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日本語と日本人の、主客融合性について

1 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/30(土) 03:24:56 0
「なんで正しい日本語ツカエッテいうの その2」
から、分立しました。
日本語と日本人の、主客融合性について、
とことん考えていければと思っています。
主客融合性を否定する考えも歓迎します。
それでは、どうぞよろしく。

2 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/30(土) 11:16:36 0
>>1
長文が苦手なんでなるべく短文でお願いしまつ

3 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/30(土) 23:51:46 0
長文の人って
本質的(根源的)な問題から話を逸らそうとしているように感じる時がある。

4 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 01:19:29 0
>>3 その典型↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/476
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/478-479
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/481-482

5 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 01:36:05 0
長文の人は文系、technical writingについて学ぶべし

6 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 14:47:19 0
>>516
>「第三者」という言葉は「主客分離的な意味」で使っているのですか、
>それとも「主客融合的な意味」で使っているのですか。
私の言う「第三者」とは、「三人称」に近い意味で、
「当面の聞き手以外の人物」を指しています。

先生→生徒「先生、この前、イタリアに行ってきたんだよ。」
(この場合の第三者とは、例えば、同僚の教員や校長等。)
先生→校長「わたくし、先だって、イタリアに行ってまいりまして…。」
(この場合の第三者とは、例えば生徒や仲のいい同僚。)

7 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 14:52:19 0
>>6
生徒同士で話している場合、
「先生が教えてくださった。」という表現では
「先生」は「第三者」になるんでしょうか…??

8 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 15:16:51 0
>>7
いまどきの生徒は、ふつう、先生が目の前にいないときは、先生に敬語を使う
ことはない(非常に少ない)と思いますが…。
それはさておき、その例の場合、
「先生」は「当面の聞き手以外の人物」ですから、「第三者」と考えます。

質問の趣旨まで<同時に>書いていただけると助かります。

9 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 15:25:15 0
>>8
「第三者」というより「身内」の意識のほうが強いように感じたので…。
日本語で言う「第三者」は「よそ者」というニュアンスがあるように感じます。

10 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 15:42:54 0
>>6は「第三者」を「主客分離的な意味」で使っているんだ。
日本では
「主客融合的な意味」(当事者=うちの者、第三者=よそ者)に
解釈されることが多いが。

11 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 22:24:17 0
「ムラ」というのは
「主客融合的な意味での第三者」(=よそ者)に対して
閉じているのではないか…?

12 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 22:46:40 0
「日本語には主語があるのか。」という議論においても、
「主客分離的な意味での『主語』」はないが
「主客融合的な意味での『主語』」はあることになるんじゃないだろうか。

13 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/01(日) 23:24:52 0
>>9,10,11
というか、第三者に対して閉じている人間集団を「ムラ」と言うのでは?

第三者に対して開かれている ⇒近代的集団(中根のヨコ社会・阿部の「社会」)
第三者に対して閉じられている⇒ムラ的集団(中根のタテ社会・阿部の「世間」)

「第三者」という言葉の意味に二種類あると理解するよりも、
「第三者」(←これはあくまで一つのもの)
に対するスタンスとして、上述のように二種類あると理解すべきでは。

そして、やや単純化して言えば、
第三者に対して開かれている集団は、
一定のルールにより統合され、その人間関係は主客分離的だし、
第三者に対して閉じられている集団は、
その内部ではずるずるべったりの主客融合的な人間関係になる。

14 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 01:02:59 0
>>13
前にも言ったが…、
欧米と日本では「物の見方(認知方法)」が違うように思う。
そのために、意味も違ってくるのではないだろうか。

人間関係に限らず、
日本人は主客融合的にものを見る傾向が強い。(=対象と一体化する傾向が強い)

15 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 01:41:37 0
>13
> 第三者に対して開かれている⇒開いている
>第三者に対して閉じられている⇒閉じている

無生物主語の受動態は翻訳調なのでこの板で使うべきにあらず。

16 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 01:43:23 0
われ、てまえ、

17 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 10:57:37 0
主客融合的な意味での「第三者」=「当事者」同士が一体化(主客融合)している
主客分離的な意味での「第三者」=「当事者」同士が一体化(主客融合)していない
(「当事者」と「第三者」は対の関係になっている)


18 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 13:23:29 0
元スレの504
>名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/29(金) 21:40:37 0
>【「自国の文化を知る」という表現について。】
>歴史や古典文学や伝統芸能を学ぶことだと思っている人もいれば、
>ムラ社会的な社会構造を明らかにすることだと思っている人もいる。
>同じ表現なのになんでこんなに意味が違うのか。
>「知る」という表現が多義的なんだろうか。

主客融合的な意味での「知る」=「対象と一体化すること」
主客分離的な意味での「知る」=「対象を客体化すること」

19 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 13:54:48 0
>>17の補足
「当事者」が存在するから「第三者」も存在する。
「当事者」の在り方によって「第三者」の在り方も変化する。

20 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 16:56:19 0
元スレの499と501

499 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/28(木) 20:33:22 0
>>497-498
「アイデンティティ(identity)」にもいろいろな意味があるようだ。
学術用語としては
「人が時や場面を超えて一個の人格として存在し、
自己を自己として確信する自我の統一を持っていること」という意味だが、
広義には
「国・民族・組織など、ある特定集団への帰属意識」などの意味でも用いられる。

501 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/06/28(木) 22:07:53 0
日本人は、
狭義のアイデンティティはあまり持っていないが
広義のアイデンティティは強く持っているように思う。


主客分離的な意味での「アイデンティティ」=「一個人としての自我意識」
主客融合的な意味での「アイデンティティ」=「ムラの人としての自我意識」

21 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/02(月) 21:29:40 0
戦争というのもムラ同士の戦いのような気がするし、
「文化だ。」「文明だ。」と絶対視しすぎるのはどうなんだろうか。

憲法9条(戦争放棄)を議論するのもいいが
憲法13条(個人の尊重)についても、もっと議論されてもいいように思う。

22 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 02:16:14 0
>>13
>>9-11

23 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 12:59:28 0
主客融合的な意味での「みんな」=「ムラ」のこと  ←閉じている
主客分離的な意味での「みんな」=「パブリック(public)」のこと  ←開いている

24 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 13:12:57 0
「公共の福祉(public welfare)」=「みんなの幸せ」

25 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 17:59:37 0
「教育再生」とか「地域再生」と言う時の「再生」という言葉も気になる。
「ムラ」を再生させるという意味なのか、
「社会」を作っていくという意味なのか、よくわからない。

26 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 18:32:47 0
>>25
「ムラ」の再生を志向している人が多いと思う。

27 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 19:07:15 0
時代の流れには逆行しているように思うけどね。

28 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/03(火) 19:19:00 0
ムラの再生を志向すると
「ああせい、こうせい」とますます口うるさく言うようになる。
ムラを守るための細かいルールをいろいろ作ったりして。

29 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/04(水) 16:07:33 0
「ムラ」と言うより「サロン」だと思う

30 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/05(木) 14:20:03 0
憲法20条(信教の自由)の3
 国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。


日本の公立学校では
「みんなで一緒に教」の宗教活動ばかりやっているように見える。
(塾にいかなければ勉強がわからないなんて、何のための学校なのか)

31 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/05(木) 14:37:40 0
関連スレ
「なんで正しい日本語ツカエッテいうの その2」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/

32 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/05(木) 16:39:39 0
入学式や卒業式は、「みんなで一緒に教」の「祭典」としての
側面を強く持っている。
だからこそ、その運営をめぐり大騒ぎになり、
死人が出たりもするのだ。

33 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/05(木) 17:57:01 0
運動会や合唱コンクールとかもクラス単位で「団結力」を競争してる。

34 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/06(金) 12:43:43 0
主客融合している人たちは、自分たちに都合のいいようにしか物を見ない。
「日本語は主観性の強い言語である」と言われているが、
ムラの外が見えていない、あるいは
ムラの外を見ようとしないという意味では確かにその通りだな、と思った。

35 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 14:11:07 0
主客融合説って結構説得力があると思う。

36 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 14:55:35 0
主客融合説って誰が言い始めたんですか?

37 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 17:57:44 0
>>36
西田幾多郎じゃないかなぁ

38 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 18:09:00 0
「主客融合説」とはっきりくくれるような形に収斂しているとは思えないが、
それと思しきことを言いはじめたのは、
西田幾多郎、和辻哲郎あたりじゃないか?
(詳しい人、問題あったら、訂正よろしく。)
それに続いて、森有正、土居健郎、木村敏。
また、中根千枝の「タテ社会」説、阿部謹也氏の「世間」論も、
日本人の「主客融合性」を問題にしたといっていいと思う。

最近では、英語学者の宇津木愛子氏が、この問題を取り上げているね。
(『日本語の中の「私」』創元社,2005)

39 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 19:04:15 0
>>525(なんで正しい日本語スレ)
>> 仮説にすぎないから無意味だと言うのは、学問的な態度とはいえない。
>仮説にすぎないから信じないとする自由を認めないのは、学問的な態度とはいえない。
信じないのは、もちろん君の自由だよ。

>冠詞と人称形容詞 (所有代名詞) が、名詞が現れるたびに聞き手の情報に
>配慮している。だから終助詞のようなもので調整する必要がない。
「聞き手の情報への配慮」と言っても、冠詞と終助詞は、
働くレベル(単語か、文か)も、意味の質(同定可能か、一致不一致か)も
異質だ。その異質性の現われとして、用法面での違いもいろいろある
(指摘済み)。
対応すると言うのなら、両者のこれらの違いがなぜ無視できるか、
説明してくれ。
また、代表的な終助詞と冠詞との対応関係も示してほしい。
(つづき)

40 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 19:31:39 0
(つづき)
>説明できるよ。普通名詞に起源を持つ固有名詞は、「例の○○」という意味で、定冠詞が要るのだ。
>はじめから固有名詞のものは、はじめから定なので、重ねて定冠詞は使わない。
じゃあ、「ザ・タイムズ」と「タイム」は?
「タイム」は「はじめから固有名詞」なのか?
高速道路は、ふつう冠詞がつき、一般道は付かないそうだが、
高速は「普通名詞由来」で、一般道は「はじめから固有名詞」なのか??
雑誌は、みんな「はじめから固有名詞」なのか?

君の提示する「ルール」は例外ありまくりだと思うが…。
例外は(ほとんど)ないと言うなら、いくつか例をあげ、
「誤解」を解いてくれないか。

>定冠詞の用法も、話者と聞き手の情報の外にはない。
これも日本語との間で興味深い違いがある。
人の名前には通常「定冠詞」は付かないが、有名人に言及する場合は、
「あのマイケルジャクソンにあったよ。」と言った気持ちで、定冠詞を
付けられるそうだ。
ところが、「あの山田が株で大儲けしたそうだぜ。」のような時には、
定冠詞は付けられない。
ここのところの日本語の「あの」、「例の」の用法と比べると、
定冠詞は、「話し手と聞き手の情報の外」で働く、超現場性を
持つと言えるだろう。
新聞と雑誌、高速道と一般道の対立も、それは社会的なものであって、
個人的・二者間的なものを超えたところに成り立つものだ。
「歯科医院」と「市民ホール」に定冠詞が付くのは、
昔は、地域に一軒しかないのがふつうだったからだそうな。
これまた日本語の「例の」や「あの」に見られる、
「その当事者にとってはどうなのか」によって使用・不使用が決まるのと、
大きく異なるわけだ。
「あの歯医者」、「例の歯医者」の「あの」、「例の」の用法との違いを
考えられたし。

41 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 21:09:41 0
英語と日本語しか知らないで、英語と日本語だけを比較して
「日本語は特殊だ、曖昧だ、主客融合的だ」だとか言ってるように
見えるレスがいっぱいある。
誰か、日本語と英語との他に中国語とか韓国語とかアイスランド語とか
アラビア語とかフィンランド語とかスワヒリ語とかトルコ語とか
ベトナム語とかインドネシア語とかバスク語とかエスキモー語とかと
比較して考察できる人はいないのかな。
特に印欧語族以外との比較はあまり見ないから見てみたいな。

42 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 23:28:01 0
>>41
グローバル化の問題があるから
英語と日本語の違いは避けて通れないんだよ。

43 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/07(土) 23:30:57 0
元スレで、敬語について、韓国語、タイ語との対照はあったぞ。
ちなみにここでの発言は、英語等の他に、中国語、韓国語、タイ語等は
意識しつつ、するようにしている。
韓国語はなかでも日本語に近いと言えると思うが、
その韓国語と比べても、日本語の主客融合性は強いのではと考えている。
(敬語のあり方、授受表現の違い等。)

44 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 02:32:45 0
>>39
> 信じないのは、もちろん君の自由だよ。
言語が思考に影響を与えるという確例はない。

> 対応すると言うのなら、両者のこれらの違いがなぜ無視できるか、
> 説明してくれ。
対応するとも違いが無視できるとも言っていない。
冠詞や人称形容詞による方法 (多くの現代印欧系諸語) の方が、終助詞類による方法 (日本語・朝鮮語・中国語等) よりも、緻密で体系的な聞き手情報配慮を行なっていると言っているのだ。

>>40
> じゃあ、「ザ・タイムズ」と「タイム」は?
> 「タイム」は「はじめから固有名詞」なのか?
そのとおり。「時間 (time)」は常識的にはこの世に 1 つしかなく、それについて話すときは、聞き手もそれを知っていることを前提としている。
他方、「諸時代 (times)」にはいろいろある。「君も知ってる諸時代 (the times)」で、はじめて固有名詞となりうる。

> ここのところの日本語の「あの」、「例の」の用法と比べると、
> 定冠詞は、「話し手と聞き手の情報の外」で働く、超現場性を
> 持つと言えるだろう。
そんなものもってない。日本語の「あの」「例の」は任意の形式だが、英語の定冠詞は義務的な形式だから、用法に違うところがあるのは当たり前の話。
「あの」「例の」は、単なる「定」の標示ではなく、「言語情報として話題に出たことがある」という意味を含む。
The Michael Jackson は、「君も知ってるマイケル・ジャクソン」で、同名の別人じゃないよということだろう。話題に出たかどうかは関係ない。
同名の別人が思い当たらない、話者と聞き手の共通の知人を、*the Yamada などと呼ぶのはおかしいだろう。

> 「歯科医院」と「市民ホール」に定冠詞が付くのは、
> 昔は、地域に一軒しかないのがふつうだったからだそうな。
「君も知ってる歯科医院/市民ホール」の意。
定冠詞の用法は、すべて話者と聞き手の情報によって決まる。

45 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 03:16:50 0
>>38 西田幾多郎だよ。
> http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/422

>  普通の知覚が単に受動的と考えられているように、知的直観もまた単に受動的観照の状態と考えられている。
> しかし真の知的直観とは純粋経験における統一作用其者である、生命の捕捉である、即ち技術の骨(こつ)の如き者、一層深くいえば美術の精神の如き者がそれである。
> たとえば画家の興来り筆自ら動くように複雑なる作用の背後に統一的或者が働いている。その変化は無意識の変化ではない、一つの物の発展完成である。
> この一物の会得が知的直観であって、而もかかる直覚は独り高尚なる芸術の場合のみではなく、すべて我々の熟練せる行動においても見る所の極めて普通の現象である。
> 普通の心理学は単に習慣であるとか、有機的作用であるとかいうであろうが、純粋経験説の立場より見れば、こは実に主客合一、知意融合の状態である。
> 物我相忘(ぼう)じ、物が我を動かすのでもなく、我が物を動かすのでもない、ただ一の世界、一の光景あるのみである。
> 知的直観といえば主観的作用のように聞えるのであるが、その実は主客を超越した状態である、主客の対立はむしろこの統一に由りて成立するといってよい、芸術の神来の如きものは皆この境に達するのである。
> また知的直観とは事実を離れたる抽象的一般性の直覚をいうのではない。画の精神は描かれたる個々の事物と異なれどもまたこれを離れてあるのではない。
> かつていったように、真の一般と個性とは相反する者でない、個性的限定に由りてかえって真の一般を現わすことができる、芸術家の精巧なる一刀一筆は全体の真意を現わすがためである。

「日本人」という限定はどこにもないだろ w

46 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 15:05:57 0
>>45
ええ。
西田本人は、日本とのかかわりについては言及していないようですね。
本人が明言したということであれば、西田も高く評価していた和辻哲郎でしょうか。(>>38

>>38に追加ですが、
ルース・ベネディクトの『菊と刀』で言われている、
西洋:罪の文化
日本:恥の文化
という指摘も、日本人の「主客融合性」を問題にしたものに入れられますね。

47 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 19:00:30 0
>>45
前近代的な言語は「主客融合」がデフォなんじゃないかなぁ。
英語も昔は主語(主格)がなかったそうだし。

48 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 23:27:59 0
>>47
ただ、
日本語は主客融合の「程度」が群を抜いている。

49 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/08(日) 23:43:24 0
> じゃあ、「ザ・タイムズ」と「タイム」は?
> 「タイム」は「はじめから固有名詞」なのか?
>そのとおり。「時間 (time)」は常識的にはこの世に 1 つしかなく、それについて話すときは、聞き手もそれを知っていることを前提としている。
君の言う「固有名詞」って、いわゆる「固有名詞」と別物じゃん?

>「あの」「例の」は、単なる「定」の標示ではなく、「言語情報として話題に出た
>ことがある」という意味を含む。
「単なる「定」」と言うが、「定」とはなんぞや。
「あの」「例の」は、「言語情報として話題に出たことがある」という意味を含む
とのことであるが、「言語情報として話題に出たことがある」って、どういう意味?
「あの」「例の」は、言語情報として話題に出ていようがいまいが、
話し手−聞き手間において分かっていることなら(同定可能なら)使えるよ。
「例の/あの件なんだけど…」といった例において、その件が言語情報として話題に
出ていないことなど、いくらでもあるだろ。

50 :49:2007/07/09(月) 00:00:13 0
すまぬ。>>49は、>>44へのレスね。
ついでに。
>冠詞や人称形容詞による方法 (多くの現代印欧系諸語) の方が、終助詞類による
>方法 (日本語・朝鮮語・中国語等) よりも、緻密で体系的な聞き手情報配慮を行な
>っていると言っているのだ。
「緻密で体系的な聞き手情報配慮」とは初耳。
終助詞と比べ、緻密で体系的という根拠は?

おそらくそれを説明しようとすると、
終助詞に認められる「話し手−聞き手」間の内閉性・現場性、
冠詞における公共性・超現場性というところに触れざるを得なくなるのでは・・。

51 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 00:24:13 0
>>49
> 君の言う「固有名詞」って、いわゆる「固有名詞」と別物じゃん?
いわゆる「固有名詞」って何?

> 「単なる「定」」と言うが、「定」とはなんぞや。
http://www.sil.org/linguistics/glossaryoflinguisticterms/WhatIsDefiniteness.htm

> 「あの」「例の」は、言語情報として話題に出ていようがいまいが、
> 話し手−聞き手間において分かっていることなら(同定可能なら)使えるよ。
「君が手に持ってる {*あの/*例の/その/φ} 本 (the book you're holding in your hand) は、ぼくが書いたんだよ」
チャンチャン。

> 「例の/あの件なんだけど…」といった例において、その件が言語情報として話題に
> 出ていないことなど、いくらでもあるだろ。
ない。話者の思い込みとか、聞き手が忘れてしまったとかいうのはあるだろうが。
「何の話?」ときき返して、確認したうえで対話が進む。

52 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 00:28:41 0
>>50
> 終助詞と比べ、緻密で体系的という根拠は?
終助詞の体系はなかなか記述できない。規則が書けたら大業績だろう。

> 冠詞における公共性・超現場性
そんなものはないんだよ。

53 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 00:55:54 0
「程度」に注目しなければなんでもかんでも「みんな一緒」になってしまう。

54 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 01:10:49 O
一例http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%BA%AD%E5%9C%92

55 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 02:11:17 0
>>53 http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1180666016/521

56 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 02:33:18 0
>>46
> 西田本人は、日本とのかかわりについては言及していないようですね。
言及していなければ、スレ違いというやつだろう w

> 本人が明言したということであれば、西田も高く評価していた和辻哲郎でしょうか。
和辻は、「主」 = 人間と、「客」 = 自然との「合一」を「風土」ととらえたが、「風土」は世界中にあると考えていた。
やはり日本人に限定していない。

どうも、「日本人 = 主客融合」説は、まがいものっぽいな。

57 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 12:09:15 0
>>56
>スレ違い
は?

>和辻
和辻が日本の「風土」について言及しているとこ読んでるか??
また、その他の著作での日本人の対人間関係、対自然関係について
の発言、押さえた上で言ってる?

58 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 13:10:58 0
>>56
 >>47,>>48,>>53参照

59 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 21:41:30 0
>>57
> は?
「日本語と日本人の」

> 和辻が日本の「風土」について言及しているとこ読んでるか??
> また、その他の著作での日本人の対人間関係、対自然関係について
> の発言、押さえた上で言ってる?
彼は日本だけが「主客融合」だとは決して言ってないな。
人間と自然との関係はすべて「風土」すなわち「主客合一」なのだ。日本人もヨーロッパ人も中国人もみんな「主客合一」。自然から影響を受けない人間はいない。
西田幾多郎の「純粋経験 = 主客合一」をふまえているのだから当然だろう。自然に対して挑戦的、敵対的、征服的な態度をとったとしても、それはそれで「主客合一」だ。
和辻は確かに日本人の特徴と見られるものを指摘しているが、それを「主客融合」と呼ぶのは何かの誤解だろう。

60 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 21:58:42 0
>>59
>日本人もヨーロッパ人も中国人もみんな「主客合一」

「程度」を聞いてるんだよ。。


61 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 22:13:01 0
>>60 「主客合一」のあり方がいろいろなだけで、「程度」はすべて同じ、というより「程度」が問題にならない。
「純粋経験」に個人差はないんじゃないのか。私は西田哲学を深くは知らないが。

62 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 23:10:37 0
>>59
>それを「主客融合」と呼ぶのは何かの誤解だろう。
いや、それは君の何かの誤解だろう。

63 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 23:12:32 0
>>61は言語の論理性を否定してるのか??

64 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/09(月) 23:45:34 0
>>62
> いや、それは君の何かの誤解だろう。
なら和辻を引用してみ。

>>63
> >>61は言語の論理性を否定してるのか??
全く意味不明。

65 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 00:10:06 0
>>64
主体と客体が分離していないと論理的に把握できないように思うのだが。

66 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 02:14:34 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E9%9A%9C%E5%AE%B3

67 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 02:26:49 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E6%96%87%E6%B3%95

68 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 02:30:35 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E6%96%87%E4%B8%80%E8%87%B4

69 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 02:40:00 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%81%E3%83%A7%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC

70 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 02:45:36 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87

71 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 03:09:21 0
>>65 人間 (日本人に限らない) の認識は論理とは関係ないとするのが、西田や和辻の立場だろう。

72 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 12:35:01 0
主客分離性⇔主客融合性
(論理性)    (感覚性)

73 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 12:55:21 0
>>71
君の言う「論理」ってなに。

74 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 13:13:32 0
>>73
理性の法則つまり普遍文法

75 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 13:26:17 0
西田や和辻は文法については語ってないんじゃ…

76 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 13:32:30 0
>>71
西田や和辻のことはよく知らんが
論理的な認知と感覚的な認知があるように思う。(>>72

77 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 14:44:14 0
>>74
ますます分からんがね。

78 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 15:07:56 0
>>77
日本語には論理的な文法がないってことだよ。

79 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 17:15:06 O
>>73
純粋なる形式的理解力は論理学のいわゆる思想の三法則という如き、単に形
式的理解の法則を与うることはできるが、何らの内容を与うることはできぬ。
論者は好んで例を幾何学に取るが、幾何学においても、その公理なる者は単
に形式的理解力に由りて、明になったのではなく、空間の性質より来るので
ある。幾何学の演繹的推理は空間の性質についての根本的直覚に、論理法を
応用したものである。
(善の研究)

80 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 19:08:12 0
あーもうこの板って本当に馬鹿ばっかりwww
日本の学校は何の言語でやっているのかわかってるのかな?www
釣りにしても>>78って頭おかしいんじゃね?w

81 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 19:25:25 0
>>80
草はえてるわりには頭かたすぎ。

82 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 21:53:17 0
>>80
文法がない、ではなく、文法性が弱い。
文法がない、ではなく、論理的な文法がない、
と言っている。
森有正という哲学者が今から約40年前に主張し、
世間の顰蹙を買った主張。

83 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 22:14:53 0
論理的な文法とはなにか。
論理的の意味がわかって使っているのか。
そうではあるまい。
自分の意見を正当化するシンボルとして使っているだけの擬声語。
形式論理学を勉強してから家。

84 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 22:20:00 0
はいはい西洋語の文法こそ論理的論理的

85 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:03:54 O
ヘブライ語では主語は動詞に抱合されてる事実

86 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:04:04 0
はいはい、ボクちんの日本語も論理的論理的。

87 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:08:22 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E4%B8%8B%E6%96%87%E6%B3%95

88 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:12:51 0
>>82
「文法性が弱い」と「論理的な文法がない」は区別したほうがいいのでは?


89 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:17:14 0
>>88
どう区別した方がいいのだ?

90 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:20:04 0
>>89
「文法」という言葉の定義が曖昧だと思う。

91 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/10(火) 23:28:22 0
>>89
「程度」の問題なのか、「有無」の問題なのか。

92 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 00:31:10 0
論理的な文法性はない、と言った方がいいんじゃないかなぁ。
感覚的(イメージ的)な文法性はあるように思うけど。

93 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 00:41:42 0
論理的な文法、とやらが西洋語にあるというのは
どの辺りをみて言ってるんだろうか。

94 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 01:08:14 0
「論理的な文法が西洋語にある」と
何番の発言が言ってますか、教えてたもれ

95 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 01:35:14 0
>>58

>>47-48 >>53参照

96 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 07:53:33 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E

97 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 11:01:13 0
>>93
少なくとも欧米の言語は論理性(主客分離性)を志向している。

98 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 11:04:21 0
で、日本語は感覚性(主客融合性)を志向している。

99 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 11:13:13 0
なんと単純で紋切り型の分類だろう

100 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 11:21:10 0
藤原正彦『国家の品格』より

今の日本に必要なのは、
論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、
「国家の品格」を取り戻すことである。

101 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/11(水) 11:24:37 0
>>99
こんな単純で紋切型の本が売れてるなんてね。(>>100

102 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/12(木) 12:31:04 0
日本人(日本語)の特質=主客融合を強く志向しているところ

103 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/12(木) 12:48:50 0
だから、どういうところが?

104 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/12(木) 14:39:15 0
たとえば、
>>100の本が売れているようなところ

105 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/12(木) 23:47:22 0
>>100みたいな本は、対談やインタビューを文字に起こしたものだよ。
最近、多いらしいです。『バカの壁』もそうです。

106 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 14:01:34 0
『国家の品格』は「近代」を全否定していて、あまりに非現実的だ。

107 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 17:38:35 0
著者が馬鹿だから。まともな論文がたった一つしかないにもかかわらず
数学者なんて偉そうに言うなよ。

108 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 20:45:17 0
ムラ社会のいいところだけを見てきた人なんだろうなぁ…とは思う。

109 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 22:06:47 0
>>106-108
落語を聴く感じで読むのがコツだそうですよ

110 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 22:57:40 0
な〜んも考えずに読めってことかw

111 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/13(金) 23:10:40 0
>>109
そんなコツを身につけてなんかいいことあるんかいな。

112 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/14(土) 11:05:19 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%8C%AF%E8%A6%9A

113 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/14(土) 12:13:52 0
>>111
少なくとも研究者には向かないだろうね。

114 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 08:29:42 0
>>41
>英語と日本語しか知らないで、英語と日本語だけを比較して
>「日本語は特殊だ、曖昧だ、主客融合的だ」だとか言ってるように
>見えるレスがいっぱいある。

英語と日本語には,
一人称複数のうち,聞き手を含む場合と含まない場合を区別しないという共通点がある
英語の"we"も日本語の「私たち」も
その中に"you"や『あなた』を含むかどうかは文脈でしか区別ができない

1.We are Japanese.
2.私たちは日本人です.
1も2も日本人の聞き手に対していう時は聞き手を含むし,
日本人以外の聞き手に対していう時は聞き手を含まない
これは日本語と英語に共通する曖昧性だと思う

その点,オーストロネシア語系の言語,例えばマレー語では,
両者は"kami"(聞き手を含まない私たち)と"kita"(聞き手を含む私たち)で区別できる
("kita"で二人称単数(の敬称)を示す方言はあるけれど)

3.Kami orang melayu.
4.Kita orang melayu.
3はマレー人が非マレー人に対して言う文で,
4はマレー人がマレー人に対して言う文だ

115 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 10:54:08 0
二人称単数と二人称複数を区別できない言語ってなんなの?

116 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 13:21:18 0
そんな細かいことより
とりあえず、日本語と英語の意味の違いをなんとかしてほしい。
(公共、共生、コミュニケーション、ボランティア……)

117 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 14:14:11 0
どうみてもそっちが細かいwwww

118 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 14:54:43 0
>>117
はぁ??
脳天気でうらやましいよw


119 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/15(日) 17:26:54 0
これ以上、自分の国にひきこもっている訳にはいかないと思うよ。

120 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 02:37:25 O
>>115 仏語では単数主格でtu、複数でvousであるが目上に対してや公式には単数はvousを援用する。つまり特定個人の相手を複数化してぼやかす事で敬意表現となる。英国はこちらを採用。何も知らないjap

121 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 04:18:12 0
>>115
スペイン語もだね


122 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 07:23:40 0
>>120
しかしthouをほとんど滅ぼしてしまったのはいかがなものか

123 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 14:08:54 0
「主客融合的な認知」のことを
「純粋経験」と言ったり「心像(image)」と言ったり「クオリア」と言ったり
しているんじゃないだろうか。

124 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 21:21:43 0
123番さん、正解!

125 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/16(月) 21:33:24 0
>>122
必要ないからだよ。
南米のどこかのスペイン語もそうだと聞く。
困らないしね。
いまや、thouは「汝」という意味だよ。
必要ないからそうなるね。

126 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/17(火) 12:29:23 0
「脳科学」ってなんか胡散臭くない?

127 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/17(火) 23:48:09 0
「主客融合説」をトンデモ学説と言っていた人は
「クオリア」については何と言うんだろうね。
「言語学と脳科学は違うんだ。」とでも言うんだろうか。

128 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 00:16:59 0
>>122
こまらないじゃん

129 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 00:36:31 0
>>127 もちろん違う。言語学は自律的な体系であって、他から侵されない。
ついでに言っておくと、西田幾多郎は「主客融合的な認知」を「純粋経験」と呼んだのではない。
あらゆる人間の認識の基礎は、主客融合的な「純粋経験」だと言ったのだ。

130 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 00:45:34 0
つうか、世界の言語には決して珍しくない、いわゆる能格言語と比べたら、
日本語は英語と『同様に』、よほど明確な「主格分離型言語」と言えるだろうに。
日本語は潜在的に能格言語だと宣う恐るべき電波説もあるが、
日本人にとって、英語などの目的語(対格)の習得は比較的容易であるのに
能格言語の能格は、それ自体母語に馴染みの全く無い完全に意味不明の概念で、
その習得はとてつもなく困難であることを考えれば
日本語と能格は全く無縁であることが明白だ。

印欧諸語と比べて日本語に欠けているのは、
「主語が支配する動詞の定型」という、文法上の形だけ。
これだって、北欧のゲルマン語ではすでに形を失っているし、
英語においても微かな痕跡(直説法3人称単数現在だけ)程度になっている。
英語でも、"Authorization Required"のような表現は、現実には普通のことだからな。

>>127
クオリアに何か日本語主格融合言語説の決め手とやらがあるとでも??w

131 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 01:47:46 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%A3%AE%E8%8D%98%E8%94%B5

132 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 10:22:35 0
>>129
あらゆる人間の認識の基礎は、「主客融合的な認知」だと思っていますが。
近代になって「主客分離的な認知」もできるようになり
科学が発達したんじゃないでしょうか。

133 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 10:40:40 0
>>130
敬意や授受を表す配慮表現は不自然なほどに多いですが。

134 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 11:43:40 O
>>132 認識そのものは古今東西、変わらないとするのが哲学。

135 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 13:35:48 0
>>134はほんとに規範中だなw

136 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 13:41:57 0
>>134
「認識」というと主客分離的なイメージが強くなるから
「認知」と言ってるんじゃないのか。

137 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 15:30:17 O
>>135 独りよがりを批判されると相手を「規範中」呼ばわりか。便利な言葉だな w

>>136 「認知」とは主に、実験で確かめられるような心のはたらきを指す。哲学ではあまり使わない。
「日本人主客融合論」は、「主客融合」についての誤解のうえに成り立っている。

138 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 19:44:43 0
>>137
繰り返しになるが
日本語と英語の意味の違いはどう説明してくれるんだ?

139 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 23:06:11 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E8%A6%B3%E7%A2%BA%E7%8E%87 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E8%AB%96%E4%BA%89http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AE%E9%81%8D%E6%80%A7

140 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/18(水) 23:40:29 0
>>138 借用語の意味が元の言語から変わることはよくある。いちいち説明しない。

141 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 01:51:44 0
>>133
茨城弁は日本語じゃないのかね??
(茨城弁は無敬語方言であり、接受表現のバリエーションも英語未満)


日本語においても、待遇表現や接受表現の発達は、
社会の発達に応じて複雑化した二次的なものであって、
言語自身に内在する根源的なものではない。
そのような社会の発達が見られなかった地方の方言においては、
茨城のように敬語法はほとんど発達していない。
日本語においても、基本文法に組み込まれた
「文法的」な敬語表現は「れる、られる(る、らる)」だけであり、
これは、文法史的には自発というムード(法)の転用に過ぎない。
印欧語において、接続法が待遇表現に転用されているのと殆ど変わらない。

142 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 11:32:39 0
>>140
話が通じない、議論が成り立たない、というのでは言語の役割を果たしていない。
ここは程度を問題にしている。


143 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 11:52:46 0
>>141
茨城弁は
あうんの呼吸だけでやってこれたってことだろうか…。

あと
基本文法って西洋の文法をそのままあてはめただけだよね。
「だけであり、」「に過ぎない。」「殆ど変わらない。」と言われても
かなり違和感があるなぁ。
だったら、日本中、茨城弁にしたら楽だろうね。

144 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 12:43:36 0
>>141の主張は
敬語や授受表現を英語並みに減らしてもいいんじゃないか、ということになるのでは。


145 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 15:20:52 0
>>141,>>144
>敬語や授受表現を英語並みに減らしてもいいんじゃないか、ということになるのでは。
いざそういうことをやろうとしたら、どれほど大変か
(と言うより不可能だろう)を考えたら、
「だけ」とか「に過ぎない」とか「殆ど変わらない」
などとは、とてもいえないと思う。

>日本語においても、基本文法に組み込まれた
>「文法的」な敬語表現は「れる、られる(る、らる)」だけであり、
「お〜する」、「お〜になる」、「おっしゃる」・「申し上げる」
などの特別な形などの専用形式は、「文法的」ではないのか?

146 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 15:23:32 0
>>140
一般論としてはそうかもしれないが、
その量と質は、日本人の主客融合性の強さを考える上で、
無視しがたいと思う。

147 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 15:45:34 0
>>142 日本語を使うためには日本語の、英語を使うためには英語のレッスンが、それぞれ必要というだけの話。

148 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 17:07:52 0
>>147
「だけ」の使い方が変わってるね

149 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 21:33:07 0
>>141
>日本語においても、待遇表現や接受表現の発達は、
>社会の発達に応じて複雑化した二次的なものであって、
>言語自身に内在する根源的なものではない。

京都弁は複雑らしいね。

150 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 21:34:46 0
>>129
>ついでに言っておくと、西田幾多郎は「主客融合的な認知」を「純粋経験」
>と呼んだのではない。
>あらゆる人間の認識の基礎は、主客融合的な「純粋経験」だと言ったのだ。
確かに、西田の「純粋経験」は、日本人に固有のものとして提示されたもので
はないが、それを「日本的なもの」と位置づけることを西田の哲学は拒否して
いないのでは。
西田哲学の解説書では、雪国の冒頭文や、「鐘の音が聞こえる」等の日本語を
「純粋経験」を説明するのに用いているよ。(上田閑照、永井均など)

「純粋経験」は、人間に共通のものだとしても、そのような側面を日本人と
日本語はより濃い形で持つ、と。
このような解釈はこれまでにもなされていると思うが、君は否定するのかな?

151 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 21:38:03 0
はっきり言って、これだけ多数の語彙を英語から導入していれば、そりゃ意味がずれたり
間違った意味で受け取られてしまうこともあるだろう。しかしそれが日本人の「主客融合」の
強さを表しているとかいうと、もう「主客融合」教の信者にしか見えない。
「主客融合」とやらで何もかも説明しようとするのはいい加減止めようぜ。
せめて一般的な言語学の常識ぐらい身に付けてから説を唱えて欲しいもんだ。

例えば日本語は奈良時代から平安時代に、大量の語彙を中国語から借用した。
その中には意味が変わってしまったり間違った意味で受け取られてしまったものもある。
それと英語の例とはそんなに本質的な違いがあるとは思えないし、程度にしたって
別にそんなに大きな違いがあるとは思えない。自分が気になる少数の語彙を問題にして
やたらと大げさに騒ぎ立てているようにしか見えない。「話が通じない、議論が成り立たない」
とかいうのは元の英語の意味を気にするからそうなるのであって、日本語の体系の中では
ちゃんと話が通じる。そんなことを気にするなら、「中国語で手紙=トイレットペーパー」の例でも
挙げて日本語を糾弾することも可能だな。

>>133にしたって、>>130と何の関係があるのかよく分からない。
そもそも現在東京で話されている言葉自体、江戸時代に上方(京都・大阪)の言葉の影響を受けて
敬語表現が発達したが、江戸時代前期までに江戸で話されていた言葉は、
現在の茨城弁などと同じように敬語体系がかなり未発達だった。言葉の男女差もほとんどなかった。
日本語の歴史を辿ってみると、敬語の体系なんてのは数百年程度で大きく変わってしまうもので、
方言によって発達の度合いも大きく違う。畿内とその影響を強く受けた東京の言葉以外は大して発達していない。
敬語体系は、都があった地方で文化的な要請を受けて発達したもので、そんなに本質的なものとは思えない。

152 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 21:51:59 0
>>151
>日本語の歴史を辿ってみると、敬語の体系なんてのは数百年程度で大きく変わってしまうもので、
>方言によって発達の度合いも大きく違う。畿内とその影響を強く受けた東京の言葉以外は大して発達していない。
>敬語体系は、都があった地方で文化的な要請を受けて発達したもので、そんなに本質的なものとは思えない。
古典文学を見る限り、日本には、現代の標準語の敬語と同様のものが一貫して
存在したことが分かる。
また、現在、「敬語」、「終助詞」、「授受表現」、「相対的人称表現」等を
用いずに会話をすることは不可能に近いと思われるが、
この「事実」をよく考えるべきだと思う。
で、↑の言語事実を考える場合に、「一般的な言語学の常識」はほとんど
何も役に立たない。
言語学が対象としてきた言語には、↑のような表現要素は存在しないからだ。

153 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 22:23:03 0
>>143
無敬語地帯の場合、あうんの呼吸なんじゃなくて、
伝えたい内容を、簡潔明瞭に伝えているだけだよ。
相手が社長だろうが、取引先だろうが、市長だろうが、
「おまえ」呼ばわりに、裸の動詞命令形で話しても、
それを全く失礼だと思わない方言文化を持つ地域では、これで十分。
「お召し上がりくださいませ」ではなく「食え」となる。それで誰も気分を害さない。

日本語の敬語法は地域ごとにバリエーションが豊富で、
「ですます語万能」に近い現代の東京方言とは対照的な別の例として、
尊敬語や謙譲語はあっても丁寧語に欠く、愛知県の方言のような例もある。
これは茨城弁よりは全国のヤシに比較的分かりやすいので、実例を挙げる。(愛知県三河地方)

市民「ほい、年金の話がしたいだけどが、どこに行きゃあええだかね?」
職員「年金の話は、ここじゃあやっとらんもんで、出口を出て右へ曲がったところに、
    社会保険事務所があるもんで、そこに行っとくれん。窓口は鈴木さんがやっとると思うで、
    あんた顔見知りだら。さきに電話してみいか?」
市民「鈴木さんかん。ほんなら儂ゃあすぐ分かるで、いまから行くわ。」

まったく丁寧語が無いが、これでも市役所の業務として何の問題も無い。
極端な辺境などではなく、世界有数の先進工業地帯のれっきとした日本語だ。
敬語法のような後世に地域に応じて発展しただけの二次的問題から、
「そもそも日本語という言語は主客融合言語である」などという
大上段に振りかぶった哲学的命題など、何も導けないことがよく分かる。

154 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 22:46:06 0
三河は吾妻ぢゃぞえ、おぬし。
尾張以西が西日本なのぢゃよ。

155 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 22:46:14 0
>>151-153
繰り返しになって恐縮ですが…、
憲法論議における「個人の尊重」や「公共の福祉」については
どう思いますか?
「公共=家族」という解釈についてはどうですか?


156 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 22:54:41 0
>>153
「あうんの呼吸」というより「お互い様の精神」と言う方がよかったかな。

157 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:05:40 0
敬語や授受表現は
日本の文化(ムラの文化)の一つの表れだと思う。(全てではないが)

158 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:07:58 0
>>152
ヒント「王朝首都の特殊な宮廷言語」

159 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:09:17 0
敬語がなくても不自由しないのならやめてしまえばいいのに

160 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:16:19 0
>>159
授受表現もね。見返りを期待する人間関係ってどうなのかな。

161 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:22:16 0
>>150
> それを「日本的なもの」と位置づけることを西田の哲学は拒否して
> いないのでは。
絶対に拒否している。西田は、西洋のものまねでない、日本発の普遍を目指したのだ。
(そのあたりが国粋右翼に愛される理由でもある)

> このような解釈はこれまでにもなされていると思うが、君は否定するのかな?
完全否定。

162 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:26:59 0
クオリアは人によって違うんだよなw

163 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:38:31 0
>>161
>絶対に拒否している。
>西田は、西洋のものまねでない、日本発の普遍を目指したのだ。
そう言う根拠は?

ちなみに、「純粋経験」を日本人と日本語に[のみ]認められるものと
言っているわけではないので、誤解のないように。

永井均氏の近著の西田哲学の解説本を読んでみたが、
日本語のあり方と西田哲学の親縁性の指摘(と自分には読めた)は
大変面白かった。

164 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:41:55 0
>>151
>自分が気になる少数の語彙を問題にして
>やたらと大げさに騒ぎ立てているようにしか見えない。

憲法は大事ですよ。。

165 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/19(木) 23:52:49 0
>>153
>「そもそも日本語という言語は主客融合言語である」などという
>大上段に振りかぶった哲学的命題など、何も導けないことがよく分かる。

簡単にいうと「なぁなぁまぁまぁ言語」ということです。


166 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 00:20:14 0
>>153の無敬語は家族同士では敬語を使わないのと同じなのでは。
それだけなれ合っているという。

167 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 00:25:42 0
開かれた無敬語ではなくて閉じた無敬語

168 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 00:48:21 0
>>163
> そう言う根拠は?
西田自身の言葉。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000182/files/3217_16430.html

169 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 01:16:46 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E%E3%81%AE%E4%B9%B1%E3%82%8Chttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%95%AC%E8%AA%9E

170 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 01:31:33 0
>>166
「なれあい」と言うのは、おまえさんのような他方言話者が
自分の母方言規範を勝手に当てはめているだけだよ。
英語にはtuとvousの区別が無く、全部youで通すわけだが、
だからと言ってフランス人が、
「英米人はvousとtuの使い分けが無く、馴れ合っている」
とは言うことがおかしいことはすぐ分かる。
あるいは、youはむしろvousに近い沿革を持つから、
「英米人は、vous相当の代名詞しか使わず水くさい」
と言うのもやはりおかしい。
だが、確かにフランス語では、
tuばかり使うヤシは馴れ合うばかりのヤシと看做されるし、
vousばかり使うヤシはひどく水くさいと言われる。

>>166は全く同じことを言っているんだよ。

171 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 13:00:05 O
1と2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E4%BD%93%E3%81%A8%E5%AE%A2%E4%BD%93

172 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 13:02:29 0
>>153
役場での会話例、興味深く読みました。
質問なのですが、
よそ者(転入者)が、いきなりそのような無敬語的な言い方をしても
許されるものなのでしょうか?
そこが、ほんとうに欧米語的な無敬語なのか、
無敬語のように見えて、実は<仲間うちの「タメ語」>にすぎないのかの
分かれ目と言えるような気がするのですが…。

173 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 14:34:36 0
>>152
例えば奈良時代の奈良の言語では確かに既にかなり尊敬語や謙譲語などが発達しているが、
この時代の敬語は「絶対敬語」と呼べるもので、天皇が自分に尊敬語を使っていたりする。
具体的にどういう敬語を使うかもかなり変わっている。「お〜する」なんてのは奈良時代には無かったし、
平安時代に散々多用された二重敬語が、現在では文法的誤りと糾弾されたりする。
「〜です」「〜ます」ができたのは江戸時代後期だし、一般に広がったのは明治になってからだ。
そして何より、ほとんど無敬語の状態から、上方語の影響を受けてたった200年程度で
複雑な敬語体系を持ち男女差が激しい言語(方言)に変貌した江戸語の例がある。

それにしても、「言語学が対象としてきた言語には、↑のような表現要素は存在しないからだ。 」とはひどいな。
日本語や朝鮮語を、言語学は対象として来なかったって?
よっぽど近代西洋・近代西洋人・近代西洋社会・近代西洋語とのみ比較した
日本・日本人・日本社会・日本語特殊論が好きらしいな。
そういうことを主張する本をたくさん読んで感動してみんなを啓蒙したいとか思ってるのかもしれないけど、
君には世界の様々な国や民族や社会や言語を普遍的に見るという視点が欠如しているよ。
>>155
それと言語学と何の関係があるの?何が言いたいの君は?
>>159
社会的に必要だとされたから発達したんだよ。奈良や京都、江戸で敬語が発達したのはそういうことだ。

174 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 16:33:11 0
>>173
>それと言語学と何の関係があるの?何が言いたいの君は?

「言語学」の定義が違うのかもしれないね。

175 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 16:37:55 0
>>173
>>159
社会的に必要だとされたから発達したんだよ。奈良や京都、江戸で敬語が発達したのはそういうことだ


米作りを離れたために言葉によってムラをつくる必要があったのかもしれないね。(?)


176 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 16:40:53 0
>>165
「日本語と日本人の、主客融合性について」

「日本語と日本人の、なぁなぁまぁまぁ性について」

177 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 16:44:23 0
「主客融合性」を否定する人は「なぁなぁまぁまぁ性」も否定するんだろうか。

178 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 17:14:29 0
「なあなあまあまあ」ってオノマトペ?

179 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 17:38:15 0
日本語や外国語の知識がたくさんある人ってなんだかね…

180 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 19:12:13 0
>>173-174
「公共=家族」とまちがって解釈されているのに言語学とは関係ないのかw

181 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 20:07:06 0
>>176
「日本語と日本人の、持ちつ持たれつ性について」とも言えるな

182 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 21:54:00 0
>>168
読ませてもらったが、
>確かに、西田の「純粋経験」は、日本人に固有のものとして提示されたもので
>はないが、それを「日本的なもの」と位置づけることを西田の哲学は拒否して
>いないのでは。(>>150)
という当方の考えに抵触するところは見当たらないのだが。
君の主張の根拠になるところを示してくれないか?

