 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:58:27
>>279
結清=清国と結ぶ。弁髪の臭いがする産廃に汚染された年号だ。

281 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 20:56:22
>>280
当時清国はあったのかね? 西太后はそんなに長生きか?
まるでサンジェルマン伯爵だな。PuPu wwwwwwwwww

282 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:10:25
>>280
俺より馬鹿がいてうれしい

283 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 22:06:30
>>280
弁慶は西太后の時代まで生きてたのか?
ずいぶんとこれまた長生きだな。ww

284 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:23:34
>>283
善化=善人に化ける。発倒=発作をおこして倒れる。
九州の下等な人間はアホ・馬鹿・間抜けで愚かな年号をつけたなぁ。

285 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:34:39
>>284
なんで九州が出てくる? なんの繋がりもナイじゃんw

286 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:38:56
284の脳が溶けているだけだな

287 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:44:00
>発倒=発作をおこして倒れる。

「九州王朝」などと迷妄を捏造し純真な歴史ファンを騙くらかした罪深い連中の最期は皆そうなる、ということであろうか

288 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 22:50:31
年号の踏み倒し妄想の自説の擁護の得意技だからな。
あるものは曲げられな〜〜い。
そういう踏み倒しに発奮して九州王朝を護ったん
だろう。wwwwwww

289 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 22:56:47
>>280
武蔵坊は髪が坊主か〜?w

290 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 23:12:48
>>289
僧聴=生臭坊主の話を聴く。僧要=生臭坊主から金を要求される。
金光=金光教!金光教!これらは最低の年号だなぁ。
教養のない人食い人種の熊襲である九州人が考えた年号に違いない。

291 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/11(火) 23:18:45
>>290
安政6年まで九州王朝が続いたのか?PuPu!! wwwwwwww



292 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 00:06:57
桂離宮を越えて最長不倒距離を更新か。
やっぱすげぇや、九州王朝。

293 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:00:52
九州王朝論者を見てると、
2世紀以前の九州の先進性を必死で否定しようとした
田辺昭三と佐原真を思い出すなあ…

294 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 23:59:16
おーい、撲滅委員会、サボりすぎだぞ。働けよ。

295 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 14:13:10
っていうか、7世紀ですら九州の文化は先進的なわけだが

296 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:01:34
>>294
叩けど叩けど終わらないもぐら叩きに、
皆疲れ始めてなあ…

297 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/14(金) 20:03:22

九州王朝は土竜だって。

土竜は冬眠アリゲーターかな?

298 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 22:49:39
>>295
そりゃ大和の全国的発展の結果だろ

299 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:11:20
8世紀初頭まで、畿内は九州文化の寄生虫だったわけだが

300 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:16:30
ん?安政6年までじゃないのか?
8世紀なんてけちなこというなよ。

301 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:25:16
九州王朝ゆかりの歌、君が代は日本の国歌になっちゃったわけだが

302 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:08:15
>>301
茶髪ゴキブリの朝鮮人発見!

303 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:32:58
日本の危機です。マジでヤバイので日本史板の皆さん力を貸してください。http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1226675118/

304 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 02:47:02
302は挑戦人に追われたゴキブリ

305 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 04:42:24
304に殺虫剤かけなきゃ。ブシュ〜〜ッ!チョンコロリと昇天。

306 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 08:33:19
(・_・)r鹵~<巛巛巛

307 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:15:30
九州王朝が朝鮮属とは限らんだろ

308 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 10:49:28
>>300
安政6年に金光教ができて、そのときの年号が金光ではないだろう。九州王朝が
安政年間まで続いていれば妄想者の>>290の言い分もありうるが、そんな時代
まで九州王朝はなかろう。万一幕末まで九州王朝が>>290の云いたそうに続いて
いたのなら、伊能忠敬が幕府に報告してアカラサマになるだろうが?wwwww

309 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:43:07
>>307

> 九州王朝が朝鮮属とは限らんだろ

そりゃ朝鮮人ではないよ。だって、元々なかったんだから。

310 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/15(土) 14:44:12
年号の多出でもう九州王朝の存在は間違いない。

311 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 16:54:30
>>308
安政6年が遅すぎるなら、存在が確実な桂離宮の江戸初期までだな。

312 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 03:46:46
九州王朝説を語る人はケツにシッポが生えている。

313 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/16(日) 05:57:03
人間だから尻尾はあるよ。
ところで>>312には尻尾が無いのかね?


314 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 09:06:13
>>313
ケツに尻尾の生えている九州王朝説の野蛮人、こんにちは。IQ低そうですね。

315 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:16:08
いま全部読んだ。
スレタイに関わらず、なんか九州王朝初心者向け解説スレみたいになっててワロタ。

撲滅委員会がんがれワラ

316 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:55:01
おーい、撲滅委員会、サボりすぎだぞ。働けよ。

317 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 22:07:19
では。

「シュプレヒコール!」

「シュプレヒコール!」

「九州王朝説を撲滅するぞーッ!」

「九州王朝説を撲滅するぞーッ!」

318 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 15:22:46
あれ、九州王朝に撲滅された委員会ではなかったの?

319 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:53:16
「多元的史観」を唱えながらも、
畿内の話になると急に文化不毛の地とか言い出す古田信者
自分でおかしいと思えないんだからタチが悪い。

320 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 16:14:54
発掘の結果が文化不毛という事実を表してるだけですが何か?

321 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 18:27:50
幾内の文化不毛は証明済み

322 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 00:50:04
九州は世界文化遺産がひとつもない文化後進地域。

323 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 05:45:32
証明済み、学者が言ってる。
誰がどんな論文で言ってるか、と聞いても答えられない。

九州王朝論者や東日流ナントカは
もう狂信でしかない。
相手にとていても不毛だ

324 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 09:22:08
同年代は九州も掘っ立て柱なのにね。

観世音寺の鐘と同じデザインの妙心寺の鐘に刻まれている干支は。

325 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:06:26
掘っ立て小屋すらない畿内w

326 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:31:44
>>325

何も知らないアホのサイキバw

327 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:36:23
地面に穴を掘って住んでる野蛮人の九州人。

328 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 15:47:36
木器でウハウハ言ってた畿内人。畿内に文明なんかありませんでした。

329 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 16:01:28
ケツにシッポの生えている野蛮な九州人。首長はホラ吹き大魔王。

330 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 18:46:01
湿地だらけの畿内に宮殿なし、文化なし

331 :対馬島は韓国の地:2008/11/20(木) 19:10:03
対馬島は韓国の地

韓国対馬島守護協会

www.cizel.co.kr

入って来て署名お願い致します

みんなで団結しましょう !

332 :すいぜい:2008/11/20(木) 19:19:22
ははは、九州王朝のやつらはホント、情けないなあ。結論の連呼だけで、根拠とかは絶対言わないなあ。
議論をしたいのか?したくないのか? もっとも、したくなかったら掲示板なんか書かないよな。
何考えてるのかさっぱりわからん。 九州王朝があったっていうんなら、根拠をしっかり書いてみなさい。
結論の連呼だけではつまらん。

333 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 19:35:03
>>331
任那と呼ばれていた全羅南道・慶尚南道・慶尚北道西部は日本固有の領土だ。
薄汚い朝鮮人は今すぐ領土を日本に返しなさい。
耽羅と呼ばれていた済州島も竹島も日本固有の領土だ。
野蛮な朝鮮人は今すぐ島を日本に返しなさい。

334 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:07:15
九州王朝説なんてのは
畿内優勢自立論の裏返しだね。
大昔の主流派考古学者から散々「筑紫は辺境だ、繁栄は見せ掛けだ!」
と罵られたから、
「畿内こそ田舎だ!筑紫が畿内に文化を伝えてやったんだ!」
と罵り返す。
…アホらしい。

335 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/20(木) 22:58:48
「倭京」なんて畿内の年号ではないだろう。年号多出で決まりだ。

336 :ローガン:2008/11/20(木) 23:59:52
>>335

> 「倭京」なんて畿内の年号ではないだろう。年号多出で決まりだ。

こんばんは、太国さん。まず畿内の年号ではないという根拠をお願いします。
そして、多出だから九州王朝があったと何故言えるか、ご教示頂けますか?

ボチボチやりますか?

337 :すいぜい:2008/11/21(金) 00:30:26
たしかに大国氏だけはまがりなりにも、結論の連呼だけではなさそうだ。結構結構。ほかのやつらは全然ダメダメだな。
まずはその年号が九州王朝発布したものであるかどうかだな。言えるか?
あっと。畿内ではなさそうだから九州だなんてだめよ。お前のものでないならオレのものだなんて泥棒みたいな事いわないでね。

338 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 10:04:20
九州年号、金光〜〜〜ッ!金光教!金光教!

339 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/21(金) 10:20:20
>>337
それらの年号が主に九州に分布しているから九州年号と呼ばれるのだよ。

340 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 10:40:12
>>336
またすいぜい氏とともに妄想の防衛かい〜?

いままでの学校とか年表とかいろいろな書を見たが、畿内に「倭京」
なんて年号は聞いたことがないぞ? それともあったのかね?
ならば1歩引き下がるしかないがね??
『倭』の字がついていて大陸が倭国の年号を使ったというのか? それともなにかい〜畿内の年号で抜け落としたとでも主張するのか?
年号を考えるにあたって、畿内になけりゃぁあとは大陸半島しか
ないがね? 沖縄もあるかな? あっちのことはそんなに詳しく
ないからねぇ? 「倭京」と並んで他出している年号群が畿内とか
大陸等にあれば、随分歴史から有名国において年号がうんと抜け
落ちてるなぁ〜。そんなに抜けるほど隋唐あたりの研究はガタガタ
なのか?wwwww

341 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 10:47:28
>>337
だめじゃないだろう。大陸半島で「倭京」の年号ほか連なる年号群
の使用した国があったのかい? あとは沖縄くらいだろうが?
東北だというのか? 九州だけは外したいのかねぇ? そうならば
きみの妄想の防衛言だよ。なるべく九州に年号があったことに
しないようにあんたの脳内恣意的利害判断が牽制してるだけ。ww

>>338
金光教はもっと後世にできたんだから、金光の年号とは字は同じ
でも無関係。それは教祖連がそれから採用した名なら、片面的関係
はあるが、年号側からは無関係と観るべきだ。

342 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 13:03:08
>>337
アホか?畿内にないなら九州以外にどこにある?北海道か?沖縄か?スマトラか?

343 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 14:21:59
>>342
九州の地面の中だ。発倒→発作をおこして倒れたんだから。
九州年号は地面に穴を掘って住んでる野蛮人である九州人にお似合いだ。

344 :ローガン:2008/11/21(金) 14:48:10
>>340
> またすいぜい氏とともに妄想の防衛かい〜?

なんか勘違いしてませんか? 何故 質問したら「妄想の防衛」になるのでしょう?
貴方の「年号の多出…云々」の書き込みを複数回見た事があったので、その根拠を聞きたかったので質問したのですが。

質問したら不味いですか?

345 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 15:30:55
倭京年号は畿内だという証拠を出したほうが早かろう?できるもんなら

346 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 15:44:35
根拠はあるだろうが。紀無いになけりゃぁ、九州以外となれば
あとは大陸半島だよ。
それともなにか〜ジャワ、タイ、南極、火星も範疇に入れろという
のかね?w それを言ってみろ。東北だとか沖縄ならばマダ言う事が
カワイイがねぇ。www トンデモ地域を排除する。〜〜
これも根拠になるだろうが。ほかにどこが
あるんだね。しっかりと10も20も年号のありそうでしかも「倭京」
なんでのを年号にする国があるのかねぇ。君が九州だけを排除
したい妄想論理の利害からの言い分なわけさ。ww
ジャワとかタイとかムーまでも範疇に入れるのは刑事裁判の証拠が
間違いないかの世界なんだよ。これは毎年数百数千と公判をやって
ると稀に無実の者が出るから、その人の人生を台無ししてしまう
不利益を与えかねんからそのように南極だとかアメリカだとか通常
不用な地域までも考慮にいれて判決の失敗を絶対皆無とするわけ。

古代史の場合は女王国に関しては畿内と九州だけであとはトンデモ
扱いでいいんだよ。それとも君はそれ以外のエジプトだとか
アトランチスも論議に入れるのか?wwwwwwwwww

だから年号の場合は畿内でなければ大陸半島九州だけでいい。
まさか東北までも北海道までも可能性を誇示するのかね? まるで
そのような質問ではないかねぇ? ま〜だ卑弥呼の国が紀無いに
あると思ってるんだねぇ?www だから卑弥呼が九州王朝の関係
だと君の論が不成立になるからこんなとぼけた九州(畿内も含ん
でか?)以外の地域に妄想のうっちゃりをやりたいんだろう?ww

ついでに△がな〜ぜ大陸から出て来ないのか、自説の不合理に困惑
しないかねぇ?w 君の妄想の積み重なりが大麻汚染のように
なり、もう抜けられなくなってんだよ。重症なんだよ〜君は。ww

347 :ローガン:2008/11/21(金) 16:50:07
>>346
やはり、九州年号だと言う根拠はないんですね。
畿内でいいんじゃないですか?「法興」なんて奈良にあるらしいですが。

348 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 17:02:52
根拠はあるぜ。今話したろうがね。畿内と九州と大陸半島。それを
消去すればもう九州だよ。他にあるっていうなら王朝がありうる国、
地域を出してご覧。無いのかい?ww
いくら否定したって、君の妄想の防衛以外の何物でもな〜いね。
当時は日本は大きく九州と畿内の王権があったということだよ。
大陸も半島もそうだろうが。日本だけが君の考えの紀無い一国だけで
はないぜ。当時は畿内の天皇国と九州の卑弥呼の女王国の二本
の勢力があったものだぜ。

349 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 17:08:59
法興があって、歴史書とか年表とかに朝廷が使っていた例があるの
かね? なけりゃ他の地域だよ、それは。それとも1回の年号が
関東あたりで使われてたのかね? 600年以後ならば九州に紀無いの
影響力はかなりのものだろうし、耳に入って紀無いに来てもおかしく
はないだろう。そういう歴史書等になければ他の国の年号だろう。
そうなるとまさか関東、東北よりも九州だと考えるしかないだろう。
それとも法興はアラスカの年号なのか〜?wwwww

350 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 17:15:40
>>347
法興が紀無いの年号で先述の幾多の年号(倭京とか)が紀無いだと
主張するなら、今日でなくてもいいが、編年してくれよ。ご存知
年表のある年号と合理的に説明つくことが出来うる自信があるの
かね? まぁ無理だと思うがね〜? 九州としたほうが最も妥当
だろうがよ。まさか札幌かいな〜?www

351 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 17:56:44



このスレを読む人へ。
まず真っ当な歴史の本(定番の通史でいい)で正しい古代史を頭に入れてからにしなさい。
いきなり偽史やトンデモ本を読んで真に受けないように。
史料の真贋もわきまえず、思い込みと願望で恣意的に組み立てたトンデモ説は初心者には劇薬だ。




352 :ローガン:2008/11/21(金) 19:02:46
>>350
> 九州としたほうが最も妥当だろうがよ。まさか札幌かいな〜?www

根拠の提示を求めた結果、回答がこれですか?
「妥当だろうがよ」
根拠が自身の想像に拠るものな訳ですね。ループしてますよ。
太国さん、九州王朝なるものの存在が貴方と私の共通認識であれば、それら逸年号が例え直接指し示す根拠がなくても、九州王朝が出した年号だと考える事は可能かと思います。
しかし、現状、九州王朝説なんて論文批判の対象にもなっていない、議論の遡上にもあがらないのではないですか?(まあ、私が知らないだけかもしれないので、間違っていれば撤回しますが)


さておき、貴方はよく「年号が多出しているので、九州王朝はあった」と書いていますが、今日のお話を聞くと「九州に王朝があったので年号は九州王朝の年号だ」と読めますね。
ループしてますよ。

353 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 19:07:09
>>350
法興は年号ではなく人名で新羅の法興王(514〜540年頃)のことだろう。
倭京は年号ではなく地名で大宰府のことだろう。

354 :のんびりひまじん:2008/11/21(金) 20:21:52
古代年号が存在したことは確実なのだが、これを九州年号とする具体的根拠論文が二つ。
@襲国偽僭考 鶴峯戊申著・・・この中に九州年号という書物から引用したそうだ
Aとして >>19 を再度指摘する
九州年号という表題の書物は、明治以後にも存在して、昔九州は独立国にて年号あり という論文に引用されたそうだ。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou65/kai065.html

355 :のんびりひまじん:2008/11/21(金) 20:40:02
>>354 襲国偽僭考 には、
「昔、呉の流れをひく者が、わが国の西辺に逃げてきて、
その子孫が強大になり、錦のぬいとりのある絹織物を身に
つけ、城郭を築き、古くから漢字を用い、みずから王を
称し、国号をたて、中国と通じ、あるいは新羅と通婚し、
もし、意に会わぬときは、ふれ文をして侵略を行い、暦を
つくり、年ごとの歴史を記し、寺を建て、銭貨を鋳造し、
すべて中国のまねをして異ならなかった。」と書いてあって、

鶴峰戊申さんは、このように存在したことは事実ではあった、
しかし、天皇王朝に反するから偽僭であると主張した。

安本美典さんは、このようなものは事実としては存在しなかったと
主張するため標記の解説引用を残した。
     
      〜虚妄(まぼろし)の九州王朝(P130)より

356 :のんびりひまじん:2008/11/21(金) 20:57:33
>>352 横スレ 連発ですまないが、

まず、論文ありき。(>>354) そこで
九州年号なるものさがした結果http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin11/knengou.html

続々見つかっていることを、当たり前の常識として >>346 >>348 >>349 >>350 となるようで・・・


357 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 21:11:14
>>352
それもうOKだよ。ただ>>353氏の前段の文の法興に関しては
彼の主張たる王名だという可能性は相当あるようで、これは今後の
研究しかないだろうが、倭京とか僧聴等とかに関してはこれは年号
だということは疑うべくもない。
九州王朝の年号よ。紀無いのならば編年をしてくれよ。できるなら
ばねぇ〜。ww
まさか関東だとか東北、北海道だとかではあるまいが。あとは
大陸半島はありうるだろう。そうだとなるとそれはどこの国の年号
なのかね?ww だいたい向こうの国々は北京にあった南京にあっ
たなどとはもめていまいが。そうなると僧聴とかの多数の年号の
あった国をどこから求めるのかね? まだ大陸に発見されてない国
があってしかもそれがうんと日本に年号のみ存在するなどと、例の
△が大陸に1枚も出ないのと同様に、こんなに多くの年号が倭京を
入れて大陸にそっくり出たなどとは考えにくいだろうが。半島も
同様だろう。それは日本のマネの年号は例の太和(≒大和)などは
あることはあるが、これも七支刀を日本に贈った関係からだろう。
君がたとえば大陸のある国のだと、そっくりのこれらの年号群が
ある大陸問等資料が別にあったとかなら君の言い分はかなり通って
くるがね。どうやらそんなものはありそうもないだろうが?

なると考えられる所といえば、女王国が紀無いか九州かでどちらか
なんだし、それを考慮しても九州ということとなる。他に某国の年号
だというなら蓋然性の高い国、島を出してくれよ。あるのかい?w
もう当たり前だよ。九州しかあるまいが。wwwww

358 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 21:15:39
>>357 訂正
× 年号群がある大陸問等資料が
○ 年号群がある大陸半島の資料が

359 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:19:01
まあどこの掲示板でも今時九州王朝が話題になるところは正直ないワナw
2ちゃんに信者が集まるわけだな。オレは九州説だが、トンデモの九州王朝説は笑っちゃうな。

360 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 21:23:00
九州王朝だの九州年号だの、論者の思い込みと願望で恣意的に組み立てたトンデモ説は
古代史初心者には劇薬だな。

361 :のんびりひまじん:2008/11/21(金) 21:45:54
>>359 >>360 に尋ねる。
下記の上宮法皇とは誰のことと考えるのか?

法興元卅一年、歳次辛巳十二月、鬼前太后崩。明年正月廿二日、上宮法皇枕病弗[余/心]。・・・(略)
・・・二月廿一日癸酉、王后即世。翌日、法皇登遐。癸未年三月中、如願敬造釈迦尊像并侠侍及荘厳具竟。(略)使司馬鞍首止利仏師造。

この中に推古天皇が出現しない理由を説明した人が存在するか?

362 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 21:58:42
トンデモは紀無い唯一王権説だぜ。江戸時代だって朝廷と幕府と
あったんだし、鎌倉幕府も室町幕府もそうだよ。w
当時紀無いと九州は別々の国で、双方に王権が存続してたということ
が正解なのさ。年号の頻出は氷山の一角が多角と出たもの。
妄想がローガン氏級となるともはや絶望かと想われるくらい妄想度
が根強く、哀れなものだ。

363 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/21(金) 22:13:00
紀無い一王権説は逃れられない妄想トンデモの入り口。wwwww
早く目覚めないと、もはや終生不変であろう。哀れなものだ。w

だから妄想が盲象となりトンデモ酔象に進展して行く。この一王権説
の暴走はいかに古代史界を蝕んでいるか、害毒はサリン。大麻を
上回ってると言いたくなるくらいだ。wwwww

そして紀無い節の盲象は、結局天皇と紀無い卑弥呼のチチクリアイを
根強くさせたいらしく、最後には歓喜天のウッウ〜〜ン♪との
ノボセを演出したいのだろう。wwwwwwwwwwwwwww

△が大陸から1枚たりとも出ないのに、ま〜だ卑弥呼の国が紀無い
にあると盲象者は盲象を強く護持している。wwwwwwwww
目が覚めないのだよ。盲象→酔象 ではさもありなんだな?

364 :ローガン:2008/11/21(金) 23:35:24
>>363
> △が大陸から1枚たりとも出ないのに、ま〜だ卑弥呼の国が紀無い
> にあると盲象者は盲象を強く護持している。wwwwwwwww

あら、考古学にもお詳しいのですね。レスにある「△」とは三角縁神獣鏡でいいですか?
「大陸から一枚たりとも出ない」といいきれる論拠をお願いします。
すみません。ほかのかたはスルーしてくださいね。

365 :ローガン:2008/11/21(金) 23:59:07
>>357

> それもうOKだよ

自分で言ってておかしいとおもいませんか。
↓ ↓ ↓
「年号多出だから九州王朝はあった」
↓ ↓ ↓
「九州と畿内と大陸以外云々…九州に王朝があったから九州王朝の年号だ」 引用は正解ではないですが、そう受け取りました。(違うなら言ってください)
循環論法のお手本を拝見したように思うんですが。
「それもうOK」って… 大丈夫ですか?しっかりしてくださいよ。

366 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/11/22(土) 08:25:00
>>364
お久しぶりです。
これ以上九州王朝信者の根拠のない罵倒と結論の布教を見るのにも飽きたんで
しばらくこっちには書き込んでなかったんですが
やっぱ九州王朝信者の非常識な言動を見ると手が止まらなくなります。
他の方はスルーして下さいとの事ですが、
我慢して一言だけ聞いてください。
三角縁神獣鏡の件ですが、
そもそも今の時点で魏の墓の発掘数は非常に少なく、
少ないデータだけで「中国に三角縁神獣鏡が無かった」と決め付けるのは無理があります。
あと、三角縁神獣鏡そのものは発掘されていませんが、
「あ、これがモデルになったんだろうな」と言う、非常に良く似た鏡なら発掘されてます。
三角縁神獣鏡は、それらの鏡を元に、日本のために特別に作った(所謂「特鋳説」)と考えると
納得できます。

367 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/11/22(土) 08:25:49
あ、「こっちには書き込んでなかった」ってのは、
九州王朝や邪馬台国関連のスレ全般に、ってことです。

368 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/22(土) 11:09:24
数枚くらいは出るだろう。それも無い。紀無いにばかりだ。
これでは△は紀無いあたりで作られたと考えるのが、盲象に至ら
ない妥当な考えよ。
△は卑弥呼の鏡にあらずとするのがどうやら正解だな。

 500枚:0枚  では紀無い節のお世話になる必要もなかろう。

おまけにローガン氏は得意げに七支刀の年号でその研究の広さで
こちらも大したもんだと思っているのに、まさか倭京の年号では
重過失的盲象を頑張るなどとは呆れるばかりだな。wwwww

年号を甘く観る貴殿ではなかろうに、もともと紀無い節の盲象が
歓喜天状態のお脳となれば、七支刀の年号の整然とした論述との
断層がすごすぎて、もろいお人だと嘆かわしいねぇ・・・。www

369 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/11/22(土) 11:28:43
>>368
貴方は人のレスを読まないようですね。
何も国産説だけでなく、特鋳説でも充分説明は出来るというのに。

370 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/22(土) 14:09:07
243年正始四年 倭王復遣使大夫伊聲耆掖邪狗
倭王=タラシヒコ=景行
238年には、卑弥呼の遣使の一員として、垂仁が都市牛利(タジマモリ)を送る
243年には、景行が単独で遣使掖邪狗 (イワカ=六雁)を派遣
この時点で九州王朝は、死に体。
書紀で卑弥呼は、巾三尺の石、男王は、筑紫の大木
隠したか、間違えたか知らないがそんな状態
神功記は、神功治世中の出来事の多くを元年に纏めて書いてある
魏誌の引用は、干支を合わせた。七支刀は、干支が合わない合わせると
神功五二年(プラス1年)326年の中華の干支である。
履中元年の干支は、中華の干支と同等(400年)、しかし 他の資料に依ると履中は、399年の死亡。


371 :ローガン:2008/11/22(土) 14:38:57
>>366
やあ!夏祭さんしばらくです。 まあ、100枚程度魏から来たのでしょう。大半は「花輪鏡」として国内で踏みかえされたものと思います。

372 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/22(土) 14:47:03
>>369
とうとう、その盲象で妄想を防衛かねぇ? wwwww
特鋳するのにフチを△にこだわることはないはずだね。どうしてフチ
を△にせねばならんのかね?wwwww

