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【馬のことなら】馬の日本史【何でもOK】

1 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:51:19
日本における馬の歴史総合スレ

馬の種類と改良といった馬ヲタ的な話題でも馬上戦や
日本古来の馬具、馬車はなぜ普及しなかったかなどの考察でも、
日本史に出てくる名馬などの話でも馬に関係する話題なら
何でもOK。マターリお願いします。

2 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:12:24
スルスミ

3 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:09:31
昔の鐙ってなんで和式便器みたいな形なの?

4 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:26:46
踏ん張りがきくんじゃね

5 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:45:32
木曽馬の事もたまには思い出してあげて下さい。

6 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:43:35
昔の馬の名前としてイケズキやスルスミは有名だけど、
他に日本や海外の昔の馬で有名なのは何がいますか?

7 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 13:54:09
戦国時代だと百段や放生(月毛)や松風などかな。
馬としてというより逸話が先行してる鏡(鹿毛)というのも。
()で括ったのはそれが馬の毛色のことなのか毛色も
含んでの名前だったのかはっきりしないためいちよ括った。

あとはやはり名前になるのかわからないけど甲斐の黒駒じゃないかな。
聖徳太子の愛馬で一緒に富士山を登ったと言われる馬。

8 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:01:33
百段と森武蔵の関係は赤兎馬と関羽の関係によく似ている。
森死後の百段の逸話は涙もの。

9 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:43:23
敵から長可の遺体を守ったんだっけ?
そのおかげで首を取られるまえに遺体を回収できたとかだよね、確か。
その後は関が原にも出てたともいうから馬の年齢で見るとこれも凄い。
本多忠勝がこの馬の凄さに感動するあまりに死んだと聞いた後、
神様として祀ったという話も無かったっけ?

10 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/07(日) 07:53:51
>>3
馬上で踏ん張って静止騎射を行ったり、打ち物を振り下ろすのには有利です
が、走らせていると輪鐙より外れ易く、突撃には向かないそうですね。
そもそもはずみ以外で騎馬での突撃があったか自体疑問ですが。

磨墨は西国出身でアシカが牝馬を犯して出来た子で、生喰は東国出身で竜が
牝馬を犯して出来た子だという説が、後世出来ていましたね。
竜や海馬との合いの子が名馬になったという話はよくある。

有名な馬といえば、鬼月毛ですか。
源範頼から菊池家に与えられ、その後400年間同家の人間を背に戦い続け、
朝鮮出兵の最中に死んだとされる馬界の武内宿禰。

小栗判官の馬は人喰いの鬼鹿毛でしたが、生喰といい、人にかみつくぐらい
気性が荒い馬がよしとする風潮があったようで。
『雑兵物語』では見栄え優先が批判されていますが。

11 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 12:14:55
大人三人がかりでやっとこさ押さえ込めるぐらいの暴れ馬が
武士の間では良い馬とされていたらしいね。
昔の厩舎を書いた屏風絵(題名忘れたけど本の表紙にもなっている)を
見てもおとなしくつながれている馬の方が少ないw

そういえば昔の厩舎は広い縁側があってそこで飯を食ったり昼寝したり
囲碁うったり茶を飲んだりと今では想像がつかない作りだったというね。

12 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 14:13:36
南部馬・道産子馬

13 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 14:14:06
その屏風って厩図のことですか?
ttp://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/rekisi/naiyou/gadan/naoki/naoki.htm

前、見にいった時に説明してもらった話によると厩舎は武士達が
自分の馬を自慢しつつ歓談する一種の社交場だったそうです。
厩舎では猿も飼われていて、猿は馬の病気を防いでくれると
信じられていたことによるものなんだそうです。
そういえば近くにいた外国人が説明してくれた学芸員さんに
昔の日本ではこれが当たり前だったのですか?柵もなしに
馬を前にして信じられません。云々とかなり詰め寄っていて
学芸員さんが困っていました。

14 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 18:32:39
>>10
>そもそもはずみ以外で騎馬での突撃があったか自体疑問ですが。
今時こんなことを言ってる奴がいるとは・・・

15 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 19:18:33
山野さんをソース無しで煽るってある意味凄いかもw

>>13
その屏風、ミニチュアでいいから欲しい。
昔は上からつるした綱につなぐこともあったんだと驚き。
ところで、ブチ模様や白黒の馬も書かれているけど
日本の馬でも出るものなの?西洋馬ではよく見かけるけど。

16 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/07(日) 21:38:20
>>11
>>13
>昔の厩舎を書いた屏風絵(題名忘れたけど本の表紙にもなっている)を
これとほぼ同じ屏風絵は同じ厩を画題とした作品として多数現存します。
古美術店でも数百万円あれば同系の本物が買えますよ。あればですが。

>>13
>厩舎では猿も飼われていて、猿は馬の病気を防いでくれると
>信じられていたことによるものなんだそうです。
情景は『石山寺縁起絵巻』に描かれていますが、『古今著聞集』に気の荒い
馬に噛まれた猿が片輪になったという話がありますね。
元々は大陸にあった信仰で、孫悟空が天で馬番をさせられた理由だとか、タ
イでは象舎に猿がつながれたとかは、古くは南方熊楠が書いています。

>柵もなしに
腹を吊ったりしていましたからね。その絵もそうですが。
『和漢三才図会』にも、かなりやる気のなさそうな挿絵ですが、ほぼ同じも
のが描かれています。

>ところで、ブチ模様や白黒の馬も書かれているけど
『驥毛図解』という江戸後期の絵巻に種々の毛色が描かれています。
斎藤実盛や源義仲の愛馬は、芦毛の中でも連銭芦毛と呼ばれるものでしたが、
復元模型を見ると、早い話がぶち模様ですね。

17 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 22:53:08
>>15
いや、山野野衾自体がソースなしで語っているんだが

18 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 00:28:53
日光の東照宮の「三猿」も、神馬の厩舎の守り猿彫刻の一面ですよね。

19 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 00:43:15
山野は書簡名などのソースを出してレスするのが基本パターン。
騎馬での突撃が疑問というのは山野の個人感想であって
史実がそうだったという断言でも提示でもない。

>>15>>16
日本馬でも出るよ。日本ではまだら馬と呼ばれていて
斑毛という分類になる馬。サラでは見られないタイプ。
ブチが細かいと豹紋とも呼ばれている。
連銭芦毛は今の毛色分類では芦毛が真っ白になる前の過程での毛色を
表す言葉。白馬というのは大きく分けると生まれた時から
白い白毛と徐々に白くなっていく芦毛とがあって連銭は後者。
有名な競走馬だったクロフネも芦毛だから連銭芦毛だった時期が
あったけどあいにくと種牡馬として引退した後だった。
だから今はクロフネならぬシロフネ状態w
ただ、昔の日本でもここまで厳密に分けていたのかはわからない。
驥毛図解を読めばこのあたりもわかると思うけどまだ図書館で
予約待ちなのでここらは勉強不足。すまない。

20 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:41:45
山野は自分の希望願望しか書かないよ。

21 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 02:17:15
>>19
この前テレビで久しぶりにクロフネ見たよ。
見事な真っ白白な毛の馬に変わっていたから、見た瞬間
あまりの変わりぶりに、お前どこの馬だよと思った。

引退して数年も経つのに武が呼んだら嬉しそうにすっ飛んできて
甘えていて可愛かった。こういうのを見ると馬欲しいと思ってしまう。

22 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 06:48:09
>>14
それに輪鐙が扱いやすいのは当然だよね

23 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 11:37:15
慣れると倭式馬具の方が断然いいぜ。
きちんと馬装すれば馬への負担も少ない。


24 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 13:22:10
和鐙は足の裏が疲れなくて確かにいいけど和鞍は尻が痛くなる。
一度、和鞍に乗せてもらったけど尻の皮剥けたんじゃないかと
思うぐらい尻が痛くなった。
でも、長いことあの鞍の形で続いているってことはそれだけ
利点もあったからじゃないかと思うよ。
使い勝手が悪かったら轡みたいにもっと改良されているはずだから。

馬への負担が少ないという話は俺も聞いたことがある。
人間で例えると、西洋乗馬は背中に鞍をのせているような
ものだから背骨への負担が大きいって。
逆に日本の乗馬は肩に鞍を乗せるようなものだから
背骨への負担も少ないし馬も動きやすいらしいね。

25 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 15:52:35
日本の鞍は組み立て式だから馬の体格に合わせて大きさを
変えられる機能的な鞍。ばらせば持ち運びにも便利。
木製だから皮と違い調達も容易で木が豊富だった日本では
材料費もかからないし例え壊れても戦地でも出先でも
すぐに修理や作りなおしがきく。
今風にいえばエコだ。エコ鞍。

26 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:03:30
近くの神社に馬が書かれている絵馬があります。
その馬は白馬で目が青いのですがこういう馬って
昔の日本にもいたのでしょうか?
ガクトが謙信公祭りの時に乗っていた馬と似ているのですが
調べたらこちらは昔からの日本の馬ではないとのことでした。

27 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:41:37
馬いいよね
競馬興味ないけど大学の時友人に連れられて東京競馬場いってたけど気持ちよかった
やっぱその当時一番強い馬だったテイエムオペラオーはなんか他の馬と風格が違った

28 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:16:52
>>26
昔からいたよ。日本では左目(サメ)毛と呼ばれていた馬で日本馬で
左目が生まれるのは稀少なので生まれると吉兆として神社に
奉納されていたと言われる。(西洋馬の方が出る比率は高いらしい)
だから、絵馬に描かれているのもそのためではないかなと。

同じような馬に白毛がいる。最近はユキチャンという白毛の競走馬が
良い成績を出しているので話題にもなっている。

参考までに

・白毛馬
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Yukichan_20080427P2.jpg

・左目毛馬(ガクトが乗っていたのは多分こっち)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:NemesisChalm19Feb06Z9horses3_edit.jpg

29 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:55:04
馬はどんな馬でもカワエエ
(;´Д`)ハァハァハァハァ/lァ/lァ/lァ/lァ/ヽァ/ヽァ/ヽァ/ヽァ ノ \ア ノ \アノ \ア ノ \ア

30 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 23:33:50
「白馬節会」と書いて「あを(お)うまのせちえ」何故に?

31 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 00:05:18
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f8/Yukichan_20080427P2.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/33/NemesisChalm19Feb06Z9hors

32 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 02:11:19
>>30
お正月に青毛の馬を見るとその一年の厄が無くなるという
中国の故事が日本に入ってくる。

入ってきてしばらくは日本の宮中でも青毛の馬を見ていたんだが
それが白は神聖な色と思われるようになった平安時代頃から
白馬に変わり以後ずっと白馬。
そして結局呼び名だけがそのまま残ったらしい。

青毛というのは黒い毛色の馬のこと。(青毛馬はあまりいないらしい)
白馬の方が縁起が良さそうなんだけど三嶋大社では昔から神馬と
いうと青毛馬で今ある神馬像も黒い馬だし、聖徳太子の愛馬も
黒駒だから、平安時代前は青毛みたいな黒い馬の方が
尊ばれてたのかもね。

33 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 04:06:43
「する墨」
なんてのは確実に、間違いなく「青深い黒」なんだろうな、
と思う。

34 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 15:10:44
青毛は馬の毛色の中で一番黒い部類だからね。
磨墨と書くぐらいだからさぞやツヤツヤに黒光りを
していたに違いない。

頼朝は珍しい青毛馬をなんで手放したんだろ。そういえば。

35 :30:2008/09/10(水) 22:47:32
>>32さま
ありがとうです!

36 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:23:55
質問いいですか?
蹄鉄って、いつ頃から使われてるんですか? あれを着けないと、人を乗せて激しい動きができないように思うんですが。
カウボーイ映画を見ると、彼らも使ってるから、どこが起源なのか疑問でした。
よろしくお願いします。

37 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:01:23
春秋時代

38 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:14:47
たまには「木曽馬」の事も思い出してあげて下さい。


39 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:34:04
蹄鉄の正確な発祥年代や発祥地は不明。
ただ、ローマ時代の地層から蹄鉄が発掘されているよ。

馬は鉄を履かなくても人を乗せたり激しい動きはできるけど
蹄の減り方が半端ないから鉄を履かせて蹄を守る。
でも、馬の種類や飼育環境、使用環境などで鉄を履かせるか
どうかが決まるから全ての馬が鉄を履いているとは限らないよ。

日本の場合、蹄鉄は明治時代から。それ以前は草鞋や沓を
必要時履かせていたけど、それらでも十分保護できるぐらい
日本の馬は蹄が強いタイプ。(最近はアルファルトの関係で
鉄を履かせていることが多いけど)
モンゴルは今でもほとんどが鉄を履いていないよ。

40 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:38:40
連投すまない

>>38
了解。木曽馬俺は好きだよ。見てくれ以上に力はあるし貫禄も。
丸い腹に丸い尻、太くガッチリした足。
あのどっしり感がたまらない。

41 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 01:42:23
>>39
へえ〜、勉強になるなあ。
こっちは、もっと勉強してから参加せんとイカンな。

42 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 04:24:00
36です。 お答えありがとうございます。
じゃあ、日本における蹄鉄って 最近になって輸入されたってことですか。 義経の馬なんかは 蹄鉄無しで崖を駆け降りたってことですね。 戦国時代の合戦にでた馬も痛そうで可哀想。
ともかく疑問が解決しました。 感謝します。

43 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 04:47:17
アメリカの野良馬(ムスタング)は荒野を駆け巡っているじゃん。

44 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:43:34
蹄鉄に関しては年来、生理学的な視点から検討されてきた。野生馬と、遊牧などの自然環境で飼育された馬はそもそも蹄など必要としないことが分かっている。
しかし長年の馬小屋での飼育方法と蹄鉄の伝統は、これらの見解によっても容易に変化するものではない。
これらの研究で特に大きな影響があったのはジェイム・ジャクソン、およびヒルトラド・シュトラッサー博士である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B9%84%E9%89%84

45 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:50:48
日本じゃ馬だけでなく下級の兵士も裸足で野山を走り回り、崖を駆け下りして戦ってるよ。
人も馬も子供の頃から裸足で走り回ってると足の裏が鍛えられて丈夫になるんだろうね。

46 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:57:56
最近は子供に「はだし教育」を行ってる学校も多い。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AF%E3%81%A0%E3%81%97%E6%95%99%E8%82%B2

47 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 01:23:09
30年前の小学生の俺は、はだし教育でしたが。
でもな、
足の裏の皮を鍛えるのではなく、
「土踏まずをちゃんと形成する」
「足の指を鍛える」
がはだし教育の主目的ですよ。

48 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 16:03:23
主目的がどうであれ足の裏も鍛えられるのは間違いではないよ。
人間も動物も使わなければ退化していくものだし
土踏まずはまず足の裏を鍛えなければできないものとも言われる。
土踏まずは足の裏の筋肉だから。

話を戻すけど>>45
確かにそう。使わなければ弱くなるのは人間も動物も他の生き物も同じ。

49 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:19:50
下総台地と言われる千葉県北部地域は
富士山の火山灰が積もってできた関東ローム層という酸性の強い土地である

農耕には適さない土地が多く、昔は自然のままの原野が広がっていた

そうした原野・荒野に周辺村落から逃亡した馬や捨てられた病傷馬などが繁殖し
その結果、自然発生的に牧場のようなものが出来たという

そんな牛馬の放養飼育地のことを「牧」と呼んでいた

50 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:37:49
と思っているのだとしたら、
もう一回勉強し直したほうがいい。

51 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:44:26
関東平野に稲作民ではなく朝鮮系騎馬民族が定着したのは土壌が関係している

52 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 17:36:09
そうだな 一度 観にきたほうが いいな。観音様がたくさん おいてある。

53 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:27:18
関東平野では稲作が定着しなかったと思っているおバカが
マジに存在することを馬スレで知るとは思わなかったw

54 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:43:11
ところで、体格の大きな馬は好まれたのかな?

