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※ 九州王朝はなかったのか? ※ 14

1 :九州王朝大好き:2008/09/12(金) 06:18:55
※ 九州王朝はなかったのか? ※ 14
"※九州王朝はなかったのか?※14〜15"タイトルスレが抜けていたので、"14"にします。

※九州王朝はあったか?※の復活です。
九州王朝を肯定する人も否定する人も、立場の違いを超えて、思う存分語りましょう。
九州王朝に関心がある人は、おおいに語りましょう。
九州王朝に関心のない人や、九州王朝に関りの無い主張は、書き込まないでね。


2 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/12(金) 06:50:28
>>1
まあ取り合えず新スレ乙

3 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 18:52:20
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

4 :のんびりひまじん:2008/09/13(土) 19:26:26
>>1待ってました!慶祝スレ再開。

>>3はんぱな精神損傷で、お気の毒。真面目な人びとに付き合うとキット直ります。養生なさいませ。



5 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/13(土) 21:34:11
どうも大好き氏とは意外なところで考えが合う。
2世紀の筑紫勢力の東遷だとか、吉野ヶ里=倭面土国とか。
…大好き氏、原田大六の本を読んだことありませんか?

6 :のんびりひまじん:2008/09/15(月) 23:35:13
お節介します。こんなの見つけてます。
>在野の考古学者・原田大六(畿内説)が1969年に出版した「邪馬台国論争」。
>この本は従来の九州説と畿内説の両方を紹介した上で批判がされているのだが、
>彼は小林行雄・田辺昭三ら当時の畿内説のドンに対してこう批判している。
>「2世紀の畿内の石器文化の繁栄は畿内優勢の証拠にはなり得ない」
>「畿内自立論は成り立たない」
>「津田左右吉を今でも引きずって神話を検討しようとしない」
>「伝世鏡理論は虚構だ」
>さて、時は下って1981年。
>九州説の考古学者・奥野正男が「邪馬台国はここだ」を出版。
>何と、この本には上と殆ど同じような批判が展開されている。
>つまり、畿内説の主流となっていた大学教授達は、
>在野の考古学者に耳を傾けることなく、自分達の畿内説の精度を上げようともしなかった。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207913538/


7 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/16(火) 10:03:47
>>6
どうもどうも。
一口に畿内説と言っても、全ての人間が同じ考えではないことと、
畿内自立論者を批判しただけでは畿内説全体の論破にはならないことが
お分かり頂けましたでしょうか。


8 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 12:34:40
まあ、夏祭氏の畿内説は、

  邪馬台国九州人興国説

9 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 13:24:08
>>7

「神武東遷」をそのまま信じた、奉安殿世代の特殊信仰。

10 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/16(火) 14:52:40
>>9
根拠も無く否定することと、
考古学的に実証しようとすることと、
どちらが学問的なことかな?

11 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:57:18
証拠ゼロの妄想 → 「神武が東遷して畿内に邪馬台国を建国しました」

12 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:34:30
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/

13 :のんびりひまじん:2008/09/16(火) 21:22:18
>>7 >>8 >>9 >>10 >>11
九州王朝説者は、日本列島の中央貴族集団が、
7世紀半ば〜8世紀に東遷したとハッキリ言い始めている。

時期が変てこに思うかも知れないが、東遷がなかったとは言ってない。
(論議が、九州に存在したことに集中し過ぎ。その後、どうなったのかの主張を見ないでハンターイが多い。)

考古学現象として(および文献上も)、西から東への移動は多々あるだろう。
太宰府に置いた都城(首都)に対して、関西にも副都(難波京)を建設。すぐ後に、白村江の敗戦。
唐の使者だか、占領軍だかは、この日本列島の二つの都城を見た。⇒その報告が、旧唐書の倭と日本との二国(←二都城)

都城の東遷という論拠は、考古学現象としてハッキリ見えてきた。

(クドいから、ここでいったん切ります。)



14 :夏祭 ◆Ekl.ZY5KxU :2008/09/16(火) 22:28:16
>>13
確か古田武彦も神武東遷事実派だったよな。
確か日向の勢力の一派が畿内へ向かった、と言う感じだったかな?


15 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:29:57
× 古田武彦も神武東遷事実派

○ 古田武彦は神武東侵事実派

16 :のんびりひまじん:2008/09/17(水) 09:21:25
>>14
>確か日向の勢力の一派が畿内へ向かった、と言う感じだったかな?

まず天孫降臨地について
日本書紀以後の通説:九州の宮崎の高千穂の(クジフル岳):クジフル岳はどこだか分からない

古事記原文:筑紫の日向の高千穂のクジフル岳

古田解釈:福岡県の日向(ひなた峠付近)の高千穂のクジフル岳:現地の人がクジフル岳と呼ぶ小さい山ある

神武の出発地も上記降臨地に近い北部九州
(←むかしの古田説:南部九州):古田氏のファン会員の指摘に従い変説。(他人の言うことに耳傾けたときは良かった。)

参考までに、糸島半島に、久米 という漁港がある。近くに海鵜が飛来する。神武の父は なぎさ建。

奈良県に侵入して落ち着いた後、久米唄を歌った。「海鵜の網に鯨がかかった・・・・」

以前に津田左右吉博士説:内陸の奈良に来て海鵜とか鯨とかはアヤしい。→神武不在説
反論の古田説:故郷の唄なのだ。久米出身者集団だったに違いない。→神武実在説(ただし、九州王族の継子の子孫たち。∴東侵と表現※)

つまり出発地の想定の違いから神武の存否について説が分かれた。

(自分個人としては、辻褄があう ことは分かるが、大事と思えない。)

※7世紀の場合は、継子でなくて、ご本家だから東遷。(←こっちは大事)

17 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/17(水) 12:00:17
>>5
原田大六氏の本を読んだことはありません。
原田説については全く知りません。

倭面土國の城郭のひとつが吉野ヶ里遺跡です。

「2世紀の筑紫勢力の東遷」ではありません。

記紀で神武と呼ばれた人たちの北部筑紫小部族の東方移動なのですが、
その原因についてはまだよくわかりません。
それは、2世紀初頭の倭面土國勢力による圧迫によるものなのか、
それとも2世紀末の卑弥呼勢力の台頭によるものなのか。
いずれにしろ神武集団は、倭奴國を構成していた人達の九州脱出だと思います。
なお神武集団の話はいくつかの九州脱出集団の話を併せたものとして記紀に載せたと思われます。


18 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/17(水) 12:19:11
新スレを建てた後、何故か全板で、どのIDでも、突然書き込みできなくなりましたので、
上記レスが亀レスになりました。


19 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 16:01:37
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

20 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:22:36
「皇国史観を揺るがした」と言う意味なら、江上波夫の騎馬民族征服王朝説の方が相応しい。

21 :のんびりひまじん:2008/09/19(金) 01:34:20
関西の大古墳は、九州の王者の墓だ という ひそひそ話を知りませんか?

沢宮優さんの1000キロの海を渡った「大王の棺(ひつぎ)」 九州から大阪へ考古学実験航海

関西の(小さなのは別として)大古墳に限っては、発掘された半分以上が、10台以上が、九州産の石棺なのです。

まさか!? と思うけど、
九州から、ご遺体ごと運んでいたなんてことはなかろうナ

九州から埋葬クルージングは温泉(道後、有馬、白浜)とセット旅行だったり・・・

(2ちゃんの若い衆なら知っていてもよさそうなのに話題にしていない不思議)

22 :のんびりひまじん:2008/09/19(金) 01:43:43
http://www.amazon.co.jp/s/ref=nb_ss_b?__mk_ja_JP=%83J%83%5E%83J%83i&url=search-alias%3Dstripbooks&field-keywords=%82P%82O%82O%82O%83L%83%8D%82%CC%8AC%82%F0%93n%82%C1%82%BD&x=13&y=15

23 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 06:20:21
倭の五王が九州王朝の王だとすると
雄略天皇にあたる
「獲加多支鹵(わかたける)大王」銘の鉄剣が
熊本と埼玉の両県で見つかってるのはおかしいだろ

24 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 06:53:06
スルドイねぇ! おかしい。

だが〜結論は獲加多支鹵は雄略天皇だが、倭の五王の一人ではない。五王は
九州王朝の王と観てよいが、年号があった可能性もいまのところ見出せないし、
五王だけでは短期で王朝といえるには磐石性もうすいから、王朝にあらずと
いうなら、王権でもいいだろう。
なお九州は当時多国に分立していてその1国が他国をまとめていた可能性は
あろうが、多国だし、卑弥呼の女王国とは別ものだな。いまさかんに議論して
いる天智、天武ころの九州王朝とはこれまた別ものだ。

25 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 07:10:09
日本地図を見れば、畿内から稲荷山と江田船山は一見してほぼ等距離に
感じるから、銘文のその大王は雄略天皇だな。畿内から勢力がかなり拡大
して行って埼玉、九州まで及んで来たことからの鉄剣だろう。剣はおのれ
を護れると同時に可動性として遠距離に運びやすい物だということだ。

金印も運べるが、これは剣と異なり1個で当人の王のみの占有的物で
小さくて、可動性はたしかにあるも、遠方に持っていくにふさわしい物
ではないから、出たあたりが大王の拠点と観たほうが安全だ。いま東京
上野の科学博物館で黄金展をやってるが(まもなく同展終了)、
この前見学に行ったところ、金印の模刻品が展示されていた。見ると
非常に小さいもので、まぁ出土あたりが王の拠点だな。

五王が九州関係で勢力が小さいだろうから、少なくとも稲荷山では畿内を
超えて勢力誇示のしるしにはなり難いから、五王の一が雄略ではないと
観てよい。

26 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 08:38:32
九州だけでなく日本の至る所に王朝は元は存在したはず!
何故ヤマトが統一できたのかが分からない!
崇神朝か応神朝か!応神朝は明らかに九州発の王朝だろ。


27 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/19(金) 10:25:30
>>23
>「獲加多支鹵(わかたける)大王」銘の鉄剣が
>熊本と埼玉の両県で見つかってるのはおかしいだろ

両剣をよく比較してみろよ。
同じ銘とはいえないよ。
同一文化圏の剣であることは言えるが。

28 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:41:09
装飾古墳の分布は、西北部九州を中心として、東北地方にまで及ぶ。
それを踏まえた場合には、2つの鉄剣類似などたいした問題ではないと思う。

29 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 13:55:57
まぁイザホワケとイサザワケか? ホムダワケとホムツワケか?
こういうのがあるから断定はできないが、大王でまず同名二人はいないだろう?
これも武烈と崇峻が同名個所あるから否定の断定はまだとすべきだが、畿内
からほぼ距離が似通って見えるということは、双方雄略だろう。


30 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 14:09:52
民間研究者の冷静な議論に対して、御用学者連中が
一斉にこのような思い込みをしたのは、将軍様の国レベルで笑える。

     ↓↓↓↓

「鉄剣中の大王は、何が何でも畿内天皇でなければならない」

31 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 14:42:45
>29の例外もありうるから断定の一歩手前だが、雄略天皇だな。

別だとなると、九州にワカタケル、埼玉にワカタケル、畿内にワカタケル、
それに日本武尊の時代あたりでワカタケルとか同名がいたそうで、これも
含めると、ワカタケルが4人も著名でいたことになるから、そういう場合も〜
可能性としては残るが、屯倉の多数設定となる雄略世は畿内から大幅のに勢力が
拡大して行った時期だから、関東と九州にも雄略の影響力は甚大になっており、
九州併呑までは行ってはいないものの、関東と九州の鉄剣鉄刀のほぼ同名は
雄略天皇と観てよいな。しかも先述のとおり、地理上でも畿内から相方はほぼ
等距離に見える位置からして、雄略とみてまぁ間違いない。

32 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 16:20:47
@ 別人だとすると上述から同名がどうやら4人になり、多すぎる。
A 畿内から江田船山と稲荷山とは地図上では一見してほぼ等距離的である。
B 「獲□□□鹵」の上底二字が同字であり、その字の位置も一致する。
C 相方いずれも鉄剣類であり、これも共通している。片方が別類品ではない。
D 銘文はともにワカタケル(雄略)と読めるかあるいは合理的類推ができる。
E 刀剣は可動性大であり、搬送途中に襲われても戦える。
F 雄略当時朝廷勢力は屯倉の多設置から、関東、九州に威力が及ぶ頃である。

以上から雄略天皇と観てよい。

33 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 16:40:54
関東と九州に共通するのは、九州を中心とする装飾古墳。
ただし畿内の装飾古墳は少ない。→雄略ではなく九州の王だろう。

34 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 19:46:06
G 倍暦計上により、稲荷山鉄剣銘文の辛亥年は

 471年(辛亥)=雄略元年

だな。これでも雄略天皇が有力だ。つまり雄略天皇の即位で翌年の
干支で畿内から関東へ渡ってた刀剣だよ。即位での贈り物かも
知れんね? 倍暦のため14年年代のズレがあるんだ。

35 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 21:37:59
6世紀後半ですら、播磨を支配できていなかった大和。
5世紀に大和が九州〜関東まで支配するのは無理。

36 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/19(金) 22:16:23
支配が強力だったとまでは云えないが、またそうかもしれないし、
いずれにしろ両鉄刀剣が証拠だよ。かなり影響力が出てきたころだ。
完全支配までは無理だろう。逆らう奴もいたことだし、振り回され
たこともあっただろう? 上の@〜Gで雄略と観てよい。

37 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/19(金) 22:33:59

断定できることは、江田船山と稲荷山は同じ文化圏にあったことだけ。

38 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:39:00
>>37
少なくとも、当時九州から関東地方にかけて統一国家が存在していたのは確か。
筑紫だか大和だか毛野だか知らんが

39 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 22:52:59
>>38
それは無いだろう。

40 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:12:40
装飾古墳の全国分布を見てから言ったほうがいいぞ。

41 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:16:07
文化圏が同じなら統一国家とは限らない。

42 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:31:02
異文化圏が同一文化圏になった場合には理由がある。

43 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:31:33
>>37
>断定できることは、江田船山と稲荷山は同じ文化圏にあったことだけ。

で両方とも前方後円墳な訳でw

ついでに言うと稲荷山の方は「シキ宮」の文字が見える訳だが?www

まあ九州王朝説の事だからウリナラ起源説宜しく前方後円墳は九州起源で
シキ宮も九州の何処ぞの同音の地名を持ってくるのかな?wwww%8

44 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:37:18
魏志倭人伝に描かれている風土に全く符合しない畿内。
その畿内に無理やり持っていこうとするから、全面的に破綻する。
魏志倭人伝に出てこない多数の巨大古墳を根拠に畿内へ誘導しても無理。
挙句の果てに、魏志倭人伝の身勝手な改竄と考古の編年改竄。
もうこんなの学問ではなくて、神の手ならぬ悪魔の仕業、理性の冒涜。

45 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:51:18
>44
まあ、そんな戯言は「九州王朝説」を世間一般に

学問の俎上に乗せうるものと認知してもらってから言いましょうねwwwwwwwwwwwwww



46 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 05:15:25
どうかご心配なく。
世間一般に認知されていないと信じ込めている今が、あなたの幸せですよ。

47 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 08:37:31
>>46
「世間」は古田系団体だけではないのだよ。

48 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 10:59:23
歴史に興味のある日本人なら今時は「九州王朝説」くらいは皆知っている。

49 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/20(土) 15:28:29
>>43
>まあ九州王朝説の事だからウリナラ起源説宜しく前方後円墳は九州起源で

横穴式石室+石棺の古墳は肥起源
前方後円墳の起源は筑紫でも肥でもない。

50 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:47:17
>>49
横穴式石室にも畿内式と九州式があり、九州でもやがて畿内式が主流になっていくw

で、面白いのは西日本一帯で九州式のそれを最初に横穴式石室を採り入れたのは小型の古墳とかで
ランクの低い首長層であったらしい。

(九州王朝なる物があり政治的な主導でそれが広まったなら、そうはならず逆にトップダウンの形をとるだろう)

で6世紀初頭に畿内式が作り出されると瞬く間に畿内からその周辺へ広がった。
今度は前方後円墳の上位の首長層の墓制として・・・

まさしく横穴式石室は九州発祥の「 文化 」ではあろうが
逆に各地の有力者にそれを広める政治的力が九州に無かったと言う事の傍証にもなるw


まあこんな事を言ってもサイキバ君は「装飾古墳!装飾古墳!」と繰り返すんだろうなあwwwww

51 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/20(土) 17:29:17
>6世紀初頭に畿内式が作り出されると瞬く間に畿内からその周辺へ広がった。
>今度は前方後円墳の上位の首長層の墓制として・・・

でたらめ書くな。
100歩譲っても同時だ。
阿蘇凝灰岩製(含む阿蘇ピンク石)の石棺が6世紀以降の畿内にある。


52 :50:2008/09/20(土) 19:51:31
>>51 九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y

はあ?
「同時」とは何が同時なんだ?
意味不明だな。

横穴式石室が九州北部に登場するのが、4世紀末から5世紀初頭。
全国的に広がりを見せるのは6世紀。

…とされていると思うが?

とりあえず
参考)Wiki 『横穴式石室』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%AA%E7%A9%B4%E5%BC%8F%E7%9F%B3%E5%AE%A4
>6世紀になってからは横穴式石室が全国各地にひろがった。
>朝鮮半島で一般化されつつあった横穴石室が日本の各地にひろがるには約1世紀近くの時間がかかった。

53 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:25:18
ヒスイを珍重しても糸魚川王朝があったわけじゃない。
吉備や出雲の円墳・方墳を取り入れたからといって、
九州・畿内が吉備王朝に征服されたわけじゃない。

54 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:33:57
わが国の横穴式石室は5世紀前半代に朝鮮半島から伝播したものと考えられ
九州などに初期横穴式石室が分布している。

九州の初期横穴式石室には,竪穴系横口式石室・横田下古墳タイプ・肥後タイプがある。
竪穴系横口式石室は5世紀初頭の福岡県老司古墳を初源とし
在来の堅穴式石室が伝来の横穴式石室の導入に対応したものとされる。

横田下古墳タイプの石室は,奥壁に比して左右両側壁のもち送りが強い長方形プランの玄室を有し
百済の熊津期のものに起源が求められる。

肥後タイプの石室は,四壁をせり出した穹窿状の天井をもつ正方形プランの玄室を有し
百済のシヒ※注4※期の石室が受容されたものと考えられている。

これに対して,畿内の初期横穴式石室は九州と系譜を異にするとされており
その起源を中国の南朝に求めるものと楽浪地域の中国南朝系の石室に求める説とがある。

また,九州などの地域では大型前方後円墳に初期横穴式石室が採用されているのに対し
畿内では中小古墳にのみ認められ,地方によって受容の仕方に差があることが指摘されている。

55 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:18:37
仁徳天皇陵からの出土物は百済のものとそっくりらしい
九州百済圏からの人なんだろうw

56 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:23:07
>>55
ひょっとして江戸時代に出てきたと言うの装飾馬具の事かな?

だったら当たり前の話で馬や馬具は百済・カヤの地から輸入されたんだからw

57 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:36:55
様々な形で残る歴史の痕跡
考古だけでは分からない倭国の範囲

◆◆◆ 筑紫舞 ◆◆◆

肥後の翁      九州
都の翁(筑紫)   九州
出雲の翁      山陰
難波津より上りし翁 関西?
加賀の翁      北陸
尾張の翁      東海
夷の翁       関東?

それでは「難波津より上りし翁」は何か、というと、わたしの想像では、仮説としての解釈では、
初め「大和の翁」とか「難波の翁」とか、ズバリの名前があったと思うのです。
しかしこの筑紫舞が通ってきている年代、天皇家中心(八世紀から現代まで)の時代を通ってきているので、
その間にストレートな呼び方を遠慮して「難波津より上りし翁」といっている。
婉曲に“言い直した”時期があると思います。

「夷の翁」も中・近世の表現であると考えるべきなのです。中・近世で「夷」といいますと関東です。
『徒然草』を読みましても東夷(あずまえびす)という形で出てまいりまして、関東をさしているわけです。

58 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:53:57
夷は、毛の国(群馬+栃木)では?

59 :50:2008/09/21(日) 05:38:30
>>51 九州王朝大好き.◆I.THkUKc4Y

で、一体俺が書いた何が「でたらめ」なのか?

どうにも分からないので教えてもらえるかな?

60 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 23:02:47
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

61 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 10:38:47
九州王朝についてのウィキ風ホームページ
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/wiki.htm#cite_note-21

62 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 15:23:32
ウィキは畿内説論者が書いてるね。
麻生が小沢を評するようなもの。

63 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 16:55:58
これは畿内説論者にじゃまされないように造られたようです。
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/wiki.htm#cite_note-21

64 :のんびりひまじん:2008/09/23(火) 20:03:02
>>61 >>63
ずいぶん客観的。自己客観化ということ大切。
九州王朝説内でも判断が慎重。

はしゃいでばかりいないのは、例の騒動の(反語的)成果なのかしら・・・

65 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:17:59
>>62
九州説は皆古田武彦を崇拝してると思ってるの?
いや、俺自身は大和説だけれども。

66 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 00:19:13
65の問いかけの意味がさっぱり。

67 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 07:04:23
>>66
分かりやすく説明してやろうか。
九州王朝説を批判する=畿内説
畿内説=九州王朝説を批判する
九州説≠畿内説
九州説=九州王朝説を批判しない
お前等の脳味噌にはこういう信仰があるってこと。

68 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 13:04:12
それはお前の妄想でしょ。

69 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 16:56:56
>>68
妄想でないという事は、沢山の古田教信者を見てきてるから分かるんだよ。
彼等は畿内説を激しく糾弾している安本美典も「心の奥底で畿内説を捨てられない」と語る。

70 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 18:39:22
それは信者に言ってくれ、妄想君。

71 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:33:51
俺は>>62に言うたまでで、君等が勝手に食いついてきただけじゃないの。
>>62
九州王朝説を批判する人間は全て畿内論者か?おい。
九州説の側にも君等を批判する人間は一杯居るよ?


72 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:52:42
九州王朝説に対して好んで口汚く罵っている畿内説論者と、
九州王朝説に冷静に反論している他の九州説論者を混同しているのは、逆にお前だけ。

73 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 07:22:39
>>72
ま、自分の派閥だけが美しく見えるのは分からんでもないが…

74 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 15:57:44
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

75 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/30(火) 12:20:05
>>59 :50:2008/09/21(日) 05:38:30
>>51 九州王朝大好き.◆I.THkUKc4Y
で、一体俺が書いた何が「でたらめ」なのか?
どうにも分からないので教えてもらえるかな?

此の頃、メイン回線が、常時的に全板でアク禁になり、長文を書き込めませんでした。
とりあえず書き込みがなかったのは上記理由です。

まだ長文のレスができる状態でないので、僕の見方を述べます。
現在の古墳の編年は、畿内朝廷の見方にのっとて為されております。
現在の古墳の分類と編年は再構築されなければなりません。
再構築された古墳分類と編年は、
6世紀から7世紀と見られる畿内大王クラスの石棺が、
何故阿蘇ピンク石で作られたかへの説明にもなります。

僕の考えている古墳の分類と編年を記述することは、余りにも長文となるので今のところ控えさせていただきます。
編年は、まだ、クリアに纏まってもいないところも多々あります。

76 :50:2008/09/30(火) 16:51:03
>>75 九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y

はあ?

そんだけの文章書くなら自説の概略根拠ぐらい書けるだろうに・・・
結局、有耶無耶かよw

77 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/30(火) 18:58:39
>>76
メイン回線は、又、全板でアク禁になっています。

78 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 21:38:07
春日市のやよいの古墳みてきました

これは九州王朝と関係ありますか?

79 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 03:10:27
九州王朝説って、投馬国はどこに比定するのかな?

80 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 03:46:51
九州王朝説は古代史の中で1番面白いわ。

81 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:25:37
>>80
面白くても、嘘は嘘。
そこらのけじめはきちんとつけよう。

82 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/10/04(土) 07:33:53
年号がうんと出てるからウソではないな。これを捏造という奴がいるが、そんなに全部ウソではなかろう。

83 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 08:45:10
>>82
九州に王朝があったというなら、理解できるね。
しかし、福岡あたりにあったというのは、どうもね。
倭人伝を素直に読めば、もっと南だろう。

84 :のんびりひまじん:2008/10/04(土) 10:17:45
>>75
>僕の考えている古墳の分類と編年を記述することは、余りにも長文となるので今のところ控えさせていただきます。
>編年は、まだ、クリアに纏まってもいないところも多々あります。
九州王朝にも近畿一元にもこだわらない編年を期待。また、日本列島内ばかりでなく、
加羅・百済にも前方後円墳が出ているのは参考にすべきはず。
加羅金官国は532年、大加羅は562年と新羅に帰服した年代が明確。
あてにできない日本書紀だけしかないのとは違う。

85 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 19:25:40
倭国王ってのは、今で言うところの、皇帝なんでしょ?

王の中の王だよね?

86 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 19:32:07
ハクスキノエの戦いで、敗れた後、百済の移民たちは、
九州ではなく、近畿に移り住んだ!!

この意味するところは、
九州王朝説、敗れたりだね

87 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/10/04(土) 19:41:46
そんなのは正否にあまり関係ない。それは九州王朝論者の中でダメ
となる論もあろうが、それが全部ではあるまい。もう年号でキマリ。

88 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/04(土) 20:07:04

ハクスキノエの戦いで、敗れた後、百済の移民たちは、
九州各地だけでなく、近畿にも移り住んだ。そして全国各地へも。

百済の難民移民はそれほど大人数だったようだね。

89 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 21:02:57
で、でも、百済の王族は、近畿に住んだんだよね・・・

90 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/04(土) 21:41:52

唐軍が攻めてきて戦場になるかもしれない北部九州には留まれないからね。


91 :のんびりひまじん:2008/10/04(土) 22:47:16
ウィキペデアは載せたがらないのですが、白村江のとき、すでに
首都:太宰府
副都:難波京    という(複都)説 が存在している。

ついでに私の考えるところを言うと、
首都:太宰府:好戦侵略派
副都:難波京:平和自立派 の分裂から、武装闘争したのが壬申の乱と思う。

上記を知っているので
>>86
>ハクスキノエの戦いで、敗れた後、百済の移民たちは、
>九州ではなく、近畿に移り住んだ!!

>この意味するところは、
>九州王朝説、敗れたりだね


ちかごろの2ちゃんの若い人たちの不勉強ぶりを示す と思う。

92 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 23:11:49
歴史を改竄したのは、藤原不比等だと僕は思っています

93 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/05(日) 00:00:12

百済難民は、白村江戦の主戦部隊ではなく、
兵站部隊に助けられ、来倭したのではないかな?

主戦部隊の筑紫と毛野には百済難民が少なく、
兵站部隊主力の畿内には百済難民が最も多くなる。
あとの百済難民は兵站部隊規模に応じて全国に分散する。


94 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 00:38:11
>>93
三国史記 列伝 金ユ信 の663年の白村江戦闘直後の記述に
新羅文武王の倭人向けの言葉として、
昔は海を隔てて友好関係にあった。なんで百済の味方してわが国に仇をするのか!
今、お前たちの命はわが掌握にある。殺すに忍びない。帰ってお前らの王に伝えよ。
そして、去り行くにまかせた。      とある(※)。

守大石、阿部比羅夫たちは帰還。百済遺臣たちも連れてきた。新羅に捕虜された話が日本書紀に見えない!
対照的に、唐に捕虜された悲惨の話はぞろぞろ出ている。サチヤマなんてと思います。

※実に重要なことと考える。こののち1300年以上の日本列島と朝鮮半島の国家関係は
このとき、この新羅王の呼びかけから始まった。相互尊重と不可侵!!
そして、日本列島と朝鮮半島と、それぞれ統一政府ができた。( >>91も参考に)
         

95 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 03:41:54
>>94
朝鮮人は世界一の愚か者だな。

96 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 04:05:06
663年に、朝鮮民族だの朝鮮人なんて、まだ存在していないわけだが

97 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 07:10:40
>>82
>そんなに全部〜
嘘も多いのか?その口調からすると。

98 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 08:05:13
>>95 >>96
白村江合戦の新羅指揮官の 金ユ信 とは、532年に倭の支配を離脱した加羅金官王の4代孫。
金官王族は新羅の中央貴族に仲間入りし、新羅王族と通婚を繰り返すという、高待遇された異色の存在。
>>94 に示した新羅王の言葉は三国史記 新羅本紀 文武王 の条に存在しないことは 金ユ信の
代々の思想と見るべきでしょう。つまり、532年、日本列島を裏切ったとき以来 代々の思想。
実に、日本と朝鮮とが海を自然国境として分立・相互不可侵する国家関係の基礎が、
まさに663年の白村江合戦で出来上がった。
その思想の推進者は、かつて倭の支配下の、加羅の王家出身者。
                      〜いったんここまで

99 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 08:40:39
つか普通に考えたら九州王朝はあっただろうな
戦国時代でも後半になってやっと加藤清正が熊本を鎮圧してるし
その後も薩摩島津は半独立状態だし
ましてや古代日本だぜ
九州全部が今の日本とは異質な空間であったと考えてもおかしくない
つまりそれが倭と呼ばれた地域

100 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 09:22:18
>>92
>歴史を改竄したのは、藤原不比等だと僕は思っています

720年5月に日本書紀成立、8月藤原不比等死 から見て、
不比等が日本書紀を大局指示し、その成立を、自分の生きているうちにと
急がせたフシはある。
日本書紀は、不調和乱雑(津田左右吉)、粗雑な編者(池田定道)という評価。

2ちゃん風の表現したら
日本書紀=おなぴ君    

支離滅裂のとんちんかんで何のことか分からない記述が目立つ。

(これ以上は別スレに書こう。ここまで)



101 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 16:38:06
大きな墓は、イワイの墓だけだよね

前方後円墳が流行った頃には、大きなものを作れる勢力がなかったということですね

102 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 16:41:50
巨大古墳を作る習慣がないだけでしょ。
アレキサンダー大王やジンギスカンの巨大墓も無いようだし。

103 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/05(日) 17:17:07
>>101
九州は中小勢力の集合連合体であり続けた。

特に権力を集中できたのは、倭武、倭ワイ、多利思北孤と薩耶麻だけかな?