記紀に「台馬」の主流煙の九州がない、つまり記紀に卑弥呼の独立
した大きな記載がないぞと紀無い説の不審を問うと、これは紀の
編者らが隠匿しただとかで都合をあわせる。ならば神功39年等の
記事があれば卑弥呼の存在がバレるから隠匿は成立しっこないという
と、今度は紀にだれかが神功39年等の記事を紀成立のあとに挿入
したなどと主張して辻褄合わせをして隠匿説を固持する。そんなに
うっちゃりが2度も決まるかね? 妄想の防衛なわけよ。隠匿説が
間違いだと気づこうとしないで。かような即興のうっちゃり論でまだ
妄想を頑張っている。特鋳もこれと似たような即興的言い逃れで
あり、そんなにうまくはいかんよ。それより△が大陸から1枚も
出てない現実を冷静に直視し、この△が卑弥呼の鏡でないとしっかり
気づくことが正常な頭脳の持ち主だということさ。つまり記無い節は
成立しないなと感づくべきなのだ。それができないということは、
夏祭、ローガン両氏の頭脳が紀無い節のひどい妄想カルトに冒されて
しまい、台馬汚染としてもう治療困難な重症に陥っているという
ことだ。wmwwwmwwwwwmwwwwwww

373 :ローガン:2008/11/22(土) 14:55:12
>>368
> 数枚くらいは出るだろう。それも無い。紀無いにばかりだ。

まあ、各地方で見つかりますが…

> これでは△は紀無いあたりで作られたと考えるのが、盲象に至らない妥当な考えよ。 △は卑弥呼の鏡にあらずとするのがどうやら正解だな。
>  500枚:0枚  では紀無い節のお世話になる必要もなかろう。

ほ〜「500:0」 何処から出てきた数字ですか?引用されたのならソースをお願いします。急ぎませんので。

374 :ローガン:2008/11/22(土) 15:33:57
>>372
> 特鋳するのにフチを△にこだわることはないはずだね。どうしてフチを△にせねばならんのかね?wwwww

縁の断面が三角形に見える鏡なんて他にもありますよ。色々調べてから書いて下さいよ。

> 記紀に卑弥呼の独立した大きな記載がないぞと紀無い説の不審を問うと、これは紀の編者らが隠匿しただとかで都合をあわせる。

何度も書いたじゃないですか。紀に大業3年の記事があって開皇20年がないのと同じ理屈ですよ。

>紀にだれかが神功39年等の記事を紀成立のあとに挿入したなどと主張して辻褄合わせをして隠匿説を固持する。

これもだいぶ前にザで書きました。仮に後注説を考えるとしたら、卜部が書いたと考えられるんじゃないか?って事です。
その前に自説として、紀編纂者が実年代を与える目的で注記したと書きました。後注説を特に支持している訳ではありません。
よく読んでくださいね。

375 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:22:32
また犬国が無駄吼えしているのかwwwww

止せば良いのに考古学方面に手を出して三角縁がどうのこうの…
この板で
「日本で500枚から出ていて中国で1枚も出ていない」
と念仏・題目の如く繰り返し書かれているのを見て飛び付いたのが丸分かりだなwww

現在も魏鏡説が生きているのはそんな事は百も承知の上で成り立っているのであって
その意匠や銘文等々むしろ魏鏡説に分があるネタもある。

そもそも犬国の九州王朝説って
7・8世紀頃まで九州に畿内ヤマトにまつろわぬ一大勢力が存在したと言う事なのか?
それともその頃まで九州が日本全土を支配していたって説なのか?
どっちか良く分からないな…

後者なら十分首肯できる話だが…

まあ古神道の秘儀で古代を透視できるとか何とか
電波飛ばしている奴の言う事が良く分からないのは当たり前なんだろうがwwwwwwwwwww




376 :375訂正:2008/11/22(土) 22:31:48
×後者なら十分首肯できる話だが…

○前者なら十分首肯できる話だが…

377 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/11/22(土) 23:16:27
>>371
まあ、そんな所でしょうね。
当たり前ですが、日本で発掘されてる三角縁神獣鏡が全て舶来の物とすることは無理がありますからね。
だからと言って、全て国産とするのも同様に無理がある。
>>372
貴方の文章は意見の違う人間に対しては非常に雑なので読みづらいのですが、何、三角縁神獣鏡は三角縁だから特鋳ではないと。
貴方ねえ、それは特鋳の可能性の否定にも何もなってませんよ?
>△が大陸から一枚も出てない
いやだからねえ、そもそも魏の墓の発掘例自体が現時点で非常に少ないわけだから、現時点で「中国に三角縁神獣鏡は無い!」と断言できる状況じゃないし、
「△」そのものは無いけど「△´」と言えるものならあるんですよ?
「△´」を元に、邪馬台国用に新しい鏡を作ったのだとすれば、無理はありません。
「景初四年」の鏡にしたって、景初三年の時から来年用に作っていたと考えれば、全く持って無理はありませんが?
現時点で、「全ての三角縁神獣鏡が国産である」と断定するほうが無理がある。その「現実を冷静に直視」し、断定には無理があると「しっかり気付」いて下さいよ。
>紀無い説の妄想カルト
ふう…どっちが妄想カルトだか。
大半の九州説の人間に、「九州王朝説と畿内説、どっちが論敵に相応しいと思う?」と聞いてみなさい。
殆どの人間は後者を選ぶでしょう。殆どの人間は分かっています。
考古学的に見れば、遅くとも4世紀以降は倭の先進地域は畿内なのだと。
九州が先進地域だったのは早くて1世紀、遅くとも3世紀まで。

大体、九州王朝説という物自体、大昔に考古学界を席巻した「畿内優勢自立説」の裏返しみたいなものじゃないんですか?
散々「九州の繁栄は見せ掛けだ、2世紀以前から倭の先進地域は畿内だ!」といわれ続けたから、仕返しに
「畿内の繁栄は見せ掛けだ、7世紀まで倭を引っ張ってきたのは九州だ!この青銅器使いの鉄知らずめ!」と罵倒する。




378 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/22(土) 23:17:06
>>375 ジョーカー
オマエもとんだ酔象だからな。△が卑弥呼の鏡だと思ってるのか?
ローガン、夏祭誤両名とともに盲象三羽カラスと認定だ。WWW

紀無いに卑弥呼の国があるなら倭人伝以上に記紀に卑弥呼と天皇
とのウッウ〜ンwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
のチチクリアイが満載だ。それが全然無〜〜い。wwwwwwww
オマエも歓喜天でお陀仏だな。wwwww

379 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/22(土) 23:38:46
>>377
盲象はやめたほうがいいネ。ま〜だ妄想を育んでいるようだ。w
倍暦計算で

 237年=景初元年=崇神即位元年

だ。倍暦でなくても古事記の崩年干支戊寅から逆算でもほぼこの年
に一致する。つまり 崇神2年=紀の崇神六年=景初2年 での
崇神天皇の摸の同床共殿策からの、一般人民へ右げならえ式で
配布とかされた鏡がそれらの△出土品だ。そんなものは卑弥呼の鏡
ではな〜い。。ジョーカーは特注意だ→古神道をなめようたって
そうはいかんぜ。

当時は江戸時代の京都の朝廷と江戸の幕府の二者両立の2極
だったように九州では九州王朝が、紀無いでは朝廷が2極の情勢に
あったのだ。いま一度言うが、卑弥呼当時は九州と畿内は別国で
あり、これは大陸と半島も当時多国であったように、魏のころは
鼎の如く天下三分の状態にあったわけで、日本も二分の状態で
あったのが正解なのだ。紀無いは卑弥呼のころは天皇国であり女王国
は紀無いには存在しない。しかし倭人伝には女王国の記述があり、
紀無いに天皇国があったということは卑弥呼の女王国が天皇国
に重在するわけもなく、当然九州にあったということにある。これ
が正解なんだよ。盲象三羽カラスになったらもうオシマイだ。www

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・

380 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 10:13:41
>太国

まあスレには直接関係無いんだが…

「酔象」とか「盲象」とかアホ丸出しの造語だな。

恐らく「群盲象を評す」の諺あたりから言っているんだろうが
辞書で意味を調べて見ろ馬鹿w

そうすれば盲いたるは人であって像でないことは分かるだろう。

いい加減な造語、しかも意味が通じない電波飛ばすなカス犬www

もっとも今日日、総理大臣でさえ「みぞゆう」「はんざつ」と言うレベルだがwwwwwwwwww

381 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 10:37:46
>>380 ジョーカー
妄想たる紀無い節の後戻り出来ないオマエ達にはズバリの適正語だな。
辞書がだと〜〜? ふざけるな。wwwwwwwwwwwwwwww
これは記紀の成立した古い時代と同様、そうゆう古い時代に成立した現代とは
違う大将棋の駒『醉象』のことからだ。wwwwwwwwwwwwwwww
オマエらは古代史の指し手が大幅に狂って後戻りするバックの能力が無いと言って
るんだよ。wwwwwww

オマエ、△が大陸から1枚も出てなくて、マ〜ダ紀無い節が妄想だと気づかない
のかねぇ? オヤッオマエの自説がおかしいかな〜と気づかんのかねぇ〜?ww
それだけ「台馬」汚染のようにオマエの脳ミソはいかれているということだ。w

382 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:31:24
>>381 犬国
>オマエ、△が大陸から1枚も出てなくて、マ〜ダ紀無い節が妄想だと気づかない

じゃあ中国で魏の時代に間違い無いと言う鏡が何枚出たか?
出典を明らかにして言ってみろよアホ犬www

俺は確実な魏代の墓は一件しか発掘例が無いとしか知らんが・・・

以前にも同じ質問を九州説の人間に問うたがコメントなしだったなw

魏代の鏡がどのようなものであったか分からないのに
日本での発掘例の数を挙げても意味が無い。

その上魏鏡説の人間にしても出てきた全てが舶載と言っているわけではない。

循環論法の典型のようなアホ理論を振りかざして、タダでさえ痛いんだから
知りもせん事にまで噛み付いて恥の上塗りするなカス犬www


383 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 11:45:12
>>382 ジョーカー
オマエの脳は盲象の脳ミソだな。だいたい紀無いに女王国があっ
たとかは記紀には推古の世まで待たねばならない。そこに無理やり
卑弥呼の女王国を記紀違いでwww存在したと誤理押しするのが
オマエら妄想三羽カラスの豆脳と行動なわけだ。笑わせるな。ww

そのころ紀無いに女王はいないのに、ありえもしないレディ・
ファーストで天皇以上に格上げするのがオマエらの酔象脳なわけだ。
だから天皇と卑弥呼のチチクリアイの歓喜天酔象論が、オマエ達の
甚だしくイカレている記紀違い説に暴走したということだ。www

384 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:47:17
で、九州王朝説と言えば
「その都は何処?」
と問われて”困った時の大宰府”がパターンだがw

隋書からは仏教の導入に力を入れている風な事が読み取れるが
大宰府近辺に寺院が林立していた痕跡があるのか?

それにそこにいた九州王朝の王族の墓は?

都に必要なインフイラとして各地へと通じる道路はあったのか?
(大和で言えば上ツ道、中ツ道、下ツ道と言った「大和三道」
中央の意思を素早く各地に伝える為に必要)

幾ら地面の下に古い遺構があろうが都市機能を満たすかは別の問題wwwwwww


参考)Wiki「大和の古道」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E3%81%AE%E8%BE%BA%E3%81%AE%E9%81%93

385 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:58:38
法興って、寺が出来てから31年と言うことだな。
年は、「辛巳」と干支で表示してる。

386 :ローガン:2008/11/23(日) 13:24:32
>>383
はい、500:0 ソースお願いしますね。そこから始めましょう。

387 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/23(日) 13:30:49
>>385
法興は、上宮法皇多利思北孤(弟王)の在位期間に与えられた一代限りの特別年号です。
兄王の年号は別にあり、九州年号として知られているものです。

388 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:40:21
法興始まりてより31年、年・辛巳十二月・・・・・

389 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/23(日) 13:52:54
>>384
九州王朝説と言えば、その都は前期は久留米、後期は大宰府である。

仏教の導入に力を入れたのは、都が久留米時代。隋以降はシナと没交渉期。

九州王朝の王の墓はその出身地にあります。
磐井は岩戸山古墳、多利思北孤は宮地嶽古墳とされています。

インフラ道路は一部見つかっています。

390 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 15:05:40
http://www.yumetai.co.jp/shop/g/g45D8T000000/

391 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 16:02:23
法興とは新羅の法興王のことで継体・安閑・宣化が殺されて欽明天皇が
即位した年から使用している便宜的な年号のことだ。

392 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/11/23(日) 16:03:23
>>379
貴方は「3世紀には既に畿内に一大勢力があった」という事が分かっているだけ、名無しの素人よりもマシなんですがね。
その口の悪さは何とかなりませんか?まあそれはおいといて、確かに当時、畿内と北九州には勢力が存在しました。
その解釈の中でも有名なのが、「畿内の大和朝廷、九州の邪馬台国連合」。津田左右吉がろくな論証もせずに提唱してから、色々な人間が追随しています。
しかし、邪馬台国を北九州の国々のトップに立っていた国々と解すると、納得出来ない事が出てきます。
邪馬台国が北九州の国々を支配する国ならば、邪馬台国の主張だけが「王」を名乗れば良い筈。何故伊都国の主張にも「王」と名乗ることを許可しているのか?
又、同じ北九州にあるのであれば、水行十日も二十日も陸行一月も掛からずに、それこそ伊都国から陸行数日、いや、これまでの国々と同じように「○何里」と記せば済むはず。
あんな遠くにあるような風に書く必要などない。これらはどうすれば解決するのか?簡単です。
「畿内の大和朝廷、九州の邪馬台国連合」を「畿内の邪馬台国、九州の伊都国連合」とすれば済むのです。
東夷伝倭人条に、邪馬台国が不弥国からかなり遠いように書かれているのは、実際に遠かったから。
倭の国々を支配しているはずの邪馬台国が伊都国の主張に「王」を名乗らせているのは、邪馬台国が北九州から遠くにあるために単独では支配しづらく、
伊都国に九州の国々を統治させていた、丁度中央政府と都道府県庁のような関係と見れば説明が付く。

393 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 16:34:54
>>392
口が悪いのはジョーカーの加勢があるからだ。あまりそれがしも言い
たくはない。つい貴殿の話も関係になろうから一緒にしただけの
ことだ。ジョーカーだけに言ってる語なんだが、たまたま貴殿の名
が入ってしまたっということだから、肩透かしでいて欲しい。

それがしは北九州に卑弥呼の国があったとは思ってはいない。それは
別の北九州論者に言うべき内容だよ。北九州に卑弥呼の国があったの
なら、畿内朝廷にその女王国の情報が大陸半島の遣使によってもたら
されるから記紀にそれが少しでも載るはずだ。だから女王国は
北九州だとは考えにくい。だから当然北九州以南にあったとするのが
正解だ。但し北九州も狭いようで広い。その遣使らの大陸半島、
対馬等から北九州を経由し畿内に至る道筋の国々に該当しない国も
ある程度はあったろう。そこならば女王国の情報は畿内に届きにくい
位置にあろうから、女王国が北九州の番外的地点にあったことの
例外的可能性は否めない。

394 :ローガン:2008/11/23(日) 17:30:10
>>390
根拠が通販のキャッチコピーですか…
一応△の特徴を書いておきますね。
@外区が鋸歯文、複線波文、鋸歯文の三圏帯
A副文帯は銘帯、唐草、獣帯、波文帯、鋸歯文帯のいずれか。
B主文帯は4または6個の乳により等間隔に区分され、神像と瑞獣が求心式又は同向式に配置
C縁の断面が三角形で直径20〜25cmのもの
まあ、他にも半肉彫とかあるでしょうが… 古墳で良く見つかるこの鏡は大正8年高橋健自が王莽代の鏡だとした事による、論争の過程で名付けられた様です。
さておき、他の鏡の特徴というか定義と比較すると明らかに異なるものがあります。Cにあげた「サイズ」です。
連弧文鏡や方格規矩鏡だと大きさで別鏡に分類されたりしませんよね。例えば洛陽で三角縁の神獣鏡が見つかっているそうですが少し小さい為、△鏡とはされないんですね。
又、7期V段階の斜縁神獣鏡なんて大きさが△と同じようなものでも、縁の少しの角度の違いで△と区別する様ですね。写真を見ただけですが、私のような素人では全く区別がつきません。
つまり、「大陸から出ていない」という背景には、△は他の鏡にはない定義がある事に拠るものです。

395 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 17:58:01
>>394
ご講義感謝。
△は何度も書きこんだとおり、崇神の摸の同床共殿の鏡からの一般
人民への右へならえ式からの鏡だよ。卑弥呼の鏡ではないな。それは
倍暦の計算から  239年=崇神3年=紀の崇神六年=景初元年
の結果であり、古事記の崇神の崩年干支からもほぼ一致して来る。

朝廷は5月なんか凶月で率先した活動など起こさないよ。貴殿も
紀の統計を採ってまともなら見当がつくはずだ。まぁまだ懲りて
ないから拒むんだろうが? これは畿内朝廷の成立の直前たる神武
即位前、五瀬命が5月に戦死したことに因む。それで神武は5月を
嫌って1年の5月以後の月をカット、無にしたのだ。つまり3倍暦
を始めたわけよ。それを次帝の綏が3倍暦が特異すぎて不便だっ
たためか元の通常暦に戻したのだが、綏も5月に崩御したから
イザナミ命の怨念だと想い再度の倍暦に戻したのが安寧だ。安寧は
神武と綏の折衷的暦法で2倍暦とした。このような先代からの
迷信的恐怖から5月は朝廷は行事をさし控えてるのだ。だから紀には
5月の活動記述が非常に少なく、見れば殆どが凶的出来事だよ。そん
な月 ↓ に卑弥呼が畿内の女王なら半島に働きかけなどしやせん
よ。       半島から働きがあれば愛想よく対応したろうが?

新羅本紀
「阿達羅二十年夏五月 倭女王卑弥乎遣使來聘」

これは卑弥呼が朝廷関係の女でないことを如実に示すものだぜ。ww

396 :不徳尼:2008/11/23(日) 21:55:00
>>393

>北九州に卑弥呼の国があったのなら、
>畿内朝廷にその女王国の情報が大陸半島の遣使によってもたらされるから

と言うことは、畿内大和と大陸半島の間には北九州を経由した通交があったと言うことですね。
そして、邪馬台国も北九州を経由して大陸半島と通交があった。
ならば、邪馬台国がどこにあろうが、その情報は北九州を経由して
畿内大和にもたらされることになりますが。

397 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/23(日) 22:23:30
>>396
たまたま女王国の情報が大陸側にもたらされたということですよ。
未だあまり見聞、知られてないが、全く情報が女王国から大陸に
行かなかったわけではなく、少人数、あるいは一人、二人とかが
卑弥呼の情報を掴み、実際女王国に行ったのでしょう。それが大陸
にもたらされたということですよ。情報が極めて少ないから、大陸
でも邪馬臺国と邪馬壹国とでバラバラになったわけでしょう。女王国
のことがもっと知られる土地にあったのなら、そんな国名の紛議は
起こりにくでしょうが。以下のように大陸から畿内への交通路が
あって、遣使はそこを通って畿内へ向ったということですね。

大陸→半島
      ↓
     対馬等
      ↓
     北九州→−−−−−−−−−−−−→畿内
      ・
      ・
      ・・
        ・
        ↓
       女王国

大陸から畿内への道は日本版シルク・ロードで、川の流れのような
感じでして、女王国のほうは川べりに出来る滞留の凹的川岸の
ポケット状の感じで水が溜まって川の流れに乗りにくいから情報が
下流へ行きにくいということです。阿蘇の火山の脅威、畏怖で遠来
の人間が近づきにくかったから、女王国の発見が出来にくかったと
いうことではないですか?

398 :不徳尼:2008/11/23(日) 23:49:58
>>397

> たまたま女王国の情報が大陸側にもたらされたということですよ。

そんなことは無いでしょう。
邪馬台国の使者が帯方へ出向き朝貢を申し出たわけですよ。
そして、その後二度三度と双方の使者の往来もあったじゃないですか?
それに半島への窓口である伊都には一大率も常治していたと書かれています。

>以下のように大陸から畿内への交通路が
> あって、遣使はそこを通って畿内へ向ったということですね。

だとするとですが、その遣使の存在は畿内でも大陸でも全く記録されてないですね。


399 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 10:05:42
>>398
一度情報がとれればどんな国か興味があって少しは行き来はするで
しょう。あなたの言う往来は、それは余韻ですよ。うんとは女王国
へは行ってませんよ。そのくらいでしょうが。うんとなら「臺」か
「壹」かでもめることはないでしょうし、畿内か九州かで紛議
になることもないでしょう。もっと女王国の地域が特定されますよ。
いまだ判然としてないでしょうが。これは女王国へ行った頻度が
少なかったということですよ。おそらくは阿蘇が火山で現代人なら
そんなに畏怖感はないでしょうが、当時の人間は迷信深いしもっと
恐怖感自然への畏敬感が強く行きたがらない面もあったと思い
ますね。遣使という言い方は年代的に誤解を生んだようですが、
紀の後代に遣使がその道を通って畿内に行ったことを例示的にて
説明したまでのことです。当時は崇神の時代ですから大陸との交通
が朝廷になかったかと考えれば遣使がまだだと行っても、△には
景初の年号があり、畿内から出土してるんですから、遣使が駄目
でも何らかの大陸の情報は畿内に行ってますよ。むしろ女王国の
情報が畿内に入ってないことを不審に思うべきです。なぜか?
それは卑弥呼の国が畿内から遠方にあって、北九州あたりの畿内に
至る交通路から地理的に隔絶した地域に女王国があったからです。
殆ど卑弥呼の情報が畿内に届かなかったということですよ。そう
なると女王国は奥九州あたりでしょう。

400 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:07:16
「倭京何年」(大和の京が造営した時より何年)

「築城」や「遷都」は、どこの王朝の年号だろうね?

401 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 10:13:13
ニンベンはないだろうが、漢委奴国王は九州出土だろ。大和とは
「委」で決められないんじゃない?

402 :不徳尼:2008/11/24(月) 10:59:22
>>399

> 一度情報がとれればどんな国か興味があって少しは行き来はするでしょう。

三国志に記録されている限りでは、中国から倭へは2回、倭から大陸までは5回、
半島までならっとたくさん。

> うんとは女王国へは行ってませんよ。そのくらいでしょうが。

正始元年条に「拜假倭王」と書いてあるので魏使は卑弥呼に会っています。
この文章では、「拜假」の場所が明示されていないので、
卑弥呼の方が伊都辺りへ出向いた可能性も否定できませんが、
まあ、そうは考え難いでしょう。

> もっと女王国の地域が特定されますよ。

別に三国志の記述から現在の土地が比定できないのは、邪馬台国だけではありません。
高句麗の丸都だって不明ですし、魏の出先である帯方郡治の所在だって不明です。
三国志の記述は、大まかなだけで、具体的な部分は少ないのです。
倭人伝の記述から邪馬台国に行き着けないのは「行った頻度」がというような理由ではありません。

> それは卑弥呼の国が畿内から遠方にあって、北九州あたりの畿内に
> 至る交通路から地理的に隔絶した地域に女王国があったからです。

女王國は、壱岐・対馬・玄海灘諸国を配下にしています。
「北九州」は卑弥呼を王と擁く、女王國の一部なのです。
畿内と北九州との通交を認めるなら、女王國の存在に「気づかない」と言う「理屈」は成立しません。

403 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 11:11:58
>>402
北九州に女王国はないですよ。あれば畿内に(遣使が駄目だという
なら)大陸からの貿易交流関係人が卑弥呼の情報をもたらします。
情報が来ないから卑弥呼の独立した記事が無いと観ます。ならば
北九州以南、とりわけ奥九州が可能性が強まります。
そのへんだけ外界から孤立ではないが連絡性の弱い隔絶的状況が
強かったから畿内から見えにくい場所だったということです。奥九州
の盲点的死角的地点に女王国があったと考えます。

どこに女王国があったとお考えなんですか?

404 :不徳尼:2008/11/24(月) 11:46:00
>>403

> 北九州に女王国はないですよ。

私の文章をよく読んでください。
対馬・壱岐・玄海灘沿岸は卑弥呼を女王として戴く国々なのです。
この地域は伊都に常治する一大率にも検察されています。
倭人伝を読めばわかるとおり、ここでは大陸との交易も管理されていますね。
つまり、邪馬台国がどこに在ろうと北九州と女王の都は繋がった存在なのです。
だから、北九州を経由して文物が流れる以上、畿内が「女王」に気づかないはずはないのです。
貴方の説を押し通すには、畿内と北九州の交流そのものを否定しなけりゃだめですよ。

> どこに女王国があったとお考えなんですか?

「女王國」と言うのは邪馬台国の意味で使われているのですか?


