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【愚管抄】慈円【ミエミエ】

1 :日本@名無史さん:2007/05/04(金) 22:12:32
日本史板でよく見かける「自演」について語りましょう。

・何が目的なのか。
・どんな奴が走るのか。
・ない方が良いのか。
等々

苦情も窺います。かねがね困っている場合はそれを書いてください。

関白九条兼実や、その弟の慈円について語るのもありです。


2 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 00:27:34
>>1
自演乙

3 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 07:53:27
慈円の稚児いじり(尻)

4 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 17:59:28
>>2
まだ何にも進んでないだろw

5 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 18:12:02
1=2

6 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 18:48:51
愚管抄に出てくる「シャウト」「ドウト」「ムズト」

これどういう意味?

7 :日本@名無史さん:2007/05/05(土) 21:23:57
>>5
そうだろう。ミエミエw

8 :日本@名無史さん:2007/05/13(日) 11:10:34
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9 :日本@名無史さん:2007/05/13(日) 15:25:54
三重三重

10 :日本@名無史さん:2007/05/14(月) 01:02:52
自演って言葉遣いとか、改行の仕方とかで判るのに、判らないと思ってやっているのかな?
方言が入っている場合もあるし、漢字変換のパターンもある。


11 :日本@名無史さん:2007/05/14(月) 12:18:20
苦情って・・・他スレの話でも良くて、何かしてくれるの?
それとも、九条兼実の洒落なの?

12 :日本@名無史さん:2007/05/14(月) 12:31:27
自演なんて、見破った時点で指摘すればいいだけでしょ。
コテハンの人ばっかりじゃないし。
素直に、慈円や九条兼実のスレにすればいいのに。

13 :日本@名無史さん:2007/05/16(水) 03:07:35
では、それ以降はまじめに九条兼実や慈円を騙るスレという事で

14 :日本@名無史さん:2007/05/16(水) 21:47:20
九粂兼実

15 :日本@名無史さん:2007/05/18(金) 23:41:31
見栄見栄

16 :日本@名無史さん:2007/05/19(土) 14:53:48
実朝の暗殺場面や南都へつれていかれる重衡の様子とか、当時の伝聞だったんだ
ろうが、書き残してくれたのは感謝すべきだな、慈円大僧正さん。
それにしても、自分達の階級、家による支配の徹底した正当化には辟易するが、
藤原氏の者達のメンタリティを率直に今に伝えていて、貴重な文献だよ。

17 :日本@名無史さん:2007/05/19(土) 21:37:43
慈円大僧正

「この世の有様はなんだ。保元平治にはじまり源平争乱、そしてこないだの承久の変・・・
戦乱ばかりじゃないか!どないなってんねん。お釈迦様は輪廻転生とか言われるけど、世の中
そんなに単純じゃない。神頼みじゃいかんよ、いかん。
人の世には正しい筋道がなきゃいかんよ。道理を確立せねばならんのよ。」

18 :日本@名無史さん:2007/05/20(日) 23:43:14
美恵美恵

先週末、無理やり中に出してやったw

19 :日本@名無史さん:2007/05/27(日) 16:57:40
自演はいいが、中出しは禁止です。

20 :日本@名無史さん:2007/05/27(日) 17:32:46
ならば掘ります。

21 :日本@名無史さん:2007/05/28(月) 22:05:10
道程ですが癌射をしたいとです

22 :日本@名無史さん:2007/06/14(木) 18:14:58
不届き者!
比叡の山奥、
座禅を組んで、
煩悩を絶て!!!

