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なぜ邪馬台国を大和と認めないの?2

1 :ドツボ撲滅委員会:2008/06/08(日) 23:12:20
前スレ

なぜ邪馬台国を大和と認めないの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1199769058/

2 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 23:28:13
>>1

邪馬台国スレ何個立てれば気がすむんだ!!!!!!!!
重複ばかり立てるなよ!

●既存スレッドとの重複は禁止。
   スレッドを立てるときは、タイトルを一通り検索してからにしましょう。
   スレッド一覧を開き、Windowsの場合はCTRL+F、Macの場合はコマンド+Fで
   ブラウザ検索をしてください。

3 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 23:31:31
>>1


4 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 23:49:40
[やまたいこく]と読むからいけない。
[やまだこく][やまどこく]と読まねばならない。

後の[やまとこく]なのは疑う余地がない。
それが大和地方か山門地方かはわからないが・・・

5 :サガミハラハラ:2008/06/09(月) 00:35:44
既に邪馬台国は佐賀県小城市甘木と確定いたしております。

6 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:05:41
    ○o
        ゜._/\
         ||||    \
       /      \
        ̄|| ̄ ̄ ̄|| ̄ 
         ||  田  ||
       _||___||_
       ┴┬┴┴┬┴_
         |    |   -_       λ.λλλλ。λ.....
       ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄

7 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 22:26:06
>>2
他に大和説・畿内説・近畿説スレがあるのなら示しな。
>>5
邪馬台国を北九州に比定する奴の気がしれん。
せめて九州島内でも宮崎県西都市が限度だろ。

8 :サガミハラハラ:2008/06/09(月) 22:57:24
その南の都城説のかたもおられますよ。

9 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 23:14:05
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

10 :7:2008/06/10(火) 19:34:58
>>8
紛らわしい言い方をしてスマン。
俺が言ったのは南限ではなく北限だ。

11 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:15:06
邪馬台は大和
伊都は委奴即ち怡土
投馬は出雲
狗奴は毛野
と個人的に思っている

「漢委奴国王」の解釈に関しては
「漢の委(倭)の奴国の王」→「漢が奴を委(まか)せた王」→「漢の委奴(伊都)国の王」
と流れる。

12 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:22:01
私は不思議な体験をしました。近所の霊感のあるというおばあさんに「私が死ぬ前」にと、卑弥呼の墓につれてってもらいました。確かに墳丘みたいな所でした。その方がいうには卑弥呼より一緒に埋められた人の声が聞こえるそうです。うーん、どうなんやろ?

13 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 22:59:46
日食が北九州であったという話がよくあって、九州説の補強に使われるけど、
大和でも日食あるんだよね。皆既日食じゃないけど。

皆既日食なら地域は無茶狭いけど、「ほとんど欠ける」程度ならあちこちで
みることができる。

14 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 00:10:39
そうです。日食は珍しいものではないのです。
日食がおこったので女王を殺したなどとはありえません。騒いでいるうちに日食はおわりますよ。

15 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 09:14:28
邪馬壱国は?

16 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:08:42
>>8
「解読・邪馬台国の暗号」ってのは面白い。
倭建命の別名「倭男具那王」は倭男・狗奴王だと言って、古事記を根拠に都城説を説いているね。



17 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 06:55:46
>>16
倭建命が狗奴王ならば、邪馬台国は畿内になるのでは?

18 :名無しさん:2008/06/13(金) 11:21:32
大和は、半島から遠いからな
邪馬台国当時の勢力分布は北九州とは比較にならない。
ど田舎の大和がねーーー。

19 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 21:51:20
畿内一元史観がどうのこうの言う人間は、
大抵九州一元史観である。

20 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 04:54:57
九州には熊襲という人食い人種が住んでいました
景行天皇の時代、日本武尊が人食い人種の
首長を討伐して未開の九州を文明化してあげた
九州人が主食とする豚骨ラーメンは古代では
人骨ラーメンでした

21 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 00:47:17
熊襲を逆賊とみる見方から脱却できなければ、真の古代史は理解できないでしょう。
権力者は、自らの権力下に入った者については、けして侮辱的な言葉は使いません。
国民の中に不満分子を生じさせないためにも当然のことです。
なのに、何で南九州に熊襲がいたと書いたのか、そこを考える必要があります。



22 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 15:49:41
今更なんだよな、ハヤトと云い島津と言い。

妙な扱い方すると、メリケンや中共の血管切れるぞw

23 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 23:29:59
>>1

ドツボ撲滅委員会 早くここを片付けろ!!!!!!




24 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 23:46:13
ここ何とかしろよ

勝手に立てるなよ

25 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 23:48:57
ここを立てたのはドンコイ専門、日本@名無史のあいつだよ。

・・・簡潔ですが

性格の悪いあいつww

26 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 03:28:09
ヤマト、ヤマ何々ってつく地名は日本中、山がある場所に腐るほどある。
邪馬台国=大和っつーこじつけに拘るのは愚の骨頂

27 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:02:35
>>26
九州に持っていくために「距離はデタラメだ!」と言ってみたり
無茶苦茶短い里を想定するほうが愚の骨頂だと思うがね。
あと邪馬台=山門と言うコジツケも。
(畿内説は今でも「南=東の間違い」としているわけではない。原田大六氏の指摘が存在する。)

28 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:18:33
>>26-27 早く片付けろ

なぜ邪馬台国を大和と認めないの?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1212934340/

謎の女王卑弥呼は誰か?邪馬台国問題に終止符!19
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1209995649/

29 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 15:13:42
天孫降臨の地が宮崎ってのは・・・

ふと思ったんだけど朝鮮半島からやってきたなら博多、長崎、熊本の西海岸あたりだよな?


30 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:20:27
日本神話の神武東征にある畿内のヤマト王権は、九州王朝内の豪族の一派が東征してこれが成立した。
天孫降臨の地である筑紫の日向とは福岡市と前原市との間にある日向峠であり、高千穂とは前原市の高祖山のことである。

31 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 09:55:14
九州説は距離は「デタラメだ」などといっていませんよ。距離は正確ですよ。
短里を想定しないほうが愚の骨頂でしょう。
邪馬台をヤマトとこじつけるのは近畿説のよりどころでしょう。

32 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/23(月) 10:22:48
>>31

「里」に、短いも長いもありません。
『三百歩為里』です。

33 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 10:57:28
そもそも邪馬台をヤマトって発音したのだれか聞いたことあるのか?
そのまま読んだらジャマダイだろ?w

34 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 13:31:48
>>33
当時の中国人が現代日本人と全く同じ発音をしていたという証拠は?

35 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 13:41:32
>>31
>邪馬台=ヤマトとこじつけるのは近畿説のよりどころでしょう。
お前も九州論者なら、九州説の発端となった新井白石の筑後「山門(ヤマト)」説(いや、本居宣長の鹿児島説だったか?)を忘れるなよ。
(ま、別に俺は邪馬台=ヤマトを非難してるわけじゃないから別にいいけど。)
>九州説は距離は「デタラメだ」とは言っていません。距離は正確です。
松本清張の「距離は当時の中国人の思想から作ったデッチアゲ」と言う推理も忘れたのか?

一口に近畿説、近畿説というが、「近畿説」には大和説以外にも京都説、大阪説、和歌山説、滋賀説等色々とある。

36 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 13:53:07
>>29
ヒマラヤ山麓にいた民族が迫害を逃れて台湾、琉球を伝ってやってきたんだよ。

37 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 14:44:35
邪馬台国論争の当初のころは、九州説者も音からヤマト説をとっていましたが、研究がすすむにつれて、音による探究からはなれ、
多方面から探るという方法にかわってきています。
松本清張氏のその論はまちがっています。わからなくて自暴自棄になったということでしょうか。

38 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 00:21:46
清張は知りたかったろうな。
けど晩年は「北部九州のどこかにあったことは間違いない」それで満足とすると書いている。
もう研究する時間もなかったんだよ。



39 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 02:07:11
>>37
>松本清張氏のその論はまちがっています。
>わからなくて自暴自棄になったということでしょうか。

こらこらw
ちなみに「五万戸」「七万戸」と言った数字も「三・五・七」と言う陽数(奇数)を好む中国人の表現とも言ってたらしい。

行程記事からその位地を特定しようとするのなら
本来地名の一致は外せない分けで、それを外してしまってタガが外れ
まるで「九州なら何処でもOKなの」状態になってしまったのが九州説www




40 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 06:58:15
>>37
大体音の一致が使えないなら、
対馬国、一支国、マツラ国、伊都国、奴国、不弥国はどうなるんだ?
全て一からやり直しだぜ?
そしてお前は、投馬国と狗奴国はどう思ってるんだ?

41 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 10:34:57
わからなくて自暴自棄になったというなら、近畿説九州説を問わずその他を含めて、すべての研究者にいえる。

42 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 13:17:38
>>41
じゃあ今までの邪馬台国研究は何だったと?

43 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 13:34:02
邪馬台国って単なる魏志倭人伝の当て字だろ・・・
アメリカのメーに美国と当て字するのと同じ。

当時の日本には文字がなかったから、
邪馬台国=ヤマトだよ。

44 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 17:22:27
>>43
そういうもんだよ。
で、問題はどこのヤマトであるかという事だが、
邪馬台の台は乙音のト。
しかし、山門のトは甲音のト。
で、大和のトは乙音のト。

45 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 18:01:05
>>44
それはその通りなんだが、

今日の関西弁と九州弁が異なるごとく、当時も違っていたことを考えると、方言差かもしれないと思うのですよ。


46 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 09:22:42
>>43
>邪馬台国って単なる魏志倭人伝の当て字だろ・・・
邪馬台を「やまたい」と読むのは今の日本だぞ
当時の音では「ヤメツ」なんだが

47 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 10:27:16
>>45
同感ですね。発音が似ているとか、少し違うなどといってもあてにはならないと思います。
倭人伝の行程を素直に読んで、邪馬台国の位置を特定することでしょう。近畿説は方角の違いが決定的な矛盾となります。
九州説の場合には、従来の思い込みを脱却して、合理的に読む方法があると思いますが。

48 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 16:23:39
>>47
九州説が今でも「距離と日数は誇張」「陸行一月は陸行一日の間違い」
なんて言ってないように、
近畿説も今では「南は東の書き間違い」なんて言ってないよ。
昨今の九州説論者は距離の問題にも自分なりに解答を示しているだろう。
それと同じように、近畿説も方角に関しては解答を示している。
原田大六氏の「邪馬台国論争」を読むと良いと思う。
俺が九州説論者が今でも「距離と日数は誇張、月は日の書き間違い」何て言ってないことを知っているように、
近畿説論者が「南は東の書き間違い」なんて今では言ってないことを理解して欲しい。

49 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 16:25:00
>>47
で、発音の類似に関してだが、
確かにあまりそれに拘るのは学問的でないが、
軽視して良いものでもないと思う。


50 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 19:06:15
>>35
邪馬台国は少なくとも北近畿地方には絶対ない。

51 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:48:21
>>50
北近畿じゃなくて北九州地方だろう。
距離も日数も誇張、デタラメとするか、
無茶苦茶な短里の存在を推測するしかない。

宮崎西都市や鹿児島なら分からんでもない。

52 :サガミハラハラ:2008/06/25(水) 23:40:08
距離も日数も誇張、デタラメとしていませんよ。
短里は」周尺の1里67.5mときちんと筋が通っていますよ。
いろんな説をしっかりおさえて発言してください。

53 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 23:45:03
>>48
>近畿説も方角に関しては解答を示している。原田大六氏の「邪馬台国論争」を読むと良いと思う。
季節を考えないで日の出=東としたから間違えたんだ、という話のようですね。中国人は季節の知識がなかったとでも?近畿説が方角について合理的説明ができないということは、否定できない事実ですよ。


54 :河童虫#:2008/06/25(水) 23:55:36
>>52

>短里は」周尺の1里67.5mときちんと筋が通っていますよ。
いろんな説をしっかりおさえて発言してください。


何処の筋が通っているのです?


>周尺の1里67.5m

すると、周尺は 尺=4cm弱?
「人長三四尺」は 約12cm〜16cm?

55 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 00:48:23
周尺の1尺は22.5cmです。

56 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 00:50:23
方角ねえ、、、

そりゃ『当に会稽の東治の東にあるべし』って書いてるんだから
ひたすら南進しなきゃつじつま合わないだろう?www

で、なんでそんな位置にしなきゃならなかったのか?
はしょって結論から言うと
 
 倭人=伝説上の人物”太伯”の末裔

と言う事にしなきゃならなかったからw

『男子は大小と無く、皆黥面文身す。
 古よりこのかた、その使の中國に詣るや、皆自ら大夫と称す。
 夏后小康の子、会稽に封ぜらるるや、断髪文身して以て蛟龍の害を避く。
 今、倭の水人、好んで沈没して、魚蛤を補う。
 文身は亦以て大魚・水禽を厭う。後やや以て飾りとなす。』

元々この部分には前文として・・・

『その旧語を聞くに自ら太伯の後と言う』

と言う文章があってこの部分を省いた魏志だけを読むとワケワカランとwww

(参考)太伯・虞仲
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF

57 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 01:06:22
>倭人=伝説上の人物”太伯”の末裔と言う事にしなきゃならなかったから
太伯の末裔だからと言って、南にしなければならないとは言えないでしょう。
邪馬台国の位置と太伯伝説は関係ないと思いますが。

58 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 01:26:09
>>57
関係無きゃ
『当に会稽の東治の東にあるべし』
なんて位地に関する記述も出てこないよw

魏が倭国を華北よりは華中の呉や越に近い地域と認識していた証左と言えるんではないかな?w

59 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:01:02
里という単位はもともと1里が基準ではなく
1000里から始まっているのではないか

『周牌算経』による計算から古代の1000里が
約76kmであることが導かれている
夏至の日の南中時における太陽の仰角が
南北に1度違う地点間の距離が1000里だ
 
これを1里にすると非常に大きな単位になるため
1000里にしたと考えるのが自然

60 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 07:00:25
もう沖縄説で良いや。
方角も距離もつじつまが合う。
北九州よりはずっとずっとまし。

61 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 07:22:51
>>58
位地?位置? もし、古田説ならば、やめた方が良い。会稽東冶は会稽と東冶、二つの地名と読むべきもの。
>>60
沖縄では、万二千里も陸行一月も理解できない。北九州説よりましという点は分からないではないが。

62 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:07:13
結局物証がないからなぁ
数百年間どんだけさがしても近畿にも九州にもそれらしき遺跡が見つからないんじゃあ・・・

63 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:27:25
>『周牌算経』による計算から古代の1000里が約76kmであることが導かれている
私もこれかなとは思いますが・・・。とにかく、北九州上陸までがこの程度の里で書かれていることは事実。上陸したとたんに里の長さが変わるとは思えない。それが一番、常識的な考え方だと思いますね。


64 :ローガン:2008/06/26(木) 14:17:03
>>63
> >『周牌算経』による計算から古代の1000里が約76kmであることが導かれている
> 私もこれかなとは思いますが・・・。とにかく、北九州上陸までがこの程度の里で書かれていることは事実。上陸したとたんに里の長さが変わるとは思えない。それが一番、常識的な考え方だと思いますね。


つまり、三國志が書かれた当時は一般的に1里=76mであり、三國志もその基準に沿って記述された。
と云うお考えでしょうか?

65 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 14:32:41
>>64
一般的だとまでいうわけではありません。幾つかの里が並行して使用されるということも考えられますから。現実問題として、倭人伝の里は7〜80メートルだというだけです。

66 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 15:30:38
皇帝日「七十米為里」


そんなバナナ。

67 :ローガン:2008/06/26(木) 16:23:43
>>65
現実問題。という事は現実の地理から得られる距離数との比較を言われるのですね?
半島南岸→対馬→壱岐→九州。
何れも千餘里ですね。地図で見ると等距離には思えないのですが。
又、道程とは違うかも知れませんが、對海国は方可四百餘里、一大国は方可三百餘里ですね。
地図をみた印象ではもっと差があるようにみえます。

現実の地理と比較して、「里」をm換算する方法に疑問を覚えますが、いかかでしょう?
又、気が向けば返信ください。

68 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 16:28:17
>>62
遺跡なら沢山あるのだが。

69 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 16:45:40
>>67
>何れも千餘里ですね。地図で見ると等距離には思えないのですが。
違うといっても、観察の誤差といえる範囲でしょう。
>對海国は方可四百餘里、一大国は方可三百餘里ですね。
一般に、方○○里は、意味が誤解されているようですね。
これは面積表示です。例えば、対馬国は、四百里四方に相当する面積です。
細長いから、二百×八百ぐらいと考えればいいわけです。対馬国の長辺八百里、一支国は縦横三百ぐらいとみれば、実際とほぼ合っていると思いますが。


70 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:54:05
道が直線で作られてるならともかく
陸上では道が曲がってる方が自然なんだから
地図上の距離で考えるのは乱暴過ぎるのでは?

駅前、直線100mの物件が、
間に川があって橋を渡ると400m以上なんてこともあるしw

71 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 21:27:55
確かに高等学校で使う地図ではそうなります。
5万分ノ一、二万五千分ノ一やパソコンの地図をつかうとかなり正確に距離がでます。

72 :ローガン:2008/06/26(木) 21:28:48
>>69
返信ありがとう。中々繋がらなくて遅くなりました。
>これは面積表示です。

という事は對海国は四百×四百で1600。一大国は三百×三百で900ですね。
二者の面積を比較すると 16:9≒1.7:1になりました。

対馬の面積は上県が441ku 下県が246ku 合計687kuです。
壱岐の面積は133ku
両者の面積比は約5:1です。 全く合いませんね。
現代の地図か、魏志の記述どちらかが間違っているかとすれば、両者を比較する事により得られた数字は、余り信用出来ないと考えますがいかかでしょう?


73 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:09:34
>16:9≒1.7:1。両者の面積比は約5:1です。 全く合いませんね。
対馬を少し大きく見てみましょう。例えば二百×千。壱岐を少し小さく見てみましょう。二百×二百。これで5:1になりますね。
八百か千か、島を眺めて分かる違いではないでしょう。三百か二百か、1と1.5の違いでしかないんですよ。面積のちがいというのは難しいのです。

74 :ローガン:2008/06/26(木) 22:38:21
>>73
なるほど!5:1になりましたね。
仰る通り眺めただけではダメですね。測らないと。
やっぱり測った数字ではなかったと云う事ですね! 同意します。

75 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/26(木) 23:30:09
>>74 ローガンさん

対馬と壱岐の面積ですか?

一言だけ、参考になればいいのですが

壱岐は方可三百里
しかし対馬は四百余里  余をどう扱うかではないでしょうか?(漢籍に必ず答えは記載されています)


では、

76 :ローガン:2008/06/26(木) 23:54:30
>>75
「余をどうあつかう!」 呑んだ時の太国さんですか?
これは大変だ。


端数と考えますが、間違いですか?

77 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 00:01:12
>>76

>端数と考えますが、間違いですか?

間違いではないでしょう。しかし、壱岐がジャストで対馬が端数ですか?

78 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 00:46:44
漢籍における余の例は1から7まで
壱岐は余とある以上ジャストではあり得ない
 
大きさの比から対馬国は下県郡だけと考えるべきだろう

79 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:42:10
対馬の「余」は四百×四百よりも大きそうだという趣旨、壱岐に「余」がないのは三百×三百よりは小さそうだという気持ちの表れとみるべきでしょう。

80 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:48:14
>>78
対馬の下島、上島はつながった島。船からみても二つに見えるわけではない。下県郡だけと考えるべき理由はない。


81 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 09:52:48
方可四百里で
四百×四百が成立するなら、わざわざ方可四百里などと書かずに「百六十成」と書いた方が、面積として相応しい書き方ではありませんか?

82 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 10:21:33
「百六十成」?十六万平方里のことですか?それではピンとこないですね。
一辺が四百里の正方形に相当する面積といえばイメージがわきます。中国人の智恵ですね。

83 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 10:49:42
>>82

イメージではなく、百六十成は公文書の常識では?
分かりやすいとか分かりずらいは、民間企業の知恵ですよ

84 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 11:13:31
常識ですか? 知りませんでした。具体的用例を示して下さい。

85 :天照:2008/06/27(金) 11:16:03
あなたは、おばあちゃんといっしょじゃないといけないんですよ。

86 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 11:32:49
>>84

官制度量衡を参照してください。
また、漢書律暦志でもよいかと

87 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 12:45:58
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

88 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 15:16:16
>>86
正史で国土の面積を成で表現した例があるのか、お教えいただきたいですね。

89 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 15:52:47
>>88

関係ないんじゃない

国土の面積を何で表せという決まりはないし。
正方形の国土が存在しない限り、ありえないんじゃない。
方可四百里と記載したのも、正方形の形を成していないがための表記方
初めから四百×四百なんて考え方自体矛盾している訳。

わかりましたか?


区画された正方形の国土なら、必ず「成」を使います。

90 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 16:35:51
あらら。四百×四百をみて正方形と思ったのですか。単に方四百里の代わりに書いただけで、正方形という趣旨ではありません。対馬は細長いことが明らかですからね。
正方形を表すのに、160成というのはおかしくないですか?正方形ならば、16成か1600成のはずで、160などという数字が出てくることはまずないと思いますが。これ常識。

91 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/27(金) 17:12:21
>>90

>正方形を表すのに、160成というのはおかしくないですか?正方形ならば、16成か1600成のはずで

あ〜っ 確かに位を一桁間違っていますね(教えてくれてありがとう)


>対馬は細長いことが明らかですからね。

現代の認識はそうですが、当時、書を読んだ人は認識することが出来ますか?

>四百×四百をみて正方形と思ったのですか。単に方四百里の代わりに書いただけで

方四百里と書かれていれば
だれでも正方形を連想します。 しかし、書かれているのは「方可四百里」方四百里とは違います。

92 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 23:59:33
>方四百里と書かれていればだれでも正方形を連想します。しかし、書かれているのは「方可四百里」方四百里とは違います。
>>69 「可」は推量を表す文字。正方形かどうかとは関係ありません。

93 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 00:03:51
>現代の認識はそうですが、当時、書を読んだ人は認識することが出来ますか?
問題は書いた人の認識です。書いたのは郡の使者。対馬に渡ってきたのですから、対馬のようすは分かっていたはずです。

94 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 09:16:40
九州説の面々は、仮に近畿地方の方から「親魏倭王」印が出たとしても、
「偽物だ!」と認めないのだろうか。

95 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 09:21:24
本物だとしても、九州にあった倭国王朝の印が近畿に持って来られたという可能性を考えなければなりませんね。

96 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 09:47:19
>>94
九州はわかるが、そもそも古代に明確な近畿意識なんてなかっただろ。


97 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 13:10:24
>>95
馬〜〜〜鹿!

98 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/28(土) 14:26:16
>>90
>方可四百里
「正方形としてその一辺四百里」の意
「一辺四百里の正方形」の意味なら「方四百里」となる。
他の表現方法も考えられる。
「東西二百里南北八百里」

壱岐の場合:「方可三百里」、正方形としてその一辺三百里の意が、
「径可三百五十里」、円として直径三百五十里の意と表現できる。

魏志東夷伝では国の面積や形を正方形に直して捉えたのでは無いでしょうか。
夫餘:方可二千里
高句麗:方可二千里
韓:方可四千里

例外、三角形として捉えた例
東沃沮:「東北狹西南長可千里」、「東北部が頂点で、西南部を長さとして千里の底辺を持つ三角形」の意


99 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/28(土) 14:36:40
>>98の補足
対馬の南北に長い四辺形を「東西二百里南北八百里」と、もし当時書かれたとすれば、
「南北二百里東西八百里」となっていたでしょう。

上記の理由説明は長くなるの省略しました。

100 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 14:50:33
「方可四百里」

方=一方向性(起点から着点方向へ直線的に

可=範囲を把握する


方里という面積を四百分把握する。

101 :ローガン:2008/06/28(土) 16:42:51
>>65 69 73さんとのお話でわかった事は、倭人伝の道程の数字が実測値と整合しない。
よって其の比較から「1里が何mであるか?」を求めたところで何の意味もないと云う事でしょう。

102 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:11:12
漢字の読みを現代の言葉に当てはめるなど、
MMRのキバヤシと何ら変わらない行為であって、
そんなものは学問ではない。

103 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 17:16:13
>>74ローガンさん

>なるほど!5:1になりましたね。
仰る通り眺めただけではダメですね。測らないと。
やっぱり測った数字ではなかったと云う事ですね! 同意します。


つまり、魏の皇帝は適当な記載をしたということですか?

104 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 17:36:32
方400里、方300里というのは
平方里でしょう。
20里×20里とか、10里×40里とかですよ。

あくまで現在の壱岐島を一大國と主張してる人にヒントを出せば
方300里というのは、半径×半径×3かもしれませんね。
直径20里の範囲の面積ということでしょうか。

105 :ローガン:2008/06/28(土) 17:38:28
>>103
> つまり、魏の皇帝は適当な記載をしたということですか?


ん? 「行程」でしょうか?

不真面目とはいいませんが、不正確極まりない記述がされていると考えます。

106 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 17:45:45
>>105ローガンさん

すると、晋王朝はそんな魏を引き継いだ?

107 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 17:56:51
「方可四百余里」

私は当時としてはよくここまでと、絶賛するに値する記載と思います。

(その理由は、今度機会があったら記載しましょう)


>>104

>方400里、方300里というのは
平方里でしょう。
20里×20里とか、10里×40里とかですよ。

なら、初めからそう記載するのでは?

20里×20里と10里×40里では相当地形が異なりますね 




108 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/28(土) 18:00:09
>>107
>なら、初めからそう記載するのでは?

そんなことはないですよ。面積を表すのに地形を考慮しなければいけない理由はないです。
今でも100平米とか400uとか書きますよね普通に。

109 :ローガン:2008/06/28(土) 18:39:23
>>106

>>105ローガンさん

> すると、晋王朝はそんな魏を引き継いだ?


塞外への道程情報の確度が、王朝のバロメーターになるとは思いません。

110 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 22:03:28
>今でも100平米とか400uとか書きますよね普通に。

つまり、今の常識は、当然1700年前も常識だったと?

111 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 22:06:18
>>109ローガンさん

>王朝のバロメーターになるとは思いません

では、ローガンさんが思うバロメーターとなる範囲はなに?

112 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/28(土) 22:08:19
>>110
20里×20里と書くべきだ、それが当時の常識だと
強弁するよりもはるかに自然だという事ですよ。

113 :日本@名無史さん:2008/06/28(土) 22:11:43
>方400里、方300里というのは平方里でしょう。20里×20里とか、10里×40里とかですよ。
これは明らかな誤りです。一辺の長さが四百里、三百里ということです。いうなれば、四百里平方、三百里平方ですね。

114 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/28(土) 22:21:26
>>112

>20里×20里と書くべきだ、それが当時の常識だと
強弁するよりもはるかに自然だという事ですよ。


ま、そのまえに「方四百里」なら 四百×四百が常識なんですが

115 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/28(土) 22:38:36
>>113-114

当時は四角形でしか面積を表す概念がなかったと言いたいわけですね。
その常識というのは数学の教養を持たない人たちだけのものでしょう。

そもそも里は面積をあらわす単位でしょうに。

116 :ローガン:2008/06/28(土) 23:43:00
>>111
> では、ローガンさんが思うバロメーターとなる範囲はなに?

なんかお疲れのご様子、ご自愛ください。

117 :九州王朝大好き ◆I.THkUKc4Y :2008/06/29(日) 00:11:47

方400里=400里平方=16万平方里
方400里=東西200里南北800里

方300里=300里平方=9万平方里
方300里=径350里

118 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 00:15:53
>>115

>そもそも里は面積をあらわす単位でしょうに。

それは 和語でいうところの単位「さと」

119 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 00:18:54
>>116

>なんかお疲れのご様子、ご自愛ください。

今宵、予定外に竹刀握ってきたから  お疲れモードです。

120 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 00:34:23
>>118
疲れているというより酔っ払ってるんじゃないですか?
なんです?さと?
もう少し論理的なレス返してもらわないとな。
某氏並ですよ、それじゃ。

121 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 00:38:32
>>115
そうではありません。当時も正確な面積を測る手段はありました。しかし、国とか島とか大きな面積は測量が困難です。
そのような時に、概数を知る手段としてこの方・・里というやり方が用いられたのです。
考え方は、例えば壱岐ならば、島の上に正方形を想定するのです。そこからはみ出した島の部分を切り取り、正方形内の海の部分を埋めます。
釣り合いが取れた正方形は、島の面積に一致するはずです。
その正方形の一辺の長さが何里か、それで表現すれば、大体の面積が分かります。これならば何平方里などというよりもずっと理解しやすいわけです。

122 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 00:47:24
>>121
いや理解しにくいというのは、「数字に弱い研究者の間で」ということなんじゃないですかね?
なぜ面積の単位では理解できないのですか?
そのほうが便利な場合が数多くあるでしょう。
あなたは不動産を買うときに面積で比較しないのですか?

123 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 01:03:12
方・・里という表現も面積を表しているのですよ。

124 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 01:07:05
だから、対馬國は400個の里を支配していた。
そこには1000個の戸(宅地農地)もあったということ。
ものすごくわかりやすいじゃないですか。

125 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 01:31:30
数字に弱いようですね。里の数は十六万個です。

126 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 11:03:57
>>125
魏志倭人伝には16万なんて数字はどこにも出てこないし
根拠となる数式も算法もどこにも示されていませんね。
まず、その根拠を書かない答案として0点です。残念ですが。

127 :サガミハラハラ:2008/06/29(日) 11:17:29
対馬は南島が対海国で北島が対蘇国です。
南島の南北の長さは26.1kmです。これは400余里である。
壱岐島の長さは17.1kmです。これは300里である。余がついていないところをみると、300里より短いととれる。
400余里対300里は4≒3である。
26.1対17.1は4≒3である。(17.1の3分の一5.7kmを4倍すると22.8kmとなる。南島は余分があり壱岐島は300より幾分短い))
よってこの場合の方とは一辺の長さのこととみてよい。

128 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 11:21:15
>>127
1里は約430mです。
単位を適当に設定して、適当な理屈をこねくり回してるだけじゃないですか?
そういうのは研究とは呼べません。何度も書きました。

129 :メイショウサムソン:2008/06/29(日) 11:28:31
中国語で「方四百里」って書かれれば「方形の一辺の長さが400里」の意味だと思うよ。
和語で「対馬國四百里」と書かれれば「対馬國には400の里が有る」の意味だろう。
何が論点なのかわからんスレだな。

倭人伝では対馬は一辺400里の正方形の島として表記されている。
中国大陸から見れば対馬程度の小島の形状なんて眼中にないんだよ。
2ミリ、3ミリの砂粒の形が丸かろうが四角かろうが、どうでもよいこと。
要するにだいたいの大きさが判ればいいというような書き方。
壱岐は方300里で対馬は方400里、小島ながら壱岐より対馬の方が少し大きい、
それだけのこと。





130 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 11:30:06
>>126
「方」という文字が使用されていることから当然出てくる値です。
「方四百里」は四方が四百里、すなわちその面積は四百×四百=十六万平方里です。
それが理解できないというのは、あなたが言葉を知らないというだけのことです。

131 :サガミハラハラ:2008/06/29(日) 11:37:59
倭人伝の里は周尺です。よって1里は67.5mです。
わたしの倭人伝研究はその実証性にあります。
適当な理屈をこねくりまわしているのではありません。
430mでは地理上の実地に合わない。しかし、各間の距離の比率は実地と合う。
となると、1里は430mではないようだとの仮定がしょうじてくる。
となると、実地に合う里の長さはいくつが適当かを考えていけばよいことになる。
そして適当なさと単位がわりだせたら、今度はその由来をさがしていけばよい。
それが、周尺であったということです。

132 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 11:47:52
>>129
壱岐ではなく一大ですね。
中国語うんぬんより以前に、勝手な読み替えは止めたほうがよいでしょう。

>>130
思考が停止してるから、「当然」としか言えなくなってるんじゃないですか?


>>131
>430mでは地理上の実地に合わない。しかし、各間の距離の比率は実地と合う。

サガミさん、その地理上の実地(実測?)とはなにを比較してるのですか?
21世紀の地学を、そのまま魏志倭人伝にあてはめるということ自体が
研究の素地として無理があると思いますよ。

133 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 12:07:29
追記しておきます。

わたしは方・・里を、面積と断定しているのではありません。
もし、対馬國をひとつの城廓と見立てたなら
方は、その城壁の長さ、すなわち島岸の長さでしょう。
ただ、いずれにしても一辺が400里だという論には疑問があります。
文章としてもあまり意味がないでしょう。

134 :メイショウサムソン:2008/06/29(日) 12:17:08
>>132

少しだけツッコんでみていい?

>>124 名前:573 ◆Q7jMocDY4c
>だから、対馬國は400個の里を支配していた。

この解釈では「方可」の文字をどうやって処理しているのですか?

>そこには1000個の戸(宅地農地)もあったということ。

漢代の基準なんで何だけど、行政単位「里」は概ね「100戸」
行政単位「里」が400あるなら、戸数の概数は4000。

これ隋・唐代まで下っても一里が25戸に成ることは無かったはず。
と言うか、郷里制内の単位である「里」と「戸」を態々離して記載するのは不自然でしょう。
文章の流れから見て、400里は長さの単位でよろしいんじゃないの。

>ものすごくわかりやすいじゃないですか。

うーん、それじゃ「ダメ」なことは直ぐにわかったけどなw




135 :メイショウサムソン:2008/06/29(日) 12:19:26
>行政単位「里」が400あるなら、戸数の概数は4000。

アリャ、掛け算を間違えた・・・正解は良い子の皆さんが計算してね。

136 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 12:24:52
>>134
ツッコミありがとうw

>行政単位「里」が400あるなら、戸数の概数は4000。

面積の基準として、10戸×10戸を1里として、その一辺の長さを
約430mとしたってことだよね。
つまり1戸は約43m×43m。

魏志倭人伝では戸を平野の意味として使ってるから
面積として方・・・里を表現してるならば、
それは純粋に面積を表すものとして考えてもいいと思うよ。
つまり方400里のなかに1000戸(10里)の平野があるということだね。

137 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 13:14:21
>魏志倭人伝では戸を平野の意味で

ナント!
この珍説(失礼)は初見ですな。
はてさて、どのような展開になりますことやら。
昼寝でもして待ちますか・・・

138 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 21:24:24
>>129

>中国大陸から見れば対馬程度の小島の形状なんて眼中にないんだよ。
2ミリ、3ミリの砂粒の形が丸かろうが四角かろうが、どうでもよいこと。
要するにだいたいの大きさが判ればいいというような書き方。
壱岐は方300里で対馬は方400里、小島ながら壱岐より対馬の方が少し大きい、
それだけのこと。


それは変な理屈ですね
中国大陸から見れば対馬程度の小島の形状なんて眼中にないのであれば、「方可四百里」「方可三百里」と記載し
「方可四百(余)里」などという(余)を記載する意味がありません。
それこそ小粒を意識する記載内容ではありませんか?

この場合の視点は別な位置にあり、
壱岐の「三百里」という(余)を有しない把握記載に対し、対馬は「四百里」という数値では把握出来ない、それ以外の(余)という
部分が対馬には存在するという事ではありませんか?
対馬も壱岐も
貴方が述べるように、大陸から見れば小島
それなのに、壱岐は三百 対馬は四百或いは五百ではない「四百(余)」

大陸から見れば小粒の小島に対し五百と記載できない理由があるのでは



さ〜ようこそ  陳寿ワールドへ

139 :サガミハラハラ:2008/06/29(日) 22:05:11
>>132地勢は2千年のあいだにそうかわっておりません。
ですから、現代の治世にそってはなしを進めても問題はありません。

140 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 22:24:20
>>139
そんなことを言ってるんじゃありません。

>南島の南北の長さは26.1kmです。

あなたはこの26.1kmという値を当時の人間がどのように得たか、考えてはいない。
あなたのように単位や方向を平易に変えてもいいと考えてる方は
その箇所で自分の思考が断絶してることに気が付いてないのではないですかね。

141 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 22:52:31
当時(いつのことかは不明である)南島は400余里ととらえております。
単位や方向はかえていいとはいっておりません。あくまでも当時(いつのことか不明)のひとが、
地勢をどのようにとらえあらわしたqかを考えているのです。
それと現在の地勢をくらべながら現在の単位になおしているのです。

142 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 22:57:05
>>141
サガミさんはまだ理解されていないようなので繰り返し書きます。

>あなたはこの26.1kmという値を当時の人間がどのように得たか、考えてはいない。

私は、あなたがいうところの400余里(26.1km)を当時の人がどのように計り得たのか
あなたは考えていない、と書いているのです。

143 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 23:11:39
>>140

>あなたはこの26.1kmという値を当時の人間がどのように得たか、考えてはいない。
あなたのように単位や方向を平易に変えてもいいと考えてる方は
その箇所で自分の思考が断絶してることに気が付いてないのではないですかね。


で、貴方は考えてるというなら
どのように得たという結論になりましたか?

144 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 23:13:12
>>141

>南島

何処に南島が登場するの?

145 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/29(日) 23:13:46
>>143
いやそれはサガミさんの説ですから。
ちゃんと前後読んでね。

146 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/29(日) 23:20:10
>>145

了解  ごめんね

147 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 09:47:53
>>142これは海上から目測ではかったものとおもわれます。
地上である集落とある集落の正確な距離(里・歩測)があります。
それをもとに、海上を船を走らせ(島の西海岸は1直線です)何倍としてだせます。
勿論かなりの誤差がでます。余がついているのはそのためです。
ただし、このような計測は短期間ではおこなわれなかったとおもわれます。
つまり、魏使は計測はおこなわなかったとおもわれます。せいぜい地元民から聞いた程度でしょう。
地元民はかれらの単位ではかったものです。
魏使はおおきすぎるのではと思いながらもそのまま記したとも考えられます。
しかし私考するに、儀使は距離まで計測した報告書など作成していないとみています。後世の隋のハイセイは寄港地はかいているが距離はかいていない。
倭人伝の行路記事はおそらく箕子朝鮮に由来する文書からチンジュが引用したものであるとみています。
箕子朝鮮は周制の国であったことから、距離の単位は周尺であり、1里は67.5mであったわけです。

148 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/30(月) 10:40:17
>>147

サガミさんの頭の中で思っている事をコクられても、誰も反論出来ません。
結論を得たいレスを望むのであるならば

おもいきり

「好きだ」

と、ストレートにコクりましょう。
勇気を出して。

149 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 11:02:47
方○○里は単に面積を表したものであり、方400里であれば
400X400里でも200里X800里でもいいんだ。
韓国はたまたま正方形に近い形をしていた。
対馬は二つあわせて長方形。



150 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/30(月) 11:57:30
>>149

でも実際は「方可四百里」だから、「方四百里」とは明らかに違うよね。

151 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 13:03:38
>>150
「方可四百里」は山尾は「四百里ばかり」と読んでますね。
「可」は推量を示す文字。方四百里だろう、といったニュアンスです。

152 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 13:50:04
>>149
まったくそのとおりですね。>>69 対馬を正方形とみたと誤解している人が多いですね。
古田某が島の2辺を足して八百里などと変な主張をした影響でしょうかね。

153 :名無しさん:2008/06/30(月) 13:53:28
とにかく、大和盆地は弥生時代は辺境の沼地。
そんなど田舎が邪馬台国である筈がない。



154 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/06/30(月) 13:59:24
>>151

>山尾が「ばかり」

で、貴方の意見、考えは?
「可=ばかり」と読んで、何か解決しましたか?方可四百餘里の数値四百には、必ず四百に対する根拠があります。
四百に対する起点0〜着点400という。
で、その起点と着点は
何処でどのように表現されていますか?