むしろ、紹介してくれた文章の最終部分にある次の箇所など、当方の理解
にとって好都合なのだが。
 八紘爲宇の世界的世界形成の原理は内に於て君臣一體、萬民翼贊の原理である。
 我國體を家族的國家と云つても、單に家族主義的と考へてはならない。
 何處までも内なるものが外であり、外なるものが内であるのが、國體の精華で
 あらう。義乃君臣、情兼父子である。
 我國の國體の精華が右の如くなるを以て、世界的世界形成主義とは、我國家の
 主體性を失ふことではない。これこそ己を空うして他を包む我國特有の主體的
 原理である。
引用箇所末尾の、「己を空うして他を包む我國特有の主體的原理」というと
ころなど、日本の「主客融合」的あり方を指摘したものと言っていいのでは。

183 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 22:27:07 0
>>173
今でも、皇族は絶対敬語を使われているね。
絶対敬語云々についてだが、すでに平安時代には「相対敬語」になってきてい
るよね(『枕草紙』での清少納言の発言等)。現在も強い絶対敬語性を持つ韓国
語と比べて、そこは大きく違うところ。
また、絶対敬語的な性質があったとして、敬語が発達していることが「主客融
合説」的には、一つのエビデンスになる。

>具体的にどういう敬語を使うかもかなり変わっている。
だから?
>平安時代に散々多用された二重敬語が、現在では文法的誤りと糾弾されたりする。
これ何かの間違いではありませんか? 仮にもしそうだとしたらどうだと言うの
でしょう?

>それにしても、「言語学が対象としてきた言語には、↑のような表現要素は存在しな>いからだ。 」とはひどいな。
>日本語や朝鮮語を、言語学は対象として来なかったって?
「主な」対象、と言い直すよ。
言語学が欧米語を主な対象として発達してきたとは言えるのではないかい?
>せめて一般的な言語学の常識ぐらい身に付けてから説を唱えて欲しいもんだ。(>>151)
とおっしゃいますが、「一般的な言語学」で、
敬語・相対的人称表現・受益表現・迷惑受身・終助詞・「わけだ・んだ・わな」
等の文末辞等をきちんと位置づけた研究があれば、指摘していただきたいものだ。

>君には世界の様々な国や民族や社会や言語を普遍的に見るという視点が欠如して>いるよ。
君には、自らの足元を見つめる勇気が欠如しているのでは。
なお、当方は、日本語の「非命題性」を指摘した森有正の主張(『経験と思想』
岩波書店)に共鳴して発言している。
もう読んでるかもしれないけど、まだだったら読んでみそ。

184 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 22:37:33 0
>>172
知り合いであることを前提にするような会話例にしてしまったのは、失敗だったよ。
同じ方言(三河弁)を話せるのなら、転入者でも全く同じことになる。
厳密な地元方言でなくても、近縁の方言ならほぼ同じ調子で進む。
大体、東西三河と遠州西部くらいなら、問題ない。名古屋弁になると微妙。
他の方言の場合、三河弁話者から見た、「馴れ合い」「水臭さ」でもって判断される。
各方言の常体表現で、基本的には問題ないと思うんだが、
「俺(おれ)」や「食う」などは、公の場では非常に下品な言い方とされているし、
東京の新方言などで、一部の常体表現が「馴れ合い的」とされているのは
自分は使わなくてもよく知られているので、
「年金の話を聞きたいんだけど、どこに行けば・・」は問題ないが、
「年金の話を聞きてーんだけどさあー、どこに行けばいいわけー?」
と言うのは当然ダメだったりする。

185 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 22:58:56 0
続きになるが、実は日本語共通語の語法でいう「丁寧語」は一切無いが、
politenessを表す表現は明確に存在する。
同じ例で言えば、
「年金の話がしたい」(←これではぞんざいすぎる)
「ほい、年金の話がしたいだけどが」
「ほい、年金の話がしたいだけどのん(=ねえ:終助詞)」
「ほい、年金の話を聞いてみい(=みよう)と思っとるだけどのん」
「ほい、手間かけて悪いだけど、年金の話を聞いてみいと思って来ただけどのん」
「ほい、えらい手間かけて悪いのん、儂や年金の話をいっぺん聞いてみいと思って
ここまで来ただけどのん」
「ほい、えらい手間かけて悪いのん、テレビをみて心配になったもんだい(=ものだから)、
年金の話をいっぺん聞けやあせんかと思って来てみただけどのん」

これらは、つまり英語と全く同じタイプのpoliteness表現に属するもの。
Tell me about my pension.
I want to ask you about my pension.
I'd like to ask you about my pension.
Can you tell me about my pension?
Could you tell me about my pension?
Excuse me, but could you tell me about my pension?
Excuse me, but do you mind me(my) asking about my pension?
I'm sorry to bother you, but do you mind my asking about my pension?
直接要求を避ける、言い切りを濁す、前置きを長くする、相手を気遣う、
発想法と表現法の基本構造は、全部同じだ。


186 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 23:04:08 0
>今でも、皇族は絶対敬語を使われているね。
えっそうだっけ?皇族が未だに自敬表現を使ってたりするか?

187 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 23:15:13 0
自敬とはなにか。
自分で「珍は***に有らせられるぞ世」とでも言うのか。

188 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 23:25:53 0
>>176-177
「主客融合性」を「なぁなぁまぁまぁ性」と言うと
実感としてはわかりやすくなるが学問的ではなくなりますね。



189 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 23:40:13 0
>>184-185は「主客融合性」は日本語も英語も変わらないと言ってるの?

190 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/20(金) 23:59:27 0
>>187
自分自身に尊敬語を使ったり、相手や第三者の行動などに謙譲語を使ったりすること。

「主客融合」大好きな人(>>188-189)は、日本語の敬語体系がかつて絶対敬語的であり、
平安時代あたりから徐々に相対敬語的なものに変わっていったことについてはどう思う?
都があったところ以外の方言では、少なくとも共通語で見られるような形式の敬語が
あまり発達していないことについてはどう思う?

と、逆に質問してみるw

191 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:13:42 0
>>189
少なくとも、日本語各方言に存在する「敬語法」なるものは、
「日本語の主客融合性」を証明するための要件事実にはなり得ないと言っているだけ。
俺は、日本語の敬語法は、世に言われるほど欧州の言語と差は無いと考えている。
英語など欧州の印欧語の多くでは、
敬意を称号や代名詞で表し、丁寧さ・婉曲表現を、前置きや動詞の法などを用い、
語彙も含めてアドホックに表すことになるが、
日本語においては、敬意も丁寧さも、それを示す用言の形や語尾・接頭語などが
「尊敬語」や「丁寧語」などとして比較的明確に体系化される傾向があるだけ。
それでも、英語においても称号や、絶滅寸前とは言え接続法の体系的な用法もあるし
(英語の場合、事実上時制で法を代用していることが多い)
日本語においても、>>185のようなアドホックで変幻自在な丁寧表現も広く存在する。

192 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:18:51 0
>>190
敬語にこだわりすぎでは?
敬語はムラ社会の一つの表れだと思っている。(>>175
主客融合性を強める方向で言語が発達していったのではないだろうか。

あと、
主客融合を否定するヤシは「癒着」とか「しがらみ」という問題意識はないのか?

193 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:27:23 0
>>192
まあ、日本語の敬語の基本は、
内と外を切り分ける「ムラ社会の論理」で成り立っているからな(大野晋同旨)



だが、フランス語のtuとvousの使い分けや、ドイツ語のduとSieの使い分けも、
内と外を切り分ける「ムラ社会の論理」そのものなんだがねw

194 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:31:15 0
>>193
英語にも昔は主語がなかったそうだし。
問題は「程度」だろ。



195 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:48:56 0
>>182 「日本的なもの」はローカル・ルールであって、世界の秩序にはなりえない。
日本の中だけでやってろ、外へ広げるな、でおしまいになるだろ。それがわからない西田ではないよ。
そうではなくて、世界新秩序の原理が「たまたま」日本で見つかったと言っているのだ。
確かに日本特有とも言っているが、世界が普遍を知らないためにそう見えるという論理だろう。

196 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 00:53:14 0
>>195
「主客融合」は前近代の「普遍」ですね。

197 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 01:25:23 0
>>186
おい、おい。
「絶対敬語」というのは、何も「自敬表現」に限らんでしょう。
「相対敬語」においては、身内のことを外の人に話す場合は、
たとえば社長のような目上の人でも上位に待遇しないよね。
ところが、皇族の場合は、「身内」である天皇に言及する場合、
妻・子であっても、天皇をしっかりと上位待遇する。
「陛下がご回復され、私もたいへんうれしく…」
「〜と陛下に申し上げましたところ、次のようなお言葉をいただきました。」の類。
サーヤが兄である皇太子のことを話題にするときや、
皇太子が母である皇后に言及する場合も同様。

こういう使い方は、総理・総裁に言及する内閣のメンバーや自民党の幹部において
も見られる。「総理もそうおっしゃっておられますのでね。」の類。

198 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 01:49:52 0
>>192
日本社会の「癒着」や「しがらみ」を社会学的事象として認識し、
政治的・社会的に問題視することと、
「日本語は主客融合言語である」という摩訶不思議な言語学的『理論』を『打ち立てる』
ことは、全く別物なんだがねえwwwwww

199 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 10:57:00 0
>>198
>全く別物なんだがねえwwwwww

だから、草が生えてるくせに頭が固いと言われるわけだよ。





200 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 11:05:26 0
「頭が固い」便利な言葉だね。
「地震雲を認めないなんて頭が固い」
「未だにビッグバン理論を信じてるなんて頭が固い」
「万葉集は朝鮮語で読めることを認めないなんて頭が固い」
「日本語の主客融合性を認めないなんて頭が固い」

201 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 11:07:29 0
>>198
ここはムラ社会と日本語の関係を探るスレ。

202 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 11:13:04 0
>>200
全く別物と言い切る根拠は?


203 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 11:16:56 0
wを6個もつけて否定するならそれなりの根拠があるんだろう。

204 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 11:22:42 0
論理的に反論しないから「頭が固い」と言われるんじゃないか。

205 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 13:43:13 0
いくら自分が>>201-204で1人でレスしてるからって、自分の相手してるのも1人だとは思わないほうがいいぞ。

206 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/21(土) 14:05:02 0
まあそういうなよおれとおまえはいっしんどうたいだろ

207 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 01:27:43 O
動詞中心主義http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%95%E8%A9%9E

208 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 01:31:00 O
ことばの発生http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%91%89

209 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 01:36:14 O
コトダマhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E9%9C%8A%E5%AD%A6 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%91%89%E7%8B%A9%E3%82%8A

210 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 10:26:24 O
形態素http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BD%A2%E6%85%8B%E7%B4%A0 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E5%B9%B9 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E5%B9%B9%E7%94%A8%E6%B3%95

211 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 10:30:15 O
格も派生する語根主義http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%9E%E6%A0%B9

212 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 12:36:49 0
>>200
ま、頭が固いことには違いないな

213 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/22(日) 23:50:07 O
動詞が単独に発生するプロセスは、きわめて主客融合的プロセスと考えられます 勿論、他の品詞も単独に発生すると考えるときわめて主客融合的で発生した筈

214 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/23(月) 00:40:55 O
一体何を言っているのかさっぱり分からないのですが
全世界のほとんど全ての自然言語に動詞はあるはずですが
というか動詞の発生とは何?

215 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/23(月) 01:16:09 O
ホモサピエンスサピエンスが言語を獲得したであろう氷河期、若しくは同様に幼児が心象の中で動作を捉え発現させ得た段階。

216 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/23(月) 01:44:58 O
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A0%BC%E6%96%87%E6%B3%95 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A1%8C%E5%BD%B9%E5%89%B2 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%8B

217 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/28(土) 16:57:09 0
ここで散々「主客融合」だの「ムラ社会」だの「内と外」だのと言ってる「日本語の特質」って、
単に「主題優勢言語」の特性じゃね?

主題優勢言語(topic-prominent language)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%BB%E9%A1%8C%E5%84%AA%E5%8B%A2%E8%A8%80%E8%AA%9E
対する概念は主格優勢言語(subject-prominent language) まだ日本語版ウィキペディアには記事がないが…

英語版によると、主題優勢言語の例としては中国語、日本語、朝鮮語、ベトナム語、マレー語、インドネシア語、
シンガポール英語、マレーシア英語、ハンガリー語、ソマリ語などがあるらしい。

218 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/28(土) 17:42:03 0
>>217
だ〜か〜ら〜、程度が問題じゃね?

219 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/28(土) 18:19:54 0
>>217
>>182,>>195-196あたり参照。

220 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/28(土) 18:29:21 0
>>218
「程度」ってのは、英語、ドイツ語、フランス語あたりの「西洋近代語」に比べての「程度」かい?

221 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/28(土) 21:23:58 0
>>220
「あげる」と「くれる」の区別があるのは
日本語とマサイ族の言語だけ、という話があったよね。


222 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 15:23:53 0
>>217
その対比は、興味深いね。
格とは話者から独立して成り立つ自立的なもの。
一方、主題とは、その場その場で話者が立てるもの。
ということを考える時、主題優勢性(=非主格性)の強さは、
「文」への話者の関与性の強さ、つまりは、言語としての自立性の弱さ
を意味するといっていいのではないかな。

223 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 15:25:38 0
>>220
主題優勢言語といわれるものと比べても言えるのでは。
例えば主題優勢言語と言われる中国語は、日本語に比べ、
主語の省略はずっと少ないし(日本語と英語の中間くらい)、
料理の注文をするときに、日本語のような言い方(ウナギ文)は
ふつうしないようだ。
その点、韓国語は日本語に近いが、その韓国語も「あげる・くれる」
の対立はなく、「迷惑受身」もない。また敬語も絶対敬語性が強い。
自分も主題優勢言語と「主客融合性」の強さはリンクしているように
思うが、主題優勢言語の中でも、日本語は、より「主客融合性」が強い
のではないだろうか。(つづく)

224 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 15:27:04 0
(つづき)
<日本語と日本人の主客融合性を示す言語現象>
主語の省略
ウナギ文的な表現
授受・受益表現
迷惑受身
敬語
相対的人称表現
終助詞・間投助詞
これらの言語現象を日本語よりも深くまた広く持つ言語は、
「主題優勢言語」の中にもないのでは。
(ご存知の方があったら、ぜひご指摘を。)

225 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 21:31:39 0
>>222
> 格とは話者から独立して成り立つ自立的なもの。
それは違うだろう。
"He hit her." "She was hit by him."
描かれている出来事は、男が女を殴ったという 1 つのことだが、どちらを主格にしてどちらを対格にするかは、話者が決めるのだ。

226 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 22:10:39 0
>225のように実例を挙げて意見を開陳しないとよくわからないね。

どうも主客を同一視した表現が存在する⇒一般化、という話のように思える。



227 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 22:52:02 0
>>225
相対的な程度を問題にしている。
「主格は事態の中心」、
それに対して「主題はその場限りのもの」とか言っていたのはどなたかな。


228 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/30(月) 22:54:13 0
追加
能動文で表現するか、受動文で表現するかは、話者が決めること。

229 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 00:12:22 0
>>227
> 相対的な程度を問題にしている。
程度の大小を判定する客観的な基準がない。恣意に任せられている。論をなしていない。

> 「主格は事態の中心」、
> それに対して「主題はその場限りのもの」とか言っていたのはどなたかな。
だからどちらも話者の主観。主観のはたらくレベルが違うのだ。よって、主格でかつ主題ということが起こりうる。
「話者から独立して成り立つ自立的なもの」は、現実世界そのものでしかない。

>>228 能動文と受動文は、現実世界における同一の出来事を表している。

230 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 00:12:35 0
能格言語はどうなるんだよー
能格と絶対格はどう説明を付けるんだ
主格と対格がどうとかいうレベルじゃねーぞ
お客様の中にバスク語、ベルベル語、クルド語、タガログ語、サモア語、チベット語、シュメール語、
ディルバル語、アレウト語、イヌイット語、イヌピアック語、イヌクティトゥット語、グルジア語、
アブハズ語、ウビフ語、チェチェン語、イングーシ語、アヴァル語に詳しい方はいらっしゃいませんかー

231 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 00:15:53 0
>>230 「そんなの文明語じゃないからどうでもいい」と主客融合厨は言うよ w

232 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 00:34:02 0
>>229
能動文、受動文それぞれにおいて、何を「主格」にするかの
選択の余地は、話者には与えられていない。一義的に決まっている。
(⇒主格の外在性)
それに対して、能動文、受動文それぞれにおいて、
何を「主題」にするかは、よりどりみどり。
(⇒主題の内在性)
言葉というものが人間の使うものである以上、どこを切っても「主観性」は
認められようが、「主格」と「主題」には、話者との結びつきにおいて、
相対的な差がある。

233 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 00:39:30 0
>>230,>>231
いえいえ、無視するつもりなどございません。
それらの言語に、>>224に認められるような言語現象があるかどうか
大変に興味があるところ。
なにかご存知なら、どうぞご教示を。

日本語の面白いところは、先進国、文明国と言われている(思い込んでいる)のに、
>>224に挙げたような言語現象が認められる点。

234 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 01:09:35 0
>>232 同じ出来事を表すのに、能動文を使うか受動文を使うかは、かなりの程度、話者に委ねられている。
ところが、ある文において、何を主題とすべきか、あるいはすべきでないかは、ほぼ文脈によって決まっている。話者の自由は少ない。
だからこそ、外国人学習者にとって「は」の使い方は難しいのだ。「よりどりみどり」なんてとんでもないウソをついてはいけない。

235 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 01:24:22 0
>>234
>同じ出来事を表すのに、能動文を使うか受動文を使うかは、かなりの程度、
>話者に委ねられている。
少なくとも日本語の場合、それは「とんでもないウソ」。

「よりどりみどり」は言いすぎだったかもしれないが、
文脈を作ることも話者はできるのだから、「主格」に比べ、選択の余地が
あることは確か。

236 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 02:18:09 0
>>235

> 同じ出来事 {を表す/が表される} のに、能動文 {を使う/が使われる} か受動文 {を使う/が使われる} か {は/*が/*を}、かなりの程度、{?文法が話者に委ね/話者に委ねられ} ている。
> ところが、ある文において、何 {を主題とす/が主題とされる} べきか、あるいは {す/される} べきでないか {は/*が}、ほぼ文脈によって決まっている〔「決まる」 {には/*に} 受動態がない〕。話者の自由 {は/*が} 少ない。
> だからこそ、外国人学習者にとって「は」の使い方 {は/?が} 難しいのだ。「よりどりみどり」なんてとんでもないウソ {をつい/*がつかれ} {ては/*て} いけない。

どう見ても態の選択の方が自由。

237 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 03:21:13 O
>>225 He is hitting at it. It is being hit at by him. He has hit at it. It has been hit at by him. 客観的に主体は異なる、欧米社会では。

238 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 03:22:02 0
>>236
態の選択が比較的容易な文脈を持ってきて言っても説得力はないよ。
日常会話において、能動・受動の転換は簡単にはいかない。
日常の何気ない会話で、その転換をやってみてよ。

それから、「主題化」についてだが、出来合いの文脈を作ってしまえば、
それゃあ、自由ではないでしょう(笑)。
しかし、実際は、話者は自分が「主題」にしたいことに合わせて、
文脈を形成するのだ。
どういう成分であれ、話者が話題にしたいものは、「主題」にできる。
しかし、「主格」にできるものは、せいぜいふたつ。
しかも、日本語では能動・受動の転換は「意味」の制限を大きく受け、
自由にはできにくい。

239 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 03:39:35 0
>>223>>224
中国語における「主語」の明示には、日本語とはまた別の問題がある。
動詞の前にでてくる主語と思しき名詞が、本当に主語なのか意味的に怪しい例が多い。
これは文言(漢文)以来の伝統だったりする。
日本語と違って格助詞が無いので、日本語よりある意味さらによく分からない。
主語なんだか補語なんだか単なる副詞なのかよく分からないまま
裸の名詞句が動詞に対して前置される。
まさに「主客のカオス的融合」そのものだろう。
朝鮮語の場合、
そもそも動詞の態が、日本語と比べても非常に曖昧で、
文法上明確な、能動態と受動態の格文法上の区別が存在しない。
能動と受動が変わると、主格名詞と対格名詞が逆転するという、
印欧語にはもちろん、日本語でも基本的には該当する主客分離の基本法則が、
文法的に整った形で全く機能しない。
日本語文法においては、迷惑の受身などは基本的に例外事例で、
基本的には態と格文法に関する整理された基本法則が成り立っていることは、
日本語教育の第一人者佐々木瑞枝が指摘しているところだ。
「AがBを殴った。」「BがAに殴られた。」
まさに主客分離の明確なメルクマールであるこの単純な対立表現を、
朝鮮語も中国語も、綺麗に表現することができない。

おまえさんのような主客融合厨がなんとか証明したいと考えているような、
日本語を西欧言語の対極に置くなんてのは、どだい無理な話だ。
アジア(特に東・東南アジア)には、さらに「非西欧的な」言語がゴロゴロ転がっている。
日本語なんて、随分印欧語に近い性質を持つ「西欧っぽい」言語なんだな。
日本語なんて序の口序の口www

240 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 03:41:47 0
>>238
> 日常の何気ない会話で、その転換をやってみてよ。
できないと主張しているのは >>232 だから、できない例を挙げる義務は >>232 にある。

> しかし、実際は、話者は自分が「主題」にしたいことに合わせて、
> 文脈を形成するのだ。
話者が聞き手に伝えるべきことは、あらかじめ決まっている。
その内容を変えないまま、主題を変えることは非常に難しい。普通はできない。

241 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 14:04:15 0
「日本語に主語はいらない 2」

512 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 13:22:50 0
「日本の文化は情緒的(主客融合的)だが
日本語は情緒的(主客融合的)ではない。」と主張するのは無理がある。
論理より情緒、英語より日本語じゃなかったっけ?


513 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 13:31:49 0
日本語の主客融合性を否定する人は日本の文化も否定するんだろうか。
それとも、言語と文化は全くの別モノと思っているのか。
(確か三上信者の人は後者だったと思うが他の人はどうなんでしょうか?)

242 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 19:37:12 0
言語と文化は無関係じゃないけど安直に結びつけるのはなぁ・・・

誰だか忘れたけど外人さんで
「日本語には『戦争で息子を死なせた』みたいな使役表現がある。
 これは何でも自分でコントロールできるという日本人の精神性を反映したものだ」
みたいなトンデモ書いた人がいた記憶がある。

言語と文化の関係をちゃんとした根拠を示しながら説得的に論述するのって
かなりの熟練と卓越した分析力が必要になると思うよ

243 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/07/31(火) 23:54:04 O
日本の言語文化は源氏物語を乗り越えられない為に、固定化している。従って其物語の科学的解析解明が終了した時、日本文化の真の国際化は始まる。

244 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 01:46:58 0
>>233
>>230-231


>>239
>>223-224

245 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 08:58:01 0
>>243
どんなトンデモ理論だよwwww

246 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 10:53:22 0
とんでもなーい とんでもなーい キミの理論を♪

247 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 12:50:16 0
>>242
>『戦争で息子を死なせた』

息子を自分の所有物のように意識しているからじゃないかな。
親子の上下関係ってムラ社会の基本だよね。
「戦争で親を死なせた」とは絶対に言わない。

248 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 13:58:42 0
>>247
>戦争で息子を死なせた

この手の言い方は平家物語によく出てくる

249 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 14:47:53 0
>>247
「みすみす敵に得点をとらせてしまった」とかでも
敵を所有物のように意識していると言うのか?

250 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 14:54:21 0
しかし、

「戦争で親を無くした」「戦争で息子を無くした」⇒両方OK
「戦争で子供を死なせた」⇒OK
「戦争で親を死なせた」⇒平家物語はともかく現代では違和感のある表現

だと思うぞ、議論する価値があるんじゃないか。

251 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 15:36:51 0
では議論したまえ

252 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 19:14:28 0
>>249
相手を支配下に置こうとするニュアンスがあるよね。(見下す感じ)

253 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 19:35:23 0
>>252
>見下す感じ
それは違うな。平家物語の用法は「負け惜しみ」の発想から。
「敵に得点をとらせた」は「取られた」というと面目無いので
自分が余裕で相手に取らせてやったという負け惜しみ。
なお「〜てしまった」は取り返しのつかない現象が完成したことを表わす。

「息子を死なせた」は「息子が死ぬことにあらがうことができなかった」
という無力感、自責の念がこもっている。

254 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 21:28:24 0
「戦争で親を死なせた」って状況がおかしいじゃん。
「親を死なせた」自体は、しかるべき状況さえあればおかしい文ではないと思うぞ。
不自然じゃない状況がそんなにないとは思うが…

255 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/01(水) 22:03:04 0
>>254 あるよ。「熱中症で親を死なせた」とか。
自分に責任があると思えば使える表現だ。上下関係とは無関係。

256 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 00:28:36 0
ふむ、responsibilityは関係してきそうだよな

257 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 00:57:50 0
>>239
>日本語なんて、随分印欧語に近い性質を持つ「西欧っぽい」言語なんだな。
そうあってほしいという君の願望は理解できたよ。

>まさに「主客のカオス的融合」そのものだろう。
日本語は格助詞があるといっても省略されることも多いし、中国語は格助詞はない
ものの語順が重要な役割を果たす。(さらに、文法に関わる助辞もある。)
>能動と受動が変わると、主格名詞と対格名詞が逆転するという、
>印欧語にはもちろん、日本語でも基本的には該当する主客分離の基本法則が、
>文法的に整った形で全く機能しない。
その点は日本語も50歩100歩ではないかい。
>日本語文法においては、迷惑の受身などは基本的に例外事例で、
>基本的には態と格文法に関する整理された基本法則が成り立っている
そんな珍説、佐々木氏がどこで発表しているの?
>「AがBを殴った。」「BがAに殴られた。」
>まさに主客分離の明確なメルクマールであるこの単純な対立表現を、
>朝鮮語も中国語も、綺麗に表現することができない。
それは日本語も同じじゃないか?
(「今日はどうして徒歩で?」と聞かれ)
「いやあ、息子にクルマのキー【を】なくされてしまいましてね。」
(息子がクルマのキーをなくした。)
能動文の「ヲ格」は「ヲ格」のまま。
さらに、日本語には自動詞の受身(迷惑受身)もある。
ちなみに、中国語にも韓国語にも自動詞の受身(迷惑受身)はないそうだ。
(つまり、中・韓において受身が成り立つのは、英語等と同様、他動詞のみ。)

>日本語なんて序の口序の口www
日本語以外の言語の「主格融合性」も興味のあるところなので、
「さらなる非西欧性」とやらをぜひ指摘してくれ。

258 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 01:01:16 0
I left him to die...

259 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 01:20:11 0
> 「いやあ、息子にクルマのキー【を】なくされてしまいましてね。」
> さらに、日本語には自動詞の受身(迷惑受身)もある。

さらにというか、その文も迷惑受身ではないか?
迷惑受身は自動詞文に限ったものではなかったはずと思うが。

260 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 01:36:17 0
>>257
>中国語は格助詞はないものの語順が重要な役割を果たす。
それがどうしようもなく曖昧なんだよ。
しばしば「主語」の特定なんて出来ないくらい曖昧になる。
今の北京語では、「動詞の後の補語の椅子」は1つしかない。
これは困ったことに熟語にも適用されるので、
補語を含む二次熟語が動詞になる場合(今の北京語では極めてありふれた事態)
その動詞の補語も副詞も主語も何もかもが、
多くは何の文法標識も無いまま動詞の前にずらりと並ぶことになる。
これを主客のカオス融合と言わずして何と言う?

それに、朝鮮語や中国語には、迷惑の受身以前に、文法上の確固としたカテゴリーとして
「能動と受動の対立」というもの自体が存在しない。
これは高校時代の漢文ですぐにわかることで、る、らるで読み下す場合でも
「被」なんて表現は滅多に出てこない。日本人が読み下し時に意訳で受身にしているだけで、
本来の漢文では、受身なのかどうか、文法的には何も定まっていない。
中国語を英語訳するときに、勝手に意訳で動詞の時制を決めるのと同じだな。
「る、らる」の出現頻度と、「被」の出現頻度を比べれば、すでに古代の段階で
日本語と中国語との間には、越えられない壁があることがすぐに分かる。

261 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 01:41:46 0
さらに凄まじい例としては、オーストロネシア語族の、西方(アジアより)の言語群があるね。
これらの言語、例えばタガログ語や台湾先住民諸語などでは、
もはや「主格」をはじめとする格概念が存在しない。
全ては、フォーカスという動詞が支配する特有の観念で文法が整理される。
動詞から見て、何に焦点があたっているかが問題なのであって、
動詞と、焦点の当たる名詞の組み合わせで文が構成される。
その動詞の性質により、焦点の当たる先が主体だったり客体だったり二次的に決まる。
主客融合以前に、「主」も「客」も文法的にイメージできない世界がそこにある。
日本語なんて、「を」という助詞があるだけで、十分に「主格分離的」だよw

262 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 02:07:09 0
>>259
>迷惑受身は自動詞文に限ったものではなかったはずと思うが。
おっしゃるとおり。

>>261
勉強になるよ。
「オーストロネシア語族の、西方(アジアより)の言語群」においては、
>>224で取り上げたような言語現象は認められるのでしょうかね。

ちなみに当方は、日本語と日本人は世界で一番「主客融合的」と言っている訳では
ないので、よろしく。

263 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 02:31:57 0
>>255
(年老いた親をろくでもない病院に入院させ)
「親父を死なせてしまった…(悔)。」
守るべきものが守れなかったという自責の念に関係するようだね。
相手=庇護すべき対象。
とすれば、一種の「上下関係」が関わると言えるんでないかい。

264 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 02:55:39 0
>>263
それを上下関係っていうのはただの言葉遊び。


265 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 03:06:54 0
うむ。俺も「上下関係」というのはどうもしっくり来ないな。

266 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 03:25:51 0
うむ。そうか。

267 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 04:02:16 0
>>263
封建主義を脱し切れていないな。

268 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/02(木) 21:50:24 0
ほ、ほ、ほ、包茎ちゃうわ!

269 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/21(火) 17:02:39 0

角田忠信『日本人の脳 ー脳の働きと東西の文化』大修館書店


この本によると、日本人の脳はポリネシアの人々の脳と働きが似ているらしい。
脳科学(?)の世界でも、同じようなことを言ってる人がいるんだね。

270 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/21(火) 22:17:55 0
何についてのどういう働きですか。

271 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/21(火) 22:17:59 0
ところで、生成文法って脳のことも研究してるの?
この前、生成スレの人たちが作った辞典を見に行ったら脳みその絵が出てたよ。

272 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 12:21:47 0
>>270
自分なりに大ざっぱにまとめると…、
笑い声や泣き声などの感情音や、虫の鳴き声や雨の音などの自然音を
欧米語や中国語、韓国語を母語とする人々は右脳(音楽脳)で受けとめるのに対して、
日本語やポリネシア語を母語とする人々は左脳(言語脳)で受けとめているらしいです。
日本語とポリネシア語は母音優位の言語なので
母音の成分とほぼ同じである感情音や自然音も言語としてとらえられるらしい。(?)

273 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 14:40:33 0
それトンデモとか言われてなかったっけ
信用に値する肯定的な追試結果が一切出てなかったような
日本人特殊論が大好きな日本人にはやたら受けているようだけど

274 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 15:23:42 0
>>272
>虫の鳴き声や雨の音などの自然音
>母音の成分とほぼ同じである感情音や自然音も言語としてとらえられるらしい
この事と
虫の鳴き声をリーンやチンチロリンやコロコロと
子音も交えて表現することは矛盾すると思うが。

母音も子音も基音と倍音の混合比率の違いにより
音色が異なるというのが本質だよ。

ヒント:フォルマント,エンベロープ,アタック,ディケイ,サスティーン

昔の理科年表には「日本語のフォルマント」という頁があったが
今年の春に久しぶりに買って探したが削除されていた。

言語学を志す者は偶に理科系の勉強もする必要がある。

275 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 20:08:06 0
言語学の中に もんじ 表記法 を 入れて いいのか? 含まれないのか?
おしえて ください

276 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 20:18:16 0
>>273-274
まだよく読んでないのでわからないのだが、
日本語は母音優位である、というところは認めているの?
(あと、別に言語学を志している訳ではないよw)

277 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 20:29:44 0
>>274
>言語学を志す者は偶に理科系の勉強もする必要がある。

生成みたいに変な方向にいくのもどうかと思うけどねぇ。
見方によっては、あれも相当トンデモだよ。

278 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 21:33:22 0
>>273
>それトンデモとか言われてなかったっけ
>信用に値する肯定的な追試結果が一切出てなかったような
信用に値する反論があったら、紹介してくれ。

279 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/22(水) 22:00:04 0
「主客融合説」を強く否定するのも、やっぱ生成寄りの人なの?

280 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 15:04:27 0
>>276
英語には曖昧母音というのがあるけど
日本語は母音を曖昧にしたら意味が伝わらないよなぁ。
虫の声はよくわからんけど、
笑い声とか泣き声とかの感情音は母音の音が強く発音されるし、
母音優位ということは感覚優位と言えるのかも…。

281 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 17:20:38 0
>母音優位
という言葉の意味が不明。
英語などのほうが弁別する母音の数が多い。
北京語や広東語には[y]がある。

日本語の方が母音の区別が大雑把。
奈良時代以前の甲類、乙類の仮名を
使い分けていたころのほうが微妙な聴覚をもっていた。

282 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 17:40:22 0
>>280
君がいかに日本語日本人日本文化特殊論が大好きかよく分かるな。久しぶりに出てきたみたいだが。
第一、英語のほうが遥かに母音の数が多いんだから、
英語のほうが細かい母音の差を聞き分けてるとも言えるだろう?
例えば、日本語話者に「ア」と聞き取られる母音の範囲と、英語話者に[a]と聞き取られる母音の範囲は
どちらが広いか考えてごらんよ。
英語の[a]、[ɑ]、[æ]、[ə]、[ʌ]などが日本人には軒並み「ア」と聞き取られるというのは
有名だし多くの人が体感していることだ。
これをもって、「日本語のほうが母音が曖昧だ」ということもできる。
普通の文の中の母音と子音の割合とか、二重子音の存在とか、開音節が多いか閉音節が多いかなどをもって
「母音優位」とか「子音優位」とかを考えることはできると思うが、それを以って「母音優位の言語の話者は
感覚的で、子音優位の言語の話者は論理的である」とかいう結論をいきなり導いちゃうのはトンデモだと思うよ。
言語が人間の思考に影響を与えるかってテーマ自体論争があるわけだし。

283 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 20:41:11 0
その言語にとって
どーでもいいことは省略されたり曖昧になったりするんじゃないだろうか?
日本語の場合は「主語」とか「論理」とかがどーでもいいんだな、たぶん。

284 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 20:44:11 0
>>282
ここはもともとトンデモなスレだわなw


285 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 21:03:43 0
英語の場合は「敬語」や「授受表現」がどーでもいいんじゃないか?
「母音」がどーでもいいのかどうかはよくわからんけどな。

286 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 21:29:49 0
ああ、なんという結論ありきな議論

287 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 21:40:35 0
>>278でも言われているが、
どなたか、角田氏の主張に対する説得的な反論が発表されていたら紹介して栗。


288 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 22:24:05 0
>>286
そんなこと言ってないで反論してちょ。



289 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/23(木) 22:44:22 0
どうでもいいことにはアバウトになる。そうしないと脳味噌がパンクする。


290 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/27(月) 20:31:28 0
>>229
古い話しを持ち出して恐縮だが、主格と主題の違い。
主格は節中に納まるが、主題は文末まで係るといった両者の
作用域の違いを考えるならば、「主観性」の程度の差は認
めるべきでは?

291 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 02:28:56 0
>>290 「程度の差」ととらえると、主格と主題とが、同じ 1 次元的ものさしの上に乗っていることになる。
それでは、主格でかつ主題となる現象が説明できない。

292 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 14:15:23 0
>>291
程度の違いではなく、レベル(次元)の違いだというのが君の
主張のようだが、では「レベルが違う」とは、どう違うのか?
主格の位置するレベル、主題の位置するレベルとは、それぞれ
どういうレベルなのか?
作用域の違いも踏まえつつ、説明よろしく。

293 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 15:34:27 0
主題と主格の問題は、太郎は花子を殴ったとか、太郎が花子を殴ったとか
1文だけを見て非文じゃない、そうじゃないと言ってもよくわからないこともあるんだよ。
実際、そういう1文だけで使われていることはないんだしね。
本だって話だって。

294 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 15:37:42 0
節内とか文末までとか言ったってどうせポツンと切れた1文、1句だし。
今からこのスレ、1節とか一文だけで書き込み合えば。

295 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 15:43:24 0
生成文法は男が好きだ。

296 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/28(火) 15:47:08 0
象は鼻が長い
    象の鼻が長い に変換可能
    鼻は象が長い に変換不可能

生成文法は男が好きだ
    生成文法の男が好きだ に変換不可能
    男は生成文法が好きだ に変換可能

どうして?

297 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/08/29(水) 00:07:34 0
>>292 主格が位置するのは事態の描き方のレベル、主題が位置するのは文要素の持ち出し方のレベル。
事態の描き方が決まってはじめて文要素が決まる。
作用域の大小と、「主観性」の大小あるいは高低とは無関係。

>>296
> 象の鼻が長い に変換可能
これは変換可能 (基底文が同じ) なのではない。偶然「象の鼻が長い」という表現が存在するだけ。

> 鼻は象が長い に変換不可能
可能だよ。

> 生成文法の男が好きだ に変換不可能
不可能な方が普通。「*男の生成文法が好きだ」も不可。

298 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/11(火) 14:39:57 0
>>14,>>25-33
「コミュニティ」という言葉にも意味が2種類あるみたいだ。
主客融合的な「コミュニティ」と、主客分離的な「コミュニティ」。
地域再生の活動をしている人たちは前者を志向している人が多いのかな。

299 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/11(火) 17:53:42 0
またお前は自分にレスしてるのか

300 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/11(火) 19:07:33 O
「主」のみで「客」不在。そりゃ「主客分離」もするだろう w

301 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/11(火) 21:31:25 0
「学社融合」(学校教育と社会教育の融合)といって学校と地域を一体化させようとしているらしい。
熱心の活動している人たち(主にボランティア)は善意でやっているので批判がしにくい。
そして何かを言うと生理的に反発される。(>>299-300のように)

302 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/11(火) 21:39:01 0
>>301
熱心の→熱心に


303 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/13(木) 11:04:28 0
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1189092029/83-
直接話法では間接話法と違って引用符で括るのが通例であるが、
自由直接話法は自由間接話法と同じく引用符をつけないもの。
ところが日本語の場合、人称や時制に差が出ないため、
カギ括弧を除いたら間接話法と直接話法とを判別する目印が無くなる。
そこで自由直接話法を自由間接話法と混同しやすくなるわけ。
引用符なんて音声言語にもともとなく、書記言語での附加記号に過ぎない。
となれば、日本語の話法に直接間接の別を立てられるかすら疑問になった。
しかし次のごとき例文が考案され、一応、日本語にも直接話法と間接話法とあるとされた。
  山田は 私は馬鹿だ と言った。
この例文の「私」が山田自身なら直接話法だから発言の引用部を「 」で括るし、
「私」が例文全体の発言者(言表行為の主体)を指すなら間接話法になる、と。

304 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/13(木) 15:26:18 0
原武史 『滝山コミューン一九七四』 講談社

305 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/16(日) 13:52:30 0
>>297
またまた超恐レス、申し訳ない。

>主格が位置するのは事態の描き方のレベル、
>主題が位置するのは文要素の持ち出し方のレベル。
「事態をどう描くか」と、「文要素をどのように持ち出すか」って、
どうレベルが違うの? 同じレベルじゃね?
尾上圭介氏や森重敏氏などは、
「事態の描き方」=「文要素の持ち出し方」
という理解であるように思う。←違う?

君のような理解で文法を語っている人、いる?
寺村や三上は、そうなの?

306 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/17(月) 01:32:14 O
>>305
> 尾上圭介氏や森重敏氏などは、
> 「事態の描き方」=「文要素の持ち出し方」
> という理解であるように思う。←違う?
そのようにも受け取れるが、そもそもあの人たちは、レベルが同じか違うかを事実に基づいて判定してはいない。
「太郎が次郎を殴った」
「次郎が太郎に殴られた」
「太郎は次郎を殴った」
「次郎は太郎に殴られた」
「次郎は太郎が殴った」
「太郎には次郎が殴られた」
が、全部同じレベルの違いなら、同じ出来事を言い表すのに、6 種類もの「描き方」=「持ち出し方」があることになる。

> 寺村や三上は、そうなの?
もちろん。

307 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/18(火) 00:39:20 0
主格と主題は、もとより別次元のものだと思っているよ。>>222
尾上氏や森重氏も、
 論理的格関係⇔係り結び的断続関係
と、両者を別次元のものとして扱っている。
私が「同じじゃないの?」と言っているのは、君の言う、
「事態の描き方」とやらと「文要素の持ち出し方」とやらのふたつの説明概念だよ。
わたしには、ふたつとも、森重氏の「係り結び的断続関係」に関わるように
思えるのだが。

>> 寺村や三上は、そうなの?
>もちろん。
とのことだが、寺村はどこでそのような立場を述べてる?
(これ別に反語ではないので、よろしく。)

308 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/18(火) 02:06:30 0
>>307
> >>222
>>225

> 尾上氏や森重氏も、
>  論理的格関係⇔係り結び的断続関係
> と、両者を別次元のものとして扱っている。
「事態の描き方」と「文要素の持ち出し方」とは、別次元といっても対立的・排他的ではない。
前者の上に後者がかぶさっている重層構造だ。

> わたしには、ふたつとも、森重氏の「係り結び的断続関係」に関わるように
> 思えるのだが。
「論理的格関係」に話者の主観が含まれないと考えるのは誤り。

> 寺村はどこでそのような立場を述べてる?
『日本語のシンタクスと意味 I』 (1982) pp.205-211.
『日本語のシンタクスと意味 III』 (1991) pp.3-37.

309 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/18(火) 19:51:45 0
>>308
>『日本語のシンタクスと意味 I』 (1982) pp.205-211.
>『日本語のシンタクスと意味 III』 (1991) pp.3-37.
ご教示、ありがとう。
しかし、君の主張と寺村の主張はずいぶん違うような気がするが。
寺村は、別のところで、
格助詞は「コト的意味の明示という機能をもつ」(V p.9)とし、
「コト的意味」とは、「述語用言の表す動作、でき事、状態とそれに
関係するもの、人、事が結びついて作りあげる【事実関係的意味】」
(同 p.7,強調、引用者)であると述べてるよ。
また、「事実関係、つまり新聞記事でいう「5W1H」を表すのが、
「格関係的意味」である」(要約)とも述べている。(論文集U p,244)
そもそも、寺村は文を、客観的なコトと、主観的ムードとに二分する
立場だよね。(例えば、シンタクスと意味T p.51)
確かに、「態」の説明のところで、「格」と主観とのかかわりを取り
上げようとしているところはとても興味深くはあるけれど、全体とし
て述べていることと矛盾するように思うし、すっきり説明できている
とも思えない。(その後この立場を推し進めた研究てある?)
ちなみに、格助詞も主観の表現だと積極的に主張した人に時枝誠記が
いるね。

>>225
述語が変われば、主格補語も変わる。
主格補語は、あくまでも述語の「主体」(という事実関係)を表している。
…で、どうかな?
あと、その君の主張、日本語を例にして展開するとどうなる?

310 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/19(水) 02:21:57 0
>>309
> 確かに、「態」の説明のところで、「格」と主観とのかかわりを取り
> 上げようとしているところはとても興味深くはあるけれど、全体とし
> て述べていることと矛盾するように思うし、すっきり説明できている
> とも思えない。
寺村は、「コト的意味」「格関係的意味」を「話者から独立して成り立つ自立的なもの」 (>>222) とは考えていないから、何ら矛盾しない。
「主観」には異なるレベルがある。君が矛盾を作り出しているのだ。

> (その後この立場を推し進めた研究てある?)
この方面の古典的なものとして、久野ワ (1978) 『談話の文法』がある。
久野は、「受身文のカメラ・アングルは、新しい主語の指示対象寄りである」
という談話法規則を立て、次のような文が不自然となる理由を説明している。
「?その時、太郎の奥さんが太郎に殴られた」
「?その時、太郎の友だちが太郎に殴られた」
「?その時、太郎の学生が太郎に叱られた」
「*その時、太郎が英語を教えていた学生が、太郎に叱られた」

> ちなみに、格助詞も主観の表現だと積極的に主張した人に時枝誠記が
> いるね。
彼も、「事態の描き方」の主観性と、「文要素の持ち出し方」の主観性とを区別せず、すべて主観的な「辞」に投げ込んでしまった。

311 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/19(水) 02:23:09 0
>>309
> 述語が変われば、主格補語も変わる。
> 主格補語は、あくまでも述語の「主体」(という事実関係)を表している。
> …で、どうかな?
それはそのとおりだが、では、「殴る」が表す事実と、「殴られる」が表す事実とは、異なると考えるか?

> あと、その君の主張、日本語を例にして展開するとどうなる?
既に広く認められている。
いわゆる「取り立て」の機能は、「コト的意味」あるいは「格関係的意味」を前提とするのであって、それを否定するものではない。

312 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/20(木) 20:15:11 0
>>310,>>311
文の中に、客観的なものはあるとするのか? ないとするのか?
あるとした場合、それはどのような要素か?

313 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/20(木) 20:23:58 0
>>310-311
文の中に、客観的なものはあるとするのか? ないとするのか?
あるとした場合、それはどのような要素か?


314 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 04:07:28 0
>>313 「話者から独立して成り立つ自立的なもの」 (>>222) という意味での「客観的なもの」は、どの言語にもない。>>229


315 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 12:20:23 0
>>314
では、寺村の言う意味での「客観的なもの」とは、どういうものなのか?
君も、寺村が「文」を主観に関わる部分とと客観に関わる部分に二分し、
「格」は客観世界に関わるものと位置づけていることは認めるよね?(>>309
わたしは自分の客観の理解(=「話者から独立して成り立つ自立的なもの」)
が、寺村の客観の理解と違うとは思えないのだが。

316 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 22:25:56 0
>>315
> では、寺村の言う意味での「客観的なもの」とは、どういうものなのか?
この世の事態を話者が言語で描き取ったもの。

> わたしは自分の客観の理解(=「話者から独立して成り立つ自立的なもの」)
> が、寺村の客観の理解と違うとは思えないのだが。
絶対に違うと思う。
重ねてきくが、「殴る」が表す事実と、「殴られる」が表す事実とは、異なると考えるか? (>>311)
また、「太郎が次郎に金をやった」と「次郎が太郎から金をもらった」とは、異なる事実を表すと考えるか?

317 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 22:55:32 0
>>316
「この世の事態」=「話者から独立して成り立つ自立的なもの」

318 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 23:04:30 0
>>317 「この世の事態」に格関係があるか?

