5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した その2

358 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:15:53
 うーん、そろそろ大丈夫かな?

 さて、武田軍団がなぜ無謀な突撃を繰り返したかについての考察。

 思うに、「死んで華と散る」のが自己目的化してたのかも。

 例えば、湊川の楠木正成や、島原の乱の板倉重政、森鴎外描くところの
阿部一族、或いは先の大戦におけるバンザイ突撃。
 およそ武士たるもの、「満座の前で自分の意見を否定されるなどして、
恥をかかされたら、次の戦闘で華々しく討ち死にして面目躍如する。」と
いった考え方が昔は強かったようです。それがたとえ、犬死であったとしても。
大局的にみれば、どう考えても他日を期してもう少しがんばった方が、いい場合でも。
 実際、石田三成のように、最後の最後まで希望を捨てないようなひとは、
「未練なやつ」として蔑まれます。とにかく、戦場で討ち死にしさえすれば、
名が残るもの、と考えられてたように思えます。詳細はよく知りませんが。

 さて、武田軍です。巷説によれば、信玄以来の宿将たちが「速やかに
退却しよう。」「兵が半減してもいいから長篠城を力攻めして落とそう。
そうすれば有利になれる。」というのを、勝頼の寵臣が否定し、決戦に
持ち込んだため、宿将たちは面目丸潰れだった、といいます。

 この説は現在では否定的ですが、恐らく、「当たらずといえど遠からず」
といった内容の軍議が行われたことでしょう。そこで、宿将たちは、
上田原で信玄を諌めるべく死んだ板垣信方のような思いで、
自ら馬防柵の前に進んでいったのかもしれません。

 もちろん、人によって違いますから、中には、「武田軍団が
足軽の使う鉄砲なんかに負けるはずない」と意地になって
突撃していった人たちもいるでしょう。

 そして、勝頼は、戦いの終盤、「夢であってほしい」と思いながら、
呆然と戦場を見つめていたことでしょう。

256 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)