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【大名】江戸三百諸侯について語ろう2【藩主】

1 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:50:47
前スレ
【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1210810352/l50

前スレからの継続議題
967 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/09/01(月) 00:50:11
「一番地味な大名」選ぼうぜ。

では語れ↓

2 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:57:07
>>1 乙。
摂津麻田藩青木氏
下総小見川藩森川氏
下総生実藩内田氏
河内丹南藩高木氏
などが地味大名としてランクインしていますね。

3 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:11:36
板鼻の里見家

4 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:35:55
上三つは立派に幕府閣僚なのでアウト。

5 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:40:24
加判の列だよね

6 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 13:29:11
備中足守藩木下家。
高台院の一族ってだけのような気がする。

7 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 18:23:28
以下は一部に幕府閣僚経験者がいるみたいなのでアウトかも知れませんが・・・

近江国山上藩
 一応江戸時代初期から存在しているのだが、地元の人もその存在を知らないと思われ
近江国三上藩
 1万2千石の分際で城主格。
近江国仁正寺藩
 江戸時代初期から転封も改易もなくずっと存在し続けている藩。ただこれくらいしか特筆事項がない。

8 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 19:18:16
宇和島藩は伊達政宗の息子。
何万石かな?

9 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 19:38:31
>>8 十万石、大広間詰、国主格、従四位下侍従

10 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 20:21:30
仁正寺藩って市橋家だろ。市橋は前スレの時に候補に挙がってなかったか?

11 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 20:48:16
大和小泉藩片桐家
備中新見藩関家


12 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:37:21
片桐家は茶道の世界では重要だぞ?二代目藩主片桐石州が石州流の祖で、四代将軍家綱の茶道指南役。黄門さんも石州の弟子。
政治的にはともかく、地味とは言えん。


13 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 21:37:28
>>11 片桐家は且元の弟の家系だっけ?
地味じゃないなあ

14 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:05:48
>>8
宇和島よりその支藩、吉田藩のほうが地味だな。
だがしかし、
実は政宗の血を伝えているのは吉田だけ、とも。
>>10
そもそも市橋なんて武将、大名がいたことすら
知られてないよな。
江戸時代でもそうなんじゃね?
大名行列歩いてきて
「おい熊さん、あれはどこの御家中だい?」
「どれ、、い、ち、は、し??、、、さぁ、、、」


15 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:36:08
市橋を推薦したものですが。
譜代はたとえ三宅氏でもwなにかしら幕府の仕事をするものだけど、
そういう機会がない外様の小大名のほうがどうしても地味になるよね。
ただお家を存続させて、生きているだけ、みたいな。
そんな外様から、
三日月藩を推薦します。
幕末へ向けてジリ貧になっていく、
かわいそうな実高に注目してください。

16 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:40:38
ああ、でもそれ言ったら
実高3000石の新見藩のほうが悲惨ですやねw
失礼しました。

17 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 06:01:05
譜代大名は石高は少なく幕府の要職につける存在、
外様大名は石高は多くとも幕府の職にはつけないと
バランスとったというけど一番多い大名は
1〜3万石程度の少ない石高でしかも外様という家じゃないのか?
この人たち両方の分類の悪いところだけ貰ってるし
10万石前後あれば世間的には石高十分すぎる大名だとは思うけど

でも幕末乗り切ってたら「前例がある」とかで松前とかの外様大名も
幕府の要職につけるようになってたんだろうか?
それともそこで活躍した榎本とか大鳥とか渋沢とか福地とかジョン万とか近藤とか小栗とかあたりが
中興の新規取り立てとして譜代大名に格上げされて以後それらの家が江戸初期の井伊とか酒井と変わって
幕府中枢の役職を担当するようになるのか?

18 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 11:53:29
うちの地元だから地味だろうと大村藩調べたら
キリシタンだ大名だし長崎総奉行だし密貿易だし
明治後は大村県になるくらい精強で驚いた。

19 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 12:36:45
大村は早くから倒幕派として活躍したってんで、明治になって子爵のところを伯爵にしてもらった
らしい。

20 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 13:41:32
今じゃただ空港があるだけの田舎なのになぁ
よく考えたら維新に活躍したとこって全部田舎になちゃってるのね

21 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 17:56:52
>>20
佐賀なんて下手に活躍して佐賀県になっちゃったせいで、ド田舎県と化してしまった
まあ、佐賀市にとっては佐賀県があるほうがいいのだろうけど

22 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:52:09
なんか関と市橋は最強だな。表高1万8000石なのに実高3000石しかない関の方が気の毒だが。
地味と悲惨は別に考えるべきか…


23 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:41:37
>>22 新見の関氏は森蘭丸の弟の家系だよね?
三日月藩の本家は新見より石高が少ないが

24 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:53:26
>>18
藩から県になるのは精強でもなんでもないよ

25 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:16:50
>>24
うん俺もそれは書いてから気づいた

26 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:18:17
伊勢菰野藩土方家
豊後府内藩松平家
下総多胡藩松平家


27 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:19:31
市橋家って華族になってそうそうに資産不足で華族の地位を返上せざるを得なかったとか
どこかで聞いたような・・・

28 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 00:32:06
新見藩の1万8000石に対して確かに三日月藩は1万5000石だなぁ。
でも新見藩の実高は3000石しかない。
三日月藩の実高はどの位だったのか、それによって悲惨度は変わってくるよな。

あと、三日月藩も森家としては分家筋。
森の本家は改易になったろ?

こんな場合は三日月藩が森家の本家となるんだろうか?



29 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 00:53:07
付けたし。

森の本家、津山藩改易後に津山藩のご隠居さんが西江原藩を立藩、その後に赤穂藩へ移り森家は存続してるけど…。

森の本家は赤穂か?三日月か?
それともこんなケースは津山藩改易によって森家は本家断絶、滅亡と解釈されるのか…?



30 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:04:12
三日月藩のグレートなところは、
そんな漫画や日本昔話のような名前の藩が、
現実に存在しているところ。
かつ、
全く無名wwww

31 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:22:43
谷家を推薦します。
初代だけ無名だけどかっこいい。
しかし外様の小大名なのであとはしょぼしょぼ。

32 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 06:23:28
石高こそ2万を超えてるけど本荘の6号さん、いや六郷さんも
相当地味ですよ。
でも生駒との取引のおかげで
領内に象潟があるからある意味有名かも

米津ってヨネキツって読むんだね・・・

33 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 07:39:40
>>32 象潟は交代寄合の生駒領だったの?
昔は松島みたいだったらしいからねぇ

34 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 07:55:41
2代藩主政勝さんのときに生駒と話し合った結果
4千石あまりの土地を交換しました
以後は本荘領
当時たまたまそこに巡業でいた雷電為衛門が記録したように
文化の地震で陸地になっちゃうんだけど
干上がったあとに「「全部更地にして田んぼにしちゃおうぜ?米も取れるし」って潰そうと画策
しかし全国的に有名な名所潰すってどういうこと?バカなの?と
蚶満寺が朝廷の権威まで持ち出して大反発したので
やむなく中止に


維新のときは新政府軍について庄内に城下町を焼かれるものの
その功で一万石の加増を得たよ

35 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:24:04
>>31
陣屋のあった綾部市山家周辺もものすごく地味な所だよね。

あと、一柳氏なんてどう?
本家はつぶれて、分家が播磨小野と伊予小松の一万石で存在してたみたいだけど…

36 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:46:21
一柳は江戸時代はぱっとせんかったけど
近代になってウィリアム・メレル・ヴォーリスの嫁を輩出したからなぁ

37 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 21:05:26
>>36
あれだっけ?
建築家でかつw元祖メンソレータムにも絡んでるっていう

38 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:16:00
>>37
ウィリアム・メレル・ヴォーリスは播磨小野藩最後の藩主
一柳末徳子爵の娘婿です。ヴォーリスは昭和16年に日本へ帰化、一柳米来留(メレル)
と改名します。米来留の文字には「米(アメリカ)から来て留まる」
の意味が込められています。
 尚、ヴォーリス夫人の兄には実業家広岡恵三がいます。

39 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:26:18
牧野家
長岡、笠間、三根山、小諸、田辺が大名

40 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:29:20
>>38
まりがd(・∀・)
近江兄弟社との絡みとか、それと琵琶湖疎水の設計・敷設にも
絡んでた気がしてたんだが……とりあえず自分でググってみる

41 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:46:01
>>35
超地味だなw

42 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 02:07:47
市橋や谷、三日月藩など、
卑怯ドコロを挙げさせてもらいましたが、
次は正々堂々、譜代で勝負したいと思います。
「美作勝山藩 三浦氏」はどうでしょうか。
土井大老の身内だったという理由で大名になれて、
大した幕府閣僚も出さず、
美作といえば津山だね。、、、勝山、は?
わ、割りと領地多いんだね。
え、、、城持ってるの!?美作勝山城?は?
廃棄中古城をリフォームしたんだ、へぇ、、、
という感じの誰だそれ?ですw

43 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:43:33
三浦なんていたっけ?

44 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:06:58
石高は3万前後だけど織田の臣でたまたま家康接待担当だったから
本能寺を避けることができて神君と一緒に伊賀越えしたおかげで
一躍徳川での地位を気づけた西尾さんとかどうでしょう?
穴山も一緒に行動してたらなし崩し的に譜代になれたかもしれんというのに
(家康武田好きだし。血縁的にも)こっちは首が飛んだ。
人の世の中はわからないもんですな

45 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:52:07
遠州横須賀3万石
西尾隠岐守忠尚

46 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:02:32
>>44
なし崩しもなにも、存続してたら普通に譜代でしょ。

47 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:04:18
武蔵国岡部藩2万2250石
安部家

幕末に高島秋帆の幽閉先になりました。
特筆すべき事績は以上ですw

48 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:12:22
穴山梅雪が生きていたら大名だっただろうな
武田信君とその子孫として甲斐国主だったかも

49 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:26:32
もしも・・・だとたら
こういうのは最も意味がない

50 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:29:06
だとたらw

51 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:48:33
デコトラ

52 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:40:11
>>42-43 勝山藩三浦家の家臣が上司と密通した妻を殺し、江戸に出て…
って小説があったな
松本清張か海音寺潮五郎だったか忘れたが

53 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:44:52
浅尾藩蒔田家はどうよ?

54 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:08:28
武州岡部の安部氏は「あんべ」と読み、伊勢の増山も「ましやま」と読むとつい最近しりました

55 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:09:44
>>52
それ松本清張の「西海道奇談」
脱藩後に江戸へ出て御家人の養子とになり西国郡代の手付として豊後日田に赴任する話。
豊後国玖珠郡森12.000石久留島家の森藩がけっこう重要な場面で出てくるマイナー小説


56 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:15:57
柳沢や本庄は松平を貰ったのに増山はなぜ貰えなかったのか、これである

57 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:30:36
やっぱ墓を発掘されて骨まで晒されてる六万八千石羽州新荘城主の戸沢正令さんが一番シブイよ!

58 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:39:13
>>55 あーそうだったか!サンクス!

>>56 新庄の戸澤は俺も好きだ、なんとなく

59 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:42:53
将軍や伊達正宗ならわかるけど、たかだか新荘藩の戸沢が骨まで晒されてるのは確かにしぶい

60 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 20:46:37
どこで戸沢正令の骨が見れる?

61 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 21:07:44
調査後に埋め戻されているから生の骨は見れないはず

62 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 22:06:55
写真だけだと思う

63 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 23:07:41
戸沢能登守平朝臣正令公の頭蓋骨計測結果
頭蓋骨の前後の長さ 183.0mm
幅 137.0mm
頬骨の左右間の幅 136.3mm
顔長(ナジオンから顎骨下縁間の長さ) 101.0mm


64 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 03:23:21
三浦って、なんの存在感もないから
小説で好き勝手できたんじゃね?

65 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 07:24:12
三浦って同姓の連中のせいで滅んでは復活を繰り返してる気がする
超ビックネームにはあまりなれていないが
ビックネームぐらいにはなってなったとたん滅ぼされてまたゼロからスタートして・・・えお繰り返しのイメージ「
勝山の三浦がその三浦とは思えんけど
鳩山氏のご先祖ってここの藩士じゃなかったけ?

66 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 10:40:13
>>63
骨について詳しくないのでデータだけでは分からないのだが
あれかね、やはり馬づ(ry

地味な大名 伊東氏(非日向、遠縁の備中岡田藩)は既出?
男系でつないできたのが唯一の注目点
なのだが、明治以降になって明治の官僚・伊東巳代治伯爵から養子を取っている。
伊東巳代治は同じ苗字ではあるが血縁ではないようだ。
http://daimyokeizu.hp.infoseek.co.jp/itou2.html

67 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 11:03:40
>>66 八代目の伊東長寛は72年間も藩主を勤めている。
三百諸侯の中でも最長クラスでは?

68 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 18:27:19
>>65 江戸留守居役だから、上級藩士か

69 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:47:51
家康の家来に佐原って三浦の一族がいたよね
岩槻城攻めで討死したらしいが

70 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 23:23:09
全く話が変わるけど、
前スレで高取藩植村氏の八代目藩主が遊女と心中したって件の真偽はどうなん?

病死で届け出て改易は免れたってやつ。



71 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:39:45
真偽はわからないけれど、
火のないところに「具体的な」噂は立たないもので。
不審死といえば、越後のほうに、
帰国の旅の途中に死んだのを数カ月隠し通して、
その間に上手く養子手続き済ませた藩がありましたな。

72 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:48:26
まあ井伊大老も病死ですから

73 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 01:56:08
桜田門外で井伊直弼が首を取られたって江戸中の小僧でも知ってるのに病死扱いってなんかすげーよな

74 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 09:34:01
勝山藩は結城直基

75 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 10:08:40
14代将軍は病死?戦死?

76 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 11:31:42
どこかと戦争中に戦死したんじゃなかったっけ?

77 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 11:50:37
背中の腫れ物が原因で、落ち延びた先の阿波で死んだんだよw

78 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 11:55:00
>>77
たぶん貴殿のような香具師が来ると思ったw

79 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 13:33:14
幕末は大名の死去を幕府が隠すようになった

80 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 14:37:13
一番地味な大名を決めるんでなかったか?


81 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:18:00
市橋が地味過ぎてw

82 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 17:25:24
苗木遠山も地味やろ

83 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 17:27:18
遠山は城持ってるんだぞ!城!

84 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 18:18:39
>>83

一万石なのに城持ち。
自力ゲットした城だから思い入れが強かったのか、
狭い山城に御殿機能を強引にねじ込んだような歪な城に…

まあ地味ではないと思う。

85 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 18:25:04
ガマ池の火除け札の成羽藩山崎家も渋いよ。浅尾藩蒔田氏も地味だよな。

86 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 19:09:07
久留里藩3万石の黒田家も地味。
福岡藩の支藩だと勘違いされるくらい地味。

あと大田原藩の大田原家とか黒羽藩の大関家とか中世から土着した、関東では珍しい生え抜き大名なのに地味。

87 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 20:47:59
三草藩主丹羽家


88 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:00:54
郡上藩青山家。
かの有名な郡上一揆で改易された金森家の後に転封された。

89 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:24:56
播磨林田藩建部氏。
でも外様大名だと藩祖が大阪の陣までにある程度の活躍はしてるよね。

逆に親藩の松平氏なんてどう?
廃藩置県時には40家ほどあったみたいだけど、
越後糸魚川や出雲母里なんかの1万石程度の分家松平氏だと
他の大藩松平氏の陰に隠れて地味になるのでは?

90 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 22:32:38
>>88
郡上青山家か。
池波正太郎「藤枝梅安」の「さみだれ梅安」を思い出したよw

91 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:21:10
親藩で三浦より地味なのあるの?

92 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:31:30
増山は?
内田とか森川もかなり地味だと思う。というか、よほどのマニアでないと知らないと思うw

93 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:12:56
岡部藩安部家も地味。

94 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:15:07
市橋とか岡部安部(あんべ?)家中とか……なんだかずっと
ループし放し('A`)

95 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:44:33
一柳が好き

96 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 07:19:55
>>86-87 黒田も丹羽も何の血縁関係もないのね
支藩だと思ってた

97 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 11:08:02
田原の三宅は?

98 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:39:48
>>97
家老の渡辺崋山がクソIMEでも変換できるほど有名だからなあw

99 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:54:22
伊勢長島の増山河内守は松平姓をなぜもらえなかったの?

100 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 21:19:32
湯長谷藩内藤家は?

101 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:50:25
信州上田藩松平(藤井)家。
ご当地は真田一色、歴代藩主を祀った松平神社も今では真田神社と呼ばれている。

102 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 23:04:35
質問に答えろ

103 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 01:29:23
>>99
増山の家名復興したかったから。

104 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 04:04:30
>>101
寂しいなw

105 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 16:34:31
上田城は真田の次に有名なあるじは乃木希典だったりする

106 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 19:45:28
隣の小諸藩牧野氏も城は有名だが家は地味だね。

107 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:14:16
仙石のほうが有名?
仙石が移されるときに
そば職人を根こそぎ連れていったから
信州で唯一小諸はそばが不味く
逆に最終的に出石はそばどころになったってのは聞いたことがあるけど
マジかね?
転封で領民ごと連れてくことって可能なんだろうか?

108 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:46:03
豊後の外様のお目付け役は杵築と府内の松平家。
片方が参勤交代で江戸に居るときは、片方は国元、というように調整されていた。

109 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:51:19
まぁ譜代は大体そんな感じの調整されてるけどね

110 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:48:26
堪忍料と捨て扶持と普通の所領の違いってなんですか?
堪忍料でも捨て扶持でも織田や生駒みたいに継いでいってるのもあるし

111 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 00:54:18
減封の一種?

112 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 02:36:21
>>110
基本は現金払いか土地支給か。

113 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 04:44:31
>>108
やっぱり外様小大名をおし込めとく国、だったんだろうな。
浦々山々で、中小大名乱立させとくにも便利な土地だったんだろうね。

114 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 08:35:29
小見川藩内田家もかなり地味だな。

115 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 08:54:50
>>104
ドキュソ炭屋に負けた伊達政宗公の米沢

累代の本拠地にして生誕地なのに

116 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 20:40:33
九州、中四国の小藩は参勤交代に苦労したろうな
人吉、大村、新見、新谷、広瀬…

117 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 01:15:55
>>114
過去レス嫁、と言いたいが、
「どれほど地味」なのか語ってみれ

118 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 01:18:55
622 名乗る程の者ではござらん 2008/09/09(火) 13:17:49 ID:I22oSoTJ
昔、ウルルン滞在記でペニスサック着けてたけど陰茎の根元とか袋の一部とかカバーできてなかったよね。
あれってオッケーなの?
626 名乗る程の者ではござらん 2008/09/11(木) 16:43:45 ID:m0XESFBu
>>622
たしかに山本太郎のチンコ映ってた記憶がある
あの放送は亀頭は絶対に放送禁止だが
陰茎の根元(全長の10分の1程度)やキンタマの3分の1までな映ってもOKという前例を作ったね


119 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 19:34:30
>>116 やっぱ人吉藩あたりじゃね?
大阪まで行って瀬戸内海進んで、豊後?に上陸して豊後街道で熊本まで出て人吉街道ってルートかな?
2万2千石じゃつらい

120 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 02:29:53
人んちの領内通過する時って、通行料金いる?

121 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 07:40:52
>>120 いらないだろ。許可は必要だが

122 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 10:39:16
結局参勤中に事故ったりして死人出たのはクルシマだけですか?
自然死や病死は別として
海わたるルートの藩は200年以上あるんだからもっと遭難したり
陸路でも難所を通る藩も事故で大波にさらわれるとかがけに落ちるとかそういうので
行列を喪失したりしていてもいい気がするんだけど
遠隔地の離島組とかは特に

123 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 11:03:53
>>122
島津

124 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 11:49:57
前田や島津が小藩の領内を通るときは藩の重役が挨拶に行くのかな?
また遺恨のある藩の領地は遠回りして避けたりするのかな?

125 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 12:21:08
津軽の殿様は南部領通ったときに合戦になって討ち死にしたはず。

126 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 13:00:38
津軽は南部領通らないよう遠回りしてたのに
南部の勘違いテロリストが襲撃してきたんだろ
しかも仲間が事前に津軽に密告して失敗、
逃亡するもみつかり獄門磔

127 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 13:56:41
南部と言えば、八戸藩も凄いよな。
やませが直撃する日本有数の貧藩。
そのため藩はとんでもない収奪を繰り返し
その惨状を見た安藤昌益が
武士なんてみんな泥棒だ!
ってなことを言い放ち後世変に有名になる。

128 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 14:55:11
>>126 今の奥羽本線のルートでいつもは参勤交代していたが、相馬大作が大館付近で狙ってるという情報を得て、五能線ルート(船)に変更し弘前入り。

129 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 16:14:41
大名たるものが一匹夫にびびって逃げたのかw

130 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 18:51:06
武蔵国金沢藩(六浦藩)1万2千石
米倉家

現在の横浜市内に存在した唯一の藩。

131 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 19:50:14
米倉丹後の祖先は武田氏侍大将

132 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:33:23
へー、騎馬隊の隊長だったのか。
真田の先祖は足軽隊の隊長だったらしいね。
のちに騎馬隊の隊長に出世したらしいけど。

133 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:37:38
水戸黄門の再放送見てるとたまに地方の藩主が出てくるね。長岡牧野氏と膳所本多とか
暴れん坊将軍は架空の藩が多い。一度だけ三春藩秋田氏の世子が加賀前田の姫と見合いするみたいな話があったが

134 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 23:54:17
>>71
何藩ですか、ぐぐったけれど出てきません


135 :バカ:2008/09/14(日) 01:51:47
江戸時代には上方周辺に領地をもつ大名や京都所司代、大坂城代が無尽に手を出していたというが、無尽ってなんですか?

136 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 02:58:14
>>129
「この先に、頭のおかしなテロリストがいます」
って聞いたら、普通迂回するだろwww
事を荒立てたらマズイ場合もあるし。

137 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 02:59:37
>132
武田に騎馬隊なんて存在しない!

138 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 06:43:33
>>134 藩主のすり替えがあったのは相良氏と南部氏しか知らない

139 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 08:59:33
あと天皇家が何回かすり替えてるはずだよ。
河内王朝とか継体王とか、伏見の宮家とか、大室某とか。

140 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 09:24:54
>>86
元亀天正の頃に活躍しなかった連中は見下げられるな、やっぱ

141 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 09:31:44
最大の面積を領した大名は南部氏でおk?

142 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 09:42:50
松前氏だろ。蝦夷島全域。

143 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 10:04:53
蝦夷地って実際に統治できてたの?