405 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 12:18:07
>>404
属国的でしょうそこは。北九州と奥九州は近隣だからその辺では
もう少し情報が属国に来てるでしょう。〜確かに属国だからそれは
もっとは来ていますな。それだけ支配力が強けりゃ記紀に何らかの
記述が出るでしょう。後代とはいえ半島の遣使が畿内に来てるのに
女王がいるという北九州での卑弥呼の情報はそこの交通路を歩いて
踏み倒しですか? 畿内は半島のほうが女王国より遠いんですよ。

遣使が後代で駄目だと云っても、景初鏡の存在からして大陸からの
通行人がいるんですからそんな凄い勢力の女王が北九州にいたの
なら、畿内に近いから畿内に北九州の情勢が半島の途中からして
畿内に流れ記紀に書かれて然りだということですよ。北九州ならば
半島の記事以上に記事が記紀に掲載されますね。記紀は半島の国名
を載せているはずですが? その途中にあるすごく大きい北九州
全域的卑弥呼の国はシカトですか?そんな事は考えにくいですがね?
北九州に卑弥呼の国があるんなら、半島の遣使が来てて卑弥呼の国の
遣使はもっと畿内に近いのに来てないはずはなく、話題があっても
おかしくはありません。それが記紀に載ってないんですよ。

だから北九州より以南が可能性が強まります。ただ例外の可能性と
して、そういう交通路から離脱性の濃い北九州の外れというか僻地と
いうか、そういう交流度のあまりない地域が皆無とは言えずあろう
事から、そこならば北九州地域でも女王国の可能性はありえますよ。

406 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:24:31
「法興元三十一年」(仏教信仰が興った初めより31年)

日本書紀の記述では聖徳太子が死んだのが推古29年で、この年は辛巳。
釈迦三尊の光背文の上宮法皇が死んだ年は辛巳。


407 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 17:07:44
法興元号
上宮法皇多利思北孤(弟王)の在位期間に与えられた一代限りの特別元号です。
兄王の元号は別にあり、九州年号として知られているものです。

多利思北孤 法皇即位:法興元年、端政3年、西暦591年
多利思北孤    没年:法興32年、倭京5年、西暦622年

408 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:15:54
多利思北狐=欽明天皇。

409 :不徳尼:2008/11/24(月) 21:47:11
>>405  すいません、論理の展開がよくわからないのですが・・・

> 属国的でしょうそこは。北九州と奥九州は近隣だからその辺では
> もう少し情報が属国に来てるでしょう。〜確かに属国だからそれはもっとは来ていますな。

つまり、北九州で卑弥呼の存在が知れているのは当然なわけですね。

> それだけ支配力が強けりゃ記紀に何らかの記述が出るでしょう。

何故、書かなくてはいけないのですか?
記紀には何から何まで全ての事柄が記されているわけじゃないですよね。

> 後代とはいえ半島の遣使が畿内に来てるのに女王がいるという北九州での卑弥呼の情報は
> そこの交通路を歩いて踏み倒しですか?

意味がわかりませんが・・・

> 遣使が後代で駄目だと云っても、景初鏡の存在からして大陸からの
> 通行人がいるんですからそんな凄い勢力の女王が北九州にいたのなら、

事実関係が違いますね、北九州にいるのは卑弥呼の代理人である「一大率」でしょう。

> 畿内に近いから畿内に北九州の情勢が半島の途中からして畿内に流れ記紀に書かれて然りだということですよ。
> 北九州ならば半島の記事以上に記事が記紀に掲載されますね。

だから、貴方の説では畿内は女王の代理人である一大率の北九州と交易してるんでしょう?
なのに、記紀にはそんなこと何も書いていないのです。

> 記紀は半島の国名を載せているはずですが? その途中にあるすごく大きい北九州
> 全域的卑弥呼の国はシカトですか?そんな事は考えにくいですがね?

つまり、邪馬台国は九州には無かったということが考えられますね。

410 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/24(月) 22:34:36
>>409 フトクニさん 紀無い説? 正体を出したの?w
逆に反問しますよ。なぜ北九州にあった場合、半島からの記事が
あるのに卑弥呼の国の記事だけ抜く必要があるんですか?

おかしいでしょう。奥九州で属国には情報は確かに行ってるで
しょうが、その属国が間にあり奥ならば間接的位置になる卑弥呼の
国もことなど川の水ポケットの如くで畿内からすればさらに関係の
縁遠い国だから記載材料もなく、要するに記紀の編者からすれば
関係ないという地域ですよ。これが北九州ならば当然畿内に情報
が流れるはずですな。それがもっと遠い半島の遣使の記事、朝廷側
から半島へ行った記事もあり、半島のことがおぼろげながら記載が
あるのにその中間にある北九州女王国女帝の記事が全く無いなどと
考えにくいでしょうが? 景初の鏡で魏の状態が崇神の代に畿内に
多々あるんですよ。魏の関係がわかるのになぜ大陸と畿内の間の
北九州女王国の記載が記紀に載らないのか? そこに女王国が存在
してないと考えるのが妥当ですよ。5月には朝廷は凶月で活動
なんかしませんよ。w 大陸からの働きかけなら愛想を示しますが。

新羅本紀「阿達羅二十年五月 倭女王卑弥乎遣使來聘」


411 :不徳尼:2008/11/24(月) 23:18:25
>>410

> 逆に反問しますよ。なぜ北九州にあった場合、半島からの記事が
> あるのに卑弥呼の国の記事だけ抜く必要があるんですか?

何度もいいますが、北九州にあるのは一大率でしょう。
そして、記紀に任那の使節のことは書いてあるのに、一大率は登場しないですね。
倭人伝では、刺史の如しと記されている一大率の前を任那使は素通りしてきたのですかね?

> おかしいでしょう。奥九州で属国には情報は確かに行ってるで
> しょうが、その属国が間にあり奥ならば間接的位置になる卑弥呼の
> 国もことなど川の水ポケットの如くで畿内からすればさらに関係の
> 縁遠い国だから記載材料もなく、要するに記紀の編者からすれば
> 関係ないという地域ですよ。

貴方の説の年代観で言えば箸中山築造(布留期)のころのことです。
この箸墓築造期の超メジャーな土器様式、布留式古相の壺が、
なんと九州の山奥、日田・小迫辻原遺跡からも出土するのですよ。
こんな山奥でも畿内との通交があるのに記紀は女王様の所在に気がつかないのですか?

> 女帝の記事が全く無いなどと考えにくいでしょうが? 

そうです。記紀に卑弥呼が登場しない理由は「山奥在住」だからではないのでしょう。

> 景初の鏡で魏の状態が崇神の代に畿内に多々あるんですよ。
> 新羅本紀「阿達羅二十年五月 倭女王卑弥乎遣使來聘」

これは、貴方の説にとって、とても都合の悪い事実ですね。
当時の大和と魏や新羅の間に通交があったのなら「親魏倭王卑弥呼」の存在を知らないなどと言うことはありえません。

412 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 09:48:11
日本書紀に記述されている聖徳太子の別名、豊耳聡法大王(法主王)。

光背が作られたのが日本書紀以降の可能性はあるが、そこに書かれている上宮法皇は聖徳太子の事で間違いなく、
「法興」が九州王朝の年号で無い事は確かだ。

413 :のんびりひまじん:2008/11/25(火) 11:01:34
>>412
「法興」なる年号の存在は確かなのに、日本書紀に出てきません。
法皇と言えば、天子のこと。これを日本書紀で天子となったことがないのに、 
聖徳太子の別名、豊耳聡法大王だと結びつけているのは強引で
その光背銘文の、その他の登場人物は、日本書紀と一致しません。
推古天皇(女帝)のお姿を読み取ることができません。

日本書紀という書物は、成立100年ほど前の金石文すら説明できないのです。
(参考までに、郡評論争は有名でした。)

貴殿は、日本書紀に合わせて金石文を読みたがった老人性通説派のお一人とお見受けします。

保守派の谷沢永一ですら 聖徳太子はいなかった と言い出していることに気付いたらいかがですか?
http://blog.fc2.com/goods/4106100622/rekishhyor02-22

414 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/25(火) 11:16:54
一大率は女王でもなく女王の畿内への代理人でもないです。半島の
遣使はむこうの王の代理人ですよ。まさか一大率が畿内に来たん
ですか? だから一大率になんか関心はあんたはあろうが、女王でも
王の代理人でもない一大率は畿内では重視してないですよ。それは
大陸半島に対しては一大率は女王の間接的代理人にかろうじてなり
ましょうがね。
文章がおかしいのか、山奥在住? これは否定肯定いずれなのか?

五月なんか朝廷は凶で活動なんかしませんよ。九州の奥地に
いる卑弥呼は朝廷の5月非活動のことなんぞ関知してませんからね。
だからこそ卑弥呼は5月に平気で半島に働きかけたということです。
ひとつも不利にはなりませんな。記紀に卑弥呼の記事がからきし
ない。これこそあんたのほうの不利なんですよ。畿内に卑弥呼が
いれば、倭人伝以上に記紀に卑弥呼の記事がこれでもかというほど
載りますね。もう一度聞きますが、あんたは畿内説ですね?

415 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 14:43:48
法興が年号なら、その後に「歳次辛巳十二月鬼」と年月日が付くのはおかしいでしょ?
「鬼」は二十八宿の一つで日付を表示してるんです。

釈迦三尊は、聖徳太子と彼を看病しながら回復を願って断食をして亡くなった后のために作られた上宮家のプライベートな仏。
私寺の私的な目的のために作られた仏に推古天皇の名前が出てくるほうが変。



416 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/25(火) 15:02:15
>>411 >>414
そんな壺くらいで判断を間違えないことだ。卑弥呼の活躍年代は崇神
の世あたりだ。その2代後の景行だって、それは九州には行って
るよ。だから2代前でも全く1人として九州から畿内に行った人間
あるいは畿内から九州に出かけて行った人間が完全0だということ
ではない。極めて少なかったということだ。その壺が出たってそこ
が九州の女王国とは決められはしない。そこで畿内から九州にごく
少人数は行った可能性は否定は出来ない。が、壺の連中が女王国に
入ったかどうか、九州も広いから肯定までは出来っこな〜い。景行
も奥九州全域を行幸したわけでもあるまいが。

イスラム教の方々は豚肉は絶対喰わない。だから古文書の記述に
豚を食った人間がいたとあれば、その者はイスラム教発祥後とかで
ある限りイスラム教徒ではない。その者をイスラム教徒の方だと
主張しても、それはウソだということになる。かように宗教等には
絶対タブー的事項があるわけだ。同様に5月は古神道では凶月で
ある。かような月に朝廷は積極的活動などはせず、葬式法事等以外
はジッとして生活している。これは高天原で天照大御神が五月蝿
為す状態を忌み嫌い、天之岩戸に閉じ籠ったことに由来しており、
さらに神武東征時、神武の皇兄五瀬命が御名と同数の5月に戦死
したことから、朝廷では5月を畏怖し、極めて忌み嫌っているのだ。
朝廷の古神道での5月はイスラム教での豚肉料理に相当するものだ。

それが新羅本紀に卑弥呼が5月半島に働きかけているとある。もう
これで紀無い節が ↓ 大妄想だということが自明なのだ。

新羅本紀
 「阿達羅二十年五月 倭女王卑弥乎遣使來聘」


417 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 15:48:16
>>413
> 「法興」なる年号の存在は確かなのに、日本書紀に出てきません。
君はたしか、日本書紀はいい加減な書物だと言ってなかったかね?そのいい加減な書物に書いていないものがあって何がおかしいんだね?
書紀を否定しているんだろ?君、ダブスタはいかんよ。

418 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/25(火) 19:54:31
太国さんの為に崇神陵のお引っ越し、どっこいしょ。
これで変な壷から逃れられるよ。

最近になって,纏向古墳群の近くにあるマバカ古墳(奈良県天理市)が最古級ではないかという調査報告がされた。
全長約74mのこの古墳の発掘によって土器や堀状区画が見つかり,3世紀前半に築造された可能性が高くなった。
太田茶臼山古墳や今城塚古墳(どちらも継体天皇陵とされる)
手白香皇后陵(衾田墓)は、『延喜式』諸陵寮によると、大和国山辺郡にあり、城上郡にあった崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)
の陵戸に兼ね守らしめたことになっている。
今城塚古墳を継体天皇陵と見なし継体の后 手白髪郎女命/仁賢女の御陵は“西山塚古墳が衾田墓である蓋然性はきわめて大きい。”
と此方も移転。
理由は、今城塚古墳と西山塚古墳の埴輪は、同じ窯で焼かれた埴輪である。
そして崇神天皇陵は、手白香皇后陵の近くに無くては行けない。
となると崇神陵の候補としてマバカ古墳は、最有力。
モモソ姫は、纏向石塚古墳。(3世紀頭初)



419 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/25(火) 20:33:05
唐松山さん
今日歴史読本(暦の特集)を買ってパラパラめくってみたが、倍暦
のことは記載が無いんじゃないかな? 裕子姫の話もなさそうだ。
この点面白くないが、なにか今後の参考にはなると少しずつ読んで
行きたい。ちょっと参考個所はあったので興味はあります。

420 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:39:17
ぶっちゃけ現在のところ九州王朝説って古田の後継者と目される人物っているのか?w

東遷説は神武東征神話がある以上
「ロマンに満ちた伝説」のポジションはキープできるとは思うがwww

個人的には以前買った本の著者で斎藤忠なる人物を知っているが…

まあ本と言っても
『倭国と日本古代史の謎』と言う文庫本で
出版が「学研M文庫」と言うからチョットアレかもしれんがwwwwwwwww

(学研と来て”M”なら多分「ムー」の事だと思うがw)

「九州王朝説如きの本に金を出すのはアホらしすぎる!
 それだったらまともな本・雑誌を買うわ!」
と言う諸兄にも文庫本で¥620(税別)程度なので物好きな御人は買ってみては?w

結構衝撃的な内容もあり、ある意味コストパフォーマンスは非常に高いかもwwwwwww
    
   つづく

421 :420:2008/11/25(火) 20:54:13
>>420の続き

で、その本の笑撃的内容を一つ言っておくと
測定により久里双水古墳出土の木片がC14び測定により

  紀 元 前 7 世 紀 

と判明してその古墳が前方後円墳の始祖だったとか
北九州の須恵器も紀元前だとか

ただ流石に断定調ではなく
「〜だったと言う想定も一概に否定できないのである」
と”逃げ道”は作ってあると見るはうがち過ぎか?wwwwwww

著者は古田をリスペクトしているような事を言っていて
巻末にも参考にした古田の著書をズラリ挙げている。

しかしそれも単なる「パクリ」をことしたもので無いかとさえ思うw

ぶっちゃけ言って本人も九州王朝説なんか信じておらず
飯の種だけに書いたのではないかと疑っている。

例えれば純文学を志す作家が食う為にエロ小説書くみたいなwwwwwwwwww


422 :420:2008/11/25(火) 21:05:34
>>413
>保守派の谷沢永一ですら 聖徳太子はいなかった と言い出していることに気付いたらいかがですか?

念の為正確を期して言っておくが谷沢永一のその本の中の姿勢としては

「聖徳太子がいなかったなんて、そんな事は昔から言われていた事であり、今更自分ごときが説明するまでも無いが…」

と言う感じで昨今急に姿勢を変えたわけでもないんでwwwwwwwwwwww


423 :のんびりひまじん:2008/11/26(水) 02:42:45
>>417
>君はたしか、日本書紀はいい加減な書物だと言ってなかったかね?
>そのいい加減な書物に書いていないものがあって何がおかしいんだね?
>書紀を否定しているんだろ?君、ダブスタはいかんよ。

日本書紀はいい加減である理由には、例えば、
金石文によって存在が確かめられる「法興」年号が記載されないことも一つ。
どこがダブルスタンダードなの?

>>422
日本書紀のアヤしさ主張の一例です。
なお、谷沢永一という人は、サヨクからの転向保守であることも知っておくと面白い現象。
いくら保守派に転向しても黙って放置できぬから、聖徳太子はいなかった と主張した。

   〜このスレを読んでる初心者への参考事項

424 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 05:29:20
古事記・日本書紀が信用出来なければ海部氏勘注系図と先代旧事本紀は
いかがですか?傑作ですよ。

425 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 05:38:55
>>423
「日本書紀はいい加減である」「日本書紀のアヤしい」
  ↓
 イコール
  ↓
九州王朝説が正しい

…と言う事にならないのが悲しいなwww

むしろ記紀の記述に矛盾があるのを前提に考えられるような雰囲気になればなるほど
九州王朝説の存在価値は無くなるw



426 :のんびりひまじん:2008/11/26(水) 08:53:10
>>425
「日本書紀はいい加減である」「日本書紀がアヤしい」=九州王朝説(のような奇妙な主張)に成立可能性
   九州王朝説が絶対などと主張しているわけでない。 むしろ

「日本書紀はいい加減である」「日本書紀がアヤしい」=近畿一元(のような単純読み)固執の危うさ

427 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:17:47
「法興元年」でも、「法興三十一年」でもなく、「法興元三十一年」と書かれてる事におかしさを感じない?
銅鏡に年号と年数の間に「元」などという文字が入った物があったけ?

恵慈たちが法興寺に入って活動を開始した時からの年数とすると日本書紀との記述にずれが生じるが、
銘文は聖徳太子の履歴を書いているのではなく、仏像が作られた由来を書いてあるのだから推古天皇の
名前が出てこなくても問題はない。
末尾に書かれている仏像の製作者の鞍作りの鳥は日本書紀にちゃんと出てくる。

428 :すいぜい:2008/11/26(水) 16:13:25
>>423
> 日本書紀はいい加減である理由には、例えば、金石文によって存在が確かめられる「法興」年号が記載されないことも一つ。 どこがダブルスタンダードなの?

いいかい。仮に日本書紀が様々な史料批判を受けた上で、尚且歴史書として、全幅の信頼を寄せられるものだと君が考えているとしたら、「倭五王」とかって出てこない事について、たしかに色々空想出来るかもよ。
九州王朝を隠蔽したとか、歴史を改ざんしたとかさ。
でも君が言うには日本書紀はいい加減な書物なんだろ? そんないい加減な書物に記述のないものがなんで九州王朝の年号とかになる?
自分であやしいとかいい加減とか言いながら、その書の矛盾点を九州王朝の傍証にしてるだろw
ダブスタなんだよ、それが気に入らないなら二枚舌でもいいぞ!

429 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 16:39:52
年号は氷山の一角が多角となったものだな。年号と出れば、もう
日本か大陸半島位だな。大陸半島では「倭京」なんかの号は使う
まい。畿内だというなら僧聴とかの聞いたことのない年号群ととも
に編年し直しだな。そんな馬鹿なはずはない。なると残りは消去法
で九州しかあるまい。半島に王朝があり大陸に王朝があり、畿内
に皇朝があるも、九州だけは無しで遠慮してろとは妄想の繕い。ww

430 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:52:08
「法興」は年号ではない。
「倭京」は年号かな?

寺の由来を古くするために、寺の名前や山号と同じ年号をでっち上げるなんて事も考えられる。

431 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 16:59:37
>>430
>法興は年号ではない
これはそうかもしれないな。

デッチ下げは九州王朝反論者もすることが考えられる。

432 :ローガン:2008/11/26(水) 17:37:20
>>430

> 「法興」は年号ではない。

そうですか。あまり良くしりませんが、「法興六年十月歳丙辰我法王大王與惠慈法師及葛城臣逍遥夷與村正観神井・・・」ですから
年号で良いように思うんですが いかがでしょう?

433 :不徳尼:2008/11/26(水) 21:11:41
>>414、416

> 一大率は女王でもなく女王の畿内への代理人でもないです。

倭人伝によれば一大率とは中国で言うところの「刺史」なんでしょ。
女王に代わって任地を支配するのが職務です。
一介の外交官吏ではありません。
畿内勢力が北九州と交渉を持つと言う事は一大率と交渉を持つということです。

>畿内に卑弥呼がいれば、倭人伝以上に記紀に卑弥呼の記事がこれでもかというほど載りますね。

何でですか?
大和朝廷の歴史に記録が無ければ載せようが無いでしょう。
何百年も前の、それも卑屈な朝貢と言う事実ですよ。
語継がれなければ消えますね。

> そんな壺くらいで

まあ、そう言わないで・・・

> 5月は古神道では凶月で

はあ、そうなんですか、それは存じ上げなかった。
でも、肝腎の日本書紀なんか上梓が5月だったりしますがw

> 新羅本紀「阿達羅二十年五月 倭女王卑弥乎遣使來聘」

だから、この倭王は大和朝廷とは無関係だと。
でも、この記事は12世紀に成立した新羅本紀ですからね・・・



434 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 21:52:05
>>433
ハイハイ じゃぁ答えてやりましょう。
>一大率の件
一大率のいたころは崇神の時代ですよ。それまで畿内は九州の関知
は殆ど無いですよ。すこしばかり大陸の情報が来ているという
ことです。0と少しは違うんですよ。少しのことをそれがしは無い
と言ってたかも知れませんが、それは完全0の意味ではありません。
神武の時代は畿内の一豪族に毛の生えた程度の勢力の朝廷が崇神の
時代になって初めて畿内で磐石の勢力になっては来たが、畿内の外界
迄のは勢力はさほどありませんね。その偵察として四道将軍が畿内
外界へ派遣されたのは井の中の蛙の状態から広く畿内外周を知識等を
得る目的でしょう。それが外周より遠い北九州にいる一大率に対して
ははまだまだ関係ないねの心境ですよ。これが女王ならば話は別で
しょうがね。w だから一大率への重要度の拡大はこの時代での論
では不要なんですがね。時代で条件が違いますよ。後の五月も時代
錯誤なのに笑ってますな。www 笑うのはこちらですよ。

>記紀の件
当時の朝廷は勢力が畿内であって牢獄住まいではないですよ。四道
将軍の行動があれば、畿内説ならば当然朝廷に隣りの卑弥呼の国の
情報が取れるじゃぁないですか。そのための偵察でしょうが。w
それを関係なさそうに言うフトクニさんの氣が知れませんというより
あなたが貴方の説の不利をかわして逃げてるにすぎないということ
ですわ。〜続く

435 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 22:05:47
>>433 続き
>5月の件
舎人親王らはもっと古代deの朝廷の信仰を完全には知りませんよ。
今の五月を朝廷が凶とするのは佛伝以前のことですよ。それが半島
から佛者が来たために古神道は隠没の状況になって来たということ
ですわ。さらにその後の時代で神道と仏教護持派の葛藤があったの
に、その頃の時代と一緒にしてたんでは男便所と女便所をくっつけ
たような回答でこちらが笑いますな。卑弥呼は佛伝以前の遠い古代
の女性であり、朝廷の女ならば5月にいくら航海にいい時期だと
いっても、忌みこもって葬式関係とかやむを得ぬ戦争になるとか等
でない限り半島になんか働きかけなんぞしませんね。〜紀無い説が
妄想だということですよ。宗教のタブーは踏み違えないですよ。
イスラム教では先述のとおりブタ肉は絶対喰わんでしょうが。という
ことで、卑弥呼は畿内の人物にはなりえませんね。ww 

12世紀だといっても、年代の間違いはありえましょうが、月まで
間違えますかね? 続く6月も朝廷は忌み嫌ってるんですよ。だから
その月5月を含めて大祓い行事をするんですよ。

436 :不徳尼:2008/11/26(水) 22:36:29
>>434

> 北九州にいる一大率に対してははまだまだ関係ないねの心境ですよ。

でも「景初鏡の存在からして大陸からの通行人がいるんですから」と貴方も認めているように
北九州と畿内は通交が有ったわけでしょう。
実際、弥生時代には製造技術も無かった鏡や、鉄器も畿内に入ってきます。
一大率のような強固な存在が北九州に存在したから、畿内は大陸・半島の文物を入手できるように
なったのではないでしょうか?
相手は女王の名代「刺史」様ですよ。「関係ないね」で済む相手ではありません。
この一大率の記録が残っていないのが当然なら、それより遠い中国への朝貢が記録されていなくても当然ではないですか?

> 後の五月も時代錯誤なのに笑ってますな。

いや、「古神道」には詳しくないもので失礼。

> 畿内説ならば当然朝廷に隣りの卑弥呼の国の情報が取れるじゃぁないですか。

畿内説なら「朝廷の隣りの卑弥呼の国」なんて在り得ませんよw


437 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/26(水) 23:25:48
>>436
貴方は距離の考えを軽視してるんですよ。ならば記紀に一大率の
お世話になった記事でもあるんですか?〜それは大陸から畿内への
通行人はこれは一大率を舐めるようなことはないでしょう。畿内
から隔絶していてこのごろ四道将軍派遣で外界の情報を取ろうと
している時期なのには、日本とはいえど畿内から離れ島の一大率
がどうのこうのよりも畿内方面の勢力を維持拡大するほうが優先
ですよ。畿内が九州を経験するメインが景行九州行幸でしょうが。

それより2代前では九州は関係ないが畿内のお考えですよ。それは〜
かいくぐって畿内に景初鏡を出土に至らせた大元の張本人が畿内に
来たことは確かしょうが、畿内の朝廷にとってはまだまだ一大率は
遠国の役人で外国人扱いのようななものです。それは王、女王だと
かまたはその代理人の畿内へ来る遣使らは朝廷は馬鹿にはしま
せんがね。

なんですか? 畿内説で朝廷の隣りあたりに卑弥呼の国がないなら
ば、これは畿内以外のどこに女王国があったというんですか? 
まさか吉備だとか関東だとは言わないと思いますが? それとも
畿内朝廷たる天皇国が卑弥呼の女王国だと言うんですか? だって
記紀には畿内に女王国ができるのは推古の世だと明確に書かれて
ますよ? だったら卑弥呼においては 天皇国=女王国 にはなりえ
ませんがね。
ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・

438 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 09:30:40
「法興」が年号だと「元」と言う文字を年数との間に入れた理由がわからない。
この字が無ければ、日付を二十八宿を使って一字で記さずとも、干支を使って二字で記してもすっきりと納まる。

439 :ローガン:2008/11/27(木) 11:04:27
>>438

> 「法興」が年号だと「元」と言う文字を年数との間に入れた理由がわからない。

では、>>432であげた「法興六年十月」については年号だと言う解釈でよろしいのですね?

440 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/27(木) 11:09:35
隅田八幡鏡の銘文でも「・・・八月日十大王・・・」とあったよう
に、これも「元」に謎を隠してるのかも知れんぞ?

441 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:13:07
法興の元(号)、法興の御世の意味でなんの不都合が?

442 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:15:56
法興6年に道後温泉に行く暇が恵慈にあっただろうか?

