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武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した その2

1 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:34:27
戦国最強の武田騎馬軍団は織田鉄砲隊の三段撃ちで全滅した。
これ世間の常識。

なのに未だにそれを受け入れられないひとっていったい何なの?
水戸黄門が諸国を漫遊して悪代官を成敗してまわったことを否定する輩と同類だよ?
いい加減目を覚ませよ

前スレ
今時、鉄砲三段撃ちとか言ってる奴って何なの?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1153655869/l50

2 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:36:34
結局 鉄砲三段撃ちも明智光秀には無力だった

3 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:36:56
膣内射精

4 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:39:03
鉄砲三段撃ちって一口で言うと李舜臣将軍の亀甲艦隊みたいな歴史捏造だろう。
日本人は500年前からこんな近代戦術を駆使してましたというプロパガンダ。
三段撃ちが本当に近代的なのかどうか知らんがなんとなくカッコいい感じ。

5 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:39:21
   / ̄ ̄\      /⌒  ⌒\      γ::::::::::::::::母::::::::::::::ヽ、
 /   _ノ  \   /( ⌒)  (⌒)\    /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::ヽ      
 |  ─(⌒)(⌒)/::::::⌒(__人__)⌒::::: \ γ:::::::::人::::人::人::::人::::::::ヽ
 |     (__人__)|     |r┬-|     | (:::::::::/ ─    ─ \:::::::)
 |     ` ⌒´ノ \     `ー'´     / \:/   (⌒)  (⌒)  \ノ
 |         }   ( r  子    |     |      (__人__)    | 
 ヽ        } ̄ ̄ ヽ○ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄\\    ` ⌒´     /
  ヽ     ノ     \と、次の瞬間!/ 
   /    く \ |__| _ ..._.. ,\そこには元気に走り回るジョンの姿が!/
   | 父  \ \ \ /    \それにしてもこのオヤジ、ノリノリである/   
    |    |ヽ、二⌒)、^        |\_____ \
                       |  |ヽ、       ノ|


6 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 21:44:04
現在の情勢

 多段撃ち派
 三段撃ち派
 二段撃ち派
   VS
 タイムスリップ派


・その他

 どうでもいい派

 全滅の人w

7 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:14:50
織田軍は、MAT対戦車ミサイルで、武田の騎馬隊を粉砕しました。

8 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:16:40
本能寺で信長を蜂の巣にしたのは ザク

9 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 22:16:41
..__          
│尻┃ 
│軽┃
│女┃ /\
    /__\
    从*‘ー‘从  
    /━∪━⊃━━<>
    し'⌒∪


10 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:34:43
>>6って前スレで、必死になって信長公記を覆そうとしていた乙だなw

11 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:37:22
ここで、ポン!

12 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:53:21
またネタスレかよ

13 :日本@名無史さん:2007/08/22(水) 23:59:00
まあ「もし〜」のトンデモスレよりマシかもしれない。

14 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 00:04:24
黄門様って、確か弟がパリまで行ってるね。

15 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 01:43:39
>>1
おかしいな、私の聞いたところでは武田の軍勢は織田・徳川連合軍から
MG34の掃射を受けて大敗北を喫した、となっているが…

16 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 02:10:31
鈴木先生は鉄砲三段撃ちを否定したり、騎馬武者は下馬して戦ったとか言っておられてて、
これが世間に流布しはじめてるんだけど、
実際に、江戸初期の鉄砲隊(備レベル、組レベル)の編成は、
三分隊編成。
下馬して戦ったというけど、
騎乗戦闘用の刀の反りと、歩兵用の刀の反りは反りの角度が違っていたり。
あの鈴木とかいうおっさんはちょっと問題だろ。

17 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 02:57:43
戦国時代
http://hobby9.2ch.net/sengoku/

18 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 03:56:22
鉄砲三段撃ちは本が売れる為に考え出した、仮想戦記物
今時の仮想戦記と何ら変わる所とない
今も昔も人間のする事など変わらんのさ

19 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 05:57:41
渋谷でデリヘル嬢に中出ししました。

20 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 06:48:14
>>16
大体、刀ではそんなに戦わないだろ。ほとんどが「槍」。
日本刀は、主として平時での汎用携帯兵器だ。戦場では、槍がトラブった時に使う。


21 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 08:51:43
それと、首を取る時ね

22 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 09:11:48
水戸黄門は全国漫遊なんかしてねーよ!
1は、まず自分が馬鹿な人間であることをよく理解するべきだな。
理解したらすぐに御詫びカキコがあるだろう。

23 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 10:15:23
御免なさい

24 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 15:07:31
「武将は後方で指揮する」は常に正しいわけではない。
総大将ではなくその下の部隊長クラス以下なら、最前線で指揮する方が戦機を逃さない。兵の士気も維持しやすい。
なぜなら、通信手段が伝令レベルだから連絡線が短いに越したことはないから。
大名でも、上に総大将がいる場合最前線へ突出している。関ヶ原の福島正則とか黒田長政とか。
あと、「我が勢の先頭を行く鯰尾冑の武士に負けぬよう励め」の蒲生氏郷とか。
一方、総大将は討たれると軍勢が総崩れになってしまうので突出しない方がよい。
慶長の役で追撃時に突出して首狩りに精を出して叱責された小早川秀秋なんかがその例だろう。
だから、長篠の武田勢で言えば、勝頼が最前線まで突出して戦うのは阿呆だが山県や馬場が最前線で戦うのは当時の
通信手段のレベルからすれば理に適っている。

25 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 18:04:26

またイタイ人が来た

26 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 22:45:16
>>24
何か勘違いしていそうだな?


27 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 22:50:30
現実には、武田勝頼は生き延びて、他の武将の大半が討たれて総崩れになった。

>>24
何の説得力もなしw 真昼のボーダイ厨w

28 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:28:37
>>24
だから・・・って、おまいが引き合いに出した最前線の武将なるものの中に武田の武将はひとりもいないじゃないか。
何を必死になっているんだろ?

29 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:32:24
うんこー

30 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:33:12
小早川秀秋についてなら、碧諦館の戦い(文禄の役の中でのひとつ)では、鉄砲隊を指揮して最後尾に陣取っているよ。
慶長の役で前に出て叱責されたというのは、そうすべきでないということだろう?
武将はやたらと前に出るべきではない、というのを図らずも自分自身で書いてしまっているではないか。
どうしようもないな。


31 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:37:42
>>30
それ、隆景ねw
でも、武将はやはり、指揮官だから、奇襲など以外では前に出ない。

32 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:43:51
近藤勇とかは前に出る。

おそらく、武将としての自覚がないうちは、前に出るんだろうね。
武田譜代の武将では、まず考えられないな。

33 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 00:50:49
>>31
ドッカーン☆ やっちゃったな。スマソ、確かに小早川でも隆景というまっとうな武将だ。
小早川の秀秋の方は、関ヶ原の戦いでは、後方で指揮を取っているな。

でも、それ以前に陣が最前線、というのと、武将が部隊のどこで指揮を取っているか、という話が、>>24ではごっちゃになっているぜ。



34 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 01:30:14
>>15
確か設楽ヶ原でMG34が出土したって話を聞いたが。
ゴッドハンドってのが埋めたって説と、ドイツ軍の兵士が勝手に埋めて逝った説があるらしい。


35 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 02:00:12
>>20
>>16の言ってることに間違いはないぞ。
>>16の言いたいことは、騎馬武者は戦場で下馬して戦ったっていう鈴木の説に対する反証として、
騎馬用と歩兵用で刀の作りが違うって事をいってるんだから。
槍が戦国時代の主兵器であったことを否定しとらんだろ。

36 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 02:05:41
20は鈴木真哉

37 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 02:19:00
鈴木のいう新説って、
見事なまでに歴史学者はスルーしてるよな。
まぁ、相手しないだろうけど、反証らしい反証がでないから、
信じる奴がでてくるんだよなぁ。

38 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 07:22:15
井沢元彦みたいなもん?

39 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 13:55:23
井沢よりもひどいかな。ある意味。

40 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 16:26:27
>>38
鈴木と比べられるとは、井沢も災難だなw

41 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 18:09:23
鈴木真哉は詐欺師

42 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 21:25:12
井沢と鈴木なら井沢のほうがオソマツでは。
鈴木はある程度史料を読んでいるが井沢は脳内ソースを頼るw

43 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 23:23:37
>>39-42
そ、そうなんだ。つまらん質問にレスありがと。
余り細かいこと知らんけど、つい連想してしまった。


44 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 02:09:48
>>42
井沢は、大量に史料をコピペしているよ。
読んでいるかどうかは知らんが。

45 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 03:01:30
あいつがコピーするのは
史料じゃなくて資料だろ

46 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 08:02:26
当時の状況を想像すればこんな解釈が妥当じゃないか、という想像による考察がメインな部分が結構ある。
そこが史料の裏づけに乏しいと批判されるところだが、元小説家だけあって、読んでいてそれなりの説得力を
感じてしまうから、読み物としてはおもしろい。発行部数が高いのはその表れだろう。
ただ、想像の域を出ていないという評価は常についてまわるが。

47 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 09:50:01
それは「常識」による検証らしいw
しかし、その基準がころころ変わる。
現代の感覚で考えてはイケナイ、当時の常識で考えるべきだ。と書いたかと思えば、
当時の常識ではそうなのだが、我々の常識で考えないと正しい事は分からない、などと書いたりしている。
常識なんて、ないんだろうね。この人には。


48 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 12:39:18
まともな人間は呆れて消えたみたいだな〜

49 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 14:25:32
>>48
おまいのわがままの相手をしてくれる奇特な人が消えたんだろw
そりゃ残念だったなw

50 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 14:39:19
>>1
世間の常識は、先端の研究からは遅れていますね。
今では、堀と土塁と柵による要塞を力攻めしたあげくの敗北と言うのが常識です。
当時でもそのような認識だったようですよ。
その後も鉄砲による勝利など、何処かの合戦であったでしょうか?
要塞に籠もる3倍の敵を攻めては、普通は負けますよね。
この戦いは、何故攻めざるを得なくなったかがポイントです。
なお、騎馬隊の突撃など無いのも常識ですね。

51 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:34:47
>>50
城攻めに等しい訳だが、どの時点で武田方がそれを認識できたか、だろう。
普通、城攻めなら籠もる相手の3倍必要というのが相場。
そして、鉄砲は、防備の際に無類の強さを発揮する。

野戦と思わせ、実は違ったというのが、織田方の勝因だろうね。


52 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:42:42
3倍は鉄砲無し、鉄砲ありの場合は10倍

53 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:46:40
攻め手も鉄砲もっていても?

54 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:49:31
「ポイント」についていうなら、武田方の鳶の巣山が陥落し、長篠城包囲が崩されて、武田勝頼の陣が孤立したから。
挟まれているから、どちらかを破って突き抜けるか、それともあらぬ方向へひたすら退却するしかない。

信長がこの場合の勝頼の立場に追い込まれていたら、ほぼ間違いなく、退却を選択しただろう。
過去の金ヶ崎の退き陣などを考えたらね。
しかし、武田勝頼は、というより、信長以外の大半の武将は、そうは選択しなかった。
部門の恥、面目、そんなのに拘るからね。

そうなると、信長、家康の本陣に突っ込む。これは戦術的には最も愚策なのだが(酒井忠次の方を攻めて打開する方が打開の可能性が高い)、信長や家康を討ち取れる可能性に挑んだ。
戦国武将の心理を読む、というセンスが、昔から信長には備わっている。そしてそれを利用できる能力を持っていた。


55 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 16:58:39
武門の恥

56 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:04:04
>>53
寄せ手も信長だったら、なんて仮定なら面白そうだがw
そうなったら、なかなか勝負はつかないだろうな。

信長ではないが、そのような展開なら、小牧・長久手の戦いだろう。
秀吉と家康、共に警戒心が強い。かつ信長の戦いのセンスをある意味、継承している。
寄せ集めの軍勢だった秀吉にミスが出て、羽黒や長久手では、家康が一方的に勝ったが、それ以外では、悉くすれ違い。
センスのあるもの同士が戦うと、こんな感じになるだろうね。


57 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:18:37
小牧長久手の戦いはスレ違いw

でも、敢えて乗るなら、長篠と同じようなシチュエーションがあった。
家康方の井伊直政が、旧武田兵を率いて、盛んに楽田近くの秀吉の本陣を騎馬で攻めている。
これに対し、秀吉側は、急遽楽田を中心に馬防柵を構築、鉄砲隊を配備した。
秀吉って、普請とか、工事はいつも迅速だが、この時も10万の兵の一部を動員して半里ほど作ってしまったらしい。

家康は、すぐに翌日から井伊隊の攻撃を中止させている。かくして戦況は膠着状態。
華やかさには欠けるけど、この膠着状態が横綱相撲なんだろうなあ。


58 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:27:08
秀吉に野戦のセンスがあるのかね???

59 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:41:34
家康は、長篠にいた当事者だし、井伊隊の兵も元被害者だから、それは気づかなければアフォだろうな。
秀吉は、信長公記では長篠にいたことになっているのだが、実際はどうなんだろう。疑問だが。


60 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:47:38
>>58
秀吉には元々野戦のセンスはないだろ。まあ山崎の合戦で勝利して以来、賤ヶ岳の戦いもあって多少は進歩しているだろうが。
だから多くの兵を動員しての位攻め。あわよくば、得意の攻城戦へ持っていけたらという思惑だったはず。

家康が、当初小牧山に陣取っておきながら、籠城はせず、周辺に兵を展開したのも秀吉の城攻めを警戒したんだろうし、双方とも基本は抜かりないよ。


61 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 17:52:43
 犯罪被害者のことを考えましょう。 

午後8時過ぎ東京都足立区綾瀬で、アルバイトから帰宅中の女子高校生が、
18才と16才の少年に誘拐され、少年の両親も同居する家に40日間監禁
されて暴行殺害された。少年らは女子高生の陰毛を剃り全裸で踊らせ、踊り方
が気に入らないと、体にオイル塗りライターで火をつけ、熱がるのを笑い
転げた。遺体の性器及び肛門にはスポーツドリンクの瓶が突き刺さっていた。
少年らの刑期から未決勾留期間が差引かれ、刑期満了前に仮保釈されたため、
主犯以外は全て6年程度で仮出所した。主犯も平成19年2月には仮出所した。
服役中は給料(作業報奨金)が支払われ、土日休業、平日は毎日3時間の自由
時間がある。受刑者1人当たり月20万円の税金が使われ、被害者側の税金
(消費税を含む)で賄われている。 女子高生コンクリート詰め殺人事件

62 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 19:01:49
秀吉の三段撃ち

63 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 21:24:04
武田兵たちは、どうして仮面ライダーに変身しなかったのだろう?

64 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 21:47:27
ショッカーが現れなかったからさ

65 :日本@名無史さん:2007/08/25(土) 23:52:28
>>58
>>60
いや、秀吉には野戦のセンスも認められる。ただ、中国征伐時は、自分が本来得意だった城攻めと普請技術を使っていて、野戦に関しては秀吉の司令官としての経験が浅い面があった。
しかし、本能寺の変の後は、秀吉の継承した? センスが発揮されている。
最たるものは「高い機動力」だろう。機動性が高いのは、野戦でも大きなポイントだ。


66 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 00:29:58
本気で大陸制覇出来ると考えた絶望的なセンスの無さ

67 :ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2007/08/26(日) 00:32:50
秀吉は馬防柵設置の現場監督やってた

68 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 07:31:34
>>65
中国攻めは前線の毛利方豪族攻めがメインだから、城攻めになるのがほとんどで当たり前。


69 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:22:39
>>68
知ったかで書くなよw
毛利方だけではないし、本能寺の変がなければ、もっと先まで進んでいる。
メインとかサブとか、基準不明。

70 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 10:52:45

突っこまれてあせっている奴の図w
毛利以外秀吉と合戦できるほどの勢力を持つ大名はいかったし、
本能寺がなければとか意味不明。

71 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:20:37
中国攻めの際には実際は秀吉の肩書きは何もなかったんだろ?
秀吉には西方司令官とか、光秀には近畿管領とからしいけど
これは全部後世の史家が勝手に呼んでるだけだよね

72 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:27:59
>>71
あるよ、秀吉は「筑前守」だ。そして光秀は「日向守」。
「中国攻めは前線の毛利方豪族攻めがメイン」ではなく、目標はその先。

73 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:35:37
>>72
お前論理的思考ができんだろ。

74 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:39:31
もう長篠ネタは出尽くしたって感じかな?

75 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:43:03
>>71
だからなに?

76 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:51:27
>>75
おまいがアフォだってことだ、自演君

77 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 11:54:53
聖蹟桜ヶ丘で、デリヘル嬢に中出ししました。

78 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:01:07
      ________
 | ̄ ̄ ̄|___       |
 |     つぎで |ボケて!!|
 |______|_____|
  ∩_∩ ||      || ∩_∩
  ( ・(ェ)・)||      ||(・(ェ)・ )
  /   つΦ.     Φ⊂   ヽ


79 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:07:47
>>77
前にみた。だからもっと具体的にかけって。

80 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:11:48
膣内射精が出来る店と嬢を紹介して!

81 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:14:55
店の名前は「コシャマイン」、尺八が得意な社員お嬢さんにOP払えば中出し出来る。


82 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:21:21
>>76
で?

83 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:25:14
あるか

84 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:33:47
いだ

85 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:42:52
武田騎馬軍団は、エロエロ射精の三段撃ちで全滅しますた

86 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:52:22
信玄って、公家の娘だけじゃ飽き足りなく、神主の娘や百姓の息子ともセックスしてたらしいぞ?

人間のクズじゃね?

87 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 12:59:25
そういや中出しも連射は難しいよな?

88 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:20:02
ヌカ六なら、三段撃ち×2回戦が可能だw

89 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:28:34
>>88
それだけ腰を自分だけで振り続けるのは至難。

やはり、自分は待っていて相手が襲ってくるのを待つが得策。
騎乗位なんかが相応しい。そうすれば、三段撃ちは可能だ。


90 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:34:37
>>89
なるほど。柵→騎乗→三段撃ち は、理に適ってますねw

91 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:37:09
秀吉で話が逸れかけたが、やっと本題に戻ってきた。

92 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 13:44:52
      ________
 | ̄ ̄ ̄|___       |
 |     ここで |ウケ狙い!|
 |______|_____|
  ∩_∩ ||      || ∩_∩
  ( ・(ェ)・)||      ||(・(ェ)・ )
  /   つΦ.     Φ⊂   ヽ


93 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 14:29:02
【韓国】小学校の教科書、自民族の優秀性を過度に強調。特に「日本人は文化的に劣等」と一貫して記述 [08/21]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187774895/

【韓国】 小学校の教科書、他文化を見下し偏見を助長〜「日本人が半島に住んでいたら滅んでいた」[08/21]
http://news21.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1187793473/

こういうめちゃくちゃな教科書で学んでいるくせに日本の歴史教科書を
「歪曲」と批判する韓国人っていったい何なの?

94 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 14:35:29
首都圏デリヘルで中出し出来るところ、紹介してください。

95 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 15:14:15
やり逃げで良ければ、ホテル待ち合わせで無理やり犯せばよい。
膣内射精後、洗って貰わずに出て行くつもりなら出来るよ。

もし気になるのなら、安い部屋をもうひとつ取っとけ。そこでシャワー浴びればよい。


96 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 17:10:13
秀吉厨が悔し紛れに荒らしてるのか

97 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 18:22:03
>>56
> 寄せ手も信長だったら、なんて仮定なら面白そうだがw
> そうなったら、なかなか勝負はつかないだろうな。

大戦略的にはそうだが、戦略・戦術的には「包囲されたと察知した信長B(仮称)はあっと言う間に甲州へ逃げ帰った」ので最
後に芝を踏んでおり長篠城の被包囲を解いた信長A(仮称)の圧倒的勝利。

98 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 18:30:08
>>97
小戦略的にはそうだが、信長B(仮称)は被害を最小限にして撤退するだろうから、また巻き返してくる。
信長A(仮称)もまた機会を窺うはず。故になかなか勝負はつかない。

99 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 18:32:44
>>96
秀吉の話題も、中出しの話題も、共にスレ荒らしだよ。

100 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 19:13:50
>>98
海江田艦長「信長Bと信長A、どちらから片付けるかと言われたら、どちらが先か? 山中?」



101 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 20:39:55
長篠の最大の謎は、あれだけ有利に展開し、最後の追撃戦で重要な武将たちを悉く討ち取ったのに、勝頼を逃した信長だろうな。

やはり、徳川と武田の拮抗関係を最低限のレベルで維持しておきたかったんだろう。
中国方面でいよいよ秀吉が毛利本軍と戦い出して、目処がついてきた辺りでやっと背後の憂いを絶つ為に天目山まで追い詰めて滅ぼした。
そして、家康を本国から引き離しておいて(安土から堺)、ようやく西に向かうことになったが・・・。


102 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:00:47
猿は山に帰って逝った

103 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:12:20
その頃、西の猿は、そろそろ天下取りを考え出して逝った。

104 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:26:38
長篠ネタなんて、もうネタ切れ

105 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 21:50:26
戦略、戦術、作戦 の区別も付かずに、軍事を語る歴史ヲタ

106 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 22:02:01
>>105
近代戦ばかりじゃないからな。


しかし、前スレでも盛り上がったのは200レス程度だから、多分このスレも失速確実。


107 :日本@名無史さん:2007/08/26(日) 22:40:28
確かに長篠の合戦なんて、現在ホットな話題でも何でもない。
何で「何なの?」スレが末期にあんなに盛り上がったのか。

数人だけがバトルしていたようだな。

108 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 03:46:30
>>100
そりゃ、国力の大きい信長Aでしょう。
信長Aの領国を全部併呑できれば信長Bは叩き潰すも調略でガタガタにするも威圧して降伏させるも思い通りですから。

109 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 06:55:40
 


110 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 07:16:17
>>101
確かに7年も放置していたのは、そういうことだったんだろう。
勝頼も黙って引っ込んでいた訳ではないからね。徳川との拮抗状態は維持できたといえるだろう。

しかし、この時期の信長は、ほとんどもぐら叩きをやっている状態、あちこちを見ながら戦略を練らねばならない。
こういうやり方の天下統一は、やっぱり辛いね。日本中を敵に回すやり方。
だから人事にも無理が出る。ついて行けない林や佐久間をリストラ。そして光秀への対応。

その結果が「本能寺」。

111 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 10:33:17
>>101
>>110
衝撃的なほど低レベルw
長篠では重要な武将も少なからず逃亡に成功しているし、そもそも
最前線の武将ならともかく、後方にいる総大将って一番討ち取りにくいに決まっているだろうが。
それを打ち洩らしたのが謎って!?なんですか、それは??

武田を滅ぼせるようになったのは岩村城や高天神城などを攻略して武田を弱らせた上、
重臣の木曽、穴山の寝返りがあったから。
大勝したとはいえ山国の甲斐・信濃にそう簡単に侵攻できるわけがないだろうが。

徳川と武田の拮抗関係とか、徳川を本国から堺に引き離しておいてとか・・・。
家康を何年も堺で監禁するつもりだったとでも??

112 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 14:11:36
信長が長篠に援軍を大量動員できるようになったのは、伊勢長島の一揆勢を殲滅したからだが、
本願寺+雑賀はまだ健在であり、また勝頼は動因可能な兵力を全て率いてきたわけではない(わずか一万弱)、
そのまま進撃すれば、朝倉を滅ぼしたように武田も滅びる可能性もあるが、
補給線が伸びきったところで新手の武田兵の攻撃を受け、敗北するかもしれない。
また、このころは北条との同盟もあるので織田が甲斐にまで侵攻すれば、
北条が参戦してくるかもしれず、慎重を期したってことだろう。

後の武田征伐時点では、本願寺は大阪退去、北条とは敵対、同盟の上杉は越中で
柴田軍団の攻撃を受け、援軍を送る余裕なしといった状況。


113 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:07:49
>>111-112
まあそう興奮するなよ。
落ち着いて、もう一度「具体的に」書いてごらん。
もう一回、待っててやるよ。


114 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:13:33
>>113
アホだなw こいつ お前カエレヨw

115 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:13:59
騎馬軍団の次は柴田軍団wwwwwwwww

116 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:38:13
傍からお節介すまんが、せっかくの学問板なんだから
論理的な罵りあいは良くないと思うぞ。
漏れが代りに>>111を「落ち着いて」「具体的に」書き直してみるから(別に内容は全く変らんが)
>>113さんは余計なあおりを書いてないで、「真面目に」「論理的・具体的に」反論してみろ。


>>101
> 長篠の最大の謎は、・・最後の追撃戦で重要な武将たちを悉く討ち取ったのに、勝頼を逃した

長篠では重要な武将も少なからず逃亡に成功している。「重要な武将たちを悉く討ち取った」というのは事実に反する。
それにそもそも後方にいる総大将って一番討ち取りにくいに決っているから、
勝頼を逃したというのは別に「謎」でも何でもない。

> 徳川と武田の拮抗関係を最低限のレベルで維持しておきたかったんだろう。
信長が長篠の後、武田を滅ぼすのに何年もかかったのは、
「徳川と武田の拮抗関係」などという種類の問題ではなく、単に「滅ぼすことが不可能だった」から。
最後に武田を滅ぼせるようになったのは岩村城や高天神城などを攻略して武田を弱らせた上、
最終的に重臣の木曽、穴山の寝返りがあったからだ。
いくら長篠で大勝したとはいえ、山国の甲斐・信濃にそう簡単に侵攻できるわけがない。
「徳川と武田の拮抗関係」などという悠長なことを考えている暇は、信長にはなかったと思われる。

117 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:39:19
すまぬ

×論理的な罵りあいは良くないと思うぞ。
○非論理的な罵りあいは良くないと思うぞ。


118 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:47:59
どうなんだろ。
具体的って、例えば、
「長篠では重要な武将も少なからず逃亡に成功している」
ってのは、誰々か? とかそういうことではないのかな?

前スレでは信長公記が良く使われたけど、これだと
山県、真田、土屋、甘利、高坂、馬場・・・といった諸将は討たれている。
(他にも沢山書いてあるが、ご容赦)
それに、これは>>101とかというより、通説だから、通説を否定するのは、かなり具体的に論証しなければ説得力がない。

そういうことなんじゃ?
落ち着いてね。マジで。



119 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 22:59:50
>>118
ついでに他の項目についても反論してくれ。

120 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:12:11
例えば穴山信君、武田信廉、跡部勝資などは生きのこっているから
「重要な武将たちを悉く討ち取った」というのは正確ではない、
と言われれば、その通りだと言わざるを得ない、と思う。
しかしまあかなり多数が討ち取られたことに違いはないのだから、
その辺の言葉遣いなどは些細なことでしかないだろう。

むしろ問題とすべきは、

> 勝頼を逃したというのは別に「謎」でも何でもない。
>「徳川と武田の拮抗関係」などという種類の問題ではなく、単に「滅ぼすことが不可能だった」から。

この辺についてだろ。

121 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:15:46
>>119
うーん、漏れは>>101じゃないからね。ただ読んでみて>>111の冒頭はやっぱり違和感があった。

漏れ自身は、武田が崩壊した理由は、そのとおりだと思う。
付け加えれば、動員が一万五千は一部とかあったが、武田は織田のように兵農分離が進んでいないから、そうとう無理な徴発をやっていると思う。

勝頼の生還は結果論とも思えるけど、展開的には討ち取られても不思議ではないような気がするね。
しかし、実際に国主が野戦で討ち取られた例は、今川義元や斎藤道三、安芸武田の方の武田元繁とか、余程の不覚を取った場合で、長篠はそこまで勝頼は深入りしなかったとも言える。

でも7年間もそのままで、天目山の戦いで滅ぼしたというのは、多くの人は「そんなに長く生き残っていたの?」と感じると思う。
北条・織田・徳川の共闘体制が出来たから実現したとも言えるし、信長が西に向かう前に片付けようとしたとも言えるね。

反論するつもりないから、すべて反論にはなっていないけど、漏れの考えはそうなる。


122 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:23:56
>>111>>112>>116


123 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:28:23
>>118
え?重要な武将が悉く討たれたというのが「通説」?
それは驚いた。
ではリクエストにお応えして信長公記から。

1番隊山県昌景→戦死
2番隊武田信廉→生還
3番隊小幡信貞→生還
4番隊武田信豊→生還
5番隊馬場信春→戦死

一門の重鎮、武田信廉や信豊、西上野の大豪族、小幡なんかが生き残ってるが。
彼らは「重要な武将」ではないとでも?その他にも一条、穴山などが生還しているが。
あんたは具体的な論証なしに、自説を一方的に「通説宣言」してるだけ。
そして相手には具体的な論証を要求すると。

124 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:30:40
確かに。>>121の国主が野戦で討ち取られた例は説得力があるね。
国主は国の支配の根幹が揺るがされ、追い詰められて自刃する、という例の方が多いだろう。
事実、天目山の武田勝頼の最期もそんな感じだ。

125 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:35:16
>>123
漏れは要求したわけじゃないよ。ただ、「具体的」とはそのような意味じゃないかと思ったのと、通説を知る限りでは多くの諸将が討たれたと認識されている。
ちなみに、その一覧の「小幡」は信長公記では討ち取られた頸に入っているね。
それは、明らかに間違いでは?