55 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:53:29
>>53
馬牧は圧倒的に関東に多かった

56 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:11:29
牧場が多くあった場所では稲作はできないとは珍説だな。
論文書いて学会で発表してみれば?

57 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:33:40
>>56
他所に比べて稲作が盛んでなかった事実を認めろよ

58 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:34:20
横入りすみませんが関東では稲作が盛んではなかっというのは
どの史料にのっているのでしょうか?

59 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 09:37:12
天のお告げ。
論文や史料なんて低レベルのソースには頼ってないので
そこんとこよろしく。

60 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:36:47
>>59
そういうソースを元にしたいならオカ板でやってください。

61 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 19:15:45
オカルト? 馬鹿にすんな
深い瞑想によって人間の認識力は時空を超える。
遠い過去の情景がまるで現在のことのように眼前に繰り広げられるのだ。
まあ凡人には分かるまい。

62 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 23:08:48
多分君以外のすべて人間が凡人なので
その理屈は君にしか通用しないよ

63 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/17(水) 23:24:56
>蹄鉄
ヨーロッパではフランク王国時代にアルプス以北に広まり、日本には戦国期
には伝播する機会があり、享保期に物好きが試していましたが、明治まで定
着しませんでしたね。
長距離を移動する際に馬用の沓を使用することは鎌倉時代末期には行われて
おり、明治になっても使われていました。

『日本奥地紀行』にも出ていますが、それより少し前に日本の山道を馬で移動
したシーボルトによれば、すべりにくい点が良かったそうです。
目的地に着いてからは外されました。牛用の沓も存在したようですよ。

>義経の馬なんかは 蹄鉄無しで崖を駆け降りたってことですね。
鵯越自体は一の谷から8キロも先で、景観の変化を考慮したとしても崖とは
言いがたい坂道です。
義経が大手から攻めたのは事実ですが、崖を下りて成功させたという無茶な
話は『平家物語』の創作でしょう。

64 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 04:01:29
義経が大手から攻めたのは事実

65 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 07:59:28
創作厨かよ

66 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 10:52:20
大手は生田口。


67 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 16:43:42
>>50,53,56がなぜ>>49につっかかるのが分からん。
関東でもローム層に覆われてない場所での稲作までは>>49は否定してないでしょ。


68 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 21:09:35
昔、水戸藩の馬の放牧地だったところが払い下げになって、ウチの農地に
なったオイラがやってきましたよ。

関東平野は、平野とはいうものの、平地と台地の段丘地形になっている所が
大変多い。低い平地の方は、沖積平野ともいい、ここでは稲作が行われる。

台地の方は(上野もそうらしい)、洪積台地ともいい、平坦ではあるものの
これより高い山がないため、水を引いて田んぼを作ることができない。
(5メートルくらい掘れば水は出るけど。)

よって、台地の方では畑作となり、馬の放牧地もこのような場所に作られている。

69 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 21:15:56
>>67
なんで今さらそんなことをむしかえすのか分からん。

蹄鉄といえばヨーロッパでは魔よけとして蹄鉄を飾ることが
あるけど、日本でも馬沓(草履)を魔よけとして軒下や
玄関に飾る地域があるんだよね。
素材こそ違うけど同じ馬に履かすものを魔よけとする
考えが同じって何かおもしろい。

70 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 22:03:08
アホが大量発生中

関東平野は、火山灰が降り積もった関東ローム層で覆われ農作物がリン酸を吸収しにくい

関東の土壌が、リン不足でもともと農業に適してないのは常識


71 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/18(木) 22:33:42
>義経が大手から
搦手の間違い。

>>69
東日本には、馬から血をとってそれをつけた縄を護りとする習俗もありましたね。

72 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:46:59
>>71
>東日本には、馬から血をとってそれをつけた縄を護りとする習俗もありましたね

へえー東日本住みだけど初めて知りました。その縄って何か名称あるんですか?
血を使うというと何かおまじない的要素も含んでいたんでしょうか?
昔の日本では馬は神様の乗り物とされていたとも聞くので
血を通じて神の力(加護)を得るみたいに。

73 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:53:13
関東平野でも、低地の方は稲作ができるけど、台地の方は何を栽培するかと
なると、悩むね。水は引けないし。おかぼという稲を畑で栽培することは
できるが、毎年栽培することはできないんだ。連作障害が発生するから。
(水田は連作障害が発生しない。)
馬を飼っているところを「牧」というのは事実。
水戸の場合は、一の牧とか言った。(他に「原」もある)
牧場が多くあった場所では稲作はできないとは珍説についてだが、
正確には(というか茨城の場合では)、 牧場が多くあった場所では
水を引くことができない地形で、稲作がしづらい場所だった。

74 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/19(金) 01:01:53
>>72
主に東北や新潟で行われたもので、新潟では馬の爪を切る際に口に食ませた
縄をサクチ(割口)縄と呼び、最後に馬の血の抜いてこれにつけ、戸口に魔
除けとして置いたそうですが、名称に深い意味はありませんね。
こうしたことは大体伯楽(ここでは馬医)が行ったそうで、彼ら自身も一種
の霊力を持つ者と考えられたのかもしれません。

馬に神が乗るという伝承は日本に限らず枚挙に暇がありませんが、この場合
は身近な馬というものの持つ生命力、その存亡に関わる伯楽の能力に畏敬の
念が注がれていたように思われます。

75 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/19(金) 01:03:42
なお、馬の血抜きというのは馬の疲れを除くために溜まった血を抜くという
もので(わずかながら日本にも人間の瀉血の記録はあります)、近代的な獣医
が登場してからは見られなくなります。
せいぜい明治頃までの習俗で、今記憶している人がいるとしても相当な高齢
でしょうね。

76 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:12:22
最近は司馬を読んでいるのか?

77 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 02:11:40
そういえば、静岡県には馬や牛ぼ首を投げ入れると
雨が降ると伝わる沼があって大正時代あたりまで
悪戯を含めてやる人がいたらしい。
他にも、雨乞いには黒い馬、晴乞いには白い馬を奉納すると
いいという言い伝えが全国的にあるらしい?

結構呪術的なものにも馬は使われていたんじゃないかなと思う。

78 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 02:21:56
サラブレッドは日本の生態系の破壊に他ならない!JRA


79 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 02:59:21
サラに罪はないよ。サラ至上主義みたいな風潮を
作りあげてきた連中が悪いんだよ。

80 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/19(金) 08:47:38
>>77
丹生・川上への馬の奉納や、雨を望んで黒馬を、晴を望んで白馬を奉納する
ということの歴史は古かった筈ですが、南北朝時代には紀伊の田舎で馬の骨
を滝つぼに放り込んで雨乞いをしていたことが史料から確認出来ますね。

もっとも、ここでは不浄のもので竜神を怒らせると説明されていましたが。
平安時代の井戸の中や田の跡から牛の骨が出て来ることも確認出来ますが、
これなどは血を振りまいて繁栄を祈ったという解釈も出来ます。
(少なくとも、殺牛祭祀が奈良〜平安初期に存在したことは事実)
その場で殺した骨かどうかは一概に判断出来ないという反論もありますが。

ただ、『枕草子』や『太平記』に登場する牛鬼、『吾妻鏡』に登場する隅田
川から出て来て浅草寺の僧侶を殺害した牛頭人身の怪物というように、水か
ら牛馬の怪物が出て来る話は、枚挙にいとまがありません。
竜もしくはアシカの子が後に名馬になったという話もある。
全部が全部とは言えないかもしれませんが、『河童駒引考』にあるように牛
馬で雨乞いをした(殺害して犠牲にすることは後代には行われていなかった
ので、日本では間接的な理由だと思います)影響と考えてよいでしょう。

81 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 08:56:41
あの〜馬面のことについてはだめですか?馬なら何でもいいんでしょうから

82 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 09:40:29
>>75
笹針って今でもやってるんじゃないの?

83 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 11:52:33
>>81
ドゾー

84 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 12:57:33
>>69
>>>67
>なんで今さらそんなことをむしかえすのか分からん。

むしかえすって、俺は一日前のレス(>>56)にレスしただけだが。


85 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 12:58:55
>>70
>アホが大量発生中

アホは>>50,53,56の一人だけだろ

86 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:07:04
やっぱ、自分は頭が良く、自称天才気取りのナルシストの妄言はおもしろすぎんなW

87 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 13:24:13
鵯越をナイトスクープででも実験してほしい

88 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 17:39:56
>>87
同意。もちろん在来馬で大鎧の着装と和式馬具は必須事項。
問題は源平期と同じぐらいの運動能力を持った馬と乗馬技術を
もった乗り手が見つかるかなんだが。
流鏑馬をやってる人らも神社の馬場だけでいっぱいいっぱいな
感じだから程遠いだろうしな・・・orz

89 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/09/19(金) 18:57:04
>>82
サラブレッドには今でも行っているようですね。
欧米には無いようですが、どういうルートで許可が続いたものでしょうか。
しかし民俗行事として村で行われるものは早くに廃れたようです。


90 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 21:14:19
ひょっとして、馬から降りて、坂を下ったのかもしれないよ。
で、敵陣の直前で馬に乗る。
といったら、騎馬戦の通説と逆になっちまうが。

とはいえ、実験すればわかるだろうね。

91 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 21:33:03
馬から降りて、坂を下るほうが難しい

92 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:00:26
確かに。一歩間違えば馬に踏まれて人間の足の骨が粉砕されるだろう。

93 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 21:34:57
野生動物の番組で、ヌ−などは斜面を降りる時、
頭を下にして駆け下っている。
騎馬武者が乗ったままだったら、頭からつんのめって落馬して馬に踏まれる、
に一票。だれか実演してくれないか。

94 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 11:33:23
むしろ乗ったままの方が危なくないよ。
その方が乗り手主導でいくらでもバランスを取れるから。
逆に>>91-2が言うように危ないのは下馬している状態。
馬というのは落馬を除けば乗っていた方が比較的安全。
実際、乗馬クラブや牧場では乗馬時より馬房や馬場作業での
事故の方が圧倒的に多いから。
制御する存在がいないから馬も暴れやすいしね。

95 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 14:25:45
つうか、そもそも斜面であっても頭からつんのめるものか?
騎乗武者なら馬と一緒に前かがみになるようなオバカは
しないと思うんだが。

俺が見たことあるつんのめりは全部平地。

・競馬→ゲートが開いた直後。競馬の騎乗スタイルはそうなりやすいから
    これは仕方がない。

・競技会→障害手前で馬が急停止。代わりに選手が障害を飛び越す。

・浜辺→襲足中に馬が突然急停止して放り投げ出される。

・馬場→ケツ撥ね。タイミングが合ってしまったらしく乗っていた人間は
    前にすっ飛ぶ。

96 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 13:18:57
斜面といえば>>3の疑問でもある鐙の形が和式便器(w)みたいな形で
ふんばりが利くようになっているのは、丘陵地帯が多くて踵の無い履物を
履いていた日本の地形や沓文化もかなり関係しているんじゃないかな。

足をつっこむタイプ(で合ってる?)だと踵がない履物では
坂で踏ん張れなさそうだし、底が平らなタイプが多かったから
そういう履物でも踏ん張れるようにあーいう形に改良していったのかなって。
下駄履いていたなら違うと思うけど。

97 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 16:44:32
戦場に下駄は履いていかないんじゃ・・・。

98 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 02:10:03
古墳時代に始めて鐙が入ってきたときは輪鐙だったのが
取捨選択と改良の結果、あの形に落ち着いたんだから、
形状に合理性があったということだろうね。

草鞋は靴と違って軟質なので、接地面積が小さい輪鐙を長時間踏んでると
足の裏が痛くなるんじゃないか。
そこで接地面積の広いあの形状が取捨選択され改良されてきたと思う。

99 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 11:56:58
>>87
国体のクロスカントリーなんかでは、そうとう急な坂や階段を上り下りしているよ
乗馬用の馬だけどね、当然馬も人もこけたりひっくり返って大変危険
俺が観たときは完走よりほとんどリタイアしてた
遊びでやるには難しいと思うよ馬も人も怪我するし

100 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:00:21
クロカンについては丘陵地に不向きな西洋馬だからと
いうのも若干関係あるんジャマイカ?

101 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 09:02:40
黒毛和牛は、大陸移動で南太平洋からやってきた牛なので、日焼けして黒人と同じようにまっくろけになりましたが、
朝鮮牛は茶色でいわば黄色人種と同じで日陰が多い場所で育ちました、

102 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 10:43:27
騎馬民族である韓民族の百済や花郎から馬や鐙すべて盗作したのが日本のサムライ


103 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 11:24:46
韓国よりもっと北の騎馬民族から盗作した民族もいてますよ

104 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 20:55:43
>>100
そりゃ下り坂は足が短い馬のほうが・・・
落ちても痛くないしね

105 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 23:19:25
>>102
馬鹿

106 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 03:33:59
>>105
自己紹介ですね

107 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 19:02:54
http://sakuratan.ddo.jp/imgboard/img-box/img20081003190223.jpg
こういう画像持ってた。

108 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 23:43:52
こういう写真見ると俺たちが持ってる乗馬のイメージが
いかに実際と乖離しているかを思い知るな

109 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 00:56:23
>>107
すごい

110 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 01:45:27
やれるもんなんだな、、、

111 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 16:05:04
昔の馬も戦場でこれくらい動きまくってたのかもしれんね
http://www.metacafe.com/watch/859100/horse_side_running/

112 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 01:35:33
>>111
人間の余興のために馬も牛も災難だなあ・・・

113 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 08:35:18
>>107
どこのいつの訓練ですか?