104 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 18:10:34
>>94
>サチヤマなんてと思います。

>>103
>薩耶麻

さて、九州年号の白鳳は23年間(661〜683)であった。年号というものの性格から
この白鳳時代に九州王朝の天皇が一人存在したと考えるのが九州王朝説。
この白鳳時代のものとする金石文があります。 http://www5.ocn.ne.jp/~asukahis/mirokubosatu.html

金石文面からは、666年に、中宮天皇が(重い)病気になったと読めます。
(この中宮天皇なら日本列島を代表する天皇にふさわしい と考えます。)

歴史上初めて日本列島の軍隊が大敗したのが、3年前の白村江合戦。
エチの田来津は戦死。上毛野のワクゴ行方不明。その他死者行方不明数知れず。
新羅が捕虜=人質を取らなかったので帰国者から敗戦の実態が分かった。
戦勝の唐から使者がやって来た。こちらには捕虜=人質多数・・・

敗戦への、自分の責任に苦しんで病気になるのが天皇にふさわしい。
(近畿王朝の天智天皇は日本書紀では平気にしている。)

さて、この中宮天皇は、薩耶麻サチヤマ さんと同時代人です。  いかが、お考えでしょうか?

     〜せっかくみながレスし始めてるのに(お呼びでないようで、こらまた失礼)

105 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 18:18:17
57年に金印でしょ
ヒミコが350年ごろだっけ

まあ、それだけ時間が経てば、九州から近畿に権力が移ったと考えても
おかしくないよね

106 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 18:41:33
>>105 落第オナピか

倭王の苦労みな粉ゴナ・・・57
文はこ(フミハコ)こに卑弥呼より・・・238(9)  でしょ。 おなぴ君へ

107 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/05(日) 18:43:04
>>104
中宮天皇さんは九州王朝の兄王。
サチヤマさんは九州王朝の弟王。
兄王=天皇
弟王=法皇 時代が下がれば天皇に対しての征夷将軍と同じ立場。
倭武・倭ワイ・多利思北孤・薩耶麻は弟王。

108 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/05(日) 18:52:32
>>104
天智も天武も畿内地区の弟王。
天武は晩年には倭(日本)のNo1弟王にもなった。

109 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 19:10:18
>>106
200年経過してるから、九州から近畿の勢力に
権力を奪われたとしてもおかしくないよね

110 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 19:33:28
>>109 倭面土国王が107年・・・どうします?

権力中心の移動とか、
王朝交代とか、      周辺諸国にとって重大事件で無関心なはずがない。

極東諸国で金印もらったのは倭国だけということは重要。

(古代史の最大のトンデモ説は、キバ民族説。安易な認識そのもの。
  百済や新羅など周辺諸国から王族の人質取るほどの侵略的大国の動静は重大。)

111 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 19:41:05
>>108
あんたは、アホですか?馬鹿ですか?間抜けですか?それとも愚か者ですか?

112 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/05(日) 20:59:11
>>111
あんたよりは、まだまし。   硬脳でない分だけ。

113 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 21:15:27
>>108 
>天智も天武も畿内地区の弟王。
>天武は晩年には倭(日本)のNo1弟王にもなった。
九州王朝滅亡直前の事情は、ほぼそういうことでしょう。

>>111
大化の改新は、日本書紀成立(720)から見ると現代史。
それの実施状況が疑われているという深刻さを感じ取れませんか?

問題は、日本書紀。
九州王朝抹消の歴史書なのだが、それにしても
どうしてこうもトンマな抹消のやり方なのかということ。

大化白雉朱鳥の三年号は九州年号です。先在する別の王朝がミエミエ。
今、まじめな文献学者たちが、気付き始めて、口が重くなっているというか、
九州王朝に触れずに済む狭い分野研究だけしか見られない。

>>92
>歴史を改竄したのは、藤原不比等だと僕は思っています
私も、藤原不比等のせいで日本書紀がこのように書かれたと思います。
でも、関与の方向については自信ありません。
九州王朝をかくすのを、わざと間抜けにした、内部告発傾向の執筆者が
存在したかのように思いますので。

114 :のんびりひまじん:2008/10/05(日) 21:34:17
>あんたは、アホですか?馬鹿ですか?間抜けですか?それとも愚か者ですか?
このコトバは日本書紀の執筆者たちに向けましょう。

抹消したい九州王朝と九州年号なのに、自分たちの年号がなかった時期に
九州年号を、トビトビに採用して、廃止について何も説明しない。
九州王朝説を無視したい学者たちにとっても、
日本書紀執筆者は、なんでこんなんだろうと不思議なのです。

日本書紀の執筆者たちは
アホですか?馬鹿ですか?間抜けですか?それとも愚か者ですか?

               〜クドくてどうもすいませーん

115 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 22:22:03
箸墓古墳は、天皇陵に指定されてるの?

詳しい発掘調査はされてない?

116 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 00:33:08
>>113
>九州王朝抹消の歴史書なのだが、それにしてもどうしてこうもトンマな抹消のやり方なのかということ。
間違った読み方するからそんな気になるのさ。

117 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 06:46:06
九州王国はあったが九州王朝はない。
出雲王国はあったが出雲王朝はない。
日本各地に○○王国はあったが、ドイツみたいに、その各国が
交替で王位に就くなんてことは、ついぞこの国にはなかった。
ので、○○王朝はない。

118 :のんびりひまじん:2008/10/06(月) 07:19:50
日本書紀の事実は( >>114 )
>抹消したい九州王朝と九州年号なのに、自分たちの年号がなかった時期に
>九州年号を、トビトビに採用して、廃止について何も説明しない。
ということです。
>>116
>間違った読み方するからそんな気になるのさ。

トンマな九州王朝抹消が九州年号のトビトビ採用に見えませんか?
借り物年号ということが見えませんか?
専門の文献学者たちが説明に困っていることが分かりませんか?


〜(うっかりの)トンマでなくて、故意のトンマ=内部告発 という説を保留しますが・・・

119 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 21:06:03
九州王朝のさきがけは、壱岐の原の辻遺跡だと思ってます

120 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:05:51
書け!書くんだ!祭器場!

121 :日本@名無史さん:2008/10/06(月) 23:49:58
年代偽装の畿内説は、すでに断末魔か。

122 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/07(火) 00:07:06
>>119
同意

イキ:一大國・・・一支國・・・壱支國(壱岐)・・・壹支國→→→(海)一基国・・・一城国
ヤマイ:邪馬一國・・・邪馬壱國・・・邪馬壹國→→→山一国
イキソツ:「一大率」は「一支率」で「一基率」のこと。

と思います。


123 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 07:41:23
畿内大和説による年代繰上げか、
北九州筑紫説による年代繰下げか、どっちかな?

124 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 19:52:02
まず、壱岐の原の辻遺跡に稲作が伝わる
それから、前原
それから、福岡平野
それから、筑後平野

それから、南は熊本とか、北は岡山とか出雲とか近畿とか関東に
で、OKかなぁ?

125 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 21:07:49
・あの武富士が悪質業者の紹介をしています。
・この武富士の手口こそ悪質業者の使う手口です。
・熊田曜子風の美女が体ごと押し貸しして来たらどうしますか・・・

090金融
 「ブラック融資確実」「多重債務の方、即日融資可」など、派手な文言と「090」
 で始まる携帯電話の番号しか記載せず、正体を明かさない新手の業者。
 摘発が非常に難しい。
 厳しい取立てで、顧客を追い込む。本当に悪質です。

 あと、紹介屋や整理屋などの悪質業者がいますので本当に注意してください。

http://blog.zaq.ne.jp/abcdefghi/

126 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 20:17:25

じゃあ、ヒミコの墓はどこなんですか!

127 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 07:21:59
まず箸墓が卑弥呼の墓かそうでないのか、
せめて調べさせろ、宮内庁!

128 :サガミハラハラ:2008/10/12(日) 09:54:58
>>126卑弥呼の墓は佐賀県小城市小城公園内の桜ケ岡(サクラオカ)がそうです。

129 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 10:36:55
卑弥呼の墓は讃岐富士です。

130 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 11:51:34
>>107中宮天皇さんは九州王朝の兄王。

で、白村江から大宝元年までの権力交代の過程で。その中宮天皇はどうなった?
俺は、それは伊勢王であって、近畿に連れてこられていたが、法隆寺炎上で
焼殺されたって仮説(ダレの仮説だったが忘れた)が、気に入ってる。

131 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/10/12(日) 19:14:58
>>130
中宮天皇は白鳳23年(683年)に死亡若しくは退位した。
それが殺されたことを意味するのかどうかはわからない。
暗殺であるなら日本書紀にも何かが書かれているはず。
その様な記事は知らない。

132 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 22:36:43

なんか読んだらいいってホンありますか?

133 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 00:30:04
>>118
>トンマな九州王朝抹消が九州年号のトビトビ採用に見えませんか?
九州王朝抹消という前提に問題があるんでは?


134 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 00:34:11
>>128
証拠は?

135 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 02:25:30
>>128
卑弥呼の墓は、地図のどこですか?
http://www.sagasubanta.com/sagayoyo/yokatoko/ogi/ogi_park/

136 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 05:47:47
兄のヤイが九州を、弟のヌナカワが大和を、父の神武から与えられた。
九州が兄国、大和が弟国。ヤイの子孫は阿蘇国造。九州国の首都。

137 :のんびりひまじん:2008/10/13(月) 06:58:37
>>132
山田武雄さんの 日本古代史研究整理(1992千秋社)が良ろしい。ただし内容豊富で、読みにくい。

>>133
九州王朝説=九州王朝(=倭奴国、邪馬台国、五王の倭)が日本書紀で抹消されたと考える仮説 です。

まず、日本書紀は信頼できる史料でしょうか?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/
自分の視点が狂っていないか自分で点検されませ。

138 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 07:13:50
『日本書紀』は別に抹消した訳じゃないよ。マジでわかんなかったん
だよ。もう300年以上も前のことなんてマジでわかんなかったんだ
よ。ただ何となく自分たちの先祖は九州のほうから来たって事だけは
何となく伝わってて、それが神武東征伝説。

139 :サガミハラハラ:2008/10/13(月) 08:43:26
>>135小城公園の地図の上部の緑の部分が全部そうです。150m以上ですからかなりでかいですよ。ほかの人の古墳(茶筅塚古墳)や神社もあるくらいですから。

>>134証拠は魏志倭人伝です。行程記事に従って邪馬台国の都にたどりついた先が小城です。そしてそこに、記述どおりの丘があれば、それが卑弥呼の墓と断定してよいでしょう。
私の方法の従来の説との違いは、あらかじめ検討をつけておいて探したのではなく、(たとえば自分の故郷におおきな岡があるので卑弥呼の墓だとして邪馬台国を論じる等)記事にしたがって、たどり着き、
そこに該当する物があったということです。

140 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 17:28:59
>>138
そりゃ違う。分家が本家を称したときの偽装が、本家隠蔽になっている筋書き。

141 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 22:15:33
グーグル研究者の人、頑張っているみたいですね。

本当に、最近は、どこにも出かけないでインターネット検索で
資料を集めて、フィールドワークの代わりにグーグルアースで
済ませてしまう引きこもり研究者ばかりが増えて困ってしまい
ますよ。

142 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 22:31:33
>>141
あのね、色々な所を巡る暇も金も無い人間に
どうやってフィールドワークをしろと言うの?
現地調査が出来ない場合にネットを活用するのは常識。

143 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 22:53:30
>>142引きこもり古代史研究家キター

144 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 13:12:39
>>139
倭人伝をどのように読んだら小城へたどりつくのかな?

145 :サガミハラハラ:2008/10/14(火) 14:11:19
当スレの邪馬台国はどこだ小城甘木説をご覧ください。

146 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:12:52
小城甘木でどの辺なの?

147 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:19:35
わかった。合併してたんだね。

148 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:34:12
ずっと悩んでるんだけどね、『郡』ぐん、こおり、こおりの語源ってなんなんですかね?

149 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:39:02
『評』は、はかり、と訓むのではないかと思っているんですが。『郡』こおり、『評』はかり、稲荷のりではないかと。

150 :サガミハラハラ:2008/10/14(火) 17:29:40
>>146 九州王朝はなかったのか?の>>135のレスをご覧ください。

151 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 17:43:11
>>150
はいはいわかったからクレイジーケンバンドスレに戻りなさい。イイネ!

152 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:48:13
>>150 ありがとうございます。携帯なので見れない部分もありましたが。
旧小城郡辺りで、遺跡出たら、ヒミコとの関連も解明されるでしょうね。

153 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:49:08
グーグルの地形図は役に立ちますね。
長崎自動車道路わきに数百メートルもある古墳跡を見つけました。

http://maps.google.co.jp/maps?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GGIH_jaJP245JP247&q=%E5%B0%8F%E5%9F%8E%E5%85%AC%E5%9C%92&um=1&sa=N&tab=wl


154 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 21:11:59
>>153
サガミハラさんの自演?

155 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 21:36:19
「稲荷」が「祈り」と同義だと気づけば、
「磐井」は「祝い」、
「白瀬」は「知らせ」、
「松浦」は「祭る」、
「韃靼(タタール)」は「祟る」・・
といった各民族の持つ宗教的な特徴が、
日本語の基礎語に転じていったことが理解できると思います。

156 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 00:10:00
>>155
> 「稲荷」が「祈り」と同義だと気づけば、
> 「磐井」は「祝い」、
> 「白瀬」は「知らせ」、
> 「松浦」は「祭る」、
> 「韃靼(タタール)」は「祟る」・・

なるほど。では 「女陰突く」は「嫁ぐ」。
「呼ばう」は「夜這う」
まだまだあるぞ。さあ!みんな続け!1000迄繋げよう!

157 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 00:22:01
「誰そ彼?」は黄昏

158 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 15:02:09
稲荷は新語っぽいよね。「り」が原始的だよ。

159 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 16:24:46
九州王朝はなかったのか?
『なかった!』
以上、結論が出たのでこのスレ終了。

160 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 21:18:46
ところで、石神遺跡から出た万葉木簡は九州から持ち込まれたものですか?


161 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:54:27
九州王朝はなかったのか?
畿内にはなかったが、九州には王朝があって、
九州王朝の天武が畿内を併合した。
以上、結論が出たのでこのスレ終了。

162 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 00:16:04
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

163 :のんびりひまじん:2008/10/19(日) 09:19:24
>>100
>2ちゃん風の表現したら 日本書紀=おなぴ君
>支離滅裂のとんちんかんで何のことか分からない記述が目立つ。
>これ以上は別スレに書こう。

その別スレを紹介します。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207340005/189-


164 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 23:05:46
時々見てますが、相変わらずですね。

165 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 23:13:41
親魏倭王の印象が親魏委王だったりしたら笑うんだが

166 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 16:47:03
間違いなく親魏倭王です。
『宣和集古印文』に拓本があるそうです。

167 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 12:43:00
うん、でも『宣和集古印史偽書説はかなり有力だと思うんだ

168 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/10/23(木) 17:32:32
沖縄には琉球王朝があり
九州にはクマソ王朝があったんじゃないの?

169 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 00:55:55
なぜ焚書したんだと思いまつか?

170 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 21:00:51
干ばつ続きで凶作の上に、乾燥しきった山は山火事で残らず焼けて
冬を越すための薪どころは飯を炊く焚き木にも事欠いた。
生きるためには仕方がなかったんだよ。道端の雑草でも
人間も食ったしな。


171 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:31:29
>>169
天皇が天孫の皇統であることだけ残して、倭の五王・アマタリシホコ・サチヤマなどの王統を排除し、
九州王朝系天武らが、一時的に畿内王権を占領した事実を隠蔽し、畿内土着の天智系の男子皇統を
万世一系風に捏造するため。


172 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:40:22
「九州王朝はなかったのか?」
『なかった!』
以上、このスレは終了。

173 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 13:52:16
四国には無かったが、九州と畿内に九州王朝があった。
以下、開始!!

174 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:55:41
盛んに焚書した事実からは別王朝があったと考えるのが自然

175 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:16:28
>>174
でも大和朝廷の事とされていたことがその王朝の事であったかどうかは
別問題

176 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:27:11
畿内より圧倒的な物量が出土するのは北部九州だけなのに、九州以外にどこがあるの?

177 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:32:17
弥生限定だけどな。

178 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 00:38:36
宇佐八幡の土台ほりくりかえしてみてぇな〜焚書しそこねたなん
かが出てくるんじゃないかなー掘りてーなー

179 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 08:50:00
>>178
遠くからトンネルでも掘っていったらどうだ?


180 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 09:03:59
大分トリニータ ナビスコ杯初制覇。
まさに神武東遷以来の快挙ですね。

181 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:44:49
邪馬台国から見える場所で、佐賀バルーンフェスタ2008

182 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 10:21:57
なんか田舎臭いなぁ。大分県人と佐賀県人がいるから田舎臭いんだ。

183 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 23:25:20
古都って、ふつう田舎だよ。
越も出雲も田舎。

184 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:37:28
九州王朝説は価値のないフィクションだ。

185 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:39:07
畿内一元史観こそ、最大のお笑い妄想

186 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 10:48:25
>>185
九州王朝説の人はオチャメですね。吉本新喜劇みたいです。
九州王朝説の人にハリセンを一発食らわせたら良い音が出るでしょう。

187 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 11:02:06
熊本で百済仏出たそうじゃないですか。

188 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/04(火) 11:35:00
>>185
畿内一元歴史も九州発祥説もどっちもアホだよ
あと初代の「てんのう」は「牛頭天王(ごずてんのう)」だよ
天皇は「あますらさずのみこと」とか言う意味で「天王の子(血統子孫)」って意味だよ


だから牛頭天王(天高原を納めたスサノオ)の血統子孫であるイワレビコもニギハヤヒもウガヤも山幸彦も天王の子である天子であり天孫なんだよ


九州発祥説の人はイワレビコ(神武天皇)を日本神話の始まりと解釈してるけど、別にイワレビコ以前から既に日本は天王(天皇)が納める日本だっての

そもそも天王(てんのう)ってのは「天高原(今の信州、諏訪)を納める王」の意味だよ
天皇はその血統子孫の意味だよ


ようは物部氏の事だよ

189 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 12:38:24
美濃もん太って、学問にまったく向かないから、別な板に池

190 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/04(火) 13:09:31
>>189
歴史は学問じゃないよ

けど日本は歴史がある国だから日本の歴史は面白いよ^^
ただその歴史書や文献や伝承が間違った解釈がされてるのが残念すよ


191 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 13:54:09
学問に全く不向きな人格たる告白、乙

192 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 13:58:32
掘りまくって金印ゲットするんだ!サクッとな

193 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 14:32:13
>>190
ここに居ればいいよ。ここは学問とかとは無縁だから。

194 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 14:47:08
>>190
「歴史学」を知らんのか?

195 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/04(火) 15:15:20
>>194
その「歴史学」とやらで作られた歴史は間違ってるって言いたいんですけど?

196 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:45:27
その一言一句が、学問とは無縁の美濃もん太

197 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/04(火) 20:25:26
近代の日本の歴史学問なんて嘘だらけだし
そら歴史学問なんて否定もするさ
明治政府が作った歴史解釈もあんなの嘘だし
戦後の自虐的な歴史認識なんて更にクソだし

期記であり古史古伝に書かれてるのが日本の歴史であり日本民族の血統の歴史すよ


198 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:10:21
学問板にはありえない美濃もん太が、今日も意味不明な言動

199 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 23:11:42
>>197
「自虐史観!自虐史観!」と騒ぎ立てる人々の思想が正しいとすると、
アメリカが原爆投下を正当化するのも正当化される気がする。

200 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:39:16
で、九州王朝はあったの? なかったの?

201 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:45:18
「九州王朝は、なかったのか?」『なかった!』以上このスレ終了。

202 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:58:41
このスレッドは結論が出たので、もう書けません。

203 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:00:38
しかし九州にはしっかりあった。
以下再開!

204 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:18:28
あった、漢倭那国王の時代は確実、金印が証拠

205 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:22:08
>>204
倭面土国の時代はどうだったろうか。
…まあ、邪馬台国の時代には大和に移ったが。

206 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 09:57:54
邪馬台国東遷はありませんでした。
九州王朝東遷も東征もありません。

207 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:33:17
近畿地方は未開のままだったとか?

208 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:01:03
面土国はどこだと思う?

209 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/08(土) 11:28:22

面土國の城郭は吉野ヶ里遺跡

210 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/08(土) 12:09:04
キーワード
@倭面土國帥升
A筑紫米多國
B地名  米多
C地名  目達原
D伊都國・・・世有王皆統屬女王國 

211 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:16:31
弥生時代末期、九州には人食い人種の熊襲が住んでいたとか。

212 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:51:11
人食い伝説は、朝廷に逆らって多賀城を焼き払ったことで有名な蝦夷(エミシ)の
悪路王こと伊治公砦麻呂( いじのきみあざまろ) にもあります。食糧が不足すると
村を襲って住民を鍋にして食っていた。だから蝦夷は強かったとか。

213 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/08(土) 21:14:45
>>212
>食糧が不足すると村を襲って住民を鍋にして食っていた。

この様な発想があることは、大和朝廷でも同様の状況で食人があったと見做せる。

シナ人曰く、「日本軍が南京に攻めてきて、日本軍が通り去った後、犬が一匹もいなくなった。」
シナ人は犬を食うからこその発想。日本人には食犬の習慣がないのに。


214 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:03:42
倭国大乱後、大和国及び周辺国に擁立された卑弥呼が九州征伐軍を編成、
九州に侵攻し奴国の王を志賀島に追い詰める。窮地になった奴国の王は
金印を志賀島に放棄し征伐軍に殺された。これが九州諸国に王がいない理由だ。

215 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:13:22
なんで本州から攻めて玄海灘に追い詰められなきゃいかんの?
有明海ならともかく

216 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:14:35
おいおい本家筋を征伐する分家(畿内)があるわけなかろう
何百年後でも宇佐に宣託を仰いでるんだよ
那国を征伐したのは菊池彦勢力ならありうる
畿内が北九州を攻めた事は歴史上一度も無い。

217 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:24:52
卑弥呼が畿内の女王なら、王宮も宮殿もなく、鉄器すらない野蛮人になっちゃうよ。

218 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:45:03
九州北部を平定した大和国及び周辺諸国で編成された卑弥呼の九州征伐軍は
さらに南下し女首長の田油津媛を討ち取った。そして前線基地を設置した。
その場所は大分県日田市にある小迫辻原遺跡である。

219 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:49:10

邪馬台国に攻め込む邪馬台国軍、卑弥呼が卑弥呼を討ち取るのか?

220 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:57:25
実際に邪馬台国ならなかったなあ。陳寿が自ら認めてるもんなあ。
チャンコロの言うのは無いよね。無いからあるって言うんだろう。
うん、卑しい奴ほど見栄張るじゃん。そうだな、嘘吐きメンタリティーだもんな、チャンコロ。
そうすると、チャンコロ自身もないんだな。
そうだ、ある=ない だからな。チャンコロっていう動物がいるのか。
人間の仕事についていけず、首になるやつな。毒とかも入れるらしいよ。
チャンコロのいる兌の方では子供のミルクにまではいってるんだって。
いないほうがいいなあ・・・。 だからいないんだって、実際は。


221 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:03:05
なんで畿内説の奴が半島式にファビョるんだ?


222 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:55:00
銅鐸で戦ったのか?畿内の卑弥呼は??

223 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:47:54
畿内の土着民はサヌカイトと木器で戦闘!

224 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:28:15
邪馬台国九州説の人が言った。「聖教新聞とってくれ。」サイテェ〜〜〜ッ!

225 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 03:05:10
それは「橿原学会」の新聞でしょ

226 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 22:51:17
大昔の主流派考古学者(梅原末治・小林行雄・田辺昭三等)
・大昔から大和がずっと先進地域だった。大きな石鏃がその証拠だ。筑紫は野蛮国。

今の九州王朝論者(古田武彦等)
・7世紀までずっと筑紫が先進地域だった。年号がその証拠だ。大和は野蛮国。

自分が言われたことを相手に言い返しても何の意味もないんだよ?

227 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 23:52:53
っていうか、弥生期の出土物によれば、畿内は極貧地域、九州は鉄も絹もある。

228 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:30:46
>>227

> っていうか、弥生期の出土物によれば、畿内は極貧地域、九州は鉄も絹もある。

よかった。よかったね。そう弥生時代には九州にあったよね。
云わなくても、皆知ってるよ。 お・や・す・み o(^-^)o

229 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:36:46
九州には中平年銘環頭大刀のような年号のわかる鉄刀がない。
九州には日本国産の絹織物倭文がない。

230 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 02:39:33
畿内には九州から移築した法隆寺や釈迦三尊像がある。
九州には倭錦も中国錦もあって、ほぼゼロの畿内とは対照的。

231 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 10:26:09
観世音寺と法隆寺では伽藍配置が違うんだけどね。

232 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 14:11:26
移転のとき移転先が狭かったから、配置変えただけなんだけどね。

233 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 15:55:19
>>230
これは世界文化遺産に対する暴涜だ。九州は世界文化遺産がない後進地域だ。

234 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 17:58:52
>>227
そうだね。弥生時代の大部分に渡って九州が先進地域だったね。
…そう、確か倭面土国が記録に残されている上での
九州の最後の輝きだったかな…

235 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 09:00:44
観世音寺では金堂と塔が向かい合わせに建てられているが、
法隆寺では横並びに南を向いて建てられている。

236 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 05:02:28
邪馬台国は松本にあった。
剣岳は卑弥呼の墓。
讃岐富士はレプリカかもしれない。

http://www.shinmai.co.jp/news-image/KT081113FSI0900020000221.jpg


237 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:04:18
岩戸山古墳見てきました

イワイ一族の、集合墓地でした

気になったのが、「邸宅?」はどこにあるのかなぁと思った。
発掘されてるのかな

238 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:49:00
上げます

239 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/16(日) 06:28:14
>>237
宮地嶽古墳も一族の墓の集合地にあります。
でも多利思北孤の邸宅は大宰府です。

240 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/16(日) 08:15:54
基本的に古代の九州地方の呼び名を「九州」って呼び方しない方が良いよ

古代の呼び名→筑紫、肥国、大隈国、熊曾国、隼人国など、、


つかまず九州じゃなく「筑紫」って呼び方した方が良いよ


何でかって言うと、古代では「九州」って地名は今の中国大陸の名前なんすよ

例えば古い文献に「九州の王が」って書いてあれば、それは「大陸の王が」って意味ですよ
大陸の米を「九州米」って呼ぶのもその為なんだよ

241 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:33:13
>>239
太宰府政庁が邸宅?
で、八女のあそこが一族の墓?

遠すぎるように思う、
現代でもお墓参りは、一年に度は行くものだから
もっと近くにあったんじゃないのかな?