126 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:37:13
>>121
自分も>>111でもないので弁護するいわれもないが、

> 動員が一万五千は一部とかあったが
信玄西上時は2万以上出しているはずだから、
もっと大きな版図を有していた勝頼の一万五千は一部だろう。

> 多くの人は「そんなに長く生き残っていたの?」と感じると思う。
そう感じがちだが、冷静に考えると
やはり信長が直ちに武田を滅ぼすのは不可能だった、と考えるのが妥当だと自分は思う。

あと
> 勝頼を逃したというのは別に「謎」でも何でもない。
これは正に「謎」でも何でもない、と思う。
自分には>>101の冒頭はやっぱり違和感があった。

> 反論するつもりないから
了解。
>>113 さんに、きちんと反論してもらいたいな。


あと何かというと>>122みたいに、同一人物扱いしたがる人がいるけど
こういう人って何考えてるのか全く意味不明だ。
きっと、人と真面目にものを論じあったことが、ないんだろうな。

127 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:37:30
武田側の犠牲者が増えたのは中央の武将たちが退却したから。
だから両翼の武将が大勢戦死したんだよ。


128 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:42:23
>>126
漏れも了解。そして最後の部分にも禿同。
却って目立つみたいだから漏れもageモードで書いちゃうけど、匿名掲示板だから、例え同一人でもレスは個々に問題にすべき。
アンカーつけていれば、それで繋がるしね。それ以外を同じだ、違う、なんて言っても始まらない。


129 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:49:08
7年間も? という感じは、まさにTVドラマや映画の影響じゃないかしら。
だってその間なんて、ドラマはまず描かないで端折っちゃうし。

130 :日本@名無史さん:2007/08/27(月) 23:54:31
信虎の甲斐統一から数十年かけて成長してきた武田家が、
長篠からわずか7年で滅亡したわけだな。

131 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:08:37
人間五十年

132 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:12:51
五十年が夢幻なら、7年なんて一瞬だよなw

133 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 00:16:08
…であるか。

134 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 02:26:17
織田家の滅亡は本能寺以降はどれくらい?

135 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 03:09:55
織田家ってまだ滅んで無いだろ。織田信成がいる。

136 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 03:16:47
マジレスすると
「秀信は豊臣政権下では美濃国岐阜城主となった。関ヶ原の戦いにおいて秀信は西軍方に属したため改易されて、その死によって信長の嫡流は途絶えた。」
らしい。
つまり戦国大名としての織田家は関ヶ原の戦いで滅んだから本能寺以降20年ほどかな。

137 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 06:13:22
7年とはアブラゼミの一生

138 :日本@名無史さん:2007/08/28(火) 07:25:28
諸行無常 盛者必衰の理

139 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 01:33:50
>>125を基に>>123の表を修正すると、以下のようになる。

1番隊山県昌景→戦死
2番隊武田信廉→生還
3番隊小幡信貞→戦死
4番隊武田信豊→生還
5番隊馬場信春→戦死

つまり、生き残りは、武田勝頼、信廉、信豊だ。何のことはない。

簡単なこと。武田一族は、譜代の諸将を捨てて逃げた。譜代の諸将は間違いなく、大半が討たれた。
これが、長篠の真実。こんなやり方では、離反者がその後相次いだのは当然。
武田はいつでも潰せる状況だが、信長は武田ばかり相手にしている訳ではない。従って放置だ。

信長は、北条や徳川に、甲斐・信濃を切り取り次第にさせてはならない。これが拮抗状態ということ。
しかし、これは却って家康には幸いした。徳川は、領地を切り取る代わりに武田配下の調略にかかった。
天目山の戦いの後も、信長は武田旧臣の殲滅を図っているが、家康は対照的に迎え入れている。
これが、後の井伊直政の配下などに組み込まれた。結局徳川を強大にしてしまった訳だ。


140 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 02:09:42
こんなやり方ではって・・・
家臣が先陣で戦って、大将・一族衆が後詰というのは当時の戦いではありふれたことだと思うぞ。
負け戦になれば家臣が盾になって主家を逃がすのは武家社会ではあたりまえ。
大将も一緒に切り込むという変態もいることはいるが。

武田はいつでも潰せる状況というのも大いに疑問。
信長が美濃→木曾ルートを確保するまでは武田に攻め入ることができなかったでしょ。
苦手な森での戦いで痛い目にあってる。
武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。

141 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:23:02
本当のところだよって・・・
そんなのどうしてお前にわかるんだよ!w

142 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:24:17
普通、負け戦になれば、殿(しんがり)が犠牲になるが、それは主家だけでなく、他の家臣たちも逃がす。
長篠の武田の場合、これは見るからに酷いね。
例えば、三方ヶ原で大敗した家康の逃げ方、金ヶ崎で挟撃に遭って逃げた信長と比較しても。
主家を逃がすのは、その後の立て直しを望むからだろうが、主家だけ逃がしても立ち直れないね。
ちなみに、「忠孝」という倫理観で考えるのは、江戸時代に朱子学が普及してからだから、戦国時代はそのようには考えていない。
むしろ、立ち直れないのなら(いたいけな子供である場合ならともかく)、共に死のう、というのがまだ見られるパターンだね。

>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。


143 :142:2007/08/29(水) 07:25:42
あ、たまたま重なったけど、141とは別人です。

144 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 07:48:30
>>139
アホ○だし
小幡信貞は武田滅亡後まで生きていた。
はい、前提が無茶苦茶でした。最初からやり直し。

長篠では家臣たちが必死になって主君を逃がした。
武田の結束力の強さが窺われるね。

145 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 11:49:14
>>139
小幡信貞をかってに殺してるのはご愛嬌として、
親類衆がろくな働きをせず傍観し、かってに戦線を離脱したわけだが、
長篠戦の後、勝頼は高遠城に退却して、すばやく上杉と和睦し、
越後勢への押さえとして1万弱の兵を擁して海津城にあった高坂昌信の部隊と合流している、
長篠で敗れた将や兵も三々五々終結してくるので、長篠での兵力を上回る数で決戦できる
可能性もある。

>>142
武田崩れのときとは全く条件が違うだろう。
本願寺は大阪退去、毛利は押し込められて後背を気にする必要はない。
北条と武田は戦闘状態にあり、唯一同盟関係の景勝は越中での柴田軍団の攻勢で
支援する余裕はない。勝率99%だろう。



146 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:31:39
必死になって主君を逃がすような負け戦をしかけた戦犯は誰?

147 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:49:34
>>146
主戦論の一条信龍か。 適当な知識ですまん

長篠の戦いが1575年、武田家滅亡が1582年。
確かに武田家は弱体化したが滅亡するまでに7年かかっている。 武田家が簡単に潰せるほど大きな弱体化はなかったんじゃないかな?

148 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 12:50:13
山本勘助じゃね?

149 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 13:37:39
通説では明智城や高天神城を落とし、意気あがる猪武者の諏訪四郎勝頼が
重臣のいさめを聞かずに攻撃を主張?、戦犯は自分?

150 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:41:47
>>146
またまた衝撃的なほど低レベルw
こいつら、夏休み終了間際のガキばっかりw

主君のいう事は武家社会では絶対なんだよ、前にも書いたろ。同じ事を言わせるな。
大した負け戦ではない。ほとんどの重要な武将は生き残っている。
むしろ、引き分けといっても過言でないくらいだ。


151 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 21:51:19
【元祖?】ブラパン婆パンまったり【在米組】

http://life8.2ch.net/test/read.cgi/northa/1187811106/l50

黒人好きの日本人女性が怒るスレ


152 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:12:18
長篠の合戦は引き分けwwwww

153 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:21:02
>>150
それはさすがに言いすぎ。

154 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 22:25:25
>>150
バカ発見!

155 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:00:27
>>150
何というか、こいつの目的は一体・・・?

156 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:06:30
>>150
だから、賛否はともかく、
>>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
>それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。
という説明を伺いたいんだけど。勝率99%とか、引き分けとか、もう訳ワカメ・・・



157 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:10:38

さてはこいつが>>150だなw

158 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:13:45
アホ○だしさからして
>>144 = >>150

159 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:15:52
逆手に取るような奴が出てきたから言うが、自分は確かにageたりsageたりして書いた。
それで、傍からお節介、みたいにも書いた。
それは、論議したかったからで、荒らそうとしたのではない。
>>150は違う。自分が書いたのではない。

160 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:16:10
釣れた!と言い出しそうな>>150

161 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:17:50
>>158
小幡信貞戦死の件で赤っ恥をかいた奴

162 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:18:18

さてはこいつが>>150だなw


163 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:19:27
>>159
なんで>>145>>150だと思ったの?
説明が欲しいな。

164 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:22:37
漏れは>>128でも書いたけど、どれが誰もレスでも構わない。
でもアンカーは信用しないと、対話にならないよね?

それを利用して欺くのは、いくらなんでもどうかと思う。
もういいよ、説明してくれなくても。まともに読もうとしたら、バカを見る。


165 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:25:08

突然被害者ぶるやつw

166 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:27:39
>>159
それが最大の荒らしだっつーの!

167 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:30:14

荒らしはお前じゃw

168 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:30:31
>>165
突然って、前からそう書いてるよ。
もういいよ、誰が誰か分かったもんじゃないな。あんたも含めて指すつもりないから。


169 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:32:11
この「↑」をつけている奴が、一番怪しいな
「w」をつけるのって、一種の癖だから

170 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:33:26
>>169
よく分かっているじゃないか、怪しいなw

171 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:34:10

本人乙w


172 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:36:27
どうでも良いが、何か「万人の万人に対する戦い」って言葉が浮かんだな・・・


173 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:41:17
むしろ「荒らしの荒らしに対する戦い」とおもわれ

174 :日本@名無史さん:2007/08/29(水) 23:44:08
ま、>>150という怪しげなレスをつけたのは、>>150の内容とは逆の意見を持った者が装ったのは間違いない。
しかし、それに釣られて、当人もとうとうそれまでの自演を白状したんだから、どっちもどっちだ。


175 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 01:52:28
>>武田を放置したのは甲斐に攻め込む自信が無かったというのが本当のところだよ。
>それでは、天目山の戦いまでに、どのようにして「自信」をつけたのか、説明してね。

これは>>145で十分説明されてるだろ。
1575年当時の織田は敵が多すぎて甲斐を取る体力が無かったんだ。
反織田勢力を片付け、徳川に遠江から圧力をかけさせたり、武田側の国人を調略して弱らせてからやっと武田が滅ぼせたのではないのかな?
信長は長篠の戦のあとにそのまま攻めるのはリスキーすぎると判断したんだろうね。

176 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 06:10:12
俺は夏って言葉が浮かんだな

177 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 07:28:01
>>175
たぶん、今までも含めて、説明している人は理解した上で書いていると思うが、訊いている人と認識がずれているのは、その判断を「いつやったか」ということではないか?
長篠での戦況(織田・徳川軍の戦闘結果の圧勝)と戦果(勝頼を討ち取っていないこと)のギャップを、質問している人は感じている。

結論から書くのなら、信長は出陣する時点で、戦争目的を明確にしているはずだ。それは、
1.長篠城を救援・解放すること。
2.武田軍に致命的な打撃を与えること。

当然、戦況により、作戦目的を変更・拡張することは考えられるが、それは、目前に無抵抗の勝頼が現れるとか、或いは今川義元みたいにすっかり油断してしまっている場合などの極端なケースしかあり得ない。
(ちなみに、桶狭間の場合は、「劣勢の根本的な挽回・一発逆転」というのが戦闘目的なので、清洲を出陣する時に義元の首を取る事を既に考えているはず)

だから、長篠の戦いにおいても、上記1.、2.の目的を達したのだから、これで終わり。凱旋ということになる。
信長だけでなく、まともな総大将は、戦争目的を逸脱するような事を、良くも悪くもやらない。
武田信玄も、三方ヶ原の戦いの際、浜松城の城攻めなどしないし、圧勝した後も過度には追わない(あわよくば、というのは考えなくもないが、極めて慎重だ)。これは「上洛」が作戦目的=戦略だからだ。

目的をやたらと逸脱するような武将は、それだけで二流以下。台頭する前に大抵淘汰されてしまう。
これを押えておけば、戦況だけで「何故?」とは思わないと思うが、如何かな?


178 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:11:30
だから、三段撃ちだったんだなw

179 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 08:33:52
ちょっと話がずれるが、信長って、生涯、
追撃っていうものをほとんどしてないんだよね。

例えば、桶狭間。勝ったついでに今川領になだれこめば、
三河くらいとれてただろうに、勝っただけでよしとしてる。
姉川の合戦にしてもしかり。乾坤一擲の追い討ちをかけたのは、
朝倉義景を滅ぼしたときくらい。

どちらかというと、長島一向一揆や摂津有岡城攻めのように、
完全に孤立無援になって、100%勝てるときになってから、
総攻撃をかけてる場合が多いように見えます。

180 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 09:36:20
>>179
桶狭間の時の織田は兵力が少なくて、三河もぎ取るのなんか到底無理だよ。
尾張国内の今川軍すら追い出せなかったくらいだから。
信長は基本的に安全志向。ときどき極端な行動をとることもあるけど、
彼は本来猪武者じゃないよ。

ごく一部、ゲームと現実がごっちゃになってしまっている人がいるけど、
大勝したからといってそう簡単に敵を滅ぼせるわけじゃないんだよね。

181 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 13:37:00
信長って謀叛に甘い気がする
松永久秀とか柴田勝家とか。


182 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 15:32:07
勝家って謀反おこしたか?

183 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 16:17:20
>>182
謀叛じゃないけど信行について信長倒そうとしたけど結局信長は勝家を許したじゃん

184 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:00:09
>>183

いやいや、そうともいえませんよ。
現に、林通勝は20年もたってから処罰されてるし。
なぜ処罰されたのかは永遠に謎だが、私は、信長って、
とてもしつこい性格だったんじゃないかと思ってる。
すなわち、その時は処罰したくてもできなかったから、
我慢して利用し続けて、「もういなくてもいい」と
なったときに、「積年の恨み思い知れ」なんて・・・
証拠も何もないけどね。

ところで、何で謀反するんだろ?誰がどう見ても
信長についてたらこの先出世できるのに、
なぜわざわざ負けるほうに味方するのか?
佐久間信盛をみて、もう出世できない、と思うから?
それとも、「こんなのに天下を取られたら、
俺なんぞ息が詰まって生きていけない」と思った?

185 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:13:24
信長はポルトガル、スペインから西洋式軍艦製造技術と大砲製造技術を
教えてもらえば毛利水軍はもとより薩摩制圧も容易にできたんじゃないかな?

さらには明、朝鮮はもとより東南アジアへの進出もできたんじゃないの?
北海道、シベリア、アラスカとかへ進出もロシアより先に行けたんじゃ?

186 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 17:28:30
>>185
こんなところへ来るのは最低でも、歴史と地理の
義務教育課程を履修してからにしましょうねw

187 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 18:09:21
>>184
自分はそのあたりは単にいい働きをしなくなって用済み&領地が増えて高給取りが増えたからと考えてる 根拠はないですが。
裏切るのもストレスとか信長の革新的な考え方に合わなかったとか…

188 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:06:27
>>185
主語を信長から毛利輝元にでも前田利長にでも上杉景勝にでも変えてみればいい。
お前の論理だったら信長に限らず誰でも東アジアを制圧できる。

189 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:13:09
>>184
そういうイメージで語る事が、武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した
につながるのではないでしょうか

190 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:36:41
>>187
おぢちゃん のぶながの どこが かくしんてきなのか
ぼくにも わかるように おちえてね

191 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 20:47:46
また今夜も>>150の自演か

192 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:42:54
やっぱり信長が人気だな。
前スレとは違って、スレタイでは、武田騎馬軍団が主語なんだが。

193 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:49:22
>>192
旧態依然とした武田の騎馬軍団を、革新的な鉄砲三段撃ちで全滅させた開明君主だからな。
そりゃ人気あるだろ。

194 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 21:50:21
>>190
信長が革新的なことを否定するのか?
光栄のゲームのタイトルにもなっているというのに。

195 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:06:08
だから なにが かくしんてきなのか ぼく わかんないの

196 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:07:42
わかんなくていい。

セックスが出来るようになったら、もう一回来なさい。

197 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:46:31
ク、クソスレに相成り申したぁぁああああ!!!

198 :日本@名無史さん:2007/08/30(木) 22:50:27
 


199 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 00:39:33
光栄のゲームのタイトルにもなっている信長が
最も革新的な風雲児だったことは明らか。
当時ヨーロッパでさえ行われなかった先進的な鉄砲三段打ちで武田騎馬軍団を殲滅し、
古い宗教勢力を徹底的に否定し、
日本人離れした大きなスケールをもって
新しい外国の文物にしたしみ、
因習に囚われない革新的な政策で雄飛しようとした
天才であることは明らか。
現代でも多くのざっしで特集され
ビジネスマンたちの善き手本になり続けているのがその証拠。
もし最終的に天下をとったのが陰険・卑屈な家康ではなく
信長であったなら、
日本人は海外に雄飛し、
西洋と対等にわたりあう国際人になったであろう。

200 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:13:24
何だかポエムみたいだね。

201 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 01:15:25
男のロマンの憧れ
夢の聖地
それが織田信長。

202 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 06:26:29
 

203 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 07:06:55
>>179
これも、「戦争目的=戦略」という観点で考えてみれば、分かる。

桶狭間は、とにかく自分が滅亡の危機に瀕しているのだからそれを打開すれば良く、これは大成功だ。
それと、尾張を統一した信長の視点は西に向かっていたはず。上洛というのはまだまだだが、取り敢えず美濃。
そんな時に背後から、しかも怒涛の進撃を食らった。今川義元が上洛しようとしていたという考えは、現在では否定的だが、一気に上洛という考えではなく、支配国を広げながらのその先の上洛を夢見ていたのだろう。
撃退しただけでも御の字だが、義元の首を取れた。ただ、ここで東に向かう選択はない。
そこで、松平元康と提携する道を選んだ。信長が三河、遠江と進むようでは、並の戦国武将。

上洛の際、浅井長政と提携したのも同様。しかしこれは金ヶ崎で裏目に出る。
戦略が達成できなかった例だが、この時は早々に退却。同様の判断が、長篠の戦いにおける武田勝頼に早く出来なかったのが、被害を大きくする原因となった。

長島の一向一揆の場合は、戦争目的が「平定」。しかも、特定の武将ではなく、一揆の発生そのものを抑える必要があるため、徹底的な殲滅、掃討の徹底をせざるを得なくなる。
有岡城は、裏切りに対する報復だから、戦果を内外に見せつけること、荒木村重に対して制裁を発動する必要がある。

反対に、上月城の場合は、秀吉と協議の上、見捨てているような場合もある。

戦略を持ち、その戦略を達成するために戦いを行う。これは、信長が一流の「政治家」である証だ。




204 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 09:36:00
天王寺合戦では明智ら諸将を救援したばかりか、一向衆に怒濤の追撃かまして
石山本願寺に逃げ返し、すぐさま砦を築いて包囲戦に突入したりと、とにかく
判断力が半端ないな。

205 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 10:03:32
信長はときどき火病を発症するからね。

206 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 10:51:30
>>204
まあね、時々いい判断をすることもあるが、くだらぬ敗戦もある。
斎藤義龍には負けてばかりだし、義龍が病でポックリ死ななければ
尾張から一歩も出れなかっただろう。桶狭間もラッキーパンチだしね。
でも、運があったことは認めましょう。

207 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 11:00:11
>>206
>斎藤義龍には負けてばかりだし



208 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:01:04
義龍は最後越前で戦死だろう。
テラカワイソス

209 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:21:24
でもさ、イメージ的に義龍って畳の上で病死って感じじゃね?
戦死ってキャラじゃないような。

210 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 21:59:03
>>208-209
それは、「龍興」の方だ。最近、不正確な情報が飛び交っているぞ、このスレ。
うろ覚えだったら調べるなりして、せっかく書きたいことがあるなら正確に(少なくとも嘘ではない内容を)書こうぜ。
中には信じてしまう奴もいたりする。

義龍は病死だろう。龍興は竹中半兵衛に城を乗っ取られた愚将で、戦国大名斎藤家は龍興で滅亡。
龍興は三好に与したり、都をウロウロしたりしていたが、朝倉に与して(配下というより勝手に参加)織田信長とのいくさに望んだが、敗れて退却する際、刀禰坂で討たれて死んだ。
元戦国大名の哀れな末路だ。享年26。


211 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:00:53
望んだ→臨んだ、スマソ

212 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:02:08
>>210
× 中には信じてしまう奴もいたりする。
○ 中には釣られてしまう奴もいたりする。

213 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:05:35
>>208
それは義龍の子の龍興。


214 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:35:11
遅い!もうガイシュツ

215 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:38:07
そういえば織田信長って家来に謀反起こされて切腹したらしいぞ。

216 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:43:54
長篠の合戦に関しては、54迄で結論出てるね。
それ以上、どうこう言いようがない。
次行くか?

217 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:45:37
>>216
>>54

218 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 22:56:45
もともと武田の一万5千の兵は長篠城を攻めるための兵力だ。
決戦を意図した兵力ではない。
上杉謙信がこの戦いを評して言った言葉だが、
「じっとしていれば相手が退散するしかなかったものを」と。
多分武田も陣地を固く構えて動かなければ、負けはなかっただろう。
それが動いたのは、はやり謀略があったのか?
鳶の巣以前に勝敗が決した可能性もあるように思うが?

219 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 23:28:25
>>218
合戦に至るまでに、武田方がいろいろと挑発した可能性はあるようだ。
例えば、徳川の築山殿を籠絡させて武田方に内通させようとしたとか。
これは、最近では濡れ衣で、実は徳川家臣内の石川数正と酒井忠次の対立が背景にあったとかいろいろ取り沙汰されている。
そうした動きに、史実は不明だが、直接徳川と対立していた武田も一枚噛んでいた可能性はある。
武田勝頼は、一応、表の戦略は、城攻めによる版図拡大を進めていて、長篠城もそのひとつ。
それと裏面では、いろいろ謀略を巡らせていて、いつか信長・家康との直接対決で一気に雌雄を決しようという抱負もあったのではないかと思える。

それともうひとつ、長篠城包囲戦の少し前に、武田方は徳川領に侵入し、「青田刈り」をやっている。
徳川の若手をスカウトしたのではなく(^^)、文字通りの青田刈り。すなわち収穫前の稲を刈り取ってしまう。
これは領民にとってはたまらない。これをされて黙っているような領主なら、領民がついて行けない。
青田刈りは、最も陰険で、しかし効果的な「挑発手段」だったらしい。
これをやったら、家康が出てくるだろうし、信長が出てくる可能性も高い。

そして長篠城救援の為、本当に信長・家康本人が出てきた。前スレでも言ったが、これは千載一遇の機会。
やはり、そこまで両人が来ているのに、攻めるなというのは酷かも知れない(山県などの重臣は諌めて退却を進めたという説もある)。
元々武田は、信玄の時代から謀略は日常茶飯事。勝頼からすれば、まんまと誘われて出てきたな、信長、家康!
今日こそは・・・ というのもあるかも知れない。
気持ちは高ぶるだろうし、逸る可能性大。


220 :日本@名無史さん:2007/08/31(金) 23:53:07
>>218
>>219
一万五千って、何か中途半端だね。
長篠城兵は500程度じゃなかったけ?
それにしては人大杉。

そして、信長・家康本人が出てくるなら、2、3万。或いはそれ以上動員して来るだろうことは容易に想像できる。
単なる城攻めにしても、決戦を想定したとしても、おかしな一万五千。だから中途半端。

想像だけれど、本当は勝頼はもっと動員してくる予定ではなかっただろうか?
もちろん、決戦説。しかし、度重なるいくさで甲斐・信濃は疲弊しており、目論んだだけの動員はできなかった。
そこで止めておけば良いのに、遂に実行してしまった。始めからかなり無理な計画だったのではないかな?
武田の老臣たちが諫止したのを、ミハタタテナシで強引に従わせた、なんて話は、事実かどうか分からないが、進め方が無理な状況認識はあったと思う。


221 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 00:11:15
>>216
おいおい、次へ実際に逝っていたのに、元へどころか、合戦前夜まで戻っちまったぞ!


222 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:13:24
じゃあ、それを元に戻そうかw

武田騎馬軍団は、鉄砲三段撃ちで全滅した。


223 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:19:51
全滅もなにも騎馬軍団なんてはじめからないし

224 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 04:23:00
柴田軍団は、存在したのか?

225 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 07:27:55
武田が負けという事実は変わらん。なぜ負けたのかそれが重用。
誰がこんな結果を招いたのか、ここを追求しなさい。

226 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 07:37:45
>>225
お前のせいだ

227 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 11:37:02
>>225戦局をしっかりみていなかったからだ。
第一次攻撃が失敗した段階で見直すべきであった。それを無視して全く同じ方法で押していったのでは、
敗北をかさねるだけであるのは当たり前である。
おそらく総大将は本陣に幕をはりめぐらせて、戦場など全く見ずに指示をしていたからであろう。

228 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 12:15:30
>>225
武田の諸将がほとんど討ち取られた。

229 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 12:18:44
テレビや映画をみての話だが、家康は姉川でも関が原でも、やぐらを組んでその上から戦場を
みながら指示していたっけ。
信玄は幕内にドンとかまえている印象がある。

230 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 12:23:54
戦場の大権現は激情型

231 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 13:52:53
山は動かんぞ

232 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 13:53:29
>>229
追加 その息子の勝頼もおそらくそうだったのでは、
つまり戦場での武田家の伝統であったと。

233 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 14:01:55
そこまで動かんのなら、ロデオボーイUでも使えばよい。
いい運動になるよ。

234 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 14:06:59
>>229
桃配山の家康も幕内にドンと構えているドラマもある。
そういうの、単なるイメージだから。

235 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 14:32:48
ク、クソスレの・・・・・・予感!

236 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 18:33:01
>>221
そだなw
武田が15000で長篠城を囲んで、織田・徳川4万が来たところで勝負ありだ。





終了




237 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 18:34:50
>>220

確かにいわれてみればそうですね。なんとも中途半端。
因みに、武田にはあと3万の動員兵力があったのだけど、
信長と同盟していた謙信が背後から脅かしたために、1万5千以上動かせなかった。
(戦後、信長が謙信に、「おかげで勝てました」という手紙を送ってます)
でも、その1万5千で500の長篠城をおとせなかったのだから、
中途半端と言えなくもないかも。案外、まず長篠をすぐに落として、
そのまま浜松へ攻め込み、信長が来る前に家康をやっつけようと
したのかも。全くの推測ですけど。

238 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:00:29
もう史実は出尽くした観があるから、いろいろ仮定しても良いかとも思うけど。

もし武田が長篠城の包囲を固めて、勝頼の本陣もそれと一体をなしていたらどうだろう?

