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女官について語るスレ

1 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 23:05:10
古代から近現代まで何でもOK。
原則宮中に出仕してる女官で宜しく。
さ、始めましょー(御所言葉)。

2 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 23:13:22
にょか〜ん

3 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 00:24:04
雅子妃に、最初からお付きの女官は、カウンセラーだったが、
それにもかかわらず、適応障害を引き起こさせ、引責辞任。
今、大学教授をやっている。

4 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 21:38:54
本当に適応障害なのかもわかんないよ
単なる心理的ショックが大きくて公務がいやんなっちゃってるだけかも

5 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:11:27
明治天皇の女官、小倉文子について語れ。


6 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:16:06
生源寺伊佐緒っていう男みたいな名前の女官が明治時代にいたらしいね。

嘉納治五郎の親戚で、嘉納の出世のバックアップしたらしい。

7 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 19:18:16
明治天皇は、園祥子を一番寵愛してたのかな?

8 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 20:58:58
后妃に仕えた女房もこのスレでいい?
興味のある女官は称徳天皇に仕えた吉備由利。
称徳が危篤のときに唯一そばいることが許された人物。名前も現代風で可愛い。
もう一人は徳川和子に仕えた石井局こと西洞院行子。
和子が石井局の働きを労って半家の石井家が創立された。

9 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 22:01:03
>>8

吉備由利は真備の妹だとか娘だとかいわれるけど
吉備氏の系図によると姉だったらしい。
なので、称徳の最後を看取った時はかなりの高齢だったらしいね。

10 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 22:54:14
>>5
>>7
おまえさー、「明治天皇の皇后と側室」のスレ主だろ。
おんなじ丸投げの質問書いてバレバレなんだよ。
具体的な質問ならいいが、そんな包括的な質問誰が好き好んで2ちゃんで
延々教えてくれると思ってんだよ。んで次は「千種任子につて語れ」「任子かわいそうやー」とか
言い出すんだろw馬鹿はさっさとしねや、ぼけ!

>>8
吉備由利なんて知らんかった。実際は何て読むんだろうね。
京都にはたまにある苗字だよ。「由利」「由里」は。「ゆり」と読むけど。
彼女の弟も「泉」「牧雄」。前田利家の娘たちっぽいポリシーある命名する親父だったんだな、まきびは。

11 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:17:22
東福門院は石井家のほかに東久世家、千種家も女官の身内に設立させている。
もしかしてほかにもあるかもしれない。


12 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:15:08
孝明天皇の時代、内裏は酒池肉林だったらしい。
まーーーー監禁生活だからね。

13 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 08:03:23
孝明天皇の初期の女官は半分以上が先代仁孝天皇からの女官で年上が多い。
自分用の若い女官が一人か二人だったらしい
若い女官をいれたくても、女官候補の実家がお金がないのでいれたがらずに朝廷のほうで
手当てをふやすからということだった

14 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 15:09:06
>若い女官をいれたくても、女官候補の実家がお金がないのでいれたがらずに朝廷のほうで
手当てをふやすからということだった
 
ソース出して。
そんなに出仕するのに金かかった?
むしろ宮仕えしたら手当てもらえていいんじゃないかと。
あと、定員もあるから、古い人がお役を下がらないといけない。
むやみに増やせないと思うよ。

15 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 15:15:48
名家や半家などの娘って嫁ぎ先も確保できず宮仕えもできなかったら
どうしてたんだろ?地下官人の家に養子にいく堂上庶子は当たり前にいたから
たぶん彼女ら堂上の娘も地下に嫁いだりしてるんだろうけど、摂関家など皇位の公家の家に
家女房として仕えたりしたのかな?
英照皇太后の公母も唐橋家の女になってるけど、九条の正妻じゃないし、どういう立場の女だったんだろ。
近衛家でも、あの老女・村岡は地下の娘だしね。唐橋みたいに下流の堂上の娘が禁裏じゃなくて公家の家に
家女房として仕えることはあったのかな?
門流の家に仕えるのは平安末期くらいはあったみたいだけど、江戸時代はどうなんだろ。

16 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 15:16:53
すまん3行目

× 皇位の公家の家
○ 高位の公家の家

17 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 17:31:00
>>14

「忠成公手録書類写第三」
日本史籍協会叢書124 三条實萬手録一の129ページ

嬪御之人被召出候節兎角可然人躰を難被為得毎時御困り之由其故は元来微禄御困窮之簪紳家之御義
右御申上候は出勤之節支度調兼無據借財等ニて取繕被差上・・・・

とある。宮中に上がるまでの費用がかかったりあがった後も交際費にお金がかかるとおもわれ
子供ができた日には産所もつくらなくてはいけないし、物入りなのでは?


18 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 17:47:35
>>15
新中和門院の生母町尻量子は女院の祖母常子内親王の侍女だった。
貧乏公家の姫の片付け先としては大奥上臈、大名家上臈、出家など。
大名の国元御前になった姫もいる。運がよければ御生母様。


19 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 18:27:13
明治天皇生母は、悪いけどブ○・・。

20 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 18:57:41
>>19
あの写真、鼻の穴でかいよね、鼻輪つけた牛みたいだ。
でも、あれが「中山顔」みたいね。明治期の中山侯爵家令嬢がそっくりな目だった。
昭和帝にも少し面影あるんじゃないかいな。

>>18
大名の側室は、結構江戸期の早い時期から国持ち大大名だとみられるよね。尾張家や伊達家。
中期以降になると、10万石弱くらいの、大大名とはいえない規模の大名家にも側室として公家の姫が
いっぱいいるよね。松浦とか。
冷泉家の姫なんて2代続けて岩出山の伊達家に嫁いでる。これは正室だけど、分家だもんね。
和歌の縁があっても、本家の正室ではつりあわないわけだもんね。
島津では、一橋家出身の正室がいた重豪が、男子がいないから竹姫ばあさんのあっせんで京に側室を求め、
甘露寺前大納言の娘・綾姫が側室に上がり、国許に下って間もなく、江戸の正室が亡くなり、綾姫は晴れて
正室に格上げ、幕府にもお届け、に至った、ってケースもある。
しっかし、いくら公家は貧乏とはいっても、大納言家の姫が、官位では下の家に妾奉公とは。
ちょっとこの辺の事情、気の毒というか何と言うか、公家側ではどんな認識だったんだろうね。
決してそれで当たり前、という認識ではなかったと思う。

21 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 20:46:09
>>18
近衛家熙の正室は霊元天皇の皇女憲子内親王。
町尻量子は正室憲子内親王没後家熙の妻になった
もっとも摂関家の正室としては町尻家は不十分であったらしく
公的な場所に出ることは許されなあったらしい


22 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:30:09
>>21
摂家の正室の「公的な場」って何?

家業を持った家の正妻はその家業の業務の重要な役割を担っていたらしいけど。
山科家とか。馬鹿女じゃつとまらないほどみたいね

23 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:40:39
>>22
近衛家で行われる数々の公式な行事のこと。
憲子内親王は当然これに出席していたけれども、
町尻量子は出席できなかった。
妾扱いであったため。
公家の家で年中行事が行われていることは
知っているよね?


24 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:57:46
なるほど。
具体的には何か役割があるの?鎮座ましますだけじゃなくて。
山科家正妻などは、実際に装束の注文を受注し、裁縫まで行っている。
中世ね。江戸期は知らん

25 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 21:58:50
妾扱いか。
家女房とは違うのかな?

26 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 16:44:25
孝明天皇は、中山慶子になんで手を出したんだろう。


27 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 17:58:15
孝明天皇附きの女官は年増ばっかだったんだよ。父帝の女官をそのまんま引き継いだから。
若い天皇に年齢が釣り合わないわけ。んで、女官を入れ替えてみては、という九条らの提案を、
孝明天皇はその辺は優しいから、職を失うことになる女官を慮って実行しなかったんだけど、
たまたま欠員が出て、新しく中山慶子が出仕するようになった。んで、当然若いの他にいないから
手がついたわけ。『幕末の朝廷』(家近良樹著)でその辺の経緯説明がある

28 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 19:57:37
しかし、孝明天皇の後宮は酒池肉林だったとある。
ブ○の慶子に手をつけなくても・・・。

29 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 20:05:02
それは後の話
中山に手をつけたころはまだ孝明さんも若くて、
女御の九条凪子くらいしかいなかったんだよ

30 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 20:16:16
>>24
近衛家の主人とともに摂家としての行事を主催することは
妻の重要な務めだが?
摂家である近衛家の正妻が裁縫はないだろう、
貧乏公家の真似をしなくてもお付きの女房にやらせたらいい。
>>25
家女房は正室がいる場合、主人や正室に仕えているという意味での家女房。
ただ、町尻量子が家熙と結ばれたとき家熙は正室と死に別れた男やもめで、
家熙は以降正室を持たなかった。
町尻量子は家熙の実質的な妻扱いではあったのだが、
家格が釣り合わなかったために正室扱いは受けず、
公的な場所(公的な行事への出席や、摂家の正夫人として内裏へ参内すること)
への出入りはできなかった。

31 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 20:39:39
>>15
摂関家や宮家の娘たちが江戸に嫁にいく際におつきの女房としていくことがある。
摂関家や宮家に使えてそのまま江戸へ一緒にいく場合と、江戸へ嫁に行くので新規におかかえの場合があるらしい。
あと、将軍家や御台所の上臈としていくこともある。その縁で兄弟たちが武家にあるときもある。

ほかには大名の家臣、旗本、地方の神職や浄土真宗系の嫁になることもある。
あと尼寺にはいるとか。

地方に嫁げば「公家のおひめさま」ってありがたがられる立場なんだろうか。地方に行っちゃえば二度と両親とは
逢えないだろうし習慣や言葉なんかも違うだろうから大変だろうね。


32 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 20:51:19
>>29 准后とは、公武合体や尊皇攘夷で考えの違う九条家の出ということで
   途中から仲悪かったらしいね。准后の方が美人だけど。
   でも、岩倉具視の妹とか何人かいたじゃん。

33 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:16:21
孝明天皇の女御、側室たち

女御;九条夙子(孝明天皇より3歳年下)

典侍;坊城伸子(孝明天皇より1歳年上)

内侍御雇;中山慶子(孝明天皇より4歳年下)

内侍;堀河紀子(孝明天皇より6歳年下)

内侍御雇;今城重子(孝明天皇より3歳年上)

(役職は明治天皇の手がついたと思われるときのもの)
孝明天皇が中山慶子に手をつけた1851年当時、
坊城伸子は難産でこの前年に死去していたものの、
女御九条夙子、並びに
四奸二嬪で有名な孝明天皇の寵姫今城重子は
すでに孝明天皇の傍にあって寵愛を受けていた。
年の若い堀河紀子(岩倉具視異母妹)が孝明天皇に仕え始めるのはこの翌年。
(明治天皇生誕の年にはじめて宮中に出仕)。

中山慶子がおそらくたった一回のセックスで受胎したのは事実らしい。
宮中で噂にもならず、父の忠能も娘に帝の手がついたのを知らなかった。
一回きりのセックスならだれでも良かったでしょ。
孝明天皇も若かったし。


34 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:43:49
父親も分巣な慶子の妊娠を疑ったらしいね。


35 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 21:49:40
>>34
父親が本当に自分の娘をブすだと思っていたなら
宮仕えになんか出さんだろw
若い頃にはあれはあれで見れる顔だったんだよ
堀河紀子だって妖艶な美女のように言われているが
兄貴の岩倉具視はガマガエル顔だし

36 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 22:49:29
岩倉具視のDNAは眉目秀麗で有名じゃん。
娘や孫娘は美女揃いだし、それは男子も端正な顔立ち揃いだよ。
加山雄三の娘たちも品があって美人だしね

37 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 22:54:22
>>33
>中山慶子がおそらくたった一回のセックスで受胎したのは事実らしい。

すまん、変な所気になっちゃって何なんだけど、ソース宜しく。
そんな超ソフトなこと、どうやって伝えられてるのか気になった。

38 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 23:25:46
中山慶子は宮使え後もチョクチョク実家に戻ったりしてたらしい。
自分の娘ながら不美人で自由人な慶子が帝以外の男の子供を
身ごもったのでは??と疑ったちゅー文章を昔見た。

39 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 23:33:12
中山家的には、既に後宮で女官長をしていたお清の女官(慶子の大叔母)
みたいになれば家も助かる、位に考えてたんだろ。
大正天皇の生母愛子も最初は皇太后つきの女官だし。
帝の外戚になるよりも、岩倉みたいに別の野望があっただろ。

40 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 23:40:40
>>38
その文章とやらは、信頼のおける出典だったのかなw
>>39
柳原愛子に手がついたとき、父が怒ったと伝わってるね。ほんとかな。
「最近の若い人は・・・!」とか明治天皇のことを言って。明治帝の手が娘につきそうなのを
最初から父はわかっていて、んであえて娘を皇太后の御所に出仕させたのに、まんまと明治帝の手が
ついてしまったので怒ったとか。娘に帝の手がついて怒る理由が思い浮かばない。

41 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 03:14:38
それまでの皇族にチカラがなさすぎだったからね。
内裏に軟禁状態だったし。

42 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 08:47:12
不敬罪!

43 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 13:02:30
中山慶子=研ナオコだな。

44 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 20:18:17
慶子=aiko

45 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 20:51:13
>>40
天皇の妾になることが娘にとって幸せかどうかは分からない
愛子はおとなしい女で宮中でもでしゃばることがなかったというし
女官たちの嫉妬に耐えられないと思っていたのかもしれない
同じくらいの家柄の公家の正室となったほうが幸せであることも多い
父親が願う娘の幸せは傍目には分からないよ


46 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 22:04:24
>父親が願う娘の幸せは傍目には分からないよ

この時代、臣下の身で明治帝のことを「最近の若い人は・・・!」と言って怒る、
それが事実ならば、そんなヒューマニズムの話じゃないと思うんだが。


47 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 22:15:18
柳原光愛は江戸時代を生きた公家だよ
明治になってからの絶対君主制、天皇神格化は知らないの
案外江戸時代から帝に日常的に接していた公家たちは
明治になったからと言って急に
帝を神だの神聖だのとは思わなかったんじゃないだろうか
明治天皇の皇后や側室たちも皆公家の出だしね

48 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 00:31:10
妄想乙
おかみだいじだろ

49 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 12:05:05
明治帝の側室の父は皆江戸時代生まれじゃボケ。

50 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 13:54:11
柳原愛子は運よく天皇生母になれたからよかったものの
それ以外のお手つき女官なんて出産養育費用が掛かるわ、
天皇の死後は出家して女官としての手当ても失うし、
必ずしもいいものじゃない。
お清のまま女官として出世してくれたほうが家計も助かるから
柳原光愛が愛子の妊娠を怒っても不思議ではない。



51 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 14:07:18
柳原卿が、愛子の妊娠を怒ったのも、もともと明治帝のおそばに上がらせたわけじゃないから。
皇太后の御所にあがらせたのに、まんまと男(明治さん)の手がついちゃったから怒った。
ちなみに愛子はひどくヒステリック(たぶん血圧低そうな、神経質そうな顔つきしてるし、慢性的な
甲状腺の病気とかあっていらいらしやすかったのかと想像)で、妊娠中などは気が高ぶって大変だったらしい。
実際お産も難産続きで、早い段階からおしとね辞退を申し出たらしい。大奥側室じゃないから「おしとね御免」じゃないけど、
女官の仕事のひとつである侍寝のお勤めを免除してもらった、ってことらしいけど。

52 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 14:12:31
辞退する前に、愛子付きの老婆が噂撒き散らして、
夜の相手を再拝していた、高倉寿子に降ろされたんだろ。

53 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 14:48:23
>>52
>愛子付きの老婆が噂撒き散らして
詳しくw

54 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:12:38
ヒステリーが酷くて、付いてたナースが逃げ出して
お付の老女だけ残って大変だった、っていう主人の恥を
周りに言いまくった。

初産じゃなくても葉室、橋本とお産で死んでるから命がけジャン。

55 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:22:57
アホか。

56 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 19:57:51
>>50
それは江戸時代まで。
明治時代になると天皇家にも武家の嫁入りのしきたりが取り入れられ、
明治天皇の側室たちは子供を産むときに実家へ帰ることが許されなくなった。
よって、側室たちが産む子の出産費用、養育費はすべて天皇家もち、
天皇家が養育係まで付けて育てることにした。
雅子妃が出産のときに母親に付き添われていた(美智子さんもそうだったんだけどね)
といって2ちゃんねるでバッシングされているけれども、
長い歴史から見れば皇族や未来の天皇はすべて母親の実家で母親の親兄弟に囲まれて
生まれていたわけで。
天皇や皇族の妃は明治時代から出産のときに実家に帰れなくなったんだ。
当然、明治時代から、妃や側室の実家が出産費用や養育費を出す必要はなくなった。


57 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 20:20:22
>>51
微妙に違う。
柳原愛子が妊娠中に気が高ぶったという記録はない。
ただ、難産体質で明治天皇の寝所を辞したのは事実。
産が重かったためか産をするときに泣き叫んで暴れた
一般人の妊婦でもよくある光景
ただ皇室では御法度だったらしい
高貴な人は自分がとりみだした姿をけして他人に見せてはならない
ましてや自宅出産が禁じられた明治時代以降
出産時に取り乱す高貴な人の姿は女官たちの物笑いの種にもされたらしい
香淳皇后(昭和天皇皇后)の出産に付き添った人の話として
皇后は陣痛の最中にも一言も声をけして発しなかったとある
それが高貴な人の出産だということらしい

58 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 20:56:41
愛子は大暴れしたから、極度のヒステリー状態にあったと記録にもある。

59 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 21:04:22
>>58
お付きの女官が産が重くて暴れたと言いふらしただけで、
ヒステリーだという診断結果はない。
ヒステリーだという史料をあげよう。

60 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:37:17
ドナルドキーンがいくつもの資料で書いていると述べている。
ベルツとかも書いてるんじゃねーの。

61 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 03:35:09
>10
結局、このスレは「明治天皇の皇后と側室」のスレ主に乗っ取られたということ?
明治天皇以外の女官を語ろうよ。

62 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 09:05:09
明治大正と一条朝については専用スレがあるから
ここではそれ以外の時代を語ったほうがいいかもね。
北条政子と張り合った朝廷の権力者藤原兼子なんてどう?
鎌倉時代は女官も女房も面白い人が多いよ。

63 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 11:45:13
和泉式部について語れ!