319 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/21(金) 23:44:22 0
>>317
寺村の主張ではそうなるのでは。>>309の引用参照。
仁田も益岡も野田も、みんなそう言っていないか?
正しいかどうかはともかくも。

>>318に質問。
では、「この世の事態」に名詞的事態や動詞的事態はあるか?
例えば、
「鼻」は?
「泳ぐ」は?

320 :319:2007/09/21(金) 23:46:33 0
すまぬ。
319発言中の
>>317
は、正しくは、>>318です。

321 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/22(土) 01:41:36 0
>>319
> 寺村の主張ではそうなるのでは。
ならないよ。同じ事実が異なるやり方で描き取られたもの、すなわち異なる事実関係が表されるだけ。

> 「この世の事態」に名詞的事態や動詞的事態はあるか?
もちろんない。

> 「鼻」は?
> 「泳ぐ」は?
この世の事態そのものには、まだ言語が割り当てられていないから、名詞的も動詞的もあるわけがない。

322 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/22(土) 01:51:46 0
>>317 「『話者から独立して成り立つ自立的なもの』を話者が言語で描き取ったもの」≠「話者から独立して成り立つ自立的なもの」

323 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/23(日) 00:50:18 0
>>322
「言語で描き取る」とは?
これが「描写」とか「写す」と変わらないのならば、
格助詞等は、「事実」、つまり「話者から独立して成り立つ自立的なもの」
を表している、と言えるのでは。
それに対して、「主題」は、話者の外部にある何かを表すものではない。

>>321
>ならないよ。同じ事実が異なるやり方で描き取られたもの、
>すなわち異なる事実関係が表されるだけ。
>>309の引用も踏まえながら、説明、希望。

324 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/23(日) 18:29:15 O
>>323
> 格助詞等は、「事実」、つまり「話者から独立して成り立つ自立的なもの」
> を表している、と言えるのでは。
「表そうとしている」(客観的)とはいえるかもしれないが、実際に表すことはできない。表そうとするのは話者だから。
例えば、写真やビデオも撮影者の主観から自由ではなく、事実をそのまま写し取ることは本質的に不可能だ。
久野が、態ややりもらいの主観性を「カメラ・アングル」と呼んだのは、的を射ていると思う。

325 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/23(日) 20:14:31 0
久野は、
「主格」と「主題」の違い(今話題になっていることに関連する)
について、何か言っているのかな?

326 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/24(月) 03:24:29 0
>>325 久野ワ (1973) 『日本文法研究』 pp.27-47.
ここでも久野は興味深い問題をいろいろ提起したが、彼の説明にはのちに修正されたものが多い。

327 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/09/30(日) 20:03:07 0
>>298,>>301
公立の小中学校は、
地域社会における「みんなで一緒に教」の「教会」のような役割を果たしているようだ。
「みんなで一緒に教」の教義は
「全員が心を一つにすること」(=全員が主客融合・共依存すること)であり、
すべての議論は
「全員が心を一つにするべきである。」という価値観を前提にして行われる。
(ちなみに、その価値観を持たない者は議論に参加することを許されない。)

328 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 20:28:34 0
戸田忠雄 『学校は誰のものかー学習者主権をめざして』 講談社現代新書

329 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 21:29:30 0

学校の「教会化」をばっさりと批判している。
なんで、学校は今さら「護送船団方式」で運営しようとしてるのかね?


330 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 21:52:50 0
日本では、地域社会を「神」にしないと、公教育の目的が立てられない。
もう公教育は不要だと思う。
例えば北欧では、学校はもとより「教会」であり、神の忠実な僕をつくることを目的としている。
キリスト教の価値観を共有しない人はいない。

331 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:02:28 0
>>330
>例えば北欧では、学校はもとより「教会」であり、神の忠実な僕をつくることを目的としている。
>キリスト教の価値観を共有しない人はいない。

いつの時代の話ですか…?
今現在、学校で宗教教育をしているのでしょうか。
日本の学校は「みんなで一緒に教」の宗教教育ばかりしているよね。(「心の教育」とか)


332 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:13:13 0
>>331 もちろん現代の話。すべての教育が宗教教育という考え方だ。
小学校でも、米国流の競争主義は神の教えに反するから間違いだと、かなりはっきり言っている。
(10 年近く前の授業風景だったけどね)
だから、例えば同じ交通違反をしても、所得の多い人の罰金は高く、少ない人の罰金は安い。
そうしたことが自然に受け入れられているのだ。

333 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:14:22 0
>>330
非キリスト教徒は、北欧の公立学校には通えない(にくい)、
ということ?


334 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:18:55 0
運動会、合唱コンクール、部活動、保護者のPTA活動なども宗教教育の要素が強い。
「みんなで一緒に成長していきましょう。」みたいな。

335 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:25:36 0
>>332-333
北欧の教育を紹介する本は何冊か読んだことがあるけど
多国籍の子どもたちが同じ公立の学校に通っているようでしたよ。

336 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:29:47 0
>>333 信教の自由は憲法で保障されている。
ただし、慈善団体への寄付をしたくないとかいうのは、通らない可能性が高い。

337 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:35:18 0
>>336
北欧は移民も多いのでキリスト教の価値観を強要することはないと思いますが。

338 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/01(月) 22:51:29 0
>>337 強要はしないが反抗もできない。
厳格なプロテスタンティズム、平等主義、高い税金などを窮屈に感じる人は、結局国から出て行ってしまう。
北欧はイミグラントもエミグラントも多いよ。

339 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/03(水) 15:06:48 0
>>327
「みんなで一緒に教」の敬虔な信者は
どんな情報が入ってきてもすべて「ムラの論理」で解釈してしまうようだ。
ある意味、思考停止にも見えるのだが。

340 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/03(水) 15:47:10 0
>>338
確かに、
アメリカのような実力主義の社会のほうがいいと思う人もいるよな。
特に、若い人や能力の高い人などは。
でも、人生をトータルでみると、
セーフティネットがしっかりしている社会のほうが安心じゃないか?
老後の心配がないっていうのは魅力を感じるわな。


341 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/04(木) 04:35:56 0
>>340 そういうのはアカ、サヨといわれて絶対に受け入れられない。
人間を軽んじるウヨどもがのさばってるからどうしようもない。
彼らのお題目は「自助努力」。

342 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/04(木) 13:40:19 0
>>341
北欧も「個人の自立」が基本になっている。
日本のような「共依存」でもなく、
アメリカのような「自立と競争」でもなく、
北欧は「自立と共生」の社会なんだと思うのだが。

福田総理も「自立と共生」という言葉を使っているが
どういう意味で使っているのかよくわからない。
「主体的に共依存する」という意味になっているのかもしれない。


343 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/04(木) 14:39:58 0
ウヨのことはよくわからないのだが
ウヨが「自助努力」と言ったって別に「個人の自立」を求めている訳ではないよね。
「弱い者は強い者に合わせろ!」みたいなタカ派的な発想なんですかね…?

344 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/05(金) 14:39:05 0
ウヨのことなら
生成スレの仇鱒先生に訊いてみるといいかも

345 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/05(金) 22:27:00 0
>>341,>>343
ニートにも右翼が多いらしいけど…、「自助努力」ってなんか変じゃない??
↑弱者

346 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/06(土) 00:23:57 0
>>345 弱者がウヨなのが日本の特徴。自分のことも軽んじてるから、行き詰まったらおとなしく死んでいくだろう。
気持ち悪い社会だよまったく。

347 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/06(土) 12:05:09 0
な〜る・・・

348 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/06(土) 12:33:12 0
ウヨの言う「自助努力」とは
結果的に「自己犠牲」とゆー意味になるんだな。

349 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/07(日) 13:06:58 0
教育関係の人って
「全員が心を一つにすればすべてがうまくいく。」
みたいに思っている人が結構いるよなぁ。
実際は、
無理に心を一つにしようとして
いじめや不登校につながっていくことも多いのにさ。

350 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/08(月) 12:27:11 0
>>348
「自助努力」とか「自己責任」とか
一見、いかにも西洋的な発想をしているようで、
実は、日本的な「自己犠牲」を求めていたというわけか。

351 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/08(月) 22:05:13 0
>>327
「主客融合性」は「天皇制」とも関係があるらしい。
「万世一系」とかよくわからんけど。

皇室は「みんなで一緒に教」の総本山なんでしょうかね…。

352 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/08(月) 22:33:48 0
認知スレで仇鱒氏が「天皇制」について熱く語っている。(750)
       

353 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/08(月) 23:22:30 0
万世一系は明治に作った創作物語。
ケイタイ天皇と南北朝の交替とで二度も断絶した。
大正天皇はめかけの子やしな。
ありがたみなんぞ全然無し。
そもそも朝鮮系やしな。
愛子のせいで宮家を増やす策謀がうごめいとるし。
税金を遊び人に何処までくれてやるのかのう。
はよう共和制にしたらええわ。

354 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 09:56:53 0
>>349 それも 1 つの「お題目」だな。
現実を直視すれば、子供の素材が劣化しているということになるが、そこから目を背けている。
昔から、教師の目の届かない子供の世界はあったけど、そこで今みたいに悪事ばかりが行われていたわけではない。

355 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 12:55:07 0
>>353
「万世一系」 ←日本人全員が心を一つにするためには必要不可欠な物語


356 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 13:28:05 0
この国は宗教教育とか宗教活動のためにたくさんの税金を使っているような気がする。

特に、公立の小中学校は
宗教教育や宗教活動がメインと言っても過言ではない。普通の勉強は塾や家でもできるから。

357 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 14:51:27 0
>>353,>>355
「万世一系」という物語がないと外国の王室と一緒になってしまって
日本の皇室の絶対的優越性が保たれない、ということなんだろうか…??

358 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 16:26:14 0
>>356
公立の小中学校は私立に比べると子どもも親も同質性が低いので
心を一つにする活動をいつもやってないと学級崩壊や学校崩壊になるのかもしれない。

359 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 20:09:39 0
>>354
>現実を直視すれば、子供の素材が劣化しているということになるが、そこから目を背けている。

劣化しているのはシステムのほうなのでは。

360 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/09(火) 21:15:59 O
システムがよかったことなどないよ w

361 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 01:05:52 0
>>360
日本の教育システム(みんなで一緒に教)が時代に合わなくなったってことだろ

362 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 01:34:08 0
時代に合っていたこともない。
人生に大事なことは、教育システムの外で学んだものだ。

363 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 14:23:27 0
>>362
日本の教育システムは別に学校だけに限ったことではなかった。
ちょっと前までは
日本中、同じシステム(=護送船団方式)で動いていたのだから。

364 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 15:15:26 0
「学校」と「皇室」は最後の砦なのかもしれん。
まぁ、それだけ混乱もひどいわけだが。

365 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 16:40:06 O
子供の世界に護送船団などない。魅力のある者が賞賛される。昔からそれだけだ。
ただ、その魅力というのが、単なる腕力や学力にとどまらないことをしだいに理解して、子供たちはそれぞれ自分の生きる道を見つけていくのだ。

366 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 19:30:56 0
>>365
出る杭は打たれる、は日本の伝統だわな。何を今さら。

367 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 21:21:11 O
>>366 子供の時からそんなことやってるとしたら、適当に豊かで生きていくのに心配のない階層だろう。
1970 年代までの子供の世界は、露骨な競争社会だったよ。

368 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 21:39:01 0
>>367
競争といっても日本の場合、「序列争い」なんだよな。
仲間うちでのポジション争いだよ。
どれだけ自分の組織に貢献したかが評価の対象になる。
組織のことも考えずに独りでいい子になったらムラ八分だわな。
大人でも子どもでもこのしくみは同じじゃないか?

369 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 22:55:49 O
>>368 能力のある者は、いい高校・大学に入って、あるいは自分のやりたい仕事を見つけて、ムラから出て行ってしまうし、親もそれを期待していた。日本社会全体の等質指向とは裏腹に、共同体は疾うに壊れていた。私が公教育をもはや不要と考える理由はそこにある。

370 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/10(水) 22:57:42 O
>>369 指向 → 志向

371 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 00:04:31 0
>>369
でもムラ社会って、
ムラを出て新しい人間関係に入っても、またそこもムラになっているんだよな。
貧乏で、国民全体が経済的に豊かになることだけを志向している間は
日本全体が一つのムラとなってそれなりにうまく回っていたと思う。(?)

これからは地方分権の時代だということになり、
昔のような地域単位のムラ社会に戻るんだと思っている人が多い。
その辺の意識と現状とのギャップが大きくて混乱が起こっているような気もする。(?)

それに、「公教育はもはや不要」ってどういう意味?
塾でやっているようなことを本来は公教育でやるべきじゃないのか…?



372 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 00:52:21 0
>>371
> 塾でやっているようなことを本来は公教育でやるべきじゃないのか…?
塾は生徒が自分で金を出して行く所だ。そこと同じことをやるのに、公金を投入しなければならない理由は何か。

373 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 11:58:14 0
>>372
余計なムラのお作法はいいから、
知識・技能を身に付けさせてくれということでは。

君は義務教育は要らない、という立場?

374 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 13:00:05 0
>>372
学校があるのに、公金が使われているのに、
なぜわざわざ余計なお金や時間を使って基礎的な知識・技能を
よそ(塾や通信教育など)で学ばなければならないのか?

学校は「みんなで一緒に教」の教会で
「全員が心を一つにすること」を学ぶことが一番の目的だから。
学校でみんなで一緒に勉強していくために、塾や家でレベルを揃えたり、
授業中頭のいい子は退屈でも我慢したりすることになるのかもしれない。(?)


375 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 13:40:22 0
水に”きれいに凍れ”と念じたら本当にきれいに凍る、なんてバカな
事を教えるのに税金と時間を使うのはいい加減やめて欲しい。

376 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 17:10:40 O
>>373 知識や技能は本人のものになるのに、公費で負担しなければならない理由がない。無理に理由を作ろうとするから、ありもしない地域社会に貢献せよとかいう宗教になってしまうのだ。
公教育は不要。

377 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 17:55:20 0
>>376
???    極論すぎて話が見えない。
「公教育は不要」というなら代案を示して栗。


378 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 19:08:51 0
ここ数十レスほど社会論ばかりで言語学に関する話題がちっとも見られない。

379 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 19:49:20 0
>>376
貧乏人は教育を受けなくてもいいってことか?

380 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 20:01:27 0
>>378
スレタイには合っていますが今度は板違いになっていまつねw

381 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 21:36:14 0
>>378
「コミュニティ」「自助努力」「自立と共生」「競争」「地方分権」「公教育」など、
同じ言葉でもイメージしているものが人によって大きく異なっているという意味では
言語板で議論されるのもアリかもしれない。
(翻訳語の意味が本来の意味と異なっている例として)

382 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/11(木) 22:25:13 0
以前「公共」という言葉について話が出ていたが、
「公教育」の「公」という言葉も同じパターンだと思う。
英語の「public」という意味ではなくて「ムラの」という意味で使われている。
「日本の公教育」=「ムラの教育」
そう考えると「みんなで一緒に教」の活動ばかりやっているのもある意味、
自然なことなのかもしれない。

383 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 12:09:19 0
>>382
ニャルホド…。

384 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 12:23:36 0
子供が生きていくのに教育が必要だと思う親は、子供を塾に通わせるだろう。
塾は教育効果を競い、生徒の取り合いをする。月謝の高い塾や安い塾や、いろいろな所が出て来るだろう。
教育に公金を投入しないのなら、「何のために」という価値観についての議論、「宗教論争」をしなくて済む。
「公」とは何かといった問題も当然発生しない。やっぱり公教育は不要だよ。

385 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 13:36:16 0
>>384
素朴な疑問なのですが、
公教育を行っていない近代国家ってあるんですか?
「公」とは何かといった議論は必要だと思いますが。

386 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 15:44:29 0
>>384
公立校も「学校選択制」を導入すればいいんじゃない?

387 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 21:40:20 0
>>385
「公」=「おおやけ(大きな家)」=「ムラ社会」



388 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 21:58:53 0
>>385 必要ないと思う。近代国家は別にえらくない。

>>386 教育のために公金を使うことは是とするが、教育の目的は問わない、したがって、何を教えるべきかも公は関知しないということになる。
「金は出すが口は出さない」というのは、少なくとも何のために金を出すのかがわかっていないと、無理な話だ。
教育の目的は各自 (具体的には子供の親) が考えるということに徹するべきだ。

389 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/12(金) 22:38:36 0
>>388
極論厨乙

390 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/13(土) 14:52:34 0
>>387の補足
ムラ社会では、
国家も地域社会も「大きな家(おおやけ)」という認識でとらえられるため、
パブリックとプライベートの区別がつかない。

391 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/13(土) 16:56:45 0
昔は
皇室や、土地の地主のことを「おおやけ(大きな家)」と呼んでいたらしい。

392 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/13(土) 17:26:49 0
>>390
だから公私混同が当たり前になるんだな

393 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/13(土) 19:12:54 0
勉強は塾で、行事と部活は学校で、みたいな中学生も結構いる。

394 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/13(土) 23:27:53 0
公教育(笑)

395 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/14(日) 14:25:29 0
>>381
みんなで一緒に成長していけるように「自助努力」をする、というのが
公教育における「自立と共生」なのかもしれませんね。

396 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/14(日) 18:10:44 0
>>395
「問題あり」という意図で言っているようだけど、
それのどこがいけないのでしょうか?
(反語ではありませんのでよろしくお願いします。)

397 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/14(日) 21:13:53 0
>>396
なぜみんなで一緒に成長しなければならないのですか?
一人ひとり事情が違うのに。


398 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/14(日) 21:49:42 0
>>396
公教育(義務教育)が知識・技能におけるミニマムの養成であるとしたら、
そのところまで「みんなで一緒に成長」するのは、
むしろ必要なことなのではないですか?

399 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/14(日) 23:06:29 0
>>398
「みんなで一緒に」というのは「全員が心を一つにして」という意味で使っていました。
具体的には、
「足並みを揃えて」とか「同じタイミングで」といった感じでしょうか…。

400 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 12:16:40 0
>>398
最近の塾のように習熟度に応じた「個別指導」があるといいな


401 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 13:22:56 0
理屈はともかく基礎教育ではソ連の方が進んでたな。
米原女史の本を読めばよく判る。
無能?な教師一人で40人の手綱をさばくなんて無理。
高度成長期に金太郎飴みたく、学校が均一な工業製品を作る
工場として機能すればいい時代には弊害が少なかったのかも。

402 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 14:34:51 0
>>375
「みんなで一緒に教」=「原始宗教」(アニミズム&シャーマニズム)

「文化人」=「シャーマン」

403 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 15:37:12 O
>>401 その 40 人学級で育った世代だが、教師の目の届かない所があったから、小学校はそこそこ楽しかった。20 人とかだと監視されている感じで、息が詰まってしまう。

404 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 16:32:53 0
ま、そうも言えますね。そういうオラも破壊活動ばっかしてた口です。
ちなみに女史とは米原万理の事です。

405 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 16:57:02 0
>>400
聞いた話だが、公立学校で「個別指導」使用とすると、
保護者や一部の教員(主にサヨ)の反対がすごいそうですね。
まさに「みんなでいっしょに教」。

406 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 17:08:03 0
>>403->>405
サヨは少人数学級を目指しているがムラのまま少人数にしても
学級王国ができるだけだと思う。

407 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 17:19:26 0
>>406の補足
「ムラのまま」→「『みんなで一緒に教』のまま」

408 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 17:36:01 O
板違いすぎるだろバカども

409 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 18:57:49 0
↑  サヨ?w

410 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/15(月) 19:13:40 0
「サヨ」っていう言葉も意味が違ってるよな。
「革新」する気なんてじぇんじぇんないし。

411 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 01:09:10 0
>>405 教職員組合が個別指導に反対するのは、賃金が上がらないのに労働が増えるから。
教育を改善しようと思うなら、とにかく教員の給与を上げることだ。
優秀な人材はほうっておいても報酬の多い方に集まる。制度が少々まずくても、人間がよければ工夫してカバーする。
ウヨの田原総一朗は、教師は労働者と名乗ってはいけないなどと言ってるが、とんでもない話だ。
教師なんて割に合わないといって、志望する人間がいなくなったら、どうするつもりか。

412 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 02:19:15 0
>>406 個人を社会の細胞と見て尊重するのは、社会主義の流儀じゃないのか。
スウェーデンでは、最近負けたみたいだけど、長らく左翼が与党だった。ノルウェーは今でも左翼政権。
フィンランドの女性大統領も左翼政党出身だ。
これらの国の政策は、ルーテル派福音主義と、社会民主主義とが形成してきた。

413 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 13:32:45 0
>>412
だからぁ、北欧の左翼と日本の左翼は意味が違うんだってば。
日本の左翼は「世間」(ムラ社会)から出てこれない。

ちなみに、
北欧の公教育は少人数学級だがムラじゃないから学級王国にはならない。
学校選択制もあるし個別指導もしてるから、宿題も少ないし、塾もない。
でもって、学力は高い。
(子供の時の学力だけでなく、大人になってもその学力が維持されているそうだ。)

414 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 13:45:56 0
>>411
>教育を改善しようと思うなら、とにかく教員の給与を上げることだ。

給与を上げたらもっと「みんなで一緒に教」の宗教活動に力を入れたりして…。(?)

415 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 13:52:21 0
>>413
主客融合している「サヨ」と、主客分離している「サヨ」

416 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 16:43:37 0
>>413
・国自体が「神の王国」である。
・フィンランドでは、10 年近く前に、教員の新規採用を修士学位保有者に限定し、初任給を大幅に引き上げるという大改革を行なった。
 新教徒の職業観では、高給を受けることにやましさはないし、やっかみも少ない。

417 :405:2007/10/16(火) 17:18:47 0
>>411
言いたかったのは、「習熟度別指導」に対する反対。
「習熟度別指導」は、むしろ教師の負担は減るでしょう。
それでも反対があるのは、「みんなで一緒に教」のためではないかい。

418 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 20:43:47 0
>>416
日本の教員は給料が低いというより余計な仕事が多いというイメージが強い。


419 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 20:54:22 0
>>411
「教育を改善する」って具体的にどの方向に改善するんだ?
「改善」と言ってもベクトルが二つあるだろ。
そこをうやむやにして給料だけ上げても効果がないわな。

420 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/16(火) 22:17:01 0
日本の公教育って思考停止の訓練をしているようなところがあるなぁ。
論理的に考えていたら全員が心を一つにすることなんてできないし。


421 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 02:55:57 0
>>406
>>403-405

422 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 03:37:44 0
>>417
> 「習熟度別指導」は、むしろ教師の負担は減るでしょう。
減るわけないじゃないか。例えば 3 つのレベルに分けたら、3 パタンの授業の準備をする必要がある。
それらは同時進行できないので、3 回授業を行うことになる。それを 1 人でこなすのはさすがに無理だから、もう 1 人張り付けざるをえない。
で、どうせ教育予算は増えないから、単純計算すれば、1 人当りの労働時間は 1.5 倍になり、給与は 1/2 になる。

>>419 どの方向に改善するにしても、教育現場を担当するのは人間だ。
教師は 30 年ぐらい勤める。その間に教育政策も何度か変わるだろう。有能な人でないと対応できない。
まず金を出す覚悟をしなさいってこと。

423 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 07:32:11 0
>>422
>まず金を出す覚悟をしなさいってこと。

やぱ増税の覚悟ってことかな




424 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 12:11:23 O
>>422 場合によってはな。
もう景気も回復したのだから、法人税でがっちり取ればいい。消費税をチマチマ上げても焼け石に水だろう (北欧は 20% 超)

425 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 12:14:57 O
>>424 >>422>>423

426 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 13:57:21 0
>>424
まずは村を壊して透明性を高めることが先だろう。
今のまま増税しても何に使われるかわかったもんじゃない。

427 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 16:51:29 0
全員が心を一つにして不正や不祥事を隠しましょう!!  …て感じだよな。

428 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 18:56:03 0
円周率は3、8から10は引けない、窒素と酸素は化合しない、小学校では習わないが
2進数では2は10になるなど(あれはイチゼロって読むんだよタコ)
ウソの暗記を強要し、中学にあがると記憶の改変を
要求される。浪費されたコドモの能力は産業廃棄物である。

429 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 21:45:40 0
>>428
> 円周率は3
これはどこかのスレでさんざん議論していた。「円周率は 3 と覚えよ」という教え方はしない。
円周率は 3.14159265... という数だと教え、「円周率を 3 として計算しなさい」という注釈を、出題のたびにつける。

> 8から10は引けない
そういう計算をさせないだけで、引けないという教え方はしない。

> 窒素と酸素は化合しない
自然界では空気中の窒素と酸素とは反応しないと言っているだけ。窒素酸化物は人工物、または人工物に由来するものという知識の方が重要ではないか。
(実際には雷で化合することがあるらしいが、まれなので無視している)

> 小学校では習わないが
> 2進数では2は10になるなど(あれはイチゼロって読むんだよタコ)
> ウソの暗記を強要し
これについてはよくわからない。習わないならどこで暗記させられるのか。

> 浪費されたコドモの能力は産業廃棄物である。
子供の能力は無限に湧いて来るものと考えているので、成長段階に合った知識を与えている。

430 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/17(水) 22:40:50 0
いろいろ理由をつけることはできるるだろうが説得力に乏しいのは否めない。
すべて心を一つにするための活動なのだと思えば納得がいく。

431 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/18(木) 14:59:13 0
>>422
>> 「習熟度別指導」は、むしろ教師の負担は減るでしょう。
>減るわけないじゃないか。例えば 3 つのレベルに分けたら、3 パタンの
>授業の準備をする必要がある。
一つのクラスをさらに割れというのではなく、
(そういうのもあっていいが)
そもそものクラス分けを「習熟度別」にすれば、ということ。
これなら、教師の負担はむしろ減るでしょうが。
(日本語教育や塾のクラス分け参照。)
それでも、保護者や教員の間に根強い反対がある。
それを「みんなで一緒に教」の故ではないかと言っている。

432 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/18(木) 15:05:09 O
板違いすぎ

433 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/18(木) 15:31:11 0
>>431
ただ、習熟度別クラス編成だとそのクラスの中で相互拘束の原理が働き
学力が固定されてしまう恐れもあるんだよね。

434 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/18(木) 21:27:38 O
>>431 それは全然駄目だ。少人数にならないし、全体の人数が多くなかったとしても、世の中にはいろいろな人間がいるということを、子供たちが知る機会がない。
全科目で習熟度別をやる必要はない。普段は 1 つのクラスにいて、科目によっては複数に分かれるというのがよい。単純計算のように極端ではないが、それでもかなりの労働時間増になる。
コストをかけないとどうにもならないよ。

435 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/18(木) 23:04:43 0
公教育の良いところは
「異質な他者」を知ることができることだと言われているが、
今の公教育は、
「異質な他者」を「異質な他者」として認めるのではなく、
「異質な他者」とも「心を一つにする」ことを志向している。
異質な他者と無理に心を一つにしようとすれば、
当然強いストレスがかかり、陰湿ないじめにつながることもある。

また、
「異質な他者」に対して「寛容」であることが求められているが、
この「寛容」という言葉にも意味が2種類あるように感じる。
@「異質な他者」を「異質な他者」として尊重できるという「寛容」
A「異質な他者」とも「心を一つにする」ことができるという「寛容」

436 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 00:21:30 0
>>431
それは、「皆と一緒にカルト」のせいではなくて、
単に、戦後の日本の教育ママが子どもの能力に怨嗟感情(envy)を持ちすぎで、
「うちの子に限ってバカなんかじゃありません!うちの子は絶対に優秀なんです!
Aくんと同じクラスにいれてもらわないと困ります!それが民主主義でしょう!キー!」
と叫んで、それを無理矢理認めさせていたから。親バカ杉。それだけの話。
こういう時に、なぜか「民主主義」を持ち出すバカは当時結構いた。
これについてくだらない議論をする必要は全く無い。ただのバカだ。
>>434
たかが半径1〜2km程度の地域の狭い地縁で集めた児童生徒の「単線教育」で、
「異質な他者」の存在について、よく知ることができるとでも思っているのか?
習熟度別に分けようが何しようが、大して変わらないよ。
初等教育時の学力なんて、人間の多様性のほんの一部でしかない。


ところで、これは何のスレだったっけ?まあ>>1が電波だからどうでもいいかw

437 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 01:27:14 0
>>436
> たかが半径1〜2km程度の地域の狭い地縁で集めた児童生徒の「単線教育」で、
> 「異質な他者」の存在について、よく知ることができるとでも思っているのか?
十分できるよ。都市部では、ボロアパートからけっこうな豪邸に住む子まで集まる。
いわゆるニュータウンですら、市営住宅、公団、社宅、分譲マンション、一戸建に住む子の生活感情は、それぞれ相当違う。
成績は親の収入と強い相関関係がある。同じクラスの中にいれば、子供自身がそのことに気づく。

> 習熟度別に分けようが何しようが、大して変わらないよ。
> 初等教育時の学力なんて、人間の多様性のほんの一部でしかない。
だから、自分とは大きく学力の違う子もいるということは、別に知らなくてよいと?
とにかく金をかけまいとする姿勢がせこい。まず予算。

438 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 14:32:57 0
>>437
>まず予算。

いんや、まず方向性。(ムラを守るのか壊すのか)

439 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 20:14:01 0
>>437
>成績は親の収入と強い相関関係がある。

学力テストの自治体ごとの結果を見てもそれがわかる。
教員の指導力うんぬんじゃなくて
塾に行ってる子どもの割合とか私立に行ってる子どもの割合とかで
順位が決まっていると思われ。

440 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 20:58:33 0
>>437
だが、「親の収入」により一番大きく左右されるのが、人生で一番高い買い物つまり住宅だ。
だから、「親の収入」こそ、「何処に住むか」を決める決定的要因。
さらに、当然のことだが、家族が何処に住むかにおいて「親の勤務先」も重要な要素だ。
そして、勤務先の場所もまた、露骨に親の職業のステータスと収入を反映する。

つまりな、おまえさんの言っている要素が一番反映するのは、
子どもの成績より何より、その家族が住んでいる場所・地域なんだよ。
それを、公立小学校学区の1学年100人程度の住む狭い地域に絞り込むわけだ。
全国での1学年の人数は、少子化と言っても100万人を超える。
100万人から100人。地縁でなんと「0.01%」に絞り込まれる。
習熟度別にクラス編成をしたところで、仮に3つにとして約33%。5つでも20%。
「33%」対「0.01%」。
どちらが、子どもが「世の中にはいろいろな人間がいる」ことを知ることに対する
決定的制約になるかは、もはや誰の目にも明らかだな。

441 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 21:35:21 0
>>440
「異質な他者を知ることができる」というのは、
「私立に比べて公立校の良さを挙げるならば」という意味で使われることが多い。



442 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 22:23:04 0
私立は同質性が公立よりも高いから問題が表面化しにくいだけで構造は同じだよね。

443 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 22:35:12 0
>>441>>442
実はそれも神話なんだな。実は、学区制限が無く
広い地域から子どもが集まる私立のほうが、
高々徒歩圏内だけの公立小中学校より「異質な他者」は多かったりするんだな。
私立だと、もはや方言が違いすぎて会話が全然通じないようなヤシが、
下宿したり寄宿したりしてやってくることも結構ある。
公立の小中では、絶対にそういうことはない。
同一町内で、阿吽の呼吸で会話ができるようなご近所さんの子女ばかりの
極めて同質な学校社会だ。


444 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 22:44:26 0
>>443
じゃあ、なんで公立校は荒れているの?
あ、なんで勉強するのかわからない子供が多いからとか?

445 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 22:51:06 0
>>444
そういうこと。現実論で言えば、上位校進学に
希望を持つ意義がそもそも無い地域社会となっている地区の公立小中は、
早い学年から大抵大荒れになる。
要するにDQN地域というやつだな。
だが、いわゆるDQN地域だけじゃなくて、
やたら高所得を叩きだす農業地域・漁業地域なんてのもある。
意外かもしれないが、彼らにとっては
家業を継ぐために学校の勉強なんて必要ないと感じられていて、
だれも真面目に勉強しないらしい。

446 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 22:54:32 0
>>445
「学歴社会」というレールに全員が乗っている、という意味では
私立のほうが「同質」じゃないか?

447 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 23:05:13 0
昔は日本人全員が同じレールに乗っていたんだよね。

448 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/19(金) 23:26:53 0
公立の中学では
テストの結果をグラフにすると山が二つできるらしい。(二極化)

449 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 09:27:10 0
>>438 能力の乏しい者にムラを壊せ、現状を打破せよと言ったって無理な話だ。
子供時代は数年間で終わってしまう。下手の長談義より、金を出して人材を集める方が先。
日本の教育予算の比率は、諸外国と比べて突出して (陥没して?) 低い。ケチでやる気のないのが本音なら有害だ。公教育自体やめたほうがましだろう。

>>440
> つまりな、おまえさんの言っている要素が一番反映するのは、
> 子どもの成績より何より、その家族が住んでいる場所・地域なんだよ。
成績で分けたら、だいたい住んでいる地区ごとに分かれてしまうだろう。
もちろん例外はあるだろうが、例外の子は居心地の悪い思いをする。

> それを、公立小学校学区の1学年100人程度の住む狭い地域に絞り込むわけだ。
それはちょっと小さい学校だな。それでも、地域内で階層差は明確にある。
商店街の子と住宅街の子、持ち家の子と借家住まいの子は違う。

> 「33%」対「0.01%」。
> どちらが、子どもが「世の中にはいろいろな人間がいる」ことを知ることに対する
> 決定的制約になるかは、もはや誰の目にも明らかだな。
100 万人の小学生が直接知り合うことは不可能だ。その制約は動かせない。
0.01% 対「0.01% の 33%」。どちらが多様性を守れるか、だれの目にも明らかだろう。

450 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 13:39:16 0
>>449
>能力の乏しい者にムラを壊せ、現状を打破せよと言ったって無理な話だ。
>子供時代は数年間で終わってしまう。下手の長談義より、金を出して人材を集める方が先。
>日本の教育予算の比率は、諸外国と比べて突出して (陥没して?) 低い。ケチでやる気のないのが本音なら有害だ。公教育自体やめたほうがましだろう。

とりあえず、「学校選択制」を導入するほうがいいと思う。
そうすれば、声を上げやすくなる。

451 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 14:18:46 0
>>445-448
受験勉強っていうのも宗教活動みたいなもんだわな

452 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 17:06:34 0
>>450 学校選択制そのものには反対しないが、理念上の難点があり (>>388)、結局、公教育の解体へと進むと思う。

453 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 17:13:48 0
>>452
公教育=ムラの教育、という意味での解体だよね。

454 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 23:14:06 0
「ムラ」でない「公」なんて日本のどこにあるのだ。
個人の尊厳を守れるのはアナキズムのみ。

455 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/20(土) 23:39:54 0
ムラ社会は持続可能じゃないから発想を転換したほうがいい。

456 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 09:42:00 0
「持続可能」というのも変な言葉だな。
持続は結果であって目的じゃないだろう。

457 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 12:18:19 0
はぁ…?
このままだと持たないってことだろ。
「みんなで一緒に」が目的の人は「みんなで一緒に」あぼんするほうがいいのかもなぁ。

458 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 13:41:59 0
公立の小中学校は混乱しているが
見方を変えれば、それだけ進んでいると言えるのかもしれない。

459 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 16:56:36 O
>>457 目的は個人の尊厳じゃなかったのか。もし「持続可能」なら「みんなで一緒に」のままでもよいのか。
そんなご都合主義ではだれも説得できないだろう。

460 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 17:17:01 0
>>459
農耕民族だったから「みんなで一緒に」という社会的価値観でうまく回ってきたが
これからはそういう時代じゃないということだよ。
ご都合主義も何も、
より良く生きていくためには現実を正しくとらえていくことが必要だろ…?

461 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/21(日) 23:45:30 0
>>460 「うまく回ってきた」時代は、現代から見れば悲惨だったとは考えないのか。
「より良く生きていく」とは、どうすることなのだ。
「現実」は、正しくとらえるものではなく、創り出すものだ。

462 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 00:24:17 0
>>461
話がいま一つ見えていないのだが、
>>461は日本はムラ社会のままで良い、という立場なのか?

463 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 00:36:15 0
>>461だけを読むとそうは読めないが。

464 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 04:31:20 0
>>462 教育は現場の仕事だ。まず日本のムラ社会を壊してそれからといった悠長なことは、やっておれない。
教育効果が上がっていないと考えるなら、とりあえず人材を集めよと言っている。
有能な者は「みんなで一緒に」を目的にはしないものだ。突出したいのが常だから。
彼らの目的は自己実現のみ (教師として出した結果に対して報酬を受ける)。その姿勢は教えられる側にもきっと伝わるだろう。

465 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 11:23:20 0
>>464
うん、確かに、塾や予備校の先生から、そういう姿勢を学んだよ。

しかし、ムラ社会的あり方をそのままにしておいて、
義務教育等において、
単に、修士以上を採るだ、給料を○割増やすだとやったところで、
変わらないよ。
かえって、ムラ社会の優等生が集まるだけでは。

466 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 12:40:46 0
>>464
人は普通評価される方向で努力をする。
公立校における「みんなで一緒に」という価値観を変えていくことも必要だ。

467 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 14:08:38 0
>>464,>>465
>有能な者は「みんなで一緒に」を目的にはしないものだ。突出したいのが常だから。
>彼らの目的は自己実現のみ (教師として出した結果に対して報酬を受ける)。

予備校の先生は基本的に一年契約の一匹狼。
だから、「みんなで一緒に教」に染まってはいない。
それに対して、「組織」や「集団」の人となった場合、
どんなに学歴が高かろうが、給料が高かろうがだめじゃないか?

例外的な超エリート集団を作るならまだしも、
今の日本で全国展開する組織を作るという場合、
「みんなで一緒に」を志向する組織のあり方にメスを入れる必要が
どうしたって出てくると思う。

日本語教育はよくやっていると思うけど、これも専任職が少なく、
一年契約的な雇用形態の影響【も】大きいかも?

468 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 14:49:18 0
>>466
授業より、行事や部活に熱心な先生のほうが
子供や親から評価されたりするよな。

469 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 14:52:37 0
このスレ、言語学と何の関係があるの?
ここ100レスくらい完全に社会論と教育論じゃん。

470 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 15:06:00 0
>>467 高給を得ている以上、結果が出せなければ、当然辞めてもらうことになる。
公務員でも嘱託扱いでいいのではないか。ただし、予備校のように世知辛いことを言うと歪みが生じるから、少しは長い目で見る必要がある。
5-6 年で教壇を去る人が多くなるかもしれない。「みんなで一緒に」では効果が上がらないと、すぐにわかるだろう。
「組織」や「集団」は人間がつくっているのだ。人間を変えないで全体を変える方法はない。

フィンランドでも異論はあったという。学歴と教育現場での能力とは別ではないか等。しかし、結果は明確な形で表れた。
かつて彼の国の教育水準は低かった。フィンランド人には、欧州域内への出稼ぎ者が多い。
フィンランド人はバカ、単純労働にしか使えないとか、ひどいことも言われたらしい。
このままでは不名誉だし、何より国民が困るとして、大改革に踏み切ったのだ。

471 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 15:38:51 0
>>468
声のでかい香具師はみんな塾に行ってるから授業はどうでもいいんじゃね。

472 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 15:48:18 0
>>469
所どころ、
「公」とか「サヨ」とか「寛容」といった言葉の多義性にも一応触れている。

473 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 19:11:43 0
>>443
>>441-442


>>467
>>464-465

474 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 20:55:29 0
ある言葉が多義だから、元々の意味とズレがあるからというだけで言語学板で語るなどというのでは、
言語学板では何でも語っていいことになってしまう。
「象徴主義」という言葉の意味、と称してひたすら芸術について語る、
「オタク」という言葉の意味、と称してひたすらアニメや漫画の話をする、
そういう行為と同レベル。言語学と何の関係もないことには変わりない。

475 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 21:54:45 0
>>474
「日本語と日本人の、主客融合性」に関係する「言葉の問題」ついて語るのは問題ない。
(教育論や社会論に話が逸れ過ぎるのは控えるべきだが。)

476 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 22:03:36 0
>>474
専門用語を振り回すのだけが「言語学」ではない。


477 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/10/22(月) 23:03:29 0

Ocean Pacific Peace

478 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/11/15(木) 21:33:21 0
日本語は最先端のオブジェクト指向なのです。

479 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/11/16(金) 16:18:57 0
どういうこと?


480 :名無し象は鼻がウナギだ!:2007/11/17(土) 18:09:26 0
そういうこと

481 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/18(金) 14:40:11 0
新しく出た「広辞苑(第六版)」に「村社会」が出ていたよ。
ウィキやはてなにも出ていたし、議論がしやすくなるといいね。

482 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/21(月) 15:52:03 0

  ダブルミーニング(二重定義)


483 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/26(土) 22:48:09 0
この国は
ダブルスタンダード(@前近代的な規範 A近代的な規範)になっているので
言語も
ダブルミーニング(@前近代的な定義 A近代的な定義)になっている。

484 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/01/29(火) 14:02:00 0
たとえば???

485 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/03/14(金) 12:01:16 0
>>484
このスレで社会学的に議論しているよ。(190あたりから)
 ↓
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1129905944/

486 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/03/29(土) 18:21:46 0
誰に対してもどのようなときにも使える「人称詞」がない。
誰に対してもどのようなときにも使える「文体」がない。
つまり、特定の相手(客)抜きには「表現」(主)が成立しない。
⇒主客融合

主客融合を否定するヤシは、上の事実をどう説明するのだろうか?

487 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/03/29(土) 19:29:33 O
融合はしてないだろ

488 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/03/31(月) 21:19:18 0
「個人」の自立性が低いとは言えるでしょう。

489 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/01(火) 00:42:54 0
「個人」の自立性というより、言語の自律性の問題だな。
人称詞が指すのは、「しゃべってる人」「聞いてる人」「それ以外の人」だからね。
ほかに何の意味もない。日本語は確かにそういったとらえ方はしない。

490 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/03(木) 21:48:52 0
「言語」が自立していないなら、それと不離の関係にある「人」も自立していないと
考えるべきでは。

491 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/04(金) 00:34:17 0
とりあえず、日本語のせいにしたって仕方がない。
言語を取り替えたら価値観まで変わったといった実例はない。
言語を取り替えても価値観が変わらなかった実例はあるが。

492 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/04(金) 09:18:15 O
「人間」という言葉からして空気読んでるよねw

493 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/06(日) 13:38:19 0
「無関係ではないのでは」と言っているまで。

>言語を取り替えたら価値観まで変わったといった実例はない。
>言語を取り替えても価値観が変わらなかった実例はあるが。
これ、ソースは??



494 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/07(月) 01:35:56 0
>>493
> 「無関係ではないのでは」と言っているまで。
「無関係じゃないの?」と言われたら?

> これ、ソースは??
実例のないものにソースはない。
インドの上流階層の第一言語は英語だが、彼らは伝統的な価値観を捨てていない。
シンガポールは事実上英語国だが、社会主義国家だ。
在日韓国・朝鮮人には日本語しか話せない人が多いが、日本人との価値観の違いが一部の日本人から嫌われている。

495 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/09(水) 23:16:35 0
>>494
>「無関係じゃないの?」と言われたら?
君の立場は分かった、と応える。

>インドの上流階層の〜
言語と人間性に関連があるとしても、その程度は様々。
君の挙げる例が仮に認められたとして、それが直ちに言語と人間の関連性を否定
するものではない。

496 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/09(水) 23:55:36 0
>>495 何事も否定することはできない。ないことの証明はできないから。
言語の特性が話者の人間性に影響を与えたという実例がない以上、
「言語と人間性には関連がある」を前提とし、出発点とするわけにはいかない。
関連がある可能性を否定するものではないが、関連性の実例が示されるまでは、
「関連がない」を出発点とする方が無難だろう。

497 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/10(木) 00:48:56 0
>>496
言語→人間性のみを問題にしているようだけれど、人間性→言語も考えるべきでは?

498 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/04/10(木) 01:24:25 0
>>497
> 人間性→言語も考えるべきでは?
それは影響があったとしても、言語の特性は結果にすぎない。
言語がかくかく「だから」しかじか、と主張することはできない。

499 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/05/15(木) 17:11:42 0
>>483の訂正&補足

<二重規範と二重定義について>

日本は「二重規範」(@全体主義 A個人主義)になっている。
そのため、
日本語も「二重定義」(@全体主義による定義 A個人主義による定義)に
なっている言葉が多い。
(コミュニティ、コミュニケーション、公共、共生、主体性、民主主義、甘え、…などなど)

一昔前までは、主に「全体主義」だけで日本の社会が動いていたため、
あまり問題がなかったが、
近年は、グローバル化などの影響で「個人主義」も強くなってきて
二つの規範&定義が混在しているため、日本の社会が混乱している。



<全体主義と個人主義について>

@「全体主義」(主客融合を志向する。「心を一つに」など。)
 ・日本モデル(前近代社会)=共助(共依存)=「村社会」

A「個人主義」(主客分離を志向する。「人は人、自分は自分」など。)
 ・米英モデル(近代社会)=自助(自立と競争)=「小さな政府」
 ・北欧モデル(次世代社会)=公助(自立と共生・相互依存)=「大きな政府」


500 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/05/15(木) 17:14:09 0
参考までに。

「全体主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%A8%E4%BD%93%E4%B8%BB%E7%BE%A9

「個人主義」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9


501 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/05/17(土) 08:36:31 O
日本では、個人の自由意思によって全体主義に従うことが求められるから、特に異分子排除が厳しい(KY、嫌韓)
北欧型社会は社会民主主義が政権の一翼を担うことで成り立っている。日本ではサヨとして排除されるので、ありえない。

502 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/05/26(月) 21:44:49 0
>>485  こっちも ↓

【いじめ】内藤朝雄【教育社会学】
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1207468006/511-610

いじめの社会理論 2  (56〜)
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1187851303/

503 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/10(火) 15:14:14 0
>>496
「無難」かもしれない。
しかし、人の「冒険」にあまりかまうなよ。

504 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/10(火) 15:22:30 0
>>498
>> 人間性→言語も考えるべきでは?
>それは影響があったとしても、言語の特性は結果にすぎない。
>言語がかくかく「だから」しかじか、と主張することはできない。

意味不明なんですが?