酒井忠次の軍勢4000が鉄砲をもって攻めてきた。が、武田軍は被害は出たが15000の兵力で撃退。
ついで、佐久間信盛辺りが第二陣を率いてやってきた。が、騎馬隊が出撃、追い散らして退けた。
深入りせずにやっていれば、長篠城がそのうち落城。奥平貞昌は自刃して、武田入城。
その後も粘り強く、武田は城の周囲を固め、織田徳川勢を受けては退けを繰り返した。

信長なら、それ以上無駄な戦闘はせず、諦めて撤収しただろう。家康も長篠城落城で奥平救出に失敗した時点で諦め。
出直すことにしたと思う。

馬だろうが、鉄砲だろうが、このような戦い、結局は守備を固めてみだりに兵を動かさない方が結局は勝利したのかも。



239 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:19:49
そして、家康の長女亀姫は武田方に捕らえられ、散々犯された挙句人質として甲斐へ拉致された。
設楽が原には、結局使われることがなかった馬防柵が、空しく残されたw


240 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 19:49:52
>>238
それが両軍とも徹底していたのが小牧・長久手の戦い。
だから、小牧山では、10万対2万なのに、秀吉も家康もまったく動じなかった。
そして、焦って出撃した秀吉側の三好秀次や池田勢が長久手で辛酸を舐める事になる。

戦闘は家康の勝利。しかし、秀吉はその後の外交策で家康を臣従させた。
こうなってくると、政治力がものをいう。もう戦国末期では、戦闘力より、政治力、そして優れた政治家が勝利するようになって来る。

織田信長と武田勝頼では、政治能力では比較するだけ野暮。たとえ長篠城攻防戦の展開が逆になったとしても、最終的な信長の勝利は動かなかっただろうな。


241 :サガミハラハラ:2007/09/01(土) 20:09:09
もし勝頼が、越後に備えた兵もよんで3,4万の兵を率いてたたかったところで、同じような突撃をくりかえしていれば、結果は同じであろう。
その場合の勝機の一つは織田徳川方の弾切れということになる。
もう一つの勝機は、5段に分けたというが、その場合1段は6,7千ということになる。
相当数が馬防柵までたどりつくことになる。
一部が柵を破り中まで突入できたとして、その間鉄砲隊の斉射を受け続けることになり、鉄砲隊に打ちかかろうとするところで、槍隊や武者にはばまれるであろう。
織田徳川軍はそこまで計算していたであろうから、結局は失敗であったろう。
しかし、武田軍の第5段目の攻撃は、まさに味方の兵の死骸が累々とし、負傷者のもがき苦しむ中を突撃するのであるから、その恐怖心たるや相当のものであったろう。
まさにやけくその突撃であり、勝つもなにも考えられない状態、ただしゃにむに前へ進むだけであったろう。臆病者といわれたくない一心の。

242 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 20:22:23
多分、設楽が原の本陣前の鉄砲は、決め手でさえないように思えるが。
まずは長篠城の救援。これが酒井忠次の1回で成功してしまった。これがダメでもまた繰り返したと思う。
その為の4万前後もの織田・徳川軍の大軍勢だ。鉄砲だけで決戦してうまくいくと思っているのなら、そんな軍勢は必要ない。
鉄砲隊は、長篠城救援の軍勢を有する本陣であるベース・キャンプを防備する守備隊だ。

また、長篠城を包囲を崩され、突破された武田攻城兵も、あろうことか勝頼本陣と合流せず、先に鳳来寺方面へ撤退してしまっている。
この動きが不可解だね。主君はどうでも良いのか?
信長・家康と、勝頼では、自軍の統率力でも雲泥の差だと見える。


243 :サガミハラハラ:2007/09/01(土) 20:33:15
確かに信長にとって、武田が後先考えずにただひたすら突撃だけを繰り返してきたのは、
嬉しい計算違いであったかもしれない。

244 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 20:48:47
一応、なぜ織田軍団が4万なのかといえば、何しろ梅雨時で鉄砲が使えなかったり、
それ以前に前代未聞の戦法だから、もし鉄砲で勝てなかったときのための予備兵力
というのが定説とされています。そもそも、甲州兵一人で三河兵三人、尾張兵なら
五人に匹敵する、とまで言われたほどに精強な武田騎馬軍団。
信長としてはこれでも心配だったでしょう。結果から見ると勝頼がバカそうにみえますが。

あと、前に誰かが書いてたし、皆さんもご存知かと思ってましたが、
武田軍団必勝の策はいみじくも信長自身が述べています。

といいますのは、信長の陣形はあくまでも待ち伏せの形。敵が鉄砲隊の前まで
突撃してくれない限り、こちらから攻めかかっていくことができないのです。
何しろ、当時の火縄銃は重い上に発射速度がとろいから。そこで、

「もし、勝頼が鳶ヶ巣山に籠り、長期戦となれば、こちらの補給線が
長いので、こちらが先に退却せざるをえない。退陣になれば、その時こそ
機動力に勝る武田軍団の追撃を受け、我が軍は壊滅していただろう。
だが、勝頼は自ら設楽原に出てきたために、自滅してしまった。」
といった意味のことが信長公記の記事に見えます(細部はうろ覚えです)。

なぜ勝頼が無謀な突撃を繰り返したかは今でも謎です。でも忠臣はそれでも
主君の命を守って全員戦死、で、そういうバカな主君にはついていけない、と
勝手に逃げ出した将兵ばかりが生き残り、武田の滅亡を早めました。

245 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 21:05:22
何故急にサガミ氏がでてきたのだろう。

246 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 22:30:58
>>244
> 「もし、勝頼が鳶ヶ巣山に籠り、長期戦となれば、こちらの補給線が
> 長いので、こちらが先に退却せざるをえない。退陣になれば、その時こそ
> 機動力に勝る武田軍団の追撃を受け、我が軍は壊滅していただろう。
> だが、勝頼は自ら設楽原に出てきたために、自滅してしまった。」

原文では、以下のようになる。
「・・・武田四郎鳶の巣山に取り上り、居陣候はゞ、何れともなすべからず候ひしを・・・」
(・・・武田勝頼は鳶の巣山に陣を張って留まっていれば、惨劇を見ることはなかったはずであったものを・・・)


ちょっと拡大解釈し過ぎのような気もする。
そうやって尾鰭がついて伝わるうちに、「三段撃ち」が出て来てしまったのかも知れないし。




247 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 22:42:19
>>246
ああ、すまんね、実はソースは「遁げろ家康」なんだ、
今は絶版になったけど。

248 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 22:45:47
>>247
『遁げろ家康』ならば史料としても一流だと思う。

249 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 22:47:35
おまえら、このスレの存在意義を何も分かっちゃいないなw

歴史上の出来事には、尾鰭がつくもの。そんな事は当たり前。
歴史とは、話をいろいろと後世の人が付け足して、楽しむものなんだよ。
それが伝説になり、人々の想像性を高めていく。

過ぎ去った事実だけを今更どうこうしても、それだけでは何の役にも立たないよ。

もうお分かりだろう。
このスレは、より一層長篠の戦いに尾鰭をつけて、後世により楽しく伝えていくためにあるんだよw


250 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 23:22:44
マジっすか?

クソスレ誘導策とも思えるが。
ここで突撃したら、まんまとやられちゃうのかな?

251 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 00:37:31
Gaiemmaeじゃおかしいだろ?

252 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 04:51:47
スレ主は確信犯。乗るやつがたわけ者。放置プレイに限る。

253 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 05:40:52

放置できないたわけ者

254 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 09:53:14
立てた主がどうあれ、そのスレが良スレになるかクソスレになるかは書き手次第だね。

>>249には同意しかねるが、歴史にはそんな一面が確かにある。
それはそれで良いと思う。歴史を研究する人もエンタメをエンタメとしては否定しない。
逆に言えば、史実を知りたい人や、史実から何かを得たい人は、伝わっている話から、尾鰭を取る作業になっていく。
それは、悪いから取る、のではなく、史実とは思えないから取るだけね。

目的に適っていれば良い。長篠の勝者が戦争目的を理解し、その通りの行動が取れた側であったように、目的に適って書けば良い。
このスレには、楽しもうとする人と、史実を論じたい人との両方がいるようですね。
それが互いに戦っても良いが、何かこう、共存してしまっても良いようにも思えるが。



255 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 11:06:56
>>244
>勝頼が鳶ヶ巣山に籠り、長期戦となれば
いや、そうなった場合に備えての設楽が原のベース・キャンプなんだ。

よく逐次投入の愚について書かれているが、その意味では織田・徳川も逐次投入だよ。
酒井が第一陣。織田・徳川は、直接の目的としては兵糧に事欠いている長篠城の救援に来た訳だから当然それに対しての準備をして来ている。
また長期戦に対しての備えもあったはず。梅雨時で雨が降り続いており、織田が攻めるにせよ、武田が攻めるにせよ、思うに任せない展開になることは十分に予測できるからだ。
途中の進軍が遅いことを訝る人もいるようだが、これは大量の物資の移送に手間取ったことを考えれば、これくらいの時間がかかるのはむしろ当然。
岡崎にまる2日逗留したのもだ。兵糧だけでなく、弾薬・馬防柵の資材なども含めれば、従来の軍に比べて相当な装備の量となったはずだ。

いわば、戦闘&築城に近い部隊。
戦闘のイメージとしては、長篠城包囲の武田軍に対して攻撃をしかけ、相手が出てきたら、ベース・キャンプのある本陣まで逃げてくる。
この繰り返しで撹乱し、相手陣形が乱れたところで総攻めを行う。
武田軍が徹底的に逆襲してきたら、本陣で防ぐ。そこで鉄砲の出番だ。

うまく行き過ぎて総攻め以前に長篠城が解放できたら、本陣と長篠城および解放部隊の両方から撃って出て、挟撃作戦を取る。

結果は。武田勝頼の本陣と包囲部隊が別々に行動したので、長篠城救援はたった1回の部隊投入で成功。長篠城は解放。
そして、武田軍は逐次投入で本陣に突撃してきた。即総攻めは中止、迎撃して悉く撃退。
その突撃が止んだところで、一斉に総攻め。武田軍は包囲軍は既に鳳来寺山へ撤収してしまっており、本陣も慌てて退却。追撃に遭って主だった諸将が討たれ、大勢は決した。

織田・徳川の方が懐が深く、いろいろな軍事オプションが取れた戦い。
補給についても、有利。ここ(三河国長篠)は徳川領だ。むしろ、出張って来ているのは武田方。
長期戦になった場合でも、むしろ苦境に陥るのは武田勝頼のはずだった。


256 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 14:16:06
>>255
かなり説得力があるね。漏れは何だか行きがかり上、武田擁護みたいになってしまっているけど。
もしこの状況で武田に状況打開の道があるとすれば、あくまで長篠城包囲に重きを置き、勝頼はそれとは別に動くべきではなかったということかな。

織田・徳川軍は、酒井忠次で失敗しても、次々に邀撃軍を編成して攻撃してきただろう。
ただし、この戦いの成否は「長篠城」を武田が落とすか、織田・徳川が救出するかにある。
戦略的にも、そして政治的にも。信長にとっても、長篠城が落城してしまった場合、徳川との信頼関係の問題になる。
だから、勝頼は、どんなことがあっても(自軍の被害を出しても)、ここは落城まで持っていくべきだった。だから、包囲から離脱してはいけないんだ。

もっとうまいのは、備中高松城の羽柴秀吉だろう。毛利5万が救援に来た。
秀吉は3万。だが、足守川を堰き止めて水攻めにしている状況で、毛利との交渉を進めている。
信長の来援と高松城の城兵の命、というカードをうまく使いこなし、実は信長が本能寺で死んだにも拘らず、交渉を纏め上げて、自軍を温存して撤退に成功した。

勝頼は、来援は期待できないが、長篠城兵の命(家康の長女も城内にいる)をカードに交渉すべきだった。
虎の子の長篠城を放置して、本陣が西に向かい、織田・徳川本陣を目指したところでアウト。
馬だろうが、鉄砲だろうが、もう何をやっても勝てない状況だった。


257 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:15:05
>>255>>256
適当なところで改行しましょう。

258 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:24:32
>>255-256
もっとテキトーに書きましょう。
もっと短くなります。

259 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:31:34
>>255=256
もっと文体を変えましょう。
もっと自演がばれなくなります。

260 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:49:34
>>257-259
もっと間隔を置いて書きましょう。
少しは自演がばれなくなります。

261 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 15:54:43
実は全部、俺の自演だよw 気づくのが遅すぎるなw

262 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 16:09:29
ニコニコ動画の自演騒動以来もうなにがなんだか分からなくなった。

263 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 16:22:20
自演は日本史板の醍醐味

264 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 16:33:28
>>257>>258>>259が最大のスレ荒らしだろう。
他に書くことはないのか?

265 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 16:35:31

赤っ恥をかいた自演厨

266 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 17:34:15
やっぱ、「↑」を書く奴が一番怪しいな。
前回も出てきたし。

267 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 17:37:31
>>257-259>>265確定
自演するなら、もう少しマシな内容を書けよw

268 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 18:10:52
●自演スレ

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1178284352/


269 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 18:32:44
>>259
ちょっと同意を示すと「自演」なんだ。バカだね、こいつ。
文体って、そんなにバリエーションがある訳じゃないだろ。
まあ、どうせ何も書けないから落書きしているんだろう。

またちゃんとレスつけてくれる人を待つよ。

270 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:27:30
なよっとした文体だからすぐバレるんじゃね?

271 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:45:17
>>270
おまえ、馬鹿な上に粘着乙だな

272 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:49:26
やっぱ、「↑」を書く奴が一番怪しいな。
前回も出てきたし。


273 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:50:36
      ________
 | ̄ ̄ ̄|___       |
 |     つぎで |ボケて!!|
 |______|_____|
  ∩_∩ ||      || ∩_∩
  ( ・(ェ)・)||      ||(・(ェ)・ )
  /   つΦ.     Φ⊂   ヽ


274 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:52:12
え?え?おれ??
た、た、武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した!!!

275 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:52:39
ゴキブリが入ってきたおかげで、すっかりスレが荒れたな

276 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:54:16
まあ前から自演厨が巣くっていたが。

277 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 19:57:15
>>276
今頃気がつくなよ。てかまだ気がついてないだろw

おまえの書き込み以外は、すべて俺の自演だよwww

278 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:03:13
まあ、俺も自演なんだが。

279 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:04:33
www

280 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:05:09
 

281 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:07:32
いや、むしろ俺が自演なんだなあw

282 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:08:02
いや、いや、俺が

283 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:09:07
え?え?え?
じゃあ俺の自演だ!

284 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:22:56
自演も何も、まともに意見が書けない奴の情けない嵐だな。
まともに論議もできず、トンデモネタすら書けず、スレ汚しだけやっている。
見えない敵と戦うより、書いた内容だ。

285 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:24:50
このスレにまともな意見なんてあったっけ(´・ω・`)

286 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:25:41
>>274
>>283
ageとsageくらい、整合性取れよw
自演で切り替えてるのがバレバレだwww

287 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:27:35
>>285
お前が一番、バカ

288 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:33:25
>>286
実はこいつの自演と見たw


289 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:34:02
(´×ω×`) ヘコンダ

290 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:36:56
山は動かんぞ

291 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:38:57
自演は分らないが、荒らしている奴は誰が見ても明らかだね。
あぼーんにするか?

292 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:44:55
「saqe」ってなんだ?

293 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:47:22
>>288
動揺しているなw
そういう場合は、sageるべきだろw 慌てていやがるw
まるで散々やられて鳳来寺に退却する勝頼だなw

294 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 20:59:58
「w」がいっぱいなやつは必死な法則

295 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:03:20
もうそろそろ、長篠ネタは終了ってことでOK?

296 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:04:05
>>294
おまえもな

297 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:05:41
 | ̄ ̄ ̄|___       |
 |     つぎト |ボケて!!|
 |______|_____|
  ∩_∩ ||      || ∩_∩
  ( ・(ェ)・)||      ||(・(ェ)・ )
  /   つΦ.     Φ⊂   ヽ


298 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:21:04
俺は自演なんてやっていないwwwww

299 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:26:23
随分考え込んでいたみたいでワロズ

300 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:26:45
>>298
やっぱりやってたのかw

301 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:33:45
>>300
自演突っ込み、今更するなよ。古典的杉

302 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:39:19

これが自演ツッコミね。古典的杉だから今更真似しないよーに

303 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:41:26
やっぱり「↑」使いやがった。
これで、過去の自演についても、かなり濃厚になったな。

304 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:42:14

これが自演ツッコミね。古典的杉だから今更真似しないよーに

305 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:42:31
ほとんど2名で書いてるだろ、どっちも醜いぞ。
先に止めた方が勝ちだな。

306 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:43:34
じゃあ俺の勝ちだな。

307 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:44:36

お前の負けじゃw

308 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:51:49
>>255
禿胴

結局、旧態依然とした武田騎馬軍団と斬新な織田徳川鉄砲隊の差がそのまま勝敗に直結した。

そもそもぬかるんだ田園地帯を騎馬突撃させた武田勝頼は稀代の愚将。
しかも日本馬はポニー並の体格しかなく、それが重い甲冑を身にまとった騎馬武者をのせて
ノコノコ歩いてくるんだから、鉄砲のいい的でしかない。
織田徳川には3000丁の鉄砲があったから、1時間に1回武田騎馬隊の突撃があったとして、
三段撃ちを1回すれば(する必要もないけど)3000発撃てる。これは武田の一部隊を壊滅させるのに十分な数だ。
武田軍が1時間に1回、計5回の突撃を敢行したとするならば、1万5千発。
全武田軍1万5千とちょうどぴったりあう。
つまり織田徳川軍は1時間に1回、計5回三段撃ちをすれば(する必要もないけど)武田騎馬軍団を壊滅できる計算になる。
そしてこれは史実の長篠合戦の結果ともぴったり付合する。

史料と軍事の知識を総合すれば、合戦の実情は容易に明らかにできる。


309 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 21:54:45
またポニーかよorz

310 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:01:02
>>308
なんで今更そういう話になるのよ?


311 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:02:25
>>308
なんか見たことがあるレスだな。鈴木スレか?

312 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:04:49
>>308
これは酷いw
ここまでカスなレスは初めてだw

妄想中学生かなんかの書き込みか?w
夏休みはもう、終ったぞ

313 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:07:45
>>309-312
・・・まだやってやがる。

314 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:11:55
それわ、オナニーシュッシュ♪でつよ

315 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:13:49
残念だが別人だw

カス呼ばわりされてそんなに悔しかったのか?w

316 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:14:49
そうでつか、スマソ

317 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:18:56
>>315
バレバレの自演w
カスはお前w

318 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:20:14
308=317
必死だな

319 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:20:33
そうだ、そのつもりで頑張れw

夜明けまで7時間くらいあるぞ、1000まで埋めてみろw

320 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:24:14
お前らは夜中の方が元気なんだから余裕だろw

321 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:25:25
>>318
痛いところを突かれたなw

322 :日本@名無史さん:2007/09/02(日) 22:45:42
気合足りんぞー!

5分で1レスなら7時間で100も書けんじゃないか!!
もっと気合入れろ! それでも荒らしか!?

323 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 00:09:05
間宮林蔵ー!

324 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 00:11:06
あら、鹿?

325 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 06:18:13
>>321
痛い奴には疲れるなw

326 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 08:09:07
元木、愛入れろ! それでも・・・・・・あら、史家?

327 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 21:20:25
チンカス

328 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 22:28:51
愛を注ぎ込みたいので、中出し出来るところを詳しく紹介してください。


329 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:03:05
「小競り合い」は終わったかな?

330 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:08:27
公衆便所スレ

331 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:11:18
>>329

>>111がほぼひとりで発狂、あとは便乗者がいたと思われるくらいだから、足軽の小競り合いにも及びませんよ。
では、続けてね。



これで再び発狂したら、まさに備後なんだがw


332 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:12:35
公衆便所の中の荒らし

333 :日本@名無史さん:2007/09/03(月) 23:18:12
大したことないものの喩えだな

334 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 01:06:52
単に面白くない意見が出てきたから、スレを塗りつぶしたかっただけだろうね。
まったく無意味。

もう長篠の戦いについては、ほぼ分析できたってことで良いかな?
反論したい奴は発狂したって事で、反則負け。


335 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 01:24:07
VIP会員には、ホストID(*.ne.jp等)が全部見えているのに、何も知らん馬鹿がほぼ2名で(あとひとりいる)、勝手にいい気になって騒いでいた。
これ以上騒ぐようだったら、アク禁だな。

いいだろう。後は「尾鰭」をつけて楽しもうぜw


336 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 01:51:23
夏休みも終わったので新参者が書き込んでみる。

長篠城といえば鳥居強右衛門の話が有名だけど
彼が普通に捕らえられたままでいたら長篠城は落城したかな?

またもし落城したら、織田・徳川連合軍は退却−>
武田追撃−>武田大勝とはならなかったかな?
と勝頼ファンが想像してみる

337 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 06:45:24
>>331
突然>>111を持ち出すとは・・・。
自分が>>101だと自白しているようなものですが・・・w

338 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 06:56:39
>>336
七尾城落城→手取川みたいになったような気がする。

339 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 07:14:02
>>337>>111

340 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 07:27:11
>>336
長篠城は落城していた可能性はある。兵糧が枯渇し、城兵はかなり疲弊していたからね。
ただし、鳥居強右衛門を立てて説得させなければならないほど、長篠城は頑強に抵抗していた訳で、可能性はあっても低いだろう。
500があれほど抵抗したのは、来援を期待してのことと、長篠城自体が堅固、または武田が15000で囲んでいながら攻めあぐねたから。

この時点では、織田・徳川軍はまだ到着していない。ここで落城したら、途中で引き返すだけだろう。

それと、織田信長の他の武将と違うところは、勝てないと判断したらさっさと逃げること。
これが、ある意味の「強さ」。勝てるいくさのみ取りに行く。ダメだったらまた出直すだけ。
戦国時代の戦いとは、勝ち抜き戦でもないし、何勝何敗で競うリーグ戦でもない。
死なないで、勝てるときに勝つ。これが勝利者になる。
一番強い武将である必要はない。


341 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 10:44:09
まあ、そうだね。
対美濃(斉藤)戦でも9戦の内4勝しかしてないが、美濃を手中にした。
謙信や信玄は9割以上の勝率だが、生涯勝率は6〜7割前後だろう。

342 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 21:07:16
>死なないで、勝てるときに勝つ。これが勝利者になる。

信長は本能寺で死んだわけだが

343 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 21:54:48
>>342
またキチガイがあげあし取りだw
ウザイ

344 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 23:34:21
>>342
おまえも俺も、いつか死ぬ。

それだけのことだw


345 :日本@名無史さん:2007/09/04(火) 23:58:38
>>340
近代戦争では「宣戦布告」があるからね。どうしても戦争は勝敗がつく。
ただ、総大将が討たれたり、追い詰められて殺されたりは滅多にない。まあ独裁者だけでもっていた場合は違うだろうが。
(ヒトラーなど)。それでも、降伏し、条約締結で戦争は終わる。必ず和議がある戦争かな。

負けそうになったら「なかったこと」というのもありかな、戦国時代は。
まあちょっと引っ掛かるが。


346 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 00:23:52
>>337
ああ、それは残念だが、ホストIDが違う。
まあパソコンと携帯で同一人物がアップしたという可能性もあるケースだが(実際一方はケータイ)、サブドメインの地域が違う。
パソコンの方は、これは光だな。だから外部のモバイルではなさげ。
こういうことは、余り書くべきではないのだが、このスレは自演が度を越していたからね。参考までに。

お盆休みに実家に帰っていて・・・とか考えればキリがないが、この際、そういうのはもういいだろう。


347 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 01:13:17
時間無制限

348 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 08:04:11
>>341
小牧長久手の戦いに至っては、秀吉は対家康0勝4敗(羽黒、楽田、長久手、小幡)にも関わらず、政治・外交戦で勝利して臣従させた。
10万も兵を持っていたが、2万の織田・徳川軍(織田信雄12000・徳川家康8000)を敢えて総攻撃をせず、戦闘で負けても余裕で撤退。
伊勢の信雄諸城を得意の城攻めで攻略し、脅しておいて信雄と単独で講和(条件は秀吉有利)して、家康を封じてしまった。
「勝負で負けて、試合には勝った」、という展開。

やはり、小牧長久手の戦いは、長篠の戦いと何から何まで対照的。


349 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 08:58:15
結局、家康は釣られたわけだなw

350 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 10:18:46
小牧長久手の戦いは、「秀吉対家康」ではなく、「秀吉対信雄・家康」であることを忘れてはならない。
信雄・家康側は、長久手で得点をあげたものの領国の尾張、伊勢を秀吉方の大軍に蹂躙され、
領地を割譲しての講和に応じざるを得なくなった。いうならば「得点はとったものの試合に負けた」だ。
その後も秀吉は敵対勢力をつぶし続け、家康との実力差は開く一方だったが、家康は巧みな外交で
自分を高く売ることに成功した。

351 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 12:15:39
あれは織田信雄と羽柴秀吉の喧嘩だからね。
家康は多田野お手伝い。
織田信雄と羽柴秀吉が講和すれば、家康も喧嘩を続ける理由がなくなる。
領有地が接しているわけでもないしね。

352 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 13:14:01
「おまかせあれ」と信雄に大口をたたきながら、伊勢方面まで手が回らず敗戦ばかり、
なさけない家康。

353 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 13:41:58
伊勢方面どころか、あの時の秀吉には木曽口から信濃侵入の兵力的余裕すらあった。
家康は東海道戦線で精一杯

354 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 18:51:36
家康は、当初伊勢長島へ赴く予定だったらしい。
ところが、近江坂本を秀吉が発したという報を受けたので、急遽清洲から小牧山へ向かって兵を展開する方法に変えた。
その際、犬山城で既に動いていた池田恒興、森長可を邪魔と見て、羽黒を攻撃し、森長可を敗走させている。
小牧山城は、かつて信長が美濃攻略時に居城にしていたくらいの要害だが、籠城はしていない。
秀吉相手に籠城はできないからな。
秀吉は攻城戦は日本一の名手。そして、機動性が抜群なのを判断しての作戦変更だが、その後の家康の手配も素早く、かつ抜かりない。
こういう展開は、ギャラリーなら見応えがあるだろうな。長篠の戦いなんて、最初から勝負が見えていて、つまらん。


355 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 19:20:01
>>351
家康の戦略目的は、あくまで駿河・遠江・三河に加えて、信長の死後、織田家中でゴタゴタ(清洲会議から賤ヶ岳の戦いまで)が起きている間に入手した甲斐・信濃の一部まで広がった自領の防衛だ。
家康にとって、最も嫌な展開は、秀吉が天下統一で東国攻略に出た際に、城単位に次々と自領を攻略されていくこと。
秀吉は、中国平定時にそのやり方で実績があるから。
信雄なんて、利用したに過ぎないだろう。伊勢なんて本当はどうでも良い。

当初家康が伊勢へ向かったのは、縁戚でありながら北条を味方に出来なかった為、その国境の防備が必要で、兵を8000しか割けなかった為。
信雄の兵力と合流してから、一枚岩で行動しようと思ったのだろう。アテにしていたのは12000という数のみ。


356 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 19:57:54
小牧・長久手のスレはここですか?

357 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:13:58
>>355
家康も、秀吉ほどではないが急拡大した大名。三河を除けば決して基盤が強いとは言えない。
1582〜領有化した旧武田領などは特にそう。
つまり三河を攻略されれば徳川家は一気に崩壊する可能性が高かった。
だからこそ、家康は秀吉との緩衝地帯として信雄領を保全しなければいけなかった。
しかしそれができず、信雄は秀吉と講和、従属。
秀吉は紀州攻め、長曽我部攻め、越中攻めと、次々と敵を屈服させていく。
越中攻めにいたっては信雄も参加させられている。
要するに小牧長久手の役(美濃、伊勢での戦いも含めて)での敗北で、
家康は滅亡するか降伏するかの選択肢しかなくなってしまった。
これは信雄を護れなかったから。

なお、秀吉は一軍団長の頃は一つずつ丁寧に敵城をつぶしていく方法をとったが、
これはどの大名でもやっている手法にすぎない。
この手法での実績というならば家康も十分あるだろう。
しかし10万もの大軍を動かせるようになったからにはそんな手間のかかることはしないだろうな。
九州攻めや長曽我部攻めのように一気につぶしにかかるだろう。

358 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:15:53
 うーん、そろそろ大丈夫かな?

 さて、武田軍団がなぜ無謀な突撃を繰り返したかについての考察。

 思うに、「死んで華と散る」のが自己目的化してたのかも。

 例えば、湊川の楠木正成や、島原の乱の板倉重政、森鴎外描くところの
阿部一族、或いは先の大戦におけるバンザイ突撃。
 およそ武士たるもの、「満座の前で自分の意見を否定されるなどして、
恥をかかされたら、次の戦闘で華々しく討ち死にして面目躍如する。」と
いった考え方が昔は強かったようです。それがたとえ、犬死であったとしても。
大局的にみれば、どう考えても他日を期してもう少しがんばった方が、いい場合でも。
 実際、石田三成のように、最後の最後まで希望を捨てないようなひとは、
「未練なやつ」として蔑まれます。とにかく、戦場で討ち死にしさえすれば、
名が残るもの、と考えられてたように思えます。詳細はよく知りませんが。

 さて、武田軍です。巷説によれば、信玄以来の宿将たちが「速やかに
退却しよう。」「兵が半減してもいいから長篠城を力攻めして落とそう。
そうすれば有利になれる。」というのを、勝頼の寵臣が否定し、決戦に
持ち込んだため、宿将たちは面目丸潰れだった、といいます。

 この説は現在では否定的ですが、恐らく、「当たらずといえど遠からず」
といった内容の軍議が行われたことでしょう。そこで、宿将たちは、
上田原で信玄を諌めるべく死んだ板垣信方のような思いで、
自ら馬防柵の前に進んでいったのかもしれません。

 もちろん、人によって違いますから、中には、「武田軍団が
足軽の使う鉄砲なんかに負けるはずない」と意地になって
突撃していった人たちもいるでしょう。

 そして、勝頼は、戦いの終盤、「夢であってほしい」と思いながら、
呆然と戦場を見つめていたことでしょう。

359 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:28:26
>>358
勝頼はなんで突撃しなかったんだろう?
臆病風に吹かれたのかな?

