5ちゃんねる ★スマホ版★ ■掲示板に戻る■ 全部 1- 最新50  

■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した その2

1 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:34:27
戦国最強の武田騎馬軍団は織田鉄砲隊の三段撃ちで全滅した。
これ世間の常識。

なのに未だにそれを受け入れられないひとっていったい何なの?
水戸黄門が諸国を漫遊して悪代官を成敗してまわったことを否定する輩と同類だよ?
いい加減目を覚ませよ

前スレ
今時、鉄砲三段撃ちとか言ってる奴って何なの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1153655869/l50

124 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:30:40
確かに。>>121の国主が野戦で討ち取られた例は説得力があるね。
国主は国の支配の根幹が揺るがされ、追い詰められて自刃する、という例の方が多いだろう。
事実、天目山の武田勝頼の最期もそんな感じだ。

125 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:35:16
>>123
漏れは要求したわけじゃないよ。ただ、「具体的」とはそのような意味じゃないかと思ったのと、通説を知る限りでは多くの諸将が討たれたと認識されている。
ちなみに、その一覧の「小幡」は信長公記では討ち取られた頸に入っているね。
それは、明らかに間違いでは?


126 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:37:13
>>121
自分も>>111でもないので弁護するいわれもないが、

> 動員が一万五千は一部とかあったが
信玄西上時は2万以上出しているはずだから、
もっと大きな版図を有していた勝頼の一万五千は一部だろう。

> 多くの人は「そんなに長く生き残っていたの?」と感じると思う。
そう感じがちだが、冷静に考えると
やはり信長が直ちに武田を滅ぼすのは不可能だった、と考えるのが妥当だと自分は思う。

あと
> 勝頼を逃したというのは別に「謎」でも何でもない。
これは正に「謎」でも何でもない、と思う。
自分には>>101の冒頭はやっぱり違和感があった。

> 反論するつもりないから
了解。
>>113 さんに、きちんと反論してもらいたいな。


あと何かというと>>122みたいに、同一人物扱いしたがる人がいるけど
こういう人って何考えてるのか全く意味不明だ。
きっと、人と真面目にものを論じあったことが、ないんだろうな。

127 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:37:30
武田側の犠牲者が増えたのは中央の武将たちが退却したから。
だから両翼の武将が大勢戦死したんだよ。


128 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:42:23
>>126
漏れも了解。そして最後の部分にも禿同。
却って目立つみたいだから漏れもageモードで書いちゃうけど、匿名掲示板だから、例え同一人でもレスは個々に問題にすべき。
アンカーつけていれば、それで繋がるしね。それ以外を同じだ、違う、なんて言っても始まらない。


129 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:49:08
7年間も? という感じは、まさにTVドラマや映画の影響じゃないかしら。
だってその間なんて、ドラマはまず描かないで端折っちゃうし。

130 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:54:31
信虎の甲斐統一から数十年かけて成長してきた武田家が、
長篠からわずか7年で滅亡したわけだな。

131 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:08:37
人間五十年

132 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:12:51
五十年が夢幻なら、7年なんて一瞬だよなw

133 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:16:08
…であるか。

134 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 02:26:17
織田家の滅亡は本能寺以降はどれくらい?

135 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 03:09:55
織田家ってまだ滅んで無いだろ。織田信成がいる。

136 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 03:16:47
マジレスすると
「秀信は豊臣政権下では美濃国岐阜城主となった。関ヶ原の戦いにおいて秀信は西軍方に属したため改易されて、その死によって信長の嫡流は途絶えた。」
らしい。
つまり戦国大名としての織田家は関ヶ原の戦いで滅んだから本能寺以降20年ほどかな。

137 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 06:13:22
7年とはアブラゼミの一生

138 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 07:25:28
諸行無常 盛者必衰の理

139 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 01:33:50
>>125を基に>>123の表を修正すると、以下のようになる。

1番隊山県昌景→戦死
2番隊武田信廉→生還
3番隊小幡信貞→戦死
4番隊武田信豊→生還
5番隊馬場信春→戦死

つまり、生き残りは、武田勝頼、信廉、信豊だ。何のことはない。

簡単なこと。武田一族は、譜代の諸将を捨てて逃げた。譜代の諸将は間違いなく、大半が討たれた。
これが、長篠の真実。こんなやり方では、離反者がその後相次いだのは当然。
武田はいつでも潰せる状況だが、信長は武田ばかり相手にしている訳ではない。従って放置だ。