242 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/16(日) 09:03:08
>>241
イワイの頃の都は久留米です。
だからイワイの邸宅は久留米です。

イワイが物部軍に負けたのも久留米の北方郊外。
墓地は久留米を挟んで戦場の反対側。


243 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 10:52:41
>>242
その遺構は出土してますでしょうか?

高良神社あたりでしょうか?

244 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/16(日) 11:43:49
>>243
遺構は、既に発掘されて破壊されているか、
古代の遺跡として誤認定されているかも知れません。例えば筑後庁址とか。
又、未だ発掘されていないのかもしれません。

場所は久留米市街地東部から高良大社の南西方面と推定します。
都から三潴へ官人が行楽で日帰りできる距離です。

245 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:31:28
イワイ一族って、奈良時代にはどうなったの?

246 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:51:49
>>245関東に逃れたものは桓武平氏を名乗った。
    なんと、今日、11月16日、茨城県坂東市岩井で将門祭りが行われています。

247 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 16:36:01
イワイ一族なんですが、イワイの乱では、名前は出てないし、
息子の名前は、葛子とわかってるのに
その後、ハクスキノエで唐に捕虜になった薩夜麻ぐらいしか
知りません。

詳しい人、よろしくお願いします

248 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:37:24
倭王は磐井の先祖と考えてよろしいでしょうか?

249 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/18(火) 04:52:31
>>248
血縁関係はないと見た方がよいでしょう。
磐井の最初の年号は「継体」ですから、
仮に倭武と磐井に血縁関係があったとしても、
政体を継いだことに重点が置かれています。

250 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:33:25
磐井一族は、いつ滅亡したのですか?

251 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:40:38
平将門は磐井の子孫。
将門は首を切られてその子孫は残らなかったけれど、
将門の叔父 ・平良文の系統はその子孫で千葉氏として妙見信仰で有名。
妙見信仰といえば、宮崎縣北諸縣郡都城町付近の北斗信仰に繋がる。



252 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/19(水) 12:11:57
>>250
磐井一族は磐井の乱後直ぐに滅亡したのではありません。
九州王朝の滅亡と共に滅亡したものと思われます。

倭の五王「武」が「倭武」であるように、「磐井」は「倭ワイ」(イワイ)です。
九州王朝は伝統的に、兄弟王による統治体制です。
磐井が死んだと見られる528年には、九州年号の改元がありません。
これは、磐井が九州王朝のトップではなく弟王であることを示しています。
(弟王は中近世の天皇に対しての征夷将軍に似た立場。兄王は天皇に相当)

磐井の乱の戦後処理で、糟屋の屯倉の大和朝廷への献上と
葛子の死罪がなかったことは、磐井の乱が大和朝廷の勝利ではなく、
遠賀川流域の勢力が福岡平野まで勢力を伸ばしたものと見られます。
すなわち、遠賀川流域勢力の磐井に対する反乱と見られます。
玄界灘の制海権を持つ勢力が磐井政権の半島経営政策の負担に耐え切れず反乱を起こした。

とりあえず此処まで。


253 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/19(水) 13:09:26
続き

磐井の乱後、九州年号に際立った改元がみられませんが、
558年には「兄弟」への改元があります。
これは九州本来の兄弟王政治に復古したことを示しています。
倭5王以来の弟王への権力偏向を是正し、兄王の権力回復を意味します。
磐井の乱後、九州王朝内の弟王をめぐる政治的混乱が収束したのです。
この期間に磐井一族は筑紫君葛子から八女君○○に勢力後退をしたものと思います。
元号「兄弟」から勢力を拡張してきたのは、
遠賀川流域で玄界灘制海権を持つ勢力(磐井乱の勝者)です。
その頂点に立つ人物こそ多利思北孤上宮法皇です。

以上は、僕の意見であって、一般的なものではありません。

254 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/19(水) 13:17:16
補足
九州においては有力豪族は○○君と呼ばれており、多数の○○君がいました。
これに対して、大和朝廷では「君」と呼ばれるのは天皇のみです。


255 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 19:50:07
九州王朝への流れとしては、
原の辻→前原→春日→太宰府→朝倉・吉野ヶ里→久留米・八女
と考えてよろしいでしょうか?


256 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:51:20
平将門は磐井の子孫。
将門は首を切られてその子孫は残らなかったけれど、
将門の叔父 ・平良文の系統はその子孫で千葉氏として妙見信仰で有名。
妙見信仰といえば、宮崎縣北諸縣郡都城町付近の北斗信仰に繋がる。


257 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/19(水) 23:48:56
>>255
倭の都の位置は以下の様に考えています。

原の辻→前原・春日(委奴國)→吉野ヶ里(帥升)→久留米(卑彌呼〜多利思北孤)→大宰府(多利思北孤〜)

魏使が末盧國に上陸したのは、
旧々勢力がいる前原・春日の通過を避けて、
久留米に行かなければならないからです。



258 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 01:22:07
邪馬台国の都は以下の様に決定しました。
末盧国(唐津市)→伊都国(前原市)→奴国(福岡市)→不弥国(北九州市)
→水行20日→投馬国(米子市)→水行10日→丹後国(京丹後市)→
陸行1月→邪馬台国の都である纒向(桜井市)に到着する。

259 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 20:35:50
>>258
丹後から、桜井まで、一ヶ月もかからないだろう

260 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:08:18
>>258そういう行程なら、
邪馬台国は畿内ではなくて、諏訪盆地あたりだったとするほうが妥当性があると思う。

261 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 21:33:54
やはり、瀬戸内海は海賊に支配されていて通れないので、
八幡浜から上陸して陸路、松山平野から讃岐平野へ進むコースだった
のでないでしょうか?鳴門海峡、紀淡海峡は船で渡るとしても
総じて陸路という表現で問題ないと思います。



262 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:05:08
>>258
そもそも日本海ルートの場合なら
「南水行十日西陸行一月」(90度の方角のズレが存在する場合)
てな具合に書かれないと。

263 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 00:22:04
>>258
唐津から東南陸行でどうして前原へ行くのか?
北九州から南至投馬国水行二十日がどうして米子なのか?米子は北九州から北東だよ。

>>261
四国説? 方向はどうするのかな?

264 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:49:01
>>257
どうしてそんなに都が動いてるの?

265 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:11:06
古代の都とは、神輿に乗って移動するものでした。
都が固定式になって宮になったのは、奈良時代くらいになってからではないでしょうか?

266 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/22(土) 10:37:28
>>264
>>265
都は動くものです。
九州年号に「定居」611年があるから、
都が固定したは、それからでしょう。
都移動の痕跡は伊勢神宮内宮の20年に1度の遷宮として残っていますね。

都が大きく移動したのは権力者の入れ替わり又は移動です。
「原の辻→前原・春日(委奴國)」の移動はニニギノミコトでしょう。
「前原・春日(委奴國)→吉野ヶ里(帥升)」は、倭面土(米多)國王帥升への権力移動。
「吉野ヶ里(帥升)→久留米(卑彌呼〜多利思北孤)」は、共立による権力移動。
「久留米(卑彌呼〜多利思北孤)→大宰府(多利思北孤〜)」は多利思北孤の遷都。

267 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:12:42
>>266
みんな血のつながりは、あるのでしょうか?


268 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:34:58
九州王朝はなかったのか?
「なかった!」黒柳徹子。

269 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:09:57
考古学界の麻原彰晃=寺澤薫のイラストで、纏向=邪馬台国の首都説が、バ〜ンと結論付けられていたなw

270 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 06:16:16
>>266
原の辻→前原・春日→吉野ヶ里→久留米→大宰府。
これは邪馬台国の卑弥呼の九州征伐軍に追撃された九州王賊の逃亡ルートです。

271 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/23(日) 12:38:02
>>267
九州の王(弟王)は九州各地(北部九州)の豪族の一人ですから血縁関係はありません。

ここで兄王として漢籍に残っているのは、
女王國王卑彌呼、更立男王、壹與、狗奴國王卑彌弓呼と伊都國王だけです。
彼らには宗教的つながりはあるでしょうが、生物学的血縁関係はないでしょう。


272 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 12:45:58
ええっ?神武天皇以来の男子一系ではないの?


273 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/23(日) 13:18:13
>>272
畿内天皇が、神武天皇以来の男子一系ではないのは、畿内説からみても常識でしょう。
九州王朝説から見ると、7世紀までの畿内天皇は弟王になります。

274 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:53:51
政権を担う豪族が変わっても、天皇の直系の男子を入り婿に迎えることで
男子一系は維持してきたのではないでしょうか?
でなければ、国民をだましてきたことになる。

275 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/23(日) 14:44:17
そうです、国民をだましてきたのです。
但し、男子一系が思想であれば、だましてきたことにはなりません。

開化→崇神、仲哀天皇→応神、武烈→継体、宣化→欽明
上記全てが記紀通り男系で繋がっていると思われますか?

276 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:04:06
あまり、くわしいことは知らないのですが、
継体は応神の5世孫なので
男子一系は守られているのではないのですか?


277 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/11/23(日) 15:21:33
崇神は開化の子供ただし庶子になる。
継体を応神の5世孫とすると、応神と仲哀の間に大きな空間が出来る。
この空間を誤魔化しているのが今の歴史の考え方、
だから”空白の4世紀”とか言われる。

278 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 15:35:16
邪馬台国の卑弥呼と後継者台与の一族が天皇家になったのだから
男子一系は間接的には正しい。

279 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:13:33
九州王朝説では、ヒミコの墓は、どこに比定されているのですか?

280 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:38:38
>>279
もちろん卑弥呼の墓は遥か南方の太平洋の海中ですよ。

281 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 19:40:02
実は、九州説には、卑弥呼の墓の比定地すらない。
邪馬台国もどこにあったかはっきりしないし、
自慢といえば、金印が出たことだけです。

282 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:09:02
>邪馬台国もどこにあったかはっきりしないし

大宰府あたりだよ

283 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 21:12:46
一時期(末期)は大宰府にあったね。
畿内説からは、頻繁な九州内首都移転などありえないという前提で反論してくるから、うっとおしいんだけどね。

284 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 22:15:33
>>282
ヒミコの墓は、かなりの大きさであったと記載されていると記憶してます

北部九州には、僕がこの前旅で行った「岩戸山古墳」くらいしかないです
しかし、岩戸山古墳は、「磐井」の墓であることが確定していますし
その近辺にも、たくさんの古墳があるようなのですが、
歴代磐井一族の墓のようです。

そうなると、ヒミコの墓は・・・?

しかし、九州王朝と邪馬台国は時代が100年くらい違うんですよね
だとしたら、東遷したと考えれば、解決しますね

285 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:43:24
卑弥呼の墓に土盛りがあると思い込んでる根拠が知りたい。

286 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:12:05
>>285
卑弥呼の墓は箸墓古墳だぞ土盛りがあるじゃないか。
卑弥呼は遊牧民のスキタイ人ではない。

287 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:12:11
絹も鉄器も出ない場所にある箸墓だけは、絶対に卑弥呼の墓じゃないから心配するな。

288 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:50:58
>>287
奈良県天理市の下池山古墳から日本国産の絹織物である倭文(しどり)が
出土している。奈良県桜井市のメスリ山古墳と京都府の椿井大塚山古墳から
大量の鉄製の武器が出土しているから心配していない。

289 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 03:02:20
延喜式で壱岐・対馬がなんか比重高すぎ。

西都原古墳が怪しすぎ。

巻向が存在しないころのに遡って語られてるのが可笑しすぎ。
4世紀なのに邪馬台国と結び付けたい奴らが勝手に遡らせてさあw

290 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 05:18:23
>>288
絹と鉄器が大量に出るのは九州だけで、断じて畿内じゃないから心配するな。

291 : サガミハラハラ:2008/11/24(月) 08:49:09
>>281卑弥呼の墓は佐賀県小城市小城公園内桜ケ岡ですよ。
東西154m南北192m高さ16mで大きさもピッタリです。
邪馬台国の都は230年代以降は佐賀県小城市甘木です。
それ以前は吉野ヶ里で、卑弥呼は北内郭にお住まいでした。

292 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:53:17
>>291
小城公園のHP見てみたけど、遺跡があるとか書いてないよ

293 : サガミハラハラ:2008/11/24(月) 09:59:19
HPとしては一般向けなので一般的でない事柄は省略しております。
遺跡としては整備されておりません。茶筅塚古墳の説明板があるくらいです。


294 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:40:23
>>293
新説出たね

奴婢100人が出るかどうかが鍵になると思います
宮内庁管理ではないみたいなので、発掘を進言してはいかがでしょう

あとは築造年代の問題はクリヤーでしょうか?

295 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:39:29
石室が見つって、そこから△が見つかれば…完璧ですね。

296 : サガミハラハラ:2008/11/24(月) 14:39:15
桜ヶ岡はかつて娑婆岡とよばれていました。天正時代の記録によれば、娑婆岡の
由来は人骨が出土したことからなづけられたとのことです。一つ二つでは娑婆(世間のこと 仏教用語)とはつかないであろうから、相当数の
人骨がぞろぞろでてきたものとおもわれます。
これが卑弥呼に殉葬された奴婢100人の一部ではとも考えられます。
築造年代については不明です。もともとは、自然丘(風化堆積岩)で、それを円墳状にしたようです。

297 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:24:40
それはもしかして縄文時代のストーンサークル、共同墓地だったのではないでしょうか?
しかし、いずれにせよ、発掘してみないことにはわかりませんね。

298 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 16:33:03
卑彌呼の墓は祇園山古墳だ。
径は、短里の100歩約25m、ぴったりだ。
古墳は3世紀卑彌呼から617年多利思北孤までの倭の都である久留米にあり、
古墳の近くには高良大社を始め、高樹神社、愛宕神社、宮地岳神社、高良山神籠石等オンパレードだ。



299 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:26:12
新説でたね

奴婢100人が出るかどうかが鍵になると思います
宮内庁管理ではないみたいなので、発掘を進言してはいかがでしょう

300 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:31:50
>>298
>径は、短里の100歩約25m、ぴったりだ。

短里の100歩約25m???、な、なんですか、それ?
まさか1歩が25cmとでも?

歩は、人間の足による歩行を基にする長さの単位ですよ。
だから1歩25cmなんてことはどんな時代でも絶対に有り得ない話。

歩はもともと左右の足を縦に重ねた形から生まれた漢字です。
甲骨文、金文で歩を見れば、解字は明白ですよ。
http://twinleaves.justblog.jp/blog/2007/11/post_7d5d.html

変なことをおっしゃると中国人に笑われますよ。w

301 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 20:59:23
300歩=1里≒75m

100歩≒25m
1歩≒25cm

「歩」は長さの単位。
「里」が長さの単位でないときは、「さと」の意。
同様に、
「歩」が長さの単位でないときは、「あるく」の意。←>>300の説明内容

周の時代以降隋の時代まで、東夷で使われていたのは短里(1里=70〜80m)。

302 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 21:05:10
「歩」について別の考え方
「歩」は足の長さ。
ゆえに、1歩≒25cm

脚の長さが単位「feet」になった様に。

303 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 21:07:57
後世の長さ単位「歩」は、歩くときの足と足の間隔と考えられませんか?

304 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/24(月) 21:19:03
>>299
高速道路の開通前の発掘調査では円墳本体だけで、
円墳周辺部は発掘されていないので、
人骨の痕跡がそのまま埋もれているかもしてませんね。
土壌のpHが酸性でないことに期待したいですね。

305 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:10:36
1里は、4キロと聞いてます

306 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:36:29
九十九里浜は、436キロもあると思いますか?

307 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:38:52
短里:千里の馬=約67km走る馬 ・・・これはありうる

長里:千里の馬=4000km走る馬 ・・・こんな馬はいない

308 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:04:07
>>305
里は条里のことだと思います。条里制の1里が約650m位で
田んぼの大きさを決めます。または条坊制の1里かも知れません。
条坊制の1里が約450m位で京都の三条から四条までの距離です。

309 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 02:09:42
>>305
何読んだの?広辞苑でさえ、昔中国の里は短里だって書いてるし。

310 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/25(火) 05:08:54
>>299
>新説でたね
>奴婢100人が出るかどうかが鍵になると思います
>宮内庁管理ではないみたいなので、発掘を進言してはいかがでしょう

新説ではありません。追認です。
60基以上の小型墳墓が古墳周辺にあります。
発掘済みです。

http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/himikotyou/himiko1.htm
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/himikotyou/himiko3horon.htm

http://www.geocities.jp/yasuko8787/2-33.htm

僕は、古墳本体の発掘調査資料を紛失したようです。




311 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 06:22:59
あ。
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/himikotyou/himiko3horon.htm

312 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 10:04:39
>>303
だめでしょうね。それでは一歩が何センチといっても、十歩がその十倍には
なりません。そんなおかしな単位はありえません。


313 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/25(火) 18:55:28
>>312
1feetの10倍は10feetで成立していますよ。
それともfeetはありえない単位なのですか?

314 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:12:35
話ぶった切って悪いけど
そもそも、「九州王朝」ってなんなの?

315 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:16:41
>>314妄想の産物。

316 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 20:57:38
倭国=九州王朝ってことでしょ?
違うのかな

317 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/11/25(火) 21:17:08
>>314
南北朝に対して、それより以前にあって、東西朝と考えればいいで
しょう。年号多々あって、もう存在は確定。踏み倒しは妄想連中。

318 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:54:24
僕の考えを聞いてください

北部九州を治めた「倭国」これが九州王朝です
それが倭国大乱で、国力が落ちて、大和・出雲・岡山連合に
破れ、代表者の地位がヤマトに移ったと考えてます。
そして、磐井の乱で完全に没落パターンに入ったと認識しています。
間違いあるでしょうか?

319 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 23:43:45

「王朝」であれば王位(君主)の継承は世襲なんだろ
しかし古田派は「九州王朝」なる言葉は創り出したものの、
その王たちが実際に世襲継承していたという証明をしたのか?


320 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/25(火) 23:46:00
>>318
全部間違い。
九州王朝についての見解の相違の範囲に入らない。

321 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:23:28
>>318
大方それであってる。
大好きに騙されるなよ。

322 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 19:35:10
>>320
「九州王朝」について、1から教えてください

323 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:05:36
>>322
・九州王朝説
弥生時代が始まってから長い間北九州が先進地域だったが、
一般的には2世紀後半〜3世紀末、早くて2世紀初頭、
どんなに遅くても4世紀後半には先進地域の座は畿内に譲られた。
と言うのが現在の歴史の定説。
ところがこの九州王朝説は、九州は弥生時代が始まってから古墳時代が終わるまで
ずっと九州が日本の先進地域であったと主張する。
彼等によれば、大和朝廷は8世紀初頭に畿内の蛮族(彼等はそう主張する)が神聖なる大九州王朝に対して反乱を起こし、
そのまま調子に乗って日本を統一したのが始まりであるという。
彼等は、法隆寺なんかも九州王朝の建物だったと主張する。
8世紀初頭まで九州が倭国の首都だったことが記紀に記されていないのは、
大和朝廷があとから大焚書を行って全てを封印して改竄したからだ、という事らしい。
なんか「畿内は紀元前から倭国の先進地域だった!」てのと同類に聞こえるのは気のせいか?

324 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:10:21
つまり、先進地域だった時期の考え方の違いということですね

325 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:18:25
>どんなに遅くても4世紀後半には先進地域の座は畿内に譲られた。
>と言うのが現在の歴史の定説。

・・・すごい電波説だなw

326 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:48:19
なんか、兄王と弟王がいたとか・・・
太宰府は唐が設置したとか・・・
オカルト。
よくあるじゃない、ロズウェルにUFOがあるとか、徳川埋蔵金とか、口裂け女とかと一緒。



327 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:57:27
 

328 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/27(木) 16:17:57
>>322
>「九州王朝」について、1から教えてください

九州王朝説 Wikipedia をご参照下さい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E5%B7%9E%E7%8E%8B%E6%9C%9D%E8%AA%AC

判りにくい言葉や判らない言葉はググって勉強して下さい。





329 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:58:21
>>326
兄弟王を群雄割拠といえばオカルトでもあるまいよ

330 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/27(木) 21:09:55
>>326
>なんか、兄王と弟王がいたとか・・・

これを読め。隋書俀國伝
『倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟』


>太宰府は唐が設置したとか・・・

○大宰府、×太宰府、デブは間違い、大きいのだ。
九州王朝多利思北孤が、618年に現大宰府市に遷都し「大宰府」を置いた。

331 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 21:15:21
>>328
なにか読んでおいたらいい本とかあるのでしょうか?
「九州王朝説の決定版」みたいなやつとか
「九州王朝説総覧」な感じ

332 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/27(木) 21:53:24
>>331
古田武彦氏の著書
「九州王朝説の決定版」とか「九州王朝説総覧」な様なものはない。

>>http://classic.music.coocan.jp/book/furuta/chosaku.htm


333 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:00:55
古田氏の本はほとんど絶版になっているか、なっていなくても一般の書店では入手困難だと思います。
むしろ公立図書館なんかに、残っていることが多いみたいです。

334 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:12:15
>>332
う〜ん、発掘の成果や、文献の精読の成果を盛り込んだ
最新刊ないですか?

335 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 22:48:19
>334
古田説系の本で、斉藤忠氏の「倭国と日本古代史の謎」(学研文庫620円+税)がある。

336 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:01:26
>>335
ありがとう
アマゾンで評価を見てみます

337 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:29:33
古本屋にある。\10〜\100程度 埃被ってるけどww

338 :のんびりひまじん:2008/11/28(金) 00:02:49
>>336 初心者には読みにくいけれど内容で良書を横スレします。
@山田武雄 日本古代史研究整理 1992 千秋社 ¥2000+Tax
A門脇禎二 邪馬台国と地域王国 2008 吉川弘文館 
B井上秀雄 古代朝鮮 2004(原本は1972) 講談社学術文庫 ¥1100+Tax

@は、アマチュアだが入手可能レベル古代史主要文献のほとんどを読んでの論評。
   文体が独自でモーレツに読みにくいが往年の主要議論点をほとんどカバー。
ABは、専門の学者なので九州王朝説ではないのだが、九州王朝と紙一重の議論。
   史料事実をなんとか説明しようとしていて誠実さを感じ取ることができます。

339 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 16:45:57
>>331
九州王朝説の主張を学ぶと同時に、
どのような批判がどのような根拠に則ってなされているか、
それに対してどのような反論が存在するか、
その反論は妥当なものか、とか
そういう事も勉強しておいたほうが良いよ。

340 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:25:12
どんな説だってそうだよ

341 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:23:10
地動説から進化論、相対性理論に至るまで
画期的な新説に批判はつきものです。

342 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:30:26
そもそも畿内説って、誰も証明できない妄想を大前提にしちゃってる時点で、一種の電波説。


343 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:54:57
九州説を語ると裁判員に死刑にされますよ。

344 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 20:57:11
九州王朝説では、「多利思北孤」という人物が最重要人物のように見えますが
一般の?歴史書では、まったく無視されているように思えます。

そういう担当の学会では、どういう風に位置づけられているのですか?

345 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:27:05
>担当の学会

一枚岩の学会など無いわけだが、明治の皇国史観アレルギーにより、
江戸時代の妄想古代史=畿内一元史観に戻っただけの権力者をいただいた
各機関があるばかり。17世紀と変わらない似非科学。

各機関のボスたちの信仰は
1:最高権力者なんて天皇以外にいたわけないじゃん
2:天皇は畿内にいたに決まってるじゃん
3:だから邪馬台国は畿内に決まってるじゃん
4:だから卑弥呼の墓は箸墓に決まってるじゃん
5:都合の悪い漢籍の記述は無視すりゃいいじゃん
6:都合の悪い記紀の記述は無視すりゃいいじゃん

このように、権威・権力あるところがみなオウム並みだから、相手にするだけ無駄だと思う。

346 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 21:28:46
>>342
はいはい電波な人の言い訳なんか聞き飽きたよ。
>>344
「阿毎多利思北狐」は「阿毎多利思比狐」の間違いで
「天足彦」即ち天の神の子孫たる大王、てな解釈が根強いね。

347 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:01:29
もしかして、アマノヒボコのことではないのでしょうか?

348 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:04:36
「多利思北孤」は、どういったことで、
九州の人間
畿内の人間ということになっているのですか?

349 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 13:25:01
九州の神社ではハングルで書かれたおみくじを売ってる。神様に対する暴涜だ!

350 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 13:44:28
これはどうよ?

英文おみくじ・・・東京大神宮
http://www.news.janjan.jp/special/0612/0611250352/img/photo122957.jpg

351 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 14:50:49
●大阪府立近つ飛鳥博物館 平成20年度 秋季特別展
『考古学からみた古代の女性』−巫女王卑弥呼の残影−

■11月30日(日) 秋季特別展会期中の催し
【講演会】 「考古学からみたヒメ・ヒコ制」 白石太一郎(館長)

午後2時〜3時30分  地階ホール
定 員: 200名
※講演会参加には、今季特別展入館券の半券または年間パスポートが必要です。
  12時より1階ロビーにて入場整理券を配布します。

大阪府立近つ飛鳥博物館  大阪府南河内郡河南町大字東山299番地
http://www.mediajoy.com/chikatsu/2008_autumn/index.html

■秋季特別展 『考古学からみた古代の女性』
 近年の女性史研究の進展によって、我が国の歴史における女性の実像も少しずつ明らかになっているが、本展では出土品からイメージされる古代の女性像を展示。
女性にまつわる造形物から古代の女性がの存在感を、古墳における埋葬位置やその副葬品から、女性の役割を考え、当時の王権の実態に迫り、女性の人物埴輪の表現している世界や意味についても探る。

・期間: 平成20年10月11日(土) 〜 平成20年12月7日(日) 休館日は毎週月曜日
・入館料: 一般 600 円/65 歳以上・高大生 400 円/中学生以下・障がい者は無料
・開館時間: 午前10時〜午後5時 (入館は午後4時30分まで)
・主な展示品:
長野県下比良遺跡 お産する土偶
山梨県御所前遺跡 顔面把手付深鉢   【山梨県指定文化財】
兵庫県桜ヶ丘出土 桜ヶ丘5号銅鐸    【国宝】
大分県吹上遺跡出土 4号・5号甕棺出土品
奈良県島の山古墳前方部粘土槨出土品 【重要文化財】
大阪府和泉黄金塚古墳中央槨出土品   【重要文化財】
岐阜県矢道長塚古墳西槨出土品
大分県免ヶ平古墳2号主体部出土品
栃木県鶏塚古墳出土 裸の女子埴輪

352 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 23:17:38
先進地域だった北部九州は、
「倭国大乱」という内乱により、自滅
その間、力をつけた畿内に勢力を逆転され・・・の流れでOKでしょうか?

353 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 00:41:45
>>349
韓国や中国から金持ちが来て金落としていくから仕方ない
だって、有名な神社や寺でときどき見るけど
「お守り」とか「お札」を10個、20個単位で何万円もお土産気分で
買ってんだよ、正月でもない平日に。しかも集団で。

あと、子供の受験とかに必死じゃん。中国人とか。
受験の合格祈願関連のお守りやらが、目の前で2メートルぐらいの台
からサーッと無くなったのみたよ。
あとに残った巫女に残されたのは札束w そんなだから大目にみてやれよ。

354 :すいぜい:2008/11/30(日) 00:58:28
>>330
> これを読め。隋書Oタ國伝
> 『倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟』

ふぁ〜い。「倭王、天を以って兄と為す。日を以って弟と為す。天未だ明けぬ時、出て政を聴く。跏趺して坐し、日出れば便ち理務を停め、我が弟に委ねようと云う。」
読んだぜ。兄王や弟王なんてはドコに出てくる?


355 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:38:18
九州の神社がハングルで書かれたおみくじを売ってるがその中身には
大吉外・小吉外・大狂・小狂と書かれているらしい。

356 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:34:26
仮説を補完する証拠はないが、通説を裏付ける完全な証拠もない。
論争で積み上げられた状況証拠を並べると・・・

357 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/30(日) 10:17:47
>>354

『倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟』

「倭王は、天(王)を以って兄と為す。日(王)を以って弟と為す。天(王)は、未だ明けぬ時(夜空の時)に、出て跏趺坐し政を聴く、日(太陽)が出れば便ち理務を停め、(天王は)我が弟(日王)に(理務を)委ねると云う。」

358 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 10:28:02
>>357
いわば
天皇の朝廷
将軍の幕府
見たいな事じゃないの?

