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【石田】 関ヶ原の戦い 十五 【三成】

1 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:18:54
過去スレ
【石田】 関ヶ原の戦い【三成】
http://academy.2ch.net/history/kako/1029/10297/1029702262.html  (消失)
【石田】 関ヶ原の戦い 弐 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1043182426/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/history/1056815897/
【石田】 関ヶ原の戦い W 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1084261407/
【石田】 関ヶ原の戦い V 【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1102935074/
【石田】関ヶ原の戦い 六【三成】
http://academy3.2ch.net/test/read.cgi/history/1115166136/
【石田三成】 関ヶ原の戦い 七 【福島正則】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi?bbs=history&key=1124498701
【石田】 関ヶ原の戦い 八 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1126539399/
【徳川】 関ヶ原の戦い 九 【毛利】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1128328526/
【家康】 関ヶ原の戦い 十 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1130423030/
【家康】 関ヶ原の戦い 十一 【三成】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1132215615/l50
【家康】 関ヶ原の戦い 十一【家康】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1138802110/
【三成】 関ヶ原の戦い 十二 【秀秋】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1154780300/
【石田】 関ヶ原の戦い 十三 【三成】
http://academy5.2ch.net/test/read.cgi/history/1163941446/l50
【金吾】 関ヶ原の戦い 十四 【刑部】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1169902053/

2 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:19:29
戦国時代板
【西軍】関ヶ原の戦い総合スレ11【東軍】
http://hobby11.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1194438306/

3 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:36:35
>家康の部隊は夫丸でつじつま合わせをしなかったら、とても2万5千なんて数字は出てこないだろう。
>
>秀忠隊が3万強だろう。関東地方の譜代大名たちの城の城番の兵士。結城秀康の指揮下にある上杉・佐竹連合軍に対する防衛軍。
>江戸城の留守部隊。さらに明け渡された東海道筋の10城の城番。
>これだけ兵隊を配備したあとに、どれだけ家康が引き連れられるまともな軍隊が残ってると思うか。

秀忠隊三万八千にも信濃の外様大名が加わってるし、秀康隊二万も下野の大名や里見がいる
因みに250万石に三人役で七万五千、五人役で十二万五千

4 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:41:43
結城秀康の所領の15万石は一応徳川家とは別

5 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 00:30:43
忠吉も別

6 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 00:50:42
忠吉は徳川家の所領に含まれてる、秀康のは結城家、別家。

7 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 02:24:15
>>3
>250万石に三人役で七万五千

会津征伐、関ヶ原合戦の軍役人数が三人役だが、
軍役人数は石高が増大するにつれて逓減曲線を描くのが普通だから、
このような数字にはならない。



8 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 06:44:25
>>7
三人役の根拠は「日本戦史」が島津の書状を基にしている
これは西国の基準だから、東国の徳川はもっと多い


9 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 08:05:46
>>6
家康の3万とは別でしょ?

10 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 08:07:28
>>7
逓減曲線
7.5万だとどれぐらい減るのか?

11 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 08:13:31
家康隊が本隊だよ
大名だけでは戦えない

12 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 09:11:38
今月の歴史街道を読め
加藤清正特集だぞ

13 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 09:48:21
>>12
べつに清正に興味無いし

14 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 10:45:55
三人役でも五人役でもいいけど、無高分を引き算しなくていいのか?

15 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:11:17
>>14
書いた参謀本部でさえ、目安にすぎないと言ってるのに、
そんな細かいとこまで、云々する意味なし

16 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:24:00
年収○○○○万ならコレくらいの生活レベルが送れるみたいな目安だからんな細かいこと気にしても

17 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 17:30:31
>>8
それは会津遠征を前提としての話。
美濃国関ヶ原が主戦場となるからには動員力は東西逆転する。

18 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 18:02:57
>>8
関が原の西軍は会津征伐を前提として出陣している軍勢なのですが。

19 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 18:51:54
>>3
実際には慶長三年(1598)時点では
伊豆(7万)相模(19万)武蔵(67万)上野(50万)下野(37万)下総(39万)上総(38万)
を合計すると257万石(関東ではない伊豆を除くと250万石)だが、
下野では蒲生(18万)成田(3.7万)佐野(3.9万)など他大名が多く、
下総では結城(10万)、上野では真田(2.7万)などもあり、
その他の徳川以外の小大名を合わせて250万石から引くと、実質の徳川の石高は200万石程度、
徳川家でも「虫食いだらけの領地」と言っていた。
150万→200万なので関東への移封は厚遇とは言えないだろう。


20 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 19:24:58
>>19
当代記では250万石となってる
徳川家の検地は所謂、太閤検地とは異なる点があるので留意されたし

21 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 19:38:36
>>20
因みにこれ文禄三年(一五九四)

22 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 19:50:22
>>20
なるほど、徳川検地ならわからんでもない?
実際に徳川の検地は水増しで、たとえば毛利の1間(6尺)と徳川の1間(6尺)
では毛利(毛利は標準より長い)のほうが大分長く、徳川は当時の標準よりも短かかった。

23 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 20:37:19
文禄三年と慶長三年はそれぞれ関東領国の総検地が行われている
といってもこの前後毎年のように検地は行われており、しかも方法も異なる
そういうわけで単に検地竿の長短で水増しと断じるのはあれかと

24 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 22:46:10
>>18
石田は動員をかけているようだ
場所的には、東海道の武将が動員をかけやすい

25 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:14:53
東北は石高の割に動員可能兵数は少ないような気が

26 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:27:53
家康の本隊が2万5千として(どういう構成か知らんが、いたとして)、
それが戦力として有効かどうかは、しょせん実際に戦ってみて実績をあげるしか判断のしよもないことだろう。

2万5千のうち、どうして1万ぐらいを割いて前線投入しない。
東軍圧勝ではなくて、西軍戦線を突破できなくて苛立っている状況だろう。
そんな状況で、1万ほども割いて投入することもしないというのは、
戦力として無能力であったと判定するほかないだろうに。



27 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:36:52
>>26
それは>>18がいうように関ヶ原の事なんて全く考えてなかったから、戦力外の兵数が水増しされてたんだろ。納得した?

28 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:44:42
>>26
3万のうち、少し投入しようとしていたようだ 1万ぐらいか?
確かに西軍を粉砕できないで苛立っていたと言うことはある
勝てると思ったから、戦端を開いたわけで

本当に無能力ならば、連れて行く必要はないのだが

29 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:46:08
やっぱ水増しか

30 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:50:10
>>28
東軍豊臣武将たちの手前、かっこつける必要もあったんだろう

31 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:59:04
>>30
いや無力だった場合、侮られるよ

32 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:21:00
>>31
だから戦いに参加しなかったんだろう

33 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:22:42
>>32
無力なら闘わなくてもわかる

34 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:26:16
それはどうかな

35 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:27:04
簡単だよ

36 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:28:57
どんな無能な軍隊でも行進パレードぐらいは結構ハデにできるからな

37 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 00:30:22
本当は徳川だけで勝てた

38 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 06:34:07
そろそろ願望でもの語るようになってきたな

39 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 07:45:28
全くだ

40 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 09:26:13
>>24
宇喜多や立花もかなりの動員では?
毛利ももちろんだが。

41 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 09:47:42
>>40
負けた西軍は東軍以上に不明な点が多く、わからんとしか言いようが無い

42 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 10:00:08
立花宗茂が4千の兵を動員していたことは、島津義弘の書状の中に記されている。

43 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 14:40:22
>>42
それなら、三人役が当てはまるな

44 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 18:11:03
小早川秀秋は8000、宇喜多秀家も8000とそれぞれ書状ではある

45 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 20:13:11
立花って指示されたより多く連れていったんじゃなかったか

46 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 20:26:12
>>44
小早川は減封のごたごたで問題があった可能性あり
宇喜多は宇喜多騒動で先鋒が東軍に付いた影響でしょう
そう考えると大谷に小早川が苦戦したり、宇喜多が福島と互角の勝負に
「なってしまった」のも納得できる

47 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 20:31:57
大谷に小早川が苦戦した話も宇喜多が福島と互角の勝負も話半分。
宇喜多の相手は福島だけではなく大谷は時間的に小早川が動いてからすぐに崩壊している。

48 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 22:51:56
>>44
宇喜多8000てことはないだろ
正しい主力は東軍にいたのは事実

49 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 22:52:43
>>47
小早川を撃退したが、続く4将の攻撃も受けて崩壊した

50 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:00:27
>>49
講談レベルの話、信憑性なし。


51 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:09:06
>>48
但し主力は〜 が正

52 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 23:20:14
小早川が動いてからすぐ崩壊というのは講談の話
そもそも山に布陣しているのだから、そんなに簡単に総攻撃に入れない

53 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 02:10:06
基本的に歴史(書)は勝った側からの語り、記述が殆どだから、
そのあたりの割引前提で考えないと

勝者の話で残ってるものは話半分
敗者側の話は判官びいき的な物以外は信頼度高し

54 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 09:18:17
>>46
宇喜多が福島と互角?
福島は序盤で大敗走でしょう、ただ追撃しなかった理由の一つになるかも。

55 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 09:19:28
小早川に関しては松野の職場放棄や戦目付けの戦死などの事実もあるからな

56 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 10:54:01
大谷が小早川撃退したとか戦目付の戦死とか軍記大成の鵜呑み杉。
山に布陣してるから攻撃入れないとかどこのトンデモ説なんだと。

57 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 11:02:12
問鉄砲とか信じてる奴多そうだな

58 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 12:37:05
問鉄砲なんか無かったという奴は多いが誤り

59 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 13:28:54


60 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:25:57
>>56
山に布陣するのと平野と同じとでも?

61 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:26:18
>>56
実際に死んでいるのをしらんのか?

62 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 02:09:43
正直、関ヶ原に実際にいた人間の残した記録から類推するしかないだろ。
それでも関ヶ原の場合、資料は残っているほうだし・・・。

大谷と平塚のエピソードは好きだけど、「本当かいな」といったら
また別問題だし。

63 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 18:17:18
>>60-61
それで?死んでるから?

>>62
そうだよね。

64 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 02:28:40
>>63
死んでるから撃退された

65 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 02:32:41
戦死は事実だが秀秋の軍目付、秀秋の陣にいたなんてのは奥平家譜の捏造
どっちで死んでも大した違いないからそのままなだけ



66 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 02:37:43
>>65
秀秋の陣ではないのなら、藤堂の陣にでもいたのか?

67 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 02:42:46
>>65
黒田の目付は?

68 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 22:10:18
>>65
奥平が捏造する動機・意図は?

69 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 09:14:01
>>56
>>65
全く何を言いたいのかな、死んだのは嘘みたいにかいといて
今度はどっちでしんでも関係無いて、頭大丈夫かい。

70 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 09:59:22
死んだのは事実だが、小早川秀秋の目付になって戦死したのが嘘だということ
頭悪すぎだろ

71 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 11:59:11
秀秋の軍勢が下山して攻撃するのに何時間もかかったと電波飛ばすのがいるが、
それより数倍いた大垣の西軍は夜間に敵と遭遇しながら4時間で大垣からそれぞれ布陣しているのをどう説明するんだろう?

72 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 12:15:57
とりあえず平地や街道をいくのと山道をいくのは全然違う
山道の勾配や道の幅なども考慮にいれないとなんとも言えない
実際にいったことある奴でしか語れないかな

73 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 12:25:22
実際に行った人間なんて今まで何人もいるけね。
付け加えるなら、実際にその場にいた人間でしか語れないと言うようになり、それで結論付ければ攻撃するのに
何時間もかかった様には誰も書いてない。

74 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 14:28:52
実際に行けばわかったつもりで語れると思い込んでるのがいるな

75 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 15:58:18
本陣は山頂にあっても、先鋒部隊は麓近くに布陣しているのは当たり前。
それで先鋒と大谷隊と二度、三度と攻撃・防戦・再攻撃をくり返しているわけだから、
そのうちに中備や本隊が下山攻撃してくるというのは何の不思議もないこと。

76 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 16:23:12
>>65
奥平が捏造する動機・意図は?


77 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 17:24:39
家康が小早川隊に鉄砲撃ちかけても松尾山の山頂まで聞こえる筈がないから、
鉄砲ではなく大砲を山頂へぶち込んだに違いないとかいうトンデモ説をぶってた奴がいたな。
秀秋に命中したらどうするつもりなんだ(笑

78 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 19:49:23
>>76
そんなの捏造した人間にしかわからんだろ


79 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:23:59
>>77
藤本まさゆきセンセw

80 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:55:44
>>75
だからと言って、山と平野が全く同じとは言い切れん

81 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:56:15
>>78
わからんのなら、動機は存在しないかもしれないぞ

82 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:57:11
>>77
そのときはそのときと思ったんだろ
そもそも家康も敵陣近くに出張っていてそれこそ流れ弾でも当たったら大変なことに

83 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:27:30
動機がないのなら、実際に小早川の陣にいたのかもしれないぞ

84 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:43:30
>>82
家康が小早川の本陣に大砲ぶち込んだと信じているのかw

85 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 01:35:57
他の軍監と共に福島などの先陣にいたんだけど>奥平貞治

>>78
動機が特定出来ないだけで、家譜の捏造なんて大量にあるんだが、
それも特定出来ないだけで事実かもしれないとか電波飛ばすの?
林羅山すら採用しなかった電波な逸話なのに

86 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 08:58:32
>>85
特定できないのか
それとも全く不明なのか
全く不明なのなら単なる間違いかもな
特定できないだけなら、いくつかの可能性が考えられる

87 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 20:25:02
>>86
動機が特定なんて出来る訳ない
家譜捏造している理由をはっきり書き残してる大名家などあるのか?

後世の歴史家などが勝手に推測や憶測で理由を書いているだけで、
それで特定できたなどと勘違いしてるのか?

>全く不明なのなら単なる間違いかもな
>特定できないだけなら、いくつかの可能性が考えられる
不明なら間違いで、特定出来ないなら可能性とか意味がわからない。

88 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:24:08
>>87
理由がわからないのなら、なぜそんなことをしたのかということなんだが
そんなこともわからないのか?

単なる間違いかも知れないぞ
捏造と断定する根拠は何か?

89 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 02:13:01
資料の裏付けの無いことをあれこれ語っても時間と資源のムダ

90 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 11:46:10
>>89
では資料の裏付けを出してもらおうか

91 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 18:47:31
>>88
理由はどうとでも考えられるから、捏造した人間にしかわからないということだ。
そんな事もわからないのか?

単なる間違いって何を単に間違えるのか?
捏造と断定する根拠は、始末記などには秀秋が裏切る前に死んでるから。
逆に捏造じゃなく事実と言う根拠は?事実とする根拠なかったら捏造だぞ。
と言うか書かれてる内容読んで事実と思ってるのか?


92 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 21:39:45
資料なしで歴史を語るんだったら、何でも語れる。
何でも語れるようなものは、歴史小説ではあっても、歴史の真実とはほど遠い。


93 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 23:53:55
>>91
どうもおまえは理論が破綻しているようだ
自分だけが絶対に正しく、他人は馬鹿だという愚か者の典型だ

始末記が正しいとする根拠は?

おまえは原文を読んでいるのか?

94 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:27:23
>>93
理論ではなく事実、原文と言う言い方が意味不明だけど、奥平家譜もそれをそのまま採用した関ヶ原軍記大成も、
関ヶ原始末記も普通に読めるよ

>始末記が正しいとする根拠は?
始末記などと書いてるのだけれど・・・史料の信憑性の問題で、奥平家譜にしかその事が書かれていないから
他にそれを裏付ける記録がなく、だから始末記にさえ採用されなかった
史料と言うのは他の史料との比較検証した結果だと言うのを覚えようね

福島などの陣で死んでいようと、秀秋の陣で死んでいようと、関が原合戦に何の影響もないから、
どっちで死んでも大した違いはないから、扱いはそのままなだけって訳だ
で、おまえは人の否定ばっかで自分の正しさを証明するモノはあるの?
このままだと馬鹿だという愚か者の典型になっちゃうよ

95 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:52:18
>>94
奥平家譜には何と書いてあるのか?原文で。
原文というのは、もともとの紙に書いてある字ということだよ。
平仮名なんて使ってないだろ。

96 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 00:58:03
>>95
だから・・・原文と言うのは、漢文表記の読み下し文を言うのか、原本そのままを言うのか意味がわからんよ

>平仮名なんて使ってないだろ。
・・・これが一番意味がわからない・・・困った

97 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:02:45
もともとの紙に書いてある文字なんだが
わからないか?
当時の紙だよ

原本なら、原本でいい
原本に何と書いてあるのか?

原本で平仮名、使用しているのか?

98 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:06:43
原本見れないよ、見たのは翻刻した読み下し文

で尚更意味がわからないのが>原本で平仮名、使用しているのか?
読み下し文と書いてるので、漢文だと言う認識してくれると思ったけど・・・

99 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:12:07
>>98
だから原文でどう書いているのかときいたんだが?

100 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:16:03
>>99
こっちに全文書けと?

自分の正しさを微塵も証明せずに、内容も知らずに、他人に対して
「自分だけが絶対に正しく、他人は馬鹿だという愚か者の典型だ」と書いたの?

101 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:20:32
>>100
全文書けとは書いていないのだが?
当然ポイントとなるとこだよ
その程度もわからないのかい
書いてみろよ

102 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 01:25:45
>>101
自分の事を棚に上げて、書け書けとしか煽らないヤツに書く理由が無い
ポイントってそもそもどこまでをポイントと言うのか?
内容を知らないからそんなアバウトな言い方しか出来ないんだよ

見た事も無いものを事実認定して他人を罵倒するような輩では話にならんね


103 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 10:57:37
>>102
資料うんぬんははったりか

104 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 18:46:24
>>102
話にならないので、そう思っていいぞ
呆れて続ける気にならない

105 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 20:34:09
>>104
まあそんなもんだろうな

106 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 21:01:23
>>105
ちなみに東大のデータベースで見れるよw

107 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 21:14:42
>>106
へええ
20へえ

108 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 21:31:09
戦国板にもいる荒らしだから放置しろよ。>104

109 :岐阜中納言:2008/07/18(金) 09:18:59
あげ、

110 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 11:04:45
短期で終わったのは三成ら前線司令官たちが徳川が毛利に代わるのを嫌って
決戦を急いだから?
三成が大坂へ撤退しようとせず佐和山に向かおうとしたのはなぜだろう

111 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 12:24:42
佐和山へ行こうとはしていない
東軍の西進を阻止しようとした

112 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 12:46:20
敗北後です

113 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 12:53:49
敗戦した以上大阪に逃げてもどうしようもない。捕縛されて突き出されて終わりだろ。
佐和山は自領だからまだなんとかしようがある。(かも知れないレベルだけど)

短期で終わったのは西軍の統制がとれてなくて簡単に崩壊したからじゃね。

114 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 13:04:53
大坂よりは佐和山の方が再起しやすいと思ったんじゃないか
大坂の方が逃げやすいと思うが
しかし島津は無理矢理大将を落としたが、石田は残念だったな

115 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 13:14:41
>>113
捕縛はされない
立花らもされていない

116 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 14:33:56
だって三成は事実上の戦争主導者(つまりA級戦犯)と見られてんだから立場が違うでしょ。

117 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 14:36:18
追加。大阪としては誰かのせいにしないと豊臣が戦犯になってしまう。それだけは絶対に避けねば
ならない。

118 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 14:45:56
この戦いは大阪に篭城すれば自然に秀頼、毛利が主役に代わるから石田は困る。
石田が権力目当てに利用しただけの一戦だった。
最初から意図を見抜いた西軍はやる気もなければ勝つ気持ちもなかった。
石田の忠義など嘘っぱち。

119 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 15:21:07
小早川秀秋

120 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 20:38:06
石田は忠義の士だった
本当は無理鎗大坂を巻き込めば良かったのだが、秀頼を巻き込むことを
避けるためにそうはしなかった

121 :高校生:2008/07/21(月) 10:59:13
夏休みの宿題で関ヶ原についてまとめています
ここにくれば詳しいことを教えてくれると聞いて来ました
さっそくですが
どう考えても1万5千いるようには思えない田辺城攻撃軍の正確な編成を教えてください

122 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:02:14
>>110
大垣での孤立の回避と小早川の裏切りの阻止が定説、そちらは俗説。
>>118
最初から意図を見抜いた西軍??て何



123 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 17:04:09
もし三成の意図を見抜いてやる気をなくしていたとすれば、
そのためだけで身を滅ぼした諸将は馬鹿そのものだな。

大谷は見抜かなかった? それとも見抜いた上で奮戦した?

124 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 17:42:13
>>121
これでも読んでろ。

http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sekigahara.html
http://homepage1.nifty.com/SEISYO/seki-ni.htm


125 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:51:29
天下分け目というのは、関が原でなく、小牧長久手、のほうだったんだろな。


126 :高校生:2008/07/26(土) 07:16:43
>>124
ありがとうございます。しかしこの内
木下家定は東軍・西軍のどちらにも属さず中立を保ち、京にあって妹の高台院の警護を務めてますよね
木下延俊も東軍・西軍のどちらにも属さず父に代わり姫路城に篭城中ですよね
生駒一政(一正)にいたっては東軍で小山にいるはずですよね
いずれも田辺城攻めには関わってませんよね
残りは

小野木縫介重次(丹波福知山城主) 930
谷出羽守衛友(丹波山家城主)480
石川備後守貞通(不明)300
川勝右兵衛秀氏(丹波の内) 300
藤掛三河守永勝(不明)390  
長谷川丹後守勝富(越前の内)
高田河内守 300 
森勘八高政 (毛利高政) 600 
早川主馬助長政(豊後府内城主)300
杉原伯耆守長房(但馬豊岡城主)900
別所豊後守重友(丹後綾部城主)450
山崎左馬介宗盛(摂津三田城主)600
小出出羽守吉政(但馬出石城主)1800
赤松左兵衛広道 660
 
となりますが、一万にも満たない数ですよね
15000ってどこから出てきた数字なのでしょうか?
また、長谷川勝富って誰ですかね、越前にそんな小大名いましたか?

127 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:30:45
横から悪いが、ざっと10万というのが実際は2万ぐらいであるように、
数なんてかなりいい加減。
しかも全員が兵ではなくその他もろもろまでいれたら戦闘員よりかなり多く
見えるもの。

がんばっておくれ。


128 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 09:53:45
>>126
近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/
に参謀本部の日本戦史 関原役があるがこれら大名単位の兵力は
仮に決めたものだから、絶対視しないこと

129 :高校生:2008/07/26(土) 14:53:46
>>128
ありがとうございます。
生駒正俊は東軍の生駒一正の息子ですね
生駒親正は讃岐国に在国で生駒正俊を田辺城攻めに派遣したのですね
田辺城攻めに参加した生駒正俊の兵力はどのくらいでしょうか?
生駒家の動員兵力が5100で生駒一正が1830名率いていますよね
3000ぐらい率いていたんでしょうか?

また前田茂勝は田辺城攻めに最初から加わっていたのでしょうか?
後陽成天皇が勅命を伝えるために派遣して、あくまでも使者としてその時初めて田辺城に訪れたのではないのですか?

130 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:26:23
パソコンに齧りついていないで、少しは自分で調べてみろよ。
そんなんじゃ、社会に出ても使い物にならんぞ。

131 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:52:03
いやいや、高校生にしてはたいしたもんだ。

疑問を持つ、という姿勢は素晴らしい。
ただそれが、丸暗記すれば東大に入れる、につながると
歴史そのものがかわいそうだけどね。

ところで最近は動員数を下フタケタまで出すのか。ちとびっくらだな。
128が言うように、石高からの逆算としたら全く無意味だと思うのだが。

132 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:00:16
だとしたらって・・・普通に石高からの逆算だよ、そう書いてあるよ
書状にある兵数で言うと、小早川や宇喜多は8000程度の軍勢になり、
公家の日記や書状でなら関ヶ原の東西両軍の総勢は4〜5万ほどとなったりね

133 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:35:28
関ヶ原の家康本隊も江戸出陣時は三万三千弱だが、東海道の押さえや
岡山等に置いた兵、更には忠吉隊を引けば二万前後という感じだし

134 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:59:03
http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html
後、ここで大日本史料の稿本が閲覧できる(刊本はしていない)
恐ろしく読みにくいが根性出して頑張んなさい

135 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 03:32:15
http://www.shinshindoh.com/tanabejyo.html
これが一番正確な資料だ
篭城側は個人単位で明記してある

136 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 10:42:31
>>135
出典元も書かれてないものをどうして一番正確な資料と言うのかな?

