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※ 九州王朝はなかったのか? ※ 13

1 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/12(土) 12:59:41

"※九州王朝はなかったのか?※13〜15"タイトルスレが抜けていたので、"13"に戻します。

※九州王朝はあったか?※の復活です。
九州王朝を肯定する人も否定する人も、立場の違いを超えて、思う存分語りましょう。
九州王朝に関心がある人は、おおいに語りましょう。
九州王朝に関心のない人や、九州王朝に関りの無い主張は、書き込まないでね。

2 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 17:18:15
神武東征以前は九州に居たのでそれが九州王朝

3 :名無しの笛の踊り:2008/07/12(土) 17:30:47
門外漢から質問。
ヨン様演じる好太王と半島で大バトルを演じていた時の倭の大王は誰?
倭の大王で半島に親征した人はいるのでしょうか?

4 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 17:35:53
>>3
神功皇后じゃねえの

ヒスっぽいオバサンを充てれば悪役完成だw

5 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 17:39:03
>>4
自己レスだが神功皇后は親征してねえや

6 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:50:43
前スレ
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207899488/

7 :サガミハラハラ:2008/07/12(土) 22:59:43
>>3応神天皇です。
いません。神功皇后は新羅に親征していますが彼女は天皇ではありません。
しいて言えば、応神天皇が胎児のままで半島にいっています。

8 :名無し:2008/07/13(日) 02:08:45
>>7
は仁徳は高句麗戦で疲弊したので、停戦して徴税を一時停止したということでつか?

9 :サガミハラハラ:2008/07/13(日) 11:57:44

倭国の対高句麗戦は応神天皇の代で終息しています。
ただ、歴年の戦いで国内の疲弊がひどく、次代の仁徳帝のときに一時徴税を停止しています。

10 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/13(日) 12:00:54
>>のんびりひまじん さん
>(次の言い伝えだけなら捏造された伝説と言い済ましておるのかも知れません。)
>「昔、呉の流れをひく者たちが、わが国の西辺に逃げて来て、その子孫が強大になり、
>錦のぬいとりのある絹織物を身につけ、城郭を築き、古くから漢字を用い、みずから
>王を称し、国号をたて、中国と通じ、あるいは新羅と通婚し、もし、意に会わぬときは
>ふれ文をまわして侵略を行ない、暦をつくり、年ごとの歴史を記し、寺を建て、銭貨を
>鋳造し、すべて中国のまねをして異ならなかった。」(暫らく引用元を明かさない。)

九州の現代人の身体的特長を見れば、上記をよく理解できる。
筑紫平野の人達には、呉系特徴の比率が際立って高い。

11 :のんびりひまじん:2008/07/14(月) 19:24:17
>>10
そうなのですね。いささかショックです。立証困難な部分と思い込んでました。

そこで思い出したことを参考までに・・・渡来弥生人
http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000176_02.html

別の傍証です・・・圧迫された縄文人
http://www.minpaku.ac.jp/30arch/research/collaborative_research/055.html
http://homepage1.nifty.com/o-mino/page695.html

今のところ決して十分な証明ではありませんので注目かつ期待としましょう。

12 :四國酋長赴會高宗甚悦 ◆TO665k935I :2008/07/14(月) 22:36:37
呉服と和服は、同義語ですね。

13 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 13:36:10
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

14 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 15:35:25
>>13
確かに、小麦が6000年前に出るのは電波説でも持ってこない限りあり得ないな。

名前にその名残が残っているように、大麦文化の中国大陸に小麦が流入するのは
2000年前。シルクロードでの印欧人の栽培を入れても3000年前。

15 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 22:43:36
>>14
無視すべし
>>13
あっちこっちでのコピペご苦労さま。スレッド自立されませ。

16 :のんびりひまじん:2008/07/17(木) 18:21:52
以下のようなことがあれば、
王朝というほどのものが存在したと主張できると思うのです。いかがでしょうか?
「昔、呉の流れをひく者たちが、わが国の西辺に逃げて来て、その子孫が強大になり、
錦のぬいとりのある絹織物を身につけ、
城郭を築き、
古くから漢字を用い、
みずから王を称し、国号をたて、中国と通じ、あるいは
新羅と通婚し、もし、意に会わぬときはふれ文をまわして侵略を行ない、
暦をつくり、年ごとの歴史を記し、
寺を建て、
銭貨を鋳造し、 すべて中国のまねをして異ならなかった。」
(なお、引用元について、お心当たりの方おられましょうか?)

17 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 02:00:04
太伯伝説か?

18 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:38:35
引用元を教えて?

19 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:50:22
>>18
自分でさがしたら?

20 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 02:27:21
北九州に楕円国家があった。
筑紫王権と豊前王権という二つの中心を持つ国家である。

 これが室伏志畔の古代史論だ。


21 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 13:24:01

北部九州に楕円国家があった。
筑紫派と肥派という二つの焦点を持つ国家である。
そして、それを取り巻く国家群が豊・日向・大隈・薩摩である。

22 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 14:22:34
追加しておきますね

北部九州に楕円国家があった。
筑紫派と肥派という二つの焦点を持つ国家である。
そして、それを取り巻く国家群が豊・日向・大隈・薩摩・五島・壱岐・対馬である。

23 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:00:28
今や九州王朝説は騎馬民族征服説よりも説得力が無い。
地政学的にも無理な「お話」

24 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:21:26
23の主張のほうが、もっと説得力がない

25 :ローガン:2008/07/23(水) 22:21:21
>>23

> 今や九州王朝説は騎馬民族征服説よりも説得力が無い。


あ!「今や」は必要ないと思います。

26 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 22:34:16
23と25の主張のほうが、もっと説得力がない

27 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/23(水) 23:23:41
年号が多々あるから逆らっても詮ないね。証拠に無理に因縁をつけ
たり見苦しいのが多い。

28 :ローガン:2008/07/23(水) 23:39:21
>>27
お、太國さんは詳しそうですね。
私はよく知らないのですが、法興って九州年号なのでしょうか?
太国さんへの質問です。又明日。zzz…

29 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:54:15
>>28
法興とは九州元号です

30 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:59:18
九州元号とはいっても、「法興」は記念的元号の一つで、連続元号には入らない。

31 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/07/24(木) 00:24:18

「法興」は、他の九州元号とは異なる性格のものです。

「法興」は591年(法興元年)に始まり、621年(法興31年)まで続いており、
その間には「端政・告貴・願転・光元・倭京」と5つの九州元号と重なっています。
これは、「法興」が上宮法皇(多利思北孤弟王)占有の元号であることを意味します。

他の九州元号は兄王(天皇)大倭(俀)國の元号となります。


32 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:32:57
今や九州王朝説信者は妄想ムーブメントを積んだ希少な存在www


33 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:55:57
弥生時代開始がド〜ンと500年遡って、
九州王朝説に時代がやっと追いついてきた(笑

34 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 01:00:43
沿海州から九州にやって来た謎の海賊集団。

35 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 01:26:15
>>28老顔。
あまりかまわないように・・・
ソットしておいてあげなさい。WWW

36 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 02:35:25
畿内説信仰に酔っ払ってる老眼のほうが遊ばれてるんですがw

37 :ローガン:2008/07/24(木) 14:40:53
>>31
> これは、「法興」が上宮法皇(多利思北孤弟王)占有の元号であることを意味します。

所謂、私年号と云う意味ですね?

> 他の九州元号は兄王(天皇)大倭(Oタ)國の元号となります。


つまり、性格の異なる年号が九州王朝と呼ばれるものの中に同時存在していたと、言われるのですね?

とすれば、二中歴にある年号が畿内以外のものだと何故言えるのでしょう?



38 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 14:54:40
>37

>私年号

公年号でしょ。

>性格の異なる年号

今日でも、○○元年という言い方を良くしますね。
九州元号を、畿内の天皇が制定したという記録を提出してください。
また、畿内を除く最大勢力が九州ではなかったという証拠も、併せて提出してください。

39 :ローガン:2008/07/24(木) 15:05:53
>>38

> >37

> >私年号

> 公年号でしょ。

> >性格の異なる年号

> 今日でも、○○元年という言い方を良くしますね。
> 九州元号を、畿内の天皇が制定したという記録を提出してください。
> また、畿内を除く最大勢力が九州ではなかったという証拠も、併せて提出してください。

40 :ローガン:2008/07/24(木) 15:18:40
>>38

> 公年号でしょ。
> 今日でも、○○元年という言い方を良くしますね。

公的に〇〇元年から数年継続して使用されますか?公的に?


> 九州元号を、畿内の天皇が制定したという記録を提出してください。

畿内の天皇は「九州元号」など制定していないと思いますよ。


41 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 15:26:23
>40

公人が正規に制定したなら公年号でしょう。

畿内の天皇九州元号を制定していないのだから、
九州の政権が制定したのです。当たり前ですね。

42 :名日本@名無史さん ::2008/07/24(木) 15:37:50
日本の稲作文化は中国南方からの伝播だそうです。
熊本や筑後平野は稲作に適した土壌のため、早く
から開けていたのでしょう。
九州王朝の素地があってもおかしくない。

43 :ローガン:2008/07/24(木) 16:06:35
>>41
> 公人が正規に制定したなら公年号でしょう。


公年号が2つあったと仰るのですね。理解しました。
そう云われる以上、二中歴に書かれた年号は畿内で使われたものではない。とはいえないですね。

> 畿内の天皇九州元号を制定していないのだから、
> 九州の政権が制定したのです。当たり前ですね。

天皇が九州地方限定の年号など制定しないでしょう。
それに件の年号も九州地方で制定、使用された客観的な根拠があるわけでなし…
一政権下に、異なる年号の存在を認められた以上、二中歴に書かれた年号は所謂「九州年号」だとはいえないと思いますよ。

44 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 16:23:07
当時公とは畿内と九州に別国だから二種あったと観てよい。畿内のほうは
天皇の統治とはなったが、九州年号のできた始めのころは畿内朝廷の勢力
は九州全土までは至っていない。つまり独自たる九州王朝が小さいながら
存在していたということ。それらの年号は同王朝の存在を示す氷山の一角
なのである。大陸も半島も多国に分裂してたように、当時日本も畿内の
勢力は完全ではなく、畿内と九州は別国であったのだ。

45 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:56:56
>43

はあ?兄弟統治の九州政権には兄王と弟王がいるわけで、
あなたの結論が出る余地がありません。畿内には記紀が
残っており、その中に畿内天皇による九州h元号の制定が
記載していなければ、畿内の制定では絶対にありえません。

九州元号という呼称が気に食わないのなら、九州元号を
伝えている各種古文書を原典批判したらどうですか?

まあ、おっしゃっていることが、畿内説信仰の告白・露呈にすぎず
お話になりません。

太国さんのご発言を、ゆっくり咀嚼するお気持ちもないのでしょう?

46 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:39:04
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

47 :夏祭:2008/07/28(月) 16:19:22
古田武彦は「多元的古代」を提唱した。
畿内だけに王権があったのではなく、北九州、出雲、吉備、関東、東北等。
そうした色々の王権を視野に入れて古代史を研究しよう、と。
その路線で九州王朝説も作られた。本来は。
しかし、今支持者達によって繰り広げられている九州王朝説は、
最早北九州皇国史観に過ぎない。

48 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 19:05:33
夏祭って、唯我独尊で嫌われるタイプに人ですね

49 :夏祭:2008/07/28(月) 22:51:48
>>48
「の」と「に」の区別ぐらいつけようよ。
なるほど、君のレベルはよく分かったよ。
何の反論も出来ないから、人格攻撃(つーか単なる悪口)しか言えない。

九州王朝説支持者はその王朝を北九州に求めるが、
おいおい、南九州の「熊襲」はどこへ行った?
彼等は景行天皇&ヤマトタケル、若しくは雄略天皇の時代まで大和朝廷に逆らった集団、そして国だ。
まさしく九州王朝に相応しいじゃないか。
「九州元号」だって、鶴峰戊申が「熊襲の元号」として発表したものだ。
…原点に帰れよ。
大和朝廷とは別に九州に存在し、大和朝廷に最後まで服従しなかった王朝。
それこそ熊襲じゃねえか!

…まあ、九州王朝説支持者はあくまでも九州が畿内より上でないと嫌だから、
こんなこと言っても無駄な気はするね。

原田実は「九州王朝説は九州版皇国史観だ」と言った。
初めてそれを聞いた時には「言いすぎだ」と思ったが、
今まさにそれを痛感している。

50 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 22:59:50
>>49の態度、

 人柄が実によく「にじみ出て」いますね(笑

51 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 23:57:23
原田実氏は、結婚後も大学に続けて勤務できると信じていた。
しかし、古田氏は契約どおりに助手の契約を打ち切った。
原田実氏の古田氏への復讐人生が、ここに始まった。
年齢から考えて、原田実氏の「生き残り勝ち」は間違いない。

・・・ただそんなようだから原田実氏の学説は、私怨にまみれ、
   学術的には問題大有りだ。

52 :夏祭:2008/07/29(火) 07:17:54
>>51
古田支持者はそんな妄想で動いてるの?
…古田氏も呆れてるよ。

53 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:29:31
妄想・・・夏祭の根本思想(笑

54 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:38:25
どっちでもいいから
邪馬台国ってどこに書いてあるんだよ
ご都合主義で直すなよ!


55 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:42:33
夏祭は、魏志倭人伝に邪馬台国が載っていると、妄想してますw

56 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:45:37
夏祭の妄想  

 九州王朝=熊襲国説

一人で勝手に主張してください

57 :夏祭:2008/07/29(火) 10:37:11
北九州に大和朝廷と別の王権を妄想しても、
南九州に存在したことが確定している熊襲勢力は無視。

いい加減だね。

>>55
日本人の大半がそうだよ。

58 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 10:52:42
はっはっは、無視してるってのは夏祭の妄想ですなあ。

             悔しいでしょ?>57

59 :夏祭:2008/07/29(火) 12:49:13
>>58
こんなので悔しがってたら
とうの昔に俺は自殺してるよw

60 :夏祭:2008/07/29(火) 12:54:59
結局、ここにいる九州王朝論者の大半は
罵倒にならない罵倒しか出来ないのか。

61 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 13:46:07
熊襲王朝説なんか妄想されても相手に出来ません。

62 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 15:24:18
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

63 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 16:13:57
夏祭氏の熊襲王朝説・・・脳内妄想説
夏祭氏の東遷畿内説・・・記紀の記載でも、考古学的にも、
                王様が東遷して畿内に移動した形跡が
                全くない妄想説
                (宇宙人征服説とまったく同じレベル)

64 :夏祭:2008/07/29(火) 22:11:04
妄想も糞も、
かつて南九州に熊襲勢力があったことは説でも何でもない、事実だよ。
少なくとも俺は、
「日本列島の主権は大和にあらず熊襲なり」とか、
「記紀は大和ではなく熊襲の記録」とか、
そんな九州王朝説みたいな荒唐無稽なことは一言も言ってないよw

妄説を信じるものは何が妄説か分からない。


九州王朝説論者にとって、
中山平次郎や原田大六の存在は封印したいだろうね。

65 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:31:18
ズバリ九州王朝は古代妄想が生んだ蜃気楼www

66 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:50:03
熊襲の王朝があった証拠は?

67 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/29(火) 23:08:02
>>65
年号が多々出てるんだから、いくら否定して逆らっても詮無いぜ。

68 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:08:14
倭錦がたくさん出土する、北部九州しか有り得ない。
畿内も南九州もはほとんど出土しない。
いいかげん妄想じゃなくて、学問しようよ。

69 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:11:50
そしてコイツラは妄想団www

70 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:16:35
畿内説とか、東遷説とか、根拠ゼロの妄想は、この辺で終わりにしましょう。

71 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 00:52:08
旧臭説オワタwww

72 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 01:34:03
キンキー変態説はタイーホ

73 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 07:42:23
>>66
熊襲勢力が存在しなかったと言う証拠は?
定説に逆らうんだったら、きちんと証拠を提示しなきゃ。
>>67
金石文として出土したことは一度たりとも無いじゃないか。


74 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 07:59:32
>>73

ヒント:国≠王朝

75 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 13:38:58
>>49>>64で夏祭が断定してるのが、

      熊襲王朝

熊襲勢力(ないし熊襲国)と熊襲王朝は定義がまったく違います。
夏祭が「熊襲王朝が存在する」と断定した理由を述べてください。

76 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/30(水) 14:49:10
>>73
木造建築が多かったんだろう? だからそんになくてもまったく無くても
おかしくはないだろう。金石文でなけりゃぁいかんとは短絡的思考。

77 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/30(水) 14:51:27
大陸のほうから金石ならぬそれ以上の金印で、押印文字から九州王朝の前段階、
暫定王権的国王名がある。これも後押しにはなる。

78 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 15:46:21
だいたい敏達天皇の6世紀後半、大和国は播磨国を吸収合併すらできていなかった。
大和王国の目の前で、独立国播磨王国が、堂々と君臨していたわけだ。
6世紀後半、大和の全国制覇など夢のまた夢、畿内説は成り立たないでしょ。

79 :夏祭:2008/07/30(水) 21:33:31
はいはいよ、「王朝」と実態に見合わない語を使ったのは俺が悪かったけど、
そんな言葉のアヤに拘るんなら、文部科学省に対して
「ヤマト政権と大和朝廷では定義が全く違う。大和朝廷が存在すると断定した理由を述べよ。」
なんて馬鹿な質問も可能。
(「政権」=「政治を実行する権力」、「朝廷」=「天子・天皇が政治を行う場所」。)
(定義は違うだろうが。)

80 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 22:48:58
夏祭は、王朝も王国もいい加減に語って、それでいいわけですね。

 登呂遺跡に王様がいたら、登呂王朝。

 フゴッペ遺跡に王様がいたら、フゴッペ王朝。

さすが、なんでもありの畿内説というものが、良く察せられます(笑

81 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 23:05:43
>>79

熊襲が熊襲王朝だったと判断した理由はなんですか?

82 :夏祭:2008/07/31(木) 08:13:13
>>80
君は想像力が豊かだね。
誰もそんな事一言も言ってない「登呂王朝」や「フゴッペ王朝」を考えて。

「畿内一元史観から抜け出そう。九州、出雲、吉備、関東、東北等、様々な所に王朝があった。」
と言う多元的史観を支持している君等も、熊襲だけはどうしても仲間はずれにしたいようだね。
とりあえず、東北が東北王朝だったと判断した理由を教えてもらおうか。
(君等が古田支持者でなかったら申し訳ないが、ここの8割はそうなんでね。)
(東北は蝦夷、南九州は熊襲。一方は王朝で、もう一方は王朝でない。その根拠は?)

83 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 09:18:26
>熊襲だけはどうしても仲間はずれにしたいようだね。

べつに、したくありませんが何か?
国があれば、あったと判断するだけでしょ。

>>78を再掲しときますよ

だいたい敏達天皇の6世紀後半、大和国は播磨国を吸収合併すらできていなかった。
大和王国の目の前で、独立国播磨王国が、堂々と君臨していたわけだ。
6世紀後半、大和の全国制覇など夢のまた夢、畿内説は成り立たないでしょ。


84 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 11:56:52
熊襲とは何か?それを考えてみる必要があります。日本書紀によれば、神功皇后=卑弥呼時代の人物。熊襲は神功時代を最後にその後姿を見せません。
3世紀に南九州にどのような部族がいたのか、8世紀の人たちがそれについての記憶、伝承を有していたのか?そう考えると熊襲は実在の部族ではなかったことが疑われます。
しかも、かって反逆していたとしても、大和朝廷の支配下に入ったならば、そこの人々を侮辱するような伝承を記載するのは不自然。そう考えれば、熊襲とは何かを伝えるために作り上げた虚像ではないか、ということに思い至るはずです。


85 :夏祭:2008/07/31(木) 13:37:33
>>84
勝手に思い至ってなさい。

86 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 13:38:59
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

87 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/01(金) 11:26:30

律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

王朝と呼べる国家体制は、
九州では西暦517年(磐井)から、(倭武までは大王国)
畿内では西暦700年(文武)から。(持統までは大王国)


出雲、吉備、関東、東北等には、王朝があったと見做される証拠がない。
ちなみに古田史観支持者ではあるが。

88 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 10:31:08
>律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

そうなんですか?
よかったらその根拠をお教えください。

89 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 11:29:37
>>84
思考力がないならば、聞いていなさい。

記紀は南九州を熊襲の地であるかのように描きながら、その地、日向から天皇の后妃を選んだように書いています。
例えば、景行は日向のミハカシ姫、仁徳は髪長姫。地方では、ほかに、日向ほど后妃を出したところはなさそうです。
なぜ、日向が特別なのか。実は熊襲というのは、邪馬台国をわざとけなして描いたのではないのか?
そこで、問題になるのが倭建命の物語。倭建命が熊襲の兄弟を倒したことは有名。兄を倒して倭建命が名乗ったのは倭男具那王、弟を倒してもらった名前は倭建命。
倭男具那王は倭の男王・狗奴国王、倭建命は邪馬台の王。兄弟を倒して倭建命は狗奴国王と邪馬台国王の地位を得たというわけ。
となれば、熊襲=狗奴・曾(これが邪馬台国)をもじったものであることは明白。
要するに、南九州に狗奴国や邪馬台国があったということを記紀は認めていたと言うこと。
夏祭さんの思考力で理解できたかな? できないだろうな。

90 :夏祭:2008/08/02(土) 12:35:45
>>89
ようするに単なる語呂合わせによる妄想じゃないか。

91 :夏祭:2008/08/02(土) 12:51:06
どういうことかというと、
まず、ヤマトオグナという名前は何もクマソタケル兄を倒して名乗ったのではなく、
元々オウス命自身が名乗っていた名前である。
「ヤマトタケル」というクマソタケル弟から貰った名称自体、ヤマト=邪馬台国である必然性は無い。
単に「あなたは畿内ヤマトの強いお方です」と言う意味であっても構わない。
そもそも、オウス命がクマソタケル兄弟を倒したのは古事記だけの話であり、
日本書紀ではオウス命が倒したのはカワカミタケル一人である。
そもそも、クマソタケル兄弟はあくまでクマソの支配者であり、
それぞれ2国の王であるという証拠など存在しない。
クマソがクナとヤマタイの王であるならば、あくまでも
「オウス命は九州2蛮国の王クナタケルとヤマタイタケルを倒した」
と記せばすむ。
わざわざこんな手の込んだ暗号を作る必要もないのだ。

92 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 13:07:44
>元々オウス命自身が名乗っていた名前である。
その証拠をあげてね。


93 :のんびりひまじん:2008/08/02(土) 13:59:24
熊襲のことについて、ちかごろの
九州王朝説ご本家の人たちの熊襲の位置づけを参考に皆さんに理解しやすい表現をします。

隼人=後九州王朝、それを後世、熊襲 として神宮皇后伝説内化した。つまり
九州地域の反逆者を熊襲と差別視するらしい。

最後の九州年号「大長」は、西暦712年まで続いて終わった。
その当時を記録する「続日本紀」には、
隼人との激戦記録はない。
その一方、熊襲討伐の戦功で勲章恩賞者が千人以上もある。
つまり、壬申の乱と比較したいほどの軍事恩賞がありながら
その熊襲(=隼人=後九州王朝)との激戦の経過記録がない。
(日本書紀に一貫した九州王朝隠しがこの時期も続いている。)

夏祭さんへ
隼人:熊襲  (そして 毛人:蝦夷)
時代と状況で呼び方も範囲(九州全体・南部だけ)も違うのではありませんか?
王朝と呼ぶほどの存在ならば、一時的な有力者存在だけでなく、
滅亡後にも存在が意識されるものでしょう。

(参考)
日本:後南朝
1392年南北朝合一ののち、むかしの南朝後継の不満分子がもう一度吉野に王朝を建てようとした。
が、その後彼らは行方不明。普通の歴史書に残らないほど無力だった。
大東亜戦後になって、少しは知られた。

コリア:後百済、後高句麗
統一新羅末期に、新羅の臣下となっていたそれぞれの遺臣たちが中心に旧王朝所在地に建国した。
こちらは、後世のに高麗王朝後の正史(三国史記)の列伝に明記。

94 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 17:00:31
玉石混交の書き込みですね。玉の書き込み(>>11>>33など)は、大変参考にな
り、面白いです。

「隼人=後九州王朝」仮説は、目からウロコが落ちる、日本の歴史を通観させて
くれる、簡明かつ真実に迫った仮説と私には思われます。

弥生時代前期の頃は、北九州と南九州は対立していたのでしょうが、ある時期
から一体化し、近畿大和王朝の成立と同時に、南九州に後九州王朝が成立(国
際的には認知されてませんが)したと考えると、様々な歴史的事実のつじつま
が良く合うように、私には思われます。

そして、>>11で紹介された遺伝子や疾病の分布図を見ると、九州王朝や後九州王朝は、
大陸から流入した弥生人が建てた王朝ではないという気がしますね。

その時、思い出されるのが山崎仁礼男(故人?)が提唱していた説です。
同説によると、九州王朝は、在来土着勢力が大陸から流入してきた騎馬民族を
駆逐して建てた(姉弟ないし兄弟統治による)王朝だ。騎馬民族は九州北部から
瀬戸内海を経て近畿大和に至り、近畿大和王朝を建てたのだという説です。

山崎仁礼男はあまり評価されてませんが、私は面白い仮説だと思ってます。

今後とも、皆様の蘊奥を極めた書き込みをよろしくお願いします。

95 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 17:14:53
騎馬民族 → 騎馬民族の末裔

96 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 18:50:54
九州王朝説によると、九州王朝は姉弟ないし兄弟による統治であったという。

この九州王朝説に立ち、かつ、白村江の戦で捕らわれて中国に抑留された薩野馬が
九州王朝の兄王であったと仮定すると、九州王朝の弟王が、九州かどこかに残って
いたはずだ。その弟王は、その後どうなったのだろうか?

その弟王こそ、大海人皇子、皇太弟、後の天武天皇だったって説はどうだろうか?
日本書紀の記述によると、天武天皇は天智天皇より年上になると言う。天武天皇の
出自がどうもハッキリしないという。天智天皇は三人の娘を大海人皇子に嫁がせた
という。近畿勢力は、九州王朝の弟王を養子に迎えて、日本列島の支配者たろうと
したのではあるまいか。九州王朝の構成員の中でも、大海人皇子は、この近畿勢力
の思惑に乗った人物だったのではあるまいか。

近畿勢力は、いずれ天皇位を皇太弟である大海人皇子に譲ると約束していたのだ。
これが後に壬申の乱を惹起する原因になった。また、天武天皇が天皇位に就い
た後、九州王朝と近畿大和王朝との連続性を強調する日本書紀の編纂を思い立
たせた。天武天皇にとっては、自分こそ、九州王朝を近畿大和に復活させた大王
であり、王朝は連続していると言いたかったのだ。

ちなにみに薩野馬は後に帰国するが、これを迎え入れたのが後九州王朝だった
のではあるまいか? 「薩摩」の国名が「薩野馬」に由来しているとすれば面白いね。
それまでは、クマソと呼ばれてたのに、いつもまにかサツマになってる。
薩摩に残る大宮姫伝説によれば、天智天皇が大宮姫を追って薩摩に来て、その後薩摩で
幸せに暮らしたという。これは、薩野馬のことではあるまいか。

(室伏志畔や古賀達也を参考にしました)
 

 

97 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 20:11:22
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

98 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 23:34:40
>>96さん。
おそらく正解だと思います。

99 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 23:46:09
ここも孟宗竹満開だなw。

100 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 23:49:17
いいえ、妄想は夏祭の得意技です。

101 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 00:09:31
>>96
>薩野馬が九州王朝の兄王であった
上記は間違い。

薩野馬は弟王。
戦争の指揮官になるのは弟王の役割。弟王が実務政治担当の王。
弟王は昼の王、兄王が夜の王。(隋書俀國伝)
多利思北孤は、法皇であり、弟王であり、実務政治担当の王である。
兄王の元号である九州年号にダブって「法興」年号が多利思北孤に与えられている。

兄王が一人のみであるのに対して、弟王は複数存在する。(弟王は「きみ(君)」と称す人物)
筑紫の弟王が薩野馬なら、肥の弟王は天智とか?
天武も薩野馬不在時の筑紫の弟王で、薩野馬の帰国により、畿内の弟王となる為移動したとか?

弟王は大嘗祭を主催できない。
大嘗祭を主催できるのは兄王のみ。
大嘗祭は夜の行事です。

102 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 00:25:37

『倭王以天爲兄、以日爲弟、天未明時出聽政、跏趺座、日出便停理務、云委我弟』隋書俀國伝

兄王=天皇(テンコウ)

弟王=日皇=法皇[法(律令)でもって治める皇]


103 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 00:29:08

「きみ」について。

『多利思北孤號阿輩雞彌』隋書俀國伝

104 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 00:29:48
>>101

九州王朝大好きさん、突然で恐縮ですが、ご教示ください。

壬申の乱の大友皇子側・皇弟大海人皇子側と、
旧唐書の倭国・日本国とを、
どう重ねて理解したらよいのでしょうか?

105 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 00:57:46
>>104
日本國は天武期末(以其國在日邊故以日本爲名)、
持統期(倭國自悪其名不雅改爲日本)、
文武600年(日本舊小國、併倭國之地)、
と理解しています。

天智と壬申乱は上記以前のできごとと理解しています。

そして上記の次に出てくるは、長安三年の朝臣眞人の記述となるのです。

106 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 01:24:02

684年に九州王朝天皇が大宰府から飛鳥に転都するが、
695年に畿内勢力に滅ぼされます。
九州王朝天皇は、九州勢力により、九州に再興されますが、
文武の軍事侵攻・九州併合(九州派の抹殺)により、
700年に九州王朝最後の女天皇は薩摩で滅ぼされます。


>>105の間違い修正
誤:文武600年(日本舊小國、併倭國之地)、
正:文武700年(日本舊小國、併倭國之地)、

107 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 01:34:23

>684年に九州王朝天皇が大宰府から飛鳥に転都するが、

これは九州王朝天皇(兄王)家の分裂と見たほうが良いと思います。

108 :104:2008/08/03(日) 01:45:09
>>104-105

九州王朝大好きさん、どうもありがとうございました。

>106のご指摘の事件(684年・695年・700年)をいままで洞察できなかったのですが、
何かヒントがあればご指導ください。

109 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 02:14:10
>>108
684年:白鳳から朱雀への改元。播磨風土記の宝剣返納(にんとく氏の指摘)
695年:入鹿暗殺・大化改新
700年:続日本紀薩摩比売他の処罰。

110 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 02:21:56
>>108
〜699年:続日本紀の畿内九州の城修理記事

111 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 06:19:48
>>106>>110
しょせん、妄想の域を出ないな。

112 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 06:49:53
>>90
単なる語呂合わせというのは、狗古智は菊池だというような説をいうのです。
倭男具那王、倭建、二人の名前が一字も無駄がないではないですか?偶然の一致ではあり得ません。
神功皇后の物語には、伊斗(伊都国)、末羅(末盧国)、宇美(不弥国)と三つの地名を連記しています。
これも偶然の一致ではありえないことです。


113 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:02:30
>>91
>元々オウス命自身が名乗っていた名前である。
返事がありませんね。元々名乗っていた証拠なんてありません。熊襲の兄を倒して得た名前なのですから。
>「あなたは畿内ヤマトの強いお方です」と言う意味であっても構わない。
まあ、そう読めないことはないでしょう。しかし、熊襲建が「クマソタケル兄弟はあくまでクマソの支配者」ならば、倭建は大和の「強いお方」ではなく支配者のはず。景行の立場がなくなります。
倭建を「大和の建」と読むと具合が悪いのですよ。
>2国の王であるという証拠など存在しない。
考え方ですな。物語の中に、まさにその証拠があると読むか・・
>「オウス命は九州2蛮国の王クナタケルとヤマタイタケルを倒した」
蛮国ではありません。熊曾と書いてますが、大和の主家たる国家という設定です。
>わざわざこんな手の込んだ暗号を作る必要もないのだ。
誰にでも読み取られては困るからですよ。隠す必要があったのです。


と記せばすむ。




114 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:03:43
このスレにはまともなやつはいないな

115 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:07:43
「と記せばすむ。」は単なる誤記。削除。



116 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:16:26
九州王朝大好きみたいのがいるから九州王朝説がバカにされるんだよ。
迷惑だからいい加減やめろってw。

117 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 07:45:42
>>101
「薩野馬は兄王ではなく弟王だ」という仮説の方が真実に近そうだというのは納得。

「兄王が一人のみであるのに対して、弟王が複数存在する」って仮説は、どこから
導き出される?

>>96より)



118 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 08:20:08
>>101
「薩野馬は兄王ではなく弟王だ」という仮説の方が真実に近そうだというのは納得。

とすると、白村江の戦の後、兄王はどうなったのだろうか? たぶん、そのまま
九州王朝の夜の王を務めてたんだろうな。白村江の戦で大敗したからって、九州王朝
が即、滅亡したワケじゃないからね。

「兄王が一人のみであるのに対して、弟王が複数存在する」って仮説は、どこから
導き出されるんだろうか? それが史実であることを示唆する文献があるんだろうか?

>>96より)



119 :夏祭:2008/08/03(日) 08:20:39
>>113
一応古事記には弟を倒す際に
「私は日本を支配する景行天皇の息子、ヤマトオグナだ!」
旨の事を言うシーンがあるが、
兄を殺してヤマトオグナと言う名を手に入れた、と言う記述はない。
まあ、そこは妄想で補完できるんだろうが。
>考え方ですな。
考え方と言うか、妄想をするか否か、と言うことだな。
>誰にでも読み取られては〜
色んな人間に様々に解読されて、どれが正解か解らなくなる暗号なんて
役に立たないと思わないか?

120 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:19:56
>色んな人間に様々に解読されて、どれが正解か解らなくなる暗号なんて役に立たないと思わないか?
解読するだけの思考力のない人には解読できない、分からない人はあれこれ見当違いの答を出す、普通のことですね。


121 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 10:27:22
>>120
コイツ↑一番バカだなwww

122 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:06:08
九州王朝説に立ったとき、671の薩野馬帰国、672の壬申の乱を次のように
考えたら、あちこちのつじつまが合うような気がするがどうだろうか?

新羅との戦いが険しさを増す中で、唐は倭国が新羅に荷担することを恐れた。
そこで、薩野馬を帰国させ、再び九州王朝倭国の弟王として君臨させること
により、九州王朝倭国を間接統治しようとした。

ところが九州南部を基盤とする勢力は、このような間接統治をよしとせず、
薩野馬自身もこの九州南部勢力に乗っかって、自立した九州王朝倭国の再興を
目論んだ。

これを察知した唐は、九州王朝を見限って、近畿勢力を日本列島の支配者と
して認知することを目論んだ。これに呼応したのが近畿勢力の婿養子となっ
ていた大海人皇子である。

したがって、壬申の乱は九州と近畿の二箇所で同時に発生した。
九州では、薩野馬を支持する勢力と大海人皇子を支持する勢力の戦い。
近畿では、天智天皇の継承者を支持する勢力と大海人皇子を支持する勢力の戦い。

両者に共通するのは、唐のバックアップを受けた大海人皇子である。
大海人皇子は、九州では決定的な勝利を得ることはできなかったが、
近畿では決定的な勝利を得て、近畿王朝の天皇として即位した。

この乱の課程で、薩野馬は本拠を薩摩に移した(大宮姫伝説)。そして、後年、
後九州王朝を形成する。
他方、近畿勢力は、九州王朝出身の天武天皇を本流とは認めず、天武天皇の死後、
近畿王朝は天智系に回帰していく(文武天皇)。

以上、想像をたくましくしたものですが、この仮説だと、様々な事実がうまく
説明が付くような気がしますが……。

123 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 12:11:33
>>118
弟王は「きみ」と呼ばれる人物

地名国名で列挙すれば、
@ちくしのきみ(筑紫)
Aひのきみ(肥)
Bなにわのきみ(難波・浪速)
Cこしのきみ(越・加賀)
Dいずものきみ(出雲)
Eおわりのきみ(尾張)
Fけぬのきみ(毛野・夷)
Gひたかみのきみ(日高見・蝦夷・北上)

663年薩野馬までは@又はAがNo1弟王
663年以降のNo1弟王は天智と天武

多利思北孤の場合は国名以外の呼称として、「阿輩きみ」「胸形きみ」とも呼ばれたようだ。

124 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:44:54
>>123
なるほど、多利思北孤が「きみ」と呼ばれていたことからして、「きみ」が
弟王の呼称だとかんがえられるわけですね。

しかし、「おおきみ」なんて呼称もあるし、多利思北孤の「阿輩きみ」も
「おおきみ」を中国語に置き換えたような気もするのですが……。

つまり、弟王は「おおきみ」と呼ばれていたのでは?



125 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 12:48:46
>>122
ほぼ同意見。

異なるところは、薩野馬はまだ本拠を薩摩にしていないこと。
668年から669年の文武の軍事的九州南進前に、
もしくは668年の菊智城落城前に、
九州王朝は薩摩を本拠としたと見られる。
大宮姫伝説は薩末比売のことと思われます。
薩末比売(兄王)は久売及び衣君(九州弟王)の配下の支援と肥の軍事力に頼って抵抗するが700年に敗戦した。
衣君(肥君?)は668年から669年の戦いで戦死したものと思われる。
衣君の戦死は菊智城の戦い(698年)の頃か。

126 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 12:54:22
>>124
No1弟王のことを「おおきみ」と号したとも考えられる。
多利思北孤の妻は、単に「きみ」だけですから。

127 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/03(日) 15:32:47
>>123
異なるところをもうひとつ書き忘れた。

天智は天皇にはならず、「おおきみ」No1弟王であった。
天武も天皇にはならず、「おおきみ」No1弟王であった。
天武の功績は九州の兄王(天皇)を飛鳥に転都させたこと。
持統紀の「大嘗」はこの兄王のことを書いたものではないか?

128 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 16:43:38
後に天智天皇と呼ばれるようになった人物は、九州王朝の皇族の一員だったのか、
それとも近畿大和勢力の一員だったのか、どちらだろうか?

(天智天皇系の子孫が近畿大和王朝の歴代の天皇となっていることからして)
自分には、彼は近畿大和勢力の一員だったと思われる。したがって、九州王朝
側からすれば、彼は弟王=おおきみNo1ではなかったと思われる。

九州王朝側からすれば、弟王=おおきみNo1は薩野馬であり、同人が唐に抑留
されていた間は、仮に代理の弟王が立てられたとすれば、別の人物が弟王とされ
ていたのではあるまいか。その弟王こそ、後に天武天皇と呼ばれた人物だったの
ではあるまいか。

そして、その後に天武天皇と呼ばれる人物は、近畿大和勢力の婿養子ではあった
が(天智の娘三人を妃にした)、日常的には九州(豊前・豊後か)に住んでいた
のではあるまいか。そして、壬申の乱後、近畿大和に日常的住むようになったの
ではあるまいか。

129 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 16:50:45
                              
シラキの第7代王(イセ・キミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。
                             
■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、新羅滅亡(935年)まで金氏の王統が続く・・・>


130 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:12:59
>>122-128

これは面白い!!
ただいま考え中。

131 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 02:05:12

考えがまとまった!!
邪馬台国は大和国。

132 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 11:06:13
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

133 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:54:32
古代日本の住居といえば竪穴式住居であり、奈良時代まで続いている。
竪穴式住居の中央には囲炉裏があって、自在かぎで土鍋を吊るして煮炊き
をしていました。従って、三足土器を使う必要がなかったのです。

134 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 02:51:52
古代日本の住居といえば竪穴式住居であり、奈良時代まで続いている。
竪穴式住居の中央には囲炉裏があって、その中に甕型土器を突き刺して煮炊き
をしていました。従って、三足土器を使う必要がなかったのです。

日本人は古来鍋物が好きで、甕型土器で煮炊きしたものを、木の葉型食器に取り分けて食べていました。
米を食べる場合は、その甕型土器で玄米を長時間煮炊きし、雑炊や粥にして食べました。

135 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 21:46:55
土器は煮炊きに使ってるとすぐ壊れる。

現代に暮らす我々には実感はないが、
煮炊きを日常的に行えるというのは、
鉄の農具より高度な技術。

「鍋」は磁器であって「土鍋」であっても土器じゃない。

だから、文字文化以前の稲の調理法は蒸すか焼くか。
ぐつぐつ煮立つ前に火を止めてしまうという、
今我々が考える「煮炊き」とは違うジャンルの「煮る」手法はあったけど。

136 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:32:39
焼き石に土器を設置すればちゃんと調理できる。

137 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:33:32
九州王朝説に立つとき、日本書紀は、中国・朝鮮に知られているような事件に
ついての記述、例えば天皇の即位や崩御、外交交渉事実などについての記述は、
九州王朝の歴史に即して記述ざるを得なかったと考えられる。

というのは、もし近畿大和勢力における権力者の就位や死去、対外交渉事実を
そのまま正直に書紀に書くと、中国や朝鮮から、日本書紀が偽史と見なされて
しまうからである。中国や朝鮮は長らく九州王朝を日本列島を代表する権力と
して認知してきており、そのように認知している間については、近畿大和勢力
内での出来事は、日本の歴史書である書紀に書かれるべき出来事ではないから
である。

例えば、斉明天皇が即位したという記述は、九州王朝において○○(女性)天皇が
即位したので、したなく日本書紀に記載したが、近畿大和勢力内部では、そのよう
な事実はなく、おそらく大化の改新と呼ばれる事件以来ずっと、中大兄皇子が
近畿大和勢力内において最高位の権力者であり続けていたのであろう。

138 :134:2008/08/06(水) 00:12:13
弥生土器では、「煮炊き」ではなく、「煮る」だな。
「煮る」=「煮炊き」と考えていた。
V字型の甕型土器を地面に突き刺し、その周りで火を熾す。
火力が強いと調理が出来ないね。
これじゃ「炊く」ことが出来んわな。
弱い火力で「煮る」になるな。
弥生土器の外面に煤が付く程度で、
土器が割れることもなくなるな。
土器の焼成温度よりはるかに低温の加熱だからね。

前述文修正
竪穴式住居の中央には囲炉裏があって、その中に甕型土器を突き刺して煮ていました。
従って、三足土器を使う必要がなかったのです。
日本人は古来鍋物が好きで、甕型土器で煮たものを、木の葉型食器に取り分けて食べていました。
米を食べる場合は、その甕型土器で玄米を長時間煮て、雑炊や粥にして食べました。

すばやく炊いた玄米は食えないね、玄米は長時間ゆっくりと煮るからこそ食えるようになる。
玄米は縄文時代のドングリと同じだね。アク抜きは必要無いけれど。

139 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 01:26:57
年中、火をたいていることで、家の中に羽虫がいなくなり、
夜は獣が家に寄ってこなくなる。
だから、長時間加熱するのは自然なことだったと思う。

140 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:42:20
>>138 >>139
いったいどこからそんなでたらめな話を拾ってきたんだか。
燃料調達コストをまったく無視しているし。

土器の焼き温度より低かろうと、長時間加熱し続ければ土器は壊れる。

弥生期に可能な加熱方法は「蒸し」つまり「おこわ」、
もしくは、臼を使って破砕して、土器を使わずに焼き石の余熱だけで済む調理法。
(杵は十五夜ウサギが抱えている変な棒のようなタイプ)
だから、主力は餅米だ。

今の天皇が儀式として手入れをしている田んぼも古い品種の餅米だから、
少なくとも奈良時代くらいまでは、餅米優位が続いていたはず。





141 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:42:41
大馬鹿じゃねーのw

弥生人の炊飯器だった甕自体が弥生開始とともに水田稲作と同時に新たに
登場した新器種なのに、何で最初から安定性が高く先進的な中国三足土器は
一体も作らず、不安定で原始的な甕しか作っていないのかって事だろが。

ただ単純に朝鮮稲作を持ち込んだのは朝鮮東沖合を通過してきた北方アジアの
海洋民だったからだろ。

台湾国策工作員は全く往生際が悪いよ。

142 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:49:06
>>141
>弥生人の炊飯器

だから、土器では米は炊けないっての。

江戸時代に「車」を使えば、江戸・京都間を数時間で移動できる
みたいなトンデモ話をあんたらはしてるんだよ。

江戸時代にあった「車」は大八車くらいなのに。

143 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:53:42
>>142
はあ?

何テメエ言ってんだよ。この糞タイワンニグロ。

弥生文化博物館の屋上から頭から飛び降りて死ねよ(ゲラゲラ嘲笑

144 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:24:56
三足土器厨が、いったい何を問題にしてるのかが、さっぱりわからない。
何で米を「炊く」以外の調理法で、なぜ食べちゃいけなかったのかがわからない。
他の雑穀同様、煮て食べればいい。葉に包んで蒸して食べればよい。
コメ文化圏で、三足土器なんて必須のものじゃないでしょ。

145 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 05:25:23
三足土器で炊飯していたのに甕という別の炊飯器が伝わっとるから
不自然なんだろがヴォケ

146 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 05:31:27
連日連夜、朝昼晩、食事の度に見て慣れ親しんできた中国土器で
一番特徴的な器形の三足土器を忘れるわけねーだろが。

だから中国からなんて稲作も渡来人も来てねーんだよ。

つか、日本から出てけよ糞タイワンニグロ!

147 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 05:56:39
三足土器だけじゃない。

ラッパ型の器形もなければ、圏足土器や環足土器もない。

土器にフタ付きや取っ手付きが当たり前だったのにそれもない。

穴窯で焼くのが一般的だったのにそれすら伝わってない。

弥生土器には当時の中国土器に特徴的な要素が何も伝わっていない。

特に長江江南などは中国でも最も早く原始青磁が登場し定着した
地域で当時世界で最も土器が先進していた地域であったというのに。

148 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:14:18

ドングリを煮た縄文土器と同じ形状の弥生土器で玄米を煮たのだよ。
「煮る」のは「蒸す」「焼く」以外の調理方法のひとつ。
火力の強い「炊く」は金属器が出てくるまでは難しい調理方法。

もち米は、里芋の食習慣から引き継がれた、食の好みに基く選択。


149 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 10:23:09

燃料効率なんて馬鹿なこと書くな。
囲炉裏には常に火種がある。

150 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:49:31
弥生時代は現代の赤飯のように米は蒸して調理していたと聞いたことがある。
現代のように米を炊くようになったのはもっと後でしょ。


151 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:10:23
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

152 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:31:49
長江下流域から日本に稲作を伝えた集団は極めて少人数だったので、
中国土器までは日本に伝えなかったのでしょう。
長江下流域から日本の九州まで一人乗りカヌーで5日で着いたとのニュースが昨日あっていた。
長江下流域で半農半漁で生活していた住民が漁に出て沖に流され九州に漂着し、偶然積んでいた籾から稲作を伝えた可能性は十分ある。

153 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:47:26
人間にとって、調理法なんて保守的だ。
新食材も、今までと同じ調理器具で同じように調理するものだ。

154 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 14:48:47
>>152
で、替わりに北方アジアの土器を伝えるのか詭弁カスw

155 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 14:51:00
米は蒸して調理していたならなおさら三足土器が伝わっていないのは不自然。

156 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:47:14
新食材をそれまでと異なる調理器具「甕」で調理したんだが何か?

