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【太閤殿下】豊臣秀吉【日本史上最高の英雄】

1 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 15:32:15
秀吉を超える成り上がりなどこの世にいない

まさに日本史最高の英雄である

2 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 15:55:20
ただの侵略者ですが

3 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 17:05:13
侵略者=英雄

4 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 17:06:37
【太閤・関白】 豊臣秀吉 【木下・羽柴】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1132995219/

5 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 17:13:45
晩年の耄碌っぷりがひどかった
秀長が長生きしてれば少しは違ったかもしれない

6 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 17:55:46
秀吉の晩年の心境

「私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる
雑草は雑草として生え伸び咲き実り
そして枯れてしまへばそれでよろしいのである」


7 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:18:10
所詮足軽 身分低いものが天下を取るとろくなことにならない
秀次を切腹に追い込んだ時点でこいつはアホ

8 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:20:04
一番最悪なのが身の程を弁えず韓国に侵略したこと。
そして惨敗、豊臣氏滅亡w

9 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:26:02
【華麗なる一族になりたかった男】豊巨秀吉

1537年 木下藤吉郎


1573年〜 羽柴秀吉
犬猿の仲の武将の頭文字から付け加えた苗字

1582年〜 平秀吉・秀吉を養子にして下さいと頼み断られ


また(足利秀吉)も名乗れかった幻の苗字。


1585年〜 藤原秀吉・御落胤秀吉 朝廷からクレームが付き 名乗ることを許されなかった。


1586年 関白になり朝廷からようやく 名を与えたられ 【豊巨秀吉】になれた。


農民上がりプライド無し豊巨秀吉の馬鹿な苗字変換でした。

10 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:36:04
↑と、派遣社員が吠えておりますが、
いかが致しましょうか?太閤殿下。

11 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 18:47:24
刀狩りじゃ〜!

12 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:18:22
>>9で臣じゃなくて巨になってるのは何故?

13 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:22:15
半島では臣は巨なのか

14 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:32:46
>>13
なるほど、避諱だとすると李舜臣あたりかね?

15 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:38:57
太閤殿下による朝鮮征伐は古代大和朝廷が
朝鮮半島に進出していた時に支配していた
任那地域の奪回の意味も有った。

朝鮮征伐は国土失地回復聖戦だった。

16 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:50:53
>>14




李舜臣(李氏朝鮮) vs 老人秀吉 (武将・加藤清正・小西行長・黒田長政・宇喜多秀家・島津義弘)

17 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 20:56:37
>>15
壬辰倭乱は日本の歴史で「陶磁器戦争」とも呼ばれている。
当時、日本の上流階級では茶の湯(茶道)がブームだった。
豊臣秀吉の命令で出陣した各地の大名たちは、日本の陶磁器とは
比べものにならないほど素晴らしい朝鮮白磁に目を付け、先を争うように
朝鮮の陶工を連れ帰った。
そうして朝鮮から近い日本の各地に、朝鮮白磁を焼く窯が作られた。
http://www.chosunonline.com/article/20080720000012

当時は日本より朝鮮のほうが先進国だったんじゃないの


18 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:02:20
>>16
李舜臣の相手なら、九鬼嘉隆、加藤嘉明、脇坂安治あたりでしょ?
なんで陸軍と水軍が交戦するのさ

19 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:07:43
>>18 村上水軍か?

20 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:22:52
”倭乱”って礼節ゼロだろ。その感覚が嫌われてるわけ。
太閤があと十年元気だったらと思うよ。

21 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 21:23:13
海路案内したのは確かに村上水軍

22 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:04:50
五大老
徳川家康
羽柴利家
羽柴隆景
毛利輝元
羽柴秀家

岩出山侯・羽柴越前守
加賀侯…羽柴筑前守
会津侯…羽柴飛騨守
川中島侯…羽柴丹後守
宮津侯…羽柴越中守
甲府侯…羽柴弾正大弼
肥前佐賀侯…羽柴信濃守
清洲侯…羽柴左衛門大夫
伊賀上野侯…羽柴伊賀守

23 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:14:13
>>22
羽柴、秀吉時代に武将達に与えた名


家康も確かに秀吉から羽柴の名を与えられたが 秀吉死により動乱
他武将も使ってたが秀吉死と同時に名を戻した。

24 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:15:30
最大な裏切り者は徳川家康です。

25 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:44:02
いくら実力の時代とはいえ、浮浪人あがりが、出世抗争の半ばにライバルから一字ずつ貰い受けたにすぎぬ「羽柴」なる名字を「下賜」されても迷惑千万と感じる宮津侯の長岡藤孝・忠興御父子であった

26 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 04:38:13
松平を押し付けられるよりはよい
松平オエッ

27 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 14:33:45
長岡のような身分の低い家の人間はそんなこと気にしなかっただろ

28 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 16:35:49
やっぱ釣りはいかんよ
将軍御落胤説もあるし
和泉細川氏を相続してるし
京兆家が断絶した豊臣政権時代、
和泉細川氏は細川氏全体の宗家
も同然。

29 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 19:11:32
秀吉の朝鮮出兵の時代にはもう日本はアジアでも最強に近い軍事力を持っていたと
思ってたけど朝鮮と明の連合軍に苦戦して撤退したよね

日本の力がアジア最強になったのは明治維新以後の日清戦争勝利の頃だと
言われてるけど、実際は年代で言うといつ頃ぬいたのかな


30 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 20:35:30
苦戦したのは海上戦
陸での戦いはほとんど勝ってる

31 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:34:38
朝鮮軍は李舜臣と一部のゲリラ以外は雑魚なのは事実

32 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:36:46
>>29
日清・日露戦争で苦労するまでは、
兵站の重要性を理解していない民族だったから
短期戦には強くても長期戦には脆いってことでしょ

朝鮮の土地が豊かで物資を十分略奪できてればまた違っただろうけど

33 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 22:50:26
何かの番組で織田信長が鉄砲の「三段打ち」を実用化した頃にはまだヨーロッパでも
こういう戦法は戦争に利用されていなかったと聞いたから当時の軍事力や戦法は
世界でもトップレベルにあったんじゃないかと(当時の1位スペイン、2位ポルトガル)
ほでではないにしても明や朝鮮なんて楽勝じゃないかと勝手に思ってたんだけどね

その後の秀吉の時代には普通に農民が鉄砲持ってるなんて当たり前で、日本は世界でも
有数の銃大国だったのに明と朝鮮に負けたのが信じられない

34 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 23:12:17
あれを負けたと言うのかなぁw

35 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 23:44:26
まあ目的が明征服だからそれを達成できなかったら負けと言うなら負けだな
銃大国だったから戦闘では勝ちまくってたけど。

36 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 00:10:34
国力の差もあるだろ。
個々の戦局では日本が勝ってたけど、後方支援や地の利では明、朝鮮のほうが上回ってるからな。
それに、戦いのさなかに秀吉が死んでしまったから、撤退っていうカタチだな。
その後も戦いを続行していたら、日本の米が尽きてしまう。



37 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 08:34:57
秀吉は、猿に似ているからではなく、信長の軒猿(=諜報担当の忍者)だったので、みんなからサルと呼ばれていた。
ちなみに忍者には暗殺担当、技術担当などいろいろいる。

38 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 08:43:19
足軽からじゃなくて、スパイから天下人か。
プーチンみたいだなw

39 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 09:07:29
プーチンとラスプーチンの違いがよく分からん

40 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 09:37:42
>>36
秀吉による朝鮮出兵のせいで、その後明が滅亡してしまったという事実。
本能寺の変がなければ、信長・秀吉の連繋プレーで明征服は成功していたかも?
そして世界の中心、中国皇帝へ!


41 :40:2008/07/23(水) 09:38:38
【訂正】

世界の中心で愛をさけぶ中国皇帝へ!

42 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 12:05:46
>>39
ググレカレー

43 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:42:45
>>40
信長が安土城の金箔最上階に中国皇帝や儒家達を描かせていたのはそーゆーわけか…
秀吉の大坂城でも同じような感じダッタンかな?

44 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 14:02:22
>>41
安土の5階と6階は狩野永徳が自ら筆を取って描いた。
太閤秀吉の大阪城も永徳自ら描いただろう。あの角々とした服の皺々が最高。
聚楽第も現存してれば、世界遺産間違いなし。

45 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 14:10:46
銃大国でも人口(鉄砲避け)の差による人海戦術にはいかんともし難い
あ、それは今も昔も同じだな
核ならノープロブレムだが

46 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:11:04
核って・・・。
今の国際情勢からすれば、核兵器を用いれば敵国は壊滅させられるかもしれんが、
その瞬間から全世界を敵にまわすぞ。

47 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 18:08:19
秀吉が大嫌い、信長も嫌いです。夏休みに入った女子高生より。

48 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 19:44:53
しかし韓国や中国では豊臣秀吉は野蛮な侵略者であり、我々は秀吉軍に完全
勝利したと教科書で教えている

韓国なんてあっというまにソウルの北まで攻め落とされ明の援軍で救われた
くせに「倭人に勝った」といきまいて倭寇や水軍ではないただの補給船団
を叩いただけの朝鮮水軍の将軍を今でも「日本人が最も恐れる人物の銅像を立てよ!」
と言って韓国人の誇りにしてるらしい

日本人は誰も知らないんだけどねw

49 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 19:51:44
>>48
ヨン様が好き、秀吉はだいきらい。

50 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:23:20
秀吉の出自についての質問
『東国太平記』に一説として秀吉の父親は鉄砲のもの、木下弥右衛門とあるけど
『東国太平記』と『太閤素性記』だと
どちらの方が成立が早い?
後、『太閤素性記』に関して土屋知貞著者説が有力だけど
他の人物が著者の可能性はないの?


51 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:57:27
>>50
直接の回答にはならないかもしれないが・・・

その当時の情勢を知るには、資料、文献、民間伝承などに頼らなければならない。
・・・が、その資料、文献が100%正しいと断言できる要素は、何一つとして無いんだよ。
だいたい歴史学は、10年もあれば新たな事実が見つかり、それまでの史実が史実でなくなる・・・って言われるぐらいだしね。
逆にいえば、大いなる謎解きの学問が歴史学なのさ。

52 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 06:30:15
間接の回答にすらなっていないし
回答どころかオナニーして質問者に顔射しちゃいましたみたいな

53 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 06:36:43
「猿」などと呼ばれる「山の民」出自ではないかな。
江戸末期には「サンカ」などと呼ばれだす人に近い。

あだ名は「ハゲねずみ」
影での悪口が「猿」。

ちなみに「昭和の今太閤」と呼ばれる方も
「ケンタ」「ショケンシ」と呼ばれる階層の出身。

54 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 07:04:48
>>52
皮肉にすらなっていない。
もう少しがんばりましょう。

55 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 07:18:22
秀吉ヲタのブログ
http://otajai.blog110.fc2.com/

56 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 07:34:49
>>52
何気に品がないな。

57 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 08:27:23
>>54
あ、くやしかった?
ひとりよがりは良くないよ。

58 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 08:45:53
日本史上最高の戦下手

59 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 10:38:50
>>58
どうして?

60 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:26:07
>>52
実際、こんな下品で幼稚な皮肉や挑発も、戦場での武器になった。
とはいえ、相手が聞き流す気になってしまえば、罵っている方が一人で疲れ果ててしまうがな。



61 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:40:23
>>50
秀吉の父親の頃はまだ鉄砲足軽はいなかったらしい。
で、サンカ出身と言うのもよく聞くけど、あくまで推論でしかない。
普通にそこらの百姓の子だったと思うけどね。
あのへん、大根取れるし。

62 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:17:20
史上アジア制覇にもっとも近づいた男

63 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:30:14
信長が生きていたら明征服に当時東アジアを震え上がらせた海賊軍団「倭寇」を
うまく活用しただろう

秀吉のミスは倭寇を使わなかったこと
素人の補給船団を使ったから朝鮮水軍に敗れて物資補給ができなくなった

64 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:46:44
倭寇は実はそれほど海戦に強くない。
倭寇の海戦での基本戦術は敵船への切り込みだが、船高の高い明や朝鮮の大船相手だと、
切り込みができず、高所からの砲撃で一方的にやられてしまう。
しかも明沿海で暴れてた倭寇はほとんど中国人。

65 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:22:04
【ブログ】吉本芸人ダイノジ大谷(エアギターじゃない方)、「信長=人殺しの冷酷な田舎もん、秀吉=人殺しのスケベ猿、家康=人殺しのデブ」
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1216910814/

66 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:54:33
>>64
倭寇は発祥は倭人で後期には日本人、中国人、朝鮮人の連合軍
朝鮮半島沿岸だけでなく内陸奥地にまで被害を及ぼして朝鮮の王が倭寇の
何人かを将軍にしてあげるからとか泣きついたぐらい手ごわかったのは事実

明も倭寇に手をやき日本の足利将軍家に「何とかしてくれ」と半ば懇願してた
ぐらい凄い海賊船団だったらしい

67 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:01:38
清からの援軍じゃなかった?

68 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:30:47
>>66
倭寇の特徴は機動力と白兵戦。
神出鬼没でさっと上陸して荒らしまくり、さっと帰って行く。
元から強盗集団であって、海戦集団ではないよ。
国内の倭寇といえば対馬が有名だけど、宗氏は日本国内でみてもそれほど海戦強者ではない。

69 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 09:15:57
信長だったら倭寇(実はry)は殲滅してたんじゃ…
秀吉だからスルーだったわけで…

70 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 11:53:11
信長は狡賢く、負けると解ってる戦いはしない。
宣教師や観音寺城周辺の近江商人たちから明の国情が疲弊している今こそ攻め込むチャンスだということを知っていたからこそ、
信長は近江安土に城を築いて明攻略の好機を窺い、秀吉は実行に移したのだ。
2人とも天下統一の後が見えていたから、武家政権の行き詰まりを予感し、新天地を求めたのだ。


71 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 11:57:55
>>60
そんなもん挑発にも武器にもならないよw
ただたんに>>52が下品(げぼん)なクズってだけ。

72 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 12:51:08
秀吉の子孫って青森のミニ城に住んでる選挙好きのおっさん?


73 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:06:29
あの人の本名三上だよ

74 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 18:52:02
信長などアジアどころか日本すら制覇できなかったわけで・・

75 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 18:52:33
信長は西日本すら制覇できなかったアホ

76 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 19:04:33
>>70
信長だけじゃなくて誰だってそうだけどね。
負けると思っては戦ってない。

信長の天下統一の後は定説だと、幕府を開いただろう、ぐらいのもので
面白くない。
武家政権の行き詰まりというよりかは、余剰戦闘人員対策、そういう
意味での苦肉の行動で、そこには案外「勝てるという自信」は
見られない。

秀吉の出兵をものすごく低く評価するのが、現時点、だがやっぱり
そういう史観もどうかと思うよね。

77 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 19:29:44
信玄が長生きしてりゃーなあ
信玄がつき、信長がこね、秀吉食らうは天下餅。。。家康時間切れw
こうなってりゃなあ


78 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:55:13
信長が生きていたら、おそらく朝鮮半島を通過しないで、そのまんま黄海を渡って北京を直接攻めるような気がする。
一説によると秀吉は支那を征服できるとはこれっぽっちも思っていなかったが、国内の有力大名の武力を削ぎ落とすための政策。


79 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:11:23
信玄が1573に死んだのはできすぎだな。
あの頃信長は結構ヤバかったから。
ただ、そのまま天下統一できたとは思えない。
やっぱり秀吉はたいしたもんだろう。

80 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 22:08:35
まさに秀吉は天に選ばれし男だな

信長は天に見捨てられた感がある

81 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 22:22:38
う〜ん、秀吉は運もすごいけど、それを適確に活用したという実力も
認めないとね。
やってることは結構エグいこととか。

82 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:31:48
明治30年、約300年放置されるままの京都阿弥陀ヶ峰廟墓を
修築の為掘削したところ、秀吉の遺体を納めた大壺が出土した。
副葬品は何も無かった。その時遺体を取り出そうとして
誤ってバラバラに崩してしまったという。

83 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:01:10
ひでー墓を暴いて死人に鞭打つ伝統を持っている国の人間が
入り込んでいたとしか思えね〜
秀吉ー ムキー! 復習ニダー ムキー!

84 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 03:01:06
人たらしと云われるほど人心を獲るのが上手で魅力に富んでたらしいが、
出自も定かでない一撲の身から、天下獲り→外征までやってのけた力量は確かに凄い。

85 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 05:43:46
信長なら明に勝てたかな
いや、実はいろんな資料によると信長軍ってあまり強くなかったんだよね
かなり負けてるし、武田軍に勝てたのも鉄砲のおかげだし

戦国最強だったのは上杉謙信だろ
ただ謙信は仏の道に進みたかった影響から信長のような野心がない
欲がないから領土を広げようとも思わない


86 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 06:50:53
>>85
2行目は正しいけど、3行目は今は否定されてるよ。
鉄砲三段撃ちはなかったし、武田騎馬隊も存在しなかった。

北京を攻める、と簡単にいうけど、補給路とか退路とかそういうのを考慮すると
そこまでたどりつけないでしょ、普通。
その点、秀吉の朝鮮出兵は結構海から内地まで入って砦を築いたりしてる。
これはすごいことなんだ、今でも残ってるんだよ。

謙信とか信玄はちょっと旧世代だから、最強っていうのも
せいぜい田舎大関レベルじゃないかな。
やっぱり秀吉が最高だし、それに勝った家康が最大の武将かな。

直接部分的対決では家康VS信玄ってのもあるんだけどね。

87 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:24:22
>>86
>2行目は正しいけど、3行目は今は否定されてるよ。
>鉄砲三段撃ちはなかったし、武田騎馬隊も存在しなかった。

だれもそんなことはいっていない

>武田軍に勝てたのも鉄砲のおかげだし

これは歴史的事実。信長公記等第一級の資料からも明らか。
おまえさんおかしな本でも読んで頭くるってんじゃね?


88 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:44:13
上杉謙信の凄いところは綿密に企てた戦略、戦法の実行だけではなく、戦いの最中に
臨機応変に戦略、戦法を変える柔軟性にあったと言われている

生涯、武田信玄との川中島の戦いでの引き分け以外は(6:4で謙信の勝利と言う見方もある)
一度も戦で負けることのなかった天才的な戦国大名だった

信長の大量の鉄砲隊にも雨の降る日では鉄砲は役にたたないと、降雨の日まで計算して
奇襲をかけ織田軍を敗北させた

その時上杉謙信が「信長は思ったより弱い」とこき下ろしてた文献が残っている
結局、上杉謙信は織田信長にも負けなかった戦国最強の武将


89 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:54:55
上杉に 遭うては 織田も 手取川

跳ねる謙信 逃ぐる信長

90 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:20:34
>>88
川中島は謙信の敗北。
武田別働隊に背後を突かれ、八幡原から敗走。
信玄は戦場に留まり勝ちどきを上げる。
当然川中島も武田領のまま。
謙信が勝ちと言える要素がない。
つーか、64で謙信の勝ちってどこの馬鹿が言ったの?

91 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:48:26
>>87
長篠の戦いで最も有名なのが、映画『影武者』のラストシーンにも登場した「鉄砲三段撃ち」である。しかし、近年の研究でこの戦法は実在が疑問視されている。もともと「三段撃ち」説は『信長公記』には記録がなく、
最初の記述は江戸期に出版された通俗小説に見られる。

これはウィキだけど名和さんの本でも読んでみ。
騎馬隊に関してもおなじ。
いろんな人が、三段うちはなかった、騎馬隊は存在しない、って言ってるよ。


92 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:57:03
>>88
手取り川のこと?
文献と言っても謙信の書状だけで、それ以外には「実際の戦闘」
で信長と戦ったというのは確認されてないのじゃなかったっけ?

「奇襲をかけ織田軍を敗北」ってなにか一次史料、あったら教えておくれ。

93 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:58:19
>>91
誰も三段撃ちがあったなどと主張していない件。
誰も武田騎馬隊があったなどと主張していない件。
『信長公記』には織田方が鉄砲によって武田に圧勝した様子がはっきり記されている件。

おたくの頭では鉄砲による勝利=織田鉄砲隊が武田騎馬隊を鉄砲三段撃ちで云々なんですか。

94 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:02:01
信長の野望にはっまった。

95 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:28:34
>>93
鉄砲は武田軍だって持ってたし、鉄砲が当時最大の
武器であったことはそうだろうが、公記に書いてあるのは
せいぜいそういう意味であって、武田軍に勝てたのは鉄砲の
おかげ、というのは拡大解釈的、という意味ね。

1行目と、謙信の話も続ける?

96 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:45:43
>>95
全然違う。

信長公記
武田1番隊山県
鉄砲を以て散々に打ちたてられ引きのく

武田2番隊信廉
鉄砲にて過半人数打たれ候らえば其の時引き入るゝなり。

武田3番隊小幡
鉄砲にて待ち受け撃たされ候へば過半打ち倒され無人になりて引き退く

武田4番隊信豊
鉄砲ばかりを相加え足軽にて会釈ねり倒され人数をうたせ引き入るゝなり

武田5番隊馬場
人数を備へ右同断に勢衆うたれ引き退く。


どうみても鉄砲で勝っています。せめて信長公記くらい読みましょうね。

97 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:01:32
>>96
(´・ω・`)銅でもええがな

98 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:08:52
ご苦労さん。
鉄砲が自分で動き回って相手を倒してくれたのなら
すごいが、そういう配置とか柵とかソフト面も含めての話だ。
ちなみに鉄砲は全部信長所持のものじゃなくて、いろんなところから
借りたり苦労してるんだぞ。
例えて言うなら野球で「勝てたのはバットとボールのおかげ」というのは
変でしょ。

公記よむのはいいが、ちゃんと長篠歩いたりしたかい?
夏休みだからいいチャンスだぞ。
鉄砲持つと1分に55mぐらいのスピードなんだ、歩くの。
そうやって実体験すると、公記もまた、違った部分が
見えてくる。

君が偉い学者さんで文献研究の専門家ならこういう論を
受け付けてくれないのはわかるが、まだ若いのなら文献にしばられると
大変だぞ。

秀吉スレだからそっちにも触れると、大返しの時に
1昼夜で55キロ大軍が移動してる。
さすがにこれは試してないので偉そうなことを
いえないのは一緒だけどね。
関西方面の人、実行しないかなー。

99 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:17:48
>>98
大坂城建てたのは誰?

答え:大工

100 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:28:49
>>99
建設は大工
建させたのが豊臣秀吉

101 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:40:58
>>98
頭大丈夫か、お前?

>>85
>武田軍に勝てたのも鉄砲のおかげだし

>>86
>2行目は正しいけど、3行目は今は否定されてるよ。
>鉄砲三段撃ちはなかったし、武田騎馬隊も存在しなかった。

>>98
>鉄砲が自分で動き回って相手を倒してくれたのなら
>すごいが、そういう配置とか柵とかソフト面も含めての話だ。

お前の考え→鉄砲のおかげ=鉄砲が勝手に動き回って敵を倒してくれた

この説(鉄砲が勝手にry)は今は否定されている→昔はまかり通っていた説

昔は織田軍の鉄砲が勝手に動き回って武田軍を倒してくれたという説がまかり通っていた??

お前の矛盾
>>86では鉄砲三段撃ちという鉄砲戦術(ソフト)=鉄砲のおかげとしていたにもかかわらず、
なぜか>>98では配置や柵などといった他の鉄砲戦術(ソフト面)は「鉄砲のおかげ」から外してしまった。
しかも言うに事欠いて「鉄砲が自分で動き回って・・・」ってw
よーするに信長公記の内容も知らずに適当なこと言ってたが、その内容を突きつけられると
あせって誤魔化そうと頓珍漢なことを言い始めた。バレバレだよ。

つーか、信長公記も読んでない奴が長篠歩いてみろって・・・
お前が勝手に歩いてろw


102 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:38:58
>>101
あの・・鉄砲が動き回る〜、というのは例えだと思うのですが・・
信長公記を読む読まないではなく、解釈問題ということでは興味深いですが。

わたしも信長公記なんてこの10年は該当部分を読んでなくて最新の論は知りませんが
「長篠の戦は鉄砲のおかげ」とは普通は言わないと思ってます。

103 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:03:35
お蔭か何か知らんけど鉄砲あっての長篠の戦いだ罠。

104 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:08:10
>>103
弾にあたって死んだやつはいるのか?

105 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:15:30
徳川実紀の長篠の記述は知ってます?
あれは、徳川の御用達だ、と言われたらそれまでだけど、101の
人はご存知なのかな。
信長公記とは全然違うからわらける。

ちなみに徳川と織田は最後まで仲が良かった。
徳川が織田の悪口を書く由縁もない。
で、「鉄砲が〜」なんてのが出てくるかどうか、101の人は知ってるのかな。

106 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:21:44
>>104
長篠の専門家によると200ぐらい、という説もある。
96を見ても、ひきのく、引き退く、でそりゃ前が鉄砲でやられたら
普通はつっこまないわな。

公記読んだって普通は、鉄砲で勝った、とは思わないはずだが。

107 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:53:07
>>106
過半撃たれたとか無人になったとか書いてあるわけだが?

108 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:12:05
実記
http://www.ikedakai.com/text/jikki1-2.html
公記
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_9.pdf

109 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:14:40
>>1
色々いるよ
朱元璋とか
日本史板だからスレチだけど

110 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:18:22
>>105
>>108の徳川実記

織田徳川7万2千鉄砲数千丁
柵を作り鉄砲打ちまくって人塚できるほど撃ち殺したら勇み立った武田軍もボロボロになった

信長公記の鉄砲1000丁攻撃陣まったり入れ替わりよりはるかに過激だな。

111 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:55:48
徳川実記も鉄砲でまくりなのね。
結局>>105は信長公記も徳川実記も読んでないのにさも読んでるような振りして
偉そうなこと言ってたわけか。
ネット時代は嘘がつけないね。

112 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:58:46
鉄砲の三段撃ちって美濃の斎藤道三が考案したと言う説もある
信長はそれを戦で本格的に実戦に活用しただけだという
当時ヨーロッパでも銃を戦争に本格的に導入してなかったそうだよ

武田軍にも鉄砲隊がいたのは事実だが、信長の鉄砲隊の数に比べれば微々たるもので
鉄砲のおかげで勝ったと言うのは大量の鉄砲を足軽に持たせ騎馬軍団に対しての
三段撃ちによって戦局を有利に展開し結果的に武田家は滅亡したという意味



113 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:07:42
秀吉を超える英雄は日本にいない

114 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:59:25
賛成!

115 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 23:41:51
いや、野茂は越えている。

116 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 03:20:05
秀吉は大出世したけど、なぜか英雄ではないんだよな

我々がその後の歴史を知っているからかな

117 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 04:08:54
>>86
> 2行目は正しいけど、3行目は今は否定されてるよ。
> 鉄砲三段撃ちはなかったし、武田騎馬隊も存在しなかった。

そんな寝言言ってるのは鈴木とその信者だけだろ。

118 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 09:28:48
>>116
庶民から見たら英雄だったけどね、江戸期は。
ほんでちょっと話がズレるが、戦後は、外征して外国人を
たくさん殺した秀吉は英雄視するにはタブーになってしまうんだな。

だから戦後は信長という、国内ではともかく外国人を殺してない
信長に人気が集まるでしょう。
こういうのは偶然ではなくて、やっぱりある種の時代の背景と言うか
そういうのが現れるような。

119 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 00:46:15
秀吉って身長150cmしかなかったって言うじゃんw
朝鮮の使節が日本にやって来て秀吉と面会した時、あまりにもチビで不細工なので
驚いたって記録があるって本当なの?