137 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 11:12:46
>>136
不正確であることを検証する責任は、否定的な論を展開する君自身にある。
それに、出典は記載されているぞ。

138 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:23:46
>>137
>不正確であることを検証する責任は、否定的な論を展開する君自身にある。
>それに、出典は記載されているぞ。
どう一番正確なのか検証も証明もされてないのに、言い切ってる>>135にあるんだぞ、これ常識、頭悪すぎ
そして出典は記載されてるとあるが、参考文献・文書とあってどれから何を参考にしたのか書かれてない
他にも家記などある田辺城関連の史料の中で、これだけ採用してる、選んだ理由も書かれてない

1サイトの事を、何の疑いもなく「これが一番正確な資料だ」と言い、否定するなら論をと意味不明な発言する>>137の、
頭の中が疑われる

139 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:31:55
>>138
なんだ、いつぞやのソース厨のお出ましか。
ガンガレよ。

140 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:42:03
>>139
なんだ、いつぞやのソースもない電波発信してたリア厨か、さすが夏休み、またお出ましか
ていうかガンガレってw



141 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 09:11:28
歴史スレは138みたいなの多いなー。
一番正確、ってその人がそう判断したならそれでいいじゃん。
やったら、ソース出せ、って歴史は暗記科目じゃなくて
解釈、判断も重要なんだから、そういう自分の頭で判断した
カキコにはもっと敬意を払ったほうがいいぞ。

142 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 10:41:21
>>133
余談で悪いがNHKその時では関ヶ原の家康2万、秀家1.7万て言ってたね。
本当なら殆ど戦力差無し、

143 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:00:42
>>141
歴史スレ?史学系では出典・根拠提示は当然だぞ。
解釈・判断する根幹となるものだからね。

>そういう自分の頭で判断したカキコにはもっと敬意を払ったほうがいいぞ。
どういう判断したかもわからない根拠もないレスは信用されない。
でなければ書いた者勝ちになるから。
特に>>137みたいな証明もなしに自らを正しいに主張するレスなんて論外だよ。

144 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:18:45
>>143
どうでもいいけど、高校生くんにしたら
うれしいのじゃないの、135みたいなのは。
それが一番正確かどうかはまた彼が判断すればいいのだし。
ほんで、「どうして一番正確なんですか」には135も「自分でそう判断した
だけだ」でいいんじゃないの?

138では話が飛躍して「どう一番正確か検証も証明〜」
なんて言ってるけど、別に誰も正式な学会で表明したわけじゃないし、
単に2チャン的な反論のための反論としか思えない。
136の絡み方がね。

もちろん言ってることはわかるよ。ただ、関が原の勝因は宇宙人の介在である、
なんていってるわけでもないし、なんでもかんでも、ソースは?
というのは逆に思考停止型に感じるのだよね。



145 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:37:40
>>144
高校生にだったら「このサイトを参考に〜」でいい、わざわざ「一番正確な」とつける必要もない。
135が自分で判断したと言うならそう答えて終了、でも137で「不正確であることを検証する責任は、否定的な論を展開する君自身にある。 」と書いてる。
これでは>>143でも書いたが書いた者勝ちになる、掲示板では話にならない。

それで付けくわえると、思考停止と言うのは根拠も論拠も知らず、何かの本の鵜呑みにしたのを言うんだよ。
言うなれば>>135がそのサイトを見て「一番正確」だと判断した理由を書かなければ、それこそ鵜呑みの思考停止なんだよ。
それに知識や情報は人それぞれ、ソースを聞かれて答えられないのはしょうがないとしても、それを当然のように答え、
肯定するものがわからない・ないのに、否定する証拠をだせと言い出すなんて、史学に限らず、議論自体にもならない。

史学の板なのだから、最低でも自身の思考の根幹となる根拠の提示ぐらい出来なければ、会話は成立しないよ。
君が書いてる宇宙人の介在と言う例えも、君が有り得ない例えとして出してるが、
詳しい人と詳しくない人にはその知識量に絶対的な差があるので、関ヶ原の話にしても“有り得ない”と考える範疇に差がある、
定説、通説と考えるものに差があるんだよ。

その差を埋め、議論、会話を成立させるものが出典、ソースの提示なんだよ。
それを思考停止と言うのは筋違いだね。

146 :高校生:2008/07/28(月) 12:37:45
>>134
ごめんなさい読めません
>>135
ありがとうございます。
和議の使者として前田主膳(前田茂勝)後陽成天皇勅使 丹波亀山城主が載ってますから
前田茂勝は攻め手ではなかったということで確定ですね

中川秀成ですが本人は豊後竹田城に在国で家臣の中川平右衛門という人物を
派遣したということですか?
中川平右衛門の率いていた兵力はどれくらいなのでしょうか?
中川秀成は2220動員できますが、ほとんど本国に残しているでしょうし
佐賀関の戦いに参加した人数がわかれば逆算して中川平右衛門が率いていた兵力を
はじきだせるんですが、誰かわかりますか?

竹中原助(竹中源助)は竹中半兵衛重治の従兄弟の豊後高田城主の竹中重利ですね
どうしてここにいるんでしょうか?
竹中重利本人は重病を患っていて在国のはずですよね
高田城にいて黒田如水に脅され子の重義に兵二百を添えて差し出してますよね
これも家臣の誰かでしょうか、だとしたら390から200を引いて
190人以下ということになりますが
中川秀成のほうには陣代中川平右衛門と書かれているのにこちらには
何も書かれていないのはなぜでしょうかね?
やはり本人が田辺城攻めに参加していたのでしょうか?
だとしたら高田城には最初から竹中重義しかいなかったということですかね?

147 :高校生:2008/07/28(月) 12:38:27
またこちらにも木下延俊がいますが本人は姫路城にいるはずですよね
ならこれは誰なのでしょうか?
中川修理大夫秀成人数とあり
同様に木下右衛門大夫延俊人数とあるので
人数というのは代理という意味でしょうか?
木下延俊が代理人を田辺に派遣したという意味でしょうか?
父・肥後守家定ハ播州姫路城主ニ万五千石、大阪城留守居
延俊留守居シテ人数ヲイタス
人数ヲイタスという意味がわかりません
誰か教えてください!

あと長谷川鍋って誰なんでしょうか?
そんな武将いましたか?
>>124にある長谷川勝富と同一人物なのでしょうか?
関ヶ原で西軍で長谷川といえば長谷川守知しか思い浮かびませんが
長谷川守知の方は佐和山城の三の丸にいますよね
なら誰なんでしょうかこの長谷川鍋という武将は?

あと源仁法印って誰なんでしょうか?
これは実名ですか官位名でしょうか?
前田玄以カ・・?とありますが
前田玄以は大阪城から終始動いていないはずですよね
いったいこの武将はどこの誰で兵力はどのくらいだったのでしょうか?

ここらへんのところが謎なんで誰か詳しく教えてくれないでしょうか?

148 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 15:01:40
というわけで、ボコボコに論破された135

149 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 23:57:12
>>135の資料は素晴らしいな、個人名まで書いてあるなんて凄い貴重だ
これほど正確な資料は他にないな 

150 :135:2008/07/29(火) 23:59:08
http://sekigahara.xn--mprp13bb2a.net/
長谷川鍋は長谷川宗仁のことだ
ここに載ってるから間違いない

151 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 00:30:32
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)(笑)

152 :135:2008/07/30(水) 02:49:05
http://www.shinshindoh.com/jintarou-oboegaki.htm
源仁法印は前田玄以か前田茂勝のどちらかだ
この下の方に源仁法印の居城が亀山城と載っているから間違いない   

153 :135:2008/07/30(水) 02:54:57
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/7ecfc5d106a55d520309cec08b1e91c3
木下右衛門大夫延俊は自らは出陣せず陣代を派遣している。名前は不明。
ここに載ってるから間違いない  

154 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 09:49:47
横から割りこんでスマンが織田信包も田辺城攻撃軍に参加したんじゃなかったか?

155 :135:2008/07/30(水) 10:41:19
http://blog.goo.ne.jp/shinshindoh/e/a34786518b8decaee5c672afd845eb38
木下右衛門大夫延俊の陣代の名前が判明。家老の中村神左衛門だ。
ここに載ってるから間違いない  

156 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 17:57:58
発狂したのが粘着しているなぁ

157 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 17:59:32
わかります>>148のことですね  

158 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:46:11
135の勝ち。

159 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 19:01:02
135が相当の馬鹿なのは理解した。

160 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 20:12:11
148が相当負けず嫌いなのは理解した。

161 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 23:51:33
>>154
公式でも織田信包参加したことになってますな、しかし、今まで挙がった資料には名前は載ってませんな
こりゃまたどうしたことか?

162 :日本@名無史さん:2008/08/01(金) 23:53:16
一番正確な資料である>>135には織田信包は載ってない
よって織田信包は田辺城攻撃軍には参加してなかった

以上

163 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 01:17:59
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E5%8C%85
織田信包は田辺城攻撃に参加してるよ

164 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 03:20:33
来月関ヶ原のウォーランドで奇抜なコスプレイベントを
開催する話があるようだが主催はどこの大馬鹿野郎か!
御先祖様々の霊に失礼極まりないので中止して頂きたい。

165 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 00:54:11
それで織田信包は田辺城攻撃に参加したのか?参加してないのか?どっちだ?

166 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 10:11:38
ヤフオクでタイムマシンが再出品されたら、確認してきてやるから
ちょっと待ってろ。

167 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:50:09
ホントに高校生か…(((゚Д゚;)))ガタガタ

168 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 12:35:25
保守

169 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 04:33:43
田辺城は9月6日に開城(ちなみに大津城開城は関ヶ原本戦の朝)
それなのになぜ9日後の関ヶ原本戦に1万5000人の兵力が間に合わなかったのだろうか?
これらの戦力が関ヶ原に到着していれば西軍の敗北はなかったのではなかろうか?
9日あれば関ヶ原に移動は可能なはずだが・・・・
これはいったい?

170 :日本@名無史さん:2008/09/15(月) 22:33:34
今日関ヶ原の戦いの日だよ。
朝っぱらから町内放送でホラ貝流されてマジうるさかった

171 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 00:13:59
>>169
大垣に転戦しようとしたら大津城攻城戦に巻きこまれたから
逆にいえば田辺城攻城軍の増援がなければ大津城は9月15には落ちなかった

172 :金吾秀秋:2008/09/16(火) 05:18:06
涼しくなってきたね(´・ω・`)

173 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 07:30:39
>>171
巻き込まれた原因は?
誰の指示?

174 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 15:00:54
>>171
おいおい、そんな話初めて聞いたぞ

175 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:34:21
「古事記はモンゴル語で書かれている」東大教授が新説発表
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/kobun/1221500761/

176 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 17:38:52
>>175
つか漢文です。
女貴族がひらがなやカタカナを作り出した。

177 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 22:27:31
>>174
有名ですよ。攻め手は最終的には3万から4万に膨れ上がったと記述されています
これは田辺城攻城軍の増援を意味するものです

178 :日本@名無史さん:2008/09/16(火) 23:37:52
田辺を攻めてた部隊は士気もそんなに高くないしな・・・
西軍について本領を安堵されたクチは田辺攻撃組が多いし

179 :日本@名無史さん:2008/09/24(水) 21:55:32
>>177
ソースをくれ
どの文献に載っていた?

180 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 12:59:26
http://www.nhk.or.jp/archives/radiodrama/
ラジオドラマ・アーカイブス チャンネル :ラジオ第1
放送日 :2008年 9月28日(日)
放送時間 :午後11:15〜翌日午前0:05(50分)

第6回 2008年9月28日
架空実況放送・関ケ原の戦い1957年23:15〜

作/西澤實、演出/中川忠彦
実況アナウンサー/北出清五郎、福島幸雄、中神定衛
戦況解説/村上元三、出演/山岡荘八、尾崎士郎


181 :日本@名無史さん:2008/10/01(水) 23:10:28
>>180

532 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 2008/09/30(火) 00:04:36 ID:sJomqwTN0
>>513の架空実況放送のうpお願いします!

535 [名無し]さん(bin+cue).rar sage 二号 西暦 2008/09/30(火) 10:12:22 ID:KLIHxYD4O
>>532


182 :高校生:2008/10/04(土) 22:24:25
みなさんお久しぶりです
田辺城攻撃軍がその後大津城攻めに参加していたのですか?
これはびっくりです
ところで大津城攻撃軍といえば一万五千人だそうですが

毛利元康 2.3万石 690人
小早川秀包 13.0万石 3900人
立花宗茂 13.2万石 3960人
高橋直次 1.8万石 540人
南条元忠 4.0万石 1200人
筑紫広門 1.8万石 540人
石川頼明 1.2万石 360人
垣屋恒総 1.0万石 300人
木下俊定 1.0万石 300人
木下重堅 2.0万石 600人
郡宗保 0.3万石 90人
杉若氏宗 1.9万石 570人
宗義智  1.0万石 300人
多賀秀種 2.0万石 600人
松浦秀任(久信)1.1万石 330人
矢部定政 1.0万石 300人
横浜茂勝 1.7万石 510人

これだけでも15090人です

これに増田長盛の子、増田盛次率いる増田軍が加わっているわけですが
増田は20万石だから盛次は6000人率いていたんですか?
それとも部隊の大半は大阪城に増田長盛と供にあって一部だけ率いていたんでしょうか?
具体的にどれくらいの兵力を率いていたかわかりますか?
どちらにしろ一万五千人をはるかに超えるのに
なぜ大津城攻撃軍=一万五千人がまかりとおっているんですか?
また田辺城攻撃軍が大津城攻めに加わったのはいつ頃ですか?

183 :日本@名無史さん:2008/10/07(火) 12:21:15
>>182
高校生君、顔ぶれが随分間違ってるぞ。これが正解だ
毛利元康、毛利秀包、片桐且元、増田作左衛門、片桐貞隆、松浦久信、石川頼明、伊藤長孝
小出秀政、桑山一晴、多賀秀家、杉谷博三、筑紫廣門、伊藤佑兵、宗義智、立花宗茂

参謀本部の日本戦史より

184 :高校生:2008/10/07(火) 22:29:11
>>183
ご指摘ありがとうございます
毛利秀包=小早川秀包
多賀秀家=多賀秀種なのでいいとして
片桐兄弟が大津城攻めに加わっていたんですか
これは驚き
って本当ですか?
片桐且元は関ヶ原で中立で有名だったはず
片桐且元は立花宗茂より知名度ありますからが大津城攻めに加わっていたのなら
もっといろんな本に載ってるはずでは?
増田作左衛門って誰なんでしょうか?
増田盛次とは別人ですか?
伊藤長孝って誰でしょうか?
そんな武将いましたっけ?
杉谷博三もわかりません
どこの大名ですか?
伊藤佑兵は重病で大阪で病に伏していたのでは?
小出秀政も大阪城で秀頼といっしょにいたのでは?
もっと詳しく教えてください!

185 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 04:22:27
183はたぶん包茎

186 :日本@名無史さん:2008/10/08(水) 13:08:35
ていうかさ、田辺城開城は関ヶ原本戦の二日前だろ、田辺城攻撃軍が大津城攻めに参加とかありえないんだが、そこからして間違ってるわけだが。

187 :135:2008/10/09(木) 00:07:39
http://d.hatena.ne.jp/muxia/20080927
増田作左衛門は増田長盛の家臣だ。ここに載ってるから間違いない

188 :135:2008/10/09(木) 00:10:24
http://www.geocities.jp/senryusai/senryusai.katagiri.html
片桐且元は大津城攻めには参加していない。参加したのは弟の片桐貞隆だ。
ここに載ってるから間違いない。

189 :135:2008/10/09(木) 00:18:36
http://209.85.175.104/search?q=cache:tjAWrBWHr04J:f2.aaa.livedoor.jp/~kshine/1ito%2520clan.htm+%E4%BC%8A%E6%9D%B1%E7%A5%90%E5%85%B5%E3%80%80%E3%80%80%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%9F%8E&hl=ja&ct=clnk&cd=1
伊藤佑兵は大津城攻めには参加していない。参加したのは家臣の山田匡徳だ。
ここに載ってるから間違いない。

190 :135:2008/10/09(木) 00:26:16
それと、伊藤佑兵だが
正確には伊東祐兵だ

191 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 01:03:00
こいつは戦国板でも暴れてたネット基地外だから構わないように

192 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 04:34:48
>>191
なんだ、また、いつぞやのソース厨のお出ましか。
ガンガレよ。

193 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 09:37:28
>>192

137 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2008/07/27(日) 11:12:46
>>136
不正確であることを検証する責任は、否定的な論を展開する君自身にある。
それに、出典は記載されているぞ。

戦国板
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153127427/
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1171990974/
などでも同じ論調を繰り広げてるキチガイです。


194 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 18:07:25
135=183か

195 :日本@名無史さん:2008/10/09(木) 23:52:46
キチガイ=193=194
だなw

196 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 00:51:36
135が痛々しくてみてらんない;;

197 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:14:30
と136が言ってます

198 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:26:24
散々叩かれたのに相手が一人と思い込んでるからキチガイと(ry

199 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:29:52
と1人しかいないキチガイの136が言ってます

200 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 01:59:29
電波の特徴と行動パターンが同じすぐるww


201 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 04:33:08
わかります 叩かれまくってる136のことですね

202 :日本@名無史さん:2008/10/10(金) 15:13:54
毎日4時にレスできるニートがいると聞いて。

203 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 01:25:35
と平日の3時にレスできるニートが言ってます

204 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 08:35:15
どっちがニートか言うまでもないw

205 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 12:56:59
わかります。>>204がニートですね

206 :日本@名無史さん:2008/10/11(土) 23:52:36
どっちもうざい

煽りあいなら他でやれ

ここは関ヶ原について語るスレだ

207 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 02:33:37
細川幽斎ろう城の絵図見つかる 熊本

 熊本の細川家の初代当主、細川幽斎が、関ヶ原の合戦の直前、西軍に囲まれて城にこもった様子を詳しく描いた絵図が見つかりました。
 細川幽斎は、関ヶ原の合戦の直前、石田三成に従った西軍の軍勢に取り囲まれ、現在の京都府舞鶴市にあった居城の田辺城におよそ二か月間ろう城しました。
 この時の様子を描いた田辺籠城(ロウジョウ)の絵図は、これまでに五つの写しが見つかっていますが、原図は見つかっていません。
 熊本市の市史編纂室によりますと、今回、八代市の民家から見つかった絵図は、縦・横ともおよそ一メートル二十センチで、これまでのものと比べてろう城の攻防の様子が詳しく記されているのが特徴です。
 絵図には「宮村出雲記す」という意味の記述があり、日本近世史が専門の熊本大学文学部の吉村豊雄教授は、ろう城に参加した宮村出雲が描いた絵図の原図かその写しではないかと推測しています。
 吉村教授は「関ヶ原の合戦の前哨戦というべき戦いでありながら、これまで研究が進んでいなかった田辺ろう城戦の様子が詳しくわかる貴重な資料だ」と話しています。


208 :日本@名無史さん:2008/10/13(月) 02:58:51
というわけで、135の勝ち、136の負けが決定しました

209 :高校生:2008/10/13(月) 23:39:14
>>187
>>188
>>189
>>190
ありがとうございます
増田軍は家臣の増田作左衛門安俊が陣代を務めてたんですね
それに伏見城攻めにも増田軍は参加してたんですね
こうやって見ると増田長盛は西軍としてかなり積極的に戦ってますね
それでも増田長盛は戦後処刑されなかったのは驚きです
いち早く家康に挙兵のことを通報したのが評価されたんでしょうか?
片桐且元もやはり大津城攻めには参加していなかったんですね
でも弟は参加しているのに、0.5万石から一万石に加増されてますよね
これはいったいどういうことでしょうか?
西軍の場合、許されても所領安堵がせいぜいじゃないのですか?
伊東祐兵も家臣を派遣していたんですね
凄く勉強になりました
ところで伊藤長孝は大阪七手組の伊東長実の別名ではないのでしょうか?
違ってたらごめんなさい

210 :日本@名無史さん:2008/10/14(火) 03:12:17
高校生君夏休みの自由研究終わったかw

211 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 04:14:59
片桐且元が大津城攻撃軍に参加してないって何で言いきる
ひょっとしたら参加してたかもしれないじゃないか

212 :日本@名無史さん:2008/10/16(木) 12:44:31
片桐且元は大阪城に在城。これは常識。

213 :日本@名無史さん:2008/10/19(日) 12:59:46
近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/
の参謀本部の日本戦史では片桐且元も参加しているわけだが  

214 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 13:42:33
http://209.85.173.104/search?q=cache:Zm4ZWO_n2vYJ:tomhana091.exblog.jp/9972141/+%E7%89%87%E6%A1%90%E4%B8%94%E5%85%83+%E3%80%80%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%9F%8E&hl=ja&ct=clnk&cd=3
参加しているっぽいね
ここにも書いてある  

215 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 18:17:47
直リンするような素人だから自演もわかりやすい。

216 :日本@名無史さん:2008/10/23(木) 22:14:48
それで片桐且元は田辺城攻撃に参加したのか?参加してないのか?どっちだ?

217 :日本@名無史さん:2008/10/24(金) 23:17:51
遅レスで申し訳ないんだけど。上の方で言ってる
宇喜田の主力は東軍ってどういう意味?

218 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 14:10:03
>>217
1600年(慶長5年)正月早々、宇喜多家中にお家騒動が勃発してしまったんだよ
秀家が自力で騒動を解決出来ればよかったんだけど、彼の力だけではどうにもならず
家康と大谷吉継が仲裁役となり、ようやく騒動を沈静化させたんだ。
その結果、一門の宇喜多詮家(うきたあきいえ)、重臣の戸川達安(とがわみちやす)
花房正成(はなぶさまさなり)、岡家利(おかいえとし)など
1万石以上の旗頭6人のうち4人が宇喜多家を出奔し、さらに有力な家臣ら40人も
これに同調してしまい、宇喜多家は大混乱に陥ったんだよ。
2月、中央政権にかまっていられなくなった秀家は、宇喜多家を再編成するために岡山に帰郷したんだ。
反家康の立場にいた秀家だけど、騒動を沈静化させてくれたということで
家康に頭が上がらなくなってしまったんだよ。
6月19日、秀家も家康の会津出陣の命令に従い、先手衆を出発させていたけど
この先手衆に任ぜられたのが、先のお家騒動の時に宇喜多家を出奔した
宇喜多詮家、戸川達安、花房正成、岡家利たちだったんだよ。
彼らは赦免されて再び宇喜多家に帰参しており、宇喜多詮家を名代として会津に向けて出発していたんだよ。
ところが、後軍として出発した秀家の本軍が、7月に大坂入りした直後
一転して三成に呼応し、西軍に属してしまったため、急遽東軍に鞍替えした連中なんだよ。
そして、関ヶ原の本戦、小西行長の先手衆が、戸川達安や宇喜多詮家の部隊に打ち破られ
小西行長の本隊もこれに攻撃されてしまい、戦わずして敗走してしまったんだよ。
小西行長勢の早々の戦線離脱は、島左近の負傷と同様、三成にとって大きな誤算だったんだろうな。
戦後、宇喜多詮家は石見津和野に三万石、戸川達安は備中庭瀬に二万九千二百石
花房正成は備中猿懸に八千石、岡家利は6千石の新封を家康から与えられたんだよ。

219 :日本@名無史さん:2008/10/25(土) 18:18:43
http://www.library.pref.kagawa.jp/kgwlib_doc/local/local_2055-09.html
大津城攻撃軍に関してはこれが一番正確な資料だ
篭城側は個人単位で明記してある

220 :高校生:2008/10/25(土) 23:47:48
>>219
ありがとうございます。
詳しく載ってますね。
立花左近将監=立花宗茂
益田右衛門等って誰なんでしょうか?
益田右衛門等=益田元祥なら吉川広家といっしょにいるはずですので大阪城にいるのはおかしいですよね?
誰なんでしょうか?
木下備中守=木下重堅はわかりますが
沢田刑部少輔ってだれですか?そんな武将いましたっけ?
毛利大蔵大補=毛利元康は責めての大将ですね
毛利元康は相坂の関に最初からいたんですね、京極高次が寝返ってから大阪からやってきたとばかり思ってました
交通の要所だから納得です。
吉川元安も誰なのかわかりません!関ヶ原で吉川広家以外に吉川という名の武将いましたか?
毛利家の大将とあるから毛利元康の間違いでしょうか?

221 :高校生:2008/10/25(土) 23:49:11
久留目侍従=小早川秀包 副将 
筑紫上野介=筑紫広門
石川掃部頭=石川頼明
多賀出雲守=多賀秀種
宮部兵部少輔の他=宮部長熙
松浦伊豫守=松浦秀任
南条中務少輔=南条元忠
杉宮越後守=杉若無心
堅田兵部少輔=毛利氏家臣 堅田元慶
高田遠江守=増田右衛門の家臣高田小左衛門 
横濱民部少輔=横浜茂勝
木下備中守=木下重堅
同姓信濃守=木下俊定
渡辺長兵衛=増田長盛の家臣の渡辺了の子 
小出大隅守=小出秀政
柳川豊前守=立花宗茂
伊東丹波守=伊東長次 七手組
同姓右馬助=伊藤長孝 七手組
速水甲斐守=速水守久 七手組
福住兵庫頭=福住守治 七手組
郡主主馬=郡宗保 七手組
三輪嘉左衛門等=三輪可正 七手組

222 :高校生:2008/10/25(土) 23:50:23
ここまではわかりますが
宮本新五郎、松岡越後守、荒木伊太夫、坂谷隠岐守、左世豊前守が誰かわかりません
誰か教えてください
これには片桐且元の名前はありませんね、やはり大阪城ですかね、しかし
高橋直次、垣屋恒総、宗義智、桑山一晴、片桐貞隆、伊藤佑兵、矢部定政の名前もありませんね
どういうことでしょうか?
杉若無心は西軍ですが大津城攻撃に参加したのは息子の氏宗のみのはずですが?なぜここに名前があるんですか?
宮部長熙は大津城攻撃に参加してたんですか?東軍から西軍につこうとして熱田で船に乗ろうとして舟が居なくて仕方なく引き返したら捕まって岡崎城に幽閉されたんですよね?
なぜ名前がここにあるのでしょうか
誰か詳しい人お願いします!