「法興」が年号だとすると、元年は百済から仏舎利が贈られてきた崇峻一年がぴったりなのだが。


443 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:31:58
年号であるならば、「歳次法興三十一年・・・・」となるべきだと思う。

444 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/27(木) 16:41:42
>>442-443
ローガン氏に賛同。

年号であることを示すには、
「歳次法興三十一年・・・・」でも「法興元(号)三十一年・・・・」でも、
どちらでも良いのでは?
「法興」が「法興寺」とは関係ないことをがはっきりさせる表現でありさえすればよい。


445 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:56:57
「法興」とは、仏教を興すと言う意味。

446 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:54:50
法興三十年だと仏教を誘致して30年という意味にもなるからわざわざ
元といれてこれは元号だぞって教えてやってるのに  by昔の人

447 :ローガン:2008/11/27(木) 18:16:10
>>443

> 年号であるならば、「歳次法興三十一年・・・・」となるべきだと思う。

金石文繋がりで…
多賀城碑「神亀元年歳次甲子……天平宝字六年歳次壬寅…」ですから記述の仕方に問題はないかと思います。
釈迦三尊像銘文の「法興元三十一年」が辛巳。湯岡碑文「法興六年」が丙辰なので同じ年号でいいのではないでしょうか?

448 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 20:17:53
太国さん 「暦は19年6940日を一つの単位とする」と書かれているでしょう
そうなれば 19年単位で空白の注入 巧く運用すれば、外見はふつうの暦。

卑弥呼=崇神時代これで100年を超えましたが何一つ解決していない。
そろそろ設定ミスに気づくべき。

恵美嘉樹
http://www.cre.ne.jp/writing/IRC/write-ex1/2008/11/20081104.html

[Role] キーワード一覧の キーワード一覧:図説最新日本古代史 をどうぞ♪
[sf] 弥生時代から奈良時代について、考古学や文献研究など、最近の研究より通説の変わったところなどを紹介する本です。
[sf] ふりがなもあるし図版も多いし、教科書の副読本みたいだと思ったりした。
[sf] 研究と私説の区別が明確でないような木がしますが、色々変わってるとことかおもろしい
[sf] 卑弥呼は邪馬台国にいなかった説とかはなかなか面白いですね
[Stella] な、なんだってー>卑弥呼は邪馬台国にいなかった説
[AKAgane] 卑弥呼は存在しなかったとかならともかく
[AKAgane] 邪馬台国ではないとゆーあたりが興味深いな
[sf] 倭国の王として立てられたというのと、邪馬台国に都する女王という記述を、分けて考えるという説です
本屋へ行ったが無かった。

449 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/27(木) 21:44:11
>>448
稲荷山鉄剣の大彦から続く系が7人なのは、3年前(=468年)の
七支刀の七に因んで、略系で書かれているんです。実際は7人ピタリ
で考えると失敗ですぜ。

 崇神即位元年=景初元年=237年

は、古事記の崇神の崩年干支からの逆算で殆ど合致しています。
ということは、倍暦の存在とそれがしの倍暦の考え方とその計上が
正確だということです。
唐松山さんのような女王国論の畿内、九州二股かけは話がうますぎて
いいとこどりをしてるわけで、失敗ですよ。ww

450 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/27(木) 21:52:56
稲荷山鉄剣銘文の「獲加多支鹵大王」の『支』は七支刀の『支』から
採ってるんですよ。字の選択までやってるわけです。

451 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/27(木) 21:59:22
>>449 九州観光旅行の景行より 支持できる。
私が無理に纏めたのではなく、私の編年と同じ処にこれらの記事がある。
この辺が太国倍暦との違い。

手白香皇后陵(衾田墓)か?西山塚古墳と今城塚古墳から同じ窯元で焼いた埴輪。
此方については?そして
手白香皇后陵(衾田墓)は、『延喜式』諸陵寮によると、大和国山辺郡にあり、
城上郡にあった崇神天皇陵(山辺道勾岡上陵)の陵戸に兼ね守らしめたことになっている。
崇神天皇陵。



452 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/27(木) 22:07:59
>>448
紀は右半分 ↓ が空白だと云ってます。貴方の主張と違いますねぇ。

【日本書紀欠史八代の即位、立太子、崩御、立后等の日数統計表】

1日 4  15日 0
2日 2  16日 0
3日 3  17日 0
4日 3  18日 0
5日 6  19日 0
6日 3  20日 0
7日 2  21日 0
8日 3  22日 0
9日 3  23日 0
10日 1  24日 0
11日 4  25日 0
12日 3  26日 0
13日 3  27日 0
14日 7  28日 0
   29日 0
   30日 0


453 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:26:46
年号だとすると、中途半端な時期の改元ですよね。
日本書紀の記述にミスがあるのか。

京都妙心寺の鐘に刻まれた日付は「干支・月・日・干支」で年号は入ってなかったので、
実際に使われていた年号ではなく、律令時代に入ってから過去に遡って作られた可能性も。

454 :のんびりひまじん:2008/11/28(金) 10:18:25
>>430
「法興」は、  兄王の年号
「倭京」系列は、弟王の年号 と九州王朝説者の多くが理解し始めている。
隋書に兄弟王朝と記載がある時期に、ふさわしい現象というわけだ。

現代ふうに解釈するなら、
天皇  の年号 と
総理大臣の年号 とが同時に存在するようなものらしい。

九州王朝を無視する既存学者は、古代年号についても私年号などと切り捨てて
研究対象としないようだが、
アマチュアたちが資料収集して、同時に行われた年号と確認しての説明仮説だ。

455 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/28(金) 10:21:18
当時は南北朝のように東西朝があったということだ。
年号の踏み倒しは論ではない。

456 :すいぜい:2008/11/28(金) 10:38:16
>>454
それよか、ダブスタが理解できたかね?

457 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/28(金) 16:13:13
>>454
>「法興」は、  兄王の年号
>「倭京」系列は、弟王の年号 と九州王朝説者の多くが理解し始めている。

のんびりひまじんさんは、いつも的を得たことを書いているのに、
これは逆だよ。
兄王は夜の王、すなわち伝統的宗教の最高地位にいるものである。
弟王は昼の王、仏法を以て統治する実務政治の最高地位にいるものである。
「法興」は「法を興す」で、弟王にピッタリの年号だ。
法興を兄王の年号とすると、兄王は伝統的宗教と仏法のダブル統治をすることになる。
これは兄弟王の2王政治がなかったことを意味する。
ところが、隋書俀國伝には、夜の兄王(天王)と昼の弟王(日王)の2王が役割分担をしているとあり、隋皇帝は「此太無義理」あると書かれている。
多利思北孤は隋と外交をしているので昼の弟王(日王)である。

458 :ローガン:2008/12/01(月) 16:43:52
>>453
> 年号だとすると、中途半端な時期の改元ですよね。

改元と言うより法興は私年号でしょう。公の年号は大宝からですから。

459 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/02(火) 00:14:52
>>458
>公の年号は大宝からですから。
日本書紀の 大化 白雉 朱鳥 の3年号はどう考えますか?
さらに、続日本紀に出る 白鳳 朱雀 は?

>>457
別スレでやりましょう。

>>456
ダブルスタンダードというのが理解できない。
(ただし日本書紀そのものにダブルスタンダード理解が必要と考えますが・・・)

460 :ローガン:2008/12/02(火) 01:15:59
>>459
> 日本書紀の 大化 白雉 朱鳥 の3年号はどう考えますか? さらに、続日本紀に出る 白鳳 朱雀 は?

私年号でしょう。養老律令第十八儀制令公文条に「皆用年号」と見えますね。
(養老令は大宝律令を継承したものだとして)それ以前のものは使っても使わなくても構わない…つまり私年号というくくりで良いと思います。

461 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/02(火) 01:27:05
>>459 のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 さん
>別スレでやりましょう。

九州王朝スレで待っています。

462 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 01:29:54
女王国の北に好古都国(=博多)があるのにどうやったら邪馬台国=畿内になるんだ?

463 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 09:40:08
兄王 日没する処の天子(夜)

弟王 日出ずる処の天子(昼)

464 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 10:03:21
日出づる処の先進国=畿内。
日没する処の途上国=九州。

465 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/02(火) 11:06:57
>>458
>>460
私年号と言い切ったら、それ以上考えようとしない思考停止が面白い。
(ほかのことでは自由に想像力が働いていても・・・)

戦後現代日本の得意技 QC活動では
なぜ?
なぜ?
なぜ?   三度は繰り返せというのが標語。そこで、

年号を定めて、他の人びとに使わせるような「私」とは、どうゆうものだったか?
日本書紀にも、続日本紀にも、そのような「私」の存在を明記しない。

年号を定めて、他の人びとに使わせるような「私」とは、どうゆうものだったか?
日本書紀にも、続日本紀にも、そのような「私」の存在を明記しない。

年号を定めて、他の人びとに使わせるような「私」とは、どうゆうものだったか?
日本書紀にも、続日本紀にも、そのような「私」の存在を明記しない。

466 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/02(火) 14:19:40
ローガン氏はなんでも畿内にしなければ収まらない。哀れな妄想から
脱却できないため、年号を私年号と落としてでも証拠を減殺したい
振る舞いなわけ。いくら頑張っても卑弥呼の国は畿内には無〜い。
あれば記紀に卑弥呼の記事が満載だよ。冷静な奴ならこれだけで
紀無い節は間違いと気づく。卑弥呼当時、畿内朝廷の勢力は紀無い
に留まっている。九州なんか畿内からは遠い外国だ。

大陸に王朝があって半島にも王朝がある。さらに畿内にも皇朝が
あるが、畿内から別国の九州のみは王朝があってはならないという
のがローガン氏のしがみついても否定したい〜妄想と感づくことの
できないどっかがおかしい彼の脳内なのであ〜る。w

467 :ローガン:2008/12/02(火) 15:18:16
>>465
> 私年号と言い切ったら、それ以上考えようとしない思考停止が面白い。
> (ほかのことでは自由に想像力が働いていても・・・)

私年号では都合が悪いのかな? そうそう「ほかのことでは」で思い出したけど、以前に貴方には質問をしていたのだが。
「魏志倭人伝にかかれた『樟』は畿内にはない。『樟、楠』に因んだものは全て楠正成以降。」って言ってたよね。
大阪府八尾市の「樟神社三座」が延喜式にあるが、貴方の言う通りだとすると延喜式が南北朝時代以降に成立した事になるがいかが?
回答ヨロシク。



468 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:25:28
平成も私年号だと言い張る勢いだな

469 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:30:59
>467
栽培って知ってる?植えれば短期間に根づいちゃうんだよ。

470 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 16:07:09
>>469
お前、大麻栽培してるな!

471 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 17:01:00
私年号か、何か知らないけど、「法興」が九州王朝などと言うトンデモと関係ないのは確か。

472 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 17:01:54
九州王朝論者の思考は、
ETC説論者の思考と同等だね。
実際には、九州に畿内との別個の王朝があったかどうかと、
倭国の主権が実際には九州王朝にあったかという事は
全く別の問題だというのに。
「地球以外にも生命の住む星がある可能性がある」ことが直ちに
「UFOの正体は宇宙人の円盤」という事にはならないのに…

473 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 17:15:56
>>467
撲滅めざし大奮闘のローガン氏を応援しよう。

■奈良・巣山古墳(前期末〜中期初頭、4世紀後半)

一昨年、周濠から出土し、当初広陵町教育委員会によって「木棺の蓋」と推定されていた大型木製品は、
その後の県立橿原考古学研究所の調査で、「霊柩船」の「波切り板」の可能性が出てきた。

決着はまだついてないようだが、橿考研側が船の可能性を言った理由の一つに、この木材の樹種のことがある。
大型木製品はクスノキ製だったのだ。

(以下引用)
> 大型木製品はクスノキ製で、長さ2・1メートル、幅約80センチ。
>今年2月、調査結果を発表した広陵町教委は、石棺の蓋にあるような突起があったことから、
>大型木製品は、霊柩船に載せた木棺の蓋と推定した。

> しかし、岡林主任研究員は▽長原高廻り2号墳の船形埴輪の波切り板と形状や文様が一致する
>▽裏面にある溝や側面の長方形の穴が準構造船を造る技法と同じ
>▽材質も船材に使われるクスノキ製――などから、大型木製品は船首と船尾にある波切り板と判断した。
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is60508a.htm

老眼氏がんがれ! 暇人は氏ね。

474 :スレに関係無いがまあボランティアでw:2008/12/02(火) 19:49:04
>>465 ひまんじ
>三度は繰り返せというのが標語。そこで

馬鹿丸だしww

三度繰り返せと言うのは

 何故?
 →それに対する解答1
 →解答1は何故?
 →それに対する解答2
 →解答2は何故?
 →それに対する解答3

…と言うように言わば帰納的に原因を追求していくプロセス。
同じ事を3回繰り返してどうなる?オームのマントラじゃあるまいしwwwwwwww

まあリアルで恥をかくまえに教えてやったんだから感謝しろよwwwwwww

475 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:56:35
結局「九州年号」とかぶち上げたところで…

 ・それらが連続した物であるか?

 ・果たして九州王朝の年号である事をいかに証明するか?

…を立証しない限り何の意味も無い。

ぶっちゃけて言えば九州の太宰府か何処か知らんが
それらを記した木簡やら墨書土器がそれなりの数出ているのかと?

私年号と言われる物は中世になっても存在するのだから
その度にナントカ王朝の存在を持ち出すつもりなのかと、もうアホかと馬鹿かとwwww



476 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:13:26
>>475
>それらが連続した物であるか?


連続していますよ。二中暦を知らないようですね。

477 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:24:36
>>476

ホイWikiからね

>二中歴
>二中歴(にちゅうれき)は、鎌倉時代初期に成立したとされる事典である。
>その内容は、平安時代後期に成立した「掌中歴(しょうちゅうれき)」と「懐中歴(かいちゅうれき)」の内容をあわせて編集したものとされている。
>現代では「掌中歴」の一部が現存するのみとなっており、二中歴がこれらの存在を知る手がかりとなっている。

鎌倉時代って どんだけ後世の話=後付け なんだよとw



478 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:32:35
まあ九州年号と九州の大王の名の見られる詔でも記した木簡でも無いのかね?

リアルタイムの考古資料を出してくれwwwwww

479 :ローガン:2008/12/02(火) 20:49:45
>>476
>二中暦を知らないようですね。

そのご推奨の二中歴には「自大宝始立年号」と書かれています。はじめて立てられた年号は大宝だと言う訳ですね?ご推奨の二中歴では。

480 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/02(火) 21:54:41
>>467
楠については、すまぬが調べる気はない。
延喜式(907年〜)については、今のところ読む気もないのだが、ただ一点村上節太郎という人が、

延喜式の諸国貢進果実のうち柑橘類の献上を調べたところ、
相模、駿河、遠江、加賀、若狭、近江、伊勢、山城、大和、摂津、河内、因幡、讃岐、阿波
という14カ国があっただけという。(中島洋 埋もれた古代史 1978 圭文社 P139)
岡山県愛媛県山口県とか九州がまったく出てこないそうだ。
>>469
栽培技術では説明できぬようだ。

481 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/02(火) 22:09:11
比売大神は神功、應神の時代の九州の女王級の人物だな。
ウラゴト(卜事)をやれば卑弥呼の如く、こちらのたなごころの中。
卑弥呼、壹與のアトガマが比売大神だな。大神とはいっても実在の
人物だな。女島あたりで生まれたんだろうな。

482 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:17:15
九州のピンク石が畿内に運ばれている。
九州の寺が畿内に運ばれている。
楠運ぶのもも簡単なんですけど。

483 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:38:55
卑弥呼=日女命=天照大神。
台与=天豊媛命=豊受大神。

484 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:48:32

トヨタン・・・・・・・・・・


485 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/02(火) 22:49:53
等号は成立しない。

486 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:56:46
『古田武彦』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%A4%E7%94%B0%E6%AD%A6%E5%BD%A6

今、改めてWikiで古田武彦を見たんだが…
上岡龍太郎が熱心な読者だったとは知らなかったwwwwwww

487 :ローガン:2008/12/02(火) 23:09:13
>>480
> 楠については、すまぬが調べる気はない。

いや、いまさら調べて欲しい訳じゃない。質問に答えて欲しいだけなのに、思考停止かな?
とりあえず「それ以上考えようとしない思考停止が面白い。(ほかのことでは自由に想像が働いても・・・)は、そのままお返しするよ。


488 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 00:47:42
法隆寺だって九州からの移転なんだから、おかしくないでしょ。

489 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 01:20:52
そもそも冷静に考えて寺の移築と九州王朝とは関係無いよなw

むしろ九州の寺を大和王朝が供出させているみたいな構図は
九州王朝説にとって不味いだろうとwwwwww

大和「おい、お前ントコのあの寺、畿内まで持って来いや」
九州「え?か、勘弁してください…」
大和「あ゛?できんちゅうんか?」
九州「わ、わかりますた。直ぐやります!」


490 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 01:55:03
九州王朝が畿内に移転して初めてできることだからな>天武

491 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 02:19:46
九州王朝は、本店を従来の畿内支店に移しました。

492 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 09:17:22
お馬鹿な九州の侍が観世音寺の仏像を溶かして刀の鍔を作りました。

493 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:25:22
>>486
上岡は政治的にはどっちかと言うと共産党の方でな。
その彼に古田信者になられると、
「共産党支持者は皆古田信者だ!」
てなデマが飛び出さないだろうか、と時々マジに不安になる事がある。

494 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/03(水) 22:54:47
古田武彦の編年の数字を見たことが無い。
数字(西暦)を誤魔化せばどうにでも、読める。
数字を持たない学者の言うことは、自説に合うよう 歴史を曲げている。


495 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:39:30
畿内説の学者のように、畿内の遺跡年代をドンドン繰り上げれば、その学者を信用するの?

496 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 15:11:05
唐松山氏も数字を自説にあうよう、いろいろといじっている。

497 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 17:48:47
>>495
ようは九州説の連中が古い価値観にしがみついてるだけなんだがな。

498 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 17:57:55
江戸中期から蒙説を墨守する畿内説が、考古学・文献学を偽装・捏造してるだけでしょう。

499 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 18:55:03
41年=神武元年〜274年=神功元年
基本的に暦の数字は、動かしていない。
この数字に、合うか?もし違っていればどうしてか?
この様に思考を巡らしています。
例えば七支刀
百済から貰った物、作り方は、鋳造。→鋳造には、火力の強い石炭が必要→
百済に石炭は?→無い。何処で作ったか?
まあこの様に考えて行くと、480年頃の百済では、不可能、360年頃なら
不可能では無いが、その時点での倭なら、自分で注文して作れる。

太国さん 卑弥呼=崇神時代の確たる証拠何も在りませんよね。
最も古い時代の古墳=巻向石塚古墳=2世紀初頭。


500 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/04(木) 21:15:28
>>452
紀の朔干支は、1月が29日か30日と申しております。
どうしても 1と月を10日とか15日と読みたいのなら、朔の読み方を啓上して下さい。
その前に古代には暦は、無かった。と読む太国さんが紀の数字を使って編年、
是って”へんねん”ちゅうか むちゃくちゃ半島、。

そろそろ 極さんの登場を。


501 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 22:20:40
>>499 梁書での
  ↓
 499年の14年(あんたは15年と言う)のズレを忘れたの?
倍暦で顯宗(乙祁)元年をキチンと指してるぜ。逆算して行けば

 崇神即位元年=237ねん=景初元年

だから遠回しに正解だ。
あんたの 神武元年〜41年 も確固たる証拠もないだろう。w

502 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:29:37
>>498
九州説ってのは楽だね。
九州の終末と畿内の隆盛の年代を繰り上げる証拠が出てきても
「偽装」「捏造」言ってればオールOKなんだから。

503 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:34:41
>>501
オイ!太国!電子化するぞ!

504 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 22:35:19
わかんね???

505 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:38:37
株券電子化のことだ。太国も電子化する。

506 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/04(木) 22:40:20
それがしは電送人間じゃぁない。

507 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:05:03
>>502
江戸時代の説を唱えてるだけの畿内説より、九州王朝説は科学的なんですが。

508 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:08:34
>>502
じゃあ竹島は朝鮮にやるのか?おい

509 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 17:16:29
>>507
別に古くからある事が間違いって法則はないんだが…
それなら九州王朝説だって原型は江戸時代の熊襲偽僭説なんだから、
九州王朝説も科学的じゃないって事になるけど…
そもそも偽僭説は九州説そのものの元祖なんだから、
君の論理だと九州説と畿内説は両方とも間違いって事に。
「邪馬台国は九州」「九州に大和朝廷とは別の王朝があった」
「九州独自の年号があった」「倭の五王は九州の王」
これ皆江戸時代発祥だよ。
>>508
日本にも朝鮮にも保有の歴史的根拠はあるんだから、
お互い納得できる結論が出るまで充分に話し合おうじゃねえかおい、
と言う考えはないのか?

510 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/05(金) 20:56:30
太国さん
861辛巳  353癸丑  神功摂政立皇太后(倍歴では皇紀863年と同年)
これが太国編年
480年? 神功52年七支刀
つまり 書紀は、デタラメと言いたいのでしょうが、デタラメな書紀を圧縮したら
正しい物になる。(編年の事)
この2重基準がある限り、太国編年に普遍性は無い。


511 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:14:35
>九州王朝説だって原型は江戸時代の熊襲偽僭説

真逆の結論を導いたのが九州王朝説なんだが。

512 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:24:22
>>511
認めたくないだろうな。
皇国史観に対抗するための説と、
皇国史観の中で生まれた説が同根だって言うのは。
でもな、結局根本は同じなんだよ。
九州には畿内とは別の年号を持つ独自の王朝があり、
倭の五王は全員九州の王。
畿内に対して征服者か被征服者かと言う違いはあるが、
この結論は両方とも一貫している。
更には、唱えてる人間が朝廷のあった所以外を見下してる所も。
以前、夏祭と言うコテハンが試験的(なんかそんな感じだった)に
熊襲王朝について発言し、それを古田信者が笑うと言う光景があったが、
あれは自分自身を笑ってるようなものだったんだよ。

513 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:32:48
倭の五王が全員九州の王かはわからないけど、
大和朝廷と関係ある人物とは関係ないのは確か。

大和朝廷の馬鹿どもは7世紀初頭に遣隋使で滅茶苦茶な「外交」マナーを
中国でお披露目wwwwしてる それ以前に畿内から中国まで船を出せるような
態勢がなかったのは確か

514 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:46:23
>512

結論逆だし、九州王朝説には畿内説のような根源的な矛盾がないし、
認める認めないと必死になる必要などないわけだが

515 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:49:41
なにか書いてある解答用紙には矛盾した解答が書かれていることもあるが、
白紙の解答用紙にはまったく矛盾は存在しない。すごいだろう!

でも0点だがな。


516 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:10:43
陰謀説は、一見その場の状況をもっとも分かりやすく説明するが、事実ではない。
なぜなら陰謀説は、通説の表面上の矛盾を解消するように考えられ、後付けで作られるから。

その意味で、地域王朝説は会津小説と似ている。

517 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 11:43:49
>>514
九州王朝説の結論て何?
「九州には大和朝廷とは別個の、独自の年号を持った独立した王朝があり、
卑弥呼も倭の五王もそこの王」
これが一番の結論じゃないの?
なんか武田邦彦とその信者の言い逃れ方を思い出すな…

518 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:07:37
熊襲偽僭考は、今の御用学者までみな感染している、九州蔑視史観という一貫した畿内説そのものでしょ。

519 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:12:14
>>518
>今の御用学者

実名を挙げろ。
でないと答えようが無い。

520 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/06(土) 21:36:17
>>519 >今の御用学者
卑弥呼=崇神時代とし
書紀の記事は、事実と合わないと読む学者。

521 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:19:26
>>519
マジに追及するなよ。スルーしてやれよ。
件の彼が可哀相になってくるじゃないか。ww

>今の御用学者

こういう言い方は、一編の論文も書いたことがないくせに
自分の方が大学教授や研究機関の研究員よりも
上だと思い込みたい阿呆な奴がやる常套手段。
実名を挙げないのは、誰がどんな研究をやっているかも
さっぱり分かっていない証拠。

大学等の専門研究者だったら少なくとも自分の研究に関連する他人の著書、論文は
全部読むし、その殆どを蔵書として所持している筈だが、
件の彼は恐らくその1%も読んではおらんだろうな。ww

522 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 22:28:32
・豆知識
古田信者のよく使う「畿内説」とは、
一般的な「邪馬台国は畿内にあったという説」とは少し違う。
確かにそれも含めるのだが、それ以外にも
「熊襲の女酋が大和王権の王を僭称した」と言う熊襲偽僭説
(皇国史観的なだけで九州説の一種なんだが)や、
「邪馬台国は北部九州にあった小国を統率する存在で、4世紀には大和王権に滅ぼされた」
と言う一般的な九州説、
「3世紀後半から4世紀に九州にあった邪馬台国が東遷して大和朝廷になった」
と言う邪馬台国東遷説も畿内説となる。
つまり、8世紀まで連綿と九州が先進地域であったことを認めないものは
「九州蔑視史観」の「畿内説」となるのである。
例え邪馬台国をどこに比定しようとも。
ようは「九州王朝説こそ真理であり、それ以外は皇国史観の畿内説」
という事である。

例え畿内の前に九州が栄えていたことを考古学的に実証し、
「九州蔑視史観」を批判しても、
邪馬台国時代に畿内が栄えていたと主張すると、その時点で「九州蔑視史観」。
奇妙な論理。

523 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:08:02
熊襲偽僭説なんて、誰も支持してないだろ。
畿内説信者以外はな。

524 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:10:06
過剰反応の畿内説信者w

525 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:53:10
>>515
そう言う意味では九州王朝説ってのは
「生命の誕生も進化も全て神様の思し召し…」
と言う”創造説”に近い物があるw

生命の誕生も進化も全て現代科学で解明できた訳ではないし
まだまだ未知の部分は相当にある。

しかしそれらを指摘したからと言って創造説が証明された訳でもなんでも無い。

九州王朝説の信者は記紀の矛盾を指摘して悦に入っているが
聞いているコッチにとっては九州王朝の全体像が サッパリ ワカリマセーン wwwwww

九州年号とやらを見ればやたら仏教関係の語が見えるが
さぞかし九州王朝は仏教に帰依していたんだろうが

じゃあ飛鳥天平の大和に匹敵する寺院が林立していたその都って何処なんだとw

「タリシホコ」やら「サチヤマ」やら記紀・漢籍に見られる人名じゃなくて九州から出土した木簡に記された
九州王朝の大王の名の一つぐらい無いのかと、オリジナリティ皆無やんけとwwwwwwww


526 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:00:41
しかしこの板でも畿内ヤマトの首長連合と言う構図は
多元史観を標榜する九州王朝説信者にもすこぶる評判が悪いwwwwww

結局てめえらが九州版皇国史観の持ち主であって
その盟主の座を畿内ヤマトと争っているに過ぎない
無論、連中の脳内闘争だがwwwwwwwww

まさに「ミイラとりがミイラになった」だなw



527 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:37:16
連合連合と、ありもしない国家連合を前提に話を進めちゃうのが、妄想畿内説w

528 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:06:49
>>522
すると本居宣長も畿内説かw
>>525
創造論者にとっての創造論の証拠って何だと思う?
「進化論は間違ってる」って思い込みが一番のそれ。
実際は仮に進化論が間違っていたとしても
それだけでは創造論の証拠でも何でもないのに。
(自然発生したかも知れないじゃないの)
九州王朝説もそれと同じで、仮に既存の大和王権史観が間違っていたとしても
それだけでは証明にはならない。
>>526
上手いね。
「九州の伊都国や倭奴国や倭面土国が畿内蛮族を征服して邪馬台国を打ち立てた」とか
「九州の伊都国や倭奴国や倭面土国が畿内蛮族の邪馬台国を滅ぼした」とか
「九州の邪馬台国が畿内蛮族を滅ぼして大和朝廷を打ち立てた」とかでも
充分九州に光を当てることになりそうだけど、
何故か8世紀より前の優れた文化も全て九州の物にしたがる古田信者。

529 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:32:46
九州と畿内とどちらが文化が発展していたかを言い出すから、妙な話になるんだな。
倭人伝が伝える使者の目的地はどこだったか。そこが邪馬台国であり、それだけの話なんだよ。
当時だって、日本中に人は住んでいたんだ、発達の程度なんてもので論じたって水掛け論だな。

530 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 13:54:14
畿内マンセーがよく言い出すトンデモ発言。

→ 「巨大古墳の数からにて、畿内の先進性と圧倒的な国力優位が明らかだから、邪馬台国は畿内に間違いない」

もう、この手の妄想が馬鹿らしくて可笑しくて、水を掛けたくなるよw


531 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 15:47:31
>>530
誰が

>「巨大古墳の数からにて、畿内の先進性と圧倒的な国力優位が明らかだから、
>邪馬台国は畿内に間違いない」

といってるのかを明らかにしてくれないか?
誰も言ったことがないものを笑ってみても、逆に笑われるだけだぞ。


532 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:26:47
>>530
そら、「邪馬台国王」じゃなくて「倭王」なわけだから。
考古学的に大した物も無いような所じゃ認められないよ。
これぐらい分かるよね?