144 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:29:46
>>139に珍生物が紛れ込みましたw

145 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 13:47:19
>>143
他藩と同じような統治形態がとれたのは渡島半島南部の和人居住域だけっしょ。
あとは商場つくって交易漁業権の独占という形。

146 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 17:50:34
池田利隆が相続した時に十万石削られたのは、岡山の義母に化粧料と称して持って行かれたから。

これは分かった。
それでは、池田光政が相続した時にさらに十万石減ったのは何故?

147 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 20:48:26
質問に答えろ

148 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:14:53
石州浜田藩→作州鶴田藩はどうでしょう?


149 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 22:08:17
志村けんはいかがでしょう

150 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 00:16:05
>>146
光政がまだがきだったから?

151 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 00:47:37
幼少を理由に禄を削ってもいいもんでしょか

152 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 02:13:24
丹羽長秀とか。

153 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 02:40:09
>>151
幼少を理由に転封なんて例は多数あるのだし、ありでは?

154 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 03:15:31
>>152
悲惨過ぎる例をwww

155 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 17:05:43
>>148 松平武聰は村田蔵六率いる長州軍の前に浜田城を焼き払い逃げたんだよね?
烈公の厳しい教育も実を結ばなかったか

156 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:40:09
地味大名決定戦はなんか盛り上がりに欠けてきたな…。
そろそろ誰かベスト3位まで決定してくれぃ…

157 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 20:49:25
そうか。じゃあ、

地味ナンバー3:
水戸藩。御三家のくせに将軍になれないなど地味も甚だしい。

地味ナンバー2:
尾張藩。御三家筆頭のくせに一人も将軍を輩出しないなど、地味にも程がある。

地味ナンバー1:
紀州藩。御三家で将軍を何人も輩出しながら、所領は山陰に隠れて実に見えにくい。
よって地味ナンバー1決定。おめでとう!

158 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:13:05
>>156 常陸志筑藩本堂氏

159 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 04:17:48
市橋の圧勝は間違いないが、、、

160 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 04:37:11
>>156-159
はっきり言っていいか?
本当に地味な大名家は最後まで名前が挙がらない所だ。

161 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 08:24:54
なにを地味とするか、基準が不明確だなあ。

162 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 08:42:08
「誰それ?どこそれ?」が基本。
譜代の場合、
プラス、ロクに幕府に貢献していないこと。

163 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 09:02:47
湯長谷藩内藤氏
櫛羅藩永井氏
菰野藩土方氏
椎谷藩堀氏


164 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 14:55:16
相州六浦侯米倉丹州、勢州長嶋侯増山河州、越州椎谷侯堀丹州

165 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 15:33:07
>>163-164
増山、米倉以外は本人じゃなくても聞いたことある姓だからな〜
増山も成り上がりという意味である意味有名だろうし

166 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:34:39
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/

167 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:44:27
とりあえず上にあるうちで聞いたこと無い姓でかつ反論の無いものを挙げてみる。
国名とかはわざと外したからこの中で「どこそれ?」ってのを選んでみて。

丹南高木、山上稲垣、三上遠藤、仁正寺市橋、新見関、
山家谷、勝山三浦、横須賀西尾、岡部安部、大田原大田原、
黒羽大関、林田建部、志筑本堂、六浦米倉

168 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 18:27:28
大藩の分家も、本家の陰に隠れて、より一層地味だと思うけどな。
本家の方ばかりが注目されて、分家なんてあったのかという反応になることもしばしば。

169 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 20:21:32
定府大名って地味なのが多くないか。参勤交代さえ出来ない格で、石高も小さい。

170 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 20:48:59
6万石くらいの飛び地がない城主大名になりたい外様でもいい

171 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 21:35:46
>>170 出羽新庄藩戸沢家をお薦めします。

172 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 21:50:53
OO新田藩が地味だろう、地元民でさえ知っている人は少ない

譜代でも幕政に関与できなかったのは就任のための事前運動の袖の下が
賄えなかったせいか?

173 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:50:41
>>172
譜代でも帝鑑間詰はお客様待遇なんで基本的に幕政には関与しない。

174 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:26:16
新田の場合、名目だけで領地は本藩が
管理したりしているのでダメじゃね?
あと、数代で潰れたり、幕末高直しとかも。
「割と続いているのに、誰だお前ら、、、」
こうじゃなくては。

175 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:44:09
交代寄合から大名組の山崎氏なんてどうだろうか?
地味大名

176 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 01:57:31
大老となった酒井忠勝の正室は「松平親能女」とありました。
しかし、その松平親能なる人物は「寛政譜」や「寛永譜」に記載がありません
でした。江戸初期とはいえ、大名クラスの人物の正室が幕府編纂の史料に
載っていないということがあるのでしょうか?

松平親善という人物ならばいたようですが、親能=親善なのでしょうか。

177 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 02:15:14
外様の雄である仙台伊達家の支藩といわれる一ノ関田村氏は譜代?

178 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:55:54
明治になったあとに本藩に吸収されてしまった支藩や新田藩の
藩主や家来はちゃんと華族や士族になれたんですかね?
>>170-171
それぐらいがちょうどいいよね量的に
相馬とかもすすめ

179 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:57:44
>>175
丸亀の親戚?

180 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 12:25:18
>>170
6万石前後で城持ちか
該当するのは臼杵、岡、平戸、島原、飫肥。丸亀、大洲、備中松山、浜田
膳所、丹波篠山、丹波亀山、宮津、明石、播州龍野、出石(途中まで)
越後村上、新発田、信州上田、信州松本、丸岡、沼津、浜松、岡崎、高崎
陸奥棚倉、相馬中村、新庄、三春、山形(後半)

飛び地あるところもあるけど思いつく限りこんなもんか?
小大名というより結構中堅大名じゃないか?

181 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 12:50:31
御三家御三卿に囲まれて大廊下上の間にいなければならかった
吉井藩主一万石は肩身が狭かったろうに・・・

182 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 01:08:44
地味といえば新庄、安部、市橋、建部、五島あたりだろうか
地味に領地変えもなく幕末まで続いたという感じ


183 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 19:49:15
五島参勤交代大変そう・・・
離島で遠隔地なのに松前や宗みたいに特例ないし

184 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:18:23
>>183 福江島含む五島列島全部入れても一万五千石しかないのか
無高の宗や松前よりマシだけど

185 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 23:24:12
>>155
浜田城、天守閣は焼け落ちてなくて明治期の大地震で倒壊したという説もあるとか。


186 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 01:27:07
五島へ行ったことあるから言わせてもらうが。
あの諸島全体でも、
米で1万5千石は不可能ではないかと、、、
主要産物はトビウオかな。アゴ出汁に使う干物。

187 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 06:00:32
福江って長崎まで100キロぐらい沖にあるんだよな
平戸とか経由すればもっと近いから
100キロ突っ切って航行したわけじゃないだろうけど
たしかに江戸参勤大変そうだ
(ちなみに津軽海峡が19q、対馬長崎間が140qぐらい)
五島にも特例やればいいのに規模も小さく宗や松前のように特に特別なものももたない悲しさ

188 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 06:02:49
対馬藩が無高って、wikiの情報か?
比較的低緯度の島で、肥前ほか各地に飛地を持ってるのに無高のわけないじゃん。

//homepage3.nifty.com/ksatake/index.html
ここのサイトでは、表高3万石、実高7.5万石余となってる。格式は外交があるから
10万石格の国主。

189 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 06:12:47
ああ、同サイトでも対馬国は無高になってるね。
米が取れなくても、普通は畑の作物や漁業その他に対する運上金が課せられたりする
ものだが、どうなってることやら。7.5万石は飛地領の石高かねえ。

190 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 08:29:44
本当にコメとれんの?
酷寒でもないし地面あるんだし
雨だって降るだろうから植えりゃとれんじゃねーの?

191 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 10:28:41
米作るより魚取ってる方が食えるんじゃねーの。

192 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 20:19:13
蛋白質も多そうだし。

193 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 20:26:25
>>189 対馬藩は肥前に飛び地領もってるだろ

194 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:46:40
初代を除いて誰も幕府の役職に就くことなく幕末までのんびりと過ごした
譜代はいたのだろうか?
旗本はいそうだが

195 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 00:45:01
>>188
以前対馬に行った時、博物館で見たんだが、
対馬島の収穫高は、米が5千石、麦が2万石程だったそうだ。

196 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:25:59
>>194
榊原

197 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:16:24
榊原だけじゃない
大久保
渡辺
大須賀
三宅


198 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:35:20
三宅さんちは寺社奉行を出しています。
ほぼ世襲で日光奉行だし。
1万ちょっとのくせに城主扱いで、
藩内からかの渡辺華山を輩出しています。

199 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:53:02
民主党が廃県置藩をマニフェストに盛り込むってよ。

200 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 02:59:56
>>195
なんでそんなにとれないんだ?水がないのか?

201 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:11:06
まとまった平地がないんじゃね?
大規模な田園開拓するには、
莫大な費用と労力、専門知識が必要。

202 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:14:26
大須賀は数代で終わって、榊原と合流しています。
合流した時の当主は幕府の「宿老」として
幕政参加していますし、
なにより榊原には、
高尾太夫を見受けした有名藩主がいるしゃないですか。

203 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:19:45
あのー対馬の高は田代がメインなんですが?

204 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:26:50
平地が無くても棚田でどうにかしちゃう例は多い。
麦なら取れるということだと、やはり利水が最大の難点じゃない?

205 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 03:39:41
対馬が1万石→文化14年に2万石加増で3万石
実際それだけ米が取れたというよりは10万石格に見合う外面?
肥前田代領は3800石
 
しかしおそらく藩の収入の多くは田代領の薬屋からの上納金だろ
今はサロンパスくらいしか残ってないが昔は富山と並んで有名

206 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:02:43
棚田のwikipediaを見たら、「対馬藩の場合は農業適地があまりにも
少なかったため、李氏朝鮮から米を輸入していた」とのこと。

そもそも、近代以前は棚田が基本で平地の田んぼのほうが異端だったのか…

207 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:03:36
>>204
例はあっても、お金と技術と労働力が必要。
それよりは貿易と漁業のほうが手っ取り早かった。

208 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:14:12
国持ち大大名と認識されてる連中でも
よくみると同じ国の中に数万石の小大名がいたりする例が結構ある
人吉とか大村とか
基準は何だろう?
とるにたらんと認識されたってことだろうか?
肥前国内には結構いるけど鍋島は国持ち格だし

209 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 04:21:18
対馬藩は田代領のほかにも、筑前豊前下野にも領知あり。

210 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 06:36:49
>>208 相良氏は鎌倉時代からずっと治めてきたから、一門の有力な家臣が領地を持ち、力もあるという旧態依然を変えられなかったようだ。
藩主の早死になどもあって大村氏みたいに改革できなかったんだろう。
鍋島は何でだろ?

211 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:11:35
いったい有馬豊氏は何の理由で21万石も貰ったのだ?
誰か納得いく説明を頼む

212 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:15:20
名家で、家康の親族で、
増やす理由を積み重ねたのに、
減らす理由がなかったから。

213 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:16:49
久留米城より柳川城の方がかっこいい
やっぱ天守は層塔型だぜ

214 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 17:28:22
筑後って妙に狭いよな範囲が

215 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 19:28:11
>>211
家康の養女の婿っていう以外には何にも無い。

同じような例を探すと、京極忠高が将軍家光の時代に二ヶ国貰った。
彼は秀忠の婿で家光の義理の兄。そうでなければこんな大加増は無かったろう

家康の養女の婿である蜂須賀至鎮が大阪の陣の直後に淡路一国を貰ったのも似たようなもんでないか。
大坂の陣の戦功ったって、初戦でちょっと戦って塙団右衛門に夜討ちされたくらい。

216 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 19:43:30
蜂須賀が六万石貰えるなら、岡山口天王寺口で大激戦を闘った
伊達・前田・松平忠直らが加増を貰えないのは不公平だっ。
だだだ!

217 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:37:24
大坂の戦功で加増されたのって
藤堂、蜂須賀、京極あたりで全部?
藤堂以外は何したかよくわからんのはたしか

218 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 20:56:30
エセ源氏の徳川が、由緒正しい、室町、豊臣の勲功氏家に憚ったのだろ。

219 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:18:18
>>217
京極さんちは和議を仲介した女の功なんじゃないッスか。やっぱ。

220 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:54:12
>>208
細川は国持大名じゃないでしょ。相良領と天領天草があるからだと思うけど。
気になるのは豊前時代は国持だったのか、当時はまだそのような家格がなかったのか。

>>217
蜂須賀家は、大阪城内に一番乗りかなんかしていたような。
かなり死傷者も出していたと思う。


221 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 22:08:36
久留米といえば旗本阿部四郎五郎

222 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:01:59
一番のリって松平忠直じゃなかったけ?
蜂須賀さんは家政の大阪入場止めた功じゃないか?
あと薄田を橙武者にした

鍋島、細川、柳沢なんかは国持ちと準国持ちの中間みたいな扱いだったと思う
伊達とかもいっしょ
対馬の宗は国持ちで若狭一国の酒井、壱岐一国の松浦、志摩一国の稲垣は
国持ちじゃない・・・
壱岐と志摩はサイズ的にわかる気がするが若狭は10万石越えてるし
越前敦賀のあたりまで抑えてたので国持ちでもいいような・・・
柳沢よりゃ家柄もいいし

223 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 23:08:39
大坂の陣で加増された大名を忘れては困る
有馬豊氏

224 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:19:15
松平忠直はそもそも「大坂方ついちゃおうかな」とか言ってて、
家中にも旧浅井系の家臣がたくさんいて、家康の覚えが悪かった。

で、城突入の前日にクソミソに叱責されて、
悔しいから陣位置無視で勝手に最前線移動して、
「おめーら!きょうは死ぬぞオラァ!」
という号令の元、家老の本多が先頭で突入。


なので、プラマイゼロ、という査定なんじゃないかと。


225 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:20:20
>>222
若狭の酒井は、酒井は酒井でも分家筋じゃないですっけ?
そういうの微妙に関係あるかも。

226 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:44:11
徒然亭若狭

227 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:55:08
>>224
サクザの甥だよね
越前おろしそばを考案して
それは数百年後にその時の天皇の好物となった


228 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 04:14:05
立花宗茂は加増されたの?

229 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 08:24:12
秀忠の側衆だか御伽衆の縁によって、田中忠政除封後、柳川11万石に返り咲いた
よって大坂の陣とは無関係

230 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 09:31:55
お伽衆って夜伽が役目の稚児小姓集団だろ。
男娼大名かよ

231 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 11:20:37
>>230
をいをいw
この場合の御伽衆はそっちじゃない。
主人に講義・講話をしたり、コンサルティング的な話をしたりで
下のお世話はしないw

232 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 11:46:22
ここで伯太藩一万三千石の渡辺家登場
三河以来の譜代です!

233 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 11:47:20
足利義昭や今川氏真も御伽衆だったことあり
政治・文化・軍事などの顧問だろう

234 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 17:17:10
大須賀って大名で残ってたのか。
千葉六党のうち、三家が大名で残ってるなんてなかなかやるな千葉一族。
宗家はぶっつぶされたけど。

235 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 08:31:08
伊達は伊予で10万石も
加増されとるぞなもし

236 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 12:56:46
加増じゃなくて新規取り立て・新知なんでは?

237 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 12:57:49
宇和島藩はなんで伊予吉田藩からじゃなく、仙台藩から養子をもらったの?

238 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 20:52:01
>>237 伊予吉田藩とは仲悪かったからね
しかし本来伊達政宗の長男の家系が宇和島藩なのだから、こっちが本家という気持ちがあった。
だから仙台藩主の綱村の子が宇和島藩の世子となり、宇和島藩主の宗利の子が綱村の世子となっている。
いわば水戸藩と高松藩の関係だ

239 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 20:57:33
明治に見事にっ逆転したからな
宇和島伊達侯爵と仙台りゅんりゅんウルトラエスパー

240 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 21:05:22
>>238
でも仙台藩は嫡男の系統だからね。

241 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 22:44:06
>>239
ホントにそうだねぇ・・・

242 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 23:09:56
永倉えみる知ってる人って日本史板じゃ俺と>>239ぐらいなきがするので
その書きこみはどうだろう?

243 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 23:44:09


しかし、もはやどっちの家系も、政宗と関係ない養子なのでしたとさ。



実は宇和島の分家の、山奥の小藩・吉田藩が、唯一政宗の家系。



244 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:04:10
大名家にあっても父祖伝来の血筋ってそれほど大事じゃないんだよ

245 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:17:17
まあ血より御家の護持、家名が優先されるな

246 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:23:45
久留米有馬氏のように、赤松氏系にこだわったりしている例はあるけど、
基本的には家をつなぐことが最優先なので、旗本や小大名ともなると
祖の血を一滴も継いでないことなんか珍しくないしね。

247 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:25:13
大した先祖でもない場合、それでもいいんじゃね?


248 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:39:17
当時の感覚でも血筋より家名を優先でオッケーだったからどこでもそうだったのです

249 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:42:07
>>247

それをいっちゃあ…

250 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 05:51:58
なんか誤解が多いようだが、国持大名クラスなら男系の同族で継承している例が多い。
別スレでも指摘があったが、男系が完全に絶えたのは上杉、蜂須賀、黒田と幕末の因州池田くらい。

備前池田は幕末でいったん途絶えそうになったが、最後の最後で男系が復活している。

251 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 06:54:07
女系も含めればもっとつながってるのは多いから
意外と藩祖の遺伝子が完全に絶えたのはむしろまれじゃないか?

252 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 07:48:46
徳川宗家もベトナム系に血統が変わったそうだね。
王室は韓国系だし、将軍はベトナム系。
摂家は何系になるんだろう?マウリタニア系?

253 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 10:00:13
早大に入った高円宮の淫奔娘はフィリピン人みたいな悪相をしてやがるな

254 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 11:48:07
池田綱政って70人以上子供がいたってほんと?
幕府に届けた長男が実は六男で早世、次に嫡子となった三男が実は十五男(これも早世)て。
将軍家慶以上に子供に死なれてるな

255 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 14:18:28
>>253
控えよ!畏こくも宮に対し奉り無礼であるぞ!

256 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 16:45:47
>>254
赤子を取り上げた医師に衛生観念が無かったせいか
乳母から鉛入り白粉を飲まされて中毒にさせられたせいか

はてさて。

257 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:09:49
>>250
国持大名ともなればそうだけど、中小名や旗本だと、そうもいくまい

258 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 22:24:10
江戸時代の大名は何が何でも家の存続>>>>>>(遙かに乗り越えられない壁)>>>>>>>血統
・・・という論の>>244-245の流れの後に
いや国持大名クラスじゃそうじゃないだろ、という反論の>>250ですから


259 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 09:56:14
藩の存続が第一、家名が第二、三四が無くて五に血統

血統なんか途切れても藩主個人が少し淋しいだけ
藩が無くなれば家臣達の生活が成り立たない

今の代議士だって子供が出たくなくても後援会が無理に出馬させている
担がれる者より担ぐ側の都合が優先している、鎌倉幕府の将軍みたいなモノ

260 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 13:58:39
でたくない2世議員っているのか・・・信じられん
生まれた時から失業なし高収入高社会的地位の特権階級決定の身分なのに・・・
あ、あれか生まれた時からそういうのに恵まれてて当然と思ってるから
俺は縛られないゆめにいきるぜとかやってるのかな?
こけても助けてくれるし逃げ込む道あるとか無意識に思ってるんだろうけど

261 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 18:34:23
17才以下の嫡男を残して死ぬ藩主は最低の藩主。
国許の庶子なら歳のごまかしようはあるけど、江戸ではそうもいかない。
他にもいくつかの藩では藩主すりかえがありますよね。

262 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 18:53:27
>>259必死すぎ
まさか>>244>>245と同じ人ですか?

263 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 20:09:07
>>261
相良氏とかが有名かな

264 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 20:29:18
相良氏とはまた一番酷い例をw

265 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 21:08:39
悪政とそれにまつわる一揆で盛岡藩南部氏、お家騒動で人吉藩相良氏にかなうところは
ないだろうね。

まだ戦国的な風潮の残っている1640年代とはいえ、立てこもった一族を藩兵が皆殺しに
するわ、村上一族約70名を惨殺だわ。宝暦年間には藩主を暗殺だものなぁ。

266 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:18:39
>260
個人秘書のような形で最初からずっと親と一緒にやっているとか、あるいは小泉某みたいに
親の七光りで形だけの「会社勤め」をやっている人間ならともかく、独立して普通にやってき
ていた人からすると、「親の後を受けて議員になる」というのは、「それまでの人生を全部捨て
る」というのに等しいことだからね。
世の中、「親の七光りで、自分の実力は関係なし」というので満足できる人間ばかりじゃない。

267 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 22:36:33
国持大名クラスなら男系の同族で継承している例が多い。
別スレでも指摘があったが、男系が完全に絶えたのは上杉、蜂須賀、黒田と幕末の因州池田くらい。

268 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 23:57:12
>>266
親がそういうクラスだと他の仕事で立派にやってる人や
芸能界とか将来がはっきり保障されない世界の人や
実力才能未知数でどう転ぶかわからない夢に向かって頑張ってる人も
>こけても助けてくれるし逃げ込む道あるとか無意識に思ってるんだろうけど
って目で見ちゃうよね

269 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 00:43:58
国持っていうは三百諸侯中の少数派

270 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 08:47:54
>>266
大山巌の息子の柏も、本人は考古学者になりたがってたのに、跡継ぎの兄貴が早死にしたって
んで、家督を継ぐはめになって嫌々軍人になるはめになった。

271 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 09:14:44
>>270
とはいえ、家を継いでから強引に陸軍を予備役になって慶応の講師になり、
ドイツに留学して考古学者になるんだからすごい。

って、諸侯スレじゃなくて華族系スレですべき話題だな。

272 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 11:17:00
でもさ、考古学者も時には戦わなきゃいけないからさ、
軍人やってたことも決して無駄にはならなかったと思うよ。

273 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 12:21:08
>>272
それなんてジョーンズ博士?

274 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 14:53:17
大山の息子もインディジョーンズと同世代人?
ひょっとして面識あったりして。

275 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 16:14:54
スレ違いどころか板違いだけど

>>273
むしろ、キートン・平賀・太一じゃない?

>>274
1889年生まれで、1899年生まれのジョーンズ博士より10歳年上。

1923-1925年にベルリン留学していたけど、
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%83%B3%E3%82%BA_%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA
を見る限り、ジョーンズ博士はその時期は空白。設定ではソルボンヌに
留学していたことになっているので、西欧にいた時期が多少かぶることになるけど、
かたや陸軍からの派遣留学生、かたやペーペーの大学院生だからなぁ。
学会・研究会で会うとかいうのはちと考えにくい。

大山柏はベルリン時代に貴族のパーティーとかには当然出てはいるだろうけど、
そんな中にぺーぺーの大学院生がまぎれこむのはありえないだろうし。

276 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 22:07:00
なぜ宇和島伊達家は国持格で大広間詰めという好待遇なの?