そう言えば家康も150cmぐらいだったそうだけど
やっぱ支配者は長身でカッコよくなくてはならない
浅井長政が長身で(180センチ)色白、髭もありあの時代では理想の男前だったんだろうな

しかし豊臣秀吉の息子の秀頼は190cmあったって言うから信じられないが・・

120 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 07:13:57
昔はみんな小さかったからね。
朝鮮側のチビで不細工、はまぁ、そう見えたんでしょ、しゃぁない。



121 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:14:43
秀吉は暴君
 イエスズ会の宣教師も1588年ころの書簡で書いている。
たしかバリニャー二

122 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 00:56:40
織田信長についての宣教師ルイスフロイトの記述

・長身で声は甲高く心地よい、髪は薄い
・名誉心に富み戦を好む

123 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 11:19:11
声は甲高く心地よいって、じゃぱねっとの高田社長?

124 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 13:47:40
正確な資料とかは知らんけど状況からしたら鉄砲について
一番凄かったのは雑賀衆と石山本願寺みたいだね
長篠では陣前に延々と続く柵と深い堀を掘って周到に用意して
待ち構えてたみたいだけど>信長
これってどう見ても石山本願寺に加担した雑賀衆の戦法だよな
堀までひきつけて怯んでる所を鉄砲窓から狙い撃ちって戦法
そう考えると信長が凄いというわけではなさそうに思えてくる
ただ、自身も石山・長島攻めでは突撃して死にかけたり、一族が多数
戦死してるからこそ確勝を持っての作戦であったことは間違いないと思うが

>>119
秀吉と家康はほとんど同じくらいだったみたいだね
特に家康はチビの上にデブで馬にも乗れなかったらしいw
その話を笑った秀吉の近習を「何がおかしい?」とたしなめたとか
どっかで聞いた。しかし、家康のエピソード聞いてなんというか
今川義元みたいだと思ってしまったw

125 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 13:49:32
あと石山本願寺明け渡し後、大坂城を建てたのが
石山本願寺跡だったというのもその偉大さを証明してると言えまいか?

>>124も含めてほぼ俺の妄想だが

126 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:06:32
>>124
・信長自ら指揮をとった石山長島攻め
石山攻めの時は織田方の砦に群がってた一向宗に手勢のみで突撃、勝利。
長島攻めの時は破れかぶれになった一向宗が本陣に突撃してきて大苦戦。
両方とも一向宗側は堀も柵も使っていない。
使うシチュエーションではなかった。

127 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:56:00
>>124
長篠では雑賀衆も参戦協力してるんじゃなかったかな。
ただ、雑賀衆と言ってもいろいろな派閥があって一本化はされてない。
このあたり近年の研究は進んでるから興味があるのだったら、そういう本
見てみると面白いよ。

長篠は鉄砲とかよりも、家康主戦、みたいな解釈もまた面白い。
上に出てた徳川実紀とかなんだけどね。
スレチだから深入りしないが。

128 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 22:15:08
・徳川吉宗 → 六尺を超える大男(183cm強)
・豊臣秀頼 → 身長6尺5寸(約197cm)、体重43貫(約161kg)
・大久保利通 → 身長六尺(177cm)
・西郷隆盛 → 178cm
・坂本竜馬 → 169cm
・高杉晋作 → 157cm
・佐久間象山 → 6尺1寸(186cm)
・武市半平太 → 身長6尺(183cm)
・山岡鉄舟 → 187cm105kg
・前田利家 → 178cm(文献上は6尺・183cm)
・藤堂高虎 → 190cm
・孔 子 →  188cm
・加藤清正 → 5尺3寸 約161cm
・織田信長 → 168cm
・徳川家康 → 152cm
・伊達政宗 → 159cm
・武田信玄 → 153cm
・徳川綱吉 → 130cm強
・豊臣秀吉 → 150cm
・徳川慶喜 → 150cm
・東条秀幾 → 163cm

だと言われているそうですが、確かな証拠は無いとのこと。

ひとつの歴史ロマンに留めておきましょう。



129 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:00:18
天正16年(1588年)、紀伊の雑賀において代官に命じて材木2万本を売らせ、その資金を着服するなど蓄財にうるさい一面があったという(『多聞院日記』)。また島津攻めに参加した大名に(恐らくは現地プレミアとして)割高な兵糧を売り付けようとして秀吉に止められている。

130 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:24:25
:人間七七四年:2008/05/25(日) 17:57:19 ID:T1dk2yM7
天下統一をした後の政策が・・・ねぇ。

名分が立たず、しかも惨めに失敗した対外遠征。
実の息子かわいさに養子を殺し、しかもその妻妾子供(普通は幼い女の子位は助けるもんだ)皆殺し。
淀城 聚楽第 名護屋城・・・趣味としか思えない大土木工事。
上記の政策を支えるのに必要な重税・・・。
・・・暴君だもんな。

横山光輝の「豊臣秀吉」だったっけ? 天下統一したところで
「老年の彼は、それまでとは比べ物にならない位愚かになった事も追記しておく」って
終わりで締めたの。


131 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 09:08:20
暴君になったのは自らの死と後継者を
意識し始めてからじゃないだろうか?
このあたりは中国の毛沢東と被る所があると思う

132 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 18:04:46
英雄から独裁者へ

133 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 19:29:59
『豊臣秀吉は清洲町朝日の出身である生母(大政所)が、この子産石に触れ、祈願し授かった子で、幼名を日吉丸と名付けたとされています。』
日吉神社のパンフレットより抜粋


354 天之御名無主 2005/04/03(日) 17:28:22
地方によっては・・・(中略)・・・ 若い男たちが夜這に行って恥をかかないようにということで、年配の女性たちが神社などに集まって、若者に性交の実施教育をするというようなことも行なわれていたようです。
あるいは、結婚していても、厄落としと称して、祭りの時などに夫も婦も見知らぬ人と交わったりするような風習もあったようです。 ・・・(中略)・・・
全体的に言えば、子供の父親が誰なのかということにあまりこだわらないような、母系社会的な雰囲気が背景にあって、もしも父親の子どもでないことがはっきりしているときには、「祭りの子」などと言って済ませていたようです。
ttp://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/993305147/

まさか、ね

134 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 20:01:42
あれ、秀吉のおっかさんは昭和区じゃなかったっけ?

135 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 20:21:04
>>130
横山光輝というか吉川英治も暴君変貌後の秀吉を見るに耐えられなくなった。

・・・といいたいところだが、秀吉は天下統一以前から少し狂ってたと思われるフシがある。
例えば
@聚楽第の壁にイタズラ書きがあったのは秀吉は知り激怒し、落書きした子供らを捕まえて殺した上、晒し首にした(門番も確かその責任を問われて即刻首を刎ねられたはず)。
A天正11年の賤ヶ岳の合戦後に主家の織田信孝を切腹させた上、その実母や娘まで虐殺させ主殺しが行われていたこと。

確かこれらは天正18年以前の出来事だから、秀吉が残酷になったのは光秀を倒して天下を取った後から。
なお秀次事件の時に連座されて殺された者の中には最上などの奥州の有力大名の娘までいたというのだから、羽柴家(豊臣家)の後々も考えられなくなったほど耄碌してたと思う

136 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 20:42:01
>>135
2は別に問題ないだろ。信孝は主じゃないし。
むしろ謀反人。謀反人に親族が連座しただけのこと。

137 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 21:16:38
聚楽第の壁に落書きしたのは子供じゃなくて浪人だったはず
つうかそもそも多少なりとも教養のある人間じゃないとあの狂歌は書けない
門番も連帯責任で打ち首にされたのは事実だが、ちょっと誇張入ってね?
信孝の実母や娘を殺したのは、むしろ一度秀吉に敗れて彼女たちを人質に出しながらも
秀吉打倒の兵を挙げた信孝の方の正気を疑うわ

138 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 09:24:14
元・お館様の所業に比べれば些細なことでは?

ただ、荒木村重が謀反した時「何辺の不満侯や?」といって
思いとどまるよう指示したあたりからもそっちの虐殺とは
明らかに目的は違うような気がするが

お館様は生き死にまで徹底的に損得勘定を入れるリアリストだな
この辺は信玄もそうだったらしいけど
義信を処分するにあたっての家臣との駆け引きは凄まじい
そう考えると秀吉はただ基地になっちゃっただけにも思えるな

139 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 10:19:59
ま、権力を得た人間が晩年、女、に狂うのはよくある話なんだ。
ましてや下賎の出自の秀吉がそういう風におかしくなるのも理解は
できるというか。
なので、空前の大出世太閤閣下の最後の闇の部分ということで
そっとしてあげたい気はする。

それより、半年前まで主君の嫁、息子、妹で「へへ〜っ」としてたのに
それをヤッチまったところがおとろしい。
人質にはとっても、開戦時に相手に戻すとか、そういうことした武将だっている。
秀吉もそうするのが、らしい、と感じるけど、やっぱり天下を狙うには
非道、非情、そういうのに徹しきらないといけないってとこなんだろうな。


140 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 11:26:04
>>139
自分の嫁とかだったら実家に戻すのは分かるが。
人質を返しちゃったら人質の意味ないじゃんw
そんなことやってたら、人質出してもガンガン裏切る奴が出てくるよ。

141 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:28:34
>>140
開戦が目的だから、もう人質は関係ない、ってことね。
拉致みたいな人質奪還戦争じゃないんだから。
少なくとも勝敗の帰趨がみえるまではいかしておくぐらいでも
いい。
ましてや主君の・・だからね。



142 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 15:37:05
>>136
信孝は秀吉の主筋。
主筋に切腹を命じるなんて家臣にあるまじき行為だと思うぞ。

143 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 17:35:10
「主君」(秀信)に反抗した「主筋」(信孝)を殺すのは別に家臣の行為としては逸脱してない
信長に命じられて信行を殺害した河尻秀隆みたいなケースもある
もちろん秀信自身がそう命じた可能性は低いので、
秀吉が自分の行為を正当化した上での建前論の話だが、理屈としては間違ってない
あと信孝切腹には信雄の意向が強く働いた可能性が高い
秀吉を非難したという稚拙な辞世の句も現在では創作だと言われてるし、
はっきり言って秀吉には信孝を殺す動機は薄い
小田原の役後信雄が家康への旧領への移封を拒んだ時も御伽衆として取立て、
後年一応ながらも大名に復帰させてやってるくらいだかんね


144 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 17:55:35
>>141
言ってる意味がよく分からんけど、もう逆らいません、っていう証拠の人質なわけだから、
逆らったとたんに処刑するのが当たり前だと思う。
まあ反逆者を生け捕って、人質と一緒に磔刑に処す、っていうのも
罪を世間に明らかにするという意味で妥当性がある。

145 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:19:42
>>144
もちろん、建前ではそうなんだけど、こないだまで
自分が仕えていた主君の、という状況から見て
処刑しなくても、という意味でしょう。
通常の人質とは意味が違う、っていうか。

146 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:27:28
秀信に反抗した、と言ってもこれは秀吉の挑発というか
大義名分作りなわけで、理屈としては間違ってないけど、
実質は秀吉個人の天下取りへの欲望が主で
そのために、この前まで頭さげまくっていた猿に
切腹させられた信孝は無念だったろうな。

秀信が主君、と言うこと自体が実質何の意味も無いわけで
やっぱりそのあたりから根本的に、エグい、とは思う。


147 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 18:59:48
政治とはそういうもので、そもそも手中にしていた三法師をあっさり秀吉に渡してしまった信孝が浅はか。
まして家族を人質に出しておいて、敵対しても殺しはすまいと本気で思っていたのなら、信長とは似ても似つかぬ
愚息といわざるをえない。

148 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 19:09:11
信孝は主君の三男だが所詮神戸の当主に過ぎなかった。
信長が死んだあとは織田領勝手に分割して乱立した織田系大名の1人というだけのこと。
平和に岐阜で暮らしていたのを突如虐殺襲撃したっていうんならともかく、
織田系大名で、織田一門もそれぞれの陣営に分かれて戦ってきたわけで、
そんなのを殺すのになんの遠慮がいるの?

149 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 19:16:01
秀吉がえぐいというのは同意しとくが、これでもまだ秀吉は巧みに、
あまり血を見ないように政権奪取をやってのけた口じゃないかな
秀信の権威を利用して敵対する織田一族や有力家臣を排除、
その後朝廷の官位をたてに主君秀信すら臣下にすることに成功してる
で不思議なことに秀信自身がそのことについて秀吉を恨みに思ってた節が無い
家康が同じように豊臣家を簒奪しようとしたが、
関ヶ原や大坂の陣で何万人の人間が死んだことか


150 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 19:56:32
秀吉って、ある日突然、秀信(三法師)に向かって、
「秀信、ひざまづけ!!ワシが主君じゃ」とか一喝して、
荒武者に命じて下段の間に引きずりおろしたのかな。

加藤、福島とかの荒武者連中に荒々しく腕をひっつかまれて、
下段の間にねじ伏せられた秀信哀れ。

151 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:01:15
妄想キモい

152 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:05:56
でも、それに近い場面はあったんだろうな。
主従逆転のドラマチックな場面が。

153 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 20:27:25
織田家の主筋にあたる斯波義銀が信長によって傀儡に尾張守護として擁立させられて、その後に信長を裏切り上四郡の守護代・織田信賢と結び信長を追放しようと画策した事があったが、見事に露見して追放。
その後、義銀が逆に信長に仕えてるところをみると「何だこりゃ」と思うけど、当時としては別に主従逆転は普通だった。
しかしその後の義銀が哀れで、信長の後、秀吉に仕えて小田原征伐の時、北條との和平の使者として行ったのに何ら功も無く秀吉からボロクソに怒られている事からして、秀吉の信雄に対する扱いはまだマシだったんじゃないか?
織田弾正忠家は元々は清洲三奉行の出なのに対して、斯波家はかつて尾張や越前の守護職であり、室町幕府の四管領家の一つだったわけでプライドも高かったのに、それを秀吉みたいな成り上がり者にメチャクチャにされてるわけだから。

154 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:08:31
>>147
そのあたりどうでしょうね、結構本気でまさか殺すまい、と思ってたかな。
ただ、結果を知ってるわれわれと違って、あの時点では秀吉の、エグさ、
はまだ全開じゃないですからね。
どっちかと言うと信長には絶対服従のかわいい部下、みたいには思ってたかも。

155 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:10:30
>>148
その主君の3男というのが、最重要、と思うけどね。
ついこないだまで、完全服従、して仇までうってくれた。
これ、忠義の臣として秀吉を信用してただろうに。

156 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:15:40
>>149
巧みと言うのには同意だな。
ちゅうか巧みすぎて驚愕なんだが。

俗話だが、大返しで戻って信孝と合流した時にワンワン泣いて
「わしが仇とったるがや、まかしてちょぉ」なんて言ったらしい。
これに近いことはあったんじゃないかな。
信孝からみたら本当にうれしかったし、頼りにしたし、しかも実行
してくれた。

それがね〜、切腹しやぁ、だもんな〜、エグ・・1年もたってないのに・・

157 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:15:59
秀吉は信孝の家来じゃないし、その秀吉に逆らい、屈服させられ、人質まで出す羽目になっていたわけだが。
そんなこと思っているアマちゃんだったら信孝はよほどの馬鹿とのだろう。

158 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:26:12
逆に言うと、自分の大恩人の息子に対し、挑発、反抗させ、その主君の奥さんを人質に取る。
善悪ではないが、エグいぞ、やっぱり。
人質になった時、奥さんは「これ、猿、大殿の恩を忘れたか」ぐらいのことを
言ったのかな。
信孝の問題ではなく、あくまで秀吉の問題としてね。

159 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:37:04
奥さん?たかが妾だろ。

160 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:53:50
三七というのは余程恥知らずだったのか、罪のない従兄弟に言い掛かりをつけて殺し、
柴田の歓心を買うために叔母を与え、大功ある秀吉に対して喧嘩を売ったがあっさり降伏した。
今度は秀吉の歓心を買うために母と妻子を人質に出したが再度謀反し、兄貴にも攻められて
あっさり降伏。人質は当然殺されるし本人も切腹。

一体何がしたかったのか不思議な人物。

161 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 22:57:35
ではどうしたら良かったか、というと案外いいアイデアがうかばなかったりする。

162 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 23:24:19
羽柴は抜け目なく狡猾(フロイス)

163 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 23:40:00
秀吉は山崎で一緒に戦った信孝を擁して政権を採る方法もあったと思うけど、信孝は秀吉が織田家から政権簒奪の為の少なからず危険な野望があると見抜いて織田家の筆頭家老の柴田勝家に付いたんだよね。
暗愚な信雄は秀吉に騙されて利用されてるし、織田家にはすでに秀吉に逆らえる人間が佐々以外にはいなかった。


164 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 00:59:49
何がしたかったかはわかるよ>信孝
要するに織田家の力を継承して天下を統べるのは三法師でも信雄でも秀吉でもなく
自分が妥当だと思い込んでたんだろ
ただ絶望的に器量が足りなかったし、時勢も味方しなかった
勝家と連携して秀吉を倒そうとする狙いは悪くないが、
一度敗れて母親と娘を人質に出しながらも尚勝ち目の薄い反抗の兵を挙げたのは
天下に目が狂ってたとしか言いようが無い

165 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 01:21:56
手も足も出ないと見て母を人質に出して降伏。
なのに母が殺されることを承知の上で挙兵する。
利己的というか、薄情な人だね。

166 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 06:49:50
天下を本当に狙う気なら、たとえ肉親を差し出しても、三法師は手元に置いておかなきゃな。
あるいは、秀吉に渡すくらいなら病死でもしてもらうか。
そのくらいしないと信孝に勝ち目はなかっただろう。

167 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 07:20:55
それだけ信孝は切羽詰まってたんだよ。
ほんとならば一回目の挙兵で誅殺されてもおかしくなかったんだから。

168 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:34:55
>>167
よっぽど秀吉の事を嫌いだったんだろうね。
柴田も佐々も島津も北條も徳川も長曽我部も反秀吉だし、秀吉も敵が多かったんだな。
味方でも中川や丹羽も蒲生なんかは秀吉についたけど、心底嫌っていたとか。

169 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:36:41
そりゃ、あの時点では秀吉はまだエグさも実力も全開にしてないし
信孝が秀吉の本性や正体を見誤ったとしても仕方ない面もあると思う。
三法師渡したのも結果的に大失敗だけど、権六と組めば自分のほうが
勝てる、と思ったのも仕方ないかな。

それと敵討ちしてくれた忠義の家臣からいきなり豹変するとこなんか
信孝からみたら、びっくら、だったと思うよ。
「織田家のためじゃなく自分の野心のためか・・ここまで取り立てた
父の恩は忘れたか、父への忠義はなんであったか」ってね。



170 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:38:29
>>168
そんな敵だらけの中で3年で関白になった、というのが日本史上最高の
「奇跡の3年」だろうな。

171 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 09:59:36
この時代、そこまで忠義という概念を重くみる風潮はなかったと思うがね。
先祖代々の家臣であるならまだしも、織田家は新参者が実力で重用される新興勢力だったし。

海千山千の連中が従うのは、自分への忠誠心からだとは、信長自身思ってやしないだろう。
それだけ自分が強く将来性があり、かつ実力に応じて十分に報いてやっているからで、それぞれ
野心をもっているなんてことくらいお見通しのギブアンドテイクだったと思うが。

そういった考え方だったからこそ、将来性があるはずの自分から離れた浅井や荒木の行動が
理解できなかった(首を傾げていたみたいな逸話があったっけ)し、光秀が背くのも思いもよらなかったんだろう。

172 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 10:49:31
それをいったら家康だって、豊臣に譲歩案を提示している。

173 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:01:14
主筋の扱いって難しいのだろうね。
今川家に対する徳川家、上杉家に対する長尾家、土岐家に対する斎藤家、斯波家に対する織田家みたいに。
織田家は斯波家の末裔を津川と苗字を改めさせた上、家臣に取り立ててるし、今川氏真も徳川家康は高家にして終始面倒を見たらしいし義理堅い。
それに比べて秀吉は主君の恩を忘れて、遺児・信雄を小田原征伐後に改易し、尾張・伊賀・伊勢を召し上げて一時的に追放してるからタチが悪い。
信雄が家康の旧領である三河・遠江・駿河に移封を断ったからと言われるが、信雄はあくまで秀吉の主君である矜持を持ち続けていたから仕方あるまい。


174 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:06:19
そのへんいいだしたら、また徳川家の主筋(豊臣家)に対する態度の話になってループしそうだが。

175 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:26:56
>>173 松下石見守之綱

176 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:34:35
秀吉の晩年の心境

「私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる
雑草は雑草として生え伸び咲き実り
そして枯れてしまへばそれでよろしいのである」

177 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 12:51:34
あちこちに山頭火はりまわるな

178 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 13:55:22
だが、秀吉の辞世の句の枯れた心境とピタリと一致してるな。

179 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:01:38
そうかぁ?
そこまで淡白なら生前のうちに他の実力者に天下を譲っていればいいじゃん。
自分の死後、秀頼では危ういとしっかりわかっていたんだから。

180 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:02:50
三七は庶子の三男の分際で父の死を奇貨としてなんの功もないのに美濃の太守に成り上がり、
エゴにまみれて大それた野望を抱き、兄や秀吉を相手に反乱を起こし、いったんは助命された恩を忘れ、
エグくも母を殺して再度反乱、なぜか自害もせず降伏した。
このような輩は磔刑に処すべきだった。

181 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:22:20
豊臣秀吉 54.6点

画数:豊[13] 臣[7] - 秀[7] 吉[6]
天画(家柄)20画 凶  意欲的だが実力が伴わず、破滅、短命、病気、別れ、不成功。
地画(個性)13画 大吉 誰からも好かれて話し上手で社交上手、穏やかな性格で成功する。
人画(才能)14画 凶  対人関係がうまくいかず、精神的な悩みも多く抱え孤独感に悩む。
外画(対人)19画 凶  努力が結果につながらず、一度は成功しても悲惨な結末を呼ぶ。
総画(総合)33画 中吉 豪快で凄い勢いで名声を掴む。自尊心が強いので敵も多い。

評価 : 54.6点
モバイル姓名判断 http://n1.mogtan.jp/



割と当たってるのではないだろうか

182 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:35:26
>>171
それはそうでしょうね、下克上ってぐらいだからギブアンテイクってのは
当然で。

ただ、あくまで信孝の話でね。
秀吉を忠義の家臣と思ったろうし、秀吉もそうふるまったと思う。

ちなみに信雄に関しても、直接懐柔に出た時には、「おみゃぁさんのおやじの仇
うったのはわしだがや、小さい頃から世話になった恩はわすれとらんがや、
だもんでまっぺん仲良くしよまぁきゃ」なんて涙ながしていったと思うぞ。
信雄もバカ殿だろうが、それを完璧に手玉に取った秀吉もさるもんではあるな。

家康、いい迷惑。

183 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:43:17
でも、ある日突然、秀信や信雄に向かって、
「秀信(信雄)、今日からはワシが主君でオマエは臣下だ。わかったな」
とか一喝して、ヒゲ面の荒武者どもが下段の間にねじふせたんだろ。

そのときの秀信や信雄の心境やいかに?

184 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 14:45:53
「こうして猿の惑星が始まるのであった」

185 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 15:00:08
信長に大恩ある光秀が、あんなことやらかした直後なんだから、表面上は忠義の臣でも心底はわからないと
普通は悟るものなんだが。

父の死から何も学ばなかったのかね。

186 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 16:38:13
光秀にしても秀吉にしても元々は織田の家臣ではない。
秀吉は織田信長という人物に魅かれて信長の家臣になっただけで。
今川義元に魅力を感じれば今川の家臣になった。
武田晴信に魅力を感じれば武田の家臣になった。
しかし、たまたま自分の住んでた国内にいた魅力のあるお館様が信長だっただけ。

187 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 17:27:35
>>185
それは結果論的でかわいそうだな、信孝が。
あの時点で秀吉を「本心はなんじゃ、いうてみぃ」なんて言ったら
それこそ自分がそのまた部下から、あぼ〜ん、されるよ。

>>186
いろんな説があるけど、最初は今川のほうで働いてたみたいね。
ほんで、お館さまに魅力があったかどうか、うつけだったもんで、
知らないけど、まさか15年後ぐらいに上洛するとまではわからないよね。
このあたりは秀吉最初の強運だったと思う。

ただ、これは光秀もそうで、その場その場で主君を乗り変えていく
これも本人の能力としたら、やっぱりたいしたもんだ、秀吉は。

188 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 18:20:12
>>187
信孝は可哀相なんかじゃないよ。彼も不忠者で、彼の滅亡は自業自得ですから。
もともと信孝は他家に養子に出される程度の格しかなく、織田の血をひいてるとはいえ、
家督を継ぐ立場になく、臣下の身。
たいした功もないのに、父の死をいいことに、柴田や羽柴のような不忠者と手を組んで
織田領を好き勝手に分割し、事実上織田家を解体したうつけ者。

189 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 18:27:24
斎藤道三や朝倉宗滴は桶狭間以前の天文〜弘治頃にすでに信長の器量を高く評価していたから、ひょっとしたら光秀や秀吉も信長に何か不思議な力を感じたのかも?
ただ安国寺恵瓊だけは天正元年に信長に会った後、毛利輝元に「信長の天下はそう長くは持たない」と書いた手紙を送ったが。

190 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 19:11:03
>>187
本心を「問いただす」ことに何か意味あるの?

悟ることができたなら、相応の用心もできたはずということ。
現に父信長も、本家筋や主筋、はては将軍義昭公をどう扱ったか、忠臣であり続けたかどうか
見ていて知っているはずなんだから。
主筋だから逆らうまいと考える方がおかしい。

191 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:19:30
信長は義景に対して「天下は朝倉殿が持ち給え。我は二度と望みなし」とまで言ったという・・・と三河物語にあるんだけど、これって、信長は朝倉義景と会った事があるって事なのかな?

192 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:53:33
ひこざのよたばなし

193 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 10:09:03
>>191
義昭の間違いじゃないの?
一乗谷から出るのが嫌だった義景と信長が会ってる訳が無い

194 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 11:00:44
>>189
首巻の道三の「馬をならべるだろう」は創作っぽい。
ただ娘を嫁がせた、という事実のみから語ったほうがね。
でもその後帰蝶は歴史からその姿を消す。
なんか暗示的だ。

で、わかる人にはわかる、みたいな言い方は単純すぎるかもしれないが
光秀、秀吉あたりが信長に「なにか」を見出したのは事実だものね。
これは、さすがどっちもどっち、という意味だが。

ついでに、信長も秀吉も家康には一目置いていたのが歴史の流れで
やっぱり、わかる人にはわかる、というのも一つの視点とは思う。
桶狭間の時に家康はまだ10代後半。
「同盟したかっただけで、相手の年は関係ない」なんて言い方する人も
いるけど、やっぱり家康には、なにか、あったんだろな。

195 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 13:01:58
>>194
家康は確か最初、織田の人質として2年間尾張にいて、その時に信長に弟のように可愛がられたからな。
実際は家康は信長の同盟者というよりは、信長の家臣化してるんじゃないか。
対等な同盟なら、両者の国境で結ぶはずだが、清洲同盟自体が結ばれたのは尾張のお屋形様の織田氏がいる清洲城でだし、今川の部将である松平元康が織田に寝返ったように見える。
その後の家康は三河で一向一揆が起こって大変な時に、信長の要請で朝倉征伐に参加させらてるし、実際は家来だったんじゃないか?

