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マニアが大学入試の問題で満点を目指すスレ

1 :マニア(32歳大卒):2008/06/07(土) 18:20:52
とりあえず、
日大と早稲田で満点目指して今日から勉強始める。
受験生時代に偏差値は75くらいあったし、
それ以降も趣味で日本史は続けてきたから自信ある。

2 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 18:24:44
2 get

てか、日本史だけ75?



3 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 18:56:06
院政期における武士の進出について述べた次の(1)〜(5)の文章を読んで,下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 院政期には,荘園と公領が確定される動きが進み,大寺社は多くの荘園の所有を認められることになった。
(2) 白河上皇は,「私の思い通りにならないものは,賀茂川の水と双六のさいころと比叡山の僧兵だけだ」と言ったと伝えられる。
(3) 慈円は,『愚管抄』のなかで,「1156(保元元)年に鳥羽上皇が亡くなった後,日本国における乱逆ということがおこり,武者の世となった」と述べた。
(4) 平氏は,安芸の厳島神社を信仰し,何度も参詣した。また,一門の繁栄を祈願して,『平家納経』と呼ばれる豪華な装飾経を奉納した。
(5) 平清盛は,摂津の大輪田泊を修築し,外国船も入港できる港として整備した。

設問
A 中央政界で武士の力が必要とされた理由を,2行以内で述べなさい。
B 平氏が権力を掌握する過程と,その経済的基盤について,4行以内で述べなさい。

2006年東大より

4 :マニア(32歳大卒):2008/06/07(土) 19:17:11
>>2
そう

>>3
わかりません。

ヤベえwwww

5 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:21:10
>>1以外にもオタが参戦してもいいか?

6 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:23:17
んじゃ最近日本史から離れている漏れが短く>>3に答えてみますよ。

A.境界・僧兵問題で力を付け、政争にも担ぎ込まれるようになったから
B.保元・平治の乱、外戚、西国支配と瀬戸内海交通支配、そして日宋貿易

あと普通の私大だと奇問入れるから満点はまずムリだよなぁ。
でも法政はそんなのまず出さないから
過去問解いてて満点だったことはある。

7 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:38:02
日大ってクソ難しかった記憶がある。

8 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 00:49:49
円周率が3.05より大きい理由を証明しなさい。

9 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 02:17:24
次の(1)〜(3)の文章を読んで、下記の設問に答えなさい。

(1) 江戸時代、幕府の軍事力は直参である旗本・御家人とともに、大名から差し出される兵力から成っていた。大名は、将軍の上洛や日光社参には家臣団を率いて御供したが、これらも軍事動員の一種であった。
(2) 幕府は、動員する軍勢の基準を定めた。寛永年間の規定によると、知行高1万石の大名は、馬上(騎乗の武士)10騎・鉄炮20挺・弓10張・鑓30本などを整えるべきものとされ、扶持米を幕府から支給された。
(3) 村々から百姓が兵糧や物資輸送などのために夫役(陣夫役)として徴発された。たとえば幕末に、幕府の年貢米を兵糧として戦場まで輸送した際には、村高1000石につき5人が基準となった。

設問
このような統一基準をもった軍事動員を可能にした制度について、江戸時代の支配の仕組みにふれながら、5行以内で説明しなさい。

2005年東大より

10 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 02:19:49
>>1

スレ違うだろ???????????????

ここは日本史 もっとまともなところいけ

簡単にスレを立てるな!!!!!!!!!!!!!!
おまえらが立てるつーことは、一つスレが消えてることなんだぞ!!

11 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 16:17:52
>>9
これ比較的簡単じゃないか。
>>10
邪魔だ消えてくれ。



12 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 16:33:34
難しいだろw

13 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 20:54:33
相撲経営なくしてしこふみなし

14 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 22:59:09
なんだなんだ

15 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 00:25:42
次の(1)〜(3)の文章を読んで、南北朝内乱に関する下記の設問A・Bに答えなさい。

(1) 南北朝内乱の渦中のこと、常陸国のある武士は、四男にあてて次のような譲状をしたため、その所領を譲った。
長男は男子のないまま、すでに他界し、二男は親の命に背いて敵方に加わり、三男はどちらにも加担しないで引きこもってしまった。四男のおまえだけは、味方に属して活躍しているので、所領を譲り渡すことにした。
(2) 1349年に高師直のクーデターによって引退に追い込まれた足利直義は、翌年京都を出奔して南朝と和睦した。直義はまもなく京都を制圧し、師直を滅ぼした。その後、足利尊氏と直義が争い、尊氏が南朝と和睦した。
(3) 1363年のこと、足利基氏と芳賀高貞との合戦が武蔵国で行われた。高貞は敵陣にいる武蔵国や上野国の中小の武士たちを見ながら、次のように語って味方を励ましたという。
あの者どもは、今は敵方に属しているが、われわれの戦いぶりによっては、味方に加わってくれるだろう。

設問
A 当時の武士の行動の特徴を、2行以内で述べなさい。
B 南朝は政権としては弱体だったが、南北朝内乱は全国的に展開し、また長期化した。このようなことになったのはなぜか、4行以内で述べなさい。

2003年東大より

16 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 17:25:17
東大の問題って、設問の前になんでヒントっつうかほとんど答えが載ってるの?