基本的に天皇が直接実権を握り、、みたいな国じゃないよ。日本わ

359 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 12:30:21
いや、古代は普通に大王、天皇が実権握ってるわけだが。

360 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/30(日) 12:40:08
>>358
その通りです。

天王(兄王)は理念的宗教的な統治者。
日王(弟王)は実務的世俗的な統治者。

天王(兄王)は、出雲大社の古式に法った新嘗祭の神官のような役割。
日王(弟王)は、幕府の将軍の様な天皇とは異なる最高権力者の役割。

>>359
それはあなたの思い込み。
妄信ではなく盲信だよ。

361 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 12:51:46
>>359
大王と天皇じゃ意味が違うよ

天皇=スメラミコ
別に日本(天下、中つ国)を統治してなくても蘇我氏やスサノオや出雲や大国主や幕府や政府が統治してても天皇は天皇だよ

国を納めてる王って意味じゃなく血統継承者に与える称号だよ
簡単に言っちゃえば伊勢神宮の神主に与える称号だよ

もし国を治めた王を天皇としてたなら、鎌倉時代は藤原が天皇だし、江戸時代は徳川が天皇って事になってるよ


362 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/11/30(日) 12:59:25
国を治めたからって天皇になる訳じゃないよ
それは王や皇帝の事

天皇になるには天照からの正統な血統と三種の神器を引き継ぎ、正式な血統継承者になるって事だよ

ちなみに古代では天照が中津国を治めた大国主に「この国は私の息子達が治める国だ」として国譲りをさせて、各地に自分の血統の繋がりのある氏族を送り統治させてた
天孫降臨もこの時に派遣された天照氏族の話だよ

363 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 13:10:52
兄王・弟王は、それで治まっただろうけど、
次の世代になったときに、倭国大乱になったのでは?

364 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/30(日) 13:20:01
>>363
兄王・弟王が書かれたのは、7世紀、隋書俀國伝の中。
兄王・弟王の次の世代は8世紀大和天皇の世代です。

365 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 15:25:47
>>364
兄王・弟王???間違いだ。日女命(大倭媛命)・男弟(大王)が正しい。

366 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:28:47
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

367 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/11/30(日) 18:30:37
>>365
勘違いするな。
兄王・弟王は7世紀随書俀國伝の内容だ。
兄王は、天王(天皇)のこと。
弟王は、日王(法皇)、すなわち多利思北孤上宮法皇のこと。

九州王朝の兄王と弟王の名称変化について。
天王(兄王)→→天皇
日王(弟王)→→法皇

資料
『倭王以天爲兄・・・・天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務』
『倭王・・・・以日爲弟・・・・・(倭王以天爲兄)日出便停理務 云委我弟』
『法興』元号
『上宮法皇』


368 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 19:10:07
7世紀ということは、600年代ですよね

645年に大化の改新がありましたよね
その時代に、九州に兄王、弟王がいたら
なんらかの伝説が九州各地に残っていそうですが
僕は聴いたことがありません

369 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 20:17:36
>>367
勘違い失礼した。600年に隋の文帝に謁見した倭国の使者が言った言葉だが
「倭王は天を兄とし日を弟としている」と言っただけでどこにも「王」の字が
入ってない。この使者は隋王朝を偵察に来ただけで国書など持参してなかった。
南淵請安・高向玄理・僧旻の3人の誰かと思われるが帰国後聖徳太子に偵察の
結果を進言したのだろう冠位十二階、十七条憲法、暦の採用、神武元年の設定、
法隆寺の創建などを行った。その後607年正式に小野妹子が隋へ派遣された。

370 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 20:58:22
ということは、天も日も、人物ではないってこと?

371 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 21:15:09
>607年正式に小野妹子が隋へ派遣された。
隋へ使者を派遣したとはどこにも書いてないな。




372 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:02:00
>>370
天が人物だったらガリレオがビックリする。
日が人物だったらコペルニクスがタマゲタと言う。

373 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:07:45
>>371
ギャーッ!ハッ!ハッ!ハ!馬〜〜〜鹿!

374 :ローガン:2008/12/01(月) 16:38:31
>>357
> 『倭王以天爲兄 以日爲弟 天未明時出聽政 跏趺座 日出便停理務 云委我弟』
> 「倭王は、天(王)を以って兄と為す。日(王)を以って弟と為す。天(王)は、未だ明けぬ時(夜空の時)に、出て跏趺坐し政を聴く、日(太陽)が出れば便ち理務を停め、(天王は)我が弟(日王)に(理務を)委ねると云う。」
はて?跏趺坐の主語は倭王でしょう。

375 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 19:13:33
>>371
日本書紀に書いてある。

該当期の日本書紀では「唐」「大唐」「大唐国」としているが
もちろん唐朝(李氏)はまだ成立しておらず、これらが隋であるのは明白である。

(推古天皇十五年)
 秋七月,戊申朔庚戌,大禮小野臣妹子遣於大唐.以鞍作福利為通事

(同十六年九月)
 辛巳,唐客-裴世清罷歸.
 則復以小野妹子臣為大使,吉士雄成為小使,福利為通事,副于唐客而遣之.
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/syoki/syoki22_1.htm#sk22_07

小野妹子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%A6%B9%E5%AD%90

376 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 20:22:11
九州王朝説では、小野妹子も太宰府の人ということになってるのですか?

377 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/01(月) 20:51:29
>>374
>跏趺坐の主語は倭王でしょう。

『云委我弟』の主語と同じです。
我弟と云える立場の倭王です。
すなわち、兄王(天王)である倭王となります。
倭王が2人いるのです。隋としては理解できない2王制なのです。

『出聽政』『跏趺座』『停理務』『云委我弟』の主語は『天』(倭王天)です。


378 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/01(月) 21:09:38
>>375
推古紀の内容は嘘で塗り固めています。
「大唐」の記述もその流れ一部です。
推古の存在が疑わしいのです。

推古紀の記事が嘘であることの論証は今は省略しておきます。

379 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:15:24
>>376
太宰府でなく大宰府だろ。

380 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/01(月) 21:24:35
>>377
×倭王天
○倭天王

381 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 21:55:08
>>378
>推古紀の内容は嘘で塗り固めています。

えっ、 そ、それ本当?

>推古の存在が疑わしいのです。

え〜〜〜ッ!! そ、それは知らなかった・・・。
で、でも、どうして嘘なんです? あれほど日本書紀に詳しく記事が載ってるのに??

>推古紀の記事が嘘であることの論証は今は省略しておきます。

ヤレヤレ……、タメイキ

382 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:20:21
>>373
せめて>>375くらいの反応はしないとな。馬〜〜〜鹿!って返されるぞ。

>>375 >>381
>>378の考え方が今や有力。古田武彦の「古代は輝いていた3」とか安
田哲也の「邪馬台国の暗号」あたりを読んで勉強せなあかんな。

383 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 22:35:47
王はいただろうけど、それはまた「王朝」というのとは
違うんじゃないのかな?

王朝の定義ってなに?

384 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 23:01:33
>>382
君は古田史学以外もきちんと勉強せなあかんな。

385 :ローガン:2008/12/02(火) 00:33:26
>>377
> 倭王が2人いるのです。隋としては理解できない2王制なのです。

倭王は「姓阿毎字多利思比狐」 一人です。

386 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/02(火) 00:50:48
>>385
>倭王は「姓阿毎字多利思比狐」 一人です。

「姓阿毎字多利思比狐」は、倭日王(弟王)で、
法を以って治めるので「法皇」とも呼ばれていました。

倭天王(兄王)は「天皇」とも呼ばれたようです。


387 :ローガン:2008/12/02(火) 01:23:54
>>386
> 「姓阿毎字多利思比狐」は、倭日王(弟王)で、 法を以って治めるので「法皇」とも呼ばれていました。
> 倭天王(兄王)は「天皇」とも呼ばれたようです。

それは貴方の私見であって、隋書には一人しか書かれていません。ではお休みなさい。

388 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 01:32:31
そこの記述だけ勝手読みして、兄弟統治の伝統を頭から否定するのはどうでしょうか?
隋側がこの制度(兄弟王制)の理解に当惑しているわけですからね。

389 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 03:11:24
>>388
もちろん理解に当惑する。兄弟統治など最初から無いからだ。
ぼちぼち物証をだせよ。隋の答礼使が何か書いているとか。

390 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 07:30:11
>>384
おいおい、安田は古田史学じゃないぜ? 底がみえたな。


391 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 09:08:37
>>353
韓国人の一部までも取り込んだ日本の神々の勝利ではないか。

392 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/02(火) 14:01:34
>>360
>天王(兄王)は理念的宗教的な統治者。
>日王(弟王)は実務的世俗的な統治者。
これには納得します。

>>367
>天王(兄王)→→天皇
>日王(弟王)→→法皇
ここが私見と違う(ほぼ逆)

隋書イ妥国伝
600兄弟王朝という不思議な(恐らく兄弟連名の国書)国交ぶりにそのようなことは
    イ妥国内部の話で、対外的には一本化するものと隋の文帝は教えた。次に
607〜8日出処天子・・・という国書がやってきた。代替わりしていた煬帝は真相を確かめるため、
    使者ハイ清を派遣。
    隋側に理解できたことは、イ妥国とは(長く謎だった)邪馬台国そのものだったこと。
    その王タリシヒコは、お人良しの仏教徒・理想主義的平和主義者ということ。
    (「城郭無し」という記載にも現れる。) 

 〜この時期の極東に異変が発生。(隋煬帝≒北鮮きむじょんいる)
@隋・琉球侵略・・・隋書琉球伝では、イ妥使に戦利品を見せつけ「屋久」の品と確かめさせた。
A隋・高句麗遠征     
 〜大倭国の対外路線が現実化を始めた。
610を最後に、隋と国交断絶。隋の正体を知ったイ妥国内部の外交路線転換(主体は弟王)

日本書紀では
618(宿敵だった)高句麗とも和解(使者受け入れ)
621(宿敵だった)新羅とも正式な国書外交

393 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/02(火) 15:27:02
>>392
僕より表現は巧いが、全く同じ認識だ。
なぜ多利思北孤が兄王になるのか???
この疑問は、賛否は別として、しばらくあたためておきます。

質問
倭五王、磐井、薩夜馬は弟王ですか?
薩末比賣は兄王ですか?
曽我入鹿は兄王との認識です。

394 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:07:03
学会で発表したら、失笑なのかな・・・?

395 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:16:11
>>394
まあ言論の自由はあるんだし何処かのセンセイやってくんないかな?w

学者で無い市井の人間でも市民運動として
「子供達に正しい歴史を教える会」
とか表して運動しないのかな?

九州王朝説が正しければ7・8世紀までの日本史は学校でデタラメを教えている事になるwwwwwww




396 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:37:51
文科省の事務次官にでも田母神みたいなのが出てきて

正しい日本史として九州王朝説ぶち上げてくんないかな?wwwwwwwwww



397 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:01:32
文部省検定教科書には、古代史は載っていなかったんじゃなかったのか?


398 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:21:36
>>397
え?
中学の歴史でも普通に古代から書いてるんじゃね?

399 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/04(木) 12:16:20
>>393
深く思考するだけの材料が乏しいから結論を急ぎ過ぎないほうが良かろう と考える。
日本書紀の事件説話のなかで確実な事件すら十分な認識しないまま、仮定主張が先走っている。
(九州王朝説は基本的には正しいようだと認識するが、周辺事情についてまだまだ不十分)

兄弟相続説話が、日本書紀に続出している。その方向の延長で父子相続とどっちかと議論が多かった。
だが、日本書紀執筆者の問題意識は、壬申の乱の正当化が大きかった点は間違いない。
それで、兄弟譲り合いの美談、争ったときは決まって弟が相続するというパターンばかりでないか?

       〜いったん ここまで

400 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/04(木) 14:03:53
>>399
丁寧なご返答ありがとうございます。
上記はよく理解できました。その通りです。
続いての展開を期待しています。

401 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/04(木) 14:50:18
>>392 @とした隋の琉球侵略に対する、
倭国側の認識が日本書紀に出現していると考える。
616(推古24)年、屋久人が3回計30人漂着した皆死んだ。これは

時期が少しズレるが隋書琉球伝の
大業4(608)年の、その後、琉球を侵略し、宮室を焼き男女数千人を捕虜として連れ去った
記事と対応していると見る。

専門家の著作をいろいろ読むが、上記のような読み方をする事例が見当たらない。

九州王朝を仮説するなら、屋久への侵略はもの凄い脅威のはずなのに鈍い反応しか
見られない。

>>399 周辺事情にまだまだ不十分、というのは、例えばこのレスのようなことです。

402 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:02:04
岩戸山古墳は、八女市にありました。

そこから南にちょっといけば、そこは「熊襲」の国と聞いてます。
それが意味することは・・・?


403 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:39:03
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

404 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:49:07
>>402
「九州王朝はなかった。」と言うことですね。

405 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:33:34
邪馬台国は当て字で、実は、八女大国だったのではないでしょうか?

406 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:39:48
北部九州はありえないから安心しろ

407 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:06:01
九州王朝は、最後に大宰府に引っ越したから安心しろ

408 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 02:48:05
九州王朝の現在の女王は蛯原友里だから安心しろ。

409 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:54:26
九州王朝の前身は、金印をもらった、な国ですか?

410 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:16:01
九州の南部のほとんどを占めていた
熊襲がはいらないのに「九州」王朝って言葉つかっちゃ駄目だろ。
しかもヤマトタケルは嘘話。奴は存在しないし熊襲退治なんて
神功皇后以外してないだろ。しかし宇佐の隼人の百体神社、怪しいな。
熊襲の奴隷百人生めて鎮魂するってどこに埋めたんだろ?
あの辺のどっかの古墳の廻りに百人埋まってんの?倭人伝と一致しね?


411 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:47:27
熊襲が非常に広範囲に住んでいたから、その議論には意味がない

412 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:12:19
生首とは熊襲の奴隷のことでしょう?

413 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:13:13
>>410 >>411
熊襲なんてのはいない。熊襲国とは邪馬台国のこと。


414 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 10:29:36
>>401 
>九州王朝を仮説するなら、屋久への侵略はもの凄い脅威のはずなのに鈍い反応しか見られない。

鈍い反応とは思えない。
多利思北孤は、隋の琉球侵略(608年)後、610年に隋と国交断絶し、親半島政策に方向転換している。
この国交断絶は、隋の対外侵略姿勢がはっきりしたからである。
それは、隋の南方からの侵略姿勢をはっきさせる事件、
琉球に続いての奄美・種子・屋久への圧迫(推定608〜610年頃)が始まったからだと思う。
618年の事件は、隋の俀(屋久)への侵略による捕虜があったことを示しているに過ぎなく、
屋久人捕虜の脱走事件とみる。

続日本紀によると、種子(多褹)・屋久(夜久)・奄美が九州王朝からいち早く離反したのは、
上記隋の侵略の九州王朝への信頼性不足が彼らにあったからであろう。

415 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:33:24
>多利思北孤

苗字は、「多」で
名前は、「利思北孤」でしょうか?

「多氏」は古代の伝説の一族だと聞いたことがあります。
古代の名族のほぼ全てが、この一族に集約されると聞き、
驚いた記憶があります。

さらにさかのぼれば、中国の周王朝の皇族につながると思います。
稲作と一緒に伝来したのでしょうか?

416 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:39:12
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

417 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/06(土) 19:57:33
>>415
「阿毎多利思北孤」
姓:阿毎
字:多利思北孤
と隋書俀國伝に書いてあります。

諸説ありますが、僕は思うところでは、
記紀風に書くと、
天(海)帯日子、天(海)足彦。

天(海)足矛との説もあります。

418 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:08:03
周からやって来ておいて、何で鼎とドラゴンが伝わってねえんだ大バカw

419 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:26:49
>>417
海と関係あるとすれば、やはり「安曇氏」と関係が深いのでしょうか?
金印も志賀島から出たし・・・。

>>418
鋭い指摘です・・・周王族が戦乱から逃れるために、長江から
船で脱出して、稲作とともに日本にやってきた(壱岐島)にという
僕の推測は、また振り出しに戻ってしまいました。

420 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 06:28:01
なぜ、壱岐島経由なのですか?
私は、稲作は南方から種子島経由で伝わったのだと見ています。
朝鮮半島は経由していない。

421 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 07:57:47
>>420
江南から直接北九州に伝わったと思うんだが。

422 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:27:01
揚子江文明のあった武漢付近から東遷するとちょうど種子島につくのですが・・・

423 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:57:01
>>420
海流に乗ると、壱岐に到達します

僕も朝鮮半島は経由していないと考えてます
それはたしか研究でもそう結果が出ていたと記憶しています

あと「一大卒」なのですが、これは九州王朝ではどのように定義されているのでしょうか?
一大卒は、邪馬台国の代理というか、ほぼ邪馬台国と同じ権威があって
周辺国は震え上がっていたと書かれているとどこかで読みました。
大宰府があるのに、伊都国にそういったものを置くとは考えられません
そこから考えられるのは、大和国の邪馬台国の出先機関ではなかったか
考えてます。

424 :唐松山 ◆V0F34EbmQA :2008/12/07(日) 10:05:04
綏靖、神沼河耳、神淳名川耳 カヌカワミミノ ミコうみて イミナヤスギネ
安寧、師木津日子玉手見、磯城津彦玉手看 イミナシギヒト タマデミコ
懿徳、大倭日子{金且}友、大日本彦耜友 ヨシヒトの ヲヲヤマトヒコスキトモ
ソフヲシエ カエシネミコをヨツギなる コトシソヤなり 懿徳12年 カエシネを太子とす、18歳
孝昭、御真津日子訶恵志泥、観松彦香植稲 ウチのうむミコ カヱシネの イミナミルヒト
孝安、大倭帯日子押人、日本足彦国押人 イムナヲシヒト ヤマトタリ ヒコクニノミコ
孝霊、大倭根子日子賦斗邇、大日本根子彦太瓊 イムナネコヒコ ヲヲヤマト フトニノミコ
孝元、大倭根子日子国玖琉、大日本根子彦国牽  ヤマトネコヒコクニクル イムナモトギネ
開化、若倭根子日子大毘毘、稚日本根子彦大日日 イミナフトヒヒ ワカヤマト ネコヒコノミコ
崇神、御真木入日子印惠、御間城入彦五十瓊植 ウチのうむミコミマキ イリヒコの イムナヰソニヱ
垂仁の兄 ミマキヒメ シギにうむミコ  トヨキヒコ イムナシギヒト
垂仁、伊玖米伊理毘古伊佐知、活目入彦五十狭茅 イクメ イリヒコの イムナヰソサチ
景行の兄 ニシキ イリヒコの イムナヰソキネ その前に生まれたホンヅ(譽津別)の皇子は?
景行、大帯日子淤斯呂和気、大足彦忍代別 ヤマト オシロワケ イムナタリヒコ
成務、若帯日子 稚足彦 ワカタリヒコ  諱ウヂヒトは ヨツギミコなり
「阿毎多利思北孤」 は景行の朝貢より中華に知られる。


425 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/07(日) 13:25:47
>>419-423
江南を出航した舟は、ただひたすら東に向かえば、
10日程で鹿児島県近海に到着するはずです。
ところが、東シナ海が比較的穏やかな春から夏にかけて江南を出発すると、
東南よりの風を受けて、舟は真東より北よりに進みます。
又、出航後1週間程で対馬海流となる黒潮に乗り、舟は更に北に流されます。
@東南の風が弱く黒潮をすばやく横断できた場合には、舟は天草灘に到着します。
A通常は五島沖に舟は流されます。後は島影を見ながらの航海になります。
B更に黒潮に乗って流されると、黒潮は対馬海流となり、東北方向に壱岐島が見えてきます。
C黒潮を渡りきれず更に北に流された場合はチュジュ島到着です。チュジュ島から住民のアドバイスを受け、改めて倭に向かえばよいでしょう。

「五島」がシナ風名称なのも、江南から倭へのメインストリート上にあるからだと思います。
縄文早期の氷河期、まだ東シナ海が大平原であった頃の記憶伝統が江南人に残っておれば、
東シナ海を倭へ渡ることは難しくて危険なことではありません。

426 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:36:10
江南の弥生時代開始期と同時期の出土物はこんな有り様(嘲笑)


江蘇句容・金壇周代土トン(土+敦)(盛り土、小山)墓群:考古学者たちは、
土トン墓の埋蔵の特色に合わせ、一層ずつ剥がしていく整理方法を採用し、
青銅器時代の江南の土トン墓造営の全過程を明らかにした。計40の土トンを
発掘し、233基の墓、229組の祭祀器物群、14カ所の墓葬建築遺物を整理、
幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に、江南地方の
特色をもつ各種文物3800点余りが出土した。

http://www.china-news.co.jp/culture/2006/05/cul06051302.htm

427 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 14:41:24
>幾何印紋陶(幾何学模様を施した陶器)、原始青磁器を中心に



印紋陶?????原始青磁?????印紋陶?????原始青磁?????


いやあ、日本最古の水田遺跡には弥生時代開始頃の江南の土器とは
まーったく違う系統の土器をわざわざ伝えてくれたんですね(嘲笑)



428 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:49:17





金関  縄文から弥生を土器の移り変わりで見ても、大陸から入ってきたと
考えざるを得ない。ただ同時期の中国土器や金属器はない。
このため日本列島へは朝鮮半島経由だろう。

http://www2.saga-s.co.jp/pub/hodo/yoshinogari/001.htm






429 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 17:42:17
>>428
稲作は大陸から入ってきたのではなく、大陸から持ち帰ったと見た方がいい。
大陸からの移住者がいたとしても、それは、九州の文化を変えるほどの
人数ではなかったのだ。


430 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/12/07(日) 17:59:08
>>428
百済や新羅の建国神話や斉州島には「東の海から来た3人の神様が土地や水路を開拓し稲作や麻作を伝え三つの国を作った」って伝えられてるってば


もちろん大陸から伝わって来た文化もあるけど日本から大陸に伝わった文化もあるよ
例えば「暦(旧暦)」なんてのは日本から大陸に伝わってるんじゃないか?


431 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:03:42
>>429
日本最古の水田遺構からは中国土器なんか一切出ませんから。

とっとと日本から出てってください。

中華(含台湾)工作員は。

432 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:21:45
稲作は日本で始まった日本独自の文化だったのですね?


433 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:36:03
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





434 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:38:33
実証できるのが、不比等の時代からだもんね・・・
それ以前はすべて推測に過ぎない

なにか実証されてるのってある?

435 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 19:08:41
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

436 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 21:09:27
日本最古の水田は、板付遺跡

これ豆な

437 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:34:45
水田に適した場所は、弥生時代以降も継続して水田として使用された。
従って、日本最古の水田跡など発見されるはずがない。
弥生時代と見られる水田跡が見つかったとしたら、それ以降、稲作がおこな
われなかった稲作に不適な土地ということになります。
そのくらいわかるでしょう?


438 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 22:36:49
>>436
違う。

日本最古の水田は菜畑遺跡。

439 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/08(月) 22:52:00
>>437
水田跡として見つかるのは、火山灰を被ったのとか洪水で砂を被ったもの。

440 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 23:01:19
お〜、なんと都合よく火山灰が降り注いだのでしょう!奇跡だ!

441 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/09(火) 11:50:50
>>440
奇跡ではない。
偶然、洪水で砂をかぶったり、火山灰をかぶったりして、そのまま放置されたものが水田跡として残る。
洪水に比べて、火山降灰は少ないので、このケースの水田跡は稀である。
火山降灰によるものは、細密に残るので、畑の畝や人家畜の足跡まで残っている。

442 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 19:53:41
まあ最古はどうでもいいけど
詰まるところ、「稲作」から、「王権」は発生したよね?ということが
言いたいのです

443 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:22:42
モンゴル帝国

444 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:44:05
ジンギスカンが田植えしてたという話は聞かないな。(笑う)
定住、農耕が権力の集中をもたらしたというのは、妄想にすぎない。

445 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:34:24
>>443
いや、日本ではの話だよ

446 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 21:53:03
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

447 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 12:35:32
>>436
稲作で豆を作っていたのですか?
てことは当時の主食は米じゃなく大豆?
詳しくお願いします

448 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 19:54:25
>>447
まあ、メインはお米だろうけど
それだけではなんだから
やっぱり、大豆もトマトもキャベツとかいろいろ栽培してたんじゃないかな

449 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:26:26
これは、昔モーニング娘。板(狼)っていうのがあって
その名物スレのひとつに、「石川ってウンコするの?」っていうのが
あったんだよね

そのスレで、まあ10年くらい、みんなで喧々諤々議論した結果
「結果でない」というのが結論だった。

だから、このスレも結論は出ないでしょうね
あの金印が出てこない限り

450 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:56:15
>>448
弥生時代には、トマトやキャベツはなかったぞ。
トマトは新大陸から。
キャベツ以外のアブラナ科の野菜も弥生時代にはなかった。

>>449
「石川はウンコしない」スレはもっと古いぞ。

451 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 23:22:47
(●^。^●)なっち、邪馬台国九州説を応援する!くらいかな?


452 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 12:01:44
>>450
ここはネタ・妄想スレなのでマジレスはお断りします

453 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:08:55
すまん、九州王朝があったとする「証拠」を頼む

454 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 21:54:22
すまん、九州王朝がなかったという説より、
あったとする仮説の場合だけ、漢籍と遺跡の説明がちゃんとできる。
いわば状況証拠。

455 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:32:37
でもさ、九州王朝は、最盛期は出雲とか岡山とか大和とかを
圧倒してたわけでしょ?

なのに、そっちを征服しないで、
海を越えて任那とかに出兵してたんでしょ?

ということは・・・?

456 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:43:15
あのさ、エーゲ文明とかカルタゴ王国って知ってる?

457 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 22:47:00
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

458 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 23:49:35
>437
基本的智識として言って置くと、古代水田には寿命があった。
数世代使うと、地味が痩せて使えなくなった。
これが解決されたのは、水田の粘土層の下の土を掘り起こして混ぜ返す技術が発見されてから。
したがって、最古の水田跡は出てきて当然。

459 :ホイッスル ◆53DD/LSgh6 :2008/12/12(金) 00:04:26
>>454
え・・・証拠はないの?

460 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:49:08
状況証拠でもはや否定できないわけですがなにか?
畿内政権一元史観の証拠は一切ない。

461 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:55:36
畿内政権一元史観には状況証拠も一切ない。

462 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 00:59:22
>>454

ほう…

 ”ある物事を一番上手く説明できる仮説” 

と言うのはもはや定説と言って良いと思うがw

九州王朝説で

「漢籍と ” 遺跡 ” の説明がちゃんとできる」

と言うのは例えばどんな物があるのだ?

イッパツお勧めのネタを挙げてもらえないかな?

九州王朝説と言えば大抵

 記紀にはこんな矛盾が→よって九州王朝説が正しい

と言う流れで ”遺跡” の説明に及ぶのはあまり聞いた事が無い気がするwwwwwwwwwwwwwwww


463 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 03:46:34
九州には九州王朝の存在をしめす物証が何もない。まともな王墓・古墳は
九州に存在しないし、もちろん重要な遺跡・遺物も出土していない。
また価値のある文献など皆無だ。昔から九州には零細な部落国家しかなかったし
教養のある部族は九州に住んでいなかった。本物の物証があるなら聞きたいね。

464 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 04:12:06
畿内には、文武以前の王朝の痕跡がない。
畿内が他の王朝に支配されていた痕跡ならあるんだが。

465 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/12(金) 08:58:02
>>464
難波京、藤原京 については、どう説明されますか?