196 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 13:15:59
織田氏は屋形号を許可してもらってないから「お屋形様」とは呼ばれてなかったと思う。
「殿様」か天下人になってからは「上様」か。

197 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 15:06:03
対等とはいえない同盟はよくある話だが、かといってイコール家臣かといえばそうでもない。
今でいえばなんだろ、子会社ではない(経営に直接口は出せない)が下請けみたいなもん?

198 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 15:39:06
熊谷氏と毛利氏なんかそうだよね。
最初は同盟を結んでいたけど、熊谷氏はいつのまにか毛利氏の家臣になってるし。
水野氏も織田氏と同盟の形を取って後に家臣化してる。

199 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 09:08:31
>>195
おいおい、最初の2行は映画か小説だぞ。
信長と家康に面識があった、なんて史料があったらぜひ教えてくれ。

とは言うものの、実際に接近遭遇してた可能性は高い。
熱田、大須と西区はすぐ近くだし、人質の子を見に行った、なんてのも
十分あったろうな。

この時、信長は高校生で家康がピカピカの1年生ぐらい。
もう2〜3年すると秀吉が信長のもとに来るらしいから、
3英傑はきわどいとこでニアミスしてるわけだ。
すごいぞ、にゃ古屋。

200 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 12:55:44
まさに天から選ばれし男
天才と呼ぶに相応しい秀吉

201 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 13:09:18
信長は末期頃はもうムチャクチャだったな。
同盟者であった土佐の長宗我部に対して急に臣従しろとか言い出したり、で拒否したら十河存保と織田信孝に攻略を命じたりしてる。
あれじゃ謀反を起こされても文句は言えない。

202 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 13:28:58
長曽我部は信長の家来である三好の残党(三好康長・十河存保)を虐めてたわけだが。
攻められるのが嫌なら土下座して本領安堵を哀願すればよい。

203 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 16:51:26
元親の長男って信長の偏諱をもらってたから、臣下扱いされても仕方ないんでは?

204 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 17:21:54
信長がもしあと1年くらい生きていたとしたら、家康に「服従しろ」「安土城に挨拶しに来い」とか言ってそうだな。
まあその頃は毛利も上杉も長宗我部も滅んで九州まで平定してるだろうから、家康が信長の家来になってても何らおかしくない。

205 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 17:58:51
その程度じゃすまないぐらいだと思うけどね。

206 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 18:28:18
ていうかそれ、信長生前時とたいして変わらんじゃん

207 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 18:35:52
>>205
酷い場合は「家康に謀反の疑いあり」と言いがかりをつけて、駿河・遠江・三河没収とか?
そうなれば家康は一族郎党を率いて信長に死に物狂いで戦うだろうな・・・。
しかし加賀一向一揆とあの大坂本願寺を壊滅させたあの信長に家康が勝てるとは思わない・・・。

208 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:23:40
>>204
賽の目が最大限良く転んでも旧毛利領か九州あたりに転封だろうなあ
少なくとも尾張に直接攻撃を仕掛けられる三河をそのままにしておくことはまず有り得ん

209 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:51:03
信長に利害が無い以上、家康を九州や中国に転封させる意味も無いだろう?
武田が織田に滅ぼされて、北條もまた織田に服従の意を示したことによって武田や北條の押さえだった徳川が三河にいる意味も無くなったどな。
四国征伐後は、信孝を三好康長の養子にして阿波一国を与え、讃岐には十河、土佐と伊予に家康を転封させるという手もあるけどね。

210 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:18:40
家康は信長の家来扱いと言う説だがどうだろう?
状況から鑑みるに「盟友」という位置付けと思えるが

信康の切腹経緯には諸説あるが、俺が有力だと思ってるのは
家康は武田信玄に寝返り工作を受けていてその折衝役となった
今川家ゆかりの家臣、築山殿、息子の信康を信長との同盟関係を
保つために断罪せざるを得なかった、という説

ただ、家康がその地位を保つために切り捨てたとも言える
お陰で全面戦争になりかねなかった信長との関係は良好を保てたわけだし
個人の実力は
信長>家康>秀吉なんだろうねぇ
秀吉は信長の勢力を吸収しただけだし
秀吉日本一スレで申し訳ない見解だがw

211 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:50:09
>>210
永禄五年の頃と天正十年の頃とでは大分、状況も違うぞ。
ちなみに永禄五年といえば、信長はまだ尾張を平定した頃で美濃は斎藤義龍が死んで龍興が後を継いだ頃で、今川に備える東の楯として利用する必要があったんだよ。
家康も西三河を平定したばかりで、信長の助力なくてやってはいけない。
天正十年になると、信長にとってかつての強敵は周辺諸国には最早無く、天下統一も間近になった頃だから、信長と家康の関係も同盟者とはいえなくなってる。
信長は天下人で、家康は一大名だから命令する側と命令される側に変わってるんだと思う。
それが甲州征伐の論功行賞での、信長の家康に対して行った「駿河国御拝領」で、そのお礼に信長のいる安土城へ家康は武田家にゆかりのある穴山梅雪とともに参勤しているわけで。

212 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:28:53
>>211
それは解るんだが家康の場合、秀吉のように「命令」されてたわけじゃなく
どちらかというと「お願い」「自主的」に東進していたと思うんだが

少なくとも家来より一段上の扱いを受けていたと思う
駿河の件でも信長が上の扱いとは言え、家来にわざわざ接待をするとは
思えないし。そこが信長のいいところ(したたかなところ)とも言えるが
対北条の脅威も合ったわけで、家康に北条方に付かれても困るわけで

213 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:57:31
信長は決して家康を家臣なんて思ってなかったと思ってるよ。
盟友、というのは良い表現で、「利用価値がある」なんていやな
表現をする人もいるが、一目置いていたと言うのは事実だろう。

信長が1年長く生きてても、決して家康に「臣下の礼」を求めたりは
しないだろうし、危険人物として転封どころか、ものすごく重用したと思う。
これは、姉川、ナガシノ、も含めてやっぱり家康と三河武士の実力を
高く評価していたし、秀吉、光秀よりも認めていただろう。
実際に歴史がそのように動いたのも、これは信長の慧眼と
考えるべきか。

214 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:00:02
氏政は興国寺城で信長に接待をしてるから、北條に敵対心は無いと言える。
本能寺の変後は野心をむき出しにして上野を奪ったりしてるが、それは信長の死後だから良い。
家康だって信長の死後、信濃・甲斐を攻めて奪ってるけど、これも信長死後なので無問題。

215 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:49:51
家康が信長の家来だなどという話は聞いたことがないな。
従属下にあったというなら分かるが。
もちろん将来的には臣従しただろう。

216 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 14:07:01
信長がもし本能寺の変が無ければ、九州にあるポルトガルやイスパニアの植民地や、そこから日本人奴隷が多く輸出されてる事実を知り激怒しただろう。
秀吉はまだバテレン追放令で済んだけど、これがもし信長だったらバテレンはフロイスやらバリニャーノやら関係なしに全員殺されてたと思う。
まさか当時のキリスト宣教師がヨーロッパ人の植民地支配の為の尖兵だったなんて誰も思ってなかっただろうに。
信長や秀吉みたいに天下統一を目指す武将が日本に出てこなければ、日本はイギリス統治下におけるインドみたいにポルトガルかスペインの植民地になってたかもしれない。

217 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 17:31:40
明治維新でも危なかったけどね。
竜馬が武器売りまくって内戦勃発、日本は分割。

218 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 18:34:46
反天皇主義者の信長はキリスト教徒の犬

秀吉こそ日本を守った

219 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 18:35:28
信長は天皇制を撲滅して自ら天皇になろうとした売国奴よ

220 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 18:37:02
あかん、最近の信長の過大評価はここまで来たか・・
勝手に感情移入する奴が多いのが原因だろうが

豊臣秀吉こそもっと評価されるべき日本の英雄

221 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 18:40:23
信長や家康なんて元から大名の子供で家来もいたんだろ?

農民から一時的とはいえ天皇を超える権力者になった秀吉に比べりゃたいした事ないわ

222 :ちょw:2008/08/07(木) 21:36:09
信長が浪人猿(秀吉)を拾ってやったという事実は無視ですか
そうですか
今川家の下っ端松下仕えのままならこうはいかなかったろうね
恩を仇で返した結果が豊臣一族滅亡という無残な結果
因果応報w

223 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 12:32:21
別にひろったのは猿だけじゃなくて何千人もいただろうから
そこから頭角をあらわしたのはたいしたもんだ。
信長は逆に猿がいてくれてラッキだった、ってもんよ。

しかしあそこまで権力もって、20年持たずに一家滅亡ってのもすごいな。


224 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 09:12:11
戦国の世は武家の興亡が激しいよね。
特に織田家なんて信秀は清洲三奉行から戦国武将への脱皮を図り、信長は父親の後を継いで周辺諸国を攻略し天下人になり、その息子の信雄は100万石の領土を持ちながらも秀吉に逆らい改易。
後に信雄は大和の5万石を家康から与えられてはいるが、子孫は2万石とかそんな小大名だもんな・・・

225 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 11:08:50
秀吉は日本だけでなく、アジアの一部すらおさめてたかもしれん。
いっかいの猿がね。
こうなると、秦の始皇帝が二代であっけなくほろんだのとよく
似てる。

226 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 18:15:39
家康を出兵させれば明を征服できたかも

227 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 20:16:49
対馬沖で土左衛門になっておしまいだろw

228 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 20:34:34
中華皇帝に家康がなられたらおしまいだろ

229 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 17:28:36
世間一般には天下人秀吉の居城・政権所在地は大坂城と考えられているが、
実際には大坂城に秀吉が住んでいた期間はそんなに長くない。

関白になると京の聚楽第に移り、関白職を甥秀次に譲ると伏見城に移って、
亡くなるまで伏見を太閤の居城としていた。
秀吉の晩年は伏見城こそが全国政権の所在地であった。

にもかかわらず、秀吉の辞世の句には「なにわのことも夢のまた夢」とある。
伏見にいた期間が長く、伏見で亡くなったにもかかわらずである。
それほど大坂に対する思い入れがあるのなら、なぜ太閤になってからの居城を
大坂城にしなかったのだろうか?


230 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:17:00
「ふしみのことも〜」じゃ、かけ言葉にならないじゃないか。

231 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:21:31
伏見が京に近く重要な場所であったとはいえ、既に天下を統一した後なのだから、
普通に大坂を太閤の居所(政治の中心)にしてもよかったんでは?

232 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:35:15
つーかあの句は代作だろう

233 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:49:45
安土桃山時代だものな。
秀吉に伏見をイメージする見方も昔からあるね。

自分としては、安土大坂時代の方がしっくりくると思うのだが。

234 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 19:50:28
ねねは政権を秀秋を含む杉原氏の系統に継がせたかったのだろうか?
秀秋の肖像画は高台寺にあるし、羽柴の名跡も近江木下氏に継がせている

235 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 07:32:43

どうでもいい話だけど893な世界に
豊臣春國って名前を自称してる
彼の国の人がいてワロタ。逮捕されて、
その名前知ったんだけどね。

余談だが、いつか報道特集見てて
右翼の大物ってやつが、日本刀とか応接室に
飾ってて、あまりのチョンっぷりが受けたが
名前がありえねえの。「朝堂院」ってw

アウトローに限って伝統と格調に憬れるんだねえ

236 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 08:22:03
藤原氏になった秀吉
源氏になった家康

アウトローに限って伝統と格調に憬れるんだねえ

237 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 11:57:55
家康の場合、生まれながらの大名だし、祖父の清康から新田の子孫を自称している。
秀吉と同列に扱うのは、さすがにかわいそうだろ。

238 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 13:03:31
大坂城→有事の際の本城
伏見城→政務用の簡易城いわば接待部屋
聚楽第→遊び用の部屋

じゃないの?
本丸は大坂城だと思うが
ま、正直あの時期は京都・大坂周辺の地域全てが秀吉のものだから
どれか一つとは絞れない気もするが

239 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:16:46
こんなかんじじゃね?

大坂城→もとの本城(のち詰めの城)
伏見城→ふもとの居館
聚楽第→別邸

240 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 15:06:36
家康にとっての駿府みたいなもんかと。

241 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 11:36:20
秀次が叡山で鹿狩りをしたり無暗に領民を斬ったりしたって本当なのかにわかに信じがたい。
それは濡れ衣を着せられてる可能性もあるわけだし、秀吉が妄言を信じてるほど耄碌してた。
実の甥に謀反の疑いをかけて切腹させたが、それは失策であり羽柴家にとってみれば大損害だった。

242 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 18:08:08
しかし秀頼が産まれた以上、秀次は邪魔なわけで。
秀次自身に積極的に秀頼を補佐していこうという態度もみられなかったし、中継ぎとして天下を任せるに足るほどの
器量もみられなかったわけで。

243 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 23:27:55
>>242
後継者なんて秀吉が50少しの段階で決める必要は全然無かったよ。秀吉の愚策の一。
田中弥四郎にしても武士でもないのに、確か秀吉は不遜との理由で切腹させてるんだよね?
切腹というのは名誉のある武士の死に方だからまだ幾分殺されるよりはだいぶマシだと思う。
すべての大名が自分に跪いたから、恐い者になしということで独裁に走ったんだろうけど秀吉の末期は外国侵略に向けて無益な戦争を始めるなど支離滅裂。

あと例えば秀長が生きていたとして、秀吉が関白職を秀長に譲ったとしても、秀長もやっぱり邪魔だと思われて切腹させられてたのかな?
賢明な秀長だったらおそらく関白職を譲るといわれても絶対に拒否しまくるだろ。

244 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 06:16:01
信長は四十代で家督を譲っているし、当時五十代なら後継者を決めていなければならない時期。
後継者争い・御家騒動で弱体化した例はそれこそ戦国時代にいくらでもあるのだから。

245 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 08:44:44
>>244
実子誕生の為に叔父に命を奪われるハメに陥るって悲劇以外の何者じゃないよ。
秀吉の後の事を全く考えない身勝手さと軽率さが俺は嫌いだわ。
ただでさえ主筋の織田に対してもあんなぞんざいな扱いにしてるし、大名から恨まれても仕方が無い。

246 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 09:46:19
あとのことをよく考えたからこそ秀次を養子にしたわけだが?
天下人で50過ぎて後継者を定めていないとしたら、あまりにも無責任。

247 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 10:00:22
実子が生まれる保証もないのに、じゃぁどの時期で後継者指名していればよかったんだ?

248 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 23:24:40
>>246
甥に天下を譲る気があるのなら何で淀の方を懐妊させるのか意味がわからん。
実子が生まれたら、甥の秀次を謀反か何かの罪に無理矢理言いがかりつけて処分しなきゃいけないくらいわかるはず。
結局、秀次を切腹させただけでなく、その本妻・側室・実子を皆殺しにして、更に秀次に関与した前野などの武将までも責任取らせて切腹させている。
これは無益な血を流したという点で秀吉が無能になったといえるんじゃないのか。
あと文禄で失敗してるのに、なんで慶長になって朝鮮に無駄死にさせてるのかってのも秀吉が無能な独裁者になりさがったのを物語ってる。
支那を征服するならまず日本海から渡海して青島やら天津あたりに上陸し北京を目指すのが最良の策だと思われるのに、何で朝鮮半島をまず押えて北京を攻めようなんて戦略自体も愚策すぎ。
天下人としての資格はすでに92年ごろから無くなってる風にしか思えない。

249 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 00:32:16
>>248
>何で淀の方を懐妊させるのか意味がわからん。

種が(ry

250 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 07:14:11
>>248
・セックスするなと言うのかw
・秀次は所詮三好の子。豊臣家の人間ではない。実子が生まれなかったから仕方なく養子にしたのだから、
 実子が生まれた以上実子優先が当たり前。
・秀次が殺生関白でなければ、自ら後継の座を降りていれば処分されることはなかった。
 すべては道理を無視した秀次の異常なまでの権力欲が原因。
・文禄は朝鮮の南半を占領した状態で講和した。
・黄海越えで明の中枢をいきなりつくなんて狂った発想するほど秀吉は愚かではなかった。

251 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 17:01:08
秀次の場合、自分の権力が何によって支えられているのか、それがわかってなかった感じだな。
秀吉の権力は善くも悪くも自分の力で勝ち取ったものだが、秀次のそれは、最高権力者秀吉の指名を受けたというただそれだけの立場。
これが長男という絶対的な立場によるものならばともかく(長男でも廃嫡された例はあるが)、ただの甥。代わりはいる。
要は秀吉の信認を得ていてこそ確立されている権力だったのに、それをわかっていなかったということだろう。

252 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:24:06
関白職を甥に譲っても、居城を聚楽第から伏見城(隠居場所の予定だった)に移っても天下人は秀吉自身には変わりが無かったって事なんだろ。
だから秀次は天下人ではない。
秀吉に念願の実子が誕生すれば秀次は邪魔な存在なわけ。
秀次が毛利秀元みたいな道を模索すれば、どっかの国の所領安堵で生き残れてたかもしれないし。

253 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 12:06:07
ただ、秀吉のエグさから行くと秀次はどっちみち殺されてたろうな。
かわいそうではある。

254 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 12:44:26
信長が同腹の信行を清洲城に呼び出して暗殺したのは、何度も謀反を起こしてたから。
いくら血の繋がりのある兄弟でも何度も家督を奪おうとして国内を混乱に陥れてる者に対しては許しては、他に示しがつかないから(血の繋がりがあるから許したとなれば甘い人間と思われる)。
なのに秀吉の場合、甥に何の落ち度も無かった(あるとしても小牧・長久手の戦で森・池田両名を死なせた事くらいだが、昔の話だしな)のに謀反の疑いで高野山に追放して切腹させた。
まあ仮に秀次を処分したとしても、その正妻や実子や側室は普通はお咎めなしだろう?
それを「将来、お拾(秀頼)に仇なす存在になるかもしれん」として六条ヶ原で処刑してる点で、秀吉は冷酷で残酷で身勝手な独裁者と言える。

255 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 13:22:03
信長は弟・信行(または信勝)を清洲城で忙殺してはいるが、息子である信澄と信兼は殺しておらず、むしろ優遇してるよ。
確か信行の妻も殺されてはいない。
なのに秀吉は甥とその妻子を皆殺しにしてるから鬼なんだよ。
それ以前に秀吉は自分の主家の信孝を切腹させて、その娘と生母も虐殺してるし。

256 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 14:17:57
一見相反するようで、情けをかけたりする所が信長の魅力だね
そのせいか光秀に不覚を取ったりもするわけで

秀吉の場合はただただ残忍な独裁者と言う感しか湧かない
曹操と毛沢東ぐらい違う気がする


257 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:02:40
比較が難しいけど、尾張統一時代の信長も相当エグい。
なんと言っても直接血のつながりがあるのを殺すと言うのは
浅井の裏切りあたりで死んでたら、ずっと非難轟々だったろう。
だもんで、天下統一近くまで行ったからといって、そのエグさは
消えないような。

秀吉の場合は、大恩ある主君の奥さん子、孫あたりを
手にかけたわけで、これもやっぱりエグい。
それもついこないだまで頭下げてたのだから、織田家から
みたら「すべては私利私欲のためか、この裏切り猿め」ってとこ
だろう。

考と忠、両面でエグさ満開の主従だったんだな・・

258 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:15:03
信孝は秀吉の主君ではない。
むしろ3男の分際で野望をたくましくし、幼君をないがしろにし、兄をあなどって
織田家を滅亡の淵に立たせた癌細胞のようなもの。切腹を命じられて当然。
信孝母はただの妾。

259 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 20:20:42
>>258
神戸は織田の家来だから秀吉の同僚だな。
主君の横死をいいことに徒党を組んで不義不忠を働いたから処断されたんだよ。

260 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:21:05
もちろん信孝は主君じゃないけど、母ってのは信長の奥さんでしょう。
ただの妾、って言うのもちょっと軽視しすぎ。
どっちみち秀吉からみたら頭が上がらなかった相手。

で、その織田家のがん細胞ってのもすごい表現だな。
野望も何も親が殺されたら、他の家臣と組んでその敵討ちするのは
当然だとおもうが。その後はお家再興ね。

それを、がん細胞、みたいに思わせたと言うのは秀吉のエグいとこ。
幼君をないがしろにしたのはまさに秀吉で、それを上手に責任転嫁
したわけだ。


261 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:27:08
>>258
信雄であろうと信孝であろうと羽柴家の主筋は織田家である。
主君・信長の遺児に家臣が刃を向けるなど言語道断。

262 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:40:32
家康でさえ、関ヶ原の戦で西軍に与していた敵将・織田秀信を信長の孫だから殺さず高野山に追放しただけで赦したというのに。
秀吉は秀信に対して聚楽第での警護をさせたり、文禄の役では堀秀政の指揮下で鉄砲を撃たせるなど主家に対しぞんざいな扱いにしてたしね。
だから秀吉っていうのは要するに忠孝をわきまえていなかった不届き者って事。

263 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:42:01
主君である三法師に背いたのだから仕方がない。

264 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:13:35
よく考えてみると、信雄は信孝の弟(信孝が信雄より先に生まれたが、信孝の母親は身分が低かったために、生駒の娘が生んだ信雄が兄とされた)だから本来は庇うのが道理なのに、どうして信孝切腹に合意したんだ?
腹違いの弟だとは言え見捨てるのはあまりにも非情だとも思うが。

265 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:20:44
>>264
見捨てるもなにも、信雄と信孝は敵同士なわけですが。
信孝を消したかったのは秀吉よりもむしろ信雄だろう。

なんの功もない神戸の小僧が多数派工作にせいをだし、
織田の本城・岐阜城をのっとったあげく乱をおこして
事実上織田家を滅亡させた。まさにクズというべき。

266 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 10:39:24
信雄と信孝が敵というのも秀吉にうまく利用されたたけだろうけどね。
元から仲が悪かった、という説もあるけど、敵とまではいかない。

ましてや信孝をがんとかクズとか、いくら秀吉スレでもなかなか
エグい見方ではあるな。
かえって秀吉の事跡を貶めるようなもんだが。

267 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 11:22:33
利用されたもなにも、他家に出された身でありながら、
父と兄の横死をいいことに、幼君や次兄を差し置いて
主家の家督を狙って多数派工作をおこない、
それが阻止されると美濃を要求して主家の領地を分割し、次兄に逆らい、
ついには同僚と徒党を組んで乱をおこす。
織田家は神戸の野望によって事実上解体され、滅亡状態ですが。
これをクズと言わずしてなんという?
切腹どころか逆さ磔にしてもまだ生ぬるいほどのクズっぷりだと思うが。

268 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 15:25:34
秀吉の功績って一体何なんだ?
悪業を重ねているようにしか見えないんだが。

269 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 18:41:24
秀吉は漁色家の印象が強く、名門の姫をもてあそんだ好色爺のように言われているが、
生家が没落した女性の暮らしが立ち行くように、面倒をみてやったとも言えるのではないか?
いわば「あしながおじさん」のような面もあるのではないだろうか?

とくに晩年の秀吉の衰えぶりを考えると、側室にした姫たちとそう頻繁に交接していたか?
おそらく晩年は二人の子を産んだ淀殿以外の側室とは肉体関係は、ほとんどなかったと思われる。

天下人の側室とすることで、没落した姫たちに身分や生活の保障を与えてやったと考えると、
秀吉もなかなかいいヤツではないかと思えてくるのだが。

270 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 18:55:52
>>269
何があしながおじさんだよw
遠征地で村娘とヤリまくって、主君の娘にも手を出してる外道。

271 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:00:22
主君の娘が没落するのを捨て置けず、自分の側室とすることで保護したのでは?

272 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:16:47
>>268
天下統一(戦国時代を終わらせた)、刀狩、検地とか....
教科書で教わったハズだが

273 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 19:53:01
その辺は中国に手本が山ほどあるんでインテリな側近たちが
そそのかすって事もあったんだろうな

274 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:16:22
>>269
実家が落ちぶれた姫君たちを庇護するなら
年齢の近い自分の養子とでも結婚させてやればよかったんだよ
だいたい淀殿だって秀吉より32歳も年下なんだぞ
名門の姫を庇護していただけなら
32歳も年下の淀殿を側室にして手を付けるかよ
ほかの側室たちもしかり

275 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:21:46
天下人の「お情け」を受けることは、当時としては十分に名誉なことだろ。

276 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:38:50
実家が没落していると爺ィの誘いを断れない
子のない側室はその後再婚した者もいる
その点淀殿は子がいたために豊臣家を去らず
再婚もできず
ある意味悲劇だな


277 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:45:17
秀吉のおかげで贅沢できたんだから、
女たちに不満はあるまい。

秀吉は没落した姫たちの救世主。
まさに戦国の「あしながおじさん」だ。

278 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:49:38
なら、夫を戦乱で亡くした未亡人を片っ端から側室にした
後家好み家康も救世主だな

そういえば権力者が若い女をがんがんものにするのを
正当化できるしな

279 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:51:35
でも、没落した武家女性の救済という面はあったろう。

280 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 09:44:43
秀吉嫌いの女も結構いるんだが
お市の方、冬姫などなど

淀君だって好いてたようには感じないね
まぁ皆様主君筋の方々だからおさるを
簒奪者と思ってても至極当然だがね

281 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 11:59:44
>>280
淀の方って織田信長の姪だっけ?
あと三の丸殿も信長の娘。
結構プライドは高かったはずだ。
秀吉の悪態を目の当たりにして、家臣筋の分際で無礼者と思うのが普通。

282 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:07:13
むしろ贅沢できて天下人のチ○ポしゃぶれて嬉しかったんじゃね?
本来だったらそのへんの地下人の夜伽させられる程度の身分なんだし。

283 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 13:09:29
征夷大将軍のお姉さまをご存じない方がいらっしゃるようで

284 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 13:51:24
その妹も秀吉のお蔭で成り上がれてものすごくラッキーだったよね。

285 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:37:39
秀吉が晩年おかしくなったのは事実だし、無理に庇護、とか言うと
おかしくなる。
それ以前に、秀吉の成し遂げたこと、を普通に評価することからはじめないとね。

確かに、主君の一族に手をかけたりエグいことは多いが、最終的に猿が関白になった
という事実を重視すると、希代の傑物ではあったろう。

現代の価値観でいろいろ語ってはいかんわなぁ。

286 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 19:21:05
日本史で秀吉を超える人物はいないな

287 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:09:51
伊藤、山県、角栄はただの政治家。
庶民から事実上の独裁君主、専制君主となった秀吉を超えるものはいないな。

288 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:31:58
逆に考えて、なんで猿が関白になれたのか、という視点でいくと
面白い点もある。
信長のおかげ、みたいに言う人もいるが、信長が死んだからといって
かんたんになれたわけじゃない。
3年後に関白になったのは、強運と実力とそれだけではすませられないような
「なにか」すら感じる。

289 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 20:37:20
有能だったから。これに尽きる。
秀吉のような有能な武将を抱えていたからこそ信長は曲がりなりにも右大臣まで成り上がることができた。

290 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:16:27
ちょっとひねた言い方で悪いが、秀吉がいなくても信長はそのくらいの成り上がりは
できたろう。少し余計に時間がかかったかもしれないが。
これは決して秀吉を軽んじたわけではなく、変までは秀吉もまた歴史上に名をのこしてはいない、という意味。

つまり、そこまでは同じような条件の武将はいたのだが、そっから3年で関白になった、
このあたりに、「なにか」を感じる、ということね。

291 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 22:36:14
意味がサッパリ分からん。何を以て歴史に名を残すとしているのか。
天下を手中にしかけていた織田家の中でも秀吉といえば一番の出頭人として
名も才も知られた存在だったわけだが。なのに「なにか」とか訳の分からんことを・・・。
おまえさんなんか変な薬でもやってんのか?

