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韓国南部の前方後円墳は倭人の墓か?

675 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 18:04:31
世界史においては、最後の氷河期から18世紀まで
ずーっと文化の流れは南から北へが基本。


676 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 18:49:00
>>675
正しい。




677 :日本@名無史さん:2008/08/17(日) 18:54:51

>世界史においては、最後の氷河期から18世紀まで
>ずーっと文化の流れは南から北へが基本。

その通り。
ただ、朝鮮人には『北方民族優越論』みたいな思想があって、
朝鮮は日本よりも北に位置しているから、日本よりも文化が高いと
思い込んでいる。
実際は、朝鮮人の先祖=ワイ族は、9世紀まで漢字の読み書きができず、
原始的な狩猟活動によって生活していた。
動物の毛皮を着て、エスキモーのような生活様式だったのだ。




678 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 20:34:36
                           
 韓国人は今でも、狩猟民族としての性質を残しているようだ。やたらと興奮して動物を殺し、
その血を公の場で撒き散らして自分たちの感情をアピールする。
 こういった行動は、文明人というよりも、古代の原始的狩猟民の行動ですね(w
                           
YOUTUBE◆雉を殺して反日をアピールする韓国人たち
http://jp.youtube.com/watch?v=KeLYBQ1SMJ8
                     
■ワイ族−朝鮮・韓国人の先祖である狩猟民族

 古代カラ半島東北部に居住していた北方アジア系=狩猟民族。もともとはシベリアの山岳部や森林地帯に
住んでいたツングース系民族の一派であり、現在の朝鮮民族の直系の先祖。
 ワイ族は、古代の半島南部に住んでいた倭人系民族のシラキ人、ミマナ人、クタラ人などと敵対関係にあり、
倭人系民族と領土紛争を繰り返していた。
 ワイ族は3世紀初頭から、まずシラキを侵略し、シラキ領北部にケリン(鶏林)を建てた。
3世紀後半にはシラキ南部にまで軍事侵攻し、4世紀前半にはカラ半島東南部を完全に乗っ取った。
 ケリンの軍事的圧迫を受けたシラキは、3世紀後半には領土が西方に移動し、国号をミマナに改めた。
その後、ケリンは、国号を『新羅(シンラ)』に変えた。
 新羅(ケリン)は、半島東南部を拠点にして、西側に隣接する日本領=ミマナ(馬韓)に対して
侵略を何度も仕掛け、6世紀前半に、ついにミマナを滅ぼし、新羅に併合した。
 7世紀の『白村江戦争』では日本と百済を相手に戦争し、百済を滅ぼして、半島の南北地域の大部分を
支配下においた。
                       


679 :日本@名無史さん:2008/08/18(月) 21:27:27
>>674
> 韓国の政治的民族主義的歴史観への迎合は
> 知的怠慢であるとともに歴史学に対する背信行為

学問の姿勢としては正しい意見ですが、韓国の歴史学界の現状では無理でしょうね。

680 :日本@名無史さん:2008/08/19(火) 19:05:52
>>679
韓国の歴史学界の現状は異常な状況かもしれないが、
日本の戦前の歴史学界も大差ない状況だったのではないか。

681 :日本@名無史さん:2008/08/20(水) 01:31:36
>>680
異なる時代の話を同一平面に並べて論じるな
現在なら現在同士の話にしろ。きりがない

682 :日本@名無史さん:2008/08/21(木) 17:41:14
>>680
ちゃんと日本の戦前の歴史学界について調べた上で書いてる?

683 :日本@名無史さん:2008/09/28(日) 12:46:16
>>670
> 日本の前方後円墳の起源を韓国内で発見しようとした姜仁求先生が、
> 精力的に探索して韓国南部でようやく発見した韓国の前方後円墳が、
> 期待とは違い日本の前方後円墳よりはるかに後の時代のものと分かり、
> 日本の任那経営を傍証する証になり、本来の意図と相反する結果から、
> 韓国での前方後円墳に関する研究は再び闇に覆われるようになりました。
>
> 現在の微妙な日韓関係や民族意識を考慮して日本の研究者の間でも、
> この問題を掘り起こして議論することは躊躇する空気が強いようですね。

多くの先人の努力で折角発見された韓国の前方後円墳が、
政治的、民族的理由で研究が中断されているのは残念ですね。

684 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 08:17:17
>>683
政治的、民族的意図の下に、何かの証拠を見つけようとすること自体が、
考古学に限らず、学問に対する学者の姿勢ではないでしょうね。

685 :日本@名無史さん:2008/11/16(日) 17:24:28
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1222374987/399
399 名前:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2008/11/16(日) 13:33:30
中期古墳の建造時に日本と半島の間に活発な交流があったことは認められても、
別にそれが、半島南部での軍事行動と連動している様には見えない。

弥生中期〜末まで、倭が半島南部への労働力の供給源であったと思われる事実(生活土器の搬入等)がある。
弥生終末〜古墳時代初頭になると、この人的移動に相互性が生じる(韓式生活土器の出土が西日本全体に広がる)。
古墳前期後葉になると畿内の古墳が大型化定型化する。
しかし、半島南部での倭人の活動には変化はない(人的移動は続く)、逆に半島南部の伽耶地方では王権の強大化が認められる。
古墳中期に至り、河内平野に巨大古墳群が出現する。
同じころ半島では高句麗、新羅、百済が強大化し、伽耶の勢力は相対的に低下したかのように見える。
ただし、このころ旧馬韓南部領域に前方後円型墳丘墓が出現することは事実。
こんな感じなんだけど、上記二点をもって倭による支配があったと認めるのは根拠としては弱い。

まあ、強いて言えば、倭王権が半島に対して継続的に人的供給(主として交易品としての生口ですね)を行った結果、
現地での倭人密度が高まり、倭人独自の自治的組織が成立したのかもしれない。

倭猿なみだ目wwwwwwwwww


686 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 11:39:24
普通に倭人の墓だろ。
古墳を築く程度には有力だった人物。
つまり倭人系の支配者。

687 :日本@名無史さん:2008/12/28(日) 17:50:55
>>686
支配者と言っても半島南部の一部の地域だけだろう。

688 :日本@名無史さん:2008/12/29(月) 08:50:12
うえのむ

689 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 11:20:28
7世紀頃まで半島南部は日本が支配
 ↓
日本からの援助が無くなった半島はシナと騎馬民族にボコボコにされる
 ↓
人を蹴落とす卑しい人種とレイプ犯の子供だけが生き残る
 ↓
現在の朝鮮人が完成

690 :日本@名無史さん:2008/12/31(水) 13:29:20
韓国南部の前方後円墳は任那日本府の存在を傍証する貴重な物だから、
韓国の考古学会には徒に発掘することなく慎重に保存して欲しいですね。

691 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:40:29
松鶴洞1号墳は埋葬施設が三つあるという理由で
円墳を三つ重ねたものであると強引に結論づけられ
元々前方後円型だったのが、丸い団子を三つ重ねた形に
作り変られてしまったね・・・

本来、前方後円墳は、前方部の主埋葬部以外にも、複数の埋葬が行われる
ことはよくあることなのに・・・

692 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 18:57:48
姜仁求などの前方後円墳の韓国起源説を唱える韓国学者が
盛んに韓国の前方後円墳の研究発表を行っていたが、
これに対して広開土王碑改ざん説を唱えた李進熙は
「韓国南部の前方後円墳は任那日本府の傍証になるから
前方後円墳であってはならない」と主張していた。
松鶴洞1号墳についても前方後円墳ではなく
「円墳を2つ重ねたものだ」と主張していた。

それで結局>>691のような結果になった。
無茶苦茶もいいところ。

693 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 19:06:42
因みに安本は「騎馬民族征服説」や「前方後円墳の韓国起源説」
を否定したいばかりに沈奉謹の発掘による
「松鶴洞1号墳が前方後円墳ではない」とする
強引な結論付けを盲目的に受け入れている。
ttp://yamatai.cside.com/katudou/kiroku208.htm

694 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 20:25:50
韓国の人達は真実を見つけるために調査するのではなく、
自分達の目的にあった結論に導くために調査しますね。

民族的、政治的目的に合わない結果になりそうになると、
古墳でも何でも勝手に改造したり破壊するから困りますね。

695 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:25:00
松鶴洞1号墳
改造前の墳丘
ttp://yamatai.cside.com/katudou/image/208zissoku.gif
改造後の墳丘
ttp://zaiwakan.hp.infoseek.co.jp/hanguku-0305.files/image008.jpg

696 :日本@名無史さん:2009/01/01(木) 21:30:30
>>695
確かに前方後円墳ではないな。
真ん中の円墳の輪郭が低いところに残っている。
何者かが真ん中の円墳を削ったことがよくわかる。

697 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:10:18
                           
★韓国の首都名・「ソウル」は古代日本語か。

 韓国の首都は「ソウル」という名前だが、韓国人はソウルの語源が分からないという。
中世・古代の韓国語(朝鮮語)をいくら調べても、ソウルの意味は不明だそうだ。

 この「ソウル」は、実は古代半島の南部=カラに住んでいた倭人たちの言葉ではないか。
つまり、古代日本語ではないだろうか。
 おそらく、「ソウル」とはソ・ウラ(曾浦)の意味であろう。ソ(曾)は、熊曾・クマソのソであり、
古代日本語で「遠くの」あるいは「遠い土地」という意味の言葉である。ウラ(浦)は日本語で「海辺」の
意味である。
 ようするに、ソ・ウラとは「遠方の海辺」という意味であり、半島南部(馬韓)に住んでいた倭人たちが、
京畿湾の沿岸地方をソ・ウラと呼んでいたのだろう。
 8世紀以降、半島南部の倭人が滅びた後も、ソウラという呼称は使われ続け、ソウルと訛って、
今に至っている・・・これが真実であろう。
 ソウルの語源が日本語古語であるならば、中世・古代の朝鮮語に語源を求め、いくら研究しても、
語源は絶対に見つかるまい。
 たとえば、現在の日本にはファーストフード店が無数にあるし、それらの店ではハンバーガー、
チーズバーガーが売られている。ハンバーガー、チーズバーガーはもともと英語である。
もし、日本人の誰かが、ハンバーガーやチーズバーガーを日本語だと勘違いし、古代日本語や中世日本語に
語源を求めて調査しても、語源は見つからない。もともと外国語だからだ。
 それと同じように、韓国の首都名・ソウルが、実は古代日本語だったとしたら、いくら中世以前の朝鮮語を
調べても、語源は見つからないであろう。
 ソウルの語源は、やはり、古代日本語に求めるべきではないか。韓国人はこの説を受け入れたくない
であろうが。
 韓国の首都名が日本語であるという事実は驚くべきことだが、古代倭人文明の残像が、今の韓国にも
残っているということなのだ。

今のイタリアに、異民族・ローマ人が残した古代文明遺跡が残っているようなものだ。


698 :日本@名無史さん:2009/01/02(金) 19:53:19
「前方後円墳」という用語・定義を初めて確立したのは、正五位・蒲生君平だべ。

699 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 00:58:55
韓国に前方後円墳のルーツがあるわけない。
連綿性という観点からも言える。
韓国人はたった1つの古墳をルーツと言いたがる変な習性があるね。

700 :日本@名無史さん:2009/01/03(土) 06:47:21
>>692
一時期は前方後円墳の起源を韓国で見つけると意気込んでいた姜仁求や、
任那日本府の存在を否定するため広開土王碑改竄説を唱えた李進熙らは、
近頃はあまり動静が伝えられないけど、その後どうしているのだろうか?

701 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 14:56:16
>>700
死んだんじゃない?





702 :日本@名無史さん:2009/01/04(日) 15:52:57
>>700 布団をかぶって頬かむりしているんだろう。

703 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:03:44
俺はこの種のことはあまりよくわからんがモマエら日本のためにがんばってちょ!!!

704 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:09:13
>>30こらぁコンガキぃ。神戸の人間はそんな、九州だか広島だかわからんようなしゃべりかたせんぞ。おまえ関東のいなかチ○んやろ。

705 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 11:23:24
おまえら、ここでオナニーもいいが、大切なんは日本人を残すことやぞ。はやく大和撫子に花粉をつけて、父祖の血を繋げろ。そして日本及び日本人の素晴らしさと公徳心、生存能力を教育するんだ。 

みんながきちんとやれば、オナニーの必要ない位日本は光り輝き栄える!!  
さぁー街に出でよ!コンビニのレジでもいい。女を口説け!命で日本を充たせ! 
日本に外人などいらない。次男三男の突進力、開拓力、覇気、次女三女の愛嬌、献身、微笑みが日本には必要だ!! 