277 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 02:33:50
一橋卿や越前公の親友だったから

278 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 09:38:28
>>276
本来は伊達本家を継ぐ可能性があった家なのだろう?

279 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 10:16:09
>>276
多分なんとなく

280 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 10:23:03
実は家康の隠し子。

281 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 10:28:31
生駒、福島、最上、加藤といった
元国持ちが居なくなった穴うめ要員

丹羽と立花も宇和島伊達と同じ
(蒲生と田中の後釜)

282 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 11:51:34
最上は旗本になっても国主格だっちゅーに。

283 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 13:31:21
一週間ぐらい前宇和島周辺の漁師の10歳ぐらいの息子を題材に(NHKのTV)
したテレビが入ってけど、あの阿倍っていう漁師の顔は完全に東北人の顔をしていたな。
宇和島伊達家は漁師まで宇和島に連れてきたのか?

284 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 15:19:24
武士の娘が零落して餓死寸前のところを漁師に拾われ、そのまま妻に。
その血を引いているためですよ。

285 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 18:59:37
司馬氏の小説に
「米沢人でも仙台人でもない奴が家老になった」

と土佐人の新米重役を敵視する
宇和島藩下士が騒ぐ短編がある

286 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 19:04:02
間違えた、すまん。

騒いだのは宇和島藩でなく
分家の伊予吉田藩の下士たちだった

287 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 20:43:51
汽車で乗り合わせた先祖が伊予から仙台に流された歯科技工士が出てくる短編だね

288 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 20:46:29
司馬さんはいろいろ汽車で偶然主題に関連した人物に乗り合わせるよなぁ
どこまで本当なんだろ
そうポンポン出会えるのか?
中身は当然としてあそこまで創作なんだろうか
それっぽいけど

289 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 21:16:20
目立つ人間だから、居合わせた人間に歴史関係の話題を無闇に振られても
おかしい話じゃないな。

290 :日本@名無史さん:2008/09/26(金) 22:20:38
街道をゆくとかだと、編集者が用意している可能性もあるしなぁ。

291 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 02:29:22
>>288
たぶん作り話だろうね
まあ小説だから問題ないんだけれど

292 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 18:49:44
柳沢や間部が江戸から遠く離れた地に転封されたのに対して、大岡家は岩槻から動かないで済んだのはなぜ?

293 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 20:03:28
暴れん坊の威光と小大名の扱いやすさからじゃないの。吉宗に幕臣として取り立てられ、
大名になった有馬や加納も伊勢から関東に在所を移動させているし。

294 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 22:34:32
タダミツ…モゴモゴ…ポニョポニョ…

はっ畏まりまして御座居ます!

295 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 22:46:35
ただみちゅだろ?

296 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 00:10:31
柳沢は栄転に近い気もする

297 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 00:44:50
甲府から大和郡山は栄転でも左遷でもないだろう。
甲府が破格すぎただけで、大和郡山20万石でも譜代大名としては優遇されすぎな方。

298 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 00:52:37
松平信綱、阿部忠秋、牧野成貞、間部詮房しかり、新規取立大名は雁間なんだが柳沢は帝鑑間なのはなぜだろう。

299 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 01:17:11
>>292
大岡はクソマジメに仕事してただけの、
権力の乱用も行っていない、
どっちかってーと「実直な家臣」なので。

300 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 07:47:32
大和郡山は大和北部と近江の湖南、湖北にまとまった領知があるからな。
京の南と東の抑えの他、大坂の抑えまで担っていたようだし。

301 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 08:35:11
>>292-300 大岡忠光は柳沢吉保とかの側用人に比べて悪評が無いよね
テレ東のおりんとかいう時代劇では悪役だったっけか?

302 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 09:01:11
田沼ほど独自に知名度があるわけでもない
(剣客商売とかだと田沼いい人だけどな)
柳沢ほど仕えた将軍がインパクトがあることをしたわけでもない
(家重個人なんて吉宗大河になるまでほぼ知名度ゼロじゃないか?)
たぶんこの辺が理由じゃないかな?
間部詮房がイマイチ時代劇とかでインパクトがなくて
知名度低いのと同じような理由
(あくまで日本史興味がない一般人の知名度ね)

303 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 16:36:05
出雲守忠光は好い人だよ
同族の越前守忠相よりも仕事できそうだし
息子の兵庫頭はたいした人物ではなかったようだが

304 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 18:44:47
男色で出世した人?

305 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 19:29:44
NHKの土曜時代劇に出てくる豊後関前藩のモデルは佐伯藩毛利家二万石な

306 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 19:33:08
>>305
てか、あの作家の書く「家中」のモデルはほとんど佐伯毛利家中だろw
榎木主演でドラマ化されてたTX系「金曜時代劇」のも然りだしw

307 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 19:49:02
藤沢周平の海坂藩が庄内藩なのと同じ理屈か。

308 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 13:15:02
『武家諫忍記』『武家勧懲記』『土芥寇讎記』『諫懲記後正』などに大名個人の評判などが記されているよ。

ネットで閲覧できるのもあるよ。

309 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:20:30
上杉景勝みたいに子供は一人だけ、しかも男子で成人して家督を継げたというのは奇跡に近いな

310 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:27:25
黒田如水も子供一人(次男早世)
本人と一人子ともに死の危機から
50万石大名へは奇跡

311 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:30:55
尼子政久の子も晴久ひとり
だが尼子家は上手く残れなかった

312 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 21:35:17
徳川が尼子を支援してやればよかった。タイムスリップして家康爺さんに伝えてやりたい!

313 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:13:22
尼子からの本家筋の京極氏は京極高次が大津6万石、京極高知は飯田に数万石を得、関ヶ原後は若狭小浜8万5千石、ついで9万2千石の大名に出世する
いわば、覇道のシンボルのような生き方と言えなくもない

314 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:22:57
伊達政宗も弟あぼん
で一人っ子みたいなものだな

父殺害、母と不和、長男冷遇、娘使い捨て

愛は妻だけ?

315 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:37:20
上杉定勝も
福島に支藩作っておけば
良かったのに

316 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 23:49:07
>>315
男子は綱勝ひとりだったはず。
上条上杉家とは和解できたし、娘がそれぞれ大名に嫁いでいるので
縁者がいないわけじゃなかったんだが。

317 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 00:13:29
>>312
子孫はいるけど、毛利がキープしてたんで。
例えば毛利を逃げ出して、家康に直臣希望を訴えれば通ったかも。
でもその器量や野望、度胸はなかったんじゃない?
>>313
嫁が浅井三姉妹、がでかいでしょ。

318 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:47:16
なんであの人だけ京極に嫁いだんだろ
一方は天下人(正確には正妻じゃないが)
一方は250万石の嫡子(再婚だが)
そして一人だけ大津6万石
嫌われれてたのか?

319 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 01:59:26
末の妹ももとは佐治氏だしそんなもんだろ。
それに京極氏は浅井家とも浅からぬ縁のある家だし

320 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 02:41:42
そもそも、零落したとはいえ京極家は名門じゃん。

321 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 04:13:39
後世の評価 秀頼の生母・秀忠の妻>>>>>京極の妻

室町時代の身分 京極>>>>>>>>>>>>>>>松平>>猿

322 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 04:39:03
親が名門家系や現役大大名でもなく、
つーか親死んでるし、つーかほぼ族滅状態で、
唯一後見してくれる織田一族がしょぼしょぼ状態。
こんな当初の状態じゃあ、
マニア秀吉(実父殺し、養父殺し)の性奴隷コレクション入り。
ぱっとしないけど同郷の名門。
佐治、、、って誰?
この中では真ん中が一番マシじゃねーかと。

323 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 06:44:49
佐治って知多半島の有力豪族で織田の同盟者だろ。
没落した京極なんかよりはマシじゃね?

324 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 17:12:45
>>316
上杉は綱渡りだな
高家上杉と畠山も養子つないで
やっとの状態だから
スペアの機能しないな

325 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 17:18:32
尼子(佐々木)、武田、最上(山野辺)は
毛利、上杉、水戸から独立して
大名復活の可能性なかったかな

里見の正木は惜しかったみたいだが

326 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 20:01:32
黒羽藩主大関増徳は幕末に廃藩置県まで八年間も座敷牢に監禁されていたそうだ。
カワイソス

327 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 20:12:13
大関氏も地味な大名だねぇ


328 :48:2008/09/30(火) 20:54:40
>>321
そりゃそうだw
笑っちゃうけど鋭い意見かも。

329 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 22:56:24
淀殿の妹が松の丸殿(京極竜子)の弟に嫁いだのだよな
実は仲良かったんじゃないのか?

330 :日本@名無史さん:2008/09/30(火) 23:23:30
国松の遺体を引き取ったのも松の丸殿だしな。


331 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 00:16:55
藤堂は何でお願い譜代にならなかったのだろう?
初代があれだけごますったのに

332 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 00:43:53
経費削減というか余裕がなかっただけ

333 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 05:48:04
藤堂の本家は石高で格が違いすぎる。分家の久居藩は手ごろかもしれないけど、
本来は本家の血筋維持のために作られた家だろうから、その意志もなかろう。

老中や京都所司代など役職は、中小大名が加増を狙ってなりたがるものだからな。

334 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 09:54:00
むしろ、譜代外様の別は、功績の大きな藤堂のような家をあえて枠の外に置くことで、
石高の低い内側を慰撫する目的があったんじゃないか。ゆえに、藤堂は外側に置かれる
のは必然だろう。

335 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 16:01:26
>>325
葦名は天海を通じて大名復活を狙ってたみたい。
当主の血筋が絶えて目論みは潰えたが。

336 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 16:15:32
>>287
あの小説はそれなりに滑稽で面白いんだが、ご先祖様が出てこなかったのが唯一の残念。
成り立ちから書けば必ず出てくるはずなんだが。

337 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 10:33:42
秀吉・秀長・秀次に仕えている藤堂が譜代になったら
大久保や酒井や榊原や本多の立場がなくなる

338 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 11:43:41
そうか?あやしげな譜代って珍しくないが。

339 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 14:59:46
さすがに安城岡崎だけってのはなんだけど
せいぜい浜松までにしておくべきだったよな>譜代
元信州とか甲斐とか駿河の連中が譜代ってのはなんか納得いかん
関東移封後の連中も譜代なんだっけ?

340 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 15:06:26
でもそうすると板倉とかも消えるが・・・

真の譜代は松平郷から岩津にいたころまでとすると何家残るだろうか?
酒井石川だけ?

341 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 16:28:46
日本の90%が外様の領土というのも困るだろう
関ヶ原以前から徳川の家来というのが順当か

342 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 17:25:38
新知を給され譜代
阿部、板倉、井上、太田、久世、安藤、水野、間部

343 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 18:36:09
脇坂や真田も譜代?

344 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 19:45:57
願い譜代

345 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 21:00:20
龍造寺さんちは血筋が絶えちゃったの?

346 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 21:19:34
佐賀藩の重臣の諫早家とかが竜造寺の子孫。

347 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 21:21:49
小笠原が譜代で通用するなら、藤堂が譜代になってもよさそうなものだ。
徳川との関係からいえば、小笠原が譜代なら京極や池田も譜代になってもおかしくない。

348 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 21:50:49
立花宗茂だって,元は大名とはいえ,将軍秀忠に浪人から取り立てられて大名
になったんだから,譜代大名じゃないのか。



349 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 22:21:43
立花家は幕末に分家が老中になってたはず。

350 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:02:19
>>349
分家は6代目から譜代格で,立花本家は外様のはず。
本家は,従4位下に昇るまでは,外様小大名詰席の柳間席。



351 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:17:05
分家って旗本あがり

352 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 23:21:01
本家も5千石の書院番から大名への旗本上がり

353 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 02:33:00
朽木って外様大名→万石きって旗本に降格→加増で万石回復直臣旗本上がりなので当然譜代
だったきがする
なんかいんちきにみえるけど
旗本にも外様(関ヶ原後に臣従)っているんだよね
地方の万石未満だった領主とか生駒みたいに転落したやつらとか
そういうのって譜代旗本と扱い違うのかなぁ?

354 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 06:13:22
正確に言うと
朽木の本家は大名から交代寄合に降格してそのまま外様
旗本から大名に取り立てられたのは分家でこれは譜代

355 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 09:37:17
浅野大学の子孫が大名に復帰すれば譜代の浅野家になるの?広島の分家なの?

356 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 09:45:37
交代寄合は旗本なのに外様扱いなのか?

357 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 09:49:39
詰間は帝鑑間の三家をのぞけば外様の柳間か。

358 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 14:00:23
ところで「一番地味な大名」は誰に決まったわけ?

359 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 14:45:42
紀州藩徳川氏。領知が山陰に隠れて見えにくく、とても地味だから。
当主が将軍になって暴れるくらいでは到底挽回できないからな。

360 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 15:31:59
女狂いの鼻かけ梅毒だから大名になれない
>浅野大学の子孫

361 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:05:09
林大学と浅野大学ってどっちが賢いの?

362 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:43:52
林大学頭だろ

363 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:11:30
林佐渡守の子孫

364 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 18:39:40
林鶴粱

365 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 22:20:41
佐渡 13万石
淡路 5万石
福江 1万5千石

隠岐や壱岐はどのくらい?

366 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 01:29:18
>>358
市橋がチャンピオンのまま、誰も倒せない。

367 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 01:34:54
>>355
一旦消滅しているので、、、
旗本として新規、なら幕臣。
新知で万石越えれば譜代。まずないけど。
本家から分けてもらって分家立藩、なら外様。

368 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 03:42:54
>>365
佐渡そんなにとれるかね?
まぁ島ではとれそうな部類だろうけど

369 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 07:19:27
>>366
大小藩の分家大名の方が、独自に功績がない場合には地味だと思うけどな。

370 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 11:11:57
そんなあまたの分家よりも「誰それ?」なのがチャンプ市橋。


371 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 17:24:57
大石良雄の倅も性病にかかり
広島藩浅野本家をクビ

372 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 17:50:57
そうなの?恥ずかしい奴だね。
ってことは、大石の子孫はどこかの河原者になって消滅していったってことかな?

373 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 19:29:42
>>365 壱岐は平地が多い島だから石高はけっこうありそうだが
平戸藩は北松浦郡+壱岐で六万石だから、どのくらいかな?

374 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:23:46
>>372
前田、上杉、細川に
大石子孫は使えている

375 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:38:37
三田村鳶魚「大石代三郎はな欠けひていとま
梅毒となりその仔ら継ぐかなはず家たゆ」

浅野家では横田氏に
大石姓名乗らせ
大石家最興しているが

再興された吉良と同様、別家というべきだろう

376 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:43:01
ただし、梅毒になったというのは俗説で
浅野大学の継嗣とごっちゃになり混同した
という説もある。

377 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:52:05
壱岐は2万石
隠岐は1万石

佐渡はかなり下駄を履かせてもらって13〜14万石

378 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:56:32
浅野大学の家は安房に移され
500石の御家人に転落した

379 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:57:54
地味大名不動の王者は市橋でOK?


380 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 20:58:31
>>378
500石なら御家人でなく一応旗本

381 :日本@名無史さん:2008/10/04(土) 23:31:38
新田も500石だけど
旗本?喜連川や最上みたく準大名(交代寄合)?

382 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 00:13:45
>>381
新田って岩松のこと?それとも由良か横瀬のこと?

岩松なら,120石の交代寄合
由良か横瀬なら,両家とも千石の高家




383 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 03:25:58
由良(横瀬)は牛久7千石の大身だと思っていたが
慶長6年という早い時期に山口家が牛久1万石を立藩してるから
その頃1千石の高家に転じたとすれば何かしくじったんだな
 
本来ならお取り潰しになるところを名門ゆえ高家で存続と

384 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 08:13:17
>>377 あんな山だらけの島でも一万石とれるんだ
サンクス

385 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:41:00
>>382-383
ありがと

500石というのは間違いだったのか
コンビニで売ってる歴史本は駄目だな

386 :日本@名無史さん:2008/10/05(日) 10:44:24
>384
隠岐は太閤検地で5千石
江戸時代に1万石越えたはず

387 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 12:13:33
新書で300諸侯シリーズ
書いてる椰子も駄目だな
大名の官名や諱や出自まちがえまくり

388 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 17:49:26
苗木藩遠山氏一万石の居城って山の上にあったみたいだけど城下町みたいなのあったの?

389 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 20:04:34
あのへんってすぐ近くに中山道の宿場町ある?

390 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 21:01:05
>>389 馬籠のすぐ近くで木曽川添いの絶好のロケーション。
天下の中仙道を旅する者は苗木城を見上げるのさ

391 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 22:52:59
今の中津川市街地って旧宿場町ではなかったか。
馬籠宿は苗木とさほど近くはない。

392 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 23:12:10
>>387
それ誰?

393 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 02:04:10
>>383
由良は元々高家扱いだけど、二代目か三代目あたりで
「相続に不手際」があって、七千から一千に減。
空いた牛久に山口が入った。
つーか、
山口って、本当に「大内」なのかなぁ?
自称する山口側はともかく、
大内本家筋の側はどう思ってたんだろ。公認?

394 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 02:27:59
>>393
大内側からすると公認とは言えないような。
まあしかし山口は「地縁と家格」からして「しゃーねーなw」
って要素はあると思うが。

395 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 07:17:11
大内本家筋って滅亡済では?
義隆の系統は絶えてるし、残ってるとすれば従兄弟の輝弘の系統だが・・・。
子孫いるの?

396 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 19:50:22
加賀の富樫さんの子孫はおらんの?

397 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:17:04
>>396 確か前田の家臣だったような

398 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 22:34:12
>>396

|つ ここに・・・



399 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 09:46:17
>>395
陶隆房が擁立した大友の弟がいたけどどうなった?元就に殺されたのかな

400 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 11:38:34
>>399
ご推察通り

401 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 12:44:07
毛利は何で謀反をおこしたの?

402 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:55:53
>>401
律儀者として有名な元就は謀反などしません
大内義隆に謀反した陶隆房を成敗して義隆の仇を討ったのです

元就にはこの他にも跡継ぎのいない親族に養子を出して存続させたり
跡継ぎが盲目のため危機にあった他家に養子を出したりしています
すべてが善意から出たことなのです。

403 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 14:59:39
はっきり云って領土拡大じゃないの?

404 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:04:49
言われてみれば元就って謀反人だよな。
陶に加担して義隆切腹前から大内領に侵入してるし、義長・輝弘殺して大内滅ぼしたのも元就だし。
陶の方がむしろ忠臣かと。

405 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:09:26
・・・ぼつぼつ毛利は毛利でも「江戸三百諸侯」の話しに・・・

その元就の孫の輝元は巷説のようにやっぱりバカ殿だったのか?

406 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:25:47
祖父に似てあまり忠臣ではなかったらしい。

407 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:45:06
輝元はバカ殿ではないよ
どっちかというと馬鹿というよりは私情に任せて欲望のままに家臣を殺す鬼畜
元就のほうがまだいい人に見えるレベル
内政面では秀でていたからその意味でも馬鹿じゃないし
巷の一般人がイメージする人がいいぼんぼんのバカ殿というイメージは
まとはずれもいいところ

408 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 18:59:37
本人に内政手腕があったかどうかは疑問だが、益田とか有能な家臣を登用して成果を収めてるな。
わけのわからん粛正とかもしてるから人使いが上手かったわけでもないようだが。

409 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 20:01:59
もちろんバカ殿です。
賢いかボンクラかは、子供の内にはっきり分かってしまうこと。
いくら大身の大名だからって、うわべを取り繕うことさえ不可能です。
輝元なんて・・・プッ

410 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 20:10:17
気持ちはわかるけど、アンチ長州は板違いですよ。
ここは、感情論やオレ史観を排他する自主努力をしつつ、
客観的に歴史の話をするところです。

411 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 21:57:47
第二次長州征伐後、占領した浜田藩領の年貢や税金は長州藩が徴収していたの?

412 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 22:31:35
当然そうですよ
新任村役人の賄賂が横行したらしいね

413 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:07:49
初代秀就から馬鹿にされ
後見人クビになった秀元
実は大人物であったらしい。【防長回天録より】

から弁当も後から作られた嘘っぱちかも

414 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 23:41:44
隆景が「パパに似ている」って気にいてたんだっけ?
あと碁盤に小姓乗せて持ち上げたり

415 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 00:12:55
防長回天録?

416 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 02:12:55
>>413
関ヶ原合戦時の動向からみても、吉川広家や福原広俊とは一線を
画してたしな。
後年は結構勝手な振る舞いが目立つようになってたから、秀就との
関係もよくなくなるさね


417 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 09:26:21
年貢を六割にしたり
重臣に名目知行地を与えて
財政難を乗り切った

一方で29万石の表高を36万石に高直しして
家格アップを図った

ただ家中や秀就は不満だったため
秀元後見役を更迭

418 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 11:45:09
毛利では○元と名乗るのが嫡子、興元・隆元・輝元
秀元は世継ぎだったの?

419 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 11:53:52
火でもと用紙
で家督継ぐ予定だった

秀就ができ要らなくなった

420 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:01:09
興と隆、輝、秀は
大内、足利、羽柴からの一字もらい

徳川は毛利に冷たく
他の国持ちや御三家みたく
賜姓の特権が受けられなかった

421 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:05:12
間違い
賜姓じゃなくて賜諱ね、家、忠、光、綱、吉…

422 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:18:39

歴代当主全て与えられてますが・・・

423 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:47:43
>>418
穂井田元清(元就4男)の子が毛利秀元
最初から実子が生まれたら養子辞める条件で毛利120万石の次期当主に。
秀就が生まれたので継承権を放棄して輝元から長門yとその周りの一部20万石を分知
関ヶ原後には下関市を領する長府6万石の藩主になる
(ここから清末1万石が孫立藩)
途中で下関の利を知って直轄にしようとする本藩と対立したり中山忠光を暗殺したりしながら
子孫は明治になって子爵
(途中で数回本藩に藩主出してるので長州毛利の当主は最終的に輝元→秀就の子孫ではなく
穂井田元清→秀元の子孫・・・
と、みせかけてそうせい候敬親の次の最後の藩主元徳は秀就の弟の徳山藩系に持っていかれたため
現当主は結局輝元系。惜しかった)
乃木家は本藩じゃなくてこっちの長府藩士
(おまけで児玉家も本藩じゃなくて徳山藩のほう)

424 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:50:51
そうだね、スマソ

綱広からずっとそうだった

ワシ阿呆やん

どっかと大名と間違えてた

425 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:53:16
毛利慶親と定広は諱を剥奪され、それぞれ敬親・元徳となのった。

426 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 12:57:02
>>422
賜諱がないのは
山内と佐竹だった
スマソ

427 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 17:11:06
穂井田元清の子孫より吉川元春の子孫の方がよほど嫡流に近い
秀元と吉川広家は途中で身分が逆転したのか

元就独裁→両川体制→集団指導(秀元・広家・安国寺など)ということかな

428 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 17:51:45
でも毛利と同輩の有力豪族の吉川小早川よりも、遠くのホイダのほうが
子供入れたり出したり都合よく使いやすくね?
イメージ的に吉川小早川=御三家、ホイダ=御三卿

429 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:14:29
>>427
両川は独立大名として取り立てられたのに対し、穂井田は陪臣という違いじゃないの?