533 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:35:49
>>531
白石太一郎の「古墳の語る古代史」でも読んでみな。そんなことを言ってるよ。

534 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:44:56
>>530
鉄とか絹とか言う奴よりはるかにまし

535 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:47:34
>>532
>考古学的に大した物も無いような所じゃ認められないよ。
近畿って何か大した物が出ていたっけ?  鏡? お面? サイキバ?

536 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:48:53
結論ありきの自説に固執する輩は歴史研究にかかわるべきではない。

537 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:52:41
絹製の小さな袋が出てたな。
におい袋じゃないかと言われてるが。

538 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 21:41:08
>>530
「鉄、鉄、鉄、全てを超えた鉄!」
みたいな感じで、畿内に青銅があることすら忘れて
青銅の存在を思い出しても
叩いたり(強度)突いたり(血で錆びないか)するには
かえって青銅の方が向いてることを忘れたりするよりは
マシだと思う

539 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:09:05
鉄は悪金と言われてすぐに錆びてボロボロになる。九州の人は鉄を使いこなせず
大和との戦闘に敗北した。様は九州の人は戦略・戦術を理解出来るほどの知能が
なかった。大和の人は九州の人より知能指数が高く孫子の兵法も理解してたから
戦闘に勝利して日本を統一することができた。

540 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:15:45
>>538

ありもしない、「畿内連合が全国制覇」と、「青銅器は鉄器に勝てない」という事実が
畿内説を完全崩壊させていることに気づけよ。

541 :ローガン:2008/12/08(月) 17:01:45
>>513
> 倭の五王が全員九州の王かはわからないけど、 大和朝廷と関係ある人物とは関係ないのは確か。
> 大和朝廷の馬鹿どもは7世紀初頭に遣隋使で滅茶苦茶な「外交」マナーを中国でお披露目wwwwしてる 

確かに五王の時と開皇20年の遣使とは違う考え方の外交みたいですね。
ただ…武の上表文に「毛人」「衆夷」と出てきますから中国との君臣関係を認めつつも、倭国自身、小中華思想が芽生えているように思います。
その百数十年後に君臣関係を求めない使者が遣わされた事は、外交姿勢の変化と考えられます。

542 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 17:17:54
>>539
俺も別に鉄器教信者ではないが、
知能云々の問題ではないと思う。
>>540
まだ「鉄器こそ一番!」なんて信じてるのか
当時の剣は切るのではなくて叩く、突く、そういう用途だ。
そしてそれには鉄より青銅の方が向いている。
青銅は鉄より強度があるし(「硬度」と「強度」は違うぞ)、
鉄よりも錆びにくいから血にも強い。
青銅を木や石のように見るのは間違い。
どちらにしろ金属だという事を忘れてはいかんよ?

543 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 21:41:41
弥生時代の勢力分布
http://www.asahi-net.or.jp/~vm3s-kwkm/kodai/g01.files/12/ad50jousei.gif

時代は少し違うが我慢してくれ。

九州王朝大王が筑紫に居て 九州を支配していた。
シノギは、種貸し。対価は農事暦。
北西部のピンクが海人族
この海人族が半島で鉄を 仕入れ 九州中部熊本の小国王に売りつける。
温暖な熊本辺りなら、農事暦と鉄とどちらに対価を使うか?
多分鉄だったんだろうな。


544 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 21:48:37
畿内大和に於いては、任那より天皇家に朝貢という形で直接鉄が手に入る。
鉄器も貸し出し対象として、管理。
景行は、九州の状態を見て、シノギを種貸しから屯倉経営にシフト。


545 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/08(月) 21:57:04
ハハァ〜ン。唐松山さんは九州王朝肯定派なんだね。

546 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 22:17:03
倭国大乱登場人物
崇神(ミマキ イリヒコ イムナヰソニヱ)西暦188年4才で即位32才崩御
大物主、(フリネ又はフキネ)崇神6年までは、倭国の大王
伊支馬=垂仁 (イクメ イリヒコ イムナヰソサチ)西暦215年13才で即位41才崩御
倭王=景行(ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ) 西暦239年18才で即位46才崩御
都市牛利=タジマモリ 、 アメヒホコの4世孫、ホケノ山古墳に祀られる
240 伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁、大彦(169年生まれ)の孫
240 難升米=倭女王の部下で大夫
240 狗奴國=狗古智卑狗
ついでに書紀より
248? 倭女王卑弥呼=巾3尺の石
250? 男王=筑紫の大木
251? イヨ=五百野姫 、景行の子 13才で筑紫ナオリ神の祭主となる。
タケハニヤス、孝元の子供で大彦より数才年下
神夏磯媛 香椎宮を本拠とする

九州王朝は、有りましたよ。天照大神以来景行迄は、確かに存在していた。


547 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/08(月) 22:39:13
景行までじゃないよ。文武の代あたりまでだよ。
貴方の ↓ 妄想。wwwwwww

伊支馬≠イクメイリヒコ(垂仁)

548 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/08(月) 22:40:56
伊支馬は垂仁天皇じゃぁないんだよ。wwwww

549 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/08(月) 23:09:25
>>548
太国さんも数字を主張しているんだから、私のように
特定してみたら?。


550 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 07:38:53
>>546
磐井辺りまではあったんじゃない?
ただ、倭の五王がそこの王だとは思わないけど。

551 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/09(火) 19:10:38
磐井は、大和より派遣かも知れない、何故なら
同じ窯の飯を食っている。


552 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 19:26:22
>>551
磐井の乱は派遣切りかよ!w

まあ最後命乞いに自前の領地差し出しているんだし派遣ではないだろうwwwwwww

553 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/09(火) 20:39:39
差し出した領地の場所が問題だ。
カスヤの屯倉、
カスヤと言えば、神功でお馴染み香椎の宮。

554 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/10(水) 20:51:52
当時の九州は畿内より 文明的に進んでいた。
そのとおり
だが一つだけ畿内と同等なのが政治
文化が発展しても政治手法が発展しないと、
乱の元。


555 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 21:18:57
海外の戦争が嫌で逃げ集まったのが畿内政権
だからまとまりはいい

556 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/10(水) 21:37:36
伊聲耆掖邪狗=イワカ=六雁、が魏国迄行って 戦の仕方を学んでくる。
卑弥呼等の使者と行かなかったのには、こんな秘密が隠されています。


557 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:40:17
九州土蜘蛛部落国家はローマ帝国のグラディエーターによって滅ぼされました。

558 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:02:37
土蜘蛛は九州北部にはおらず、未開の畿内を含めて九州王朝が支配していたから心配するな。

559 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 16:04:06
思えば紀元前2世紀から北部九州沿岸は栄えていた。
そして2世紀後半、畿内を征服し、畿内に遷都。

560 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 16:38:42
>>559

弥生後期の出雲、吉備、丹後、越、東海の動向を視野にいれないようでは
何を主張しても駄目だろう。


561 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 16:47:50
559は、ローガンの電波説。根拠薄弱。

562 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 22:15:24
>>561
ローガンは自立説だが。
君等みたいなのがさんざん「ローガンは自立論者の電波」と喚いてたんだから、
それぐらい理解していると思ったが。
筑紫東遷はどちらかと言うと夏祭だろ。

563 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 06:40:13
>>562は、夏祭本人

564 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 16:14:38
「九州王朝説は全面否定だけど
邪馬台国は九州説」
っていう人は
わりかし多い?少ない?

565 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 12:01:52
畿内説支持者より多いと思う

566 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 11:30:27
>>565
と言うのは九州論者の自画自賛だが、
少なくとも九州説の殆どはその立場だろう。
むしろ全うな九州説(東遷説もこの際含む)は
九州王朝説を迷惑に思ってる。

567 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 00:24:00
別に王朝抜きの九州説など、誰も気にしてないし

568 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 08:53:16
>>567
思い上がるなよ。

569 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 15:27:41
九州王朝説に撲滅される委員会

570 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:57:32
つまり、九州王朝説は畿内説に追い詰められてオカルト板に移転したわけだね。

571 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:01:43
いや、畿内説は九州王朝説の一つだったというオチ

572 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 11:20:38
九州王朝が有ってもいいんだけど、壬申の乱が九州であったなんて聞くと、
ハア?と聞き返したくなる。

573 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 12:35:35
これですね。
http://www.geocities.jp/hidesxima/_tS7ua5O.htm

574 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 15:26:20
壬申の乱が南極で起きようと、結果は一緒。九州王朝の天武が勝利した。

575 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 16:13:56
>>574
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態よ〜。

576 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 23:23:51
575は、纏向儲

577 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 14:16:00
AGE

578 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 00:21:29
>>576
怨み屋SP2見ただろ

579 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 10:43:26
さびしいスレだ。
九州王朝を否定しようといっても、ろくに言うことがないんだな。


580 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 12:20:24
九州王朝独自の資料が無いからね。

581 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 13:54:09
卑弥呼は九州王朝の始祖的人物だよ。資料はあるわけだし、倭の五王
も九州王朝に準ずるものだ。いくらでもあるよ。

582 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:31:46
つまり、九州王朝の存在を証明する資料は何もなかったわけだね。

583 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:38:55
九州王朝の存在の傍証はそこここにたくさんあるが、
7世紀末以前の大和朝廷の存在を証明する資料は、何もなかったね。

584 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 15:39:42
いくらでもあるよ。年号をを教示してるものもそうだし、比売大神
も九州王朝の人物だし、倭人伝にも女王国があるし、倭の五王も
大陸の文献にあるし、沢山ある。ないなどと妄想だよ。

585 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 15:44:20
傍証なら立派な資料だよ。無いなどとデタラメを言うな。
当時の大陸は諸葛孔明の天下三分の計の話のように天下は3に分割
されていた。かように、古代日本史論では天下二分の系とするのが
同古代史論での賢明なる諸葛孔明と言えるのだ。ww 日本では当時
天下が畿内と九州に二分されてたのだよ。

586 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 15:48:47
九州撲滅委員会「九州王朝説」を何とかしよう・・・?

色々な学者が長い年月を重ねて「九州王朝説」が立証されたのです。
学びもせず、ただネットで「検索」だけして訳の分からないことを提案するのは辞めませう。

そんな撲滅委員会なんか立ち上げるより、街のゴミを拾って歩いたほうがよっぽど社会の為に役にたつでしょう。


587 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 19:29:58
>>585
>日本では当時天下が畿内と九州に二分されてたのだよ。
年号もあった、倭人伝にも女王国があるし、倭の五王も大陸の文献にあるというなら、
近畿についての記述がまったくないことに気づけよ。

588 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 19:46:05
そうだろう? 当時大陸は北九州あたりが通常事だろ。それより遠隔
の紀無いはもっと遠いから、そんなに記事がないのだろう。0じゃぁ
ないだろうが・・・・?

589 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 22:14:13
>>588
>0じゃぁないだろうが・・・・?
どれが畿内の話だ?

590 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 22:27:26
>>589
曲学の徒さんの邪馬台国掲示板
08’10/19 むらまつ氏から

漢書王莽伝

 (元始5年)東夷の王 大海を渡り国珍を奉ず。

元始5年はA.D.5年=神武即位5年(倍暦計算)

なお倍暦計算により、すでに 神武即位元年=西暦元年 を得た。

591 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 22:30:02
>>590
言い忘れたが、これは畿内か九州のことかは不明のため、さきほど?
で(>>588)書きこんだわけ。

592 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/08(日) 22:40:16
>>590 訂正 すみません。

× 元始5年はA.D.5年=神武即位5年(倍暦計算)

○ 元始5年はA.D.5年=神武即位2年(倍暦計算)

上記訂正から推察できるように、神武天皇の即位の翌年ですから、
東夷王とは畿内の神武のことだと考える余地が充分あります
ので・・・。

593 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:43:23
>>592

>>434 名前:太国 ◆yVAs7uaYlY [] 投稿日:2008/11/26(水) 21:52:05

神武の時代は畿内の一豪族に毛の生えた程度の勢力の朝廷が崇神の
時代になって初めて畿内で磐石の勢力になっては来たが、畿内の外界
迄のは勢力はさほどありませんね。その偵察として四道将軍が畿内
外界へ派遣されたのは井の中の蛙の状態から広く畿内外周を知識等を
得る目的でしょう。

言ってることがコロコロ変わるヤツだなw

594 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:44:06
>>592
そのころ、東夷に何百の国があったと思ってるの?

595 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/09(月) 00:08:18
>>593
だからそんなに大陸とは交通はあるまい。ただ例外はあろう?
神武は九州にいたから大陸の情報は少量程度あったろう。
即位したのでその翌年大陸へ便りというか、そういう文面のことを
やった可能性はあるわけであるが、それまでのことだろう?
それっきりだろう? あとは紀無いのことのみにほぼ専念してたん
だろう?
向こうから働きかけがあればそれには乗ったろうが、やはり畿内の
ことに専念したことは否めない。それっきり大陸関係の記事が当分
の間途絶えている。だから今一度言うが大陸との交通は0ではない。
少事だよ。崇神世になれば△たる239年鏡があるんだから、年号は
畿内へ到達しているわけだ。全く0ではないようだ。さらに中平刀
の中平の年号もあるからね。
しかし本音は畿内朝廷の勢力堅固としたいのが神武当時の朝廷の
本音だよ。ほかのことにかまっていられない。大陸へのことは
最小限のやることだったんだろう?

>>594
九州は57年に金印の国王がいたんだし、五王の上表文の国々も神武前
か神武〜開化のころと観ている。だからかなりの小国は
あったろうな? 明日に・・・zzzzz

596 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 04:11:56
九州王朝の有無に関しての専門家達の論拠は、肯定派であろうと否定派であろうと、
他の分野の科学者の目から見ると極めて弱い。
互いに相手の推論の穴を攻撃する時は非常に強いが、持論を組み立てる時の足場は非常に
脆い。
結局の所、古代史全体に言える事だが、資料不足が最大の原因で説得力のある理論が組み
立てられず、相手の穴ばかりを攻撃する事になる。
一見すると、穴の少ない方が勝ちのようだが、そもそもこの分野の全ての学説が穴だらけなので、
あまり説得力がない。

当面は、仮説の広場状態が続き、決定論的な議論にはならないだろう。


597 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 13:42:31
古代史に、物理学的・数学的根拠を求めても無理だ。
それがやめられないなら、その人は古代史やるのを諦めるべき。

少ない仮説で、より多くの事象を、矛盾なく、リアルに説明できるばあいに、
それをもって真実に近いと考えるべきなのである。
「証拠は?証拠は?」なんて性急に問い詰める奴は、他の分野へ行け。

598 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:21:49
そうだ、そうだ。証拠はまったくなくても畿内説は存在してるんだ。

599 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:26:55
つまり、九州王朝説は歴史的証拠が何もないのに存在しているわけだね。

600 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 22:28:56
九州王朝の状況証拠が満載過ぎて、誰も否定できなくなっちゃった。
もはや九州王朝があったとしなければ、古代史を説明できない。

601 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:16:48
そもそも自然科学の分野においても”穴の無い”理論などない。
それこそ「反証可能な仮説体系」に過ぎないのだからwww
まあ歴史そのものはラボで再現実験できる類のものではないがw

で九州王朝説の場合、その存在意義は
「記紀の矛盾を説明できる仮説体系」にあったのだと思うが
それも今は昔の物語。

万世一系の記紀の皇統譜に縛られなければ
わざわざ”本当は日本を操っていた謎の王朝X”なんてものを持ち出してくる必要も無い。

よしんば記紀の矛盾を説明するにいまだに有効だとしても
じゃあそれ自体の存在した根拠は?となるとさっぱりと言うのが実態www

九州王朝の都として弥生時代はともかく九州邪馬台国はいまだ見つからず
それ以後の時代のものも精精
「大宰府の地面の下に古い遺構がある」
と言うのを繰り返す程度wwwwww


おいおい、九州王朝って何百年続いたんだよって話でwwwwwwwwww


602 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:27:34
弥生の絹は北部九州しかほとんど出てこない。
三種の神器も九州からしか出てこない。

一方で
纏向からは、掘っ立て小屋しか出てこない。
そもそも弥生期の纏向には鉄器げほとんど出てこない。

畿内説だと、こんな根源的致命的な事実を、一切解決できないわけです。



603 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:34:41
>>602
サイキバちゃんかな?w

>纏向からは、掘っ立て小屋しか出てこない。
>そもそも弥生期の纏向には鉄器げほとんど出てこない。

纏向が弥生時代にあったと認めるんだな、よしよしwww
ちなみに纏向には製鉄遺構もあるわけだがw?

それより弥生時代の掘立建物でない建造物って礎石でも使ったものの事なのかな?
同時代九州にそんなものがあったなら教えてくれって話だなwww


まあ用語の使い方の基礎からやり直してきなさいwwwwwwwwwww




604 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 03:49:40
はあ?纏向は、弥生の最後には引っかかってるだろ。
で、北部九州と纏向の鉄器の出土量を比較したことはあるかい?
北部九州と纏向の弥生の絹の出土量を比較したことはあるかい?
北部九州と纏向の三種の神器の出土量を比較したことはあるかい?

605 :またまたサイキバ君のヒット作ですか?www:2009/02/11(水) 03:53:54
>>604
>三種の神器の出土量

それってどんなデータなのかな?

ソースよろwwwwwwwwww




606 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 10:51:05
九州王朝論者の特徴として言えること

 九州王朝説の根拠を一切説明できないこと。
 九州王朝説の本質を全く理解していないこと。
 
でしょう。 

607 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:09:11
>606
その言葉は、畿内説信者にそのままお返しします(笑

608 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:10:31
>605
畿内纏向では、三種の神器が一切出土していないという事実があるだけだな(笑

609 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:12:38
多分、学会で『九州王朝』とか言い出すと、
それだけで社会的に抹殺される。
一般社会ではその説そのものが、知られていないこともあって
まあ疎外はされない。
けど、「なんか危ない人」ぐらいは思われる。

イルミナティー論者
UFO信者
予言を信じてる人
ぐらいに。

610 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:20:06
そのくせ誰もが、九州王朝説が真実だとわかってる。

611 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 13:26:41
葬だろう?ww
臥海はボスが変わらん限りこんな状態だろう?
ただ九州王朝の存在は間違いない。

612 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:05:10
文献も考古遺物も全て抹殺されてしまい、たった一人の老人の口角にのみ存在する、可哀想九州王朝。

613 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:06:04
>>611

> 臥海はボスが変わらん限りこんな状態だろう?
> ただ九州王朝の存在は間違いない。


変わったって一緒だろう。 「根拠が占い」の説なんて 誰も相手にしない。

614 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 14:39:22
あるだろう。まず年号だ。これも多数ある。それに元々卑弥呼が
九州王朝の始祖的人物だ。さらに後釜のイヨとその後〜断続的でか、
比売大神が王朝の女王的地位の女だ。時代は神功、應神のころだ。
宇佐神宮にこの二人と並んで神殿があるのも、そのころこの女が
九州に所在してたからだ。さらに倭の五王。これらも九州小国の
王だ。断じて天皇ではない。その後、阿毎多利思北孤も九州の重要
人物だろう。すでに倭人伝には卑弥呼の国の他に多数の国々が併記
されている。そのころは朝廷の1国的支配となってる畿内とは
異なり、九州は多国が存在していたわけで、大乱のころは双方が
戦っていたんだろう? それが女王国が敵国はまだいたが一応九州
のかなりの地域を統属させ、王朝の雛型、始まりとなったわけだ。

文武、元明のころ九州王朝は滅亡し、朝廷が九州を完全支配に
至った。その直後記紀が成ったのであ〜る。まるで徳川の時代、
江戸の幕府と京の朝廷の2極状態のように、当時九州王朝が畿内と
並行して存在していた。ただ王朝は朝廷ほどの勢力はなかったろう。

かように卑弥呼当時は諸葛孔明の天下三分の計のとおり大陸は魏、
蜀等の国の鼎の三分となったわけで、その頃の大陸は1国支配では
なかった。同様に日本も九州と畿内との2極的状況にあった。つまり
畿内と九州とは別国だったのである。このように。日本古代史論の
諸葛孔明となりたければ、当時の日本が天下二分の系だったという
ことをしっかり想い知らねばならない。畿内一国支配だけというのは
当時では妄想だということである。

615 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:49:07





☆ チン

    ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ヽ ___\(\・∀・)< 三種の神器の出土量の資料マダー?
          \_/⊂ ⊂_)_ \_______
        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
      |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
      |           .|/


616 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 16:02:15
しかし・・・
「三種の神器の出土量」
なんつう言葉、生まれてはじめて聞いたかもしれん…


九州王朝説ギョウーカイじゃあ当たり前に使われる言葉なのかな?wwwwww




617 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 17:54:52
>>614

長文乙。
九州王朝存在の根拠が何処にも無いことがよくわかりました。
根拠が無くても信じている振りだけはできると言うこともw

618 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 17:59:31
>>617
オマエの盲象 〜 乙彼!ww
当時は天下二分の計。紀無い節の脳内〜誤黒宇さん。ww

619 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 18:07:19
>>617

短文乙
九州王朝否定の根拠が何処にも無いことがよくわかりました。
否定ができ無くても否定できた不利だけはできると言うこともw

620 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 19:27:06
九州年号は「金光〜!金光〜!金光教〜〜〜っ!」と唱えて発倒する。
すなわち発作を起こして倒れるのだ。九州年号とは生臭坊主が考えた偽年号だ。
九州王朝説は比売大神とか言う土蜘蛛の田油津媛を卑弥呼とするアホ馬鹿集団。

621 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 19:35:44
同名でも年号のほうからは金光教とは無関係だな。金光教からは
どうだか分からんがね?従って王朝論の成立には支障は無い。


622 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:06:03





☆ チン

    ☆ チン  〃  ∧_∧   / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
      ヽ ___\(\・∀・)< 三種の神器の出土量の資料マダー?
          \_/⊂ ⊂_)_ \_______
        / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄/|
      |  ̄  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄:| :|
      |           .|/



623 :ローガン:2009/02/11(水) 20:11:58
>>614

自身の見解を述べているだけなので、「根拠」ではないですね。


624 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:14:09
三種の神器は畿内纏向からでてきません。
列島内の主要都市じゃなかったからね。

625 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:20:18
>>624
で、「三種の神器の出土量」ってデータってどんなものなんだい?w

てめえで言い出した事なんだからきちんとソース出してみろよカスwww


そもそも大和朝廷の三種の神器を王権の象徴と認めて
それを過去の九州に遡って王権の証とするということ自体が
順序が逆だろアホw







626 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:29:00
つまり、九州王朝説の人は三種の神器の八坂瓊曲玉が旦波国(京都府亀岡市)
から譲渡されたことを知らないわけだね。

627 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:46:54
>>623

「見解」ですらないですね。
それに吸収王朝なんて自分自身でも信じてないでしょう。

>まず年号だ。

逸年号と九州王朝を結びつけるものが何も無い。
しかし、教祖様が言っちまったので信徒は従う。
でも、>>614は信徒ですらないので教祖様の言質も知らない。
「まあ、尻馬に乗っておこう」と書いてみただけ。

>元々卑弥呼が九州王朝の始祖的人物だ。

行き成り結論、後はこれとも関係無い駄文をツラツラw

>比売大神が王朝の女王的地位の女だ。
>時代は神功、應神のころだ。

またまた、何の説明も無く「結論」

>さらに倭の五王。これらも九州小国の王だ。断じて天皇ではない。

自身の「見解」なら、いくら何でもここらあたりで「論拠」めいたことも書くでしょう。
でも書かない。
書けば「議論」しなけりゃならないが、九州王朝に知見があるわけでも無いので書けない。
要するに「アラシ」目的の無意味レスなんですよ。

628 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:55:11
と言ったところで、畿内纏向説では全然説明できない日本の古代史は、
結局九州王朝説で初めて説明できるというのがオチ。

629 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:07:10
>>623 ローガンさん
もうそろそろ紀無い節が盲象だということに気づかぬほど貴方は
並の男なんですか?w
当時は大陸も多国、半島も多国存在したんですよ。同様に日本も
あの時代多国に分かれていたとお想いになられませんか?w
当時の日本だけ一国統治だという考えに疑念を持たないのかねぇ?w

倭人伝にも女王国以外多国(←多分小国でしょう)があったことが
載ってますね。そのうち頭角を現す統一できうる強国が出て来て
不審はないでしょうが。それが継続すれば・・・・・  さて

 倭国大乱 と 織田、豊臣の戦国時代

その後は各々

 九州王朝 と 江戸幕府

ですよ。目を覚ましたほうが賢人だぜ。w 双方違いはあるがね。w

630 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:13:50
>>628
> と言ったところで、畿内纏向説では全然説明できない日本の古代史は、
> 結局九州王朝説で初めて説明できるというのがオチ。

ハァ?
「九州王朝」で何が説明できるのw
逆に言えば「九州王朝」が存在したとしたら「説明」できない事実が山ほどあります。
例えば、九州王朝説の論法で言えば河内の誉田山や大仙は九州から移設した大古墳なんでしょうねw

631 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:15:42
エジプトのピラミッドの大石なんて遠方から運んでるんだろう。
大しておかしくはないな。

632 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:21:26
ローガンさん

あなたは「年号」を「私年号」と言って落とす。また「根拠」を
「見解」と言って落とす。こんなことしか論が張れない男だという
ことですな。言いたくはないが、〜〜要するに貴方の負け。

633 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:23:17
先ず日本人なら常識程度のお話…


弥生末期から古墳時代にかけて
山陰の四隅、山陽の楯築、畿内の前方後円墳、東日本の前方後方墳…
と言ったそれまでとは規模の隔絶した地域色の濃い首長墓が各地で作られたが
九州にはそれが無かった。

それが何故なのか?は分からないが
単純に畿内に対してというより当時の日本全体の中で
社会構造の変革の波に乗り遅れた感がある。

まあ少なくとも磐井の乱あたりまでは九州に独自の文化圏・勢力があったとしても
犬国のアホがほざいているような天下二分するような勢力と言うのは妄想としか言いようがないwwwww



634 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:25:37
>>633 ジョーカー
うぬの盲象 誤黒宇!!