223 :217:2008/10/26(日) 01:40:29
>>218
詳しくありがとう。
宇喜田のお家騒動は知ってたけど、宇喜田軍の一部が東軍にいたとは。
どれくらいの数だったんだろうね。そいつらが宇喜田の配下で西軍にいたら
少しは戦況も変わったろうに。ほんの少しだけどね。

224 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 03:31:33
戸川達安は島左近を討ち取ったらしい

225 :日本@名無史さん:2008/10/26(日) 12:53:59
>>224
でたらめ言うな
黒田長政の鉄砲隊に銃撃されて死んだんだろうが

226 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 12:11:12
>>225
でたらめじゃなく「戸川記」にそう書いてあるよ

戸川家記念館に島左近を討ち取った時の兜の忍緒が展示してあるよ
そんなことも知らなかったの?  

227 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 17:14:00
>>226
ここのサイトが詳しいな。「戸川記」云々も書いてあるが、記述を紹介した上で
「戸川勢に討ち取られたとする説も、今一度注目し直す必要があろう」としか
書かれてないぞ。
ttp://www.m-network.com/sengoku/sakon/sakon0302d.html

228 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 21:37:44
近代デジタルライブラリーhttp://kindai.ndl.go.jp/
の参謀本部の日本戦史では東軍として宮部長熙は佐和山城攻めの際の水之手口の部署にいる
大津城攻めに参加してるはずがない 

229 :日本@名無史さん:2008/10/27(月) 23:36:06
>>228
ざんねん。宮部長房は西軍に寝返って大津城攻めに参加しているよ。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E9%83%A8%E9%95%B7%E6%88%BF


230 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 00:36:46
>>229
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E5%90%89%E6%94%BF
田中吉政の項目にはこうあるな
宮部長煕は宮部長房の諱である。ここに旧主家の宮部長房と旧家臣の田中吉政の関係がみてとれる。
すなわち突入の指示は宮部長房の発したものであろう。
この「城攻め方法」は田中吉政が指示したにしては、あまりに稚拙であると考えられる。
なお佐和山城攻めは寝返った武将、小早川秀秋や宮部長房らが命じられたものであった。
三成の兄と父が切腹する条件で開城して城の者の助命するという内容で講和の交渉中に
佐和山城に突入し多くの死者を出したわけではあるが
突入の指示を現場の指揮官でない、吉政が発した可能性は少ないであろう

宮部長熙は佐和山城攻めの指揮を執っているな

結論 宮部長熙は東軍。

231 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 01:13:37
>>230
宮部長房は動向もいまいちよくわからんし、
ホントウに何したかったのかよくわからんよね

232 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 03:42:40
浮田中納言秀家記には宮部長房は東軍の中で事前に三成に通じていて、事が露見しそうに
なったため赤坂から脱走して大垣城に逃げ込み、家康の佐和山城攻めの計画を伝え
これを聞いた三成が、急遽関ヶ原に転進して関ヶ原の戦いが起こったとある

233 :日本@名無史さん:2008/10/28(火) 13:02:53
>>230
これは基地外田中厨の思い込みだろw

234 :日本@名無史さん:2008/10/30(木) 22:05:19
宮部は居城の鳥取城を亀井茲矩らに攻められて
所領も没収されてるぞ
どう考えても西軍だろ
佐和山城攻めに参加しているということは
終始東軍として動いているということだから
こんな酷い扱い受けないだろ
宮部は大津城攻めにいたんだよ
西軍だよ西軍

235 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 12:52:12
三成が勝ったら、豊臣秀俊は関白になれたのか?

236 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 21:24:18
金吾中納言の軍勢は15600人じゃなく8000人が本当らしいな  

237 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 22:17:36
>>234
それはどうかな?小川祐忠や赤座直保も佐和山城を攻めたのに所領没収の憂き目に遭ってる


238 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:10:30
金吾中納言の軍勢は、兵力も士気も、
後世の人間が水増ししている。
最初から勝ちそうな方に付こうとしてる連中が
やる気ある訳無い。
たった600人の大谷刑部に2回も撃退されてる。


239 :日本@名無史さん:2008/10/31(金) 23:21:12
吉継の600と脇坂安治、小川祐忠、朽木元綱、赤座直保の4200が小早川の裏切りに備えて押さえに回っているが
小早川が15600ならこの数だと押さえにならないが小早川が8000なら押さえになるから
納得のいく数字である

240 :日本@名無史さん:2008/11/02(日) 03:51:27
それで宮部長房は佐和山城攻めにいたのか大津城攻めにいたのかどっちなんだ?

241 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:05:53
http://tottori.rojo.jp/monogatari/mindan034.html
宮部長房に関してはこれが一番正確な資料だ
家臣は個人単位で明記してある  

242 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:39:12
http://tottori.rojo.jp/monogatari/mindan036.html
木下重堅と垣屋恒総の最後も
ここに載ってるから間違いない  

243 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 00:42:58
http://tottori.rojo.jp/monogatari/mindan041.html
赤松広道の死も亀井茲矩の責任と載っているから間違いない  

244 :日本@名無史さん:2008/11/05(水) 22:02:30
サンクス
やはり宮部長房は大津城攻めにはいなかったんだね

245 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 13:08:37
ttp://zh.wikipedia.org/wiki/%E9%97%9C%E5%8E%9F%E4%B9%8B%E6%88%B0
公式には宮部長房も片桐且元も大津城攻めに参加していると書いてあるね  

246 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:39:58
石田三成本体って本当に3800程度?

佐和山は近いし東軍20000に対し崩壊しなかったってことは
実は宇喜多や小早川より大軍だったと思う 


247 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:44:16
三成たん、ギャル人気NO1!

248 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 20:54:49
人気なのは采配のゆくえショタ秀家タンだろ

249 :日本@名無史さん:2008/11/06(木) 22:25:40
>>248
関が原でギャルのグッズ売り上げNO1は三成、2は大谷
男は家康とか関係無い信長など。

250 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 03:22:21
>>246
石田本隊は4000人、その前に島左近1000人と蒲生郷舎1000人が布陣している
石田隊は合わせて6000人
そのすぐ後ろに織田信高の60人、伊藤盛正の1020人、岸田忠氏の300人
合わせて1380人がいるので
全て合わせて笹尾山方面の西軍は7380人いた
西軍は馬防柵も構築しているので東軍より防御力が高かったんだよ

251 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 11:32:02
>>250
配下含めて6,000で豊臣軍2000?がいたことは知ってるけど
本当にその7,000程度と数時間程度でつくった陣地で
東軍数万を一日中拘束することができただろうか?

やっぱ三成本体は10,000以上いたと思う

逆に宇喜多は会津征伐組が東軍にいっちゃたし、
たった6000の福島軍を山のうえから攻めてるにも
かかわらず押しつぶせなかったとこを見ると
8,000が妥当な気がする 

252 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:20:44
>>250
豊臣直轄軍の黄母衣衆2000もいたから9380
>>251
福島だけとじゃなく筒井加藤とも戦ってる17000なのは確実

253 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 12:51:52
>>252
宇喜多17,000が確実? なら逆にうれしいけど

小早川はどうなん?できれば宇喜多同様定説の15,000がいいなあ

254 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 13:04:30
>>252
織田信高、伊藤盛正、岸田忠氏=黄母衣衆じゃないの?

255 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 15:35:15
内訳に詳しい人教えてくれ

大阪城にいた通説44,000の内容はどうなのですか?

256 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 17:55:31
>>251
三成一人で東軍を抑えていたわけではなく宇喜多や小西もいたわけだし
東軍は家康本体は戦ってなく大体4万ぐらいが戦っており
これは三成ら西軍で戦っている連中とだいたい同じぐらいで
だからもちこたえていると言える

257 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 19:52:26
宇喜多が17000が確実?15000が定説?

この数字を算出した編纂部でさえ、島津の軍役から算出したので正確ではないと書いてあり、
一次史料の三成の書状で宇喜多8000と書いてあり、算出については誰もあの算出を拙論で支持もしてないのにw

つか宇喜多が福島を攻めたというのも軍記大成の読みすぎ
福島と宇喜多の争いが激しかったのは確かだが、あくまで攻めたや押し返したなどは、あくまで演出なのに

258 :日本@名無史さん:2008/11/07(金) 21:37:42
なら宇喜多は8,000か

259 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 00:06:41
宇喜多8000とか言ってる馬鹿は戦国板でも暴れてたネット基地外だから構わないように

260 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 01:32:23
>>254
織田信高と伊藤盛正と岸田忠氏と大阪黄母衣衆はそれぞれ別の部隊ですよ
黄母衣衆とは別に大阪弓銃隊というのも本戦に参加してますよ


261 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 03:07:33
>>260
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q137882253
学研の関ヶ原の戦い全国版の40Pには織田信高、伊藤盛正、岸田忠氏=黄母衣衆になっている

262 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 04:17:16
>>261
なんだこれは
岸田忠氏は大和国の領主だ
伊藤盛正にいたっては大垣城主だぞ
黄母衣衆は豊臣の直轄部隊で大阪城からやってきたんだろ
少しかんがえればわかることだろ
こういう間違った知識を堂々と書きこむ奴の神経が知れない

263 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 12:33:06
>>255

豊臣秀頼直轄軍  計 28400

速水守久 3000 秀頼親衛隊七手組 大津城攻撃に検使役として参加
伊東長次 3000 秀頼親衛隊七手組 大津城攻撃に検使役として参加
堀田盛高 3000 秀頼親衛隊七手組 伏見城攻めに軍監として参加
中島氏種 2000 秀頼親衛隊七手組 関ヶ原本戦に軍監として参加
野々村吉安 1200 秀頼親衛隊七手組
真野頼包 1000 秀頼親衛隊七手組
青木一重 1000 秀頼親衛隊七手組
 
豊臣大坂城守備隊 14200 




外様大名 計 50500

毛利輝元 41500 (内15000を毛利秀元が率いて伊勢方面に、内4000を毛利元康が率いて大津城攻めに参加)
増田長盛 6000 (内3000を増田作左衛門が率いて大津城攻めに参加)
前田玄以 1500(内500を前田茂勝が率いて丹後国田辺城攻めに参加)
山中長俊 300
宮城豊盛 300
服部正栄 300
木下一元 600
木下秀規 ?



総計 78900

264 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:00:59
片桐且元は大阪城にいないな
やっぱり大津城攻撃軍の中にいたんだな  

265 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 13:08:55
>>263
昔、加藤剛主演の関ヶ原で、輝元が「兵20,000を率いて大垣に出陣します」
みたいなこと言ってたなぁ やっぱ毛利軍は20,000か


266 :日本@名無史さん:2008/11/08(土) 16:26:25
ところで、毛利軍は本国にどれくらいの守備兵を置いてきてるの?
5,000くらいはいないと九州の東軍にやられそう

267 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 00:30:49
>>263
豊臣本軍ってたったの2万8千400人しかいないの?
思ったより少ないね
220万石だから6万6千人の兵力があるんじゃないの?

268 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 02:26:47
「犬山里語記」には犬山城にも豊臣家の弓銃隊1700人がいたとありますが、この部隊は犬山城開城後どうなったのでしょうか?

269 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:19:17
>>268
豊臣弓銃隊って何ですか?
犬山城に篭城してたのは
石川貞清、稲葉貞通、稲葉通重、加藤貞泰、関一政、竹中重門だけじゃなかったんですか?

270 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 11:48:40
竹中ってもと西軍だったんだ

271 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 12:58:46
>>269
大阪弓銃隊1700は犬山開城後石川貞清と供に関ヶ原の本戦に参加
織田信高の後ろに大阪黄母衣衆と供に布陣している 

272 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 13:43:03
関ヶ原のウィキペディアには犬山城:石川貞清、生熊長勝、伊藤長俊とあるけど
生熊長勝、伊藤長俊って誰?   

273 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 14:49:08
>>272
両人とも豊臣軍の鉄炮大将。豊臣家の弓銃隊=生熊長勝、伊藤長俊

274 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 15:17:49
>>273
違うぞ
生熊長勝は独立大名だぞ
犬山城守備の後、本戦に参加
敗北後、京都の大徳寺に隠れている
戦後、所領は没収され常陸松岡城に幽閉され自殺している

伊藤長弘は豊臣譜代だから処分を受けていない

275 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 17:25:09
豊臣の鉄砲隊1700人の重火力の部隊が三成と供にいたんなら東軍2万を跳ね返したのもわかるような気がするなあ

276 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 19:10:37
それで片桐且元と宮部長房は大津城攻撃軍に加わっていたのか?いないのか?どっちなんだ?

277 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 19:23:43
>>267
豊臣家の直轄地は関ヶ原答辞は400万石以上あるよ

278 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:08:15
>>276
「関ケ原別記」では宮部兵部少輔は慶長五年七月上杉景勝討伐の為、家康に従って東に向かい
下野に陣を張って居たかつての父の配下岡崎城主田中吉正に再会する。
石田光成叛意の報に、大阪に向かう途中、岡崎に立ち寄り、西軍寝返りを田中吉正に持ちかけられ
吉田の港から木下備中守、垣屋隠岐守を先行させて、西軍に参加させる。
が、時の運の西軍の悪いを悟り、木下備中守、垣屋隠岐守を誣告して自らをとりなし
吉正とともに関ケ原を戦い、佐和山城を攻め落す。
が、田中吉正の調略により木下備中守・垣屋隠岐守を打つため
大阪より離れ、吉正に誣告され寝返りのレッテルを貼られ、南部藩預けになる。

279 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 21:38:40
宮部長房は西軍に寝返って大津城攻撃に参加したよ派  

宮部長房は西軍に寝返ろうとしたが船が来ず自陣に戻ったら捕まって岡崎城に幽閉されたよ派

宮部長房は赤坂から西軍に寝返って大垣城に駆けこんだよ派  

宮部長房は田中吉正と佐和山城を攻め落としたよ派

どれが本当?

280 :日本@名無史さん:2008/11/09(日) 22:46:24
>>219の大津城攻めの顔ぶれを見てて気になってたんですが、宮部兵部少輔だけ、宮部兵部少輔の他とありますよね
これは宮部長房の家来のみが大津城攻めに参加して宮部長房本人は熱田の渡から引き返してたのではないでしょうか
与力大名の木下重堅と垣屋恒総の名前もありますから宮部兵部少輔の他がこの二人を指すものとは思えませんから
いかがでしょうか

281 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 00:58:03
大津城攻めと佐和山城攻めの両方に宮部の名前があるのが問題なわけだな
ならこう考えてはどうだ?
最初は東軍で西軍に寝返って大津城攻めに参加した
その後また東軍に寝返って佐和山城攻めに参加した
これなら時系列的に合点がいくぜ
大津城と佐和山城って近いからな

282 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 03:02:24
宮部長房って基地外なの?  

283 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:20:49
http://tottori.rojo.jp/monogatari/mindan034.html
長房についてはこれが結論でいいだろ 

次は片桐且元だな

結論はおまえに任せた


284 :日本@名無史さん:2008/11/10(月) 07:50:55
直リン厨は、戦国板にいたネットには何でも書いてあると言ってた基地外なので放置推奨

285 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 00:12:42
稲葉民談記ですか、これは非常に信頼性の高い資料だから
宮部長房は岡崎城に幽閉されてたという結論でいいですよ。
片桐且元については大阪に陣の資料ばかりで関ヶ原時の資料が
少ないので明日調べてみます。

286 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 19:42:52
それで片桐且元が大津城攻撃軍に加わっていたのかわかったのか?  

287 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 21:09:05
滋賀県立図書館まで言って「大津城攻防戦闘要図」見てきました。
三井寺口に布陣している寄せ手の中に片桐且元と片桐貞隆の名前がありました

288 :日本@名無史さん:2008/11/11(火) 22:58:43
>>287
わざわざ乙です。
同じ秀頼傅役の小出秀政も出陣してるから。ひょっとしたらと思ってたけど
且元も出陣してたんだね
七手組でさえ出撃させているから
大垣城と大阪城の補給線を脅かす大津城の攻略は西軍にとって急務だったことが覗えるね。

289 :日本@名無史さん:2008/11/12(水) 12:59:19
これは歴史的発見だな

290 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 00:04:56
片桐且元は関ヶ原で中立じゃなかった?  

291 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 05:46:48
しかし、且元が大津城攻めに出撃していたとは知らなかった
軍監として実際戦っていなくても一概に中立とは言いきれないねえ。

292 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:51:47
それで中立ならなんで安国寺は処刑までされてるんだよw

完全に西軍

293 :日本@名無史さん:2008/11/13(木) 16:53:29
sageついでに補足

それが中立なら関ヶ原での安国寺も中立みたいなもんじゃないか?

それが処刑までされるなら、片桐は完全に西軍だろ

294 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 00:09:47
220万石の豊臣領を東軍諸将に分け与えることに協力したので片桐は所領没収どころか逆に徳川から加増されてます
こいつは屑です  

295 :関ヶ原:2008/11/14(金) 01:06:21
家康が京都にいたときから、豊臣のある程度を懐柔してるでしょ。
俺だったらそうする。逆に怪獣されなかった方が潔癖すぎるって

296 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 02:01:04
片桐且元は関ヶ原直前には、親徳川派として毛利や三成は
考えていたようだけどね。


297 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 09:50:51
大津城籠城戦に関しては「筑紫古文書」に「大坂御旗本衆、増田右衛門尉人数・片桐市正人数・片桐主膳正・松浦伊予守討死」とあり
増田右衛門尉は増田長盛、片桐市正は片桐且元、片桐主膳は片桐貞隆、松浦伊予は松浦秀任である
人数とは「の家臣」という意味である
増田長盛と片桐且元は本人ではなく家臣を参陣させていたようだ
しかし片桐且元の軍勢が大津城攻めにいたのは事実でありこの論争はこれをもって最期とするしかない。

298 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 20:40:59
ということは豊臣家は積極的に西軍に加担していたということか

299 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 22:36:21
七手組でも速水守久と郡宗保はやる気まんまんだったそうだ    

300 :日本@名無史さん:2008/11/14(金) 23:11:38
七手組は思いっきり参加してるのに許されてるよな
そういえば関ヶ原で三成の後ろにいた黄母衣衆って東軍と戦ったの?    

301 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:06:14
>>300
軍監としてきてたらしい
石田隊が壊滅すると
戦わずして大阪に引き揚げてった 
ってのを小説で読んだ

302 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:10:50
小説・・・・・


303 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 00:16:38
七手組はもっと本気になるべきだった
大阪の陣でようやくやる気になっても遅い
全軍で関ヶ原で戦うべきだった
遊撃軍部隊だけでも1万以上いたのに
なにやってんの

304 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 01:18:24
伊東長実とか内通してるのもいるからなあ

305 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:00:11
中途半端な態度でも敵対さえしなければ謝れば所領は安堵される、

なにせあの律儀者の徳川殿、話せばわかるにちがいない

これが東西首脳、黒田、藤堂等の東軍の一部以外の考えでしょ?

家康のそれまでの行い、信用度がはんぱじゃないからそもそも

関ヶ原は三成に勝ち目がない

306 :日本@名無史さん:2008/11/15(土) 09:03:41
徳川殿は豊臣家の代行者 新に豊臣家に忠誠を誓うなら
暫定的ではあるが現時点で豊臣家の最高指導者の徳川殿に
従うのは道理だろう

307 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:46:20
>>266
毛利は四国や九州にも派兵してるから案外兵力は余裕があったんじゃないの。
だれかの日記だったかに中国衆6万て書いてあった気がするんだが。

308 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 00:55:02
>>303
だけど、
黄母衣衆と大阪弓銃隊が関ヶ原に参戦
増田長盛、片桐且元の軍勢が大津城攻めに参加
秀頼傅役の小出秀政も出陣
だとすると豊臣家の中立ていう説が本当かと思われてしまうな、
戦後の責任を豊臣家に被せられないから石田が一人で悪人になった感じ。

309 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 01:00:48
秀頼出馬を断ったものの、家康の専横は避けたいから援助はしたい。
しかし後から何か言われても困るしなぁ

ってことで申し訳程度の援軍ってかんじじゃね?

利家存命の頃から家康は律義者の仮面を外し始めてたし
大坂城内部に家康を危険視する人間がいてもおかしくないだろうし。

310 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 03:34:46
大津城攻撃参戦者

毛利元康 備後神辺 1万5000石 毛利元就の8男 毛利輝元の重臣 (毛利輝元 120万から37万石に減封)
堅田元慶 備後三原 7400石  毛利輝元の名代 毛利輝元の重臣 (毛利輝元 120万から37万石に減封)
小早川秀包 筑後久留米 13万石 毛利元就の9男 所領没収 
立花宗茂 筑後柳川 13万2000石 所領没収 
高橋直次 筑後内山 1万8,000石 所領没収
筑紫広門 筑後山下 1万8,000石 所領没収
伊東祐兵代理(山田匡徳) 日向飫肥 3万6000石 領国で家老の稲津掃部助に高橋元種の宮崎城を攻めさせたため所領安堵
宗義智 対馬府中 1万石 悪化した朝鮮との国交修復を迅速に進めるため所領安堵
石川頼明 播磨国内 1万2000石 京極高次退去後大津城守備 降伏後切腹 所領没収
増田長盛代理(高田小左衛門、水軍指揮 増田作左衛門安俊) 大和郡山 20万石 所領没収
多賀秀種 大和神楽岡 2万石 所領没収
横浜茂勝 大和国内 1万7000石 所領没収
垣屋恒総 因幡桐山 1万石 本戦で西軍が敗れると高野山千手院へ逃れ自殺 所領没収
木下重堅 因幡若桜 2万石 本戦で西軍が敗れると摂津一心院で自害 所領没収
松浦秀任 伊勢井生 1万石 大津城の戦いで銃弾を受け戦死 所領没収
南条元忠 伯耆羽衣石 6万石 所領没収
木下俊定 丹波国内 1万石 木下家定の三男 所領没収
小出秀政 和泉岸和田 3万石 次男の小出秀家が東軍として本戦に参加したため所領安堵
桑山一晴 紀伊和歌山 2万石 叔父の桑山元晴が東軍として本戦に参加 自身も降伏後西軍の紀伊新宮の堀内氏善を攻略したことから所領安堵
杉若氏宗 紀伊田辺 1万9000石 本戦での敗報を聞き降伏。続いて西軍の紀伊新宮の堀内氏善を攻略するも所領没収
矢部定政 領地不明 1万石  所領没収
片桐且元代理 播磨国内 1万石 大和竜田に転封 2万8千石の加増
片桐貞隆 播磨国内 1万石 片桐且元の弟 大和小泉に転封 所領安堵
速水守久 領地不明 1万5000石 大坂七手組頭 検使
伊東長実 備中川辺 1万300石 大坂七手組頭 検使
郡宗保 美濃国内 3000石 豊臣親軍 旗奉行 軍監

311 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 03:38:30
まとめてみました
やはり片桐且元だけ加増されてるのが気になります   

312 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 11:52:17
>>307
本国防衛の場合は石高以上の動員ができるからな 真田家が3,000動員したり

>高橋直次 筑後内山 1万8,000石 所領没収

この人高橋直純の先祖?


313 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 12:46:59
>>310
宮部長房が抜けてますよ    

314 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 21:53:21
直純

315 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 23:13:23
直純兄さんの先祖か

316 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 01:55:36
石川頼明さんっておいてけぼりくったの?
かわいそう

317 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 11:57:42
それで宮部長房は大津城攻城戦に参加してなかったって結論でいいのか? 

318 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 12:43:47
>>317
>>283

319 :日本@名無史さん:2008/11/17(月) 19:26:11
高橋直次って高橋直純の子孫なの?どうなの?

320 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 02:07:11
結局、中立だった大名って1人もいなかったのかもな
大村、五島、松浦も実質東軍だろ   

321 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 14:41:57
木下家定だけは中立だと思う

322 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 16:23:33
>>310
伊東祐兵は5.7万石

323 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 16:53:42
高橋直純

324 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:31:19
>>321
木下家定の子達はみんな中立的な行動とってるな

325 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 19:52:31
>>324
みんな最初は西軍
寝返ったのが延俊と秀秋

326 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 20:18:21
伏見城から逃げ出した家定の長男は東軍だろ  

327 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 21:48:35
高橋直純

328 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:10:10
高橋直次は立花宗茂の弟で息子は子のいない兄の養子になっており
子孫は立花姓を名乗っており関係ないと思う

329 :日本@名無史さん:2008/11/18(火) 22:42:19
そうなのか!?