292 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 22:46:19
ありとあらゆる面を見ても秀吉は日本史上最高の人物。
晩年おかしくなるのも、それがまたいい。
成り上がりものとかいわれて雑魚の嫉妬をこれでもかと集めているところも痛快。

秀吉最高。

293 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:16:16
今でいうサブちゃんみたいなもんだろ。猿なのにいつのまにか
誰もさからえない存在になっていた。と。

294 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:22:49
>>288
天下統一時期の秀吉には弟・秀長が生きていたし石田三成や浅野長政や大谷吉継や千宗易や黒田嘉高などの優秀なプレーンがいたからってのもあったんじゃないか?
晩年の秀吉は家臣の言う事には耳を貸さない独裁者だっただろ。
どうも秀長が死んでから秀吉はだんだん駄目になったような気がする。

295 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:38:44
大谷吉継?
なんか場違いだな。

296 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:59:15
>>291
織田家では、少し前になるが「明智、天下の面目」で秀吉はナンバー2だよね。
変の1582の時点で、秀吉は名も才も知られていたっけ?
あそこで毛利に追撃かけられてやられた、又は光秀を討てずに権六みたいになってたら
単なる、猿、だぞ。
具体的に1568〜1573の信長の危機の時に名が出てくるのは、あの殿ね。
その後、1574〜1580までは光秀の次ぎぐらい。
もちろん、戦国なりあがり武将としてはたいしたもんだが、ここまでは「天下に無二」ではない。

その傍証として、跡継ぎとか一族とかに神経が行き届いていない、つまり、本人もまさか、
天下人になれるとは思っていなかった可能性が高い。

それが、変が起きて、翌日情報入手、確認、これが重要なんだが、翌日講和成功、
数日後毛利は追撃しない、大返し、成功。
戻ったら、丹羽、三男、無能状態、細川筒井、光秀無視、これこそ、秀吉最初の奇跡の
11日で、「なにか」を感じないか。

これが3年続いて、関白になるわけだ。
言っとくが、一つ一つに「秀吉の実力」と言われても困るからな。
本人自体が、「関白や将軍になる」という目標があったなら、1582の時点で「跡継ぎ」とかにもっと
気を配ってただろうから。

297 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:02:12
主君がピンピンしてるのに、「関白や将軍になる」という目標があったらやばいだろw
謀反人予備軍だw

298 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:17:44
ってか、跡継ぎがいなかったら、そいつに領地与えても仕方ないじゃん。
一族ある限り主君に忠誠を誓います、って子供とかを人質に出すのが
戦国の慣わし。
そういう意味で、秀吉は珍しい成りあがり方をしてるわけだ。
有名な、ネネに対する信長の手紙とか見ると、やっぱりかわいがっていたんだろうけどね。

だからこそ、信孝あたりや世間は秀吉を「忠義の猿」といってついていったんだな。
それが・・ま、丹羽、池田、権六、あたりとは手合い違い、他にも家臣団はいたけど、
誰も猿には逆らってない。
本当にひどいのは、小牧長久手で猿に味方したやつらなんだよな。



299 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 07:23:32
>>296
お前さんなにいってんの?
秀吉は上洛戦ではすでに一軍の将となっており、京都では奉行となり、
浅井攻めでは主力となって浅井滅亡後その旧領を与えられ、
中国攻めの大将となって山陽山陰にまたがって活躍し・・・
それがなんで単なる「猿」なんだよ。お前さんがあまりにも無知なだけ。

後継ぎにしたって信長の4男の秀勝を養子にしてたわけだし、
一門として異父弟を取り立てているわけだし、十分考えている。
っていうか、>>297のいうとおり家臣の分際で天下人になろうとしてたとしたら、危険すぎw
そもそも一体何が「傍証」なんだかw

300 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 17:52:58
>>299
296じゃないけど、織田家側から見たらそうなんだけど、他にも各地に
広大な領地を持つ武将はいたし、そういう人たちから見たらどうだったんだろう。
信長ってのは、知名度もあったろうが、その家臣、としてどこまで「武将」として
認められていたか。

もちろん出自の低さも含めて「単なる猿」は言いすぎだろうが、毛利やら上杉やら
そういうところに伝わる文書とかで秀吉がでてくるのはどんな感じなんだろうか。
実力も才もある武将として認められていた、と言ってもあくまで家臣団の一人、ぐらい
であって、各家にそのくらいの人物はいる、ぐらいだったような雰囲気も感じる。
やっぱり、変の後のイメージが強すぎるんだよね。

301 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 18:56:18
どうみても>>296ですが。

302 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 19:46:00
秀吉は日本史上最高の スケベ

303 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:11:59
スケベなんだから、たくさん子供がいそうなもんなんだが、
天もそこだけは厳しかったんだな。

304 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:16:27
519 名前:世界@名無史さん 投稿日:2008/08/22(金) 17:34:43 0
>>480
教科書に載ってるかどうかは知らないけど
秀吉の家は清州織田家の織田達勝に仕えていたということが最近の定説らしい
もともと中村一帯の広大な土地を所有する豪農で
いくさになると足軽たちを動員し指揮を執る格式的にそれなりの在地武士
ここ数年で親父さんの名前で織田信秀の村方相談役になってる資料も見つかって
神社にも親父さんが代表者として記録されてる資料が出たとかで有力な名主クラスだったことは間違いないみたい
大政所も百姓じゃなくて(階級は低いものの)武士の娘だということが判明したそうだ
だから極貧の最下層貧農の出ってのは少なくとも嘘っぱちもいいところなんだと
びっくりだね。立身には幼少期からそれなりのバックはいるってことか
六角氏と同族で「秀」は若いころ仕えた六角氏からもらった文字だともいう(本人gそいってる記録がある)


マジ?貧農じゃなくて基盤があったんじゃん

305 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:21:42
スケベ日本一は明らかに徳川家康だと思う
側室の数が半端ない 大奥だよ あれは個人所有大奥
次点で豊臣秀吉

あとは大友宗麟くらいかな

306 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:33:30
家康は、一族繁栄のため、というのがあるけど
秀吉は、人のものに手を出したり、スケベというより、単におかしくなってた
だけだからね。

しかしあの時代に66で子供産むとは、家康はただもんじゃないよな。
66だったか、みんなならちゃんとオッキクなる?

307 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:36:24
>>306
家康の子だというただの思い込みかもな
母親には先夫があったし

308 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 20:56:21
>>302
天下人になってからの晩年は、没落した旧主家や名家の姫を保護するための手段だよ。
天下人の側室にすることで地位や生活を保障してやったんだ。

何気にいい爺さんじゃないか。

309 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:53:13
>>307
でも60すぎてからワラワラつくってるもんな。
ハズレもいれたら、すごい根性ではあったろう。

310 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:42:48
>>304
>もともと中村一帯の広大な土地を所有する豪農で
豪農だったら、あちこちに奉公したり、針売りをする必要はない。
豪農説は「武功夜話」などに出ているが「武功夜話」自体が偽書で、
その他の豪農説も、定説にはなってない。

311 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2008/08/23(土) 03:11:00
>>310
おっしゃる通りだと私も思います。

312 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 03:33:31
近年大阪城で発掘された若い男性の頭蓋骨が秀頼と特定され
現在清凉寺に納骨されてるけど、
阿弥陀ヶ峰の秀吉の骨とDNA検査して本当に親子か確認出来ないもんかね?
無理かな?

313 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 07:04:46
>>312
秀頼の頭蓋骨の話は時々聞くけど、ほんとに秀頼なのかねえ?

314 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 07:18:55
秀吉か淀の方のどちらかの頭蓋骨さえ現存していればDNA鑑定できるんじゃね?

315 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 09:23:16
>>305
家斉じゃなくて家康?

316 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 10:14:07
確か発掘位置と年齢と介錯痕とで断定したんじゃね?
淀君らしき骨はどこにも見当らなかったとか…



317 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 10:21:02
>>312
阿弥陀のほうは秀吉である可能性はかなり低いらしい。
長政とかお市娘なら子孫がいるだろうから、そっちから秀頼との
関連はわからないかな。

って、頭蓋骨からDNA検査できるかどうかは知らないが。

>>310
先月の日本歴史に小和田さんが「武功夜話」について述べてるぞ。
がんばってるんだ、これが。

318 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 10:55:32
>>308
そもそも、あの時代の人間は近代以降と違って男女関係に対する考え方や
貞操観念についての考え方がちがう。

貴人や旅人に妻女や娘を伽に出すのが当たり前だった時代だからな。
セックスも挨拶ていどの感覚で、秀吉の保護を受けるかわりに同衾することくらい、
なんでもないことだったろう。

また、側室にしないと公然と保護する大義名分もないだろうし。

319 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 10:58:36
>>316
それっぽい場所にあったそれっぽい頭蓋というだけだものね

>>317
だいぶ怪しい史料であると思うんだがね。


320 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:48:12
>>317
いや秀吉の方はほぼ間違いないよ。
破却され300年手付かずだったがその時代も智積院と幕府に厳重管理され
明治になって発掘された際の詳細記録も残っているから
別人という事はまず無いでしょ。

秀頼の方は少々怪しいけどな。

321 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:59:19
秀頼の頭蓋骨の根拠って発掘場所と年齢、介錯痕だけなのか?
こんなのじゃあ全く根拠にならんだろ。

322 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:20:45
>>321
墓はえらく立派なの造ってるけど
別人なら単に迷惑なだけの話。

323 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:56:58
秀頼の頭蓋骨なんて、なんの確証もないだろ。

324 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:27:37
頭蓋骨から身長って推定できないのかな?秀頼は190ぐらいあったそうだし
当時190なんて少ないだろうし(今でも少ないが)大男なら秀頼の確立は
より高まるだろう。

325 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:31:32
そもそも清凉寺と秀頼って何か縁あんのか?

326 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:34:24
だから出土した頭蓋骨が秀頼のものだって確証なんてないだろ。
そんな怪しげな骨を根拠に身長割り出したところで、秀頼の身長なんてわからない。

327 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:49:04
まぁ話題作りの為なら馬の骨でもなんでもコイっつうのが大人の世界


328 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 18:25:48
それを捏造という。

329 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 01:32:23
壮麗を誇った豊国社は慶長20年家康により破却とされ外苑部を破壊される
元和5年妙法院により内苑部も破壊、山頂の廟堂のみ放置となる
元禄元年盗掘にあい、遺体以外全ての宝物は奪われる
廟堂は100年程で朽果てたらしい

秀吉も侘びしかったらしく、死の前の北政所の夢枕に立ち今の境遇を嘆いたという。


330 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 09:01:44
北政所は家康に協力し
間接的に秀吉が築いた豊臣家を滅ぼすのに加担したからな
秀吉の愛した秀頼は家康によって死なねばならなかったし
夫に対して申し訳ないという気持ちが強く
北政所の自責の念からそういう夢も見るだろう

331 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 09:08:30
北政所は羽柴家の血筋を絶やさない為にも徳川家に協力する必要があったんだよ。
ところが大坂城下には関ヶ原で潰された大名家の浪人達が群がっており、秀頼が望んでた大和郡山城への移転までの選択肢も戦乱を起こしたい浪人達の手で消し去ってしまった。

332 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 11:03:27
家康は豊国社破却の際、秀吉の遺体も掘り起こし懲罰を加える
沙汰を決定したが、北政所は急遽二条城へ赴き「崩れ次第になし給はれ」
と懇願し、流石に家康も完全破壊は撤回したとの事。

豊国社参道として敷設された広大な正面通には、その後東西本願寺が
分断する様に移設され、今は本願寺の「正面」通りとして機能している。

333 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:54:49
>>333
>秀吉の遺体も掘り起こし懲罰を加える

これって屍に鞭を打つという行為だよね。
死んだら仏じゃん。
荼毘に付されて完全に骨になってるというのに、その骨に懲罰を加えるってわけがわからない事しようとしてたんだね。

334 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:39:53
 

335 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 20:54:29
>>331
北政所は秀吉が死んだ直後、徳川家康を大阪城に招きいれ
自分の大阪城内の殿舎を与えて大阪城を去ってしまった
まだ前田利家などの大老の存命中だ
この時点で徳川家康の世になるとはだれもまだ思っておらず
ましてや北政所が家康に天下をあげますと宣言して
大阪城を明け渡したわけではない
それなら加藤清正ら秀吉恩顧の大名が北政所に従わなかっただろう
完全に北政所の思い違い

336 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 21:53:14
>>333
人の憎しみは相手が死んだところで消えるものではないよ
死んだら許せってのがあまい

337 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 22:48:20
>>336
ということは家康は天正14年以降も秀吉には心服してないどころか内心恨んでたって事なのか。

338 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:09:42
>>333
秀吉は仏じゃなく神として葬られたんだがな。
あと秀吉は火葬じゃなく徳川歴代将軍と同じく土葬だったと思うんだが。
棺に遺体入れて周りに腐敗防止の朱肉を詰めて石棺かに棺を納めて埋葬だったような。
この方式だったら100年ぐらいなら、まだ腐敗した状態で残ってるんじゃね?
戦後の増上寺の将軍墓改葬の時、まだ髪の毛が残っていたり少しだけ肉が残っていた遺体もあったそうだから。

まぁ遺体に鞭打つってのは酷だが秀吉も切腹して死んだ遺体を磔にしたりしてるからな。

339 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:01:26
>>333
懲罰が遺体に鞭打つのか埋葬地を移転するだけだったのか
結局中止されたので家康の腹は判らずじまいね。

>>338
「豊太閤改葬始末」によると、明治30年2月28日廟墓掘削中
土中二尺より経文瓦多数、下に小壺、下に平石、更に下に一抱えの備前焼大甕ありと。
秀吉は土葬で手を組みあぐらをかき、西を向いていたとの事。
遺体は甕から出す際の不手際で崩壊したらしく、その後個々の遺骨を
絹布で包み桐箱に朱詰めとし、更に銅製の櫃に入れ他の出土品と共に
五輪塔下に埋納したとの事。(設計伊東忠太)

340 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 10:17:21
やはり家康が死後懲罰を与えようとしていた経緯からも
武士の間では許しがたい存在だったんだと改めて思う
秀吉の場合、好き嫌いで懲罰するのもそうだが特に落ち度も無い
相手を好かないというだけで謀略で葬り去ったりするのがね
柴田勝家と対立する経緯も、織田家の骨組みを守りたい勝家に対して
自分名義で信長の葬儀を行ったりして横暴を繰り返す秀吉を
許し難いと思ってのこと
勝家は対立は避けようとしていたが、秀吉側が露骨に挑発している
成り上がりかなんか知らんけどやりたい放題じゃ恨みを買って当然
金と謀略で成り上がるってなんかグッドウィルみたい、恐ろしい

341 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:55:08
信長の乳母が池田恒興の母親で、その恒興や信長の小姓をしていた利家が秀吉についてる点を見れば、信長の後継者は秀吉だと思ってた武将は多い。
勿論、天下人になった秀吉に対し反感を持ち越中平定されるまで戦った佐々成政みたいな武将もいるから、必ずしも秀吉が信長の後継者だと考えてない武将もいたわけだ。。
柴田勝家は信長についてるというよりは、織田家の当主に従ってるという感じ。
勝家からしたら秀吉を成り上がり者ぐらいにしか思っていないだろ。
秀吉がいつから勝家の事を「柴田様」ではなく「柴田殿」「修理殿」呼ばわりにしたのかは知らないが、家柄や経歴や実績を考慮して相手を立てることを知らないと見える。


342 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 12:16:00
江戸時代の阿弥陀ヶ峰は、秀吉の怨霊が祟るとかで
誰も近寄らなかったらしいね。

まぁ近付いただけで京都所司代から厳罰食らうのもあったが。


343 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 15:37:42
>>341
そかな、下賎の身で取り立てられた頃は、先輩の譜代的な家臣に気を使いまくって
出世してきたんじゃないの。
嫌われたらやっぱりヤバいだろうから。
秀吉はそういう気配りと人たらしで出世したようなもんだから、最後の1行には
違和感がある。

秀吉の骨の話だけど、確か今の墓のあるところの「パンフレット」にも
もう移転したりなんやかやでわからなくなってる、なんて明記してあるんじゃなかったかな。



344 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 18:14:50
>>343
いや、光秀を倒して天下とってからの話だよ。
清洲会議で勝家を立ててれば、それで丸く収まった。
それが自らが三法師(秀信)という幼君の後見人になった事で、勝家の面目を失わせてしまったこと。
あれじゃ織田家一族と譜代が怒るのも無理ないだろ。

345 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 19:01:34
>>344
織田一族と譜代って言ったって、三七と権六、敗残兵の滝川くらいだろ。
むしろ織田一族と譜代は秀吉についた。
権六一派に正統性も人望もなかったことは歴史が証明している。


346 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:01:59
信長の後継者が嫡孫の三法師だから、天下人は形式上は三法師にして、秀吉がその幼君を守り立てて家宰に収まれば良かったのに。
これじゃまるで織田家から天下を簒奪しますよ、織田家を乗っ取りますよと言ってるのと同じじゃないか。
例えば武田家で信玄が死んだら高坂昌信辺りが「信玄公が居ない今、後を継げるのはこのわししか居ない。」とか言って馬場信春だとか原昌胤だとか山県昌景を家臣にして武田家を簒奪するのか?
それだと重臣は納得しないだろ。
織田家が一つになって秀吉の織田家簒奪を防ぐ術もあったと思うんだが。


347 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:19:10
秀吉って三法師の後見人だったっけ?
世継ぎを三法師にごり押ししたこともあって、その他はかなり柴田を立てていたはず。
長浜もあっさり譲ってしまったし、三法師の身柄も柴田(正確には信孝)が預かることになり後見人ともいえる立場なわけで。
まぁそれを実力で奪い返すんだが、清洲会議の段階ではかなり柴田を立てているよ。

348 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 20:40:09
秀吉は勝家に長浜を譲ったが、それもたったの六万石。
しかし秀吉は光秀を討った功績により、旧領の播磨に加えて、摂津・河内・山城・丹波を得て大大名になっているんだが。
それに10月に信長の盛大な葬儀を執り行ったのは何よりも秀吉だし、柴田、信雄、信孝はその葬儀には参列していない。
これは秀吉の台頭に皆があまり良く思ってなかったという事。

349 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 23:45:17
>>344
ま、怒らせるようなことしはじめたんだからね。
ってか、怒る、どころか、翌年に一族や権六が殺されることになるとは
これこそ、あきれてモノも言えない、というか。
豊臣家が存続するには、ってトピがあるけど、織田家が存続するには
ってトピのほうがよほど現実味あるんだよね。

まさに秀吉奇跡の3年で、あれだけ完璧な出世、成り上がりもすごいは、まったく。

350 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 05:31:58
現実味があるもなにも、滅亡した豊臣家と違って織田家は存続してるし。

351 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 09:28:45
織田家が存続する?
そりゃ無理だw
だって一族中の大物である茶筅や三七だって、本家を盛り立てることなんか
これっぽちも考えず、自領の拡大に精を出してるんだぞ?
家臣団だって、よってたかって織田領を分割しちゃったんだぞ?   
一体誰が織田家を存続させようと思ってたんだよ?w

352 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 10:09:34
まぁ織田家は幕末まで家名が残って、豊臣家は秀秋など外部に出した
養子以外一族皆滅亡してるわけだが
織田は尾張藩などに家名を存続し、信雄の子孫は明治は華族になっている
秀忠の奥方を鑑みれば織田家が残るのは至極当然ではありますがね

しかし秀信の末路は酷いな
秀吉の君主だったのに、いつのまにか従順な家臣にさせられ
三成についた挙句、失領して放逐とはな
ただ家名を存続している辺りはかなりしぶといが

353 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 10:37:24
高野山に行った後の秀信はどうなったっけ?
まもなく死んだという話も聞くんだが、出典がしっかりしたものではないからあてにならないという話も。

354 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 11:16:29
確か秀信は高野山に追放されたんだけど、男子がいなかったので信長の嫡流はここで絶えたんだよ。

355 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 17:09:13
>>354
正嫡は絶えたんだけど、血筋はいっぱい残ってるからそのあたりがちょっと
不思議な感じはするんだけどね。
家康の細心さから見たら、なんか優しいと言うか。

ただ、家康からみたら織田の血統は決して敵ではなかったのかな、という気はする。
その点、秀吉はやられたなー。

356 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:47:40
いや、家康が天下取った頃は、織田なんか人畜無害の小大名に成り下がってたわけだが。

357 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 21:50:03
家康は基本的に名家好きだから元々ある家にはやさしい。秀吉によって
成り上がった家には厳しい。つかほとんど潰した。

358 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 21:59:36
家康は本当は封建制じゃなくて絶対王政もしくは中央集権制の国にしたかったんだろうね。
しかし自分の寿命と相談し、無理な選択をせずにギリギリ力のある大名や
将来逆らいそうな大名を潰して力を殺いだのだろうと思う。
本心は薩摩、長州、前田、伊達をも潰したかったに違いない。

359 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:12:34
>>356
今川とか武田みたいに高家でしか生き延びれなかった名家を見れば、織田は高家だけでなく、4大名もいたんだからまだ恵まれてた方じゃないの?

360 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:32:06
>>358
関ヶ原の戦始まる時期に合わせ、黒田如水が九州制覇に乗り出している。

しかし、黒田如水の怪しげな行動や情報は逐一入る、薩摩島津は関ヶ原にいが為に


引き返す時間がなかったが為に


関ヶ原での島津は戦のど真ん中


突っ走り、直ぐに薩摩へ帰った。(敗走ではない、如水から島津領土を守るが故の手段だった)


黒田如水がいざ薩摩と行く先に徳川家康から黒田如水宛の書状が届く


黒田如水が思い描いた九州制覇の野望が幻に消えた。

361 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:37:04
そう、豊臣秀吉の 軍司であった 黒田勘平衛(後の如水)。


黒田如水の天下になっていたなら・・・・・

362 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:09:08
すべては結果論だが、秀吉に小牧長久手で勝っていれば
358の言うように徳川王国みたいなのが成立してたかもしれないな。
その場合、天皇は欧州でいう、教皇、みたいな扱いになってたか。

信長がそういうのを目指した形跡があって、このあたり、秀吉、家康は
まじかで見てるから、その権力形態に影響を及ぼしているとは思う。
さすがの家康も時間が足りないから、冒険はできなかったか。

363 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 07:01:09
それはない。家康はそんなことする気ないから。
つーか、そんなことができるほど家康の力は強くないし。

364 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 09:51:41
>>363
力が足りないから、そうする気が起きなかったという感じじゃない?
公家諸法度とか政治場所を関東や駿河に移転するとか朝廷の力を殺いだり
本願寺を二つに分けて宗教性直の分立を図ったり
各大大名に老中や養女を入れてスパイ工作、家中の分断をさせて中央集権化を
しようとしたのは事実だし。
家光が成文化した参勤交代は中央集権化しようとした最たるものだけど
その萌芽というのは既に秀吉、家康時代からあったしね。

365 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 10:19:15
中央集権だろうが地方分権だろうが、潜在的敵対勢力の力を削ぐのは当たり前
御三家をはじめ、家臣にホイホイ領地与えてる徳川将軍が中央集権化をしようとしてたなんてありえない

366 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 13:04:00
むしろ家康よりも秀吉の方が傾向が顕著だな>中央集権化
脇田修なんか豊臣政権とヨーロッパの絶対王政を比較したりしてるよね

367 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 13:48:10
信長、秀吉はそのカリスマ性による部分が多いし、統一が主眼だったわけだけど、
家康は、一族をいかに繁栄持続させるか、が最終目的になってるから、このあたりは
単純比較は難しいもんね。

家康は初期は領地を与えたけど、その後はかなり厳しいことしてるぞ。
これは家康死後も続いてるから、遺言でもあったんだろな。

368 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 16:15:35
秀吉の政権は徳川や前田のような外様大身を大老にしたり、
小早川や直江のような陪臣を手なずけたりと、
ある意味中央集権を志向したような動きが見られる。
検地なんかでも大名領にガンガン入ってったりしてるし。

一方の徳川はというと、幕府=徳川の家政。
運営は譜代中心で外様はお客さま。
中央=幕政からはっきり隔離されている。


369 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 18:41:40
5大老制度は最晩年だし、もう少し早い段階で秀吉がどういう構想
もっていたかに絞ったほうがよくないかな。
欧州的な知識もあまり無かったろうし、近代的な国家建設の
プランはなかった、ぐらいが定説じゃないかな。

検地、刀狩、このあたりは専門家が語りつくしているが、国家像というよりは
戦乱の終結、統治の簡明化、そういった視点から把握するのがいいような。

だもんで、出兵につながって秀吉研究がイデオロギーの視点から語られるように
なると、もうついていけなくなるのだよね。

370 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 20:04:58
言いたいことがよく分からんが、秀吉の時代に近代的な国家建設などできようはずもないし、
そんなことを論じてる暇な学者がいるのかね?
それともヨーロッパ的=近代だと言いたいのかな?
それはそれでどうかと思うが。

371 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:11:23
しかし信長・秀吉に共通してるのは
官僚機構らしきものを作ってる点だよね。
各省庁ごとに奉行を置き、しかも世襲制ではなく
能力制で次々入れ替えるといった点とか近代的に見える。

増田長盛なんて典型的な例だよね。

372 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 21:25:46
>>371
つ律令制

373 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 22:33:59
>>370
ヨーロッパ絶対王政≠近代だけど?
強力な中央軍&官僚機構の整備、
各地の有力大名に軍事的・政治的・経済的に積極的に介入したこと、
そういった特徴を脇田は絶対王政と比較してるだけ

374 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:10:34
>>737
ヨーロッパの近代は産業革命とフランス革命以降じゃないの?
14世紀のダンテからそれまでは近世かと。

375 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:38:42
>>374
ヨーロッパはルネサンス・宗教改革・大航海時代あたり(15世紀〜16世紀前半)から
市民革命・産業革命の時代の前あたり(18世紀後半〜19世紀初頭)までが近世だったはずだが。
さすがに14世紀(1300年代)は中世だと思うが。

376 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 09:19:42
えっ、秀吉って国内をどういう体制にするなんて
考えてなかったんじゃないの?
朝鮮出兵の事実から見ても統治機構の整備ではなく、
更なる領地拡大しか考えてなかったのは明らか
まぁ武力制圧した勢力の財力を削ぐ狙いもあったんだろうけどさ

377 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 09:21:22
結果としては出兵に難癖つけて参加しなかった勢力(主に東軍)の
台頭をのちのち許す原因となったと
つまりそういうことでしょ?

378 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 13:03:01
はあ?
東軍西軍に朝鮮出兵の有無など関係ないが?
難癖つけたところで出兵拒否などできんが?