114 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 21:23:38
>>107
坂を下るじゃなく直角やん

115 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 22:52:13
>>107
近藤好和氏の著書にも載ってた。

116 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 11:33:47
馬について素人ですが質問させてください。
最近、講談社学術文庫の『シュリーマン旅行記 清国・日本』を読みましたが、その中で
「日本では馬のことを「ポニー」〔小馬〕と呼んでいるが、日本の馬もヨーロッパの乗用馬と同じくらい大きいのだから、
この呼び方はまったく相応しくない。」 p.120
とあります。
一方で、戦国時代の馬はポニーほどの小さい馬であったという表記をよく目にします。
これはどちらかが間違っているということでしょうか、それとも江戸時代に品種改良されたということでしょうか

117 :116:2008/10/08(水) 12:09:15
ちょっと調べれば分かることを質問してしまいました、申し訳ありません。
質問は撤回致します。

118 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 12:11:32
http://www.sasakijo.com/kiba.htm
ここは基本

119 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:08:42
徳川吉宗が集めた名馬の中に「亘理」(わたり)という馬がいたそう
体格よく約140aほどと書いてある
吉宗が輸入したペルシャ馬はオランダ商館を通じて・・・
馬事文化財団の人が書いた本に載ってた

120 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:32:49
農耕用の馬もいたしなぁ。
その外国人が、
どこでどんな馬を見てコメントしてるのかがわからん。

121 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 23:37:39
>>111
逆にそれぐらい動けなければ戦場では使いものにならないと思う。

122 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 21:34:58
スペインの闘牛
スペインで最初に牡牛と闘ったのはジュリアス・シーザーであったと言われてる
(ホンマかいな?)
誇り高きスペインの騎馬闘牛士(レホネアドール)は、高等馬術の最高レベル
にまで調教された<アンダルシアン>に騎乗する。
騎馬闘牛士はレジョンという短い鉄の刃がついた槍を、牡牛の頸に突き刺し
次に、バンデリラという槍よりは短い銛を打ち込み、最後に死のレジョン
と呼ばれる長い剣で死にいたらしめる。

123 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 00:56:52
日露戦争時まで日本の軍馬が去勢されてなかったってよく聞くがマジか?
江戸時代に馬虚勢技術がなくても西洋から軍備を学べば普通に導入できると思うのだが。

124 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:18:28
江戸時代にペルシャ馬と一緒に蹄鉄と去勢の技術も西洋人が伝えようと
したけど日本人は興味をしめさなかったみたい
中国人や西洋人みたいに人間でも去勢する人達とは考え方が違うのかな?


125 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 01:45:17
近代まで去勢術が無かったことが江波波夫の騎馬民族征服説を否定する根拠になってるね。

126 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 19:25:17
日本では大人数人でやっと押さえつけられるような暴れ馬が
良馬ないし名馬と考えられていたのだから去勢方法を
教えたって興味を示さないのは当たり前のような気がするけどな。
蹄鉄も必要性を感じなかったんだろう。
日本では街中ですら石畳を敷いていないんだから蹄の減りも
西洋ほどじゃなかっただろうしさ。

127 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 20:21:41
暴れ馬を乗りこなしてこそ武士なり!
てことでうるさいから去勢するなんて恥ずかしくて言えなかったかもね

128 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 00:26:36
佐々木四郎の乗馬「池月」の名も人でも馬でもかまわず噛み付く
(生喰く)ことから来てるんだっけ。


129 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 13:45:46
佐々木の馬って当初は生喰だったのが意味合いがよくないとかで
池月に変わったんじゃなかったっけ?

関係ないけど高田馬場の流鏑馬を見に行ったら馬のスタッフ?に
木曽馬牧場と書かれたジャンパーを着ている人がいたから木曽馬も
いた模様。でも、走りは出ていたどの馬も同じような感じで
区別なかったよ。日本の馬もなかなか走るじゃんか!と見直した
(日本ミステリーの検証に出ていた馬はなんだったんだw)
だから大きさで何となくあれかなとは思ったけど正直どれが
日本の馬かわからなかった。

130 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 15:15:38
>>128-9
字が変わっただけらしいからどちらも正解だろう。
穴八幡の流鏑馬は確かに日本の馬も出てた。
その馬、いい感じで走っていた。大河にも出してくんないかな・・・。

131 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:40:52
穴八幡の流鏑馬で使う馬は毎年家の裏にある神社に置いてあるんだが
今年も娘が気に入っている馬に人参あげに行くとがんばっていたから
かみさんが連れて行ったら、娘とスタッフの雑談中にこの馬は来年の
大河の撮影でも使われたという話を聞いたそうだよ。
どうやら木曽馬らしいんでもしかしたら大河で見れるかもしれんよ。
馬の素人の話だからその馬かどうかは確定できないけど。

132 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:00:38
馬って当日来るんじゃないの?

133 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 00:05:39
>>131
大河って普通に長いぞw
どのシーンなのかを娘さんや奥さんは聞いていないのか?

134 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 16:40:13
今の時期で撮影が終わっているなら最初の方かと思われ

135 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 18:43:05
>>131
国家公務員であることを自慢したいんですね。わかります。

136 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:30:02
(スポーツ流鏑馬)
馬は体高148a以下の和種馬に限られ、人馬共に和装を着用する
馬については「和鞍」「和手綱」「三懸(さんがい)」の装備が義務ずけられ
人間についても「上衣」「袴」「射篭手(いごて)」の三点が必須
射篭手とは弓を射る時に弓に着物の袖が絡まないよう左手だけに着用する
プロテクターのようなもの
第一回から30人以上の人が参加してるみたい(ネットでも見れる)



137 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 22:56:12
>>136
厳密に言うと射篭手は左手ではなく左上半身(肩〜手首まで)に
着用するものだよ。ペラなんでプロテクターというより
弓道でいう胸当てみたいなもんかと。

138 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 02:01:08
>>133
聞いてみたがそこまで話してなかったってよ。
役に立てずすまんな。

139 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 02:58:39
なんだ、グラスワンダーのスレじゃないのか

140 :日本@名無史さん:2008/10/17(金) 22:16:26
>>138
わざわざ聞いてくれたのか、ありがとさん

141 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 20:33:02
木曽馬牧場

× 木曽馬の牧場
○ 木曽の馬牧場

142 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 21:30:13
>>116
シュリーマンの言う「小馬」は恐らく「駒」のことだろう。
彼はアマチュア言語学者だから、日本語で「駒」と「馬」が同義である
ことを知らず、解釈しすぎたのだと思う。

日本の古代の馬は、発掘によって体格が推定されるが、蒙古馬と同じ
ぐらいの体格だった。
木曽馬などはこれよりも小さくなっている。これは江戸時代に、女子供
でも扱えるように「品種改良」されたのだ。

143 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 22:30:53
てか天下泰平の世になって侍も乗りやすい小さいのを好んだからな

144 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 23:47:29
≫「平家物語」に騙されるな!

義経の「鵯越(ひよどりごえ)の坂落し」。
そんなことはありえない!
ポニーのような小馬に乗った坂東武者…。
これが本当だ!
「技術」の視点から、源平合戦の通念をくつがえす。



『源平合戦の虚像を剥ぐ』(川合康著、講談社選書メチエ帯より)






(笑)

145 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 08:10:16
私はいつも不思議に思うのだが、平敦盛は熊谷直実に討たれる直前、
沖の船に向かって馬を海に乗り入れていた。彼は沖の船に達したあと、
馬をどうするつもりだったのだろう。放して自由にさせるのか?
それとも船につないで泳がせるのか?

146 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 09:19:33
>>144
つか、川合本人が(笑)だわ

川合はサラと比較してるんだぜ
東洋馬のサイズや、かつてのサラが小柄だった事実も知らなかったんだろ
城郭戦がこの時代からとか、河原兄弟の乗馬が農耕馬だとか(笑)
研究者にあるまじき妄想三昧(笑)
冗談にもならん古い本よ


とら松殿のめしたる駒の毛色は 坂東名馬に虎月毛 金覆面の鞍おいて
明珍ぐつわに綾の手綱をゆりかけて 駒もいさんで御立ある

147 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 14:03:26
川合 康かわい・やすし東京都立大学助教授

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1958年、三重県津市生まれ。
名古屋、大阪で育つ。子どもの頃からの史跡歩きの趣味が高じて、神戸大学文学部で歴史学を学ぶ。博士(文学)。
現在、東京都立大学人文学部助教授。専攻は日本中世史。恩師戸田芳実氏の影響を受け、歴史の現場をひたすら歩く。
著書:『源平合戦の虚像を剥ぐ』(講談社選書メチエ、1996年)、『鎌倉幕府成立史の研究』(校倉書房、2004年)
主要論文:「治承・寿永の戦争と『平家物語』」(『軍記と語り物』36号)、「内乱期の軍制と都の武士社会」(『日本史研究』501号)


148 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 14:26:04
現代の日本人はたとえ学者であっても
馬に対して驚くほど無知な人間が多すぎる

149 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 07:05:01
推古天皇が「馬といえば日向の駒」って詠んでるけど、宮崎の馬ってそんなに凄いんだろうか。
軍用馬が野生化して現存してる都井岬の野生馬は有名だけど

150 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 12:11:37
その頃にしては名馬だったってことだろうな
蝦夷との交易が始まると今度は蝦夷馬マンセーしてる

都における蝦夷馬の人気は絶大でした。馬の値段が高騰し、入手するのが極めて困難になります。
聚三代格太政官符という記録の延暦6年(787)の条には、
蝦夷馬によって世間が大混乱を巻き起こしている様子が書かれています。いわく

「家臣や国司が蝦夷馬を買いあさるので、獣にも等しい徒が暴利をむさぼり、
 良民をかどわかし、馬を盗み売り、その数は日ましに増えている。
 そればかりか、蝦夷馬を買うために綿や甲冑といった国の大切な財産と物々交換する始末。
 その害たるや甚だしいので、今日以降は蝦夷との交易を禁止する」

ttp://www.jtng.com/thrc/p70nanbu/p70-02.html

151 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 01:33:04
蝦夷に馬がいたのか。
それは東北のこと?北海道のこと?

152 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 21:27:26
北海道のバンエイ競馬の道産子馬!
デカいし、幅ぶっといしでビビるお。

153 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 00:26:24
>>151
明らかに東北

154 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 22:14:06
糠部の駿馬、寒立馬

155 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:48:40
ちょっと面白かったので貼っていきます

日本馬匹改良論(明治39年)
第二十七章 日本馬匹ノ沿革及各論 より

青森縣の馬匹

1・南部馬は本邦最大の品種を占め、既に1千年餘より以来其名を博し
官牧及び民牧の設置とともに大に其改良蕃殖を勉め
享保年間八代将軍吉宗公の時、波斯馬を住谷野に放牧せる
(中略)
南部馬は一般に性質温良にして力役に堪へ、體粗大にして稍鋭敏を欠くも
頭は大にして皮膚厚く、被毛粗剛にして骨及び関節は大なり
毛色は青毛最も多く、鹿毛栗毛少なからず
體尺は五尺に到るものあり
(後略)

2・津軽馬また津輕馬と稱するものは、南部馬と異なり體尺四尺八寸に達し
性質喧噪のもの多く自給力に乏しく、青色多く鹿毛栗毛之に次ぐ。此種は駄馬に適す。
頭は中庸、額は狭く眼は小、頸短、直、強厚、鹿頸にて鬣毛は粗剛にして林立し
き申は低く、背腰長くして後躯との接合不良、肢間狹、
肋部平扁、管細小、臀筋の発育不良、蹄小なるも強靭なり

156 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:51:47
宮城縣馬

仙臺馬は南部馬に比すれば體小なりと雖
日本馬の平均の上に出づ軽捷にして、鹿兒島馬より重し
古来より乗用として有名なリ
藩祖伊達政宗は夙に産馬の改良に熱中し
人を波斯に派遣し、洋種輸入を圖りしも、故ありて之を南部に入れ
文化七年、南部七戸地方に波斯血胤の良牝牡二頭を求め
之を鬼首に飼養して良駒の産出を計れり
(中略)

鬼首、馬は一般の體形に於て頭は中容にして能く乾燥し
額は廣くして眼大に鼻梁直短、鼻端廣く耳短薄、額縁大にして耳下稍張溢せり
頸は短直にして上向し、上縁厚く下縁凸隆を呈するもの多く、鬣毛?疎なり。
き甲は高痩延長し、背は稍長く、往々凹背のものあり
腰は緩にして後躯との接合善良ならず。尻 短斜にして腰角低狭
尾礎低着にして虚弱を示す。胸廣からず、胸腔深長を欠き、
肩は短くして峻立し、四肢細くして前膊短く膝廣大ならず足は弱し
毛子精細にて性質は温良悍威あり
歩様軽快なるも、管を強屈して高?短節す
持久力に乏し
毛色は栗毛多く、青毛鹿毛之に次ぎ、體尺四尺八寸に至る

(?の部分は読み取れませんでした^^;)

157 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:55:00
秋田縣馬

(前略)
最上馬は躯幹長大、四肢短厚にして頭は重大且つ短く
鼻梁凹陥するもの多し。眼瞼は重厚、眼球は小にして陥落し、容貌柔和ならず
耳は大且つ緩、唇厚く口裂け浅く、顎縁大なり
頸は短厚にして水平方向を呈し、鬣毛厚く且つ縷々捲縮するものあり
頸礎低く、き甲低、廣
背腰長し、後躯との接続は可良ならず、尻は短斜にして幅員狭く、尾礎低着し
毛量饒多なり。前膊脚は短し。繋は短直し、蹄質堅固なり
性質温良ならず。此最上馬の體格は大に仙臺馬に類似するも、其性質の清快なるを異りとす
持久力に乏し
毛色は青毛最も多く、鹿毛之に次ぎ、體尺四尺五寸より四尺八寸に至り
輓駄を主とし、又乗用に適す


福島縣馬

三春馬は良好の乗用を以て古来有名なリ
(中略)
三春馬の體形は中等にして
頭は細長、額狭く、鼻孔小、眼大にして、頗る鋭敏活発の相あり
耳は細長凛立し、頸は長大にして方向佳良、き甲高延、背腰長きに失するもの多し
後躯との接合は不良なり。尻は短狭にして傾斜をなし、発育不良なり
胸部は狭く肋部稍平にして、腹?中容なり。
四肢細長関節強固ならず。蹄形善良にして其質堅靭なり
性質温良悍威あり。巧みに前肢を高揚し歩法軽義なるも持久力乏し
皮膚薄く被毛細美、毛色は青毛多し
體尺四尺五寸乃至四尺八寸とす