505 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/10(火) 20:34:15 0
>>486
> 誰に対してもどのようなときにも使える「人称詞」がない。
> 誰に対してもどのようなときにも使える「文体」がない。
> つまり、特定の相手(客)抜きには「表現」(主)が成立しない。
> ⇒主客融合

意味不明。まずソシュールの理論から言語の本質について勉強したほうがいいよ。

506 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/11(水) 01:12:24 0
>>504 「人間性→言語」と「言語→人間性」とは無関係だと言ってるだけじゃないのか。

507 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/12(木) 14:40:30 0
>>502
良く言うと「和の国」、悪く言うと「SMの国」、   …もう落差あり杉。

508 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/13(金) 22:51:29 0
>>507
良く言うと「絆」、悪く言うと「緊縛」っていうのもあるよ。

509 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/14(土) 01:25:38 0
言語っていうのはその国の文化をありのままに表している気がする。

510 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/14(土) 17:17:56 0
国と言語は一致しないよ。国語幻想。

511 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/06/15(日) 16:43:30 0
そうさ夢だけは

512 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/05(土) 13:15:51 0
>>502の続き

「いじめの社会理論3」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1214112632/


513 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/23(水) 14:54:01 0
「いじめの社会理論4」
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/sociology/1216695179/

前スレ(860〜)に引き続き、茂木さん(クオリア)を批判しているよ。

514 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/07/25(金) 16:01:32 0
>>127
どっちもトンデモ。実証性に乏しい似た者トンデモ同士www

515 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/08/24(日) 00:30:17 0
>>514
>>513のスレで社会学的に実証されてますよ〜

516 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/08/24(日) 08:34:00 0
>>515
どこが? なんのことはない、その社会学板でも実証性にとぼしいと批判されているやんw

517 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/08/26(火) 13:35:11 0
>>516

541 :名無しさん@社会人:2008/08/12(火) 21:46:17
>>510
 <日本の特殊性について>

 ・日本は心を一つにする教育を行っている。(主客融合志向)
 ・日本は欧米と同じ近代社会ということになっている。(主客分離志向)

 この二つの事実を
 「日本の特殊性」(@主客融合志向 A二重規範)の大きな実証にするのは
 論理的、科学的には特に問題がないように思うけど、
 政治的、文化的、宗教的には問題がある、ってことなんじゃないかなぁ。


518 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/10(水) 13:36:32 0
>>513
日本人の主客融合性には、日本語の他に
「大麻(THC)」も関係がありそうだなぁ。


日本の大麻愛好家の人って本気で
「大麻で世界平和」なんて言ってるんだよね。

やっぱり、他の嗜好品とは違う気がする。

(「お酒で世界平和」とか「タバコで世界平和」とか言うヤシいる?)



519 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/10(水) 15:40:13 0

「大麻と日本人」
http://www.new-age-trading.com/hemp/05_burst0305.html


天皇家の宮中祭祀でも「大麻(THC)」が使われているのでは…??



520 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/10(水) 16:20:39 0
妄想はどんどん広がるねw

521 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/10(水) 21:43:06 0
>>519のサイトに書いてあるように
日本人が大麻をあがめていたって言うのは事実でしょ…?

今は思いっきり悪者になってるけど。

522 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/10(水) 22:06:15 0
>>518
大麻があれば日本語がなくても主客融合できるってことかな

523 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/11(木) 13:39:06 0
アーティストや芸術家、ヒッピーぽい人とかスピリチュアルな人は
みんなそうみたいだけど…、
ビートルズのジョン・レノンも主客融合志向が強かったみたいだね。

インドで修行をしたり、日本の女性(オノ・ヨーコ)と結婚したり。
日本の禅や俳句にも強い興味があって、日本語の勉強もしていたとか。
もちろん大麻もやってたみたいだし。

この人って平和運動にも熱心だったそうだけど
「平和=主客融合」みたいに思ってる人って
欧米人の中にも結構いるんだろうか…?

(日本の場合、「平和」って言うより
都合の悪いところを隠してるだけって気もするけど)


「ジョン・レノン」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%8E%E3%83%B3


524 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/11(木) 15:07:05 0
「ラブ&ピース」って言う時の「愛」とか「平和」って
主客融合っぽいていうか…、大麻っぽいな。


525 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/12(金) 13:46:25 0
単なる嗜好品として楽しんだり、医療として使う分にはいいと思うけど、
宗教や政治と結びついたり、依存症になったりするのは困るよね。

526 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/13(土) 12:22:39 0
大麻(THC)って三分類したほうが良くない…?

@医療大麻…医薬品として扱う
A嗜好大麻…嗜好品として扱う
B宗教大麻…神聖なものとして扱う


527 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/13(土) 15:47:54 0
そう言えば「シンセミア」って小説があったね…、読んだことないけど。

528 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/13(土) 19:09:17 0
先祖返りを望む人(大麻賛成派)と
現状維持を望む人(大麻反対派)の対立って感じもする。(?)

で、結果的に日本社会の矛盾が表面化していくんだよね…。


「神宮大麻」とインドの「大麻」が同じものだったなんて
ホント衝撃でしたから。 (>>519


529 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/13(土) 19:21:56 0
よく考えたら同じ「大麻」って言葉なんだから当たり前なんだけど。

前も言ってたけど、言語は文化そのものだね。


530 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/13(土) 23:40:47 0
大麻といえば、ラスタファリアニズム特有の言い回しってあるよな。
例えば人称代名詞(不変化詞)は

1.sg. I
1.pl. I an I (I and I)
2/3.sg. di I (the I)
2/3.pl. di I dem (the I them)

みたいになるけど、主客融合性ってのと関係あるんだろうか??

531 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 00:10:21 0

「ラスタファリズム」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0#.E8.A8.80.E8.AA.9E


532 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 00:15:19 0
>>530
●ラスタ言語

ラスタファリアンの言葉は訛りが激しく、
彼らの会話を聞き取るのは部外者では不可能に近い。

非文法的な話し方は当たり前で、
"me"や"you"を使わず"I and I"という表現方法を用いることを好む。

ラスタ言語とは、社会で悩む他者を自己同一視する過程において、
二項対立を乗り越える魂の言語である。

始めて会った人に対してポジティブな感応が得られるかどうかが
彼らにとっては重要であり、
ラスタ言語とは文法がどうこうというのではなく、
心が通じ合うことができるかどうかが重要な言語なのである。

http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/687.html


533 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 00:17:43 0
 ↑  日本語みたいだよ、ラスタ言語。

534 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 00:40:35 0
"dedication" は "livication"と言い換える。"dedi-"が"dead"(死)を連想させるため。
"understand" を "overstand"と言い換える。"under-"という部分を嫌ったため。

シネラリア サイネリア
するめ あたりめ

みたいで笑った

535 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 01:11:12 0
>>531

"Rastafari movement(Rastafarianism)"
http://en.wikipedia.org/wiki/Rastafari_movement

大麻は主客を融合させる効果があるんJamaica??

536 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 11:49:38 0
おおっ…、英語版の方が全然情報が多いような…。


537 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 13:57:50 0
>>525
てか、大麻って宗教そのものって感じ

538 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 14:28:01 0

「Spiritual use of cannabis」 (精神的な大麻の使用)

http://en.wikipedia.org/wiki/Spiritual_use_of_cannabis


539 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/14(日) 15:18:39 0
日本語を讃美するのも大麻を讃美するのも
宗教的っていうのか、主客融合的っていうのか、
どっちも同じようなもんなんだろうね…  

540 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 11:31:49 0
>>526
「医療大麻」とそれ以外の線引きはできそうだけど
「嗜好大麻」と「宗教大麻」の線引きは難しいような。

大麻を神格化しているかどうかなんて、内心の問題だし。

541 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 12:36:59 0
大麻賛成派の人って反体制って言うか…
アンチ近代文明って感じだよね。

こういうタイプの人って
アメリカの物質主義を批判するだけじゃなくて
北欧みたいな持続可能な福祉社会も嫌なんだよね…。


日本の場合、「反体制」って言葉にも二種類あるのかな?

 @ 大麻志向タイプ       A 北欧志向タイプ


542 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 14:57:20 0
大麻賛成派の人は
GHQによって日本の大麻文化が破壊されたとか言ってるけど、
GHQが大麻をきびしく規制したおかげで
日本の近代化(産業化・工業化)が進んだとも言えるのでは…??


大麻が自生してるところって近代化が遅れてるよね…。
大麻でハッピーだから構わないのかもしれないけど。(?)


543 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 19:41:56 0
>>540
それは個人主義的な嗜好と共同主義的な宗教との区別を否定する乱暴な見解だなあ。

544 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 19:48:58 0
英語式語順は自然な思考の順番に反する
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1215606768/

>実は、日本語のようなSOV式の方が自然な語順であるとのこと。
>また、記事中にもあるように、言語は思考から独立しているということもある程度言えそう。

545 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 21:44:11 0
>>536  参考までに。

Portal:Cannabis(大麻)  http://en.wikipedia.org/wiki/Portal:Cannabis


546 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 21:48:45 0
>>543 「法律上の線引き」という意味でした。

547 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 21:58:46 0
>>544
語順って大事なものから順番に言うんじゃないかな。
その言語を使う文化の価値観を反映しているのでは?

548 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/15(月) 22:16:12 0
コンピューター言語は今や
日本語式

コピー&ペーストコマンドの場合

まずマウスで目的語にあたるコピー対象を選択する。
次にマウス右ボタンクリックでコピーコマンド(他動詞)を選択。

次に貼り付け場所へマウスカーソルを置いて「目的地」を指定する。
最後にマウス右ボタンクリックでペーストコマンド(他動詞)を選択。

549 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 00:54:28 0
>>548,>>544
コンピューター言語のことはよく分からないけど…、
身振り手振りとかがイメージ優先になるのは当然じゃないの?

「(SVO)言語は思考から独立している」と言うより
「(SVO)言語はイメージから独立している」と言う感じでは。(=論理的・観念的)


あとさ、「日本語式」って言うけど主語はどうなるの…?
   
SOV式は自然な思考の順番だって言うけど
自然な日本語ではSは普通言わないよね。
Sを言わない時はSを強く意識していないのでは。
(つまり主客融合しているのでは)

550 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 02:45:20 0
>>546
>>526が主張するのはそういう意味じゃないでしょ。
それに、法律上の線引きという意味でも同じ。
自分の意志による個人的嗜好と、自分の意志よらず押し付けられるものとを法が混同してはいけない。
それは個人が好んでするセックスと押し付けられるセックス=レイプとを法が混同するようなものですよ。

551 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 12:52:22 0
>>544
「自然な思考」ってなに? 主客融合的な思考ってこと?

ヒッピーの人も
「自然に帰れ」(Back to nature)がモットーらしいけど。


552 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 13:02:37 0
>>550

個人の趣味でやる大麻と、
(押し付けられるんではなくて)
自分の信じる宗教や思想信条でやる大麻は線引きができないんじゃ…。

553 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 13:18:13 0
>>552
その意味での宗教は信教といわれ、個人の思想信条の自由によるものであって、
要するに内面の自由、つまり個人嗜好の範疇だからね。
大麻吸引の問題もそこをはっきり識別しなきゃいけない。

例えば逆に、タバコや酒を禁制としている宗教を想定してみて。
タバコや酒をやったら死刑にされる宗教。

言っている意味を分かってもらえるかな?
最初っからこう指摘しておけばよかった。>>526に倣えば、こう説明できるね。

宗教も二つに分類したほうが良くない…?

@個人の内面的自由、つまり思想信条の自由によって選択された嗜好としての宗教(=信教)
A共同体の規範、つまり他者や社会(広義の他者)によって押し付けられる規範としての宗教

554 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 13:18:17 0
>>518
なんか「大麻平和党」っていう政党ができそう…?

555 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 13:48:03 0
>>553
「嗜好としての宗教」って例えばどんな感じ…?

556 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 14:20:33 0
>>551
> 「自然な思考」ってなに? 主客融合的な思考ってこと?

ソースの記事を読めばだいたい分かると思うよ。
ただし「自然な」という表現はもはや多義的だから議論の余地が大いにあるかもしれないね。

> ヒッピーの人も
> 「自然に帰れ」(Back to nature)がモットーらしいけど。

ルソーのいう自然観も一筋縄にはいかず、いろいろと議論の余地があるところでしょうが、
英語や仏語にいうnatureというのは端的にはその事物の本性、あるがままの姿みたいな意味
でしょう。日本語で自然環境といった場合の自然とはちょっとニュアンスが異なりますね。

村や社会のしがらみによって律せられた自己は本来の(ナチュラルな)自己ではなく
社会によって律せられた作為的な自己であるから、作為に律せられた己れのしがらみから
自らを解き放ち、あるがままの自分自身の姿に立ち返りなさいという意味にヒッピー達は
素直に受け取ったんでしょうね。ヒッピー流の個人主義思想の体現ともいえます。

「じねん」と読む場合の「自然」にも、似たような個的思想の意味があるようですね。
自然とは事物が本来的に独立にもつ固有の性質のことで、事物の性質はすべて因果関係に
よって他律的に共依存的に決定・支配されているからそれには逆らえないとする仏教的な
世界観である因果律思想に反する外道(異端)の考え方とそれはされていたようです。

日本では浄土真宗の親鸞がこの言葉は重視し、仏教的な戒律主義とは異なる信教の道
を説いて、当時は出家信者に許されなかった妻を娶る生き方をしたことでも有名です。
また一休さんの生き方に代表される、禅宗にいう風狂もこれに近いところがありますね。
仏教の伝統的な戒律第一主義とは異なる仏教の中からの個人主義の萌芽を読み取れます。

557 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 15:16:01 0
>>556
??
近代的な個人主義(主客分離志向)と
前近代的な全体主義(主客融合志向)は対立する概念だよね…。
(個人主義⇔全体主義)


ヒッピーもまた別の新しいムラを作っているんじゃないの?
(一休さんやルソーのことはよく分からないけど)

558 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 16:07:00 0
>>555
> 「嗜好としての宗教」って例えばどんな感じ…?

>>555にも書いてあるとおり、他人や社会の押し付けやしがらみに従って
自らを嫌々律するために課せられた宗教規範(戒律としての儀礼宗教)のことではなく、
個人の内面の自由意志によって選択・表現された思想信条の自由表現としての信教であって、
「個人の好み(選好)として選ばれた宗教」のことだよ。思想信条の自由とイコール。

>>556
> 日本では浄土真宗の親鸞がこの言葉は重視し

「日本では浄土真宗の親鸞がこの言葉を重視し」に修正。

>>557
その近代と前近代って純粋に時間的概念? それとも理念的概念?
理念と時間とは必ずしもイコールではないはずだよ。
それに理念としては何を基準にして定義された概念?
近代とは個人主義を基準にしていて、個人主義とは近代を基準にしている、
といった同義反復的定義では意味がないですよ。

559 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 16:12:03 0
>>557
> ヒッピーもまた別の新しいムラを作っているんじゃないの?

個人の選好を尊重した生き方にまでそういう意地悪な見方を押し広げようとするなら、
近代の個人主義思想や自立独立思想だって別の新しい村社会の金縛りを生み出して、
それを個人個人に押し付けようとしているだけのネオファシズムじゃないの?
下手をするとそういう見方だってできるよ。

560 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 16:21:26 0
>>558-559    >>499参照

561 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 16:27:55 0
>>560の続き
日本語や大麻(THC)の主客融合性についてはどう思ってる?
(一応、ここは主客融合スレだしね…)

562 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 21:45:35 0

259 :proxy1138.docomo.ne.jp(09C3O31)元:2008/09/16(火) 18:24:15 ID:g+vFW4RLO
ありがとう。
大麻は皆さんご存知の通りすごく平和だなぁって思います。
これが合法ならなぁって何回も思いました。
けど冷静に考えて見るとみんな考え方が昔より変わったんですよね。
共感しすぎてみんな同じ考え方になってきて。
それがシラフでもある程度継続するから怖いんですよ。
例えば今までシラフで聞いてもまったく興味なかった音楽がよく聞こえる何てありません?
それをいつかシラフでも聞いてるみたいな。
周りに共感しすぎて自分の考え方が変わるってのはやっぱ怖いですよ。
これがたまたま音楽だからいい事で・・・。
説明下手ですいません。

http://mamono.2ch.net/test/read.cgi/ihou/1220499687/201-300


563 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 21:51:40 O
これから書く文章に対して率直な意見をくれ。 

>ならお前自体の存在が、俺はうんこはゲ頭やろうの、糞ニートだよ。

マジレス頼む

564 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/16(火) 21:58:10 0
大麻やってる?

565 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/17(水) 02:52:20 0
聴覚が過敏になるから、才能のない音楽家にはもてはやされる。
ビートルズも後期には枯渇して、大麻やら LSD やらにひたっていたようだ。
だから名曲は数えるほどしかない。
前期の曲には、オーケストラでもオルゴールでも美しいものが多い。

566 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/17(水) 12:55:53 0
>>565
な〜る…。
大麻やLSDをやるといい作品が作れる、とは言い切れないのか…。

確かに、
ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンド(略すとLSD)なんかは
変わった曲だなぁ〜という印象しかなかったな。
インド楽器のシタールを使った曲もあったけどよく覚えてないし。

567 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/17(水) 13:25:06 0
あ〜、小説家とか文筆業の人もそうかもね。

内容的な良し悪しはよく分からないけど
大麻とかやってる人って、文が長いって言うのか、しつこいって言うのか
偏執狂(パラノイア)っぽい人が多いような。(?)

568 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 13:27:43 0
大麻による宗教体験は「対象のない感動」だそうです…。
対象(客体)がない感動って、主客融合している感動ってことになるよね。

http://ameblo.jp/yamasaki117/entry-10087852043.html

569 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 13:39:29 0
大麻による主客融合は、日本語による主客融合と違って
いきなり「世界」や「宇宙」や「神」と主客融合しちゃうところが凄いと思う。(?)

570 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 14:26:47 0
インドって「奥が深い」ってイメージがあったけど
なんか「大麻漬け」って感じもしてきたなぁ…。

貧困と大麻って関係が深そう。


571 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 14:53:24 0
今北産業で主客融合を説明して

572 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 15:31:12 0
>>570
>貧困と大麻って関係が深そう。
当然と言えば当然なんだがな。

573 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 16:15:36 0
貧困だから大麻をやるというより
大麻をやるから、貧困から抜け出せないという感じがするんだけど…

574 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 16:31:06 0
>>571
主客融合=主体と客体が融合していること    
               (>>499,>>517あたり参照)


575 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 17:14:19 0
>>560
近代的、前近代的というのは時間概念ではなく、理念という意味に受け取っていいの?

576 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 17:29:02 0
>>575
>>560ではないが、二者択一する必要あるの?


577 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 17:58:44 0
>>576
時間的な前近代社会には個人主義的事例は全く見出せず、
近代社会には全体主義的事例が一つも見出せないということ?
一致するというならそうなるよ。

578 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 18:02:38 0
こんな指摘をしている人がいたよ。

同性結婚容認とマリファナ容認との相関性を指摘している人のブログ
ttp://tapten.at.webry.info/200608/article_14.html
>マリファナに対する偏見と、同性愛者たちに対するそれとは、実は、よく似ているのです。



579 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 22:20:55 0
>>568
日本の禅は「不立文字」とか「以心伝心」と言って言葉に表さないけど、
インド哲学はいろいろ言葉で説明しようとするところが特徴的だね。

インドの言語(ヒンズー語とか)は割と論理性が強いんだろうか。
インドの人は数学とかも得意みたいだし。


>>570,>>573
富裕層は受験競争が過熱してて自殺する人も多いとか。
大麻は貧乏人のやるものなのかな。  ずいぶん極端な感じがするけど。
http://sakamotoryu.blog34.fc2.com/blog-entry-3928.html



580 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/18(木) 22:28:54 0
>>578
大麻の主客融合性を考えるのは偏見じゃないと思うけどな

581 :560:2008/09/18(木) 22:39:42 0
>>575
いろいろな定義があるけど、このスレでは特に説明がない場合、
近代的=主客分離的=個人主義的、
前近代的=主客融合的=全体主義的という意味で使っているよ。
(ただ>>542では、近代化=産業化・工業化という意味で使ってるけどね)

582 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 00:23:06 0
>>580
偏見うんぬんというよりか、そのブログの人は単に、マリファナを合法化している国と
同性婚を合法化している国とがそこそこ一致している、つまり相関性が見出せそうだと
指摘しているだけだね。

583 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 02:55:13 0
規制されやすい物の中から、同性愛と大麻を恣意的に選んで
単純に規制されていない/規制が緩い国を挙げるだけなんて、
相関性に関してはなんの根拠も示せてないだろw
単に無闇に規制がされていない、というだけのことなのでは?

ラスタなんかでは大麻は奨励されるが、同性愛は激しく批判される。
これなんかは全くの反例だな。

584 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 08:58:23 0
>>553が指摘するとおり、儀礼として奨励される場合と、
個人主義的な嗜好として許容される場合とを分けなきゃいけないよ。

もちろん同性愛についても、私的自由恋愛としての同性愛と、個人の嗜好に関係なく
共同体によって習慣的に強要される(サンビア社会などの)儀礼的同性愛とを分ける必要がある。

個人主義的な嗜好として許容される大麻吸引と同性婚(私的恋愛としての同性愛)への寛容とが
相関的傾向にあるという見方が(国際単位で)できるんじゃないかな。

585 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 12:31:02 0
>>584
儀礼的な使用じゃなくても
主客融合を志向して大麻を使う場合、
果たして「個人主義的(主客分離的)な嗜好」と言えるのかな。(>>581


586 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 12:59:17 0
>>579より
【ニューデリー30日時事】

インドで大学や高校入試を前にストレスに耐え切れず自殺する生徒が増加傾向にある。
地元紙によれば受験絡みの自殺は2006年だけで推定5857人。
急速な経済発展に伴い、
特に就職に有利な理工系を中心に競争が激化していることが背景にある。

ニューデリーで昨年実施された調査だと、
受験準備中の生徒の70%がストレスに関連した心身の不調を訴えている。
この問題は今月、国会でも取り上げられ、入試システムの抜本的見直しを求める声が上がった。

ストレスの裏には「親が子に過大な期待を掛け、進路選択の自由を奪っている」
(ニューデリーの女性教師)現実もあるようだ。

医療系大学を出たビハール州の女性(25)は
「教師になりたかったが、父親の意向で医学に進んだ。
受験で一番怖かったのは親の期待を裏切ることだった」と振り返った。

 ↑
主客融合志向が強いまま急速な経済発展をすると
受験競争が激しくなるのかな…?
一昔前の日本とか、今の韓国とかもそうだよね。


587 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 13:10:49 0
>>585
そうなるともはや主客分離せよという命題が個人の嗜好にかかわらず
強要されるべきものとして共同体の至上命令となっているね。
個人主義もそのように個人の自由選択の余地とは別個に超越的価値として
イデオロギー化されると全体主義となるよ。

588 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 13:13:06 0
そういうのはもはや個人の選択権を尊重するという意味での
個人主義とは言えないんじゃないの? べつの意味での個人主義だね。
個人を個人化することによって管理するという意味での個人主義。
その場合の個人主義とは全体主義的個人主義だね。

589 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 13:30:02 0
あいかわらず言語学と関係ないオカルト垂れ流してるな

590 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 13:41:46 0
大麻が主客融合的かどうかという話題自体がそもそもどう言語学なのよ?
そこには突っ込まないのかい?

591 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 13:59:34 0
>>587-588
「個人主義」って言葉にもいろんな定義があるんじゃないの…?

592 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:02:38 0
>>590
「言語学」にもいろんな定義がありそう。
言葉に絡んでればOKじゃない?

593 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:02:51 0
池上嘉彦さんは、『甘えの構造』などに代表される日本人論を、読者の直観的な参与に訴える
自動詞的な説得の談話だという分析をなさっていて、それじたいが日本的テクストだと論評して
いるね。『「日本語論」への正体』p.46-49
この場合、池上さんが「直観的」と表現しているのはむしろ「共感的」という意味じゃないかな。
そう表現すべきところのように思うけどね。池上さんはその危うさを半ば分かっていながらそれらの
日本人論への思い入れから、ちょっと私意的に贔屓目に表現しているだけだろうね。


594 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:05:11 0
誤変換訂正:『「日本語論」への招待』

595 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:08:57 0
議論する時は言葉を定義しないと話がかみ合わないからね。
このスレではとりあえず>>581の定義でやってます。

596 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:11:53 0
>>591
個人の自由意思の尊重という意味じゃなくて使っているってこと?

597 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:36:43 0
>>596
主客融合したら「個人」じゃなくなるような。
世間学では「日本には個人がいない」と言われているよ。

598 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:45:29 0
>>597の続き
主客融合していると「場の空気」でものごとが動いていくので
個人の自由意思なんて尊重されないよ。

「空気嫁」とか「KY」って言葉、さんざん言われてるじゃん。


599 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 14:52:25 0
>>589
「空気読め。」って言う時の「空気」ってどういう意味?
「空気読め。」って言うのもオカルトじゃない…??

600 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 20:21:27 0
>>597
その個人は個人の自由意志の尊重という個人主義思想とは無関係の個人なのかな?

601 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 20:52:27 0
>>600

一般的な「個人主義」のことだよ。


「個人主義」概要より

個人主義は、個々の人間の人格の独自性と自律性を重んじる立場であり、
その時々に形成された場の雰囲気に流されることのない、
一個人としての一貫性のある深く統合された思想と責任ある行動を高く評価する。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%8B%E4%BA%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9#.E6.A6.82.E8.A6.81


602 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 21:52:28 0
>>569
スレチだけど…、
曼荼羅もサイケデリックアートも
大麻やLSDで見た幻覚を描いたものみたいだね。

603 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/19(金) 22:33:15 0
「個人主義」だろうと「主客融合的」なところもあるし
「全体主義」だろうと「主客分離的」なところもあるだろう。

「主義」に「主」とあるとおり、それは単なる「量」の問題。
「主」に対する「副」や「客」という概念も、「主義」という概念の中に入っているのではないのか。
「主義」という概念そのものも「主客融合的」なところがあるのではないのか。

なぜこうも議論してまで分けて考える必要があるのか。
バランスよくどちらも内包していればよいのではないのか。

604 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 01:09:03 0
>>603
その手の話は板違いだし、社会学板で議論した気がするので、
気が向いたら見に行ってみてくださいです。   (>>485,>>502,>>512-513

605 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 06:42:44 0
>>601
ん?

その個人主義の定義は、個人の選好による判断と責任に委ねることを尊重する主義、
つまり「個人の自由選択の尊重」は含まれないの?

ある個人が自分の考えと判断に基づく自律的な規範にもとづいて選択したことであるならば、
それが大麻の吸引であってもその個人の責任の範疇として尊重されなければならないのでは?

それがそのウィキペディアでの個人主義の定義とどう矛盾するというの? そこがよく分からない。
あなたの判断の中ではそこんとこがどうなっているの?

606 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 06:45:45 0
>>604
社会学板のそれらのいじめ関連のスレッドとも直接関係ないことだし、
その意味ではスレッド違いですよ。
主客融合性については心理学板あたりが適当でしょう。

607 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 06:49:16 0
>>603
ということは、>>581>>499の定式化も曖昧であやしくなってきますね。

608 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 13:18:28 0
>>606
いじめ関連のスレと言うか
内藤朝雄関連のスレ(内藤スレ)と言ったほうがいいかも。

内藤さんはいじめの研究をしているけど、その中で
「中間集団全体主義」という問題を取り上げているんだよね。
その流れで全体主義と主客融合志向の関係について議論したんだよ。


609 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 13:33:10 0
>>605
大麻をやると、>>562にもあるように
個人主義が重んじている「個々の人間の人格の独自性と自律性」(>>601
が損なわれると思うんだけど…。

それを理解した上で個人の責任でやる分にはOKじゃないのかなぁ。(?)


610 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 15:32:56 0
>>593
なるほどね。
その場合の「共感的」とは、「主客融合的」とも言えません?

611 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 15:38:22 0
>>603
単に議論を引っ掻き回すだけの極論。

>>605
>ある個人が自分の考えと判断に基づく自律的な規範にもとづいて選択したことであるならば、
>それが大麻の吸引であってもその個人の責任の範疇として尊重されなければならないのでは?
「自律的な規範」と言っても、不法なことはダメでしょ。
「大麻の吸引」は、禁止されていないところもあるものの、非常にきわどい
ものであることは確か。
そして、そもそもここ日本では、法律で禁止されていますがなw。
失礼ながら、子どもの屁理屈に聞こえるのだが。

612 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 15:53:53 0
>>562みたいに「大麻は平和でハッピー」って言う人がいるけど
実際はどうなんだろ…。

確かに、共感できる対象にはとても温和で寛容だけど
共感できない対象にはとても敵対的で攻撃的な印象があるけどな。
>>568のブログとかも割とそういう感じがする)

613 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 16:05:45 0
>>603
内藤スレにも
そんな風に問題を相対化・曖昧化(=主客融合化)しようとする人がいたっけ。


614 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 16:18:58 0
相対化や曖昧化という言葉を、主客融合化という言葉とイコールで結べるということこそ主客融合思考のなせる業

615 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 17:21:41 0
>>603>>613
ttp://web.sfc.keio.ac.jp/~n04525sn/diary/archives/20050104_.html
ここの最後のほうでも、似たような論に至っていた。

616 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 18:08:48 0
>>614
「相対化」って言葉を
@「曖昧化」(主客融合化)という意味で使う人と、
A「対象化」(主客分離化)という意味で使う人がいるみたいなんだよね。

極論を持ち出せば何でも「みんな一緒」になるからね…。
問題は「志向性」だと思うよ。
主客分離を志向するのか、主客融合を志向するのかという。

617 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/20(土) 18:30:19 0
で…、
大麻や日本語には主客融合志向が強く感じられる、ってことじゃないかな。

618 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 13:56:59 0
>>603
>なぜこうも議論してまで分けて考える必要があるのか。
>バランスよくどちらも内包していればよいのではないのか。

分けて考えるのが学問じゃないの…?

音楽やアートや文学の世界で主客融合を志向するのはいいけど、
学問の世界で主客融合を志向するのは困るよね…。


619 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 14:19:33 0
もはや主とか客とかで何を言おうとしているのか分からんな

620 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 17:45:33 0
>>619
分かりたくないだけでしょw。

621 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 19:50:02 0
まぁまぁ…、分かる人もいますよ、きっと。


622 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 19:56:15 0
「神様」にも二種類あるのかな…??

@主客融合的な神様   A主客分離的な神様        …なんてね。


623 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 23:33:33 0
>>618
なにかの学問をしていたのか。
言語学板なのだから言語学ということだろうか。
そうだとして、「主義」という言葉にも「主客融合性がある」という要素を
「曖昧だった言葉の定義から明確に分離して念頭に置くようにする」ということは
正確に議論をすすめる上で必要な、ここでいう主客分離的な言語学的アプローチではないと?

どちらの主義になったところで、結局はどちらの主義の要素も入るのだから、
世の中には「主客分離的に考えたほうがいいこと」と「主客融合的に考えたほうがいいこと」がある、
というような主客融合的(だれかのいう相対的)な考えが最もバランスがとれた考え方だと思う、ということだ。
その考えに基いた上で、「どんな状況の何に対してなら、どちらの考え方がよいか」を議論しているならまだわかるけれども、
日本語の主客融合性を否定するか肯定するかのような、大雑把で絶対的な、ここでいう主客分離的な結論を求める議論などは
意味がない水掛け論になるだけではなかろうかと考える。
そんな議論をしているのかどうかも、>>619と同様に私もよくわからないけれども。

624 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/21(日) 23:49:21 0
文法的な目的語、対象語が客体とも言えんのでは? それをも懐疑したところに近代の理性があるわけで。

625 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 01:24:37 0
>>623-624
誰もゼロか100か、の議論をしている訳ではないよ。
「程度」や「志向性」を問題にしているんだってば。

626 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 01:35:36 0
ゼロか100かなんて誰も言っていないじゃんw
>>624のどこにそういう主張があるのさ。

627 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 01:38:46 0
計量的に定義されない「程度」って概念は曖昧だから、主客融合的にいくらでも言えちゃうところがあるよね。
「志向性」ってのもそう。池上さんがいうように日本人論そのものが主客融合的な論理に依拠して読者に共感、
すなわち心理的一体化に訴えているところがある。

628 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 01:52:33 0
>>626-627
「日本語は主客融合志向が強い。」と主張すること自体は問題ないよね…。
立場をはっきりさせないと議論ができないと思うんだけど。

629 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 01:55:46 0
最初から「そんなものは分からない。」って言う人とは議論できないんじゃ…。

630 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 02:00:11 0
>>628
そういう発想が主客融合的にうつるんだけど。
主観的な立場と客観的な事実とは全く無関係の別物だよ。
個々人の主観的立場など、客観的事実にとってはどうでもいい。無関係。
それが主客二元論。
その前提をもって客観的に同定されない問題を「分からない」と
保留しておくのが主客分離的な思考様式のはずだよ。

631 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 03:35:03 0
たとえ立場がはっきりしようと、論題そのものがはっきりわからん。
「日本語は主客融合志向の程度が強い」ということを証明すること自体が本題なの?



632 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 03:51:48 0
1,
彼は「そのリンゴを食べたのは私だ」と私に言った。

2,
「そのミカンは君のものじゃないよな?」と私は彼に訊ねた。
「はい」と彼は答えた。


1において日本語的に解釈すると、括弧中の「私」は当然発言者の「彼」のことになる。
英語的な解釈だと「私」は発言を聞いた本人、つまり「私」のことになる。

2においては、日本語では「はい」が「はい、私のものではありません」になり、
英語では「はい、私のものです」になるよね。


これらの例においては、英語のほうが主客融合的なのではないかと思うがどうか。

633 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 11:01:56 0
「そんなものは分からない」とか「どちらとも言えない」といった
「態度保留」という選択ももちろんアリだけど、
自分が態度保留だからといって
ハッキリ主張する人を抑えつけようとするのは変だよね…。

いろいろ議論した上で納得できない時は
「人は人、自分は自分」ってことでいいんじゃないのかな。
(こういうのを個人主義って言うんでしょ…?)

634 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 11:06:36 0
>>631
確かそういうことを議論するスレだったと思うよ。

635 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 11:21:55 0
>>632
? なぜ…?
英語のほうは命題を受けてそれに対してYES,NOを言ってるけど
日本語のほうは発言全体の空気を受けてYES,NOを言ってるのでは。

636 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 11:51:27 0
>>627
で、池上氏は、日本人論に見られるそのような構造と日本語の性質はパラレル、
つまり日本語は、主客融合的であると言っているのだが。

>>630
それは仮説を認めない、極論。
そのような態度において、「分かる」ものなどどれほどのものがあるのだろう?
自然科学に寄りすぎじゃない??

>>632
それこそ、なぜそのような理解になるんだ?

637 :小沢が朝鮮人を秘書にしている理由--恐ろしい現実:2008/09/22(月) 12:35:59 0
「英語式語順は、自然な思考の順番に反する」研究結果

6月30日(米国時間)に『米国科学アカデミー紀要』(PNAS)に発表された
論文によると、主語(S)、動詞(V)、目的語(O)の順に文章が構成される
(例えば「Bill eats cake(ビルが、食べる、ケーキを)」)SVO型言語を
話す人であっても、身ぶり手ぶりでコミュニケーションを取るよう求めると、
主語、目的語、動詞の順番で意志を伝えたという。
◆日本語を世界語にすれば、やさしい、物静かな人格が世界標準になる
可能性がある。
http://wiredvision.jp/news/200807/2008070921.html

638 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 13:21:00 0
>>635
相手の質問の意図/空気を察して答えているのは英語のほうかと。
日本語のほうは、行間にある相手の意図は無視し、客観的に聞いた発言のそのまま、つまり現象そのままを観測し記述している。
これを科学的な主客分離思考というのじゃないの?
英語の受け答えのほうが「主体的」とはいえるかもしれないけど、
それを「主と客を分離して考えているから」とはいえないんじゃないの。

639 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 13:36:54 0
 ↑  「大麻で世界平和」って言う人と同じ論法のような・・

640 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 13:38:35 0
ごめん。 >>639>>637へのレスね。

641 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 13:50:18 0
>>638

日本語の場合、相手に共感(主客融合)する場合は「はい」になって
共感(主客融合)しない場合は「いいえ」になるように思うんだけど…。

だから日本人はNOをはっきり言わないんじゃないのかなぁ。
NOをはっきり言ったら関係に溝ができてしまうから。

642 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 13:58:04 0
>>636
> で、池上氏は、日本人論に見られるそのような構造と日本語の性質はパラレル、
> つまり日本語は、主客融合的であると言っているのだが。

日本人論も論理というより行間にある「空気を読め」的な主客融合的説得の談話に
訴えている面が多々あるもんね。それを池上さんでさえ認めている。
それとも池上さんはまさか、日本語で記述するかぎり、あるいは日本語話者が思考するかぎり、
論理が論理以前の主客融合的な傾向を強くもってしまうことは必然的で避けられないとまで
因果的な意味で主張していると、あなたは言いたいの?

> それは仮説を認めない、極論。

仮説として成り立つかどうかもあやしいと思うけど、少なくとも仮説であるとは認めるんだね?
仮説ってのはあくまで仮説であって、現時点では証明されていないから分からないと断定的に
言うことを保留する立場と同じだよ。

> 自然科学に寄りすぎじゃない??

自然科学とか関係ないでしょ。
それともなに? あなたは、社会科学や文化科学の理論においては、科学哲学的な方法論として
主客融合性(主体と客体とのカップリング)を考慮することは避けて通れないと認めているわけ?
社会とか文化には地域(東洋西洋)、歴史(近代前近代)にかかわりなく主客融合性があることを。

> それこそ、なぜそのような理解になるんだ?

そういう仮説も同様に成り立つという意見でしょ。現時点では。

643 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 14:30:52 0
いまだに主客融合という言葉の定義がゆらいでいるままな気がする。

644 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 15:24:49 0
>>642
>それを池上さんでさえ認めている。
だから?

>それとも池上さんはまさか、日本語で記述するかぎり、あるいは日本語話者が思考するかぎり、
いいえ。
そんな極論、誰も述べていないでしょ。
君自身が取り上げている池上氏の著作(『「日本語論」への招待』)の
後半部分を読んだ上で、発言してる?

>そういう仮説も同様に成り立つという意見でしょ。現時点では。
どういう仮説だよ?
>>632の例から、どういう道筋で英語の方が主客融合的、と言えるのか?
と聞いているのだけど。

645 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 15:48:00 0
>>644
「主客融合的」の定義をどう捉えてるかによってるだけでは。

646 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 15:48:38 0
>>638
>相手の質問の意図/空気を察して答えているのは英語のほうかと。
>日本語のほうは、行間にある相手の意図は無視し、客観的に聞いた発言のその
>まま、つまり現象そのままを観測し記述している。

なにをもって、英語は、「相手の質問の意図/空気を察して答えている」と言え、
なにをもって、「日本語は、行間にある相手の意図は無視し、客観的に聞いた
発言のそのまま、つまり現象そのままを観測し記述している」と言えるのか???
まったくわからない。

647 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/22(月) 18:49:07 0
それはなにをもって「主客融合的」と言えるのかわからないのと一緒だな

648 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/23(火) 14:40:42 0
>>517
「日本語と日本人の、主客融合性」は扱いが難しいね…。

今まで、神聖なもの、絶対的なものと思っていたものが
相対化・対象化(主客分離化)されてしまうのだから。

絆、人の和、日本語、皇室、伊勢神宮、禅、
大和魂、武士道、特攻隊、アカデミズム、クオリア、…などなど。


本当は、いいところと悪いところ、両方あるんじゃないかなぁ。 (大麻もね)


649 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/23(火) 15:16:45 0
なにがいいたいのやら

650 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/23(火) 21:50:07 0
>>648
生理的な反発が強烈なんだよね…。
あと、思考停止しちゃう人とか…。

651 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/23(火) 22:02:12 0
>>567,>>612 (亀&スレチで恐縮です)
イスラム世界も大麻を神格化しているけど
インドとはずいぶんイメージが違うよね…。

厳しい規則がたくさんあったり、自爆テロをやったり…、
主客融合性よりもパラノイア性や攻撃性が強く出ているような。

もしかしたら、イスラムのほうがインドより
大麻(THC)の摂取量が多かったりするんだろうか…??

あの辺は砂漠が多いから、喫煙だけじゃなくて
普通の野菜としてもたくさん食べていたりするとか…?
(大麻草はとても丈夫な一年草で、砂漠でもよく育つらしいよ)


あと…、
アフリカとかも大麻をガンジャ(神の草)と呼んでいるらしいけど、
あの辺は原始宗教(アニミズム)ぽいのかな?


前近代的な社会を考察する時は、言語や宗教などの他に
大麻の影響も考慮に入れたほうがいいかもよ…、よくはわからないけど。


652 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/23(火) 22:17:03 0
またもやなにがいいたいのやら
とっても香ばしい自演臭だけが残ります

653 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 13:36:30 0
>>651
・主客融合性…自他の境界が曖昧である
・パラノイア性…妄想や執着がとても強い
・攻撃性…敵を作って一方的に攻撃する    …みたいな?

日本人でもこんな感じの人、結構いるけどな。


654 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 13:38:06 0
>>652  スレを盛り上げてるとか?

655 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 13:48:39 0
どうでもいいことだけど、
社会学板ってややこしい自演をしてる人が割といるみたい。
文体変えたり立場を変えたり、上げ下げしたり、わざと荒らしたり。
ああいうのは命題だけを押さえるようにしないとほんと身が持たない感じ。

656 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 14:15:16 0
あと、
社会学やってる人って議論好きっていうのか、議論に慣れてる感じがする。
ああ言えばこういうって言うのか、口が減らないって言うのか…。

657 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 15:03:24 0
口が減らない4連投

658 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 15:09:45 0
ここは言語学板です。社会学の話題は社会学板へ。
陰でこそこそ言ったりトイレの落書きでした自己主張できないのも日本人的かw

659 :癒しの部屋:2008/09/24(水) 20:11:38 O
日本語は自我と無我のバランスのとれた素晴らしい言語です。

660 :癒しの部屋:2008/09/24(水) 20:34:51 O
世界中で母音を強く発音するのは日本語だけです。これは非常に不思議な事です。子音が自我で脳が働きます。母音が無我で脳が休みます。外国語は子音だけ自我だけです。

661 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 21:25:01 0
いずれにしても…、
妄想の強い人はどうすることもできないみたいだよ。
(お互いがお互いのことをそう思ってるんだろうけど…w)


「妄想」
妄想(もうそう)とは、非合理的かつ訂正不能な思いこみのこと。
妄想を持った本人には
その考えが妄想であるとは認識しない(病識がない)場合が多い。…

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%84%E6%83%B3


「妄執」
妄執(もうしゅう)とは、妄想がこうじて、
ある特定の考えに囚われてしまう事、またはその状態を指す。…

何かに固執する事は、頑なな態度とセットになって、初めて成立しうる。
頑なであると言う事は、己の信奉する主義思想を捨てない…言い換えれば、
否定されると極めて感情的に反応しうると言う事でもある。

それだけに、あからさまに間違いや問題点を指摘されうる妄執においては、
益々感情的に対応する機会が増えるという事でもある。…

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%84%E5%9F%B7


662 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 21:49:32 0
見えない敵と戦っていらっしゃるのね

663 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 22:00:16 0
ちなみに…、
宗教っていうのも妄想らしいね。(よく知らんけど)

リチャード・ドーキンス  『神は妄想である』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9

664 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 22:02:05 0
日本語は自他の区別ができない幼児語ww

665 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/24(水) 22:23:26 0
なるほど、
日本語主客融合論教も
妄想の産物だったということですね。

666 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 13:12:35 0
>>647
>それはなにをもって「主客融合的」と言えるのかわからないのと一緒だな

>>223-224

667 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 13:22:26 0
「日本語の主客融合性」については4つの立場があるのかな。

@ 主客融合志向を認めた上で擁護する。 (擁護派)
A 主客融合志向を認めた上で批判する。 (批判派)
B 主客融合志向そのものを認めない。  (否認派)
C @〜Bのいずれの立場も取らない。  (態度保留)

   あなたはどのタイプ?


668 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 13:27:47 0
>>665さんはBの立場ですか?

669 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 18:26:30 0
反論できないのに日本語が主客分離志向だと思い込むのは(Bの立場)
「妄想」なのでは…? 

670 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 22:09:44 0
>>666
なぜそれらをもって「日本語が主客融合的」となるのかがわからないのと一緒ってことだろ。
あなたが「なぜ>>632をもって英語のその文が主客融合的となるのかわからない」のと一緒で。
どの部分をより注目するかで解釈がかわってしまう個人依拠の定義しか成り立ってない「主客融合」という言葉を用いての議論では
なんの結論にも至らない。
よってその結論を擁護するか批判するかなどという要素が出てくる段階以前の問題ということ。

>>669
「反論がない」を「反論ができない」と思い込んでいるということだろうか?
「定義や根拠がよくわからないような宗教的なものを認めない」というだけのことを、
Bの対極にあるとあなたが思い込んでいる「日本語主客分離教の信者」だと思い込むことには
「妄想」が入り込んでいる可能性がありませんかね。

671 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 22:44:41 0
>>670
>「定義や根拠がよくわからないような宗教的なものを認めない」というだけのことを、

うん、だから、>>661にもあるように
お互いがお互いのことを
「妄想」とか「宗教」とか「幻想」だと思っている、
ってことになるんだろうね。

「人それぞれ」と言うことで…。


あと…、
話は少しずれるけど「空気読め。」っていうのも
定義や根拠がよくわからなくて宗教的だよね。
なんで日本人は「空気読め。」って言うんだろうね…。

>>670とかは「空気読め。」っていう表現も認めないタイプなのかな。(?)


672 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 23:05:52 0
「妄想」って言葉はイメージが悪いよね、やっぱり。
「宗教」って言葉も多義的だし…。
「幻想」って言うのが良くない?  「共同幻想」とかって言葉もあるし。

673 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/25(木) 23:36:37 0
てかさ…、
「個人主義」(主客分離志向)も「全体主義」(主客融合志向)も
どっちも「幻想」って感じがしない?
「幻想」の種類(質)が違うだけで…。

674 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 00:58:32 0
とりとめがないとはこのことか

675 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 01:21:26 0
>>670
100%実証できることはないそうだから
実証の「程度」を考慮してそれぞれが判断していけばいいのでは。

676 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 01:55:09 0
>>674
いやぁ〜、>>663のドーキンスさんてちょっと極端かな〜と思って。
空気やクオリアや主客融合性といった感覚的なものは
全部「妄想」になってしまうのかなと。

677 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 02:27:39 0
>>670
>なぜそれらをもって「日本語が主客融合的」となるのかがわからないのと一緒ってことだろ。
では、こちらもなぜそう言えるのかを説明してみるので、あなたの方も説明よろしくね。

私の考える「主客融合」の「主」とは「表現主体」の事であり、
「客」とは「聞き手」を典型とする関係者、相手。
で、日本語は「主客融合」の程度が高い、言葉を換えて言えば、「主体」の自立性
が低いのではと言っているわけだけど、これは何も新奇な主張ではなく、例えば、
人称詞の用法分析をもとに鈴木孝夫氏がつとに主張していることだよね。
日本語においては相手を抜きにして「自分」というものが成立しないのだ、と。
「相手を抜きにして『自分』というものが成立しない」ということは、すなわち、
主体の自立性が低いということであり、相手との融合度が高いということでょ。

敬語と終助詞の使われ方は、相手を抜きにしては「自らの表現」が成り立ちがたいこ
とを示しているし、主語や目的語の省略やウナギ文の成立(述語の省略とも言える)
も、ただ闇雲になされているわけではなく、【相手に通じる限りにおいて】なされて
いる。
迷惑受身にしても、授受益表現にしても、相手との関係性に深く関わり、そうして、
これらの表現の省略は通常許されない。

以上に示した言語現象は、いずれも相手との関係性に関わり、それはとりもなおさず
表現主体及び主体の表現の自立性の低さを意味するものであるという意味において、
日本語と日本人の「主客融合性」を示すエビデンスになりえていると考えている。

678 :677:2008/09/26(金) 02:40:05 0
スマソ。
鈴木氏は、日本人の自立性の低さは問題にしていたけど、日本語の自立性の低さは
言っていないね。確か。



679 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 06:54:40 0
なぜ「日本語」の問題から「自分が成立しない」という問題になるんだ。これに限らず、飛躍している部分が多い。
【相手に通じる限りにおいて】省略するのを主客融合といえるというなら
頭文字だけで略しまくるアメリカ人も主客融合か。
というか、言語そのものの前提が
【同言語使用者の相手に通じる限りにおいて】という共通認識のもとに成り立っているものじゃないのか。
仮に「主」が「表現主体(話者と理解していいのか?)」であり、「客」が「聞き手」だと定義したとして、
たとえば迷惑受身の「雨に降られた」を発話するとする。
そのことによって「話者」と「聞き手」のなにがどう「融合」するというのか?

