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【大名】江戸三百諸侯について語ろう【藩主】

1 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 09:12:32
谷田部藩が一番好きっす。

2 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 10:08:27
外様 豊後森 久留島家一万二千五百石が最高!

3 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 11:37:09
              ゝ´ / /  /.:.:...  ヽ.:.:.:.:.:...  , \.:.:. l.:.:.:..     ヽ|  丶 \
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4 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 11:54:45
陸奥一ノ関3万石・田村右京大夫

5 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 14:23:53
肥前島原 松平主殿頭こそが最強です

6 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 14:25:36
ちなみに2番目は美濃大垣城主 従四位下侍従戸田采女正殿だと思います

7 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 19:45:35
>>2
海賊村上水軍の末裔か?

8 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 20:04:28
>>7
来島から久留島に改名している。

海の無い内陸に領地替させられても水軍魂を忘れじと池に大きな船を浮かべてたそうな。

お笑いなのが参勤交代で藩主が乗船していた船が瀬戸内海で難破したそうな。



9 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 20:08:34

ボク土左衛門。



10 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 20:09:59
0万石松前家
5千石喜連川家
1万石北条家ほか
2万石織田家ほか

11 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 20:14:07
>>10
蛎崎松前家なんて網元の連合体だろw


12 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 20:16:10

きこりの親玉の交代寄合家もあったな。



13 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:24:53
>>8 確か九鬼も丹波の山奥に飛ばされたよね

14 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:34:57
伊予小松一万石 一柳家もシブイ!


15 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:48:30
河内丹南藩 高木家も地味でいいよね

16 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:53:18
武蔵三ケ尻→三河挙母→三河田原1200石三宅氏も最強

17 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 21:57:17
1200石→12000石

18 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 22:00:49
中国四国は地生え大名はほぼ全滅だな
九州はたくさん残れたのに

19 :日本@名無史さん:2008/05/15(木) 23:04:05
対馬府中藩主の宗対馬守を河内に二十万石格でお転封しか

20 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 05:12:09
最小の城持は美濃苗木藩遠山家ですか?

21 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 05:15:17
無高で城主もいるだろ

22 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 08:00:27
琉球王家は 
天皇の臣下?
徳川将軍家の臣下?
いも島津の奴隷?

23 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 10:45:32
>>22
どれも該当しない

24 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 13:47:05
常陸牛久一万石の山口家。

大久保忠隣改易の煽り喰らって(忠隣養女を貰ってた)取り潰され、
藩主父子(山口重政・重信)が武蔵飯能に蟄居させられるも、
重信が井伊家に陣狩りして大坂夏の陣で奮戦・戦死。

のちに御家復興が許された。
そのまま幕末まで存続。

25 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 15:16:29
>>15
三笠宮妃殿下の実家ですね。

26 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 18:56:43
最強の諸侯は越前北ノ庄・正三位権中納言結城秀康卿であろう。
将軍秀忠に対して下馬御免。
関所も鉄砲隊罷り通る。
秀康卿の系統は制外の家として重きをなした。

27 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:12:26
>>24
大久保忠隣の孫娘貰った里見忠義は伯耆倉吉の土となったのに、えらい違いだな。

28 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 19:58:51
>>26
重きなしてねーよw

29 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 20:17:03
>>28
お前如きの主観か?

30 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 22:04:29
>>29
幕政という観点で見れば、幕末の松平春嶽まで、福井藩はずっと蚊帳の外でそ。
そして、その松平春嶽は田安徳川家からの養子だ。

31 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 22:39:16
最大の無城は鍋島の分家
遥かに石高低い城主格の大名たちより
江戸城での席次が低かった

32 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 22:48:05
豊前小倉新田一万石 小笠原氏もいい

33 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 22:56:29
足利の末裔にして5000石なのに10万石の喜連川

34 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:00:56
三河田原1万石の三宅も城持ち

家中の三宅猫乃助が使者にいくと
ふざけた名前があるかと叱られた

35 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:03:22
松前は0万石で城主

36 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:03:25
>>30
お前は史学と向き合ったことはないだろう。
封建武家は「家の制度」。

37 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:04:49
最大石高で無城は有馬
競馬でないほう

38 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:10:47
>24
狡鷲と肥熊を従えた
西国大々名の末裔なのに哀れだ

39 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:26:07
>>37 十万石の大聖寺藩も陣屋じゃん。

40 :日本@名無史さん:2008/05/16(金) 23:32:30
大聖寺前田がいたか

41 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 08:54:15
大名ということばじたい俗語?

42 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 08:55:31
大名主の略が大名

43 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 09:39:16
地味な小大名ばかりにに絞られてておもしろいなw

44 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 10:28:24
2ちゃんねるで言う「晒しage」。
これは旧来の言葉で類するもので例えるならば「晒し首」などですね。
これはイタい書き込みを衆知に晒す事によって対象を笑いものにしよう
というニュアンスなのです。

もちろん富野節で雑談する行為自体が「イタい」と言われるならば
小生これを否定する術はありません。
ただもっとね、「晒す」等という微妙な言葉を使わないでね、例えば「応援age」
ですとか労わろうとする言葉を使うという気遣い、これは持ち合わせても
大人として決して損にはなりません。 っていうか老人は大事にしろ!(笑)


45 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 10:29:09
小大名の略が小名
石高ひとけた台前半

46 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 10:40:03
>>44
若いというのは残酷なんですよ。
古に源満仲が出家した時、ある貴族の日記(小右記)に
「残虐非道なる者仏心を起して出家せしむ」とあります。

47 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 11:59:00
蒔田もかっこいい

48 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 13:22:30
じゃあ「棚age」とか「祭りage」

49 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 14:57:05
雁間席と帝鑑間席は実質的にどっちが上なの?

50 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 15:07:03
>>49
帝鑑間の方が上だけど、雁間から老中が輩出することが多いから帝鑑間の大名達も雁間へ
移りたがる大名も多かったとのこと。

51 :元側用人本多忠良:2008/05/17(土) 18:32:33
帝鑑間席は開幕以前からの譜代や願譜代の外様が詰めたお客様席。雁間席は開幕以降の譜代や新規取り立て大名が詰めた使用人席。毎日登城する、、
初めて傍系から将軍職をついだ徳川綱吉、ついで家宣、家継の時代は側用人政治の台頭に見られるように、譜代の門閥や名門よりも新規取り立ての家臣を重用したため、
延宝から元禄、宝永、正徳にかけては実質的に雁間席のほうが帝鑑間席より厚遇を受けていた。
じじつ、下総佐倉藩の末裔で元佐倉市長の堀田正久氏は、
「晩年は綱吉から疎んじられ、最期は命を落とした堀田正俊は、はじめ雁間席であったが、あとを継いだ正仲は帝鑑間席への「昇格」を受けたが、これは敬遠だ」
と、憤慨しておられた。
ところが、徳川吉宗が将軍になると、側用人政治の廃止に見られるように古い譜代の優遇措置が取られ、帝鑑間席の大名だけを招待して宴会を開いたり、謁見したりいる。
したがって雁間席と帝鑑間席を比較して、実質的にどちらが優遇かはなかなか答えが出しづらいが、ただ毎日登城したため、将軍や老中の目に留まりやすく、
取り立ての機会が多かったのは事実のようであります。江戸時代を通じて最も多くの老中を輩出した福山藩阿部氏と忍藩阿部氏はいずれも雁間席であった。

52 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 21:44:37
たぶん一部で有名な赤井御門守家だな
寄席で大人気だ
石高も12万石で城も持ってるし親藩(らしいよ?)だし

53 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 22:04:09
間詮は村上から鯖江、田沼は相良へと飛ばされたが大岡は岩槻に幕末までずっといれた。
なんで?

54 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 22:10:48
武州岩槻は枢要の地にて、家重は大岡出雲守に対し、永代岩槻城を鎮護し天下の藩塀たるべしという朱印状を与えていたから転封をできなかった
加納遠江守久堅、有馬兵庫頭も同様

55 :日本@名無史さん:2008/05/17(土) 22:14:38
>>54 家重は死んでも忠光と離れたくなかったんだね
(;∀;)イイハナシダナー

56 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 00:26:42
>>52
なんだっけ?目黒のさんまだったけ?
あれモデルは浜田松平家らしいよ

57 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 00:54:51
>>53
間部略すなw

58 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 08:13:54
例えば3万石で城主、片方は5万石でも支藩で陣屋で双方とも官位、詰めの間
は同じ外様だとしたら格はどちらが上?

59 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 10:31:43
城主が上

60 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 16:56:38
サンクスです
大聖寺藩は10万石で大広間詰めだから城を建てようと気にならなかったのだろうか?


61 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 17:32:52
大聖寺は7万石。

62 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 20:01:38
国持>準国主>城主
城主格>無城

国や城を本当に持ってるか
より格式が優先

織田家などは準国主から無城に転落

上杉家から高畠城を受け取るが
管理維持が出来ず、米沢藩士の屋敷にしばらく厄介になった

63 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 21:01:47
丹羽と立花は
一介の浪人から准国主に返り咲き

64 :日本@名無史さん:2008/05/18(日) 21:40:57
藤堂高虎は秀長が郡山家筆頭家老の地位を捨て、一介の僧侶から国司に帰り咲き

65 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 19:51:22
>>63 柳川城の古写真見たけど五重天守が素晴らしいね
あと代々「鑑」の字を受け継ぐところもかっこいい

66 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 19:53:47
おめーの主観なんてどーでもいー

67 :日本@名無史さん:2008/05/19(月) 19:56:56
立花は橘じゃないんだな
柳川城主だった田中が橘氏か
三成捕まえた田兵

68 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 21:18:48
上杉は家は平氏
血は源氏
でも名乗りは藤原だ

69 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:07:15
江戸大名で素性はっきりしてるのって
島津、毛利、佐竹とかごくわずかじゃね?
途中で養子はいっちゃてるやつも多いし

まぁ明治勲功華族なんてもっとひどいがな
貧農の長男でもない奴が足軽になって最後公爵家とか
どうでもいい家計なんだから辞退しろよ恥ずかしくなかったのかねまったく恥知らず

70 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 23:28:32
山縣の事ってはっきり書いちゃいなよ

71 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 03:12:29
伊藤も似たようなものじゃね?
やっぱり元大名や公家に影で馬鹿にされてたんかな

72 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 03:36:52
なんで家康売った戸田が大名として残ってるんだ?
執念深い家康らしくないね

73 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 07:32:14
二人目の家康にとって戸田は許せないだろうが、7人目の家康にとってどうでもいいことだったんだろ

74 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 13:54:57
>>73
をいをい 家康ノムタソ説ですか

75 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 15:24:34
私が死んでも代わりはいるもの。

76 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 19:52:49
沼田三万五千石土岐家は土岐明智氏流で美濃守護家の家臣筋。
一方、美濃守護家の正統な嫡流は絶えたものの次男頼芸の血統は高家旗本として残っている。

77 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 20:48:55
沼田の土岐って徳川家臣の菅沼定村が改称したにすぎない 美濃の土岐氏とは無関係

78 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 21:56:21
養子でもなんでもないのに、勝手に滅びた家の家名を名乗る名跡継承って
現代ではわけのわからない概念だなぁ

79 :日本@名無史さん:2008/05/21(水) 22:20:01
沼田の土岐を娘さんを診察したことがあるよ
つながりですか?ってきいたら親が「世が世ならお姫さまです」って悔しそうに言ってたよ
ちなみにただの風邪でした

80 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:10:15
>>78
家名=ブランドです。

例えば クリスチャンディオールやルイヴィトンは現在、創業家ではなくLVMHが所有し経営しています。


81 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:13:38
>>77
出典を示せよw

82 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 01:59:12
>>77
つ ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E5%B2%90%E5%AE%9A%E6%94%BF
あと、ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E6%B2%BC%E5%AE%9A%E6%9D%91 も
読んどけ

>>80
家制度って祖先の祭祀を行い続けるためという意味が大きいけど、
名跡を引き継いだ場合って祭祀も引き継ぐのかな? それとも、元の家のを
引き続かせるのかな?

83 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 02:43:59
関ヶ原で除封・減封された家を含め木下家って沢山あるが、全部太閤や高台院の
親類縁者なのかな?

84 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 03:40:46
そだよ

85 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 04:22:45
龍造寺家臣にも木下姓がいなかった?

86 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 04:30:24
上総請西(じょうざい)藩・林家(一万石)
藩主の林忠崇みずから佐幕派として鳥羽・伏見の戦いに参戦。

戦後除封されていて、戊辰戦争で唯一潰された藩。

87 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 08:26:50
独立大名から陪臣に降りた大名は諫早以外にありますか?

88 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 09:16:29
多久

89 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 11:17:07
>>83
ねねの生家の杉原が木下姓をもらった
松の丸(京極竜子)の連れ子(若狭の武田氏)も混ざっているらしい

90 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 11:36:25
>>68
家も藤原だよ、謙信は養子として継いでるんだから

91 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 13:46:24
>87
水戸の最上と
上杉の武田・畠山
毛利の尼子

92 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 17:33:29
>>91
そりゃ、武田だの尼子だのの戦国期の大名が江戸期に陪臣という例なら
枚挙に暇がない罠。

最上のように改易されて子孫が旗本なり陪臣なりという例も枚挙に暇がないし。
龍造寺->諫早氏のように、改易されたわけではなく、自分から鍋島の家老に
なった例は多くなさそう。もっとも、本当に自分から家老になったのかどうか
よくわからんけど。

93 :日本@名無史さん:2008/05/22(木) 18:53:42
ある意味吉川

94 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 18:13:21
吉川は独立大名?毛利家臣?毛利分家?

95 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 18:53:15
幕府からは独立別家待遇だが
毛利本藩からは家臣扱い 理不尽スw

96 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 19:15:57
岩国って立地が悪かったよね
もっと遠国に封を賜れば良かったのに

97 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 20:25:27
遠国ってどこよ?

98 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 20:47:18
>>97
俺は >>96 じゃないが絡むなよ。
スレが武陽化するぞ。


99 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:29:09
>>97
関東とか東北とか

100 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:32:28
もともと関ヶ原の後に毛利輝元は改易して
吉川広家に長門周防を与える予定だった

101 :日本@名無史さん:2008/05/23(金) 21:42:08
長州征討の歳の岩国の立場は悲惨そのもの

102 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 03:47:36
せっくすせっくうせっくすせっくすもう二回♪

103 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 10:19:39
与板藩が最高にシブイ!!

104 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 21:12:25
第1回最強の渋い藩グランプリは、長瀞藩に決定致しました!!

105 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 21:35:26
三日市藩も渋い

106 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 22:11:45
小泉藩だって!

107 :日本@名無史さん:2008/05/24(土) 23:45:16
菊間詰めの大名は老中になれなかったのですか?

108 :日本@名無史さん:2008/05/25(日) 02:15:59
5年ぐらいしかなかった23区内唯一の藩喜多見藩犬屋敷

109 :日本@名無史さん:2008/05/25(日) 03:57:57
>>107
石高が足りないから・・・

110 :日本@名無史さん:2008/05/25(日) 16:51:50
伊予吉田藩もシブイぞ

111 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 03:00:45
井伊は老中になれないの?
なぜ大老ばかりなのかな

112 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 03:36:54
タマリの間詰だから

113 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 11:33:24
井伊や酒井は大老になるとき以外は幕政に参加できないの?
四天王の子孫なのに

114 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 11:44:09
先鋒を賜る格別の御家柄にて

115 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 11:44:26


116 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 12:46:47
老中ってのはあくまでも徳川家の召使
四天王や家門はそんな卑しい役にはつかない。

117 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 12:48:31
四天王の井伊、酒井以外の2つである本多と榊原が影薄いなぁ
とくに優遇された領地でもねーし石高も高くない
幼少からつき従って伏見で死んだ鳥居も冷遇に見える
徳川は勃興期の功臣を優遇しないね
尻穴組や官僚組の土井や柳沢とかのがいい目見てる
頑張ったのにかわいそう

118 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 13:46:25
本荘藩戸沢氏

119 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 14:31:20
>>118 本荘は六郷氏だろ
戸沢は新庄

120 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 14:44:06
すまん・・・新庄ダネ

121 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 20:11:24
江戸時代の老中は小者の官僚というイメージだな
室町幕府の三管領・四職は大大名ばかり
三管領が尾張・紀州・水戸、四職が前田・伊達・細川・黒田という感じかな

122 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 23:10:35
榊原、本多や鳥居は冷遇されたわけではなく、自滅したと思う
本多、鳥居は家中騒動したし、榊原は暗君が出て、姫路から高田に転封さるた

123 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 23:42:13
>>121
3管領=大老=臣下に落ちたも同然だよ。
臣下でもなく将軍継承権ある御三家が大老なんぞになるわけない。

124 :日本@名無史さん:2008/05/26(月) 23:48:53
>>122
そう考えると井伊・酒井は、幕末まで家の家格を維持できたんだからすごいな
もっとも酒井は四天王の左衛門尉家でなく別系統の雅楽頭家だから
厳密に四天王の権威を保てたのは井伊だけか・・・
定溜の面目躍如、譜代筆頭は伊達じゃないな

125 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 01:34:55
>>124
桜田門外の変以後は無残だったけどね。30万石から20万石に大減封。
それもあって、以後譜代筆頭のくせに薩長側についちゃうし。
まあ、ハナから薩長側についていたぶん、戦いの最中に寝返った
津藩藤堂氏よりはマシだけど。

126 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 06:50:14

城と陣屋の違いはなんだろうとぐぐってみた。
幕末では
城主 …150家
城主格… 20家
陣屋 …100家
があったそうな。そして、両者に共通するのが、『堀』『石垣』のようです。
ということで、『櫓』『塀』は陣屋にはなかったらしいと書かれている。

陣屋で『櫓』『塀』があった事例を知っている方は 教えてください。


127 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 09:49:38
室町時代で御三家に近い立場は関東公方かもしれないな


128 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 14:44:07
室町時代の御三家=将軍家、吉良家、今川家だよ。
将軍家が絶えれば吉良家がつぎ、吉良家が絶えれば今川家がつぐ。

129 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 15:55:06
両家の本家筋の斯波は?
管領になったから家臣に格下げ?

130 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 16:28:35
>>126
「日本三大陣屋」でもググってみろ。
櫓はともかく、塀ぐらいあるだろ。

131 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 16:42:33
江戸時代の陣屋の定義もいまいちわからんな。
城持ちの旗本もいたらしいが。

132 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 19:12:03
越前松平は足利でいえば直冬系、関東公方が尾張


133 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 19:47:22
現在遺構がよく残ってる陣屋は、
三日月陣屋(最近復元整備された)、小島陣屋(最近国指定史跡になった)
成羽陣屋(大手に大規模な桝形がある)とかかな。
見ればわかるが、堀・土塁・高石垣・櫓・桝形門等、城並の施設を持ち、
軍事的な要塞としても使えそうだ。

また、五島列島の福江城も幕末までは陣屋だったが、
陣屋当時の時点で、すでに城郭に近いものだったそうだ。

134 :日本@名無史さん:2008/05/27(火) 20:57:16
>>131
城持ちの旗本?

135 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:13:46
佐久山陣屋
ttp://www.asahi-net.or.jp/~ju8t-hnm/Shiro/Kantou/Tochigi/Sakuyama/index.htm

藤懸陣屋
ttp://www.ne.jp/asahi/tanba/kirinosato/KYOTO-kimioyama-siro-docu.htm

のように中世の城跡の城域内に作られた旗本の陣屋のことなのかな?

136 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:44:53
連投ですまないが、色々調べた結果131の言ってるのは、

大阪府能勢町にある地黄陣屋のことではないかな?

ttp://wolfpac.press.ne.jp/nose.html

にある案内板には、(このHPでは読めないが、俺が行ったときカメラに撮った)

「四方には石垣を高く築き高塀が設けられ、三層の楼閣がある近世初頭の陣屋城(要約)」

と書かれている。

段々スレ違いになってきたのでこの辺で失礼します。

137 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 00:51:21
明智光秀の妻の実家・美濃妻木氏(7500石)なんかも旧居城妻木城のふもとの屋敷に住んでた。
城持ちのようなもんだが城自体は廃城になってる。
とは言っても屋敷は廃城前からあった(らしい)し、山の上の城は山賊のスクツみたいなオンボロだったから、
廃城前と後で大差なかっただろう。


138 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:00:06
鎌倉時代からの地頭で、先祖累代の「城」にそのまま住んだ旗本がいる。

139 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:21:49
旗本どころか陪臣でも城持ちとまではいえないが、>>137みたいに、先祖の城跡に住んでた家があるな。
芹沢鴨の芹沢家なんかそうだが。

140 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 01:35:59
うちの先祖は土豪くずれの名字帯刀を許された庄屋だが、
裏山にご先祖の砦跡がある。

141 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 02:30:19
「城」
って江戸時代の話で言う場合は、
どう見ても城です、は含まれないだろ。
格式、手続き上で「城」と認定されているものが城であり、
規模云々を問わず、陣屋はあくまで陣屋。
(例、前出の五島氏)
じゃないと戦国時代の旧城に住んでいるとか、
各藩の要害、陣所、茶屋、旅館、屋敷、なんてのも
含まれちゃうから。

142 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 02:32:38
>>136
交代寄合か高家だっけ。
旗本、、、と言えばそうなるのかな。

143 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 06:12:02
>>126
結果として、陣屋大名には 「櫓」「塀」の新設は認めなかったということ
だろう。既存の施設はある程度までは認めたということかな。
一国一城の掟においても、例外は多数あり、また、外様が幕府重職について
いる例もある。
家格により登城の際の下乗位置や伺候席での畳数cm分の攻防など幕府では
武家の家格・格式を重視している。
国主>城主>城主格>陣屋が確立しているので、陣屋大名はなんとかして
見栄えのよい館にしたかったらしい。これも立派な見え張りだったようです。


144 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 10:42:47
そもそも江戸城は天守閣がないよな、燃えたから
平和な時代だから不要だったのか、財政上の理由か?