64 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:32:52
いや、別に流れにまかせてつれづれなるままに進めばいいと思うよ。
明治期の女官の話だって興味深いし。
鎌倉期の女官といえば、個人的には、後深草院二条が興味深いなあ。
村上源氏の嫡流・名門久我一門の姫ながら、父が早死にしたこともあって
后妃ではなく女房として仕えなければなからなかったり、不運な人だよね。

65 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:41:09
「とはずがたり」は日記といえど源氏物語を意識した創作も多い、なんて説もあるけど、
実際読んでいくと、彼女の考えや悩みが現代人の思考や煩悩と何も変わらないということが読み取れて、
宮中生活が身近にかんじれる良書だと思うんだよね。
晩年の記述では、旅をして地方の遊女と身近に接した経験から彼女は、自分のような御所の女官も、春をひさぐ遊女も
本質的には似ている人生だ、と言っているところとか、当時の高貴な姫がここまで言えるなんて何て賢い人だったのかと
感心するよ。セックスしまくりの美しい女官だったのは間違いないでしょう。

66 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:50:29
>>60
本人が聞いたのではなく、孫引き、ひ孫ひきなわけかいw
それで、君はドナルド・キーンがかいた原文を読んだわけ?

67 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:55:22
>>64
後深草上皇が二条に手をつけたのはまだ父存命中。
父もその後妻もすっかり乗り気で、衣装を準備したりとそわそわしていたようだ。
雅忠も、娘を女御にしたいのならば、女御として正式に入内でなければ
娘に手を付けることを許さないと断固とした態度をとればよかったのに。
後深草院が女房待遇のまま二条をこっそり犯すのを手助けした上、
病床で二条が妊娠していることを知っても尚、後深草院に何の働きかけもなし。
二条は男子を産んだが母方の四条家でこっそり育てられこの皇子のことは皇胤本朝運紹録にも載ってない。

68 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:04:01
だから、不運だっていうのさ。
鎌倉期の後宮なんて、
政権を武家に取られた後遺症で
すごく退廃していたのがよくわかるよ。
セックスくらいしか楽しみなかった、というか
なにかある種の狂気を感じるくらいだ

69 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:05:17
>>66
ドナルドの『明治天皇』っていま文庫本になってて非常に詳細だけど
あれってどこまで信頼できるわけ?

70 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:22:45
>>67
当時の久我家では西園寺家に立ち向かうことはできないだろうから
どう踏んでも女御にはなれなかったんじゃない?
だから女房のままでも皇子を産んでもらって即位できる可能性にかけたんじゃない

71 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:45:56
>>70
後深草院にはすでに煕仁親王(のちの伏見天皇)をはじめとする
諸皇子がいたから女房待遇の二条が皇子を産んでも即位は無理。
この時代、后の位は西園寺家が独占していたけれども、
後深草天皇の中宮だった西園寺公子(東二条院)には女子しかなかった。
煕仁親王の母は西園寺家傍流の洞院家の出だが、
女房扱いとは言えひとつの殿舎をもらい、東の御方などと呼ばれていた人だった。
ほかの皇子を出し抜いて即位させるには二条を女御にするしかない。
西園寺家だって承久の乱ごろまではぱっとせず、
鎌倉幕府と親しかったことでにわかになりあがった権門家。
雅忠に天皇の外祖父になるだけの根性はなかったようにしか見えない

72 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:54:50
>>69
ドナルド・キーン自身が明治天皇に会ったり身近にいたわけではない、
史料や文献をあさってこれはこういうことだ、と私見を導いたのがあの著書。
それに従えば、柳原愛子にヒステリーだという結論を下したのはドナルド・キーン自身であって、
ドナルド・キーン自身は柳原愛子に会ったことも見たことすらない

73 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:19:26
「とはずがたり」のなかに、二条の父が、「二条」なんていう小路名を女房名にするなんていやしからん、と
不服を奏上したところ、院からは「たしかに皇室から分かれて間もない源氏の家の姫なら「○○方」や「××殿」
という名前が適当だとこたえがあったらしいが、うやむやになってしまったことも、
二条のストレスになってたみたいね

74 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:41:00
>>73 つーか元寇とかで北条時宗が過労死していたときにSEX三昧かよ>宮中

75 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:06:01
とはずがたりのなかには、たったの一行も元寇のことがでてこないんだよ〜
すごいでしょ〜

76 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:24:18
二条は何歳で死んだんだ?北条時宗は、元寇のために30歳そこそこで過労死してるのに。

77 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 15:50:52
三笠宮殿下の双子説を一番握っているのは園祥子である。

78 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 20:21:33
>>77
そんな話どうでもいい。
だから?
河原本オタクよ。

79 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:08:02
>>76
二条なんて持ち出してこなくても
幕府内にすら元寇の頃ぬくぬくと長生きだった奴がいっぱいいるじゃんw
後深草院も亀山院も長生きだしね
時宗も元寇なんかより毒殺のほうがよっぽど怖かったんじゃないの?
元が京や鎌倉まで攻めてくることより
自分が毒殺されることのほうがよっぽどあり得ると思っていたでしょ
親父も毒殺されたし

80 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:24:20
>>74
時宗も元寇の最中セックスぐらいしてたって

81 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:37:09
まあ女官の話題からそれるが
あの時代の執権の早死にの多さは一体何なんだ?
毒殺の多さは何なんだ?
過労死の多さは何なんだ?
なぜあの時代なんだろう。

82 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:53:56
>>73

時代によって変わるのかもしれないけど女房クラスの候名で
「〜の方」「〜の御方」「〜局」「〜君」「〜殿」と「二条」「三条」だと格がちがうの?
上記の7つをランク付けするとどれが一番上?

83 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 22:10:30
>>82
女房の候名で「〜の方」「〜の御方」「〜殿」というのはないよ
逆にいえば「二条」も、実際に周囲の女房に呼ばれるときにはそのまま呼び捨てということはない
(平安時代ぐらいだと女房名に「こそ(○○さん、という意味)」を付けて呼んだりしたようだ)
通り名じゃなくてたとえば「大納言局(父親が大納言だし)」とか
親兄弟の官職を冠してくれってことだったんじゃないの
「○○方」とか「○○殿」とかは例えばその女性が結婚したり、
天皇の手がついたりして自分だけの建物を所有したときに、その建物を冠して呼ぶ呼び名。
宮中に「局」をもらっているだけの女房にその名はない。

84 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 11:55:04
和宮は、橋本夏子の叔母?
明治天皇の叔母でもあるけど。

85 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:25:51
実久┬実麗┬麗子(東坊城夏長室)─夏子
   │   │
   │   └=夏子
   └経子─和宮


夏子が生まれた翌年に夏長がなくなって弟が家を継いだので母子で実家に戻る
そのご実麗の実子として宮仕えする

86 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:35:20
>>85 dクス!なんか複雑だな。

87 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:46:24
園祥子は明治天皇に最も寵愛されたという。

88 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 01:26:28
>>87>>5>>7>>63

おまえ、「明治天皇の側室と皇后」スレはもう終了したんだよ!ボケ!いつまでも同じ事ばっかり書き込んでんじゃねえよ!失せろ!!

89 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:13:12
中山慶子って1回しかセロクスしたことない人生だったんだな・・・。

90 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:10:07
いまの現役の女官って何人くらいいるの?

91 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:44:11
老々介護で有名になった北白川女官長の若い頃の写真がみたいぜ。

92 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 17:15:43
孝徳天皇の乳娘について語ろう。

93 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:45:32
>>92
・・・女官か?

94 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:56:15
現役女官たちと合コンしたい・・・

95 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:25:20
そういえば皇居内の賢所に勤めている女官は今でもおすべらかしで袴着てるらしいね。
昔どっかのテレビで見た。

96 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 22:47:17
ちょっと前に刊行された『宮中賢所物語』。女官が書いてて話題になったね

http://www.tsutaya.co.jp/item/book/view_b.zhtml?pdid=40463315

97 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 03:14:30
>>94 明治天皇の権典待と合コンしたら誰選ぶ?

98 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 03:57:03
女官との合コンでヤドカリ攻撃w



99 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 21:48:00
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100 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:14:00
医者は女官が好き?

101 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:33:24
医者的に行って柳原愛子はヒステリーだから。

102 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 16:24:52
>101
出産のときに騒いだだけでヒステリーなら
この世の女性は全員ヒステリーだな
お前は医者じゃないからだろうが
出産のときにはそれこそ大声を上げる、
医者をひっかく、ものを投げる、
手当たり次第八つ当たりする、
それこそ妊婦は鬼のような形相になって子供を産む

103 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:01:48
今の女官って俸給どのくらいなの?

104 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 15:38:46
高貴な人間が痛みを我慢して出産する常識を超えていたから>愛子

現在の平民と比較するな。

105 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 16:20:33
>>103
今の女官って?宮内庁職員の公務員の事ですよね。
若い人がいるとしたら只の宮内省の女子職員。
女官職はほとんどおばさんじゃないのかな。
それとも掌典職のほう?
此方は天皇の私的使用人の性格を持っている「内廷の職員」。
儀式の伝承の必要もあり若い人から定年過ぎの方までいらっしゃる。
尚、人件費は皇室費の内廷費からでています。

106 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 17:01:19
定年間近より若い女官がいいな

107 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 21:19:30
黒田清子さんの自宅にも「女儒」がついてるよね

108 :sage:2008/08/16(土) 23:55:09
>>91
「北白川祥子」でググってみ。
ウィキに永久王との結婚写真が出てる。
洋装だけど、現代でも十分通用する美人で
初めて見た時「こんなきれいな人がいたんだ」
ってビックリした。姪にあたる常陸宮妃華子さま
の若い頃に何となく似てるよ。

ウィキの「永久王」には十二単姿(和装)の写真が
載ってる。こっちの方はキレイと言うより可愛い
印象。洋装と和装とでは随分変わるんだなと思った。


109 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:00:43
sage方間違えた、恥ずかしい。
祥子さんの洋装写真、貼っときますね。
それにしても、戦時中とはいえ結婚生活の
短さが悲しいわ。子供に恵まれたとはいえ…。
本当に北白川宮家は「悲劇の宮家」だったのね。

ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Kitashirakawa-no-miya_1935_2.jpg

110 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 03:45:01
北白川は、山階とともに美形の宮じゃの!
反対はカヤ宮ってことでー。

111 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 11:42:26
>>91
老老介護って祥子妃は介護するがわ?される側?

112 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:55:33
皇太后の介護してたよ。

113 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 15:59:28
介護するのは皇太后宮付きの医師団でしょう。
祥子さんは女官長だったけど、高齢だし元皇族
なので、あくまでも名前だけの女官長だったん
じゃないのかな?皇太后がどこかの御用邸に
静養に行くときのニュースをチラッと見たけど、
キャスターが「皇太后さまだけじゃなく他の
女官の世話もしなくちゃいけないから大変」みたい
なコメントしてたのをかすかに覚えてる。

114 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 21:00:08
松園英子女官について語れ

115 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:33:57
>>114
また出たな、マイナー女性の名前挙げて「○○について語れ」って書き込むオナニーニート。
自分で調べろ、出てけ!

116 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:44:20
北白川女官長が、皇太后の車椅子押してただろ。

117 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 23:27:13
>>116
そんな場面があったんだ。でも北白川さんには
重労働だっただろうね、大正生まれの方だから。
どんな経緯で女官長になったんだろう?元皇族
だからかな?華子さまが関係しているから?

これからは「老々介護」が当たり前の風景に
なるんだよね。考えただけで気分が落ち込む。
話そらせてスマソ。

118 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 07:44:57
13宮家が一般人になって、没落していく中、竹田と北白川は、別荘売却などして
比較的、元宮家の格式を保てたといわれます。祥子さんには、房子内親王という
姑がいて、夫を亡くしているから自分が何とかしなければ!という気持ちは
強かったと思われ。さらに、嫁入り前に行く華族女学校ではなく、御茶ノ水女子の
前進の女子師範学校OGという才媛だったから、女官という道をよしとしたのじゃまいか?

119 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 08:11:07
>>118
そうだった、祥子さんは現お茶の水の出身だったんだ。
華族なのに、現学習院には行かなかったんだよね。
「才色兼備」とは彼女のような人を言うんだなあ…。

姑の房子さんとは仲良かったのかなあ?でも房子さんは
夫も息子も亡くしているし、皇籍離脱後は何が何でも
北白川家の家格を守ろうと必死だったんだろうね。自分が
明治天皇の娘というプライドもあっただろうし…。
祥子さんが女官長になった頃はもう既に故人だったっけ?

香淳皇后にとっても、祥子さんの存在は大きかったと思う。
祥子さんが永久王妃になった時、既に皇后だったけど、
没落を免れた旧宮家の妃であったこと、姪に華子さんが
いたことなど、女官長として申し分のない家柄だったことが
大きかったんだろうね。昭和天皇の訪米の際、皇后も同伴した
けど、ようつべに皇后の後ろに祥子さんの姿が映ってた。
若い頃の美貌をかすかに残した、品のある顔立ちだったなあ。
皇后は晩年「老人特有の症状」だったけど、祥子さんのことは
認識できたんだろうか?長年そばにお仕えしていたんだけど…。

あと「女官」とは全然関係ないけど、祥子さんの長男道久さんの
最近の写真を見たらお母様そっくりで驚いた。美男子だったよ。
長文スマソ。

120 :119:2008/08/18(月) 08:30:10
書き忘れた、祥子さんのお兄さんは昭和天皇の
侍従長で「徳川ブラザーズ」って呼ばれていた
らしいね。よっぽど二人とも天皇皇后の信頼が
厚かったんだろうね。

121 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 09:02:25
東芝定年退職して、いまは伊勢神宮の宮司だよね、北白川氏。
娘しかいないみたいだから、北白川家も彼で途絶える。
最近雑誌に登場していたが、えらが張って四角顔のブ男だった印象が強い。
眉目秀麗だった父や祖父の面影まるでなし。

祥子さんは、60代くらいの写真を見たことがある。
目がパッチリして、庶民的で優しく明るい印象のおばちゃんに見えた。
ウィキには、三島由紀夫が学習院時代に惚れていた、って書いてあってびっくり。
祥子さんの弟が学習院で三島と親友だったとかで、『春の雪』のヒロインのモデルだとか。
たしかにあのヒロインは幼馴染との恋を裂かれて宮家の妃に内定する筋書きだったが。
関係ないけど、数年前の映画で竹内結子が演じててすごい綺麗だった。

ちなみにどっかで読んだけど、三島由紀夫は正田美智子さんとも見合いをしたことあるらしい。

122 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 12:36:35
>>121
そうそう、祥子さんって若い頃から目がパッチリしてるよね。
漏れには庶民的には見えなかったが、穏やかで品のある人
だなあと思った。道久さんは祥子さん似だよ。永久王には
あまり似ていないと思う。

道久さんの子供は皆女の子だから、跡継ぎがいない=将来絶家、
と言う意味ではやはり北白川家は「悲劇の宮家(もう宮じゃない
けど)」なのかもしれない。そういえば長女か次女か現皇太子の
お妃候補に上がっていたね。道久さんの妹の肇子さんも今上の
お妃候補に上がっていたから、数あった旧宮家の中で突出してると
言えるだろうね。

漏れもウィキで三島由紀夫が祥子さんに惚れてたことを初めて知った。
小説は読んだことないけど、てっきり三島は男色だと思い込んでたw
祥子さんってやっぱり美人だったんだな…。皇太后崩御後、皇太后宮
職は廃止されたが、今は自宅でノンビリ余生を送っているのかな?