360 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:30:16
信長は、そういった「武士の意地」「面目」「沽券」を手玉に取る名手だったんでしょうね。


361 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 21:33:10
>>359
勝頼旗本は、軍勢なんてものじゃないでしょう。
彼らは、勝頼をどんなことがあっても守るのが役目。
山がホントに動いたら、崩壊します。

362 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 23:45:24
大将みずから突撃するなんて、あの時代でも謙信くらいしかいない。
思い込みなのか、本当に毘沙門天の加護があったのか自分には鉄砲も矢も
あたらないという確信を持っていた。


363 :日本@名無史さん:2007/09/05(水) 23:58:15
今川義元は桶狭間の戦いで自ら先頭に立って織田軍に奇襲をかけた

364 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 00:18:31
>>363
うそつけ!
先頭にというのは義経みたいな状況で有り得るかも知れないが

365 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 06:13:01
>>358
馬防柵の前で討たれた武将はほとんどいない。
大半の将士が柵から遠く離れた場所で、討たれている。
しかも半日以上も戦った後でのことだ。
これは、1対3の兵力ながら半日間互角に戦ったあげくに退却した。
その時に追撃で大半が討ち取られたと言うことだ。




366 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 07:28:09
>>365
経緯は概ねその通りだが、「互角」というのは当たらない。
設楽が原の戦闘では、武田の攻撃に対して終始鉄砲で防戦、その度に半数以上の被害を出している。

城兵500の長篠城を15000でせめあぐねたこと。かつ鳥居強右衛門に包囲を突破され、状況を通報されたこと。
来援が来てまもなく、攻城戦の拠点鳶の巣山が陥落して包囲網が崩壊したこと。
設楽が原では武田が一方的に被害を受けたこと。
追撃戦で多くの武将を失ったこと。

終始織田・徳川の優位で推移した。これは地すべり的な圧勝という評価しかない。


367 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 08:40:54
>>357
まったく逆のことが秀吉に言える。
兵の掌握という点では、家康と秀吉には雲泥の差がある。
楽田の秀吉は、兵力10万だが、寄せ集め。かつ秀吉は「主君」ですらない。
いってみれば、支持者のレベルだ。

家康は8000しかいないが、これはすべて家康を主君とする兵力。
そして信雄12000が与力している。総大将は、実は信雄なんだが、実際指揮命令系統はすべて家康におんぶにだっこ。
織田信雄の小牧山における存在意義は、12000という兵数と、あとひとつは、秀吉に与する武将たちの大半の「主筋」にあたること。

家康は、信雄を抱えている限り、10万の総攻撃はない、と計算出来た。
秀吉がなぜこんな大兵力になったかといえば、半ば「成り行き」。近江坂本出陣時3万だった。
それが、旧領長浜を通過し、家康が敢えて後退したので、美濃の池田勢などと合流するうちにこうなった。
アウェーの大兵力の集結は、却って作戦に「時限つき」という条件がつくことになる。
時間が経つほど、養うのが大変になってくるからだ。これで膠着状態になると、不利なのは秀吉側。

長久手への邀撃部隊の出撃と、秀吉方大敗の要因はそういったところにある。


368 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 09:29:36
>>367
「主筋」としての信雄がどれほど脆かったかは、
本能寺の変以降の歴史を見れば明らかだが。
小牧長久手の戦いの時だって三家老を処断して
家中ガタガタ、池田、森あたりは秀吉よりも
戦意旺盛で、先を争って攻めてくるし。
そもそも織田家当主は三法師。


369 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 09:55:57
>>368
それは織田信雄に限ったことじゃないね。
織田政権も豊臣政権も家臣の不忠で崩壊した。

370 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 11:13:48
織田にとっては徳川など家来も同然。いいように使い回すと。
信長が徳川を使ったのと同じように、息子の信雄も徳川を都合良く扱った。
働かすだけ働かせて講和は蚊帳の外・・・。徳川カワイソス

371 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 13:33:02
秀吉Vs信雄戦であって、家康はただの助っ人だが、信雄からみれば家康は
口先だけでなんの約にもたたん(尾張への侵攻は防いだが、伊勢は蹂躙されるばかり)。
さっさと講和して自領を少しでも守るほうが得策。



372 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 14:06:45
まあ、信雄にしてみれば、
さっさと講和して、秀吉から所領も安堵してもらえたのだから、
家康と組んで、下手すりゃ秀吉に負けて、
責任とって切腹させられるよりずっといいわな。


373 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 15:02:11
>>371
そうなんだよね。なんか秀吉VS家康と勘違いしている人がいるけど、
小牧長久手の戦いは秀吉VS信雄なんだよね。

374 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 22:03:52
>>373
秀吉VS家康だよw
どこに信雄の判断による戦闘があったんだ?

それに家康は、結果として5ヶ国をそのまま保持し、兵力もほとんど損なわなかった。
(実は長久手で一気に500余り失う事態に遭遇しているが、それも敗因にはならなかった。)

信長の死からここまでの家康の成長の意味をきちんと理解できている人がどれくらいいるのかな?
家康は、小牧長久手の戦い当時、もっている領土の石高は246万石。
これがどれだけ桁外れか。天下統一後の秀吉でさえ、210万石だ。
そして、小田原征伐後、家康は関東に移封になるが、これで256万石になってしまった。
これが、秀吉死後にそのまま生きてくるんだ。

信長生前、武田滅亡後で家康は駿河・遠江・三河の3カ国。これは昔の今川領と考えれば、戦国時代の有力大名程度だと理解できるだろう。
それが、信長死後に大化けしたんだ。今川+武田に匹敵する大勢力。
毛利は120万石、島津は全盛期で170万石、秀吉の九州征伐後に100万石以下。
あと、前田ですら80万石。家康の桁外れが分かろうというもの。

秀吉の死後は、徳川単独で6万5千動員できる軍事力を保有。その中核は三河武士と旧武田衆。質量ともにダントツ。
この勢力を、秀吉は、あれだけの優位な状況で、何ひとつ奪ったり、減殺することが出来なかったんだ。
戦略的には、家康が目的を達成した戦いだよ。秀吉の次は家康、のポジションを磐石にした。


375 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 22:52:36
>>374
なんというか、自信過剰の思い込み満載レスだな。
1つ聞こう。

>家康は、小牧長久手の戦い当時、もっている領土の石高は246万石。

これの根拠は何かな?

376 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 22:59:47
>>375
もったいぶった言い方だね。
そのやり方じゃ、不毛のバトルになるから、その前にあんたの見解を書きなよ。
話はそれからだね。
匿名の掲示板の場合、名乗る必要がないが、その代わり、自分の意見を先に書くもんだ。


377 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:05:41
>>376
つまり根拠なしなわけね。やっぱりそうか。

378 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:09:00
>>377
つまり、秀吉と同じだな。
引っ掛けようとして、ダメなら釣りにかかる。
家康もそうだが、冷静なら、その手には乗らないだろう。
俺の意見は、ひとつの意見だ。対する意見がない限り、論じ合わないよ、生憎だが。


379 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:14:02
長篠の戦いに続いて、このスレで小牧長久手の戦い勃発!

380 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:16:45
>>378
なるほど。君にとって根拠を尋ねるということは引っかけになるわけだ。
まともな意見というものは土台となる根拠があるものだが君にはそれがない。
つまり妄想で意見を言っている訳だ。

君は論外として、そんな君と議論している人たちはとんだピエロだったというわけだな。
可哀相に。

381 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:17:40

バカのレスw

382 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:25:35
>>380
そういうあんたはどうなんだ?
自分のことを棚にあげるというのは、まさにそういうことを言うんだが。
俺の意見は、既に書いている。誰でも読めるし、共感も反論もできる。
あんたには、今のところ何もない。

このままでは、あんたはただのもったいぶった乙で終わってしまう。
どうする?



383 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:29:12
家康、楽田に対して威力偵察行動中。

秀吉、いつまで耐えられるか?
そろそろ、長久手へ向けて、邀撃部隊出撃か???

384 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:29:14
>>382
あんたのレスは根拠なしの妄想であることが明らかになった。
まともな議論のたたき台には到底ならない。
それこそ乙で十分なレベル。>>1とどっこいどっこい。

385 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:30:31
バカがクソレスであげてやんのw

386 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:31:02
つまり、>>375には何もネタがなかった訳だ。
ガックリ・・・

387 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:31:31

お前が一番バカw

388 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:32:03
>>385
おまいもageてるジャマイカ!?

389 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:32:54
あら、史家?

390 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:33:39
妄想厨が来るといつも荒れるね。
妄想君はもう少し自演の技術を磨けばいいのに。

391 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:34:46
>>386
>>374はネタ満載なわけかw

392 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:35:49
どうしてこのスレは、ちゃんと意見を書く奴に反感を持つと、クソレスで埋めてしまうのかな?
板の中でのスクロールアウトを狙っているんだろうが、繰り返し来る奴は、「全部読む」で大抵見ているから、ほとんど意味がないと思うぞ。


393 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:36:40

クソレス乙w


394 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:39:09
あ〜、なんかまた荒れてるわ。
>>374にレスでも付けようかと思ったがやめた。
また明日にでもくるわ。

395 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:39:53
>>390
だから、おまいがちゃんと反論すれば済む話ジャマイカ?
何でそんなに勿体つけているんだ?
傍から見ててもおかしいぞ。

物言いつけたんだから、それだけの意見を書けよ。
俺は、どちらの意見も読んでみたいが。


396 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:41:38
結局、秀吉は、10マソもの大軍を率いていながら、うやむやにして、引き上げていきましたとさw


397 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:44:28
>>392
お前、いつもそんなことしてたのかよ・・・。

398 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:46:17
>>395
突然第三者のふりをするやつw
なんかイタスw

399 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:47:10
このスレは、歴史そのものなのかw

まぁ、明日以降の秀吉こと、>>375の外交戦、人たらしに期待しよう。
最後に家康を臣従させることが出来るだろうか?

スレの質はともかく、ギャラリーとして見ていたら、結構オモロイw

400 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:48:49
>>395
まともな意見ならば反論すべきだな。
でも根拠なしの妄想ならばお話にならない。


401 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:50:20
>>399
>>374が家康か?ありえね〜。

402 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:52:29

足軽の三助じゃネエの?

403 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:54:17
>>400げと、オメデト。
歴史には妄想が多い。
でも妄想に反論できないようでは、特にあれだけ言われて返せないようではダメだよ。やっぱり。
根拠を問うたのは知らないからではなく、自分が根拠を持っててやり込めようと思ったんだろ?
それはいいさ、日本史板だしな。
自信があれば、書いた方が良かったと思う。はっきり言って不信感がつのったよ。


404 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:54:26
ひできち厨

405 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:55:44
>>401
まぁ、ネタスレだしw
人物評価ではなく、ネタキャラということでw

406 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:56:56
電波レスするのは結構だけど、電波がばれたからといって荒らすのはどうかと思う。

407 :日本@名無史さん:2007/09/06(木) 23:58:48
>>406
じゃ、おまいはそれに釣られたのか?

408 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:00:21
ちゃんとした意見のある人ならば、根拠を求められたら
きちんと提示できるよな。
なんで根拠をそんなに出したがらないんだろうか?
しかも逆ギレして荒らすとは。
まともじゃない。

409 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:01:44
>>406
いや、漏れなんか、期待してたよ。
246万石ってのは、確かにいろいろな歴史書に出てくる数字だ。少し古いような気もするけど。
史学的に考えると、どうなんだ? 教えてくれ。

410 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:03:47
なんか駄レス付けまくって話題をそらそうとしてるやつがいるけど、
たたき台は>>374ですよ〜。忘れないでね〜。

このまま忘れ去った方がかえってよかったりしてw

411 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:04:47
>>408
なんだよ、ここで自演か・・・
ガックリ・・・荒らしは、お前なんじゃ?

412 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:06:14
おいおい、>>374よ。あんたの代わりに>>409根拠を提示してくれるらしいぞ。
助かったな。

413 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:09:32
>>411
自演認定乙

414 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:10:14
別にそらしてない。飽くまで、意見を書いたら、意見を求めるのみだ。
忘れる必要なんかないな。むしろ、くだらんレスでうやむやにして欲しくなかった。

今からでも遅くない、・・・ってもう夜は晩いが、別にいつでも構わない。キチンと反論してくれれば、また論議しよう。
ただ、釣りとか、引っ掛けであるのは、本人が意図したかどうかは別にして、基本的に乗らない。
今までもそうだ。ちゃんとレスに対するレスが意見なら、それに応じてきている。


415 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:11:41
根拠のない意見に意味はあるのか?

416 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:13:27
>>412
別にそれでも構わない。誰のであるとか、関係ない。それぞれの意見が出るかどうかが大切。
助かるとか、助からないとかで書いていない。
反論でも、賛成意見でも、意見なら歓迎する。

417 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:17:26
>>416
>>1とでも議論してろ。

418 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:17:54
やっぱりここは「万人の万人に対する戦い」スレだな。
見えない敵がそこら中にいる錯覚こそが妄想じゃないか?

419 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:20:31
>>416
× それぞれの意見が出るかどうかが大切。   
○ (きちんとした根拠のある)それぞれの意見が出るかどうかが大切。

420 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:22:18
菱だな

421 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:23:36
実は両人とも、沢山の人間に弄ばれていたりしt(ry

422 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:24:52
いや、実はたった二人だけの自演なんだよw

423 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:26:08
百済ない喧嘩はやめて仲良くしようよ。
このスレ、まるで長篠合戦前夜の武田本陣みたいじゃないか。
このままじゃあみんな、まくらをならべて討ち死にだよ!
全滅だよ!

424 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:26:50
>>422
さてはもう一人はお前かw

425 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:28:06
>>423
いやいや、武田は全滅してないってw

426 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:33:20
武田って、今でも薬を生産しているよw

427 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 00:34:45
いや、合戦スレらしくていいんじゃない甲斐?

428 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 01:22:31
>>374の数字的な問題はどうか知らんが、関ヶ原の頃の徳川軍の中核のひとつが武田衆なのは間違いない。
井伊直政の手勢だね。 それから、勝頼側近の跡部とかは、徳川の旗本になっている。

ということは、織田信長や豊臣秀吉なんて、実はメじゃなく、最終的に武田は「勝ち組」になったというのがホントのところだったりしてw


429 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 01:41:56
武田衆などというものは存在しない。
武田の残党ならばあちこちに分散されて採用されたが、
所詮は敗残の新参者。井伊に付けられて陪臣になったりと、
あまりあつかいは良くなかった。

430 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:00:52
>>374
簡単な計算さえ出来ないようだね。

両者(信雄・家康)とも120万石程度だよ。
慶長三年(1598年)の検地
織田信雄
伊勢 567,105.14
尾張 571,737.40
伊賀 100,000.00
計1238842石
(北伊勢は初めは滝川領だったが賎ヶ岳の戦い後は信雄領)

徳川家康
信濃 408,358.00
甲斐 227,616.00
駿河 150,000.00
遠江 255,160.00
三河 290,715.00
計1331849石
(但し信濃の川中島四郡は上杉領なのでそれを除くと実質は約120万石
 後には上田城[小県郡]が反旗をひるがえしたのでもう少し小さくなる)

当時の秀吉の石高は400万石を超えているが、信雄とその助っ人の家康とばかり
戦っているわけではなく、長宗我部、雑賀・根来、佐々成政などとも戦っていたので、
三正面作戦の愚をさけ、各個撃破するため、信雄と和睦したわけだ。


431 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:02:29
井伊も新参者。
三河武士ではなく、遠江の豪族。
子飼いがいなかったから、武田の旧臣で構成したんだろう。
残党の採用となったのは、信長が殲滅を図ったから、これ見よがしに採用できなかったのだろう。
家康と信長、もう一枚岩ではない。
徳川譜代と言っても、年功序列みたいな構成になっているな。

432 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:05:38
>>430
じゃ、聞くけど、その根拠は?
ただの内訳じゃないか? 根拠を示したとはいえないな。

433 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:09:06
>>430
もう、ウソが露呈している。
慶長三年では、織田信雄は、とっくに伊勢を追われているよ。
そして、家康の領土は関東だ。
捏造してどうする?


434 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 02:16:40
あはははは・・・
たった10分弱で崩壊したなw

435 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 06:45:41
戦国最強の武田騎馬軍団は織田鉄砲隊の三段撃ちで全滅した。
これ世間の常識。

なのに未だにそれを受け入れられないひとっていったい何なの?
水戸黄門が諸国を漫遊して悪代官を成敗してまわったことを否定する輩と同類だよ?
いい加減目を覚ませよ

前スレ
今時、鉄砲三段撃ちとか言ってる奴って何なの?

436 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 07:32:02
>>432=433=434
あまりにレベル低すぎてワロタ


437 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 07:35:19
>>436
あまりに中身なさ過ぎてワロタ

438 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 07:51:24
>>430
そのソース、俺は知っているが、ソースをよく見てごらん。
「実高」と書いてあるはず。

実高ベースではそんなものだろう。しかし、太閤検地がまだ実施されていない段階では「表高」が主流。
表高>実高となるのが普通で、基準が違うだけの話だ。
尤も稀に実高>表高になる場合(江戸期も後半。新田開発が進んだことによる)もある。その他に草高という概念もある。

江戸時代は、実高表示が原則になるが、例えば薩摩などは草高を採っている。
だから薩摩77万石、などと地元の人は言うが、実高は42万石程度。
逆に、土佐は実高9万石。表高は22万石だ。

慶長三年の検地の実高が130万石程度であれば、250〜260万石の表高となる。
当然、非支配地域もあったので、240〜250万石辺りは妥当な数字だ。
どちらの表記を採用するかだが、太閤検地前なら表高、太閤検地以後は実高、とするのが最も相応しいと考える。
小牧長久手の戦い当時なら、当然表高となるだろうな。

意見が出たら、意見をいう。有意義な論議をしよう。
>>430は、良い意見だ。ちゃんと中身があるから。


439 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 07:57:41
>>438 自己レス。
一応書いておくが、上記で薩摩、とは「薩摩藩」のこと。
薩摩国ではない。薩摩・大隅を合わせての数字となるので、>>430のソースの薩摩の欄だけを見て「違う!」と突っ込まないように。


440 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 07:59:47
>>438
表高は額面上の石高
実高は実際の石高

豆知識な。

441 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 08:10:27
>>440
実高は年貢納入の基準。
表高は、表示する際の石高。

常識な。

442 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 08:21:50
>>441
ん?何か異論があるのかな?

443 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 09:54:10
>>438
根本的に勘違いしている。
表高は建前上の石高で、実高(内高)は実際の石高だ。
表高がいくらあっても意味がない。
たとえば実高が100万石しかないのに表高200万石と称しても
米が200万石取れるようになるわけではない。

太閤検地では実高を調べてそれを表高とした。
ホンネ(実高)とタテマエ(表高)を一致させようとしたんだ。
検地の結果長曽我部は実高=表高=9万石。
が、じつはこの太閤検地というシロモノ、地域によっては結構いい加減で、
長曽我部なんかは過少申告していたんだ。
長曽我部のあとに土佐国主となった山内は高直しをして表高20万石になった。
つまり長曽我部時代も本当の実高は20万石くらいはあったということさ。

ちなみに通常実高>表高。

444 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 10:05:21
>>443
土佐の太閤検地は通称「長曽我部検地」という指出検地だったはず。

445 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 11:31:34
>>430の出してきた数字は太閤検地だね。
で、>>374の数字の根拠は一体何なんだ?
>>374は根拠のない「駄目な意見」だったのか?

446 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:18:01
(豆知識)
太閤検地では1反は300歩、1歩は6尺3寸四方であるが、
毛利領では1歩を6尺5寸四方、徳川領では1歩を6尺2寸四方で計算していたので
毛利の石高は額面よりかなり多く、徳川の石高は実際には額面より少ない。


447 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 18:52:00
一石は何反なの?

448 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:01:29
1反=2石

449 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:06:44
ごめん1反=1石だ。

450 :日本@名無史さん:2007/09/07(金) 19:13:03
ちなみに田の等級で変動あり。

451 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:20:04
>>443
平日昼間の小競り合いは、一段落かな?

まだ、瑣末な論議だが、ちょっと面白いから続けよう。本質論はあるのだが。

>長曽我部なんかは過少申告していたんだ
これは、ちょっと違う。太閤検地の方法では、土佐についていえば、捕捉出来ない収穫があるんだ。
それは「二期作」。
あくまで検地は土地を評価して、どれくらいの収穫があるかを「評価」するもの。
あと、人別帳により、労働力や兵力を掌握できる。
従って、二期作についてなど、同じ土地を複数回活用するケースについてはほとんど考慮されていない。
かつ高知は近年まで二期作が盛んだった。

太閤検地の9万石は、そんなものだろう。元々高知平野はそれほど広大ではない。
しかし、温暖な気候が幸いした。
薩摩や日向なども温暖だが、あそこは火山灰土で土地がやせていて、輪作できるだけの土壌養分がない。


452 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:27:44
「評価」が被ったな。
あくまで検地は土地を検査して、どれくらいの収穫があるかを「算定・評価」するもの。
とでもしておこうか。

453 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:28:54
とりあえず話がそれまくっている気がするので
小牧・長久手の話は別のスレでやったら?

454 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:43:56
>>446
まあ、俺の方は敵意はないのだが。
別に実高ベースで、>>374を書き直した方が、歴史を良く知らない人でも分かり易い、ということなら、読み替えてくれても構わない。
しかし、それで>>374の論旨は変わらない。

毛利と徳川の比較で言えば、兵力の動員、という観点で考えても、おそらく>>446の主旨に似た結果が出ると思う。
例えば、備中高松城の秀吉水攻めに対して、毛利はおよそ5万もの大軍で来援している。
徳川家の関ヶ原直前の動員力は6万5千。大差はない。
そして、例えば、>>430で秀吉の石高を400万石(これは根拠不明)と称しているが、これだと家康より遥かに強大な勢力である。

しかし、問題なのは、その内実。
秀吉は、子飼いの家臣に対して早くから大名にし、優遇するようにしていた。
そうすると、秀吉の直轄領は必然的に減る。それも、当初は微々たるものだった。
小牧長久手の戦い当時でも、それは基本的に変わらない。かつ、当時の秀吉領と言えるものは、天下統一後よりかなり少ない。
しかし、小田原征伐後、家康を関東に移封して、家康の旧領がまるまる手にはいった。
これが秀吉領というのなら、確かに400万石に匹敵する(表高、だぞ。実高だともっと少ない)。
しかし、子飼いの家臣を大名にして、恩顧大名としたことで、かれらは領地を拝領し、独立してしまった。
これは、秀吉領とはいえない。かつ、福島、山内など、武断派の大名は、ほとんど家康方についてしまっている。



455 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:48:26
>>453
どうして「口」だけなんだろう?
荒らしが発生したり、別の話題が派生するのは、本論が続かないからじゃないだろうか?
>>453のようなことを書く前に、長篠の戦について書けばどうだろう?
それが続けば、自然にそれがスレの流れになるよ。
文句や落書ばかり書いてもスレが荒れるだけ。有意義な論議が継続するのが、良スレになる流れだ。
早速、何か書いてみればよい。


456 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:51:26
>>446

そして、毛利もそうなんだ。>>454と同様。
吉川、小早川は、事実上独立した大名だろう。
元就健在の頃なら、毛利の両川だったのだろうが、関ヶ原の戦いでは、みんなバラバラ。


457 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:52:02
大陸制覇に幻想を抱いた先見性の無い爺

458 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 00:55:31
>>453
まず買いより始めよ。
株で儲ける為の最初の一歩だw


459 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:03:52
何故、当時の家康の所領を表高で書いたかと言えば、それが当時(太閤検地実施前)の表示方法だからだ。
太閤検地自体は1582年から既に始まっているが、小牧長久手の戦いの1584年でも家康の所領で太閤検地は実施されていない。

例えば、徳川家康は東京に幕府を開いた、という表現が妥当かどうかを考えてみれば分かる。
やはり、当時の呼称である「江戸」を使うべきだろう。後に東京といわれるようになったからといって、遡って適用するのは、少なくとも歴史を考える上での表現方法ではない。


460 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:07:32
>>453は、あの勿体つけて何も意見を書けなかった奴かw

461 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:09:16
>>460
同意する際でも、やはり意見の形が良い。
それだと、どっちもどっちになる。


462 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 01:13:25
じゃあ、具体的に意見を書いてみようかw

武田騎馬軍団は、鉄砲三段撃ちで全滅した。


463 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:15:22
>>458
まず甲斐より始めよw
このスレの基本だw

464 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:16:54
1584年での徳川の石高はもっと低かったことになる。
それはさておき、同じ基準である慶長三年の太閤検地で見ると、秀吉支配下の国は
山城 225,262.00
大和 448,945.50
河内 242,105.80
和泉 141,512.80
摂津 356,069.10
近江 775,379.00
美濃 540,000.00
飛騨 38,000.00
若狭 85,000.00
越前 499,411.00
加賀 355,570.00
能登 210,000.00
丹波 263,887.00
丹後 110,784.00
但馬 114,235.00
因幡 88,500.00
播磨 358,534.00
淡路 62,104.00
美作 186,018.70
備前 223,762.00
備中 176,929.00
合計すると550万石を超える。
清洲会議で、この内、播磨・但馬・因幡・山城・丹波・河内・摂津の一部(摂津のうち3郡は池田)・淡路
は秀吉直轄(約150万石)になった。(秀吉分以外は、柴田勝家[佐々成政/佐久間盛政/前田利家]、丹羽長秀
、織田信孝、織田信雄、滝川一益、筒井順慶、堀秀政、池田恒興領など)
宇喜多(美作・備前・備中)は秀吉の傀儡(幼主)なのでそれを加えれば実質秀吉直轄は200万石だろう。
また、その後、賤ヶ岳の戦い後に得た、柴田、織田信孝領を加えればもっと秀吉直轄領は多いだろう。

465 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:21:58
だから、それだけの領地を持っていながら、何で秀吉が死んだら家康に天下が移ってしまったんか?
どうなんだ? 数字厨w


466 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:26:48
足し算しかできない厨房に何を聞いても無駄

467 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:29:01
秀吉は500万石wwwwwww

468 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 02:56:33
だから、それが秀吉の本質なんだ。所詮は寄せ集め。小牧長久手の10万の兵というのもそうだ。
例えば、江戸幕府の直轄領(天領)には、譜代大名の石高は含まれない。
それは当然のことだ。譜代大名は、徳川の家臣筋だが、大名になったら独立している。

ところが、>>464では、そのようなものまで、すべて含めてしまっている。
しかし、これは同時に秀吉の考え方そのものをも表しているから興味深い。
それが、磐石の政権を確立し得なかった根本の理由だ。

もっと以前の話になるが、実は室町幕府もそうだ。
足利党は、建武の新政の頃、最も軍事力を持っていた。だから幕府を開けた。
しかし、その後の室町幕府の将軍に、軍事力が背景にあるようなイメージはない。
義満などは、まだあったが、それ以降は実際、見る影もない。
これも同じ論理。細川や畠山は足利党だったが、その後独立した守護大名になってしまったからだ。
天下を取り、家臣を取り立てれば、どうしてもその方向に行く。
それはやらざるを得ないこと。しかし、それをやっても有り余るくらいでなければ、磐石の体制は築けない。
江戸幕府は、それが出来た政権。
そのベースが、信長死後の家康の成長。東海甲信、関東移封。そして最後が関ヶ原の勝利だ。

小牧長久手の戦いの話は、出来ればそろそろここまでとしたいが、結局、秀吉にとって、家康の成長の根を断てるか、許してしまうかの分岐点だった。
そして結果は、許すどころか、更なる促進をしてしまった。これが流れ。


469 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 05:33:21
あははははは。分かり易すぎw
深夜の人のいない時間帯に>>451以降必死に連続カキコ
で、言うに事欠いて>>459の言い訳ですかw
あんたが>>374で書いた石高はそれぞれ基準が全然違うものだったわけね。
家康の246万石はあんたが言うところの「表高」、その他は太閤検地ベースの「実高」だわな。
まさにあんたが>>459で言っている「東京」という表記と「江戸」という表記をごっちゃに使うのと同じことだわな。
いや、どっちかに統一するのならまだ分かるが、両方混在させてるんだからより罪が重いか。



っていうか、家康領5ヶ国「表高」246万石の根拠まだぁ?


470 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 08:04:20
で・・・「武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅した」と何の関係が? 

471 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 08:07:59
>>56
寄せ手も信長だったら、なんて仮定なら面白そうだがw
そうなったら、なかなか勝負はつかないだろうな。

信長ではないが、そのような展開なら、小牧・長久手の戦いだろう。
秀吉と家康、共に警戒心が強い。かつ信長の戦いのセンスをある意味、継承している。
寄せ集めの軍勢だった秀吉にミスが出て、羽黒や長久手では、家康が一方的に勝ったが、それ以外では、悉くすれ違い。
センスのあるもの同士が戦うと、こんな感じになるだろうね。

ここからずれたんだ!
あんたが犯人だ!謝れ!

472 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 08:49:35
お蔭様で勢い28.6の盛況スレと相成り申した

473 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 09:21:29
なんで秀吉は織田徳川陣に突撃しなかったの?
騎馬隊がなかったの?

474 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 09:50:21
>>471
ごめんなさいw

475 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 09:56:46
ここは、長篠スレという訳でもないよ。
水戸黄門でも良い。

要は、史実と尾ひれがついたお話を巡るスレなんだよ。
だから、歴史上のネタなら基本的に何でも可。

長篠ネタ以外はスレチと思っている方がスレチのような希ガス。
スレタイの主旨をちゃんと理解してから、参加するように。
長篠スレなら、別途。


476 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:02:37
>>469
ゴッチャにして罪、みたいな話だと、歴史が分かってないと大声で笑いながら表明しているようなものかも知れないね。
何故なら、ゴッチャなのが、当時だから。
太閤検地は、それをまとめようとしたものだが、結局その後の時代でも、そのゴッチャな状態はすべて解消はしなかった。

思い込みの激しい人が多いようだが、まずは落ち着いて、もう少し余裕を持って加工。


477 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:13:26
>>475
何でお前が決めてるんだ?