157 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 18:37:02
で、それがどう問題なわけ?>156


158 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:00:50
>>151の写真を見ると、これが一般的な意味での「土器」でないことは明らかだ。

弥生期の一般的な土器は、各々の田んぼの粘土層
(水稲栽培の有力な副産物)を使って作られる。

>>151の土器は、水稲栽培の副産物ではなく、原材料の土を選んでいる。
我々は、田んぼの土を使って、弥生式土器は再現できても、
>>151の土器は作れない。

つまり、>>151が同時期の江南の土器と日本の弥生期の土器の技術的落差を
強調すればするほど、弥生期の水稲が江南経由かそうでないかの判断材料には
ならないことになる。

159 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:09:17
>>148
また例のでたらめニートか。

>火力の強い「炊く」は金属器が出てくるまでまでは難しい調理方法

飯を電子ジャー以外で炊いたこともなければ、想像もできず、知識も欠落した
二重三重の池沼の言。

煮炊きが可能になるのは、我々が言うところの「土鍋」、すなわち磁器が普及した時代。
金属製の鍋なんてものを貧乏百姓が使うようになるのは、もっと後の時代だ。

160 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:14:58
焼き石を縄文土器に入れれば、料理できます。

161 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:09:50
甕・壺・高ツキは作れても三足土器は作れないという詭弁w

三足土器を作れなかったのは、ただ単に、

彼らの故郷の土器になかったから。

162 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:11:44
稲作をするのに調理できないて矛盾

163 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:19:34

>煮炊きが可能になるのは、我々が言うところの「土鍋」、すなわち磁器が普及した時代。

上記は十重二十重の池沼の言。

磁器の発明は11世紀だよ。

須恵器や陶器の土鍋でも煮炊きできるよ。
焼成温度が1200〜1300℃になると、直火に耐え割れにくくなる。




164 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:31:55

粘り気のある米は、焼き石で煮ることができない。
弥生土器なら米を炊けなくても煮ることで調理できる。

165 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:39:12
弥生人の炊飯器だった「甕」は弥生開始時に最古の水田稲作と同時に
登場した新器種。

渡来人は最初から故郷の土器で米を煮て炊いているよ。

安定性が高く先進的で便利な三足土器は一体も作らずにw

166 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 16:59:24
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ付き、単耳付き、直耳付きに注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

167 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 23:08:03
九州王朝説に立つとき、日本書紀の編者は、中国・朝鮮に知られている事件に
ついての記述、例えば天皇の即位・崩御の紀年や性別、外交交渉事実などにつ
いては、九州王朝の歴史に即して記述ざるを得なかったと考えられる。

とりわけ、編纂時期に近ければ近いほど、よけいに九州王朝の歴史事実に即して
書かざるをえなかった。中でも唐王朝は、日本書紀を編纂している時点での
中国王朝だから、唐王朝の成立(618)以降については、日本書紀の編纂者
は、九州王朝の歴史に即しつつ、近畿大和勢力の出来事を書き込まざるを得な
かったと考えられる。

したがって、皇極天皇、孝徳天皇、斉明天皇、天智天皇、天武天皇の、即位・
没年・男女区分などは、九州王朝における○○天皇、△△天皇、××天皇らの
それらに準じていると考えられる。

つまり、九州王朝で女帝の重ソなどがあったので、日本書紀でそのように書かざるを
えなかったが、実際には、近畿大和勢力においては、ある時点からずっと中大兄皇子
が権力者の地位にあり続けていたと考えられる。(その時点が645かどうか必ずし
も明らかでない。九州王朝で、孝徳天皇に対応する○○天皇が645年に即位したの
に合わせるために、蘇我入鹿殺しを645年とした可能性が高い。)。

168 :のんびりひまじん:2008/08/09(土) 10:11:35
>>167 九州年号を中心に近く位置させると、

九州年号:きりすと西暦:日本書紀
命長5   644  皇極天皇の3年
〃 6   645   大化 元(と改めた)・・・孝徳天皇即位
〃 7   646   〃  2
常色 元  647   〃  3
〃  2  648   〃  4
〃  3  649   〃  5
〃  4  650   白雉 元
〃  5  651   〃  2
白雉 元  652   〃  3
〃  2  653   〃  4
〃  3  654   〃  5
〃  4  655  斉明天皇 元  孝徳崩 皇極天皇重ソ
〃  5  656  〃    2
〃  6  657  〃    3    

何を表現しているのかといえば、
天皇が代わると、年号を変更する大原則がある。にもかかわらず、
九州年号と日本書紀天皇との相関が見えない。

(ここから判断が違ってくるわけだが、情報提供に止める。)

169 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 11:26:16
九州年号の改元年と、日本書紀の天皇即位年と、が何故ズレてるのか?
九州王朝説に立つ者は、その理由を説明しなくちゃいけないな。

説明として例えば、日本書紀編纂者が、唐王朝は九州王朝における天皇の崩御
や新天皇即位の紀年を知らないだろうから大丈夫だと考えたからだ、とか、

九州王朝における天皇の交代ではなく、近畿大和勢力における権力者の交代こ
そが、日本列島を代表する権力者の交代であったと、唐朝に対して言い張る
ハラを固めたからだとか。

ところで、改元は天皇が交代すると行うというルールは、一つの例外もなくそうなの
だろうか? というのは、日本書紀では、孝徳天皇の在世中に「白雉」に
改元したと記述してるからだ。当時は、在世中に改元するってことが普通に行われて
いたんじゃあるまいか? 「大宝」の建元だって文武5年だ。

 

170 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 11:42:38
>>167 >>168
天皇の代替わりと九州年号は合っていない。ということは、「九州王朝における○○天皇、△△天皇、××天皇らのそれらに準じている」という見通しは正しいとは言えそうにない。
発想を転換すれば、以下のように考えられるのでは?
日本書紀は、九州王朝と異なる大和王朝の存在を主張した(これならば、大和の天皇を九州の天皇に合わせる必要はない)、しかし、九州王朝による外交を自らのもののように見せかけた。
裴世清は九州の王朝を訪ねた後、大和へも来たというふりをした。九州の遣隋使派遣と同じころ、大和も小野妹子を派遣したふりをした。
九州のことを書かずに、それを書いておけば、「ふり」について中国史書が裏づけているかのようにも見える。



171 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:11:40
>>170 日本書紀は、九州王朝と異なる大和王朝の存在を主張した

(その1)

九州王朝説に立つと、

歴代の中国王朝は、九州王朝こそ日本列島の代表だと認知してきたのだから、
歴代の中国王朝が記録してきた天皇の交代時期や性別と異なる記述を日本書紀
がすれば、それは、偽の日本の歴史だと中国から言われてしまうはず。特に
時代が近くなればなるほどその恐れが強くなる。

そう言えば、『旧唐書』には日本大使が「実をもって答えず」と記されている。
唐朝の質問に対して、日本大使は日本書紀の記述どおりに返答しただろうから、
唐王朝から見るとやはり、日本書紀の中に疑わしい記述があったということなのだ。
ってことで、結局、日本書紀の記述は、九州王朝の天皇の交代と必ずしもシンク
ロしておらず、近畿大和勢力の権力者の交代をそのまま書いてるか、あるいは、
九州王朝の天皇の交代とごちゃ混ぜにして書いてるか、どちらかだ。

つまり、唐朝が少々疑っても、強引に日本書紀の記述のとおりだと言い張って
しまおう、と考えたってことだ。日本書紀の完成が720で、その時点では
近畿大和勢力が日本列島の代表者と中国や朝鮮からも認知されていたので、
そう言い張っても大丈夫と考えたんだろう。

172 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 15:12:22
(その2)
でもあんまり唐王朝の記録と違うといくらなんでもまずいから、ある程度は
九州王朝の天皇交代を模してるんじゃなかろうか。特に女性天皇は中国には珍
しいので、中国の印象に残ってるだろうから、日本書紀の女性天皇の記述は、
九州王朝の女性天皇の交代を書き込んでるんではなかろうか?

ってことで、例えば斉明天皇の即位は、九州王朝の○○女性天皇の即位を
書き込んだのであって、近畿大和勢力においては、その時点では中大兄皇子
が、形式的にも実質的にも最高権力者の地位にあったのではなかろうか。

もちろん文献上の根拠はなくて、九州王朝説に基づく単なる想像に過ぎないが、
一つの有力な仮説として持ち続けて、古文書の様々な記述のウラを推測するよ
すがとしたい。

173 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 18:26:32
九州王朝説に立って、さらに仮説を重ねてみよう。

日本書紀の中の斉明天皇につての記述の一部は、九州王朝の○○女性天皇の事績を
書き込んだものと仮定したとき、九州王朝は姉弟統治だったと言うから、弟王に相
当する○○大君がいたはずであり、その○○大君の事績が、日本書紀の中で中大兄
皇子の事績の一部として書き込まれいるのではなかろうか。

その○○大君こそは、白村江の戦いで唐軍の捕虜になり、後年帰国する筑紫君
薩野馬その人ではなかったか。つまり、日本書紀における中大兄皇子の記述の
一部は、薩野馬の事績を書き込んだものと考えられる。

斉明天皇を土木工事を好んだという。それは緊張を高める朝鮮半島情勢(唐と新羅の
挟み撃ちにより660に百済が滅亡。百済再興を目指して鬼室福信が活躍など)に対応
して、北部九州各地域に神籠石山城や水城などを築くための土木工事であったろう。

斉明天皇没後、中大兄皇子は長津宮(博多大津)に移って、海外の軍の指揮をとったと
記述されているが、これは、薩野馬の事績を記述したものであろう。

以上は推測に過ぎないが、つじつまがかなり良く合っているのではあるまいか。

174 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 19:15:46
ちなみに、改元は天皇が交代したときにのみ行うというルールは、明治時代に
なって確立されたルールの由。古代には、次のような場合に改元が行われた由。

帝王の交代による代始改元
吉事を理由とする祥瑞改元
凶事に際してその影響を断ち切るための災異改元
三革を区切りと見なして行われる革年改元(三革とは、革令(甲子の年)・革運
(戊辰の年)・革命(辛酉の年))

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%B9%E5%85%83

175 :のんびりひまじん:2008/08/09(土) 22:03:43
>>174帝王の交代による代始改元   については、後世の天皇王朝でも行われた。
(例外は1か、2くらい)→九州年号でも恐らくそうだろう。

革命(辛酉)改元は、以下のとおり存在した。
541明要(←僧聴)
601願転(←告貴)・・・・ただし(併用の)法興 の年号は継続のまま
661白鳳(←白雉)

なお、革令(甲子)、革運(戊辰)年の九州年号の改元はない。


176 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:15:35
結局「九州王朝説」なんて文献のあっちこっちをつまみ食いしただけのご都合主義。

最近たまたま気づいたんだが、、、

九州王朝説で九州で7世紀後半から8世紀前半に人口が激減し
それを藤原京や平城京への人口移動があったと言う説があったと思うが

それって天平7年9年に大宰府を中心にして流行したと言う天然痘・疱瘡のことなんじゃね?


177 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:51:36
邪馬台国の倭人は、海に沈没するのが特徴。
内陸ヤマトではどうやって海に沈没すればいいの?
後継国には阿蘇山があるっていうし。
畿内説って妄想以外の何物でもありません。

178 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:27:23
>>176 結局「九州王朝説」なんて文献のあっちこっちをつまみ食いしただけのご都合主義。

って言うが、中高等学校で教えてる日本史だって、「文献のあっちこっちをつまみ食
いしただけのご都合主義」だ。

日本書紀や古事記でさえ近畿天皇家の祖先は九州からやってきたと書いてるのに、
学校教育では、その部分は採用せずに、近畿天皇家は遙か昔からずっと近畿大和
にあったって教えてるんだからね。そして、その後の歴史については、日本書紀
や古事記の記述を採用して、教えてる。つまみ食いの最たるものだ。

前々から、日本史の学校教育は、このつまみ食いだけでからしても、うさんく
さい教育だと自分は思ってる。



179 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:35:17
>>178
>近畿天皇家は遙か昔からずっと近畿大和にあったって教えてるんだからね。
>そして、その後の歴史については、日本書紀や古事記の記述を採用して、教えてる。

いつの時代の人?
つか日本人?

そんな記紀に基づく万世一系なんて歴史観学校で教えてないぞw

まあ「聖徳太子」の文字すら近い将来歴史教科書から消える・・・なんて話まであるぐらいでwww



180 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 02:18:53
>>179
では、近畿天皇家の祖先はどこから来たと、現在の中高等学校では教えてる?

自分は、近畿天皇家は大和盆地から発して、次第に四囲に勢力を拡張し、4世紀頃末
頃までには九州まで勢力下に納めて、海を渡って、高句麗好太王(広開土王(在位391〜412)と
戦った、と習ったけど?

181 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 02:30:36
>>180
天皇家の出自なんて歴史教科書に載ってたか?

4世紀半ばに日本をほぼ統一(まあこれも東北・北海道・沖縄etc・・・を無視しちゃってるんだろうがw)
で語呂あわせで 「 大和朝廷全国をシチュー(4世紀半ば)に治める」 と記憶した覚えしかないw



182 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 02:56:46
>>181 4世紀半ばに日本をほぼ統一

その日本をほぼ統一した勢力は、どこの勢力と教わりましたか?
私は、天皇家をトップとする近畿大和の勢力と教わりました。

その天皇家の出自がどこであるとも教科書に書いてなければ、子供でも、当然に、
天皇家は近畿大和から発したと思わざるを得ないですね。

そもそも、日本史の途中からは日本書記の記述に基いて教えてるんだから、
出だしの所、つまり、天皇家が九州から来たっていう日本書紀の記述をカット
して教えようとしないのはなぜなのか、その理由をこそ示すべきだと自分は、
考えてきました。

ところが、これまで、その理由として納得できる説明を今まで聞いたことがな
いのです。それに比べれば、九州王朝説の方が、ずっと説得力があると自分は、
考えてます。

九州王朝説も、近畿天皇家一元主義も、いずれも仮説である点では同じです。
私としては、より説得力のある仮説の方をとりあえず前提としてみて、各種
文献資料の記述をウラ読みしてみようと思っているわけです。

183 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 03:46:35
>>182
結局、畿内皇統と九州皇統の二択かw

心配しなくても、もはや大化の改新(乙巳の変)を単純な勧善懲悪劇と見たり
スーパーマン聖徳太子の伝説を真に受けるような事も無くなってくるからw

ここで九州王朝論なんて採用された日には何の事は無い
畿内大和王朝のラベルを九州王朝に変えただけで
皇国史観の復活だ。

冗談抜きでそれは勘弁してくださいw



184 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 10:31:37
騎馬民族征服王朝説によると、古墳時代に騎馬民族が渡ってきた、それは応神天皇
の事績として日本書紀に記述されてると言うんだが、

仮にこの騎馬民族征服王朝説が正しいと仮定すると、その騎馬民族と九州王朝
との関係はどうなるんだろうか?

九州王朝に反撃されて、すぐに近畿大和の方に転戦したのか、
 それとも
九州王朝と婚姻関係を結んで、一時は九州王朝内で勢力を伸ばしたが、
やはり本流になれなかったので、近畿大和に移っていったのか?

自分は、後の方のケースだろうと考える。というのは、九州王朝説によると、
九州王朝と近畿大和勢力とは姻戚関係にあるとしているからだ。
ただし古田武彦による九州王朝説では、神武天皇の時に近畿大和に入ったので
あって、応神天皇の時ではないというから、そこらがよくわからないのだが。



185 :のんびりひまじん:2008/08/10(日) 10:40:28
>>183
九州王朝説が新しい皇国史観を持ち込みそうだという意識はおかしい。

日本列島には、倭(九州)、日本(関西)、毛人(関東)という三地域に
それぞれの王権が存在していたと旧唐書が記載しているのを、
なんら利害を持たない外国の客観認識だと評価するところが
九州王朝説の出発だった。

今後も、九州か、関西か  ではなく、日本列島の中央政権が
どういう経緯で関西に集約したのかを見出す方向での議論であるはず。

どっがにサ一元史観ば持ちだがっで、一元集約先ば変え持ちだがってって、つーんではダミだすべ。

関西一元史観(発の皇国史観)は問題だが、もし、裏返して
九州一元史観のようであるならば、
それこそ問題だ。
(かつて、
昭和戦前:軍国主義・天皇絶対イデオロギー
昭和戦後:共産主義・天皇反対イデオロギー  
どっちも問題で、現実の象徴天皇を無視した議論だった。別スレテーマなのでこれまでとするが)

みなさん、相対的、かつ客観的史観を持とうではありませんか。それで、

日本書紀という書物は、ウソが書いてあるというのが共通認識できている
のだけれど、ウソのレベルへの認識程度の違いに過ぎない。(って気付いてますか?)

ところで、九州年号についての新しい展開が進行中なので、
もう2〜3年以内くらいに新出版が出るだろう。(大化の改新が変わる。)

そのとき、再び三度び、驚かないでくださいませ。諸君!
(考古学分野でも進展中の状況は九州に中央政府があったと
基本認識すれば無理ないことが出つつあるのでないのか。)

186 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 14:15:12
九州一元史観なんて、上の方で誰も書き込んでいない。
書き込んでいると勘違いしてる人は、いるかも知れないが。

有史以来今日に至るまで万世一系の近畿天皇家がこの日本列島を代表する存在
だったという史観が一元史観であって、700年頃までは九州王朝が日本列島
を代表し、それ以降は近畿王朝が日本列島を代表しているという考えであれば、
もうそれは万世一系でないと言う点で、一元史観とは言えない。

いずれにしても、他人の考えの内実を見極めることもなく、〜〜主義だ、○○史観だ
などと勝手にレッテルをペタリと貼り付けて、自分が勝手に貼ったそのレッテルを、
一方的に非難しまくることこそ、かつてナチスドイツがやった全体主義の手法
そのものだし、またソ連や共産中国がやった「あいつは資本主義者だ、やっつけろ」
というレッテル貼りそのものだ。

相手の主張を良く確認もしないで、>>○○は××主義者だときめつけるようなことを
する人は、この板にはいないと信じる。

187 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 14:35:05
>>185

> 九州王朝説が新しい皇国史観を持ち込みそうだという意識はおかしい。

当然、古田自身には、そういう意識は無いだろうね。

ただ、対半島、対大陸外交で都合の悪い事実は、全て「九州王朝」の所為にしておけば、
皇国の面子は保たれり、つーのは江戸時代から綿々と繰返されてきた主張。
その事実まで否定してはいけない。

188 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 15:05:43
>>187 が書いてることは、良く理解できない。
「九州王朝」のせいにしておけば って言うが、「九州王朝」が存在している
ことを認めちゃったら、その時点で即「皇国の面子」が丸つぶれになる。

現に日本書紀や続日本紀は、九州王朝が存在したなんて一切言ってないし、
そんな皇国の面子が丸つぶれになるようなことは、口が裂けても言いたく
なかっただろう。




189 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 15:12:50
>>188
> >>187 が書いてることは、良く理解できない。
> 「九州王朝」のせいにしておけば って言うが、「九州王朝」が存在している

当然、九州の土酋とか、海賊とか言う表現でも構わない存在だよ。
ここは「九州王朝」スレだから、敬意を込めて「 」書きの表現を使用してるんだよ。
そのくらい解かれよ。

190 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:39:53
>>189
解りました。>>187の言う「九州王朝」が九州の土酋や海賊を指している
のであれば、確かに皇国史観のつっかい棒になる心配がありますね。

しかし上の方でずっと書き込まれている「九州王朝」は、その全く逆で、
名実ともに備わったれっきとした支配権力であり、むしろ近畿大和勢力の方こ
そが、7世紀末までは土酋だったという説ですから、皇国史観のつっかい棒に
なる心配はまったくなく、それどころか、逆に、皇国史観を打破するものですよ。

>>187,>>189は、羮(あつもの)に懲りて、なますを吹いているように、自分には
思われます。



191 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:54:53
面子だとか史観だとか、余計なことは考えない方がいいのでは。事実はどうだったのかだけの話しなのだから。

192 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:32:47
そのとおりと私も思います。従来、皇国史観と呼ばれる硬直した歴史観があって、
我が国に大いなる災いをなしたので、歴史上の事実を明らかにして、硬直した
歴史観を打破することが大事だと思います。

193 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:36:08
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

194 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 21:10:11
古代史界では、無意識の畿内王権一元史観がこれまで跋扈してきましたし、今もそうです。
九州から畿内に移転した王権一元史観と、畿内で発生・発展したとする
王権一元史観とがありますが、どちらも王権の多元史観を暗黙に否定しています。
暗黙ですから、学術的に判断したものではなく、全くの思い込みに過ぎません。


195 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:35:48
>>194
最近の九州王朝説はそれこそ「九州王朝一元史観」と言う感じしかしないのだが?
「多元的」というよりもただひたすら畿内を低く見せているだけ。

196 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:38:09
関東王権と畿内王権も認めてるでしょ。
畿内説みいたいな妄想は持ってませんから。

197 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:01:25
>>195

九州王朝説は、701年(大宝元年)以降は、近畿大和王朝が日本列島を
名実ともに代表してきたと認めている。

古代から現代に至るまで万世一系の九州王朝が日本列島をずっと代表してきた
なんて、全然、まったく、少しも、ちっとも、これっぱかしも、言ってない。
それを何でまた、「九州王朝一元史観」なんて言うのかね?

九州王朝説そのものをよく知らないんだね、きっと。

198 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 07:11:45
>>194 九州から畿内に移転した王権一元史観

あまたの九州王朝東遷説は明らかに一元史観だが、古田武彦の九州王朝説も、
九州王朝の血脈が近畿王朝に連綿としてつながっているとする点では、やっぱり
一元史観だね。

日本書紀は、天皇家はかつては九州で天下を統治していたが、神武天皇の
時に近畿大和に遷都して近畿大和で天下を統治し始めたと書いているが、

古田武彦の九州王朝説は、いや実は神武天皇以後も、九州に王朝が存在し続け
ていて、中国・朝鮮から日本列島を代表する権力として認知され続けてきたので
あって、神武天皇は九州王家のしがない末席皇族であり、一か八かで近畿大和に
出て行って、近畿大和に分家を立てたのだという説だ。

日本書紀の記述こそ典型的な一元史観だが、しかし古田武彦説も、血が連綿と
つながっているとする点では、一元史観なのだ。

問題は、本当に血がつながっているかどうかだ。日本書紀をベースにする限り、
そう考えるほかはないが、はたして日本書紀をベースにして良いのかどうかが
問題だ。古田武彦は、日本書紀は近畿天皇家が万世一系であることを宣言する
ために書かれ史書だと言う説だ。つまり、宣伝文書であって、必ずしも本当を
書いているとは限らないと考えているのだ。それにもかかわらず、近畿天皇家
は九州王朝と血のつながりがあると考えるのは、ちょっと強引ではなかろうか?

近畿天皇家が九州王朝と血のつながりがあるかどうかは、日本書紀以外の史書を
根拠とすべきだろう。古田が九州王朝説の論拠として中国・朝鮮の史書を用いた
ように、血のつながりの有無についても日本書紀以外の文書に論拠を求める
べきだ。そのような文書が見つからないのなら、近畿天皇家の血が九州王朝と
つながっているかどうかは明らかでないというスタンスをとるべきだ。

199 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:12:57
ま、あれだ。

信 じ る 者 は 救 わ れ ぬ

以上。

200 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:15:38
古田も、少なくとも継体以降は、血がつながっているかどうか怪しい、
と言ってないか?

201 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:15:42
妄想に取り付かれたものには他のもの全てが妄想に見える。

202 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 12:13:31
>妄想に取り付かれたものには他のもの全てが妄想に見える。
現在、通説と呼ばれる妄想に取り付かれた者の事ですね。


203 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:16:49
古田は王権多元史観だ。
キミ、読んだことないだろ>198

204 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:58:14
>>203
抽象的に、多元史観だ、一元史観だって決めつけてもしょうがないよ。
俺(>>198)みたく、論拠を示さないとね。

俺は「九州王朝の血脈が近畿王朝に連綿としてつながっているとする点では」
って、ちゃんと論拠を示してるだろ。その点では、古田は一元史観だと俺は
言ってるんだが、そのどこが間違ってるってんだね? 

論拠を示さない議論は、一方的なののしりあいになるだけなので、俺は興味ない。
もし>>203が何かをこれから書き込んでも、論拠を示さない限り反応しないので、
悪しからず。

205 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 14:15:41
「連続した王権と考えるからが一元史観だ」とは、国語として誤ってるでしょ。
「列島には唯一の中心王権しかなかったと判断するから一元史観だ」というのは正しい。
だから古田は一元史観として失格だ。

206 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:14:10
斉明天皇が土木工事を好んだって日本書紀に書いてあるけど、九州王朝説に立てば、
それは、九州王朝の○○女性天皇がやったことを書き込んだのだと考えられる。

○○女性天皇は、朝鮮半島有事に備えて大土木工事をやったんだと考えられる。
実際、斉明天皇(○○女性天皇)の在世中に、白村江の戦が起こった。

土木工事ってのは、北九州の城(神籠石)や、水城や、高速道路(土手)など
だったろう。大土木工事に反対する人民が多かったと日本書紀に書いてある。
でも、白村江の戦いの後、唐や新羅の軍勢に攻め込まれなかったのは、この
大土木工事のお陰もあったろう。

207 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:00:22
斉明天皇(○○女性天皇)の在世中に
   ↓
斉明天皇(○○女性天皇)の死後2年目に

208 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 02:28:20
九州王朝って何?
熊襲もはいらないのに九州って呼べんのか?

とりあえず、西都原古墳。未発掘の310基。
九州最大の王朝みたいなもんがあったとしたら、あの地域を周辺とする場所だろ。
それ以上の場所が九州にはないからな。

掘ると記紀と食い違う人達が飛鳥京の時代まで
ワンサカ出てくるんで都合悪いんだよwww 代々3種の神器持ってたり
東晋や宋の金印が5個ぐらい出てくる可能性もあるからね。


209 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 02:41:20
魏は「薄葬文化」だった。
魏から冊封を受けた邪馬台国は巨大古墳を大量に作ったりしないのが常識。

畿内説の妄想では、

畿内が邪馬台国でなければならない
→畿内の特徴が邪馬台国の証拠だと信じなければならない
→畿内には巨大な前方後円墳が多数ある
→巨大な前方後円墳が邪馬台国の証拠だと信じなくてはならない
→九州で無理に古墳が多い地を探せば西都原がある

こんな妄想、世界で通用しませんね(笑


210 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 02:59:05
>九州で無理に古墳が多い地を探せば西都原がある

はあ?誰が無理してんの?w 
しなくても、そこに大有りだろ。

邪馬台国だろうと何だろうと、あそこが九州では一番権力の集まっていた
場所だというのは一目瞭然。大体、西都原古墳は魏の時代だけじゃ

211 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 02:59:57
西都原古墳は魏の時代だけじゃない。


212 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 07:17:25
南九州は熊襲の巣窟と思い込まれているが、それではなんで日向に古墳が多いのかが理解できない。
しかも、日向には近畿と同じ形の古式古墳がいくつもある、バチ式とか柄鏡式とかの古墳がね。
近畿に古墳をつくった連中は、日向とつながっていたと考えなければならない。

213 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 07:29:26
それで、また>>89の考え方が出てくるのですな。

214 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 12:09:59
魏志倭人伝は魏の時代ですが何か?
その時代は魏の薄葬が常識でしょ。
何時代の話をしてるんだろ?

215 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 12:18:18
径百余歩の話だよ

216 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 12:33:55
魏志倭人伝には、多数の巨大古墳をつくる、なんて書いてないだろう。
卑弥呼の塚だけ大きく作ったが、薄葬思想があるから、
たぶん自然地形を利用したものだろ。西都原やマキムクは無理。

217 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:56:19
>>209
>魏は「薄葬文化」だった。
>魏から冊封を受けた邪馬台国は巨大古墳を大量に作ったりしないのが常識。

冊封を受けてから径百余歩の墓を作っているなw

>>216
よしんば自然地形を利用した塚だったとしても奴婢百余人の殉葬がありゃ薄葬にはならんわなwww





218 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 14:01:57
「多数の巨大古墳があるから畿内こそ邪馬台国」って、全く無理だよね。
殉葬は豪華じゃないだろ。卑弥呼のお付の者はたくさんいた訳だから仕方が無い。

219 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 14:03:31
同じ天皇が、記紀で2倍寿命が違うのは、2倍暦以外に説明がつかない。

220 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:37:23
>>218
「畿内説じゃない」=「九州王朝説こそ真理」と言う論理が解らない。
「進化論に問題あり」=「創造論こそ真理」の創造科学者と同じレベル。

221 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:18:22
>>219
全部が2倍になっているわけではありません。単に物語を作り替えたと考えればいいのです。


222 :ローガン:2008/08/12(火) 16:24:09
>>209

> 魏は「薄葬文化」だった。
> 魏から冊封を受けた邪馬台国は巨大古墳を大量に作ったりしないのが常識。
>(中略)

> →畿内には巨大な前方後円墳が多数ある …

つまり、魏に冊封されていたので「巨大な前方後円墳を多数造っている畿内は邪馬台国ではない」と云う事ですね?


魏代つまり、265年以前に造られた、貴方が云うところの畿内に多数ある巨大な前方後円墳とは具体的にどれなどを指すのでしょうか?


223 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:32:30
魏だけではなく漢代も薄葬なので、厳格な年代特定は不要です。
日本列島の中でもとりわけ畿内に巨大前方後円墳が多いということが、
畿内こそ邪馬台国候補のトップであるどころか、
むしろ邪馬台国でない証拠になっているわけです。

224 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:42:04
>>223
お前馬鹿だろ?
>>222の質問(と言うよりツッコミw)に答えてみろよwww

225 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:43:09
また出たね。畿内妄想ローガン(笑

226 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:46:21
秦の始皇帝以来、薄葬が主流なんだよ。
畿内は中国文明圏じゃないから、邪馬台国などありえない。
まして、

  「巨大前方後円墳こそ邪馬台国の証拠!!マキムク・マンセー!!」

なんてローガンは、妄想の極致でしょう。

227 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 19:14:07
まあお盆休みで時間もあるから九州王朝説のアホどもに
老眼の言っている”皮肉”の意味を教えておいてやる。

いいかな?
定義にもよるが一般に大型の前方後円墳と言えば200m超級で箸墓をその最初とするのが一般的。

仮に箸墓を卑弥呼の墓としても纏向及び畿内に
卑弥呼の時代以前の大型の前方後円墳なんてものは存在しえない。


わかりましたかあ?
よいこのおともだちたちwwwwww

228 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:34:35
>>223

> 魏だけではなく漢代も薄葬なので、厳格な年代特定は不要です。

ヨッシャ!大目にみてやる。漢代も含めて良いぞ!
多数の巨大前方後円墳を多数教えてくれwww

229 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:50:15
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

230 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 21:48:08
西晋も薄葬なわけだが。
だから畿内説ダメじゃん。

231 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 22:41:05
pu! おまいら何処までバカなんだ!鬼内派が>209に聞いている事わかっているのか?
魏って書いたのは>209ダロ?
それがなんで漢→魏→晋?

知らないのなら書くな。おまいらに九州王朝説なんか語って欲しくない。迷惑だ!
ここから出で行け!説もない癖に中傷ばかり。オレは九州王朝説だよ!でも、悪いけどおまいらとは違う。

オレは九州王朝大好きさんを応援しているよ! ずっとromだったけど、一言言わせてもらう!

232 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:04:25
>>212
>南九州は熊襲の巣窟と思い込まれているが、
>それではなんで日向に古墳が多いのかが理解できない。

理解十分できますが....。強い国には強い国が隣接しているのが常。
でなけりゃとっくに取り込まれている。わかるか?
神功皇后は熊襲 征伐を都城拠点に置いている。もう、数歩で熊襲ですよ。

そうでなくとも昔から熊襲と日向(+宇佐)は一発触発。
薩摩が「正八幡」ニュー「日向」神話で対立してるのは知ってるでしょ。

熊襲の北には倒したくても倒せない強国が居た。これは十分見てとれます。



233 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:09:15
西都原古墳は宮崎の中ぐらい。
古墳を集中的につくる地域に大勢庶民が生活を拠点にしていたとは
思えないから、そっから当時に(当然徒歩で)半日〜せいぜい1日位
で到達する場所じゃね?

山々を越えて他所の国、ってほどじゃないだろうからやはり
自分は宮崎県内だと思うんだがね。

234 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:14:31
とりあえず、西都原古墳に眠っている300基は誰?
こいつらの正体が古代九州最大の王朝の謎。
飛鳥京の時代とも被ってますよ。
それよか数百年前からなんかあったんだから。大和朝廷
完全空白時代ですよ。



235 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:18:57
>>232いやいやそんな話はいいから・・・
>>228

>>223

> > 魏だけではなく漢代も薄葬なので、厳格な年代特定は不要です。

> ヨッシャ!大目にみてやる。漢代も含めて良いぞ!
> 多数の巨大前方後円墳を多数教えてくれwww

答えてくれ。


236 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:30:13
>>89
>記紀は南九州を熊襲の地であるかのように描きながら、
>その地、日向から天皇の后妃を選んだように書いています。

何これ?ww
あのさあ、南九州には熊襲と日向(今の宮崎ね)があるの。
場所は近いが全く別の国。たぶん民族も違うのでは。とにかく対立してる。

日向と熊襲は隣接してるが 水 と 油。交わらない。
今でさえ、宮崎の人間は熊襲側と日向側を分けて考える。知ってた?

君は南九州熊襲=日向と思ってるよね?ごちゃ混ぜで混乱してる?
それとも、鹿児島にある薩摩の自称「日向」と記紀の日向と勘違いしてんのかな。

日向は記紀によれば天孫降臨と神武の出生地。畿内との繋がりが強く、逆に日向
を脅かす熊襲を倒しにいくのは当然かと。あんなのほっといたら怖すぎるだろ。

237 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 00:39:51
>>236
古事記によれば、九州は筑紫国、豊国、肥国を除いたところは熊曾国。
日本書紀の解説によれば、日本書紀が書く襲国は律令時代の地名は日向国とか。
南九州は広く熊襲の国だったという説もあるわけで、そう単純ではありません。

238 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 08:29:31
>>236
北九州にも日向と言う地名は多い。
日向が必ずしも南九州宮崎県でなくても良い。
いや、あるいは天皇家と言うのは熊襲の王家だったのかも。

239 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:28:23
>あるいは天皇家と言うのは熊襲の王家だったのかも。
そういえば、天孫降臨の地は、「襲」の高千穂だったな。

240 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:29:29
× 天孫降臨の地は、「襲」の高千穂だったな。
○ 天孫降臨の地は、「筑紫のひなた」の高千穂だったな。


241 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 15:32:43
>>240
その「筑紫」の範囲が問題なんだよな。

242 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:51:06
後世になって、「チクシ」を福岡県域を越えて、
「チクシ=九州島」に拡大解釈してきた歴史がある。
「大八州」も「瑞穂国」も最後には「全日本」の意味で
使われるようになってしまった。

243 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 06:02:20
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

244 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:45:14
>>240
日本書紀の本文は「日向襲之高千穂」だよ。「筑紫のひなた」などというのはどこにもない。

245 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 23:51:51
古事記の神代巻のほうが捏造度が低いでしょ。
「筑紫の日向の高千穂のクシフル峯に天降りましき」

246 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:21:19
「ひなた」という読みはどこから?

247 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:44:14
カラ国までまっすぐの地なんでしょ。「ひゅうが」と断定する根拠はないけど、
その記述からは「ひなた」の場所になりますね。

248 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 00:51:33
古事記に「ひなた」と読めという指示はないですね。
「日向」は、イザナギの禊ぎの地や神武東征の出発地としても出てきます。
これらも「ひなた」と読む(すなわち福岡県)という趣旨ですか?


249 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:31:40
カラ国までまっすぐの地で「日陰」などありえないでしょう。

250 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:41:39
で、「ひゅうが」と読むべきだ、という根拠は?

251 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 08:37:11
>>248
「ひゅうが」と読めという指示も特に無いよ。

252 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 12:13:11

「ひゅうが」と読むには無理がある。

素直に読めば、「ひなた」か「ひむか(ひむこ)」だよね。

253 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 13:19:50
西都原古墳群について、次の仮説が、あちこちとつじつまが良く合うと自分には
思われ。

古代のある時期に、大陸騎馬民族の子孫が朝鮮半島を経由して、九州北部に進出。
その当時九州北部を支配していた倭国九州王朝に(婿入りという婚姻政策を通じて)
勢力を扶植。しかし、倭国九州王朝内における土着勢力との権力闘争(倭国大乱)
に敗れて、宮崎県一帯に転出。そこで力を蓄えて、倭国九州王朝のバックアップを
得つつ近畿大和に侵入し、徐々に勢力を拡大し、ついに701年に大宝建元を
して、九州王朝に代わって日本列島の代表者に。

西都原古墳群は、この騎馬民族が作ったモノ。したがって、宮崎は近畿大和勢力の
故地でもある。宮崎の高千穂峰に天下ったとされる神話も、この歴史的事実を背景
として形成されたもの(ちなみに、鹿児島県霧島の高千穂峰への天孫降臨神話は、
後九州王朝により形成されたもの。)

254 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 13:43:41
西都原勢力が、軍事的に強かったという印象が無いんだが、
とうして国取り合戦で勝利できるんだろ?

むしろ、天孫降臨の占領から逃れた、戦争回避政権だったのでは?

255 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 13:59:10
> > 魏だけではなく漢代も薄葬なので、厳格な年代特定は不要です。

> ヨッシャ!大目にみてやる。漢代も含めて良いぞ!
> 多数の巨大前方後円墳を多数教えてくれwww
さっさと質問に答えてくれw


256 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 14:26:20
ずっと薄葬を守らなかった畿内に邪馬台国などない。
これで決定でしょ。

257 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:09:33
>>256

で、ずっと薄葬を守っていた九州王朝ってどこ?

勿論、古墳なんて物がある地域は外せよwww

258 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:38:17
多数の巨大な古墳群など、決して作らなかった九州王朝しかありませんんが何か?

259 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:41:34
「日向」国は本来の読みは「ひむか」で、後世になって「ひゅうが」と読み方を変えたと聞いた。
「日向」国は「ひむか=卑弥呼」の国の意味。

ちなみに、豊前・豊後国に分裂させられた豊国は「とよ=台与」の国の意味。

260 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 15:46:14
中国冊封下時代、薄葬を守らず巨大な古墳を多数作っていた地域は、
まず邪馬台国候補から外れます。

261 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 16:22:19
>>260
> > > 魏だけではなく漢代も薄葬なので、厳格な年代特定は不要です。



漢と魏代の多数の巨大古墳 多数答えろ!



262 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 16:44:58
>248に対する答えがないなあ。


263 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 16:46:39
そもそも薄葬って言うのは第一に丘陵を築かない事。

全長200m超の巨大前方後円墳は元より
100m以下でも薄葬からは外れる。

さあ大変だw

「古墳」なんて名の付く物は外さなきゃならない。

さてさて九州のどの辺りにその王朝があるのか?wwww


アホの九州王朝説論者が「薄葬」と言う単語に後先考えずに飛び付いて
自縄自縛、てめえの首を絞めていると言う一人SMショーwwwwwwwwww



264 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 18:57:04
>>254西都原勢力が、軍事的に強かったという印象が無い。

自分の仮説としては、次のとおり。

九州に進出してきた騎馬民族(の末裔)は、それほど強くなかった。だから婚姻政策で
勢力を扶植したし、倭国の大乱で土着勢力に負けて、宮崎に駆逐された。

しかし先進技術を持っていたので、宮崎でなんとか生き抜いて、全国に先駆
けて西都原古墳群も築造した。

近畿大和に侵入するのは容易でなく、大変な苦労をした。各地のバックアップを
得て、ようやく近畿大和に侵入したらしいのは、日本書紀や古事記に書かれてい
るとおり。

国取り合戦で勝利するようになるのは、欠史10代の間に近畿大和で力を蓄えてから
であって、宮崎にいたときのことではない。



265 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 20:49:39
>>264
普通に考えて無理だろ?w

西都原古墳群で所謂「纏向型」と現在言われているような形式の古墳
あるいはそれより古いと目される物ってあんのか?

有名な「男狭穂塚」「女狭穂塚」を見る限りそれよりももっと後の時代だろう?

簡単に言ってしまえば「東征・東進」じゃなくて「西征・西進」を物語るものとして見る方が妥当だと思う。

ああ、念の為、加えておくと「女狭穂塚」は九州最大の前方後円墳、
こんな物がある地域は薄葬を国是とした九州王朝であるはずがありません!wwwwwwwwwwwww



266 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:26:21
>>265
<国内最古級の前方後円墳の可能性>    毎日新聞 2005年5月18日 
宮崎県西都市の国特別史跡「西都原古墳群」にある81号墳が、3世紀中ごろ
に築造されたと見られる国内最古級の前方後円墳の可能性が高いことが宮崎大
の調査で確認された。
奈良盆地とほぼ同時期の前方後円墳の発見により、南九州までが古墳文化の成
立にかかわった可能性が出てきた。調査した宮崎大の 柳沢一男教授(考古学)
が22日、東京である日本考古学会総会で発表する。

ちなみに、放射性炭素年代測定法により、九州の弥生時代は従来の説より、
相当繰り上がる(古くなる)ことが判明している。次を参照。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E5%B0%84%E6%80%A7%E7%82%AD%E7%B4%A0%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E6%B8%AC%E5%AE%9A


これは当然、古墳時代の年代についても影響してくる。今後、炭素年代測定法が
で年代測定される実例が増えて来るに釣れて、九州の弥生時代や古墳時代の年代が
従来よりもずっと繰り上がる(より古くなる)ことは間違いない。

267 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 22:29:16
つまり、奈良盆地の古墳の年代より古い古墳が、西都原古墳群の中に
あることが、炭素年代測定法によっていずれ明らかにされる時が来る。

268 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 23:27:49
多数の巨大古墳を作っているような地域は、邪馬台国じゃない。
中国の薄葬を無視して、多数の巨大古墳など許されないからね。

269 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 00:06:35
金印を貰って中国の柵封体制下に入った九州王朝倭国では、中国の薄葬令にな
らって大古墳を作らなかった。しかし、九州王朝倭国内での権力闘争に敗れた
騎馬民族(の末裔)が転出して行った宮崎では、中国に遠慮することなく、大
古墳を作ったわけだ。

270 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:00:29
>>266
できれば日本考古学会総会で発表された内容ヨロw

でもねえ、その古墳自体がC14測定されたわけじゃないんだろう?

ちなみに纏向のホケノの木棺は既にC14測定の結果3世紀前半の数字が出てるwww
(ソースは「ホケノ C14」でググれば新聞記事を抜粋したサイトが出てくるからw)

ここでC14と日頃わめいている馬鹿は
「畿内説の年代遡上!」
とわめくなよ?ww


C14は誤差と言うか出される数値の幅が大きいんだが・・・
まあC14によって年代が繰り上がるのは何も九州の遺跡だけじゃない事を意識しておいた方がいいぞ?wwwwwwww


271 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:01:14
>>268
古墳だらけの北部九州は全滅wwwwwww



272 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:56:27
隋唐時代は中国の柵封をはねつけたから、
いわゆる九州王朝時代は薄葬の必要はありません。
漢〜魏〜西晋時代は原則として、中国側から薄葬を指導されたでしょう。

結論:
漢〜魏〜西晋時代にもかかわらず、多数の巨大古墳が
つくられてきた畿内は、邪馬台国じゃありません。

273 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:02:16
>漢〜魏〜西晋時代は原則として、中国側から薄葬を指導されたでしょう。
倭の朝貢など数十年に一度といった調子、径百余歩を造るまでには三十歩、五十歩だって造ってるはず。
そう考えれば、中国側から薄葬の指導などなかったとみるのが妥当でしょう。
倭人伝から読み取れない「薄葬指導」をもとにして近畿はどうとか、九州はどうとかいうのはまちがいのもと。



274 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:28:01
>>270 まあC14によって年代が繰り上がるのは何も九州の遺跡だけじゃない事を
意識しておいた方がいいぞ

炭素年代測定法で年代が繰り上がる例は、九州が圧倒的に多く、近畿は従来考え
られていた年代とほぼ一致することが多い。つまり、同じような土器や古墳であ
っても、九州のモノの方が年代が古いと言うことが多いということ。これは、
九州から近畿に伝播していったことを示すもの。
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou63/kai06301.htm
http://www.akimasa21.net/itidaiki/C14.htm
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/index.htm



275 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:31:14
上のURLの1行目は次が正しい。次のURLをクリックして下さい。

http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou63/kai06301.html

276 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:53:38
>>274
>同じような土器や古墳であっても、九州のモノの方が年代が古いと言うことが多いということ。

はあ?
そりゃお前の独善的解釈だろう?w

ざっと見たがそのリンク先の何処にそんな事が書いてある?
(1行目のリンク先はリンク切れ、pdfファイルまで開いてないが・・・)

何処と何処の古墳を比較したって?
何式の土器を比較したって?

要は九州で始まった弥生時代が早まるって話なだけ。




277 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:57:58
>>275
古田かよ!w

278 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:06:53
何を言おうと、科学的な測定値は覆せない、それが古田説であろうとなかろうと。
根拠レスは、いずれにしてもダメ。

279 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:08:46
>>276
>ざっと見たがそのリンク先の何処にそんな事が書いてある?

274の考えは論理的に正しい、しかし日本の考古学会はこの事について気づかぬふりをしている。

280 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:13:03
>>275
リンク先から・・・

>測定値には測定誤差の可能性をあらわす「プラスマイナス何年」がついているが
>中心値に近づくほど可能性が高まるのでカットしている

ここが味噌だなwwww

ちなみに>>270で言った3世紀前半と落としどころを持って行ったホケノの件は
委託したアメリカの機関が出してきた数字は中心値がAD120ですw

じゃあ纏向のホケノも2世紀前半と言う事でwwwwwwwwwww







281 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:36:17
>>280 ホケノの件は,委託したアメリカの機関が出してきた数字は中心値がAD120

追試してみて、やはりAD120年であれば、それは科学的真実でしょ。
それを前提にして古代史の編年を考えるべきです。

近畿説だ、古田説だなんて、それでメシを食っている人達には大問題でしょうが、
古代史が趣味の人間にとっては、何説であろうが真実を知りたいだけ。ホケノが
AD120年とういうのが科学的真実であれば、それを前提にして、古代史につ
いて自分なりの仮説を再構築ずるだけのこと。

○○説に固執して、真実を見て見ぬふりするなんて、アホらしくてやってられぬ。

282 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 08:50:11
>>281
問題はね、C14で九州のみが時代が遡上し
畿内が殆ど遡上しないと言う子供だましの欺瞞だよw

元々14は土器付着の炭化物でトンデモな数字が出ることがあるし
また出されてくる数字の幅も大きい。
(年輪年代法が期待されている要因の一つ)




283 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:01:20
>>282 C14で九州のみが時代が遡上し 畿内が殆ど遡上しないと言う子供だましの欺瞞

自分は、>>282の断言よりも、国立歴史博物館の発表を信じる。


284 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:10:39
>>283
歴博の何処に
「C14で九州のみが年代が遡上し 畿内が殆ど遡上しない」
なんて書いてありますか?


285 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:25:50
>>284 「C14で九州のみが年代が遡上し 畿内が殆ど遡上しない」

歴博は、そんなことは言ってないし、自分も言ってない。
自分は、次のように言ってます(<<274)。
 
 炭素年代測定法で年代が繰り上がる例は、九州が圧倒的に多く、
 近畿は従来考えられていた年代とほぼ一致することが多い。

「九州だけが」がなんて、科学的に証明することが極めて困難な記述は、自分は
間違ってもしないことにしてる。また「多い」と書いて、何らかの事情による例外
があり得ることを予期している。

いずれにしても上の記述は、歴博の発表などを踏まえて、自分なりに考えた
ものです。今後、多くの科学的測定が行われることによって、やがてこの自分の
記述が正しかったことが判明すると見込んでます。


286 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:46:53
しかし >>275 のリンク先・・・

俺みたいなド素人でも、笑いどころ、ツッコミどころ満載だなw

>畿内以外の地域の現在の考古学的年代観が事実とまったく違っているだろうということは
>他の14C測定値からもうかがえる。

おいおい、畿内は従来の年代観でいいのかよ!w

どうあっても畿内以外だけを古く持っていこうって腹なんだなwwwwww


287 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 09:59:39
自分なりに考えた仮説を書いてみただけです。どこかの地域を貶めようと言う
気持ちは全くありません。

自分の仮説へのコメントを書き込んでいただき、有り難うございました。

288 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 10:06:04
>>287
丁寧なやっちゃなw

でもお陰で例の単発ネタの馬鹿の元ネタの一つが分かったよw
こちらこそありがとうwww

でも何れにせよ九州の遺跡の年代が今以上に古くなれば
邪馬台国九州説は今以上に厳しくなり
畿内の遺跡の年代が古くなるのは逆に有利。

当然7世紀頃まで続いたと言う九州王朝も立ち消えwww



289 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 10:19:00
薄葬も古田が言ってたの?