それが「可」文字の役割なのです。


山尾だか川尾だか知りませんが、とても使えそうにありません。

155 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 14:41:28
>>154
>方可四百餘里の数値四百には、必ず四百に対する根拠があります。
起点、着点などはありません。>>121を御覧ください。


156 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/30(月) 21:19:26
>>147
サガミさんの想定した計測方法はツッコミどころが多いですけど
それはおいておくとして、
で、

>倭人伝の行路記事はおそらく箕子朝鮮に由来する文書からチンジュが引用したものであるとみています。

サガミさんは、箕子朝鮮がどのようにして26.1kmを測り得たのだと考えているのですかね。
一言で言うとあなたの論は循環論法になってますよ。

157 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 21:35:29
書き終わって気づいたのであるが、箕子朝鮮は26.1kmを測り得ていません。当時はまだm法がなかったので、
当時の朝鮮での計測の単位の里をつかいました。あとは>>147のような方法で計測しました。
勿論歩測ほど正確ではないので、四百里を越えるくらいはあるだろうという表現になっています。

158 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/30(月) 21:40:36
>>157

142 名前:573 ◆Q7jMocDY4c [sage] 投稿日:2008/06/29(日) 22:57:05
>>141
サガミさんはまだ理解されていないようなので繰り返し書きます。

>あなたはこの26.1kmという値を当時の人間がどのように得たか、考えてはいない。

私は、あなたがいうところの400余里(26.1km)を当時の人がどのように計り得たのか
あなたは考えていない、と書いているのです。



循環してますね。ご自分で気づいていないのならば問題だと思いますよ。

159 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 21:43:13
沖合を船を走らせながら目分量でです。

160 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 21:45:49
私はサガミさんとはちがって、北島、南島を合わせた面積だと思っています。二百×八百ぐらいに見たのかなと。
島の大きさは、主に島の人の説明によって判断したものと考えます。端から端まで歩いてどのぐらいかかるかとかね。
もちろん、海上から島を眺めて大きさを見たというのも参考にはしてるでしょうが。




161 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/30(月) 21:46:12
>>159

>沖合を船を走らせながら目分量でです。

それを、どう換算したら26.1kmになるんですかね。
ご自分で、比率から魏志倭人伝の里は約430mではないとしていたんですよね。

根拠が消失してるではないですか。

162 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 22:48:25
26.1kmに換算したのは21世紀のわたしです。
約430mではないとしていました。では如何程かというと、他の行路の箇所等も検討した結果、1里67.5mとなったということです。
400里は27kmであり南島の西海岸の長さの26.1kmとの違いは、計測の誤差であるということになります。

163 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/30(月) 23:03:54
>>162

>26.1kmに換算したのは21世紀のわたしです。

そんなことを言ってるのではないです。

26.1kmなどと100m単位で書いてる時点であなたが誤差というものを
まるで理解しないで使っているのがわかります。
船から目分量の400里というのがなんであれ、(あなたはその計測方法も考えてはいないでしょうが)
もう、比率がどうとか書くのはお話にならない位、恥ずかしいことだと自覚なさった方がよろしい。

164 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 23:34:03
比率がどうのって、例えばマツロから伊都国(多久市南多久字下多久)まで500里で、次の(奴国には行っていない)不味国まで100さとで5:1です。
これをkmでは33.3km対6.8kmで5:1となり同じ比率でしょ。

165 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/06/30(月) 23:41:02
>>164
だからあなたは誤差って意味がわかってないんですよ。
あなたにとって、33.3とか6.8とかを当てはめるのは
ただ数字遊びしてるのと同じにしか見えないわけです。
普通に物理の知識がある人ならだれでもそう思いますよと
忠告してるのです。
お説の価値を落としますよ。

166 :サガミハラハラ:2008/06/30(月) 23:53:25
そうですか?

167 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/07/01(火) 00:02:17
>>166
そうですね。
船で目分量でなんて書くのなら、まずどうやって速度と時間を測ったのか
くらいからじっくり考えてみることをお勧めしますよ。
あなた方の思考が断絶してると書いたのはそういうことです。

168 :ローガン:2008/07/01(火) 00:06:49
>>164

先生!しっかりしてください。このままではまずいですよ。
「不味国」になってますよ!


169 :サガミハラハラ:2008/07/01(火) 00:22:44
対馬の西側は海流が南西から北東に島にそってほとんど定足でながれています。沖合にこぎだしてあとは海流に見をまかせればよいのです。(晴れている日をお勧めします>

170 :573 ◆Q7jMocDY4c :2008/07/01(火) 00:23:59
>>169
船で目分量でなんて書くのなら、まずどうやって速度と時間を測ったのか
くらいからじっくり考えてみることをお勧めしますよ。
あなた方の思考が断絶してると書いたのはそういうことです。

171 :サガミハラハラ:2008/07/01(火) 00:45:15
目分量で距離を測るのに速度と時間は測るひつようないですよ。

172 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 01:46:26
俺がこのテの問題に関して思うのはね、考古学者の人達も、プライドとか面子とか地元にあってほしいとか、そういう考えは捨て去ってほしいのだよ。
「真実」が知りたくないのか?
どういう結果であれ、真実が解ればそれでいいじゃないか。
畿内だろうが九州だろうが四国だろうが南極だろうが北極だろうが。
とにかく、下らない意地とかで歴史をややこしくしてしまうのは止めてほしい。
心からそう思う。
長文失礼した。

173 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:04:53
邪馬台国がどこにあろうが、考古学的にみて当時の日本の中心部は巻向なんだし、
三世記にはすでに大和を中心に日本の歴史は動いていたんだし、
邪馬台国の位置論争などたいした問題ではない。

174 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:12:20
>>173
(現在の日本領の中での)日本の中心地は巻向で、邪馬台国は九州なんだろ
そうとしか考えられない
少なくとも魏志倭人伝は、九州が邪馬台国だと考えてたんだろ

175 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 02:10:47
必死だな。マキムク・・・
いきなり降って涌いてきたイメージだしね。分が悪すぎるよ

176 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 12:48:44
>大和を中心に日本の歴史は動いていたんだし、
その証拠が記紀しかなく、記紀が信用できないから困るんですね。
中国史書や朝鮮半島の記録で畿内のことを書いているものは何一つないのですよ。
大和中心に動いていたら、外国の記録にまったく出てこないはずはないのにね。

177 :サガミハラハラ:2008/07/02(水) 15:48:44
>>173当時の日本は、二つの中心があり、ひとつは邪馬台国を盟主とする九州であり、ひとつは大和を根拠とする近畿地方です。
倭の正当なる代表は倭国の邪馬台国であることから、中国との国交は邪馬台国であり、和についての記述も九周中津となったわけです。
大和は中国との通行はなく(しらなかったともいえる)互いに存在をしらなかったようである。
記紀に中国の存在を知ったことがしれるのは、垂仁天皇の時代のとこよの国の話である。
垂仁天皇は288年から314年の在位であるこつから年代てきにもあう。
このことから、邪馬台国の時代の直後から大和の活動が活発になることから(神武の頃の小集団からあたりを征服し巨大勢力に発展した)
邪馬台国が東遷して大和朝廷となったとの誤解を生んだ。(誤解するほうもどうかと思うが)

178 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 17:49:30
文献の九州、考古学の畿内といわれるように考古学的には畿内有利なのですよ。
文献には出てこなくとも当時畿内は北部九州以上に発展してたし
前方後円墳発祥の地が巻向の可能性も極めて高いし
畿内中心に動いてたのはまちがいない

179 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/02(水) 18:16:54
畿内に女王国があればご本家日本の記紀に日本人の卑弥呼の記事が外国の外国人
記述の倭人伝より以上に記載が詳細に載る。それがないのは畿内近辺に卑弥呼
の女王国がないことがいやでも分かる。つまり女王国は九州にあったのだ。

180 :サガミハラハラ:2008/07/02(水) 18:38:37
>>178邪馬台国にかんしては考古学的には九州有利です。考古学の盛んな畿内派が、邪馬台国と関係のない出土品を証拠でもあるようにマスコミに
流し、マスコミがそのままながして畿内有利ともっていくのです。
発展とはどのような渋滞をさすのかはさておいて、3世紀の中盤以降は大和の勢力(おもに経済的軍事的)が急速に伸長し、国力では北九州諸国を量がしていたことは確かです。
しかし、だからといって、邪馬台国は九州になかったとはいかないのです。
この時代の大和の勢力は広島のあたりまでとおもわれます。s

181 :サガミハラハラ:2008/07/02(水) 18:41:15
>>178邪馬台国にかんしては考古学的には九州有利です。考古学の盛んな畿内派が、邪馬台国と関係のない出土品を証拠でもあるようにマスコミに
流し、マスコミがそのままながして畿内有利ともっていくのです。
発展とはどのような渋滞をさすのかはさておいて、3世紀の中盤以降は大和の勢力(おもに経済的軍事的)が急速に伸長し、国力では北九州諸国を量がしていたことは確かです。
しかし、だからといって、邪馬台国は九州になかったとはいかないのです。
この時代の大和の勢力は広島のあたりまでとおもわれます。

182 :カシワラ研究所:2008/07/02(水) 18:46:31
卑弥呼の墓は箸墓では! 圧力があるから金印見つかったけど、公表できないという考古学会伝説

183 :日本@名無史さん:2008/07/02(水) 22:31:04
>>182
案外本当に与党から圧力掛かってるかもね。
あちらは作る会勢力、邪馬台国が北九州にあって卑弥呼が天照大神でないと困る。

184 :日本@名無史さん:2008/07/03(木) 06:31:35
>>177
>当時の日本は、二つの中心があり、ひとつは邪馬台国を盟主とする九州であり、ひとつは大和を根拠とする近畿地方。
大和を中心とする勢力が中国史書や朝鮮史書に出てこない理由は何かな?
日本書紀には裴世清が大和へ来たとある、しかし、隋書にはそれもまったく出てこない。

>大和は中国との通行はなく互いに存在をしらなかったようである。
裴世清が来たというのに、中国は大和を知らなかった?

185 :サガミハラハラ:2008/07/03(木) 08:08:08
当時とは3世紀の日本です。

186 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 10:12:07
4世紀以降は大和の存在を知っていたのでしょうか?それがどうして出てこないのかな?

187 :サガミハラハラ:2008/07/04(金) 11:39:34
4、5世紀の中国との接触の日本書紀における記録では、垂仁天皇の90年に田道間守に命じて、常世国に「非時の香果」をもとめさせたとsります。景行元年に帰還したとあります。これは315年のことです。
応神天皇の37年に阿知使主・都加使主を呉に遣わしてとあります。応神37年は409年のことで、呉とは北魏のことです。
仁徳天皇の時代には仁徳3年に東晋に献使をおくっています。413年のことです。

中国が倭の記録は、北魏の資料をわたしは知らないのでなんともいえません。


188 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 11:48:55
>仁徳天皇の時代には仁徳3年に東晋に献使をおくっています。413年のことです。
倭の五王は大和の天皇だという前提ですか?倭の五王は九州にあった倭国の大王なのでは?

189 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 12:17:27
>>186
大和の存在が中国に初めて知れたのは梁書扶桑国伝だね。
魏志倭人伝では黒歯国としての認識かな。
畿内の古墳からお歯黒した人骨が出ている。
畿内から多くの人骨が出ていないから、はっきりはしないが
可能性は否定できないだろう。

190 :日本@名無史さん:2008/07/04(金) 13:34:14
黒歯国は裸国と同じところ、船行1年で至るところ。到底大和とは思えませんね。

191 :サガミハラハラ:2008/07/04(金) 16:35:51
邪馬台国を盟主とする九州王朝は290ねんごろにおいて、大和と連衡を組むことによって解体しています。
古田氏の提唱する7世紀まで九州に王朝があり、そりらが主体であったという九州王朝説は成り立ちません。

192 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 00:27:41
>邪馬台国を盟主とする九州王朝は290年ごろ、大和と連衡を組むことによって解体しています。
そのように見る証拠は?後漢書にもそんなことは書いてありませんし、隋書は「魏志のいわゆる邪馬台なる者なり」といって邪馬台国が存続していることを認めていますよ。

193 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 06:23:34
>>183

> 案外本当に与党から圧力掛かってるかもね。
> あちらは作る会勢力、邪馬台国が北九州にあって卑弥呼が天照大神でないと困る。

チミ、ものの道理を知らないね。
つーか、アタマ悪いね。

日本の皇朝思想にとって、卑弥呼なんかが皇祖・天照大神じゃ困るでしょw


194 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 08:14:54
>古田氏の提唱する7世紀まで九州に王朝があり、それらが主体であったという九州王朝説は成り立ちません。
確かに、古田氏の考え方には間違いがある。しかし、隋書が伝えるアメタリシヒコは大和の天皇ではない。
さて、どのように考えたら良いのでしょう。



195 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 15:03:00
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

196 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 04:16:25
> 案外本当に与党から圧力掛かってるかもね。

まあ右翼にも色々で大川みたいに
「天皇なんざあ古代豪族の末裔」
と言い捨てる奴もいるだろうしw

でも皇国史観を信奉する奴にとって畿内説は諸刃の剣だろうなw

名実共の初の倭国王が畿内ヤマトであると言うのは心地良いだろうが
万世一系に疑問を呈するような論調は嫌うだろうwww

それならいっそ邪馬台国は九州で神武東遷は事実と学校の授業で教えた方がマシ
・・・と考えるんじゃねえか?www


197 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 04:23:14
わりと柔軟なんだよ。
皇国原理主義みたいなのはほとんどいない。
戦前ですら敬遠されていた。
まあ、一部捏造学者というか捏造宗教家を信奉する政治家、軍人もいたことはいたけど。



198 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 05:17:08
まあ津田にしても執行猶予付きの禁固数ヶ月で、原告・被告共に控訴。
実際には裁判が開かれる事は無く有耶無耶の内に時効成立だったらしいなw

ただそれが現体制への批判に結びついていたらどうなったかは知らんがw

事によったら東條サンから赤紙来た?w
(まあ本人と言うのは無くとも息子とか近親者とか・・・)

199 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 12:20:01
>>193
>>196の言うとおりだわ。

まあ、作る会とは無縁なところで
「北部九州の勢力が東遷して邪馬台国を創った」
という主張があるけどな。
原田大六とか。

邪馬台国北九州・卑弥呼天照大御神説の支持者は、
最近はやけに作る会支持者が目立つ。
安本美典とか、井沢元彦とか、鈴木ドイツとか。


200 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 17:20:15
北九州の先進勢力が東遷して邪馬台国を建国した、
と言う説も九州論者にとっては不満なの?

201 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 22:16:10
>北九州の先進勢力が東遷して邪馬台国を建国した

この妄想の根拠はどこから? なんで九州の「北」なわけ?
記紀によれば「東遷」して大和を建国したのは九州南部出身の王。しかも
移動は数年にかけて、数人レベル。しかも豪族の娘と結婚して落ち着く。

祟神の代まで嫁は畿内近辺のみ。勢力が及ぶところが
かなり小さい範囲だよな。九州までも届いてない。

>北九州の先進勢力が東遷

畿内に行き着くまでに大国がひしめいている。無理無理www
しかも鉄器が一番優れている南の熊襲と争ってるようなもんなのに
畿内まで攻め込むわけない。ほんとアフォばかりだな。 


202 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 14:14:20
>>201
>記紀によれば
何故記紀の記述が絶対に正しいと思うんだ?

203 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 14:22:19
>>201
大体、日向が日向国(宮崎)だと言う絶対的な証拠もないだろう。
北九州には日向と言う地名が非常に多い。

204 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 14:46:06
魏志倭人伝は当時の中国の力が強いとしたいが為、
距離等、大げさに書いてあるとするのが妥当だと思うんだが?

それを根拠に邪馬台国の場所を特定するのはどうかと思う。

205 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 15:07:06
>>204
そんな事いうならどこへでも邪馬台国を持っていける。

206 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 15:57:48
俺は北九州にあった集団がどこから来たか?の方が興味があるが。

207 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 15:51:31
>>206
朝鮮民族かミャオ民族と混ざったんだろう。

208 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 16:21:14
大和は大国主命

日本の神話てオモロ〜 まるで乗っ取りにあったみたいやん

ところで何故古墳の調査をさせないんでしょ? 知られるとヤバいの出るから?

209 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 17:55:14
>>208
知られるとヤバイのって例えばどんなのだ?
日本人ていう自分達のルーツとか歴史とかを少しでも知りたいって思わないのかな。
俺は真実を知りたいだけだから結果がどうであっても受け入れる。
つーか、受け入れがたい結果というもの自体思い付かない。

210 :日本@名無史さん:2008/07/10(木) 00:09:43
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

211 :日本@名無史さん:2008/07/10(木) 12:03:15
>>208
>知られるとヤバいの出るから?

ハングルの落書きとかメッコールの空瓶とか?


212 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 00:52:06
近畿の銅鐸が消えたのはどう見るのだ? 外部勢力の侵入によるものだとしたら、畿内説はおかしくなるように思うが。

213 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 06:27:43
仁徳陵は大林組の2002年に公表した試算では、古代工法では「15年8ヶ月」の歳月
と延べ680万7000人、ピーク時1日2000人という要員を要し、さらに、埴輪の製作や
燃料の薪の採取、鍛冶、工具の製作なども他に必要であったとされている。

箸墓は300年±50年であり、仁徳陵(大仙陵)は450年前後のもの。だから、規模は
大仙陵>箸墓であるが、約100年後の工事であるため、それらを考慮しても箸墓
を造るのに相当な人員の動員があったのは事実であり、それができた権力者が
すでにマキムク周辺に存在していた。九州に邪馬台国があっても、それはそれで
もういいじゃないですか? しょぼい邪馬台国でもかまわないじゃないですか。

214 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 07:53:34
>>213
>しょぼい邪馬台国でもかまわないじゃないですか。

理論上はそうなるが・・・

しょぼかろうが弱小だろうが魏に冊封されたなら、その痕跡を何処に見るかと言う問題がある。
畿内説なら、ある時期から威信財たる銅鏡が畿内を中心に分布しているのをそれとできるだろうが
じゃあ九州説の場合は?

それにそれだけの権力を持っていた畿内が、果たして大陸半島に興味を示さなかったのか?
普通に考えてそれは考え難いだろう。
そうすると九州の勢力は畿内を中心とした首長連合を出し抜いて魏と交渉したと言う事になるが
それもあり得ない話ではないが、最大勢力がそのまま交渉を持ったとするよりは蓋然性において劣る。



215 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 08:07:57
>>212
別におかしくとも何ともならない。

銅鐸と言う祭器が持つ元々の性格と、弥生時代後期末期の社会構造の変化
(環濠集落の解体、豪族居館の出現等々)を考えれば、その終焉はむしろ必然。

外部勢力などと言うものを考える必要性は全く無い。

216 :河童虫 ◆EY2wfgakAQ :2008/07/11(金) 11:00:06
>>214
>畿内が、果たして大陸半島に興味を示さなかったのか?


以前からずっと示していた。魏時には
『正始元年春正月“東倭”重譯納貢』
…晋書宣帝紀…

と、書かれている

217 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 22:04:12
>>1
早くここを片付けろ

ドツボ撲滅委員会くん スレ立てまくるなよ 迷惑

218 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 21:39:40
>>217
よほど大和説を封印したいようだね。
「邪馬台国スレはいっぱいある」と言う理由で、
一つしかない大和説スレを潰したがるんだから。

219 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:36:55
のちの大和政権が邪馬台国の後継を装っただけだよ。大和朝廷と邪馬台国は全然関係なし。
邪馬台国もヤマタイじゃなくて当時の音でヤマド(ヤマト)

ヤは大きい、マト=マツは宗主国の意味。だからヤマトは大宗主国ってこと。

大和朝廷は現在の佐賀県にあった邪馬台国を滅ばした連中が巻向に建てた王朝の後継。
柵幇関係にあった中国に対して滅ぼしてしまったことがバレると関係を築けなくなってしまうから嘘をついただけ。

両者は関係なし。

220 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:00:49
必   死   だ   な

221 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 06:51:57
>>219
証   拠   無   し

222 :サガミハラハラ:2008/07/18(金) 10:36:01
証拠
 佐賀県にあった邪馬台国=佐賀県小城市甘木が邪馬台国の都です。
 巻向にたてた王朝。=現天皇家のはじめのころの王朝は巻向の付近ということは定説となっております。
 この時期に邪馬台国は消滅(どの文献にもでてこない)しており、九州は大和の政権下にはいっています。
 このことも定説となっております。
 嘘をついたことにかんしても、当時の資料をみると、大和の正当を主張するために、邪馬台国と同一であるような
言動をおこなったとみられるものがあります。

 ヤは大きい云々は間違いです。

223 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 11:01:49
門脇が最後の最後に九州説に転向したとか→読売新聞7月18日。
分かり切った話なのに、学者というのは困ったものだ。

224 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 14:14:29
◆◇◆◇◆◇◆◇◆239卑弥呼親巍倭王
266壱与、晋に遣使
…(106年記録無)
372七支刀(近畿)
391倭、百済新羅戦
421倭王賛 東晋遣使

225 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 15:20:26
>>223
適当にググったサイトから…

>著名な古代史家の門脇禎二氏が邪馬台国九州説に転向された、と最近ある掲示板で知った。
>まあ、転向時期は定かではないのだが、九州説が専門家の間ではさっぱり
>支持されなくなってからの転向のようで、門脇氏のような名声のある研究者だけに、
>「殿、御乱心」といった感じである。
>門脇氏の転向理由はというと、6世紀の日本においても各地域には独自の文化と政権が存在した可能性が高く、
>6世紀の日本にも各地に多様な政権が存在したのなら、3世紀において統一国家的な倭国が存在した筈はなく、
>邪馬台国を都とする倭国は地方政権であり、九州を支配していた程度であろう、というものである。

…畿内説の邪馬台国・倭国を後の律令制が完成した統一国家のような物に想定するのが無茶な話で
結局「ゆるやかな首長連合」と言う概念について行けなかったと言う事なのかな?

まあ九州説の人間全般にその傾向が強いかもしれないけど
先入観から畿内邪馬台国を後の大和王朝に重ね「それは無理」として九州説を選択するとか…?




226 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:36:28
邪馬台国=畿内政権
大和王権=畿内政権

ただし、大和王権は邪馬台国の継承国ではなく
邪馬台国衰退後台頭した王権

邪馬台国の時代の王は世襲ではなかった
巫女である卑弥呼や壱与は生涯未婚だし
世襲の大和王権と照らし合わせてもね

227 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 16:48:10
門脇禎二は、昔から「地域」王朝論でしょ?

統一国家の存在を認めたくないだけなんだよ。

228 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 22:38:16
>>225
面白いのは、門脇が亡くなる1か月前に「邪馬台国の研究は倭人伝全体を見ていない」と苦言を呈し、発掘調査の成果ばかりに目を奪われて倭人伝を軽視する傾向への不満を語った、という点。
それに、大和説の白石太一郎も、「大和説にしても、倭人伝の問題は避けて通れない。それが忘れられているのでは、という指摘はもっともだ」と語った、と書かれている。
要するに、考古学的には大和だと言っていた連中が、いくら考えても大和では倭人伝とは合致しないということを自ら認めたということですよ。

229 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:08:17
>>225
何か重要なことに気づいたからだよ。
畿内説は倭人伝を完全無視。しかし倭人伝なくして日本史に邪馬台国も
卑弥呼も存在しない。
倭人伝を避けながら倭人伝の名称だけ都合よく使おうとする。
何がおかしいか小学生でもピンとくるわなw


230 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:14:13
邪馬台国くらい九州にくれてやってもいいよ。
そのかわり、九州から東遷してこないでくれ。



231 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:15:36
倭人伝も隋書も唐書も、記紀とはまったく違う記紀が書かれる以前の
聖徳太子以前の日本史が書かれてる。

で、邪馬台国=大和朝廷なんていう単純思想を信じられるアホが
さらに考古学板でもないのに考古学メインで、って言ってくる
から始末が悪いな。


232 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:18:04
>>230
>邪馬台国くらい九州にくれてやってもいいよ。
>そのかわり、九州から東遷してこないでくれ。

テメエの妄想内で自己満足してろwwwwwwwwwww

233 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:25:13
>>232

なに切れてるの?

九州の邪馬台国が東遷したと思ってるわけ?

234 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:32:57
邪馬台国が畿内に東遷なんかしてないだろ。
民族移動したっつーの? 九州空っぽにして?
安芸も吉備も乗り越えて? ありえねーーwww

ただし、大和朝廷は九州から東遷してきた王族によって建国されたっつーのは
はっきりと奴らなりの地名・年代指定で必死に記述されてっからな。記紀って名前で。

天皇家と畿内の政権が、あるとき九州まで制圧できたうえに、九州の王族達も
東遷してその後、畿内政権が中国と交易しはじめた、っつーのが6,7世記だろ。

しかしそれ以前は不明だね。倭の五王とか、遣隋使や遣唐使以前の
倭の使いどもとか、一体誰よ?大和政権ではないのは確かで、そのころ
畿内政権が、西日本を統一なんかできてなかった証拠だよ。




235 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 23:42:52
>>234
>ただし、大和朝廷は九州から東遷してきた王族によって建国されたっつーのは
>はっきりと奴らなりの地名・年代指定で必死に記述されてっからな。記紀って名前で。

はっきりと書いてあるなら、
どこの箇所で、年代はいつで、王族は誰なのか、おまえもはっきり書いてみ。

神武が紀元前660年に東征したなんてことは考えて無いよな?


236 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:11:28
>>228
>要するに、考古学的には大和だと言っていた連中が、いくら考えても大和では
>倭人伝とは合致しないということを自ら認めたということですよ。

認めたもなにも、そもそも倭人伝の内容との完全一致を目指している訳じゃないし
九州説の様な脳内シミュレーションなら完全一致する事もあろうがww

むしろ「倭人伝のここが間違い」と言う段階に畿内説は既に入っているんじゃ無いのかな?

だから倭人伝の行程記事からその場所を特定して
「方角が南と言うのは間違い」と言ったらそりゃ考証の手続きがおかしい訳でw

あと例えば「奴婢百人の殉葬」なんてのも大方の学者は懐疑的なんじゃないかな?
九州説論者の脳内にはその通りの墓が存在しているだろうがw

ぶっちゃけ九州説でもリアルにピンポイントで比定地を挙げ
そこに遺跡があったなら色々倭人伝との齟齬は出て来るだろう。
未だにその段階に至っていないのが九州説の現状なんじゃないかな?

机上理論上のシミュレーションと言うか
恋に恋して白馬の王子様を夢想しているのが州説w

倭人伝との齟齬でストレスを受けたくないのなら九州説がオススメw
美しい完璧な理論に基づくクニがそこにはあるwww







237 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:37:40
>むしろ「倭人伝のここが間違い」と言う段階に畿内説は既に入っているんじゃ無いのかな?
新聞記事を読んでませんね。門脇は九州説に転向したんですよ。


238 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:47:02
>>237
ん?それがなにか?
で、結局その個人の転向によって現在の趨勢が劇的に変わった訳でも何でも無いだろう?w

いやたまに想像するよね、例えば松本清張が今生きていたらやはり九州説に固執していたのかどうか?ww
まあ九州出身者だから転向はなかったかもしれんがwww


239 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 00:59:24
門脇は、文献重視でいろいろ妄想するクセがあったから、
九州説の素養はあったんだろ。

畿内説じゃ、妄想する余地が無いからな。

240 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 01:30:53
>>236
なるほど。忘れたふりもできないから、倭人伝がまちがってると言おう、というわけですな。
赤信号もみんなで渡れば怖くない、ってかな。

241 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 01:39:41
>>240
まあ魏志倭人伝の記述に完全完璧に一致する遺跡でも九州から出てくれば
そりゃ畿内説なんか吹っ飛ぶんじゃないかな?w

さてさて、この板の九州説論者の目の前に
白馬に乗った王子様が現われてくれるのはいつの日か?www

242 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 05:52:56
どうしてみんな、邪馬台国が九州だと思うんだろう?
言葉の音が「ヤマタイ」だから、「ヤマト」とは違うと、
まず短絡的に感じるんだろうな。

で、古代のヤマトはどんな風だったかというと、
これまた、みんなイメージがわかないと思う。
飛鳥時代ならまだしも、それ以上古代だと、イメージがわかない。

でも、古代の九州というと、なんとなく、弥生人のイメージがわいてくる。
不思議なものだ。
で、近畿以北は、まだ縄文人がうようよいたようなイメージだったりしないか?

くわえて、神話の「神武東征」これで、九州の王が、近畿を支配したイメージが固まる。
一度イメージが刷り込まれると、なかなか払拭できないものだ。

実際に古代史を勉強すれば、弥生時代は近畿以北のほうが人口が多かったし、
稲作も普及していた。
神武東征は、紀元前660年の話だ。
つまり、邪馬台国時代の畿内は、すでに大和王権が出来て上がってたことになる。
ここまでを理解できる人は、まず少ないだろう。

243 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 06:09:37
戦前は、天皇が現人神だったので、天皇の歴史に批判はできなかったが、
戦後になると、記紀の批判や万世一系の批判が自由にできるようになり、
東大なんかが天皇賛美の反省から九州説を言い出した。
これなんかもう、ろくに遺跡の調査も進んでなかった頃に言い出したわけだから、
万世一系への反発でしかない。

九州は、常に中央から卑下されてたから九州説が脚光を浴びるのは大歓迎。
京大は地元贔屓で畿内説を打ち立てていたが、戦後の学界は九州説のほうが優勢だった。
一般にも九州説が知れ渡るようになり、九州説は人気を博した。
九州のどこか?ってことは、統一見解は何もないけど、とにかく、邪馬台国は九州ということで一致。
出版業界でも、九州説の本は売れて、畿内説の本は売れないという定説が出来た。
これは、いまでも変わってない。


244 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 06:22:57
邪馬台国問題で、一番関心のあるところはどこか?というと、
これはもう宮内庁しかない。

邪馬台国九州説を黙認してるのは、実は宮内庁だったりする。
これは、戦前でも同じ。
邪馬台国時代に畿内には天皇の祖先が王権を作ってたことになってる。
同時に、皇統譜には卑弥呼はいない。
皇室が、魏に朝貢してたという歴史も無い。
宮内庁としては、本音では九州説を支持したいところだろう。
畿内説が定着し皇室の祖先に卑弥呼なる女王がいて魏に朝貢してもらっては困るからだ。

天皇制への反発が九州説を生み出したのに、
いまでは、九州説は、宮内庁にお墨付きをもらってるという皮肉なかたちになってる。
だから、いくら今の学会では畿内説優勢だと言われても、
「畿内説で決定しました」とは発表が出来ない。
そんなことしたら、宮内庁が、なんらかのコメントしないといけなくなるだろ?

このへんの、大人の事情がわかるようになると、次のステップに行ける。


245 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 06:37:39
ありていに言えば、九州説を唱えていれば、
宮内庁としては有難いってこと。

畿内説を唱えてる学者は、宮内庁からすれば、ちょっと目障り。
古墳の調査をさせない理由が見えてきたでしょ?
宮内庁のご機嫌を伺わないと、畿内説の証拠は何もでないわけよ。

九州説の生き残る道は、畿内天皇家の2600年の歴史と名誉を傷つけず、齟齬の無いように、
九州に邪馬台国を作り上げること。
それが出来たら、教科書に載るかもよ?


246 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 06:46:25
そういう意味で、邪馬台国九州説で、今先頭に立ってるのは、武光誠。
遅れて、門脇ってところか。
今後、追随する人は増えるだろうね。

この人たちの唱える九州説で決着するのは、そう遠くない。
尻馬に乗るなら、いまのうちだよ。

247 :改めドツボ監視委員会:2008/07/20(日) 07:12:26
>>242
まあ魏志倭人伝自体にも北部九州の地理が詳しく書かれているんだし
一般人が「環濠集落」と聞いて先ず思い起こす(と言うか唯一知っている?)のは吉野ヶ里だろうしw
そう言ったイメージに引き摺られるのは無理も無い部分はあるw



248 :改めドツボ監視委員会:2008/07/20(日) 07:30:26
>>243
佐伯有清によると東大京大の学閥云々は外野が面白おかしくはやし立てた部分もあるとかw

九州説の本が売れ畿内説の本が売れないのは今でも変わらないのかもしれない…
なんだかんだ言っても九州説のほうが”想像の自由度”が大きいだろうし
エキセントリックな物に憧れる大衆の心理もそれを嗜好するだろうしww


249 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/20(日) 07:39:52
畿内は南北の代わりに、見立てた東西に指針する仮磁石の東であって、畿内論者の
鉄頭は北九州からス〜グ東に磁石吸着しちゃう。w

250 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 07:43:00
>>242
>実際に古代史を勉強すれば、弥生時代は近畿以北のほうが人口が多かったし、稲作も普及していた。神武東征は、紀元前660年の話だ。つまり、邪馬台国時代の畿内は、すでに大和王権が出来て上がってたことになる。
実際に古代史を勉強した人は、そんなことを言えないということは良く分かっているよ。
>>244
>畿内説が定着し皇室の祖先に卑弥呼なる女王がいて魏に朝貢してもらっては困るからだ。
何で困るの?まったく意味不明。「皇統譜には卑弥呼はいない。皇室が、魏に朝貢してたという歴史も無い。」ってだけなら、畿内説で卑弥呼がいたことを立証してもらえば済むことだ。

251 :改めドツボ監視委員会:2008/07/20(日) 07:49:50
>>244-245
>宮内庁
まあ宮内庁の本音は畿内説であろうが九州説であろうが自分達の利権・縄張りが侵されなければ良いんだろう
この国の為政者の基本「民をもって寄らしめよ、知らしむなかれ」だろうな。

つうか宮内庁も実際のところ学者も驚愕するような事実を知っている訳じゃないんだろう。

良く宮内庁が何かを隠蔽していると言う陰謀論の如きものが言われる事があるが
それは宮内庁や天皇皇室及びその周辺を買被り過ぎなのではないかとw

「とにかく中身は良く分からないが有りがたい、アンタッチャブルな存在」
と言う事にしておきたいのでは無いか?w

あと利害関係で言えば宗教団体の神社本庁とかかな?
記紀神話体系が崩れるのは面白くないだろうしwww

252 :改めドツボ監視委員会:2008/07/20(日) 08:01:04
>>246
>武光誠
まあ纏向のいわゆる纏向型前方後円墳の築造年代を3世紀前半としたり
九州説の中では珍しく考古学の成果を先取りしている感はあるw

ただひょっとして天動説と地動説の折衷案
(地球の周りを太陽が回り、その太陽の周りを星が回っていると言うモデルで
 惑星の不規則な動き等の天動説では上手く説明できない事をある程度解消できる)
の計算に生涯を費やしたチコ・ブラーエの二の舞にならないかとも思うがwww





253 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 08:09:31
>>246
武光は何も分かってないと思うがね。元検事が書いた「邪馬台国の暗号」ってのもそれかね。徹底した南九州説で、記紀は倭人伝物語だとか。
古事記の年代の仕掛けに関する話はつじつまがあってるように思ったが。

>>251
そんなとこだろうな。納得できる。


254 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 10:16:34
>>245
九州説だから大和と無縁ということにはならん。東遷説ならば、結局のところ九州=大和だ。

255 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:23:23
東遷説なんて、とっくに死に絶えてるだろ。

今、主流なのは、九州の邪馬台国と畿内の大和王権の同時存在説だろ。

256 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:40:38
東遷説が教科書に載ることはないだろなwww

257 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 21:21:41
>>255
同時存在も古いかも。九州本店、近畿支店説というのが最新かな。

258 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:34:04

九州本店、六大支店、営業所多数。

259 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 23:38:12
その割りに本店がなかなか見つかりませんよねw

260 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 00:43:51
中小企業だと思って探してたからね。

261 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 08:21:19
奈良本店

筑紫支店
出雲支店
日向支店

262 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 14:29:25
さっき先日の読売新聞読んで門脇禎二の訃報を知った
でもこの板はそんなに盛り上がってないね
記事にあった魏志倭人伝軽視の畿内説論者を地で行く>>236にワラタ

263 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 19:19:59

九州本店(筑紫支店・肥支店)

難波(浪速)支店
出雲支店
越(加賀)支店
尾張支店
夷(毛野)支店
蝦夷(日高見)支店

営業所多数

264 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 22:44:10
本店の所在地は、支店の記録を良く読むと分かるものですよ。

265 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:20:38
日向本店の神武さんが左遷されたのが大和支店。

266 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 23:30:47
神武さんが筑紫ヒナタ支店でリストラされて
瀬戸内職安に通いつめても採用なく、逆上して
他社の店舗をカツアゲ乗っ取りしたのが橿原出張所。

267 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 00:39:36
>門脇禎二の訃報

次は森○一あたりかな?w

でもどうなんだろう?史学・考古学でも若い世代になればなるほど
九州説の比重は少なくなっているんだろうか?


>九州本店

まあ実体の無いペーパーカンパニーですからwww

268 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 01:48:22
>>236
必死だね・・・
長文書いちゃって

早く定職見つけたい

まで読んだよ


269 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:16:14
>東遷説

どうなんだろうねえ…
ひょっとして「こんな説もありますよ」とかで教科書に載るんじゃないのか?

神武のファン多そうだし・・・
先の皇室典範改正の問題でも
「神武のY染色体が・・・」と真顔で言ってた連中もいたしwww

270 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:38:02
>東遷説

「東」に「遷」ったものは何か?
国家か、国民か、国体か、統治機構か、国王か・・・・いいえ違います。
久米の軍人一族が引っ越しただけです。

国家も、国民も、国体も、統治機構も、国王も移動しませんでした。

271 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:43:08
戦国時代に天正遣欧使節送ったのは大友宗麟なんだし畿内に拘る必要無し


272 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:51:58
>>270
でそれを証明するような考古学的資料とかあるのかい?
一体何を根拠に東征神話をそのように解釈できるんだ?