478 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:21:42
>>451が「続けよう」と言えば話をそらそうというカキコが出る。
おそらく同じ人物であろう、>>468が「そろそろここまでとしたいが」と言えば必死の反論が出る。

どっちでもいいと思うが、結局それに、周りが翻弄されているだけだろう。
「続けよう」「そろそろここまでとしたいが」という書き込みに、ペースを握られたりせず、普通に書けばよい。
ひとつの書き込みにペースを握られたら、結局はそれを中心に話が振り回されるだけ。
いろいろなカキコがもっと出てこれば、それはただのひとつの話で終わる。


479 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:22:59
>>477
スレ立てた人だからw

480 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:29:35
長篠厨に対し、スレ誘導

「長篠・設楽原合戦の真実」
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1153127427/

カキコ読むと、やたら自演がどうとかのレスが、他スレより多いが、上記のスレはID表示される。


481 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 10:39:55
>>476
当時の大名が、自分の領地の石高をどのような基準で算定しようとそれはその大名の勝手。
だが客観的に動員力をはじき出すためには、統一的な基準を用いなければ話にならない。
50万石の大名がオレ流の基準で「ワシは100万石じゃ!」と吠えてみたところで
石高が100万石にアップするわけではない。

君がやってること

へでよし・・・210まんごく(太閤検地基準)
いへやす・・・246まんごく(オレ流基準、太閤検地基準だと130まんごく)

君「いへやすはすごいすごい!246まんごくもある!210まんごくのへでよしなんかいちころだね!」
・・・アホですかw

盛んに自分が歴史通であることをアピールしてる割に、こんな常識的なこともわからないのねw

482 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:19:43
思い込み激しすぎ。

書いた人間も分からなくなっているようだね。
自分以外は、みんな敵、見えない敵。

483 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:28:44
>>482
被害妄想に陥ると、スレのありとあらゆるレスが、みんな一人の
人間によって書かれていて、自分に気に入らない意見は全部一人
の敵のせいだと思ってしまうんだよ。
よくあるパターンで、今更何とも思わないな。
自分に反対する奴が複数いると思いたくない、という恐怖心の裏
返しでもある。

484 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:34:25
もう壊れた奴は放置が賢明かと

485 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 11:58:42
トンデモ説



次、「つ」ね。

486 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 12:19:33
>>374の家康領246万石は「みなし法」によるものだね。
三(み)浦七(な)郎左右衛門・信(し)濃守親子考案の今川家御家流。
みなし法の導入によって今川家の動員力は飛躍的に増大し、
桶狭間の合戦に際しても4万もの兵力を動員できた。
みなし法を導入した信濃木曽家は「木曽谷八千騎」と呼ばれるほどの
大兵力を動員できるようになり、一時は武田信玄を圧倒して
古府中に攻め込むほどの勢いを示した。
今川家のお膝元の駿府で育った徳川家康がこれほど優れたものを
導入しないわけがない。
よって家康領246万石は妥当。

ちなみにみなし法は最近学会で発表されたばかりで、世間一般には
知られておらず、桶狭間の今川軍が4万だったことも今や学会では
常識だけど、世間一般では2万5千だと思われている。

>>374はおそらくプロの研究者で、最新の研究を踏まえての意見だと思われる。

487 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 12:35:36
>>486
>桶狭間の合戦に際しても4万もの兵力を動員

本当か?

488 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 13:24:15
うそだよ〜ん♪

489 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 14:09:58
今川軍団は、織田空挺部隊のヘリボーンによる急襲で全滅した。

490 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 16:40:44
>>481さん、がんばれーw

491 :日本@名無史さん:2007/09/08(土) 18:22:51
>>489
今川空挺部隊は松平元康隊で、その時ヘリボーンで大高城に兵糧を搬入する作戦を展開しており、不在だった。


492 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 00:55:08
徳川とか武田って農民から搾り取ることしか考えていない連中だな。
毛利や織田、更に豊臣は、もっと商業とか交易を重視している。
どちらが経済的に有効かは、今日の状況を見れば明らかだ。


493 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 03:11:09
徳川吉宗の定免法などは、それを更に進めるもの。
太閤検地は、言ってみれば農業収穫からの適正な税収を指向したもの。
兵糧調達を円滑に進めるためで、政治コストのすべてではない。
豊臣政権は、全国の金山・銀山を手中にしており、かつ産出量が豊富にあった。

徳川政権は、それが枯渇した事と、鎖国により交易に制約が出来た。
それで、年貢重視の時代に逆行する選択になった。
太閤検地と、徳川の年貢の取り方では、年貢収入は後者の方が多くなる。

しかし、税率が違うものを、同じ検地ベースで比較するのが無理があるだろう。
実際に取り立てたものが、取り敢えずその勢力の軍事力や勢力になると考えてよい。
取り方の是非はともかく、豊臣政権下当時の徳川が250万石程度の勢力であったのは実勢だと思う。


494 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 03:19:54
うわぁ、一日たったらすごいレスですな。

>>475
すいません。長篠に興味があって日本史板で探したらここしかなかったんで
>>480
スレ誘導乙です。今読んできましたが、確かにこっちの方が良さそうです。

また水戸黄門漫遊記や真田十勇士の話にでもなったら寄らせていただきます
スレ違い失礼しましたーm(_ _;)m

それにしても趣味板の方が真面目に学問してて、学問板のこっちは煽り、荒らし
ばっかりって、この板の存在意義って・・・('A`)

495 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 03:50:54
>>494
勘違いしている奴が多くってね、こっちは・・・

戦国時代の「話」をやり取りしているうちに、ホントにいくさを始めやがる。


496 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 04:07:35
いや、そうじゃない。
これは、その戦の当事者の撤退表明だ。
全面降伏だなw

497 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 10:12:53
話は変わるが、当時の石高ってほぼ人口に比例してないか?
つまり土地はある。あとは耕す人の数次第ってことじゃないかな。


498 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 10:37:53
>>497
その通り。
そして、その認識は、当時の秀吉や家康などの当事者の認識でもある。
だから、石高の問題と「動員力」を常にリンクさせて考えているんだ。
また、太閤検地をやった秀吉も、「人別帳」を作成している。
これは、農業従事者を把握すること。そして兵力を計算することとも結びつく。

ただ、太閤検地の場合、土地を等級で分けているので、土地の質は考慮されているが、人間の労働力をそこまで細かくは捕捉していない。
「兵力」になるかどうかは見ているようだ。
現在と違うので、そこまで細かく捕捉出来ないという考えはあるが、例えば古代律令の班田収授法ほど徹底しているかというとそうではない。
それと、既出だが、例えば土佐は二期作が行われていて、ひとつの土地で年に複数回の収穫がある場合もあるが、太閤検地はそれも把握していない。
(20万石程度の実収入で9万石しか補足されていない。ちなみに表高は22万石)

あとは、負担率。税率と考えても良い。これが違うと、決定的に実収入が変わる。
現在でも、消費税が3%から5%に変わっただけでも国民負担も財政状況も変わるが、これは年貢の場合も同じ。
それと、動員力の場合、こんな言葉はないが「兵農分離率」とでもいうべき概念で考えれなければならないだろう。

石高と人口、兵力という実情を把握する場合、いろいろな係数が考慮されなければ正確なところは分からないということだろう。


499 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 10:46:29
>>497
その考え方があるから、昔の人口を推計する場合は、生産力をベースにしている場合が多いようだね。


500 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 11:14:53
>>498
土佐の表高
9万8000石(長曽我部)→20万2600石(山内)

実高
20万2600石?(長曽我部)→20万2600石(山内初)→49万4000石(幕末)


501 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 11:57:53
>>500
それはドコモだろう。土佐でなくても。
新田開発は、江戸時代急速に進んだ。だがその度に検地をやったり修正申告をしていた訳ではないし。
むしろ、薩摩や東北以外では、過剰米の問題も何度か出ている(米価下落→財政悪化)。


502 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 12:06:33
土佐は24万石ね。表高。
表高にもふたつあって、与える側が「土佐二十四万石を与えるものに候」と言って
書状を下す場合と、領主が調査して「土佐は二十万二千六百国ですた」と自称する
場合がある。
ただし、与えられた領地の場合は、大抵与える側が言った内容が表高になる。
調査して申告したりすると「てめぇ、お上に楯突くのか!? ゴルァ!」となるの
は必定。
戦国時代に、自分で切り取った領地などなら、自称が表高。


503 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 12:41:21
もう数字厨はウザ

>>500は、また戻ってきた未練がましい奴
長篠ネタ復活キボン

504 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 12:47:45
>>502
自称した石高は表高とは言わない。
お上に公認されて軍役等の基礎になるのが表高。

ちなみに土佐24万石というのは武鑑の数字であって、表高ではない。

505 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 13:20:10
まとめ
小牧・長久手時の状況(太閤検地の統一基準)
秀吉(550万石[内直轄約200万石])
Vs
信雄(120万石)
家康(120万石)
長宗我部(77万石)
佐々成政(38万石)
雑賀・根来(24万石?)

506 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 14:14:58
トンデモのまとめが>>505で終わりました。
一切放置して、以後は進みましょうw

今川軍団は、織田空挺部隊のヘリボーンによる急襲で全滅した。





じゃなかったか・・・

武田騎馬軍団は鉄砲三段撃ちで全滅したw

507 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 14:28:05
胴衣
以降、表高だろうが、実高だろうが〜万石なんて書く奴は、荒らしと認定。


508 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 15:02:30
まとめ (ただし数字厨の主張)
小牧・長久手時の状況(太閤検地の統一基準)
秀吉(550万石[内直轄約200万石])
Vs
信雄(120万石)
家康(246万石ただしオレ流基準)
長宗我部(77万石)
佐々成政(38万石)
雑賀・根来(24万石?)

秀吉200万石
Vs
家康連合軍505万石

家康連合軍の圧勝


509 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 15:54:51
細かいことはどうでもいいんじゃないの?
石高や人数で勝敗が決まるわけじゃなし。



510 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 16:36:43
そう。ミリタリーバランス(雑誌)の数字だけで戦争やっている軍事厨と同じ。
現実を見ろ、だなw

511 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 16:39:23
>>509
そうだね。
もし石高や人数で決まるなら、桶狭間では今川義元の圧勝だよ。

512 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 17:07:10
大体>>505とか>>508は内訳すらままならないジャマイカ?

長宗我部には三好の残党を取り敢えず対抗させているし、佐々には上杉景勝が当たっている。
(これで、上杉は秀吉と和議を結んでいる)
慶長三年の太閤検地の一覧表なんて的外れなデータを持ってくる前に、まずは日本の歴史を勉強し直せ。
ちゃんと頭に入れてから、データを活用しろよ。脳がカラッポではやることなすこと反感を買うだけ。

513 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 17:33:53
>>505
>>508

小幡信貞戦死の件で赤っ恥をかいた奴

514 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 17:59:22
数字厨の戦歴
長篠で小幡信貞が戦死(>>139)→大嘘
家康領三遠駿甲信は246万石(>>374)→妄想

自分で出鱈目な数字を出しておきながら、そのことを突っこまれると逆ギレ、
相手を「数字厨」と罵る。そして火消しに必死。
数字厨はあんたですわ。

自分が歴史通だと盛んにアピール。


あはは


515 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:42:28
246万石の根拠は>>486で出ているよ。
ちゃんと読みなさい。

516 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:43:40
ただ今、>>505>>508>>514は、見えない敵と戦闘中
近づくと、噛み付きます。注意してくださいw

もうひとりの数字厨房は、潜伏中。これもあらぬ所から出現するようです。
油断しないで下さいw

517 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:48:30
>>516
掲示板で「見えない敵」っていったい何だ?
お前さん変な薬でもやってんのか?

518 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:51:55
そんなことしか書けなくなったんだ。
2ちゃんの常識だよw
これで「見えない敵」の意味すら知らないことがはっきりしたなw

519 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 18:56:51
多分ね、全く状況が分かっていないと思う。こいつ→>>514

数字厨房が2人で自演合戦をやってると思ってんジャマイカ?
おまえら、遊ばれているんだよw

520 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:05:06
漏れは、小牧長久手とか、実高とかどうでも良くて、長篠ネタキボンなんだけど。
何でこいつらいつまでも巣食ってるんだ?

521 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:10:46
あ〜あ、また荒れた・・・
論議する人は、気に食わないことがあっても、発狂しないでね。
感情はどうなってもいいけれど、それをキーボードで文章にしないこと。
それだけだよ。

522 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:24:38
>>519
赤っ恥をかいたやつw

523 :521:2007/09/09(日) 19:26:16
ええとね。連投ね。自演でも何でもないから。
>>494がまずかったんじゃ?
意見の違いとかなんとかじゃなくて、あれは、日本史板全体を批判した事に
なるでしょ?
それ以前からも小牧長久手とか、すれ違い(と思う)あって、当事者以外は反
感持っていたと思うけれど、>>494は決定的にしたと思う。
それと、意見と感情がごっちゃになっているのが当事者のうちの一方だよね?
だから、そちらへの反感がより強くなっているよ。

はっきり言うけれど、もう止めたら? 基本的に長篠スレが基本でいいよ。
関係あるのなら、他のネタを入れてもいいけど。
これも、論争相手の自演だと思えて、火消しだ何だと言うのなら、もう何
も言うことはないけれどね。

524 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:32:59
なぜ>>494のせいにするのかサッパリ分からんな。
このスレは>>494以前から荒廃しきっていたというのに。
>>494のカキコから何が変わったわけでもなし。

525 :521:2007/09/09(日) 19:35:44
それだけじゃないと思う。
でも全部が自演じゃないよ。少なくともそれまで何度も自分が書いたもの
まで誰かの自演みたいに言われたのはどうかと思った。


526 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:42:18
自演はありだろw 2ちゃんだし。
論議の当事者だってやってるんだろ?

しかし、面白いのは、どうやら片方が、レスのほとんどが敵の自演だと思い込んでいるみたいなことだろw
だから、面白がって書く奴がおおいんジャマイカ?

ひょっとして、俺が書いた以外は自演かもな。
でも、少なくとも2名じゃないことは確かだろw

527 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:42:58
>>518
経験者は語る。


528 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:48:02
>>526
おかしいなあ。途中で双方自演認定しあっていたはずだけど。
なぜ片一方だけ自演厨認定するんだろうねぇ?
不思議だなあ。



529 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 19:56:54
知らんよ、そんなことw
面白いから書くだけのネタスレなのに、認定もクソもあるか?
おまえも同じだろうが。ちゃんとクソレス書いてんだろうがw
そういうのは、当事者かどうかなんて考えもしないなw

530 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:03:25

突っこまれてあせってるやつの図w

531 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:05:47
前、それ書かれたなw
実は、>>529も俺の自演なんだよw

532 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:08:23
あげ基調で書いているから、どんどん集まってくるよな。

・・・といいつつ、実は>>531は俺の自演だったりしてw

533 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:10:27
では、こう逝こうか。

「↑」をつけている奴が、一番怪しいなw

534 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:11:19
>>530=533とみた。
これは自信がある。

535 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:13:54
何で解ったの?

536 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:18:25
まあ、騎馬武者が突撃すれば、鉄砲三段撃ちの餌食になる。
これ常識。

537 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:20:22
鉄砲三段撃ちが突撃したらどうなるの?
騎馬武者の餌食?

538 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:26:15
>>537
余りの意表さに、流石の騎馬も牙をむくだろうw

539 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:27:39
あはははははははは

540 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:29:50
やっとネタスレに戻ってきたな

541 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 20:30:58
うるせーばか

542 :日本@名無史さん:2007/09/09(日) 23:53:58


543 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 00:44:00
鉄砲撃ち段位
初段→二段→三段→免許皆伝

544 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 01:42:38
家康は騎乗三段打ちを開発したしたんだ。長篠の戦いは徳川・武田の戦いで、
助っ人の織田は、あまり役にたたなかったんだぜ。

545 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 02:50:43
ある意味全滅しとけばよかったかもな

546 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 06:47:58
壇ノ浦の平氏の方が潔かったかも知れない。

547 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 06:57:12
騎馬鉄砲は伊達だろ?

548 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 06:58:31
長篠城の力攻めは無理だったの?

549 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 15:09:27
奥平に鉄砲三段撃ちがなければ可能。
あれば長篠城で武田全滅。ザ・エンド。

550 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 20:25:05
>>549
それゲ−ムの話?

551 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:00:39
>>548
力攻めっていうか、既に5月1日から信長が到着する20日くらいまで、一万五千が五百の城を落とせないんだからどうしようもないね。
もっとも長篠城を攻めるのが、家康とか、あわよくば信長まで引っ張り出したくてやったのなら、力攻めはしないよ。


552 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 22:28:39
やっぱり戦えば勝てるという奢りがあったのかな。
信長の策にはまったのじゃないかなあ。
弱いと思わせておいて、機会がくればガツンと叩こうと狙っていたのでは?
だけど、他の武将にだって同じ手は使えないよねえ。
謙信に対してはどうするつもりだったんだろうか?
同じように油断させようとしていたようだけど。
その後何か策があったのかねえ。

553 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:52:32
>>546
宗盛

554 :日本@名無史さん:2007/09/10(月) 23:59:51
>>546
時忠

555 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 00:01:24
>>552
謙信は手取川の戦いで、織田軍をボロボロにしましたw

556 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 00:06:41
戦国最強の武田騎馬軍団は三方原の戦いで、織田軍をボロボロにしましたw

557 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 00:11:31
戦国最強の羽柴猿軍団は長久手の戦いで、徳川軍をボロボロにしましたw

558 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 01:22:55
ネタ切れ?

559 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 08:35:59
マジ切れ?

560 :日本@名無史さん:2007/09/11(火) 23:36:30
幕末最強の毛利・島津は鳥羽伏見の戦いで、3倍の徳川軍をボロボロにしましたw

561 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 06:48:34
やっぱネタスレは枯れるな

562 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 17:27:22
世界最強の義経軍団は一の谷の戦いで、平家軍をボロボロにしましたw

563 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:52:25
辞意表明をした安倍晋三内閣総理大臣が首相官邸で自殺しました。

564 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:54:25
毎日、夜十時から書き込みますね。

565 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:55:05
インドネシアでたった今、大地震が発生しました。M8

566 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 21:56:36
夜十時から朝八時まで・・・どんな生活してるんだ?

567 :日本@名無史さん:2007/09/12(水) 22:05:01
うそつけ

568 :日本@名無史さん:2007/09/13(木) 23:11:47
ガオー

569 :日本@名無史さん:2007/09/14(金) 21:31:08


570 :日本@名無史さん:2007/09/15(土) 04:27:46
つわものどもがゆめのあと

571 :日本@名無史さん:2007/09/15(土) 06:16:25


572 :日本@名無史さん:2007/09/15(土) 06:37:58
良スレの予感

573 :日本@名無史さん:2007/09/15(土) 22:54:27


574 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 08:38:34
「小競り合い」は、一段落かな?

575 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 17:31:20
やはりここは、「三段撃ち」があったのかなかったのかで論議するのが良いと思う。

ただし、三段撃ちとは、
1.当時の単発の火縄銃の欠点を補い、「連射」ができるようにしたのか。
それとも、
2.そんなことしなくても勝てたからしなくても良く、これは後世の作り話でしかない。
そんなところの話ではないかと思う。
1.の場合は、だから「三」に拘る必要はなく、連射が勝敗に関わるほど重要だったかが問題。
2.の場合は、では何故、後世の人はそんなお話を作ったのか、まで考えた方がいいだろうな。

武田「騎馬軍団」の是非はあり。水戸黄門もあり。小牧長久手はなし(伝説じゃないだろ)。
こんな風に仕切ってみたが、どうだろ?


576 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 17:38:42
>>63
兵はともかく、馬の方がサイクロン号に変身できまいw

577 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 17:55:25
とぉ!

578 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 17:57:05
チンカス

579 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:00:16
との自己紹介でしたw

580 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:00:40
>>575
三段撃ちってのは、中国の弩にもあるから、単にその話を鉄砲に応用したんじゃないのか?
弩にも撃つまでに時間がかかるといった欠点があったし。分業制の話もあった。

581 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:01:59
妄想スレ

582 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:30:12
>>580
微妙な表現だな。
「応用した」の主語が誰かで、>>575の1.か2.のどちらにでもなる。
主語が信長なら、1.。主語が後世の人なら2.だな。

583 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:32:44
粘着w

584 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:35:25
との自己紹介でしたw

585 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 19:57:33
つまり粘着するチンカスか? 気持ち悪っ!

586 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 21:43:08
武田騎馬軍団w

587 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 22:43:44
ちなみにショッカーは地獄の軍団

588 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 13:58:25
騎馬軍団の呼称はともかくも、長篠の合戦で、武田は本格的な野戦ができる兵力を失ったというのはその通りだろう。
全兵力ではなく、騎馬での野戦勢力が滅びたという意味ならOKでは。

589 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 14:49:41
雲黒斎

590 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:22:17
>>589
自己紹介乙ですw

591 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:32:06
織田軍団て強いよねー
信長って天才!天下無双。
サイコーだよね。
人類史上最高の英傑だよね!

592 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 16:37:26
人類史上最高のええケツしとりましたか?

593 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 18:17:29
蘭丸の方がええケツだっただろう。
ちなみにRammaruではなく、Ranmaruだから、念の為w

594 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 23:23:57
Gaiemmaeだったか、Nihombashiってのもあるが、Nihonbashiと書いてる方が多いよな。


595 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 11:15:30
ウィキペディアで「太刀」の項目を見ていたら、
「もともと馬上での戦いを想定して作られている…(中略)…
平安時代頃から作られ始め、鎌倉時代、南北朝時代と使用され続けたが、
室町時代後期になると馬上決戦から歩兵による戦いが主になるにつれ
生産量も落ち、徒歩による戦いを得意とする打刀が台頭していった」
と書いてあった。長篠の合戦の頃にはいわゆる馬上戦を想定したような
騎馬隊はすでにポピュラーじゃなかった、という理解でFA?

596 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 11:28:23
>>595
君の読解力の無さに乾杯。

597 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 11:44:58
信長ってすごいよねー
世界最新兵器を世界最大規模で使用したんだってー
まさに神だよねー

598 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 13:28:58
>>597
えっ?まじで!?
ソースキボンヌ

599 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 17:58:30
おまえら!!協力を頼む!!

特亜(中国・韓国・北朝鮮など)に好き勝手にやらせないためにも今回は福田ではなく麻生支持でお願いします。
お前らの出来る範囲で構わないので下記の行動を手伝ってくれませんか?
自分たちの未来のために、日本を良くするためにもお願いします。

<おまえらが麻生さんのために可能ならやってほしいこと>

1.衆院でも参院でも良いので地元の自民党議員に、福田さんが総裁になったら自民党に投票しないとの旨を伝える。
  または、すでに党員の方は党員を辞めるかもしれないことを伝える。
  理由は、派閥談合の決め方、外交政策や拉致問題など、自分の言葉で何でも良いので説明を。
  あと、党員投票を行っていないなら党員投票を行ってほしい旨を伝える。
  これは派閥の談合で国民の声を聞いていないなどの点を伝える。

2.自分でブログやHPなどを持っている人は、ネット上にUPされた麻生さんの演説動画やテレビでやった
  演説動画を貼ったり、麻生さんの支持できる理由などを載せる。
  そして、ネット上で影響の大きいサイトにリンクを貼って貰ったり、同じように意見に賛同して貰うように
  働きかけ支持者を増やしていく。
  
3.総裁選関連のスレでカキコする。麻生さんの良い理由を暇な時にでも書いて見る。

4.自分の周りに自民党関連の人が居たら麻生支持の旨を伝える。意見の賛同を求める。いわゆる口コミ。

などなど

600 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:03:11
信長は他の追従を許さないよねー

601 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 18:57:06
>>600
えっ?まじで!?
ソースキボンヌ

602 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 20:28:26
なんじゃ「ソース」?

603 :日本@名無史さん:2007/09/18(火) 20:30:19
なんじゃ「キボンヌ」?

604 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 01:29:18
ウスターソースとか・・・

605 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 02:24:59
>>600
確かに、家来に殺されるバカ殿としては他の追従を許さない

606 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 08:44:28
そもそも騎馬武者の突撃自体が史実と違うと言う事実。

607 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 10:18:32
>>606
お前変な薬でもやってるのか?
次は鉄砲三段撃ちもなかったとか言い出すんじゃないだろうな?
一度精神科池。

608 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 18:33:44
>>607
三段打ちなどもはや都市伝説というのが常識

609 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:06:31
信長ヲタに現実を直視しろと言うのは、木に登って魚をとれというのと同じ。

610 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 20:33:31
>>609
釣り竿


611 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 21:13:56
いわゆる「釣り」以外に信長厨と対話する方法はない、ということで決まりでしょうか

612 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 22:19:23
>>609
モリ

613 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 22:42:27
>>608
三段撃ちなら田舎伝説という気がするが。
都市の方では三段打ちなのか? 余り聞かないがw

614 :日本@名無史さん:2007/09/19(水) 23:13:50
昔の教科書には「三段打ち」なる記述もあったようだ。
607は相当に高齢な方では?

615 :日本@名無史さん:2007/09/20(木) 00:20:28
信長研究は、もう民俗学か何かの分野なのか???

616 :日本@名無史さん:2007/09/20(木) 20:47:37
>>576
でも、先代クウガのトライゴウラム(仮称)とバギブソンは馬を使ったらしいぞ。

617 :日本@名無史さん:2007/09/20(木) 23:51:51
馬上槍自体が特殊なんだから、そもそも騎馬隊を殲滅とか言う話しがどの程度のものなのか

618 :日本@名無史さん:2007/09/21(金) 14:00:07
こんな程度だろ

                     _                   _
                     |織|               _    |織|
                      |田|   _           .||織|   |田|
                      |討|  |織|        .|田|   |討|
  織田に突撃〜〜           |伐|   |田|           |討|   |伐| 駄織田!
               _∧ ∧(oノヘ| ̄  .|討|          |伐|(oノヘ| ̄    駄織田!
(`;ω;´)         (_・ |/(゚∀゚∩|\.   |伐| ._∧ ∧(oノヘ|/(∀゚ )|∩
     _∧ .∧(oノヘ   |\Ю__∧彡∧(oノヘ| ̄ (_・ |/(゚∀゚∩|\ ⊂彡|√ヽ
    (_・ |/(゚∀゚∩\ (  (_・ |/(゚∀゚∩|\   |\Ю⊂彡)_|√ヽ~∪ )^)ノ (´⌒(´⌒;;
       |\Ю⊂彡 √ヽ| ||   |\Ю⊂彡) |√ヽ (  ̄ ~∪ )^)ノ( | ( |(´⌒(´⌒;;
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        ||` || ( | ( |(´⌒(´    ||` || ( | ( |  (´⌒(´⌒;;  (´⌒ '~ (´⌒(´⌒;;


619 :日本@名無史さん:2007/09/21(金) 23:28:20
208 :日本@名無史さん:2007/09/21(金) 11:10:38
戦国時代のことで気になるンだが、
足軽なんかは農民だよね。
てことは、武田信玄が侵略した信州に
甲軍としてついていった足軽は、領主が武田家にかわると、
占領した信州にいい土地みつけると、先住農民追い出して自分が住み着いたのかな?



620 :日本@名無史さん:2007/09/22(土) 02:16:20
ここは、戦国板に比べたら、レベル低杉w

621 :日本@名無史さん:2007/10/06(土) 15:07:41
家康246万石

622 :日本@名無史さん:2007/10/17(水) 08:41:13
今や電車の中で朝日を読んでると馬鹿にされる時代だからな。他の新聞なら大丈夫なのに。

623 :日本@名無史さん:2007/10/17(水) 09:51:25
>>622
それどころか、廃品回収の日に朝日を持っていくと指差して笑われます。

624 :日本@名無史さん:2007/10/17(水) 15:01:23
それは新聞が笑われてるのではなく、新聞を持っていったあなたが笑われているのです

625 :日本@名無史さん:2007/10/17(水) 21:13:55
>>624
そうなんでしょうか? 産経新聞の時は近所の人は隠れてましたし、読売新聞の時は「かわいそうに」と声をかけられましたし
毎日新聞の時は「カルト氏ね!」と罵られました。新聞ごとに反応が違うので私個人の問題ではなさそうですが。
今はどの新聞を取ったものか正直迷っています。

626 :日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:05:05
>>625
朝日新聞にしとけば間違いはない。
日本一のクオリティペイパーなんだし。

627 :日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:38:54
Webで見ろよ

628 :日本@名無史さん:2007/10/23(火) 22:48:46

貧乏人乙

629 :日本@名無史さん:2007/10/23(火) 23:34:15
米軍の空爆が武田の敗因

630 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/23(火) 23:36:49
私は読売しかとりません。
大新聞でこんなに家庭面が充実している新聞はないからです。
年金保険などについての情報も他紙に抜きんでています。
ああそれと広告も多いです。
日常の生活での苦労がある境遇の人と、そうでない恵まれた安楽な毎日を
送っている人とでは
新聞に対する意識がこうも違うものなんですね。
確かに産経は安いですけど、一生活者には役立たずの新聞です。取らないほうがマシというものです。
朝日がナンタラいうのは、階層レベルが××××で××××××しやすいからでしょう。
社会学であなた方のように朝日批判をする人たちの階層分析をしています。
いろいろありますので、ご一読下さい。


631 :日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:03:45
nikaidou.com: 大スクープ!日テレ氏家議長が世論操作で福田の後押し!
http://www.nikaidou.com/2007/09/post_547.html

日本文化チャンネル桜 緊急爆弾
http://www.nicovideo.jp/watch/sm1114451
http://jp.youtube.com/watch?v=RvS8qDvxZMw

正力松太郎
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A3%E5%8A%9B%E6%9D%BE%E5%A4%AA%E9%83%8E
>週刊新潮2006年2月16日号で、
>戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力松太郎がアメリカCIAの意向に従って行動していたことが
>早稲田大学教授の有馬哲夫が米国国立公文書館によって公開された外交機密文書を基に明らかにされて、反響を呼んだ。

     ,..:ニニニニニ::::::、
    ;;:::'''       ヾ、
   ;'X:           ミ
   彡   -==、  ,==-i
  ,=ミ_____,====、 ,====i、
  i 、''ーー|| °||=|| °||
  '; '::::::::: """"  i,゙""",l
   ーi::i:::   ,'"`ー'゙`; _ j     /日本の総理は、靖国参拝しないと進言
   . |:::|:::   i' ,-ュュャ'  i   <  しなくてはいけない。
    人:::::  ゙ "" ゙̄ ._ノ     \_さもなくば、発行部数1,000万部の
,,.....イ.ヽヽ、ニ__ ーーノ゙-、.     読売の力で、その政権を倒すw
:   |  '; \_____ ノ.| ヽ i
    |  \/゙(__)\,|  i |
    >   ヽ. ハ  |   ||
http://www.pekinshuho.com/yzds/txt/2007-08/10/content_72081_5.htm

632 :日本@名無史さん:2007/10/24(水) 09:11:33
>>631
読売はクズだな(藁

633 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/24(水) 23:57:59
>>632
生活者にはいい新聞です

634 :日本@名無史さん:2007/10/25(木) 00:20:59
随分と廃れているスレだが
新聞の評価に成り下がったのか?
以前は長篠の戦についてかなり有意義な論議が為されたスレなのにな。
まあ2ちゃんねらーの長篠の意識なんてそんなもんだよ。
不要印紙ってやはり廃品回収業者なのか???