430 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 18:20:10
両川は秀元が養子に入った時は独立した大名扱いだったからじゃね?

431 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 21:39:02
>413
馬鹿にされというより、秀就が家光の真似をして「生まれながらの殿様」をやりたがったと
いうところでしょう。輝元が、もっと秀元に気を使えと訓戒したとかいう話もあるとか。
秀就からすれば、秀元の官位も気にいらないでしょうからね。

432 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 21:54:52
>>412 ありがとう。
ところで浜田藩と松江藩の境はどこですか?

433 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:57:49
と、みせかけてw

めっちゃ笑った

434 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 00:21:33
せっかく5代吉元(秀元のひ孫)から13代敬親までは秀元系だったのにねぇ
明治2年から明治4年までの最後の長州藩主毛利元徳が違うんだよねぇ・・・

435 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 00:33:23
大河ドラマ「毛利元就」放映当時に出版された便乗本。
著者は毛利元就の末裔。
http://www.amazon.co.jp//dp/4810424278/

436 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 20:36:43
毛利元徳は
200年ぶりに輝元系に長州藩の家督を取り戻した(公爵)のみならず
息子達を使って1つ分家を立て(男爵)、小早川家を再興し(男爵)、
大村家(伯爵)と西園寺家(公爵)に養子を入れて乗っ取った。

437 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 17:05:04
本多忠勝の本家は養子入りまくりで忠勝の血は絶えたようですけど、では
分家で忠勝の血統は残らなかったのでしょうか?

438 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 05:10:45
あげ

439 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 08:13:48
血統?血とかあまり意味ないでしょ

440 :日本@名無史さん:2008/10/20(月) 08:48:51
>>439
振り出しに戻ったか・・・

441 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:21:02
>>437
私の記憶が正しければ
陸奥泉藩2万石から列藩同盟参加の責で1万8千石(城主格)は
忠勝の長男の三男の三男の血統ですが綿々と続いていたはず
四天王だと庄内の酒井、彦根の井伊(与板はダメ)もOK
榊原はあれどうなんですかね?大須賀なのちゃった時点でだめなの?
16神将なら
大久保はだめ、没落しまくりの鳥居は微妙に続いてる
服部(桑名藩士、平岩(断絶)、高木(血統的にはOK)もだめ、米津もだめ、植村(血統的にはOK)もだめ
渡辺は分家が伯太藩主としてつながってる
内藤は小規模な家ながら大増殖して栄えた勝ち組
でも全部明治以後は知らん

442 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:49:11
>>441
榊原は吉宗時代に分家の旗本から養子に入ってるはず。

443 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 20:20:18
近代以前の日本の人口統計
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E4%BB%A3%E4%BB%A5%E5%89%8D%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%BA%BA%E5%8F%A3%E7%B5%B1%E8%A8%88

明治時代に入ってからのデータらしいが藩別人口

     総人口 華族 士族 卒族
金沢藩 1,086,164 11  28.683 27,038
名古屋藩 918,143 13  16,911 34,604
広島藩  914,174 15  9,536 23,046
鹿児島藩 896,817  9 244,700 95,569
静岡藩  876,840  4  66,867  0
熊本藩  730,531 29  98,901 10,293
東京府  674,440  0  20.552 26,746
山口藩  565,368  7  11,589 10,362
和歌山藩 540,969  2  21,321 16,972
高知藩  516,545  8  30,506 18,908

鹿児島藩の武士の多さがすごい。


444 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:03:51
この華族の人数ってどうなの?

445 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 22:18:01
明治5年の壬申戸籍だと総人口33,110,825人に対して皇族29人、華族2,666人、士族1,282,167人、卒族659,074人となっている。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E6%88%B8%E7%B1%8D

>>443の統計だと佐賀藩など一部の重要な藩・県の統計が抜けているが、
総人口30,089,401人に対して華族2,251人、士族1,094,890人、卒族830,707人だから、
この間に卒族→士族へ20万人ほど格上げがあったようだけど、華族への格上げも400人ほど無ければ数字が合わない。

各藩大名と妻子ぐらいは華族になれたとして、薩摩・長州の下級武士が華族になれたのは廃藩置県後なのかな?


446 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 23:16:13
勘だけど大藩家老の新規立藩分が400人だと思う。
勲功が華族になるのは華族令制定後だから随分後。

447 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 12:34:53
華族

茂木藩(細川家) 22人
棚倉藩(阿部家) 19人
熊本藩(細川家) 29人
厳原藩(宗家)   21人

こいつら妙に多いんだけど。つうか、

鹿児島藩(島津家) 9人

これ少なすぎじゃね?つうか

佐土原藩(島津家) 6人

小藩の分家とさほど変わらないんだけど・・・。

448 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 13:49:00
>>443
華族は個人で士族、卒族は家族だろう?
じゃないと薩摩なんか百姓がいないんだよな

449 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 14:08:00
>>447
明治8年の『華族銘鑑』には「島津家」の戸主は3名しか載っていない。
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40017697&VOL_NUM=00000&KOMA=35&ITYPE=0
二男以下が分家すれば華族から平民に落ちるから、華族として認められたのはせいぜい戸主たる藩主とその妻子ぐらい。
人口が多いところは妾腹の子の数が多かったんだろう。

「細川家」の戸主は4名いるが、>>443ではその内肥後高瀬と肥後守土は独立の藩として認められていないようだから、肥後藩の華族は少なくとも3つの華族家の総和となる。
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40017697&VOL_NUM=00000&KOMA=9&ITYPE=0

>>448
分家しない限り家族は戸主と同じ地位扱い。
農民を兼業した下級武士(郷士階級)は西日本を中心に存在したが、
薩摩藩はその中でも特に郷士の割合が多く、武士が全人口の4割を占めたという特殊例。


450 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 16:05:09
佐賀藩 
明治3年統計
人口512,754人で華(四本支藩主)士卒族合計80,644人

451 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 16:43:34
>>449
ttp://kindai.ndl.go.jp/BIImgFrame.php?JP_NUM=40017697&VOL_NUM=00000&KOMA=35&ITYPE=0
薩摩鹿児島 島津忠義
  本家内分 島津久光
薩摩島津家の華族はこの2人だけだね。
島津忠寛は佐土原藩主だから。
残りは扶養家族の女子供?






452 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:26:40
明治6年の壬申戸籍では2,666人の華族に対し戸主459人、家族2,207人で、1戸平均5.8人。

戸主459人から藩主265人を除くと残りが194人だが、
下のリンクによると公家が140家ぐらいあったらしいので、
一部の有力藩で1人か2人程度余計に戸主がいたぐらいだと思われる。

ttp://wolfpac.press.ne.jp/kazoku.main.html


453 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 20:28:57
失礼

明治6年じゃなくて明治5年の値。


454 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 11:55:56
明治2年の版籍奉還の際に華族に取り立てられたのは、堂上家136家、諸侯248家、堂上格28家、藩主格15家の計427家。
明治5年の段階で32家増えて459家になっている。
明治17年の華族令の頃には520家。
昭和22年には913家。


455 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 13:08:14
続きは華族スレでお願いします。

456 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 10:04:27
織田の一族に津田を称する人が多数いるがなぜ?
信長系に遠慮したのかな、津田信広・津田信澄
それとも徳川と松平の関係でもともと津田氏
津田氏が主君の守護代織田氏から苗字を与えられたの?

457 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 11:44:45
近江のホモ津田某が

越前の織田守護だいに
気に入られ用紙になったんだよ

458 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 11:55:44
信長がホモなのは血筋

459 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 11:58:33
津田氏も江戸初期は
大名だったが

駄目大名が次々と出て
改易になった

460 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 14:25:51
土佐山内は、宗家のみが「やまうち」と読んで、傍系は「やまのうち」と読むらしい。

461 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 15:27:01
宗家もやまのうちだとおもってた
一つ賢くなったありがとう

462 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 15:30:06
>>459
改易された津田信成は挟み箱の発明者
彼がいなかったら大名行列とかは
今とは違うイメージの図になっていたはず

463 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:22:48
徳川と松平、豊臣と羽柴、織田と津田

三英傑とも姓を二つ持つのだな、藤原と中臣もあるが

464 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:30:16
豊臣は姓で羽柴は名字だから、他の二つとは少々違うのでは?

465 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:31:21
木下を入れれば二つとか三つとかになる。

466 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 16:53:10
徳川と松平、小田と津田も氏であって姓ではない。

467 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 17:04:17
つうか信長は一つだし、秀吉家康は同時に持っていたわけではない。
しかも豊臣とか藤原中臣とか言ってるとこ見ると姓と氏がゴチャゴチャ。

468 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 17:24:14
植えすぎなんか
姓が3つだな

家は平氏(長尾)、
血は源氏(吉良、畠山)
名乗りは藤原(上杉)だ

469 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 18:06:49
大江は姓?氏? 毛利の本姓は大江で正しいの

470 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 18:07:30
>>463
日本史板に出入りしてるのに本姓と名字の区別もついてないってどうなん?

471 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 18:08:57
毛利大膳大夫大江朝臣綱広

472 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 18:22:21
間違えた。
松平大膳大夫大江朝臣綱広

473 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 19:14:56
従四位下
長門侍従
松平大膳大夫毛利千代熊
大江朝臣綱広

他の松平賜姓大名と区別するため
上みたいには書かないの?

474 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 21:04:05
すんません。
黒羽の大関家って無城に降格されたの何年ですか?
歴史は全然詳しくないんで、どの手の本見れば載ってるかわかりません…

475 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 10:17:08
源平籐橘、それに豊臣。大江・菅原他には姓はあるの
阿部・葛城・平群・巨勢・紀・清原・物部・秦は古いので姓だよな

476 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 15:22:09
にほんごでおk

477 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 18:44:23
>>475
源平藤橘、菅原に中臣、清原、卜部、安倍、丹波あたりが公家にある姓だな。
地下やらその他含めるといくらでもあるんじゃないの?
大名は由緒ある姓を名乗りたがるから大体は↑の出自ということになってるんじゃない?

478 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 19:47:15
>>474 最初から城主格ではない。
陣屋と城の明確な区別はない。
そのため黒羽陣屋は縄張りから言って城と言ってもいい規模だから黒羽城と自称した。

479 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 21:20:30
真田伊豆守信之滋野朝臣

480 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 21:54:22
黒羽っつーと大関か。
藩主が暗殺されてるとこだね。
自殺説もあるけど、死因とされてる鉄砲、1mぐらいあるんだよね。
どうやって自殺しろとw
足の指でも使ったか?

481 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 00:08:07
最大の陣屋大名は肥前小城藩鍋島家

482 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 01:59:14
分家じゃない陣屋大名って実はそれほど多くないのか?

483 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 04:21:02
>>481 1821年に大聖寺藩が7万石から10万石に高直ししたから、それ以前は小城藩7万3千石が最高だね。

484 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 05:13:05
大聖寺藩は大広間詰最小の藩

485 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 08:35:48
>>482
逆に、分家大名がいかに多いか、ということ。

486 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 08:47:19
大藩が多い地域は分家無城が当然多くなるけど、関東から近畿にかけては
当然分家無城の比率は小さくなる。

487 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 10:01:52
本家が無い分家大名はいるのかな?
織田などは本家滅亡しているしそうかも、
後北条もそうかと思ったが氏直とその養子なので本家が小大名になったようだ

488 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 10:10:30
分家のみ生き残る
小松一万石 一柳家


489 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 10:14:57
一柳は本家が旗本として存続。小野藩も一族。つーか、本家が改易になれば
先祖祭祀は分家に移って本家扱いになるだろう。

490 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 11:37:36
>>489
そんな制度はないだろ。
大名から旗本になろうが素浪人に落ちぶれようが本家は本家。
先祖を祭祀する権限を奪われる筋合いはない。
つうかそもそも先祖を祭祀するのに権限も必要ないし。

491 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 11:49:13
本家と分家の石高・官位が逆転しても本家は本家なのかな
最上の分家や支流はいたのかな?
そういえば松平の本家があったとか

492 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 13:54:29
言葉足らずだったか。
本家分家は先祖祭祀の権限といっても過言ではない。「無嗣」改易なら当然祭祀権が
分家の筆頭に移る。本家が改易後も庄屋などとして家を存続すれば本家は本家のまま。

朽木のように本家は旗本で分家は大名とか、本家は庄屋、分家は旗本という例もある。
分家が庄屋で本家は単なる本百姓とかいう例はいくらでもある。

493 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:08:06
もともと本家も分家もそれぞれの先祖を祭祀している。
で、本家が絶えた場合、誰も祀ってくれなくなったった人の分を
分家が祀る「ことがある(=権利でも義務でもない)」

494 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:17:40
戦国大名の子孫が持つ家柄って現代の政治家が持つ格式と比べると無意味でしょうか?

495 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:18:37
分家が祀れるのは本家から分かれた最初の人間以降のみ。一族の中では、
どの家が最も遡った人間を祀っているかによって一族内の序列が決まる。

権利に決まってるじゃん。

496 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:29:33
>>495
>一族内の序列
嘘だろ?そんなのあるの?本家も分家もなく出世した者が偉いのではないの?

497 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:44:40
堀田家なんかも正俊家は分家なんだよね。
土屋家も老中になった数直家は分家で、本家は久留里藩主でのちに改易になって旗本に
なった。

498 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:44:43
>>496
じゃ、極論な話としておまいが5人兄弟の末っ子だとしてだ。
長兄から四兄まで無業者でおまいが経団連会長だとしたら兄貴たちに土下座させるのか?

499 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 14:44:55
分家が町に出て大会社の社長になろうと、政治家になって大臣になろうと、
一族の集まりでは本家の当主を立てなくてはならない。それが日本の
古くからの習慣。本家分家がある世界ではね。

500 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 15:48:38
>>495
>分家が祀れるのは本家から分かれた最初の人間以降のみ。一族の中では、
>どの家が最も遡った人間を祀っているかによって一族内の序列が決まる。

ダウト。そんなルールはない。本家筋の初代から祀ったり、本家筋の高名な人物から祀ったり、
分かれた最初の人の父から祀ったりと、日本の先祖祭祀はかなり自由がきく。
本家筋の家臣化されている場合のように、本家筋から強い統制を受けている場合は先祖祭祀について
ある程度の制限を受けている場合もあるが、先祖祭祀で本家分家が決まるなどと言うことはない。

祭祀権って?中国と混同でもしてるんじゃね?

501 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 16:48:19
どうせ本家分家のことを経験的に知らない人間が乏しい知識で反論してるだけだろ。

502 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 16:53:13
戦前までの宮家でも、無嗣絶家した宮家の祭祀を特定の宮家にさせるというようなことも
行われているし、一族の菩提寺にある歴代の墓や過去帳は本家が管理する。

耳学問で常識レベルのことを反論してこないでくれよ。各地の地誌とかで旧家に関する
記載とか読めばいくらでも書いてあるからよ。

503 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 16:55:37
いなかの集落では村の鎮守社の氏子の会合では本家の人間だけが
参加できるという場合もしばしばある。分家の人間は本家の当主に
代表して主張を会合にのせてもらう。そういうところでは本家と分家の
差は歴然。

504 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 16:55:37
ダウト


とか激痛

505 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 17:00:38
時代によっても公家・武家によってもまた身分によっても違うのだろう
でも百姓クラスでも遠い祖先の祭祀をするのは本家で
分家は分家の初代当主から祀っている

信長・信忠・秀信の祭祀は誰がしていたのかな?延暦寺で永代供養?

506 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 17:07:11
安土城を管理してるあの寺じゃね?
または、高野山は戦国大名や江戸時代の大名の墓とかむやみにあるから、
あそこでも祀られていそうだ。
織田はいくつかの系統が各地で大名やってるけど。柳本、芝村、柏原、天童とか。

507 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:13:29
なんつうか、田舎の百姓の子孫が知ったようなこと書いててワロタw
そりゃ安穏な生活してられる田舎百姓の墓の管理なんか本家が没落しなきゃ本家の子孫がやってるだろうよ。
つっても代々の庄屋屋敷に住んでるような大百姓でも墓を移転したついでに
先祖の祭祀を放棄したり他人に任せちゃったりするのがザラだが?
過去帳調べてみたら実は分家だと思ってたやつが本家だったりとか。
一昔前の家系図ブームではよくあったこと。
鎮守の氏子総代だって分家筋が務めるケースの方がはるかに多い。
つーか、ああいうのは長老がやるもんだ。

508 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:15:39
↑この子はまだ続けたいのか。困ったもんだ。

509 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:19:36
庄屋が一族の祖を祭祀?
仏壇がある程度かと・・・

510 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:23:05
祭祀権って??
日本においてそんな物がいつ確立されたんだ??

511 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:32:07
この時点では
幕府をお守りし←これ重要
朝廷を安んじる
のが主目的だったんだよね・・・

512 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 19:38:05
旦那寺とのつながりが大きなものだな。寺は村社会では顔役だ。つーか、
武家でも先祖祭祀と家名を高めることこそが家存続の原動力。

何言ってんだこの子供は。武家が家名にこだわる理由すら思い当たらないってか。
ヴァカ?

513 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 21:44:09
>武家でも先祖祭祀と家名を高めることこそが家存続の原動力。

何ですか、それは?なんか変な宗教でもやってんのか?

つーか
>旦那寺とのつながりが大きなものだな。寺は村社会では顔役だ。つーか、

ようするに百姓の話をしてたんだなw
武士なんかある程度強大化すると村社会なんてものじゃなくなるし。

514 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 22:20:56
>>512
鎌倉〜室町期だと、菩提寺があっても、当主が私淑する京都や鎌倉の高僧個人に
深く帰依しているケースが多い。菩提寺にはその高僧の弟子を派遣してもらうなどなど。
菩提寺もしばしばかわったりする。菩提寺に高僧が住持していればいいが、いない場合の菩提寺の扱いは
かなりいい加減だったりする。

武士が家名にこだわるのは江戸時代に入ってからだと言っていいだろう。
それ以前はかなり恥知らずなことをすることも珍しくない(名門を除く)。

先祖祭祀はいい加減。菩提寺もあり伝統のある家でも、系図が曖昧であることが珍しくない。
伝統のない家だと出自を騙ることも多い。出自を騙ると言うことは
実際の先祖の祭祀を放棄しているということであり、他人の先祖を勝手に祭祀することでもある。

515 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:51:00

【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】

なにか、違うな


516 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:16:17
守護大名から江戸時代まで「大名」で生き残れたのって、
島津ぐらい?

517 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:30:46
>>516
その条件=守護大名→江戸時代まで大名として生き残る
だったらもっといるだろうに。
譜代格の小笠原とか、京極、佐竹、上杉もそうだし。
ただし守護職として治めた地と、江戸幕藩体制での封地で一致するのは……
っつったら島津も厳密には異動が生じるわなw

518 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 01:33:45
あ、対馬守護は1390年代以降、宗氏独占→そのまま幕藩体制の大名だわw

519 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 06:29:49
>先祖祭祀はいい加減。菩提寺もあり伝統のある家でも、系図が曖昧であることが珍しくない。
>伝統のない家だと出自を騙ることも多い。出自を騙ると言うことは
>実際の先祖の祭祀を放棄しているということであり、他人の先祖を勝手に祭祀することでもある。

成り上がりでさえ、誰も彼もがわざわざ捏造する必要があるほど、武士の価値観では重要だったと
いうことだ。江戸時代でもそれ以前でもな。

本当にヴァカな奴だな。

520 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 06:50:01

ほんとヴァカだな。本物の位牌もなく墓もない何の信憑性もない捏造の「祭祀権w」を主張したところで
誰がそんなもんを認めるんだよwどうやって他の家に「祭祀権w」を主張し、強制するんだよw
本物の先祖の「祭祀権w」はあっさり捨てるのかよw

521 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 07:02:08
先祖祭祀の話題は、ここでやってください。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1225490497/

522 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 08:20:56
>>520
>本物の先祖の「祭祀権w」はあっさり捨てるのかよw
当たり前だ。筋目が正しいという看板こそが家来の支持を得、敵をひるませる有効な
手段である以上、自己保存のためにいくらでも騙る。死ねば元も子もないからな。

>本物の位牌もなく墓もない何の信憑性もない捏造の「祭祀権w」を主張したところで
>誰がそんなもんを認めるんだよw
祭祀は、真偽はともかく、正当性を周囲にアピールするためのもっとも有効な手段だ。
目立つ形での先祖祭祀は、嘘とまことに関わらず、周囲に筋目の正しさという権威を
刷り込むための行動だからな。
秀吉が信長の葬式を京で盛大に行ったのもまさに後継者としての正当性をアピール
するためだからな。

物を知らないガキは引っ込んでろ。



523 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 08:36:49
一人(猿)芝居がいるぞ

524 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:08:38
>>522
秀吉(羽柴秀勝)が信長(織田家)の祭祀権を獲得したとでも?
そんな訳がないだろう。勝手に強行しただけなんだよ。
祭祀なんてのはね、やろうと思えば勝手に出来るの。
あんたが挙げてくれた秀吉の例のようにね。
わかる?あんた壮絶な自爆してるんだよ。

525 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:12:20
>>524
お前あれか、朝学校いったとき机に花が置かれてたタイプか?

526 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:34:12

自分の経験談乙

527 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 10:52:46
>>522
祭祀は無権限者でも自由にできることを証明したレス?

528 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:25:14
本家だ分家だという話で、格差最大級は松平/徳川だろうな。
本家は故郷で交代寄合、分家の分家は将軍。
(徳川史観では「庶長子」とされるが疑わしい。)
それまでにも分家の家臣としてあちこちに動員されているしね。

529 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:56:07
祭祀は誰でも出来る、俺が神武天皇を祀っても自由
でも世間や政権がそれを正統なモノとして認めるかどうかは別

秀吉は秀勝が信長の子供であることと権力で信長の葬儀を強行した
でも信雄や信孝が主催する方が自然であることは秀吉自身わかっていただろう

ジョンレノン追悼コンサートを誰が開いても自由だが
無名のファンが開いても誰も相手にしないし、マイケルジャクソンがやれば世間の反感を買う
ポールマッカートニーやオノヨーコが主催なら正式なモノとして世間が認める

祭祀は慣習法だから例外はあるがルールは明らかにある
尾張が家光を差し置いて家康の法要をしたりすれば戦争になりかねない

530 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 11:58:48
ややこしいのが鍋島35万7千石だな。
3(小城、蓮池、鹿島)支藩があるが全て諸侯に列し併せて14万6千石
さらに4分家(親類)があって併せて4万7千石
さらに、さらに旧本家格の龍造寺4家(親類格)で7万8千石
これじゃ鍋島本家の取り分はたったの8万6千石だよ

531 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:08:51
>>526
いや勝手に葬式あげるってことはそういうことだろう?