158 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:57:19
山形縣

小国馬は鬼首馬に類似して體幹伸展し悍威あり。歩調も亦軽快なり
現時其種類大に混合し、為に純粋の小国馬の形貌を有するもの少なし



石川縣

能登は産馬を以て北國に冠たる地にして
(中略)
在来の馬は體尺四尺七寸乃至五尺にして性質温良、四肢強健なり
毛色は青毛、栗毛多し。農用乗用に適す。
又、灰色を帯ぶる鹿毛あり。
耳は細薄にして長く、眼は清亮、額は狭く顔面は直にして稍長し
鬣毛少なく、頸は細く、肋部豊圓ならず、腰部稍凸起す
尾着高く、尾根細く昆(?)毛少し
四肢強く蹄は堅固にして圓形なり

159 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:59:19
長野縣馬

信濃國は古来馬を産出し其佐久馬と木曾馬とは有名なリ
佐久馬は南北佐久の両群より産ずる馬にして中位にあり
體貌輕美品位あり。躯肢短縮し、頭は中容、額は廣からず
眼相温和、耳緊立し、頸は稍細薄、方向佳良
き甲中位、背腰長くして平直なり。尻は適度に長く傾斜比較的に少なし
胸は稍狭く、肩は長直にして稍前方に位置し、肘間狭く、股は短直のもの多し
脚は細小に比するの欠点あり。蹄質堅牢、性質温和にして悍威あり。乗駄に適す
鹿毛栗毛多く、青毛芦毛亦少なからず。
體尺約四尺五寸乃至四尺七寸あり

木曾馬は西筑摩の山間の馬にして粗食に堪え剛健
能く山地を跋渉するに巧みなリ
體格は矮短、三尺七寸乃至四尺四寸にして頭は重く
眼は小に、頸は厚く躯幹長く、尻は傾斜して四肢軽細
関節強靭、蹄小にして其質堅牢なり
青毛多く駄用に適するも性質柔順ならざるもの多し

160 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 19:01:41
宮崎縣馬

飫肥馬 福島馬は縣下の主要なるものなり
飫肥馬は品位卑野にして皮膚厚からざるも
結蹄織に富み、被毛深く、性質多くは獰猛にして制御に困難なリ
躯幹概して長大、発育佳良なるも膝及び飛下、殊に?弱の?あり
體尺は四尺四寸、駄用に適す。
毛色、青毛多し、頭は廣大、耳短太、鬣毛豊多に、き甲低くして短厚、背は平直
腰は強実、接続良好なり、尾は比較的高着し、胸腔廣し、肩は長斜す、
脚は細小、蹄形良く堅実なり

福島馬は稍小、體尺三尺九寸乃至四尺二寸にして
頭大、眼大 鼻梁凸起す、頸は短厚、鬣毛多く、き甲低し
胸前廣し、腰の発育良し、脚は中等なり
駄用に適す

161 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 19:04:17
鹿兒島馬

恒吉 市成及び踊地方下潟は有名の産馬地なり
恒吉馬は體躯調整を得て品位あり。悍威旺盛なり
體尺四尺五寸乃至八寸に至る
毛色、栗毛を主とし、鹿毛青毛之に次ぐ

市成馬は前者に類似する点多し
骨格堅固に関節強大なるも後躯は弱く、歩様高揚短節なり
此馬は血液性にして悍威あり、乗用に適す
體尺四尺六寸あり、毛色は栗毛多く、鹿毛之に次ぎ、青毛少なし

踊馬は頭稍重大、顔面平直、眼温和、耳長大、頸は廣長
き甲廣長、肥痩其度を得、背概短直、腰廣く
尻、多くは長且つ廣濶にして、傾斜するもの小し
胸腔深長、四肢細小、関節大に、蹄は少しく脆弱に失するのきらひあり
尾毛、鬣毛多房し、青毛栗毛及び鹿毛多く、輓乗に適す

下潟は軽種にして皮膚薄く、能く乾燥し被毛繊美にして最も品位なり
骨格堅固緻密にして、頗る亜剌比亜馬に似たり。然ども耐久力乏し
歩様は高揚短節にして脚は細小なり。青毛多く鹿毛栗毛之に次ぐ
體形は頭大、耳は短く稍緊まり、眼は大、且つ鈍なり
き甲長高にして、鵠頸をなし、鬣毛は多し

162 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 19:14:04
北海道馬

土産馬は體尺四尺一寸乃至四尺四寸にして
頸は細頸と背は水平、腰角は適度に張り出し、臀筋及び胸腔の発育は善良にして
四肢短縮なるも、関節強実、蹄は堅牢なり
鬣毛、尾毛少なし。粗食に堪ゆ
自給力に富み、山川岩角を攀るに適す
(後略)



四國馬

土佐馬は體格極めて矮小
頭は小なり、鬣毛及び尾毛は美なり
毛色は駁及び月毛多しとす

163 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 13:45:28
貼り乙!
これだけいろんな馬がいたのに絶滅に追い込んだ旧日本軍は
バカとしかいいようがないw

164 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:50:06
>>163
当時の国策と言ってしまえばそれまでですが
上に挙げられている馬種の多くが
いまはもう見る事が出来ないというのは実にさびしい事ですね

165 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:03:50
>>7
競馬板より参上つかまつった。
()括りは現代だと毛色の種類です。
鹿毛、栗毛は多い。
同じ鹿毛でも黒鹿毛とか青鹿毛など居る。
青鹿毛は少ない。


166 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 19:13:50
保守

167 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:18:46
調べると峯岡馬(峰岡馬)という種もいたみたいですね
これを読むと各地の馬の血統を多く取り入れた改良品種とも見受けられますが
10年後の『日本馬匹改良論』では何故か触れられていません


『大日本馬種略』(明治29年)より

峯岡種

峰岡種とは安房国、長狭、朝夷、平の三郡に跨がれる峯岡の五牧及び其近傍に産する馬種の謂いにして
その血統により古来仙台筋(焼印目結、此の印は享保二十卯年より始まると云う)
南部筋(焼印雲雀、此の印は元文四未年より始まると云う)
ハルシャ筋(焼印折雀、此の印は延享三寅年より始まると云う)
奥州筋(焼印結鷹、此の印は明和四亥年より始まると云う)等の区別あり
就仲南部筋即ち雲雀と称するもの尤も声価あり
此の種は血統に従いその資質異同あれども、一般に豊肥短厚の形貌を稟く
之を概言すれば南部種の小形なるに似たり
峰岡牧は在昔里見氏の所領の時に起こり、徳川氏に及んで其管する所となれり
享保年間官民の境界を明かにして之を五牧に分ち種馬を仙台に仰ぎ
爾後南部(元文四年)三春(延享三年)秋田(明和四年)
等より牝牡若干を輸入し、その他時々旧幕府の厩馬を放て改良を図り
維新の際佐倉小金の諸牧より牝馬凡二百五十頭余を移植せりと云う

168 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:28:11
保守age

169 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 23:22:33
今時分五月人形として売ってる飾り馬って
だいたいみんな赤い飾りをつけてますが、
そういう決まりがあったんでしょうか
暴れん坊将軍の馬もあんな感じですよね

170 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 23:39:37
それは室町時代以後、上級大名のステータスシンボル。
幕府の許可が無ければ赤い鞍飾りはつけられなかった。

171 :日本@名無史さん:2009/03/11(水) 07:01:35
勉強になりました。
あれは室町以降なんですね。

172 :日本@名無史さん:2009/03/11(水) 11:08:03
室町以前は知らないね。

173 :日本@名無史さん:2009/03/11(水) 13:44:13
鎌倉時代には既にあったっぽい
http://www.museum.pref.kumamoto.jp/education/kyouzai/report/kaitou/01/index.html

174 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 17:32:17

馬肉を食べる熊本と信州南部は、古代の古墳から同じような装飾馬具が出てる。

175 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 19:28:35
>>174
真性アホだな

176 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 04:01:53
アホとも言い切れんな。
面白い意見だよ、「面白い」、な。

177 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 07:30:06
ミドリマキバオー (うんこたれ蔵)

178 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 09:26:09
>>175,176
事実は小説より奇なり!
騎馬民族の居留地か?

179 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 11:56:58
馬肉食べるのは熊本と南信だけじゃないし

180 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 13:18:52
平安時代は馬より牛のイメージがあるなぁ。
黒い牛に朱の房飾り付けて。

181 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 18:33:55
>>165
そうじゃなくて、単に毛色の種類を差してるだけなのかそれも馬名の一部に含まれてるのかってこと。

182 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:08:27
日露戦争まで日本の軍馬は去勢されていなかったと聞いたがマジか?
日本には伝統的に家畜去勢の技術が無いことは知ってるが
幕末・明治に西洋から軍事技術を導入した時に一緒に導入されてしかるべきと思うのだが。

183 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 20:16:16
猛々しく、制御も困難なくらいの牡馬が戦場では望ましいと考えられていたから。
日露戦争というか、海外に騎馬隊を派遣することになって、隊の統制もとれない
お粗末さを世界に晒して初めて、去勢すべえってことになったわけさ。

184 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 00:27:21
日本では人にせよ馬にせよ去勢を嫌った。
蹄鉄が有用だと分かっていても動物を傷つける行為には抵抗があった。

金魚や植物の交配は盛んに行われたのに、犬では行わなかった。
誰だったか失念したが、とある民俗学者が不思議がっていたね。

185 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 14:07:43
>>182
なんだったか忘れたが明治時代の本に
長崎あたりでは江戸時代からやっていた
と土地の古老が言っていたという記述があった
広い地域には普及しなかったみたいだね

186 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 23:29:39
去勢技術が日本に広まってたら、たぶん宦官も導入することになってたと思うよ。
そんな気持ち悪いものを導入しなかった先祖に感謝しよう。

187 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 21:13:37
江戸時代以前は日本の馬は品種改良のやり方がわからないのでどんどん小さくなったって
何かに書いてたけど、史料を見ると他地域から種牡馬を導入したりしてるのも散見されるんだよね。
実際はどの程度のもんだったのかしら。

188 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 22:47:14
チビの武将が自分の乗りこなせないようなデカい馬に乗るかよ

189 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:05:23
むしろ江戸時代に乗り心地のよさだけをを求めて小型化させていったんじゃなかったっけ?

190 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 00:28:24
>>187
馬産地ならどこでも普通にやってるね
ちょっと思いつくだけでも南部、仙台、三春、峯岡はやってる
あと『島根県旧藩美跡』という本に馬格改良のために南部から種馬を導入した
という記述もあった
馬飼ってて血統の重要性に気がつかないとかあり得ないでしょう

191 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 01:49:08
>>188
でもさー 鎧で固めたデカい馬で槍持って一列に並んで突撃したら
敵を蹴散らせるだろーなーって考えて試す大名はいなかったんかね?

192 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 11:47:42
そんなでかい馬を多数養う飼料が賄えない。

193 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 18:40:40
>>186
聖徳太子、蘇我、天智天武あたりで唐の制度を真似た時でも宦官は導入してないんだよな。

194 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 17:50:51
>>191
戦国の群雄割拠がヤマ場を迎えた頃には鉄砲が普及したので
そんな戦法は意味がない

195 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 09:23:44
>>194
長篠以前以後でわけられるかもな。

196 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 21:11:21
日本ではなんでロバが飼育されなかったんだろう。
中国東北部ではよく利用されてたらしいんだけど。

197 :日本@名無史さん:2009/03/31(火) 21:13:52
信州出身だから、馬の事は子どもの時からよく聞いているよ。
「1尺2倍」という言葉があって、体高が3cm大きいと、食べるカイバの料が
2倍になる。だから、むしろ小柄な馬の方が農民に好まれた。
女子供も馬を扱うから、在来種の小柄で大人しい馬が「良い馬」とされていた。
小柄なら馬の背中に荷物を乗せるのも簡単だしね。
ところが日露戦争で馬格の大きいロシア騎兵に日本騎兵が苦戦したために
外国産馬を種馬にして、大きな馬を育てるように国が命令するんだけど
農民は「1尺2倍」だから、国の命令を無視して小柄な馬を生産し続けた。
それで陸軍が大正5年に馬匹去勢法を制定し、在来種の雄馬を全部去勢して
しまって、日本に純粋な在来種はほとんどいなくなった。だけど馬産地では
こっそり在来種の種馬を保存していたので、戦後になんとか復活できた。
木曽馬は200頭ぐらいになったのかな。そのうち開田牧場に80頭ぐらいいる。

198 :日本@名無史さん:2009/03/31(火) 23:43:41
>「1尺2倍」という言葉があって、体高が3cm大きいと、食べるカイバの料が2倍になる。


一尺は30センチだろ?一寸二倍じゃない?

199 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 00:47:07
>>198
その通り、一寸二倍

200 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 12:35:33
馬の場合は一寸を「ひとき」っていうんだよね。

201 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 15:11:53
ヲイヲイ体高が3cm大きくなるだけで飼い葉の量が2倍になる訳が無いだろ。

202 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 17:44:37
誇張表現をマジにとる人乙。

203 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 22:15:30
>>200
四尺一寸から三寸までを寸(すん)といい
四寸より上を寸(き)という
としている資料もあるみたい

204 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 23:43:10
馬は4世紀ごろに登場したんですか?

205 :日本@名無史さん:2009/04/01(水) 23:47:49
日本の競馬って日英同盟が無かったら今の姿じゃ無かったんだよな

206 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 13:53:54
>>201-202
別に誇張表現じゃなくて「1寸2倍」は本当の話。
外国産馬の血が混じって馬格が大きくなると、もはや在来種とは違う馬になる。
飼い葉を沢山食べて、飼い葉も藁だけじゃ駄目で、穀物も入れなければ痩せてしまう
気性も荒くなって子供では扱えなくなる。だから陸軍が「在来種の雄は全て去勢する」
という非常手段に出た。
馬だけじゃなくて牛でも、ホルスタインとジャージーでは、体格はそんなに違わないが
食べる料は倍ぐらい違う。

207 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 20:35:17
なわけない

208 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 22:36:49
外国産馬なんて最初は言ってないのに
分が悪くなるとてきとーに付け加えるw
わかりやすい馬鹿だなw

209 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 01:27:26
>>208
お前は日本語読めないのか?w
「在来種の小柄で大人しい馬が「良い馬」とされていた」と
書いてるのが読めないのか?www

210 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 15:19:33
↑>206の後じゃどういいわけしても無駄w
ばーーーーーーーーかw

211 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 20:01:36
春だな〜( ´ー`)

212 :206:2009/04/05(日) 20:05:59
俺が悪かった。俺が外国産馬なんて引き合いに出さなければ荒れなかった。
俺が謝るから、それで許してくれ。な?