祖国よ!!!永久に!!! 
天皇陛下万歳\(^O^)/


706 :日本@名無史さん:2009/01/06(火) 12:05:55
>>700
自らの学問的良心を捨て去ってまでして
歴史を変えようと試みた李進熙や姜仁求の行為は、
学問を探求する学者としては失格だが、
民族の自尊心を鼓舞しようとした熱意と努力は凄いな

707 :日本@名無史さん:2009/01/09(金) 18:31:25
>>697は電波。
ソウルの語源は百済時代の「所夫里」。
「所(しょ)」は語源不明だが「夫里(ふり)」は
三世紀の馬韓語「卑離(ひり)」の訛りで集落とか邑、都市などの意味。

708 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:05:03
語源不明ならその説はボツ

709 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 02:59:05
あほか。
学問には「現時点では不明」なんてことはいくらでもある。
あてずっぽうな思いつきは学問とはいわない。

710 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 03:10:59
ちなみに馬韓語の「卑離(ひり)」(百済語の「夫里」)は
昔から新羅語の「伐(ばつ・パル)」と同語源と考えられている。
新羅の別名「徐那伐(そなばる)」も所夫里と同系の語彙。
あと新羅の伝説上の初代王の赫居世を拾った「蘇伐公」という人名の
「蘇伐」も「そ・ばる」で、所夫里・徐那伐・ソウル等と同じ単語だろう。

俺の考えでは、いずれも頭音の「そ」は意味不明。
普通は「主要な〜」「大きな〜」の意味とされているが根拠ないと思う。
でも「卑離=夫里=伐」が集落・邑・都市などの意味で
ソウルの後半「ウル」の語源であることは学界に異論はないよ。

711 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 04:08:19
うーんボツ

712 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 20:34:25
以前に鮮卑が完全になくなったとかいう話があったが、シボ族はどうなの?
シボ族は鮮卑の子孫と自称し、西興安嶺(?)あたりに住んでいたが、清国
のとき満洲族の軍事組織に組み込まれて強制的に満洲各地に移住させられ、
シボ語を捨てて満洲語を話すようになった。

その一部が遠く新キョウの地に屯田兵として派遣されて住みつき、その子孫
が今も満洲語の方言を話している・・・

だいたいこんな話なのだが。

713 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 22:43:11
>>697 ソウルの語源が朝鮮語で不明なのは、朝鮮語ではない異民族の言語が語源なんだろう。

 その異民族として考えられるのは百済、高句麗、シナ以外にはないんではないか。


714 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:22:39
>>713
そうだよ
だから"百済語の"「所夫里」だといってるじゃんよ

715 :日本@名無史さん:2009/01/10(土) 23:24:42
【日本よ、世界のことわざに学べ!】

・嘘をつくものは、真実の重みに骨までつぶされる(アラビア語の諺)
<教訓>
南京大虐殺は捏造?、日韓併合は合意の上?、侵略はヌレギヌ?
そんな嘘ばかりついているから、世界から信用されないのです

・慈悲深い者でさえ、敵意を以って接すれば敵意が返ってくる(インドの諺)
<教訓>
これこそ、韓国と中国が反日である理由です

・後から周囲がやることをマネをすると、自分だけ失敗する(モンゴルの諺)
<教訓>
欧米列強のマネをして、アジアを侵略した日本だが、結果は……
マネなどせず、日本のオリジナルである憲法9条を貫くべきでは

・罪悪感が強いほど、素直に謝れなくなる(ロシアの諺)
<教訓>
日本政府は今だ過去の謝罪をしていない。今こそ勇気を出して謝罪すべきでは

・反省だけなら猿でもできる(日本の諺)
<教訓>
歴史の罪を「反省」すらできないのなら、あなたは猿以下です

716 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:30:47
>>714
そんな百済語などない
勝手にコリエイトするな

717 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:37:33
>>714 ソウルの語源が朝鮮語では不明で、百済語か高句麗語で解釈できるとすると百済、高句麗まで朝鮮民族だと主張している朝鮮人にとっては都合の悪いことになるな。

 首都の名前に異民族語を使っているとは、朝鮮が多民族国家だったことの証明になる。


718 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 02:41:52
>>714 まあ、ドイツのベルリンも語源はスラブ系の地名らしいが。ベラルーシのベラと同じで「白」という意味らしい。


719 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 19:34:47
前方後円墳は倭人の墓。
倭人=現韓国人のこと。

720 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 20:01:12
韓国の前方後円墳の被葬者は当時は倭の支配下にあった人物であったことは確かだろうな

721 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 21:16:04
>>720
そうではない。少なくとも全羅南道の前方後円墳の被葬者は、本土から来た倭人、
またはそれが土着化したものだ。

722 :日本@名無史さん:2009/01/11(日) 21:23:56
>>719 それなら朝鮮全土か少なくとも新羅にも前方後円墳がなければおかしいな。それのない地域には倭人は勢力をもっていなかったはずだ。

 新羅統一以後、混血して全土に倭人の血が拡散した、というのは、なしだ。

723 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 08:42:32
>>722
新羅や伽耶諸国は独立性を有する朝貢国。
全羅南道は倭の直轄領。


724 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 08:44:35
任那日本府。以上。

725 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 10:31:23
任那なんてなかったんだよ。

726 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 11:26:42
韓国南部の前方後円墳が所在する地域と
任那日本府の想定地域は同じと見ていいのですか。

727 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:57:48
>>726
任那日本府があったのは初めは金官加羅、後には安羅。

11基の前方後円墳があるのは全羅南道で、安羅の西に接続する地域。
この地域は広義の任那に入るが任那諸国ではない。

ただし、安羅に1基だけ、前方後円墳と見られたものがある。
その後韓国の調査団が三つの円墳の集合体だと発表したが、
韓国が墳丘を改造したという見方もあり、真相は不明。

だから一言で言えば任那日本府があった地域と前方後円墳が
ある地域とは異なる。

728 :日本@名無史さん:2009/01/12(月) 20:59:44
>>725
任那は存在した。なぜなら広開土王碑に「任那加羅」という言葉
があるから。

729 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 03:19:59
>>727
>任那日本府があった地域と前方後円墳がある地域とは異なる

それは違うな。
任那日本府とは何かという定義次第でなんとでもいえること。


730 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 05:19:21
任那日本府の支配地域がかなり広かったということかな

731 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 09:48:29
>>729
>任那日本府とは何かという定義次第でなんとでもいえること。

「任那」と「任那日本府」をごっちゃにするな。
「任那」には狭義、中義、広義があるが、「任那日本府」には無い。

私が727で言っていることをより具体的に言えば、
前方後円墳がある地域:全羅南道の一部
任那日本府があった地域:はじめは金官加羅、後には安羅

こういうことだ。

732 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 10:43:19
韓日友好のためには日本は謝罪すべき

733 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:17:25
任那日本府による支配と豊臣秀吉の出兵と韓国併合は韓国に対する日本の三大侵略行為である。

734 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:37:48
>>733
任那日本府など学会ではとっくの昔に否定されてますが。
そんなことも知らないなんて2チャンネルは本当に低レベル(笑う)

倭奴の三大悪事
・倭寇による韓国侵略
・秀吉による壬申・丁酉倭乱
・日帝による韓日併合

常識ですな。

735 :日本@名無史さん:2009/01/21(水) 19:49:34
>>734
任那日本府を否定することが学問的「良心」だと思っているかの
ような、日本の歴史学界の風潮は、もちろんよく知っているよ。

任那日本府を否定するということは、日本書紀の記述がでっち上げ
だということになるが、もしでっち上げるなら、欽明紀にあるような
情けない姿にわざわざ書く必要はない。
欽明紀の任那日本府の情けない姿が、逆に実在を証明しているのだ。

736 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 00:22:10
前方後円墳がある場所に円墳もあるの?
テレビドラマ板の鹿男スレに前方後円墳がある場所の近くに
たくさんの円墳もある、と書いてあるのだが。

737 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 02:20:25
まったくチョンの電波にはあきれるね

738 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 09:59:57
>>736
そうらしい。
それは確か、山の稜線に重なり合うようにして多くの円墳が築かれている
やつじゃないの?

739 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 15:04:26
>>734
朝鮮の三大悪事

・新羅による白村江の戦いにより同盟国百済滅亡
・元寇による対馬、壱岐、北九州侵略
・日本敗戦後の三国人の犯罪行為(現在進行中)

 常識ですな。


740 :日本@名無史さん:2009/01/22(木) 15:10:29
>>739
朝鮮の三大壮挙

・新羅による白村江の戦いにより倭の同盟国百済滅亡
・日本征伐による対馬、壱岐、北九州攻略
・日本敗戦後の朝鮮人の日本芸能スポーツ界征服(現在進行中)

 常識ですな。

741 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 02:38:40
朝鮮は存在自体が悪

>>740
全て寄生虫行為なのが笑えるw

742 :日本@名無史さん:2009/01/23(金) 07:41:23
韓国南部で発見されたという前方後円墳のことで思い出すのは、
韓国内で一時期かなり話題になった前方後円墳の韓国起源説や、
任那日本府の存在を否定するものとして提唱された広開土王碑改ざん説は、
今韓国の研究者の間でどのように継承され評価されているのだろうか。

743 :日本@名無史さん:2009/01/24(土) 00:48:56
>>742
そんな、全ての「歴史」がウリナラマンセーに奉仕する朱子学儒教史観から
どう評価されているかは自明だろうに。
ウリナラマンセーにどれだけ奉仕するか=歴史学説の価値がどれだけ高く評価されるか。
中朝韓の「歴史」というのは、
「どれだけウリナラマンセー気分を高揚させ、気持ちよくさせるか」という
その一点の為の営為ということだよ。ある意味非常に分かりやすい。


日本や欧米のhistoryとは別物なんだ。彼らにそんなものを期待してはいけない。
宗教演説に物理学の法則を持ち込むようなものだ。

744 :729:2009/01/31(土) 11:48:00
>>731
>「任那」と「任那日本府」をごっちゃにするな。

「定義次第で」といったのは、あえてごっちゃにすれば、って事。
ちょっとやってみる。

第一に、金官加羅も安羅も前方後円墳がある地域もすべて
新羅と百済に取られる前には任那(広義の任那)の一部だったんだから
どっちにしろ同じ任那という広大な地域の中にあったことでは同じじゃん
第二に、任那日本府は「やまとのみこともち」に日本書紀が勝手に文字を当てただけ。
全羅南道の四ヶ国の国司たちだって倭からきた「みこともち」なんだから
彼らもまた「やまとのみこともち」とも呼ばれ得たはずである。
そしたら、任那日本府があった地域と前方後円墳がある地域とは同じじゃん
「定義次第でなんとでもいえる」とはそういう意味。

>私が727で言っていることをより具体的に言えば、
>前方後円墳がある地域:全羅南道の一部
>任那日本府があった地域:はじめは金官加羅、後には安羅

大雑把にそれでいいと思う。とくに反論ないっす。

745 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 20:35:00
>>744
君の「同じじゃん」説は一見もっともだが、少し考えれば違う。
全羅南道についてだけ言えば、そこにいた大和の官は「みまなのやまとの
みこともち」であり、これに任那日本府の文字をあてることは可能である。
だからこの地方についてだけなら任那≒任那日本府とも言える。

しかし大加羅など、他のほとんどの任那諸国についてはそれは言えない。
なぜならそれらの国には大和から来た国司はいないからだ。
つまりこれらの国では任那≠任那日本府なのだ。

ただ、君の書いたことから思いついたことがある。それは全羅南道の国司
たちが「みまなのやまとのみこともち」だったのであれば、譲渡後に安羅に
移動した彼ら国司が、惰性的・習慣的に以前の職名を名乗っていた、と
いうことが考えられることだ。

746 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 23:27:19
ここ最近まで日本の学者(特に年齢の高い学者ほど)まで
敗戦後の「政治的な思惑」で、
任那日本府の存在や三韓が程度の差こそあれ、
ともに日本に朝貢国であった、という事実を語ってはいけないという
雰囲気があった。
しかも、という言うか、それゆえにというか実証的な研究がなされてこなかった。

しかし、任那日本府なりの研究となると、
かってに隣の国の土地を掘り返すわけにはいけないから、
向こうの研究に待つしかない部分がかなりあるのだが、
観光の良心的な研究者でも、
国策民族イデオロギーにこりかたまった政府や世論の前でなかなか真実は言えないだろう。

実際のところほとんどの韓国人学者?というのは国際学会では相手にされなくて、
最近では呼んでもらえないということらしい。

747 :日本@名無史さん:2009/01/31(土) 23:53:50
>>745
>惰性的・習慣的に以前の職名を名乗っていた

う〜ん、細かいところに突っ込むようで心苦しいが…
任那日本府も任那国司も、日本書紀が勝手に文字を当ててるだけで
どっちも最初から
「やまとのみこともち」(倭から来た吉)でもあるし
「みまなのみこともち」(任那に来た宰)でもある。
名称上の区別はなかったと思うよ。

748 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 01:09:50
>>747ではあんなこと言いましたが
あくまで細かい話であって、大枠では賛成してますから。

うーむ、もっと何か論点つくんないと盛り上がんないかな?


749 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 06:43:16
>>748
私の言っていることをわかっていないようだ。
全羅南道にいた国司たちは「任那にいる大和から来た行政官」なのだ。
だから「みまなのやまとのみこともち」だ。

しかし全羅南道が譲渡されて、従来の職を失い、安羅に移動して領地を
与えられた元国司たちは、その領地で食っているだけで、安羅を治めている
わけでもない(むしろ安羅から操縦されている)し、大和からも事実上
切れている。だからもはや「みまなのやまとのみこともち」ではないのに、
便宜上、従来からの職名で呼ばれている。
それが欽明紀の任那日本府の姿であり、名称なのではないか、ということ
を言ってみたのだが。

750 :日本@名無史さん:2009/02/01(日) 10:33:04
>>749 の訂正:

ごめん、相手が違った。
>>748>>747 の間違いだった。

751 :日本@名無史さん:2009/02/03(火) 02:12:28
>>748>>747も同一人物だから問題ない。

752 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 00:45:15
任那スレ、1000行っちゃったな

753 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 00:55:02
>>749
任那日本府スレが終わったし暇なので、もう一回賄賂論やるか?

穂積臣押山が百済王のパシリであるわけない。

パワー(権力)が有る側が、ない側に賄賂を渡した実例を数例あげてくれ。
立場が上の人間が下の人間に賄賂を渡した例という事だね。
何も労力を厭わないはずだ。
逆(立場の下の人間が上に渡す金=賄賂)は言うまでもないが、
日常新聞紙上でいつでもお目にかかれる。

君が任那日本府スレの最後に言った探偵社に金渡すなんてのは報酬であり賄賂ではない。



754 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 02:01:21
>>749
つまり、任那四県の国司が日本府であって
四県が百済に割譲される以前には
加羅に日本府(倭宰)は存在しなかったと?