「主」と「客」を定義しただけで「主客融合」という言葉を定義したとは言えないし、
まして「主客融合性」「主客融合的」「主客融合志向」など、さらに余計なものがくっついた言葉を定義したとは言えない。
加え、スレタイにおいて同義であるかのように並べられてしまっている「日本語」と「日本人」。
これらの茫漠たる幅のある言葉への、この議論における定義もまた明確に見えてこない。


>>632の「彼は「そのリンゴを食べたのは私だ」と私に言った」という発言を、仮にA(話者)がB(聞き手)に言ったものとして、
これを日本語的に「私だ」を「彼のこと」と読んだ場合のなにがどうなって「AとBが融合している」といえ、
英語的に「私だ」を「Aのこと」と読んだ場合のなにがどうなって「AとBが分離している」といえるのか。

言葉の定義が決まっていないのだから、個人の解釈によってどちらとも言えるし、どちらでもない、どちらでもあるとも言えるということだ。

680 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 15:39:54 0
>>676
確かに、神話の世界とか死後の世界とかは妄想(作り話)だと思うけど
「場の空気」や「クオリア」や「主客融合性」といった感覚的なものは
実際に存在すると思うんだよね。
それを神格化したり絶対視したりするところに問題があると思うんだけど。

ドーキンスさんは主にイスラム教やキリスト教を批判しているみたいだけど
日本の「心を一つに教」みたいな原始宗教についてもぜひ考察してほしいな。


301 :名無しさん@社会人:2008/08/04(月) 19:59:19

「心を一つに教」(主客融合教)の教義
=場の空気をよく読んで周囲と心を一つにすること。(これを守らない者は罰せられる)


681 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 15:50:51 0
日本の社会が「主客融合志向」なのに (>>517
日本語だけ「主客分離志向」なんてことがあるのかな。

普通、社会と言語って密接な関係があると思うんだけど。

682 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 17:44:45 0
言語学からはみ出す話題になるけど、日本の社会が主客融合志向って仮説も
どれだけ信憑性があるのか、かなり怪しいんじゃない?

まあ主客融合をどこで定義するかによるけど、その定義の恣意性によって左右される問題だし。

683 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 17:55:47 0
>>681
> 普通、社会と言語って密接な関係があると思うんだけど。

その点についても疑わしい仮説であると思わせるような研究結果が発表されていたしね。
ここのスレッドでも紹介されていたばかり。>>637

無関係とまでは言えないにしても、「密接に関係」とまでは言えないんじゃないかな。
サピア=ウォーフ仮説も極めて弱い仮説としてしか通用しない気がするけどね。

そもそも日本の社会というのを一括りにして比較できるのかどうかも疑わしい。
一国社会内にも一国言語内にも多様性があって、ある面では英語のほうが主客融合的で
日本語のほうが主客分離的に見え、べつの面ではその逆があったりとかね。一概に言えない。

それにもし、サピア=ウォーフ仮説が真で、心と社会と言語の結び付きが極めて融合的、
相互補完的であるとしたら、それこそが主客融合的ということを意味しているんじゃないかな?
つまり、社会とか言語とか心の関係そのものが国の違いを問わず主客分離不可能な関係にあると。

684 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 17:58:53 0
サピア=ウォーフ仮説がダメなのはソシュールのいうラングの次元で仮説を立ててしまったこと。
ランガージュのレベルならば、その仮説はある意味で当たっているかもしれない。>>637もね。


685 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/26(金) 22:03:48 0
「主客融合」にしても「主客分離」にしても
いいところと悪いところがあるわけで…。

どちらかが絶対というのではなくて、うまく使い分けられたらいいよね。


686 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 00:09:43 0
>>684で名が出たところで、ふと思ったのだが。
そのソシュールのラングとパロールの概念で
>>679あたりの論点と、
ずっと日本語や日本人は顕著に主客融合的であるの一点張りで拘り続けていると思われる
>>677との論点の食い違いを説明できるかも知れないな。

つまり、>>677は表層的なパロールやエクリチュールについての考察のみに留まっているために、
>>223->>224などの例における他言語との表層的な差異に過ぎない部分のみの比較をもって論拠とし、
なにがしか日本語そのものに、他言語とは根底の成り立ちから大きく違うような、
他者との関係性が大きく関わる主客融合性とやらと不可分の何かがあるとして、
日本語と日本人の特殊性を主張している。

一方>>679のような懐疑的な見方では、
全言語の基本形成に見られるラングの部分まで深く考慮に入れ、言語とは根本の部分からして
「他者との約束事の共有」という関係でしか生まれ得ず、話され得ないものである。だから日本語のみが
「他者との関係性が大きく関わらずに成り得ないという主客融合とやらの定義」に当て嵌まるとは言えない、となる。
要するに、あなたの定義(曖昧ではあるが)で考えるなら、
どの言語だろうと主客融合しなくちゃ成り立たないじゃん、ということ。

どんな言語での会話にしても、相手に自分と同程度のラングがあることを要求せずには
意味が通じる会話はできない。
ある文があなたにとってどんなに自立的で、その文のみで意味を成し完結しているように見えても、
結局誰かに向かってそれを発話(パロール)するというときには、
自分のラングを共有しているはずである聞き手のラングに依存しない限りは通じない。
どんな言語においてもパロールは相手ありき、相手依存なのだから、
そこから個人主義だの二重規範だのという飛躍した話題に繋げられるような存在として
とある言語があるなどという説を捻り出すことには根拠の乏しさを感じる、と。

参考
ttp://members.at.infoseek.co.jp/serpent_owl/arch-text/saussure.htm

687 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 03:04:19 0
「言語学の研究はラングを対象とすべきである」

688 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 11:25:44 0
  9・24の甲子園レフト外野ビジター42段97あたりでベイスターズの応援して
    隣のにいちゃんにわけのわからん言いがかりつけてた気違いの情報求む
    模造紙に満田銀次郎が監督に借金返済せまる自虐的イラスト書いてた

    革パンはいてたはいてたww変な金の腕時計と変なグラサンと
    有名な気違いやったんやね
    後ろの老婆が「兄ちゃん立ってたら見えへんのやけど」っていったらすごい形相で
    「ここはビジター席ぢゃっ!お前が遠慮せんかい!」ってどなりつけてた
    さすがに横のおっさんが「放送で立つないうてたやろ」っていったら
    「そんなんいうてんのキミだけやろ」と意味不明の事を完全に逝った目でいってた

    気違い革パンって結構有名な気違いなんですね
    http://jp.youtube.com/watch?v=msk5b21afZQ&NR=1

    ちょっと具具ったら気違い革パンは大阪多村会のうっちーこと内山で
    額が禿げ上がっていてやや長髪の前髪のうえに100均グラサンのせてごまかしていることまでわかった

     それから気違い革パン大阪多村会のうっちーこと内山は無職か季節労働者で全国の横浜戦に行ってることもわかった
       出たー出たーついにー気違い革パンー♪
       大阪多村会の内山だー気違い革パンー♪
       かっとばせー石川!!
    http://www.urabbs.com/amateur/img/1212165389/5.jpg


革パンこと大阪多村会の内山は大阪府守口市西三荘近辺にひきこもっているニートです。
社会適応性や職業スキルが皆無なので親の財産で食いつなぎベイスターズの応援でだけ社会との接点を確保しています。

遠征費用は?  親が大阪の資産家でニートでも余裕です
なんで夏でも皮パン? ポリシーです夏でも革上下です ようするに基地外です
http://www.urabbs.com/amateur/img/1205553445/37.jpg

689 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 13:21:32 0
「日本語の主客融合性」って「日本語の感覚性」とも言えるよね。

あと「イメージ性」とか「クオリア性」とか「空気性」とか。
さらに良さげに言うと「情緒性」、ぶっちゃけて言うと「非論理性」とか。

>>635>>641あたりでも、日本語の「はい」と「いいえ」は
命題を受けずに空気を受けるって話がでていたけど、
日本語っていうのは「感覚的な言語(=非論理的な言語)」なんじゃないかな。


話は変わるけど…、
「国家の品格」の藤原さんてもしかしたら天才かもね…。
日本人の本質をたった一行で表現できるなんてさ。
 ↓
「論理よりも情緒、英語よりも日本語、民主主義よりも武士道精神」


690 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 14:47:45 0
日本語だと命題が真か偽か(はい・いいえ)で答えるわけだから
英語の命題の内容なんか関係なくするかしないか(Yes・No)で答える英語よりも
論理的という結論も導けると思うが。

691 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 15:21:24 0
>>690
あなたの言う、
「命題が真か偽かで答える」とか、
「命題の内容なんか関係なくなくするかしないかで答える」って、
どういう意味?
「するかしないか」は命題じゃないのか?
いったい「命題」というタームをどういう意味で使っているのだろう??

692 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 16:23:33 0
>>689
「日本語の情緒性」って言うとフムフムってなる人でも
「日本語の非論理性」って言うと感情的に反発するから難しいね。

実体はどちらも同じものなんだけど。


693 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 17:50:59 0
言い換えれば論理的な言語では情緒を表現できないということか

694 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:14:47 0
>>689
そういう意味で「主客融合」って表現を使っているというのならば、
↓のスレッドのほうで議論したほうが適所かもね。

日本語は「非論理的な言語」か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1172658491/

「クオリア」とか「複雑系」とかそういうことを主張している人たちってのは、
どうやら「そういう意味」ではなくて、情緒の構造だって論理的な科学の用語で
記述可能だと主張してるように見えるんだけどね。
つまり、主客融合というのはイコール非論理性を意味しないんだと。
主観性というのを客観性のほうに回収可能であると主張しているのではないの?

695 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:25:48 0
>>694
クオリア原理主義の茂木さんは言語化も記号化もできないと言ってますよ。

http://www.qualia-manifesto.com/qualiafundamentalismjp.txt


696 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:28:38 0
言語が論理的(主客分離的)だったら
心を一つにする(主客融合する)ことなんてできないと思うけどな。

697 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:32:51 0
「場の空気」をどうやって言語化するんですかね…。

698 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:42:04 0
>>695
それはあくまで、語る主体(主観性)にとって、という意味なんでしょう?
でないと、茂木さんがいう
「拡張された物理学」
「意識のほんとうの科学を目指す」
「脳内でのニューロンの時空間的な発火パターンに対応してクオリアが生起している」
(『クオリア入門』)
ということと矛盾する。だってクオリアに関する科学は不可能だと結論していることになるから。

699 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:49:12 0
>>697
欧米の社会学がそれを真っ向から研究対象にしているはずでしょ。
ゴフマンあたりの研究テーマは一貫して、人の集まりによってどういった「場の空気」
が集団内に暗黙のうちに形成されるかを対象にしようとするものだったんじゃないの?

それを引き継いだエスノメソドロジーの社会学者なんかは、まさしくその「場の空気」
のメカニズムを解明しようと試みてきているように思うんだけどなあ。
社会心理学のテーマもまさしくそうでしょう?

700 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 18:54:01 0
それから言語学との関係で言えば、構造主義とかポスト構造主義系の学者さんたちが
言語の背後にある「見えない構造」の場をテーマにしようとしてきた。
この構造こそが「場の空気」に通じる概念だったんじゃないのかな?
つまり、言語的コミュニケーションですら「語られずに語られていること」を実は
膨大に含んでいて、そこを分析対象にすべきだということを言ってきているわけで。

701 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 19:09:15 0
>>698
いやぁ〜、
「宣言」してるぐらいだから言語化できないと思っているのでは。

実際、茂木さんの活動を見ても
共感、感動、ひらめき、芸術・文学とかを讃美しているだけで
「クオリア」そのものを対象化しようとしているようには思えないなぁ。

同じ日本人としては、
「場の空気」とか「同調圧力」とかを
脳科学的にぜひ研究してほしいところだけど。


「場の空気」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%B0%97


702 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 19:24:06 0
>>679
>なぜ「日本語」の問題から「自分が成立しない」という問題になるんだ。
鈴木孝夫や木村敏(精神医学者)らが、人称詞における日本語に特徴的な用法
の分析から、日本人の自我の構造の特殊性を論じている。
君に頭ごなしに否定されるいわれはない。
彼らの議論に納得のできないところがあれば具体的に聞かせてほしい。

>【相手に通じる限りにおいて】省略するのを主客融合といえるというなら
>頭文字だけで略しまくるアメリカ人も主客融合か。
「頭文字だけで略しまくる」といったことは、日本人もいくらでもやっている。
こちらは、「主客融合性」の程度を問題にしているのであり、ゼロ・100の話を
しているのではない。
欧米語的には「文」成立のための必須的要素である、主語や目的語や述語の省
略(ウナギ文)を問題にしている。
(ちなみにこの手の省略を日本語の「独話性」と結びつける向きもあるが、
「聞き手」との関係性にこそ目を向けるべきだと思っている。)

>というか、言語そのものの前提が
>【同言語使用者の相手に通じる限りにおいて】という共通認識のもとに成り
>立っているものじゃないのか。
大きくいえばその通りだが、程度の違いはあるだろう。
「とりあえず聞き手に伝わりさえすればそれでよしとする」のか、
「できるだけ第三者にもわかることを志向する」のか、その志向性の程度には
違いがある。
主語や目的語の頻繁な省略やウナギ文が成り立つ日本語は、前者の志向が強い
と言える。

>仮に「主」が「表現主体(話者と理解していいのか?)」であり、「客」が「聞き手」だと定義したとして、
>たとえば迷惑受身の「雨に降られた」を発話するとする。
>そのことによって「話者」と「聞き手」のなにがどう「融合」するというのか?
何も迷惑受身のすべてが「聞き手」と関わるとは述べていない。

703 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 19:34:10 0
>>683
>その点についても疑わしい仮説であると思わせるような研究結果が発表されていたしね。
>ここのスレッドでも紹介されていたばかり。>>637
その「研究」って、すでにいろいろなコメント(批判・疑問)がついているじ
ゃん。
その「研究」のどこが社会と言語の「密接な関連」を否定してみせているのだろう??

704 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 19:53:13 0
>>686
>>677で指摘した言語現象をパロールのレベルのものと見ているようだけど、
おかしいんじゃないか。
だいたい、敬語や人称詞や終助詞を「表層的なもの」と言ってるように聞こえ
るんだけど、なにを根拠に言ってるの?
日本語の敬語や終助詞は、ラングレベルのものではないと?
しかし、敬語も終助詞も人称詞も立派な単語であり、辞書にも登録されている
ではないですか。

確かに、英語の「敬語」はパロールレベルのものと言うことができるだろうけ
ど、日本語の敬語はそうはいかないでしょう。
そして、まさにそのようなところ(:欧米語においてはパロールレベルのもの
がラングの次元に食い込んでいる)に、日本語の特質があると思うのだけど。

>どんな言語においてもパロールは相手ありき、相手依存なのだから、
そうかもしれない。
しかし、日本語は、ラングも「相手ありきで、相手依存」なところが、
特殊なのだと思う。

705 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 21:11:17 0
>>689
また「主客融合」の定義をかえるので?「感覚性」とやらに?
こんな意見もあるようだけど、どうなんでしょう。
ttp://www.iloveidaho.com/column/column/japan/1076896034.html

「ミカンXは人物Yの所有物ではない」→「人物Yよ、これは真だろう?」(よな?right?)

日本人Y
(私Yにとっての真は、ミカンXは私Yの所有物ではない)
「あなたの質問への私Yの答えは真です。ミカンXは、私Yの所有物ではないです」

米国人Y
(この質問が有する「感覚」は、「所有物ではないことの正否」を知りたいのではなく、「所有物か否か」を尋ねているはずだ)
(では、ミカンXは私Yの所有物か否か?私Yにとっての真は、ミカンXは私Yの所有物である)
「これが私Yの真です。ミカンXは私Yの所有物です」
ただ「yes」と答えるだけでは「感覚的」すぎてあなたには伝わらないでしょうから、
通常「yes, It's mine」まで答えなければ伝わらない。

これらの例でも、日本人Yは質問者に
「このような質問をした時の答えであるハイは、質問に対する直接的な答えであるはずだ」
という同じ共通認識のラングがあると思っているから、事足りる「ハイ」とだけ答えるだけ。
米国人Yは質問者に
「このような質問をした時に答える場合、質問の「感覚・意図部分」に対して「感覚的」に答える例と、
質問の文章上の意味に直接答える例の両方があるはずだ」というラングがあると思っているからこそ
通常yes noだけでは答えず「no, not maine」などとして、聞き手のラングにあわせて答えるのではないのか。

「感覚性」とやらに鞍替えするとしても
英語のほうが感覚的な部分もあるといえるし、
日本語は「はい」「いいえ」だけで伝わる論理的なラングを共有しているといえないか。
見方を違えば、聞き手にとっての「わかりやすさ」は「その答え方に対する相手のラング」(この場合理解力)によって
同程度になるわけだから、両言語とも論理的といえはしまいか。

706 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 21:14:27 0
>>704
いやいや、パロールと依存関係にあるラングまでが「全言語において相手依存」だからこそ
「相手依存」という定義において日本語のみが特殊とはいえないのではという主張だったのだけど。
よって、敬語他の文章になった段階、発話された段階という
「他言語との表層的な差異であるパロールの部分」に注目しすぎではといったの。
辞書に登録されているからラング、というものではないのではないのか。
むしろそれを言語学ではパロールと呼んでいるのではないのか。
ラングは「各人の心にしかない辞書」というような定義ではないのか。

違うならあなたの「パロールとラング」という言葉の「ラング」と
私の「パロールとラング」という言葉の「ラング」はまだ共有されていないということだろうかね。
そんなことがないようにと、>>686で「パロール」「ラング」という言葉を使う時に
私が主に基づいた定義が詳しく書かれているURLを同時に貼ってすりあわせを図ったのだけど。
読んでくれたのですかね。

707 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 21:42:29 0
>>701
> いやぁ〜、
> 「宣言」してるぐらいだから言語化できないと思っているのでは。

いやだから、それは主観者(主体)にとっては言語化できないという水準での話では?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%82%A2
によれば、茂木氏の立場はチャーマーズ氏やペンローズ氏とともに「物理学拡張派」に
分類されているよ。
要するに、「拡張された物理学」の理論をもってすれば論理的に説明可能という立場でしょう。
もちろんその際の論理に用いる言語が既成の民族語であるとはかぎらないのだろうけど。


> 実際、茂木さんの活動を見ても
> 共感、感動、ひらめき、芸術・文学とかを讃美しているだけで
> 「クオリア」そのものを対象化しようとしているようには思えないなぁ。
> 同じ日本人としては、
> 「場の空気」とか「同調圧力」とかを
> 脳科学的にぜひ研究してほしいところだけど。
> 「場の空気」
> http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A0%B4%E3%81%AE%E7%A9%BA%E6%B0%97


708 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/27(土) 22:15:03 0
>>7
> 鈴木孝夫や木村敏(精神医学者)らが、人称詞における日本語に特徴的な用法
> の分析から、日本人の自我の構造の特殊性を論じている。
> 君に頭ごなしに否定されるいわれはない。

まさか、著名でお偉い学者さんが言っていることだから疑問視される謂れはないとでも?
著名な学者さんの仮説だから疑問視するなという言い方こそ頭ごなしの権威主義ではないかな。

それに、木村敏氏といえば精神分析学的、現象学的な精神病理学派系の流れをくむ人でしょ?
彼のものの見方は現象学的精神医学の影響下にあって、それを応用しただけのものとも言えるよ。

現象学的精神医学というのは現象学の世界内存在とか共存在いう概念の影響を受けて、
現存在分析に代表されるように、自他、主客の二元論を批判して展開されている分野だよね。
要するに主客融合論(一元論)的な哲学的方法論のうえに立った学派とも言っていい。

> 彼らの議論に納得のできないところがあれば具体的に聞かせてほしい。

だから>>697さんは納得できない点をその論理の飛躍に見て具体的に指摘しているでしょう。

> 「頭文字だけで略しまくる」といったことは、日本人もいくらでもやっている。
> こちらは、「主客融合性」の程度を問題にしているのであり、ゼロ・100の話を
> しているのではない。

英米人のほうがそれについては多いんじゃないの?
英米語では口頭の水準どころか、記述の水準でいくらでもやっていて、略語専門の辞書が
できちゃうくらいだからね。名前だって、エドワードをエディとか略すし。


709 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 00:04:04 0
アンがナンシーになったりと、あっちの名前の愛称は
大いに「その社会のラング」に拠っているよね。
そのラングをあまり共有していない第三者にとっては、
まったく論理性に欠けるように見える。
でもそこになんらかの社会的共通認識が成立していることによって
それを共有しているアメリカ人には違和感がない、「わかる」こととして認識される。

710 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 02:23:17 0
>>697
「パロール化」という意味なら「ばのくうき」と発話すればいいんじゃないの。


711 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 13:14:56 0
「主客融合的なもの」=「感覚的なもの」(空気、クオリア、イメージ、雰囲気、オーラ、スピリチュアルなど)
「主客分離的なもの」=「論理的に説明できるもの」    って感じかな?

あと、ラングとかパロールの話をしてるのは別の人ね。

712 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 13:17:38 0
茂木さんは二つの顔を使い分けているのかもね…。


713 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 13:21:38 0
茂木さんって実際の研究では具体的にどんな業績がある人なの?

714 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 14:12:46 0
>>706
こちらは、主(話し手)・客(聞き手)間の内閉的関係性(⇒主客融合性)を問題に
している。
敬語や終助詞や人称詞の使用は、「『いま』・『だれと』 話しているか」に関わる。
Bに向かって使われたそれらは、Cにはぜんぜん使えない、ということがある。
また同じBに対してさえも、話す「場」が変われば違ってくる。

いっぽう、あなたの言っている「関係性」は、同じラングを共有しているというレベ
ルでの関係性だよね。それは、その社会一般に認められる公共的・三人称的関係性で
あって、話し手・聞き手間においてのみ成立する内閉的・二人称的関係性とは区別さ
れる必要がある。
【あなたの言う意味での】「関係性」なら、確かに言語一般に認められるものだと思
う。しかし、内閉的・ニ人称的関係性が色濃く認められるのは日本語の特徴と言って
よいと思う。

715 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 15:39:08 0
敬語や終助詞や人称詞の使用だって、同じラングを共有してる人の間に一般的に認められる
言語規範であり言語慣用でしょう。
場が変われば使い分けられるという言葉の規範や慣用もラングの構造として刻み込まれている。

716 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 15:45:10 0
そういうふうになんでも考えようでどうとでも受け取れるよね。
例えば、現在の英米語は二人称の単数と複数を区別せずにyouで一緒くたにしている。
これは英米人やその社会構造が、話し手が個人であるか集団であるかを区別していない証拠で、
個人と集団とが具体的な対人関係において分離されていない個集融合の傾向を物語っていると。

717 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 15:46:20 0
話し手が → 話し相手が

718 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 22:29:59 0
欧米のアカデミズムにも主客融合志向の人が結構いるのかな。
ポストモダンとか…。

フーコーっていう人、世間学の本にも出てたけど、
ちょっと調べたら主客融合志向の人みたいだったよ。

719 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 22:41:29 0
ポストモダン=先祖返り   …になってるね。

720 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/28(日) 23:34:01 0
>>714
ん?
「話し手・聞き手間においてのみ成立する内閉的・二人称的関係性」とやらによって成り立つ会話は
「同じラングを共有しているというレベ ルでの関係性」によって成り立たっているわけではないということ?
そんなことが可能であると?

721 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 00:45:23 0
ごめん、似たような指摘が>>715ですでに成されていましたね。

722 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 00:57:43 0
またごめん、一応「為されて」に訂正しておきます。

723 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 04:14:30 0
>>718
どういうところが?
フーコーをポストモダン論者に捏造して仕立てあげちゃったのは日本のアカデミストだけどね。

いわゆる構造主義というのは主客二元論を徹底的に推し進めたともいえる分析方法論だと思うよ。
それで主体なき客観主義の権化などと称されることもある。
ようするに、木村敏氏らが依拠する現象学的人間学が提起した、主観と客観、自己と世界とを一体
のものとしてトータルに見る観点に立った実存主義を、客観主義的な科学主義(ラング至上主義、
ロゴス中心主義)によって退けてしまうような方法論であると実存主義論者との対立がしばしば
議論になっていたね。
構造言語学の開祖?ソシュールとかも後の論者によってそのように批判されることもあるね。

724 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 04:57:59 0
ソシュールもたしか言っていたと思うけど、ラングは規範であり法であり共同体共有体としての性格をもつもの。
対してパロールは個人主義的な実践に依拠されたものであり、具体的な個人の自由な選択に任されている。
ただし、それももちろんラングという名の共同体が押し付けてくる権威のなかでの個人の戦略ゲームなんだけどね。
しかしラングも個人の戦略ゲームによって模倣されあっていけば組み替えられていく歴史的な構造も持っている。

725 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 05:01:51 0
ラング:共同体的
パロール:個人的

726 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 05:55:02 0
ttp://www.sf.airnet.ne.jp/~ts/language/unagi.html

「うなぎ文はとっても論理的」

727 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 14:40:00 0
>>726
実際の場面では文末の「だ」も省略することがあるよね。
しかしそれが論理的でないとはならない。

Q:何を選ぶ?
A = うなぎ
B = さんま
D = さけ

こういうふうに簡潔に表現することはプログラミング言語的で実に合理的だとも言える。
(=は代入演算子)

728 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 18:56:59 0
>>708
>まさか、著名でお偉い学者さんが言っていることだから疑問視される謂れはないとでも?
>著名な学者さんの仮説だから疑問視するなという言い方こそ頭ごなしの権威主義ではないかな。
とんでもありません。
「頭ごなしに否定されるいわれはない」と言っているだけであって、
> 彼らの議論に納得のできないところがあれば具体的に聞かせてほしい。(>>702)
と言っている。
>だから>>697さんは納得できない点をその論理の飛躍に見て具体的に指摘しているでしょう。
どこが具体的なんだ??

>それに、木村敏氏といえば精神分析学的、現象学的な精神病理学派系の流れをくむ人でしょ?
(中略)
>要するに主客融合論(一元論)的な哲学的方法論のうえに立った学派とも言っていい。
仮にそうだとして、だからどうだと言うの?

>英米人のほうがそれについては多いんじゃないの?
さあ、どうでしょう?
ただ、いずれにしても、こちらが「主客融合性」のエビデンスとして取り上げ
ているのは(>>223-224,>>677)、
@単発的な現象ではなく、一連の
しかも、
A≪文の成立≫をめぐる
もの。
つまり、当方が取り上げている諸現象は、いずれも、それを欠くと、日本語と
して、自然な「文」が成立しがたくなくなるものなのだよ。
これは、ラングレベルの問題でしょう。
「表層的」などとなぜ言えるのだろうか?(>>686)

729 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 19:06:41 0
>>715
>敬語や終助詞や人称詞の使用だって、同じラングを共有してる人の間に一般的に認められる
>言語規範であり言語慣用でしょう。
>場が変われば使い分けられるという言葉の規範や慣用もラングの構造として刻み込まれている。
まったくその通りだと思うけど、それは当方の主張を裏付けこそすれ、
批判にはなっていないよね?
広い意味での「場」によることばの使い分けが「ラングの構造として刻み込ま
れている」点にこそ、日本語の特徴があると言っているんだけど…。(>>704末尾)

730 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 19:10:32 0
>>727
伝達がきっちりと成り立つということと、「主客融合性」は別に対立する概念
ではない。

731 :730:2008/09/29(月) 19:48:37 0
補足
山崎正和氏が、次のような「日本語批判」を述べている。
***
(前略)けだし、言葉といふものは、身振りや表情や愛撫といった身体的な伝達
と違って、本来、一対一の関係を超えて、その表現が社会的に拡がって行く性
質を持ってゐる。言葉とは、本質的に第三者の立ち聞きを許す伝達方法なので
あり、そのことが言葉に一定のスタイルを作り出す理由でもあるのだが、日本
人はとかく、言葉のこの性格を見失ひがちなのだといえる。その場合、私たち
の言葉は、厳密な意味での言葉というより、むしろ、身体的な愛撫に近いもの
に変質し、その結果、文体や修辞法を失っていくことになるのは当然なのであ
る。(「『日本語改革』と私―ある国語生活史」『日本語の世界16 国語改革を
批判する』)
***

ウナギ文は、確かに、通常伝達的に何の問題もないとは言える。
「わたしはおかめ。」とある女子が言ったとして、蕎麦屋の店員さんが誤解を
することなどありえないといえる。
それで十分、「用は足りている」ともいえるかもしれない。
しかし、確か金田一春彦氏のあげた例だが、
「お姉さんは坊ちゃんよ。」
という例になると、伝達そのものもやや怪しくなる。

「それで用が足りている。なにか問題ある?」という態度にも一理はあるが、
「一対一の関係を超えて、その表現が社会的に拡がって行く」力の強弱が一方
で問題にされていいはずだ。
ウナギ文は、「本質的に第三者の立ち聞きを許さない」、内閉的な表現方法で
あることも、また確かなことだと思う。

732 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 23:06:42 0
>>728
> >まさか、著名でお偉い学者さんが言っていることだから疑問視される謂れはないとでも?
> >著名な学者さんの仮説だから疑問視するなという言い方こそ頭ごなしの権威主義ではないかな。
> とんでもありません。
> 「頭ごなしに否定されるいわれはない」と言っているだけであって、
> > 彼らの議論に納得のできないところがあれば具体的に聞かせてほしい。(>>702)
> と言っている。

はて、>>679さんの書き込みをどう読めば「頭ごなしに否定」していることになるでしょう。

> >だから>>697さんは納得できない点をその論理の飛躍に見て具体的に指摘しているでしょう。
> どこが具体的なんだ??

失礼。>>679さんの書き込みのことね。
>>679さんの指摘は、あなたの見解に対する具体的な疑問の一つを提示しているのでは?

>>679さんは、相手に通じる限りにおいて表現形式を省略するのはその背後にラングという言葉の
規範・法・公共性(第三項)が、共通母語を話す人たちの間でそれだけしっかりと約束事として
社会契約が成り立っている証であって、ラングというのはそういう性格のものでしょうと。

> >それに、木村敏氏といえば精神分析学的、現象学的な精神病理学派系の流れをくむ人でしょ?
> (中略)
> >要するに主客融合論(一元論)的な哲学的方法論のうえに立った学派とも言っていい。
> 仮にそうだとして、だからどうだと言うの?

だからどうだって、それを言ったらそれ以上議論が成り立たないでしょう。
「主客融合的? だからどうだと言うの?」で終わってしまうでしょうw
少なくとも木村敏氏がそのような哲学的な色眼鏡で対象を分析しているということは押さえとかないと。
ここ、意外と重要だと思うよ。



733 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 23:09:26 0
>>728
> >英米人のほうがそれについては多いんじゃないの?
> さあ、どうでしょう?

さあ、どうでしょう?って、ここ、あなたの論点にとっては重要だよね。
あなたは白か黒かではなくて、相対的な、量の問題、程度、割合の問題だと言っているようだから。
ttp://www1.nisiq.net/~cpulot/Dic.htm
英語はこの種の略語を膨大にもっているけど、日本語にも同等かそれ以上にあるのかな?

> つまり、当方が取り上げている諸現象は、いずれも、それを欠くと、日本語と
> して、自然な「文」が成立しがたくなくなるものなのだよ。

そうでもないと思うけどなあ。
いわゆる「うなぎ文」だって、「私はうなぎ!」と限定コードで表現することもできるし、
もっと丁寧に「私はうなぎにします」とか「私はうなぎを注文します」と言うことも個人が選択できる。
どちらも自然じゃないとはいえないよね。
英語だって限定コードはあるし、関係性の場面場面によってその種の表現の形式を切り替えているはずですよ。

734 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 23:26:33 0
>>730
> 伝達がきっちりと成り立つということと、「主客融合性」は別に対立する概念
> ではない。

ちょっと待った。
べつのところでは、あなたは「主客融合性」は「非論理性」だとか
「論理的に説明できない」とか「曖昧」だとか書いていなかった?
言語が論理的であるってのは要するに伝達がスムースにきちっと成り立つことでしょ。


735 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/29(月) 23:37:34 0
>>731
> しかし、確か金田一春彦氏のあげた例だが、
> 「お姉さんは坊ちゃんよ。」
> という例になると、伝達そのものもやや怪しくなる。

それも「うなぎ文」の一例だけど、それが怪しくなるのはそれが表現される
コンテクストから切り離されているからだよ。
寿司屋の注文の例だってコンテクストから切り離されて、寿司屋で店主と客との
間で交わされている会話であることも読者に何も知らされずに、「俺はうなぎ」
などとだけ書かれて終わっていたら明らかに誤解を招くでしょう。
それはディスクールとしての体裁をなさない死んだ文。
最初に「うなぎ文」をもってくることによって読者を惹きつけようとする場合にも
その一文のあとに必ず、その場面を説明する文が続くことによって一文の意味が確定する。
山崎正和氏は言語についての非常に貧弱な教養しか持ち合わせいないだけかもしれない。


736 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 00:24:49 0
>>703
> その「研究」って、すでにいろいろなコメント(批判・疑問)がついているじゃん。

具体的にどういう批判や疑問があるの?
コメント蘭には約一名、
頭ごなしに否定するだけのコメントを書いている(あなたのような?)人がいるけどねw

> その「研究」のどこが社会と言語の「密接な関連」を否定してみせているのだろう??

少なくとも、母語上の規範(ラング)がその母語を話す人のコミュニケーションの形式一般
までを規制しているとはかぎらないようだ、ということは証明しているでしょう。
母語の文法体系が思考回路や行動様式を規制しているということを疑う余地もこれで大いに
考えられることになってきた。それだけ「密接な関連」の仮説が弱められたのは確かでしょう。
そこはお認めになったほうがいいですよ。
といってもあなたには、どんな具体的な反証があっても決して通じなさそうだけどねw


737 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 00:27:25 0
mixiの言語学コミュに頭のネジ飛んだのが涌いてた
それと比べるとこのスレの連中はよっぽどまともだよなぁと思った

738 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 00:36:32 0
>>729
> 広い意味での「場」によることばの使い分けが「ラングの構造として刻み込ま
> れている」点にこそ、日本語の特徴があると言っているんだけど…。(>>704末尾)

公共的な言語の約束事であるラングに刻みまれているなら、それは三人称的な法として、
社会契約として公的にしっかり約束されているということでもあるわけであって、
それは逆に曖昧さや非論理性を意味していない証拠でしょう。
だからそれを二人称的であるとか内閉的であるとか解釈するのはおかしいんであって、
そしてそれを主客融合的と解する根拠にもならないのではないかと言っているのですよ。

739 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 01:45:32 0
>>731のいう主客分離的言語とやらが母語のうなぎ屋店員に、
同じく主客分離的言語とやらが母語の客が、
主客分離的とやらの文で、うなぎ注文のやりとりをしていたとする。

そこにその主客分離的言語とやらのラングを共有していない、
他の言語が母語の第三者が通りがかったとする。

その場合ですら、その主客分離的とやらの「うなぎ注文」文が
分離の特徴であるとあなたが言いたいと推測されるところの
「第三者に対して外放的」といえるということだろうか?

むしろ「食べ物屋で客が注文する際には、食べ物の名を発話するものだ」という
最低限のラング(社会的言語感覚?)を共有してさえいれば、
日本語のような文脈/状況によって省略された発話のほうが
「どの語が注文したい食べ物を示しているのか推察しやすい」などという点で、第三者にとって、
より理解しやすく外放的であり、「一対一の関係を超えて、その表現が社会的に拡がって行く」力が強い
とも考えられなくはないのではないか。

基本的に>>734-736あたりの方と立場や視点が同じようだし、
文章も私より簡潔にまとめられる方のようですから、私はこれぐらいしか言える事はないですね。

740 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 01:47:30 0
>>739
「うなぎ屋店員に」というのは限定されすぎて、例として不適切でしたね。
「食べ物屋店員」に訂正します。

741 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 02:07:59 0
逆に考えて
「究極的超論理的な文」「第三者にとっても超開放的なわかりやすい文」があると仮定すると、
その言語は>>731にとってどのような言語なのだろうか?

わたくしどこどこ生まれどこどこ育ち何歳のこれこれこのような人物が、
どこどこという食べ物屋のこれこれこのような店員に対して発言する。
わたくしが「ウナギ」と発話する場合の定義を、
「これこれこのような生物をこれこれこのような調理法でこれこれこのような丼に盛られ…」とし、
わたくしは「ウナギ」を欲する。「欲する」という定義はこれこれこうで…。

このようにいちいち事細かに説明されることこそが論理的ということなのだろうか。

742 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 02:10:06 0
ソシュールが言語学ではなく一般記号学を提唱しようとした理由が分かった気もする。

743 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 02:21:17 0
>>741
専門集団の用いる言語コードが開放系とは限らないもんね。
けっきょく学校教育などに何年も通って努力して習得しなければならないという意味で、
個人がそれを理解するために経験と努力と時間を要することには変わりはないわけだし、
その意味ではコギャル語よりもずっと敷居の高い、ハードルの高い、決して万人に
開かれているとは言い難い、それだけ狭き門の閉鎖系ラングだともいえるしね。

744 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 02:25:37 0
あと、日本語標準語の敬語ってのも、大人になってからかなり人工的に押し付けられて
身につけさせられるもので、母語といえるのかどうか疑問があるし、ちょっと分けて
考えなきゃならないとも思う。本来の方言にはそれほど複雑な敬語はないのではないかな?

745 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 07:29:43 0
階層的三角ロジックによって強化されていく感じがないよね、>>728とかの人の主張って。

746 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 17:56:35 0
>>732
>なぜ「日本語」の問題から「自分が成立しない」という問題になるんだ。(>>679)
この発言は、日本語のあり方と日本人のあり方を関連させて論じること自体を
頭から否定しているものに思われるのだが、違うのか?
で、そんなこと言うなら、鈴木孝夫氏(『ことばと文化』)や木村敏氏(『人と人
との間 精神病理学的日本論』)が示した、人称詞の用法分析に基づいた日本人
の自我構造の特殊性の指摘について、どこがどうおかしいのか指摘してほしい、
と言っている。※氏等の主張は、>>677第二節後半に簡単にまとめてある。

>>679さんは、相手に通じる限りにおいて表現形式を省略するのはその背後にラングという言葉の
>規範・法・公共性(第三項)が、共通母語を話す人たちの間でそれだけしっかりと約束事として
>社会契約が成り立っている証であって、ラングというのはそういう性格のものでしょうと。
欧米語の主語や目的語等の使用の必須性は、ではどう説明するのか?
ウナギ文が通常成立し得ないこともどう説明するのか?

>少なくとも木村敏氏がそのような哲学的な色眼鏡で対象を分析しているということは押さえとかないと。
>ここ、意外と重要だと思うよ。
「色眼鏡」と言うが、では、あなたやあなたの信じる流派は裸眼で世界が見え
ていると?
木村氏の哲学的立場を俯瞰する知識を自分は持ち合わせていないけど、先にあ
げた『人と人との間』の論述には深く納得している。
木村氏の論述に対しても、おかしいと思うところを具体的に指摘してもらえる
とありがたいのだけど。

747 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 18:37:52 0
>>733
>さあ、どうでしょう?って、ここ、あなたの論点にとっては重要だよね。
そもそもそのような比較が成り立つのか疑問。
「英語の方が略語が多い」などという指摘をしている人なんて、います?
略語とは、そもそも特定の分野において成り立つもので、英語と日本語とで比
較するなどということができるのだろうか?
その社会全体に通用するようになれば、それはもはやふつうのことばだしね。
また、そのような比較が仮に成り立つとしても、以下の理由で、自分の論点
には支障がないと考えている。
@まず、自分が比較の対象にしているのは「文の成立」のレベルであること
Aエビデンスとしてあげているのは、単発の現象ではなく一連のものであること
そして、これが一番重要だけれど、
B当方が問題にしているのは、話し手―聞き手の<二者間>において成り立つ省
略であること。
略語は、たとえ狭い世界のものであれ、二者的に内閉するものではないでしょ
う?
当方が問題にしている省略は、話し手―聞き手間のまさに発話の現場において
成り立つ、発話の「いま・ここ」に密着したもの。
それに対して、あなたの上げる、「略語」は、辞典による説明が可能というこ
と自体に、その非「二者的内閉」性、非「いま・ここ」性(非現場性)が見て取
れる。

>そうでもないと思うけどなあ。
ウナギ文に関しては、その使用の義務性を言うのは修正が必要かもしれない。
ただ当方が問題にしているのは「文の成立」をめぐってのもの、という部分は
変更の必要はないと考えている。

>英語だって限定コードはあるし、関係性の場面場面によってその種の表現の形式を切り替えているはずですよ。
例えば?


748 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 19:13:14 0
>>734
>ちょっと待った。
>べつのところでは、あなたは「主客融合性」は「非論理性」だとか
>「論理的に説明できない」とか「曖昧」だとか書いていなかった?
>言語が論理的であるってのは要するに伝達がスムースにきちっと成り立つことでしょ。
自分は、これまで「非論理的」云々は言っていない。それは、もう一人の人だ
と思う。
ただ、「伝達が成り立つ=論理的」という考え方にも賛成はできない。
それであれば、山崎氏(>>731)ではないが、身振りや表情や愛撫やも、それが
あるメッセージの伝達に成功さえすれば「論理的」と言えるのか?
ということになるよ。
「伝達」と「論理」との間に一定の関係があるのは確かだけれども、
両者を直結させるのは短絡だと思う。

では、日本語は伝達的には特に問題のないことばなのかと言えば、問題はある
と思う。
当方が、主客融合性を示すエビデンスとして先に示した(>>224)敬語等の表現
は、(特定の相手への)伝達の観点から言えばいずれも問題はないといえるかも
しれない。しかし、一方で、日本語には、「やはり」「だから」「〜のだ」
「〜わけだ」「〜わけなんだ」等のフィラー的用法が存在し、これらの表現の
存在と多用は、日本人の主客融合性と深く関わり、しかも、伝達的にも問題の
あるものと言える(ような気がする)。
駄々っ子や権力者の使う、「だからっ!」や「〜なんだよっ!」等を想起された
い。
これらの表現は、目前の相手との伝達という観点から見ても問題が大いにある。

要するに、日本語は、認識的側面において弱さを持っているということかな(?)。
(これは特に新規な考えではなく、渡辺実『日本語概説』(岩波書店)でも述べら
れている考え。)

749 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 19:22:28 0
>>735
>それも「うなぎ文」の一例だけど、それが怪しくなるのはそれが表現される
>コンテクストから切り離されているからだよ。
身振りや表情や愛撫やも、コンテクストの助けさえあれば伝達は成り立つのだ
が。
それから「お姉さんは」の例文も伝達が「【やや】怪しくなる」と言っている
だけですから。

>>736
>具体的にどういう批判や疑問があるの?
>コメント蘭には約一名、
>頭ごなしに否定するだけのコメントを書いている(あなたのような?)人がいるけどねw
いや、10以上はコメントされていたけど(?)。
ちなみに自分は何も言ってないよw

750 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 20:57:00 0
>>718-719
フランス現代思想の人たち(ポストモダニスト)って
アラン・ソーカルとかに批判されてるよね。(ソーカル事件)

感覚的(主客融合的)なものを
論理的(主客分離的)に分析しようとして
訳が分からなくなっているんじゃないのかなぁ。


751 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 21:52:54 0
>>651
グラハム・ハンコックって人も
大麻などの幻覚植物と宗教の関係に注目しているみたいだね。
ただ、この人は
「幻覚」ではなくて、実際にある「異次元の世界」だと思ってるようだけど。

「異次元の刻印(上・下)  人類史の裂け目あるいは宗教の起源 」
http://www.basilico.co.jp/book/books/9784862381026.html


あと、グラハム・ハンコックのオフィシャルサイトに
「エメラルド・フォレスト」という映画の話が出ていて
幻覚植物の主客融合性のことが書いてあった。

このスレの>>562にも体験談が出てたけど、
使い方によっては洗脳みたいになるんだな…と思った。

http://www.grahamhancock.jp/super2.html


752 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 22:09:43 0
グラハム・ハンコックって『神々の指紋』の人だっけ
一時期はやったな

753 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 22:15:43 0
>>751の下のサイトより

「白人の少年を誘拐し、聖なる植物を絶えず与えよ。」

 そうやって村のしきたりを少年に教えれば、
彼も簡単に異次元に入れるようなり、村の一員になる。
彼は喜んで村の人々のために働き、白人から銃を盗む」と。

そして、実際そのとおりになったのです。
なんと白人たちが襲来したときには、もう盗んだ銃で戦闘を準備していた。

これこそ、シャーマニズムの実用的な一例です。
実際に役に立たないものならば、
私にはいったい何がシャーマニズムなのかわかりません。

 ↑
日本語にも同じような効果があるような…。


754 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 22:31:05 0
>>746
> >なぜ「日本語」の問題から「自分が成立しない」という問題になるんだ。(>>679)
> この発言は、日本語のあり方と日本人のあり方を関連させて論じること自体を
> 頭から否定しているものに思われるのだが、違うのか?

自分は>>679さんではないのであくまで自分の理解になりますけど、その箇所は要するに、
日本語の文の構造と日本人の精神構造一般や社会構造一般に「密接に関連がある」などと
証拠もなしに勝手に結論づけて話をもっていく点に論理の飛躍があるという指摘でしょう。

しかもあなたは日本語の構造のごく一部を切り取った「文の成立の条件」という部分だけを
主観的に選択し他を排除してそう結論づけようとしている。しかしその点だけをもってそれが
日本人の精神性一般、社会性一般の構造に「密接に関係」するなどを論理をもっていくのは、
やはり「主観的なこじつけ」の域を出ていないと言わざるを得ないんじゃないでしょうか。

略語の件についても、べつのラングの構造に注目すれば英語がそれを多用しているにも関わらず、
あなたは何を根拠にしてか、それには目を瞑り、自らの結論にもっていくのに都合のよい例
とそれでない例とを現段階では主観的に選択排除しているにすぎないように見えますからね。

そのような仮説を立てることじたいは否定しないけれども、仮説であるかぎりはそうでない
可能性をも同等に考慮しなければいけないわけで、その「相互の関連」を客観的に根拠付ける
証拠をもってこずに、両者の因果関係について語るというのは論理の飛躍以外の何ものでも
ないんじゃないかと。血液型性格判断と同様に読者の主観的共感に訴えるのと同じですから。

たとえ、語の形式とコミュニケーション一般の形式との間に「密接な関連」を仮定したとしても、
それが「主客融合」を意味するとか「自分が成立していない」とか結論づけるにはさらに研究
が必要になってくるはずですね。


755 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 23:08:21 0
>>746
> で、そんなこと言うなら、鈴木孝夫氏(『ことばと文化』)や木村敏氏(『人と人
> との間 精神病理学的日本論』)が示した、人称詞の用法分析に基づいた日本人
> の自我構造の特殊性の指摘について、どこがどうおかしいのか指摘してほしい、
> と言っている。※氏等の主張は、>>677第二節後半に簡単にまとめてある。

あなたたちのその主張はともかくとして、それらの関連が問題ですよね。その関連を証拠付ける
ようなものがほしい。たとえば、>>637の研究結果はその一つの例になるでしょうね。
>>637の研究結果の内容は残念ながら、あなたの主張を補完するものではないようですからね。

人称詞の件について言うなら、たとえば英語についても、>>114>>115, >>716のような点を
とりあげて、英語だって、あるいは英語こそ、主客融合的だとか、個と共同との区別感覚が曖昧だ
といったような因果関係をでっちあげることだってできるかもしれないですよね。それについてはどう?
あるいは、略語辞典が必要になるほど略語の多さをとりだして同様に因果づける人がいたらどう思う?