213 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 13:38:31
>>212
ナリスマシうざい、氏ね

214 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 09:42:47
東北は馬の産地で知られるけど、いつ頃入ってきたのかな?
エゾはやたらと馬術が上手かったみたいだが。
つーか、馬が西から入ってきたのなら、東北は最後に伝わったことになるので、馬術が発達したのは不思議だ。
ひょっとして、元々東北には野生馬が生息していたとか?

215 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 11:18:31
>>214
南部駒は、シベリアから北海道を経て渡来した馬

216 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 21:42:04
大和朝廷が東北に進出した頃にはすでに馬がたくさんいた
というから別ルートで伝来した事はほぼ確実
渤海あたりからじゃないかな?

217 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 22:44:56
>>215-216
東北の馬が別ルート伝来説の学術的根拠を教えてください。

218 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 01:09:25
>>217
教えてクレクレ君ウザイ

219 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 04:49:20
なんで日本にはロバが入ってこなかったんだよ。
頑健で粗食に耐え、飼い主に従順という扱いやすい家畜なのに・・・

と書いて気がついた。これらの特徴って日本在来馬の特徴そのまんまだなw

220 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 12:47:45
>>218
根拠もなしにてきとーなことほざいてたのバレちゃったからって
逆ギレはよくないね、君w

221 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 21:49:08
>>220
ググッったら直ぐに出て来るだろ、真性ヴァカか???
http://www.zoone.com/uma/uma1.html

222 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 22:49:04
古墳時代の騎兵はかなり強かったと思う
壬申の乱が最後の花だった

223 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 23:14:48
6世紀に大量の馬を日本に導入して古墳時代の様相を一変させたのは
継体天皇の業績と考えていいんでしょうか。

224 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 02:01:29
実際に生き馬の目を抜いたらどうなるの?

225 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 21:48:52
>>221
そこを見ても東北の馬が別ルート伝来説の学術的根拠が書いてない

226 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 22:11:07
>>221
真性ヴァカwwwww

227 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 21:15:28
ぶっちゃけ文献からの推測になっちゃうよね(´・ω・`)

228 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 00:10:42
仮に樺太・北海道ルートだと、これらの地域にも馬がいないとおかしいわけで。
で、これらの地域には、確か馬はいなかったはず。
となると、やはり沿海州辺りの遊牧民と交易して手に入れたのが、一番可能性が高いかな?

229 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 02:29:30
>>228
>で、これらの地域には、確か馬はいなかったはず。

道産子も知らないのか?wwww

230 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 08:17:37
道産子って、明治時代に持ち込んだんじゃないの?

231 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 12:34:11
馬がいなかったから江戸時代に南部あたりから持ち込んだやつの子孫だろ?

232 :日本@名無史さん:2009/04/12(日) 12:56:22
>>229
どうしてそんなにバカなの???

233 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 00:46:12
ここで勘違いしている奴がいるが
日本では、モンゴル人が行うような騎馬戦は
歴史上、一度もなかった。
なぜなら、日本列島の地理的要因からして、騎馬戦は不都合だから。

だから、13世紀、モンゴルが日本に攻めてきた時も
歩兵が中心の軍隊だった。


234 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 01:21:57
>>233
本当に、日本の地理的要因が騎馬戦術に不向きだから、元寇は歩兵中心だったの?
馬一頭が一日に必要とする飼葉の量を考えると、
馬を連れた水陸両用戦術は、兵站から無理だったという認識なんだけど

235 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 01:29:39
>>233
バカは書きこんじゃダメ

236 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 22:30:27
蝦夷征伐では、蝦夷軍の騎馬戦術の前に、朝廷軍は散々な目に遭わされたわけだが。

237 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 23:58:34
日本の国情もろくにしらずに攻め込んできてるよな、奴ら

238 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 18:53:23
>>234
和種馬は丘陵地でもガンガンに走る馬だから不向きということはない。
飼葉も特別に用意しなくてもそこらの雑草だけでも全然大丈夫。

239 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 00:35:26
    ∧  ∧         
   / ヽ‐‐ ヽ      
  彡  ノ  ヽ ヽ     
  彡   ●  ●       
  彡  (      l    たまには大豆くらい食べたいウマー    
 彡   ヽ     |   
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/ __    /´>  )    
(___|_(   /<ヽ/    
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  ヒl    (  \     
       \二)       


240 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 03:21:19
>>238
これはおかしな事を聞く
船上に雑草は無いし、駐屯地周辺の雑草程度では兵站はなりたたない

241 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 03:56:37
なんか議論してる奴らがいるけど
元の馬事情なのか、日本の馬事情なのか
わかりやすくしてくれ

242 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 09:06:52
>>240
すまん、素で勘違いしていた。

243 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 11:28:48
バカが勝手に議論はじめて勝手に謝ってるw

244 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 18:11:04
素直に謝っているんだから別に煽る必要もないと思うがな。
議論始めた奴とは別人っぽいしさ。

245 :日本@名無史さん:2009/04/16(木) 20:40:56
お前らはすぐ見えない敵と戦いはじめるから困る

246 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 01:38:05
日本に攻めてきた「元軍」は、高麗属国軍と旧南宋残党軍ですよ。
プラス、少数のモンゴル人将官。
二度目のときなんか、
旧南宋遺民による入植団までいた。
モンゴル式に馬を操るスキルも、連れてくる余地もない。

247 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 02:00:29
「其中に、大宰少弐三郎左衛門尉景資殿を、日大将軍として待かけたるところ、
十月廿日未明より、蒙古陸地に、おしあかり、馬にのり、旗をあけて攻かかる」
八幡愚童訓

蒙古襲来絵詞にも指揮官らしき人物が馬に乗っているのが描かれているし
高麗史の弘安の役の記述には洪茶丘らが日本軍に挟撃されて馬を失い危うく討たれるところだった
という記述があるよ



もちろん騎兵が大量にいたなんて主張はしないけどね


248 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 11:34:40
モンゴル騎兵のフル装備って一人につき馬三頭、とかだろ

249 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 13:05:48
>>248
そうです。装備は軽いが馬は交替で潰れないように使う。

250 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 16:45:13
贅沢だなあ。
日本だったら替えの馬なんてそこそこの部将クラスにしか
許されなかったんじゃないの。

251 :日本@名無史さん:2009/04/18(土) 18:27:05
贅沢というより、戦術とかドクトリンが根本的に違うだけ
軽装な代わり、機動力が異常に高いというのが特徴なわけで、
甲冑などの防具、武器にはあまりお金をかけてない

馬が消耗したら戦術的な優位性が何もなくなってしまうから
馬にはお金を使うということになる

252 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 01:46:05
モンゴルの「馬」は装備ではなく、
財産で生活の基本単位で経済で、
つまり馬群イコール国土。

253 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 03:11:57
↑頭悪いレスだな

254 :日本@名無史さん:2009/04/19(日) 12:05:23
甲州和式馬術探究会のHPって無くなっちゃったのかな?
あそこの甲冑騎射のコラム好きだったのに

255 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 15:40:52
おせんなかすな、うまこやせ

256 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 19:12:09
ワールシュタットで、ドイツ騎士団の重騎兵の突撃に対して
モンゴルの軽騎兵は軽々と逃げて、ドイツ重騎兵が疲れたところを
包囲殲滅してしまった。

それ以来、欧州でも伝統の重騎兵が減り、軽騎兵や竜騎兵が登場する。
ナポレオンの頃には、銃や砲の性能が上がって、騎兵自体の有用性が
下がってしまったけどね。

257 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 23:53:58
けどさあ騎兵に必要なのはロマンだよな
フサール見たいな
もしくは沙陀騎兵みたいな

258 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 01:23:49
騎兵に必要なのは機動力と衝撃力
ロマンはどっちかって言うと、戦場の主役歩兵じゃね

259 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 02:55:34
ロマンは金出してくれるスポンサーに必要

260 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 02:33:01
明治以前で、名前が伝わっている馬ってどんなのがいますか?
するすみ、とか。

261 :日本@名無史さん:2009/04/28(火) 22:19:35
するすみ と来れば
いけづき とか みかづき とか

262 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 08:42:21
南部藩は、同じ牝馬からは1年おきにしか仔馬をとってはいけないとか
厳罰付きの馬産の掟があったみたいだけど
血統管理のような概念はあったのかな?

263 :日本@名無史さん:2009/04/30(木) 00:28:01
他領の馬は立ち入らせもしないが
領内では比較的自由に交配ができたらしい
民牧の場合、望みの牡馬を藩に願い出て貸し出してもらう形になる
馬産農家自身に血統管理の意識があったかどうかはよく分からない

いっぽう三春では天明年間に名馬といわれた日暮の血統を絶やさずに
名馬を繁殖させた記録がある。こちらには血統管理の意識があったのかもしれない

系図

日暮-小桜       
    巻衣-花月-岩船-雲竜
           花山  旭
           村雨

264 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 21:50:39
騎兵で追激する思想は日本にあったんでしょうか?

265 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 23:10:16
軍事関連の文書で突撃してる描写があるから、
あるんだろ。

266 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:38:14
日本では騎乗は上級武士のシンボルであって、
兵士全員が騎乗している部隊を作る、という発想は、日本にはない。
馬の数もそんなにいなかったし、地形も騎馬向きじゃない。

唯一の例外が義経の一の谷の逆落としで、70騎全員が騎乗だったと言われているが
真実はどうなのかな? 義経みたいな奇才なら、やりかねないが。

267 :日本@名無史さん:2009/05/05(火) 19:56:18
あまりに義経が常識はずれの発想を持った騎馬軍団指揮官だったので
大陸との繋がりが想像され、義経ジンギスカン説まで発展した。

268 :262:2009/05/06(水) 00:31:42
>>263
ありがとう、参考になった

269 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 01:19:52
義経は天性の野生児だからな

270 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 19:51:26
会ったことでもあるんかい、と。

271 :日本@名無史さん:2009/05/07(木) 21:44:48
何せ鞍馬山の天狗に兵法を教わってるからな。

272 :日本@名無史さん:2009/05/08(金) 20:32:57
グラマー天狗

273 :日本@名無史さん:2009/05/09(土) 02:03:35
ドラマー天狗

274 :日本@名無史さん:2009/05/14(木) 20:19:01
>>264
http://www.lib.kyushu-u.ac.jp/hp_db_f/moukoshurai/e04.htm
右端。集団で追撃しています。

275 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 09:25:35
騎射しているのは追撃戦だからか。

276 :日本@名無史さん:2009/05/15(金) 22:31:47
追い物うちかっこいい

277 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 17:06:12
>>276
うん、かっこいい。
実際こっちの方が的を狙いやすいし横に射るよりも射りやすいしw
ちなみに漏れは追物(おものい)という呼び方のほうが好き。

278 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 22:43:07
追物といえば流鏑馬って昔は追物みたいな射り方だったらしいね。
そういう流鏑馬も見てみたいなー。

279 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:11:39
>>277-278
×射り方 ○射方

「射る」は上一段活用
「炒る」(五段活用)などとは活用の仕方が違う

280 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:39:02
>>278
http://www.youtube.com/watch?v=7P5a7wCbYiE

他板情報によると毎年小田原城でやっているらしいよ。
日にち調べて見に行ってみれば?

281 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:50:33
やぶさめは、ルールを洗練させればオリンピック種目になれると思う。
モンゴルと日本の優勝争い、とか。

282 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 01:57:10
恥ずかしい言葉の間違いを指摘されても、
お礼の一言もないんだね。

283 :278:2009/05/18(月) 02:20:05
>>282
どーも、ありがとうございました(棒

これで満足?スレタイにそった情報も書かずに
つまらない他人の揚げ足とりして楽しい?

284 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 02:22:19
>>281
う〜ん、馬具や弓矢を和式で統一すればまた違うだろうけど
優勝争いについては正直どうだろうか。
モンゴル以外にも中央アジアやハンガリーはもちろん
スペインの騎馬闘牛、オーストリーのスペイン乗馬学校
そしてアラブと結構なレベルの乗り手が揃っているからね。
これらの馬はどれも騎馬向きな血統でしかもその血統は頑なに
守られてきている上に、調教もしっかりとされていて
馬の動きも乗り手との合わせも日本の流鏑馬で使われている馬とは
格段に違うんだよなー実は・・・orz

285 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 02:25:35
>>283
もう少し落ち着いてから書き込んだほうがいいね。

286 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 03:10:59
284だけど補足のためはっておくね。

ハンガリー
ttp://oliviar.blog46.fc2.com/blog-entry-141.html
がっつり調教されていなければこういうことはまずできない。

モンゴル
ttp://www.bbweb-arena.com/users/et/mongolia/mongolia_007.htm
こんなに小さい頃から馬を乗り回している段階で日本とは差がある。

中央アジア(キルギス)
ttp://www.asiawave.co.jp/KOKUBORU1.htm
ttp://www.asiawave.co.jp/KYRGYS2.htm
モンゴル以上に凄腕かもしれない。

アラブ(モロッコ)
ttp://yoshiokan.5.pro.tok2.com/moro/moro-63.htm(音楽注意)
これはこういう馬術で落ちそうになっている訳じゃないw
日本にも古い馬術書に似たようなものは書かれていたりする。

騎馬闘牛とスペイン乗馬学校はいろいろとupされているから
自分でググッてください。

287 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 13:09:26
ハンガリーにある馬の肩車写真を見て、鵯越えで畠山が馬を担いで
山を降りたという逸話もあながちではないのかもしれないとまじで
思ってしまった。馬体重に耐えられることが前提になるけど。

288 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 17:05:07
>>3
そうしないと玉々が痛いから

289 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 19:33:48
>>286
馬文化がしっかり残ってる国はいいなあ・・・(´・ω・`)ショボーン

290 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 20:28:42
一体いつから日本の馬文化(騎馬系特化)は廃れたのだろう?
やはり江戸時代なのかな・・・。

291 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 21:34:53
武士がなよってちっちゃい馬のほうが乗りやすいとか言い出してからですかなあ

292 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 22:25:52
馬を小さくするよう江戸幕府が推進していたとかいう話も
あったような・・・

293 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:59:25
鉄砲が普及してからかな?
鉄砲が普及する前は弓の射り方が重要だったもんね。

294 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:22:59
暴れん坊のあの将軍は外国の絵に憧れて、
輸入馬を導入して、
「馬を大きくカッコ良く改良推進した」とか聞きましたが。

295 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:35:59
日本に馬産や乗馬の文化が根付いたのは比較的短期間
犬と馬が最も古い家畜とする説があるが、日本では基本的に馬は
騎乗してアレコレするものではなかった

296 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:48:56
いやずっと乗ってますよ。

297 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 01:59:50
>>293
強情だねえ。
君は「弓を射らない」とか「的を射った意見」とか言うのかい?