信長は、北条や徳川に、甲斐・信濃を切り取り次第にさせてはならない。これが拮抗状態ということ。
しかし、これは却って家康には幸いした。徳川は、領地を切り取る代わりに武田配下の調略にかかった。
天目山の戦いの後も、信長は武田旧臣の殲滅を図っているが、家康は対照的に迎え入れている。
これが、後の井伊直政の配下などに組み込まれた。結局徳川を強大にしてしまった訳だ。


140 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 02:09:42
こんなやり方ではって・・・
家臣が先陣で戦って、大将・一族衆が後詰というのは当時の戦いではありふれたことだと思うぞ。
負け戦になれば家臣が盾になって主家を逃がすのは武家社会ではあたりまえ。
大将も一緒に切り込むという変態もいることはいるが。

武田はいつでも潰せる状況というのも大いに疑問。
信長が美濃→木曾ルートを確保するまでは武田に攻め入ることができなかったでしょ。
苦手な森での戦いで痛い目にあってる。
武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。

141 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:23:02
本当のところだよって・・・
そんなのどうしてお前にわかるんだよ!w

142 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:24:17
普通、負け戦になれば、殿(しんがり)が犠牲になるが、それは主家だけでなく、他の家臣たちも逃がす。
長篠の武田の場合、これは見るからに酷いね。
例えば、三方ヶ原で大敗した家康の逃げ方、金ヶ崎で挟撃に遭って逃げた信長と比較しても。
主家を逃がすのは、その後の立て直しを望むからだろうが、主家だけ逃がしても立ち直れないね。
ちなみに、「忠孝」という倫理観で考えるのは、江戸時代に朱子学が普及してからだから、戦国時代はそのようには考えていない。
むしろ、立ち直れないのなら(いたいけな子供である場合ならともかく)、共に死のう、というのがまだ見られるパターンだね。

>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。


143 :142:2007/08/29(水) 07:25:42
あ、たまたま重なったけど、141とは別人です。

144 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:48:30
>>139
アホ○だし
小幡信貞は武田滅亡後まで生きていた。
はい、前提が無茶苦茶でした。最初からやり直し。

長篠では家臣たちが必死になって主君を逃がした。
武田の結束力の強さが窺われるね。

145 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:49:14
>>139
小幡信貞をかってに殺してるのはご愛嬌として、
親類衆がろくな働きをせず傍観し、かってに戦線を離脱したわけだが、
長篠戦の後、勝頼は高遠城に退却して、すばやく上杉と和睦し、
越後勢への押さえとして1万弱の兵を擁して海津城にあった高坂昌信の部隊と合流している、
長篠で敗れた将や兵も三々五々終結してくるので、長篠での兵力を上回る数で決戦できる
可能性もある。

>>142
武田崩れのときとは全く条件が違うだろう。
本願寺は大阪退去、毛利は押し込められて後背を気にする必要はない。
北条と武田は戦闘状態にあり、唯一同盟関係の景勝は越中での柴田軍団の攻勢で
支援する余裕はない。勝率99%だろう。



146 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:31:39
必死になって主君を逃がすような負け戦をしかけた戦犯は誰?

147 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:49:34
>>146
主戦論の一条信龍か。 適当な知識ですまん

長篠の戦いが1575年、武田家滅亡が1582年。
確かに武田家は弱体化したが滅亡するまでに7年かかっている。 武田家が簡単に潰せるほど大きな弱体化はなかったんじゃないかな?

148 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:50:13
山本勘助じゃね?

149 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 13:37:39
通説では明智城や高天神城を落とし、意気あがる猪武者の諏訪四郎勝頼が
重臣のいさめを聞かずに攻撃を主張?、戦犯は自分?

150 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:41:47
>>146
またまた衝撃的なほど低レベルw
こいつら、夏休み終了間際のガキばっかりw

主君のいう事は武家社会では絶対なんだよ、前にも書いたろ。同じ事を言わせるな。
大した負け戦ではない。ほとんどの重要な武将は生き残っている。
むしろ、引き分けといっても過言でないくらいだ。


151 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:51:19
【元祖?】ブラパン婆パンまったり【在米組】

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/northa/1187811106/l50

黒人好きの日本人女性が怒るスレ


152 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:12:18
長篠の合戦は引き分けwwwww

153 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:21:02
>>150
それはさすがに言いすぎ。

154 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:25:25
>>150
バカ発見!