532 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:29:29
徳川本家は増上寺と寛永寺が菩提寺というように大名家でも菩提寺が複数
あるところが多い。そういう場合どのように振り分けてたのですか?

533 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 17:53:44
>>530
鍋島の3支藩はみんな本家に乗っ取られてんだな。

534 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 19:50:26
鍋島のお殿様の末裔 アナウンサーをされています。
http://www.whitemagic-inc.co.jp/talents/nabeshima/images/portrait.jpg

535 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:29:35
どこの鍋島家だろうか?
本藩?支藩?親類?

536 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 20:57:27
>>532
死ぬ前に将軍本人が指定するか、次の将軍やら大奥やらが決めるかといったところ。

537 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:05:31
大名の場合、ふつう墓碑は一箇所だが、位牌は江戸と国許の双方にあることも多い。

538 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:33:47
鍋島本家は子沢山だから支藩いらなかったね。

539 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:34:58
>>534
なんとなく顔が猫に似ている・・・・

540 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:41:49
そりゃ鍋島だからな

541 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 23:51:00
化け猫かw

542 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 06:15:56
>>534
ほんとだ。どう見ても猫だ。
鍋島オワタ

543 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 07:24:46
>>516
地頭で守護じゃないけど
鎌倉から領土が最初に封じられたのとおなじなのは
相馬(家系的には平将門の子孫)とかどう?
鎌倉時代に6代当主が行方群に来て以来
まぁ途中で関ヶ原で一度所領没収されてるけど
(その際旧知の佐竹義宣に「一万石やるから秋田に来ない?」っていわれ
「ありがたいが我が家は代々将軍に仕えこの地にいる。佐竹殿の旗下にくだり
陪臣になるのは我が家の名が許さん。両君(家康秀忠)に直談判して
再興かそれがならねば潔く滅びるまで」と拒絶)で直談判して復帰成功
相馬の地を明治まで支配した
三十三代当主は麻生太郎氏の妹婿

あと肥後の相良、肥前の大村(こっちは真偽は微妙かも)あたり
これも鎌倉以来ほぼ同じ地域を明治まで支配
どっちも鎌倉以来(大村は藤原純友の子が大村に来て以来)の
旧家ゆえに旧来の制度が生き残ってしまい家中統制に苦労している
大村なんか最初は藩主直轄領が4000石しかなかったので
15家あった一門を大量解雇して立て直しを図ることに
相良はそういうことしなかったので藩主が射殺されたりなんか騒動おきまくりでござる

544 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:01:47
鍋島昭茂
http://www.whitemagic-inc.co.jp/talents/nabeshima/

545 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:04:29
鍋島昭茂さんは、鹿島藩主家の出身らしい。

546 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 12:05:55
ソース
http://nekhet.ddo.jp/people/japan/nabesima04.html

547 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:24:20
15代直紹さんの孫だね。
鍋島昭茂さんは13代直彬さんにそっくり。

548 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:34:54
小笠原も守護です

549 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:50:35
>>538
支範がないのは浅野か
広島新田や赤穂とか三次とか
改易や断絶か廃藩

550 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 15:55:38
浅野大学の家も
忠臣蔵の処分で

大減封のうえ遠くに飛ばされ
支藩(スペア)として
機能しなくなった

551 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:02:36
いや、赤穂藩浅野氏の分家は大学家だけじゃないし。寄合旗本だけで2家ある。

552 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:49:43
まじで??
たかが6万石のくせに生意気じゃね?

553 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:53:16
そうでもない。改易後赦免されて1万石の大名になった福本藩池田氏なんて、
分家旗本2家を作ったせいで6000石の交代寄合になったくらいだからな。

554 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 16:59:24
丸亀藩の京極家も一度無嗣断絶になったせいか、支藩を作りまくってる。

555 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 17:56:56
>>516
>>543

鎌倉幕府初期の武家職制において
国地頭(地頭)と惣追捕使(守護)の双方の間にとくに明確な区別はされなかった。

北条時政が6カ国の国地頭に任じられたときも、
仮想敵国領である甲斐源氏領国がその中に多く含まれていて、
検知権の掌握や荘官的役割を果たすことなど期待できる値域ではまったくなかった。

頼朝がその後甲斐源氏一族を根こそぎ誅殺した後、
北条時政は源氏一門以外の初の国司号襲名例となる
従五位遠江守の叙任を受ける。これは武家政治の歴史の新たな展開を切り開く
画期的な出来事となり、当該地域の南部や工藤などが北条家人化した。
後にそれらの諸氏は北条家人として奥州大名への道をたどった。

このように駿遠甲信や奥州の例を見てもわかるように
鎌倉初期の本舗地頭はその土地の旧来勢力が敵対している場合は、、
まず武力制圧する必要性があった。
その点が新補地頭とまったく異なる。

経済的利益が保証されていない現地調達的な色彩が強かったという点で、
鎌倉初期においては、地頭も守護もまったく同じ。

556 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:32:57
>>549 広島新田藩は明治維新まで続いたじゃん

557 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:36:12
大藩で分家なし大名
だとヤバイ

蒲生みたいになるリスクを抱える

558 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 19:37:08
>>554 多度津藩だけじゃなかった?
しかし何で廃藩置県で多度津藩は倉敷県になったのか?

559 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:40:47
>>557

蒲生家の場合、大藩で分家がないというよりも、初期の藩主が若死にしすぎて、分家が機能しなかっただけでしょう。せっかく、忠知が分家していても、忠郷が26歳で亡くなるのでは・・・。


560 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 20:47:04
わずか一万二千石の久留島家でも五百石の分知旗本を創設してるもんな

561 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:12:01
分知によって一万石を切って交代寄合ってパターンはいくつかあるような。

562 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:48:35
おかげで明治に華族になれず

563 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 21:52:40
お家断絶は最悪だから家名が続いたほうがいいですって判断だろ

564 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 23:19:40
上杉も畠山景広か
直江勝吉、武田信清あたりに
福島8万石余、伊達3万石、高畠3万余を分与しとけばよかった

本家の米沢15万石の他にいくつか支藩が残せた

565 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:17:04
当主が急死したときに跡目がいなければ意味ないよ

566 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 01:47:38
本藩当主急死他に男子なし→支藩は当主はいるけどほかに男子なし
ってなったらどうするの?
本藩無嗣改易になるのはあきらめて支藩残すの?
それとも支藩放棄して支藩の藩主が本藩継ぐの?

567 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:15:19
支藩の当主でも自動的に本家が相続できるわけではないだろう
本家の養子にしておかないといけない

568 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:16:37
>>561
時代劇でおなじみなところじゃ柳生宗矩がそうだな。宗冬が大名に復帰するまで約20年万石以下だった。
知名度の低いところでは豊臣家で弓頭を勤めていた大島光義なんか1万8000石をご丁寧にも四分割している。

>>566
本家を継いで、その跡には実子がいれば実子に、いなければ養子を取ってる。
将軍家を継いだ時の紀州吉宗が一番有名だろう。分家の西条から宗直を送ったが西条藩自体がなくなったわけじゃない。
ちゃんとその弟を西条藩主に据えている。
他にも
・亀田藩主岩城吉隆が佐竹義隆(叔父の佐竹義宣の養子)になった時は異例だが叔父の多賀谷宣家が養子に入っている。
 まあ、宣家は養子先の多賀谷家が取り潰されて行き場がなかったからちょうどよかったわけだが。
・一関藩主田村通顕が伊達茂村(13代慶邦養子、早世)になった時は一門石川義光の次男を邦栄として養子に入れている。
と言った例がある。他にもあるのかもしれないが今思いついたのはこのくらい。

569 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 05:28:41
>>568
柳生は交代寄合ではなく定府の旗本では?
剣術指南役がそうそう江戸から離れるわけにはいかないから、大名になったのちも
定府大名だったし。

570 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:14:03
国持ち大名には、一国丸々領有する「本国持ち」と、
実際にはその国の一部しか領有していない「大身国持ち」があった。

前者の例が薩摩島津家や長州毛利家、芸州浅野家、土佐山内家で、
後者の例が仙台伊達家や肥後細川家、肥前鍋島家である。

ところが本国持ちとされる加賀前田家の加賀国内には白山の幕府領があり、
同じく本国持ちの筑前黒田家も肥前国境近くに幕府領や他藩の飛び地がある。
前田家は他に能登・越中を丸々領有しているので、本国持ちでいいだろうが、
筑前のみの黒田家の場合、国境のわずかな村とはいえ、よその領地があるのを
「本国持ち」に認定しているのはどういうことなのだろう?

571 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 16:41:41
長崎警護の御用を勤めてるんだからそれくらいいいじゃないw

572 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:48:34
>>570
能登にも長家
越中にも富山藩前田家
の所領がある

573 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 17:52:47
>>570
加賀前田家は、加賀国は大聖寺藩及び幕府領、能登は旗本領から移行した幕府領、
越中は富山藩の所領がある。最大の藩であるにもかかわらず、本国持ちの体裁を
なしていない。

574 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:17:09
>>573
富山藩は加賀藩の分知じゃないのか?
また、長家は加賀の藩老だし、陪臣じゃないか

575 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 18:29:53
分知でも独立大名である以上は所領の外。
長家の所領など俺は主張していない。能登には旗本土方氏の所領があって、
のちに幕府領になった。

576 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:45:36
長家や本多家、利政系統の領土も
能登にある

毛利も周防に陪臣
吉川の領土がある

577 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 19:51:02
尾張家も領内に犬山藩
があり国持ちでない

578 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:07:31
陪臣の所領が主君の所領にあるのは当たり前だし、一部の附家老が立藩したのは明治であって、
国主という格式に意味があった時期から外れてるじゃん。

579 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:13:00
>>568
もう生き残りの男子が支藩の現当主しかいなかった場合は?
一人でかけ持ち藩主やるわけにもいかんし
どっちかを粒さざるをえないんじゃ・・・

580 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:33:46
分家は本家の人員獲得手段だから、通例として本家優先。

581 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 20:39:12
紫斑の後継ぎが居なくなった場合って本家が吸収することは出来ないの?

582 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:50:35
加賀藩の場合、大聖寺や富山の支藩は分知された独立大名であり、
本家の石高の102万石はそれらをさしひいた数であった。

一方、佐賀藩では、蓮池や鹿島などの支藩は独立大名であるにもかかわらず、
その石高は本家の石高に算入されていた。

583 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:52:46
>>581
調べて見たらありました。支藩の無嗣により本藩が吸収した
長門府中藩 5万石 無嗣絶家 長州毛利家へ還付
備後三次藩 5万石 無嗣絶家 安芸浅野家へ還付
筑前直方藩 5万石 無嗣絶家 筑前黒田家へ還付
備後三次藩 5万石 無嗣絶家 安芸浅野家へ還付(2度目)
播磨姫路新田藩 1万石 無嗣絶家 播磨姫路酒井家へ還付


584 :日本@名無史さん:2008/11/03(月) 21:53:14
>>581
芸州の三次藩や筑前の東蓮寺(直方)藩は、それで本藩に併合されている。
長州の長府藩も本家相続で本藩に併合されたが、再び分知され独立した。

585 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:25:39
支藩は支藩でも、幕府公認支藩と、そうじゃないのがある。
またその中間ぐらいの、曖昧な藩もある。

586 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:37:25
家督相続で,一門某の子とかあるのは,分家かな,それとも厄介かな。

587 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:40:45
藩主の公族扱いの一門や臣下に下って重臣になったりした分家から相続した例もある。

588 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 00:57:40
京極騒動

589 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 01:15:20
分家が無嗣になった場合は
取立=大名の一門が将軍から新規の領地を与えられる場合は
当然没収。
一般的な分地=本藩を分割し、知行朱印状を支藩が貰っている場合も
基本的に没収される。
内分分地=新田藩など、本藩の朱印状に「ただし何石を誰々にあげる事」と
記載されている=朱印状を貰えない場合は本家に戻る。
ということになるみたいだ。

領地の朱印状がどうなっているかが重要らしい。
毛利家の場合は朱印状に長府・徳山の記載が無いということで寛永11年の
家光の朱印改めの際に本藩との間で揉めたが結局は内分分地扱いになった。
この時の朱印改めでは鍋島家も支藩の記載がなかったみたい。
正保の国絵図作成の際にも毛利家は長府・徳山の領地境界を記載することを
最後まで嫌がったが、幕府ではなく本家が領地を与えたと注記することで決着した。
分地か内分分地かは石高や格式に関わる上に秀元・秀就の確執があって
それに関わりそうなことには毛利家では神経質になってる。

590 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 03:06:18
分知というと、米沢藩は一応江戸中期からは新田藩があったが、
新田藩の当主が住んでたのは米沢城内だし、墓所も林泉寺だった。
こういう場合、朱印状(領知判物)はどうなってたんだろう

591 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 06:35:17
佐土原藩は無嗣のばあいどうなるの?
取りつぶし?

592 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 08:21:03
>>591
末期養子の禁止が解かれる前なら原則的には(あくまでも原則的には、だよw)取り潰し。
解禁後なら薩摩藩から藩主の子どもだの弟だの藩主家から最近養子に行った一門だのから養子をもらうんだよ。
と言うかその頃にはそういう殿様はあらかじめ一定期間更新で候補者を書面にして提出しておくようなシステムもあったはず。
あと時代によってはウルトラCとして持参金目当てにオットセイ将軍の子どもを引き取るってのもあるなw

593 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 18:43:17
志摩藩や松江藩(隠岐所有)、松浦藩(壱岐所有)、対馬藩などは国持ちとは言わないの?

594 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:01:39
実子が生まれるまでは国許に帰るときに老中に「自分が死んだら○○を跡継ぎにします」という書面を提出しておく。
仮養子願だね。
ただ養子は全て藩主が17歳になるまで認められない。
だから幼少の藩主を戴いた藩は非常に苦労した。
藩主が17歳になる前に死ぬと下手すりゃ無嗣断絶、半知召し上げだから。

595 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:35:29
>>594
そこは,宗家第11代宗義功のような手を使うんですよ。

596 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:53:11
宗家と南部家と相良家はぁゃιぃ相続の宝庫だからなw

597 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 19:58:02
>>593

隠岐・出雲の松平
対馬の宗は

国持十八家には含める

国持十四家には含めない

598 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:01:54
若狭の酒井
壱岐・肥前松浦の松浦
志摩の稲垣
飛騨の金森は

国持ちだか
国持大名には含まない

599 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 20:45:25
>>597
差し引いたうちの残り2家が非常に気になるんだが。

600 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:10:13
有馬と福井松平

601 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:22:19
親藩2家を加え
朝鮮との関わりで宗
数合わせで有馬を入れた
十八番とか十八般の方が格好いいからね

602 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:42:44
>>590
新田大名は
幕府から朱印状はもらえず
黒印状じゃないの

603 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 21:58:42
黒印状なら直臣としての体裁がなくなるんじゃないの。
「1万石 但し○○山城守内分」とか書いた朱印状が出るとか。

604 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 22:17:25
佐竹なんか
「秋田の辺りを治めろ
石高はまだない」
Σ( ̄□ ̄)!ガーン

605 :日本@名無史さん:2008/11/04(火) 22:47:34
>>596
南部利用と伊達周宗はそれぞれ2人ずついたらしいよw

>>604
石高が決まったの出羽入国60年後だってさ。越後高田城の普請や大坂冬の陣の出兵は何を目安にしたのやら。

606 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:56:09
秋田氏が過少申告してたから本来の家康的には
佐竹は5万石程度に減
でもあとで調べたら20万石もあった
自業自得で秋田は東軍なのに実質石高4分の1に

土佐の山内も家康的には掛川6万石から長曾我部の言うとおり
土佐一国8万石程度の加増だったが予想に反して22万石もあった
毛利も似たような感じ

607 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 11:21:46
家康にすれば
毛利は20万石くらいのつもりだった

朱印高も29万石だった

から弁当が談判して
36万石に高直ししたが
藩主の秀就と揉める原因
の一つとなった
(賦役負担が増え、年貢アップと給金のダウンを
強いられた)

608 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 19:02:18
空弁当は大恥かいて天下の笑いものとなったのに何で切腹しなかったの?
なんで切腹どころか藩政を牛耳ってたの?

世の中間違ってね?

609 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 01:09:52
秀元自体は、内応自体を知らんかったらしい。
関ヶ原前後の動向をみても、ことを構えた以上は
戦う気でいたみたいだし。

>>606
土佐は関ヶ原の段階では20万石程度には見られていた筈。
島津義弘が関ヶ原直前に国元の家臣に宛てた書状の中で、
「長宗我部殿は2000人の軍役ながら、5000人を召し
連れ(中略)、立花殿は1300人の軍役ながら4000人を…」
とあり、軍役上は100石につき1人だったわけだから(立花は
筑後柳川13万石)、長宗我部も20万石分の軍役を負担する
立場にあったことがわかる。

610 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 05:36:39
秀元自身は山下りて突っ込む気まんまんだったらしいぞ

>>609
1万石で250人だから40石で一人じゃなくて?
ちなみにこの公式で他の時代を換算すると
前大戦時の日本の命の安さが如実にわかるとかw

611 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 06:01:46
>ちなみにこの公式で他の時代を換算すると
>前大戦時の日本の命の安さが如実にわかるとかw

陸軍予算を将兵の数で割った額を使ってるんだろうな。赤紙の郵便代なんて
数字を使うのは馬鹿だぞ。

612 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 08:08:14
いやなんか1940年代のコメの収穫高を使って計算とか

613 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 08:28:05
>1940年代のコメの収穫高を使って計算
??
食料自給率が低い今の日本は更に命が安いと言いたいのか??

614 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 09:16:02
戦国時代の兵士=正社員

太平洋戦争時の兵士=派遣

どちらの命が貴重かは明らか

615 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 09:36:03
>太平洋戦争時の兵士=派遣

死ねば遺族年金がでるっちゅーに。

616 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 09:52:56
遺族年金出すのは国だから指導者にとっては使い捨てOK
労災保険に加入しているだけ

戦国時代は足軽雑兵でも自国の農民で生産者、経済基盤。
無駄死にはさせられない

617 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 11:21:46
若狭一国および越前敦賀を領する小浜11万石の旧領民の世界からの評判

イギリス デイリーテレグラフ
http://www.telegraph.co.uk/news/newstopics/uselection2008/barackobama/3383667/Barack-Obama-victory-Namesake-Japanese-fishing-village-celebrates-US-election-result.html

「いったい黒人であるオバマ候補とフラダンスにどんな共通点があるのかという疑問はさておき、
日本人はお祭り騒ぎができれば良いらしく、現実の政治には大して関心がないようだ」

UAE ジャーナル
http://www.thenational.ae/article/20081104/LIFE/110882564/1196

「日本人の関心はオバマ大統領がどんな政策を取るかではなく、
いかに自前のフラダンスを披露するかに関心を持っている。
可笑しいのは、この状況に疑問を呈する人が誰一人いないことだ。

フランス
http://www.lavanguardia.es/lv24h/20081105/53574275821.html

「日本人にとってオバマが大統領に当選することは別の意味を持っている。
日本の民主党はいますぐ、町の名前を拝した人物を擁立し選挙に望むべきだろう。」




618 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 12:16:49
>>616
>遺族年金出すのは国だから指導者にとっては使い捨てOK

民主主義国家では軍隊をそろえて戦争するのも指導者でなく国家だ。
屁理屈こねても馬鹿は隠せないぞw

619 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 12:30:56
s

620 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 16:42:08
ところで「一番地味な大名」は誰に決まったの?

621 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 18:32:03
若狭一国を領しながら国主の列に加えられない小浜藩酒井家・・・

622 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 18:36:50
安房船形藩の平岡丹波守。

幕府滅亡後、領地を新政府に返上して静岡藩家老に。

623 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 19:18:52
御三家ながら将軍出せなく血統も絶えた終わり徳川家

624 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 10:41:10
芸州の浅野
地元でも人気はイマイチ

625 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:44:32
播州赤穂藩森家。
ご当地は浅野一色。領民に嫌われてたのに。

626 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:52:07
森は元国持ち大名(美作)
で森乱丸の兄貴の子孫
知名度も高いのにカワウソ

627 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:57:20
「内匠頭処刑に領民は
赤飯を炊いたり、餅をついて祝い、
いい気味だと言って、
悲しむもの皆無であった」

森家の記録だから
多少割引くとしても
あまり浅野は人気無かったらしい

628 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:57:27
「いったい【老子】を元としたタオイズムとその【老子公認】の【寝る子】にどんな共通点があるのかという疑問はさておき、
チャンコロは反日ができれば良いらしく、現実の政治には大して関心がないようだ」

629 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 16:12:19
森は庭に蝉やカエルを
放して鳴き声を楽しんだ
風流な大名だったらしい

630 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:13:21
>>620
市橋を誰も超えられなかった。

631 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:18:20
生実藩森川氏、小見川藩内田氏、本荘藩六郷氏、菰野藩土方氏、山家藩谷氏、
三草藩丹羽氏(長秀とは血縁なし)あたりはどうよ。

632 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:55:44
>>625
赤穂と聞いて森氏が城主だったことを思い浮かべられる人は少ないだろなー

633 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 23:19:22
土方は初代が家康を暗殺しようとした(ことにされた)のと
維新まで一度も一揆が起きなかったので有名
谷も初代は知名度あり
六郷は象潟がある
あとは知らない

634 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:34:28
やはり、森川、市橋、内田が「日本三大地味大名」だろ

635 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:35:26
>>597
>>598

律令制下の下国は国持ち大名であっても、
十八家ににカウントされないのかな。

律令制では大国、上国、中国、下国と4つにランク分けされ、
志摩、飛騨、壱岐は下国に分類される。
今オバマで話題の若狭国は中国だが、
中国自体が律令制ではあまり数多くは定められていない。

最上ランクの大国は畿内周辺と関東に集中し、
西国では肥後、北陸・奥羽でが越前、陸奥のみ。
ただし越前から奈良時代に能登、平安時代に加賀がそれぞれ分立している。

律令期に対蝦夷、新羅・高麗、隼人らの脅威の最前線であった
上野、上総、常陸、大宰府などの大国は親王任国に位置づけられていて
朝廷から特別扱いされていた。大宰府の位置する筑前は大国ではないが、
大宰府は九国を管領するという非常に重要な役割を持ち、
京と大宰府を結ぶ道は基幹道の中でも最高位に位置づけられていた。

こうした律令期の地理認識はそのまま武家の世にも受け継がれていたようで、
宗、松浦、島津、伊東、相良、相馬、南部といった藩が
鎌倉から明治維新まで転封せずにほぼ同じ領地をずっと治めたのも、
そうした要因があったのかもしれない。

636 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:45:48
やはり、くず哲也、
小室哲哉、筑紫哲也が
「日本三大てつや」や

637 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:55:19
五島が好き
辺境だから

638 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:21:46
>>635
親王任国って、辺境のうち豊かな国を適当に選んだってイメージだったんだけど、違うの?
蝦夷や隼人の脅威の最前線ならば、下野や越後、肥後あたりも選ばれそうだけど。

639 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:54:31
国主云々は江戸幕府内の格式の問題だから、単に石高を基準にして、
家格で若干補正した結果じゃないのか。城主無城の別も同じだろう。

640 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:34:37
国持ちの定義は
@一国以上もしくは
30万石以上で

A四位以上の大広間より上席の

B外様と親藩(三家除く)

でOK?

