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日本人どこから来たんだ?8

1 :出土地不明:2009/07/29(水) 11:26:05 ID:xFH44vFL
日本人どこから来たんだ?7
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1244083090/
日本人どこから来たんだ?6
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1237219924/menu931
日本人どこから来たんだ?5

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225715306/

日本人どこから来たんだ?4

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/

日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/

日本人どこから来たんだ?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/

日本人どこから来たんだ?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1165607012/


2 :出土地不明:2009/07/29(水) 11:37:35 ID:xFH44vFL
遺伝子ベースの研究については
Asian Ancestry based on Studies of Y-DNA Variation:Y-DNA変異研究によるアジア人
ルーツ Part 1-3
By Mark S. Lechner, Ph.D., Senior Technical Editor
http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=21
において英語の肉声で説明が受けられるのだが、まずウィンドウズ・パソコンで、
インターネット・エクスプローラ・バージョン8の場合:
ツール>インターネットオプション>プログラム>アドオンの管理から
名前 Shockwave Flash Object
発行元 Adobe Systems Incorporated
状態 有効
ファイル日付 2009年2月3日11:07
バージョン 10.0.22.87
こういう風になっている必要がある。・・・とまー、このように弥生時代までは
レヒナー博士が中締めをやってくれているので、われわれの守備範囲は日本の
記紀・伝承に基づき、弥生末・古墳時代見て行くことに重点を置いたほうがいい。
三世紀には卑弥呼と大月氏国王が金印を受けるが、邪馬台国と大月氏国、そして
新羅は次の4世紀に入り、極めて緊密な関係に入る。世界史的にも極めて注目
されるこの両国の関係につき大いに語ろうではないか。

3 :出土地不明:2009/07/29(水) 11:53:18 ID:xFH44vFL
大月支の月支とは夕月のことで秦氏、この時代はトヨッコン(トヨクニ)とに非常に
近い活動をしていたようである。大月氏国は後漢書ではすでに貴霜に変わりつつ
あるが、シルクロードの大国であり、秦氏が四川・雲南・ビルマ・タイ方面への
シルクロードの入り口を押えたのと同様にシルクロードのインド・アフガニスタンへの
入り口を抑えていた。秦氏とは相互乗り入れのような関係にあったようである。

4 :出土地不明:2009/07/29(水) 12:04:12 ID:xFH44vFL
大月氏はギリシャ・ローマ・エジプト・中近東世界の一員でもあり、邪馬台国時代
には、ミトラス教、拝火教、(キリスト教、仏教は始まりつつあった)を新羅・倭国
に持ち込み、花郎、修験道の基礎を築いた。玄菟郡方面には東胡系統の牛頭
天王思想があり(これは中国にもあるが)、新しい思想とぶつかることになるが
日本列島においては次第に整理されて行った。

5 :出土地不明:2009/07/29(水) 13:53:10 ID:c/P/0rx/
弥生も沖縄から上がってきたという説が最近は有力視されてるみたいね

6 :出土地不明:2009/07/29(水) 16:54:17 ID:R7sBEv8r
逆だよ、以前考えられたほど沖縄には縄文の形質は残されてない。
弥生以後本土の影響が強くなってきているってのが最近の見解だよ。
主に土肥氏らが発表しているがね。


7 :出土地不明:2009/07/29(水) 18:27:15 ID:iDZB7cQB
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4812207533/

      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━ B
      ┃    ┃
      ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━ C
            ┃    ┃
            ┃    ┃            ┏━━━━ D 縄文系日本人
            ┗━━╋━━━━━━┫
                  ┃            ┗━━━━ E
                  ┃      F
                  ┃      ┏━━━━━━━ G
                  ┃      ┣━━━━━━━ H
                  ┃      ┣━━━━━━━ I
                  ┃      ┣━━━━━━━ J
                  ┃      ┃    K
                  ┗━━━┫    ┏━━━━ L
                          ┃    ┣━━━━ M
                          ┃    ┣━━┳━ N
                          ┗━━┫    ┗━ O 弥生系日本人
                                ┃  ┏━━ Q
                                ┗━┻━━ R
                                    P

      ・    ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
   90420 82000 68500  53000 35600 29900

8 :出土地不明:2009/07/29(水) 18:37:00 ID:Z4hs0iDl
縄文人の足取り
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/21/1e/f77f86e4a168353c3f365f49698af8f2.jpg

9 :出土地不明:2009/07/29(水) 19:24:03 ID:pouwS/wU
>>青牛のスポンサー???

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


10 :出土地不明:2009/07/29(水) 20:33:03 ID:SjqdzKee
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島か?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・


11 :出土地不明:2009/07/29(水) 20:45:26 ID:SjqdzKee
>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


12 :出土地不明:2009/07/29(水) 21:39:28 ID:xFH44vFL
>>2
Asian Ancestry based on Studies of Y-DNA Variation:Y-DNA変異研究によるアジア人
ルーツ Part 1-3
By Mark S. Lechner, Ph.D., Senior Technical Editor
http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=21
これは単なる教本、つまり、各種研究を単に羅列したに過ぎず、弥生日本人は
朝鮮半島から来たに終わっている。実際はそんなもんではなく内モンゴル・満州
にいたミレット農業・狩猟採集・牧畜混交の民が環境悪化に伴って朝鮮半島・
日本列島に南下したと考えるべきもの。

13 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/29(水) 22:35:13 ID:sVQrfrYP
>>9
スポンサー付きはおどれじゃろう。>>7-10及び>>11の宣伝工作は
なんなら。
ほいで、わしゃあ他スレでも云うたよう、高句麗は満州族の歴史、
高句麗→渤海→女真じゃ。

14 :出土地不明:2009/07/29(水) 23:02:50 ID:R1MK3jwr
高句麗→渤海→女真→金→満州族→清 

15 :コピペ:2009/07/29(水) 23:12:43 ID:iDZB7cQB
高句麗をツングース系だというのは誤解。
ツングース系なのは靺鞨の方です。高句麗は夫余系です。

言語系統のツングース系というのは、オロチョン族や満族(=女真)などの言葉で、
このツングース系諸語とモンゴル系諸語、トルコ系諸語の三つをあわせて「アルタイ語族」といいます。
高句麗はツングース系ではありません。

人種系統のツングース系というのは、普通は「ツングース系」とはいわず、
「北方モンゴロイド」とか「ツングース人種」といいます。
このタイプはフビライカンとかホンジャマカの石塚みたいのが典型的な顔だちです。

初代渤海王の大祚栄(ダイ・ソエイ)の祖先は、
新唐書によると高句麗人(コウクリ人)だが、旧唐書では靺鞨人(マッカツ人)。
真相は不明だが、よく考えるとこれはどっちでもたいした問題ではない。

大祚栄(ダイ・ソエイ)の祖先がどっちだろうと
「渤海国」自体がある意味、高句麗の継承国家であることにかわりないので
王家の先祖の血統と無関係に「新しい時代の高句麗」として名乗るのは当然のこと。
(末期の高句麗は倭国とひじょうに友好な関係にあったので
それにあやかろうとした外交辞令という側面もあり)

実際の「渤海国」は靺鞨の六部族の連合体で、その中には高句麗系の部族もあったかも知れない。
そもそも「渤海国」自体、高句麗人と靺鞨人との協力によってできたものであり
渤海国建国後は、高句麗人とか靺鞨人とかの古いアイデンティティーは急速に薄れ
「渤海人」という新しい意識にとってかわられた。

16 :コピペ:2009/07/29(水) 23:14:00 ID:iDZB7cQB
しかし韓国や朝鮮では、
「高句麗は栄光ある韓民族=朝鮮民族だが、靺鞨は野蛮なオランケ(=女真族=満洲族)の祖先」
というアホな差別意識があるので、
「渤海国」もウリナラなのだニダ!」というヒガミ電波学説をとばしてる韓国人としては
渤海王家の祖先が高句麗人なのか靺鞨人なのかということは大問題なわけ(藁藁
ようするに問題意識が厨房なみ。

でもその前に高句麗人が韓族でいいのかっていうもっと重大な問題もあるのだが。

ついでに中国人は朝鮮も満州もモンゴルもチベットも沖縄も
ぜんぶ中国史の一部だと思ってるので、
韓国のアホなこだわりにはたぶん冷淡で、日本人の学者のように気づかってはくれないだろう。

夫余系と一括りに出来ないから夫余系も=トゥングースなのでは?
教科書でもツングース系高句麗
と習った。
夫余系とトゥングースを分ける基準が分らないもの。そもそも夫余の
言葉って分っていないのでしょ?夫余系とはなにか?これがそもそも
あまり分っていないのでは?

「夫余系」というのもあくまで言語系統のことです。
魏志東夷伝によれば、3世紀には満洲から半島にかけて、
6種族がいましたが、それらの言語について、
「夫余、高句麗、沃沮、穢」の4種族は似た言葉を話していたが
「邑婁」はそれらとは言語が異なる、とあります。
(また「辰韓、弁韓」は中国語の一種を話していたとある)
「邑婁」がツングース(後の女真族やオロチョン族)であることは歴史的に明白なので
「夫余、高句麗、沃沮、穢」の4種族の言語はツングース語ではないことになる。
実際、わずかに残っている高句麗語の単語は、日本語(倭語)にそっくりなことから、
「夫余系」の言語は案外、日本語と同系だったと思われます。
つまり「夫余系」の諸言語がほろんでしまったので、現在の言語地図でみると
日本語が孤立しているように見えるのです。

また高句麗は半牧半農の民で、ちゃんと農耕をおこなっており、
かなり後世まで狩猟民だったツングース族とは生活形態も異なります。

17 :コピペ:2009/07/29(水) 23:14:56 ID:iDZB7cQB
靺鞨ってのは、
もともと邑婁っていうツングース系狩猟民で、高句麗よりずっと北の方にいた。
それが次第に南下して、大小いくつもの部族にわかれて、
高句麗の北に隣接する部族もあり、高句麗国内に住む部族もあり。

その中で、強大なものが早くに「勿吉」と名乗り、
唐に使者を出して、南北から高句麗をはさみうちしようと持ちかけていた。
この「勿吉」が訛って「靺鞨」となったもの。

高句麗末期には、高句麗の中心が本来の満州山岳地帯から
はるか南の平野部の平壌に移ってから久しく、
すっかり農耕民になってしまっており、北方の統治は緩み
靺鞨の諸部族は半独立状態にあったらしい。
高句麗の末期、高句麗の北側には、主な強大な靺鞨は七部族あった。
その中の遠方の三部族は、邑婁そのままのツングース狩猟民であった。
あとの四部族は、文化的にちがいがあったようなので、
高句麗の文化的影響のもと開化したのだろうが、
もしや、昔の夫余の遺民による部族や、あるいは
初期の生活様式のまま取り残された古いタイプの高句麗人の部族なども
あったやも知れぬ。ことに、その四部族の中の白山部は「いにしえの沃沮」
だという。沃沮はツングースでなく夫余系種族であるから
靺鞨はツングースのみならず夫余系種族もいたことがわかる。
もっともこの部分は「いにしえの沃沮の子孫」ではなく
「いにしえの沃沮の地」に住んでいるというだけのことかも知れぬが。

ともあれ靺鞨は、ツングース族もあれば、夫余系の遺民(高句麗系?)らしきものもあり、
またこの七部族だけでなく高句麗の国内外に、大小さまざま存在したから、
文化的には混成種族であって、全盛期の高句麗の下に支配されていた各種の民族の
総称ぐらいに思ってよいのかも知れない。
この七部族のうちもっとも西南にあった粟末部(粟末靺鞨)から
乞乞仲象というリーダーがでた。
仲象というのは、この2文字で何か固有土着語の音写なのか、
「次男坊で名前が象」という漢人風の字(あざな)なのか、よくわからないが
乞乞という姓は漢民族ではないだろう。
高句麗滅亡後、乞乞仲象は唐の命令により粟末部(粟末靺鞨)を率いて
南満州に移住したが、後に反乱を起こして故郷に帰ろうとした。
この乞乞仲象の二代目が大祚栄(ダイ・ソエイ)で、
靺鞨の大小さまざまな諸部族をとりまとめて大勢力となった。
大祚栄が渤海郡王に叙されていたことから、粟末靺鞨の別名を渤海靺鞨といったが、
他の部族も大きなところは初期は半独立をたもっていた。(幕府と大名みたいなもの)
この渤海郡王、渤海靺鞨からとって「渤海国」という。

しかしもっとも遠方の「黒水部(黒水靺鞨)」だけは渤海国に最後まで抵抗し
のちの女真族となった。

18 :出土地不明:2009/07/30(木) 00:37:19 ID:DmKtSI2F
>>http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1244083090/854
この図だとDは日本・朝鮮半島経由で満州→モンゴル→チベットと言うことですね。

しかし、東シベリア、満州からモンゴルまでのD系が非常に薄い。それよりスンダランド→日本D2
スンダランド→メコン川or長江沿いにタイ(タイ族)→中国少数民族に変化→モンゴル・チベットD1
スンダランド→長江or黄河沿い→中国少数民族→チベットD3 の方が痕跡から可能性が高いでしょう。

もし、北海道経由でそれ程古くD系がシベリアや満州の女真族に伝わっていたのなら、C3やQと一緒に
アメリカ大陸や、また、モンゴル族と一緒に西進した女真族とシベリア全土にもっとD系が散らばって
いてもいいのではと思われます。

実際には満州やシベリアののD1は非常に薄く、満州のD1も近世に朝鮮族がもたらしたものだと思われて
います。一方チベットの南側の少数民族のD系は非常に多く、またD1とD3を結構偏って持っている民族が
多い。多分Dが遡った川筋で違ったサブグループに変質したのではと思われます。


ついでに、この図のもう一つの日本へのラインはCで、北海道からシベリアへ渡っているが、これはC3の
ことで、この可能性は確かにあるし、多くの欧米の論文でもこのルートでC3がシベリア、アメリカ大陸へ
渡ったとしているものも有ります。

もし上記だとすれば、Cは日本で一派がC1に変化し、別のCの一派が2万年前くらいに日本でC3に変異した
ことになります。実際には不整合は起こりませんが、北海道の細石器文化をどう考えるかです。

北海道では2.2万年位前の黒曜石を使った後期旧石器が出てきます(今のところ北海道にはそれ以前に人が
住んでいた形跡は無い)。当初は本州と同じナイフ型更には木の葉型の尖頭器が作られ、その後1.8万年前
くらいまえから同じ黒曜石を使って、「湧別技法」で細石器が作られていきますが、その細石器を作る技法の
湧別技法をバイカル湖辺りの細石器と同類と見るか、日本独自の自然発生的なものと見るかの差です。
(九州・西日本の細石器も日本独自のものかそうでないか議論されているそうです)

確かに普通の石から細石器を作るのは結構難しいと思いますが、黒曜石は火山帯で自然に出来たガラス
でなので作りやすく、自然発生と考えてもおかしくは無いと思います。

ただ私はC3は、Cがスンダランド→C3に変化しつつ中国北上→バイカル湖周辺→シベリア→北海道・九州
と考えています。基本的には1.8万年前の最寒冷期に日本から北上するのは余り理屈に合わないと思います。
もし、可能性があるなら、それは食性変化を起こして海獣を食料にし始めたくらいかな。

下記は参考にして下さい
>>http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/02/01.html
>>http://www16.ocn.ne.jp/~srtk-gp/shiratakiGPHP2008/yubetsugihou.htm
>>http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-08.html
>>http://kinobunka.zouri.jp/sirataki/sirataki-right.html

19 :出土地不明:2009/07/30(木) 00:41:50 ID:No9lTcjE
>>青牛のスポンサー???

'歴史戦争'に200億ウォン支援…「北東アジア財団」来年予算策定 ...2007年6月18日

「北東アジア歴史財団」は、中国の高句麗(コグリョ)史編入と日本の歴史教科書歪曲に
対抗するための対策を用意しろという盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領の指示で昨年4月
から準備を進めてきた。 今月末に50人余の組織(研究員は20人余) ...
japanese.joins.com/article/article.php?aid...200... - キャッシュ - 類似ページ


20 :出土地不明:2009/07/30(木) 00:43:33 ID:No9lTcjE

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/takeshima04-2/takeshima05-b.html
「東北アジア歴史財団」の愚挙―樹木があったはずだとして岩場に植林。 植林したら竹島か?

>竹島には樹木があったはずだとして岩場の僅かな土地に植林し、今も竹島の自然体系を破壊し続けている。

これは、学問的客観性の意識など毛頭ない気違い政治団体ですね・・・

>東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク工作員がNHK出演とは終わってる。

ETV特集 日本と朝鮮半島2000年 - Yahoo!テレビ.Gガイド [テレビ番組表]
【ゲスト】東洋大学教授…森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,
【…… ... 森公章,東北アジア歴史財団研究委員…イ・ジェソク,【リポーター】
大桃美代子,【語り】高橋美鈴; スタッフ; 属性情報 HD 16:9 ステレオ コピー1
tv.yahoo.co.jp/program/122300/?date...ch... - キャッシュ - 類似ページ


21 :出土地不明:2009/07/30(木) 00:44:45 ID:+e8jAH2X
Yサギ基地外よりは楽しみだな俺はw

22 :出土地不明:2009/07/30(木) 02:13:19 ID:DmKtSI2F
>>2
>>こういう風になっている必要がある・・・。
どう言う意味なのかな?。最新版はその時々の最新版に過ぎないのだが・・・。去年は2008年が最新版
だったがね。

それに内容がなにも無いじゃないか。さらには日本人のルーツなど、ハプロタイプの羅列だけで、殆ど何も
書いていないに等しいね。>>http://www.genebase.com/tutorial/item.php?tuId=21

所でもし君が >>http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1244083090/849-850 君なら、自論は
C3が、中東→中央アジア→中国方面と言うことではなかったの?。これだと私の言う通りの南回りだがそれで
合意なんだね。


Cは海面低下で陸地になった黄海から北上してバイカル湖周辺でC3になって、そこから東シベリアへと、
大体こんな感じで異論は無いよ。ただし、台湾の先辺りから沖縄経由で南九州から日本へ入ってC1になった
Cのルートが抜けてるね。

Dは問題が有るね。大体ルートが大雑把でよく分からないが、これだと、ガンジス川を北上して、タイの内陸を
通ってメコン川を遡ると言う形なのかな。多分タイ族のDを意識してタイの内陸部を通したんだと思うけれどね。

でも残念ながら間違いだね。タイ族は昔は此処にはいなかった。ついでにタイ族はタイ人とは違うから参考
までに。>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BF%E3%82%A4%E6%97%8F

つまり、タイ族はメコン河か長江の川沿いにいたということなんだよね。多分その辺のところも知らず、
現在のタイ族のいる場所だけでルートを折り曲げて書いたんだろうね。

さらに、大きく違うのはアンダマン諸島を通っていないことと、その先のスンダランドへ行っていないことだね。

アンダマン諸島の原住民のDは全員が原型のD*なのだけれど、まずDのマーカーは2ヶ所あって、先に変異した
のが M174で、後に変化したのが 021355です。所がアンダマン諸島のD*はM174の変異しか持っていない。
>>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D_(Y-DNA) ←下段の"Tree" 参照

しかし、その先のマレーシア、インドネシアのD系やサブグループのD1、D2、D3 は、Dになった後の変異での
サブグループだから、その全てがM174, 021355の両方の変異を持ってるんだよね。

つまり、普通に考えると、アンダマン諸島を通過する時点ではまだM174の変異しかなく、通過後021355の
変異がおこっってD* からDに変異しながらスンダランドへ入ったのでなければ、アンダマン諸島の先のD系は
ガンジス川からチベットへ向かった一派と別に全く同じ突然変異を起こしたという事になる。そんな偶然は
遺伝子学上はありえないということ。

だから、間違いなくアンダマン諸島を通ってスンダランドへ入っているということだね。反論あればどうぞ。


そして、さらにチベット回りで日本へDのままで入ってくるなんて不可能だね。途中でD1とかD3への
変化を起こしていれば、日本にもD1とかD3が混じるんだが・・・。

一体日本にどう言う風に何時入って来たとは何にも書いてないんだけれど・・・、それでこの通りなんて
本当に全文読んだのか?。

これを応用し様が、どうでもいいから、さっさと日本へどう言うハプロタイプが何時入って来たかさっさと
書いてみて?。

Oはヒマラヤ山脈の南なんて面白いルートだね。ただし途中で食料は何を考えてるのかな?。
Nはありえない。
P→Qはルートはいいんだが、スカンジナビア辺りまでQが有るのだが、また戻ったと言うことか?。
1.5万年前に西シベリアでQになって周辺に散らばりながら1.3万年前前後にベーリング陸橋を渡るんで
十分間に合うと思うが、何で東シベリアでQになったと考えるの?。


23 :出土地不明:2009/07/30(木) 07:43:52 ID:GmEQjiZZ
>>ついでに中国人は朝鮮も満州もモンゴルもチベットも沖縄も
>>ぜんぶ中国史の一部だと思ってるので、
長江文化が日本に渡来したような事を過剰に喜ばしく受け止めれば、
我々も満州族やチベット族みたいに、中国という途方もない巨大な
歴史の一部だとされる危険性がないんですかね?



24 :出土地不明:2009/07/30(木) 09:50:54 ID:TJ+iXOGl
>>23 中国という途方もない巨大な歴史の一部

・・・西欧の世界支配という途方も無い巨大な歴史に比べるとシナなど
問題外と思うが。

25 :出土地不明:2009/07/30(木) 10:46:46 ID:9W3+4lbd
>>23
東アジアの歴史ね
支那の歴史は被征服の歴史だからねー。

26 :出土地不明:2009/07/30(木) 10:48:18 ID:9W3+4lbd
あ、不適切な用語を使ったな、
被征服→服属
と読み替えて下さい。

27 :出土地不明:2009/07/30(木) 11:36:55 ID:GmEQjiZZ
>>24 >>25
ありがとう。安心しました。

28 :出土地不明:2009/07/30(木) 13:05:25 ID:pg/cS+OG
混血しまくると、妄想のハ−ドルも低くなる。
基地外じみた中心性を求めるw

29 :LUNAMASK aka 月光仮面:2009/07/30(木) 15:54:07 ID:AwqUmk10
>>22
やってますな。例のレヒナー博士の教本、内容はないね。ただ今までのPDFを
まとめたという点、それとアメリカン・イングリッシュで朗読している点がわかりやすい。
録音してみたが聞こえなかったけどね。C3のなんとか君、こころあたりないなー。
C3は南周りというのはレヒナー先生もそうなってるね。これは固い所なんでしょう。
Dはインドに痕跡がないので皆がチベット周りとしている。チベットでは先祖型も
出てきたようだし。ネシア方面は風下か。なるほど。レヒナー氏の全文聞いていると
眠くなるし、細かいところは聞き取れていない。PQなんて北米にわたる連中は日本
に来ていたとしてもおかしくはない。ネアンデルタール・ルヴァロア技法の継承者が
細石刃を生んだということもあろうか。のんびりやりましょう。


30 :出土地不明:2009/07/30(木) 17:46:34 ID:7yc88IM1
中国が世界史に登場したのは、ここ数年が始めてという所じゃないのかな。
確かに現在は特に恐慌以来、経済的な意味でも世界史的に占める位置は中国有史以来初めてじゃないかな。

西洋との関係と言う意味では、15世紀くらいまではお互いに一部の貿易を除いて殆ど没交渉だった。
それ以後の歴史は殆どが略奪される側で、全て中国国内問題の非能動的歴史と言えるのでは。

日本と中国の関係においても、日本人の頭の中の中国の存在感(コンプレックスと言う意味ではなく純粋に
異文化である中国文化の日本人にとって必要な部分を尊重すると言う意味)に比べて、現実的には関係は
以外に少ないのでは無いだろうか。

考えられるのは、
紀元前1世紀くらいの、(漢族ではないが)江南人の移入とそれによる基礎的技術。
律令時代の法整備と都市開発概念。(ただし世襲天皇制・官僚制などの基礎概念は日本独自のもの)。
平安時代前期までの仏教思想と建築。
元寇による鎌倉政権の弱体化と禅宗。
中国史の研究による戦略研究。
漢方を元にした医療。
江戸時代の儒教による日本人の独自の道徳観の権威付け。

一方、近代までは中国が日本から得たものは殆ど無い。と言うより、得るべきものが有ったのかもしれないが
中国人自体が中華思想でそれを研究・応用しなかったのだろう。

近代以降日本から中国に渡ったものは、
近代思想・技術の(学問的・言語学的)概念。
アジア人が欧米人に劣らない事を実証し、アジア人に独立の意思を与えた。(世界史的にも特筆されていい)。
敗戦の廃墟から出発しても経済強国になり豊かになれるという実例。
日本のサブカルチャー

以上思いつくままに列挙してみた。


31 :出土地不明:2009/07/30(木) 20:36:10 ID:7yc88IM1
>>29
アンダマン諸島のD*について重要なことはは全員がD*であると言うことで、D*が存在していると言うこと
ではない。つまり、アンダマン諸島経由スンダランドやチベットはあっても、スンダランドやチベットから
アンダマン諸島へ行った可能性が殆ど無いと言うこと。

原型が混じって存在している事は特に不思議なことではないし、それがルートの前後を決めるものでは全く無い。

例えば、韓国人には現在の90%以上の人類の祖先F(G〜Tまでの欧米・インド・アジア・アメリカ人の先祖)が
残っているがそれでFのルートが韓国経由だなどとは誰も言わない。
>>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_F_(Y-DNA)

上記Fはポルトガルから韓国まで現在世界中でまばらに見つかっているが、将来日本で見つかっても、日本に
Fの子孫NとO系がある以上何の不思議も無い。

他にも、日本にはNとOの共通で直接の祖先(NO)が結構効率で混じっている。>>"5.7%(2/35) in a sample of
Buyi and 2.9%(6/210) in a pool of four samples of Japanese, particularly in Tokushima(4/70=5.7%)"
>>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_NO_(Y-DNA) 【注:日本人のNの中での (NO)の比率です】
だからと言ってNや中国人を含むアジア人の祖先が日本経由だ何て思わない。

ついでに言えば原型と言ってもそれが全く原型のまま留まっていると言うことでもない。原型も他の部分で
突然変異を多く起こしている。ただ統計上それが有意な数字(確か1%だったと思うが?)とならない限り
新たなハプロタイプやそのサブグループとしての名前が付けられないというだけのことである。