145 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 11:17:08
財政上の理由。

146 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 11:40:31
日本昔話とかに出てくる殿様はたいてい天守閣のあるどう見ても城です、本当に(ryに
住んでるしたいていそれなりの規模の城下町はあるしで
結構大藩が多いのかな?以外と家老や宿老通さずに直接為政してたりするし
あれらのせいで殿様=城に住んでるちょんまげのイメージが
幼いころに植えつけられるから陣屋とか定府大名とかの存在を知って
のちのち驚くことになる。私もそうだった
あと飛び地が多くて虫食いみたいな領地編成になってるのも
結構以外に感じると思う。ああいうのみてると大名領はぼーんとあって飛び地なんかねーよって感じだしね

147 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 11:47:07
昔話に出てくる殿様は池田光政だと信じていた岡山市民の俺

将軍の次に偉いのは池田の殿様だと今でも信じている大多数の岡山市民

百姓のくせに池田の殿様の家来と自称していた俺の祖父

148 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 12:30:19
岡山人は愚かだということか・・・。

149 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 14:31:14
>>143
>「櫓」「塀」の新設は認めなかったということだろう。

そんな史実は、ない。

150 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 14:32:35
岡山藩が地域に密着した存在だったことはよくわかった。
でも池田光政って結構凶暴な人らしかったね

151 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 15:27:17
山形みたいにでかい城抱えて維持に四苦八苦するより陣屋住まいのは幸せかも知れん

152 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 15:30:31
>>150 めちゃくちゃ子供が多かった藩主いたよね岡山藩に

153 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 15:30:59
山形藩は本丸だけで執務し、二の丸や三の丸は城下の有力商人や町人にスペースを貸して賃料をとれば良かった

154 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 16:00:36
>>152
その光政の息子の綱政
70人以上いたらしいな
もっとも成人前に死んだのがほとんどだったので
『寛政譜』に載ってるのは10人強。

>>153
そうも逝かないのが幕藩体制って奴よ
失脚した譜代大名を嫌がらせするマシーンとしては役に立ったみたいだけどね>山形城

155 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 16:12:07
本丸更地で三の丸は畑になってたらしいね>水野時代の山形城
政務ほかは全部2の丸だけで十分だったとか
5万石には広すぎるよな
幽霊騒ぎとか起きてそうw

156 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 19:51:50
>>149

陣屋で新規で「櫓」「塀」が認められたのは いつ頃の どの陣屋なの?


157 :日本@名無史さん:2008/05/28(水) 23:54:41
2条城は城なの?陣屋じゃないの?

158 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 00:08:09
>>156
「認められなかった」例を挙げるほうが先だと思うよ。


159 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 02:23:48
池田家は現在も岡山で動物園をやっているし、天皇の娘を
嫁に迎えたから、岡山市民に密着、将軍の次に偉い殿様と地元人は
思っているじゃない?

160 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 06:32:09
国持ち大名は将軍の次に偉い人といっても間違いとはいえない

161 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 06:35:35

>>158

小川恭一氏の著作本のなかに城と陣屋の区分が書かれている。小川氏の見解
が全て正しいとは思わないが、一定の参考になる考えだと思うので紹介して
おきます。

小川恭一著の『格付けしあう大名たち(前編)』頁10から抜粋
『「城主」と「城主格」「陣屋」の違いとして』

城郭と陣屋の構造上の相違はどこにあるのでしょうか。双方ともに有するもの
は堀と石垣です。享保2年の武家諸法度(享保令)には、『城郭は櫓・塀・門
以下は(届許可の上)先程のごとく補修してよい。石塁・石壁の壊れたときは
奉行に達し、その差図を受けること』とあり、塀と櫓が城郭と陣屋を分かつも
のだということがわかります。つまり石垣の上に塀と櫓があれば城、無ければ
陣屋です。

(以下省略)

なお、この見解の根拠の一つとして、小川氏は、『元和の時代に廃城となった
伊勢の松阪城と新しくそこに造られた陣屋と比較してみると、両者に共有する
ものは「塀」「石垣」であった。』と説明している。


162 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 09:21:54
>>161
それは「小川という奴は信用ができない人だね」という証拠にしかならないと思う

163 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 10:52:39
よくわからないんだが松前藩は蝦夷全島を支配してたんじゃないの?
なんかいちばん広かったのは盛岡藩(仙台が馬と牛を勘違いしたため)だって教科書に載ってるんだが
松前のほうが広いよね?
あと対馬を20万石で国替えが出るてことはあの岩の塊の島の価値は
柳川藩の2倍だったってことなの?なんでOKしないのよ。伝来の土地は無くなるが他はいいことずくめなのに


164 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 11:13:15
蝦夷地の代地が陸奥梁川みたいな僻地でしかもたった3万石じゃしがみつきたくもたるだろう

165 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 17:43:26
蝦夷地の面積は不明で米は取れなかったのでは?

166 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 18:13:50
無高だから

167 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 21:43:58
上杉の後に福島藩主になった
板倉家も苦労したらしい

領民が一揆おこしたり
郷士や下級藩士が反乱したり

蝦夷の島主が梁川行かなくて正解

168 :日本@名無史さん:2008/05/29(木) 21:51:59
伊達・信夫合わせても
いまいち
無高でも蝦夷の方がいい交易の収入がある

169 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 01:02:00
>>161

交代寄合の竹中氏の陣屋には櫓門が残されているし、上に紹介されている陣屋には
塀や櫓が普通にある等数多くの反例がある為、
小川氏の陣屋に対する見解は間違っていると言えるのではないでしょうか?

また、「小学館探訪ブックス東海の城」というどこまで信頼できるかわからない本ではありますが、
その本によると、松坂城は、元和5年(1619)に紀州藩の陣屋になった後も、瓦葺を茅葺にするなど
簡素にはしていますが、櫓や塀は存在しています。さらに正保元年(1644)に大風で倒壊するまで
天守も存在しているようです。

170 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 02:37:58
老朽化していたとはいえ、
大風で倒壊してどーする天守。
誰だ作ったのは。

それだけ、メンテしてなかった、とも言えるか。

171 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 04:13:40
>>167
上杉が福島治めていたのってわずか3年だぞ。
しかも板倉が福島藩主になったのは18世紀に入ってからだ。

172 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 06:11:27
蝦夷→梁川はどう考えても左遷だが(というか外様なのになぜ老中?)
対馬→近畿に20万石は受けるべきだったんじゃないか?
海防の心配もなくなるし貿易もじり貧だったし都にも近いところで大藩になれるし
(格も無高10万石格から実収入20万石にアップだし)困るのは数年おきだった参勤交代の特例がなくなるだけじゃないか
あと樺太が越前大野の領有とかも意外でした
松浦が壱岐一国もってるのに国もちじゃないのも
淡路や隠岐は一国扱いなのに

173 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 08:23:07
志摩鳥羽藩も国司になりますか?

174 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 08:55:31
小浜と平戸と鳥羽は例外
たぶん狭いからだろうけど若狭はわりと重要な土地なのにね

175 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 11:56:04
奥羽越列藩同盟の二本松丹羽事務局長は離脱しました

176 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 13:39:19
>>172
『地方別 日本の名族』九州編1(新人物往来社)に宗氏のことが取り上げられているが
その中でちらっとだが幕末の転封騒動についても触れられている。

対馬藩中では一種の奴隷制度を導入していてそれがやめられず転封を断ったようだ。
本土には小作人制度はあっても奴隷制はなかったからね。
この奴隷制度はどうも半島の身分制度の影響を受けた物らしい。

177 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 15:20:04
シマ全体で農奴制を敷くミニ朝鮮朝廷・ツシマ

178 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 16:03:47
ようするに対馬は日本領ではなく朝鮮領だと言うことだろ?
そりゃ領主も併合に抵抗する罠。

179 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 16:42:28
対馬宗家には田代領があるわけだが

180 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 18:33:24
田代も韓国系か。

181 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 18:57:38

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|\)/^~ヽ|
| 《 _  |
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|厶、   |     <ちゃうわぼけ
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182 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 19:14:22
>171
1664年まで福島は上杉の家老
(本庄とか春日とか)が城主
その後幕府領だと思う

183 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 19:20:59
30万から15万石のとき
福島・梁川・高畠などが
幕府領になったが一部は上杉の預かり地だった
(後の天童織田の領地など)

184 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 21:44:11
置賜+信夫+伊達=30万石

置賜=15万石

だっけ?
上杉って支藩とか万石級の家臣とか居ないの?

185 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 22:03:07
たった15万石で国持大名なのですか?領地半減、 綱勝から綱憲への襲封と同時に大広間から柳間席に下ろすべきだった。なまじ国持ち大名だから出費が増える

186 :日本@名無史さん:2008/05/30(金) 23:58:16
宗が対馬に拘ったのは表にできない稼ぎがあったからじゃない?
西日本の海沿いの藩は大抵やっていそうな気が・・・

187 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 00:08:47
>>186
浜田藩とかか

表沙汰になって、「表に出来ない稼ぎ」が分かってるのは浜田藩と薩摩藩ぐらいじゃなかったっけ
他の藩はしらん

188 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 00:14:53
>187
長岡もじゃなかったかな?で、新潟を召し上げられて代わりに小千谷をもらったと。
名目上はわずかながら加増だけど。

189 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 01:42:04
日本海側大名は抜け荷やっていたみたいね
宗対馬、毛利大膳、松平周防、前田加賀、酒井若狭、牧野備前、松浦筑肥、酒井摂津、

190 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:15:39
>184
置賜一郡だけで18万石
毛利の長門一国より多い
新田開発などで実高は
両家とも上げていった

信達二郡が12万石

191 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:19:21
毛利は長門周防で29万石
のち36万石に高直しした

南部、津軽、水戸なども
領地不変で高直ししてる

192 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:31:22
上杉は一国はおろか
一郡すら持っていないのに国持ち
2ヶ国の本国持の毛利や
52万石の黒田が侍従とまりでも
少将になる当主もいた

193 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 02:38:41
たったの15万石で大身国持の上杉にくらべ
壱岐一国と肥前にまたがる松浦、
若狭一国の酒井は国持大名ではない

194 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 03:32:39
だからなんなんだよ
わかりきったことごちゃごちゃ言ってないで結論言え

195 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 05:25:15
国主は単なる格だろ。近江大森の最上は5千石の旗本なのに国主格。

196 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 07:04:59
>>195
え? 交代寄合で柳間詰でしょ。

特殊な藩といえばやっぱり喜連川藩では? 4500石なのに藩。しかも10万石格。

197 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 07:05:32
最上は国主格なのか?
5千石で
大名で元国主の森、加藤、生駒たちだって
国主格でないのに

198 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 07:09:10
対馬も数万石と思われ
でも宗も10万石格

199 :楠木河内守正義:2008/05/31(土) 08:00:49
結論は
「幕府の大名格式の基準はでたらめである」
やろ

200 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 08:38:32
でたらめ且つ恣意的である

高直しで南部と津軽が実高20万石越えてるのに城主
小幡、米沢、宇和島、柳川、二本松が国主ないし準国主というのは恣意的であろう

201 :sage:2008/05/31(土) 08:53:57
織田は信長以来の勤王の家柄
上杉と細川は鎌倉および室町幕府の重臣
伊達は親徳川
丹羽は反前田
立花も反島津

南部は役立たず
津軽は近衛をかたり、親三成
だから

202 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 11:30:32
>>198

対馬は米が5千石、麦が2万石で、肥前の飛地が3万石だったような…

あと天保5年時の毛利氏の実高が90万石近くあるそうなんだけど
山口県ってそんなに米が取れるところなのかなぁ?

203 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 13:03:26
瀬戸内海は埋め立てしやすいからどんどん田圃にしていったらしい

204 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 13:36:21
戦国時代には山口のあたりまで海が入り込んでたそうだからね

205 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 14:58:33
天保の改革の頃に90万石
でも借金が9万貫
60匁=一両として50万両
年貢半分として収入の
100パーセント

福田ジャパンといい勝負だな

206 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 19:16:11
当時の大名としては健全経営だなぁ
薩摩藩では借金500万両、踏み倒した借金は120万両。
500万両の借金は勝手に250年の年賦返済に書き換えるというウルトラCで解決。

熊本の細川は、
「農民から絞ると一揆が起きて家を潰しかねないが、商人からの借金を踏み倒しても家は潰れない」
というすさまじさ。

年収の2〜3倍の借金は当たり前の世界さー

207 :日本@名無史さん:2008/05/31(土) 21:15:23
>>206 250年賦にしても借入金がゼロになるわけではなく、負債額は変わらないよね?
明治維新でチャラになったとしても、それまでは借金があることに変わり無いじゃん。どこがすごいの?

208 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 00:54:22
250年金利を一切払わない。

209 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 01:01:59
250年賦は、琉球に肩代わりさせる稀代の悪契約

210 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 01:58:07
また妙なのがわいてきた・・・

211 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 04:18:17
>>207
>どこがすごいの?
借金の額
返済方法がすごいわけではない。負債を抱えた武士の清算方法としては珍しくはないし。

 250年賦にするということは無利子で元金を返済するということなんだよ
当時の借金の利子は年利15%から20%くらいいが相場
 元金500万両ということは年に利子だけで75万両(利子15%)払わなければならないことになる。
薩摩の石高は90万石で五公五民として45万石、両換算でおよそ45万両。
藩の全収入を利子の支払いに当てても払いきれないことになる。
これを無利子250回分割払いにすれば年に2万両の支払いですむのだから、大助かりな訳。
負債額は変わらないが、返済額はぐっと減る。
 ただ踏み倒すと、信用問題にもかかわってくるので、これはかなりうまい清算手段だったんだな。

 商人側もこれを飲む以外になかった。
貸金を丸ごと踏み倒されるより、わずかでも戻ってきたほうがずっと良かった訳。
 なにせ当時は大名への貸金を取り立てる法的手段が皆無なため、
不良債権化するよりマシだったんだ。

212 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 07:37:05
上方あたりの小藩だと、誰も大名貸ししないことによる大名家破綻の危機は
しばしば起こってたけどね。
だからこそ危機が顕在化した天保期あたりでは諸藩で改革が進んだ。

213 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 07:43:39
>>211 なるほど分かりやすくありがとうございました

214 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 08:03:49
>>185
実高30万超えてるし、当時は表高15万でも
大きめの大名だったことは事実

215 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 08:50:24
馬鹿だな おまいら

借金なんか返さなきゃいいんだよw



216 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 08:51:57
実際破綻した大名っていないんだろ?
上杉はヤバかったらしいが
ということは拒否られても何らかの金策はできたってことじゃね?
米収穫も特産品も人材もない小藩がどうやったかしらんけど

217 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 08:53:40
つべこべ言う商人如きは

無礼打で成敗してくれるw


218 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:01:50
明治維新は

困窮した憂国の下級武士(郷士)と先行き不安を覚えた大商人が結びついて
ユダヤ金融資本(ジャーディン・マセソン、グラバー等の黒幕)が描いた
筋書きで踊らされたわけだw



219 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:08:04
実際、三井家は既に明治初期に外資に入り込まれている。

旧財閥が国産資本だったというのは幻想。

国際金融資本にとっくの昔に飲み込まれていた!!!!!

220 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:16:57
昭和維新(5.15、2・26)は

悪弊(明治維新時の資本構造)の打破を目ざしていたのである。





221 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:18:35
>>216
小藩は、明らかに目下(のはずの)大商人に恥も外聞も保留して頭を下げ、
武士の本分たる倹約精神に基づいて(軽輩如きの家族が飢え死にしようが
構わず)倹約(と称して徹底的なリストラ)を実行して乗り切った。

222 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:20:04
大藩も同じ。武士の人数が多いだけ、下っ端武士を切り捨てても
体面が傷つくイメージは少なかったけどね。

223 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:35:58
>>222

だから国際金融資本が武器商人を先兵として日本に乗り込んだんだよ。



224 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:38:22

坂本竜馬はユダヤ金融資本の操り人形w


225 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 10:44:14
ユダヤ金融資本は至る所で己の痕跡を誇示している。

米国ドル紙幣しかり、坂本竜馬の家紋は六亡星(ダビデの星)に酷似w



226 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 12:45:58
>>222
勘定方が絶大な権力を握っていた加賀藩は
日本一の大藩なのに破綻しなかったけどな

227 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 13:44:05
>216
借金完済が褒められるが
借金の額が10万両と少ない
問題は出費が多かったこと
贅沢止めて副収入ふやせば借金は減る

228 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 13:46:25
伊達藩は番頭を雇った

229 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 14:40:12
堀田藩には破産管財人が入った

230 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 15:02:46
>>225
>坂本竜馬の家紋は六亡星(ダビデの星)に酷似w
それ枡形紋だろw四角を二つ重ねた形。
あれがユダヤ系だと断言できるなら、日本のかなりの家柄がユダヤ資本になってしまうぞw

231 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 19:20:46
>216
あと上杉に本間家がついたのが大きい
それから、ただ同然の木に付加価値を付けて
高く売ったのも大きい

232 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 19:23:46
犬山藩は尾張家からの独立を画策した

233 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 19:28:51
備中松山藩は藩の実情を
正直に話し商人に頭をさげた

234 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 20:55:34


235 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 20:57:36
「防長回天記」によると
天保11年の長州藩
収入30万石
支出40万石余
で10万石の赤字

しかも藩士給与は半知
赤字分は新規借入で埋め
年貢の残り10万石は支藩と吉川の分

236 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 21:10:41
将軍家の元服の儀式では、烏帽子を被せる加冠役は彦根藩井伊家当主が
また、髪を結い上げて髻をつくる理髪役は会津藩松平家当主が勤める
慣わしになっていたらしい。
二家とも定溜間詰の大名であり、改めて別各の家であることがわかります。

237 :日本@名無史さん:2008/06/01(日) 23:01:18
>>233
板倉勝静と山田方谷のコンビがすごすぎるからねぇ。

238 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 00:11:15
>216
貸し手から人が派遣されて、財政を完全に商人に渡した家もあったはず。

239 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 02:20:56
>>216
明治維新の直後、
東北一のお笑い藩こと盛岡南部藩が
他の藩に先駆けて廃藩(領地返上)を行った理由は
「江戸時代を通して溜まりに溜まった借金で、
もうお金がなくて、藩の運営できません。
ですから返上します」です。

ちなみに「幕府方だった」ことによる、
戦争賠償金は踏み倒していますw

240 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 08:54:45
うまいことやったな

241 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 10:07:38
今でも赤字自治体は地方自治権を返上して
借金帳消しにしてもらった方が得だろう

議会は解散、国から県令か代官を派遣してもらう
独自の行政サービスは中止するが国が決めているサービスはうけられる


242 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 17:54:20
236:何かで読んだけどその役に松平大和守家が決まりかけていたのを彦根井伊家が無理矢理割り込んだみたいな話を聞いたことがある。理由は会津松平家に負けたくないから。

243 :視点論点:2008/06/02(月) 17:59:25
視点論点

244 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:28:59
井伊家が会津松平家へライバル心を持つのがわからない。
譜代筆頭とはいえ、家格や格式は会津が上。
意味もなく主筋と張り合うほど井伊も愚かではないと思うが?
ちなみに、四代将軍家綱の烏帽子親は、会津松平家藩祖保科正之公のはず。

245 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:34:04
ここにいる奴らと一杯、酒を飲みてーよ。
なにも気にせず立ちしょんしながら楽しく酒を飲めるんだろうな。

246 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:39:10
あーそうだな。
奥行きよりも間口の広さをを純粋に楽しんでるよ。
住人は皆さんイイ奴だ。

247 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:47:15
そんなもん誰も気にしてない。
分かってもらえて楽しければそれで良いんじゃね?

ただ公家に使えるのは元公家だと思うぞw

248 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:54:32
>>244
井伊直弼は松平容敬を高く評価していたらしい。

249 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 22:57:09
>>247はどなたさんの事のだぞ。

まぁ、いまさらそんなの関係ねぇ〜だけどね

250 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 23:04:22
>>248 容敬って30年近く会津藩主しながら何か業績あるっけ?
娘が容保の正室だったはずだが早く死んじゃったのかな?