155 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:00:27
>>150
何というか、こいつの目的は一体・・・?

156 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:06:30
>>150
だから、賛否はともかく、
>>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
>それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。
という説明を伺いたいんだけど。勝率99%とか、引き分けとか、もう訳ワカメ・・・



157 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:10:38

さてはこいつが>>150だなw

158 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:13:45
アホ○だしさからして
>>144 = >>150

159 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:15:52
逆手に取るような奴が出てきたから言うが、自分は確かにageたりsageたりして書いた。
それで、傍からお節介、みたいにも書いた。
それは、論議したかったからで、荒らそうとしたのではない。
>>150は違う。自分が書いたのではない。

160 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:16:10
釣れた!と言い出しそうな>>150

161 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:17:50
>>158
小幡信貞戦死の件で赤っ恥をかいた奴

162 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:18:18

さてはこいつが>>150だなw


163 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:19:27
>>159
なんで>>145>>150だと思ったの?
説明が欲しいな。

164 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:22:37
漏れは>>128でも書いたけど、どれが誰もレスでも構わない。
でもアンカーは信用しないと、対話にならないよね?

それを利用して欺くのは、いくらなんでもどうかと思う。
もういいよ、説明してくれなくても。まともに読もうとしたら、バカを見る。


165 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:25:08

突然被害者ぶるやつw

166 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:27:39
>>159
それが最大の荒らしだっつーの!

167 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:30:14

荒らしはお前じゃw

168 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:30:31
>>165
突然って、前からそう書いてるよ。
もういいよ、誰が誰か分かったもんじゃないな。あんたも含めて指すつもりないから。


169 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:32:11
この「↑」をつけている奴が、一番怪しいな
「w」をつけるのって、一種の癖だから

170 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:33:26
>>169
よく分かっているじゃないか、怪しいなw

171 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:34:10

本人乙w


172 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:36:27
どうでも良いが、何か「万人の万人に対する戦い」って言葉が浮かんだな・・・


173 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:41:17
むしろ「荒らしの荒らしに対する戦い」とおもわれ

174 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:44:08
ま、>>150という怪しげなレスをつけたのは、>>150の内容とは逆の意見を持った者が装ったのは間違いない。
しかし、それに釣られて、当人もとうとうそれまでの自演を白状したんだから、どっちもどっちだ。


175 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 01:52:28
>>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
>それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。

これは>>145で十分説明されてるだろ。
1575年当時の織田は敵が多すぎて甲斐を取る体力が無かったんだ。
反織田勢力を片付け、徳川に遠江から圧力をかけさせたり、武田側の国人を調略して弱らせてからやっと武田が滅ぼせたのではないのかな?
信長は長篠の戦のあとにそのまま攻めるのはリスキーすぎると判断したんだろうね。

176 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 06:10:12
俺は夏って言葉が浮かんだな

177 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 07:28:01
>>175
たぶん、今までも含めて、説明している人は理解した上で書いていると思うが、訊いている人と認識がずれているのは、その判断を「いつやったか」ということではないか?
長篠での戦況(織田・徳川軍の戦闘結果の圧勝)と戦果(勝頼を討ち取っていないこと)のギャップを、質問している人は感じている。

結論から書くのなら、信長は出陣する時点で、戦争目的を明確にしているはずだ。それは、
1.長篠城を救援・解放すること。
2.武田軍に致命的な打撃を与えること。

当然、戦況により、作戦目的を変更・拡張することは考えられるが、それは、目前に無抵抗の勝頼が現れるとか、或いは今川義元みたいにすっかり油断してしまっている場合などの極端なケースしかあり得ない。
(ちなみに、桶狭間の場合は、「劣勢の根本的な挽回・一発逆転」というのが戦闘目的なので、清洲を出陣する時に義元の首を取る事を既に考えているはず)

だから、長篠の戦いにおいても、上記1.、2.の目的を達したのだから、これで終わり。凱旋ということになる。
信長だけでなく、まともな総大将は、戦争目的を逸脱するような事を、良くも悪くもやらない。
武田信玄も、三方ヶ原の戦いの際、浜松城の城攻めなどしないし、圧勝した後も過度には追わない(あわよくば、というのは考えなくもないが、極めて慎重だ)。これは「上洛」が作戦目的=戦略だからだ。

目的をやたらと逸脱するような武将は、それだけで二流以下。台頭する前に大抵淘汰されてしまう。
これを押えておけば、戦況だけで「何故?」とは思わないと思うが、如何かな?