つまり、原型はそれ以降の遺伝子が存在すれば、どの遺伝子についてきても全く不思議ではない。例えば、
突然変異はそのグループのたった一人から始まるが、その突然変異が10%多く子孫を沢山生き残せれば
約1000年後には同数になり、次の約1000年後には1:100、つまり原型は比率で1%になってしまう。

上記は極端な例であるが、現実的には、新種が1%増加・生存率が大きいだけで、1世代30年とすれば、
1万年で333世代、1.01^333=27倍、2%なら730倍、3%なら18,830倍となる。

つまり原種も頑張って1%の増加をしても、優勢な突然変異子孫の新種が3%で増えれば、その割合は
差の2%の増加率で1万年後には、1:730と、0.14%になってしまう。

世代を重ねるだけでなく、環境による人口の増加率もこの比率に大きく影響する。人口の増加率が上記の
倍なら、原種は2%、新種は6%となり、1:470,000と0.0004%になる(これは上記の1万年分を5000年
でやることと等しい)。

原型が残るのはその環境での増殖率・生存率の比率の問題だけで、結構しぶとく残っていて、必ず亡びる
ものでは決してない。だからその子孫の遺伝子があればどの遺伝子にも遠い祖先の遺伝子が残っていても
おかしくは無い。

と言っても祖先型や原型の遺伝子が全て亡びたとしても全く不思議は無い。つまり祖先型の比率が多いとか、
原型が混じっていると言うだけではルートの根拠にはまったくならないと言うことで、全員が原型と言う
事とは意味合いが全く違う。

最後になったけれど、Qは日本でも見つかったようだよ。つい最近までは韓国人までだったが、日本人も
追加された。>>Q1a1 (M120, M265/N14) Found at low frequency among Chinese, Dungans, Hazaras,
Japanese, Koreans, and Tibetans >>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_Q_(Y-DNA)
ただし、アメリカへ行ったのとは別グループのようだけれど。


32 :出土地不明:2009/07/30(木) 20:53:57 ID:t1dx0pAt
開館30周年記念展
 「国宝 武人ハニワ、群馬へ帰る!」
   〜これが最後、東と西の埴輪大集合〜

http://www.grekisi.gsn.ed.jp/03b.html
群馬県立歴史博物館

33 :出土地不明:2009/07/30(木) 21:57:29 ID:8wjfBV2M
>>18
>基本的には1.8万年前の最寒冷期に日本から北上するのは余り理屈に合わないと思います。
>最寒冷期に日本から北上するのは
同意です。以下↓参考になれば、幸いです。

『近年、北海道で発見されたマンモスなどの化石に関する年代測定の結果が相次いで公表され
ている。それによると、襟裳岬から発見されたマンモス臼歯の年代が約一万9000年前、別海町
野付崎沖海底から産出したマンモス臼歯の年代が約二万年前、羅臼町沖海底から産出したマン
モス臼歯が二万3000年前と示されている。また、八雲町沖海底から産出した野牛の角化石に
ついても、約一万8000年前という年代が与えられている。いずれも、最終氷期のなかでもおよそ
二万5000〜一万5000年前の最寒冷期に相当し、北海道の旧石器時代の展開にも相応する。
シベリアのマンモス動物群が陸続きの北海道にまで南下していたことは、もはや疑いない。
そして、人類拡散のもうひとつのドラマ、シベリアから日本列島への北回りルートも、直接には
こうしたマンモス動物群の移動と結びつきながら進行したと考えるのが自然である。』
---「北の黒曜石の道」 木村英明著より一部抜粋
次レスに続く。

34 :出土地不明:2009/07/30(木) 21:59:32 ID:8wjfBV2M
近年、黒曜石考古学は注目されてますね。特に、「黒曜石の道」は、知的好奇心を駆立てると
同時に、狩猟や採集を生業とした人々の移動に関する物質的裏付けに適していると思います。
そこで、以下引用↓

『放射化分析や蛍光X線分析など近年の理化学的分析によると、産地ごとに異なる黒曜石の
元素組成によって、遺跡から出土した黒曜石の産地を突き止めることが可能となった。この原
産地同定によると、筆者の住む信州の和田峠原産地の黒曜石が、すでに三万年前の後期旧
石器時代初頭から、100キロメートル以上もの距離を越え関東地方まで持ち運ばれていること
がわかっている。黒曜石を動かす背景には、どのような人間行動が隠されているのだろうか。』
---「黒曜石 3万年の旅」 堤隆著より一部抜粋

以上です。では、またの機会を。

35 :出土地不明:2009/07/30(木) 22:42:16 ID:XqJ1XUab
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

36 :出土地不明:2009/07/30(木) 22:43:34 ID:XqJ1XUab
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

37 :出土地不明:2009/07/30(木) 22:44:21 ID:XqJ1XUab
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

38 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/30(木) 22:44:39 ID:Y91Sk6+w
>>15-16
高句麗は文化的にツングースじゃ。仮にツングース語が4世紀の世界的
民族移動でバイカルから南下した靺鞨によってもたらされたとしても。
人種系統でツクグースも無い。北ツングースの広顔と南ツングース族の
狭顔は同一人種じゃ無いで。
高句麗が韓族と違うツングース族であることは、云うまでもない。
中国人は列島倭人の生口献上から始まった朝貢から日本列島も
中国の一部ぐらいの認識じゃろう。
夫餘は、モンゴル系かツングース系か判断し難い。豆莫婁と近いとなれば
モンゴル系じゃしのう。魏志に、ユウ婁は言語は夫餘と違うが形質は
夫餘に似るとある。「其人形夫餘」と。靺鞨に農業も行われておった
ことは、隋書靺鞨伝にも出とるじゃないか。
ロシアの考古学者V・メドヴェジェフ氏によると「女真も靺鞨も農耕と
牧畜がともに行われた。女真では漁撈の痕跡が多く、靺鞨では見られない。
女真は現地文化を強くとり入れている。靺鞨はチュルク(トルコ系)の影響
が強く、女真は先行文化のポリツェ文化の影響が強い。」
女真期には現地民化した状況になっとる。


39 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/30(木) 23:14:29 ID:Y91Sk6+w
>>17
ユウ婁はポリツェ文化人で、漁撈と豚飼育の牧畜と五穀の農耕に従事した。
狩猟専業じゃないど。夫餘の遺民はモンゴル系の室韋にもおる。
黒水靺鞨だけが女真の先祖と云えんわい。
まあ、認識不足のコピべじゃのう。言語は人種要素でのうて文化圏要素
じゃし、バイカルや興安嶺の狩猟部族が草原に出るとトルコ語化や
モンゴル語化する。生活様式が遊牧化するけぇ、牧畜用語から基本用語が
生活様式に合わせて変化する現象じゃ。夫餘がモンゴル語から
ツングース化した時期までは判らんが、生活様式で言語は変わるけぇのう。
ツングース族の概念も、戦前のツングース=日本人、高天原族=ツングース
から本土日本人もツングースの分派に違いないが。

40 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/30(木) 23:41:59 ID:Y91Sk6+w
>>30
中国が世界史に登場したんは、黄河文明からじゃし、ローマ(大秦)と
双璧の漢代と常に先進国じゃったで。ローマ・パルチア・漢が農耕側の
三大帝国じゃけぇのう。わりゃ歴史を知らんもんがカバチ垂れても意味が
ないど。
紀元前1世紀の江南人移入と技術たぁ何なら?空理空論よのう。
律令制度も官僚制も中国の受け売りじゃ。当時の唐も世襲制じゃ。
鎌倉の南宋文化も中国江南文化の受け売りで、江戸期の儒教も朱子学じゃ。
中国の影響だらけじゃないか。近代は日本が先進国じゃけぇ、アジアへの
文化発信国に始めてなっただけのことよ。あんたの思いつきは、ネット右翼
御用達の受け売りじゃろうが、サイト主に歴史的知識が欠けとるんじゃけぇ
つまらんよ。

41 :出土地不明:2009/07/31(金) 06:11:40 ID:qcLIOlnF
Wikiって信用できるものなのか?

42 :出土地不明:2009/07/31(金) 07:40:38 ID:Dc3xID/S
>>40
お前、小学生並の回答していて恥ずかしくないのかw。




43 :出土地不明:2009/07/31(金) 11:46:51 ID:HaalHJye
日本人にもごくわずかいる「N」は、
ブリヤートなどに多いので北方系かと思いきや、
フィリピンに一番多いんだね。
これも源郷はスンダランドかな。
このNはC1と同じで青森と徳島に多い。
不思議だ。

44 :出土地不明:2009/07/31(金) 12:12:50 ID:lQ2sesVB
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/






45 :出土地不明:2009/07/31(金) 17:59:55 ID:RVDSeM5K
【歴史】薬師寺が韓国と深い関連があるのは、天皇が自ら「韓国人の血を引いている」と明らかにしたように皇室の願寺だったため★2[07/30]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1249026028/

46 :出土地不明:2009/07/31(金) 19:07:12 ID:Dc3xID/S
>>43
NはOと兄弟遺伝子で東南アジア発祥といわれています。そこから中国大陸を北上し細石器文化を担って、
日本へは海面が尤も低下した1.45万年前に、草原化した黄海・東シナ海経由で九州西部から入ってきました。

長崎 泉福寺洞窟遺跡の第11層〜第7層くらいまでがこのNかと思います(12層はN以前から日本に住んで
いるC1かD2のもの)。特に1.3万年前の第10層からは世界最古級の土器の一つといわれている豆粒文土器が
出ています(世界=日本最古は1.65万年前)。
>>http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/rekisi/02/02_01.htm
>>http://www.city.sasebo.nagasaki.jp/rekisi/02/image_2_1_2.htm

海面が再び上昇し、N(とC3)の殆どは再び北方へ去りましたが、一部の取り残されたNは、草原の大型獣を
食べ尽くすとやがて森の人C1(やD2)に吸収・同化されていき、日本での細石器文化は消滅しました。

徳島のNは、前スレでも話題になってたのですが、蜂須賀小六(正勝)率いる川並衆の遺伝子かも。川並衆は
木曽川筋の豪族と言うか、山賊で木材の伐採・筏での運搬に長けていた。秀吉の一夜城は川並衆が木曾の
上流で伐採した木を、組み合わせを先に考えた上で、タイミングよく筏で下流の墨俣へ運んで組み上げた。

蜂須賀家は、1586年秀吉より阿波を与えられ、その後淡路島も含め、明治まで国替え無しに徳島に君臨した。
>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9C%82%E9%A0%88%E8%B3%80%E6%B0%8F
>>http://www.city.konan.lg.jp/sangyokanko/bukouyawa/bukouyawa11.html
>>http://www.city.konan.lg.jp/sangyokanko/bukouyawa/bukouyawa10.html


47 :出土地不明:2009/07/31(金) 19:41:48 ID:a8mbkvO7
Y染色体の調査で徳島、静岡、青森とか出てくるのは、
国内の調査協力機関がそこにあるから。

で、徳島というのは、そこにある大学医学部とかで、
調査対象(というか調査に協力している人)は、その大学の学生さんで、
その結果、徳島県民だけでなく、関西方面の方も多く含まれている。

という理解だったけど、違ったっけ?

何が言いたいかというと、
徳島の調査結果は、
徳島県とかその周辺に限定して考えてはいけないということ。

48 :出土地不明:2009/07/31(金) 20:43:43 ID:o7jFZiKE
表5
  O・プロコプ,W・ゲーラー著.石山c夫訳:『遺伝血清学』(学会出版センター)より
民族 被検査数 頻度(%) 頻度(%)
       O  A  B  AB σm p q r
日本 301千 30.5 38.2 21.9 9.4 0.1 27.6 17.1 55.2
朝鮮 9,434 27.7 31.5 30.7 10.0 0.5 23.9 23.4 52.6
アイヌ 509 17.0 31.8 32.4 18.4 2.2 29.7 30.1 41.2
蒙古     32.1 23.4 36.3 8.2
東胡     30.1 28.3 32.7 8.9
広東 1,000 45.5 22.6 25.0 6.1 1.6 16.0 17.4 67.4

 日本人はA 38% B 22% O 30% AB 9% とA型が多くB型が少ない。
 朝鮮、モンゴル、ツングースはA型よりB型の方が多い、またはほぼ同じ比率。

 日本人のようにA型が多い民族は東亜にはいない。

 渡来人が来たのなら西日本にB型が多いはずだが、実際は東日本の方が多い。

 ・・・これから見ると日本に大量の渡来人が来たとは考えられない、という説がある。(水野祐「王朝はひとつだったか」)


49 :出土地不明:2009/07/31(金) 20:46:05 ID:Dc3xID/S
>>47
またいい加減なことを。

大体、皆が見ている分類・統計は「崎谷満」氏の下記が殆どだと思うけれど、
>>http://mwkp.fresheye.com/mb/m.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA?6

崎谷満氏経歴:
1954年生まれ。京都大学大学院博士課程修了、医学博士。専門は分子生物学、血液学(成人T細胞白血病
ウイルス研究)であったが、長崎大学、京都大学での研究を経て、1997年にCCC研究所所長に就任

そんな医学系の学者がでそんないいかげんな府県別統計を作るとでも・・・w。

ただし、私は崎谷満氏はD2の日本への渡来についてはC3の後の縄文時代で、朝鮮半島経由としているが、
これは現在では明確に間違いだと言える。

C3の日本への渡来は、細石器の年代から見て、北海道が1.8万年前、九州・本州が1.45万年前だが、
もし、D2の渡来がそれ以降なら、D2の発生期は2万年前後だから、D2の発生場所は、朝鮮半島かそれ以前
と言うことになり、少なくとも朝鮮半島にD2が無ければならない。

D2は日本にしかないから、D2は日本に少なくとも2万年以前にDの形で入ってきて、日本でD2に変化したのは
間違いない。

多分、崎谷氏は韓国人のD系と日本のD系が、サブグループの分類まで済んでいない段階か、yap+が見つかった
段階で本を出したのだろうが、現在ではそれは完全に否定さている。

つまり、韓国人のDはD1だし、韓国経由ならD1が日本にいなければならない。また韓国から日本にきた
時点ではまだDの段階で、日本に入ったDがD2に変化し、韓国のDがD1に変化したとすればD1の発祥地は
韓国と言うことになり、韓国からチベット、チベット南部少数民族、中国本土、東南アジアに散らばったと
言うことになる。

これは、全く有りえないとは言わないが可能性は殆ど無いと思うし、そう主張する論文は見たことが無い。

もう一つついでに、崎谷氏は日本へ最初に入った遺伝子がC3であるとしているが、それなら日本の3.5〜4
万年前の後期旧石器の数千箇所の遺跡と数十万点の石器は誰が持ってきたというんだろうね。まさに無知と
しか言い様が無い。



50 :47:2009/07/31(金) 21:05:51 ID:a8mbkvO7
>>49
あなたは、では、具体的にどういうふうに調査をしたのかご存知なのか。

その調査のサンプルの抽出方法はこうですよと反論するなら分かるけど、
まともな医学研究者だからというだけでは全然反論になっていない。
本人も別にその県に親の代から住んでいる人だけを対象に調査したと断わってはいないと思う。

別に私が書いたやり方でも、徳島県において調査したことには変わりがない。
もっと詳しく調査方法を知っているなら教えてほしい。

だれが書いた本だったか忘れたが、
徳島のY染色体調査について、関西から徳島大に来た学生も対象にしていたような
記載はあったと思うが。


51 :出土地不明:2009/07/31(金) 21:27:09 ID:Dc3xID/S
>>50
勿論関係者でもないし見ていないがね。

かの有名な京大のウイルス学の大家日沼氏の愛弟子がそんないい加減な分類をすると考えること自体
常識外れw。

理科系の諸君なら分かるだろうが、学生でさえ実験に偏向が無いか、それを突っ込まれないかと、大変
気を使う。

もし、崎谷満氏がそんないい加減な資料を作成・使用していたとすれば、そのことだけで彼の積み上げてきた
名声は一度に崩れてしまう。

もし、彼に付いてそんな話があれあ、その話のほうがただの中傷だと疑うのが普通だとおもうよ。

私は彼の本の内容については馬鹿げてると思うが、それでも彼が検査・分類をそんないい加減な方法で
やるなどとは露ほども思わないし、その結果は尊重してるよ。


52 :出土地不明:2009/07/31(金) 21:27:30 ID:fUeyHjs/
たしか、以前貼ったことがあると思うが、再び。
「海上の道の始まり」
http://ao.jpn.org/kuroshio/kaijo.htm

53 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/07/31(金) 22:36:44 ID:b6pATugj
>>48
水野祐氏は朝鮮南部にA型が多いことも指摘されとったよ。
まあ、血液型は東アジアに関してどの民族集団も北へ行くほどB型が
増える傾向にある。これを人種の違いに還元したら電波になるよ。
ドイツ人はA型が多い。北米の白人はO型が多い。O型はアメリカ
先住民に多いゆえ、北米白人の遺伝子はアメリカ先住民から
受け継がれとる云うたら電波になるんと同じことじゃ。
日本、特に西日本に北方渡来形質が強いし、耳垢の乾型が
多いことも、古墳期以降西日本を中心に大量渡来移民が
おったろうに。

54 :出土地不明:2009/07/31(金) 22:43:21 ID:Yip+vs/4
>>13
>高句麗は満州族の歴史、
>高句麗→渤海→女真じゃ。

晒しage

55 :出土地不明:2009/07/31(金) 23:55:20 ID:qpDiOX0n
日本人が台湾に親近感を持つのは遺伝子だったんだな
台湾人と日本人は先祖につながりがある
現代朝鮮人に嫌悪感を抱くのも当然だな

56 :出土地不明:2009/08/01(土) 00:04:36 ID:l4h7CIWO
>>52
これは私にとって大変有難い資料です。特に神津島の海峡の深度と、海面低下時の沖縄の地図は有難い。

ここの不定形剥片石器(文化)とは、一般的に礫器(礫石器)と呼ばれている(礫群は焼石の事で礫器とは全く
違うので注意)原始的な石器のことだと思いますが、私も3.5〜4万年前に始まる日本の前期旧石器時代の
石器には2系統ある様に思っています。

日本で多く見つかるのは3.5万年位前の遺跡で、局部磨製石斧と台形石器(とナイフ型石器)を特徴とする
遺跡が、北海道を除く鹿児島から主に太平洋部の日本全国から数多く見つかります(局部磨製石斧は見つかって
いる最古の磨製石器だが、勿論日本で初めて作られた物ではなく、スンダランド発祥だと思われる。類似の
磨製石器は東南アジアでも、インドネシアなど、数は少ないが、2箇所で見つかっている)。

しかし一方ではずっと原始的な礫器しかで出ないものがある。例えば日本の数少ない旧石器人として有名な
港川人のほぼ完全な骨の化石と一緒に出るのは礫器で局部磨製石斧と台形石器は出ていません。また、
港川人は1.8万年前のものですが、ずっと古い3.2万年前の大山洞窟の骨と一緒に出るのも礫器です。

さらには、港川人やスンダランドのジャワク人と同じ系統だろうと思われる、2.8〜3.8万年前の
南中国海沿いの柳江人の遺跡からも礫器しか出ません。そして、昨年見つかったアボリジニの祖先の
3.5万年前遺跡から出たのも不定形の原始的礫器なのです。

そして、アボリジニはC系統で、サフール大陸(オーストラリア)でC4に変化した人種なのです。

もともとC系統は海洋民族と言われていますが、私は彼らが日本へ3.5万年以前に日本へきた最初の人類
だと思っています。そして彼らは日本でCからそのサブグループのC1に変化しました。

2007年時点で最古の石器と言われていた野川遺跡の最下層部の石器からも、日本の前期旧石器の特徴で
ある、局部研磨石斧と台形石器は出ていません。まあ、この一件だけではC1が間違いなく先とは言えず
貴君の上げてくれた「黒潮の道」の方がただしいかも知れませんが・・・。
>>http://ao.jpn.org/kuroshio/tenma2007/index.htm

だから、私の考えは
1)C1(日本へ入ったときはC):不定形剥片石器(文化)=礫器 ← 3.5万年以前
2)D2(日本へ入ったときはD):局部研磨石斧と台形石器+ナイフ型石器 ← 3.5万年前後
3)C3(北海道へ1.8万年前、本州へは1.45万年前):細石器文化
4)C3+N(草原化した黄海→東シナ海→長崎など西九州、1.45万年前):細石器文化と豆粒文土器
5?)O3(ひょっとすればと言うことでまだ不明)1〜0.7万年前:麦と陸稲米をもたらした。以上縄文人
---------------------------------------------------------------------------------------
6)O2b(紀元前1世紀、O3はこの時一緒かもしれない?):水稲耕作と田植えなどの新技術。弥生人


57 :出土地不明:2009/08/01(土) 01:35:00 ID:/2SOamGs
>>53
表5
  O・プロコプ,W・ゲーラー著.石山c夫訳:『遺伝血清学』(学会出版センター)より
民族 被検査数 頻度(%) 頻度(%)
       O  A  B  AB σm p q r
日本 301千 30.5 38.2 21.9 9.4 0.1 27.6 17.1 55.2
対馬    47.4 12.6 26.7 1.3
福岡    28.8 42.2 20.6 7.8

朝鮮 9,434 27.7 31.5 30.7 10.0 0.5 23.9 23.4 52.6
慶南    17.7 42.8 26.0 13.6
咸北 30.8 31.9 27.7 9.6


アイヌ 509 17.0 31.8 32.4 18.4 2.2 29.7 30.1 41.2
蒙古     32.1 23.4 36.3 8.2
東胡     30.1 28.3 32.7 8.9

・・・慶南はA型が多いですが、O型が異常に少なくAB型も福岡の2倍近くあるという
差がありますね。

 慶南と一番近い対馬とでは分布が全然違うというのも見過ごせません。


58 :出土地不明:2009/08/01(土) 02:26:01 ID:tFJZeavq
<オカルト> 「SMILEメッセージ」と「シリウス」の関係

http://inri.client.jp/hexagon/floorB1F_hct/_cosmic_trigger.html

「スマイル・メッセージ」は、人類進化のプログラム実現の鍵を握る国として「日本」を指名している。

今こそわれわれは、自らのルーツとその使命について、真剣な熟考を積み重ねなければならない時期にきているのだろう。
日本人とは、いったい何者なのだったのか。そして、われわれは、だれと手を結ぼうとしているのか?
この問いの延長線上に、恐らく人類の未来があるのだ──!

「ティモシー・リアリーは完全かつ素晴らしいまでに正気であった!」

第1の課題= 「生命の聖典」を発見し、「不死の責任を引き受ける」こと
第2の課題= 「遺伝子コードを神経系によって解読」し、「知性を増大化する」こと
第3の課題= 「銀河系ネットワークと通信」して、「我々の故郷へと凱旋する」こと

1996年5月に亡くなったティモシー・リアリー教授は日本に対して次のようなメッセージを残している。


「21世紀の世界は日本のキッズ(new breed)が変革していくだろう」


59 :LUNAMASK aka 月光仮面:2009/08/01(土) 09:53:42 ID:leNyFb3I
古代狩人の道具黒曜石
http://www.hokkaido-jin.jp/zukan/story/02/01.html
白滝地区黒曜石は「湧別技法」によって加工され、「黒曜石の道」をとおって、広範囲に
運ばれた
http://www16.ocn.ne.jp/~srtk-gp/shiratakiGPHP2008/yubetsugihou.htm
道具革命人類のシベリア征服に貢献
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/2/2-08.html
白滝遺跡群と黒曜石黒曜石の原産地・白滝遺跡群
http://kinobunka.zouri.jp/sirataki/sirataki-right.html
↓これなんか北海道より時代が下がるので、北海道から西進した民族の技術移転
によるという可能性があるかもしれないが、「湧別技法」の痕跡はないのだろうか。
The Obsidian Trade in the Near East, 14,000 to 6500 BC
http://www.archatlas.org/ObsidianRoutes/ObsidianRoutes.php

60 :出土地不明:2009/08/01(土) 12:28:53 ID:md+c5gM8
>>56
そのサイトに載っている南西諸島の陸化の地図いい加減だよ。
相当陸化を大きく取っている。
700mぐらい海面が低下しないとそれだけ陸化しないぞ。

61 :LUNAMASK aka 月光仮面:2009/08/01(土) 12:39:06 ID:leNyFb3I
細石器は東西に分かれている。
「一つはヨーロッパ,アフリカ,西アジア,インドにまたがる地域に分布する石刃技法その
ものの小型化あるいは縮小化とみられる小型石刃(幅約1〜1.5cm,長さ数cm以下)を
利用して作る石器類である。この小石刃の側辺に抉りを入れて斜めに折り取ってできる
小型彫刻刀 micro‐burins や小石刃の鋭い縁を一部に残して半月形,台形,三角形状
に加工する幾何学形細石器geometric microlith と呼ばれるものである。
他はモンゴル高原,シベリア,日本,アラスカにまたがる地域に分布圏をもつもので,
石刃石器の一つであった彫刻刀 graver あるいは舟底形石器keeled‐scraper 類から
生ずる不用な石屑部分を逆に有効に活用したといえる細身(幅約0.5cm)の石刃類で
ある。」
近東では湧別技法なしのまま土器時代に入ったと考えていいのかも。

62 :出土地不明:2009/08/01(土) 13:06:02 ID:l66LGId3
前スレ>801さん
> お久ですw(といっても誰かは分からないかw)

遅レスになりすみません。
涼宮ハルヒの憂鬱の「古泉一樹」みたいな的確な解説をなさるキャラからすると
もしかするとpart5スレの724氏でしょうかw
過去スレではありがとうございました。


63 :出土地不明:2009/08/01(土) 13:09:33 ID:l66LGId3
中途半端ではありますが、過去スレのまとめサイトもどきを
一応作りましたのでお知らせします。
http://taatanniji.blog99.fc2.com/

64 :出土地不明:2009/08/01(土) 17:01:23 ID:hVzbMiei
日本人の外見・骨格等の形質はそれこそ他地域から来た人々の融合である(3万年くらい前の話)。
それから後、あまり交雑せず独自の縄文文化がいっきに現れる。ここまで間違ってませんか?