379 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 13:23:28
>>375
ルネサンスはダンテが『神曲』を発表した14世紀初頭に始まる。
ダンテ、ボッカチオ、ペトラルカがルネサンス初期(14世紀)の作家。
なのでヨーロッパの場合、近世は14〜18世紀中頃まで。

380 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 14:16:10
秀吉は豊臣家の権力機構を残すために
きちんと秀次に関白の就任をさせ
自分の財産の多くを贈与して、そこそこ万全な体制だったのに
自ら全部ぶち壊しちゃったからな。
もし秀吉の寿命がもう少し短ければ豊臣家は関白家として
存続し続けた可能性が高かったと思う。

381 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 14:48:29
名護屋に滞まっただけでは参加したうちに入らないでしょ
伊達、上杉、最上なんかはそう、東国は遠隔地だからという言い訳を
使ったんだろうが実際に朝鮮へ渡海して戦った武将はほとんど居ない

元々秀吉は西国大名の力を削ぐためと言うのを考えていたんだろうが
それが家康を中心とした東国大名の台頭を許したと言うのは笑える


382 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 15:04:51
伊達は二度の朝鮮征伐のうち、最初の一回は渡航したよね?

383 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 15:06:17
東国大名は直前の小田原征伐や奥州仕置で大規模な動員掛けてるから
さすがに唐入りでは無理をさせれなかったんだろう
反面小田原では毛利や島津の主力は出陣してないわけで、
そこらへんは遠征する地域によって使い分けてたという感じ
渡海しなかった東国大名には名護屋城の普請や物資の徴発を命じたりしてる

384 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:01:54
有力大名の兵力を削ぎ落とし財政をも圧迫させ、結果的に諸大名の力を弱められるという秀吉の陰謀。
家康は渡海を秀吉から催促させられたが、関東入府後の新領地経営に忙殺させられているという言い訳があったからこそ免れた。
あと利家も渡海していないし。
伊達の場合は、小田原攻めに遅参した罰として東国大名なのに渡航させられているし。

385 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:01:50
寝言は寝て家。

386 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:35:58
>>376
体制整備は秀長の仕事だったんでないか。

387 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 09:27:01
・キチガイじみた朝鮮出兵が1592年、秀長が死んだのは1591年

つまり、日本史上最高の英雄は秀長だったってことですね
わかります

388 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 10:34:28
秀長死ぬ前から出兵の準備はしてたし

389 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:55:49
>>371
いや、室町の職制はすごいけど、信長なんてその十分の一もない
ぐらいの組織しか作れてない。
彼の時代はまだ組織作りにまで重点がいかなかったのだから仕方ないけど。
「古事類苑」で確認してみておくれ。

390 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 16:18:30
封建制の組織なんてしょせん雑魚。

391 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 17:06:32
これまた単純な。
260年持たせた組織なんてすごいと思うぞ。

392 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:18:57
うむ

393 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 17:25:35
当時、鎌倉幕府とか室町幕府とかいう言い方って無かったんだよね。
「御公儀」とかって呼ばれていたんだろう?


394 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:57:58
関東では公方様だっけ?

395 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:01:15
源頼朝が征夷大将軍になる以前の1190年に右近衛大将になった時から「幕府」と呼ばれたらしい。
だから将軍になってない信長のいる場所も「幕府」と呼ばれてたのかも

396 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:09:33
征夷大将軍にならなくても幕府は開ける。

397 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 12:09:01
征夷大将軍じゃなくて征西将軍とか征東将軍でも幕府は開けるのかな?

398 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:35:35
>>397
開ける開ける

399 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:50:44
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=69042
ロケット兵器の起源も韓国だそうだよw

なんだこの兵器はww
これで秀吉軍を破ったそうだよw


400 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:43:08
■倭乱の影響 (韓国で教えられてる教科書より)

倭乱でわれわれが勝利をおさめることができたのは、わが民族がもっていた潜在的力量が
すぐれていたためである。つまり、官軍次元のわが国防能力は日本に劣っていたが、全国民的
次元の国防能力は日本を凌駕した。わが民族は身分の貴賎や男女老若を問わず、文化的な優越感に
満たされて自発的な戦闘意識をもっていた。こうした精神力が国防能力に作用して倭軍を
撃退させることができる力になった。

一方、倭乱は国内外的に多くの変化をもたらした。まず、国内的には、長い戦争で人口が激減し、農村は
たいへん荒廃した。したがって、国家財政の窮乏と食料不足を解決するための対策として
空名帳(貧民救済のために富裕者に官位を売り、その代金の証書……訳者)が大量に発給された。
また、李夢鶴の乱のような民乱が各地で起こり、土地台帳と戸籍が多く焼失したために、租税、搖役の徴発と身分の区別が混乱した。
また、国際的には、束アジアの形勢が大きく変化した。朝鮮と明が戦争で疲弊した隙に乗じて北方の女真族が急速に成長した。
そして東アジアの文化的後進国であった日本は、朝鮮から活字、書籍、絵画、陶磁器などの文化財を略奪し、多くの
技術者と学者等を拉致していった。
これとともに朝鮮の性理学も伝えられ、日本の文化発展に大きな影響を及ぼした。




401 :名無しさん@いい湯だな:2008/09/03(水) 05:18:45
DAIGOを見ていると

「織田秀信って、こんな感じだったんかな」と思う

402 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 18:49:18
しょせん現代で持てはやされてるだけ=信長

403 :日本@名無史さん:2008/09/08(月) 05:37:25
実家は豊臣の家臣だったけど、豊臣のことを聞いたり、
大阪とか聞くとイラっとするのは何故なんでしょうか?

大阪城が燃えるシーンはざまあ見ろとか思って見てました。
単に徳川が好きだからでしょうか?

404 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 00:52:35
家臣って誰?


405 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:08:04
信長は改革者という意味では今の小泉純一郎みたいなもの。
新しい時代を切り開き、中世から近世へ転換するきっかけを作ったという意味でも偉大。

406 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:07:29
自民党をブッ壊すと言っておいてあの程度。
せめて本当にソ連をブッ壊したゴルバチョフくらいを持ってこないと。

407 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 16:34:58
信長はイエズス会の言いなりで天皇制を破壊して
日本を欧米の植民地にしようとした

408 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 16:37:28
信長を愛国者にしたい奴もいるが
本当は日本を欧米に売り渡そうとした極左革命家なんだけどな

409 :日本@名無史さん:2008/09/14(日) 16:39:17
406>

そういう意味ではマジで日本を破壊しようとしたのは信長だけだな

410 :代打名無し@実況は野球ch板で :2008/09/15(月) 10:12:01
なんだよな。

411 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 13:03:28
>>407
違うよ極東ローマ皇帝にしようとしたんだよ。


412 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 13:55:56
http://jp.youtube.com/watch?v=okCtwtCIukQ

413 :日本@名無史さん:2008/09/17(水) 14:02:34
明日は豊国大明神の例祭であるぞよ


414 :日本@名無史さん:2008/09/19(金) 23:12:37
ほほう

415 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 01:28:05
太閤を 地下より起こし 見せばやな 今宵の月を 如何に見るらむ
(朝鮮征伐を命じた太閤殿下を蘇らせる事が出来たとしたら
朝鮮半島を我が領土とした今夜の月をどの様な思いで見るであろうか)


小早川 加藤小西が 世に有らば 高麗山高く 昇る日の丸
(朝鮮征伐に参加した小早川秀明・加藤清正・小西行長の諸士が御健在だったなら
朝鮮の山々に高々と翻る日章旗を見たらどの様に思うだろうか)

416 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 13:18:08
別に半島支配が目的だったわけじゃないし。
あくまで唐入だったんだから。

417 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 16:49:31
豊国神社の御守りが欲しいのですがどこの豊国神社で買えますか

418 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 09:26:31
>単に徳川が好きだからでしょうか?


縄文系の血が濃いからでは?

419 :日本@名無史さん:2008/09/27(土) 20:52:33
豊臣

420 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 07:17:43
超時空天下人って称号にはワロタ。

この外貨流動性不足も、秀吉のせいだよな!

421 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 08:19:04
これ逆だろ
太閤を 地下より起こし 見せばやな 高麗山高く 昇る日の丸
小早川 加藤小西が 世に有らば 今宵の月を 如何に見るらむ
こうだろ。


422 :日本@名無史さん:2008/09/29(月) 22:45:47
秀頼、の頼、の字はどこから採用されたの?
教えて。

423 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 01:04:44


424 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 12:54:44
>>338
>>339
「豊太閤改葬始末」によると、明治30年2月28日廟墓掘削中
土中二尺より経文瓦多数、下に小壺、下に平石、更に下に一抱えの備前焼大甕ありと。
秀吉は土葬で手を組みあぐらをかき、西を向いていたとの事。
遺体は甕から出す際の不手際で崩壊したらしく、その後個々の遺骨を
絹布で包み桐箱に朱詰めとし、更に銅製の櫃に入れ他の出土品と共に
五輪塔下に埋納したとの事。(設計伊東忠太)

  でもこうゆう話も知っておいて、もっとロマンあり

  秀吉の遺体の瓶は 現阿弥陀ヶ峰近隣の あぶら山から300年時に移動
  瓶の中に焼酎付け 数人が頭顔部を見る 御所の方を見ていた
  そのまま御所に向けて、埋蔵し上部に現建造物を設置

  作業人から直接聞き取り 昭和28年発行の研究本に伏見研究家が記載
  当時 学者じゃないため注目されなかったが 最近色々と解明されるにつれて
  その研究や記載の内容が証明され注目、専門家も評価  石田三成の子孫などの内容もあり 
  
  伏見は直轄地で有りながら地誌が2つぐらいしかないけれど
  伏見城跡や周辺は基本的には山稜のまま、森林かつ立ち入り禁止地域だから色々発見あるかも
  今度調査許可を宮内庁だすみたいだけれど
  
  普通に立ち入り禁止区内に石垣などゴロゴロあるし、内堀も森の中人は近づけないし、
  街では普通に掘れば瓦や何やら出てくるし、 数qの城の抜けトンネルも複数現存してたし 
  色々と楽しみ 研究されればだけれど  調査でなければ 日常つぶしているのが現状
  
  長くなってしまった。すいません。

425 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 02:15:54
秀頼の、ヨリは、源頼朝、からとられてないかな。
つまり、史上最大の成り上がり二人の名前からつけられた、という意味だが。

426 :日本@名無史さん:2008/10/03(金) 16:30:00
日本一の英雄秀吉

427 :世界史@名無史さん:2008/10/06(月) 21:34:31
信長は死せず...、野望は世界に...。

国盗り学習ゲーム世界戦国編β版公開
URL : http://soresuta.jp/

428 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 04:36:56
ま、秀吉の奇跡の成り上がり人生は、信長のような奇跡の天才あってのことだからな。
秀吉は何から何まで信長の受け売り。

429 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 17:20:09
信長厨はうざい

430 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 17:23:16
信長なんぞがいなくても天下を取った偉大なる秀吉

431 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 17:23:51
しょせん信長は秀吉の引き立て役

432 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 17:28:01
家康や福島黒田は何で謀反をおこしたの?

433 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 18:06:44

やはり秀吉こそ日本一の英雄

434 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 21:21:42
緒方拳

435 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 21:44:44
リン 「ケーン!」

436 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 00:41:01
>>1
庶民になにわの町壁のいたる所に

猿吉って、落書きされてたの知ってるのか?




437 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 06:49:01
信長に拾ってもらわなかったら、一生土民のままの名も無い猿のまま

438 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 12:17:34
いや、秀吉がいなければ、
信長こそ尾張の田舎大名で終わっていた

439 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 14:48:38
秀吉がいなければ「墨俣一夜城」や「藤吉郎の退き口」などの美談が生まれる事は無かったが、いなくても織田家の大局には何の問題も無かったと思われる

440 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:26:29
信長なんぞ秀吉の引き立て役

441 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:50:21
どのみち信長は天下を取れずに死んでたと思う

442 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:51:27
最初に天下を取る力量があるのは秀吉しかいなったのが現状だな

443 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:22:05

田岡一雄 vs 豊臣秀吉




444 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 18:29:16
史上初の日本の帝王に君臨した秀吉

445 :↑アホか?:2008/10/10(金) 23:21:35
神武天皇だろ

446 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 04:32:47

神武?変な宗教でもやってんのかあ?

447 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 18:52:23

朝鮮忍者が朝鮮の忍者の歴史を教えてやる(日本語字幕)
http://jp.youtube.com/watch?v=SzVdOeuFmDA


[パクリ]偽朝鮮忍者が大人気[ようつべ]PART5
http://society6.2ch.net/test/read.cgi/korea/1223120311/

448 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 08:11:05
実は秀吉などいなかった

449 :日本@名無史さん:2008/10/12(日) 11:29:40
大儀であった!!

450 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 09:07:03
明から「平秀吉」って言われてるけどなんで?

451 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 09:49:09
近衛の猶子になって関白になる前は信長の真似して平氏だったから。

452 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:00:04
秀吉と大阪…最高の組み合わせだね(笑)

453 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:03:54
明治に豊国大明神の神号が復活したんだよね?

454 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 20:06:27

信長と尾張 家康と江戸 秀吉と浪花

455 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 21:53:12
おバカタレントの木下なんとかは、木下秀吉って言う選挙オタクの娘か。

456 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 17:24:43
三上誠三秀吉の天下統一はまだか

457 :日本@名無史さん:2008/10/15(水) 23:10:52
(-_-)bこれでどうだ・・・

458 :日本@名無史さん:2008/10/18(土) 20:28:14
ふいで

459 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 00:33:16
>>362
実際天皇≒教皇みたいなもんじゃない?
徳川本隊が関が原で戦えて、その結果徳川絶対王政になってたら
公方が諸大名と同じように天皇を任命する仕組みになってたかも。

460 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 00:40:50
趙匡胤、ヘンリ7世、アンリ4世と並ぶ新王朝の始祖。それは徳川家康。

461 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 01:36:41
家康の話なんざどうでもいいっての

462 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 18:18:20
明が朝鮮南部の割譲と勘合貿易復活に同意しておれば、
秀吉は嬉々として明の皇帝の臣下になったであろう。

同時期に順義王アルタン・ハンのような実例がある。
これもさんざん明を悩ませた北虜(モンゴル人)の親玉だったが、
交易許可とひきかえに、あっさり明の冊封を受けて臣従している。
秀吉だって「勘合貿易」を許可されたら、普通に臣従したはず。
秀吉は若い頃、行商人やってたし、その後も豪商との付き合いが深く、
その辺の商売人的な実利主義は持ち合わせていたろう。

463 :日本@名無史さん:2008/10/21(火) 22:39:51
>>459
家康は晩年、孫娘の和子の後水尾天皇入内を後陽成上皇にさかんに要求していた。
秀忠とお江与夫妻は摂家の息女を京から養女として迎え、家光の正室にあてがった。
信長が何を考えていたかは知らんが、徳川家は天皇家や摂家との融合を取ろうとしているように見える。
江戸幕府は天皇家への締め付けをしたのは事実だが
婚姻関係においてもっとも天皇家や摂家と近かったのもまた徳川幕府
家康に時間があったところで天皇家を滅ぼす話にはならなかっただろう

464 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 05:36:13
>>463
家康は晩年、孫娘のお千を豊臣秀頼に押しつけた上、秀頼を攻め殺した。
家康の寿命があと1〜2年あれば天皇家も攻め滅ぼされていたことは必定。

465 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 08:42:00
まあ、“征夷大将軍”という天皇から来た称号をそのまま名乗り続けたと言うのは
大きなミスだったな。京都に(公方の)勅使を派遣し、「そちが次の内裏じゃ」
とかいって任命する。

466 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 18:38:37
>>446
ほー神武をその様に明確に否定できるとは・・・
否定できるだけの何らかの根拠をお持ちでしょうね(^o^)

467 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:08:02
>>464
千姫を秀頼の妻にしてから1〜2年で豊臣を攻め滅ぼしたか?
実際には千姫が大阪城入りしてから豊臣が滅びるまで12年。
しかも、千姫入内は関ヶ原の後。
家康が征夷大将軍になってから、
弱者の豊臣を吸収するために行ったもので、
この時点で秀頼が家康に絶対服従するのであれば、
家康は孫娘の婿として適度な小大名に減俸して生かしておき、
命までは取らないつもりでいた。

家康は天皇家とは一戦も交えていない。
千姫のときのように関ヶ原に勝利して一方的に豊臣家に孫娘を押し付けたのとは異なり、
ひたすらに後陽成上皇に孫娘の入内をお願いしていただけ。
そこまでいうなら一戦交えて上から目線で
孫娘を天皇家に押し付けてやればよかったのに。

468 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 20:15:15
武力のない朝廷とどうやって交戦すんの?

469 :日本@名無史さん:2008/10/22(水) 22:00:58
幕末には武力がないはずの内裏の周りを
薩長の軍隊が取り囲んで
天皇にあれこれ難題を押し付けていたが

470 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 20:33:55
>>467
秀頼を生かしておくことは絶対ないと思うが。

471 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 08:22:33
>>467
根本的な勘違い。
関ヶ原の戦いは豊臣対徳川ではない。

>しかも、千姫入内は関ヶ原の後。
>家康が征夷大将軍になってから、
>弱者の豊臣を吸収するために行ったもので、
>この時点で秀頼が家康に絶対服従するのであれば、
>家康は孫娘の婿として適度な小大名に減俸して生かしておき、
>命までは取らないつもりでいた。

おのれの妄想をさも史実のように語るなw

472 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 22:49:38
>>470
なぜ?

473 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:16:14
>>471
じゃあ、なぜ、関ヶ原の戦いの後、家康は征夷大将軍になったの?
それだけでなく、息子に将軍位を譲って秀頼に政権を譲る気がないことを
証明して、豊臣恩顧の武将は黙っていたの?

徳川対豊臣でないというのは関ヶ原が始まる前の家康の名目。
実際には豊臣恩顧の武将は関ヶ原で徳川に指示されるままに戦い、
勝利した後は徳川家から直接恩賞を与えられることによって
徳川家との直接の主従関係を余儀なくされ、
関が原のあとには誰も徳川家に逆らえなくなっていたんだよ。
君は教科書レベルからがんばれ。

474 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:24:02

君の教科書にはそんな歴史がつづられてるの?

475 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:37:04
>>474
教科書内容も理解してない君にはレスしないよ。

476 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 22:52:10
>じゃあ、なぜ、関ヶ原の戦いの後、家康は征夷大将軍になったの?
>それだけでなく、息子に将軍位を譲って秀頼に政権を譲る気がないことを
>証明して、豊臣恩顧の武将は黙っていたの?

豊臣家は関白志向。征夷大将軍志向ではない。
秀吉だって征夷大将軍になっていない。
征夷大将軍=政権という認識を持つと言うことは豊臣政権というものを全く理解していない証拠。

>徳川対豊臣でないというのは関ヶ原が始まる前の家康の名目。

家康のみならず豊臣政権もこの認識。家康は豊臣政権の大老として豊臣政権下の大名に出陣を命じ、
自ら総大将として出陣した。淀殿から餞別までもらってな。

>実際には豊臣恩顧の武将は関ヶ原で徳川に指示されるままに戦い、

幼君を盗んで挙兵した奸臣を討つんだから当然。

>勝利した後は徳川家から直接恩賞を与えられることによって
>徳川家との直接の主従関係を余儀なくされ、
>関が原のあとには誰も徳川家に逆らえなくなっていたんだよ。

豊臣家の大老たる家康から豊臣家蔵入地および賊の領地を与えられた。
わかるか?徳川家じゃなくって豊臣家から与えられたんだよ。
何をどう考えたら「徳川家」から「直接」与えられたと思えるんだ?

>君は教科書レベルからがんばれ。

どんな歴史教科書を読んだらそんなトンデモな歴史認識を学べるんだい?

477 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 18:54:33
 

478 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 10:00:07
>>476
>豊臣家の大老たる家康から豊臣家蔵入地および賊の領地を与えられた
 徳川家じゃなくって豊臣家から与えられた

関が原の後豊臣家の所領が大幅に削られ、摂津・河内・和泉に縮小してしまったのはどう説明するんだ?
豊臣家が自らの所領を削ったとでもw

479 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 12:51:34
>>478
その前の流れとは違うが、この件に関しては最近の本では説明されてた記憶がある。
摂河泉以外の豊臣領は、各大名の領内に設置され、その大名が代官として収納していたらしい。
江戸幕府での類似品だと、会津藩預かりの南山領5万石みたいなものか。
で、関ヶ原後に家康が「豊臣家の大老として」領地h再配分をした時にその国を与えられた大名の領地に取り込まれてしまった。
つまり、形式的には豊臣家が自らの所領を削ったと言っても間違いではない。実質的には違うけどw

480 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:18:45
>>476
>家康は豊臣政権の大老として豊臣政権下の大名に出陣を命じ、
 自ら総大将として出陣した。淀殿から餞別までもらってな
豊家の恩為という名目の上杉討伐軍の指揮権と、関が原での東軍の最高司令官としての立場は異なる。
家康は関が原の戦で、東軍の大将の地位まで豊臣家に公認してもらったわけではない。

481 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 13:35:32
>>479
所領削減に形式的なんてない。豊臣家は実質的に200万石超から畿内60数万石へと転落しているのだから。
それを独断で裁断したのは家康。

負けた西軍諸大名の改易・減封・国替えの決定は、豊臣家の意向など全く反映されておらず、
だからその過程で、豊臣家は畿内以外に領有していた諸大名領内の領地を完全に消失したわけだ。

豊臣家は奸人三成を討った「正義の人」家康の歓心を買うのに必死で、とてもじゃまいが家康に物申すところではなかったわけだ。
よって>>476
>豊臣家の大老たる家康から豊臣家蔵入地および賊の領地を与えられ
 徳川家じゃなくって豊臣家から与えられ
は、筋違いってわけ。

勝った東軍諸将は豊臣家の為に戦ったのではなく、自分の将来を家康に託して戦ったのだ。


482 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:19:12
>>481
> それを独断で裁断したのは家康。

そうそう。そのとおり。豊臣秀頼の名代として上杉征伐に出陣し、その留守に秀頼の名を騙って自分の非を主張する石田三成とその与党
を討った家康が、豊臣家の大老として従軍してくれた諸大名に領地を加増したわけだ。
ただ、諸大名の戦功に報いるためには敵対した大名から取り上げた領地だけでは不足だったので豊臣家の領地からも分け与えただけだ。


・・・・・・というのが建前だ。本音はもちろん別のところにあるがそんなことを言ったら福島正則だの加藤清正だのが五月蝿くて仕方ない。
東軍諸大名にしてもそうだ。本音はともかく建前は豊臣家の御為として小山まで行き、関ヶ原まで戻って戦い、また大坂に戻ってきたわけ
だ。建前としては実に合法的じゃないか。本音は君が言うとおりだけどそれを一々言わないのが大人の大名というものだ。
年齢的に中村一忠とか小早川秀秋とかはどうだったかわからんがw

483 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:23:38
>>480
家康は豊臣軍の総大将として出陣したわけだろ?
その家康に対して挙兵した石田や毛利、宇喜多にどんな正当性があるの?
石田は乱の責任を取って中央を追われた札付きのワル、毛利は無能の役立たず、
宇喜多は自国も統治できないばかりか贅沢三昧。
人間のクズの集まりではないかw
こいつらが豊臣家公認の謀反人、上杉と手を組んで蜂起したわけだ。
もちろん豊臣家のお墨付きなしに。
そりゃ、秀吉子飼いの連中が激怒するのも当然だ罠w

484 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 18:07:23
>>482
恩賞の土地が足りなければ主君の領地から分け与えるのが武家の常識だよ。
古くは後三年の役の源義家、新しくは本能寺の変後の織田家、関ヶ原後の豊臣家。
元寇で恩賞をけちった(分け与える土地がなかった)鎌倉幕府は滅亡に追い込まれた。

485 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 13:21:35
常識ではなかったからこそ、義家の美談として語り継がれているのだが。

486 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:09:04
大坂夏の陣、冬の陣のときには当然徳川は自分の領地を与えただろ。
家康は豊臣の総大将としてではなく、豊臣の息の根を止めに出陣したから。

487 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 07:51:41
>>485
後三年の役後の自腹切っての新恩給与が後の「御恩と奉公」体制の基礎となる。

488 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 14:30:11
確かに戦国の戦乱を一度、終わらせてくれたが、
日本の民衆を、土木工事だろ、対外侵略などで
こき使われて、反乱したら一村丸ごとジェノサイドを
命ずるような人物だよ。
韓国人も当時の日本の民衆の苦労を思いやるべきだ。


489 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 02:29:59
>>484
だから家康は主君である豊臣家の領地から分け与えたんだろw

490 :正義VS法:2008/12/02(火) 20:23:08
軍事の天才、信長。
軍事の神、秀吉。
軍事、政治の神、家康。

491 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:28:08
秀吉は没落した名家の姫を扶養するために、自分の側室としていたのだ。
そうすれば、姫に天下人の側室という地位と十分な生活を保障できる。

いわば戦国のあしながおじさんだったのだ。

492 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:35:42
>>491
秀吉は自分が死んだあとは秀頼と側室たちをよろしく頼むと
自分の側室たちをみんな徳川家康に差し出したんだな。
ありゃ?