298 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 02:57:10
論文添削なら他所でどうぞ。

>>294
伊達家あたりもやろうとしていたけど丁度馬が着いたのが
鎖国の後だったからバレた時の処罰を恐れて野に放して
しまい結局オジャンになったという話もあるらしい。
この時の馬の子孫が今の寒立馬とも言われるけど真偽不明。
江戸時代はとにかく馬に関して幕府がかなりうるさく
目を光らせていたという話もある。

299 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 06:21:28
>>295
他に目的あんのかよ

300 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 11:16:33
騎乗用のほかは農耕用ですかなあ

301 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 12:15:37
馬に乗る人の埴輪があるぐらいだから短期間ということは
ないんじゃないの?

302 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 12:50:50
>>294
暴れん坊はすごく熱心です

延宝年間に水戸の藩主徳川光圀は外国より洋馬十二頭を輸入し
之を同藩の牧場に飼養して種馬に充てたりと天和年間徳川綱吉は大に乗馬を愛せらる
又享保十年より元文二年まで徳川将軍が和蘭人に命して外国より輸入せし馬匹は二十七頭にして
享保十年に於いてはは牡馬五頭を輸入し丈四寸五分以上四尺七寸五分ありと
それより年々牡馬又は牝馬を入れしか其都度和蘭人「ケイヅル」なる者牽来たれりと而して牝牡を問はす
丈は四尺四寸五分以上四尺八寸五分までのものなりしといへり
斯の如く年々歳々馬匹を齎し来れるにより享保十八年和蘭人「カピタン」(船長)に
褒賞として幕府より銀十萬斤を下與せしことあり
而して「カンス」 「トロン」 「ミキル」などと云ひし三頭の馬匹は最も早く来れるものの如し
其当時和蘭人か齎せる馬匹は皆「ハルシヤ」なりと
享保年間に幕府は小納戸なる土岐朝澄を安房の峰岡に遣して牧馬を検せしめしことあり
徳川吉宗は馬匹の種類漸く衰へるを憂ひ馬政を布き
士卒を励まして騎乗を専ら練習せしめ波爾斯亜(ハルシヤ)より牡馬二十八頭を種馬として輸入し
之を東奥の産馬地方に下與して馬匹の改良蕃殖を図らる
寛政年間蝦夷に於ける松前家の領内には馬匹を移し
又文化年間には幕臣戸川筑前守安綸江戸より南部馬の牡四頭牝九頭を蝦夷に送りて之が蕃殖を図らる
現今の北海道土産の馬匹は皆其後裔なり
(中略)
又南部仙臺等には波爾斯亜馬を種用に入れ鹿児島には爪哇(ジャガタラ)馬を種用に入れて専ら洋種の血液を混じ
之か改良蕃殖を図られたり

『日本馬匹改良策』
「日本馬匹の沿革」より

303 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 20:51:31
>>300
ない
もっと後の時代

304 :日本@名無史さん:2009/05/19(火) 23:35:58
>>297
「弓は射らない」は普通に言うでしょ?
「的を射った」は「的を得る」のほうが普通だと思いますが。

305 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 00:23:48
誤用・日本語の話題は言語板へ

306 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 01:06:22
>>298
>江戸時代はとにかく馬に関して幕府がかなりうるさく
>目を光らせていたという話もある。

確か飼育・繁殖などを行う牧場も幕府によって決められて
いたんじゃなかったっけ?
あと、江戸市中はむやみやたらに乗馬できなかったらしい。
将軍家の膝元で勝手に馬に乗ると幕府への反逆を意味するとか。

やはり、日本の乗馬文化は江戸時代に衰退したのかもね。

307 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 01:47:49
射らないとか言ってる阿呆は要らない

308 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 02:44:49
>>306
信長や秀吉政権だったら、馬車だって導入してたかもね。
しかし、三河の田舎者政権なので、、、

309 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 10:29:35
農耕や輸送の馬はまた別として江戸幕府が特に武士階級を中心として
馬を厳しく管理したのは馬の売買による弊害を避けるためという
理由があったと本で読んだ記憶があるんだが誰か知らないか?

江戸幕府が開かれて平和になるにつれ武士の間での馬は実用なものではなく
ステータスを表すものに変化していったことからいかに良い馬を持つかを
競うようになって、莫大な借金をして家を傾けたり、資金を作るために
刀や鎧を売ってしまったり、切り合い騒動まで起きたりで禁制が出たとか
何とかって話だったと思う。

310 :日本@名無史さん:2009/05/20(水) 18:47:01
>>307
「射り方」のほうは認めてもらえるのですね。
安心しました。

311 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 00:12:33
十分おかしいけど、板違いのこといつまでも言うな

312 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 14:59:17
>>309
俺の田舎は鎌倉時代から昭和36年まで、毎年巨大な馬市が開かれた事で有名で
大勢の博労達や仲買人達が泊まるための宿場も残っているし、資料館もあるけどね。
戦国時代はともかく、江戸期に武士階級が仲買人達のユーザーだったなんて聞いた事がない。
江戸期のエンドユーザーはもちろん農民と宿場問屋、そして中馬業者。
「中馬」が分からなければ、ぐぐってみな。

313 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 16:47:58
てか、武士階級には武士階級専用みたいな馬喰や市があったんじゃないかと。
武士階級で使う馬と農耕馬や中馬を一緒にするって江戸期の身分社会で
考えるとかなり無理があるように思う。
分ける所はきっちりと分けるのが江戸期の身分制度の特徴でしょ。
時代がくだるにつれて崩れたとはいえ・・・。

314 :日本@名無史さん:2009/05/21(木) 19:05:51
日本橋近くにある馬喰町は伝馬用馬の供給の場だったと同時に
博労人達も多く住んでいて彼らが取り扱ったのは幕府の牛馬だった。
幕府というのは言わずもがなで武士階級。

それはいいとして>>312
あなたの地元が全国の馬を仕切っていたわけじゃないんだから
そこで武士の客がいないから他もいないとも読めるような書き方は
少し飛躍しすぎのように思えた。

>>309
江戸期の馬具を見ると確かにステータスや見栄をくすぐるものに
変わっていったとしても不思議ではないと思う。
鞍や鐙に高価な螺鈿や蒔絵などを施して芸術品にまで高めてあるから。
もう乗るための道具というより自分の見栄を示すものだよ、あれじゃw

315 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 01:31:01
実用と装飾用は別でしょ。

316 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 04:14:42
ヤフオク出品や骨董屋、博物館の展示物などをみた限りでは
あきらかに使った形跡のあるものが多いから実用を兼ねて
作られるのがデフォだったんじゃないかな。
和鐙での馬の動かし方は簡単に言うと止めるには踵をふんばり
走らせる場合は足の先の方に力を入れる方法なんだけど、実際に
残っているものを見ると、踵と足の先の方がのっていたと思われる
部分を中心として内側の塗りが剥げていたりするからさ。
これは実用で使っていたという何よりの証拠になる。

317 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 17:22:05
江戸時代に、武士が馬に乗る機会があったか???
参勤交代た大名行列も、殿様は籠、それ以外は徒歩

318 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:49:39
>>317
?????

319 :日本@名無史さん:2009/05/22(金) 21:56:52
>>317
あった
江戸図屏風でもじっくり眺めてみ。馬に乗る武士が沢山描かれてるから
http://www.rekihaku.ac.jp/gallery/edozu/index.html

320 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 23:44:20
江戸時代に武士が軍事目的で乗馬したことは確かなようですな。

しかし、武家の馬は正面装備としてより、ステータスを示す役割が主であったように感じる。
江戸時代の馬の主な使い方は、やはり軍役では無く、圧倒的に荷役、農耕、通信と言ったところではないかな。

17世紀には、世界的に陸戦の主力は歩兵が担うようになってきており、
騎兵は偵察、追跡、撹乱といった補助的な役割に成り下がる過程にあるが、
もともと、我国では歩兵の攻撃/防御力と騎兵の機動力、衝撃力を組織的に
組合わせるようなドクトリンを発達させていない。
馬に期待するのは、機動指揮能力の向上がメインだろう。

特にこの時代ともなると、武士に必要とされる他の能力に比較し、乗馬は軽く見られていたと思われるがどうだろうか?

321 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 01:21:29
江戸期と言っても長いからなー。
後期になると馬術書も結構書かれたみたいだし流派もできていたから
少なからず後期では乗馬が軽く見られてはいなかったんじゃないかな。

騎射は吉宗の復興命令が出るまでは(穴八幡資料より)かなり
軽く見られていたようだけどね。戦国期ですら軽く見られていた傾向が
あるからもうこれは仕方ないとして、気になるのが綱吉が生類憐みの令に
関係して犬追いや犬を使っての騎射(狩り)練習を行うこと禁止と
出していることかな。
出すということは将軍の耳に入るぐらい当たり前にやっていたって
ことだからそうなると綱吉前までは軽く見られていなかったという
ことになるんじゃないかなとなってう〜む。ムムム。

まとまりない文章でごめんよ。

322 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 11:59:01
軽格の貧乏な侍でも馬術の練習はしてたんでしょうか

323 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 14:01:36
藩校の授業に馬術の時間があったくらいだから、ある程度乗れるようにしてたんじゃないか?

324 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 14:16:55
そりゃ、非軍事的な場面でも、馬の機動力は貴重だったのは事実だし、
武家の基礎技能の一つではあるよね。
今で言えば運転免許みたいなもんだとして、自家用車を所有したり、
それで通勤したりするかは、ケースバイケースでしょう。


325 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:02:31
江戸期の馬術書をみるとわかるが、武士の馬術が特に戦闘用に特殊な訳でもないですね。

現代の馬術と何らかわらんですよ。
今すぐ、どっかの乗馬クラブで5回体験コース(5級ライセンスコース)とかで体験すれば
走る止まるの初級はあっという間に終了ですよ。誰でも出来る。
運転免許のようなものといえば確かにそう。

そっから先、庭乗のような馬に細かな動きをさせるとかは、訓練が必要になるけれども
これも現代馬場馬術などと基本的なところは変わらない。
(どちらかといえばウェスタンーレイニングに近い感じがするが)

326 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:08:51
馬術流派の大坪流などは、戦闘術としての馬術には一線をひいて、
特に馬の操作、調教、飼育に特化していったらしく、馬上戦闘技術に関しては心得程度はあるが、
実際の技については、まったく出てこない。

馬上でなんかやるというのは、それぞれ剣術、槍術、弓術の問題とされていたようなので
それぞれ武術研鑽のなかでどのような状況でも安定して技を出せるように訓練したのは、
間違いないが...それが流派として成立したのは弓馬術ぐらいしか寡聞にして聞かないため、
もっぱら個人技の範囲としてのみにとどまっていたようだ。


327 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 16:16:38
ははぁなるほど
貧乏侍でも馬に尻込みするようなことはなさそうですね。
ありがとうございます

328 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 21:49:06
>>326
大坪流馬術書には騎馬による集団戦術について色々と記述している。


329 :日本@名無史さん:2009/05/24(日) 22:19:45
それは戦術に関する心得でしょう?
戦闘術に関する話ではないでしょう。もっとも、伝書について全て把握しているわけでないので、知識の欠落があるかもしれませんがね。
道歌の羅列なんて眠くなるばかりで、ほとんど飛ばしよみだったりしますし。

もし良ければ、どの巻にある話か教えていただければ幸いです。
後日、調べに行きますので。

330 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 01:52:14
http://www.ikedakai.com/yogo/buke.html
大坪流(おおつぼりゅう)
大坪道全が起した騎馬術の流派の名。戦国時代、騎馬の訓練法や騎馬を用いる戦術・戦法を説いた。

以下は「大坪本流軍馬物見之巻」に記されているといわれているもの。

【一文字駆込み】(いちもんじかけこみ) 少数の人数で敵の堅固な備えを破る時や、急用があって敵陣を通り抜ける時、または敵に包囲された時、これを突破するのに用いたという法。
【追討】(おいうち) 味方の勝利が決定的となり、追撃に移った時には、隊伍の整頓など気にせず、急速度で敵を追い散らす事。
【乗用三段】(のりようさんだん) 敵陣を破る騎馬法。
【鑓襖(やりぶすま)を騎(のり)崩す事】 先手の長鑓隊の後ろに騎馬の達者をおよそ百騎ばかり備え置き、足軽の逼り合う所において、敵の虚を看て一度に馬を乗り入れて乗り破ることで、好機を捉えて全騎馬武者一致して奇襲的に乗り込み、敵の陣備えをつき崩す事。
【騎切りの事】 騎馬の達者を選抜して二手、三手に分置し、敵陣の真先、または左右からも馬を入れ、一文字、十文字に騎切って敵の備えを破る事。
【騎込の事】 多くの騎馬武者が群集し、敵の虚を看て遮二無二敵陣に騎込み、集散、離合、縦横無尽、神出鬼没の動作で、敵の騎兵に当たってはこれを突破し、歩兵に触れては踏倒し、電光石火のごとく、一文字、十文字、八花形に乗り破る事。

また「大坪本流常馭之巻」には、戦場での緩急極まりない動きに対応できるように、序・破・急の息をとりまぜて乗り、馬の肺力・心力を鍛練する事、退口(後退)をよく慣らす事、歩様、走行距離を伸ばす訓練などを伝えている。
(『歴史読本』1996年10月号片山寛明「最強騎馬軍団」より)

331 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 09:12:52
大坪流は、戦国時代からあるのか、勉強になるな
逆に見ると、江戸時代にそれに代わる、騎兵ドクトリンが発達しなかったから、長持ちしたんだろうな

332 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 16:34:49
江戸期の馬術が馬上での戦闘術を深く取り扱わないのは
他の武芸の指南役に遠慮したという政治的な側面もあるかと思う

333 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 18:07:31
なるほど、高度に官僚的な統治体制だ

334 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 20:27:45
そもそも馬上での戦闘は、馬の疾走スピ-ドを運動エネルギーとして利用して
槍で突くとか、刀で切るとかといった単純な動作しかできないでしょ
スピ−ドこそが騎馬武者の持つアドバンテージであって
止まって戦ったなら、自在に武器を操れる徒歩武者に負ける
したがって多様な技を繰り出す高度な馬上戦闘術なるものは存在しないんじゃないの
高度な槍術や剣術を駆使する場合は下馬して行ったと思う。

335 :日本@名無史さん:2009/05/25(月) 21:26:57
なるほど、説得力がある

336 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 01:05:23
>馬の疾走スピ-ドを運動エネルギーとして利用して