65 :出土地不明:2009/08/01(土) 17:34:23 ID:leNyFb3I
Y遺伝子等の研究は歴史という長いドラマを一枚の紙芝居の絵のようなもので説明して
いるわけで、それも現代という時点でのスライス。そして、各国の現代のスライスを
比較してみては歴史的情報に基づいてあれこれ詮議するわけで決定的なことが
言えるものではない。日本の火山性酸性土壌は骨をアルカリと比較するとより早く
溶解するためにデータは不足気味。決定的なことは何も言えない。

66 :出土地不明:2009/08/01(土) 19:11:22 ID:EK4zTmb0
>>64
旧石器人は間違いなく海洋系。
世界的に人類がまず海岸沿いに移動して、同時に移動先で大河をさかのぼっていったので、
必然的に旧石器時代の最初期日本人と言うのは海岸沿いに進んできたグループということになる。

世界的に定住して人種が分化したり、違うルートで来たグループが混血したりしたのはそのあと大分たってからの話。
つまり、渡来人とか弥生人とか言われる人々はこうして黄色人種につらなる人類が形成されてきてから、日本に着た人たちということになる。

縄文文化というのは、この2つの間の時期に形成されたものだから、人種的には混血や人種分化以前の人類が担った文化といえるね。


67 :出土地不明:2009/08/01(土) 20:03:08 ID:pkdFocoM
>>63
なかなか立派でした。お疲れ様でした。

68 :52:2009/08/01(土) 20:30:29 ID:QEadGJ+2
>>56
いや、こちらこそ感謝致します。
分子人類学的な考察は、見識の高い貴殿の見解が的確だと考えます。
そして、現生人類(新人)の礫器(礫石器)に対する捉え方も蓋然性が高
いと思います。今の私に言えることは、「日本列島への現生人類(新人)
の第一波がスンダランド地域から波及したのは、ほぼ確実である。」と
いうことぐらいでしょうか。

>>62
違いますよんw 私は、 part7スレでは724のレス番を付けていましたが、
確かpart5スレでは388のレス番も付けていたことがある讃岐うどん大好
きな超能力者ですw いや違うか、単なるビビリです。ギャンブルも弱いしw
というわけで、「お元気そうでなによりです。」
>62さんは空海縁のお寺さんに繋がりのある方でしたね。であるならば、
>62さんこそ、超能力的な何かをお持ちなのでは。
ちと、スレチなので。。では、またの機会を。

69 :出土地不明:2009/08/01(土) 20:52:47 ID:C5J3Cn8a
>>65
それで君は何が言いたいの?。

決定的でないといって、可能性の高い理論を否定するのは詭弁。

何か具体的に意見があるならその意見をまず述べてみたらどうか?。
そして貴君の意見と、他の意見の可能性について議論すれば言いだけじゃないのかね。


70 :出土地不明:2009/08/01(土) 21:56:07 ID:leNyFb3I
>>64 >>69
>それから後、あまり交雑せず独自の縄文文化がいっきに現れる。
C3 Qの時代、Dの時代、O3の時代そしてO2の時代と激しい動きがあったはず。
交雑という意味がはっきりしないが何らかの特定ハプログループが優位を占める
といったことではなく、適性のある集団の繁殖率が高かったということだろう。
特に縄文後期・特に稲作と畑作・採集業の境界付近では変動が大きかったはず。
こうしたことの実態は21世紀の遺伝子分布地図から単純に割り出せるものではない。

71 :出土地不明:2009/08/01(土) 21:59:18 ID:pkdFocoM
>>65 日本語でOK

72 :出土地不明:2009/08/01(土) 22:18:07 ID:leNyFb3I
>>65 >>71
スライスというのは樹木を切って横断面ばかり論じていていては何もわからない
ということ。縦割りにもしてみること、枝の横断面もどうじにみなくっちゃなんないっ
てこと。そしてまたその縦割りも。


73 :52:2009/08/01(土) 22:26:43 ID:QEadGJ+2
>>72
で、君は言ったい何が言いたいの?
「日本列島への現生人類(新人) の第一波がスンダランド地域から波及したのは、ほぼ確実である。」
という見解は合意する?おっと、言い換えようか、
「日本列島への現生人類(新人) の第一波がスンダランド地域から波及した蓋然性と整合性は高い。」

74 :出土地不明:2009/08/01(土) 22:29:41 ID:leNyFb3I
>>73
だろうね。だが、Qは逆に北周りだろう。

75 :52:2009/08/01(土) 22:34:29 ID:QEadGJ+2
>>74
OK。で、君はQもほぼ同時期に第一波であると考えてるの?

76 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/01(土) 22:38:43 ID:r+2B2Jt2
 相変わらず、このスレはY染色体カルトの巣窟じゃのう。
精度の低い単一遺伝標識で日本人がどっから来たかの根拠になるわけ
あるまいに。Y染色体で生業まで勝手に決めたり出鱈目放題じゃ。

77 :出土地不明:2009/08/01(土) 22:39:42 ID:leNyFb3I
もしC3がQよりも早いとしたら南米方面にも先に現れるだろうが、どうもQが先のような
感じがする。

78 :52:2009/08/01(土) 22:45:15 ID:QEadGJ+2
>>77
???
C3のことではなくて、C1あるいはD2のことですが?

79 :出土地不明:2009/08/01(土) 23:36:22 ID:n2K7OwbG
縄文式土器と同じような土器がマレーシアあたりで発掘されてるそうだな
しかも年代も日本と同じ年代だそうな
もう確定だな

80 :出土地不明:2009/08/02(日) 00:59:02 ID:PG5+61Op
スンダランドかー

インドネシアとフィリピンで、考古学できるような経済になりますように。

81 :62:2009/08/02(日) 01:04:25 ID:1bobrt5T
>>55
地理的に日本人のルーツには含まれますが、
現代人について言うと父系DNAに関してはあんまり似てないですね。
反面、母系DNAでは日本人と最も似ている種族なので縁は深いのでしょうが。
母系社会だった平甫族には、父系中心に華南の血が入ったっぽいですね。


82 :出土地不明:2009/08/02(日) 07:29:42 ID:dyLbIW2m
>>78
http://dienekes.50webs.com/blog/archives/000425.htmlNative
Especially noteworthy is the general lack of temporal separation between the
divergence dates based on the Q and C lineages with only the Upper Bound TD
date hinting at an earlier separation for the Q-lineage.
これに関連してのこと。


83 :出土地不明:2009/08/02(日) 08:31:56 ID:dyLbIW2m
>>77
ナデネ語族の勇猛果敢で有名なアパッチ族がC、C3b- P39 (P39) Found in the
Na-Dene peoples of North America. おそらくはアルタイから北米に移住したので
あろう。これ以外南米などはQなのでおそらくは先行したのはQかな。

84 :出土地不明:2009/08/02(日) 08:57:39 ID:dyLbIW2m
北米・アルタイ・その他アジアのC*だが、
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/reprint/msh009v1
PDF P43においてC-M217* (+C-P39)[C-P39を含むC*]
(1) Native Americans[C-P39]
(2) Altai, Selkups, & Kets
(3) Other Asians[日本人等]
このネットワーク的系統が示されている。














http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/reprint/msh009v1
PDF P43においてC-M217* (+C-P39)[C-P39を含むC*]
(1) Native Americans[C-P39]
(2) Altai, Selkups, & Kets
(3) Other Asians[日本人等]
このネットワーク的系統が示されている。

85 :出土地不明:2009/08/02(日) 09:07:12 ID:dyLbIW2m
同上P42 日本にも0.4%あるQ-P36*が北米原産であることを示しているがこれは
オホーツク海沿岸のオホーツク文化人がアラスカから渡来し、その子孫が現代の
日本に生き残っていることを物語っている。

86 :出土地不明:2009/08/02(日) 09:17:02 ID:dyLbIW2m
>>84の代わりに↓
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/reprint/msh009v1
PDF P43においてC-M217* (+C-P39)[C-P39を含むC*]
(1) Native Americans[C-P39]
(2) Altai, Selkups, & Kets
(3) Other Asians[日本人等]
このネットワーク的系統が示されている。

87 :出土地不明:2009/08/02(日) 10:35:44 ID:dyLbIW2m
女王國東渡海千餘里、復有國、皆倭種。又有侏儒國在其南、人長三四尺、去女王
四千餘里。又有裸國、K齒國復在其東南、船行一年可至。參問倭地、絶在海中洲島
之上、或絶或連、周旋可五千餘里。 女王国の東に海を渡ること千余里、また国があ
る。いずれも倭人である。その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国
から四千余里。また、その東南に裸国やK歯国も在り、船で行くこと一年で至るとか。
倭の地と比較して訊いてみると、絶海の中央の島の上に在り、隔絶あるいは連結し、
周囲を旋回すること五千余里ほど。・・・この情報の背景には倭国が南米との関係を
持っていっということが考えられる。ボリヴィア、モホスでは隼人紋の棺にはいった
弥生日本東北人の王が出土している。

88 :出土地不明:2009/08/02(日) 11:02:26 ID:dyLbIW2m
>>85 >>87
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_Q_(Y-DNA)
これによると>>86 >>87情報は全く否定される。なんだかがっくりきたなー。

89 :出土地不明:2009/08/02(日) 11:18:47 ID:dyLbIW2m
日本などの東アジア
Q1a1 (M120, M265/N14) Found at low frequency among Chinese,[3] Dungans,[13] Hazaras,[6] Japanese,[14] Koreans,[13] and Tibetans[9]
近東
Q1a2 (M25, M143) Found at low to moderate frequency in Iran,[4] Lebanon,[15] and Turkey[10]
Q1a3 (M346)
南西・南アジア・中央アジア
Q1a3* Found at low frequency in Pakistan,[6] India,[6] the United Arab Emirates,[12] Khanty,[16] and Tibetans[9]
米州
Q1a3a (M3) Typical of indigenous peoples of the Americas
Q1a3a*
南米
Q1a3a1 (M19) Found among some indigenous peoples of South America, such as the Ticuna and the Wayuu[17]

90 :出土地不明:2009/08/02(日) 11:47:02 ID:XW8U/Rwb
>>87
裸國=南方(台湾・フィリピン)
侏儒国=種子島以南の南方ピグミー
K歯国=ビンロウ嗜好
と考えられているぞ。アメリカを出す必要は無い。

91 :出土地不明:2009/08/02(日) 11:56:47 ID:qfKVYC/v
その南に侏儒(こびと)国が在り、身長は三、四尺、女王国
から四千余里。

・・・これはフィリピンのホモ・フロレンシエンスのことだろう。


92 :出土地不明:2009/08/02(日) 12:01:46 ID:dyLbIW2m
>>88
mtDNAでは渡米組は最終氷河最大期にベーリング陸橋部分で5千年程立ち往生した。
http://www.sciencedaily.com/images/2007/10/071025160653-large.jpg
http://www.sciencedaily.com/releases/2007/10/071025160653.htm
そしてバックしたものもあり、またネデネ語族インディアンと日本人が同じグループに
はいっている。

93 :出土地不明:2009/08/02(日) 12:03:06 ID:dyLbIW2m
ビンロウ嗜好って高雄なんかにあるやつか。

94 :出土地不明:2009/08/02(日) 12:05:15 ID:dyLbIW2m
>>91
♪秋田に来る時や、から傘などいらぬ・・・巨大蕗のことではないか。

95 :出土地不明:2009/08/02(日) 12:35:56 ID:dyLbIW2m
オホーツク文化については「網走市モヨロ貝塚では共同墓地も発見され,北西に頭位を
向けた屈葬が主体で,頭部被甕の例もある。これらの埋葬人骨は,アイヌ系ではなく
アレウト族に形質的に類似するとかつて考えられていたが,最近ではアムール下流域
のウリチ族に近いという説が出されている。
 金属器には,蕨手刀,刀子(とうす),鉾,斧,鈴,鐸,年帯(かたい)金具,耳環などが
あり,本州と大陸の両方からもたらされたものが含まれている。たとえば年帯金具は
アムール流域の靺鞨(まつかつ)文化期の墓地であるナイフェリトやトロイツコエから
出土したものとまったく同一のものである。
 この文化を特徴づける遺物のひとつとして,骨・牙製の婦人像がある。それらは
すこし前かがみで,手を前に組んだり,合掌したりしている姿をし,そのモティーフ
はモンゴル出土の牙製婦人像や遠くセミレチエ地方の突厥(とつくつ)の女性石像に
類似している。
 この文化の発生については,南サハリンと北海道北部において自立的に生まれたと
する説と大陸からの影響を受けて生じたとする説がある。一方,その終末については,
元のサハリンへの侵略が原因であろうといわれている。」つまり、アレウト説より
靺鞨説に移ってきている。しかし、オーバーラップしているかも。

96 :出土地不明:2009/08/02(日) 14:49:20 ID:WmkUTs8X
日本語の文献では、C3が、日本列島一番乗り!でも、英語の国際文献では違うよ。
インドネシアから来た貝紋人と縄文人が北方勢力を押さえて、日本列島一番乗り!
しかも日本の貝紋人は、日本列島〜ベーリング棚〜北米〜南米、一番乗りの偉業!
シベリアC3は、日本の貝紋人の後から北米に入ったものの、南米まで、よう行かなんだショボ。
縄文人は、大陸から来たのではなく、インドネシアのスマトラから北上、
日本列島〜沿海州〜モンゴル〜チベットへ移動。途中、混血しながら通過したので
いわゆるSOV文法の、昔「アルタイ語圏」と言われた言語を北方アジアに残した。
これが国際学会での最新見解。以下は、National Geographic のサイト。
ページが出たら、スクロールバーを真ん中へんまで下げてみ。脱アフリカ後の
貝紋人と縄文人の、日本への到達マップが図にして有る。
http://www.crystalinks.com/migrationhuman.html

97 :出土地不明:2009/08/02(日) 18:33:20 ID:tUzretYk
>>91
4千里(九州北岸朝鮮南岸間3千里)だから遠すぎる。
それにフローレス島はインドネシア、スラウェシの更に南だよ。

98 :出土地不明:2009/08/02(日) 19:52:30 ID:UHO2hAwJ
>>66なるほど。人類は確かに海沿いに移動しなければ食料や飲料水(河川から)を
採ることが難しいですよね。だとするとその縄文日本人はどのような経路で列島に
たどり着いたのでしょうか?インド〜インドシナ〜台湾・沖縄〜九州というような
感じですか?

99 :出土地不明:2009/08/02(日) 21:53:03 ID:tUzretYk
>>64
間違っている、先ず旧石器人は沖縄でしか発見されてないから融合したかどうか不明
石器の型式分布をみると融合したとは考えられない。

100 :出土地不明:2009/08/02(日) 22:56:26 ID:yEKrTSZF
さっきNHKのエジプト考古学の番組みたけど、日本の弥生時代の
頃の人骨を医療関係、法医学者が最新の医療機器で分析していたけど
文献、土器、墓制など目視確認できる資料ばかりに研究のフィールド
を持つ旧来型の考古学者ってのは淘汰されるべき存在なのだろうか?
ベルリンの壁崩壊後のマル経学者のように。文学部に考古学科や
心理学科があるのはもう時代に合わないんじゃないか?

101 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/03(月) 01:12:52 ID:Aezx3zAA
>>100
文献、土器、墓制を無視したら、多面的考察を放棄したことに
なるけぇ、学問じゃないよ。目視確認できる資料なんかごく一部に
過ぎんよ。
マルクス経済学は、生産様式による時代区分で自民族限定の
発展段階説で、ここのY染色体や嫌韓厨のご本尊様に等しい理論じゃ
ないか。考古学を自然科学系にしたら、自己専門学問の成果だけで
歴史を妄想する遺伝子カルトレベルに陥るんじゃないか。既に
成っとるけどのう。じゃが、ミクロの専門の分析たぁ、マクロの
総合の見解が学問じゃけぇのう。

102 :出土地不明:2009/08/03(月) 01:15:59 ID:aAJcGgpS
>>96
残念!だったな。
俺は、4代前から、東京生まれの東京育ちの、正真正銘の日本人だ。
お前こそ、朝鮮で生まれて、朝鮮で育った、正真正銘のチョンだろうが。

103 :出土地不明:2009/08/03(月) 02:16:45 ID:lyW0ncZ0
>>101
多面的考察の必要性はむしろ認める。だからこそ「資料ばかりに…」
と書き込んだんだよ。というのは、まだ考古学の世界でまだ
炭素年代測定法を認めずその知識すら有るのか疑わしい人々が厳然と
して勢力を保っていると聞いたからだ。総合的考察が重要なら、
新しい学問分野からの参入があった場合、既存の分野の割合が縮小
するのも道理かと。既存分野でのみで構築された理論に矛盾するから
といって新しい科学的知見(キライだっけ?)を門前払いするのは
誰も納得できない事だろう。ともかく考古学を考古学者VS医者
・生化学者のような不毛な対立にしないことを願うばかりだ。

104 :出土地不明:2009/08/03(月) 02:31:37 ID:sTjjkrcL
>>94 アイヌにもコロボックル伝説があるので日本列島には本当に小人族がいたのかも?

 骨を発見したという話は聞かないが。


105 :出土地不明:2009/08/03(月) 09:13:10 ID:uRTjP+1m
>>103
白馬青牛自身が
「炭素年代測定法を認めずその知識すら有るのか疑わしい人」なのに、
炭素年代測定法を認めない男だから、
こんな男に言っても意味ないよ。w
まぁド素人のこいつが認めなくても何も問題ないのだが。

こいつがY染色体に文句つけてるのも、
自説である古墳時代にやってきた北方系が日本人の主体であるというアホ説に、
Y染色体の結果がそぐわないから文句つけてるだけw
まず結論ありきのアホ男が白馬青牛。
いやこいつの本質は女w

106 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/03(月) 14:47:34 ID:Aezx3zAA
>>103
この板の「朝鮮人はどこから来たか」でも云うたが、
旧石器捏造を煽りよった歴博の炭素年代測定法自体、信仰する方が
可笑しいんじゃないか?
>>105
北方系が日本人の主流なんはごく当たり前のことじゃ。
http://yumiki.cocolog-nifty.com/nautica/cat21314075/index.html
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2008/02/post_e7fb.html
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2007/07/post_081e.html
http://akatonbo-jp.cocolog-nifty.com/jo/2004/07/post.html
ここのブログ主は、研究熱心で広い視点で歴史を語られる。
百々幸雄氏の「生体計測値」「HLA遺伝子」からの見解で、
主力日本人の形成は、弥生〜古墳時代の大量渡来に由来する。
主力日本人は、アイヌ人とはかなり離れており、むしろ韓国人・
華北人・モンゴル人らにより近い。
HLA遺伝子では日本の中の地域差があり、ブログ主さんは、
西日本≒モンゴル系 東日本≒ツングース系と云われるけど、
北九州〜山陽〜近畿は、黄海勢力の鮮卑、百済、伽耶系で
四隅突出墳の山陰〜北陸、日本海側から関東にかけては、高句麗、
新羅、伽耶系じゃとわしは思う。
縄文系の先住民や弥生期の列島倭人は家畜飼育民がもたらす疫病で
ほとんど絶滅したんじゃないか。最後のブログで縄文文明派の
安田氏は古墳期の疫病で国民の半数は死ぬと少なめに書いて
おられるが。家畜免疫があった華北でも人口激減じゃけぇ、
家畜免疫がない列島の住民は、云うまでもないのう。


107 :出土地不明:2009/08/03(月) 15:16:21 ID:wyRHcrUq
>>101でもそれだと「文化・文明的な元祖」はわかるけど、日本人の外見を
形成した人類集団は不明のままなのでは・・?

108 :出土地不明:2009/08/03(月) 15:18:27 ID:wyRHcrUq
弥生・古墳時代って三国志と同時代ですな

109 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/03(月) 15:29:37 ID:Aezx3zAA
>>106
一番下は、
http://akatonbo-jo.cocolog-nifty.com/jo/2004/07/post.html
じゃったか。安田喜憲氏の文明論は電波じゃが、気候変動と民族移動、
疫病と環境変化だけ語ったらまともなんじゃがのう。
ほいで、政治的思惑で書かれた『日本書紀』より『風土記』のほうが、
地域の実態を描いとるけぇのう。殺戮に奴隷化、疫病よ。
左翼史観の渡来人と先住民が仲良く暮らしました。云うわけにゃあ
いかんよ。出雲の大国主命が北陸の越(高志)のオロチを征伐した時
にゃあ、牛に乗って現地民を平定した。結核菌をもたらす牛で遠征
たぁのう。北陸は縄文期からヒスイの産地ゆえ、渡来系出雲は越を
侵攻して、ヒスイを新羅や百済に売ったら儲かるけんのう。

110 :出土地不明:2009/08/03(月) 15:56:54 ID:t4xxhil3
mt-DNAでは日本と大陸、半島で大きな差異がないけれど、
Y-DNAでは、とりわけDの割合において非常に大きな差異がある、
というのは、前から指摘されていることです。

これは歴史考古学的知識を無視すると、
大陸、半島と大差ない民族構成のところにDの男性が侵入した状態に見える。

この点については、どういうふうに考えられているのでしょうか。

(a)
Dが列島に入ったのは、DやOの発生順序に従い、Dのほうがかなり古い。
Dが主流のところに、O系統が長期的に少しずつ入って文化を伝えたため、
Oの文化的優位ほどにはDが駆逐されることはなかった。
大陸、半島では地続きなので、Dは駆逐されてしまった。

(b)
D基層でOがあとからは同じだが、
いったんOが関東付近まで平野部を席捲したのち、
平安末から鎌倉、室町等の戦乱により、Dが巻き返した。

(c)
C基層の人口希薄状態のところに、OとDがまざった状態で列島に入ってきた。

(d)
大陸でDは揚子江一帯にいたが、その中流域にOが割り込む形で入った。
そのとき下流から逃げ出したDが日本に来た。
その後下流を占めたO2は、更にあとから来たO3に追い立てられた。

などと、いろいろ考えられますが。

111 :出土地不明:2009/08/03(月) 18:54:14 ID:lwyvJdqw
>>96
貝紋人(貝紋縄文人)というのはY染色体のC1にあたりますよね。
C1および、同じ海洋民で近縁のC2(ポリネシア人に顕著)と一緒に見てみると、
mtDNAのB系統がY-DNAのC1&C2との対応が大変強いのが判って興味深いですね。

mtDNAではQやC3のY-DNAと違って、B系統がアメリカ先住民にも少なからずあるので、
初期に米州に渡って広まったようですね。なかなか凄いなと思う。
日本人のB系統は13.6%なので、母系のほうが貝紋人の血がやや濃く残っているっぽい。


112 :出土地不明:2009/08/03(月) 18:58:28 ID:6tvABfu8
>>106
>旧石器捏造を煽りよった歴博の

そんなこと言い続けてる限り永遠にお前は日本人に同化できない


113 :62:2009/08/03(月) 19:07:03 ID:lwyvJdqw
ある意味D系統の縄文系・ヒマラヤ系以上に、(Y-DNAでは)C1とC2系統の海洋民は、
母系に比べて父系でのDNAをあんまり多く残せてないっぽいですね。

ポリネシアンに次いでmtDNAのB系統が多い台湾とか中国南部でも、
Y-DNAでは完全に大陸系のO3が圧倒的に多くなってる。

114 :出土地不明:2009/08/03(月) 19:14:39 ID:z29tCGko
偉大な嘘つき科学者ファンウソックを生んだ、
朝鮮人のいうことなど、だれも信用せんわ。

115 :出土地不明:2009/08/03(月) 19:15:45 ID:6tvABfu8
>>110
Dは日本でD2を生んだぐらいだし、しかも周辺地域で絶滅しており現代人のサンプルでは系統をたどれないので、
かなり古い

最初に東アジアに浸入した人類とは、海岸沿いに南米まで驀進した未分化人種であり、その生き残りであるアンダマン人がDである。
こういうことから、Dと海岸系人類とはリンクできるので、日本に最初定住した海岸系人類=D



次に、古い遺伝子はC。Cは南太平洋と満州に目立つ。ということは、人類が緯度経度で分化する以前の遺伝子だったということ。
未分化のゴッドファーザーである海岸系から「南太平洋と満州」を鳥瞰すると、Cは海岸(D支配)から少し移動した人類集団と言える。
つまり、古代人類が集中していた海岸でCはDに駆逐されたと言える。日本列島にいるCは駆逐されなかった生き残り。
日本列島でCがDの4分の1おり、満州でCのみ見られるという事実はこの仮説を補強するものだ。




Oは、東アジア内陸部で強く、海岸や西洋に行くにつれ薄れている。
ゆえに、Cな人類よりも更に進んで、かなり内陸まで大河をさかのぼった集団の間で主流だったのがO。
よって、現代では日本やチベットなどの辺境にもOが見られることは
・海岸で駆逐されなかったO
・内陸で人口増加して還流したO
の2点が考えられる。

しかし、東西南北全ての辺境でOが見られるので、こういったOの主流は後者と言える。
以上より、日本列島のOは東アジア内陸部から膨張してきたものだと言える。



日本列島に視野を絞ると、
C & D → c & D → c & D & O → c & d & Oという変遷が見て取れる。
ちなみに、NはOの北方版と考えてください。

116 :出土地不明:2009/08/03(月) 19:37:48 ID:uRTjP+1m
>>106
お前って何でソースにいつもブログ出してくるのだろうなw

mtDNAで半島や華北と近い事は誰でも知ってるよ。
そういうお前がY染色体での男系祖先を認めないのは意図的なんだろw

117 :出土地不明:2009/08/03(月) 20:00:56 ID:6tvABfu8
自分のブログを2chの関連板で論争にまぎれて宣伝

118 :出土地不明:2009/08/03(月) 20:05:14 ID:fpUSH2wO
アメリカ先住民の由来を形態的に分析した論文では、
アメリカ先住民とアイヌ人や縄文人は似ており、一回目の移民は縄文人に似た人種が、
アメリカに移民したと結論している(Brace et al,2001, PNAS,98:10017)。

119 :52:2009/08/03(月) 22:09:47 ID:LDTa4l7c
ちと、調べたので、参考までに。

「仮に、渡来人が結核菌を保有しており、結核菌を保有していないすべての在来人に接触したと
する。通常感染の成立は、30%弱と言われており、その内の約10パーセントが発症するという。
で、発症した結核患者が治療しない場合、約50%が死に至るとされている。
ということは、在来人が結核菌によって死に至るのは、たった1.5%に過ぎないということになる。
で、仮にすべての在来人に感染したとしても、発症して死に至るケースは約5%ということになる。」