やっぱアレか?
宇宙からの電波がくぁwせdrftgyふじこlp;

273 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:02:47
記紀に書いてあるとおりでしょ。

274 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:17:23
東征神話は所詮 『 神話 』 歴史にあらず。

それを歴史に引き上げるネタは今のところ無い。

混ぜるな危険「歴史」と「神話」www

275 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 08:54:09
>>269
作る会としては
「卑弥呼=天照大御神!邪馬台国=高天原!卑弥呼から五代後の邪馬台国王神武は大和の逆賊長髄彦を討ったのだ!
万世一系天皇家マンセー!」ぐらい記述したいんだろうけどね。

276 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 12:36:45
神話にしても日向に天下るのには理由がなきゃおかしい。
普通に大和に天下ればいいのに。

277 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 13:01:30
東九州、瀬戸内、西近畿にまたがる海上ネットワークに依存した
河内・紀伊勢力が、畿内内陸部に拡大した時の事件を語り伝えた、
これが「神武東征」伝承。
また、海上ネットワーク内の秩序体系は
「東征」の遥か前に構築されていて、
後の大和朝廷の基盤となった畿内勢力には、
体系的に伝えられていない。
断片的に遠祖が九州方面から来たと言う記憶のみ伝わっていた。
これは扶余系に多い開祖流浪譚の一種。
だから、東征中の戦闘的なエピソードは
大和入りの部分にしかないのであろう。


278 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:28:31
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

279 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 02:08:10
箸墓=卑弥呼の墓だから安心しな。

280 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 02:34:00
箸墓のそばから、絶対に金印は出てこない=卑弥呼の墓じゃないから安心しろ。

281 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 07:02:20
>>280
と、考古学軽視の九州論者が言っております。

282 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 07:20:41
考古学軽視のって、箸墓が卑弥呼の墓であるという証拠物件はでているのか。
卑弥呼の時代に近いということしかわかっていないと思うのだが。

283 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 09:43:37
それに卑弥呼の墓は径百余歩、せいぜい百五十メートルです。箸墓は約二百七十メートル。全然合いません。
近畿説論者は、径は後円部の直径などと言いますが、それは径の意味を知らない、妄言です。

284 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 09:48:25
近畿説は信仰ですから、学術的・科学的に否定できても、一切関係ありません。

285 :名無しさん:2008/07/24(木) 10:16:06
箸墓は畿内説の人間により100年以上も前に強引に
さかのぼっている。
根拠は、箸墓からでてくる土器と同じものが九州の
古墳から出てくるので、その年代までさかのぼれるとしている。

つまり、北九州の墳墓から出土される同一の土器を唯一の根拠
としている。北九州の墳墓からは、土器以外に中国製の古代鏡、銅剣
などの時代を特定できるものが出土するから時代を特定できるが、
箸墓からは中国からの影響を受けた形跡はかけらもない。

286 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 13:39:35
>>285
箸墓自体の発掘調査は行われていませんよ

287 :名日本@名無史さん ::2008/07/24(木) 13:48:17
箸墓の発掘やっても出ないだろうが
周辺は農地でなく、畑作しかできない荒地だしね。
とても邪馬台国とはいえない環境ですね。

吉野ヶ里の環境とは雲泥の差です。

288 :ローガン:2008/07/24(木) 14:09:43
>>283
> それに卑弥呼の墓は径百余歩、せいぜい百五十メートルです。
では、それに見合う卑弥呼の墓はどこですか?

289 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 14:41:51
>288
崩壊した古墳が非常に多いにもかかわらず、
卑弥呼の墓が今日も造成時と同じ大きさで存在していると
断定した根拠は何ですか?

290 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 14:47:26
畿内論者は記紀に独立した記載が無いのに畿内に女王国があったと
いうゴリ押しをしていて、さらに倭人伝の説明たる「南」を「東」に
勝手に捻じ曲げ、さらに「壹」を「臺」にも捻じ曲げる恣意をして
いる。呆れるばかりだ。しかも陸行一月を曲解し、前人未到に
近い九州探検を、すでに知悉の大陸から半島対馬等北九州への目的地
途中なる既経験の一本線的に行ける道筋と同一視して、何の苦労も
必要ないかの如くに、行ったことの無い土地の準密林を、途中盗賊が
出るかもしれない危険と隣り合わせで、艱難辛苦、紆余曲折、
疲労困憊して蜘蛛の巣の多々張る大藪を探検して病気の不安をかかえ
ながらやっと女王国を発見した、インディ・ジョーンズのごとき遣使
なのに、1ヶ月もかかることが、さも期間が長すぎるように突いて
いるようだが、これもそんな短期で、身も知らぬに彷徨をせねばなら
ないその土地を、単純に軽く進んで女王国に到達できるわけが
ないのだということを思い知らねばならない。こういう冒険旅行
だから、陸行一月はかかってもおかしくはない。女王国に滞在して
周遊すれば二月三月でも妥当である。

さらに畿内論者は女王国を畿内にしたいための陰謀か、九州王朝説
たる年号の多々出ている証拠に対してこれをないがしろにする見苦
しい者がかなりいるようであり、こういう年号の存在までも有を無と
ゴリ押しして否定を繰り返している。彼らに真は見出せない。

291 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 15:47:28
>>288
畿内説論者みたいに発掘もせず乱暴な比定はしませんが、日向には生目古墳群の前方後円墳など百メートルを超える古墳がいくつもあります。その中に卑弥呼の墓があるであろうと思いますが。

292 :ローガン:2008/07/24(木) 16:19:52
>>290
おや、太国さん!
年号の質問は貴方にしたのですよ(笑)

準密林を探検ですか。そんな所によく七万戸もあったんですね(笑)


293 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 16:29:17
改めの件でわびを入れないならお前と直接論議は面白くない。お前も改めのよう
になるのか? これはうまくないぞ。七万戸? 受けたから言うが、九州は広い。
古代マヤでさえ多国的に分立し、そのくらいの族が密林内にあっちこっちいても
おかしくはない。探検だよ。それでスペインと戦争したしマヤ同士の族での
騒乱だ。あっちもマヤの密林内にゴ万と人間はいたよ。

294 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 16:36:29
九州は猫の額ではないぞ。それに女王国の頃の九州と年号のあったころの九州
とは人口の増減もあったろう。勢力大のときと狭小の時代とか変動は充分ある。
年号は九州年号だよ。それとも朝廷がその年号を使った文献とかがあるのか?
あるんなら再考するがね。
なんでお前は不良人物らしいあいつに肩を持つのか? 陳謝しないんならあまり
こっちに話しかけるな。

295 :ローガン:2008/07/24(木) 16:40:12
>>291

なるほどね。
私は倭人伝の記事から、張政等は作塚中を見たように考えます。

前方部から上り下りする作業員を見て、墓は後円部分であると使者が認識したものと考えます。

河内大塚山の調査から、完成迄の工程が推測出来ますね。
前方部分の本来の役割は作業通路だったと思います。
よって主体部、つまり「冢」は後円部をさすものだと考えます。


296 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:00:36
>295
何度も訊きますよ。

卑弥呼の時代は2千年近く前であり、
崩壊した古墳が非常に多いにもかかわらず、
卑弥呼の墓が今日も造成時と同じ大きさで存在していると
断定した根拠は何ですか?


297 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 17:13:55
16世紀ころスペインはユカタン半島のマヤの密林に触手を伸ばしていた。
古代マヤは多くの都市国家があってゴ万の人間が各地に分散して住んで
いあた。マヤ国というのはユカタンの分立的都市国家群の総称的語で
あると言いたい。一国的にはまとまってはいなかっただろう? そこに
16世紀ころランダがマヤに侵入しキリスト教を広め、ついでにマヤの
古文献たるコデックス等を殆ど焚書した。

大陸の遣使はそんな横暴なマネはしなかっただろうが、マヤ文明のように
九州にも準密林の奥地にゴ万と人間のいる国家%

298 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 17:15:57
16世紀ころスペインはユカタン半島のマヤの密林に触手を伸ばしていた。
古代マヤは多くの都市国家があってゴ万の人間が各地に分散して住んで
いあた。マヤ国というのはユカタンの分立的都市国家群の総称的語で
あると言いたい。一国的にはまとまってはいなかっただろう? そこに
16世紀ころランダがマヤに侵入しキリスト教を広め、ついでにマヤの
古文献たるコデックス等を殆ど焚書した。

大陸の遣使はそんな横暴なマネはしなかっただろうが、マヤ文明のように
九州にも準密林の奥地にゴ万と人間のいる国家があったことは不自然では
ない。女王国のわきか? もう少しは離れているか? 小国か、邪馬国も
あり、そこにもうんと人間がいただろう。九州もユカタン同様、多国に
分立して人間も多くいたことは充分言える。密林の奥地でも人間が多く
いる地があってもおかしくはない。九州は猫の額ではないのだ。

299 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 17:18:22
なにか主催者側が操作とか手を加えていたみたいで、なかなか書きこみでき
ないで困ってたが、やっと書きこめたと思ったらマルチになってしまった。
失礼。

300 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:24:45
>>295
>墓は後円部分であると使者が認識したものと考えます。
前方部と後円部は一体のものです。後円部だけが墓だというのは非常識な解釈というべきでしょう。


301 :ローガン:2008/07/24(木) 17:56:28
>>296
3世紀中頃の径150m程度の「冢」が非常に多く崩壊した事実を私は知りません。

又、288は283さんへの質問であり、「どこですか」と云う質問者側の意図の中に、
崩壊を排除していると勝手に解釈しているだけではないですか?


302 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:58:31
な〜んだ太国は受け売りコピペ房だったのかw

303 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 18:45:59
>>300
そうだな。
常日頃から古墳はたとえ前方後円墳であっても、円墳部分だけを墓としてあつかう。というような考え方が定着しているのなら問題無いが、
都合に合わせるかのように湧いてきた、円墳部だけを墓の対象にする
なんて勝手な解釈は出来ないよ。

304 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:07:17
邪馬台国なんて存在しないだろ!
遺跡もないのに。
無駄な議論だよ。

305 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:13:04
箸墓が布留1なのは動かし様の無い事実。
卑弥呼の墓候補として2世紀前半にもってくるのは暴論。
畿内説でも考古中心の人では誰も主張していない。
どうしても、纏向近辺に卑弥呼の墓を求めるなら、
大福地区辺りまで視野を広げて、削平古墳を探すべきだろう。

306 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:18:47
>301
勝手に限定しないでください。
多くの古墳が崩壊している事実があるのに、
ローガンさんが卑弥呼の墓は約2千年近く原型そのままだと
断定した上での質問をされている、その根拠を伺いたいのです。

307 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:33:28
遺跡が見つからないのは調査している所と邪馬台国が一致していないと考えるのが自然と思う。また、これだけの国の詳細が不明というのもミステリーっぽい。
どこかで、意思が働いているみたいに感じられる。本当はある程度、解明されているかも?

308 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/24(木) 19:44:03
上に工事物件があるとなかなか出ないよ。出ないからそこにないと
考えるのは早計だな。エジプトのクレオパトラの墓も発見されて
ないしね。簡単には行かんね。

309 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 19:50:57
>>308
太国さん、まったくその通りですね。
何でもいいから、卑弥呼の墓を勝手に決め付けてしまう、
ローガンの>>288の馬鹿さ加減を笑ってやってくださいw

310 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:02:06
>>308
ドツボ出勤乙。

311 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:38:35
>>308-309

他人を笑うまえに、おまえらは九州のどこに卑弥呼の墓があるか、はっきり示せよ。
特定できなくても「何々県のあたり」でもいいぞ。

312 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:55:02
>>295
箸墓も後円部から作っていった可能性はおおいにあります

313 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:01:27
>311
墓は見つかっていないでしょ。
畿内説みたいに、妄想したりしませんよw
博多湾から極端に遠くないどこかだとは思うがね。

314 :ローガン:2008/07/24(木) 21:01:52
>>306
> ローガンさんが卑弥呼の墓は約2千年近く原型そのままだと
> 断定した上での質問をされている、

私のレスを読んで下さい。確定事項以外はつまり、私見に関する部分について語尾に「〜考えます。」「思います。」をつけています。(そのように心掛けています。)
よって現存するものの中で最も蓋然性が高いものを比定しようと考えるのは私見ですのでこれを断定と、つまり確定事項だとは述べていません。
「どこですか」の質問に対する回答の選択肢を狭めていると、受け取っておられるようですが、
その回答の一つに「現存しない。」があっても構わないと思いますよ。
勿論それなりの論拠も当然、必要であると考えます。

315 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:15:55
>314
だから、その考え方が誤っているのです。
「箸墓が違うなら、では卑弥呼の墓はどれだ?」と問い詰めた前提に、
ローガンさんの断定があるわけです。

つまり、卑弥呼の墓が約2千年間、絶対に崩されず、崩れもしていない、
していなければならないという前提=断定をしたうえで、他人に問い詰めて
いるわけです。

畿内説が信仰だという根拠、ご自身の言動から、よくおわかりでしょ?

316 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:28:01
プラム乙

317 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:54:29
プラムは字引を勝手読みするだけの変態でしょ

318 :ローガン:2008/07/24(木) 21:56:38
>>315
> だから、その考え方が誤っているのです。
> 「箸墓が違うなら、では卑弥呼の墓はどれだ?」と問い詰めた前提に、
> ローガンさんの断定があるわけです。


そんなつもりはなかったのですが…


> していなければならないという前提=断定をしたうえで、他人に問い詰めて
> いるわけです。

問い詰めていますか?自分では気がつきませんでした。ご迷惑をかけました。

> 畿内説が信仰だという根拠、ご自身の言動から、よくおわかりでしょ?

わかりませんがきっとそうなのでしょうね。すみませんでした。よく教えてくださいましたね。有難う。


319 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:03:56
>>318

気にするな。
「信仰」という意味では九州説も同じことだからな。



320 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:15:36
>>319

九州説と九州王朝を混同するな(笑 妄信は九州王朝説だけ。

321 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:22:26
九州元号を説明できるのは、・・・・・説だけですがw

322 :ローガン:2008/07/24(木) 22:28:19
>>319
> 気にするな。

有難う。でも私は気にするんですよ。
ごくごく普通に書いたつもりが、問い詰めてると思われてたのですね。
私の落ち度です。暫く休みます。

323 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:53:24
プが去り、改が去り、ロが去った。
太も去れ!

324 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:54:27
>>322
ローガンさん、良いことを教えましょう。
素人九州論者への貴方の攻撃は、自分達の短所と逆の事を言ってるだけなんです。
「卑弥呼の墓が絶対壊れていないという前提」で貴方は話す、と彼等は言います。
しかし悲しいかな、彼等の中には「卑弥呼の墓は崩れているはずだ、だから絶対に箸墓ではない」
と言う前提があるのです。
「墓は見つかってない。畿内論者と違って妄想はしない。」
と言うのも、
「畿内説では絶対に無いから北九州にあった。ただ、墓が見つかっていない、ただただそれだけだ。」
と言う大前提。
結局、彼等素人九州論者の中にあるのは、「何が何でも畿内じゃない、北九州だ!」と言う教義。
だから、「魏志倭人伝は政治的書物だからウソも多い」として魏志倭人伝を都合よく無視したり、
「考古学は畿内説を導き出すから当てにならない学問だ」とかの珍発言を行い、
魏志倭人伝をひねくりまわして暗号解読のつもりでとんでもないことをやってのける。
連中はそういう人種。
謙虚で礼儀正しい貴方とは違います。
貴方の落ち度では決してありません。本当に気にする必要なんかない。
まあ、頑張ってください。
彼等を説き伏せたら…そのときは原田大六支持者の私と邪馬台国の発祥について語りましょう。
(覚えてますか?祭の日に「邪馬台国論争」を薦めた者ですよ。)

325 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:01:37
そんなことありません。
「卑弥呼の墓は箸墓でなければならない」と断定せず、
あるかないか、まだ見つかっていないとしているだけでしょ。

こんなようだから、畿内説は宗教だなんていわれるんです。

326 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:04:24
卑弥呼の墓は平原

327 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:07:53
しかし、考古学からも文献からも、
3世紀の畿内大和に王権(に準ずる権威)あったことは明らかなんだよ。

九州説は、その土俵に立てるのか?ということ。
3世紀の畿内大和に王権を認めた上で、九州の一地方政権が勝手に魏と通行してた、
というなら、九州説は十分成り立つ。

そのへんは、ローガン氏も認めたほうがいい。足元をすくわれるだけだ。



328 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:16:30
>305氏のような、真っ当な意見を無視しちゃうのもローガン氏の特徴。

329 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:18:02
畿内説の今後の課題は、
3世紀の畿内大和王権があった時代に、
九州の一地方政権が、勝手に魏と通行することが出来たか、否か、という検証であり、
「九州の一地方政権が、勝手に魏と通行することは出来なかった」という証明が必要。

そんな証明は、現実的に不可能なのはわかるよね?

考古学的立場で言えば、大和王権が日本統一したのは、ワカタケル大王までしか遡れない、
つまり、九州の地方政権が、勝手に魏と通行してたことは否定しようがない、
ということも認めないといけない。

頭のいい(ずるい)畿内説論者は、そういうわけで、邪馬台国論争を避けてるんだよ。
九州説派を説き伏せるなんてことは不可能だし、(物証が発掘されない限り)無意味だから。


330 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:23:00
畿内説は畿内説を証明できないが、
だからといって、九州説が証明されるわけじゃないから、
勘違いするなってことも言っておくけどね。

現時点では、状況証拠に拠るしかない。

状況証拠のみでよいなら、考古学、文献両面から、
卑弥呼はモモソヒメであり、墓は箸墓となる。
それを宗教と言うなら言えばいい。九州説も同じ宗教だ。


331 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:27:09
金印も無視しちゃうのが、畿内説
隋書イ妥国伝の「阿蘇山」も無理な言い訳するのが畿内説

332 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:28:48
>>328
2世紀前半に持っていく奴なんて畿内説論者にもいないと思うwwwww

333 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:40:32
半島で何百年と戦ったいわゆる邪馬台国。
畿内には鉄器が異常に少ないから、サヌカイトで戦ったのかなあw
一瞬で敵に負けると思うんだけどねえ〜w

334 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:43:41
邪馬台国なんか遺跡もなけりゃ、日本人の記憶(文書)にも無いんだろ!
騒ぐのが可笑しい!

335 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:43:50
>半島で何百年と戦ったいわゆる邪馬台国。

なにこれ?初耳だけど

336 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:43:53
しかし、考古学からも文献からも、
3世紀の畿内大和に王権(に準ずる権威)あったことは明らかなんだよ。

九州説は、その土俵に立てるのか?ということ。

さえて、同じ土俵に立てない人は誰かな〜?wwww



337 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:44:20
畿内に遠洋航海できる舟なんかあったの?
畿内軍が、海上で戦える技能はあったの?
何にもなければ、邪馬台国失格ですねw

338 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:46:04
いまどき、九州・畿内2王権を認めない人なんて、ローガン氏ぐらいでしょう。>336

339 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:46:14
邪馬台国? 九州でいいんじゃね?

でも、その時代には、畿内大和には吉備〜近畿〜東海にまたがる連合国があったんだよ。

この件について、否定したい人は、否定してみてね。wwwwwwwwwww


340 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:49:02
九州説の変なのが沸いてるじゃないかwwww
どっちが宗教じみてるんだよwwwww

341 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:50:39
ここは、妄想のローガン氏を笑うスレですw

342 :ローガン:2008/07/25(金) 00:01:21
>>324
夏祭さん、有難う。(すみません、勝手に名付けさせてもらいました。)

問い詰めているっていわれて、自身の不明が嫌になったのです。

問い詰めている…裏返せば、「聞くな!」って事かもしれないですが…(笑)

又、場所を見つけて論争しましょう。楽しみにしてます。

あ!>>305さんの書き込みは、年代的にちょっとコメントしにくかったので、スルーしました。
では又…

343 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:17:03
慇懃無礼という言葉を、あなたご存知?>342

344 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:23:51
>>343は慇懃無礼。

345 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:37:28
>>329
まあその通りではある。

所謂「偽僭(ぎせん)説」なら、いくら纏向に発生したヤマト王権が強大であっても関係無い。

畿内説が九州の勢力が魏と交渉を持っていなかったと証明するのは『悪魔の証明』に近いw
交渉を持っていたと立証すべきは九州説側だろうなwww

そもそも九州説は
九州の邪馬台国が魏に冊封された痕跡を何に見るのか?
30国余りのクニグニのまとまりがあった痕跡はあるのか?

現在のところ「ここが邪馬台国だ」と言う遺跡そのもの無ければ
(…少なくとも纏向より蓋然性が高い遺跡があるだろうか?)
周辺に及ぼした影響も見られない。

文字通り「影も形も無い」状況w




346 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:57:25
>交渉を持っていたと立証すべきは九州説側だろうなwww

金印が出たのは九州だけですがw

347 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:58:50
纏向は人が住んでいたということは言えても、そこが邪馬台国だったとはまったく言えません。
九州が魏など中国と交渉をもっていたという証拠は、倭人伝、宋書、隋書などの中国史書。
大和王朝が中国と交渉をもっていたという証拠は影も形もない状況。私からみれば、そうゆうことなのですがねえ。

348 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:00:17
結論。

九州が中国と主たる交渉を持っていました。
畿内にはその証拠がありません。

349 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:04:29
邪馬台国? 九州でいいんじゃね?

でも、その時代には、畿内大和には吉備〜近畿〜東海にまたがる連合国があったんだよ。

この件について、否定したい人、居るんじゃないの?
隠れてないで出ておいでよ。wwwwwwwwwww


350 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:06:28
正解でしょ。

351 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:07:37
>>346
>金印が出たのは九州だけですがw

アホか?

「漢委奴國王」の印を授けた後漢は滅びた。
「親魏倭王」の印でなければ邪馬台国論争に関係無し。


なんでこの板の九州説のアホは時代も考えず金印を持ち出すのか?

とにかく弥生時代なら何でもおkと言うのがこの板の九州説論者のクオリティwww


352 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:07:46
>>349
その前に肯定する証拠がまったくないと思うけど。

353 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:10:16
つうか邪馬台国の時代九州に独自の威信財体系が見られないと言うのは
九州で発掘している考古学者の弁なのだが・・・

354 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:10:35
>>351
委奴国と邪馬台国の関連を知らないな。

355 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:11:22
>>352
工工工エエエエエエェェェェェェ(゚Д゚)ェェェェェェエエエエエエ工工工

356 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:12:27
じゃあ、ここまで、共通の認識は出来たわけだね?

----------------------------------------------------
邪馬台国は九州。
畿内には、吉備〜近畿〜東海にまたがる連合国があった。
----------------------------------------------------

さて、お次だ。
九州の邪馬台国は、その後どうなりましたか?
大和中心の前方後円墳体制の広がりとともに、九州の邪馬台国は滅びた、
ということでいいね?

時期は問わないよ。4世紀でも7世紀でもいいよ。
とにかく、九州の邪馬台国は、畿内の大和王権に押されて、滅んだという認識でいいね?


357 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:15:40
>>354
ほう、確たる証拠があっての論なら聞いてやってもいいぞw



358 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:15:50

畿内説を除いて、>>356に異論がある九州説の人は、どうどうと持論を述べなさい。

話はそれからだ。



359 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:15:54
九州邪馬台国の後継国=イ妥国は、
国家としては7世紀後半、残存勢力は8世紀に滅びたね。
畿内王権に押されたのではなくて、九州王が畿内政権を
奪取したわけ。それが天武天皇。

360 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:18:17
つまり、畿内政権も壬申の乱で滅んだわけ。

361 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:19:41
>>359

OK。おまえは逃げなかった。

では、天武天皇が九州王だという根拠を聞こうか?

他の人でも、九州王が、畿内政権を奪取したというなら、その名前と、根拠を問いただすからね。

根拠が無いなら、それは「宗教」だ。わかってるな?



362 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:22:47
>>357
後漢書や隋書を読みましょう。倭の奴国(金印)→倭国→その中枢は邪馬台国。

363 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:23:40
天武天皇は、記紀に弟王としての名前が残っているのがその残滓。

364 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:24:27
>361
お前は卑弥呼が箸墓だと妄想してるのか?

365 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:28:17
白村江の敗戦後、唐軍2000人が対馬にやってきたときに、
突然九州を捨てて畿内に向かって、壬申の乱を起こすのが天武。
畿内軍は敗北し、天武軍の勝利。

366 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:30:26
ここでレスしてるアホな奴らへ
歴史自体が元々はっきりしないものなのにいろんな文献出してどうこう言うのはアホだろ?

367 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:31:08
>>359
何か変だね。九州王が近畿の政権を奪取したのならば、九州の倭国は滅びていないのでは?

368 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:33:41
>367
実は兄王薩夜麻が捕虜となって帰還し、これが唐軍の傀儡王として
君臨しようとし始めた。天武は列島の独立を主張、倭国は分裂して争う
ことになった。

369 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:33:54
>>333
>半島で何百年と戦ったいわゆる邪馬台国

初耳だw
どう言う根拠かな?
半島にそれを記録した石碑でもあるのか?w

ちなみに瀬戸内・近畿・東海でも、青銅鏃・鉄鏃は1世紀頃から
鉄剣は紀元後から主力になるから サヌカイトvs鉄剣 のチャンバラは
邪馬台国の時代中々実現は難しかっただろうw

もっとも近接戦で言えば弥生時代の鉄剣は20〜30センチ程度の物が主流で
(剣と言うよりナイフだなw)しかも軟鉄と来ている。

俺ならそれよりは石戈の方をチョイスするわwwwwww


>>337
邪馬台国の時代、日本にあったのは準構造船。
故に半島から島伝いに日本と往来するしかなかった。

ひょっとして、邪馬台国の時代、九州に構造船があって遠洋航海をバンバンやっていたとでも妄想しているのか?w

370 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:34:33
>>362
お前は読んでるから大和と邪馬台国の違いを分かってんだよな
すげえなお前
俺はせいぜい30年前くらいのことしか知らねえやw

371 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:35:32
>369
おまえ、世界史勉強しなかっただろ。
極東では、後漢〜白村江(662・663)までずっと戦争だらけだ。
この連続戦争には、何時も倭が絡んでる。

372 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:37:33
>>362
嘘をほざくなドアホw

邪馬台国が倭奴国の後継だなんて文章が何処にあるw


アホの脳内補正は勘弁してくれwwwwww

373 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:39:18
>>371
お前もその戦いに参加したんだよな?もちろんww
お前らのその自信はどっからきてんだ?
たかだか本読んだだけだよね?

374 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:39:59
>>371
こら誤魔化すなw

白村江なんざあ関係無い。

 「 半島で何百年と戦ったいわゆる邪馬台国。 」

を立証する証拠を出せドアホwww




375 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:40:17
>372

隋書「イ妥国伝」に書いてある。

376 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:40:29
>>372
読解能力がないということは救いがたいな。

377 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:40:57
>374

漢籍に書いてある。

378 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:42:02
畿内説が崩壊したな。

379 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:42:14
>>375
書いてあることが全てなんだなwwwwwwww

380 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:42:38
>>375

嘘を平気で言う九州説論者よw

じゃあ該当箇所を書いてみろ。

岩波の文庫版で確認して見るからwwww



381 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:43:11
邪馬台国という出土物ってあったの?>379

382 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:44:09
ちゃんと読めよ。>380

383 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:45:04
もうこの板の九州説って九州王朝説の人間しかいないんだろうなあ…


まともな九州説論者はもういないのか?




384 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:45:07
どっちがどっちでもいいけどそのお前たちの言うような事が事実なら一体どうなるの?
教えてくれよ歴史書を読んでる知識人ども?w

385 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:45:45
>>380
そのぐらい頭にたたき込んで置かないと、ここで議論はできないよ。

386 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:47:31
>>381
そんなもん知るか!ボケ
ただ俺は今日本に住んでることだけは事実

387 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:49:09
畿内から邪馬台国関連物が出土したことはないな。
倭錦もほとんど出ないしね。

388 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:52:45
おいおい、九州に邪馬台国があったってことでいいからさ、

その後、九州の邪馬台国は、畿内の大和王権に滅ぼされたって、
同意するやつはいないの?

ここの九州説の人はみんな、「東遷説」なのかい?
(太国は違ったっけな?)

389 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:52:57
>>385
書いてないことは頭に叩き込む事はできないなw

九州説の電波連中はいざ知らずww



390 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:56:56
結局、現在この板の九州説の主流の九州王朝説論者にすりゃあ

7・8世紀頃まで九州王朝が倭国の中心であったんだから
2・3世紀頃なんか余裕で九州邪馬台国が栄えに栄えていたと言う逆算結果なんだろうなwww



391 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:57:02
>>388
倭人伝から隋書に至る倭国王朝(邪馬台国)が簡単に滅ぼされると思う?
しかも、影も形もなかった大和王朝とかに。物事は逆なんだよ。

392 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 01:58:57
逆算する必要は無いね。
勢力の漸増史観は畿内説だけでしょ。

393 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:01:15
>>389
隋書をよく読んでから言いましょうね。

394 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:01:59
>388

お前、東遷が記紀にどう書いてあるか知らないだろ。
あれは国家や王様が移動した話じゃない。
わびしい神武ら都落ち武人集団の定着譚だぞ。


395 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:02:47
だから、東遷と邪馬台国は無関係だ。

396 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:02:50
>>390

そういうこと。
九州説は、東遷説や九州王朝説の根っこの部分だから、
九州説は絶対条件なんだよ。

だったら、最初から「東遷説です」とか「九州王朝説です」って言えばいいのに、言わないのさ。
ただの九州説なら、議論のしようもあるだろうけどね。
畿内説側が、いくら畿内説の説明しても無駄だってわかったろ?

397 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:04:54
だから、邪馬台国と書いたしゅつどぶつでもあったのか?って訊いてるんだが。
漢籍を読まずに、邪馬台国をどうやったら探せるの?

398 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:06:58
>>396
まあ、この板の九州王朝説の電波どもは別にして…

リアルに九州説を唱えている人間でも弥生末期から古墳時代にかけて
九州が没落している認識はもうデフォだしなあw






399 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:09:52
マキムクが早期に滅んでいるのは?

400 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:12:35
半島側に九州王権の領土があったことは無視しちゃっうわけね。>398

401 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:15:02
>>400
七支刀とかも無視しちゃうわけですね

402 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:15:02




Q.なぜ邪馬台国を大和と認めないの?

A.九州王朝説あるいは東遷説だからです。





403 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:17:44
つうかここで「漢籍に書いてある」とか「隋書に書いてある」とかをうわ言の様に繰り返しているアホって
ひょっとしてなら数百円の文庫本すら持ってないんじゃないのか?w

ネットで九州王朝説のサイトで「〜に書いてある」と言うのを鵜呑みにしているだけなんではないのか?www

404 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:19:15
勝手にそう信じて、妄想の世界に入りたい?

405 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:20:32
脈絡なしw>401
九州王権から神宮に移籍されたわけでしょ。

406 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:21:40
法隆寺が九州から移設されたことも、知らないんだろうなあ。

407 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:32:33
Q.なぜ邪馬台国を大和と認めないの?

一つにはだ。
この板の九州説(大半は九州王朝説w)と言うのは
何の事は無い、皇国史観の裏返しだからw

大和皇国の代わりに九州皇国をぶち上げただけwww

でも残念。

畿内説を唱えている学者の大方は万世一系なんて考えていないだろうよw



408 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:47:38
邪馬台国は日本人は知りません!
日本人の記録に有りません!
日本人の言い伝えにも有りません!
日本人は邪馬台国の遺跡を見た事が有りません!
日本人以外は話題にもしません!
時間の無駄です。


409 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:04:21
>>408
ある意味正解。

畿内説と言うのは
「畿内ヤマトが中国から邪馬台国と呼ばれていただけ」という事で

事実上
「邪馬台国なんて皆さんが想像しているロマンチックな古代王国なんてありませんでしたw」
と言う宣告に等しいw

単に場所が九州じゃなかったと言うだけじゃなく
捜し求めた対象を全否定されているようなもんだwww

九州じゃなくても例えばこれが出雲や吉備や東海やその他、畿内以外の地なら
九州説の人間の反発も、そのトーンが違った物になるだろうwww



410 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:05:23
それは、スレの否定でしょう

411 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:07:13
隋書「「イ妥国伝」に、阿蘇山ありと記載があるのだから、九州以外ありえない。

412 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:07:20

 畿内説=リアル邪馬台国

 九州説=ファンタジー邪馬台国



413 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:07:58
>>411
単なる名所案内だなw



414 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:08:13
 畿内説=信仰

 九州説=学問


415 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:10:15
隋書には、国家行事を阿蘇山でおこなっていたことが、しっかりと書いてあります。
畿内の大王が阿蘇山で国家行事をおこなっていた記録がないのはなぜでしょう?

416 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:14:11
まんまりかかってると九州年号とか装飾古墳とか念仏を唱えだしそうだなw

417 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:17:29
畿内説・・・信仰に支えられた過去の妄想w

418 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:31:09

九州王朝説さんは、はっきりと九州王朝説が真理だと言ってくださいね?


東遷説さんは、はっきりと東遷説が真理だと言ってくださいね?



畿内説VS九州説なんて構図でごまかさないでさ。




419 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:33:43
まあ九州説のアホがどんなにこの板でほざこうが
現在のアカデミズムでの畿内説の優位は動かないだろうからwww


実際、九州説が昔日の勢いを回復する事があるだろうか?

もう九州の地から邪馬台国そのものが出てくる以外
挽回する方法は無いと思う、いやマジでw


420 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:35:44
東遷説って、どんな説?

421 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:37:29
弥生開始が500年遡って、土器編年の虚妄がバレて、自然消滅していく畿内説

422 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:38:32

九州王朝説さんは、はっきりと九州王朝説が真理だと言ってくださいね?


東遷説さんは、はっきりと東遷説が真理だと言ってくださいね?



畿内説VS九州説なんて構図でごまかさないでさ。



423 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:39:43
>>422
おまえ、誰に向かって連投してるんだよ

424 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 03:40:44
>>422
東遷説なんて聞いたことがない。どんな説?

425 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:55:29
>>325
今まで色々な北九州論者が卑弥呼の墓を提示してきたけど
(ひさご塚やら山門のドルメンやら)全部考古学的に間違ってる。
これこそ宗教の極みだと思うがな。
>>414
このスレの状況は明らかに逆なのは分からんだろうな。

東遷説論者は、その東遷が少し速かったら嫌なのだろうか。

426 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 08:05:43
>>415

>隋書には、「国家行事」を阿蘇山でおこなっていたことが

よく見かけるcopyです。
何が国家行事なのか不明ですが。

>畿内の大王が阿蘇山で国家行事をおこなっていた記録がないのはなぜ

そう思っちまう人が無知だからでしょう。
3世紀のことはさて置き、
阿蘇神社が官弊社であることくらいは認識しましょうや。
「話はそれからだw」

>>大好きさん。
415氏に何か言ってあげてくださいな。
こういうのを放置しておくのは、
九州王朝説にとっても迷惑でしょう?

427 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:04:10
竜宮城を探しているのと同じ程度の議論いや言い合い!
鬼ヶ島かな!
まあ、天国でもいいけど!


428 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:11:05
記録も言い伝えも遺跡も無いのに!
しかもあのいい加減なチャイナの古い作文だけ!
新華社放送聞きゃ分かるだろ!いい加減さが、…
古事記でもいい加減なのに、ましてや…

429 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:19:20
ヤマトタケルを捜しているのと同程度!確かに投影された人物はいてるだろが…
また作り出す必要性も。わからんが案外そんなもんだろ!
イギリスにもあったな「小人の国とか巨人の国とか」


430 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 11:03:12
>>419
合理的な説明は何もできないけど、ですか。

431 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 11:44:38
>>428
いい加減と判断しちゃう、アンタの脳味噌は
今日も湿度90超えの最高気温?
明日にはカビが生える。

432 :名日本@名無史さん ::2008/07/25(金) 12:57:58
奈良盆地は古代は沼地で、九州の遠賀川流域や
筑後川流域と違って、稲作には適さない地域

稲作文化が発達したところに、古代集落の発達
があり、鉄の文化も普及する。(中国・朝鮮文化の痕跡
も、北九州に集中する)

畿内は、後発地域であることは確かでしょう。


433 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:12:57
北九州論者にとっては、
北九州勢力が畿内を征服するよりも、
弥生時代の終わりまで北九州でごそごそしてるほうが気持ちいいらしい。

434 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:18:58
福岡⇔熊本間で倭の中心部が何度か移動してると思う。
え?倭錦と鉄器のない畿内はだって?・・・ありえないでしょ。

435 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:42:34
今ぐぐってたら福岡に七支刀を手にした像が祭られてる社の写真ってのを見つけたんだけど
これなんなの?

436 :ローガン:2008/07/25(金) 16:32:12
楽しくROMってました。随分進みましたね。
この板の九州説支持の方は九州王朝説さんが多い?どうりで「宗教」とか「信仰」と云う言葉をよく使うんですね。
自説に反するものは単なる宗教とひとくくりにして、耳をふさぐ。
よって東遷説すら知らない方までいるとは…

九州王朝説だと「イ妥国」という国が九州にあったと考えるのですね?隋書に「イ妥國」とあるからでしょうか。
しかしこれは イ妥=倭であり、倭国の事を書いたものです。
隋書の編纂に携わった一人が、自らが著した史書の中でそのように述べています。

ではROMに戻ります。

437 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 17:32:25
思い込みを無批判に前提にして、論を振りかざすローガン氏は
学問でなく、信仰の世界に生きているわけです。当然の帰結です。

438 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 17:50:38
九州王朝説さんは、古田支持で、
東遷説さんは安本支持なんだよ。

で、古田と安本は喧嘩してるから、九州王朝説さんは東遷説をスルー。
東遷説さんは、しゃしゃり出てくると恥をかくことくらいは自覚があるから、
ロムってるだけ。

つまり、九州王朝説さんは、自説が恥とも思わずに、畿内説を叩いてるわけだな。
なぜだか、教えておげるよ。

九州王朝説VS東遷説
九州王朝説VS畿内説

という構図にされると、東遷説と畿内説両面から叩かれて面倒だから。

九州説VS畿内説

の、ほうがやりやすいわけ。
本来敵である、東遷説さんを味方にして畿内説を叩けるからね。
東遷説さんも、畿内説を叩くために、こっそり九州王朝説と組んでる。

だから、双方とも、「自分は九州王朝説」だとか「自分は東遷説」とか名乗れないわけ。
チキンなんだよ。

439 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 17:58:40
もはや派閥抗争…いや、イデオロギー闘争だな。


440 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:08:01
>>438
こねくり回した解説したところで、いくらなんでも、畿内説は成り立たないだろ。

441 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:05:24
ローガン氏の信仰

●現存する「二中暦」は中世の書だから、そこにある九州年号はそもそも信用できない

同じようなことが古事記にも言えます
●今日残っている最古の古事記は中世のものだから、そこにある元号はそもそも信用できない

こりゃ学問以前ですね。

442 :夏は大嫌い!:2008/07/25(金) 21:15:54
>>441

> 同じようなことが古事記にも言えます
> ●今日残っている最古の古事記は中世のものだから、そこにある元号はそもそも信用できない

古事記には「元号」なんて出て来ないでしょう。
なんてたって推古朝までの記録ですよ。
そんなことすら知らないのですかw

> こりゃ学問以前ですね。

「学問」と言うか、なんと言うか・・・
ちゃんと教科書ぐらい読みなさいよ。
あ〜学校のロッカーに入れっぱなしですかw



443 :夏は大嫌い!:2008/07/25(金) 21:20:07
一つ、書き忘れました。
安麻呂名の序は元号付です。
ただし、私はこの「序」については、和銅年間に書かれたものかどうか、
若干の疑念をいだいております。


444 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:23:07
元号じゃなくたっていいんです。
ここは論理の問題ですから(笑

445 :夏は大嫌い!:2008/07/25(金) 21:50:13
>>444
> 元号じゃなくたっていいんです。
> ここは論理の問題ですから(笑

キミの言う「論理」って何?
>>441って、何か「論理」と関係のある書込みだったの?