こういう戦術というか戦技を、中心に日本の騎馬武者が発達したワケではないでしょう
突破力、衝撃力をメインにするなら、馬の目方、甲冑の防御力も十分では無いと思う

機動力を生かした、索敵、接敵、追跡(偵察部隊の役割)と
戦闘においては、迂回、包囲、側面攻撃などの撹乱、突破口の拡大(支攻部隊の役割)
あたりが役割で
さらにそれより部隊指揮、通信(司令部の役割)騎馬武者の主な役割だったはず

つまり、戦闘においては、偵察任務では主攻的な戦闘は必要ないし、
戦闘参加においても、攻撃力によって敵主力を粉砕するよりは、
機動力を生かして敵の統制や、精神を崩壊させて潰走させるための働きが主で、
斬り結んで粘り強く戦える必要は無い
司令部の役割の方は、その担当者が直接戦闘に参加しているようでは、既に負け戦決定

各々の騎馬武者が騎乗状態で高い戦闘力を有する必要性を、江戸期のドクトリンは
求めていないのではないかと思う

337 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 21:05:12
>>336
>こういう戦術というか戦技を、中心に日本の騎馬武者が発達したワケではないでしょう

日本の騎馬武者の発達は元々騎射がメインで副次的に刀による斬撃でしょ。
戦国期には槍も用いられるようになっているけどね。

>突破力、衝撃力をメインにするなら、馬の目方、甲冑の防御力も十分では無いと思う

中世西洋騎士も後期にプレートアーマーが登場するまでは貧弱なメイルアーマーでランスチャージしてたし、日露戦争期のコサック騎兵は鎧なしで槍突撃してたけどね。これらに比べると日本の鎧は強固だよ。
馬も世界各地で日本の馬と変わらないサイズの馬が用いられてたわけだから問題ない。だいたいもっと小さく遅い歩兵だって突破力、衝撃力を発揮する。

>機動力を生かした、索敵、接敵、追跡(偵察部隊の役割)と
>戦闘においては、迂回、包囲、側面攻撃などの撹乱、突破口の拡大(支攻部隊の役割)

それは近代的な騎兵部隊の役割だよ。
戦国期や江戸期の軍隊はそれほどシステマチックに役割分化されてない。

つか、全般的にあんたは近代的な概念を戦国時代に過度に当てはめて考えようとしすぎだと思うよ。

338 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 02:00:05
高度な槍術や剣術は、徒歩でもやんなかったと思うよ。
道場ならまだしも、
そこはもっと混沌とした戦場だよ?
悠長に技なんか出している場合じゃないでしょ。
死ぬぞ。


339 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 03:08:51
まぁ弓にしても刀にしても槍にしても剣にしても今あるような
きちんと整えられた型として成立したのは江戸に入ってからだしな。
それまでは○○流という名こそあれ各自結構自由にアレンジを
していたらしい。

340 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2009/05/28(木) 07:49:51
江戸初期に近頃の武術は見てくれを意識しすぎるなんて記述があったみたい。
んで強い剣士ってのは斬り疲れない腕力を持ってることだって、あともう忘れた。

341 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 09:28:12
>>320
> しかし、武家の馬は正面装備としてより、ステータスを示す役割が主であったように感じる。
> 江戸時代の馬の主な使い方は、やはり軍役では無く、圧倒的に荷役、農耕、通信と言ったところではないかな。

荷役、農耕に使われる品種と
軍事や通信に使われる品種って別なんだよね??


342 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 20:02:45
アイノメ型とかネンボウ型とか言うよね

343 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:05:52
>>337
問題にしているのが、江戸期の騎馬武者の使いどころと、主な戦術だと
いうことと、その根拠となる戦闘力が突破力、衝撃力であったかどうか
であることを、忘れないで欲しい。

今回は、少し整理して書こう

衝撃力をメインにするなら、運動エネルギー(速度と質量)の向上と
防衛側反撃を問題にしない装甲が必要であり、必然的に重騎兵化する。
つまり、甲冑の強化と、それに伴う馬の大型化が必要となるのだが、
それに大きな努力が払われた形跡は無いと認識している。

また、そうした攻撃を組織的に行うには、歩兵の縦深に楔を打ち込むだけの
数が必要になるのだが、我国の戦国期〜江戸期は言ってみれば私兵の集まり
だから、実際には、騎馬武者を基幹とする部隊を保有する戦闘集団は、
稀だったと思う。
上の方でだれかも言っていたが、騎馬武者は騎兵では無く、
馬は兵器というより、歩兵部隊の上級者の乗り物であったと考える。

もちろん領主直轄や、既存の騎馬武者を寄せ集めた、どちらかといえば
小ぶりな騎馬部隊が編制されることはあっただろう。
そういった部隊の主な役割は偵察、支攻であった。

と、こういうことが言いたいのだが、如何か?

344 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 23:37:11
因みに

>日露戦争時のコサック騎兵
相手が小銃、火砲だから装甲に意味が無い。

>それは近代的な騎兵部隊の役割だよ。
紀元前のファランクスの時代から軽騎兵の役割はこの通りだよ。

さらに余計な事を記しておくと、
騎兵が基幹兵力の一部として戦闘参加する時代の多くのドクトリンにおいて、
騎兵は、突破機動を行う部隊というより、迅速な戦術機動や柔軟な陣形変換
を行える機動部隊として位置付けられているし、実際、多くの戦例において
そのように戦局に寄与している。
突破力、衝撃力を期待されるのは、戦略予備などが、決勝点に集中的に投入さ
れる場合が多い。

対して、運動エネルギーを生かした、突破機動を専門にしているのは中世の
騎士団に象徴されるような重騎兵。
ところが重騎兵を主力の基幹とする軍隊というのは、実は他にあまり例が無かっ
たりする。
重騎兵を配している場合でも、騎兵の半分程度は軽騎兵で構成されるものが多い。

勿論、仰るように軽騎兵や、歩兵だって機動部隊だから、突撃すれば突破力、
衝撃力を発揮する。
これも、結局、質量と速度の問題であって、有効な打撃になるかどうかは、
歩兵の場合は主に数の話なる。

345 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 00:16:31
物事は前例などから組み上げていくのだし、理系言葉まで使って
いろいろと語りたいようだからどうせなら平安末期から順々に
考察していけばー?(棒読み)

江戸期の武士階級における神様家康は騎馬全盛期時代の人頼朝や
馬に関して長けていたと思われる甲斐武田軍を模倣してんだから
武士階級にもそれなりに影響を与えていただろうからね。

346 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 00:20:09
あと書き忘れ。
西洋の戦のことを引き合いに出したいなら世界史板か戦国板で
やったらどう?
日本史の話に騎士団や重騎兵とかもう失笑なんだよね。

347 :このスレ初カキコ:2009/05/29(金) 00:34:09
337に突っ込んだら346のレスが返ってくるだろうと予想していたら想像通りだったのでワロタ

348 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:51:42
理系言葉と言うほどではないな
そして西洋がどうこう言ってるのは337が先では?

349 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:20:04
軍板の騎兵スレが過疎ってるから
こっちでやってくれると嬉しい

【戦場おける】騎兵総合スレ【馬の利用】
ttp://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/army/1235398004/

そのテの話題はここより反応がいいと思うよ

350 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 18:09:59
日本の騎馬武者は
システム化された軍隊組織の中で
特定の役割に特化されたといったものではなく
あらゆる状況への対応が求められる汎用な存在。

351 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 18:11:47
>>343-344はネタとしては面白いね。

352 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:25:42
>>351むしろ面白みに欠ける常識論だと思うけど?

353 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 22:57:38
上の方でだれかも言っていたが、騎馬武者は騎兵では無く、
馬は兵器というより、歩兵部隊の上級者の乗り物であったと考える。


ネタか?(笑

354 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:37:36
家に昔からある脇差の中身(刀身)が馬針なんだがどうやって使ったんだろうか?

355 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 01:57:10
>>353
鈴木史観に毒されているヤシなんでそ。連中、各所でさんざ論破されているせいで、
発狂の度合いがものすごいことになっている。

356 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 02:04:32
>>354
馬の鬱血した患部を突いて血を抜くため
あるいは鎧通しの代用


357 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 18:03:42
なんか、ひつこい負けず嫌いが涌いてるな

358 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 08:58:26
>>354
笹針でぐぐるといい

359 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 16:08:39
変な流れをぶった切る意味を込めて・・・。
おまいら、池月にまつわる物悲しい話でも見て心を少し潤せよ。

日本昔ばなし「池月」
http://www.youtube.com/watch?v=Rdh0zFNpzKY

360 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 17:00:48
>>358
競馬新聞に「休養笹針」とか書かれてるあれだな

361 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 20:43:30
>>359
ちょっと悲しい話だが
ググってみたら池月の出生地多すぎてフイタw

ttp://www.news.janjan.jp/area/0502/0502143597/1.php
先陣の池月に限ってみても、私の知り得た地域は次のとおりです。

(1)青森県七戸町 (2)宮城県鹿島台町 (3)栃木県田沼町 (4)群馬県桐生市 (5)千葉県柏市 
(6)千葉県丸山町 (7)東京都洗足池 (8)神奈川県横須賀市 (9)静岡県函南町 (10)三重県伊賀市 
(11)島根県雲南市 (12)島根県隠岐島 (13)鳥取県岩美町 (14)徳島県美馬町 (15)大分県別府市 
(16)長崎県対馬 (17)鹿児島県池田湖周辺

頼朝が平家との戦いに備え全国から軍馬を集めていた折に、これに応えて駿馬を献上した地域の人達が、
後に宇治川の先陣争いでヒーローとなった黒栗毛の池月こそ、わが郷土にて産した黒栗毛に相違ないと思い込んだとしても無理は無いでしょう。

362 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 01:29:37
wikipediaの「磨墨塚」を見てみ。
ま、それだけ有名な馬、ってことなんだろうけど。
それと、馬、
特に馬頭信仰っての、関東には多いし、
それに伝説の名馬をこじつけたんだろうな。
他に名前が残っている馬って、どんなのいるんだろ。
敵に捕まって、斬られるところで、
イヤイヤイヤイヤ死にたくない!と言って駄々こねてたのに、
「ところで、あれが例の名馬ですよ」
って言われて、思わず振り向いた瞬間に切られたヘタレ、いたよね。

363 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 22:28:38
ん?なんか話がかなり違っているような・・・。
捕まっていたのではなくなかなか捕まらないから馬の話で
誘き出して、あの馬がそうですよと言って相手に隙ができたところを
斬ったんだろ。そしてこういう場合ヘタレでなくマヌケな。

それから名前が残っている池月(生喰以外)の馬達
(毛色にも捉えられるものは毛色部分は省略。()括りは馬主)
あと近世以降や世界史範疇のも省略

○戦国時代以前
・黒駒(聖徳太子)
・磨墨(源頼朝→佐々木高綱)・木下(源仲綱)・青海波(源義経)
・望月(平清盛)・南鐐(平宗盛)・鬼(木曽義仲)・白波(和田義盛)
・秩父(畠山重忠)

○戦国時代
・放生×二頭(※1)(上杉謙信)・黒雲(武田信玄)・鬼(武田信虎)
・連銭、小×二頭(※2)、遠江、星、(以上織田信長)・百段(森長可)
・鏡(山内一豊)・大(明智左馬介)・松風(前田慶次)=谷風(前田利家※3)
・帝釈(加藤清正)・内記黒(長宗我部元親)・三国黒(本多平八郎)
・百里黒(本多忠朝)・膝突_長寿院(島津義弘※4)・太平楽号(豊臣秀吉)
・戸次黒(立花道雪)・白石(徳川家康)・汗血馬、太刀風(以上伊達政宗)

江戸に少しかぶるけど・桜野号(徳川秀忠)

※1:謙信所有の放生という名の馬には特徴別に駆毛、栓の二頭がいた。
※2:信長所有の馬で小が付く馬は小雲雀と小鹿毛の二頭がいた。
   多分毛色を含んで呼ばれていた模様。
※3:元は利家の馬だったのを慶次がかっぱらって(w)松風に変更。
※4:長寿院→膝突きに変更

364 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 02:39:52
いや確か、武田の武将にそのヘタレいたような、、、


365 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 04:14:36
いなかったと言っているのではなく内容が違うという意味だったんだが・・・。

366 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 02:22:34
364が正解

367 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 03:52:42
不毛地帯化防止の為にも甲斐武田の戦後処理話なら
他所でやってくんなまし。

>>363
小鹿毛の鹿毛は毛色だから省略するのはわかるけど
なんで小雲雀まで?雲雀なんていう毛色あったの?

368 :日本@名無史さん:2009/06/26(金) 19:59:56
                                    ¶       ∧彡
                                    ( `Д)  彡 ・ \
書き込んでよぅ                           /丑/つヽ,)彡  人.ヽ.)
 ̄∨ ̄ ̄ ̄                            //丑/(三"'''--/'''" ̄
  ∧_∧                           =≡=( (**)─┘   ヽ
 ( ´Д⊂ヽ                        /   /  ⊇       )
⊂    ノ                       /    / ノ ノ ̄丶  ソ \
  人  Y                       /   /// /    \ ヽ\ .\
 し (_)                 [ 保守 ]    《_/ 《_/      ヽ/ラ丶/ラ




369 :日本@名無史さん:2009/06/27(土) 22:47:37
 遠馳(エンチ)という競技も行なわれた。
 これは、朝6時に七日町四谷の木戸から馬に乗って駆け出し、
7里離れた熱塩まで行って午前10時までに再び戻って来るというものであるが、
人馬共に秀でていないと、とても乗り切り得ないものであった。
ために、無事に時間内完走を果たした者には、特に賞品が与えられたという。
ttp://homepage3.nifty.com/naitouhougyoku/nissinkan/bajutsu.htm


エンデュランス競技みたい

370 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 00:21:02
保守

371 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 01:12:39
馬刺はいつ頃からたべてたんだろう?

372 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 01:32:30
>>369
7×4km×2=56km ÷4時間=16km・h

 人間だけでマラソンしている方が速いくらいだな。


373 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 01:41:07
当時の道路状況とかね

374 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 02:13:21
>>372
でも人の行軍スピードは
4km/hだから
それに比べると早いともいえる。

375 :374:2009/08/02(日) 03:33:32
マラソンのほうが速いといっても、それはトップクラスのいわば超人的な
選手の記録であって、一般人がマラソン大会に出場しても完走に8時間以上
かかったとか、或いは完走できなかったりとかが普通だったりする。

実際に人間が一日に進む行軍距離は32kmという
(4km/h×8時間 旧日本陸軍の試算) 
(行軍途中食事や休息を取るため、日中の実質行軍時間は8時間となる。夜は就寝)
それに比べると4時間で56kmは相当速いともいえ
むしろこの速さに注目すべきではないかな。

376 :日本@名無史さん:2009/08/02(日) 13:46:46
機械化以前の速度としちゃ驚異的だろ
現代戦ならエアボーンみたいな感じなんでね

377 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 00:02:51
まてまて

>人馬共に秀でていないと、とても乗り切り得ないものであった。
>ために、無事に時間内完走を果たした者には、特に賞品が与えられたという。
とあるように

その速度で部隊が機動できるわけじゃないということも忘れずに
むしろ、電話や無線の無い時代
その距離を、その速度で、情報伝達できることに価値があったんでしょ

378 :日本@名無史さん:2009/08/03(月) 02:22:17
なにを待つんだよ。
数レス前からその流れだろ?