290 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/16(土) 10:51:19
>>281
倍暦計上で、A.D.120年は孝昭天皇の時代だな。122年に孝安が立太子している。

291 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 11:06:53
魏志倭人伝 「卑弥呼死するを以って、大いに冢を作る。径百余歩」

「径」というのは「円の直径」を意味するから、卑弥呼の墓の形状は「円墳」
である。まかりまちがっても「前方後円墳」ではない。

また「一里=三百歩」であるから、1里=75メートル(短里)とすれば、
1歩=25センチである。したがって卑弥呼の墓の直径は、
「百余歩(130歩〜140歩)=30〜35メートル」である。

卑弥呼の墓はこのような形状・大きさだから、箸墓のような巨大前方後円墳は、
まったくその資格がない。

したがって、炭素年代測定法で箸墓の築造年代が卑弥呼の年代に当たるとしても、
箸墓は卑弥呼の墓ではない。したがってまた、邪馬台国が近畿にあったとは断定
できない。

卑弥呼の墓は、古墳時代の古墳の形状・大きさではなく、弥生時代の墳丘墓の
形状・大きさこそが相応しい。

自分は、以上の仮説を支持する。

292 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 11:08:46
要するに、従来の土器編年は結果として、
畿内にくらべて九州を新しく判定するために使われてきた。
それが、C14の測定でバレちゃったということ。

293 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 11:25:33
>>291
>「径」というのは「円の直径」を意味するから、
そういった使われ方をすることは多いが、正しくは径は図形の差し渡し、けして円に限るものではありません。楕円について長径、短径という言葉があることを考えれば、そのことはすぐ理解できると思います。
したがって、前方後円墳の長さも幅も「径」なのです。
前方後円墳の円部の直径などというのは円にこだわりすぎ、箸墓の長さは百余歩よりもはるかに大きいので、卑弥呼の墓の可能性はありません。


294 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 11:43:05
>>293

真円であれ楕円であれ「径」というってのはわかったが、イクラ何でも
方形についてまで「径」とはいなわないぞ。

したがって、前方部がくっついてる墳墓について「径〜〜」とは言わないと思うぞ、
楕円について「径〜〜」と言うからって、前方後円墳についても「径〜〜」と
言ったという説は、自分は支持しない。

295 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:24:24
>イクラ何でも方形についてまで「径」とはいなわないぞ。
松が丘古墳の説明を読んでいたら、「長径一七b、短径一四b、高さ一・五bを測る(長)方形墳」とありましたよ。
径の意味を知ってる人は、円にこだわったりしないようですね。

296 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:34:35
邪馬台国の倭人は海に沈没するのが特徴。
邪馬台国は絹の倭錦生産が特徴。
ということは、箸墓は卑弥呼の墓じゃありませんね。
そもそも大和が邪馬台国だという可能性すらありません。

297 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:57:02
>>296
でっかい古墳が多かったり、三角縁神獣鏡が沢山でたりってんで、多分近畿が
昔から中心だったんだろうって考えていた。そして、文献資料の中で近畿説に
都合が良いところだけつまみ食いしてた。都合が悪いところは原文改定したり
無視したりしてた。

ところが、その後、発掘が進んだことや(九州北部での倭絹・三種の神器に相
当する副葬品の出土、出雲での大量の銅剣・銅矛の出土など)、科学的年代
測定法の発達などによって、従来の通説がどうもおかしいと感じる人が増えてきた。

そこに九州王朝説(広くは多元主義)が出てきて、どうもこの方が、文献資料や
考古学上の知識とつじつまが合うことが多いな〜って事例が増えてきている、
のが現状。

今後、発掘や科学的年代測定法が進めば進むほど、そのような事例が増えていくと
自分には思われる。


298 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 16:04:36
>>296
産地直送、というようなことは絶対に否定したいらしい。
誰かが思いつくと、片っ端から叩いて回る。

299 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 16:17:50
それは、学問的に完全否定できるからでしょう。

300 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 18:22:37
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

301 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 20:52:12
れれれのれ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

302 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:08:05
>>299
イデオロギーに走るあまり…という事は封印したいらしい。
それは学問的に完全否定できるから?じゃあやってみろ。

303 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 22:58:46
九州王朝説に対する批判って、どんなんがあるんだろ?
誰か、主な批判を2〜3書いてくれる?


304 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 01:13:41
マトモな批判って、あまり思いつかないな。
「主観によるこきおろし」が多い感じ。



1:××時代は九州が衰退しているから王朝などあり得ない
2:九州元号は九州のものではない、または後世のニセモノ
3:巨大古墳から畿内の圧倒的国力は明らか
4:志賀島金印は時代が違う、または盗まれて九州へ、またはニセモノ
5:阿蘇山は大和の領土だった
6:三角縁神獣鏡こそ魏→卑弥呼ゆかりの鏡
7:邪馬台国は単なる辺境田舎豪族にすぎず、畿内こそ中心
8:漢籍はいい加減だから信用できない
9:箸墓こそ卑弥呼の墓であり、九州には該当なし

305 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 08:02:23
>>304
2番は誰でも思うことだよ。
あれらは全て後世の書物から鶴峯戊申が熊襲年号として再構築したもの。
九州王朝が編纂した書物が出てきて、それに書いている、と言うわけではない。

306 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 08:46:57
『二中歴』三善為康(1049〜1139)
『麗気記私抄』(1401)
『海東諸国紀』朝鮮 (成宗二年1471)
『如是院年代記』(1570)
鶴峯戊申 天明8年(1788年) - 安政6年(1859年))
また各地の国史や寺の縁起に残る。

九州元号は三善為康に始まる。
三善為康は平安中期の算道家(数学者)
仏教を厚く信仰しており、寺の縁起などの研究から九州元号の基となるものを発見した。
少なくとも1000年頃には日本全国各地で九州元号の基となるものが知られていたようだ。
それが本物か偽物か断定することは出来ない。





307 :ローガン:2008/08/18(月) 14:53:41
>>303

> 九州王朝説に対する批判って、どんなんがあるんだろ?
> 誰か、主な批判を2〜3書いてくれる?

文献に登場しない事ですね。

308 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/18(月) 15:00:11
古史古伝にウガヤ朝70数代等が書かれてます。

309 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:06:44
>303
>307

> 九州王朝説に対する批判って、どんなんがあるんだろ?
> 誰か、主な批判を2〜3書いてくれる?

記紀・続日本紀や魏志・隋書に、九州王朝は天武が引き継いだ、といっているのに、
畿内説側は、九州王朝は無かったと妄想して批判してる。

310 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 15:16:18
>>303
信用できる同時代資料=続日本紀に、「白鳳」「朱雀」が明確にでている。
>>306で挙げている書でも、金石文から九州元号を採集している。
これらの書同士の内容も近似し、かつ丸写しの形跡もなく、信用できる。
これら九州元号を無理に無かったことにして、畿内説論者が
「九州元号は捏造」と批判している。

311 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/18(月) 15:35:13
不利な事項は何が難でも古史古伝は「偽書」だと難癖をつける。また年号のほうも
「捏造」だと扇動する。こういう主張をしてる奴は自説の利害から葬るための
手なわけ。そこまで至らなくても私年号だとかで信用度を低落させる魂胆を実行
する。

312 :ローガン:2008/08/18(月) 16:05:41
>>309

> 記紀・続日本紀や魏志・隋書に、九州王朝は天武が引き継いだ、といっているのに、
> 畿内説側は、九州王朝は無かったと妄想して批判してる。


妄想ですか… すみませんね。
魏志、隋書のどの部分ですか? 「九州王朝は天武が引き継いだ」とあるのは?
又は、そう読めるのは?

313 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 16:40:53
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

314 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 17:23:17
ローガンは、畿内信仰で他人を折伏するだけだから、
彼には学問が通じません(笑
続日本紀や隋書は偽書だとでも言い出すのでしょう。

315 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 17:32:52
>>312
『隋書』600年の「倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩雞彌」は「日本書紀」「古事記」にはない。
倭はヤマトとは明らかに別物。

316 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 17:45:02
旧唐書では、倭国と日本国
新唐書では日本国のみ

>>315はこの意味が全く理解できない畿内信仰

317 :ローガン:2008/08/18(月) 21:13:50
>>315
> 『隋書』600年の「倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩尤彌」は「日本書紀」「古事記」にはない。
なるほど、「記述が無い」のが大和政権の事ではないと云う根拠ですか?
では九州王朝の史料には登場しますか?(笑)
まあさておき、「九州王朝の天武」はどこに書かれているのでしょうね。

318 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:54:20
>>317
そうですね。中国史書が書く倭国こそ、九州にあった倭国王朝なのです。それは、旧唐書や隋書の倭国と日本国についての記述をみれば明らかです。
倭国は、山島に依っている、4面に小島とあります。また、国境は各々海に至るともあります。
これに対し、日本国は、国の界、東西南北数千里、西界南界はみな海に至り、東界北界は大山ありて限りをなし、とあります。
唐時代、本州については、それが島国だという知識がなかった、日本アルプスより北についての知識はなかったと分かります。
となれば、四面海に至る島というのが九州であることは自明です。すなわ、中国史書が書いている倭国はすべて九州王朝、大和についての記載はありません。

九州王朝の史料は、説明が難しいので今は略。


319 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:06:44
>>314
九州王朝信仰で折伏して、従わない人間を基地外呼ばわりする人間に
それを言う資格はないと思うよ。

まともな歴史書を誰かがトンデモ解釈しただけで、
その本を偽書扱いするような馬鹿な真似は誰もしないよ。

320 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:13:51
>なるほど、「記述が無い」のが大和政権の事ではないと云う根拠ですか?
では九州王朝の史料には登場しますか?(笑)

大和政権の事なら『隋書』には直ぐ前に卑弥呼の話が書いてあるのだから今の倭の女王として推古天皇の名が有るはず。
明らかに大和政権の事ではない。
この大和政権とは別の政権を九州王朝と呼んでいる。

>まあさておき、「九州王朝の天武」はどこに書かれているのでしょうね。

さあね?309さんに聞いて。
自分は701年に大和政権が日本の全政権を握り文武天皇が大寶と建元したと考える。


321 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 22:43:53
天武の諡号は「天渟中原瀛真人天皇」。
最高権力者の名前に八色の姓、「真人」が付いているのは、
天下を取ったことは取ったものの、位の上では、日本列島中
最高位の人物でなかったと思われる。
まあ、「カダフィ大佐」なんていう例外もありますが(笑

日本書紀によれば天武天皇は、兄・天智天皇の「皇太弟」だった
ことなっているが、弟天武の年齢が4歳上とも計算でき、
天智天皇の娘を4人も嫁にもらうなど、ただ事ではない。
むしろ「皇太弟」は九州王朝の「弟王」(の一人)であるとみたほうが
天智天皇が娘4人を嫁にやらなければならない政略婚を、
九州王朝の高位たる天武に対してとらざるを得なかった、
と考えられ(事実のちに壬申の乱を天武が起こしている)、自然だ。


322 :のんびりひまじん:2008/08/18(月) 23:25:38
>>319
まともな歴史書とは?
書名を教えてくださいませ。

323 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:36:33
(その1)
この板は、九州王朝説の支持者が多いから、九州王朝説に対する強烈な批判は、
挙げられていないような気がするが、とりあえず>>304が挙げた批判について、
自分の考えを記すと次のとおり。おそらく>>304もほぼ同じ考えと思われるが…。

>1:××時代は九州が衰退しているから王朝などあり得ない

 豪奢な副葬品や、銅矛の数量や、倭絹や、太宰府跡や、水城や神籠石や古寺跡
 などがあり、衰退していたといわれると?と思ってしまう。

>2:九州元号は九州のものではない、または後世のニセモノ

 西日本各地の寺社の縁起などに記されたあまたの九州年号は、とてもニセモノや
 偽作とは思われぬ。

>3:巨大古墳から畿内の圧倒的国力は明らか

 古墳の巨大さが国力を表すのなら、当時の日本は、中国の漢、魏、隋、唐や、ローマ帝国や、
 ササン朝ペルシャをも上回る国力の国であったことになり、信じがたい。そもそも
 墳墓の大きさだけで国力を測ることができるという考え方は、科学的でない。大きな墳墓を
 作るが 国力はそれほどでもない国が現在でもある。国力は、墳墓以外の要素(水城、神籠石
 都城跡、出土品など)も加味して判定すべきである。

324 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:37:44
(その2)

>4:志賀島金印は時代が違う、または盗まれて九州へ、またはニセモノ

 近畿からは、時代が違う、またはニセモノの金印さえ出土していない。また
 盗まれたという証拠はなく、現に九州から出土し、かつ、九州から出土する
 理由について説得力のある仮説(九州王朝説)を立てることができる以上、
 もとから九州にあったと考えるのが科学的、合理的な思考というもの。

5:阿蘇山は大和の領土だった

 西に低く、東に高いという記述は、九州にこそあてはまるが、大和にはあて
 はまらないので、大和の領土だったというのはムリがある感じがする。

>6:三角縁神獣鏡こそ魏→卑弥呼ゆかりの鏡

 それにしては、三角縁神獣鏡の取扱が粗末すぎる。奈良県天理市柳本町の黒塚
 古墳から33面の三角縁神獣鏡が出土したが、それらは棺外に配置され、棺内
 には画文帯神獣鏡と刀1・剣1が納められていた。

7:邪馬台国は単なる辺境田舎豪族にすぎず、畿内こそ中心

 近畿天皇家一元史観に基づく一方的な断定であって、科学的な根拠がない断定である。
 かつてキリスト教がウルトラマイナーな宗教であったときも、キリスト教徒は
 キリスト教こそ世界の全ての人類を救済す教えであると信じていた。
 このキリスト教徒同様に、近畿天皇家一元史観は、信念、信仰であって、科学、理性ではない。
 近畿天皇家一元史観は、ひょっとしたら真であるかもしれないが、科学的には今だ
 証明されていない。

325 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 23:41:09
(その3)

>8:漢籍はいい加減だから信用できない

 中国の歴代の史書が政治的文書であるのと同様に、日本書紀や続日本紀も政治的文書
 であるという仮説の方が、自分には納得できる。中国の政治権力が作らせた歴史書は
 いい加減で信用できないが、日本の政治権力が作らせた史書は信用できるという根拠
 が不明。むしろ、外国の歴史書の方がどちらかと言えば信用できると言って
 も過言ではないと自分は考える。
 (中華主義に基づく卑字などを除き)。

>9:箸墓こそ卑弥呼の墓であり、九州には該当なし

 径百余歩は単里では、直径30〜40b。前方後円墳でありしかも
 墳長270bをこえる箸墓はとても該当しえない。

326 :ローガン:2008/08/19(火) 00:42:07
>>318
四面海というより、私、四面楚歌ですね。さておき
旧唐書が書かれた頃の日本の政権については認識が共有できると思います。
旧唐書倭国者の記述は隋書をおそってますね。その隋書の「イ妥国」は後漢書をおそっているにもかかわらず、後漢代光武帝の遣使も安帝時朝貢者も「倭奴国」としています。
テキスト、つまり後漢書では当然後者は「倭国」ですね。
倭国者古倭奴国也… 先行史書の引用関係から倭国=(後漢代朝貢者の)倭奴国だと書かれてもさほど違和感はありません。
又、日本国者(大和)が、古倭奴国つまり後漢代朝貢者と違うのは当然であり、「併倭国之地」 後漢代朝貢した古倭奴国の地を併せたのも頷けます。

327 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 00:44:42
で、ローガン氏は、

倭国=畿内大和国
日本国=畿内大和国  だと思ってるわけ?

328 :ローガン:2008/08/19(火) 01:06:26
>>320
> 大和政権の事なら『隋書』には直ぐ前に卑弥呼の話が書いてあるのだから今の倭の女王として推古天皇の名が有るはず。

王の性別に関する事でしょうか?タリシヒコが個人名なら確かに男性っぽいですね。
開皇の遣使が自国王の「号姓字」を伝えたなら上表と考えるべきですね。とすると大業の遣使との温度差はなんでしょう?
たった7年で対隋外交が大きく変化したとは考えにくいように思えます。
開皇の遣使が大業の遣使と同じ対隋外交を目指したものだとすれば、アメタリシヒコとは王の個人名ではないように思います。
個人名でなければ称号。称号なら性別に拘る必要はないでしょうね。
しかし、対等外交等認めない隋側としては、上表としか受け取らなかったので、件の記述になったものと愚考します。

ZZZ…

329 :ローガン:2008/08/19(火) 01:14:22
>>327
> 倭国=畿内大和国 > 日本国=畿内大和国  だと思ってるわけ?

旧唐書の記述… 倭国者古倭奴国也この記述における倭国つまり後漢代朝貢者は北部九州の倭奴国だと思います。

330 :のんびりひまじん:2008/08/19(火) 01:31:14
補足します。

>2:九州年号
平家物語 善光寺炎上の中に、金色の光輝く仏像なので、年号を金光とぞ申しける
・九州にだけ九州年号ではない→太宰府は日本列島の首都だったのだ。
   九州朝廷VS関西幕府(そして関東:毛人の鎮守府)・・・鎌倉時代初め頃みたい

>3,9:古墳
邪馬壱国の倭人の墓には、棺桶あるけど墓室なしと魏志倭人伝に明記。これは弥生墓のことだ。
文献無視して思い込んじゃったのが修正できない考古学者たちがいつまでも言い張っているだけ。
さらに短里説以前の思い込み部分も修正できていない。

>4:金印
弥生の首都圏=北部九州と分かってきた(絹、鉄、武器型銅器、玉、鏡・・・:首都にふさわしい出土物の集中)ので、
金印が出土して不思議でない場所と認識できるのに、素直じゃない人がまだ少し存在している。

>6:年号鏡
永仁のツボ事件以前の学説。後年に、年号なんて色々するからキメ手にならぬ。
参考:寛永以後の江戸時代ずーっと寛永通宝。明治以後のコインとは違う。

>8:いい加減な書物
それは、日本書紀のことだろ。
参考)
・法隆寺の火災記事は二回重出している。(その一方創建も再建だか移築だかも記事なし)
・死んだあとで活躍する人:伊勢の王/死んだあと十年以上後に叙勲受ける事例もあった。
・今後は二三箇所に宮都をつくる、まず難波に(副都令)と書いてある時期には難波京完成後。
・一人の神宮皇后が、二人の女王(卑弥呼・壱與)に対応。
・男王・女帝も知っていて日本書紀述作者は平気で書いてほったらかし。
   正しいと言い張るなら、誤也と断言しておくもの。
参考)三国史記 高句麗本紀で、高句麗の王の死亡年について、
中国側の記述を誤也と指摘する事例が2箇所あるそうだ。

331 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 01:39:36
「倭国者古倭奴国也」を自然に受け入れるなら、ざっくりと言って
倭奴国≒邪馬壱国≒邪馬台国≒倭国≒イ妥国と理解するのが順当。
であれば、なぜローガン氏が畿内説なのかが、さっぱり不明。

ただし、上記「≒式」の各国名は、短距離の都移転があったり、
首長国連合の中心国名と全体国名との呼称の違いなどはあったと
思われるが。(たとえば、中心国名が邪馬台国で包括国名が邪馬壱国
と呼ばれていたケースなど)


332 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 07:21:48
>>329
「日本国は倭国の別種なり、その国日辺にあるをもって・・」。倭国と日本国は別の所にあるのです。
そして、倭国は四面海、対して日本国は東、北は山で限られ、その向こうは毛人の国(これは本州ですね)。
日本国がある地、すなわち本州が島だとは分かってないわけです。
となれば、倭国は九州しかないと思いますが。倭国者古倭奴国。そして、阿蘇山。九州島ならばすっきり理解できますよね。

333 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:25:57
>>322
>>314が持ち出してきた「続日本紀」や「隋書」だよ。

334 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:29:00
>>328
>個人名でなければ称号。称号なら性別に拘る必要はないでしょうね。

称号だとしても『王妻號雞彌』と妻がいるから男ですよ。

>とすると大業の遣使との温度差はなんでしょう?

開皇の時も『倭王以天為兄 以日為弟』と生意気な事をいってますね
皇帝は『此太無義理』と起こってます。

335 :のんびりひまじん:2008/08/19(火) 08:36:31
さらに追加します。

>8:いい加減な書物
それは、日本書紀のことだ。
参考)
・継体紀 末尾:自国君主の死亡年なのに自国記録を改訂し、外国記事(百済本記)の方に合わせる。
(その事情を、編集責任者への注意メモしといたら責任者は気付かないのか、そのまま出版した。)
対比)
三国史記 高句麗本紀で、高句麗の王の死亡年について、
中国側の記述を誤也と指摘する事例が2箇所あるそうだ。
その、言外に意味するところ
←君主の死後、貴族たちは相互に後継争いした。が、外国にはそれを察知させずに後継が決まった。
のち、公表した年に、前の王が死んだと誤伝するほど、情報を漏らさなかった。そのことの大切さ、
つまり、チャイナの帝国主義者たちは、わが国内分裂をつけねらうものだから承知しておくようにと、
警告を後世に残している。また、高句麗という王朝が、隋・唐というチャイニーズ
帝国主義者の侵略を何度も撃退した内部事情に学ぶべきである。

336 :のんびりひまじん:2008/08/19(火) 09:29:28
>>334
>『倭王以天為兄 以日為弟』と生意気な事をいってますね

→王と王を取り巻く周囲との権力の関係を素直に表現したものだ。

参考までに、新羅の場合だったと記憶するが、中央貴族が5〜6族あって、それぞれ大等という族の長を朝廷内に送り込んでおった。
上大等というのが貴族議会の議長で、王よりも上大等のほうが実権ある。ところが、新王が即位すると新上大等が就任するが、
二人でセットとなっていて、王が代わると上大等も代わる慣例の時期があったとか。
ヤマト朝廷の大臣(おおおみ)大連(おおむらじ)も似たもの。氏の上(うじのかみ)たちの議長でしょ。

近隣諸国事情と比較して、イ妥国の兄弟セット王の場合、当時から現代日本の天皇と総理大臣みたいな権威と権力の分離が発生しておったらしいと見当がつく。

この兄弟王の記事を難解に思うのは、万世一系だとか、絶対主義天皇とか偏向した主義者(右も左も)たちに洗脳されて、先入観を持ってしまっているからでしょう。

高句麗だって、新羅だって、百済だって、中央の特権貴族たちの権限は大きかった。(井上秀雄さんの古代朝鮮って文庫本にそう書いてある。)

そこまで、前提を伝えたので、以下を主張する。

そういう黄身こそ、生意気じゃないのか。何も先人を学ばないまま、勝手な評言しているよ。

>『倭王以天為兄 以日為弟』と生意気な事をいってますね

☆次の評言もいかがかと思います。

(隋の煬帝は)>『此太無義理』と起こってます。
→隋の煬帝は事情を精確に理解したうえで、国家元首=代表というものは対外的には一人に決めるものであり、今後はどっちか一人にしなさい。(と教え諭した。)

参考)この時期の九州年号は二系列存在する。確か「願転」と「法興」だったか。

このように九州王朝説側からは、次々とものごとをピッタリ対応して説明するのです。
(反論に窮した人びとが、九州王朝説は辻褄だけはうまく合わせておる     と評価しています。)

337 :ローガン:2008/08/19(火) 15:55:01
>>331
> 「倭国者古倭奴国也」を自然に受け入れるなら、ざっくりと言って
> 倭奴国≒邪馬壱国≒邪馬台国≒倭国≒イ妥国と理解するのが順当。
> であれば、なぜローガン氏が畿内説なのかが、さっぱり不明。

その式には同意出来ません。倭奴国とは建武中元二年の朝貢者であり、卑弥呼の都である邪馬台国とは区別すべきです。よって倭奴国≠邪馬台国。
邪馬台国と邪馬壱国は南宋代の刊本になる際におきた単なる臺→壹への字の変化でしょう。よって邪馬臺国=邪馬壹国。

倭国とイ妥国ですが、これは倭国=イ妥国ですね。李延寿がその旨書いています。
邪馬台国と倭国ですが、魏志によれば、邪馬台国とは女王都の所在地であり倭国とはそれを包括する連合体だと思います。よって邪馬台国〈倭国。


338 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:11:05
>区別すべきです。よって・・・。

根拠のないローガンの願望の「すべき」WW

339 :ローガン:2008/08/19(火) 16:21:22
>>334
> 称号だとしても『王妻號尤彌』と妻がいるから男ですよ。

「號」ですから個人名と云う訳ではないですね。(この国では)王はオオキミ、王妻はキミと呼ばれる…という解釈をしています。まあ、異論はあるでしょうが。


> 開皇の時も『倭王以天為兄 以日為弟』と生意気な事をいってますね
> 皇帝は『此太無義理』と起こってます。
皇帝が怒っているのは、「天未明時出聽政跏趺坐日出便停理務云委我弟」の部分。
つまり日が昇れば政事を太陽に委ねてしまう。その事に対する苦言でしょう。


340 :(・へ・):2008/08/19(火) 19:19:01
>>337
『建武中元二年 倭奴國奉貢朝賀 使人自稱大夫 倭國之極南界也 光武賜以印綬 安帝永初元年 倭國王帥升等獻生口百六十人 願請見 桓霊間倭國大亂 更相攻伐 暦年無主 有一女子名曰卑彌呼 年長不嫁 事神鬼道 能以妖惑衆 於是共立為王』
この文章は建武中元二年から桓霊間までの倭国の王についての記述です。
「区別すべきです」の理由は何でしょう。

341 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 21:10:53
>>337 ローガン氏へ  >>340(・へ・)氏のご質問に併せてご回答願います。

>魏志によれば、邪馬台国とは女王都の所在地であり倭国とはそれを包括する連合体だと思います。よって邪馬台国<倭国。

女王都(=邪馬台国)とその連合体(=倭国)とが、遠く離れた別々の地に、隔絶して存在するという状況とは、どういう状況?
倭国は北部九州にあるわけでしょう(>>329でそう判断されてます)。連合体=倭国は北部九州にあって、その一部である、
女王都=邪馬台国は僻遠の地、畿内大和にあったのだと。そんなことがありえるのですか?


342 :(・へ・):2008/08/19(火) 21:35:25
>「號」ですから個人名と云う訳ではないですね。(この国では)王はオオキミ、王妻はキミと呼ばれる…という解釈をしています。

オオキミ(輩雞彌)、キミ(雞彌)はいいんですけど、
『倭王姓阿毎 字多利思比孤』
天皇の姓が阿毎?字が多利思比孤?
これ誰だ?

343 :ローガン:2008/08/19(火) 22:45:34
>>340
> この文章は建武中元二年から桓霊間までの倭国の王についての記述です。
> 「区別すべきです」の理由は何でしょう。

金印を受けた倭奴国は出土地から考えて博多の辺りだと思います。又、魏志に書かれた奴国もこの辺りだと思います。 ただ邪馬台国つまり卑弥呼の都はその辺りから水行30日+陸行30日の距離にある。と魏志にあるので
後漢代朝貢者は邪馬台国ではないと考えます。



344 :ローガン:2008/08/19(火) 23:09:43
>>341
その件については何度も2ちゃんで書いたのですが。
旧唐書は後漢書を刪潤した隋書を襲ったので、後漢書等にある「倭国」とは安帝時の朝貢者であり、かつ金印を受けた倭奴国だよと書いた…
旧唐書の約100年前の通典に「倭一名日本」とあるので、劉さんの誤りだと考えます。その後正史唐書では改めていますね。

345 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 23:35:56
>>344

連合体が北部九州にある。(倭奴国=倭国=イ妥国は北部九州)
連合体の中心ないし一部が、畿内大和にある。(女王都=邪馬台国は畿内大和)

・・・そういう判断でよろしいか?

346 :ローガン:2008/08/19(火) 23:43:41
>>342
暫く来れそうにないのでとりあえず返信入れときます。
> オオキミ(輩尤彌)、キミ(尤彌)はいいんですけど、
> 『倭王姓阿毎 字多利思比孤』
> 天皇の姓が阿毎?字が多利思比孤?
> これ誰だ?

天皇の姓字ではなく、「天皇」に先立つ称号ではないかなあって考えます。
大業と同じコンセプトで臨んだ開皇の遣使…
つまり上表ではない。よって王の姓字を伝えない。
然し隋側は対等外交等認めず、「上表である」と処理したため、アメタリシヒコが王の個人名と記述されたと思います。
(傍証として、隋書ではワカミタフリも太子の名前とされていますが、翰苑の記述や源氏物語の考察から、
太子を指す名詞であると言えます。
又、孟浩然の書にある聖武を指す「日本国主明楽美御徳」
ここでも、称号なのに個人名を上表していると受け取っています。)
隋書には姓字とありますが これは名前でなく称号。 推古と考えて良いように思います。
zzzzz…

347 :ローガン:2008/08/19(火) 23:59:54
>>345
> 連合体が北部九州にある。(倭奴国=倭国=イ妥国は北部九州)
> 連合体の中心ないし一部が、畿内大和にある。(女王都=邪馬台国は畿内大和)
> ・・・そういう判断でよろしいか?

連合体は西日本に及ぶもの。倭奴国=倭国はあくまで、後漢代の倭奴国と倭国について書かれた後漢書の記述を隋書が誤引用したものを旧唐書が襲った事によるもの。
それから倭国=イ妥国とは単なる文字の混用ですよ。
又来ます〜お休みなさい。

348 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 00:37:53
>>347 ローガン氏の説がいまひとつわからないので、ご回答願いたい。

倭奴国=倭国=イ妥国は博多あたりの北部九州にある国で、連合体であり西日本に及ぶもの
邪馬台国=卑弥呼の都はその倭奴国辺りから水行30日+陸行30日の距離の畿内大和にある

・・・ということでよろしいか?

349 :(・へ・):2008/08/20(水) 07:16:55
>>343
>ただ邪馬台国つまり卑弥呼の都はその辺りから水行30日+陸行30日の距離にある。と魏志にあるので
後漢代朝貢者は邪馬台国ではないと考えます。

行程の記述を単純に合計して伊都国までで10500里。
郡より女王国に至るには12000余里。
残り1500里。
末盧国から伊都国まで500里。
残り末盧国から伊都国までの3倍の距離。
この距離に水行30日+陸行30日を当てはめるのは無理です。
説明が破綻していますね。

350 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 07:20:13
>>349
邪馬台国と女王国とを混同してませんか?

351 :(・へ・):2008/08/20(水) 07:47:34
では、邪馬台国と女王国の違いを説明してください。

352 :のんびりひまじん:2008/08/20(水) 09:18:40
水行10日陸行1月   とは、有名な難解箇所。(と十分理解しておく必要がある。)

今や邪馬台国関西説を主張し続けるには、この箇所の解釈についてだけしかなくなっている。
短里説に反論できない(ので正面からの議論を避け、ニューヨークとワシントンの違いなどと言う)。
弥生の首都圏要素の出土物(絹、金属器・鉄、玉・・・)が北部九州に集中(は、議論避けて古墳の開始時期の早期化に期待。)

実は古墳の時代の都市が不明なのだ。飛鳥の宮どころは見つかっているが、掘っ立て柱ばかり。
ここに来る人たちは、シロウトらしく冷静に判断材料を吟味しよう。
マスコミみたいに記事売って生活しているわけではない。(彼らは売れればよいので正しいことは必要としない人種。)

353 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:05:41
>>351
女王国は伊都国から千五百里で至る国。邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月で至る国。
全然ちがいますね。それに、倭人伝によれば、女王国は複数の国、邪馬台国は単一の国ですね。

354 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:14:07
>>351
まず大和に最初の統一連合王権(邪馬台国)が誕生した。
  ↓
三国時代の魏がそれを聞きつけて、実態調査に来た。
  ↓
邪馬台国は大和にあったが、九州地方の女王国が「邪馬台国」を自称した。
  ↓
魏は九州地方の女王国に金印と銅鏡を贈った。
  ↓
後に九州地方の女王国は河内大和に移動して大和連合王権を乗っ取った。

355 :九州王朝大好き:2008/08/20(水) 13:19:25
7世紀の倭國(俀國)は九州島を示している。

隋書百済伝
『其南海行三月、有tam[身冉]牟羅國、南北千餘里、東西數百里』
tam[身冉]牟羅國(タムラ)=済州島である。
其は百済國を指す。
百済と済州島の距離『海行三月』は210kmである。即ち、一月行≒70kmとなる。
済州島の形は、東西幅が約70km、南北幅が約40kmである。
これは済州島が短里で東西幅1000里、南北幅570里(數百里)の四辺形であることを示している。
よって『南北千餘里、東西數百里』は、下記の「境長」の省略形であることがわかる。
『南北境長千餘里、東西境長數百里』、
すなわち南北方向の境の長さが千餘里、言い換えれば島の東西間の幅が千餘里の表現となる。
又、東西方向の境の長さが數百里、言い換えれば島の南北間の幅が數百里の表現となる。
「一月行≒70km≒1000里(短里)のようだ」

隋書俀國伝
『其國境東西五月行、南北三月行、各至於海』を上記同様に読む。
其は俀である。『各至於海』は俀國が島であることを示している。
『境東西五月行』は、南北間の幅が350km、
『南北三月行』は、東西間の幅が210kmであることを示している。
これらは、俀國の範囲が九州島であることを示している。

356 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 14:06:10
>邪馬台国は大和にあったが、九州地方の女王国が「邪馬台国」を自称した。

これはないでしょう。もしこれが事実なら

1:九州の女王国は反乱したとみなされ、統一連合王権から追放ないし殲滅されるはず。
2:中国側が成りすまし政権を数百年間錯覚した(特派員が2年滞在しても気づかない)唯一の例となり、矛盾。
3:西日本全体を掌握したはずの強大な統一連合王権には、掘立建築ばかりで、王権基盤の実体がない野が矛盾。
4:西日本全体を掌握した統一連合王権が、半島・大陸側と交流しないわけにはいかないから矛盾。
5:「成りすまし政権説」をいうなら、邪馬台国の場所は、水行十日陸行一月を自由に解釈できるので、どこでも良くなってしまう。
6:絹や玉、三種の宝物など、最高権力を象徴する希少国産品が九州からしか出てこないのは、最高王権が畿内なのに矛盾。
7:これが事実なら成りすまし政権がもっといくらでもあったはずで、畿内邪馬台国ですら成りすまし詐称政権だったはず。

357 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:21:01
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

358 :(@0@):2008/08/20(水) 17:03:22
>>353
>女王国は伊都国から千五百里で至る国。邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月で至る国。
全然ちがいますね。

女王国と邪馬台国は全く違う国ですか?『南至邪馬壹國 女王之所都』の意味は?

>それに、倭人伝によれば、女王国は複数の国、邪馬台国は単一の国ですね。

倭人伝のどこにその様な事が書かれて有るのでしょう?


359 :(@0@):2008/08/20(水) 17:05:10
>>354
想像力が豊か過ぎるようですね。

360 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:10:58
>『南北千餘里、東西數百里』は、下記の「境長」の省略形であることがわかる。
このような用法は、どこかに例があるのですか?


361 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 22:53:49
>女王国と邪馬台国は全く違う国ですか?
別の概念だということです。わざわざ別の表記をしたのですから当然でしょう。

>倭人伝によれば、女王国は複数の国、邪馬台国は単一の国
>>倭人伝のどこにその様な事が書かれて有るのでしょう?
邪馬台国はそれまでの各国と同じ書き方ですから、単一の国であることは明らかです。
女王国に関する記事は、邪馬台国までの書き方とは全くちがっています。
単一の国ならば、距離的な順序からすると不弥国の次に書かれるべきですが、国々を書いた後に出てきます。
しかも、記事を良くみれば「郡より女王国に至る、万二千余里」は、風俗等の文章の冒頭部分と読めます。
そして、その記事には「諸国の文身各々異なり」と幾つかの国があることが明記されています。
したがって、女王国は複数の国からなることが明らかです。



362 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:08:55
『南至邪馬壹國 女王之所都』ということは、

「邪馬壹國が女王の都とするところ=国だ」ということです。
「女王国と女王の都とする国が何百キロmも乖離した別な場所」であるなど
形容矛盾・論理矛盾ですから、はっきりと間違いだと断言できます。

よって、>>350>>353>>354>>361あたりは、すべて全くの誤りです。



363 :(@0@):2008/08/20(水) 23:12:53
>>362
>形容矛盾・論理矛盾ですから、はっきりと間違いだと断言できます。

自分の解釈が間違っていると考えないの?


364 : :2008/08/20(水) 23:20:13
>>362に賛成票を1票。

365 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:36:22
>>363
あなたが間違っているだけなんですが。

女王が都とする国と女王国とが、それぞれ全く別な国で、数百キロも離れており、
かつ、その女王が同一人物、ということはありえないのです。

366 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:38:50
(@0@)さんの意見を聞こうじゃないか

367 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 23:53:07
>「女王国と女王の都とする国が何百キロmも乖離した別な場所」であるなど
形容矛盾・論理矛盾ですから、はっきりと間違いだと断言できます。
誰も「女王国と女王の都とする国が何百キロmも乖離した別な場所」などとは言ってないんですがね。
勝手に妙な話にしないでもらいたいな。



368 :九州王朝大好き:2008/08/21(木) 00:13:29
>>360
『東西五月行、南北三月行』の用例として一番わかりやすいのが『南北千餘里、東西數百里』です。


邪馬壹國(邪馬臺國)は九州にあった。

隋書俀國伝
『都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也』
>>355より、九州に俀國があった。
俀國の都は邪靡堆である、
邪靡堆は邪馬臺國(邪馬壹國)である。
ゆえに邪馬臺國(邪馬壹國)は九州にあったこととなる。

369 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 01:11:42
そしたら、「陸行一月」も70km??

370 :九州王朝大好き:2008/08/21(木) 01:24:09

邪馬壹國(邪馬臺國)は九州の久留米市近郊にあった。

「聖徳太子伝暦」推古二五年条(617年)
『此地帝都。近気於今。在一百餘歳。一百年竟。遷京北方。在三百年之後。』
上記は618年(元号倭京元年)倭京(大宰府)に遷都する前年のことについて書かれた文である。
此地は100年余帝都の地であった。つまり西暦600年代から帝都であったと書いている。
丁度100年をもって帝都は北方に転都することとした。
丁度100年前は西暦617年九州元号継体元年である。
元号継体は九州最初の元号である。
又元号「継体」の名称は、この元号を持つ政権が倭五王である倭武政権を引き継ぐ政権であること示している。
北方へ遷都は、此地で300年間都が続いた後のものである。
即ち、此地が都であったのは西暦217年以来であったと書いているのである。
卑弥呼以来此地は都であったと述べているのである。
故に此地は邪靡堆即ち邪馬壹國である。
隋書俀國伝『其地勢東高西下、都於邪靡堆』
其地勢東高西下であり、倭京(太宰府)南方の地である此地は、久留米市近郊以外にない。

余談ではあるが、魏志倭人伝及び隋書俀國伝の行路記述からも、邪馬臺國が久留米であることが説明できる。


371 :九州王朝大好き:2008/08/21(木) 01:32:46
1月行≒70kmは、隋書東夷伝でのこと。
魏志倭人伝とは関係がありません。

372 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 02:17:28
九州王朝説の残念なところは、近畿大和王朝の史書のようにデティールを
書いた古文書がないことだ。

そんな史書があれば、とっくに九州に王朝がかつてあったとことが広く認知
されていただろうから、なのはやむを得ないのだが。そのような古文書がない
なかで、よくぞ九州王朝の存在を察知したと思うが、それにしても、細部が解
らないのは残念だ。

近畿大和王朝の史書と、その記述を前提とした古文書や寺社縁起や風土記や
伝承、および外国の古文書の中から、九州王朝のことではないかと思われる
部分を拾い出すしか手がないってのは、残念だが仕方ない。

発掘や科学的年代測定法で九州王朝の存在が徐々に明らかになるのが楽しみ
と言えば、楽しみだ。

373 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 07:04:29
>>361 >>353から次のように言えます。女王国と邪馬台国は別の概念であり、女王国は伊都国から千五百里で至ることができ、邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月で至ることができる。
そして、女王国は複数の国であり、邪馬台国は単一の国である。となれば、女王国というのは倭国全体のことではないか?という考えが浮かびます。
しかし、伊都国は万五百里で到達できるのに、女王国は万二千里です。伊都国は女王国に統属しています。伊都国に従っているというわけですから、伊都国は女王国に入りません。
伊都国など「以北の国」は除かれるらしいと見当がつきます。その女王国へは、万二千里で到達します。ところがその女王国は、「東渡海千里亦国あり」ですから、東は海に面しています。
そして、南には、旁国である奴国の先に「女王の境界」があります。となれば、女王国というのは、邪馬台国や旁国を含んだ極めて大きな範囲、すなわち国家連合体であると考えられます。
倭国は狗奴国を除く29か国ですが、その中に、邪馬台国を中心とした女王国という国家群があったということです。つまり、万二千里は女王国の北の境界、南の境界は邪馬台国や旁国が尽きる所です。
けして、邪馬台国と女王国がまったく別の所にあるのではありません。女王国の一部すなわち都が邪馬台国なのです。


374 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 07:08:13
>>373の5行目末「伊都国に従っている」→「伊都国は女王国に従っている」と訂正。

375 :(@0@):2008/08/21(木) 08:15:12
>>373
>女王国の一部すなわち都が邪馬台国なのです。

そんな事は『南至邪馬壹國 女王之所都』と書いてあるから分かっている。
また、「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には
「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。

従って『邪馬台国は伊都国から水行十日陸行一月で至ることができる。』は成り立ちません。


376 :のんびりひまじん:2008/08/21(木) 09:06:24
>>375
水行十日陸行一月  という言葉は難解     と共通認識しましょう。

日本列島上陸後だとすれと、列島内のどこへでも行けます。ですから過去、大勢の専門家たちが悩みました。

古田武彦さんが「邪馬台国はなかった」で、これを全旅程である。つまり1万二千里とイコールと主張しました。

それが、乍南乍東に対する韓国内陸行説と対応していました。

発表当時、虚を突かれたとまで評価されました。

その後、30余年、賛成反対は言わないまでも、これ以上の解釈は出ていません。

どうしても、邪馬台国は近畿地方だと言い張るシロウト人の中に、日本列島上陸後と解することを強言するのを見かけますが、結論先決めから、近畿説は崩壊していないと言う唯一の主張点に過ぎなくなったと見えます。


377 :(@0@):2008/08/21(木) 11:29:24
>古田武彦さんが「邪馬台国はなかった」で、これを全旅程である。つまり1万二千里とイコールと主張しました。

自分は1万二千里とイコールなのは『水行二十日+水行十日陸行一月』だと考えます。

>乍南乍東に対する韓国内陸行説と対応していました。

古田武彦さんは、せっかく同じ行程を距離と日数で丁寧に二度説明していると気づきながら、
水行十日陸行一月を1万二千里とイコールとした為に韓国内陸行説と言う奇妙な説を生んでしまった。

現在では畿内説は成立の余地が無くなっている。
早く気づけよ。


378 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 12:41:41
>>375
>「自○○至××」は「○○の中心地から××の中心地に至」の意味です。
そうゆう場合もありますが、そうとは限りません。
>『自郡至女王國萬二千餘里』は正確には「帯方郡庁から女王國の王都に至るは12000里余り」の意味です。
そうではありません。王都というのは邪馬台国のことでしょうが、邪馬台国までは伊都国からでも水行十日陸行一月であり、郡から万二千里でないことは明白です。

379 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 16:01:06
同意。

>現在では畿内説は成立の余地が無くなっている。
>早く気づけよ。

考古学界、古代史学会、その取り巻きって、無知頑迷杉。


380 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 23:54:51
九州王朝大好きって奴、頻繁にしゃしゃり出て来る割には、
いっつもたいしたことを書いてないってのがなぜなのかってのを考えてみた。



スレにたいして貢献できてないのだし、
もそっと空気とか察して自主退出してくれんものかとおもってるのだが・・・


これまでも、ひとりだけ浮いてることとか割と気付かない奴なんかな



381 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:11:02
畿内説の中身のなさは、>>380が典型だな。

382 :九州王朝大好き:2008/08/22(金) 00:32:28
空気は読まなくてもよいから

スレタイを読めよ

ここは九州王朝スレ

魏志倭人伝と邪馬臺國だけを論ずるなら、邪馬臺國スレへどうぞ


383 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:50:33
やい九州王朝好き好き大好き厨!!!


お前こそスレ読め

>>2がすでに回答してもうこの問題は決着ずみ

それでもあきらめきれず、ぐじぐじ引きずる粘着質だから

お前はキモイっていわれるんだぞ


いいかげんにせえよヴォケー!!















384 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:59:06
>>383

神武が九州で「王様」だった証拠などない。
「王様でなかった」描写しかない。
神武が畿内で大勢の部下がいた形跡がない。
神武が畿内で、広大な領土を支配した形跡がない。

以上で、>>2は否定できましたがなにか?

385 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:01:56
>>384
貴様の王朝定義は、

大勢の部下がいること、広大な領土を支配していること、か・・・
単純でお前の頭の中みたいだな

そんな定義じゃ、そも九州王朝などと呼べるもんはないがな
















プッ




386 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:07:30
卑弥呼時代の奈良は寂れたムラしかないだろ。
九州は極東の多くを支配してたんだよ。

387 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:18:06
べつに近畿だろうが九州だろうがムラとかクニとかどっちでもいい

>>384のヴァカが調子に乗って書き込んだ文章が笑えるだけだ

こいつが「九州王朝」とか言うときの王朝の意味は

1.王様がいて王様らしく振舞っている
2.大勢の部下やら兵隊がいる
3.広大な領土を支配している

小学生がイメージするような単純な王様の国で、
それが>>384のヴォケの頭の中の単純さに酷似していることだ

もしそういうのを王朝と定義するなら九州にも四国にも近畿にも当時ないだろ

それで>>2を否定できたと思って胸を張っている
>>384のヴァカに怒りと笑いを禁じえないわけだ



388 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:20:36
本当に困った


>>384や九州王朝大好き厨の頭の中には、

マンガとかおとぎばなしのレベルでしか歴史を理解できないのか


悲しすぎる


389 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 01:26:04



輪をかけて悲惨なのが、


すべてのレスを、「九州厨」vs「近畿厨」としてしか捉えられないアタマの貧弱さだ



>>386とか見るとそういう奴らの頭のレベルが一発で露呈してしまうから悲惨だ



おそらく、>>384>>386、九州王朝好き好き厨などの性格って、

厚顔無恥、キモブサ、意地を張る、粘着質、自分に自信が持てない、被害者妄想、
傲慢無礼、人からそれとなく避けられる、引きこもり、糞袋、肥溜め、低脳、誇大妄想、

などの言葉で特徴付けられるのであろうな。。。










390 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:20:44




ということで、このスレは無かったことにしましょう。






------------------------------------------------

終了


391 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:35:37

その政権王権が王朝と呼ばれるには、

律・令・年号の3点セットをもって政治をしていること。

九州では、517年から700年まで
畿内では、701年以降

392 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:35:38
出土物を見ると、絹や三種の宝物が出るのが九州。
漢籍で調べても九州。

その九州国は、連続した元号を制定していた。
九州だけでなく、極東の広大な地域を支配していた。
隋とは対等外交をし、唐とは交戦した。
これが九州王朝。

393 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 03:16:57
「せんとくん」に『妹』誕生、イベントに出席(画像あり)
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news7/1218717095/

394 :↑ ↑ ↑ ↑ ↑ :2008/08/22(金) 03:43:28
グロ注意!

395 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 04:11:07
まあぶっちゃけ「九州王朝説」ってファンタジーでしょ?wwwwwwww

装飾古墳がその証?


アホですか?wwwwwww





396 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 05:13:30
ムー大陸とかそのレベルのお話してたのか・・・

それならそれでご勝手にどうぞ

397 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 05:46:00
九州王朝
ツガル王国

それと四国ナンチャラ国とか
まあ村おこしみたいなもんか。

398 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:47:04
>>370
>魏志倭人伝及び隋書俀國伝の行路記述からも、邪馬臺國が久留米であることが説明できる。
どんなふうに読んでいるのですか?

399 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:54:46
ヴァカとか、ボケとか、アホとか、頭が貧弱とか、ま〜、よく相手をののしる
言葉がスキですな。

自分も若い頃はそうだった。でも年取ってきて、ある時ふと次のことに気付い
てからは、そんな言葉を相手に投げつけることはしなくなったな〜。

他人をバカ呼ばわりする人は、自分がバカと言われたらムカッとするので、
他人にバカと言えばムカッとするだろうと思って、他人をバカ呼ばわりする。
ところで人間というものは、自分が気にしているホントのことを言われると
ムカッとするものだ。

400 :のんびりひまじん:2008/08/22(金) 07:57:19
>>399同感(私1944生まれ)

>>397最新の九州王朝説が出てるから読んだらどう?
http://nnagoya.blog64.fc2.com/blog-entry-340.html

伊勢の王が、来年号に掲載されると有名になるだろう。このスレでも来年あたりは話題になる。予言しておく。

401 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:05:01
>>399
他人をバカ呼ばわりする人は、自分がバカと言われたらムカッとするので、
他人にバカと言えばムカッとするだろうと思って、他人をバカ呼ばわりする。
ところで人間というものは、自分が気にしているホントのことを言われると
ムカッとするものだ。


きみねえ、お前の思い込み披露しててどうすんだよwwwwwww

例えば、自分がムカッとすることであるかどうかにかかわらず、
相手がムカッとすることを期待して相手をののしることもあるだろうよ

どうせ暇つぶしなんだから、バカという単純な言葉がたいした効力をもつかどうかは知らぬが
バカを見たらそいつのバカさを罵ってやろうと思う奴もいるだろう

お前はなにやら、もって回った言い方をして結局ひとをバカと罵りたいのらしいが、
お前が書いてあることがお前にあてはめると、
お前が自分がバカですと独白している結論になりはしないか?