123 :122:2008/08/18(月) 13:22:33
書き忘れてた。
黒田清子さんの結婚式、宮司を務めたのが道久さんだった。
新聞に「北白川道久宮司」って書いてあったのを思い出した。
やっぱり北白川家は皇室と今でも深い縁があるんだな。
肇子さんが今上のお妃候補から外された時、旧宮家や華族の
人たちがすごい落胆したこともどこかで読んだなあ。それが
平民出身の美智子さんへのいじめにつながるんだよね。
祥子女官長と美智子妃の関係も知りたい。複雑だったろうなあ。

124 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 14:46:01
肇子さんは、お妃候補になったけど少女時代に蟹工船などの
プロレタリア文学読んだりしているから、皇族には行きたくないだろ
それくらいなら、今上のはじけた妹のいる島津の方が気楽だ。

125 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 14:54:52
>>124
「今上のはじけた妹」にワラタ。おスタちゃんね。
確かに、皇室に入るよりは島津家の方が気楽かも。
皇室に入ると近親婚(今上も肇子さんも明治天皇の
血が入っている)になって、障害を持った子供が
生まれていた可能性は否定できない。肇子さんが
「蟹工船」読んでたなんてちょっと意外。少女期は
もう戦後だったから許されたのかな?

126 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:15:05
房子内親王は、事故の後遺症で足が悪かったし
息子も死んでるから、祥子さんに頼ってたと思われ。
また、4内親王の嫁いだ宮家も東クニ宮以外
何とか、家格を保ってる。妹の夫の浅香宮あたりに
相談したんだろうか?
(それにしても東クニ宮悲惨だな)

127 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:23:48
>>126
姑の立場と言えども、実際は事故で体が不自由になり
祥子さんに頼らざるを得なかったということね?

朝香宮家→当時夫妻が住んでいた宮邸が一般公開される
     ほど素晴らしい内装を維持しているらしい。
竹田宮家→JOCの会長がいる。息子はちょっと怪しいが。
東久邇宮家→戦後間もない頃に首相を出した(しかも
      超短命内閣)、怪しい宗教を始めたり嫁の
      成子さん(昭和天皇の長女)が若くして
      亡くなったりと踏んだり蹴ったり。

東久邇宮家はマジで悲惨だな…。

128 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:25:27
今上には、5人候補がいたんだよね肇子さん、母方の従姉妹ミチコさんとか。
後誰だっけ?確か、5人の中で後に米国で息子と共謀して夫を殺害した女性が
入ってるんだけど。

129 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:29:30
僕は立つ(勃つ?)と鼻息荒い若者のいる竹田が抜きん出てるなw

130 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:39:14
園祥子の生んだ内親王では、一番撫すだが浅香宮妃殿下が一番幸せかも。

竹田:夫に先立たれる。
北白川:悲劇続き、夫&息子泣くなり、戦後の苦労も。
浅香:自分のデザインしたアールデコの新築の家が立ってすぐに死亡、しかし戦後の苦労や、その後夫が芸子を落札したことなど知らず、夫と楽しい生活を楽しんだ短い人生だった。
東クニ:夫、息子が死んでも外国から帰らず(裏には女)兄天皇が死にそうになってやっと戻る。首相になるも形ばかりの短命内閣。その後、商売、宗教、女問題など息子すら飽きれるじーさんぶり。長生きできるが、夫に苦労した人生。

131 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:40:48
>>128
そんなに候補がいたの?昭和天皇はたしか3人だったよね
(一条朝子、梨本宮方子女王、久邇宮良子女王)。
「米国で息子と共謀して夫を殺害」って、そんな人が実際に
入内していたら皇室はどうなっていたことやら。クワバラ。

>>129
竹田家の若息子、怪しくてしょうがないんだけどw
そんなに皇族に戻りたいのかなあ?ゆうちゃんが
生まれても男性皇族は依然絶滅危惧種状態だから、
貴重な存在なんだろうけど、あんまり声高に言って
るとあちこちから狙われるぞw

132 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:46:39
夫殺した、元候補はDQNな放蕩息子を溺愛するあまりの殺人だったような?
夫はまともな人だったけど、息子は女を妊娠させたりとかなり痛い若者だったような。

133 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:49:22
○条とかいう公家華族の人だったかと。
ちなみに被害者になった夫は、一般人の会社員だったような。

134 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:50:00
>>130
東久邇稔彦さんだっけ?超短命内閣。でも本人は
100歳以上生きているんだよね。
ウィキにしっかり「発展家」って書かれていて
ワラタ。息子が関東大震災で亡くなったのに、
帰国しなかったんだっけ。奥さん、自分と同じ
皇族に嫁いだにもかかわらず、気苦労が絶え
なかっただろうなあ。

朝香宮については全く知識がないので(宮邸が
豪華ということしか知らない)、芸子を落札した
なんて初めて聞いた。人生短かったのか…。

135 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:53:53
>>132
そんな人が皇室に入らなくて正解だったよ。
今も問題の人がいるけど、さすがに殺人までは…(現時点ではw)

136 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:55:24
まあ、平安時代にはおつきの家来を殴り頃した帝もいたんだけど。

137 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 16:02:42
そろそろ女官の話に戻そうw 帝の話は別スレで。
でも、思い浮かぶ女官って北白川祥子さんしかいない。
彼女の功績って何かありますか?私にはどうしても
悲劇の宮家に嫁いだ不運の妃、というイメージしか
ないのですが…。

138 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 16:22:52
女官の性の処理について

どうぞ
 ↓

139 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 17:01:16
性欲処理ねえ。どうしてたんだろう??
室町〜安土桃山時代は宮中そのものが貧乏だったと
日本史の教科書に載ってあったけど、さすがに性欲
云々は書いてなかった。
同性愛とかはあったかもしれないね。想像だけど。

140 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 18:48:16
たかが大河スレでのことなんだけど
最近に登場した和宮や孝明帝の生母たちを
「側室」って書き込まれているのに何だか違和感が・・・

そう書き込むのもわからないでも無いけど
将軍家や大名家「側室」のイメージとはまた違う気がして
当時の武家の側室とは制度も成り立ちも相違があると思っているし
何だか気になっちゃうんだよね。
かと言って、上手く説明もできなんだけど。

141 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:06:49
側室じゃないよ、女官だもん。あくまでも官人であり、儀式的な日々の仕事がある。


142 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:13:55
>>139
男子禁制だったのは江戸城の大奥。
天皇の生活空間である内裏は男子禁制ではなく、
清少納言や紫式部の局に男性が訪ねてくるのは有名な話。
男子禁制ではないので天皇に仕える女官たちは禁欲せずともよかった。

143 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:42:06
夫殺しのお妃候補○条って、1,2,4,6、しかないだろ(3の倍数か?)

144 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:52:51
>>143 あと9

145 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:01:26
肇子さんは、兄の読んでた「蟹工船」を読んで。
働かざるもの食うべからずみたいな、労働者階級マンセーの
感想文を提出している。

146 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:02:18
>>143
肝心の9が抜けているじゃん。皇太后を二人も輩出したのに。
1と2は五摂家に入っているよね。でも2の没落ぶりが哀れ…。

147 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:11:17
閑院流の3、菅原氏の5、藤原氏の7、8もいるよ。
けど「お后候補」なら上記の中だと公爵の3しかないわな

148 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:47:16
>>145
ということは、当主の道久さんも読んでいたのか!!
北白川家は意外とオープンというか放任主義だった
のかもしれないね。労働者階級マンセーとはビックリ。

>>147
ホシは3なのか!?

149 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:50:28
3じゃなかったと思う。

150 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:54:36
3だったら、若武者竹田君もビクーリじゃないか。

151 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:01:00
島津さんのはじけた内親王ぶりは、姉と間逆。
女官はどう教育したんだ。

152 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:13:18
>>151
本当に、おスタちゃんのはじけっぷりはどこの遺伝
なんだろうねw
でも皇室に明るい陽を照らしてくれて、国民との
距離も多少縮めてくれたような内親王だったと思う。

昭和天皇の娘たちは全員見事にキャラクターがバラバラ
だよな。大きく分ければ長女と末娘は活発だけど、その
間の姉妹は陰性なイメージがある。それぞれに女官は
ついていたんだろうけど、やっぱり親よりも女官の方が
人格形成に大きく影響しているのかな?おスタちゃん付き
の女官が知りたいw




153 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:24:16
>>152 うちの母が言うには、末っ子で女だから放任された結果ああなった。

154 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:27:15
照宮さんは、明るい優等生タイプだけど。
島津さんは、ピアス空けていたり、デビ夫人や叶姉妹も出席して
いるような派手な集いに派手な服で参加したりと型破りだ。
姪のサーヤの地味な姿から考えると・・・。

155 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:40:39
>>153
>>154
戦争がなかったら、照宮さんは昭和天皇と一緒に
何かの研究に携わっていたかもしれないね。
結婚はあの時代だから避けられなかったかもしれない
けど、本人は「父の助手になりたい」とか言ってた
らしいし。30代半ばで亡くなるなんて、悲劇だよ…。

おスタちゃんは放任されてたの?戦争が激しくなって
あまり構ってやれなかったのかな?あの明るさはどこ
から来たんだろうね?サーヤが結婚した時特番に夫婦
揃って出演してたけど、遠慮がちな旦那よりよく喋って
たなw
プリンスホテルの顧問になったりインテリアコーディ
ネーターの資格取ったり、実に民間に溶け込んだ内親王
だったと思う。サーヤの方が未だに神々しいよ。

156 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:52:05
つーか、婚約のときに有名なセリフ以外にも、料理できませんみたいなw
かなり、自分をさらけ出した記者会見してたしw
三笠宮の千夫人や承子女王に多大な影響を与えたのは島津さんだと思えてならん。

157 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:55:36
福田首相夫人が各国大使夫人と生け花の会を開いていた時
大阪のオバちゃんのファッションを100倍ゴージャスにしたような
島津さんは、マジ浮いていた。まさか、天皇陛下のシスター?みたいなw

158 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:57:55
ほっそりとして顔立ちは、坂本冬実をおばさんにした感じなのにね>島津さん

159 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:07:28
>>156
容子さんの記者会見は新聞記事でしか見たことない。
リアルタイムで見たかったなあ。どんな人なんだろう?
顔写真はヒョットコそのもので滑稽だったけどw
承子さんは文春の記事読んだから知ってる。末端皇族
にもなればこんなもんかって感じ。まだ若いから、
結果オーライならそれでいいんじゃないの?

>>157
大阪のオバハン(当方兵庫在住)はある意味で
日本人じゃないからねw
それを100倍ゴージャスにした、ってどんな
感じ?全く想像できないんだが。日本の象徴の
妹君がそんな状態になっているとは…誰か
暴走を止めるヤツはおらんのかw

160 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:32:53
千容子さんは、例えるならカバ系。
両親のどっちに似たんだろう?
浅香宮妃殿下(明治天皇内親王)よりカバ系。


161 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:34:50
三笠宮は、近衛さんが一番まともだ。
容子さんは、サザエさんの脇役で出てきそうなおばさんだ。

162 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 05:38:51
何だ、この自演連投

163 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 07:39:34
>>160
>>161

容子さんは父親に似ていると思う。百合子さんの面影って
ほとんどないような気がする。貞明皇后の血も強く出た
感じがする。漏れとしては女として見られない顔なんだが…w

姉の近衛さんは綺麗だよね。品もあるし。頭が良くて運動
神経も抜群だったそう。早々と結婚してしまって残念だよ。
もう少し皇室にいて欲しかったな、容子さんほど長くいなく
てもいいけどw


164 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:48:25
前にもどっかに書いたけど、容子さんの顔つきは、
入江家からのDNAなの。百合子妃の母親(入江家出身)にそっくりよ。爬虫類顔が。
んで、高円宮家の三女にもそのDNAが出ちゃってる。

165 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 09:09:48
入江家か!全くその発想はなかったなあ。
百合子さんの若い頃はそこそこ綺麗なのに、
お母さんはよっぽど(ry
高円宮家の三女はどういう人なのか、まだ
未成年ということもあってか情報が少なくて
よく分からんけど、晩婚の可能性もなきにしも
あらずだな。ちょっとかわいそう。

166 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 12:39:49
容子さんは留学中男がいたわけだが、ありえんと思った。
百合子さまも、長女と末っ子以外には苦労したと思われ。

167 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 12:57:27
『皇太子の妹の夫は兄のご学友』
貴子内親王(学習院大学婚儀の為中退)
 島津久永=今上天皇ご学友(香淳皇后従兄弟/当時、日本輸出入銀行勤務)
清子内親王(学習院大学卒業/※山階鳥類研究所非常勤研究員)
 黒田慶樹=秋篠宮ご学友(伯母/税所家〜大久保利通。叔父/秋月・牧野家〜※大久保利通)
 ※山階鳥類研究所(総裁/秋篠宮。理事長/島津久永)
 ※大久保利通(牧野・吉田・麻生家〜三笠宮寛仁妃信子)

168 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 13:13:56
伊勢神宮祭主 池田厚子
<昭和天皇第四皇女 岡山池田動物園園長隆政氏夫人>

169 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 13:56:44

(裏)千宗室=三笠宮容子―三笠宮寧子=近衛忠輝―細川護照---明子=(表)千宗左

 =婚姻。―姉妹。―兄弟。---義兄妹。  (細川元総理当字使用)

170 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:15:01
>>167
黒田某の場合、叔母の嫁ぎ先とか叔父の嫁の実家とかの係累で、本人には何の関係もない。
本人には華族の血は一滴も流れていない。
税所だの秋月だの、あげくは他人の大久保だの三笠宮だのまで持ち出しても、
島津久永氏とは比べ物にもならない低い出自だ。

そういう親戚の親戚を芋づる式にならべたてるのは無意味だ。
そうやって家柄自慢するヤツは一般人にもタマにいるが、それと同じ感性だ。

171 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:22:44
>>170
禿同。クロちゃん自身は何の関係もどの有名人の血も
入ってないよ。ごくフツーの地方公務員。
今都庁の」どの部署にいるのかなあ?

172 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:44:09
>>170 >>171
ほとんどその通り。事実書いただけなんだけど。自慢してるように見える?
ご学友の流れに行くかと思ったんだけどね。  =167。

173 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:59:01
ご学友って強味だよね、ある意味では。
現代では、もう家柄がどうのこうのという人は
ほんの一部だし、親も安心できるし、当事者自身
「跡継ぎ作らなきゃいけない」みたいな呪縛から
解放されて、いいんじゃないの?