379 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 00:45:07
>>378
明らかに>>374以降は、戦闘でも偵察でもいいが部隊の機動速度のノリで語ってると思うが
伝令の伝達速度の話などだれもしとらんよ

380 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 03:11:23
要は、377様の発言を待てよ愚民、と。

381 :日本@名無史さん:2009/08/04(火) 03:37:32
前近代では、行軍速度20km/日以上でも、すごく速い。
速さに定評有ったナポレオンでも、通常行軍は20km/日未満。
街道を舗装整備してたローマ軍では、25km/日が規定値らしかったけど。

輜重とか使用する道路事情とか考えると、歩行速度のみでは決まらない。

382 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 04:42:57
八戸南部藩の人間としてはこういうスレがあるとなんか嬉しい

383 :日本@名無史さん:2009/08/06(木) 11:29:31
>>379
伝達速度について語るなら、古代の駅馬制度では30里(約16km)おきに駅馬が置かれて、最速で一日160km以上進んだらしい

>>381
戦国時代一日30km以上とか普通に行軍してるよ。
強行軍の場合一日50km以上の行軍もある。

この前NHK番組で「名将の采配」って番組放送してたけど
そこではナポレオン軍が2日で120km行軍したと言ってた。

北朝鮮の特殊部隊は一日で80km進むらしい。(ソースはなんかのニュース番組)

384 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 12:16:42
保守ついでに貼り


享保中、蘭人ケイズルの上る馬書に、馬にかけを追とき、初めての乗もの舌打ちをすれば
かけ出、留まるとき口笛を吹けば留まるとあり、其国武事是の如し。
其取締なきは児戯にひとし。
西洋の商にて世渡りをする国にはこれにても済べけれども、
武をもって国を立る吾東方に於ては決して用いられぬ事は是にて悟るべし。

『海防問答』


385 :日本@名無史さん:2009/10/15(木) 17:49:49
お馬さん大活躍
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_02.html
住吉鳥居を通り過ぎて赤坂に向かう途中の小松が原で季長は菊池二郎武房の一行と出会う。
総勢百余騎。
武房はすでに敵と戦い、たくさんの首をぶら下げて引き上げてくる途中であった。 (てのものふんどりあまたなり)
それを見た季長はいっそう奮い立ち蒙古軍に向かって駆け出すのであった。

菊池武房に破れた敵の本隊は,麁原へ退却した。
別の一隊は別府の塚原へと退却。
塚原から鳥飼の干潟へ進み本隊と合流せんとする蒙古軍を討ち取ろうとした季長は馬が干潟に脚を取られ逃がしてしまった。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_04.html
http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/kotoba_03.html
敵軍は麁原に陣を構えて鐘を打ち鳴らしてひしめきあっていた。
季長の合戦は、麁原から鳥飼潟の塩屋の松原が舞台となった。
旗指が馬を射られて跳ね落とされたがそのままおきあがって走り出す。
季長以下3名も馬を失い痛手も被り、あわや一巻の終わりかとみえたところに、
肥前国御家人白石六郎通泰が後方より援軍を率いて攻め立てる。
たまらず敵は退却を始めた。
武士団に馬上から次々と矢を射かけられ逃げ惑う蒙古軍。

http://record.museum.kyushu-u.ac.jp/mouko/e_03.html
敵を追って攻め入る三井三郎資長と退却する蒙古軍。

※蒙古襲来絵詞…竹崎季長が、元寇時の御恩奉行であった安達泰盛への鎮魂と報謝のために作った絵詞。



386 :日本@名無史さん:2009/11/03(火) 23:55:43
日本刀の拵師、高山一之の作品集を見た
江戸時代以前の刀の鞘には塗りの下地に馬の生皮を貼るのだが
現代ではこれがなかなか手に入らないと嘆いていた。

甲冑の小札に使うネリ皮も容易に手に入らないと聞いた事があるし
古来からの脳漿鞣しも現代ではほとんど廃れてしまっているようだ
古来からの家畜文化を失った日本では
それに付随する皮革文化も失われていくのだろうか。

387 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 12:28:52
革加工は部○の仕事ってことになってたせいもあるんじゃない?

388 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 14:16:49
鹿皮も太刀や腰刀の鞘の下地によく使う
現代の打刀拵だと砥粉で代用してるケースが多い

389 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 14:19:18
陸軍の軍刀拵だと鞘の表に馬革だね

390 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 15:37:10
柄巻きも馬革だったりもする


391 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 21:35:10
柄巻きには脳漿鞣しの革を使いたいね

392 :日本@名無史さん:2009/12/05(土) 00:59:52
よく木曽馬が日本の乗用馬のスタンダードみたいに言われるけど
いま残ってる木曽馬って生粋の駄用・農耕馬の系統だよね。
元来が乗用馬だった御崎馬と比べたら姿が全然違う
日本に唯一残る乗用種である御崎馬はもっと注目されてもいいと思う

393 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 00:43:43
>>386
予後不良になったお馬さんは…マズいんだろうなぁ

394 :日本@名無史さん:2010/01/17(日) 11:54:39
ここで和種馬とサラブレッドの違いについて比較してるね
http://yoroikatchu.jugem.jp/?eid=300#trackback


395 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 21:26:24
保守

396 :日本@名無史さん:2010/02/21(日) 23:10:43
http://www.yakitori-jp.com/encyclopedia/histry/hhtml/edo14.html
江戸時代の辞書にみる牛
江戸時代の辞書にみる馬

◇和漢三才図会
大抵関東には、馬多く牛少し。
関西には牛多く馬少し。
京師には天子・皇后・三公の御車を牽き、市中の車牛は米穀・薪木等を運送す。
皆特牛(ことひ)を用う。農牛は田を耕して人力を助すく。
関東にてはすなわち馬をもってこれに代う。

◇本朝食鑑
大抵参州・遠州以東から奥州・夷にかけては、馬が多く牛は少ない。
それで、耕耘運転には皆馬を用いる。
尾州・濃州以西より海辺の国にかけては、牛が多く馬は少ない。
それで、耕耘運転には皆牛を用いる。
就中、播州・備州は最も牛を産出するところで、盛んに蕃息(はんしょく)する。

馬は関東の産が上い。
したがって奥州・常州の産が第一で、信州・甲州・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。
関西の産は劣弱であって関東産に及ばない。

397 :日本@名無史さん:2010/02/22(月) 02:47:08
乗馬とは違う農耕馬の歴史っていいですね

398 :日本@名無史さん:2010/03/05(金) 18:55:26
大阪で国内最古・馬の乳歯出土 5世紀、飼育を裏付け

 大阪府四条畷市の蔀屋北遺跡で、5世紀中ごろ(古墳時代中期)とみられる国内最古の馬の乳歯が出土していた
ことが5日、分かった。当時から馬が飼育されていたことを裏付ける史料。
 府教育委員会文化財保護課の宮崎泰史主査は「乳歯は非常にもろく、残るのは珍しい。当時の馬は貴重で
高級車のような存在だったため、丁寧に葬られたのだろう」と話している。
 府教委によると、見つかったのは臼歯部分で、最も長い歯は約8センチ。乳歯はすり減るなどして、短くなって
いたが、ほかの歯もほぼそろっていた。新しい歯も形成されていることから、歯が生え替わる前の2〜3歳の若い馬
とみられる。骨や前歯は見つからなかった。
 遺跡一帯は日本書紀が河内馬飼と記す朝廷の牧場があったとされ、これまでに馬の全身骨格やくらなどの馬具
も出土。百済系の土器が出土していることから朝鮮半島から来た渡来人が飼育していたとみられる。

2010/03/05 17:06 【共同通信】
ttp://www.47news.jp/CN/201003/CN2010030501000619.html

399 :日本@名無史さん:2010/03/06(土) 16:01:51
国内最古、馬の乳歯「河内馬飼」の実態示す

 大阪府四條畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡で、国内最古となる5世紀中頃の馬の乳歯が2頭分、
府教委の調査で出土した。
 2〜2歳半とみられ、同時期の遺跡で、若い馬の存在が確認されたのは初めて。同遺跡は
「日本書紀」に「河内馬飼(かわちのうまかい)」と記された集団が、国内で初めて馬を本格的に
飼った牧場とされ、府教委は「朝鮮半島から子馬を船に乗せて連れてきたか、生まれた子馬を
飼育し、軍馬として増産したとみられ、国内最初期の馬生産の実態がわかる」としている。
 出土した1頭分には歯が24本残り、このうち、乳歯は12本で、最大で幅2センチ、長さ1センチ。
永久歯の長さ(8センチ)から推定した年齢などから、ハミ(馬具)をつけて乗馬訓練を始める
直前だったとみられる。
 同遺跡と周辺では、これまでに馬の骨や歯計約500点や馬具などが出土したが、
若い馬は確認されていなかった。
 3世紀の中国の史書「魏志倭人伝」に、日本に馬はいないと記されており、5世紀頃、
朝鮮半島から馬と乗馬の風習が伝わったとされる。日本での本格的な馬の飼育は、
府東部で始まり、各地に広まったとみられ、松井章・奈良文化財研究所埋蔵文化財センター長
(動物考古学)は「乳歯はもろく、遺跡からの出土は珍しい。河内馬飼が、大規模に馬を
生産していた様子がうかがえる」と話している。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100306-OYT1T00205.htm

400 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 23:37:55
日本にも大昔には馬が生息していたらしいけど
それは絶滅してしまったそうですね。
やっぱり当時の日本人が食べてしまったのかな

401 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 12:08:19
そうやろ

402 :日本@名無史さん:2010/04/02(金) 23:20:38
古墳時代、牧場に大型番犬いた?…大阪で骨出土

 古墳時代に馬を飼育した「河内の牧(まき)」があったとされる大阪府四條畷市の蔀屋(しとみや)北遺跡で、
5世紀中頃の「渡来犬」とみられる犬の骨が、府教委の調査で出土した。
 体高は推定52センチで現在の土佐犬(四国犬)ほどの大きさ。弥生時代(紀元前4世紀〜後3世紀)の
犬よりも一回り大きく、国内で出土した古墳時代(3〜7世紀)以前の犬では最大という。府教委は
「牧場の番犬として、朝鮮半島・百済から持ち込んだ大型の犬を飼育していたのではないか」とみている。
 下あごの骨(残存の長さ13・4センチ、高さ3センチ)、肩甲骨の一部(長さ9センチ、幅3センチ)、
腰椎(ようつい)(長さ4センチ、幅3・5センチ)の3点あり、犬1〜3頭分とみられる。
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20100401-OYT1T00008.htm

403 :日本@名無史さん:2010/06/10(木) 21:14:31
イザベラ・バードの日本奥地紀行を読んだけど
結構馬の記述が多くて楽しいね
特に北関東と北海道の馬の蹄についての記述が興味深かった

「馬はいつも藁沓をはくから、足は柔らかく、ふわふわとなっている。だから藁沓なしでは歩けなくなっている。」

「馬の脚には何もつけていないが、蹄は非常に堅い。おかげで私は、本土でよく馬の世話を焼き、
 絶えず藁沓の紐を結んでやったり新しい靴と取り替えてやったりしていたことから解放されて、ほっとしている。」


山地で放牧されてる馬と厩で飼われている馬の差なのかもしれない

404 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 06:17:22
「馬飼部」 は最初の諜報機関
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/sankei040221.html
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/img/sankei040221.gif
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/umakai.html

河内馬飼首荒籠
ttp://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch/arako.htm

継体天皇はどこから来たか
ttp://inoues.net/mystery/wherefmkeitai.html
ttp://inoues.net/mystery/news003.jpg

405 :日本@名無史さん:2010/06/12(土) 06:18:08
「馬飼部」 は最初の諜報機関
  蔀屋北遺跡の馬をめぐって

金谷信之
2004年2月21日 産経新聞 夕刊 第4面

 日本列島には、もともと馬はいなかった。魏志倭人伝も「その地、牛馬虎豹なし」と記している。
馬の初出は、日本書紀の神巧皇后紀に、降伏した新羅王が「今より以降、長く馬飼となり、
春秋には馬を梳る櫛と馬の鞭を奉らむ」と言ったと記されたくだり、あるいは、古事記の神功皇后
の段の「新羅国を御馬甘と定め」と書いたものである。
 神宮皇后の物語は、後年、斉明天皇の朝倉宮の後宮で創作されたお伽噺であるといわれて
いるから、これらの話は、もとより事実ではないが、少なくとも、馬が半島からもたらされたもの
であることだけは示している。
 
 馬飼のことが実際に述べられているのは、応神天皇十五年のきに、百済王から良馬二頭が
贈られたので、馬を牽いてきた阿直伎に、軽の坂上で飼わせたと記しているもので、
これによって、馬は五世紀の初めごろにわが国に伝えられ、当初は渡来系の人たちによって
飼育されていたことが知られている。
 その後、五世紀を通じて、乗馬の風習は急速に広まっていった。雄略天皇九年の条に、
田辺史伯孫という人が、応神天皇陵の埴輪の馬と自分の馬とを取り替えた話さえ見える
のが、乗馬の一般化を端的に示している。
 そのころ畿内では、馬の飼育は主に淀川の河畔や河内潟の湖畔、そこに浮かぶ大小の
島々などで行われていたようである。豊富な牧草と水に恵まれていたからであろう。
昨年、四条畷市に蔀屋北遺跡で、埋葬された馬一頭の完全な全身骨格が発掘されて注目
を集めているが、これもその一端である。
 しかし、馬飼たちは社会的には身分の低い者として差別されていた。履中天皇五年の条
には、馬飼たちが入墨をされていたことが述べられている。継体天皇元年の条には、
その即位に当たって大きな功績があった河内馬飼首荒篭を厚く遇したとある。河内馬飼首荒篭
というのは、淀川の畔の樟葉で馬を飼うことを生業とした馬飼たちの首長である。

(以下略)
ttp://www.infonet.co.jp/ueyama/ip/episode/img/sankei040221.gif

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