635 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:27:15
>>630
つうか九州王朝なんてものがあったら畿内から石や何やらを
九州にせっせと運んで巨大古墳作るのがリアリティのあるお話www

初期の前方後円墳の葺石に四国からのものが使われているのも分かっているんだよねwwww

636 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:32:02
だいたい当時畿内に女王国なんぞ無い。あるのは男王たる天皇国だ。
それが倭人伝には女王国があったとある。だから男王国たる紀無い
の天皇国以外に当時日本にどこか別の所に女王国があったという
ことが分かる。ならば紀無いでないんだから、当然卑弥呼の女王国
は九州だということに帰着する。すなわちあのころの日本は天下二分
の系であったということなのだ。

637 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:46:20
>>633の非常識

魏志倭人伝には、巨大墓を無数に作るのが倭人の風習だとは一切書かれていない。
墓が出てくるのは卑弥呼の墓の描写だけ。
つまり畿内こそ魏志倭人伝に載っていない場所であるとわかる。

638 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/11(水) 22:49:31
ジョーカーは盲象の天才。w

639 :ローガン:2009/02/12(木) 00:02:58
>>629
> もうそろそろ紀無い節が盲象だということに気づかぬほど貴方は 並の男なんですか?w

並かどうかは自分で決める事ではないのでなんとも…

> 当時は大陸も多国、半島も多国存在したんですよ。同様に日本も あの時代多国に分かれていたとお想いになられませんか?w

なら、@でなければAみたいな論はおかしいでしょう。

百歩譲って、九州王朝が史実としましょう。だとしたところで、件の「逸年号」が九州王朝が制定したものだという根拠がありますか?
そんなものをさして「九州王朝があった!」という根拠に使う事に抵抗ないですか?(笑)

640 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 00:08:40
で、結局九州元号を見て見ぬフリをして解明しないで、
畿内説の殻に閉じこもって自説に都合の良い部分だけにすがるローガン。

641 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 00:11:06
>>639
>「逸年号」が九州王朝が制定したものだという根拠がありますか?
畿内説は九州まで大和王朝が支配下に納めてたってんだろ。大和王朝が定めて
いない年号があったら、畿内説はおかしくなるんだよ。


642 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 00:16:19
継体だの大化といった元号も、畿内で制定した証拠が全くない件について

643 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 00:26:44
継体は年号じゃないよ。
淡海三船がオホト王に付けた漢風諡号。

644 :ローガン:2009/02/12(木) 00:30:39
>>632

> あなたは「年号」を「私年号」と言って落とす。

想像は自由ですが公年号だと云う事が資料から見えない以上、私年号だと云うくくりになるでしょう。「落とす」云々は貴方の言った事なので否定も肯定もできません。

>また「根拠」を 「見解」と言って落とす。

上記の通り。年号は根拠には使えない事に気付く事です。

>こんなことしか論が張れない男だという
> ことですな。言いたくはないが、〜〜要するに貴方の負け。

「勝ち負け」…どっちでもいいですが、寂しい人ですね。貴方は。

645 :ローガン:2009/02/12(木) 00:47:30
>>641

>大和王朝が定めていない年号があったら、畿内説はおかしくなるんだよ。

「私年号」というものの存在を認めたら何故邪馬台国畿内説がおかしくなりますか?

646 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 01:22:05
畿内で制定されていないものは私年号とすれば、ほとんど私年号だ。
その私年号が広範な地域で使われているのでは、畿内の権威がまるでないわけで、
畿内説の崩壊理論そのものでしょう。

647 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 01:26:04
畿内説は九州まで大和王朝が支配下に納めてたと考えるのでは?
であれば、別の権力が年号を定める余地はないはず。

648 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 01:33:26
九州が7世紀末以前に、畿内政権に取り込まれた様子が全くない状態での議論だから、畿内説の崩壊理論。

649 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 01:38:51
持統天皇が、大嘗祭に出席した部下に褒美を与えたにもかかわらず、
持統天皇は一度も大嘗祭を主催したことがない。
これは、畿内説では当然説明できないわけです。

650 :九州王朝説派:2009/02/12(木) 01:56:37

天武天皇は、大嘗祭に出席した部下に褒美を与えたが、
天武天皇は、一度も大嘗祭を主催したことがない。

持統天皇は、大嘗祭を主催した。

651 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 09:20:19
大嘗祭が無かったから当然。

652 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 10:33:39
ローガン氏は治療困難な盲象。紀無い節が崩れるから論を出さずに
私年号、見解とかしかこのごろこんな類の語句しかない。

何を言おうと当時の日本は天下二分に系。この真はケチをつけても
出鱈目でない日本古代史の正論であり、消えさせることはできない。

653 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 10:58:53
>>652 訂正
× 天下二分に系
○ 天下二分の系

日本古代史の諸葛孔明たる天下二分の系は、日本古代史論の天下を
握る論説。これに逆らう論説はデタラメなり。ww

654 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 13:30:52
>これに逆らう論説はデタラメなり。ww

自分の考えに逆らうやつらはみんな出鱈目になるのか
自分の妄想は許されれるが他人の妄想は許さない

もう無茶苦茶もいい所、太国自身が病院に行った方がいいな

655 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 14:13:00
>>654
みんなとは言っていない。オマエがみんなということを追加して
故意に併呑させただけ。天下二分の系のことだ。

656 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 14:22:46
つまり、九州王朝説の人は脳細胞が破壊されていて即、入院が必要なわけだね。

657 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 14:30:57
非九州王朝説の輩は、脳内が紀無い節一色で盲象あるいは盲トン
たる猪突猛進のカルト病。ww

658 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 14:44:45
つまり、九州王朝説は北朝鮮主体思想の悪徳カルト宗教だったわけだね。

659 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 14:48:33
北朝鮮の宗教とは無関係でしょう。あんたが恣意的に信用度を
落とすためたくらんだ糊塗だね。

660 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 15:13:23
つまり、九州王朝の人は「ニダ」「シル」「ウリ」とか言ってたわけだね。

661 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 15:16:16
日本古代史界の「女王国紀無い節」は日本古代史論のガンだな。
はやく切除しないとローガン氏ジョーカー氏のように手遅れだ。
哀れな連中だよ。w

662 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 15:27:05
つまり、九州王朝説は愚かにも花火で全焼したわけだね。

663 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 15:40:00
つまり、は紀無いのバカの一つ覚え。

664 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 15:44:14
なんか畿内説信者のレベルが低すぎて相手にする気が起きない

665 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 17:52:48
九州王朝説の人はキムチ臭くって相手に出来ない。臭〜〜〜っ!

666 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 18:26:27
紀無智は紀無い節人だろう?wwwwwwwwwww

667 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:40:57
>>666
占いが根拠の九州王朝説wwwwwwwwww

668 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:58:59
九州王朝説信者=聖教新聞購読者。

669 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 21:25:46
668はオウム

670 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 21:53:06
>>667
占いとか霊にこだわりあるなら

 忍日伝天孫記
 天津日嗣伝
 実録神武天皇記

671 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 21:58:17
訂正

× 実録神武天皇記
○ 実録 神武天皇紀

672 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 22:16:50
「実録、九州王朝説信者は朝鮮人だった!」

673 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 22:24:10
もう一人のオウム >672

674 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 22:25:57
「紀無智」製造者→紀無節論者wwwwwwwwwwwww

675 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 23:13:17
「実録、お笑い九州王朝説!大爆笑編」

676 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/12(木) 23:26:17
「紀無智販売拡散業者」→「紀無い節奉賛会賛同者」wwwww

677 :ローガン:2009/02/12(木) 23:35:53
荒れてますね。
よければ皆さん、まあ〜ったりといきませんか?
太国さん。上で書いてましたよね?「多国」って。
私、畿内説なんですが…別に大和一元主義というわけではありません。畿内説だから九州を「支配」していたと考えているわけではないのです。
各地域に王がいたと思う。「共立」ですから、私は自発的に各地域が参加した連合体だったのではないか?と考えています。(勿論、その参加過程、温度差等は考える必要があると思います。)
つまり、貴方の云う所の多国なんですよ。だから一極支配ではない、つまり西日本各地に王国と呼べる集合体があったと考えている訳です。
故に邪馬台国畿内説だから大和一元主義だ!とは考えない。

678 :ローガン:2009/02/13(金) 00:16:08
続き。
件の年号の事ですが、確かに六国史に見えない以上、大和王権が発布したものとは考えにくいですね。
だからといってこれをさして九州年号だといいきれないでしょう。勿論、その可能性があることを否定しませんが。
昔読んだ本ですが…
久保常晴氏は逸年号について仏教界、つまり寺がその縁起に利用すべく使った太宝を遡る年号だと
「先読経文」とか若いころ習いましたよね。呉音と漢音における政権と寺院の関係を想像すれば、強ち「寺の縁起年号」説の可能性も0とはいいきれないでしょう?
まして、初見が後世の書物である事等、又西日本における集合体は大和以外は北部九州にしか存在しない…というわけではない。多国ですから。

故に逸年号の存在が「九州王朝があった!」と云うことの根拠にはならないと云うことです。つまり思考方法が間違っています。



679 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 07:33:19
だが、北九州諸国は「皆統属女王国」だ。倭国=大和だったら、大和が年号を
定めないのに、北九州でかってに年号を定める国があるわけはない。
南九州で勝手に年号を定める国があったとでも言うかね?


680 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 07:57:42
和年号の問題は、暦法が日本に伝わってからの話。
国家的に定着したのが、7〜8世紀。
逸年号は、その定着前の事象。
邪馬台国の時代は3世紀、中国の史書には「倭人は暦を知らず」と書かれている。
1月1日が決められない時代に年号なんて存在は無意味。

681 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 08:19:55
ついでに書くが、このスレでも吠えている犬国も暦を知らない。
倍暦とかの寝言をほざくが、当時の倭人たちが行っていたと言うの暦法では、
太陽の公転周期と月齢のズレをどのように調整したのか、一切説明できない。

682 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 14:59:35
>>677 >>678
>多国なんですよ。だから一国支配ではない。
大名と将軍の支配を一緒にしたんじゃうまくないですなぁ。w
そっちの多国を言ってるんじゃぁありません。各小国を踏み従えて
戦国大名から天下を取った徳川幕府のようになった支配を言って
るんです。勿論もっと上の朝廷から家康は征夷大将軍を下命され
たんでしょうが、朝廷を揺るがし牽制できうる勢力ですから、江戸
時代は京の朝廷と幕府の二極だと言ってるわけで、以下の大名連中
も支配力はあるも、大きく局面を見れば、朝廷幕府の二本立てだと
いうことなんですよ。そういうことが、もっと古代のあのころ畿内
と九州が別国的で日本二極支配だったということを言ってるん
です。だから大名らのような小国の不彌国、伊都国等九州戦国大名的
そういう国がうんと多国であったことは確かですが、それを統属
できた女王国と畿内の天皇国とは二極的情勢だと大きい目で言い
たいわけです。それをはぐらかして、多国多極支配とかにぼかして
とぼけるのはうまくありませんよ。w

証拠根拠の少ない日本古代史においては、貴方のやり方での論述
は刑事裁判の弁護士的やり口ですから、そんな手法なら女王国米国説
でもなまくらに成立できたままということになりますよ。あなたの
やり方はこういう方法なわけで、あなたの紀無い説も米国説もどん
なんでも成立しちゃうという抗弁であり、死ぬまで古代史の真は
本当に把握できずにオシマイです。あんたはそれでいいでしょうが、
その抗弁ではどんな妄想をも古代史界に蔓延させる元凶になるのみ
です。だから刑事裁判の方法での否定抗弁はやってはいけませんよ。
盲象菌をほこびらせる手口ですから・・・。

683 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 15:10:40
>>678
今日の新聞には力士の死んだ事件で元親方が刑事裁判でいろいろと
主張していましたな。刑事裁判の場合は相手に無実があったら大事な
人生を棒に振ることになりますから、十二分な証拠証拠でやって
行かなくてはなりません。去年でしたか無実の方が現実に刑務所
生活を送ってかわいそうな人生になってしまったようです。毎日毎日
刑事裁判を多数回やってれば、現にこういう悲劇、あってはならない
事態が稀に出て来るんですよ。それで無実で刑務所に生かせては
なりませんから、失敗を無にするため十二分な証拠はとにかく必要
なわけです。

が、しかし古代史論では負け将棋のあなたもこの手を使って負け
でも少しの隙を突き、妄想の防衛をしっかり主張するわけですね。w

684 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 15:12:30
>>681
ほざくなら>>452表の合理的具体的な説明をしっかりやるんだな。

685 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 15:41:10
アホ×2倍暦=ド・アホの太国!馬鹿×3倍暦=大馬鹿者の太国!

686 :ローガン:2009/02/13(金) 15:41:19
>>679

> だが、北九州諸国は「皆統属女王国」だ。倭国=大和だったら、大和が年号を 定めないのに、北九州でかってに年号を定める国があるわけはない。

倭国=大和ではなく倭国⊃大和だと考えます。 それに「統屬」を誤読していると思います。

687 :ローガン:2009/02/13(金) 16:02:26
>>683

件の逸年号が実際に大宝以前に使われたかどうかなんてわからないですよね?
後世寺の縁起創作時に作られた可能性のついては前述しました。又、仮にリアルタイムで存在したとしてどの集団が使ったものか定かではない。
九州王朝の年号であるとするのは「解釈」なんですよ。
そして「九州王朝はあった!何故なら年号多出だからである!」は自身の解釈を仮説の根拠にしている循環論法なんですよ。
付け加えると、「正解はAかBしかない。よってAでない以上Bが正解だ!」 は それ以外にあるかもしれない可能性を頭から除外して、勝手に二分論を構築しているだけ…
九州王朝説の中で件の逸年号が九州の王朝で使われた可能性を考えるのは別にいいですよ。
ただ九州王朝実在の根拠には使えるものではない。 ご理解頂けますね?

688 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 16:23:43
>>687
あなたは根拠を見解に落として審判論法をやってましたね。自分で
五輪の選手が採点してたんではその選手が金メダルですよ。それで
それがしも審判論法をせざるを得ません。

ところで九州王朝が正解となると、あなたには負け論となる利害が
出てきますがね? ところであまり聞かなかったですが、今日は
聞きますが、あなたはどんなことから女王国畿内説を確信したわけ
ですか?その事由とは? 何〜かな?

こうだから畿内に女王国があったんだよとかの論説をお見受けして
なかったと思いますが・・・? 具体的に言って下さいよ。それがし
は完璧ではないにせよ、具体的に九州説を説明しています。

689 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 16:34:12
根拠を見解に落としたことは、古代史の選手たる貴方が柔道での
有効を効果に選手自ら引き下げての採点行為でしょう。それよりも
あなたも自分の技を出して行くのも貴方が勝つための最も正攻法
たるものです。そこで畿内説の一本とか技あり等〜〜まぁ一本は
証拠の完全提出的ものですからそこまで要求するのは酷で
しょうから、まぁ有効くらい最低必要でしょう。もっと技あり位
のものをお持ちなんですかね?

女王国を 邪馬壹国→邪馬臺国 からヤマト国と考え、箸墓が天皇級
のドデカい古墳で媛だから、ここだ〜〜っとかで畿内説を確信した
ものなんでしょうかね?w

690 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 16:54:28
こういう選手自らの審判採点をする審判論法は、だいたいその論者
即選手が不利か不利に近いとか他に相手の論客を押さえることの
できないときに使う伝家の宝刀的もののようですよ。自らのワザで
勝てるなら、こんなことをする必要は薄いです。この前の証拠的な
年号を私年号とかで〜(私年号だったとかの具体的明確なる論が
あればこれは別ですが? 例えば、個人のA麻呂とかの人物が王になり
たくて専売特許の独り免許的作成したものとか? 材料がしっかり
揃っていればーこんなことが具体的明確なら私年号でしょう。)
〜単にその語のみで落とす行為も有効を効果に恣意的な格下げでの
選手の審判採点行為ですよ。

以前も神代文字のスレで、かなり選手が審判論法を出してそれがし
へダメージを与えようとした不届きな奴らがいました。かやつが
選手兼審判なら〜かやつの勝ちのい決まってますからねぇ〜。そう
いう手に騙されませんよ。

691 :ローガン:2009/02/13(金) 17:02:44
>>688
ご理解頂けたと受け取っていいですか?

>あなたはどんなことから女王国畿内説を確信したわけ

確信などありません。極普通の畿内説支持者です。前にもザで言ったように、元々は九州説支持でした。
昔、松本清張とか高木彬光とかおもしろかったですねえ。
何故変わったか? きりがないので一つだけ…
隋書イ妥国伝の「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」ですね。

又、夜に来ます。

692 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/02/13(金) 17:06:37
ローガンさん
どうも。また・・・。

693 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 19:26:00
古代史論争は、他分野の専門家から見ると、文字情報なしに歴史を語るような姿に映る

例えば、鎌倉時代に鎌倉幕府が日本を実効支配していた事は誰でも知っているが、
遺跡だけでそれを証明する事は出来ない。

遺跡的には、当時、鎌倉よりも京・大阪の方が遥かに繁栄していたし、文化レベルも
鎌倉は単なる田舎だった。
遺跡から判る事は、精々、鎌倉が地方都市では栄えていた程度の事だけで、
鎌倉が日本を実効支配していた事は証明出来ない。

畿内説、九州説、あるいは2重構造説等々も、単に興味深い仮説の域を出ていないと
言うのが、冷静な判断。



694 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 21:06:05
>>693
遺跡で倭国の都がどこか確定できないということは、おっしゃるとおり。
だから、倭人伝の行程を正しく読むことが必要なんですよ。

695 :老眼:2009/02/13(金) 23:07:53
>>691
一つだけとするなら、
隋書俀国伝「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」が九州王朝の存在を示している。

696 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 00:11:34
なるほど。倭人伝の行程は九州にあったことを示している。
この記事は、その邪馬台国が健在であったことを示している、というわけか。

697 :ローガン:2009/02/14(土) 00:27:55
>>695

もう〜へんなhnやめて(笑)
> 隋書Oタ国伝「都於邪靡堆則魏志所謂邪馬臺者也」が九州王朝の存在を示している。

当然邪馬台国九州説ならそうなるでしょうね。(中国の認識では)魏志と隋書で「都」の位置が変わっていない…でいいですか?なら、隋書に云う都が邪馬台国。
隋書によると裴世清の來倭は日本書紀にも見え、些末な違いはあるとはいえ、内外にほぼ同様の記録がある稀有の例。
裴世清の目的地は大和、都が大和ならそこが魏志云う所の邪馬台国…そう考えましたね。
まあ、もっと色々考えましたが簡単にかけばこんなもんです。 zzz…

698 :ローガン:2009/02/14(土) 00:31:14
「隋書によると」は削除。 又明日にします。

699 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 00:55:35
阿蘇山って書いてある時点で、畿内説は消滅。

700 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:47:08
実のところ阿蘇氏最強。
しかし、あの周辺が倭人伝で特定できないところが奇妙、というか
おかしすぎる。

中国・朝鮮から見て倭人伝を編纂するとして、絶対に無視できない場所だろ。
しかも日本でおそらく一番古代の中国系移民が多い。俺は宮崎か大分南部が
怪しいと思ってるんで、阿蘇は邪馬台国ではないと思うけど。このへんが
モヤモヤしてわかんねw

701 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 01:57:34
>些末な違いはあるとはいえ
これが問題なんだな。例えば隋書の「二百余騎」と「飾馬七十五匹」。出迎えの
騎数など普通は記録に残すことではない。隋書が書いているのが珍しければ、同
じく日本書紀が書いているのも珍しい話だ。となれば、これは日本書紀が隋書の
「二百余騎」を見てわざと「七十五匹」と書いたということだな。一見、同じこ
とを書いているように見えるが、数を違えることで「実はちがうんだ」と明示し
ている。そこを読み取らんとアホだな。


702 :老眼:2009/02/14(土) 02:15:17
>>697
かなり老眼になりまして、近距離用、中距離用、遠距離用、3種類のメガネを使っています。
今は近距離用着用中。至近距離は裸眼です。

二つめを出すと、
隋書俀國伝「其國境東西五月行南北三月行各至於海」は俀國が九州島であることを示している。

上記は「其國のサイズが東西間長三月行南北間長五月行、周りは海」の意である。
直訳すると「其國の東西の国境の長さが五月行南北の国境の長さが三月行、周りは海」の意。

参照:隋書百濟伝「其南海行三月 有tam[身冉]牟羅國 南北千餘里東西數百里」、tam[身冉]牟羅國=tam[身冉]羅國=済州島
参考:隋書百濟伝では、1月行(海行1月)は70km〜80kmの距離。



703 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 09:33:58
>>701出迎えの時にいた馬は二百余騎で、そのうち飾り馬が75匹ということですよ。

704 :老眼:2009/02/14(土) 11:46:26
日本書紀の608年の条に「大唐客裴世清」とある。
608年は隋代、唐代ではない。
隋書では、遣俀使名は「裴清」である。「裴世清」とは別人。
隋書「二百余騎」と日本書紀「飾騎七十五疋」も別件。

つまり、8世紀の唐遣日本使の事象を日本書紀608年条に挿入している。

705 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 22:04:51
>>704
何のためにそんな複雑なことをしたのか? それが問題だ。

706 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 05:15:58
702
>隋書俀國伝「其國境東西五月行南北三月行各至於海」は俀國が九州島であることを示している。
南北よりも東西が長いのは、どのように考えますか?


707 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 10:40:41
>>706

相手は目が不自由な方だから、そう言うところは見えないんだよ。

708 :老眼:2009/02/15(日) 17:07:15
>>706
>南北よりも東西が長いのは、どのように考えますか?

南北よりも東西のほうが短いと書いてあります。
「俀國の東西にある南北に走る境界の長さが五月行、南北にある東西に走る境界の長さが三月行である。」のです。

同じ表現方法が隋書百濟伝にもあります。
@済州島についての記述。
「其南海行三月 有tam[身冉]牟羅國 南北千餘里 東西數百里」(短里)
済州島は南北長約50km、東西長約80kmの島で、南北に短く東西に長い島です。

A百濟の国土面積についての記述。
「其國東西四百五十里 南北九百餘里 南接新羅 北拒高麗 其都曰居抜城」(短里)
百濟は、東西の長さが900餘里、南北の長さが450里の東西に長い国土です。
百濟の南側は新羅に接し、北側は高句麗の百濟支配地を挟んで(北拒)高句麗です。
百濟の西側と東側については記述されていませんが、
西側は隋の通路である東シナ海となり、東側は山岳地帯の東に新羅があると推測されます。

「五月行」「三月行」の長さについて、
@の「海行三月」は「三月行」と同じ意味です。
Aの結論より、百濟から済州島の距離は約220kmです。
220km≒三月行、即ち、
一月行≒75km≒千里(短里)となります。

九州島に上記距離換算を当て嵌めると、
「俀國境東西五月行南北三月行各至於海」は、
南北370km東西220kmの縦長の島になり、
九州島と合致します。

以上、証明付で説明しました。上記資料の付帯的証明事項は省略。

709 :老眼:2009/02/15(日) 17:16:42
>>705
>何のためにそんな複雑なことをしたのか? それが問題だ。

大和朝廷の事情によるものです。
複雑な事情を示すものとしては、
聖徳太子の創造、乙巳の変の改竄とか一々書ききれないほどいろいろあります。

710 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 17:20:13
>>708

20点
次回作に期待しましょうw

711 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:28:43
>>708
新羅についての記述は次のようになっています。
 新羅國,本弁韓之苗裔也。其國在漢時樂浪之地,東及南方倶限大海,西接百濟,
 北鄰高麗。東西千里,南北二千里。
南が海というのですから、朝鮮半島の南端まで新羅国であったことはまちがいあ
りません。そして、北は高麗、西には百済です。当然のことながら、新羅は縦長
の国です。あなたの読み方では、朝鮮半島の形と合致しないと思いますが?