でも江戸期の古地図には
和歌山とか会津にも
国主のマークがついてる

641 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:39:19
大和郡山藩柳沢家でも交代寄合旗本最上家でも国主格だから、基準は当てにならない。

642 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 10:58:30
家格は関係ないんじゃ

浅野なんかどこの馬の骨か
わからん

643 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:09:12
>>632
同じ森氏でも、三日月藩なぞ家名どころか藩名すら知られてない。
中西立太の「日本の軍装(幕末−明治編)では三明藩と書かれていた。立太はちゃねらーなのか?w

644 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:29:17
「三日月の丸くなるまで南部領」
は有名だけど森藩は

「三日月はいつまでたっても三日月だ」

645 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:40:59
>>642
江戸幕府での家格と素性とを混同するなよ。

>>643
それって単なる誤植か馬鹿の勘違いじゃねーの?
ちなみに三日月の地名の起源は「水漬き(みかづき)」で、
罪人を水に漬けて殺した場所という説があるらしいw

646 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:42:30
南部はまさにただ広いだけの無駄
まだ狭くても同じぐらいの石高の藩がまし

647 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 11:55:34
同じ石高なら広い方がたくさん米も取れるんじゃね?

648 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:15:00
>>647
何が言いたいんだ?w

649 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:38:02
>>647
綿1kgより鉄1kgの方が重いってかwww

650 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:39:51
>>647
石盛と間違えてないか?
石高は面積を掛け合わせたものだぞw

651 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:48:14
牛と馬で藩境決めた話はマジなん?>南部と仙台

652 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:13:58
>>651
南部と仙台の組み合わせだと、牛と馬と言うより馬と鹿だなw

653 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:23:33
鉄瓶と牛タンだな

654 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 16:44:56
準国主(国持並)

半国または15万石以上

で極官が四位または侍従

655 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 16:51:41
↑に家格などによる補正
柳沢、南部、榊原、前橋松平、
立花、丹羽、越中前田、宇和島伊達、久松、
織田(のち降格)など

656 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 17:00:48
元国持ち

森(美作)、生駒(讃岐)、加藤(肥後)
最上(出羽山形)、堀(越後福島)
蒲生(陸奥会津)、福島(安芸)
小早川(備前)、田中(筑後)など

657 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 18:42:44
>>646 新庄藩は面積小さいのに石高は南部とあまりかわらないよね

658 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 21:13:38
>>651
南部利直「お互い城から同時に馬を出発させてちょうどぶつかったところを境界にしようぜ?」
伊達政宗「おうよ」
ところが政宗は馬と牛を聞き間違えた!
のろのろ歩く牛速い馬
結果馬は距離を稼ぎ南部領は広くなりました
だっけ

いろいろ適当すぎるし
これいくらなんでも政宗馬鹿すぎるだろw

659 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 23:49:00
逆だよ馬鹿

660 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 01:23:56
南部に騎馬隊なんか存在しない。
江戸時代、最も一揆が多かった藩、それが盛岡。

661 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:21:42
南部藩は牛馬のせいで糞だり尻たりだな
津軽とのもめごともやはり牛馬?

662 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 03:14:53
森藩って聞くと豊後森の久留島かと思う

663 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 08:51:01
幕末に加増されて諸侯になった旗本の明暗

駿河川成島・本郷丹後守→安政の大獄で減封、旗本に戻る
安房船形・平岡丹波守→江戸開城後、領地を返上し駿河徳川藩家老になる

三河西端・本多対馬守→華族となり子爵
備中浅尾・蒔田相模守→華族となり子爵

664 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:08:04
>>661
檜のトラブル

@南部候が「うちにヒノキなんかねえよ」
と幕府に言ったのを聞いた
津軽藩の農民が勝手に南部領に入り
ヒノキを切って持っていった

A津軽藩の農民があらかじめ国境の目印を
南部領内に埋めておき
何年もたってから
国境紛争を起こした

@「南部にはヒノキなんか無いんじゃねの?」

A「あっ、地面の下に昔の目印が出てきた」

665 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:22:37
やりとりがDQNそのものだな。南部って周囲からなめられまくってたのか?

666 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:01:33
関ヶ原でも南部は
伊達と津軽に舐められまくった

伊達には一揆を支援され
津軽には三成の遺児を連れて領域を通られた

667 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:06:36
いや、津軽に仕えた三成の遺児は船での移動だから
あと三成の別の遺児は南部の家臣になってるらしいぞ

668 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:29:39
岩手県でも仙台領だった磐井とかはいまだに伊達を強調するよね

669 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:01:05
東北は西軍内通者ばかりだな

どおりで孤軍奮闘の最上が
大加増されるわけだ

670 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:04:11
毎度毎度負け組に加担する地域だな。

671 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:27:34
>>667
>あと三成の別の遺児は南部の家臣になってるらしいぞ

ガセですけどね

672 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 18:58:13
家老の遠野南部氏(1万3千石)はなんで男爵もらえたの?

673 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 19:24:44
維新の功

674 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 20:01:03
まあ結局は万石以上だから

675 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:09:33
全然違う話になるが、同じ一族で30万石以上あったのは池田以外にあったっけ?(徳川除く)
俺は詳しくないからよく知らんし、他に思いつかん。
それに一応分家筋の鳥取は将軍家との血縁により外様でも親藩扱いだよな。
本家筋の岡山と分家筋の鳥取と、どっちが家格上なんだろ。


676 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:28:51
>>675 だいたいどちらも従四位下左近衛少将に任官されてるから同格かな?
鳥取藩は家斉の息子を世子に迎えてから大広間詰めから大廊下になったから、幕末は鳥取藩のが上

677 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:30:51
>>675
池田だけみたい

岡山と鳥取なんだけど
岡山は大広間、鳥取は大廊下だから鳥取の方が家格は上みたい


678 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:10:29
早速ご返答かたじけない。
上の方で本家だの分家だの、家督相続に関してのレスがあったが、鳥取池田は幕末に水戸徳川から養子入ってなかった?慶喜の兄貴が。
一族の岡山からなんで養子入れなかったんだろ…?
それから、幕府はなんで外様の池田に両家とも30万石以上で取立てたのかな。本家だけでなく分家にまで。池田本家は姫路時代には50万石以上あったよな。
池田家に甘いんでないの?
あ、本当に無知なんで教えてもらえると有難い。


679 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:21:17
>>678
新太郎少将は,権現様お気に入りの娘婿だったから

680 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:36:09
>>678 幕末の慶徳は慶喜の兄、わずか二ヶ月半だけど
五男慶徳、七男慶喜

681 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:43:36
新太郎少将は名君の誉れ高き御人だからね

682 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:46:00
(池田本家)
姫路52→42→鳥取32→岡山31

(別家)
淡路6→岡山31→鳥取32
(池田忠継家)
岡山32→断絶

(池田長吉家)
鳥取7→備中松山6→断絶

683 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:46:30
…なんか、お気に入りだったからって事で池田が30万石以上の大藩を2家も存続するとは。
他の大名達が気の毒だな。


684 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:48:52
池田って、なんかあんまり目立たないようなイメージがあるんだけど。

685 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:51:22
池田は新太郎少将とあとは旗本奴との軋轢とか荒木又右衛門とか鍵屋の辻とかのイメージが強いな

686 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:53:33
池田は荒木又右衛門しか
エピソードがないからね

687 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:57:55
あと別家があるのは伊達

688 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:01:30
いくら新太郎少将が名君で家康のオキニだったとしても、幕末まで30万石が2家残ったってのがどうもずっと贔屓され続けてたような気がして納得出来んなぁ…。
その間に改易された大名がどれだけいたか。


689 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:09:53
別家は多いよ
前田=大聖寺藩10、富山藩10、七日市藩1
藤堂、鍋島、有馬、毛利、細川 まだまだある

690 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:20:59
>>688
いや贔屓とは真逆だと思うよ。
大藩であったのが,分割統治されたのだから。
鳥取と岡山で,どちらが上か競争も生まれる。
同族同士で争ってくれるのが幕府にとっては都合がいい,エネルギーが反幕に向かわないから。


691 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:23:03
薩摩藩の力を削がなかったことが幕府の失敗


692 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 23:43:46
>>690
そういう意図だったのか?
でも鳥取は血縁で徳川と繋がったり、また岡山、鳥取は良好な関係を続けてたって聞いた事もあるし。
伊達や毛利は本家と別家が揉めてたみたいだが。
本家と別家が両方30万石ある事や、外様だが親藩扱いとか、なんか池田は特殊な例が該当する家だな。


693 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:13:33
毛利支藩は分家で別家じゃないよ

断絶になった(明治に復活)小早川が別家

694 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:24:18
厳密には
上杉の家臣になった
佐橋毛利が毛利の本家

安芸吉田を分与して
分家を建てた

毛利元就公を経て長州藩
長府、岩国などが長州藩の分家(吉川は陪臣だが)

695 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:47:01
>>692
別家(分家)の鳥取を準親藩扱いにしたり,ちょっと石高増やしたりしても,
岡山の方が嫡流という扱いで,両家に決定的な上下の差をつけない。
扱いが上手いなと思う。
もちろん大きな不手際があって幕初であれば,取りつぶされただろうが。
先代萩のようなピンチを招かなかったのは,重臣の腕の差かな。

もしかして,池田が2家に別れたのは,重臣の策かな。
どちらかがつぶれても,家は30万石の大藩で残るし。



696 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:47:20
>>691
薩摩を分家させる、という方法はなかったんだろうか?
島津分家を佐土原島津のように分家(大名)にしてしまう。

697 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:58:00
薩摩藩を叩けなかったのは、政略結婚のお陰だろうね。

慶喜も薩摩を裏切り者と思い続けたらしいし。




698 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:58:18
>>696
あればやっただろう。
しかし薩摩飛脚は帰ってこないし,ネタがなかったんじゃない。

それに仙台騒動で伊達家の弱体化,取りつぶしを狙うも失敗したし,大名家取りつぶし政策自体が変更されたからなあ。

699 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 01:11:26
>>698
「分家を大名にしてやる。」
ということは表立って言ってやれば断れない名誉なことでないの?


700 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:57:01
分家に本藩から分知の上大名か旗本に取立てというのは大抵の家でやってるしな。
ただ、領知を半分に割ると対外的にも政治力が下り、家中でも本家が分家に対して
幅を利かせられなくなって混乱が生じるから、元々領知が少ないなどの理由が
なければメリットがないだろう。

701 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 05:47:59
>>692
幕府と岡山は新太郎が婿になって良好。幕府と鳥取は藩祖の母親が徳川なんで良好。
で、岡山と鳥取は藩祖同士は兄弟だが母親が違う。岡山は中川氏、鳥取は徳川氏。
微妙なところでいろいろ差をつけて(こっちでは岡山を優遇、そっちでは鳥取を優遇みたいに)岡山と鳥取が互いに張り合うように仕向ける。
ある意味分割統治の見本だな。

702 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 08:05:41
わかったぞ

独立スレが無いのが
地味大名だ

703 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 08:53:27
酒井讃岐守忠勝は、現在の小浜市の馬鹿騒ぎを空からどんな気持ちで眺めているのだろうか?

704 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 09:01:43
やっと国持ちになれたお

705 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 10:42:51
池田恒興を小牧長久手で殺したのは徳川なのに、
よく縁談がまとまったな。親の仇だろう

706 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:00:34
元助が死んで、輝政が惣領になったから?

707 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 13:32:07
輝政は父や兄が猿のせいで殺されたと分かっていたんだろ
だから家康と仲良くなった
豊臣への恨みを晴らすために

708 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 14:32:09
んなこたーない

709 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 14:36:16
どう考えてもおサルの仲介のための縁組で、家康がその後最有力者になったから
関係が深くなったってだけだろ。

710 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 16:31:45
豊臣・徳川・池田すべてにとって有意義な縁談だな

711 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 20:40:28
>>678
輝政の次男以下は家康の外孫ですんで。
なんせ母は家康の次女だ。

712 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 20:45:23
池田の毒饅頭騒動

713 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 21:55:18
池田には極悪姫様がいたよね

714 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 01:42:45
怪談の皿屋敷、お菊って池田の話だったっけ?


715 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 02:47:47
>>695
重臣って岡山は伊木、鳥取は荒尾?そんなに有能な連中かな。
荒尾なんて伏見の戦いで藩主を無視して勝手に動いて好き勝手してたとか聞いた事ある。あんまりイメージ良く無いんだけど。
伊木も荒尾も明治には男爵だもんなぁ。
それにしても幕末の岡山藩主池田茂政は慶喜の弟、鳥取の池田慶徳は慶喜の兄。池田両家は幕末は慶喜側に付くのが自然なような気がするんだが。実際はどうだったんだろ?
あの幕末期に池田両家の藩主が2人とも慶喜の実の兄弟だったとは、何か色々想像してしまう。


716 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 03:40:16
>>714
六姫(光政六女)でしょ
・略歴
光政が母を侍女のままの身分にとどめたので5歳まで祖父母の家で育つ。14歳で仕置家老池田出羽の
嫡男由貞に嫁ぐ。異常に嫉妬深く夫が出かけるときは場所と帰宅時間をしつこく聞きすこしでも
帰宅が遅れたら家の中の家具が破壊されていた。由貞の妹と由貞が会話をしてるとぶち切れ
「由貞は私の夫、妹であろうと親しく話すな」と両者にいいはなち妹をたたきだす。
由貞は仕方ないので外出しないで六姫と過ごすようになるが一年後やつれきり隣家の池田伊賀の娘
(本来彼は彼女と結婚する予定だったのだが六姫の縁談がごり押しされ破談になった)の奏でることの音色に
懐かしげな表情を見せたところ六姫が厳しく詰問。由貞はしらを切ったがその夜ふと目を覚ますと
彼の胸に短刀を突き付ける六姫の姿が!そんなこんなで由貞ついに逃亡。しかし補縛され切腹
それを聞いた六姫は「当然の報い」と一言憎々しげにいいはなっただけだった(このとき六姫15才)
その後家中の滝川一益の子孫義太夫に一目ぼれして結婚。息子(2年後死去)と娘吉姫をを生むが
数年後28歳の時義太夫が部屋で別の女と会話しているところを目撃し逆上彼を殺害してしまう。そこにいた女は口封じに
義太夫の父に処分され「義太夫は乱心して自害したのでお城で姫を引き取ってください」と送り城に送り返した
もうこの時点で六姫の本質はしれ渡っており夫を殺しても露ほども悪びれない六姫は「池田の鬼姫」とある意味有名人に。
彼女は娘と光政と一緒に西の丸に住み1679年に34歳で死去した
和意谷池田家墓所七の山に墓所がある
いや、ヤンデレ女は怖い

717 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 03:46:11
>>713でした
>>714
お菊は日本全国に舞台とされる場所がある
姫路の播州屋敷、江戸の番町皿屋敷、ほかにも五島の福江、福岡
高知、尼崎、松江など
姫路城内にお菊井戸というのがある。
でも姫路の怪異といえば刑部姫様(美女らしい)のほうが有名かも
猪苗代に妹(美少女らしい)がいるし
おねいちゃんの所に遊びに来るときは生首をお土産に持ってくるそうだ

落語の皿屋敷聞くとお菊さんは素では結構お茶目なところがあって可愛いよw

718 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 11:24:57
>>716
光政は名君として知られてるのに、その娘のDQNは誰から遺伝したんだろ
それとも父親に棄てられたっつー環境のせいかしら

今だったら山口県母子殺害事件の犯人Aの女性版みたいな奴だ
つか、光政がどこかに片づけようなんて思わずに、
トットとどこかの尼寺に放り込むか最初から西ノ丸に隔離してしまえば良かったのに。

719 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 17:51:12
>>716
池田出羽って輝政の兄元助(仮名)の子孫? もしそうなら本来は勝入斎系池田家の嫡流なんだよな。

720 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 01:27:55
池田は輝政時代は一族全体で100万石あって「西国将軍」とまで言われたのに、
その後は鳥取、岡山両藩をあわせても60数万石。

差額の30数万石はどこに?

721 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 02:20:53
伊木は元々同格くらいの勢力だったので重臣扱い。
将軍お目見えもあったんじゃね?
御三家の付家老並の扱い。
蜂須賀の稲田みたいなもん。

722 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 07:03:10
>>720
>>682

723 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 10:48:33
岡山では一揆は伊木様の屋敷に押しかけることになっていた

724 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:03:43
迎える伊木様は大砲まで並べて出迎えたらしいけどなw

725 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 17:56:18
>>722
断絶した分は幕府が収公したのか?
家康の娘婿の一族なのに、ずいぶんな仕打ちだな。本家も20万石も減らされてるし。

726 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 19:05:36
なんのための外様対策だと思ってるんだ。

727 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 19:53:49
娘婿や外孫を優遇しないのか?

728 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 20:34:43
池田家は嫌い。
家紋が嫌い。
吐き気がする。

729 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 20:44:48
>>727
娘婿も外孫も外様の分際で十分すぎるほど優遇されただろ。
これ以上どう優遇しろと言うのか?

730 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:07:21
池田なんてクラスに必ず一人以上いる庶民名字だよな。うらやましくも何ともない

731 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:30:00
>>720>>722
輝政52万石→利隆42万石→光政32万石

利隆が相続した時に、督姫が10万石は自分の化粧料だと言い張って
岡山の息子の所に持って行ってしまったので、10万石減。

それでは、光政の時に何でまた10万石減らされてんの?
理由は何?

732 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:37:51
つ 幼少相続

江戸時代初期には嗣子幼少に付きという理由で
転封+領地削減というのはよくやっていた手

733 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:49:05
>725
忠継の後は同母弟の忠雄が淡路から入っているから、断絶という感じでもないね。
収公されたのは淡路のほうだし。

734 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 21:58:39
>>732
すると他に例はある?

735 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 22:06:15
俺の記憶が正しければ光政が相続した時、確か4歳位だったっような。
その上に姫路から鳥取に飛ばされて、その後に鳥取と岡山が領地入替えになったんだっけ?
あってる?間違ってる?


736 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:11:30
岡山にあるのと、
http://kuddy.blog83.fc2.com/blog-entry-161.html
世田谷にあるのと、
どっちが本物の伊木屋敷の門?

737 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 02:05:51
>>735
正解

>>734
嗣子幼少のため転封:池田光政、池田光仲、松平光長
参照)先代が無嗣だったため転封:蒲生忠知、京極高和
他にも例があるかも知れないが取りあえず浮かんだところはこんなところ

738 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 10:43:12
幕末における各国の最大石高を誇る代表藩
蝦夷・・・松前(松前)1万石(格)、陸奥・・・仙台(伊達)62万5千石、出羽・・・秋田(佐竹)20万5千石
常陸・・・水戸(御三家)35万石、下野・・・宇都宮(戸田)7万7千石、上野・・・前橋(松平越前系)17万石
下総・・・佐倉(堀田)11万石、上総・・・久留里(黒田)3万石、安房・・・北条(水野)1万5千石
武蔵・・・忍(松平奥平系)10万石、相模・・・小田原(大久保)11万3千石、越後・・・高田(榊原)15万石
信濃・・・松代(真田)10万石、越中・・・富山(前田)10万石、加賀能登・・・金沢(前田)102万5千石
越前・・・福井(松平越前系)32万石、若狭・・・小浜(酒井)103千万石、駿河・・・沼津(水野)5万石(もしくは駿府徳川70万石)
遠江・・・浜松(井上)6万石、三河・・・西尾(松平大給系)・・・6万石、尾張・・・名古屋(御三家)61万9千石
美濃・・・大垣(戸田)10万石、伊勢伊賀・・・津(藤堂)32万3千石、志摩・・・鳥羽(稲垣)3万石
近江・・・彦根(井伊)32万石(23万石)、山城・・・淀(稲葉)10万2千石(でもほとんどよそ)、大和・・・郡山(柳沢)15万石
紀伊・・・和歌山(御三家)55万5千石、和泉・・・岸和田(岡部)6万石、河内・・・狭山(北条)1万1千石
摂津・・・尼崎(松平桜井系)4万石、丹波・・・篠山(青山)6万石、丹後・・・宮津(松平本庄系)7万石
播磨・・・姫路(酒井)15万石、但馬・・・出石(仙石)3万石、因幡伯耆・・・鳥取(池田)32万5千石
出雲隠岐・・・松江(松平越前系)18万6千石、石見・・・浜田(松平越智系)6万石、備前・・・岡山(池田)31万5千石
美作・・・津山(松平越前系)10万石、備中・・・松山(板倉)5万石、備後・・福山(阿倍)11万石
安芸・・・広島(浅野)42万6千石、周防・・・徳山(毛利)4万石、長門・・・萩(毛利)36万9千石


739 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 10:44:15
讃岐・・・高松(松平水戸系)12万石、阿波淡路・・・徳島(蜂須賀)25万6千石、土佐・・・高知(山内)24万石
伊予・・・松山(松平久松系)15万石、豊前・・・小倉(小笠原)15万石、豊後・・・岡(中川)7万石
筑前・・・福岡(黒田)47万3千石、筑後・・・久留米(有馬)21万石、肥前・・・佐賀(鍋島)35万7千石(実質6万石)
対馬・・・対馬府中(宗)10万石格、壱岐・・・肥前平戸(松浦)10万石、肥後・・・熊本(細川)54万石
日向・・・飫肥(伊東)5万1千石、薩摩大隅・・・鹿児島(島津)77万石、おまけ琉球・・・首里(尚)12万石
天領・・・甲斐、佐渡、飛騨
松平系をのぞくと戦国で名をなした藩祖がいる家がほぼすべてで聞いたことがないような苗字はない
家康を銭で売った分際で戸田は栄杉

740 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 11:55:30
>>737
奥平忠昌も幼少につき転封の例かも(宇都宮藩→古河藩)

最も3年後には後任の宇都宮藩主・本多正純が失脚したので返り咲き。
石高は一緒だったが実収では宇都宮藩>古河藩だったので正純を恨んでいた
加納御前亀姫(家康の長女で忠昌の祖母)と
正純を失脚させたい土井正勝他老中の思惑が
一致した結果の陰謀とも言われる。

741 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 15:41:07
土井正勝って誰だよw

っとネチネチ絡んでみるテスト

742 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 17:48:26
>>739
大和の柳沢は
戦国時代活躍したんか?