178 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:11:30
だから、三段撃ちだったんだなw

179 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:33:52
ちょっと話がずれるが、信長って、生涯、
追撃っていうものをほとんどしてないんだよね。

例えば、桶狭間。勝ったついでに今川領になだれこめば、
三河くらいとれてただろうに、勝っただけでよしとしてる。
姉川の合戦にしてもしかり。乾坤一擲の追い討ちをかけたのは、
朝倉義景を滅ぼしたときくらい。

どちらかというと、長島一向一揆や摂津有岡城攻めのように、
完全に孤立無援になって、100%勝てるときになってから、
総攻撃をかけてる場合が多いように見えます。

180 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:36:20
>>179
桶狭間の時の織田は兵力が少なくて、三河もぎ取るのなんか到底無理だよ。
尾張国内の今川軍すら追い出せなかったくらいだから。
信長は基本的に安全志向。ときどき極端な行動をとることもあるけど、
彼は本来猪武者じゃないよ。

ごく一部、ゲームと現実がごっちゃになってしまっている人がいるけど、
大勝したからといってそう簡単に敵を滅ぼせるわけじゃないんだよね。

181 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 13:37:00
信長って謀叛に甘い気がする
松永久秀とか柴田勝家とか。


182 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 15:32:07
勝家って謀反おこしたか?

183 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:17:20
>>182
謀叛じゃないけど信行について信長倒そうとしたけど結局信長は勝家を許したじゃん

184 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:00:09
>>183

いやいや、そうともいえませんよ。
現に、林通勝は20年もたってから処罰されてるし。
なぜ処罰されたのかは永遠に謎だが、私は、信長って、
とてもしつこい性格だったんじゃないかと思ってる。
すなわち、その時は処罰したくてもできなかったから、
我慢して利用し続けて、「もういなくてもいい」と
なったときに、「積年の恨み思い知れ」なんて・・・
証拠も何もないけどね。

ところで、何で謀反するんだろ?誰がどう見ても
信長についてたらこの先出世できるのに、
なぜわざわざ負けるほうに味方するのか?
佐久間信盛をみて、もう出世できない、と思うから?
それとも、「こんなのに天下を取られたら、
俺なんぞ息が詰まって生きていけない」と思った?

185 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:13:24
信長はポルトガル、スペインから西洋式軍艦製造技術と大砲製造技術を
教えてもらえば毛利水軍はもとより薩摩制圧も容易にできたんじゃないかな?

さらには明、朝鮮はもとより東南アジアへの進出もできたんじゃないの?
北海道、シベリア、アラスカとかへ進出もロシアより先に行けたんじゃ?

186 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:28:30
>>185
こんなところへ来るのは最低でも、歴史と地理の
義務教育課程を履修してからにしましょうねw

187 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:09:21
>>184
自分はそのあたりは単にいい働きをしなくなって用済み&領地が増えて高給取りが増えたからと考えてる 根拠はないですが。
裏切るのもストレスとか信長の革新的な考え方に合わなかったとか…

188 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:06:27
>>185
主語を信長から毛利輝元にでも前田利長にでも上杉景勝にでも変えてみればいい。
お前の論理だったら信長に限らず誰でも東アジアを制圧できる。

189 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:13:09
>>184
そういうイメージで語る事が、武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した
につながるのではないでしょうか

190 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:36:41
>>187
おぢちゃん のぶながの どこが かくしんてきなのか
ぼくにも わかるように おちえてね

191 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:47:46
また今夜も>>150の自演か

192 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:42:54
やっぱり信長が人気だな。
前スレとは違って、スレタイでは、武田騎馬軍団が主語なんだが。

193 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:49:22
>>192
旧態依然とした武田の騎馬軍団を、革新的な鉄砲三段撃ちで全滅させた開明君主だからな。
そりゃ人気あるだろ。

194 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:50:21
>>190
信長が革新的なことを否定するのか?
光栄のゲームのタイトルにもなっているというのに。

195 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:06:08
だから なにが かくしんてきなのか ぼく わかんないの

196 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:07:42
わかんなくていい。

セックスが出来るようになったら、もう一回来なさい。

197 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:46:31
ク、クソスレに相成り申したぁぁああああ!!!