712 :老眼:2009/02/15(日) 23:51:36
>>711
『新羅國,本弁韓之苗裔也。其國在漢時樂浪之地,東及南方倶限大海,
西接百濟,北鄰高麗。東西千里,南北二千里。 』
上記は、隋書からの引用ではありませんね。
上記は、何の文献ら引用されたものでしょうか?

上記は7世紀初頭の半島情勢ではありません。
6世紀までの、強力化期新羅以前、弱小化百濟以前の半島情勢の様に読めます。
532年(新羅金官伽耶占領)以降6世紀中頃までの半島南部情勢を表現しています。

>当然のことながら、新羅は縦長の国です。
あなたの勘違いです。
新羅が縦長の国になったのは、新羅が551年ソウルを支配下に入れてからです。


713 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 01:15:31
>>712
>>711は旧唐書からの引用です。ですから、あなたが言う縦長の国になってからの
話です。

714 :老眼:2009/02/16(月) 03:18:07
>>713
532年百濟新羅連合軍がソウルの高句麗を北に押し返し、
新羅がソウル近辺を一時的に支配地としたが、
その後、ソウル近辺は又高句麗の占領地に戻っています。(高句麗対新羅・百濟の紛争地化)
この時から百濟東方の半島中央部の山地の東側は新羅の占領地です。

百濟の北が旧百濟領の高句麗占領地(紛争地)、百濟の東の山地の東は新羅領、百濟の南は新羅領。
以上が6世紀初頭の半島南部情勢です。

旧唐書『北鄰高麗 東西千里 南北二千里』は、
紛争地を考慮し、「北接高麗」としないで「北鄰高麗」としていますね。
隋も唐も高句麗と紛争中でしたから、両国はこのソウル近辺の紛争地を楽浪郡とし、
新羅王を楽浪郡公としています。
又、旧唐書東夷伝は、隋書東夷伝の短里表示に対して、長里表示に変っています。

715 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 07:16:23
で、結局、新羅は縦長? 横長?

716 :老眼:2009/02/16(月) 12:18:04
>>715
隋代の新羅は、北は漢江流域上流中流部から南は半島西南部まで領土としていたので、
南部を西に張り出した、縦長の領域です。
漢江下流部は、高句麗と新羅の紛争地域になります。

717 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 00:40:56
>>716
縦長ならば、東西千里 南北二千里は普通に読めばよいということですな。
隋書の東西五月行南北三月行も普通に読むべきなのですよ。

718 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 07:28:11
九州の東西とは? 南北とは? それを考えてみては?

719 :老眼:2009/02/17(火) 09:07:09
>>717
隋書東夷伝と旧唐書では読み方が異なる。
済州島の記述については忘れましたか?

720 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 09:33:30
ひとつ言えることがある。
太国とローガン、両君の説の妥当性はさておき、
ローガン名で紳士的に対応し、名無しでそのストレスを発散するごとく、罵倒するローガンに比べ
一貫してトリ付コテで書き込む太国には好感が持てる。

長くこの板にいると、説の一貫性や文体から、どのレスがコテが名無しで書いてあるか分かるものだ。
見苦しい、とだけ言っておく。
ローガン=ここのスレ主=ドツボ命名者


721 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 11:12:52
>>720
デブ国乙wwwwww

722 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 12:39:44
>>720
つまり、変態易学者デブ国はアホ・馬鹿・間抜け・愚か者だったわけだね。

723 :ローガン:2009/02/17(火) 15:37:15
>>720
> ローガン名で紳士的に対応し、名無しでそのストレスを発散するごとく、罵倒するローガン

君の妄想だ、中傷屋君。そんな事をしてなんの意味がある?明確に否定する。

> 長くこの板にいると、説の一貫性や文体から、どのレスがコテが名無しで書いてあるか分かるものだ。 見苦しい、とだけ言っておく。

長い間居て、つまらん事しか妄想出来んのか?

> ローガン=ここのスレ主=ドツボ命名者

私は携帯参加者だ。携帯は便利でいい。しかし2CHは携帯からではスレッドをたてれないのだよ。
中傷屋のこんな幼稚な馬鹿レス、スルーしたら良いのだろうが、生憎それほど人間ができてないのでね。
スレタイに関係ない幼稚な妄想から産まれた馬鹿レス書く暇があったら、少しは歴史のお勉強でもしたらどうかね?中傷屋君。
この板、長いんだろ?

724 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 21:30:04
夏祭って、遷都(九州→畿内)論者でしょ?
その根拠が記紀の神武東遷なんでしょ?

それじゃ時代特定も困難だし、
そもそも神武東遷説話ってよく読むと、
たんなる1部族の都落ち引越し話にすぎず、
巨大国家の移転でもなんでもない。

要するに妄想。

夏祭と仲の良いカタカナ名のローガンは、
どういうわけだか畿内自生説。
でも畿内って、いったん滅亡してるんだよね。
で、そのことには決して触れないわけ。
破綻してる説だから、触れないんだろうね。


725 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 21:42:02
>>720

2ちゃんのどこにでもこう言うやついるよなw

 「私はなんでもお見通しなのよオホホホホ」

とか言うやつwwwwwwww

まあローガンが名無しで書き込んでいるのかいないのかまでは正直分からん。
案外その正体は気の短い河内のおっさんかもしれんしwwwww

ただ>720がローガンの畿内説での立ち居地の細かい部分まで把握しているのかどうか
少なくとも

>ローガン=ここのスレ主=ドツボ命名者

…なんてほざいている時点でアホだろって気が駿河wwww

違うと言うなら説の内容や文体の解析による根拠出してみ?



726 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 21:45:33
巨大国家の移動なんかじゃないのは当たり前の話で。
藤原京以前の都なんて実質小さな山城だし、権力集団の移動に沿ってると思われる
伊勢神宮の変遷なんて陣地取りそのもの。
6世紀以前の日本国内の勢力争いって、後世に比べるとかなり規模が小さいよ。

727 :ローガン:2009/02/17(火) 23:55:20
>>725

> 案外その正体は気の短い河内のおっさんかもしれんしwwwww

そ、それは否定しません。「気の短い」も「河内のおっさん」も。
とりあえず、ありがとう。




〜なんて書いたら、どうせ自演だなんて云うんでしょうね?(笑) 九州王朝信者の中傷屋は。

728 :ローガン:2009/02/18(水) 00:53:09
>>724
> 夏祭って、遷都(九州→畿内)論者でしょ?

そうでしたね、最近見受けませんが。原田大六支持の方ですね。
私は記紀の系譜って所詮「後付けの同族関係」を列記したものかなあ?なんて思います。
記紀にある神武東征をさして古代の、とある時期の実際の出来事だとしていいのかどうか
私的には「?」です。先で機会あれば夏祭さんに訊いてみたいなあと思います。まあ 一瞬で論破されるでしょうが、それはそれ… 勉強になれば。


729 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:07:56
>>719
>隋書東夷伝と旧唐書では読み方が異なる。済州島の記述については忘れましたか?
隋書と旧唐書で意味が正反対になったのならば、辞書などにその旨の指摘があるはず。
済州島は中央に火山がある。南北といったところで、直線に歩けるわけではない。
大きく迂回することになるんだ。出発点とコース、終点の取り方では南北の方が長く
感じたとしても不自然ではないんだよ。




730 :老眼:2009/02/18(水) 11:08:59
ローガンさんには「河内のおっさん」の臭いを感じていました。
それに、年を取ると気が短くなりますし。



731 :老眼:2009/02/18(水) 11:35:08
>>729
>隋書と旧唐書で意味が正反対になったのならば、辞書などにその旨の指摘があるはず。
辞書を編纂した先人の学者先生方はそれに気がつかなかったのでしょう。
もしくは、それを指摘すると学者生命上都合が悪かったのでしょうね。
7世紀まで(唐代初期まで)の漢籍では、東西の境線の長さを示し、
8世紀頃以降(唐代後期)の漢籍では、東西の境間の長さを示しています。
唐代に中国語が変わったようです。

>済州島は中央に火山がある。南北といったところで、直線に歩けるわけではない。
>大きく迂回することになるんだ。出発点とコース、終点の取り方では南北の方が長く
>感じたとしても不自然ではないんだよ。
百濟から海行三月の距離を船で済州島に行っていますから、
船で済州島を一周すれば、南北に短く東西に長い楕円の島であると認識できます。

732 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 23:22:14
>百濟から海行三月の距離を船で済州島に行っていますから

何気に凄い記事ですね。
海行3月って無茶苦茶遠いです。
渡海だけで3ヶ月は居られない。
「3月」が誤謬記事でないとしたら泊営期間も含めた数字でしょう。
出発点は何処を設定したんでしょうかね。

733 :ローガン:2009/02/19(木) 00:44:19
下がったので上げときましょう。
>>731王朝さん
> 7世紀まで(唐代初期まで)の漢籍では、東西の境線の長さを示し、 8世紀頃以降(唐代後期)の漢籍では、東西の境間の長さを示しています。 唐代に中国語が変わったようです。

7世紀の初めの史書らしいのですが百済について「東西四百五十里南北九百餘里…」とあると聞いています。
聞くところによると、これが書かれた史書の責任者は、どうも隋書と同じらしいのです。とすれば上記の百済についての記述は貴説に従うと、隋書と同様に…
「国の東と西にある国境線の長さが450里。南と北にある国境線の長さが900余里」と読まなければならない訳ですね。
現実の地形とそぐわないような気がするのですが。単なる気のせいでしょうか…? www

734 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 11:11:59
>>733
そうです。
百濟は横長で900里×450里(70km×35km)の国です。
隋代には錦江中下流域だけの小国に縮小しています。
魏書東夷伝風に表現すれば方可六百餘里というところでしょうか。


735 :九州王朝大好き:2009/02/19(木) 11:21:42
∵∵∵∵┏━┓∵∵遼東∵┌───┬┬∵∵
∵∵∵┏┛〜┗┓∵∵∵┌┘∵∵∵│↑∵∵     『 随書の半島世界 』
∵∵┏┛〜〜┏┛∵∵┌┘∵∵∵∵││∵∵∵∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜 
∵┏┛〜〜┏┛∵∵┌┘○好太王碑││∵∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┏┛〜〜┏┛∵∵┏┻┓∵∵∵∵∵││∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜┏┛∵┏━┛〜┗┓高麗∵∵│2000里┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜┗━━┛〜〜〜〜┃∵∵∵∵││∵┃〜〜其國東西二千里南北千餘里
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵◎平壌││∵┗┓〜都於平壌城〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵∵∵∵∵││∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┣┓∵∵∵∵│↓∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
『 随書の半島世界 』 〜│┗━┳──┴┴┐∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜├←1000里→┤∵│∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃楽浪郡∵│∵∵∵┃楽浪郡=高麗新羅紛争地
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵│∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃∵旧百濟領│∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┬─────┠────┐∵│∵∵∵┃〜其國東西四百五十里
〜〜〜〜 450里〜〜〜百濟┃∵◎居抜│∵│∵∵∵┃〜南北九百餘里〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┼─────┠────┼─┘新羅國┃〜南接新羅北拒高麗〜
其南海行三月↑〜〜〜〜┏╋─900里 ┤∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
有[身冉]牟 〜│〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
羅國〜〜〜〜│〜〜┏┛∵∵∵新羅國∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜三月行〜〜┗┓∵∵∵∵┏━━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜│〜竹島○┓∴┏━┛〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜│〜〜〜〜┗━┛〜〜〜〜〜〜〜┃┃都斯麻國〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜↓〜〜├1000里┤〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┼──┏━━━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜数百里〜┃∵∵∵┃[身冉]牟羅國〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┴──┗━━━┛〜[身冉]牟羅國南北千餘里東西數百里〜〜〜

736 :ローガン:2009/02/19(木) 15:21:36
>>734

「有仇台者始國於帯方故其地界東極新羅北高句麗西南倶限大海東西四百五十里南北九百餘里 地固麻城其外更有五方中方曰古沙城東方曰得安城南方曰久知下城西方曰刀先城北方曰熊津城…」
ですから西と南は海東は新羅、北は少なくとも熊津まであり、縦長です。ww

737 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 15:45:01
>>732
>>百濟から海行三月の距離を船で済州島に行っていますから

>何気に凄い記事ですね。
>海行3月って無茶苦茶遠いです。

「海行三月有耽牟羅國」は「海行三日有耽牟羅國」の誤りでしょ。
昔の船でも海行3月も行ったらインド洋まで着く。

738 :九州王朝大好き:2009/02/19(木) 20:40:51
>>736
其の文献の出典は何ですか?

>>735の地図の楽浪郡が、其の文献では高句麗領となっています。
上記地図の百濟領北東部に熊津城(公州)があります。
(居抜城の位置については議論があります)
その文献は、百濟の南は海となっていますから、
新羅高句麗戦の時に百濟が新羅に南攻(616年)し南に百濟領を拡大後のことになり、
唐成立直後の頃から百濟滅亡までの半島情勢を述べたものと推測できます。
「東西四百五十里南北九百餘里」の数字は隋書からの引用で、文法は唐代で記述か?


>>737
「海行三月」は、船で3ヶ月かかる距離ではなく、200〜250km位の距離のことです。

739 :ローガン:2009/02/19(木) 23:18:02
>>738
> 其の文献の出典は何ですか?

周書です。

> その文献は、百濟の南は海となっていますから、 新羅高句麗戦の時に百濟が新羅に南攻(616年)し南に百濟領を拡大後のことになり、 唐成立直後の頃から百濟滅亡までの半島情勢を述べたものと推測できます。

え〜と出来たのは、貞観2年(628)だったと記憶してます。(違ったらごめんなさい)百済滅亡は確か餘豊2年…唐高宗の龍朔3年(663)

「東西四百五十里南北九百餘里」の数字は隋書からの引用で、文法は唐代で記述か?

隋書成立の8年前、隋書と同じ総監房玄齢。

740 :日本@名無史さん:2009/02/20(金) 03:46:24
老眼って九州王朝の偽名か?

741 :九州王朝大好き:2009/02/20(金) 13:06:56
>>740
偽名ではありません。最近老眼が進んできただけです。

>>739
北周書は検討したことがありません。
これから検討します。

北周代の百濟は少なくとも前半(570年頃)までは南は對馬海峡に面しています。
そしてその地形は縦長になりますね。

742 :ローガン:2009/02/20(金) 14:59:58
>>741

> そしてその地形は縦長になりますね。

その縦長の地形をさして「東西四百五十里南北九百餘里」と隋書とほぼ同時期の史書に書いてあるという事です。
よって隋書倭国伝の「東西五月行南北三月行」も東西距離の行程が五ヶ月で南北は三ヶ月…と普通に読めばいいのです。簡単な事ですね。

743 :九州王朝大好き:2009/02/20(金) 20:05:57
>>742
結論を急がないで。
「北周書」についてもっと検討しなければなりません。

隋書百濟國伝の「其南海行三月有tam[身冉]牟羅國南北千餘里東西數百里」もありますから。
同一史書の読法に従えば「其境東西五月行南北三月行」も東西距離の行程が三ヶ月で南北は五ヶ月…と普通に読めますよ。簡単な事ですよ。
同一史書間の方が信頼性が高いと思いますが。

744 :ローガン:2009/02/20(金) 20:45:57
>>729さんのレス…
>隋書と旧唐書で意味が正反対になったのならば、辞書などにその旨の指摘があるはず。

に対する貴方の>>731の反論…
> 辞書を編纂した先人の学者先生方はそれに気がつかなかったのでしょう。 もしくは、それを指摘すると学者生命上都合が悪かったのでしょうね。
> 7世紀まで(唐代初期まで)の漢籍では、東西の境線の長さを示し、8世紀頃以降(唐代後期)の漢籍では、東西の境間の長さを示しています。
> 唐代に中国語が変わったようです。

が、おかしいので「周書の書き方」を例に出したまでです。それについては理解頂けた事と思います。


745 :日本@名無史さん:2009/02/21(土) 01:32:50
>>743
>隋書百濟國伝の「其南海行三月有tam[身冉]牟羅國南北千餘里東西數百里」もありますから。
>同一史書の読法に従えば「其境東西五月行南北三月行」も東西距離の行程が三ヶ月で南北は
>五ヶ月…と普通に読めますよ。簡単な事ですよ。
これこそ結論を急ぎすぎ。[身冉]牟羅國についてはの記事は誤伝ではないか、何か特別の意味が
あるのではないか、考えてみるべきだな。それ一つをもとに、「東西五月行南北三月行」を非常
識な読み方で読もうとするのはトンデモ。

746 :九州王朝大好き:2009/02/21(土) 21:03:57
>>744
この論点については、論理的な反論であることを理解できております。
ですから、北周書についてを検討すると述べているのです。

>>745
この点については、常識と言う仮面をつけた恣意的解釈をするトンデモ説です。
俀國の大きさを、東西に五月行(800〜1000km)の距離、南北に三月行(500〜600km)の距離とすることが恣意的なのです。

[身冉]牟羅國問題は東西と南北の表現方法だけではありません。
「南海行三月」(=南海へ三月行)が210〜240kmであるとも述べていることです。
これを俀國に当てはめると、東西に三月行(210〜240km)の距離、南北に五月行(350〜400km)の距離となります。
俀國の大きさは九州島と合致することになります。
[身冉]牟羅國問題は、東西南北の表現方法と三月行の距離の2つが絡んでいるのです。
それらを誤伝とか特別の意味があるとかで処理すべきでありません。
その処理をするのであれば、誤伝があることと特別の意味があることを証明しなければなりません。


747 :日本@名無史さん:2009/02/23(月) 23:17:59
>>746
>「南海行三月」(=南海へ三月行)が210〜240kmであるとも述べていることです。
>これを俀國に当てはめると、東西に三月行(210〜240km)の距離、南北に五月行
>(350〜400km)の距離となります。
南海行三月は海、東西三月行、南北五月行は陸のはなしですよ。
分かってるんですか?

748 :九州王朝大好き:2009/02/24(火) 00:21:29
>>747
陸とも海とも指定していませんよ。
しかし、「○月行」は絶対距離を表していると考えられます。
「南海行三月」は、だから敢えて、陸ではありませんよ海を南へ三月行ですよと、注意を促しているのです。

749 :日本@名無史さん:2009/02/24(火) 00:26:54
絶対距離とは?

750 :九州王朝大好き:2009/02/24(火) 11:38:02
>>749
条件状況が変わっても長さが変動しない不変の長さ単位で構成された距離。
たとえば、現代の長さ単位である[m]は絶対長さである。
[km]は絶対距離の単位となる。

距離に関しては、
陸行1月=海行1月=水行1月=船行1月=歩行1月=走行1月=騎行1月=飛行1月=1月行
となる。

751 :日本@名無史さん:2009/02/25(水) 23:26:12
九州王朝はとうとう発狂したか?

752 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 03:29:05

古田は、こうして数多くの犠牲者をつくっていった……


753 :九州王朝大好き:2009/02/26(木) 05:14:04

  隋書東夷伝の世界だ。
  
  魏志倭人伝の世界ではない。
  

754 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 06:05:44

 九州王朝説の朝は早い



755 :日本@名無史さん:2009/02/26(木) 15:07:23
>>752

× 古田は、こうして数多くの犠牲者をつくっていった……

○ 古田は、こうして因習的学者団による被害を阻止していった……

756 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 10:54:08
>>746
耽牟羅國の記事はしょせん伝聞、どうとでも解釈できる。南海行三月が
まちがいでないとすれば、台湾の話かもしれない。
となれば、耽牟羅國の記事に惑わされず、「東西五月行南北三月行」は
そのとおり読むことだ。九州だって東と西をどことみるかによっては南
北よりも日数がかかる可能性は十分にある。

757 :日本@名無史さん:2009/03/01(日) 14:29:41
>>756
>耽牟羅國の記事はしょせん伝聞、どうとでも解釈できる。南海行三月が
>まちがいでないとすれば、台湾の話かもしれない。

@耽牟羅國は、隋書俀國伝に済州島の位置に出てきます。

A耽牟羅國の記事が伝聞であると証明できていますか。
  伝聞はあなたの推測にしか過ぎません。
  その証明できているのならば示してください。

B『南海行三月』が約1300kmであることを証明してください。

あなたの主張は論理的に破綻しています。

758 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 07:25:40
>あなたの主張は論理的に破綻しています。
どこが? 論理的破綻の言葉の意味を知らないな。


759 :日本@名無史さん:2009/03/02(月) 11:10:03
>>757
南海行三月は 南海行三日の誤りだろ。
朝鮮半島の南岸から済州島までなら三日で丁度いい。

760 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 07:35:53
>>759
それも一つの考え方。
しかし、次のようなことかも。
百済民・・南へ行ったら耽牟羅國というのがある。その先には大きな島(台湾)もある。
中国人・・其の島(耽牟羅國)はどんな島だ?
百済民・・(台湾のことを聞かれたと思って)船で三月かかる。南北は千餘里、東西は數百里ある。
中国人は、それを聞いて「其南海行三月有耽牟羅國南北千餘里東西數百里」とメモった。


761 :九州王朝大好き:2009/03/10(火) 13:22:23
>>760
耽牟羅國と台湾を取り間違えることはありえない。
『度百濟 行至竹島(珍島) 南望[身冉]羅國(耽牟羅國) 經都斯麻國(対馬) 迥在大海中 又東至一支國(壱岐)』隋書俀國伝
「隋使が俀國へ行く途中、竹島(珍島)通過後、都斯麻國(対馬)迄に耽牟羅國を南望」
と隋書俀國伝にある。
耽牟羅國は珍島から対馬に行く航路の南にある島である。
隋書俀國伝で、耽牟羅國は済州島であることを示しているのである。


>>759
>南海行三月は 南海行三日の誤りだろ。

「三月」を「三日」と勝手に読み換えるのは禁手。
誤りであることを証明できれば使ってもよいが。


>朝鮮半島の南岸から済州島までなら三日で丁度いい。

朝鮮半島の南岸から済州島までなら85km、1日で渡れます。
途中の島経由で昼間だけの航行でも、2日で渡れます。

しかし朝鮮半島の南岸を済州島への起点とすることは間違っています。
百濟の南側は新羅です。
『其國東西四百五十里 南北九百餘里 南接新羅 北拒高麗 其都曰居抜城』隋書百濟伝
百濟から済州島までの起点は、錦江中流に居抜城があるので、錦江河口の郡山付近です。
もしくは錦江より南にある百濟領と新羅領の境界のある百濟領の南端となります。
百濟の南側は新羅領ですから、百濟領の南端は半島の南端ではありません。
百濟から済州島までのこの距離は珍島(竹島)の西方沖を通過しても最大300kmです。
この最大300kmが『南海行三月』なのです。
海行三月≦300kmなのです。
即ち、三月行≦300kmなのです。


762 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 20:46:03
>>761
隋書の倭国伝の資料と百済伝の資料を同じ人物が書いたとは限らない。倭国伝の資料
を書いた人物(裴世清の一行)が耽牟羅國を知っていたとしても、百済伝の資料を書
いた人物は知らなかったかも知れん。

>百濟の南側は新羅領ですから、百濟領の南端は半島の南端ではありません。
そう簡単にはいかんよ。百済の西半分は半島の南端までのびていた、東半分には新羅
が入り込んでいたということも考えられる。



763 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 23:09:53
>>761
>>朝鮮半島の南岸から済州島までなら三日で丁度いい。

>朝鮮半島の南岸から済州島までなら85km、1日で渡れます。
>途中の島経由で昼間だけの航行でも、2日で渡れます。

>海行三月≦300kmなのです。
>即ち、三月行≦300kmなのです。

85kmを1日で300kmに三月もかかるのかよ?
矛盾してない。




764 :九州王朝大好き:2009/03/11(水) 19:26:54
>>763
よく読め。

ちなみに、
隋書東夷伝において「月行」は距離の単位。
1月行は1ヶ月かかって移動する距離ではない。
70km≦1月行≦100km

765 :日本@名無史さん:2009/03/12(木) 17:21:28
>>764
>1月行は1ヶ月かかって移動する距離ではない。

1月行は1ヶ月かかって移動する距離ですよ、
1月行が1日や3ヶ月かかって移動する距離ではおかしいでしょ。
1月行を距離の単位としても1月行は1ヶ月かかって移動する距離です。

>「三月」を「三日」と勝手に読み換えるのは禁手。
>誤りであることを証明できれば使ってもよいが。

他に考えようが無いから証明の必要無く「三月」は「三日」の誤り。

766 :日本@名無史さん:2009/03/12(木) 22:40:08
>1月行は1ヶ月かかって移動する距離ですよ

そう断定する理由は?

767 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 04:38:56
>>766
言葉には、それなりの意味があるんですよ。

768 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/13(金) 10:55:32

>>765 >>767

『其國境東西五月行 南北三月行 各至於海』隋書俀國傳

ならば、上記も「五日行」「三日行」の誤りですか?