23 :日本@名無史さん:2007/06/16(土) 14:07:20
やりたくなるのは、ものの道理

24 :日本@名無史さん:2007/06/16(土) 14:22:27
慈円の同母兄で九条家の祖兼実って、三男坊なんだよね。
慈円は、四男坊。
兼実までの兄三人(兼実以外は異母兄)は摂関で、
四男慈円は坊主って、偉い差別だよね。
慈円も、兄兼実があんなに早く死ぬなら、
五摂家ならぬ六摂家をたててもよかったような感じ。
愚管書では必死に九条家擁護の立場に立ってる慈円、
俗世にいたら、兄の九条家などライバルだったろうに。

25 :日本@名無史さん:2007/06/16(土) 23:36:31
>>24
貴族の家では珍しい事でもないだろ

26 :日本@名無史さん:2007/06/17(日) 00:24:41
同母兄の血筋は身内
異母兄の血筋はライバル

27 :日本@名無史さん:2007/06/17(日) 12:00:51
山門は朝廷に対する巨大圧力団体だったから、座主となった慈円は結構重要な位置にいたんじゃない?
それに時代が時代だったし、九条兼実&慈円兄弟は、頼朝に裏切られる(というか頼朝の政治判断がアホというのが正しいが、そのとばっちりを食う)までは結構やったと思えるんだが。


28 :日本@名無史さん:2007/06/17(日) 17:56:12
>26
藤原道長は、同母兄藤原道隆の子孫を冷遇してのし上がった。
俗世にいたら、同母兄でもライバルだよ。
むしろ、異母兄が庶子であれば、同母兄こそ目の上のたんこぶだろうよ。

29 :日本@名無史さん:2007/06/18(月) 10:58:32
慈円は自主的に坊主になったの?それとも幼いころに親が坊主にしたの?

30 :日本@名無史さん:2007/06/18(月) 11:04:16
>>28
慈円は、数え年13歳で出家しているから、自分の意思ではなかっただろうね。
出家するさらに以前の、幼少期から、天台宗門跡青蓮院に入っている。

31 :日本@名無史さん:2007/06/21(木) 00:06:36
慈円も兼実も、歴史的な意味でいえば、鎌倉幕府成立までの客観的に近い重要な歴史の証言者ということだろう。
兼実は、朝廷内の頼朝派(後に裏切られるが)だから、やや利害が絡むが慈円はかなり当時を俯瞰視出来た人間で、愚管抄を著せるだけの知識も教養も持っていた。
道理というものを、必然・蓋然性と捉えるなら、現代史学に近い観点をもった当時の当事者に限りなく近い縁者で、かつ適度に距離があった消息通がいたのは、日本人にとって幸運なことだった。
残念ながら、鎌倉にいた訳ではないので、頼朝の死因などについては確かなことを書いていない。その辺りは惜しかったけれど。



32 :日本@名無史さん:2007/06/21(木) 10:26:59
愚管書で慈円はけして、頼朝のことを書きたかったわけではないからね。
死因という点では・・・
兼実の「玉葉」は一級史料だが、政界を追われた後の兼実は、まもなく筆をたっている。
愚管書は、あくまでも、自分の所属する摂関家擁護を説明する意味で書かれた歴史書であって、
摂関家の意義、並びに、慈円の姪九条立子が産んだ仲恭天皇の正統性、
仲恭天皇を守るために今乱を起こしてはならないことを、後鳥羽天皇に奏上するためにかかれたもので、
慈円の鎌倉幕府擁護発言ばかりが注目されるけれども、それは少し違う。
愚管書の主題は鎌倉幕府の成立ではないからね。
慈円が守りたかったのは九条家であって、必ずしも幕府ではなかったから。

33 :日本@名無史さん:2007/06/21(木) 10:28:56
>32
九条立子=慈円の姪は誤り、慈円の甥の子。
訂正。

34 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/06/24(日) 00:31:21
>>32
『愚管抄』のことですか?
それに、天皇を藤原摂関家と鎌倉の将軍家(摂家将軍)が公武から守護する
ということが、二神約諾説や草薙剣不要(幕府が武力による天皇守護を代行)
説を持ち出した慈円の意図したところだったはずですが。

35 :日本@名無史さん:2007/06/24(日) 03:49:30
愚管抄って、元々後鳥羽上皇を諌める為に書かれたらしいけど。
承久の乱後に改訂されているから、その辺りで慈円自身にどのような考え方の
変化があったのか。

36 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/06/24(日) 08:13:04
公武の奉仕による泰平が実現されるという聖徳太子の夢告を受けていたのに、
結局承久の乱→三院の流島という結果になってしまい、なかなか整理がつか
なかったようですね。夢告が嘘という発想は当時ありませんし。
他人に否定はされても、本人は否定したがらない。