251 :日本@名無史さん:2008/06/02(月) 23:44:33
>>250
参考サイト
ttp://bakumatu.727.net/oboe/oboe-hikone-katataka.htm

252 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 06:43:59
井伊家は大老職の権利に加え京都守護をも代々勤めた大藩だから
いくら松平でも傍流で自分より石高低いとこには格上意識あったはず。
御三家水戸家も平気で敵にまわすくらいだしね。
京都守護は最後会津に奪われるが逆に家にとっては幸いだった。

253 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 06:50:20
>>244
井伊家が会津松平家へライバル心を持つのがわからない。
譜代筆頭とはいえ、家格や格式は会津が上。


○彦根井伊家 35万石
溜詰 従四位下侍従(家督時官位) 正四位上中将(極官)

○会津松平家 23万石
溜詰 従四位下侍従(家督時官位) 正四位下中将(極官)

井伊家と松平家(会津)の各当主の家督相続の年齢によっては官位としの
家格で松平(会津)>井伊はあったかも。

しかし、家としての評価では、極官で
正四位上中将と正四位下中将の差があるので
井伊>松平(会津) ということじゃないですか


254 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 07:50:17
この井伊の極官の高さは異常。
これよりも上の官位貰えるのは前田と御三家等徳川姓名乗れるもののみ。

255 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 08:54:31
いざというときに武力面で期待していたということだろ。
井伊藤堂は幕末に実に面白い動きをしたね。家康半泣きw

256 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 09:40:34
>>253
会津は、従三位参議を受けられる格式だ。将軍補佐役の前例も持つ家柄だ。
二代秀忠系会津松平と、徳川の家臣である井伊家を比べれば、格式家格ともに会津が上だよ。
水戸と対立したのは、長い歴史でも直弼だけじゃない?それを徳川260年史に直結させるのはどうかと。

257 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 10:48:37
彦根藩兵弱すぎ

258 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 10:59:17
な・お・ま・さ〜

259 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 12:02:47
会津は溜間詰になった時点で家臣扱いなんじゃないの?

260 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 12:21:51
>>251 実に興味深いお話をありがとう。
容敬と頼胤いいやつじゃん

261 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:18:31
直弼は直亮の世嗣となり、帰国中の直亮の名代として、直弼が江戸城の儀式を采配することになったが、直弼のことをよく思わない直亮は直弼に嫌がらせをして妨害してきたのです
そのことを心配した会津藩松平容敬、高松藩松平頼胤は登城時間を早めて三人で練習しようではないかと申し出てくれたのである
直弼じしんも溜間にデビューしたばかりで、肉親の非情に身を切られる思いだっただけに、会津侯、高松侯の申し出はたいへん有り難く感じたことでしょう

262 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:23:44
掃部頭直弼は長野主膳なんかを取り立てたりアホなことしてる

263 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 13:45:17
長野主膳って出自がハッキリしないらしいね

264 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 15:10:05
交易の窓口を長崎などに絞り、諸外国との交わりを極端に制限していた徳川政権下の日本。
しかし当時の欧米列強の間では、ロシア、中国、トルコ、神聖ローマ帝国などと並ぶ
「世界の七帝国」の一つとして認識されていたらしいことが、東北大の
平川新教授(日本近世史)の研究で明らかになった。

「世界七帝国の一つ」欧米列強、徳川政権下の日本を認識


「七帝国」に関する記述があるのは、蘭学者・桂川甫周が1794(寛政6)年に
編集した『北槎聞略(ほくさぶんりゃく)』だ。
10年のロシア生活の後、1792年に日本に送り返された漂流民・大黒屋光太夫への
聞き取りなどを基にまとめられた本で、光太夫がペテルブルクで聞いた情報として、
「帝号を称する国をイムペラトルスコイといい、王爵の国をコロレプスツウといふ。
(中略)帝号を称する国僅(わずか)に七国にて、皇朝其一(そのひとつ)に居る」
というくだりが出てくる。漂流民の歴史に詳しい平川教授が確認、
先頃開かれた研究者向けのセミナーで発表した。

「帝号を称する国」とは帝国、「王爵の国」とは王国のこと。ここで
「帝号を称する(略)僅に七国」と書かれた日本以外の国々は、
ムガール帝国(インド)、ロシアなどといった大国ぞろいである。

では、「帝国」と「王国」はどう違うのか。蘭学者・山村才助は『訂正増訳采覧異言』(1803年)で、
「威徳隆盛にして諸邦を臣服する大国」のことを「帝国」と呼んでいる。
つまり複数の王国を支配する国というわけだ。

2008年06月03日12時18分 朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200806030124.html
18世紀にアムステルダムで発行された「日本図」。欄外に「EMPIRE」の文字が見える
http://www.asahi.com/culture/news_culture/images/TKY200806030120.jpg

265 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 17:48:52
>従三位参議を受けられる格式だ。将軍補佐役の前例も持つ家柄だ。
幕末の京都守護に伴うインフレ官位。
家格に付いてきた訳じゃない。

266 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 19:01:04
【歴史】 「日本は、世界七帝国の一つ」…欧米列強、徳川政権下の日本に対する認識判明★3
http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1212483798/

267 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:29:53
>>265
そうくると思ったよ。
しかし、前例がある以上これが正式な格式となる。
直弼もインフレ大老みたいなもんだしな。

268 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 20:38:00
会津なんて所詮親藩の一つに過ぎずあってもなくても大勢に影響はないが
彦根は幕府成立の時から常に要職についてきた唯一無二の存在。
将軍家がどっちか選べと言われたら彦根を取るだろ。

269 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 21:41:34
>>267
インフレ前例があったところでそれがその家の格になるわけではない。

270 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 22:09:31
>>267
松平容保個人に対して特例で叙任された官位ということでしょう。
家に対する官位は別物です。
まっ、要するに 譜代の井伊家は 別格であったということかな・・

271 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 23:16:29
井伊直亮って幕閣にも嫌われてたという話を聞いたことがある。

272 :日本@名無史さん:2008/06/03(火) 23:21:44
山形藩水野家現当主
http://www.yamacomi.com/174.html

273 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 00:26:54
インフレ大老ってなんだ?
井伊家の当主が大老になるのがインフレなのか?

274 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 00:44:14
彦根が大老になるのは家格によるだろ。
>しかし、前例がある以上これが正式な格式となる。
一部の例外で、そんなこと言っていたら倒幕直後の藩主公卿だらけになるぞw

275 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 00:50:50
一橋家の当主も代々太政大臣を追贈されることになっちゃうねw

276 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 01:18:18
先例があるから前田は大納言 島津 伊達 上杉 越前松平は中納言w
あり得ないっつーの。

277 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 08:32:46
先例とは許容範囲の上限と考えればよい。
その証拠に徳川歴代将軍家はどうだい?
前例ができた以上その格式家格と呼ぶのは常識だ。
これらはおまえらのような、おじゃります言葉の公家が決めることだから理解度が早いはず。

278 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 09:55:26
>前例ができた以上その格式家格と呼ぶのは常識だ。

こんな常識はありませんから。


279 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 12:07:09
臣下筆頭が疎遠な一門より上の扱いを受けるというのは古今東西よくあること。
本朝においても、摂関家のほうが親王より上だった時期がながらくつづいたし、他の国においても枚挙にいとまがない。
イギリス王室に対するノーフォーク公家、ハプスブルグ家に対するヴィステルバッハ家のように。
むしろこのような権威・権力のある臣下を置くことによって、何かにつけ宗家に取って代わろうとする一門・親族を抑制し、安定・秩序をもたらす作用があると考えられる。

280 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 14:21:27
会津の精兵と彦根の弱兵



281 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 20:05:43
バイエルン国王は神聖ローマ皇帝の臣下だけどハプスブルグ家の臣下じゃないぜw
まあ言ってることは事実だけど。
別に井伊の家格が会津松平より上であっても全く問題は無い。
親藩の全てが譜代よりも上位にくるわけではないのだから。

282 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:30:14
御三家を除けばここと高松は親藩の中でも中将に登れる筆頭格の家なんだけどな。

283 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 21:54:44
>>282
つ 越前松平家

284 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 22:24:48
御家門だから

285 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 22:34:42
個人ではなく家に対する中将以上の家格(極官)として

◇従二位大納言
 ・尾張徳川家
 ・紀伊徳川家
◇従三位中納言
 ・水戸徳川家
◇従三位宰相
 ・加賀前田家
◇正四位上中将
 ・彦根井伊家
◇正四位下中将
 ・会津松平家
◇従四位上中将
 ・薩摩島津家
 ・仙台伊達家



286 :日本@名無史さん:2008/06/04(水) 23:24:20
>>285
越前松平家 第11代藩主以降の官位
松平重富 従四位下 左近衛権中将
松平治好 正四位下 左近衛権中将
松平斉承 従四位上 左近衛権少将
松平斉善 正四位下 左近衛権中将
松平慶永 (春嶽) 明治維新以前は正四位下 左近衛権少将
松平茂昭 従四位上 左近衛権中将

287 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 00:11:11
彦根の正四位上は絶対に三位になれないという縛りでもあるよね。正四位下、従四位上からなら三位になる官途があるけどさ。

288 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 00:11:16
>>286

松平重富 従四位下 左近衛権中将 → 徳川(一橋)宗尹の子
松平治好 正四位下 左近衛権中将 → 徳川(一橋)宗尹の孫
松平斉善 正四位下 左近衛権中将 → 徳川(宗家)家斉の子
松平慶永             →  徳川(田安)斉匡の子
松平茂昭 従四位上 左近衛権中将 → 安政の大獄後の人事


289 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 00:24:16
家格向上の為に将軍家から養子を迎える事はままあった様だが一代限りって聞いた希ガス

290 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 01:08:42
>>288
松平治好のところで強引に理由をこじつけようとしていて、見苦しすぎだ罠

291 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 06:53:40

>>290

確かに少し強引かもしれないけれど
津山藩松平家は元来、極官が従四位下少将の家柄だが、7代斉孝は
嫡男がいたが家格・家禄向上を願って、将軍家斉の実子の養子入れを
画策し成功した。

1817年に養嗣子として 斉民(家斉の第16子)を迎え入れ、自身
も1829年に少将から中将に昇任され、2年後に家督を斉民に譲った。

津山藩第8代となった斉民も1831年の家督相続後の1837年には
正四位上中将になっている。

これなどはまさに、家に対する叙任というよりも、その人個人に対して、
「その身一代に限り」「格別の功により」という例外が多発したなかでの
できごとだろう。

越前家の事例もしかり・・・


292 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 12:01:53
>>291
でも、それじゃ松平治好は説明つかないでしょ。2万石加増されたのは
嫡男に家斉の娘を娶らせたからだけど、官位に関しては元服したときに
従四位上侍従、家督を継いだときに正四位下権中将のはずだけど。

293 :日本@名無史さん:2008/06/05(木) 19:45:51
>>292
俺は治好が中将に叙任されたのは1818年の嫡男に将軍家斉の娘が嫁いで
以降と推測するが・・
1799年の家督相続時に叙任されたとの書き込みはどこからの情報なの?
「その身一代に限り」「親の功により」など特例だと思うのだが
勉強させてもらいます。

294 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 00:21:07
越前如きが家督時にいきなり極官に付くことは無いだろ。
水戸で家督中将だったか?

295 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 09:58:35
島津久光の右大臣というのは正式な官位?
うるさいからエサを与えたの

296 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 10:56:06
島津って源氏の嫡流だから偽源氏の松平なんかよりはるかに家格が高いんだよね。

297 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 11:13:13
>>295
徳川時代じゃなくて新政府の官位
もちろん正式


298 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 15:15:20
島津三郎久光、隅州

299 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 15:22:14
島津三郎久光は軍率いて江戸に出てきて、実子の茂久を差し置いて自分を藩主にするか、従四位上中将に据えろと一橋刑部卿、松平越前守、板倉周防守に掛け合った。
また、豊臣期の五大老に倣って一橋慶喜、松平容保、山内容堂、松平慶永、そして島津三郎を幕府参与にし、後日5人の中から次期将軍を選べといった

300 :山内容堂:2008/06/06(金) 15:26:18
隈州、参られい

301 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 15:43:01
相撲だね?

302 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 16:43:40
ぶっちゃけ大名の官位なんざ何か意味あるのか?
詰め間が変わるぐらい?石高のほうが重要そう
別に参内もしないだろうからあってもなくても別にどうでもいいような・・・
象の官位より低いとかは気にしてないでしょうし・・・

303 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 17:00:28
まあステイタスなんだろうね
石高、つまり養う軍勢の数が重要なのはその通り

304 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 17:49:39
>>302-303
実際もらっても生活が裕福になるわけでもない官位を巡って
私も含めた今の時代の人たちから見るとあほらしい猟官運動したりしてますよね、江戸の大名ども
更に武家官位は石高も関係あるので官位の上下幅は非常に小さい。
一つ上がるか下がるかでぎゃーぎゃー大騒ぎという実にばかばかしい物なのだが。

305 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 19:41:56
つうかさあ、江戸時代ってあっちこっちで新田開発やりまくり、
ガンガン石高上がってたりするのにあまり高直ししないね。
なんか暗黙の了解でもあったの?

306 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:11:29
高に応じて譜役や軍役の負担が増大

307 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:17:15
高直しは家格も上がるが、
お手伝い普請や参勤交代の規模など負担も上がるという諸刃の剣

308 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 20:23:50
高直し(石高の更正の請求)を申告したのは、メンツにこだわる水戸藩や南部・津軽藩、越後新発田藩、松倉の島原藩くらいであり、あとはこっそりとやっていた。
しかし、公儀隠密の内偵によって、新田開発とか各種特産物、隠し鉱山の有無の調査がすすみ、各藩がだいたいどの程度の実高をもっていたのかは把握していたとおもうよ。

309 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:12:23
毛利も29万石を
36万石に高直し
吉川も3万石を6万石に高直し

310 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:16:21
島津も関ヶ原後56万石から
いつのまにか77万石に
佐竹と松前は朱印高なし
から20万石と3万石に

311 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:31:14
表高と実高が乖離した大名は表高と実高が同じとこにガンガン転封しちゃえばいいんじゃね?
もちろん表高ベースで。で、余った分は天領に。大もうけじゃん。

312 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:35:26
譜代大名を中心に>>311を行ったのが徳川綱吉。越後屋騒動の高田藩や、堀田筑州暗殺後の佐倉藩、福島藩、山形藩、
山城淀藩、館林藩、高崎藩、坂木藩をはじめ譜代藩を中心に、転封と検地を繰り返して余った領地を天領に組み入れて差額を幕府の儲けにしていった

313 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:38:46
外様では加賀前田家が別格で次に鹿児島島津家と仙台伊達家が次点者
他の国主大名は極官が従四位下少将だから高直しするデメリットの方が
大きかったと思われるが・・

314 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:43:01
しかしながら外様國持大名をターゲットにして実高−表高を幕府の益にする手法がとれなかったため、隠密に探らせた実高を頼りに手伝い普請をやらせる手法に切り替えたのであった
※佐竹壱岐守は無高ではなく、18万石格→21万石
※島津大隅守は高直しではなく、琉球征伐成功により56万石から77万石になったのである

315 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:45:02
官位にこだわったのは南部信濃守Vs津軽土佐守、伊達陸奥守Vs島津薩摩守

316 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:45:38
南部は結果的に家格アップした
毛利は意味なかった
極官は少将だが侍従どまりの藩主ばかり
浅野が少将ばかりなのに

317 :日本@名無史さん:2008/06/06(金) 23:56:42
新発田の溝口は5万石の柳間席で従五位下だったが、高直しにより10万石大広間になり、従四位下四品

318 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 00:17:35
>>311
秋田(安東)なんかそのおかげで東軍だったのに実質大幅減・・・
逆に佐竹は超ラッキー
山内も土佐9万石だと思われてたのに20万石あってラッキー

319 :大学院文学研究科の伊藤之男先生:2008/06/07(土) 00:42:54
山内は新田開発を大規模かつ徹底的にすすめ、非業の死を遂げた野中兼山の殖産政策もあり、なんと江戸後期には実高49万石になっておる。南国だし土佐は面積も広いからおとくラインだと解される

320 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 01:02:30
外様から譜代格になった大名は、どういう意思で譜代格になりたがるのか?外様よりかは譜代格の方が楽なのか?
帝鑑間席

321 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 01:12:16
>>320
つ 幕閣ポスト狙い
有馬(元肥前)とか脇坂とか外様でも弱小どころが多いように思われ。

322 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 03:53:38
>>316
おかげで南部は領民が疲弊し、
日本一の一揆発生件数という大記録を残しましたw
あと、「それもこれも津軽が悪いニダ」と、
逆恨みのテロリストを生み出しました。

323 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 05:08:52
>>320
願い譜代は綱吉時代に増えたらしい。
譜代大名を抑制するためらしい。

324 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 05:21:26
ドキンちゃんは譜代?

325 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 12:02:08
よく小学校の教科書で外様は石高多くて権力を与えない
譜代には小禄でも幕閣に登用しバランスをとった
神君大権現は偉大です。彼もこの地区から出たのです。東京に引け目を感じてはなりませんって
やるけどどう考えても外様の小大名が圧倒的に多くてどっちも得られない連中が大半だよね
そりゃ願い譜代申請するよ

326 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 12:49:46
俺の先祖は外様だけど老中だった!

327 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 13:36:02
俺の先祖は老中だけど外様だった!

328 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 14:36:35
僕の先祖はアル中だった。

329 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 14:43:02
俺はリアル中

330 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 15:16:11
国持>準国主>城主
城主格>無城

という説が話されているけれど、この場合幕府公認の正式な城を持っている
仙台藩片倉家(白石城)の扱いはどうなるの?

331 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 15:45:29
一橋は無情?

332 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 15:53:58
>>330
御公儀公認の伊達家の城を陪臣片倉氏が預かっているだけ

333 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 15:54:56
肥後松井氏>白石片倉氏

334 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 16:54:00
>>331
そう御三卿もその意味では無城


335 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 16:55:28
>>330
大名と陪臣の区別ぐらいつけような

336 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:00:54
松井は陪臣ながら城主だけどな

337 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:06:02
片倉小十郎も城主でしょ

338 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:26:06
別家と支藩とただの万石取り家臣の明確な違いってあるの?

339 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:41:41
>>336 >>337
このスレは『江戸三百諸侯について語ろう』なので仙台の片倉家や
肥後の松井家は城代であっても陪臣なんで皆が言う城主ではない

>>338
@別家は仙台伊達と宇和島伊達の関係は本家と別家の関係
A肥前佐賀藩の鍋島家と同小城藩の鍋島家なんかは本家と支藩の関係
B加賀前田宗家と加賀八家の前田家(直之系)は藩主と家臣の関係

とりあえず@Aは諸侯でありBは将軍家からみれば陪臣


340 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:50:26
陣屋支配の久留島伊予守様乙

341 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 17:53:34
交代旗本寄合席から大名に昇格した蝦夷地福山島主の松平伊豆守あげ

342 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 18:49:33
支藩て本家となんか江戸での待遇とか立場違うの?
分家も本家と立場違うの(長岡と笠間とか)
石高と官位で基本的に扱いのクラス分けは平等なの?
岩国吉川(こいつは単に毛利が邪魔しただけで幕府としては独立?
毛利家的には家臣扱いだから萩で勤務してたん?)と洲本稲田(こっちは明治で諸候?)
とあと御三家やなんかの付け家老と御三卿の家来とか
初期の甲府や館林に回された幕臣は陪臣に転落?

343 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 19:31:32
実力ある若い衆の独立を本家サイドが阻んだり嫌がらせをしたりするのはヤクザ社会でもよくあること。

344 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:13:57
ある本では、
前橋藩酒井(雅楽頭)の別家が若狭小浜藩酒井(讃岐守)で、分家が伊勢崎藩酒井、越前敦賀藩酒井となってるが。
分家と別家ってどう違うのか?

345 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:36:07
>>343
ヤクザどころかかたぎの世界でも・・・

346 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:38:49
北詰、質問に答えろ!

347 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:44:12
>>344
家の発祥に違いがあります。
新規取り立てか分家か

348 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:47:08
本家から領地を分けてもらったのが分家
公儀達から本家とは別に領地を貰ったのが別家

ただこの定義だと
萩の毛利は越後毛利の分家になってしまうか?

349 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 21:59:18
となると笠間の牧野は長岡の牧野の別家か

350 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:26:33
佐橋毛利は宗家か
萩毛利が本家で
長府とかが分家
岩国は陪臣

351 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:31:34
長岡藩牧野家(7万石、譜代 帝鑑間)

笠間藩牧野家(8万石、譜代 雁間)

曖昧であったが長岡藩(本家)・笠間藩(支藩)で決着した。
長岡藩の第6代藩主の牧野忠敬は笠間藩初代の牧野貞通の嫡男から
養子入りした。
当時の掟として、分家から本家への養子入り以外は大名・旗本の嫡男
の養子入りは禁止されていた。
この件により、幕府も正式に 笠間藩と長岡藩の関係を認知した
ということだろう



352 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 22:40:09
天童織田は本当は
柏原織田の分家

353 :日本@名無史さん:2008/06/07(土) 23:24:14
酒井家では左衛門尉酒井家と雅楽頭酒井家があるが、藩祖の5-6代前の
酒井広親より家別れしており、前者が長男系で後者が次男系であるが
本家・分家という認識は両家にもなかったんじゃないの? 遠縁筋の間柄?


◇左衛門尉酒井家(17万石 譜代 帝鑑間・溜間)
酒井広親の長男とされる酒井氏忠の家系は代々「左衛門尉」を名乗り、
氏忠から5代目の酒井忠次を初代当主とする。

◇雅楽頭酒井家(15万石 譜代 溜間)
酒井広親の次男とされる酒井家忠の家系は代々「雅楽頭」を名乗り、
家忠から6代目の酒井重忠を初代当主とする。


354 :氏家まつ:2008/06/07(土) 23:36:05
酒井重忠から忠清と忠勝に分かれたんだろ

355 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 07:13:54
>>354
酒井重忠から忠清と忠勝に分かれたんだろ

???  雅楽頭酒井家の系図では
酒井正親→重忠→忠世→忠行→忠清
酒井正親→忠利→忠勝
となっている。よって正親からの別れ


356 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 07:18:07
保科家の本家って会津家が松平を名乗った後も会津家なの?