755 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 02:42:05
任那と加羅と日本府と【8ヶ国め】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1233367717/

756 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 08:29:10
>>754
それはなんとも言えない。
「みまなのやまとのみこともち」自体が漠然とした職名だから、時代、場所
が異なるところで異なる種類の官がそのように呼ばれたかもしれない。

ただ、欽明紀に現れる「任那日本府」「安羅日本府」は上記のような性質の
ものであろうと言うことだ。

757 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 14:16:30
>>753
その前に、百済王が上か、押山が上か、という議論をやろう。
私の言っていることをもう少し分析的に言えば、押山は百済王の臣では
ないのだから、役務上の上下関係はない。だから押山は百済王の命令に
服する義務がない。
しかし百済王は一国の王であり、押山は王ではないのだから、儀礼上の
上下関係はあって、あくまで百済王が上だ。だから百済王に面接するときは
押山が拝礼しなければならない。

もし君が、それでも押山が倭国と言う相対的大国をバックにしているから
百済王より上だと言うなら、君に聞かなければならない。
米国の日本大使は、日本の天皇より上か?

758 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 16:24:11
>>757
上の立場の者が下の者に渡す賄賂の実例は出せないのだな。
じゃお前が言った押山は百済王のパシリであるを撤回しろ。

>米国の日本大使は、日本の天皇より上か?

駐米日本大使は天皇より下だよw
駐日アメリカ大使のことだろ?

まず今上天皇と昔の百済王を一緒にするな。
失礼にもほどがある。
今上天皇はフランスやドイツなどでは外交儀礼上でアメリカ大統領より上だからな。
天皇が出たのでついでに聞くが、
じゃ天皇がアメリカ大使に賄賂を渡すのは、
どんな状況、どんな要求があると仮定できるのか教えてくれ。

たしかに百済王は一国の王だが、
国という意味を今現在の国にあてはめても意味がない。
好太王碑にも百済は倭の臣民とされたとあるね。
今と全然違う。


759 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 16:41:08
格式の上下と指令系統の上下は別ってことでいいんじゃね?

760 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 16:54:31
>>757>>758は何が争点で論じあってるのか
よくわかりにくいぞ???

格式の上下と指令系統の上下は別ってことでいいんだろ?

761 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 17:49:21
>>760

別にそれでいいのだが、
>757は、穂積臣押山が百済王のパシリであると言って、
その証拠に百済王が押山に賄賂を渡した事例を取り上げたんだ。

賄賂は社会通念上、力が下の人間が上の人間に渡すものだろ?

なら百済王が下であって押山がパシリである訳ないよね。


762 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:06:55
>>758
>まず今上天皇と昔の百済王を一緒にするな。

一緒でいいのだ。百済は日本の属国だったが、今の日本は米軍の駐留を許して
防衛をアメリカに依存しているという意味においてアメリカの属国に近い。

百済王が属国の首長であるならば、天皇もまた準属国の首長だ。
だから百済王と押山との関係は、天皇とアメリカの日本大使との関係と同じだ。
天皇が上だと言うのなら議論はそれで終わりで、賄賂の話をするまでもない。
君が賄賂の話をするのは、押山が百済王より上だと言うための手段なのだからね。


763 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:26:50
>>761
賄賂が、パシリであることの証拠だとは言っていない。
押山が百済王のために、領土割譲に奔走したことをパシリと言ったのだ。
賄賂を貰おうが貰うまいが同じだ。

764 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:29:05
>>762
ごまかすな。
かつて朝鮮の王は中国の使者に対して土下座して迎えたそうだが、
属国とはそういうものだ。
日本と百済はそこまでいかなくてもある意味近いものがあったろう。
実際日本に王族を人質として差し出してるではないか。
今のアメリカの例を出しても意味ない。
自由主義圏の防衛上の理由から、日本や韓国などの独立国に軍を駐留させてるのとは訳が違うからな。

で、君が例えた「天皇が駐日アメリカ大使に賄賂を渡す」シチュエーションを教えてくれ。
アメリカ大使に賄賂を渡す人間がいたとしたら、
せいぜいアメリカで商売したい一企業のトップ程度だろう。

>君が賄賂の話をするのは、押山が百済王より上だと言うための手段なのだからね。

賄賂の話をし出したのは君であり、押山が百済王より下だというための手段だったのだろ?



765 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:31:38
>>763
なら大臣が土建屋のために奔走する姿は、
大臣が土建屋のパシリという事か?
立場が上の大臣が単に自分の利益のために奔走してるだけだ。

766 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 18:59:05
バイアス君には何を言っても無駄w
子供並みにはぐらかして論点にずれを生じさせても猶、
「パシリ」つう表現に間違いはない!と固執するだけだからww

767 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:31:33
どうせなら同じ朝鮮半島に例を取って、アメリカのヒルはどうだ?
北朝鮮は国としてアメリカよりずっと規模が小さい。百済が日本より規模が
小さかったのと同じだ。
その北朝鮮の首長はおなじみ、金正日だ。国の規模が落ちるとは言え、一国の
首長だから、単なる官吏であるヒルより格式は上だ。
さて、ヒルは交渉を重ねるうちに金正日に取り込まれ、マカオの口座を解放し、
ついにはナラズモノ国家の指定解除まで行った。
これをして、口の悪い人が「ヒルは金正日のパシリになり下がった」と言っても
それほど不当ではなかろう。
そして、もしもこの交渉の過程で、金正日がヒルに金を与えていたとすれば、
それがまさしく賄賂だ。もちろん仮定の話だが、なかったとは言い切れない。
なにしろコッソリ渡すのが賄賂だからね。

768 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:38:38
続き。日本語の不得意な君のために対照表を作って置こう。

北朝鮮→百済
アメリカ→倭
金正日→百済王
ヒル→押山

769 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:55:01
>>767
>>767
北朝鮮はアメリカの属国ではない。
あれでも一応独立国だ。
例えとして全然ふさわしくない。
清に対する李氏朝鮮なら例としてふさわしい。
属国だったからな。

昔、日本の大臣で複数の建築業者から賄賂もらってたのがいたが、
この大臣は複数の建築業者たちのパシリではないよな。
むしろ業者たちが大臣のため金づるになってたと言えるよな。


770 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:57:51
>>762

スレチだが、日本にいる米軍じゃ日本を実質的に守れない。
そもそも、連中じゃ絶対数が無さ過ぎる。
第七艦隊だって、掃海任務や対潜水艦戦は自衛隊に頼ってる。
何のために自衛隊がいると思ってるんだ?

771 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 22:59:18
>北朝鮮はアメリカの属国ではない。


そうそう、中国の属国だもんネ♪


772 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 23:08:28




とりあえず、百済と任那は日本の完全な属国だったでFA。




人質出してるしw

773 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 23:12:14
だいたい百済は、高句麗に漢城を奪われ、
命からがら南に逃げてきて、何とか日本に土地を譲ってもらって、
やっとのことで熊津に遷都したのだよな。

そういう国の王が大和からの直の人間をパシリ扱いできるわけないじゃないか。

それと押山は下タリの国守となってるぞ。単なる使者ではないな。
ならばなおさらアメリカのヒルなんぞ例に出せないはずだ。

774 :日本@名無史さん:2009/02/04(水) 23:22:28
>>1

日本の領土だった。
…て事か?




775 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 08:13:47
>>769
>北朝鮮はアメリカの属国ではない。 あれでも一応独立国だ。

例えがあまりにもぴったりだから、そんな細かいことしか言えないだろう。
独立国でありながら属国であっていいのだよ。
北朝鮮はほとんど中国とアメリカに依存して存続しているのだから両属の
属国だ。
それより「ヒルは金正日のパシリになり下がった」この表現はいいのか?
ヒルは圧倒的なアメリカの国力をバックにしているのだが。

>この大臣は複数の建築業者たちのパシリではないよな。

パシリであるかどうかは見方次第だ。
建築業者のために奔走して便宜を図った行為をパシリとも言えるし、
賄賂を受け取ることによって建築業者に弱みを握られたのだから、
それによって地位が逆転してパシリになったとも言える。
押山もなにか弱みを握られたのだろうな。

776 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 08:21:54
>>773
>それと押山は下タリの国守となってるぞ。単なる使者ではないな。

そういう細かいことしか言えないだろう。下タリはこの時点で日本の
領土なのだ。押山が下タリにいるのは日本にいるのと同じであり、
ヒルがアメリカにいるのと同じだ。
押山が天皇の贈り物を持って百済に行って百済王に会ったことが使者
なのであり、この部分がヒルと比べられるのだ。

777 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 09:02:52
>>776
何が細かい事だ、国王同士ではないか。
日本の一地方国の国王(押山)と、
日本に土地を譲ってもらって何とか生き永らえてた百済王の、
どちらが優位な立場なのだ?
百済王は頭を下げて頼み込んだだろうな。
もっと当時の状況に感情移入して考えればすぐ答えが出る。

相変わらず一役人であるヒルの例を出してるが全然意味がない。


それと賄賂というのも流言という説もあるようだし、
ならば押山が百済王に同情しただけとも言える。

778 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 09:18:59
>>775
>北朝鮮はほとんど中国とアメリカに依存して存続しているのだから両属の
>属国だ。

バカか。
在日による日本からの送金がなかったら潰れる。
日本の属国だ。

779 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 09:33:20
うあーん。高句麗に田んぼとられたよー。お米が無くてお腹が空いて戦えないよー。
任那の田んぼを半分くれなきゃあ、新羅か唐についちゃうもんねー。

しょうがあないなあ、半分はダメだけれども、四県だけ貸してあげるから、ちゃんと
戦ってとられた田んぼとりかえしなさいよ。

うわーん。兵隊が足らないよー。新羅がもう白村江まできてるよー。

しょうがないなあ、兵隊貸してやるから、ちゃんと独立くらい維持しろよ。

全部取られて国がなくなったよー。王様もいなくなったよー。

しょうがないなー、(人質価値のなくなった)王子様を返してやるよ、ほんとに
百済の立て直せるせるのか?


780 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 15:58:25
>>777
>国王同士ではないか。 日本の一地方国の国王(押山)と、

とうとう、名前のなかに「臣」が入っている押山を「国王」にしないと
つじつまが合わなくなったようだな。
その辺までにしとこう。

781 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 16:06:30
>>780
臣はあくまで大和朝廷での位。
国守りを一国の長、つまり王と呼んでも差し支えないだろう。

立場が上の人間が下に渡す賄賂の実例をとうとう出せずうろたえてるようだな。

782 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 18:32:32
>>780
昔、属国という存在があった。
百済は日本の属国であった。

しかるに現在では「属国のようなもの」「属国みたいな感じ」等と、
例えとして使われるだけで、実際は独立国だ。
それなのに君は日本、アメリカ、北朝鮮等の「現在の国」の例を出してるが、
これは実際にあった昔の属国関係を説明する方法としては全く意味がない。


783 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 20:14:10
>>781
>国守りを一国の長、つまり王と呼んでも差し支えないだろう。

「国守り」という職はない。国司(くにのつかさ)ならあるが。
国司=王であるという資料を一つでもいいから教えてくれ。

>立場が上の人間が下に渡す賄賂の実例

「ヒルは金正日のパシリになり下がった」という表現に文句がないのなら、
そもそも賄賂の話をする必要がないではないか。

>>782
>例えとして使われるだけで、実際は独立国だ。

百済だって立派な独立国だ。独立国の目安は内政権、外交権、軍事権を
有することだ。百済は滅びる前、日本とは独自に、高句麗と結んで
(すなわち外交交渉して)唐と戦っていた(軍事権の行使)ではないか。

属国の意味は二つあって、一つは保護国と同じ意味だ。保護国は外交権
などを有しない。日本に併合される前の朝鮮国のようなものだ。
もう一つの意味は「従属国」という意味で、独立国でありながら他の国
に従属している国だ。百済も北朝鮮も、ついでに日本も、この意味では
属国だ。



784 :760:2009/02/05(木) 20:41:38
>>761-783
百済は任那四県を大和朝廷からもらおうとして運動してたんだから
関係各方面に賄賂送るぐらいは当たり前にやってたろう。

押山は国司なんだから任期がすぎれば本国に召還されちゃうわけで
未来に四県が存在しようが消滅しようが本人的にはどうでもいい。
(百済に割譲するにしてもそれは本国朝廷の
決定であって押山の責任ではない)

そもそも朝廷の議論が割れてるんだから、
押山は自分ごときぺーぺーの個人的な意見などどうでもいいと思ったろうし
だから百済から賄賂をもらって割譲派の支持に回ったろうけど
罪の意識はなかったんじゃないかと思う。

で、何が争点なんだ?

百済王は高句麗に滅ぼされて任那から領土をわけてもらって
ようやく復興したところなんだから、
任那国司を「態度として」はないがしろにすることなど
到底できなかったろう。
でもヒラ社員が社長をうまいこと丸めこんで利用することはある。
この場合、社長はパシリをやってるとはもちろん思ってないけど
ヒラ社員の側の主観として「パシリ」と思うのは
ものの喩えなんだからまぁいいんじゃないの?