しかし、戦前のやり取りを見ていると、「法然上人を否定した『愚管抄』の
作者は慈円で、法然推挙は浄土宗の創作」説に浄土宗側が必死になっていて
(申し訳ないですが)笑えますね。
慈円も天台僧として兼実らの戒師を務めていた法然を否定してはいなかった
ようですが(全面否定ではなかったのは、俊乗房重源も同じ)。

37 :日本@名無史さん:2007/06/24(日) 11:53:27
>>36
まぁ、判断ミスや失敗はどのような勢力にもあることなので、必要以上に(まして過ぎ去った
ことに対して)正当化するような行動は、愚かな選択という事が多いようですね。

九条家というのは、鎌倉時代初期は結構政争に翻弄された家だという印象を受けます。
そもそも朝廷内で最も源頼朝に対する理解を示していたのは九条兼実だという自負はあった
はず。
ところが、頼朝の晩年、大姫入内問題で頼朝はそれまでの九条一派ではなく、むしろ反対の
丹後局や源(土御門)通親と手を組んでしまう。
政治力学上、入内問題では頼朝は九条兼実とは組めない。摂関家は元来、自分の娘を入内させ
ることこそが、権力基盤であったから。しかし、それで頼朝はまんまと反九条一派の謀略に
かかってしまった。丹後局、源通親は後白河法皇系の院政派ですから、頼朝を味方にして、
兼実の関白罷免、慈円の天台座主更迭へと動き、挙句、後鳥羽天皇の妃は通親の娘になってし
まった。これは頼朝の生涯最大の政治的判断ミスだっただろう。新たに組んだはずの丹後局と
通親に裏切られた上に長年シンパだった九条一派を壊滅させてしまったのだから。

源頼朝という人は、終始冷静に政治判断をやってきたのにこの体たらくは何だろう。
おまけに天皇入内という手法は、摂関家や平氏がやってきた手法であり、それと一線を画して
いたことが頼朝が武家政権を確立する為にうまくいっていたポイントだったはずなのに。
「判断ミスや失敗はどのような勢力にもある」と冒頭に書いたけど、これは酷すぎる。


38 :日本@名無史さん:2007/06/24(日) 18:55:10
>34
「愚管書」を本当に読んだ人?
慈円は鎌倉幕府を持ち上げているけれども、
けして幕府を摂関家と同列に扱ってないよ。
公=摂関家、武=幕府の並立だなんてとんでもない。
慈円の価値観では、天皇が国の頂点にあることは明確な理、
しかし、天皇は世襲であるために凡人が帝位につかざるを得ないことが多い、
そのために、摂関家が天皇の業務をを補佐、代行するのだ、何度も力説している。
天皇家や摂関家は、政を行う重要な家で、政権を持たない幕府よりもはるかに上。
慈円が幕府を認めたからといって、それは、天皇家や摂関家の持たない武を補うためにすぎず、
政治は摂関家の主導の下、朝廷がおこなうもの、と当たり前のように考えていた。
慈円は目指したものはけして二頭政治ではないし、摂関政治を強く回顧した内容だよ。

39 :日本@名無史さん:2007/06/24(日) 23:27:45
>>38
道理に合わないなw
知っているだけで、内容や背景を理解してないだろ。

40 :日本@名無史さん:2007/06/24(日) 23:35:21
>>38
大体鎌倉幕府の将軍は、九条頼経だしw

41 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/06/25(月) 01:39:48
>>37
確かに、大ポカに見えますね。兼実の言う「下賤者」丹後局たちにいいよう
にやられてしまった。
ところで、丹後局が忠盛の姪だという説、最近何か動きはありましたか。

>>38
乱前の摂家将軍への期待、乱後の執権中心の幕府の容認については、赤松俊
乗先生の研究をご参照下さい。
『慈鎮和尚夢想記』に基づいて、摂家将軍の誕生を目にした慈円は天照(神
鏡、大日)・春日(神璽、仏母)・八幡(神剣、不動)の三神の約諾によって
日本に安定がもたらされると考えていたのに、乱の勃発によってその史観に
動揺が生じたことが説かれています。
もう55年も前に出た『鎌倉仏教の研究』に収録された論文があり、この内
容は日本古典文学大系本の解説にも受け継がれていますね。
最近大きな訂正が迫られていたのであれば、申し訳御座いません。