357 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 12:44:08
>>356 日本語でOK

358 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 17:05:06
保科正之は、飯野藩祖になった義理の叔父の正貞に保科伝来の家宝を譲ってる。

359 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 17:35:24
仙台伊達家−本家
一関伊達家−分家
宇和島伊達家−別家

こんな感じでOK?

360 :真田幸專:2008/06/08(日) 19:12:06
それでよいと思います

361 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 21:07:49
鳥取池田も別家
岡山池田は本家

362 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 21:09:22
加賀爪上杉は別家?
それとも米沢上杉の宗家?

363 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 21:34:52
彦根の井伊は本家?別家?分家?

364 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 21:52:20
彦根の井伊は本家で、本家の前当主(直勝)が幕命により別家を興した

365 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 22:23:38
加賀爪は外様のくせに寺社奉行

366 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 22:26:17
脇阪もそうか
裏切り者全滅
七ぼんやり没落のなか
生き残りは凄い

367 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 23:37:22
七本槍・・・
出世頭は結局脇坂か・・・(血統違うけど)
片桐(弟)と加藤嘉も一応残ったな
平野は大名になれなんだが旗本で初期から石高変わらんので
ある意味没落ではない
糟谷、福島、加藤はあぼん


368 :日本@名無史さん:2008/06/08(日) 23:49:00
平野は明治になって立藩。
それで廃藩置県後は男爵になった。

369 :水口藩主加藤越中守:2008/06/09(月) 00:36:21
脇坂は他家(堀田氏)から養子を迎えたりもしたが、地味に残ったと思います。加藤忠広、福島正則、加藤明成は謀叛疑惑や家中騒動で大名の資格を失い、あるいは大幅な減封となりました

370 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 06:22:10
>>369
老中を二代続けて出しているんだから、地味とはいえないでそ

371 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 10:23:48
九州に大藩の親藩や譜代を置かなかったのは大藩の外様を改易しにかった
ためでつか?

372 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 11:00:56
|∀・) ・・・ → >>371

373 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 13:26:00
なんで松前が老中になってるんだ?
願譜代でもないのに

374 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 15:19:36
幕末の特例

375 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 17:56:05
>>371
大藩を九州に追いやったというのが真相では?
細川が丹波、黒田が播磨では危険だろう

376 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 18:15:15
丹後時代の細川はそれほど大きくないし、黒田は元から九州だよ。

377 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:23:43
四国は地元大名全滅か・・・ひどいものだな

378 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:28:49
中国も毛利と亀井だけ

379 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:31:11
奥方の尻に敷かれていたことで
有名な大名って、誰かな?
奥方が駄目夫の代わりに
政務を見たりとか萌える。

380 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:37:57
関東も太田と
千葉に上杉が旗本(高家)でいるくらいか

381 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 19:39:57
北陸も全滅

382 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:08:28
>>377
旗本なら三好とか。

>>378
吉川が残ってる。

>>381
高家旗本の能登畠山氏

383 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:21:24
>>373 >>374

松前藩代12代の松前崇広は、6男であったため、養子入り家督相続前の時代に
蘭学・英語・兵学を学び、さらには西洋事情、西洋の文物に強い関心を抱き、
電気機器、写真、理化学に関する器械を使用するなど、西洋通であったらしい。

これら西洋通の崇広の評判が幕格の評判となり幕末混乱期もあって
寺社奉行→陸海軍総奉行→老中への抜擢となったもの。

384 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 20:44:29
>>379
福島正則
俺はあいつだけにはかなわんだそうだ薙刀振り回すからな

385 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 21:18:11
その嫁の実家ってどこだよ

386 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 22:22:55
その嫁かどうかは知らんが正則の嫁って家康の養女だったような気がした

387 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 23:00:10
>>386
それ加藤清正

正則の義理の息子の嫁は確かに家康の養女だね
ただ彼女にはそのあと超絶の波乱の人生が…

388 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 23:52:37
>>386
ん? 牧野右馬允の娘が家康の幼女になった上で福島正則に嫁いでいるみたいだけど?

389 :日本@名無史さん:2008/06/09(月) 23:55:06
江戸城控えの間で、席次が一番下座の大名はどこの藩主なのでしょうか?

390 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 00:08:05

>家康の幼女



391 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 06:46:19
>>389
発想が面白い

柳間の家督一年目の陣屋大名で家禄も1万石台の者

392 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 07:11:50
一万石の大名と9900石の旗本、待遇に違いはあるの?
つうか、いつから1万石以上が大名ということになったの?

393 :大膳:2008/06/10(火) 08:49:10
>>392

待遇の違い

一万石の大名の場合・・・家督を継げば、役職につかなくても従五位下諸大夫の地位には就ける。

9900石旗本の場合・・・何某かの役に就かなくては、良くて布衣止まり。


大名と旗本との区別は、江戸開府の時に成文化して発令されている。


だが、例外的に万石に達していても幕命で旗本扱いになった者もいた。

394 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 11:34:30
それらはどこでつか?
交代寄合になった生駒とか分割で万石から1時期未満になった柳生などですか

395 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 13:11:59
最上騒動あたりからとちゃうか
大名1万石定義は

396 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 15:02:03
近江水口→下野壬生に転封。5000石加増

397 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 16:19:03
下手な大名より3000石くらいの大旗本のが生活楽そうで人生楽しそうだよね

398 :大膳:2008/06/10(火) 16:45:48
>>394

なにぶん、二十年以上前に何かの本で読んだ記憶なので
細かい所は覚えていませんが、九州に配置されていた譜代大名で
家督相続に際して、弟に一万石が分知されたが如何いう訳か
大名とはされず、大身の旗本という扱いになった者がいた。
何家なのかは完全に忘れてしまいました。
 お分かり頂けたでしょうか?

399 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 17:02:44
分かんない

400 :日本@名無史さん:2008/06/10(火) 17:31:01
400回記念

401 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 10:45:13
藩の石高は、領地の米の生産高であって、藩の収入は4公6民ならば生産高の4割だよね。

そこで質問です。
1万石の領主ならば、仮に4公6民で4000石収入になりますが、藩士はどれくらいいるのでしょうか?
幕府の参勤交代の行列人数も石高により定められてますから、藩士数も石高による定めがあるのですか?

402 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:20:42
加賀藩で藩士12000人
米沢藩で藩士7000人
くらい(幕末近く)
土佐とか薩摩は郷士とか居て複雑

403 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:32:13
黒田5700人
毛利4800人
浅野3900(藩史大事典より

404 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 11:37:11
尾張藩6000人
石高の万の位に100をかけると藩士数か
米沢はリストラしないなら例外か

405 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 12:32:05
>>402
15万石にしては異常に多いのは確かだけど、120万石時代からリストラしていない
としたら少ないような。
関ヶ原後30万石に減封されたときにリストラしたのかな?

406 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 12:40:08
藩士ってどこまでなんだろう?

陪臣や中間まで含めた人数か

407 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 14:01:51
直江、前田とか高給取りは減らした
武田や千坂も知行ダウン

毛利では給料多寡とわず半知にした(防長回天記)

408 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 14:25:52
>>405
wikipediaの米沢藩によると「越後時代から付き従ってきた家臣の召し放ちを
極力行わず、6000人と言われる家臣団を維持し、針小棒大な表現ではあるが、
上杉家は、120万石規模の家臣団を維持したと云われている。」
とのことだから、大規模ではないもののリストラを行ったのは確か。

>>406
同じくwikipediaからだけど、
「明治初年の史料を持って比較すると、加賀102万石の前田家の場合は、
内高が120万石で、士族7077戸、男12414名、卒族戸数9474戸、男 14029人」
「米沢藩14万7千石(列藩同盟処分の削封後)の上杉家の場合は、内高が30万石で、
士族3425戸、男7565名卒族戸数3308戸、男11980人」

それにしても、こんな状態から財政再建した鷹山は化け物としかいいようがないな。
藩士は多いし、国主格で出費も多いのに、石高はたったの15万石。

409 :ぴーす ◆mQup6l1Ha. :2008/06/11(水) 16:01:51
米沢は藩収入6万196石中
知高3万896石で藩士5971人他薩摩が48387人、加賀が18730人、紀伊、尾張が10945人毛利10455人、鍋島11190人など。

410 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 17:41:20
>>409
予想はしてたけど薩摩大杉
とは言ってもそのうちの多くが半農半士の郷士なんだけど

411 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 18:30:56
薩摩は芋でカロリーまかなうから石高にくらべ人口が多い

412 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 20:35:59
薩摩は偽金で国を富ませた

413 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 22:39:03
土地が痩せていて実高は30万石位って本当?
大昔テレビで見た希ガス。

414 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:03:42
米だけだとその程度

415 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:17:52
サツマイモ入れると何万石?

416 :日本@名無史さん:2008/06/11(水) 23:25:46
>>412
大河ドラマ篤姫であったね。
薩摩は、琉球貿易という金のなる木をもってたしね。

417 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 01:41:13
まぁ火山灰の台地じゃ米はとれねぇってのは馬鹿でもわかるわな

418 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 02:57:35
唐芋も高に算入すんのw


419 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 21:06:13
火山灰の台地をシラス台地と呼ぶのは小学生でもわかる

420 :日本@名無史さん:2008/06/13(金) 12:00:22
豊臣期は有力家臣を引き抜いて大名の勢力を削ごうとしていたのに徳川は
独立の動きを阻止していたような・・・

421 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 21:44:09
スレチかもしれないけど、豊家が滅んだあと石川数正はどうなったの?

422 :日本@名無史さん:2008/06/14(土) 21:51:19
寿命で死んだあとに息子が改易
表向きの理由は大久保長安事件
本音は裏切った復讐

423 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 12:51:50
石川数正は徳川家臣のままだったら30万石もらえたな

424 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 13:23:47
それはない

425 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 13:30:02
あーあ 書いちゃったか
せっかくここまで良スレの流れだったのに
君のせいで完全に台なし
このスレにお前みたいなカスの書き込みが無ければ
下手すれば2ch史上始まって以来の良スレになったかもしれないのに
あーあ完全に終わりだわ
とりあえずお前責任取って今川義元の上洛阻止しろよ
切腹なんかしても誰も墓作らねーし同情もしねーからな屑

426 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 13:38:14
琵琶湖とか富士山って、どこが所有してたの?
やっぱ、天領扱い?

427 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 18:27:31
本間さんだろ
フジヤマは浅間神社

428 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 21:24:43
>>427
馬鹿か?

429 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 21:32:10
はぁ何がばかなんだよ
間違ったこと言ってねlだ絽カス死ね

430 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 21:36:18
所有とのお尋ねだから
間違ってると思いますよ

431 :日本@名無史さん:2008/06/15(日) 22:54:45
富士山の8合目以上は浅間神社の境内地になってる

432 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 00:03:36
>>431
8合目より上、それを所有してたわけですか?

433 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 00:05:57
毛利秀就の頃の年貢公収高は10万石
支藩除くから五公ゴミン

434 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 01:52:03
南部藩最後の当主
http://www.gagthefag.com/gagthefag1/generalimages/zwill.jpg

435 :日本@名無史さん:2008/06/16(月) 23:36:04
領土が一番広かったのは松前除くと南部?

436 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:03:39
松前って完全に支配できてたのはどの辺まで?
まさか蝦夷地全部を直接支配できていたわけではあるまい?

437 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 00:14:30
小笠原氏が最大

438 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 03:25:29
>>436
沿岸部だけ

439 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 04:06:05
根室場所、厚岸場所、釧路場所といった具合に
地域を分けて漁業権を販売し上納金を得ていた
直接支配していたわけではない

直接の支配地は江戸時代初期には松前郡のみ
後期になるとこれに上磯郡・亀田郡が加わる

440 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 22:49:16
>>432
徳川家康が浅間神社に所有権を認めたはず。
富士山の土地所有権について浅間神社と国が裁判で争ったが
最高裁は浅間神社が証拠として提出したその家康の書付を
根拠に浅間神社に8合目以上の(観測所付近は除く)所有権を
認めたはず。

441 :日本@名無史さん:2008/06/17(火) 23:42:54
つまり>>428のが無知で馬鹿だったということか

442 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 01:13:28
>>440
はぁ?

443 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 01:25:37
>>442
はあも何も、家康が富士山8合目以上を境内地として寄進
したのは有名だぞ。
もし富士山が天領だったら、最高裁も普通に国に所有権が
あるとしていたと思うぞ。
440の言いたいことは、江戸時代以来、富士山は天領では
なく、浅間神社の領地だと言うことを最高裁が認めたと
いいたいんだろう。
確か、徳川忠長はここの神社の猿を殺して処罰されなかったけ?

444 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 01:29:37
電波が飛んでいます(>_<)

445 :日本@名無史さん:2008/06/18(水) 01:49:53
>>http://www.pahoo.org/athome/album/2006/album20060315-1.shtm

446 :日本@名無史さん:2008/06/19(木) 23:56:08
会津と高松が支藩を持たなかったのは幕府の指示でつか?

447 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 00:26:44
高松は水戸の支藩だろ 支藩の支藩ってあるの?
会津はどうしてなんだろうね?
一万石位の部屋住作っても良さそうだけど。

448 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 01:09:49
長州藩には孫藩てのがあったね

449 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 03:56:43
そんなもん子供が沢山出来なかったからに決まってんじゃん

450 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 08:52:28
加賀前田も支藩の支藩があった

451 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 09:27:58
>>447
藩祖保科正之の徳川宗家への忠誠心の継承。
会津藩は、宗家から預かったものとの立藩精神の現れが感動を与えた。

452 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 12:44:41
>>450
18年ぐらいだっけ?
織田刺し殺して切腹
死ぬ前に「浅野も斬らないでさしてりゃうまくいったのにねぇ」といったとかなんとか

453 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 20:07:08
譜代で支藩はあまりメリットないような気がする

454 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 20:57:48
ちなみに琵琶湖は去年までどこの自治体の領地でもなかったけど
分割編入された
江戸時代まではまるっきり公海扱い
ただし漁業権や交通権は地元民に保障されてた

455 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 22:57:09
>452
織田秀親に虐められ復讐

456 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:32:04
殿中で密かにセックスとかオナニーしちゃった粋な大名とかいなかったの?

457 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:41:14
電柱でなく街中なら
江戸初期に織田信成が
名家の婦女を強姦して取り潰し

458 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:48:11
山科での千人切りで改易の
織田信任は対象が女か
辻斬りなのか不明

459 :日本@名無史さん:2008/06/20(金) 23:56:19
セックスではないが福島正則が殿中で勃起させ手淫に興じているのを柳生但馬守に指摘されたが内済去れた

460 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 00:04:00
前田利常も性器丸見え

461 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 00:11:40
マジ?

462 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 08:15:02
あれは丸見えじゃなく丸出しだろうが

463 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 10:28:23
前田利常は放尿プレイまでやらかしたな。

464 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 10:45:04
会津藩には支藩として会津新田藩1万石があったようです。容章が分家を許されて、子供の容詮が本家の養子になってしまったため、1代限りのようです。


465 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 11:14:36
「新田藩」っていろんなところにあるけどなんなのよ?
なんか制度名とか格式名なんか?

466 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 12:09:38
徳川家が新田義貞系の源氏であることから藩名に新田という文字を入れることで徳川家への忠誠を示そうとした。

467 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 12:42:37
なるほどサンクス

468 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 13:04:10
信じるなw

469 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 13:36:02
ちがうん?

470 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 14:42:57
新田開発した分の石高を支藩として分けたのが新田藩
主に本藩に跡継ぎが絶えた時に藩主を迎えるためのスペア
従って飛び地だらけ
美濃の大垣新田藩は三河の渥美半島に陣屋があった

471 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 15:57:49
○×新田藩というのは便宜上の呼称

例えば米沢上杉の支藩は
米沢新田藩だが
麻布上杉家とか駿河上杉家と呼ばれていた。

472 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 17:08:45
藩名自体、明治の初めに本拠地の地名を取って付けるってのを慌しく決めただけだからな。
本家の藩の蔵米を支給されてた支藩なんか、それも本家を継ぐなどして途絶えたようなところ
なんかもあるんだから、他に付けようがないじゃん。

473 :日本@名無史さん:2008/06/21(土) 18:13:57
新田開発=石高が増える。
      ↓
増えた分で分家を創設。
      ↓
本家の元の石高は減らず、その上一族大名が増える。
(幕府も新しく土地を与えるわけじゃないから、懐は痛まない)
      ↓
誰も損せず、皆がウマー

と、こういう解釈でOK?ちなみに新田藩は在所が本家の城下であることが
多かった。領地が明確に規定されてないものも。一万石だったら、本家から
年貢相当分の蔵米を支給されて終わり・・・・って。完全に家臣と同じじゃん・・・

474 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 00:57:55
人違いで殺された細川宗孝は可哀相

475 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 09:42:29
新田藩の幹部級家臣はほとんど本藩からの兼任や出向だもんね

476 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 10:15:11
新田藩は,御三卿みたいなもんだな。
領地分散,本家からの上級家臣出向って。

477 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 12:46:49
参勤も本藩と一緒だったのかな?

478 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 13:14:21
むしろ定府大名の方が多かったのでは?>新田藩

479 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 16:16:22
姫路とか岡山の2家とか、本藩の城下に屋敷を持っているケースしか知らないんだけど、
定府ってどこ?

480 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 16:45:21
三日市柳沢とか
与板井伊とか
秋田新田佐竹とか
糸魚川松平

定府大名
屋敷はどこにあったん?

481 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/22(日) 17:11:40
三日市と糸魚川と与坂城は越後、佐竹はおおよそ田沢湖のあたり。

482 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:23:26
領地を割いた支藩と蔵米支給が主の新田藩がごっちゃになってないか

483 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 17:36:52
吉田浅野は
新田なのか分与なのか
はっきりせん

484 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:07:41
蔵米支給でも幕府から独立した諸侯と認められていれば藩主
その点尾張藩の川田久保家などとは異なる
藩主定府が多いのは本藩藩主が嗣子なく没した際のスペアだから

広島新田藩(吉田)の各代藩主は
初代:本藩3代目の子
2代:初代の子
3代:本藩6代目の子
4代:2代の子
5代:本藩8代目の孫→本藩11代目を継ぐ
6代:本藩8代目の孫→本藩12代目を継ぐ(本藩で廃藩置県)
7代:本藩8代目の曾孫・・・版籍奉還に際し本藩に合併廃藩

485 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:08:41
熊本新田藩
大聖寺新田藩
米沢新田藩
姫路新田藩
大垣新田藩
喜多見新田藩
岩槻新田藩
隠岐新田藩
志摩新田藩
壱岐新田藩

486 :日本@名無史さん:2008/06/22(日) 18:49:01
岡山新田藩(鴨方藩)
岡山新田藩(生坂藩)

487 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/22(日) 19:37:18
九州
平戸 松ら 1万石小倉 小笠原一万石
玉名 細川3.5万石 
四国
高知 山内1,3万石
中国
鴨方 池田2,5万石 倉敷 池田1,5万石
伯嗜国 池田1,5万 因幡国 池田3万石
奥州
出羽国 上杉1万石 秋田 佐竹2万石
盛岡 南部1,1万石





488 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 22:25:21
支藩のお殿様は、明治政府誕生後に華族へと列せられのでしょうか?

489 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 22:38:24
浅野君以外は子爵様にしてやったよ

490 :日本@名無史さん:2008/06/23(月) 23:06:30
富山は伯爵。
支藩が賞典禄なしで伯爵ってのもすげえ収奪w

491 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 05:14:36
なんで浅野はだめだったの?

492 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 06:47:07
広島の浅野は薩長土肥に次ぐくらいの藩だったよなあ

493 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 07:05:18
辻将曾ぐらいしからない
といってもこの人も名前知ってるだけで何した人なんだか・・・

494 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2008/06/24(火) 08:19:24
上にあげた新田主は全部子爵

495 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 09:31:32
>>422
叔父の家系は生き残った
大名家が二つ

496 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 10:26:59
そりゃ叔父は忠臣だったからね。

497 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:34:51
久保田新田(出羽秋田) 元禄14〜享保17 本藩併合
米沢新田(出羽置賜) 享保17〜明治2 本藩併合
大垣新田(三河渥美〜明治2美濃大野) 元禄1〜明治2改称野村藩〜明治4 廃藩置県
江州新田(近江犬上) 正徳4〜享保19 本藩併合
広島新田(安芸安芸) 享保15〜明治2 本藩併合
高知新田(土佐土佐) 天明1〜明治3 本藩併合
小倉新田(豊前上毛) 寛文11〜明治2改称千束藩〜明治4 廃藩置県
平戸新田(肥前松浦) 元禄2〜明治2改称植松藩〜明治3 本藩併合

野村藩主家と千束藩主家は子爵となった

498 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 20:40:26
>>490
新田分知じゃないよ

499 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:25:53
>>498
そりゃ知ってるけど>>488の支藩の殿様という言葉を素直に受けただけ。

500 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:47:43
浅野家家老の辻なんとかは、小御所会議で岩倉が土州を刺す計画を後藤正二郎に伝えたことしかしらぬ

501 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 21:59:52
将曹

502 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 23:08:17
新田藩の藩主や家来で出世したとか活躍した人物っている?