198 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:50:27
 


199 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 00:39:33
光栄のゲームのタイトルにもなっている信長が
最も革新的な風雲児だったことは明らか。
当時ヨーロッパでさえ行われなかった先進的な鉄砲三段打ちで武田騎馬軍団を殲滅し、
古い宗教勢力を徹底的に否定し、
日本人離れした大きなスケールをもって
新しい外国の文物にしたしみ、
因習に囚われない革新的な政策で雄飛しようとした
天才であることは明らか。
現代でも多くのざっしで特集され
ビジネスマンたちの善き手本になり続けているのがその証拠。
もし最終的に天下をとったのが陰険・卑屈な家康ではなく
信長であったなら、
日本人は海外に雄飛し、
西洋と対等にわたりあう国際人になったであろう。

200 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:13:24
何だかポエムみたいだね。

201 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:15:25
男のロマンの憧れ
夢の聖地
それが織田信長。

202 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 06:26:29
 

203 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 07:06:55
>>179
これも、「戦争目的=戦略」という観点で考えてみれば、分かる。

桶狭間は、とにかく自分が滅亡の危機に瀕しているのだからそれを打開すれば良く、これは大成功だ。
それと、尾張を統一した信長の視点は西に向かっていたはず。上洛というのはまだまだだが、取り敢えず美濃。
そんな時に背後から、しかも怒涛の進撃を食らった。今川義元が上洛しようとしていたという考えは、現在では否定的だが、一気に上洛という考えではなく、支配国を広げながらのその先の上洛を夢見ていたのだろう。
撃退しただけでも御の字だが、義元の首を取れた。ただ、ここで東に向かう選択はない。
そこで、松平元康と提携する道を選んだ。信長が三河、遠江と進むようでは、並の戦国武将。

上洛の際、浅井長政と提携したのも同様。しかしこれは金ヶ崎で裏目に出る。
戦略が達成できなかった例だが、この時は早々に退却。同様の判断が、長篠の戦いにおける武田勝頼に早く出来なかったのが、被害を大きくする原因となった。

長島の一向一揆の場合は、戦争目的が「平定」。しかも、特定の武将ではなく、一揆の発生そのものを抑える必要があるため、徹底的な殲滅、掃討の徹底をせざるを得なくなる。
有岡城は、裏切りに対する報復だから、戦果を内外に見せつけること、荒木村重に対して制裁を発動する必要がある。

反対に、上月城の場合は、秀吉と協議の上、見捨てているような場合もある。

戦略を持ち、その戦略を達成するために戦いを行う。これは、信長が一流の「政治家」である証だ。




204 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 09:36:00
天王寺合戦では明智ら諸将を救援したばかりか、一向衆に怒濤の追撃かまして
石山本願寺に逃げ返し、すぐさま砦を築いて包囲戦に突入したりと、とにかく
判断力が半端ないな。

205 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 10:03:32
信長はときどき火病を発症するからね。

206 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 10:51:30
>>204
まあね、時々いい判断をすることもあるが、くだらぬ敗戦もある。
斎藤義龍には負けてばかりだし、義龍が病でポックリ死ななければ
尾張から一歩も出れなかっただろう。桶狭間もラッキーパンチだしね。
でも、運があったことは認めましょう。

207 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 11:00:11
>>206
>斎藤義龍には負けてばかりだし



208 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:01:04
義龍は最後越前で戦死だろう。
テラカワイソス

209 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:21:24
でもさ、イメージ的に義龍って畳の上で病死って感じじゃね?
戦死ってキャラじゃないような。

210 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:59:03
>>208-209
それは、「龍興」の方だ。最近、不正確な情報が飛び交っているぞ、このスレ。
うろ覚えだったら調べるなりして、せっかく書きたいことがあるなら正確に(少なくとも嘘ではない内容を)書こうぜ。
中には信じてしまう奴もいたりする。

義龍は病死だろう。龍興は竹中半兵衛に城を乗っ取られた愚将で、戦国大名斎藤家は龍興で滅亡。
龍興は三好に与したり、都をウロウロしたりしていたが、朝倉に与して(配下というより勝手に参加)織田信長とのいくさに望んだが、敗れて退却する際、刀禰坂で討たれて死んだ。
元戦国大名の哀れな末路だ。享年26。


211 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:00:53
望んだ→臨んだ、スマソ

212 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:02:08
>>210
× 中には信じてしまう奴もいたりする。
○ 中には釣られてしまう奴もいたりする。

213 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:05:35
>>208
それは義龍の子の龍興。


214 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:35:11
遅い!もうガイシュツ

215 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:38:07
そういえば織田信長って家来に謀反起こされて切腹したらしいぞ。

216 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:43:54
長篠の合戦に関しては、54迄で結論出てるね。
それ以上、どうこう言いようがない。
次行くか?