まあ、UFOが実在すると同じようなことに時間を費やしているトンデモ君にとっては
それがおそらく正しいのだろうがwwwwwwwwwwwwwwwwwww



402 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:10:20
九州王朝はなかったのかって?

あるとすれば征西将軍府と菊池氏がそれだろう













--------------------------------------------
終了


403 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:11:37
九州王朝はなかったのかって?

あるとすれば征西将軍府と菊池氏がそれだろう







古代のトンデモ首長国よりはよほど王朝だ





--------------------------------------------
終了




404 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 12:39:33
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

405 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:04:51
「1世紀の金印を3世紀の王国の証拠にする」
なんか諺になりそうだな。
意味…昔の事柄を証拠にして今の事柄を判断しようとする

406 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:27:31
意味の訂正
意味…一見無関係に見える物が実は繋がっている。

407 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 19:55:23
>>401 お前はなにやら、もって回った言い方をして結局ひとをバカと罵りたいのらしいが

はっ、はっ、はっ〜。気が付きました? えらい、えらい。花丸あげます。
実は、上の方で野の知り合ってる連中に、両方とも○○と言いたかったんだが、
もろに○○と言ってしまったのでは、自分も○○ということになるので、そう
ならないように気をつけて書いたまで。

ま、年の差ですね。血気盛んな若い人達は、エネルギーの赴くままに、精根尽
き果てるまで、シンプルフレーズで野の知り合って下さい。

私は、残り少ない年月で、別のことにエネルギーを注ぎます。外から見れば、
両方とも○○としか言いようのない言葉の応酬にエネルギーを費やす気は
ありません。>>401に対しても、同様です。以後は反応しません。

408 :405:2008/08/22(金) 21:46:55
>>406
スマン、>>405の意味はやはり厳密には間違ってたわ。
意味…思い込みのために、必ずしもそうと言えないものをそうと決め付ける

409 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 21:52:03
408はもうちっとマシな書き込みしろよ、
幼稚なヤツ。

410 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 22:16:33
当時、金の産地といえば日本。
それを拾い集めて巨万の富を得たのが縄文人。
君は、重くて運べないほどの金塊を見たことがあるか?


411 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:05:55
諸兄らは、九州王朝が存在したかどうかを議論しているが、本質的な事柄を忘却している。

そもそも、「九州王朝」を定義しなければだめだろう。
なぜか、時代区分が古代でないと気に入らないらしい(南北朝時代はお気に召さないらしい)。
なおかつ、卑弥呼的・弥生的なムラ連合ではなく、古墳時代的な領域国家を妄想しているかのように見える。
しかし、書き込み者の全員がそのような認識ではないから、議論がかみ合わないことが多い。

より決定的に本質的なのは、次の点だ。
九州王朝というが、「王朝」とはそもそもどういったものであれば王朝なのか、定義がない。
金印で有名な奴国のようなものも含むのか、邪馬台国レベルか、神武東征前はどうか、大和朝廷レベルか、
いったいどのようなものが成立していたとしたら、王朝なのかが分からないと、議論のしようがない。

そこで、わが国における王朝とは何かを考える。
それは、中国のように、玉座に座って傲岸不遜な態度で文武百官を侍らせ、
広い領地と多くの兵隊を従えて金銀をしこたま溜め込んでニヤニヤ喜んでいるようなキモオタが支配する国か?
いや、そのようなものは、わが国では王朝とは呼ばない。

悲しいかな>>384はこの点を理解していない。
彼は、@王様の存在、A王様らしい振る舞い、B広い領地、C多くの子分、
これをもって王朝と考えたが、あきれるほど軽薄極まりない認識である。
わが国では、中国のように権力さえあれば王朝というほど、話しは単純には行かないのだ。

わが国では、権力ではなく権威が、王朝の本質的要素なのである。>>384は王覇の区別がまったくなっていない。
わが国において、時の執権者が誰であれ、権威が畏くも天朝から出ずるは、遠略航海説を待つまでも無く自明である。
してみれば王朝とはまぎれもなく神武王朝以外に観念することは不可能なのであり、
いかに九州時代の神武が、中国皇帝のような玉座、金銀、兵隊を持ち合わせていなくとも、
わずかの臣下しか臣従していなくても、わずかの領域を支配していなくても、おのずから王朝なのである。

それが、葦原瑞穂国開闢以来のわが国のあり方なのであるから、疑問をはさむ必要がない。
したがって、このスレッドの問題提起は、>>2をもって完全に決着済みであるのだ。


412 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:17:57
>>411のような初歩的な誤りをする人もいる。

王朝の定義はさまざまだが、神武が王朝の支配者だった記録は、一切ない。
九州で王様ではなかった神武が、兄とともに久米一族を引き連れて、
畿内に乱入してわずかな土地を得て、小領主として君臨した。
この事件を「神武の東遷」という。

これに関係なく、九州には後に王朝となる国家があった。
隋〜唐時代、この九州の国は「王朝の定義」を満たす国となり、
九州王朝として極東に君臨した。

王朝の定義としては、王の交代にもかかわらず連続した統治体制、
それを支える為政者・官僚体制、法の存在、連続した元号の制定、
国政をささえる宮殿などの建物、などいろいろとあろう。これは
人によって違うことを>>411が理解していないもの問題だ。

まあ、とにかく「神武の東遷」と九州王朝とは全く関係ないから>>2は誤り。

413 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:50:06
>>412
わたしは素人なので、古代日本についてそのような説明があることを知ることは興味深く参考になる

しかしながら、さらに指摘しなければならにことには、

このスレッドは、「九州王朝はなかったのか?」という問題提起である。
私の理解では、この手の問題は、解答が1つに定まったときに、解決する。
この場合だと、YesかNoのいずれかが決まった時点で、この問題は解決済みとなる。

さて、南北朝時代の征西将軍懐良親王は、京都ばかりか吉野からの直接支配も受けずに、
ほぼフリーハンドで、広大な領域を独自に統治し、北部九州を実効支配していた。
なおかつ、独自に中国に使節を送り交易をしていた。

古代国家の王朝という言葉の使われ方からすると、必ずしも元号制定や独自法の制定までは必須ではなく、
また、日本国外の国の王朝という言葉の使われ方をかんがみても、吉野朝に宗主に仰いでも問題ない。
この政権を王朝と呼ぶことについては、妥当性があると思われる。
すくなくとも、古代九州王朝よりは王朝適格の可能性は高い。

そこで、@王朝と明白であれば、上記のように解答がYesに定まるから問題解決済みとなり、スレは終了する。
A王朝と明白ではないにせよ、上記のように解答をYes/Noのいずれかにするという目的のため、
より王朝としての可能性の高いほうを検討するべきであり、
してみれば、全貌の知れない古代九州王朝よりは、より可能性の高い征西懐良朝を調べるべきである。

それが、提起された問題に対して解答を与えるための手法、すなわち問題解決手法である。

したがって、次のレスからは、征西将軍府について、話題が局限されるべきである。


414 :413:2008/08/23(土) 02:53:51


間違い訂正:


(誤)

したがって、次のレスからは、征西将軍府について、話題が局限されるべきである。



(正)

したがって、このスレッドは、この時点をもって終了(閉鎖)するべきであり、
あるいは少なくとも、次のレスからは、征西将軍府について、話題が局限されるべきである。




415 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 03:52:58
漢籍によれば、征西将軍懐良親王と無関係な、極東を支配していた九州国があった。
この九州国は、隋〜唐代に王朝とよぶべき国家として、極東に君臨した。
よって、>>413が純粋なあやまり。

416 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:39:57
>>411中国のように権力さえあれば王朝というほど、話しは単純には行かないのだ。
わが国では、権力ではなく権威が、王朝の本質的要素なのである

(その1)
王覇の区別って、そもそも中国の観念だよね。漢の高祖となる劉邦と争った項羽が
自らを「覇王」と称したってのは、有名な話し。王覇の区別は我が国の専売特許じゃなく、
中国にも早くからあったのだ。中国でも、権力だけでダメで、権威が必要だってのは
早くから認識されてた。だから、あれほど天命や封禅の儀にこだわるわけだ。

いや、ヨーロッパだって、王権神授説があって、神から統治する権限を与えられた
と称して人民を統治した。これは、神から統治権を与えられてない者は、権力者で
はあっても、統治する権限がない、っていう論理であって、王覇の論理と同じ。

ユダヤ教のイスラエルも、イスラム教のアラブ諸国もみんな同じ論理がある。

つまり、力があるってだけでは、大衆は心服しないので、当人とは別の権威
(中国では「天」、ヨーロッパ・アラブは「神」、日本も「神(天照大神)」)
を持ち出して、自分の統治を正当化し、もって統治の少しでも長からんことを願
ったわけだ。

>>411は「わが国では、権力ではなく権威が、王朝の本質的要素なのである」と
さも我が国だけの特徴であるかのごとく書いてるが、そんなのは世界の古今の
各国で数多くみられることなのだ。

九州王朝だって、九州王朝なりの(権力ではなく)権威の源泉を持っていたと
考えられる。それが、どのような権威だったのかということを研究するのも
面白い。室伏志畔は、それが月の神だったと推測した(はず)。


417 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:43:22
>>416の続き)
(その2)
ところで、九州王朝も近畿大和王朝も、いずれも神勅を統治の正当性の根拠
としていたとしたとき、どちらの王朝が真に王朝と呼ばれるに相応しいだろうか?
両者とも自分こそ神から統治の正当性を与えられたと主張するので、両者の
言い分はまったくイーブンであり、両者の主張だけからでは、どちらがその
地域を支配している王朝と呼ばれるに相応しいかは、判定できない。

その時重要になってくるのが、両当事者の外にいる第三者の判定だ。第三者が
どちらか一方を、その地域を代表する支配者だと認定すると、その認定された
方が王朝と呼ばれるに相応しい場合が多い。これは倭王武が、南宋に韓半島の
支配権の認知を求めたバックグラウンドである。近くはバルト三国が、ソ連の
支配から脱するために、諸外国に当該地域の支配権の認知を訴求したのも同様
の事情による。

場合によっては、亡命政権なんてのもある。当該地域をまったく実効支配して
ないが、当該地域を支配する正当性は我にありと主張し、第三者(諸外国)が
その主張を支持する場合だ。第二次大戦時に、自由フランス政府がイギリスで
亡命政権を樹立していた。こうなると、神武天皇のいわゆる「王朝」以上だ。
神武天皇は、小なりと言えども奈良盆地南部を実効支配していたようだが、
自由フランスは、フランス本土は完全にドイツに支配されていたが、それでも、
フランスを統治する権威・正当性は自分たちにあると主張したのだった。

以上により、>>411の主張は客観性・科学性を持たない単なるイデオロギー
にすぎないことがわかる。

418 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 08:44:12
>>417の続き)
(その3)
以上を前提にして、九州王朝と近畿大和王朝について考えてみよう。
古代東アジアにおいて、日本列島を代表する支配者として第三者から判定
されていたのは、どちらだろうか、旧唐書倭国伝は、倭国を「古の倭奴国
なり」と述べて、九州に古くから存在している倭国こそが、日本列島を
代表する支配者だと判定してきたことを述べている。

したがって、遅くとも西暦700年頃までは、九州王朝こそが「王朝」と
呼ばれる存在であったと言うことが適当である。

なお、以上のように述べたからと言って、近畿大和王朝が王朝と呼ばれるに
相応しくない存在だったと言っているわけではない。遅くとも西暦700年
以降は、近畿大和勢力が日本列島を代表する王朝だったと自分は考える。

419 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:35:50
>>417
君は歴史の学習に余念が無くその論旨には賞賛を与えなければならない。

しかしながら、人類として決しておかしてはならないならない一点の重要な誤りをしているのが残念だ。
きみは、>>411が、科学性を持たないイデオロギーに過ぎないと断じた。
しかし、>>417自体が、科学性を持たないイデオロギーであることは、
すこし賢い人がスレッドを読めば5秒で分かってしまうから、不思議なのである。

君は、あろうことかドゴールの自称・自由フランス政府(笑)などを持ち出して、
これを亡命政権と称しただけではあきたらず、あろうことか政権の一種であるかのように位置づけた。
しかし、ドゴールなどと名乗るどこぞの馬の骨が、その夜郎自大・誇大妄想・被害妄想からなのか、
勝手に隣国で正当政権を称し、テロリズムをしていただけである。

今の日本で当てはめれば、どこかのキモオタや引きこもりが、2chのやりすぎで頭がおかしくなり、
例えばピョンヤンあたりで、俺こそは日本の正当政権だと名乗った上で、
今の日本は米国の代理政権であるから日本を開放するとかなんとか理由をつけ、
北鮮卑と協力してテロリズムを煽動し日本の破壊活動に従事するようなことと大差がない。

あるいは、2chのやりすぎで常識的な判断力を失った引きこもりが、社会に対するうらみから、
自室の2ch上で、今の政権は偽りだとして、意に沿わぬ政権従事者にテロリズムを呼びかけるようなものだ。

>>417は、ふざけているのか真剣なのかはわからないが、さらに決定的な背信的書き込みをしたことは、
いかに2chとはいえ、私には、信じられない驚きとなって反映した。

言うまでも無く、このスレッドをお読みの諸兄は気がついたと思うが、
ドゴールなどというテロ支援団体を、わが国の神武東征とあたかも並置して論じようとしたことは、目を疑った。
このような誤りは、人として、絶対におかしてはならない最低限の良識である。
君には、これまで生きていて、確固としたものがないのではないか?

君は、歴史の学習に怠りがないのは褒めてやらなければならないが、
そのために、健全な判断力を失ってしまっているのであれば、あえて叱らなければならないだろう。


420 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:49:11
>>419は長文だが、言ってることは、我が国の政治体制のみが権威と権力を
兼ね備えた唯一の政治体制であるという、世界史オンチのドグマに基づいて、
他人の書き込みを一方的に批判しているだけ。こんなドグマと議論について
いく者がいるとは、とても思われないな。

421 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 11:59:12
ドゴールの自由フランスについては、国際法の観点からも、政権とは認められないとされている
主権、領域、国民、責任政府、いずれもないから、箸にも棒にもひっかからない。

さらに悪いことには、テロリズムを煽動していた、今で言えばテロ支援団体である。

なぜ、イラクやアフガンだとテロ団体認定にあまり疑問を抱かないのに、
フランスになるととたんにテロ団体認定を渋りたがるのか、>>420こそは偏見のかたまりであろう


422 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:06:30
>>420に続く)
>>419のような世界史オンチでは、その愛国心らしきものさえ、ついにその志を
遂げることはできず、我が国と我が国民を再び存亡の縁にさらすことになる、
戦前の神国論者がそうであったように。

広く深く世界史を通観し、その底流にある真理を見極めて、偏狭な神国日本の
ドグマを脱し、臨機応変の真に応用力のある愛国心を練り上げよ。それが、
真の愛国心というものだ。

「愛国心は無頼漢の最後の拠り所」なんて言われないようにしよう。

423 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:07:30
>>420
>>419は長文だが、言ってることは、我が国の政治体制のみが権威と権力を
兼ね備えた唯一の政治体制であるという、



そんなことは>>419のどこにも書いとらん

単にテロ支援団体とほかの国家をいっしょにするなということでしょ


読解力とか、ないほうですか?



424 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:13:56
>>420>>422

自分の文章を書くのに集中力を使いすぎて、人の文章を読むのは雑なのですな

世界史オンチはあなたでしょう。
間違えて自由フランスを例に出してしまったこと以外は、よく勉強したぞって感じだったのに。









425 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:16:20
>>423
いやさ、>>411と併せて>>419を読むと、>>419は「我が国の政治体制のみが
権威と権力を兼ね備えた唯一の政治体制である」というドグマに基づいて、
>>416>>418を一方的に批判してる、って言ってるわけ。

一々こんな解説しなきゃならんの? ず〜っと通読してトータルで理解して
よね。ほかの読者に迷惑だから、もう今後は一々解説しませんから、悪しか
らず。

426 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:38:18
>>424
自由フランスについて議論する板ではなく、九州王朝について書き込む板だから
長々とは書かないが、しかし、>>424がなぜかしつこく(たぶん、論破されたので、
論点をそらすために)、自由フランス、自由フランスと言うので、ここで、
少しだけ、自由フランスについて書いておこう。

自由フランスが正当な亡命政権かどうかについての議論が現在あるのは、
その亡命政権が英国で樹立されたことに一つの原因がある。第2次大戦後の
世界支配の座を巡って、当時から、自由主語諸国内にあっても英米両国が暗
闘をくりひろげていたのは周知の事実。

米国からすれば、フランスは、米国が英国から独立するのを支援してくれたし、
その後も自由の女神像を寄贈するなどしてくれて、両国は親密な関係を維持し
ていると思っていたのに、自由フランスの亡命政権を英国に樹立したしまった
ので、フランスに裏切られたと感じたし、大戦後の世界支配のヘゲモニーを引
き続き英国に握られると心配した。だから、米国は、自由フランス政府を正統
政権として承認しなかったのだ。

その米国が第2次大戦後の世界のヘゲモニーを握った。したがって、自由
フランスは正統な政権ではないという議論が今現在もあるわけだ。第2次
大戦後、英国が世界のヘゲモニーを握っていたら、自由フランスは、当然
ながら、どこからも文句なく、正統な政府だったと認められていただろう。

以上のように、王朝論、正当政府論は、一筋縄ではいかないシロモノだ。
>>419のような単純な神国日本論では、とてもじゃないが、この複雑な国際
社会を生き抜いていくことはできない、戦前の神国論者のように。

427 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:44:53
要するに、江戸初期の非科学的畿内説=[大和天皇以外に、最高権力者なし]を
そのまま現代風にアレンジしたのが>>419

これは畿内信仰であって、学問たり得ません。

428 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:46:00
>>415

漢籍にはいっているから王朝、
つまり、どこぞの与太者がおれはすごいと語って漢に届出を済ませれば王朝ととるのであれば、

志の低い定義ではあるが、
九州王朝が存在することでYesに定まったのであるから、この問題は解決したことになる。

したがって、このスレッドは、この時点をもって終了(閉鎖)するべきである

429 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 12:52:55
>>426
そんなあやふやな知識をひけらかしてどうする?
地球ムラみたいなところに人体を持ったアメリカ君やフランス君ってひとがいるのかい?

その君のアメリカ君やイギリス君っていう擬人化国家がどうかんがえたにせよ、
そもそも当時の国際法の国家の要件を満たしておらず、
箸にも棒にもひっかからないことには変わりない

自称国家でもかまわんが、始末に終えないのは、テロ団体であることだ
そのようなものを正当国家とごちゃまぜにする愚をおかすなと叱ったのである

まあ、フランス話は関係がないので、ここで終わりにするとしよう








430 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:01:32
畿内説は「初めに畿内説ありき」だから、
何が何でも主観で押し切り、都合が悪ければ言い逃れする。
その態度は、学問を抹殺する立場であります。

431 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:06:57
>>425

君はまだ反省が足りないようであるが、文章をよく読みなさい
"トータルで読め"とは君の書き込み言葉であるが、まさに君に対して用いたい言葉だ

>>411に対する君(君がどのレスなのかもはっきり分からないが)の説明には、
たとえば、権威と権力はすべからくどこの国家も備えようと努力していることであるなどなど、
別に異論や反論はないのだよ 素直に己の足らない視点を補強しようとしているのだし、
君の博識に拍手を送っているのは読めばわかるだろう

しかし、>>411に対する君の説明には納得しつつも、いかようにも許容しがたい一点があった
それを>>418で提起しているのではないか?

あくまでも君の論をトータルに理解し、これを会得したいがために、
どうしても解消せざるを得ない一点である

かような真摯な作業に対して、論点のすり替えなどという中傷を受けたのでは、
そもそも人間が何かものごとを話しをする意味がなくなるではないか?

おそらく、>>421について何も答えられないから、イライラされているのかもしれないが、
それはあなたの未熟さの問題であって、わたくしの問題ではないはずである

私には、わが国政治体制だけが正統の政治体制であるなど、思いもよらない。




432 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:16:29
>>428

自分ひとりで「クイズ100人に聞きました・・・王朝の定義ってなあに?」っていう番組作れば?
知りたいんでしょ?

433 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:16:37
>>427 >>430

えっと、理解力のない君にも時間割かなきゃだめかな・・・



畿内とか九州とか、正直どっちでもいいんですがw

なんですべての事象を畿内vs九州の二元論でしかとらえられないかな
テロリストのイデオロギーみたいで怖いのですが

王朝とはなにか、国家とは何かなど対極的な視野もなく、
ただただ畿内vs九州でどっちが勝ったとか言って2chの前でイヒイヒ笑う
引きこもりをみているとどうしてもキモク感じてしまうのはダメかな・・・



そんなことに時間を費消しているのが君の人生なの?



434 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:20:24
>>432
王朝の定義もなく、九州王朝があったのかなかったのか語りたいのであれば、簡単だよw


いますぐ着替えてシャワー浴びて新幹線に乗りなさい
そして、福岡とか熊本とかで、ここに九州王朝を宣言する、王様は俺だって叫びなさい


九州王朝はなかったのか?という問いに、あったという解答が与えられ、
ようやくこのスレも13巻をもって無事終了するであろうからw


幸い今日は週末だから、博多の屋台でラーメンでも食ってくればw

















435 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:21:13
>>428 漢籍にはいっているから王朝、 つまり、どこぞの与太者がおれは
すごいと語って漢に届出を済ませれば王朝ととるのであれば、

(その1)
この>>428の考えは、世界史オンチによく見られる誤解なので、この際、
詳しく説明しておく。

漢籍に入ってるかどうかや、漢に認知して貰ったかどうかが問題じゃなくて、

当事者以外の第三者が、どちらの当事者を正統な王朝(政府)と認知して
いたかが、名実ともに備わった王朝(政府)であったかどうかを客観的・科
学的に判定する上で極めて大事だと言っているのだ。第三者の認知を得てい
る側が、権威と権力を兼ね備えた正統な王朝(政府)であったと客観的・科
学的に言えることが多い、と言っているのだ。

これは、古代の九州王朝や近畿大和王朝に限らない。第三者の認知が
重要だってのは、中世ヨーロッパ諸国も同じだったのだ。ローマ教皇という
第三者から、当該国の国王は神から統治権を授けられているというお墨付き
をもらうことによって、当該国は、国内の人民に対しても、他国に対しても、
自らの統治の正統性を強力に主張することができた。したがって、安定した
統治を長期に渡って続ける事ができたのだ。そのような長期に渡る統治を称し
て、〜〜王朝と歴史的に呼んでいるわけだ。ブルボン王朝しかり、ハプスブル
グ王朝しかりだ。

このような第三者の認知が大事であることは、現代に置いても同じだ。上で
述べたように、バルト三国がソ連から独立しようとしたとき、まず何よりも、
第三者である欧米諸国や日本から、独立した正統な政府であるとの認知を
得ようとしたことは、記憶に新しい。

436 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:21:59
>>435の続き)
(その2)
また、すぐお隣の台湾が、陳水偏時代に、アメリカや日本から独立国と
しての認知を得ようと努力したのは周知の事実だ。

このように第三者の認知があるかどうかが、王朝(独立政府)と言えるか
どうかを、客観的・科学的に考える場合に、非常に重要なのだ。

そして、このような観点に立ったとき、古代日本においては、九州に本拠を
置いていた政治勢力が、第三者である歴代の中国の王朝から、日本列島を代表
する権力と認知されていたことから、その政治勢力を九州王朝とよぶことが
客観的・科学的に適切だと言っているのだ。

437 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:27:04
>>433-434は、「畿内説信仰に生きている告白」ですね。

学問を超えて九州説が絶対なんて信仰してる人は見たことがない。

一方
学問を超えて畿内説が何が何でも絶対だと信仰してる人は非常によく見かける。

>>433-434がその典型。非学問的人間だといえましょう。

438 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:42:19
>>436
そうであれば、国王良懐はどうなるのだ

征西府のほうが証拠もあり実効支配もあるのに、
まだ証拠も十分揃わない九州千年王国なるものをもちだすばかりで、
征西府の話題が(見た限りゼンゼン)出てきていないぞ?

このスレは、いままで
「九州王朝はなかったのか?」を知りたくて、13スレも重ねてきたのだろう
本気でこの問いに答えようとする気持ちがあるのか?
あるいはもともとおふざけ目的か?

征西府は、明だったかどこかの国家承認をもらってたはずだし、
本気で上記の問いにより確実な答えをだしたいのであれば、
いまだ明らかではない昔の千年王国をだすよりは、
時代も近くて証拠もある征西府をしらべたほうが早いって言っている

そうはいっても、王朝のファクターとして、どこかの国家承認みたいなもんをもらうこと、
ってのは極めてあやふやな議論であることと思うがな
九州は地理的に得だから、九州千年王国大好きな厨たちは
とびつきそうな考え方であるのはわかるが

いずれにせよ、世界史オンチとか中傷言葉をつかうからには
どんな壮大な理論が出てくるかと思えば、

「漢に認知してもらったかどうかが問題ではなくて」
「第三者の認知を得ている側が、権威と権力を兼ね備えた正統な王朝(政府)であったと
客観的・科学的に言えることが多い、と言っているのだ。」

単なる認知以上の大切な意味があるんだぜっていう君の独白にすぎず、
>>428に対してたいした反論とはなっていない


439 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 13:49:12
>>437

おもしろいね君 

真性?








440 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:04:41
>>437
近畿説を支持する人には、次のようなタイプがある。

○大勢が近畿説のようだから、近畿説にしたがっておく方が無難と考えてる
 自己保身タイプ。このタイプは、九州王朝説が大勢になったと感じたら、
 とたんに、いとも簡単に九州王朝説を支持するようになる。戦前の神国論者
 にもそう言う人が多く、彼らは、戦後は民主主義者にコロッと変わった。
 このタイプは、真理の探求に関心があるワケじゃなく、自己保身に関心が
 ある。安本美典もこのタイプかも?

○従来の行きがかり上、心ならずも近畿説を支持することを表明しているタイプ。
 日本史の中年以上の学者に多い。心の中では、九州王朝説の方が正しそうだと
 思ってるが、 それを表立って表明したら、自分の学者としての権威を喪失す
 るし、ヘタしたら、職場も失いかねないので、仕方なく、近畿説を引き続き
 主張している。門脇禎二氏は近畿説だったが、死の直前に近畿説に疑問を呈して
 先日亡くなった。

○学校で近畿説を教わっただけで、その後、全く学習してないので、単純に
 近畿説が正しいのだろうと漠然と考えているタイプ。この2チャンネルに
 書き込んでるのも、このタイプが多い。悪気はないので、いろいろ最新の
 知識を吸収していくうちに、近畿説に疑問を持つようになる人も多い。

○宗教的心情から近畿説を支持しているタイプ。このタイプは、科学的・客観
 的な観点から、近畿説を支持していると言うより、近畿天皇家が日本の古来から
 現代に至るまでの日本の支配者であるべきであり、だから実際にも支配者であっ
 たのだという風に考えるタイプ。非合理的・非科学的であるが、宗教的な感覚が
 途方もないエネルギーを発するのは、ユダヤ京都の歴史や、イスラム教の大
 発展や、近世初頭ヨーロッパの宗教戦争を見れば良くわかる。非合理的・非
 科学的だからといって軽んじることはできず、警戒が必要である。
  ちなみに、このタイプなのだが、自分は客観的・科学的な論拠に基づいて
 近畿説を支持していると勘違いしている人も多い。支離滅裂な議論をするのは
 この勘違いタイプであることが多い。

441 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:05:08
>>436

>>428をよく読みな

「漢籍にはいっているから王朝、
つまり、どこぞの与太者がおれはすごいと語って漢に届出を済ませれば王朝ととるのであれば、

志の低い定義ではあるが、
九州王朝が存在することでYesに定まったのであるから、この問題は解決したことになる。

したがって、このスレッドは、この時点をもって終了(閉鎖)するべきである」



どうもあなたの書き込みは、>>428のごく一部分(志の低い定義ではあるがの部分)に不満はあるようだが、
そのような主観的部分はおくとして、結論としては、漢籍に入ったことを根拠として王朝成立を主張している。

であれば、>>428の言っていることと矛盾してはいないのだよ。

「九州王朝が存在することでYesに定まったのであるから、この問題は解決したことになる。
したがって、このスレッドは、この時点をもって終了(閉鎖)するべきである」

よって、このスレッドは、この時点で終了ということになる。


--------------------------------------------
おつかれさまでした



442 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:36:33
このスレッドは無事終了いたしました
皆さんのご協力の結果、無事に結論を出すことができました。


問題 > 九州王朝はなかったのか?
結論 > 九州王朝は実在した!!
理由 > >>428をご参照ください。











皆さん、ながらくおつかれさまでした。
今後、別のスレッドでご活躍を祈念いたします。

なお、このスレッドには終了しましたので、以後の書き込みはご遠慮ください。

---------------------------------------------------------------------------
(完)

443 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 14:44:55
>>441 
問題が解決した考える者は、自由にこのスレッドから退出するがよい。誰も止め
はしない。しかし、スレッドの終了を宣言するのは、ちょっと待てと言わざる
を得ない。

君の結論に賛同しない者もいるんだよ。自分の都合だけで、勝手にスレッドの閉鎖を
宣言するのは止めてくれ。君の独善的な閉鎖宣言は、君の独善的な神国日本論と相似形
だな。

444 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:04:50
>>443
まだいたのか粘着君・・・ いい加減にしたまえよ

独善的なといったって、こちらは君の意見を受け入れて自己の立ち位置を修正し、
最後は、君の協力もあって結論を出すことができたのである(それについては感謝している)。
なので、独善的とはまったく根拠のないレッテル張りであり、
>>437のいうお前は畿内主義者だというようなレッテルと同じ次元だ。
(学才あふれた君には>>437のようにはなってほしくないことを理解してくれ)

神国日本論といったって、どこにも神国という主張は含まれていないし、
論というほどの論を展開した覚えもない 君がイメージを膨らませているだけ
最終的にはレッテル張りしかできなくなるのは、学問的には悲惨な立場と知りなさい

最後に助言だけをしておくと、
君は自分の意見をまとめたりそれを提示したりすることには熱心であるが、
それ以上に、瑣末な事柄にとらわれずよく広い視野を持ち、
また、人の意見をトータルによく熟読することで、
より健全な判断力や視野を身につけることができるだろう

君には本の知識はあるようなのだから、ぜひ頑張って欲しい。
もしまだ残ってまだ雑談したいのであれば無理に止めはしないが、
ここで粘着するばかりではなく、はやめに次の課題を見つけて欲しい。





445 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:20:23
つーか、2chなんてしょせん暇つぶしの場なのに、これ以上時間割くもんじゃないだろ

俺はもうやめる
きみたちも九州千年王国もいいが、とりあえず外の空気でもすってきたら?

ちなみに俺は古代の日本に九州に王朝みたいなものがあってもおかしくないと思っている。
が、歴史についてはその程度の理解だけだ。
別に畿内がどうこうにこだわりはない 大半の日本人はそうだろう。





446 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:26:23
>>438
(その1)
征西府については、自分はよく知らない。明に認知されていたかどうか、そして
その時、近畿大和王朝も同時に明から認知されていたかどうかも知らない。
したがって、征西府についてはコメントしない。

いずれにしても、古代日本において、九州王朝と呼べる政治権力があったか
どうかを客観的・科学的に判定するには、古文書の記述や考古学上の遺跡・
出土物により判定することになるが、その際、大陸や半島の政治権力が、
日本列島を代表する政治権力がどこにあったと考えていたかも、重要なファ
クターなのだ。

>>411の、次のような考えは、いわゆる「神国日本」のドグマであって、客観的・
科学的な見地ではない。そのような見地が、我が国と我が国民を存亡の縁に追
いやる危険があることは、つい50年ほど前に我々が身を以て知ったことだ。

  わが国において、時の執権者が誰であれ、権威が畏くも天朝から出ずるは、
  遠略航海説を待つまでも無く自明である。してみれば王朝とはまぎれもな
  く神武王朝以外に観念することは不可能なのであり、いかに九州時代の神
  武が、中国皇帝のような玉座、金銀、兵隊を持ち合わせていなくとも、わ
  ずかの臣下しか臣従していなくても、わずかの領域を支配していなくても、
  おのずから王朝なのである。

447 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 15:27:33
>>446のつづき)

(その2)
だからといって、神国日本教だけが悪いと言っているわけではない。ユダヤ教は
選民思想だし、キリスト教やイスラム教は一神教だ。これらの宗教も突き詰め
ると、ユダヤ教徒でない者は救われない(滅亡する)し、キリスト教徒やイス
ラム教徒でない者は、悪魔の手先ということになって、これまた討ち滅ぼすべ
き相手と言うことになる。

神国日本教・ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はいずれも、それを信じる者
以外は、すべて「まつろわぬ者」として、討伐の対象となるという思想である。

そのような狂信は自分自身を不幸にするだけ、というのは、歴史的に明らか
である。それは、新旧のキリスト教徒がお互いに殺し合ったヨーロッパ近世初頭
の宗教戦争を顧みれば明らかである。ヨーロッパ諸国は、お互いにさんざん殺
し合い、傷つけあったあげくに、そのような独善的なドグマに基づいて行動す
ることは、人間を不幸にするだけと言うことをようやく覚った。そのお陰で、
合理主義・科学主義に基づく近代ヨーロッパがスタートして、その文化文明が
世界中に波及して、今日に至っているのだ。

神国日本教も、その偏狭な独善性を脱する必要があることは同じだって言い
たいわけ。

448 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 16:46:41
>>438

× 「九州王朝はなかったのか?」を知りたくて、13スレも重ねてきたのだろう

○ 九州王朝が確実視されてきたので、その姿を浮き彫りにしつつ、真偽も大いに論じてきた。

>>441

× 漢籍にはいっているから王朝

○ 漢籍によれば、九州王国が王朝としての定義を十分に満たしているから、確実に王朝と定義できる


>>438>>441は、他人の文章を、ちゃんと読みましょう。
もっともその前に、信仰を捨てて学問の態度を身につけましょう(無理ですか?)。

449 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:01:11
>>440

同感です。江戸初期の松下見林以来、畿内説の立場は

「天皇家以外に最高権力なし→天皇家は畿内大和
→よって邪馬台国はヤマトと読まなければならない
→漢籍から好都合を取り、不都合は廃棄しなければならない」

この伝統に支えられた学閥は、卑弥呼時代に畿内の遺跡が
さびしいとわかると畿内の遺跡の年代を繰り上げることで対処し、
卑弥呼の時代は弥生時代としていたものを、古墳時代だったと
改竄し、松下見林の手法そのものです。

このままでは偽造の金印やら、ニセ魏鏡が100枚入った容器やら、
いろんなものを捏造する勢いです。

もう、400年続いた松下見林の「畿内教」は止めるべき時期だと思いますが、
学会では科学や学問のつもりで「畿内教」を必死に守っているわけです。

そんな人がこのスレにも、盛んに出没してますね。


450 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 17:09:33
天孫降臨 萬世一係

451 :のんびりひまじん:2008/08/23(土) 17:49:56
>>16
以下のこと、九州王朝というほどのものが存在したと主張したのは(→本文末尾)
「昔、呉の流れをひく者たちが、わが国の西辺に逃げて来て、その子孫が強大になり、
錦のぬいとりのある絹織物を身につけ、
城郭を築き、
古くから漢字を用い、
みずから王を称し、国号をたて、中国と通じ、あるいは
新羅と通婚し、もし、意に会わぬときはふれ文をまわして侵略を行ない、
暦をつくり、年ごとの歴史を記し、
寺を建て、
銭貨を鋳造し、 すべて中国のまねをして異ならなかった。」
このように指摘したのは、鶴峯成申(つるみねしげのぶ)さんの「襲国偽僭考(そのくにぎせんこう」という。

(入手困難な襲国偽僭考を、上記のように紹介してくれた引用元は、Y本B・さん「虚妄(まぼろし)の九州王朝」)

鶴峯成申:事実として存在認識して、九州年号を紹介しつつ、正統性において九州王朝否定=偽僭と主張(徳川の時代)

古田武彦:事実として存在認識&PRしつつ、九州王朝の裏返しとして現天皇王朝の先祖の不統性指摘

Y本B・:鬼気執念的に事実でないという主張だけ反復(上記書には旧唐書の日本列島のニつの政府認識に触れない。)
      →のちに、作る会参加=天皇賛美しているつもりの狂信右翼系列入り

452 :夏祭:2008/08/23(土) 21:57:21
>>449
…まるでものみの塔の教義を見ているようだな…
自分達の不都合に一切目をつぶり、
まともなキリスト教を「サタン勢力」「邪教」「カルト宗教」と言い捨てる。

453 :夏祭:2008/08/23(土) 22:01:59
>>451
>作る会参加=天皇賛美しているつもりの狂信系右翼系列入り
この文章に対しては拍手したい。

ただ、革新系の歴史家としては、古田武彦よりも藤間生大の方が好きだ、とは言っておこう。

454 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:34:57
九州王朝も単に力だけで人民を統治していたわけではなく、その統治を正統だ
と人民に感じさせる神話体系を持っていたたずだ。というのは、権力だけで権威
のない統治は、長続きしないのが通例だからだ。九州王朝は極めて長期に渡って
存在していた。したがって、必ず、神話体系を持っていたはずなのだ。

その神話体系とは、月読神話ではなかったか? 

九州王朝の兄王は「天未だ明けざる時、出でて政を聴き、 跏趺 ( けあぐら ) し
て坐し、日出づれば 便 ( すなわ ) ち理務を停め、云う『我が弟に委ねん』と」」
であったという。

夜は月の世界だ。兄王の権威は、月神(月読神)の神話に支えられていたので
はあるまいか? そして弟王の権威は、日神(天照神)の神話に支えられてい
たのではあるまいか? 

古事記ではイザナギの命の 右の目からは月読神が生まれ、左の目からは天照神が生
まれたという。月読神は天照神と同格の誕生説話を持ちながら、その後の行方は
まったく定かでない。この月読神こそ、九州王朝の皇祖神ではなかったか? そして、
その月読神話は、近畿大和王朝によって消し去られたのではあるまいか?

そう言えば、天武天皇は、九州王朝の弟王だったという説がある。日本書紀の
編纂を命じた天武天皇は、九州王朝を抹消する際に月読神話も併せて抹消し、
天照神を神話体系の最高神に位置づけることによって、自らの権力を権威付け
ようとしたのではあるまいか? 

天照神を祭る伊勢神宮は、天武天皇の時代になって突然、皇室の尊崇を受け
るようになったという。その背景には、以上のような事情があったのではないか?

全くの思いつきであり、文献上の根拠はもちろん何もないが、以上のような
仮説を立てて、様々な古文書や、神社の縁起を読んでみるのも面白い。

455 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 22:41:14
>>454に続く)
九州王朝が月読神を皇祖神としていたとすると、いわゆる「後九州王朝」が
存在していた薩摩に、月読神を祭る神社が沢山あるはずだが、薩摩にそのような
神社があるだろうか? 

誰か鹿児島県で月読神を祭っているいる神社を知っていたら教えて下さい。

456 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:12:43
大和朝廷は吉備。
吉備が九州勢力を潰して建てた王朝。
従って、邪馬台国は大和ではない。九州です。
箸墓は、九州勢力を倒す時に協力した出雲勢力を後に追放したことで、
祟る神(タタール)の出雲のたたりを恐れて、大和朝廷(実は吉備)
が作った慰霊碑。


457 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:29:33
>>452-453
ようこそ、松下見林の使徒、三位一体派(天皇=大和=邪馬台国)の夏祭さん。
どうぞここで存分に、信仰の告白をしていってください。

458 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:34:15
(その1)
な、なんと!!!
上(>>454>>455)の書き込みをしたあとで、先ほどインターネットで
「月読神 鹿児島 薩摩」で検索してみると、次のような記事がヒットした。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/kyoutanabe-tukiyomi-shrine-02.htm

日本の神々 神社と聖地5(白水社)には、
・・・月読神社は、大隅の串良町(くしら)有里と、桜島にもある。
これら月読神社は大きな神社だが、鹿屋市船間では、部落神として、
オツキサア・オツキドンという祠を祀っている・・・
と書いてあります。

また、

京田辺市大住、月読神社 「隼人舞伝承地」
九州南部の大隅隼人が7世紀頃に(京都田辺の)大住に移住し、郷土の隼人舞
を天皇即位にともなう大嘗祭(だいじょうさい)のときなどに朝廷で演じ、
また月読神社にも奉納して舞い伝えてきた。

こ、これは大変だ!!!
薩摩地方に月読神社があるというのだ。また、薩摩隼人が近畿天皇家に服属し
たあと、隼人舞を大嘗祭の時に奉納するが、その時併せて、京都田辺にある
月読神社にも奉納していたという伝承が、京都田辺の月読神社に残っていると
いうのだ。

これは「後九州王朝」がかつて薩摩に存在していて、その王朝が月読神を信仰
していたことを示すものだ。やはり、九州王朝は月読神神話を皇祖神話として
持っていたようだ。

459 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:35:06
>>458の続き)
(その2)
それにしても驚いた。九州王朝の神話体系 = 月読神話
= 後九州王朝 = 薩摩に月読神社あり という関係が実際に存在している
ことがこんなに簡単に明らかになろうとは……。インターネットというのは
凄いものだ。

自分は決して、インターネットで検索したあとで、上(>>454>>455)の書き
込みをしたわけではない。これは、面白い。こんな結果になろうとは、自分で
も思っていなかった。

これで、九州王朝の神話が「月読神話」であり、また「後九州王朝」が薩摩にあ
ったという確信が、一層強まった。

460 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 23:53:40
>>458-459
面白そうだから、あとでちょっとまとめてみてください。
よろしくお願いします。

461 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 01:11:56
>>458-459
見つけましたね。
愛宕神社に着眼していましたが行き詰っていました。

大変な作業になると思いますが、まとめてくださいね。

月読神・・・・九州王朝兄王
天照神・・・・九州王朝弟王(筑紫)→畿内天皇
と思います。

462 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 08:05:50

月読神 ⇒ 海洋民の主神 ⇒ 海幸彦(山幸彦の兄) ⇒ 兄王の皇祖神 

ってのはいかが?

463 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 10:20:21
宮崎霧島の北斗七星

http://www.bunkahonpo.or.jp/iwakura/is004.htm


464 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 12:35:56
隼人の犬吠えって、どんなのだろうか? 
ワンワンじゃなくて、オ〜、オ〜 オ〜 っていう犬の遠吠えのようなのでは
あるまいか?

もし遠吠えのようなものだとすると、自分はそれを聞いたことがある。
鹿児島県ではなくて、佐賀県でだけど。

昔、自分が佐賀県内のある神社で行われた儀式に参列していたとき、
儀式の始めに、出席者全員(それとも神主だったか?)がオ〜、オ〜、オ〜、
って言い始めたのでビックリした。儀式の終わりにも、またオ〜、オ〜、オ〜、
って声を出してた。

自分は山口県の出身だが、神社の儀式でそんな声を出すのを聞いたことがな
かったので、ひどく驚いた記憶がある。その時受けた印象では、神が降臨し、
また神が帰還していくのを、その声で表現しているように感じた。

で、何が言いたいかというと、隼人の犬吠えって、この神の降臨と帰還を
象徴する声じゃないのかってことだ。それは、悪霊を払うとか、警戒の声
なんてものじゃなくて、神の降臨と帰還を示す声なのではないかということだ。

そして、自分はその声を佐賀県の神社で聞いたのだが、同じ風習を薩摩
の隼人も持っていたとすると、それは、九州王朝の神社に共通の儀式だった
のではないかということだ。

そこでお願いがあります。
儀式の始めと終わりにオ〜、オ〜、オ〜って声を参列者(神主?)が出す
神社をご存知の方がいらっしゃったら、是非、教えて下さい。

465 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 12:44:40
>>464
そのオ〜、オ〜、オ〜は「阿吽」のことではないのかな?
古式では、
「阿」は、ア〜、ア〜、ア〜と合唱し、
「吽」は、ン〜、ン〜、ン〜(ウ〜、ウ〜、ウ〜)と合唱する。

466 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/24(日) 12:54:45
>>464
僕は出雲大社の新嘗祭で見ました。

467 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 13:07:19

九州王朝は、近畿大和勢力に追われて九州南部に落ちのび、薩摩で「後九州王朝」
を形成した、という仮説を上の方で書き込んだ。

その「後九州王朝」に関連して、次のHPの内容が実に興味深い。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/aaagq805/histry/taketori.html

同HPによると、薩摩隼人は、近畿大和王朝によって京田辺市大住や、奈良の
広陵町に移住させられたという。ところで薩摩隼人は竹取りを生業の一つとして
いたのであり、竹取物語の翁もこの竹取をしていた隼人の一員ではないかとい
うのだ。

ご存知のように竹取物語は、近畿大和王朝の皇子や貴族が、竹から生まれた
かぐや姫に求婚するが、姫は難題を出してことごとく拒絶し、ついに月に戻
っていくという物語である。

この物語を「後九州王朝」に当てはめると次のようになる。

後九州王朝はついに近畿大和王朝に征服され、その支配者達は、京田辺市や
奈良広陵町などに移住させられるが、その中に竹取物語の翁やかぐや姫もいた。
かぐや姫は後九州王朝の血を引く高貴な身分であり、近畿大和王朝の皇子や
貴族連中は、その血を我が物にしようとしつこく求婚するが、栄光ある歴史を
誇る九州王朝の末裔であるかぐや姫は求婚をことごとく拒絶し、九州王朝の
皇祖神である月読神がいる月に帰っていった(自殺した)ということになる。

かぐや姫は九州王朝の末裔だという説は、ご存知のように室伏志畔が提唱した
ものだが、それに「後九州王朝」のストーリーを付加してみたのが、上の仮説
だ。

468 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 13:18:42
>>465
ご教示ありがとうございます。古式ではっていうと、神社の儀式としては、
かなり普遍的なものであって、九州の神社に限らないって事でしょうか?

>>466
ご教示ありがとうございます。出雲大社ってことになると、九州王朝との
関係は微妙ですね。九州王朝は出雲王朝から国譲りを受けたったことなので、
出雲系の儀式を継承しているのかも知れませんね? ってことは、出雲王朝
系の神社でも、オ〜って声を出すって事かも?

469 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/24(日) 13:45:45
オーっていうのは、神道の儀式でやってたのを過去に見たことがある。

470 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:33:28
>>469
ありがとうございます。私(>>464)が見たのは佐賀県内の神社の儀式の時で
した。>>469が見られたのは、何県の何神社か思い出して頂ければ幸いです。

471 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:39:00
能や田楽などで、神が降臨する場面になると「音のよりしろ」として、
鈴の音や人の声「とうとうたらり」などを発します。
その音がないと、神が降臨しないわけです。
もしかして、関係があるかどうか?

472 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/24(日) 15:42:24
神社ではなく、神道の儀式をやることはあります。オーと大きい声を出して神棚
の戸を開陳して頭を下げて神前にお辞儀をするわけ。したのは神職の免許を
持っておられた方だと思いますが・・・?

473 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 15:53:23
>>471,>>472
ありがとうございました。オ〜っていう発声は、必ずしも九州王朝に限らない
ようですね。でも、隼人の犬吠えとの関係がないのかどうか、これからも探って
いきたいと思います。


474 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 19:13:44
>>467で、竹取物語の「翁」や「かぐや姫」は、近畿大和勢力に征服されて、
南九州から近畿に連れて来られた、後九州王朝の支配層のメンバーをモデルにし
て書かれたものではないか、との仮説を述べた。

しかしよく考えてみると、「翁」はかぐや姫を養育しただけであり、実の親
ではない。近畿地方には、もっと早い時代から隼人が移住していたようであり、
「翁」はその先住隼人の一員であって、九州王朝の末裔のかぐや姫を預かって
養育していたのではあるまいか?