この答えでダメなのか? これ以上の答えは出ないでしょ。
つまんない言葉の表現や物の言いようレベルでスレを消費するなよ〜

785 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 22:15:25
宮崎市定が、日本書紀に引用される百済三書の
外交関係記事の文体を分析して、熊津に南遷する前後で
国書の形式に大きな差があることに注目してる。
百済が壊滅して、倭の協力の下で熊津で再建されてからは
完全に倭王に臣従する形式になったとのこと。

786 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 22:18:22
>>783
>「国守り」という職はない。国司(くにのつかさ)ならあるが。
>国司=王であるという資料を一つでもいいから教えてくれ。

じゃすまんが下タリの国司は誰だ。教えてくれ。
国守りを国司とも言うのじゃないのか。
紀には「継体二十三年三月、百済王は下タリの国守押山に、加羅の多沙津を朝貢の海路としたいことを乞うた」
「乞うた」だからな。
立場が上なら命令すれば良いではないか。

>百済だって立派な独立国だ。

好太王碑に臣民にされたとある。
そして人質まで差し出してた。

>ついでに日本も、この意味では 属国だ

百済を独立国と言いながら日本は(アメリカの)属国か?
だからバイアス君と言われるのだ。
アメリカの軍事技術も日本の民間企業の技術力なしには立ち行かないし、
アメリカ経済だって日本に米国債買ってもらってるから成り立ってるのだ。
アメリカが日本の属国とも言える。
つまり属国もパシリもものは言いようだ。
しかし実際、百済は日本の臣民にされてたというのは事実だからこういう喩えと一緒にするな。

787 :日本@名無史さん:2009/02/05(木) 23:13:41
とまぁ、あまりやるとスレ主にも迷惑なんで、
スレタイに沿った話に戻すが、
君は伽耶地域の円墳が百済の影響だと言って、
横穴石室の例を出してたな。

横穴石室が百済の影響といえばそうだろうが、
追葬出来るという発想を取り入れただけで、
実際は日本の円墳と同類だと俺は思う。
副葬品として帯金短甲などもあるしな。
埋葬されてた人物の血筋なんぞは分からないが。

788 :784:2009/02/06(金) 04:05:24
>>787
ちなみに漏れのことならスレ主ではないお。
このスレで最初のレスは>>27
2002年4月3日のレスだから
このスレではそこそこ古参だろうけど。

789 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 08:29:11
>>786
>つまり属国もパシリもものは言いようだ。

それがわかっているならくだらない議論をやる必要はなかったのだ。
そもそもこの議論は、「押山は百済王のパシリだ」という私の文章に
君が噛みついたんのが始まりなのだから。

>しかし実際、百済は日本の臣民にされてたというのは事実

広開土王碑に書いてあるから「事実」か?
この場合の「臣民」は朝貢国になったという意味だ。
朝貢国は朝貢さえしていればよいので、従属した独立国、つまり上記の
第二の意味の属国なのだ。

>>787
>実際は日本の円墳と同類だと俺は思う。

塚が丸いという点では似ているな。
で、それがどうした?

790 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 08:53:40
>>786
>立場が上なら(百済王が押山に)命令すれば良いではないか。

なにか間違えてないか?
百済王の命令権は百済国内に及ぶだけなのだ。
日本の天皇(あるいは首相)が、いかに「立場が上」であっても、
アメリカの駐日大使に命令できるか、考えて見よ。

791 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 08:56:08
>>789

熊津遷都後の百済の王だから、格式としても同格あるいは押山が上だが、
押山が賄賂を受けたのなら「喩えよう」によってはパシリにみえなくもないという意味では同意だ。



>朝貢国になったという意味だ

土地を譲ってもらい人質差し出してたのが保護国か朝貢国は分からないし
「喩えよう」でどっちにも取れる。
>785氏が言うように完全に倭王に臣従してたのは間違いないだろう。

>それがどうした?

任那スレで土盛り高塚は日本と同類、あるいは日本の強い影響と言ったら、
土盛りを無視して石室の話を出してきて、
日本でなく百済の影響であると君が否定しようとしてた風に感じたのだ。
2年前まで騎馬民族説なんぞ唱えてた君だから、
またまたバイアスが働いたのかと思ったのだw

792 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 15:55:55
>>791
>土盛りを無視して石室の話を出してきて、

私が無視したのではなく、私が紹介した資料が、墳丘に横穴石室を伴う
墓を「横穴石室墓」と呼んでいるのだ。単に名称の問題だ。

>日本でなく百済の影響であると君が否定しようとしてた風に感じたのだ。

しようとしたではなく、否定している。
それについては百済の影響であるという資料を紹介したのだから、
君があの資料を否定できるだけの根拠を示せばよいのだ。

>2年前まで騎馬民族説なんぞ唱えてた君だから、

今でも唱えているよ。君のバイアスを刺激しないように、その話は
出さないようにしているだけだ。

793 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 16:21:31
バイアス君って、上祐さんみたいでス・テ・キ(笑)

794 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 17:03:35
場所が場所なんだから
一つや二つ百済風な影響があってもおかしくはないね。

あと、上の二人は文章の癖がちょっと似てるんで
どっちがいってるのかたまに混同するなぁ。
語尾にへんな癖とかつけてわかりやすくしてくれない?
「〜でごわす」とか「〜アルよ」とか、何でもいいけど

795 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 17:24:50
>>792
追葬できる石室ということでは百済の影響だろう。
があくまで石室がという事だ。
その部分には反論してない。

前にも言ったが5世紀以前の百済の土盛り円墳を紹介してくれないか。
それがなければ百済の影響とは言えない。
繰り返すが日本には円墳なんぞ腐るほどあるからな。

796 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 18:06:31
どーでもいいけどさ、両者ともとりあえず仕切り直したら?
なんか泥仕合になっててわけわかめ。

797 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 21:38:22
>>795
まず792の訂正:
横穴石室墓→横穴式石室墳

>5世紀以前の百済の土盛り円墳を紹介してくれないか。

たまには自分でぐぐって探したらどうか。
ヒントだけやれば「汾江」

 

798 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 22:30:01

>>797
格好つけないでリンクぐらい貼ればいいではないか。

汾江は熊津遷都以前だが5世紀だろ。

5世紀になって半島に現われる高塚古墳を韓国考古学会会長が、
日本からの強い刺激と言ってるのだから、
もしそうでないとするならば5世紀以前の高塚を教えてくれないかと言ったのだがな。

実際、漢城時代は積石塚なんだからその後、
土盛り高塚に大きく変遷したのは日本の影響と見てよいのではないか。


799 :日本@名無史さん:2009/02/06(金) 22:36:56
以前という言い方はややこしいな。
5世紀以前というのは法律用語なら5世紀を含むということらしいが、
日常的には「以前」は基準点を含まない用法が一般的なので、
つまり4世紀代の高塚という事ね。

800 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 06:52:55
>>798
>5世紀になって半島に現われる高塚古墳を韓国考古学会会長が、
>日本からの強い刺激と言ってるのだから、

ではそのリンクを貼ってくれ。


801 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 09:38:44
リンク先が変更されてて見えなくなってるので、コピーね。

三国時代墳墓の高塚化過程について・・・チェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長

韓半島で墳丘墓が最も活発に造られたのは栄山江流域だが、5世紀中頃まで塚はそれほど高く盛られてなかった。
が、その後、一転して高塚化が進み、墳丘の形も方台形墳、円台形墳、前方後円形墳などと多様になった。
埋葬主体部も、方台形墳や円台形墳では在地的な甕棺だが、前方後円形墳では横穴式石室になる。
この次期に出現する横穴式石室は百済系とする見解もあるが、前方後円形の墳丘とともに日本列島系と推定され、
古墳の高塚化は、以前の低墳丘墓から成立したとみるより、5世紀後半に突如、高塚へ飛躍する現象を示唆しており、
日本列島からの刺激があったと推測される。
高塚の墳丘は、松鶴洞古墳など西部の慶尚南道・固城地方でも築かれ、
やはり石室構造など日本列島系の要素を伴う。
最近、百済の金銅製冠帽などが出土し注目された全羅南道・高興安東古墳も、
同様の墳丘で石室構造や遺物などから同じ要素が強いと判断される。


802 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 11:26:41
倭列島を征服した韓人たちが故郷に帰って墓を作ったわけだな。
納得だ。

803 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 15:56:15
>>802
征服したのなら何でいすわらないのだ、
いい加減な事言うなハゲw

804 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 16:34:06
田舎暮らしに飽きたんだろjk
カエサルだってガリア征服したけど移住しなかっただろ

805 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 16:39:03
くわしく説明すると
カエサル=古代ローマ(今のイタリア)の英雄
ガリア=今のフランス

カエサルは文化の進んだローマから野蛮きわまりないガリアに攻め込んだんだよ
でも自身はガリアに定住しなかった。なぜか?
それはガリアが思った以上に田舎だったから。文明人は田舎に住みたがらないんだよ

806 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 16:58:34
えーっと、あの…
頭おかしくなりましたか?

百済は日本の臣民になったのですが。
臣民になったとたん日本のような高塚を作ってるのですが?

807 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 20:31:52
「百済系文化」って言葉に騙されるな。
韓国人のいう百済系の文化は百済文化と馬韓の文化がごっちゃにされてる。
熊津遷都以前の全羅道はまだ百済領ではない。

808 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 20:36:51
>>786
広開土王碑が「臣民にされた」というのは
単純に百済新羅が倭の勢力圏に入ったとか制圧されたとかの意味。
あれは高句麗の侵攻を正当化するための
政治的なプロパガンダ文書なのだから
四角四面に字句通りに真に受けなくていい。

809 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:09:11
朝鮮人ってさ、
「倭奴は野蛮だったニダ!!だからウリ達に適うわけないニダ!!」
「文明の進んだウリ達が倭奴を征服したに違いないニダ!!」
って対日コンプレックス丸出しでよく言うけど、

彼らには自国や中国の史書に残る歴史的事実が見えないんだろうか?

810 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:17:50
>>801
どうも変だな。チェ・ビョンホン(崔柄憲)は日本の教科書の「歴史歪曲」を
攻撃する急先鋒なのだよ。
横穴式石室は、日本人の学者でも横穴式石室さえ見れば「百済式」という人
が多いのに、それをしも日本列島系と言ってしまったら韓国の学界に居られ
なくなるのではないか?
実際に引用元を見るまでは信用できない。
URLを忘れたのなら文献名を示すべきではないか?

また、韓国人から、全羅南道の前方後円墳は日本からの「刺激」とか「影響」
とか言ってもらって喜んでいてはいけない。「半月城通信」によれば、韓国
の学界の公式見解は、「全羅南道の前方後円墳は日本との関係を標榜する
在地領主の墓」ということだ。つまり「影響」の意味は全羅南道が日本領
であったことを否定することにあるのだ。

811 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 21:58:32
http://www.city.sakai.osaka.jp/city/_rekibun/mozu/regist/index.html

日本でも講演してたみたいだね。

812 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:05:36
どっちにしても漢城時代の積石塚から
汾江の土盛り高塚へ「激変」してるわけだ。
これを説明してもらわなければな。

逆に日本において王墓が前方後円墳から積石塚へとある時期に変化してたりしたらどうだ。
まるで鬼の首を取ったように渡来系による征服だと言われるだろう。

813 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:11:27
つまり日本の貧弱な墓は韓国の高塚の真似をして巨大化したわけだろ?
やっぱりねw

814 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:13:28
>>813

荒らし?

日本の高塚は3世紀、韓国の高塚5世紀。

815 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 22:18:34
大加耶国とみられる池山洞古墳群
みごとな高塚。

http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.files/kourei-chisandou-koukuu.jpg

その32号墳から出土した日本系甲冑

http://www.nishida-s.com/main/categ2/korea-2/korea-2.files/kourei-chisandou-muse-kacchuu.jpg

816 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:11:18
>>815
不自然に見事だね。
日本の古墳でもこれほどきれいにそびえ立っているものはない。
とても千数百年前からこの形状だとは思えないなあ。

どう見ても日帝の盛り土です。どうもありがとうございました。

817 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:28:05
>>816
ファビョったあげく泣いてたのですか?

どういたしまして。

818 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:37:30
>>816
たしかに。
石で覆われた日本の古墳ですらかなり崩れてるのに。
土の古墳がこんなにそそり立ってるわけがない。

819 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:46:27
日帝の盛り土ならお国柄でとっくに潰してるでしょうに。
最近、自分達で整備したのじゃないのかな。

往生際の悪い人たちだねw

820 :日本@名無史さん:2009/02/07(土) 23:52:19
韓国人はバカだから、
これらの古墳が日本の影響、あるいは日本人の墓だとも知らず、
逆にこれが韓国から日本に伝わったと思って堂々と整備してたりしてw

821 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 08:53:06
はい、倭人たちによって韓国の高塚は後世の盛り土であることが証明されましたw
またもや倭人敗北w

822 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 16:05:04
>>812
>これを説明してもらわなければな。

仮に日本の土盛り墳丘を真似たとしても、百済人は土盛り墳丘+横穴式石室
のセットを作り上げたわけだ。そして伽耶人は百済からそれをセットとして
受け入れた。
議論の始まりは「伽耶の土盛り墳丘は日本の影響か、百済の影響か」だった
のだよ。
答えは、「日本の影響だとしても間接的」ということだな。

>逆に日本において王墓が前方後円墳から積石塚へとある時期に変化してたりしたらどうだ。
>まるで鬼の首を取ったように渡来系による征服だと言われるだろう。

さらに逆に言えば、木郭墓が見つからなくても心配することはないわけだ。

823 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 16:06:33
>>811
ありがとう。さっそく講演録の本を注文した。

824 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 17:03:21
>>822
>日本の影響だとしても間接的

伽耶も百済も日本の臣民なので日本の影響を受けた。
それだけで説明できる。

>さらに逆に言えば、木郭墓が見つからなくても心配することはないわけだ。

君は何でそんな変な論理を展開するのかな?
百済の土盛りは日本の影響だ。
じゃ逆に日本が騎馬民族ごときに王権を取られたなら王墓から木郭墓が見つかるだろう。

825 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:12:19
朝鮮人って勝利宣言好きだよな。

826 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:22:34
簡単に勝利宣言される倭人は雑魚杉だろw

827 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 18:35:21
チョンコって悲しいねw

828 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 19:03:01
韓国の学会では半島南部の前方後円墳と任那日本府の存在をどう解釈しているのだろうか。

829 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:27:55
>>824
>君は何でそんな変な論理を展開するのかな?
>百済の土盛りは日本の影響だ。

だったら日本にやってきたらもっと強く影響されて、前方後円墳を取り入れる
はずではないか。

830 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:31:28
>>828
全羅南道の前方後円墳は日本の「影響」を受けた在地領主。
任那日本府はすでに「否定」された。つまり「トンデモ」。

831 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:36:56
>>828
NHKの歴史番組、確か百済の亡命者、鬼室フクシンの息子の墓の紹介とか
日本のどっかにある寺の石でできた塔と韓国にある塔が酷似している
とかいう内容だったのだが、そこで紹介された韓国の前方後円墳の説明に
韓国の研究員だか大学の教授が出てきて、韓国の前方後円墳は
日本から渡ってきた有力豪族か有力な商人の墓だって言ってた。

832 :日本@名無史さん:2009/02/08(日) 21:44:23
>>829
>だったら日本にやってきたらもっと強く影響されて、前方後円墳を取り入れる
>はずではないか。

前方後円墳を臣民にされた渡来系民族が作れるとでも思うのか?
世の中には秩序というものがあるのだ。


833 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:22:37
>>832
君にはコンテキストというものがないのか。
騎馬民族、木郭墓と来て「やってきたら」なら、「征服したら」の意味に
きまっているではないか。

それは別として:
>前方後円墳を臣民にされた渡来系民族が作れるとでも思うのか?