330 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 03:58:53
中立といえば織田信包親子も中立ですな

331 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 12:22:16
豊臣秀頼は中立だろ

332 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 00:26:42
>>330
織田信包は田辺城を攻めているから西軍

333 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 01:41:31
>>331
豊臣秀頼は西軍です。豊臣本軍は、伏見城攻め、大津城攻め、安濃津城攻め、関ヶ原本戦に参加しています。
関ヶ原は豊臣対徳川の戦いだったのです。豊臣の家臣同士の争いというのは嘘です。
豊臣軍は負けたから220万石から65万石に減封されたのです。
中立なら減封になったりしません。
わかりましたか!

334 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 07:34:15
減俸じゃなくて豊臣家のために忠義を尽くした東軍の武断派将軍
への恩賞って形式で豊臣領を分配したんだろ

こういうとこ家康はうまいよなーーーーーー
三成好きだけどこんな老獪なやつに勝てるわけないわ

335 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 12:58:29
>>332
織田信包は田辺城攻城戦には参加していなかったと結論は出てる  

336 :日本@名無史さん:2008/11/20(木) 16:07:25
立花宗茂だけでも関ヶ原決戦にいってほしかった・・・ 

名将立花宗茂率いる精鋭なら3000ちょいでも宇喜多隊並に役立つと思うけどなー

337 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 00:13:57
そもそも立花宗茂は京極が寝返る前から大津城の近くにいたんだろ
そんなとこで何してたんだ?  


338 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 01:40:49
>>337
毛利輝元に命じられて、怪しい京極高次の動向を見張っていたらしい
(中野等『人物叢書 立花宗茂』)
それ以前は垂井で島津義弘と行動を共にしている

339 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 09:36:27
垂井まで進出してたのかよ

340 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 11:54:25
>>338
その話しは本当かね?
瀬田を通過して垂井まで行ったのに、どうしてまたそこから瀬田まで戻る必要があるのか?
近江瀬田橋の守備には相良長毎らがいたはず?

341 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 19:01:00
瀬田橋東番衆の垣見一直、熊谷直盛、秋月種長、相良頼房、高橋元種は、三成の命を受け9月5日に大垣城に転進。
それと入れ替わりに立花宗茂が瀬田橋の警備に移動したのでは?

342 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:22:16
>>338
最初から瀬田の唐橋の守備についていたと言われる立花が垂井にいたとは歴史的発見だな

343 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 20:52:51
裏切り者の秋月、相良、高橋と西軍最強の立花宗茂を交代させる意味がわからん

344 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 22:09:04
立花宗茂最初から勢田橋の配置でしたよ
垂井には行ってません    

345 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:12:05
http://www.muneshige.com/year.html
立花宗茂は垂井まで行っている 
ここに載ってるから間違いない   

346 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:36:43
8月22日なら河田木曽川渡河の戦いや米野の戦いが始まってるぞ、それなのに三成は垂井にいた島津、立花のうち島津だけ墨俣まで進出させて立花だけ瀬田に移動させたのか
1兵でも欲しい状況だろうに、どういう戦略だ?誰か納得いく説明をしてくれ!

347 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:43:37
>>346
そりゃ、岐阜より大津の方が重要と考えたんでしょう
あそこを抑えられたら、京や大坂の連絡線を切断されるものだし
前線の拠点を一つ失うよりはるかに深刻、奉行畑の三成なら特に
そう判断するでしょう

348 :日本@名無史さん:2008/11/21(金) 23:49:51
京極が東軍に寝返ったのは9月3日なわけだが

349 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:14:11
瀬田橋東番衆の内、8月25日、垣見一直、熊谷直盛、秋月種長、相良頼房、高橋元種が大垣城に向けて移動開始
立花宗茂はこの時点で瀬田にいたのでは

350 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:21:23
いや、だから、8月22日の時点で東軍の攻勢が始ってるのに、まだ寝返るかどうかもわからない大津城の監視に3900もの兵力を率いている西軍にとって貴重な戦力である立花宗茂を瀬田に移動させる必要があるのか聞いてんの!

351 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:41:11
瀬田にいた垣見、熊谷らを大垣に呼び寄せたのは清洲の東軍が動きだしたから
それらの小大名の部隊より強い立花隊が垂井にいるなら瀬田に後退させる意味がないな

352 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 00:43:31
あーーー立花軍が関ヶ原で戦う姿 みたかったなーーーー

353 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:31:40
>>338
そんな話し初耳だぞ
ソースをくれ 

354 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 01:39:35
いつものキチガイが叫んでいるだけでそ。放置しとけ。

355 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 02:24:53
立花隊3,900が小西隊4,000の代わりに天満山に布陣してたら
寺沢ごとき片手で撃破し、後続の古田織田生駒金森4000も四散させ
直政と激闘を繰り広げてくれるにちがいない!

史実どおりの展開なら小早川を一旦ひるませその後敵中突破しただろう



356 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 03:34:02
>>353
私は>>338ではないが
8月11日時点で大垣城にいる西軍を見ると
立花宗茂の名前こそないが
http://kindai.ndl.go.jp/scrpt/jgmWeb.dll?ImageOut?p=71\40012771\00014\0058.dir/03-0/1421-1024/a-1892-1364.jpg
立花宗茂の弟、高橋直次の名前がある
石田、小西、川尻は本戦に参加
福原、木村父子は大垣城篭城戦に参加
高橋直次は大津城攻城戦に参加
これはいったい…

357 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 09:55:09
それで立花宗茂は垂井にいたのか、いなかったのかどっちなんだ  

358 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 11:07:23
三成は、兵站重視や制圧というとても現代的で素晴らしい感覚を
持っているのに敗れた理由がわからん 

三成が近代以降の人物なら・・・実に惜しい

359 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 19:16:04
御子孫の方がおっしゃるなら垂井にではってたんだろ。俺らがウダウダ言ってるより確実な話だと思う。
石田にしても一日で決戦になって終結とは思わなかったから呼び返さなかったんだろうよ。
というか、石田自体にそこまで命令する権力はなかったとも言われてるけど。
あと、いくら石田が兵站重視でも福島や池田みたいな馬鹿が遮二無二突っ込んできたら兵站整えても意味なかったって事じゃね。
馬鹿とはさみは使いよう、で使いこなした家康は石田とは別の柔軟性で凄かった。
でもたった19万石の辞任した元奉行でしかない石田が家康と決戦までいけたのは十分凄いと思うよ。

ところでさ、石田と同様に朝鮮戦役の時の軍監で同様に恨みをかっていた寺沢は
東軍で肩身狭かったんじゃないかな。よく一緒に戦えたもんだ。

>>310
あそこで戦死した大名がいたとは知らなかった。

360 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:04:41
子孫が言うから確実?
石田が兵站重視?
辞任した元奉行?
兵站整えて?

361 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 20:57:06
俺が三成なら立花宗茂が垂井にいたなら島津と供に墨俣に布陣させる  

362 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:29:38
>>360
359ではないけど返答してみる

@子孫どうこうの話は分からん
A奉行で兵站重視ってのは通説だしここでもよく言われてるだろ
B天下を混乱させたということで一応辞任したってことになる。解任ではないような
Cこれは質問の意味が分からん


363 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 21:31:35
西軍と東軍が激突を開始した8月22日の時点で
垂井に立花隊がいたのなら瀬田まで後退させるわけがない   

364 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:05:29
たしかに

365 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:22:59
立花宗茂が瀬田に至るまでの細かい動きを知ってる人いないの? 

366 :日本@名無史さん:2008/11/22(土) 23:23:11
>>358
近代的な感覚だったから、味方が言うことをきかない
という状況に対応できなかった
しょせんは官僚

367 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:17:35
>>362
@子孫かどうかで決められない
A兵站重視という通説なんて存在しない、どこにあるの?朝鮮役での話しなら朝鮮奉行として兵站に携わっただけなんだが
 それだけで兵站重視というなら福島も黒田も兵站重視なんですけど
Bどこの史料で辞任ってなるの?天下を混乱させたってことで一応辞任?蟄居閉塞で解任なんだが
C関ヶ原で兵站整えてと>>359にあるのだが

368 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:44:58
>>367は戦国板などでも同じ論調を繰り広げてるネット基地外だから構わないように

369 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:53:09
あぁ、>>368は戦国板でも史料も根拠もなしに誹謗中傷を散々喚いてた人ね
戦国板では相手にされないから、ID出ないこっちで活動してたのかw
お疲れさんw

370 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 00:58:13
ほらね、基地外丸だしでしょw
>>362さん基地外相手するとこうなるからこれからは構わないように     

371 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 01:02:04
まぁいつものようにスレの話する訳でもなく、誹謗中傷してスレ荒らすと、頑張れよ>>370
戦国板でも常駐だったしなw

372 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 01:44:42
ほらね、基地外丸だしでしょw
>>362さん基地外相手するとこうなるからこれからは構わないように     

373 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 03:01:52
>>367
変なのがいるから話題を戻そう。
石田三成が兵站や経済関係に詳しいと思ってるけど違うの?
九州征伐でも糧食関係の仕事に従事してたはずだけど。

374 :日本@名無史さん:2008/11/23(日) 11:22:50
>>373
小田原包囲のときとかも兵站を整え、さらに
現地米を高値で買って北条方を干上がらせようとしたりしたし

だから奉行なんだろ?って思うけど




375 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 02:06:02
>>362
変なのがいるから話題を戻そう。
立花宗茂の御子孫の方がおっしゃるってるのだから垂井にいたのは確実。>>367のような何の知識もない人間がウダウダ言ってるより確実な話だ。

376 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 14:12:09
立花は垂井までいったん進出しておきながら
なぜまた瀬田まで下がったのか?
納得のいく説明をしてくれ 

377 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 16:48:28
8月11日の時点で高橋直次までも大垣まで来ていることにヒントがある

378 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 18:00:16
>>373-374
奉行だったんで小田原征伐で兵站業務に従事した、それだけ
石田三成が兵站重視だったとは何を根拠にされてるのが不明
秀吉が九州征伐で兵站が破綻しかけていたのを踏まえて、小田原征伐では兵站が重要視された
現地米を購入し干上がらせる方式は鳥取城、備中高松城攻めで行われてるのだが
それが何故、三成が兵站重視した事になるのだろうか?

そもそも「通説」「定説」と言うのを理由にする輩は、何が定説で通説かわかってない
自分が知ってる知識=定説・通説に置き換えてるだけだから


立花宗茂が垂井にいたかは調査中、今現在で言うと、いなかった方が濃厚だが
>>375のような子孫かどうかもわからないレスを確実と言う程度の知能の人間に知識ないと言われてもなw
だったら家譜は全て正しい、内容に誇張も捏造もないと盲信するって事だ、程度が知れる

379 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:22:16
高橋直純

380 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:28:57
>>378
何を根拠に立花宗茂が垂井にいなかった方が濃厚だと言い切るのか
説明してくれ 

381 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 19:58:55
>>380
今現在、信頼出来る史料での裏付けが取れないから、以上


382 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 20:14:09
CV高橋直純

383 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:36:52
>>381
専門家の方ですね

384 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:38:45
>>381
立花宗茂が垂井にいなかったことを検証する責任は、否定的な論を展開する君自身にある。
立花宗茂が瀬田に至るまでの行動の証明もできないのに、垂井にいなかった理由が信頼出来る史料での裏付けが取れないからと意味不明な発言する>>381の、
頭の中が疑われる   

385 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 21:59:43
あぁ、>>381は戦国板でも史料も根拠もなしに同じ論調を繰り広げてるネット基地外
戦国板では相手にされないから、こっちにやってきたみたい
いつものようにスレの話する訳でもなく、誹謗中傷してスレ荒らすのが目的の基地外
こいつは関ヶ原に関する知識は全くない馬鹿だから相手にしちゃダメ
立花宗茂がどこの誰なのかすらわかっていない

386 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:07:05
立花宗茂は垂井で島津義弘と行動を共にしている  

これは常識

387 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:14:38
>>381
信頼出来る史料とは具体的にどれのこと?

388 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:26:15
戦国板ではID出るのでこんなコト出来ないもんなw
大変だなw

389 :387:2008/11/24(月) 22:48:38
答えられないの?  

390 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 22:57:25
答える義務ないし、そもそも立花宗茂は垂井にいたと証左する史料名を聞きもしないのに、
調査中と書いてるこちらだけに聞くというスタンスな時点で、いつもの展開かと答える気失せる

戦国板の過去ログのデジャヴ見てるようだw

391 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:21:11
答える義務がない?
答える気失せる?
答えられないとまたそうやって逃げるのかw
いつものパターンだなw   

392 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:29:07
ソース厨は毎度毎度同じ奴なのだろうか?

393 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:32:56
立花宗茂が垂井にいた件についてだが、8月22日付の井伊直政の
書状に「垂井には島津・立花居り申し候由、申し候」とあるとの
こと。そして、その後『日本戦史』によると、毛利輝元の命を受けて、
近江松本山に駐屯して、京極高次の動静を見張り、高次が東軍へ
つくと、小早川秀包や毛利元康らと合流して大津を攻めたとのこと。


394 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:34:53
俺は>>381の肩を持つぜ。理由は>>363で述べた通りだ。  

395 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:38:50
>>393
井伊直政がそう言うのなら間違いないな
>>381のような何の知識もない人間がウダウダ言ってるより確実な話だ。

396 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:39:07
>>391
いつものパターンというのは学習能力ないお前の事だw
だから>>390にいつもの展開だと書いてるだろw
ID出ない板って便利だね、もう戦国板には居られないもんなw

もう4〜5件調べたら結論出そうだが、ここで報告するこたないなw
出しても戦国板でだなw

397 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:41:50
>>393
それなんだが立花家文書でちょと引っかかってね・・・
まぁもうちと結論待っててよ

398 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:47:53
というわけで>>381の負けが決定しましたw

399 :日本@名無史さん:2008/11/24(月) 23:52:34
負けと思ってていいぞ、裏付けが取れないのは事実だし調査中だしなw
当人の書状なら兎も角、他者の書状だから誤認なんて日常茶飯事だしな

それ以前に厨発想の勝ち負けとかで調べてねーしw


400 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:16:26
>>399
そういうなら他の史料ではどうなってるかの傍証を出して欲しいな。
「他者の書状なら誤認は珍しくない」でひとくくりにするのはあまりに
乱暴だろう。それは少し都合が良過ぎるんじゃないのかな

401 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:25:44
大垣にいた高橋直次も大津城攻めに参加してるからな  
いっしょに戻ったんだろうな

402 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 00:33:22
>>400
あのさー、だから調査中と書いて結論言ってないだろ、検証結果も書くとしたら戦国板と書いてるんだが

誤認は珍しくないのは事実で、それで居なかったという結論に達してるわけでもない
立花家文書でそれが確認出来ずに、逆に足取りが不明確だから、結論待てとも書いてるし、
あくまで調査中で裏付けが取れないので、今現在は否定的としか書いてないのに、
何で必死こいて結論出させようと肯定させようとするのか、さっぱりわからん

403 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 01:17:18
戦国板で検証結果を書いてくれるそうです
これは楽しみですね
期待して待ってますw  

404 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 19:31:14
立花宗茂/高橋直次兄弟 

CV高橋直純

405 :日本@名無史さん:2008/11/25(火) 23:34:37
ソース厨よ、頼むから消えてくれ。

406 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 00:09:31
ということで

結論 立花宗茂は8月22日に島津義弘といっしょに垂井にいた 

407 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 07:56:26
CV高橋直純

408 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 16:41:50
直純兄さん人気だな

409 :斉彬:2008/11/26(水) 22:53:57
立花とか島津すげーよなこいつら秀吉の統一前からそれぞれの地域で暴れてたし朝鮮でも明とガチでやりあってボコってるし。どんだけ戦好きやねん!

410 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:18:15
好戦好きだよね
秀吉にも逆らってるし
家康にも逆らってるし

石田三成も気合い入ってるね


411 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:30:35
立花宗茂が8月22日に垂井にいたのはわかった
そこでここからが本題だ
三成は河田木曽川渡河の戦いと米野の戦いが始っているのに
なぜ西軍最強の部隊である立花宗茂を瀬田に移動させたかだ
瀬田橋東の守備には、垣見一直、熊谷直盛、秋月種長、相良頼房、高橋元種がいて
この時点で大津城も西軍という状況でだ
納得のいく説明をしてくれ

412 :日本@名無史さん:2008/11/26(水) 23:51:28
立花宗茂率いる精鋭3,900と
宇喜多秀家の骨抜き17,200
どっちが戦力として上?

413 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 00:09:39
石田は×2 関ヶ原の主役補正がかかり士気がめっちゃ高いし実際2万の東軍と対等だったし
立花は×3 小早川隆景が立花隊は持っている兵の3倍の働きをする言っているし
島津は×4 なんとなく
宇喜多は2分の1 精鋭は東軍で自軍は雑兵のよせ集めで6000の福島と対等だったし
小西も2分の1 真っ先に崩壊したから凄い弱いイメージ

よって
石田 12000
立花 11700
島津 6000
宇喜多 8600 
小西 2000

こんな感じじゃね?
だから西軍最強は石田の部隊だと思う  

414 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 01:11:02
そういうのは戦国板でやれ

415 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:23:02
結局、北政所も武断派の武将も家康に騙されてたでFA?

416 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 15:54:46
>>415
そもそも、この時点の家康に騙すつもりがあったのかどうかがわからん。
結果から見れば騙したとも言えるが、この時点・段階ではどこまで考えていたのか。
鎌倉幕府の北条執権のように、豊臣家を無力な形で残した上で実を取ろうと思っていたのか
史実の結果同様、豊臣家を跡形もなく潰すつもりだったのか
豊臣家を単なる公家のひとつにして武家政権から締め出した上で幕府を開くつもりだったのか
とにかく、現実の結果を最初から構想していたのかどうかわからない限り正解は出ない。

417 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:40:53
>>413を見て思い出したんだが
家康本隊30,000の戦闘能力はどうなの?

418 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 16:56:01
>>417
徳川最強の精鋭。守るも攻めるも縦横無尽の逸材揃い。

419 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:12:31
苦戦にもかかわらず見てるだけってどういうことだよ

420 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 17:59:13
家康本隊は1万5千から2万程度の兵数でなかったか

421 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:08:04
福島と対等?
まじで言ってるの?

422 :日本@名無史さん:2008/11/27(木) 23:59:04
秀家に少しで内政能力があったなら・・・・
普通に関ヶ原戦勝もありえたのに・・・・

423 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 01:36:39
家康本隊3万はよせ集めの弱小部隊
精鋭は秀忠の部隊に集中している
これは常識。 

424 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 08:36:28
やっぱそうか
そうなると徳川30,000は烏合の衆、宇喜多17,000も骨抜き 
そうなると小早川15,000の存在がかなりでかくなるな

425 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 10:14:33
>>423
あー、それは間違い
秀忠に大名衆が多いのは彼が担当する東北・中山道方面に
元々、大名級が多く配されているから

それに小身の旗本が多いといっても彼らは基本的に、一晩で
江戸に来れる距離に領地を構え、大番なんかは江戸常勤
そんなわけで寄騎同心制で備を作るので、寄せ集めという論に
根拠はない

家康本隊が殆ど戦わなかったのは単に戦闘正面が取れなかっ
たか、予備である自軍を出すほどでもなかったかでしょう

426 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 12:43:04
家康は撤退戦に備えて、自軍を温存したんじゃないの?
豊家恩顧大名同士で戦わせて、自分は厚い兵団に守られながら
高みの見物。これぞ名将。

427 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 15:48:08
>>426
撤退前提一位なら南宮山より奥には行かないかと

428 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 17:47:40
自ら前線に    撤退前提はありえなくなる
精鋭揃い     苦戦にも関わらず全く戦力を投入してないからおかしい

高みの見物    これは当てはまる



429 :日本@名無史さん:2008/11/28(金) 18:55:02
苦戦?え?

430 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 00:39:28
それで>>411の問いには誰も答えられないのか?
日本史板もレベルが低いな

431 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 00:42:23
関ヶ原合戦後の政治体制まで考えると、徳川家臣団が
あまり勝利に貢献できんというのは中々に痛いぞ。
実際問題として、関ヶ原の後、西国方面にテコを入れられる
のはしばらく時が開くわけだし。
笠谷氏の国制論や「二重公儀論」は批判も多く、全面的には頷き
得ないが一理はあると思う。

432 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:11:15
30,000もの大軍がいながらそれを前線に投入しないってやっぱ
張り子の虎だろ 精鋭なら投入して徳川の力で勝ち取り豊臣
恩顧なんかに大国をやらなくてすむ

433 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:31:54
>>422
普通に毛利が全力だったら西軍の勝ちでしょw

434 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 02:41:30
家康本隊3万はよせ集めの弱小部隊
精鋭は秀忠の部隊に集中している
これは常識。 


435 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 08:12:35
>>434
それは備をよく理解していない笠谷氏の勘違い

436 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 19:46:47
>>432
予備が後方にいるという安心感は想像以上のもの

437 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:35:33
あんな狭いところで後ろに居られたら逆に迷惑
戦術的撤退すらできない 

438 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 21:46:50
>>437
戦術的撤退なら数百メートルで十分

439 :日本@名無史さん:2008/11/29(土) 22:30:41
つまりそれ以上の撤退は許さんぞ ということか

440 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 02:59:58
家康本隊は実際2万程度の兵数


441 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 09:45:19
>>440
それは同意
まとまって行動する一部隊の上限はそんなもの

442 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 12:17:03
毛利軍15,000ってどうなん?

443 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 17:06:43
徳川家康本隊の兵数は3万人、これは常識。2万とか言ってる馬鹿はなんなの?
 

444 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 18:12:36
>>443
巷間の三万は参謀本部の『日本戦史』で家康蔵入地100万石に3人役をかけた仮の数
参謀本部自身も仮に定めたと注記している
史料を基にするならば『関原一乱志』に三万二千七百三十騎(実際は数)が江戸出陣数
として記載されているが、これは東海道に残した部隊や松平忠吉の部隊も含まれ、これを
合わせて二十万二千石、仮に三人役で引くと二万八千、五人役なら二万二千
他にも『関原集』に家康本隊一万五千の記録もある

445 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 21:49:30
>>444
松平忠吉はすでに清洲にいるぞ
東海道に諸城に入った部隊については福島達よりも早く入っている

446 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 23:04:15
>>445
東海道抑えの兵は解らないけど、忠吉は家康と共にだったと思う
後、関原軍記大成では東海道抑えの兵を除いて二万五千とのこと

447 :日本@名無史さん:2008/11/30(日) 23:57:34
だったと思う?


448 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 00:36:38
松平忠吉は家康本隊3万が到着する前から岡山の東、若王子の宮に布陣してますけど    

449 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 00:58:52
>>444は出典書いて説明、他は出典すら明記してない
これではねw

450 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 01:15:30
江戸出陣時点で東海道配置した部隊や松平忠吉の部隊も含めていることが間違い
すでに江戸から離れている部隊は含めようがない
よって3万2730人だな

451 :日本@名無史さん:2008/12/01(月) 06:48:19
>>448
同時に出陣して先行したかした後、別の陣に駐屯したんでしょう
この辺の経緯は不明ですが、少なくとも先鋒が小山を出た時には
いないはずです

452 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 02:25:48
>>425
それは、全てあなたの思い込みです。

453 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 10:02:25
徳川家全体の動因兵力はいくらだ?
石高どうりなら7万5千くらいの筈 

ついでに毛利・上杉もわかればいいなーー 
上杉は6万とかいわれてるけど
うそだろ

454 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 11:36:40
>>453
上杉が根こそぎ動員したのは確かだけど、小田原合戦の北条以上の兵力はちょっと信じがたい

455 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 15:51:00
>>454
臨時雇いの牢人衆もいたから何とも言えんが、どの程度動員
できたかって結構判らなかったりするよなあ。
毛利氏も、あちこちに結構な兵力を割いてるようだし

456 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 18:42:13
それで松平忠吉の部隊は徳川家康の本隊に含まれるか含まれないのかどっちなんだ?

457 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 18:53:52
>>456
含まれない

458 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:12:04
>>456
『関原軍記大成』に江戸出陣する家康の従軍将士に松平下野守が
いるので含まれる

459 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 19:37:44
含まれない

460 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:18:21
岐阜城攻めの時は本多と井伊だけしかいないのは確認している
忠吉はいつ赤坂にやってきたんだ  

461 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:44:03
松平忠吉って3000だから家康といっしょに江戸を出発したなら3万3000になってるはず
と思ったら
>>450
数合ってるじゃんw


462 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 20:53:22
ほほう、東軍先方隊といっしょにいたと思っていた松平忠吉が9月1日まで江戸に留まっていたとは、これは驚いた

463 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:35:14
>>454
上杉6万は5人役なら問題なくできる
北条の5万少々は小田原城に籠城した分のみで総勢は
十万以上とされる

464 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 21:36:39
津軽はいつごろ美濃に到着したの?