503 :日本@名無史さん:2008/06/24(火) 23:24:05
大聖寺新田藩の前田利昌は、柳本藩織田秀親を惨殺し勇名天下に轟いた

504 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 02:21:38
結構頻繁に大名が殺されてることにびっくりする
太平の世の領主が・・・

505 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 05:03:51
キチガイに刃物など持たせるからだ。

506 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 10:27:11
>>503 柳本織田家って自殺した藩主もいたよね
んで丹波の山奥に転封されたかわいそう

507 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 11:29:36
内匠頭殿も吉良を突き刺せばよかったのになんて言ってたそうだからな前田は

508 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 11:50:27
>>507 浅野は分裂病だったから斬ったってのが某氏の説だね
突いた前田は狂ってなかったってことか?

509 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 12:49:29
そこでダガーナイフですよ

しかし懐剣用に多く用いられた両刃造りや切先両刃造りの短刀ってやっぱり殺傷能力高かったんだな

510 :日本@名無史さん:2008/06/25(水) 21:23:59
浅野は精神統合失調症だったか…

511 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 01:11:45
>>509


512 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 01:15:11
>509
どうでもいいけど、例の事件以来「ダガーナイフ」という意味不明の
カタカナ語が流行っているのはどうにかならないんでしょうかね。

それはともかく、>507のは「内匠頭はなぜ突かなかった。未練だ。」という
話を受けての後知恵にも聞こえますね。内匠頭の件がなくても「切りつけ
ずに突く」という行動をしていたのかどうか。

513 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 02:25:48
小倉新田藩は豊前上毛郡二十六ケ村と交換されて新田藩から千束藩になったんだな

514 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 09:44:24
浅野内匠頭が乱心(統合失調)と認められれば本人も切腹ではなく
赤穂藩も減封で浅野大学が継承できたのかな?

515 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:09:43
>>514
それはありえません

516 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 10:31:38
>>514
キチガイを藩主に据えた責任は大だ罠

517 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 11:02:52
めぐりあわせが悪かっただけであろう

518 :日本@名無しさん:2008/06/26(木) 11:20:03
>>512
「ダガーナイフ」って、てっきりどこかの商標だろうと思ってましたが、違うんですか?


519 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 11:22:09
刺突用のナイフ
日本の両刃造りの短刀と同じ

520 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 11:26:35
両刃で中芯が長い短刀は室町中期に流行ったが大名の持ち物ではない

521 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 11:49:13
>>518
ダガーであってダガーナイフではない罠
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%82%AC%E3%83%BC

522 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:05:28
モノホンの熱中人だと工作機械と鉄板と真偸材があれば拳銃も弾丸も火薬も作れるし…


523 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 12:16:38
ライノセラスダガーって生き物のくせにかっこいいよね
ルックスも名前的にも

524 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 13:45:04
幕末には槍を仕込んだ脇差も見られるがこれも大名の持ち物ではないな

525 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 17:25:11
浅野大学をもって備中高梁か備前庭瀬、日向延岡に一万五千石格で家名再興をうけ塩がとれる赤穂は天領になる可能性大

526 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 17:37:07
架空の話はつまらん

527 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 18:15:52
浅野大学は500石に大減封で
安房に跳ばされたやん

528 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 18:24:40
減封じゃなくて、ゼロから五百石への大躍進じゃないか。

529 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 18:30:30
どこぞの大名か大身旗本に養子に行ってたかもしれんし、
兄の刃傷事件で不利益をこうむったのは間違いないだろう。


530 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:11:00
計画的に行えば、500石あれば十分豊かに暮らせる

531 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:21:59
しかも,500石といっても,寄合だよね

532 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:30:48
寄合じゃない小普請だよ

533 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:36:26
播州赤穂侯・森美作守

534 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:38:00
森の前に永井。

535 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:39:38
>>532
500石でも寄合入りしてるみたいですよ

536 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 19:50:41
浅野大学の家は代々、書院番士のようだな。

537 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 20:03:28
>>528
赤穂藩時代は3000石だったから、やっぱり減封でそ。

538 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 22:56:56
>>537
3000石→改易=0石→500石

539 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 23:10:04
>>536
御小姓組から御書院番に番変えになっているが両番士であることに
違いない。


540 :日本@名無史さん:2008/06/26(木) 23:21:16
とりあえず浅野大学は大名じゃないから

541 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 00:06:16
小普請ってなにやんの?
土方?左官?
どっちにしろ3Kでしょ。

542 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 00:21:51
小普請組のことであるならば、旗本御家人の無役待命組。
小普請奉行などは、あなたの言うとおり・・・に近い。ただ、当たり前ながら
現場で作業したりはしない。指示を出すだけ。

543 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 02:34:11
>>541
小普請奉行は指示を出すだけだが、一般の小普請組は肉体労働な。
大工の婿養子になって技術を習得した奴もいるくらいだ。

544 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:19:29
>>543
幕初では小普請人足を知行高の多寡によって供出していたが、延宝3年(1675)
からは人足供出の義務は金納となっている。
納金額は家禄により定められていた。
ますます、諸侯から離れていく  打ち止め


545 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 06:20:40
無役ってのは働かなくていいんだろ?
何してたんだ?内職すると怒られるというしすることなっしんぐ

546 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 08:24:58
江戸の治安悪化に貢献。特に次男以下はガチ。

547 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 08:58:58
そこで鬼平ですよ

548 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 09:06:27
「この鬼平の刺青が目に入らぬか」
「げえっ」

549 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 09:08:50
部屋住み時代の鬼平はマジ荒れてたみたいだよね

550 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 10:09:56
水戸黄門は若い頃は快楽殺人や同性愛に走っている
皆が知っている枯れた老人というのは晩年の姿

551 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 10:13:18
町中で抜刀したらしいよな

552 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 10:24:44
お大名のボンボンがやさぐれたり荒れたりするとタチ悪い

553 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 12:45:28
>>550 晩年もお気に入りの家臣をぬっころしてなかったかな?

554 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 13:20:33
藤井紋大夫が御手討ちに

555 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 20:05:28
光圀も浅野も
領民からは嫌われていた

556 :日本@名無史さん:2008/06/27(金) 20:11:14
>浅野大学の処分

浅野内匠頭に
播磨一国を与え
市中引き回しの上死罪

と言うのとあまり変わらん

557 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 09:32:53
支藩が改易されてもその領地は本藩に収公されるのが多いのは諸侯であるの
と同時に本藩の影響下にあるから?

558 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:01:49
そんなことあった?

559 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:10:46
支藩が改易されたら公収されるのがふつうだろ。

560 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:26:10
そういう例はあるね

561 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:35:32
筑前直方の黒田とかそうじゃね?

562 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 10:40:27
大聖寺新田藩の場合は公収->大聖寺藩に返却

563 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 12:40:38
領地を与えなければ収公されないのか。
では本藩が取りつぶされた場合はどうなんの?

564 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 14:21:45
連座で処分されるのかな

565 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 14:44:47
吉良さんに切りつけたバカ大名とかのような重罪を犯したのでなく、無嗣改易とかであれば、
本藩は取り潰され、分家はそのまま存続。
将軍が家臣の家が絶えるのを惜しんだ場合には、末期養子とかの場合でも減知の上で
分家が本家を継いだ場合がある。

566 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 15:41:08
淡路池田がそうやろ
あぼん岡山の後釜

567 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 15:54:27
>>566
そうしたら淡路を取り上げられちゃったのがちと悲しいところ。

568 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 18:31:27
姫路池田も10万石減らされ
鳥取へ、姫路は没収

鳥取池田も備中に国替え
のち取り潰し

569 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 19:05:19
つうかさ、池田なんか全部取りつぶしでいいじゃん。
参勤交代するのもめんどくさいだろうしさ。

570 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 19:16:38
>>569
お前の一家の全財産も没収していいよな。

571 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 19:20:54
三河一国29万石にしとけば十分!

西国探題なのに役立たずだし

572 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 20:21:33
井伊と藤堂もな

573 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 20:32:03
じゃあ、会津最強伝説のはじまりか!

574 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:10:05
池田百合子の浅薄な性で光仲の血統が絶えた
名家の人間は人権や個人の意思以上に血統を残すことを第一と考える
義務があるというのにバカ女め

575 :日本@名無史さん:2008/06/29(日) 21:55:36
>>574
えー
・・・どっからつっこめばいいかな?

576 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 05:36:45
>>575
穴が違うと子孫が残せないから、そのへんはちゃんと考慮しろよ。

577 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 05:59:21
もう家臣団体もないし主家が絶えてもかまわないよ

578 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 18:19:36
池田大作がおるやん

579 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 18:21:31
北条家はどうなったんだろ
日蓮大商人信じれば御家栄えるはずなのに

580 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 18:38:41
非常に栄えたよ。
猿に滅ぼされたけど。

581 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 19:10:12
北条は河内狭山という経済的には結構いい場所で存続。

582 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:00:17
それは偽北条だよ。
正体は久島。

583 :日本@名無史さん:2008/06/30(月) 23:06:53
狭山藩北条氏は氏規の子孫がずっと続いたよね
幕末に佐野藩堀田氏から養子とっちゃったけど
狭山ってそんな豊かな土地だったの?

584 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 00:03:04
福島は左衛門大夫

585 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 01:21:03
>>583
「しょぼくてもビッグネーム」
「しょぼくても譜代」
「しょぼくても部屋住みよりマシ」

586 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 01:55:22
>>579>>580は違う北条だろ。
誰か突っ込めよ。


587 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 02:12:58
・・・いや、同じ氏族であってると思う・・・

>>579の北条さん:北条浩を出した北条さん(もと狭山藩主家出身)
>>580の北条さん:小田原の役で猿もどきに攻撃され、先代当主と弟が切腹させられる、当主は高野山に流罪
            (狭山藩主家ご先祖の親族)
と理解していたのだが。

588 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 05:39:22
>>583
>狭山ってそんな豊かな土地だったの?
大坂に近いから、産物を金に替える際に輸送コストがかさまない、狭山池のすぐ傍だから
水利の問題が少ない、外様小藩のため諸役には縁が遠く、逆に役知一万石の大阪城加番の
ような旨味のある役に就きうる、凍り豆腐や河内木綿の産地でもある。
ただし、幕末の軍役増加で財政は破綻したけど。

589 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 06:27:57
.▲
▲ ▲

590 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 06:36:04
狭山藩って破産して滅亡した藩でしょ?

591 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 06:43:03
いち早く廃藩を新政府に願い出て許されたが、滅亡とは言わんだろ。
滅亡というのは請西藩のパターンのことを言うんだ。

592 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 06:48:16
早雲様の小田原城乗っ取り以来の伝家の栗のお守りはちゃんと伝わってるのか?

593 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 07:36:02
>>591
パターンといっても、請西藩の一例しかない罠。
破産 -> 廃藩申請は南部藩、鳥取藩、尾張藩、熊本藩などいろいろあるけど、
廃藩置県前に消滅してしまったのは狭山藩ぐらいでは?

594 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 08:12:54
廃藩置県前の版籍奉還は、ほかに大溝藩や鞠山藩など、本藩への併合は福本藩などの例がある。

595 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 09:36:41
つか北条はどの段階で今川の家臣から独立したんだ?
氏綱あたりまでは完全に臣下でしょ?
いつから対等に同盟結べるようになったんだよ

596 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 09:48:57
早雲時代から「完全」には臣下じゃなかったんじゃないの?
伊豆攻めは今川から兵借りたけど、そのあとの関東攻略は自力でしょ。
いちおう今川軍の大将として三河なんかにも行ってはいるが、
普通の家来にしては自領の拡大に力点を置きすぎ。
朝比奈や太原雪斎はこんなことしてないのでは?

597 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 10:07:55
>>595
スレ違いはなはだしいけど…
もともと、今川の家臣というより、幕臣が今川の軍勢を借りて
伊豆攻略などをしていた。幕府の思惑からも独立した大名と
なるのは氏綱以降。

598 :日本@名無史さん:2008/07/01(火) 11:28:26
幕府に働きかけて支藩や他藩を改易させた例はあるのだろうか?
仙台が宇和島に対してしかけたようだが

599 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 12:48:30
>>598 仙台は宇和島を支藩扱いしたが、宇和島はあくまで別家と主張。
宇和島伊達家支藩の吉田藩にさえもチャチャを入れてくる仙台に激怒し大分仲悪かったみたいね。
明治になって仙台は伯爵、宇和島は侯爵になったから少しは気もすんだかな?

600 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 12:53:53
松の廊下で浅野長矩を取り押さえたという勇敢な伊達村ナニガシという旗本は、どっちの伊達系統なの?

601 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 15:58:59
>>600 院使供応役の伊達村豊は伊予吉田藩主。
秀宗の孫で言うまでもなく宇和島系です。
当時若干二十歳ながら立派ですね。

602 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 17:46:54
>>601
名前からいって仙台藩主伊達綱村から一字与えられたんだろうね。
吉田藩は明らかに仙台藩の家来なのに宇和島藩は生意気だね。
取りつぶしてしまえば良かったのに。

603 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 17:54:54
吉田伊達家を扱った司馬遼太郎の短編小説あったよね?

604 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 18:46:45
浅野を取り押さえたのは梶川

605 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 19:00:11
>>602 元々、吉田藩を宇和島藩から分離させたのは仙台藩の意図だよね?
宇和島と吉田が仲悪いのを利用して宇和島藩政に影響力を及ばそうとするための

606 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 19:23:03
吉田藩主家も幕末には宇和島系になってるんだけどな
 
伊達村候(宇和島5代)
|山口直清(村候次男)
| 山口直勝
| |山口直信(直勝長男)
| | 伊達宗敬(吉田9代、直信次男)
| |伊達宗城(宇和島8代、直勝次男)
| |伊達宗孝(吉田8代、直勝三男)
|伊達村寿(宇和島6代、村候四男)
  伊達宗紀(宇和島7代)
   伊達宗徳(宇和島9代)

607 :日本@名無史さん:2008/07/05(土) 21:51:55
伊達一門は浅野長政以来縁があるね
長矩の件でついでに広島も改易までは無理でも減封くらいにすれば良かった
のに
とばっちりで改易された家は多いのだから

608 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 11:40:02
豊後佐伯二万石の毛利氏
小藩であるが四教堂など学問は雄

609 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 11:42:01
>>607
浅野内匠頭が切腹したのも田村右京大夫の屋敷だったしね

610 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 13:55:53
田村家は三万石だけど江戸上屋敷の表門はなぜ十万石格なんだろ?

611 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 15:08:46
>>610 従五位下ながら官位も右京大夫だしね
京大夫って普通従四位下でしょ

612 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 15:26:52
藩祖が政宗の子だから特別待遇なのか?

613 :定府大名:2008/07/06(日) 21:46:28
定府大名には、老中や若年寄など幕府重職者以外にも、水戸家や御三家・
越前家の連枝支藩の数家、譜代1〜3万石程度の小藩数家、外様雄藩分家の
○○新田藩の数家などがあったようです。

譜代の定府大名であれば、詰衆として、幕政に何らの参与も考えられますが、
外様の定府などは幕府の意図が理解できません。

外様の定府大名の位置づけなど、お教えいただければ幸いです。


614 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:00:59
負担の軽減措置

615 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:24:34
>>614
なんで外様に負担を軽減させる必要があったのか??
御三家連枝の小藩ならともかく

616 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 22:54:44
領地がないからじゃないの?

617 :日本@名無史さん:2008/07/06(日) 23:51:57
形としては独立した諸侯であっても
実態は本藩に後継者が絶えた時のスペア
本藩の厄介と見なされてたんじゃない?

618 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 00:38:48
なんとか新田藩は財政的にも参勤交代は厳しかったんでしょうね。免除の見返りに幕府が何を得ていたか知りませんが。
上野七日市藩前田家は本家の参勤交代の際の格安宿泊施設と化していたようですが

619 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 00:57:01
そもそも本藩からの蔵米支給で領地が無いから国元にいてもやることないってことかな

620 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 01:45:43
「定府大名」に「降格」という表現を聞くので
水戸以外は格下にみらてたんですかね

621 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 02:00:46
所領がないんじゃしょうがないよね

622 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 06:54:07

>>616 >>617
外様の○○新田藩に定府がいるのは、この理由が正解ぽいね

武家の俸禄形態には『知行取り』『蔵米取り』『現米取り』『扶持取り』
『現金取り』の形態があって、当然に、左記載が上位とされていた。

よって、宗家からの蔵米取りの様であった新田藩の定府大名(特に外様)が格下
と言われたのはそのためかと。






623 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 17:24:11
>>613
逆に考えろ。

大名ってのは、
江戸で生まれて、江戸で育って、藩主になって、「初のお国入り」とかするんだよ。

「 江 戸 に い る の が 普 通。

 国許へ時々帰る大名・旗本のほうが稀。
 国許にいるほうが特殊期間。おかしい。」

こう考えればどうってことはない。



624 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 18:38:50
>大名ってのは、
>江戸で生まれて、
ケースバイケース
>江戸で育って、
これもケースバイケース
最初から世子として育てられたら江戸育ちになるけど・・・
藩主急逝+実子無しでいきなり棚ぼたというケースも結構多かったからな

625 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 18:43:35
>>624
それは特例。多いケースだろうが「基本」ではない。

626 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 19:22:13
参勤交代の制については基本的に大名は国許にいたいものとして考えられてるから定府する分には幕府は気にしないんだろうな。
ただし用も無いのに定府した結果として国許が乱れれば改易食らうだけ。

627 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 20:00:48

>>623
「江戸にいるのが普通。
 国許へ時々帰る大名・旗本のほうが稀。
 国許にいるほうが特殊期間。おかしい。」


江戸定府の譜代大名→旗本とともに将軍家の護衛警衛的な位置づけあり

そもそも、江戸の封建社会のなかでは、大名家は自己の領地を将軍家から
安堵され、その限りにおいて在地を支配していたもの。

よって、自己の領地にいるのが本来は普通だろう・・

大名が遠国の地に居続ければ、将軍家からすれば何を企むかもしれず
江戸の手元に定期的に呼び出せば、出費増にもなり、参勤交代は幕府として
は良い制度であったはず。

628 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 20:55:35
私も大名は,在国が基本だと思う。
江戸参府はあくまでご恩に対する奉公で,軍役の発展したもの。
しかし>>627さん
外様大名は遠国にいても,幕府にとっては警戒の対象だが。
外様大名が,兵を率いて一同に江戸に集まってたら,それも幕府にとっては警
戒の対象でしょうね。

で,小大名の定府は,参勤交代の出費による破綻を避けるためか。
分家新田藩が多いので,人質という意味もあったのではないかと思います。

629 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 21:01:05
久光が兵を率いて江戸に来たとき何で幕府は処罰しなかった?


630 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 21:32:31
>>629
勅使の随行だったし,幕府にはもう力がなかったから。

631 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 22:28:49
新田藩や分家の大名は,本家の当主のことを何と呼んでいたんだろう。
「殿(との)」それとも「○○(名字or官名)殿」?

632 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:17:34
官名+殿か様だろね
まさか御本家様?


633 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:31:02
そりゃ分家の当主と本家の当主の関係によって違うんじゃない?
分家が本家の叔父にあたる場合なんかは分家のほうが偉そうにしてたり。

634 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:44:47
>>633
叔父甥の血縁関係の上下くらいなら,本家の甥の方が上座で威張ってんじゃない。
分家の叔父が老中とかの役職に就いてるならともかく。

635 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:46:12
>>633 佐倉の堀田家なんかは堅田?だかの分家の当主に後見してもらったりしてるしね。
年齢によって立場は違うね

636 :日本@名無史さん:2008/07/07(月) 23:53:07
小倉新田藩も本藩の幼君を後見してるし代理もしてる

637 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 00:51:23
本家は交代寄合、分家が大名の朽木家は複雑だ

638 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 02:15:59
水野なんて本家は附家老で,その分家は大名でしかも老中になったような。

639 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 06:48:55

>>633
陸奥泉藩(2.0万石)の2代藩主本多忠籌にあっては、学問好きが
功を奏して、当時の老中首座の松平定信の推挙で、若年寄に抜擢
される。

その後も側用人・老中格へと叙任され、当然、官位にあっても
従4位下侍従となる。

片や、本家筋は岡崎藩本多家(5万石)であって、当時の当主は
本多忠典であったが、官位も従5位下であった。

公用の場では、伺候席が同一部屋になることもないが、万一、同一
部屋に何らの展開で入った場合は、本家・分家の関係によらず、
老中格の本多忠籌が上席に入ったはず。

しかし、私用の場合には、やはり 本家と分家が明確にされていた
当時としては、本家筋の本多忠典が上席に入ったものと思われます。

資料にも残っていないので、あくまでも想像の世界ですが・・


640 :日本@名無史さん:2008/07/08(火) 23:06:33
>>638
やはり、家康公が企画した有り様と家光公以後の有り様では違ってしまっているのが原因かな。
家康公は将軍家、尾張家、紀伊家の三家を対等ということにしたかったらしいが、家光公はあくまで将軍家を上とし、水戸を格上げして御三家にした。
紀伊水野家は安藤家より禄高が下だから、彦根とはいわないまでも酒井家ぐらいの格式を家康公は想定されていたのではないだろうか。

641 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 00:19:49
>640
>家康公は将軍家、尾張家、紀伊家の三家を対等ということに
それはない。家康の遺言として伝えられているのは、「兄の将軍に仕えよ」だし。
そもそも、家康が頼宣に与えたのは自分の隠居所で三兄弟とともに住んでいた
「駿府城」。

642 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 06:41:45
>家康公は将軍家、尾張家、紀伊家の三家を対等ということに

こんな妄想が一体どこから出てくるのか・・・
そんなことになったら秩序というものが成り立たん

643 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 10:32:01
家康としては将軍世子(家光)・尾張・紀伊が同格というぐらいだろう
将軍秀忠とは君臣なので絶対的に身分が違う

644 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 10:41:33
>>637
土浦の土屋も、
本家の久留里のが改易されて旗本分家が土浦で大名。

645 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 11:33:41
親藩、譜代に限らず外様でも分家の方が優遇されている
本人の力量も大きいだろうが有力一族の力を削ぎたい幕府の意向もあったのだろう


646 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 11:48:18
오늘 하루 홈페이지 메인으로 바로 가기 ??