いわゆる渡来系氏族がいくらでも前方後円墳を作っている。

834 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:28:38
>>824
>伽耶も百済も日本の臣民なので日本の影響を受けた。
>それだけで説明できる。

日本と最も関係が深かった金官が、日本と最も関係が深かった4世紀、5世紀
を通じて墳丘を持たなかったことを説明できない。


835 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:31:10
>「征服したら」

征服した証拠をどうやって出すのだ?
日本が百済を征服し臣民にしたのは、
文献学的にも考古学的にももはや疑いないだろう。


>いわゆる渡来系氏族がいくらでも前方後円墳を作っている。


例えば?
前方後円墳は基本的に皇別の墓だろう。
秦氏の蛇塚なんてダメだぞ、あんなの証拠にならない。
あれが仮に秦氏であっても前方後円墳終末期でもはや権威もない。

836 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:32:08
>>830
韓国南部の前方後円墳が現地の任那日本府と関係なく,
直接日本の影響で築造されたと考えるのは無理だろう。

837 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 08:32:51
>>834
>日本と最も関係が深かった金官が、日本と最も関係が深かった4世紀、5世紀
>を通じて墳丘を持たなかったことを説明できない。

墳丘を作れる身分というものがあるのだ。
誰でもかれでも作れるわけないのだよ。
それを秩序というのだ。


838 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 09:49:59
前方後円墳は、三世紀ごろ日本で発生したものだ。朝鮮半島には、五世紀頃に
当地を支配していた倭人国家が建設したものだ。好太王碑文にも記されているように
「倭が海を渡って来たり。百済、新羅を隷属させ支配した」これを証明する物だ。
だが、朝鮮人学者は、朝鮮半島南部の前方後円墳を朝鮮半島起源と言い張り、三世紀建設と
捏造するも・・発掘するや五世紀の日本製副葬品が多数出現・・慌てて!!埋め戻し、
破壊を行った。大体朝鮮半島には、小規模の土饅頭状の古墳が散在するだけだ。これに引き換え
日本では、国中に数万以上の大小の古墳群が存在する。大阪の仁徳陵においては、世界最大規模の
巨大前方後円墳だ。

839 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 14:46:04
>>836
>韓国南部の前方後円墳が現地の任那日本府と関係なく,
>直接日本の影響で築造されたと考えるのは無理だろう。

私は韓国人になり変って言ったつもりなのだが、韓国人が「影響」とか
「刺激」とか言うのは、あくまで被葬者が現地人(すなわち非列島倭人)
だと言う意味だ。つまり倭の直轄領であったことを否定するために言う表現だ。
それを前提にしたらどうなる?

それは別として、全羅南道の直轄領は、一応任那諸国とは別だと思うよ。
任那諸国だとしたらそんなに簡単に百済に割譲できないだろう。
割譲に対して任那諸国が反対したのは、じぶんの身を切られたからではなく、
百済との間に緩衝地帯がなくなるとか、倭への渡航拠点がなくなるとか
言うことではないのか?

840 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 18:05:27
>>839

で、渡来系の前方後円墳はスル〜かよw

841 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 21:34:45
>>835
>征服した証拠をどうやって出すのだ?

私は「日本に木郭墓が見つからないことは騎馬民族による征服がなかった
ことの証拠にはならない」ということを言ったのだ。
いつものことだが、それに対して「征服した証拠を出せ」というのは、
また別の、新たな議論だ。スレ違いだと思うから、その議論はここでは
やらない。

>秦氏の蛇塚なんてダメだぞ、あんなの証拠にならない。

自分の説に合わないものは除外するのならどんなことでも言える。

>>837
>墳丘を作れる身分というものがあるのだ。 誰でもかれでも作れるわけないのだよ。

墳丘を作らなかった金官が身分が低く、墳丘を作った大加羅などが身分が
高いという根拠は?



842 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 22:25:22
>私は「日本に木郭墓が見つからないことは騎馬民族による征服がなかった
>ことの証拠にはならない」ということを言ったのだ。

悪魔の証明、ふざけるな。

>自分の説に合わないものは除外するのならどんなことでも言える。

無理やり自分の説に合わせるな。
5,6世紀の渡来系の前方後円墳を言ってくれればいいだけだ。

>墳丘を作らなかった金官が身分が低く、墳丘を作った大加羅などが身分が
>高いという根拠は?

倭の領土のなかで高塚は身分が高く地下式は低い。以上。



843 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 22:36:27
宇宙人は消える事が出来るから、宇宙人が見えないという事実は
宇宙人がいない事の証明にはならないと同じだな。

お前死ねよ。w

844 :日本@名無史さん:2009/02/09(月) 23:36:08
>>839
>割譲に対して任那諸国が反対したのは、じぶんの身を切られたからではなく、
>百済との間に緩衝地帯がなくなるとか、倭への渡航拠点がなくなるとか
>言うことではないのか?

そうそう。
事前情報では四県だけが百済に割譲されることになってたのに
どさくさ紛れに賄賂を贈りまくって
二郡までもが百済領になるってことになって
加羅諸国が騒ぎだしたんだよね。

845 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 03:34:50
失われた歴史の重さを負って
このように生きた姿で我々の前に現れた方が
何と105人であり、
桓因時代7人、桓雄時代18人、檀君朝鮮(チュシン)の47人、
そして北扶餘、卒本扶餘、高句麗、百済、新羅、倭(日本)、
勃海(大震国)、後百済、高麗、遼、金、李氏朝鮮、清、
大韓帝国につながって、1万年の我々の歴史を証明している。
また、本図書にはこのようにいきいきと描き出された先祖たちの姿だけでなく、
その業績も共に記述して歴史的理解を助けている。

http://senmon.fateback.com/hantou/rekishi/kimu_iei.html

846 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 05:22:15
★韓国女性が美人な件について3
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/diet/1226612396/
■韓国人と日本人どっちが不細工なの?3
http://changi.2ch.net/test/read.cgi/diet/1229680029/

847 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 07:38:01
>>845
>高句麗による侵攻のために百済から日本列島に逃げた応神天皇は、
>そこで奈良百済=倭国を建国し、そこから大百済帝国を支配していた

>841と良く似てるじゃないかw

848 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 16:21:16
>>842
>5,6世紀の渡来系の前方後円墳を言ってくれればいいだけだ。

では前方後円墳の被葬者に詳しいらしい君に聞くが、6世紀以前のすべての
古墳に、「前方後円墳=皇別氏族」の原則が当てはまるのか?

>倭の領土のなかで高塚は身分が高く地下式は低い。以上。

では倭の身分制度に詳しいらしい君に聞くが、大加羅の王は倭のなんと
言う身分で、金官の王は倭のなんという身分だったのか?


849 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 16:23:16
>>843
「騎馬民族」の文字に条件反射することは、韓国/朝鮮人が「任那日本府」
の文字に条件反射することの裏返しで、恥ずかしいことだ。

850 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 16:38:19
韓国の河南で、4、5世紀の横穴式石室が発掘されたそうだ。2009年2月
の資料。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=67885&servcode=700§code=700&p_no=&comment_gr=article_67885&o=d

851 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:17:59
>>848

どちらも属国の王。
任那日本府の総督より下位。

以上。


852 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 18:58:00
>>848
>6世紀以前のすべての古墳に、「前方後円墳=皇別氏族」の原則が当てはまるのか?

だいたい当てはまるんじゃないの。


>大加羅の王は倭のなんと言う身分で、金官の王は倭のなんという身分だったのか?

そんな事は知らない。
ただ>851が言うように任那日本府の総督より下位であるのは確かだろう。
実際、金官でも倭系甲冑がいくつか見つかってるしね。



853 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:14:19
>>849
騎馬民族説を信じてることはもっと恥ずかしい事だ。

854 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:18:19
つうか騎馬民族征服説は通説なわけだが?
そんなことも知らない?

855 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 19:44:28
>>854
さすがに今どき騎馬民族征服説を信じている人はいないだろう。

856 :日本@名無史さん:2009/02/10(火) 21:29:12
>>854
通説

「通説(つうせつ)は、世間に広く通用している説のこと。
すなわち、いくつかの仮説のうち多数が支持しているものをさす。
確定的であるとされる定説とは異なる。」

騎馬民族征服説をどこの多数が支持してるのだ?
韓国だけだろ?
アホだろおまえw

857 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:28:59
騎馬民族説の可否は別スレで。

そろそろ電波が寄り付くようになってきたみたいなんで
sage進行で逝きましょう。

858 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 00:55:49
騎馬民族説の可否とはまったく無関係な話として質問。
(昔あった騎馬民族スレが落ちてるようなので)

後漢霊帝の光和元年(AD178)檀石槐が倭人國に攻め入って
千戸ばかり拉致してきたじゃん。
この記事どう解釈する?

859 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 07:27:41
>>858
魚を獲ってた大陸の倭人。
ま倭人とも決まってないようだが。

860 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 08:00:32
>>858
倭人国ではなく、泰水という所にいた倭人。
泰水がどこか分からないが大陸の海側にいた人たちだろう。
少数民族ナナイではないのかな。

861 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 08:34:14
>>852
>6世紀以前のすべての古墳に、「前方後円墳=皇別氏族」の原則が当てはまるのか?

>だいたい当てはまるんじゃないの。

「だいたい」というのは例外もあったということだな。
では例外にあたるのはどれとどれか。

>ただ>851が言うように任那日本府の総督より下位であるのは確かだろう。

前期の金官(4世紀)の時代に「任那日本府」があったという根拠はなにか?

862 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 10:23:01
>>861
>では例外にあたるのはどれとどれか

だからその例外、特に渡来系の前方後円墳を君に聞いたのだが、
いまだに答えてないではないか。
もし答えられなければ前方後円墳の全部が皇別であるかどうかは別としても、
渡来系の前方後円墳は「ない」でいいな?

>前期の金官(4世紀)の時代に「任那日本府」があったという根拠はなにか?

そんなな事は言ってない。
狭義の任那であろうが中義の任那であろうが広義の任那であろうが、
5世紀になって多くの倭系短甲が出土する。
(金官では3世紀までの倭人による鉄採掘場があるが)
なら狭義中義広義のなかで古墳の規模の優劣によって判断すればよいだけ。
つまり全羅南道の前方後円墳が最も立派で次に大加耶の玉田や池山洞の円墳、
そして君が大好きな金官の福泉洞の地下墓の順だな。

863 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 21:58:45
>>862
>そんなな事は言ってない。

君は>>852で:
>ただ>851が言うように任那日本府の総督より下位であるのは確かだろう。

と言っているではないか。これは明らかに前期金官のときに、それより上位の
「任那日本府の総督」がいた、ということを意味する。
だからその根拠を聞いたのだ。

>>前方後円墳の全部が皇別であるかどうかは別としても、

だいぶ後退したな。全部が皇別でなければ残りは神別と諸蕃に決まっている
ではないか。
なぜ自分の出した問題で苦労するか教えてやろう。それは、被葬者が確定
した前方後円墳はほとんどないからだ。被葬者がわからない所でどうやって
法則を作るのか?


864 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:07:09
今どき任那日本府ってw

865 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 22:47:38
前方後円墳などの存在から韓国南部が日本の支配下にあったことが事実だったとしても、
それを根拠に今の日本人がそれらの地域の領有権を主張するのは控えた方がいいだろう。

866 :日本@名無史さん:2009/02/11(水) 23:02:21
>>863
>それより上位の「任那日本府の総督」がいた、ということを意味する。

5世紀にね。
4世紀の半島での倭人の墓らしきものを知らない。

>被葬者がわからない所でどうやって法則を作るのか?

5世紀において渡来系の墓とされてるものがある。
それらは前方後円墳や円墳ではない。
方形、長方形、積石塚などで、あとは副葬品から渡来系だと判断されてる。
ならごく普通の前方後円墳や円墳は倭人と見てよい法則が出来るではないか。

それより早く渡来人の墓とされてる前方後円墳を言え。
俺の質問に全然答えてないぞ。



867 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 08:46:54
>>865
今のパレスチナのようなものだな。

868 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 09:22:56
>>866
>4世紀の半島での倭人の墓らしきものを知らない。

つまり前期金官時代の「任那日本府」は根拠がないことを認めたのだな。

君は851で「どちらも属国の王」と答えているが、私の質問はその「属国の王」
の間に差があるのはなぜか、ということだ。
それに対して君は身分に差があるからだと答えたが、どのような身分か、と
聞かれると「任那日本府の総督」と比較したのだ。結局質問に答えていない。

>5世紀において渡来系の墓とされてるものがある。

被葬者が特定されないことを言ったら、「とされる」に後退したな。
君は予防線を張って、自ら秦氏の前方後円墳を持ち出したが、東漢氏「とされる」
前方後円墳はないのか?