493 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 12:24:08
>>483
三成の挙兵には、家康が豊臣政権の法規に背いた罪悪十三ヶ条という立派な大義名分がある。
加えて三成は、秀頼の名の下に諸将の西軍への参集を呼びかけている。
正当性としては十分だろうに。

上杉征伐を中止した時点で、家康は率いてきた豊臣系諸将の指揮権を失うことになり、
よって小山の地で、諸将に以後の行動を任意に決めさせたわけだ。
が、事前に仕込んだ福島正則の発言により、家康は公務の軍を徳川の私兵へと転換できたのだが、
その軍こそ何の正当性もない賊軍といえる。

ただ勝った結果により、東下前の家康の悪行を不問に付し、西軍を賊軍扱いできただけのこと。

494 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 14:10:45
>>493
大義名分などない。
石田某という男は争乱を起こして勘当された札付きのワル。
そんなのが謀反人の上杉某と組んでまたもや争乱を起こし、大坂城を占領して幼君を人質に取ったわけだ。

大老たる徳川家康は田舎の小悪党征伐と中央の姦物成敗どちらを優先すべきだったか?
責任ある大老ならば結論は分かり切っている。
そして積極的に悪党征伐に従軍していた忠心篤い武将たちもその決断を支持し、
最前線で戦った。

495 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 14:41:27
>>494
挙兵した三成に対抗する大義名分がないのは、家康と彼に従う豊臣系諸将だ。
家康が犯した秀吉の遺命違反は明白であり、反論する余地が無い。
そもそも上杉征伐発動は、家康の悪行を指摘した直江書状を契機とした私怨なのだから。

会津へと東下した豊臣系諸将にしても、
三成が掲げた家康討伐の大義名分により、家康の指揮下からの離脱が常道だった。
彼らは家康が仕組んだ福島正則の名乗りという猿芝居で、場の雰囲気から家康に組したにすぎない。




496 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 15:17:38
>>495
・争乱の責任を取って追放された身(犯罪者)の石田には、家康のことをどうこう言う資格がない。
・家康を成敗する地位もない。
・家康の過失についてはすでに詰問され、家康が詫びて決着済み。
・謀反をおこした上杉の討伐は、豊臣家挙げての大事業。家康の私怨ではない。
・そもそも直江状は、不穏な動きをする上杉に対する詰問への回答である。上杉の不穏な動きが先。
・一方は謀反人上杉に加担し、大坂城を占拠し、幼君を人質に取った姦物石田。
 もう一方は秀吉に秀頼のことを懇ろに頼まれ、豊臣家に仇なす上杉を討伐に出た、忠臣・大老家康。
 どちらに大義名分があるかは多少なりとも道徳心があれば容易にわかる。
・小早川や脇坂小川赤座らの西軍からの離脱は、大義名分からも常道。もっとも遅すぎた嫌いはあるが。
・石田に加担した叛徒らは、石田一派による大坂城制圧、秀頼奪取という凶行に怯え、
 場の雰囲気から謀反に加担したに過ぎない。


497 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 07:39:45
>>496
前田利家死後の七将の暴走とそれに起因する三成の失脚は、全て家康の策謀。
三成に非は無い。

豊臣政権の法規を平然と踏みにじる家康に誰もが追従している現状では、
実力第一の奉行だった三成が誰もが納得する大義名分を掲げて挙兵するのは義挙以外何物でもない。

家康は利家死後、一旦白紙になった縁談を実行している。

上杉征伐は、家康暗殺をでっち上げ、それを口実に前田利長と浅野長政を恫喝した悪謀の延長にすぎない。
覇気の無い利長と長政はヘナヘナと篭絡されたので軍事行動までには至らなかっただけ。

直江書状には、国許での行いの正当性を理路整然と記されている。
家康は一々尤もな説明に何一つ反論できず、己の悪行を指摘されて激高し軍事行動発動。

事実無根の暗殺嫌疑で処分された前田利長や浅野長政と、在らぬ謀反の噂での上杉征伐発動も本質は同じ。
フザけた言いがかりでやりたい放題の悪行に正当性など無い。
家康自身もそんな事は重々承知していたので、豊臣家に上杉征伐を公認させて法的装飾。

西軍諸将が激怒し、勝った東軍諸将までもが嫌悪した裏切り行為に大義名分など無い。

賊徒は大義名分の無い家康率いる東軍。場の雰囲気から加担したのは小山での東軍諸将。
家康自身も余りの変わり身の軽さに彼らの真意を疑い、なかなか江戸を出立せず、
先に攻撃させて後戻りできないよう催促している始末。

498 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 08:01:56
賊軍か官軍かなんて戦後に決まるんだよ。
戦前はどっちが賊軍だったかなんて意見が分かれて当たり前。
ただ福島や加藤は三成憎しだけで動いていた。
こいつらこそ豊臣からしてみれば賊軍かもな。

499 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 08:42:06
>>498
幕末、朝廷を擁した「官軍」の薩長に幕府側は腰砕けになったのも知らんと見える

500 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 09:20:28
>>499
アホか。
あの時幕府が勝ってたら薩長は朝廷を利用しようとした賊軍って事で歴史は片付いてるよ。
現に明治政府成立した後も朝廷から親王がまつりあげられて奥羽越列藩同盟なるものが新政府に歯向かおうとしてたしなw

501 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 09:23:32
>>497
でたw
安っぽい陰謀論w

502 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 09:28:41
陰謀かどうかは知らんけど三成と福島加藤の対立を家康が利用したのは事実だろう。

503 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:00:44
あの時関ヶ原の合戦がなかったらどうなってたんだろうな。
上杉が三成と共謀しようとしたのは多分事実だろう。
三成が早まらなければ豊臣政権は消えなかったかもな。
家康の強引なやり方も相手にしなければ家康は空回りだっただろうに。
あやふやなまま秀頼がせめて14歳になるまで待っていたら。

504 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:41:17
>>500
明治何年、どの藩が朝廷の誰を担いだって?
具体的に示せよ

505 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:43:39
秀吉の墳墓にある遺骸は本物か?

506 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:44:25
>>503
三成が挙兵しなかったら、家康の法規破り連発と政敵潰しで、遅かれ早かれ豊臣政権は崩壊
三成はそれを分かっていたからこそ挙兵したんだろうに
アソー総理並みの暗愚ぶりだな

507 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 10:53:53
>>504
ほいhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%A5%E7%BE%BD%E8%B6%8A%E5%88%97%E8%97%A9%E5%90%8C%E7%9B%9F

508 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:00:22
石田治部は猿の威を借るキツネ。
奉行のひとりに過ぎないのにもかかわらず秀吉の腰巾着として
専横の限りを尽くしたため、秀吉子飼いの武功派に憎まれ、解任される。
そのことを逆恨みしてか、徒党を組んで武力蜂起する。
石田治部=慶長の藤原信頼

509 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:01:58
>>506
そんな強引なやり口繰り返してたら人望がなくなるだろ。
前田の時が初めてだったから効いたわけで。
徳川は基本的にいい人で石田は基本的に独裁的な人。
だからみんな徳川についたんだよ。
徳川まで独裁的な人になったら徳川は孤立するよ。
みんな毛利か上杉辺りにいくんじゃないの。

510 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:05:52
>>507
結局時勢に逆らえず失敗した事例を挙げてるだけだろ
戊辰戦争に付随する愚劣な悪あがきを引き合いに出す空論
笑止

511 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:12:28
>>509
勢威増す家康に追従する連中が続出していた史実を知らない無知
手前勝手な妄想で歴史を歪曲する恥晒し
というか、お前の釣り狙いはミエミエ
ミエミエな愚劣な釣りの相手してもらって嬉しくてたまらないだろ
相手にしてやらないと加藤某のように無差別殺人起こす手合だからな、お前


512 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:15:23
>>510
この奥羽越列同盟からしてみれば薩長は賊軍だったんだよ。
勝った方が官軍、負けた方が賊軍。
慶喜が朝敵にされても戦おうとする奴は多かった。
勝てば官軍に戻れるから。
ただ慶喜の朝廷信仰が厚かったから恭順に順じただけだよ。
足利尊氏だって朝敵にされたけど賊軍なんていうやついないだろ。


513 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:17:43
>>511
だから家康に追従していたのは勢威が増していたからじゃなくて石田へのアンチテーゼ。
自分と意見が違う奴は釣りだの恥さらしだの無知だの無差別殺人起こすだの言ってるお前の方が危ないよ。

514 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:29:28
>>513
石田へのアンチテーゼなら、家康でなくてもいいだろうに。

>徳川は基本的にいい人で石田は基本的に独裁的な人
この根拠は何だ?挙げてみな。全然期待してないけど。スルーして逃げな。

515 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:36:45
>>513
意見の相違ではなく、お前の釣り狙いの歴史の歪曲を正しているだけ
でないと、
>徳川は基本的にいい人で石田は基本的に独裁的な人
みたいな馬鹿馬鹿しい書き込みはできん

まともな神経の持ち主ならな
だから加藤某を引き合いにだしたまで
構ってもらいたいがために、他人の気を引こうと涙ぐましい書き込みしてる愚行は、
加藤某と同じ穴のムジナ

文句ある?あるなら論理的に反論してみ。悪いが期待して無いぞ。

516 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:46:57
>>511
むしろ乱をおこした石田の方が加藤某とかぶるんだが・・・

517 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:47:33
>>514
対石田の一番有力的な家臣が家康だったんだろ

徳川が温厚な人というのは三河武士の忠実さからみる俺の推測。
あまり信憑性はないから無視してくれ。

三成の独裁的なやり方は史実として同僚からの証言がある。
大谷吉継が三成に対してお主の普段の横柄ぶりから家臣は家康の下へ走らせる。
ここは毛利か宇喜多を上に立てろと忠告している。

518 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 11:50:19
>>514
家康は秀吉から後事を託されたわけだが。
石田のように世を乱す輩が現れれば、家康の元に結束するのは当たり前だが?
そんな道理もわからないのかw

519 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:11:35
>>517
職分に備わる権限と人との接し方とをごちゃ混ぜにしている愚劣
一奉行に過ぎない三成に独裁的職権などない

520 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:13:49
>>518
豊臣政権の法規を平然と踏みにじり、
難癖を付けて大名を冤罪に陥れる家康こそ世を乱す輩なんだがな

521 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:25:30
>>519
島津義弘が
「江州佐和山の城主・石田治部少輔、太閤公の股肱の臣として、その勢威、比肩の人なし」
と石田三成を評している。

石田三成は豊臣政権化では絶大な権力を握っていたんだろうな。

522 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:41:37
>>520
家康の些細な過失については家康が詫びを入れて解決済みですが。
騒擾事件をおこして追放された治部ごときが蒸し返すようなことじゃない。
誰にでも過失はあるしな。

家康→些細な過失、解決済み
治部→内乱罪、追放刑
上杉→内乱罪

家康と治部上杉では罪の重さがあまりにも違いすぎる。

523 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 13:51:41
>>522
シカト


524 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 15:51:25
そもそも関ヶ原は三成側の不手際が多い。
もし大阪城で向かい撃てば秀吉恩顧の大名も攻撃出来なかったはずだし西軍の引き締めにもなる。
第二に三成と武断派の確執が徳川軍の完成につながったわけだから毛利か宇喜多を頭にすれば武断派も大儀がなくなる。

525 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:08:47
>>524
大坂城に立て籠もったからって、東軍は余裕で攻めてくるでしょ。
特に福島黒田なんかいきり立って自ら先頭に立って襲いかかってきそうだが。
ちなみに史実での西軍の総大将は毛利ね。
あまり歴史に詳しくない子は石田が総大将だったと勘違いしてることが多いけど。

526 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:13:50
>>525
大阪城での後詰決戦の方が明らかに西軍にとっては有利だろう。
確かに総大将は毛利だけど留守番させられてて実質石田が指揮官だった。

527 :日本@名無史さん:2008/12/21(日) 17:46:30
>>526
伊勢や近江その他の味方の城を見殺しにして大坂に引き籠もるのか?
まるでゲームのようなプランだね。

528 :日本文尊 ◆m0yPyqc5MQ :2008/12/21(日) 18:10:46
それより俺のチンコを舐めろよ。

529 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 10:19:50
>>526
教科書にも載ってることだから、あえて指摘するのも野暮だけど西軍といっても
西日本全部が西軍の支配下にあったわけじゃないんだぜ?

九州には加藤清正・黒田如水、四国・淡路には藤堂高虎・加藤嘉明といった東軍有力武将の
根拠地がある。長期戦をするのであれば、大坂に呼び集めた西軍のかなりを投入して
西日本内の東軍拠点を殲滅する必要がる。

そうすると、どれくらいの兵力が大坂に残るのやら。立花・島津といった九州勢はもちろん、
長宗我部の四国勢もいなくなる。さらに討伐戦をするのなら、相手の兵力を圧倒するため
毛利勢も西日本制圧戦に参加させざるを得ないだろう。

530 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 19:33:42
三成が100万石の大名になった可能性もあったらしいね・・・
そうだったら、歴史は変わってたか・・・

531 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 01:55:36
>>529
九州勢はともかく、四国の場合は本人は在国していないし、
四国ではかなり活発に毛利方が活動していたので、そこまで大軍を
送り込まねばならない状況では無いと思う。
佃十成が村上元吉らを討ち取った後も、河野通軌らは侵攻を続けていたし、
土佐の非有とも連絡を取り合うなど、伊予を脅かし続けていたした。

九州においても、加藤らが積極攻勢に出るのは大勢が決してから。

532 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 20:20:02
秀吉より、貧農から一時期は内閣総理大臣・陸軍大臣・軍需大臣・参謀総長を兼ねた
東条英機が日本史上一番出世した男。

533 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 12:12:52
東条英機の父は陸軍中将まで上がったわけだが。

534 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 18:57:25
最近の左翼活動家歴史学者は、何で信長・秀吉を侮辱して金稼いでるんだ?
歴史の過程の話だし、近・現代の価値観で語れるような時代じゃないのに

535 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 15:39:51
大阪城にある秀吉の木造の顔、ありゃひでえな。
お市が毛嫌いするのも分かるよ。




536 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 16:58:47
秀吉が大嫌い、信長も嫌いです。冬休みに入った女子高生より。

537 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 06:14:57
キモい

538 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 11:59:31
やったことは確かにスゴイが
人として尊敬できんな。

539 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 11:54:04
関白になった後がめちゃくちゃ。
日本のトップに居座り続ける器じゃなかったね。

540 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:30:54
耳や鼻を削ぐからね
おまけに壷に入れて

541 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 14:45:18
トップに立つと怖がりになるのは成り上がりのすごろく
成り上がるまでの間、裏でどんな手段を使ってきたのやら
一説では戸籍に乗らない種族を動員して情報と物流を動かしてたとも聞くし、
得意の敵将寝返らせの話術も一体どんな恫喝が忍んでいたか表には出ないし、
分かりやすいようで、とにかく謎の人間なんだよな
出身地が尾張、豊臣の姓、昔の朝廷みたいな半島進出、この辺りもミステリー
ある意味武家社会へのアンチテーゼを形にした人物であるからさ

542 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 17:57:16
在日の秀吉コンプレックスは凄い

543 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 00:23:27
秀吉の残酷伝説は江戸時代に秀吉を否定するために捏造されたものではないのか?
信長の残酷伝説は否定されるのに秀吉の残酷伝説は積極的に肯定されるのが不思議だ。

544 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 13:36:03
そりゃ信長の残酷ぶりを強調しても得する者は誰もいないが、秀吉はちょっと事情が異なるからねぇ。

545 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 11:13:22
家康は宇宙人だと言う説が有力だな

ソースは歴史学者北橋宗治先生だ

546 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 07:28:26
現代の羽柴家って秀吉の一族の誰の子孫?

547 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 19:32:28
>>546
全く関係がない。
秀吉一族の羽柴氏は甥の秀勝(2人いる)の死をもって絶えている。
江戸時代には、秀吉の正室ねねの甥たち(実父はねねの実兄杉原家定)とその子孫が
秀吉の旧姓である木下を名乗って生き延びていた。
だが、現代の羽柴姓と秀吉一族は何の関係もない。
ちなみにあっちこっちの選挙にでることで有名な会社経営の羽柴秀吉氏は
本名ではない。

548 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 21:57:53
秀吉は天下を取ってすぐ死んでれば、まさしく英雄だったな
晩年がちょっとな
ホントに惜しいわ

549 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 14:29:12
みんな今夜の日本史ミステリー見る?

なんか秀吉がダメ夫でそれを支えたねねすげーみたいな
今の風潮に合わせた女性優位に描かれてそうだけど

550 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 15:12:10
っていうか最近の秀吉叩きと信長家康マンセーが妙に鼻につくんだが。
信長は本当は残虐な人間ではなかったとか家康は苦労人だとかマンセーしまくるけど
秀吉に関しては残虐非道な人間で本能寺の変の真犯人だとか織田家中でも実は大した地位にいなかったとか。
秀吉が柴田勝家を倒して織田家の実権を握った後の神がかり的な権力拡大を見直してほしいもんだ。

551 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 10:51:37
そうかね。最近はもう三英傑は語られすぎて、巨大な権力の象徴みたいな描かれ方が多い気がするが。
あの信長すら一目置いた、こんなすごい人物がいた!
秀吉すら怖れたこの男!
みたいな感じ。

552 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 21:01:21
天に惚れられたんだよ

553 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 10:04:23
そして愛想つかされたんだ

554 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 17:35:54
まだ60歳で痴呆症のボケ老人

555 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 00:22:03
秀次一族を殺したのがつまづき初め。秀次の妻妾には当時の有力者の娘が多かった。彼女らをすべて処刑したことで、豊臣政権への信頼が失われた。


556 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 00:51:22
>>>555 出世した戦国大名の多くは、優れた配偶者を持っている。女性のネットワークは表面に出なかったものも含め、この時代大きな役割を果たしたと考えれれる。

557 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 04:11:34
むしろ俺は権力掌握までの過程の方が凄いと思うなー
結果論的に明智光秀が負けたのは必然だったように語られがちだけど、とてもそうは思えない
むしろ外交と政治次第でどうにでも天下を掴めるようなな状況だったんだけど、秀吉は中国大返しによって光秀に時間を与えなかった
毛利が本能寺の変を知る前に和平を結べたという僥倖があるとはいえ、用兵の神速とはまさにこのことだと思う

558 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 05:24:24
秀吉は
秀長をバイオクローンして量産型秀長を生産すればよかった
そして秀吉の頭を秀頼に移植すればよかった

559 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 09:19:55
>>558
当時の医学は低レベルだったんだよ。

560 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 12:39:13
秀吉のことを、人を殺すことを嫌った「人道的」な武将とする向きもあるようだが、これは全くのウソ。
鳥取城の兵糧攻めなど、非戦闘員まで巻き込む残酷このうえない戦いである。戦闘を否定すれば人道的なのか。
その他、1577年の上月城攻めでは、籠城していた女子供を虐殺している。

561 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 12:43:15
秀吉は信長ほどは人を殺してはいない、晩年は別だが

562 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 20:23:46
信長と比べられるようでは

563 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 11:24:25
秀吉本人は150センチもないほどの小柄だったのに、何故か親族にはでかいのが多い。秀次も鎧から判断すると180近い。秀頼が巨漢だったのはよく知られている。
小早川秀秋も鎧から判断すると180超、100キロ超の巨漢。

564 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 13:06:22
>>561
ずいぶん長い晩年ですね
人数を比べても秀吉のほうが多いよ

565 :日本@名無史さん:2009/03/08(日) 15:24:20
朝鮮出兵があるからね

566 :日本@名無史さん:2009/03/08(日) 15:30:14
>>555
それはいえてる。
自分が知ってる範囲で言えば、最上義光の娘が殺されてる。最上の徳川シンパは決定的になったらしい。
ただ、最上は辺境の田舎大名にすぎないので、最上以外の事例も教えてほしい

567 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 02:31:23
>>566
一番有名なのは、今出川晴季の娘(一の台)が殺されているな。
あとは、連座したとして前野長康や木村常陸介など、豊臣氏の家臣でも
古参の連中がこの事件で消されているし、浅野幸長などの有力武将や
里村紹巴のような、各方面にパイプをもってるような人も処罰されている
ので、これがきっかけで豊臣政権への不満や疑念が募ったのは間違いない
と思うね。


568 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 12:02:28
秀吉以外に農民出身で戦国大名になった人間っているのでしょうか?
一時的な簒奪じゃなく

一応下克上の時代だからありえそうだけど

569 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:24:51
>>568
劉邦なんかは街のゴロツキから漢帝国の皇帝になった。
劉備もゴロツキ出身だな。

570 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 14:37:35
>>569
日本で

571 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:57:45
秀吉=中国人説ってのもありだな
明からの移民で木下家の食客になった

572 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 17:59:58
出自不明
側室数が日本人離れで桁外れに多い
黄金に対する執着
明の征服計画

573 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 19:12:16
最近は村長や行商人の子という説が有力になってる

574 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 20:52:36
>>572
側室の数が多いのは、ただたんに権力の頂点にまで登りつめたからそれが可能になったというだけ。


575 :日本@名無史さん:2009/03/14(土) 23:07:19
>>573
上層農民みたいなあいまいな言い方が無難だろうね。
ところで、三河に針を売りにいった話は本当なの?

576 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 01:13:01
>>563
やっぱり秀吉の親戚や先祖が巨漢ぞろいだったんかね。となると秀吉は一族の中でも
稀なケースなのか?

577 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 01:21:59
秀長は?
肖像画を見る限り、ひげづらの豪傑なんだが・・・

578 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 03:10:45
農民出身なのに
関白にまで上り詰めた
この人こそ英雄と呼ぶにふさわしい


579 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 16:00:13
農民と百姓はイコールではないのだが。

百姓出身というなら異論は無い。

下層民出身なのに関白にまで登りつめたのは、本人が偉かっただけではなく、そういう時代だったことの方が決定的要因。

580 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 13:10:52
秀吉の子飼いの将って全員わからないんですがどなたか教えてください

581 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 19:24:03
>>580
そんなことくらい自分で調べろよ。
ネットでググりゃあ一発だろうが。

582 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 19:47:41
>>581
マットでゲゲったけどわかりませんですた。

583 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 09:49:03
>>581
ググっても出てないから聞いてるんだけど?

584 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 15:50:37
>>583
君さあ、嘘をついちゃあいけないよ。

ちなみにGoogleで「秀吉子飼いの武将」で検索掛けたら、4640件もヒットしたぞ。





585 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 19:15:43
そういえば子飼いの将で思い出したが
藤堂高虎って子飼いの将だったのな
知らなかった

586 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 22:43:02
>>585
をいをい
藤堂高虎のことを子飼いとは言わんだろ。

「子飼い」っちゅうのは幼い頃から手塩に掛けて育てた者を言う言葉だぞ。
辞書で確かめてみなよ。

藤堂高虎は何度も主君を変えたので有名な男だ。
秀吉に仕えるようになったのは大人になってから。

587 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 23:15:11
>>586
>藤堂高虎は何度も主君を変えたので有名な男だ。
秀吉に仕えるようになったのは大人になってから。

いや俺もこれのとおり思ってたんだが
wikiの7将ってやつだとそうなってるぞ

あと余談だが今年の最初仲間由紀恵がやったおんな太閤記でも藤堂高虎
子飼いになってたw

588 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 00:04:17
高虎は秀長の家臣じゃなかった?

589 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 13:43:01
wiki はおめぇさん、誰でも書き込めるんだぜ。
歴史の専門家が書いてるわけじゃねぇのさ。
鵜呑みにできるようなサイトじゃねぇのよ。

賤ヶ岳の七本槍と称される連中も、全員が子飼いっちゅうわけでもねぇのさ。

高虎は浅井長政に仕えたのが最初で、その後たびたび主君を変えた。
秀長の家臣だったことも、もちろんある。

590 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 16:26:12
悪いね君みたいに詳しくないから
最近歴史に興味もって調べたりしてるんで

wikiだと細川忠興とかも秀吉子飼いになっったな

591 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 16:55:11
一方、侍ジャパンは韓国に屈服した

ttp://tvde.web.infoseek.co.jp/cgi-bin/jlab-dat/s/386956.jpg

592 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:34:04
>>590
細川忠興が秀吉子飼いだと?
ひどすぎるなあ。

細川さんちは足利の親戚筋で名門中の名門だぞ。
百姓上がりの秀吉の子飼いであるわけがねぇじゃねぇか。

593 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 22:55:16
>>592
忠興の家は足利一門の中でも二流の細川家の分家末流、
ただの土豪の長岡家に過ぎない。
秀吉とも家柄の差はほとんどない。

594 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 15:01:19
>>593
名門の血筋を引く者と、秀吉とじゃあ月とすっぽん。

595 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 21:21:54
秀吉は朝廷から姓を賜って、帝の臣下として最高の位についた人間と名門とじゃ
話にならんだろ。

596 :日本@名無史さん:2009/03/19(木) 23:02:42
>>593
分家末流だが、土豪とは決定的に違う。大名層とは違うが城持ちの立派な武士。

>>594
>>595
いや、功績事績じゃなくて出自の話。
名門の血筋を引くものを、秀吉子飼とはいえないだろと。
子飼ってのは、福島・加藤・蜂須賀・石田みたいなそれこそ土豪出身から大名になった武士たち。

597 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 03:59:34
まあたしかに細川(長岡)は主家である足利や明智を滅ぼして既に成り上がってたからな。
羽柴の家臣となった頃には土豪からの脱皮を果たしていたと言える。

598 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 05:22:28
>>597
だから土豪は、ぜんぜん違う階層の人たちだって。
いくら身分が流動的になる乱世だって、階層はあった。
長岡は、京兆家や阿波屋形みたいな大名からみれば、明らかに下だが畿内の荒木だとか、三好だとか、池田だとかの国人よりやや上の階層。
細川藤考の母は公卿の清原家出身。


599 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 07:27:56
いずれにしても、細川忠興が秀吉子飼いというのは間違いだっちゅうことでエエわけや。

これが結論。

600 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 08:09:01
>>599
細川のほかにも、京極、斎村、亀井など室町期の大名の系譜も秀吉に使えているが、当然子飼とはいえない。

601 :日本@名無史さん:2009/03/20(金) 18:51:37
子飼いの将は7本槍でOK?

602 :日本@名無史さん:2009/04/05(日) 06:35:53
7本槍の中にも、子飼いとはいえない者がおるわいな。

603 :日本@名無史さん:2009/04/08(水) 03:33:12
>>599
子飼いじゃないだろ。
もともと熊本藩の細川氏は和泉半国守護家の出で、将軍→信長→秀吉という
感じで歴仕してるじゃん。

604 :日本@名無史さん:2009/04/11(土) 18:17:24
>>603
おまえ、レスアンカー付け間違ってねぇか?

>>599 は「子飼いじゃない」と主張してるんだが?

605 :日本@名無史さん:2009/04/14(火) 23:01:23
会話としては成り立っているようだが

606 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 18:17:58
秀吉は悪党

607 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 19:43:20
豊臣秀吉太閤殿下が朝鮮征伐に成功して、朝鮮半島南部の旧任那を
李氏朝鮮から奪回したら任那を誰が領有したんだろうか?
小早川秀秋か?加藤清正か?小西行長か?

608 :プラナポ ◆h176FY1dLs :2009/05/06(水) 19:58:06
質問
『太閤素性記』の土屋知貞著者説は正しいんですか?