466 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 09:02:02
>>464
>畿内が他の王朝に支配されていた痕跡ならあるんだが。

具体的に示せよ
示せないのならタワゴトだな

467 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 13:33:18
畿内政権一元史観の根拠は誰も示せないんだな。
もうそれだけで十分だ。

468 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/12(金) 15:09:53
>>463
物証がないなら部落国家しかないなんていうのは、論理的重大な
欠陥論である。こんなことを云う奴は車の免許証を返上させるべき
だな。ミラーに入らない死角にバイクや歩行者がいる可能性がある。
見えない、見られないからといって、単なる木々家々しかないなどと
結論を出すなど、とんだ誤認だ。
当時は今からは極めて古い。台風、地震等の災害、阿蘇山の噴火、
盗掘たる墓泥棒、おまけにその上にドデカい建造物等できれば、
もう遺跡はお陀仏だ。
それがしも昔トラックを運転していて、バック・ミライに写らない
死角にも歩行者、自転車、バイクあるいは小さい車が見えない状況
で運転していたことは度々あり、これは運転する奴は誰でもそう
だろう。そこが見えない、人の形跡がないからといって、確認もせず
に毎回運転操作していたらどうなるか。当然重大交通事故等の発生
は免れない自体に至る。見えないから無いというのがこやつの
トンデモ主張である。遺跡が消滅してても存在の可能性は相当あり
うるものだ。
昨日一昨日だったか、少女が太古のエビを発見したが、それ以前
では誰もそのエビの物証など出せはしない。しかし年月が経って
このように古代生物の化石が出てくる場合がある。かやつの言い分
では少女が発見以前では、そんな生物は存在しないがまかり通って
しまう。情けない野郎だな。w

それに、もう年号が多々出てるからこれでキマリだなで

469 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 17:36:38
>>468
九州王朝がなかったのは太国はアホの伊作と兄弟であると言う真実と同様で
やはり真実である。エビフライを食って当たったか?脳波が乱れているぞ。
年号って金光〜っ金光〜っ金光教!の年号のことか?馬鹿馬鹿しい話だ。
曲学の徒氏のHP、邪馬台国掲示板でなんとwwww←草を使用しているようだが
低脳がバレルぞ。あのHPは実名で書き込む豪傑もいるし文章も300字以上
の書き込みばかりだ。太国のは妄想で内容がなく貧相だ。お〜っ恥ずかしい。

470 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/12(金) 18:57:36
馬鹿馬鹿しいというのはコチラの云うセリフだ。wwwwwwww

崇神当時は畿内朝廷の勢力はほぼ畿内に留まっている。そうなると
畿内からは九州は遠い外国だ。これをしっかり認識すべきだ。四道
将軍派遣は畿内の外を偵察するためのものであり、まだ外まで朝廷
の支配権は及んではいない。初的には九州の視察をしたのは、その
後のことで景行天皇九州行幸からだ。これも皇宗神武からはある
程度九州の情勢を代々伝聞で聴いてはいたろうが、景行が実際の九州
がどんな所かの初見的行動だ。まだまだこの時代でも九州支配には
至っていない。
卑弥呼の時代の崇神あのころからは大陸に王朝があり、半島に王朝
があり、畿内に皇朝があったのに、畿内から外国たる九州には王朝
が無いなどとは、オマエのは乱暴な論甚だしく到底容認でき
うるものではない。金印での漢委奴国王もいたし帥升もいた。さらに
卑弥呼の後釜の壹與、引き続いて女王比売大神もいた。続いて倭の
五王もいた。なおも旨王もいた。卑弥呼の時代でも倭人伝には小国
多数がいたわけだから、それらにも王がいたわけで、こんなに王ら
がいた九州にのみ(王朝が畿内大陸半島のみに留まって)王朝が
ポツンと存在しないなどとはドデカイたわ言と云わざるをえない。
それに古史古伝には、九州に神武以前ウガヤフキアヘズ朝数十代の
記録もある。九州のみ王朝が無なんだとは妄想もいいところだな。w

つまりオマエの盲象だ。倭京の年号が畿内のなのか? ならば編年
をしてみろ。wwwwwwwww

471 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 19:47:34
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

472 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 19:59:12
>大国
王朝と言う言い方が悪いんでないか?
畿内唯物史観派にしてみれば朝廷とは皇統直系支配しか認められないだろう
奴国王にしても卑弥呼にしても五王にしても岩井にしても今上天皇の皇統ではなかろう
嘘でも方便でも今上天皇に直結してないと朝廷とは言い難い、朝廷とは日本で唯一の存在
その他はどんなに強力でも王権と言える。



473 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:50:04
>>472
誰も九州朝廷とは言っていない。

九州王朝
畿内朝廷

474 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:08:56
ただし、かつて「遠の朝廷」と呼ばれていたことも事実。

475 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:17:51
シンギワオウの金印が見つかってないからなぁ・・・

476 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:38:44
阿蘇山ならあるけど

477 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:53:57
しかし、筑前国那珂郡役所に志賀島の甚兵衛という百姓が、田んぼの中から金印を発見したと届け出た
ことになっているけれど、どうして田んぼの中に金印があるのか、不思議だとは思いませんか?
結局、金印は邪馬台国とは縁もゆかりもない場所で発見されたのではないでしょうか?

478 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:23:47
>>477
でもさ、ナ国に送ったものなんでしょ?
で、ナ国は、今の春日市にあったらしいじゃん
そこから出たほうが信憑性が高いように感じるけど、
それが志賀島から出てきたっていうことに、
僕は真実を感じます。

479 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/12(金) 22:34:43
>>469
伊作氏は妄想の非九州王朝説だよ。それがしと論が対立して
いるんだぜ。
ただ、あいつは腹黒い論述をすることがあるから紀をつけろ!

480 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:34:57
邪馬台国を支配していた王族が落ちのびて、この地で果てた。
こういうシナリオが成り立ちそうですね。>>478

481 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 22:36:25
壇ノ浦で亡んだ平家も、京都にいた

482 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 23:32:27
>>477
志賀島といえば福岡の一番北側
南からの圧力で衰退する奴国王家、終焉の地に志賀島を選んだとか。

483 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 00:00:04
>>479
なんと崇神天皇が畿内だけとな。崇神天皇は卑弥呼の妹、葛木高千名姫の婿で
男弟だぞ。卑弥呼の後継者の台与が晋に遣使した時、一緒に爵命を受けた王だ。
崇神天皇は畿内どころか大陸でも活動している。倭の五王も大和朝廷の天皇だ。
四道将軍は武埴安彦が反乱を起こした時に編成された4個軍団と将軍のことだ。
反乱の鎮圧後、各地に派遣された。もちろん九州にも進出している。その証拠に
宇佐神宮を出雲大社と同じ2礼4拍手1礼にして呪いで封じ込めている。
奇怪な年号である僧聴、和僧、僧要などは生臭坊主・エロ坊主が考えた私年号で
編年・検証の必要もない。

484 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 07:38:50
伊作氏といえば旧約の「創世記」に出てくるアブラハムの子のイサク。
イサクの子ヤコブが後の古代イスラエル人の直系だから
伊作氏はバビロニアからやってきたシュメール人ということになる。

485 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/13(土) 09:55:10
>>483
>生臭坊主・エロ坊主が考えた私年号で
>編年・検証の必要もない。

貴殿の論拠とする研究が存在するでありましょう、教えてもらいたい。

(参考:中世の私年号の事例:1351年当時・・・翌年、観応擾乱、別の呼びで正平天下一統)
@南朝後村上天皇たち・・・・・正平6年
A北朝のうち高師直たち・・・・観応2年
B北朝のうち足利直冬たち・・・貞和7年

このとき、日本中で同時に3年号が使われ、天下三分情勢であった。
  〜史料日本史上巻 P242 山川出版社 1978

ここで、@・A・B の人びとは、それぞれ、自分こそ
公式年号であり、    他を
非公式年号(私年号)と言い合ったでありましょう。
けっして、生臭坊主・エロ坊主が考えたなどと言わなかったでしょう。

貴殿の主張根拠を教えてくだされ。

486 :うましか:2008/12/13(土) 11:15:24
九州年号のことかどうか知りませんが、大宝前の年号が記されている15世紀の朝鮮資料「海東諸国紀」と言うものはありますね。
面白いことに「白雉」「朱鳥」はあって、「「大化」がありません。「九州王朝」説の方々には自明でしょうが・・・

継体天皇元年丁亥十六年壬寅始建年号為善化〜五年丙午改元正和〜六年辛亥改元発倒
宣化天皇元年丙辰改元僧聴
欽明天皇元年庚申明年辛酉改元従貴〜十二年壬申改元貴楽〜三年甲戍改元結清〜士五年戊寅改元兄弟〜二年己卯改元蔵和
〜六年甲申改元師安〜 二年乙酉改元和僧〜 六年庚寅改元金光
敏達天皇五年丙申改元賢接〜 六年辛丑改元鏡当〜五年乙巳改元勝照
崇峻天皇元年戊申明年己酉改元端政
椎古天皇甲寅改元従貴〜 八年辛酉改元煩転〜 五年乙丑改元光元〜七年辛未改元定居〜八年戊寅改元倭京〜六年癸未改元仁王
舒明天皇元年己丑改元聖徳〜七年乙未改元僧要〜六年庚子改元命長
孝徳天皇六年壬子改元白雉
斉明天皇七年辛酉改元白鳳
天武天皇十三年甲申改元朱雀〜三年丙戍改元朱鳥
持統天皇九年乙未改元大和
文武天皇元年丁酉明年戊戍改元大長 〜 四年辛丑改元大宝

487 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 14:34:31
>>483
妄想の大海内にいてご苦労。
どこに崇神が卑弥呼の弟だとあるのか? 高千名姫が卑弥呼の妹だと
どの古文書等に書かれてあるのか?
崇神が大陸で活動したなど記紀には無いだろう? これも他の古文書
などにあるのか?
倭の五王が天皇だと? 笑わせるなよ。だれがどれになるのか?
それで編年が合うのか? 合うんなら出してみろ。だいたい
禰名(DNA)が一致するのか? 一致すると云うなら禰は誰だね?
まさか武内宿禰でもなさそうで、朝津間若子宿禰(=允恭)だと
いうのか?ww
私年号だと〜?それは九州王朝の証拠を減殺しなければ都合の悪い
奴が年号に糊塗したく、考え出したいい加減な名称にすぎない。
まぁ殆どがオマエのデタラメの盲象だな。

488 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:08:50
>>485
やはり九州年号と称する間抜けな年号は薄汚い朝鮮人の生臭坊主・エロ坊主が
考えた私年号のようですね。>>486が動かぬ証拠を出してくれました。
「海東諸国記」など記紀より700年以上後に書かれた女子高校生にでも
書けるファンタジーな時代小説です。

489 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 20:22:56
平家物語や続日本紀にも九州元号が出てくるだろ。
平家物語も続日本紀も朝鮮人の贋作かよ。
だったら、記紀も朝鮮人が作ったのか?

490 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 21:05:21
ドデカイ利害がなけりゃぁ私年号なんぞ作る必要もなかろう。
利害があるのは、卑弥呼の女王国紀無い論者とか当人の説と大幅に
合わない連中が私年号とか言って踏み倒すわけだ。

491 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 21:21:45
紀無い論者は〜
とにかく卑弥呼が紀無いとしたくさせたく、強引でも卑弥呼の女王国
を紀無いに恣意的に誘引する。というより、これこそ私意的に
卑弥呼の女王国と天皇の天皇国をピッタリベッタリくっつけなきゃ
紀がすまないのが畿内論者。卑弥呼と天皇のチチクリアイをさせ
ねば天皇に申し訳が立たないとの歓喜天信者が紀無い論者の盲象w
の脳内だ。wwwwwww

だから九州王朝説がまかり通ると女王国が九州になる切迫の危機を
九州王朝否定論にて年号も私年号と因縁をつけ〜踏み倒す。
紀無い論者は当人の説が不利の記紀においやられるため、何が何でも
九州王朝説を葬ろうと謀る。女王国が紀無いにないから記紀に卑弥呼
の独立した記事が全く無い。紀無い節カルトに脳内が支配されて
ない連中は、記紀に卑弥呼の女王国の独立した記事が全然ないこと
だけで紀無い節が妄想だと紀がつく。

492 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:27:32
>>487
崇神天皇妃が葛木高千名姫であることは先代旧事本紀と海部氏勘注系図に
書いてあるし、なぜかアホの安本のザラ紙でできた安物の本にも書いてある。
葛木高千名姫の別名は大海姫・八坂振天伊呂邊です。
266年、台与が晋に使節を送った時に並んで爵命を受けたのは男弟である
崇神天皇です。「梁書」に「並受中国爵命」と書いてある。

493 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 21:31:35
>>492
だから何故男弟が崇神になるのか?
それが述べられてないぜ。爵命じゃ断定できまいが。ww

494 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:08:30
>>492
266年では崇神天皇はすでに崩御してるよ。倍暦計上で

 崇神天皇崩御=259年

さらに古事記崩年干支からも崇神崩御は258年が正解だ。つまり
オマエの妄想だよ。

495 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:13:23
>>493
日女命(卑弥呼)の実妹、葛木高千名姫が崇神天皇妃だから崇神天皇は
日女命(卑弥呼)の義弟になるわけだ。当然、男弟は義弟の崇神天皇である。

496 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:19:42
>>492
韓国のコテハンPark氏から以下のとおり

三国史記 新羅本紀
「阿達羅二十年五月 倭女王遣其弟狛比古等獻其土物請交易物貨乃立
 倭典與之通聘」

これだと卑弥呼の男弟は狛比古という。ミマキイリヒコの男弟は
いないだろう? さらに弥馬支は崇神ではないぜ。

497 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:22:18
なぜ日女命が卑弥呼なのか? 読みが似てるじゃ、これくらいじゃ
卑弥呼にはならんよ。

498 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/13(土) 22:28:19
似てるからそれだというならば、卑弥弓呼のほうがよっぽど似て
るぜ。w

499 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 22:34:06
卑弥呼は姫子ですよ。姫氏の娘。

500 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:21:16
でもさ、九州王朝があったとしてもだよ、それで今の日本が
よくなるのか?

よくなるわけじゃないだろ、そうなら、もう九州王朝の残影を追うのは
そのへんにしといたほうがいいよ

501 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:29:23
えっ、ここ日本をよくするためのスレだったの!
オー マイ ゴッド。

502 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:33:28
>>500
もしそうなったら教科書の日本古代史は中身が全然違った物になるだろうし
そりゃ相当なインパクトはあるだろうなw

進化論を一切削除して創造説オンリーにするようなものか?w

まあそんな状況になったら日本も終わった…だなwwwwwwwww


503 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:38:25
>>498
また女子高校生でも書けるファンタジー小説の薄汚い朝鮮人の歴史書ですか?
狛比古は椿井大塚山古墳のある場所の地名から取った名前ですね。あえて特定
すると反乱を起こした武埴安彦のことでしょう。
日女命の別名は中津姫命、千々速日女命、日神、神大市姫命、倭迹迹日百襲姫命
これらの名前から日女命が卑弥呼であることが特定されます。
あえて258年に崇神天皇が崩御したと仮定すると爵命を受けたのは垂仁天皇と
言うことになります。垂仁天皇妃の川上日女命である日葉酢姫は大倭姫命である
台与と従姉妹だから垂仁天皇は台与の従男兄弟になります。男弟と同じですね。

504 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:57:17
>>500
>でもさ、九州王朝があったとしてもだよ、それで今の日本がよくなるのか?

よくなる。
今上天皇陛下が皇位継承で悩まなくてもよくなる。

505 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:00:37
>>504
キタキタ!香ばしいのがw

九州王朝説カルトはこうでなくっちゃwww

凡俗たる我が身にはワカリマセン。

是非詳しく教えてください、おながいします。。



506 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 01:25:39
天武が九州王朝系の権力者なんだから、
21世紀の今になって泣き喚いても始まらない。

507 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 08:58:21
九州王朝説では、壬申の乱は、佐賀で起こったと主張されていると
聞いています。
本当のことを教えてください
真実は?

508 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 09:32:56
>>507
九州王朝など日本の歴史上に存在しないし天皇が九州に居住したこともない。
九州には昔から部落国家しかなかったし人食い人種の首長しかいなかった。
九州人は昔から知的水準が低く、アホ・馬鹿・間抜け・愚か者だった。
だから九州人は現在でも漢字が読めないし歴史も理解できなし失言も多い。
九州は朝鮮半島に近く薄汚い朝鮮人の火病が伝染して白丁になった。

509 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 10:54:53
九州王朝って、平将門みたいな感じだったってことでいいのかな?

510 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 11:26:23
九州に豪族や土着政権があったにせよ、
コテハン連中が力説してるようなもんじゃないだろうな。

コテハンどもは神話や創作と史実を混同してる狂信者ばかり。
日本書紀の年代や記述を根拠にしてるあたりで問題外だ。

511 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 11:27:11

畿内朝廷って、勝者になった平将門みたいな感じだったことでいいのです。

512 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 11:34:51

記紀の神話・伝説に出てくる神名や人名、あきらかに創作された虚構の年代、
そんなものを使って考証してる段階で電波だよな。


513 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:02:35
一度もうはっきり言うしかないと考えてます

「九州王朝説が好きな人は、例外なくラピュタが好き」

いかがですか?

514 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:10:47
俺はナウシカともののけのほうが好きだが・・・・

515 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:12:53
ナウシカの腐海の存在理由の真実追求と
虚構で封印された古代日本の真実追求がダブルんだよね・・・・・

516 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 12:28:38
平将門というよりも、金や北方交易により経済的な基盤を有し
持ち独自の文化を花開かせた奥州藤原氏に近い存在だった
のではないだろうか?

517 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 13:58:03

風の谷のナウシカのほうが好き

518 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 13:59:46
もののけ姫は嫌いですね。
一番好きなのはラピュタ。

519 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 14:57:47
九州王朝が極東を支配していたころ、畿内は都落ちした敗者の巣窟。
九州王朝の支配者階級だった天武が、壬申の乱で畿内を統一して、めでたしめでたし。

520 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/14(日) 15:19:34
>>503
オマエ、卑弥呼は大名持神の女性版か〜?www
そんなにうんと名前を持ってるわけがないとは云えないとしても、
まぁ妄想なわけだよ。w
小説だというなら、いつごろ誰が何の目的で小説化したのか述べて
みぃ。大塚山からとったというなら、これもどうしてか、説明しろ。

>>508
すべてオマエの盲象だぜ。
九州には漢委奴国王とか、帥升とか卑弥呼、壹與、その後釜の女王
比売大神、さらには旨王と倭の五王、また阿毎多利思北孤とか
王、大王がいくらでもいる。大陸に王朝があり、半島に王朝があり、
さらに畿内には皇朝があり、卑弥呼当時は別国だった遠方九州のみ
には王朝が無いなどとは盲象から酔象への暴言甚だしい。wwwww

521 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/14(日) 15:21:49
>>512
ひとつもあきらかでな〜い。つまりオマエが津田病に罹って
いるということだ。wwwwwwww

522 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 15:46:00
狂信者が沸いたか。

523 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 16:51:01
>>520
薄汚い朝鮮人の歴史書「三国史記」の成立は1145年だ。「海東諸国紀」の
成立は1471年でなんと朝鮮人通信使が書いた。女子高校生のケータイ小説
より酷い歴史書だ。なんでファンタジーな朝鮮の歴史書を信用するのかね。
椿井大塚山古墳のある椿井の隣が上狛だ。武埴安彦が反乱を起こした時の
戦場だった場所だ。歴史書どころか地図も読めないのか?情けない愚か者だ。
奴国王と師升はともかく卑弥呼や台与や天皇はアホ・馬鹿・九州人ではない。
九州が卑弥呼当時は別国???これには、馬〜〜〜鹿!と答えるしかない。

524 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 16:57:23
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

525 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:00:37
朝鮮人の書いた三国史記のほうが、記紀より事実に忠実な点について

526 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:13:28
>>525
古典落語ですか?それとも笑点ですか?

527 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:17:41
利害関係がないことについては信用できる。

528 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:56:31

618年多利思北孤は都を邪靡堆から北方の倭京に移した。
何故この時期に遷京しなければならなかったのだろうか?

529 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 18:02:49
>>526
あなたの脳味噌が、ゆとりですw

530 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 18:54:36
>>528
伝染病かなぁ・・・

でも、京都は1000年も

531 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:05:51
九州王朝説では、「冨本銭」は
どのような位置づけになっているのですか?

532 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:15:25
>>531
「九州人が畿内へ持っていって使ってた」
とかじゃない?
知らんけど、連中の価値観なんてそんなのでしょ。

533 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:18:02
>>530
『稜撃走之 進至其都 頻戰皆敗 焚其宮室 虜其男女數千人 載軍實而還 自爾遂絶』隋書琉球傳大業四年(608年)
この事件で、隋の南方からの侵略、即ち有明海から邪靡堆の都への隋軍侵略を危惧し、
内陸への遷京を決定したものではないか。

太宰府が京であれば、隋軍の侵略が博多湾からでも有明海からであっても、
筑豊(遠賀川流域)方面に容易く逃げることができる。
又、遠賀川流域方面は多利思北孤の出身地でもある。

その後、唐の侵略に備えて、太宰府の北と南に水城を築城している。
又、水城は隋に備えての築城とも考えられる。
大野城と基肄城の築城もこの時期に始まるのかも知れない。


534 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 22:13:10
>>531
当時の貨幣は京都府南部にある椿井大塚山古墳から東へ8kmの銭司で鋳造
されていました。物々交換経済の九州には関係のない話ですね。

535 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/14(日) 22:13:52
>>523
大腸菌の検査でどのくらいの細菌の数が検出されたのか? それとも
他の細菌か? 検査はアリランの保健所がやったのか? それとも
日本の保健所か? いつごろの検査か? 
具体的に検査結果を云え。それがないとオマエのいい加減な論述で、
棄却されるのだ。
それとも検査をしてないのか? ならばその書にクソかなんかが
ついてたのか? どうなんだ? 答えられないとオマエはエテ公以下
だということが当選確実だ。

536 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 22:23:15
>>534
支配権のある九州が、元号も度量衡も通貨も決めていましたがなにか?

537 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 22:58:51
>>525
ついに太国の脳細胞が完全に破壊されて連邦破産法第11条が発動されました。
大和国(邪馬台国)は纏向にあったし女王は日女命(卑弥呼)で後継者は
大倭姫命(台与)です。男弟は日女命の義弟の崇神天皇で次代は垂仁天皇です。
日女命と大倭姫命の実家は旦波国(丹後国)で葛木高尾張が大和での拠点です。
その頃の九州には部落国家しかなく人食い人種の首長しかいなかった。

538 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:04:46
>>537>>535のアホ・馬鹿太国へでした。失礼。

539 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/14(日) 23:26:41
>>537
そんな所に卑弥呼の国があるわけがな〜い。記紀には推古の世まで
女王はいない。マキムクに卑弥呼がいたなら記紀にそのころ卑弥呼
が即位したと記載される。女王っていうのはNo.1をいうと観て
よい。たとえば今回の女子フィギュアで浅田真央が優勝したわけで、
こういう場合をフィギュアの女王とか言うようになるんだ。4位5位
で目立たぬ奴が女王というか?w そんな日女命などこんな地味な
女がいくら卑弥呼に読みが似てても、そんなのは大陸で女王などの
記載はしない。それは昔伊藤選手が技術点トップで無冠の女王など
と云われたが、こういうのは例外中の例外だ。そんな大した働きも
わからない日女命が卑弥呼などと、アクセルのように天井につく
くらいオマエが持ち上げたって、そんなのは卑弥呼ではな〜い。

540 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:37:13
>>533
隋の煬帝は大業三年(607年)朱寛を琉球に遣わした。朱は琉球人1名を
掠して帰国したが言語が通じないので送り帰らせた。「隋書」巻三、煬帝本紀。
凄まじい侵略ですね。ちなみに隋の時代の琉球は台湾のことです。

541 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 23:42:08
>>536
現在の九州地方の基軸通貨はウォンですね。ワカリマス。

542 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:03:20
>>540
>ちなみに隋の時代の琉球は台湾のことです。

隋の時代の流求國は沖縄のことです。
流求伝の出てくるのは随書東夷伝の新羅國・靺鞨と俀國の間です。
流求伝の位置から考えて台湾ではありえません。

543 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:23:16
>>539
大和国(邪馬台国)に女王日女命と大倭姫命(卑弥呼と台与)がいたことは
魏志倭人伝・後漢書・梁書・北史に書いてあります。
太国を持衰にして北九州沖で海に流してみましょう。日本海へ流れるか
瀬戸内海へ流れるか豊後水道へ流れるかで邪馬台国の位置がわかります。

544 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:48:38
>>542
なんと沖縄から澎湖島が見えるんですか?当時の琉球(台湾)国王は歓斯氏で
沖縄は阿児奈波と呼ばれていました。

545 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 02:25:23
ああ、このスレ見ると
九州人の学力がなぜ低いのか
理解できてしまうな

546 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 02:39:42
いや、九州人が九州王朝を忘却してるから、本州人が再教育してるわけだが

547 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 06:09:55
九州人もいい迷惑だなw

548 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2008/12/15(月) 07:44:49
>>507
>九州王朝説では、壬申の乱は、佐賀で起こったと主張されていると 聞いています。
>本当のことを教えてください
>真実は?

日本書紀(全30巻中の)第28巻のほとんどが壬申の乱の詳細記述に対して、
これには騎兵経験者から批判が出た。
日本書紀の記述のような高速移動は、昭和の優秀な騎馬ですら不可能で、
体格が劣る当時の日本騎馬ではまったく不可能という指摘であり、日本書紀の
記述は、ここでも八世紀の造作らしい。

ここで、既存学者たちは、(例によって)沈黙。
九州王朝説者たちから、舞台は九州であると主張を始めた。

 〜いったんここまで(こういう初心者的疑問への情報交換するために2ちゃんの意義があるのだろう)

549 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 09:43:59
>>548
ウソツキ!山手線10周してこい!

550 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/15(月) 10:57:01
>>543
オマエの妄想だよ。日女命が卑弥呼だと考えてる理由の大きなもの
は、結局読みが似てるからだととびついたんだろう。
日女命は卑弥呼がヒメコと読みうることからなんだろうが、そうなら
ば、「コ」が無いではないか? だったら倭人伝の邪馬国も「壹」
が抜けてるんだから、これはオマエのやり方では同一としてしまい、
邪馬国は邪馬壹国ということになる。単に似てるでとびつくのは
エテ公以下の用心浅さだ。wwwwwww

551 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 11:05:13
>>544
>なんと沖縄から澎湖島が見えるんですか?当時の琉球(台湾)国王は歓斯氏で
>沖縄は阿児奈波と呼ばれていました。

隋の流求國侵略記事のある隋書流求伝には、流求から澎湖島が見えるとは何処にも書いていない。
「沖縄は阿児奈波と呼ばれていました」の出典は? 随書にはない。


>>549
出鱈目はお前だ。
>>548は正しい。

552 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 18:12:39
九州人でさえ、大半の人間はこんな電波信じてないぞ。
よそ者がデタラメな電波飛ばすなよ。

何が九州王朝だ、ぶあ〜〜か

553 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/15(月) 19:17:56
年号で決まりだ。踏み倒したって駄目。

554 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 19:29:48
>>551
ウソツキ!環状線を10周してこい!

555 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 19:53:07
>>551
琉球=台湾、沖縄=阿児奈波です。これは中国の歴史書に書いてあります。
「北史」「宋書」「元書」「島夷誌略」にも台湾が琉球だと書いてあります。
沖縄県人よ怒れ!江戸時代に沖縄を侵略した九州土人が歴史を捏造してるぞ!

556 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:00:46
「沖縄や尖閣にソテツはあるが
 台湾には蘇鉄は無いぞ。」   by 昭和天皇



557 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:13:58
>>550
日女命の「命」ミコトも読めないのか?恥ずかしい。邪馬台国に「壹」の文字を
使っているようだが「臺」が正しい。漢字も使えないのか?恥ずかしい。

558 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:26:14
>>553
金光〜ッ!金光〜ッ!金光教!九州年号は金光教の年号だった。

559 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:32:52
爺さん達の話題にはついていけないよ…

560 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:45:38
>>559
蘇民祭に行って裸踊りをしてらっしゃい。「蘇民将来!」「蘇民将来!」

561 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 21:18:55
もしかして、邪馬台国も卑弥呼も魏志倭人伝が書かれた時代にはすでに存在しなかったのではないのか?
それをあたかも、邪馬台国に使者であるように装って魏に使いを送り金印や鏡を受け取った。
それだけ邪馬台国は中国大陸にも知られた有名な存在だった。
まあ、陳寿は、おれおれ詐欺に引っ掛かったようなものだな。

562 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 21:25:47
九州年号が、決め手みたいだけど、
学会では相手にされてないと聞いています。
なぜですか?