隼人族の近畿移住
http://www.mmjp.or.jp/askanet/satzuma__chimei02.htm

475 :九州王朝信者:2008/08/24(日) 23:53:17
この新興宗教みたいな空気は何〜?無限の自己肯定のループが、すこしキモいのですけど。
「九州王朝はあった!九州王朝はあった!私たちは正しい!敵は間違ってる!私たちだけが救われる!」
そんなに信じているならば、あったのかどうかなんてここで確かめ合わなくていいじゃん。
そんなに信じているならば、近畿や吉備とかとどっちがエライとか関係ないじゃん。
やっぱり自分に自信がないのかなぁ??まあ、せいぜい自己肯定の仲良しごっこ、頑張ってください。


476 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 23:58:37
そんなスレじゃありませんから、巣にお帰りください>475

477 :九州王朝信者:2008/08/25(月) 00:00:26
どんなスレなのですか?

478 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:02:28
>1や過去スレ読んで、巣にお帰りください。

479 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:04:59
巣とは?

480 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:20:32
100年考えてください。

481 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:21:58
自分の巣なんてなくて、気が向いたスレを荒らして回ってるやしもいますよ。
香具師っていいます。

482 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:26:17
>>479
畿内説信者は畿内説のスレッドという巣にお帰りください
ここは九州王朝について学問的に考察するところです

483 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:26:35
また○○どうしの野の知り合いか〜。エネルギーの赴くままに、精根尽き果てる
までやってくれ。

484 :九州王朝信者:2008/08/25(月) 00:34:36
学問(笑)
そんなに九州王朝について確信をお持ちでしたら、2chではなくて正々堂々と学術論文などで世に問うてみるほうが生産的ですよー
そうでないと、ここがあなた方の安住の巣のように見えてしまいます(あなたはまるで哨戒活動にあたる働き蜂ですね)

485 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:42:15
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

486 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:43:18


>>485  馬鹿の一つ覚えみたいに同じ文章コピペすな。

487 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:44:38
同上。

488 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:47:06
>>484
あなたが畿内原理主義者であることはわかりました。
畿内説は「まず最初に畿内説ありき」の三位一体派(天皇=大和=邪馬台国)なので、議論するに値しません。

489 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 00:52:25
畿内の遺跡や出土物を、実際より古く判定することで、
むりやり卑弥呼の時代に繰り上げて、
「ここ畿内大和こそ邪馬台国」と捏造するのが

>>484 のような畿内原理主義。これは単なる信仰です。

490 :九州王朝信者:2008/08/25(月) 01:03:28
何だか怖くなってきたので退出します(汗)

でも、これは本当の話し、それほどまでに強固な確信でしたら、ここのような同宗派の機関紙のような場所ではなくって
正々堂々学問の場で出してくれると社会のためにもなるし、より生産的だとおもいます
(わたくし、異端の畿内説とは一切の関わりもないことを誓言しますので、そんなに敵意をむき出しにしないでくださいまし)

491 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:07:55
ここまで読んだ

492 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:24:12
>>490
いや、機関誌なんか世間の目には全然触れないから、この2チャンネルに書き込む
ほうがまし。現に、君のような門外漢の目にも触れている。

検索をかける人がいると、この2チャンネルの書き込みもヒットするから、
専門家の目にも触れるだろう。

2チャンネルってバカにするけど、結構行けると思うよ。

493 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:31:48

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   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝があったのは事実だ! 文句をのある奴は大和神国論者だから有害だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   九州  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |九州   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   



494 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:33:53
ねむい・・・

495 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:35:04


    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 四国王朝があったのは事実だ! 文句をのある奴は大和神国論者だから有害だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   四国  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |四国   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   




496 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:35:59


    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < ツカル王朝があったのは事実だ! 文句をのある奴は大和神国論者だから有害だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   ツカル ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |ツカル  |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   




497 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:36:31
>>493
九州王朝がなかったのは事実だ! 文句をのある奴は非国民だから有害だ!

お互い様って事を知らぬ自己中書き込み。


498 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:37:19


    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 檀君王朝があったのは事実だ! 文句をのある奴は日本帝国主義者だから有害だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   檀君  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |檀君   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   




499 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:41:23


    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句のある奴は、大和朝廷が相対化されることを拒絶したい国粋主義者・神国主義者だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   九州  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |九州   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   




500 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:42:46


    / ̄ ̄ ̄ ̄\      
   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句のある奴は、大和朝廷相対化を恐れる国粋主義者・神国主義者だ!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| |   九州  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |九州   |::::::::/:::::::/     
 (_____):::::/::::::/      
     (___[]_[]   





501 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:45:10


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   (  人____)      
    |ミ/  ー◎-◎-)   
   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句ある奴は、大和朝廷相対化を恐れる国粋主義者に違いない!
 (__/\_____ノ    
 / (   ||      
[]__| | 日帝粉砕!  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
  /(_)\:::::::::::::::::::::::|     
 |粉砕! |::::::::/:::::::/     
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502 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 01:52:23
無知頑迷な大和主義者は認めたくないだろうが、
九州王朝どころか、九州帝国とも言うべき国が存在していた。
東は北関東、西は山東半島、北は楽浪郡、南は薩摩半島まで支配していたのである
大和は文字通り、九州の支配に積極的に協力していた

503 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:03:14

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   (6     (_ _) )  
  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句ある奴は、大和朝廷相対化を恐れる国粋主義者に違いない!
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[]__| | 日帝粉砕!  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
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 |粉砕! |::::::::/:::::::/     
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     (___[]_[]   


≪無敵の論理≫

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

このように、
戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、
九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

歴史は、繰り返すといいますが、ここを見る限り本当ですね!

504 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:04:35
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    |ミ/  ー◎-◎-)   
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  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句ある奴は、大和朝廷相対化を恐れる国粋主義者に違いない!
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[]__| | 日帝粉砕!  ヽ  
|[] |__|______)  
 \_(__)三三三[□]三)   
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 |粉砕! |::::::::/:::::::/     
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≪無敵の論理≫

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

このように、
戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、
九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

歴史は、繰り返すといいますが、ここを見る限り本当ですね!


505 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:09:45
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[]__| | 日帝粉砕!  ヽ  
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≪無敵の論理≫

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

このように、
戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、
九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

歴史は、繰り返すといいますが、ここを見る限り本当ですね!


506 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:10:40
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  _| ∴ ノ  3 ノ  < 九州王朝に文句ある奴は、大和朝廷相対化を恐れる国粋主義者に違いない!
 (__/\_____ノ    
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[]__| | 日帝粉砕!  ヽ  
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 \_(__)三三三[□]三)   
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 |粉砕! |::::::::/:::::::/     
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≪無敵の論理≫

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

このように、
戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、
九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

歴史は、繰り返すといいますが、ここを見る限り本当ですね!


507 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:13:26
≪九州教団 狂気の論理 その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!



508 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:14:14

≪九州教団 狂気の論理 その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!





509 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:15:20

≪九州教団 − 狂気の論理 − その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!





510 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:17:39

≪九州教団 狂気の論理 その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!





511 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:18:39

≪九州教団 狂気の論理 その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!





512 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:25:45
ヤマトがんばれー
九州がんばれー
ツガルがんばれー

ニヤニヤ


513 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:27:51
きみはMMRを見たか?
古代九州にギリシアのようなポリスがあったと特集されてたぞ
民主選挙は、古代九州が起源らしい

514 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:29:42
ノストラダムスの予言には、古代九州帝国を予測するものがあったらしい
時代が合わないことが唯一の難点だが




515 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:31:43
武士道、味噌、和歌、民主政治、は古代九州起源らしい

516 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:33:11
古代九州にはどうやらユダヤ人が立てた国があったらしい
それが古代九州王朝であるとも一部の識者にささやかれている

517 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:35:43
古代九州王朝は、インディジョーンズ5の舞台になるようだ

518 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:36:43
ヤマトがんばれー
九州がんばれー
ツガルがんばれー

ニヤニヤ



519 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:38:36
わたしは提案する

われら九州教団にも、そろそろ綱領が必要だ!

綱領に違反した者は、自己批判が課せられるべきだ

520 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:42:06
ヤマトがんばれー
九州がんばれー
ツガルがんばれー

ニヤニヤ



521 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:42:54
わたしは提案する

われら九州教団にも、そろそろ綱領が必要だ!

綱領に違反した者は、自己批判が課せられるべきだ


522 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:43:44
ヤマトがんばれー
九州がんばれー
ツガルがんばれー

ニヤニヤ



523 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:46:52
九州の王朝はどうだかしらないが、檀君の王朝絶対に存在します
異議は絶対に認められない なぜなら異議は日本帝国主義の仕業だからだ

524 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:47:57
ヤマトがんばれー
九州がんばれー
ツガルがんばれー

ニヤニヤ


525 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:48:56
≪九州教団 狂気の論理 その全貌≫

-----------------------------------------------------------

「九州王朝に対する疑問、批判、異議、文句、冷やかし」

→「畿内王朝説のヤツラに違いない!」

→「大和朝廷と天皇制の絶対性を追求したいから畿内王朝説をとっているにちがいない!」

→「神国日本を強調する国粋主義者、国家主義者だ!」

-----------------------------------------------------------

このように、

戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、

九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

「歴史は、繰り返す」といいますが、ここを見る限り本当ですね!


526 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:51:45
九州王朝があったということに疑問を呈するなんて、許されないことです

527 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 02:53:39
いわゆる徳川埋蔵金は、九州王朝の財宝である!
九州王朝が、坂東平原まで支配下に置いたことの証明である!

528 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:25:34
>これは同じ水軍人物像だよ!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44846995_5?1219505900


529 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:26:39
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html


530 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 03:27:44
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。


531 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 04:51:54
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。

532 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 05:14:56
畿内の古墳年代判定を捏造して、思い切り繰り上げて初めて成り立つ、畿内説。
これって、純粋な似非学問。妄想的、畿内原理主義といっていいでしょう。

533 :夏祭:2008/08/25(月) 07:33:15
>>532
その「畿内の捏造」も九州王朝原理主義者の信仰に過ぎないんだなあ。
むしろ、九州王朝論者の方が平原や須久などの弥生遺跡の年代を捏造して、
やたらと繰り下げている。

534 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 10:34:39
九州、大和、津軽、毛野・・・
日本全国村おこし大会の予感がしてきました!!!

535 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 13:56:45
もう、畿内説を真剣に取り上げる必要はなくなったな。

536 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 18:04:09
なんだ、ここでもオツムが弱くて罵詈雑言ばっかりはくコピペ小僧が荒らしやってるのか。
こいつキチガイだからスルーしとけよ、歴史好きの皆さん。

537 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 19:04:01
ナチス・ドイツ擁護のミリタリー・ヲタ>>419
スレッド破壊を行なった経緯が良く判ったw

538 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:22:18
ここの場所では、よく学問とか学問的態度とか言う言葉がよく見られるね。「畿内説信者は学問的立場を否定する信仰にすぎない」とかね。
このスレに来る人たちは学問をやっているような錯覚にあるのでしょうけど、笑止もいいところだなあ。

だって、君たちが学問をしたいなら、自分たちが奉じている理論を正々堂々と世に問う、社会に問うなどしてみればよいじゃあないか?
国際学会とかで発表してもよいし、学術雑誌への投稿でもよい、書籍の出版でも良い、ただそれらの機会を利用すればよいのですよ。
そんなこともできない輩が、なにが学問だ笑わせる(笑)

それは、君たちが、例えば学者とかではないからできないとか、君たちには高すぎるハードルだから、2chで満足なのかい?
それで、ここ自分たちだけの安住の地で身を寄せ合って、「ボクたちは正しい!」とお互い肯定しあって自己完結して満足なのかい?
ここは宗教施設じゃないんだよー。

俺たちは学問なんて大それたことじゃくて、ただの歴史オタクだから、俺たちの聖域に土足で踏み込まないでって言うかもしれないが、
あれほど、畿内説が国家主義者の妄説だとか、学問じゃなくて信仰なんだとか、最初に結論ありきだとか、年代をごまかしてるとか、
たいそうなご高説を、あきもせず長々と、ここでぶつぶつわめくのを聞いてると、じれったくてイライラしてくるんだよ。
じゃあ、君たちは、いったいどうしたいだってね。

「どんなにすごい真理であっても、人間に発見されなければ何らの価値も有さない。」
すべての知識は、君たちの頭の中に留まっているだけでは、君たちにとっても、そして社会にとっても、まったく無価値なんだよ。
そんな君たちが、いっちょうまえにここでぶつぶつわめいくだけで、畿内説を蔑んだ気になってるのは、まったく笑止といえると思うんだ。


539 :九州・大攘夷:2008/08/26(火) 01:26:25
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


540 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:27:19
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。


541 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:29:21
>>538は、アンフォーマルな情報交換の価値を理解できない虚け者

542 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:36:04
↑(笑)

ごめん、国際学会で発表とか書いてしまった自分が間違ってました・・・


543 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:39:39
もう、九州説を真剣に取り上げる必要はなくなったな。

544 :九州・大攘夷:2008/08/26(火) 01:40:33
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


545 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:42:06
「阿蘇山あり」これで決まりだな。

546 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:49:50
キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ

キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キューシュー キューシュー キューシュー

ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
うーそつき うーそつき

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ


547 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:50:08
>>540
じゃあ何で真っ先に青磁の鐸を伝えんのだ?

マジで言ってるなら南京の学者はよっぽど馬鹿で低能なんだな。

それに越から日本に直接伝わったなら、越式鼎を真っ先に伝えろこのボケカス。

548 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:52:36
どうして畿内から、金印が出ないんだろ。
どうして畿内には阿蘇山がないんだろ。
だってあの国は、九州にあったからね。

549 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:54:47
畿内説に対する証拠認定は厳し目に
九州説に対する証拠認定は易しめに

これがわが国民の良識と信ずる

550 :九州・大攘夷:2008/08/26(火) 01:56:16
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


551 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 01:59:32
質問:
九州王朝の支配領域はどこまで及んでたと考えられますか?
一説には、極東の一大勢力であったとも言われますが。


552 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:04:32
>>538
快調な書き込みだね。ウン、楽しそうだよ。
…ってなわけで、みんな楽しく書き込もうぜ。

553 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:08:33
>>538

畿内説の神国日本信者さん乙。


554 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:12:54
畿 内 説 = 年 代 詐 欺 の 似 非 学 問


555 :元寇・大攘夷:2008/08/26(火) 02:14:33
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


556 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:19:05
みんな仲良く村おこししよーぜー

557 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:20:34
キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ

キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キューシュー キューシュー キューシュー

ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
うーそつき うーそつき

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ


558 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:29:43
馬具が出た4世紀の箸墓古墳。
これがどうして、250年ごろ亡くなった卑弥呼の墓なのでしょう?

5百枚出た4世紀の国産、三角縁神獣鏡。
これがどうして、卑弥呼が魏からもらった鏡なのでしょう?

畿内説って、根拠なんてどうでもいいんですね。



559 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:39:47
>>497
そもそも、九州王朝がなかったのは事実だなんて叫んでいる人、(少なくともここでは)いないだろ。
九州王朝がなかったのは事実だということに反論すると非国民扱いされるという話しも聞かない。

それに対して、やれ畿内王朝説に対しては似非学問だとか、神国教だとか、
大和王朝至上主義者とじゃ、信仰告白だとか、もうレッテル張りオンパレード。

周りはキューシューオーチョーなんてあってもなくてもさほど無関心なのに、
すべて九州王朝支持者が自意識過剰で疑心暗鬼なってるだけ。


560 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:46:04
とっくに滅亡した卑弥呼時代の畿内銅鐸国家。
邪馬台国ってあっさり滅亡しちゃったの?
畿内説って、デタラメ100%じゃん。

561 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 02:46:20
532 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/25(月) 05:14:56
畿内の古墳年代判定を捏造して、思い切り繰り上げて初めて成り立つ、畿内説。
これって、純粋な似非学問。妄想的、畿内原理主義といっていいでしょう。

562 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 03:01:55
あれこれ言う前に、伊都国がどこかを検討してみたら?
倭人伝どおりに末盧国から東南五百里、そこは有明海沿岸です。
これで、畿内説など成立するはずがないことは明白です。

563 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 05:44:54
382 名前:九州王朝大好き[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:32:28
空気は読まなくてもよいから

スレタイを読めよ

ここは九州王朝スレ

魏志倭人伝と邪馬臺國だけを論ずるなら、邪馬臺國スレへどうぞ



564 :夏祭:2008/08/26(火) 08:31:31
>>561
平原や須久岡本の年代を思い切り繰り下げて成立さしてる
九州王朝説の方が…ねえ…

565 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 12:08:25
阿蘇山できまり。

566 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 16:41:02
畿内信者が議論放棄して壊れた?


567 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 17:57:58
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

568 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:24:17
畿内説が不利 → 三足土器の爆撃投下

・・・畿内説おなじみの逃避行動w

569 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 21:08:57
>>101 兄王が一人のみであるのに対して、弟王は複数存在する。
(弟王は「きみ(君)」と称す人物)
筑紫の弟王が薩野馬なら、肥の弟王は天智とか? 天武も薩野馬不在時の筑紫の
弟王で、薩野馬の帰国により、畿内の弟王となる為移動したとか?

面白い仮説ですね。自分もほぼそんな気がします。で、その場合、兄王はだれだ
ったんでしょうか?

自分は、日本書紀で斉明天皇が行ったとされている事を九州王朝内で行った
女性がいて、それが兄王(女性だから卑弥呼タイプの姉王ですが)だった
んじゃないかと、今考えてるところです。

斉明天皇は白村江の戦いに出陣する前に亡くなった、その後も中大兄皇子は
天皇位に就かなかったと日本書紀に書かれていることから類推して、
九州王朝の姉王が亡くなったあと暫くは兄王(または姉王)は空位だったと
いう仮説を今考えているところです。唐・新羅との戦争が始まったから、
大嘗祭どこじゃなかったのでは?



570 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 22:18:55
諸縣あたりじゃないの?高千穂。

571 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:23:35
>>569
遅レスうぜーよ 

572 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:24:36
阿蘇山できまり(笑)

573 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:25:28
「阿蘇山あり」これで決まりだな(笑)

574 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:28:26
畿内説に対する証拠認定は厳し目に
九州説に対する証拠認定は易しめに

これがわが国民の良識と信ずる


575 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:30:17
562 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/26(火) 03:01:55
あれこれ言う前に、伊都国がどこかを検討してみたら?
倭人伝どおりに末盧国から東南五百里、そこは有明海沿岸です。
これで、畿内説など成立するはずがないことは明白です。

563 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/26(火) 05:44:54
382 名前:九州王朝大好き[] 投稿日:2008/08/22(金) 00:32:28
空気は読まなくてもよいから

スレタイを読めよ

ここは九州王朝スレ

魏志倭人伝と邪馬臺國だけを論ずるなら、邪馬臺國スレへどうぞ





(猛苦笑)

576 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:42:03
戦前日本が、「非国民」とのレッテル張りにより、国民の戦争批判を弾圧したのと同じ方法で、
九州教団は、「国家主義者」とのレッテル張りにより、九州王朝批判の口を封じようとする。

歴史は、繰り返すといいますが、ここを見る限り本当ですね!

577 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:42:56
≪九州教団の歌≫

キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

キューシュー キューシュー キューシューキューシューキューシュー
キューウシューウオーチョー

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ

キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キュキュキュキュキュキュキュ キューシュー
キューシュー キューシュー キューシュー

ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
ヤーマートーはー やってないー ねーつーぞーうーだー
うーそつき うーそつき

さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 
さあ 九州王朝は実在したぞ 

ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ
ヤマト説はまやかしだぞ

578 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:48:37
548 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/26(火) 01:52:36
どうして畿内から、金印が出ないんだろ。
どうして畿内には阿蘇山がないんだろ。
だってあの国は、九州にあったからね。


WAROSU!!!

どうして畿内に阿蘇山がないんだって???
そりゃ、畿内の山に阿蘇山って命名してなかったからだろうよ(笑)

ばかなこと聞くな!



579 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 23:54:06
九州王朝傘下の畿内王権。
だから、畿内王権下で九州元号を使ってたんですね。

       畿内説、ダメじゃん。

580 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:05:41
「隋の記録に、阿蘇山のことがあれやこれやと書いてある。一方で、畿内や畿内への道筋の描写はない。
したがって、中国との使節のやり取りは九州との間でなされたのであり、九州に畿内を凌ぐ王朝があったことは明らかである。」

九州信者のアーギュメントは、非論理的で欠陥がある。それは、検証されない恣意的なアサンプションに基づいている。

第一に、中国史書に山の名前が載っていれば、それは現在名において同一の名前をもつ山を指しているとの想定に基づいている。
しかし、当時の隋人が、熊本県の現在で言うところの阿蘇山を、たまたま阿蘇山と表記してくれているとは限らない。

第二に、使節が、使節の目的地に関する描写しかしないという想定に基づいている。
隋人が畿内またはその他考えられる政権拠点に赴くにあたり、九州を通りうることは地理的に明らかである。
その際、山の描写をしたからからといって、山の近くに政権があったとは限らない。

第三に、中国との使節のやり取りがあった政権が、日本で最も支配的な王朝であるとの想定に基づいている。
しかし、中国の近接勢力が中国と通交していただけでは、必ずしも、その勢力が他の勢力を圧倒していることにはならない。
九州は中国と最も近いのであるから、多くの勢力の中の一つに過ぎない状態で、中国と通交することは不自然ではない。

このように、九州信者のアーギュメントは、十分な検証にサポートされておらず、説得力に欠けている。
もし、九州信者が、上記のようなアサンプションについて、十分に説得力を持つ資料を提示できるならば、
そのアーギュメントは、より説得力を持つであろうと思われる。


581 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:20:29
温暖で潜水漁や絹の生産が特徴なのが邪馬台国。
海がないから潜水漁もできず、絹もほとんど出てこないのが畿内。
これに背を向けて、年代改竄までして、畿内こそ邪馬台国とするのが畿内説。

九州元号を施行して、畿内も含めて統治していた九州王朝。
その国には阿蘇山があり、前身であった委奴国が貰った金印も出てきている。

このように、実証的であることが、古代史や考古学に求められています。

582 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:23:12
ここのスレの人たちの特徴

1.畿内説については、どんなものでも盲目的に、まやかし、ごまかしと断定する。
若干でも疑問を残す論点があれば、鬼の首でもとったかのごとく切り捨てる。
(例: 畿内説って100%デタラメじゃん)

2.九州説については、ちょっとで有利な証拠があれば、たとえあやしげな事実であっても、相当前向きである。 
場合によっては、さも得意げに、あたかも動かしがたい決定的証拠であるかのように取り上げる。
(例: 「阿蘇山あり」で決まりだな)

3.自分たちの主張に批判的な発言は、みな畿内説支持者のしわざであると思い込んでいる。
(畿内説支持者でもない無党派層から、九州説が批判される、という可能性を信じようとしない)


583 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:24:56
藤村氏に懲りず、年代偽装で維持する畿内説。

畿内説の合言葉 「みんなで偽装すれば怖くない」

584 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:42:32
>>220
無慈悲なことを言うな!
それを言ったらこのスレの奴らの活躍場所がなくなるぞ!
あんた、このスレの奴らの受け皿用意できんのか?
もっと自分の言動に責任を持て!

585 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:43:20
フトクニ何処へ行った?

586 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:59:50
そろそろ、ローガン&夏祭 の出番ですよ!

      では、どうぞ

↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓

587 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:03:24
87 名前:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y [] 投稿日:2008/08/01(金) 11:26:30

律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

王朝と呼べる国家体制は、
九州では西暦517年(磐井)から、(倭武までは大王国)
畿内では西暦700年(文武)から。(持統までは大王国)


出雲、吉備、関東、東北等には、王朝があったと見做される証拠がない。
ちなみに古田史観支持者ではあるが。

88 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/02(土) 10:31:08
>律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

そうなんですか?
よかったらその根拠をお教えください。





588 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:06:02
>>583
別に畿内説が偽装でも何でも良いけど、
だからといって九州説が肯定されるわけではございませぬ

残念ながら     pu


220 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/12(火) 15:37:23
>>218
「畿内説じゃない」=「九州王朝説こそ真理」と言う論理が解らない。
「進化論に問題あり」=「創造論こそ真理」の創造科学者と同じレベル。


589 :のんびりひまじん:2008/08/27(水) 02:06:45
>>579
成立時点(720)に人びとが年号付きで記憶していて、当時としては現代史に相当する著名事績は
日本書紀に、年号付きで記述したと思われるそうです。

・大化の改新(実年代は50年後の690年代:九州年号の大化 の時期です)
・白雉の副都竣工&改元記念・・・九州王朝が、首都倭京(太宰府)と別に副都難波京を建設した←関西人にとっては筑紫の首都から天子さまと大臣百官のみなさまが長期滞在なさるようになったスタートの鮮烈な記憶
・朱鳥の徳政令

その年号が九州年号であろうと実際に使われ、明確に記憶されていたので記録に残したので、不体裁だとか、奇妙だ、奇怪だとか、後世の読み手が戸惑うなど想定外でした。

ま、そのあたりを踏まえまして、

九州年号は、天皇王朝の確実な文献である 日本書紀に、三つだけは記載されおります と強調しましょう。
九州年号から借用したということの表現が三つとも、改元とあることです。
(大宝年号は、続日本紀に 建元 とあり、以後 1300年余り、平成まで次々改元されてきました。)

590 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:10:28
ありゃー、平家物語にも、続日本紀にも、九州元号が出てる!!
こりゃ、本物だ!!

591 :のんびりひまじん:2008/08/27(水) 02:12:28
>>589誤文字訂正
>その年号が九州年号であろうと実際に使われ⇒その年号が九州年号であろうとも、実際に使われ

(私としたことが、ふざけ過ぎを反省します。)

592 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:16:48
87 名前:九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y [] 投稿日:2008/08/01(金) 11:26:30

律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

王朝と呼べる国家体制は、
九州では西暦517年(磐井)から、(倭武までは大王国)
畿内では西暦700年(文武)から。(持統までは大王国)


出雲、吉備、関東、東北等には、王朝があったと見做される証拠がない。
ちなみに古田史観支持者ではあるが。

88 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/02(土) 10:31:08
>律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。

そうなんですか?
よかったらその根拠をお教えください。





九州王朝大好き先生! こういう質問は放置ですか?
九州王朝大好き先生は、例えばカロリング王朝とかは、どんな位置づけになりますか?
もうすこし、柔軟なアタマを持ってもよいとおもいますが。

まあ、九州王朝にとって都合の良いものさしを自作されましたね。


593 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:23:00
まあ、なんてことでしょう?え、いま何ておっしゃいましたの?
九州王朝の実在を疑うなんて、あなたは正気ですか?

九州王朝は畿内や吉備や出雲や毛野よりも強くて、
それらの勢力を従えて、栄光に輝いていたというのに、
あなたは、もしかして疑問をお持ちですの?

そんなことは、神聖な真実に唾するのとおなじですわ
まあ、なんてことでしょう、狂気のなせるわざとしかおもえませわ

ええ、九州王朝の実在に疑念を持つなんて、絶対に許されないことです!





594 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:24:06
九州王朝が畿内や関東を征服していた・・・

そんなふうに妄想していた時期が、僕にもありました。





595 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:28:13
548 名前:日本@名無史さん[] 投稿日:2008/08/26(火) 01:52:36
どうして畿内から、金印が出ないんだろ。
どうして畿内には阿蘇山がないんだろ。
だってあの国は、九州にあったからね。


WAROSU!!!

どうして畿内に阿蘇山がないんだって???
そりゃ、畿内の山に阿蘇山って命名してなかったからだろうよ(笑)

ばかなこと聞くな!

596 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 02:59:09
ってことは、邪馬台国の後継国は九州王朝だったのか。
こりゃー、畿内説が成り立たないわけだわ。

597 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/27(水) 07:15:38
>>596
まぁ正解か正解に近い。

598 :九州・大攘夷:2008/08/27(水) 09:59:40
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し

599 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 10:20:29
≪ 九州王朝は実在した − エピローグ − ≫

古代九州王朝は確かに実在していた、その支配は栄光に彩られていた
その勢力は四海を征し、極東の一大支配勢力となって君臨していたのだ
大和をはじめ、吉備も出雲も、関東も東北も、その勢威におそれひれ伏す以外になかった

しかし、彼らにとって唯一残念なことには、
後代、九州王朝の栄光を主張する人たちの能力や志が低く、
その言説も社会からまともに相手にされていないことであった

彼らの思いついたことといえば、2チャンネルという場を借りて、
自分たちの言説が日の目を見ない鬱屈をぶちまけ、ぐじぐじ文句を言うのみであったのだ

古代九州王朝の人にとって見れば、これこそ痛恨の事実であったろう
なぜなら、これこそが、もはや完全に大和に征服された事実の再確認であったからだ


600 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 10:21:47
600

601 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 10:26:32
>>581
想像力が豊か過ぎるようですね

602 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 11:03:10
ここでもメンタルヘルスに問題のある人間が
患者特有の単語を散りばめた雑文をコピペしてるのな。ワロス

603 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 12:21:11
4世紀の箸墓を、卑弥呼の墓に比定したくて、3世紀だと年代偽装し、
4世紀の三角縁神獣鏡を、卑弥呼がもらった鏡にしたくて、
3世紀の舶載鏡だと年代偽装する。

この手のメンタルヘルスに問題のある人間が、畿内説を弁護して、
九州王朝の実在を抹殺しようとしています。

604 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/27(水) 13:41:30
>>569
>自分は、日本書紀で斉明天皇が行ったとされている事を九州王朝内で行った
>女性がいて、それが兄王(女性だから卑弥呼タイプの姉王ですが)だった
>んじゃないかと、今考えてるところです。

斉明天皇は九州王朝兄(姉)王をモデルにした可能性があります。

欽明は畿内の九州王朝弟王(畿内大王)と推定しているのですが、
それ以降の畿内天皇の即位年と九州王朝元号の改元年の一致率が高いことから、
それらの畿内天皇は九州王朝兄王を引用したか、
もしくは、九州王朝兄王の名前を変えて書紀に記載した可能性が考えられます。
各天皇紀の記事については、畿内の出来事、九州の出来事の引用と創作と思われます。

以上はまだ単に着目しているに過ぎないレベルのものです。
これらを裏付ける古文書記事や考古学的事実はまだ揃っていません。

605 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/27(水) 14:08:17
>>592
>>律令、元号と首都のない国家体制を王朝とは言えない。
>そうなんですか?
>よかったらその根拠をお教えください。

古代においては、日本はまだ地球規模での強い相互関係のある地域になっていません。
古代における日本は東アジアの一地域にしか過ぎない立場です。
その東アジアの中心地域であるシナの王朝観を日本にも適合させるのが適切だと思います。

606 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 17:50:31
九州一円には強大な国(または連合体)があったとは思うが、決定的な何かが欠けている。

九州王朝の根幹を為す物的証拠や遺跡が出てくれば、世論は「九州王朝説」に注目が集まるんだが。

「親魏倭王」の金印でも出土してくれないかな


607 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/27(水) 19:27:31
適合→適用

608 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 23:33:31
>>604
私は>>569です。ご返事ありがとうございます。近畿大和勢力のトップも、
九州王朝の弟王の1人だったってのは、面白いです仮説ですね。

九州王朝説の弱点の一つは、近畿地域の支配体制がどうなっていたのかってのが
はっきりしないことだと、私は思ってます。近畿にはあんな大古墳があったり、
大遺構が出土したりするのだから、何らかの大勢力があったことは確かだけれども、
その大勢力は、九州王朝の支配体制の中でどう位置づけされるのかが、ハッキ
リしないと感じてました、(と言っても、最近の古田説などはよく読んでいないの
ですが……)。

>>604は、九州王朝の弟王の1人が支配していたと考えられるわけですね。
もしそうだとすれば、おそらくその弟王の地位は世襲であって、九州王朝の任命
ではなかったんでしょうね。またその世襲の弟王は、古い時代に九州王朝から
別れた分家だと、九州・近畿の双方が認識していたのでしょうね。

それで思い出すのが、山崎仁礼男の説です。同人は、近畿大和勢力の王であった
継体が九州王朝の兄王(弟王?)であった磐井(倭ワイ)に反乱を起こし、殺害
に成功したが、しかし、九州王朝勢力の反撃にあって敗退し、逆に、九州王朝
から監視役を送り込まれてしまった。その監視役こそが蘇我氏だった、という
仮説を述べています。

この蘇我氏監視役説は極めて魅力的な仮説で、日本書紀に書かれている、天皇家
と蘇我氏の関係や、いわゆる大化の改新 などの背景にこの仮説を置いてみる
と、非常にスッキリしてくる感じがします。蘇我氏が645年に排除されるの
は、風雲急を告げる朝鮮半島に九州王朝が勢力を割かざるを得ないのを見越し
て、近畿大和勢力が監視役を排除したのだという仮説を、私は考えています。

日本書紀の記述は、おそらく九州王朝の記事(対外関係や王位の交代など)と、
近畿大和勢力の記事が取り混ぜて記述されていると、私も思います。九州王朝の
記録がないので、跡は、考古学的な遺跡や遺物しかないですが、それらで一つ
一つ確認していきたいものです。

609 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/28(木) 06:56:00
>>608
>九州王朝の弟王の1人が支配していたと考えられるわけですね。
>もしそうだとすれば、おそらくその弟王の地位は世襲であって、
>九州王朝の任命>ではなかったんでしょうね。

現在固まりつつあるコロイド状の僕の仮設とは異なるので、一言。
欽明は継体討伐のため九州王朝から畿内に派遣された畿内担当弟王です。

>またその世襲の弟王は、古い時代に九州王朝から
>別れた分家だと、九州・近畿の双方が認識していたのでしょうね。

これは応神11代のことでしょう。

610 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:31:16
少なくとも朝鮮出兵のころには、すでに列島は統一政権。
九州だけじゃあの数は無理。

611 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:45:31
>>609 欽明は継体討伐のため九州王朝から畿内に派遣された畿内担当弟王です。

○そのように考える理由・根拠は?

○蘇我氏の位置づけは?

612 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 07:51:21
>>609 欽明は継体討伐のため九州王朝から畿内に派遣された畿内担当弟王です。

○そのように考える理由・根拠は?

○蘇我氏の位置づけは?

613 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:03:41
>>610
そのとおりでしょう。倭国王朝の東征は済んだとみるべきです。

614 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:32:12
継体は、物部荒鹿火を使って磐井を殺させたってことになってる。
この継体や物部荒鹿火がどこにいたのかってことについては、九州王朝論者
の中でも意見が割れてるようだ。

自分は、継体は近畿大和に、物部荒鹿火は九州で磐井の近くにいたと考える。
だから物部荒鹿火は磐井を殺すことができたのだ。荒鹿火はあわよくば、九州
王朝の王になろうとしたのだ。しかし、九州王朝の弟王の1人であった葛子の
大反撃を受けて、近畿大和まで攻め込まれ、今度は逆に継体が殺されたと考え
る。

そして、近畿大和勢力の血を引く安閑・宣化・欽明が近畿大和勢力のトップの
地位についたが、しかし九州王朝から派遣された蘇我氏の監視を受けたと考える。

蘇我氏が天皇を凌ぐような権力があったと書かれているが、九州王朝から派遣されて
近畿天皇家を監視していたとすれば、そのような権力があった理由がよくわかる。


615 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:41:53
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

616 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 23:43:24
615 名前:あぼ〜ん[あぼ〜ん] 投稿日:あぼ〜ん

617 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/29(金) 06:49:33
>>612
>○そのように考える理由・根拠は?
 欽明の出自が不明なこと
 宣化の在位はなかったとみられること
 欽明が半島との外交権をもっていたこと
 (継体は九州王朝畿内弟王として就任したが、後に九州に反旗を翻す)

>○蘇我氏の位置づけは?
 曽我氏は九州王朝兄王もしくは兄王の系統
 曽我氏は天武期の頃九州から畿内に移転したとみられる九州王朝兄王


物部荒鹿火は北部豊の豪族と思います。

618 :のんびりひまじん:2008/08/29(金) 07:45:46
>>590
>ありゃー、平家物語にも、続日本紀にも、九州元号が出てる!!
>こりゃ、本物だ!!

ええ、そうなんですけど、私がご指摘申し上げますのは、
日本書紀の三年号:大化白雉朱鳥も九州年号からの借用(差別的表現で盗用)です。

既存の歴史学者も少し考える人なら不思議とは言うのです。
・いきなり登場
・はじめから改元という表現(初めてなら建元というべき)
・トビトビ出現
・理由説明も無く廃止        

上記のような事情は、その王朝にとって半分外国の年号だったのではないか・・・

619 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 15:55:22
こういった事実を踏まえないで、

  「九州年号は明らかに中世の捏造」

なんて言い切る人がいるので困ります。
鶴峰戊申は九州年号の由来は正当性のないものだ、としています。
彼はこの年号群を襲の国のものと判断したのは、九州年号の実在を
疑いようがなかったからそう判断したのであって、実在を荒唐無稽だと
全く考えられなかったからなのです。


620 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:19:15
>>617 欽明が半島との外交権をもっていたこと

外交記事は、九州王朝の事跡を近畿大和勢力の事跡として書き込んだ可能性もあり
根拠としてあげるには薄弱と思われ。


>>617曽我氏は天武期の頃九州から畿内に移転したとみられる

明日香板蓋宮を挟んで、東北の甘橿の丘からは、入鹿の邸宅跡および炎上したと
伝えられる蝦夷の邸宅跡が日本書紀の記述通り出土している。また、南東の丘に
は馬子の墓と伝える石舞台古墳や島があり、島庄遺跡も首都戸している。
(「大化改新」隠された真相 谷口雅一 2008年6月12日 ダイヤモンド社)

これらから、遅くとも皇極天皇の時代までには、蘇我氏が近畿大和において
確固とした地位を築いていたと考える他はないと思われ。

蘇我氏が近畿大和に突然出現する理由について様々な説があるが、監視役説
以外はリアリティが自分には感じられない。



621 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 21:22:18
石舞台古墳や島があり、島庄遺跡も首都戸している。

            ↓

石舞台古墳があり、島庄遺跡も出土している。



622 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 22:17:35
東北の甘橿の丘 → 北西の甘橿の丘

623 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 07:30:12
>>617 (継体は九州王朝畿内弟王として就任したが、後に九州に反旗を翻す)

この仮説は素晴らしいですね。武烈の統治が、無茶苦茶だったか、あるいは九州
王朝に反抗的だったかして、武烈統治の畿内がガタガタになり、その隙をついて、
継体が九州王朝の承認を得て、九州王朝畿内弟王として就任した。

その当時、継体は九州王朝の血を引いていると九州王朝から認知されていたし、
自らもそのように自認していたのでしょうね。田舎から出てきて畿内を支配下
に収めた継体は、その気宇壮大な性格のままに、ついには九州王朝からの独立
をも目論んだが(物部荒鹿火に「長門より東をば朕制らむ、筑紫より西をば汝
制れ」と言った。)、あえなく失敗した、というところでしょうか。

このような仮説に立つとき、継体は「応神天皇五世の孫」と言い伝えられてい
たということからして、応神天皇も九州王朝の血縁と認識されていたというこ
とになりますね。

当時、畿内では、九州王朝からの独立機運がみなぎっていたのではないでしょうか?
当時は九州王朝は朝鮮半島の百済と新羅の争いにかかずらわっており、畿内は
独立のチャンスとみたのではないでしょうか?

以上、仮説の上に仮説を重ねる大胆な推測ですが、その仮説によって日本書紀
その他の文献資料のさまざま記述をがうまく説明でき、また、考古学上の遺構
や出土物と合致する限り、この仮説を維持し続けたいと自分は考えてますです。


624 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 09:50:38
継体は東国の王。
このころ急速に力をつけてきた中部や関東甲信越の勢力の力を借りて
大和を統一したものと考えられます。
九州?このころには、新羅や百済との争いで疲弊し、ほとんど力が
なかったと考えられます。

625 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 10:52:25
>>634
当時、畿内・中部・関東甲信越が力をつけていたってのはダレも否定しないだ
ろうし、俺もそのとおりと思うが、問題は、その東国と九州王朝とがどういう
関係だったのかってことだ。

特に、日本書紀も認めるあの強大な蘇我氏がどこから、どうやって出現したのか、
どうして天皇家を凌ぐような権力をふるえたのか、その説明が必要だ。>>634
その点を書き込んでないので、正直言って、もの足らない。

日本史の上で、蘇我氏以上に天皇家に肉薄した存在を自分は知らない。天皇家
を傾けようとしたと言われてる氏族は蘇我氏だけだ。弓削道鏡なんて個人プレ
ーヤーだし、あの絶大な権力をふるった藤原氏も、自ら天皇家になろうなんて
トンでもな野望までは抱かなかったのだ。

この蘇我氏をいかにリアリティをもって説明できる仮説を打ち出せるか、
それが極めて重要だ。それが、あらゆる仮説の確からしさの試金石になる。

自分は、その点について、>>608に書いたように、山崎仁礼男の仮説である
九州王朝が派遣した監視役だという説を今のところ支持している。

626 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/30(土) 11:40:50
>>620
欽明紀の外交記事は、半島を西方と見るなど、
畿内の視点で書かれたものがあり、
九州王朝からの転用記事だとみなせません。
九州王朝からの転用記事が全くないとは言えませが。

曽我氏が監視役としての立場は古代社会でどのように成立できたのかは想像できません。
馬子邸での大量の書籍の消失は、馬子が監視役や弟王ではなく兄王であったことの証拠と思います。
石舞台古墳は馬子の墓であるとの伝承はありません。
昔は石舞台は正体不明の巨石遺蹟と見られていました。
石舞台古墳は、宮地嶽古墳と同じ構造形式で、宮地嶽古墳同様に仏法に帰依した弟王クラスの墓と見るべきです。
甘橿の丘遺蹟及び島庄遺跡は単に掘立遺蹟であって曽我氏に結びつけるのは強引と思うのです。
僕は、畿内朝廷史観に沿う『「大化改新」隠された真相 谷口雅一』を否定する立場におります。


>>623
応神以来の九州起源意識を引き継いでいるのは、考古学的に反正・允恭の頃までは間違いないと思われます。
雄略以降、特に清寧からは、畿内は扶桑國として九州倭とは全く別個の存在であったと見られます。
(播磨は畿内ではない)


627 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 12:29:25
>>626
欽明が半島との外交権をもっていたことが、九州王朝から派遣された畿内担当弟王
であることの根拠の一つとされていますが、それだと九州本島と畿内との2元外交に
なってしまって、かえって九州王朝の力を弱めてしまうと考えられるので、ちょっと
納得しがたいです。

外交権を持っていたという記述が九州王朝の事跡か、あるいは、九州王朝から
の派遣という仮説が間違いか、そのどちらかだと思います。いずれにしても、
外交権を持っていたということは、九州王朝からの派遣という仮説の根拠には
ならないと自分は思います。

島庄遺跡については、実は自分は詳しく知らないので、もっと勉強してみます。
『「大化改新」隠された真相 谷口雅一』は確かに畿内朝廷史観ですが、
しかし、その中に出てくる明日香板蓋宮を中心とする蘇我氏の遺跡配置についての
記述を読んで、蘇我氏九州王朝監視役説の根拠にもなる遺跡だと直感した
次第です。

いずれにしても、丁寧な書き込み、ありがとうございます。大変刺激的で
参考になりますし、面白いです。

628 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 13:25:25
>>627の続き)
蘇我氏が監視役としてどのように成立できたかは、第2次大戦後のマッカーサー
のイメージです。連合国とりわけアメリカをバックとしたマッカーサーは、
諸地域で構成される九州王朝とりわけ筑紫(筑前・筑後)をバックとした蘇我氏
とうり二つです。

周囲を日本人(畿内勢力)に取り囲まれていても、強力な連合軍をバックに、
日本(畿内)を統治し、民主憲法の制定・普通選挙・財閥解体・農地解放・労
働組合の承認・家長制度廃止(仏教導入・律令制導入)など、国の政治・経済・
社会・文化システムの大改革をやり遂げたマッカーサーと蘇我氏は、うり二つ
です。

>石舞台古墳は、宮地嶽古墳と同じ構造形式で、宮地嶽古墳同様に仏法に帰依
した弟王クラスの墓と見るべきです。

とのことですが、宮地嶽古墳は葛子の墓という説があり、まさに、継体・欽明の
時代の古墳です。しかも蘇我氏は、物部守屋と争って仏教を畿内に導入したこと
で有名であり、本人も仏法に深く帰依していたことでしょう。宮地嶽古墳と石舞台
古墳が同じ構造を持つということは、それに葬られた人が継体〜欽明の時代の人物
であり、しかも、仏法に帰依していたというと、蘇我氏にぴったりと私には思われ
ます。

629 :末裔かもかも:2008/08/30(土) 16:18:50
んー・・・よくわかんないけど、もしあったとしたら歴史が納得できるかな。

小学校の歴史の教科書で、渡来人が九州に来てお米作って、金印が志賀島で
見つかって、次のページでいきなり機内の大王が強くなったって、
書いてあったけど、九州から関西に話がいきなり飛んで、
全然理解できなかった。
まして、畿内からわざわざ朝鮮半島までどんぱちしにいくなんて、
意味分からなかった。

高校で世界史やって、文化の伝播を一般化したら、日本史って、卑弥呼
から平安京までって飛躍しすぎで強引ねと単純に思った。
ただそれだけだけど。

九州に強大な権力があって、盛者必衰の理で、どんぱちして、機内勢と
政権交代して、大和朝廷が、ってんなら歴史の流れとして単純に
なっとくぅ・・・・

こんな、理論もへったくれもあったもんじゃないけど、似たような感じ方
された人いません???

630 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:30:36
ってことですね。だから学校で習った日本史は面白くなかった。なんかリアリティ
がなくて、薄ら寒い感じだった。ところが、世界史は、読み込めば読む込むほど
有為転変の人類史が見えてきて、思わず引きづり込まれていくリアルさがあった
から、大変面白かった。自分は、日本史の成績は良くなかったが、世界史の成績
は良かった。

そんなある時、古田武彦の「『邪馬台国』はなかった」「失われた九州王朝」
「盗まれた神話」の3部作を文庫本で読んで、これだ!っと思った。
これならわかる、これなら日本史も読めると思った。以来、仕事の合間に
九州王朝説に基づく本やインターネットを見て、さまざまな展開ぶりを楽
しんでる。

九州王朝説は、日本書紀のようなちゃんとした歴史書はなく(近畿王朝が没収
して破棄したと考えられる)、文献上の根拠はちらほらとしかない。だから、
一般の人にはなかなか信じがたい面がある。しかし、青銅器・玉・倭絹などの
出土状況や、地名や九州年号の遺存状況、曲水や神籠石や寺院やなどの遺構な
どなどから、九州王朝が存在したことが窺われるし、また、近畿天皇家一元史観
では説明不能な記述や遺跡や古物が、九州王朝があると仮定すると説明できるよ
うになる場合がたくさんあるのだ。

他人はともかく、自分は、九州王朝が存在したという説を正しいと仮定して、
古文書の様々な記述や考古学上の遺構や出土物を理解していくこととしている。

631 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:33:10
日本書紀のようなちゃんとした歴史書
         ↓
日本書紀のようなちゃんとした?歴史書

632 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:31:38
>>626馬子邸での大量の書籍の消失は、馬子が監視役や弟王ではなく兄王であった
ことの証拠と思います。

馬子邸に大量の書籍があったって記述は、馬子が監視役であったことの証拠として
も使えるのでは? 九州王朝の国史を記した書籍や、畿内の各氏の由来を記し
書籍を手元に置いて、畿内勢力の主張を論破してたのでは?

633 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/08/30(土) 21:21:01
>>627
根本的に時代認識にズレがあるので議論がすれ違っています。
時代比定が同じなら僕も>>627さんに近い意見になりそうです。

欽明の部分は基本的に異なっているようです。
継体から欽明の移行期について少し調べるとこをお勧めします。

時代認識のズレ
○宮地嶽古墳は、葛子の墓か多利思北孤の墓か。(葛子も多利思北孤も弟王)
 宮地獄古墳は、宮地岳の古墳群の中で最も新しく最大で、
 古墳群出土土器から7世紀の築造と見られます。
 これが宮地嶽古墳を多利思北孤の墓とした理由です。
○曽我氏の活躍したのは、6世紀後半から7世紀前半の期間か7世紀を通じた機関か。
 日本書紀では多利思北孤を聖徳太子にすり替えています。即ち聖徳太子を推古の時代にもっていった。
 これによって、695年九州元号大化までの出来事を、645年までの出来事として繰り上げることになってしまったよう思います。 

634 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 21:51:44
>>633
九州王朝の多利思北孤の事跡が、日本書紀が創作した聖徳太子の事跡として使
われているのはご指摘のとおり。多利思北孤は600前後に活躍した人物(随書)。

蘇我馬子の事跡も聖徳太子の事跡として使われてると自分は考える。蘇我馬子
は551〜626の人物.