42 :山野野衾 ◆CXSSL1llHI :2007/06/25(月) 01:41:18
それと、なんで『愚管抄』を「愚管書」と表記されるのですか。

43 :日本@名無史さん:2007/07/12(木) 00:40:33
丹後局って紛らわしいね。鎌倉にもいたでしょ、確か。

44 :日本@名無史さん:2007/08/17(金) 01:02:58
スレ枯らし

45 :日本@名無史さん:2007/08/17(金) 02:29:54
>それと、なんで『愚管抄』を「愚管書」と表記されるのですか。

それを言っちゃおしまいよw
みんな黙って楽しんでるんだから、もう少し泳がせなくちゃ。

46 :日本@名無史さん:2007/08/17(金) 22:32:29
泳げ愚管書くん!!

47 :日本@名無史さん:2007/08/18(土) 00:10:42
>>24 :慈円の同母兄で九条家の祖兼実って、三男坊なんだよね。
慈円は、四男坊。
藤原忠通の息子は各家成員リストによると
生年が記されていない男子が4人いるが
生年が記されている男子の中では九条兼実は4番目、慈円は6番目
1118-1177 天台座主大僧正 覚忠
1143-1166 近衛基実(関白→左大臣→摂政)
1145-1230 松殿基房(左大臣→摂政→関白)
1149-1207 九条兼実(摂政→太政大臣→関白)
1153-1217 藤原兼房(太政大臣)
1155-1225 天台座主大僧正 慈円(愚管抄筆者)
      興福寺別当法務大僧正 恵信
      興福寺別当法務大僧正 信円
      法印権大僧都 最忠
  -1213 権大僧正 尊忠



48 :日本@名無史さん:2007/08/19(日) 16:03:46
兼実は、仁安元年(1166年)から右大臣をつとめているが、「治承のクーデター」
以後はほとんど朝廷に出仕せず、後白河法皇から諮問を受けても責任ある返答を
避けている。摂関家のプライドも高く、丹後局(高階栄子)を見下した言動などで
法皇や院近臣とも対立を深めた。美福門院(藤原得子)を「諸大夫の女」と蔑んだ
叔父・頼長と通じるものがある。

兼実が「建久七年の政変」であっさり失脚したのも、頼朝の支援打ち切りもあるが
結局は朝廷内における信望の薄さが原因だろう。

49 :日本@名無史さん:2007/08/23(木) 23:40:35
そうか、人気ないんだね。

50 :日本@名無史さん:2007/08/24(金) 20:18:11
首を絞められてチンポを切り取られて殺された頼家カワイソス

51 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 11:34:11
>>48
若かった後鳥羽天皇が、兼実失脚に同意していたかは疑問だけれどもね。
兼実失脚に関連して、後鳥羽天皇中宮だった兼実の娘任子は宮中を退出、出家してしまったけれども、
後鳥羽上皇は、愛息順徳天皇の中宮に兼実の孫娘九条立子をたて、立子の産んだ仲恭天皇を帝位に就けた。
立子は、父良経、続いて祖父兼実をなくした後、弟の道家とともに慈円の庇護を受けていたから、
慈円の著書の中でも大いに持ち上げられている。

52 :日本@名無史さん:2007/09/01(土) 12:17:13
>>50
タマを取られたんだよ。

53 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:16:07
まるで広島のヤクザだなw

54 :日本@名無史さん:2007/09/16(日) 18:19:48
>>51
兼実の諮問で後鳥羽天皇は源頼朝を征夷大将軍にしてしまったのではないか。
任命権者だからね。
後に承久の乱を起こす事になるのは、その失敗を取り返そうとしてのことだろう。


55 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 11:20:09
>>47
覚忠から基実までものすごく離れているのは何でなんだろう。
てか、何で覚忠は後継になれず出家したんですかね。
忠通は基実が生まれるまで実子がいなかったから、
わざわざ頼長を猶子にしたとか聞いていたんだけど。