それから、私は>>850で4、5世紀の百済の横穴石室墳の記事を紹介したが、
これに対する君の意見は?

869 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 11:27:47
>>868
ごちゃごちゃ言うやつだな。
4世紀の金官は倭人が鉄を採ってた倭の領土。
それを日本府というかどうかはどうでもいい。
5世紀以降は前述の通り。

>東漢氏「とされる」前方後円墳はないのか?

ないと思う。

>4、5世紀の百済の横穴石室墳の記事を紹介したが、
>これに対する君の意見は

日本の横穴石室は百済の影響を受けたかもと前に言った。
と言っても老司古墳のように竪穴に小さな横口がある古墳が初期にあるのでなんともいえないが。
百済も高句麗の影響、高句麗も中国の影響受けてるのだろうからだからどうなんだ。








870 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 21:44:31
>>869
>>4世紀の金官は倭人が鉄を採ってた倭の領土。

倭人が鉄を取っていたというのは2,3世紀の魏志倭人伝の記述だが、
4世紀にも倭人が鉄を取っていたというソースはなにか?

>ないと思う。( >東漢氏の前方後円墳)

君は円墳も皇別だと言っていたな。
ほれ、古墳時代中期の、漢氏「とされる」巨大円墳だ。
http://www5d.biglobe.ne.jp/~tosikenn/kohun1.html

>日本の横穴石室は百済の影響を受けたかもと前に言った。

君は、百済には5世紀後半以降の墳丘墓しかないから、百済の墳丘墓は日本の
影響だと言ったのだ。
この説は撤回するのか?

871 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 23:13:39
>>870
>4世紀にも倭人が鉄を取っていたという>ソースはなにか?

前にも言ったが4世紀の日本の古墳の巨大化は倭が豊潤な鉄を入手してた事を意味する。

>漢氏「とされる」巨大円墳だ

悪いけどこのサイトは朝鮮よりの偏見に満ちてて信用できない。
民族学校を考えるなん所にリンクしてるし、
四隅突出墳墓を巡るツアーを「日本の朝鮮文化を尋ねて」なんて言ってたからな。
だいたい組合式木棺があり埴輪も出土する古墳が渡来系と何で断定できるのだろうか。
東漢の墓なら新沢千塚126号墳墓を言ってくれないとな。長方形の古墳だ。

>君は、百済には5世紀後半以降の墳丘墓しかないから、
>百済の墳丘墓は日本の 影響だと言ったのだ。この説は撤回するのか?

意味分からない。百済が日本の臣民になってから積石塚から土盛りに変わったと言ったのだが?
高塚の話してるのに論点をずらして石室の話に持って行ったのは君だ。
だいたい君は任那地域の円墳を百済の影響と言ったな。
倭系甲冑が出土し竪穴式石室が有る円墳なんて倭人の墓に決まってるだろう。
で百済が漢城時代の積石塚から土盛りに変わったのは日本の影響と認めるのか?

872 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 23:21:08
>>865
韓国の領土を欲しがる日本人なんていませんw

873 :日本@名無史さん:2009/02/12(木) 23:40:02
>>870
それと綾氏を渡来系の氏族と決め付けてはいけない。

渡来系の秦氏とは別に、似た発音で皇別の波多氏という氏族もいた。
同じように皇別の綾氏というのもいるのだ。
日本武尊から別れた氏族だ。

874 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 02:52:56
まだチョンが電波飛ばしてんのかよ

875 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:04:03
>>871
>百済が日本の臣民になってから積石塚から土盛りに変わったと言ったのだが?
>高塚の話してるのに論点をずらして石室の話に持って行ったのは君だ。

ウィキペディア「横穴式石室」より引用:
「横穴式石室(よこあなしきせきしつ)とは、日本においては、古墳時代
後期に古墳の横に穴をうがって遺体を納める玄室へつながる通路に当たる
羨道(せんどう)を造りつけた石積みの墓室のことをいう。
イギリスの古墳などヨーロッパやインドなどでも普遍的に見られる墳丘墓の
内部施設であるが(以下略)」

つまり横穴式石室は「墳丘墓の付属施設」だから、横穴式石室の遺跡が出た
ということは墳丘墓であったことを意味するのだ。
百済には4世紀にすでに横穴式石室と墳丘のセットがあったことになる。
これに対する君の意見は?

876 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:10:08
>>873
>それと綾氏を渡来系の氏族と決め付けてはいけない。

綾氏は漢氏の誤記だろうが、それを言い出したら切りがない。
皇別はまるごと渡来系だという学者もいるくらいで、渡来系と疑われる
皇別のほうがずっと多い。
だから私はわざわざ姓氏録の諸蕃に限って話しているいのだよ。

877 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:12:54
>>871
>前にも言ったが4世紀の日本の古墳の巨大化は倭が豊潤な鉄を入手してた事
>を意味する。

そんなことは普通、ソースとは言わないだろう?
結局ソースはないのだな。



878 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:29:46
わからない事が多いが日本は百済の影響をうけている
あと日本は軍事的拠点が朝鮮にあったことも間違いない。
それを双方認めよう

879 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 11:38:57
>綾氏は漢氏の誤記だろうが

誤記じゃないよ。
渡来系の漢氏とは別の綾氏という皇別氏族がいた。それだけ。
疑うやつの例を出しても意味がない。
>870で君が示した綾部の円墳は渡来系ではないと認めるのか?
東漢は5世紀に奈良の高市あたりを本拠にしてて住居跡まで見つかってる。
なんで同じ時期に綾部に倭風古墳作るのだよ。
で、結局渡来系の前方後円墳は示せないのだな?w

>百済には4世紀にすでに横穴式石室と墳丘のセットがあったことになる。

しつこいなぁ。
だからその「墳丘」について、日本のような土盛りが4世紀の百済にあるのかと
君に聞いたけど答えられなかったではないか。


>結局ソースはないのだな。

豊潤な鉄を手にしてたという事実こそがソースだ。

880 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 12:20:41
朝鮮人にしっかりした証拠を求めること自体が間違い。

881 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 12:41:15
朝鮮人の被害妄想は悲惨だな。


882 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 16:21:26
>>879
漢氏がいた綾部の巨大円墳で不満足なら、ほれ、まず依智秦氏の墓「とされる」古墳群だ。
写真ではきれいな円墳だな。
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/selection/01_06.html

次に、ほれ、東漢氏の墓「とされる」古墳群だ。案内図によるとほとんどは円墳で、
なかに3〜4基の前方後円墳があるな。
http://www.begin.or.jp/~sakura/kasihara2.htm

>日本のような土盛りが4世紀の百済にあるのか

横穴式石室があったということは、少なくともその石室よりは高い墳丘が
あったことを意味するではないか。

>豊潤な鉄を手にしてたという事実こそがソースだ。

倭に巨大古墳ができた。巨大古墳を作るには鉄が要る。鉄は伽耶にある。
倭人は伽耶の鉄を、買ったののではなく「取った」に違いない。鉄を
「取った」からには伽耶は倭の領土だ。倭の領土だから任那日本府がある。
金官王は任那日本府の総督より下だ。だから金官の墓には墳丘がない。

これが君の説だ。なんとなく桶屋に風が吹いて来たような気がしないか?




883 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 19:32:20
>>882
上の依智秦氏
「渡来系氏族の墓制であるとの理解も存在する。」
「も」だよ。仮にそうであったとしても蛇塚と同じで
来日から2世紀近く経過してるものは渡来系とは言うもののすでに日本人だ。
そんなの意味がないし、だいたい渡来系という確証がない。

下の新沢千塚。
強引だな。何で4世紀後半からの古墳群が東漢と決まってるのだ?
「第126号(22×16mの長方形)墳の木棺に納められていた副葬品は、
ほとんど舶来品で、遠くサマルカンド辺りで作られたガラス碗も有り、
(略)。」が東漢ではないかと言われてて、それは俺が言っただろ。
この126号墳墓以外の円墳や前方後円墳で、出土物から渡来系と言われてる古墳を言えよ。

結局はっきり渡来系と言われてる前方後円墳を出せないだろがw

>桶屋に風が吹いて来たような気がしないか?

全然しない。
伽耶で鉄を採ってた北九州を大和が支配下に置いただけ。

884 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 21:38:53
>>880
正解。

斜め上を行く学説・論文を電波で世界中に垂れ流すからな。

霊感描写で人物画を描いちゃうんだぜw
それを『歴史本』として発刊して、オナヌーしてんだから、話にならんよなw


885 :日本@名無史さん:2009/02/13(金) 22:48:43
>>882
もとい。
渡来系でも円墳は作れたに訂正だ。
考えてみれば百済にも円墳あるのだし、
任那の玉田古墳も円墳だし、
大阪の高井田古墳の火熨斗が出た百済系と言われる円墳の事を忘れてた。

しかしながら言うまでもないが、
調子に乗って普通の円墳なのにあれもこれも渡来系としないよう、
君に警告しておく。


886 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 06:35:14
日本は弁韓の鐵を、「取っていた」のか「買っていた」のかにこだわるのは
いたずらに議論を混迷させる作戦じゃね?

「貢納」だって「みつぎもの」である以上は一方的な搾取ではありえない。
また三世紀でいえば魏志は「買っている」と説明してるように読めるが…?

政治的に双方にメリットのある物資のやりとりならば
収支計算上では対等でもとりひき自体を
小国から大国に対しての「貢納」と称するのは
中華文明を手本としてる東アジアではまったく自然なことだろ。

887 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 09:28:41
>>886
313年に楽浪郡が高句麗に滅ぼされた後、
それと時を合わせるかのように日本の前方後円墳が巨大化しはじめる。
楽浪がなくなったことで鉄を自由に出来た証拠かも。

888 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 09:47:16
4世紀後半〜5世紀はじめに日本が半島南部に出兵したのは事実だし、
何の為かと言えば鉄資源の防衛だろう。
つまり2世紀頃の北九州人の鉄採掘場である釜山・菜城遺跡以降も日本が鉄を支配してた。
金官という幻の国を強大と仮定してみれば、
日本が何かしらの対価を払って鉄を買っていたなんて説が出てくるだろうが、
遺跡から判断するに全く強大ではないので、
日本が対価を払って鉄を買っていたなんて説はいい加減引っ込めてもらいたい。



889 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 10:40:44
>>882
>横穴式石室があったということは、少なくとも
>その石室よりは高い墳丘が あったことを意味するではないか。

 また屁理屈言ってるね。
上のほうでも出てるが
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=67885&servcode=700

いわゆる高塚(土饅頭)ではないみたいだね。

という事は土饅頭は日本の刺激という考古学会会長さんの意見は正しいね。

890 :名無しさん@お腹いっぱい。:2009/02/14(土) 11:18:18
>1
簡単に言えば、
昔の日本人は、半島南部から日本列島に跨って住んでいたが、
朝鮮人という野蛮人が、半島南部を侵略し日本人を追い出し、
現在のように、列島のみに日本人が住むこととなった。

つまり侵略され被害者の日本が、20世紀初頭に古の国土を回復した
といこと。

891 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 11:27:51
>>885
>渡来系でも円墳は作れたに訂正だ。
>大阪の高井田古墳の火熨斗が出た百済系と言われる円墳の事を忘れてた。

それがわかったなら、それでいいのだよ。
もともと君が古墳論議を始めた目的は、百済の墳丘墓が倭の影響だと言いたい
ことにあったのだからね。

>>889
>いわゆる高塚(土饅頭)ではないみたいだね。

往生際わるいな。
どこを見て言っているのか。この文献には墳丘の形についてはなにも書いて
ないが。



892 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 11:42:02
>>886
>日本は弁韓の鐵を、「取っていた」のか「買っていた」のかにこだわるのは

過剰反応だ。「買っていた」はどうでもいいのだ。私は「取っていた」を
直ちに「日本の領土」に結びつけることを問題にしているのだからね。

「取った」のもとは魏志倭人伝だ。倭人伝には「韓、ワイ、倭従ってこれを
取る」とある。「取った」から領土だと言うのなら、鉄の産地が韓、ワイ、倭
の共同所有だったことになる。

そして「取った」主体も問題だ。「倭」は「韓、ワイ」と並んでいるのだから
民族名とも受け取れる。それならば半島南部土着の倭人のことになる。

ある人は韓、ワイ、倭が帯方郡の認可のもとに鉄を採掘していたのだと言って
いたが、おそらくそんなところだろう。

また、これは2、3世紀の状況だ。この状況をもって、環境が激変(帯方郡
の消滅、金官、新羅の出現)した4世紀の状況を論じることはできない。
また5世紀になれば倭が大国とされて一種の中華体制ができたと思われる
が、その状況を4世紀(特に前半)にさかのぼらせることもできない。

893 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 12:30:41
>>891
往生際が悪いのはおまえだ。
>この文献には墳丘の形についてはなにも書いてないが

外見で分かる高塚ならとっくに見つかってるはずではないか。
最近発見されたのなら丘陵にあるものか、
はたまたチェ・ビョンヒョン韓国考古学会会長の言う、
 「5世紀中頃まで塚はそれほど高く盛られてなかった。
が、その後、一転して高塚化が進み」
の「それほど高く盛られてなかった」という部類だろう。

>百済の墳丘墓が倭の影響だと言いたいことにあったのだからね。

5世紀以降の百済の高塚はその通りだが?

894 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 18:59:59
誰か韓国南部の前方後円墳の存在と任那日本府の関係を説明してくれないかな。

895 :日本@名無史さん:2009/02/14(土) 22:45:17
>>893
>5世紀以降の百済の高塚はその通りだが?