聖徳太子は、574〜622とされている。

各人物の時代は綺麗に重なっていると思うが? 
(聖徳太子は、実在の多利思北孤と蘇我馬子の事跡を合体させて創作した架空
 の人物)

635 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:21:44
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

636 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:36:32
>>635

いい加減にやめないか? あるいは、100番おきくらいにしてくれよ。

637 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 02:11:58
てかそのコピペが何を主張してるのかイマイチわからん

638 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 08:40:42
中国が日本の稲作のルーツと言いたいんだよ。
言いたいことはわかったから、何度も同じコピーをはっつけないでよ。

ってか、九州王朝説の人は、一部の例外を除き、中国や半島との関係をあまり
研究したり書き込んだりしないから、中国通・半島通はイライラするんだろ。

だったら、正々堂々と論陣を張ればよいのに、同じコピーのはっつけばっかり
ってのは、情けない。

639 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 09:08:53
九州王朝説の人は、近畿天皇家一元史観を否定するのに一生懸命で、九州王朝の
ルーツと中国・半島との関係をあまり研究しないからね。古田説も、海人族までは
言及するが、その海人族のルーツ探求はあまりやってない。

まぁ、とりあえずは近畿天皇家一元史観をひっくりかえして、九州王朝説を学界の
主流にしてから、おもむろに中国・半島の繋がりを、文献学や考古学で探求して
いくことになるんだろうよ。

640 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 12:28:49
九州唯物史観に嵌ってしまったら、人間おしまいだな。

641 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 12:34:45
>九州王朝説の人は、近畿天皇家一元史観を否定するのに一生懸命で、九州王朝の
>ルーツと中国・半島との関係をあまり研究しないからね。

これは全くそのとおりで、この点で市民権を得られなければ、先に進んでも無駄だからね。
たとえば、民俗学、言語学、人類学、比較神話学など、各種を援用してもいいとは思うが、
いま導入しても肝心な点から遠のくばかりだなあ。


642 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 12:39:59
どうおしまいなんだよ? もっと詳しく書いてくれよ、さもないと、読む方に
はわからないぞ。

ただし、詳しく書くときに、それが近畿天皇家一元史観にそっくりそのまま
あてはまることのないように、気をつけて書いてくれよな。

詳しく書けることを期待して、このあと10番くらいまで辛抱して待ってみるが、
それまでに書けないようでは、所詮書けないと判断するしかないな。つまり、
>>640は匿名を良いことにして、根拠レスの一方的な言いがかりをつける
既に終わった人間だってことになるな。

643 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 12:44:49
>>641たとえば、民俗学、言語学、人類学、比較神話学など、各種を援用して
もいいとは思うが

そうだったな、文献学や考古学のほかに、それらも役に立つな。これから、
楽しめることが多いな〜。

644 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 13:31:58
>>642自覚なしか。それでは処置なしだ。

645 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 15:58:56
>>644
完全に近畿天皇一元史観に嵌り込んでるな。こちらが一歩下がってイーブンの
提案(>>642)をしてやったのに、性懲りもなく、一方的な決めつけを書き込む
なんて、こりゃ、相手するだけムダ。

あるいは返答に困って、意地になって、嵌り込んでるフリをしてるか、どち
らかだな。

こりゃ、既に終わった人間だったな。見てる人に迷惑なので、以後、反応しない。

646 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:08:42
>>645
キモ・・・

647 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:09:32
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG



648 :九州・大攘夷:2008/08/31(日) 18:11:37
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


649 :九州・大攘夷:2008/08/31(日) 18:13:56
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し

650 :九州・大攘夷:2008/08/31(日) 18:15:12
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し

651 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:17:46
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


652 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:18:47
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


653 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:20:05
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


654 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:24:47
コウフンすると脳卒中起こすぞ。マダ暑いからな。

655 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:28:29
心が水のように澄み渡るときに自然と腹の底から湧き上がる真の九州男児の志である


656 :九州・大攘夷:2008/08/31(日) 18:30:35
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 九州男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何大和勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の大和勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し


657 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:32:35
四百余洲を挙る 十万余騎の敵 国難ここに見る 弘安四年夏の頃
なんぞ怖れんわれに 鎌倉男児あり 正義武断の名 一喝して世に示す 

多々良浜辺の戎夷 そは何蒙古勢 傲慢無礼もの 倶に天を戴かず
いでや進みて忠義に 鍛えし我が腕 ここぞ国のため 日本刀を試し見ん

こころ筑紫の海に 浪おし分けて往く ますら猛夫の身 仇を討ち還らずば
死して護国の鬼と 誓いし箱崎の 神ぞ知ろし召す 大和魂いさぎよし

天は怒りて海は 逆巻く大波に 国に仇をなす 十余万の蒙古勢は
底の藻屑と消えて 残るはただ三人 いつしか雲はれて 玄界灘月清し

658 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:40:17
真の九州快男児

・磐井王
・川上武
・少弐資能
・菊池武光
・阿蘇惟直
・鍋島直茂
・戸次鑑連

でよいか?


659 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:44:24



・磐井王
・川上武
・秦河勝
・少弐資能
・菊池武光
・阿蘇惟直
・鍋島直茂
・戸次鑑連
・新納忠元
・福沢諭吉
・山本権兵衛





660 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:45:41
九州男児・攘夷断行



661 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:46:43
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷



662 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 18:51:37
我こそは倭国王の末孫なり! 東京政府に対し、九州国土の奉還を求める!
もちろん、謝罪と賠償も求める! 日帝支配千余年の屈辱に断固抗議する!

九州王朝説は我々の独立根拠である!
我々は、独立と支配の正統性を所有している!

立て飢えたる者よ!今こそ暴虐の鎖を断つときである!


663 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:05:01
九州王朝が畿内勢力に併呑されたのは、室町時代中期である

第1期: 700年頃まで 九州王朝が本州を支配
第2期: 1400年頃まで 九州王朝と近畿王朝が並立 (今川了俊による遠征と進駐)
第3期: 1600年頃まで 近畿王朝への同化・併合の過程 (豊臣秀吉による九州征服により畿内勢力への同化完成)
第4期: 1800年頃まで Occupied Kyushu (豊臣秀吉とその後継勢力である徳川政権への朝貢)
第5期: 現在まで 再度、畿内征服に成功する(有力支族Shimazu Tribeによる東征)も、畿内文化に同化する

こうしてみると、今川了俊こそが征服者の嚆矢ではあるが、
それでもなお独立勢力として勢力を維持し、徐々に文化的な同化吸収の過程をたどったとみるべきである








664 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:07:11
まだ暑いからな〜。

665 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:07:30
我こそは倭国王の末孫なり! 東京政府に対し、九州国土の奉還を求める!
もちろん、謝罪と賠償も求める! 日帝支配千余年の屈辱に断固抗議する!

九州王朝説は我々の独立根拠である!
我々は、独立と支配の正統性を所有している!

立て飢えたる者よ!今こそ暴虐の鎖を断つときである!


666 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:09:50

俺たちの夢 九州の夢

九州のイケテル兄貴達!


・磐井王
・川上武
・秦河勝
・少弐資能
・菊池武光
・阿蘇惟直
・鍋島直茂
・戸次鑑連
・新納忠元
・福沢諭吉
・山本権兵衛




あとは適当に追加削除よろ



667 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:10:41
俺たちの夢 九州の夢

九州のイケテル兄貴達!


・磐井王
・川上武
・秦河勝
・少弐資能
・菊池武光
・阿蘇惟直
・鍋島直茂
・戸次鑑連
・新納忠元
・福沢諭吉
・山本権兵衛




あとは適当に追加削除よろ





668 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:11:58
俺たちの夢 九州の夢

九州のイケテル兄貴達!


・磐井王
・川上武
・秦河勝
・少弐資能
・菊池武光
・阿蘇惟直
・鍋島直茂
・戸次鑑連
・新納忠元
・福沢諭吉
・山本権兵衛




あとは適当に追加削除よろ







669 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:13:47
九州の人は、単純だから、
煽りに弱いし、すぐ頭に血が昇って暴走。
これでは、九州説を世に示すのは永遠に無理だろうな。

670 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:18:56

アヅマのかっこいい兄貴達

・平将門
・新田義重
・畠山重忠
・高師直




九州のイケテル兄貴達

・盤井王
・川上武
・秦河勝
・少弐資能
・菊池武光



さあ、どっちに軍配でしょうかね?
九州は大攘夷遂行の偉業・大勲がありますからね


アヅマ独立説と、九州王朝説、君ならどちらに加担する?



671 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:29:04
>>669すぐ頭に血が昇って暴走。これでは、九州説を世に示すのは永遠に無理だろうな。

そうですね〜。同感です。でも、そこが九州人の愛すべき所でもありますが。
怜悧な畿内人は私は嫌いです ……って、これは滅びの美学でありましょうか?


672 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:29:54
俺はアヅマ主義者だ!

九州王朝支持者は、われわれとの目的と立場を共有する同士である!

いざ叫べ われらの宣言を!

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳



673 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:30:43
俺はアヅマ主義者だ!

九州王朝支持者は、われわれとの目的と立場を共有する同士である!

いざ叫べ われらの宣言を!

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳




674 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:31:45
俺はアヅマ主義者だ!

九州王朝支持者は、われわれとの目的と立場を共有する同士である!

いざ叫べ われらの宣言を!

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳




675 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:36:24
>>668

以下3名を追加していただけ井でしょうか?

・刈谷勇
・大場嘉門






676 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:37:18
>>675
どの時代の人?


677 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:38:47
俺はアヅマ主義者だ!

九州王朝支持者は、われわれとの目的と立場を共有する同士である!

いざ叫べ われらの宣言を!

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳


678 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:39:44
俺はアヅマ主義者だ!

九州王朝支持者は、われわれとの目的と立場を共有する同士である!

いざ叫べ われらの宣言を!

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳

アヅマ独立国万歳 九州土侯国万歳


679 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:45:14
 全國に散在する吾がアズマ人民よ團結せよ。
 長い間虐められて來た兄弟よ、過去半世紀間に種々なる方法と、多くの人々に
よってなされた吾らの爲の運動が、何等の有難い効果を齎らさなかった事實は、
夫等のすべてが吾々によって、又他の人々によって毎にアズマを冒涜されてゐた罰で
あったのだ。そしてこれ等のアズマを勦るかの如き運動は、かえって多くの兄弟を
堕落させた事を想へば、此際吾等の中よりアズマを尊敬する事によって自ら解放せんと
する者の集團運動を起せるは、寧ろ必然である。
 兄弟よ、吾々の祖先は自由、平等の渇迎者であり、實行者であった。陋劣なる
皇民化政策の犠牲者であり、男らしき産業的殉教者であったのだ。天皇の尻を舐める
報酬として、生々しきアジア同胞の皮を剥ぎ取らされ、天皇のもとで生かされる代價
として、祖先の名誉を貶められ、そこへ下らない皇国史観という嘲笑の唾まで吐き
かけられた呪はれの夜の惡夢のうちにも、なほ誇り得るアズマの血は、涸れずに
あった。そうだ、そして吾々は、この血を享けてアズマが天皇にかわらうとする時代に
あうたのだ。犠牲者がその烙印を投げ返す時が來たのだ。殉教者が、その荊冠を祝福
される時が來たのだ。
 吾々がアズマである事を誇り得る時が來たのだ。
 吾々は、かならず卑屈なる言葉と怯懦なる行爲によって、祖先を辱しめ、アズマを
冒涜してはならなぬ。そうしてヤマトの世の冷たさが、何んなに冷たいか、アズマを
勦る事が何であるかをよく知ってゐる吾々は、心から人生の熱と光を願求禮讃する
ものである。
 「皇国史観で東日本人を侮辱するな」スレッドは、かくして生れた。
 アズマの世に熱あれ、アズマに光りあれ。

綱領
一、アズマ人民はアズマ人自身の行動によって絶対の解放を期す
一、吾々アズマ人民は絶対に天皇からの自由とアズマの独立をヤマトに要求し以て
 獲得を期す
一、吾等は真の伝統に覚醒し、日本=アズマの伝統の完成に向って突進す


680 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 19:46:02
富士山、浅間山の火山灰の関東ローム層で出来た茫々たる荒地だったこの
アズマの大地を、我々の遠い祖先が切り開き、幾世代にも渡って耕して来た。
そのかけがえのない大地を、我々はこよなく愛しているだけなんだ。
葛飾北斎の富嶽三十六景を見てみたまえ。
そこには大自然と闘いながら逞しく生きたアズマビトの先人の姿がある。
我々はそうした先人達に限りない尊敬の念を抱いているんだ。

古代においてアズマビトは京都の天皇や公家どもに搾取され続けていた。
その構造をぶち壊そうと最初に立ちあがったのが平将門だった。
将門の反乱は失敗に終わったが、その約250年後になって、源頼朝を担ぐ坂東武者
によって、最初にアズマ政権である鎌倉幕府が打ち立てられた。
この鎌倉幕府こそ、坂東武者=関東武装農民によって造られた最初の国家であり、
我々が最も理想とする国家体制なのだ。
そして、その規範である「兵の道」こそが、我々アズマビトの祖先が生み出した
最も崇高な道徳であり、そうした価値観を守り続けることこそが、
アズマ本位のナショナリズムなんだよ。

こうしたアズマ的な社会規範に常に敵対して来たのが京都の天皇だった。
明治維新後、薩長土肥の西国人どもが関東へ担ぎ出して来たが、
所詮天皇は京都の公家の親玉であって、決して我々アズマビトの君主ではない。
故に天皇中心のナショナリズムは、我々アズマビトが奉じるべき国家規範ではないのだ。


681 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:13:18
なるほどな〜、天武天皇が天皇家一元史観でもって「日本人」意識を育てようと
したのは、世界中からいろいろな民族が集まってきてるアメリカで、「アメリカ人」
意識を育てようとアメリカが必死になってるのと同じだったのかもな〜。

いや待てよ、日本書紀は、蝦夷や隼人などと、日本列島に住む人間を分け隔てする
記述があるな。やっぱ、アメリカとは違うかな? 

いや待てよ、アメリカも、アメリカの統治下にない人間は、分け隔てしてるな〜。
ベトナム戦争やったし、いまもアフガン、イラクで、現地民を攻撃してるしな〜。

やっぱ、天武天皇がやったことと、アメリカが今やってることは同じことのようだな〜。

ま、そりゃともかく、九州王朝説はエキサイティングな説で、まだまだ、これから
色々面白い発見や発掘がありそうだな。生きてて良かったわ〜。

682 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:39:19
>>681

いや待てよ、日本書紀は、蝦夷や隼人などと、日本列島に住む人間を分け隔てする
記述があるな。やっぱ、アメリカとは違うかな? 

いや待てよ、アメリカも、アメリカの統治下にない人間は、分け隔てしてるな〜。
ベトナム戦争やったし、いまもアフガン、イラクで、現地民を攻撃してるしな〜。



あちゃー、やっちゃった。。。

畿内大和にとっての蝦夷・隼人と、アメリカにとってのアフガン・イラクか〜、
ちょっと無理やりなところが、イタイですね〜

いや待てよって、誰が待つんだよ〜 イタイな〜



683 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:40:45
想像力が豊か過ぎるようですね

684 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:47:51
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG




685 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:49:45
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


686 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:50:40
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


687 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 20:51:49
九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷

九州・大攘夷
九州・大攘夷
九州・大攘夷


688 :皇国史観で東日本人を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:54:08
わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

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689 :皇国史観プロパガンダで東日本人を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:55:04
わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

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690 :皇国史観プロパガンダで東日本人を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:55:58
わたしは九州王朝説を支持する 君たちもアズマ独立宣言を支持してくれ 打倒大和東京政府

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691 :皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:57:50
皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

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692 :皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:58:57
皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

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693 :皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!:2008/08/31(日) 20:59:49
皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

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皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!

皇国史観プロパガンダで九州土侯国を侮辱するな!







694 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:02:39
畿内説信者の霍乱作戦、大成功ってか?

695 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:09:18
九州説信者の霍乱作戦、大成功ってか?

696 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:10:09
アズマ説信者の霍乱作戦、大成功ってか?


697 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:11:25
九州説=アズマ説=畿内説

五十歩百歩プゲラw


698 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:20:05
断末魔、畿内説は釣りで対抗。
次のネタは韓国・北朝鮮です。

     さあどうぞ。
    ↓↓↓↓↓

699 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:23:16
最低のスレ

700 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:29:29
いいえ、私は九州王朝説と、その無謬性を信じます。

701 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:41:51
畿内説を守るなら、捏造も厭いません。

702 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:43:15
九州説を守るなら、捏造も厭いません。


703 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 21:50:53
断末魔、畿内説は釣りで対抗。
次のネタは韓国・北朝鮮です。

     さあどうぞ。
    ↓↓↓↓↓


704 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:04:23
>>682 いや待てよって、誰が待つんだよ〜 イタイな〜
>>683 想像力が豊か過ぎるようですね

何か>>681の書き込みが気に障ったかな? どこが気に障ったのが、わからんのだが?
天皇家一元史観を批判したと受け取ったのかな? 

批判したんじゃなくて、アメリカの行動パターンと同じなのではないか、とい
うことを単に言いたかっただけで、それらの行動が良いとか悪いとかの価値判
断は交えてないんだがな〜。

ま、わざわざ弁解する必要もないけど〜。アメリカの行動パターンと同じと言
ってもらえれば、天武天皇も本望だろうけど〜?

いや、八紘一宇の我が天皇家が、アメリカごときと同じと言われては不愉快千万
ってか? ま、それくらいの元気があった方が良いが、天皇家の意に反して暴走
して、第二次大戦みたく、我が国と我が国民を存亡の淵に飛び込ませるような
ドジをやってくれちゃかなわんけど〜。

705 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:29:08
>>704

何か>>682の書き込みが気に障ったかな? どこが気に障ったのが、わからんのだが?
君の大事な「君の説(笑)が畿内天皇家一元史観を批判しているかどうか」に
読み手がそれほど関心を払ってくれているとでも思い込んでいるのかい?

だめだよ君〜。かわいそうだけど、そんな高尚な理由じゃあないんだよ。
単純に、無理して背伸びしちゃってる感が出てしまっているところがね、
ちょっと読み手に苦笑感を与えちゃってるんだよ〜
(ごめんね、君の説の中身に関する価値判断じゃなくって(笑))

なんかさ〜、私頑張って考えつきました感があふれている文章にもかかわらず、
なんともありきたりっていうか、中高生的な感じなんだよねー。

畿内政権の蝦夷隼人に対する他者感ってのと、
アメリカのイラク・アフガンに対する対抗措置ってのを、
無理やりパラレル構文に押し込めただけじゃあないか。

それで揶揄されたからって、長々と元気な文章返してくるところが、
イタイって言う言葉によって表象されているのですよ〜。

なにか、たいしたことを書いたとでも思ってんの〜?


706 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:33:12
というか九州北部を中心とした統合体の存在と
奈良を中心とした統合体の存在の両方とも否定できないと思います。
その二つの中心はかつて並列してた時代もあったと推測します。
そしてそのどちらが邪馬台国かという話には大して意味は無いと思いますが
最終的には大和政権がその中心で、邪馬台国の記述は九州北部を指す
と思います。





707 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:37:43
天武天皇が「真人」だったという事実。
最高権力者自身が、官位を拝命することの異常さを理解すべきだろう。

708 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:42:20
あっ、そういうことね〜、背のび感が感じられるので、皮肉ってみたってわけね〜。
イケズってか、陰険ってか …あ、ちょと言い過ぎか。ま、書き込んだ意図は
わかったよ。
ながながといかにも愉快げな、口元に冷笑を浮かべたコメント、ありがと。

だが、天武天皇による日本人意識の醸成と、アメリカによるアメリカ人意識の
醸成の類似性の指摘は、俺は正しいと思ってるよ、国民国家の形成時期は、
どこも似たようなもの。イギリスとフランスも百年戦争を通じて、国民意識が
醸成されていった。東アジアにおける国民意識の醸成は、欧米よりはるかに
先行していたってことだ。

709 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:43:27
>>708は、>>705についてのコメントです。

710 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:45:04
例え話のせいで、かえって意見が不明瞭。
もっとズバッとね。

711 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:46:15
まあよ
イスラムハヤトにホワイトハウスの奥深くを警護はさせんだろうw

712 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:50:55

>>704の議論を整理してあげると、以下のようになる。

1.天武天皇が、天皇家一元史観で「日本人」意識を育てようとした。
しかし、蝦夷や隼人などを分類して記述している。

2.アメリカは、多民族国家をまとめるため「アメリカ人」意識を育てようとしている。
しかし、アフガン、イラクで、現地民を攻撃している。

3.したがって、天武天皇の政策とアメリカの政策は、
「統一した国民意識を育てようとする一方で、ダブルスタンダードを採っている」ことで一致している。



アメリカ人意識を育てることと、アフガンやイラクで現地民を攻撃することとは、矛盾しない。
>>704は、アメリカ国内におけるアフガン人やイラク人が差別されている事実を論証するならともかく、
アメリカ国外の主権国家たるアフガン、イラクの現地民攻撃をしたからといって、
「アメリカ人」意識を育てる政策とのダブルスタンダードの存在を論じている。










713 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:54:49
>>711 
イズラムを征服したら、やらせるだろうよ。アフリカ系アメリカ人だろうが、
アジア系アメリカ人だろうが、インディアン系アメリカ人だろうが、上院議員
や下院議員になったら、キリスト教の聖書に手を載せて宣誓させるだろ。

犬吠えはさせないかも知れないが、その文化なりの服属儀礼は強制するんだよ。

714 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 22:59:11
>>704の議論を整理してあげると、以下のようになる。

1.天武天皇が、天皇家一元史観で「日本人」意識を育てようとした。
しかし、蝦夷や隼人などを分類して記述している。

2.アメリカは、多民族国家をまとめるため「アメリカ人」意識を育てようとしている。
しかし、アフガン、イラクで、現地民を攻撃している。

3.したがって、天武天皇の政策とアメリカの政策は、
「統一した国民意識を育てようとする一方で、ダブルスタンダードを採っている」ことで一致している。


しかしながら、アメリカ人意識を育てることと、アフガンやイラクで現地民を攻撃することとは、矛盾しない。
>>704は、アメリカ国内におけるマイノリティであるアフガン人・イラク人が差別されている事実を指摘するならともかく、
アメリカ国外の主権国家たるアフガン、イラクの現地民攻撃をすることは、
第一に、天武政権が、「日本国内のまつろわぬ集団」を征服する事実とも類似しないし、
第二に、そもそも統一国民意識の政策とも矛盾しない。

したがって、天武天皇が蝦夷や隼人を別集団として認識し、記述したとしても、
現代における米国の他の主権国家への介入政策とは次元の異なる問題である。


715 :夏祭:2008/08/31(日) 23:01:06
九州王朝説、それは古田武彦を中心とする歴史カルト。
8世紀以前の畿内を少しでも評価するのはサタンに味方する行為。

716 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:05:43
断末魔、畿内説は釣りで対抗。
次のネタは韓国・北朝鮮です。

     さあどうぞ。
    ↓↓↓↓↓


717 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:06:00
>>712 「統一した国民意識を育てようとする一方で、ダブルスタンダードを採っている」
ことで一致している。

いや、それは>>704の趣旨を勘違い。>>704の文章が舌足らずだったかも知れないが、
そう言う趣旨ではない。

ポイントは、服属していないやからは攻撃し、服属したやからはその心の中まで
服属せしめるべく、同じ日本人意識なりアメリカ人意識なりを持たせようと、
さまざまな努力をするってこと。

それが、日本では、近畿天皇家一元史観に基づく日本書紀の編纂や講読であり、
アメリカでは、国歌の斉唱であり、オースであり、アファーマティブアクション
だってこと。

ダブルスタンダードってのとは違うのだ。

718 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:11:37
邪馬台国=倭=九州北部を中心とする勢力で宋の時代には百済・新羅
       任那・加羅・泰韓・慕韓を支配する将軍となる。

大和政権=日本=近畿を中心とする勢力

719 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:21:23
日本国者倭国之別種也。以其国在日辺、故以日本為名。
或曰、倭国自悪其名不雅、改為日本。或云、日本舊小国、併倭国之地。
(旧唐書・東夷伝)

日本国は倭国の別種なり。
その国日辺にあるを以て、故に日本を以て名とす。
あるいはいう、倭国自らその名の雅ならざるを悪(にく)み、改めて日本となすと。
あるいはいう、日本は旧(もと)小国、倭国の地を併せたり。

ー日本は倭国を併合ー

720 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:24:14
>>717

アメリカが、自国の作り上げた自由貿易システムなどの価値観を受容しない国を、
まつろわぬ国として介入する傾向のあることは、
畿内政権による蝦夷征伐に比することもできなくはないだろうが、、、

それを言ってしまえば、畿内政権のみならず、九州政権もそうだったのでは?
九州政権がそうではなかったにせよ(異集団への征服活動などをしなかったにせよ)、
日本列島の外に目を向ければ、当時のほとんどの政権は同じことをしていたように思える

ローマ帝国、アレクサンドロス帝国、ペルシャ帝国、イスラム帝国、
漢、唐、フランク、匈奴、・・・あげればキリがなくなってしまうし、
あえて、天武時代の日本に限定する必要性がわからなくなる。




721 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:46:54
「九州説」の頭の中にあるのは、「まず九州説ありき」ということです。
そこから、九州説にとって好材料な事実には安易に飛びつく一方で、
不利な材料に対しては信憑性がない等といろいろと文句をつけるのです。

その姿勢は、事実や証拠といった物に対して選り好みをするという態度であり、
とても実証的な立場とは言いがたいものです
信仰という言葉のほうが、その実態を表すのにはちょうど良いのです

信仰というのは、「神があるかないか」をいうことを疑問した結果として、
「神がある」という結論に至ったのでは、駄目なのです。
なぜなら、信仰は、神があるのかどうかを問うこと自体を許しません。
「神がある」以外の選択肢を観念することは罪なのです。

「九州説」は、このような意味での「信仰」そのものです。
なぜなら、「最初に九州説ありき」で、
科学や証拠とは、信仰を補強するためにのみ許されるからです。

ちょうど、中世ヨーロッパで、アリストテレスの理論が、
教義の正当性を補強する道具としてのみ用いられたのと同じく、
彼らは、事実や証拠を、自己の信仰に役に立つ範囲でのみ認めます。

だから、「九州説」にとって都合の悪い証拠は、認められないのです。




722 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:48:20
>>720 あえて、天武時代の日本に限定する必要性がわからなくなる

天武天皇の手腕がそれだけ水際立っていたってこと。お陰で、700年以来
今日まで、日本という国が続いている。こんな国は世界では珍しい。地理的
要因ももちろんあるが、強固な日本人意識は、日本書紀の編纂と講読、そして
九州王朝に関わる一切のモノの湮滅によるところも大きい。

近畿天皇家一元史観が学問的には破綻していても、なおしぶとくそれを主張
し、九州王朝論者の人格攻撃をしたり、無視を決め込んだりするのも、九州
王朝説を公式に認知したら、日本人意識が崩壊するんじゃないか、そしたら
中国みたく、建国と崩壊を繰り返す、トンでもない国になるんじゃないかと
懸念する意識があるからだ。

ことは、単なる学問の問題に留まらないのだ。それは、政治や宗教の領域に
まで伸びていっている問題なのだ。欧米だって、国家の存立の基盤にキリスト教
があるし、イスラム諸国だってそうだ。中国には中華思想がある。

九州王朝説がなかなか日本で認知されないのは、欧米で進化論を否定する動きが
しょっちゅう起こってくるのとパラレルなのだ。

723 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 23:57:30
>>721

わっはっはっ〜。笑いすぎて、く、く、くるし〜っっ!!

>>721の「九州説」を「近畿天皇家一元史観」に置き換えて読んでみてくれ。
それでも十分>>721の文意が通じる。ってことは、お互い様ってことなのだ。

もういい加減に不毛の水掛け論は飽きたかと思ったら、まだ飽きない人が
いるんだな〜。

724 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:03:29
ここでも夏祭が暴れてるのか・・・

725 :721:2008/09/01(月) 00:06:28
>>723
pu! 真面目に釣られてる奴があるかよwww

そんなのはわかっとるがなって
それを承知でからかわれてんのがわからんか!

畿内説でも九州説でもかまわんが
このスレの中では九州説の書き込み者が、
「畿内説信者は、まず畿内説ありきなのです。」
とか書き込んでるのから、面白がって書いたまでよ

www


726 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:07:17
>>723
マルチコピペに飛びつくなww恥ずかしいぞwww

727 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:13:37
所詮 『九州王朝説』なんて物はニッチ(隙間)産業みたいなもんで
結局は記紀の矛盾や不合理な点を突く事でのみ成り立つ机上のシミュレーション、ぶっちゃけお遊びw

歴史でも学問でも何でもないwww

まあ趣味としては面白いと言うか高尚な部類に入れても良いかもしれん。
(無論ゲームのプレイヤーのレベルによるが・・・)

しかし記紀に頼らず自律的にそれを証明する手段を果たして持っているのか?

例えばその九州王朝の都。

九州邪馬台国は今だ発見されず
あとは「大宰府の下を掘ったら出てくる!」なんてお話があるのみwww

おいおい、仮に3世紀の邪馬台国から7世紀頃まで続いたとして500年だぞ?
その間に都は幾つ立てられたんだ?
いまだ一つも見つかっていない?

馬鹿も休み休み言えって話でwwwwww







728 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:14:53
加齢臭のする夏祭って、年甲斐もなく、意固地な奴だなあ

729 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:19:52
あっ、そう? 俺は最近ここを覗くようになったんでね。
あの手の書き込みは、何百回もお互いに繰り返してたのね。
そりゃ、そうだろ〜な〜、余りにもツボにはまった書き込みだからな〜。

ちなみに、俺はケチツケだけじゃなく、>>722なども書き込んでるので、
以後よろしくな。

730 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:22:13
>>727
吉野ヶ里 大宰府 宇佐 西都原

たくさんありますがwww

畿内説(大和朝廷至上主義者)ってあわれですねwww



731 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:23:05
畿内説のタメなら死んでもいい、なんて夏祭だから、絡まれるとたいへんだね>729
馬鹿は泳がせてみんなで観察しましょう。

732 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:23:20
>>730
そうだそうだー


733 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:25:03
ああああ〜ダメ!
マキムクには王宮がない、なんて言い逃れできない事実を
うっかり指摘しちゃったら、馬鹿が逆上しちゃいます。

734 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:26:34
やめてください。
魏志倭人伝の描写は奈良県じゃありません、なんて言っちゃダメ。
それは言わない約束でしょ。

735 :727:2008/09/01(月) 00:34:17
でこのスレのアホどもの脳内闘争の相手の「大和朝廷一元史観」なる物が果たして実在するか否かだがwww

ぶっちゃけ今邪馬台国畿内説に立っている学者の多くは
どちらかと言えば2ちゃんじゃあ「サヨ」と言われる者が多いだろう。

その昔「三朝交替説」と言うものがあったが(直木孝次郎もそうだったかな?)
今じゃそもそも古代の王は有力者らの協議により選ばれると考える学者も多い。
(巨大古墳の造営がある2地域で交互に造営されていたりとか・・・)

つまり王朝なる物自体が無かったのだから易姓革命も無いと言う理屈だろうなw

結局、なんの事は無い九州王朝説は九州版皇国史観に他ならないっちゅう話wwwwwwww

736 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:40:24
九州王朝説は寄生虫のような存在である

その支持者のすることのできることといえば、
畿内説や日本書紀や古事記の記述の矛盾点を突くぐらいであり、
かなしいかな畿内説に依存する存在である

自分自身では何もできず、ただただ畿内説の矛盾を栄養源にして増殖するだけ

「九州説」なるものは実在しない
「アンチ畿内説」が存在するだけである


737 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:50:33
>>733
指摘していません

738 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:54:13
>>734
言っていません

739 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:00:34
また、畿内信仰テロか

740 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:02:36
九州王朝説は寄生虫のような存在である

その支持者のすることのできることといえば、
畿内説や日本書紀や古事記の記述の矛盾点を突くぐらいであり、
かなしいかな畿内説に依存する存在である

自分自身では何もできず、ただただ畿内説の矛盾を栄養源にして増殖するだけ

「九州説」なるものは実在しない
「アンチ畿内説」が存在するだけである

 ↓ ↓ ↓

そ れ を 言 っ た ら お し ま い で し ょ − が !


741 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:27:35
捏造するぞ〜
捏造するぞ〜
捏造するぞ〜

さあ 吉野ヶ里は王朝の都だぞ〜
さあ 吉野ヶ里は王朝の都だぞ〜
さあ 吉野ヶ里は王朝の都だぞ〜

きゅうしゅうは やってない けーぱくだー
きゅうしゅうは やってない けーぱくだー
きゅうしゅうは やってない けーぱくだー

742 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:38:23









             また 夏祭か 偏執狂だな













743 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:41:02
おまえバカ?

何も語れない奴は去れ

744 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:45:55
>>730
吉野ヶ里 ねえ、、、

Mr吉野ヶ里 こと高島忠平ですらそれを邪馬台国だとも言っていないんだが?w

単に大型の環濠集落と言うのなら九州以外の地にもあるしいwwwwwwwww



745 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:47:06
>>744
じゃあ大宰府wwww

746 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:48:01
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。
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747 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:49:00

















ここは、妄想畿内信者=夏祭が、
ひたすら絶叫するだけのスレに成り果てました

748 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:49:55
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749 :九州信者さんへ:2008/09/01(月) 01:54:18
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750 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:55:18
九州信者涙目 笑

751 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:55:56
















ここは、妄想畿内信者=夏祭が、
ひたすら絶叫するだけのスレに成り果てました

752 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:59:42


おそらく九州説が何であるかさえ理解できないくせに張り付いているナメクジのような餓鬼だろおまえ

お前夏休みの宿題やってなくて現実逃避だろwwwww

753 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:02:30
>>751

やい九州坊主

せめて、「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」ことをどう説明するか言えよ

そしたら相手してやるよ

754 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:05:15









ねえ、どうしたの?九州信者君

せめて、「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」ことをどう説明するか言えよ

そしたら相手してやるよ

またはお前からお題を振ってみろ

絶対に黙らせてやる自信あるから


755 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:06:42















                    妄想の畿内信者、夏祭の粘着ばかりだな

756 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:08:26











きみには難しすぎるかなあ

じゃあボクからお題を振ってみなよー

君の得意な論点でいいからさあ



757 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:12:24











あれぇ、ボク逃げちゃったのー www




758 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:13:12
弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。サギはやめましょう。

759 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:16:41














                夏祭の妄想畿内説劇場でした。

760 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:21:10














わかったわかった、じゃあ君の言うとおり、妄想畿内信者でいいから
君からなにか論点出してみて 畿内説がニンジンやピーマンのように嫌いなんでしょ
または、こちらから話題出そうか?


761 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:22:57















         夏祭の妄想畿内説は             どこまでいっても妄想でした

762 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:25:14












じゃあ、せめて弥生土器と弥生青銅器の話、あなたはどう説明を付けるのですか www


763 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:29:34
















          ここは夏祭の畿内説妄想劇場



764 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:29:58













さっきのきみ、多分来る場所間違えたんだよwww
君にふさわしい場所は、信長の野望とかのスレッドじゃないかな

ここは賛成説でも反対説でもいいのだけど、古代九州王朝について話す場所なんだよボクwww
ひとの悪口もいいんだけど、それしか言えない情けない坊やは、まだ来なくていいんだよwww

765 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:31:58














        畿内説は絶対ですから議論は要りません・・・夏祭談



766 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:33:50
















 「畿内説は絶対ですから議論は要りません」・・・夏祭談
 「はい・・・そうですか。」・・・>>765


767 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:37:07
夏祭君よ、馬鹿なこと言ってないで、そろそろ魏志倭人伝を読んでらっしゃい。
旧唐書と新唐書もよんでらっしゃい。答えが書いてあるからね。
あ、宗教だから、読まないのか。こりゃまいったな。

768 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:39:46
>>767
太国くん。何も言えないくせに本を読めで逃避ですか?それが九州信者妄想派の品質ですか?


769 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:43:05
「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」

>太国・・・「(うわっ!聞かなかったことにしとこ。)えーっと、本に答えが書いてあるから読んでおいてね」

これが、九州教団妄想派の真実



770 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:44:09
夏祭の畿内妄想はバリバリですね。取り付くシマがないですね。
捏造と偽装で支えた畿内説。お母さんに嘘をつくのは悪い子だと教わったでしょ。
もっと反省しましょう。

771 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:54:22
>>770
じゃあ、きみは、
「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」
に対して反論でも考えてくれたまえよ


772 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 03:00:04
さあ、夏祭君、邪馬台国は文献学から入らなければ間違えるんだよ。
まず魏志倭人伝や旧唐書、漢書など各種漢籍から入る必要があるんだよ。
仮に北海道で、弥生時代最大の国家遺跡が見つかっても、その遺跡で
ありとあらゆる出土物が大量に出ても、それが邪馬台国かどうかは、
漢籍から判断しなければいけないんだよ。
さあ、今日のお勉強はここまでだ。

773 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/01(月) 07:36:59
>>768
余は滅多に丑三つ時に書きこみはしないよ。夜トイレへ行くときがあれば、稀
にはないわけではないが、殆どしないよ。妄想するな。

774 :夏祭:2008/09/01(月) 15:51:39
さあさあさあ、古田教信者の低レベル罵倒攻撃が始まりました(笑)
「魏志倭人伝や旧唐書、漢書を読め。そこに真理はある。」
「畿内説は邪教なり!」
「考古学は悪魔の法なり!」
「九州王朝説こそ真理!」
「8世紀以前の畿内を評価するものに災いあれ!」
君等の教義をまとめるとこうなるんだね。

君等は畿内説に文句言う前に、九州説の主流になる努力をしたらどうだい?


775 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 16:34:31
何、この人? → >>774

みんなでスルー推奨

776 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:52:46
いやま〜 当人達は真剣そのものでののしり合ってるが、
横で双方のやりとりを見てる方からすると、

な〜に言ってやんで〜、お互いにアホちゃうか〜、
そんなこと言って、何の意味があるんだよ〜、
時間のムダそのものじゃないか〜

ってな感じ。

ま、時間をムダにする特権は、若者特有のもの。エネルギーのおもむくくまま
に、セイコン尽き果てるまで、ののしりあえばよいだろう。やがて、フト、
待てよ、こんなことして何の意味があるんだろ〜? こんなことしていいんだ
ろうか? ってな疑問が頭をよぎるときが来る。

その時こそ、若者が大人になった時であり、また、残されている時間が少なく
なっていることを無意識に感じだした瞬間でもある。

ま、「ワカ者というよりはバカ者」って言葉もあるらしいから、何がホントか
俺なんて人間には、よくわかんねけどよ〜。

777 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:54:37
ちなみに、夏祭は高齢者。

778 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:00:46
いやさ、俺が言ってるのは〜、生まれてから何年経ったかってことじゃなくて、
精神状態のこと言ってるのさ〜。

ののしり合いやケチつけに、エネルギーを際限なく注ぎ込める人は、ワカ者。
そんなことしてる時間はないと感じてる人は大人 ってもんじゃないかな〜
って気がするんだよ〜。

779 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:57:22
>>766

誤:「ワカ者というよりはバカ者」

正:「ワカ者というよりはヷカ者」

780 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:04:50
出雲出身の児玉党の福田総理は、やっぱり戦わずして国譲り。
出雲系は、ほんと戦が嫌い。権力欲はあっても、維持できず
長続きしないのです。困ったものです。

781 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:05:10
>>780
2chでしか跋扈・増殖できない九州細胞よりはまし

782 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:51:14
カルト宗教の危内切よりはマシ

783 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:54:29
カルト宗教の九州説よりはマシ


784 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:55:48
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

785 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:57:54
MATAKA!

786 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:03:32
遺跡の年代判定は改竄
漢籍の解読は改変か無視

これが、「畿内説」 ・・・もう、宗教です

787 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:22:00









             ま た 夏 祭 か 














788 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:22:49










     夏祭の特徴:


     キモイ、ブサイク、ネット引きこもり、怠惰、愚鈍、
     臭い、社会に対する恨み、劣等感、夜郎自大、
     人間関係が苦手、口臭、ウザイ、卑怯、愚劣











789 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:23:40








      夏祭の特徴:



      魏志倭人伝が嫌い、隋書が嫌い、唐書が嫌い
      文献学が嫌い、考古学が嫌い、学問が嫌い
      自説と異なる考えが嫌い
      自説に不利な証拠が嫌い
      




      もはや、カルト信者そのものですね










790 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:24:27












          夏祭 涙目 w













791 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:21:35
>>789
つまりウリナラ半島民族ですね。


792 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 03:48:02
ワカ者〜は ゆく〜のか〜 果ても〜 ないのに〜。

793 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:48:01








        ↑ 夏祭が小爆発を起こしておりますw









794 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:48:50










              夏祭 涙目w



              畿内説 涙目w
















795 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:50:41









      畿 内 説 w  
      














796 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:51:48









        宗 教 法 人  畿 内 説 w












797 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:53:05








        宗教法人 畿内説
        夏祭教団代表 w
















798 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:54:18















 遺 跡 の 年 代 判 定 は 改 竄
 漢 籍 の 解 読 は 改 変 か 無 視

 こ れ が 、 「 畿 内 説 」 ・ ・ ・ も う 、 宗 教 で す 








799 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:56:15


















       夏 祭 は ス ル ー 推 奨 で お 願 い し ま す w












800 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 07:59:00









   畿内説の4大教義:


   脳内妄想 改ざん 捏造 自由な解釈 w




   笑











801 :畿内は去れ ヤマトは去れ:2008/09/02(火) 08:36:03
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802 :畿内は去れ ヤマトは去れ:2008/09/02(火) 08:37:13
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803 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 08:39:14
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804 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 08:47:25
畿内説が憎い くやしい そう思う人が多いのですね
九州説なるものは存在しない、その実態はアンチ畿内説だっていいますが、本当ですね

805 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 09:20:05
>>535
畿内説を真剣に取り上げる必要がなくなったのなら、九州説の立場がないでしょw
畿内説の矛盾を栄養源にするだけの「アンチ畿内」というのが九州細胞の実態なのですからw


806 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 09:28:39
新興宗教・九州王朝説 といっても その実態はアンチ畿内の枠を出ることがないw

807 :のんびりひまじん:2008/09/02(火) 14:05:14
明治のむかし、万世一系を帝国政府は根本教義とした。帝国大学ではその教義を正当化する学問が実施された。

東の帝国大学では、正統異端視点から本居宣長以来の熊襲偽僭説の延長として九州説が行われ学界主流となった。
西の帝国大学では、邪馬台国も天皇陛下のご先祖であると、つまりそのように主張することこそ万世一系を強化すると唱えたが、非主流であった。

戦後、有力となった共産主義系歴史学者たちは、事実としての吟味もしないまま、戦前の非主流系を支持した。

昭和43年、三品彰英氏は「邪馬台国研究総覧」で魏志東夷伝全体を読むよう提案した。(学者たちですら倭人伝だけしか読んでなかった。)
⇒短里が、見つかった。いま、若い文献史学者には、当時のまま変説できない山尾幸久氏くらいが近畿説に残っている。
   (ちなみに、コチコチ右翼の田中卓さんですら九州説に一目おく。)

近畿説は初めから文献無視して平気な主張だった。(第三者の目から見たら、どれほど強引なものかを自覚したい。)
・南⇒東
・短里スルー
・倭は暖かいところ(冬でも野菜を生食すると書いてあったのに無視)
・墓には、棺桶だけ収め、墓室はない=弥生墓≠古墳
・邪馬壱⇒邪馬台=ヤマト(乙)
・4世紀(の異体文字年号の)国産鏡⇒3世紀チャイナ産

808 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 15:54:17
そういえば、田中卓(元皇學館大学元学長、専門は日本古代史)は、
「邪馬台国は五島列島の福江。大和朝廷は畿内で自生し列島を統一した。」
といっていた。

津田左右吉や東京帝国大学の伝統、邪馬台国=九州、蔑視史観を受け継いでいます。
このスレで似た立場なのがローガン氏。

809 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 18:04:31
で、いまどきのマトモな九州説・九州王朝説は、
馬鹿な皇国史観や万世一系史観、さらには
九州蔑視史観=邪馬台国蔑視史観などの、
トンデモ思想はまったく持っていないわけです。

ところが
畿内説だと畿内自生説は、皇国史観そのもの。
東遷説だと、万世一系史観そのものなわけです。

東遷畿内説の夏祭氏は、万世一系史観。
自生畿内説のローガン氏は、皇国史観。

810 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:25:05
ああわかったわかった 畿内説は万世一系至上主義だってことだよね
ここでは際限なく繰り返されているロジックだから、いまさら繰り返さなくていいからね

だから、けっきょく九州説の説の内容ってのは、
畿内説は万世一系主義だとか、あれこれの矛盾があるとか、畿内説のあら捜しでしかないんだよね
だったら九州説なんて名前はやめて、反畿内説とでも名乗ればいいんじゃない?