446 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 22:10:32
ローガン氏の論理がズタズタという話でしょう

447 :夏は大嫌い!:2008/07/25(金) 22:45:58
>>446

否、>>441
>●現存する「二中暦」は中世の書だから、そこにある九州年号はそもそも信用できない
>同じようなことが古事記にも言えます
>●今日残っている最古の古事記は中世のものだから、そこにある元号はそもそも信用できない

この書込みのどこに「論理」があるのかと言う話だよ。
論点を変えちゃいけない。

>>441の「論理」の怪しさを挙げよう。

先ず、「二中暦」には「九州年号」などは存在しない。
これは一部の論者が、二中暦で紹介される古年号を「九州年号」であると主張しているに過ぎない。
「ニ中暦」の編者自身は、古年号の伝承について、その正否は何も語っていない。
つまり、>●現存する「二中暦」は・・・云々の件は、>>441の言質なのである。
けっして「中世」の話では無い。

これに対して、元号の概念を持たない古事記を例にとった稚拙さはともかくw
まあ、これが続日本紀を例にしたもので有ったとしたところで、
そこに登場する「元号」とは、続日本紀自体が主張する「年号」なのである。
この違いを理解できない厨に「論理」云々を語る資格は無いと思う。

448 :夏祭:2008/07/25(金) 22:55:26
>>436
>自説に反するものは〜
全くですね。
「論争」と言うのは、理論と理論による論理的な争い。
お互いの理論をさらけ出し、お互いにそれを検証し、欠陥と思える部分を指摘しあい、それに更に…
こういうもの。自分が相手に試みて、相手も同じように接してくれれば論争は成立します。
しかし、このスレの九州論者のように、結論部分と罵倒のみしか口にしないのであれば、
自分がいくら相手に対して上のように接しても意味はありません。それはただの信仰です。
>>437やら>>441は自らの信仰の告白をしているだけの事です。
よって、論争など成立しないのです。
…原田大六氏の人生は、まさに論争の人生でした。
(こんな所で唐突にこんな例えを持ち出すのも、北朝鮮のアニメ(最後に「将軍様万歳」が入る)みたいであまり好きじゃないんですがね。)
(正直言って、2ちゃん世界でまともな論争を期待するのも無理があります。)
(ローガンさん、貴方、HPは持ってますか?論争をするにはHP内の掲示板が一番良い環境です。)
>>446
その割りに君や、君のような九州論者は何の論理も持ち合わせていないんだね。
結論と罵倒しか口にしない。

449 :夏祭:2008/07/25(金) 23:09:13
>>438
全くだね。
最近の東遷説VS九州王朝説の戦いってのは、
「畿内皇国史観的九州説」VS「北九州皇国史観的九州説」の争い。
取り合えず邪馬台国は九州だけども、天皇陛下は畿内or北九州に居られたぞ。
そういう戦い。
「邪馬台国が九州にあって、大和朝廷は畿内にあった」と言う素朴な九州説は最近では廃れた。

まあ、畿内説の世界でも
「畿内自立説」と「北九州征服説」の争いがあるけどな。
(なおレーガン氏は前者、俺は後者。だからと言って俺に彼を中傷する気はない。)

450 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/25(金) 23:11:46
>>447
だとなると、それらの年号はどこの国、王朝の年号なのかね?

451 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:22:12
そうですなあ。それらの元号を持ち出すと、たちまちパニックになりますね(笑

452 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:23:57
>>449
>「畿内自立説」と「北九州征服説」の争いがあるけどな。

「北九州征服説」というのは、
邪馬台国が成立した段階で、畿内に九州勢力が東遷してきたって説?



453 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:26:25
ろうそくの炎は、消える直前に一瞬大きくなる。
>>447-449 → 畿内説が消える前の炎(笑

454 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:42:13

  「九州元号は二中暦にしか出てこない」

  ・・・こんな思い込み=断定をしてしまうのは、
     畿内説が信仰といわれる所以です(笑

455 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 00:24:25
>>454
>   「九州元号は二中暦にしか出てこない」
>   ・・・こんな思い込み=断定をしてしまうのは、

誰もそんなことは書いていませんが・・・
どのスレの何番の書込みの話ですか?
単に「九州王朝」な方の一部が「二中暦には九州元号が出てくる」と思っているだけでは?

>   畿内説が信仰といわれる所以です(笑

他人が書いてもいないことを「書いてある」「言っている」と思っちゃうのは
「信仰」と言うより「病気」ですよ。

456 :改めドツボ監視委員会:2008/07/26(土) 00:39:37
改めドツボ監視中・・・
とりあえず牽制球を投げておいてとw

>>435
>福岡に七支刀を手にした像が祭られてる社の写真

ああ、それね、多分福岡県山門郡瀬高町の「こうやの宮」と呼ばれている祠に祭られている像じゃないかな?

山門郡と言えば邪馬台国九州説の元祖と言うかある意味保守本流だなw

卑弥呼の墓と言われている権現塚古墳
>>425で「山門のドルメン」と言っている堤古墳郡
田油津媛の墓とも言われている蜘蛛塚古墳とかがある。

まあ何れにせよ年代がさっぱり分からんのだがw
それなら箸墓の方がマシだろうwww




457 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 00:42:19
まあ九州説自体は歴史教科書に畿内説と併記されるだろうが

九州王朝説が教科書に載る事はいくらなんでもないだろうwwww

それだったら少年ジャンプでも教科書にしとけとwwwwwwww

458 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:09:44
九州王朝説が一般に受け入れられなかったのは、
やはり記紀の描く古代像と相容れないからであろうな。
記紀の中には「九州王朝」の存在を述べた記事など全く存在しないのだから
少年ジャンプの新連載の紹介のところにある一文みたいなもんwww

459 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:17:43
九州王朝説は結局その論拠を記紀に頼っているんだよなw
片方で「記紀は嘘っぱち」と言いつつwww

まあ九州王朝説なんて電波に頼らずとも記紀の内容の検証はできるから
安心してくたばってくれw

例えば、近い将来「聖徳太子」なんて文字も歴史教科書から消えるなんて話もあるし
大化の改新(乙巳の変)を単純な勧善懲悪劇として考えるのももう昔の話だろう・・・




460 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 01:48:01
考古学的にも、畿内説は追い詰められて、消え行く運命だな。
教科書の内容も、ガラリと変わるだろう。
畿内説、哀れw

461 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 02:00:15
「九州元号が二中暦にしか載っていない」ことを前提に論理を展開してしまって
ローガンの論理っていつも思い込みが前提になってるんだよな。
畿内信仰だからしょうがないのか?

462 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 02:33:29



人格攻撃はやめて、論理的に九州説を立証してみなよ。





463 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 02:52:07
畿内説も頼むよ

464 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 02:53:39
はあ?
異常人格の人から破綻した論理で攻撃されているので、
正当防衛してるんですが?

で、九州説のどこが非論理的だと思うの?

465 :464:2008/07/26(土) 02:54:15
464は>462へのレスです。

466 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 03:14:28
>>462

>>438>>449なども、嘘八百を平気でしらっと言うんだね。

私はは、畿内説も東遷説に対して、堂々と反論してきた。
取り敢えずの味方など無意味でしょう。

九州王朝説では、東遷したのは王様ですらないただの神武軍
だけだったという考えが主流でしょう。
記紀には「国家の東遷」「全国民の東遷」「王の東遷」など、
一切記載されていませんからね。

畿内説はしばしば「マキムクこそ邪馬台国」みたいな思い込みを
しているけど、邪馬台国の描写と全然合わないんだよね。
ローガン氏お得意の畿内勢力漸増説だけど、6世紀になっても
播磨国を領有できていない大和国が、どうして全国制覇できるのか、
さっぱりわからない。もうむちゃくちゃなわけ。

>>462
さあ、畿内説の論理ってものを披露してもらおうか?


467 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 04:56:44
>>466

>さあ、畿内説の論理ってものを披露してもらおうか?

俺は畿内説じゃない。

九州から東海まで統一された「邪馬台国」があったが、
その首都は九州にあっただろうというだけ。

九州しか頭に無いチンケな九州説と一緒にすんなよ。



468 :夏祭:2008/07/26(土) 06:25:01
>>452
俺の言葉で説明すると、「北九州勢力が東を侵略して邪馬台国を創った」
という事なんだけどな。
なんにしろ、先進勢力の東への進出はあったろうってこと。
>>453
ほら、結論と罵倒だけしか言ってない。
そういうのを信仰と呼ぶんだって。
>>467
九州説論者にも「論」で「争」える奴がいると知って、安心したぞ。
俺の支持している説は君の説とそう変わりは無い。
ただ、卑弥呼以前にその首都は畿内へ移ったろうってだけのことだ。

469 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:16:32
>>468
>ただ、卑弥呼以前にその首都は畿内へ移ったろうってだけのことだ。

そこが、本当は最も重要で議論を詰めないといけないところだな。
いずれにしても、
弥生時代末期、九州にあった政権は、畿内〜東海よりも交易の主導権を持っていた。
だがけして、九州と畿内が別のクニで交流が無かったなんてことはありえない。
3世紀に九州王朝など、存在しない。

弥生時代末期のどこかの時点で、
首都機能は九州から畿内に移ったことは確か。
武力により「東遷」ではなく、首都機能の移転にすぎない。

それが、卑弥呼以前か、以後かという論点が、正しい認識だろう。

「九州王朝」とか「東遷」とか、バカな九州説はほっといて、君の話を聞かせてくれ。
「卑弥呼以前にその首都は畿内へ移った」と考える根拠は何?



470 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 07:22:59
畿内朝廷と九州女王国の交流がないから、女王国からの情報が得られず記紀に
卑弥呼の記事が独立して無いわけ。とくに交流が無いのは奥九州だな。北九州は
交流できたね。

471 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:25:23
>>468
>「北九州勢力が東を侵略して邪馬台国を創った」
239年には邪馬台国は大和にあったということですね。どのような行程論ですか?
>>467
おもしろそう。九州本店説ですな。で、本店はどのあたり?


472 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:27:52
>>466
>邪馬台国の描写と全然合わないんだよね。

具体的に言ってみ?

九州説の連中は自説こそ魏志倭人伝を忠実に介するものだと言うが
どの道何から何まで合致した物など脳内シミュレーションの中でしかない。

例えば
『 宮室・楼観・城柵、厳かに設け・・・ 』
なら確かに環濠集落を彷彿させるが

じゃあ
『 婢千人を以て自ら侍せしむ 』
とあり吉野ヶ里の人口が1000〜1200人と言われているが(算出根拠は甕棺の数だったかな?)
その千人の居住区の周りに更に一次産業に従事する人口を配するなら
どんだけ〜な超巨大環濠集落になるのか?w

いや、一次産業に従事する者らがいない、それこそ祭礼に特化した「都市」を想定するのなら
そんなもの纏向以外に考えられないだろう?
違うと言うのなら現段階、九州にある遺跡で該当しうる物を挙げて見ろって話だなw

結局、邪馬台国が弥生中期から続くような旧態依然の環濠集落か豪族居館が分離した物か
はたまた「都市」と言えるような形態だったのか?
・・・魏志倭人伝からは分かりゃせんのよwww



473 :472:2008/07/26(土) 07:42:28
>>466

それから神武東征のお話で言えば
神武はあくまで「天孫族」であり、ただの人間として書かれているわけではない。

畿内に入ってからもヤタガラスや金鵄と言った霊鳥の助けを受け敵を下している。

そう言った非現実的な部分を恣意的に削ぎ落とし
あたかもその神話が史実であったかのごとく言うのは
論法として間違っているw

神武が都落ちした軍人だと言うのなら
じゃあ神武らを追い落とした勢力についての記述が記紀にあるか?

どうしてもそのお話を押し通したいのなら
日向にどのような国家があり、その中で神武一派が権力闘争に敗れた事を証明するような
物的証拠、考古学的資料を持って来いって話w

記紀の記述しかないと言うのなら、それはあくまで神話。
部分部分をチョイスして組み立てたご都合主義に過ぎないwww





474 :467:2008/07/26(土) 07:45:38
>>471

>おもしろそう。九州本店説ですな。で、本店はどのあたり?

伊都国だよ。

あたりまえだろ?

卑弥呼は畿内にいたかも知れんがね。
しかし、卑弥呼はあくまで祭祀中心。政治は九州。
九州から東海まで全部で、「邪馬台国」

そういう、柔軟な発想が出来るやつは、このスレにどれくらい居ることやら?




475 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 07:58:05
>>469
>「卑弥呼以前にその首都は畿内へ移った」と考える根拠は何?

ヨコからだが・・・

現時点の畿内説の主流だとその根拠は
 (1)画文帯以降の銅鏡が畿内を中心に分布している。
 (2)そもそも前方後円墳が各地の埋葬文化のキメラの如き存在
 (3)纏向における搬入土器の多さ
と言う事になるんだろうな。

まあそのような九州説と畿内説の折衷案のような物は
大和岩雄とかが「邪馬台国は二箇所あった」とかで言っていたなw



476 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 08:03:14
遺跡とか古代のブツは消失するものが極めて多いから、見せろとか出せとか
云うのは、遺跡、墓等の損壊、無となるを遠回しに推奨しているような論の
仕方で、いいことではない。2,3日前の地震だけでも墓等の倒壊があり、論述
でこういうことを推奨しているようであり、好ましいものではあるまい。
クレオパトラの墓だってまだ発見されてはいない。

2,3日前だったか珍しい白い狸が発見されてるし、この前は白い虎が生まれ
ていて珍重されている。以前には人面魚とか、また珍しい金ピカの動物だって
発見されて新聞記事にされている。双頭の蛇とかも記事にニュースになったこと
がある。そういうことを考えればこういうヤタ烏とか金鵄もあるだろう。紀には
珍鳥を朝廷へ献上された記述もあるしね。

神武が九州から畿内に来たのは九州で敗北したものであるとは限らんだろう?
なぜこれが敗北と特定できるのか? 決めこみが激しい。

紀の神武の条はそれまでの手前の時代の記述と違って年月日が多数しっかりと
記述されてるから伝説性はうすいと観るべきである。神武のころは紀元前後で
あり、古代エジプトのヒエログリフの記述などは紀元前3000年でもっともっと
古い。これも伝説とは云い難い。文字で史実が遺跡に書かれてるということ
なのである。

477 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:26:45
>>474
卑弥呼が畿内かもとなれば、畿内説に近いのかな? 使者は伊都国常駐で、その先は伝聞記事という解釈?


478 :467:2008/07/26(土) 08:28:02
>>475

マキムクに王宮跡が無いのが根拠薄弱だね。

だいたい、銅鏡と前方後円墳は、王権となんの関係もない。
祭祀と政治は違う。

古代では祭祀と政治が一体だったという前提がおかしい。
なんの根拠も無い。根拠があるなら、聞かせてくれ。
卑弥呼の前は、男王がちゃんといて、政治・交易をしていたわけだし。
卑弥呼の後も男王が立っている。
争いがおきてたのを、一時的に卑弥呼が収めたにすぎない。


479 :467:2008/07/26(土) 08:33:10
>>477

卑弥呼は、畿内にいたかもしれないし、九州にいたかもしれない。
そんなことが、どうやってわかるんだ?
わかるわけないだろ。
わかるなら、根拠を聞かせて欲しいね。


480 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:34:30
>>476
>遺跡とか古代のブツは消失するものが極めて多いから、見せろとか出せとか
>云うのは、遺跡、墓等の損壊、無となるを遠回しに推奨しているような論の

分かってないなあ・・・

今日の九州説の惨状wは何も邪馬台国その物と目される遺跡が出ていない事に由来するものじゃないwww

仮にその遺跡が今日残っていなかったとしても
九州に「親魏倭王」として冊封されたクニがあったのなら
周りに及ぼした影響・恩恵等の痕跡が見られないと言う事からだろう。

邪馬台国の時代の九州独自の威信財体系は?祭祀形態は?
それらが
「何処にあったかピンポイントでは分からないが、九州に邪馬台国を想定できるに足る」ものでなければ
所詮九州説は机上のシミュレーションでしかないwww


481 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:39:10
>>473
>日向にどのような国家があり、その中で神武一派が権力闘争に敗れた事を証明するような
物的証拠、考古学的資料を持って来いって話w
横からですが。物的証拠、考古学的資料といっても無理難題と思えますね。
日向が古墳時代にも多くの古墳を築造している、けっして主力が東遷したとは思えないということぐらいかな?

482 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 08:51:23
>>478
>古代では祭祀と政治が一体だったという前提がおかしい。

つうかだな・・・古代に 『 政教分離 』 が行われていたと考える方がおかしいだろう?w

じゃあ具体的にだ
九州にでも政治と祭祀が分離されて行われていたと思しき遺跡があったかな?ww

墳墓と宮・中心集落が隔絶されたようなもの
・・・と言えば河内の古市や百舌鳥に巨大古墳が造営され
大和に宮があった5世紀の畿内まで待たなければならんのじゃないのか?
(まあ何代かは宮も河内に移しているが・・・)





483 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 09:12:17
仮に百歩譲って纏向に
「でっかい建物跡、宮の跡」が見られないと言う事で
政治の中心が他にあったとしてもそれが九州にあったと言うのは無理だろうw

周知の如く纏向から出る搬入土器に九州の物が突出して多いなんて事も無いし


細かい話で言えば出土した鋳造関連遺物で鞴羽口(ふいごはぐち)なんかも
どうやらツクシあたりから技術が伝来しているようだが構造がイマイチで
ダイレクトに輸入された物じゃないらしい。

 ” 祭祀=畿内・政治=九州 ”なんてモデルは今のところ考えるに難しいと言わざるをえないwwwww

484 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 09:31:08
>>480
記紀こそ卑弥呼女王国の痕跡が倭人伝からの借り物記述以外その痕跡がない。
これは畿内に卑弥呼の女王国がないことを物語っている。あるなら倭人伝以上
に卑弥呼の記事が記紀に満載される。倭人伝を見ていた舎人親王らが時代を間違え
て、少しばかり入れこんだのが神功39年等の小記事だ。

九州に女王国の遺跡が見当たらないのは地震台風洪水、人為的工事とかで消失
したもの。お前は消失した痕跡を出せないを強調してるんだから、2、3日前
に起こった岩手地震での墓倒壊を遠回しに推奨しているということだ。

陳寿の記述はおおまかには信用できるから、女王国が九州にあった論はケム
には負けない。畿内に女王国の痕跡などない。女王国は畿内では推古の世からだ。

485 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 09:38:34
>>484 訂正
× 畿内に女王国の痕跡などない
○ 畿内に卑弥呼の女王国の痕跡などない

486 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:15:39
>>480
>周りに及ぼした影響・恩恵等の痕跡が見られない
三角縁神獣鏡のことを考えてるのかな? しかし、九州の勢力が近畿あたりを平定して鏡をばらまいたということも十分考えられるね。
元々自分に従う国々にはそんなオモチャを配る必要はない、だから九州には少ない、とね。

487 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 10:18:32
>>482

差し出がましいですが一言。

> じゃあ具体的にだ
> 九州にでも政治と祭祀が分離されて行われていたと思しき遺跡があったかな?ww
> 墳墓と宮・中心集落が隔絶されたようなもの

祭政一致とは、宗教的ヒエラルキーの頂点と政治的ヒエラルキーの頂点が一致すればよい、
つまり、人的、組織的な一致であって、必ずしも「空間」の一致では無いと思いますが。

例えば、祖霊祭祀の場が墳墓であったら、その祭祀権者が墳墓に常在するわけではありませんね。
ですから、「墳墓と宮」が隔絶していようがいまいが関係ないことかと。

488 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 10:35:06
邪馬台国が畿内になかったとみるべきもう一つの理由。
邪馬台国は太伯伝説の国。近畿大和は記紀によれば天孫降臨伝説。

489 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 11:26:03
>>488

じゃ、九州にもなかったわけですね。
九州にも太白伝説はなさそうですから。

490 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:28:06
九州になかったとは言えません。

491 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 11:54:09
>>483

> 政治の中心が他にあったとしてもそれが九州にあったと言うのは無理だろうw
> 周知の如く纏向から出る搬入土器に九州の物が突出して多いなんて事も無いし
> 細かい話で言えば出土した鋳造関連遺物で鞴羽口(ふいごはぐち)なんかも
> どうやらツクシあたりから技術が伝来しているようだが構造がイマイチで
> ダイレクトに輸入された物じゃないらしい。

倭人ですが、一大率の機能は政治的に北部九州を支配していますよね。
畿内説的には「女王國以北」なので、投馬、邪馬台をも含む西日本の幹線部をになるわけですが。
一大率の在所(伊都)と女王の都(邪馬台)の関係で言えば、
纏向と東海以上の結びつきが有って然るべきかと思います。

私は、まあ、畿内説なのですが、

>  ” 祭祀=畿内・政治=九州 ”なんてモデルは今のところ考えるに難しいと言わざるをえないwwwww

とまでは、思いません。

祭祀と政治の場合とは全く違いますが、
外交相手の魏から見て名目上の倭王=親魏倭王、実質的な外交の主宰者=一大率
であっても特に問題は無いかと思います。
良い表現ではないように思えますが、邪馬台と伊都の関係はクライアントとサーバーの関係。
伊都が邪馬台の朝貢を取り次いだところ、相手に勘違いをされて主従関係と看做されてしまった、
朝貢を取り付けた側から考えれば、遠来の「大国」で新規の朝貢者の方が功績は大きいのだから。
そんなこともあるかなと妄想したりしますw

492 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 12:30:07
邪馬台国の特徴は

   倭錦の産出

倭人の特徴は

   海で潜水漁をすること


九州とヤマトで比較すると

   ○ 九州

   × ヤマト


493 :ローガン:2008/07/26(土) 14:41:42
>>461
> 「九州元号が二中暦にしか載っていない」ことを前提に論理を展開してしまって
> ローガンの論理っていつも思い込みが前提になってるんだよな。
> 畿内信仰だからしょうがないのか?

私の事でしょうね。すると「」でくくった部分は私の発言かな?
どこで言いましたか?スレッド名とNO.を書いてください。

494 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 15:29:35
>493

「二中暦にしか九州元号が載っていないこと」を前提にしている論理でしたね。
それはトンデモない勘違いでしょう。

国家にとって、元号というものは、権限のない者が制定することは許されないのです。
それほど大事なものなのに、畿内の天皇が九州元号を制定した記録がない。
しかし記紀には九州元号が顔を出し、当時、拒絶排斥されることなく使われている。
畿内の天皇のもとで使用されているのに、畿内の天皇が制定に関与していない元号。
これを九州元号(別に違う名前でもかまいませんが)と呼んでいるわけです。

で、畿内以外に元号を制定するだけの政権は、どの政権なのか?
北海道か東北か(中略)中国か四国か九州か?
答えは、九州以外にありえないわけです。

495 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 17:51:20
>>486
>しかし、九州の勢力が近畿あたりを平定して鏡をばらまいたということも十分考えられるね。

十分考えられませんwww

じゃあ九州の勢力が畿内を平定に至るプロセスを立証する物証考古学的資料は何かあるか?

逆のパターン、九州が畿内の影響下に組み込まれて行くプロセスなら
弥生末期から古墳時代にかけて畿内の土器や古墳を採り入れ
勢力を伸長させていく比恵・那珂遺跡や小迫辻原遺跡にそれを見る事もできるだろうが・・・

まあ九州勢力による畿内の平定なんて夢物語の妄説・奇説・珍説といわざるを得ないwwwwwwww


496 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 18:49:36
二中暦が元号だったという前提がおかしい

497 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:21:21
>九州が畿内の影響下に組み込まれて行くプロセス

このような、「100年ごとにに半径××kmを支配」といった類の思考は、
ありもしない妄想史観なんですよ。

諸外国でもほとんどそうですね。毎年、毎世紀、均等に領土を広げていく、
そんなことは当たり前の事実という前提に立って思考している、畿内説って、
一種の信仰なんですよ。

498 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:44:51
九州元号が、いったいどの王権の元号だったのか、

  畿 内 説 で は 答 え ら れ な い

のが残念です。論理破綻のアキレス腱なんですね。

499 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:51:52
>>495
>まあ九州勢力による畿内の平定なんて夢物語の妄説・奇説・珍説といわざるを得ないwwwwwwww

鉄器が豊富な九州は、どうして畿内を征服しようとしなかったの?
畿内は東海〜関東を征服したのに。

同じく、
>九州元号
独自の元号を九州が使えるほど権威を持てたなら、どうして畿内を征服しようとしなかったの?
九州に閉じこもって九州元号を使ってたのはなぜ?



500 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:01:47
九州説も、畿内説も、自己矛盾ばっかりであきれる。

弥生時代末から、九州〜東海の日本は統一された倭国だった。
クニが分かれてたら、半島のような三国時代というような記録が倭人伝に残るだろ。
百余りのクニなんてのは、クニのうちに入らない。戦国時代の大名の領地と同じ。

邪馬台国とは、弥生時代末から統一された(中国人が呼ぶ)倭国の、
日本語発音を当てた呼び名に過ぎない。

外交の中心は、九州・イト国が担っていた。王は、代々男だった。
政治と祭祀は、当時から分業だった。

ある一時期、祭祀を担ってた巫女が、政治的権威を手に入れて王に担がれた。
魏志倭人伝は、それを面白がって書いた。
弥生時代からずっと、巫女が女王だったわけではない。
魏志倭人伝にも、そんなことは書いてない。


501 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:08:08
「邪馬台国」は、弥生時代末には、九州〜東海まで統一されたクニとして存在した。
外交を担う首都は、九州・イト国である。
当然、魏に認められた王は、イト国にいた。

さて、では卑弥呼はどこにいたかというと、そんなことはわからない。
わからないと、何か困るのか? 何も困りはしない。
弥生時代の日本の様相は、すでに十分、明らかになっている。

しいて言えば、記紀には、九州には女酋がいたという記述が目立つことだ。
卑弥呼が、九州の女酋の一人であったとしてもおかしくない。

502 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:16:39
>>499

九州が畿内をしっかりと傘下におき、九州の元号や九州の「評」制を
畿内に使わせていました。

要するに、九州王権は「畿内自治区」を支配していました。ただそれだけのことですが何か?

503 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:17:00
古墳時代の始まり、箸墓築造あたりから、畿内に王権があったという説も、
ちゃんちゃらおかしい。

墓のデザインは祭祀が決めるもの。
墓の大きさは、故人の影響力を示すもの。
それ以上の意味は無い。

九州に外交を担う王がいたとき、畿内に「新興宗教」が生まれて、
かわった形の墓を作り出した。その「新興宗教」が周囲に広まっていった。
九州の政治家も、畿内の「新興宗教」を受け入れた。

明確に言えるのは、これだけであって、畿内王権が生まれて九州を凌駕したなどとは言えない。

ただ、同一宗教を持った民族は、宗教の中心部(畿内)を崇めるようになるだろう。
4世紀以後の時点で、王権が九州から畿内に移動したことは確かだろう。
それは、武力制圧でもなんでもない。
九州の王が、畿内の信仰宗教を帰順したというだけのこと。




504 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:20:17
C14での調査が進めば、装飾古墳が九州を中心に東北地方まで広がっている意味が
九州王権の広がりを意味していることが、はっきりしていくでしょう。

いまは、世界の笑いもの「土器編年」で「年代妄想判定」しているので、ぐちゃぐちゃですが(笑

505 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:20:29
>>502

九州が、畿内を自治区としてたなら、
九州と同じ年号を畿内にも使わせるものだ。
君の理論は道理に合わない。

支配者側が、別の年号を使わせるなんて例は世界中探してもないよ。

506 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:22:10
>505

そのとおり!ついに認めたのね。
列島のほとんどで、九州元号を使っていたわけです。
畿内説が崩壊しましたね(笑

507 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:23:46
いやあ、>505によって、畿内説が白旗を揚げてしまったわけですね。

508 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:25:06
>>506

九州はしょっちゅう畿内に反乱を起してるけど、そのたびに鎮圧されてますよ。

負け犬の遠吠えですか。




509 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:25:45
九州年号の証明から始めないと・・・

510 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:36:00
もちろん、畿内で生まれた新興宗教の教祖が「卑弥呼」である可能性はある。
その卑弥呼教が、前方後円墳を、畿内から日本中に広めたというのは、最もらしい。

しかし、最もらしいから、それが事実とは言えない。
卑弥呼と前方後円墳を結びつける要素は何も無い。
卑弥呼は、鏡を欲しがっていたようではあるがな。

511 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:45:42
>508

662年までは、ほとんどその逆です。
記紀は畿内中心主義ですからぼかしてますが。

512 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:49:27
>>511

天武天皇東遷説さんか。

悪いが、君の話はバカバカしすぎる。 他のスレで遊んでくれ。


513 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:35:01
>>504
おいアホ
装飾古墳なる物は石室により恒久的な空間が確保でき
後々の出入りが自由になり追葬が可能になった時点でできた物。

C14で遡るにしても限度があるぞ?
分かっているのか?www


で、
>世界の笑いもの「土器編年」
と言う事だが日本の土器編年を笑っている海外の著名な考古学者とかそのソースとか挙げてみ?w

そもそも編年は相対年代であって絶対年代・実年代と対立する物ではない。
加えて日本の土器は世界最古級(つうか最古?)でありそう言う環境もあって土器の研究が進んでいる状況がある。

まあ時代が古い方にシフトするのは、一般的に言って邪馬台国論争において畿内説に有利九州説に不利だと思うのだが
それも分かってないのかな?w

小林行雄の年代観に必死にすがり付いているのは九州説側なんだがwwww



514 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:04:16
畿内の文物を古く、九州の文物を新しく、
歪んで判定してきた土器編年。
誰に確認しても、いい加減の極致。
ソースも何も、
誰一人正しいという海外の学者がおらず、
世界の笑いのもになっていますが何か?


515 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 22:14:10
>>494
>> しかし記紀には九州元号が顔を出し、当時、拒絶排斥されることなく使われている。

記紀のどこに九州年号が出てきますか?
具体的に呈示してください。

516 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:18:00
継体や白鳳、大化って出てこなかった?

517 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:22:42
>516
それのどこが九州年号?
2ちゃんねらの妄想だね

518 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:24:12
>515>517
九州元号とは何かをちゃんと調べてから、発言しましょう(笑

519 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:36:12
>518
相当頭いかれてるなw
せめてコテハンにしろ

520 :夏は大嫌い!:2008/07/26(土) 22:38:06
>>518

> 九州元号とは何かをちゃんと調べてから、発言しましょう(笑

何を笑ってるの?
貴方こそ、ちゃんと調べてから書き込みなさいよ。

>>494はこう言っている。
>畿内の天皇が九州元号を制定した記録がない。
>しかし記紀には九州元号が顔を出し、当時、拒絶排斥されることなく使われている。
>畿内の天皇のもとで使用されているのに、畿内の天皇が制定に関与していない元号。

>>494が何の説明も無く、呈示したのが「継体」「白鳳」「大化」。
記紀に「継体」「白鳳」「大化」の文字があったとして、
何でそれが「九州元号」なのか?

>>494に代わって、古事記、日本書紀に九州年号として使用されていると
言い張れるまっとうな説明を頼むよ


521 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:41:58
>>514
結局、根拠もソースも何も無しの妄想か・・・
この板の九州説のアホはその程度だろうなw


で、土器編年による年代観は信じられないとして

じゃあC14や年輪年代で纏向の古墳郡が相当に古く
箸墓が卑弥呼の墓として年代的に合うなんてことになったら

今度は「C14や年輪年代は信用できない!」
と火病起こすんだろうなあwww





522 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:13:05
そもそも鎌倉時代に成立した「ニ中歴」の中に32前後の私年号郡があったとして
それが九州王朝の下で定められたと言う根拠は何なのだ?って話だなw

多分この程度のお話ではないかとw

 1)ややっ!ニ中歴の中に私年号郡があるぞ!
 2)年号を制定できるのは王朝だけ!
 3)だとすれば九州王朝に他ならない、間違い無い!
 4)これを九州年号とし九州王朝のあった根拠としよう!

まあ年号なんて時の王朝でなくても作ろうと思えば作れるんであってw

参考・・・Wikiより「私年号」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%81%E5%B9%B4%E5%8F%B7

上記の中でも中世以降の私年号について書かれているのを参照されたしwww


523 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 23:17:50
現代で年号を勝手に作っても、十年数十年と間日本全体に広が
るのか? 疑問だな。

524 :夏祭:2008/07/26(土) 23:22:36
>>469
>「卑弥呼以前にその首都は畿内に移った」と考える根拠
2世紀後半の高地性集落遺跡は、その頃に瀬戸内海を通じて北九州と畿内の争いがあったことを示している。
このことについて、畿内自立説の雄小林行雄は「畿内勢力が北九州を攻めた」としているが、
実際の高地性集落は、北九州側が攻撃して、畿内側が防御していたことを示している。
その頃から、北九州の弥生墳丘墓文化が廃れ、畿内の方で前期古墳文化が栄え始めたりするなど、
その頃には北九州弥生文化の担い手が東へ進出し、畿内で栄え始めたことが見受けられる。
大体こういった感じだ。
この問題については原田大六氏の著書に詳しい。

525 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:24:19
>>523

太国は、九州王朝の年号を畿内が使用してたという説に同意してるのか?

そんな考えはもってなかったはずだろ?



526 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:27:53
>>524
>その頃から、北九州の弥生墳丘墓文化が廃れ、畿内の方で前期古墳文化が栄え始めたりするなど、
>その頃には北九州弥生文化の担い手が東へ進出し、畿内で栄え始めたことが見受けられる。

この2行は矛盾してるだろ。
畿内に、北九州の弥生墳丘墓文化が到達した事実があるのか?
畿内のどこに九州式の墳墓があるんだ?


527 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/07/26(土) 23:37:07
畿内は使用してないだろ? 皇極あたりからの年表を見たが、朝廷の年号とは違う
だろ? とにかく当時の日本は大陸、半島のように多国存在していたのが真。
神武からの王権が畿内にできて、代数が進むに従い支配範囲が広がって行っ
たわけだが、そのころは朝廷の勢力は九州に殆ど及んでいない。そのころ九州
は多く小国が存在し、卑弥呼の女王国が九州を可也広範囲に統一的支配に至っ
た。これが九州王朝の始まり的な国だ。しかし年号はまだまだ使ってないよう
で、完全な王朝とは云い難いが、便宜上王朝とそれがしは云ってるわけ。

それが後代に九州で年号が使われ出して、さらに王朝的になって行ったが、文武
の時代前後で九州王朝は滅んだということ。二中歴等の年号はその氷山の一角的
ものと言える。以後畿内朝廷がほぼ全国支配となり、記紀の編纂の時代となった。

528 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:27:21
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

529 :夏祭:2008/07/28(月) 08:52:10
>>526
その弥生式墳墓云々は俺の勘違いだ。すまない。

高地性集落以外にどういった点に文化の移行を見ることが出来るか。
1世紀〜2世紀頃の福岡の平原遺跡、紀元前4世紀〜3世紀頃の佐賀の吉野ヶ里遺跡からは
銅鏡、刀、勾玉など様々なものが出土している。
この中で鏡は、最初の時点では北九州特有のものである。
ところが、2世紀後半〜3世紀前半あたりから、
畿内から鏡が出土するようになる。



530 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 09:33:55
まあ、そういった土器編年でグチャグチャの年代判定をベースにしてるから、
畿内王権マンセーになるわけで

531 :夏祭:2008/07/28(月) 10:46:36
>>530
根拠もソースも何もなし。

532 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:03:27
邪馬台国は無かった

533 :夏祭:2008/07/28(月) 11:09:47
邪馬台国業界の現状・北九州説編
・邪馬台国東遷説(九州説・畿内正統派)
後述の九州王朝説と共に九州説を2分する説。
台与の代で畿内へ移ったとする説や、その後の男王の代と言う説もある。
提唱者は和辻哲郎、現在の主な論者は安本美典等。

・九州王朝説(九州説・北九州正統派)
邪馬壱国(邪馬台国)は最初から北九州に在り、
そこから九州王朝が生まれ、
畿内王朝のものとされている歴史は九州王朝のものだ、とする説。
提唱者は古田武彦、現在の主な論者は古田武彦等。

534 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 11:38:04
>>533
北九州説は行程記事の距離(日数)を説明できません。南九州説にも目を向けるべきだと思いますが。


535 :夏祭:2008/07/28(月) 16:10:23
>>534
北九州論者は基本それを「歪曲」「政治的理由」「捏造」で済ますからね。

改めて邪馬台国に関する主な説を上げておこう。

北九州説
・北九州邪馬台国東遷説(提唱者・和辻哲郎)
・九州王朝説(提唱者・古田武彦)

南九州説
・熊襲偽僭説(提唱者・本居宣長)
・非熊襲南九州邪馬台国東遷説(提唱者・原田常治)

畿内説
・畿内自立説(提唱者・小林行雄)
・非熊襲南九州畿内征服説(提唱者・中山平次郎)
・北九州畿内征服説(提唱者・原田大六)

こんなもんかね。

536 :サガミハラハラ:2008/07/28(月) 23:50:43
夏祭さんへ。
邪馬台国は佐賀県小城市甘木の地に発見されています。
あれは1991年8月12日のことであった。あれからもう17年もたちます。

537 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 01:03:02
大体、九州説の学者は畿内説の批判は結構だが
(まあそう言う役回りも学問の発展には必要だろうしw)
自説の補強ってきちんとやってるんだろうか?

ぶっちゃけ九州説ってこの十数年、いや数十年でも良い、何かしらの発展ってあったか?www



538 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 01:10:28
無理やりこじつけて大騒ぎするより何倍もマシ
何故そんなに態度がでかいの?>>537


539 :サガミハラハラ:2008/07/29(火) 02:54:38
>>537何かしらの発展。
だから、邪馬台国の都が佐賀県小城市甘木であることがわかったっていってるでしょう。
都が確定したことからさらに多くのことがわかってきました。

決してこじつけではありません。

540 :(・へ・):2008/07/29(火) 08:42:04
>>537
畿内説がここ数十年停滞し行き詰っている間に九州説は漢籍の解釈の進展により論理的には不動のものとなってきている。

541 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 09:34:14
だからどこに邪馬台国があった。と
書いてあるんだよ!
ご都合主義マニアだな。

542 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:15:49
>>539-540

サガミハラハラさん、(・へ・)さん。

九州にあった邪馬台国は、その後どうなりましたか?
畿内にあった大和朝廷に征服されて滅んだ、ということを認めますか?



543 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:43:46
邪馬台国がどこにあってもいいけど、
九州勢力が、畿内勢力に屈服したのは事実。

九州勢力が畿内に屈したのが、2世紀と考えるか4世紀以後と考えるかの違いでしかない。

あとは、「なぜ2世紀に九州が屈したのか?」
「なぜ、4世紀まで、九州が独立性を維持できたのか?」
という議論を詰めればいいだけ。

では、サガミハラハラさん、(・へ・)さん。
あなた方の考えを示してください。



544 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:50:11
>>543
>九州勢力が、畿内勢力に屈服したのは事実。
その根拠は?

545 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:00:14
>>544

違うというなら、その根拠をお聞かせください。


546 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:08:48
もっと、具体的に聞きましょう。
>サガミハラハラさん、(・へ・)さん。

3世紀まで独立性を維持できた九州の邪馬台国は、
そのあと、どうして衰退して、畿内に屈してしまったのですか?