120 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/03(月) 22:46:37 ID:Aezx3zAA
>>107-108
日本人の外見を形成したんは、北東アジアの新モンゴロイド。
三国志の時代は、日本の弥生末期。その前に黄巾の乱から人口減少が
起こった。岡田英弘氏は戸口の人口推計から魏の時代は後漢の十分の一にも
足りないとされる。まあ、流民全てを把握したわけで無いけぇ、鵜呑みに
出来んが大幅な人口減少傾向にはあったろう。こうして真空状態になった
華北は北方や西方から五胡が移住し、鮮卑が北朝を造り隋、唐となるん
じゃが、タイ語系の要素が強い元来の漢族の言葉がお互いに出身を異にする
トルコ・モンゴル・チベット等の諸族が共通のコミュニケーションの
手段として訛りの強い漢語を使うた。従来のタイ系言語の漢語よりも
アルタイ語化した漢語になり、華北の住民は漢時代の漢族の子孫で無く、
漢化した北方・西方民族の子孫が主流となった。
黄巾の乱と同時代現象で日本列島では倭国大乱の時代で列島倭人も
人口を大幅に減らしたであろう。そして五胡や西洋のゲルマンと同様、
世界的民族移動の時代は日本では古墳期になる。日本列島も列島倭人や
縄文系先住民は人口を大幅に減らし、お互いに出身を異にする北方諸民族が
本土日本人の主流となった。
http://blogs.yahoo.co.jp/binbonet/40661248.html
安田善憲氏が古墳寒冷期の民族移動と云われる時代の現象。
日本の古墳期以前の先住民は家畜疫病に免疫が無く、東日本に多い混血
線限り、ほぼ絶滅状態になったろう。かすかな痕跡が人種起源に精度が
低いY染色体やGM遺伝子に残された程度となった。

121 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/03(月) 23:29:40 ID:Aezx3zAA
>>110
mtDNAのほうが、いつ滅ぶか解らんY染色体より精度が高いですけんのう。
鎌倉・室町時代のY染色体でDが増えた根拠でもあるんですか?
そもそも、精度の低いY染色体の単一遺伝標識じゃあ渡来云々も意味を
なさんでしょう。前スレでも云うたよう、モンゴル系土族にD型が増えても
歴史的に父系は鮮卑、モンゴルでチベット系が父系となる確率は低かった
わけですから。Y染色体のD型なんか、中華世界から辺境の日本やチベットに
残った地域的特徴で、仮に日本人を構成した人種群がそっくり華北に住んで
おったら、日本人からD型なんか消滅しとったでしょう。人種より環境の
問題ですよ。
>>115-117
Y染色体で同一遺伝標識なら海洋系云う生業まで決めてしまうんか?
はぁ、新興宗教じゃのう。縄文系のどこが海洋系なんか?
>>106のブログ主さんは、宮崎じゃろうに。わしゃあ広島のもんど。
>>119
感染データなんか、研究者の主観で数字が変わるよ。脳学者の養老猛氏は、
日本人は数字に弱く、データ数を見だけで疑問や質問をせず鵜呑みに
する傾向を云うておられたが、感染例も原因選択によって%が変わる
わけじゃ。つまり研究者の神の手で。じゃけぇあんたも旧石器捏造の時は
発覚するまで扇動した部類の人間なんじゃろうのう。
実際新大陸の原住民は少数派になっとるし、あんたぁ歴史的実例から
判断せにゃあ根拠に成らんことさえ、解っとらんお馬鹿さんじゃけぇのう。
机上の空論を羅列しても意味はないど。

122 :52:2009/08/03(月) 23:31:21 ID:LDTa4l7c
>>119
ちと、追記。

「当然、渡来人が結核菌を保有していたとするならば、既感染者なのであり、渡来人の発病する
確率は、一生の内に約10%、そして、その約半数が死に至るということになる。」

123 :52:2009/08/03(月) 23:35:30 ID:LDTa4l7c
>>121
>机上の空論を羅列しても意味はないど
ww、いや研究者のデータでなく、臨床データなんですけどw

124 :出土地不明:2009/08/03(月) 23:44:07 ID:wyRHcrUq
>>120なるほど。ちなみによく言われる「支那では戦争が起きると人口が70%くらい
減る」という話は単に中央政府が壊滅して人口把握が出来なくなるだけという説があります。

125 :出土地不明:2009/08/04(火) 00:08:11 ID:bFDBx4oi
>>120
Y染色体が意味がないと言いながら、

> 仮に日本人を構成した人種群がそっくり華北に住んで
> おったら、日本人からD型なんか消滅しとったでしょう。

とのように言われるのは矛盾ではないか?
Y染色体がD型であることがあまり意味がないなら、どうしてD2が選択的に消滅するの?
例えばだが、C3の種族とD2の種族が混血してO3の種族になるとかありえないからw

D2古代日本人が華北にいたらあなたの言うように絶滅したと仮定して、
実際の歴史では、海に隔てられた日本列島では北から南まで縄文人の血は主流として残っている。
白馬はおぞましい「D2縄文人は絶滅してしまえば良かった」という願望を書いているだけじゃね?


126 :125:2009/08/04(火) 00:09:23 ID:bFDBx4oi
ごめん120ではなく >121へのレスです。

127 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/04(火) 00:14:59 ID:qZqcc4Hl
>>122-123
臨床データ云うて誰の?しかも臨床した個人によって数値が同一な
根拠も薄いけぇ、違う人の臨床データ数値も出さにゃあのう。
それ以前に古墳期の臨床データなんか無いのに、空理空論を重ねても
意味があるまぁで。歴史的実例から経験上しか語れん問題を
観念論に還元しよるのう。
>>124
中国に限らず、気候と民族移動期は世界的現象よ。
中国内の戦争という人為的な問題に還元しても意味がない。
黄巾の乱以降の人口減少は、杜恕が明帝に「大魏は十州の地を
奄有しているが、住昔の一州の民にも如かない」と
後漢の五千万の人口が三国志の魏の時代には三百六十万に減少した
と、嫌中派の岡田英弘氏の見解じゃが、減少数は兎も角、
人口減少自体は事実じゃ。倭国大乱を経た日本列島も同様じゃろう。

128 :出土地不明:2009/08/04(火) 00:27:57 ID:VjArLsxm
>>121
>mtDNAのほうが、いつ滅ぶか解らんY染色体より精度が高いですけんのう。

おまえ本当のアホだろ。
将来滅ぶかもという意見があるからと言って
それが精度と何の関係あるのだ?

自分の意見に合わないからY染色体を無視したいのじゃと言うのが本音だろ。w

129 :52:2009/08/04(火) 00:32:34 ID:jg0L9noM
>>127
君って、本当に学問のことが分かってないんだね。
例えば、各疾患の病理学的見解について、研究者は臨床データをもとに論文を書くわけ。

で、日本の古代の人骨で発掘された(私の見聞した範囲では)、古墳期以降に結核による特徴の
ある人骨情報は五、六例しかないとされているようであるが、それ以外の例を多数提示してよ。

130 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/04(火) 00:45:16 ID:qZqcc4Hl
>>125
おそらく明日からしばらく留守にするけぇ、ついでに書いとこうか。
遺伝子浮動で、何時選択変化したか解らん単一遺伝標識を
信仰せえ云う方が可笑しいでしょう。
実際の形質人類学でも耳垢の頻度でも渡来系が主流で縄文系は
少数派に過ぎん事実も認識出来んたぁのう。
縄文系が絶滅すれば良かった云うより事実の認識よ。
縄文系の東西佐伯部があった地の広島人のわしが、縄文系撲滅運動
するわけあるまい。古墳期まで広島の瀬戸内側は他の西日本と
違い、佐伯部の影響か縄文形質が主流じゃったよ。近世、現代の
広島人は他の西日本と同様渡来形質が主流じゃけど。
現代でも、少なくとも佐伯部の影響で縄文形質が山口や岡山より
残っとるんは、広島人として嬉しいよ。岡山人は広島人を
蝦夷として馬鹿にするけどのう。広島人にとって佐伯の蝦夷奴隷軍団
も、広島県北部の四隅突出墳の北方高顔の渡来形質の人骨が出たが、
佐伯部と同様広島人の先祖で、瀬戸内沿岸に渡来した鉄人伝承の
渡来系も広島人の先祖じゃ。わしの指紋が縄文系の蹄状紋で
朝鮮渡来の西日本に多い渦状紋と違う処も、縄文系はわしの体に
受け継いでおる。あんたのようなドイツ大陸思想好きな、
ナチスまがいと一緒にすなや。

131 :出土地不明:2009/08/04(火) 01:59:01 ID:jADCGE1h
>>殷王朝は縄文人王朝で有る!!!!!かな?<<

人面付注口器のフタの部分が人面に成ってる処など、偶然とは思えぬ精神性の同一で有る。

ワシントンにあるフリア美術館にある殷の青銅器。「人面?(カ)」
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

『人面注口土器』福田貝塚出土
http://business2.plala.or.jp/azumatw/dai1.htm
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4e/e6470a1845686117fa87f9ac7e26120b.jpg

『人面付注口土器』埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0102.html


132 :125:2009/08/04(火) 08:33:00 ID:bFDBx4oi
>130
西日本がモンゴル東日本がツングースとか電波いってたのは白馬(>106)だろ。
− 西日本住民はアジアで一番A型が多いが、モンゴルはB型が一番多い遊牧民だぜ。 −
− 東日本住民の多くはおまいが好きな形質でも、ツンキーデのような扁平顔とかじゃないが。 −

今度は自分が縄文系認定で、サラリと西日本住民をツンキーデ認定かよ。
東アジアで酒豪DNAが最も多いのは朝鮮人だが、華南やベトナムと並んでアジアで
一番下戸が多いのは(O2系の特徴かもしれない)近畿地方を中心とした西日本。
四国や南九州は酒に強い人も多いが、貝紋人も含んだ縄文人の血が濃く朝鮮人とは似ていない。

俺は近衛文麿も松岡洋介も嫌いだし、銀行中心のギルド的な伝統を受けた固定社会も
あまり好きじゃない。大陸には昔の英国のように一定の距離を置くのが日本にとって賢明。
ナチスの大陸主義が好きなのはおまえだろ。朝鮮とか満州・モンゴルにずっと執着してるじゃん。
昭和の政治的バイアスがかかった同祖論を、21世紀に垂れ流さないでくれ。

133 :出土地不明:2009/08/04(火) 09:48:48 ID:VjArLsxm
>>130
>遺伝子浮動で、何時選択変化したか解らん単一遺伝標識を
>信仰せえ云う方が可笑しいでしょう

まったく意味不明。
自分でも何を言ってるのか理解してないはずだ。
Y染色体は男親から男子に必ず遺伝するが、
ほんの少しだけ変異する。
その変異があるから男系祖先を遡れるという事なんだが。

おまえは意味が分かってて分からないふりしてごまかしてるのだろ?

134 :出土地不明:2009/08/04(火) 10:12:55 ID:VziDId56
993 名前:天之御名無主[] 投稿日:2009/08/04(火) 09:24:05
     日本語  ヘブライ語 朝鮮語
歪む  yugamu   agam    bittur
速い  hayai     haya     ppareuda
外す  hazusu   hazaza    jeoehanda
測る  hakaru    heker    測:cheok
掘る  horu     horer    panda
切る  kiru      kara     jareunda
流れる nagareru  nigar    heureunda
良い  yoi      yae     johda
軽い  karui     kalil     gabyeopda
垂らす tarasu    tala     neureotteurinda
枯れる kareru    karer
拭う   nuguu    nagav
退ける nokeru   nakar
遮る  saegiru    sagar
取る  toru      tol
歩く   aruku     halakh
働かす hatarakasu hatrakha 

135 :出土地不明:2009/08/04(火) 14:23:57 ID:/Z4ymqA0
>>131 人面注口土器はイランにもあるから単なる文化(宗教?)の伝播だろう。

 イランのはイラン人の顔をしている。

136 :出土地不明:2009/08/04(火) 15:24:15 ID:/Z4ymqA0
>>134
日本語 aru,iru,suru,warahu,aruku,kiru,sore ,kore
 英語 are,is ,do ,laugh ,walk, kill,there,here

137 :出土地不明:2009/08/04(火) 15:34:49 ID:4JzxqoW9
>>119
結核で死ぬ確率は栄養状態で決まるんだよ。
意味のない議論だね。

138 :出土地不明:2009/08/04(火) 15:37:07 ID:4JzxqoW9
>>133
こいつまるっきり生物学を理解してないんだよ、
中卒程度と書いただろ。
もう相手するだけ馬鹿馬鹿しい。


139 :出土地不明:2009/08/04(火) 19:23:22 ID:lVZwSBek
>>133
>>>130
>>遺伝子浮動で、何時選択変化したか解らん単一遺伝標識を
>>信仰せえ云う方が可笑しいでしょう

>まったく意味不明。
>自分でも何を言ってるのか理解してないはずだ。
>Y染色体は男親から男子に必ず遺伝するが、
>ほんの少しだけ変異する。
>その変異があるから男系祖先を遡れるという事なんだが。

>>遺伝子浮動で、何時選択変化したか解らん単一遺伝標識
というのは、恐らく、例えばY-DNAなら男系子孫が偶然を含む
いろんな作用で特定タイプが多数になるということを言っているのだと思うが、
その元ネタで断わってた思うが「少人数集団」の場合は問題にする価値があると思うが、
日本人全体とかではそれほど気にしなくていいはず。

なお、同じく遺伝するHLAがどうして世界的にmtやYほど注目されないかと考えるに、
発生過程の遺伝子組み換えでランダムに組み替えられるので、
系統をたどることが事実上不可能である。
そのため、それほど魅力的な対象ではないと判断されているからだろうと思う。

>Y染色体は男親から男子に必ず遺伝するが、
>ほんの少しだけ変異する。
男親から子供に遺伝する際に(ほとんどの場合、あるいは必ず)変異する
と言いたいなら、明確に誤り。
Y染色体も遺伝子である以上、ほかの遺伝子と同じく、
ほとんどの場合、変異しない。ごく稀に変異する(突然変異)。
つまり、数百年、千年、万年単位ではどんどん変化していくが、
数世代では変化はない。

だからこそ、限られた数のDNA中の、変異があっても個体に影響がほとんどないという
限られた部分の変異を調べることによって、系統をたどることができる。

140 :出土地不明:2009/08/04(火) 20:26:56 ID:pP70lMdq
>>殷王朝は縄文人王朝で有る!!!!!かな?<<

人面付注口器のフタの部分が人面に成ってる処など、偶然とは思えぬ精神性の同一で有る。

ワシントンにあるフリア美術館にある殷の青銅器。「人面?(カ)」
http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

『人面注口土器』福田貝塚出土
http://business2.plala.or.jp/azumatw/dai1.htm
http://blogimg.goo.ne.jp/user_image/28/4e/e6470a1845686117fa87f9ac7e26120b.jpg

『人面付注口土器』埼玉県埋蔵文化財調査事業団
http://www.museum.spec.ed.jp/monoshiri/stock/maibun/ma0102.html


141 :出土地不明:2009/08/04(火) 20:35:19 ID:hbHDSVkC
>>135>>140.....殷の青銅器。「人面禾皿(カ)」と同じ髪型だよ。

http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,eCR-CJ,bT,hT,uaHR0cDovL3d3dy5uaXBpYy5jb20vc2hvdy80Lzc5LzE5M2VlM2EzOGQyN2I4MTYuaHRtbA==,qlang=ja|for=0|sp=-5|fs=100%|fb=0|fi=0|fc=FF0000|db=T|eid=CR-EJ,

http://kouko.bird-mus.abiko.chiba.jp/main/kofun/k1otoko3.jpg

http://www.ne.jp/asahi/hao/egg/haniwa/honjo/haniwa1.jpg

http://matsuoshika.img.jugem.jp/20070202_21042.JPG


142 :52:2009/08/04(火) 21:27:06 ID:Yfmvazlp
>>137
栄養状態で致死率が決まると言うのであれば、結核を発症したすべての在来人が、
栄養不良あるいは栄養失調で致死率100%であったとしても、在来人全体の致死率
はそれでも約10%程度ということになりますね。
ということは、意味はなくても、ある程度の目安にはなりますね。

143 :LUNAMASK:2009/08/04(火) 21:35:08 ID:bnIaWjvi
一昨日夜のNHKストーンヘンジの謎、イギリスのソールズベリ地方のものだが、日本の
伊勢遺跡を思わせるウッド・ヘンジ、新石器から青銅器、鉄器時代へ世界が移ろう中で
黄泉の世界から始まり、盆・正月・彼岸における先祖供養を確立していることは仏典の
西方浄土を思わす遺跡であることがよくわかった。その起源についてはナイル西方の
サハラ砂漠との関係も考えられ日本に流入した文化の起源の奥深さを改めて思い知ら
された。これを日本に持ち込んだのは新羅・九州経由古墳・白鳳時代に日本に入った
月氏・パジリク文化に他ならないと思う。

144 :52:2009/08/04(火) 21:49:19 ID:Yfmvazlp
>>142
ちと、文中に追記。
在来人全体の致死率はそれでも約10%程度ということになりますね。
 ↓
"そして、在来人すべてが感染していたと仮定しても"、在来人全体の致死率はそれでも約10%
程度ということになりますね。

145 :LUNAMASK:2009/08/04(火) 22:01:46 ID:bnIaWjvi
>>143
http://www.english-heritage.org.uk/stonehengeinteractivemap/timeline/index.html
ブリテン島においてストーンヘンジ巨石文化が終焉を迎えるころ、インドと朝鮮半島
において始まる支石墓・甕棺文化は巨石文化のサブシステムであったと考える。
これを仲介したがカラスク・パジリク・月氏であったのであろう。

146 :出土地不明:2009/08/05(水) 12:57:57 ID:gOAKrwB8
287 名前:出土地不明 :2009/08/05(水) 12:26:36 ID:gOAKrwB8
じゃあ何で「カ」(禾の下に皿)という器種自体が伝わっていない?

足を見てみろ。

何で「環足」が伝わっていない?

何でその青銅人面の体を飾っている「雷文」が伝わっていない?

人面土器は世界中から出ていて、それだけでは全く証拠にならん。

147 :出土地不明:2009/08/05(水) 13:02:18 ID:BfEWzMUi
>>142
君の出したデータは栄養豊富な現代人によるものだから、
劣悪な栄養状態の縄文人には適用できないと言うことだよ。
感染力も毒性もね。
も一つおまけにインフルエンザでも判るように、
毒性の強い感染菌は弱くなる方向に進化する(それが生存・拡散に有利だから)
従って2千年も前の結核菌と現代の結核菌の感染力・毒性が同じな筈が無い。
勿論ヒトもね。

148 :出土地不明:2009/08/05(水) 20:45:49 ID:O6ragXGR
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

149 :出土地不明:2009/08/05(水) 20:48:18 ID:O6ragXGR
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

150 :出土地不明:2009/08/05(水) 20:50:23 ID:O6ragXGR



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!




151 :52:2009/08/05(水) 22:16:17 ID:R29oaXjO
>>147
先ず、>142>144のレスでは、感染率、致死率ではなく発症率に重点を置いて述べていると
いうことをご確認頂きたい。その上で、

>劣悪な栄養状態の縄文人には適用できないと言うことだよ。
あの。。、古墳期の話なんですけど。縄文形質を帯びている古墳人のことなら、
古墳期は、それほど劣悪な栄養状態ではないと考えられますけど。それと、仮に縄文
文化を継承している古墳期の縄文人が劣悪な栄養状態であったとしても少数でしょ。
ちなみに、縄文時代は、以下↓
『縄文時代人骨では、感染症の有無等について多くを語ることはできない。それは、結核などの
感染症に罹患している個体が縄文時代では確認されていないからである。』
"縄文時代の考古学10" 「人と社会」[縄文時代人の疾病] 谷畑美帆著より一部抜粋

>も一つおまけにインフルエンザでも判るように、 毒性の強い感染菌は弱くなる方向に進化する
>従って2千年も前の結核菌と現代の結核菌の感染力・毒性が同じな筈が無い。 勿論ヒトもね
インフルエンザはウイルスですよね、結核菌はウイルスではなく細菌類ですよね。細菌類は基本的
にあまり変化しないのでは。一般的に、結核菌は、今も昔もあまり変わらないと思います。
もし、基本的なものが変化していたら、5000年前のものと思われるエジプトのミイラから結核菌
を発見できないと思います。そしてヒトはヒトである限り、(現在、人種間での感染・発症・致死率の
差異はあまり見られない)病原体に対する、ヒトの生体防御システムは、あまり変わっていないと思
いますが。

故に、私は発症率に関しては、目安になると考えています。

152 :出土地不明:2009/08/06(木) 03:45:42 ID:RY6XGMmE
よく他人の言うこと鵜呑みにして物事考えられるよな…

153 :出土地不明:2009/08/06(木) 10:16:03 ID:+/yVamyg
>>151
> 菌類は基本的
> にあまり変化しないのでは

O157とか抗生物質耐性を有した結核菌とかいくらでも例はあるだろ

154 :出土地不明:2009/08/06(木) 11:18:53 ID:r0mmd/Qk
なぁ、
いろいろなところから来た人たちが
日本の気候風土にあった生活を何千年かして日本人が成立したと思う

155 :出土地不明:2009/08/06(木) 13:34:05 ID:WW0A+HRU
>>154 日本の気候風土は東北と九州・四国では全然違うが、よく日本人という同一民族が成立したものだな。


156 :出土地不明:2009/08/06(木) 13:37:05 ID:pr6hFPBL
>>146
「ののの」の字状の模様両方に有るが見えないか??

髪型も同じ様に見えるが。

(おまけ)
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/006_1tairiku_karano_toraibunnka.html


157 :出土地不明:2009/08/06(木) 20:12:15 ID:/oLocWLL
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

158 :出土地不明:2009/08/06(木) 20:15:31 ID:/oLocWLL
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

159 :出土地不明:2009/08/06(木) 20:17:37 ID:/oLocWLL
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

160 :出土地不明:2009/08/06(木) 20:22:51 ID:Cv/TAed3
歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う習俗。
現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布しているほか、フィリピンや
インドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本においても、歌垣の風習が民衆の間で
広く行われていたことが『万葉集』などによりうかがうことができる。

古代日本における歌垣は、特定の日時と場所に老若男女が集会し、共同飲食しながら歌を
掛け合う行事であり、性の解放を伴っていたとされる。語源は「歌掛き(懸き)」であり、東国
方言の「かがい(?歌)」も「懸け合い」に由来すると考えられている。時期としては春秋に行われ、
生産の予祝・感謝としての性格を持っていたとされる。場所は、山頂、海浜、川、そして市など、
境界性を帯びた地が多く、常陸筑波山、同童子女松原、肥前杵島岳、摂津歌垣山、大和海石榴市、
同軽市などの例がある。

奈良時代に入ると、中国(唐)から伝来した踏歌と合流し、宮廷芸能の一つとなった。
天平6年(734年)2月には平城京朱雀門で、宝亀元年(770年)3月には河内由義宮で歌垣が
開催され、それぞれ貴族・帰化氏族が二百数十名参加する大規模なショーであった。

歌垣はその後の歌合、連歌に影響を及ぼしたとされている。現代にも歌垣の残存は見られ、
沖縄の毛遊び(もうあしび)に歌垣の要素が強く認められるほか、福島県会津地方のウタゲイや
秋田県仙北地方の掛唄にも歌垣の遺風が見られる。

歌垣と同様の風習は、中国南部からインドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在する。
このことから、古代日本の文化は、東南アジアから中国南部にかけての地域と、一体の文化圏を
築いていたという見方もある(照葉樹林文化論など)。


やはりインドネシア、中国南部からってことだな


161 :52:2009/08/06(木) 21:06:06 ID:PEeFMoo5
>>153
>O157とか抗生物質耐性を有した結核菌とかいくらでも例はあるだろ
それでは、文中に追記しましょう。
「細菌類は基本的にあまり変化しないのでは。」
 ↓
「"ウイルスと細菌類を比較すると"、細菌類は基本的にあまり変化しないのでは。」

で、薬剤耐性に関連する結核菌の突然変異の話なのですが、その変異はただ単に
結核菌が種の生存のために薬剤(抗生剤)に耐性を持った、簡潔に言えば、現存する
薬剤が結核菌に効かなくなったというだけの話であり、結核菌"自体"の感染力や毒性
とはあまり関係ないと思いますが。それとも"薬剤耐性に伴って"、著しい毒性変化が
起きたという臨床データか何かあるの?

「世界最古とみられる結核の痕跡がイスラエル沖に埋まっていた9,000年前の人骨から発見された。
今回の発見はこれまで考えられていた結核の起源を3,000年ほど遡るもので、更に遺伝子を調査し
た結果、人骨がヒト由来の結核に感染していたことが判明した。これにより、ヒト型結核菌は動物が
家畜化される中でウシ型結核菌から進化してできたというこれまでの仮説に反し、実際の感染系は
ヒト病原体であったことが証明されたことになる。」デイリーウォッチャーHPより抜粋↓
http://crds.jst.go.jp/watcher/data/535-001.html

発見された古代の結核菌遺伝子は現存する結核菌遺伝子と照合したわけですよね。
でなければ、発見された古代の結核菌は、発見できないでしょ。
ということは、結核菌に関しては、基本的にあまり変わってないと言えるのでは。

ちと、スレチなので、以上で、52のレスを終了します。

162 :出土地不明:2009/08/06(木) 21:48:07 ID:WW0A+HRU
>>158 日本にはアリランは伝わっていない。


163 :出土地不明:2009/08/06(木) 21:49:56 ID:jYNSzJJ1
発掘ってそんなものまでわかるのか。すげえなあ

164 :出土地不明:2009/08/07(金) 01:55:17 ID:dvRC5tYH
>>156
>此れが学問的に検証され公開されれば確実だね。勇気ある考古学者出て来イヤー!!

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...