647 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 14:38:47
>>646
まあね。韓人に比べれば所詮倭人は劣等だよ。

648 :日本@名無史さん:2008/07/09(水) 14:54:43
>>646を翻訳サイトで日本語に変換したらこうなった。どういう意味やら。

今日の一日ホームページメインでショートカット ??

649 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 00:59:30
出羽新庄六万石戸澤上総介
東北屈指の雄藩です

650 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 01:24:40
戸沢さんの頭蓋骨の写真が残ってるけど少藩の殿様ながらなかなかかっこいいよね

651 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 01:59:34
>>650 新庄城跡の記念館にでも残っているのかい?

652 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 11:41:15
幕府が紀尾井町という地名を使うのを許したと言うことは
紀州、尾張と井伊家はほぼ同格扱いにしてると言う事なのでは。
間違っても徳川将軍家とどっかの大名を横に並べた地名や官名
使用を許可するわけがばいし。

653 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 13:14:40
紀尾井町が江戸時代正式な町名だったというソース
紀尾井町という町名を幕府が公認したというソース
1つの町名に略称を入れられた大名は同格だというソース

654 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 17:45:16
ソース、ソース、ソースって、そんなに必定になるなよ。
ちょっと気負いすぎだろ。

655 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 18:12:11
>>654
何を狼狽してるの?
井伊が尾張や紀州と同格だというソースがどうしても見つからないの?

656 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 18:54:37
いい勢いでスレが伸びてると思ったら・・・

657 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 18:58:50
彦根市民が発狂か?

658 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 19:05:40
井伊家は御三家の尾張・紀州と同格です。
ソースは紀尾井町・・・。

659 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 20:32:19
紀尾井町で,紀州,尾張と井伊が同格なんて

戦国時代板の「徳川御三家の印象度」スレにあったネタじゃん

660 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 22:35:52
尾紀井町ではなく、紀尾井町だから、紀州藩が御三家筆頭であります

661 :日本@名無史さん:2008/07/11(金) 23:56:32
オキィッ!!!だとヒギィッみたいに聞こえるだろ幼女が叫ぶ音だ

662 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:22:14
大名家由来の東京の地名
三宅坂 仙台坂 壱岐坂 青山 田村町 有楽町 加賀 後楽 信濃町 青山


663 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:48:56
>>662 田村町ってどこにありますか?
あと信濃町の信濃は誰のことですか?

664 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 00:57:42
形式的な格は置いといて将軍家が頼りにするなら断然尾張より彦根の
ほうだろう。吉宗以降の尾張なんかお荷物同然だし幕末に至るまで
何一つ幕府に貢献しないしな。水戸に至っては幕府崩壊の主因になる始末だし。

665 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:17:46
津の守坂もありますね。

666 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:26:20
八重洲はオランダ人ってマジ?
しかもそいつ国に帰る途中で船が沈んで溺死したらしいが
三浦安針の最後と子孫もどこ行ったのか

667 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 01:27:40
内藤さんちがあったから内藤新宿

668 :日本@名無史さん:2008/07/12(土) 14:33:09
永井信濃守の屋敷があったから信濃町

669 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 07:12:49
イスパニア人が多数定住したからパルケエスパーニャ。

670 :日本@名無史さん:2008/07/13(日) 08:08:19
http://blogs.yahoo.co.jp/oldcoin2005

671 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 15:50:30
織田信長の末弟、織田有楽斎の屋敷があったので有楽町

672 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:29:03
俺が谷中という名字で 偉いからあそこ谷中になったお


673 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 18:54:04
エド・ハリスが住んだから江戸。

674 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 19:24:27
有楽の逃げ足の速さに
亀もビックらこいて
ビックカメラ

675 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 07:12:46
親父ギャグスレかよ、、、

676 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 07:55:32
越中島

677 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 11:55:38
昔はもっと残ってたんだろうな、そういう地名。

678 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 14:55:11
前橋藩主酒井忠恭は老中罷免と同時に姫路移封を命じられているが、時期が重なったのは何か理由はあるのか?

679 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 19:35:49
>>678 人気もないし老中をやめたいが、このまま辞めたらかっこがつかない。せめて溜間詰になれたら格好がつくんだが。

大岡忠光に頼む

いーよ

\(^O^)/
財政も厳しいからついでに豊かと噂に聞く姫路に転封したいお

いーよ

\(^O^)/

680 :日本@名無史さん:2008/07/15(火) 20:13:41
よは、ただみちゅが好きじゃ(o^-^o)ただみちゅは偉いのう…
田沼るうすけも偉いのう\(゚д゚)/
西ノ丸のころが懐かしいのう

681 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 02:42:36
前橋に比べりゃ、どこでも天国だったんじゃね?


682 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 08:19:41
酒井氏は宝永期にも山城淀や摂州尼崎に転封を願っておるからな

683 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 09:28:04
姫路はまだしも経営次第では豊かだけど、淀は飛地だらけ、尼崎はドル箱だった
西宮と兵庫津を幕府に巻き上げられてジリ貧。

まあ、うまいことやったってことか。

684 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 12:14:38
>>681
つ 山形

685 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 12:27:19
>>683
姫路は姫路城の維持にコストがかかりすぎるのが難点

>>684
山形城の維持も地獄だ罠…

686 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/07/16(水) 15:22:46
紀尾井町で紀が頭にくるのは紀伊だけが上屋敷だから


687 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 15:33:28
山形と姫路でも、「利根川に城を削られる」前橋よりはマシ。

688 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 17:50:07
山形と並び称される左遷地の棚倉、村上ってどんな土地だったのか。

689 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 18:33:16
>>687
んで、前橋城を捨てて川越城に移っても、財政難に悩まされたのが
姫路を追い出された松平家。

690 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 20:35:43
棚倉は格式10万石だとしても実高は6万石前後の悪地。また高原盆地で夏暑く冬寒い。奥州街道からそれていて交通不便

691 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 20:43:41
>>690 陸奥の小京都と言われる三春藩秋田家は豊です。
しかし棚倉城のお堀は埋め立てられずに残っています

692 :日本@名無史さん:2008/07/16(水) 20:58:30
三春藩秋田秋田城介みたいに支配者が固定していれば救いもあるが棚倉は入れ替わりで譜代の左遷地になり、これではまともな行政は期待できない

693 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 02:03:23
>>685
山形城の規模は縮小されてったからね。
もともとは52万石の大名の城だっただけに維持できないし
格式的にも無理無いが

694 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 03:05:59
>>671
「織田有楽→有楽町」
の説は、歴史的根拠が無いという説も
有るらしけど、どうなんだろう?

695 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:17:26
ジェロがビックカメラで「有楽町で逢いましょう」を熱唱!

696 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 21:56:31
淡路町もお忘れなく

697 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 22:16:16
脇坂淡路守

698 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 02:35:38
「百人町」があるじやないか。

699 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 02:46:51
百人乗っても稲葉美濃

700 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 08:51:48
>>698
百人町は百人組で大名家由来ではない

701 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 15:06:20
ぼくの地元には大名という町名があります


702 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 15:59:03
>>701
福岡市民乙

703 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 16:41:48
俺の町には長岡越中という町名が有り

704 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 18:41:51
俺の住んでるところの10キロくらい先に徳川町がある。

705 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 21:27:08
御徒町の由来は?

706 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 22:28:52
一代限りの下級御家人が住んでいたから

707 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 23:58:58
御徒の組屋敷なら二十騎町の方が有名だけどね

708 :日本@名無史さん:2008/07/19(土) 19:13:47
清澄白河ってのは、やっぱり松平越中守屋敷とかが由来?

709 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 10:42:51
>>703
京都市伏見区民乙

710 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:26:08
>>708 清澄は清住弥兵衛というここらへんの土地を整備した人(江戸初期は湿地帯だった)、白河は松平定信の墓所(霊巖寺)があったため。

711 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 16:49:23
>>703
伏見城周辺の地名はおもしろいな。大名が肩書き付きで町名になってる。


712 :日本@名無史さん:2008/07/21(月) 11:06:15
陪臣から大身になれた有馬は理解不能、豊臣、徳川と縁戚だった京極は
まだ分かるが・・・
渡瀬家の時の同輩たちはそのまま家臣になったのだろうか?

713 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:34:56
徳川のとこの稲垣も、陪臣上がりじゃなかったかと。

714 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:40:03
八百屋上がりがいたような

715 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:42:39
本庄?

716 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:45:54
公家あがりや猿楽師あがりも!

717 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 05:22:50
長島の増山は呉服屋上がりじゃなかったか?
(正確には宝樹院が呉服屋に嫁いでただけで正利が呉服屋やってたわけじゃないが
百姓だったような)
戦国時代でもないのに大名にのし上がってすげー

でも長島って水害だらけで大変だったらしい

718 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 15:12:47
官僚として幕府でのし上がっていく確率より縁者が大奥に入ってそのおかげ
で大名になる方が高そうだし・・・
八百屋や農民の一族が大名になれるなんて泰平の世で夢想できなかっただろう
意外なのはあの中野碩翁が9000石なんて微妙な所で終わっているとは

719 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 00:12:37
長島の増山弾正少弼は、お楽の実家でしょう?
継承院の実家の宮津の本荘伯耆守が松平姓を許されたのに増山はなぜ松平なのれなかったんだろ?

720 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 00:51:17
どこの馬の骨かわからない愛知県民が大量に大名になった戦国以来の家とちがって
ある程度安定してる世での異例の立身は
周囲の大名旗本から内心ものすごく馬鹿にされてそう
女の縁でとか奴らに何の武功がとか古着屋がとか絶対言われてたと思う

721 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 02:59:41
「言ってる奴らは今を上手く渡れない旧式w」
「武功とかwww 先祖偉いね。で、お前は?」
とか思われてたかもよ。

722 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 03:17:27
武功については土佐藩もいろいろいわれてたみたいだすよ
他藩士からからかわれるたびに「藩祖が凄い福耳で」とか
「当時の公方様(家康)がちょっとボケてきてたんですよ」といなしてたらしい
でも後者は別の意味で結構ぎりぎりのセリフだと思う

723 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 12:59:35
山内一豊は長年地味に頑張ってたからねぇ
秀吉のために取った敵の首は加藤清正や福島正則よりずっと上なんじゃね?

724 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:58:16
でも、大軍団を率いる能力と治世能力は比べ物にならないほど劣るな

725 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 15:29:25
大名になるまで

加藤清正・・・ほぼ槍働きだけ
福島正則・・・ほぼ槍働きだけ
山内一豊・・・ほぼ槍働きだけ

大名になったあと

加藤清正・・・一揆平定、朝鮮征伐で軍功有り。黒人一揆を押さえる。各種土木工事
福島正則・・・関ヶ原で明石に蹴散らされるも友軍に助けられる。政治センスなく改易
山内一豊・・・関ヶ原で後方待機。世渡り上手。国内敵だらけの土佐を無難に統治

将才
加藤>>>>>>山内>福島
統治
加藤>山内>>>>>>福島
世渡り
山内>加藤>>>>>>>>>>>>福島

726 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:04:40
体よく家康の養女を正室にしたり、娘を家康の息子に
嫁がせたり、加藤は山内より十分世渡り上手だよ

727 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:47:09
>>725
福島正則の広島治世はかなり上手くいっていたぞ。
山内一豊なんて長宗我部旧臣の弾圧だけしてすぐ死んだ。

728 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 17:04:49
歴史的に蜂須賀は馬鹿にされて貶められているが
実は武勇も軍略も政治力もレベル高いだろう

なぜ黒田は名家で蜂須賀は山賊なの?似たようなモノだろう

729 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 18:28:32
黒田は国持ちでは格下
浅野や池田が少将でも
黒田は侍従止まりの投手が多い

730 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:06:04
>>722
神君といわれていた人物を「痴ほうになったんだ」という土佐藩士の勇気にびっくり
中国大陸だったら一族殺されて土佐藩とり潰されてもおかしくないレベル

731 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:32:49
蜂須賀も基本侍従だな。徳川家斉の息子で養子に入った斉裕だけは参議だけど。

732 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:44:28
毛利と鍋島も侍従とまりが多い
徳川との親疎が影響か?

733 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 20:49:06
徳川を偽源氏と陰口たたく
佐竹には少将やって基準が不明

734 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:35:03
蜂須賀は生粋の叩き上げの印象があるな
血縁門地とか恵まれてないのに
太閤と若年時からの付き合いあった噂はあるけど

735 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 22:02:22
阿波って京都に近いのに外様大名に国もたせてよかったんかな?
藤堂みたいになりふり構わず味方したわけでもないのに
家政は大阪入城しようとしてるし

736 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 06:19:02
四国は海に隔てられている上に戦略上の要地でもないから。

737 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 10:29:01
三好長慶は阿波から近畿を制圧したぞ

738 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 10:58:26
だからこそ、水軍力を徹底的に削いだわけだ。

数を頼みにした陸軍力と技術の継続を頼みにした水軍力、覇者が
制御しやすいのはどちらかってこと。

739 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 11:25:52
???
蜂須賀領は阿波と淡路。大阪は至近距離で遮るものはなし。
肝心な大阪も水軍力ほぼ0。大阪攻めるのに水軍力などいりませんが。
そもそも幕府は大船規制はしたが通常の水軍規制は事実上していない。
規制しちゃったら島国四国の大名は軍役を果たせなくなるわけだが。

740 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 13:14:01
京、大阪が本拠地なら足利氏の細川家くらいは
入れたいだろうけど
江戸からみたら脅威はたいしたことないんじゃね
対岸には御三家紀州、譜代の姫路あるしさ

741 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 13:22:05
まあ四国が軽く見られてたのは事実だろうなw
織豊大名ばかりだし結構大藩も多い。
それでも畿内への大きな脅威にならんと思われたってことか。

742 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 16:05:30
つーか、上陸戦でどれだけ水軍力が重要か知らん奴がいるのな。
航行中にしろ上陸作業中にしろ、船の上の兵はほとんど無防備だぞ。

743 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:03:07
わざわざ敵が陣を敷いてるところを選んで上陸するのか?
日本戦史でそういう馬鹿戦をしたという話はあまり聞かないね。
つーか、船の上から鉄砲撃つなりいくらでも反撃できるんだけど。


744 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:12:43
上陸はまとまった兵力を一気に上陸させられなければ各個撃破される。

745 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 17:57:04
>>744
ちったぁ戦国時代の戦史を調べてからモノを言え

746 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 20:38:32
>>744
各個撃破されるほどあっちこっちにバラバラに上陸してくれる迷将がいればね。

747 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:12:59
大軍の上陸と布陣が一瞬で出来てたまるか。

748 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:21:49
毛利水軍のように上陸地点付近に友軍の城からの支援があって橋頭堡の確保が容易とか、
大軍を上陸させて圧倒するというような形が通常の上陸戦じゃないのか。元軍撃退も
橋頭堡を作らせなかったことが勝因だろ。

あと、軍船を大量に作るようなら幕府側も察知して相応の準備をするよな。

749 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:49:12
平時から軍船くらいもってないといざというとき軍役を担えないわけだが?
大名ってなんのために領地もらってるか分かってる?

750 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:59:22
江戸時代の初期を除けば、水軍は水軍同士の会戦を想定していない。
軍役はあくまで陸の守備。水軍は参勤交代や海上交通の管理程度。
わざわざ幕府は大船の建造を禁止していたくらいだからな。

751 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:02:32
ここは諸侯の話をするスレだから。仮説の上にドンパチの話はよそでやってくれ

752 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:16:47
>>750
もともと日本の水軍の大半はただの輸送船の群れ。
船自体は戦闘艦とは言えない代物。

753 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:20:57
まだ続けるのか?

単なる輸送船なら尚更上陸時に無防備になる。本州側に拠点でも確保できない限り、
四国の軍勢は上陸できんよ。

754 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:23:49
つまんねんだよおまえ

755 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:25:20
>>753
だから敵前上陸する馬鹿はいないって。
本州沿岸にずら〜っと兵を並べるのかい?
防塁も築かないといけないね。

756 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:35:39
本国の守りを固めた上で,大軍を一気に奇襲上陸させないと,下手したら背水の陣になるぞ。

757 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 05:58:44
上陸戦の困難さはちょっとでも軍事をかじった人間なら常識だろ。
いつの時代にも、洋の東西を問わず、海は天然の防塁だ。

758 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:07:03
>>755
だから敵が上陸するのを指をくわえて見ている馬鹿はいないって。
たとえば毛利水軍は別所、荒木、本願寺といった上陸地点に
支援勢力があったからこそ上陸支援を受けられたけど。
四国側は軍事的空白地を探すのかい?
幕府が軍事の素人でもない限り、そんな場所は見つからないね。


759 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:19:19
倭寇や九鬼水軍みたいに海岸あらせばいいじゃん
嫌がらせできるし

760 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 06:33:20
それを続けて、ほとんど幕府に打撃を与えられないまま本国を攻められて
フルボッコか。単なる海賊と大大名の水軍では全く意味合いが違ってくるぞ。

761 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 07:58:17
>>758
広い海岸線、どうやってカバーするんだ?
主導権は上陸側にあるわけだし、わざわざ敵が布陣している場所を選んで上陸する馬鹿はいない。
上陸戦なんか発生しないよ。
そもそもあんたの理論が正しいんならこの世の島という島は制服不可能なわけだが。
ちょっとでも常識があればこれくらいのことは分かるはずだけどね。
軍事の素人wでも。

762 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 08:53:19
大軍を陸揚げできる地点なんか限られている。敵が上陸作業を行っている間に
駆けつけられる位置に兵を配備するだけでOK。

つーか、第二次大戦でなぜイギリスが持ちこたえられたか、なぜ米軍が既にジリ貧
状態の日本相手に、完全に制海権、制空権を持った状態で圧倒的な陸軍兵力を
上陸させなければならなかったか。なぜ中国という覇権国家が近くにありながら
隣の半島国家のような状況にならずに日本が存在し続けられたか。常識中の
常識だろうが。

軍事を語りたければまず常識をわきまえろ。上陸作戦は、要塞攻略なみの難事だって
ことくらい頭に入れておけ。

763 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 09:03:53
戦争マニアはよそにいけ

764 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 09:26:45
軍事音痴がバカな主張をやめ次第よそに行くよ。さすがにもう反論の余地はないだろうけどw

765 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 09:42:37
>>762
近代戦じゃあるまいし、上陸するのは兵士がほとんど身一つで船から飛び降りれば事が足りる。
あっという間に当座の戦闘態勢は整うから、防衛側が三々五々やってきたところで餌食になるだけ。
っていうか、お前いくら何でも馬鹿すぎ。
数十万の陸軍力を擁し情報通信技術も発達し、、空軍海軍も充実した近代戦と、
海軍力もとるに足らず、空軍皆無、情報伝達能力ほぼ0の戦国時代を同列に語るって、
どこまで無知なんだよw
中国にしたって基本的におとなしくしてりゃ攻めてきませんが。
中国は日本を攻められなかったんじゃないんだよ。
日本に関心がなかったんだよ。
軍事を語りたきゃ常識をまずわきまえろ。
戦国時代の上陸作戦などただの上陸に過ぎん。
こんなのが要塞攻略並の難事って、どこのゆとりだよw

766 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 09:43:48
>>764
戦争マニアはよそにいけ

767 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:17:05
>>765
で、渡海したあとの大軍の兵糧や弾薬はどうやって確保するつもりなんだよ。
それ以前に四国側が戦闘準備をしていれば本州側も察知して本州側の軍備を
整えて高台からの見張りは増強する。風力と手漕ぎの船では、接岸できる場所
や船の速度などは限られるし、大阪湾近辺は見通しがいいしな。播磨灘以西への
上陸なら、基本的に西国の陸の軍勢への備えでそのまま対応だ。

当たり前の話だろうが。

768 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:19:09
>中国にしたって基本的におとなしくしてりゃ攻めてきませんが。
>中国は日本を攻められなかったんじゃないんだよ。
>日本に関心がなかったんだよ。

倭寇がどれだけ深刻だったかすら知らんのか。それに日本が海に隔て
られてなければ無関心でいられるわけもないだろうが。

サルかお前w

769 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:45:34
だから戦術論は該当スレでやって下さい
スレ違いなのわからないの?バカなの?死ぬの?

770 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:52:29
>>769>>764を理解できるまで百万回でも読め。

771 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:54:18
>>770
スレ違いなのわからないバカなの?