個人的には、秋篠宮さまが即位された時には
クロちゃんに宮内庁に異動してもらって、
天皇のお側で汗を流してほしいなあ。一時期
「オモテとオクの対立」みたいな情報が流れた
けど、クロちゃんは上手にバランスを取れそうな
気がする。…ご本人は都庁に骨を埋めるつもり
なのかな?珍太郎の下では苦労するばかりだぞ。
(↑知人に都庁マンがいるので…幹部クラスだけど
会うたびに疲れきっていてかわいそうだった)
話題そらしてスマソ。

174 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:10:51
黒田→秋月→牧野(大久保)→吉田→麻生→三笠宮

トモダチのトモダチはなんちゃらみたいな、縁者の芋づる式の羅列だな。
黒田と三笠宮なんて、ノリノミヤと結婚しない限り交際も交流もなかっただろ。

175 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:16:55
>>166
容子さんは語学が堪能だったらしいけど、
それで男を口説いていたのかな?
あの顔を受け入れた男、じゃなくて漢wを
見てみたいよ。彼女が日本のプリンセスの
一人であることを知っていたんだろうな。
そうでもないと、とてもじゃないけど(ry

176 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:23:00
>>174
すごい芋づる式だなw
三笠宮家自体がすごいことになっているんだが、
黒ちゃんも「秋篠宮の学友」だけじゃなく、思いも
よらない所で巻き込まれてしまったのね。
学習院を目指している人は、それなりの覚悟で行けよw
いつどういう形で皇室に巻き込まれるか分からんからな。

177 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:46:02
>すごい芋づる式
秋月自体は譜代の小大名の子爵だが、牧野家から嫁をもらったのが大きいな。
しかし、三笠宮との芋づるは麻生の妹が結婚した結果だから、クロが生まれたあとの話。

それ以前はおじさんかおばさんが秋月家と縁組してたというだけ。

178 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 15:49:14
なんだ、今日もこの自演連投。
いい加減にしろ、三笠宮血筋オタよ!
しかも女官とは関係ないし!!消えろ!!

179 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:03:49
三笠宮家は子供・孫が多いし、その分ネタもたくさん
あるから食いつきやすいのよ。
当然、ここにも女官(侍女っていうの?)はいるよね。
図書館に行けば国家公務員の分厚い名簿があるから
(一度見たけど「高円宮家付侍女長」とか載っていた)
興味のある人は、夏休み中は子供が多いから涼しく
なった頃にでも行ってらっしゃい。
…書いていて思ったけど、女官と侍女ってどう違うの?

180 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:09:05
>>169
表と裏はそれなりにつながっているって事か。

181 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:18:09
>>179
支持。というか三笠宮家だけでしょ。三代は----。
女官 公務員。侍女 使用人。のイメージですが。

182 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:23:44
>>181
ああ、なるほどー。
女官=公務員(給料は国から)
侍女=使用人(非公務員、給料は宮家から)
ということですか。
どんな形で募集しているんだろう?>侍女
やっぱりコネなのかな?それとも世襲?


183 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:39:58
国家公務員の職員録の宮内庁職員の欄に「侍女長」があったのなら、
侍女も公務員だろう。

掌典職や生物学研究所の職員は天皇家の私的職員だが。

184 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:50:17
宮家の使用人である「宮務官」(男子)と「侍女長」は特別職の国家公務員で、
それぞれ宮家に1名ずつ置かれている。

「侍女長」は「長」がついているが、宮家付属の侍女はこの侍女長のみである。
したがって、それ以外の侍女的な女性使用人は正式には「侍女」ではないのだが、
宮家の中で私的に侍女と呼んでいる可能性はある。

185 :179:2008/08/19(火) 16:53:23
>>183
「女官」の定義って何だろうね??
今は完全な一夫一婦制だから、側室としての仕事はないし。
自分で書いておきながら何だけど、漏れが見たのは国家
公務員の幹部クラスの職員録だよ。当たり前の話だが、
国家公務員全員の名前が載っているわけではない(すごい
膨大な量の名簿になるだろう)。侍女長は幹部扱いだけど、
単なる侍女は、180さんのいう「使用人」に近いんじゃない
のかな?ちなみにもう15年位前に見た「政官要録(だったっけ?)」
を見たら、皇后、東宮職、皇太后宮職(まだ香淳皇后存命時)の
各女官長はちゃんと掲載されていた。もちろんこのスレでよく
出る北白川さんの名前もあった。長だけが公務員で、部下は
非公務員(私的職員)じゃないのかな?…うーん、よく分からん。

186 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:56:42
>>105
天皇家の使用人「嘗典職」って凄くないか?
=(非公務員、給料は天皇家から。戦前は公務員)
神道儀式の担当職だからな。神宮からの出向かな?
確か内嘗典は巫女に相当する。ドキュメント見た事あるぞ。

187 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 18:32:38
例えば、平安時代 典待や更衣は国家公務員だけど
清少納言や紫式部は特別国家公務員に値していたのでは?

188 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:56:10
宮内庁の特別職は侍従長、東宮大夫、女官長、東宮女官長、侍従、女官など。
宮家付の宮務官や侍女長もこの枠に含まれる。
要するに、国家公務員試験で採用された一般職ではなく、外部から特別任用できる枠。

典侍や更衣は女官だから、現在に置き換えたら宮内庁の特別職公務員になる。

189 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:34:53
>>188
「外部から特別任用」って気になるな。お妃候補みたいに
家柄を何代も前から調べられたりするの?
特別職って、地位にもよるけど月給どの位なのかな?
小市民な質問でごめんね。

190 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:16:59
>>187
紫式部や清少納言は、天皇の后妃に私的に雇われていた女房。
雇用主は彰子や定子といった天皇の后妃。
給料は国家が払うのではなく、后妃が支払っていた。
現代のように国家が雇った女性公務員が后妃の傍に
国家命令で仕えていたわけではない。
出仕を求めるのも解雇するのも雇用主である后妃の自由。
特別職公務員には当たらない。

191 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:39:28
武官(女性自衛官とか)からの出向者とかいれば面白いのにな

192 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:38:32
園祥子の内親王では、竹田宮妃殿下がびじんだね、次は北白川

順位つけると 竹田>北白川>東クニ>浅香

193 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 06:48:20
いつも朝香妃は最下位ですね

194 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:10:34
浅香宮に嫁いだ内親王は、ブサだが愛嬌がある。
この人が早世したとき夫は荒れたらしいから
仲良かったんだろ。子供も4人いるし。
一緒にゴルフしたりしてる写真とかあるし。
でも、子供はかわいいの多いね。鍋島に嫁いだ女王は美人だ。

195 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:15:04
愛がないけど4人王子を産んだ東クニとかどうよ?
昭和に入ってからも生んでるし。

196 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 14:38:27
>>194
鍋島家に嫁いだ人って、紀久子さんだっけ?名前がカッコイイ。

>>195
東久邇ねえ…たしか息子が一人関東大震災の犠牲になってるね。
旦那は海外にいて、それでも帰国しなかったらしいけど。
夫婦愛・親子愛に疎い人だったのかな?愛がないのに生まれた子
って少し可哀想な気がする。妃も不運だったね。

197 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:51:55
聡子内親王は、長生きしたけど夫が超長生きで問題児だから先に死んだ。
病気になって宮内庁病院に入院していたとき、ちょうど皇后が骨折して
宮内庁病院に入院させるべきだ、と周囲が言ったら昭和天皇が
「宮内庁病院には今東久邇の叔母が入院している。そんなところに
良宮は入院させられない」といったらしい。それが元で皇后の呆けも酷くなるんだが。

198 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:13:47
日本に戻ってきてから、後にブラジルにいってしまう俊彦王が出来るのだが。

199 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:20:09
明治天皇の娘の話がしたいなら、別スレ立てろよ。
いい加減、女官と関係ない話ウザすぎ。

200 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:20:48
>>197
1世紀以上生きているからね。スゴイわな>稔彦さん

何で昭和天皇は香淳皇后の入院を拒否したんだろう?
都合の悪いこともあったのかな?
昭和天皇自身、最晩年は闘病中も皇后のことを心配して
いたから、骨折した時点で宮内庁病院に入院させて
おけばボケ症状も回避できたかもしれないのにね。

201 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 17:59:56
>>199
このスレは基本的に、

女官の話題→仕えていた主人(内親王など)→親である明治天皇や昭和
天皇、その他の宮家→いい加減に女官の話に戻れゴルァ→女官に戻る→
仕えて(ry

…が永遠にループしているから、気長に待つか知ってる女官の話を
書き込んだ方がいいかと思われ。

202 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 20:54:12
園祥子の娘だから関係アリよーん。

203 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:09:50
側室=女官なんだろうけどさ
明治天皇の愛妾腹の子のことを語るなら別スレがいいよね
天皇の側室ではない純粋な女官の話はないのか

204 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:20:16
では
橘三千代
藤原袁比良
藤原百能
吉備由利
辺りから始めましょうか。


205 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:27:08
専用スレを建てますた

明治〜昭和天皇の皇女と女官についてのスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1219235177/l50

以後、誘導よろしくお願いします

206 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 05:23:58
女官史上もっともクレーバーなのは、橘ミッチーだろうな。
不比等とも似たもの同士で結ばれた気がするし。

207 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 11:14:22
源平藤橘の橘の祖となった三千代は日本史史上偉大な女官だね。
娘の牟漏女王も宮中に出仕し正三位を貰ってる
古代から鎌倉にかけてはお清の女官でも名を残した人は多いけど
宮廷が衰退した以降はほとんどいない。
足利義満で有名な日野宣子と幕末明治にかけての女官数人ぐらい。

208 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 11:50:10
三千代以前に名前が知られている女官っていたかな
そういう点でも偉大かも

209 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:35:32
>>208

青海夫人とかそうかも知れないけど、事蹟が良くわからないんだよな。


210 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:40:39
美千代は、皇族の血を組む夫がいて子供もいたから
いまでいう、共働きキャリアウーマンの走りだった。
皇室は、いつの時代からか女官は、独身ばっかになってたけど。

源氏物語の夕霧の恋人(子供もたくさん有無)藤典待とかいるよね。

211 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 13:15:53
大弐三位(紫式部の娘)と北白川祥子しか思い浮かばない。

212 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:48:58
島津治子はこのスレではどうなの?

213 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:16:11
>>212
つ >>205

214 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:19:32
>>211
母・紫式部は私的雇用だったのに娘は公務員に昇格したんだな
但し平安時代の「女房」は知られていても「女官」は余り知られていないような・・・

215 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:32:05
魔女は?

216 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:17:41
>>214
平安朝の才女たちの多くは女官ではなく女房だね。
文学の世界に名を残した女官は大弐三位と讃岐典侍ぐらいかな?


217 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:45:47
和泉式部の娘とか。「まだ文もみず〜」

218 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:53:35
讃岐典侍って、最後発狂してしまったんだよね カワイソス

219 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:55:32
>>214
大弐三位ももともとは母の縁で上東門院に雇用された女房だった
大弐三位が恋人藤原兼隆の子を生んだとき、
上東門院の妹嬉子もまた出産、乳が出たために乳母に抜擢されたみたいだ
乳母は自分が養育した皇子が天皇に即位すれば三位に叙せられる慣例があり
大弐三位は父も受けられなかった三位にまで上ったんだけどね

220 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:14:14
賢子は若い頃は権門の貴公子と恋愛を謳歌し
年をとったら金持ちの役人の北の方におさまり
養育した皇子が天皇に即位して従三位の高位を賜り
母譲りの歌才で歌合でも大活躍という
平安時代の中流貴族の理想的な生き方した人だね。
両親との早くの死別というハンデを乗り越え、立派に生きたもんだ

221 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:47:46
賢子は幼少期は祖父為時に養われ
その後は母紫式部の名声によって世に出た
母と死別したとき賢子は10代半ばにはなっていたと思われるから
当時としては特別に早く死んだということもない
2〜3歳のころ死んだ父親の恩は受けなかったが
母方がそれだけ立派に養育したということだろう
賢子は文才は母親ほどではなく
むしろ派手好きだった父親似だったとも言われている

222 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:23:07
歌は母よりいいかも。式部って歌いまいち。

223 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 10:49:21
>>128>>132-133についての詳しい情報ありませんか?
別スレにも類似の記述があったのですが、いくらググってもそれ以上のことがわからないので。

224 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:15:55
>223
それはこっちで聞きましょう。
ここは女官のスレであって
内親王が産んだ子や孫たちのスレではないので

明治〜昭和天皇の皇女と女官についてのスレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history2/1219235177/l50x

225 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:35:22
庭田嗣子と土御門藤子が篤姫にでてるね。

226 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 14:53:31
一条天皇皇后の妹御櫛笥どの(藤原道隆4女)

227 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 19:45:13
あげ

228 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:46:35
>>225

能登よ少進も出ているらしい。

229 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:07:17
>>207
牟漏女王の正三位は光明皇后の異父姉だったことが大きい
母橘三千代の没後は妹の光明皇后の補佐役だった
夫は藤原四兄弟北家の祖藤原房前だしね

230 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 20:58:03
明治天皇生母中山慶子って撫すどすな。

231 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:05:27
土御門家に関すること(陰陽師支配について)を調べてて
検索しまくってたんだけど、
へぇ、土御門藤子に関するwikiなんてあるんだーと思い
のぞいてみたら「和宮の乳母」・・・・なんてあるぞ。

もしや藤子という名から、「藤の乳母」と混同してるのか?
さすがwikだよなw

232 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 09:43:21
土御門藤子を書いた奴は他の記事でも出鱈目書いて問題になってる奴だよ。
和宮の乳母ふじは田中氏のようだけど、どういう家柄かな?
正親町町子の母親も田中氏だけど、関係あるんかな?

233 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:54:07
正親町は、孝明天皇の母親の生家だろ。

234 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 20:18:26
>>233
柳沢吉保の側室、正親町町子の父親は権大納言正親町実豊だが、
母親は田中氏。
母方の話をしてるんでしょ。

町子は正親町家の娘ながら一側用人の側室になった
正親町家としては不名誉なことであったために母方の田中氏を公称した
町子はいったいなぜ都から一側用人の側室になるために下向させられたんだろうね

235 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 22:04:28
思いっきりスレ違いだが町子を大河で演じていた女優は今は何処へ?

236 :日本@名無史さん:2008/09/07(日) 22:53:21
大河ドラマ「八代将軍吉宗」では
綱吉の側室にするつもりでつれてきたのだが、
綱吉の気が乗らず
かといって今更町子を京に帰すのも失礼なのでやむを得ずああいう形に・・・
という話しにまとめていました

実際の所はどうかしらん
しかし、柳沢吉保のもう一人の側室・染子も綱吉払い下げ説が濃厚な中
町子も綱吉から払い下げられた可能性はあるのでは

237 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 00:59:23
>>232
レスありがとう。
和宮降嫁のおりに御用掛を努めた幕臣の末裔で
増上寺の評議員もしていた人が書いた和宮本に、
田中藤の実家のことが少し書かれていた記憶があるんだけど、
いま手元にないので残念ながら探せないや。

>>233
孝明帝の母は、仁孝帝の(権典侍→宰相典侍→新待賢門院)の雅子だね。
で、父が正親町実光。母は四辻氏

>>234 >>236
町子といえば、染子も思いうかべるよな・・・

(ほんとに自分の憶測なんだけど)町子の場合は
時の権力者へ娘を差し出す「お手伝い」の一種なのでは。
ご機嫌を取り結びつつ、金銭的な援助も受ける目算の。
まず屋敷にあげて、手がつくこともあっただろうし。
あっ、あくまでも今考えついた憶測ですので・・・

「払い下げ説」も、あのころの右衛門佐や大典侍女らの
京女ばやりの風潮からしたら、うなづけてしまう点がありますね。
また京くだりの御台所の侍女として江戸に下ったのかもしれないし。

238 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 06:49:23
染子は柳沢家家臣の娘
大奥スレでは染子が大奥勤務だったという一次史料はどこにもないという結論だった
もともと柳沢家の家臣の家だったのだから
主君である柳沢吉保の側室に差し出されても妥当なところ
しかし町子は天皇に典侍という高級女官として侍っても妥当な公家の娘
明らかに柳沢家よりも格式は上
しかも町子には男子もあったのに側室染子の産んだ吉里が嫡男になっている
数々の文学作品を残すほどの才女だった町子だがどうも待遇はぱっとしない


239 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 15:58:02
小倉文子は明治天皇崩御後も女官したの?