465 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 22:33:58
>>458
『関原軍記大成』にそう書いてあるのなら間違いないな

結論  松平忠吉は徳川家康といっしょに江戸から出発した  

466 :日本@名無史さん:2008/12/02(火) 23:31:13
赤坂衛 

467 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 19:42:51
>>465
『関原軍記大成』が絶対的に正しいとは限らんけどね
例えば、酒井重忠は『大成』では弟と秀忠に供奉しているが
『寛政重修緒家譜』『酒井家譜』では家康と本戦に参加しているとある
間違いないのは戦後、弟とともに大津城の城番になったこと

468 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:42:39
とくにややこしいのが酒井左衛門という人物
後世の人はこれに尉を付けて酒井左衛門尉家にして
酒井家次が本戦に参加したという人もいる
実際はこの人は『太田和泉守記』で祖父江法斎や森勘ヶ由と一緒に
霧の中で斥候をしている内に出合い頭に敵と遭遇して功を得たという
程度の人物なので、実際は軽輩の人物(上総酒井氏の可能性あり)

あと酒井右衛門も間違われるが、この人は二千石の大身旗本で
旗奉行をしていた人

469 :日本@名無史さん:2008/12/03(水) 20:48:49
>>452
それは総てあなたの思い込みです。

470 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:31:11
>>467
禿同!
「関原軍記大成」ばでたらめが多い
田辺城攻撃軍に織田信包の名前があるからな

471 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 00:53:42
関ヶ原軍記大成は各家譜や軍記、諸雑記を寄せ集めて編纂した関ヶ原の軍記の集大成だから、
玉石混淆、なんでもありなんだよ

だから軍記大成に書いてあるではなく、軍記大成に記載されるネタ元を見つけなきゃ意味が無い

472 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 07:50:41
忠吉については他に私の見る限り、家康と同行した以外の史料は見えない
それに先行する理由もないので、やはり家康に随行したかと


473 :日本@名無史さん:2008/12/04(木) 16:33:08
>>471
> だから軍記大成に書いてあるではなく、軍記大成に記載されるネタ元を見つけなきゃ意味が無い

じゃあ司馬遼太郎の小説みたいなもんだな。余談の元ネタ探しが面白い。
シャーロッキアン的読書法だなw

474 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 00:20:57
松平忠吉は9月1日に家康といっしょに江戸から出発という結論でいいんだね
それで関ヶ原に着いてからで分離したと

475 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 14:06:55
津軽はいつごろ美濃に到着したの?

476 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 18:43:50
軍記大成だと家康と一緒

477 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 20:58:43
>>476
どこにそんなのある?

478 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:16:12
津軽為信は2千5百騎を率いて9月5日に駿府で家康に追いつき謁見
美濃に進軍
曽根城に入城

家康といっしょに行軍したのかね?
この進軍速度だと追い越したたんだと思うが?

479 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:29:55
>>477
巻之八 家康公御出馬御遅滞

480 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:36:24
>>478
追いついた後は、一緒に進んだのでしょう

481 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 21:39:21
津軽が2,500も率いてたんだぁ

482 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:09:47
>>481
寛政重修諸家譜にはそうあるが非常に疑わしい
おそらく大垣城攻めの総勢を混同したと思われる

483 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 22:53:57
大垣城攻め直前には国元から松野信安が650を率いて合流しているから
津軽為信の部隊は最終的に3000を超えているよ

>>682
大垣城に篭っていた西軍の兵力知ってる?
城攻めの兵力が篭城側より少ないなんてありえない

484 :日本@名無史さん:2008/12/05(金) 23:35:40
>>483
当時、三万石か四万五千石にそれは不可能、遠隔地だし
後、大垣城は個人的には突撃野郎水野勝成ならやりかねんと思う
実際、三の丸を陥したあと一旦戻り、内応で落としている

485 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:03:05
戦後、為信が信濃川中島十万石への転封の沙汰を断ったのは
津軽領が内高実質20万石だったからですよ  


486 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:23:18
米取れない、十三湊はかなり衰微で、実高20万石はありえないでそ。

487 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 00:45:20
津軽為信は3000です
これは常識


488 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 07:56:37
津軽は150くらいでは?

489 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 09:53:04
津軽が数百の大兵を率いて、上方に上るのは至難。
近隣大名が全て在国している中、自国を空にする馬鹿はいない。

九州と東北を一緒にするな。

490 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 10:37:16
>>489
実際やって、自国で謀叛おこされている
西軍が負けたので、意気消沈して鎮圧されたけど


491 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 12:10:06
>>485
津軽が川中島10万石を断ったのは1619年、津軽信枚の時のこと
関ヶ原は関係ないだろ
領地は津軽信政の時代(元禄あたり)の検地で30万石だったかな?

492 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 18:33:43
前田さえ西軍になってたら、前田軍、毛利輝元等の軍勢計6万余が関ヶ原へ。
西軍圧勝!
前田が東軍だった為、輝元が秀頼守備に。


493 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 19:41:55
>>490
その話は確認されていません。捏造という見方が強いようです。

494 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:08:43
>>493
ありゃ、まぁ少なくとも大垣攻めには参加している様だで
けり付けとくべきかな

495 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:30:22
>>491
30万石ということは
津軽の動員兵力は
3人役で9000人
5人役では1万5千人ですね
3000人という数字をむしろ少なく感じます

496 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:43:08
津軽は合戦時、どこに布陣してたの?

497 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 20:52:01
>>495
それ津軽平野の開拓した上で、南部と張り合った値じゃないの
>>496
大垣攻めで水野と一緒だから曾根城

498 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:19:08
津軽為信って奥羽の大名で唯一関ヶ原までやってきて戦ったのに
2千石の加増だけなのは可哀想

499 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:27:22
>>498
子が石田の娘と結婚したり、石田の子を匿ったりしている
それに家康の養女が嫁いでるからそれで相殺かと

500 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:30:19
津軽為信 →大垣城攻め
津軽信枚 →関ヶ原本戦
津軽信建 →大坂城内

501 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 21:57:59
>>493
詳しい経緯まで書かれている事を捏造といい張るには
捏造という根拠を示さなければならない    



502 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:01:07
津軽は大垣城攻めには参加していません。全て捏造です。  

503 :日本@名無史さん:2008/12/06(土) 23:50:48
津軽ってほんのわずかな供を連れただけで家康の本陣に軟禁されてたんじゃなかったっけ?

504 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:25:30
>>501
研究者たちの議論を参照すればいいんじゃない?

505 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:34:40
なんだかんだと言って、関東・東海道・中山道それぞれに数万の軍勢を
活動させることができる徳川家は異常だな

506 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 00:56:28
津軽為信は2500の兵を率いて関ヶ原で戦ってますよ

507 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 03:01:23
>>506
どの布陣図見てものっていない

508 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 05:00:40
『関原軍記大成』には、
「大垣の押には、西尾豊後守忠政・水野六左衛門勝成・津軽右京進為信・松平丹波守康長等は、曾根の近辺に陣を取る。」とある。

戦後の論功行賞では、西尾、水野、松平が1万石加増。津軽だけ2千石加増。
大坂城にいた津軽信建の赦免及び三成の子の助命と引き換えでマイナス8千石なのでは。

509 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 08:14:11
>>507
参謀本部の地図は曾根・岡山・長松や大垣が
入っていないから南宮山も包囲されている事を
認識していない人が多すぎる

510 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:23:15
包囲されてたのは東軍の方じゃないの?

511 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 09:41:01
>>510
西軍は関ヶ原の東軍本隊を西軍本隊と南宮山の部隊で包囲してるし
東軍は南宮山の部隊を池田・浅野らと曾根・岡山・長松の残置部隊が
大垣城監視と並行して包囲している

関ヶ原の主戦場は兎も角、南宮山や大垣はこの様にお互いを包囲している
ので、積極的な行動はできないでしょう
家康は多少戦術的に不利になろうとも、戦略的な抑えを重視するから、
実際は南宮山の部隊は動きたくても、動けないのが実際かと

512 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:03:11
南宮山側は、地形的に樹木等で状況確認できにくかったのでは。
互いに離れていたし、霧も出てただろうし。

お互いの腹の底を探っているうちに
戦闘は終わっちまったんだろう。


513 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 11:51:52
関ヶ原というのは東西かなりグダグダな展開なんだが、最後の
江戸を出た以降の家康の行動がストレートすぎて、西軍が
それに対応する前に、決戦になった結果として一日で終了した
んだろうな

514 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 16:51:18
小早川ww 裏切り者め 

515 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 18:22:04
福島正則は、真夜中に30KM強行軍した,そのもののはずみで
宇喜多軍と接触し戦闘開始になったのでは。

516 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 20:08:26
福島は大坂城に夜襲をかけようと行軍中、関ヶ原で宇喜多の卑劣な奇襲を受けた。

517 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:27:52
>>516
大阪城を夜襲では秀頼様に弓引く事になろう。

518 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 22:37:30
いや最前線に出て一番槍、つけたかったという単細胞。

兵士は徹夜の進軍、くたくたで、宇喜多家の明石全澄に散々蹴散らされたとか。

519 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:08:26
>>508
堀尾忠氏と中村一栄もいなかったっけ?

520 :日本@名無史さん:2008/12/07(日) 23:47:04
堀尾は岡山でお留守番。
中村は本戦終わってから引き返して加勢。

521 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 00:57:41
公式ではこうです

赤坂の留守
堀尾忠氏 5100人
中村一栄 4350人

曽根と赤坂の間
松平康長 360人

曽根城
水野勝成 900人
西尾光教 600人
津軽為信 2500人

長松城
一柳直盛 1050人

金屋の河原
徳永寿昌 600人
市橋長勝 300人
横井伊織 兵数不明

522 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 06:48:10
>>521
大垣籠城の西軍は7500というから、
津軽除いた三将で攻めるのは、少なすぎるな。

523 :日本@名無史さん:2008/12/08(月) 11:00:16
三の丸落としたら撤退、その後は内応させた後、
数日間、攻撃した後に開城

524 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 09:33:16
>>520
>本戦終わってから引き返して加勢?
中村隊はどの関ヶ原布陣図見てものっていないけど?  

525 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 16:12:30
>>524
載ってますよ、右からいきますね

垂井の南側 池田輝政、池田長吉

垂井から桃配山の中山道沿いにかけての南側 浅野幸長、鈴木重時、水野忠清、中村一榮、山内一豊、有馬豊氏

垂井から桃配山の中山道沿いにかけての北側と相川の間 生駒一正、蜂須賀至鎮、小出秀家


526 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 20:07:02
えっ!中村一栄は赤坂の留守じゃなかった?  

527 :日本@名無史さん:2008/12/09(火) 23:43:05
>>526
大雑把な関ヶ原布陣図には載ってない
詳しい関ヶ原布陣図には載っている  

528 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 00:18:42
布陣図にも色々あってだね・・・信憑性で言うなら布陣図自体は信憑性ないよ

529 :日本@名無史さん:2008/12/10(水) 22:13:18
後世の大名の子孫にとっては、ご先祖にはぜひ
参加していただいた方がよろしかろうから、諸説出てくるだろう。

530 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 00:37:38
つまり、南宮山側の東軍は、池田輝政、浅野幸長、山内一豊、有馬豊氏以外に
中村一栄もいたってことか?
これは歴史的発見だな
900の有馬豊氏でさえ布陣図に描かれているのに
4000の中村一栄が省略されるとは
摩訶不思議だ  

531 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:28:18
中村家はその後2代目で改易、そのあおりで無視されたのでは。

532 :日本@名無史さん:2008/12/11(木) 20:59:47
>>525
それ関原合戦図志に載ってるけど、あれはいい加減だから信用しない方が良いよ
何しろ後世のミス、酒井家次が参陣していることになってるし

533 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 01:34:51
関原合戦図志と関原軍記大成を混同するな
そもそも旗本の酒井家次が布陣図に載るわけがない

534 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 07:03:37
>>533
軍記大成には垂井山の東としかないが
後、図志には家康本隊の構成も載ってるのよ
かなり怪しいけど

535 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 08:24:23
中村軍は杭瀬川で島左近と戦って全滅したはず。
布陣図に載ってないのは当たり前だよ。

536 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 15:51:50
中村一栄は堀尾忠氏と供に岡山に残留
これは常識    

537 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:03:41
古文書には杭瀬川の戦いの失態で家康から叱責され帰還を命じられ東海道を逆走中だったのを再び呼び寄せられ大垣城の戦いに参加と書いてある

538 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:10:42
役立たずの毛利より宗茂が関ヶ原にいれば・・・

539 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:22:17
空弁当を使った宗重は天下の笑いものとなり、浪人のまま恥多き一生を終えました。

540 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 20:38:18
それで中村一栄の部隊は赤阪にいたのか垂井にいたのかどっちなんだ?   

541 :日本@名無史さん:2008/12/12(金) 21:37:50
http://www.nihonkai.net/nakamura/activity/index.html
中村一栄は毛利のおさえとして垂井にいた
ここに載ってるから間違いない。   

542 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 09:52:33
>>539
天下の笑いものになったのは毛利w

543 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 14:34:30
急死した中村一氏、NHK大河ドラマでロンブーのアツシがやってた役だね。

立花宗茂、間に合ってたら確実に家康負けてた。

544 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 15:00:32

はいはい

545 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 15:26:44
実際、立花がいたら戦況変わってただろ
少なくても毛利よりは100倍役に立つぞ。

546 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 17:49:32
毛利=0
立花=0×100=0


547 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 18:52:46
ま、関ヶ原で家康負けても
その後に膠着戦になると、また家康有利だろうなあ。

548 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 19:31:23
大坂にぎってんの西軍だし、関ヶ原の地形からして東軍が負ければ袋のネズミで
史実の西軍以上の大打撃は必至だし、膠着はないでしょ。

549 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 21:46:59
宗茂のいる部隊の大将はたしか毛利元康だったと思うけど
あと毛利が役立たずとかいうけど自分らに相談もせずに
作戦を決めてそれに従えと自分より立場の下の者に命令されたら誰でも
言う事は聞かんだろう

550 :日本@名無史さん:2008/12/13(土) 23:53:31
毛利って馬鹿だよね、関ヶ原で負けても全領土安泰なんて
本気で考えてたの?


551 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:00:04
それで中村一栄は岡山ではなく池田、浅野といっしょに垂井付近にいたという結論でいいんだね
メジャーな布陣図には載ってないけど   

552 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 00:25:41
前田さえ西軍だったら、輝元も大坂におらんやろし、勝っていた

553 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 01:37:14
秀吉は暴君だったから、死んでみなほっとしたはず。

最初から家康が勝って当然だったが、彼の政治力が今一つだったのでは。

554 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 02:24:15
加藤清正 最強!

555 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 06:46:23
「関ヶ原御合戦地図」では、
「池田輝政、浅野幸長、山内一豊、有馬法印父子、金森法印、中村一栄、一柳直盛、水野清忠、鈴木重愛、
右九隊ハ南宮山栗原山ノ壓トシテ垂井ノ東南ニ備」とある。

556 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 10:11:30
>>550
馬鹿だから生き残れたんだよw

557 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 13:52:13
元就の愚昧、卑劣さは有名だろう。
叔父がしゃしゃり出なければ、本家はもたなかった。

558 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 14:37:34
すまん、元就ではなかった、孫の輝元だった。

爺さんも卑劣だったが頭は良かった。

559 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 15:00:27
>>555
一柳は長松城では

560 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:32:06
適当に垂井から岡山の間でいいんじゃない
戦況によって移動しただろうし

561 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 17:47:00
ダメです
こういうことは
はっきりさせないと

562 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 18:04:45
はっきり出来るもんなら是非してくれ

563 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 20:00:51
関原一乱志には
南宮山の抑えで池田三左ェ門、浅野左京大夫、駿河衆、遠эO
大垣城の抑えで水野日向、同市正、有馬玄蕃、水野六左ェ門、津軽右京、西尾豊後守、
山内対馬守、中村彦右ェ門
長松古城に一柳監物、加藤左近為大将、美濃衆
とある

寛永諸家譜でも有馬・山内は赤坂で大垣の抑え
南路志に記載されている谷川七左ェ門覚書や関原物語でも
山内、一柳、中村、有馬は大垣の抑えとある

関原始末記では池田・浅野と駿河・遠州勢が南宮山の抑えで
家康本陣の北に布陣とあり、別に堀尾が大垣城の抑えで
大垣城の道筋に布陣

564 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:27:52
やっぱり赤坂に残ったのは堀尾だけじゃないの?
中村は杭瀬川の戦いでも有馬といっしょに行動したから
本戦でもいっしょに行動したと考えるのが妥当  

565 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:34:22
通説の有馬・山内が池田・浅野より西にいる説は非常に怪しい

566 :日本@名無史さん:2008/12/14(日) 21:46:27
高台院実は西軍寄り説ってほんとうですかね?


567 :日本@名無史さん:2008/12/15(月) 00:00:40
>>541が結論でいいよ、中村家の御子孫の方がそうおっしゃっているのなら確実

568 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 01:32:53
なにやら南宮山方面の話しになっているので、ついでにお聞きします。

長宗我部の後ろに毛利勝信と毛利勝永が布陣していたというのは本当でしょうか?


569 :日本@名無史さん:2008/12/16(火) 02:28:50
>>568
多分本当。伏見城合戦の後、小倉毛利勢は、毛利秀元らの軍勢に
編入されているはず。

570 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 15:51:59
毛利勝永って最強武将じゃねえか
立花より強いのが関ヶ原にいたのなら
西軍は勝てたはず

571 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 17:44:48
大阪夏の陣では大活躍だったね。
でもこの頃、まだ若殿。

572 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 19:44:05
下手したら真田より活躍してる毛利勝永




573 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 20:58:22
真田なんて越前に蹴散らされて隠れてた神社で鉄砲足軽に斬首されたへたれ

574 :日本@名無史さん:2008/12/17(水) 22:42:59
家康本陣に先に攻め込んだのは、毛利の援護をうけた真田が攻め込み
続いて毛利隊が突入したら、家康が逃げ出した後でもぬけの殻だったのでは。

575 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:08:09
家康の本陣より前に布陣していた連中はどこに逃げたの?
あっさり突破された責任を取って切腹した?
それとも全滅したの?

576 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 21:36:10
>>575
大軍同士で何が何だか解らん内に突破されたので
お咎めなし

577 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:16:34
総数は多くても、小規模部隊をずらりと
並べたのが失敗だったのでは。

578 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:19:09
大軍が密集しすぎて逆に動きにくくなったんじゃなかったっけ?

579 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:28:39
いくら大坂方が死兵と化して突撃したとしても、混乱のうちに
なんか家康本陣に到達しちゃいました、なんてことは考えにくいのでは。
敵部隊を撃破、敗走させながらじゃないと、大軍に360度包囲されてあっというまに壊滅では?
あるいは島津みたくステガマリ残しながら突撃したとか。

580 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 22:53:15
>>577
備単位を編合して一手にしているので特に問題はない
>>579
先手が破れて残兵が二番手に流れ込み混乱し、更に
三番手が同様に事態に陥り…でその間を突破
それで、混乱した部隊が立ち直ると忽ち包囲殲滅
この間、わずか三時間

581 :日本@名無史さん:2008/12/18(木) 23:52:21
>>580
信繁と勝永、鬼のような働きだな…

582 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 02:35:42
毛利勝永はんは関ヶ原んとき何やってはったんですか?

583 :毛利勝永:2008/12/19(金) 07:10:05
傍観してた。

584 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 20:14:59
毛利勝永、特に鉄砲隊の指揮に秀でてたとか。

585 :日本@名無史さん:2008/12/19(金) 23:58:25
ちょっとスレ違いではあるが、関ヶ原と大坂の陣
の間の15年って実はかなり間が空いてるよね
その間よく家康は生きていられたな

586 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 01:55:40
毛利勝信は6万石、毛利勝永は1万石
1800人と300人が布陣していたのか
ならなぜ布陣図に載っていないんだ

587 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 08:27:13
>>585
薬作ったり、運動したり、粗食したり
頑張ってます
>>586
毛利で南宮山、つまり同一とみなされた

588 :日本@名無史さん:2008/12/20(土) 21:39:01
朝鮮でも活躍したらしい。

大阪城に、毛利勝永が入場したとの報告を聞いた家康が、
「しまった、あいつのことをすっかり忘れておった、
召抱えておくんだったのに。」と苦笑いしたとか。

まさか、自分の命が危なくなるとは予想もしてなかった。


589 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 01:33:31
毛利勝信と毛利勝永はどこに布陣していたのですか?

590 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 02:41:00
毛受勝介の話題と聞いて駆けつけてきました

591 :日本@名無史さん:2008/12/23(火) 05:53:28
毛利新介はどこに布陣してたの?

592 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 14:33:27
>>558
チキン毛利のせいで三成たちが・・・
輝元の馬鹿とアホの広家は三成の代わりに死ぬべきだった。

593 :日本@名無史さん:2008/12/24(水) 16:39:12
毛利勝信は南宮山の西、栗原に布陣
金谷に布陣している徳永、市橋らの東軍と睨み合ってた   

594 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 00:00:58
徳永?
市橋?
誰?  

595 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 05:42:42
>>592
三成たちが死んだのは自分たちのせいだろう
そもそも関ヶ原で戦う事を毛利一族に相談せず決めてる時点でだめだろう
自分たちで独断で決めているのに負けたら他人のせいにするなんて
どんだけだめなんだ三成たちはって事になるぞ


596 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 06:32:37
>>594
徳永寿昌・市橋長勝・横井伊織・同作左衛門・同孫右衛門ですな
長束勢は牧田川でかなり討ち取られてますな

597 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 06:44:13
え?長束も参戦してたの?

598 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 07:34:01
長束隊は本戦では池田隊と交戦、撤退戦では徳永隊・市橋隊などと遭遇戦を展開したとされている。
後者は無残な結果だったけど。

599 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 08:51:49
>>595
毛利が家康にビビッたから負けたんだよ
へたれ毛利が

600 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:06:03
治部は突然現れた家康に恐怖し、夜逃げをした。
しかし関ヶ原で捕捉され、全滅した。

601 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:48:29
>>600
治部は身一つで逃亡したよ。
全滅はしていない。

602 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 09:58:12
>>600
三成なめんな糞野郎


603 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 10:00:12
三成は捕まったとき下痢で臭かった(マジ

604 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 10:01:50
関ヶ原でまともに戦わずに傍観していた西軍の裏切り者達が
減封や処刑されたのは当然である。

605 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 10:11:49
>>603
お前うざい

606 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 11:59:43
>>566
亀ですまんが、高台院の書簡か何かに家康に擦り寄る武断派諸将を苦々しく思ってるとの記述があるとか。


607 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 14:39:18
>>598
安国寺と共に一発の弾も撃たんで退却したと違うの?

608 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 17:15:40
>>599
他人のせいにするんじゃねえよ
だったら一人で戦えばいいだろう

>>604
三成たちの方が先に裏切ってんだろう
重要な事を独断で決めている時点で武将たちの信頼を裏切っているぞ

609 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 18:52:26
600 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2008/12/25(木) 09:06:03
治部は突然現れた家康に恐怖し、夜逃げをした。
しかし関ヶ原で捕捉され、全滅した。

610 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 22:40:05
>>608
お前毛利信者か?
どう考えても関ヶ原で西軍が負けたのは毛利の責任だろ。

611 :日本@名無史さん:2008/12/25(木) 22:51:48
>>610
お前石田信者か?
どう考えても関ヶ原で西軍が負けたのは石田の責任だろ。

612 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 09:43:19
毛利が動いてりゃ勝ってた。
本当に全領地が安堵されるとか思ってたのか?


613 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 11:04:01
関ヶ原、今日は雪だよ。
寒い・・

614 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 20:22:44
>>612
あの状況で毛利が動くと本気で思ってたのか?
対毛利用に押さえの兵は置いてあるし
そもそも西軍が勝っても毛利が安泰かどうかわからんぞ


615 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 21:12:03
野心家の石田のことだから、勝ったら勝ったで金吾関白や毛利を排除しようと動いたことだろうな。

616 :日本@名無史さん:2008/12/26(金) 23:33:14
三成が野心家ていうソースは?