165 :出土地不明:2009/08/07(金) 09:09:38 ID:D831iMW7
>>164
こういうのもある

日本に伝播 青銅器、商・西周と共通点 特殊な鉛含有

 新井氏は、青銅器材料に含まれる微量の鉛を測る鉛同位体比法により、日中の青銅器計約3000個のデータを解析。
弥生関連の1052個を鉛同位体の比率の違いに注目して分類、共通点を探った。
 その結果、弥生前期末から中期初めのものとされる青銅器は、
中国最古の王朝とされる商(殷、前17〜11世紀)や西周(前12〜8世紀)の時代に
多く見られる青銅器と、鉛同位体比が一致することが判明した。
鉛の種類としては極めて特殊なものが含まれていたという。

 弥生時代については、国立歴史民俗博物館(歴博)が4年前、放射性炭素年代測定による分析の結果、
弥生期の幕開けは紀元前10世紀へさかのぼる−と発表して話題を集めた。
従来の定説では、日本へ青銅器が初めて流入したのは、前250〜200年。
遡上説をとる歴博によると前370年ごろ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071202-00000904-san-soci

166 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/07(金) 14:11:15 ID:wCyJn1h6
>>132
>>106のブログ主さんの意見と多少違うて、わしは西日本にトルコ、
モンゴル的要素があっても、西日本も基本的にツングースじゃと考える。
ツングースが扁平顔?ツングースは人種概念じゃないど。
北ツングースと南ツングースでは容貌の違うし、ツングースもモンゴルも
北へ行くほど扁平な顔が増えてくる。
朝鮮人の容貌に似とるんは、近畿・中国・北九州地方じゃが、
南九州は儒教の影響で気質が最も朝鮮人に似とるよ。
まあ、篠田謙一氏のmtDNAじゃあ縄文人も朝鮮、遼寧、山東の近隣民族に
近い。形質人類学でも朝鮮南部は縄文形質じゃったし、縄文人も多くは
朝鮮半島経由で渡来したんじゃ。航海の軸線から当然のことじゃ。
他は時計回りの樺太経由の二つしか日本への渡来ルートは無いんで。
イギリス人は、デンマーク、西北ドイツからの渡来人じゃが、
イギリス人とドイツ人は人種は近いが、気質や民族は違う。
日本人も朝鮮人と人種は近いが、気質は薩摩人は兎も角、民族は違う。
それだけのことを、あんたはナチス大陸思考で朝鮮人を別人種のように
工作したいんじゃろうが、近隣と人種が遠い例は世界的にも無い。
近隣民族を憎悪する大陸思想、攘夷思想が好きじゃのう。

167 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/07(金) 15:02:29 ID:wCyJn1h6
>>129-142
誰の臨床した結果なんかまだ挙げれんのんか。
出土人骨からは、骨に現われん結核例は含まれとるまい。
世界的に疫病で滅びかけた例が普遍的現実じゃ。10%減少云う数字の根拠は
何なら?
>>151
劣悪な栄養環境で弥生人骨にも飢餓線があるし、飢餓は20世紀前半の
東北でも深刻じゃったけぇ、時代の違いはないが、採集狩猟の縄文人が
一番餓死に近い存在じゃ。古墳期は寒冷期じゃけえ、相当餓死者も
多かったろう。発症率たぁ、実際に他民族との接触で人口を減らす
先住民との関係を視ることじゃ。今でもアマゾンの先住民と接触する
にゃあ、予防注射せにゃあいけん。あんた空理空論が好きじゃのう。


168 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/07(金) 15:16:38 ID:wCyJn1h6
>>139
Yやmtは、一元的系統論じゃけぇ、一神教の学者が聖書伝説から出た
思想背景から多用するだけのことよ。HLAは多元起源論になるけぇのう。
ほんま、Y染色体カルトは視点を狭めて妄想するんが好きじゃわい。

169 :出土地不明:2009/08/07(金) 21:17:59 ID:Vj+4N9mc
158 名前:出土地不明 :2009/08/07(金) 21:16:11 ID:Vj+4N9mc
鉄器の登場は弥生早期だから何の矛盾もないけど何か?


>鉄器の初現は弥生時代早期とされ、弥生時代中期前半までには北部九州で工具を中心に
>一般化し、後期以降に西日本全域に拡散するとともに、武器や農具としても採用される
>ようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3#cite_ref-10

年表
http://bbs.jinruisi.net/blog/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%AE%9F%E5%B9%B4%E4%BB%A3.jpg


それとトウテツ紋様の土器片というのを聞いた事が無いんだが、どこの遺跡?で、そのソースは?

もしかして広田遺跡の貝符の事なら、あれは怪獣の顔たるトウテツ文とは全然異なる
ただの幾何学文様の浮き彫りだぜ。よく見てみなw


◆広田遺跡の貝符
http://www.kyuhaku.com/pr/exhibition/images/s_04/p02.jpg


それと大分秋葉遺跡の鬲型土器は例の青森の鬲型土器と全く同じ。

中国鬲とは製法が異なる足が後付けの北朝鮮の豆満江あたりから輸入された鬲型土器なだけ。

何で一基しか無いのか、何で福岡や佐賀の弥生遺構の中心地に無いのか、

その点をよーく考えような江南ベトナム顔台湾土人くんwwww


170 :出土地不明:2009/08/07(金) 23:10:51 ID:Twulua+d
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

171 :出土地不明:2009/08/07(金) 23:11:38 ID:Twulua+d
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

172 :出土地不明:2009/08/08(土) 00:31:52 ID:/UY/0NN1
 ● 殷・周の貝貨.....宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。
http://homepage3.nifty.com/~sirakawa/Coin/A005.htm
貝貨 15-21mm 0.5-2.0g
  中国では新石器時代の晩期の紀元前30世紀ころから、墓地に宝貝が埋葬されています。
  宝貝は中国の沿岸では採れず、もっとも近くても琉球諸島かベトナムです。はるか海上
の道を伝って運ばれたものです。宝貝の裏面は丁寧に削り取っています。
  殷王朝[下の地図@]の末期から西周王朝の末期にかけて、王や王族が家臣に宝貝を
下賜した記録が残されています。
  西周第5代の天子穆公は、治世13年(紀元前989年)6月6日、西域の赤烏の王に、
  墨車4輌、黄金40鎰(800両)、貝帯50、朱薬300嚢
を下賜したとの言い伝えがあります。
  柳田国男さんは『海上の道』の中で、琉球諸島の宝貝が殷王朝に供給された可能性を
強調されています。


173 :出土地不明:2009/08/08(土) 02:21:11 ID:9B+TkngX
>>164-165ほうほう、面白い記事ですな。ところで「トウテツ」は古代の
よみで「トウゴ」と発音したらしい。英語の「タイガー」と似ていることから
太鼓の支那世界とコーカソイド文明(印欧語族文明)との接点を感じることが
出来るという。

>>166
>南九州は朝鮮人と気質が同じ
ワロタw

174 :出土地不明:2009/08/08(土) 13:00:13 ID:IJyaKlte
>>166
>南九州は朝鮮人と気質が同じ

・・・鹿児島人にフアビョンがあるのか?


175 :出土地不明:2009/08/08(土) 14:22:01 ID:mcvewVID
インドネシアの少数民族、ハングルを公式文字に採用
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/news/1249559289/
>インドネシアのスラウェシ州ブトン島のバウバウ市で、少数民族のチアチア族の母語表記のための文字として採用した。
>韓国の訓民正音学会が6日に発表した。チアチア族の人口は約6万人。チアチア語にはこれまで、文字がなかった。

古代日本人も独自の日本言語を使っていたが、文字を持っていなかった
やはり、南方系海洋民族と古代日本人は祖先が同じなんだな

176 :出土地不明:2009/08/08(土) 16:09:17 ID:RM/08FXq
>>172
子安貝は西日本の太平洋側以南に居るんだから、

現在で云えば海岸中に金貨が散らばってて、
毎年自然に沸いて出てくる様な物かな。

正しく縄文時代から黄金の国ジパングだな、銭がそこ等中に散らばってて。

177 :出土地不明:2009/08/08(土) 16:23:50 ID:hx4W59L5
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

178 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/08(土) 23:07:47 ID:AzoEZBup
>>173-174
http://uub.jp/frm/26300.html
http://www.eonet.ne.jp/~mansonge/mjf/mjf-51.html
http://www.mmjp.or.jp/askanet/rediscover_notempleinkagoshima02.htm
http://koreaphoto.hp.infoseek.co.jp/buddhism.html
一番上のブログに、3月19日(金)12:27:21熊虎さんの日韓海峡編
に、「余談ですが、鹿児島県の「ぼっけもん」気質と、韓国の慶尚
(南・北)道の気質は非常によく似てます。 鹿児島県人を母に
もち、なおかつ慶尚北道で2年半暮らした私の実感ですが、歴史的
つながりを感じさせます。」と、歴史的云うたら、
二番目のブログの(二)の▼秦氏の移住と大隈国の成立(三)の▼
島津氏が継承した新羅の民俗 に、あるよう慶尚道の新羅習俗を
秦氏の大隈移民や島津氏(秦氏・惟宗氏)の新羅美少年崇拝の
花郎道。
三番目のブログは、朱子学王国薩南学派の地、鹿児島の廃仏毀釈で
仁王像の首が斬られとるが、四番目の嫌韓ブログの李朝による
仏像破壊と同様よのう。
鹿児島は古代、中世、近世と朝鮮の特に慶尚道の影響が強い。
鹿児島人と朝鮮人は見栄っ張りで虚勢を張る気質も似とるし、
会津から長州に寝返り、明から清へ寝返る節操の無い行動原理も
似とるよ。

179 :出土地不明:2009/08/09(日) 06:28:52 ID:iQvalS2U
鹿児島は九州で一番YAP+が濃く、顔も美形。

朝鮮はYAP+が無く、顔は東アジア最底辺の醜さ。

180 :出土地不明:2009/08/09(日) 08:14:48 ID:15x0y7JS
韓国デリヘルは美女ばかりなんだがw
おまけに皆、美乳、巨乳だぞ、脚長いしw


181 :出土地不明:2009/08/09(日) 13:32:22 ID:KXQCFYyx
でも日本人を超える事はないなあ。

顔面偏差値が5〜10は落ちる。

味気のない、つまらない顔のブサイクが多いんだよ朝鮮人女は。

182 :62:2009/08/09(日) 13:47:08 ID:QIC0eXbM
>>180
美女の価値観も人それぞれだからそれについてはともかく、
皆が巨乳というのは整形が原因だからだろうね。
普通の女性でも整形が多い国だから不思議ではないが。

寒地適応したツンキーデの特徴として、顔だけでなく寸胴などからだの凹凸が少ない。
また朝鮮人とあと北部中国人は、人類の中でも男女の性差のあらわれが小さいんで
女性の胸とかが小さいのもその一つかもしれない。

183 :出土地不明:2009/08/09(日) 13:57:52 ID:KXQCFYyx
でも朝鮮人は全くツンギーデの顔をしていないんだよ。

目があまり細くないし、顔の彫りもあまり浅くないの。

よっぽど日本人の方がツンギーデ顔をしている人が多いんだよ。

おそらく朝鮮人は朝鮮半島独自に発展したシニーデがベースなんだと
思うね。

184 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/09(日) 15:34:26 ID:ARZ/kuSs
>>179-181
エラが張った容貌の鹿児島顔が美形なんか?
イザベラ・バード女史も、エルヴィン・ベルツ氏も
朝鮮人の容貌を誉めとるよ。西洋人から見たら日本人よりも
朝鮮人の方が美形じゃけんのう。
まあ、北朝鮮の北部地域は、戦前の日本人から観ても、美人の
産地じゃったよ。
>>182
寒冷適応した新モンゴロイドでも、満州や朝鮮北部はベルツ氏の
云われるよう高貴な容貌でコーカソイド似に観られるけぇのう。
日本の公家や西日本に観られる長州型。
>>183
ツングース系は人種概念じゃ無いけぇ、高顔、広顔の北ツングース型
とするが、日本人は高顔、狭顔の南ツングース型の容貌の方が
多いんじゃないか。


185 :出土地不明:2009/08/09(日) 15:49:18 ID:TPHU++QP

???牛っお前のレスうるさい目障り、下に紹介するスレに行け。帰って来るな。????

【漫画・小説等】アニメ漫画速報 /アニメサロン /アニメサロンex /アニメ /アニメ2 /アニメ新作情報
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186 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/09(日) 16:50:32 ID:ARZ/kuSs
>>184
http://books.google.co.jp/books?id=szGT-dJcJRsC&pg=PA141&lpg=R#v=onepage&q=&f=false
補足として、当時順天堂大学の椿宏治氏は、現代人の顔や髭等を
比較した実際的な人類学手法を採られた。
1.頭の長さと幅の関係から
 公家は蒙古族に近い。京都、滋賀、兵庫の人たちは北朝鮮に、
その他の近畿や山陽の人たちは南北朝鮮にほぼ等距離である。
2.顔の幅と高さの関係から
 公家は満州族に最も近く、山陰や粟島(新潟県)もほぼ同じ。
近畿、山陽、北陸、東北(日本海側)は満州族と蒙古の両方にほぼ
等距離である。
3.顔の型から
 公家と満州族はほとんど重なる。やまがた青森は蒙古に近い。
日本海側一帯の人たちは蒙古族と満州族に近い。
 以上のことから、公家を含めた近畿や山陽の人たち、日本海側の
人たちは満州族に近縁である。

187 :182:2009/08/09(日) 17:04:18 ID:QIC0eXbM
>>183
今でもシニーデという言い方が良いかはさておき、
朝鮮には歴史的に支配を受けてきた中国北部系の血も濃いのはそうだね。
それでこの血のほうも男女の性差の小ささを感じさせる。

お○ちん国際比較サイズ PART 8 韓国は最下位
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/korea/1207802676/

中性的っておとなしそうなイメージを抱きがちだが、
どうも男尊女卑につながりやすい。オカマは女に優しくないからな。
上のスレで平均値最大のフランス人は女には優しいわなw


188 :出土地不明:2009/08/09(日) 19:05:38 ID:pBTqqmSy
>>187
吐く罵声牛、カワイソス…。
「ワシは18aあるんじゃ〜」

189 :出土地不明:2009/08/09(日) 20:37:39 ID:GZ3U3VKj
魏志倭人伝には倭人が「断髪」をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





190 :出土地不明:2009/08/09(日) 20:49:27 ID:hVMQ2vGq
>>183
チョソニーデ(朝鮮人種)は公式にシニーデの一派
シニーデ ⊃ ノルドシニーデ ⊃ チョソニーデ

日本には樺太からの浸入、日本海から北陸への渡来がある。

また、奈良・京は政治的に扶余族などと混血して今の色白一重になったと思われる
政治的に扶余族と混血したのは百済・高句麗がそう。

なので、樺太から人口希薄時代にツンギーデが来たぶん、日本のほうが遥かにツンギーデ。
この板の南方派が持ち上げるYハプログループも日本は朝鮮の2倍N(シベリア)がある。

ただし、日本は基層が朝鮮とは全く違う(南方海岸系)

191 :出土地不明:2009/08/10(月) 00:15:09 ID:sI/S5bCe
シニーデというのは「シナ人のような」という意味で、
別にシナ人に限定している訳ではないんだよ。

「眼裂があまり狭くなく、鼻が狭く、彫りが浅くない」という容貌
から朝鮮人はシニーデに分類されているんだと思われ。

まあ、中央モンゴロイド、中央蒙古人種と言明した方がいいかも知れん。

日本には地続き朝鮮半島経由と樺太経由でまず縄文人が形成されて、
朝鮮東岸経由で水田稲作を知って九州北部に入ってきたツンギーデの
沿海州海洋民が日本海沿いに拡散してツンギーデ的要素を帯びた
古モンゴロイドの日本人種が形成された。

192 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/10(月) 00:52:46 ID:m3j5TQdM
>>190
日本の基層が南方系?こがぁな顔か?
http://www.recordchina.co.jp/group/g13043.html
長江人は確かに縄文系とは低顔、広顔の古モンゴロイドで似とるが、
小鼻が張って、胡坐をかいた鼻は華南や台湾に多く、
日本人には少ないんじゃないか。ちなみに>>186の椿宏治氏は、
日本で「南方系要素の顕著な地方は、北関東から福島にかけてと
鹿児島以南。」とされる。
http://fukumimi.exblog.jp/3114438
#2007/09/15では、耳垢の乾型でも最も高い京都で90%、
最も低い栃木県で79%じゃった。北関東の方は南方体質が西日本に
較べると高いが北方系優位は変わらん。

193 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/10(月) 01:25:45 ID:m3j5TQdM
>>192の耳垢の乾型で間違えた。京都は98%で全国平均90%じゃ。
>>191
中央蒙古人種は、チベット〜華北〜南満州が中心で、北蒙古人種は、
ツンギーテじゃのうて、ロシア人の云うエベンキ族に典型な
バイカル型と表現した方が解り易い。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~t_tajima/nenpyo-1/se-0-7b.htm
【アジアの諸人種】よのう。日本は地理的に中央蒙古人種の分派亜種
じゃ。ツングースでも、南満州語群と北方ツングース語群で容貌も
違う。
http://www.recordchina.co.jp/group/g410.html
http://www.recordchina.co.jp/group/g415.html
上は鮮卑の子孫とされるシボ族で鷲鼻の高顔、狭顔傾向にあって
日本の公家顔に近い。下はエベンキ族(オンオク族)で、
生活様式はモンゴル化しとるが、容貌も広顔傾向にあるし、
顔面もより平坦な傾向にある。

194 :出土地不明:2009/08/10(月) 07:34:04 ID:7SPzVt1N
>>192
縄文人≒古代長江人≒ネグリト

長江人≒古代華北人

縄文人≠長江人

195 :出土地不明:2009/08/10(月) 08:13:54 ID:yeSn9XCw
チョンの妄想歴史垂れ流してるヤツは
新発見や他人を否定ばかりする前に、年代や人数も書いたらどうだ?
どうせ、倭人が朝鮮半島南部に住んでいたこと、朝鮮族が新しい民族で
古代半島人とは関係が無いことも否定するんだろ
日本人、中国人の歴史観と掛け離れてるんだよ

196 :出土地不明:2009/08/10(月) 14:06:59 ID:Fx9iVaPu
米兵にレイプされて鼻が高くなったんじゃねーの?=日本人

197 :出土地不明:2009/08/10(月) 14:43:46 ID:2htH0qWq
cige-yo

198 :出土地不明:2009/08/10(月) 15:37:53 ID:DaYnUWtT
5万年前にアフリカからだな

199 :出土地不明:2009/08/10(月) 15:44:46 ID:QOOlctLD
>>196 戦後栄養がよくなって身長が伸びたように、鼻骨も多少伸びただけだろう。

 食い物も硬いものが減って、エラも張らなくなった。


200 :出土地不明:2009/08/10(月) 20:27:36 ID:vMW79w6c
>>193
>日本は地理的に中央蒙古人種の分派亜種じゃ。


あのなあ馬鹿爺さん。

今の華北華中の中央蒙古人種はな、新石器時代の中頃に北方から何者かが
侵入して混成し、面長の形質を獲得して変化してしまったものなの。

決して華北に最初からあった形質集団じゃないんだよ。

それに日本人が中央蒙古人種と分類された事など一度も無い。

それは先住民の段階から列島と大陸で容貌や形質において微妙に違いがあり、
さらに後から北方より侵入した集団にも双方で容貌や形質において微妙な
違いがあって生じた差異から日本人が中央蒙古人種とは分類されないのだよ。

日本も華北と同じく、古モンゴロイドの縄文人が弥生開始期に
北方から何者かが侵入して混成し、北方的形質を獲得して変化して
しまったものなんだよ。

それに日本人の北方的形質は華北人のそれよりも強く顕著に現れている。

日本人より北方的形質が弱い華北人が渡来人としてやって来て、
どうしてそれ以上に北方的形質が強い日本人種が形成されるんだ?

妄想はほどほどにしてくれよ。

201 :出土地不明:2009/08/10(月) 22:24:51 ID:D3/6tOsX
>>183
>朝鮮人は朝鮮半島独自に発展したシニーデがベースなんだ
韓国人は何故、自分が中国系だと言い張るんだろう。
ソフトバンクの孫も結婚する頃は華僑だと言い張ってたよね。
所詮は、ツングースだよ。

202 :182:2009/08/10(月) 22:55:53 ID:MmQX6xEn
朝鮮人が現代の中国北部とある程度似ているのは確かだが、
現代華北人が古代華北人よりも北方系の血の影響が強いってのも大きいね。

日本に渡来した弥生人(O2b・稲作民)は故郷の長江・淮河流域から、
漢民族に完全に同化する直前に日本に来ているんで、
この古代華北人(O3>O2b)の影響でさえもあまり大きくない。

203 :出土地不明:2009/08/10(月) 23:46:53 ID:tyLg/NSL
>>201
>韓国人は何故、自分が中国系だと言い張るんだろう。


おまえってスペシャルど馬鹿?

つか、息を吐くように嘘と狂言しか言わない、
しかも破綻した論理を馬鹿みたいに、執拗に、洗脳的に、
繰り返すだけの低脳ワン人?

まあ、日本人に向かって朝鮮人認定をしているところから見ると
いつもの侵略者で悪の頂点の台湾政府の工作ゴキブリだろうがな。

一体いつどこのだれがシニーデが中国系だと言ったんだ馬鹿。

シニーデとは「シナ人のような」という意味でシナ人に限定されない
とまでわざわざ言ってやってるだろうがこの台湾ゴキブリ。

朝鮮人がいつどこでツンギーデに分類されたんだ?

どこにもそんな馬鹿げた分類ねえだろがこの脳内までウンコ色の台湾土人が。

204 :出土地不明:2009/08/10(月) 23:54:25 ID:tyLg/NSL
>>202
>日本に渡来した弥生人(O2b・稲作民)は故郷の長江・淮河流域から、
>漢民族に完全に同化する直前に日本に来ているんで、


おまえも台湾政府工作部隊員だよな。

だったら、何で弥生開始時の新登場した文物に長江・淮河流域の
中国文物の要素が何一つして伝わっていないのか語ってみろよカス。

205 :出土地不明:2009/08/11(火) 00:03:51 ID:VjfvjG7I
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html

206 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/11(火) 00:45:40 ID:s223O7u4
>>200
今の華北・華中も4世紀以降の世界的北方民族の南下した連中が
主流の可能性が強い。華北は黄巾の乱以降人口減少傾向にあった。
同時代の日本列島でも倭国大乱から人口減少は考慮せにゃあいけん。
日本人は中央蒙古種と石田肇氏も、形質から現代日本人はシベリア
よりも北中国人に近いとされとることをわざとらしゅう無視しても
意味が無いど。
弥生開始期とは、歴博の年代と違い前2世紀の寒冷期に
少数の人間が渡来したと云えるが、古墳期の大量渡来に比べて、
尖兵的存在に過ぎん。
日本人が華北より北方形質が強いんは蒙古襞、瞼の厚さじゃろう。
そがぁなんは人骨に残らんよ。現代日本人の容貌は、朝鮮、
南満州、華北、チベットに近いんが現実じゃ。

207 :出土地不明:2009/08/11(火) 01:01:19 ID:Vrs5VlVc
>>206
誰も日本人種が中央蒙古人種と近くないとは言っていないぞ。

だが、日本人種は中央蒙古人種に分類されていないの。

されているならとっくにされてるハズだろうが。

だが、日本人種が独立した人種として分類されていて、
中央蒙古人種に分類されていないのは、体毛が濃く波状毛が多い
など人種分化以前のコーカソイド的な特徴も多く見られ、
大陸の集団とは明らかに異なる形態の特徴が見られるからなんだよ。

あとの暦博以降の書き込みに対しては全くお話にならないので
今回は取り扱わない。

208 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/11(火) 01:19:22 ID:s223O7u4
>>207
中央蒙古人種の特徴をどう把握するかで分類が違うけんのう。
満州人、蒙古人、朝鮮人は短頭で、長頭の華北人やチベット人と
分類したら、結果も異なる。顔面平坦度を重視では、日本人は、
シベリアよりも、近隣の朝鮮、南満州、南蒙古、華北、チベットに
近い結果になるわけじゃ。
体毛の波状毛は、カムチャッカ型やアムール型にも見られるけぇ、
それだけで日本人種云う概念は成立せんよ。

209 :182:2009/08/11(火) 02:07:37 ID:lQg2JfLe
日本人の基盤の縄文人のDNAは、大陸系DNAとは7万年以上前の
アフリカまで遡らないと共通祖先に辿り着かないから、
>207のとおりで新モンゴロイドの系統と一緒にはできない。

日本人の多くには、満州人・朝鮮人・モンゴル人を典型に新モンゴロイドの諸族に強く見られる
発汗の抑制・小さな体表面積・体毛の退化などの特徴はあまり見られない。

縄文人と混血した弥生人でさえ、新モンゴロイド化が中途半端な種族。
古代の稲作民だから寒冷地には集住できなかった訳で当然だが。


210 :出土地不明:2009/08/11(火) 12:30:19 ID:d4JaklmE
その207だが、俺はな、

弥生渡来人が故郷から伝えた開始時の弥生文物に中国文物の要素が一切
伝わっていないといった、こんな考古学の初歩の初歩も分かっていない
中学生以下の知能レヴェルの、しかも何度言ってやっても記憶しない
知的障害者に渡来人なんか「騙って」欲しくないんだわ。

文物は何もかも渡来時の当時のまま。

器種、器形、文様はソフトだ。

だから永久に変化しない。

もちろんYが間違っているわけではない。

その解釈が間違っているのである。

211 :LUNAMASK:2009/08/11(火) 15:14:27 ID:jXb/eulZ
>>143
日本国家形成は、チルリャテペ・弁辰韓にスキタイ系ユーラシア移動牧畜民が通商基地
を構築したことから、コーカサス北麓、特にマイコープを中心とする、における印欧語族、
特にスキタイ・アーリア拡散開始によく似たのであり、共に、ドルメン・クルガン建設と深く
かかわりあっている。日本の記紀、秦氏等渡来人の文化にはコーカサス北麓を中心とし
て小アジア、中近東、印度に印欧・セム語族の移動遊牧文化が拡散した痕跡を化石的に
とどめたものである。考古学的には九州における地下式横穴墳、地下式板石積石室
墓、土壙墓の配置がコーカサス方面のクルガン形式の配置にとリンクしている。ただ、
時期的に、日本古墳文化は突厥可汗諸国の発展と同時期に始まり、途中で唐の律令
国家を目指した奈良、平安時代もあったが、鎌倉から江戸時代へと続く時代は可汗
(最高軍事権力者=将軍)専制の形を取るにいたった。


212 :LUNAMASK:2009/08/11(火) 15:39:18 ID:jXb/eulZ
しかし、神話・文化にユーラシア西部の影響が大きいことと同時に、九州の支石墓、
地下式石室等の墳墓とは別に、裏日本・畿内に入ってきた四隅突出型墳丘墓・
竪穴積石方式古墳は東胡文化であり、これはミレット農民が満蒙方面から列島に
流れ込んだもので、その子孫の遺伝子が現代にまで多数派として残っているものと
考えられる。

213 :LUNAMASK:2009/08/11(火) 16:13:01 ID:jXb/eulZ
「大仏の目は長さ約1.2mある。そこに菩提僧正の手によって筆が運ばれ、瞳が入れら
れた。この時用いられた筆は現在も正倉院に残っている。この筆には五色の縷が十二
本結びつけられて、聖武太上天皇以下参列者の人々は皆この綱を握った。」
http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/syoumutennounobukkyouseisaku.html
聖武太上天皇はその時、ピラミッド、ストーンヘンジの等の巨石文化の謎がわかって
いたはずである。

214 :出土地不明:2009/08/11(火) 16:28:41 ID:yv4VWBWL

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo023.jpg
これは福岡県のスダレ遺跡から出土した弥生時代の壺です(高さ約40cm)。
その形状から子持ち壺と呼ばれているものですが、用途は不明とされているそうです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo031.jpg
これは古代の南インドの墓から出土したもので、楽器を模した土器です。
副葬品として墓に埋めていたものらしい。大きさはおよそ40cmで、
上の福岡県から出土したものとほぼ同じ大きさです。

http://www6.ocn.ne.jp/~kiyond/tubo011.jpg
これは南インドで今でも実際に祭りで使われている楽器(太鼓の一種)で、
大きさは高さが110cmあるということです。この楽器の存在がなければ、
上に挙げた日本の子持ち壺が楽器か、あるいはそれを模したものであろうと
いうことは判明しなかったと云えます。


215 :出土地不明:2009/08/11(火) 18:01:01 ID:Kb9ShTvp
>>136
英語はドイツのアングロサクソン語が源なので、ヘブライ語のセムハム語から近いし
ヘブライ語が祖語の日本語と英語の古語が似ていてもおかしくないんでは

216 :出土地不明:2009/08/11(火) 22:06:13 ID:RJTBiHmF
>>214 大野晋がタミル人日本渡来説の証拠としてテレビ出演していたやつだな。


217 :182:2009/08/11(火) 23:02:17 ID:lQg2JfLe
>>215
> ヘブライ語が祖語
これはどういうこと?
古典ヘブライ語はカナーン語の影響を受けて成立したらしい。

文化的影響でなく祖語というなら人のルーツを想定してると思うが、
まず日本の弥生系には有史以降のユダヤ人の血(Y染色体J系統・E系統)は全く入っていない。
昔あった失われた10氏族が草原のシルクロードからやってきたみたいな説は、
ツングース渡来や騎馬民族征服王朝説みたいな電波とともに、遺伝子によってありえない。

6万年以前の縄文人(スンダランド人)と元々のセム人種の共通の祖先(DE祖型)が、
アラビア半島南端あたりをホームランドにしていた可能性は高いわけだが、
これは上の話とは全く別なので、取りあえず混同は避けて欲しい。


218 :182:2009/08/11(火) 23:25:13 ID:lQg2JfLe
アシュケナジズ系ユダヤ人 ・・・ J系統42.2%  E系統22.8%
※J1が19.0% J2が23.2%

セファルデイム系ユダヤ人 ・・・ J系統40.5%  E系統30.0%
※J1が11.9% J2が28.6%

以前にLUNAMASKさんが書かれていましたが、カナーン人・フェニキア人のY-DNAはJ系統。

古代フェニキア都市の人骨からも、J2系統が多かったことが判明している。
個人的に海賊種族J2や、沙漠の略奪民が祖先でなくて喜ばしいと思う。


219 :出土地不明:2009/08/11(火) 23:36:18 ID:eVZDQYe+
韓国の遺跡から土笛が出たって聞かないね不思議?後世雅楽の楽器としては有るが。
日本では縄文、弥生遺跡から数多く出土している。

【土笛の歴史】http://images.china.cn/images/108952.jpg
http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/ken.jpg
中国の殷や長江の河姆渡(かぼと)遺跡から約6千年前?(けん)と呼ばれる土笛が発見
され、これが最も古い ...土笛の役割 陶?(とうけん)である土笛は、中国の朝廷の
儀式で使われたものですし、貴族がたしなむ楽器の一部でした........