あるいは、「いや、畿内に屈してはいない。畿内に侵攻して大和朝廷になった。」という考えなら、
そのようにハッキリ宣言してください。



547 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:11:13
>>545
「○○があった」と言い出したほうが先に証明すべし

548 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:15:09
>>547

先も後もありません。

根拠を述べてください。

549 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:17:48
>九州勢力が、畿内勢力に屈服したのは事実。

逆のことを主張する考古学者はいません。

550 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:25:02
「九州の邪馬台国が、畿内に侵攻して大和朝廷になった」という考古学者がいるなら、
その人の名前を挙げてください。
誰々の説でも「根拠」になります。

もし、自分一人の考えなら、それでもいいですが、あくまでも「仮説」ですので、
仮説構築に至った理由を説明してもらわないといけません。

では、説明してください。
>サガミハラハラさん、(・へ・)さん。


551 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 21:41:07
九州が畿内に屈服したというより畿内と融合したのでは?


552 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:44:45
「融合」といっても、どちらかが優位な立場にあったはずですね。
完全に対等な融合というのは考え難いと思いますが?


553 :サガミハラハラ:2008/07/29(火) 22:49:41
>>541魏志倭人伝の最初のほう、郡から邪馬台国までの道順と道のりがかいてあります。
注意することは投馬国へ20日と水行10日陸行1月は不味国から投馬国への日数と郡から邪馬台国までの総日数です。

邪馬台国は勢力を弱め、290年ごろに大和朝廷(垂仁天皇)と連衡体制に入ります。事実上の消滅です。

神武天皇が奈良の一隅を占拠し、代をかさねるごとに勢力を拡大し、この時代に九州までその勢力を広げてきたのです。
単純な拡張主義とでもいいますか。

衰退の理由ですが、もともと邪馬台国を宗主とあおぐ北部九州はさして強力な勢力ではありませんでした。
熊本の狗奴国にてこずっていたくらいですから。
山口から福島まで征服した大和朝廷が勢いに乗って九州に進出してきたのに、武力で対抗できないと自覚したからでしょう。

>>550東遷説の学者なら、安本美典氏がおります。

554 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:54:51
>>543
>あとは、「なぜ2世紀に九州が屈したのか?」
>「なぜ、4世紀まで、九州が独立性を維持できたのか?」
>という議論を詰めればいいだけ。

先に、議論を進めれば、
「3世紀に、九州が独立していなかった」という証明は不可能。

つまり、邪馬台国九州説が存在する限りは、
邪馬台国九州説は崩れません。

畿内説を主張する場合は、コレにどう対応するかが問題です。
邪馬台国九州説が自然消滅するのを待つしかないでしょうが、それも望み薄でしょう。
徹底抗戦して無駄な時間を浪費するよりは、スルーするのが懸命でしょう。

九州説の方々は九州説を主張している限り論破されることはないでしょう。
「東遷説」や「九州王朝説」を追加で唱えない無い限り、九州説は安泰です。


555 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:57:44
>>553
サガミハラハラさん、
九州の邪馬台国が勢力を弱めていったと考えているなら、
あなたの主張は、理論的に間違っていません。

人生を邪馬台国研究に捧げてるようですが、あなたの人生は無駄にならないと思いますよ。


556 :サガミハラハラ:2008/07/30(水) 00:13:46
ありがとうございます。(涙)

557 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 00:57:41
>>540 (・へ・)

馬鹿馬鹿しい。

じゃあ進展したと言うのなら比定地をピンポイントで絞りこめたのか?

そもそも漢籍の解釈なんて基本的に明治時代に終わっている話w

榎で有名な放射説ですら実は1922年に出ている。




558 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 01:12:08
>>524 夏祭
>実際の高地性集落は、北九州側が攻撃して、畿内側が防御していたことを示している。

それを示す物証・考古学的資料はあるかな?
具体的に言えば瀬戸内や畿内の戦場跡で九州で製作されたと分かる武器が出てきたとか?

個人的には非常に魅力的な説と言うか腹案としては自分もそう思っているんだが・・・

どう言う形にせよ九州と九州以東との直接交戦があった事が立証されるなら
卑弥呼共立の切っ掛けになった「倭国大乱」に大和を中心とする首長連合の参戦を想定しやすいからねw

確かに高地性集落の分布を見れば瀬戸内や大阪湾周辺の密度に比して
九州の分布がまばらでありそこから「攻める九州、守る瀬戸内・畿内」と言うストーリーを紡いでしまいがちだろうが・・・w

仮説として
単に瀬戸内畿内のそれらの地域での農業生産の向上、それに伴う余剰の蓄積
その蓄積の奪取を目論んだ戦が頻発した。
で、九州はある程度クニグニの勢力の平衡状態が保たれていてそれが無かった。
・・・とかも成り立つんじゃないのかな?


559 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 13:43:09
素朴な疑問なんですが、もし、卑弥呼の古墳などという物があって、
実際には発掘調査されていたとして、何が出てくれば卑弥呼の墓と
特定できるのでしょうか?
親魏倭王印などが出れば決定だと思いますが、そんな明確な出土物が出る可能性は
きわめて低いと思われます。
また、8世紀以前で、明確に被葬者が特定できている古墳はどのくらいあるのでしょうか。

560 :夏祭:2008/07/30(水) 21:38:43
>>557
>榎で有名な放射説ですら〜
確か元祖は畿内説の学者だったな。
>>558
なるほどね。

561 :サガミハラハラ:2008/07/30(水) 23:03:56
>>552私がお答いたします。ピンポイントとはどのくらいなのかわかりませんが。
対海国ー対馬南島で都は小茂田浜
一大国ー壱岐島であり、南部の原ノ辻近くに石田町があるが、倭人伝の入港地都は北部の勝本である。
末ろ国ー唐津市であるが、入港地は西唐津八幡町でここに迎賓館があった。都は東部の鑑山方面で行路上にない。
伊都国ー多久市南多久町下多久である。はじめは延寿寺が政庁かとおもっていたが、寺の北200〜300mのところが政庁だったようである。
    まだ未調査なので今年中に確認にでかけたい。
奴国ー肥前山口の山口集落土元に都があった。
不弥国ー小城市小城町不二町に都があった。元町役場。
邪馬台国ー小城市小城町甘木 卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡
投馬国ー宮崎県西都市
狗奴国ー熊本県熊本市
その余のボウコクについては、資料が少なく都の比定はむずかしい。
斯馬国ー糸島郡のこと。後にイ土国と志登国に分けられた。
巳百支国ー旧三瀬村神有
伊邪国ー福岡県須玖珠岡本
都支国ー福岡市金武吉武
弥奴国ー福岡県三井郡
好古都国ー福岡の香椎町
不呼国ー福岡県岡田
姐奴国ー福岡県宗像
対蘇国ー対馬北島
疲れたのでここまで

562 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:45:10
てすと

563 :サガミハラハラ:2008/07/31(木) 12:50:14
考えてみれば、2ちゃんのメンバーもいれかわり、私の過去レスを知らない方が増えてきたようである。
そこで、恒例 邪馬台国小城甘木説の宣伝強化月間を始めたいとおもいます。

邪馬台国は佐賀県小城市小城町甘木です。
卑弥呼の墓は小城公園内桜ケ岡です。

564 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 13:43:18
実は朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦とハトムギのプラントオパールも
稲と同時に検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から、江戸期に
伝来したハトムギが5500年以上も前から栽培されていた事になってしまい、
改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

565 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 03:42:07
>>561 サガミハラハラ

とりあえず乙。

しかし見たところ「その余のボウコク」については地名の一致にも拘っていないみたいだが?
それとも旧い地名だと一致を見るのかな?

しかし、何れにせよ、そのクニグニが一つの連合を形成していたと言う痕跡を何に見るのか?と言う問題だな。
(具体的に言えば共通の「威信財体系」や「祭祀形態」等)

実際単に地名の一致ぐらいなら九州や畿内でなくとも何処でもできるだろう。

ちなみにその昔、内藤湖南は近畿の各地でそれらのクニグニを当て嵌めて見せた。
(面白いのは伊勢地域が幾つか挙がっていたが、
 多分、湖南が卑弥呼を伊勢神宮の初代斎宮 倭姫 に推定している事と関係しているんだろう。)

無論、同時代の九州説の学者も九州の地で同じような事をやっている。

恐らく現在のネット上でも探せば腐るほどに諸説飛びかっているだろう
はっきり言ってさほど意味が無いw




566 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 03:51:13
結局の話・・・

九州邪馬台国その物の遺跡が出てこないのは、まあ良いだろう。

確かにそれが残っている保証は無いし、九州の都市の真下に埋まっているのかもしれない
(ビル群の真下なら基礎工事で破壊されただろうしw)

纏向とて最初は幾つかの集落群としか考えられていなかったんだし
遺跡が出ていない事を以って畿内説の優位を説くのはフェアじゃないだろうw

しかし、じゃあ邪馬台国を中心にした一種の 「勢力圏」「文化圏」 は果たして何に見るのかと言う話がある。

これが無いのが実は九州説の今日の衰退の元だろうw

ぶっちゃけ纏向遺跡が出ていようがいまいが今日の畿内説と九州説の優劣に変わりは無いと思うwwww

567 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 03:53:44
纏向は市場の跡だから。

568 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 03:56:36
纏向には、集まってきた職人達の集落もあるし
技術と商売のあつまりなんだよな。今の畿内とそうかわらん。

だから、あんな大きな場所なのに祭器場もない。が
巻向市場から全国に散らばった品物がたくさんあるな。



569 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 04:27:51
>>567-568

いつもの「纏向=巨大市場」説かw

まあ時代がもっと下って貨幣経済が発達し商人と言う階級が活躍する時代にならともかく
邪馬台国の時代、各地の文物の移動と各地の首長の政治的思惑とが
別の物と言うのは、はっきり言って無理筋だなw

祭祀場というのなら前方後円墳自体が祭祀の場であっただろうし
市場に大型古墳が要るのか?w
市場からの上がりの利益で古墳造営をしたとでも?www






570 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 08:20:54
>>568
> 纏向には、集まってきた職人達の集落もあるし

どこに?

> 技術と商売のあつまりなんだよな。今の畿内とそうかわらん。

ふーん。

> だから、あんな大きな場所なのに祭器場もない。が

有るよ。

> 巻向市場から全国に散らばった品物がたくさんあるな。

例えば?

571 :夏祭:2008/08/03(日) 08:23:49
よく「奈良の東に海があるのか?」と言われるが、
昔の地図で見られるような、九州を中心に90度回転している地理感で考えると、
確かに奈良の東には海がある。
まあ、その前にあの地理感が3世紀以前からあったことを証明せねばいかんのだが。

572 :(・へ・):2008/08/03(日) 08:26:46
>>570
>どこに?

畿内説者の頭の中に。

573 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:04:47
>>571
>確かに奈良の東には海がある。
どこに? 倭種が住む所とはどこ?


574 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:45:20
>>573

じゃ、侏儒國は?
九州説だと身長4尺の人の国の説明ができるの?

575 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 09:53:08
>>574
伝聞に基づく記事ですから、人の身長はどれだけ正確に伝わっているか、問題ですね。
しかし、東に倭種の人が住む陸があること、これはそれに沿う事実がないといけません。


576 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:03:08
考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。

 畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。

なんせ考古学板逃げてきた奴らだから仕方ねーw 

577 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:07:46
>>575

> 伝聞に基づく記事ですから、人の身長はどれだけ正確に伝わっているか、問題ですね。
> しかし、東に倭種の人が住む陸があること、これはそれに沿う事実がないといけません。

倭種も侏儒も倭人伝の記載としては同等でしょう。
侏儒が「伝聞」の一言で片付けられるのであれば、倭種もまた同じこと。
何の理由も無く、片方はOKでもう片方はダメと言うのはダブスタ。


578 :569:2008/08/03(日) 11:20:31
>>576
ほう。

じゃあ纏向が市場だと言う明確な考古学的な根拠は?

考古学上明らかと言うのなら、きちんとした根拠を持ち合わせているんだろうな?


大体あの大溝とて舟運に使ったかどうかも分からないと思うのだが?
船着場の跡が出てきたなんて話も聞いた事が無いし。


ちなみに俺は考古学板に書き込んだ覚えも無いがw

アホは特殊な電波をキャッチするアンテナでも持っているのか?www




579 :569:2008/08/03(日) 11:25:33
>>576

それと・・・

 「 祭 器 場 」 って何なんだ?

祭祀場ならニュアンスとして分かるが・・・


初めて聞いたが、念の為ググっても一件もヒットしなかったが?

それも考古学用語なのかな?
後学の為教えてもらえないかな?w




580 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:37:55
>>572

(・へ・)さん、すっとぼけてないで、
九州の邪馬台国がその後どうなったか答えてくださいね。

サガミハラハラさんと同じで、畿内の大和王権に屈して消滅したということでいいですか?


581 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:45:36
>>578
君は考古学板にいったこともないから知らないんだなwwww
考古学で語りたいなら専門の考古学板で出直して学んできな。

なんせ畿内説は考古学がどうこう言ってるくせに
実はここの日本史板で言ってる考古学なんて妄想ばっかで学問ではない。
だってあっちじゃ専門家に全部論破されてタジタジだもん、どのスレも。

畿内説が考古学ばっかいうから行ってみたらwww まさに
正体みたり枯れオバナw ここでいう考古学っていうのは奈良の4流私立の
アフォ学生どもだよ。偏差値35とかじゃね?ww


582 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:49:12
纏向では古墳が祭祀場といってる奴って、
奈良に海があって東に別の倭人の国があると言ってる奴と一緒だろうな。
すげえな。


583 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 11:58:42
>>581
結局、根拠の一つも言えない妄想だけの馬鹿か・・・
まあそんなもんだろうとは思ったがwww

この板で自分から喧嘩吹っかけて、返り討ちで泣かされて、悔し紛れに
「お前なんか考古学板じゃあボロ負けだぁ」
とほざいているだけだなw

考古学板に纏向が市場で決着したと言うのならコピペでも良いから持ってきてみ?
グダグダ負け犬の遠吠えする前に・・・


実際、纏向の性格(?)に付いては今後の発掘調査による・・・と言うのが実情だろう。
大和川水系下流(八尾市あたりだったかな?)に政治的な中心を想定する学者もいるらしいし・・・





584 :夏は暑いから嫌い!:2008/08/03(日) 12:10:44
>>582
> 纏向では古墳が祭祀場といってる奴って、

貴方的には、古墳って「祭祀」と全然関係無い施設なのですか?
普通ならそこで「祭祀」が行われないなんて考えようも無いですが・・・
それに纏向には「古墳」以外にも土溝タイプの祭祀遺跡が有ります。
それに、掘立柱建造物群も祭祀遺構だと言われて久しいですが。

> 奈良に海があって

「奈良」に海は有りません。
そんなこと言う(これを捏造といいます)のは貴方ぐらいでは?

> 東に別の倭人の国があると言ってる奴と一緒だろうな。

もしかして、貴方、侏儒は伝聞だからどうでもよくて、倭種はそうじゃないとか言ってる人と同じ方でしょうw

「女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王四千餘里。」

これ一連がりの文章ですよ。
どう読んだら片方だけ「伝聞」になるのでしょうか?
「又」と言うのは、同等のものを併記するときに使われる接続詞ですよ。

> すげえな。

貴方が。


585 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:15:33
>>583
とりあえず自己紹介乙wwww
こっちの纏向スレの方が有意義な議論がされてるな

586 :585:2008/08/03(日) 12:16:58
ああ、すまん
>>585>>582へのレスね

587 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:17:04
なんかここの畿内説図星だったみたいだな。どんどん壊れてる

588 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:18:57
市場の一言でここまで壊れるとはね。
すべてが崩壊って感じww

589 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:20:58
市場って言ってる奴は九州説だろ

590 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:26:47
>>589

この人ですね。

>>576 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/08/03(日) 11:03:08
>考古学じゃ巻向は市場だって明らかなのに、畿内説は必死だな。
>
> 畿内説では祭器場がないので 巻向では 古 墳 が祭器場になるんだと。

それと「祭器場」って造語を広めてるのも同じ人ですね。
きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

591 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:27:05
考えてみりゃ纏向の前方後円墳は造営が終わった瞬間から
人が立ち入る事が無く、継続的な祭祀も行われなかった。
・・・とするほうが畿内説には案外有利かもなw

そうすれば古墳内や周辺から出てきた板材の年輪年代は
そのまま築造年代に結びつく可能性が高くなるwww


で、>>576君、纏向が市場であると言う考古学的根拠の提示忘れるなよw
あと「祭器場」なる用語がお前のオリジナルなのかも教えてくれwww

断っておくが「考古学」と持ち出したのはお前なんだからな。

夏休みの宿題はまだやらないで良いだろうから早いトコ頼むwww



592 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:28:30
纏向=邪馬台国にしたい人間だけが考古学板には近づきもせず
この日本「史」板にやってきて考古学の話で巻向を語ろうとしている。

これが哀れな日本板の邪馬台国論者畿内説軍団たち。

593 :579:2008/08/03(日) 12:28:52
>>590
>きっと「祭祀」を「さいき」って読んじゃったのねw

な、なるほど!

それは気がつかなかったwwwwwwwwwwwwww


594 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:37:19
考古学板の邪馬台国スレってどれだよw



595 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:37:48
祭器場クンは泣きながらお昼寝しちゃったみたいだなw

596 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/03(日) 12:42:15
畿内説の場合、どうしても山陰道から来て南下する以外ない。そうなると琵琶湖
があるわけだが、こんなことは倭人伝には書いてないだろう。畿内説成立は
とても無理。記紀に独立した記述もないし、伝の借り物以外記述は0だろう。
畿内に女王国がなかったからだ。記載あれば記紀に女王が一章挿入される。

597 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 12:50:53
>>596
>畿内説の場合、どうしても山陰道から来て南下する以外ない。

何で?

>そうなると琵琶湖があるわけだが、こんなことは倭人伝には書いてないだろう。
>畿内説成立はとても無理。

何で?

>記紀に独立した記述もないし、伝の借り物以外記述は0だろう。
>畿内に女王国がなかったからだ。

>記載あれば記紀に女王が一章挿入される。

何で?何で」?

一つも理由が無い三段論法と言うのは滑稽ですよ。

598 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 12:56:47
まっ、「祭祀」を「さいき」って読むような香具師に
考古学がどうの語られても説得力ゼロiなわけで(笑)

599 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/03(日) 13:29:07
>>597
古代史ボクシングで審判を武器にするなよ。お前は古代史論のフック、アッパー
とかを使って選手でやってこい。なにが三段論法だ〜。ww
もう一度考えて出直してこい。お前が審判兼選手ではお前に全部採点が行くのは
当たり前だ。そうやんないと勝てんのか〜?www

600 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:32:11
巻向古墳が祭器場wwwwwwwwwwwwwwwwww

601 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:35:12
スレの題名にいかにも
ふさわしい内容ですな。

602 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:41:12
「祭祀」を「さいき」って読むような小学生に市場といわれただけで
狂ってしまう畿内説の考古学って何?


603 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 13:42:42
>>599

そう言う貴方は、ローブローが専門でしょう。
文句が有ったら>>597の「何で?」に全て答えてください。

貴方から返ってくるであろう逆質問にはあらかじめ応えておきます。

Q 記紀に邪馬台国の記述が無いのは何故か?

ハイ、記紀の編纂時には、邪馬台国時代の伝承はほとんど残っていなかったからです。
また、記紀編纂時の日本には魏志倭人伝は伝来していましたが、
日出処の天子の国が、交渉相手の承前国の臣下であった事実は認められるものではありません。

604 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 13:45:25
>>602
> 「祭祀」を「さいき」って読むような小学生に市場といわれただけで
> 狂ってしまう畿内説の考古学って何?

具体的に「祭器場」クン登場後のどのレスが「狂ってしまった」レスですか?
もしかして、有りもしないレスが見えてしまうのは、貴方が・・・・

605 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:48:06
>>600-602

もういい。
もういいんだよサイキバ君

    。・゚・(ノД`)・゚・。


606 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:48:13
ID表示欲しいよな
たぶん九州説の人どうしで殴り合ってただけと思うが

607 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:51:48
>ハイ、記紀の編纂時には、邪馬台国時代の伝承はほとんど残っていなかったからです。

記紀の編纂時には、国内で邪馬台国の伝承などなかった。当たり前だな。
数百年前になくなった国の伝承などあるわけない。
魏志倭人伝は読んだが大和朝廷とは別の国の支配層がでてきて困る。

>日出処の天子の国が、交渉相手の承前国の臣下であった事実は認められるものではありません。

聖徳太子の交渉相手国は隋。邪馬台国の相手は魏。 


608 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:51:51
>>606

まったくだ。

609 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:53:06
>>607

>魏志倭人伝は読んだが大和朝廷とは別の国の支配層がでてきて困る。

困って無いだろ?

わざわざ神功皇后を卑弥呼にあててるじゃないか。

610 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 13:56:07
大和朝廷初の遣隋使(第一回600年)は儀礼に疎く追い返されて
日本書紀には乗せられなかった。
それまで中国に謁見していた倭の王達とは全く別のお上りさん達@大和朝廷



611 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:01:46
>>609
当ててない。
神功皇后と卑弥呼は明らかに別物。
どこの頭つかって巫女の女王を、皇后に当てるんだ。
しかも夫がいて、妊娠するし。

倭人伝を編纂したのが帯方郡にいた高官なのに、日本書紀では
卑弥呼が朝鮮出兵したと書くのか?w(神功皇后の三韓征伐)



612 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:03:40
>>610

そうそう、だから「東遷説」は成り立たないんだよね。



613 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:05:29
>>611

そうそう、日本書紀は、神功皇后が九州の邪馬台国を征伐したと書いてるんだよね。


614 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 14:10:15
>>607

> >日出処の天子の国が、交渉相手の承前国の臣下であった事実は認められるものではありません。

> 聖徳太子の交渉相手国は隋。邪馬台国の相手は魏。

そんなことは、皆知ってることですが、それが何か?

615 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:12:15

東遷説がどんどん追い詰められてて笑う。wwwww

616 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:12:27
もし倭人伝の卑弥呼を記紀の神功皇后としたら矛盾だらけ。
女ってこと以外にどこに共通点がある?
巫女と妻。

あと倭人伝には三韓征伐が全く触れられてない。この時点でアウト。
朝鮮半島に高官を置いている中国がどうして気にしてないんだよ。

大和朝廷は第一回遣隋使から中国に奉献して中国の文化を必死で吸収していき
仏教までとりいれるっていうのに、倭人伝で「倭の王」の印を授かったことは
なかったことにするか?それが天皇家だったら大いに記述されているはずだがな。

617 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:15:16
>>614
非常に頭が悪い>>603がわかってないから説明してあげてるんだよ。
聖徳太子は隋が相手で、邪馬台国が臣下したのは魏だと
全くきづいてないからな。

618 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:28:39
>>615
東遷説なんてどこにもないが。君の頭の中にこびりついてる以外ねwwww


619 :夏祭:2008/08/03(日) 14:45:24
>>618
安本美典や和辻哲郎を知らんとはね。
九州説の中でも有名な説だよ。

620 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 14:59:11
シラキの第7代王(キミ)の時代に、ケリン(辰韓)との戦争が始まったようだ。

■古代カラにおけるシラキ王統と、その敵=ケリンの王統

―−−【シラキ王統】――【ケリン王統(金氏)】
 初代−稲飯命
 2代− 鋤命
 3代−受利命(日本に帰国)

以後は、
シラキ日本府の長官。
       
 4代−ダケ公(ヤマト朝廷が派遣)
 5代−ハサ公
 6代−キマ公
 7代−イセ公      初代王−金・閼智王(キム・アルジ)[ケリン国=辰韓を建国]
 8代−アタラ公     2代王−金・勢漢王(セハン王)
 9代−バキュウ公    3代王−金・阿道王(アド王)
10代−ナケ公      4代王−金・首留王
11代−ジョフン公    5代王−金・郁甫王
12代−テンケ公     6代王−金・仇道王
13代−ジュレ公     7代王−金・味鄒王(ミチュ王)
14代−キリ公      8代王−金・末仇王
15代−キケ公      9代王−金・奈勿王(ネムル王)[国号をケリンからシラに変える]
            10代王−金・実聖王(シルソン王)
            11代王−金・訥祗王(ヌルジ王)[金奈勿の息子]
           <以後、金氏の王統が続く・・・>


621 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 16:35:25
>>619

もはや過去の遺物。
おまえは、東遷説を信じてるわけ?

622 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/03(日) 16:49:19
>>603
じゃぁ他に北九州から南下して、畿内にあるといいたいその女王国に行く大筋の
方法があるのかね? だいたい魏志倭人伝を読んでるはずのお前が余の書きこみを
理解できぬわけがなかろう? あれしか不都合が少ない行き方はなかろうが? それ
でも他に矛盾無く到達できる道筋があるのか? 聞きたいもんだ。矛盾なくあるん
なら撤回するよ。ただその行く方法でも琵琶湖らしき記載もないし、その道筋
でもまだ不都合があるだろう。

紀の書きこみは伝承もあったろうが、原書群だよ。紀成立時より以前の出来事を
無にならないように書きこんである原書群だから、女王国が畿内にあるなら
独立した記述が満載されますよ。それが無いんだから、これだけで女王国は
畿内にあったというわけには行かないよ。

今度は審判論法でないようだが、審判兼選手をするなよ。ハンドボールを思い
出してしまうぞ。

623 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:09:32
>>622

>審判兼選手をするなよ

意味不明なルールを勝手に決めるな。

だいたい、選手って何?
邪馬台国は九州か畿内か、結論ありきでどちらかの選手になれと言ってるのか?
バカバカしい。

3世紀に九州勢力が衰えて、畿内勢力と融合したという、
考古学上の歴史の事実はすでに明らかになった。

邪馬台国と呼ばれた国が、九州にあろうが畿内にあろうがどっちでも構わない。
九州、畿内、他、どこでも好きなほうを邪馬台国と呼べばいいだけだ。




624 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:18:30
>>623
変な奴に喧嘩ふっかけるなよwwww
ねちねちしつこいぞwwww

625 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:23:09
>>619
そんなもの必死で読んで
畿内説ブッコいてるわけかw

626 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 17:40:11
>>623
>3世紀に九州勢力が衰えて、畿内勢力と融合したという

4世紀でも早すぎるぐらい。5世紀でもいいぐらいだな。


627 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 18:57:38
神功皇后の墓とされている五社神古墳ですが、
建造は4世紀半〜5世紀。しかもハニワの家みたい。

卑弥呼とは違うのは当たりまえです。
しかし記紀の編纂者は魏志倭人伝を読んで、この女王に匹敵するのは
神功しかいないということで無理やり100年ぐ%E

628 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 20:07:07
>>617

>>603を読んで

> 聖徳太子は隋が相手で、邪馬台国が臣下したのは魏だと
> 全くきづいてないからな。

こんな感想が出てくるようで「非常に頭が悪い」のはキミのことじゃないかな?

629 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 20:15:11
>>622

> じゃぁ他に北九州から南下して、畿内にあるといいたいその女王国に行く大筋の
> 方法があるのかね? だいたい魏志倭人伝を読んでるはずのお前が余の書きこみを
> 理解できぬわけがなかろう? あれしか不都合が少ない行き方はなかろうが? それ
> でも他に矛盾無く到達できる道筋があるのか? 聞きたいもんだ。矛盾なくあるん
> なら撤回するよ。

北九州から「南下」したら山陰経由にならでしょうw

> ただその行く方法でも琵琶湖らしき記載もないし

要するにこのフレーズを思いついたから「日本海ルート」が一番マシとしたかったでけでしょ。

> 紀の書きこみは伝承もあったろうが、原書群だよ。紀成立時より以前の出来事を
> 無にならないように書きこんである原書群だから、女王国が畿内にあるなら
> 独立した記述が満載されますよ。
> それが無いんだから、これだけで女王国は畿内にあったというわけには行かないよ。

それには、もう回答済みだからわざわざ書かなくてもいいのにw


630 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 22:40:24
6世紀後半、大和国は隣接する播磨国を、まったく併合できていなかった。
大和の国にとって、播磨の国は全くの外国。
7世紀における、大和の全国支配など夢のまた夢。

631 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 22:53:55
>>630
その妄想の根拠をどうぞww

632 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 22:57:08
大和国の仏教初伝は、播磨国から伝わりました。
6世紀後半のことでした。
これで、もう畿内説ダメじゃん。

633 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:03:59
>>630
なるほど。播磨竜山石は外国からの輸入品だったのか。

634 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:06:00
法隆寺も九州からの移築です。

635 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:10:28
しかし、この板の九州説って九州王朝説論者しかいないのか?


・・・もう末期だなwww

636 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/03(日) 23:18:27
>>629
>北九州から「南下」したら山陰経由にならでしょう

意味不明? 「山陰経由にならんでしょう」の脱字なのか?
それとも「山陰経由に奈良でしょう」なのか?

この暑さのせいでお前は頭がおかしくなってるのか〜??ww
北九州から南下してもそこから東に、東北方面に行けば、それは畿内
に到達はするよ。倭人伝はそんな意味の記述ではなかろうが。

お前畿内説か〜?

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・

637 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:35:15
>>634
その説は否定されたはずだがまだ妄想してるやつがいるのかwww

638 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:36:16
このイカレタ 太国 とか言うコテの論なんざあ
もはやこの板でまともに聞いている奴は居ないんだろうがw

このアホの言い分だと
九州邪馬台国は半島から北九州を経て畿内に至る
ヤマトにとって常にその動向を気にしていた地域に無かったから
記紀に記述がないという事だが

その九州南部にあった邪馬台国が如何に小さかろうが辺鄙の地にあろうが
30ヶ国の連合体を形成し、一大卒を置き検察していたと言うのだから
その動きを分からなかったと言うのは、やはり狂人の妄想レベルwww



639 :夏は暑いから大嫌い!:2008/08/03(日) 23:39:51
>>636

> 北九州から南下してもそこから東に、東北方面に行けば、それは畿内
> に到達はするよ。倭人伝はそんな意味の記述ではなかろうが。

九州説論者に有るまじき原文改定ですな。
まあ、スタート方向だけが南向きならokと言うルールでも不可能でしょう。
北部九州には南に開いた湾口が無いですからね。

640 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:48:30
南水行ができるのは有明海沿岸だけ。

641 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:51:14
まあ九州王朝説のアホの手口だなw

邪馬台国のスレで法隆寺移築の話を吹っかける。
それがダメなら別の話。
とにかく九州王朝が滅亡したと思っている7・8世紀頃までの話なら何でも良いw

とにかくあっちを突つきこっちを突つきのゲリラ・テロ戦法ww

まあ九州王朝を本気で証明したかったら九州で地道に発掘調査でもして
さぞかし壮麗であったろう九州王朝の都跡でも掘り出しなさいって話でwww

九州邪馬台国は何処ですか?
大宰府の地下掘ったら九州王朝の都が出てくる?

ホレホレ詐欺ですか?wwwwww



642 :日本@名無史さん:2008/08/03(日) 23:55:53
まあ、夏祭の妄想や畿内説みたいな酷さはないが。

643 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:02:43
海で倭人が沈没できるのは、大和国じゃなくて筑紫国

644 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:10:27
共立という点においては今のところ畿内にしかみえないな

645 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:15:34
意味不明

646 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:31:59
王宮のない大和には、邪馬台国などありえない。

647 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:38:40
東遷説はどこいったんだ?

九州王朝説にも論破されて泣きながら退散したのか?

648 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 00:39:09
>>646
九州のどこに王宮があるの?

649 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:00:16
九州にはたくさんあるでしょ
畿内にはないけど

650 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:02:55
代表的なのが都府楼跡だよね。

651 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:04:38
>647

東遷説の夏祭は、九州王朝説に論破されて、泣きながら退散しました。


652 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:08:04
>>649
具体的に遺跡の所在地と年代を列記願います。

653 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:12:20
>>650
やっぱり大宰府を持ち出してきたなwwww

>>651
夏祭は東遷説があるよって紹介しただけで別に東遷説論者じゃないだろう

654 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:25:09
土器編年で九州のC14が待たれるなあ。
畿内由来の土器編年で、九州の出土物の年代判定がグチャグチャだからね。

畿内には王宮がないし、邪馬台国の特徴、倭錦も出てこないよね。
もう、畿内説、ダメじゃん。

655 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:28:38
とっくにわかり切ってることなんだけど
未だに歪んだ心でしか現実を見ようとしない人たちがいるんだよ
具体的とかすぐ言うけどそんなのテメェで調べろって話だしね
見たくないもの、都合の悪いものは悉く知らない、と決め付ける手口

656 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:29:17
>>653
東遷説が紹介するに足りる説なら、エジプト説も紹介してほしいなあ。



657 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:35:16
>>655
調べたけど分かりませんでした。
この際無学なわたしにご教示いただければ幸いです。

658 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:49:19
まあ九州王朝説のアホどもに
「具体的にその都の位置と年代を出せ」なんて言っても無駄w

曰く・・・
「大宰府の地下を掘ったら出てくる!」
邪馬台国九州説の中では
「宇佐八幡の地下を掘ったら卑弥呼の墓が出てくる!」
なんてのもあったなwww

例えれば昔の
「○○スペシャル密林に幻のUMA××を追う!」と同じで
最後は
「我々の今回の調査では捕獲できなかったが確かにその存在を確信した!
 今後の調査で新たな情報が入り次第、諸君に報告する!!」
で終わりw

勿論、その後は音信不通になるんだけどwww






659 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 01:53:33
>>655
そうやって同じ事を何度も何度も繰り返すw

いつか自分のハッタリに参ってくれる鴨を探してwww

根拠・ソースがあれば提示すればこの場にいる九州王朝説否定論者を一発で黙らせる事ができるのにw



660 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 02:19:12
邪馬台国の王宮は、何度か移転してると思うぞ。
しかも「畿内の土器編年」のお陰で、都府楼跡の地層は
時代が飛んでいることになっている(笑

掘る前にC14で測定したほうが言いと思うぞ(笑

661 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 02:54:45
>>622
地図そのものが近代とではちがうんじゃね?昔の地図から方角をとらないと駄目だぞ?

662 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 03:08:24
>なぜ邪馬台国を大和と認めないの?

九州王朝説(狂)信者
「バカヤロウ!栄光の九州王朝はなあ7世紀頃までは続くんだよ!
 3世紀の邪馬台国が九州に無かったなんて認められるか!!」

             ヽ(`Д´)ノ

663 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 11:05:18
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

664 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 15:58:39
>地図そのものが近代とではちがうんじゃね?昔の地図から方角をとらないと駄目だぞ?

逆じゃない?
普通現地で東西南北を調べてから地図を作ると思うんだけど
太陽見れば一発だし

665 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 22:55:05
>>664
>太陽見れば一発だし

地図を見ながらの山歩きとかハイキングした事ないだろう?w

666 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:43:31
 箸墓発掘してなにがでてくるとおもっているんだ。
江戸時代まではあそこは出入り自由で、ほとんど盗掘されているはずだが。

667 :日本@名無史さん:2008/08/04(月) 23:53:26
倭錦の出ない大和では、邪馬台国も卑弥呼の墓も見つかるはずがない。
盗掘されていなくても、卑弥呼の墓じゃないことがはっきりするだけ。


668 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 14:24:04
大宰府の遺跡のことも何も知らずによく言えるな。
あそこは飛鳥京より大きいというのに。
この考古学の無知さが詭弁だけの畿内説。

仏教伝来の歴史も知らずに馬鹿かw 詭内説さすが


669 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 15:00:04
>>665
意味不明

670 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 16:35:09
>>668
コイツが一番の馬鹿w

671 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 19:34:24
>>662の方が妄想も馬鹿さ加減も半端じゃないww


672 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 22:30:20
>>668
結論と罵倒と無知で構成されているのが、
最近の2ちゃん内の九州論者。

673 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 22:52:16
同意。激しく同意。

674 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:33:27
>>583
130回以上発掘しているんだから、せめてそれなりの結論は出せるだろ。

現状で言えることは、人が居住して生活した痕跡が皆無に近いこと。
特に炊飯をした痕跡はまったく出土していない。
建物の密度が低すぎて都市とはとても言えないこと。
建物の規模は小さいものばかりなので、権力者の居住地域ではないこと。

この状況で各地からの土器が集まっているということは、「大市」と呼ばれていた
市場の跡地であろうというのは、当たり前すぎる結論だな。

「マキムク都市論」とかはトンデモ度が高すぎてついていけん。

675 :日本@名無史さん:2008/08/05(火) 23:40:05
マキムクに王都なし。
畿内説ダメじゃん。

676 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:02:21
>>674
土器が勝手に歩いてきたのだろうか?

677 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:10:35
人間はどこにでも住んでいたというだけだね。

678 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:37:15
>>674
お前さんは多分>>576>>581の通名サイキバ君wとは別人かな?

ひょっとして「○○ですが」の中の人かな?w

まあ纏向をそれこそ巨大フリーマーケットのスペースのようなモンにして
そこに権力があったなんてことを認めたくないんだろうがw

じゃあ「大溝」だの「前方後円墳」だの市場機能に関係無いものを
どーやって説明すんのよって話だよwww





679 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 00:45:48
>>668
大宰府が現在の地表部分の遺跡が第三期であり
地中の二期一期の構造物がC14測定で予想より古かったとしても
それが倭国を支配した九州王朝の首都と言う事にはならんぞ?www

畿内の宮じゃあ板葺きだったのに先駆けて瓦葺だったとしても然りw

まあ迎賓館が首相官邸より立派なんて話は何処にでもあろうって事でwww

素朴な疑問としてだな、、、
じゃあ倭国の首都大宰府近辺から九州の王の名を記した
或いは日本各地に出した詔を記した木簡とか出てないのかよ?wwwwwwwww


680 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 01:37:23
>679
「畿内マンセー土器編年」が滅茶苦茶電波でしたって話でしょ。
まあ、金印と阿蘇山を畿内から探して来い。話はそれからだ。

681 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:24:41
内容の無い書き込みばかりして
罵倒とwwwwww の繰り返しでしか反論できない人が常駐してるんだが。

そいつが巻向論者。そんだけ。

682 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:28:44
マキムクは巨大フリーマーケットだったんだって。

683 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 02:49:00
九州王朝のアホは「金印」「阿蘇」等々の単語をアホのように繰り返すのが特徴だなw


しかし例えば「金印」「金印」と繰り返せば繰り返すほど
自身がほざく邪馬台国九州説が薄っぺらいものかを物語っているかにも気づかずwww
(無論7・8世紀頃まで続いた九州王朝なんて夢のまた夢www)

金印を下賜された奴国王の時代九州の繁栄は考古学的にも確認できようが
じゃあ「親魏倭王」印を下賜された九州邪馬台国の繁栄は何処に見るか?
無論邪馬台国一国に留まらずもっと広い地域にその影響が見られるはずだ。
少なくとも邪馬台国と連合した30ヶ国には・・・


つまり「漢委奴國王」印に比べ 「親魏倭王」印は全くご利益ありませんでしたよ・・・と言う笑い話www










684 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:09:07
そもそも畿内説で纏向遺跡単体で邪馬台国と言う一つの”クニ”なんて考えている学者がいるのかってのが疑問だなw
大体がもっと広く大和川水系一帯を想定してるんじゃないのか?
現実問題、纏向にいたであろう祭祀関係者らを食わせにゃならんわけでwww

このスレでやたら
「纏向は人がいないから都じゃない、つまり邪馬台国じゃない」
と強弁している連中とはそこらへんの認識から違うのだろう。



685 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:30:25
6世紀後半、大和国は播磨国を支配できていなかった。
そんな大和国が邪馬台国だったわけないでしょ。
畿内説ダメじゃん。

686 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:38:31
卑弥呼・壱与のあと、倭の五王の時代があった。
極東支配の将軍号・大将軍号を中国からもらっていた。
ほとんど鉄器が出土しない畿内は極東の支配など不可能。

687 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 03:59:53
鉄器厨が来ました。

>>686

でも、結局、倭の五王の時代以後、鉄器が少ない畿内が、鉄器の多い九州を支配してますよ?