56 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 15:46:04
>>55
覚忠は、認知していない子だったんじゃ?
侍女程度の女性に手をつけて、自分の胤かわからなかったとか・・・
基実は40過ぎるまで、認知した男子はいなかったはず。
頼長を養子にしたのもそのためだったから。
忠通の正室は権大納言藤原宗通女宗子だけど、正室腹は、
崇徳天皇の中宮となった娘の聖子しかいなかったはずだし。

57 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 16:05:05
>>54
後鳥羽天皇は、源氏とは仲が良かったよ。
源頼朝も征夷大将軍にしたし、
源頼家の廃将軍を認めたときも、
鎌倉は頼家が病死したと朝廷の嘘の報告をしてきたためだったし。
源実朝のことは、弟だと呼んで、可愛がっていた。
後鳥羽天皇が追討令を出したのは、北条義時に対してであって、
源氏3代の将軍に追討令を出したことは一度もない。
北条氏を滅ぼして、将軍九条頼経も都へ取り戻すはずだったんだろう。

58 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 16:52:39
>>57
あ、それは面白い見方だな。
後鳥羽上皇は、武家政権とは対立したが、源氏はそうではない?
逆に武家政権は、内部でもめているし、源氏の立場ってのを考えるのに興味深い。

でも逆に、九条家と源氏では、入内問題で対立したりしていて、この辺りの合従連衡や愛憎関係は、複雑なようだな。


59 :日本@名無史さん:2007/09/17(月) 23:13:54
>>56
レスありがとうございます。
さっきネット散策してたら、覚忠は忠実の子を忠通が猶子にしたものではないか?
というような説が載っておりました。
何にせよ、忠通の嫡男とは認めがたい出生の背景があったことだけは確かなようですね。

60 :日本@名無史さん:2007/09/23(日) 16:01:11
>>57
源氏といっても源通親とは仲が悪かっただろうw

61 :日本@名無史さん:2007/09/25(火) 11:43:50
>>60
源通親は、後鳥羽天皇の乳母藤原範子の再婚相手だったからね。
後鳥羽天皇は源通親と藤原範子に養育されていたから、
当初は乳父として全面的に信頼していたんじゃないか。
源通親の養女在子(藤原範子と先夫の娘)も寵愛を受けたようだし。
もっとも、乳母範子の没後、妃の在子が養父である通親と密通したために、
後鳥羽上皇は在子を遠ざけ、在子との皇子土御門天皇も
冷遇したといわれているけれどもね。

62 :日本@名無史さん:2007/10/16(火) 13:28:53


63 :日本@名無史さん:2007/10/21(日) 20:37:58
しゅ

64 :日本@名無史さん:2007/11/03(土) 00:02:57
ぐぉぉおおおお〜ん♪

65 :日本@名無史さん:2007/11/30(金) 11:18:19
愚管抄の口語訳、どなたかご存じない?
部分訳しか見つからない

66 :日本@名無史さん:2007/12/07(金) 21:49:40
岩波文庫にはないのか?

67 :日本@名無史さん:2007/12/15(土) 19:53:31
ぐぉぉおおおお〜ん♪

68 :日本@名無史さん:2008/01/03(木) 21:24:20
新井白石はなんと言っている?

69 :日本@名無史さん:2008/01/20(日) 12:45:44
よおいうわ

70 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 04:28:38
慈円は隠者じゃないですよね?