772 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 10:57:25
>>768
倭寇は9割が中国人だと言うことは中国人も把握してたんだけど・・・
だから倭寇の巣窟となるような離島を制圧してまわったわけだが。
ああ、こんなことも知らないのね。なんと低レベル。

>>767
輸送する。現地で買い付ける。陸上侵攻と同じことですが何か?
上陸予定地を大阪湾に限定したところで、広い大阪湾、いつくるかわからん敵に備えて
兵をあっちこっちに夜営でもさせるのか?
そんなんじゃ敗北は必死だわw
もともと日本の戦い方というのは陸戦志向。
どこの大名家も水際阻止なんかに重点を置いていないわけだが。

上陸作戦というのは、上陸側が成功する地点を自由に選べる作戦だ。
失敗しそうならやらなきゃいいわけだから、
もともと失敗するリスクは限りなく低い。上陸阻止はほぼ不可能。
日本史上で上陸阻止が成功した例は防塁を利用した弘安の役のただ一例のみ。

773 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 12:08:41
>>770 バカなの?死ぬの?
軍事ヲタ、消えろ

774 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 12:56:36
もう透明あぼんでいいや

775 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 12:57:37
>>771,773
せっせと見当外れの反論をしてくる>>772には何の批判も加えず、>>770の側にばかり
ヒステリックな攻撃をするってのは明らかに不自然だぞ。自演でもやってるのか?

776 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:10:16
近代戦と戦国時代とを混同しているキチガイうざすぎるなぁ。
思い込みでしかモノを言わず、戦国時代のことはまったく調べていないのが
まるわかり。おまけにとんでもなくスレ違い。

消えろ、シッタカ。

777 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:12:06
>>772
>倭寇は9割が中国人だと言うことは中国人も把握してたんだけど・・・
それは後期倭寇の話だ。ちゃんと調べなおせ。中途半端な理解は見苦しいだけだ。

>輸送する。現地で買い付ける。陸上侵攻と同じことですが何か?
渡海し、敵勢力の真っ只中でそれを行うことがどれだけ困難か判らないほどのバカかよ。

>上陸予定地を大阪湾に限定したところで、広い大阪湾、いつくるかわからん敵に備えて
>兵をあっちこっちに夜営でもさせるのか?
南から、和歌山、岸和田、大坂、尼崎、明石、姫路に親藩・譜代で固めた軍事拠点がある。
四国側がちんたらちんたら渡海してくる間にいくらでも対応が取れる。ちょっとした高所に
上れば、須磨から対岸の和歌山あたりまで見通せるような土地だぞ。

>失敗しそうならやらなきゃいいわけだから、
失敗しそうだから四国側は到底実行できない状況を幕府が作ってるってことにいい加減
気づけよ。


>>773
>軍事ヲタ、消えろ
三百諸侯の配置は軍事と直結する問題だ。少しは頭を使え。

ああ、夏だねえ。

778 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:35:36
>>775
どっちもウゼえんだよ、スレ違いもわからないバカのレスなんて読む気もねぇよ
ログの無駄

779 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:37:42
どっちでもいいけどバカとか相手を侮蔑しないと話できないなら消えてくれ

780 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:39:44
>>778
第三者のレスとしてはあまりにも不自然だってことくらいは自覚した方がいいぞ。

781 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 13:44:45
>>780
本当にその区別もつかんバカということがわかりました

782 :ぴーす ◆TfYI6zaOr. :2008/07/25(金) 14:20:41
四国から出兵→上陸もできず帰国もできず降伏→
ひょっこり船団藩立藩→幕末

めでたしめでたし



783 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 14:29:01
軍事話の奴らは議論が加熱しすぎたかこの暑さのせいか議論の相手と本論の区別もつかない模様

784 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 15:38:25
沈静化するとつまらないから煽っておこう。

三百諸侯の配置は軍事と直結する問題だ。少しは頭を使え。

785 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 15:53:31
そうだ!三百藩は近代戦争と直結する

786 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 15:57:43
元寇があったせいで、戦国時代にも上陸戦なんて概念を当てはめようとしちゃうんだろうなぁ。

787 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 16:24:29
敵前上陸が容易なら、大坂はおろかいきなり相手の本拠地を突けばいいだけの話。
伏見城を片手間でフルボッコできるほどの大軍を擁しながら、関東に上陸して
天下普請前の江戸城を突かなかった石田三成はバカに違いないってか。

お前らちょっとは頭使えよw

788 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 19:37:27
あらかじめ攻撃目標が予想できる上陸作戦は意味がない


789 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:08:57
上陸戦容易厨によれば、最終目標が決まっていても、東京湾のどの地点に上陸するか
わからないから、守備側は江戸城を突かれるのを阻止できないらしいよw

790 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:10:33
まあ現実問題としては蜂須賀家が総動員したところで甘く見て2万5千が限度。
最低限の留守として5千を残すとして残り2万。
自殺覚悟で畿内に乗り込んだところで、時代にもよるけど大阪城を落とすことすら無理だったでしょう。
蜂須賀が動員をすれば幕府が気がつかないわけがないので、十分な戦備を整えて迎撃するでしょうから。

豊臣家が大阪在城していた頃なら豊臣与力として見事な散り花を咲かせたかもしれないけどw
結論としてはどういう状況でも対幕府反乱は自殺行為でしょうね。

791 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:25:03
『殿様の通信簿』によれば、前田家を四国丸ごと渡す形で移すという話もあったらしいけどね。
加賀近辺は冬には雪で身動きが取れなくなるという戦略的なマイナスがあるにもかかわらず、
家康としては地続きよりも島移したかったということらしい。

792 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:30:06
>>790
そんな上陸容易厨の言い分を中途半端に入れるくらいなら、大坂の街で散々
略奪行為を行い、浪人を大量に雇って大坂城攻略くらいの大法螺を吹いて
欲しいものだな。

793 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:34:53
>>777
前期倭寇は朝鮮半島方面が主な攻撃先。
後期倭寇は中国沿岸が主な攻撃先。
お前は小学生レベルの知識もないのか・・・。

>渡海し、敵勢力の真っ只中でそれを行うことがどれだけ困難か判らないほどのバカかよ。

もう一度言う。輸送手段が船か荷駄かの違いだけで陸上侵攻でも同じことだ。
むしろ船の方が輸送能力は上なんだが、軍事知識皆無のお前さんはそんなこと知らないんだろうな。

>南から、和歌山、岸和田、大坂、尼崎、明石、姫路に親藩・譜代で固めた軍事拠点がある。
>四国側がちんたらちんたら渡海してくる間にいくらでも対応が取れる。ちょっとした高所に

この間何十キロ?四国からいつ来るか分からんどころか攻めてくるかすらわからん敵軍に備えて
海岸に張り付いてるのかい?防塁でもつくって警護番でもおいといたほうがいいんじゃね?w

>失敗しそうだから四国側は到底実行できない状況を幕府が作ってるってことにいい加減

どう見てもザル警備です。どうもありがとうございました。




794 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 20:39:52
>>790
実はそんな話をしてるのは上陸不可能厨だけ。
たんに大阪と目と鼻の先の阿波に外様の蜂須賀をおいとくのはどうなの?
という話だったのが、突然発狂して上陸戦の話をはじめ、上陸戦には強大な水軍力が不可欠だ!
とか頓珍漢な話をはじめた。

795 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:14:15
>>792 さっさと働けよ自宅警備員

796 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:20:25
結局、上陸容易厨は、安宅船のような軍船ですら百人単位でしか乗り込めず、
人が陸を走るのと大して変わらない速度でしか進めない船を使って、最低
数百隻は必要な船団を、本州の守備側を出し抜いて自兵力が散開しない
一点に一瞬で上陸させられると妄想しているわけか。

第一陣が上陸した瞬間に小走りで駆けつけた守備兵にボコられ、攻撃側は
前の船が岸を埋めているにもかかわらず次々に後続が押し寄せて波打ち際は
大混乱になり、本州守備側は押すも引くもできなくなった船団に存分に飛び
道具を浴びせかけられるな。

陸上側は敵の船団が出撃し次第、城から打って出て臨機応変に間隔をあけて配置
するだけでいい。敵船団の先頭をたたいて相手を混乱させ、時間を稼ぐなら一部
兵力で十分だし、すぐに隣の配置の兵が駆けつけるからな。どうせ相手も正面は
上陸作業で大混乱中の一部兵力だ。

渡河にしろ渡海にしろ、相手を水際で叩くのは基本中の基本。何度でも書くが、
奇襲でも圧倒的大兵力による強襲でもなく、上陸地点に上陸支援勢力もいなければ
自殺行為だ。攻める側がいきなり背水の陣になるのが分かっている状況では士気が
保てるはずもない。

たぶん上陸容易厨は、上陸時に、突堤のようなところに兵が濡れずに整然と上陸
出来るとでも妄想してんじゃねーの。港は当然守備側が固めてるし、浜では
鎧を着たまま上陸では、水につかるだけで水の重みで動きが鈍るぞ。それ以前に、
兵が上陸できる地点なんざ限られてるんだがなw

797 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 21:27:07
上陸不可能厨は日本の戦でごくわずかな例外を除けば
上陸阻止戦などおこなわれていないという現実から目を逸らしたいらしい。
上陸戦どころか大名たちは積極的に上陸阻止すらしようとしないこの現実・・・。

798 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:03:44
おまいらまとめて 軍 板 に 逝 け 。

799 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 23:55:55
うわースレ違いレスをまとめて透明あぼーんにしたらレス番が60くらい消えたわ

800 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 00:41:00
実例がないのにありもしない空想にふけってるw

801 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 11:47:05
幕末,小倉藩は対岸の長州藩に攻められ,小倉城を焼き払って退却したな。




802 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:32:19
ここまでスクロールしたお(^0^)

803 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:46:03
加藤清正って家康の養女と結婚したらしいけど、再婚?
でも年齢的に、当時としてはもう老人だろ、カトーw

お爺ちゃんのくせに若い女とセックルしたから死んだのか?w

804 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 13:56:00
加藤は瘡(梅毒)だったらしい

805 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 14:05:41
正室ってさ、だんなが梅毒になった場合、セックスの拒否権ってあったの?
だんなから梅毒うつされた場合、実家はぶち切れたりしなかったの?

806 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 16:46:25
梅毒になったり、若い嫁もらったり、ハッスルしすぎだろ、老人のくせに。

807 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 19:10:21
清正公は若い頃から目立ちたがりだから


808 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:54:38
>>801
それは長州藩対小倉藩の私戦じゃないし上陸作戦ってほどのもんじゃないから
>>807
福島のほうが目立ちたがりやじゃね?

809 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:27:24
>>803
加藤清正と結婚した徳川家康の養女清浄院は、
家康の母方の叔父の娘で、徳川家康のいとこ。
徳川家康は加藤清正よりも19歳年上。
関ヶ原の前には加藤清正とこの養女はすでに結婚していたらしいが、
家康のいとこが清正よりもいうほどかなり若かったのか?
ちなみに加藤清正の糟糠の妻正応院は加藤清正より長生きしており
清正が家康養女と結婚したときも生きていた。
家康養女は継室といわれたり側室と言われたりしているが
家康が天下人となると昔の正室を超えて清正の正室になったのか、
従来からの妻が生きているのだから側室だったのか、どっち?

810 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:28:56
パフォーマンスは主計頭より福島左衛門大夫正則な方が上手そうだよな

811 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:49:35
関門海峡は川といっても良いくらいの距離しか離れてないからなあ
例に出すには不適当かと思うぞなもし

812 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 21:57:24

 ま た 上 陸 厨 か !

813 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:18:43
ていうか長州はしょっちゅう田の浦に上陸してたし

814 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:36:08
上陸阻止が成功した事例って戦国時代の国内戦であるの?

815 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:41:39
>>809
どこかで前妻が側室に格下げされて
その後家康の養女を正室に迎えたという話しも見たことがあるが

それは元ネタになった史料や参考文献を明示してなかったんだよなー。

816 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:48:34
黒田甲斐守長政はきっちり離縁してるのに
未練がましいな

817 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 22:54:56
駿河沼津に養子入りした旗本水野大和守忠成は妻を離縁して、沼津の水野忠友の娘と再婚している。

818 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:20:33
>>814
戦国時代にはないんじゃない?里見も成功してないし
源平時代の屋島とかならあるけど

819 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 23:56:32
小倉口の戦いの場合は上陸っていっても防御は地形的に意味がないし、敵の上陸を阻止する作戦は長幕双方に無かったし

820 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 01:33:15
小倉口の戦いって幕府や西国の大名が何家も兵を繰り出したのに長州一藩に敗退したんでしょ?情けないよ

821 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 01:52:29
浜田なんて戦いもせずに城やいて逃げたぞ
小説だと一人だけ甲冑着て立ちはだかって射殺されたつわものがいたらしいが
史実なのかあれ?

822 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 01:54:06
小倉口だけでなく四方面でそうそうたる大名家が長州に劣勢
大名の価値がなくなった瞬間でした

823 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 02:19:29
朝敵毛利大膳親子との合戦では、せっかく古道具屋から高値で買った具足や家重代の甲冑も役に立たないどころか鉄砲を食らうと具足を着ている方が重症を負う(鎖が肉や骨に食い込む)から幕府軍や諸大名の侍たちは我先にと具足を脱ぎ捨てたらしいな

824 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 02:27:21
長州戦争ともいうが、内戦なんだから戦争じゃなくて乱だろ?

825 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 02:31:32
国内だろうが戦争は戦争だろ

826 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 02:33:52
>>822
>大名の価値がなくなった

そのとおりで数年後には大名はいなくなった

827 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 03:17:15
最近は長州征伐っていわんの?配慮してるの?

828 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 05:58:41
>>814
たぶんないだろ。船団を組むだけで相当なコストがかかる以上、その運用には
細心の注意を払う。毛利は織田側相手に頻繁に運用したが、別所や荒木、
本願寺などの支援には直接城に上陸したり、最低でも十分な上陸支援が
受けられる状態だったからな。
石山本願寺への補給支援では、信長は陸から上陸を阻止できないからこそ
戦力的に不利な水軍を大阪湾に浮かべざるを得なかったし、鉄甲船なんて
キワ物まで持ち出した。

毛利水軍は鉄甲船にあたった戦いでも被害はさほどではなく、その後も三木城
支援などに活発に動いており、活動のための戦力は保持していた。にもかかわらず、
備中高松の羽柴軍解囲のためにその本拠地をつく、あるいは後方に大軍を上陸
させて退路を断つなどしなかったのは、毛利側がバカなのではなく、上陸容易厨が
バカだから。

敵勢力の真っ只中に圧倒的兵力でもないのに強襲で上陸するなど狂気の沙汰です。
ありがとうございました。

829 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 05:59:25
文禄慶長の駅は最近壬申丁酉倭乱というらしいね。
なぜか日本でもw

830 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 07:41:13
>>828
別所や荒木は完全に海から遮断されてたし、本願寺も制海権失って上陸支援どころじゃなかったわけだが。
しかも毛利水軍は支援物資を運んでいただけで援軍を上陸させる目的ではない。
基本的事実も知らないのね。



831 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 08:49:39
来島水軍の末裔のクルシマ氏が水軍の末裔でありながら
(水軍のことを忘れぬために池作って船浮かべたりしてたのに)
瀬戸内海で難破して藩主の兄弟以下大量の溺死者を出してるのは
神の冗談でしょうか?

参勤交代ルートだと渡海以外にも難所が多くて一行通かに結構大変だとおもうのに
事故が起きてヤバいことになった(だれか切り捨てるとかじゃなくて遭難とカそういうの)
200年間中これだけだよね
もっと五島とか松前とか宗とかの離島の大名やなんかは海峡やなんか渡海中に沈んだりしてもいいような気もするんだけど
(親不知子知らずやお伊勢参りでも七里の渡しで結構船沈んでるんだし)

832 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 09:22:59
>>826
中華様からいえば辺境の蛮族である倭の反乱
日清戦争でさえ清の宮廷ではその程度の認識

833 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 09:53:50
>>830
>別所や荒木は完全に海から遮断されてたし、
別所は加古川河口近辺の城や水運が可能な加古川ルート、荒木は花隈城や尼崎城に
拠点があり支援を行っていた。三木城が地獄の様相を呈したのは、支援を完全に断たれて
からの話だ。基本的事実も知らないのね。

>本願寺も制海権失って上陸支援どころじゃなかったわけだが
織田側は毛利水軍にフルボッコされたから鉄甲船の出番に。基本的事実も知らないのね。

>毛利水軍は支援物資を運んでいただけで援軍を上陸させる目的ではない。
兵站確保は陸より船の方が容易とか言ってた馬鹿がいたなあ。しかし、兵糧の陸揚げ
には相応の兵の上陸が不可欠だし、そもそも兵の上陸が容易でないことはようやく
分かったかねw



834 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 09:54:37
>>830
上陸作戦あれど上陸阻止戦なし。
一番撃退が容易なはずの上陸阻止戦すらおこなわれていないこの現実。
この現実が受け入れられない上陸不可能厨に何言っても無駄。

835 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 09:57:12
>>831
本筋と関係ない話するな馬鹿
いまhじょうりくのことをかたっておる
お前はすれ違い

836 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 09:59:24
>>831
>来島水軍の末裔のクルシマ氏が水軍の末裔でありながら
>(水軍のことを忘れぬために池作って船浮かべたりしてたのに)
>瀬戸内海で難破して藩主の兄弟以下大量の溺死者を出してるのは
>神の冗談でしょうか?

家康の軍事・政治センスが最高だったということでしょうな。九鬼水軍の末裔の
三田藩綾部藩は参勤交代でも海路がないし。
池では船の運用は鍛錬できても、肝心の荒波を再現できないからなあ。

837 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 10:03:07
磐石の固めを行った相手の目前で上陸なんてやらかすなんて上陸容易厨なみの
バカだけだってだけ。上陸が容易なら敵の背後を突いて袋の鼠にするなど、戦術
上の有用さは計り知れないからな。

838 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 10:05:45
陸戦では敵の背後に回る戦術を多用するのが戦国期でも変わらない戦術だが、
水軍運用では、上陸容易厨の言い分によれば容易にもかかわらず、何故か
ほとんど事例がない。

寝言は寝て言えって感じ?

839 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 10:08:49
上陸不可能厨が火病を発症したか?

840 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 10:10:16
↑( ´,_ゝ`)プッ

841 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 11:08:07
>>838
え?別働隊を敵の背後に上陸させるってさほど珍しくないんじゃね?

842 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 11:50:36
もうどでもいいがな
>>831みたいに最低限大名の話からめてしろよ
夏になってからしつこくからむ粘着増えすぎ
この話題だって最初は蜂須賀って大名のネタだったのに上陸とかや島とカ
戦術と大名は切り離せないから戦術戦略論は当然ありだよねとかバカクズばかり
挙句の果てには>>835みたいなド級のアフォが登場する始末だ

843 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 12:03:15
豊後森12.000石の久留島伊予守は小藩だから参勤も大変だったろうな

844 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 12:15:52
遭難したからなあ。

845 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:24:12
最初は大坂の近くの阿波になんで蜂須賀などという外様がそのまま残ってたの、って話だったんだけど、
おかしな厨が現れて上陸戦は不可能だと熱弁を振るいはじめた。
しかも幕府側が盤石の防御態勢を敷いた中での蜂須賀による強行上陸というシチュエーション限定らしい。
そんな都合の悪い状況でわざわざ上陸してくる馬鹿がどこにいるよ?
つーか、蜂須賀が攻めてくる可能性があるとすれば、それは幕府の屋台骨が揺らいでるときで、盤石の防御態勢が
敷かれていないときと場所選ぶに決まってんだろ。

846 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:29:49
御城代様!木津川沖に阿波蜂須賀家の機動部隊が…!

847 :城代・ティアンム:2008/07/27(日) 13:39:29
しからば木津川沖にソーラーシステムを瞬光せよ

848 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:43:23
蜂須賀藩籍駆逐艦小六丸より徳島軍令部へ
「天気晴朗ナレド波高シ」

849 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:49:03
>>846
慌てるな
それは夜盗の小六だ

850 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 13:53:39
徳島藩ってレーダーとか持ってたの?

851 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 16:50:53
レーダーは知らないけど、公方は持ってたらしいよ。
途中でなくしちゃったらしいけど。

852 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 18:36:25
上陸容易厨によれば、公方側は蜂須賀側が船の大量建造を始めたという情報が
入ったとしても、高みから見通しのいい大坂湾を監視するという発想すら出てこない
バカ揃いだったらしいよ。

853 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 18:42:33
>つーか、蜂須賀が攻めてくる可能性があるとすれば、それは幕府の屋台骨が揺らいでるときで、盤石の防御態勢が
>敷かれていないときと場所選ぶに決まってんだろ。

幕府の屋台骨が揺らがない限り戦略的に揺るぎないと家康が判断した配置が、蜂須賀を含む
大阪湾周辺の大名配置じゃん。ヴァカ?


854 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 18:48:23
上陸容易厨が寝言ほざき始めたそもそものレスは>>739だからなあ。
渡海侵攻屋兵站確保がどれだけ困難かも分からないバカが好き放題
書いてくれたけどw

855 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 18:50:27
あと、大軍上陸が可能な地点は限定されるのに、守備側を出し抜いて
好きなところに上陸できるとかほざいたりね。もう、アホかとバカかと。

856 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:20:28
>>852−855
上陸不可能厨名物火病

857 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:40:51
上陸戦ってw
そもそも蜂須賀家にその意思がないのに馬鹿じゃないの?

858 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:48:06
大坂落城ってw
あの堅固な大坂城が落ちるわけないのに馬鹿じゃないの?

将軍逃亡、自落。

井伊が裏切りってw
そもそも権現様に幕軍の先鋒仰せつけられた井伊が裏切るわけないのに馬鹿じゃないの?

裏切り

藤堂がry

尾張がry

・・・・・・

859 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:51:02
>>858
蜂須賀家に謀反して上陸する意思があったの?