563 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/15(月) 22:07:13
>>562
だから臥海の面子が潰れるというか、威信が揺らぐからなんだよ。
連中は紀無い節だから、九州王朝があると、卑弥呼の女王国が
九州の可能性が濃厚となりうるから、何が何でも否定するとか、
当たらず触らずでいるわけ。
そういう面子の利害がデカイから真はそっちのけ。だから私年号
だとか創作だとかいろいろ因縁をつけて踏み倒すわけ。

564 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:24:47
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

565 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/15(月) 22:25:04
>>557
ハハァ〜。オマエ ミとト を踏み倒しているわけだ〜。www
「臺」は大陸の古文献編者が倭人伝に邪馬壹国(ヤマイ国あるいは
ヤマヒ国か?」とあるのをヤマト国じゃないのか? ヤマト国の
間違いだろうとオマエのように疑念を持っていて、ヤマタイ国と
なる邪馬臺国と記述して「タイ」によりヤマト(←ヤマタの意味合い
の変化)国ともヤマイ(邪馬壹)国ともいずれにも読める字の「臺」
と化したものさ。だからこの字は鳥とも獣ともなりうる蝙蝠的
折衷的方法を彼らが選択したもので、それにより女王国の国名を
分からんので言い逃れしたもの。だから卑弥呼の国は邪馬臺国では
なく邪馬壹国が正解なのである。
倭人伝には邪馬壹国さらにこの字で壹與があるが、これを邪馬臺国、
臺與などと2回も重要部分を間違えるほど陳寿の頭はいい加減では
ない。

566 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 22:28:39
>>555
流求=台湾だと繰り返し叫んでも、流求=台湾だと書いてある文献は示せないのだね。

567 :うましか:2008/12/15(月) 22:37:50
>>562
> 九州年号が、決め手みたいだけど、
> 学会では相手にされてないと聞いています。
> なぜですか?

諸文献に残る「逸年号」と言われる文字列が「九州王朝」と結びつかねばならい理由が無いからです。

568 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/15(月) 22:52:58
>>562
卑弥呼の活躍時代は倍暦計上にて崇神の代だ。そのころの朝廷は
勢力が畿内あたりしか存在しない。つまり畿内から見れば九州は
遠い別国なのだ。遠の朝廷なども、九州がはるか遠い国だからそん
な名称をつけたわけ。とういうことは大陸に王朝があり半島に王朝
があり、畿内にも皇朝があるのに、ポツンと大陸半島と畿内の間に
ある九州のみが王朝が無いなどとは非常に考えにくい。そうなると
年号はどこのかと考えれば、倭京の年号は大いに目立つところだが、
当然畿内から遠い別国たる九州の年号と考えるのがその合理的考察
である。他に王朝で漢字の年号を持つ国など考えにくい。

卑弥呼の女王国が畿内か九州かで論が別れているが、まさかハワイ
だとかジャワ、エジプトなどはトンデモで遺棄すべきであるから、
年号でもその考えを踏襲すべきであり、他の地域の年号だとかでの
言い逃れは女王国エジプト説と同じ範疇のトンデモうっちゃり説で
あり、遺棄すべきなのだ。

569 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 00:36:57
>>562
九州年号の「金光」は金光教が考え出した年号で「僧聴」「和僧」「僧要」
などは生臭坊主・エロ坊主が考え出した営利目的の年号です。ようするに
「聖教新聞とってくれ!」と言う生臭坊主・エロ坊主の恥ずかしい営業です。

570 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 00:48:59
>>565
あなたは漢字が読めないんだからSHARPの電子辞書を買いなさい。
ついでに年表も買いなさい。アッ!脳波の検査が先か!

571 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 01:24:58
万葉集に、九州の地で詠まれた歌はたくさんあるが、
九州人が詠んだ歌がほとんどない。
中国・四国地方も同様。

これは、九州王朝説でなければ、解明できないのだよ。

572 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 01:26:45
>>566
『北史』巻九十四、「琉求国は海島にある。まさに建安郡の東、水行五日にして
至る。土地に山洞多し。その王の姓は歓斯氏、名は渇刺兜。」
『宋書』巻四百九十一、「琉求国は泉州の東に在り。海島ありて澎湖という。」
『元史』巻二百十、列伝九十七、「琉求は海の東に在り、璋、泉と福と澎湖島と
相対す。」以上、面倒なことやらされたから餅代よこせ!

573 :うましか:2008/12/16(火) 01:35:01
>>571
> 万葉集に、九州の地で詠まれた歌はたくさんあるが、
> 九州人が詠んだ歌がほとんどない。
> 中国・四国地方も同様。
> これは、九州王朝説でなければ、解明できないのだよ。

何故ですか?
も少し詳しく説明していただけますでしょうか?

574 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 01:55:00
>>573
九州王朝説抜きで、まず自分から説明してみてください。

575 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 15:49:40
>>570
命を コ と読むなら、当時の古代は○○命の書き方の人名だから
みんな尻尾が コ とせねばなるまいが。wwwwwwwww
名前が似てるからじゃ卑弥呼にはならない。女王というのはNo.1を
云うんだよ。フィギュアだったら今回浅田真央が優勝したわけだが、
こういう場合を女王というわけだ。2位3位は女王ではない。それ
は技術点がずば抜けてて4位以下だったか、伊藤選手の無冠を女王
と云った場合もあったが、これでさえ技術点で結局No.1だったわけ
で、特別に女王と言われるわけなのさ。
目立ちもしない記紀にも活動もしてなさそうなNo.2のもなりそう
もない女など女王に担ぎだすな。wwwwwwww
つまりオマエの妄想象複たる天皇と卑弥呼をベッタリさせたい歓喜天
盲象論だということだ。wwwwwwwwwwwwwPu!

576 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 15:57:29
>>569
金光教はその時代のころは存在しないだろ!
つまりオマエがスケベエだからそんな歓喜天に到る非九州王朝説の
盲象をはびこらし、年号の踏み倒しを謀るわけだ。wwwww

577 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 16:16:31
>>572
餅代は無理よ。

『宋書』『元史』の引用は論外ね。ここでは琉球は台湾を指す。
『北史』は『随書』を引用したものだから隋書とよく似た内容になる。

隋代の流求=沖縄説についての説明が面倒なので、下記を読んでくださいね。
古田クラブの古い論文だけれど我慢して読んで。
>>http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin15/ryukyumo.html

ごたく並べる前に、流求國は隋書東夷伝に書かれていることを思い出してね。

578 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 16:23:20
>>577の続き
引用します。

  556 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 20:00:46
  「沖縄や尖閣にソテツはあるが
   台湾には蘇鉄は無いぞ。」   by 昭和天皇


579 :577:2008/12/16(火) 16:29:25
『市民の古代』を今改めて見たけれど、
15年以上も前にこのようなすばらしい本があったのだね。

580 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 17:12:44
>>577
古田って「邪馬台国はなかった」と言ったアホの古田武彦のことか?
こいつは歴史学の恥さらしの大馬鹿者だ!

581 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/16(火) 17:23:58
オマエほどでもないだろう。w

582 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 20:53:09
東日流外三郡誌は実は本物。
もちろん和田氏が書き写した原本のほうの話だ。
古田氏はそれを見抜いていた。
難升米とは実は東日流王のことだったのだ。
これですべての謎が解けた!

583 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 21:04:44
なんかテレビ東京で、歴史ミステリーをやってるみたいだけど、
見た人いる?

「大化の改新」はなかった!!ってやってたけど、
なぜか、九州王朝説はどこも取り上げない
これはどういうことかな?

584 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:16:43
>>583
ずいぶん前から色んなのやってるけど…
何故九州王朝説を取り上げないか?
さあ、沖縄海底ピラミッドの次の企画でやるんじゃない?

確かにね、九州にも王朝はあったよ。
磐井が負けるまでは。

585 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 22:39:47
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

586 :うましか:2008/12/17(水) 01:37:59
>>574
> >>573
> 九州王朝説抜きで、まず自分から説明してみてください。

その前に>>571を説明してください。
書き込自体の意味がよくわからないので尋ねているのです。

587 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 02:10:56
通常の日本語ですから、普通に読んでください。
わからなければ、国語辞典をひいて、ひらがなや漢字の意味を調べて理解してください。

588 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 10:38:07
>>587
オレに聞かないでって云えばいいのに。

589 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 13:43:12
>>587
>>586は「馬鹿」と自称しているのだから、説明してやりなよ。

>>586 馬鹿さん
万葉集には九州が舞台の歌はたくさんあるのに、九州の人が詠んだ歌がほとんどない。
中国・四国地方も同様。

万葉集は何故このような構成になっているか説明できますか?
九州王朝説を使えば、説明できるのだよ。


590 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 16:12:24
>>589
では、九州王朝説を使って万葉集の説明をしてもらおうか。
出来るかな?脳内キムチ畑の九州説のお馬鹿さん。

591 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 16:15:28
答え:

 九州の土人どもには歌を詠むような教養もなかった。

 九州王朝どころの話じゃありません。





592 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 16:48:18
>>590
> 出来るかな?脳内キムチ畑の九州説のお馬鹿さん。


こら! 九州説っていうな。トンデモの九州王朝説だろうが!まともな九州説と一緒にするな。

593 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:16:37
「謎かけ」の投げっぱなし、書き逃げって言うのはここの九州王朝説の得意技だねw



594 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:23:39
サイキバ君の匂いがする(w

595 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 19:39:29
ヒント:万葉集は歌謡集なのに雑歌から始まっている異常さ

596 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:23:44
九州王朝の王族は縄文系ですか?弥生系ですか?それとも渡来系ですか?
渡来系ならどこから来たのか?
まず、そのあたりをはっきりさせてほしいものです。そうでないと、卑弥呼の墓が
どんな墓だったのかすらわかりません。

597 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:31:17
弥生系。

598 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:32:33
>>596同意。
宇佐稲積山(写真右手)こそ、卑弥呼の墓ではないだろうか?
稲積山周辺には、神奈備型のピラミッド山が多数存在します。
このあたり、もしくは奥の耶馬渓が卑弥呼の国邪馬台国だったとするのが妥当。

http://oitamt.web.infoseek.co.jp/00111.jpg



599 :うましか:2008/12/17(水) 20:38:43
>>589

> 万葉集には九州が舞台の歌はたくさんあるのに、九州の人が詠んだ歌がほとんどない。

万葉集4千5百余首の約一割、470首ほどの詠み手は大伴家持です。
二流中央貴族の宿命で、大宰府や薩摩国府に数年間在勤しています。
家持ほどの首数は、ありませんが父親旅人や山上憶良も九州暮しが長く、
この九州暮し長かった宮廷歌人関連に「九州が舞台」となる例が多いですね。
また、巻15の遣新羅使関連でも九州舞台は目立ちますね。
ただ、万葉集撰録歌の大半は中央が舞台です。

> 中国・四国地方も同様。

ここの意味、「中国四国が舞台の・・・中国四国の人が詠んだ」と言うことでしょうか?
家持のように当時の二流貴族の多くは地方官として全国に赴任していますので、
九州以外の舞台(家持も九州以外に伊勢や隠岐にも赴任しています)の歌も多く撰録されていますね。
ただ、巻14の東歌を除けば基本的に詠み手は宮廷歌人です。
東歌は家持が防人検校を勤めていたこともあり、その時に交渉のあった東国人の歌が
多く撰録されているようです。
この東国出身者の歌群があるため、貴方はわざわざ「中国・四国」と仰るわけですよね。

> 万葉集は何故このような構成になっているか説明できますか?

はい、説明しましたよね。

> 九州王朝説を使えば、説明できるのだよ。

だから、そこのところを詳しく説明してください。
通常の日本語で普通に読んでも「理由が書かれておらず、結論だけ」なのですから、
これは、うましかじゃなくても「理解」できませんよ。

600 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:42:45
>>599

>> 万葉集は何故このような構成になっているか説明できますか?
>はい、説明しましたよね。

どこで誰が説明していますか?

601 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 21:39:01
大和の建造物も、太宰府からほとんどが移築されたものだと
聞いてます
本当でしょうか?

602 :うましか:2008/12/17(水) 22:29:13
>>600

貴方の「結論」が、どういう理屈で導き出されたものなのか、
説明をしていただくことはできないのでね。
「結論」の方は別にして、「理屈」の方には興味があったのですが、諦めましょう。
残念です。


603 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:43:04
>>601その通りです。
伊勢神宮の遷宮とは移設のことでした。
しかし、伊勢神宮は、天孫族に乗っ取られ、
伊勢津彦は諏訪にのがれることになります。

604 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:51:05
>>601
飛鳥の古寺の殆どが九州からの移築なら
その痕跡が九州王朝の都にあるだろうなw

仮に礎石もひっぺがしたとしてもその跡が残るだろう。

さてさてそんな痕跡が九州の何処にあるのやら。

九州王朝説カルトどものお得意「大宰府」にもそこまでの寺院の跡があった話は聞いた事が無いwww



605 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:53:52
>>602

>> 万葉集は何故このような構成になっているか説明できますか?
>はい、説明しましたよね。

どこで誰が説明していますか?


606 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:56:53
石舞台は古墳の石室ではなくストーンヘンジです。
縄文人の村の中心、司祭場でした。

607 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/17(水) 23:03:57
>>604
奈良の寺が殆どが九州からの借り物などということはなかろうが、
遺蹟というものは盗掘、台風、地震、噴火、建造物等によって
消え去る可能性が大のものであ〜る。オマエの言い分では遺跡が
消えることを遠回しに喜んでいるトンデモ人間であり、考古学から
も大敵たる野郎である。阿蘇の噴火等で遺跡の壊滅は充分考え
られるわけで、遺蹟が見え無いから九州王朝が無いなどとは、まる
で体表に兆候が無いから、体内にガンは無いなどとを確信して
る楽観評で、オマエのは「藪遺捨」的古代史検診であり、妄想を
通り越して、歓喜天盲象のとんだ診察野郎だな。wwwwwwww

ZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・

608 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 23:40:59
>>607
リアル痴呆性老人の犬国は黙ってろw

例え火をかけたとしても焼土や炭化物は残る。

構造物が無くなったらそれでお終いと言う単純な話ではない

そう簡単に痕跡を綺麗サッパリ消せる物ではない。

大和王朝はどんなマジック使ったんだよと言う話だボケwww

まして大宰府はその中心が分かっていているのだから捜索範囲が間違っているなどと言う可能性も少ないだろう。

ボケ老人犬国はさっさと氏んどけやカスwwwwwwwwwwwww















609 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 07:00:55
すんげー厨が暴れてるな

610 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 10:14:55
伊勢神宮の移設は文武朝に入ってからで、それも伊勢の中でだけの移動。

全国の廃寺はしっかりと礎石の跡が残ってるな。

611 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/18(木) 11:04:37
>>608
植物のこやし化とかで、そんなものは出なくてもおかしくはない。
微生物はうんといる。

だいたいビルが乱立して踏み潰されてて無理もいいとこだ。
漢委奴国王、帥升、卑弥呼、壱与、女王比売大神、倭の五王、旨王、
阿毎多利思北孤等〜他にも小国王は多数いたんだし、こういうのが
九州で覇権を握って王朝を作ったとは十二分に云える。しかも
大陸に王朝あり半島に王朝あり、畿内に皇朝あり、しかも畿内から
遠方の別国たる九州のみポツンと王朝が無いなどとオマエの妄想、
単純な考えからの盲象だねぇ。さらに古史古伝にはウガヤ朝数十代
が存在した記録があるし、年号も多々出てりゃぁ無いなどと、オマエ
のエテ公的思考であると断定できよう。wwwwwwwwww


612 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:18:42
ということは、平将門みたいな感じだったということでいいのかな?

613 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:37:52
古九州王朝は阿蘇山の麓にあったのではないでしょうか?
阿蘇山は、今でこそすっかり山が吹き飛ばされて、
中岳ですら2000mに満たない山ですが、
外輪山の火口原の大きさは世界最大級の火山ですし、
もとは、8000m級の成層火山であったといわれています。
富士山を2.5倍にしたような成層火山で、
しかも単独峰だったのですから、
古代から世界中の人類の聖地であったことは間違えありません。


614 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:08:04
>>613
>阿蘇山は、今でこそすっかり山が吹き飛ばされて、

阿蘇山は、今でこそすっかり山が陥没して、


>もとは、8000m級の成層火山であったといわれています。

8000m級の成層火山になる前に陥没し始めた。


>古代から世界中の人類の聖地であったことは間違えありません。

陥没開始前の成層火山であった頃には、九州にが人類はいなかったであろう。

615 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 01:18:21
なんか阿蘇の麓にUFOでも飛来してきそうな勢いだなwwwww

616 :ローガン:2008/12/19(金) 01:28:01
>>611
> そんなものは出なくてもおかしくはない 微生物はうんといる。

なるほど、見つからないからと言って、なかったとは云えない と。
錆びてなくなったのかな? 鉄

617 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/19(金) 15:32:10
溶岩流でもパァーもありうるだろう?
とにかく畿内朝廷規模のでかく長期の王朝でもない。
建造物の下に埋まったこともあろうし、現代はうんとビル等が地面
の上に乱立している。そんなにたやく残るものではないね。

618 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/19(金) 16:36:41
>>604
痕跡か〜?w そうなると痕跡が無いと〜倭人伝に記述ある末盧国から・・・
・・・斯馬国・・・等多数の小国も無かったことになるのか?www

笑わせるなよ。wwwwwwww それともこういう小国はオマエが痕跡を
見つけてるのか? それとも紀無いに全小国があったというのか?wwwww
ならば漢委奴国王とか帥升も畿内にあったことになるのか?wwwww

ならば紀無いからその痕跡を出せよ。wwwwwwwwwwwww


619 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 17:07:55
>>618
畿内は国の痕跡だらけなんだけど。

620 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 17:36:25
畿内説なんか、発掘の出土物が完全否定してるよ。
畿内説学者は、無理な言い訳を考えることだけに情熱を捧げている有様。

621 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 21:11:19
十和田湖にあった東北王朝は、延喜15年7月5日(西暦915年8月18日)の大噴火で壊滅した。
大和朝廷は、それに乗じて蝦夷討伐に乗り出したのだ。いわゆる、火事場泥棒。許せん。

九州王朝の崩壊も、やはり火山の噴火が原因だったのではないだろうか?

622 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 21:41:08
もう一回整理しよう

まず、なにを第一の根拠として、九州王朝説を言うのか
これを議論していきましょう

623 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 22:20:18
奴國〜邪馬台国〜大宰府
と続く系図の事を九州王朝というのではないでしょうか

624 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 22:28:03
九州王朝ではなく、世界王朝と呼んだ方が正確です。
九州こそ世界の中心だったのだ。


625 :ゴジンム:2008/12/19(金) 22:36:12
神州ハ不滅ナリ。

626 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 22:51:50
>>624
なるほど、九州中心型皇国史観、と。

627 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 03:37:12
九州王朝ではなく、土蜘蛛国と呼んだ方が正確です。九州こそ馬鹿の中心だったのだ。

628 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 04:01:46
今の日本は、畿内の野蛮人を征伐して、九州王朝が作りました。


629 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 05:29:11
今の日本は、九州の土蜘蛛を征伐して、大和朝廷が作りました。

630 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 08:37:53
九州王朝は、コロボックル王朝だったのではないでしょうか?
崖に横穴を掘って住んでいました。
弘法大師が一夜で掘ったという言い伝えのあるいわれる百穴として
各地に遺跡が残っています。

大体、大和朝廷以前の遺跡は、全て弘法大師の仕業人ってことに
なっているからね。


631 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 08:49:53
しかし、トンデモ論をやるテレビ番組でも
取り上げられられないって、一体どういうことなんだろう?

632 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 08:51:51
ズバリ!それが隠された真実ってことです。


633 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 11:21:56
>>632
テレビ局も、「九州王朝説」があるって
もちろん気づいていると思う。

でも放映したテレビ番組は、この2008年になっても
一度としてない。
テレビの歴史50年で一度もだよ
ほとんど全ての話題を取り上げてきたのに。

つまり、最後の「日本のタブー」に認定されているのかもしれない

それか、放映したら、「放送局としての知性」が疑われるからか

634 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 12:10:06
九州王朝説はオカルト板へ移転すべきだ。

635 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 13:33:59
水城 太宰府 大野城
よく考えればやっと畿内を掌握していた大和幕府が遠方にこんなの作れるはずないもんな。

636 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:11:24
大和幕府???吉本新喜劇ですね。ワカリマス。

637 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 14:18:40
大和幕府は不適切だった
九州株式会社大和支店

638 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/20(土) 14:34:01
50年間も全部TVを終始見てたのか? それともTV局に問い合わせ
でもしたのか?w
紀年編年だってやってないだろう?

639 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:38:06
>>635
太宰府を挟んで、
北西に大野城と水城、
南に基肄城と水城、
太宰府を何から防衛する為に築城したのだろうね。

640 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 15:55:46
国宝、法隆寺が九州からの移転だとは、畿内の低レベルぶりが良くわかります。

641 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 16:11:48
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

642 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 16:41:59
>>640
九州に世界文化遺産が1個もないから火病を起こす、九州の愚かな土蜘蛛さん。

643 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:30:31
でも、熊本のでっかい岩を、奈良まで運んだんだっけ?

644 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 17:53:05
>>643
奈良だけではなく、大阪にもそのでっかい阿蘇の石はたくさんあるよ。

645 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 18:02:31
それはどうやって運んだのか知ってますか?
古代人は反重力運送システムを持っていたのです。
だから、ピラミッドが簡単に作れたのだ。

646 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 19:08:18
やはり九州王朝説はオカルト板に移転すべきだ。

647 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 19:18:04
九州王朝の神武将軍が大和幕府作ったんだよ。

648 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 19:30:01
>>647
今晩、金縛りになりますように。

649 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 21:09:02
なんか、学術的な手順?を踏んでいないから、
学会とかで無視されてると書かれていました

誰か、ちゃんとした論文書いてください
俺馬鹿にされて悔しいです

650 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 21:10:27
×学術的な手順?を踏んでいないから

○日本史最大のタブーだから

651 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 21:13:57
× なんか、学術的な手順?を踏んでいないから、
   学会とかで無視されてると書かれていました

○ 畿内説は、なんか学術的な手順?を踏んでいないから、
   思い込みの強い学会とか、特殊閉鎖的な場だけで
   妄信されてると書かれていました


652 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 22:39:41
古田教信者が言う「畿内説」には
「邪馬台国畿内説」と
「8世紀以前の大和王権存在説」と
二通りの意味があり、
いくら前者を批判しても後者に組すれば
その人間は即皇国史観の畿内説、と看做されるので、
まともな九州説の方々はご注意。

653 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 22:57:36
古田説は、王権多元史観だって、知らないでしょ?>652

654 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 23:44:52
邪馬台国はなかった
九州王朝もなかった
聖徳太子も存在しなかった

しかし、武内宿禰は実在の人物

655 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 00:01:45
>>653
あ!サイキバ君だ。

656 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 00:41:19
>>655
あ!マキムク馬鹿だ。

657 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 00:55:51
卑弥呼の墓は群馬にあった。毛野氏とは姫の氏、つまり、渡来系倭人だったのだ。

↓群馬県沼田市戸神山
http://takasaki-shiroyama.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2008/03/04/p1080127.jpg


658 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 02:42:37
古田説を信じるのなら九州王朝(崇神王朝)は邪馬壹国の後継国家になるのだがどうなんだろ?

659 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:40:24
太国さん、早く学会をひっくり返してください

660 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:51:21
太国さんは、星一徹かよ?

661 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 12:34:57
太国は鉄格子のある病院に入院しました。現在、公安の監視下にあります。

662 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 16:21:32
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

663 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 16:49:43
>>659学会ではなく学界と書くのが適切ではと思います。
学会は、一般では創価学会をさすことが多く、学会を引っくり返せとは創価学会を引っくり返せととられることになります。
気をつけましょう。

664 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 18:25:15
そうかそうか。

665 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 20:24:21
とにかく、学界にわずかにでも、認められないと
テレビ放映さえムリ

テレビに放映されれば、一般認知度が飛躍的に伸び
研究も一気に進むはず。
歴史の教科書が書き換えられる。

太国さんは講演会に引っ張りだこ、大金持ち

666 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:22:08
九州王朝はあったかもしれないし、なかったかもしれない。


667 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 21:31:38
だいたい、王朝の定義ってなんなん
江戸時代の、藩みたいなものと考えていいの?

668 :日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 21:31:41
あるわけないじゃんwwwwww

669 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 22:06:57
>>653
それぐらい知ってるよ。
九州王朝を筆頭に、関東王朝や東北王朝や南九州王朝等、
日本各地に様々な王朝があり、決して大和王朝だけではなかった。
これがようは「多元的史観」だろ。
古田自身はそう考えてる事ぐらいは知ってる。
だが、名無しの九州王朝論者共は九州の賛美と畿内の罵倒のみに明け暮れ、
他の地域について省みる事が無いと言って良い。
彼等が古田武彦の価値観を心から理解しているとは思えんのだが。

古田信者と言ったのは間違いだった。
最早彼等の九州王朝説はただの九州自慢で、
「多元的史観」なぞどこへやら。

670 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 22:10:28
自分の言ってることがマチガイとわかったわけね。

671 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:14:31
>>669俺は初耳だ。うそなら正直に言え。
俺を騙そうとしても無理だぞ。


672 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 23:58:11
>>669
>最早彼等の九州王朝説はただの九州自慢で、

俺は九州王朝論者だが、根っからの関西、奈良だ。
九州へは修学旅行と出張でしか行ったことがない。(最近の現地調査は除く)

673 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 00:30:10
マキムクマンセー馬鹿は、自分も他人も「オラが村こそ邪馬台国」と喚いてるように思い込んでる。
自分だけだと気づいて欲しいね。

674 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 01:16:04
九州王朝の存在を認めるだけで記紀の矛盾点が全て説明出来る
九州王朝の存在を認めるだけで邪馬台国問題もすぐに解決する
九州王朝の存在を認めるだけで皇室が万世一系でないことがすぐにわかる

675 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 01:27:21
畿内説を信じると纏向が宇宙の中心に見えてくる。
畿内説を信じると麻原彰晃が神に見えてくる。
畿内説を信じると「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」ということわざが好きになる。

676 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 16:03:00
だから九州王朝教団に入ろう!
九州王朝教団に入るとサタンの手先畿内説に騙されなくなる。
九州王朝教団に入ると真理が掴める。

677 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 16:05:07
>>670
ああ。
畿内罵倒と九州賛美を繰り返してるだけの人間が
古田武彦の教えを忠実に守ってると思ったのは間違いだった。
自分の脳内で曲解して信じ込んでたのに。

678 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 16:24:48
>古田武彦の教えを忠実に守ってると思ったのは間違いだった。

間違いどころか、古田武彦の意見の真逆だ。
「師の説の受け売りをするな」「祖術をするな」というのが、古田武彦の教えだ。
ちゃんと古田説を学べよ。

679 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 17:25:58
>>678
じゃあ「九州王朝はなかった」という主張だって
古田武彦師は認めてくれるわけだね。w

680 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 17:42:13
>>679
結論について評した言葉じゃないから、その問いかけ自体が無効。
論理展開についてだ。

681 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 20:15:39
十和田湖の畔にあった東北王朝の都は、
延喜の十和田湖噴火で壊滅。
それに乗じて大和朝廷は蝦夷に攻め込んだのはいうまでもありません。
その事実を隠すのは、火事場泥棒の後ろめたさがあったからだと思います。


682 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:03:54
太国さん、近畿説の鼻を明かして欲しい

683 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/22(月) 23:11:36
先入観のない古代史論の初心者的状況の方なら、記紀に卑弥呼の記事
が無いことを冷静に考えれば、畿内に卑弥呼の国など存在しない
ことが容易にわかろうが、いったんひいきだとか邪馬台国=ヤマト国
だとかの考えに吸い付かれると、もう畿内説の盲信に直結しちゃう。
はたしてこの等号が真なのか否かを吟味、点検すべきであるのに、
この等号にとびついたらもうオシマイ。

684 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 23:32:12
放置しても、畿内説は国民から見放され、衰退していくから心配してません。

685 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 08:43:58
九州説・九州王朝説は日本国民から「馬〜〜〜鹿!」と言われているので近々
滅亡する予定です。自虐的歴史感として日本国民から非難されています。
九州説・九州王朝説は薄汚い朝鮮人と九州の土蜘蛛を起源とするBが流している
反日活動の風説です。九州説・九州王朝説の人達は全員、極左暴力集団です。

686 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 11:09:50
それがしは左党はなめてないよん。

687 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 11:45:25
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!弥生土器にはこれらの要素が一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

688 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 13:44:13
隋書-倭国:無文字, 唯刻木結繩. 敬仏法
しめ縄として全国の神社に残っているではないか。
やはり邪馬台国は日本を平定していたのだ。

689 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 14:02:51
太国さんが、九州王朝を確信している
最大の理由ってなんなんですか?