71 :日本@名無史さん:2008/01/28(月) 09:37:14
天台座主として君臨、
兄貴の兼実の片腕として政治の相談にも乗り、
兼実が没した後はその遺児たちを庇護した
どちらかといえば慈円は出たがり人間だろう
蔵からも愚管抄の下書きと一緒に
さまざまな公家に宛てた自筆の手紙が出てきている
(この署名入り手紙が愚管抄慈円作の決め手となったのだが)

72 :武陽隠士:2008/02/25(月) 23:26:06
>>65
訳なんかないよ。そのくらい自力で読んでちょうだい
まあ、わかんないとこあったら訳してやるよ

73 :日本@名無史さん:2008/03/15(土) 18:28:22
頼朝の死に関するところとか、現代のワイドショーみたいなw
まあ当時の消息通がそういう役割だったのだろうが

74 :日本@名無史さん:2008/05/20(火) 19:26:48
道長が、一条天皇崩御後に道長を批判した手紙を見つけて、焼き捨てたって話があったが、
なんでそんな摂関家に都合の悪い話をわざわざ書いたんだろうか。

75 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 01:25:01


76 :日本@名無史さん:2008/11/19(水) 13:51:25
末法思想を信じ込んでるみたいだけど
当時の人は世の移り変わりは予言書の通りになると
信じてたんだね。結構悲観的な見方をしてる。

77 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 22:31:43
ほほー

78 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 13:52:33
>>74
後世の人は慈円が書き残したから知ったことではあるが
その説は慈円が生きた頃には無視できない噂だったのだろう。
以下、慈円が尊敬する祖先である道長のために弁明する内容が続いている。

道長は大職冠(鎌足)にも劣らぬ偉人である。
それが証拠に道長は法成寺において仏にみとられながら浄土へ旅ったが
またとない立派な最後であった。
また、生前、人々を率い、仏道において都を守ろうとした
道長の徳は人間界においてまこと手本となるものであった。
一条天皇はこれらの道長の善徳を何一つ知らずにあのような行動をなさったが、
道長は多くの子孫繁栄に恵まれながら一度も天皇家に対して悪いことを行わなかったは
まことに見事なことであった、と、
慈円は偉大な祖先道長の偉業をひたすらに褒め称え、
一条天皇が無知であった、となじっている。

79 :日本@名無史さん:2009/02/24(火) 23:05:01
愚管抄の訳本出版してもたいして売れないだろうし
右よりのオヂさんが酔っ払って文句言いに来そう

80 :日本@名無史さん:2009/03/29(日) 21:50:06
>>78
>またとない立派な最後であった。
糖尿病で苦しんで死んだのにな

81 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/04/06(月) 00:15:28
>右よりのオヂさんが酔っ払って文句言いに来そう
まあ、『とはずがたり』も漫画化されたことですし……。

82 :山野野衾 ◆09Xc/lRh7Y :2009/04/06(月) 00:17:29
連投失礼。

>糖尿病で苦しんで死んだのにな
「つるのはやし」の方を参考にしたのでは。
そういえば、『明月記』などでは同じく糖尿で死んだとされている頼朝の死も、
ぼかして書いてありますね。

83 :日本@名無史さん:2009/04/20(月) 05:46:12
ぐぉぉおおおお〜ん♪

84 :日本@名無史さん:2009/04/29(水) 22:21:40
ぐぉぉおおおお〜ん♪

85 :日本@名無史さん:2009/05/04(月) 12:15:52
>>79
っていうか、昔「神皇正統記」の全訳とセットで1冊にした全集がなかったか?

86 :日本@名無史さん:2009/05/27(水) 23:20:12
ぐぉぉおおおお〜ん♪

87 :武陽隠士 ◆UCfK2Lx59s :2009/05/28(木) 01:16:01
>>27
あちゃーなんだこりゃw
若年の後鳥羽の意思決定を過大視しすぎだ。


88 :日本@名無史さん:2009/05/28(木) 04:23:07
>>48
諸大夫の娘の出典である『台記』の記事を読めば、その主語(発言者)は忠通であって、頼長はただその発言を引用しただけ。

89 :日本@名無史さん:2009/09/08(火) 17:17:18
>>87
素敵

90 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 15:43:09


91 :日本@名無史さん:2009/09/19(土) 16:40:44
>>89
ブヨーの慈円ってここまで酷いのか

92 :日本@名無史さん:2009/11/18(水) 21:54:11
ん?

93 :日本@名無史さん:2010/02/14(日) 22:14:17


94 :日本@名無史さん:2010/03/13(土) 11:45:34
自演でTHE‐END

95 :日本@名無史さん:2010/03/22(月) 16:37:33
おわらんよ

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