> 欧米語の主語や目的語等の使用の必須性は、ではどう説明するのか?
> ウナギ文が通常成立し得ないこともどう説明するのか?

それは単純にそれぞれの言語体系の仕組み(語彙のカテゴリーなど)が違うからでしょうね。
例えば英語で単に「love」と記せば「愛」という名詞を表現しているだけなのかどうか不明。
日本語では「愛-している」と記すことでそれが動詞の現在進行形だとわかる。
日本語ではさらに「愛しているよ」と「よ」をつけることで、伝達対象に訴えかける意味が
くわわることによって、読み手が「私に向かっている意味だ」と分かる仕組みになっている。
一方、loveの場合にはyouとかitを後に記すことではじめて動詞として使われているんだと分かる。
しかしまだそれだけだと命令形との区別がつかない。そこで便宜的にIなどの主語が不可欠になる。
ま、こういう見方もできるかもしれないということで。


756 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 23:36:12 0
>>746
> 「色眼鏡」と言うが、では、あなたやあなたの信じる流派は裸眼で世界が見え
> ていると?

いうなれば私の立場は現時点では「複眼で見よ」ということですね。

現象学的人間学に影響を受けたような分析による仮説をすべて頭から否定する
つもりではなく、木村氏らの見方もそれはそれで興味深い、面白いと思いますよ。
しかし、それを頭から信じるかどうか、無批判に真に受けるかどうかは別問題です。
仮説の一つとしてみれば、やはり複眼的に見ておく必要があると思うのですがいかが?
木村氏の説は、仮説としてはまあまあまとまっていると思うよ。

ただし木村氏はたしか統合失調症もその「人と人の間の病」仮説で説明しようとなさって
いましたけど、だとすると木村氏の説を日本人論の枠で見るのは無理ではないでしょうかね。
それに私の知るかぎり、木村氏は小比木氏や河合隼雄氏のように日本人の特殊性のレベルに
こだわって論じているようには見えなったですけどね。
いずれも精神分析学の影響下にある人たちですけど、現在の精神医学での評価はどうなんでしょうね。

757 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/09/30(火) 23:57:12 0
>>750
> 感覚的(主客融合的)なものを
> 論理的(主客分離的)に分析しようとして
> 訳が分からなくなっているんじゃないのかなぁ。

で、その、自分が言っていることの意味も分かってらっしゃる?

758 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 00:11:29 0
>>748
> 自分は、これまで「非論理的」云々は言っていない。それは、もう一人の人だ
> と思う。

もう一人の人? もう一人の人格じゃなくて?
と言いながらもちゃっかり反論なさる↓から、もう一人の人の考えには同意しているんだよね?

> ただ、「伝達が成り立つ=論理的」という考え方にも賛成はできない。
> それであれば、山崎氏(>>731)ではないが、身振りや表情や愛撫やも、それが
> あるメッセージの伝達に成功さえすれば「論理的」と言えるのか?
> ということになるよ。

べつに声帯のふるえ以外の手段でも、その物質媒体にかかわらず記号の本質は変わらないはずだから、
そこに一貫した伝達上の透明性が確保できれば、論理的な伝達の手段になりうるはずだと思うけどなあ。

手話でも学術的会話は可能だし、コンピュータの情報信号やインターフェースも声帯を使っていないけど、
ちゃんと成り立っている。キーボードやマウス、最近では顔に電極をつけてそこから信号を読み取って
コンピュータに情報を伝えるというインターフェースまでできつつある。

> 「伝達」と「論理」との間に一定の関係があるのは確かだけれども、
> 両者を直結させるのは短絡だと思う。

とすると、あなたの考える言語における論理性とはどういうこと?
論理的言語とは伝達の透明性を確保できる言語の体系のことじゃないの?


759 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 02:38:36 0
大相撲の大麻事件について哲学する。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1221280467/

だれかさんみたいw

760 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 03:05:15 0
>>754>>745
彼は確証バイアスにかかっている感じが強いよね。
自説を強化するための証拠集めであって、
自説を検証するための材料集めにはなっていない。

その自説の軸である「日本語」や「主客融合」という言葉の定義すらも
提示する証拠/データの種類によって、その都度都合の良いように変節させている。
三角ロジックの一角である「論拠」も、ある意味「主張」であるから、
そこからまた階層を深めて「その論拠がなぜ成立するのか」も見ていかなければならないのに、
この議論ではその階層が深まっていく傾向が見えない。
新しいデータとして「だからっ!」「〜なんだよっ!」を挙げても、
それのどこがどのような論拠となって主客融合とやらに繋がり、認識的側面に弱さを持つという主張に至るのか
論拠の掘り下げの過程がまったく見えないんですよ。こちらには。

「日本語のどこがどうで」という話ならば「日本語のここがこうだ」としか言えないのにも関わらず
「日本語のここがこうだから日本語はこうだ。そして日本人もそうだ」とまで
一気に「日本語」の定義を拡大解釈して話を自説寄りの結論に持っていこうとしている気がする。
仮に「日本語のここがこうだから日本語はこうでは?」という段階まで議論を進めるにしても、
まず前段階である「日本語のここがこうだ」を確定させるための議論をしなくてはいけないでしょう。
まだ「本当にそうなのか?」に議論の余地があるとしている段階でしょう?今は。
だが彼は「本当にそうだ」と信じてしまってバイアスがかかった見方をしているから、議論がすすんでいかない。
別の話にすり替えてしまっていることに気付いてないのか、あえてなのかはわからないが、
主張が右往左往して掴み所が見えないですね。私には。

761 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 03:33:14 0
そもそも「認識的側面に弱さを持つ」の意味もさっぱり。
「意味は空気や流れを読んでわかってください」ってこと?
あなたのいう「現場性が著しい言葉」とは、こういう言葉であると身をもって示しているの?
もっとも説明なしには誰にもわからなそうであることから、
話し手・聞き手間においてのみ成立する内閉的・二人称的な文どころか、
完全閉鎖された一人称的な言葉と解釈できる。
「現場性」もなにもない「自分だけがわかればいい独り言」の感覚に近いな。
「主客融合」といい、どんな意味があるのかの共通ラングが未形成の言葉を持ち出しては
議論になんの深みも齎さないと思うのだけど。

762 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 03:49:44 0
>>729の「広い意味で」にも同じことが言える。
論点をぼやけさせるだけ。

763 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 05:36:05 0
トートロジー的な定義反復感をぬぐえないということだね。

辞書で
「右」と調べれば「左の反対のこと」
「左」を調べれば「右の反対のこと」
結局なんなんだよ、となる。

「主客融合」とは?

「敬語や終助詞などがある、または使用頻度が多いこと」

では「敬語や終助詞などがある、または使用頻度が多い」が意味することは?

「認識的側面が弱いこと」

では「認識的側面が弱い」とはどういう意味?

それが「主客融合」ということでしょ!

だから「主客融合」ってなんなのよ。

以下ループ。
堂々巡りのたらい回し。


764 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 10:00:35 0
「けめけめぷー」と「んげらぼぐら」は
「ほっぺけぷらっぱ」である!

というようなものの正否を議論しようとしてるようなものだ。

765 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 10:48:57 0
>>750
その、「感覚的(主客融合的)」な対象とやらは
「感覚的(主客融合的)」的な分析哲学によってしか説明できないって。。。。
「それこそ私の求めるクオリア物理学だ!」なんて茂木氏に絶賛されちゃうんじゃないの?www

766 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:10:39 0
日本語が苦手で町会未加入者を幽霊番地人と呼ぶw

767 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:12:21 0
>>763
(もれは長文で議論してる人とは違うけど…)

「主客融合」っていうのは
「心を一つにすること」だって言ってるじゃん。(>>680



768 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:31:59 0
>>765
実際そうなんだよ…。

日本語の場合、「論理的な文法」はないと思うよ。

頭に浮かんだものから順番に単語を並べて行って
それで不十分な時は接尾語をつけて補うって感じ。
(時枝文法の「詞+辞」みたいな感じ)

で…、
その接尾語には論理的な意味があるのではなくて
感覚的なイメージ(クオリア)として機能していたりする。

たとえば、
「に」…接着するクオリア
「を」…追い求めるクオリア
「が」…主張するクオリア
「は」…選び出すクオリア       みたいな。

つまり、日本語には「論理的な文法」ではなくて
「感覚的な文法」がある、ってことだと思うんだよね…。

ちなみに、
英語なんかでも運用面ではかなりイメージ性(クオリア性)が強いみたいだよね。
大西泰斗さんの「ハートで感じる英文法」とか見るとさ。


(ちょっと話がぶっ飛んじゃったかしらん…?w)


769 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:43:02 0
「心を一つにすること」ってどういうこと?

「主客融合ということ」

「主客融合」というのはどういうこと?

「心を一つにすること」

以下ループ

770 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:49:17 0
>>765
「感覚的(主客融合的)的な分析哲学」という言葉が矛盾。
もはやそれは分析哲学ではない。ただの信仰の問題。

771 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:54:21 0
茂木はバカだよ
助手のおかげで売れたらしい

772 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 14:55:29 0
言語っていうのは、人間の社会と同じように
もともと主客融合的なもの(感覚的なもの)で、
近代になってから主客分離的な要素も入ってきた…って感じじゃないかな。

あ〜、て言うか、
主客分離的な要素か入ってきたものを「近代」と言う、
って言ったほうが正確ですかね…。


773 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 15:25:56 0
>>769
日本人はいつも
「心を一つにしましょう。」とか「空気読め。」って言ってるけど
確かに論理的にはどういうことなのかよく分からないよね。

でも、それで世の中が動いているのも事実な訳で…。

欧米の人から見たら
日本の社会も「異次元の世界」に見えたりして。

妄想や幻覚や異次元といった世界と、
空気やクオリアからなる世界って区別ができるのかな…。


774 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 16:47:32 0
>>768>>773
だからさ、
そこで言語にとっての「論理的」というのは何をもって「論理的」と言うのだろう?とならない?
>>758さんも、そういうところに拘るべきだと言いたいのではないのか。
「文法」とは何をもって「文法」とするの?とか。
それらをあわせた「論理的な文法」という言葉もまた単純な足し算というわけにはいかず、
特別な意味が生まれるはずだよね。「場」「人」などによって。

こちらとしては、
「ラングとは規則であり、心にある”文法”書である」と考えられるし、(>>686のリンク)
「こういう場合にこういう言葉が使われていたら、こういう意味として受け取りましょう」
のように整然と仕切られた”論理的”な”文法”を、
どんな言語話者でもある程度ラングの構造として持っているからこそ、
>>741のように「全述する」などという非効率で非”論理的”な選択をしなくて済んでいると言える。
であるからして、日本語を含めどんな言語においても
もしそれらのどれかに「論理的でない」などというレッテルを貼るのであれば、
いささか気が早い結論ではないのかと考えるよ。


775 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 21:05:14 0
>>774
「ラングとは規則であり、心にある”文法”書である」と考えられるし、(>>686のリンク)
そこまでは、分る。>>686のリンクもおおむね納得。
ただ、「規則があって、それが共有できている」
というところから、あなたは、「だから、論理的であり問題はない」
と主張するが、それは論理の飛躍でしょ。
日本語において共有され確立されている規則があるとして、その質(あり方)は問わ
れていいでしょうが。
規則が共有されている事と、その規則(=ラング)が「主客分離的」なものなのか、
「主客融合的」なものなのかはまったくの別問題。
あなたの議論は、「規則が共有されている(ラングが存在する)こと」と「日本語が
主客分離的であること」とを短絡的に結びつけているように思う。
「主客融合的なラング」というのは、あり得ないものではないはずだ。
相手にとってわかりきったことは省かれるというのは、「主客融合説」からも簡単に
導ける帰結。

>>738
>公共的な言語の約束事であるラングに刻みまれているなら、それは三人称的な法として、
>社会契約として公的にしっかり約束されているということでもあるわけであって、
>それは逆に曖昧さや非論理性を意味していない証拠でしょう。
ここまでは、まだ分る。
しかし、次の展開には飛躍がある。
>だからそれを二人称的であるとか内閉的であるとか解釈するのはおかしいんであって、
>そしてそれを主客融合的と解する根拠にもならないのではないかと言っているのですよ。
敬語や終助詞や人称詞の用法が日本人の間に共有されているからと言って、
それらが持つ、話し手−聞き手に閉ざされた用法は現に存在するからだ。
だから、「それを二人称的であるとか内閉的であるとか解釈するのは」、
ぜんぜんおかしくはない。

776 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 21:37:18 0
それからさ、お二人(?)は、鈴木氏の『ことばと文化』、木村氏の『人と人との間』
における、人称詞の用法分析に基づく日本人論を読んでます??
鈴木氏や木村氏の議論は、三角ロジックの点でも完璧に近いと思うが、いかが?
「人称詞は自己及び相手の位置づけ、認識に関わる言葉」
    +
「日本語の人称詞の特殊な振る舞いの観察」
    ↓
「日本人の『自我』の特殊性の導出」
問題があると言うのなら、再三問いかけているのだが、ぜひ具体的にご指摘を。

>>756
>ただし木村氏はたしか統合失調症もその「人と人の間の病」仮説で説明しようとなさって
>いましたけど、だとすると木村氏の説を日本人論の枠で見るのは無理ではないでしょうかね。
日本人は、その「人と人との間」が特殊である(=非自立的・融合的)というのが
木村氏の主張。
ちなみに、日本人に特徴的な心の病としては、対人恐怖症があげられている。
また統合失調症については、日本と欧米での症状の現れ方の違いが取り上げられている。
>それに私の知るかぎり、木村氏は小比木氏や河合隼雄氏のように日本人の特殊性のレベルに
>こだわって論じているようには見えなったですけどね。
『人と人との間』のサブタイトルを見よ。
少なくとも、『人と人との間』は全篇、日本人の特殊性が考察されているよ。

777 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 21:46:12 0
>>774
>もしそれらのどれかに「論理的でない」などというレッテルを貼るのであれば、
>いささか気が早い結論ではないのかと考えるよ。

>>667の分類で言うと>>774さんはCの「態度保留」という立場なのかな。
もし、Bの「否認派」なのだったらもう少し具体的な反論を聞きたいな。


778 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/01(水) 21:53:35 0
日本語は「ナル的表現」が多いそうだけど
これも主客融合志向の表れと言えるよね。
主体が際立つ表現を極力避けようとする感じ。

779 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 11:09:18 0
>>775
あなた、アンカーを見ましたか?>>768>>773宛てですよ。
あなたが、「あなたの意味する主客融合」とやらの定義をはっきりさせないから、
「わたしの意味する主客融合」とは「非論理的であること」のような定義において議論をしようとする人が出てきている。
その人に宛てたレスですよ。
「では>>768>>773の意味する言語において主客融合的が意味するところの非論理的とは?」と。
あなたに対して「では言語において主客融合とは?」と尋ねているのと同じ理由でね。
その人の定義前提がわからなければ、その人と意味のある会話/議論は出来ない。
だから「ある程度私の中に意味が形成されている、私にとっての「論理的」とはこの場合こういうことです」と
説明(パロールといえる?)することで意味をすりあわせ、
その人と同程度のラングを共有することを図った、ということです。
「主客融合」については、あなたが提示する定義に幅がありすぎて
私の中にほとんどラングが形成されていないので困っているのですがね。
今は「その言葉に幅がありすぎて何が言いたいのかわからない」ので「定義のすりあわせをするべき」
という”態度”といえるので、>>777のどの分類にも該当しないとなります。

それと「日本語には問題がある」という主張に強引に引っ張っていくためにかは知りませんが、
まるで私が言ったかのように、「問題はない」などという言葉を恣意的に混入させないでください。
上記で説明したように「論理的であることに問題のあるや否や」とは無関係の話をしていました。
>>777についてもひとつ、「論理的云々」の私のレスを態々引用したのちに、
あなたにとって別の話であるはずの「主客融合云々」についての分類を持ってくる意図がわかりません。
「論理的かどうかと主客融合」は関連がないはずですよね?あなたの最近の定義では。

以降またもや定義不定な「主客融合/分離」が出てくるので、言いたいことがよくわかりませんが、
まさしくそのラングの構造の質を問うことこそが議論に必要であるからこそ、
こうして色々な考え方の可能性を示しているんですよ。


780 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 11:10:52 0
(続き)
>あなたの議論は……あり得ないものではないはずだ。
いやいや、
>>774を「日本語が主客分離的とやらであると思っている」と短絡的に結び付けているのはあなただと思うよ。
>>774からどこをどう解釈して「主客分離」に結び付いたのだろうか。なぜ質を問うてないと解釈されたのか。
「主客融合的なラング」というのは、あり得ないものではないはずだ」どころか、そもそも私が
「あなたの”以前”の主客融合の定義」(他者との関係性によって云々)にのっとって示した立場は
関係性によってしかパロールの理解もラングの構造も成り立たないのだから、
「ラングは全て主客融合的といえるのでは」(>>689)という立場ですよ?
あわせれば「ラングは主客融合的(あなたの前定義)であり、かつ論理的(私の定義)だ」となりますかね。
またあなたの中で「主客融合/分離」の定義が変わったのですかね?解釈にばらつきがありますよね?
それともただの誤解?書き間違い?定義が変わったのなら、それは別に悪いことではないよ。
すりあわせで共有ラングが出来つつあるということだろうから。
ただどのように変わったのかは未だに見えないので、そこはできるだけ明確にする努力をして欲しい。

たとえば>>778は最近のあなたの主客融合の定義(二者間の内閉的云々)をもって、
どこがどうなってそうなるのか説明してくれますか?
投稿時間的におそらく同一人物と思われますが。


781 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 11:19:15 0
アンカミス
>>686)という立場に訂正。

782 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 12:42:49 0
>>779
理解のすり合わせのため、努力はするね。
で、弁明と質問をさせてほしい。
こちらは>>677以来、「主客融合」の定義は変えてはいないつもりだよ。
>>714も、もう一度見てほしい。

それから、
>>775後半で述べている>>738へのレスに答えてくれないかな?
あと、
>いやいや、パロールと依存関係にあるラングまでが「全言語において相手依存」だからこそ
>「相手依存」という定義において日本語のみが特殊とはいえないのではという主張だったのだけど。
(>>706)
ここで言っている「相手」ってなんのこと??
定義してみてくれますか。

私は「相手」(=「主客」の「客」)を「聞き手」(周辺的には関係者までを
含む)の意味で使っている。
そうして、日本語にはこの意味での「客」との融合性を示す事象が種々認めら
れると言っている。
それに対して、あなたは「相手」というタームをものすごく広い意味で使って
いるような気がする。違います?
そのような超広い意味で「相手(=客)」というタームを使えば、そりゃあ
どの言語であれ、「主客融合」だ、ということになると思うよ。
で、聞きたいのだけれど、タームとしての「相手」を聞き手と限定すれば、
その意味での「相手」との「融合性」を示すのは、日本語に特徴的と言えると
思うが、如何?

783 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 12:57:48 0
>>775
> ただ、「規則があって、それが共有できている」
> というところから、あなたは、「だから、論理的であり問題はない」
> と主張するが、それは論理の飛躍でしょ。
> 規則が共有されている事と、その規則(=ラング)が「主客分離的」なものなのか、
> 「主客融合的」なものなのかはまったくの別問題。

ちょい待った! あなたは>>748で、
「自分は、これまで「非論理的」云々とは言っていない」
と返答しているけど、それはただ単にあなたの書き込みではないと言いたいだけで、
あなたの上の引用符にある見解からも読み取れるように、
その人の書き込みとあなたとがその点で同じ考え方をしていることには変わりはない訳でしょ?
つまり、「主客融合的(ラング)=非論理的(ラング)」という論理展開でね。
その点をあらためて確認しておきますよ。
とすると、私の疑問は解決しないんですよ。あなたの指す言語の論理性が何を意味するのか。

784 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 12:58:18 0
>>775
> あなたの議論は、「規則が共有されている(ラングが存在する)こと」と「日本語が
> 主客分離的であること」とを短絡的に結びつけているように思う。
> 「主客融合的なラング」というのは、あり得ないものではないはずだ。

とりあえず「あり得なくはない」とすることと「〜である」と結論することとを
分けましょうよ。
こちらはなによりもまず後者の因果づけに疑問をもって批判しているのですからね。
さて、その上でさらに、その「主客融合的なラング」という見方にもやはり論理的な疑問は
残るんですよね。それは上の疑問と重なってくる。
>>774さんが指摘なさっているとおり、その疑問はやはり、あなたが何をもって論理:非論理、
あるいは主客分離:主客融合ということを区別する前提にしているのか、ということにも通ずる。

> 相手にとってわかりきったことは省かれるというのは、「主客融合説」からも簡単に
> 導ける帰結。

あなたの主観的な見解(脳内説)ではそうかもしれないけど、ここでは客観的に普遍的に
いえるであろう確からしさを求めているはずなので、「主客融合説」そのものの論理の中身を
問題にしているんですよね。
まあこの論点については↓のスレッドがあるようなので、改めてそっちへもっていきましょうかね?

日本語は「非論理的な言語」か?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1172658491/

785 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 12:58:58 0
>>775
> しかし、次の展開には飛躍がある。
> >だからそれを二人称的であるとか内閉的であるとか解釈するのはおかしいんであって、
> >そしてそれを主客融合的と解する根拠にもならないのではないかと言っているのですよ。
> 敬語や終助詞や人称詞の用法が日本人の間に共有されているからと言って、
> それらが持つ、話し手−聞き手に閉ざされた用法は現に存在するからだ。

飛躍はありませんよ。こちらは単に、あなたの解釈の一元化を問題にしているのであって、
それに対してべつの解釈の可能性を提示し、そこから導き出される解釈が一通りしかない
というあなたの議論のもっていき方に現時点で否と言っているだけです。
あなたは、そう解釈する以外に解釈しようがないという結論を導こうとするから、
そこについて私(あるいは私達)は異を唱えているのです。
そこまで言い切るためにはもっと理を詰めていき、それ相応の証拠が必要になるはずですよと。

786 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 13:15:01 0
>>777-778
こうした私の立場が曖昧で自分の考えがないというあなたがたの見解には大いに疑問を感じます。
あなたの言う通りだとすれば「科学的に充分に証明されていないことには科学者としてそこまで
言い切るのを避ける」という科学者の誠実な態度を主客融合的で論理的でないと断じるようなもの。
これはおかしい。
少なくともあなたがたの「主客融合説」にかぎっていえば、あなたがたのそうした考えにこそ、
かえって「主客融合志向」というものを、私は感じざるを得ないわけですよ。

787 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 13:16:21 0
科学言説というものは客観性の追究にあるわけでしょ? 客観性を追究する言説というのは
自分の語りの中からできるだけ個人の見解に過ぎない主観を排して語るってことではないの?
それはつまり、科学の言説には本質的に個人主体が存在しないことを意味しているのでは?
要するに、誰が主体になって話しても同一の結論が同一の論理展開によって導かれるという訳。
(↑ここ重要)
客観性の範疇が人類全般に通じる普遍性を目指すならば、その表現内で仮に話す主体のごときを
用いたとしても、それは人類一般を指す主語として「我々は」と表現するかぎりにおいてですね。
人類の範疇を越えた客観性を目指す理念をもつならば、その主語さえ消滅させなければならない。
その意味では、客観主義とは主体の側からみれば普遍的共同体主義を志向している、とも言える。

そして個人主体の独自性に依存する個別の見解は主観性の問題として、個々の嗜好・価値判断・
感性に依存した単に私的=詩的表現、あるいは個人の病理学の範疇に閉じ込められることになる。
あるいはまた、二人称的な幻想(愛とか恋とか)や、共同主観的宗教の範疇に閉じ込められる。
よって科学の言説からは個人の主体の独自性に依拠する見解はかぎりなく消されてゆくはずですね。
厳密な意味での科学の言説においては少なくとも英語のIとかyouは不要になる。
逆から言えば、主体の客体への解消という意味においては、科学の言説はもう一つの角度から
普遍的な主客合体・主客一体化を志向しているとも考えられなくはない。

これが主客二元論の前提から出発して客観主義を徹底的に追究しようとした近代科学の理性が
少なくとも目指そうとした言説の理念(客観的に語る主体の理性)であったのではないでしょうか?
「クオリア」といった問題を提示する人たち、はたまた、現象学的な人間学による現存在分析に
依拠する論者たちは、もしかするとそうした近代科学の方法論に異を唱えているのかもしれません。
構造主義がポストモダン論者や現象学的人間学者によって「主体なき科学主義・客観主義である」
と批判された一端もこの点にあったのかもしれない。

788 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 13:45:56 0
ただし「クオリア」論者の一部(茂木氏の立場)は、主体を客体へと解消するという意味において
客観主義を更に追究しようとした結果として主客合体主義的な構造主義を主張しているだけかも。

789 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 14:20:05 0
>>768
どうやら、あなた自身が完全にクオリア論者になっちゃっているようだねw
その意味では、あなたは、茂木氏らのクオリア論にかなりの程度共鳴しているのかな。

>たとえば、
>「に」…接着するクオリア
>「を」…追い求めるクオリア
>「が」…主張するクオリア
>「は」…選び出すクオリア       みたいな。

それって、クオリアをイメージという語にそのまんま置き換えても通じる意味では?
英文関連を参考書には、英文の前置詞をそれと同様にしてイメージで理解させよう
という試みが行われていたりしますよね。
例えば前置詞のonは「物が接着した状態」が基本イメージで、それを比喩的な連想イメージ
へと繋げていくことで、onの用法の応用を英語を母語としない学習者に理解させようとする。
イメージで理解させるという説明方法でないと、ネイティブスピーカーの前置詞の用法に
ついてのラングの構造を整理して説明できない。英語教育でさえイメージ論に頼っている。

時制にしても、客観的時間概念とは一致しないからややこしい。
また、前置詞に話にもどすと、前置詞atが時間のある「一点」を指すイメージだと説明しておきながら、
なぜnightがat nightなのかというのは説明できない。だからnightは眠ってしまうから主観的感覚的には
一点に過ぎなく感じられるからだと、けっきょくそこの説明も、その言語のラング共有者の共同主観性
に帰して強引に行われる。しかし夜に関してこれが普遍的に共有される客観的見方とは言えない。

790 :782:2008/10/02(木) 15:00:33 0
>>783-785
ほぼ同時投稿だったようだね。
>>782へのレス、よろしくね。
ご案内のように自分は「論理的」云々はこれまで使ってこなかったので、
定義を求められてもやや心もとないのだけれど、次のようになるかな(?)。
***
・単に「成り立つもの」が示されるのではなく、それを「成り立たせるもの」
が第三者にも分かる形で示される。一体的・全体的にメッセージが伝えられる
のではなく、二項的に分節され、述べられる事の出所が明示的である。
・状況・現場からの超越性を持つ。
***
人間の言語は一応この意味での「論理性」をもっていると言えば言える、
しかし、そのレベルには違いがあると言えるのでは、と言うのが私の現時点で
の考え。で、あなたは、そのレベル差を認めないようだね(?)。
ただいずれにしても、君の「論理的」の定義もぜひ聞かせてほしい。
なぜそう言えるのかと問い詰める権利は当方にもあるでしょw?

>とりあえず「あり得なくはない」とすることと「〜である」と結論することとを
>分けましょうよ。
それは、君にこそいいたい。

>飛躍はありませんよ。
と言うなら、一般論に逃げてないで、
なぜ、
>それを二人称的であるとか内閉的であるとか解釈するのはおかしいんであって、
などということが言えるのか、説明してください。

791 :782:2008/10/02(木) 15:01:26 0
>>786
「そこまで言い切るのを避ける」の「そこまで」って、どこまでなのよ??
その部分の君の「主観性」というか「思い込み」に議論をややこしくさせてい
る一因(あくまでも一因ね)があると思う。
当方は、もとより「仮説」として主張しているよ。
誰も、「これは定説です。」とか、「完璧に証明された真理です。」なんて、
言ってないがなw。

792 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 15:12:33 0
そのような仮説を立てることじたいは否定しないけれども、仮説であるかぎりはそうでない
可能性をも同等に考慮しなければいけないわけで、その「相互の関連」を客観的に根拠付ける
証拠をもってこずに、両者の因果関係について語るというのは論理の飛躍以外の何ものでも
ないんじゃないかと。血液型性格判断と同様に読者の主観的共感に訴えるのと同じですから。

793 :782:2008/10/02(木) 15:32:13 0
>>789
仮に日本語の「が・を・に(・は)」等の助詞と英語の前置詞が、ともにイメ
ージに関わる言葉だとして、両者の間には大きな違いがあるよ。
「が・を・に」等は、英語で言う5文型的内容(「文の構造の基本的な骨格と
なる部分」(C)池上嘉彦)に関わるものであるのに対し、前置詞は基本的に
「文の骨格」以外のところで働くもの。
イメージが関与するのは、英語では文の骨格以外のところなのに対し、
日本語では「文の骨格」となるべき部分にもイメージが浸潤していると言える
かな(?)。
そういう意味では、>>768氏の言う
>日本語の場合、「論理的な文法」はないと思うよ。
というのも、一理あるのでは。
ちなみに↑の発言に近いことは森有正(『経験と思想』岩波書店)も言ってい
る。(さらにちなみに、当方の考えは森氏の考察に影響を受けている。)

794 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 15:38:24 0
>>791
> 「そこまで言い切るのを避ける」の「そこまで」って、どこまでなのよ??

もちろん文脈のとおり「科学的に充分に証明されていないことまで」ですよ。
「科学的に証明されていない因果関係について科学者としての立場からは
その時点で判断を下すことを控える」という態度を指している。

日本語や日本人や日本の社会が、他と比較して主客融合的で、非論理的な性格を
より強くもっているというあなたがたの見解は、仮説として想定できないことで
はないでしょうが、現時点ではまだまだ先入観の域を出ていないと思われるので、
そういうアイデアもありますね、としか私には言えない。
その種の日本人論は精神分析学派の人たちが、これまで何度となく繰り返し語ってきていて
世間にかなり流布してきたものなので、いまさら「なるほど」とも思わない見解ではあります。
私は、べつの可能性、反対の可能性を充分考慮しながら見ていく必要があるという立場。

ところで>>786>>777-778へのレスのはずだけど、
>>777-778はあなたの書き込みなの?

795 :782:2008/10/02(木) 15:45:36 0
>>792
>その「相互の関連」を客観的に根拠付ける証拠をもってこずに、両者の因果関
>係について語るというのは論理の飛躍以外の何ものでもないんじゃないかと。

「仮説であることを忘れるなよ。」ということなら了解できるけど、
「論理の飛躍以外の何ものでもない」!と言い切ってしまうそのあなたの態度
には飛躍がありませんか?
その「相互の関連」とか、「両者の因果関係」って何のこと言ってるの??
ひとつ、具体的にお願いします。
こちらは、根拠を示しながら話をしているつもり。
おかしいというなら、具体的に反証を示すなり、論理の矛盾を指摘するなり
してほしい。

796 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 15:56:19 0
代弁
「その論に至る過程の論理的な説明をはしょっていることで、こっちにとっては飛躍していると思える」
782の頭の中ではもしかしたら「論理的な繋がりがあって、その論に至った」のかも知れないけど。
違う?

797 :782:2008/10/02(木) 16:02:47 0
>>794
>もちろん文脈のとおり「科学的に充分に証明されていないことまで」ですよ。
いやあそんなふうには読めませんけどね(笑)。

>そういうアイデアもありますね、としか私には言えない。
それなら、当方も何も言うことはない。

>その種の日本人論は精神分析学派の人たちが、これまで何度となく繰り返し語ってきていて
日本語と絡めて論じている森有正、木村敏、鈴木孝夫、池上嘉彦氏等の見解に
ついてはどう思うの?(ここは言語板だよね。)

>私は、べつの可能性、反対の可能性を充分考慮しながら見ていく必要があるという立場。
その立場は分かるし、学ばなくてはいけないなとも思います。
ただ、
>世間にかなり流布してきたものなので、いまさら「なるほど」とも思わない見解ではあります。
>私は、べつの可能性、反対の可能性を充分考慮しながら見ていく必要があるという立場。
ということは、私の側からもまったく同じことが言えるのですよね。

>>777-778はあなたの書き込みなの?
いえ、違いますよ。
その点まぎれないように名前に番号入れておいたのですが…。

798 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 16:57:50 0
うそくせw 別人にして逃げのしっぽ切りにしか思えないぞ
782をコテにしたところで、777-778が782じゃないと示せるとは思えないんだけど? 整合性ないよw
てか普通にまぎらわしいから、コテつけといてくれ
ただでさえ一貫性に乏しいみたいに指摘されてんだからね
あと>>783-785に対して>>782のレスよろしくとか言ってるけど、あきらかに>>779と別人でしょ?


799 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 16:59:06 0
>>795
> 「仮説であることを忘れるなよ。」ということなら了解できるけど、
> 「論理の飛躍以外の何ものでもない」!と言い切ってしまうそのあなたの態度
> には飛躍がありませんか?

なぜ?

> その「相互の関連」とか、「両者の因果関係」って何のこと言ってるの??
> ひとつ、具体的にお願いします。

人称詞の用法をもってそれをイコール「日本人は相手がないと自分が成立しない」
イコール「日本人は自分というものの自律性が希薄」と一般化してそれを日本人の
精神性や社会性にそのまんまイコールで転用するところ。これは論理の飛躍でしょう。
ある事象のものを他の事象の物事へと安易に転用してしまっている。

そこを論理的に結びつけて考えるためには、少なくとも>>637みたいな類の研究と
その結果を示すソースが必要になってくるはず。それをもってきてはじめて論理的に
関連付けて語ることができ、日本人の傾向一般論への仮説を立てることができる。

でないと単に、読者の主観的共感に訴えるだけの血液型性格判断みたいなものになる。
池上嘉彦さんあたりもどうやらその種の日本人論のあやふさを認めているご様子で、
その種の日本人論の説得のパターンが主客融合的なアプローチの傾向を帯びている旨を
たしか 『「日本語論」への招待』で語っておられましたよね。


800 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 17:07:44 0
>>795
> おかしいというなら、具体的に反証を示すなり、論理の矛盾を指摘するなり
> してほしい。

反証というよりか、そちらの仮説とやらに反証可能性が果たして成り立っているのか
どうかについても問題なので、もう少し議論を詰めていく必要があると思います。
少なくとも現時点では、そこからべつの見方がありうるかどうかが問題になりますね。

人称詞についてのあなた方の見解が正しいと仮定しても、それを個人の精神性の
「自我」とイコールで結びつけられるのかどうか、その問題をクリアせずに強引に
ジャンプして「自我が弱い」とか「希薄」とか「自他未分化」と結論できるかどうか
については私はあなたよりずっと慎重な立場です。

私が否定するのは、この説明の段階で「できる」と言い切ってしまう論理展開です。
私が飛躍があると断じるのはその点です。言い切ってしまうのはもはや仮説ではない。


801 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 17:22:41 0
>>797
> >もちろん文脈のとおり「科学的に充分に証明されていないことまで」ですよ。
> いやあそんなふうには読めませんけどね(笑)。

じゃあどう読めるんでしょうか?

> >そういうアイデアもありますね、としか私には言えない。
> それなら、当方も何も言うことはない。

あなた方の脳内で思うにはいくらでも勝手ですよと言っているのですよ。
主客融合論を共同主観的に共有なさる共同体内ではいくら信仰しても文句はいえませんw

> >その種の日本人論は精神分析学派の人たちが、これまで何度となく繰り返し語ってきていて
> 日本語と絡めて論じている森有正、木村敏、鈴木孝夫、池上嘉彦氏等の見解に
> ついてはどう思うの?(ここは言語板だよね。)

それらの人たちは、従来から世間に流布されていた精神分析学派の人たちの見解に強い
影響を受けて、その色眼鏡を無反省に言語分析に転用なさったように思われますね。
木村敏氏は言語学者ではなく精神分析学的精神医学の影響下にある人ですね。
精神分析学というのは反証可能性の点でもしばしば疑問がもたれているのでなんとも言い難い。

> >世間にかなり流布してきたものなので、いまさら「なるほど」とも思わない見解ではあります。
> >私は、べつの可能性、反対の可能性を充分考慮しながら見ていく必要があるという立場。
> ということは、私の側からもまったく同じことが言えるのですよね。

そうかなあw
考慮するどころか、主客融合説まずありきで結論を急ぎすぎて、それ以外の可能性を
考慮に入れて議論を展開することをすっかり忘れていやしませんか?
それから、
そちらの主張する日本人論のほうが世間に流布されているものだと思うけどなあ。


802 :782:2008/10/02(木) 17:33:14 0
>>799
>これは論理の飛躍でしょう。
どこが?
それに対しては、>>776前半で答えている。

>>637の研究については、>>749
だいたいその研究が大前提にしている
「思考=ジェスチャー」
なんていうことが、何で言えるの?
こんなこと、証明されていますか?
非常に厳しい見方をするあなたがなぜこういうものには寛大なのか、不思議だよ。

>池上嘉彦さんあたりもどうやらその種の日本人論のあやふさを認めているご様子で、
ええ。
だけど、その上で池上氏は日本人と日本語の特殊性(特に後者)を主張されて
いますけどね。

803 :782:2008/10/02(木) 17:43:02 0
>>800
>私が否定するのは、この説明の段階で「できる」と言い切ってしまう論理展開です。
>私が飛躍があると断じるのはその点です。言い切ってしまうのはもはや仮説ではない。
あのさ、こちらは「仮説」として提示している、と言っているわけで。
「そのような見方が成り立つのではないか?」という一つの見方(仮説)を提
示している。
それは、レベルが全然違うとは言え、池上氏をはじめとする先学も同じ。
それを、なにが気に食わないのか知らないけど、「言い切るな!」「言い切る
な!」と何度も言われても、困っちゃうよ。

>自我が弱い」とか「希薄」とか「自他未分化」と結論できるかどうか
>については私はあなたよりずっと慎重な立場です。
というあなたの立場まで否定するつもりはありませんよ。

804 :782:2008/10/02(木) 17:51:50 0
>>801
>じゃあどう読めるんでしょうか?
直前のレスに書いたように、感情的・無規定的になっているように読める。

>それらの人たちは、従来から世間に流布されていた精神分析学派の人たちの見解に強い
>影響を受けて、その色眼鏡を無反省に言語分析に転用なさったように思われますね。
で、彼らの所説について具体的な議論をするつもりはないと?
いったいどちらが「色眼鏡」をかけているのでしょうかねw?
(ちなみに、前にも聞いた気がするのですが、池上氏の著作の後半まで読んで
ます?)

>そちらの主張する日本人論のほうが世間に流布されているものだと思うけどなあ。
言語研究の世界では、あなたのような立場の方が多数派の気がしますけどね。

805 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 18:51:27 0
>>802
えー>>776って、「データ-論拠-主張」で三点だけど、どれがどれ? 三点ロジックわかってる?
んで>>799って流れ的に>>683=>>755だよね? 違う?
別に>>637の研究の結果がどうとか言ってなくね? あれぐらい具体的データの提示とか
推論過程の提示とかをやってくれりゃ、ある種の研究として反証の対象と認識できるけど
あんたのじゃ足りないってことでそ? そーいうことなら、俺もそう思ってるね
現段階じゃ>>764でそ
反証できるのかすら不明
つか言い切るとかくだらんとこで言い争ってないで、本題に戻れよ
なにが主客融合? どう? なぜ? 証拠は? わかりやすく詳しくよろしく〜

806 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 20:12:57 0
>>802
> どこが?
> それに対しては、>>776前半で答えている。

もう少し詳しくお願いします。

> >>637の研究については、>>749

具体的にはどのコメントのことを指していますか。
簡単な要約でもいいので、挙げてくださいませんか。

> ええ。
> だけど、その上で池上氏は日本人と日本語の特殊性(特に後者)を主張されて
> いますけどね。

彼がそうした主張に肩入れしていることはたしかですが、
『「日本語論」への招待』にはたしか、川端康成さんの『雪国』の冒頭にある
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という一文に言及して、
それを「主客融合性」という表現でもって言及している章が後半にあったでしょうかね。
でも、池上氏はそこではそう思えるという主観的な感想文程度に言及する範囲にとどめていて、
それ以上の主張ではなかったように思いますが、どう?
それに、『雪国』の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった」という一文は
その一文だけを文脈から切り取って読むとトンネルを抜けたのが何なのか分かりませんが、
「夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった」というふうに続くんですよね。
冒頭文として最初に「うなぎ文」的一文をもってきて、その後、しだいに状況を明かしていく
という修辞学的なというか、少し凝った表現の効果をねらっている。


807 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 22:17:01 0
>>802
> だいたいその研究が大前提にしている
> 「思考=ジェスチャー」
> なんていうことが、何で言えるの?
> こんなこと、証明されていますか?

私はそこまでは言っていないつもりですけどね。>>736の後半。

その記事によれば、Goldin-Meadow氏の研究チームが行ったとされる二種類
の実験が紹介されていますね。
一つ目はジェスチャー、もう一つはイラストを選ばせるというもののようで。

Goldin-Meadow氏は、実験前の段階では、被験者の母国語の文法上の構造が
各人が自前で用いるコミュニケーション形式にも影響を色濃く与えると考え、
それが実験結果にも反映されるだろうという仮説を立てて実験したようですけど、
その仮説は見事に裏切られ、ジェスチャーの実験でもイラスト選択の実験でも、
被験者の用いる母国語の基本語順にかかわらず被験者はSOVの順序で表現したと。
で、この二つの実験結果が、言語が思考から独立していることを証明するもので
あるとGoldin-Meadow氏は考え、主張なさっている。

私の場合は、思考という表現は避け、主体の用いるコミュニケーション一般を
規制するとはかぎらない、といった表現にとどめています。
あなた自身も、「思考=ジェスチャーなんていうことが、何で言えるの?」と
質問なさっているように、思考とその人が表現する伝達様式(コミュニケーション)
とが互いに反映する関係にあることに疑問をお持ちになっている。
私はその疑問を言語と思考との間にも抱くべきであると考えますが、あなたは如何?

808 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 22:27:52 0
>>789
長文は苦手なのであんまり読んでないんだけど…、
「イメージ」でも「クオリア」でもどっちでもいいと思うよ。
「感覚的なもの」という意味で使っているのであれば。

デカルトとかは
「観念(idea)」と「心像(image)」を対比させて使っていたしね。

ただ…、
「イメージ」だと「平面的(絵画的)」な感じがするのに対して、
「クオリア」だと「立体的(空間的)な感じがするよね。

あと、「接着するイメージ」って言うより
「接着するクオリア」って言ったほうが
アカデミックな感じがするかな…と思ったり。

ほんとは「接着する感じ」って言うのが一番分かりやすいとは思うけど。

(ちなみに、「主客融合性」を分かりやすく言うと「心を一つに性」かな)


809 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 22:39:49 0
>>807
「思考」って言葉にも
「主客分離的な思考」(idea)と
「主客融合的な思考」(image)があるんじゃなかったっけ。(>>549

810 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 22:49:00 0
ところで英文にも、
An elephant is a big animal.とせずにAn elephant is big.と記したり、
Mike is an honest boy.とせずにMike is honest.と表現できるところに、
(不完全な文型という意味で)うなぎ文に類する文を読み取ることができるように
思いますけどね。
isが数学的・論理学的なイコール(=)に対応する語であると考えてみた場合に、
日本語の助詞「は」の用法と同様、上記の文型は不完全で異常な形態に見えます。

日本語では1+1=2の=を「は」と表現するけれど、「は」を=の意味であるとそのまま
受け取ってしまうと論理的な間違いをおかすことになるのは知られているとおり。
「私はうなぎ(だ)」もそうで、「私=うなぎ」という意味で理解するとおかしくなるw

ここには英語のbe動詞がいったい何を意味するのか、という問題がまずありますが、
印度欧州言語に基づく欧米の文法理論をそのまま日本語に当てはめ、うまく理解でき
ないからといって、日本語の文法構造が不合理で論理性に欠けるとか、文の基本構造に
欠けているとか、異常な文型が多い、などと結論するのは早急にすぎると思います。
理論が当てはまらなければ対象を異常視するのではなく、まず手持ちの理論のほうを
徹底的に疑うのが科学的・実証的な態度というものでしょうからね。

811 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 22:55:43 0
なんか、既視感があるな…。
この、議論をしつこく吹っ掛けてくる感じ。
文体は違うんだけど、論法が同じだし。

812 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 23:00:52 0
ちょっと疲れているのかもね…

813 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 23:01:27 0
精神分析医には多いと思うんですよね、精神分析理論は絶対的に正しくて、その自我発達形成の理論から
逸脱する臨床対象に出会したときに、その対象を異常だ障害だ未発達だ人格の歪みだと見なして正常異常
の診断をくだし、自分の持っている理論のほうを絶対に疑わない人たちが。

814 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 23:13:43 0
>>808
あなたはなんだかいつも自由な発想でいいですね、まるで連想ゲームのよう。

815 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 23:23:08 0
>>808さん
>>787 >>788のような見解についてはどう思われますか?


816 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/02(木) 23:59:36 0
しかし、うなぎ文にかぎって、日本語では通常省略されるはずの「僕/俺/私は」といった主語が
なぜつくんだろう。それがつくせいでますますうなぎ文はそれ自体として奇妙な文型になってしまう。
本来なら「うなぎにします」「うなぎを下さい」「うなぎをお願いします」でよいはずではないか。

817 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 00:43:21 O
主題の「○○は」ではなく、対比の「○○は」だから、必ず「○○は」が要る。
「彼はカツ丼で、私はうなぎだ」といった文脈。
鰻文は、複数の人がそれぞれ料理を注文するなど、決まった場面でしか使えない。
複数の人が、それぞれいちばん好きなもの/いちばん嫌いなもの/飼っているものを言い合う等でもよい。
「注文するものは」「いちばん好きなものは/嫌いなものは」「飼っているものは」が省略されていると説明するのが最も簡単で、かつ理に適っている。

818 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 07:34:11 0
>>816
うなぎ文に限ってっていうけど、それは「僕は」がついてることが前提のうなぎ文を恣意的に抜き出しているからじゃ。
僕、俺とかもフィラーの一種と言えるんじゃない?日本語の文法の中では。「注文は?」「うなぎ」と言えるんだし。
「僕はねー、えーと、んー、うなぎ!」のように、語調を整えるぐらいの効果しか狙っていない。
もちろん対比しない時の場合ね。
2人以上で頼んでいる時は、どちらが何を頼んだかを伝えるために
「誰々は」を一応伝える。(同集団とわかってるはずだから必要はないけど)
で、一人で店に入って、一対一で頼んでいる時の「僕はうなぎ」という場合の「僕は」は単なるフィラーと言えるのでは、と。
あっちに座ってる他の客と対比して僕はこう・・・とか、そういう対比を意識しているわけじゃないだろうし。
一対一の自己紹介の時の「僕は誰々です」と同じような、形式的なもの。「僕は」を言わなくてもわかるけど、一応ってやつ。

英語話者でも、英語の「アイム」が何かをわからないであろう相手に自己紹介する場合には
胸に手を置いて「自分は」という意味を伝えつつ「ジョン。ジョン・スミス」だのと名前のみを言おうとするよね。
つまり英語話者同士において、一対一の自己紹介でも不必要な「アイム」をつけたがるとすれば(実際はよく知らないが)
それが形式的なものだからじゃ。
社会的に形成されてきた「それはそうするのが一般的だから、そうする」というような形式。
心の中の文法書に「英語話者社会の中ではそうするものだ」と刻み込まれているだけ、といえるのでは。
だからその「常識」といえるものが通じなそうな相手に対しては、自己紹介でも「アイム」を省いてわかりやすくする。

819 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 14:22:44 0
>>778
日本語の「心を一つにする性質」(主客を融合する性質)を
大ざっぱにまとめるとこんな感じ…?