617 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 00:39:41
今までいい流れだったのに
冬休みになったとたんこれかよ

618 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 07:03:34
>>616
自らがこうあるべきと信じる豊臣政権を作ろうとはしただろうな。
それを野心とは言いがたいが。

金吾は確実に排斥されただろ。
宇喜田、上杉と通じて毛利を押さえにかかるだろうし。

619 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 08:13:39
秀吉の後ろ盾があるうちは19万石で十分だっただろうが・・・

620 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:03:23
近江一国貰っとけば良かったのに。

621 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:18:04
>>620
逆に本多正信みたいに1万石にしとけば、豊臣政権の
分裂は避けれた

622 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 10:52:10
1万石だって蠢動する奴は蠢動する。
あんなのを奉行にしたのが間違い。

623 :徳川家康:2008/12/27(土) 15:56:50
>>610-611
毛利も石田もどっちも無能なんだから無能同士仲良くしろw

624 :有楽斎:2008/12/27(土) 16:07:35
石田三成はまるきりの無能でもないだろう
まあ…空気読まずに我を通して自滅する不器用な人だが…
てるちんは無害な人だよね。戦国大名が無害って致命的だけど。
正真正銘本物の無能者は、岐阜城に籠りながら一日で落城させた信雄。

625 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 18:05:15
>>624
君が一番無能だと思うよ^^;

626 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 20:20:20
>>622
一万石ならそれほど嫌われない

627 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 22:02:06
>>624
>岐阜城に籠りながら一日で落城させた信雄
日本語能力が(ry。「落城させ」たのは東軍諸将でしょう。
 それから、岐阜城主だったのは信秀だったと思いますけど。

628 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 22:14:56
秀信なw

629 :627:2008/12/27(土) 22:20:47
>>628
 おっとこりゃまた失礼をば。

630 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 22:38:45
岐阜城ってさあ、難攻不落とかいって結構有名だけどさ、
落ちまくりだよな。
つーか、縄張り図見ても、少なくとも山上部分は滅茶苦茶規模小さくない?
城と言うより砦程度、名の知れてる山城の中でも最も小さい部類じゃね?

631 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 23:24:35
関が原の仮想戦記モノで面白いの無い?
 逆撃・関が原
 関が原燃ゆ

は、結構面白かった。

632 :日本@名無史さん:2008/12/27(土) 23:52:04
>>630
確か城代経験者を岐阜攻めに派遣したんじゃなかったっけ?

633 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 00:18:45
池田輝政な

634 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 03:49:21
>>630
信秀や信長がなかなか落とせなかった城なのに

635 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 03:58:16
>>634
戦力が違いすぎる罠

636 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 04:11:59
本戦やってる時に、宇都宮防備やってた連中の論文とかってないよね。

637 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 07:42:14
>>634
信秀は城下で撃退されたから攻めていないし、
信長は奇襲で山上占拠に成功したよ。

638 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 13:51:53
さっきから言ってる信秀って誰?

639 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 14:27:25
信長の親父

640 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:32:24
上杉軍佐竹軍は家康も秀忠もいなくなって空き巣同然の江戸をなぜ攻めなかったのは馬鹿としかいいようがないな
最上なんかほっといて攻めれば西軍は勝ってた

641 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:46:27
>>640
最上や伊達、堀、結城に袋叩きにされて切腹する羽目になっていたかと。

642 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 18:48:28
>>640
結城・蒲生・平岩
後、江戸城留守居を併せて数万とされる
何処が空き家かと

643 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 23:12:07
しかし、実際、直江は関東に侵攻しようとしてた
へたれの景勝がとめたけどね

644 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 00:33:24
>>643
この話はマトモな史料には出てこないぞ。
それに、あの状況下では、最上領へ侵攻するのが一番現実的だと思う。

645 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 05:15:28
最上攻略 -> 越後攻略という順番だろうから、いつまで経っても江戸には行かなさそう

646 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 07:02:40
所詮は私利私欲のための蜂起だからね。
領土拡大の方が大切だ罠。

647 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 10:53:52
違う上杉は義のために戦ってたんだ。

648 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 14:39:51
上杉の義(笑)

649 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 18:04:31
上杉の義とは最上の領地を取り上げること。

650 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 18:59:33
上杉の戦略としてはまず最上を倒す
伊達とは適当なところで休戦
これで後顧の憂いなし
そして越後を攻め旧領を回復し東日本に徳川家に匹敵する大勢力を作る

651 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:30:27
来年の大河はこのスレにも影響をあたえそうだなw

652 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 21:30:45
そして徳川に降伏し、江戸幕府の大老になる

653 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:00:18
>>651
愛に生きた直江の書状により、関ヶ原の大乱が勃発するw

654 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 22:03:03
石田と直江は男色の仲だったって、本当?

655 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 23:43:00
>>654
うそ。というか、何を見てそのレスを書き込んだんだw

656 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 01:03:08
本当に上杉佐竹連合軍が江戸を衝く可能性はなかったのだろうか?

657 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 02:02:28
上杉が佐竹に共闘しようと持ちかけたのは7月だぞ?

658 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 10:50:01
>>643
上杉はよくやったほうだよ
戦わずに降参したヘタレ毛利と違って。

659 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 13:24:42
>>656
徳川のホームグラウンドで戦う可能性は低いと思う
本音はやはり越後を取り戻したいのが第一ではないか

660 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 19:42:43
上杉は戦ってないぞ?w>>658
最上と戦っただけでよくやったと言うなら、毛利も伏見攻めや伊勢攻略で戦ってるな。

661 :日本@名無史さん:2008/12/30(火) 22:53:46
最上と伊達と戦って勝ってるぞ

662 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:04:54
対最上ではかなり苦戦したような

663 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 00:59:29
日本史板とは思えん厨な会話だな
おまえら関山合戦も知らんのか?   

664 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 01:37:39
知らないな
関山合戦てなに?

665 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 07:58:52
うん。聞いたことないね。
日本史学者に聞いても知らない人の方が圧倒的多数だと思われ。

666 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 08:03:47
「関山合戦」でググってみな。
いっぱい情報が出てくるぜ。
一般人が知らないのは仕方ないとしても、日本史学者が知らないのは恥。

667 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:05:12
>>666
誤:「日本史学者が知らないのは恥。」→正:「上杉オタクが知らないのは恥。」

668 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 09:16:20
>>638
信長の6男。フィギュアの人のご先祖のすぐ上の兄。

669 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 10:25:54
上杉って20万石の最上に負けるほど弱かったのに、
最上と伊達に勝ってるとはよくいったもんだなw

670 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 10:39:26
おれ「花の慶次」愛読してるんだけどさ、ボコボコにされた上杉は
浪人衆の活躍で何とか逃げ延びることに成功したらしいじゃんw
上杉弱すぎw

671 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:05:24
この時代の上杉、先代の戦闘能力とは
ずいぶんと違ってる。

なんかあったのか?

672 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 12:58:43
長谷堂城の戦いが分岐点だったのかな?
1万8000で1000しかいない山城を落とせないなんて
上田城の戦い並の失態だ
志村高治が凄いのか?

673 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:56:32
>>671
つ代替わり

そりゃあたりまえだろ・・・指揮官が違うんだから・・・・
先代が偉大すぎるわけでしょ。武田勝頼みたいに国を潰さなかっただけ
でもマシでしょ。

674 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 14:40:16
>>672
純粋な兵力差は18000対1000じゃない、最上本軍と伊達の援軍も近くにいた
力攻めすれば背後を衝かれるから上杉軍にとってはここまでが攻勢限界点だったと思う

675 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 15:17:49
>>674
伊達の援軍が山形城東方に布陣したのは9月21日なわけだが  

676 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 15:43:30
冬休みでちょうどいい機会だから長谷堂城の戦いを細かく分析していきましょう

なぜ上杉軍はこの城にこれだけてこずったのか?それ以前の最上方の城は簡単に落としているのにもかかわらず

677 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 16:21:53
上杉は大きな戦いに従事したものが多く最上など田舎大名となめていたが
最上勢は鉄砲を増やすなど近代化に成功しており意外に強かった
また上杉軍はかき集めた浪人が多く地理に不得手なものが多かった

678 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 16:27:25
>>672
志村が凄いって言うより城攻めは難しいんだよ

679 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 16:43:19
>>676
他の城は山形城に兵力集中するために捨てたんじゃなかったけ?
それを断った江口光清は玉砕してる。


680 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:42:30
長谷堂城跡見たことあるけど、あれは落ちんよ、天然の要塞だよあれは

681 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 17:55:33
>>669
最上軍も追撃戦のときに2000人ちかく上杉軍に討ち取られてるし
上杉家より被害多いじゃん

682 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 18:02:08
http://nagata.kanagata.net/yamagata/Yamagata_Hasedoujyo_00.html

これか
長谷堂城
古墳みたいだな
水堀すらないじゃん
簡単に落とせそうだけど 


683 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 18:12:24
>>682
水掘りありますよ、その外側には水田もありますよ。  

684 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 18:36:08
上杉軍は謙信の時代から城攻めが苦手だからなあw   

685 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 18:54:46
上杉はへたれなのは間違いない。関ヶ原の敗報を聞いて囲みを解いて退却。これがマヌケすぎる
退却せず攻撃つづけて最上を滅ぼせたよかったのに。関ヶ原の東軍って反転してくる気配なかったのに
戻ってくると思って、かってに退却してマヌケすぎw おかげで最上命拾いw
そのまま攻撃継続してれば最上滅亡。そうしたらよ伊達とかも降伏して他の東北大名も降伏してそのあと、佐竹とかと合わせて10万で関東を平定
そのあと帰る場所なくした家康を黒田とゆっくりはさみうちにしたら徳川とか滅亡だろ
上杉ヘタレすぎw

686 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 19:23:27
冬休みだなぁ…

687 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 20:47:53
池■田大■作の本名はソン・テチャク。小泉純一郎、小沢一朗は朝鮮人。
911では小型の水爆が使用されている。
http://ri■ch■ardkosh■im■izu.at.webry.info/
創価の保険金殺人事件。
オウム事件は、統一・創価.北朝鮮の共同犯行である。CIAが監修している。
http://www15.ocn.ne.jp/~oy■ako■don/kok_web■site/ir■iguc■hi.htm
与党も野党もメディアも全部朝鮮人だった。
http://jb■bs.li■vedo■or.jp/b■bs/read.cgi/news/20■92/115794■1306/

2ちゃんねるは統一■教会が個人情報を集めるための道具。運営には統一■教会がいる。
駅前で「手相を見せてください」と勧誘してるのが統一教■会。(カルト宗教)  
カルト宗教の下にいる人と上にいる奴を分けて考えないといけない。下にいる利用される人は上がどんなことをしてるか知らない。

ユダヤ権力の子分→2ちゃん運営=統一協会上層部=層化上層部=自民党清和会=野党の朝鮮人ハーフの政治家=
与党の朝鮮人ハーフの政治家=金 正日(キム・ジョンイル )=読売サンケイ=小沢十朗
ユダヤ人=ロックフェラー=ブッシュ=クリントン=ヒラリー=アドルフ・ヒトラー=オサマ・ビンラディン

毎日新聞スレを荒らしてる奴らも統■一教会の可能性が高い。
荒らしは洗脳するために「ネトウヨ」などのレッテル付けレスを何千回もする。
現実には「ネトウヨ」などは存在しない。
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/ms/1230363385/

688 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 22:43:09
>>685
東北諸将集めても10万もいかないだろ

689 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 22:50:37
冬厨て本当にいるんだな。

690 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 00:18:54
>>685
関ヶ原の結果を知りながら最上を滅ぼしたら上杉は改易だろうな・・・
最上は旧領復帰できるだろうなぁ。

691 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 02:53:38
>>690
いやかえって知らん顔して攻め抜いて最上の当主に切腹させて
それからしれっとした顔で徳川と和平交渉したらどうだ?
そっちがその気なら今度こそ攻めて来いやくらいの強気で。

692 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 08:33:05
切腹を命じられておしまいじゃね?

693 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 09:50:53
>>675
伊達の援軍は案山子の集団くらい役に立たないから、たとえもっと早く到着してても考慮する必要はないわけだが

694 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:26:48
伊達の家紋は上杉の分家末流から下賜されたらしいぞ。
よって上杉>>>>>伊達。
上杉にとっては伊達は家臣の家臣みたいなものらしい。

695 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:31:39
冬厨が湧くのは仕方がないが・・・

長谷堂は、上杉も伊達も上方の情勢を見てただけだろ。
(最上は存亡の瀬戸際だから必死だったが)

地勢的に無理押しして攻め取るのは難しいし、上杉にとっては周囲を敵に囲まれた
状況で兵を損じるのは最大限避ける必要がある。
伊達も家康が劣勢なら、上杉の先方として江戸に攻め上る必要があるし。

伊達が傍観する中を上杉が最上を攻め滅ぼしたとしても、後の関ヶ原の勝報により
東北諸将(どころか佐竹・多賀谷・相馬・岩城なども)から攻められるのは必定。
徳川が敗れれば、最上も伊達も秋田も全面降伏するし、堀・溝口・村上らも同様だ。

長谷堂など東北の政局としては取るに足らない小城に過ぎない。
最上以外は、上方の政局を睨んで息をひそめていただけだと思われ。


696 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 10:50:44
>>695
周囲を囲まれた状態で兵を動かすからには、迅速に敵をたたき潰さなきゃいけないんだよ。
そうしなきゃ多方面作戦を強いられて袋叩きに遭うからね。
そんなこともわからないの?君が一番冬厨じゃね?

697 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:39:15
>>691
本当に攻めてこられておしまい。生きていたら切腹だろうね。

島津ぐらい遠地にあればそれも通るだろうけど、徳川のお隣みたいな
レベルのところじゃムリ。あと上杉は「秀頼の敵」認定であることを
忘れちゃダメだぞw。上杉を攻め滅ぼす大義名分なんてたっぷりある。

698 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 12:46:08
上杉なんかわざわざ攻めなくても切腹命じちゃえばイチコロなのに。

699 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:12:39
>>698
そこまでやると決死の攻撃をして来る危険性あり。
そうなるとほかの敗者も呼応するかも。

700 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 14:54:58
でも誰も家康の処分に決死の攻撃をしなかったんだよな。
宇喜多や毛利なんかが呼応するとでもw

701 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:00:18
上杉は全軍で関東に乱入すれば西軍勝利間違いなしなのにアホだよなあ

702 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 15:54:43
>>696
一番の冬厨は君だ
多方面作戦ではないんだが
伊達は中立、情勢しだいで西軍につく気まんまん
堀は一揆軍相手に苦戦中で身動き取れない状態
佐竹、相馬、岩城、多賀谷は実質上杉方
小野寺は完全に上杉方、秋田も実質上杉方
津軽は不在
宇都宮の結城秀康は下野を守るがせいいっぱいの状態
実質敵は最上だけ、最上を下せば南部と戸沢も軍門に下る
西軍の総大将である毛利輝元も毛利本軍も無傷
関ヶ原の局地戦で負けた程度で退却を命じた上杉の判断は完全に間違い
19万いる西軍のうち石田、小西、宇喜多、大谷だけが壊滅しただけで大勢には影響なかった
豊臣も七手組が西軍に参加していることから徳川こそが「秀頼の敵」となっている状態
上杉は退却せず継戦していれば西軍は勝っていた
西軍の負けを決定づけたのは上杉の退却
上杉が退却しなければ毛利輝元も大阪城を退去することはなかった


703 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:06:16
>>696
誰が上杉領に攻め入ってくるというのか?
2〜3例を挙げてみろよ、冬厨クン。

お前の判断基準はゲームだろ?
次々攻めなきゃ、四方八方から侵略されるもんな。
冬休みの宿題、頑張れよ。

704 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:25:40
確かに関ヶ原戦役は5大老の後継者争いだよなw
三成なんかただの雑魚w
毛利、上杉、宇喜多VS徳川、前田
9月15日時点で脱落したのは宇喜多だけ
天皇も秀頼もまだ西軍の手中にあるのに白旗挙げるのは本当にバカとしかいいようがない
普通絶対負けないだろw

705 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 16:40:11
秀頼の出陣?
そんなの必要ないわ
前田玄以を使い朝廷に東軍諸将の官位を剥奪させ朝敵とし
秀頼に東軍を賊軍と宣言させる
それだけで西軍完勝間違いなしじゃ

706 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:11:11
>>705
応仁の乱かよっ!

707 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:11:14
冬休みらしくなって参りましたw

708 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:29:01
 新春大放談会!

709 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:42:10
>>705
> 前田玄以を使い朝廷に東軍諸将の官位を剥奪させ朝敵とし

東軍と内通していた人じゃんw。いしだみつにゃん大変だなぁ・・・

710 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:54:06
>>702
同意。1番の冬厨は>>696
>>695は2番目だな。

711 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 17:54:19
前田玄以は内通なんかしてないぞ

712 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:00:14
玄以は東軍と内通していた
理由:戦後お咎めなしだったから

713 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:12:59
前田玄以は内通なんかしてない
所領安堵だったのは命を助けた細川親子による恩返し


714 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:18:15
伊達とか裏で東軍の南部を攻撃してるよな、伊達が一番くせものだわな

715 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:53:04
でも伊達は上杉もボコボコにしてるからな。
結構忠義者だと思う。

716 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 20:06:50
冬場にまで長引くような大乱なんて、雪で無理だろう。

717 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:43:42
冬厨多すぎw

718 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:45:54
あけましておめでとうございます
今年もよろしくお願いします

719 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:21:33
結局、局地戦の敗報聞いただけで兵を引いた直江が悪いってことだな

720 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 23:33:42
>>714
伊達とか黒田とかってそもそも東軍という立場を利用して自分たちの
やりたいことをやっただけだから・・・

721 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 00:27:09
>>720
それは西軍についた毛利なども同じなんだよね。
輝元自体は大坂城から動いてないながらも、西国方面では
明らかに勢力拡大を意図した軍事行動がとられている。

当然といえば当然だが、皆々それぞれの思惑で動いている

722 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 05:16:10
謹賀新年

さて、布陣図を眺めてて思ったのだが
東部の山向こうに居る毛利、長宗我部軍…東軍逃走路遮断の為に居るんだろうけど、実質死に兵になってる(戦う気が無かったからなんだろうけど)
次いでに三成の居る北西が薄過ぎる。

そこで長宗我部他を残し、毛利吉川隊を史実での小早川の位置に置く(総大将は正面に布陣するべきとかいって説き伏せられないか?f^_^;)
そして小早川を予備として大谷の後ろに置く。

これでおそらく毛利が徳川を牽制してる間に、北西に押し込められる三成に吊上げられた東軍を、小早川他が分断・包囲して勝負有り。
或いは西軍予備が置けた分、東軍第一線左翼を先端包囲してお終い


まぁ東軍布陣は内応前提で、西軍も内応するつもりでの布陣だろうから、戦う前から結果は決まってたんだろうな

723 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 07:06:03
>>722
東軍に寝返った小早川が西軍を分断して勝負あり。

724 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 18:47:01
布陣では、揉めまくって成り行きで決まったという偶然も多いのでは。

725 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:30:41
小早川が松尾山に陣取ってたんで
裏切りを警戒した三成がそれを巻き込もうとして
決戦場が関ヶ原になったんでないの?

726 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:37:18
>>722
死ね厨房

727 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 03:19:46
上杉が撤退しようが関係ない!
前田さえ西軍であったなら、輝元、前田両軍5万以上が関ヶ原に進出し勝っていた
前田から人質を取った時点で家康の勝利!


728 :;:2009/01/03(土) 09:06:28
立花宗成の大津城攻城軍が間に合ってればそこそこ勝負になった。

729 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 09:12:20
>>688
武内スクネが活躍したのが奈勿王と同じ時代、最初に蘇我を名乗った
石川スクネがそれより後なのだから、合ってないわけでもないのでは?

730 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 10:36:44
>>729
誤爆?

731 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:03:11
>>730
誤爆だと思うよ。関ヶ原の布陣図見てもこの人たちいなかったから。

732 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 12:23:00
布陣図見なくても明らかに時代が違うだろ!

733 :731:2009/01/03(土) 13:31:11
>>732
わかりにくいギャグでごめんね。
 でも,言葉の裏が読めるようになったら2ちゃんがもっと楽しくなるよ!

734 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:18:18
>>728
むしろ大津城に苦戦したのがちょっと・・な

735 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:18:33
>>728
むしろ大津城に苦戦したのがちょっと・・な

736 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 14:28:34
>>733
拒否する!!

737 :;:2009/01/03(土) 16:18:47
>>734 幽斎の田辺城とか大津城は押さえの兵だけ置いておけばよかった。京極も幽斎も積極的に打って出る気はなかっただろう。

738 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 17:33:01
>>737
田辺城は日本海航路の、大津城は東国から京洛への水陸の要衝
短期決戦なら兎も角、長期戦を指向するなら絶対押さえるべき場所

739 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 19:51:09
秀忠隊が来てたら東軍の圧勝?

740 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:26:42
>>739
ありゃ家康の戦略予備兵力だから絶対に関ヶ原の決戦場には現れない。

741 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 22:49:31
>>740
秀忠は必死に美濃へ向かってたわけだが。

742 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 23:58:27
家康の予定では10日に美濃へ到着するはずだった>秀忠

743 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 00:26:31
秀忠が遅れたので家康は激怒。
秀忠を廃嫡しようとまでしたほど。
榊原康政の諫言で思いとどまったのは有名な話。

744 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 01:59:04
>>743
それって演技でしょ。上手く遅参してくれたよしよしなんてやったら
どうなるんだよw

745 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 07:31:35
小早川秀秋に物申す!!汝(なんじ)に二心(ふたごころ)あるを知らざるは三成痛恨の極みなれど、
意を捨てて約に違(たが)い寝返りをうった汝は武人の風上にも置けぬ卑怯者なり!
その場に平然と着座するを恥とは思わぬのかぁああ!!!!

746 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:05:50
>>744
演技ではないか?と妄想を膨らませるのは小説家の仕事。
歴史を論ずる態度じゃねぇぞ。

747 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 08:27:23
持久戦の場合・・・数日遅参させたところで意味がない
決戦の場合・・・強力な手駒なしに戦う羽目になる

もし決戦に敗れたらどうするんだ?
敗残兵と秀忠隊だけで西軍を支えきれるのか?
寝返るやつも出てくるだろうし、関東に引き籠もったところで
ジリ貧、北条の二の舞になるだけだしなあ。

748 :;:2009/01/04(日) 09:04:00
関東には結城秀康がいるから秀忠が逃げ返れば北条よりはもちがいいんでは?

749 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 09:06:44
>>748
結城には上杉佐竹


750 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 09:47:17
てゆーか、秀忠にとっちゃ実質初陣だろ。家康が勝てない相手に勝てと言うのは荷が重過ぎる。
家康がうまく逃げて合流できれば最良。そうでなければ東海筋のどこかの城へ逃げ延びて秀忠と連絡が回復できるのが次善。
これくらいまでなら何とか挽回できるが、討ち死にしてたり城に逃げ込んだはいいが関ヶ原から近すぎて早速西軍に十重二十重に包囲され
ちゃうような状態だったら、実質初陣でしかも上田で真田に散々愚弄されてる人を総大将と仰いで戦わないといけないんだぜ?
しかも副将格の榊原康政と参謀長格の本多正信が泥水で顔を洗うような素晴らしい友情で結ばれていると来ているw
ということは、常に作戦が対立関係によって一足遅れ、主将の未熟さで決裁が取れずさらに一手遅れる。
城攻めのテンポならまだいいが、野戦のテンポにはついていけないのではないだろうか。

751 :日本@名無史さん:2009/01/05(月) 09:15:54
>>592
バカ輝元が関ヶ原に居てもジャマ、足手まといになる。

752 :sage:2009/01/05(月) 15:06:23
久しぶりに笹尾山に登って来たよ。
大谷の陣営以外は一望だな。


753 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:04:26
>>752
笹尾山の陣地から見て、松尾山から一万人以上の小早川軍が攻め降りてくる様はどんなんだっただろうね。
石田三成も小早川軍の行動を目の当たりして、さぞや有り得ないほど驚いたことだと想像できるよね。
自分も笹尾山登ったことあるけど、いくら鶴翼の陣形で迎え撃ったといえど大谷軍はひとたまりもないよね。
それに呼応するかの如く、脇坂安治、赤座直保、小川祐忠、朽木元綱各軍までもが寝返ったんだもんなぁ。

さらに合戦後は、元西軍諸将からは裏切り者、元東軍諸将からは元々は西軍方だっただろという目で見られて
四面楚歌状態だったとかの金吾。享年21歳とかいう青年武将であったなら、どんな心境だっただろうなぁ。
あの山登った時いろいろ考えさせられたよ。

754 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 00:22:42
小早川秀秋を金吾と書くような新春の厨らしいレスでした。

755 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 01:46:52
石田三成がもっと挙兵を慎重に時間を遅らせて行って、上杉対徳川軍の戦いを
見てみたかった。きっと良い勝負になったんじゃなかろうか。
上杉軍は随分周到に待ち伏せ・挟撃・殲滅計画を立ててたみたいだし。

756 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 02:54:50
幻の革籠原の戦いですね

757 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 07:55:30
会津陣物語?あんなのデタラメもいいところだぞ
いつのまにか佐竹と共闘してる計画になってるし、信憑性皆無

758 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 12:58:22
西軍うまく連携取れてないと言うかなんと言うかドタバタしてるよね。

759 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 13:39:09
佐竹と津軽を味方に引き込めればなあ

760 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 15:50:22
>>758
東軍は東軍で結構好き勝手にやってるイメージ

761 :日本@名無史さん:2009/01/07(水) 17:39:10
>>760
東海道の先鋒隊を本多や井伊が上手く統率したのは
慶長役の目付間とのゴタゴタと比較すると大したもの

762 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 08:05:58
>>715
松川で負けたくせに

763 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 12:22:57
>>753
>石田三成も小早川軍の行動を目の当たりして、さぞや有り得ないほど驚いたことだと想像できるよね。

脇坂安治、赤座直保、小川祐忠、朽木元綱らが配置されたのは、そもそも何のためだと?