もしそうなら、わたしの考え方に沿うと、
70km≦1日行≦100km
となり、
1日行≒1000里
となります。

一日行は、千里馬が1日に走る距離になりますね。

言葉には、それなりの意味があることが解りました。

「南海行三日」の意味は、海上を船で南へ千里馬が3日間走行した距離となりますね。

俀國の大きさは、「千里馬が3日間走行した距離」×「千里馬が5日間走行した距離」となり、
俀國のある場所は九州島となります。

関連事項
済州島の大きさ:千里×数百里

769 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 19:28:18
>>767

言葉にはそれなりの意味があるなら、どうしてあなたは「月」を「日」に改竄するの?

770 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 20:16:07
『隋書』百済伝
『其南 海行三月有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里 土多獐鹿 附庸於百濟 百濟自西行三日 至貊國千餘里云』

最後の方に百済から貊国に三日で千餘里と書いてある。
済州島も朝鮮半島から千餘里(短里)の位置にある。
千餘里≒三日です。


771 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 07:57:26
>>769
反論にも何にもなってないぜ。言葉にはそれなりの意味があるということと
誤記されることがあるということは、全く別の問題だ。大丈夫か?

772 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 08:05:39
>>768
>『其國境東西五月行 南北三月行 各至於海』隋書俀國傳
>ならば、上記も「五日行」「三日行」の誤りですか?
一箇所まちがっていたからといって、全部がまちがいだなんて言えるわけないだろうが。
もっと、常識的な思考ができないのか?


773 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 08:46:04
>『其國境東西五月行 南北三月行 各至於海』

「五月行」「三月行」は謎だな、これを日本全体として考えても大きすぎるし、
「五日行」「三日行」の誤りだとして九州と考えても小さすぎる。

774 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/14(土) 11:03:35
>>770
『百濟自西行三日 至貊國千餘里云』

「百濟より西へ3日行くと貊國にいたるが、この距離が千餘里と云う。
三日行なのに千餘里と云うとはおかしいな(言外のニュアンス)。」
の意味ではないでしょうか。
具体的には、貊國が大黒山島(&小黒山島)群島(珍島西方海域)とすれば、
百濟(全羅北道)からは西へ三日かかって行く距離なのに距離は千餘里(一日行)しかないことが理解できます。



一日行≒千里≒70kmとなります。
全羅南道の海岸諸島部は百濟が附庸する地域です。
全羅南道の本土側は新羅領です。(隋代)
百濟領は全羅北道の部分だけです。(隋代) 百濟領の大きさ:900里×450里


775 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:56:33
>>771
言葉にはそれなりの意味があるなら、そんな誤記などありえない。
誤記じゃなくて、単なる771の誤解でしょ。

776 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 12:16:37
>>774
隋書の東夷の記事には短里と長里の記述が混在している。
百濟領の大きさの記述は長里。
『其南 海行三月有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里 土多獐鹿 附庸於百濟 百濟自西行三日 至貊國千餘里云』は短里。
隋書の感覚は長里では千餘里なら20日くらいの感覚です。
短里の感覚で千餘里≒三日
なので・・・うとはおかしいな(言外のニュアンス)。



777 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/14(土) 13:22:49
>>776
隋書東夷傳では全て短里表記です。
全てを短里表記としても矛盾点は何も起きません。
全てを短里表記としたほうが東夷傳の全体像がくっきり見えてきますよ。
短里と長里の混在とする必要性は全くありません。

問題点は従来説を根底からひっくり返すことでしょうか。

778 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 02:30:00
>>775
>言葉にはそれなりの意味があるなら、そんな誤記などありえない。
言葉の意味を知っていても、間違ったことを書くことはいくらでもあること。
転写の際に読み間違えて誤記することもある。


779 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 04:12:35
>言葉の意味を知っていても、間違ったことを書くことはいくらでもあること。

言葉にそれなりの意味が感じ取れないから間違えるわけでしょ。
100kmも離れていない距離の移動に一ヶ月かかるのだと間違えるのは、
「言葉にはそれなりの意味があるから」ではなくて、778が誤っているだけでしょ。

780 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/15(日) 09:27:36
>>776
『其南 海行三月有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里 土多獐鹿 附庸於百濟 百濟自西行三日 至貊國千餘里云』
は転写の時の読み間違いによる誤記。
正しくは、
『其南 海行三月有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里 土多獐鹿 附庸於百濟 百濟自西行三月 至貊國千餘里云』
である。
「三月行が千餘里であろうはずがない。三日行の間違いであるに違いない。」
と転写者が思い、原文を書き換えたと思われる。


781 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 11:43:39
>>779
>言葉にそれなりの意味が感じ取れないから間違えるわけでしょ。
誤記というのは、そんな理由に限定されるものではありません。


782 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 00:03:57
>>781

それなりの意味がない言葉は誤記するだろうが、
言葉にそれなりの意味があるところは間違えないでしょう。
781が誤解してるだけ。

783 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 02:55:12
>>782
では、>>780のような考え方は絶対に成立しないと?


784 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 04:03:34
>>783

781と783の考えが成立しないだけ。

785 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/20(金) 15:57:21
∵∵∵∵┏━┓∵∵遼東∵┌───┬┬∵∵       『 随書の半島世界 』
∵∵∵┏┛〜┗┓∵∵∵┌┘∵∵∵│↑∵∵
∵∵┏┛〜〜┏┛∵∵┌┘∵∵∵∵││∵∵∵∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜 
∵┏┛〜〜┏┛∵∵┌┘○好太王碑││∵∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
┏┛〜〜┏┛∵∵┏┻┓∵∵∵∵∵││∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜┏┛∵┏━┛〜┗┓高麗∵∵│2000里┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜┗━━┛〜〜〜〜┃∵∵∵∵││∵┃〜〜其國東西二千里南北千餘里
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵◎平壌││∵┗┓〜都於平壌城〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛←1000里→┤↓∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜┠──────┴─┐∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗━━┓∵∵∵∵∵│∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┗┓∵∵∵∵│∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

786 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/20(金) 15:58:12
『 随書の半島世界 』 〜〜〜〜┃楽浪郡∵│∵∵∵┃楽浪郡=高麗新羅紛争地
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┏┛∵∵∵∵│∵∵∵┗┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜┃(旧百濟領) │∵∵∵∵┃〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┬─────┠────┐∵│∵∵∵┃〜其國東西四百五十里
〜〜〜〜 450里〜〜〜百濟┃∵◎居抜│∵│∵∵∵┃〜南北九百餘里〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┼─────┠────┼─┘新羅國┃〜南接新羅北拒高麗〜
其南海行三月↑〜〜〜〜┏╋─900里 ┤∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
有[身冉]牟 〜│〜〜〜┏┛∵∵∵∵∵∵∵∵∵┏┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
羅國〜〜〜〜│〜〜〜┃∵∵∵新羅國∵∵┏━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜三月行〜〜┃∵∵∵∵┏━━━┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜貊國●〜│〜竹島┃∴∴┏━┛〜〜〜〜〜┏┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜●〜〜│〜〜●┗━━┛〜〜〜〜〜〜〜┃┃都斯麻國〜〜〜〜〜〜〜
貊國●〜〜〜↓〜〜├1000里┤〜〜〜〜〜〜〜┗┛〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┼──┏━━━┓〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
〜〜〜〜〜数百里〜┃∵∵∵┃[身冉]牟羅國=耽牟羅國(発音同一)〜〜〜〜
〜〜〜〜〜〜┴──┗━━━┛〜[身冉]牟羅國南北千餘里東西數百里〜〜〜


787 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/03/20(金) 16:39:17
>>770
>『隋書』百済伝
>『其南 海行三月有耽牟羅國 南北千餘里 東西數百里 土多獐鹿 附庸於百濟 百濟自西行三日 至貊國千餘里云』

質問だが、
上記隋書の出典は何だ?
「貊國」と「云」の間に「千餘里」が挿入されたもののことだ。

788 ::2009/03/23(月) 02:35:52
日本古代の研究を一番阻害しているのは「日本書紀」ではないでしょうか。私は九州王調節を信じる者ですが、では近畿の状勢はと言えば九州を上回っていたことは考古学からも歴然としている。
そんな中、九州王朝が東遷できる状況があったとは思えません。日本書紀の信用性が全くなければ頼るのは外国の史書になります。
もう一つ、朝鮮半島の南部に倭国が合ったこと、邪馬台国は朝鮮半島何から九州北部の海峡国家であったと思われる。諸先生方、自説を通そうと色々のこじつけを卒業して、白紙に帰り議論しましょう。


789 ::2009/03/23(月) 02:44:37
日本古代の研究を一番阻害しているのは「日本書紀」ではないでしょうか。私は九州王朝説を信じる者ですが、では近畿の状勢はと言えば九州を上回っていたことは考古学からも歴然としている。
そんな中、九州王朝が東遷できる状況があったとは思えません。日本書紀の信用性が全くなければ頼るのは外国の史書になります。
もう一つ、朝鮮半島の南部に倭国があったこと、邪馬台国は朝鮮半島何から九州北部の海峡国家であったと思われる。諸先生方、自説を通そうと色々のこじつけを卒業して、白紙に帰り議論しましょう。
補足
東夷の7ヶ国の冒頭記事
 1.「夫余伝」 省略  2.「高句麗伝」 省略  3.「沃沮(よくそ)伝」 省略  4.「挹婁(ゆうろう)伝」 省略  5.「濊貊(わいはく)伝」 省略
 6.「韓伝」
韓は、帯方の南に在り。東西は海を以て限りと為し、南は倭と接す。
  三種有り。   @馬韓   A辰韓   B弁韓    其の瀆廬(とくろ)國、倭と境を接す。
   ※茫曄(はんよう)撰の『後漢書』(「韓伝」)には次のように記されている。
    韓には、三種有り。1を馬韓と曰い、2を辰韓と曰い、3を弁韓と曰う。
馬韓は、西に在り。54国有り。其の北は楽浪と、南は、倭と接す。
辰韓は、東に在り。十有二国(十二国)有り。その北は、濊貊と接す。
弁韓は、辰韓の南に在り。亦、十有二国。其の南は、亦、倭と接す。
  ※なお辰韓の項に
    「國、鉄を出す。韓・ 濊・倭、皆従いて之を執る。」
定説では「したがいて」と約されていたが、どうしても意味の通じる文章になっておらず、   疑問視されていた。
   漢和辞典を読めば
    @したがう    Aほしいまま。きまま。    Bはなつ。ほしいままにさせる。    Cまかせる。ゆるす。    Dたて(縦)と同意語
   「國、鉄を出す。韓・ 濊・倭、皆ほしいままに之を執る」倭は狗邪韓国にて製鉄していたと思われる。  


790 :九州王朝大好き:2009/03/23(月) 13:46:16
>>789
従来の翻訳は間違っているが、そんなに難しく考えなくても。

「國出鐵 韓濊倭皆從取之」
国では鉄を出す。韓濊倭の皆が鉄を取ることに従事している。

倭人も製鉄の技術を持っていたのだよ。
なおこの鉄原料はリモナイト(褐鉄鉱・沼鉄鉱・ベンガラ原料)です。
赤鉄鉱や磁鉄鉱(砂鉄)が製鉄の原料ではありません。


791 :九州王朝大好き:2009/03/23(月) 14:00:14
>>790の書き足し追加

対馬海峡の南北に居住する女王國連合倭は弁辰に鉄を求め、
卑彌呼に敵対する九州中部の狗奴國連合倭は阿蘇に鉄を求めた。

792 :九州王朝大好き:2009/03/24(火) 23:40:00

>>770
再度尋ねます。
『百濟自西行三日 至貊國千餘里云』隋書百済伝耽牟羅國条
上記「千餘里」が挿入された隋書はどの版のものですか?


793 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 12:49:50
自分で調べればいいのに・・・余計なこと聞くから止まっちゃったじゃないか。

794 :九州王朝大好き:2009/04/15(水) 13:21:57
調べたけれど見つからなかったのだ。

795 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 16:31:51
770が改竄した、隋書改竄版

796 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 00:33:23
夏祭とローガンよ、出て来い!

797 :うましか:2009/04/25(土) 10:31:43
>>794
> 調べたけれど見つからなかったのだ。

中華書局版やその他の現行刊本でそうなってるのは無いでしょうね。
>>770氏は、『千餘里』の文字を残す南史とか他の隋書系の資料と混同してしまったのか、
または、そういった資料を取り違えているWEBページから引用したんでしょうね。

798 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 10:44:26
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kudara-kanbun7-zuisho.htm

799 :うましか:2009/04/25(土) 11:52:55
>>798

>其南海行三月有耽牟羅國、南北千餘里、東西數百里、土多?鹿、附庸於百濟。百濟自西行三日、至貊國千餘里云。

そのサイトでは確かに「至貊國千餘里云」となってますね。
漢籍の翻訳サイトなのですから、漢文の素養は十分な方が書かれているのでしょう。
刊本でそう言う標記のものがあるのかもしれませんね。

ちなみにSINICA掲載の
隋書百済伝では
>其南海行三月有[身冉]牟羅國、南北千餘里、東西數百里、土多?鹿、附庸於百濟。百濟自西行三日、至貊國云。

同じく北史(南史じゃなかったです・・・)百済伝では
>其南海行三月有[身冉]牟羅國、南北千餘里、東西數百里、土多?鹿、附庸於百濟。西行三日、至貊國千餘里云。

となっています。
原資料に「千餘里」があったかどうかはわかりませんが。







800 :ローガン:2009/04/25(土) 16:08:15
>>796

なんですか?

801 :日本@名無史さん:2009/04/25(土) 16:40:56
>>800

もっと書いたら?
九州王朝説を撲滅したいんでしょ?

802 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 14:34:50
夏祭よ、出て来い!

803 :九州王朝大好き:2009/04/29(水) 12:30:29

九州王朝説撲滅委員会は、撲滅活動を強化してくれ。

お願いします。


804 :ローガン:2009/04/29(水) 15:00:25
>>803

王朝さん、周書の件はどうなりました?

805 :九州王朝大好き:2009/04/29(水) 18:42:25
>>804 ローガンさん

周書の記載内容には信頼性に欠けるところがあります。
周書は唐・宋の時期及び北宋代に散逸し、後世に北史などによって補っています。
周書のこの部分は、
『故其地界東極新羅 北接高句麗 西南倶限大海 東西四百五十里 南北九百餘里』又、
北史のこの部分は、
『其國東極新羅 北接高句麗 西南倶限大海 處小海南 東西四百五十里 南北九百餘里』
とあります。
上記はこの部分も周書の散逸部分で、周書は北史をほぼコピーしたもの、と見られます。

周代においては百濟南側の内陸部は既に新羅領となっているのに、
上記では百濟の南は大海となっているからです。
磐井の乱で倭が弱体化し、新羅は倭人の地を占領するだけでなく、
新羅が百濟南部の内陸部に進出していたのです。
百濟の旧百濟領の新羅への反攻もありましたが、一時的なものです。

よって周書は隋書と異なる新しい文法(表現方法のルール)で書かれたものとなります。
周書:「東西四百五十里」は東西方向の距離が450里。「南北九百餘里」は南北方向の距離が900餘里。
隋書:「東西四百五十里」は南北方向の距離が450里。「南北九百餘里」は東西方向の距離が900餘里。
となります。

806 :九州王朝大好き:2009/04/29(水) 18:51:38
>>805
上記「表現方法のルール」は
周書:長里
隋書:短里

807 :ローガン:2009/04/29(水) 22:53:16
>>805

> 周書の記載内容には信頼性に欠けるところがあります。
> 周書は唐・宋の時期及び北宋代に散逸し、後世に北史などによって補っています。

なるほど、後世の補完する史書には信頼が置けないと言う意味だと承知しました。
他の九州王朝説支持の方はどう考えますか?大好きさんと同様でしょうか?

808 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 22:33:25
王朝読みは成立しないね。

809 :九州王朝大好き:2009/05/01(金) 10:55:29
>>808
>王朝読みは成立しないね。

>>806は成立することを示す論証の一部だ。

810 :九州王朝大好き:2009/05/01(金) 11:21:08
>>809は下記に修正

>>808
>王朝読みは成立しないね。

>>805は成立することを示す論証の一部だ。


811 :のんびりひまじん:2009/08/26(水) 22:02:48
>>701
>些末な違いはあるとはいえ
これが問題なんだな。例えば隋書の「二百余騎」と「飾馬七十五匹」。出迎えの
騎数など普通は記録に残すことではない。隋書が書いているのが珍しければ、同
じく日本書紀が書いているのも珍しい話だ。となれば、これは日本書紀が隋書の
「二百余騎」を見てわざと「七十五匹」と書いたということだな。一見、同じこ
とを書いているように見えるが、数を違えることで「実はちがうんだ」と明示し
ている。そこを読み取らんとアホだな。<

私もほぼ同感!!(かつ違和感!)
日本書紀の執筆者は、隋書イ妥国伝を読みつつ、男王女帝ばかりか上記のごとく
微妙な違いも書いた。明らかに故意に!

古代学者の、大学センセイたちは、(アホとは言うまい)
素直に過ぎて、そこを読み取る能力がない。

812 :のんびりひまじん:2009/08/30(日) 07:04:24
>>94
>そのような500年以上にわたる文物を全て証拠隠滅する事が果たして可能なのか?っちゅう話や<

708(慶雲5→和銅元)年正月11日、改元大赦の詔中、「禁書」というコトバがある。(続日本紀)
その禁止文書が何であった推測できる記事もある。
769(神護景運3)年10月10日、大宰府が「五経あるが三史ない。列代歴史を欲しい」と言上。
→詔(=称徳天皇の許可)により、「史記、漢書、後漢書、三国志、晋書」各一部を賜う。

☆このような基礎的な歴史書まで禁止しておいて、
日本書紀という公式歴史書が創作されたに違いない。

813 :のんびりじまじん:2009/09/12(土) 03:19:42
>>88
>九州王朝が仮に存在したとして、なぜその歴史を抹殺する必要があったのか
わからない。事実を自分たちの都合のいいように改竄するのはわかるけど、
存在まで否定する必要はないのでは?
当時のインテリ層なら中国の史書を読んでいるだろうし、王朝が交代したり
並立する王朝が片方を併合することは正当性を失うことにならないことくらい
知っていたように思うんだが。<

>>812 上記のとおり、インテリ層の多くがチャイナの歴史書を奪われた。



814 :のんびりひまじん:2009/09/23(水) 19:54:07
委員諸君! 注目!

九州王朝は、7世紀なかば、副都:難波宮を建設し東遷を始めたという最新仮説に
有力な展開があったようです。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/jfuruta.html


「古代難波に運ばれた筑紫の須恵器」(『九州考古学』第83号、2008年11月)
「前期難波宮の整地層から出土した須恵器甕について、タタキ・当て具痕の比較をもとに、
北部九州から運ばれたとする。」という『史学雑誌』2009年五月号の「回顧と展望」


諸君!
なんで難波宮に九州の土器が移動か。それを、どう説明されてゆくものかに
注目しよう!


815 :のんびりひまじん:2009/10/04(日) 22:55:09
>>811
>>701
>些末な違いはあるとはいえ
これが問題なんだな。例えば隋書の「二百余騎」と「飾馬七十五匹」。出迎えの
騎数など普通は記録に残すことではない。隋書が書いているのが珍しければ、同
じく日本書紀が書いているのも珍しい話だ。となれば、これは日本書紀が隋書の
「二百余騎」を見てわざと「七十五匹」と書いたということだな。一見、同じこ
とを書いているように見えるが、数を違えることで「実はちがうんだ」と明示し
ている。そこを読み取らんとアホだな。<

私もほぼ同感!!(かつ違和感!)

再度取り上げますが >>701 は良いレスでした。


〜続く


816 :緊急浮上:2009/10/04(日) 23:30:43
九州王朝スレが終わってしまったので、
次が建つまでのツナギとしてこれを上げておきましょう。

817 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:42:18
九州王朝たって、畿内に覇をとなえていたニギハヤヒの王朝にくらべれば
どうみても弱小王朝だよね。なぜかどっちの王朝もアマツカミの子孫である
証拠をもっていたというんで、九州王朝も畿内王朝も正当性においては甲乙
つけがたい、ということになってしまうのだが、記の記述からすると。

818 :日本@名無史さん:2009/10/04(日) 23:45:25
だからおまえらも、九州が正当だいや畿内が正当だとあまり我をはるなってw

819 :日本@名無史さん:2009/10/06(火) 21:35:21
恐山に行ってイタコに陳寿の霊を呼び出してもらって、
「魏志の別冊付録、おまけのような倭人伝は、実は、めんどくさいので、
適当に書いてしまった。こんな大騒ぎになるとは思いもしなかった。申し訳ない。」
と謝ってもらえば、すべて解決する。


820 :のんびりひまじん:2009/10/07(水) 09:11:25
新撰姓氏録の研究報告では
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou29/kaihou29.html
仁徳(第16代)〜武列(第25代)の10名の天皇の子孫という氏族がありません。
架空の天皇と知っている有力氏族たちが先祖と主張する対象外とすると納得ですが、
相当に深刻な指摘でして、
のんびりと、倭の五王と比定などしている場合ではなさそうです。

これら10名の天皇全員が架空なのではありませんか?

それとも、武列が横暴だったので皆殺されたとでも言うのでしょうか?


(ほぼコピ重複ですが、このスレにも記録しておきます。)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1254667104/18

821 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/07(水) 14:20:12
10代位、架空にする動機はなんなんだい?

822 :のんびりひまじん:2009/10/07(水) 18:19:15
>>821
自分なりに、コメントできるポイントは持つようになってきましたが、
長くなりそうですし、このスレでは不適切でしょう。

そもそも、九州王朝説は、古事記日本書紀のほとんど全部を架空とする
前提をしています。
たまたま、当該10代は余りにもひどい内情を、近畿王朝内でも共有
していた ことが判明しただけでしょう。

動機については、
九州王朝を抹殺し、これに負けない伝統があったことに捏造した
近畿王朝の歴史書全体の動機に帰属しましょう。

(刺激するからSAGEましょうね)

823 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/07(水) 18:26:40
九州王朝説だから必ずしも記紀の殆どを架空だとするんだとは限らんぜ。
それがしは同説だが、架空説は言ってないぜ。
架空なぞ津田の盲象を信じちゃいないよ。だいたい10代くらい増やし
たって、大した利害が埋まるほど特効でもあるまいが。

824 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 18:47:59
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

825 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:11:08
欠史八代は九州王朝の歴史を借用したという説に賛成です。

826 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/07(水) 21:20:29
借用の動機は何なんだ? 10代より8代は少ないんだぞ。こんなんで
利害の穴埋めになんぞメリットは少ない。

827 :日本@名無史さん:2009/10/07(水) 21:34:08
初代神武と十代祟神は外せない。
十っていうのは縁起のいい数字ですからね。

828 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/07(水) 21:42:35
何を言ってるのかねぇ?w
記紀で縁起がいいのは「十」より「八」だよ。「十」も悪いとは
言わないがねえ〜。
八百万神とか八咫鏡とか八坂瓊勾玉だとか、記紀の神代は八神列
での記事が多いのもこのためだろう。こんなに「八:を気に入って
るということだろ。

即興で考えてそんな言い訳してるようだが、裏が取れて
ないだろうが?w

829 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/10/07(水) 21:44:12
訂正
× 「八:
○ 「八」

830 :日本@名無史さん:2009/12/27(日) 23:06:42
クマソが九州王朝でしょう

831 :のんびりひまじん:2010/02/10(水) 22:37:03
日本書紀の記事の怪しさのうち、その事情が見えてきた事例のようで、ご紹介します。

韓国の木簡に「ナニワ」さん 7世紀、日本人の名前か というAsahi記事(2009年7月7日3時11分)

韓国・扶余(プヨ)で発見された木簡に日本人とみられる名前が記されていることが、日韓の専門家の研究で明らかになった。
扶余は朝鮮古代の百済の都で、木簡は7世紀のものらしい。「ナ尓波連公(なにわのむらじきみ)」(ナは那の異体字)と
5文字あり、「難波」と記されるようになる大阪湾周辺に住んでいた有力者の可能性が高いとみられる。百済は飛鳥時代に
日本と緊密な関係にあったが、日本人の名前が出土史料で確認されるのは初めて。


〜この記事に対して、アレレということが指摘される(以下次レス)

832 :のんびりひまじん:2010/02/12(金) 16:28:25
>>831 この記事の中に日本書紀の怪しさが見えます。

660年、滅亡した百済の首都:扶余(プヨ)の遺跡から出土した遺物というなら、その年代は
660年以前の遺物と考えられる。つまり「ナニワ連」が660年以前に、日本列島に存在した物証。
                                 ところが、日本書紀では
681(天武10)年正月7日に、草香部吉士大形に「難波連」の姓(かばね)を与えた記載がある。

ナニワ連をめぐって、660年以前の実物と681年の賜姓記事という時間的逆転が見える。

古事記日本書紀を通じて氏姓は重要事項です。
上記のように、賜姓のタイミングが正確に記述されていない疑惑です。

☆かつて、日本書紀の大化改新の郡司をめぐって
640年代に存在したのは評であり評督(こほりのかみ)であり、日本書紀の記述は事実でないとする
郡評論争というものがありました。
>>831 の木簡の事実を知るなら
日本書紀天武紀のこと・八色姓制定は正しくは、いつだったか論争しても良さそうです。

>>831の記事には、そのような問題提起が見られません。

833 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 17:43:38
最近、撲滅委員会働いてないな。

834 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 18:39:21

神武東征と磐井の乱があるからな!



835 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 20:43:48
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

836 :日本@名無史さん:2010/03/12(金) 13:03:26
古田

837 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 22:37:26
九州王朝撲滅論者は、自ら撲滅されてしまいました。

838 :日本@名無史さん:2010/04/30(金) 22:58:38
撲!滅! ウィングマン!o(^-^)o

839 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 06:13:24
九州王朝説、富士山高天原説、
つがる王国説……

身内でワイワイ楽しくやってるううちはいいんだけどね。

840 :日本@名無史さん:2010/05/02(日) 19:56:53
最大のトンデモは、畿内説だろw

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