@ 主客の分離性はできるだけ曖昧に表現する。(主語の省略や、ナル的表現など)
A 主客の融合性はできるだけ明確に表現する。(役割や、恩恵の授受など)


820 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 14:31:35 0
>>815
タコツボ的な印象を受けるんですよね…。専門的なことはよくわからないけど。

821 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 14:56:18 0
>>819
自分で書いていて、単なる言葉遊びになってると感じないのが凄いよ。

822 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:13:52 0
>>807
あなたはソシュールを持ち出していた人だと思うのだが、
ソシュール的な見方からすれば、
言語とは、人間的な思考とイコールじゃないのか?

823 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:16:28 0
ここのスレタイも分かりやすく言うと
「日本語と日本人の、『心を一つにする性質』について」
ってことになるね。  
これだと一般の人にも伝わりやすいかな。

824 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:18:45 0
>>821  「空気読め。」って言う人も「言葉遊び」?


825 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:39:07 0
>>823
その方がオカルトっぽさは軽減するけど
文化論、精神論と言語論を結び付けた議論ってろくなのがないからな
白眼視は避けられない

826 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:52:19 0
>>818
スウェーデン語の語学書(語学王)をちょっと読んでみたのですが、
初対面の人への自己紹介兼挨拶の構文として「
Haj! Sven.
Inga.
」とだけ書かれてありました。SvenとIngaは名前ですね。日本語訳は「
やあ、僕はスヴェン。
私はインガよ。
」とある。どうやらスウェーデン語では英語の「I'm」に当たる部分を省いた
こういう構文が実際の会話として成り立ってしまうようなのですね。



827 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 15:53:59 0
>>821
どこが「言葉遊び」になっている?

>>825
>文化論、精神論と言語論を結び付けた議論ってろくなのがないからな
>白眼視は避けられない
それは君の「色眼鏡」の色を告白しているだけであり、
学問的な態度とはいえない。

828 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 16:01:36 0
>>820
> タコツボ的な印象を受けるんですよね…。

その感覚はあなたの脳内のクオリアルな印象ですか

829 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 16:15:47 O
>>818
> 「注文は?」「うなぎ」と言えるんだし。
それは鰻文ではない。

> もちろん対比しない時の場合ね。
対比しないとき、鰻文は使えない。

> 一人で店に入って、一対一で頼んでいる時の「僕はうなぎ」という場合の
「僕は」は言わない。

830 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 17:08:16 0
Is this a pen?
Yes, it is.
英語の教科書でお馴染みのこの構文。
でも律儀に表現するなら、Yes, it is a pan.と表現するべきであるはず。
なぜかa penが省略されてしまっている。
なぜ省略できてしまうのだろうか。

この場合は目的語、ウナギ文では述語という違いはあるけれども、
省略できてしまえる理屈としては同じことが考えられるかもしれない。

ウナギ文といえど、なんの脈略もなくいきなり「私はうどん」「俺はラーメン」とか、
「私はB」「私はC」なんていう人はいないw
「どれになさいますか」とか「A,B,Cの中であなたの好きな男性のタイプはどれ?」
という質問を受けたり、そうした脈略があってはじめて、その質問に答える構文として
質問文の繰り返しになる自明の部分は省略される。
ウナギ文の場合は省略することで必要な部分だけを「強調」して表現する意味合いもある。


831 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 17:12:52 0
なんか不毛な感じするな〜
抽象的な表現でフワフワ漂ってるだけ
ラングってやつで言えば、心ひとつにならんと通じないってことなんしょ?
なんでそこで日本語とか日本人が絡んでくんだかわかんねっす

832 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 17:18:11 0
あ、抽象的とかは>>830とかのことじゃないよ
そういう細かいところはだいたいわかる
でも>>819>>827とかもう一人の主客融合論者とか
わかるように説明しようとかいう配慮を微塵も感じないっすわ
もう一人のほうがいくぶんマシぐらいってだけ

833 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 18:43:46 0
>>831
そのグループの成員間である「制度」が共有されるという場合と、
一・二人称間において内閉的にある関係を構成する場合は、
区別されるべき。そこが前からごちゃごちゃになっている。
「略語」も、>>810にあげられている一種の省略も、前者だよ。
それらは、うなぎ文とは違って、
発話の現場から離れると、つまり当事者(一・二人称)でなくなると
何のことを言っているのか不明になるという意味での、
「現場密着性・一二人称的内閉性」は、ない。

834 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 18:58:13 0
>>830
「脈略」などという、先行文も状況も意味する曖昧な言葉を使って、ごまかし
てはいけないよw
Yes, it is.
における補語の省略は、
Is this a pen?
という先行文がある限りにおいて成り立つ。
そこには、狭い意味での「文脈」(=「ことばの筋」)が成り立っており、
意味が自立的に成立している。
いっぽう、うなぎ文は、質問が先行しない場合にも成り立つ。
状況さえあればいいのだ。
この違いを無視してはいけない。

Is this a pen?
Yes, it is.
この例にも、
>発話の現場から離れると、つまり当事者(一・二人称)でなくなると
>何のことを言っているのか不明になるという意味での、
>「現場密着性・一二人称的内閉性」は、ない。(>>833
その発話現場にいない人間でも、「ことばの筋」を追えば意味が理解できるよ
うになっている。
つまり、ことばが(より)自立的なのだ。

835 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 19:16:17 0
>>826
その例は、現場密着的な表現といえるけれど、
日本語でも難なく成り立つ言い方だよね。
「あ、ども、鈴木です。」
「あ、ども、佐藤です。」

当方は、ゼロ・百的な白・黒二元論を主張しているのではなく、
相対的な主客融合性を主張しているのであって、
欧米語には主客融合的な要素が一切ないなどとは言っていない。
だから、そういう例が成り立ったとしても、主張を変更する必要はない。

現場密着性・内閉性を示す表現で、しかも日本語にはなくて外国語にはある
というもの、ありますでしょうか?

836 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 21:55:44 0
>>834でようやく何かが見えてきた気がするんだけど、
つまり、あなたが「文脈」と呼んでいるものが「パロール」によるものであることと
ラング(これも言語)を含めて考えるならば「文脈」とも呼んでいいはずの、
あなたがいうところの「状況」によるものの区別についての話、ということみたいですね。
「発話や書き言葉による”文脈”がなくても伝わるのが”主客融合”」という定義ということでよい?

実際にパロールとして観測可能な文脈(文とつくからややこしいけど)と
「ラングの構造・心の中にある文脈」とでもいうものを、含める量と含めない量の差の程度、
ということについての話であったと。
心の中にも「文」が成立するかしないかという、「文」と見なすのか見なさないのか
みたいな、言語学で議論できそうな問題になってきた気がするよ。
「食べ物屋で注文している」という状況、「注文は?」と発話しなくても、「店員が注文を聞きたそうに近寄ってきた」
などの「状況」をも「文脈」として考えるのか否か、のような問題ですかね。
まずそこだけを考える、というなら議論になりそうな気がする。
でも「この定義のみ」を「主客融合」とするとなると、「うなぎ文」に関してだけなら確かに「特殊性」の程度の論拠として使えそうだけど
他に挙げられた敬語やら人称に関しては、その定義を当て嵌めるとどうなるか、私の脳ではまだ見えないな。
うまいこと当て嵌めてみてください。

837 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 22:40:38 0
>>819
「主客」でググったら、「主客融合」と同じような意味で
「主客合一」とか「主客一体」とか「主客一如」とか「主客未分」とか
いろいろあったよ。

このスレでは
「分離」の反対語という意味で「融合」という言葉を使っているけど、
「一つになる」ことを強く意識する場合は
「合一」「一体」「一如」とかって言ったほうがいいのかな。(?)


838 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 22:52:56 0
「日本語と日本人の、主客一体性について」…とか?

う〜ん…、でも「個人」が溶けちゃってるという意味で
「融合」も捨てがたいような…。

主客分離志向の立場としては「主客融合性」でいいのかな…、とりあえず。


839 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 23:12:17 0
>>829
ウナギ文は確かに他の「〜は〜だ」文と違って文脈や状況のサポートがいるんだけど
対比しないとき言えないってのは多分強すぎる。
日本語では店に入って注文するときにも料理が出てきたときにも「僕はうなぎ」って言える
っていうのが一般的な見解。英語の場合には後者の場合にしか言えないと言われている。
対比的でない時に「僕は」が省略されやすいのは自明な旧情報は省略すべきっていう
語用論上の原理に従っているだけであって、ウナギ文とは独立の問題。

840 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 23:20:37 0
>>838
>う〜ん…、でも「個人」が溶けちゃってるという意味で
>「融合」も捨てがたいような…。

かなりうろ覚えなんだけど…
欧米の集団はチャーハンで
日本の集団はおもちみたいだ、って言ってた人がいるとかいないとか?


841 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 23:23:28 0
>>839
>英語の場合には後者の場合にしか言えないと言われている。
「後者の場合」というのは、「料理が出てきたとき」のこと?
もしそうなら、料理が出てきた時には、英語でも「うなぎ文」が成り立つということですか?

842 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/03(金) 23:29:33 0
I'm the hamburger. は「僕がハンバーガーだ」だか「ハンバーガーが僕だ」的な意味では言えるらしい。
奥津とか久野あたりが言ってたはず

843 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 01:43:48 0
>>834
> 「脈略」などという、先行文も状況も意味する曖昧な言葉を使って、ごまかし
> てはいけないよw

言語学で盛んに論じられてきたコンテクスト。たしかに状況も含む概念ですね。
語や文の意味は語られる場や状況によって、あるいは語る主体の社会的関係によって変わる。
そう論じられる過程で盛んに強調されてきた概念です。

> いっぽう、うなぎ文は、質問が先行しない場合にも成り立つ。
> 状況さえあればいいのだ。
> この違いを無視してはいけない。

例えば英語の「A coffee(A cup of coffee), please.」のような、基本文型に適合しない意味で
簡略化された不完全な表現も、状況さえあればふつうに成り立っている会話文では?

日本語のうなぎ文だって、先行する会話もなく状況のみに依存して唐突に使われるケースは
極めて例外的というか、非常に限定的な場面で慣用語として使われる、いわば儀礼的な用法に
かぎられているはずですよ。
その意味で社会的にも慣習化=儀礼化=制度化されることで成り立っている性格が強いのでは?
それ以外の場面で恣意的に「私はうどん」「僕はラーメン」という表現は通常成立しないはず。
それはつまり制度化された確定的意味をもつラングとして成り立っている証になるでしょう。

でなければ、先行する話題なりその返答を導く会話文があってはじめて発することが許される
表現ではないでしょうかね。書かれた文章のなかでなら、その場面を説明する文がちゃんと
セットになってその前後に記されているはずですよね。でないとうなぎ文は通常の意味での
透明な伝達機能を果たさない奇妙な文句として聞き手にも読み手にも理解されると思いますよ。


844 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 02:00:50 0
>>834
> Is this a pen?
> Yes, it is.
> この例にも、
> >発話の現場から離れると、つまり当事者(一・二人称)でなくなると
> >何のことを言っているのか不明になるという意味での、
> >「現場密着性・一二人称的内閉性」は、ない。(>>833

本当にそうだと思われるなら、
初対面の英国人に第一声でいきなり「Is this a pen?」と言ってみるといいのでは?
相手は二言返事で「Yes,it is.」とか「No, it isn't.」と答えてくれるでしょうか?
あるいは、早朝に出会った相手に「Good afternoon!」とか「Good night!」と
言ってみるといいですよ。相手はその言葉の意味に混乱を来すのではないですか?
なぜならそれは通常のラングに反するからですよね。
状況から切り離された「僕はウナギ」文同様、聞き手はジョークかなにかと受け取るしかない。
書き言葉でなら、通常の透明な意味をもたない暗喩的な表現だろうと想像することになる。

845 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 02:19:16 0
>>835
> その例は、現場密着的な表現といえるけれど、
> 日本語でも難なく成り立つ言い方だよね。
> 「あ、ども、鈴木です。」
> 「あ、ども、佐藤です。」

日本語は通常「私は」を略すだけだよね。
でもそのスウェーデン語の構文の場合、どう見ても名前を言っているだけ。
日本語に直訳するとこうなる。
「どうも、鈴木」
「佐藤」
こんなの日本語で通常成り立つかな?


846 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 02:20:10 O
>>839
> 日本語では店に入って注文するときにも料理が出てきたときにも「僕はうなぎ」って言える
> っていうのが一般的な見解。
いずれにしても、連れのいない 1 人客は、「僕は」を言わない。絶対に。

847 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 02:34:38 0
>>846
「絶対に」かまでは分からないけれど、たしかに通常、一般的には言わないでしょうね。
自分ひとりなら「A下さい」とか「Cを一つお願いします」とか「D一杯」とか言いますよね。
「僕はA」「私はB」というふうに言う場合は、やはり複数客として二人以上で同時入店して、
「僕達はA」「私達はB」という意味とは区別して店員に伝えるためにあえて一人称をつけ、
店員が覚えやすいように必要な情報だけに簡略な表現にして簡潔に伝える。
これが通常の一般的で慣用的なウナギ文の用いられ方というものでしょうね。

848 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 02:44:41 0
外国人の場合はどうなんでしょう?
同様の場面、つまり大勢で一軒の店に同時来店して一人の店員さんに一人一人が順番に
注文するメニューを言う場合に、各人がみなそろって完全な文型を用いるのかどうか。
例えば、一人ずつ手を上げたりなんかして、
「Aひとつ」
「Bひとつ」
「Cふたつ」
「Dひとつ」
「Eひとつ」
......
みたいな簡易な表現は使わないものでしょうか?

849 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 04:04:43 0
>>822
> ソシュール的な見方からすれば、
> 言語とは、人間的な思考とイコールじゃないのか?

それっていわゆるサピア=ウォーフ仮説のこと?
ソシュールはそこまで言及していたの?
メルロ=ポンティはもしかするとそれに近いことを言っていたかもしれない。
ところでポラニーのいう暗黙知はどこに含まれるんだろう。


850 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 04:10:03 0
「私はキャサリン鈴木です」と言っても論理的な文としては×。
「私の名前はキャサリン鈴木です」と言わなければならない。

851 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 09:08:11 0
しかるべき状況のなかでも「僕はうなぎだ」とはふつう日本人は言わないよね。
その場合「だ」はつけないで、「僕はうなぎ」とだけ言うのがふつうなのでは?
「です」表現は少し丁寧で改まった響きをもたせたり、言い表そうとしたことを
締めくくってはっきり確定する意味もあるので、聞き手からはっきり質問されたり
念を押されたときに使われる場合はあるかもしれないけれども。
「僕はうなぎだ」という言い方は日本語でも成り立ちにくいし、不自然に聞こえる。

852 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 11:50:21 0
>>849
>「暗黙知」
そのへんが二者間云々の主客融合論者が拘ってる部分って感じがするな。
Wikipediaによると、ポランニーによる「暗黙知」のほうではなく
野中郁次郎による「暗黙知」の定義のほうが近そうではあるが。

二者間云々というのはつまり、
「話者の断片的パロール(暗黙部多し)によって、聞き手の(勘や経験)に比較的大きく頼ることになり、
聞き手のラングの仕切り(所謂、その言葉についての知)に即時的な変化をもたらし、
その発話の意味の(暗黙知化)を図ることによる対話成立方式」
のこと、ということだろうかね。

853 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 13:10:29 0
単に文法体系上の制約ってことかもしれない。


> 欧米語の主語や目的語等の使用の必須性は、ではどう説明するのか?
> ウナギ文が通常成立し得ないこともどう説明するのか?

それは単純にそれぞれの言語体系の仕組み(語彙のカテゴリーなど)が違うからでしょうね。
例えば英語で単に「love」と記せば「愛」という名詞を表現しているだけなのかどうか不明。
日本語では「愛-している」と記すことでそれが動詞の現在進行形だとわかる。
日本語ではさらに「愛しているよ」と「よ」をつけることで、伝達対象に訴えかける意味が
くわわることによって、読み手が「私に向かっている意味だ」と分かる仕組みになっている。
一方、loveの場合にはyouとかitを後に記すことではじめて動詞として使われているんだと分かる。
しかしまだそれだけだと命令形との区別がつかない。そこで便宜的にIなどの主語が不可欠になる。
ま、こういう見方もできるかもしれないということで。

854 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 13:29:04 0
ウンベルト・エーコ氏あたりが「記号」の定義において、パースやモリスのセミオティクスを
ソシュールのセミオロジーよりも好んだのは、エーコ氏自身によればソシュールの記号学
に対するバルトの再解釈が影響しているらしい。

言語が記号の中で大きなウエイトを占めることを認めながらも、ソシュールが言語学を
一般記号学に基礎付けられ包摂されるべき部分集合であると見なしていたのに対し、
バルトがそれを一見して反転したかのように記号学のほうが言語学に取り込まれるとした。

エーコ氏にとっては、そのバルトの再定義が影響し、記号現象が教義の言語現象に閉じ
こめられて扱われてしまうことを避けたかったようですね。
下手をすると「象徴」も「身振りによるコミュニケーション」も記号現象から外されてしまう。


855 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 13:38:02 0
>>852
マイケル・ポランニー(またはポラニー)氏による「暗黙知」概念は「クオリア」概念に近いのかな?

ところで言語コミュニケーションのその構造とされる「ラング」もまた「暗黙の知」であるわけで、
ある言語を母語として経験的に習得した人は、その文法理論を理屈として知らなくとも使いこなす。
これもやはりその話者の中で「暗黙的な知の形態」となっているものだと考えるほかない。

856 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 14:51:16 0
>>845
イトーヨーカドーの前で「伊藤!」「よう、加藤!」というボキャ天のネタを思い出した。

857 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 14:59:58 0
「主客融合性」なんてのはわかりにくいから

「発話によるラングの即時細分化傾向」でどうよ



858 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 16:12:23 0
ラングの体系のそれぞれ違う言語どうしを直訳すると異常になるのは当たり前。
「主客融合性」とか言って比較分析しようとしている人たちもどうやらそれをやって
「こんな表現が成り立つはずがない」とか言っているだけな気がしょうがない。

859 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 16:12:54 0
気がしてしょうがない。

860 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 18:04:53 0
>>842
日本の「うなぎ文」に比べずっと許容度が低いのでは。
日本人にうなぎ文を示すと、「あっ、それ言いますね。」という反応が返って
くるよね。でも、英語のネイティブに「ハンバーガー文」を示したら、
「え? そんなのふつう言わないよ。」という反応が返ってきたことがある。
もっとも、注文時という状況設定で聞いたので、料理が運ばれてきた時なら、
成り立つのだろうか?
今度聞いてみるね。

861 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 20:18:51 0
コテ782はどうした?
一貫した一連の主張を追えるようにしてくれんと、議論がフラフラしてかなわん
似たようで微妙に違う主客融合論者がいるということだし、コテつけてくれや

862 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 23:00:50 0
>>844
Good morning. Good afternoon. Good evening. Good night.

をそれぞれ日本語に直訳すると、

よい朝。よいお昼。よい日暮(晩)。よい夜。

いずれも会話文としては不完全だし奇妙な表現だ。

これが正常な日本語なら、

よい朝ですね。よいお昼ですね。よい晩だね。よい夜を。

などと表現することになるはず。
英語ではなんで不完全な奇妙な表現を許容されているんだろうか?

お早うございます。今日は...。今晩は...。
日本語の一般的なあいさつ文は、ちゃんとした文になっていたり、
会話を切り出すための表現として合理的にできているのに。。

863 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 23:52:54 0
>>837-838
「主客融合」(主客一体、主客合一、主客一如)って
学問的には西田幾多郎が取り上げているけど、
禅や、茶の湯や、俳句の世界でも
目指すべき理念として語られてきたみたいだよね。

>>823のように分かりやすく言うと
「主客を融合する」=「主客を一体化する」=「心を一つにする」
って感じかな。

ただ一般的には、
「主客融合」って言うと
自然物など、その場にあるものすべてと融合する感じだけど、
「心を一つにする」って言う場合は
主に人間に限定して使うことが多いよね…。
(「絆」とか「和の精神」とかもそうだけど)


864 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 23:54:39 0
精神分析学的にいう「自他未分化の発達段階を引き摺っている言語=日本語」って意味合いなんでしょうね。

865 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/04(土) 23:56:13 0
主客融合っていうより自他融合とか自他未分化に言い換えたら?

866 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:02:40 0
あと…、インド哲学の「梵我一如」って
日本の「主客融合」(主客一如)と同じものらしいけど、
自分的にはちょっとイメージが違うなぁ…。

日本の「主客融合」は特定の空間における小宇宙って感じがするけど、
インドの「梵我一如」は
全世界、全宇宙が一つになるようなスケールの大きいイメージがある。
                        (↑ 大麻による異次元世界?)

「梵我一如」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A2%B5%E6%88%91%E4%B8%80%E5%A6%82


867 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:27:01 0
上のほうで「暗黙知」の話が出てたけど
これも二重定義だったような…。(?)

@ 主客融合的な暗黙知…対象化(「形式知」化)しようとしない。(=不立文字)
A 主客分離的な暗黙知…対象化(「形式知」化)しようとする。



868 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:30:52 0
>>862
そもそも「あいさつ」表現をくらべることにいかほどの意味があるのだろうか?
また、あなたの「直訳」の定義は?
それは、単なる恣意的な訳なだけでは。

>お早うございます。今日は...。今晩は...。
>日本語の一般的なあいさつ文は、ちゃんとした文になっていたり、
>会話を切り出すための表現として合理的にできているのに。。
どこが「ちゃんとした文」なのであり、どこが「合理的」なのか?
意味、不明。

869 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:38:24 0
ソシュールに詳しい人に質問なのですが…。

「構造主義の祖」と言われたりもするそうだけど、
ソシュールの言ってることを思いっきり大ざっぱに言うと
「社会のしくみが違えば言葉のしくみも変わる。」
ってことでいいんでしょうか…?


870 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:45:29 0
>>836
>でも「この定義のみ」を「主客融合」とするとなると、「うなぎ文」に関してだけなら確かに「特殊性」の程度の論拠として使えそうだけど
>他に挙げられた敬語やら人称に関しては、その定義を当て嵌めるとどうなるか、私の脳ではまだ見えないな。
>うまいこと当て嵌めてみてください。
当方の主張は、日本語は、1-2人称的内閉性・現場密着性を色濃く持つと言う事。
うなぎ文もその現れの一つと考えている。
敬語や人称詞は、モロそういう性質を持っているでしょ。
>>714を見てちょ。
なお、1-2人称的内閉性・現場密着性は、三人称排他性・非公共性・非社会性
とも言うことができる。

871 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 00:52:09 0
>>869
詳しくはないけど、一言。
エロイ人、間違っていたら、修正お願いします。
ある意味、ソシュールは、サピア・ウォーフより思考・文化・社会と言語の関連
を考えているのではないかな。
というのは、ソシュールは、
言語以前に、あるいは言語とは別に、事実や観念があるわけではない。
観念や事実と言語の成立は同時である、ということを言っていますよね(?)。
これって、「言語=事実・観念」と言う事じゃないの?

872 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 01:09:40 0
>>870
日本語の敬語が非公共的で非社会的って意味不明。それはあなたの恣意的な勝手気ままな解釈では?

873 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 02:32:12 0
ソシュールの理論でいちばん重要なのが「恣意性」であるとも言われている。
言葉、意味、観念の結びつき方はもちろん、言語システムと他の諸々のシステムとの
関係の仕方も恣意的であって、必然の結びつき、相関、反映の関係をもたない。

構造主義システム観においては、あるシステムは他の諸々のシステムから相対的に
自律した独自の規則、つまり、それ自身のうちに組み立てられた自律した差異の関係
によって成り立っている「閉鎖系」だということになる。
外と影響しあう事があっても、それは反映関係ではなく、恣意的なバイアスを経た関係。

よって、言語システムを他のシステムの反映と見たり、または、他のシステムの反映と
して言語システムを見てはいけない。
社会システム論で有名なN. ルーマン氏も、社会システムを心理システムや生理システム
などから自律したその内輪でのみ通用する独自の構造によって成り立つ閉鎖系と見なすわけ。



874 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 09:36:33 0
>>868
> また、あなたの「直訳」の定義は?

一般的にいわれる直訳の意味と同じですよ。
意訳ではない、辞書的に定義された語彙をそのまま反映させる訳し方。

日本語と外国語との文法比較分析をしている人だって、結局それと似たような直訳を
大抵の場合は欧米語の文法規則を基準に他の言語にそのまま適用し、その直訳がそのまま
通用するとかしないとか、通用しないからその言語は異常だとか評価しているだけのように
見えるんですけどね。

> それは、単なる恣意的な訳なだけでは。

あなた方がやっている評価だって恣意的に見えますよ。
「あえて」それを分かりやすくやってみせたのが>>862 >>845 >>826
あなたは>>835でそれぞれの言語体系の独自性を考慮して意訳してしまっているわけです。
自分のまなざしの恣意性というのは見えにくいですからね、あなた方がやっていることを
こちらもわざとやってみせることで、あなたにそれを気づかせようと思ったつもりですけどね。

> どこが「ちゃんとした文」なのであり、どこが「合理的」なのか?
> 意味、不明。

だから何を基準に論理的だとか合理的だとか融合的だとか文理的だとか
閉鎖系だとか開放系だとか評価するのか、ということですよね。

875 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 09:53:29 0
>>870
それはたまたま「人称のみ」という括りを恣意的に抜き出しているから、そう見えるんじゃないの?
英語では「you」は「you」で変わらないのに、なんで日本語は場によって使い分ける
「おまえ」や「あなた」「てめえ」などがあるのか?それは現場性があるからである、ということだよね?

だけど英語などだって「hey! Damn You!」とか「you bastard...」とかと「you」のみが表す立場とを
場によって使い分けているんじゃないの?
これは極端な例だけど、他の色々な単語の選び方や声の強調によってだとかで、
相手への敬意の程度や立場を表明するでしょう?
それがたまたま日本語では「人称のみ」でもある程度出来る、ということに過ぎないのでは?
常に誰に対しても「てめえ」で通すことだって出来る、英語でも「you bastard」のみで通すことだって出来る。
だけどやらない。それだけのことでは?

日本語では不必要な場合にわざわざ人称をつけると、
なんらかの別の意味が生まれるという社会的文法?がある。
人称を抜きにしても文として成り立つという社会的文法もあるから、抜きでもOK。
英語の普通の「you」を「無人称でも成り立つ文構成」や「名前+さん」などで代替出来ているとも言える。

英語では不必要な場合にわざわざ「bastard」などをつけると、
なんらかの別の意味が生まれるという社会的文法?がある。
「you」とかを抜きにしちゃ文として成り立ちにくいという社会的文法があるから、抜かない。
日本語の「てめえ」などを「bastard」などで代替出来ているとも言える。

それだけのことじゃないの?
恣意的括りによる「部分抽出」を排せば、両言語ともに現場密着性とやらはあるとなる。
私があなたの「現場密着性」を正しく解釈しているとすればだが。
そうなると、また一人称を加えて微妙に変容させた「1-2人称的内閉性」の定義や、
新たに加わった、これまたこの議論において不鮮明な3つの「なんとか性」の定義、
そして、どのような推論の過程を経て、それらと「日本語」という大きな括りとが結びついたのかが重要になりますね。
そこを詳しくお願いしたい。

876 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 10:52:35 0
言語間の「濃さ」とか「数」の程度を学問として比較するなんて、
ものすごく細かい定義とか、地道に数えていく実証とかが必要なんじゃないの?
そうでなければ>>870のように個人的な感覚のみ、
「これ濃いんじゃね?」と思っただけで論として成り立つということになってしまう。

877 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 14:25:38 0
>>873
>ソシュールの理論でいちばん重要なのが「恣意性」であるとも言われている。
ただし、それは「意味と形」の結びつきの「恣意性」でしょ。

>よって、言語システムを他のシステムの反映と見たり、または、他のシステムの反映と
>して言語システムを見てはいけない。
あなたの話は、ソシュールが、言語をジェスチャー等の言語以外の「記号」とはっき
りと区別しているところを理解し損ねているように思うけど。
我々にとっての観念や現実、つまり「意味」は、言語システムの反映も何も、
言語システムの一部だとソシュールは言っているのではないの。
ジェスチャー等の言語以外の記号は、言語によって意味を与えられた世界を表してい
るにすぎない。そうソシュールは言っていると、『ソシュール小事典』にも出ているが。
***
「コトバは≪記号≫ではない」という認識がソシュール思想の根底にあることを忘れ
てはならない。(P.79)
***
という指摘をあなたはどう考えているの?

>>874
あなたの示した「直訳」は直訳以下。
その「単語」の意味を単に移しかえているだけで、「文」の中の機能をまったく無視
しているから。
ちなみに、自分は、「うなぎ文」をBE動詞をつかって単純に英語に移したものは、
「直訳」以下だと思っている。
私がうなぎ文等を問題にする根拠は、その「現場密着性・二者的内閉性」にある。
英語に「直訳」できないなどという単純な話はしていないつもり。

>だから何を基準に論理的だとか合理的だとか融合的だとか文理的だとか
>閉鎖系だとか開放系だとか評価するのか、ということですよね。
相対的なものではあるが、一言で言えば「超現場性」。
その発話の現場を超えて、ことばとして成り立つか否か。

878 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 15:11:16 0
>>877
それがこれ>>763
「右」を説明するのに「左の反対」としか言ってないのと同じ、意味不明
「密着」の反対は「超」で〜す。「超」の反対は「密着」で〜す、意味不明
議論する気あんなら、もちっと他人にもわかりやすい、筋道の通った論理的な記述をしてくだしい

879 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 17:26:42 0
>>876
>そうでなければ>>870のように個人的な感覚のみ、
>「これ濃いんじゃね?」と思っただけで論として成り立つということになってしまう。
「個人的な感覚のみ」というのは心外だな〜。
>>714を見てちょ。」と書いてあるでしょ。
そこに根拠は示してある。批判があれば、どうぞ。

>>878
理解する気がないと言うか、君の理解力にも相当問題があると思うよw。
「うなぎ文」の議論のところで、「現場密着性」については一応了解した、
と言っていたではないか。
「現場密着性・二者的内閉性」の定義をすれば、以下のようになる。
発話の現場にいないもの、つまり三人称にその表現が通じるか否かを基準にして、
三人称にも通じる度合いが低ければ、それを「現場密着性・二者的内閉性」が
認められるとする。

失礼ながら、ループに陥っているのは、あなたの理解そのものだと思うが。

880 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 18:06:01 0
>>875
>これは極端な例だけど、他の色々な単語の選び方や声の強調によってだとかで、
>相手への敬意の程度や立場を表明するでしょう?
極端な例を挙げられてもね。「他の単語の選び方」とは何を指して言っているの?
「声の強調」はどの言語にも、いや動物にさえ認められることでしょう。
問題は、相手へのスタンスが「単語」になっているかどうか。
声の強調などといういわば動物的なレベルと「単語に切り取られている」という人間
的レベルをごっちゃにするのはどうなのよ?
そして、もう一つのポイントは、その「単語」の使用が義務的であるかどうか。
日本語では、自分及び相手を指し示す言葉に中立的な表現がなく、「人称詞」が多種
多様に存在し、使い分けられている。
(つまり、中立的な表現が確立しており、アクセサリー的に任意に特殊な表現を使い
たければ使える、というようには【なっていない】、ということね。)
>常に誰に対しても「てめえ」で通すことだって出来る、英語でも「you bastard」
>のみで通すことだって出来る。
>だけどやらない。それだけのことでは?
常に誰に対しても相手を「てめえ」呼ばわり「出来る」などというのは、
それこそ何の根拠もない お・話・し。
日本社会を舐めていると言うか、日本の現実のどこを見ているのだろうと言わざるを
得ない。
>恣意的括りによる「部分抽出」を排せば、両言語ともに現場密着性とやらはあるとなる。
「恣意的括り」と言うならどこがどう恣意的なのか示してほしい。(いったい、どっちが恣意的なのよ。)
仮に英語にも現場密着性が認められる表現があるとして、日本語にそれに相当する
表現がないものって、ある?
>>875の結末部分の疑問について。
定義を変えたつもりはないけど。
「三人称排他性」以下の新しく出したものは、言葉としてやや刺激的ではあるけど、
「言い換え」として無理なく成り立つと思うけど。

881 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 18:46:37 0
>>872
>日本語の敬語が非公共的で非社会的って意味不明。それはあなたの恣意的な勝手気
>ままな解釈では?
「非公共的」・「非社会的」というのは、「現場密着的・1-2人称内閉的」という
ことの読み替えとして言っているので、よろしく。
どういうことかといえば、英語なら、弟に対しても、女王陛下に対しても、
This is a pen.
が使えるのに、日本語では、その両者に共通して使える表現がないでしょ。
(この問題を指摘したのは、森有正。この森の指摘を伊丹十三は「日本語を考えるに
は常にここから出発しなければならない発見」と非常に高く評価している(「対談
一人称について」『自分たちよ!』)。)

つまり、日本語の表現と言うのは「特定の誰かのためのもの」になりやすいという
こと。その現場、その現場に密着した形で、特定の「あなた」に応ずる形で表現が
成立する傾向を色濃く持っている。
そのことを、「現場密着的・1-2人称内閉的」と呼ぶのは十分に可能でしょ。
そして、それを「非公共的」・「非社会的」とひろげるのも許容の範囲と思うけど。

882 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 18:52:20 0
>>869のつづき
「構造主義」を大ざっぱにまとめると
「社会のあり方(構造)が違えば、自我のあり方(構造)も違ってくる」
ってことでいいのかな…。

構造主義を提唱したレヴィ=ストロースは
前近代的(主客融合的)な社会を研究していたみたいだね。

レヴィ=ストロース(主客融合的な世界観)
  vs
サルトル(主客分離的な世界観)      …みたいな?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%EF%BC%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B9


ところで…、(>>867の「暗黙知」もそうだったけど)
欧米の概念って、日本に入ってくると
意味が曖昧になったり、
主客融合的な意味に読み替えられたりするので、
本来の意味がとてもつかみにくくなるよね…。  (二重定義 >>499


883 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 18:52:29 0
可能とか許容の範囲とか自由気ままに認めてたら何でもありになっちゃうYO!

884 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 19:18:26 0
>>883
断定的な言い方をすれば、「言い切るな!」。
控えめな言い方をすれば、「自由気まま!」orz
言葉尻をとらえていないで、中身の議論をしましょうよ。
言葉尻はともかくも、当方は当方の判断を示した。

反論があるなら、反証を挙げるなり何なり、ぜひ具体的に。

885 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 19:29:49 0
その議論は反証可能性はあるのか

886 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 21:13:53 0
>>875
そうそう、私も>>875さんのおっしゃるとおりじゃないかと思いますけどね。
語彙はもちろん、ぞれぞれの品詞の機能にしたって他の言語体系内の品詞と一対一に
対応づけて比較するのはそもそもおかしい。それは直訳の愚行に等しい。
英語のなかにほとんど話者の意志と無関係に形式的なものとして用いられている人称代名詞を、
体系内でのその地位を全く異にする日本語の人称詞一般と単純に比較するのもそれに似ている。

英語の「you」の話が出てきたついでに言えば、
「現代英語では二人称の単数も複数もいずれも「you」という一語で指し示す。
だから現代英語話者は、二人称である聞き手を個と皆とに観念上分節していない証拠だ。
ここに英語の二人称における個人の軽視の事実が観察される。このことは英語の話者が
コミュニケーションの直接の相手を集団から独立した個として見ていないことを物語る」www
とかなんとかいくらでも言えてしまう。

887 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 21:27:50 0
>>879
>>714のどこに「日本語は内閉的な〜が濃い」ということを他人に納得させられるような根拠やデータがあるんだ



888 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 21:50:20 0
どうして言語一般に通じる話のはずなのに、
せいぜい日本語と英語の比較に終始しているのか。
アラビア語やスワヒリ語やケチュア語やフィンランド語やタイ語やバスク語と比較したりする奴はいないのか。

889 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 22:13:48 0
>>888
日本語主客融合/未分化論を唱えようしている人は、西欧の個人主義に対する日本の集団主義
という結論がまずあって、それをそれぞれの言語からも読み取ろうとする目的意識があるようだから、
その比較は日本語に対して少なくとも英語をはじめとした西欧言語でないと都合が悪いのですよ。

しかし客観的な意味でそれらの結びつきを証明するというのであれば、日本語と西欧諸語以外の
他の言語との比較検討も必須条件になってくるはずだよねえ。できればできるだけ多くの言語に
ついてそれらをすべて比較してみて、日本と英語の間で比較されて出された論点がそのまま適用
可能であるという相関性が少なくとも一般に見出されるならば、それは客観的に成り立つ仮説たる。

たとえば、人称詞の多い日本語とインドネシア語とマレー語などの言語と社会と個人の自我のカテゴリー、
それから人称詞が英語とほぼ同数あるような中国語などのカテゴリーを設けて、それらを比較する。
こうすることによってはじめて証明できる仮説ですからね。

890 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/05(日) 22:29:28 0
>>882
人類学者が好んでフィールドワークした「未開社会」(前近代的社会?)の言語って、
ここでいわれている日本語と同様の特徴を共通に備えていると考えていいんでしょうか?

891 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 14:07:39 0
>>882のつづき
デリダって人も主客融合志向な人だったんだね…。

「脱構築」って
なぜか勝手に「脱・ムラ社会」のことかなぁ、って思ってたんけど
「脱・論理性」ってことみたいだね。

>>890
「非論理的&情緒的」という意味では同じじゃないのかなぁ。


892 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 14:21:07 0
>>869>>882をまとめると
「社会構造が違えば、言語構造や精神構造も違ってくる」ってことかな。

「構造主義」の立場から言うと、
「日本と欧米は社会構造が違うのだから言語構造や精神構造も違っている」
ってことになるよね…。  (日本…主客融合志向、 欧米…主客分離志向)


893 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 14:30:05 0
>>881
> どういうことかといえば、英語なら、弟に対しても、女王陛下に対しても、
> This is a pen.
> が使えるのに、日本語では、その両者に共通して使える表現がないでしょ。

「これはペン」「これはペンである」ならば共通して使えるのでは?

> (この問題を指摘したのは、森有正。この森の指摘を伊丹十三は「日本語を考えるに
> は常にここから出発しなければならない発見」と非常に高く評価している(「対談
> 一人称について」『自分たちよ!』)。)

伊丹十三さんもたしか、岸田秀さんと共著を出しておられたりなんかして、
精神分析学に傾倒していた方であったようにお見受けしていたので、成る程なと思います。

> つまり、日本語の表現と言うのは「特定の誰かのためのもの」になりやすいという
> こと。その現場、その現場に密着した形で、特定の「あなた」に応ずる形で表現が
> 成立する傾向を色濃く持っている。

「特定の誰か」(二人称が問題)ではなくて、私的と公的とが区別されているんじゃないの?
例えば日本語の「です・ます」体は、英語のbe動詞とは対応せず、文句の敬体的終止として、
語る主体が公式的で改まった関係を意思表示するための機能を担っている。

皇族の方たちにおいても、対皇族関係においても、おそらく同様に使い分けられているはず。
よりプライベートの関係に近い人間関係の場面では、皇族や皇族と付き合いをもっている
方たちも互いに砕けた言葉づかいで会話したり談笑しているのではないですかね?

だからといって私的公的の区分が日本社会や日本人の精神に顕著だと結論するのは疑問。



894 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 14:35:34 0
>>881
> そのことを、「現場密着的・1-2人称内閉的」と呼ぶのは十分に可能でしょ。

日本語の体系では、公的で上品な表現と私的で下品な表現とが上述にあるような形式で
使い分けられているだけで、他の言語ではべつの形式を使って表現されているのでは?
多くの言語で公的で上品な表現と私的で下品な表現形式との使い分けが見出せるのでは?

> そして、それを「非公共的」・「非社会的」とひろげるのも許容の範囲と思うけど。

公共とか社会とかいった言葉を偏った意味につかえばね。

>>891
> 「脱構築」って
> なぜか勝手に「脱・ムラ社会」のことかなぁ、って思ってたんけど
> 「脱・論理性」ってことみたいだね。

そうなんですかねえ。
たしかに西欧形而上学のロゴス中心主義をデリダ氏は批判しているようでしたが、
西欧人であるデリダ氏にしてみれば、西欧社会のその「中心主義」思想が閉鎖的で
ムラ社会的に感じられるものであって、息苦しかったんじゃないでしょうかね?
彼は個人としてそこから自由になる思想の開放性を模索した。それが脱構築だったのでは?

895 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 15:31:53 0
>>877
> >ソシュールの理論でいちばん重要なのが「恣意性」であるとも言われている。
> ただし、それは「意味と形」の結びつきの「恣意性」でしょ。

それは第一の恣意性だけど、重要なのは第二の恣意性。
第一の恣意性は第二の恣意性の結果。
その第二の恣意性、つまり構造の自律性については
『言語論のランドマーク―ソクラテスからソシュールまで』(大修館書店)の
ソシュールについて解説しているところでも簡潔に説明されていたのでご参考までに。

> あなたの話は、ソシュールが、言語をジェスチャー等の言語以外の「記号」とはっき
> りと区別しているところを理解し損ねているように思うけど。

ソシュールは、言語学は一般記号学の一部門であるとすると同時に、言語学は記号学
の主な分野になり、一般的なモデルになるだろうとも言っているのはたしかですね。
だだしそこでも、それを偶然の所産で、言語はあくまで記号の特殊なケースだと強調する。

> 我々にとっての観念や現実、つまり「意味」は、言語システムの反映も何も、
> 言語システムの一部だとソシュールは言っているのではないの。

それはランガージュのことではなくて?

896 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 15:36:36 0
>>882
> 構造主義を提唱したレヴィ=ストロースは
> 前近代的(主客融合的)な社会を研究していたみたいだね。
> レヴィ=ストロース(主客融合的な世界観)
>   vs
> サルトル(主客分離的な世界観)      …みたいな?

いや、その逆では?
サルトル氏は実存主義者で、むしろデリダ氏に近そうに思われるけどね。
ウィキペディアをよく参照なさっているみたいなので、実存主義の項目を読んでみれば?

897 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 15:56:44 0
なんか哲学っぽいスレだなあ。

898 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 16:11:53 0
>>882
なんで「その研究者の研究対象=その研究者の世界観」みたいな図式になっちゃうわけ?
>>892さんのような認識からすると、レヴィ=ストロース氏をむしろ高く評価せんと。


899 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 21:14:13 0
>>892の補足
ここで言う「精神構造」とは
「物の見方」(認知方法)とか「志向性」とか「規範意識」とか「世界観」とか…、
「心のあり方」全般のことね。  (優劣を問題にしている訳ではないよ)

900 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 21:35:15 0
>>894,>>896
デリダさんてロゴスや二項対立に批判的だったんでしょ…?

「脱構築」 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%84%B1%E6%A7%8B%E7%AF%89


901 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 22:06:33 0
>>896,>>898
「世界観」という表現は不適切だったかな…。

でも、
「主体」志向(主客分離志向)か「構造」志向(主客融合志向)か、
という対立があるように思うんだけど。


ところで…、
レヴィ=ストロースさんて未開人の「贈与」の関係に注目してるけど、
世間学でも、
日本人の「贈与・互酬の関係」(お互い様、持ちつ持たれつの関係)
に注目してるよ。
日本語も「恩恵表現」が非常に発達しているし。

これって「主客融合性」と関係が深いと思うんだよね。
こういう関係って昔のヨーロッパにもあったらしいけど
今は見られないらしいよ。


902 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/06(月) 22:50:38 0
テイク&テイクの蛮族ってことですか

903 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 06:28:41 0
>>901
> 「主体」志向(主客分離志向)か「構造」志向(主客融合志向)か、
> という対立があるように思うんだけど。

主体志向であることは主客分離を意味しないよ。むしろ逆。
実存主義は主としてハイデガー以降の現象学に由来しているから主客融合志向でしょ。

サルトル氏自身がみずから同様に実存主義者とするのがニーチェとハイデガー。
ウィキペディアをよく参照していらっしゃっているようだから
http://ja.wikipedia.org/wiki/存在と時間 をぜひ参照あれ。
> したがって彼は、デカルト以来ほとんどすべての哲学者が自明のこととして
> 依拠する「主観 ― 客観」という区別をも拒否し、
とあるよね。
ハイデガーが「人間は共存在である」としている点でもあなたのいう後者に近いのでは?

構造主義は客観主義を徹底して一切を対象物化するため、>>787
人間の現実存在までも構造=客体の一部分として機械のように対象化してしまう面があり、
ヒューマニズムに立つ実存派から批判される。
その構造主義を批判対象にしたデリダ氏のディコンストラクションもハイデガーに影響を受けた概念。


904 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 07:27:32 0
こういうことを語ってる人たちの世界って日本と欧米しかないよね。

905 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 13:09:55 0
>>900のつづき
「論理構築」って言葉もあるしさ、この「構築」っていうのは
「論理的な体系を構築する」って感じじゃないのかなぁ。

で、問題は「脱」のほうだよね…。
「ずらす」とか「差延」とか言ってるけど
お茶を濁したり、先送りにしたりするってことなのかな…と思ったり。(?)

デリダさんって、なんか日本人ぽかったりして…w

906 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 13:11:59 0
>>904 未開人の話もしてるじゃんYO

907 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 13:28:53 0
>>901
「お互い様」とか「持ちつ持たれつ」の関係(見返りを求め求められる関係)
を作らないと、主客融合(心を一つに)できないんじゃないかな。

>>902 
それって、ギブ&テイクじゃないの…?


908 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 14:01:10 0
>>906
そこでの多様な言語がなぜ問題にされないの?
ここは言語学スレッドだからそれを取り上げて比較しないと。

909 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 14:14:44 0
精神分析学も仏教思想などと同じくラディカルの主客合一の観点をもっていて、
自己も他者によって作られる関係体にすぎず、自我の本質は他我であり、
自我の自律性を虚構と見なしている。西欧の自立思想は大いなる虚構の産物だと。



910 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 14:34:47 0
>>907
あんた、日本は持ちつ持たれつ志向の主客融合志向で、
未開国と同様に非社会的で前近代的だとかいう立場なんでしょ?
それは、逆にギブ&テイクの感覚が薄いのが近代的でヨーロッパ的だとか言うことでしょ?
んなわけあるかよ、という意味の皮肉だったんですが、気付かなかった?