聞いたことがないで

743 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 17:48:46
スマソかった
似たような名前が多かったからパンチミスしたんだよ 利勝だろ

744 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 17:57:31
>>742
武川衆の一員として活躍しますた

745 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 18:00:28
ちなみに六浦藩の米倉氏も武川衆

746 :蝦夷島民:2008/11/14(金) 18:52:24
>>738
松前氏は,安政2年に陸奥梁川と出羽東根で合わせて3万石を貰って,3万石
の大名(3万石格じゃないよ)になってるはず。
ま,そのかわり松前以外の蝦夷地は上地させられたが。

747 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 22:22:37
>>721

> 伊木は元々同格くらいの勢力だったので重臣扱い。


そうなん?伊木が元々同格って、池田と同格って意味だよな。それっていつの時代の話?秀吉時代?信長時代?もっと前?
どんな活躍したんだ?


748 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:08:18
戦国期と江戸末期
最大大名

北海道…蛎崎、松前
青森県…南部、津軽
岩手県…葛西、南部
宮城県…大崎、伊達
福島県…芦名、松平
秋田県…安東、佐竹
山形県…伊達、上杉
茨城県…佐竹、徳川

749 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:34:41
賊軍ばっかり

750 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:47:06

千葉県…里見、堀田
栃木県…宇都宮、戸田
群馬県…山内上杉、松平
埼玉県…北条、松平
東京都…北条、大名なし
神奈川県…北条、大久保
山梨県…武田、大名なし

751 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:34:58
>>737
松平光長は別の理由も濃厚なので、
含めてはダメ。

752 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:45:31
>>747
元々信長配下の一武将で、池田(部隊、いわゆる方面軍)の寄騎として配されただけ。
秀吉時代もそのまま。所領は別枠。
なんだけど、
江戸時代に入った頃には、ありがちな感じで段々と家臣化。


753 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 03:04:45
>>752
> それは元々は池田と主従関係には無かったって事だけで、池田の指揮の下にあったんだから明らかに当時から格に差があったように思える。同格で同じ位の勢力だったとは言えないのでは?
当時の伊木の所領って何処にどの位あって、その所領は江戸期には池田領として扱われたんかな?


754 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 03:57:27
思い込みと願望並べてないで、調べて発表しろ。
家臣と寄騎は似ているけど別なもの。
寄騎や客将が家臣化するのは、江戸時代になってから。
その辺のいきさつで幕末に揉めたのが、淡路の稲田。
「俺一代が付家老、はいいけど、
 子孫は独立させてください」
と幕府に戻ってきた三河以来、とかいるだろ。
伊木はそういう過程で池田家臣化の道を選択したんだよ。

755 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 06:08:57
長野県…武田、真田
静岡県…今川、徳川
愛知県…織田、徳川
岐阜県…斎藤、戸田
三重県…北畠、藤堂
新潟県…上杉、榊原
富山県…上杉、前田
石川県…畠山、前田
福井県…朝倉、松平

756 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 06:19:32
滋賀県…浅井、井伊
京都府…波多野、稲葉
大阪府…本願寺、岡部
兵庫県…別所、酒井
奈良県…松永、柳沢
和歌山県…雑賀、徳川

757 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:16:58

岡山県…宇喜多、池田
鳥取県…山名、池田
広島県…毛利、浅野
島根県…尼子、松平
山口県…大内、毛利
香川県…十河、松平
徳島県…三好、蜂須賀
愛媛県…河野、久松
高知県…長宗我部、山内

758 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:40:22
福岡県…大友、黒田
佐賀県…龍造寺、鍋島
長野県…龍造寺、松浦
大分県…大友、中川
熊本県…菊池、細川
宮崎県…島津、伊東
鹿児島県…島津、島津
沖縄県…尚、尚

759 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:51:56
のぶ野望だと
東京都は扇谷上杉?

戦国〜江戸末期まで
動いていない島津は
考えてみると偉大だな

760 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 10:59:41
辺境だったからほっとかれただけだろjk

761 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:11:32
だいぶん内乱やっとるっちゅーに。

762 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 11:21:08
>>760

当時の日本の三大津とされたのは博多津、坊津、安濃津。
島津氏がこの三大港のうち坊津を支配し続けることができたのが
戦国大名の実力の中でもとても大きな要素を占める経済権益獲得につながった。

こういった三大港は最終出講地、地域最大寄港地として機能していて、
交易圏内の商権設定で有利な地位を占めていた。

たとえば博多は日本海側や瀬戸内海の内港への廻船で富を積み上げた。
伊勢も東国への玄関として太平洋岸ルートを収益源としていた。

商いの規模がかなり大きかったと推測されるのは、
この地域の文化力の高さからも分かる。

町衆が侍と連歌を詠み、都から著名な連歌師や公家が訪ねてきている。
当時の宣教師が活気あふれる貿易港の日常を活写している。
中世のイタリアにも引けをとらない賑やかさであったようだ。

763 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:06:41
>>737
どれ一つとして「十万石減封」の光政の類例に該当しないでしょう。
光政は末期養子でもないし親が罪を着たのでもない。
光仲は転封であって減封ではない。

他に例が見当たらないじゃないの。

764 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 12:11:53
次期当主幼少ゆえ減知ってのは江戸期を通じて大名でも陪臣でも一般的だろ。

765 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 14:50:59
>>762
三津七湊の三津ならば博多堺安濃津

766 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:05:46
池田光政公だけは別!!!
幕府に迫害された!!!

・・・と思い込みたい患者、いや信者が一人・・・

767 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 15:25:44
越前松平も似たり寄ったり

北ノ庄75→67→
福井50→25→32

と本家は減封しまくり

反対に数万石に過ぎなかった
分家は加増されまくり
(松江、明石など)

768 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 17:22:10
>>764
それでは、実例をどうぞ。

769 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 17:22:13
>>760

明側の記録には堺津のかわりに薩摩坊津が三津として数えられている。

16世紀の最後期の織豊政権になってから
やっと堺が外交上の地位を飛躍的に高めたのだと思われる。

15世紀後半から16世紀中期にかけては、四国一円の大守護家
細川氏が凋落し、三好三人衆が政治空白状態を埋めていたものの、
その政治圧力を撥ね退けていたいたというだけで
自治都市堺の存在を過大に評価することはできない。

堺は摂津・和泉・河内の国境にあったデューティー・フリー地点として
堺は元々構造的にうまい汁にありつける土地柄だった。

しかし内国貿易で稼げる付加価値のマージン率には限りがある。
空天井とも言えるほどうまみのあった対明貿易ほどではない。

明国は日本との通商を国禁としていたので、
日本の対明貿易はすべて媒介貿易。
媒介貿易の拠点として琉球・高砂の存在は欠かせなかった。

やはり最終出航地、帰国便の最初の寄港地が
経済的利権のシェア取り分の上では圧倒的に有利だったといえる。

島津氏・松浦氏・大村氏の軍事力はそうした
経済的バックグラウンドがあったものと思われる。

770 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 17:50:07
>>767
75か67かはっきりしないのだけれど、最初から67万石だったんじゃないか。
関ヶ原以後の新知に結城家の旧領が含まれていなかったのがその差だ、という一説

後は、忠直の配流で弟が名跡相続、末期養子で半知相続、と理由がある。

ちなみに光長改易直前には一族全部合わせると百万石余りあった

771 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 18:22:37
>>766
どうしてこういう駄レスが付くのかな。
頭が弱くて話が理解出来ない人ですか?

772 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 18:37:43
江戸時代を通じて姫路城主は転封移封だらけで、多くは当主が幼いから
という理由だけど、表高が減らされた家は無いんじゃないの。
大名家の当主が幼少だから減封というのが普通の話とは思えん。

池田光政の差の十万石って、一族の誰かに分知されてるとかいうことはないの?

773 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:02:59
>>772
輝政の四男以下が計10万石ほど分知されている。
しかしあれは長男利隆より先に死んだ二男忠継の遺領で
岡山に行った輝政正室の化粧料から出ていたのだと思う。違ったかな?
本当のところは、因伯二国の朱印状を貰って転封し、いざ検地してみたら
それしかなかった、というくらいが真相では。
家臣の知行割りなんかどうしたのか気になるけど。

774 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:09:41
動物園の園長さん家なんてどうだっていいじゃない。

775 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:41:55
>>768

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%9B%E5%B0%81

776 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 19:50:12
>>769
いや、堺って管領細川氏の勘合貿易の拠点として織豊期よりも前から栄えてたんだけど。
というか栄えてたから勘合貿易の拠点になったわけだが。


777 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:12:45
一族に禄を分け過ぎて藩主の取り分の少ない佐竹ってどうやって生きてたのよ

778 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:17:57
手取りが少ないといやぁ、鍋島もか?

779 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:31:04
財政苦しくなかった藩なんてあったのかな?


780 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:52:05
↑庄内藩

殿様が国替えになると
知った農民が一揆を起こして反対し、
前代未聞の珍事といわれた

781 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:56:48
表高の4倍以上の
実高があった新発田藩

782 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 21:58:35
>>781
凄いな

しかし寒冷地だけに収穫が安定しないんじゃないかと心配したり。

783 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:04:48
津軽家弘前藩

藩主領民従揃って
良く言えば機知に富み
悪く言えば狡猾で
南部の富を搾取して栄えた

南部の家格に並び、
超えるという無益な目的の為に
賄賂を送り続けるくらいの
余裕があった

784 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:13:02
現在も新潟の米には
「五百万石」という品種がある

江戸期でも
越後百二十万石といわれた

785 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:29:22
上杉は治広の代より以降
収入>支出
資産>負債

の財政健全化に成功した
ただ当時から有名だった鷹山の功績を
現在では疑問視する説もある

786 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 22:52:37
毛利長州藩

秀就(元和期)
4000貫の借財

敬親(嘉永期)
9万貫の借財

借金は20倍以上に
膨れ上がったが

明治維新でチャラ
ラッキー!

787 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:25:53
庄内藩には
裏の殿様・本間様がいて
表の殿様である酒井侯も
金貰ったり、借りたりしていたため
本間様には
まったく頭があがらなかった

788 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 06:35:55
地主なんて搾取するだけだもんな
政治軍事裁判の責任を負う領主と違って無責任だけに蓄財する一方だ。

789 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 16:42:31
>>787
本間様には及びもせぬが、せめてなりたやお殿様」


790 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 16:58:55
龍造寺っつー名前がカッコ良すぎだぜ

791 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:30:08
龍造時は会津藩士に落ちぶれた。

792 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:01:04
>>787
倒産したけどな、本間家。


793 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 18:17:34
それは分家や

794 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 19:43:58
千葉氏って江戸時代には残らなかったの?

795 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:37:09
いまは「本間ゴルフ」

796 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:48:32
蝦夷時代

797 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 01:01:01
>>791>>794
鍋島藩の家臣として生き延びた


798 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 01:28:26
>>794
あちこちにいる。
でかい勢力、大名、大身旗本としては残れなかったけれど。

799 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 02:21:44
>>794
ちなみに幕末期の著名な剣客・千葉周作も千葉氏の末裔を称しているよ。

800 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 08:09:37
>>781
新発田は領域がひろくてそのほとんどを占める湿原を必死で開墾したからね
10万石への高直しも「えー負担増えるから表高5万石のままでいいんじゃねーの?」て
内部から反対があったぐらいだから名より実をとる賢い藩だったのだろう
丹羽で能吏長束正家の同僚だった藩祖の秀勝の薫陶がよくいきとどいてるのだろう

801 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 08:36:15
でも転封くらったら全てオジャンじゃね?

802 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:53:43
なぜ家康は毛利を防長二カ国にしたのだろう
もともと安芸が本領だし、そのほうが将来攻め潰しやすいだろう

803 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:11:33
根無し草の方が脆いに決まってんじゃん。

804 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 14:52:19
>>802
初期徳川政権って、案外バカというか、世間知らず・知識足らずなんだよ。
三河の田舎者だからね。
江戸政権のシステム自体も三河以来の寄り合い所帯システムから変わってないし、
数代経って整備されてもなお、農村統治システムの拡大延長版でしかない。

だから、「安芸より防長、江戸より遠いほうがいいだろ」程度の考え。

でも九州あたりへ完全移籍させちゃうと、
ついていかない家臣が大量に出て、地元で不穏分子化するので、
「旧領の一部」かつ「江戸からなるべく遠いところ」
その程度の発想。

805 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:38:28
上杉の場合もそうだね
置賜・伊達・信夫で
30万石と思ったら
実際は50万石以上あった

召し上げた会津は逆に
思ったほど無かった

佐渡は宝の山だったが

806 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:49:20
江戸時代初期は検地してみないと分からんというのが
わりにあったんじゃマイカ

807 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:52:19
幕末から明治の石高では

羽前>岩代
長門周防>安芸備後

佐竹と水戸徳川も
ダブルスコアまで
実高の差がついた

808 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:52:34
置賜郡はでかすぎる

809 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:54:10
太閤検地がざる
(さるではない)

810 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:57:18
新川、吉野、置賜なんかは
一郡で下手な一国より
石高が高いからな

811 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:04:50
と思ったが
吉野郡はそうでもないか

柳沢の大和郡山と同じ程度か

812 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:49:32
太閤検地より慶長検地だろ普通

813 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 21:07:52
>780
殿様が晴れて「初のお国入り」というときにも旅費が足りなくて、国許からの金が
届くまで福島で足止めを食ったりしているけどね。あまりの情けなさに少年殿様
が涙したとか。
まあ、その後本間様主導で改革をやって、財政建て直しに成功しているという話
ではあるけど。

三方領地替は、庄内の殿様へのなじみもさることながら、貧乏でなりふり構わず
状態になっている川越の殿様を忌避したというのが大きいんじゃないかな。

814 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 07:27:15
なんで新川や置賜はあんなにでかいんだろうね?
置賜はまぁ出羽自体がでかいからまだなんとかだけど
新川は他のと比べて越中の中でも異常にでかいのはわけがわからん

815 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 14:23:18
風俗、習慣の違いかな?
富山県は呉東と呉西で
今も地域差あるんでしょ

816 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 00:29:23
『喜連川』は何故『足利』を名乗らなかったんだろ…?幕末に最後の藩主が足利に戻してるとは言え、それまで何故『足利』ではなく『喜連川』なんだ?


817 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 03:17:50
そりゃああれだ、
今の将軍家「徳川」を憚って、だよ。
筋を通すなら、鎌倉将軍とすら血縁がある、先の幕府家の「足利」のほうが、
正統な幕府の継承権を持った系統なんだから。
あくまで「いやいやいや、うちは傍系ですからえへへ」でいないと。
もうひとつ付け足しするなら、
「新田」子孫を自称する徳川に対して、「足利」は極めてマズいw

818 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 09:37:31
なるほど。幕末に最後の藩主が『足利』に戻したと思ってたけど、調べ直したら復姓したのは明治になってからみたいだし。
他にも徳川に憚って名前変えてた家はあるのかな?

819 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 09:49:02
あ、もうひとつ名前が変わった家を思い出した。久留島家。
水軍時代に『村上』を名乗ってたかどうかは知らんけど、少なくとも関ヶ原以降に『来島』から『久留島』に変わってるのでは?
『村上』や『来島』ではダメだったんだろうか?


820 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 10:30:38
そんなおいたちでありながら
よりによって参勤交代中に古巣の瀬戸内周防伊予沖で時化で船が遭難して
藩主の弟から家老まで大量に死ぬという
200年以上あった参勤交代の歴史でも類まれなる醜態をさらしたので
水軍の雄たる村上も来島もこっぱずかしくて名乗れなくなったんだよ


いや当然冗談ですが
(改姓は2代目、荘何は3代)

821 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 11:27:14
遭難は改姓と無関係で冗談なのはわかるんだが…。
『村上』や『来島』を名乗らなかった理由はわからん…。


822 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:04:54
恭順の意を顕したまで

823 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 15:54:46
>>820
そうなんですかw

824 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 16:04:23
それはともかく、そもそも久留島のいた豊後森って山の中だろ? やっぱり訓練できなかったり代替わりで海を知らない連中だったりでは
だめなんだろう。
そういえば、お家騒動で山の中に移された九鬼家のどっちかは山の中にプール作って水練してたそうだけど。

825 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 16:24:47
豊後森の久留島は飛び地に港を持っているわけなんだが?

826 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 16:43:15
久留嶋さんは豊臣恩顧だから仕方ないよ
けど玖珠に移封されたおかごで御一新まで大名として家名を保ったんだし明礬の売りも好調だったしよかったんじゃね?

827 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 16:54:45
>>822
質問。『村上』や『来島』を名乗ると不都合があったのか?さっき少しだけ調べてみたら、関ヶ原で西軍についた為に憚って、と出てきたんだけど。
でも西軍大名は他にもあるし、なんか納得出来ない。喜連川は納得したんだが。


828 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:01:19
負け側について自分の運命が相手の一存に委ねられているときに、恭順の示し方の程度は
人それぞれってだけのこと。

829 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:04:41
まして一万余石の小領主では改名でもなんでもするわな

830 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:05:53
島津や毛利は松平だしね

831 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:19:53
なるほど、確かに。
新たに疑問が出てきたんだけど、久留島は森藩になってから1万石ちょいの小領主だが水軍の頃ってそもそも瀬戸内海を牛耳ってたんだから支配してる土地なんてほとんど無かったんでないの?石高では規模が計れない。
久留島にとって1万石はどう映ったのかな?

832 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 17:47:59
九鬼が「俺らの水上の税(ようするに船を襲ってのカツアゲ)収入は
大昔からの既得利権だから認めてもらわねば困る!」って7ごねて
秀吉は認めたけど秀吉死後「は?何言ってんの?全国一律で
交通税の徴収はとっくになくなったんだからなしにきまってんだろJK」って
家康が最低して嘉隆がお冠で西軍はしる一因になったぐらいだから
来島も実質大幅減収ではあったとおもう

833 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 18:18:26
>>826
明礬って儲かったの?

834 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 18:34:30
う〜ん、村上や九鬼などの水軍は収入を石高に換算したら実質どの位だったのかな?
江戸幕府前の事はスレ違いかもしれんが、興味出てきた。さっき調べてみようとしたんだが、今のところ何も判らなかった。


835 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 18:56:01
海の男としてのプライドはかなりのものだっただろう。

836 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 19:00:07
明礬って湯の花だろ?森藩は相当な貴重品を産出してたんだな

837 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 19:03:05
>>835
海上指揮がながいと声が大きくなるから
「今日は九鬼殿が登城しておるわ」とかわかったらしぞ

838 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:24:58
森藩の明礬は今の別府温泉産(森藩領鶴見)

839 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 21:25:26
エロゲにでてくる九鬼嘉隆は超美形

840 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:34:16
足利や新田は,姓を変える以外に徳川に恭順(尻尾を振る)する方法が無かったから姓を変えたのではなかろうか
新田は姓を変えなければ,新田系源氏を称える徳川に対して宗家となり得るし,足利は公方家だから姓を変える意味は大きいだろう。
三管四織家の細川や京極は,織豊期の活動で大名として地位があり,姓を変える必要までもない。

841 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:53:37
源氏の名流佐竹氏から見たら、インチキ源氏の徳川なぞ、
殿中ですれ違いざま鼻で笑っちゃうようなもの

842 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 22:56:51
佐竹は幕末に相馬から養子採ったから相馬義尭に改名すべきだった。

843 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 23:10:27
その相馬が幕初に佐竹から養子取ってるわけだが。

844 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 23:19:47
室町期には関東管領上杉家から養子採ってるから、藤原朝臣を称すべきだった。

845 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 01:10:03
「来」島。
移動、流動性を連想させる字。安定性、御家安泰に欠ける。
「久留」島
久しく留まる、という定着安定性の慶字。
そんなもんだよ。
城や街の名前の変更と一緒。

846 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 01:24:10
>>841
村上水軍は名流と言えるかどうか知らんけど一応源氏名乗ってたから、もしかして久留島が『村上』を名乗らなかったのはそれもあったんかな?可能性ある?
まあ、村上水軍の系図はグチャグチャになってるしハッキリしない部分があるみたいだから本当に源氏かどうかも何とも言えんが。村上水軍3家は養子なんかの関係もあって『清和源氏』名乗ったり『村上源氏』名乗ったりで統一されてないし。
皆さんどう思う?

847 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 16:11:15
>>843
義胤−利胤−義胤は実子相続だぞ。
その次の忠胤は土屋利直の子だ。貞胤・昌胤は忠胤の子だ。
昌胤の養子叙胤がやっと佐竹の養子だが、元禄年間はもはや幕初とは言わんだろ。

848 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 22:18:08
九鬼が池つくって船浮かべたっていう逸話は綾部?三田?

849 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:47:11
三田藩主九鬼志摩守

850 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 23:51:15
「いき」の構造の作家と関係ありますか?

851 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 01:35:52
高徳藩

852 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:54:28
諏訪氏ってのが、えらい名族だよな

853 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 02:35:09
だから平野ゴンベェなめんな!って。

854 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:25:53
信州や西上野、秩父あたりには神別姓が多く見られるね。
地元で受けた尊崇の念も格別のものがあった。
剣聖と称えられた上泉信綱は藤姓だったか源姓も名乗っているが
たしか神別姓のはず。

また神別姓には金○などという苗字が多い。
とくに金子氏には、承久の折の次のようなエピソードが伝わっている。
大将泰時以下、院宣のまったく読めなかった文盲集団の関東勢の中で
唯一人進み出て院宣をすらすらと読み上げて、泰時の覚え目出たかった。

855 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 14:52:08
やっぱマイナー大名は大阪在番とか伏見奉行がシブイ

856 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 15:07:56
大名が大阪在番とか伏見奉行?