690 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 14:21:37
>>689
古神道のウラゴト(卜事)ですよ。これは権力(王権)の盛衰を
測るもので、その結果に出てますよ。真にこれをやれる方は世界中
でまずいないでしょうが、その重要片隣はほぼ把握使用でき
ますから〜。今年前半、卑弥呼の卜事をやりましたが、一部誤認失敗
がありましたので、来年早々材料を正確に使用してハっッキリ
させる予定です。今年は1ヶ月半くらいかかったかな? もっと早く
やれますがね。疲れますから、こんなもんです。九州王朝は
崇神から文武の代の間だとの占事の結果を把握してますね。

691 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 15:05:06
>>690
なんと!占い!九州王朝説は占いで成り立っているのか!ビックリ!タマゲタ!
これではデブで詐欺師の江原と同じだ。九州王朝説はオカルト板に引っ越せ!
太国は鉄格子のある病院へ行きなさい。脳波の検査と脳の断層撮影しなさい。

692 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 15:52:18
>>691
経験が狭小だねぇ? オマエはそういう知能が0なわけだな。www
出来ない奴、知らない奴は蛮族の知能と同じ。オマエの慕う
天動説的科学では無知の領域だからなぁ。wwwwwwwww
それにオマエも研究、論評してるだろう卑弥呼も鬼道カルトだから、
オマエもカルト板でへ行け!!

693 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 15:59:40
天体の軌道計算、だって天気予報だって占いみたいなものだよ。
経済動向調査とか日銀短観なんてのも、要するに占いの一種。
未来のことがわからないのと同じように、情報量の少ない過去の
こともわからなければ、最後は占いで決めるしかないのさ。

たとえば、世界的に需要が激減する中、予定していた工場建設を
継続するのか取りやめたほうが良いのか誰もわからない。そんなとき、
経営者が頼るのは占いなのだ。
よい占い師が付いている企業だけが生き残る。


694 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 16:02:48
こいつのように天動説的科学の生半可な知恵、学をつけた奴ほど
未知の世界を知らないものだ。wwwwwww

人間のいまだ知らねざる次元においての物語である。〜そこには
時間の観念も空間の観念もない。科学と迷信、空想と知識、そして
その中間に横たわる世界〜〜
・・・・・・・ミステリー・ゾーン(トゥワイライト・ゾーン)から

695 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:06:03
唯我独尊の人はどこの世界でも嫌われる…よ!

696 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 16:13:46
釈迦如来は嫌われてないよな?w

697 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:38:42
>>696
太国!日本の歴史を占いで語るとは恥ずかしい野郎だ!これまでの書き込みで
占いで書き込んだのがどれくらいあるか答えろ!倍暦も占いで決めたのか?
九州王朝の諸説も全部占いを元に書き込んだのか?まじめに読んでた人達は
どうなる。馬鹿を見たのか?お前の書き込みを全部検証するにも膨大な数だぞ!

698 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 16:58:25
>>697
>まじめに読んでた人達はどうなる。
誰もまじめに読まんだろう。

699 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:06:15
書紀の古い時代の年代を根拠にあれこれ考証してる時点で信憑性ゼロだしなw

700 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:19:41
太国さん、とんでもない書き込みをしてくれましたね・・・
占いが根拠って・・・うそでしょ・・・

魏志倭人伝が根拠ではないのですか?

701 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:26:01
>>690 犬国 ◆yVAs7uaYlY

>古神道のウラゴト(卜事)ですよ。これは権力(王権)の盛衰を
>測るもので、その結果に出てますよ。真にこれをやれる方は世界中
>でまずいないでしょうが

上記訂正しておいてやるw

誤)ウラゴト(卜事)ですよ。
 ↓
正)戯言(たわごと)ですよ。


「ボクがあみだした こしんとう の ひぎ」
・・・なんてほざかれて誰が真に受けるんだよ馬鹿w

まあこの手のはオカルトオタクの餓鬼にはいっぱいいそうだなw
それが痴呆老人がやっていると言うのが更にイタイ訳だがwwwwwwwww

世界でてめえだけが知る古神道の秘儀をやる前に
先ず現在ある神道の基礎からその深奥まで修めろ
(まあそれでも数十年かかるか?)

結局そう言うベースがないから自己流脳内秘儀に 『 逃 げ る 』w

ちょうど空手やボクシングの激しいトレーニングに耐えられない、やった事もない格闘技オタクが
「謎の中国人から伝授された中国拳法の使い手」を名乗るようなもんだwww
(無論、中国拳法や古武道はきちんとした師について修行すれば相当に厳しい物になるんだろうが)



702 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:35:22
>>697
>まじめに読んでた人達はどうなる。馬鹿を見たのか?

嘘を嘘と見抜けない人は(以下略

てかそもそも犬国の書き込みを真面目に読んでいた奴なんているのか?w

まあいたとしても自己責任だなwwwwwwww

703 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 18:47:48
>>697
倍暦はウラゴトとは無関係だ。ウラゴトは日本古代史の全局を把握
するに超有効だが万能ではない。それで前から神武即位元年が西暦
何年なのか、強い興味があったのだ。倍暦はウラゴトでは絶対とは
言えないが、これでは効力が希薄である。だから紀年を重視したの
だよ。また書きこみは全部ウラゴトからではないね。ま、オマエの
学術才能は所詮天動説的科学脳であり、余から観ればオマエのは
古代史においては蛮族級だとしか言えない。そこに断層があるから、
オマエはそんな苦言を呈してるだけだ。

704 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 18:56:24
◆在日中国人が75万人を突破

2008年12月22日、在日中国人向け新聞「中文導報」は、
日本で暮らす中国人の数は75万人を超えたと報じた。中国新聞網が伝えた。

記事によると、昨年1年間に日本国籍を取得した中国人は10万5813人で、
永住者は12万8501人に達した。 特別永住者は2986人増えて初の13万人台を突破。
日本人の配偶者は5万6990人、永住者の配偶者は5212人増えた。
日本に定住する中国人の数は43万人を超えるという。

人口の増加に伴い、全国各地に中国人コミュニティが形成されている。
横浜の中華街や神戸の南京街は有名だが、最近は東京のお台場(江東区)、立川市、
愛知県名古屋市の大須(中区)、大阪の上海新天地(大阪市)など新興の
“中華街”も続々と誕生。埼玉県大宮市の東宮下団地や川口市の芝園団地などは
居住者の大部分を中国人が占めるという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081223-00000004-rcdc-cn

705 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 18:56:41
>>701 ジョーカー
余から観れば、古代史ではオマエは蛮族級の頭脳であり、オマエ
じゃぁ古代史的天体運動のシステムは測ることができっこない。
天体運動システムとはたとえての話である。
一般にはこちらが蛮族だとかオマエの言うセリフだとか言い
張るだろうが、ウラゴトはたわ言ではない。事実日本史がウラゴト、
王権の勢力の盛衰から1歩も逸脱しておらず、ウラゴトの結果通り
になってるというこの現実をオマエは知らな〜い。ウラゴト(卜事)
に冠してはオマエは保育園以下の知識であろう。wwwww

706 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 20:24:02
しかし、倍暦は正確で、占いは使っていないという説明は納得いかない。
実は、倍暦など使わず、占いで年を改めていたんじゃないですか?

707 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 20:53:22
>>690
>九州王朝は 崇神から文武の代の間だとの占事の結果を把握してますね。

九州王朝の根拠は占いによるものであったw
さすが!お笑い説!!

708 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 21:41:54
>>703
九州王朝説での諸説の書き込みの内で情報元ソースのないもの全部占いなのか!
情報元ソースを明示した人に占いで反論したのか?太国は恥ずかしい野郎だ!
曲学の徒氏のHP「日本建国史」の掲示板に大量に書き込んでいるようだが
あれも占いによって書き込んでいるのか?あの掲示板は実名で書き込んでいる
豪傑な人いる。占いを元に書き込むのは真面目な人に対して実に失礼な話しだ。

709 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 21:48:58
単なる思い込みの畿内説よりは、まだましかなぁ〜

710 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/23(火) 22:01:17
>>706
そんなことでウソを言ってもしようがないだろう。倍暦とウラゴト
とはあまり関係はない。それにそこらの占いとかで字が似てるとか
でミソもクソも一緒にしたようなことを考えるな。これはほかの奴
にもとりわけ言えることだ。

711 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 23:49:13
あああ〜可笑しい!九州王朝の根拠は占い!
さすがお笑い説!トンデモ説! 説ですらないかあ、根拠が占い。
ハハハハハハ

712 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 23:54:32
>>710
> そんなことでウソを言ってもしようがないだろう。

正直で結構。

>倍暦とウラゴトとはあまり関係はない。

いやいや倍暦はあるかも。異論はないよ。ただ九州王朝の証拠がト事だとは笑えた。
それも特に異論はないよ。

713 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 00:05:52
>>711
> ハハハハハハ

そんなにおかしいかね? 何を今さらって感じだが。九州王朝云々なんてトンデモな根拠無しだって事まともな人間ならわかっていた事だが。


あっと失礼・・・ 占いという根拠があったか。

714 :改め:2008/12/24(水) 00:13:19
ま、ここらに居る九州王朝説信者のレベルはこの程度だと云うことよw ALL
九州王朝? ナイナイw

715 :改めさん応援隊:2008/12/24(水) 00:31:47
そろそろ太国以外の論者に出て来ていただきたいな。
九州王朝大好き氏やのんびりひまじん氏などはいずこへ?


716 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 00:37:31
まあ今の日本は、九州王朝が作った国だから、否定しても始まらないさ。

717 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 01:05:12
>>715
> 九州王朝大好き氏やのんびりひまじん氏などはいずこへ?

バカ!呼ぶな!にんとくさん以来まともなコテはおらん。
特にひまんじなんて・・・・

718 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 02:09:00
ダメなコテハン列伝

改めドツボ>プラム=河童虫>美濃もん太>ローガン>夏祭

719 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 17:06:20
>>716
その九州王朝は紀元前2世紀ぐらいに本格的に国になって
2世紀には畿内を征服して遷都したんだったな。

720 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 18:46:12
教授レベルで、九州王朝説言ってる人って、誰もいないの?
在野の市民だけ?

721 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 19:57:06
いないと思います。良識を問われる。
九州説支持者は、観光協会関係者くらいです。

722 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 20:48:02
>720-721は、橿原関係者の残党

723 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 21:31:36
今年限りで九州王朝説は封印します。
長い間、妄想、お疲れ様でした。
来年からは、真人間として頑張ってください。

724 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 21:41:02
どうぞ、纏向限定で、封印してください。
九州王朝説は世界の常識になって行きますから。

725 :古神道の最高権威▲soregasi:2008/12/24(水) 22:36:13
>>718
×改めドツボ>プラム=河童虫>美濃もん太>ローガン>夏祭

○ローガン>夏祭>太国>河童虫>改めドツボ>>美濃もん太


726 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 22:48:58
>>725最近は、名無しで通しているわしが主導権を握っていると思う。
   コテハンなんて叩くのは簡単。餌食ですよ。

727 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 22:59:25
道真の怨霊が、雷神になって京都に雷落とした
伊都国があった場所に、雷山がある

これが九州王朝の証拠だ!!

728 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 23:56:31
くるってる。


729 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:23:59
>>725
お前、アヤシ〜イ。某易断で霊感商法やってるインチキ占い師だな。

730 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 01:03:44
ローガンが一番、電波か。まあそうともいえる。

731 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 16:02:58
畿内地方の考古学的な地位を低めようとする九州王朝論者、
それを批判する畿内論者。
それに乗じて「どっちもどっち」と言い
自説の布教への基盤とする九州邪馬台国東遷論者。
どうでも良くなってきた一般的九州論者。

732 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 16:41:56
九州邪馬台国東遷論者の根拠たる神武東遷説話が、
あまりにも貧弱な都落ち譚にすぎない点について

733 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 17:57:54
九州の都から落ち延びて、機内にたどり着いたと言うことですか?

734 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 17:59:17
出雲王朝があった説はないんですか?

735 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 20:11:45
出雲は戦いを好まない弱腰民族。
なにかあると国譲りをして、さっさと東に逃れた。
モーゼに従って紅海を渡ったユダヤの民の末裔です。

736 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 21:45:17
>>734
王朝っていう定義がなにかってことだよね

737 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 22:13:43
>>732
大体日本神話ってのは
モデルとなった事件を一人若しくは一組の人間に象徴して表してるものだから
神武東征が兄弟二人の東征話だからと言って
実際にその程度のもの、と決め付けることはできないよ。

738 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 20:50:30
>>太国さん
>>727の予想どう思われますか?

739 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:32:50
>>738
某易断の霊感商法をやってるインチキ占い師に聞いたらどうだ?

740 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:58:39
たぶん、卑弥呼も霊感商法で魏から贈られた三角縁神獣鏡を高値で
各地の豪族に売りさばいて暴利を得ていたんじゃないかな?
それでも足りなくなって、三角を偽造をしたのがまずかった。
偽三角の分布から畿内に邪馬台国があったことにされてしまった。
まったく、バカげた話だ。

741 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/26(金) 22:41:00
>>738
わからん??? あの方の説明が不十分で何も言えない。

742 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 22:45:02
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%8B%E6%9C%9D

ウィキペディアの「王朝」の項目です
それによると・・・

743 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 23:05:07
>>741えっ?太国氏にわからないことがったの?
   説明不足?1を聞いて100を知る洞察力がるでしょう
   それがだめなら占うしかない

744 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/12/26(金) 23:18:43
わからんことはいくらでもあるよ〜それは!
万能なわけがないだろうが・・・。

745 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:54:54
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

746 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 21:30:09
古代、稲作は原の辻遺跡に伝わり、伊都国へ渡ったと考えてます。
そこで王権ができ、九州一円、日本全土へと広まっていったと
考えてます。

伊都国王は、「豊穣の神」とあがめられるようになったのでは?と思ってます。
稲作と関係の深いのは、太陽・雨・雷です。
そして、伊都国には、雷山があります。

そういった関係で、伊都国王は、雷神と結びついていったのでは?と思ってます。
そういった関係で、九州王朝の王様も、雷と結び付けられたのでは?と見てます。

そして、道真が、九州の長官になり、そこで死んだ後に、
京都に雷を落としまくったのでは?と考えられたのでは?と
思うにいたりました。

ご意見をうかがいたいです。

747 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:36:44
九州王朝も、正月休みに入ったみたいですね。もぬけの殻です。
それにつけ込んで揚子江沿岸の稲作民族が九州王朝を滅ぼして、
旧正月に爆竹を鳴らして祝うようになったんでしょうね。

748 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:54:22
九州王朝が日本を作ったことを忘れてるな

749 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:23:42
倭国王は、天皇になったのですか?

750 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:50:03
九州王朝兄弟王のひとり=天武が天皇になりました。

751 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:51:27
亜流倭国王が天皇になったのだ。

752 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 23:17:09
卑弥呼は九州王朝倭国出身者で、何らかの事情により畿内へ引っ越して建国されたのが、邪馬台国じゃないんですか?

後、九州王朝倭国は伽耶の分国じゃないんですか??

753 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 00:43:22
>>752
日女命(卑弥呼)は旦波国(丹後国)の出身です。もちろん大倭姫(台与)も
旦波国の出身です。ちなみに伽耶は旦波国の加悦からとられた名称です。

754 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:13:34
>>752
邪馬台国が畿内にあったとすると、200年頃には日本列島の西は統一されていたことになる。
卑弥呼の死後、九州の邪馬台国が畿内に東征したとしても300年頃には日本列島の西は統一されていたことになる。
文字も無く、官僚機構も持たない国が律令制度の整う700年まで4〜500年間も広範囲な日本列島の統一を如何にして保てたのかは大きな疑問。
普通にに考えて絶対不可能なことだな。

755 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/30(火) 19:23:47
>>752
>九州王朝倭国は伽耶の分国じゃないんですか??

九州王朝倭国は伽耶の本国。

756 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:05:31
甘木説を、ご存知ですか?

奈良と、甘木、地名の種類と位置が同じなんです!!
これの意味するところは・・・

757 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:59:56
つまり、九州の部落国家は大和朝廷に追い詰められて滅んだわけだね。

758 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 23:17:06
つまり、畿内の部落国家は九州王朝の天武に追い詰められて滅んだわけだね。

759 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/30(火) 23:44:40
>>756
>奈良と、甘木、地名の種類と位置が同じなんです!!
>これの意味するところは・・・

7世紀後半に、甘木の人々が大挙して奈良に移住したとき、地名も持っていきました。
江戸時代に大坂の「佃」が江戸に移動したように。

760 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:03:35
つまり、大和朝廷大勝利!九州部落国家涙目・・・と言うわけだね。

761 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:07:33
つまり、なんだな。あれがあれだろう?

762 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:15:08
>>761まさにそのとおりです。あれがあれですよ。むふふ

763 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 08:58:37
つまり、
2世紀後半に九州王朝が衰退していくとともに、
畿内王朝が徐々に頭角を現したと。

764 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:38:48
つまり、
7世紀後半に九州王朝が衰退していくとともに、
8世紀に畿内王朝が日本列島を統一したと。


765 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:51:56
九州王朝が衰退していったのは、戦乱をさけ
畿内に東遷したためだ

766 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:57:44
>>765
壬申の乱は九州ですか?畿内ですか?

767 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:31:46
半島制覇を諦めた九州王朝の一派が、畿内に移転したときの内乱が壬申の乱。
その首長が天武天皇。

768 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:13:50
>>767
馬〜〜〜〜〜鹿!

769 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:51:35
768は纏向儲

770 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:57:50
2008年、今年のまとめ。
九州王朝はなかったのか?「なかった!」以上、2008年めでたく終了。
それでは皆さん、よいお年を。

771 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 15:26:25
九州王朝はマクムクに無かったが、九州を中心に存在し、今日の日本を築いた。
以上が最終結論。

772 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 15:54:06
高い文明を持った九州王朝は宇宙に向け旅立った
これが最終結論

773 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:05:12
>>767
唐の捕虜となっていた九州王朝の兄王が帰還に伴い、
留守を預かっていた弟王との間の争いが壬申の乱ではないか。
唐の侵攻を恐れ、大宰府から肥後大津に都が移り、
肥後大津を巡っての内乱。
ヤマト朝廷を味方に付けた側が大分方面から攻撃し勝利。
九州王朝内でのヤマト朝廷の権威が高まった。

774 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 20:08:53
じゃあ、「君が代」のあの奇跡は、どう説明するんだ!!

あれこそ、九州王朝の、決定的な証拠じゃないか!!

775 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/12/31(水) 22:18:06
>>773
>唐の捕虜となっていた九州王朝の兄王が帰還に伴い

「日出便停理務 云委我弟」ところの兄王が戦争に行くか?
昼に敵の攻撃があれば、兄王は戦わずに逃げ惑うのか?
戦争に出かけ、捕虜になった薩夜馬は弟王だろう。

776 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:29:11
>>774
イタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ

777 : 【末吉】 【750円】 :2009/01/01(木) 21:37:53
776がお馬鹿なだけでしょ

778 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/01(木) 21:46:46
>>777

>>776はお馬鹿ではない。
>>774に急所を突かれて、イタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタ、なのだ。

779 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:55:29
>>778
突破口が見えましたね

つまり、博多湾沿岸に国歌を作るほどの、国家があったという
決定的な証拠

780 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:03:14
「あなたの命が小さな石が大きな岩に成長し苔が生えるまで続きますように。」
「君が代」現代語訳、テレビでお馴染の武光教授。
「君が代」は野蛮な九州の土蜘蛛には何の関係もない国歌だ。

781 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:08:30
>>780
まったく、何も知らないんだな

大好きさん、教えてやっちゃってくださいよ

782 : 【凶】 【1516円】 :2009/01/01(木) 23:36:44
九州王朝のお正月

783 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/01(木) 23:50:51

『わがきみは ちよにましませ さざれいしの いはほとなりて、こけむすまで』

「わたしの君はいつまでも千代にいて(1000世代も続いて)下さい。小さな石が大きな岩に成長し苔が生えるまで、続きますように。」

千代は掛詞か?
「千代」なる地名と(「千代紙」の言葉もあるので)、
「1000世代」すなわちいつまでもの意と。

君が代 五首
我が君はちよにましませさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
わがきみはちよにましませさざれ石のいはほとなりてこけむすまでに
我が君はちよにやちよにさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
君が代はちよにやちよにさざれ石のいはほとなりて苔のむすまで
君が代はちよにやちよをかさねつついはほとなりて苔のむすまで



784 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:11:28
つまり、「君が代」は九州の部落国家とは何の関係もないと言うことだね。

785 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/02(金) 00:23:50
>>784
「君が代」は九州の神社に残されていた歌だ。
その神社の対岸にある「千代」は福岡県庁のある場所である。
小石が成長して巨岩になるのは九州の伝説。

786 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/02(金) 00:39:46

今ふと思ったのだが、

九州王朝兄王は天神社の神主でもあったのではないか?
兄王家の祭神は天神とは別。

787 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:53:21
>>785
つまり、九州の部落国家は大和朝廷に追い詰められて滅んだわけだね。

788 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 01:54:07
まあねえ、今の政治家の中にすら薩長の藩閥の系譜をひく者もいるんだしwww

そう言えば小泉純一郎も薩摩藩士をご先祖さんに持つんじゃなかったっけ?

もういっその事九州王朝は21世紀にも続いてますって言えやwwwwwwwwwwwwwwwwww

789 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 04:52:14
千には畦道という意味もあるそうですが、千代は元々苗代みたいに田植えの専門用語か何かじゃないですかね?例えば、畦道作りなんかを千代と言ったとか。

790 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 08:39:48
細石神社
http://www.geocities.jp/rootsdiscovery/sazare.html

791 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 09:59:19
千代
八千代
いわら山
細石神社
コケむす姫

出たね、九州王朝
もう決まりだね
動かぬ証拠

792 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 13:15:11
>>791
つまり、九州の部落国家は千代大海に寄り切られて滅んだわけだね。

793 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 15:59:01
                           
★韓国の首都名・「ソウル」は古代日本語か。

韓国の首都は「ソウル」という名前だが、韓国人はソウルの語源が分からないという。
中世・古代の韓国語(朝鮮語)をいくら調べても、ソウルの意味は不明だそうだ。

この「ソウル」は、実は古代半島の南部=カラに住んでいた倭人たちの言葉ではないか。
つまり、古代日本語ではないだろうか。
おそらく、「ソウル」とはソ・ウラ(曾浦)の意味であろう。
ソ(曾)は、熊曾・クマソのソであり、古代日本語で「遠くの」あるいは「遠い土地」という
意味の言葉である。
ウラ(浦)は日本語で「海辺」の意味である。
ようするに、ソ・ウラとは「遠方の海辺」という意味であり、半島南部(馬韓)に住んでいた倭人たちが、
京畿湾の沿岸地方をソ・ウラと呼んでいたのだろう。
半島南部の倭人が滅びた後も、ソウラという呼称は使われ続け、ソウルと訛って、
今に至っている・・・これが真実であろう。
韓国の首都名が日本語であるという事実は驚くべきことだが、古代倭人文明の残像が、
今の韓国にも残っているということなのだ。

今のイタリアに、異民族・ローマ人が残した古代文明遺跡が残っているようなものだ。



794 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:47:14
千代大海は九州から東征し部落国家の畿内を征服したのであった。

795 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 17:53:48
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

796 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:33:34
王朝ってのは、課税・軍事・警察を持ってるってことだよね

797 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 22:27:39
元号制定や徴税は畿内じゃなくて九州王朝に権限があったんだね。

798 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:01:07
つまり、九州の部落国家は大和朝廷に納税してたわけだね。

799 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:26:26
大和朝廷が出来るのは文武天皇以降だが、
その父の父=天武天皇は九州王朝の為政者出身で、
畿内部落を征服して日本を建国しました。

800 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 23:53:18
つまり、九州の部落国家を大和朝廷が滅ぼして日本を建国したわけだね。

801 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 01:12:46
>>790
じい様じ様がじじ様、ばあ様ば様がばば様。これらのように、「さされ」・「さざれ」も原語は、さの後に母音があったのではないでしょうか。例えば、ささいのれい(些細の礼)、さいれいいし(祭礼石)、さいざいれいいし等。何か、さざれというのは縮めた言い方のように思えます。

802 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 02:54:31
というわけで、大和朝廷は九州王朝の後身でした。
野蛮で未開な畿内国は、壬申の乱で九州王朝に滅ぼされました。

803 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 03:10:01
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。



804 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 10:36:40
明けまして、おめでとうございます。

805 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 10:50:55
今の日本は九州王朝が建国しました。畿内の野蛮人は一掃されました。

806 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/03(土) 11:34:39
>>803
>九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。

そうですよ。
九州王朝は698年〜700年に大和勢力に追い詰められて滅びました。

807 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2009/01/03(土) 11:36:38
滅亡時期はほぼ正解です。

808 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:06:50
邪馬台国は九州王朝出身の卑弥呼が畿内にやって来て、畿内の大乱を解決して新たに建国されました。
よって卑弥呼の本家は九州王朝であり、畿内はあくまでも分家ってわけっす。
その後邪馬台国は西日本全土を統一しますが、神武に国を奪われて大和朝廷になっちまいやした。

809 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:13:19
>>808
その後暫く九州王朝は辛うじて残っておりましたが、最後は唐軍に九州を占領されて滅亡してしまいましたとさ。

810 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:27:22
>>809
カラ族王朝の滅亡だな

811 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 13:51:16
HP作りました見てね(^^)v
http://www.d7.dion.ne.jp/~sekai/wiki.htm

812 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 16:53:17
つまり、九州の部落国家はあったが、九州王朝は最初からなかったわけだね。

813 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 18:35:48
>>大好きさん
>>太国さん

甘木説をどのように定義されていますか?

814 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/03(土) 19:36:20
>>813
>甘木説をどのように定義されていますか?

何についての甘木説なのですか?

815 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:46:14
いや、甘木説っていったら、
ほら、あの東遷説の・・・

816 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:55:49
台湾とか中国行って自らの足で汗水垂らして努力しなければ、決して真実に辿り着けないのが歴史なんだよ。
みんな知らないけど台湾や中国に現在でもちゃんと記録が残ってるんだよ。
それによると、卑弥呼はシュメールのシャーマン王家の末裔で、九州王朝倭国の領土内で誕生したらしいよ。

817 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 20:20:25
卑弥呼の出身部族の開祖は、シュメールに文化を伝え教えた存在と人類との混血で、他を圧倒する知識力と、強大な霊力を生まれながらに保持していました。
その為に、シュメールが滅亡した後も世界各地の諸民族から執拗につけ狙われ、やっとの思いで安住の地日本へ命からがら避難して来たみたいです。

818 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2009/01/03(土) 21:21:02
>>813
>甘木説をどのように定義されていますか?

定義するのではなくどう説明するかです。

甘木近辺及び筑紫平野北部に出身地とする、文官僧侶知識人と主に土建技術者集団、
太宰府遷都、水城築城、大野城等の築城、その他建築に関わった人たち、
彼らが天武の時代681年から684年頃に大和に移住した。

この移住は、九州王朝畿内弟王天武及び兄王(曽我氏とされる人)の要請によるものと思われる。

819 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 21:51:32
福岡県香春町の一ノ岳、香春岳、三ノ岳の配置は、エジプトの三大ピラミッドの配置と完全に一致する。
つまり、この3つの山は人工的に作られて日本のピラミッドだったのだ。
もちろん、この3つの山は、オリオン座の三つ星を表す。
これほどの土木工事ができる権力と技術をもった勢力は、卑弥呼しかいない。
ただし、エジプトのピラミッドと同様、墓ではなかった。
卑弥呼の墓がどこにあるかは、いまだ謎というしかない。

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/011/001/26/N000/000/000/118938599855316418376.jpg



820 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:15:49
>>819
人工的に作られたという証拠は出ているのでしょうか?

821 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:50:07
>>820
一ノ岳は現在、三井セメントによって発掘作業が進められています。(表向きはセメント材料の削堀)
そして、既にあの山が人工のピラミッドである証拠が多数見つかっているものと思われます。
しかし、日本史を根本から覆す事実の公表を控えているのだと思われます。

ちなみに、三井家といえば伊勢松坂を発祥の地としています。
そう、そこは、箸墓⇒三輪山⇒伊勢の斎宮と続く太陽の道にあり、天皇家と深い関わりが伺えます。

822 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:37:48
えぇ〜!?
ピラミットまで持ち出したのかwww
UFO研究家みたいだなwww

宇宙人と交信でもしてたのかい?