どう説明するおつもりで?


688 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 09:54:10
結局文献でも物証でも畿内ダメってことじゃんw。

689 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 09:58:36
『申し訳ございません。邪馬台国はありませんでした。』

690 :サガミハラハラ :2008/08/06(水) 10:25:35
そうです。畿内説はどうにも成り立たないのです。倭人伝の記述がまちがっているとしたうえでの畿内説なのです。
それでいて邪馬台国の表記はまちがっていないというのですから、おもしろいものです。

邪馬台国は佐賀県小城市甘木です。卑弥呼の墓は小城公園内桜ヶ岡(本来は桜岡サクラオカ)です。

691 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 11:34:51
>687

畿内は九州の支配下でしたがなにか?

692 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:11:19
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

693 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 12:51:13
米が初めて伝わっても、列島流の機材で料理しました。以上、終わり。

694 :夏祭:2008/08/06(水) 14:33:49
>>681
朱に交わって赤くなっちゃった。
嘆かわしいことだ。

695 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:12:18
水田稲作と同時に伝わった甕はそれまでの列島になかった新器種ですが何か?


696 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:25:52
>>687
それ以降っていうところに何も疑問を感じないところが
おめでたい馬鹿

697 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:31:02
『その通りです。申し訳ございません』

698 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:32:16
ここで「金印」を執拗に言っているのは
畿内説の人間だけだよね。

>>684
馬鹿丸出し、しかもwwwwwww連発でなぜか必死。
こういった中身は何もないけど九州を罵倒すれば筋が通る
と思っている畿内説を書けばかくほど自分を貶めているのに
気づかないのだろうか。




699 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 16:38:32
巻向は掘りつくしても人が住んでいた痕跡がない。

これでネタも切れたし、資金ももう望めないね。
金を集めるために、ここで展開されているような詭弁しか
できない。


700 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 18:36:09
倭人の特徴は、海に沈没すること。
マキムクでは海に沈没できないから、邪馬台国じゃないね。
畿内説は無理だな。

701 :日本@名無史さん:2008/08/06(水) 22:49:58
>>684の中のどの部分が九州を罵倒してるのかさっぱりわからない


702 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 00:31:11
>>690 サガミハラハラ

ほう、じゃあ小城市甘木は魏志倭人伝通りなんだろうな?w
その人口=七万戸で卑弥呼に仕える奴婢だけで千人の宮があって
小城公園内桜ヶ岡にあると言う卑弥呼の墓は奴婢百人の殉葬の跡が見られるんだろうな?w


出来の悪い九州説のいつものパターンになると予想するw

畿内説を否定するに魏志倭人伝との違いを強調するが
いざ自説になれば色々理由を付けてその内容を平気で変更する。

まあ現実の地に邪馬台国を求めない脳内邪馬台国なら何の矛盾も無いんだろうがwww




703 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 00:42:04
畿内説は問題にならないが、北九州説にも無理がある。矛盾がでないのは南九州だけ。

704 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 00:45:22
南九州からは、倭錦が出ないから失格。

705 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 00:48:12
で、「纏向=市場」説を必死に強弁している奴は

「じゃあなんで市場に大溝だの古墳だのが必要なのか?」
と言う素朴な疑問に答えてくれないのかな?w

まあ真っ先に突っ込まれる事項だと思うんだけどなあwww



706 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:03:44
>>703
賛成〜〜 自分に言わせると熊襲を除く中南部東海岸。

甘木って倭人伝にある女王国に属す国の一つだろ。
自分にいわせりゃ遺跡があるからってだけで詭弁つかって
無理やり邪馬台国にしようとしている人たちと全然変わらない。


707 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:11:50
>>705
市場説と唱える人間はここだけで複数いるのは確か。
一説を唱えているだけなのに、「必死wwwwwに強弁wwwww」しているのは
それを端から否定したい「邪馬台国畿内」説者だろ。

しかも、そいつは文章から一人だとわかるね。
いつも必死なのと教養のない文章とwwwwwwの使い方でね。

それにしても市場説を完全否定するとは大胆だな。
本当に考古学やってるのか?

「古墳が必要」って変な言い方だな。
古墳をつくる場所に人は生活しないよ。
せいぜい古墳に駆り出された奴隷だとか。

708 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:19:04
卑弥呼の時代、魏では「薄葬」が一般化した。
こんな時代に、国を挙げて古墳作りに熱中したような国は邪馬(壱)台国じゃない。
だから、畿内が邪馬台国などありえない。

709 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:34:04
>>704
倭錦というが、弥生後期の倭錦がどこから出ているかな?
そんな遺物として出にくいものを考えても意味はないね。

710 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:43:35
西都原古墳群 (宮崎県中部)
3世紀〜7世紀 初期は邪馬台国と全く同時代。

未発掘が最低でも310基 
すべて宮内庁管轄。

記紀で比定されてる陵を覆い返すのか?
それとも載ってない誰か?多すぎるよね。

一体誰だよw 記紀に載せられなかった大勢の誰か。

711 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 01:49:51
倭人伝に載ってた国々の王族の墓じゃね?
金印やら見たこともないような宝物やら鏡が
続々出てきたら日本古代史困るよね。

でもいい観光アピールにはなりそう。
高速道路だってどんどん通っちゃう。

712 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:02:01
>709

C14で測定してごらん。倭錦の出土は福岡県ばかり。
畿内なんか全然出ないから、邪馬台国として失格。

713 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:17:09
>>707
市場説叩いてたのもおそらく九州説の人間だろ?
今も九州説の人間同士で争いながら勝手に敵を畿内説論者ってことにしてるみたいだし・・・
だから九州説スレ建ててそっちで争ってくれよ。チャンピオンきまったらここにきてくれ

714 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:29:09
巻向は古代のコストコ

古墳は社長と婦人、重役のお墓

大溝はトイレの下水やゴミ捨て場。もちろんお客さん用と従業員用だよ。

古代のコストコ一従業員より。






715 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:49:06
まあ、纏向=市場説ってのは所謂、搬入土器・外来土器の多さを説明する為だけの
ワン・アイデアでそれに九州説の連中が何人か飛びついただけなんだろうw

それは何故かと言うと纏向に「卑弥呼共立」を思わせるような動きを認めたくないから?www

無論、纏向の発展の理由に東西の交易に有利な立地に求める意見は普通にあるが
単に経済活動の場としての市と言うようなモデルと言うのは実際考古学者で言っている人間がいるのかな?



716 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:49:47
現代のコストコは都会ある
古代のコストコがなかった九州は田舎ってことでFA?

717 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 02:54:19
王宮のないマキムクが、邪馬台国の資格なし。

718 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 03:06:08
>>710
>西都原古墳群 

でも有名な女狭穂塚・男狭穂塚古墳とか見りゃ纏向よりは後の時代と言う気がするんだが
その築造様式とかで確実に纏向と同時代もしくはそれより古い古墳てあるのかな?

719 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 03:14:03
>倭錦

広域首長連合本家畿内邪馬台国組

 「あー、今度魏に朝貢するから福岡の奴国に倭錦でも出させるべ?」

これで問題無しwww




720 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 03:17:56
>>707
>せいぜい古墳に駆り出された奴隷だとか。

じゃあ奴隷を駆り出した権力は何処にあったんだ?

少なくとも単に東西の人間が産物を持ち寄り交換していただけの市場にそんな権力発生すまい?wwww

721 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 11:18:13
薄葬が徹底していた魏の冊封体制下で、巨大古墳を多数作ることはありえない。
事実、魏志倭人伝に出てくる古墳はたった一つ卑弥呼の古墳だけ。
だから、畿内が邪馬壱(台)国である要素はない。

錦は貴重なもので、当時世界中で中国以外には邪馬壱(台)国でしか生産されていない。
畿内から倭錦が出土しないのは致命的。倭錦の出土は福岡県がほとんどで、この事実が
邪馬壱(台)国の位置を示しており、>719の妄想は一切通じない。

722 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 11:49:10
>畿内から倭錦が出土しないのは致命的。倭錦の出土は福岡県がほとんどで、この事実が

鳥取県の青谷上寺地遺跡で日本最古級の倭錦が出土してるよ
福岡県の倭錦は古墳時代の出土物だろう 

723 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 11:59:44
ああ、例外的に数ヶ所で出てるけど、大量に出てないでしょ。
あと、数百年も計算違いしているので有名な、土器編年で判定しないでね。

724 :日本@名無史さん ::2008/08/07(木) 12:09:31
>でも、結局、倭の五王の時代以後、鉄器が少ない畿内が、鉄器の多い九州を支配してますよ?
>どう説明するおつもりで?

本気でこんなことを信じている畿内厨がいるから、面白い。
鉄器の少ない畿内が九州を支配できるわけがない。


725 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 12:49:50
>>724

平安京は九州が支配してたのか。

すごいバカだな。

726 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 12:53:09
倭錦を調べていて、年代的に邪馬台国の時代に合うのは
鳥取県の青谷上寺地遺跡と佐賀県の吉野ケ里遺跡の出土物だけだ
その他は時代が合わない よって上記2箇所に所在地が絞られる
また、青大珠(青い大きなメノウ)が出るのは玉造だけ、よって九州も外れる
ということで邪馬台国は鳥取、玉造を含む吉備という結論になる

727 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 13:37:22
倭錦が出たところに邪馬台国があったという前提が誤り。

728 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 14:28:04
畿内王権至上主義の土器編年。これを見直すべきときが来ている。
C14の測定で、九州の出土物が土器編年判定より、真実は数百年古かったという事例が続出している。

  土器編年の妄想とは

  「同じ様式の土器が畿内と九州で出れば、同じ時代でなければならない」

  C14で測ると

  「同じ様式の土器は、九州のほうが畿内より数百年古い」

倭錦も九州のものが相当古いと考えられる。

729 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 17:15:33
九州は暴走族だけでなく、妄想族も多いのか?

730 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 17:33:56
いいえ妄想は、畿内説の専売特許。

731 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 19:28:31
機内説は出来もしない倭錦を魏の国にプレゼントしたというわけだから
妄想といわれても仕方が無いね また根性で空中から倭錦を作り出したのか?

732 :日本@名無史さん:2008/08/07(木) 22:46:59
>>730
近頃の九州説の本を見てるとそんな事は言えなくなってくる。
>>731
産地から持ってくれば良いじゃない。

全く持って>>727の発言が全てを物語っている。

九州王朝論者は北九州にありもしない王朝を作って喜んでるけど、
こいつらには鶴峯戊申「襲国偽僭孝」を読め(安本美典「江戸の邪馬台国」に訳文がある)、
と言いたい。
「九州に、大和朝廷とは別の国が7世紀後半まで存在した」と言う発想の根本は、
ここに存在する。

733 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 01:39:38
ここを読んでいると、畿内説って展開が
偽者を無理やり口だけで高く売りつけようとしている
大阪当たりの詐欺業者みたいなやりかた。


734 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 03:19:51
>>726
吉備説かぁ・・・
卑弥呼の墓は楯築遺跡って事になるのかな?
確か被葬者の歯が残っていて、それから女性であるって事がわかっているんだっけ・・・

まあ畿内説の場合広域首長連合下のクニから産出された物なら問題無いわけで
吉備をその中心的勢力に挙げる声も多いしw



735 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 03:28:21
>>732
>近頃の九州説の本

個人的に安本美典、関裕二、武光誠・・・ぐらいかなパッと思いつくのは。

ある程度のペースで新刊を刊行しているともなると
他にめぼしい人いますかね?




736 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 04:10:47
安本美典
邪馬台国東遷説。庄内式土器は九州で作られたとか、誰も支持して無い珍説を発表。

関裕二
考古学的に九州の衰退を認めておきながら、
九州邪馬台国の卑弥呼をトヨが殺し、
トヨが畿内に東征した?という妄想を語る。

武光誠
九州邪馬台国と畿内大和王権が同時に生まれたとする説。
九州説としては比較的まともだが、九州説の東大という意固地も感じる爺さん。

737 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 05:23:10
>九州説としては比較的まともだが、

736の突っ込み方や諸説に対する評価の基準がまったくわからんw
たんなる馬鹿なんだろう

738 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 09:58:18
>>737
文句を言う前に君の評価を書けよ。

739 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 12:37:59
邪馬台国所在地を文字のあれこれではなく、物証の面から攻めるべきだろう
昨今の冤罪事件多発も自白に頼りすぎた捜査に起因している
人間の記憶などというのはあいまいなものだ
そこで、物証、倭錦、青大珠、、、など実際に魏の国に贈られた物から
邪馬台国の所在地に迫るべきだろう
今までの邪馬台国所在地論争は自白偏重の冤罪事件みたいなものだ
デッチアゲ捜査官とよく似ている 大きい声を出したほうが勝ちという
ような非科学的な連中が多すぎる

740 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 12:46:57
>>739
どうぞ、どうぞこちらへ^^

邪馬台国の特徴は?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214363992/l50


741 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 14:28:37
>>739に激しく同意。

畿内説は妄想大杉。例えば・・・・
「××時代は、畿内が全国を支配していたと見ていいだろう」
「強大な国力は、沢山の巨大古墳だけが証明たりうる」
「金印や阿蘇山は無視していいだろう」
「三角縁神獣鏡は何枚出土していても、卑弥呼がもらった鏡と断定していいだろう」
「マキムクだけが先進的王都、列島最大唯一の巨大国家である」
「鉄器がなくても畿内から極東を支配できる」
「漢籍の記述は都合が悪い点は無視してよい」
「魏志倭人伝の邪馬台国への行程は、自由に改ざんして読んでもかまわない」

742 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 16:55:56
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ付き、単耳付き、直耳付きに注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

743 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 17:56:12
2世紀の日本列島の人口は200万人、3世紀で300万人程度だ
瀬戸内海周辺部にパラパラっと住んでた程度だ 古代で一番大切なのは
食糧の確保、まず主食が魚か貝、内陸部の大和では食料の確保自体が無理
とくに塩の確保が出来ないというのは致命的だ
歴史を調べても大和は底が浅い 縄文時代の遺跡などは皆無だろう
稲作がかなり発達した段階では生存可能かもしれないが、2〜3世紀の
大和は恐らく熊の毛皮でも着て、ウホウホ言いながらウロウロしていた
未開の地だろう ただ、後世に誤魔化し名人を輩出したことは事実だろう

744 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 21:43:50
>>741
>>739に激しく同意。

北九州説は妄想大杉。例えば…
「××時代は、畿内は絶対に未開の地だったのは間違いない。よって北九州こそ邪馬台国である。」
「古墳は強大な国力の証明足り得ない。よって北九州こそ邪馬台国である。」
「1世紀中ごろに北九州から金印が発見された。よって3世紀中ごろに北九州に邪馬台国はあった。」
「三角縁神獣鏡は100枚以上出土している。よって北九州に邪馬台国が存在した。」
「マキムクだけが列島の先進国家ではない。よって北九州に邪馬台国が存在した。」
「魏志倭人伝の邪馬台国への行程は、距離は捏造か誇張か何かだと見て間違いない。」

進化論にけち付ければ自説が証明できると思ってる創造論者と同レベルだね。

>>743
これぞ九州王朝クオリティ。

745 :日本@名無史さん:2008/08/08(金) 23:04:24
阿蘇山・金印・倭錦

・・・畿内説ダメじゃん

746 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 00:11:48
>>741
>「金印や阿蘇山は無視していいだろう」

「無視していいだろう」じゃない。
無視しなきゃ駄目なんだw

邪馬台国論争になーんのかんけーも無しwwwwww

747 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 00:29:02
>>743

・・・つうかこれってヤケのヤンパチになったこのスレの九州説論者の釣りだろ?

「瀬戸内海周辺部にパラパラっと住んでた程度」だったら東海や関東なんかもう無人の野だなwww 

まあ畿内は見るのも嫌ならそれでも良いから東日本も少し見ようなw

九州が他地域を人口総数・密度で圧倒していたなんてデータ今まで見たことが無いw

748 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:04:39
>>741
>「魏志倭人伝の邪馬台国への行程は、自由に改ざんして読んでもかまわない」
九州説お得意の放射説の事かな?


>「漢籍の記述は都合が悪い点は無視してよい」
で太平御覧に連続式の記述があっても
「それは後世畿内大和を想定して改竄された物」
としている九州説の事かな?




749 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:04:54
九州人と関西人が喧嘩しているスレはここですか

750 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:07:45
委奴国→邪馬壱国→邪馬台国→倭国→イ妥国は、国名や国体の変遷はあるが、
中国側は一貫した連続政体と見ている。よって、金印と阿蘇山は邪馬台国ゆかりのもの。
畿内説ダメじゃん。

751 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:37:21
>>739
文献=魏志倭人伝でその位地が分かるはずも無く
かと言って考古学がその完全なる解答を出せると言うわけでもないからなあ。
親魏倭王印でも出ない限りは・・・。

恐らく考古学が提示できるのは弥生末期の九州地区の没落と畿内を中心とした首領連合の勢力伸長。

でも当時の国内最大勢力が魏から冊封されたと言う保証は無い。
ぶっちゃけ「偽僭説」かその亜流なら理論上は成り立つ。

だから今後歴史教科書には畿内説・九州説の併記が続くんじゃないのかな?

九州説が生き永らえるのは先に言った
「理論上可能である事」と、もう一つはなんだかんだ言って
邪馬台国論争の一方の雄だったと言う過去の栄光つうか歴史w


752 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 01:41:15
マキムクが全滅しちゃったから、畿内説はアボ〜ン。

753 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 03:36:31
>文献=魏志倭人伝でその位地が分かるはずも無く
そんなことありません。文献が大事であることは、門脇の変節をみれば明らかなはず。


754 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 03:43:36
文献捨てちゃったら、邪馬台国なんて言葉も存在しなくなっちゃうよ。

755 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 04:04:08
>>753
門脇一人の変節なんざあ
邪馬台国論争百余年でその位置が決まらない事に比べれば
どうって事は無いwww



756 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:13:40
>>746
だからさぁ、
1世紀の金印を3世紀の国の証拠にするほうが可笑しいんだよ
>>750
同じ国が移動したっていいじゃん
原田大六説はまさにそう
>>751
文献みていくら妄想しても、実際に親魏倭王印が発見されれば終わりだからね。
(妄想してるのは九州説の方。畿内説は九州説ほど妄想してはない。)
>>755
確かになw

757 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:24:53
>>755
今の考古学者は倭人伝を読まずに畿内説を主張してるだけだ。倭人伝を読んで真面目に考えたときには、誰だっておかしいとならざるを得ない。
「門脇1人の変節なんざあ」などという強がりは、読まない連中の間でしか通用しないね。

758 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:39:42
>>757
>1世紀の金印を3世紀の国の証拠にするほうが可笑しいんだよ
史書を読まずに逃げ口上って感じだね。倭の奴国と邪馬台国はつながっている。金印は当然重要な証拠になりますね。

759 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:44:38
の考古学者は外国と違って文系なんだよな、日本の考古学の本読んでも根拠を示さず単に「私はこう思う」とか思考が情緒的なんだ、科学的思考が出来ていないんだよな。
『日本弥生末期の九州地区の没落と畿内を中心とした首領連合の勢力伸長。』なんて何の根拠もない「私はこう思う」の類のレベルの低い意見。


760 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:45:18
>>758の訂正
757→756

761 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 08:45:40
日本の考古学者は外国と違って文系なんだよな、日本の考古学の本読んでも根拠を示さず単に「私はこう思う」とか思考が情緒的なんだ、科学的思考が出来ていないんだよな。
『日本弥生末期の九州地区の没落と畿内を中心とした首領連合の勢力伸長。』なんて何の根拠もない「私はこう思う」の類のレベルの低い意見。


762 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 12:16:25
確かに、邪馬台国政庁の看板が見つかったわけでもないのに、考古学的には畿内だなどと発言すること自体そのレベルの低さを物語っていると思う。
学者がそのような結論めいたことを言う以上、倭人伝についてもすっきりした解釈を示すべきなのに、それを置き去りにしているのだから呆れるね。

763 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 12:42:16
そもそも朝廷という統一王朝が出来たのは平安時代くらいからだろう
それまでは各地に有力豪族がいたという程度のものだ
大昔から大和朝廷があったなどというのは、後世にでっちあげた妄想

764 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 12:59:34
>>761
非科学的、情緒的、妄想乙w 

まあ出土物の傾向が如実に物語るわけで
霊の「邪馬台国の怪」ですら岡村の漢鏡7期編年の編年自体は
おおよそ信がおけるとしていて異論を唱えているのはグラフの横軸の時間軸で
なんとか全体を新しい時代にずらそうとしているだけw

それが適ったとしても全体の九州の相対的地位の低下の傾向に変わり無しw

もう一つ例を挙げておくと
弁韓辰韓の特産品「梯形鋳造鉄斧」を半島から追いかけた場合
対馬壱岐までは辿れるが北部九州に見当たらず瀬戸内や山陰に見られ
相対的地位の低下の表れの根拠の一つとか(武末純一)


765 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 13:03:23
まあ流石に弥生末期における九州の相対的地位の低下は大前提であって
だからリアルで九州説を唱える学者は苦労しているのであって

それすら認めない九州王朝説のカルトの如きものはもうトンデモ扱いだろうw




766 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 13:04:12
邪馬台国の特徴は、倭錦の生産。
倭錦の出土は世界中ほとんど福岡県ばかり。
邪馬台国の後継国には阿蘇山があった。
畿内説ダメじゃん。

767 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 13:10:06
結局「九州王朝説」なんて文献のあっちこっちをつまみ食いしただけのご都合主義。

最近たまたま気づいたんだが、、、

九州王朝説で九州で7世紀後半から8世紀前半に人口が激減し
それを藤原京や平城京への人口移動があったと言う説があったと思うが

それって天平7年9年に大宰府を中心にして流行したと言う天然痘・疱瘡のことなんじゃね?

768 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 13:19:24
>門脇の変節

実際、奈良で発掘調査に当たっていた人間が九州説だったり
逆に九州で発掘調査に当たっている人間で畿内説だったり
人それぞれ様々なんだが結局、大勢として畿内説の優勢と言う状況になっているのが事実。

無論大勢を占める学説が正しい保証は無いが
それなら尚の事一人の人間の晩期の変節を持ってこられてもねえwwww

769 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 15:33:06
畿内に女王国がありゃぁ、記紀に倭人伝以上に卑弥呼の記事が満載される。
そして天皇と女王の会見とか交易とか、戦争だとかの、そういう記述がこれでも
かという位記紀に書かれる。それがないということは畿内には卑弥呼の国は
な〜い。これだけでも判別ははっきりできる。

770 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 16:04:54
>>769 犬国 ◆yVAs7uaYlY

つまり畿内ヤマトと女王国は別物と言う前提で
既にこの時点で畿内説は成り立たないw

典型的な 「循環論法」

よいこ の みんなは まね しちゃダメだよwww

         ┐(´―`;)┌


771 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 16:16:09
>>770
この前のお前だな〜。お前のは審判論法だ。選手兼審判だから、選手のお前が審判
で採点する。古代史ゴクシングのフックやアッパーがお前は出せない。だから自分
で審判もする。
これがお前の正体だ。中東の笛を想い出すな。そうしないと余に勝ち目がな〜い。
自分で採点するから、いつでもお前のほうが多く得点できるようになっている。
お前が五輪の審判なら、片方の選手はみんな迷惑だな。お前のひいきの選手に
平気で点を上乗せするのは〜お前のやりそうなことだな。

772 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 16:23:05
>>771 犬国 ◆yVAs7uaYlY

お前のやっていることはハンドボールの試合に竹刀やバット持ち出しているようなもんだ。
審判の買収?
アホ言えw
審判が出る前に警察が来て摘み出されるレベルw

論の構築において構造的な欠陥は
例え九州説だろうが畿内説だろうが普通に指摘される。

まあこの板の九州説の大方はこの程度のレベルなんだろうがw







773 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 16:27:34
余は古代史を真剣白羽取りでやれる。お前には無剣の空手でいい。お前なんかは
六枚落ちでも充分だよ。軽く勝てる。ww

774 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 16:36:18
>>773 犬国 ◆yVAs7uaYlY

罵倒句を連ねて誤魔化すなアホw

とにかく畿内ヤマトと女王国は別物と言うその前提を何によって証明するのか?

そもそも、それが証明されれば邪馬台国論争にほぼ決着が付く事に気づけドアホwww






775 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 16:45:44
そんなことは当たり目だろう。卑弥呼は崇神の時代で、その活躍は倍暦計算で

 景初元年=237年 ころから 247年あたりだ。

このころは畿内朝廷はまだその勢力は畿内周辺だけ。九州には及んでいない。
記紀に卑弥呼の独立した記事はない。これは紀無いあたりに卑弥呼はいなかっ
かったことを物語るのだ。紀無いあたりに卑弥呼がいれば記紀に倭人伝以上の
情報が満載されるのにそれが無い。ということは畿内から遠く離れて情報の
取りにくい九州(それも奥九州以南)にあったということになる。だから畿内と
その九州の卑弥呼の国とは別国だったということが分かる。
お前も少し口を慎め。よ〜く考えおろう。

776 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 16:50:35
>>771 訂正
× ゴクシング    ○ ボクシング

777 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 16:55:19
>>775 犬国 ◆yVAs7uaYlY

いい加減にしろよこの馬鹿。

>記紀に卑弥呼の独立した記事はない。
>これは紀無いあたりに卑弥呼はいなかっかったことを物語るのだ。
>紀無いあたりに卑弥呼がいれば記紀に倭人伝以上の情報が満載されるのにそれが無い。

だからその前提となっている畿内ヤマトと女王国が別物と言う証明の話なんだぞ?

ニホンゴワカリマスカ?オバカサン

それにだ、九州の北部なら大陸・半島の道筋にあり情報が得易かったとするのなら
邪馬台国自体が如何に小さかろうが30ヶ国の連合を組み
一大卒を置いて睨みを効かせていたのだから
そのような動きすら掴めていないのは奇妙奇天烈な話だ
その程度の自己矛盾にすら気づかないのかドアホウwwww



778 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 16:59:54
畿内ヤマトと女王国は別物
  ↓
畿内ヤマトの記録に女王国の記載が無いのは
畿内にそれが無かったから
  ↓
では畿内ヤマトと女王国が別物であった証明は?
  ↓
畿内ヤマトの記録に女王国の記録が無かったから・・・


この太国と言うアホはこの循環論法から脱する術を知らないwww





779 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 18:07:18
>畿内ヤマトと女王国は別物
  ↓
>畿内ヤマトの記録に女王国の記載が無いのは
>畿内にそれが無かったから
太国の理論は、本当に「畿内ヤマトと女王国は別物 」を前提にしていると言えるのかな?
単に、同じならば記紀に女王国の記載があるはず、ないから同じではないというだけでは?
これが循環になるの?

780 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 18:21:57
>>779
太国が繰り返しこの板で言って来た理屈に

「畿内ヤマトと女王国が同一であったなら自国の歴史として
 女王国の記載があったはず・・・」

なんてものは無かったよw

あくまで記録する側のヤマトと、記録される邪馬台国を想定しての話www





781 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 19:42:29
邪馬台国の倭人は海に沈没するのが特徴。
大和国ではどうやって海に沈没するのか?
畿内説ダメじゃん。

782 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 19:47:27
>>780
>>769は同じような意味だと思うけど。

783 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 20:11:57
>>779-780

>同じならば記紀に女王国の記載があるはず

先ずは、この前提条件が問題だ。
これをどうやって証明するかだろうが、太国はその証明をいつも書かない。
実は絶対的に不動の大前提があるのだが・・・・

太国の論理は単純だ。

与件1 「記紀の記述は正しい。」
要はこれだけなんだが、この与件1の証明方法が素晴らしいw
簡単に言うと「勅史なんだからウソが書けるわけがない」くらいの論理である。

与件1から導かれる与件2 
魏志の邪馬台国と記紀の大和朝廷は記述内容が一致しないので別国である。

上記与件2の記述をひっくり返すと太国お気に入りのセリフである・・・

「畿内ヤマトと女王国が同一であったなら自国の歴史として女王国の記載があったはず」

が製造されます。

まあ、こんな感じの論理展開なので「循環」とは少し違うかもね。


784 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 21:18:05
>>764
岡村の編年はかなり無理がある。
魏や晋の時代の鏡をすべて、「漢鏡」という分類の中に入れ、
魏晋時代の鏡をすべて漢の時代に遡上させる。
あれは年代遡上のためだけの説ですね。はっきり言ってトンデモ。

あれを大本営発表にして、「魏晋鏡」という分類を消し去った。
まるでミッドウェーを隠蔽した大本営のように。

500枚以上が日本でのみ出土する三角縁の半数〜全部が舶載という
のも、原爆に竹やりで対抗する精神主義ですね。

無理を承知でマルクス史観という国体護持のためにトンデモ説を繰り出す
「カミカゼアタック」は畿内説の専売特許ですね。

785 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 21:38:11
中国の学者が魏晋鏡としている鏡も岡村にかかれば「漢鏡」の分類のなかに
入れられる。

中国でどの鏡が魏晋鏡とされているのかを紹介するのもタブーであるかの
ような「抑圧された空気」は戦前の大政翼賛会のようである。

中国で魏や晋の時代の墳墓から出土した鏡の著作が日本では発表されない
のは、戦時中の情報統制のようである。

いまだに三角縁を舶載と主張する連中は、敗戦を認めずクーデターを画策した
陸軍強硬派のようである。

マルクス史観を信奉して反天皇制で凝り固まった連中が、戦前の皇国史観の
連中と同じ行動を取っているというのは、笑えないジョークですね。

786 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 21:55:00
>>784

> 魏や晋の時代の鏡をすべて、「漢鏡」という分類の中に入れ、
> 魏晋時代の鏡をすべて漢の時代に遡上させる。

「漢(式)鏡」と言うカテゴリーを設定することと魏晋代の鏡を漢代に遡上させることは全く意味が違う。
漢式とは様式カテゴリーなのだから、晋代の紀年を持つ漢式鏡があっても差し付かえないわけ。

キミの書き方は、安本臭のする香ばしい表現だ。
例え「魏晋鏡」という分類を消し去ったとしても、それだけでは漢代遡上の根拠にならない。

もし、キミが魏代に設定したい鏡を岡村が漢代に分類したとしても、
それは、鏡の編年と墓誌などのクロスチェックの結果のなのであって、
けっして「魏晋鏡」というカテゴリーを「消し去った」ことが理由ではないはず。

それをあたかもそれだけが理由のように書き放ち
> あれは年代遡上のためだけの説ですね。はっきり言ってトンデモ。
と結論つける手法は、まさに誰かさんお専売特許ではあるw

787 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 21:59:51
>>777
古代史に証明はあったほうがいいが、そんなことを出来る奴はま〜ず
いないよ。それだけ古代史は史料、ブツが限られて少ない。だから
仮に証明を出しても偽書だとかイカサマだとか具体的には私年号
とかのケチをつけて正規の証拠の信用度を落とす。お前もこういう
奴だろう? だいたい証明などと言うやつに限って持ち駒が全く
ない。負けそう煮なると自説は出さず証拠を出せと要求を垂れる。
あっりゃぁ資料出したり具体的歴史論でちゃ〜んと論をやって
くるねぇ〜。
お前はそれができないから審判論法で選手のふりして審判を兼用
する。そして証明(一本)がないなどと審判の能書きを垂れる。ww

788 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:05:10
世界の笑い物、土器編年。
C14では九州出土物が、畿内より数百年古い。
なのに同じ様式の土器は同じ時代、と断定しちゃったのが
畿内一元史観妄想に支えられた土器編年。
もうちょっとマトモな学問しようよ。

789 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 22:10:03
>>777
お前は相当意味不明の語を連発して来ており、お前の能書きは
大史離滅裂の状態にあり、当時畿内と九州に新幹線が走っていたよう
な文句を垂れている。そのうちお前の豆脳はお前のケータイが九州
から畿内に大電波を発信してるから九州の情報が朝廷の耳に用意に
入るんだなどとでも言い出す雰囲気下にある? Pu!wwwwwww

790 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 22:15:27
>>778
お前は相変わらず審判論法でヘ垂れてる。ww ちぃとうぬの自説
でも書きこんだらどうだ? 選手兼審判しかできねぇ〜んだろ?ww
そうだろうが? うぬに勝つ能力がないからだ。だからうぬ自身で
点数をつけるわkだ。中東の笛を想いだすな。ハハッ ww

791 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:30:29
>>784-785
まあ、そう言う内容の書き込みが来るのは計算済みなんだけどねw
だから実年代じゃなくて編年に重きを置いて九州の勢力低下に話を絞ったんだが・・・

どの道、威信財たる中国鏡の出土で九州の没落を隠す事はできんだろう?

それとも正しい出土数の変遷を示した資料をお前は知っているのか?
もしそうなら後学の為教えてくれwww



792 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:34:40
まあドンドン、C14の測定しろや。

793 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:36:53
>>783
まあ普通なら

「記紀に絶対の信をおく。
そこに自国の歴史として女王国が記されておらず
また他国としても出てこない。
記紀に書いてないんだから少なくとも畿内には無い」

と言う展開なんだろうけど

太国の場合、何故か畿内ヤマトと女王国の並立から話が始まるんだなコレがwww
 

794 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:40:02
>>788
で、世界の誰が笑っているのか?
ちゃんと調べたかい?
具体的に書きましょうね妄想君w

ぶっちゃけC14や年輪年代の全面的採用は
畿内説の学者にとって待ってましたと言うところだろう。

箸墓ですら卑弥呼の墓として間に合ってしまうかも?・・・だぞ?ww


795 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 22:45:16
>>793
それはてっとり早いからだな。しかしその並立から論を展開しない
場合もあったろうがね。
どだい神武は卑弥呼より時代が古いからそっちからでも論はやれ
るものだ。とにかく卑弥呼当時の日本は大陸半島と同様、多国に
別れていたわけだ。そのうち畿内では朝廷と、九州にては女王国が
台頭してきたもので、二極的状況下にあたったということだ。まず
古代史の把握においては、これを思い知るべきである。

796 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 22:59:20
>>795 犬国 ◆yVAs7uaYlY
>二極的状況下にあたったということだ。

ところがその片方の極である九州邪馬台国の存在を匂わせる遺物も遺跡も無いから
今日の九州説の衰退があるんだなw

九州邪馬台国自体の遺跡が出ないのは、まあ良いとして

じゃあ九州に一大勢力が形成された形跡が無いのが致命的なんだよwww


797 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 23:12:14
>>796
前半はお前の言うとおりだ。形跡等がないわけないだろう? 衰退
までに至らないよ。真はそれでは決まらんだろう。間接だが、金印
があるではないか? 金印は直接九州王朝ではないが、金は形跡を
消しにくいブツだから残存したわけだ。他は木製等のものばかり
だったんだろう? だから噴火、台風、洪水,地震等で雲散消霧
したんだと思う。それにウガヤ朝の記述も古史古伝にある。
九州が空き部屋だったとは、お前の考えは考えにくい。記紀にない
ことは情報が届きにくい地に女王国があったことを物語っており、
形跡のないのはそういう天変地異的ものと、あとから工事建造物の
障害ができたからだ。古代エジプトのクレオパトラの墓だってまだ
出てないよ。出てないからクレオパトラがエジプトにいなかったこと
にはなるまい。こっちの女王も墓の形跡もまだ判明しないだろう?

798 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:23:06
>>788
> 世界の笑い物、土器編年。


とりあえず、世界の笑い者はやっぱり不味いでしょうね。
土器編年、再考を促す為にも。具体的にどういう手法をとれば、世界の笑い者にならないのでしょう?

貴方は「世界の笑い者」と言われる以上笑われる原因についてはきっとよくご存知なのでしょうね。
是非、上記の質問にお答えください!
叶う限り、現場に反映させたいと思います。


799 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:23:46
>>788
> 世界の笑い物、土器編年。


とりあえず、世界の笑い者はやっぱり不味いでしょうね。
土器編年、再考を促す為にも。具体的にどういう手法をとれば、世界の笑い者にならないのでしょう?

貴方は「世界の笑い者」と言われる以上笑われる原因についてはきっとよくご存知なのでしょうね。
是非、上記の質問にお答えください!
叶う限り、現場に反映させたいと思います。


800 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 23:28:56
>>796
それにお前、少しは口を慎め。お前は以前、余との論争で負け犬
だったんだろう?ww だから名誉毀損をするのか?

以下を考えろ

【紀の天皇の即位、立太子月数統計表と新羅本紀、倭人伝の記述】

1月 30
2月 5
3月 1
4月 2
5月 0←新羅本紀 阿達羅二十年夏五月 倭女王卑弥乎云々
6月 0←魏志倭人伝 景初二年6月 倭女王云々
7月 2
8月 1
9月 0
10月 (1)
11月 3
12月 4

注 統計は佛伝前。括弧数字は神功摂政立皇太后で即位の代用。


朝廷は5月、6月では物忌みの為、非活動月である。このことは
新羅本紀と倭人伝の記述の卑弥呼の活動が5月、6月であること
から、卑弥呼が畿内朝廷の女でないことがうなずける。即位等は
5月、6月は絶対的に避けている。それほどいやがってるのだ。
紀の5月の月は不吉な記事が殆どであり、大陸半島からの働きかけと
かやむを得ぬ交戦とか以外、2ヶ月間、朝廷はジッとしているのだ。

801 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:35:55
>>797 犬国 ◆yVAs7uaYlY

九州邪馬台国の勢力圏を示すものは全て腐って消えた?w

じゃあ共通の祭祀形態を示す墳墓もみな消えた?
九州独自の威信財体系を示す青銅祭器もみな消えた?