635 :武陽陰士 ◆ATDF4vFZys :2007/10/26(金) 01:05:58
↑私に論破されたからって、ストーカーするの止めてくれませんか?
男だったら素直に負けを認めるものです。
ていうかぶっちゃけ女の子ストーカーした前科あんだろオマエw
キモい

636 :日本@名無史さん:2007/10/26(金) 22:12:14
また信長公記の話をここでしてやろうか?w
おまえが位牌に灰をなんて得意気に書いている間違いを指摘したのは漏れだよw
論破も何もおまいはそれ以前のクズだよw ドシロート!


637 :日本@名無史さん:2007/10/26(金) 23:17:51
火縄銃はそんなに殺傷力無いと言う話聞いたよ。
至近距離じゃないと鎧がヘコむ程度、でも当たると
物凄く痛いので相手をひるますことができると。

638 :日本@名無史さん:2007/10/26(金) 23:21:35
音による威嚇効果もあります。

639 :日本@名無史さん:2007/10/26(金) 23:30:08
見た目の威嚇効果もあります。

640 :日本@名無史さん:2007/10/27(土) 05:27:17
>>637
足軽葉武者の鎧はスカスカ

641 :日本@名無史さん:2007/10/27(土) 14:25:27
馬を驚かせる

642 :日本@名無史さん:2007/10/27(土) 15:03:27
ここは以前は論戦も白熱していたし、自演や成りすましもあって壮絶な戦いだったスレだが。

つわもの共が夢のあと


643 :日本@名無史さん:2007/11/03(土) 09:57:29
>>637
では投石の方が簡単で確実だぞw 衝撃力も上
連射も不可能ではないw

644 :日本@名無史さん:2007/11/03(土) 12:09:14
>>637
そんなバカな、火縄銃の威力は当時は革命的だよ。
よく試し胴などに玉の痕が少し凹んでいる程度の鎧が残っているが、
甲冑師が自分の鎧の品質をPRするために貫通しないように装薬(火薬)の量を
非常に少なくして撃ってもらったもので、今で言えば偽装。
通常使用されていた6匁玉より威力の少ない2匁玉を使用した実験した記録によると
50mで当時の士分のものが標準で着用していた鎧で鉄板の厚さ平均1.5mm、総重量30kgのものを貫通する。
しかも前面、背面の鉄板の両方を貫通する。もちろん腕にあたれば腕はちぎれ飛ぶ。
初速は400m/sあり現代の拳銃弾より早く、弾体重量は拳銃より重いので威力があるのは当然。

645 :日本@名無史さん:2007/11/03(土) 23:07:39
火縄銃の効果は革命的だったのは確か。
まず音による威嚇効果が大きい。
次に殺傷能力だ。
しかし、火縄銃は、不発も多く命中率も低い。
したがって、槍での戦いで勝負がつくのは常識だ。

646 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 00:38:22
>>644
距離によるということだね。
火縄銃の必中エリアは130mほど。
しかし殺傷力を伴うような有効射程距離は80mくらい。
ただし、尖頭弾ではなく、バレルにライフルも切られていないので狙ったところにそのまままっすぐ飛ばない。
従って効果は最大の何割かに減殺される。
・・・これって前スレで話題になったがはるか昔か・・・

647 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 01:30:39
>>645
命中率が低いというが、それは距離にもよるのであって50mくらいなら必殺射程。
射撃用標的の10点圏(半径3.5cm)に10発のうち7,8発は集弾する。100mでも体の中心を狙えば
胴体のどこかしらには命中し戦闘能力を奪うことができる。
槍(長くても5m)が活躍?するのは勝負が決した後では?

648 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 11:04:56
>>647
銃の仕様については大きな異論はないが、戦闘方法については>>645の方が正しいだろう。
飛び道具は戦闘の初期に相手をひるませるのが主目的。
それは相手に懐に飛び込ませない、寄せ付けないことで優位を確保するため。
だから主としてディフェンス側が用いる。長篠の場合も同様。
オフェンス側はそれを掻い潜ってどこまで攻め入るかが焦点になる。

いずれにしても決戦は白兵戦となり、主たる兵器の槍で決まる事になるだろう。
太刀は槍が損傷するなどの非常時。または相手の首を取るときなどの道具だ。


649 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 11:31:39
音で威嚇って、そんなもんがどれほど効果あるんだよw
そんなもんが有効ならみんなでいっせいにドラ叩いた方が安上がりじゃんw
真面目に言ってたらアホすぎw

650 :日本@名無史さん:2007/11/04(日) 23:16:08
>>649
銅鑼なら三段打ち程度なら朝飯前だろうしなw

651 :日本@名無史さん:2007/11/07(水) 18:00:18
音で人馬を驚かすなら、味方もまた然りw

652 :日本@名無史さん:2007/11/07(水) 23:20:49
何が三段撃ちだ。ドラマの見すぎ。
まだこんな嘘を信じている奴がいるんだな。
三段撃ちで武田軍が滅んだのなら、なぜ戦闘時間が何時間もかかるんだ?
槍で戦ったから戦闘に何時間もかかったんだよ。

653 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 00:54:27
銅鑼と火縄銃の音量を計測、比較した資料ってないの?

654 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 01:34:34
>>652
「何時間もかかるんだ」と言うが、それは織田・徳川連合が時間をかけていたからだよ。
連合軍側の陣城への突撃を繰り返す武田側が兵力をすり減らし、攻撃不能になる攻勢限界点を待っていた。
午前8時から攻撃が始まり、限界に達したのが午後1時、これ以後武田の追撃にうつったわけだ。
結局は三段撃ちは無かったが鉄砲の集中使用により武田が壊滅したのは事実。

655 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 03:20:54
火縄銃のリロードにどんだけ時間かかるのか知らないんだろうが
他の戦場でも交互に撃つ作業をシンプルにした戦術が
使われるようになってなきゃ火縄銃の圧倒的な力など言われてない。
火縄銃の国外での使われ方も見てみろよ。

鈴木みたいな電波に学者がめんどくさがって反論しないから
カルトにハマル馬鹿が増えるんだろうな。
ってかこれ信じる馬鹿はなんかしらのカルトにはまんよ。

656 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 06:08:59
つうか、鉄砲三段撃ち以外で戦国最強の武田騎馬軍団を全滅させる手段があるのかと。
小一時間問いつめたいね。

657 :サガミハラハラ:2007/11/08(木) 12:55:26
鉄砲を使用しなかったら、織田徳川連合軍は総崩れだったと思います。

658 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:31:19
>>652
> 三段撃ちで武田軍が滅んだのなら、なぜ戦闘時間が何時間もかかるんだ?

いかに三段撃ちと言えども、相手が有効射程距離内に入ってこなければ意味を成さない。
合戦中、武田勢はのべつまくなし突撃していたわけではない。
次々新手を繰り出すごとに、前の部隊は再編成のために後退していたのだからその間は突撃できないだろう。
また、タイミングを計るためににらみ合ってた時間帯もあっただろう。
織田・徳川連合軍としては囮以外は柵の前に出さないと決めた以上、あとは武田勝頼の都合次第ということだw

659 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:41:37
当時の鉄砲ってどれくらいの威力があったんだろうか?

660 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 13:45:29
>>658
同意。>>652は戦国最強の武田騎馬軍団といえども人間であるという、
根本的な認識が欠けている。
戦をすると腹が減るのだ。だから弁当を食わねばならない。
弁当を食えば、便所に行きたくなる。昼寝もしたくなる。
その間、柵の中に引きこもっている織田徳川軍は手が出さないというわけだ。


661 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 22:39:40
戦場で昼寝するなよw
それに織田徳川が最初討って出なかったのは「結果論」。
結果から見ればそうだが、武田がそう断定した行動は取れないよ。
そして、最後には撃って出て、追撃にて大半を討ち取っている。
これが最後になったのも結果だ。武田は常に織田徳川の出撃の可能性を考慮せざるを得ない。


662 :日本@名無史さん:2007/11/08(木) 22:42:01
>>659
前スレ嫁

663 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 18:55:34
>>655
早合を使えば1分に5発は撃てる。鉄砲の有効射程は100メートルなので、
弾の装填中に100メートルを敵兵が接近し、攻撃することは有り得ん。
何人かは火線を突破できたとしても馬防柵がある。
また、1人の射撃手に数丁の火縄銃と数人の助手が付き、射撃手が射撃している間に
助手が火縄銃の装填を行う方法もあり、ほぼ連射状態(雑賀衆、根来衆のスタイル)。
ちなみに長篠には根来衆が多く参加していた。

664 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 19:56:58
>早合を使えば1分に5発は撃てる。鉄砲の有効射程は100メートルなので、
>弾の装填中に100メートルを敵兵が接近し、攻撃することは有り得ん。

12秒で弾込めて発射とか早すぎるだろういくらなんでも
どこググっても熟練者で約20秒はかかるとある、そこから構えて撃つ動作を10秒ほど
足して(そんなに早く構えれるか大いに疑問だし、それで命中精度の低い火縄銃使って
狙うのは難しいだろうが)30秒。
足軽だって胴丸着た状態で二発目までに楽々間に合うぞ。
三段撃ちに限らないにしろ戦場でマニュアル化した速射術がなけりゃ
到底馬の突撃に対処なんて無理じゃん。

665 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 21:12:30
>>663
>ちなみに長篠には根来衆が多く参加していた。

まじで?ソースキボンヌ

666 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 23:15:39
>>665
エキストラだったりしてw 閑話休題。

>>663じゃないからソースは知らないが、宮崎駿が「もののけ姫」を製作する
過程でそんな話を聞いて助手が弾込めして撃ち手(エボシ御前)に渡すシーンを
描いたと聞いたことはある。

667 :日本@名無史さん:2007/11/09(金) 23:43:24
雑賀厨

668 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 03:25:17
>>665
しまった。他の合戦と混同していた。
ただ、雑賀と違ってこの時点では根来衆は基本的(一部は雑賀に同調)には
信長とは敵対してないので傭兵として参加してる可能性はあるだろう。
史料としては筒井から鉄砲衆50人など、あちこちから鉄砲を集めていたようなので、
同じように集められていたかもしれない。

669 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 04:07:10
>>664
実はマニュアル化した速射術があっても
当時の銃兵が騎兵突撃に対抗するのは困難。
それで西洋ではパイク兵に銃兵を守らせる野戦陣形が、
日本では柵や堀を伴う野戦築城が発達したんじゃあるめぇか?
ただ日本の場合は騎兵の突撃じゃなく敵側の銃撃や
散兵の浸透を防ぐ、て側面がでかかったと思う。

あと日本と西洋の鉄砲を使った戦術は方向性がかなり違うようだ。
西洋は銃兵全員をガチガチの規律で縛った上で一斉射撃を素早く、
正確に行えるようにして連射能力を上げ「個人の銃を扱う技量に頼らず」
総合的な火力を向上させる、というシステマチックな方向性。

日本は個々の射手の技量の高さと地形や野戦築城の利用により
火力、戦術面での優位性を得る、という方向性で
軍団全体で火力をどう運用するか?という発想はあんま無かったと思う。
日本の山がちな地形で鉄砲の力を生かすためにこういう発展をしたんかな。


670 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 04:43:56
>>664
http://www.kbs-kyoto.co.jp/contents/news/2007/09/post_1246.htm
これは10秒に1発だが早撃ちに特化してるので、あまり参考にはならないかもしれない。
http://www6.wind.ne.jp/satochan/boukentai/l-kassen-hinawajuu.htm
有る程度熟練すると15秒に一発はいけるようだ。

複数の助手に鉄砲を持たせて装填させ、自分は打つだけという人間バルカン砲の
ようなこともやっていたので、例えば15秒に1発装填できる助手を三人揃え
発砲後に手の空いた助手に渡して順次装填させれば5秒に1回は発射できる。
これは根来や雑賀のスタイルだが、その後全国に伝わり上杉家の砲術指南書にも残っている。

671 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 06:20:25
>>669
>日本は個々の射手の技量の高さと地形や野戦築城の利用により
>火力、戦術面での優位性を得る、という方向性で
>軍団全体で火力をどう運用するか?という発想はあんま無かったと思う。

砲術を編み出して特殊技能を磨いていたのはそれなりに身分のある武士が多いし、
関ヶ原の戦いや賤ヶ岳の戦いのような強固な野戦陣地は敵が来るのが分かっている場合のことで、
敵が通らざるを得ない街道を封鎖するものだし、必ずしも野戦に一般的であったとは言えないと思う。
長篠も含めて考えても、強固な野戦陣地構築は、野戦の中でも持久戦型限定のもの。
日本の野戦=野戦陣地構築して鉄砲の撃ち合い、というわけではないと思う。

672 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 12:53:07
>>670
リンク先にある有効射程距離は50m(〜100m)だとか
同好会の熟練者が速射で(15秒〜)20秒
演習として撃って55秒〜60秒
ってのをスルーして話構成してるのは何故?

五秒に一回の速射とかwそんな無理なことしたらそれこそ暴発で指とばした
片端ばかりになるし、的狙う暇もあったもんじゃない
銃を使うのは足軽で火薬も弾もそれなりに高価
曲芸教え込んで戦争する暇なんてあるわけなかんべ

673 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 16:37:36
そういえばNHK、なんで早号使わないんだろうね。
時々、大河ドラマやその時歴史が動いたで、
「馬と鉄砲とどちらが早いか」の実験してるけど、
なぜか早号を使わない。いちいち腰巾着から火薬を入れて、
「あー、やはり馬が速いですね」みたいな結論をいつも出してる。
早号使えよ、おい。

674 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 19:57:52
現代の歩兵は機銃相手でも前進させられるし
それ考えりゃ火縄銃相手なら馬のってりゃ屁でもないんだろ

675 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 20:05:44
>>674
同意。それに鉄砲もってるのは足軽ばかり。
一方の武田騎馬軍団は身分も高く、100戦錬磨の荒武者揃い。
柵さえなければ足軽など蹴散らすのは朝食前。

676 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 20:39:30
それはそれで戦国無双の世界だろ

677 :日本@名無史さん:2007/11/10(土) 22:05:58
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E7%B6%B2%E5%BF%A0%E6%81%92

678 :日本@名無史さん:2007/11/11(日) 03:26:33
>>675
当時、日本には騎馬隊なんて存在してません。
だいたいが、長篠には馬防柵の他に、空堀、土塁なども築かれた野戦築城陣地となっている。
城砦設備に馬でつっこんでもどうにもならんのは、いくら山県や内藤がバカでも判るだろう。
もっとも、最初のうちは空堀、土塁などもある陣城設備とは夢にも思わず、馬で突っ込んだバカがいたかも。
武田の足軽が突撃しても鉄砲の餌食になるだけだ。

>>672
>五秒に一回の速射とかwそんな無理なことしたらそれこそ暴発で指とばした片端ばかりになるし、的狙う暇もあったもんじゃない
なんで?自分は発射するだけで装填は複数の助手がやるんだから指をとばすはずは無い。
五秒もあれば照準をつけるのには十分だしね。
但し、このスタイルは大量に鉄砲を装備していた根来や雑賀だからこそで、
7,8年前に織田に紀州勢1万で合力して、三好を攻めたときには既に三千丁の鉄砲(もちろんこれが全てではない)
を装備していた。(このマニュアルを紀州勢のマネをして織田が使った可能性はあるだろう。)

679 :日本@名無史さん:2007/11/11(日) 06:46:44
騎馬隊はないって珍説厨はまだ死んでなかったか
さっさとスレ見返して成仏しろ

680 :日本@名無史さん:2007/11/11(日) 07:16:35
>>678
お前武田騎馬軍団をなめすぎ。
柵なんか引きずり倒せばよいし、空堀、土塁なんか飛び越えればよい。
というか、もっともバカな武田武者でもお前よりは賢いと思われ。

681 :サガミハラハラ:2007/11/11(日) 08:36:56
武田が陣地に突っ込んでいったのは、敵陣を破れるとふんだうえでの突撃です。
闇雲に突撃したわけではありません。

682 :日本@名無史さん:2007/11/12(月) 00:55:23
肝心の武田側の突撃はどういう風に行われたんだろうな
少人数のグループでの浸透、突破を狙ったのか
戦列を組んで波状攻撃を仕掛けたのか。

圧倒的に数的劣勢な側が野戦築城と火縄銃でがっちり防御された敵陣地に
突撃を仕掛けたという事がまず信じがたい。
どー見たって必敗の形勢だ。
武田側は織田,徳川側の陣地に関する情報を全く仕入れてなかったのか?
何らかの勝算がなければこんな自殺的な攻撃を仕掛けたりはしないだろうが
武田側には一体どういう勝算があったんだろう


683 :日本@名無史さん:2007/11/12(月) 02:29:38
>>681
現実を見ろよ。

>>682
佐久間信盛は勝頼に対して裏切りを約束していたらしいね。
もちろん、これは信長が佐久間に命じてやらせたこと。
敵を誘い出して、堅固な自陣を攻撃するよう誘引する後手必勝を狙う場合はよくある手。

684 :682:2007/11/12(月) 03:19:19
>>683
なりほど。織田側はそんな手を使って誘い出そうとしてたのね。
サンクス!

あといくつかサイト回って調べてきたんだけど
武田側の攻撃は最初弓、鉄砲を撃ちながらじりじりと距離を詰めていって、
陣地まである程度(銃の射程ギリギリくらいまでかな)
距離をつめた後一斉に突撃に移行する、て感じだったみたいだね。
だから戦力比も戦果も一方的なものだったにもかかわらず
合戦がかなりの長時間に渡ったそうで。

685 :日本@名無史さん:2007/11/12(月) 06:33:45
>佐久間裏切り

これは根拠薄弱
鉄砲三段撃ちの方がまだ可能性が高い

686 :日本@名無史さん:2007/11/15(木) 18:34:03
>>682
貴方の疑問はそのとおり
現地に一度行って見れば何かと見えてくると思う
あの辺は飯田線沿いにあって三河大野までは山の中で本長篠から平地らしくなってくる。

山から平地稲作地帯。

これは(武田というより)勝頼にとって「陽のあたる場所へのデビュー」になるわけだ。
舞台の袖から中央スポットライトのところまで行く。
その最初のところでコケルわけにはいかない。(晴信はルート違いだがデビューした)
無視すればそれでいい野戦砦へ向かったのは、逃げた事に「されてしまう」のを避けた事と
武威を示すいい機会ととらえた事。
つまりこれから自分の土地に成るであろう(勝頼はそのつもり)平地の百姓(農民の意でなく)に、
いいカッコを見せないと信頼信用が構築できないからだ。
「今度の親分ダメじゃん!」とか「よわっ」と判断されると例えその地を一時押さえる事ができても
この時代の武装した百姓は言うこと聞かないし、次の戦で反勝頼ゲリラになるからね。
ちなみに「今度の親分ダメじゃん!」は武田内に対してもいえる。

でも、もし勝頼が三方が原の晴信のように砦を無視できるならそこそこ平地に侵出できたかも。
それが上手く罠に嵌める事が出来たのは勝頼の性格・立場などを含めた武田軍の性向を分析して
戦わざるを得ないように世論操作をしたんだろうね。
「武田のダンナ!織田徳川を懲らしてくださいよ」とか。
戦見物の百姓も大勢いたかもしれない、
あの狭隘地に程よい高さの丘だし死体から身ぐるみはがすのに。








687 :日本@名無史さん:2007/11/15(木) 18:48:51
スレタイがバカすぎる。

688 :日本@名無史さん:2007/11/15(木) 18:53:24
>>687
お前並だね。

689 :日本@名無史さん:2007/11/15(木) 21:26:07
>>686
なんか勘違いがあるようだが、甲斐にも信濃にも西上野にも駿河にも東遠江にも平野はあるわけだが。
武田はとっくに広大な「平地稲作地帯」を支配してたわけだ。

>「陽のあたる場所へのデビュー」

レベル低すぎてワロタw

690 :日本@名無史さん:2007/11/15(木) 22:03:30
本当の私デビュー

691 :日本@名無史さん:2007/11/16(金) 17:14:39
信玄は筋金入りの武闘派だった。
勝頼はむしろ経済を重視した政策を採ろうとした。
それを受け入れられなかった信玄の忠臣が多数の兵士を巻き添えに信玄の後追い自殺を図ったのが長篠の戦い。

692 :日本@名無史さん:2007/11/16(金) 17:30:40
>>691
信玄の忠臣は勝頼の奸臣だったというわけか。
勝頼の失策は信玄の遺臣に切腹を命じなかったことだね。

693 :日本@名無史さん:2007/11/16(金) 19:52:59
信玄なら突撃ではなくおびき寄せだね

694 :日本@名無史さん:2007/11/17(土) 14:32:58
おびき寄せて犯しまくるw

695 :日本@名無史さん:2007/11/17(土) 23:39:40
>>692
勝頼は五月十九日の三浦右馬助宛書状に
「信長・家康が後詰として出てきたが、たいした活動もできず、
逼迫している、無二に彼の陣に乗り掛かり、信長・家康を成敗する」
とあり自身満々ですが、これは武田・織田の後詰軍を7〜8千と誤解していたからです。
「信長公記」には「志多羅の郷は、一段地形くぼき所に候。敵がたへ見へざる様に、段々に御人数三万ばかり立て置かる」
とあり、敵から見える丘陵に徳川軍中心に数千と佐久間隊を配し、信長本隊と織田主力は敵から見えない山陰に布陣。
勝頼も諜者などの情報から、信長が数万の大軍で出陣した情報はつかんでいたでしょうが、
当時は梅雨でもあり、主力部隊の到着が遅れていると思ったのでしょう。
「三州長篠合戦記」に「小川を隔て、二十四町の間に、二重三重の乾堀を掘って、土居(牆壁)を築き、
五十間、三十間を置いて、虎口を設け、目通り一尺廻りの木を以て柵を付け云々」とあるような強力な陣城を
作っていたのは、当時は梅雨であり、鉄砲が使用できなくても武田軍を撃退するためです。
うまいぐあいに、戦の当日は晴れて、戦力誤認をした武田軍が攻撃してくれてラッキーでした。

696 :日本@名無史さん:2007/11/17(土) 23:48:57
家臣に勝頼派と旧信玄派がいたのは当然。
突撃を命令したのは勝頼。
集団自殺という説は昔からあるが、実際には命令に従って突撃している。
しかし、それは戦いのほんの初期だけだ。
鉄砲によって長篠の戦いの決着がついたというのはウソ。

697 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 05:47:33
>>695
アホか。行軍途中から監視して敵方の兵力、動きなど把握してるに決まってるだろう。
信長家康がすでに自ら着陣してるのに兵力7、8千って、んなわけあるか。

698 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 07:41:51
墨俣やら石垣やら闇夜に紛れての
一夜城の故事はいくらもあるじゃん

699 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 07:48:22
闇夜に紛れていっきに大軍が大移動してきたわけか
それはびっくり
その割には行軍速度がゆっくりだったようだが

700 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 07:56:03
敵に察知されてたらアンブッシュにならない

701 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 08:31:00
>>699
>闇夜に紛れていっきに大軍が大移動してきたわけか

そんな事実はない。白日の下、堂々と行軍してきた。
だから武田方の間者にも丸見え。当然兵力も丸わかり。

702 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 09:20:46
行軍速度、三万、間者、丸見え、三段撃ち。

元にした文献は何なのかって問題に立ち返らないと。
この本のこれは自分の常識では信じられない
あれは信じられるから使おうって恣意的に取捨選択して
ストーリーを組み立ててるのか、使う文献決めて
話してるのか足下見直すべき。

703 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 10:01:48
>>702
まず言い出しっぺの方からどおぞお

704 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 11:04:01
>>697
いやいや、若くないのに光秀が天王寺砦に押し込められ絶体絶命の時にも、
僅かな供回り(100人)で光秀救援のために出陣している。

705 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 11:14:22
>>701
>そんな事実はない。白日の下、堂々と行軍してきた。
梅雨なのに白日の下という表現はおかしい。
記録にもあるように天候が回復したのは戦の当日。

706 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 16:58:53
>705
当日の天候の史実はともかく、
梅雨の雨だからって把握できなくなるか?降ったら真っ暗闇か?


707 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 17:07:49
金堀衆に地下道掘らせるとか
地上の柵はフェイクで
で、そのために軍全体の人数を見誤って、武田が突撃観光したと


708 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 17:17:28
凸撃は中原だけで十分だ。

709 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 17:58:55
方法はともかく太田牛一が隠したっていうのを隠したで納得できないやつってなんなの

710 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 18:29:44
「信長公記」なんていい加減なことしか書いてないじゃないか。

711 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 19:32:20
そりゃチョンが日本書紀認めずに三国史記絶賛してるのといっしょ

712 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 19:40:43
太田牛一は武人のうえに高級官僚だ
自家で大戦扱いされてる戦闘で
大きな間違いしてるわけ無いだろ
見せること前提で書かれたもので参加した武将が
実際に読んでた物なんだから

713 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 20:02:50
>>709
隠したって、布陣したあとのことだろ。
布陣するまでの行軍中丸見えだったわけだか?
長篠近辺の地形見て見ろ。丘陵の合間をぬって行軍しないといけないから
少し高いところに上がれば丸見えだ。隠しようがない。
しかも信長公記読む限り、行軍速度も速くないし、
設楽が原にはいるすぐ手前で夜営もしている。



714 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 20:21:40
三段撃ちが、絶え間なく繰り返し撃っているように曲解されてるだけでしょ
三段構えで三連射したら、しばらくの間騎馬・槍隊・弓隊で防戦、準備が整ったらまた連射。
それだけのことでしょ。
織田勢の死傷者も多く出ているようだし、鉄砲が撃つのを辞めないと鉄砲以外の足軽
の出番がないが鉄砲隊で多く死傷者が出ていたら、時間の経過で劣勢になってるから、
織田勢の死傷者の多くは、鉄砲足軽以外の筈。鉄砲以外の各隊が積極参加してないと
織田勢の死傷者の存在が説明できない。
鉄砲の連射で、一時的な優勢を得て緒隊を前に押しだし、武田勢が新手の加勢を受け
盛り返すと馬防柵の後ろに逃げ戻って、鉄砲の連射で新手の戦力を減らす。
そのローテーションの繰り返し。
馬防柵は総延長も長く、正面攻撃する武田勢を分散させているから、この程度のローテー
ションが延々繰り返せる。
正面突破を避けて迂回する敵にも伏兵を用意して対処してる。(本当かどうか、軍議での
家康家臣の進言を叱責した後で、機密漏洩防止のための詭弁だと言って献策を褒めた逸話
がある)

鉄砲だけで勝った訳じゃなく、多兵種混合のバランスの妙によるもの。
近代戦においても、戦車・歩兵・砲兵・工兵の緊密な連携が物を言う。戦車だけでも砲兵だけ
でも勝てない。

715 :日本@名無史さん:2007/11/18(日) 20:38:24
>>714
ちがう。鉄砲だけで勝った。
織田方にはほとんど戦死者はない。
信長公記嫁。

716 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 02:00:21
>>713
全軍の兵力は把握していたかもしらんが、武田軍から見えるのは7,8千。
実際に酒井隊は夜陰にまぎれて武田軍に把握されずに鳥鳶の巣山に4千ばかりで攻撃をかけている、
武田軍は啄木鳥戦法のように啄木鳥のほうが主力、大軍であり、正面のほうが部隊移動で兵力が減少している
徳川・織田連合軍と誤認したのだろう。これなら正面突破のほうが勝機があると判断したわけだ。

717 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 02:25:05
>>715
んなわけないだろ。どこの信長公記だ。
ちゃんと足軽繰り出してると書かれてるだろ。

718 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 08:42:34
>>716
妄想ですか?