823 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:39:49
>>822からかうのは辞めた方がいいと思います。

824 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:50:42
だってさ、ピ、ピ、ピラミットだよ?
なんでもコジツケりゃ良いってもんじゃないだろw三つ山ありゃどこでも行けんじゃんww

天を神とすりゃ
地場との安定の為、嫌でもピラミット型になるに決まってる。

825 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 05:44:05
819は、世界の山がすべてピラミッドであることを発見しました

826 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:15:05










つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。












827 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:27:33
つまり、大和勢力は、九州王朝の天武天皇に追い詰められて滅んだわけだね。

828 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:13:47
つまり、九州の邪馬台国は、大和勢力に追い詰められて滅んだわけだね。


829 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:40:56
追い詰められたのは、九州王朝説のほうでは?

830 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:53:58
>>829

つまり、695〜701年大和勢力に追い詰められた、九州王朝説滅んだわけだね。





831 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 09:20:47
つまり、695〜701年九州王朝勢力に追い詰められた、大和説滅んだわけだね。

832 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 10:36:35
なんだか、このスレの九州王朝派の人は、
九州王朝を擁護しているのだか、九州王朝説を潰そうとしているのかわかりません。
もしかしたら、九州王朝が大好きなので独り占めしようとしているんじゃないのか?


833 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 12:32:03
・間違いだったと気付いた人
・んなもんあるかよと最初から分かってた人

に対して
・九州王朝は今でもあると思ってる人
・大和に滅ぼされたと思ってる人

834 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 12:45:17
たとえば、資料が何も残っていなければ、鎌倉に幕府があったなんて誰も信じないだろう。
室町幕府はどのあたりにあったのか知っている人はいますか?
九州王朝も、その程度の地方政権だったと考えれば、大宰府でも甘木でも高千穂でも
どこでもよいのです。

835 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 14:01:05
                           
★韓国の首都名・「ソウル」は古代日本語か。

 韓国の首都は「ソウル」という名前だが、韓国人はソウルの語源が分からないという。
中世・古代の韓国語(朝鮮語)をいくら調べても、ソウルの意味は不明だそうだ。

 この「ソウル」は、実は古代半島の南部=カラに住んでいた倭人たちの言葉ではないか。
つまり、古代日本語ではないだろうか。
 おそらく、「ソウル」とはソ・ウラ(曾浦)の意味であろう。ソ(曾)は、熊曾・クマソのソであり、
古代日本語で「遠くの」あるいは「遠い土地」という意味の言葉である。ウラ(浦)は日本語で「海辺」の
意味である。
 ようするに、ソ・ウラとは「遠方の海辺」という意味であり、半島南部(馬韓)に住んでいた倭人たちが、
京畿湾の沿岸地方をソ・ウラと呼んでいたのだろう。
 8世紀以降、半島南部の倭人が滅びた後も、ソウラという呼称は使われ続け、ソウルと訛って、
今に至っている・・・これが真実であろう。
 ソウルの語源が日本語古語であるならば、中世・古代の朝鮮語に語源を求め、いくら研究しても、
語源は絶対に見つかるまい。
 たとえば、現在の日本にはファーストフード店が無数にあるし、それらの店ではハンバーガー、
チーズバーガーが売られている。ハンバーガー、チーズバーガーはもともと英語である。
もし、日本人の誰かが、ハンバーガーやチーズバーガーを日本語だと勘違いし、古代日本語や中世日本語に
語源を求めて調査しても、語源は見つからない。もともと外国語だからだ。
 それと同じように、韓国の首都名・ソウルが、実は古代日本語だったとしたら、いくら中世以前の朝鮮語を
調べても、語源は見つからないであろう。
 ソウルの語源は、やはり、古代日本語に求めるべきではないか。韓国人はこの説を受け入れたくない
であろうが。
 韓国の首都名が日本語であるという事実は驚くべきことだが、古代倭人文明の残影が、今の韓国語の中にも
残っているということなのだ。

今のイタリアに、異民族・ローマ人が残した古代文明遺跡が残っているようなものだ。


836 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:04:47
>>834
> たとえば、資料が何も残っていなければ、鎌倉に幕府があったなんて誰も信じないだろう。
> 室町幕府はどのあたりにあったのか知っている人はいますか?

室町幕府は、ともかく、鎌倉幕府はそれなりに判るよ。
経済的な変化が乏しいにもかかわらず、鎌倉へ集中する道路網の整備や寺社の集中、
この変化が急激だから、鎌倉の場合は政治的中枢の出現を認めるだけのものはあるな。
室町は幕府自体がヘタレで、政治権力として長期に機能していないこと、
その地がそれ以前からも中枢機能を持つ都市だったこと等の理由で全く判らないだろうね。

> 九州王朝も、その程度の地方政権だったと考えれば、大宰府でも甘木でも高千穂でも
> どこでもよいのです。

つまり、弥生時代とさほど変わらない集落が8世紀くらいまで「王朝」として存続していたと言うことですね。
そう言えば大覚寺統の末裔は後南朝と称して幕末まで「存続」していましたね。


837 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:30:52
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

838 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:38:55
九州王朝ってのは紀元前から7世紀末まで倭国が九州を中心に存在し、
大宰府は九州王朝の後期の首都だった。
九州王朝は漢字、貨幣、官僚機構を早くから備え、
九州王朝の滅亡後、大和朝廷が九州王朝の官僚機構や貨幣を引き継ぎ、
8世紀に突然大和朝廷は律令体制を完成させたとするもの。

839 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:12:11

九州は神武天皇の時代からヤマト朝廷の支配を受けていたが、
しばしば朝廷の支配から脱して、半独立国のような状態になったようだ。
これは、大和から地理的に遠いことに加えて、現天皇派と対立する皇族が
よく飛ばされた地方だからだろう。
つまり、ヤマト朝廷内の「反主流派」の活動拠点になりやすい地方だからだよ。

成務天皇と対立していた息長氏や仲哀天皇も、九州に拠点を築いていたからね。


840 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 16:28:32
神武天皇は九州王朝の一豪族でウガヤフキアエズ(名前からして水軍将であろう)の息子。
九州王朝内での出世をあきらめ、新天地、大和をめざし征服して王となった。
景行、成務、仲哀天皇は九州王朝の天皇の記録を大和の天皇と書き換えたものであろう。

841 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 17:20:45
南九州の放置具合から言って半島出戻り勢力の可能性もあんな
新しい権力基盤が出来代を重ねると正当化聖地化が起こるのは
自然な流れ。

842 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 19:46:23
× 九州は神武天皇の時代からヤマト朝廷の支配を受けていたが、

○ 畿内は古来より九州王朝の支配を受けてきたが、九州王朝の天武が壬申の乱を起こして
   畿内を完全支配し、日本を建国した。

843 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:00:02
神宮皇后伝説も、ヤマトに奪われたということですか?

844 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:33:38
つまり、九州の部落国家は寄生虫の入ったキムチを食べて滅んだわけだね。

845 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 20:42:52
つまり、九州の土蜘蛛国家は大和朝廷から漢字・貨幣・官僚を下賜されたわけだね。

846 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:05:59
つまり、九州の部落国家は大和朝廷から派遣契約を切られて滅んだわけだね。

847 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:33:25
つまり、九州王朝は、願望によって生み出された妄想に過ぎない

848 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 21:55:09
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

849 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 22:33:38
畿内は九州王朝の天武天皇によって滅ぼされ、日本が建国されました。

850 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:10:01
九州王朝の天武天皇が東征したのなら何故、記紀に其の事が書いてないの?
隠す必要はないだろ。

851 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:15:19
九州系以外の反天武勢力が、勢力を盛り返したから隠さなきゃね。

852 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 00:21:51
>>843
神功皇后も舞台が北九州中心なのでたぶん基は九州王朝の話の可能性が高い。
記紀で皇室の歴史が2600年にもなるのは九州王朝の話とヤマトの話の両方が合わさって
歴史が異様に長くなってしまってのだろう。

853 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 08:52:39
>>851
「九州系以外の反天武勢力」とは何のことですか?説明してください。

854 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 10:30:01
天神7代
上古25代
不合72代
神倭朝
現在まで127代
邪馬台国>神倭朝=大和朝廷

855 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 15:29:29
天武は九州王朝の為政者の一人。時代下って天武系は皇統を絶たれる。
記紀は畿内土着系が幅を利かせたのちに編纂されたもの。

856 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 15:45:40
>>855
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態よ〜。

857 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 18:41:21
>>855
九州王朝の為政者の一人である天武がなんで畿内に居たの?

858 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 18:58:30
地方出張所が全然ない政府ってあるの?

859 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 19:19:16
天武は畿内に派遣されて地方出張してたんですか?
誰から派遣されて、何してたんでしょう?


860 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 19:41:06
天武天皇がキーマンなの?

861 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 20:41:13
壬申の乱で天下を掌握したのは誰?

862 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 20:43:11
天武天皇といえば、日本書紀の編者 舎人親王の父。
いかに自分の父が偉大であったか書きたかったんだろうな。


863 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 21:57:06
畿内王朝が倭国全体の支配者で唐・新羅連合軍として戦って敗れたのなら、
何故、唐軍は九州に進駐しただけなのだろう?
普通なら勝利した唐軍は畿内まで進駐して、畿内王朝の武装解除をするよね?


864 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 22:39:15
九州王朝が本家で、大和にフランチャイズチェーンを置いた。
しかし、本家が潰れて、分家が独立して大きくなったという例は、
古今東西、よくある話です。

865 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 23:41:11
で、九州王朝は何だったの?
神武の大和朝廷よりも偉大な王朝だったのかな?魏志倭人伝や記紀等を参考に論じている、私の様に自らの足で中国や台湾を調査したことがない、机上の空論ばかり述べる人達の意見を是非聞きたいものだね。

866 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:25:40
大和朝廷などというものは、文武以前には存在しない。

867 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 05:06:53
つまり、九州には大和朝廷に滅ぼされた部落国家しか存在しなかったわけだね。

868 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 08:33:47
>>866
文武は日本人ですか?

869 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 09:50:41
>>868
法敏=新羅文武大王=軽皇子>文武天皇

つまり元は日本人じゃない。

870 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 10:03:54
>>869
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態朝鮮人よ〜。

871 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 10:15:58
>>870
おれ日本人よ。

当時の朝鮮人は現在とは全く別だから安心しな。

872 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 10:33:03
>>871
九州で猿〜人に進化してやがて文明を築いて成立したのが、九州王朝倭国なのだ!
大陸や半島からイナゴの大群の如くやって来たチョンが建国したわけではない!!

チョンは日本から出てけ〜!!!

873 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:16:22
「朝鮮人」「朝鮮民族」という概念は、670年新羅統一以前にはありえない。

874 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:05:40

朝鮮民族の先祖は、東アジアの嫌われ者、挹婁民族である。

挹婁を知らない人に
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-yuuro.htm

挹婁民族の地には、現在も朝鮮民族と名前を変えて(盗用して)そのまま住み着いている。
強力な武闘集団である挹婁人の一部が半島を南下して、統一新羅を作った。
半島に住んでいた、高句麗、韓、倭、濊、夫餘、百濟は挹婁(新羅)に滅ぼされたのである。

875 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 14:04:39

朝鮮民族の先祖は、東アジアの嫌われ者、挹婁民族である。

挹婁を知らない人に
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/kanbun-yuuro.htm

挹婁民族の地(現 シナ東北部東部・ロシア沿海州南西部・北朝鮮北東部)には、
挹婁民族は現在も朝鮮民族と名称を変えて(名称を盗用して)そのまま住み着いている。
又、強力な武闘集団である挹婁人の一部が半島を南下して、統一新羅を作った。
半島に住んでいた、高句麗、沃沮、濊、韓、倭、夫餘、百濟は挹婁(新羅)に滅ぼされたのである。


876 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:02:53
九州王朝は、6500年前の鬼界カルデラの噴火で九州を追われた倭人が
帰国して打ち立てた王朝です。その後も秦、呉や越、任那などから続々と
倭人を呼び寄せ、一部混血はあったものの、今の日本人を形成したのです。

877 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:05:17
その噴火で被害があったのは、現場と四国の西端だけ。
九州のほとんどに済めなくなるような被害など無い。

878 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:51:12
噴煙のほとんどは太平洋に流れて往く。

879 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:54:40
被害がでたのは種子島だけ。
あぁ、それと西九州の沿岸漁業。

880 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:11:29
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

881 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:29:16
九州王朝は揚子江文明の東遷だ!
そして大和へ東遷した!

これで東遷の謎が解けた!

882 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:32:09
とおせんぼ

883 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 22:40:56
はっきりしているのは、
磐井の乱
岩戸山古墳だけだな

884 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:11:00
磐井とは、伊都国の穢族(字はサンズイのワイ)。
吉林省の西部から北朝鮮北西部、韓国江原道にかけて存在した古代の種族。
後三世紀の夫餘・高句麗・沃沮・穢の四種族の前身。


885 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 23:34:46
>>884
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだーまた変態朝鮮人よ〜。

886 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 00:46:45
885は北朝鮮工作員

887 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 02:16:58
>>886
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態韓国人よ〜。

888 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 02:34:05
885・887は北朝鮮工作員

889 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 03:15:50
>>888
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態朝鮮韓国人よ〜。

890 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 05:46:44
つまり、九州には大和朝廷に滅ぼされた部落国家しか存在しなかったわけだね。


891 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 20:07:42
九州王朝の支配下では、再三の畿内部落滅亡もあったわけだね。
最後は九州王朝の天武天皇が畿内を再統一して、
九州王朝下で日本が建国されたという顛末だ。

892 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:05:56
九州王朝の国歌は君が代?

893 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:13:32
>>892
君が代はないっすよ(笑)

894 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:30:21
>>891
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態九州人よ〜。

895 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 21:54:17
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

896 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:01:21
>>894
いや、九州人と畿内人は、すっかり忘れちゃってるから。

897 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:22:47
邪馬台国スレで、卑弥呼は天照って言ってるやつがいて、思わず笑った。

898 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:24:34
卑弥呼はキリストの姉、弟王がキリストなのだ。

899 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:25:39
>>897
日本史板でオカルトか?ここにはいないよな??

900 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:27:53
九州王朝もオカルト

901 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:29:43
纏向至上主義が、いちばんひどいオカルト

902 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:57:51
>>901
「畿内じゃなければ何でも」と感情論に走るのは良くないよ。

903 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 22:58:04
もっと体系的に
学界に発表できるような論文で出さないとだめだ

904 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:06:07
君が代は 千代に八千代に〜♪
ということで邪馬台国は千葉県八千代市にあったとするのが妥当。


905 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:27:52
もはや九州王朝説は覆らないから、どんなカキコされても気にしない

906 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:39:39
>>905
つまり、九州の部落国家は大和朝廷に転覆させられたわけだね。

907 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 23:51:28
>>904
八千代しかないじゃないか

博多湾沿岸には、全てがある
つまり、九州王朝は、博多湾沿岸に存在した!!

908 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 00:14:40
>>907
つまり、九州の部落国家は明太子で食中毒になって滅んだわけだね。

909 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 01:43:20
木器でウハウハ言ってた纏向土人は、九州王朝に滅ぼされました。

910 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 05:02:07
つまり、九州の部落国家は大和朝廷に木刀でボコボコにされて滅んだわけだね。

911 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 08:06:06
なんか松本清張も、こっちを支持?してくれてるって聞いたけど

912 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 09:27:40
つまり、畿内の部落国家は九州王朝に腐った明太子を食わされて滅んだわけだね。

腐った明太子=欽明

913 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 11:06:40
次スレは是非、

邪馬台国は九州王朝がつくった。

で宜しくお願いしますだ

914 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 12:11:01

※ 九州王朝はなかったのか? ※ 15 スレをたてました。

ココが終わってから使いましょう。

915 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 15:35:11
九州王朝はなかったのか?「なかった!」以上、次スレも終了しました。

916 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 17:54:04
>>915
なかった証拠を挙げてくれ

917 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 19:27:09
九州王朝は、古代の平泉

で、OK?

918 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 20:54:01
九州王朝はあったけれども、邪馬台国は九州ではなかった。
これで両者痛み分け。メンツも立つのではないか?

919 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 21:58:51
九州王朝説って
今話題の「地震雲」と同じ扱いで、悔しいです

920 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:12:05
九州王朝はなかったのか?「あった!オカルト板に!」以上、このスレ終了しました。

921 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 22:25:11
仮に、だよ。
仮に九州王朝王家一族が現在まで続いてて、自分達のルーツを明らかにしたとしたら、その日のうちに欧米中国朝鮮の武力侵攻を日本は受けるよ。
それでも知りたいって方は勇気あるね。

922 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 23:01:03
阿蘇山の麓にあった九州王朝の子孫が麻生氏。
それが九州王朝の正統。



923 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:15:20
>>922
それは無いでしょうな。
九州王朝の支配者、王家は何族の何て名前の人?

924 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:47:28
某天皇 「あっ、そう。」

925 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 01:04:22
>>924
笑った...

926 :のんびりひまじん ◆sSMETOzuG2 :2009/01/09(金) 12:54:04
近畿王朝なるものが存在したことが確認できる金石文あったのか?
推古朝とされる法隆寺  と
天智朝とされる野中寺  の金石文では近畿王朝が明確でない。
確認できる時代は富本銭の天武朝以後くらいですか?


927 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 15:22:35
>>926
( ´д )ヒソ(´д`)ヒソ( д` )やだー変態九州人よ〜。

928 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 19:39:53
富本銭は誰が造ったんだろう?

929 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 20:20:42
>>926同意。
肥前松浦地方で組織された武士団である嵯峨源氏の流れをくむ松浦氏を惣領とし、
渡辺綱にはじまる渡辺氏。
阿蘇の麻生氏とは古代から敵対関係にあった。
渡辺喜美が公然と麻生氏に反旗を翻した理由が分かる。


930 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 00:23:24
このスレは、もう勉強にならないな
勉強になるスレを教えてくれ

931 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 00:45:21
>>930
市況板に行って大儲けしましょう。お金持ちの大富豪になれますよ。

932 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 07:48:19
>>930
このスレで真実を探すのが何よりの勉強になる。

933 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 10:29:08

>>930
>このスレは、もう勉強にならないな
>勉強になるスレを教えてくれ

このスレでは、トンデモ説と思われる中に傾聴に値するものがあります。

>>926もそのひとつ
>>929は冗談

934 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 10:34:01
※ 九州王朝はなかったのか? ※ 

「邪馬台国」は九州だよ。そんなの常識だよw

935 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 11:03:53

九州王朝と邪馬台国九州説は別件。

邪馬壹國が九州は常識。

936 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 12:42:08
邪馬台国は耶麻渓以外に考えられない。


937 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 13:27:52
九州王朝説、僕もこのスレ、見るまでは信じてましたが・・・

今となっては、「チンギスハン=源義経説」と同じ扱いになりました

938 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 13:38:58
937はオウム信者

939 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 14:12:43
>>938
聖教新聞の人、こんにちは。

940 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 14:37:14
939は強酸糖

941 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 14:38:05
>>936しかし、朝●新聞勧誘員が最強。


942 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 21:35:16

テレビ東京で、聖徳太子はいなかったってやってるよ

全ては藤原不比等のしわざだって断定した・・・

943 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:34:57
つまり、九州部落国家は極左暴力集団の派遣村だったわけだね。

944 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:43:14
943は纏向儲

945 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:10:56
>>940
つまり>939はまともだと。

946 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:19:41
945は宇欲

947 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:24:09
九州王朝は倭国です。
九州王朝内の一般民衆は大半が倭人です。
倭人のルーツはタリム盆地であり、シュメールとスキタイ王家とその忠臣により構成されていました、最初は。
その後異民族との混血によって本来の倭人が誕生したわけです。
よって、邪馬台国に何時迄も執着する必要はありません。もっと誇りを持って下さい。邪馬台国はカスです。

948 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:29:01
つまり、九州の部落国家は主体思想国家で大和朝廷は民主主義国家だったわけだね。

949 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:41:20
948は在日

950 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:43:12
もうすでに純粋な縄文系日本人は残っていないだろう。

951 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:17:56
逆説的な物言いだけれど、九州王朝は畿内にあった。
つまり、九州とは畿内の9つの州のことだったのだ。
これで九州王朝説と邪馬台国が結び付き、
全ての謎を解く鍵が見つかった。

952 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:51:19
>>947
ポリネシア系+スキタイ+カラ族+シュメール=倭人じゃないか?

953 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 00:58:25
>>952
チョンはワイ族。
なのに大韓民国。
大わい民国でいいよね。その方が合ってる。

954 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 01:20:54
>なのに大韓民国

それはかつて中国から自国名として「韓国」という名称を授かったのが原因

955 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 01:22:44
>>952
大和朝廷建国当初は古代イスラエルがやって来たわけね。
出雲や諏訪もそれっぽい。

956 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 07:39:45
九州王朝は昭和に脳内で建国された。

957 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 12:48:14
畿内=キチガイ

958 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 13:25:28
謀反だってあっただろうに
きゅうしゅう王朝だけが、あの中国のなんかすごい君主?が治めた国みたいに
なんとかかんとか

959 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 15:10:17
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

960 ::2009/01/11(日) 17:05:48


961 ::2009/01/11(日) 17:06:33


962 ::2009/01/11(日) 17:07:23


963 ::2009/01/11(日) 17:08:03


964 ::2009/01/11(日) 17:09:02


965 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 17:29:35


966 ::2009/01/11(日) 18:07:09
か?

967 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 18:45:53
九州とは、東国、越、東海、畿内、中国、四国、九州、琉球の9つの州を指す。
したがって、現在の九州も九州の一つだし、畿内も九州の一つだったのだ。
これですべての謎が解けた!

968 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:07:59
豊前、豊後、筑前、筑後、肥前、肥後、日向、大隅、薩摩
以上九ヶ国を総称して九州とする。

969 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:20:27
たしか、九州王朝説では、
九州を中国では天下の意味だから、なんとかかんとかって言ってた

970 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:42:45
九州王朝説でも、邪馬台国の位置を割り出してるわけだけど
なんで学界からは無視されてるの?

971 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:48:09
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

972 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 01:06:51
>なんで学界からは無視されてるの?
議論すると負けるから。
負けると自分の全研究人生が崩壊します。

さらに天皇制が崩壊し、
現行憲法も存在の根拠がなくなる危惧もある。

973 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 02:10:12
↑のようにオカルトであって学問でないから相手にされません。

974 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 05:14:19
つまり、九州王朝説はトンデモ説でオカルトだったわけだね。

975 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 08:56:58
九州説は常識なのに、アホな畿内説論者が屁理屈を言ってごねているから。
古代大陸に近い九州が先に発展していたという見方が自然だと思う。


976 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 11:41:21
つまり、九州の部落国家が大和朝廷に滅ぼされたのは日本史の常識だったわけだね。

977 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 12:14:07
そして九州の部落民は生口として王に献上され、
人の嫌がる皮剥ぎや不浄の仕事に就かされ稗多や非人として扱われた。
そしてあるものは山に逃げ込んでサンカとなり、長い間差別の対象にされてきた。

978 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 13:09:20

695年強い指導力を持った兄王を失った九州王朝は、

698年から九州との繋がりが薄れた文武の武力攻撃を受け、

700年には滅ぼされました。

617年組織的抵抗をしていた残存九州王朝勢力も壊滅し、

その後、その残党は西九州沿岸で唐への操船コースを誤った遣唐使を皆殺しにする海賊になったのです。

979 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 16:35:46
つまり、九州の部落国家は大和朝廷の創始者である卑弥呼に滅ぼされたわけだね。

980 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 16:46:33
九州王朝の天武が畿内を支配し、九州王朝の別系統を制圧しました。
畿内の土人は始終やられっぱなしでした。

981 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 18:58:15
どんなとんでも理論でも、許容される
それが九州王朝説

次スレ頼む

982 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 19:22:15
>どんなとんでも理論でも、許容される。

そりゃ7世紀以前の日本史全般がそうだ

983 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 19:30:30

ここが終わったら↓へどうぞ

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231383842/l50
※ 九州王朝はなかったのか? ※ 15

984 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 19:48:04
纏向至上主義信仰が一番キモイ

985 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 22:39:31
つまり、九州主体思想が九州部落国家の汚点だったわけだね。

986 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 22:42:15
>>984
ものみの塔ではカトリックを「サタンの勢力」と教えてると言うけど、
なるほどね。

987 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:28:24
九州王朝がなかったとしても困る人はほとんどいない。
しかし、大和朝廷に先立と(もしくは並行して)九州王朝
が存在したことが明らかになれば都合の悪い人が大勢
いるのです。
歴史とはその時期の治世者のためにあるものですから、
当面、九州王朝説を擁護する著名な学者もいないだろうし、
そういう先生方なしには番組や紙面作りのできない番組
製作者や出版社が九州王朝説を取り上げることはないと
思います。

まあ、小沢一郎が政権を取って、南部藩は九州を追われ
た九州王朝の末裔が移り住んだと宣伝に利用しない限り、
日の目を見ることはないと思います。


988 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:40:42
■大和王権の鉄器生産拠点か、大阪市・長原に鍛冶工房跡
(2009年1月12日 読売新聞)
http://osaka.yomiuri.co.jp/news/20090112-OYO1T00096.htm?from=top

 大阪市平野区の長原遺跡で、古墳時代中期の5世紀前半に鉄器を生産した鍛冶(かじ)工房跡が、市文化財協会の調査で出土した。
百舌鳥(もず)・古市古墳群の大山古墳(仁徳天皇陵、堺市)など巨大古墳を築いた「倭(わ)の五王」の時代に当たり、近畿で最古の鉄器生産遺構という。
造営されて間もない古墳を壊して工房を設けていることから、当時の政権が関与しているのは確実で、同協会は「大和王権直営の鉄器生産拠点」とみている。

 工房は、4世紀末から5世紀初めに造営された方墳跡に、2棟建てられていたとみられる。
1棟ごとに一辺約8メートルの「コ」の字形の溝を設け、排水などに利用。溝からは、製造過程で出た3センチ大の鉄滓(てっさい)も発見された。
含まれる炭素が少ないことなどから、高温で加熱して繰り返し折り曲げる方法で製造したらしい。
 百済があったソウル近郊の旗安里(キアンニ)遺跡(3〜4世紀)などでも同様の溝が確認されており、同協会は「朝鮮半島の渡来人がもたらした先端技術を駆使して生産したのだろう」としている。

989 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:04:08
↑長原遺跡鍛冶工房跡ニュースの解説記事 (読売新聞関西版)

■「倭の五王」の政権支える
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is90112a.htm

 「倭(わ)の五王」の時代に鉄器を生産していた鍛冶(かじ)工房跡が確認された大阪市平野区の長原遺跡。同時期の古墳からは大量の鉄器が出土しているが、これまでどこで生産されたのかは不明だった。
今回の発見は、鉄器生産の歴史を解明する手がかりになりそうだ。

 鉄器は弥生時代中期、朝鮮半島から九州北部に伝わったとされ、この頃の福岡県春日市の赤井手遺跡では鍛冶遺構が見つかっている。
以降、小規模な生産が続いていたが、大阪府藤井寺市の野中古墳など5世紀の古墳に大量に副葬されるようになり、大規模生産が始まったと考えられている。

 しかし、これまで近畿最古の鉄器生産遺構とされてきたのは同府柏原市の大県(おおがた)遺跡(6世紀末)で、5世紀の鉄器生産の実態はわかっていなかった。
白石太一郎・奈良大教授(考古学)は「鉄器生産は当時最も重要な技術。大和王権と遺跡のかかわりが明確になった意義は大きい」と評価する。

 日本書紀には、「五王」の一人とされる仁徳天皇が現在の大阪府内に水路や堤を築いたと記される。
今回発見された工房で生産された鉄器がこうした土木工事に使用された可能性が高く、工房が大和王権の軍事、経済活動を支えていたことがうかがえる。

990 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:06:01
無理やり畿内の遺跡年代だけ、飛躍的に古く引き上げると、いろんな報道ネタになるんだな。

991 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:07:01
九州から鉄材料を下賜されたんだろ。

992 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 01:17:59
つまり、九州の部落国家は負け組で大和朝廷が勝ち組だったわけだね。

993 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 02:08:18
畿内の土人は全員奴隷になりました。

994 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 09:04:01
992 短絡的な見方だな。古代九州は、日本で一番先進的な地域だったんだよ。
勝ち負けの二元論でしか物事を語れないお前は、単純w

995 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 09:25:01
つまり、「大和朝廷大勝利!九州の部落国家涙目!」だったわけだね。

996 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 14:34:21
>>995
つまり、つまり、の繰り返し

おまえの思考は、糞詰りになっている

997 ::2009/01/13(火) 14:36:52


998 ::2009/01/13(火) 14:38:14


999 ::2009/01/13(火) 14:38:54


1000 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 14:40:38
nagoya

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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