240 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 16:47:13
町子の生母田中氏は右衛門佐局(元女官)に仕えてたことがあり、
その縁で町子が江戸に下向したと言われている。
中には町子に生母を右衛門佐と間違えてる資料もたまにあるが
いずれにしろ、右衛門佐との関係は深かったと思われる。
>>238
大名の側室が公家の姫という例は結構ある。
成り上りの柳沢家と正親町家ではつり合わないと感じるが
それだけ柳沢吉保の勢いがあったとも言える。

241 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 01:17:28
>>240
江戸初期でも上杉景勝の側室が四辻氏出身だったりするしね。

染子の出身云々ということは、吉里が綱吉の落とし胤という俗説は
所詮ヨタ話ということだよね

242 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 12:31:26
公家にしてみれば、娘の身が側室であろうと、
権勢のある武家から金銭的援助を受けられるわけだ。

243 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 16:42:34
後水尾天皇が愛した女性も四辻家。

244 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 21:42:37
後水尾天皇の愛妾四辻与津子と上杉景勝の側室桂岩院は
いずれも権大納言四辻公遠の娘で実の姉妹だ
最も父の公遠は与津子や桂岩院が嫁ぐ前に没している
桂岩院はお与津事件の14年前に没しており
おそらくお与津の姉


245 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 01:47:32
おヨツかわいそう・・・・・。

246 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 14:58:59
およつ御料人と桂岩院は異母腹だと、
どこかの上杉スレで読んだ記憶がある。

247 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 16:51:35
徳川の怒りを買うことわかって2人作った。
およつ御料人を愛していたんだね・・。

248 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 17:06:12
後水尾院はおよつと子供を作ったことを徳川が怒ると思ったんだろうか?

およつやほかの女官と子供作っても、徳川の娘と皇子をつくればいいとおもったじゃね?
皇位継承者は長子ではなく嫡子がなるものなんだから。

249 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 18:19:49
平安時代ならいざしらず、あの頃は女官に手を付けるの当たり前だったしね。
摂関家出身の姫君でもないただの女官如きの産んだ庶子の一人や二人で何を騒いでいるんだろう、
って認識だろ、朝廷サイドは。
そもそも武家だって正室以外の側室にもバンバン子供産ませていたし、
和子の父親の秀忠だって母親は側室。正室腹の嫡男不在で跡継ぎにはなったけど。
入内前に女官(側室)との間に子供作ったことを責められるなんて予想外だったと思う。
ついでに、和子入内前の二十そこそこの後水尾に禁欲生活送れってのも酷な話だ。

250 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:15:01
だから和子入内後は、溜まりに溜まった性欲吐き出すように和子孕ませまくり、
和子がオシトネ御免後、明正登極後はお役御免とばかりに、どんどん女官とセックスしまくり、
子供生まれまくったじゃんwwwwある意味、天子様もヒューマンというか超リアルな状況だよね。
時期は違えど、同じ公家の家のおばと姪が続けて後水尾の後宮に入ってるのも複数あるよね。

251 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:23:39
櫛笥隆致の娘は、後水尾の後宮に入り、後西天皇を産んだ隆子と、仙台伊達藩2代藩主・忠宗の側室になった娘がいる。
忠宗は、徳川の養女(池田家の実娘)を正室にしていて、男子があったものの早世したため、
数ある他の側室が産んだ庶子のなかで、櫛笥の娘が産んだ男子が庶兄をさしおいて家督を継ぎ、3代藩主になった。
こいつは後西天皇と従兄弟になるんだもんね。ある意味、正室が産んだ嫡子より血統は尊い。
もし嫡出の男子が二人全員死ななかったら、どうなってたんだろう、と思う。

252 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 21:33:32
およつ御料人!およつ御料人!


253 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 00:32:29
>>248
秀忠は朝廷の権威を見せつけるためにやっただけだろ
我が娘にたてつく奴は許さない、って感じで。
現に流罪になったはずの与津子の兄はすぐに都へ戻ってきているし
兄の娘(与津子の姪)は後水尾上皇の愛妾になっている。
和子は武家の女はがさつで大柄だという公家たちの予想を裏切って
小柄で美しかったようだし(母のお江与、祖母お市に似ていた?)
和子を愛した父秀忠の死後、後水尾上皇に愛妾が認められてからは
愛妾が産んだ3人の天皇を養子にして後見した
東福門院はすでに体の関係のなくなった後水尾上皇の晩年まで
上皇と連れだって行幸をしたり離宮の場所を探しに出かけたりした
年下の東福門院が先に没した後は後水尾上皇の悲嘆と老衰は著しく
痴呆を発病したらしい(これは皇女常子内親王の日記にも描かれる)
東福門院は徳川と朝廷という垣根を越えて上皇と添い遂げた感じはする

254 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 01:26:56
和子の最期を看取ったのも後水尾とお与津との間に産ませた娘・梅宮こと文智女王だしな。
>>253の言う通り幕府というか秀忠も本気でお与津とのことを怒っていたわけじゃないんだろう。

ところで、後水尾上皇って本当にたくさんの女官に手を付けているな。

255 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 01:57:35
>ところで、後水尾上皇って本当にたくさんの女官に手を付けているな。

でも、そういう精力絶倫がいても、ほどなく血統は絶えちまうから人間の世って不思議だよな。
後水尾だってバンバン子供生まれて困って寺に入れて根絶えさせたっていうのに、ホンの数代後には
天皇家に男子がいなくなってしまう。
徳川家斉だって、子供の代になったら、息子が一人しか育たなくて、その息子は子無し、で終了w
たった孫の代には、養子に頼る有様だから、ほんと「男系の血脈を前提とした家を保つ」って難しい事だね。

256 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 09:26:22
それ考えると近衛家って凄いよな。
江戸時代の当主の多くが正室腹で直系相続。

257 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 17:11:23
>>256
近衛家で正妻との間で嫡子が生まれたのは近衛文麿(1894年生)が240年ぶりという事を聞いた事があるが。


258 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 18:55:49
文麿の父篤麿は正室島津氏の子供だよ。


259 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 21:10:20
およつ御料人に萌え〜。

260 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 21:34:17
>>257
約240年前からの近衛家歴代当主の母を見てみると

近衛家熙(1667年生)=父母は近衛基熙とその正室常子内親王(後水尾天皇皇女)
近衛家久(1687年生)=父母は近衛家熙とその正室憲子内親王(霊元天皇皇女)
近衛内前(1728年生)=父母は近衛家久とその継室満君(島津吉貴女)
近衛経熙(1761年生)=父母は近衛内前とその正室徳川勝子(尾張藩主徳川宗春女)
近衛基前(1783年生)=父母は近衛経熙とその正室董子女王(有栖川宮職仁親王女)
近衛忠煕(1808年生)=父母は近衛房前とその正室徳川琴姫(尾張藩主徳川宗睦女)

正室(継室)腹の当主は天皇家や将軍家と比べると多い
歴代当主が正室と仲良くしていた結果かもしれないが
しかし江戸時代の近衛家にはかなり武家の血が濃く流れている



261 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 00:25:45
その生母は本当に実母なのか?公の母、ではなくて?

262 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 02:37:17
近衛家がどうのというわけでは無いけど
家女房が母であっても、正室の子という系図になってるのは
とくに公家に多そうだな。

嫡母という言葉もちゃんと知ってるけどさ。

263 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 05:29:03
殆どガチだが内前の母親は満姫じゃないだろ

264 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 11:31:41
和子が美人て記録ねーーよ。

265 :日本@名無史さん:2008/09/18(木) 12:26:40
誰でもなんでも「美人だったというし」なんて憶測を
つけちゃう人がいるんだよ。

266 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 15:43:24
和子って性格よかったんだろうね。姉の勝姫とちがって。

267 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:56:59
和子に仕えた侍女に保科正之の継室になって実の娘を毒殺したのがいたな。
もう一人の侍女には徳川義直の継室になって京姫を生んのがいる。
和子に仕えた女官には結構落ちぶれた有名武将の娘や孫が仕えてたりしてる。

268 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 22:05:52
真面目な正之もとんでもない女をつかまされたな。

269 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 08:49:58
家庭すらおさめられない男が国をかたってどうするとw
童門冬二の小説で正之を名君だと持ち上げ
男は家庭のことには一切関知しない、
男が側室を持ち上げ継室をないがしろにしたところで
継室は黙って耐え側室も仲良くやるのが女たちの務め、
と徹底的に女たちを糾弾していたが
正之がただの好色爺いの馬鹿男にしか見えなかったのはなぜ?

270 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 09:24:59
正親町町子の話とか聞くと、正室、他の側室とも仲が良好だったみたいだ。
正室より身分の高い側室や将軍との関係が噂される側室がいても
奥の関係が良好に保てたのも柳沢吉保が気配りができる男だったのだろう。
妻が実の娘、それも大名家の嫁になった娘を殺害するなんて大名にとって大失態だろう。
奥を治められないのは大名として無能といっていいと思う。

271 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 09:29:46
そんな大騒動おこしてれば普通の大名なら切腹御家取りつぶしは避けられないだろう。
なのに正之は何でおとがめなしだったんだ?賄賂でも使ったのか?

トンだ名君だな。

272 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 10:10:40
徳川義直って春姫一筋だったのに。

273 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 17:00:43
光友の母親は身分の低いお風呂係りだろ。一筋じゃねーよ。
継室の津田佐井だって元々側室上がりだ。

274 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 19:30:28
儒教の教えを守っていたから春姫以外を考えてなかったけど
母の相応院の策略で光友が出来たんだよ。

275 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 20:52:58
なんで儒教の教えを守ると春姫一筋になるんだ? キリスト教とごっちゃにしてないか?
儒教では直系男児が必須だから、側室でもいいから男児を作れだぞ。
儒教の教えを守っていたらそれこそ側室侍らせるのが当然。

276 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 09:33:08
専門書嫁、春姫とは大変愛し合っていたし、子どもが出来なくても
側室になかなか応じなかったことは記録に残っている。

277 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 15:19:36
だから、それは儒教とは関係ないだろう。
>儒教の教えを守っていたから春姫以外を考えてなかった
わけではなくて、 ただ単に義直が妻である春姫を愛して大事にしていただけ。
儒教は関係ない。

和子に仕えていたおさいの方が産んだ京姫は義直に溺愛されていたらしいね。

278 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 15:30:33
側室だったおさいが正夫人になれたのって東福門院に仕えてたからなん?
尾張公の正室にしては実家がショボイよね。

279 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 16:40:28
実母(お亀)の策略で「私のように身分が低くても腹は借り物」的策略で
湯殿の子光友誕生なんだよ。

280 :日本@名無史さん:2008/09/22(月) 19:37:20
およつ!およつ!

281 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 02:48:50
およつに萌えー。

282 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 17:26:38
>>279
お佐井の実家はもともと織田家の分家で信長の姻戚なんだから
そんなに血筋は悪くないよね
名家の血を重んじた徳川幕府初期の政策に乗っ取れば
父親はもっと厚遇されても良かったぐらい

283 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 21:08:24
和宮の母はいつごろ崩御?孝明天皇の前?

284 :日本@名無史さん:2008/09/23(火) 21:17:42
>>279
お亀の方はそんなに身分低くないよ。
生家の志水家は鎌倉時代まで遡れる由緒ある家柄だし。

>>283
観行院が亡くなったのは、孝明天皇崩御の二年前。
和宮は母・夫・兄と毎年立て続けに失っている。

285 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 14:55:23
大奥では入浴の習慣があったから和宮(清拭しかしない)は汚ギャルに見えただろう。

286 :日本@名無史さん:2008/09/25(木) 21:55:17
橘美千代最強。

287 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 04:39:55
丹後の局

288 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 16:13:53
女官長を長く務めた北白川さん最強。
結婚生活のあまりの短さにもらい泣きしてしまった…。

289 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 21:02:16
>>285
和宮、毎日入浴していた篤姫と比べると不潔な印象を拭えないなー。
まあお香とか使っていたんだろうと思うけど。
家茂は虫歯だらけだったそうだから、口臭がひどかったりして。
スレ違いでスマソ。

290 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 22:51:09
虫歯は甲州の原因なの?

291 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 04:46:42
和宮も虫歯だったから同士でよかったじゃん。

292 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:41:50
そもそも大奥での入浴とは、蒸し風呂?
それとも湯浴み?

293 :日本@名無史さん:2008/10/02(木) 22:38:46
あげ

294 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 08:19:07
入浴です。

295 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 21:27:56
丹後の局ってすごいな。

296 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:00:55
>>289
宮中の女官達って、入浴はあまりしなかったの?
「お湯殿の上の日記」を読んだときの印象では、
天皇は毎日、朝風呂に浴していたような記憶があるのだが・・・。
天皇と女官では、入浴習慣が違うのかな。

297 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 12:28:31
御所では清拭(身体拭くだけ)

明治に入って入浴するようになった。
しかし、九条節子はたくさんのお湯の入った洗面器を用意させて
かけていたらしい。

298 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 07:57:49
橘美千代って才媛だったんだろうな。

299 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 18:03:56
不比等と似たもの同士だよな。

300 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 09:13:18
あげ

301 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 14:50:58
三千代以前に有名な女官っていたかな?
意外にも『日本書紀』にも女官の名前って挙がってなかったような希ガス

奈良時代になって女官が政治的にも重要になるのは
女帝を頻出したことと関係があるのではという説をどこかで見た。
(横田健一氏だったかな?)
平安時代になっても紫式部とか清少納言とか名前をとどろかす女房や女官はいるが
政治的には全然無力というのは示唆的。尚侍とか単なるお后の空き待ちベンチになってるし。

302 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 19:16:50
三千代以前は難しいね。
けれど、女官かどうかは不明だけど志斐嫗と持統天皇の歌があるし、
大伴安麻呂の妻の一人が石川内命婦、その娘である大伴坂上郎女も命婦として出仕していたかも?という
説がありますね。
坂上郎女は聖武天皇に歌を捧げていたので、その繋がりは多少大伴家の役に立っていた?と思う。

一方で、内侍・藤原淑子の猶子になっていたこともあって、宇多天皇が即位出来たという話もあるから
決して政治的に無力な人ばかりとは思えないな。

303 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:32:13
>>301
白村江の戦いに出兵した斉明天皇に同行し、
兵たちを奮い立たせる歌を詠んだりしている
女流歌人額田王は斉明天皇に仕えた女官だったとも言われているね。
斉明天皇のお気に入りで、そのために
斉明天皇の希望で息子の天武天皇の妻になっていたとも。

304 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 01:52:12
額田王の時代、皇族に仕える女の人って
「女官」つうより「采女」だよね。
地方豪族の娘の中で見目麗しい若い女性が選ばれて都に上がったわけでしょ、
んで、采女出生の皇子・皇女は多いよね。
いつから「采女」が「女官」に変遷してったんだろ?
しかも「女官」っていったら中央豪族の娘でしょ?采女とは出自が違うから、
「女官」と「采女」は定義が違うのだろうか。
「女官」はあくまでも「宮中」に仕える官人であって、皇族の私邸に身の回りの世話係として
仕える私奴婢たる「采女」とは違うんだろうが、時代的にどのへんで線引きできるんだろ?

305 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 03:16:15
額田女王は進退自由な皇室専属歌人として宮廷に出入り・・・という印象。
それで大海人の愛を受け十市を生み、
その後もフリーな立場で天智と関係をもった。そんな感じだと思ってます。


306 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 06:13:15
最強 橘三千代

307 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 21:37:31
>>304
「采女」は天皇の愛妾候補そのもの。
年齢制限があり、若い未婚の乙女に限られ、容姿は最重視。
地方豪族(律令では群少領以上)の娘を召し上げることが申し訳程度についている。
律令によれば、采女は、水司に6名、膳司に60名置かれた。
つまり、天皇が食事する際の配膳係に若い容姿端麗な未婚の乙女をあてがっていた。
采女は天皇の私物であり、采女が性的関係を持てる男性は唯一天皇のみ。
天皇以外の男が天皇に無断で采女に手を出すことは固く禁じられていたことは
鎌足の歌などからも周知のとおり。

一方、女官はその名のとおり女性官僚。
天皇に性的関係をもって出仕するものではなく、
三千代のように既婚者であっても若くなくとも出仕することができた。

もっとも地方豪族がほぼ朝廷に従うようになり、
有力豪族は地方から都へ出て官僚となった後は
わざわざ多くの愛妾候補を地方から大募集する必要もなくなり、
采女制度は平城天皇のときに事実上廃止されている。


308 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 04:56:18
橘三千代>丹後局>今ギ(魔女っ子)

309 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 08:24:12
奈良・猿沢の池の「采女まつり」

310 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 10:53:01
江戸時代は凄い女官いなかったの?