217 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:45:37
>>216
>>54

218 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:56:45
もともと武田の一万5千の兵は長篠城を攻めるための兵力だ。
決戦を意図した兵力ではない。
上杉謙信がこの戦いを評して言った言葉だが、
「じっとしていれば相手が退散するしかなかったものを」と。
多分武田も陣地を固く構えて動かなければ、負けはなかっただろう。
それが動いたのは、はやり謀略があったのか?
鳶の巣以前に勝敗が決した可能性もあるように思うが?

219 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 23:28:25
>>218
合戦に至るまでに、武田方がいろいろと挑発した可能性はあるようだ。
例えば、徳川の築山殿を籠絡させて武田方に内通させようとしたとか。
これは、最近では濡れ衣で、実は徳川家臣内の石川数正と酒井忠次の対立が背景にあったとかいろいろ取り沙汰されている。
そうした動きに、史実は不明だが、直接徳川と対立していた武田も一枚噛んでいた可能性はある。
武田勝頼は、一応、表の戦略は、城攻めによる版図拡大を進めていて、長篠城もそのひとつ。
それと裏面では、いろいろ謀略を巡らせていて、いつか信長・家康との直接対決で一気に雌雄を決しようという抱負もあったのではないかと思える。

それともうひとつ、長篠城包囲戦の少し前に、武田方は徳川領に侵入し、「青田刈り」をやっている。
徳川の若手をスカウトしたのではなく(^^)、文字通りの青田刈り。すなわち収穫前の稲を刈り取ってしまう。
これは領民にとってはたまらない。これをされて黙っているような領主なら、領民がついて行けない。
青田刈りは、最も陰険で、しかし効果的な「挑発手段」だったらしい。
これをやったら、家康が出てくるだろうし、信長が出てくる可能性も高い。

そして長篠城救援の為、本当に信長・家康本人が出てきた。前スレでも言ったが、これは千載一遇の機会。
やはり、そこまで両人が来ているのに、攻めるなというのは酷かも知れない(山県などの重臣は諌めて退却を進めたという説もある)。
元々武田は、信玄の時代から謀略は日常茶飯事。勝頼からすれば、まんまと誘われて出てきたな、信長、家康!
今日こそは・・・ というのもあるかも知れない。
気持ちは高ぶるだろうし、逸る可能性大。


220 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 23:53:07
>>218
>>219
一万五千って、何か中途半端だね。
長篠城兵は500程度じゃなかったけ?
それにしては人大杉。

そして、信長・家康本人が出てくるなら、2、3万。或いはそれ以上動員して来るだろうことは容易に想像できる。
単なる城攻めにしても、決戦を想定したとしても、おかしな一万五千。だから中途半端。

想像だけれど、本当は勝頼はもっと動員してくる予定ではなかっただろうか?
もちろん、決戦説。しかし、度重なるいくさで甲斐・信濃は疲弊しており、目論んだだけの動員はできなかった。
そこで止めておけば良いのに、遂に実行してしまった。始めからかなり無理な計画だったのではないかな?
武田の老臣たちが諫止したのを、ミハタタテナシで強引に従わせた、なんて話は、事実かどうか分からないが、進め方が無理な状況認識はあったと思う。


221 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 00:11:15
>>216
おいおい、次へ実際に逝っていたのに、元へどころか、合戦前夜まで戻っちまったぞ!


222 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:13:24
じゃあ、それを元に戻そうかw

武田騎馬軍団は、鉄砲三段撃ちで全滅した。


223 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:19:51
全滅もなにも騎馬軍団なんてはじめからないし

224 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:23:00
柴田軍団は、存在したのか?

256 KB
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

★スマホ版★ 掲示板に戻る 全部 前100 次100 最新50

read.cgi ver 05.04.00 2017/10/04 Walang Kapalit ★
FOX ★ DSO(Dynamic Shared Object)