ご都合主義もいい加減にしろって話だなwww





802 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 23:36:46
>>800
同表から、5月、6月活動を記している新羅本紀と倭人伝の記述は、
女王が畿内朝廷の女ではないことを読み取れる。畿内朝廷の女なら
5月、6月に大陸半島には働きかけない。それほど朝廷はこの2ヶ月
を避けるのである。だから特別な事由のない限り、この間消極的
非活動で事を起こすわけがない。ということは、女王は九州の女
だということになるのだ。

803 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 23:44:25
以前、余と論争して負け犬となったらしいお前よ。お前は医者
だったら藪だな。www なぜか? 肉体の表面に病跡がないと、
お前は納得しないのだな? 体表に自覚症状のない廟危はいくらでも
あるだろう? うぬは体表に廟痕が見られないと廟危と診断せず、
廟危ではないと真殺するのか〜?www
うぬは古代史の藪遺捨だぜぃ〜。wwwwww

804 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:44:29
もののついでに 犬国◆yVAs7uaYlY の倍歴理論とやらを弄ってみるw

1ヶ月が15日程度なら1年は約24ヶ月と言う事になるだろうが
記紀に13〜24月なんて表記は無いw

すると1〜12月を年に2回繰り返すしかないと思うのだが

その場合、例えば1月にしても「春の1月」と「秋の1月」があるはず。
勿論そんな表記が記紀にあるはずも無いw

欠落八代の月日の記述で月前半に集中するのを
「確率的にあり得ない」とするのなら
同様に上記の事柄も確率的にあり得ないwwww


まあコレを解決するには春夏秋冬の四季も年に2回繰り返していたと言う
ウルトラCがあるかもしれんが、そこまで馬鹿なことはいくら犬国でも言わんだろうwwwwww


805 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/09(土) 23:48:09
>>804 藪遺捨自認か〜??wwwww
夜遅いから明日以降話をすべぇ〜。人間の死は自殺、暗殺等以外
変更はできない。うぬはできんのか〜??wwwwwwwwww

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・


806 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:51:24
土器編年がいかに狂っていたか、C14測定で出てくる数々の事例。
世界が笑ってます。学会でも内々で大問題となってます。
畿内を古く、九州を新しく判定してきた考古学の100年。
こんな非常識=土器編年が、これから大きく崩壊していきます。
知らぬは2chばかりなり(笑

807 :日本@名無史さん:2008/08/09(土) 23:53:57
>>805 犬国 ◆yVAs7uaYlY

まあ>>804は宿題にしておいてやるw

明日にはきちんと提出するんだぞアホwww





808 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:01:55
つうかここで

「世界の笑い者土器編年」

とかほざいている馬鹿って
実際のところ九州の土器編年も知らないんじゃないのかな?w

多分九州王朝説のHPかその手の本で
「C14で九州の土器は畿内のより古い」と書かれているのを見て
ドグマ宜しく繰り返しているんだろうw


畿内の土器が九州より全て古いとなると
「遠賀川式土器」は東進じゃなくて西進したと言うのか?w
そんな事を言っている考古学者っているのかね?wwwwwwwwwwww


809 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:06:39
ほんとに世界から笑われてるのに、

  土 器 編 年 は 絶 対 的 真 理

なんて信じちゃってる畿内説妄信馬鹿!!
C14で測ると、畿内出土物がはるかに新しい(笑
彼らも世界中から笑われることでしょう。


810 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:13:41
>>809

じゃあ九州出土と畿内出土、同じ様式の物を測定してどれくらい開きがあったのか?
具体的なデータだしてみ?w





811 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 00:57:40
九州〜中国の土器編年より150年はおろか、800年古いなんてのもザラですなあ。
いままで何でも日本の強大権力といえば畿内のみ、畿内王権は最大にして最古でございます、
畿内マンセーなんて絶叫してた連中の顔色は青ざめ、一気に九州こそ古代の中心だった、
という事実が白日の下に晒されつつあります。

こりゃあ、畿内説の命はもうないわ。

812 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:13:35
>>811

だからだな・・・

九州出土と畿内出土、同じ様式の物を測定してどれくらい開きがあったのか?
具体的なデータだしてみ?w

そもそも九州の出土物全てが畿内より古かったとして
邪馬台国畿内説が有利になる事はあっても不利になる事は無いぞ?ww


お前が言っているのは半島の人間の「ウリナラ起源説」と同じだアホwwww



813 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:21:20
>>811
>800年古いなんてのもザラですなあ。

九州スゲーなw
具体的に畿内・九州の出土場所・地層や様式を教えてくれ!

814 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 01:30:47
恐らく>>811は「具体的なデータ」を提示しないだろう。

精々「常識」「自分で調べろ」でお茶を濁すいつもの九州説のパターンだろうなw

恐らくネット上の九州王朝説のサイトか本で読んだのをそのまま受け売りしていて
その元のサイトや本にしても「九州のほうが古い!」と言う結論だけで具体的なデータの提示は無いんだろうなwww

しかし800年と言うのは凄いなw
逆に言えば九州の土器様式が800年かけて畿内に到達したと言う事か?
そんなもん普通に伝播する前に消えるだろうってツッコミは野暮ですか?wwwww

815 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 03:10:14
土器編年の電波度はそりゃすごいものだ。
九州の装飾古墳なんか、相当ずれてるはずだな。
ざっと150〜200年は古いんじゃないかな。
弥生時代の始まりが500年遡ったのに加えて、
C14の測定で、もう畿内説は無理だろう。

816 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 04:06:33
>>815

あーあ、なんで九州王朝論の奴はこんなに馬鹿なのか?

いいかな?

装飾古墳の出現の条件として、横穴式石室が創られ始め
それにより恒久的な空間の確保がされ、後から石室に入る事が可能となり
そこに呪術的な意味合いの円文・蕨手文・三角文なんかが描かれたと言う流れがある。

5世紀後半から6世紀とされている装飾古墳が200年遡ると言う事はだ
3世紀後半から4世紀に既に横穴石室の墳墓が無ければならない。

邪馬台国の時代よりチョイ後ぐらいに創られた横穴石室の墳墓って何処よ?w

因みに恐らく装飾古墳で一番有名なチブサン古墳は前方後円墳だが?www

もう一つ言えば横穴石室の種類にも九州型と畿内型があり
九州でもやがて畿内型が主流になっているwww


まあ 「 九州版ウリナラ起源説 」宜しく
なんでもかんでも古く言えばええっちゅうもんやないってこっちゃねwwwwwwwwww




817 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 07:03:22
九州説の人間曰く、
九州の遺物は年代が古くなり、
畿内の遺物は年代が新しくなっていってるそうだ。
(遺物の年代がもっと古いことがわかっても、九州の衰退と畿内の発展が早まるだけなんだけどね。)
(それでも九州説が有利になるなら、彼等は上のように考えているのか?としか思えない。)

818 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 07:17:18
>>804
1ヶ月が15日程度なら1年は約24ヶ月と言う事になるだろうが
記紀に13〜24月なんて表記は無い

それは太陽も巡りからはそうなるだろうが、神武の嫌ういやな5月
から以降を神武が使うのを取り止めたとなれば3倍暦はできる。
朝廷の連中は迷信者が一杯集っているんだよ。それで神武のときは
1年が現今の4ヵ月しかない暦法だった。だから神武即位〜崩御の間
は13〜24月が無いどころか5月〜12月なんて表記も紀には全く
無いんだよ。ただ倍暦法になじめない綏は神武が崩御直後、すぐ
にも元の通常の暦法に戻してはいる。

>すると1〜12月を年に2回繰り返すしかない

お前はだから負け犬王に前進するんだ。1年を6ヶ月とかにすりゃぁ
いいわけだよ。朝廷はそういう策を採ったわけさ。
他にも方法はあったわけだ。だから「・・・しかない」は
お前の栄養が足りなさそうなお脳の考えそうなことだ。wwwww
この場合は2倍暦法だぞ。
となれば春の1月、秋の1月は不要だよ。ならば紀にそんな書き方の
ないのは当たり前だ。いかにお前の豆脳の栄養が不足してるか、目に
見えるようだ。ww

うぬの思考程度とは、うぬのそういう書きこみをうぬがゴリ押し
するなら遠回しに仁徳前の天皇の超長寿を遠回しに肯定したこと
になり、「考察狭小うぬの脳」だと断じてもおかしくはない。www

819 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 07:42:23



太国は、あいかわらずバカだな。






820 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 09:40:58
>>815は「編年」の意味すら知らない「笑われ者」。
何時までも、皆でオモチャにしてないで、そろそろ、誰かちゃんとしたことを教えてあげなさいな。


821 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 11:20:38
>>818 犬国◆yVAs7uaYlY 

きちんと宿題出した事は関心だが・・・

>1年を6ヶ月とかにすりゃぁいいわけだよ。

はいはい、また分からん事言い出しよったでぇこの人はw

「1年を6ヶ月」? じゃあ実際の月の運用は以下の如きか?

 1年目春… 1月     2月前半
     夏… 2月後半  3月
     秋… 4月     5月前半
     冬… 5月後半  6月

 2年目春… 7月     8月前半
     夏… 8月後半  9月
     秋…10月    11月前半
     冬…11月後半 12月

上記のモデルだと今度は「6月の冬」なんてのが出てくるw

どの月を起点にするか等で変わって来るだろうが
何れにせよ季節と月の関係で変なのが出てくるのは避けられないぞ?www

第一年齢のカウントはどうする?
上記の12ヶ月で1歳なら半分になっちまうぞ?

多分>>804の「春の1月、秋の1月」だけで脳味噌一杯一杯になっちゃって
全体の整合性まで考える余裕が無くなっちゃったんだろうがw

まあもう一度提出し直しなさいwwwwwwww

822 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:18:02
九州の古墳は1世紀からあったと思うぞ。
畿内の前方後円墳など、吉備と九州の時代遅れのパクリに過ぎません。
畿内って後進文化圏だなあ。

823 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:37:44
>>822
思うだけなら誰でもできる。

明らかに畿内のそれに先行する九州の古墳はどれか?
何を根拠にそれを畿内のそれより古いとするのか?
具体的に言えアホw

因みに徳島鳴門の墳墓はその概観や内部の礫槨の構造から
前方後円墳のルーツの一つとするに十分説得力があると思うが
その程度には具体的な話を持って来いカスwww


824 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:41:49
ああ、夏だねえー。
2chの夏だねえー。

825 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 12:50:23
おや、九州の古墳が1世紀からあったというのは、
C14の測定を元に言ってるんだが。
まあ、そのうちにこの常識が広がるだろうな。
「畿内こそ先進的」なんてお笑いは、もうそろそろやめようよ。
畿内の古墳が、吉備と九州のパクリ文化だってバレバレだよ。
畿内説って、結局何の根拠もない妄想なんだね(笑


826 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 13:18:43
>>825
はいはい。
いつものように「C14で測定」以上の具体的な言葉は何も出てこないんだなw

古墳とは前方後円墳で良いのかな?
一体何処の古墳なんだい?
前方後円墳なら有名ドコで那珂八幡あたり?w

アホの九州王朝説論者は
「C14で測ったら九州が古い」
とうわ言の様に繰り返すだけ。

それ以上の具体的なお話は何も出ないw

いや多分出せないんだろう。
自分が受け売りしている元ネタにも書いてなかったんじゃないのかな?wwwww






827 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 13:29:50
>>825
>まあ、そのうちにこの常識が広がるだろうな。

その夢がいつかかなうといいですね

828 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 13:56:22
>>827

> その夢がいつかかなうといいですね

夏だねえーーーー。

829 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 14:17:31
>>821
お前頭がおかしいんでないのか? それで否定したなら仁徳前の超長寿をどう
説明するのか? そのお前の否定では説明できないじゃないか。冬夏とかの四季
は紀の編者の後付けだよ。紀の神武以後の記事では、どこもかしこも春3月とか
秋10月などのように、まるで蟻の大群のように春とか冬とかの季節が月とともに
出てくる。原書は多数あったんだから、四季のない原書も半分とか少なけりゃぁ
1/3だとか、多けりゃぁ2/3だとかあったはずであり、逆に四季のついた原書だっ
てその逆の割合でうんとか少ないとかであったはずで、両者が混交的状態と
観るべき物であり、紀のように神武以降ほぼ全部に四季がついてるということは、
彼ら編者らが月数を見て、ははぁ10月とあるから秋だなとか思って月数に付加
していったわけだ。だから6月が冬ということは、倍暦で冬だとしても、編者ら
は夏と観てそれを6月に付加させてしまったということになる。

なぜそんなことをしたのか? それは元明、元正ころの朝廷の官僚式記述様式が
かなり厳格に定まっていたんんだろう? 天皇に見せるものだからね。四季を月の
頭にのせて書くのが決まりだったか、そのへんの理由で紀は月の頭に全部的に四季
を加えて書いて行ったものと観える。だからなおさら倍暦の真が隠没してしまっ
たわけだ。〜お前は単純だな。www 出直すのはお前のほうだろう。よくいま
一度、なぜ天皇に百数十歳の寿命の方が多いのか? それを具体的に考えて来い。

830 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 14:23:56
>>829
崩年干支から適当に割り振ったからでしょ。
超長寿の人は、60歳引いてあげればいいんだよ。
「倍暦」とか言わなくても、それで特に問題無いでしょう。

831 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 14:35:14
>>830
引く理由がないねぇ〜。多いから引くでは、合わないから水増しとするのと
似た理由で恣意的であ〜る。そんなんなら最初から舎人親王らが60引いて記述
すればいいことだろうが。
そう言うと、お前は中国に負けないように過去に年代を遡らせたとか言うかも
知れんが、神武を始皇帝より古くしたいからといったって、中国にはそれより
古く夏、殷とかの時代があるし、三皇五帝もいるんだから、あのくらいの拡張
では暖簾に腕押しで大した効果にはならない。だからそんな効果のないことを
親王らがやるはずがない。

832 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 14:49:46
>>831

> 引く理由がないねぇ〜。

有るだろう。
倍暦なんて設定しなくても平均的な寿命になるんだからさ。

> 多いから引くでは、合わないから水増しとするのと
> 似た理由で恣意的であ〜る。

合わないから「倍暦」つーのと全く同じことだよ。

> そんなんなら最初から舎人親王らが60引いて記述
> すればいいことだろうが。

崩年干支から年代を割り出したのが編纂グループだろう。
あーでも無い、こうでも無いとやった結果でないのか?

> そう言うと、お前は中国に負けないように過去に年代を遡らせたとか言うかも
> 知れんが、神武を始皇帝より古くしたいからといったって、中国にはそれより
> 古く夏、殷とかの時代があるし、三皇五帝もいるんだから、あのくらいの拡張
> では暖簾に腕押しで大した効果にはならない。
> だからそんな効果のないことを親王らがやるはずがない。

「三皇五帝」とか持ち出したらいかんがね。
よーく考えて見たまえ、神武とじゃ、比較すべき対象が違うだろう。
そしたら、高天原は?日向は?出雲はどうした?つーことになるぞ。
それに当時(書紀編纂時)のライバルは新羅だよ。
偏狭な皇国史観論者にありがちな、外交音痴で視野の狭い判断だなw

833 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 15:47:13
>>832
なんだい? 平均を取るためか〜?? なんでそんなことを舎人親王らがしたと
言うのか?仁徳前の天皇はその大半が百数十歳だぞ。平均を大きく上回って
しまうではないか? それとも当時の平均年齢は100歳以上なのか〜?wwwww

倍暦とは同じではないだろう。倍暦は舎人親王らではなくその暦法を行使して
いた仁徳以前の世の朝廷がやってものだよ。お前の言う平均年齢が100歳以上
というお前の説は、後代の舎人親王らがその平均の帳尻を合わせたという意味
ではないか? まるで違うよ。ゴッタにするなよ。

>「三皇五帝」とか持ち出したらいかん
神武とじゃで〜こっちのほうは全く同じではなく、違うと言うんだからねぇ?w
比較対象が違うとはいえ、伝説だとしてもむこうではそのように豪語してるから、
朝廷も年代を拡張したというなら舎人らは始皇帝でガマンするわけがない。新羅
だとか言ってるが、その国と年代を争ったのか? ならばどんなふうに年代の
都合を舎人らがつけたのか言ってみい。拡張した根源的事由は新羅だとぬかす
のか?www 新羅くらいでそんあ拡張などやるか?wwwww

834 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 16:26:34
>>833

> なんだい? 平均を取るためか〜??

誰がそんなことを書いた?
暑さボケか?
まあ、この暑さじゃなw

> なんでそんなことを舎人親王らがしたと言うのか?
> 仁徳前の天皇はその大半が百数十歳だぞ。平均を大きく上回ってしまうではないか?
>  それとも当時の平均年齢は100歳以上なのか〜?wwwww

だから、「平均」って何だよw
どこからそんなセリフが沸いてくるんだよ。
少しは涼め。

> 倍暦とは同じではないだろう。倍暦は舎人親王らではなくその暦法を行使して
> いた仁徳以前の世の朝廷がやってものだよ。お前の言う平均年齢が100歳以上
> というお前の説は、後代の舎人親王らがその平均の帳尻を合わせたという意味
> ではないか? まるで違うよ。ゴッタにするなよ。

だから「平均」って何だよw
誰も言ってないだろうがw

> 伝説だとしてもむこうではそのように豪語してるから、
> 朝廷も年代を拡張したというなら舎人らは始皇帝でガマンするわけがない。

それは、アンタが勝手に言った屁理屈だろ。
自分で自分の言ってること否定しちまうのは暑さの所為だな。


835 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:06:45
>>786
実際は年代遡上のためだけの「漢鏡」分類なんだけどね。

位至三公鏡なんて型式で漢鏡に入れるのは無理。
しかも中国の出土は300年前後が多い。

あれは日本で三角縁より前の時代の遺跡、墳墓から出土する鏡を
「漢鏡」に分類しているだけのトンデモだろう。

あと、日本でのみ500枚以上出土する三角縁を舶載と主張するデムパは
批判しないのか。あれは考古学の基盤を危うくするよね。

836 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 17:16:44
>>834
はは〜ん、じゃぁ伝説らしきものは古くてもいいわけだ。だが殷墟だとか、確か
夏の遺跡が中国から出てきたとかいう話だろう? ならば伝説ではなか
ろうが。w 発見されてるとなれば、当然屁理屈ではないね。それともなに
か〜? 舎人の時代はまだ発見されたないから伝説だというのか??wwwww
うぬの逃げ口上だな。wwwww

お前言ったんだろう? 平均っていうのは・・・?
それとも別のコテハンなのか・・・? お前仮コテでもつけろ。誰だかこっちは
わかりゃぁしない。

837 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:21:27
三角縁神獣鏡が舶載だとか、土器編年が絶対ですなんて、
日本の考古学は戦前の神話国史レベルですね(笑

838 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:36:41
>>829 犬国 ◆yVAs7uaYlY
>それで否定したなら仁徳前の超長寿をどう
>説明するのか? そのお前の否定では説明できないじゃないか。

(゚Д゚)ハァ?

>1年を6ヶ月とかにすりゃぁいいわけだよ。

と訳の分からない事を言い出したのはてめえだろアホ。
1年が6ヶ月なら年齢は倍じゃなくて1/2だw

で結局
 「記紀の四季は後付け、実際の季節に対応していません」
とトカゲの尻尾きり宜しく、都合の悪い四季は切り捨てるとwww

だったら最初からそう言えば >>818 の余計な理屈は言わずに済んだものを・・・
つか慌てて考えたんだろう?(ゲラ

839 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 17:43:51
>>829 犬国 ◆yVAs7uaYlY

あ、そうそう

>なぜ天皇に百数十歳の寿命の方が多いのか? それを具体的に考えて来い。

考えるまでも無い「辛酉革命説」一発で説明可能www

少なくとも四季と月がずれていたなんて物を想定しなきゃならない倍暦理論なんかよりずっと説得力あるw




840 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:33:20
>>835の元ネタはコレ?

「邪馬台国の会」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku220.htm
>位至三公鏡の分布

841 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 18:50:42
>>811
>九州〜中国の土器編年より150年はおろか、800年古いなんてのもザラですなあ。

てかC14って元々、土器付着炭化物で年代が異常に古く出るって傾向があったよね?

いくらなんでも800年は鳥羽市すぎ(笑)

842 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:06:12
>>837
>神話国史

 「 祭器場 」に続く新たなる造語

   『 神 話 国 史 』

まあニュアンスとして分からないでもないがwwwwww


843 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:13:06
>>836

> 誰だかこっちはわかりゃぁしない。

コテ付けても、その暑さボケアタマじゃ区別付くまいw

844 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 19:30:59
>>835
> 実際は年代遡上のためだけの「漢鏡」分類なんだけどね。

ハァ?まだ言ってるの?
「漢鏡」「漢鏡」って念仏のように唱えてるけど、ちゃんと定義してから使いなよ。
他説に出てくる用語の定義を自分流に変えて、使用するのは止したまえ。

> 位至三公鏡なんて型式で漢鏡に入れるのは無理。

何でさ。

> しかも中国の出土は300年前後が多い。

それ、誰が決めたの。

> あれは日本で三角縁より前の時代の遺跡、墳墓から出土する鏡を
> 「漢鏡」に分類しているだけのトンデモだろう。

結論は、その決め付けですかw

> あと、日本でのみ500枚以上出土する三角縁を舶載と主張するデムパは批判しないのか。

あ〜、舶載説ね。あの20世紀の歴史的学説ね。
別にそんなもん主張してる人、今ここに居ないじゃない。
相手もいないのに、何でキミはそんなもの批判したいのか?
もしかして、天動説とかもところ構わず批判する人ですか。

> あれは考古学の基盤を危うくするよね。

安○のは学問以前だけどなw

845 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:12:05
>>844
>> 位至三公鏡なんて型式で漢鏡に入れるのは無理。
>何でさ。

ヨコからだが・・・

「邪馬台国の会」
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku220.htm
>たとえば、中国社会科学院考古研究所の徐苹芳氏は位至三公鏡について、次のように述べる。
>位至三公鏡は、魏の時代(220〜265年)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316年)に大流行しましたが、
>呉と西晋時代の南方においては、さほど流行していなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その形式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、
>これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸出できなかったものと考えられます。

このあたりを根拠にしてるんじゃないかな?




846 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 20:35:15
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

847 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 21:20:47
土器編年を絶対視しないと支えきれない畿内説。
畿内説、もう駄目じゃん。

848 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 21:52:37
>>838 >>838
1年が6ヶ月でもそれで1歳と数えるんだ。現今では2歳の計上だ。
これが2倍年暦だ。おマエ、五輪の体操とかバレーボールとかの団体
競技は日本チームが全員金メダルを複数取っても、数は複数個とは
数えないんだよ。それ1回分の1個だ。お前は融通の利かない奴
だな、だからうぬは負け犬王になるわけだ。PuPu!wwwwwww

おマエ頭がボケてるのか? 大学で教授がお前に質問してハァなどと
回答してると、試験のとき教授に点数を減らされるぞ。
少しは口を慎め。

おマエ日本には辛酉時にでかい革命など起きていないんだよ。お前は
那珂博士と信友とかににダマされたんだぜ。本当か?ウソではないの
かと用心しないからだよ。ウヌは単純だからなぁ〜。wwwww

849 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:14:43
>>848 犬国 ◆yVAs7uaYlY

ほう?
「1年が6ヶ月」で良いのか?


  じゃあ一月あたりの日数は約60日として
  16〜60日の日付が出てこないのは何故なんだ?w


そうやって馬鹿丸出しの脊髄反射するからどんどんてめえの首を絞めるww

お前のようなアホが自分の歌に合わせて踊りながら
自滅して行くのを見られるのは2ちゃんならではだなwwwwwwwwwww


850 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:20:24
>>848 犬国 ◆yVAs7uaYlY

あ、それから・・・

>おマエ日本には辛酉時にでかい革命など起きていないんだよ。

当たり前だよアホw

起きてないからこそストーリーの中で革命的な出来事を起こしているんだろうがwww

  ♪馬鹿も休み休みいい加減にしろよ〜 wwwwwwwww



851 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 22:46:05
九州王朝論者の非論理
連中は口では「多元的古代」「畿内一元史観反対」などと言ってはいるが、
その実態はもはや「北九州一元史観」状態。
皆が皆「畿内は当時は野蛮国!」旨の事をわめく。

852 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 23:01:18
>>849 >>850
簡単だろうが、15日〜60日なぞないからだよ。つまり1ヶ月が当時
は2週間しかな〜い。だから15日〜60日などが出てこないわけだ。
つまりうぬの豆脳ダンスなわけだ。wwwwww
それでおマエは負け犬キングだ。ハッハッハッwwwwwwww
おマエお脳がだいぶ支離滅裂で意味不明の言葉を連発している。
Pu!! そのうち負け犬おぅの遠吠えが聞けるなぁ〜。wwwww
おぅ〜〜おぅ〜と叫ぶ〜〜〜ぅようだと噂が立ってるそうだ。www
そのうち負けの千鳥泣きで、騙された後悔をすんなよ〜〜ん。www
ハハ!!
もっと泣け鳴け! 鳴き屋になってやろうか〜?あ〜〜ん。wwwww

853 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/10(日) 23:15:10
>>850 こわっぱ

なにも騙されたことを恥かしくて隠すこた〜ね〜ぜ。
辛酉革命なんか日本になんかな〜いんだよ。あるのは伴や那珂さん
を信じて染みこんだ〜お前の単純なおツムの中身だ。
疑惑も持たね〜とはねぇ〜? 青臭い〜。www

じゃぁ〜な。ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・

854 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:15:36
>>852 犬国 ◆yVAs7uaYlY

おいキ○ガイ。

言ってる事が毎回毎回違って支離滅裂なんで確認しておくぞ?

お前の倍歴はどう言うモデルなんだ?

 1年 ≒ 24ヶ月×約15日
 
なんだな?
ただしこの場合1〜12月を年に2回繰り返す。
(13〜24月なんて表記が無い以上)

これで良いんだな?





855 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:29:11
いつもにまして太国の発狂ぶり凄いな。。
よほど痛いところを突かれたのか?(笑


856 :日本@名無史さん:2008/08/10(日) 23:48:54
まあリアルキチガ○犬国 ◆yVAs7uaYlY のほざく倍歴が
 >>854 のようなものだとしてだ・・・

ただでさえ奇妙奇天烈な倍歴理論なのに
春夏秋冬も後付けで実際の四季を表しておらず
記紀に例えば 「春○月○日」とあっても
年に2回ある「○月○日」のどっちか分からないw
歴史書の名が泣くと言うレベルじゃなくて
小学生の夏休みの宿題の絵日記以下だなwww

まあ結局、犬国 ◆yVAs7uaYlYの電波度が増しただけwwwwwwww




857 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:11:48
>>844
「漢鏡」は、本来なら「漢式鏡」と言うべきだろう。
しかし、「漢鏡」という。これがトンデモの始まりだな。
しかも漢の時代に遡るかどうかさえはっきりしないものまで含める。

舶載説は天動説レベルではあるが、いまだに信奉者がいるのも事実。
あれはなんとかせんといかんね。



858 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:35:20
>>857
自分は必ずしも舶載説に固執しないが
現状、舶載説を完全否定する材料があるかな?

そもそも出土した500枚以上全てが舶載なんてアホな事を言っている人間はいないし

良く決め手の様に言われる鉛同体比(208Pb/206Pb)にしても
分布の一部は漢6期7期のエリアに入る。
その部分こそが舶載と言う論も成り立つんじゃないのかな?

その様式や鋳造精度の分類で間違いなく一番ふるいグループとされた物で同体比を測定し
それが漢代の遺物の同体比と違うと言うデータがあるのならともかく・・・。




859 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:50:33
畿内説には、領土漸増説とでもいうべき信仰がある。
根拠もなくこう考えるのだ。
「××世紀、××天皇のときは○○まで支配していたと考えられるから、
その○年まえの○○天皇の時代には明らかに△△までは支配していたことは確実だ」

・・・つまり同心円の領土を、毎年?同じペースで直径を広げていったとする妄想だ。

歴史を素直に見てみよう。日本列島内はおろか、世界各国においても、ジリジリと
木の年輪みたいに、規則正しく領土を広げていった国などほとんど存在しない。
一気に領土を広げたり失ったり、国境が膠着したり、国が分裂したり敵国と組んだり、
国というものは千変万化なのである。畿内説は領土漸増説を前提にして論を構築するが、
妄想の上に立っていると言わざるを得ない。




860 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 00:56:07
三角縁神獣鏡が舶載鏡なら、原産地の中国で、日本の何倍も出土してるはずだろ。
中華思想にまみれた中国側の鏡の最高権威学者が、「あれは中国製じゃありません」
って言ってるんだから、無理だな。中華思想からすれば、日本の古代鏡は全部
中国製ですと言いたかったんだろうが、さすがにそこまで嘘は言えなかったということだ。

861 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:02:06
>>859
>領土漸増説

後学の為、現在においてそう言う説を唱えている学者を実名挙げて教えてくれ。

そもそも一口に畿内ヤマトと言っても5世紀後半あたり(大体雄略あたりか?)から
その構造に変化が見られると言うのは、もう常識的レベルだと思っていたが。

巨大古墳の造営が畿内だけになっていったり
また古墳の副葬品も中期以降、宗教呪術的ものから武器の比重が増していく等々・・・

九州説の連中と言うのはそう言った質の変化すら見ずに
勝手に畿内邪馬台国から後の大和朝廷へ、それこそ万世一系の進展を勝手に想定して
それに反発しているお馬鹿さんにしか見えないのだがwww




862 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:10:31
横からだが、領土漸増説の学者、岡田英弘「倭国」など、それでは?


863 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:16:19
>>862
サンクス。

知らなかったのでさっそくググってみたが

・・・まあ一匹狼つうかアウトサイダーつうか
この人物をもって
「畿内説の領土漸増説とでもいうべき信仰」
とか言われてもピンと来ないなwww




864 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:37:30
いや、2chの畿内説でも良く見かける。

865 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:42:27
俺は見たことない

866 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:49:14
コテハン夏祭がそうだな。

867 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:52:04
いきなり2ch限定かよwww



868 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:54:39
継体が九州まで支配したから、何天皇は吉備あたりまでとか、そんな話は聞くぞ。

869 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 01:56:34
>>858
日本で500枚以上出土していて、中国から1枚も出ていない。

考古学的にはこれで完全にカタがついている。
学説(舶載説)が出土状況で完膚なきまでに否定された典型例だろ。

日本向けの「特鋳」とかいう奴は、頭がおかしいと本気で思うよ。



870 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:10:38
畿内説論者は露骨に書いてはいなくても、基本的に領土漸増説というような考え方だと思いますね。
大和に始まった小国家が徐々に勢力を拡大した、倭建命の物語はその勢力拡大の記憶を物語化したものだ、などと考えますからね。
そして、南九州や東北には最後まで抵抗勢力が残っていたなどとするので、漸増説のようなことにならざるを得ない。


871 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:23:15
>>870
想像するのは勝手だが>>861で書いたような畿内ヤマトの変質は既に定説レベル。
そんな一本調子で拡張したなんてのは九州説の「畿内説論者像」にしかないw

2ちゃん限定にしても畿内説が
「緩やかな首長連合」と言っても
「そんなものはあり得ない」と噛み付くのが九州説の連中www


>>868
吉備を討ったとなると雄略だろうが、継体と雄略を同じ線上に並べるなんて何処のアホだ?
2ちゃんねるの畿内説ですら見た事無いぞ?
まあ九州説の連中は色々こっちの想像を超えるから知らんがwww





872 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:33:19
皇学館の元学長、田中卓が漸増説だったな。
皇国史観だけどな(笑

873 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:35:16
結局、九州説の連中は実際には殆どいないであろう
脳内の「領土漸増説を唱える畿内説論者」に反発して
一人でシャドウ・ボクシングしているアホどもwwwwwwww

特に九州王朝説の連中にその色が濃いのかな?w



874 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:37:41
一方で、6世紀後半ですら、大和は播磨を領有できていない事実は無視するのが畿内説。

875 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:42:26
>>858
>そもそも出土した500枚以上全てが舶載なんてアホな事を言っている人間はいないし

いるだろ。早稲田の車崎が。

100種類を超える三角縁の文様の変化からは、国産と舶載とが区別できない。
それ故、全て舶載である。
というのが彼の説。

ふつう逆だろう。


876 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 02:58:46
>>874
>大和は播磨を領有できていない事実

で、それが何か?

鬼の首でもとった様に言われてもねえ・・・

例えば馬見古墳群とかを見れば6世紀においてでさえ
お膝元もお膝元、奈良盆地南西ですら完全支配していなかったなんて普通に言われているしw

磐井が負けた時命乞いで”自前の領地”差し出しているのは記紀にも書いてある。

だからこそ中央集権を完全な物にするために律令政治の導入が必要だったわけで。

結局「単純な領土拡張ゲーム」しか考えられないのは九州説論者の方って事を証明しちゃってるぞwwwww

877 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 03:02:59
>なぜ邪馬台国を大和と認めないの?

九州説、特に九州王朝説にとって
それは「畿内皇国史観」「領土漸増説」に対する敗北w

この脳内聖戦に負けるわけにはいかんとですwwwwwwww



878 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 03:08:01
邪馬台国は中国以外で唯一、絹の錦を生産していた国。
この倭錦の出土はほとんど福岡県ばかり。
大和からはほとんど出ません。

879 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 03:17:03
>>878
お取り寄せで問題無しw

ワンフレーズの繰り返し、祭器場君かな?www

880 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 03:19:24
また、電波な舶載鏡理論だな。
これなら前方後円墳も舶載古墳、倭錦も舶載錦なわけか(笑

881 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 03:37:00
>>869
で、カタがついていないのが現実って言うのは理解しているな?w
だからそうやって愚痴っているわけでwww

>>860の「中国側の鏡の最高権威学者」と言うのは王仲殊の事だろうが
じゃあ王仲殊の言うように呉の工人が創ったらあのようなデザインになり得る訳だ。

で製作した場所が呉地であれば舶載説が成り立ってしまう。

戦乱の為、製作組織を失った魏は魏年号の神獣鏡を明帝太和元年(227)頃まで呉地で創らせていると言うし。
加えて景初三年と言う朝貢は半島の掃討が終わってあわただしい中で行われたともなれば
意外と「特鋳」説もありかもよ?www

まあ△については「何処で作ったか?」もさる事ながら「いつ作ったか?」の方に興味があるw
王仲殊によれば景初四年の紀年鏡は亡命呉人がフライングしてしまったと言う事だから
完全に邪馬台国と同時代w

例え国産であってもそんなもん畿内中心にばら撒かれたとあっては九州説というより
九州王朝説は看過できんだろうwwwwwwwwwwwwwww





882 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 04:53:37
>>881
>王仲殊によれば景初四年の紀年鏡は亡命呉人がフライングしてしまったと言う事だから
>完全に邪馬台国と同時代w

もちろん、それが真実だろう。
邪馬台国時代に、△鏡が近畿周辺にばらまかれた=近畿一帯を勢力下にした、鏡を信奉する政権があった、
ということだから、
邪馬台国時代以後の東遷説はまったく成り立たない。
東遷論者は自己矛盾に気が付いてない。




883 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 05:30:35
>>882
>△鏡が近畿周辺にばらまかれた

いやいや、九州の初期前方後円墳の中の古いものでも△出てるのがあるから
もっと面白い話になるよwwwwww

884 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 06:22:32
>>883
そうなると、近畿のヤマト王権連合には九州も参加してたということになるね。

近畿のヤマト王権連合=邪馬台国で決まりでしょう。

885 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/11(月) 07:40:51
>>854
その等式のみで単純に即興計算で紀を細かに調べないから、おマエの豆脳が
爆発的能書きの誕生に医たるわけだ。おマエの脳はえらく物分りが悪いからな。
等式の書き方で倍暦の全てを決めこんでいるようだが、うぬは複雑思考がヘタ
なのか? そろそろ精神病院へ行って診療してもらえ。
おマエは仁徳前の天皇が百数十歳も生存していたことを許容している? これぞ
オマエの激痛を発する豆脳の病原で、精神科行きの妄想ではないか。www
百数十歳も生きたことにして、その前提でどうのこうのと反論の豪語をしたって、
   ↑  がうぬの肯定している論理では、そのおかしい個所を放置しっぱ
なしでいるから、うぬのお脳を精神病院で診てもらえと言ってるんだ。まず
うぬの紀違い個所をキチンと説明しないんでは、あとのうぬの書きこみはうぬ
がなにくわぬ顔をしてるだけの役立たずの作文にすぎない。

単純、基本的考察では、2倍暦の場合

 現今の半年分=当時の1年=12ヶ月×15日

となろうが、天皇の治世によってはそんな単純計算的やり方でなく、複雑な
やり方での倍暦法を行使しているといるのだ。だから上式は基本的意味では
あるが、各天皇世での倍暦行使を単純にこの等式のみで考えちゃうと、あっちが
合わないこっちが合わないで、おマエの批判のエサになるわけだ。
天皇世によっては空白月等もあるし、さらに1ヶ月が3週間でやってたのでは
あるまいかとの考えも捨てるわけにはいかない。それほど当時の暦法は変更を
経て倍暦のやり方の同一方法を採っていない。勿論先帝の世と同一の場合も
あったろう。

886 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 07:55:59
>>885 犬国 ◆yVAs7uaYlY

本当くだらねえカスだなw

グダグダ書いちゃいるが要は
きちんとした説明をして・・・

  言 質 を と ら れ る の が 怖 く て た ま り ま せ ん

なんだろう?wwwwwww

矛盾を指摘されたら御都合主義でいくらでも変えられる

・・・そんなもん、もはや暦でも何でも無いwwwwwww





887 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 08:14:43
>>877
最近の九州説は作る会賛同者に支持されてるのにね。
井沢元彦や安本美典。

888 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 12:57:23
絹作りは中国が門外不出にして隠していた技術だが邪馬台国になぜ流れたのか
不思議だな ローマ帝国との交易に金と同じ重さの絹を交換していたという貴重品
絹輸入でローマが傾いたという説もあるくらいだ
邪馬台国に中国人が流れこんでいたのか?

889 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:05:53
>>882
日本での流通は、  位至三公鏡→画文帯神獣鏡→三角縁神獣鏡

んで、中国では、位至三公鏡は300年前後に流行している。


よって、位至三公鏡  → 画文帯神獣鏡 →  三角縁神獣鏡
     310頃から     330頃から        350頃から


中国の出土状況を無視しなければ、こうなる。

890 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:24:08
>そうなると、近畿のヤマト王権連合には九州も参加してたということになるね。

ところが傘下のはずの九州王権の元号を、畿内王権側が使わされていたと。
九州王権側は中国から大将軍号をもらって、畿内は無視されていたと。
九州王権の命令で、畿内王権は半島に派兵されられていたと。
これって、

 × 近畿のヤマト王権連合には九州も参加

 ○ 九州王朝にヤマト王権連合が隷属していた ってことでしょ。

891 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:56:56
>>889
>位至三公鏡は300年前後

なんで魏・西晋時代に流行った物を西晋の晩年に恣意的に晩年にもっていくのかね?

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm
>中国の社会科学院考古研究所の所長であった考古学者・徐苹芳氏は、「位至三公鏡」について、つぎのようにのべる。
>「位至三公鏡は、魏の時代(220〜265)に北方地域で新しく起こったものでして、西晋時代(265〜316)に大層流行しましたが、呉と西晋時代の南方においては、さほど流行してはいなかったのです。
>日本で出土する位至三公鏡は、その型式と文様からして、魏と西晋時代に北方で流行した位至三公鏡と同じですから、これは魏と西晋の時代に中国の北方からしか輸出できなかったものと考えられます。」
>「魏の時代にはいわゆる「位至三公鏡」が新たに出現しております。
>これは後漢の双頭竜鳳文鏡から変化してできたもので、西晋時代になって特に流行しました。






892 : :2008/08/11(月) 14:00:54
「大食い番組 二十数皿を48皿とカウント」
料理の世界にも一皿を二皿と数える方法がありました。
これって、2倍皿。

893 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 14:14:21
>>889
 位至三公鏡…魏・西晋時代の北方で発生・流行

 画文帯神獣鏡…徐州や呉の領域華南地域製作で楽浪経由で日本に

 三角縁神獣鏡…国産?