719 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 13:51:28
敵の兵力わかってたら信長に長篠城の責め衆を奇襲されないだろ

720 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 14:32:44
3マン5千が7〜8千を残して山の中に突進、鳶ノ巣山攻略

721 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 19:27:23
信長だって、3万の兵力をなるたけ隠そうとすると思うけどな。
そう簡単に丸見えになるんだろうか?

722 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 19:50:04
一体どうやって隠すんだ?
マジックか?

723 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 20:38:59
>>722
ヒント:二人羽織

724 :日本@名無史さん:2007/11/19(月) 21:06:08
アレキサンダー大王がイッソスの戦いでやってたな。
軍団の右翼側が丘に隠れて敵からは見えない状態のまま進軍させ
丘から全軍が完全に姿を現す前に軍団の戦力配置を有利に戦えるよう
いじくっていた。

敵と味方の陣の間に大きな丘なり台地なりがあれば正確な兵力は
把握しづらくなるし旗指物を下ろして森の中に布陣するだけでも
かなり兵力は分かりにくくなる。
長篠の勝頼の場合は敵の動きに対して後手に回りがちだったなあ。
ちゃんと偵察出してたんだろうか。
戦い方を見ると野戦陣地の件は把握していたようだけど
別働隊の存在はどの時点で知ったんだろうか?

725 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:08:20
>>717
日本の武士って家ごとに参戦してるのに「足軽隊」なんてものが存在したのか?

武士(武将)がいて、その武士に付く与力武士がいて、さらにその与力武士に付く武士
がいて、その下に郎党・足軽がいてって感じのはずだが


726 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:13:06
>>725
実際に戦場でそんな効率の悪い部隊運用したと思ってんのか?

727 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:13:23
>>716
なるほど、勝頼は物見によって別働隊の行動は把握していたが、実際はその規模を見誤り、
自分は謙信になったつもりで手薄な正面の敵を撃破しようとしたわけか。

728 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:17:07
>>722
695の「信長公記」の引用にあるように設楽原は段々の丘陵地帯であり
「一段地形くぼき所」に大部分を布陣したんでしょう。

>>724
設楽原で戦闘が始まったのが卯の刻(午前6時)、前日の午後8時に夜陰にまぎれて出陣し、
大きく迂回した酒井隊が、鳶の巣山に残置した長篠城監視部隊に攻撃を開始したのが辰の刻(午前8時)。
既に戦闘が始まっているので、もし勝頼が残置部隊を救援しようと反転すれば、
織田・徳川連合軍は馬防柵を越えて追撃してくることは間違いなく、敗北は必至になる。
勝頼としては、もはや正面突破に勝機を見出すしかなかった。

729 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:24:26
>>728
外出
極楽寺近辺〜御堂山、茶臼山、松尾山と、
設楽が原に移動するまで織田徳川軍は丸見え

730 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:26:24
>>726
戦国時代でも易占に頼っていたくらいだから、効率非効率などどこまで真剣に考えて
いたかわからんだろ


731 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 00:35:54
>>730
禿胴。戦国時代は旧態依然としたカビの生えたような中世的秩序のまかり通っていた時代だ。
その象徴が平安時代からほとんど進化していなかった武田騎馬隊。
それを打破したのが革新的な指導者、織田信長によって編み出された鉄砲隊&三段撃ち。
長篠合戦はまさに中世VS近世の、歴史のターニングポイントとなった戦いだった。

732 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 01:02:00
逆だろ
騎馬軍団なんてそれこそ国レベルで専制君主が登場しないと編成できんシロモノだ


733 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 01:05:51
武士の軍隊は騎馬隊が基本
もともと武士の戦法は、身分のある騎馬武者の集団戦だった。

734 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 02:09:31
>>728
別働隊が城につく前に戦闘開始してたのね。
ということは最初はあんな決戦になる予定はなくて
城が落ちるまで連合軍を足留めする時間稼ぎのつもりだったのかしらん。

というか別働隊とか関係なくあそこ撤退困難な地形だったそうだから
城落とす前に連合軍が到着した段階で形勢的に勝頼オワタ\(^o^)/
で、双方「いかに自分の損害を少なく抑えるか?」
という思考の結果が長篠の戦いになったんじゃね?

735 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 02:23:08
連合軍側は城が落ちる前に長篠に到着した、という事で既に
実質的な勝利を手中に収めていた。
こう考えるなら損害が増える力攻めを無理に行う必要はない。
だからああして野戦陣地を組んで槍鉄砲で待ち受け、
勝頼が撤退を選択した場合は別働隊で素早く追撃できる態勢を整える、
という最大の安全手を選んだ。
一方勝頼は引こうが引くまいがもはや敗北は決定的な状況に陥り
少しでも可能性のある攻撃に賭けた、と。

736 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 02:34:22
第三の手として
「こちらも野戦陣地を作りひたすら踏み止まって連合軍が
痺れを切らして攻めてくるのを待つ」てのも考えたけど
これだと小牧長久手みたいな千日手に陥る可能性の方が高いし
既に何日も城攻めしてきた分兵糧の少ない勝頼の方が
先に兵を引かざるを得ない状況になるのは明白だ
終わってるねー

737 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 02:50:35
>>735
長篠城と設楽ヶ原は数キロ離れている。
勝頼が長篠城を攻めている間も信長は長篠城を救援せず、陣地構築にいそしんでいた。
勝頼としてはそのまま引くことも出来たし、寒狭川をはさんで対陣することも出来たが、陣を出て
わざわざよりひらけた設楽ヶ原に出てきた。
勝頼は追いつめられて出てきたんじゃない。戦いたかったから前進してきたんだよ。

738 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 03:05:19
>>737
>勝頼が長篠城を攻めている間も信長は長篠城を救援せず、
陣地構築にいそしんでいた。
>勝頼としてはそのまま引くことも出来たし、
寒狭川をはさんで対陣することも出来たが、陣を出て
わざわざよりひらけた設楽ヶ原に出てきた。

つー事はやっぱ勝頼の連合軍戦力の見積もりが甘かった、て事になるんかね。
「長篠城解囲も行わずわざわざ陣地を組んでるくらいだから
 連合軍の兵力はあまり大したことが無いに違いない」と。

現在両陣営の情報を揃えて比較すると
「武田軍は戦うべき状況ではない」というのが分かるけど
この当時は自力で調べて回る他なかったからなあ

739 :日本@名無史さん:2007/11/20(火) 07:13:54
合戦というものは大抵両当事者間に兵力差があるものだし、
勝頼としてもそれを承知の上で襲いかかってきたんだろ。

740 :日本@名無史さん:2007/12/09(日) 12:46:39
結局同じようなレスが延々と続く。
長篠のネタなんてそれまでw

741 :日本@名無史さん:2007/12/09(日) 23:44:22
http://webupd.sv1.sp-land.net/up/201201.jpg

742 :日本@名無史さん:2007/12/09(日) 23:46:14
http://webupd.sv1.sp-land.net/up/201201.jpg

743 :日本@名無史さん:2007/12/15(土) 20:28:14
それまでw

744 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 13:37:05
やはり武田騎馬隊は鉄砲三段撃ちで全滅したんだな

745 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 15:07:15
織田鉄砲隊
金ヶ崎の退き口:秀吉隊が退いた峠には佐々鉄砲衆が山裾沿いに二段構えに候、数約200-250
姉川の合戦:信長が始めて鉄砲隊を独立部隊とした。
     浅井勢に放たれた佐々鉄砲衆の役は比類無きに候、弾込めの時は石を投げて時間を稼いだとされている。構え段数不明、数約500
鉄砲の買い付けには扱い達者な佐々前野の両名が直接行ったようだ
俺が調べたのはここまで

746 :日本@名無史さん:2008/01/21(月) 17:32:58
織田鉄砲隊
長篠合戦:戦国最強の武田騎馬軍団を三段撃ちで全滅させた、数約3000
鉄砲隊の統率は扱い達者な佐々前田らが直率したようだ
俺が調べたのはここまで

747 :日本@名無史さん:2008/01/22(火) 09:32:02
スマヌ2つ上のレスだが金ケ崎間違ってた
若狭道と読んでたが若州道だ・・  半年ロムってくるorz

748 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:16:38
弾込めしてる空白時間は口でバンバンバンって言えば
撃ってるのと同じルール知らないのか
当たった振りをするのが敵に対する礼儀

749 :日本@名無史さん:2008/01/23(水) 22:23:33
ホワイトカラーエグゼプション復活【衆院通過】

ホワイトカラーエグゼブションより恐ろしい「労働契約法」】

先日、衆議院を通過した「労働契約法」は使用者側が自由に決められる就業規則を
「労働契約」と見なすというものです。
「合理的」な理由があれば,使用者側が就業規則=労働契約を簡単に変更できるので
例えば
≪会社の収益が悪化したときに,株主配当を維持するために賃金をカットする≫
というような今までは考えられないようなことが
≪株主様の会社なのだから,株主様の利益を優先するのが当然で「合理的」である≫
という理屈で強行できてしまいます。
また、就業規則=労基法になるから、今まで労基法を根拠に守られてきた労働者の
権利が全部剥奪される恐れすらあります。
「労働契約法」が成立すれば、すべての労働者は正規・非正規関係なく。
使用者の奴隷として、低賃金・長時間労働させられ、
一般庶民の生活は滅茶苦茶どころか壊滅的になるでしょう。
しかし、今、この法律が民主協力の下、今国会会期中に成立する見通しです。
こんなのありえない!絶対反対!
ソース
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/politics/60752.html
http://www.business-i.jp/news/for-page/naruhodo/200711170007o.nwc
ホワイトカラーエグゼプション復活【衆院通過】
http://human7.2ch.net/test/read.cgi/ms/1195799042/
このことを、あなたの友人知人家族に話したり、他の板にスレを立てたり、プログで情報発信して広めてください。
時間がない!!


750 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 01:15:05
全滅はしてないだろ


751 :日本@名無史さん:2008/01/26(土) 12:03:30
小学館:週刊 戦乱の日本史
第1号 長篠の戦い(1575年) 織田信長 鉄砲隊の三段撃ちはあったのか?
ttp://love6.2ch.net/test/read.cgi/bun/1175388020/l50

752 :日本@名無史さん:2008/01/27(日) 21:21:21
戦国板にスレ立ってます。

「戦乱の日本史」
http://hobby10.2ch.net/test/read.cgi/sengoku/1201154835/


753 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:17:00
全滅だなw

754 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 20:55:23
>>753
全滅は言い過ぎ。
勝頼その他数名は逃亡に成功したわけだから、「ほぼ全滅」が正しい。

755 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 21:30:23
なら壊滅だな

756 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 21:42:40
織田方も多数戦死者だしてるし、白兵戦だろ?三段撃ちはなかったのでは。
陣地築城して待ち受ける大軍に真っ向勝負挑んだ勝頼は痛い。
長篠を落とせずに信長の大軍がきた時点で引き上げるのが普通。
信長の格の違いが際立った戦いだった。

757 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 22:37:32
>>756
ヒント:武田には戦国最強の騎馬軍団があった

758 :日本@名無史さん:2008/02/02(土) 23:08:58
>>757
ヒント:織田方には最強の鉄砲部隊がいた

759 :日本@名無史さん:2008/02/04(月) 22:35:59
>>757-758
ヒント:長篠には自衛隊がいた

760 :1111111111111:2008/02/04(月) 22:52:43
 常識で考えても3段撃ち位普通に考えられただろうよ? あの当時?

 今みたいな2チャソでゆとり議論してるんじゃなくて毎日が死ぬか生きるか
 の戦いだぞ?

 普通考えつかね?

761 :日本@名無史さん:2008/02/04(月) 23:00:52
つうか、3段撃ちなしでどうやって戦国最強の武田騎馬軍団を全滅させることが出来るんだ?

762 :日本@名無史さん:2008/02/05(火) 02:37:08
三段撃ちというか絶え間無い乱れ撃ち

763 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 04:58:32
各自がどう撃ったかなんて現代でも判るかよw

764 :日本@名無史さん:2008/02/11(月) 07:23:44
乱れ打ちでは、一斉射撃より効果はぐっとおちます。
火力を集中させることがなによりです。

765 :日本@名無史さん:2008/02/16(土) 18:16:27
明の将軍・戚継光の著書「紀效新書」には、降伏した倭寇から得た武器、そして戦闘技術として鉄砲の多段撃ちの記述がある。
一隊十人に鳥銃(火縄銃)を装備させた場合、そのまま十人で撃つ場合の他、五丁二層で射撃する、二丁五層で射撃するという方法。
ちなみに、同書や「練兵実紀」には「早合」についての記述が存在しないので、これはその後に(日本国内で)考案されたものと考えられる。
(早合を使用すれば五層にする必要は無いのかもしれない。)

長篠の戦いで、織田軍が三段撃ちを使用したかどうかは知らないが、その十年以上前から鉄砲の多段撃ちは確実に存在していたのだから、そういうもの、或いはそれに近いものがあったとしてたも不思議ではないだろう。

766 :日本@名無史さん:2008/03/30(日) 21:12:14
早合ってなに?

767 :日本@名無史さん:2008/04/13(日) 03:27:23
あらかじめ火薬と弾を小分けにしたもの。

768 :日本@名無史さん:2008/04/23(水) 23:03:38
タイムマシンがあるわけでもないのに過去のことなんて分かるわけないだろ
歴史の本に載ってあることなんて一切信じられない

769 :日本@名無史さん:2008/04/24(木) 11:53:47
>>768
じゃ、おまい何でこの板に来たの?

770 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 11:29:58
ナガシノ合戦場を発掘しても銃弾が殆ど見つからないって言うけど、何で?

771 :日本@名無史さん:2008/06/12(木) 18:12:49
>>770
ほとんと武田軍の騎馬武者の体にめり込んだから。

772 :追放:2008/07/14(月) 11:07:06
16世紀、鉄砲の生産量・性能が世界一の国

http://love.45.kg/mo0202/4/128.html

そして、オスマントルコに鉄砲を輸出した。


773 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:13:56
>>771
鉛なので、回収して、溶かして再使用

774 :日本@名無史さん:2008/07/14(月) 12:27:39
鉛は純度にもよるが融点低すぎる、炎天下で溶け出すくらい
鉄分多ければ錆びて消える
どちらにしても地面の中で残り易い物じゃない

775 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 12:23:05
以前テレビかなんかでやってた、当時の黒色火薬で一斉射撃すれば、煙で前が
見えなくなるから三段撃ちは不可能って説はどうなの?

776 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 14:39:55
>>775
でもスペインのテルシオ陣形では数段撃ち
ランツクネヒトのカラコロール戦術に至ってはは騎乗の短銃で十数段撃ち
テルシオは起伏の多いイタリアや南ドイツでも使われたから
地形云々は関係ない

普通、発射速度の遅い飛び道具使うなら多段撃ちが有効であることは
誰でも気づくはず、日本の武将達が実践しても不思議ではない

発射速度の遅さと言えば弩もあったが、欧州でも中国でも二段撃ちは当たり前の
ように実践されていた

777 :日本@名無史さん:2008/07/17(木) 18:38:52
っていうか、長篠での織田鉄砲隊が多段撃ちをしなかったって、あり得るのか?
わざわざ何人もの将校を奉行に選抜しておいて、足軽たちが思い思いに
ぽつんぽつん撃ってましたじゃアホすぎだろ。
アホすぎるし、信長公記のような大戦果を挙げるのは不可能だね。

778 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 03:03:20
>>777
「逃げたら斬るぞこの鉄砲人足どもが!
 行き残りたかったら逃げんな!前向いて撃て!」
と、抜刀しながら言う係。
信長公記は過剰表現の宝庫。
つか信長自身が過大広告戦術の天才。ナチスより遥かに先進的w
とはいえ、
俺も三段打ちはやってたと思うよ。
華麗で機械的な三段打ち、とかじゃなく、
効率いい運用方法としての分業みたいなの。
野戦砲一門には数人が割り当てられて、分業して働くものじゃない?
あんな感じ。
それなりの効果も挙げたと思う。
つか不思議なのは、
ペラペラでも一応、臨時要塞化していた織田徳川陣へ、
なんでまた武田はアホ突撃を繰り返したのか。
武将首が数人死んだら、作戦変えようぜ。

779 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 08:01:23
三段撃ちがあった/なかった ではなく、
「どのような鉄砲戦術を用いていたのか資料からは不明」が正しい。

780 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 09:45:07
一武将指揮下の鉄砲組の重点集中射はあっただろう
そのために佐々、前田ら鉄砲組の指揮を各々取らせたのだろう
まず武田側というか戦国では騎馬武者は一般的に下馬して戦うのが普通らしい
馬に乗る時は弓を騎射するときか、逃げるときか、逃げる敵を追うとき

となれば梅雨の雨で抜かるんだ水田を徒歩でノロノロ向かってくるのなら火力を
集中するのは容易い

たとえ騎乗で来ようとも集団では来ないし、鈍重な和製馬であるから
鉄砲組からすれば目立つ格好の標的になる
三段までなかったかも知れないが、効力を増すためには二段ぐらいはしただろう
ことは予想できるのではないか

鈴木氏らの理論は既設の論説を否定するあまり軍事的側面をかんがみず無茶振り
的な要素も否定できない
実際、桶狭間も迂回奇襲説の方が正しいのではという反論が歴史群像に記載され
ている

781 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 10:46:18
鉄砲の弾を込めるのには時間がかかるわけで、目の前に敵が迫ってるのに、
柵際を占拠して弾を込めてるのは効率が悪すぎる。
だから弾を込めるときは当然下がって込めるんだろうけど、何らかのルールがないと、
大混乱に陥る可能性が大。
それを避けるために5人の鉄砲大将が指揮をとっていたんだろう。
5人の指揮下、何らかの効率的な戦術を用いたことは間違いないと思われる。
ただしそれが3段撃ちであったと証明する資料はない。

782 :日本@名無史さん:2008/07/18(金) 14:13:56
>>772
日本の鉄砲は東南アジアで生産された銃床が頬当ての銃が流入したのが原点
しかし欧州やトルコの鉄砲は銃床が肩当ての銃
全然、銃の種類が違うよ

783 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 06:02:42
>>775
微風でも風があれば無問題。
花火大会を思い浮かべてみ。

784 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 10:02:28
>>780
下馬
鈍重な和製馬

何で?
甲斐・上野・信濃は優良馬の産地
騎射全盛は鎌倉以前

785 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 11:10:13
騎馬武者

・平安

甲冑をまとって騎射
馬上で使いやすいよう湾曲刀の導入
長刀の使用
母衣の使用

・鎌倉

同上

・南北朝

馬上刀の長大化

・戦国

馬上槍の導入


古代から日本の馬は騎馬武者を乗せて走るのに十分な体力があった。
鎧をまとった武者を乗せ、母衣が十分機能するほどの速さで走り、
騎射はもちろん、槍、刀による白兵戦もおこなわれていた。

786 :日本@名無史さん:2008/07/20(日) 14:14:10
騎馬隊は、無かった.... すまぬ、リアルなこと書いてしまった

787 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 01:28:43
黒色火薬は物凄い煙を発生する。
古式の鉄砲術を見たことあるけど、たった10丁を一斉に撃っただけで凄い煙でなんも見えん。
3000丁をもどう使用したのだろう。

788 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 02:38:25
だから、
少しでも風が吹いてれば、数秒で拡散します。

789 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 03:10:28
長篠合戦絵屏風でもけっこう黒煙あがってるよね

790 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 04:37:33
成瀬本が一番いいな

791 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 06:11:24
>>788
それがいつまでも漂っているんだよ。

792 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 07:43:51
煙幕になっていいじゃん。

793 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 12:39:54
煙ってやつは無風なら上にあがるものなんだよ

794 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 13:49:08
>>793
それは火事の煙のように熱せられて上昇気流が発生してる場合だろ・・・

795 :日本@名無史さん:2008/07/22(火) 23:17:18
黒色火薬は物凄い煙でずっと漂っていたよ。
三千丁で撃ったら本当に煙幕だろうなあ。
それも当時の鉄砲術の内なのかも。

796 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 03:05:47
風が吹いても動かない煙www
ねーよ。
珍説自称研究家の言うこと真に受けたらダメ。

797 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 12:26:56
>>794
火薬に火をつけて熱が発生しないとでも?
凄い量の煙でるのは間違いないだろうけどね

798 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 12:55:06
>>797
火薬の爆発で発生する火など一瞬で消えるわけだが
たかが火縄銃の発射程度の熱で煙硝がモクモク上に上がっていくわけねーだろw

799 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:12:17
>>798おまいだけは銃口素手で持ったまま火縄銃連射してもよさげだなw

800 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:30:37
>>799
銃口が熱くなったくらいで煙硝がモクモク上に上がっていくわけねーだろw

801 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:35:20
たばこじゃあるまいしw

802 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 13:55:42
長篠から10年以上たった後の北関東の沼尻で
佐竹義重率いる反北条軍2万と北条氏8万が戦った
佐竹軍は数的劣勢を補うため、大量の鉄砲を装備した
その数、8600丁
数に誇張があるかも知れないが、少なくとも数千丁あっただろう
長篠から年数こそ経っているとはいえ佐竹氏のような中規模大名やそれ以下の同
盟小規模大名でさえこれだけの鉄砲を揃えられるのだから
資金的に豊富で大規模な鉄砲生産地を複数抱える織田氏が長篠にわずか1000
丁しか持たなかったという説には納得いかない

803 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 15:15:53
>>796
よっぽど強い風でもない限り火繩銃を大量に撃ち続けたら戦場は煙が立ち込めた状態になるよ。
三千挺もあったんだから凄かっただろう。
黒色火薬の煙は木炭の燃え滓だから空気より重いんだ。

804 :人間七七四年:2008/07/23(水) 15:36:05
いいから黒色火薬に火付けて眺めてろ

805 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 16:16:17
黒色火薬の煙くらい大したことない。たとえ何千丁の一斉射撃であろうと


806 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:07:32
10挺でも凄かったよ。
まして今とは比べものにならない粗悪な火薬の質だ。
三千挺の鉄砲の濛々たる煙が織田軍陣地に漂っただろう。

807 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:21:45
千挺づつ一斉射撃だと、
一番準備の遅い奴に合わせることになってスピードが鈍る。
目の前に目標が居ても撃ってはいけないし、目標が射程外でも撃たなければならない。

808 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 21:57:43
大袈裟すぎるわ
煙なんてたかが知れてる

809 :日本@名無史さん:2008/07/23(水) 23:51:23
古式砲術の演武など見てみたら。
見ればわかるよ。
もっとも火薬は黒色火薬じゃなくて今の火薬を使ってしかも空砲でというのがほとんどだけど。
それでもかなりな煙だよ。

810 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 00:58:49
>>807
同意。千挺づつ一斉射撃したというのは有り得ないね。

811 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 09:01:11
>>810
なぜ一斉射撃にこだわる
鉄砲奉行ごとの部隊内で目標選定して二段か三段射撃したというのが合理的

もっとも一線での多段一斉射撃なら欧州で腐るほどやってるけどな
それは別に開けた土地だけでなくイタリアのような起伏のある地形でもな

812 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:08:38
>>811
千挺づつの一斉射撃は有り得ないと言ってるんだろ。
よく読め。

813 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 21:26:36
射撃手が入れ替わるのは非合理的だ。
一人が射撃手、二人が弾込めをし銃を持ち替えたのではないか。射撃手が疲労したら替わったのだろう。
信長の若いころのエピソードにもある。
それも信長の発案ではなく当時の鉄砲術として普通のことで、鉄砲の師匠に習ったものではないだろうか。

814 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:17:17
弓でも二人いたら交互に撃つね。
鉄砲を数人でツルベ撃ちするのはごく自然なことだ。

815 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:22:04
武田騎馬軍団はない。

816 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 22:39:11
>>813
ならば武田も鉄砲を同じに使っただろう。
すると、織田軍が勝利した原因は三段撃ちという戦法ではなく、武田軍に対して桁違いに大量の鉄砲を用意した、あるいはできたという、物量によるものということになる。

817 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:00:41
ギャハハハハハハハハ

818 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:17:35
騎馬軍団はなくても騎馬武者が白兵戦で突撃する「馬入り」という戦法はあるよ。
信長公記にも「馬入るべきてだてにて」とある。
古語の「てだて」=「準備」。
だから武田軍は
「馬入りをしようとして」攻めてきた。
「馬入り」はやってない。
大量に用意した鉄砲 を撃ちまくって「馬入り」をやらせなかったわけだ。

819 :日本@名無史さん:2008/07/24(木) 23:49:23
信長公記の長篠合戦の条に小幡のことを馬上巧者と評してるよね。

820 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 00:17:18
>>819
そうそう。
資料をよく読めば馬を戦法として、うまく使っていたことがわかる。
武田騎馬軍団はない。それでいいけど、
大量の鉄砲を中心にした軍×騎馬を決戦兵力として重視した軍の激突だったとは言えると思う。
まあ、『三千挺の三段撃ち×騎馬軍団』といったら無かったのだろうが、それは言葉の問題でないかい。

821 :日本@名無史さん:2008/07/25(金) 02:20:38
雑賀の鉄砲数千丁の大量使用に苦戦した信長も、学ぶところがあったわけだ。
実際は苦戦どころか、信長は雑賀に生涯勝てなかったけどね。

822 :中2:2008/07/25(金) 13:52:22
>>821
鈴木さん、乙

823 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 09:56:43
>>821
えっ、そうなの?
本願寺と和解後の
鈴木重秀(雑賀孫一)は織田派になり
織田信張の援軍を得て反織田派の土橋氏を討ち、雑賀を統一している
本能寺の変の際に長宗我部の援助を得た土橋の残党が雑賀に攻めこんだ時には
鈴木重秀は岸和田城の織田信張のもとへ逃げ込んでいる

824 :日本@名無史さん:2008/07/26(土) 20:47:01
>>823
それ信長が勝ったとはいえないとおもう

825 :日本@名無史さん:2008/07/29(火) 19:13:18
>>778
背後を徳川の別働隊が襲ったからな。

ところで、武田が一方的に負けたように思っているようだが、
実は両軍ともに多数の戦死者を出した大激戦だったようだよ。
武田勢は半ば押し出されるような格好で織田・徳川の陣城に突撃、
包囲を目的とし主力を左右両翼に配置した武田勢は
織田・徳川の陣城を突破しかけた(恐らく織田・徳川の戦死者が出たのはこの段階)が、
中央の部隊があっさり撤退(千丁の鉄砲の一斉射撃にでも晒されてたんだろうか?)し、
残された両翼が逆に包囲されて各個撃破、ここで武田勢は大将級を含む多くの戦死者を出した。

826 :日本@名無史さん:2008/07/31(木) 15:15:13
>>825
織田徳川方に多数の戦死者が出たというのの信頼できるソースはあるの?

827 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 06:17:14
むしろ織田サイドの″いつもの″「戦後過剰宣伝」という情報戦略の資料や、
後世の神君マンセー資料のほうが信頼置けないわけだが。
ところで、
類々と死んだ武田の部隊長たち、
遺体、というか首はどうなったの?
誰が本人確認や死亡確認をしたのかとか、
どっかにずらずら晒されたのか、とか。
武田が本当に壊滅状態なら、当然余裕なんかないわけで、、、


828 :日本@名無史さん:2008/08/02(土) 07:19:19
>>827
>むしろ織田サイドの″いつもの″「戦後過剰宣伝」という情報戦略の資料や、
>後世の神君マンセー資料のほうが信頼置けないわけだが。

公記と実記のことか?
公記ならば信長死後に書かれた物で、なぜ「いつもの」「過剰宣伝」なのかよく分からん。
実記の方は長篠合戦から結構経っていて、徳川方の戦果を過剰にした可能性はあるが。
でも織田方の戦果についてはわざわざ誇大広告する必要なんかない。

829 :中1:2008/08/04(月) 15:29:45
日本に鉄砲を伝えたのは、中国を挟み撃ちにするため?

830 :日本@名無史さん:2008/08/12(火) 22:29:57
>>829
その通りだ
よく知っているなw

831 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 01:07:44
>>828
信長くんは合戦が終わる度に、諸方の文通相手に
「やあ久しぶり。元気?
 ところで俺また勝っちまってさ。
 もうすげー勢いで勝ちまくり。
 相手の犠牲ものすげーの!」
という手紙を出しまくるのが慣例。
TVマスコミない時代に、風評という情報戦を制する。
その辺を良く理解し、上手だった。
また、姉川の例のように、後世の文献で、
「武田チョー凄い、織田はさらに凄い!
 しかし三河衆はもっと凄い!」
という誇張はよくあること。

832 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 02:42:09
煙はあんま関係ないような
鉄砲大将の指示するタイミングで打つだけのめくら打ちでも構わんと思うんだが
矢だって戦場じゃ基本的にはそうだろ?

833 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 07:18:36
>>831
そんなの誰でもやってることだが。

834 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:12:21
>>833
信長はそれに成功、勝頼は失敗。


835 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 16:57:40
何をいっとるのか意味が分からん
勝頼は事実惨敗したのであって、手紙でどう頑張って戦果を誇張したところで
惨敗が勝利に変わる訳がない

836 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 18:48:48
実際勝頼が長篠で大勝したと聞いて反乱起こした盲目国人衆もいるんですよね
噂は柴田勝家がばら撒いた罠だったわけですが

837 :日本@名無史さん:2008/08/13(水) 20:25:36
大本営発表なら信玄謙信もやっとるぞ。
つーかやらんやつなんかおるのか?