860 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 19:55:42
ない。上陸容易厨も不可厨もバカ

861 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:03:42
>>859
不明。

862 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:21:29
なぁ?もう上陸作戦スレたててそっちでやれば?
「はぁ?スレの内容が変わるのが2ちゃんお醍醐味だろ?連想ゲームの楽しささ」とか
いってないで大名の話しろよ
うるさいうるさういだまれだmれだまrうぇうるさいいでsrtぉp@rfgp@pほい11!!!!

863 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:23:19
上陸っていうか艦砲射撃だろ

864 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 20:51:30
上陸容易厨はキチガイで上陸不可厨は知恵遅れだ

865 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 21:56:11
結局上陸不可厨ってやつは、オレ流の条件設定して上陸無理だと吠えてただけなのか。
幕府がピンピンしてる時代に阿波から突然上陸してくる乱心者はおらんわw
そりゃ、守備側がガチガチに守ってるところに上陸してくるバカはおらんわw
まあ蜂須賀がその気になれば上陸自体は阻止できんだろうけど。

866 :日本@名無史さん:2008/07/27(日) 22:23:32
>>863
砲に兵士をつめて強制的に陸地へ射出していた

867 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 01:05:19
>>866
それって…「お笑いウルトラクイズ」的な…アレか?

868 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 13:54:33
加藤清正って秀吉が死んだ後に、家康の養女を嫁にもらったわけだけど、
もうけっこう年配のくせに若い娘もらうなんてスケベだな。
普通は息子の嫁にもらうのに自分がもらうなんて張り切りすぎだろ。

869 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 16:45:15
充分現役だったっつーの

870 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 16:46:26
清正の死因が梅毒ってのは幻滅するよな。
名君、名将のイメージが台無し。

しかも晩年に若い嫁さんもらったっていうのもイメージダウン。

871 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 17:35:20
清正って名君名将かねえ?
暴君愚将では?

むしろ家康の幼女もらったことで大幅にイメージアップ。

872 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 19:01:23
>暴君愚将
無茶苦茶名君名将とも思わないが、それはどうかな

873 :日本@名無史さん:2008/07/28(月) 23:52:34
名君だろ不通に

874 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:42:01
梅毒になったり年甲斐もなく若嫁をもらうのが名君なのか?

875 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:43:55
猿みたいなエテ吉の手下になって無辜の韓国人を虐殺するのが名君なのか?

876 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 14:47:18
なーんだ夏休みに入ったホロン部かよ

877 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:04:25
名君とは犬のように子供をボコボコ作る君主です。
跡継ぎを作る事が第一の責務。

878 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:05:37
それは家斉公とか島津重豪のことかー(棒

879 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:07:42
しかし家斉公は粗製濫造の謗りを免れない・・・

880 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 20:37:42
松平斉民がいるだけマシやん。

881 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 22:19:46
>>874
梅毒になったり年甲斐もなく若嫁をもらうのと統治能力の関連性について教えてくれ

882 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 23:26:00
>>881
セックスの強い男は、仕事にも強いというがのお

883 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 04:38:52
セックスばっかしてる男は仕事もおろそかになるよ

884 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 11:18:29
性欲は強いが、それをコントロールできる奴が仕事も出来る

885 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 12:56:10
オナニーしまくると頭悪くなる(←本当?)のにセックスだとなぜ大丈夫なんだ?
まぁ両刀ですらないガチホモだと跡継ぎ問題でもめるから
セックス人形殿のほうがいいかもしれない

886 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 17:17:27
>>885
オナニーしまくると頭悪くなるというのはキリスト教右派によるデマ。

887 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 18:00:54
>>886
そんなことはないよ
おれ1日2回オナニーしてたら2浪して駅弁しか入れなかった

888 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 19:18:34
ところでここ何のスレでしたかな

889 :日本@名無史さん:2008/07/30(水) 20:05:15
上陸厨を排除したはいいものの、後先考えずに過疎化させる馬鹿の巣窟スレですよ。

890 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 01:17:50
毛利だっけ?に引き取られた村上は
その後どうなった?

891 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 05:46:06
長州藩で参勤交代の船を担当したり、海上警備とかをやってたんだってさ。

892 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 06:23:02
>>887
それはお前がバカなだけで、オナニーと関係はない。

893 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 12:15:23
日本昔話とかの殿さまって
大抵お城があって(天守閣つき)、領地が一か所にかたまってて
自分自身で政務見ていて褒美にお金財宝たくさんくれたりするから
殿さまのイメージって子供の頃がこうだたんだけど
実際はそうじゃない殿さまのほうが多くてびっくりしたもんだ

つか、この条件に当てはまりそうな殿さまだと
どういう程度の家になるんだろう?

894 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 13:45:38
>お城があって(天守閣付き)
この時点でほとんどの大名が脱落しそう
つか、徳川将軍家も脱落w

895 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 14:36:31
>>893
>大抵お城があって(天守閣つき)、
これはまあ定番かな。

>領地が一か所にかたまってて
日本昔話でこんな描写があるのだろうか?

>自分自身で政務見ていて
普通の殿は政務くらいは見るだろ。怠け者の駄目殿でなければ
少なくとも報告受けて裁可するくらいはする罠。

>褒美にお金財宝たくさんくれたりするから
これは・・・
まあ褒美に金子銀子や銭米など下されることはあっただろうが。



896 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 15:35:02
日本昔話の商人って、たいてい「悪」だよな

897 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 15:37:27
・お城は小高い山の上(町中から天守閣が見える。殿様は遠眼鏡で町を覗く)
・天守閣は白系
・姫様が在国
・殿様はどこからともなく、籠に乗って現れる

追加で。

898 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 18:48:29
顔は白塗り
スケベ

899 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 18:50:48
秋刀魚は目黒に限る発言

900 :日本@名無史さん:2008/08/11(月) 21:16:35
あれイメージモデル松江藩らしいぞw
話の設定時代を考えると松平直政だそうだ

話の上での名称赤井御門守は約12万3,456石で
(正確には12万3,456石7斗8升1つかみ半分)
名前の元は赤門だから将軍家から嫁が来るレベルの大名家なはず
親類に杉平柾目正なる大名がいて
先祖は算盤数得卿玉成(そろばんかずえのきょうたまなり)なる公家らしい
元公家の大名自体珍しいよねw
(まぁ大昔の先祖は公家設定はたくさんいるんだが)
たぶんそれなりに家格も高い家柄だと思うよ

901 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:36:04
>>893>>897
このイメージって近世大名と戦国大名のイメージが一緒くたになってるよな。

でも白亜の天守閣のある居城を構え、一円知行の領国を支配してるってのは、
歴史に詳しくない現代人一般のステレオタイプな大名像じゃないかな?

902 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:33:39
関東・東海・近畿あたりの人って、地元の大名の正確な姿を認識してるのかな。
城もない飛び地だらけの陣屋大名が多いんだけど。

903 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 21:42:22
大藩の領民と同じで、顔すら知らない。

904 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 03:22:58
すぐ上の、
お奉行やお代官、名主さえわかればいいんじゃね?

905 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 12:10:08
現在の千葉県民とか埼玉県民は自分の住んでる地域の領主が誰だったかわかってるのかな?
佐倉とか川越はいいとして、あとは小藩や旗本領や幕領が飛び地状に錯綜してた地域だもんな。

単純に東京近郊=旧幕府領とかの認識なんだろうか?

906 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 19:19:59
昔千葉に住んでたときは林家w
今は尾張徳川家

907 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 21:13:53
高崎藩と前橋藩の境界はどこ?

908 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:14:10
今日、帰省先の田舎で侍烏帽子・脇差で帷子に直垂を着用で神社の祭礼に参加したんだが麻の直垂って案外に涼しいんだな


909 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:35:36
寺社奉行、大坂城代、溜間詰次席、老中
高崎藩主
松平右京大夫輝延あげ

910 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 22:45:52
>>908
毎年、ニュースに取り上げられるところですね。
何とも羨ましい。

911 :910:2008/08/14(木) 22:52:06
あ、成人式のと間違った。
失礼。

912 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:18:59
>>907
洪水で流される部分が前橋。

913 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:48:46
上陸

914 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 22:30:49
豊後日出藩木下氏は九州随一の名門。
世が世なら徳川の上に立つ家柄だ

915 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 23:39:05
>>914
無理。世が世でも木下ごときは徳川のはるか下だったわけだが。

916 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 00:51:36
秀吉がちゃんと徳川潰しておけば

917 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 01:52:18
>>905
岩槻を忘れるな

918 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 11:29:16
飛び地だらけの藩はどうやって藩政を運営していたのだろうか?
1所にまとめてくれと運動しなかったのだろうか

919 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 12:24:57
淀藩はそれをやって墓穴を掘ってるな。地図上で近くの土地に領知を移してもらおうと、
実際の経営は効率化が図れるとは限らない。

920 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 02:05:24
>>918
他藩や幕府直轄地との領地整理交換は、珍しいことじゃないよ。
ただ、
実高の違いとか、天領でいたい領民の反対運動とかあったから。

921 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 21:47:26
村上藩主内藤信民は戊辰戦争敗戦の責をとり城中で切腹いたりました。

922 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 21:37:19
土佐新田藩の藩主も慶喜と喧嘩して切腹した

923 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 18:07:23
佐伯藩の毛利氏って毛利輝元から名字もらったんだろ?
関ケ原西軍の大将の名前なんだから捨てた方がよかったのでは?

924 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 19:16:50
佐伯藩主森加賀守は毛利にあやかったまで

925 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 04:33:03
そして滅亡

926 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 18:11:56
佐伯の毛利は近衛文麿の奥さんの実家だろ。

927 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:08:18
>>926
ついでに文麿の弟の嫁の実家でもある
(但し文麿弟夫妻は後に離婚)

928 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:06:44
>>923-927 佐伯毛利家は途中で久留島家の血統になったな

929 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:46:31
あの辺はマイナーな小大名だらけだな>豊後

930 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:52:59
>>929 確かに。日出、杵築、臼杵、佐伯、森…
最大石高が竹田の7万石で最低が府内ってのもおかしい

931 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 19:55:28
やっぱり豊後水道という交通の要衝を外様大藩に支配させないため、
小藩分立状態にしたのだろうか?

932 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 20:41:10
日向モナー

933 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 21:24:53
>>931 確か細川は参勤交代の時大分港から船だったよね?
他の九州の大名もそうなのかな?

934 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:01:33
>>933
久留島家は参勤の際に海難事故にあったりしてるらしいが

935 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 00:22:29
江戸時代の船旅って怖いよな。遣唐使だって何度も難破してるのに。

936 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 01:25:57
浦々に細かく分かれてて、
小藩分割し易くて都合良かったんじゃね?

937 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 05:28:02
豊後は一瞬、10万石で細川分家ができるはずだった。

938 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 07:24:36
鶴崎は肥後細川領だろ

939 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 20:20:53
>>938 細川は鶴崎に入港、豊後街道(国道57号)を通ってお国入いりか
あと船旅って言っても瀬戸内海は安全じゃ
ましてや元水軍の久留島が難破とは

940 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 01:12:49
>>939
つ ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%85%E7%95%99%E5%B3%B6%E9%80%9A%E6%96%B9

941 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 03:30:23
幕府の警戒を解くための人柱だったりして。

942 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 11:02:46
>>940 季節によっては瀬戸内海も意外と危険なのか。
三田や綾部の九鬼氏は内陸だから安全だね。
船旅したかったろうに

943 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:12:21
金がなくて船が出航出来なかった殿様って肥後細川家だったっけ?

944 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 15:52:32
地元、藩じゃなく天領だったからお城もオラが殿様も無い…同じ県内には有るけど、ピンとこない…
有る人がマジでうらやましい(´・ω・`)ショボーン

945 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 16:24:58
>>944
日田か?


946 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:20:39
>>945
日田は城あったはずだぞ。越後騒動の余波で松平大和守がいたことがあるから。

947 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:21:53
豊後は大友がいたけど、日向は戦国時代でも統一勢力が無かったんだよなぁ。
伊東義祐はいるけど、アレだしなぁ。

948 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 17:51:00
明智光秀って日向の守護じゃなかった?
統一できなかったの?

949 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:31:09
948はたぶんとんでもない馬鹿

950 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 18:35:25
>>947
つ 島津
耳川の戦いから九州征伐までの9年足らずだけど。

951 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:12:12
島津って参勤交代の時にどこから船に乗るの?

952 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:13:58
ばかやろう。

日向は宗麟の理想郷だぞー。音楽の都なんだぞー。


953 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 19:36:32
>>945
レス遅くなってごめん。
長崎です。島原・大村etc.一応旧藩は有るけど市内には無いんだよ、お城・・・
単に俺が知らんだけかもしれんが。

954 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:28:34
>>953
あじさいイン。



んーと、深堀陣屋ってのがあって。

あと市内に城山とか呼ばれてる山があったはず。
それと城山町とか城栄町とかそんな感じの場所にも、一応城跡が。
詳細は知らないですけれど。

あと、市内から離れるけど、長崎湾周辺にはいくつか、
たとえばあの湾入り口のでっかい橋のたもとあたりに、
幕末の台場が残ってるはず。


島原城みたいなの期待しちゃいけないけどね。

955 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:35:10
鍋島でいいじゃん。

956 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:35:56
あと長崎のお殿様はこの人だwww
http://nagasaki.cool.ne.jp/yao20091/jinzaemon/jinzaemon.html



つかさ、逆に考えれば、幕府のいろんな血統の要人が、
入れ替わりたち代わり奉行になってやってくる、その歴代を眺めるだけでも壮観じゃないか。
天下の有名人もいっぱい遊学に来てるし。
全国津々浦々の地味藩と比べりゃ、贅沢だよ。

「長崎喧嘩騒動」とか面白いし。



957 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 20:37:13
イギリス船が殴り込みをかけてきたり。

958 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 22:46:02
>>957
奉行が切腹してみたり。

959 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:45:12
長崎のお泊まりは セントポール長崎 トレディアホテル中地 トレディア出島がおすすめ

960 :日本@名無史さん:2008/08/30(土) 23:54:20
ヤタロウに決まってるだろヴォケ

961 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 02:27:27
ヤタロウイーン!

962 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 02:28:21
>>960
いやいや、ここはやっぱ長崎倶楽部だろw
…わかる奴だけワロテくれ

963 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 02:45:55
「ぷち」

964 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 13:06:34
与板藩井伊家は分家だが血統は嫡流?

965 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 13:32:10
>>964
当代までは嫡流の血統だった(井伊直弼の息子の子孫)
次の当主で全く井伊家と血縁関係のない人にうつる予定

966 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 15:14:54
>>965
鎧の美術館やってるひとか。婿養子とかでもないのか?
彦根家も婿養子だった気がするが

967 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:50:11
「一番地味な大名」選ぼうぜ。

968 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 01:01:53
長崎港のすぐ近くのホテルから見る夜景がしょんべん漏れそうなくらい綺麗だった

969 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 02:59:35
>>967
七日市

970 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 09:40:42
>>956
そのページから飛ぶと、時津にも古城址は存在するのな

971 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:30:51
>>967
米津氏

米津常春 徳川十六神将に選ばれるものの大名になれず。子の代に改易。
米津田政  ↑の甥。町奉行を20年務める。
米津田盛  ↑の息子。大名になれた。名前が「タモリ」ってことだけ特筆。

以降、平凡に幕末を迎える。戊辰ではちょっと頑張ったら天童藩に陣屋焼かれて終了。


972 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 15:35:26
>>967
市橋氏なんかもポイント高い

973 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:23:21
中途半端に地味な植村氏を出しとくか。



植村氏
家康より代々『家』を名乗る事を許される。

寛永17年(1640)、9000石だった旗本植村家政が2万5000石で大和の高取藩藩主


8代目家利、遊女と心中事件を起こす。情報を抑え病死で届け、改易を免れる。


9代目家長の頃に預かり地が6万6000石あり所領と合わせて10万石近くになる


13代目家保、天誅組鎮圧


高取城は三大山城に数えられる巨大な城。
今は荒れて単なる山になってる。

寛永の時代から高取城には城番のみが置かれ、山の麓で生活してたそうな…。



974 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:28:24
続き

2万5000石に高取城はデカ過ぎる。


何と言っても8代目。
遊女と心中する殿様ってどうよ?


975 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 17:51:24
計10万石も持ってた割に地味だよな。
でも天誅組鎮圧、はでかくて、ちょっと目立ってないか?

976 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:30:07
天誅組の鎮圧は大きいけど『植村』の名前はマイナー。
更に国内最大の山城と言われる高取城を藩庁にしてるのに目立たない。
多少は名が売れてもよさそうな気がするんだが、それだけ中途半端だったって事でない?

977 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:34:45
高取城はでかいけど、武家屋敷群で水増ししてるからなあ。

978 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:46:37
地味なことで有名な久留米藩21万石藩主有馬家。
多分一番有名なのは有馬記念に名を残す有馬頼寧伯爵だな。
藩祖の名前すらしらねえw

979 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:51:34
武家屋敷群は山の麓で、城の縄張には入ってないんでないかい?

天誅組が何故か高取城を攻撃したから迎え撃っただけで、そもそも植村が何かした訳ではないしなぁ。


980 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 18:59:23
有馬が地味で有名って…。

でもやっぱり15万石以上あれば大名の中では大きいし、石高は目立つよね。


981 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:25:18
石高の割に目立たない大名だったが、石高故地味とは言えない罠>久留米有馬

豊岡藩(兵庫県豊岡市)あげとく
つか豊岡に藩なんてあったのかよと初めて知ったときには驚いた。


982 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 19:43:56
兵庫県内では他に篠山藩や三田藩なんかが、
「え、そんな所に藩が?」
と思ってしまう。

三田は九鬼水軍が海から離されて放り込まれた。



983 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 20:29:52
摂津麻田藩一万五千石の青木氏も地味。
豊中なんてかなりの要衝だろうに

984 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:14:52
千葉にはたくさん地味な藩がある。
生実藩森川氏とか小見川藩内田氏とか

985 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:24:53
播磨林田藩建部家。

初代は建部政長
尼崎郡代700石だったが大坂夏の陣で軍功あり元和元年(1615)、1万石となり尼崎藩成立。

元和3年、播磨林田藩に転封。

そのまま何も無く1万石で維新となる。


初代が700石から1万石に大出世した事以外、特筆する点は無し。
地味…



986 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:35:00
大きくて地味な大名と言えば確かに久留米藩の有馬家は地味だが、岡山藩、鳥取藩の池田家も両方とも地味だなぁ。



987 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 21:49:48
そう言えば鳥取池田家の現当主、池田百合子氏には後継が無く、これで鳥取32万石の家は消えるらしい。



988 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 22:57:52
上杉なんか15万石の割りには有名すぎる

989 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 23:42:10
柳生なんか1万石の割には有名過ぎる

990 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:09:42
>>985

>特筆する点は無し。

こういうの、地味大名決定戦には大事だよな。
しかし建部には三代目に「禁裏造営奉行、伏見奉行、寺社奉行」を勤めた立派な藩主がいる。
なので逆減点w


991 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:15:10
>>983
貧乏なので、持参金つきの養子をバンバン取っています。
貧乏藩の生き様が垣間見れて面白いです。

初代の青木一重は、かの真柄十郎左衛門を討ち取った勇士なのに、
大坂冬の陣当時は大坂方だったのに、徳川方につい捕縛されて出家していますw

あと二代目の青木重兼が面白藩主です。



992 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:20:06
>>976
植村は若年寄や老中に就任している。
立派な幕閣家。


993 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 00:24:25
>>984
>生実藩森川氏
ここは幕府閣僚を多く輩出しています。
地味だけどw

>小見川藩内田氏
ここは幕府の警備員ばっかりやってて、持ち出しが多く、
おかげでものすごく貧乏だったらしいです。
地味だけどw

994 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:28:38
地味さでは狭山藩もいい線だとは思うが、藩主家が有名すぎるので除外か。

豊後の毛利家はどうだ?


995 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:35:16
遅レスだが
>>966
養子になった時点でとっくに既婚者で子供もいるから、婿養子じゃないと思われ。
彦根本家現当主は婿養子。

>>994
なにげに印象に残っている。初代藩主と昭和の当主(近衛文麿・秀麿兄弟の舅)のせいだろうが。

さて次スレはどうしますか?

996 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:49:00
植村って若年寄や老中になってんの?
勉強不足とは言え、全く知らんかった。

遊女と心中したってのは本当?


997 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 02:13:44
995が立ててくれる次スレで回答します。
それまで書き込み自粛で。>ALL

998 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 03:49:18
丹南藩高木家も地味でしょ

藩祖は徳川十六神将の独り
でも江戸時代を通じて一万石の陣屋大名としてひっそりと維新を迎える
娘が皇族の嫁になってやっと脚光を浴びるも父親の当主が借金苦で自殺

999 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 03:50:48
  ,∠二))ハ     ____       ───         ─────           ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄、
 rミj. '。 r。i)   /__.))ノヽ   /    》》ノ ヽ     /     》 》 ノヽ     /       〉 〉 / \
 ヾ  r、,).|   .|ミ.l _  ._ i.)  |ヾ, ! ̄ ̄``  ト   /  ───' ’ ’  ´        ___ / //
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          ノ `ー―i     'ーイ   '^ヽ,,ノ l ヽ   '          ヽ  |/  {  ヾミ, /    o    / o   | |
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                   ノ  、__ィ   `ー'´ |    、 ´ `ー´,  .!   |               ヽ.  !
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1000 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 03:51:36
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