何れにせよ

>中国の出土状況を無視しなければ、こうなる。

・・・とは意味不明w

894 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/11(月) 14:22:48
>>886
それこちらの言うセリフだぜ。今度もお前は説明が全く無〜い。お前の言い分が
正解ならば、仁徳前の天皇はその殆どが百数十歳の超長寿だったということをお前
は簡単に容認したことになる。紀がこういう記述だからプランセンが倍暦説を提示
した訳だよ。辛酉革命なんか舎人親王の時代以前、からきし起きたためしがない。

それをうぬは疑問も持たず信じる豆脳だから、うぬは単純な野郎だということ
を自ら率先して開陳していえ滑稽だ。w お前自分の言うことに責任を持てよ。
それだけ大きく出るならよっぽどうぬは自信があるのだろう? ならば仁徳前の
天皇がおマエの説明でどのように合理的解決がつくのか? それを回答するん
だな。wまぁうぬにはでっきっこないだろうねぇ? だからうぬは負け犬大王に
当選確実にな〜〜るわけだな。ww

895 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 14:39:54
>>894 犬国 ◆yVAs7uaYlY

ドカス、発狂カキコご苦労さんw

で俺がいつ「百数十歳の超長寿を容認した」って?

暑さで幻聴でもしたか?w

悪いが記紀の皇統譜を盲信していない。
身も蓋も無いがそれだけw

必死になって倍歴なんてアホ理論ひねって
つじつま合わせするのはお前の勝手だがwww

896 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 14:53:47
まあ、2倍暦の存在を否定しちゃったら、古代史の研究などおやめなさい。
その人は、真実がつかめない人だから。

897 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 15:09:59
>>891
魏ではもともと鏡の出土自体が少ない。
呉に鉱山を押さえられていて、銅銭の鋳造もままならず、貨幣経済が
一時崩壊していたという状況であり、鏡の製造も停滞していた。
その状況で日本向けの三角縁を数千枚鋳造したとかいう気の触れた
連中もいるが、それはあり得ないw

位至三公鏡の流行は呉の滅んだ280年以降に始まる。
呉の領域内にあった鉱山から280年以降銅が出回る。
位至三公鏡は300年前後にもっとも流行する。


898 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 15:28:03
>>897
魏では銅鏡全く作られていなかったような言い様だなw

>>881でかいたが
>戦乱の為、製作組織を失った魏は魏年号の神獣鏡を明帝太和元年(227)頃まで呉地で創らせていると言うし。

これも一時魏と呉が冊封関係にあった事に由来すると言う。

呉地の銅が呉滅亡以後で無いと魏に流入していないなんて嘘っぱちだなwwwwwww


899 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 16:30:58
>>898
魏の時代に銅が不足していたことは、中国では定説ですが何か?

それでも、日本向けの特鋳として数千枚の三角縁を作ったというバカが
いるのが理解できないですね。

900 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 16:45:37
>>899
銅が不足気味と言う点に付いては否定していないが?
まあ「数千枚の三角縁」なんて言ってる奴への恨み節wは言っている奴に言ってくれwww

何れにせよ日本への位至三公鏡流入を西晋の晩期に限定する根拠は無いな。
流行のピーク以後にする根拠がね。

それに楽浪鏡というカテゴリーにされる事もある「画文帯神獣鏡」は洛陽を中心とした華北系とはまた違う系統・産地
それを「位至三公鏡」と同じラインに乗せて編年するのは無理だろwwww

 

901 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 16:56:44
http://best100.jp/link.php?carrier_id=3&category_id=21&site_id=yatiju

902 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 18:24:38
>895
辛酉革命での暦だとどうなるんでしょうか?

903 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 18:49:34
>>902
>辛酉革命での暦

そんなものは無い

904 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/11(月) 22:05:22
>>895
ドツボ?w 紀違い ↓ 下記己ご苦労さんww

>で俺がいつ「百数十歳の超長寿を容認した」

まさにそのとおりだろうがwwwww
うぬは暑さで言超でもしたろうwwwww

悪いがうぬの借り物→辛酉革命話を盲信していない。
見りゃ改めらしいwwwww

必死になって辛酉なんて負け犬理論ひねって
しきりに合うのはお前が改めならwwwww

905 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:10:43
>>904 犬国 ◆yVAs7uaYlY

おいおい、とうとうこのリアル○チガイ犬国にドツボにされちまったか(苦笑

結局このアホがほざく倍歴なる物はすでに暦なんて言えるシロモノではない。

単に記紀の天皇の長寿等につじつまを合わせるだけの物。

もはや月や太陽の天体の運行とも関係なくなり
かと言って農耕や狩猟・採取のサイクルとも関係が無い。

以前、暦の専門家が書いて読みながら首肯したのは
巨大古墳の造営にあたり必ず暦が必要であったろうと言う話で
なるほど各地の有力者支配者に労働力の提供を命じなければならず
「○月○日に○人の人間よこせ」
と言う指示はしたであろうと。

(まあ、その学者は具体的には「結縄」で月齢を表したカレンダーのような物を想定していたが・・・)

政治・軍事・農耕etc…アホの犬国の言う倍暦はもう何の為に存在するのか分からないwww

脳味噌沸騰して暦の暦としての機能に思いも至らず
ひたすら自分のチンケなプライドを守る為つじつまだけを合わせていく。

まあアホの犬国は一回芯どけとwwwwwwwwwww




906 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 23:18:57
>>900
画文帯を楽浪鏡にカテゴリーするのはちょっと無理では。
まあ、1面くらい出土しているけどw

その1面は日本でのみ出土するデザインの画文帯同向式だから、
日本から持ち込まれた可能性が高いんだけどね。

907 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/11(月) 23:52:50
>>905
おいおい、とうとうこの理無し→紀違いうぬは負け犬王に成り下がったか?(苦笑
結局このワンワンがほざけない倍歴なる物はすでに暦と言えるシロモノ
であ〜るわけだ。
単にも記紀の超長寿に合理的説明ができうるべき物。

もはや月とか太陽との天体の運行と関係がない暦法は世界にある訳で
かと言って農耕や狩猟・採取のサイクルと関係も有る場合があ〜る。

>以前、暦の専門家が書いて読みながら首肯した・・・
>・・・(まあ、その学者は結縄を月齢で・・・想定していたが)

政治・軍事・農耕etc... ↑ のにわか勉強のワンワンと言う辛酉革命はもう何の為に存在するのか分からないwww
脳味噌テンパッて辛酉革命の辛酉革命としての紀脳に思いも至らず
ひたすらうぬのチンケなプライドを守る為ワンワンだよと遠吠えス。

まあ遠吠えのうぬは多数回夜通しワメくけど。wwwwwww

908 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 06:09:13
それでも、太国を支持するやつは一人もいないわけだが。

909 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 07:37:08
>>908
近い奴はいるよ。わらわの崇神の年代は

 崇神崩御=259年    だが

古事記の崩年干支から

 崇神崩御=258年説

の方がいる。わらわの倍暦計算とは1年違いの精度だ。つまり記の同干支は
崇神崩御においては極めて正確だったということになる。そして記の同干支から
の258年説を主張してる方々は論においてほぼ勝ちとなる。
崇神崩御=259年 からは

 崇神即位元年=237年=景初元年

ということになる。畿内から出土の鏡は卑弥呼のではなく、崇神の同床共殿策
をした 崇神即位2年(紀の崇神即位六年)=238年=景初2年 から同時代の
畿内住民の同策から各家に飾ったりした鏡だったということになる。これでも
女王国畿内説は崩れる。

910 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 08:58:18
あまりにも強引な結論にワロタw

911 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 10:03:38
倍暦を支持するやつはいない、という意味だが。


912 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 10:13:05
ばかだなぁ。
倍暦なんてあるわけねえだろう。歴史を長く見せたければ、架空の天皇を沢山創れば済む事なんだから。

913 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 12:28:47
おれば、倍暦はあったと思う。
その反映なしに、記紀は理解できない。

914 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:06:40
>犬国 ◆yVAs7uaYlY

おい馬鹿

「わらわ」って女の一人称じゃねえのか?wwwwww
(時代劇にしても男が使っているの記憶に無いがw)

分かってやってるのなら気持ち悪いおっさんだな
老年お釜か?お前は?(ゲッ

Wikiから
>妾(わらわ)
>女性の一人称。
>語源は「童(わらべ、わらわ)」であり、意味としては「子供のように未熟な自分」で、
>本来は謙遜する際に使われる一人称であるが、創作の世界では、逆に『ヤットデタマン』のミレンジョ姫など、
>女王、王妃など高い地位にある者が、不遜な響きを含ませて使用する場合がほとんどである。




915 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:09:54
>>913

なら、おまえは、崇神崩御=259年だと思ってるんだな?





916 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 13:16:20
>915

考えたことが無いから知らないが、倍暦なくして、記紀は理解できないだろ。

917 : サガミハラハラ :2008/08/12(火) 13:55:29
日本書紀には、安康天皇以前の在位年については倍暦がつかわれており、それを普通年に復元した本が既に出版されております。
宣伝になりもうしわけないですが、くわしくお知りになりたい方は「神功皇后は実在した 後藤幸彦 明窓出版」を
図書館で借りてみてください。目から鱗が落ちることうけあいです。
図書館にない場合は、リクエストというものがあるとおもいますので、図書館に買うようリクエストしてみてください。

918 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 14:06:23
つうかだな・・・

倍歴の存在を立証したけりゃ、記紀とのつじつまあわせだけで話が終わら無いぞ?

先ず具体的なカレンダーとして全体像を提示して
その暦がどう言う経緯で発生したのか?
どれくらいの地域で、どう言う運用が成されたのか?
・・・etc

きちんと暦として一本立ちした物を提示する必要があるって分かってる?
まあリアルなお話で申し訳無いんだけどwww


ぶっちゃけ倍歴なんて
「記紀とのつじつま合わせごっこ」で止まっている物としか思えんのだわwwwww

919 : サガミハラハラ :2008/08/12(火) 14:32:00
つじつまが合うというだけでも大変なことだとおもいませんか?いままではつじつまさへあわなかったのですが。

920 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 14:47:44
>>918
そなたは立証と申されておられるが、古代史は資料大海の如くのわけには行かず、
それはいからる者でも出来える芸当ではないぞよ。とりわけ欠史八代間はそれら
が微々で、限りがある。それゆえ如何に合理性あるかが問題となろうのぅ。
合理性をつじつま合わせという即興の造り物とミソクソ一緒にするではな〜い。
後者ならばボロは出放題で舎人らの水増しなどの論がこれであろうな。わらわは
かように考える。そなたもそうおぼしめされぃ。

921 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 14:49:15
>>920 訂正
× いからる者でも    ○ いかなる者でも

922 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:02:06
>>919
なんで無理につじつま合わせしなければならないのか?

結局、記紀の皇統譜を事実とするからだw

つじつま合わせで出来上がった物が既に暦として使えるようなシロモノでなかったら本末転倒だなwww

具体的に言えば暦その物の検証として
その暦の発生の必然性
海外にそれと似たような物は残ってないのか?
日本にその痕跡(記紀以外に)は残ってないのか?
etc・・・

つじつま合わせだけでも凄い事だからと言って
そこで自慰行為自己満足で終わるのは勝手だが

それで記紀の内容を事実とする根拠にはなり得ないぞ?w









923 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 15:24:01
日本書紀は原書群が多々あり、神武以後の記述は年月日が殆ど記載されて
あることから、正確性は津田病患者はクル狂ルパーだが、信用性は充分あると
見たほうがいい。古事記の記述ある個所を違えての年代記述だから、相当舎人ら
はその変更に強い自信があったと想うべきだ。日本書紀はこのように沢山の原書
からの最も信頼置ける文を採っての記述と観るべきで、これを支持する原書群が
多量にあったわけだから、単に記紀二冊以外の史料を出すまでも(あれば尚可
だが)ない。後押しは多冊群の原書類の支持の上にある。出さずとも、
記紀二冊だけではないのである。

924 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:34:13
>>923 犬国 ◆yVAs7uaYlY

意味無しw

で、原書にあったであろう「四季と月の齟齬」も記紀では修正されてその痕跡も無いとwww

幻の「倍歴記載の原書群」が自分を後押ししてくれると言う妄想はチラシの裏にでも書いておけ

このオカマ爺(>>914参照)wwwwww




925 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:37:54
>>916

考えるもなにも、倍暦を認めるということは、
太国の倍暦計算からもとめられた崇神崩御=259年という年代を正しいと支持するということだぞ?

>>919

なら、おまえは、崇神崩御=259年だと思ってるんだな?


926 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 15:54:46
>>906
じゃあ画文帯を洛陽中心とした華北あたりを発祥とするのかい?
それこそ無理だろう?w

何れにせよ畿内の 画文帯→三角 と言う流れを
完全に位至三公鏡の後とする事自体無理www






927 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 16:03:30
わらわはそうは想わぬ。雄略天皇も

古事記   124歳
日本書紀 62歳

であり、記は紀の丁度2倍の歳の記述になっている。これは2倍暦の氷山の一角
が現出したもので、そのたのような無視は 改め たほうがいいのじゃ。

わらわは雄略天皇の時代に2倍暦はやってたという考えではなく、それ以前の
代なる反正の世の2倍暦行使が、朝廷の取り巻きかそれ以下の身分の者らが、
允恭の代からの通常暦戻しの後に、並行して2倍暦法で年代を計上したために、
この痕跡が2倍となって記紀に書かれたと観ている。以下のとおり

皇紀と干支  倍暦年と干支
1070 庚戌  425 乙丑 反正天皇崩御
1071 辛亥  425 乙丑 (ここまで2倍暦の為上の行と有倍暦年干支は同じ)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
1116 丙申  470 庚戌 雄略天皇即位(ここは通常暦法の時代 下行も同様)
1117 丁酉  471 辛亥 雄略天皇元年

反正崩御の皇紀での翌年(1071年)の干支辛亥は、雄略元年(実年代471年)の
干支辛亥と奇しくも一致している。このことから記紀の雄略宝算は、2倍暦取り
止め年からの2倍暦継続計算を朝廷の取り巻きか下級身分の者らが数えてやって
いたことを物語っている。
さらに稲荷山鉄剣銘文の辛亥年は雄略元年を支持しているから、ワカタケル大王
が雄略天皇であることになおも拍車をかける。逆に考えれば、2倍暦の計算が
合っている可能性がこれで増大するのじゃ。

928 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:15:35
>>927名前: 太国 ◆yVAs7uaYlY

邪馬台国に関係無い倍歴は他でやれ


929 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:23:35
>>928

スレも残り少ないから、ここでもいいだろ。

とりあえずだ。

倍暦を信じてるやつは全員、「崇神崩御=259年」という太国説を支持する、ということで言質をとりたい。

よろしいかな?>倍暦を信じてるやつ

いっておくが、倍暦は数学的なものだから、誰でも同じ数式で同じ答えが算出されないとダメだぞ?
誤差は許さん。




930 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 16:37:33
だいたい犬国を始め倍暦を一致る奴って、記紀とのつじつま合わせだけで止まって

その倍歴が暦として単品で検証されるなんて考えた事無いだろう?w

365日の内に2回ある年始っていつよ?
夏至当時?
それとも春分秋分?
これだけ四季がはっきりしている日本で倍歴が発生したその理由は?

まあ実際には暦の専門家からも様々な角度から検証され
それに耐えうる物が提示されて、はじめて辛酉革命説とタメはって同じ土俵に上れるってところだろうなwww

931 :夏バテは辛い:2008/08/12(火) 16:48:37
中国では神獣鏡群も双龍鏡系も流通上の時系列では大差無いだろう。
倭への流行で考えられることは、
一つは、神獣鏡の方が倭への入口である楽浪へ少し早く到達したかと言うこと。
南方系の方が早かった理由は、公孫氏の外交上の問題だろう。
もう一つは、神獣鏡の神仙思想の方が、現世利益丸出しの双龍鏡より、
倭人の嗜好に合ったのかと言うこと。
これは当時の倭人の世界感が分からない以上、想像でしかないが。

932 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 17:00:42
>>931
まあ文字で訴える位至三公より
図柄で訴える神獣鏡が視覚的でより直感的ではあるなw

933 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 17:42:00
そもそも日本で出土する最古の「位至三公鏡」って何処のいつの時代の物なのよ?

例の「邪馬台国の会」じゃあ「位至三公鏡」は九州が多く出土するとして
その出土した遺跡を挙げているが・・・

http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku236.htm
>日本で出土した「位至三公鏡」

その多くが「〜古墳」ってあるぞ?w
古墳て一般に「前方後円墳」だろ?
実際いくつかググったら確かに前方後円墳だったw

 位至三公鏡→画文帯神獣鏡→三角縁神獣鏡

・・・なんて編年到底無理では?wwwwwww







934 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:39:15
>倍暦を信じてるやつは全員、「崇神崩御=259年」という太国説を支持する、ということで言質をとりたい。
>よろしいかな?>倍暦を信じてるやつ

知らんがな。勝手に思い込んでろ。

935 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:56:12
>>934

おまえは、太国の倍暦を否定してるわけだな?

よろしい。


936 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:57:42
倍暦の実在を肯定してる。
俺が否定してるのは>>935の低い判断力。

937 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 18:59:13
他のやつらで、「崇神崩御=259年」という太国説を支持するやついたら、名乗り出ろよ。

ひとりもいないのか?

それならそれで「太国の倍暦説を支持するやつは一人もいない」という俺の指摘は正しいことになるわけだ。

現実を見ろよ>太国




938 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 19:02:16
>>936

おまえは、倍暦を肯定しつつ、「崇神崩御=259年」を否定してるということだな。

これによっても、太国の倍暦計算は否定された。

みんなに支持されるように、計算をやりなおしたら?>太国
崇神崩御は259年じゃないとさ。



939 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 19:05:15
>>938
そういうお前の馬鹿な判断を否定してるんですが(笑

940 :ローガン:2008/08/12(火) 19:05:22
>>933
ご紹介のサイト拝見しました。
安本さんは、蝙蝠鈕座内行花文鏡も魏晋鏡に分類しているのですか!

何故でしょう?中国の2世紀の遺跡から出ているようですが…

941 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 19:15:17
>>939

じゃあ、おまえは、太国の倍暦計算を支持する=「崇神崩御=259年」を支持するんだな?

よかったな太国。
「崇神崩御=259年」を支持するやつが二人になったぜ。
サガミハラハラはどうなんだ?


942 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 19:21:14
どうも、このスレには、自分の意見をハッキリ言わないやつが多い。

チキンなんだろう。

はっきりいって、おまえらの誰よりも倍暦研究は太国のほうが上だぜ。
倍暦は信じるが、「崇神崩御=259年」を支持しないなんてやつは、
あつかましいにもほどがある。

倍暦を肯定するなら、「崇神崩御=259年」だ。
話は、それからだ。

そうだろ?>太国

943 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 19:57:26
259年説というのは卑弥呼の女王国の年代が畿内ではいつごろだっ
たのかということに関わってきますから、このスレでも重要な意味を
持つと言えます。
畿内説の方でも古事記の崩年干支から 崇神崩御=258年説 を
採っている方はうんとではないでしょうが、いるはずです。彼らは
その殆どが倍暦から258年説を採ったものではないようで、やはり
考古学の内容等から矛盾が少ないと観てこの説を採ったのではないで
しょうか? これは彼らにうかがってみないとわかりませんが、そう
ではないのかと考えますわ。もう1個の説では 崇神崩御=318年説
で、干支の60年ズレて主張しているようです。

わらわの259年説と、258年説の1年の違いは何ゆえなのか、いろいろ
考えてますが、まだ確定的な事由はわかりませぬ。紀元前1年と
紀元1年(元年)の間に0年を設定する考え方を、何らかのことで
覚知していたのかなあ? とも考えていますが、定かではありません。

944 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 20:51:53
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://trade.socang.com/sell/view_img.asp?title=%BA%BA%A1%A3%CC%D5%B6%A6%D0%CD%B8%AA&img_url=../img/trade/2007115222431.JPG

945 : サガミハラハラ :2008/08/12(火) 21:30:25
>>941
私の復元日本書紀紀年法では、崇神天皇没年は288年春年前期です。
これで間違いありません。公認されるにはかなり時間がかかるとはおもいますが、
将来必ずみとめられることになります。
年代研究をなさっているかたは、これをとりいれて研究しておくべきでしょう。
その方が研究もはやく将来ご自分の研究が反古になることはさけられると思います。

946 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 22:44:26
5世紀半ば。(西暦438年)
『宋書』倭国伝にて
「使持節都督・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓六国諸軍事安東太将軍倭国王」
これが記紀による神功皇后による三韓征伐のことだと思われ。

なぜなら、これ以前の中国の史書に三韓征伐らしきものが載ってない。
それ以前の魏や東晋時代の朝貢では何も触れられてないからな。

神功皇后も、神功のモデル(が居たとしても)は卑弥呼ではありえない。
三韓征伐はあったのは宋書からして確実。
しかし年代が記紀から200年も遅いんだが。倍暦か?www


947 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 23:41:10
倍暦の計上から、実年代438年は允恭即位13年ですね。
その倭国王は九州関係の小国の王でしょうな。神功の時代は実年代
353年〜375年だから、三韓征伐とは別記事のもようです。

948 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:47:14
>神功の時代は実年代353年〜375年だから

だとしても、三韓征伐はその時代じゃない。その時代に
倭による朝鮮征伐など、記録されるべきところに記録されてないし。

949 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/12(火) 23:52:08
それがいろいろの方の書きこみだと、半島古文献っていうのは何らか
の事情で紀の如く実年代にかなり誤があるというから、まだ捨て
るべきでないです。

ZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZZ・・・・・・・・・・・・・・・

950 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 23:54:15
倍暦と書いたのは実は冗談w
ただ単に年代を偽っていたんじゃねーのかと。

魏志倭人伝・晋書・宋書〜 最初に三韓征伐らしきものがでてるのが
5世紀半。それから6世紀初頭まで、中国は代々朝鮮にある5ヶ国の支配を
代々の倭王に承認している。つまり、このころ朝鮮は日本の支配下。

日本の古来数々の伝承に、朝鮮からの王族や豪族・職人らの渡来系の話があるが
これは王族や役立ちそうな技工を日本に寄せ集めたのではないか?(人質にもなる)

6世紀半ば大和朝廷は朝鮮の支配力を失う(記紀によると欽明天皇の時期)
三国史記にも似た記述があり、それも6世紀半ば。合致。









951 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 05:56:52
古事記 崇神崩御=258年
太国説 崇神崩御=259年
サガミ 崇神崩御=288年

いずれも、3世紀末に、ハツクニシラスと称えられた大和の王が崩御したという認識では一致してる。
「3世紀末に、偉大な大和の王がいた」という認識こそが大事なのであって、
倍暦の存在うんぬんはあまり重要でない。
系譜では、崇神の叔父にオオヒコがいる。
稲荷山鉄剣の銘でも、オオヒコが刀杖人(王の臣下)の上祖と認識されている。

3世紀末にヤマトで画期があったことは、文献から認定された。
そして、ヤマトの考古学的画期は、マキムク遺跡。

よって、マキムク遺跡は大和の王が君臨した3世紀中頃の遺物と考えてよい。
異論を述べたい人は、表明をすべし。


952 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/13(水) 06:04:00
6世紀半ばのほうは半島と合うでしょうが、もっと古い神功の時代のころの
半島の古文献の誤は、交錯等での年代の誤りは充分考えられます。

953 :太国 ◆yVAs7uaYlY :2008/08/13(水) 06:19:36
倍暦の把握は重要である。孝靈天皇吉備行幸が倭国大乱と関わっているような
ことから、行幸の時代と大乱の時代の合致の可否は倍暦と関わる。欠史八代の
天皇が確実に畿内にいたという論拠にも関わるからである。

954 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 08:38:26
>>950
その時代に「中国」なんて国は無いっての


その時代の朝廷ってのは大和朝廷の事で朝鮮半島も大和朝廷が治めてたって意味だよ

955 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 08:51:15
そもそも大和朝廷ってのは蘇我氏らの飛鳥朝廷の事だろ?
天皇は物部氏が祖の血統だぞ
ごっちゃになってるんだと思うよ


あと天皇ってのは「日本を治めた人に与えられる称号」って意味でもないし

ローマで言えば天皇はローマ法王の立場だよ
宗教上の称号で血統継承だよ

956 : サガミハラハラ :2008/08/13(水) 08:51:56
倍暦という言い方について。
これは1年2倍暦とか4倍年とかのことです。
つまり、現在1年とされているものが古代では2年分とか4年分とかであったとの説です。
ところが暦というと、年ばかりではなく、月や日や大安、仏滅から今日の運勢とかまでのっていなければ暦といえないとの説もあります。
しかし、倍暦となると、どこまで測られていたかとなると不明なのです。書紀の月日干支から、現代の暦のごときものと考えるひともいるようですが、まだ実証できないのです。
では、暦でないといわれれば、そうですね、ということになります。
しかし、古代では1年を2年分としてかぞえたりということをしていたことは間違いありません。
しかし今のところ確かなのは年までです。
ですから、倍暦といっても、本当の暦のことをいっているのではなく便宜的にそう読んでいるのだといったほうがいいでしょう。
よって、安本先生は1年2倍年などとつかっています。


957 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:26:53
俺は百姓だから言える。稲の収穫は普通は一年に一度。
春に芽が出て秋に収穫する。冬があってまた春になる。
農耕民族が倍暦を使う意味は全くない。だからあり得ない仮説。

958 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 09:28:05
>>956
なんとなく解るしその通りと思う

太国さんは基本的に暦の意味を理解してないんだろうし

記紀もほまつたえも、日本が明治以前まで使ってた旧暦(天保暦、和暦)で書かれてる訳で、仮に倍暦なんてのが存在するなら、それは紀記の和暦とは全く別の暦だよ
もちろん今日本が使ってる西洋暦(西暦)とも違う別の暦


「倍暦が存在した」
なら存在したで別に構わないけど、その暦は今の西暦や明治以前までの書物(記紀も含めて)の和暦や、マヤ暦やインカ暦やイスラム暦とも別の暦があったってだけの事


例えば、今日は
西暦なら2008年 8/13
旧暦(和暦)なら ○○年 ○/○
マヤ暦なら ○○年 ○/○


大国さんの言う倍暦なら今日は何年の何月になるんだろうね?

959 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 09:39:30
>>957
紀記の中の暦(和暦)は二十四節期とも言われ、日本の四季や農作物の生育などもきちんと表してある暦
天体運動なども現在の西暦よりも正確に表してる暦

倍暦があるならあるで構わないけど、それは紀記などで使われてる和暦(いわゆる旧暦)とは別の暦だよ


そもそも倍暦とか言う暦で書かれてる書物とかって存在してるんかな?

倍暦とやらを使ってた氏族だか民族を教えて欲しいわ
ちなみに和暦(旧暦)は、日本を初めアジア諸国に広く使われてた暦


960 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:41:21
「倍暦」を想定しないと説明できないこと、というものはありません。

倍暦があったという人も、崇神天皇崩御を3世紀と考えてるわけですから、
古事記の干支とも大きな齟齬はない。

したがって、わざわざ倍暦を考える必要は無いわけです。
考えたい人だけ、暇つぶしに考えればいいだけ。

961 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 09:49:59
てか倍暦倍暦ばかり言ってるのは太国さんだけだよ
しかも倍暦で説明つかなければ三倍暦とか四倍暦とか言い出すし

旧暦(和暦)
マヤ暦
インカ暦
イスラム暦
西暦


暦ってのは確かに沢山存在するだろうけど、倍暦とか言うなら「倍暦は○○の国で○○頃まで使われてた暦だ」ってのまで言ってくれないとさ

そもそも和暦は年表記を干支十二支で表す暦だよ
この干支十二支の十二支や60年のサイクルは、木星の天体運動とリンクしてる暦だよ


962 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 09:50:16
>>956

安本が倍暦を肯定してるとしたら、自己矛盾。お話にならない。

安本が自分で立てた、天皇の在位期間のグラフが破綻する。
倍暦を想定しないで、卑弥呼をアマテラスに当ててるわけだからな。

バカな研究者にありがちなミスだよ。
A説とB説を両方説いておいて、A説とB説が矛盾して同時に実証できないという話。


963 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 09:57:43
つか倍暦ってのは、要は「182日を一年」って計算してたって事になる

そもそも、倍暦が存在したなら、なぜ182日を一年とするのか基準が解らん



「倍暦=182日を一年としてた暦」

こんな意味不明な暦を誰が使ってたって言いたいんだろ?

964 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:01:28
倍暦が絶対になかったとまでは言わない


ただし紀記や魏志倭人伝に関しては「和暦(旧暦)で書かれた書物」で間違い無いよ



そもそも倍暦で書かれた書物なんて存在すらしてないと思うけどな


965 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:02:05
>>955
>天皇は物部氏が祖の血統だぞ

崇神天皇は、物部氏の血統に近いとは言えるな。

まあ、それはいいとして安本は物部氏(ニギハヤヒ)が東遷し、物部王国があったとも言ってる。
これも、バカな話であって、神武以前に物部王国があったわりには、
天皇家の外戚に物部氏が絡んでくるのは、第8代孝元天皇から。
それ以前は、天皇家の外戚は葛城のカモ氏だった。
神武以前にカモ王国があったという話は想定できても、
いったい、どこに物部王国があったと言うのだろうね?




966 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:14:45
>>956
さっき同意したの取り消し


> しかし、古代では1年を2年分としてかぞえたりということをしていたことは間違いありません。



ここを読んで無かった


> しかし、古代では1年を2年分としてかぞえたりということをしていたことは間違いありません。

↑これはまずあり得ないっての


「古代では約182日を一年としてた」
って言うならまだ解る


一年を2年分とかと計算してたなら既に「一年=365日」って基準があったって事になる訳で倍暦が後付けだって言ってるのと同じ



もし「和暦(旧暦)より以前は倍暦を使ってた」って事を主張したいなら
「古代では182日を一年とする暦を使ってた」
って言い方をしないと


つか何を根拠にそれほど182日を一年としてたって言ってるのか良く解らないけどさ

967 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:17:17
>>965
だからニギハヤヒってのは諏訪大明神の事で信濃を治めてた天子だっての

彼らの祖はスサノオだよ

968 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:28:14
>>967
諏訪大明神の祖がスサノヲというなら納得しないでもないが、
ニギハヤヒとどう繋がるわけ?
根拠を求める。



969 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:34:28
誰か次スレお願い

970 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:37:09
約365日=一年

このサイクルは暦を持たない動植物ですら理解してるサイクルだよ
一年に一度冬眠したり産卵したり川を登ったり発情期を迎えたり種を落としたり果実を付けたり



それなのにしかもこれだけ四季のはっきりしてる日本は、古代では約182日を一年としてた
ってのが倍暦派の人の主張

さらに三倍暦(約126日を一年とする暦)や、四番暦(約90日を一年とする暦)を使ってたとまで言い出すし



そもそも「倍暦」って完全に「一年=365日」が基準に有るわけでしょ?

320日や256日を一年としてた訳じゃなく
一年が365日って基準があるから「倍だ」なんて言える訳だから



「倍暦」とか「三倍暦」とか言ってるけど、それは「一年が365日」って基準を元に、後から倍にしたり三倍して言ってるだけで完全な後付けの理論だよ



倍暦があったとしたら約182日が一年となる
じゃあこの約182日ってのは何を基準の日数かと言えば「365日(一年)の半分」って所から来てる日数なわけで、
倍暦なんて暦のは一年が365日って基準があって初めて主張出来る暦だよ


そもそも倍暦なんてのは使ってねーよ

971 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:47:16
>>968
信濃に物部氏が建てた物部氏の氏神を祀る神社が幾つか存在してるから調べてみ

俺もそうやっていろいろ調べてるんだよ



調べれば解る事は結構沢山あるよ^^

ちなみにニギハヤヒとイワレビコ(日向三代)は同じ神器を持つ同族氏族だよ

ナガスネ彦は「天つ船に乗って来た天子(ニギハヤヒ)にあれもこれも与えたのに、また天子を名乗る奴(イワレビコ)が来てあれもこれもよこせと言う。天子が二人存在するのはおかしい」
みたいな事をぼやいてたんだよ


ちなみにニギハヤヒ(諏訪大明神)はナガスネ彦を殺した後に、イワレビコに大和を統治させるのを譲って、自分は信濃に戻ったよ


972 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 10:52:30
そもそも記紀にはちゃんと「○月節」とか「○月春」とか和暦(旧暦)の二十四節期の節句とかも書いてある訳なんだから、和暦の二十四節期で書かれてる書物って事ぐらい誰でも理解出来るよ





973 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 10:57:13
そもそも信濃を征服した(あるいは東北を地盤とした)四道将軍のオオヒコが物部氏の血統だからなあ。
物部系の神社があっても不思議ではないが?


>ちなみにニギハヤヒとイワレビコ(日向三代)は同じ神器を持つ同族氏族だよ
天孫本紀をネタにしてるんだろうが、
物部氏の神話を真実とみなすのは乱暴。
物部氏が台頭したのは、崇神天皇以後のことだから。それ以前はただの雑魚。



974 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 11:10:27
>>973
物部氏の台頭とか関係無いっての

天皇ってのは日本を統治した人に与えられてきた称号じゃなく、ジャーマンであるスサノオ氏族達の血統継承者が天子氏族の証である神器と共に受け継がれる血統に対して与えられる称号な訳だから


大和を治めてたのが蘇我氏だろうが、憲法上では君主で無かろうが関係無いんだよ


日本を治めた人が自由に天皇を名乗って来た訳じゃないんだよ

ちなみに血統が潰えた時が天皇が潰える時でもあるよ

975 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 11:19:08
農業でもそうだが、自然界の実りには、春の収穫と秋の収穫とがあって、
時間の区切りとして、今の半年を1単位にするのは、納得がいく。

馬鹿に限って倍暦の1年はいったい、181日か182日か183日かなどと問い詰める。
ざっくりとした歳時暦に、「1年は厳格にいうと何日ですか?」と問い詰めても
無意味だということが、馬鹿にはわからない。
「今の暦で梅雨って何日間?今の暦で盛夏って何日間?」ってのと同じ。

976 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 11:32:00
>>975
三倍暦や四倍暦の言い訳もよろしくw


つか紀記の暦を見ろっての
立春や夏至が182日に一度ある訳無いだろ

182日や200日や90日を一年としてた暦が絶対に無かったとは言わないよ
過去にそんな暦がどこかに存在してたなら存在してたで良いよ


ただ記紀にしろその他の書物にしろ使われてる暦は和暦(旧暦)だよって話だよ

977 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 11:39:18
>>975
和暦(旧暦)
マヤ暦
インカ暦
イスラム暦
グレリコ暦
西暦
仏暦
古代エジプト暦
ユダヤ暦
伊勢暦
出雲暦


月の数が13ヵ月や24ヵ月や6ヵ月と表してる暦なんかも中にはあるけど
どの暦も一年は約365日だよ

今の暦でもこれら古代の暦でも一年は365日だよ
なぜ365日サイクルなのかは説明要らないよね?


で、倍暦とやらは何日間を一年としてた暦なの?

978 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 11:57:21
>>975
仮に今の1月〜6月の約182日間を1年としてたとする
(7月〜12月も一年)


「さて今日から新しい年だ。今年の1月は寒いなあ〜」

「やっと一年たったかあ。今年の1月は暑いなあ〜」

「今年は5月に田植えが出来たが来年の5月はわからんばい」

無理が有るってば

いくらバカでもこんな暦作らないし、使わないだろ?


更に三倍暦だの4倍暦だの
どんなバカがこんな暦を使ってたって言いたいんだあ?

979 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:02:36
ある民族や部族・集団が、季節の時間をどう区切っているかという問題がある。
馬鹿はそれを「××暦」というかっちりとした暦法であるはずだと、根拠無く断定してしまう。
たとえば>>997が馬鹿の典型(笑

980 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:03:18
おっと>>977ね。


981 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 12:11:46
>>979
今の時間は24時間を1日としてる(区切ってる)

これを12時間だか8時間を1日として区切るバカがいると思う?


だいたいそんな中途半端な時間を1日と区切る意味が解らないでしょ?

982 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 12:24:42
そもそも倍暦の根拠は確か
「紀記には15日以降の日付がほとんど出てこない。これはきっと1ヵ月が15日しか無かったからだ。って事はこの時代は一年も今の半分の182日しか無かったに違いない!」
って理由で倍暦なんて言い出してるだけなんだよ



983 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:31:30
まあ、太国やサガミがバカなのは、
倍暦のアイデアは魏志倭人伝の「春耕秋収を記し年季となす」という記述からで、
魏志倭人伝は九州の記述だとか主張しながら、
畿内でも倍暦が使われていたとして計算してることだな。

「春耕秋収を記し年季となす」が畿内の記述なら、
魏志倭人伝の他の記述も畿内のものであってもいはずだろう。

むしろ、九州だけ倍暦がつかわれ、畿内は通常の暦だったとしたほうが、
邪馬台国九州説には有利だということが、いつまでたっても理解できないんだよ。



984 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 12:34:04
いずれにしろ、倍暦なんて話は非常識。九州説の品位を落とすだけ。

985 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 12:42:11
>>983
あと元々は倍暦なんて欠史八代の矛盾を解消する為に考えられただけのものだよ

んで倍暦で矛盾が解消出来なければ三倍暦四倍暦なんて出してくるし

紀記は和暦で書かれてるってのに


986 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:15:10

【飛鳥から】大和朝廷の豪族たち【平安初期】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1149638384/


987 : サガミハラハラ :2008/08/13(水) 13:25:51
「春耕秋収を記し年季となす」倭人は畿内にも居住しており九州だけではありません。

988 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:30:07
>>975
弥生時代は二期作だったんか?

根拠ヨロw



989 :美濃もん太 ◆hF.jG29Cew :2008/08/13(水) 13:39:17
>>987
まあどこにも「182日を一年としてた」なんて書いてないわな


それをどう解釈したら「1年が182日だった」なんて事になるんだって話


春に耕し、秋に収穫し、実りの季とする

そんだけの事じゃん

990 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:46:31
収穫の春、稔りの秋、それぞれが生活観としての大事な区切り。
それを一つの「歳」とカウントするのは、非常に自然。
春分・秋分の「分」も、お彼岸も年2回。

991 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:50:29
>>970の美濃もん太。

この世には、これほどの馬鹿でも、古代史をやってるという感動・驚愕が堪能できる。>>970

992 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 13:58:55
>>990
>収穫の春、稔りの秋、それぞれが生活観としての大事な区切り。

え?
秋に実った物を冬を越してはるに収穫するんか?ww

生活観も季節観もゼロだなwwwwww





993 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:15:39
1年を正確に365日としない自然歴だったらアイヌの記録とか
現在でも他所の国の少数民族とかに見られる。

が倍歴と言うのは寡聞にして知らない。

なにやら自然歴一般と倍歴を同じものに言いたげな奴がいるが
それほど人の生活の中で自然に生まれてくる物なら
何処かで使われている・使われていた事例を教えてくれwwww





994 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:23:05
次スレ

邪馬台国畿内説?w
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1216574194/


995 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:25:47
関連

結論 邪馬台国は西都原
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1191377712/
邪馬台国はどこだ・小城甘木説
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1207913538/
【新説】邪馬台国は四国徳島だった?!【浮上】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1206513695/


996 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:35:08
次スレ

♪邪馬台国 ドンと来い♪ 30
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1214327522/l50


997 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:36:54
太国の倍歴はこちらへ

【漢籍潤色】日本書紀総合考察スレ【古伝妄信】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1196549436/l50


998 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:37:21
 

999 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:38:28
春の実りって、お前知らないだろw >もん太

1000 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 14:38:35
>なぜ邪馬台国を大和と認めないの?

九州説がアホだから

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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