838 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 13:59:16
>>834
山県、馬場らの大将クラスが軒並み討死して、織田・徳川側はゼロだから惨敗。
まあ、大将クラスが多数死んで、相手側がゼロなのは川中島と似てるけどね。

839 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:05:08
>>837
信長陣営は、いつでもそれが顕著なんだよ。上手というか。
対する勝頼陣営は、お手紙戦略を生かし切れている、とは言い難い。

840 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 14:10:36
信長が他の大名に比べてどう顕著でどう上手なんだ?
おのれの浅薄なイメージで語ってんじゃねーよw

841 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 16:24:25
>>839
夏厨になに言っても無駄。

842 :日本@名無史さん:2008/08/14(木) 20:28:14

絵に描いたような夏厨

843 :日本@名無史さん:2008/08/15(金) 02:23:05
確かに、姉川あたりの織田の誇張は無茶苦茶だw

844 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 02:34:42
引くに引けなかったのはなぜなんだぜ?>かつより

845 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 04:35:23
柵に負けたのよ

846 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 07:51:51
ヒント 上野先生

847 :日本@名無史さん:2008/08/16(土) 12:53:50
>>845
柵を倒したくてしょうがなかった、とか?

相手の陣容見れば、普通にあの平野での会戦は回避できたのに、と思う。
そうすっとまた信長は「武田が俺の顔見て逃げてったよ!」と手紙書きまくるのかな。


848 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 04:24:47
>>847
逃げていたのは信長だよ

849 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 05:17:14
この合戦までは、ね。
この合戦と壊滅は、武田は回避できたはずなのに。
なんでレミング暴走みたいに突っ込んだんだろ。

850 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 06:30:58
>>849
エサがふたりもいたからだろう。
信長と家康本人が両方とも出張ってきているなんて武田方からすれば滅多にないまさに千載一遇の機会
・・・と見えた。

851 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 12:01:53
だとすれば、相当なアホだな。
信玄の場合は何回か敗北を経験して、武田軍が超人のように強いわけではないことを知っていたけどね。


852 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 12:14:40
信玄は武田騎馬隊の強さを過信していたからこそ負けても負けても突撃し続けたわけだが。

853 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 12:59:35
武田騎馬隊なんてないよ

854 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:26:51
>>851
そう思っただけなら決してアフォではない。
ただし、信長が今川義元をなぜ倒せたかを考える必要があった。

855 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 08:43:03
たとえエサが二人もいても、
最低限、
これちょっと流れがおかしいぞ、って「途中で気がつく」だろ、、、
武田が一方的に攻められてたわけじゃなく、
途中までは完全に舞台進行の主導権握っているじゃん。
なんで途中で止めないかねぇ。

856 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 09:47:13
>>855
ヒント:武田騎馬隊は当時天下無敵だった

857 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 16:10:12
>>856
ねぇよw

858 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 02:49:15
>>855
途中で指揮系統が混乱した上に、
集団ヒステリーにでもなってたとしか思えない。

859 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 09:43:47
相手が動かない訳ではないからなぁ
勝手に混乱なんてするはずないし混乱しやすい戦法など実行するはずも無い
>>854の言ってる事が全てかと

860 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 12:47:54
普通はのぶがでばってくるまでに長篠攻略できなかったら引き上げなんだが。
のぶの実力を過小評価してたのか
その時点でのぶの術中

引き上げられないメンツがあったのか

急造とはいえ野戦陣地を築城してる倍の大軍に真っ向勝負

津本陽はそのあたりをのぶの謀略と推測してた

861 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:28:25
織田・徳川軍は長篠以前は後詰に失敗したり、救援間に合わず見殺しにしたりばかりだった。
だから武田軍は織田徳川軍を舐めきっていたんだよ。
悪質な軍艦だと勝頼と、当時その場にいなかった側近が反対押し切って決戦したことになっているけど。
武田家全体が勝算ありと思ってなければ転進なんてしない。

862 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 13:50:18
じゃあせめて途中でやめろよ、と。


863 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 16:52:47
>>861
そうかな、もともと無謀ないくさと見ていた御親類衆の武田信廉隊、
穴山信君隊や武田信豊隊は戦闘直後に勝頼を見捨てて甲斐へ退却しているわけで、
御親類衆のように表立って反対できない山県昌景、内藤昌豊、馬場信春らは、
アホ勝頼の命を守って犬死覚悟の突撃ってことだろう。
少なくとも、「武田家全体が勝算あり」ではない。

>>851
勝ったのは朝はピーカンだったのに天候の急変があったから、
「石雹を打つような」豪雨で、実際に雹が降り、大木が倒れるなどしていた。
なので今川本隊は信長隊の接近を知らず、陣形を崩して雨を避けて休憩。
信長は運が良かっただけ。

864 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:24:22
>>863
それは見捨てて退却、なのか?
当時は時系列が資料によって違うけど、織田徳川方の鳶の巣山奇襲隊が長篠城包囲陣を破って後方を扼した頃。
予備兵力である親族衆はその対処に向かったんじゃないの?
だいたい武田親族衆じゃないと反対できないなんて大嘘。
信玄存命中さえ、馬場などは留守命じられたのに勝手に小田原攻めに参戦したりして、命令違反なのに信玄はとがめられなかった。
豪族の力が強い武田家ではありえないよ。

865 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 15:48:10
すまん、無学なもんで鳶の巣山奇襲隊と武田信廉隊や穴山信君隊が戦ったという史料を思いつかん。

866 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:18:47
見捨てて退却って、まともな史料の裏付けはあるの?

867 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:02:05
>>865
戦ってなくても「備え」には行くかもな。
>>866
どっちもねぇよ。
つか普通、途中経過で「今日はもうやめよう」とか
「あーちょっと作戦変更しない?」とか
なにかしら変更あるだろ。
なんでずっと突入自爆してんの?
武田のお歴々って、ばか?

868 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 02:43:34
いわゆる、飛んで火にいる夏の虫だわな。
自殺願望?

869 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 03:04:05
>「石雹を打つような」豪雨で、実際に雹が降り、大木が倒れるなどしていた。
なので今川本隊は信長隊の接近を知らず、陣形を崩して雨を避けて休憩。
信長は運が良かっただけ。

当時は「雨の日は休戦」が常識。
その常識を破って信長は襲ったから、相手は驚いたし、隙だらけだった。
だから勝てた。
ようするに、奇襲で勝ったのではなく、反則で勝った。

>信長は運が良かっただけ。

というより、信長は、当時の戦いの作法を知っていても勝つために破る無法者だったってこと。
「大たわけですから、ルールなんて知りません」ってそらつかってる。

870 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 06:53:36
>>867
なるほど。史料の裏付けもないただの妄想なわけね。
さすが2ちゃんねらー、ばかですなw

871 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 09:57:31
敵前で適当に退却したら、後ろから一方的にたたかれるだろ。
一度は敵を討って突き放しておく必要がある。
織田徳川軍が徹底して用意周到に来てたことを事前に探知でもしてない限り無理。
ちなみに長篠日記とかじゃ織田方の重臣の佐久間信盛が偽の寝返り申し出て武田家を積極策に踏み切らせたとかある。

872 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 10:34:38
親族衆が見捨てて逃げた説があるのは、武田家が滅んだのは勝頼が馬鹿だったせいというスタンスの軍鑑ぐらいで、信長公記にも長篠日記にもそんなこと書いてないしな。

873 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 13:03:30
武田家臣団は、信虎時代のように気に食わない主君なら放り出すほど力もってたんだぜ?
勝頼が暴君なら、とっくに放逐されているって。
武田家臣団全体の失態だよ。

874 :日本@名無史さん:2008/08/22(金) 14:56:05
>>873
> 武田家臣団は、信虎時代のように気に食わない主君なら放り出すほど力もってたんだぜ?

毛利家でも、元就に「主君は舟で家臣団は水」と言い放った家臣もいるくらいだから一般論としての戦国大名個人と家臣団の関係から
言えばそれが常態なんだろうな。

875 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 01:50:33
家中によるよ。
「国人連合のリーダー」という地位から脱しきれてない場合、
当然に家臣、というか元々同格に近い有力国人の発言力はでかい。
リーダーのリーダーシップ、軍事経済力なとがずば抜けていないとね。
だからカリスマリーダーを失ったあとの三好とか越後とかgdgdなったろ。

876 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:23:17
>>873
信虎の暴君説は「甲陽軍鑑」に拠るもので、信憑性は全くない。
放逐は、おそらくは廃嫡の恐れを抱いた晴信が重臣と組んだクーデターか、今川の謀略か?両者の共謀か?
信虎は晴信より戦術家として優れており、2千の兵で1万5千の今川の兵を破る(福島乱入事件)
など、信長が桶狭間の手本としたほどなので、隠居してもらいたかったのかもね。
とにかく、暴君だから家臣が放逐したわけではない。


877 :日本@名無史さん:2008/08/23(土) 02:54:23
>>873
>武田家臣団全体の失態だよ。
なるほど、そう言ってもらえると星野監督じゃなかった、勝頼も喜ぶな。

878 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 00:42:45
>>869
当日の午前中は晴天で、もちろん今川軍も織田軍も通常に活動していたので、
「雨の日は休戦」(本当かい?)は当てはまらん。
織田軍が視界がきなかい集中豪雨の最中も行軍していたので、今川軍は敵の接近を知らず、
結果的には奇襲となった。突然の豪雨がなければ奇襲?は成功していない。
運がいい武将だということは変わらん。反則?でもない。

879 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 01:36:00
>>873
それはごもっともだが俺の考えは違った

880 :日本@名無史さん:2008/08/24(日) 02:41:35
俺の妄想、は押し入れの中で。

881 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 11:18:24
武田軍は長篠城の兵糧倉まで占拠しながら、攻め手を緩めている。
これは明らかに長篠を餌として織田方徳川方のうかつな攻撃を誘うためだ。
あまり注目されていないが、武田軍方陣地跡からも陣城の遺構が発見されている。
「仕掛けてきた敵を、陣地で迎え撃って破砕」という作戦自体は両軍共通で、しかも長篠城という救援目標がある織田徳川のほうが、どうしても体さらして仕掛けないといけない公算が高かった。
その意味では勝頼は愚将どころかかなりの名将。歴戦の武田家臣だって納得しただろう。
だが、相手がそれを上回った。鳶の巣山奇襲により、前後から包囲される形に。こうなると、後方の敵に対処しようとすると背後を突かれる恐れがあるためどうしても織田徳川本体に打撃を与えないと逃げることもままならなくなる。
この奇襲隊、徳川最強の酒井勢と信長の親衛隊から構成され、織田軍から抽出した鉄砲だけで500丁揃えていた、当時としては破格の火力を持つ部隊。
奇襲考えたのは信長もしくは家康、あるいは酒井忠次諸説あるが、この一手が武田の計算すべてをご破算にした妙手。

882 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 13:46:08
>>875
リーダーのリーダーシップ、軍事経済力がずば抜けていても、カリスマリーダー信長を失った後の織田はgdgdですが何か?

883 :日本@名無史さん:2008/08/25(月) 18:13:47
>>882
だから、「近世領主になりきれていなかった」んだよ。
「国人連合」よりは進んでいたけれどね。
それと信長の場合、当人+後継者をダブルでなくしてるから・・・。


884 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 09:24:52
後世から見れば、勝頼は武田滅ぼした駄目当主だが、当時から見れば長篠までほぼ連戦連勝。
軍カンで捏造されたように陣代ではなく、信玄存命中から総大将をつとめていたれっきとした当主。
奸臣とされる長坂・跡部らだって信玄時代から重用された重臣。
武田滅亡の責任を押し付けられたんだろ。
責任は輔弼の家臣らにもあるはずだが、彼らを批判すると彼ら取り立てた信玄も批判することになるから、いろいろ改ざんした。

885 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 17:45:21
どうでもいいけど勝頼は当主じゃないんだけどね

886 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 19:49:24
え?まじで?
ソースキボンヌ。

887 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:06:32
武田家臣団の騎馬隊って


戦の勝利確信した時にだけ 「風林火山」旗揚げただってwww

888 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:08:18
風林火山の旗は本陣にあるわけだが。
個々の騎馬隊が持っているわけではない。

889 :日本@名無史さん:2008/08/26(火) 20:38:02
(勝頼)
たまたま長篠の期間だけ調子が悪かったと思っている

890 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 00:09:37
織田・徳川連合軍にとっては笑いが止まらなかったろう。
なるべく損害を出したくないので、倍以上の兵力で長篠城の後詰に来て、
かつ野戦築城、ありあまる兵力の一部で鳶の巣山砦を落とし長篠城の包囲を解き、
結局は後詰が成功。普通なら包囲が崩れ、後詰に成功されてしまった以上、
引き上げるハズの武田軍が、なぜか自殺的にバンザイ突撃、まるでカモ打ち猟だ。
信長も理解出来なかったに違いない。

891 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 01:51:07
そうなんだよね。
だから不思議なんだよ。
なぜ、途中で方針転換できなかったのか。

892 :日本@名無史さん:2008/08/27(水) 13:13:37
>>884
マラソンで例えると全力で10km走って息切れ
度重なる出兵で疲弊してしまったんじゃね



893 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 02:29:57
勝頼から長坂釣閑斎に宛てた書状には、「此度の戦を危ぶむものもいるが」
という記述があるので家臣の中に少なからぬ反対意見があったことがわかる。
ところが勝頼は一方では「織田方は手だてを失い、一段と逼迫している」
とも書いており、いかに能天気かがわかる。とにかくお馬鹿さんである。

894 :日本@名無史さん:2008/08/28(木) 13:51:07
ノブは多方面で作戦中で長期対戦だけは避けたい。
勝も同様
相次ぐ出陣で限界が見えてきてる。
ノブは勝が長篠を諦めて撤収してくれれば大成功
なんだが。
万が一の決戦に備えノブは万全をつくし必勝を確信してたがやはり胸中は不安だったろう。
勝は親父にやはり及ばないな
もちろんノブにも。
桶狭間合戦でノブが勝ったのはもちろん幸運もあったが劣勢を伝えられる中ジモティの協力があってのこと
つまりジモティに信頼されてたことがノブの接近を容易にさせた。短期の間に家臣領民さらに流民あたりまできっちり掌握してる。
晴れてても多分ノブは勝ってる。
義元の尾張侵攻作戦はノブが家督をついだ直後に大規模な侵攻をするべきだった。
桶狭間時点またそれ以降はノブの戦力は急速強化され義元が勝つ可能性は低くなる。
ノブの方が義元より何枚も上手だということを義元はわかってなかった。
これが大要因




895 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 02:07:07
信長放置して、
どっか他の場所攻めたりできなかったものか。

896 :日本@名無史さん:2008/08/29(金) 05:30:12
ちょうどセンゴクが、この合戦やってるね

897 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 00:58:14
数千?丁もの火薬と弾薬、
誰がどうやって運んだんだ?

898 :日本@名無史さん:2008/08/31(日) 06:18:43
数千?張りもの弓と矢、
誰がどうやって運んだんだ?
数万?人もの刀と槍、
誰がどうやって運んだんだ?
数万?人もの糧食、
誰がどうやって運んだんだ?
数万?人もの兵員、
誰がどうやって運んだんだ?

899 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:10:31
兵員は歩くだろ。
刀と槍も運ぶだろ。

900 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 00:57:11
補給部隊って誰だったんたろ

901 :日本@名無史さん:2008/09/01(月) 14:52:32
センゴクの酒井かっこいいw

902 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 01:15:58
センゴクみんなおでこせまい

903 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 06:15:25
信長は長篠到着をわざと遅らせたという話もあるが
大量の鉄砲・弾薬・資材(馬防柵)の運搬に手間取ったという考えも

904 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 12:36:36
当時は基本自前で準備だったんじゃないか?
のぶクラスになると
ある程度補給を担当する人間がいただろう。
後方拠点に集めておいたり前線へ運んだり。
城や砦は集積するためのものでもある。
前線まで運ぶのは小者や臨時狩り集めの人間など雑役夫

905 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 13:48:13
現代でも工兵部隊や補給部隊(輜重兵)があるように戦国時代も当然あった。
黒鍬(工兵)、荷駄(補給)などで全体の3〜4割だが、
他国への遠征の場合は当然補給部隊の割合は多くなり、
自国で迎撃する場合は少なくなる。
謙信の小田原城包囲の再には、補給ルートが長大になり、
荷駄部隊がゲリラ的に狙われて補給が続かなかった。



906 :日本@名無史さん:2008/09/02(火) 19:29:47
黒鍬ものや荷駄を一括して管理してなかったのかも。
小田原攻めの際は
関東一円の豪族たちも集まっているから


907 :日本@名無史さん:2008/09/03(水) 01:59:33
新説日本史ミステリーでやったぞ

908 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:39:25
>>903
そうなんだよ。
「運搬担当は誰だったか」はあまり語られない。
まさか本当に、各部隊が各々持ってこい、
たったのか?

909 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 01:56:45
で本当のところはどうなんだ?

「武田騎馬隊は存在しなかった?」って説

新説ミステリーで、へたれの木曾馬だして必死にあおってたけどw


910 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 02:18:10
騎馬兵はいたし、馬を使っていたよ。
「騎馬隊」はなかったけどね。

911 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 07:00:26
騎馬隊はあった。だからこそ信玄は天下を取る一歩手前までいけたのだ。

912 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 09:33:22
そりゃ、馬がいなければ、米俵を人間がかついで運ぶのかよ。

>騎馬兵はいたし、馬を使っていたよ。 「騎馬隊」はなかったけどね。

簡潔にまとめて名言。

913 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 10:17:58
>騎馬兵はいたし、馬を使っていたよ。 「騎馬隊」はなかったけどね。

ということはスレタイの

武田騎馬軍団は全滅する以前に存在していない、でFA

914 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 13:59:23
>>913
水戸黄門の存在を否定するレヴェルのバカ

915 :日本@名無史さん:2008/09/04(木) 16:09:54
>>911
戦国板で勉強して来い
http://same.ula.cc/test/p.so/hobby11.2ch.net/sengoku/

916 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 02:12:34
水戸黄門もいたし、徳川光圀もいましたよ。
漫遊や悪人退治をしてないだけで。

917 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 10:22:11
>>916
> 水戸黄門もいたし、

何人もいるよな。

918 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:49:08
だから「いた」って言ってるじゃん。

919 :日本@名無史さん:2008/09/05(金) 23:50:52
石投げ部隊はいた!

920 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:20:03
騎馬隊はいた
只、騎乗のまま戦う騎馬部隊ではなく、
戦闘地域まで馬で移動し、下馬してから戦う騎馬隊な。



921 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 04:39:08
そんな馬上の人ごとに、
徒歩の下っ端が数人付属していて、
結局徒歩の人のペースで移動するのですが。
それ「騎馬隊」?

922 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 09:13:17
>>920
西国のいくさ

923 :日本@名無史さん:2008/09/06(土) 09:15:28
西国じゃなくて前線の一騎がけ武者レベルだろ。

924 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:39:31
騎馬のみで部隊編成なんてしないよな

925 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 02:49:05
騎馬隊っていなかったっていうのが
定説になってるけど本当にそうなのか?
大陸馬より小型で突撃には向かないとされるが
弓騎馬としたときは有用じゃないだろうか?
元が襲来した時に騎馬隊は存在し、さらに
弓騎兵として活躍しており、流鏑馬という文化が現代にも伝わる。
これを数ある戦国群雄がほっとくだろうか?
上杉謙信の車懸りという戦法があるが
本陣に戻る時、騎馬隊が矢を補給していたと考えると
かなり有用な戦法に思える。
しかも足軽の槍襖に対しても有効
蹄鉄などの馬具が存在しなかったからとされるが、豊臣の刀狩りの時廃棄されたんじゃないだろうか?
または、西洋と違って道路が石造りではないため
蹄はそんなにすり減らなかったので必要なかったのでは?
外国と対話する群雄など、もしかしたら大陸馬を輸入する
チャンスもあったかもしれないのでは?
刀狩りを徹底したためにその証拠が見つかなかったとしたら?
否定する参考文献が必ずしも真実を語っているだろうか?
身分の高い者用とされるが、群雄によって
考えや扱い方が違うのでは?
そもそもなぜ騎馬隊騎馬隊と語られているのだろうか?
火のない所に煙は立たないのでは?

これらの疑問が騎馬隊

926 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:12:19
各小部隊毎に指揮者の下に統率されてないと騎馬のみの部隊は運用できないので日本の合戦では無理
騎馬隊なんて言い出したのは明治維新後


927 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:32:04
つまり戦国大名の家臣団では騎馬隊編成は無理

928 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:43:44
馬を養うのは大変だしな


929 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 03:54:26
石投げ隊 有名

930 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 04:21:24
いやいや槍襖組めるところで
小隊単位の指揮は普通にできるんじゃね?
指揮しなくても弓騎兵だったらちょっとヒット&アウェイしてこいって
言うだけで指揮しなくてもすむし
馬養うの大変ってあの時代、日本の人口は多いし
農家なんか腐るほどあったろうに
やっぱり納得出来ません><
騎馬を否定するやつは
無謀起こさないように武田の子孫を騙す
徳川のプロパガンダ民

931 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 04:49:47
騎馬隊ではむり

932 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 04:53:15
そもそも戦国大名の家臣団はそういう組織になってない

933 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 04:56:55
でも陣太鼓だとか法螺貝もあったし
訓練次第でどうにかなるんじゃね?


934 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 04:58:22
陣太鼓では騎馬隊は運用できない

935 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 06:42:30
武士の編成というのは、平安時代から、高級な武将の廻りには
騎馬武者が集まるようになっちゃってるんだよ。
非常に簡単な理屈でさ、身分の高い武将の廻りには身分のある武士が集まる。
信長の母衣衆然り徳川の旗本然り。
つまり意図しなくても騎馬武者の集団が出来ざるを得ないんだよ。
こういう大将の廻りにつめてる武士は、自身の兵を指揮して戦うことは基本的にない。
彼ら自身は大将のそばを離れることが出来ず、身分の低い陪臣である彼らの家来を、
大将のそばに近づけることは出来ないから。

936 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 08:56:37
殿様自ら突撃なんて普通はしないだろうし機動力がないとわざわざ騎馬兵のみで編成する意味がなくなるしなぁ
当時の軍勢は騎馬の侍がそれぞれ徒歩の家来を連れてるし、それにゴルフ場みたいなところで合戦するわけじゃないから騎馬隊なんて無理なんだよな
武田家の騎馬兵が一番有効に活躍できたのは百足衆だろうね

937 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:04:32
ムカデ衆はエリートだけど、彼らの家来もぞろぞろついて歩いてたの?

938 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:09:46
百足衆は伝騎だから合戦中で用を果たすときは騎馬のみじゃないの?家来も騎馬で一人くらいなんじゃね?

939 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:13:47
じゃあ指揮官のいない彼らの家来は合戦中遊んでたんだね。
むっちゃ無駄じゃんw

940 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:22:14
百足衆、使番は奥近習衆(侍大将級の子弟)から選ばれ被官を二、三十人率いて合戦に従軍したと何かに書いてあったけど軍鑑だったと思うからあてにならないけど


941 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:47:51
百足衆の初鹿野伝右衛門尉の動員した家来は最大でも8名で騎馬は伝右衛門尉だけ
みんなで走ったんじゃね?

942 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:48:26
騎馬隊 = 高速移動兵
合戦時において必要な箇所に速やかに兵を投入するための遊撃部隊

943 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:57:12
>>942
騎馬隊の構成員には徒の家来はいなかったの?
徒の家来達をぞろぞろ連れたたんじゃあ高速移動は出来ないよね?

944 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 09:59:42
>>942
その通りだけど戦国時代にそれは無理だよ

945 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 10:16:04
騎馬隊とはいっても、それぞれ徒歩の家来を数名から数十名つれていて、移動するときは家臣団が一緒で、戦場での突撃の
時だけ騎馬武者が集まり突撃したのでは。前線をやぶると、後続の徒歩の兵がわっと突入していくと。

946 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 10:26:49
>>945
妥当だな

947 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 10:29:36
二、三騎の突貫なら実例あるしね
騎馬隊じゃないけどね

948 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 10:47:00
ロケーションビュー 公開中
http://www.locaview.com/

949 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 11:01:01
戦国最強の武田の騎馬軍団なんて誰が言い始めたんだろう?

950 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 11:09:30
本人じゃね?
確かに精強な武田騎馬軍団は戦国最強の名にふさわしいとは思うが。

951 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 11:18:30
騎馬隊のイメージは明治以降

952 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 18:58:29
上野晴朗先生でしょ

信玄を愛してやまない郷土史研究家

タイガース愛に似てる。

論拠は甲陽軍鑑
武田総勢45000騎と述べてた。
長篠戦で追撃を打ち切ったのは高坂の存在と


953 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:06:56
騎馬隊幻想イラネ

954 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:25:41
アンチ騎馬隊イラネ

955 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:35:11
戦国最強武田騎馬隊の実在を示す史料とかあればね・・・

956 :日本@名無史さん :2008/09/09(火) 19:45:45
日本史で専攻する時代でお勧めの時代とかありますか?


957 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 19:56:07
そりゃ戦国だろ。

958 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:32:18
他の戦国大名に比べて武田の軍勢の騎馬が占める割合は高くもないよな

959 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 20:58:53
問題は運用の仕方だな

960 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 21:30:05
騎馬隊の存在も合戦での活躍を記した史料ないでしょ?

961 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 21:32:57
武田騎馬軍団ってゴルフ場でのロケしかイメージできない

962 :日本@名無史さん:2008/09/09(火) 22:48:46
>>958
上杉よりは高い

963 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 01:34:49
比較したデータあんの?

964 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 14:36:22
武田騎馬軍団がいなかったとなると
騎馬民族が渡来して皇室を作ったとか
関東王国の騎馬軍団の話しはどうなるの?
騎馬軍団がいたなら、多量の馬の骨が発掘されてもよい。
発掘されてるの?
騎馬民族が渡来した時につれてきた馬は絶滅したってこと?

965 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 14:42:47
流鏑馬も、犬追う物も無かったんだよ。

966 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 14:52:30
騎馬武者だけの部隊はなかったってことだろ?

967 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:35:03
戦国時代の馬の骨は
発掘されてます

968 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:36:48
>>944
なぜ?

969 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:41:59
>>936
みたいなのが否定派の
根拠なら勉強不足。

やはり武田騎馬隊は事実

970 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 20:56:22
ねぇよ。
むしろ実在を証明してみろ。

971 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:16:16
武田信玄はあと一歩で天下を取れるところまで行った。
田舎の山猿がなぜそれほどまでに立身出世できたか?
それは騎馬隊を持っていたからだ。

972 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 21:59:27
>>969
「騎馬軍団」という嘘を流布したのはだれなのかねえ。
昔ナポレオン時代。
ネー将軍が2万の騎馬軍団を突進させた。
そういう騎馬軍団が日本にもいたことにした奴はだれだ。
日本の戦国時代の軍隊は、指揮官が騎馬で、その後に続く
のが徒歩の槍隊。
槍の集団が馬に乗っていたなんてどこに書いてあるのか。

973 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:17:52
上野晴朗先生だってば

信長すら怖れた天下無敵の武田大騎馬軍団

長篠戦で完全殲滅

974 :日本@名無史さん:2008/09/10(水) 23:56:42
>ゴルフ場
ワロタw

975 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 02:33:09
馬なんか、障害物置いて、歩兵で馬のスネ切りまくったら終わりじゃん。
むしろお荷物。

976 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 03:21:28
馬の活用の仕方は東国と西国とで違うよね


977 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 19:41:20
>>972 槍の集団が馬に乗っていたなんてどこに書いてあるのか。

小牧長久手屏風図

978 :日本@名無史さん:2008/09/11(木) 23:40:02
もってるのは馬上槍?

979 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:28:55
馬上で槍を振るうのは士の習い
ただしそれのみの集団で戦うことはない

980 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:42:02
合戦には馬が必ず用いられた事実がある。
が、騎馬での集団戦法は無いという者これあり。
完全否定する方にこそ少々無理があると思うぞ。

981 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:48:59
馬上の主人につき従わない譜代郎党はいない

982 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 00:59:28
騎馬隊が活躍=ゴルフ場では可能

983 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 12:45:22
大河ドラマみたいなスピード感なさそう。
戦国時代の武者たちの重装備は異常
小走り程度だろ。
騎兵集団とかは西洋か
近代軍隊みたく兵科が分けられてからじゃないの?




984 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 19:49:35
奇襲においては馬の機動力を使わない手はない

985 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 19:58:17
武者の重装備は騎馬前提

986 :日本@名無史さん:2008/09/12(金) 20:26:50
>>982
野戦が出来る場所は限られてるから野戦はゴルフ場でやるようなもんだよ
川中島が何度も使われたでしょ




987 :日本@名無史さん:2008/09/13(土) 04:07:48
???
計5回の川中島の戦いが全部川中島であったと?
つうか、数千〜数万程度が合戦する平地なんかたいした広さは必要ないわけだが。
ゴルフ場w程度の広さも必要ない。

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