857 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 15:10:47
>>856
おいおいw

858 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:47:32
>>854
金子と言えば在日の姓で有名だけど、やっぱり土着の連中と違って教養があるんだね。

859 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 17:47:56
柳河藩主立花飛騨守貞則が北九州にて殺害された事件の真相を解明してください

860 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 18:02:50
>>858
まぁ金がついてる時点で在の苗字だよな

861 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 19:30:19
アホか

862 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:35:13
伏見奉行は大名役なんてことも知らない人がここに来てるのか


863 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:50:32
わしも>>859の真相は知りたい
ぐぐ〜る先生に聞いてもほとんど情報ないよね(´・ω・`)

実は柳川藩内でお家騒動が・・・という話も聞かないし。
あまりにもすごい死に方といい謎が多すぎる。

864 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:07:58
謎の暴漢集団にってので申し訳ないが笑ってしまった

865 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:12:23
そんなの史実にない

866 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:14:55
kwsk >>865

867 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:20:46
病死

868 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:32:49
>>858
武蔵国入間郡の金子って言ったら鎌倉以来の武士団ですよ。
豊臣政権の四国攻めの時伊予で玉砕したのはその末裔です。

869 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 22:38:03
阿倍倉梯麻呂後裔を称する平安時代の陸奥の豪族・金為時さんのことも
たまには思い出してあげてください(´・ω・`)

870 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:33:39
金子って江戸時代の大名にいるの?

871 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:52:02
いねーよ

872 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:55:02
大和国と対等の外交関係を結んでいたとも言われる毛野国やその周辺地域には
土着の神々や国譲りで敗れて流れてきた神々の末裔伝承がよく見られる。
おそらく毛野国単独で大和に対抗できるほどの国力を有していたか、
あるいは友好的後背地、周辺地域の存在により畿内からの圧力に対抗できたのか。

金子氏も村岡五郎の流れを称しているみたいだが、
本来の出自は諏訪氏と同様に神別姓だと思われる。
小山田氏の桓武平氏系図も正直あまり信じられない。
信州の真田氏の系図も多少の潤色はあったのではないかな。

ただどこの宮司家や神別姓の家もそうだけれども、
藤原氏や源氏、平氏らの養嫡子が入った場合は
便乗してそっちに名乗りを代えるという可能性も考えられなくはない。
血筋より家柄のほうがはるかに大事と思われていた時代だが
止むを得ない事情があれば時の権力者と同じ姓氏を名乗ることも考えられ得る。

あと今も昔も出版界が時代小説を売れ筋に仕立てるには色々の脚色が要るはず。
強そうな剣豪小説の主役には金子とか金杉とかで売り出すものと理解しているが。

873 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 02:09:54
中川家

874 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 02:14:34
>>855
そんなメジャー仕事、、、
日光道中奉行とか、門奉行とかに比べれば。
そして何の仕事もなく、「江戸時代を淡々と過ごしただけ」の
外様小大名の立場は。

875 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 06:56:16
>>869
子孫がキムさんってことは先祖も在日だよね?
阿部氏は在日なのか。阿倍仲麻呂や安陪比羅夫も在日だったのか!

876 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 09:17:47
>>875
日高の高麗氏だの長宗我部元親や総理を出した秦氏だの大内氏だのも含めて、歴史用語としては「渡来人」であって「在日」じゃないだろ。

877 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:18:50
>>875
お前、半島に帰れよボケ。

878 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 13:33:36
ウヨ中の頭に血が上った
ファビョ~ン

879 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:00:07
ウヨと彼らが憎む奴らは外から見てるとそっくり
近親憎悪でしょうね
ウヨだってあっちの国生まれてたら彼らが肉も典型的な人間になっていただろう
常に冷静に客観的に所属組織と距離をおける人種ではないのだ

880 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:19:46
志摩鳥羽 稲垣氏もかこいい!

881 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 14:46:38
>>878
>>879
うんうん、半島に帰れゴキブリ。

882 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 17:34:42
稲垣か。。。あまりぱっとしない大名だね。

883 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 17:42:35

●● 無限にお金が増えていく方法を編み出した ●●

日本人も、日本人国籍を貰える。

人殺しの犯罪者、多額の借金持ちが別の人間に生まれ変われる。

   ★★★★ 戸籍も複数持てる ★★★★

@中国・韓国・日本の犯罪者が、お金持ちの子供として戸籍を手に入れる。

Aお金持ちの戸籍上の親を殺すか、相続争いで資産ゲット。

B前の戸籍では前科が付いたので、さらにべつのお金持ちの戸籍を子供として手に入れる。

Cまたお金持ちの親が死んで財産ゲット。振り込め詐欺より簡単。

【資産争奪の無限ループの完成】

一人暮らしのお金持ちの資産家ならその後継者に合法的になれる。

自分の孫や子供や配偶者が人質に取られたら、認知に応じる老人。

何回でも借金が出来る。脱税し放題。

離婚訴訟で奥さんと子供から逃亡可能。男女とも複数同時婚姻も可能。

国際テロ組織・スパイ組織が、日本国籍を複数所持し、国際テロ・国家や企業秘密取り放題。

国内のみならず、海外に大迷惑を掛ける為、テロ支援国家日本誕生。

                     「国政改正法案」

884 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 18:09:51
岡山藩主池田綱政は70人も子供をつくっているが、何代か後に血統が途絶えてるね。
嫡子も還暦過ぎにできた子だし、一体何人育ったんだ?

885 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 20:24:41
バカ殿として有名な御方ですね

886 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 00:56:20
奴は我らが氏真公となんかキャラが被る・・・
バカ殿は多いのだがおおむね基地外みたいな馬鹿というより狂人だらけで
志村みたいな馬鹿殿ってあんまいないから貴重

殿が馬鹿でも世が治まるってのは乱世じゃないからで
馬鹿殿ってそう考えると平和の象徴だよねw

887 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 01:01:58
稲垣はなんせ、陣代が出世した大名だし。

888 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 09:48:49
ぷぅぷぷぷおならぷぅ
自演乙乙乙乙おちゅちゅちゅちゅちゅちゅwwwwwwwwwww
お前の不幸なんて知ったことかよカスwwwwwwwwwww
もpっとなれなれもっとなれwwwwwwwwwwwwww
お菓子を食べながらかんしょうしてやるぜえwwwwwwwww

889 :888:2008/11/24(月) 09:49:51
すいません誤爆しましたorz

890 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 10:45:40
>>888-889ほどみっともない誤爆というのも珍しいな。



891 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:48:32
池田と堀田は馬鹿

892 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:49:43
蜂須賀氏

893 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:46:44
池田綱政は京に憧れ、毎日蹴鞠と歌にあけくれていた。
もちろん京から女もたくさん取り寄せて。
風流、雅びを好み達筆であり有職故実にも通じていたことから、武家に生まれたのが不幸だった
もっとも好色はどうしようもないくらいひどかったらしいが

894 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 16:06:21
好色といえば浅野内匠頭。

895 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:30:58
内匠頭はホモだろ?
女狂いは浅野大学

896 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 17:50:25
>>893
酒井抱一なんぞ、絵描きだぞ。


897 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:21:04
文人大名について語ろうよ!

898 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 13:29:48
>>897
文人大名と言えば俺が真っ先に思い浮かべるのが片桐貞昌(石州)と織田長益(有楽斎)だな。
七本槍且元の甥と信長の実弟。
信長のイメージの中には茶の湯もあるんで武将としてはともかく長益は茶人として違和感無いけど、
貞昌は且元のイメージからして違和感あった。が、よく調べてみたら貞昌の母方の祖父は今井宗久で納得した。


899 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 16:55:01
>>898
その時代だと古田織部も立派な大名だぞ。というか利休七哲はほとんど大名。
でも、織部の場合は関ヶ原前に隠居しているし、大阪の陣のとばっちりで
お家取り潰しなので、江戸時代の諸侯とはちょっと言いがたいところもあるけど。

あと、茶人といえば、井伊直弼を忘れちゃいけない。

900 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 17:07:37
和歌も香も連歌も茶道もまったく理解できない俺は昔の貴き家に生まれていたら地獄だった
よかった現代の月収13万の家なし親なし底辺でw

901 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:23:26
>>899
古田重然(織部)は隠居しても茶の湯を通じて朝廷、寺社、各地の大名と交流もあり影響力もあったようだ。その上に幕府の意向を無視した行動もしてたみたいだから幕府から見たら葬りたい存在だったんでない?
とばっちりで潰されたとは言えんと思うけどな。幕府お得意の言い掛かりで潰されたように見えるんだが。


902 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 21:57:22
堀田正睦が鳥だかの詳細な図鑑作ってたよね

903 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:17:43
土井利位の話題マダー?

904 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 22:36:13
直弼は茶道より敷島の道と国学だな

905 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:49:12
『大日本史』の編纂を指示した黄門さんは文人と言えるだろうか…。

906 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:55:54
>>905
言えないでそ。

907 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:18:25
石州流は貞昌の庶子・信隆が代々父子相伝で伝えたが信隆は1000石の旗本で大名ではない。しかも片桐家は離れて下條家になってる。
大和小泉藩は貞昌の3男・貞房が継いだが何故か茶道の継承は積極的でなく、昭和になってから石州流が家元制度になってからやっと片桐家当主貞央(子爵)が家元になった。
何故だ?何故なんだ???
貞昌は家綱の茶道指南役だった。将軍家茶道指南役の職を世襲すれば小領主の片桐家が幕府内で幅を利かす事も出来たんじゃないか?
何故だろう…?



908 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 01:45:02
大名が幅きかせちゃヤバいから、だよ。
古田のフリみて我が身をry
小笠原だって、礼法を継承してたのは旗本家らしいし。
つかお前ら、
小掘遠州を忘れていないか。

909 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 02:06:57
なるほど、納得。
別に小堀遠州を忘れてた訳ではないんだが。小堀遠州は確か有楽流の系統だったな。
他にも松平不昧もいてるぞ。
有楽流、織部流、石州流、遠州流、不眛流…。みんな流派を創設してるな、って文人大名と言うより茶人大名ばっかりやんけ。

910 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 05:32:37
小堀遠州は織部流の流れだろ。あと、吉良上野介も卜一流創設。

911 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:35:09
代々の柳生の当主は剣術の方は強かったの?

912 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 08:25:37
文人大名と言えば増山さんだろ

913 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 09:28:30
>>910
あ、そうだった。遠州は織部の系統だったわ。勘違いしてた。
それにしても文人大名の話題は盛り上がらんな。

914 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 10:17:17
変人・奇人大名は?

915 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 13:05:05
>>911
俺も気になってた。
家臣もみんな新陰流だったのかな?

916 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:02:44
代々将軍家の剣術師範だってのに、弱いわけないじゃん。
幸い相手は将軍などごく少数だから、日本有数の強さでなくてもバレないしな。
道場の剣術は実戦で役に立たないってのは当時から言われていただろうけど。

917 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 14:31:56
>>916
いや、代々師範役を世襲してきたからこその疑問だと思うが。
そんなに都合良く強い後継者が出続けるとは思えないし。
テレビ見てると吉宗なんか相当強そうだけど、
青びょうたんのなんちゃって指南役なんか一ひねりじゃね?

918 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/11/26(水) 14:33:43
尾張には負けたけど虎は倒したよ

919 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:14:00
>>916
でも、途中で田沼意次の血統になってないか?

920 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:19:48
剣術がメシの種である以上、後継者育成に手を抜くはずねーし。
田沼はきっと物凄い剣の使い手だったんだろう。剣客商売のオヤジと
いつの間にか入れ替わってたりしてな。

921 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:49:14
900超えたことだし、そろそろ「一番地味な大名」について結論を出そうぜ。

922 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:52:23
>>634はお前のレスじゃないのか。

923 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:51:45
実際吉宗に勝てたかは疑問だけど、剣術なんて形骸化してるんだから弱くたって問題ないだろ。
軽く稽古してもっともらしく薀蓄をたれるのが仕事。

924 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:59:59
吉宗って凄いんだな。毎日剣術稽古ばかりやってる人間より強いのか。

925 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:43:04
>>924
毎週実戦やってる吉宗とそんじょそこらのお大名、どっちが強いと思う?

926 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 21:59:47
釣りなのか
釣りを承知で相手しているのか
両方共釣り釣られているつもりなのか

ワケワカメ

927 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 22:11:49
ネタスレなのかここは。

928 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:47:37
まぁ毎週旗本斬ってるほうの吉宗は別としても
本物の吉宗も歴代の中では体鍛えてるほうじゃないか?
1番は家康だろうけど
15人で肉体最盛期に殴りあったら最後にたってる2人は家康と吉宗なきがする

929 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:41:40
家綱です。肉体最盛期なんかありませんでした、、、

930 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:45:59
小掘遠州はただの茶葉大名じゃない!
「造園大名」だ、なめんなよー。
お前んちの周囲1kmを枯山水にしちまうぞコラァ!

931 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 06:48:59
>>928
遺骨から秀忠もかなりごつかったことが判明してる。

932 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 07:10:22
慶喜は周囲が潰し合いをしている最中に逃げ回って体力を温存し、最後に残った
ふらふら状態の家康に一撃でKOされるような気がする。

933 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 12:35:09
>>929
それはむしろ少年期を脱出できないうちに亡くなった家継にこそふさわしかろう。

934 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:08:35
>>932
納豆ご飯吹いたw

935 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 14:52:49
>>932
逃げ回りながら写真を撮っているんだな。

936 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:20:55
>>935
途中まで中継のカメラマンに紛れているわけか。

937 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:47:45
キャメラ キャメラ

938 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 20:57:55
慶喜ならボルトアクションの猟銃でズドーンだろ

939 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:02:55
綱吉は「絶ナントカ抜刀牙!」とか叫びながら物凄い勢いで飛び掛ってゆく犬を連れていることだろう。

940 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:11:38
最後の大名林さんの死に際の辞世を求められての「明治元年にやった。今は無い」がかっこよすぎるよな
なんか実在の人物とは思えん台詞だ。一編の詩として人生が完結してる


941 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 00:19:45
ちなみに明治元年に幕府軍に藩主自ら脱藩(これをしないと
慶喜の命で大名が動いたことになって恭順中の慶喜に迷惑がかかるから。
素浪人なら問題ないという。藩士も巻き込んじゃうし)身を投じた時に詠んだ句がこれ

「真心の あるかなきかは 屠り出す 腹の血潮の 色にこそ知れ」

死ぬ気満々ですよこの人・・・

942 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:04:37
綱吉の位牌って、高さが130 cmぐらいしかなくて、
綱吉自身も小人症の可能性が高いとか某新書に書かれていたな。


943 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:54:55
俺も宗像教授に教えてもらったよ

944 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 02:14:43
>>941
「琴となり」のほうもちゃんと書いとけ。

945 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 08:10:22
喜連川御所様

946 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:05:30
悪党・林忠英の子孫とは思えない。

947 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 09:19:18
腹じゃなく腸(わた)だな
 
林家は旗本からの取り立て大名だし
祖先が放浪中の徳阿弥をもてなして徳川の
家来に加えられたという伝承もあるしな
徳川家なくして林家があるわけないと・・・

948 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:21:10
著名な大名の末裔一覧

細川護煕(旧熊本藩主家・元首相・陶芸家)
島津修久(旧薩摩藩主家・島津興業会長・照国神社宮司)
南部利昭(旧盛岡藩主家・靖国神社宮司)
前田利祐(旧金沢藩主家・全国石川県人会連合会会長)
亀井久興(旧津和野藩主家・国民新党幹事長 ※家督は実兄が継いでいる)
伊達泰宗(旧仙台藩主家・家紋ゴロ)

949 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:28:44
靖国宮司が血統で別格か。

950 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:32:21
>>949
盛岡南部は偽源氏ですよ?

951 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 01:37:41
>>950
たしか一條家が養子に入ってる。

952 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 03:58:03
津軽だって摂関家と縁組してるよ

953 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 08:46:14
南部宮司は後陽成天皇の男系子孫。

954 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:22:59
結城藩水野家は本家なのに山形藩水野家より影が薄い。

955 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:31:15
水野は唐津〜浜松のイメージが強すぎ

956 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:34:59
>>951
偽源氏に養子カワイソスwww

957 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:54:25
水野監物忠之。
赤穂浪士を預かった大名の一人として有名。
吉宗代には老中となる。

958 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 19:13:16
>>956
現代で本物の皇胤になったんだから、よしとしよう>南部

959 :949:2008/11/30(日) 22:07:38
皇室関連スレでは皇位継承権まであるかもと言われているのに、
看板が偽源氏なのが痛いところ。

960 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 22:44:43
>>958
お前(仮名・山田)、「明日からお前の苗字、山田から偽者に変更な」と言われたらうれしいか?


961 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 02:27:30
>>948
仙台伊達は偽藤原ですよ?

962 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:22:01
譜代大名って宗家よりも分家のほうが羽振りが良い。
安藤家や土屋家、渡辺家堀田家など。

963 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 02:17:49
酒井や本多は?
井伊家は分家は暴走しているぞ。
「彦根がそもそも分家筋」という見方もあるけど。

964 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 14:13:34
で、伊達ってほんとのところ平氏なのか下毛野氏なのかどっちなんよ?

965 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 16:12:25
>>964
どちらでもない。名もない国人領主。もしかすると国人ですらなかったかもしれない。とにかく南北朝期以降の伊達は馬の骨の類。

966 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 19:04:41
秋田氏ってもともと安東氏だっけ。
安東氏ってのルーツは何かな?俘囚?

967 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 21:47:10
「一番派手な大名」選ぼうぜ。

968 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 21:54:37
>>967
お家騒動頻発して、しまいには藩主が謀殺されるような人吉藩は派手だな

969 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:32:56
越前松平家を一つの家として見ると派手な浮き沈みしてるね。

970 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 22:47:34
細川は改易も減封もないよな
外様では珍しい

971 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 23:03:03
安東は長脛彦の子孫
天皇家並に由緒ある家柄であるぞw

972 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/03(水) 23:07:31
自称どうでもいい。

973 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 23:25:09
>>970
黒田・蜂須賀・伊達・島津・山内・鍋島は転封や減封ないのでは?

974 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:17:10
外様大藩の除封は,綱吉時代の津山藩森家が最後か?

975 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:17:50
>>973
元和・寛永期を乗り越えた外様大身ならば転封とかは殆どないよ

976 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/04(木) 00:19:55
血統ボロボロだけどな。

977 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:39:08
大藩ではないが
元禄14年3月 播州赤穂(浅野家)5万石


978 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 01:20:38
季節ものだね。
赤穂藩浅野は譜代に分類されると思うんだけど違うのか?
「徳川による新規取り立て」だから。
だからこそ、勅使の接待役なんていう、
重大な幕府行事を任されていたわけで。
上手くこなせていれば、
綱吉のことだからどかーんと万石単位の加増は確実。
さらなる役職昇進もあったかも。
なにかやらかしたら、一発退場だけどw

979 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 01:55:41
勅使応接は外様だからじゃないの?

980 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 02:44:29
後期だと金森 京極 小堀くらいだな

981 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 02:50:27
よっぽどのポカをやらん限りは改易されんしね、後期になると。

福島や加藤の改易だっても、最近じゃ幕府の疑獄というよりも、
福島や加藤の側にも相当問題有りだということが指摘されとるしな

982 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 08:01:48
指摘だけなら誰でもできる。幕府擁護の立場に立つだけでいい。根拠はどうなのか。

983 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 10:48:11
>>980
京極って但馬豊岡の?
但馬豊岡の京極だったら減封
3万3千石→1万5千石


984 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 12:25:54
林は除いて最後の改易されそうになったのは長州藩毛利か?
征伐負けてたら改易かもしくは5万石程度で出羽あたりに移すとかの意見もあったみたいだが

985 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 12:26:31
>>983
出石の仙石も幕府後期にかなり減らされた

986 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 13:08:57
今日の、国籍法改正法案法務委員会での採決の様子。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm5446070
1. 質問もないようですから、と当たり前のように決めようとする
2. 質問しようとした人がいたのでびびる
3.民主党女議員が何やら命じる、発言者を隣人議員がひっぱり着席させる
4. 質問者が発言を始めたら、速記を止めるように指示し、音声を切断する
5.何事もなかったように付帯決議を読み上げ、採決。


987 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:26:24
本家と分家ってどう判断するの?
井伊氏や堀田氏のように長男の家系が小藩の場合は本家は彦根井伊と佐倉堀田?
堀田は宮川藩の方が本家という見方もあるらしいが

988 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 20:35:33
家の構成員が決める。普通は長子相続だけど、当主が跡継ぎに別の人間を指名すれば
そちらのほうにプライオリティが生じるのは当然。

989 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:39:39
>>988
長子相続→嫡長子相続と思うけど

990 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 21:49:28
>>983
宮津の京極じゃないの

991 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:27:00
>>990
後期と云ってたから但馬豊岡かと思ったよ
丹後宮津の京極は寛文5年(1666年)だから中期だな
4代将軍家綱の時だから


992 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 22:29:45
土屋家の場合は、忠臣蔵で有名な土屋主税の家が本家らしい。

993 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:08:09
サムライスピリッツ零というゲームでは
1万石ちょいのほうの京極の当主が
民と国が泣いていると
鬼十字を手に兇國日輪守我旺と名乗って反乱をおこしてラスボスをやっておる
京極家もメジャーになったものだ
声は北斗の拳のラオウの人

994 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:14:02
ゲームがどうのとくだんねー話してんじゃねーよ

995 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:31:52
残りわずかだよ

996 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:38:46
ゲームや漫画、小説、映画などの娯楽を趣味とするということは敗北者の証拠
現実で満たされないから虚構に逃げる
虚構に逃げて現実での努力やスキルアップを放棄する
というわけで娯楽は本来子供時代ではなく老いてからの負け組が精神状態のガス抜きでやるもの
ここで虚構と現実の区別がつかない>>993はたとえ老いていても
まぁ貴重な時間をどぶに捨てた生き方だったのでしょうから
歳をとっても亀の甲のほうが上なんでしょうがね

まぁ少なくとも、学問板である日本史板で話すようなことはないでしょうね
ここは娯楽ではなく学問を語る場所
娯楽の話題は一切出すべきではない
君は講義中にゲームの話をするのかな?講師や教授はそれを許すだろうか?

997 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 23:40:28
>>995
ならば一層はっきりさせておいた方が良いでしょう
>>993のような場違いの馬鹿が次スレでも現れないとも限らない
ここは学問を語る場所とはっきりテンプレに書き込み
悪を滅せねばなりません
迷惑なんですよ>>993みたいな馬鹿が混じってると

998 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:35:32
>>982
城郭修理なんだがな、あれ福島の側が幕府に許可を求めた
気配も無く、本多正純ら幕閣も当初は穏便な処置をとろうとしてる。
ところがどっこい、福島側は赦免条件を履行する気配がなく、
結局秀忠が「たとえこれが元で十数人の大名が離反することに
なってでもやる」と、福島改易の意向が示されてる。



999 :次スレ:2008/12/05(金) 00:42:01
【大名】江戸三百諸侯について語ろう3【藩主】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1228405230/l50


1000 :奇矯屋onぷらっと ◆SRGKIKYOUM :2008/12/05(金) 00:59:23
1000

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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