311 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 12:17:35
「四官二嬪」なんて追放されてる女官もいるから
それなりにいたんじゃないの
西郷隆盛は天皇の傍で女官が政治に介入しすぎるとして
明治期に朝廷の大改革を行って女をすべて政治から締め出している
武家では政治のおこなわれる表は女人禁制で
女性は奥に閉じ込められていたから
天皇の傍近くで伝奏や相談にあずかる
宮中の女官の姿は信じられなかったようだ

312 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 13:30:29
松木宗子、河鰭秀子の母子とか。
松木宗子は東山天皇の生母で河鰭秀子は元女官だった。
東山天皇が即位したときに祖父の松木宗条が摂政になろうとして問題になったらしい。
ここ母子は後宮で権力もってたらしい。

313 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 16:17:33
武家でも
表御殿には出てこなくても主人の寵愛をいいことに政治に口出しする女はいましたけどね
西郷関連で言えば、薩摩藩の世子を取り替えようとしたお由羅の方とか
(もっともこれは家臣の方でそう思っていただけで、実際に主導していたのは島津斉興らしいが)

女官を閉め出したのは女官が朝廷への西洋文化の導入に激しく抵抗したからじゃなかったっけ。
髷しかり服しかり洋食しかり

314 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 17:35:17
>>313
お由羅騒動は薩摩の地元武士が押す弟と
江戸育ちで革新派の兄との対立で
お由羅は何もしてなかったはず
もっともお由羅はれっきとした側室であって
薩摩藩の侍女ではない

明治期には皇后自ら服装も食事も西洋風に改めた
もっともこれは鹿鳴館に代表される明治の成熟期
一方、朝廷改革による女官締め出しは年号が代わるとすぐに行われている。
西郷隆盛による朝廷改革が
女官の政治的発言力を排除するためだったは事実だよ
だいたい西郷自身が普段は着物で生活する人だったし

315 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 17:43:29
おユラって江戸っ子じゃん。

316 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 17:52:51
>>315
お由羅は江戸の町娘だけど、それが何か?
江戸の薩摩藩邸に出仕して君主の手がついた。
側室として薩摩の屋敷におかれた。

317 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 06:07:54
つーか、お殿様が移動するたび付いていってたんだろ>おゆら

318 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 14:24:17
お由羅は、女官に非ず。

おしまい!

319 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 15:18:19
さて

江戸時代に政治的に権力ふるった女官はいたのか?
松木宗子は確かに女官ではあるが
天皇の子を産んで、それで発言力が上がった点を見ると
純粋に女官として権力ふるったとも言いがたいし。

320 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:21:34
庭田、姉小路

321 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 18:55:22
権力奮った天皇自体いないじゃんw

322 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 19:24:58
○押小路甫子
幕末、孝明天皇の乳母。大外記押小路師武の養女。
その著書、押小路甫子日記は、孝明天皇の養育に携わった者の目から見たもので、
幕末の宮中情勢を語る上で最も貴重な史料。
橘三千代が聖武天皇の乳母として朝政に深くかかわったように
この時代の天皇乳母もまた政を深く注視していた。

権力をふるったってわけじゃないけど
比較的史料が残っている江戸時代の女官ということで。

323 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 08:41:36
綱吉のお気に入りの大典待は?

324 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 19:32:19
大典待はかつて勾当内侍(内裏へつながる長橋局に控え、
公家たちの言葉を天皇に伝える役を担う)をも勤めた女官。
でも、大典待が権力を発揮したのは大奥へ入ってからで、
宮中へ仕えた女官時代のエピソードは史料からは分からない。

325 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 23:25:38
>>322
地下官人の娘が乳母になってるのか、初耳。
地下の娘も多数、命婦や女儒になってるのは知っていたが、
この時期の天皇の「乳母」ってどんな地位なんだろ。
てっきり親王の乳母なんて堂上の娘しかなれないと思ってたよ。

326 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 08:54:34
押小路甫子なんかは実際に母乳をやっていたのではなくて「大御乳人」という身分。
長橋局の補佐が仕事。

「妙法院日次記」なんかよむと門跡である法親王の乳母の記述があって地下官人の妻や母らしい。
これは実際乳をやってるんだろうね。


幕末は堀河紀子、今城重子以外にも何人か女官が処分されている。押小路甫子もそのひとり。


327 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 08:56:44
綱吉の右衛門助は、宮中女官だったんでしょ。

328 :日本@名無史さん:2008/10/29(水) 20:25:50
右衛門佐の宮中時代の名は常盤井局。
水無瀬氏信の娘。
この人も権力を握ったのは江戸城大奥に入ってから。

329 :日本@名無史さん:2008/11/01(土) 21:43:49
>>326
押小路甫子が「大御乳人」になったのは孝明天皇が16歳で即位した
弘化3年のこと。
それ以前は普通の「乳人」として孝明天皇につかえていた。
乳母の全員が乳を与えたわけでないことは知っているが、
押小路甫子が初めから「大御乳人」という身分で
孝明天皇につかえていたわけではない。

330 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 11:19:18
三千代最強

331 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:10:18
女官じゃないけどさ、
なんで江戸大奥に仕えた公家出身の上臈って、
出身の家とは違う、実在する他家の家名を源氏名にしたんだろ。
唐橋、姉小路、とか。

332 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 18:57:55
唐橋って慶喜の父親に強姦された?

333 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 20:14:04
江戸大奥に仕える女中は、身分役職にかかわらず
皆が奉公名を名のったんだよ。
お目見え以下のものでも本名では仕えない。

>>331
ちゃんとした研究者のかいた大奥研究本を読むといいよ。
二字名や三字名のことを説明してる。

334 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:05:31
源氏名つけたのは明治天皇&皇后が有名!

335 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:11:12
明治天皇というより皇后のほうだけどね
女官たちに優雅な植物の呼び名をつけたりしてたのは

明治天皇が女官たちにつけてたのは源氏名というよりあだ名。
鼻の高い皇后に「お天狗さん」とあだ名をつけたり、
まあ、ちょっとあだ名のつけ方は子供みたいなんだけど。

336 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:30:54
http://www.tsunobue.jp/




337 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 08:20:02
柳原愛子は、ちょぼってあだ名だったらしいね。

338 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 14:39:37
>>333
おまえこそ、その「ちゃんとした研究本」とやらを読んだほうがいいよ!
二文字、三文字の違いくらい誰でも知ってるよ。
けれど公家出身上臈が他家の家名を侍名にした理由が書かれてる本は読んだことない。

339 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 16:22:28
後に「紅梅典待」と呼ばれた、天皇幼少期からの女官は「おたふく」といわれていた。

340 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 07:47:14
>>339 四辻清子のことだね。

341 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:05:37
http://www.amateurindex.com/

342 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 08:16:23
藪カネコのフォトは良く観るよね。

343 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 13:33:38
そお?

344 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 10:34:28
公家っぽい顔だよね、藪さん。

345 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 20:24:28
貼ってw

346 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 23:06:11
あげ

347 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 12:47:59
名前だけなら吉備由利ちゃんが優勝。

348 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 13:11:48
現代風ですもんね。
実際はよくて中年最悪で60オーバーのオババと推測されているが

349 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 15:52:43
千種任子は源氏名なんだっけ?

350 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:16:20
「違うよ」と答えそうになったーwwwwwwww

351 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 22:01:37
ありゃ

352 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 19:14:26
徳川秀忠息女の東福門院の入内にあたって
宮中から出された、後水尾帝の寵妃である四辻氏
「およつ御寮人」だけど、宮中での○○典侍とか○○局とか
そういう名称は残っていないのだろうか。

寝所に侍ったからには典侍クラスだったのかと思うのだけど
彼女については多くの書でも「およつ御寮人」という呼称なんだよね。


353 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 02:56:16
自己解決した。

しかし、四辻与津子という名はガセのような気がする。
あの頃の公家の息女は、○子と二文字名がほとんどだと思うし
「およつ」は四辻の四だというほうが納得できるのだが。

354 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 09:07:17
およつに萌える!徳川に睨まれながらも2人のお子を儲けるなんて・・

355 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 20:23:06
>>352
自己解決したならいいけど、およつの宮中での呼び名は
「大納言典侍」だね。
>>334
およつが2人の子を産んだのは東福門院の入内前だよ。

356 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 00:07:25
>>355
そう、「大納言典侍」なんだよね。
四辻家は羽林二十五軒だから典侍なんだろうな。

でもほとんどの小説のみならずて、
あの時代の資料概説本でさえ「およつ御寮人」だよね。
典侍という位置にいた女が、宮中を追われたとはいえ
「御寮人」と呼称される例って他にご存じですか?

まあ、宮中から出たけど貴人(後水尾)の思い人という意味合いでの
「御寮人」であろうという憶測くらいはできるんだけど。
でも宮中にあった時点から「およつ御寮人」だったのだろうか。
東福門院の入内からその腹の皇女の即位までには、
朝廷と幕府の感情的な葛藤や懐妊した女官への堕胎の強制、暗いよね。

357 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 11:28:00
入江伊津子がおいつ御寮人と呼ばれたこともあるみたいですよ。
霊元天皇の女官ですから江戸時代の初期には普通だったのかもしれませんね。

358 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 00:12:48
四辻家って明治以降「室町」に家名変更したんだっけ?

359 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 16:49:10
>>358
「室町」が本来の家名だが、足利将軍家の別称「室町殿」をはばかって、
「四辻」と改名。
明治維新後に本来の家名である「室町」に戻した。

360 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 03:04:11
公家の家名って大路・小路の通り名だったり、領地だったりだけどさ、
「四辻」って命名はどっからきたの?
なんか変な名前だよね。
菅原氏に「高辻家」ってあるけど、これは下京の小路名だよね。

あと、私領の荘園がある土地の名前や、屋敷のある土地名を家名にした家もさ、
久我とか岩倉とか葉室とか柳原とか日野とか山科とか、何で全部京都近郊の私領地の名前にしたんだろ。
地方の荘園名じゃなくてさ。

361 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 09:54:12
そういえば、鎌倉時代に四辻殿を伝領した善統親王が四辻宮を名乗っていたっけ。
四辻も地名じゃないか。
鎌倉時代の四辻殿は一条万里小路にあったらしいけど。
四辻家は室町時代の創立当時、一条室町の辺りが屋敷の場所だっけ。

362 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:09:51
>>355 知ってるよ!それでも和子入内前に子供を作ることに徳川は激怒した(それも2人生んでる)
萌えるぜ。

363 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:06:17
>四辻家は室町時代の創立当時、一条室町の辺りが屋敷の場所だっけ。

今出川家の「菊亭」に対し、室町家(四辻家)邸宅は「花亭」と呼ばれてたんでしょ、
ウィキに書いてあった。
「四辻」ってのも、考えてみれば十字路のことだよね?
んなもんそこら中に存在してるわけだが、仮に京市中の特定の十字路が由来なら
雅な命名だと感心する。

364 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:25:35
>>355
作ることに怒ったんじゃなくて、作っていたから怒ったんだよ。
幕府に睨まれながらおよつと子作りしたんじゃなくて、
およつとの間に子供を作ったことが知れたから幕府から睨まれた。
別に幕府に睨まれながらおよつを愛した訳じゃないんだよ。
そもそもも天皇が女官に手を付けるのは当たり前だったから、
本来であればうるさく言われることではなかったんだし。

365 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:32:59
>ウィキに書いてあった
www

366 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:36:12
>>364>>362
およつの件は和子の入内内定後だったから怒ったんだろ。
およつの最初の子(男子)は和子の入内内定前で
幕府も後水尾にすでに庶子があることは認知していた。
しかし、後水尾に庶子があろうが中宮の子が優先するからね。
およつの2人目の子は皇位継承権のない女子であったにもかかわらず
入内直前であったために幕府の顔に泥を塗るものとして退けられた。
藤原道長も彰子の入内直前に妊娠した定子に対しては怒り里帰りを後見しなかった。
あっちに出入りしているなまみこ婆の書き込みだからすぐわかるんだけど。

367 :日本@名無史さん:2008/12/22(月) 10:22:16
んだんだ

368 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 01:46:52
あけおめー!

369 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:27:45
一条天皇と定子様にあけおめー

370 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 11:48:27
>>369
は?
藤原定子はいつの間に皇后から女官に格落ちされたわけ?

371 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:28:28
>>370
369は有名ななまみこ婆です。
文学作品を史実を信じ込み、まともな史料の知識もなく
電波な一行レスを繰り返すマジキチです。
脳内では自分は大学出で夫は産婦人科医だそうです。
たぶん統合失調症なので目を合わせてはいけません。

372 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:34:09
藤原定子の妹4の君は、一条天皇の寵愛を受けて子供を身篭ってるね。
この子供が生まれて、男子だったら道長も困っただろう。

373 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 19:37:15
女官の産んだ皇子は親王になれないからたいして困らないよ

374 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:37:49
>>369
定子が皇后を廃されて、女官にされた資料マダー?(・∀・)っ/凵⌒☆チンチン

375 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:55:40
すれち んちん

376 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:14:21
御櫛笥殿が女官長になれば、親王の母代わりとして敦康親王を支えたのに。

はっきりいって、一条天皇にとって、好み、愛情は
御櫛笥殿>>>>>>>>>>彰子だった。間違いない。

377 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:18:09
なまみこ婆が正しいことを言っているところを見たことがない
なまみこ婆が言う「間違いない」=世間一般の「大間違い」

378 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:28:49
御櫛笥殿なんて役職あったっけ?
そもそも実家の後見もない女官が母代わりになったって格が下がるだけ。
中宮に養育された親王>>>>>>女官如きに養育された親王だ。

379 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 07:10:10
>>376
女官が母代わりでは敦康親王は仏門にでも入れられかねないな。
一品になることも無理だったろう。




380 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:33:38
御櫛笥殿が女御とか尚待になったらいいやん

381 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 20:51:26
後見もないのに女御になれるわけがない。
あと既に姉の定子が一条天皇の后となって妹も女御になるの?
村上天皇だって中宮安子の死後、その妹の登子を寵愛したけど
女御にしなかったし、登子が尚侍となったのは村上天皇没後。
東宮となった守平親王に母后がなく、その養育の為に尚侍に任ぜられたのであって
敦康親王には父の后である中宮彰子がいる以上、四君を尚侍する必要もない。

382 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:19:10
一条天皇が愛していた女性は

四の君>>>>>>>>>>>彰子

               だった

383 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:20:50
四の君健在の時は母代わりは彰子じゃなくて四の君だったよ。

384 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:44:54
長徳の変で髪切った定子と、やはり定子の死後に髪を下ろした四の君。
一条天皇は尼さんプレイが好きだったんでないの。

>>383
母方の実家が親王・内親王を養育するのは当たり前だろ。
東宮ですらない一親王だし、母方の権勢も期待出来ないから女官が育てて良かったんだろ。
扱いが軽いだけ。

385 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 13:46:55
>>382
四の君はその美貌を大鏡で大絶賛されほどだったから、
きっと姉定子とは比べものにならないくらい愛されていただろうね。

四の君>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>定子。

ちなみに定子が四の君が似ていたという史料はない。

386 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:09:46
多分、定子様と妹の四の君は似ていたんじゃ?
それで、面影のある四の君に一条天皇は・・・

387 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:33:42
>>385
「大鏡」の作者は四の君を見てないよ。
もっと後の時代の人だから。
ほかにも村上天皇の愛人だった藤原登子を大変な美女だと書いたり、
(こちらは四の君など及ばないくらい美貌を褒めている)
天皇が手をつけた愛人=美人だから手がついた、という思考なのだろうね。
大鏡の作者は勿論藤原登子も見ていない。
四の君が生きていた同時代の史料には四の君が美人だとしているものはない。
四の君に呼びつけられたり、実物の四の君を何度も見ている清少納言も
美人だとは書いてない。
まあ、中関白家さまさまの清少納言が褒めないくらいだから、大したことはなかったのだろうね。

388 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 19:48:12
なまみこ婆は相変わらずのスレ違いをかき続けてるな。
ここは純粋な女官を語るスレで
天皇の愛人を語るスレじゃないんだが。