やっとわかった。私もうっかりしていたが、チェ教授は「栄山江流域」の
墳丘墓について言っている。栄山江流域というのは全羅南道とほぼ同義だ。
つまり教授の言っていることは、私が「全羅南道の前方後円墳は日本の
影響と言うよりも日本そのものだ」と言っているのと、だいたい同じこと
なのだ。
全羅南道は日本の直轄領なのだから高塚墓があるのは当然である。

896 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 00:20:04
>>895
>チェ教授は「栄山江流域」の墳丘墓について言っている

「三国時代墳墓の高塚化過程について」だからそれは違う。
全羅南道の高塚化が顕著だからそれについて多くを語ってるが、
百済も新羅も高塚化してる。




897 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 08:03:39
>>896
「栄山江流域」というのは君が>>801で引用したチェ教授の文章についてだ。
この文章は同流域についてだけ言っているだろうが。
もっとも君は>>893では注意深く「栄山江流域」を抜かしているがな。

898 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 08:12:25
>>894
俺も半島南部の前方後円墳と任那日本府の関係が気になるな
特にこの問題に関する韓国の学者達の見解がどうなっているのか

899 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 08:30:02
前方後円墳は韓国起源。
倭の前方後円墳は征服者である韓国人たちが、奴隷化した倭人を動員して作らせたもの。
ちなみに任那日本府なんか倭人の捏造だよ。
ほんとうは韓国人が倭に百済倭府(=奈良百済)を置いていた。

900 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 09:43:34
>>897
高塚化に重点を置いた論である。
高塚化は栄山江流域だけなのか?

901 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 10:04:04
>>900
>高塚化は栄山江流域だけなのか?

だれがそんなことを言った?
君が引用した文章が、栄山江流域の高塚化の話だと言ったのだ。

もちろんチェ教授は他の地域の高塚化も論じている。
それが「日本の影響」かどうかは、また別の議論だ。

902 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 10:09:46
>>898
>俺も半島南部の前方後円墳と任那日本府の関係が気になるな

前方後円墳がある全羅南道の直轄領にいた倭の行政官たちが「みまなの
やまとのみこともち」すなわち漢字を当てれば「任那日本府」。
それが割譲後に安羅に移って領地をもらったのが欽明時代の任那日本府
または安羅日本府、
でOK?


903 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 10:48:54
>>901
>それが「日本の影響」かどうかは、また別の議論だ

何も難しい事はない。
倭が百済や新羅を臣民にしたという好太王碑文と、
その後、それらの地に日本的な高塚が出来はじめるという事象が一致してるではないか。

904 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 11:13:41
>>899
それが韓国の学会の見解か?
相変わらず歴史を捏造しているのか。

905 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 16:52:17
>>903
君はチェ教授の論文を根拠にしたのだから、栄山江流域以外で、チェ教授が
日本の影響だと述べている高塚墓を挙げてくれ。

906 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 18:20:22
>>905
しつこい男だなぁ。
ネットで拾ってきたので、俺が紹介した文が全部だが、
栄山江流域以外の高塚を意図的に無視したがる君の根拠は何なんだ?
誰が見たって5世紀に百済、新羅、任那地域で高塚化が始まってるではないか。

百済が漢城時代の積石塚から汾江の土盛り高塚へ大きく変遷した理由を、
結局、君は答えないままではないか。
俺の答えは何度も言っててお分かりだと思うが、百済が倭の臣民になったから。

さぁいい加減、君の答えを聞かせてもらおうか。


907 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 19:03:38
???
墓の形式が変わったのが何だというのだ?
じゃあ倭人の墓の形式が変わったらそれはどっかの臣民になったことになるのか?
墓に限らず倭人なんか古代よりしょっちゅう大陸文化取り入れてずいぶん変容してきたが、
倭人は大陸人の臣民になったのかw

908 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 20:22:24
>>906
>栄山江流域以外の高塚を意図的に無視したがる君の根拠は何なんだ?

驚いたな。
栄山江流域は日本の直轄領だから意味がないから無視して、
栄山江流域以外の(日本が影響した)百済の高塚を教えてくれ、と言うのが、
「栄山江流域以外の高塚を意図的に無視した」
ことになるのか?

頭、大丈夫か?

909 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 20:32:51
て言うか百済と任那は日本の属国だったで結論出てるジャン。
二人とも何必死になってんの?

910 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 20:34:25
大昔から朝鮮人は今と同じ事をしてるんだね。

「新羅の入寇」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E7%BE%85%E3%81%AE%E5%85%A5%E5%AF%87


911 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 20:42:54
>>907
倭がどこかの臣民になったという文献があって、
墓もその支配者の影響受けてるようになったら
倭人はその大陸人の臣民になったと言えるが、そうはなってない。
逆に百済はそうなってるのだが?

>>908
栄山江流域という日本の直轄領と同じ高塚が
百済や任那に出来てると何度も言ってるのだが、
おまえは任那の高塚が百済の影響だと言ったではないか。
ごまかすな。
任那の墳墓から倭系甲冑も出てるのを言い訳できないだろうが。


912 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:21:47
>>911
つ卑弥呼や倭の五王の朝貢(中国への臣民化)→墳丘墓(中国王墓の劣化コピー)誕生

913 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:34:48
>>912
四国の萩原墳墓群が中国王墓の劣化コピーなのか?

914 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:41:13
>>912
なんで倭の五王のあとに墳丘墓が誕生するのだ?
もう少しお勉強してから書き込みましょうw

915 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 21:57:25
>>914
つ卑弥呼
つ卑弥呼
つ卑弥呼
つ卑弥呼
つ卑弥呼

916 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:22:09
>>915
萩原墳墓群は卑弥呼より少し前だが?
中国王墓の劣化コピーなのか?

917 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 22:34:18
912が言う中国王墓の劣化コピーである日本の大王墓が、
本場中国の始皇帝陵より大きい件について。

918 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:04:56
始皇帝陵って世界的に有名ジャン?
兵馬俑とか副葬品も膨大だし。
仁徳陵ってびっくりするほどマイナー。
何でこんなに差があるの?

919 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:29:17
始皇帝が世界的に有名だからね。

で仁徳陵が中国の劣化コピーなのか?
コピーというからには中国に前方後円墳があるという事だな?
どこにあるのだ?
あと仁徳陵以外でも応神天皇陵や履中天皇陵など大規模な墳墓が連発してるのだが、
中国はこれ以上の連発性があるのか?

920 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:36:21
前方後円墳のあの形はオリジナルだよなぁ
はっきりいって不自然だ。
円墳とか方墳は世界中にそれぞれ独自の物としてあるが、
あんな不自然な形が独自に違う場所で発明されるわけない。

921 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:37:14
始皇帝陵やピラミッドは巨大墓として有名だけど、
大仙古墳や誉田山古墳は誰も見向きもしないね。
なぜ?

922 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:46:04
墳丘墓について語ってる人と前方後円墳限定で語ってる人。
話が合わんわけだ。

923 :日本@名無史さん:2009/02/15(日) 23:51:41
>>921
誰も見向きもしないという事と
日本の古墳が中国の劣化コピーであるかどうかは別問題。

924 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:00:53
>>921
普通にショボイからだろjk

925 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:04:27
日本の天皇陵が始皇帝陵やピラミッドと違うのは、
今も続いてる王室のご先祖の墓だという事。
これは発掘もし難いしいろいろややこしい。

926 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:06:31
>>921
そりゃ現役の「君主の先祖の墓」とされているからだよ。
だから、いわば「現役の墓域」として厳重に管理されている。
皇居(江戸城)や京都御所と同じで、観光名所にも世界遺産にも出来ない。
もちろん発掘調査も出来ない。

927 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:11:33
>>922
「墳丘墓」について語ったとしても、
日本最古の墳丘墓は四隅突出墳の初期、
場所は広島の山間部で、時期は弥生中期にまでさかのぼるが、
この四隅突出墳は中国のコピーでも何でもない。



928 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 00:16:30
>>926
参拝所までは入れるらしい。

929 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 02:59:50
>>899
すげーなw
根拠なくそこまで妄想できるのかチョンは

930 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 07:04:33
>>911
チェ教授によれば、三国でいちばん早い高塚は新羅で、積み石木郭墳が4世紀
後半に出現する。高さが20メートル以上あるという。
「鳳凰台」「皇南大塚」でぐぐれば写真が見られるよ。
チェ教授はこれを北方民族の影響だと言っているな。

次に高霊が5世紀初頭に高塚化する。形式は違うが、チェ教授は新羅の影響
と見ているようだな。
先に示した日本の研究者の論文は、伽耶諸国の墓が新羅の影響を受ける前に
百済の影響を受けた時代があったというものだが、それがどの古墳を指して
いるのかは、いまのところ知らない。

931 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 08:28:01
>>930
皇南大塚って5世紀だと思うが、あのような墳墓を作る北方民族っているのか?
なんだかいい加減な説だ。

932 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 09:41:55
>>930

>>911の907に関するレスについては?
書物と考古学的資料から日本の支配が朝鮮に及んだと普通に考えられるよな。


933 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 13:19:59
>>931
チェ教授によればスキタイ、サカ、匈奴が積み石木郭墳を作るという。
なお、教授は低封土墓/低墳丘墓と封土式/墳丘式高塚墓とを区別している。
はっきり書いてないがその境目は高さ3mぐらいにありそうだ。
この分け方では、百済には栄山江流域を除いて高塚墓は無いように読み取れる。
(読み取れるというのは、韓国人学者の論文は日本語の文章がわかりにくい
からだ。)
君の説によれば百済王は新羅王より身分が低いのだろうな。

また、伽耶の大型木郭墓にももとは2mぐらいの封土があり、それが陥没して
封土がないように見えるという。木郭墓は天井も木材だから時がたてば陥没
する。

934 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 15:36:18
>>932
>書物と考古学的資料から日本の支配が朝鮮に及んだと普通に考えられるよな。

韓国/朝鮮人以外の人は誰でもそう思っていることを、一生懸命主張して
どうするのか。


935 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 15:58:18
>>933
積み石木郭墳ってクルガンってやつか。
どういう経路で新羅に来たのかよく分からないな。
この頃、北魏が出来てるのでその影響かとも思うが、
鮮卑がクルガン作ってたのかも分からない。

どっちにしてもこの時期に新羅が日本に人質を送ってる記述が、
日本書紀にも三国史記にも書かれてるので事実だろう。
皇南大塚は墳丘式高塚墓の部類だろうから、
日本の影響である事は大いにありうる。



936 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 17:14:38
>>935
>皇南大塚は墳丘式高塚墓の部類だろうから、
>日本の影響である事は大いにありうる。

墳丘式ではない。封土式だ。どこかに発掘の写真があるが、あの高い塚を
二つに割るような発掘をしてようやく底から埋葬部が出てきている。
てっぺんを掘れば埋葬部が出る日本の竪穴式前方後円墳ではこんな苦労は要らない。
そしてその塚も、芯まで全部グリ石でできているのは驚きだ。

ところで君の説によれば、20mの高塚を築いた新羅王は、3m程度の低塚
しか築かなかった百済王より、よほど身分が高いのか?

937 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 18:19:42
>>936
封土式であろうが高塚になった事が重要だろうな。
日本でも倉敷の勝負砂古墳は封土式の前方後円墳だ

>ところで君の説によれば、20mの高塚を築いた新羅王は、
>3m程度の低塚しか築かなかった百済王より、よほど身分が高いのか?

新羅は新羅で高塚を作り、百済も同じ事をした。
別に両国が競ってたわけではなかろう。
それより両国で同時期に高塚が作られ始めたという事実が重要だ。




938 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 19:54:53
朝鮮半島の南部に前方後円墳が発見されたと聞くと、
任那日本府との関係がどうなっていたか気になるのだが、
この点についての学会の研究はどうなっているのだろうか。

939 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 21:06:08
>>935
>それより両国で同時期に高塚が作られ始めたという事実が重要だ。

日本の影響と言いたいのだろうが、
前にも言ったように、新羅で4世紀後半、大加羅で5世紀初頭に高塚ができても、
最も倭との関係が深かった金官が木郭墓(低封土墓)を造り続けたことを
説明できない。
そう言うとまた「身分の差」に戻るだろうな。

940 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 21:12:39
>>939
だろうな。ようするに駄々っ子が暴れてるだけなわけだ。

941 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 21:41:01
途中から二人とも議論が大脱線してるけど、


>>939

朝鮮南部にヤマト王権の政治力が及んでいたのは認めるんだな?

942 :日本@名無史さん:2009/02/16(月) 21:49:22
>>939
だから金官に王なんていたと思うから説明できないのだ。
弥生時代の莱城遺跡、勒島遺跡以降ずっと倭の領土。
木郭墓は製鉄関係の人間たち。

李煕濬という学者も広開土王南征時の金海地域には有力首長墓が未発見と言ってる。


943 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 01:41:14
考古学的にはどうだろうと、文献上は
金官に「王」だか「侯」だかはともかく
「旱岐」という称号をもつ在地の世襲首長がいたことは間違いない。
考古学(ただし文字資料が出土してない場合)は
あくまで文献を補足するものであって、出土文字によらない限り
文献の記述を変更する力を認めることはできない。

944 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 07:48:45
「旱岐」は任那諸国を治めた君主の称号で、
在地の世襲首長と決まってるのか?

5世紀以降の金官からは
竪穴式石郭に倭系短甲が埋葬される「倭人の墓」が沢山出る。
金官が最も倭との関係が深かったというのは鉄絡みでの話で、
5世紀以降は高霊あたりが盟主になるのだから、
金官に高塚がないというのも何も変ではない。


945 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 08:38:52
>>944
新羅本紀に、
532年に金官国王が財宝・家族と共に来降し、国王の末子が新羅に仕えた
ことが記されているが、これは誰のことなのか?


946 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 08:43:32
そう書かれてるなら王でいいけど、
高霊あたりより高位でなかったという事であろう。

947 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 08:46:26
勘違いした6世紀かよ。
ならどうでもいいじゃないかw

948 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 11:01:20
倭ってさあ、神功おおじん(なぜか変換できない)とか、古い時代は朝鮮侵略してた(らしい)のに
その後ぱたりと侵略しなくなるよね。新羅に任那滅ぼされても何も出来ないし。
聖徳太子とか藤原仲麻呂とかみたいにヤルヤル詐欺はあるけど。
実際やったのは百済再興くらいか?