609 :日本@名無史さん:2009/05/11(月) 15:35:36
秀長の正室はいったい誰なの
ネネみたいに糟糠の妻なんだろうか

610 :日本@名無史さん:2009/05/12(火) 03:02:22
秀吉=悪の権化

611 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 18:34:32
北政所あての自筆書状見たけど、何書いてあんのかわかんなかったゆ
最後の署名は「大かう」って書いてあるのだけはわかったw

612 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 21:43:46
山内、前田、浅野、
池田、黒田、藤堂は
準子飼い

613 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 21:52:28
なんだこの子飼い論争は。
決着つけたところで何か発展があるのかい

614 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 22:18:04
>>612
山内・・・出向組
前田・・・同僚、利長も「飼って」いない
浅野・・・出向組、幸長は子飼いと言えないこともない
池田・・・ただの同僚の息子
黒田・・・親父は中途採用、息子はまあ子飼いと言えんこともない
藤堂・・・中途採用で子会社に出向させた

準子飼いと言えるのは浅野幸長黒田長政だけだな。

615 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 00:22:57
子飼いが皆裏切って
味方したのは全て外様というのは皮肉

まあ石田と大谷がいるか

616 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 01:29:10
よっぽど秀吉が憎かったんだろう
子飼い達も

617 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 02:09:24
ところで
通説とは逆に、高台院は関ヶ原の際、東軍ではなく西軍についたという
説がございますが、皆々様はいかがお考えですか。


618 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 08:04:02
高台院は尼で隠居の身だよ。
東西どちらにも味方はしない。

619 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 08:06:58
>>617
さいでんがな

620 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 11:26:31
俺は高台院と家康が秀吉及び豊臣への復讐のために組んだと思うけどね

621 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:40:48
家康はともかく高台院が秀吉及び豊臣に復讐するってどういうことだ?
秀頼や淀殿のことかね

622 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 14:56:52
秀吉の死後、豊臣家は近江派と尾張派の対立が公然化する。

近江(官僚)派…淀殿、片桐克元、石田三成、大野治長など
尾張(武断)派…ねね、賤ヶ岳七本槍(加藤清正、福島正則など)

尾張派が(秀吉に晩年重用された)近江派に復讐したということ。

623 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 16:53:33
【歴史】「秀吉の死因は脚気」姫路の医師が新説発表へ
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1243567367/

624 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:10:20
豊臣秀吉、日本全国を平定したのはすごい。
刀狩、 太閤検地、キリスト教拒否、スペインとの外交、、、、、
江戸幕府の基礎を築いた男。

625 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 21:25:37
片桐勝元も最終的には家康についた。

626 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 12:00:05
且元な

勝元は細川じゃ

627 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 18:48:40
関ヶ原は豊臣方の内部抗争

628 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 21:57:09
内部抗争を利用した家康劇場。

629 :日本@名無史さん:2009/05/31(日) 22:01:00
家康は大悪人

630 :日本@名無史さん:2009/06/01(月) 13:51:26
そりゃあ豊臣方から見れば家康は大悪人だろうねえ。
織田信長から見れば秀吉が大悪人なのといっしょさ。

大悪人なんぞというのは、見る立場によって左右される。
無意味。

631 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 08:19:42
>>630
信長から見れば秀吉は仇を取ってくれた大恩人だよ。
だからこそ信長の子孫たちは豊臣氏に忠勤を励んだんだよ。

632 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 08:26:12
なのに家康と来たら

633 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 10:09:46
三方が原の戦いで家康公が使用した鞍壷は、すいちくさいが拝見いたしまする

634 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 12:35:19
>>632
妹の娘を秀忠の正室にしただろ

635 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 17:08:23
>>631
仇を討ってくれた?
甘い。

秀吉は仇を討ったわけじゃあない。
自分が織田家を乗っ取るために闘っただけ。

636 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 20:32:24
秀吉は信長の側室と孫娘を惨殺しているだろ

637 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:00:52
ああ、謀反人の母親と娘ね。しかも人質として送られてきたやつらだな。
人質送ってきながら謀反おこすって事は、「人質殺してください」と土下座して哀願してるようなものだろ。
だから願いどおり誅殺してやったわけだ。三七もさぞや満足だったことだろうなあ。

638 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:20:57
>>630
いや無意味というより、それが本質なんじゃないかな。
だからああいう形で政権が移っていった。

>>631
信長の後裔たちはもう刃向えないと諦めたから
唯々諾々と従った。
豊臣は刃向ったから滅ぼされた。

639 :日本@名無史さん:2009/06/02(火) 22:24:21
従ったらそのまま家康に殺されてたな
無抵抗主義者乙

640 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 06:52:31
>>639
それはない。

641 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:19:46
降伏してたら
摂津半国、泉州、河内は召し上げ

大坂15万石くらいで存続
国松からは参議か権中将が極官

642 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:28:27
大坂城も召し上げ、転封にきまってんだろ

643 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:46:12
大和に6万石くらいかな

644 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 19:50:28
数年後改易

645 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 20:18:33
筑前守は前田が使ってるから
羽柴摂津守国松やな

国松さまのお通りだい
と虚勢をはって
市松、大儀とか言って
江戸城大広間でそっくりカエル

646 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:22:01
秀吉は織田の天下を纂奪したんだから家康に纂奪されても文句言えない。

647 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 21:53:29
政権を家康に簒奪されたのは、ひとえに秀吉の失政と政権構築能力の欠如に尽きる
家康が悪いのではなく、家康につけ込まれる政権の欠陥を残して死んだ秀吉が悪い

648 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:07:33
秀吉の功績って、何にも無いに等しい。
信長が成し遂げた功績の上に乗っかり、信長が残した組織を利用して、
信長が八割方進めた天下統一事業を圧倒的軍事力で楽に完成させただけ


649 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:21:17
信長は八割も天下に近づいてないやろ
紀伊を除く近畿一円と
越後と東越中を除く中部一円
中国のうち宇喜多の備前とイナバウアー

650 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:27:42
中国四国、九州、関東、奥羽蝦夷まで切り取ったんは太閤はんや

しかもその前に織田家中の内乱に勝ち
織田家内でかつての同僚を配置変えできる
最高権力を手に入れとる

651 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:31:17
殺されて頓挫するまでが信長の実績

652 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:32:03
信長はせいぜい天下の三割
しかも直滑地以外は方面軍指揮官に任せきり

653 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:34:18
>>649
それらは落ちる寸前だったでしょ。
それがなくとも信長600万石よ。
毛利120万石、後北条200万石、上杉90万石。
秀吉は最大で200万石。秀吉死んだときの家康は250万石、関ケ原後400万石。


654 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:38:14
>>652
部下に各方面を任せられることこそ凄いんじゃないの?

655 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:42:37
>>650
>>中国四国、九州、関東、奥羽蝦夷まで切り取ったんは太閤はんや

そうだけど信長生きてたらそれやってるでしょ。

>>しかもその前に織田家中の内乱に勝ち

信長横死が無かったらそれあり得ません。

656 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:44:32
信長の死の直前の戦局は、上杉と毛利さえ消せば、後は敵なし。
四国など脅威でも何でもないし、他の地域で織田に歯向かえる勢力も皆無。
よって秀吉の天下統一など、日本史上最大の過大評価。

657 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:44:58
横死は必然だろ寝ぼけた事いうな

658 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:50:43
>>652
天下統一の速度を速めるためには、複数の敵と同時に相対しなければならない
よって採用したのが方面軍制
織田の版図の異常膨張も方面軍制あってのこと


659 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:52:54
>>653
信長の600万石は家臣全部入れてで、秀吉の200万石、家康の関ヶ原後400万石は蔵入地
比較対象が違う

660 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 22:55:12
>>657
横死が必然なら、当時信長が暗殺されるであろうことが常識だったことになるな
歴史の結末を知る後世の人間の後知恵にすぎない
結果が出た後なら何だって言える

661 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:02:21
>>660
誰にとってのコモンセンスだよw
はいはい反乱起こされない未来があったらいいね

662 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:11:11
未来から過去を見れば何でも必然に思えるもんさ

663 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:15:23
信長と子供らの直轄地は150万石くらい
尾張、美濃、伊勢五郡、近江一郡

664 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:15:53
>>657
なら、今後起こるであろう近未来の《必然》とやらを予言してもらいましょうか
そんなことはできっこないのに、良識ある人なら恥ずかしくて《必然》だなんて軽々しく主張できんわな

665 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:17:40
良識の欠片もない奴にはカエルの面にションベンだ

666 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:17:56
>>664
>良識ある人なら
良識ある>>664の人格攻撃ですね、わかります。

667 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:20:17
今川義元も殺されなきゃ勝ってた

668 :日本@名無史さん:2009/06/03(水) 23:57:23
>>666
非常識な言動を為す人物の人間性を推定する事が、何で《人格攻撃》なのか答えてもらいましょうか
それと信長暗殺が必然と決め付けるなら、今後起こる「必然の事件」とやらも予言してもらいましょうか
できないなら、歴史を知る後世の人間の後知恵ですな


669 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:02:41
>>668
必然ならば常識というのがどうかしてる、予言だとか頭大丈夫?

670 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:09:23
>>669
「必然」なら、そうなる事が当然想定される事になる。
GMが破綻したのは必然。なぜなら破綻しても仕方が無い客観的事実があったから。
では天正十年当時、信長があのタイミングで客観的事実に基づいて「必然的に」暗殺されると認識していた人物には誰がいたんでしょうね。
答えてもらいましょうか。

671 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:18:16
>>670
客観的事実から必然を認識できるとは限らん。
常識も階級や階層によって違う。
GMと本能寺では分析対象にしていた人数が違いすぎるし情報の散逸という点で比較にならない、無意味。
お前の妄想に答えなんてないだろ。

672 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:28:18
>>671
要するに、後世の後知恵で語ってるにすぎないという事だ。
歴史を知ってる我々からすれば、過去の事象は何だって必然に思えるもんだ。
現代人からすれば秀吉が天下を取ったのも必然だし、その後家康が天下人になれたのも必然となる。
だが同時代に生きた人からすれば、そうではない。
結果論なら誰だって語れる。

673 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:32:29
>>671
君が信長暗殺を「必然」と決めつけれるのは、客観的史実としての結果を知ってるからにすぎない。
それ以外の理由で信長暗殺を「必然」と断定できる要素があれば答えてもらいましょうかね


674 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:40:33
信長がドたわけで大まぬけだったゆうこっちゃ

宣教師どもが光秀には気いつけなはれ
言うとんのを無視して

野望丸出しのキンカ頭をそばに置き
役に立つ重臣たちを痴呆に追いやった

エケイ坊主でも判るこっちゃ

675 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:48:20
>>674
あのタイミングでって言ってるだろ。恵瓊は何年何月何日何時何分何秒か予言してないだろ。

676 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 00:54:38
>>671
必然は客観的事実からでしか導出できないぞ。
信長暗殺の客観性に、階級や階層の常識など関係ない
確かに各階層階級で信長を疎ましく思っていた輩は大勢したが、それと信長暗殺の必然的予見とは無関係だ。
単に、信長なんか死んでくれたらいいのになぁ、という個人的願望を抱いていたにすぎない。
それを必然とは言わんのだよ。
ちなみに、GM破綻の可能性の分析と同じように、
当時信長暗殺の蓋然性を分析していた連中は何処の何方なのかね。答えてもらおうか。
本能寺の変を分析対象にしているのは後世の人間だ。変が起こる前の同時代人ではない。
もう支離滅裂じゃないか。
後世の後知恵以外何者でもないのに、見苦しい悪足掻きはやめたらどうだ。
見苦しいぞ。

677 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:02:21
>>675
安国寺恵瓊の予言など聞いてない。
君が「必然」だと断定しているその根拠を聞いてるんだよ。
つまり後世の後知恵だろ。
そんなの小学生だって言えるよ。
幼稚園児だって言える。
君の見解など、TVでプロ野球を見ている一視聴者が、
結果が出た後で、そうなると思ったと語るのと何ら変わらん。


678 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:21:01
わい、おねむや
明日また話そ
自分らと違うて仕事あんねん
じゃあの(-_-)zzz

679 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:28:35
つまり秀吉は日本史上最大の過大評価だっつーことで落ち着くわけだな
天下統一を目前にまで進めた信長の偉業を踏み台にして、信長が膨張させた大軍で恫喝し懐柔し位攻めをして、
楽に達成しただけ

しかも天下統一した後は、もうボロボロ
信長が敷いたレールはもうないので、失政失敗の連続
あれこそ秀吉の地金だろ

秀吉死後は家康の独壇場で、呆気なく政権は崩壊
砂上の楼閣とはまさにこの事


680 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:48:57
おいおい。失敗の連続ということはないだろう。
本能寺時点ではまだ強敵だらけだったし、
統一後も日本の安定に巧みな政治を見せてる。

秀吉の失策は朝鮮出兵くらいなもんだ。

681 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 01:49:58
秀次

682 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 03:29:31
>>680
本能寺の変時点で、日ノ本に織田の強敵など存在しない
比較的大物の毛利や上杉も滅亡寸前だったわけだし、他に織田に楯突こうとしている敵はいない
(長宗我部は脅威ではないので敢えて除外)

秀次排除は失策じゃないのかね
秀次が消えた事で、豊臣家は一段と貧弱になってしまい、
政権の外様大名依存度が大きくなったわけだが

それに外征失敗は、あまりに大きすぎる失政だろ
お陰で豊臣家臣団には修復不可能な亀裂が入り、完全に分裂、
それこそ豊臣政権瓦解の根本原因だ
民は重税に苦しみ、悪戯に国富を浪費
社会には豊臣の世に対する厭世観が拡がり、政権への期待度は完全に失墜

683 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 03:44:36
晩年ボケたんだよ
しょうがない
ボケたアインシュタインになら俺でも計算で勝てる

684 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 04:49:06
信長がせっかく推し進めた身分社会の打破を、また元の身分社会へと戻している間抜けぶりだし
だから各階層が固定してしまい、柔軟な人材移動が阻害され、
何の富も生み出さず国内では使い途も無い膨張した軍事力の扱いに困り、
実現可能性ゼロの外征に乗り出し、見事な大失敗
アホとしかいいようがない

挙句に妾が他の男にコマされて孕まされたにもかかわらず、
狂喜乱舞する馬鹿っぷり

死ぬ間際には政権簒奪で頭が一杯の家康に後事を懇願して、政権の中核に据えるダメ押しの老害

褒めたくても褒めようがないのだから、どーしようもない

685 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 07:06:45
>>682
長宗我部は脅威だろ
石高でも上杉や五カ国割譲後の毛利に匹敵し

当主元親は天下を狙う逸材と
司馬遼太郎先生も書いている

686 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 07:12:39
俺も秀吉が過大評価されてるってことに、おおむね賛成だが、惣無事令は評価してる。
あれ以降、帰順した大名が多いわけだが、流血は非常に少ない。
信長だったら死体累々だっただろうと思う。
まあ、それくらいかな、秀吉で評価できるのは。

687 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 22:14:21
豊臣家は大和龍田1万石(格式15万石格)に少ない食禄を食む小名として残る道を選択すべきであった。


688 :日本@名無史さん:2009/06/04(木) 23:48:10
信長クンは秀吉がいなかったら即死っしょ。
秀吉はどこの大名に入っても天下取っているだろう。

689 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 00:03:46
>>688
信長が全国統一目前まで勢力拡大してあったし、
信長と嫡男が死んで織田家の家督相続がすんなりといかなかったから乗っ取れたようなもの
強運だと思う
また天下人の器にあったのも事実だと思うが、
平凡な他家の家臣なら天下取りは至難だと思う

690 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 06:10:49
信長だからこそ、秀吉を登用した。
他家なら足軽のままで一生を終わってた。

691 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 09:53:49
信長が推し進めた身分社会の打破とか日本史板とは思えないほど低レベルなレスだな
頼むから脇田修くらい読んでから信長や秀吉について語ろうな

692 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:47:30
脇田ってw
そんなの読んでるのかよw
いくら何でも痛すぎだろw

693 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:55:14
>>685
信孝・長秀混成軍で十分制圧できると評価されていた長宗我部のどこが脅威なのかね

一個人としての武将の力量と大名家としての軍事力を混同しちゃマズイだろ
それなら信濃の小大名にすぎない真田昌幸も、天下を狙える逸材ってことになるよな
徳川に負けなかったんだから

694 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:55:26
>>692
彼の自慢なんだから笑ってやるなよw

695 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 11:59:17
太閤殿下が今川に居れば
義元は天下人
松下は地方方面軍団長
太閤殿下はやはり国持ちだろう

696 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 12:04:26
>>686
惣無事令なんて秀吉の権力誇示と違反した際の宣戦布告の口実にすぎないんだけど
惣無事令なんぞ公布しなくっても、秀吉に従う奴は従うし逆らう奴は逆らう
意味なんて無いよ、こんな法令

697 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 12:07:55
>>691
では脇田修の著作を読んだ結果として、どんな高尚な歴史見解を披露してもらえるんだろうな
さあ、やってくれ

698 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 12:15:23
>>692
では君は誰の本読んでんの?

699 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:12:56
オワダ

700 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:15:37
スレ違いでごめん。
でもどうしても誰かに聞いて欲しかったんだ。
あの涼しい朝のあの衝撃はものすごかったよ。
そして今日、偶然にカブトムシを飼ってる夢を見てしまった…

オスのカブトムシを指にとまらせていたらいきなりブルブル体を震わせて、
ちんこ収納からチンコをにゅっと出してきたのもトラウマ。
引き離そうと思っても、力強くぎゅうぎゅう締め上げてくるしツメが痛いし怖かった。
そしてあの黒光りするチンコが、入るべき穴を探すように動いてるのも怖かった。

それ以来カブトムシが嫌いになった。

701 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:36:31
>>696
いいや、画期的な法令だよ。アレは。
あれでいよいよ戦国時代の終わりが始まったんだからな。

702 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 13:57:36
戦国時代の終わりの始まりは織田信長の出現だよ

703 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 14:22:05
終わりは旧態依然とした武田の騎馬軍団が鉄砲三段撃ちで全滅したときだな。

704 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 14:44:08
島原の乱たい

705 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 15:18:41
>>701
他人が何を考えようが自由し。たとえそれがどんな意見でも。

706 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 16:37:07
もしあの世があれば秀吉は信長に今も震えてるな。
家康は秀吉に対して別に負い目は無いだろう。
あの世に行っても誰にも負い目の無い生き方がしたいものだ。

707 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:07:48
「前右大臣、出迎え大儀」
と言って道案内させるやろ

708 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 17:14:28
>>701

惣無事令で戦国時代の終わりが始まったという意見にはワロタ
駄目だ、こりゃって感じだな


709 :日本@名無史さん:2009/06/05(金) 20:03:50
>>703
おや?いまだに鉄砲三段打ちなんかを信じている者がいたとは www

>>708
駄目な理由が書けないことを笑ってやるよ。

710 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 00:33:58
>>709
では鉄砲何段撃ちなのか答えてくれ

惣無事令が何故戦国時代の終わりの始まりなのか書けないから笑われてるんだろ。
尤もそんな発想する事自体がお笑いなんだがな。

711 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 02:04:07
>>709
仮に鉄砲3段撃ちがなかったとすると、戦国最強の武田騎馬軍団を全滅させることが出来た理由を説明できない。

712 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 04:51:33
武田騎馬軍団って存在してないよ
下級の兵が馬上で戦するなんて有りえないんだけどさ

713 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 06:26:22
>>710 >>711
設楽が原の合戦に実際に参加した者が残した資料がある。
大田牛一『信長公記』といい、第一級の歴史資料として歴史学者どものお墨付きの資料だ。
それには鉄砲三段打ちのことなど書かれていない。
鉄砲三段打ちの初出は江戸期に書かれた小瀬甫庵の『信長記』だ。
小瀬甫庵のものは大田牛一の『信長公記』を下敷きにした小説。
つまりは、鉄砲三段打ちは小瀬甫庵の創作ってことは現在では常識なのだよ。

織田・徳川連合軍の勝利の原因は、信長が突貫工事で築かせた「陣城」である。
ヒントをやったから、よう勉強しなはれ。

714 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:06:10
大田牛一は電波
ゴム長に都合の悪い話はカットしとる

715 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 12:35:04
惣無事令や喧嘩停止令が戦国時代の終焉を齎した、というのは藤木久志の著作からだろ
別に藤木が言ってるから正しいとは言わないが、笑われるほどの珍説でもないと思うぞ

>>697
脇田は三傑の中でも秀吉を近世封建主義の完成者として特に高く評価してる
検地や刀狩で身分制度を確立したのは秀吉だし
参勤交代や石高制の導入など江戸幕府が豊臣政権から引き継いだ政策は多い
逆に信長は一応先駆性は認めながらも、大部分の政策が既存の政策の改良案に過ぎず
根本的な時代変革には至らなかった「中世最後の覇者」と位置づけている
例えば検地や刀狩なども織田政権で既に実行されてたが何れも限定的なものであり、
楽市楽座による市場・流通改革も、物流の中心である京の七口の関所を廃止しない限り
有名無実のものであったと厳しめの評価を下してる


716 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 16:43:47
>>713
は?鉄砲の運用法まで書かねばならないのか?
信長公記の長篠条では鉄砲の他、弓槍刀の運用法も書かれていないが・・・

馬鹿はアホすぎてツッコミ放題w

717 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:13:25
>>716
種本になった『信長公記』に全然記載が無く、江戸期に入ってから書かれた小説に初出の説が鉄砲三段打ち。

鉄砲三段打ちを裏付ける証拠が、そもそも小説の虚構だったという事実。www

718 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 20:59:56
たしか多段撃ちって普通に使われたんでしょ?
島津や雑賀もしてたはずだよ。

719 :日本@名無史さん:2009/06/06(土) 22:14:06
火縄銃で多段打ちなんかしねぇよ。
火気厳禁の火薬を扱うんだ。
間隔は充分にとる必要がある。

720 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 06:32:31
>>717
はあ?内容スカスカの信長公記が書き漏らした具体的運用法を補遺したのが甫庵なわけだが??
そんなこと分からないとはどこまで低脳なんだ??

721 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 06:53:07
小説家の創作を史実だと思い込んでいる馬鹿発見。

722 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 07:20:02
引っ込みがつかなくなった馬鹿発見w

723 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:10:47
>>722
それ、お前だがや。

724 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:16:28
バカが言う返しは決まってるな

なっバカ>>723


725 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 10:19:14
>>724  = 小説と史実を混同してる馬鹿

726 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 12:09:58
>>725 = 史実を小説と主張する馬鹿


727 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 13:52:56

馬鹿は三代続かない!



728 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:32:15
猿吉エテ吉秀吉は朝鮮人に暗殺された
前田利家と沈惟敬なる朝鮮人により
微量の毒を常用させられ暗殺されていた


729 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:41:23
>>726
ならば鉄砲三段打ちの論拠を示してみな。
どういう歴史資料に基づいているのかってことだ。
言っておくが、小瀬甫庵が歴史家だなんて思っている専門家などいないからな。


730 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 17:47:41
鉄砲三段打ちにしなければ押し寄せる雲霞の様な武田の騎兵団を食い止められない

731 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:00:23
>>715
単なる一個人の私見を紹介されてもねぇ
惣無事令が発令される前から、とっくの昔に戦国の終焉は見えていたのだから「笑われるほどの珍説」だよ
ま、何を考えようが自由だけど、単に雑談レベルの意見だな

身分制度の確立が何で高い評価に値するのかね。それが結局豊臣政権の命脈を絶った事につながったんだがな
検地は農民に重税を課した圧政で、刀狩はその予防策な訳だろ
信長在世時、その支配地で農民の一揆など一度も起きてないぞ。信長が善政を敷いた証だ
間違っても一向一揆と混同するなよな。馬鹿馬鹿しいから
徳川が取り入れた秀吉の施策は、農本主義的体質と合致した一部にすぎない。多くの施策は切り捨てられているんだが

「中世最後の覇者」なんて脇田の本のサブタイトルにすぎんよ。中身無し
「根本的な時代変革」は信長が既に実行済。秀吉時代に時代を変革したほどの大袈裟な施策など皆無だ
俺もその本読んだが、「京の七口の関所」が「物流の中心」だなんて記述、どこにもないぞ
嘘はいかんよ、嘘は(笑)
信長が残した「京の七口の関所」は、あくまで例外措置であり、
京は「物流の中心」でも何でもないので「楽市楽座による市場・流通改革」には全く支障は無い
「物流の中心」は大津、草津、堺だ。こんなの初歩的常識なんだが

732 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:01:41
>>726
これでも読んで勉強したまえ。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa1725651.html

733 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:13:46
>>713
>織田・徳川連合軍の勝利の原因は、信長が突貫工事で築かせた「陣城」である

大量の鉄砲使用が前提の「陣城」なんだがな
「陣城」を構築しただけで敵を撃退できると思ってるとは、お目出度いお方だ
武田では多くの名立たる武将が戦死しているが、織田徳川連合軍で主な武将の戦死はゼロ
織田徳川連合軍が鉄砲による遠隔攻撃をしたからに他ならない

734 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:39:46
身長公記見ると鉄砲で一方的にボコボコにしたのがよく分かるね。
陣城で勝ったようには到底読めない。

735 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 18:41:55
>>732
そんなド素人のオナニー読むくらいなら専業2ちゃんねらーのカキコ読んだ方がマシなわけだがw

736 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:12:32
>>735
ど素人の投稿と決め付けるのはどうかな
歴史通でないと的確な返答できんだろ
中身を注目したらどうだ

737 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:38:55
>>732のか?
歴史通じゃないから的確な返答が出来てないんだろ

738 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 19:56:48
明治時代から戦前・戦後と圧倒的に人気だったのに、
何故か近年では嫌われ始めている秀吉

朝鮮人がメディアを牛耳ったからか

739 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 20:00:05
明治期の立身出世主義との関係?
最近は今太閤なんて言葉も使わないし

740 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 21:04:14
>>737
まあいいさ。
そうやっていつまでも恥をさらし続けてろ。www

741 :日本@名無史さん:2009/06/07(日) 22:29:33
>>731
>惣無事令が発令される前から、とっくの昔に戦国の終焉は見えていたのだから
それはどういう根拠?当時の人は戦国の終焉は見えてないし、そもそも今が戦国時代だとも思ってないんじゃ。

>身分制度の確立が何で高い評価に値するのかね。それが結局豊臣政権の命脈を絶った事につながったんだがな

徳川は引き継いでより徹底し260年の基礎になった。

>検地は農民に重税を課した圧政で、刀狩はその予防策な訳だろ

信長の武士と農民の分離、専業武士政策が始まり。
検地もしているよ。

>信長在世時、その支配地で農民の一揆など一度も起きてないぞ。信長が善政を敷いた証だ

秀吉直轄地の農民一揆とはどこのこと?秀吉直轄地じゃないところを秀吉のせいにできないでしょ。
それに農民一揆なの?
あの時代、「農民」と言える存在あるのかしら?
それから、そこまでの全国制覇を信長はしてないんだから比較できない。
さて徳川260年に農民一揆は何度も起きている。260年続いたのは善政敷いたからじゃないの?


>多くの施策は切り捨てられているんだが
>「根本的な時代変革」は信長が既に実行済。秀吉時代に時代を変革したほどの大袈裟な施策など皆無だ
そうだね。だが、秀吉とは結局あなたの言うとおり信長のエピゴーネンだよ。
秀吉の政策は信長の政策。


742 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 09:40:08
目糞、鼻糞を笑う

743 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 10:13:08
大学入試で、農民一揆は明治時代、百姓一揆は江戸時代、間違えたらペケにされるぞ
って先生に注意されたよ

744 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 10:15:37
うんち

745 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 17:21:52
>>743
それは重要な事柄だよ。
農民は百姓に含まれるが、百姓の中には農民以外の者も含まれるからな。
たとえば北前舟の船長なんかは「水飲み百姓」として記録されてる。
林業従事者とか鉱山労働者なんかもそうだ。

746 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 22:19:11
・福田首相は中国講演で歴史認識について村山談話をかみくだいて語った。
・だがそれは、日本人に向かって言ったのでも、日本人が聞いていたわけでもない。
・こういう大事なことは、日本に向かってこそ語りかけるべきだ。

747 :日本@名無史さん:2009/06/08(月) 23:27:37
>>746
中国でか?