764 :日本@名無史さん:2009/01/08(木) 13:08:24
>>763
金吾の先鋒だろ。

765 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 00:37:55
配置されたという認識がそもそも間違い
脇坂、赤座、小川、朽木、らは大谷といっしょに中山道沿いにかなり前から布陣していて
強化陣地を構築している
石田はもちろん
小早川も後から布陣している

766 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 07:33:53
総大将として満を持して布陣したわけだね。
さすが金吾。関白になる男。

767 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 20:01:15
松尾山に布陣していた大垣城主の伊東さんはなぜ金吾さんに黙って
松尾山を明け渡したんですか
戦えばよかったのに

768 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 22:18:08
金吾の武威を恐れたからだろjk

769 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 06:08:18
三成「くくくううううう、くそぉ!小早川は何をしておる。狼煙じゃ、もう一度狼煙を上げぃ!」

 〜小早川秀秋軍、徳川家康の再三の催促に意を決し、松尾山を一気に駆け下りる〜

三成「うおお!!!小早川め、気は確かか!」
 
 〜東軍と交戦中だった三成の家臣が、石田三成の元へ馬で駆けつけ言い放った〜

家臣「殿ぉぉぉ!脇坂安治が寝返りましたぁー!!」
三成「な、何ぃぃぃ!!!」
家臣「朽木元綱、小川祐忠、赤座直保も右に同じく、都合4000の裏切り者が平塚勢、戸田勢と交戦中!」

 〜小早川秀秋の寝返りによって、西軍の形勢は一気に不利に転じたのであった〜

770 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 09:54:11
小学生の文章か?

771 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 11:44:50
家康が大坂を出陣したとき、発生する可能性のあった事件
1.石田三成の反乱
2.宇喜多秀家の反乱
3.前田利長の反乱

じっさいは、
1と2だけではなく、西国取り次ぎの毛利家が反乱
これに豊臣家自体も荷担
西国大名群が荷担して関ヶ原合戦となる。

意外

772 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 12:27:26
意外っつーか、そもそも豊臣家が朝鮮出兵とかのごたごたで内部分裂しかけていた結果だからなぁ……。
実戦部隊でたたき上げた連中と、秀吉政権の官僚として出世した連中の間の険悪さなんか有名。
家康に天下取らせたい、取らせたくないというより、その遺恨で分かれたようなもんだろ。

773 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 12:43:36
毛利や上杉が家康に敵対したのも、同じ大老なのに勝手に婚姻結んでは開き直る家康に面子潰されたりしたから、みたいなのかなぁ?
家康派VS豊臣派どころか、アンチ同士の潰しあいってだけだったりして。

774 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 13:38:23
>>773
そうだよ。
この時点では家康は豊臣の重臣でしかなく、いわゆる三成を筆頭とする文治派と
正則らの武断派との対立に乗じてるだけ。

三成らにすれば家康は君側の奸であって抹殺すべき主敵なのだけれど、
正則らには家康は戦国遺風を知る仲間なわけ。

上杉出兵自体が、豊臣の名で行われてるからなぁ。

775 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 13:49:49
しかも西軍内部には相当の家康シンパ、アンチ三成や淀殿を抱えていたからな……。

776 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 14:14:56
>>775
淀殿の名前がなぜそこで出てくる?

777 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 14:27:11
>>776
北政所派の豊臣家生え抜き(ってかほぼ育ての親っぽいレベル)と、淀殿にくっついてる近江派の確執もあったからじゃ?

778 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 14:34:48
大抵の武将は(女性ら含めて)どっちにもいい顔しようとしてたのが実態じゃ?
実は淀と北政所、それに三成の中は悪くなかったよって説もあるし。
まぁ、東軍に寝返ったのに認められなかった方々ご愁傷様ってやつで。

779 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 16:15:50
家康にしてみりゃあ、最後のチャンスだろ。
自分の寿命にも限度があるからなあ。
「騎虎の勢」ってこともあっただろ。
中途半端に妥協してたら潰される可能性大だしな。
のるかそるかの勝負に出たんだろさ。

家康のことを慎重居士のように思っている者がおるかもしれんが、それは認識不足だ。
家康ほど生涯に何度も命がけの勝負をした者も珍しいのだよ。

780 :776:2009/01/11(日) 16:37:46
>>777
>>775が「家康シンパ、アンチ三成」と「淀殿」を同列に考えているのがよくわからなかった。
 あ,今思いついたが,小説でよく書かれているように秀頼様御出馬を淀殿が止めたのが西軍
の足を引っ張ったと言いたいのかな?

781 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 16:54:48
>>779
慎重な人間は何事にも慎重だと思い込んでるのか?
それは全くの認識不足だな。

782 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 21:27:46
武断派と文治派の対立なんてない、本当は違うんだけどな

黒田・蜂須賀⇔石田・増田の奉行衆の対立
加藤⇔小西の対立

よく言われる福島正則と石田三成の犬猿の仲も、関ヶ原まで対立したのを示す事象がない
北政所派や近江派なんてのもない、そんな事言ったら北政所は西軍支持してるんだけど

783 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 23:37:28
石田三成襲撃事件の双方の兵力を教えて下さい

784 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 01:54:01
>>782
北政所がいつ西軍支持したんだ
彼女はどちらも支持はしていない

785 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 11:59:32
>>782
加藤と小西はともかく石田と黒田の件は
結局は唐入りが原因だしね。

786 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 13:42:59
武功派、と呼ばれる実戦派の武将といっても、やることは徒党組んでの暗殺まがいの石田いじめだったり(しかも失敗)
老練な家康に転がされて当たり前の程度って感じもしないではないw
秀吉が秀頼かわいさのあまり、親族や古参の家臣を粛清したりするから……。

787 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 14:00:06
粛清しなければどうなったっていうんだ?
秀次が後を継いでも結果は芳しくなく、最後はやはり家康が
政権を取ったと思うよ

788 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 14:15:24
>>787
難しいだろ。子供の秀頼と違って成人した主君と、家康と同時代の激戦を生き延びた老練な武将が政権にいたら。

789 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 15:52:54
逆に秀次らが秀頼らを粛清したりとかな……
内紛やったら家康等の外様大大名が得をする構図はかわらんだろう。
その意味では朝鮮出兵とかも痛かった。

790 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 16:21:14
>>787
家康が天下を取れたことを当然のように考えるか?
あれは僥倖だろ。

三成・秀家に勝った後、正則に天下を獲られても不思議ではなかったかもしれんし。

791 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 21:42:57
>>781
>>779の文章の、どこをどう読めば「慎重な人間は何事にも慎重だと思い込んでる」などというタワゴトが出てくるのだ?
もう一度日本語の勉強をしなおしてこい。

792 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 23:56:58
秀頼は幼児だったので、秀頼の名代という立場で家康は好き勝手ができた(利家の死後)が、
成人の秀次の場合はそうはいかない。(既に関白)
次代を見越して伊達や最上、細川、藤堂などが秀次の腰巾着になっていたし、
むしろ、東海道ぞいに配置されていた秀次の宿老である
山内一豊、堀尾吉晴、中村一氏、田中吉政、一柳直末らを先鋒にした軍勢に滅ぼされていたかも。


793 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:21:15
>>791
>家康のことを慎重居士のように思っている者がおるかもしれんが、それは認識不足だ。
>家康ほど生涯に何度も命がけの勝負をした者も珍しいのだよ。

戦国の世では慎重な人間だって何度も命がけの勝負をするものだ。
つーか、武士に生まれた以上命がけの勝負の連続なわけだが。
どうだ、わかったかい?慎重であることと命がけの勝負をすることはなーんの関係もないわけだ。
しかし>>779は無思慮にも両者に関係があると思い込んでるわけだ。
馬鹿だねー。

794 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 00:38:16
>>793
最後の4行が無ければいい書き込みなんだけど 残念w

795 :日本@名無史さん:2009/01/13(火) 14:07:43
秀次云々という話だと、大和大納言があと10年生きていたら…
という話をしたくなってしまうま。

796 :日本@名無史さん:2009/01/14(水) 16:20:18
石田三成は、太閤検地とか粛清事件の表に立ったから、秀吉に向くべき怒りを受けてしまっている。
盟友の大谷からすら、お前は人望がないから他の大将立てろといわれるぐらい。
あと実戦指揮官としての器量も疑問だし。(本人もそれを意識していたのか勇名ある武士を破格の扱いで集めたりしたが、本人の代わりにはなれなかった)

797 :日本@名無史さん:2009/01/15(木) 12:12:30
秀吉が信長の跡継ぎに幼君立てて好き勝手やった報いだ。

798 :日本@名無史さん:2009/01/18(日) 23:56:44
家康が秀吉の跡継ぎに難癖つけて好き勝手やった報いは250年後ですか?

799 :日本@名無史さん:2009/01/19(月) 15:48:22
秀長が生きていたら、というか。
秀長の家が存続して大藩として睨みきかせただけでだいぶ違っただろうな。
でも跡継ぎの秀保も若死。
養子騒動の時、のちの藤堂高吉が後をついでいればよかったかもしれんが。

800 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 03:35:46
秀長と秀吉の死んだ時期が逆だったほうが状況マシだったろうなぁ。

801 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 03:39:41
あ、単純に逆にすると鶴松が生きているから火種が出来ちゃうな。
秀次が関白になってから秀吉死亡ね。
鶴松死亡 -> 秀次関白 -> 秀吉死亡 -> 秀長が1598年まで生きて補佐

802 :日本@名無史さん:2009/01/20(火) 23:24:20
>>801
> あ、単純に逆にすると鶴松が生きているから火種が出来ちゃうな。

鶴松死んだら普通に秀次が後継者だろ 他に一門であんま対抗馬居ないし
それに秀長が生きてるんだから決めてもらえばいいじゃん

803 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 15:03:58
いっそ秀吉が存命時に家康とかを潰しておけば……。
地方に強力な勢力残した形で天下統一いそいじゃったからな。
しかもやった後は朝鮮への無謀な外征。
しかしなぜか家康らは使わず、子飼いを疲弊させただけという。

804 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 15:12:36
なぜかって、子飼いに手柄立てさせて領地与えるためだろ。
最初っから負けるつもりで戦争はじめたんじゃないんだから。

805 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 14:39:12
>いっそ秀吉が存命時に家康とかを潰しておけば……。

それができりゃあ、苦労は無いっちゅうことや。

806 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 14:53:00
でも子飼いの中でも福島とかは朝鮮出兵してないんだろ?
なんでコイツは裏切ったんだろw
結局三成が嫌いってだけで家康に踊らされた馬鹿って事だろうな。

807 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 15:09:53
福島は出兵してるぞ

808 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 15:13:50
おね様の助言があっただろ
おねは家康とできてたからだろうが

809 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 16:38:46
謀反人の石田治部につくか
忠臣の家康につくか
まともな家来ならば結論は明らかだな

810 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 17:22:23
>>809
石田が勝ってたら石田は豊臣政権を潰してたと思うか?

811 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 18:06:41
おまえまさか石田が豊臣政権潰さないとでも思い込んでるのかw

812 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 13:07:08
ところで、当時の織田一族の面々ってどんな関係にあったの?
信高や信包の西軍加担は弾正忠家頭領の秀信の意に連動したものなのか、
東軍に付いた信雄や有楽とは織田家がどっちに付くべきか揉めて決別したのか、
それとも豊臣政権内の分国大名としてもう完全に分解されてしまっていて、
一族的な結束のないままそれぞれ個別に身の振り方を判断したのか…。

813 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 14:03:47
家康の子孫である徳川光圀さえ、石田三成は忠臣、といっているが。
家康は大老だが、その職務に忠実だったかというと逆で率先して誓紙破りを繰り替えした上、居直り。
一方で他者の行動は厳しく監視し、前田家なんかいいがかりつけられているし。
普通ならそれこそ家康総スカンなんだが、実力と貫禄、そして老練さ(誓紙やぶりの共犯に豊臣大名引きずり込むとか)が勝ったな。

814 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 14:27:43
>>811
お前三成が豊臣政権潰すと思ってたのかwwwwwwwww

815 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 22:39:48
巨大な資産、力量(幻影かもしれないが)が無い以上、
石田は豊臣の権威を押し立てていくしかない。
結果的には石田を選択した方が、豊臣は潰れない。
家康が大大名を幕府の役職に付けなかったのは、反面教師。

816 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 00:59:43
石田という選択肢は最初からない。
なぜなら石田は犯罪を犯して追放された身であり、
そもそも小身ものであって、大権を担える地位にない。
しかも人望皆無。
だからこそ毛利を担いだ。

817 :日本@名無史さん:2009/01/25(日) 20:09:40
>>816
犯罪を犯して追放?
どこの架空戦記のネタだ?

818 :日本@名無史さん:2009/01/26(月) 13:31:49
暗殺されかかったのに、騒動の責任を一身に負わされて体よく追放されただけだからな……。

819 :日本@名無史さん:2009/01/27(火) 14:57:51
>>812
連絡取り合った形跡はないだろうなぁ。
秀信の西軍加担だって、家臣団の論争で寵臣らが西軍加担を進めた結果だし。
分裂状態だったんじゃないの?

820 :日本@名無史さん:2009/01/28(水) 20:01:13
>>819
木造・百々ら家老衆は揃って西軍加担に反対だったらしいのにね。
大坂の陣の大野治長みたいな若い連中が秀信を煽ったんだろうか?>寵臣

821 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 22:26:06
つーか、秀信が普通に戦ったら(篭城だろう常考)、もうちょっと西軍粘れた気がするの気のせい?

822 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:15:00
援軍来る可能性が低く岐阜城に水の湧く井戸がない事から籠城には不向きの説もあるので粘れたと思うは気のせい。

823 :日本@名無史さん:2009/01/29(木) 23:48:43
岐阜攻めに元城代の池田輝政が加わっているから、岐阜城の弱点が知られているので篭城できなかったって話が出たのはこのスレだっけ?

824 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 06:45:39
岐阜城攻めは短時間で落ちたけど、東軍に大きな損害を与えているし、
籠城兵が30数名になるまで戦い抜いたことを考えると、秀信の評価が
低すぎると思う。

825 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 16:19:35
局地的に頑張っても戦略に寄与できなきゃ無意味じゃ?

826 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 16:46:37
東軍に大きな損害を与えている???????
そこのIF世界から来たのかな?

827 :日本@名無史さん:2009/01/30(金) 23:36:40
数日後に宇喜田が美濃に来ているわけだし。
岐阜城が西軍を保持している状態だと東軍は本営を美濃に置けないわけで、
戦線を押し下げる事ができる。

そもそも、時間は西軍の味方(大阪城・京を保持している)でしょ。



828 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 10:06:30
岐阜が落ちないIFだと
東軍が不利になる要素が多いのは明らか
ヘタしたら戦国に逆戻りもあり得る

829 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 23:11:53
秀信は桶狭間の再現やりたかったのかな〜…とか思ったりもするが、
米野で織田軍が取った作戦は守備的なものだし、よく分からん。
万一野戦で東軍先遣隊が壊滅したりすると、家康の戦略構想は大きく狂うけどね。

>>820
入江右近とかいう寵臣の意見だったらしいが、
どういう人物かは俺も知らないや。

830 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 14:00:14
孤立無援の大津城でも粘られたら苦労したのにね。
なぜ岐阜城の利を捨てたのやら?
水が問題なら、そもそも欠陥城だったってこと?

831 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 15:59:33
>>830
山城は時代遅れ

832 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 19:27:44
岐阜城って山上部分は城というより砦と言った方が良いくらいの規模じゃね?

833 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 20:59:08
山上部分だけを論じても無意味。
金華山全体が城なわけでねえ。
俺は実際に登ったことがあるが、けっこう険しい山だぞ。
軽装で登っても息が切れた。
アレを鎧着て戦いながら登るのは至難の業。
昔の人は体力があった、ってつくずく思ったぞ。

834 :日本@名無史さん:2009/02/02(月) 21:15:25
>>833
おいおい、岐阜城は山全体が城なわけじゃないぞ。
城は山上と麓だ。


835 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 08:10:22
いい加減、おねが三成を嫌い馬鹿おいを家康につかせた、加藤、福島なんかも
同様に味方につかせたっていつまでそんな説がまかり通ってるんだ
そもそもミッチーは自分の娘をおねの養女にしてるし仲はよかった、
浅野は家康にオヤジが人質にとられて仕方なしに東軍についただけだし
木下氏は西軍についただけだし馬鹿おいは家来の稲葉が暴走しただけ、福島加藤あたりの裏切り者が自分を正当化するため
おねの指示で東軍についたとでっち上げただけ
それとミッチーと茶々ができてるって単なる迷信、
茶々の関ヶ原でのミッチーへの冷たい態度「軍資金に一銭もだしてない」お初が東軍についた事など考えると
おねと茶々の対立という図式は成り立たんよ
ドラマ制作者はもっと文献とか調べたら?
いつまでも勝者側の立場にたった歴史感なんかくそくらえだ

836 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 12:37:32
ドラマ制作者なら、どんな俗説使おうが別にかまわんだろ、アホか

837 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 15:10:59
835が、あまりにひどい日本語だったので、書きなおしてあげた

いい加減、おねが三成を嫌い、馬鹿な甥を家康につかせた。
加藤、福島なんかも、おねが家康の味方につかせたって、
いつまでそんな説が、まかり通ってるんだ!
そもそも三成は、自分の娘をおねの養女にしてるし、仲は良かった。
浅野は、家康に親父が人質にとられて、仕方無く東軍についただけだし、
木下氏は西軍についただけだし、小早川秀秋は、家来の稲葉が暴走しただけ。
福島・加藤あたりの裏切り者が、自分を正当化するため、おねの指示で
東軍についたと、でっち上げただけ
それと三成と茶々ができてるって、単なる迷信、
茶々の、関ヶ原での三成への冷たい態度
「軍資金に一銭もだしてない」
お初が東軍についた事、などを考えると。
おねと茶々の対立という図式は、成り立たんよ
ドラマ制作者はもっと文献とか調べたら?
いつまでも勝者側の立場にたった歴史感なんかくそくらえだ

書き直したけど、内容は意味が無いものだった。

838 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 14:32:33
小栗旬じゃ家康に勝てそうにないなぁw・・・

839 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 18:00:50
たかが2chのためにあらかじめメモ書きして丁寧に書き込みなんてしない
自分のおもてる事をそのまま書き込みしてるだけ
大きなお世話だ
インテリぶるなよ たかが2chされど2chに、、
ただあまりにも勝者側の都合にできてる歴史感にはウンザリする

840 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 23:56:08
>>832>>833>>834
岐阜城を特別に評価しすぎだ。
他の守護大名の居城と同じく、平時は山麓の館で暮らしていたんだよ。
朝倉氏も六角氏も若狭武田氏も同じ。
水もない不便な山上で暮らすわけないじゃない。
砦・陣城・山城には戦の時だけ登る。
極論すれば安土城も同じだ。

841 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 01:45:22
そんなことねーよ。

842 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:34:11
>>840
守護大名の居城としてじゃなくて、関ヶ原時の織豊大名の居城としての話をしてるんじゃないの?
ちなみに観音寺城や安土城は重臣屋敷を山上にあげてたよ。
本当に住んでたどうかは知らないけど。


843 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 15:08:18
七尾城とか後瀬山城なんかも山中屋敷だらけだったような。
近世山城だと高取城なんかも。

金華山は地形の制約がきつすぎて山の上にたいした城郭を築けない。
地形は優れていても城郭が大したことないから総合力も小さくなってしまう。

844 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 18:52:56
岐阜城の防御力だけを論じてどうするよ。

この場合、大垣からの後詰を期待できる秀信は城に寄って戦うべきだったでFAだろうが。

845 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 19:11:36
???
あまりにもあっさり落ちたから防御力はどうだったのか、と言う話になってんだろ。
わけのわからんFA(笑)とか出してんじゃねーよ。

846 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 19:39:57
大垣からの後詰は期待できないのと長期籠城が困難なのと、
籠城するにも一戦してからと言う判断じゃないのか?

つか東軍が尾張入っても岐阜に一向に援軍が来なかった(東軍が来ると思ってなく、
福島などが敵対すると思いもしなくて、三成には援軍を送る余裕どころかパニック状態)のが大きいだろね

847 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 20:16:33
当時の岐阜城の評価ってどうだったの?
西軍としても、岐阜城が堅城ならば、体勢が整ってから後詰め決戦すれば良いと思ってたんじゃね?

848 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 23:47:26
最初から城の攻略法を知っている東軍に対して篭城すること自体が無謀

849 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 00:47:16
小栗旬は安倍ちゃんのオナペット
だったんだろ。家康は本多だっけ?

850 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 00:58:02
安倍ちゃんは妻だった。間違い
小栗も正常だったんだなぁ。

851 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 07:01:17
>>848
寄せ手が攻略法知ってたからといって簡単に落ちる城は欠陥城

852 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 09:47:00
実際簡単に落ちたから欠陥城だったんじゃね?
その後廃城になったし。

853 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 10:23:10
鉄砲普及後の山城というのは曲輪が小さく狭いため、端から端まで火力範囲に入るため
容易に制圧されてしまうとされる

854 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 13:37:48
長谷堂城は山城でも耐えたんだよなぁ。

わざわざ街道沿いの小さな城に篭った上田城、篭城側がかなり耐えた大津城、
田辺城は平城、もしくは平山城だけど。

855 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 15:05:39
>>853
曲輪が小さく狭かったら、上の曲輪から鉄砲狙い放題だよ。
いわば枡形虎口みたいなものだ。

856 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 16:52:45
山城と言っても麓にしっかりとした曲輪が築かれていることも多いが、
岐阜城はどうだったんだろう?
御殿の発掘の話はしばしば聞くが、麓の縄張りのことはあまり話題にならないね。
たいしたことなかったのかなあ。


857 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 17:32:50
>>855
枡形虎口は狭い門から入った突撃兵を殲滅するもので、
撃ち合いするものではない
それに曲輪を挟んで撃ち合うという事は線と線だから
点と三方の枡形虎口とは異なる

858 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 17:41:11
>>856
あった
「美濃雑事紀」にこうある
「因幡山古城の総構、今に所々存在す。土居構大概長さ十八町計り、東は丸山より西は忠節村の口迄、
土居外は長良川也。西南は上ヶ門口より白木町山際迄、土居外に総掘あり。長さ五町余、堀幅九間より
五六間迄。但し町方は土居の限りこれ有り候えども何と無く、百姓埋め出し、狭まり申すと見えたり」

859 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:03:06
>>857
上の曲輪から下の曲輪を撃つのを撃ち合い、と呼べるだろうか?
それが撃ち合いならば枡形でも撃ち合いは可能。

860 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:24:08
岐阜城
ttp://www.geocities.co.jp/SilkRoad-Lake/4393/gihu/gihusi.htm
ttp://csx.jp/~hakubutsukan/mino_hida/mino_gifu/gifu/map.gif

麓や総構はよくわからんね

861 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:09:34
>>860
なんかしょぼいなw

862 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:38:03
『中世城郭研究』第4号で発表された池田誠氏の「織豊系城郭としての岐阜城」という論文を一読されたし

863 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 20:32:23
>>859
言える
枡形の一の門からでは門に数人と三方から数十人。数倍の戦力差だから
撃ち合いとは言いにくい


864 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 20:39:33
>>863
下の曲輪の門に数人と上の曲輪から数十人。数倍の戦力差だから
撃ち合いとは言いにくいな

865 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:51:30
>>864
門ではなくて曲輪の山裾側全面からと上の曲輪の山裾側全面の
撃ち合い

866 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 09:18:23
>>865
>>853説だと山城の曲輪は狭くて端から端まで鉄砲の射程に入ってしまい、容易に制圧できるそうだ。
よって下の曲輪に侵入した敵兵は侵入したとたん上の曲輪の射程に入ってしまい、蜂の巣にされる。
というか、そもそも下の曲輪すら占領できないと思うんだけどね。下の曲輪の門にたどり着いたとたん
下の曲輪の兵に蜂の巣にされちゃうわけだから。

867 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 10:42:11
>>866
853は当時の鉄砲の精度、威力の実態を知らないんだろ。

火制下での無防備な行動が看過し得ないレベルにまで火力が高まるのは
南北戦争になってからだよ。

868 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 11:44:19
>>866
山城は大規模な堀を造れないので、門だけでなく他の個所からも侵入が可能

869 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:16:19
そもそも先頭に立って侵入してくる奴らは鉄砲なんか持っていないわけだがw


870 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 14:31:40
>>869
先ず、鉄砲足軽で制圧した後に、侍が突撃ではなかったっけ?

871 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 15:24:20
足軽たちが連射きかない火縄銃担いで敵の曲輪に突撃するの??


872 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 17:10:50
曲輪の端から撃つと言わなかったかな???