911 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 15:19:39 0
>>908
>そこでの多様な言語がなぜ問題にされないの?
必要だと言うなら、自分がすれば。
多様な言語を知っている人からの反論や情報提示は大歓迎。
>ここは言語学スレッドだからそれを取り上げて比較しないと。
「しないと。」ということはないだろ。
範囲を限定して考察するのも、ありだよ。

>>910
わたしは>>907ではないが、
程度の低い皮肉は、つまらんし、意味不明。

912 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 15:51:43 0
わざと「範囲を限定」してるんじゃなくて、狭い視野の範囲しか知らないのに、
広い範囲のことを知らないと論じられないようなことを無理して論じてるんだろ。

913 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 20:14:09 0
>>903
サルトルとレヴィ=ストロースの論争ってさ、
「近代的な自我」(理性的な自我、主客分離的な自我)を
絶対的なものと捉えるサルトルに対して、
そういう姿勢を西洋人の思い上がりとして批判したのが
レヴィ=ストロースなのかな…と思ったんだけど…。

レヴィ=ストロースが主張している「互酬性の原理」(>>901)っていうのも
「前近代的な自我」(情緒的な自我、主客融合的な自我)に特徴的なものだと思うし。


ちょっと聞くけど、>>903自身は
サルトルとレヴィ=ストロースの論争の対立点はどこにあると思ってるの…?


914 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/07(火) 22:01:29 0
なんという哲学スレッド
単なる言語学マニアの理系の俺には意味が分からない

915 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 00:31:06 0
また何やら横道に逸れそうだな。逸れついでに、ふと思ったこと。
「脱構築」の一部のイメージって、古くから日本にある「守破離」の考えに似てるんじゃないかと。
主に「破離」の部分。

ある論理を、「古来からあるもの、伝統的真」としてまず疑うことなく
その論者がその論に至るまでの思考の歴史を追い、
その論が真とする根幹の型(書かれたもの/制度/形式)を踏襲し、概念を理解する。「守」

そこから、その論の一元性、つまり、この型は全てにおいて絶対的であり
優劣の二項において優位であるとするような
先人による恣意的な括りの部分を疑ってかかり
何か新しい発見があるはずだ、破れるはずだ、と反証を模索する。「破」

そして最後にそこから離れ、型を破ろう、論に反証しようとして見えてきた
「型」に書かれていなかったものを派生させ
「ここは絶対とされてきたが、ある人やある場合にとってはこちらのほうが良いのでは」というような
相対的な論、本家の流れをくむが自己流の部分もあるとするような、
より真に近いと思えるような型を「再構築」することを目指す。「離」

このように、この二つの言葉の概念には、色々共通点が多いように思うな。

「守」でまず主客融合し、「弟子でもあり師匠でもあると言えるほど型を習得する」
「破」で主客を分離し客観視して、「師匠の型を越えられる可能性を模索」
「離」でその可能性を考慮に入れた論/技/芸を練って、「主客混在的」な新たな論/技/芸を「再構築する」

っとか、使ってみたけど、やっぱり自分でも「主客○○的」って言葉、よくわからないわw

916 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 00:36:15 0
次スレは哲学板にお願いします

917 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 11:30:51 0
>>911
> >そこでの多様な言語がなぜ問題にされないの?
> 必要だと言うなら、自分がすれば。
> 多様な言語を知っている人からの反論や情報提示は大歓迎。
> >ここは言語学スレッドだからそれを取り上げて比較しないと。
> 「しないと。」ということはないだろ。

主客融合論者さんは言語と社会およびメンタリテとの「密接な関係」を主張して、
日本が欧米に比して主客融合的であるという見方ができるはずであると、
このスレッドで主張しているはずでしょ?

そこでまた、未開社会も前近代的な主客融合の社会であると主張するからには、
未開社会の言語もまた日本語と共通する主客融合的構造をもっているということを
示唆するのでなければ、その主張はやはり論理的な一貫性を失うでしょう。

単に全くの思いつきに任せて書いているんだよってなら、それはそれでいいけどね。

> >>910
> わたしは>>907ではないが、
> 程度の低い皮肉は、つまらんし、意味不明。

>>907が程度の低い皮肉だとは思わないけどなあ。
皮肉どころか、むしろ本質的な疑問を提示しているように思うよ。
「持ちつ持たれつ」が「ギブ&テイク」と対極にあるということを説明してもらわないと、
その都度ころころ理屈を変えるご都合主義の、二枚舌な論理になってしまうよ。
それこそ二重定義じゃないかな。

918 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 11:33:32 0
失礼。>>907ではなくて>>902でした。訂正します。

919 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 12:03:58 0
>>914
まあその石油帝国主義というか石油原理主義というか、産油国でもないのに
日本人がみんなそれに同調してるのは何なんだろうねあれは。
とりあえず強そうな奴に合わせとけとか、とにかく日本人を馬鹿にしとけば頭撫でて貰えるだろうとか
韓国人に特有の習性だと思ってたら、最近じゃ日本の若者がみんなああなんだよね。
昔の日本人からは考えられない話だけど。遺伝子が国境を越えて拡散してるというか。

920 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 13:35:34 0
誤爆?

921 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 13:53:19 0
>>888 こんなスレが・・・
日本語VS英語
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/gengo/1190122033/

922 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 14:13:01 0
>>817
考えてみれば、言語学界で、かの有名な「象は鼻が長い」という文の
「・・・は・・・が・・・」形式も、対比の意味で使われているところがある。

象は鼻が長い。麒麟は首が長い。鯨は胴が長い。・・・みたいな。

つまり、ケースバイケースを表現している。

私(の場合)はうなぎ。私(の場合)はマグロ。私(の場合)はサケ。


923 :782:2008/10/08(水) 14:47:11 0
>>917
>主客融合論者さんは言語と社会およびメンタリテとの「密接な関係」を主張して、
>日本が欧米に比して主客融合的であるという見方ができるはずであると、
>このスレッドで主張しているはずでしょ?

>そこでまた、未開社会も前近代的な主客融合の社会であると主張するからには、

私が主張しているのは、↑の前段まで。
前段に加え後段の内容を主張するには未開社会の言語的分析が必要だ、というのには
まったく同意。

924 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 15:05:19 0
あと、日本語においても歴史的分析が必要だよね。

925 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 15:32:28 0
>>923
他者と混同された場合だけ782と後から名乗ることの非効率さ、わかりなよ
そんなことが今後ないようにも、一貫性のある主張として「ずっと」コテつけてなってのに

926 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 21:24:34 0
>>907>>913
「主客融合性」と「互酬性」(お互い様、持ちつ持たれつ、など)は
コインの表と裏みたいなものなのかもね。(?)
「主客融合性」が強いほど「互酬性」も強くなる、みたいな。

前にも出てたけど、
「give」を「あげる」と「くれる」のように二つに分けてるのは
世界の言語の中で、日本語と、アフリカのマサイ族の言語だけなんだってね。
これって、すごくない?


927 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 21:31:42 0
>>901
内田樹さんて人、フランス現代思想に詳しいみたいだけど、
日本人の「互酬性」についてはどう思っているんだろ…。

日本人論とか世間学の本は読んでないとか…?


928 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 21:51:11 0
例えば授与表現の「やる」「くれる」の対立は、ダイクシス(deixis)の一種と見られる。
ダイクシスとは、話しての視点の置かれる位置を基準にして指示対象が決まってくる言語形式で、
人称代名詞や指示語がこれに対応する。
移動動詞に「行く」と「来る」のようにダイクシス動詞の対立を持つ言語は多いが、
授与動詞で対立を持つのは類型論的にも珍しい。

しかし、日本語は古い時代には授与動詞のダイクシス対立を持っていなかった。
平安時代には「くる」(下二段)が求心的、遠心的いずれの方向にも用いられる一方、
「やる」は「手紙を送る」「使いに行かせる」という限られた意味を表し、
一般的な授与表現には用いられなかった。
しかし、「くる」→「くるる」は室町時代までには遠心的授与にあまり用いられなくなり、
中世末期までには完全に求心的方向にのみ限られるようになった。
一方、「やる」は鎌倉時代頃から一般的な遠心的授与に用いられるようになり始め、
中世末期までには一般的な遠心的授与が用法の大半を占めるようになった。

現代日本語の方言を見ると、遠心的/求心的授与を区別する方言が多いが、
北海道南部、東北地方、群馬県、長野県中北部、鹿児島県、沖縄県では区別がない。
このような分布から、かつては日本語圏で授与表現にダイクシス対立がなく、
後に中央で区別が生じ、現在では周辺部に区別がない地域が残っているということができる。

929 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 21:52:53 0
>>926
じゃあ、その互酬性は日本とマサイ族にしか見られないの?

930 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/08(水) 21:54:55 0
364 名前:名無しさん@3周年 投稿日:2008/09/18(木) 17:45:09
昔の日本語では「やる・あげる」も「くれる」という表現を使っていたらしいけど、
それがいつからか区別して使われるようになったんだとか。
その名残りがいまでも方言での「くれる」という用法に残っているという話↓

「お花の水くれ」ってヘンですか?
ttp://www.excite.co.jp/News/bit/00091213284226.html

931 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 11:27:13 0
>>928
分かりやすい解説、ありがとう。
ソースがあったら、教えてください。

>このような分布から、かつては日本語圏で授与表現にダイクシス対立がなく、
>後に中央で区別が生じ、現在では周辺部に区別がない地域が残っているという
>ことができる。
私の知り合いで、新潟出身の70代の男性は、
「あんまりほしがるから、くれたら喜んでね。」
という言い方をしていた。

>しかし、日本語は古い時代には授与動詞のダイクシス対立を持っていなかった。
そう言えば、確か「モダリティー(表現)」と言われるものの大部分も、古い
時代の日本語にはなかったものだよね。
(尾上圭介氏の、「日本語を理解する上でモダリティーなどという訳の分からな
い文法範疇は不要だ」という主張は少なくとも古代語にはきっちりと当てはま
ると思う。)
また、日本語の敬語は、韓国・朝鮮語の敬語などと比べて、「相対敬語」と
言われるけれど、かつては「絶対敬語」だったとも言われているよね(?)。

古代の日本語は、客観的方面・主観的方面の両側面において「未発達」だった
ということだろうか??

>>930
「そんなにほしけりゃ、くれてやるよ。」
の「くれる」は、かつての用法の名残が中央語(ただし待遇度超マイナス)に
残っている例だね(?)。

932 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 15:47:18 0
ほんっとマジで、その結論に至るまでの推論過程がさっぱりわからん。
研究内容も発表せず、ただ結論のみの研究発表が人々を説得可能であると。
自己中心的な人って自由でいいよな。

933 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 16:23:37 0
「われ考う ゆえに日本語に主客融合性あり」

説明責任なんてないんだよ〜んってか

934 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 16:23:38 0
恣意的な言語において発達未発達ってどうやって識別可能なの?

935 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 16:31:37 0
互酬性の原理が古い社会と密接に関係し、
かつ、授与表現上の分節が互酬性の原理と正の相関性を持つとすれば、
時代を遡れば遡るほど授与表現上の分節がより鮮明になる必要があると思われるのだが、
>>928 >>930によれば、実際に起こったのはその逆ということみたいだな。


936 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 16:48:28 0
>>935
自論に都合の悪いところは無視するバイアスがかかってるので、そういうところは考慮に入れません。

937 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 18:09:51 0
>>895,>>934
「恣意的な言語」(>>934)って、なに?
それは、ソシュールの主張をあまりにも【恣意的】に「理解」してしまってい
ないかい。
>>895は、「その第二の恣意性、つまり構造の自律性」と言っているが、『ソシ
ュール小事典』を見る限り、そのようなことはどこにも書かれていないのだが…。
(ちなみに「第二の恣意性は、一言語体系内の記号同士の横の関係に見出され
るもので、個々の辞項のもつ価値が、その体系内に共存する他の事項との対立
関係からのみ決定されるという恣意性のことである。」(p.86)となっている。)

>>895>>873)が言っていることは、ソシュールが厳しく批判した「言語名称
目録観」(観念や事物は言語とは独立してそれはそれとしてあって、言語は観
念や事物の目録なのだとする考え)といったいどこが違うのだろう??

なお、同書p.87には次のような記述もある。
***
私たちは日本人として日本語共同体の中に生まれ育った以上、日本語的思考か
らも逃れられなければ、日本語的分節の仕組みからも逃れられないのである。
***
ソシュール的思考は、むしろ言語とそれを使う人との関わりを強く意識するも
のだよ。

同書でも再三注意されているが、ソシュールの言う「恣意的」ということばを勝
手に拡大解釈するのはやめようね。
(ソシュールの「恣意性」とは、「本能的な必然性はない」という意味だそうだ
ね。もしそれがあれば、人間の言語は一種類しかありえなくなる。)
「言語に先立つ観念はなく、言語以前には、何一つ明瞭に識別されてはいない」
(p.80)というソシュール的考え方をどう考えているのだろうか?
もちろん、そのようなソシュール的思考に反対するのは自由だけどね。

938 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 18:24:40 0
>>935
中世末期までさかのぼれば、「やる・くれる」の対立は成立していたようでは
ないか。(>>928
中世末期も十分に「古い」よw。
時代をさかのぼればさかのぼるほど互酬性が強くなるなんて、誰か言ってたか??

939 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 18:48:52 0
>>893
遅レス、スマヌ。
>> どういうことかといえば、英語なら、弟に対しても、女王陛下に対しても、
>> This is a pen.
>> が使えるのに、日本語では、その両者に共通して使える表現がないでしょ。
>「これはペン」「これはペンである」ならば共通して使えるのでは?
お〜い、それは弟には使えるかもしれんが、女王陛下に向っては言えんでしょ。
女王陛下どころか、上司にもふつう言えないよ!
特に後者の例は、誰にもふつう使えないでしょ。
あなたは、だれに対しても「貴様」呼ばわりしようと思えばできるのだが、たま
たましていないだけと言ってみたり(>>875)、とてもついていけない。
目の前にある日本語の実態から目を背けるなと言いたい。

>>つまり、日本語の表現と言うのは「特定の誰かのためのもの」になりやすい
>>ということ。その現場、その現場に密着した形で、特定の「あなた」に応ずる形で表現が
>>成立する傾向を色濃く持っている。
>「特定の誰か」(二人称が問題)ではなくて、私的と公的とが区別されている
>んじゃないの?
敬語が使われる場合として、@目上に対してA「疎」の人に対してB改まった
場面で という三つが指摘される。
あなたは、このうちのBの場合を言っている。しかし、@やAの使い方は厳然
として存在する。
(上司→部下)「よかったら、食べて。」
(部下→上司)「よろしかったら、召し上がってください。」

>>894の議論は、その表現が単語(辞項)として成立しているか否か、其の使用
が任意なのか義務的なのかを無視した議論。

940 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 22:00:21 0
>>937
> 「恣意的な言語」(>>934)って、なに?

ソシュールのいう意味での言語記号のことだよ。
事物から独立・自律して成り立つがゆえに恣意的なシステムとしてのラングのこと。

> >>895は、「その第二の恣意性、つまり構造の自律性」と言っているが、『ソシ
> ュール小事典』を見る限り、そのようなことはどこにも書かれていないのだが…。

ですから、その本にはそこまでは詳しく書いてないようだから、
『言語論のランドマーク―ソクラテスからソシュールまで』(大修館書店)を
参照してみてと書いているじゃん。こちらにはそこまで突っこんで書いてあるから。

ちなみに厳密にいうと、構造ではなく「システムの自律性」というべきだったけどね。

> (ちなみに「第二の恣意性は、一言語体系内の記号同士の横の関係に見出され
> るもので、個々の辞項のもつ価値が、その体系内に共存する他の事項との対立
> 関係からのみ決定されるという恣意性のことである。」(p.86)となっている。)

そう。それが要するに言語システムの自律性を意味するんだよ。
そちらの言い方を借りれば、言語システムは原理的に主客融合的だということ。
>>873での構造主義的システム観の説明と同じことを言っているのが分かるでしょ?

個が全体以前に成り立つのではなく、全体があってその中での対比関係によって
はじめて個が成り立つ、ということを言っているわけだね。



941 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 22:15:18 0
>>937
> >>895>>873)が言っていることは、ソシュールが厳しく批判した「言語名称
> 目録観」(観念や事物は言語とは独立してそれはそれとしてあって、言語は観
> 念や事物の目録なのだとする考え)といったいどこが違うのだろう??

名称目録観は、言語システム内の個々の単位が他のシステムを「反映」して予め成り立つ
ことを前提するもので、その点に批判的なのが構造主義的なシステムの考え方であるわけね。
だから少なくとも外界の事物の反映なんてことはない。
著者である丸山さんはそこで「事物」という表現を本当に使っているのかなあ?

もちろんそれは理論的考え方であって、それがどの分野でその程度まで通用するのかどうか
といった問題は、いろいろと実証していく必要があるものだけどね。

> なお、同書p.87には次のような記述もある。
> ***
> 私たちは日本人として日本語共同体の中に生まれ育った以上、日本語的思考か
> らも逃れられなければ、日本語的分節の仕組みからも逃れられないのである。
> ***
> ソシュール的思考は、むしろ言語とそれを使う人との関わりを強く意識するも
> のだよ。

その本の著者は丸山圭三郎さんだよね。それって誰の意見として書かれてあるところ?
丸山圭三郎さんの本をいろいろ読んだけど、彼の立場はソシュールを越え出ていて、
さらにラジカルな考え方をしていた人だったね。

彼の立場は欧米の科学観と欧米の個人主義を普遍視する見方を疑うものだった。
彼だったら>>934のような疑問をあなたがたに突きつけたんじゃないでしょうかね。
共時的本質をもつ言語が果たして通時的に比較できるかどうかにも彼は悲観的な発言をしていたし。
その見解から導かれるのはむしろ現象学的世界観と同じ主客融合の世界観ですよ。
彼だったら言うはず。日本語だけが主客融合的ではない。すべての言語は同程度に主客融合だと。

942 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 22:48:22 0
>>937
> 同書でも再三注意されているが、ソシュールの言う「恣意的」ということばを勝
> 手に拡大解釈するのはやめようね。

丸山さんに対して、ソシュールを拡大解釈したという批判が根強くあるのを知っている?
んまあ、丸山さん自身もそれを承知の上だったようだけどね。

> (ソシュールの「恣意性」とは、「本能的な必然性はない」という意味だそうだ
> ね。もしそれがあれば、人間の言語は一種類しかありえなくなる。)

それは要するに、記号のシステムがそれ自体で環境(その他のシステム)から自律している
ということだよね。つまりその意味で記号システムが相対的に閉鎖系であることを意味している。

> 「言語に先立つ観念はなく、言語以前には、何一つ明瞭に識別されてはいない」
> (p.80)というソシュール的考え方をどう考えているのだろうか?

正確にはそれは「記号」のことではないのかな?
ソシュールは、言語は記号の特殊なケースの一つにすぎないとも言っているからね。
記号は音のイメージである必要も文字である必要もない。身振り手振りであってもいいわけ。

943 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 23:00:04 0
>>940
>ソシュールのいう意味での言語記号のことだよ。
>事物から独立・自律して成り立つがゆえに恣意的なシステムとしてのラングのこと。
あなたの言う意味での「事物」からは独立しているかもしれないけれど、
そのラングを使用する人の「世界認識」とは不離でしょうが。

>そちらの言い方を借りれば、言語システムは原理的に主客融合的だということ。
(…)
>個が全体以前に成り立つのではなく、全体があってその中での対比関係によって
>はじめて個が成り立つ、ということを言っているわけだね。
あなたが「主客融合」ということばをどう使うかは自由だけれど、↑で言われている
「主客融合」は私の言っているそれとは全然別物である事は言っておきたい。
私の言っているのは、一人称が三人称(社会)との関係性よりも、二人称(ウチの人)と
の関係性を色濃く持とうとすること。(>>714)

>>941
>著者である丸山さんはそこで「事物」という表現を本当に使っているのかなあ?
はい。
>彼だったら言うはず。日本語だけが主客融合的ではない。すべての言語は同程度に
>主客融合だと。
そのあなたの予想は、>>937に引用の同氏の発言によりはっきりと否定されていますが。
なお、その発言は、ソシュールの言う「二つの恣意性」を解説する文章の中で、
ソシュール的な考え方の具体への展開として示されたもの。

944 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 23:18:19 0
>>938
> 中世末期までさかのぼれば、「やる・くれる」の対立は成立していたようでは
> ないか。(>>928

はっきり言ってしまえば、その時代になって《から》(←ここ重要)ね。
世界でも珍しいその日本語の特徴なるものは、少なくとも平安時代の日本語には適用できない
ということが、どうやら言えそうだということ。

中世の初めから中世の末期にかけていったい何が起こったんでしょうかね?
そちらの仮説との整合性を考えるなら、互酬性の原理に支配されていなかった平安の社会から、
互酬性の原理に支配される近世以降の社会へと移り変わった過渡期ということになるんでしょうか。

> 中世末期も十分に「古い」よw。

その話の文脈からすると、レヴィ=ストロースの文化人類学との関連で「未開の社会」を問題に
していたんだから未開社会の段階まで遡らないといけないはずでは?
中世末期といえば近世直前でしょ。近世はもはや江戸時代だからそんなに古くはないよね。

> 時代をさかのぼればさかのぼるほど互酬性が強くなるなんて、誰か言ってたか??

その点は認めるんですね?
「前近代」という概念で一括りにできなくなってきてややこしいねwww

945 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/09(木) 23:53:36 0
>>943
> あなたの言う意味での「事物」からは独立しているかもしれないけれど、

「あなたの言う意味での事物」とは?
そこでは言語記号システム外を指して「事物」と言っているつもりなんで、
「他のシステム」と言い換えてもいいですけどね。
他のシステムにはもちろん言語記号以外の記号システムも含まれますよ。

> そのラングを使用する人の「世界認識」とは不離でしょうが。

意味論的にまではともかく、認識や知覚のシステムまでも未分化であると?
果たしてそこまでソシュールは言っているのかなあ。
むしろ反対に、ラングはそれ自体の恣意的な、つまり自律的な一つのシステムとして
成り立っていて、他のシステムとは少なくとも積極的に関与する関係にないことを、
ソシュールはその恣意性という概念をもって言っているのでは?
サピア=ウォーフ氏らはそこを誤まって解釈して真に受けてしまったのではないだろうか。

> あなたが「主客融合」ということばをどう使うかは自由だけれど、↑で言われている
> 「主客融合」は私の言っているそれとは全然別物である事は言っておきたい。
> 私の言っているのは、一人称が三人称(社会)との関係性よりも、二人称(ウチの人)と
> の関係性を色濃く持とうとすること。(>>714)

だとすると、それが主客融合にどう繋がるの? それが主客融合に結びつくという発想なんでしょ?
「二人称=ウチの人、三人称=社会」という図式もどうも分からない。
それもただあなたが私意的に決め付けているだけでは?

946 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 00:13:13 0
>>943
> >著者である丸山さんはそこで「事物」という表現を本当に使っているのかなあ?
> はい。
> >彼だったら言うはず。日本語だけが主客融合的ではない。すべての言語は同程度に
> >主客融合だと。
> そのあなたの予想は、>>937に引用の同氏の発言によりはっきりと否定されていますが。

なんでそうなるの。その引用箇所のどこが否定しているのか意味不明。
日本人が日本語に制約されていることの主客融合性について語っていると解釈できるとしても、
一方のラングのほうが他方のラングに比べ、より客観的で、要するに恣意的でないなどと、
そこで丸山氏が言っているようには到底解釈できないけどなあ。
もしそうだとするなら、恣意性という概念は記号システムの一般公理としては否定されてしまうでしょ。

ラングが恣意的だというからには、英語より日本語のほうがより客観的(恣意的でない)言語だとか、
日本語より仏語のほうがより客観的(恣意的でない)言語だとか言えないことを意味しているはず。
丸山氏にいたってはそのことが殊更に強調された上で、西欧文明中心主義が批判されることになる。


947 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 00:26:33 0
ソシュールは「内的言語」と言っているようだから分かり難い。
内的言語はイコール英語や日本語や独逸語といったものを意味するのか?

948 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 00:35:05 0
どうでもいいから一般言語学講義ぐらい読んでから話しろや
そもそもあれも弟子どもがまとめたもんであって本人が書いたもんじゃねーけど

949 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 00:40:20 0
ハエが分節する記号(身分け構造)と、ヒトが分節する記号(身分け+-言分け構造)の
どっちがより客観的かなんて言えない、とまで丸山さんは言っていらしたよねえ。
トカゲよりもヒトのほうが客観的に世界を見ているなんてことはないんだと。
ここまで来ると、言語相対論の強い仮説を越えて、知覚相対論の強い仮説になる。

950 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 01:07:52 0
実在論の理解ひとつをとってみても、
主客融合論者の都合のいい解釈がひどいことがわかるな

951 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 11:43:16 0
>>944
平安時代の日本人は近代的で持ちつ持たれつの気持ちなど持ち合わせていなかったのだ!
そして、のちに未開人となっただけなのであーる!

ということを言いたいんだろうw

952 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 11:53:19 0
>>951
なぜ、そのような100:0の単純極まりない話に持って行こうとするのかねw?
それに、平安時代の日本語は、五文型的な文の構成、その連鎖において、
相当に「未発達」だよ。


953 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:01:46 0
「やる・くれる」の語が分節されていないほうが未発達なのか、より発達しているのか、いったいどっちなの?
あなたの頭の中では。

954 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:19:28 0
「やる・くれる」を落ち出しておいて今更「それは例外です」なんて言わないよね?www

955 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:31:30 0
落ち出して→持ち出して

956 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:38:52 0
>>953,>>954
仮に終助詞や相対的人称詞や敬語の使用が「主客融合性」と結びついているとし
て、ことばを覚え始めた幼児はそれらの表現を使うわけではないけれども、
大人と比べて幼児のほうが独立性が高い(=「主客融合性」が低い)、などとい
う単純な議論はできない。

957 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:49:19 0
「やる」「くれる」の話なんだけど…、
閉鎖的で余裕のある上流社会では、
少しでも高い評価を得ようと競争し合って
敬意表現や恩恵表現がどんどんエスカレートしていくのでは。  (平安朝の十二単みたいに)


958 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 12:59:05 0
あと、「互酬性」だけど、
経済学や人類学の世界では「市場経済」になる前の
前近代的な交換形態のことを「互酬経済」と言ったりするらしいね。

アメリカ的な市場原理主義や経済至上主義を一方的に批判してる人って
非現実的な「互酬経済」を理想にしていたりするのかな。


959 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 13:06:21 0
「互酬性」って、良く言えば
「お互い様」とか「持ちつ持たれつ」になるけど、悪く言うと
「わいろ」とか「談合」とかになる訳で。

「互酬性」もプラスとマイナス、両面見ないとさ。


960 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 13:16:54 0
>>957
その一方で、
日本語は「主客融合する」(心を一つにする)ための一つの手段にすぎない、
みたいなところもあるよね…。

「不立文字」「以心伝心」「あうんの呼吸」「察しの文化」とか…、
あと、小津安二郎の映画みたいに「あぁ」とか「うん」とかだけで
コミュニケーションが成り立つ世界を理想にしているようなところもあるよ。


961 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 13:36:53 0
>>952
あんたにとっての「言語における発達」ってなんなの
その社会において円滑なコミュニケーションを形成するために最適化されていく
ということが言語における発達ではないの?

962 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 13:38:44 0
くれる・あげるの分化→退化という図式ですか

963 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 14:14:06 0
>>957
あと、中世末期になると
異質な人間同士が接する機会が増えたために、
心を一つにするための手段として、自然と日本語の互酬性が強まった、とかね。
(時代的にこっちのほうが説得力があるかな?)


964 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 14:30:00 0
自分を説得する説得力はあるということだね

965 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 16:59:43 0
様々な観念にそれぞれ細かく名前をつけていく
というのが「言語学における言語の発達」の意味とするなら、
くれる・あげるを言い分け、
蝶と蛾を分化して言い分ける日本語のほうが、
普通言い分けないフランスなどより発達してるということになるわな。
「主客融合」や諸々に続き、またしても「言語未発達」の定義をあやふやなままにして
その言葉のラングの分化を無理矢理押し付けようとしているように感じる。

自分の認識内ではそういう意味があるから、という理由だけで
うなぎ文的英語で英語圏人の店員に「アイアムアンイール」などと注文してごり押しするのと似てるね。
あなたの脳内別人や、似たようなラングを共有している「あなたムラの住人」となら仲良く同意しあう議論もできようけれども、
ここでもそれを押し通そうとするのは、身勝手というものだと思う。正確な意思疎通はできない。
まず「その音声でも文字でも、それらが何を意味するものか」を、何度も別の表現をしたり、状況と何度も照らし合わせたり、
文での発表なら注釈をつけるなどをして、互いの認識をすり合わせることによって
正確に近い意思疎通をしていこうとするのが、議論の始まりには欠かせないのではないのかね。
議論をする気でいるのならの話ですけど。

こちらとしては、急に「未発達」なんていう言葉が使われても、「どういう意味の?」としかなりません。

966 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 17:16:40 0
主客融合論者さんはそこで必ず決まって「・・・にも二重定義があるね」と
自分の定義に二重定義を施すことで逃げちゃう。ww

二重定義しなきゃならないってことは、自分の用いている概念の定義に
論理的一貫性がなく、アヤフヤな証拠でもあるのにね。

967 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 18:13:41 0
>>945
>> あなたの言う意味での「事物」からは独立しているかもしれないけれど、
>「あなたの言う意味での事物」とは?
あなたは「自存的所与」(後述)を「事物」と言っているようだね。

>> そのラングを使用する人の「世界認識」とは不離でしょうが。
>意味論的にまではともかく、認識や知覚のシステムまでも未分化であると?
>果たしてそこまでソシュールは言っているのかなあ。
あなたのような理解では、ソシュールの言うシニフィエ(概念)の居場所がな
くなると思うが、どうよ?
ソシュールの言うシーニュ(言語記号)とは、「シニフィエとシニフィアンの
から成る不可分離の言語的本質体」(『小事典』p.306)だよね。

『ソシュール小事典』の「fait[事実]」の項を以下に抜き出しておくね。
賛成するかどうかはともかくも、ソシュールは「そこまで言って」るよ。
***
言語的事実とは客体としての自存的所与ではなく、《視点 point de vue》(共
同主観)の産物であり、事物(chose)、対象(objet)とほぼ同義に用いられる。
「かりに心理的実在と音声的実体があったとしても、この二者の系が言語的事
実を生み出すことは、一瞬たりともあり得ないだろう。」(frag.3323.4)
事実はあらかじめ与えられているものではない。「まず存在するものは視点だ
けであり、そのおかげで事物が創られる。(…)いかなる事物もいかなる対象も、
一瞬たりとも即自的に与えられてはいない」(frag.3295a)
※frag.〜:エングラーの断章番号

968 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 18:52:31 0
>>942
>> 「言語に先立つ観念はなく、言語以前には、何一つ明瞭に識別されてはいない」
>> (p.80)というソシュール的考え方をどう考えているのだろうか?
>正確にはそれは「記号」のことではないのかな?
>ソシュールは、言語は記号の特殊なケースの一つにすぎないとも言っているからね。
>記号は音のイメージである必要も文字である必要もない。身振り手振りであってもいいわけ。
?????
『小事典』の「シーニュ/シニフィアン/シニフィエ」の項を引いておく。
***
 一般には「自らとは別の現象を告知したり指示したりするもの」をシーニュ(記
号)とよび、そこには図像、指標、徴候、象徴なども含まれるが、ソシュールに
おけるシーニュはシニフィエとシニフィアンから成る不可分離の言語的本質体
をさす。
***
『小事典』の言っていることが正しいならば、あなたは無茶苦茶いい加減なこ
とをいい散らしていることになるよ。

>>946
>なんでそうなるの。その引用箇所のどこが否定しているのか意味不明。
失礼。それは確かにおっしゃるとおり。
ただし、丸山氏が(そしてソシュールも)、言語と思考の関連を強く意識してい
ることは確認しておきたい。

>一方のラングのほうが他方のラングに比べ、より客観的で、要するに恣意的でないなどと、
>そこで丸山氏が言っているようには到底解釈できないけどなあ。
この部分は、どうもあなたには誤解があるような気がする。
「うなぎ文」が話題になったときも、前後の文脈を参照すれば意味は確定するん
だと強調していたけど(>>806)、何も日本語は意味プーの【恣意的】で主観的な
言語とは言っていないので。
その状況の中で意味が成立し、伝達が成立したとて、それは当方の主張と抵触
しない。

969 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 19:13:38 0
>>961,>>965
当方が「未発達」を使ったのは、>>931>>952
見てもらえば分かるように、日本語全体に対して「未発達」と言っているので
はなく、日本語の中のある側面に対して言っている。
ある表現が幅広く用いられるようになることを指して「発達」と言ったつもり。
なんか過剰に反応していただいているけどw、価値付けの意味合いはないので、
よろしく。

>様々な観念にそれぞれ細かく名前をつけていくというのが「言語学における言
>語の発達」の意味とするなら、
そんな馬鹿なこと言っている言語学者、いるんですか??

970 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 21:39:40 0
>>967
だから、そこでソシュールが言っているのは単に、
シニフィエとレフェランとがイコールの関係、つまり反映の関係にないという論点では?

例えば日本語のイヌは、タヌキやオオカミを含まないカテゴリーとして、日本語の語彙の体系の
相対的関係内での存在価値を持つのみで、その語彙体系外ではなんの普遍的意味もない。
それはつまり指向対象そのものでもなければ、人間の認識や知覚のシステムの反映でもない。
単に日本語の語彙体系の中でたまたまそのようなカテゴリーを与えられただけという話。
その意味でシニフィエは記号システム内に属し、他のシステムにも・からも関与していない。

シニフィエが記号とそのシステムに属するというのはそういう意味でしょ。
丸山氏はどうやらシニフィエをレフェランとを一体のものと見なす強い仮説を主張してもいるようだけど。

971 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 22:15:13 0
>>968
> 『小事典』の言っていることが正しいならば、あなたは無茶苦茶いい加減なこ
> とをいい散らしていることになるよ。

はて?
その引用文からすると、いったいどのあたりがこちらの主張と矛盾すると言いたいの?

どの部分がいい加減だといいたのか不明瞭なので答えにくいけど、
エングラー氏による『講義』を参照しているようだから、ともかくその断章番号277と290を参照あれ。
リードランジェのノートには、儀礼的身振りが記号の定義に含まれるとする一節があるし。

> この部分は、どうもあなたには誤解があるような気がする。
> 「うなぎ文」が話題になったときも、前後の文脈を参照すれば意味は確定するん
> だと強調していたけど(>>806)、何も日本語は意味プーの【恣意的】で主観的な
> 言語とは言っていないので。
> その状況の中で意味が成立し、伝達が成立したとて、それは当方の主張と抵触
> しない。

その点についてはこちらが主客融合などの定義についての曖昧さを再三指摘しているんだけど。
二人称的三人称的、内閉的うんぬんといった、あなた独自の(?)概念にしても掴みどころがない。
論理的か非論理的かについても、>>748
「ただ、「伝達が成り立つ=論理的」という考え方にも賛成はできない」
と書いているのはあなたでしょ?
こちらが、言語の論理性とはその伝達の透明性以外にどう定義されるのか何度問いただしても
まだ明瞭な答えをいただけていないように思う。

それから、
>>734-735 >>843-844あたりの疑問には答えていただけないのでしょうか?

972 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 22:17:59 0
あわてて書いたので誤字が目立つ。失礼。
連続投稿になるのであえて訂正はしません。

973 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 22:22:59 0
>>969
発達というからややこしい。単に普及と言えばいいだけなのにww

974 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/10(金) 23:10:40 0
>>969
言語学者の誰かが言っていたとは書いていませんよ。
定義不確定でよくわからない広義の言葉を使えば
ああいったように個人的な定義によって、あなたが馬鹿なことと言い放つようなことでも何でも
こじつけでなんとでもそれっぽく言えてしまうということですよ。
「敬語」とは「無闇に他者と馴れ馴れしい融合的な関係にならないため」のものであるからして、
敬語を使う言語は「主客分離的」であり、あまり敬意表現のないとある言語は「主客融合的」である、
とでも何とでもそれっぽいことを言えてしまうということだよ。

「主客融合」や「二者間云々」「内閉的云々」「日本語」「日本人」という、どうとでも捉えられる幅広い言葉を用いて
「日本語と日本人は主客融合的だ」としているあなたに私が感じている馬鹿馬鹿しい怪しさを
同様にあなたは>>965に感じたということ。良い兆候ですね。
これを機に、ご自分の論にそういう所がなかったか振り返ってみるとよろしいかと。
過剰に反応しているというけど、それぐらい言葉ひとつに対して徹底的な定義付けを試みようとしている態度が見えないと
ひとつの論としての正当性を検証すら出来ないし、議論しようとしている人を煙に巻いて小馬鹿にしているような態度
にすら見えてくるのは致し方ないですね。

あら、書き終わって見たら、>>971で同じようなことが書かれていましたね。
ではついでに、>>969>>931を併せると、あなたのいう「ある側面」には「絶対敬語」も含むと普通なら考えられるけど
そこに>>969の「発達」の定義も併せて考えると、「客観主観両側面において未発達な絶対敬語」から「相対敬語」に
なったことで、「客観性主観性両方が発達した」というのがあなたの見解であると見るのが普通の解釈だと思うけど、それでいいの?
今までの流れを含めると、ここにもあなたの怪しいあやふやさが見え隠れしているような気がしてならないんだけども。


975 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 12:37:49 0
>>957,>>960
いずれにしても、ここで重要なのは
「giveを二つに分けているのは日本語とマサイ族の言語だけ」(>>926
ってとこだよね。

この事実は、
「日本語は互酬性(主客融合性)が強い」ってことの
大きな実証になるんじゃないかな。


976 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 12:40:14 0
>>966
「二重定義」の話をしている人と
「未発達」の話をしている人は別の人なので…、そこんとこよろしくね。

977 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 12:50:50 0
>>975  アンカーミス
>>957,>>960>>957,>>960,>>963


978 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 14:00:15 0
ソシュールのことはよく知らないんだけど、
ソシュールさんて西洋以外の言語に初めて注目した西洋人なのかな?

979 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 14:00:23 0
日本周辺部の方言は授受方言のダイクシス対立がないわけだが、
そういう方言では主客融合性が弱いのか?
中央日本語は中古から中世末期にかけて主客融合性を強めたのか?
中央日本語とマサイ族の言語は世界の言語の中で特に主客融合性が強いのか?

なんかね、とにかく日本語の特徴(それも西欧の言語と違う特徴)を取り上げて、
それを何でもかんでも「主客融合」という言葉で説明しようとする一種の宗教のように見えるよ。
あんたはこのスレの前半のほうでもよくいた人だと思うけど、
自分の主張の根拠を示さずに、「…なんじゃないかな。」「…だろうか」と推測ばかりを並べられても困る。

980 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 14:07:04 0
日本語と西欧の言語(せいぜい英語、ドイツ語、フランス語の範囲だが)をすぐに比較する人って、
なぜ日本語方言内のバリエーションに目を向けないんだろう。
過去の日本語に目を向けないんだろう。
世界の様々な言語に目を向けないんだろう。

西欧の言語と比較して「日本語の特徴」とされたものが、日本語のある方言には当てはまらないことなんて普通にある。
過去の中央の日本語に当てはまらないこともある。
西欧語と日本語を比較して、日本語に特有の特徴とされたものが、実は非常にありふれた現象で、
それを持っていない西欧語のほうが少数派だということもある。

ある言語が特殊だとか、こういう点で特徴的だとかいうのは、共時的にも通時的にも
非常に広い視点を持たないと言えないし、狭い視野から見るととんでもない過ちを犯してしまうものなのに、
ごく狭い部分しか知らない人がそういう方面に口を出そうとすることが多すぎる。
自分がよほど広い範囲のことを知っていると思えなければ、そういうことを言うのはやめるべきだ。

あと、このスレには、社会学や哲学には詳しいが、その成果をよく知らない言語学に応用しようとして
なんだかよく分からないことになっている人がいっぱいいるように見える。

981 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 20:14:55 0
>>975
http://darkwing.uoregon.edu/~dlpayne/Maa%20Lexicon/categories/main.htm
マサイ語の情報のソースを知らないんだが、少なくともこの辞書を見る限り
giveの目的語によって動詞の語幹が変わるということはなさそうだ。

982 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/11(土) 21:02:35 0
ttp://www.cc.u-ryukyu.ac.jp/~michita/works/2003/kiyo0309.html

主客融合論者の二人はどちらも上記リンク先で述べられている
「批判的/疑問的YOU」を想定していないような、
まさに私が「主客融合的」から想起するイメージの一部をよく表しているような物言いをしていますね。
同じく述べられている「ジャンプ幅を見誤っている」という状態であると思います。「跳びすぎ」です。
所謂「日常モード」とされている状態を抜けきれていないのではと感じます。
あなたがたが問題にしている「主客融合」にもどこか当て嵌まるところがありそうなことも書いてあるので、
自論の参考としても、自論の論理的記述の仕方の面でも、参考にしてみてはいかがでしょうね。

983 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 00:19:48 0
>>982
なるほど、主客融合論者さんが言っていた二人称的・三人称的というのはどうやら
そこで引用されている佐伯胖氏のドーナッツ論で用いられている比喩に近いというか、
それと似たような意味のことなのかなという気はするんだけどもね。

その三人称は、日本語でいうところの所謂「世間(セケン)」に近いところがあるね。
セケンというのは共感(甘え?)のモードが及ばない「外の世界」を言い表しているからね。
そのセケンを理念的にとことんつきつめたのが柄谷行人氏のいう「他者」なのかもしれん。
しかし柄谷さんの「他者」までいくと佐伯氏のいう「THEY世界」のさらに外部になりそうだ。

一人称と二人称というのは単数複数を含め話し手と聞き手の関係で、語用論的にはその対話
もしくは会話の現場に居合わせている人たちを指しているんだけど、もっといえばそれは
コミュニケーションのための同一のコード、つまりラングをもったいわば身内の関係だからね。
そのラングというコード体系を対象にして論じるかぎりは、セケンからは閉じている身内の
関係内での話であることをとにかく前提にしないといけない。ラング自体が二人称的なんだから。


984 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 00:53:50 0
同一ラングの中にも詩的な(情緒的な)表現と、論理的(比喩的にいえば透明な)表現とがあるとするのは
いいんだけど、主客融合論者さんはどうやら日本語というラングの体系をつくっているコードそのものが
英語などの西欧言語にくらべて論理性に乏しく、日本語のほうが劣っていると主張したいように見受けられる。
その点について、より突っ込んで問おうとすると、お茶を濁すようなところもあるんで掴み所がないんだけど。

論理性についてもそれが何を指すのか問うても、なんだかはぐらかされてしまったような気がする。
言語の論理性とは、結局のところ伝達機能における、いわば透明性を指すんじゃないのかと問うと、
論理的かどうかまで主張しているのは自分じゃないと返答したにもかかわらず大いにご不満のようでw


985 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 01:08:50 0
池上嘉彦さんあたりは『「日本語論」への招待』の時点で、狭義のラング(文法や語彙の体系)の
水準で主客の合一性云々を主張することは半ば諦めかけていらっしゃるようで、その後はどうやら
語用論的な水準で同様の主張をしようとしているご様子だね。

986 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 01:49:56 0
ttp://209.85.175.104/search?q=cache:YQafEe75LOMJ:www.coder.or.jp/hdr/21/HDRVol21.10.pdf+%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%84%E8%AB%96&hl=ja&ct=clnk&cd=22

ドーナツ論検索でこんなものが出た。
ここの page 3 からの、AちゃんとEさんの関係と、「うなぎ文」の理解の構成に大きな共通性を感じた。
「ラング」の概念らしきものも伺える。

987 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 03:00:00 0
>>986
語用論的にいうところのいわゆる推意の延長で説明できるのかな。

ところでそのドーナッツ論でいうところの論理のモードは、
グライス氏がいうところの協調の原則における公理とは別物なのだろうか?

論理のモードも広義のラングというか暗黙知というか、パラダイムみたいなものを
共有しないと通じないという意味では、やはり共同体内に属しているのではないか?
論理学にしろ数学にしろ、やはり、学校などに行ったり学術書を読んだりなんかして、
そこに共通する専門用語的なコードの体系を取得しなければ通じ合わない。
そういう意味では論理モードもその外からやはり日常のモードと違わないようにも思える。

988 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 03:05:39 0
その外からやはり (訂正)→ その外からみれば

989 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 14:00:41 0
>>975のソース

『認知言語学論考』No.4 2004 P.15
池上嘉彦「言語における〈主観性〉と〈主観性〉の言語的指標(2)」 
その中で、Newman(1996)の研究として紹介されている。



990 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 14:06:43 0
未開民族ってたくさんあるのに
なんで日本のテレビはマサイ族ばっかり取り上げるのかな〜
って思ったことがあるんだけど、
未開人の中でも、マサイ族の人の自我構造が
日本人の自我構造と一番近いのかも知れないね。(?)


991 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 15:09:33 0
でもその特徴は、なぜだか日本語では中世以降に生じてきた歴史的現象。

その仮説によると、中世末期から現代にかけての日本人の自我構造が、
遊牧民であるマサイの民の自我構造に近づいてきたということになるが・・・??

中世といえば、日本史ではサムライが権力の座にのし上がってきた時代という
ことになっている。マサイも戦士社会であることを考えると、そこで安易な想像を
あえて働かせるならば、この関連性を示唆しているようにも感じられる。

しかし戦士社会は他にも多くある。日本語のその特徴が武家社会に特有のもの
だったのかも問題になる。武家社会といっても多くの日本人は武士ではなかったし。

992 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 15:13:11 0
ttp://jp.youtube.com/watch?v=WRR_gKFT6ds
フランス人だけど日本語みたいな音を真似ている。
フィンランドとそっくりだから、やはりヨーロッパ人には日本語は
フィンランド語と似て聞こえるのかもね。

993 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 17:01:51 0
>>990
そういう我田引水のご都合解釈に対する批判があるのをちゃんと読んでる?
読んだ上でもそれなら、そろそろ1000も近いことだし、ひとつ結論を下す。
あんたは短絡的なただの狂信者だ。それだけはわかった。

994 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:05:49 0
思うに、ここで主張されていることは、ある程度、ソシュールのいうようなシステム論の考えで、
純粋にその言語の文法的な制約、内部事情として説明がつくことなんじゃないかなあ。
その言語のシステム内部の単なる仕組み(対立関係)上の便宜に依存しているだけのようなね。

日本語でいう「愛しているよ」を英語では「Love」という単語一言に訳せないのは英語の文法
上の制約からして当然であって、それは英語の文法上の制約から要請されていることであって、
なにも、英語の話者の自我構造から来ているという大げさな話ではないのでは?
特に英語の場合「Love」に「you」や「I」がつかなければそれが語なのか文なのかさえも区別できない。


995 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:06:22 O


996 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:08:07 O
ソ





997 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:09:25 O
(CョC)

998 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:13:32 O
レ漱廁レ漱廂滲レ漱廂滲レ漱廁レ

999 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:14:28 O
すげぇ〜ほとんどマジレスのスレとか

1000 :名無し象は鼻がウナギだ!:2008/10/12(日) 18:15:31 O
>>1000なら>>994が次スレだぁ!(笑)

1001 :1001:Over 1000 Thread
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。

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