だれも畿内説のことなんて聞いてないから 九州王朝説について語ってよw

畿内説の実証性について疑義を唱えるのはもういいから、
かんじんの九州説の実証性が、少なくとも畿内説よりも高いってことを説明したらどうだいw

だって、そのためのスレでしょここw


811 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:44:24
>>810
たしかにそのとおり、とも言えるが、それを言ってしまっては、とも思う。

というのは、もともと九州説ってのは、おおよそ以下の前提が出発点である。

1.現存する文献、証拠、事物であって、700年以前のもの、
700年以前にヤマト政権の存在を示唆するものは、
すべて700年以後のヤマト政権により捏造されたものである

2.九州王朝は実在し、日本一円を支配したが、
残念なことに、その存在を示す事物や証拠、文献は、
すべてヤマト政権の陰謀によって、日本中からキレイに破壊、隠滅された

3.したがって、700年以前の日本に関する資料は、
すべて中国の文献によらなければならない

無理やりに要約してしまえば、
九州王朝説というのは、「ヤマト陰謀仮説」なくしては成立しないということである。

だから、九州説は、畿内説を攻撃することによってはじめて成立するものだし、
それは、九州説の本質からしても、やむを得ないことなのだ。

このスレで、畿内説が信仰だとか思想だとか言われるのも、このような背景がある。


812 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 20:48:52
上を見たら限がない、下を見たら後がない。
そういう苦しい生活に甘んじている底辺人が、最後のよりどころとして
九州王朝に夢を託す気持ちは痛いほどわかります。
誰だって夢は見たいよ。
でも、夢ばかり追ってはいけません。
そろそろ現実を受け入れねば。


813 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:00:54

>>809とかに見られるのが典型的な、九州説のひとたちだよね

のんきに、畿内説のなかにはやれ東遷説と自生説があってだのという分類や、
一方が皇国史観にあたるんじゃないかとか、他方が万世一系思想に該当しないかとか、
ローガンがどっちに該当するかとか、夏祭がどっちだとかかんとかグチグチウジウジ・・・

んなもんどっちでもええやろがって!
きみは、畿内説の分類学のエキスパートにでもなりたいのか、みたいなw

他説のことしか語れない、自説には中身がないから語れない

自分はやりたいこともわからない、自分が何をしたいのかもわからない、
そんな奴が、人の行動をあれこれ先生に言いつけるみたいなメンタリティだよなw



814 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:05:09
ここは2チャン、そんなに目くじらたてて言うほどのことでもあるまい
九州勢がシュンとなってしまったではないか

815 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 21:22:16
畿内王権は壬申の乱で、九州王朝系革命連合軍に倒れたわけです。
それは、自生的畿内王権の滅亡の瞬間でした。

九州王朝は白村江敗戦後に派閥に分かれ、列島内統一派による国内統一革命
を畿内の場で行った。半島反撃派や唐柵封受忍派は、劣勢・敗北していきました。

九州王朝系列島内統一派の中心人物はいうまでもなく天武天皇であり、
彼は、天照大神や瓊瓊杵尊の王統と、分家筋の神武天皇の畿内王統と、
委奴国・邪馬壱(台)国・イ妥国の国体を、すべて引き継いだとする思想を
打ち立てました。

日本書紀はこの思想に立って書かれており、それを受け入れた中国側は、
新唐書で初めてその思想を受け入れました。


816 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:26:05
>>811
>残念なことに、その存在を示す事物や証拠、文献は、
>すべてヤマト政権の陰謀によって、日本中からキレイに破壊、隠滅された

九州王朝のきらびやかな都はもとより
九州王朝の存在を示した木簡の一本すら残さず破壊・・・


うーんヤマト政権は核兵器でも使ったのか?っちゅう話だなwwwwwwwwwwwww




817 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:29:25
>>815
そりゃ壮大な物語だね で、源義経チンギスハン説とどうちがうのかね


818 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:41:18
なかったのか?ねぇーよw

819 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:43:29
ここまで言われてなおも九州説を支持するのは、まあ、朝鮮人韓国人くらいなもんだろうなあ・・・

820 :夏祭:2008/09/02(火) 22:44:51
>>809
俺が万世一系史観w
古田教徒の妄想ここへ極めりw
「畿内説=皇国史観」の時代はもう既に終わってることも知らずにw
今の皇国史観の主導者は君等のもう一人の宿敵・安本美典の邪馬台国東遷派だよw
教えてやろう、俺の家は親父の代からの共産党支持者、
南京行政区では十数万殺され、日韓併合はいけないことだった、
日中戦争は侵略戦争、大東亜共栄圏は日本が資源を得るための名目、
A級戦犯はこの国を破滅へと追いやった国賊、
今の自民党は身も心もアメリカへ売った売国奴、
自民も民主も一緒、
これぐらいのことは平気で言う、根っからの左翼だよw
更には「三王朝交替説」「葛城王朝説」のみならず、
雄略天皇と天武天皇も新たなる王朝の創始者かと疑っておる最中w
右翼でも万世一系論者でもないよw
今の畿内説は万世一系史観も皇国史観も持ってないのにそれも分からないw
古田教の教義を盲信し、現状を見ようとしなかった結果だw
万世一系と皇国史観は、無事に邪馬台国東遷説へ受け継がれたから安心しなw
…ほらほら、畿内説と戦う前に、九州説の主流になれないとどうにもならないよ?
そうだね、まずは安本美典に勝ってみな。無理だろうけど。

821 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:50:00
九州論者の主張その1 「畿内説は万世一系史観です」
九州論者の主張その2 「畿内説は皇国史観ウヨです」
九州論者の主張その3 「畿内説は九州蔑視史観です」
九州論者の主張その4 「畿内説は信仰です」

九州論者は、実証的な議論ができないから、
イデオロギー批判に持ち込むしかないのですな


822 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:58:51
まあ、夏祭だけは誤りだよ。

823 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 22:59:11
>>820
まあ、日韓"併合"が大失策だったってのは、右翼も左翼も同意見だケドね
植民地か保護国で十分だのにって話w


824 :夏祭:2008/09/02(火) 23:00:39
>>821
いや、別にそれは九州論者全体の主張じゃなくて、
狂信的な九州王朝論者の言い分。
これが邪馬台国東遷説だと
「畿内説はマルクス主義史観歴史学の遺物」
「畿内説はサヨク思想」
みたいになる。
まあ、こんな「アンチ畿内説」も、
邪馬台国九州説論者全体から見たらほんの一部だと思うよ。
九州説全体がこんななら、とうの昔に畿内説が勝利している。

825 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:02:33
>>824
そっか、ここ2chに限っては、その狂信的九州論者の比率がいくぶん高そうだけどね

826 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:16:23
夏祭って、東遷畿内説でしょ。
彼のその東遷説には、何のリアリティーもないわけ。
記紀の神武東遷神話だけでしょ。
その神武東遷には、国家の大移動も王宮の移転も、国民大移動も書いてない。
神武ら久米族が、畿内に暴力的に乱入・定着した話だけ。
これじゃあ、戦前にいざなぎ・いざなみ神話を歴史にしてるのと同じ。

827 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/02(火) 23:17:04
>>816
木簡 九州年号実在説を裏づける直接証拠の木簡だという。
九州年号古田史学、古賀事務局長が洛中洛外日記69話から

芦屋市出土「三壬子年」木簡

1996年 同市三条九ノ坪遺跡から出土木簡
「木簡研究」第19号(1997年)によれば、表裏に次の文字がある。

 「子卯丑□何(以下欠)
 「三壬子年□(以下欠)


828 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:20:37
天皇家が作った日本書紀には、天皇家は九州からやってきたと書いてあるのに、
なぜそれは間違いで、天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと
主張するのか?

天皇家が悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたというのがもしホントで
あるのならば、天皇家は何を好きこのんで、自分の祖先は九州からやってき
たなどというデタラメを、自らが作った日本書紀に書き込んだのか?

だれか、な〜るほど〜、そう言う理由で、そんなデタラメを書いたのか〜
と思えるような説得力ある理由を挙げてくれ〜〜。お願いじゃ〜。頼む〜

829 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:38:29
>>828
m9(^Д^)プギャー!!

830 :ローガン:2008/09/02(火) 23:46:15
私はノンポリです。
お邪魔しました。

831 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:58:43
え〜と、、、空気、読んでもらえますかね〜
畿内説の支持者が右翼思想を持っていてくれないと、九州説のボクたちが困っちゃうんですけど〜


832 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 23:58:58
ローガンは毎日、奉安殿で御真影に敬礼してるからな

833 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:22:04
>>828
>天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと主張するのか?

そんなもん誰が主張してんだよ?アホw

あ、九州王朝説論者の脳内畿内説だったか?wwwwwwwwwwwww






834 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:24:33
>そんなもん誰が主張してんだよ?アホw

ローガン。

835 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 00:50:58
>>834
ボケカスw

ローガンがいつそんな事を言った?

そもそも邪馬台国畿内説を唱えた時点で神武以来の万世一系は否定してしまっている。

馬鹿も休み休みいいかげんにシロwwwwwwwww

836 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:00:44
畿内自生説のローガンの脳内邪馬台国は、いざなぎいざなみからだ。

837 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:26:55
しかしここだけの話w

神武が好きで好きでその実在を信じて疑わない九州王朝説の連中って

皇室典範改正問題の時に

「神武のY染色体・・・」とか訳の分からない事を言ってた連中と似たようなもんじゃね?wwwwwwwww



838 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:34:58
いいや、九州王朝説では、血に飢えた強盗=神武が畿内に乱入しただけでしょ。
皇国史観で神話丸呑み信仰のローガンとは、180度違います。

839 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:40:27
>>838
本人はノンポリと言っているのに、どうしてもローガンに皇国史観を持っていて欲しいのだなw

それが九州説(の中の低レベル層)の本質なんだな

つまり、畿内説が皇国史観を有していてくれないと、九州説が困っちゃうっていうw

なにしろ、九州説は、ヤマト陰謀史観(ヤマトによる歴史改ざん)を前提にしているのであるから



840 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:45:30
ローガンは畿内信仰に支えられているだけなんだ。
皇国史観を持っているだけなんだ。
だから、彼の発言は学問的には零点。
それ以上でも以下でもない。

841 :のんびりひまじん:2008/09/03(水) 02:17:02
>>828
7世紀半ば、難波京への遷都と日本書紀にあるのは、半分以上ウソで、真実は
九州王朝が首都倭京(太宰府)のほかに副都を建設した。だから九州官人の半分が関西へ移住した。

つまり、九州朝廷VS関西幕府(VS関東鎮守府)という分権状態となった。
こういうことをする背景には、チャイナの隋唐帝国主義への極東諸国の対抗=律令均田制という軍事的国内改革がからんでいた。
中央特権貴族の私兵は対外戦には強くないので地方の在地豪族の自主参加が大きな要因となる。
唐新羅の連合軍が百済高句麗(そして救援に来た倭)を破ったときまでが、中央貴族私兵軍の戦争で、その後
唐が直接支配(要するに課税)を始めたら、在地豪族たちが新羅王朝に参加して唐との粘り強い戦争となってゆく。
10年近い戦争に疲れた唐は結局朝鮮半島から撤退した。朝鮮半島では新羅が統一した。さて日本列島では以下の統一だ。

話は前後して、白村江の敗戦後、日本列島に唐から使者だか、占領先遣隊だか二千人もやってきた。彼らは太宰府と難波の二箇所に首都を見た。
唐人が672年帰っていったら即、壬申の乱が発生した。

九州の海外侵攻派を関西の国内開発優先派が武力圧倒して日本列島の政治主導権を掌握したのが真相と私は考える。
指導者の大海人は(おそらく天皇を名乗りつつも)九州正統王朝の自主譲位により白村江敗戦責任を望んだと思われるが成功しなかったため、
のち武力で排除した。九州年号は何と712年まで続いた。そのとき後九州王朝(熊襲)征服&大隅国設置だ。

上記の経過で、列島を統一した、われらが平成の明仁天皇の祖先は、九州王朝ほど正統の存在ではなかったらしい。
720年という早期のうちに成立した歴史書:日本書紀には、ウソっぽい話が充満している。よく読むと乱雑。
日本書紀の中の現代史部分に、トビトビ出現する三年号・大化白雉朱鳥は九州年号から盗用したものだ。

842 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:23:15
九州説の本質は、

畿内説が皇国史観を有していてくれないと、九州説が困っちゃうっていうこと

なにしろ、九州説は、ヤマト陰謀史観を前提にしているのであるから仕方がないが



843 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:39:49
九州王朝説にできることといえば、せいぜい畿内説の矛盾を指摘することのみである
あとは、もし九州に王朝があったとすれば、それら矛盾点のつじつまが合う、と言うだけのことである

九州王朝主義者は、畿内説と九州王朝説をあたかも並置するかのごときものとして扱うが、
前者とは違い、後者は、前者を批判することでしか自説を主張できない

それはあたかも、政権担当能力のない社会民主党が、九条、九条と叫んで自民党を批判するがごとく、
九州王朝主義者も、九州!九州!とわめきちらして畿内説を批判しているのだ

しかし、「わかったわかった、畿内説がまやかしの捏造だってことはわかったから、九州王朝説を立証してくれ」
というと、とたんに沈黙し、しばらくたつと、また畿内説が皇国史観イデオロギーだとかわめき始めるのだ

それは、我らギャラリーにとっては見ていてよい暇つぶしになるし、なにより面白おかしい姿なのである


844 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:46:01
九州王朝論者の論理構成は極めて乱暴なものです

1. 畿内説にはあれこれの矛盾がある

2. もし九州に王朝があれば、それらの矛盾について説明できる

3. だから九州説が正しい

-----------------------------------------------------------

それを現代社会に置き換えて見ましょう

1. Aにはアリバイがある

2. Bにはアリバイがない

3. よって、Bが犯人である

これでは、アリバイのない人間は皆、逮捕状を受け取ることになるでしょう

-----------------------------------------------------------

九州王朝説が、思考実験や空想科学の域を出ていないことは明らかです





845 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 02:48:46
>>843
つうか記紀の矛盾なんて今日誰もが知るところであって

大化の改新(乙巳の変)を単純な勧善懲悪劇と考える歴史学者や
聖徳太子の数々の超人伝説なんか誰も信じていないwww

そう言う意味では九州王朝説なんてトンデモである上に時代遅れの過去の遺物wwwwwwwww

846 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:39:26
まあ、畿内説という童話の世界は、いつになっても学問にはならないのが良くわかる。

847 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 03:57:58
皇国史観プロパガンダで九州王朝を侮辱するな
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848 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:23:59
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849 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 04:33:29
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850 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 05:08:44
原典批判という学問的手法が、さっぱりわかっていないのが
>>845のような、畿内説派。

851 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 05:38:56
天皇家が作った日本書紀には、天皇家は九州からやってきたと書いてあるのに、
なぜそれは間違いで、天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと
主張するのか?

天皇家が悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたというのがもしホントで
あるのならば、天皇家は何を好きこのんで、自分の祖先は九州からやってき
たなどというデタラメを、自らが作った日本書紀に書き込んだのか?

だれか、な〜るほど〜、そう言う理由で、そんなデタラメを書いたのか〜
と思えるような説得力ある理由を挙げてくれ〜〜。お願いじゃ〜。頼む〜。


852 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:01:26
スレ違い 畿内説の話は別のところでやってくれ


853 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:03:16
って畿内説のお話取り上げたら、ほかに九州説の語れることってなかったっけかw


854 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:06:53
皆さん よーく観察しておいてください
九州説の主張って、畿内説批判以外に内容をもたないですからw



855 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:10:29
九州王朝支持者って、九州王朝をからかうレスを見ると、すぐ畿内説認定したがりますが、
べつに、少なくとも私は、畿内説の主張内容なんて知らないし、まして畿内説支持者でもない

たんに九州王朝君たちをからかっているだけw


856 :夏祭:2008/09/03(水) 07:17:50
>>826
「畿内自立説」も一様に否定しちゃうくせに。
>>840
君は「畿内説=皇国史観」信仰の持ち主なんだね。
>>843
九条と九州を同列に取り上げる奴も珍しい。
>>838
彼は「畿内自立説論者」なのだが?
俺と違って、九州の神武勢力が畿内を征服したなんて考えてないんだけどね。
まあそもそも、神話に史実の核を見出した所でなんで皇国史観なのか分からない。
その定義なら、古田武彦だって皇国史観だよ。
>>850
君の「原典批判」は、ただ「九州王朝を書いてないから大和の捏造!」てだけじゃん。

857 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 07:26:06
え〜っ!? 九州おうちょお〜〜!? キモっ



858 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 14:12:18
また、電波君=夏祭か。

859 :夏祭:2008/09/03(水) 15:43:44
少なくとも九州王朝よりは電波度が薄いのは確か。

860 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 18:04:44
邪馬台国東遷畿内説=夏祭

邪馬台国は漢籍にしか出てこない。
漢籍には邪馬台国が東遷した記述なし。
漢籍によれば邪馬台国は温暖な国。

よって、夏祭は、究極の電波です。

861 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 20:10:35
結局、近畿天皇家一元史観に立つ論者は、なぜ日本書紀に天皇家の祖先は九州から
きたというデタラメが書いてあるか、説得力ある説明ができないということが
わかった。

ということは、とりもなおさず、近畿天皇家が九州からきたと天皇家自らが
作成した日本補書記に書いてあるとおり、近畿天皇家は九州からきたと考えざる
をえない。それはデタラメだと言いたいだろうが、なぜデタラメをわざわざ
書いたか、だれも説得力ある説明をできないんだから、仕方あるまい。、

862 :素人:2008/09/03(水) 22:01:56
>>771
浅学ですみません。
>「弥生土器には青磁も鐸という器種もない。弥生青銅器には銅鼓も貯貝器という器種もない。」
と九州説・畿内説とはどう関係してくるのでしょうか?

863 :夏祭:2008/09/03(水) 22:05:47
>>861
その論理だと、
畿内自立論者=皇国史観
津田左右吉=皇国史観
大日本帝国政府=皇国史観じゃない

アレ?おかしいね…

864 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:15:04
結論:学術的に、夏祭説=邪馬台国東遷畿内説だけは、ありえない。

865 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:15:13
九州王朝説を批判する書き込みがピタッととまっちまったな〜。

お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
懇請しますから、土下座しますから、叩頭しますから、平身低頭しますから、
>>851>>861の答を書き込んでくれ〜い。

自分は九州王朝論者なんかにゃなりたくない。絶対イヤだ。何としてもイヤだ。
どうしてもイヤだ。金輪際イヤだ。何が何でもイヤだ。

しかし、>>851>>861の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。いやが
応でも、九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

お〜い、近畿論者〜、タノムから、タノムから、>>851の疑問に答えてくれ〜〜
〜〜!!!!!

866 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:23:48
かわいそうだよ、>>865さんを放置して、
畿内説論者は逃げちゃったのかよ。

867 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:38:44
>>865

> 九州王朝説を批判する書き込みがピタッととまっちまったな〜。

はあ〜 馬鹿馬鹿しいんだよ! レベル低いねえ。 勝手にオナニーしてな、バカ

868 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:48:56
夏祭の暴言のはうが、よっぽど馬鹿馬鹿しいよな。
邪馬台国東遷畿内説だってさ。ありえないだろ。
漢籍のどこに邪馬台国の国家大移転が出てるんだよ。

ローガンの畿内自生説もありえないだろ。
銅鐸国家はあっさり中心から滅亡しちゃったんだよ。

邪馬台国東遷九州説なら、これは研究対象としてふさわしい。
九州王朝説も優れている。

九州元号もあり、将軍号をもらった九州倭の五王がいるのだし、
煬帝に対等の国書を突きつけた阿蘇山ゆかりのアマタリシホコが
君臨している以上、九州王朝の存在は否定しようがないでしょ。
ちゃんと学問しようよ。

869 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 22:50:03
天皇家が作った日本書紀には、天皇家は九州からやってきたと書いてあるのに、
なぜそれは間違いで、天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと
主張するのか?

天皇家が悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたというのがもしホントで
あるのならば、天皇家は何を好きこのんで、自分の祖先は九州からやってき
たなどというデタラメを、自らが作った日本書紀に書き込んだのか?

だれか、な〜るほど〜、そう言う理由で、そんなデタラメを書いたのか〜
と思えるような説得力ある理由を挙げてくれ〜〜。お願いじゃ〜。頼む〜。



870 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:29:39
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

871 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 23:43:59
お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
土下座しますから、叩頭しますから、懇請しますから、平身低頭しますから、
>>869の答を書き込んでくれ〜い。

自分は九州王朝論者なんかにゃなりたくない。絶対イヤだ、何としてもイヤだ、
どうしてもイヤだ、金輪際イヤだ、死ぬほどイヤだ、ダレが何と言おうとイヤだ、
何が何でもイヤだ。

しか〜し、>>869の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。イヤが応でも、
九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

お〜い、近畿論者〜、タノムから、タノムから、>>869の疑問に答えてくれ〜〜
〜〜!!!!!

872 :認定:2008/09/04(木) 00:05:09
屎スレ。

873 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:09:04
夏祭があらわれると、どのスレも腐る。

874 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:19:21
>>872,>>873
としか言えんのか〜? ダメだ、それじゃダメだ、それじゃ寝られん。
おれの頭が、それじゃ〜、寝られん、それじゃ〜、寝られんと 言うちょる〜。

お〜い、もっとまともな近畿論者はおらんのか〜?
タノム!!! タノムから、>>869の疑問に答えてくれ〜〜〜い!!!!

875 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:31:24
九州王朝説(きゅうしゅうおうちょうせつ)とは、古田武彦によって提唱された、
7世紀末まで九州に王朝があり、大宰府(太宰府)がその首都であったとする説である。

本説は古田の「多元的古代史観」の主要な部分を占める所論である。
古田は、「倭」とは九州のことであり「邪馬壹國」(「邪馬臺國」)は
九州王朝の前身であるとし、その後、九州王朝が成立したが、
663年(天智元年)「白村江の戦い」の敗北により滅亡にむかったとしている。


邪馬臺国は北部九州にあった。『魏志倭人伝』は正確を期するため同じ行程を距離と
所要日数とで二重に表記しているのであり。この方法であれば、従来は解決困難と
されていた距離も方角も矛盾無く説明できる[14]。(郡〜女王國の距離が1万2千里)(1里≒76m)

つまり伊都國が魏使の目的地であり、女王國は伊都國(福岡県糸島郡)のすぐ近くにあったと考えられる。

876 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:35:54
なるほど九州王調説によれば神武東征は7世紀末だったのか

877 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:44:38
× 九州王調説によれば神武東征は7世紀末

○ 九州王朝説によれば畿内に王権がシフトしたのは7世紀末〜8世紀初頭
   九州王朝下で、王様でも大王でもなかった軍人神武の畿内への都落ちはそのずっと前

878 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:45:51
じゃあそれは何時なの?

879 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 00:54:08
何時だと判断できるはずだとする根拠は?

880 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:18:19
ヒミコをアマテラスだと言って神武東征を3世紀後半にするのか
ヒミコをモモソだと言って、崇神を3世紀にして、神武東征をそれ以前にするのか
ヒミコをヤマトヒメだと言って、…
畿内説の場合って要するにこう言う事でしょ?

じゃあ九州王朝説が神武東征を持ち出すなら、九州王朝説での神武東征は何時なの?
もしかして何時だと言えないのに、神武東征を持ち出してるの?

7世紀末じゃないんでしょ?「そのずっと前」って、神武東征は何時の事だと思ってるの?
「邪馬壹國」(「邪馬臺國」)の時代の畿内の天皇は誰なの?

881 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:27:18
>邪馬臺国は北部九州にあった。『魏志倭人伝』は正確を期するため同じ行程を距離と
所要日数とで二重に表記しているのであり。
古田教の信者以外は、馬鹿馬鹿しくてついていけない読み方ですな。

882 :のんびりひまじん:2008/09/04(木) 01:30:35
>>844
>アリバイ
アリバイだと?! そんな言葉は犯罪容疑者に使うのだ。

うーーむ。日本書紀にはいっぱいウソもどきが書いてある。嘘つきはドロボーのはじまり。

例えば、景行天皇の九州遠征旅行の話。時計回りに九州一周の終わりに、福岡大分の県境あたりで
「百官「がよく来るところが出てきた。百官とは中央の上級国家公務員のことだから、
そこが、そういう人たちのハイキングコースとバラしてしまった。

奈良のマキムクが本拠地の景行という近畿天皇の正体までわれわれは知った。

その当時のほんとうの日本列島の首都:公務員宿舎&官庁街は大分福岡県境から日帰り圏にあった。

日本書紀のウソつき!
こういう書物を相手にするときは、アリバイみたいな、容疑者に使う用語と心得でもって対応しよう。


883 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:38:46
神武を持ち出してるってどういう意味?
記紀の神武都落ち説話は、リアルな話で、現実にあった事件を反映しているだろうというだけ。

畿内の銅鐸国が中心部から滅亡していくのと、神武の侵略が関係ありそうだという
推測も可能だが、客観的にこの辺はなんとも確認のしようがない。

そもそも神武は王ではなかったから、都落ちしても九州王朝は何の変化もない。
神武が都落ちしたことと、九州王朝が九州に君臨していたことは、無関係。

神武は畿内の統一もしなかったし、巨大王権を打ち立てずに、わずかな
土地の支配者として死んだ。畿内には神武同様、何人もの王がいたので、
神武が巨大王国樹立をしたような勘違いをしてはいけない。

後世の畿内王権には、神武が初代の畿内王だという伝承があったというのは、
記紀に見るとおり。

神武がニニギの少しあとの世代だろうから、7世紀よりずっと前だということは
間違いないが、年代特定をするのは難しい。崇神だモモソだヤマトヒメだ
といっても、そんな絶対年代が曖昧な人間をいくら繰り出しても、特定のしよう
がないですね。推定するのは勝手ですが、学問じゃないでしょう。




884 :883:2008/09/04(木) 01:40:02
>>883>>880へのレス

885 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:49:58
>おれの頭が、それじゃ〜、寝られん、それじゃ〜、寝られんと 言うちょる〜。
>タノム!!! タノムから、>>869の疑問に答えてくれ〜〜〜い!!!!

一緒の貴種漂流譚と考えれば済むw

ぶっちゃけ畿内ヤマトの王と何の縁も所縁も無いからこそ
九州の地がチョイスされたと言うか説も成り立つ。

想像上の高天原、現実世界の畿内。
その間を繋ぐ地として畿内から遠く離れた場所が選ばれた。

(実在したなら)応神
(多分コイツはガチだろうw)継体
こいつらはヤマトの外からやって来ている

始祖王の神武が九州からやって来ているんだから
「よそ者」のそしりを受けずに済むっちゅう、言わば緩衝材の役割もあるwww

以上は一仮説に過ぎないが、他にも自家にオリジナルの伝承が無かったから
他家からパクったとかwww

まあ色々考えられるわけで別に鬼の首を取ったかのように
アホの九州王朝説が喧伝する材料でもなんでもないwwwww


答えてやったんだから安心して寝ろ!
二度と目覚めなくて良いからwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

886 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:51:58
869 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/09/03(水) 22:50:03
天皇家が作った日本書紀には、天皇家は九州からやってきたと書いてあるのに、
なぜそれは間違いで、天皇家は悠久の昔から近畿大和に存在し続けてきたと
主張するのか?

871 名前:日本@名無史さん 投稿日:2008/09/03(水) 23:43:59
お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
土下座しますから、叩頭しますから、懇請しますから、平身低頭しますから、
>>869の答を書き込んでくれ〜い。


↑つまり君はさ、近畿説は神武東征を否定してると思ってる訳でしょう?
でも、神武東征を否定している近畿説って誰の説の事なの?

神武東征と邪馬台国近畿説は矛盾してないでしょ。

でも君は、神武東征と邪馬台国近畿説が矛盾すると思ってるから
近畿説は神武東征を否定してるんだと言い張ってる訳でしょ?きっと。

つまり、神武東征が何時だとどういう理屈で邪馬台国近畿説と矛盾するのかを
九州王朝説の君に聞きたい訳。

言ってる事解るでしょ?

887 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:55:34
>神武東征と邪馬台国近畿説は矛盾してないでしょ。

おいおい、ローガンは、邪馬台国近畿自生説だぞ。
自生した邪馬台国が、神武にサクッと滅ぼされるんじゃ、邪馬台国近畿自生説は成り立たないでしょ。

888 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 02:02:33
ローガンって人が何を言ってるか知らないけど

>おいおい、ローガンは、邪馬台国近畿自生説だぞ。
>自生した邪馬台国が、神武にサクッと滅ぼされるんじゃ、邪馬台国近畿自生説は成り立たないでしょ。

成り立ってるでしょ?よく考えようよ。

畿内に邪馬台国が九州の神武に倒された。
つまりこの場合、邪馬台国より神武東征が後ってだけなんだね。

何の問題もないね

889 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:06:57
>畿内に邪馬台国が九州の神武に倒された。

もし邪馬台国が畿内で自生したのが先ならが
あとで神武が九州から畿内に侵入したら、邪馬台国は滅亡しちゃうね。

もし先に神武が九州から畿内に侵入したのが先で
あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は
神武が九州から畿内で定着して興したとする畿内王権そのものとなり、
邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

だからどちらにしても、邪馬台国自生畿内説は成り立っていないね。

890 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 03:47:34
>もし邪馬台国が畿内で自生したのが先ならが
>あとで神武が九州から畿内に侵入したら、邪馬台国は滅亡しちゃうね。

畿内自生説は邪馬台国の形成が畿内中心であればそれで良い訳でしょ?
自生的に形成された邪馬台国が神武によって滅亡しようが
畿内自生の仮説に矛盾しない。

邪馬台国は畿内に自生して、そして神武よって滅びた、つまり邪馬台国≠ヤマト政権だね。


>もし先に神武が九州から畿内に侵入したのが先で
>あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は
>神武が九州から畿内で定着して興したとする畿内王権そのものとなり、
>邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

邪馬台国東遷説にならないでしょう。邪馬台国東遷説って、
3世紀後半以降に九州に存在する邪馬台国が、その後東方の畿内に遷都する訳でしょう?

でもこの場合は、九州から神武が来て興したとする畿内王権が、
2世紀中には邪馬台国としてあって、そしてその王が3世紀中に魏に倭王として認められたんでしょう


>あとから邪馬台国が自生したなら、その自生した国は

>邪馬台国東遷説になってしまい、畿内自生説が成り立たないね。

だからこの上下の文はそもそも矛盾してるでしょ。
君自身、「あとから邪馬台国が自生した」と言って、
神武東征「前に」邪馬台国は九州に存在し得ない事を認めている訳なんだから、
その意味での邪馬台国東遷説は成り立たないからね。


891 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 04:57:46
ローガンの邪馬台国畿内自生説は成り立たない。

仮説1:「畿内自生の邪馬台国を、九州から来た神武が滅ぼした」

このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、
銅鐸国の特徴と邪馬台国の特徴は乖離しすぎているし、
漢籍には邪馬台国の後継諸国が書かれており、符合しないね。

仮説2:「九州からやってきた神武が邪馬台国を興した」

これは畿内説というより、邪馬台国の前身が九州にあったとする九州説。

以上、邪馬台国畿内自生説は成り立たない。

892 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 05:07:45
>>891
>このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、

銅鐸国?

初めて聞いたwww

後学の為その国の中心地は考古学的に何処の遺跡になるのか教えてくれwwww

893 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 05:55:53
>仮説1:「畿内自生の邪馬台国を、九州から来た神武が滅ぼした」

>このばあい、邪馬台国は考古学的に銅鐸国しかあり得ないが、
>銅鐸国の特徴と邪馬台国の特徴は乖離しすぎているし、
>漢籍には邪馬台国の後継諸国が書かれており、符合しないね。

銅鐸なんか関係ないでしょ?
それにこの場合邪馬台国を滅ぼしたら神武がそこの政権を奪取するって事になる訳でしょ
ヒミコの後に男王が立ったんだよね、それじゃ服従しなかったようだけど


>仮説2:「九州からやってきた神武が邪馬台国を興した」

>これは畿内説というより、邪馬台国の前身が九州にあったとする九州説。

これは全然違う。「九州説」とは邪馬台国九州説の事であって、
九州王朝説でもなければ他の何でもない「邪馬台国九州説」そのもの。

邪馬台国の前身が九州にあったとするのは九州説じゃないでしょ、絶対に。
邪馬台国自体が何処にあったかの話をしてるんだから。


たとえばアメリカ合衆国が何処にあるのか?と言う話をしてて
「アメリカ合衆国はイギリス人が建てたと考えれば、
アメリカ合衆国の所在地は、北米説というより寧ろイギリス説が正しい」

とか返答されるのと変わらないね。こんなの通用しないでしょ?

894 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 06:52:49
>>885一緒の貴種漂流譚と考えれば済むw

漂流譚ね〜 ヒョ〜リュ〜 ねえ…。

あの日下での激闘、熊野迂回などなど、先住勢力を駆逐するために自分の先祖が
途方もない苦労をしたんだよ〜なんてことを、なんのためにあんなに特筆、大書、
力説、詳説、るる述べたんだろ〜ね〜?

それって、「漂流」なんて言葉はとても使う気にならない記述だ、「侵入」
「侵略」って言葉こそ相応しい記述だ、世に数多(あまた)ある漂流譚のパタ
ーンにはまったくあてはまらない記述だ、先住勢力を撃滅する激闘を詳述した
いわゆる「貴種漂流譚」ってのが他にあるのなら、その例を挙げてくれ〜、
「漂流」で頭が休まる人はオ・シ・ア・ワ・セ。。。。って、俺の頭が言う
んだよ〜。

思いつきの「〜〜だからかも知れないよ〜」なんてんじゃ〜、寝られん、
それじゃ〜、寝られんって 俺の頭が言うんだよ〜。

タノム!!! タノムから、>>869の疑問に真っ正面から答えてくれ〜〜〜い!!!!

895 :夏祭:2008/09/04(木) 07:23:13
畿内自立説を論破すれば九州説の勝利と思ってる人間も多い。
奥野正男はその典型だった。
>>894
神武東遷は2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動がモデル。
というのが自説だが。

896 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/04(木) 07:28:29
>>880
倍暦等計上すれば  神武九州出発=B.C.7年

神武の前に卑弥呼の国が畿内にあったとすれば、神武以後歴代天皇の在位が247年
以後に来るから、各天皇の在位期間がスシ詰めとなり不合理になろう。
だから卑弥呼が神武以前の女ではないことは間違いない。

897 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 09:27:50
貴種流離譚と言えば、ローマの建国神話。

898 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 12:44:45
>>895
夏祭氏は結局九州説なんだね。

ところで
>「神武東遷は」2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動が「モデル」。
という主張だが、極めて奇妙なのでお聞きしたい。
どうして記紀に「邪馬台国が九州から畿内に引っ越した」と書かなかったわけ?
神武軍は、神武の兄が戦死するし、熊野の隘路を登るなど、わずかな部隊で
畿内に乱入した様子だ。王様以下、何万戸の国民が一斉に移住しましたって
書けばいいでしょ。吾が大和朝廷の始祖を、わざわざ貧弱な部隊に貶めて書き、
「モデル」にするなど、大和朝廷に対する侮辱だと思いますが、如何?


899 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/04(木) 13:54:23
>>898
『神武東遷は2世紀後半に起きた筑紫勢力の畿内への移動がモデル。』
僕も夏祭氏と同じだ。

僕は以下のようにみなしている。
古事記の内容を伝説として持つ畿内勢力は、「倭」であることを誇りとした最も古い集団を祖とした。
九州出身を自認する彼らは、つまりその長い伝統と発展を自慢したかったのさ。
我々は、我々を追い出した九州を越えているぞ、ざまあみろ九州だろうね。

900 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 14:05:01
大好きさん、神武東遷説話は九州の機能移転のモデルじゃなくて、
神武の畿内侵入がそういう風に伝わっていたのでそう書いただけでしょ。
絹や青銅器、三種の宝物や、政治機構が畿内にシフトしていったモデル
には、全然なっていないと思いますが。

901 :夏祭:2008/09/04(木) 17:37:06
>>898
その論法なら、原田大六も九州説になるんだけどね。



902 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:43:32
>>901
九州から東遷した時期は何時?

903 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:46:08
お〜い、近畿論者〜、頼むから、お願いだから、拝みますから、懇願しますから、
懇請しますから、土下座しますから、叩頭しますから、平身低頭しますから、
>>869の答を書き込んでくれ〜い。

「貴種漂流譚」なんてお上品な例を持ち出されても、あの神武天皇の激闘と
先住勢力の殲滅の記述がそれに当たるなんて、とてもじゃないが思えない。

自分は九州王朝論者なんかにゃなりたくない。絶対イヤだ。何としてもイヤだ。
どうしてもイヤだ。金輪際イヤだ。何が何でもイヤだ。

しか〜し、>>869の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。イヤが応でも、
九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

お〜い近畿論者〜、タノム〜、タノムから>>869の疑問に答えてくれ〜〜〜〜い!!!!!

もし>>869の疑問に答えられないのなら、「答えられません、近畿説は不十分です」
と素直に言ってくれ〜〜い!!!! でないと、俺は夜も寝られないぞ〜!!!

904 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 21:49:01
903はスルー
容易に乗ってはいけない。罠です。

905 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:11:00
>>902
2世紀後半。
まあ、卑弥呼がいたころには畿内に邪馬台国があったと考えている。

906 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 22:13:08
>>897貴種流離譚と言えば、ローマの建国神話。

ローマ建国神話のいわゆる「貴種」?とは、あのギリシャ文明の精華の一方の雄
であったトロイアの遺民だという神話であるのは、ご承知のとおりだ。ローマ帝国
以前に大いに栄えて、その声名を今日にまでとどろかせているギリシャ文明の
諸国の中でも、著名な都市国家であるトロイアは、単なるホメロスの神話の中
の存在ではなく、現実にこの地球上にかつて存在していた都市国家であったこ
とが、シュリーマンの発掘によって証明されたことは、周知の事実だ。

もし神武東侵神話が、貴種?流離譚であるローマの建国神話に匹敵するもので
あるとするならば、トロイアの存在が考古学上の発見によって証明されたように
神武天皇の先祖が統治していた九州王朝が実在していたことが、やがて考古学上
の発見によって証明されることになるであろう。

シュリーマンが、神話の記述からトロイアはここにあったはずだと思い定めて、
発掘に取りかかったとき、世の人々は、神話を信じて本気で発掘しようとする
なんて、トンでもないバカだアホだとあざ笑った。しかし、シュリーマンは、
自分の財産を投げ打って発掘を続け、ついにヒッサリクの丘の麓から、古代都市
国家トロヤの遺跡を発見したのだった。世の人々は、神話と固く信じていた説話
が真実であったと知らしめられて、のけぞって驚いたのだった。

今は、トンでもないバカだアホだとののしられている九州王朝論者だが、そのう
ち誰かが、ここと見定めた場所を発掘して、古代九州王朝の王都を発見することに
なるだろう。「日本のシュリーマン」がやがて出現するであろう。それは、時間と
金と運の問題であって、知能や論理の問題ではないのだ。

907 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/04(木) 22:15:44
>>906
ウガヤ朝のことかい?

908 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 01:07:34
>>903

所詮、神武東征なんて(少なくとも現在のところは)神話。

それに歴史的必然性を持った説明を求める方が無理。

結局、九州王朝説・東遷説が最期の拠り所がその神話しかないんだよなwwwwww


本来なら、てめえらがその神話が史実である事を証明する物を持ってこなきゃなら無いんだがそれも出来ず、開き直って

 「このお話が全くの作り話である事を証明してくれ。
  でなきゃ史実である事を認めろ」

と言う無茶苦茶を言ってる訳だw

まあ不眠で人間が死ねるかどうかは知らんが

死ぬまで起きていろとwwwwwwwwwwwwww



909 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:16:04
>>903

大丈〜夫だよ〜!

>しか〜し、>>869の疑問が頭に張り付いて、夜も寝られないのだ。イヤが応でも、
>九州王朝説へ、九州王朝説へと、自分を無理矢理引っぱっていくのだ、

はなっから九州王朝説を支持している人ならいざ知らず〜、
『畿内説のなかでなにか分からない点があるからという理由から〜、
九州王朝説でそれらの疑問も雲散霧消し、すっかり説明ついた気分になってしまうような〜、
物分りのいいっちゅうか〜 安っぽいけどシアワセなアタマのつくりであるならばだな〜、
心配しなくても、すぐに眠れるよ〜! 大丈夫なんだよ、心配しなくていいんだよ〜君は!

でも不思議なのは〜
畿内説で疑問が解消されなかったら〜 なんでイキナリ九州王朝説なのかな〜
畿内説で疑問が解消されないことと、九州王朝説を支持するか否かってのは〜
ぼくはゼンゼン異なる問題だと思うんだなあ〜

畿内説で疑問が解消されなかったら〜 畿内説を支持しなくなればよいだけで〜
畿内説を支持しなくなったからといって〜 九州王朝説を支持しなければいけないわけじゃないよ〜
君は、畿内説か九州王朝説かのどちらかを支持しなければ、呼吸ができないとでも思い込んでいるようだけど〜
君は学者でもなく、2chを楽しむ一介の物好きに過ぎないのだからさ〜 どっち選ばなきゃならんてことないよ〜

あとねえ、一つだけ忠告しておくとだね〜
君が疑問をかかえていて困ってるからって、だれか助けてくれるなんてことはないよ〜
このなかで畿内説を奉じている人がいるかもしれないけど〜 
君のように自分自信の主張もなく、自分ではなにも提供できないのに人に恵んでもらうことばかり考えている、
どこぞの馬の骨になにか教えても〜 何の得にもならないから〜 だれも助けてくれないよ〜 たぶん

ボクも、畿内説も九州王朝説もよくわからない古代史素人なのだけど〜 そんなことを感じたよ〜



910 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:16:27
話ブタ切りだけど、
倭の五王に関する説明は、従来の教科書説明より、
古田説のほうが、納得できます。

ところどころ、仮説で片手落ちがでてしまうのは仕方ないように
思うので、全否定では無く、信憑性のある話のすり合わせで
いいと思うのだけど、どうでしょう?(初心者マニアより)

911 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:28:00
>>906
実際はこうだったみたいよw

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%92%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
>発掘当時は「トロイア戦争はホメロスの作り話」と言われ、
>トロイアの実在も疑問視されていたというのもシュリーマンの著作に見られる記述であり、
>実際には当時もトロイの遺跡発掘は行われていた。
>シュリーマンの「トロイア実在説」は、当時からして、けして荒唐無稽なものではなかった。

912 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:54:57
>>909
畿内説が根本的に誤っているのが前提で、九州王朝説が秀でているからそうなるだけでしょ。

913 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:51:31
>>903
ほ〜ら、眠くな〜るwwwwww


  /|\
 ◎ ◎ ◎

914 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:51:36
>>909畿内説で疑問が解消されなかったら〜 なんでイキナリ九州王朝説なのかな〜

(その1)
いやさ、その説明が必要とまでは、さすがの自分も思いもしなかったな〜。

日本書紀の記述は、九州で天下を統治してた勢力が、神武天皇の時、九州から
近畿大和に移ったと書いてある。ところで、九州王朝説は、九州に王朝があっ
たって説だから、こりゃどうしても、九州王朝説にならざるをえないでしょ。

そうだっ!!!! 九州に王朝があったって考えれば、日本書紀の記述が
理解できるようになる!! 近畿王朝に先行して、光り輝く九州王朝があった
からこそ(古田説によればAD700まであった)、近畿天皇家は九州からや
ってきたと書いたのだ、その勢力こそ自分のルーツだと天下の人々に向かって
言いたかったのだ。あの光り輝いていた九州王朝の本流こそ我が王朝なのだと
いうことを言いたかったのだという理解が可能になって、夜安らかに眠ること
ができるようになるのだ。

915 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:52:58
>>914続き)
(その2)
上の理解以外に、どのような理解が可能と、>>909は考えるのか? >>909
>君は学者でもなく、2chを楽しむ一介の物好きに過ぎないのだからさ〜 
>どっち選ばなきゃならんてことないよ〜
なんて言うけど、そりゃいくらなんでも、人間ってものを知らなさすぎ。
真実を愛する人間は、学者であろうがなかろうが、寝ても覚めても真実に恋い
こがれて、真実を追い求めるもの。自分がまがい物で満足する人間だからって、
他の人間もみんなそうだと考えるなんて、人生経験がなさすぎ。

真実を愛する気持ちがない人には、天皇家が自ら作った日本書紀の記述と近畿説
の矛盾なんか、全然気にならんのだろうな〜。まるで信念や宗教のようだな。

自分は、真実の話をしているのであって、信念や宗教の話をしてるわけじゃ
ないのだ。

あと一つだけ。>>909は >だれか助けてくれるなんてことはないよ〜
って言うが、それは、ダレも助けるなんてことはできない 近畿説では助ける
ことができない って言ってるように聞こえるってことを、付け加えておこう。

916 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:54:47
>>915

ほ〜ら、眠くな〜るwwwwww


  /|\
 ◎ ◎ ◎


917 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 04:57:48
>あの光り輝いていた九州王朝の本流こそ我が王朝なのだと

で畿内ヤマト王権はその誇るべきルーツを何故か徹底的に破壊して
九州王朝を証明する考古学的証拠が無いとwwwwwww

寝言は寝て言えwwwwwww

918 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:00:22
絹も三種の神器も鉄も青銅器も圧倒的に九州。
邪馬台国の気候は温暖。
よほど強引な解釈をしない限り、畿内は失格、
北部九州しか合格しない。

919 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:03:13
結局、九州王朝説なんて創造説みたいなもんで

創造説だと如何なる問題でも

 『それは神様がそう御造りになったからです』

でおkwwwww


そりゃノンストレスで
夜も昼もぐっすり眠れるでしょうって話でwwwwwwwwwww



920 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:17:54
白村江の敗戦後、九州王朝は派閥に分裂します。
海外を放棄し、畿内の地で列島統一を図った天武が、勝利します。
それ以外の残党は(含む後九州政権)、天武・持統によって討伐されます。

921 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 05:28:30
>>917 畿内ヤマト王権はその誇るべきルーツを何故か徹底的に破壊

何故かって、その理由を一々説明せにゃならんかね〜?

日本書紀は、それが作成された時点よりもおよそ1,000年も前に、神武天皇が
九州から近畿ヤマトに東侵した、それ以来ずっと近畿ヤマトで統治してきてる
って書いてる。だから、書記作成時点で、九州に紫宸殿や内裏や寺院などの建物
や史書などが残ってたら、困るでしょ。だから破壊せざるを得なかった。現に、
史書などは強制的に提出させたと、書記自らが書いている。

こりゃ、日本書紀を読んだことがある人には自明のことであって、一々説明し
なきゃわからんようなことではない。畿内説の人だって、>>917のような無謀な
主張は、普通しないよ。

ま、朝早くから起きてる>>917へのサービスで説明してあげたが、そのような説明
を受けること自体が、恥ずかしいことだと知っておくが良かろう。

922 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 06:04:27
>>917>>919は、スフィンクスの謎かけ(>>869の疑問)をとけない旅人の
言いぐさだな。答にもならないことをさも答らしく書いて、結局、スフィンクス
に谷底に突き落とされてる。つまり、謎に答えられない、近畿説は間違ってるって
ことを、自分自身で暴露しちまってる。

スフィンクスの謎かけって知ってるよね?
スフィンクスは「朝は4つ足で、昼は2つ足、夜は3つ足とは何か?」という
謎を旅人にかけ、それに答えられない旅人を谷底に突き落としていた。ある時、
賢者が、それは「人間」だと正解を言ったので(赤ん坊は4つ足、その後2つ足だが、
老人になると杖をつくので3つ足)、スフィンクスは、自ら谷底に飛び込んだという。

上の書き込みを書いた旅人は全部、谷底突き落とされ組。
誰か、自分を谷底に飛び込む気にさせてくれる旅人ならぬ近畿論者がいないかな〜。

923 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 07:18:55
>>908 「このお話(神武東侵)が全くの作り話である事を証明してくれ。
でなきゃ史実である事を認めろ」って言ってる。

ダレもそんなこと言っちゃいない。言っているのは、

  日本書紀には近畿天皇家は九州から来たって書いてあるが、
  もし近畿説が正しいってのなら、その記述はデタラメだってことになるが、
  なぜそんなデタラメを日本書記が書いたのか、

それを説明(「証明」じゃなく)してくれと言ってるのだ。

神武東侵の記述がデタラメってことを証明してくれって言っているのじゃなく、
そんなデタラメをなぜ書いたのかってことを「説明」してくれと言っているの
だ。

相手が質問してることをよく読んでから、返事を書いてくれよな。ま、こんな
理解しやすい質問を読み間違えるって人も、少ないだろうが……。

924 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/05(金) 07:41:12
紀の神武東征の記述は殆ど年月日が記述されており、しかも日まで
しっかり記述されているから、神武手前の神代の記載とは同一視
できない。年月日がキチンと書かれているということは、単なる
神代同様の神話扱いにはできない。神話だと東征をかたずけるのは、
黄金を真鍮と思って遺棄する所為の如くであり、失敗である。
黄金は真鍮とは違い、双方黄色で輝いているが、よく観察すれば
口には言い表し難い違いが分かるもので、充分観察せず真鍮だと即断
して軽視するのは失敗である。紀での言い表しにくい焦点は、年月日
が多くキチンと書かれているか否かである。そこが判別のポイント
である。さらに紀は単独的一人が過去を書いたものではなく、これの
多数の原書群からの相当量の、検査に耐えうる記述群による編纂で
あって、個人著作のようでそうではなく、原書群の多人数相当の著者
のバックがあるから、信用度は個人著作の古文献とは比較にはなら
ないもので、信用度は大きい。

925 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 09:51:16
>>914>>915

そこまでの説明が必要って、べつに俺は古代史マニアでもないしね。

九州王朝説のひとたちの言い草は、日本書紀は後世畿内王朝の
(九州王朝の証拠を消して歴史を改竄するための)創作じゃなかったっけ?
そんな、畿内の陰謀の産物たる日本書紀を援用しちゃっていいの?

まあ、仮に日本書紀を援用するにせよ、
神武の記述は、とても王朝と呼ぶに足りないんでもないんでしょう。
日本書紀が神武を記述したから、神武が実在で、かつそれが王朝だなんて、
きみは皇国史観のウヨ史観かい?

まあ、神武の記述から、神武自体が王朝支配者じゃないとしても、
九州王朝の存在が類推できるだろうし、そう説明されれば整合性がつくってことか?
それは、学問じゃなくって、君の勝手な想像ってもんだよ!

だいたい、畿内説で納得できない箇所があるならば、
畿内説を採らなければ良いわけで、そのモヤモヤ感を解消するために、
無理やりに九州説をとらなければならなないってことはないだろ?
「畿内説が納得できない箇所がある→九州説は正しい」が君の自説かい?

真実を追究するならば、現存する2勢力のどちらかに必ず加担しなければならない
なんてことは全然なく、どちらもまだ実証が不十分って認識しておいてよいじゃん
それがイヤダなんて、それこそ君の大好きな学問や真実を求める姿勢に反するぞwww
(べつに私は古代知らないので畿内説が実証不十分とか、十分とか言いたいわけじゃない)

あるいは、九州説が実証的に真実であると>>903が知っていて書いていたのであれば、
もはや何も眠れなくなる要素はないし、むしろ、迷えるスレ住人のために、
君のほうからその真実とやらを実証的に説明してくれたまえよ
人生経験豊富(笑)なんだから、われわれの迷いを解消してくれよw


926 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 09:56:31
「2つの説が現存する→この2つの説のいずれかは必ず真実である」

これが、君たちの言う、真実を求める姿勢かw ずいぶんと安いもんだなァ
ま、その安っぽさに寛容になるってことが人生経験と認識しておくことにするよw


927 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:39:10
>>925
>九州王朝説のひとたちの言い草は、日本書紀は後世畿内王朝の
>(九州王朝の証拠を消して歴史を改竄するための)創作じゃなかったっけ?