弥生時代前期の土笛http://www2.wind.ne.jp/ocarina/oca/yayoi.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/ayaragikyoutsuchifue.jpg
http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/isekivisit/ayaragikyou.html
綾羅木郷遺跡(下関市)から弥生土器とともに出土した弥生笛のレプリカ
これも「けん」と同様の方法で音を出します。
縄文時代中期http://www.hi-ho.ne.jp/mizuno/pics/iseki/dofue.jpg
縄文笛http://blog.kodai-bunmei.net/blog/2007/08/000301.html

220 :182:2009/08/11(火) 23:39:00 ID:lQg2JfLe
もし>>134が何万年前もの日本祖語(縄文語)とセムハム祖語の痕跡なら、
それはそれでロマンではありますね。

221 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/12(水) 00:26:15 ID:C4gvAgAV
>>217
江上氏の騎馬民族征服王朝説のどこが電波なんか具体的に
書かにゃあ。あんたの云う遺伝子こそ精度の低い、単一遺伝標識で
あるY染色体で妄想しとる電波じゃないか。
江南慕夏の奴隷根性丸出しの朱子学論者の現代版じゃろうが。

222 :出土地不明:2009/08/12(水) 00:42:29 ID:2LGS+PLg
>>221
おまえは遺伝子の「精度」とやらについて説明してみろ。
出来ないだろボケが。
将来消える云々は精度と関係ないぞ。
いいかげん引っ込めクズ。

223 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/12(水) 01:36:33 ID:C4gvAgAV
>>222
http://gontango.exblog.jp/7104431/
篠田謙一氏の引用ブログじゃが、Y染色体は「この染色体に存在する
遺伝子は70個あまりで、(78なら80近い云う小差はどうでもええ)
遺伝子全体の0,2%にも満たない。Y染色体は、それほど偉くない。」
云われるよう、近隣民族よりアフリカ黒人E型の方が、
日本の縄文系D型に近いじゃの電波論の典型じゃないか。
歴史的事例にも合わんし、まだしも近隣民族と近い、mtDNAや
HLAの方が歴史的事実を表しとるよ。全体の0,2%の単一遺伝標識で
起源が解る云う妄想は電波論じゃのうて何なら?馬鹿らしい。

224 :出土地不明:2009/08/12(水) 01:41:58 ID:2LGS+PLg
>>223
アホか。
「遺伝子全体の0,2%にも満たない。Y染色体は、それほど偉くない」
がなぜ「精度が低い」になるのだ?
その0,2%のY染色体が男子遺伝するかどうかの問題だろが。
全体の0,2%にも満たなから遺伝しないになるのかボケ。
おまえ本当にアホだなw

おいアホ、何とか言えw

225 :出土地不明:2009/08/12(水) 02:25:42 ID:iRGXv4Cr
0,2%以下だろうが以上だろうが精度は変わらないと思うんだが・・

226 :182:2009/08/12(水) 02:55:47 ID:OWzPHcRT
>>223
E系統の中でも西アフリカなどに見られるE1b1aは、
出アフリカより後世にEがサハラ以南へ再び戻って混血した種族。
なんで長年住んでいる緯度も含めて、黒人なのは当然だ。
日本人と同系のアンダマン諸島人でも、温暖化以降も何万年と熱帯に住み続けているから、
当然ながら日本人よりは皮膚の色素は濃い。

白馬は以前に「ヌビディア人はヌビア人と紛らわしいそんな名前にすんな」とか
歴史に対する侮辱をノタマっていた人なんで、
朝鮮系のパターンに漏れず、根拠なくアフリカ人に対する蔑視とか軽視が激しいみたいだが。

ちなみにヌビディア人の末裔を含めて、E1b1b系などサブサハラに戻らなかった
北アフリカ・地中海のE系統の種族はどうみても黒人ではないぜ。
ジネディーン・ジダンや沢尻エリカが黒人と思うなら別だが・・・。

227 :182:2009/08/12(水) 03:10:49 ID:OWzPHcRT
>>223
歴史的事例と言うが、日本人の先祖が日本列島に入ったのは3万年以上前だぞ。
それ以降の先祖(縄文人)の歴史的痕跡は日本列島の内部に存在する。
D2は多様性と多くの人口を持つが、日本列島の外には存在しない。

近隣諸国と限定的にある程度近いというなら、
中国の江蘇−安徽−湖北−四川−青海よりも南側(地域によって共通する部分は異なる)や、
太平洋のポリネシア人、台湾人、インドネシア人がそれに当たる。

228 :出土地不明:2009/08/12(水) 09:23:25 ID:Fanvtmhs
>>222
>この染色体に存在する遺伝子は70個あまりで

ここで言ってる「遺伝子」とは、
生物学的に正しい「遺伝子」の用法です。DNAとイコールではありません。
Y染色体を構成するDNAのうち、ごく一部です。
Y-DNA自体は、5100万bp(塩基対)あります。

染色体中、遺伝子でない部分がほとんどである
ということが意味することは、
その部分の差異が、人間の優劣にとって中立である
ということだと思います。
つまり、
種類が多く、かつ、その差異が何らの影響を与えないわけで、
マーカーとして用いるにはもってこい
ということです。

(参考)
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_2Ysennsyokutai_karamita_sosenn..html

229 :出土地不明:2009/08/12(水) 15:48:43 ID:D8dXLu6C
>>221
お前染色体って何のことか理解していないだろ。
それに伴性遺伝や転座、構造遺伝子、そう言った遺伝学の概念まるで理解してないだろ。
お前が何か書き込むたびに間違いが見つけられるんだよなー。

230 :出土地不明:2009/08/12(水) 15:50:04 ID:D8dXLu6C
も一つ根元的な事を言うと、
遺伝子は抽象的な概念だと言うことも理解できてないな(笑笑笑)

231 :LUNAMASK:2009/08/12(水) 15:57:25 ID:rUIY9yNS
>>211
コーカサス北麓におけるメソポタミア文明と印欧語族諸民族の関係は楽浪郡と
倭・穢の関係と同じであるが、これを研究するには日本の白井克也氏の手法、
つまり、文明間の交易というアプローチが最適。もし日本の手法でコーカサス
北麓の歴史が書き直されるなら世界史は極めて興味深いものになるのだが。

232 :LUNAMASK:2009/08/12(水) 16:27:25 ID:rUIY9yNS
バルト海エルベ河にまで達していた玉型アンフォラ土器を伴うヒッタイトはまるで
伽耶に入った倭人のようにマイコープに隣接したノヴォスヴォボードナヤで
支石墓を建設する。その後南進を開始してついには小アジアを席巻する。
エジプトのアヴァーリスを拠点とするヒクソスも非常に似通った手口で北方
から進出している。問題はこうした民族の手口が弁辰韓・倭国でそのまま
繰り返されており、神話まで同じものが使用されているということである。

233 :LUNAMASK:2009/08/12(水) 16:29:25 ID:rUIY9yNS
こうしたことは秦氏をシンと呼ばないでハタと呼ぶがこれはヒッタイトと同じ意味ではない
のかということが考えさせられる。

234 :出土地不明:2009/08/12(水) 20:22:42 ID:Fanvtmhs
平凡社ライブラリー
日本語の歴史1「民族のことばの誕生」
を読んだ。

粗雑に要約すると、
今となっては、異論が出ないどころか、多数の賛同が得られるという程度の
日本語系統論を構築することさえ絶望的だからあきらめろ
世界を見回してみろ、系統不明な言語はありふれてるだろ
というものだった。
(理由)
今後見つかる可能性が絶望的なミッシングリンクばかりだから。
1比較を試みられている現在生きている言語は、古代の状況が分からない。
2関係があったにしても、日本語と分かれたのが古すぎて、今となっては
類似語は断片的であり、人を納得させることができない。
3有力な手がかりとなりそうな言葉(高句麗、百済を含む)
は、失われており、再現は絶望的。


235 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/12(水) 22:45:28 ID:C4gvAgAV
>>226-227
朝鮮系はアフリカ黒人を蔑視、軽視が激しいんか?
嫌韓ブログのY染色体論者でDE系統からチベットや中東と近い云う妄想論は
あっても、あえてアフリカ黒人の共通性を避けとる思うが。
実際あんた自身が、>>187で、ペニスと女性に対する優しさじゃの
生物決定論のナチス優生学論で妄想しとるじゃないか。
北アフリカのベルベル人は基本的地中海人種じゃが多少黒人の形質も南へ
行くと入っとるよ。人種がある地域からごっそり変わる地域は無い。
混血形質を経て形質も変化するんじゃ。
日本人の3万年前と断言出来ん人骨があっても、3万年前の
日本列島におった連中が現代日本人の主流になったわけでもあるまいに。
それらを朝鮮半島やシベリアから侵攻した縄文人でさえ、現代日本人の
主流じゃない。古墳期の疫病で人口を減らしたけんのう。
現代日本人の直接の先祖は、>>106のHLAや186の形質、>>192の耳垢から
総合的に明らかなことよ。あんたのような朱子学大陸思想り嫌韓ナチスは
>>192の長江人が日本人の容貌に似とると妄想しよる。
大陸的発想が好きなんじゃろうのう。

236 :出土地不明:2009/08/12(水) 22:53:08 ID:Fanvtmhs
考古学・人類学・言語学との対話
日本語はどこから来たのか 岩波書店
大野晋・金関恕

金関
中国もかつては南と北とではまったく文化が違っていて、
多分言語も違っていたと思うのです。南の民族は北の圧迫で絶えず動いて
四の五のと分かれていってしまう。その分かれる前に彼らがやった大きな仕事が
水稲耕作です。
その稲作文明は沿岸部を通って朝鮮半島に入り日本に来たというのが、
われわれ考古学をやってるものの考えなのですが、
その稲作文明に従事していた人たちがどんな言葉をしゃべっていたのか、
現在それがどこかに残っているのか、
そういうものがタミル語とひょっとしたらくっつくのじゃないかな
というのが勘なのです。
。。。
その稲作が中国で始まって、
しかし、始まったところでは、すでに言葉として消えてしまって、
北方の農業用語がどんどん入ってきた。ただし、そこから分派して出ていった言葉は、
タミルと朝鮮半島と日本に残ってると、
こういう考えではいけないでしょうか。
。。。
(大野)
田という字の古代の中国語音は「デン」、畔はハン。。。
(金関)
そのころはもう長江流域にかつてあったろう古い言葉がどんどん消えていって、
北の漢字を取り入れて表現し始めた。そういうことで、南ではもう残っていない。
しかし、それ以前に周辺に古い言葉を稲作とともに拡げていって、
それが朝鮮半島、日本に来た、そういう考え方はありえないだろうかというのですが。
。。。
中国と一口でいいますけれども、南のほうには少し背の低い人たちがいる。
長江流域の稲作文化というものは、おそらくそのタミルとも関係があるのじゃないか。
水稲をつくる南の文化というのが、言葉の上でタミル語と多少似通っていた、
あるいはタミル語のもとになったのかもしれないし、
つながっているのじゃないかなというのが私の案です。


237 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/12(水) 23:23:11 ID:C4gvAgAV
>>228-229
塩素数云う枝葉の部分で誤魔化すなや。「がらくた」も塵も積もれば
山云うて突然変異の期待論じゃあ意味があるまい。
遺伝子のタンパク質の一部で、その0,2%がどう精度が高いんか?
http://www.sizen-kankyo.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=194317
http://www.sizen-kankyo.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=194519
生物学なんか、1.生物学では「枝葉」ばかり追求され、「幹」が
構造化されていない。
2.学会至上主義が生み出す固定観念から抜け出せない。
二つの問題を挙げておられるが、特にネオ・ダーウィニズムから
生物決定論の優生学を妄想するナチズムと結びつく危険な
妄想でもあるけぇのう。説明がつかん現象は未解明で無理矢理
辻褄を合すんは論理学と云う詭弁でお茶を濁せるけぇのう。
まあ、生物学に限らず近代科学はデカルトの機械論以降分業
専門家され、スペシャリストはおっても、ゼネラリストがおらん、
他分野の科学と話が出来んような状況になってし仕舞うた。
学問の基本は総合であり、統合じゃ。
>>230
遺伝子は抽象的な概念じゃけぇ、具体性も提示出来ん妄想だらけ
じゃと、あんた自身認めとるじゃないか。そこへ論理云う
抽象観念論で辻褄を合わせる作業よのう。


238 :236の続き:2009/08/12(水) 23:28:48 ID:Fanvtmhs
(馬場)
つまり、縄文時代にある程度原始的な形での稲作などもできていた
(金関)
ええ、稲作もあっただろうということですね。
人が急に入ってきたのじゃなくて、
朝鮮半島南部と日本とおそらくは中国の沿岸地帯、
ここはもっと古い時代から相当人々の往来があって、
おそらく、縄文の終わりごろの北部九州の人の体質と、
今わかりかけている朝鮮半島南部の人の体質とが、
沿岸部だけは割合近い。そして漁業情報なんかを交換しあっていて
向こうで何か始めれば、こちらもそれにならってやるというふうな期間が、
相当長かったのだというふうに考えたらどうかなと
(馬場)
それはぼくはある程度賛成できます。というのは、。。。
だとすると、朝鮮半島には当時、。。。あるいは吉野ヶ里に代表されるような
平らな顔をした北方民族だけではなくて、
縄文的な色彩をかなり残していたような人たちもいた。
一方、もともとここ何千年来、行き来があって、いろいろな身体的特徴を
持った人たちが、少し古いほうの稲作文化を持っていたのじゃないか
という考え方だと、ある程度納得できるかもしれませんね。

239 :出土地不明:2009/08/13(木) 00:41:09 ID:rGCS8eI3
>>237
>その0,2%がどう精度が高いんか?

アホか。
0,2%であれ存在してるのだ。
そのY遺伝子が男系遺伝するのかどうかの話だ。
ごまかすなハゲ。
さてY遺伝子が男系遺伝しないと言ってる研究者の名前を一人でもいいから出してもらおうか。
どうせまたオカマみたいにごまかして逃げるのだろうけどな。w

240 :出土地不明:2009/08/13(木) 00:59:12 ID:++TY/3iv
ちと暇なので。
>>167
>誰の臨床した結果なんかまだ挙げれんのんか。
「簡単に言えば、医師とか看護士でしょう。何せ、臨床なんだから。」と答えれば、
「どこの医者か名前を挙げろ」とか言い出すので、
取り敢えず、"臨床データ"の意味が理解できていないようだが、答えてみるw

「あえて、誰かと問われれば、結核菌による感染・発症・致死の臨床データは、結核患者及び
ツベルクリン反応"等"の診断を受けた人で、非結核菌保有者、結核菌保有者、発症者及び
死亡者の所見・検査・観察等を公的機関に報告した、また報告している各医療機関所属の、
結核医療に関わった医師や看護士または、臨床検査技師等が主である。」
(例えば、日本の結核医療は明治以降、現在まで相当数の臨床データを蓄積している)

テキストから引用します。
『現在、費用対効果の最も優れた結核菌の効率的なスクリーニングは、集団すべてに対する
X線撮影などの検診ではなく、自覚症状に基づく医療機関の受診である。その最も重要な指針
として"3週間以上続く痰を伴う咳"が国際的にも共通の認識となっている。すでに述べたように、
結核にとって"咳"は特徴的な症状であるばかりでなく、"咳"が他への最も重要な伝染経路に
なっている。したがって、家族あるいは集団感染を予測するうえで、 「咳がいつ始まり、どの
くらい持続したのか」を聞くことは非常に重要である。』
---看護のための最新医学講座「呼吸器疾患」より一部抜粋

大雑把に言えば、このような積み重ねが臨床データ作成に繋がっていくのである。
要するに、膨大な実例を参考にして臨床データは積み重ねられているわけである。すなわち、
学問の中核は、そういった地道な基礎データの収集とそれに対する丹念な考証なのではないでしょうか。
次レスに続く。

241 :出土地不明:2009/08/13(木) 01:00:58 ID:++TY/3iv
>出土人骨からは、骨に現われん結核例は含まれとるまい。
"なんじゃらほい"?古墳期の話ではなかったのかな?
現在、日本で発見された一番古い人骨結核菌は、14世紀の人骨なのでは。↓
http://news.shikoku-np.co.jp/national/science_environmental/200611/20061127000011.htm

>10%減少云う数字の根拠は何なら?
これもまた、"なんじゃらほい"なのだが、取り敢えず答えてみるw
一応、置いときますが、少しは自ら調べてみたら。↓
http://www.jata.or.jp/rit/rj/meneki/reaction/defence/defence3.html
で、念を押しますが、10%あるいは一割云々というのは免疫機能が正常であった思われる人で
"感染して結核菌を保有している"という前提での話(発症が免疫機能の低下を主因としている
のはHIVキャリアの結核発症例からも明らか)尚、他疾患との関連性も考慮しなければならないが、
劣悪な食料事情であった戦後でも発症率20%程、たしかこの頃は、ほとんどの人が感染していた
といわれている。要するに栄養状態が劣悪だろうが、すべての人が感染していようが、結核蔓延
の状況でも結核で人口が極端に減るということは考えづらい。そこで、発症率が目安(おおよその
目当て)になるのではないですかと考えているだけのこと。当然、人口減の中には渡来人も含ま
れる。なぜなら、結核菌の初期変化群が自然治瘉し、結核菌に結核免疫が生じていたとしても
生体には尚、結核菌を保有しており(古墳期だから当然化学療法という治療は受けられないので)、
一生の内に、免疫機能が正常であったと思われる人でも約5%発症するからである。

>発症率たぁ、実際に他民族との接触で人口を減らす 先住民との関係を視ることじゃ。
どのような関係を視れば、発症率が分かるの?

242 :182:2009/08/13(木) 01:46:13 ID:0eAFDjo0
>>235
前から言及してるとおり、E系統の種族といってもそれは
サブサハラのA系統と混血したエチオピア人やB系統と混血したギニア人とかいるし、
ヨーロッパのR1b系統と混血した西欧人なんかも当然いる。なかなか楽しいではないか。

だからといって日本人とセムハム人共通の祖先DEが、
黒人(ネグロイド)や白人(コーカソイド)ってわけではない。
DE系統は新モンゴロイド人種とは違うから、そういう意味では肌の色以外は
シベリア系に比べればネグロイドやコーカソイドにずっと似ているところも多いけれども。

日本人は少なくともここ4万年前間くらいでいえば孤立人種だから、
そういう意味では大陸を含めて他との共通性はないことはないが限定的だと言っている。
そして3万年前からのYAP+を持った種族が、確かに今に至るまで、日本人の中心となっている。
日本が大陸種族に支配されたって拘るあなたが、人を大陸的発想とは笑ってしまいますね。

243 :182:2009/08/13(木) 01:55:51 ID:0eAFDjo0
>>235
> 6.2in(15.7p)  フランス
> 5.9in(15.0p)  イタリア
> 5.9in(15.0p)  メキシコ
> 5.6in(14.2p)  ドイツ
> 5.5in(14.0p)  チリ
> 5.4in(13.8p)  コロンビア
> 5.3in(13.4p)  スペイン
> 5.1in(13.0p)  日本
> 5.0in(12.8p)  アメリカ合衆国
> 5.0in(12.8p)  ベネズエラ
> 4.9in(12.4p)  サウジアラビア
> 4.8in(12.2p)  ブラジル
> 4.8in(12.2p)  ギリシャ
> 4.0in(10.0p)  インド
> 3.7in(09.4p)  韓国

これがナチス優生学論なら、アーリア人のインドが韓国に次ぐワースト2にはならないと思うがw
22cmの俺は、アーリア人種至上主義者でもツングース至上主義者でもない
大陸とは無縁の正真正銘の島国の民ですよ!

244 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/13(木) 02:06:27 ID:BEUArONa
>>240-241
誰の臨床データか解らんのなら、根拠は無いに等しい。
臨床実績のある医者が書いたもんか、カルテを書くのが上手な
医者か云うことじゃ。養老猛氏が「生身の人間は不定形で、
そういうものは医者ではなく、看護師が扱うことになっています。
ところが、看護師の世界も看護学という学問になってきました。
すると、みんな論文を書くようになります。看護師さえ患者さんを
見るり情報を見るようになっています。初診で徹底的に検査したら、
医者はたいてい、一週間経たら検査の結果が分るから、また来て
下さいと言います。三日目に死んだらどうするんですか。
結局のところ、情報医療というのは手遅れ医療なんです。
やはり人間はどうしても安きにつくんです。生身の人間を直に
見たら、面倒くさくてしょうがない。彼らは論文を書いたら
勝ちだという大学の中の価値観を徹底させているだけのことです。
論文は患者のスルメだ。生きているイカが患者なら、論文はスルメ
です。論文ばかり書いたり、カルテばかり書いたりするような
医者はスルメ作りの専門家だと僕はいつも言ってます。
論文だけ書いている彼らこそ、スルメ作りの専門家でしょう(笑い)」
あんた、スルメを羅列しても意味が無いど。(笑うた)
そもそも論文の論理たぁ辻褄を合す作業で、抽象観念論も妄想に
過ぎんことすら理解しとらんけぇ、単一遺伝標識のY染色体に傾倒
するんじゃろうけど。
結核菌で骨に現われたんは、古墳期より古い弥生期の鳥取の青谷
遺跡の人骨じゃろう。
10%減少も新大陸の例であるとか世界的な歴史時代的減少期に
ついての考察部分が今回も皆無。%なんか、研究者個人のスルメで
辻褄を合わせれる問題で全く意味をなさん長文じゃのう。


245 :出土地不明:2009/08/13(木) 02:25:43 ID:++TY/3iv
>>244
君こそどうでもいいような長文のレスだな。
公的機関に報告しているのだから、厚生省かなんなり問い合わせてみたらw
君は、確か古墳期の話をしていたのではなかったっけ。
何で、弥生期の話が出て来るの?君が言うところの普遍的な例が日本列島に
適用される"大量渡来"の考古学的根拠を挙げよ。
で、>発症率たぁ、実際に他民族との接触で人口を減らす 先住民との関係を視ることじゃ。
どのような関係を視れば、発症率が分かるの?
の問いに答えよ。

246 :出土地不明:2009/08/13(木) 07:34:34 ID:LGuUnuIG
騎馬民族が渡来したというのは、まるっきり虚構ではないと聞いてます。
扶余の一部が日本に渡り、その技術を伝え子孫を残したという意味なら
それは正しいのではと思います。さすがに、ユダヤの後裔説は眉唾だが。
しかし遺伝子、言語、水稲、古墳、倉庫、土器について、
何千年の時間規模で研究されている結果を、3〜4世紀だけの考察で、
説明しようとするのは無理があるのではと思います。
そのへん白馬青牛先生はどうお考えですか?