389 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 20:56:18
なまみこ婆は一条天皇の寵愛度は

定子>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>四の君>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>(越えられない壁)>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>他の女ども>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
-----------(人類と非人類の境界線)-----------
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>
>>>>>>>>>>>>>>>>>>>彰子(笑)

じゃないと絶対気が済まないお馬鹿さんだから、
「スレ違い」と言う言葉の意味すら解らないでしょう。

と言う訳でなまみこ婆さんの住むべきスレはこちら↓

☆☆☆一条天皇と取り巻く女と子供と貴族達☆☆☆
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1218215666/

390 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 21:46:20
スレ立ったから、定子と四の君については↓で思う存分語ってくれ。

定子様と中関白家を語ろう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231245802/l50


391 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 03:52:13
四の君>>>>>>>>>>>>>>>>>>彰子

392 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 08:17:07
はいはい。
四の君信者はこっちにいこうね。せっかくあるんだから。

定子様と中関白家を語ろう
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1231245802/l50

393 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 19:29:43
四の君に萌えー

394 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 20:19:22
藤原薬子もここでいいのかな、尚侍だし。
娘の夫を寝取ったイメージからずっと平城天皇よりも年上だと思っていたけど、
薬子の兄の藤原仲成と平城天皇が同い年だから、薬子は天皇よりも年下になる。
妖艶な熟女が年若い天皇を惑わしたと言うより、
年下の人妻に天皇が溺れたって感じなんだね。

395 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 09:35:19
なにいまさらそんなことw常識ですがwww

396 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 11:14:10
常識と言うほど常識でもないような・・・
平城天皇よりも薬子が年上と書かれている本もわりとあるし。
娘の夫を〜な辺りで年長のイメージがつくのかも。

>薬子の兄の藤原仲成と平城天皇が同い年
これを知らない人って結構多いしね。

397 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:17:39
年上の毒婦かとおもた

398 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 20:57:43
「薬子の変」と呼ばれるほど薬子が何をしでかしたのかいまいち分かっていない
帝位に戻りたがっていたのは薬子ではなくむしろ平城上皇本人だったろうし。
結局、罪にもならず平城京で隠居の身の上となった平城上皇とそれを裁いた嵯峨天皇が、
乱の最中、服毒自殺を図ってこの世から消えた薬子に
乱の全責任を押し付けて責任逃れをしただけのような。

399 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 21:20:13
純粋な女官と言えば従一位尚侍となった藤原淑子
親子ほど年の離れた藤原氏宗の後妻となったが
夫婦生活はあったのかなかったのか子はなく
宮中に活路を見出した女性
異母兄基経すら淑子の意見に逆らえず
淑子が養子にしていた源定省を天皇に擁立
淑子は宇多天皇の養母として天皇の身辺を手中に収め出世をした
異母妹の清和天皇妃高子などよりよほどやり手の女性

400 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 10:20:00
平城天皇もかわいそうな男だ

401 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:00:28
後奈良天皇ってなんでこんな冴えない天皇の名前引き継いだんだろう

402 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:17:30
>401
女官と何の関係があるの?
スレ違い。

403 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 01:47:45
別にいーんじゃね?流れじゃん

404 :日本@名無史さん:2009/01/16(金) 23:45:30
小野小町は更衣ということでOK?

405 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 21:46:15
仁明帝の後宮だったこと自体すら判然としてないと思うよ

406 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 22:01:25
>>404
当時、後宮で天皇の更衣たちに与えられた局が「町」と呼ばれたらしい。
仁明天皇寵愛の紀静子は「三条町」と呼ばれている。
ただ小野小町は子女を産まなかったせいか本名も父の名も更衣としての記録も残っていない。
仁明天皇の頃に宮中にあった女性で、小野氏出身の出身、ここまではほぼ定説なのだが。

407 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 23:16:05
平安初期の上層階級、宮中などでの男女の衣裳・風俗はほんとに不明瞭なんだが、

百人一首の絵など、万葉の時代の人物でさえみな平安王朝風俗で
描かれるという長い歴史もあったりするし、竹取物語のかぐや姫も
物語に登場する求婚者の名からわかるおおまかな時代を無視して
ひたすら平安時代のお姫様衣裳なわけだ。

大御所・杉本苑子の『壇林皇后私譜』なんかだと
奈良朝の名残も多くある衣裳風俗で描いているけど
同じような時代の薬子や小町を描いた他作者の作だと、
衣裳に関しては全く記述が無いような作品もある。
考証に自信がもてないので、衣裳に関しては触れないで書いたのだろう。

ここには詳しい人が多いのでご教示いただきたいのだけど、
どのようにして、長い垂れ髪といわゆる女房装束に変化していったのか?を
主軸に検証しているような概説資料本はあるのだろうか?

408 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 23:27:37
http://yuusoku.jp/12hitoe.html
このサイトに十二単に至る変遷が書かれているような。

推古朝に日本が隋の服装を宮中に取り入れ、冠の色で冠位を区別していたこと、
そして律令で唐の服装が男女ともに宮中で用いる正装と定められたことは文献からわかるのだが、
実はその後どういう経緯で平安時代中期の束帯と十二単が宮中の正装となるに至ったかは
文献からは明らかにはならない。
薬子や小町が生きた平安時代初期の貴族女子の一般的な服装と考えられている衣装は
(衣装は唐風、だが髪は唐のように頭の頂上付近で結いあげず、
ポニーテールのように頂上で一度紐で結んだだけで垂らしている)
は当時作られた婦人像などから推測されているもの。
平安時代中期になると、当時の貴族の生活を描いた多くの絵巻物ができ、
また源氏物語などに詳しい装束の様子が出てくるためにわかるのだけど・

409 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 15:24:05
小野小町は女官ですよね。
秋田美人とか言われますが、実際秋田の人には白人の遺伝子が
あると聞きました。一体どういう経緯で秋田に海外の血が
入ったのでしょうか?時代はいつ頃でしょうか?

410 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 16:12:00
>>409
白人の遺伝子など初耳ですね。
それよりも、その話をあなたが信じている根拠を知りたく思います、

411 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 18:04:07
藤原定子様の妹四の君

一条天皇の寵愛を受け子を身篭る。

412 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 18:19:37
>>409
白人の遺伝子ではなく、古モンゴロイドの遺伝子だろう。
古モンゴロイドはシベリアで扁平顔になったとされる新モンゴロイドに比べて堀が深くコーカソイドに近い。
アイヌの一部の人たちなどがいい例。




413 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 19:03:53
時の天皇の寵愛を受けて身ごもる、なんて簡単に言うけどサー、
節句スなんてお姫様あんなこと出来ないよ〜w
どうやって克服したんだろ。超不思議

414 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 19:31:53
>>409
小野小町は仁明天皇の頃宮中に仕えた女性だけど、
女官か更衣(天皇の妃で父の位が大納言以下の子女に与えらる)かははっきりはしない。
秋田人は色が白いというのは↓のサイトに見える杉本博士の研究で立証されているらしいが、
http://www.osake.or.jp/enc/02/index.html
もっとも、日本人は遺伝子的には白人からはかなり遠いため、
中国内陸部の比較的色が白い人種との混血であるとか、
日照時間との関係が言われているらしい。

ところで、「秋田小町」なんていう米も出て、秋田の町おこしに一役買っている小野小町だが、
小野小町が秋田生まれだというのは伝説の一つで、ほかにも全国各地に小町の出生地と言われる場所があり、
小町の出生地が史料で確認できるわけではない。
小町の一番可能性が高い出生地は、やはり、都だろう。
小町が宮中へ出仕している点からも、出身は相応の貴族、
小野氏の出身であることは間違いないのであり、
父が受領であったとするなら父に伴われて地方へ行った可能性も全くないことはないが、
産まれてから死ぬまでの生活の基本は都にあったと考えるのが自然。
小野氏の本拠地であった山城国小野庄(現在の京都市山科区に所在する)にあったとされる
小野氏の屋敷跡(現在の勧修寺)にある井戸は小町の産湯に使われたとされている。


415 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 20:34:11
小町についての分厚い研究書もあるけど
京都・山科の随心院に置いてある小冊子の内容はいいよ。

小町寺なんて呼称の寺院ではあるけど、
冷静に出自の謎やあの時代の複雑な背景を説明し
史料からみた小町像と伝承の小町をちゃんと区別して論じている。

416 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 23:10:27
山科は、仁明天皇女御で文徳天皇生母・藤原順子(藤原冬嗣の娘でのちの皇太后)が建立した安祥寺がある場所なんだけどね。
平安初期の当時は、まだ洛中に公然と私寺を建てる事は憚られたから、飛鳥時代の以前から藤原氏の領地だった山科に(興福寺は昔山科寺と呼ばれていた)、
彼女は寺を建立したと考えられている。まあ、いまでも安祥寺はかの地に残っているけれど、同じ山科でも小野の里とは
だいぶ離れているけどね。小町が天皇の女御とゆかり深い土地に場所に長年篭るだろうか。
まあ小野市出身ならそれもありか。

417 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 23:11:28
あげ〜w

418 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 00:54:10
>小町が天皇の女御とゆかりの深い土地に長年篭るだろうか

小野小町伝説の類については、「はいはいそうなんですね」と
聞いとくもんだと思ってるけど。

419 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 22:20:32
>>416
小野氏の屋敷がそこにあったからでしょ。
女官は宮中住みこみで働くから、小町も宮仕えしているときは
内裏に泊まり込みだったんでしょ、里がどこにあろうが。

山科は醍醐天皇の母方の祖母で、山科の豪族の娘宮道列子の里としても知られていて、
醍醐天皇はそれによって母藤原胤子のための寺醍醐寺を山科に建立した。
(もっとも、現在の土地区画では醍醐寺の住所は微妙に山科区ではなく伏見区になる)
そもそも藤原氏と山科のかかわりは順子にはじまるものではなく
古くは藤原鎌足が近江大津宮の近辺に寺を建立しようと考え
山を一つ越えた山科の地に山階寺を建てたことにも伺える。
このときの都は平安京ではないからね。

420 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 18:51:57
そういってるじゃん

421 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:52:27
橘美千代最強。近代史では明治天皇の皇后付きの高倉寿子最強。

422 :日本@名無史さん:2009/02/24(火) 17:10:30
ぶり

423 :日本@名無史さん:2009/03/06(金) 21:54:47
うん

424 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:24:55
邦家親王より早くに子供を作った貴人はいるのか?

425 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 16:31:54
江戸時代〜明治時代の激動時に活動した伏見宮邦家親王は
最初の息子である晃親王が出来たのは13歳(今で言う12歳?)
相手は家女房(使用人)だったらしい。
小学生で子供を作れるとしたら相手は経験者じゃないと不可能か?

426 :日本@名無史さん:2009/03/22(日) 13:31:39
まあそういうパターンは大抵女のほうが年上だよ
成熟した体だから発情したわけで。
3つ4つくらいは年上じゃね?家女房かどうか知らんが奉公してるくらいだから。
さらに丈夫な子供(晃親王)産んでるわけだし。

427 :日本@名無史さん:2009/03/25(水) 21:23:12
一条天皇は4の君に定子様の面影をみたんだろうな

428 :日本@名無史さん:2009/04/04(土) 21:57:05
前の方に出てた?およつ御寮人は後水尾天皇と引き離された以降どこでどうしてたの?

宝塚か何かの物語では天皇の弟がいる近衛邸に引き取られた後出家した、みたいなストーリーだったんだけど、適当な作り話かな?

429 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 11:33:47
晩年の東福門院と出家し尼になってる梅宮が仲良しだったっつーのも事実なら、
うーん、現代庶民の感覚を超える世界だね

430 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 10:37:57
東福門院はなさぬ仲の子たちの世話を結構してるよ。
ところで以前、女官密通事件を起こした猪熊は実は四辻家の出身である
という書き込みがあったけど本当の話?

431 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 14:47:36
熟女女優スレ


http://dubai.2ch.net/test/read.cgi/actress/1238835151/l50


432 :日本@名無史さん:2009/04/06(月) 18:23:19
東福門院と梅宮は12歳しか違わないので、腹割って話せば継子というよりも少し年の離れた妹感覚とか。

梅宮が修学院のあたりから奈良の山村へ寺を移転させる際、幕府や山村を支配していた藤堂家に
便宜を図るよう折衝し続けたのは東福門院だし、自分の嫁ぐ前の夫の子供に対してはそんなに
わだかまりはないんじゃない?


433 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 18:51:58
>>430 定かではないけど、四辻と猪熊は関係ないみたい。ウィキで調べてみただけだけど。

およつ御寮人はなんか確か、大河ドラマ(葵徳川三代)だと、幕府が暗殺した、っていうようなニュアンスじゃなかったっけ?

434 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 20:37:08
んで結局東福門院は晩年幸福だったのか不幸だったのか?
研究者の本読んでも両論に分かれてるよね。

435 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 20:49:02
>>433 およつの妹は、上杉景勝の側室だったらしいね

436 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 23:03:31
>>434
その人物が幸福か不幸かだなんて、当の本人以外知る人なんてないし。
小説家や作家が推測して自作の創作に生かすのならともかく
研究者が論じるようなことでは無いと思う。感情の問題だもの。

だって、その人物が幸か不幸かなんてことを記述した
一次史料なんて滅多にないんだしね。とくに女性には。

>>435
景勝の子の定勝の母・四辻氏。
>らしいね
ではなく、そう。

437 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 23:36:39
>>436
時代小説みたいな故人の感情の憶測論じゃないよ。
幸か不幸かっていうのは、東福門院が置かれていた状況(日常生活とかね)を
資料をもとに検証し、そこから彼女の公家社会での評価が推測できるでしょ、ってこと。


438 :日本@名無史さん:2009/04/07(火) 23:44:26
>>435-436
景勝の妾は、およつの姉になるよ。(およつの生年は西暦1595年頃)

もっともこの姉について、「景勝の嫁・菊姫は自殺だった!!」説提唱者の楠戸義昭センセイは、
「あの女は町人か四辻家の下僕の娘を公家の娘に仕立てた似非姫君じゃあっ!!!」
とおっしゃっておられます。

……が、この件について皆様のなすべきご対応は、既に皆様ご存じの通りですw

439 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:04:32
>>437
日常生活的には、豊潤な化粧料のもと
豪奢な生活をし、江戸からの侍女に囲まれ不自由もなく
剃髪した後水尾と時間もともにし、趣味も楽しみ生活していたと。
単純だけどそういう >日常生活 なんじゃないのか。
周囲の公家にもお宝はどっさり掴ませていたわけだし、
京都所司代や和子付きの女院付き武士も目を光らせていたので
公家や禁中の女官たちとて表面きってイケズもできまい。

また、西陣や京都の工芸美術品の歴史のなかで
金銀惜しみなく商品の注文をしたという和子は、大きなパトロンとして
名をとどめているはずだ。
けれど結局、京都人から見れば「余所者は死ぬまで余所者」であるし、
>公家社会での評価 なんてのも、裏表が激しい階層だからわからないよ。

>>438
楠戸氏の著書ではなく、違う本で(図書館で借りた本のため名は失念)
およつ御寮人と景勝室の四辻氏とは、母が違うという記述を
読んだことはある。
景勝室は公遠氏の娘ではあるが、庶腹であるということだった。
庶腹が事実であるかは自分には検証できないけれど
家女房あたりが産んだと考えれば別段珍しいことでもないのでは。

また自分は早くから「戦国女系譜」での菊姫の項を読み
「菊姫は自害説」には反論してる者だけど
その自害説を突き止めたというのは楠戸氏ではなく、
米沢の郷土史家の研究者なので、
(自害説を広めた楠戸氏には色々と文句もいいたいところだが)
まず、その研究者の意見をきちんと聞いてみたかったと思っている。


440 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 19:54:38
>>432
梅宮に限らず、東福門院は後水尾上皇退位後の側室たちが生んだ子も厚遇しているよ。
自分は後水尾天皇のゆるぎない正妃なのだから後水尾の子は全員自分の子という意識じゃなかったのかな。
明正天皇の後に天皇位についた光明・後西・霊元はすべて東福門院の養子になったし、
天皇になった子じゃなくとも、例えば東福門院の養女となり徳川家綱との縁談が持ち上がっていた
光子内親王なんかは後水尾上皇に仕えた櫛笥隆子の腹だし。
(後水尾上皇が内親王が武家に嫁いだ例はない、といって破棄したが)

441 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 20:01:47
>>439
>京都人から見れば「余所者は死ぬまで余所者」
ところで、あなたは京都人なのかな?
東福門院のことを調べれば簡単にわかることだけど、
東福門院着用の十二単というのは現在でも残っている。
江戸へ行っても京風を貫いた和宮と異なり、
東福門院は積極的に公家の風習を取り入れた御所生活を送っていた。
それを証明するものが東福門院が生涯に詠んだ膨大な和歌。
東福門院が生涯よそものとして御所生活を送っていたのならば
ただでさえ幕府と仲が悪く始終波風を立てていた後水尾上皇が
晩年まで同居してあちこち連れて歩くほど東福門院を寵愛しなかったと思うが
どうだろう。


442 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 22:12:43
>>439
四辻公遠は正室が不詳。
お与津の母親も景勝室の母親も不詳。
景勝室の母親が家女房だったとして
お与津が正室腹であるとしている文献もない。
同腹か異腹かは別として
両方とも家女房が母親である可能性は高い。

443 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 22:57:44
東福門院の周りには異母姉や姪など、
公家や宮家の夫人となった縁者が沢山いたんだよね。
女官腹の子供とも良好な関係を築いていたし、
跡継ぎに恵まれなかったとはいえ、娘たちと死ぬまで一緒に過ごせた。
大名家に嫁して窮屈な生活を送るより、
京都で比較的自由に親類縁者と交流できた生活は幸せだったような気がする。

444 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 00:48:22
>>433
>東福門院の周りには異母姉や姪など、

異母姉じゃなくて異父姉じゃないの?

