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平安時代の社会史・文化史

1 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 00:35:57
律令制から衣食住、文学の話柄まで幅広く。

【関連スレッド】
【政治】平安貴族総合スレッド・1【生活】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1111305572/

2 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:23:26
牛車レース。

3 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:28:57
扇子を持っている娘たち。

4 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:30:04
牛車クイーン。

5 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 01:31:42
大学寮の暮らしはどうだったのだろうか。
学生は孱弱なインテリばかりだったのか。

6 :姉妹スレ:2008/05/30(金) 18:15:29
ここだけ平安時代
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/gaysaloon/1190173484/

7 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:12:43
同性愛サロンに行き着くのですが。

8 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/01(日) 16:24:41
>>5
後のものになりますが、『北野天神縁起』では菅原道真が弓矢をよくしたと
されていますね。弓射ぐらいは大学寮に限らず嗜んでいたのでは。
和泉式部の夫の藤原保昌、清少納言の夫の橘則光、清少納言の兄致信などは
いわゆる「兵」の家の出ではなかったものの、武威で知られた面々。

軟弱な貴族のイメージが形成されたのは江戸期だといいますが、実際に現場
で動かないといけないからには、それなりの覚悟はあったのでは。
大学寮を出て、検非違使や国守になった例は多いですが、後者が私兵を引き
連れて任国に赴き、かなり無茶もやっていたことは有名です。
藤原有国は若い頃知人らと夜歩きをする際に手勢を手配していたようですが、
後年大宰府で横領などを行った際に連れていたのもそうした連中でしょうね。

9 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 19:43:41
>>7
平安時代は男色が横行してたからね。

10 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 19:59:37
平安京の側溝の跡から、張型(バイブ)が出土してなかったか?

11 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 00:23:14
>>10
出たっけ?
中国からは確かに出土してるけど。

12 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 01:29:05
大学寮の先生は七位や八位くらいの官吏が普通だろ?
学生は貴族の出だから当然のように四位や五位がいるはずなのに、
身分が上の人間を目下扱いして、やりづらくなかったのか。

13 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/08(日) 01:28:44
>>11
『医心方』に記述がありますね。

>>12
>大学寮の先生は七位や八位くらいの官吏が普通だろ?
10世紀の例でいえば、この頃ほぼ世襲化されていた大学頭や文章博士の顔
ぶれは、そこまで低くなかった筈です。
この他に個人的な師に就いていましたが、そちらも弟子よりは偉かった。
菅家廊下が有名ですが、それ以降で知られるのが菅原文時や源順。
大江匡房も両者を比較しています。

>学生は貴族の出だから当然のように四位や五位がいるはずなのに、
とりあえず、学生と文章生は別物として、入学が10代の後半でしょう。
文章生になるのが、遅くて30歳過ぎ。
道真は26歳と比較的早いですが、これで叙せられたのが正六位上です。
試しに勧学会に参加した顔ぶれを抜き出してみても、そう高位の人間がいた
ようには見えないのですが。
藤原有国が35歳で従五位下。25歳の時には東宮雑色で、その翌年にはま
だ学生で蔵人所雑色です。
彼と交友のあった源為憲は、39歳で六位内記であるわが身を、69歳で従
五位下であった師の順と共に嘆いていましたね。
両者と交際のあった藤原為時が越前守になったのが20代の末頃。
「当然のように四位や五位が」いたとも思えませんが。

慶滋保胤が具平親王の個人的な師になったとか、源為憲が教育書を書いたと
かいうことはありましたが。

14 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/08(日) 01:42:03
『源氏物語』の薫とその師の内記の話は、ことによると具平親王と保胤をモデル
にしたものかもしれませんが(それにしては保胤とは伝えられる人物像がずいぶ
んと異なりますが)、薫は自分のような高貴な生まれのものが文章道を学ぶこと
に違和感を憶えていたようですね。
しかし、その結果「からごころ」と「やまとだましひ」を兼ねることが出来た。
書いたのは為時の娘な訳ですが。

15 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 07:46:36
階級?のことには詳しくないのだが、
七位や八位は都市の下層の平民、
九位といえば農民でないのか?
大学寮の先生が七位や八位というのは本当?

16 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/13(金) 17:48:30
都市の下層の平民や農民が七位や八位ということはありませんよ。
そもそも九位はありません。
院政期に意味のなくなっていた七位を有力者に金で売ったことはありましたが。
大学頭が従五位上、文章博士が従五位下相当です。

17 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/14(土) 13:08:49
>院政期に意味のなくなっていた七位を有力者に金で売ったことはありましたが。
失礼、外位の五位でした。正規の五位に準ずる位。
地方から買いに来ていたものです。

18 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 01:04:54
七位や八位でも平民から見れば十分に高貴な身分だったということですね

19 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 19:02:28
>>18よくわからんが今で言うと県庁や市役所のキャリア職員ぐらいの感覚では?
>>14薫ではなく夕霧だったと思います

20 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/20(金) 01:20:13
>19
左様で御座います。なんという失態。
落馬してハゲ頭が露出した時よりも、五徳しか憶えていなかった時よりも恥ずかしい。

21 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 09:34:48
>>20
片方は清少納言のおやっさんだと思うが
五徳の方は誰ですか?


22 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/25(水) 02:46:51
『徒然草』で『平家』の作者とされている五徳冠者こと藤原行長です。
『平家』は黒師や素瓶を出していますが、作者(九条家周辺での成立はほぼ
間違いないでしょう)もあだ名で呼ばれていたということで。

23 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:59:50
平安時代は貴族の話が多くて、も農民や町民のなど、一般庶民の生活があまりとりあげられません、
そっちの方が興味があるんですが、その辺りを語ってるスレやホームページはありませんか?

24 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 15:10:29
平安時代はまだ文字が農村にまで普及していなかったので、
貴族以外の暮らしの様子は解明されていません。
どうしても調べたければ日本史ではなく考古学の本を読んだ方がよいかと思います。

25 :山野野衾 ◆jBrGNc9rBQ :2008/06/30(月) 23:11:54
強いて言うなら『今昔物語集』や『扇面法華経』でしょう。
どちらも平安時代後期の作ですが。
後は和歌や歌論書、文人国司の文章などから探るしかない。

26 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 23:24:48
>>22
遅くなりましたがありがとう。

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