日本書紀にそういう面がある可能性は否定できないが、むしろ、九州王朝を
ルーツに持つ王朝の末裔であることを主張して、神武近畿朝廷の正当化を
行っているようにおもう。
書記の書かれた時代は九州王朝のほうが正統で近畿のほうが傍流扱い。
傍流なのか赤の他人なのかは知らないが、とにかく自分たちは九州の正統の
流れである、という主張をする必要があったということではないかな。

九州であることを主張する必要がなければ、近畿あたりの由緒のありそうな山
に降臨したとでも書いておけばいいのだ。そのほうが無理がない。

928 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 12:59:18
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

929 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 13:05:47
畿内王権が勝手に「九州王朝引継ぎ宣言」をして、
過去の九州王朝の栄光は自分のものという理屈をつけた。

一方で九州王朝の別派閥の連中を、討伐中だからこれは
殲滅の対象であって、8世紀末〜9世紀初まで、徹底的に
破壊していた。

よって、九州王朝の建物や国家記録はすべて破壊・没収された。

930 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/05(金) 14:24:42
>>929
>一方で九州王朝の別派閥の連中を、討伐中だからこれは
>殲滅の対象であって、8世紀末〜9世紀初まで、徹底的に破壊していた。

残念ながら破壊し切れなかったようだね。

肥前地域(五島列島は除く・對馬は畿内に帰順)の九州王朝の残党撲滅はできなかった。
その証拠は遣唐使の成功率が20%程度であったこと。
遣唐使の1回1船団あたりの成功率でも50%程度であった。
遣唐使は薩摩西海岸を坊津を出発し、坊津近海に帰着しなければならなかった。
遣唐使船が航路反れて肥前西海岸に流れ着くと全員虐殺で、一人も畿内に帰国出来なかった。
遣唐使船が漂着しても助けてくれたのは五島列島の島民だけ。
帰りは肥前西海岸を避けピンポイントで薩摩西海岸を目指す為、
又南寄りの航路をとらざるえない為、琉球まで船が流される始末。
遣唐使達は九州西海岸を北上する黒潮をどれほど恨んだことであろう。
シナを出発し、ただひたすらに東に向かえば、
たやすく肥前海岸か壱岐に着くものを、
ただそこに着けば全員虐殺の運命であることを、
遣唐使達は恨んだことであろう。

畿内天皇朝廷は、對馬國の金献上による畿内への帰順がよほどうれしかったに違いない。
「大宝」と建元したほどだから。




931 :のんびりひまじん:2008/09/05(金) 17:10:32
>>930
>畿内天皇朝廷は、對馬國の金献上による畿内への帰順がよほどうれしかったに違いない。
>「大宝」と建元したほどだから。

→対馬金の真相はデッチ上げだったと後日暴露されるのですが、そのことはぼかしてうれしかったのでしょう。
708年 武蔵国から和銅というのも嬉しく改元したのですね。

932 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 18:01:32
ま、九州王朝説は考古学的資料の検証とかで都合が悪くなったら

 「畿内ヤマトが徹底的に破壊した!」

と言うのが逃げのパターンだが

邪馬台国の3世紀から7世紀としても500年。

その間に築かれた都や国家機構を示す文物を全て抹殺したと言うから

畿内ヤマト杉wwww
南京大虐殺・三光作戦も真っ青wwwwwww

火でも放ったなら大火の跡としてそりゃなんか出てくるだろう。
(京都市内じゃあ応仁の乱の火災を物語る遺物いまだに出土するとか・・・)

建築物も全てバラしてよほど広範な地域に投棄。
(1箇所に大量投棄したのならそれはそれで遺物として出てくるだろうし)

無論礎石等も全て取り除いて綺麗に整地とw

九州王朝説の連中はそんな事をマジで考えてんの?wwwwwwwwwwwwwww


933 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 19:37:51
だから、九州王朝の観世音寺を移築して畿内法隆寺にしたりしているわけだが。
徹底的に九州から略奪したのが、国家文書。
仏像やら各種の財は巻き上げて、畿内へ持ち込む。
例えば釈迦三尊像や七支刀などはそうでしょう。
移築しない建物は、焼いてしまえばそれで終了。


934 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/05(金) 19:49:29
>>932
8世紀以降も続く畿内の破壊と消去がどれほどの徹底していたかは、
戦場址の残存状態でよくわかる。
697年から699年に戦いがあった、
大野城・基肄城・鞠智城・高安城(畿内)・三野城・稲積城の遺蹟としての残存状態でよくわかる。
九州王朝最後の女帝(兄王)である薩末比賣の最後の場所は、薩摩の何処かもわからない。

935 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:06:35
>>933
>移築しない建物は、焼いてしまえばそれで終了。

おやおや法隆寺の移築なんて事を書いたのに
まさか例の再建・非再建の論争に一端終止符を打ったのが
若草伽藍の塔の心礎(柱の土台の石)が出てきたと言う事を知らないわけじゃないよな?w

栄華を極めた九州王朝の王都やその他の都市の全ての建物を移築できるはずも無く
するとやっぱり都市に火を放ったんだwww

規模としては平城京や藤原京に勝るとも劣らない都市の大火災www
(ちなみに藤原京は今じゃ大和三山を”中”に抱えた都市だったよなw)

なまじ朽ち果てた遺構よりはっきりそれと分かるだろうwwwwwww
(夥しい炭化した木材、高熱に晒された土壌etc・・・)


無理無理無理のカタツムリwwwwwwwwwww




936 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:13:20
大宰府の紫宸殿なんか胡散霧消してしまったわい。

937 :柳○理科雄@空想科学研究所:2008/09/05(金) 20:21:27
いや、ウルトラマンを倒したゼットンの吐く一兆度の火の玉なら

跡形も無く地上から消してしまう事も可能だと思われ。。

938 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:47:57
邪馬台国、いろいろ説があるが。
取り敢えず九州王朝説だけは、あり得ない。トンデモの空想WW

939 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 20:56:47
という人に限って、思い込みだけで論じているのが常

940 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 21:19:56
>>925 九州王朝説のひとたちの言い草は、日本書紀は後世畿内王朝の
(九州王朝の証拠を消して歴史を改竄するための)創作じゃなかったっけ?
そんな、畿内の陰謀の産物たる日本書紀を援用しちゃっていいの?

いやま、この書き込みを読んだだけで、>>925は相手の主張をキチンと理解して
ないってことは、明白。

近畿説は、神武東遷は日本書紀の「創作」だと考えているが、俺が言ってるのは、
「何故そのような創作をしたのか?」ってことを近畿説の立場から、説明して
くれって言ってるのだ。

九州王朝説が、日本書紀を援用する云々じゃなくて、日本書紀がそのような
創作(神武東遷)を何故したのか、近畿説からしたら、その創作理由を説明で
きないだろって言ってるのだよ。

>>925は、神武東遷説が架空かどうか、また、日本書紀が創作かどうか という
昔から言い古されている論点は、論点としてきちんと把握できているようだが、

俺が提示している新たな論点、つまり、近畿説では、近畿天皇家が神武東遷を
自ら作成した日本書紀になぜ書き込んだのか、その理由が説明できないのでは
ないか? という論点を、全く把握できていない。

さらに、>>925は >どちらもまだ実証が不十分って認識しておいてよいじゃん
って書き込んでいる。そのとおりであって、だから俺は、上の方で、九州王朝
の仮説を当面支持すると書いているだろ。

以後、>>925への応答は遠慮します。

941 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 21:51:19
>>930 畿内天皇朝廷は、對馬國の金献上による畿内への帰順がよほどうれし
かったに違いない。「大宝」と建元したほどだから。

室伏志畔は、「大宝」と建元したのは、近畿勢力が後九州王朝から3種の神器
をついに入手したからだという仮説を述べている。そして、後九州王朝で3種の
神器をもっていた者こそ、竹取物語のかぐや姫であって、竹取物語には書かれ
ていないが、かぐや姫は文武天皇と結婚することを条件に3種の神器を渡した
が、文武天皇は約束を破って正后としての結婚をしようとしなかったので、か
ぐや姫は、文武天皇からの第2妃としての結婚の申出はもちろん、5人の皇子
や貴族の申出をも蹴って、月に登っていった(自殺した)という仮説を提案し
ている。

自分は、対馬から金を献上したので「大宝」と建元したという説より、この室
伏説の方が、好きだな。文献上の根拠は全くないが、いかにもさもありなん
という感じがするところがよい。また、単なるおとぎ話と思われた竹取物語が、
実は九州王朝と近畿王朝の転換期をおとぎ話に託して活写したものだった
とする点も、意外性があって面白い。しかも、後九州王朝が月読神社を祭って
いたという点や、竹紫の竹とも引っかけてあるとするなど、なかなかうがって
いて、極めて面白い。

アマチュアの古代史家は、職業的な古代史家とちがって、奔放な想像を巡らせる
ことができるのがよい。そして、ド素人の想像がバカにならないのは、シュリーマン
のトロイアの発掘や、相沢忠洋の岩宿遺跡の発掘の例でも良くわかるのだ。

職業的な古代史家は、リスキーだな。土の中から何が出てくるかわからないからな。

942 ::2008/09/05(金) 22:31:10
>>914
>九州で天下を統治してた勢力が
どう読んでも、九州から追われた勢力が広島岡山を経て畿内に国をつくれた勢力(が後に日本の天下をとった)、
でしょ?w

943 :夏祭:2008/09/05(金) 22:35:40
九州王朝説信者(つーかアンチ畿内教信者)のレスを見てて思い出したもの

飛鳥昭雄信者のレス

本当に雰囲気が似てるんだ、これが。

944 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:36:41
>>940
お前は本当に馬鹿だな。そんなお前に答えてくれた人に感謝しろよ。
世間知らずだなあ。バカ。

945 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 22:40:16
>>941
竹取物語はトゥーランドットだよ。
そんな物語を拠所にしている説に説得力はない。

946 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:24:30
近畿説は、日本書紀に書かれた「神武東侵」は創作であって史実ではなく、
近畿天皇家は、悠久の昔に近畿ヤマトから発し、そのまま逐次勢力を拡大して、
ついに日本列島全体を支配するに至ったというのが史実である、と主張する。

この近畿説に立って日本書紀を読んでいるうちに、必然的に湧いてくる疑問が
ある。それは、

一体全体なぜ近畿天皇家は、自らが編纂した日本書紀の中に、神武天皇は
九州から来たなんてデタラメ(近畿説からすればデタラメってことにならざるを
得ない)を書き込んだのだろうか、何を好きこのんで、そんな史実と異なるこ
とを書き込んだのだろうか?

って疑問だ。

近畿説では、この疑問に対するスッキリした回答がどうしてもできない。
苦肉の回答らしきモノとして、「貴種流浪譚」だと説明しようとした書き込み
もあったが、あの神武東侵神話は、とてもじゃないが、貴種流浪譚と言える
ようなシロモノじゃない。流浪どころか侵入・侵略だ。

ってなわけで、近畿説は、その論拠の大部分を負うている日本書紀の、最大の
見せ場である神武東侵説話が、何故書き込まれたのかを、近畿説の立場からは
どうしてもスッキリと説明できない、という深刻な矛盾を抱えている。

だから、九州王朝説に魅力を感じる人が増える一方なのだ。九州王朝が
先行して存在しており、その権威に近畿天皇家は暗黙のうちに(つまり
九州王朝が700年まで存在したとは書かないで)あやかろうとしたから
なのだとすれば、スッキリする。だから、九州王朝論者が増えるのだ。

加えて、倭絹が北九州からしか出土しないとか、九州年号が西日本の古寺古社
からぞくぞくと見つかるなど、九州王朝説を補強する物証が増える一方なので、
ますます九州王朝論者が増えるってワケだ。

947 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:06:03
>>946
>流浪どころか侵入・侵略だ。

まあ、そりゃ、おめえの感じ方って話なだけだなw

ヤタガラスや金鵄と言った霊鳥に助けられ(このモチーフは中央ユーラシアにあるとか)
賢明なニギハヤヒは義兄ナガスネヒコ裏切って見方になってくれたり
熊野の山中じゃあ霊剣・布都御霊をくれちゃったりする人が現われたり等々・・・wwwwwww

 負けちゃったりした事もあったけど
 今日もボクは元気です(てへっ)
     byイワレビコ  wwwwwww

神武の血筋(貴種w)の前に様々な幸運がもたらされるw

で橿原で即位してめでたしめでたしw

日本書紀とか見てごらん?
即位後のお話としては後始末の論功行賞や国見とかだけで
非常にあっさり味尾w
所謂「欠史八代」とボリューム的に大して変わらないwwwwwww

シンデレラだって王子サマと結婚してハッピーエンド。
彼女の人生その物は結婚後が長いはずなんだけどその後をかたっちゃあ興醒めってモンですよwwwwwwww

948 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:22:45
>>946
>九州王朝論者が増えるのだ。

うーん、おめえらの業界って良く知んないんだけど・・・
シェア拡大(信者獲得)もきょうび難しいんじゃないのかい?www

色々な記紀の矛盾点についても様々な角度から検証されているんだし
何も「九州王朝説」のような九州版皇国史観のようなトンデモにお世話にならずとも
歴史の真相に肉薄していけるっちゅう話でw

例えば大化の改新(乙巳の変)で勧善懲悪劇の悪役にされた蘇我氏。
甘樫丘の発掘調査で、実は蘇我氏は外部の敵から天皇を守ろうとしていたと言う事が
その地勢から読み取れ、それは百済の都、扶余を真似たとも・・・
(まあだからって蘇我氏を忠臣だなんて言わんがwww)

この場合の「外部の敵」と言うのは隋唐の圧倒的軍事力の脅威な訳だが
そう言った当時の東アジアを取り巻く情勢を俯瞰する視点を与えてくれる。

・・・九州王朝説?なんかリアリティの無いこじ付けだけの説ですなあw
もうちょっと頑張らないと顧客もゲットできないよwwwwwww



949 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:24:51
隋書に九州王朝が描かれている以上、九州王朝説を嘲笑しても、始まらんでしょ。

950 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/06(土) 00:41:55
>>941
竹取物語説は面白いね。
薩末比賣は処罰として、かぐや姫になったのだ。
月読神社が薩摩にあればよりつじつまが合うのだが?

951 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 00:59:29
>>948例えば大化の改新(乙巳の変)で勧善懲悪劇の悪役にされた蘇我氏。
甘樫丘の発掘調査で、実は蘇我氏は外部の敵から天皇を守ろうとしていたと言う事が

そりゃ、NHKディレクター谷口雅一の妄説だ。彼の「大化の改新 かくされた
真相」を読んで、明日香板蓋宮を挟み撃ちにして、南東部から監視する馬子邸
と北西部から監視する稲目・蝦夷邸のヴァーチャル図を見たとき、感じたのは、

外部の敵から天皇を守ろうとしたと言うよりも、天皇を取り巻く近畿勢力から
天皇を隔離して、天皇を監視しているように感じられた。

蘇我氏は、九州王朝が派遣した近畿勢力の監視役だという仮説がずっと昔に出
されていた。この仮説によると、蘇我氏が突然どこからともなく出現すること、
突然権力を手に入れること、仏教を信奉したこと、天皇を越える権力をも行使
したようであること、天皇家を軽んじるような振る舞いがあったこと、など
疑問に思われていた点が、一挙に説明が付くようになるのだ。

そして近年の発掘によって、実際に蘇我氏の邸宅が近畿天皇家を監視するような
形で配置されていることが明らかになってきた、と、あのヴァーチャル図は、
俺には語っていたのだ。

952 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:06:54
>>950 月読神社が薩摩にあればよりつじつまが合うのだが?

立派な月読神社が鹿児島にある。インターネットで検索したら、すぐわかる。

953 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:25:26
ループしてるな

954 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:39:39
>>951
そりゃ、おめえの方が妄説だろうwwwwww

九州王朝説なんて妄想に取り付かれた病人でなければ
蘇我氏の横暴が書かれているのは藤原氏の意向を汲んでと見るだろうなw

(古事記にしても編纂途中で天武が死んで、それを元明女帝が継いでいる)

つうかだな遠巻きにして監視なんて、まどろっこしい事せずに
さっさと畿内天皇の首挿げ替えたらええやんwwwwwwwwwww

九州王朝説全体に言えるんだが畿内ヤマトを圧倒する力を持っていたと言いながら畿内ヤマトに手を出せず

例えば河内の地に巨大墳墓の造営を許してしまったり・・・

(え?文化先進地域の九州は既に薄葬だっとか?
 だったら臣下にもそれを徹底させようぜ?wwwwwwww)





955 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 01:53:48
倭の五王の事跡が、記紀に全く出てこないのは、畿内説の破綻。
隋書イ妥国伝のイ妥国の男性王アマタリシホコが記紀に出てこないのは、畿内説の破綻。
中国側で委奴国〜邪馬壱国〜邪馬台国=イ妥国は連続した政体だと認識しているのに、
金印も阿蘇山も九州なのが畿内説の破綻。
邪馬壱国の気候は温暖が特徴なのは、畿内説の破綻。
絹や三種の神器、青銅器、鉄器が圧倒的に多い場所が北九州なのは、畿内説の破綻。

ちなみに、邪馬台国も邪馬壱国も漢籍にしか出てきません。
あくまで漢籍を軸にして、考古学その他を援用して、場所を判定するのが王道です。

956 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/06(土) 07:26:01
>>952
月読神社は大隈には2社もあるが、薩摩にはない。

957 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 07:34:56
大隅と薩摩を区別する意味は? 薩摩は鹿児島県全体を意味する場合もあるんだ
けど? 例 薩摩芋・薩摩揚げ・薩摩白波


958 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:27:44
>>955

> 倭の五王の事跡が、記紀に全く出てこないのは、畿内説の破綻。

じゃあ九州王朝説のどの記録に書いてあるんだね?

> 隋書イ妥国伝のイ妥国の男性王アマタリシホコが記紀に出てこないのは、畿内説の破綻。
じゃあ九州王朝説のどの記録に書いてあるんだね?

畿内説なんかどうだっていいよ。九州王朝説として客観的な根拠を挙げて述べてみな!
畿内説の否定をいくら否定してもしかたないよ。

959 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:30:58
>>958
訂正
> 畿内説の否定をいくら否定してもしかたないよ。
↓ ↓ ↓

畿内説をいくら否定してもしかたないよ。スマソ

960 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 08:37:39
>>947 貴種流離譚  (Wikiからコピー)

 折口信夫が一連の「日本文学の発生」をめぐる論考のなかで、日本における物
語文学(小説)の原型として論じた概念で、その説くところは時期によって細
部が異なるが、基本的には「幼神の流浪」をその中核に据える。
 文学は古代社会における信仰のうちから生じたとする折口は、日本における信
仰形態のひとつとして、無力な幼い神を神人が斎きながら諸国を放浪するかた
ちの宗教集団の存在を指摘し、これらの神人集団が幼神の縁起・由来を語る芸
能から「物語」が発達したとする。それゆえ日本における散文文学・物語類に
は、祖形として「高貴な生まれの、弱く、力ない人間が、遠い地をさすらう苦
悩を経験する。(それを護持する有力な随伴者を設定する場合もある)」とい
う説話型が組みこまれているとするのが、貴種流離譚にほかならない。

この流離譚の定義に、神武東侵があてはまるかな〜? そもそも寺社の縁起
や物語ならいざ知らず、日本国の正史を自称する日本書紀がなんでまた、貴種流
離なんて庶民的な物語をわざわざ特筆、大書しなければならんのか、チンブン
カンブンだっちゅうの。

史実の記録に情熱を燃やしたあの中国にも、我が日本国の正史として説明しな
くちゃならんだろう天皇家の歴史書の中に、何でまた、寺社縁起や物語の類に
よく出てくる流離譚を書き込まにゃならんのか?

そしてまた、仮に貴種流離譚だったとしても 貴種の漂流元をどうして九州に
設定したのかってことは、近畿説では説明ができないな〜。流離って言う以上、
現実に栄えていたというイメージがあることろから流離したってことでないと、
人々はその流離譚自体を架空のお話しと思っちゃってしまい、日本書記編纂の
目的に反すると思われ。ってことは、九州は栄えてたってイメージが、当時の
人々にあったってことにならざるを得ないな〜。

961 :夏祭:2008/09/06(土) 08:39:05
九州王朝説信者は、典型的な間違いを犯している。
「Aが間違っていればBが無条件で正しい」と言う理屈を信じ込んでいる。
これは創造論者と同じこと。

なお。俺としては「九州王朝説が間違ってるから畿内説は正しい」何て言うつもりはない。
ただ、九州王朝説は明らかに間違っているから、間違ってると言ってるだけ。

962 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 09:01:10
>>961 「Aが間違っていればBが無条件で正しい」と言う理屈を信じ込んでいる。

そう言う九州王朝論者もいるかもしれないが、俺は違う。俺は、九州王朝説を述べ
る場合にも、常に「〜という仮説」という表現を付加してる。そえは、九州王朝
が実在したと言うことを真実と断定してると誤解されるのを避けるためだ。

近畿天皇家一元史観も仮説だし、九州王朝説も仮説だが、どちらの仮説がより
真実に近いらしいかと言えば、現時点では、九州王朝説の方だ、というのは、
九州王朝説の方が近畿説より、文献や出土物や遺跡・遺構などによりよくマッチ
すると、俺には思われるからだ。

みんなも、誤解を避けるために、「〜という仮説」という表現を、自分の
考えを述べた後につけると良いよ。

963 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/06(土) 09:55:45
>>957
大隈は薩末比賣を裏切った隼人の地域なんです。
薩末比賣を最後まで支えたのは、
久賣波豆・衣評督・衣君縣助督・衣君弖自美・肝衝難波で、
隼人は入っていないのですね。

薩末→薩摩かもしれないとの一瞬の思いつきだけが根拠ですけれど。
薩摩→薩末かもしれませんし。
深い意味はありません。
月読神と九州王朝兄王(薩末比賣)との関係を否定するものではありません。

964 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 10:17:14

>>960 貴種流離譚

そうね〜、数多(あまた)の著名寺社や有力氏族が存在する中で、有りがた味や
高貴さを出そうってんで、貴種流離譚を書き込むってのならわかるけど、

他に並ぶモノもない天皇家、ありがた味も高貴さもピカ一 ……ってか、
比較すること自体が無意味である、不敬である、不可能である、って前提の
天皇家が、何でわざわざ、有りがた味・高貴さを強調するための貴種流離譚
を特筆・大書しなくちゃならんのか、まったくわからんな〜。

逆に、貴種流離譚を書き込むこと自体が、天皇家は他の有力氏族に比べて
(比べるなっちゅうの!!)より高貴なんですってことを力説してることにな
っちゃうし、しかも、九州から来たから高貴なんだって言ってることになっち
ゃう。 

このように支離滅裂になっちゃうってことは、それはすなわち、神武東侵説話は
貴種流離譚じゃないってことよ。

ってか、逆に、九州王朝説の補強に使えるかもしれんな〜。つまり、神武東侵説話
は貴種流離譚だってことにして、日本書紀がそれを書き込んだのは、他に比較され
る存在(すなわち九州王朝)があって、それよりも有りがた味・高貴さが違う
んだってことを(九州王朝とルーツを同じくするが、近畿王朝が本流ってことを)、
暗黙の内に(ってのは九州王朝があったと書くわけにはいかないのでね)、
読者に伝えたかったのだという仮説も成り立つな〜。

こりゃ、この仮説の方が面白いぞ。

965 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 10:54:05
歴史というのは比較の問題ではないんだよ。
真実は常に一つ。

966 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 11:20:14
>>965歴史というのは比較の問題ではないんだよ。真実は常に一つ。

真実は神のみがご存知なのだ。神ならぬ人間の思考には限りがあるので、
これは確かに真実であるはずと思っても、「一番有力な仮説」としておく
のが賢明な態度ってもの。

そして、出土物や、新たな文献解釈や、民俗学や、神話学や、文化人類学など
などによって、その仮説が真実に一番近いかどうかを常に検証していくのが、
神ならぬ人間の賢明な対処の仕方ってもの。

自然科学だって、これはあてはまる。ニュートン力学は真理を発見したと
思われていたが、今日では相対性理論に取って代わられてる。その相対性
理論も、近いうちに大統一理論に取って代わられるかも知れぬ。

人間にとっての真実・真理ってのは、神にとっての真実・真理とは違って、
常に、「一番確からしい仮説」なのだ。このことを忘れて真実と思い込むと、
進歩が無くなって、その仮説は「ドグマ」に転化する。

一部の九州王朝論者、および、ほとんど全ての近畿天皇家一元論者 の説は、
ドグマの典型である との仮説が、一番確からしい。


967 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:49:48
>961
夏祭りは、九州王朝から都落ちをした大伴+久米勢力を邪馬台国と勘違いしているだけ。
それは一種の九州王朝説なんだよ。

968 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 13:36:20
>>966の続き

ってことで、「神武東侵説話」は、九州王朝よりも近畿天皇家王朝の方が、
より高貴で有がた味があるのだということを、暗黙の内に、読者に伝えんが
ために、神武天皇を先祖とする近畿天皇家が、自ら作成した日本書紀の中に
敢えて書きこんだ「貴種流離譚」である、という仮説を、当面、一番確からしい
仮説として、自分は保持していきたい。

強烈な反論、な〜るほど〜、そりゃそうだね〜って反論、スッキリした明快な
反論が出ない限り、そうすることとする。

>>885は、近畿説という仮説を支持する立場から、神武東侵説話=貴種流離譚の
仮説を提示した。ことろが、よく考えてみると、神武東侵説話=貴種流離譚の
仮説は、九州王朝説の方がより真実に近い仮説であることを証明する性格を持
った仮説であることが明らかになった。

>>855は、すばらしいひらめきの仮説を提案したが、残念ながら貴種流離譚の
本質を良く理解していなかったために、近畿説を補強するどころか、逆に
九州王朝説を補強する仮説を提案したことになってしまった。

しかし、ともあれ、九州王朝説を当面支持する自分としては、>>855に、深く
深〜く、これ以上頭を下げられないほど、言葉では言い荒合わせないほど、
何と言って良いかわからないほど、衷心から、ホントウに、全くのところ、
心から、何とも言えないほど、とてもとても、非常に、極度に、途方もなく
感謝しているってことを、ここに書いておきたい(この書き込みが皮肉と
受け取られないことを祈る ……これホント)。

ってなわけで、これから毎晩、ぐっすり眠れるぞ〜って、俺の頭が言ってる
ぞ〜。




969 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/09/06(土) 14:04:26
>>958
もう年号が多々出てるから逆らったって無駄だな。古史古伝にもウガヤ朝がある。

970 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:10:00
>>958
隋書には、畿内王権ではない九州王朝だけが書いてある。

971 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:32:37
>>962
>近畿天皇家一元史観も仮説だし、九州王朝説も仮説だが、どちらの仮説がより
>真実に近いらしいかと言えば

そうそうそう、所詮、「九州王朝説」は「畿天皇家一元史観」の一対の物
同じコインの裏表wwwwww

だから正確に言うと『九州王朝一元史観』www
何が「多元史観」だアホがwwwww

記紀の不可解な事件の陰には常に九州王朝あり!
典型的な陰謀論に出てくる黒幕組織w

フリーメーソン、イルミナティ、ローゼンクロイツ、九州王朝とwwwwwwwww

まあ「畿天皇家一元史観」なんて今時バカウヨの中にしか存在しないんだがwwwww

年代遡上の急先鋒として名指しされる白石太一郎なんか
ヤマト政権は連合体制でその中で盟主権は移動したって言ってるんだぞ?www

972 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:36:53
>>963 大隈は薩末比賣を裏切った

確かにね〜、京田辺市の大住にある月読神社は、大隅から移住した隼人が祭る
神社で、大隅隼人は、隼人舞を天皇即位にともなう大嘗祭(だいじょうさい)
のときなどに朝廷で演じ、また合わせて大住にある月読神社にも奉納して舞い
伝えてきた、とされている。
http://www3.kcn.ne.jp/~mamama/kyoto/temple/kyoutanabe-tukiyomi-shrine-02.htm

大隅隼人は近畿天皇家に降伏して生き残った代わりに、服属儀礼を強制され
てきた。最後まで抵抗したのは薩摩隼人だったが、その代表者であった薩末姫
がどこにいたのかもわからないくらいに破壊し尽くされてしまってるってこ
とかなのかな〜。それで、薩摩隼人が祭ってた月読神社も破壊されたのかも? 薩摩地域の

薩摩地域の破壊された神社跡、あるいは、祭神がすり替えられてる可能性が
ある神社を探してみるべきでは? 以前の祭神は月の神だったなんて、言い伝え
が残っている神社が、探せば薩摩地域にあるのでは?

973 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:37:24
ちなみに邪馬台国九州説がバリバリの皇国史観 本居宣長 が言い出したと言うのは周知の事実。

で内藤湖南は本国中心主義として九州説を批判した。

九州王朝説のアホどもが畿内説を戦前の皇国史観の残滓の如く言うのは全くの逆で
その出自を考えれば

「てめえらこそ皇国史観の末裔だろう」とwwwwwwww

974 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:41:34
あはは、九州王朝説こそ、多元史観なんですよ。
おかしくて、反論する気にもなれませんが。

975 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 14:49:20

>>972の続き

それと、かぐや姫を戴く大隅隼人は三種の神器を持ってたので、近畿勢力は、
かぐや姫を文武天皇の正妃にすると言って懐柔したからこそ、大隅隼人は近畿
勢力と妥協したのでは? そして、その時に、かぐや姫を戴く大隅隼人が、近
畿の京田辺市の大住に移住してきたのではないか。

竹取物語によれば、かくや姫は竹(竹細工は隼人の特技の一つ)の中に入って
いたが、たった3ヶ月で美しい成人の女性になったという。そう言う物語設定
の中にも、そのことが暗示されているようだ。

しかし大隅隼人は、結局騙されて三種の神器を奪われ、かぐや姫が自殺したっ
てのが、竹取物語の背景にある政治の現実だったのでは?

……なんちゃって、奔放な空想を楽しむ土曜日です。

それにしても、「大隅隼人」と言っても何の感興も湧かないが、「薩摩隼人」
って聞くと、何か血湧き肉躍るような、遙か彼方を見つめたくなるような、
筋骨逞しい勇猛果敢な男性をイメージしたくなるような気がするってのは、
ひょっとして、このような過去の大隅隼人と薩摩隼人の違いが古代から言
い伝えられてきて、「薩摩隼人」って言葉は、そのようなシチュエーショ
ンで使い慣わされてきたためではなかろうか?

その言葉のイメージ、その言葉が使われるシチュエーションってのは、かつて
そのような状況が実際にあったってことの証ではあるまいか? 「言葉の中に
埋もれている過去の史実」ってところかな?


976 :971:2008/09/06(土) 14:51:53
>>971
>年代遡上の急先鋒として名指しされる白石太一郎なんか
>ヤマト政権は連合体制でその中で盟主権は移動したって言ってるんだぞ?www

上記に続けて自己レス。

もうこうなると「三朝交替説」も吹っ飛んじゃうわけでw
(王朝なる物自体が無いのだから交替も何も無いw)

天皇について語られる時良く出てくる

 「何故日本では『易姓革命』が取り入れられなかったのか?」

と言うのもその質問自体意味が無い。

まあアホの九州王朝説論者は必死になって
ヤマト皇国史観に取って代ろうと脳内闘争しておけってこったなwwwwwwwww



977 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:00:57
九州王朝説では、天皇も相対化してるわけです。
第一天皇自身が「真人」だったりするのはおかしいでしょ。
畿内説では説明が付かない無数の事象を、矛盾なく説明できるのが、九州王朝説です。

978 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:23:04
>>968
ちなみにだ・・・

神武ちゃんが貴種たる所以は、高天原に住まう神の子孫だからであって
九州に栄えた王国の王子だったからじゃないからなwwww

記紀にそんな王国の記述がアリマスカ〜?wwww

九州は神々の世界の高天原とヤマトを繋ぐ媒介・中継点。

「高天原は九州にあった」なんてアホは言わないようにwwwwwwww




979 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:24:44
>>975の続き

かぐや姫が大隅隼人の代表であって、3種の神器を持っていたとすれば、
後九州王朝の中心は大隅にあったのであって、伊勢神宮に相当する月読神社も
大隅地域にあって当然て、現在の月読神社がそれであろう。

とすると、薩末姫は、後九州王朝の勢力の中で、近畿勢力との妥協を拒んだ
一部勢力の代表であって、3種の神器はもっておらず、かぐや姫でもなかった
ということではないか?

大隅隼人は妥協したから、月読神社も残すことを認められたが、薩摩隼人は
妥協しなかったので、薩末姫の居所を始め、月読神社なども、近畿勢力に
よる討伐の過程で、徹底的に破壊されたのではないか? 

ところで、薩末姫を最後まで支えた久賣波豆・衣評督・衣君縣助督・衣君弖自美・
肝衝難波ってのは、どの辺りにいたんだろうね? 地域の中心地ってのは
古代から現代までそんなに変わるモノじゃないから、現代でもそれなりのまち
を形成してるのでは?

必要な条件は、海の近くかつ川の傍で(交通)、それなりに広い平地があり(生産力)、
山の麓であり(宮殿)、防御に優れてるってことかな? このような条件を
備えている箇所はたくさんあるだろうが、薩摩地域の中で、古代に栄えていた
と言われている箇所が、薩末姫の所在地だったのでは?、

980 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:32:18
>>977
>畿内説では説明が付かない無数の事象を、矛盾なく説明できるのが、九州王朝説です。

  ↓ ↓ ↓

 進化論では説明が付かない無数の事象を、矛盾なく説明できるのが、創造説です。

そりゃ全て
 
 「それは神様(=九州王朝サマ)の思し召し」

で済むんだから世話無いって話やねwwwwww



981 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:35:42
http://www.nicovideo.jp/watch/sm3905516
はじめまして突然ですみませんがこの動画を見て貰えせんでしょうか
この法案が通ってしまえば行き着く先は日本の破滅だけです。
横行する差別や暴動などの無用の混乱を招かせるだけです。フランスやチベットの例をみればこの法案がいかに悪法かわかる事でしょう
しかもこの法案をとうしたがっているのは何も民主党だけではありません
自民党などもこのふざけた法案をとうしたがっているのです。
絶対に看破して良い法案じゃありません、どうかにご協力ください
お願いします。あとニコニコ動画が見れないと言うかたはこちらにも目をいただけないでしょうか 
ようつべ版
http://jp.youtube.com/watch?v=1eS4fm6azwg
http://www.geocities.jp/kijyo2ch/sanseiken/kougisaki.html

982 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:43:17
畿内説って、矛盾だらけの思い込みで、漢籍や考古学を曲解し、
または無視していく作業の積み重ねなんだよね。
一種の宗教にすぎないんだよね。

983 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 15:54:27
>>978 記紀にそんな王国の記述がアリマスカ〜?wwww

その点は俺も、俺の主張の弱点として批判されかねないと十分承知してたから、
>>964でわざわざ、
 
 暗黙の内に(ってのは九州王朝があったと書くわけにはいかないのでね)

と書き込んでおいたのだ。つまり、>>978の反論を、俺は予め予期してたってワケ。
万世一系の天皇家一元史観で日本書紀を記述しようってのに、九州王朝が
ついこの間まで九州に有りましたなんて、書くわけにゃいかないから、
そんなことは書いてないのは余りにも当然。

しかし、書記の編纂が完了した720年頃の人達は、九州王朝が存在していた
ってことは、公言するワケには決していかないが、百も承知、二百も合点の
事実だったから、日本書紀は、その暗黙の周知の事実に乗っかって、貴種流離譚
を書き込むことによって、近畿天皇家の高貴さ・有りがた味を強調しようとし
たってわけだ。

日本書紀は九州について何も書いてないワケじゃなく、日向三代は筑紫の日向で
統治してたと、しっかり書き込んでいる。日本書記は、当時の読者に向かって、
読者が暗黙の内に承知している九州王朝と我が天皇家とは日向三代というルーツ
を同じくするが、しかし、古い時代に、我が先祖である神武天皇は貴種流離
して、この近畿ヤマトに移ってきたのであって、我々こそが本流なのだ、とい
うことを強調しようとしたのだった。

ッて仮説が一番確からしいと、俺は考える。

984 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/09/06(土) 16:00:34
現在この板では新スレッド規制になっています。
“ ※ 九州王朝はなかったのか? ※ 14 ” は、しばらくお待ち下さい。

985 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:36:22
>>983
「自分達の祖は九州王朝の人間としてハクを付けたい!」
 でも九州王朝認めるのは嫌だ!」

・・・だったら正当なる王位継承権を持つ王子サマが国を追われたとかのストーリーにしちゃえば良い話でw

応神・仁徳に始まる河内朝が悪逆非道を繰り返した武烈の代で終焉。
正当なる王統は応神5世孫の継体に受け継がれると言うパターンを何故使わないwwww


自分達の権威の源泉たる九州王朝を物質的にも徹底的に破壊し
記紀の中にも出さず、それでいて九州王朝のブランド力を借りようとしたと言うのは土台無茶な仮説wwwwwwwwww




986 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 16:57:27
まあ、まどろっこしいお話は止めて

 「じゃあ天孫降臨の地を畿内、例えば三輪山の天辺にでもすりゃ良いじゃねえか!」

と言う質問に答えるのならばだ・・・

今の皇室に繋がる継体は越・近江の地からやって来たのは周知の事実。
言わばよそ者w

もし天孫降臨を畿内にしちゃうと畿内の豪族達にハクがついちゃうwww
畿内に近いところでもその地の豪族にハクがついちゃって宜しくない。

んでいっそ九州に・・・と、言わば九州は 『 安全パイ 』 だったとwwwww

どう?極めて無理の無い仮説だと思うんだがwwwwwwwwwwwwww


987 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:19:09
>>985
(その1)
> ・・・だったら正当なる王位継承権を持つ王子サマが国を追われたとか
のストーリーにしちゃえば良い話でw

そんなストーリーよりもっとステキな、王位継承をした神武天皇が、近畿ヤマトに
やってきたってストーリーに、日本書紀はしてある。

>応神・仁徳に始まる河内朝が悪逆非道を繰り返した武烈の代で終焉。
正当なる王統は応神5世孫の継体に受け継がれると言うパターンを何故使わないwwww

そのストーリーは、>>985なり後世の学者なりの自己流解釈であって、
日本書紀自体は、神武天皇の血脈が連綿として続いているという記述を
しつこく、しつこく、しつこく、〜(以下無限回くりかえし)、書き込んでる。
父が○○天皇で、母が○○の女だって書き込んで、血がつながってることを
強調している。
 途中で断絶してるなんてストーリーは、書記編纂時点の天皇の権威を落とす
だけでなく、日本を再び戦乱のちまたにする可能性を高めるだけと考えたので
あろう、そんなアホなストーリーは、日本書紀は決して記述しなかった。それは
当然だと俺は考える。万世一系とすることによって、近畿天皇家の権威を高め
ようとしてるのに、何が嬉しくて、途中で断絶してるなんてことを書かなきゃ
ならん?

>自分達の権威の源泉たる九州王朝を物質的にも徹底的に破壊し

いやさ、俺の書き込みを良くよめばわかるように、自分たちの権威の源泉とし
ているのは、当時の読者の脳裏に刻まれてる光り輝く九州王朝であって、
その九州王朝のはるか昔の先祖である日向三代を、我が近畿天皇家は同じく
先祖としているのだ、と書き込んであるのであって、権威の源泉は、読者の
頭の中にある九州王朝のイメージ、および、はるか昔の日向三代なのだ。
当時存在していた九州王朝の物質的証拠を破壊したって、その日本書紀の記述
の言わんとするところは、読者には十分伝わったのだ。

988 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:20:07
>>987の続き)
(その2)
>記紀の中にも出さず、それでいて九州王朝のブランド力を借りようとしたと

この点については、上に書いたことで足りてる。つまり、九州王朝のルーツである
日向三代はしっかり記紀の中に出しており、それをルーツしていると称していた
であろう九州王朝のブランドは、読者の頭の中にしっかりあったのだからね。

それに、日本書紀が頼りにしたのは、読者の頭の中にある決して公言してはならない
九州王朝のブランドであって、九州王朝の物的証拠ではないのだ。球種王朝の
物的証拠は、逆に、日本書紀にとっては邪魔である。

日本は、神武天皇以来、ず〜っと近畿天皇家がヤマトで統治してきたのであって、
それ以外ではないってのが、日本書紀のオモテの記述だから、九州に紫宸殿や
内裏って呼ばれてた建物が残ってちゃ、ホントに困るのだ。そんなことしてたら、
貴種流離譚が怪しまれるどころじゃない、近畿天皇家一元主義自体がウソって
ことがバレちゃうのだ。

九州王朝の物的証拠が残ってた方が貴種流離譚の信憑性を高めるかも知れないが、
他方で、近畿天皇家一元主義がウソってことが一発でバレちゃう。そんなものは、
いくらなんでも、残しておくわけにゃいかんだろう。

989 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:26:15
>>987
>そんなストーリーよりもっとステキな、王位継承をした神武天皇が、近畿ヤマトに
>やってきたってストーリーに、日本書紀はしてある。

デ タ ラ メ を書くなwwww

神武が即位したのは橿原だぞ?wwwwwwwwwwww


990 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:32:04
>>987
あのなあ、、、

「イメージ」つったって当時九州王朝の存在の証があったのなら
「イメージ」じゃあ済むかよ!って話でwww

九州王朝の残党その子孫がウジャウジャいただろうに・・・

そんな中で自分達が滅ぼした相手をヨイショするのは何処のアホですか?wwwwwwwww

991 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 17:38:15
>>988
>九州王朝のルーツである日向三代はしっかり記紀の中に出しており

所謂「日向神話」は海幸・山幸の「釣り針捜索型神話」とかは海外にそれと類似した物があり

ニニギの不細工な姉と可愛娘ちゃんの妹の二択なら
海外だと神からの贈り物で石とバナナの二択だったかな?

何れにせよ創作されたお話だよwwww



992 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:04:08
>>989

>デ タ ラ メ を書くなwwww
神武が即位したのは橿原だぞ?wwwwwwwwwwww

確かにな。兄の五ヶ瀬命がチヌの海で死んじゃったからな。ま、神武東侵説話
=貴種流離譚の大勢に影響ない。それにな、そもそも、神武東侵説話=貴種流離譚
ってのは、近畿説論者が自ら言い出した説だってことを忘れるな。神武東侵説話は、
貴種流離譚じゃないって主張は、近畿説論者にとっては、天に唾する行為だっ
てことを忘れるな。

>>990が書いてることは、ノープロブレムだ。720年頃には、九州も制圧して
安定した支配期に入ってた。三種の神器も手に入れてた。九州王朝の残党が
ウジャウジャいたって、大丈夫と見極めた。だからこそ、九州王朝が影も形
もない日本書紀を公表したのだ。

それにヨイショしたのは、九州王朝のルーツであり、近畿天皇家のルーツでもある
と主張している日向三代をヨイショであって、九州王朝そのものではない。
九州王朝そのものは、日本書紀のどこにも書いてないのだ。あくまで読者の頭
の中にある、決して公言してはならない、九州王朝のイメージを書記は利用し
たってだけのだ。

993 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:20:02
>>992
>近畿説論者が自ら言い出した説だってことを忘れるな。神武東侵説話は、
>貴種流離譚じゃないって主張は、近畿説論者にとっては、天に唾する行為だっ
>てことを忘れるな。

まあ 近畿説論者って俺一人の言った事を全部に押しつけないでくれる?w

俺それほどおごったバカじゃないしwwwwwww

お前が寝られないと愚図ってるもんだから蓋然性のある仮説を出血大サービスで言ってやったまで。

それに貴種つっても「九州ブランド」じゃなくて「高天が原ブランド」だからw

畿内から遠く離れた九州は高天原と畿内を繋ぐに丁度塩梅がよかったんだよとwwwwwwwwww


994 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:26:27
>>992
うわあ、これは間違いない。 宗教だ。
気持ちわる〜い。

995 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:31:57
俺が言った「貴種漂流譚」を分かりやすく書いとくねw

高天原の神の子孫=天孫 の 『貴種』 たる神武が

畿内より遠く離れた九州から畿内に 『漂流』 してきました。

・・・ってお話でヨロwwwwwwwww

996 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:39:15
>>992
>九州王朝の残党がウジャウジャいたって、大丈夫と見極めた。

そこまで大丈夫な状態だったら九州王朝の栄華を書けば良いwww
でそこの王子サマが神武とすれば話も膨らむwww


>日向三代をヨイショであって

>>991で言ったように日向神話は日向のオリジナルとは考え難い。
オリジナルのストーリーが無かった=日向三代なんてものが元々存在しなかった
・・・と考える方が蓋然性の高い仮説だなwwwwwwwwww


997 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 18:57:57
無理無理に九州王朝があったなんて前提で考えるから、いろいろ変な事ばっかし言わなくちゃならなくなるんだよ。
だいいち、九州王朝があったなんてどこにも書いてないし。

998 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:00:16
まあ神話から九州王朝を組み立てるのなら

出雲王朝も組み立ててやれよとwww



999 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:01:26
話を整理しよう。

(その1)
問題の発端は、天皇家が近畿ヤマトで自生したとする近畿説に立ったときに、
その天皇家が自ら作った日本書紀に、天皇家の祖先が九州から来たとなぜ書
いてあるのか、その理由を近畿説に立ってとうやって説明するか、というも
のだった。

この疑問に対して、それは、近畿天皇家が高貴であり、有り難みがあるとする
ために、貴種流離譚として九州からやってきたと書いたのだ、というのが
近畿説論者の唯一のまともと感じられる説明だった。

確かに神武東侵説話は、神武天皇が苦労を重ねるが、その都度、神の恩寵を受
けるというストーリー展開となっており、貴種流離譚の性格を濃厚にもってい
る。そこで、神武東侵説話はホントウに貴種流離譚であると仮定してみよう。

その時、新たな疑問として出てくるのは、貴種流離譚のもう一つの性格である、
高貴性・有りがた味性である。貴種流離譚ってのは、そのストーリーの主人公
が他の者とは違って、高貴であり、有難い存在なのだと言うこと人に訴える
ためのストーリーなのだ。ところが、近畿説では、近畿天皇家は最初っから
他を寄せ付けない無比の、高貴かつ有難い存在とされているのだ。それなの
に日本書紀は、何を好きこのんで、わざわざ貴種流離譚に仕立て上げたのだっ
てことが、疑問になってくる。

1000 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 19:08:25
>>999の続き)
(その2)
その疑問は、天皇家は最初から唯一無比の存在であったとする近畿説では、
どうしても説明できない疑問なのだ。ところが、九州王朝が存在していた
ってことが読書の脳裏にしっかり残ってると言うことを前提とすると、
突如、その疑問がスッキリと解決するのだ。つまり、公には決して言えないが、
読者の頭の中にあるあの九州王朝に比べて、近畿天皇家の方がより高貴な
在りがた味のある存在なのだと言うことを、読者にアピールするために
日本書紀に書き込んだのだと理解すれば、すっきりする。

そして、その際、九州王朝の物質的証拠をぶち壊しても、さほど問題にはなら
ない。というのは、九州王朝が存在していたと言うことは読者の頭のなかにし
っかりインプットされてて、物証が無くても困らないからだ。

他方、日本書紀の最も重要な主張である近畿天皇家一元主義にとっては、九州
王朝の存在を示す物証、例えば、紫宸殿や内裏成ってのが存在してるのは、
全く困ることなのだ、貴種流離譚にとっては、それらがあった方がよいかも
しれないが、貴種流離譚の信憑性よりはるかに重要な近畿天皇家一元主義が
パーになったのでは、元も子もない。だから、九州王朝の物証を廃棄したのだ。

はるかに時代が下って、九州王朝が存在していたことが人々の頭の中から消え去
った今日でこそ、近畿論者は、日本書紀がなぜ先祖が九州からやってきたと
書いているのかの説明に苦しむが、当時の読者はちっとも困らなかったのだ。

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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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