絶対おかしいよね。

949 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 11:38:50
>>948
侵略でなく防衛。

950 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 12:01:11
>>949
さかのぼれば防衛ではなく明らかに侵略だろう

951 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:01:14
半島南部には縄文人の人骨もあるので防衛だ。

952 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:06:09
>>947
>勘違いした6世紀かよ。
>ならどうでもいいじゃないかw

どうでもよくはない。なぜなら金官は、この時点に至るまで高塚を
築かなかったからだ。


953 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:13:24
>>952
だからその程度の地位だったのだろう。

954 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:35:30
韓国の日本系甲冑出土地だが、
金官では、

福泉洞4号墳、福泉洞112号墳、金海杜谷43号墳、蓮山洞8号墳、杜谷72号墳、釜山加達4号墳、

あと、
慶尚南道陜川郡 玉田古墳群、
慶尚南道昌寧郡 校洞古墳群、
慶尚北道高霊郡 池山洞古墳群、
忠清北道清州市 新鳳洞古墳群
からも出てる。
清州市ってかなり北だろ。
百済だな。

955 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 13:40:14
http://www.cjbaekje.net/jap/content6.html

ひゃっほう!
新鳳洞古墳から出た見事な三角板鋲留短甲。


956 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 14:41:01
>>53
倭の文字を見ると、其の時代は女王が多かったから、
女王が兜を被ってるという感じになるのかな。

957 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 15:18:56
>>953
>だからその程度の地位だったのだろう。

やはり予想通り、身分説に戻ったな。
では聞くが、百済王の墓はチェ教授によれば高塚に入っていないから高さ
3mぐらいで、同2mと推定される金官王の墓とたいして変わらない。
ということは百済王も「その程度の地位」だったのか?

958 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 15:41:23
>>955
面白いね。
鉄製短甲の起源はますますわからなくなって来た。

959 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 16:01:58
>>957
>3mぐらいで、同2mと推定される金官王の墓とたいして変わらない。
>ということは百済王も「その程度の地位」だったのか?

細かいやつだなぁ、知らんがなw
高塚は何メートル以上とかいう決まりがあるわけないではないか。

百済の墓が高句麗的積石塚から土盛りに変わったのは、
何か大きな契機があったと考えて良いではないか。

>>958
起源は日本です。

960 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 16:38:25
支那に後円墳的な物はなかったの?

961 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 17:07:26
>>959
>起源は日本です。

ソースキボンヌ

962 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 18:12:13
>>961
5世紀からの帯金短甲の変遷では、
日本が種類も量も圧倒していて韓国には出ない種類まである。
その前の4世紀ごろの縦矧短甲を仮に日韓同時期だとしても、
さらにその前の木製短甲においては日本が出土量で圧倒してる。
韓国は実質出ていない。
これらの事を考慮してみれば、日本が短甲のルーツである事がわかり、
韓国だというやつは頭がおかしい。

963 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 20:30:40
>>959
>細かいやつだなぁ、知らんがな

要するに思いつきの出まかせだったというわけだな。

>さらにその前の木製短甲においては日本が出土量で圧倒してる。

またウソを書いているな。
木製短甲はいろいろな形のものが数例出ているだけだ。
鉄製短甲と直接つながっている例があったら出して見よ。

964 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 20:37:51
なるほど。>>959は思い込みだけのクソ野郎と言うことだな。
メモメモ。

965 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 20:41:16
新羅の古墳は、金官に北方系の大型木郭墳が出現すると同時に、これと同じ
形式の木郭墓に変わる(それ以前も木郭墓だが形式が異なる)。
しかししばらくするとその大型木郭墳に新羅の独自性が現れるようになり、
さらに4世紀末になると巨大な積み石塚を伴うようになる。

このような経過は、新羅が金官の支配を受けた後、その支配から独立して
行く過程を示していると思われる。言いかえれば金官は新羅の宗主国だった
のだ。532年の金官滅亡の際、新羅が金官王家を優遇したのは、他の任那
諸国への宣伝もあっただろうが、やはり上記のような過去の経緯があったから
であろう。

966 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 21:44:59
>>963
>鉄製短甲と直接つながっている例があったら出して見よ。

 前の任那スレでおまえが紹介した韓国の学者も木製短甲とのつながりを言ってたではないか。
嘘言うな。
それ以前に韓国の木製短甲のまともな出土例を言え。

967 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 21:49:51
>>965
新羅の能書き言っても所詮は日本の臣民。
好太王碑文を否定は出来まい。
あとお前は三国史記まで出してきたのだから、
4代目の倭人王の事も認めろよ。

968 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:00:58
考古学を根拠にして言っていいこと
・文献の空白を埋める
・諸文献間の矛盾を裁定する
(どっちが正しいかを決める。どっちにも書かれてないことを正しいとする権限は無し)

考古学を根拠にして言ってはならないこと
・いずれの文献に対しても矛盾する新事実を捏造すること

969 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:05:27
>>968
文献なんてその時の権力側が好きなように書ける。
したがって考古学の方が大事。
文献はあくまで資料の1つ。

970 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:19:17
>>969
考古学といったがあくまで文字資料がないという範囲でものこと。
文字がなければなんとでも解釈できる。
それは邪馬台国論争みてもわかるだろう。
あと、考古学だけで中世日本の
京都と鎌倉の関係説明できるか?
できないだろ?
結局考古学は文献を補足するだけの存在で
主体的に政治史を語れるような内実はないんだよ。

971 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:24:33
>>969
文献学は長い歴史があるので定説が確立されているけど、
考古学は各人が孤立しているので当事者が好きなことを言うからな

972 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:28:11
>文献学は長い歴史があるので定説が確立されているけど

笑う所ですか?

973 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:31:25
>>970
>あと、考古学だけで中世日本の
>京都と鎌倉の関係説明できるか?

何を意味不明なこと言ってるのだ?
中世ならちゃんとした文献もあるだろう。

日本の4世紀の事が書かれた文献があるのか?
ないのだから考古学で見るしかないではないか。

974 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:38:30
>>973
論理のスリカエも甚だしいw

考古学から文献上の中世史を復元することはできない。
ってことは同じく考古学「だけ」から
弥生史や古墳史を推測することはできないってことだ。

つまり文献を否定したら「歴史はない」ってことやんw

975 :日本@名無史さん:2009/02/17(火) 23:43:16
>>974
>考古学から文献上の中世史を復元することはできない。

だいたい京都と鎌倉の関係の考古学って何なんだ?
京都や鎌倉の神社仏閣は考古学的に残ってるではないか。
君は何を言ってるのかな。

976 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 01:26:30
このスレも950切りますた
次スレはこちら↓をご利用ください
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/history/1233367717/l50

977 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 06:02:38
考古学的に言うと、こんな風な解釈もできるな。
12世紀に東北地方にあった都市が火災か何かで破壊された形跡がある。
同じ頃、鎌倉に都市形成の発達が見られることから、
外敵(恐らくは蝦夷)の襲撃から、鎌倉へ移動したものと思われる。

978 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:26:02
>>865
>>872
そんなことはない。朝鮮は日本のものだ(より正確には土地権利者の)。

勝手に捨てるな。日本領朝鮮を不法占拠する、鮮人の回し者と断罪されても、
抗弁できないぞ?

979 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:29:28
>>978
朝鮮なんて欲しいのか?
いらねぇよ、キモい。
おまえみたいなやついるから変な勘違いされるんだ。
消えてくれ。



980 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:30:31
>>979
黙れ鮮人。

981 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:35:43
ちなみに我が家には朝鮮の土地が、日本本国の土地とともに伝わっているが、
第二次世界大戦後、本国の土地は売却その他で喪失し、朝鮮の土地は、
鮮人に不法占拠されている。

日本政府による補償が、事実上無い以上、取り戻すまで、
この主張を止めるつもりはない。

982 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 07:42:42
本国の土地は売却その他で喪失しって、
売却したのならそれなりの金額得たろうにw

で、朝鮮の土地って戦前の話だろ?
仕方ないじゃん。

いつまでも「過去」にしがみついてるおまえこそチョンだろがw



983 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 08:16:37
朝鮮人でも結構だ。
”日本領朝鮮在住の日本人”の意だからな。
(ただの一度も住んだことはないが)

北海道人、九州人とその意味は全く同じだ。

要は、人のものを勝手に捨てたり、犯罪者に代償もなく与えたりするな。

朝鮮はかって日本だった。その土地を売り買いしたり、住んだりするのは、
現代に世田谷や練馬で土地を買い、住むのと何ら変わりなかった。

984 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 08:48:03

かつてっていつの話だよw

まぁ言えば、ドイツが併合したオーストリアから投資分を返してもらったように、
本当なら日本が戦前に朝鮮に投資した金額をあいつらに返してもらわないといけないのだがね。
逆に経済援助したって言うのだから話にはならないよね。

985 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 09:24:13
>>981は朝鮮人。
第2次大戦後、朝鮮の土地を捨てて日本に密航してきた。
不法占拠している日本の土地を返還しろよw

986 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:02:01
>>981
俺の祖父の広大な土地も鮮人では無いけど満州から帰ってきたら他人が占拠してたよ。
家財は全部うっぱらっていったし、まさか敗戦して戻るとは思っていなかったから、対応に困っただろうね。
その後は橋の下で生活をしてたみたいよ。

987 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 11:09:38
>>966
>木製短甲
あんな丸太をくり抜いた太鼓の胴のようなものや、板に彫った腹がけ
のようなものが特定の鉄製短甲につながるのか?
あれがつながるというなら、なんだってつながる。人間の胴を覆うという
目的は同じなのだからな。

>>967
>新羅の能書き言っても所詮は日本の臣民。
>好太王碑文を否定は出来まい。

君はなにかと言えばそれを言って息巻くが、私がいつそれを否定したのか。
私が言っていることはすべて、倭の半島進出の上に立って言っているのだよ。

988 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 12:02:09
>>987
初期鉄製短甲は北方民族が持ち込んで来たといいたいのかな?
なら北方民族の短甲の例を出して比較してみればいいだけ。
木製短甲と初期鉄製短甲がつながってると認めたくない気持ちは分かるが、
つながってると見る人(学者)がほとんどだろう。

で木製短甲の韓国での出土例は「ほぼ」ないのだろ。
残念だったなw

989 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 20:44:51
>>988
>つながってると見る人(学者)がほとんどだろう。

ではその学者を挙げて見よ。
確かに、「それぞれの形式に木製の祖形がある」と言っている
学者はいるが、それだって発掘物の写真で示しているわけではない。
で、実際に見る写真は君も知っての通り、太鼓の胴と腹がけなのだ。

前にも言ったように、鉄製短甲の起源が半島か日本かは不明、
発達は相互影響としか言えない。
案外、百済が起源かも知れんよ。

ついでだが、「韓国の学者も言ってる」と、高塚で失敗した手を
また使っているが、なんのことか考えて見たら、3世紀の伽耶から
有機物製短甲の漆塗りが出た話だった。日本の木製短甲の話ではない。

990 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 21:28:14
>私が言っていることはすべて、倭の半島進出の上に立って言っているのだよ。



つまり、属国か植民地かで必死になってるわけですね。

991 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:10:38
>>989
>高塚で失敗した手をまた使っているが

何が失敗なんだ、おまえこそ漢城の積石塚から汾江の土盛りへの
変遷の理由を答えれないままじゃねぇか、格好つけるな。

>ではその学者を挙げて見よ

そうでないという学者を言ってくれ。
その学者が言う何故鉄製が突然現われたのかの理由も一緒にな。
外部からの持こまれた文化でない限り、
木製短甲からの進化と考えざるを得ないではないか。
当たり前だそんなの。
北方民族の短甲の例を出せないならそれくらい認めろ。


992 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 22:21:22
>>989
>3世紀の伽耶から有機物製短甲の漆塗りが出た話だった。
>日本の木製短甲の話ではない。

倭人が持ち込んだ可能性が極めて高いな。
痕跡程度で「出た」などと言えるのならなw

日本は11例で韓国は痕跡が1例だったね。

君は>963で
>数例出ているだけだ。
と卑怯なごまかしをしてるな。
任那スレでも日本では11例しか出てないなどとごまかしたのに続き連続ごまかしだねw

993 :日本@名無史さん:2009/02/18(水) 23:57:40
そろそろまとめに入ってくれよ、お二人さん

994 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 03:20:08
うめ

995 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 04:03:44
 ..●
●●●
 ●●

996 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 08:12:06
>>990
>つまり、属国か植民地かで必死になってるわけですね。

意味不明。現在の用語では属国も植民地も同じ意味だ。
百済、任那諸国、新羅は朝貢国という意味での属国。
全羅南道は直轄領。

私は上記のように言っているだけで、たぶん皆さんと同じだろう。

私が言った「騎馬民族」という言葉に過剰反応しているのかもしれない
ので言っておく。
たしかに反対説者たちが作り上げた架空のイメージに基づく「古典的」
騎馬民族説はあまり見かけなくなった。

しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。
これだって立派な騎馬民族説なのだよ。
なぜなら「扶余」というキーワードは江上説と共通しているの
だからね。

997 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 08:36:09
>しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。

左翼や朝鮮系の人間が言ってる事を「後をたたない」と言われてもw

998 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 10:13:02
>しかし応神渡来系説、継体渡来系説は今でも後をたたない。

これはさすがに無いw 
今城塚発掘成果とか河内大古墳の形成過程を知れば、むしろ減ってく一方。

999 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 13:20:23
国生さゆりって前方後円墳の墓に入りたい年下の男と付き合ってるよ

1000 :日本@名無史さん:2009/02/19(木) 14:22:22
1000



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もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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