247 :出土地不明:2009/08/13(木) 10:19:47 ID:rGCS8eI3
>>246
おいおい、何が「先生」なんだw
こいつに先生なんていうからつけあがるんだよ。
扶余の実体なんてよく分かってないのに正しいなんてとうてい言えないだろ。
秦や東漢でさえどんな種族か分からないのに。

248 :出土地不明:2009/08/13(木) 12:28:49 ID:lIcPyO1W
>>245古代エジプトのファラオにモンドロイドは朝貢してた歴史はありますか?

249 :出土地不明:2009/08/13(木) 13:47:19 ID:VNwIgPvK
白馬援護工作員が大量発生中だなまるでマイマイガなみだ

247本気で相手すんなよ道化師なんだから、程々に突付くと面白く遊べるぜ

250 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/13(木) 21:45:46 ID:BEUArONa
>>245-246
公的機関のもんが正しい云う前提条件を想定しとるが、上層公的機関ほど、
隠蔽する可能性も強いけんのう。弥生末期に人骨における結核菌の症状が
青谷上寺地遺跡からが今の処最初じゃけぇよ。弥生期は古墳期の尖兵的
存在の渡来系がもたらしたものに過ぎん。普遍的に古墳期新モンゴロイド型
の人骨が弥生期と違い拡散しとることも根拠になるのう。
発症率なんか解るわけあるまい。新大陸の白人渡来でアメリカ原住民が
人口を減らしたことは文書等では解るが、アメリカ先住民の発症率は
解らんのと同様じゃ。
騎馬民族云う言葉は誤解を与えるが、彼ら北東アジアのツングース系が
古墳期以降本土日本の主流民族となった。何千年規模じゃのうて、
世界的民族移動期において劇的に変化するんじゃ。4世紀以降の古墳期の
前なら、少数移住の前2世紀か、BC1500年頃の民族移動期に遡らにゃあいけ
まあ。しかも日本はユーラシアの東端で、イギリスや西北ヨーロッパと
同時期に、民族の主流が北方系となり、やがて国家を形成する同時代
現象じゃ。世界の普遍の中で日本史を考察することが大切なんじゃ。
わしを先生扱いしとるが、先生云う言葉は嫌いじゃ。世間で先生云われる
種族にろくなんはおらんけぇのう。一緒にされるんは甚だ不愉快じゃ。

251 :出土地不明:2009/08/13(木) 22:32:55 ID:Oe+TKQ6C
その通りだ。白馬は先生なんかじゃない。
ただの嘘つきで卑怯者だ。いままで膨大な嘘を垂れ流してきた。


252 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/13(木) 22:33:17 ID:BEUArONa
>>242-243
嫌韓ナチスは、嫌韓ブログの受け売りで、精度の低い単一遺伝標識の
Y染色体でしか語れんカルトじゃけぇのう。おいおいD型の多い
チベット人は寒冷適応した新モンゴロイドでぇ。形質人類学も
知らんで妄想すなや。4万年孤立人種なんか世界的に民族の
入れ替わりの多いユーラシアでは、ほとんどおらんのう。
日本のイギリスも大陸民族に支配されたんで。イギリス人が
巨石文化の子孫で孤立人種云うたら、それこそ物笑いの種じゃ。
ほう、西洋ではドイツ人がペニスが一番大きい云う調査が
今から30年余りあったと思うが出典は忘れたよ。
手元にある本では、滋賀大の笠井寛司氏は、「性器に関して民族差
があるというデータは現在ありません。差がないといっていいで
しょうね」と前置きして「ぼくの見た範囲ではラテン民族が
一番大きい」とされる。まあ、ラテン民族もアルプス人種と
地中海人種が混じっとるけぇ文化的問題になるのう。
だいたい、ペニスのサイズブログなんか胡散臭いが、韓国人が
小さいと出とったら目の色を変える嫌韓ナチスの特徴じゃが。
インド人はアーリア語族じゃが、ナチスは純粋のアーリア人種と
して見とらんし、ナチスドイツが妄想したアーリア人種は
金髪、青眼の北欧人種のことじゃ。ドイツは金髪青眼が少ないけえ、
北欧やスラブ系ポーランドから子供を連れて来て、ドイツ人の人工
改良まで計画したけんのう。人種優越論を唱えるものは自らの民族に
劣等感があるもんじゃ。大陸とは無縁なイギリス人がおらんよう、
大陸と無縁な日本人もおらんわ。あんたのナチス人種主義は、
大陸をユダヤ人に想定して、排斥したいだけじゃ。そのわりには、
江南や南方に対しては隷属奴隷主義になる大陸朱子学慕夏主義じゃ
のう。ほいでユダヤ人もドイツ系のユダヤ人はドイツ人に似て、
ハンガリー系のユダヤ人はハンガリー人に似る。
ドイツ人は同人種でも宗教、慣習が違うユダヤ人を迫害した
わけじゃ。


253 :出土地不明:2009/08/13(木) 23:10:42 ID:v5YpV+8P
×先生。○大先生。

254 :182:2009/08/13(木) 23:38:53 ID:0eAFDjo0
>>250
とりあえずムネヲ先生に謝れw

>>252
Y染色体情報を調べるに当たって日本語情報の多くはかなり疑わざるをえなかったし、
ブログはあんまり信用してないのだが、嫌韓ブログに意識過剰なのはあなたではないか。

鮮卑族支配で入ったチベット人DNAの半分(O3)は多くが寒地適応した北アジア系だと仮定して、
どうして全く由来が異なるD型(YAP+)までが新モンゴロイドになるのだ?
しかもチベットはO3の源郷の可能性が高いアッサムあたりに近く、
寒地適応せずに直接入った入ったO3も少なくないかもしれないぜ。

> 4万年孤立人種なんか世界的に民族の
> 入れ替わりの多いユーラシアでは、ほとんどおらんのう。
入れ替わりが激しいのはユーラシア内陸乾燥地帯で、日本と対照的な地理的条件にある。
(ユーラシア東半分では、B型・AB型頻度が高いつまり遊牧民の影響が強いエリアにほぼ当たる)
日本をその「ユーラシア」に含めて、一般化を強要するなら歴史改竄というか知的脅迫というか・・・

> 日本のイギリスも大陸民族に支配されたんで。イギリス人が
> 巨石文化の子孫で孤立人種云うたら、それこそ物笑いの種じゃ。
日本人ほど詳しいわけではないが、イギリス人は言語ではなく遺伝的由来では
古代からのブリタニア人のDNAが主流と判ってきている。
(チュートン系だけでなくケルト系とさえ言ってよいかも微妙らしい)
英国人にDNAが似ている種族を探せば、バスク人に良く似ているのだとよ。


255 :182:2009/08/14(金) 00:04:17 ID:luWBryTB
英国人が古代ブリタニア人のDNAを良く残すとはいえ、
アングロサクソンやノルマン人やフランス人に支配を受けたので
当然ながらこれらの血も少しは入っているだろう。

彼らのルーツの北海対岸は、気候・風土はブリテン島にかなり良く似ている。
気候で言えば同じ西岸海洋性気候の地域なので、移り住むのも比較的容易になる。
ノルマン人の故郷のノルウェーは北極圏に近い高緯度にも関わらず、冬でも比較的暖かい。
これは背後を険しい山脈が走り、北大西洋暖流の流れる海からの偏西風を受けるため。

日本列島は英国よりも低い緯度に位置する上に、シベリア・北アジアとの間には
イギリスと北欧・西欧との間と比べ物にならないレベルで、気温・乾燥度の差異がある。
(おそらく英国とロシア主要部の差より大きいかもしれない。)

シベリア・樺太・北海道の間は海峡が比較的狭く遷移的に風土が移り変わるので
相互の影響がある程度みられるが、そもそも極寒の地域で歴史的に非常に人口が少ないので、
日本列島の人種の構成を変えてしまったということもない。
(アイヌに見られる1割程度のC3は、北方系の影響と考えられます。)

モンスーン地帯に位置する日本列島は大陸とは差異が大きいわけだが、
そのなかで比較的共通性があるのは、西日本と同じ照葉樹林帯の地域に限定される。

256 :出土地不明:2009/08/14(金) 08:53:51 ID:4A8CiyAI
生まれたのと同じ環境じゃないと生きていけないというのなら寒さに弱い北方コーカソイドが
なんで主に欧州などに住んでるんだい?

257 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 09:20:59 ID:XzbDZC27
そうだよなー。
作詞:田向正健
「おお  闇の彼方 聞けよ
星の歩み  月のうた
見知らぬ海に 辿り着かん」
http://www.dmm.com/mono/dvd/-/detail/=/shop=gdvd/cid=n_605gnbd7327
八代の海を南下した刺青民族地下式横穴墓・コーカソイドはメラネシアを通り、l
ミクロネシア、そして、ついにはニュージーランドに上陸した。彼らが住んでいた
セミレチエには蕨・ゼンマイがよく取れたがニュージーランドのマオリは今も
蕨を食べている。



258 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 09:38:47 ID:XzbDZC27
隼人は都を守る衛兵として宮中警護などに当たったが、その名残をとどめる
京田辺の隼人盾の文様はつながるスパイラル。これはポーランド・東独方面
の早期青銅器時代のコーデッド土器文化において指輪などに好んで使用される
文様であり、パジリク→タシュトィック文化へと続く。


259 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 09:48:10 ID:XzbDZC27
タシュトィク文化においては岩戸山古墳、穹窿石室墓、地下式板石石室墓が出現。
さらに寧夏回族自治区においては石板墓系匈奴墳墓とともに地下式横穴墳が生まれる。
他方、合唱家型石室地下構造を持つ高塚墳(クルガン)はヒッタイト王族墳墓として
マイコープに近いノヴォスヴォボードナヤで生まれる。日本では善光寺付近にある。

260 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 09:55:01 ID:XzbDZC27
中国早期鉄器異文化はの一つの流れとして新疆から黄河中流、長江下流、呉に向かう
流れがある。ここに残る呉の太白が刺青を入れて海に入るエピソードはイラン系民族
(彼らはエーゲ海海人族のような海人族の一面を持つ)の移動とも取れ、隋の煬帝が
琉球で発見したコーカソイドはこの流れという可能性もある。

261 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 10:15:21 ID:XzbDZC27
http://rostov-region.ru/books/item/f00/s00/z0000020/st018.shtml
↑上記ホームページはボルガ・コーカサス方面の古墳を画像化したもの。
下のほうに画像・地図があるのでプルダウンすること。

262 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 10:19:30 ID:XzbDZC27
この時代の南米ボリビアの隼人盾紋の棺からモンゴロイド巨人王が出土している。

263 :出土地不明:2009/08/14(金) 10:25:55 ID:ly8d5+ae
>>252白馬青牛先生

質問させていただきますが、
研究の結果、Y染色体が男系遺伝しないと発表した学者の名前をご教示いただけないでしょうか。


264 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 10:32:51 ID:XzbDZC27
コーカサス北方カタコーム(地下横穴)墳文化、ギリシャオルフェウス教、大国主命、
甲賀三郎、こうしたものを具体化しているのが肥後のトンカラリン、善光寺戒壇くぐり
だ。善光寺付近の合掌式古墳は百済王族系だろう。

265 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 10:35:37 ID:XzbDZC27
忘れてはならないのが秦始皇帝兵馬俑の地下世界、出土するイラン系人骨、これと
 >>264 は密接に関係している。秦、ハタはヒッタイトだということだ。

266 :LUNAMASK:2009/08/14(金) 12:02:55 ID:XzbDZC27
アンソニーによればマイコープに置いてウルク文明人が印欧語族系草原諸族に
与えた文化遺産は、小アジア・メソポタミア製ハイニッケル・ヒ素青銅製品、小アジア・
イラン地域製ろくろ技法土器、晩期メソポタミア・ウルク思想による生命樹にのぼる
ヤギのモチーフ、メソポタミアとの交易による非常に裕福なエリート層の出現、羊毛の
実用化、車輪・車両の実用化があるとしているが、私としてはそれよりも大きなことは
ギルガメシュ神話・地底・黄泉の国、洪水神話→カタコーム墳・オルフェウス教であり、
現代日本のお墓の構造を決定したのはこれにあると見る。秦始皇帝の兵馬俑、地下
宮殿もこれである。

267 :出土地不明:2009/08/14(金) 12:57:17 ID:4A8CiyAI
日本人は「(権威のある)だれそれの説によれば・・」という論の進め方が
好きだよね。なんで一定の法則に従った上での自分の解釈を作り出そうとはしなんだろ?

268 :出土地不明:2009/08/14(金) 13:30:31 ID:ly8d5+ae
>>267
>日本人は「(権威のある)だれそれの説によれば・・」という論の進め方が
>好きだよね

白馬青牛先生の悪口を言うな!

269 :出土地不明:2009/08/14(金) 20:27:41 ID:3SPZol4k
>>250
>弥生末期に人骨における結核菌の症状が青谷上寺地遺跡からが今の処最初じゃけぇよ。
>弥生期は古墳期の尖兵的存在の渡来系がもたらしたものに過ぎん普遍的に古墳期新
>モンゴロイド型の人骨が弥生期と違い拡散しとることも根拠になるのう。

これもまたまた"なんじゃらほい"。たったこれだけの人骨情報w
君は、弥生時代前期末(約2200年前)から古墳時代前期初め(約1700年前)に結核が蔓延して
日本列島の人口が大幅に減少し、そこに古墳期新モンゴロイドとやらが日本列島に大量に渡来し、
日本人の主流になったと考えてるの?w 君のそのなんだ、世界普遍なんとかって現象に従えば、
日本列島に、結核が蔓延し約2200年前から約1700年前に大幅に人口が減少し、壊滅状態に
なったんですよね?では、約2200年前から約1700年前の間の結核特有の人骨が相当数発掘
されるはずだが、なんで発見されないの?
(結核が伝播したとされる青谷上寺地遺跡でさえ、現在92体中結核症状例を示す骨はたった2例
約2%強。おやっw、>>119の数字に近いな。通常の捉え方で発症率3%、致死率1.5%)
※尚、92体は2006年までの出土数(知恵蔵2009を参照)、結核症状例の2例は「青谷上寺地遺跡
の人々」を参照

普通に考えれば、結核などの伝染病で発症したのは少数で、ただ単に古墳期に大陸文化を受容し、
食料事情が安定したので、縄文形質と弥生形質の混血が盛んになり、人口増に伴い、人口が拡散
したと捉えるのが一般的でしょ。

270 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/15(土) 01:28:12 ID:K7k2DcJd
>>254-255
結局あんたの根拠は、精度の低いY染色体やABO型血液型じゃけぇ
つまらんよ。A型人種B型人種じゃの存在せんのに。ドイツ人がA型が多い
けぇ、西日本人や慶尚道のA型が多い地域との人種の共有制は無いんじゃ。
Y染色体も同様でDE型人種概念も無い。ある思うんはこの板のカルトら
だけよ。イギリス人とバスク人が良う似とるじゃあ?妄想に笑い転げたが、
イギリス人でも、地中海人種の残存も見られるウェイルズや
スコットランド高地民なら兎も角、大部分のイギリス人は明るい眼と
明るい髪で地中海人種の亜種であるバスク人とは全く似とらん。
G.M.トレヴェリアン氏は、「現代イギリス人特有の性格はウェイルズ人的
な性格が加味された北欧民族的なものであって、北欧民族的性格が加味
されたウェイルズ的性格ではない。」と云われたが、日本人の特質の性格も
「縄文弥生倭人的性格が加味されたツングース民族的なものであって、
ツングース的性格が加味された、縄文弥生倭人的性格ではない。」
と云えよう。
気候・風土が似とる場所に移住するんなら、日本でもツングース系は
東北日本のナラ林樹林帯に移住が多いはずじゃが、形質人類学じゃあ、
西日本の照葉樹林帯の方が北方形質じゃけぇ、あんたの妄想は意味を
なさん。だいちゲルマンが気候帯の違う地中海地方まで侵攻しとるじゃ
ないか。ろくに歴史を知らんあんたのような低脳がナチス優生学に
洗脳されとるが、自分で知識の幅を広げにゃあのう。
ほいで、現実的、禁欲的な性格のイギリス人は、同島の空想を好む
芸術的な性格の先住ケルト系、特にアイルランド系よりも、北欧や
北西ヨーロッパの大陸の人間に性格も似とるよ。

271 :出土地不明:2009/08/15(土) 02:13:14 ID:bCIOCdN4
Y染色体も血液型も(特に前者は完全に父系先祖を示すマーカー)個人々々の
人種を示すわけではないが、これらの比率は民族集団全体の由来・違いは明確に示す。

106 名前:マドモアゼル名無しさん[] 投稿日:2009/08/15(土) 00:11:25 ID:u+M0BryH
相対的な血液型比率の比較

 ※人類平均O:A:B:AB=48:25:22:5くらい(座標の中心★)

               A
        マオリ スイス ハワイ
        フランス      エスキモー 
     北米 中北伊 西日本  ブータン
     ブラジル ドイツ 東欧 チベット アルメニア
   アボリジニ 南伊 トルコ 東日本 ネパール
  ケルト 台湾 アラビア    ロシア
  メキシコ フィリピン     華中
Oインディオ         ★   イラク        AB
     華南 パプア         イラン    韓国
   アフリカ人 インドネシア       華北
      ベネズエラ          満州   北朝鮮
     東南アジア          中央アジア
       メラネシア         アフガニスタン
          モンゴル  インド パキスタン
            ジプシー ツングース
               B

272 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/15(土) 02:15:09 ID:K7k2DcJd
>>269
たったこれだけの人骨情報云うて、わしが一部の識見を挙げたら、
一部の枝葉だけを取って揚げ足取りをして、他者へのわしに対する
扇動手段にしても意味があるまい。学問は総合の産物じゃけぇのう。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/132.html
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
http://blogs.yahoo.co.jp/binbonet/40661248.html
上の耳垢や人骨から本土日本人は、縄文直系じゃ無いし、下の古墳期には
全国的に渡来形質の拡散が見られる。我が広島県は蝦夷系の東西佐伯部が
移住したせいか、縄文形質の残存は強かったが。
一番下は縄文文明電波で有名な安田喜憲氏じゃが、気候変動と民族移動に
関しては正確じゃ。中国の黄巾の乱は列島の倭国大乱と同時期じゃ。
中国では人口減少となって、華北では五胡のトルコ・モンゴル・チベット
系の北方民族が華北漢族の主流となった。朝鮮や日本も同時代現象として
、現地民の人口減少、北方渡来系が主流民族になったと考えるんが妥当
じゃし、それが世界史じゃ。
青谷は弥生末期で倭国大乱期でほとんど家畜を持ち込んどらん時期に
2例は相当なもんじゃ。戦死者と思われる人骨も出土しとるし、
古墳期に至るまで、かなりの人口減少も考えられる。
発症率、致死率云う妄想で数値なんか、研究者の設定でなんぼでも変わる
けぇ根拠が無いもんを想定しても、新大陸や江戸期のアイヌ人等、
絶滅しかけたんは事実じゃし、あんたの空想は歴史事実の前に通用せんよ。
新渡来系は入って来るだけで現地民は絶滅の危機にさらされる。
平和共存云う左翼史観は現実を見んけぇのう。まあ、渡来系と混血した
ものが生き延びる手段程度じゃ。

273 :271:2009/08/15(土) 02:38:05 ID:bCIOCdN4
>270
朝鮮半島は潜在植生では大部分がナラ林帯(満州・華北と共通)になっている。
>57で挙げていただいたデータでも特異的な慶尚南道のある
半島の南端にのみわずかに照葉樹林帯がかする。
http://gazoo.com/G-Blog/UserData/Community/Img/Blog/ecov_aya006/20080525_0/%E5%9B%9B%E5%B7%9D%E5%9C%B0%E9%9C%87..jpg
これは任那のあった地域で、倭人(C1、O2b)の痕跡が部分的に残ったと考えられる。
この地域が北方アジア系と倭人系の境界地域かと。

イギリスも含めて西欧では人種的にも気候風土でも強烈な違いはないわけで、
日本と大陸諸国とは同様に扱えない。和辻哲郎博士ではないが、
地理的差異では日本列島は英国よりも単独でヨーロッパ半島と対置したほうが色々と良く当てはまる。

> 気候・風土が似とる場所に移住するんなら、日本でもツングース系は
> 東北日本のナラ林樹林帯に移住が多いはずじゃが、形質人類学じゃあ、
いや、だから北緯38度のあたりで広大な日本海が横たわっていたから
北方の影響が小さくて済んだのだと思う。
陸続きであれば、朝鮮半島南部と同様になっていた危険が十分に考えられる。

ちなみに日本海沿岸でも、朝鮮・沿海州が寒流にさらされるのと異なり、
日本側は西岸に対馬暖流が流れるために気候が全く異なる。
朝鮮がナラ林帯なのに対し、東北地方などの北東日本はブナ林帯。
D2の採集民にとっては、朝鮮・沿海州方面に渡れたとしても暮らしにくかっただろうな。

274 :LUNAMASK:2009/08/15(土) 07:41:27 ID:HR7ypzSF
古事記・日本書紀において神代のこととして記述されている出来事には近畿を中心とし
て拡大した大和朝廷が吉備・出雲→九州北部→九州南部を統治下に収めた時点にお
いてそれぞれの地方に存在していた歴史を神代の出来事としてあたかも大和朝廷が
発足以来持っていたかのように記述している。このため記紀の正しい理解のためには
神代のこととして記述されたことを絶対時間に転換する必要がある。天孫降臨・日向
三代は継体時代の前あたり、国譲りは崇神朝の前あたりとみるのが妥当である。

275 :LUNAMASK:2009/08/15(土) 07:58:32 ID:HR7ypzSF
記紀編纂のころ、当時としてはもっとも有力な日本古代史は魏志倭人伝であり、
そこに記述されているのは邪馬台国九州説であり、実際九州には近畿よりはるかに
古い支石墓文化があったわけだから西進した大和朝廷が九州こそ日本のふるさと
であるとしたのは当然の成り行きだ。彼らは自分たちの出自が大阪湾岸・琵琶湖
方面であるという事実を忘れてしまっていた。

276 :出土地不明:2009/08/15(土) 09:32:51 ID:90T1yQ3U
>>272
青谷では大量の渡来系と思われる人骨が見付かってる。
嘘を言うな。

277 :出土地不明:2009/08/15(土) 11:30:07 ID:PUj4K9bw
>>274
記述も大事だが、出てきた遺跡も大事なんだが
考古学なんて、過ぎた過去を構築するために
膨大な資料や検証が必要なわけで
新しい発見や考証は次々と出てくる
いつまでも古い学説にこだわり続けるのは
考古学で一番やってはいけない行為だ

278 :出土地不明:2009/08/15(土) 11:46:26 ID:8gTr86I9
>>275
大和朝廷の発祥の地は宮崎、
朝廷がそう主張しているんだからそれ以外考えようがない。
大和朝廷と邪馬台国の関係は不明。
俺は高天原=邪馬台国で卑弥呼=天照大神だと思っているがね。

279 :LUNAMASK:2009/08/15(土) 14:12:35 ID:HR7ypzSF
昔は考古学もなにもなかったから難しいことは神代のこととしてきれいな聖典にした。
科学としての考古学は永遠に掘り続けるわけで、われわれが何と言っても必ず
将来はひっくり返る。


280 :出土地不明:2009/08/15(土) 17:12:15 ID:8gTr86I9
>>279
我々は千数百年も隔たった赤の他人、遺物も急速に消失してきた。
記紀の時代はまだ当事者全然情報量が違うよ。

281 :LUNAMASK:2009/08/15(土) 21:41:32 ID:HR7ypzSF
神武は、長髄彦が神宝をもって現れた時に、天孫は沢山(さわに)あり、といった。
実際、沖縄、鹿児島、熊本、伊予、讃岐、阿波等、神武の周辺は天孫だらけでなか
ったかと考えられる。

282 :LUNAMASK:2009/08/15(土) 21:46:39 ID:HR7ypzSF
神武が近畿の土器様式が庄内式とされるものにほぼ統一された頃に生きていた
人物だとするとね。

283 :出土地不明:2009/08/16(日) 00:38:07 ID:LfVMlL0S
文化的な日本人の起源と
生物学的な日本人の起源と
ごっちゃになってる
わかりにくいよ

284 :出土地不明:2009/08/16(日) 01:02:57 ID:+2adByeZ
文化的な日本人の起源 
縄文 10%
弥生 20%
中国 30%
欧米 40%

生物学的な父系日本人の起源
縄文系 50% D2
弥生系 50% O2b O3

285 :62:2009/08/16(日) 02:01:32 ID:ab/DBv6Y
>>284
乙です。なるほど判りやすい表ですね。

[生物学的な日本人の渡来時系列]

 1.35000年前±α D2南方旧石器人 スンダランド → フィリピン・台湾 → 日本列島 40%
 2.18000年前±α C1貝文人      スンダランド → (黒潮ルート) → 日本列島  05%
 3.BC4000±α〜 O3越人        華南沿岸部 → (黒潮ルート) → 日本列島  15%
 4.BC1000±α〜 O2b東夷族      湖南・江西 → 安徽・江蘇 → 日本列島     30%

 1、2 → 縄文人 45%
 3,4 → 弥生人 45%
 その他(O1、O2a、C3、N etc...) → 10%未満

286 :出土地不明:2009/08/16(日) 02:03:47 ID:DQCNpVsH
中華の女は昔からもてたから、日本も縄文人4割って分けじゃない。


287 :出土地不明:2009/08/16(日) 04:37:21 ID:4O1l+lPZ
大爆笑動画
http://www.youtube.com/watch?v=ldeoIB8f0r0

288 :出土地不明:2009/08/16(日) 05:42:51 ID:bUX+zlxO
京阪式アクセントの分布域は、多分
古代の大和勢力圏と関係ある。
多分大和人が最初に移住し勢力を広げた地域。

岡山で明確に分かれるのは、
そこが昔、大和と別の勢力圏吉備だったから。

九州宮崎と近畿に特に共通するようなモノはない。
九州人が大量移住したなら、アクセントや語彙が全然違うのはおかしい。
高天原は多分神話の中だけの話。

289 :出土地不明:2009/08/16(日) 08:16:37 ID:mExa2RBl
>九州宮崎と近畿に特に共通するようなモノはない。

宮崎の西都原には最古級の前方後円墳もあり、
5世紀頃には畿内と共通するような国宝級の鞍も出土してる。
やはり何らかの関係があるとみるのが自然。


290 :出土地不明:2009/08/16(日) 08:24:04 ID:AqklwqiQ
単に京の成立から京を中心として同心円状に影響を受けたんじゃないの?
言語の影響速度がどのくらいかだろうね
よそから少数の支配者が現地にきても言葉は現地民に同化すると思うけど。

291 :LUNAMASK:2009/08/16(日) 11:07:24 ID:Gpi5bFi7
>>281-282
神武軍は鉄器時代スキタイ騎馬民族、物部は青銅器時代カラスク・タガール二輪車戦
闘集団、神武は後に秦氏とともに半島から九州南部に移住する月氏(夕月民)集団を
統率する人物(神武が援軍と頼む久米は地下式横穴墓・地下式石板積石石室墓文
化人、この点神武神話自体に時代錯誤が存在する可能性もある)

292 :LUNAMASK:2009/08/16(日) 11:21:33 ID:Gpi5bFi7
神武の時代、夕月民はまだ高句麗・楽浪方面にあった可能性もある。ホケノ山・
鳴門萩原1号墳からは楽浪の漢鏡が出土している。

293 :出土地不明:2009/08/16(日) 12:59:52 ID:FobGst1V

えー、倭人というのはDだけ、あるいはDとO系のハーフですかね?
Oだけ、と言うのは無いですよね。
Oだけの中国朝鮮人が日本人を倭人と呼んでたわけだから。

となると、古代半島にはD系もそれなりに居た、ということですかね?
白村江あたりで倭人(Dが混ざった集団)は、日本に帰ってきた、帰化したということになりますか?