17 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:15:23
>>16
「2行以内」とかあるけど、1行=30字で、かなり少ない。
だから、
・資料から必要な事項を読み取る力
・全てのポイントを要点だけ簡潔に記述する力
が求められるから難しい。
余計な事を書いてたら字数が足りない。

18 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:18:06
たとえば>>15の場合、
「惣領制」「単独相続」のキーワードが抜けたら0点。

19 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 21:23:02
>>3のキーワードは、「荘園公領制」。
>>9のキーワードは、「石高制」。

こういう概念の意味と意義をちゃんと理解してないと、
意外と出てこないもんだよ。


20 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 12:03:39
暗記科目www

21 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 20:41:41
次のア〜エの文章を読んで,下記のA〜Dに答えなさい。

ア 室町時代,国人たちは在地に居館を設け,地侍たちと主従関係を結んでいた。従者となった地侍たちは惣村の指導者層でもあったが,平時から武装しており,主君である国人が戦争に参加するときには,これに従って出陣した。
イ 戦国大名は,自分に従う国人たちの所領の検地を行い,そこに住む人々を,年貢を負担する者と,軍役を負担する者とに区別していった。そして国人や軍役を負担する人々を城下町に集住させようとした。
ウ 近世大名は,家臣たちを城下町に強制的に集住させ,領国内外から商人・手工業者を呼び集めたので,城下町は,領国の政治・経済の中心地として発展していった。
エ 近世の村は,農民の生産と生活のための共同体であると同時に,支配の末端組織としての性格も与えられた。

設問
A 室町時代の地侍たちは,幕府・大名・荘園領主たちと対立することもあった。具体的にどのような行動であったか。3行以内で述べなさい。
B 戦国大名は,何を目的として城下町に家臣たちを集住させようとしたのか,4行以内で述べなさい。
C 近世大名は,城下町に呼び集めた商人・手工業者をどのように扱ったか。居住のしかたと与えた特権について,3行以内で述べなさい。
D 近世の村がもつ二つの側面とその相互の関係について,4行以内で説明しなさい。

2002年東大より

22 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 14:49:19
超ムズいな。
こんなん本当に18歳が解けるのかよ

23 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 00:07:40
1983年東大の第一問が面白い。

出だしはこんな感じ。

−−−−−−−−−−−−
次の文章は、数年前の東京大学入学試験における、日本史の設問の一部と、その際、受験生が書いた答案の一例である。
当時、日本史を受験した多くのものが、これと同じような答案を提出したが、採点にあたっては、低い評点しか与えられなかった。
なぜ低い評点しか与えられなかったかを考え(その理由は書く必要がない)、設問に対する新しい解答を150字〔句読点も1字に数える)以内で記せ。

(以下問題)

24 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 17:48:18
本当かよこれwwww

25 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 21:41:41
>>24
本当。>>23の続きはこれ。

次の(ア)〜(ウ)の文章は、10世紀から12世紀にかけての摂関の地位をめぐる逸話を集めたものである。これらの文章を読み、下記(エ)の略系図をもとにして、設問に答えよ。

(ア) 967年、冷泉天皇が即位すると、藤原実頼が関白となった。しかし実頼は、故藤原師輔の子の中納言伊尹ら一部の人々が昇進をねらって画策し、誰も自分には昇進人事について相談に来ないといって、
 自分が名前だけの関白にすぎないことを、その日記のなかで歎いている。
(イ) 984年、花山天皇が即位し、懷仁親王(のちの一条天皇)が東宮となったとき、関白は藤原頼忠であったが、まもなく故伊尹の子の中納言義懷が国政の実権を握るようになった。
 かねがね摂関の地位をねらっていた藤原兼家は、自分が将来置かれるであろう立場を考えたすえ、しばらくのあいだハ,その野望を抑えることにしたという。
(ウ) 1107年、堀河天皇の没後、鳥羽天皇が即位したが、藤原公実は、自分の家柄や、自分が大臣一歩手前の大納言であること、それに摂関には自分のような立場の者がなるべき慣行があることなどを理由に、
 鳥羽天皇の摂政には自分をするよう、天皇の祖父の白河上皇に迫ったが、上皇はこれを聞きいれなかった。
(エ)略系図(略)

〔設問〕
藤原実頼・頼忠が朝廷の人々から軽視された事情と、藤原公実の要求が白河上皇に聞き入れられなかった事情とを手がかりにしながら、
(ア)(イ)のころの政治と(ウ)の頃の政治とでは、権力者はそれぞれ、どのような関係に頼って権力を維持していたかを考え、その相違を150字以内で述べよ。

〔答案例〕
(ア)(イ)は、摂関時代のことを述べた文章で、この時代には、摂関家の推薦により高い地位とよい収入とをえようとした受領層の支持を受けて、摂関家が、政治の権力をにぎった。
(ウ)は、院政時代のことで、この時代には、権力者の上皇が、下級貴族や武士を院の近臣として組織し、その力を背景にして権力をにぎっていた。

26 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 01:04:18
むむむ・・・

27 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:15:41
(ア)(イ)の時期には天皇と外戚関係を築くことによ
り官職を得、権力を強化した。(ウ)の時期には自
らの子を天皇にする事により上皇として権力を強化した。二つの時代の権力強化の差異として天皇
と緊密な親類関係であることは必須であるが、直接的血縁によるかよらないかが大きく関わっていた。

私文受験生ではこれが限界。所要時間20分。一応教科書の系図見た…。

28 :日本@名無史さん:2008/09/20(土) 21:17:56
さすが東大。
こんな問題高校生レベルを超越してるだろ

29 :日本@名無史さん:2008/09/21(日) 00:45:34
東大って史料の選択が意図的・・・

30 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 22:47:48
今年の東大日本史の問題に期待age

31 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 21:56:33
age

32 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 23:18:08
高校生にこんな問題出題する大学教授って、脳ミソ腐ってるよな。
学者バカじゃなくてバカ学者だ。

33 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 13:52:36
保守age

34 :日本@名無史さん:2009/03/15(日) 14:52:02
どこの大学の問題が一番理想的?

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