873 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 17:41:02
どうやって曲輪の端まで到達するんだよw
籠城側だって門開けて待っててくれる訳じゃないんだぞw

874 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 17:57:10
>>873
山城なら山裾から近接すればいいんじゃない
別に門に兵力を集中させずに曲輪の土塁線の任意の場所から攻めても良い
近世以降の平城・平山城は堀も大きくて難渋するだろうが、中世の山城、
特に尾根沿いに造成するものは容易に制圧される

875 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 18:20:06
>>874
何のために山に城つくってるか分かってないのか?
山の斜面は登りにくいからだよw
斜面の上には城壁があって、守る方が有利なんだよw
マタギじゃあるまいし、鉄砲みたいな扱いにくい兵器持って斜面よじ登ってたら
それこそ城方の鉄砲のいい的だろw


876 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 18:26:51
>>875
山城の土塁は登りにくい、でも石垣より簡単
斜面の上には城壁がある、でも土塁なので犬走りがあって越え易い
斜面の下から打ち上げて、最初の曲輪の前縁を潰し、占拠
以後はそこから曲輪全体から上の郭前縁まで射程に入る

877 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 18:44:11
>>876
土塁より問題なのは斜面。
鉄砲片手によじ登ってもただの的w
斜面の上の城壁を越えるにはハシゴなり何なり掛ける必要があるが、
これがまた難しい。
山城なんだから当然山の上にあるわけで、斜面の下からなんか鉄砲がとどくわけないw
足場の悪い斜面の途中で射撃、弾込めを繰り返すことになるが、
城方は足場の良い上の曲輪から城壁に守られながら撃つわけで、圧倒的に有利w
しかも上から打ち下ろす方が射程も命中率も高いw
最初の曲輪の前縁を潰す前に味方の前縁が壊滅だわw


878 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:23:38
>>877
これについてはこれ以上は久保田正志の
「日本の軍事革命」を読んでください
鉄砲による山城の弱体化について説明してます

ここでは
「鉄砲の普及により山城の坑堪力の低下が顕著となり、従来型の山城は
次第に淘汰され、新規築城においては「水の障害」により攻撃側との間合
いを取ることが最重要となった。」
とあります。

つまり鉄砲の射程により間合いが取れない小さな郭が主体の山城は
弱くなったという事ですな

879 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:39:14
>久保田正志

誰?

880 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 20:42:55
>>879
「軍事史学」に寄稿している人
西洋の軍事革命と日本の戦国時代を比較して、その相違点を考察している
軍事史という観点から戦国時代を俯瞰している点でトップに位置する

ttp://www5a.biglobe.ne.jp/~kinsei/0327.htm

881 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:05:40
>特定非営利活動法人城塞史跡協会理事長

882 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:39:01
久保田は冷徹なようでいて少しものの見方が偏ってるんだよな。
崇拝者は絶対視しすぎ。

883 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:42:02
>>882
確かに多少違わないかなと思う点はあるが、
それでも十分評価に値する
というより、軍事史的観点から書いた本と言うだけで
十分すぎる、

884 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:49:46
上で出てきた鉄砲隊が城を落として武者たちはそのあとをついてきたとか、
鉄砲隊が山をよじ登って城を攻め落としたとかいうのはその久保田とか言う人の説なの?


885 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:12:09
火器の登場で築城法が大きく変わったのは周知の事実。

886 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 07:41:10
火器よりも大名の強大化の方が要因だろう。
ちんけな山城なんかに籠もってらんないという。
攻守双方とも火器を備えていれば、城に拠ってる方が
圧倒的有利なのは変わらないわけだから。

887 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 11:53:57
>>884
その辺り、山城の郭は狭いので郭の裾側からの射撃が上の郭までを射程に入れるや、
土居や切岸には死角が生じるというのは樋口隆晴の論

888 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 11:56:16
>>896
それはどちらかというより、どっちもでしょうよ

889 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 12:30:57
郭が狭いのはむしろ寄せ手に不利に働くよ。
兵力に任せて強襲しにくくなるわけだがら。

890 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 12:47:24
>>889
逆じゃない?守備側も郭が小さいと籠る兵が少なくなるから
大兵力が動員できる時代は広い方が有利でしょう

891 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 16:06:36
東軍が赤坂にいる時に、なんで西軍は大垣城から総攻撃しなかったんだよ。

892 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 17:12:24
>>890
上の曲輪を取るのに後続の兵が分断されて大兵力を動員できなくなる。
鉄砲の射程が曲輪の端から端まで入る云々の議論で言うならば、
攻め方は枡形に閉じこめられるのと同じことに。

893 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 17:54:55
>>892
枡形は門から門しか通れないが、山城の郭と郭はその接した面、全てを
通れる

894 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:38:14
>>891
三成は一戦したかったけど、
南宮山の連中がやる気がなくて、
もたもたしている内に家康が来ちゃった。

895 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 18:52:00
>>891
家康が来るとは思ってなかったので、もっと軍勢や資金集めてから戦う気だったから

896 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 20:03:12
>>893
>山城の郭と郭はその接した面、全てを
>通れる

ならば

枡形もその接した面、全てを
通れる

897 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 20:12:14
実際に岐阜城に登ったことがないとしか思えない書き込みがあるな。

898 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 20:39:11
>>891
東軍が水攻めをするという情報があり、出るに出れなかったという
話を聞いたことがあるけど?

899 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 20:39:54
>>896
三方囲まれてるけどね

900 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:28:05
>>898
西軍は大垣城で篭城戦に持ち込みたかったんじゃね?
水攻め上等じゃん。
だいたい大垣城は地理的に水攻めにびびる土地じゃない。
500人くらい赤坂に送って挑発すればよかったんだよ。
徒歩1時間くらいの距離だし。

そもそも、東軍に揖斐川を渡らせたのがまず失敗だけど。
関ヶ原じゃなくて揖斐川で決戦して欲しかったな。


901 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 13:36:51
大垣は低地の輪中だから水攻めされたらビビリまくりだよ。
本丸は二の丸はちょっと高いけど、大軍を収容するにはあまりにも狭い。
もっともまわり一帯低地過ぎて工事が大変というのもある。
西軍も戦力では遜色ないからむざむざ工事を完成されないだろうし。

902 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 16:04:40
城まで水を流そうとしたら揖斐川の水を引いてこなきゃならん。

903 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 16:05:44
そんなの数週間かかるぞ。

904 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 17:33:36
あたりまえだろw

905 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 18:05:08
一週間もあればできるよ。

906 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 18:52:50
ここは家康の書状の大垣水攻めの内容すら知らない連中ばかり。

907 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 19:23:54
家康の水攻め作戦は南宮山に西軍が布陣したことにより不可能になりました。


908 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 23:14:24
水攻めが不可能になったというよりは、西軍が大垣城を放棄して逃げたから攻める必要が無くなったということだ。

909 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 11:33:00
西軍は大垣放棄してないし、それ以前に家康は水攻めを実行すらしてない訳だが。

910 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 18:05:11
江戸を出る時は水攻めしようと思ってたのに、
美濃に着いてみたら南宮山に西軍が布陣してて
後詰めの態勢ができてたから
あきらめておびき出し作戦に変えたんだろ。

911 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 19:13:51
南宮山を水攻めにして後詰めに来る大垣勢をおびき出せば良かった。

912 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 21:22:00
誘き出しの意味不明

913 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 21:23:06
誰も家康書状の内容すら知らん無知だから、水攻めの話すら滅茶苦茶だな(笑

914 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 21:44:08
でもお前は秀忠の書状の内容を知らないだろ(笑

915 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 22:13:44
>>878
思うに・・・城とか要塞の防御機能には、
@防御施設や高所の利で、攻撃側に不利な交換比での損失を強いる機能
A隘路や堀などで、攻撃側の戦力発揮を妨げる機能
(なるべく戦闘を低調に済ませる機能)
の2種類があって、鉄砲の普及によって、
山城はAの機能を失ってしまったのではないか?

>>875の言うように、
山城には依然として@の優位があるのだろう。
しかしそれで攻撃側に3倍の損害を強要できたとしても、
20倍の敵に強襲されて3日で陥落しては意味がない(場合がある)。
それよりは小競り合いを続けて3ヶ月持ちこたえてくれた方がいい・・・
てことじゃない?


916 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:21:33
>>915
山城の攻め口はたいていの場合まさに隘路なわけだが。
鉄砲が山肌をよじ登るのに便利な兵器だというのならば話は別だけど。

小豪族の城・・・もともと小規模で落ちやすい、守り重視で統治に不向き
大大名の城・・・地形に依存しなくても十分堅固な大城郭、統治に便利な交通の要衝

917 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 23:52:31
山城は堀が狭くなる

918 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 08:03:46
>>917
・もともと攻め口が狭い
・そもそも中世城郭は堀が狭い

919 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 11:04:18
>>916の言うように「山城」が駄目なんじゃなくて「ショボイ山城」が駄目なんだろ。
というか、ショボイ平城や平山城ももちろん駄目なんだろうけど。
近世になっても山城や山城的な平山城は築かれてるよ。
仙台鳥取長州薩摩と言った雄藩でも山に城を作ってるくらいだ。

ちなみに山城の防御力が弱いと言うのならば「詰めの城」の意味がなくなってしまう。
詰めの城落とされて麓に逆落としに攻められたら洒落にならんからな。

920 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 11:11:54
近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプが殆どで
従来の尾根利用型とは異なるというのが久保田氏の論だった様な

921 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 11:49:48
川や海をなるべく利用しようとするのは中世山城も同じだし、
近世山城になっても山を隔絶しちゃうのは極めて困難。
平山城ならば珍しくないが。

922 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 12:59:44
平山城と山城を混同してるなー

923 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:42:36
城壁の防御力っちゅうのは、運用しだいなんだわな。
万里の長城を見れば一目瞭然。
城壁だけあっても、適切な運用が出来なければ結局は役に立たんわけよ。

924 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 18:27:45
>近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプ

そんな近世山城あるか?

925 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 19:11:10
敢えて言うなら萩城(の詰めの丸)くらい?
海に突き出した山で、陸とつながってる部分は水堀があるから。
でもあれは水で隔離された山城というより平城+詰めの城だわな。
もともと吉見氏の支城、すなわち中世山城だったと思うけど。

926 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:43:11
>>920
水で周辺を隔絶できたのは平城、平山城だろう。
その久保田とかいう人が何者か知らんが、トンデモ説に騙されるなよ。
それから従来の尾根利用型ってなんだ?中世山城=尾根利用型山城ではないぞ。

927 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:39:49
ttp://www.kinseisha.jp/0327.htm
>926
東大戦史研究会第三代会長という経歴が微妙すぎ……

928 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:47:21
射撃戦を考慮すると突出部が弱点になるから、
縄張りは円形とか多角形に近い方がいいんじゃないの?
(横矢用の突き出しとか西洋の突角堡とか、意図的にしたものを除いて)

でも、山城の場合、つきだした尾根の部分が孤立して
どうしても弱点になっちゃうとか。
もちろんそれを認識して防備を強化するんだろうけど。

929 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:42:55
久保田 正志(くぼた まさし)

著者略歴
 昭和38年 東京生
 昭和63年 東京大学法学部卒業
       在学中東京大学戦史研究会所属、同会第三代会長
 平成9年  東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了
       法学修士
 現  在  特定非営利活動法人城塞史跡協会理事長

戦史だったら法学政治学じゃなくて史学とちゃう?
ひょっとして学部時代趣味でやってた戦史を院出た後もライフワークにしてる素人さん?

930 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:59:41
>>929
> 戦史だったら法学政治学じゃなくて史学とちゃう?
> ひょっとして学部時代趣味でやってた戦史を院出た後もライフワークにしてる素人さん?

まあそうだね。歴史群像にもアマチュア研究家と書いてたよ。
でも軍事史学会に属して論文を寄稿して、
出版に際しては東大の史学教授にレビューを受けたとあるので、
素人という表現は違うと思うが。
あと、院には別に戦史研究のために入った訳じゃないはず。

しかしながら・・・主張の是非を肩書きで判断するというのは、ちょっと微妙ではないか?
ましてここは、そういう肩書きを外した匿名掲示板なのに。

931 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:04:57
920 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 11:11:54
近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプが殆どで
従来の尾根利用型とは異なるというのが久保田氏の論だった様な

924 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 18:27:45
>近世山城は水で周辺を隔絶されたタイプ

そんな近世山城あるか?

926 名前: 日本@名無史さん [sage] 投稿日: 2009/02/15(日) 21:43:11
>>920
水で周辺を隔絶できたのは平城、平山城だろう。
その久保田とかいう人が何者か知らんが、トンデモ説に騙されるなよ。
それから従来の尾根利用型ってなんだ?中世山城=尾根利用型山城ではないぞ。

932 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:16:05
>>929
史学科原理主義かよ。いかにも史学科の学生や院生みたいなな発想だな。
いい加減、史学科出てなけりゃ「素人」呼ばわりで一蹴するような発想はやめろや。
経済学部や法学部でも歴史的な勉強してる人はいるんだし。

933 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:26:39
>>932
はい?肩書きだけでなく肝心な内容も駄目なわけだが・・・。


934 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:30:29
>>933
だったらそんなに肩書きを気にすることもなかろうよ。
主張の間違いを指摘すれば足りる。

935 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:35:34
>>934
>>931

というか、文句があるんなら盛んに久保田の名前出してる奴に言えよw

936 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 03:33:17
もう久保田は井伊って・・・。

937 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 11:00:08
とりあえず、買ったら…
伝聞だけで判断するのは、問題

938 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 12:23:57
とにかく赤坂に総攻撃をかけるべきだった。
東軍も水攻めしかけるほど圧倒的な数じゃなかったんだろ?

939 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 14:38:44
だから〜
水攻めするような場所じゃないってば。

940 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 19:20:31
>>936
同じく、久保田は秋田。

941 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 20:13:17
うまいなw

942 :日本@名無史さん:2009/02/20(金) 23:57:48
ところで上の方で名前が出てた織田信高だが、
彼が西軍で黄母衣衆と共に関ヶ原本戦に参加していたのは確定なの?

wikipediaの記述にはこうあるようだが
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B9%94%E7%94%B0%E4%BF%A1%E9%AB%98
>『寛政重修諸家譜』によれば、1600年の関ヶ原の戦いに際し、
>弟信貞と共に東軍を支持したものの、本戦に間に合わず、
>凱旋中の徳川家康に拝謁したという。
>しかし、『関原軍記大成』などでは、弟の信吉・信貞らとともに西軍に属し、
>戦後に謝罪、赦免されたという。おそらくは後者が正しく、
>弟信吉と同様に西軍に所属し、失領したものと思われる。
>もっとも、本戦に参加したという記録はない。

943 :日本@名無史さん:2009/02/21(土) 00:15:40
wikiとかまるで話にならん
寛政重修諸家譜はもとよより自家の宣伝用だし関原軍記大成はその家譜などを参考にした講談本だしな

944 :日本@名無史さん:2009/02/21(土) 00:28:45
だが、それより信憑性のある史料がないと、反論にすらならないよ

945 :日本@名無史さん:2009/02/21(土) 00:35:37
戦後、失領していることからして西軍加担は疑いなし。

946 :日本@名無史さん:2009/02/21(土) 10:35:03
>しかし、『関原軍記大成』などでは、弟の信吉・信貞らとともに西軍に属し、
>戦後に謝罪、赦免されたという。
取り敢えずこれの該当箇所探してるんだが、どこ?

947 :日本@名無史さん:2009/02/22(日) 17:42:54
>>944
家譜に信憑性がないのは他の記述などから証明済み
だから家譜や関原軍記大成だけで史実認定はなされない

948 :日本@名無史さん:2009/03/10(火) 06:57:52
あげ

949 :日本@名無史さん:2009/03/12(木) 22:07:30
あげ

950 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 08:46:32
南宮山の西軍2万8千って、桃配山の徳川含めた5万を可能な限り拘束しなきゃならないわけだけど
桃配山の西側に布陣した徳川隊を攻撃するには山を超えるか先に動いて迂回する必要があって、実は家康は脅威を感じてなかったんじゃないのだろうか?
実際徳川隊三万は気にした素振りも見せず期を見て前進してるように見える
やはり始めから毛利にはやる気が無かったのか
石田隊のいる正面では東軍主力を拘束しつつ戦線を絶対に維持する事が求められるので
理想は三成の後ろに予備を一万弱置いて万全の態勢で東軍主力を引き摺り込み(史実では兵力不足でこれが不十分かと思う)小早川以下を鉄床に叩き込む事なんだろうが
やはり総大将の家康と三成の差だろうかね

951 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 09:31:57
朝から何を言っているんだ?

952 :日本@名無史さん:2009/03/13(金) 23:53:51
>>950
どうかね。
西軍主力が関ヶ原に転進した時点で、石田三成には、
毛利と小早川がかなり怪しいというのは判ってたと思う。
松尾新城を勝手に占拠した小早川は特に怪しい。
(まあ怪しいと言えば、東西両軍とも全員怪しいわけだが。)

しかし、表だって東軍に参加しても居ないところを見ると、
東軍の調略も完全に成功したわけではない…とみえる。
そこで、足下で決戦することで、毛利小早川とも
無理矢理西軍に引きずり込もうという話じゃないの?

功名にはやる東軍部隊が暴発して毛利や小早川に攻め掛かれば、
強制的に両軍を西軍に再参加させることができる。

953 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 01:20:37
>>952
>>(まあ怪しいと言えば、東西両軍とも全員怪しいわけだが。)
結局、これがすべてと思われる。

954 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 06:11:27
関原軍記大成を書いた宮川尚古について詳しい書籍や論文はあります?

955 :日本@名無史さん:2009/03/16(月) 14:53:26
宇喜多秀家が関ヶ原から落ち延びた時に
匿われたとされるとこに行ってきた。
スゲー立派な記念碑が建ってたよ。
建てた人の名が「浮田」になってた。
なんで字を変えたんだろ。
「宇喜多」の方がかっこいいのに。

956 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 20:58:38
>>955
そりゃあ落ち武者狩りとかあったわけだから
匿った家が徳川からにらまれるのがこわかったんだろ

957 :日本@名無史さん:2009/03/17(火) 22:43:22
>>955
緒田原という教授が自己紹介の時に
「先祖は後北条氏系だったが、負けて逃げるときに漢字を変えたらしい」
とか言ってたな。うろ覚えだが。

958 :日本@名無史さん:2009/03/18(水) 09:58:31
>>955
宇喜多秀家は江戸幕府からすれば大罪人だから
子孫が字を変えたんだろね。

959 :日本@名無史さん:2009/05/06(水) 16:27:14
後北条があるころから宇喜多があるわけだが・・・
二代・氏綱や三代・氏康の弟で備前まで逃げたという人物はいないはず
前北条なら有り得るのか、よくわからん

960 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 10:38:11
毛利の役立たずぷりは異常

961 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 10:52:17
俺、関ヶ原のメンバーの中では宇喜多秀家が一番好き。
あの若さで実力もあって、西軍の他の大物大名はやる気ないのに
彼だけは最初から最後までやる気満々。
敗走して地元の人に匿われた時のエピソードも潔くて好き。

962 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 11:37:45
は?宇喜多は苦労知らずのボンボンで贅沢三昧、
家中もおさめられず重臣たちは徒党を組んで出奔しまくり、
関ヶ原では半数以下の福島すら破れず。
最後は兵を捨てて逃亡。葉武者のごとく見苦しく逃げ回る。

どう見ても金吾以下ですが。

963 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 11:58:28
そういうのも含めて気に入ってるんだよ。

964 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 13:40:22
宇喜多秀家って関ヶ原のとき若かったって思われてるけど、そんな若くもないんだよね。
29歳の働き盛り。当時としてはもう若造ではない。

965 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 13:45:30
でも実績のある大大名としてはかなり若い。

966 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 14:28:46
別に若くないぞ。
毛利秀元小早川秀秋徳川秀忠なんか年下だし、
黒田長政や浅野幸長なんかは同年配。

967 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 14:31:51
だから実績のある大大名っつってんだろうが。
大老クラスの話をしてんだよ。

968 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 14:41:53
六人目の大老になる予定だった結城秀康も年下だぞ。
あと、大老家を継いだ金吾は十分に大老クラスだし。


969 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 14:46:08
大大名だけど実績はないな。
大老になれたのも秀吉の猶子だったからだし。
他の大老と比べると明らかに格下。
大大名でも伊達政宗佐竹義宣小早川秀秋・・・
その他大軍を率いていた徳川秀忠毛利秀元・・・

若いやつなどいくらでもいるわけだが。


970 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 14:48:43
あまりにもボロボロなので、961がかわいそうになってきた

971 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 15:06:16
もういいよ!
とにかく俺は宇喜多秀家が好きなんだよ!
名前がカッコいいじゃんか!

972 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 15:26:40
コーエーのデザインがかっこよかっただけじゃね?

973 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 15:33:55
決戦だとドラゴンの兜被ってたな

974 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 16:11:15
>>962
秀家は良くやったほうだよ

あと秀家馬鹿にしすぎ
朝鮮征伐では大活躍してるし
金吾以下って宇喜多なめんなよ

975 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 17:32:27
大した活躍してないだろ
どっかの山城攻めたら反撃くらって大敗、負傷したんだっけ?


976 :日本@名無史さん:2009/05/26(火) 20:54:21
>>959
それ岡山の宇喜多と違うのでは?
東京の江戸川区にある宇喜田は後北条旧臣の宇喜田氏が開いたと言われている。

977 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 00:11:25
>>975 攻めあぐねただけで、負けてないよ

978 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 12:55:43
碧蹄館でも活躍してるじゃん宇喜多

979 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 14:01:53
ヘキテイカンで前軍の指揮をとって活躍したのは小早川隆景
宇喜多は後方待機

980 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 14:22:01
戸川が参加してなかった?

981 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 21:36:56
>>974
金吾なめんなよ。
生涯無敗だぞ。

982 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 21:46:08
宇喜多って金後に蹴散らされたんじゃなかった?
金吾最強伝説

983 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 22:16:23
大谷に押されてるだろ金吾

984 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 10:27:43
 金吾ちゃん大人気。

985 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 13:59:38
関ヶ原でも活躍したの宇喜多じゃなくて明石だろ

986 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 10:01:51
宇喜多なめんなよ

987 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 12:21:30
>>986
>>981

988 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 12:55:58
ボンボンで若くして50万石の五大老
関ヶ原も空気読まずにイケイケで
結局敗れて島流し

でもなんだか憎めないんだよなあ
なんかキャラが立ってる
なんでだろ


989 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 13:31:56
単に印象が薄いだけじゃね?
キャラ立ってるかなあ?

ところで上杉景勝と宇喜多秀家ってなんか似てね?
有能な親父の後を継ぎ、家中に内乱を引き起こし、
特に功もなく、性格にクセがあり、有能な重臣の補佐を受け、
大老となるもさほどの力もなく、御家を滅ぼし、あるいは滅ぼしかけた。
愚将のようだがそれほど後世の評判も悪くない。

990 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 13:46:40
景勝と秀家では全然違うだろ。
秀吉の庇護のもと、苦労なし大名の秀家。
謙信在世中は一門衆筆頭として戦に出て、
謙信が死んでからは圧倒的に不利な状況下で当主の座を得、
その後も織田、北条、徳川らと戦って絶対絶命的状況を生き延び、
120万石となった景勝では苦労度が違う。
苦労なしという点では、輝元も同じ。

991 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:00:21
確かに景勝もかなり悲惨だな。御館の乱は景勝にとっては不可抗力だし、
武田との土下座外交もやむをえまい。
が、戦後処理で上田衆を依怙贔屓した挙げ句重臣の直江安田らを失い、新発田重家の乱を引き起こし、
気がついたときには越後国外の領土はスッテンテン状態w
運良く本能寺の変がおこったから命拾いしたものの、その後も新発田に手こずるわ、
真田に足元を見られるわ、日和見したあげく越中回復に失敗するわ・・・。

992 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:21:06
時代のめぐり合わせだから、しかたねぇんだよお。

993 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:26:10
秀家は過小評価

994 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 15:38:04
>>989
ぶっちゃけ景勝も秀家も君主としては御家滅ぼしかけたり失格なんだけど、
生き様は日本人が好きそうなタイプだから、一応豊臣家に尽くしたし
そこが輝元と決定的に違う所

輝元は君主としても失格だし、生き様もかっこ悪い


995 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 16:15:42
>>991
家康も三方原で討ち死にしてたらボロクソに言われてたかもしれんぞ。
大恩ある今川を裏切り、宗教政策を誤って家臣の半分に離反され、
無謀にも敵の大軍に突撃して討ち死にした猪武者。

996 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:14:11
秀元はカッコイイな
空弁当の異名は今日まで膾炙してる

武士は食わねど高笑いを
実演してみせた驕将

997 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:16:38
さすが宰相殿

998 :安国寺足軽:2009/05/29(金) 19:19:39
随分と時間のかかる弁当やな

999 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:21:09

×高笑い
○高楊枝

1000 :日本@名無史さん:2009/05/29(金) 19:24:50
1000なら西軍勝利

奉行筆頭は三成
大老は毛利、上杉、前田利政、徳川秀康、宇喜多
金吾は空手形で追放

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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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