445 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 07:00:29
>>442
上杉定勝はお与津の供養を高野山に依頼した記録があり、
林泉寺の過去帳にはお与津の戒名も記載されてるらしい。
本当かどうかわからないが、上杉の記録にはお与津は、
後水尾の元に上がる前に、季頼家来(秀頼?)に嫁いで女児を儲けていたとあり、
上杉家はこの女児(後にある公家に嫁ぐ)の援助もしてたらしい。
梅宮と定勝の交流の記録もあり、もしかして同母姉妹かという気もするよ。

446 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 09:58:03
>>445 へぇー!そうなんだ。
てことはおよつの死没年は比較的早い時期(若い頃)ってことかな?こちらも、東福門院とは異なるけど、浮き沈みが明確な感じだったんだね。

447 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 18:14:27
>>445
天皇の後宮である典侍に、婚姻歴ありの女性があがるとは思えないが。

448 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 19:27:58
>>446
お与津(明鏡院)は寛永十五年に亡くなってるから、結構な歳だと思う。
定勝が上洛した時、四辻や高倉の伯父とともにお与津も定勝と会ってたと思う。
母の顔を知らない定勝にとっては、慕わしい人だったのかもしれんね。
>>447
自分もその点は気になる。ただ上杉の系図にはそう書いてあるんだよ。
公遠孫娘も実際存在するし。
最も、同じく後水尾に使えた姪の子も系図で間違ってお与津の子としているのをみると、
もしかして公遠には、景勝側室とお与津以外にも娘がいたのかもしれない。

449 :日本@名無史さん:2009/04/09(木) 19:30:42
>>447
典侍はあくまでも女官であって、天皇の私物ではないから。
中には天皇の手がつくものもいたというだけ。

後水尾天皇の父親である後陽成上皇は晩年、
茶々局(三位局)という女房を側に置いて大層寵愛していた。
この茶々局、名は古市胤子といい、後陽成上皇のもとへ上がる前は
義尋(室町幕府15代将軍将軍足利義昭の長男)の側室で、
先夫義尋との間に2人の男子を産んでいた。
胤子は後陽成上皇との間にも3人の皇子女を産んでいたが、
胤子が先夫との間に産んでいた2人の子は皇子同様
後陽成上皇に可愛がられたという。
現に婚姻歴のある女性が後水尾父の後宮にいたわけだし。


450 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 01:25:44
(江戸期の)典侍といえば、女官というような職をもつものではなくて、
まず天皇の寝所に侍る女性と考えるのが普通ではないのだろうか。

451 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 08:40:43
でも典侍といっても全員が全員侍妾ではないよ。
侍妾はその天皇が崩御したときは髪を下ろすけど、それ以外の典侍は次代の天皇に仕える者もいる。


452 :日本@名無史さん:2009/04/10(金) 21:56:44
>>450
江戸時代の典侍もれっきとした女官です。
それに、天皇の手がつくのは典侍だけではない。
もっと下の内侍や掌侍にもお手付きはいた。
(明治天皇の母中山慶子も孝明天皇の手がついた時には掌侍だった。
中山慶子が典侍になったのは我が子明治天皇に仕えた際。
典侍=天皇の愛妾ならば、天皇の実母が天皇の愛妾になって寝所に侍るという
不可解な事態になってしまう。)
あまり下になると天皇へのお目通りができないので
天皇へお目通りができる女官は手がつくこともあった、でいいと思う。
勿論、手の付かないお清の女官もいたし。
手のついた典侍は天皇が死んだら髪を下ろすという決まりもなかった。
先代が死んだら手のついた女たちは髪をおろして出家することになっていたのは
先代の多くの側室たちを生涯養う潤沢な余裕があった江戸城大奥の女性ぐらい。
(そんな江戸幕府も財政難のため、初代家康の側室たちを除き、
たとえ先代の側室であっても子供がなければそのまま出家することもなく俗世にあるようになったし)
典侍は天皇が死ねばそのまま次の天皇に仕え、わが子が天皇になったりした場合のみ、
死ぬ間際に女院号を贈られるのみでそれまでは地味に女官を続けていたよ。


453 :日本@名無史さん:2009/04/13(月) 17:14:19
詳しい方がいらっしゃるので質問が。

およつのように、○○典侍という名や(又は局名)も残りながら
「御寮人」という呼称のほうが周知されている天皇の寵姫は
他にも、他の天皇の代にもいるのでしょうか。
室町〜江戸時代の例でお願いします。

また、およつが「御寮人」と呼ばれたり書き残されたりしたことの、
背景や根拠は何だと思われますか?

454 :日本@名無史さん:2009/04/14(火) 22:02:03
寵姫かどうかわからんけど
霊元院の後宮にいる女官で

五条庸子 おひさ御寮人
入江相尚女 おいつ御寮人

というのをなにかで読んだ

455 :日本@名無史さん:2009/04/14(火) 23:24:06
武田信玄側室で勝頼母も諏訪御寮人て呼ばれてるよね。
武田信玄娘で織田信忠元婚約者の松姫もお松御寮人。

御寮人って呼び方はどの程度の敬称なの?

456 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 08:58:08
有力武将の娘は文書では「御料人(御寮人)様」と敬称されることが多い>戦国時代

457 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 11:45:07
>>454
ありがとうございます。
霊元院というと第112代で鷹司房子が中宮だった天皇ですね。
その2名について、ちょっと調べて見ます。

>>455
自分は武田の姫好きなんだけど、側室諏訪氏や松姫の場合
「御料人」と、「料」の活字をあてるのがほとんどじゃないのかな。

そしておよつの場合だと「御寮人」と「寮」の字であることが多くあるので
「寮」と「料」の、何か使い分けしていた事情でもあるのかな?
単なる当て字の慣習の違いか? という疑問もずっと思っていたことです。

少し昔の関西の商家で、店主夫人や女主は「御寮さん」だったりしますよね。

458 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 13:25:10
>>455
諏訪御寮人は諏訪刑部大輔の娘で
お松御寮人は武田大膳大夫の娘だから
五位以上の貴人の子女ってことかなあ。

459 :日本@名無史さん:2009/04/15(水) 17:13:53
我が国の女官の間で張形を使用する習慣は、いつ頃まで続いたのかナッ?


460 :日本@名無史さん:2009/04/22(水) 20:52:19
>>458
「御寮人」は奥様、ぐらいの意味。
ちょっといいところの出であれば商家のおかみさんでも御寮人と呼ばれる。
御寮人と呼ばれるのに朝廷からの位は必要がない。
ちなみに寮と料の文字に差はなく(あえて言うなら筆者の好み)、
諏訪御寮人も両方の文字で書いたものがある。

461 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 14:57:50
>>457
>少し前の関西の商家で、店主夫人や女主は「ご寮さん」だったり

>>460
>商家のおかみさんでも御寮人と呼ばれる

同じ意味ですね。

462 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 22:44:41
茶々は「淀御寮人」ではなく「淀殿」だったね。
御寮人と呼ばれた時期はあったのかな。

463 :日本@名無史さん:2009/04/23(木) 22:55:13
「淀の女房」とか呼ばれてる書簡はあるけど
「淀殿」と書かれている一次史料って、聞いたことがないな。

464 :日本@名無史さん:2009/04/24(金) 23:43:02
え?

465 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 16:49:52
「家女房」って言い方、いつくらいから?
公卿の娘も「家女房」になってる?(要するに下級公家の娘が摂関家などに仕える)

466 :日本@名無史さん:2009/05/10(日) 17:55:49
摂関家や宮家当主の生母が中・下流公家の娘で「家女房」と書いてある場合がある
あと、宮家の生母は公家の娘が建前なのか地下官人やそのほかの娘が生母になったとき
中・下流公家の猶子になっている場合がある

467 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 13:13:16
やっぱ天皇家や宮家・摂家は、何代も何代も庶民の血が入って続いてるのよね。
もはや真のセレブじゃないよね。

聖武天皇の奇行(しょっちゅう遷都したり家出したり、やっこが朕に〜の発言したり)は、
そういう意味で長屋親王へのコンプレックスが相当あったんだろうと想像できるね。
天皇夫妻(聖武天皇&藤原氏女)と、
長屋親王&吉備内親王夫妻とでは、
臣下の後者のほうが血統がいいもんね。

468 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 14:44:28
宮妃はご御簾中っていわれるよね!

469 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:02:50
>>467
じゃああなたのいう真のセレブって誰?
庶民・平民の血が入っていない王家や貴族ってどこにあるの?

470 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:12:21
日本の近世の朝廷や幕府の後宮政策ってのは合理的だと思うよ。

父系からはその家の血が流れ、母系では父系との接点がない血が入る。
ただ、天皇なり将軍になるには高貴な血をもっている正室の子供になることによって
両親が高貴な血を持っているものになる。

どこかのサイトで昭和天皇の5代か6代前での父系母系全部を調べていったけどその6代前くらいに
重なるところが一か所あるだけ。あとは見事に重ならない。
血が重ならないことによってその種の病気は避けられるわけ

471 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:28:01
>>469
こんなバカにはなりたくないw

472 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:50:31
>>471
いや、俺も知りたいんだけど。
真のセレブってなんだ?
頭いいなら教えてくれよ。

473 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 15:54:25
現代で庶民の血が入っていない王室てのが思いつかん。

474 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 16:51:11
>>472
読解力のないバカは奇想天外だなw藁www

475 :日本@名無史さん:2009/05/17(日) 18:10:28
↑君が素直に教えてくれれば済む話じゃない
そんなに煽るほどのことでもないと思う
日曜日に一人で煽ってばっかで淋しくないかい

476 :日本@名無史さん:2009/05/18(月) 23:05:42
↑退場しろ

477 :日本@名無史さん:2009/05/23(土) 19:19:50
御寮人=御息所?

478 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:35:23
>>477
御息所は天皇の手がついた女性を差した言葉。
御寮人は相手が天皇でなくても別に良い。
大名の側室でも、商家のおかみさんでも、御寮人。
近世にはいると天皇のお手付きにも御息所という言葉は使われなくなって、
一部御寮人という呼び名が使われたりした。

479 :日本@名無史さん:2009/05/30(土) 17:10:50
それだけ天皇家や朝廷の文化が庶民と同化してきたということ?

480 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 11:04:51
ちゃう

481 :日本@名無史さん:2009/07/07(火) 01:55:28
およつに萌える〜

482 :日本@名無史さん:2009/08/01(土) 14:22:24
東福門院は夫の庶子を可愛がっていたというけど
その何十倍もの子供を流産させたり死産に見せかけてぶっ殺した件の罪滅ぼしなんじゃないの?
東福門院自身がしたことじゃなくても幕府が彼女以外の子供邪魔にしてやったのは事実で
自分の子供でよりによって皇子が夭折しまくったから当時は祟りだと思われたろうし
しかしいくら実権ないとはいえ仮にも天皇の子供を闇に葬るなんてやばすぎるぞ秀忠
天皇が側室に子供産ませるなんてごく普通のことだし
妻に遠慮して夫が側室持たないなんて、妻の実家のほうが格上なら話はわかるが相手は天皇家だぞ
長女千姫の夫だった側室の子が二人もいたっての。

483 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 12:59:07
age

484 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 14:32:16
園祥子の子孫の繁栄ぷりはガチ

485 :日本@名無史さん:2009/08/20(木) 20:01:58
>>482
何十倍もの子供を殺したって言いすぎw
和子だって後水尾天皇の在位中は腹のあく暇もないほど子を産んでいたのだし
後水尾天皇が和子を寵愛したのも事実だろうし。

子供を流産させたはないだろう。
人為的に流産させるとこの時代にはかなりの確率で母親の死に結び付く、
しかし後水尾天皇付の女官が次々死んだという記録はない。
後水尾が女官に産ませた嬰児がこっそり葬られた、というのは公家の日記にある。
(何十倍も、なんて大層な数じゃないだろうが)
だけど、殺し合いが家業の武家からしたらそれすらどうってことはなかったかもね。
戦はいいけど、敵方の嬰児を殺すのはいけない、という理由がないし。


486 :日本@名無史さん:2009/10/11(日) 08:05:47
あげ^〜

487 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 20:51:42
結局東福門院の皇子は天皇になれずに天皇家に徳川の血は流れなかった。

その後天皇の皇女を将軍の妻にという話はたびたび出てくるけれど、娘を天皇の妻にという話はない。
どうしてなんだろう?リベンジする気にはなれなかったのかな?

488 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 23:37:00
3代家光:娘1名(千代姫)→尾張藩主・徳川光友に嫁ぐ
4代家綱:子供無し
5代綱吉:娘1名(鶴姫)→紀州藩嫡子・徳川綱教に嫁ぐ
6代家宣:娘無し
7代家継:子供無し
8代吉宗:娘1名→夭折
9代家重:娘無し
10代家治:娘2名→2名とも夭折
11代家斉:娘は多数いたが、皇室や公家へ降嫁させた実績は無し

初期の頃にタイミングを逸したんじゃないかな〜
4大将軍以降は幕府と朝廷の関係がある程度固定化するから調停に嫁入り工作の必要が無くなるし

女官スレでスレ違になるからこれにて

489 :日本@名無史さん:2009/11/17(火) 14:02:22
東福門院の異父姉って九条家の正室になった完子のこと?
中宮と関白夫人で姉妹だったりもするから、やっぱり交流はあったのかなぁ
東福門院の生んだ内親王が完子の生んだ長男だったか次男だったかの正室に
なったりしてるが

490 :日本@名無史さん:2009/12/26(土) 22:52:19
恐れ多い

491 :日本@名無史さん:2010/02/12(金) 21:38:24
なんで?

492 :日本@名無史さん:2010/03/12(金) 22:57:59
なんでも

493 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 20:59:58
ほー

494 :日本@名無史さん:2010/05/04(火) 17:57:02
20年前に、浩宮に徳川家から妃がたち、子供ができていたら、
高松宮妃以来の快挙だったのにな。皇居はもともと
将軍家の城だったんだし。

495 :日本@名無史さん:2010/06/06(日) 23:35:11
>>489
亀だけど、それは違うよ。
東福門院の皇女で降嫁したのは近衛基熙に嫁いだ昭子内親王と
二条光平の妻になった賀子内親王の2皇女だけど、両者とも完子の子ではない。
強いて言うなら、賀子内親王の夫二条光平が、
完子の息子二条康道の子、つまり完子の孫に当たる。
賀戸と光平の間には女子が一人いただけで男子は生まれず他家から養子をとっており、
この唯一の女子も甲府藩主徳川綱重に嫁いだが子はなかったのでそこで途絶えたが。
内親王は独身でいるか摂家に嫁ぐかしかできないので選択しはなかっただろうけどね。

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