748 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:01:56
>>741
秀吉の傘下に入った大名やその支配地域の民は、既に「戦国の終焉」を認識していたよ。
例外は、秀吉をその出自から侮りその実力を過小評価していた一部大名だけ。
というか織田信長の晩年には既に「戦国の終焉」を迎えていたんだが。

そもそも『惣無事令』が「戦国時代の終わりの始まり」なら、それが発布された天正十三年以降、戦さ自体が起こらない筈なんだが。
だが島津、北条、伊達等々は、秀吉の威令を無視している。
彼らの討伐に参加したのは『惣無事令』発布前に秀吉に臣従した大名達。
よって『惣無事令』なんぞ「戦国時代の終わりの始まり」でも何でもない。

>当時の人は戦国の終焉は見えてない
その根拠は何だ?誰がどこでそんな私見を述べてるんだろうな。単なる君の妄想だ。

>徳川は引き継いでより徹底し260年の基礎になった
秀吉の大部分の政策を否定してな。

>秀吉直轄地の農民一揆とはどこのこと?秀吉直轄地じゃないところを秀吉のせいにできないでしょ
こっちが述べてもいない話を創作して既成事実化するのはマズイだろ。

749 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:04:00
>>741
>あの時代、「農民」と言える存在あるのかしら?
君のその主張が成り立つなら、以下の仮定も成り立つ事になるな。
あの時代、「武士」と言える存在あるのかしら?あの時代、「商人」と言える存在あるのかしら?
あの時代、「公家」と言える存在あるのかしら?あの時代、「帝」と言える存在あるのかしら?
あの時代、「宗教勢力」と言える存在あるのかしら?
論外だろ(笑)

内政の比較に全国制覇したか否かなど関係ない。
信長の版図は一地方に留まらず広大な地域に及んでいたのだから、その政策は全国規模に匹敵する。

徳川の農政は、農民を生かさず殺さず搾り取るというのは初歩の常識。善政でも何でもない。
一揆が起きたのは、飢饉で農民の生存が脅かされるほど困窮したからに他ならない。
徳川の世が260年継続したのは、秀吉の政策を否定したからなんだが。
短命に終わった豊臣政権の失政を参考にしてな。

750 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:05:45
>>748
>秀吉の傘下に入った大名やその支配地域の民は、既に「戦国の終焉」を認識していたよ。
>例外は、秀吉をその出自から侮りその実力を過小評価していた一部大名だけ。
>というか織田信長の晩年には既に「戦国の終焉」を迎えていたんだが。

>>当時の人は戦国の終焉は見えてない
>その根拠は何だ?誰がどこでそんな私見を述べてるんだろうな。単なる君の妄想だ。

これの方がよっぽど妄想だな。自身が根拠がない妄想を垂れ流しておきながら他人には根拠を求めるとは(失笑


751 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:09:43
>>750
まあ煽り屋だからね

752 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 09:56:02
>>750
多くの大名連中は、「戦国の終わり」を認識したからこそ、秀吉の傘下に入った訳だろ。
戦っても勝てないんだからな。史実が如実に真実を語ってるぞ。

要するに妄想ででっち上げた与太話だから、何一つ論拠を提示できないって事だろ。
それで根拠の無いレッテルを相手に吹っかけ、自らの論証責任から逃げ回るってか。
子供のような浅はかな思惑は見苦しいな。

753 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:02:34
>>750
個人中傷する暇があったら、自らの論拠を出したらどうなんだ
無いなら無いって、素直に嘘を認めろよ
あるなら出せ。個人攻撃で誤魔化すな

754 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:11:29
農民といえる存在はあるが、「農民の一揆」といえるものは江戸時代以降なんじゃね?

755 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:22:22
発狂してるw

756 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 10:46:27
惣村があっただろ。
毛利も元々は村の自警団の隊長。

757 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 15:59:47
>>752
>多くの大名連中は、「戦国の終わり」を認識したからこそ、秀吉の傘下に入った訳だろ。

は?自分より強い奴に降伏するのは「戦国の初め」以前からあるごくごく普通のことですが?
当時の武将たちは政権を打ちたてた細川三好織田皆つぶれたという厳然たる歴史的事実を知ってたわけですが?
「戦国の終わり」を認識してたって??

758 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:00:52
毛利はたしか鎌倉の御家人だったはず。
所領を拝領して、関東から遷ったのが発祥だよ。
毛並みは悪くない。

759 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:09:06
大江さん

760 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 16:16:22
>>759
ああ、そうそう大江だったね。
だから元々は朝廷に仕えていたお公家さんでもある。

761 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:08:01
国人出の代表は松平氏だな
秀吉が規格外だから何とも言えんが、家康も十分下剋上の一例だな

762 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:31:42
黒人出ならば小浜さんかな。

763 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 18:36:39
だからあんな目にあっても大丈夫なくらい屈強だったのか

764 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:27:59
惣一揆は農民の一揆といえるものなの?

765 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 21:56:59
だから〜
百姓と農民はイコールじゃないのよ。

766 :日本@名無史さん:2009/06/09(火) 23:13:03
>>764
戦国期以前は土一揆というものですね。
学校でも習いましたね。土民、惣民は農民だけではありませんし
地侍、被官、あるいは国人まで含んで土一揆が形成されたと
かんがえられています。

767 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 01:17:28
>>757
『自分より強い奴に降伏する』規模が、一地方から全国規模へ拡大したら、それは「戦国の終焉」だろ。
地方の大勢力の中央勢力への服属は、「戦国の終焉」を意識した以外の何物でもない。
上杉、毛利ら外様勢力はどんな理由で秀吉に臣従したのか、他に理由があるなら出してみ。
秀吉が旭日昇天の勢いで天下取りに邁進している時に、臣従しなければ御家の将来が無いにも関わらず、
過去の政権の栄枯盛衰の事例を鑑みて、決断を留保している阿呆など、その当時一人もいない。
秀吉の政権が将来どうなるかなど、生か死かの決断を余儀なくされている現実の前には、考慮の余地さえない。
重要なのは現実だ。過去の歴史などどーでもいい。

768 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 07:15:33
>>767
いや意識したのは「戦国の終焉」じゃなく自分の「独立の終焉」だろ。
つーか、かつての政権だって天下統一に至らずに崩壊してるわけだし、
降伏して隠忍自重してるうちにまた戦国に逆戻りなんて事も十分あり得るわけだ。

んなことはどーでもいいが、

>過去の歴史などどーでもいい。

馬鹿すぎてワロタw
つ賢者は歴史に学ぶ

769 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 07:16:39
>>757
>>741の下記の書き込みの論拠がまだなんだが。

>当時の人は戦国の終焉は見えてない

いつの時点のどこのどの階層の社会認識なのか、論拠を明示して応えてもらおうかな。


770 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 07:34:32
どっかのワンマン社長にありがちなタイプ。


太閤になるまでは素晴らしい。
なったあとはクソ。
結局自分の血筋絶えさせちまった。




771 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 09:04:42
>>768
秀吉の命令に逆らえない各大名の「独立の終焉」は「戦国の終焉」ではないのかね。
同じ主旨を言葉を変えて表現してるだけだろ。意味無し。

>かつての政権だって天下統一に至らずに崩壊
織田信長の事か?天下統一に至らなくても、「戦国の終焉」は目前だったろうに。
秀吉の天下は、その基盤に立脚しているにすぎない。

『戦国に逆戻りなんて事も十分あり得る』なんて、単なる君の妄想。根拠なし。あるなら出してみ。
各大名の思惑がどうであろうが、秀吉に臣従する選択肢しか無い『現実』は何も変わらない。
肝心なのは『降伏して隠忍自重』せざるを得ない『現実』だ。
人の頭の中の空想など、ここでの論点ではない。

>馬鹿すぎてワロタw 賢者は歴史に学ぶ
明らかに秀吉に臣従する選択をした大名が『賢者』であり、敵対した大名は『愚者』だよな。
その『賢者』の毛利、上杉、佐竹らは、現実の政局を省みず過去の昔話に学んだ結果、
どうして秀吉に臣従する結論に達したのか、説明してくれよ。
勿論過去のどの事例に学んだのかもお忘れなく。根拠を付けてな。


772 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 09:45:55
>>768
秀吉の政権の将来性を考慮しても、臣従しなければ先に滅ぶのは自家だろうに
臣従しなければ潰されるという圧迫を感じた時点で「戦国の終わり」を認識していたことになるだろ
ホント、マジで痛い奴だ


773 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 12:02:51
>>1
あと10年生きればな。

774 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 12:09:12
馬鹿が火病を発症したようだな。
馬鹿呼ばわりされたのが余程口惜しかったのか。

775 :日本@名無史さん:2009/06/13(土) 13:50:11
ほんと馬鹿だな

776 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 14:47:28
島津の秀吉討伐計画
〈1〉「朝鮮出兵時に」明へ提案

 島津氏と中国・明が協力して豊臣秀吉を討つ計画があった――。

 にわかには信じ難い話だが、明末の政治家徐光啓の献策などを収めた『徐文定公集』は、
薩摩側の許儀後なる人物から、次のような提案があったと記している。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/magazine/rekishikou/003/re_003_040305.htm


777 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 17:12:50
売国奴でつね

778 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:40:13
秀吉は偉いよ。
もちろん失政もあるかもしれないし、秀吉本人の能力が特別高いというわけではないかもしれないが、
それでも人を使ってのしあがったのならそれもまた才能だと言える。
天下統一(すなわち日本の真の誕生)を達成し、
キリスト宣教師の陰謀を見抜き、
日本人奴隷を廃止させ、
西洋国家の亜細亜支配を明を攻めることによってけん制し、
日本を西洋の植民支配の魔の手から逃れさせた秀吉は国家の父にして恩人。
これらの功績だけで、偉大でこそあれ悪い将軍なわけがない。

779 :日本@名無史さん:2009/06/16(火) 22:51:12
ていうか、日本史上秀吉よりグレイトな奴は居ない。
好き嫌いなど関係ない。これが事実。

780 :天之御名無主:2009/06/16(火) 23:04:29
俺は6年前ほどになるが、韓国人の人妻を妊娠させてしまったことがある。
現在韓国で旦那に育ててもらっているが、かなりの美人(韓国にしては)だったため
はめてしまった。他にも韓国の女を100人程度はめた。
韓国の30前後の女性はいいと思うよ。韓国社会って村社会で、30になって結婚してない女性
をものすごく差別的な目でみる。韓国は差別が非常に激しいが、韓国の女性は
それに生まれたときから耐え続けている。もともとマザコンの国だから結構
韓国の女性が日本へ男漁りにくる。彼女たちは真剣だよ。
俺の知り合い(禿げた55歳のおじさん)は韓国の元ミスと結婚した。
彼女も非常に幸せそうな顔してた。相手が日本人だからだろう。
韓国の女性は解放されていないから、解放されたら、国からみんな逃げだすと思う。
やはり彼女たちは日本人じゃなきゃだめらしい。在日とか韓国人はお断りらしい。
優しさが違うとのこと。


781 :日本@名無史さん:2009/06/17(水) 19:43:42
小西であろう
彼はキリシタンだったしね

782 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 09:45:07
豊臣秀吉

783 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 10:17:54
>>778
(優秀な)人を使ってのしあがったのは信長。
秀吉は使ったのではなく使われてのしあがったのだが。歴史認識が間違ってる。

信長の晩年には既に天下統一の下地はできあがっていて、秀吉は最も楽な最終作業をやっただけ。

関白秀吉の天下統一がどういう点で『日本の真の誕生』なのか意味不明。
根拠の無い礼賛をしてるだけ。却下。

キリスト宣教師の陰謀などない。あるなら秀吉より遥かに天才の信長に看破されている。
単純な禁令を発したことのより、政教分離策の欠如と自信の無さを露呈させただけ。

奴隷にされたのは、本願寺に扇動されて蜂起していた一向一揆。
当時の切支丹が宣教師の走狗として政権転覆を画策していた痕跡など微塵も無い。

西欧列強がアジア諸国で露骨な帝国主義的進出を果たすのは、ずっと後年。
当時はそんな気配さえない。
よって秀吉の大陸進攻に『日本を西洋の植民支配の魔の手から逃れさせ』る意図など全く無い。
どの歴史史料にもそんな記述は無い。

豊臣政権は、ただ単に戦国乱世から徳川停滞社会に移行する過渡期の意味合いしか無い。

784 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 12:29:38
結局豊臣の天下はなんで徳川に譲ったの?徳川みたいにずっと天下とっとけば良かったのにね
信長にも悪いし
結局信長と秀吉ってどっちが凄いの?天下人の秀吉?

785 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 12:51:03
そりゃ天下人だろ

786 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 13:49:31
ルソン提督がスペイン王フェリペ2世に宛てた手紙
「コーチシナ、ここは1000人で征服できます。
カンボジア王国、ここは我ら(スペイン)の生活の面倒をみてくれています。
シャム、ここは1500人で征服できます。
いずれも偉大なスペインの旗を立てるのは容易ですが・・・・・
日本が攻めて来れば、ルソンは壊滅します。」

パステルス「日本スペイン交渉史」

787 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:02:44
信長あっての秀吉だからねえ。

信長に見出されなければ、秀吉はただの下層民で終わったさ。
信長は秀吉がいなくたって、代わりの誰かを活用してただけだろ。

出先の宣教師には日本侵略の意図などなく、単純にキリスト教を広めたいだけだったかもしれん。
しかしながらイエズス会主導部やバチカンに、日本を植民地化したいという願望が無かったか?といえば、はなはだ疑問。

788 :日本@名無史さん:2009/06/19(金) 14:06:47
イエズス会なんざ存在そのものが陰謀だろ

789 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 14:33:32
>783
あいたたた・・・
黙ってれば恥もかかずに済むものを

790 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 21:36:55
>>789
それは、そっくりそのまま、
そんな書き込みしかできない君自身に当てはまる事も分からないとはな。プッ


791 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:25:24
たしかになあ。

>黙ってれば恥もかかずに済むものを

なんぞと書くのならば、なにゆえ恥なのかを説明する義務があろうというもの。

792 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:29:37
そうだよなあ。
何言いたいんだろうな、こいつ頭悪いな

793 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:32:39
>>784
>結局信長と秀吉ってどっちが凄いの?天下人の秀吉?

愚問だろ。
家康と秀忠ってどっちが凄いの?って質問してるのと同旨。
笑止!



794 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:35:25
自演ウザイ

795 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:40:27
>>794
あいたたた・・・
黙ってれば恥もかかずに済むものを

796 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:53:54
家康が謀反起こさなけりゃ戦国時代は「項羽と劉邦」よろしく
「信長と秀吉」で終わってた話だったんだよな。


797 :日本@名無史さん:2009/06/20(土) 23:56:59
義帝のこともたまには思い出してあげてください

798 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:00:31
韓信を誅殺した漢王朝は四百年続いたが(中断はあったが)
家康を誅殺できなかった豊臣政権は十年で終わった。

799 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:06:19
秀吉が居ない間に家康だまし討ちにしてくれる人が…

800 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:07:58
織豊政権が秦で、江戸幕府が漢

801 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:09:02
>>799
ムリムリ、並みの使い手じゃ返り討ちにあう

802 :日本@名無史さん:2009/06/21(日) 00:14:58
個人の才能に頼った韓信と違って家康はスタッフをよく育成してる、その時間も十分あったし。

803 :悪女お禰々:2009/06/30(火) 20:54:28
ねねは秀吉の正室でありながら、秀吉没後の豊臣を自ら見限り徳川に媚び諂い
豊臣が滅亡に及んでも、無残に死んでゆく秀頼と淀殿を尻目におのれ一人は
徳川に莫大な化粧料を貰うて安穏と余生を送りました。
許しがたい人物ではありませんか?

804 :日本@名無史さん:2009/06/30(火) 21:09:49
ねねは自分の血縁者に豊臣を名乗らせたり
露骨には言わなかったが秀頼だけを豊臣の跡取りと見ていないふるまいだった
淀殿が嫌いだったためか秀頼別胤説のためか何か知らんが
晩年作った高台寺に自分と夫秀吉2人だけの木像並べて後世に残し
秀頼のことなど知ったこっちゃないって感じだったからな

805 :日本@名無史さん:2009/06/30(火) 22:59:10
ねねって、豊臣の威光の美味しいところだけ享受して
故太閤の正室・秀頼の嫡母としての義務は拒否して放り出した
とんでもない利己的我儘ババアって感じ?

806 :日本@名無史さん:2009/06/30(火) 23:56:16
持ち上げられすぎだとは思う

807 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 06:45:23
なりあがり者って、頂点極めると突然
人格劣化して破滅する。

超時空天下人ヒデヨシが典型。


関白切腹と朝鮮征伐はまったくの愚行。


あと、今の大河のヒデヨシ、
背が高いことのぞけば実にいいな。

808 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 10:25:15
北のマンコドコロ様を悪く言うな

809 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 19:36:27
北のマンコドコロ様って誰

810 :日本@名無史さん:2009/07/01(水) 20:41:12
>>809は知らなくてもいい。

811 :日本@名無史さん:2009/07/12(日) 13:50:14
北のマンコドコロ様ぁ

812 :預言されていること:2009/07/12(日) 18:27:47
全人類60億人へ警告

ヨーロッパにキリストにそっくりな人物があらわれる。
ヨーロッパを統一するため3人の王を惨殺し、
ニセ救世主がヨーロッパの軍事総統になる。

木曜日を祝日とするキリスト教によくにた宗教を
マスコミをつかってひろめる。

ニセ救世主がローマ法王を惨殺し、キリスト教をのっとる。
ニセ救世主の正体は黙示録の獣(サタン)である。

キリストに外見はにているが、死体や虐殺を好む。
キリストの反対のもの=反(アンチ)キリストとよばれる。

世界中で恐怖政治をしき、人類を巨大コンピューターで管理する。
世界統一をかかげ、あらゆる都市を侵略する。
人類の3分の一が、黙示録の獣がおこす戦争で殺される。

キリストによくにた救世主をなのる男にキヲツケロ!!!!!





813 :nomu:2009/07/13(月) 00:03:11
秀吉は政略家(権謀術数)としては当時の日本における第一人者だとは思うが
政治家としては未知数の人物だ!
だいたい日本全国を平定したのが1591年の10月(大崎の乱など)ごろなのに
それから半年後には大明征服も企て朝鮮に攻め込んでいるようでは政治家と
しては失格だろう!

814 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:09:16
戦いは求心力のあるうちに始めるもんだ

815 :nomu:2009/07/13(月) 00:20:42
>>814
大明征服は九州征伐や北条攻めとは比べ物にならない程の
大規模の戦だぞ!
勢いだけでやれるものではない!
実際、完膚泣きまでに失敗した!
秀吉自身が死んでも葬式ができず密葬
で葬られることになった!

816 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:26:25
チョン落ち着け

817 :nomu:2009/07/13(月) 00:36:59
>>816
はいはい、お前が不利になると
お得意のチョン認定か!


818 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:40:54
>>815
先延ばしにしてたらどっかの総理みたいになるよw

819 :日本@名無史さん:2009/07/13(月) 00:43:56
実際、明の征服はおろか、朝鮮征伐までも失敗に終わったんだから
なんと言おうと秀吉の失政には違いあるまいよ。

820 :MATT:2009/07/17(金) 22:50:11
そーだけど、秀吉のチャレンジ精神はすごい!!
誰もが夢見た天下人に農民からなったあと、次は朝鮮じゃぁっ!と
新たに夢見るのは当然でしょ。ま、失敗しちゃったけども。

しかし、秀吉を超える成り上がりなどこの世にいないし、
まさに日本史最高の英雄といえる方だね。
運も実力の内でしょ。信長のおかげって言うけど、
そもそも彼の元に行ったのだって、単に秀吉に見る目があっただけ。
秀吉はともかくすごい。英雄だねっ!!

821 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 22:52:45
×次は朝鮮じゃぁっ!
○次は明じゃぁっ!

822 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:10:07
日明戦争朝鮮戦線に於いては、日本軍は別に負けた訳では無いんだが。

823 :日本@名無史さん:2009/07/17(金) 23:17:51
戦闘には負けてないけど
戦争には負けた感じ

824 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 15:29:42
>>820
そのチャレンジ精神が身を滅ぼしたなw

825 :nomu:2009/07/18(土) 15:57:58
チャレンジ精神?
当時の日本国民にとってはいい迷惑だな!

826 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 17:50:33
日本国民のみならず、朝鮮や明国の者にとっても大迷惑

827 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 18:42:36
チョン乙

828 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 19:42:04
低能ネトウヨ乙

829 :日本@名無史さん:2009/07/18(土) 20:38:27
任那地域だけでも奪回出来てれば良かったのになぁ〜。

830 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 00:54:40
家康が仮病使ったのが悪い

831 :日本@名無史さん:2009/07/21(火) 10:40:59
最初は朝鮮征伐にしてそれが終わってから
明攻略した方がよかった?


朝鮮征伐だけでも明は援軍おくったかなぁ・・・

832 :日本@名無史さん:2009/07/24(金) 12:57:12
北京にちかいから無料

833 :日本@名無史さん:2009/07/31(金) 17:10:02
>>831
宗主国を気取りたいなら援軍送るしかない
勝ち目があろうと無かろうと

834 :日本@名無史さん:2009/08/15(土) 20:38:11
晩年の秀吉はボケ老人。

835 :日本@名無史さん:2009/10/21(水) 03:52:00
人たらしと呼ばれるほど
取り入るのが上手かったとか
天下を取ってから、細心にふるまう必要がなくなった途端に
やりたいほうだいになったりとか

サイコパスの特徴バリバリに見える

836 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 00:34:11
秀吉は針の売買をしていたのですが、そんなに針は需要があるのかなと思っていたのですが、針は女性だけではなく、男性も持っていたようです。
現代人の私たちの固定観念では、針は裁縫に使うのですが、当時の男の人たちは、そういう使い方はしなかったようです。
現代人の感覚では分からないのですが、昔は非常に極寒なとき、足や手がシモヤケになって、そこに赤黒い血がたまってくるんだそうです。
そうした赤黒い血がたまっているところに皮膚に焼いた針をさして、赤黒い血を絞り出すそうです。
ものすごくいたそうに感じますが、指がドクドクしているので、血を抜いたほうが楽になると言っていました。
また、長距離歩いた時に、足の裏にマメができて水膨れになったときも針を使うそうです。
ハサミなどで皮を切ればいいと思うんですが、当時は絶対皮はめくらないそうです。
私などは足の裏に水膨れができたら、平気で皮を破いちゃうんですが、当時は現代のような靴がないので、そういうことをすると足が血だらけになるそうなんです。
それで、歩けなくなってしまうので、皮はやぶいてはいけないそうです。
足の裏にできた水膨れには糸を通した針をさして、水膨れの中の水を抜くそうです。
そして、糸はさしっぱなしにするそうです。
そうすると、あとから出てくる水が糸をつたって外に出るそうです。

針をつかうときは、かならず刺す前に焼いて消毒するようですね。
そういうことに使う糸は塩漬けにしておくようです。
そうして足に針をさした穴からケガレが入らないようにしたそうです。
針というのは、裁縫だけでなく、膿抜き、血抜き、水抜きに使ったそうですね。
それだけ、当時は細菌に感染することが多かったんですね。

針を焼くのは、昔の人は、火の力でケガレを払うとおもっていたみたいですけど。
あと、針で刺した穴からバイ菌が入らないように、糸を通して、傷口をふさぐとともに、水だけ出るようにしてたみたいですね。


837 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 21:07:01
針の話はごくごく現代まであったこと。
オレも小学校では先生から生活の知恵として紹介されてたし、
実際つかったもん。効果はよく分からなかったけど、「オデ大人の階段登った!」という
具合に結構流行った。
シモヤケが復活したらまた流行るよ。
つーか親は子供をもっと放り出せよ。地球はもっと寒くなれよ。

838 :日本@名無史さん:2009/10/23(金) 22:19:48
つか針の話で秀吉かつぐとかバカか。
バカだなよ。うちのおばあちゃんもバカだと言っている。
読まなかったけど長文とかバカ。

839 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 01:41:29
人に意味が理解してもらえないような悪文を書く>>838が一番の馬鹿であることは間違いないな。

840 :日本@名無史さん:2009/10/25(日) 08:49:13
分かんないとかはさすがにないだろうと思うが
馬鹿ばっかだな

841 :日本@名無史さん:2009/11/02(月) 11:31:17
秀吉の1582年以降の 天下統一の早さが凄い。いくら
信長の地盤を継いだとはいえ、毛利、北条などの100万石
近い大名を次々と、攻略している。

842 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 06:58:33
織田を大きくしたのは秀吉、秀吉は信長を上手く利用していただけ。


843 :日本@名無史さん:2009/11/14(土) 11:45:16
コンビニの店員が中国系なら・・・

日本を中国に売り渡します!

青山繁晴解説 
http://www.youtube.com/watch?v=1Q3m7i7ib9c


844 :日本@名無史さん:2009/11/15(日) 10:39:12
織田を大きくしたのは信長。
秀吉は信長に上手く使われただけ。

845 :日本@名無史さん:2009/12/20(日) 23:53:22
そうなのか

846 :日本@名無史さん:2010/02/19(金) 02:27:23
寺社破壊、坊主殺害、強制改宗、奴隷狩りをやらかしてた宣教師追い出しただけでも充分偉い
その上、話術知略強運だけで貧農から大名になって天下まで取ってるし
凄いとしか言いようが無いだろ秀吉は…


847 :日本@名無史さん:2010/02/19(金) 03:17:04
>>835
別に「サイコパス」でなくともそういう人は昔も今もよくいるよ。

848 :日本@名無史さん:2010/02/19(金) 06:28:17
太閤になってからの秀吉は、嫌いだ。
なりあがり者の嫌らしさと残酷さが全面にでてきて。

引退してしまってたら、今でも豊臣家は続いていたろうて。

849 :日本@名無史さん:2010/02/20(土) 17:17:39
明智光秀に関しては俺も動く
弔い合戦だよ
具体的には普段はいがみ合ってる毛利氏と連絡を取り合い、短期で中国地方から帰還した
自分でも驚いたが、豪華な臣下が集まった
自軍最大の軍師・黒田官兵衛、重臣・丹羽長秀
柴田勝家ほどではないが大きな派閥の細川藤孝・忠興
松永久秀との因縁で有名な、織田家臣下になって以来一度も失敗したことがないという筒井順慶
知行が2000石ある実力の持ち主・山内一豊
他家辞めて全力で奉公してきた奴・加藤光泰
他に挙げたらきりが無いが、そうそうたるメンバーで総勢20人を超えた
勝てない相手はもはやいないだろうという最強軍団だ
ソロで先陣を切った奴もいる。
織田家では重臣、四天王、10傑(俺含む)、3本柱などの超一流だ
なによりも強いのは、全員天王山での戦闘をぶっ通しで何日も可能だ。
内通する予定が・・・なんて奴は一人もいない
はっきり言って、俺らが鬨の声を挙ければ敵軍の雑兵は半数以上が逃げるだろう
四天王の連中は滝川一益、徳川家康にも顔が利く。奴らの中にも戦後に家名を上げたい奴はいるだろう
協力して全員で清洲あたりで会議してストライキしたらさすがに黙ってられないだろう
ちょっと顔なじみの前田利家に話つけてくるわ

850 :日本@名無史さん:2010/03/13(土) 16:45:16
出世

851 :日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:23:03
悪党

852 :日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:34:18
頭はいいし、世渡りも上手いし、戦も上手だったのだろう
天下を取るまでは確かに凄すぎる
でも、実子が生まれた途端、それまで可愛がっていた甥の秀次を
一族皆殺しにしたのが最大の汚点

853 :日本@名無史さん:2010/03/22(月) 22:35:53
秀次の母の瑞龍院は助かったのが不思議

854 :日本@名無史さん:2010/03/24(水) 18:50:45
いくら藤吉郎でも、実の姉者を始末はできんだろ。

855 :日本@名無史さん:2010/03/25(木) 19:54:32
秀吉は尾張の地侍の出だそうだが、本当?

856 :日本@名無史さん:2010/03/25(木) 20:32:03
与太話。

857 :日本@名無史さん:2010/03/25(木) 20:51:28
だが、山川出版社の詳説日本史には堂々とそう書いてあったんだよな。
それ見たときは、ビックラこいたわ。

858 :日本@名無史さん:2010/03/27(土) 18:48:34
本@名無史さん:2008/07/21(月) 17:55:46
秀吉の晩年の心境

「私は雑草的存在に過ぎないけれどそれで満ち足りてゐる
雑草は雑草として生え伸び咲き実り
そして枯れてしまへばそれでよろしいのである」

859 :日本@名無史さん:2010/03/28(日) 17:39:11
司馬?

860 :日本@名無史さん:2010/06/21(月) 18:44:32
>>783
当時のイエズス会は武闘派の野蛮教団だぞ
ヨーロッパでも評判は良くなかった


861 :日本@名無史さん:2010/07/25(日) 21:20:05
気になったので質問させて下さい。
結局何故秀吉は朝鮮侵略を行ったのでしょうか?
宜しければ詳しくお答え頂けたら、嬉しいです。

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