294 :出土地不明:2009/08/16(日) 13:24:30 ID:LLN32UOz
民族血統集団は単品の基地外集団はまずいないだろな。
父系、母系グループ構成だろ。

295 :出土地不明:2009/08/16(日) 13:24:51 ID:S1s+rjD2
>>288 関西アクセント地域が大和朝廷圏なら四国もそうだな。

 宮崎と愛媛は対岸だから、神武天皇は四国経由で奈良に入ったのかな。

296 :出土地不明:2009/08/16(日) 13:29:06 ID:LLN32UOz
古代大和言葉は今の関西弁か?邪馬台国時代から関西弁の倭人かw

297 :62:2009/08/16(日) 14:09:33 ID:ab/DBv6Y
興味深いこんな仮説があります。

崇神天皇の真相
http://home.att.ne.jp/banana/history/Dai29-Suijintennou.html

> 筆者は、西暦230年から270年の邪馬台国勢力範囲は、今の府県単位で言うと北九州(佐賀、福岡、大分)、
> 山陽山陰(島根、鳥取、山口、広島、兵庫、岡山)、四国瀬戸内(愛媛、香川)、近畿(京都、大阪、滋賀、奈良)、
> 東海(愛知)あたりと見ている。
>
> これに対して、狗奴国の勢力範囲は、南九州(鹿児島、熊本、宮崎)、四国太平洋(高知、徳島?)、南紀(和歌山)と考えられる。
>
> すなわち、狗奴国は、領土としては邪馬台国に沿うように西日本の太平洋沿にあった。
>(注意)九州の「熊本市」、高知県の「久万町」(くまちょう)、和歌山県の「熊野」などは、狗奴国という国名の名残とも考えられる。
>
> 魏志倭人伝では、狗奴国は、邪馬台国の南に位置しているとしている。しかも、中国の使者が来たと思われる西暦247年ごろは、
> 邪馬台国の中心は奈良県で、狗奴国の中心は、宮崎県あたりであった。

> 記紀の記載では神武天皇は、宮崎から兵を起こして大分から博多を経て、瀬戸内海沿いに兵を進め、
> 大阪から奈良に入ろうとして、抵抗にあい、南紀に迂回して南から奈良に入っている。
> ここでは、このできごとを神武天皇でなく崇神天皇のときの出来事としてみてもらいたい。

> また、崇神天皇の騎馬民族的な性格に関して、筆者は、崇神天皇がこれらの性格を持っていることは認めるものの、
> 崇神天皇が朝鮮経由で倭国に来た騎馬民族であるとは思っていない。狗奴国出身の崇神天皇は、
> 長い戦乱の経験をもつ「呉」の影響を受け、当時の中国での戦闘用具を備えていたと見られる。
> これらの戦闘用具が騎馬民族的な印象を与えたものと思われる。

298 :297:2009/08/16(日) 14:18:21 ID:ab/DBv6Y
>>289
(考古学とあまり関係なくてすみません・・・)
出身地が西都原に近い東国原宮崎県知事が首相になろうとしましたが、
芸名どおりに神武東征の再現を狙ったのかも!

>>295
徳島弁が特に関西弁に近いと言われますが、
徳島は貝文人(海洋系縄文人)C1の比率が最も高い地域ですね。

299 :LUNAMASK:2009/08/16(日) 15:45:07 ID:Gpi5bFi7
狗奴国は前方後方墳・朝日遺跡文化・尾張氏の保守勢力、神武の仮想敵国。狗奴国
は美濃、飛騨を経由して綏靖天皇(カムヌナカワミミ)と結託していた。神武を日向から
招いたのは丹後半島海部氏ウヅ彦・倭彦、神武の嫡子タギシミミは綏靖によって誅殺
された。 神武は河内と東海の冷戦の犠牲者。

300 :LUNAMASK:2009/08/16(日) 15:51:02 ID:Gpi5bFi7
ヌナカワとはヒスイ産地の上越市から富山市方面のことと考えられる。

301 :出土地不明:2009/08/16(日) 15:51:47 ID:S1s+rjD2
>>298 土佐弁も平安時代のアクセントを最も忠実に保存している方言らしい。


302 :出土地不明:2009/08/16(日) 16:40:29 ID:JT079yL0
>>299
くな国の墳墓について魏志は何も書いてない。
妄想を書き散らすな。

303 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/16(日) 17:25:22 ID:IeLrrCZa
>>273
倭人は元来内モンゴル、遼寧、楽浪海中に居ったんで。北方民族じゃ
ろうが。中国史書を読まん者は可笑しげなことを云う。
後に朝鮮南部や日本列島の現地民も含めて総称するようになっただけじゃ。
和辻氏は西洋劣等感から日本主義となる、つまり慕夏主義から中朝論になる
日本の学者に多い典型じゃ。
日本とヨーロッパ半島全体じゃあ、ギリシャ、ローマ等国家形成が早い
文明国を含めるけえ、国家形成が4世紀以降の世界的民族移動期以降に
よる地域(日本、朝鮮、英、仏、独)と同一概念は可笑しかろう。
西洋の水辺民も極東の水辺民も北方と南方の水辺民の性格が違う。
南方の地中海や江南、華南は海賊はするがポリス的農商民的性格が強く、
内陸地まで入って国家まで造る例は少ない。西洋の北方の北海や満州から
黄海、日本海の水辺民は、内陸部まで入って国家を造る。アングロ・
サクソン、ヴァイキング、夫餘、高句麗、女真等は北方系水軍の
典型であろう。歴史的実例から北方的性格か南方的性格か分けるべきで、
日本は北方水辺民の影響と性格が強い。

304 :出土地不明:2009/08/16(日) 20:32:47 ID:LfVMlL0S
古代ギリシャの白人伝説を信じる白馬さんカワイイ

305 :出土地不明:2009/08/16(日) 21:37:36 ID:UUx62Vpz
>>歴史的実例から北方的性格か南方的性格か分けるべき.
誰がそんなこと決めたんだ。ソース出せよな。

306 :出土地不明:2009/08/16(日) 21:46:39 ID:LLN32UOz
>>303
お馬さんよ、島津気質だの北方どうので史観、形質上の勝ち組なのは
解るがよ、よだれたらしてホルホルは下品すぎる。

アメリカや中国より喜びすぎw大和言葉喋れとは言わんが上品にやれや。

307 :出土地不明:2009/08/16(日) 22:14:31 ID:32uSYD8b
>>倭人は元来内モンゴル、遼寧、楽浪海中に居ったんで。北方民族じゃ
    ろうが。中国史書を読まん者は可笑しげなことを云う。

!!中国史書を良く読んだら北方民族じゃ無く、呉の太伯の後也じゃと!!

自謂太伯之後(晋書)   倭者、自云太伯之後。俗皆文身(梁書)


308 :出土地不明:2009/08/16(日) 22:35:54 ID:R/bBtGSi

白馬さんは「主体思想」の教育でも受けられてるんですかね?
もっと皆さんの意見を聞いてあげる事も大事だと思いますよ
独断と偏見による自己主張論ばかりじゃ、嫌いな朱子学論者と
一緒ですよ。

309 :出土地不明:2009/08/16(日) 22:51:05 ID:S1s+rjD2
>>1 日本人、日本民族というのは日本語を使う民族ということだ。

 日本語と同系の語族が大陸に居ない以上、日本人は日本列島内で形成されたもので、どこから来たかという問いは無意味だろう。

 

310 :出土地不明:2009/08/16(日) 23:36:03 ID:LLN32UOz
今更、日本民族は無理だろ。

311 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/16(日) 23:40:44 ID:IeLrrCZa
>>276
わしゃあ、青谷の人骨は北方渡来形質で古墳期の尖兵的存在じゃ
過去スレでも云うとるじゃろうに。
>>278-297
宮崎は被征服民の隼人の地でぇ。日向隼人に大隈隼人、阿多(薩摩)隼人よ。
隼人は宮門で犬の吠えるまねをやらされとって人間扱いされとらんかった
のに、大和の征服民どころか奴隷民じゃないか。
>>285
糞馬鹿たれは、Y染色体の妄想を繰り返しよるだけじゃのう。
混血せん限り絶滅した縄文系が45%もおるわけ無いじゃろうに。
>>293
こんなも馬鹿じゃろうが。倭人は「後漢書」の時代、朝鮮〜北九州で
奴国が倭国の極南界と記してあるけぇ、倭人の主体は朝鮮におって、
ごく一部が日本列島におった云うことになるんで。
Yカルトは歴史も知らん、お馬鹿集団じゃのう。
>>304
古代ギリシャ人は征服者が東欧の大陸から来たにしても征服民も被征服民も
白人で。アルプス、ジナール系を混ぜた地中海人種じゃ。
>>305
歴史的事実から目をそむける逃げ腰学者のソースでも提示せえや。反論
しちゃるけぇ。

312 :出土地不明:2009/08/17(月) 00:15:24 ID:GDkYLRlU
>>311
>わしゃあ、青谷の人骨は北方渡来形質で古墳期の尖兵的存在じゃ
>過去スレでも云うとるじゃろうに。

だから大量に惨殺されてるのが渡来系気質の人骨だろうが。


313 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/17(月) 00:36:46 ID:5+TrEdbn
>>306
アメリカは日本人が夫餘・高句麗系としても、中国は江南起源にしたいん
じゃないか。
>>307
中国史書の「山海経」『魏志』「鮮卑伝」や『後漢書』の倭人伝は読んだん
か?漢に隷属した民族は『後漢書』の武陵蛮が始祖と漢族の婚姻したことに
したりする。日本の東国でも天皇家と始祖関係と結びつける説話は隷属
関係の構図で血族が事実と云う根拠は無いんじゃが。つまり漢隷属の
慕夏主義よ。ほいで呉の太伯が文身しとったとでも云う根拠はあるんか?
>>308
北朝鮮の「主体思想」に近いんは自民族の発展拡張の電波を飛ばす戦後
左翼史観の影響を受けた嫌韓ナチスのネット右翼じゃろうに。
マルクスもナチス優生学も大陸ドイツ観念論で似とるけぇ、ネット右翼が
左翼理論の継続者になっとるだけよ。国粋主義の朱子学も左翼史観も
攘夷、勧善懲悪で似とるけんのう。現代の○×式教育に洗脳された者は、
昔からエリート秀才もそうじゃが、理論云う机上の空理空論を振り回す
観念論が好きなんじゃないか。朱子学に傾倒するんも同様じゃ。
現実を視る視点に乏しい。あんたもその一員じゃろう。
>>309
日本人、日本民族が日本語を使う民族と云うたらアイヌ人の立場は
どうなるんか?アイヌ人は言語も奪われて日本語を使いよるんで。
英国のアイルランド、ウェイルズ、スコットランドのケルト先住民も
言語は強制された歴史から英語を使うが民族としてはイングランドと
違う自負を持っとる。日本国民のアイヌ人や琉球人も同様。
彼らは大和民族じゃ無いが、日本国民なんが現実じゃ。
民族と言語、国籍を安易に弄ぶなや。日本は単一民族国家じゃ無いし、
本土日本人が人種的にアイヌ人や琉球人より北東アジアの人種に近いと
しても、国籍として本土日本人も、アイヌ人、琉球人も日本人じゃ。

314 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/17(月) 00:41:28 ID:5+TrEdbn
>>312
馬鹿か。北九州〜山陰は弥生期から北方渡来形質が濃厚な地域じゃ。
渡来系同士の争いよ。弥生期の渡来系も縄文系も人口を減少させ、
4世紀の渡来系古墳人が大量移住するわけじゃ。

315 :出土地不明:2009/08/17(月) 00:46:46 ID:XG8jotpr
だからよ、日本人つぅのは、大和民族のことよ
頭入れとけ、大和言葉も喋れん大和民族さんよ。

316 :出土地不明:2009/08/17(月) 01:06:43 ID:GDkYLRlU
>>314
おまえが馬鹿か。
山陰最大の西谷3号墳は大量の朱と勾玉が出る。
文化的に縄文系だろ。
いい加減なこと言うなボケ。

317 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/17(月) 02:26:31 ID:5+TrEdbn
>>315
日本人は、大和民族だけなら、東北は蝦夷で却下。関東も東夷で
大和民族じゃ無い。南九州も隼人、熊襲の地で当然大和民族じゃ
あるまい。大和から吉備や出雲は文化的に近い独立君姓で大和と
異なるし大和言葉を使う日本人は近畿地方だけになるじゃないか。
文化的には西日本が大和民族として東日本は梅棹忠夫氏提案した
よう「東国家」のよう東人を名乗れ。
>>316
相変わらず馬鹿たれじゃのう。出雲に朱と勾玉が出土したら、
出雲がヒスイの勾玉の産地の北陸オロチに征服されたんか?
実際は出雲、高句麗系が高志(北陸)のオロチを征伐し、
出雲の神門郡古志郷に拉致した高志オロチらを労働力に使う
たんじゃ。いい加減な妄言垂れよるんはおどれど。

318 :出土地不明:2009/08/17(月) 03:14:53 ID:GDkYLRlU
>>317
>相変わらず馬鹿たれじゃのう。出雲に朱と勾玉が出土したら、
>出雲がヒスイの勾玉の産地の北陸オロチに征服されたんか?

意味不明、日本語になってない。
征服されたんかって征服なんてされてないと言ってるんだが。

>実際は出雲、高句麗系が高志(北陸)のオロチを征伐し、
>出雲の神門郡古志郷に拉致した高志オロチらを労働力に使う
たんじゃ。

何の証拠もないのにいい加減なこと言うな。
金玉たたきつぶすぞ、変態の田舎者が。

319 :出土地不明:2009/08/17(月) 04:08:22 ID:b2G7CwtW
>>313  日本人というのは人種でなくて大和民族、アイヌ人、沖縄人を含むものだ。

 人種という曖昧なものより言語というはっきり他国人と区別できる指標を使う方が適切な基準だ。

 アイヌ語、琉球語というほとんど死滅に近い言語があるので、厳密に言えば多民族国家とも言えるが、
もはや、ケルト人のように分離独立できるような異民族でもないしな。アメリカインディアンみたいな立場だろう。


320 :出土地不明:2009/08/17(月) 04:11:39 ID:b2G7CwtW
>>309 それならシナの満州人はシナ語を使っているが、歴史的にはシナ人ではないんで
満州人と呼び続ける方がいいということになるな。


321 :出土地不明:2009/08/17(月) 08:42:06 ID:XG8jotpr
>>319
あなたは、支配者言語大和言葉つうのを知らんだろ?w
何だその琉球語とやらは

322 :出土地不明:2009/08/17(月) 11:18:15 ID:b2G7CwtW
>>321 なんだその支配者言語大和言葉とは?

 万葉集の日本語は天皇から乞食まで同じ大和言葉だが。


323 :出土地不明:2009/08/17(月) 17:21:54 ID:oHUIj+Rj
!!白馬青牛さん下の写真本人?中々良い男じゃない?!!

http://spysee.jp/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E9%9D%92%E7%89%9B

!!二千円欲しさでオーマイに市民記者登録したんじゃろ。!!

324 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/17(月) 23:10:56 ID:5+TrEdbn
>>318
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/114.htm
http://www.genbu.net/date/ecyu/takase_title.htm
上の方の 三、出雲神や諏訪神とのつながり 縄文期から
出雲勢力が、ヒスイの産地じゃった糸魚川付近の越を侵攻した
ことは、『古事記』の高志(越)の八俣大蛇(ヤマタノオロチ)を退治に
反映されとる。
下の方は、大己貴命(大国主命)が北陸平定に由来すの高瀬神社
じゃが、「一説には祭神は高麗から渡って来た神」とあるよう、
出雲・高句麗勢力であろう。北陸は高句麗・新羅・伽耶・出雲も
日本海側から侵攻した渡来人によって侵攻された。
四隅突出墳、新羅の北朝系仏教、出雲神と様々な根拠がある。
ほいで、わりゃ、金玉握り潰す云うとるが、どがぁな方法で
潰すんなら?おどれみたぁな喧嘩が弱ぁ軟弱もんがどがぁに
出来るんかいのう。


325 :出土地不明:2009/08/17(月) 23:18:47 ID:6YD9nkGN
白馬青牛は人口、人口というなら入門書である速水融「歴史人口学を通じてみた江戸時代」程度は
読んでるんだろうな。それに経済発展と宗教を結びつける前に、いっぺん日本の経済史を勉強してくれやい。
天満屋という田舎百貨店は、創業者が大坂で修行していたときに天満宮に願かけよったのが
名前の由来で、白馬青牛風考察ではこの例だけで十分じゃろう。
宇喜多は地元領主だし、重臣以外、数多の国人衆を集めるメリットなんかあるかい。兵農分離なんか
きっちりとはしとらんで。で、関ヶ原で負けてそのまま地元で帰農な。小早川が改易後の新領主入邦の折、
小早川旧臣の反乱を元国人が阻止したところもある。
日本は一等国だの、他のアジアとは違うだのということで欧米との共通点を探そうとする試みは古くから多くあるが、
ウェーバーのプロ倫を念頭にプロテスタントにあたる日本の宗教があるかどうか探る、この方向はペケじゃ。
広島の今を反省し、昔の生活に戻せなどという真宗カルト門徒の与太話となると更にペケじゃ。
白馬青牛が挙げた勤勉、正直、節約、忍耐等真宗門徒の特徴したことは毛唐が日本に来た折に日本人の印象として
沢山書いているから、真宗門徒というより、宗派以前の日本人の特徴といえるだろう。当時の仏教は神仏混交で
これも考慮してないし。広島では医者といっても当時は藪医者じゃけえ、まじないの一種で治った気になっていた。
医者が多いのなんて医学とは端からなんも関係がないがな。まじないの一種でもシャーマニズムを格式化したのが
密教で、加持祈祷でも格式化しとる分、加持祈祷のほうがええわな。まあ、いくらなんでも医学と迷信がごっちゃに
なっとった広島人と違って、岡山人はきちんと分別ついとったわ。
近代という割には中絶に反対する非進歩的なキリスト教原理主義者を髣髴とさせる行動原理や教育の軽視も
見られるし、ものの見方に柔軟性もないしで、何がどう近代だったのかさっぱり。
自己実現をするには他者との共存が必須で、白馬青牛は社会生活を送ったことがあるんかいのう。白馬青牛こそ
公共を意識した行動をしてるんかいね、インフラただ乗りで感謝する風も見られんが。
前後を書かないで「岡山県人にゆだんするな」、「備前浪人は召しかかえるな」とは、またまた嘘吐き全開だ。
前者は宇垣の行状からで、後者で備前浪人とは小早川秀秋の旧臣のことかいな。秀秋を養子にしてから
小早川家からは安芸のもんは去ったんかいのう。備前浪人とは安芸のもんとはっきり書かんとな。
司馬もこういうエピソードを出した後、必ず弁明をする文章を書きよるが、白馬青牛如きばかたれに利用されるのを
仄かに期待してわざと書いとるけえ、禄でもねえ小説家じゃ。何々人が馬鹿だの利口だのはありゃあせん。
それを言い出せば、今の岡山人のほうが環境の違いもあって概ね「馬鹿」かもしれんでな。

326 :出土地不明:2009/08/17(月) 23:20:05 ID:6YD9nkGN
朝鮮のほうだった。
間違いごめん。
無視してちょ。

327 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/17(月) 23:47:10 ID:5+TrEdbn
>>324の下の方は、
http://www.genbu.net/data/ecyu/takase_title.htm
じゃったか。
>>319
分離独立じゃのうても、先住民の少数民族意識を尊重すべきであろう。
ほいで、琉球語が死滅しとるんか?わしらヤマトンチューにゃあ、
ウチナンチューの言葉が理解出来んでぇ。
>>309
満州は漢族流入まで主要民族は満州族じゃけぇ歴史的に漢人に対して
満州人云うてもええが、満州国が出来て、日本人の多数が考える満人
云うたら、漢族も含むけんのう。じゃけぇわしもあえて満州族云う
呼び方をしとる。
>>322
万葉の編纂された時代、天皇から乞食、あるいは地方まで同じ言語
じゃった根拠も無いわ。大伴氏がバイリンガルが知らんが、
歌を編纂する自体、読者層は畿内の支配層じゃけぇのう。
>>323
何じゃこりゃぁ、写真は誰が作ったんか知らんが、本人のわけあるまあ。
だいたい、わしに似とらんよ。わしゃあこかぁに歳くうとらんし、
スキンヘッドじゃなぁで。

328 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/18(火) 00:53:50 ID:1gylAKLE
>>325
「歴史人口学を通じてみた江戸時代」は斜め読みくらいじゃのう。
統計学手法は設定数値で差がでるけぇ、話半分ぐらいでええ。
基本的に西日本の方が人口増加傾向にあった云うことよ。
兵農分離なんか大阪の陣に至っても無いわ。農民云うか移動性の強い
焼畑民は家族同伴で勝手に戦争に参加して来るけんのう。
小早川旧臣は、秀秋が養子になった時、畿内や東海から連れて来た
もんがほとんどじゃろうに。安芸の旧臣は豊前へも行かんかったもん
が多かったけんのう。それだけ当時から故郷に愛着がある。
関ヶ原以降長州へ行った人達も安芸の郷里の話ばっかししとった
けぇのう。安芸なんか城下に家臣が集まらんで、兵力動員が遅れる
けぇ毛利輝元さんは秀吉に家臣の言いなりになるなと叱られたくらい
じゃけぇ、その伝統で萩へ行かず安芸へ残って帰農したもんがえっと
じゃ。備前が国人衆の独立性で城下に集まらんとしたら、
宇喜多秀家さんは、秀吉に叱られんかったんか?
神仏混合が日本人の特徴?浄土真宗じゃあ、神棚なんか置かんよ。
加持祈祷と同様な迷信の部類にされとる。シャーマンもおらん。
浄土真宗地帯は平家落人伝説、狩猟儀礼、農耕儀礼も欠落した部分が
ようけじゃけぇ、民俗学調査しづらい地域でもあるわ。
中絶に反対するんはカトリックもそうじゃが、カトリックは原理主義
なんか?原理主義なんか思想性が強い地域に起こるもんで、岡山人の
方にお似合いじゃろう。自己の幸福実現を唱えたあんたが、
他者との共存たぁ可笑しげなことを云う。まあ、横社会の西日本は
共存共栄じゃが「家」を中心に考える縦社会の東日本なら隣の家が
滅んだら、土地、被官、農奴も手に入れるけぇ得じゃと考える
じゃろうのう。司馬氏は真実の当否より話が面白かったら、
面白い方を優先されるよ。しかも司馬氏自身が「岡山人にゆだん」
して、南京虐殺で処刑された岡山人の谷寿夫氏の受け売りで
「坂の上の雲」という駄作を書かれたわい。
実際学力知能において馬鹿な広島人は、学力知能の高い山口、岡山の
両県で山口人の方を信用するけぇのう。岡山人は糞握り(ケチ)で、
商人気質が強いけぇ、司馬氏の言も嘘ばっかしじゃ無い実感を
持っとるよ。

329 :出土地不明:2009/08/18(火) 01:38:35 ID:yyoW+Sv+
>>324
おまえさぁ、考古学板で神話とかはもちろん、
神社の由緒書きの話はやめろ。
何がオロチだ馬鹿が。
オロチを考古学的に証明してみろ。
消えろクズ。

330 :出土地不明:2009/08/18(火) 01:58:39 ID:yyoW+Sv+
>>328
そんなダラダラ長文を書くくせに、
Y染色体は男系遺伝しないという学者の名前を一人も書けないのだなw

情 け な い オカマだなwww



331 :LUNAMASK:2009/08/18(火) 11:15:50 ID:VPGKPNRz
>>299-300
たしかに狗奴国の墓制などについては倭人伝に記述はなく、ましてや友好国の敵国、
わかるはずもない。しかし、赤塚次郎氏の名古屋・朝日遺跡研究における廻間土器・
S字甕・前方後円墳・前方後方墳の対立などへの考察を勘案すると卑弥呼没年に
平行する時代の東海の状況が後のヤマトタケル時代に継ぎ目なしにはっきりと
理解できる。更に大塚初重氏の解明している東日本の考古学的状況を勘案すると
魏志東夷伝的スコープで当時の東アジア状況がわかる。更にシベリアから沿海州
全域を総括、ユーラシア全域の考古学的発見と比較対象した結果をもとにして考えると
卑弥呼の時代に起こったことは東アジアの東胡と月氏の対立の出現であり、
神功皇后時代には月氏勢力が拡大したこと、継体時代にはそれをベースに秦氏、
蘇我氏が台頭したこと、物部氏は保守的東胡勢力筆頭であったが下野し、だが、
そうした勢力は後に別の藤原勢力として復活する筋書きが読みとれる。

332 :LUNAMASK:2009/08/18(火) 11:28:25 ID:VPGKPNRz
秋田物部氏の唐松神社において円形石積ケレクスルが出現することは東胡の最右
翼的思想にあっても円形プランへのこだわりが存在していたことを示しているが、
これは吉備において前方後円墳が確立したのではなく東胡族が本来持っていた
円形プラン、これは四隅突出型墳丘墓等が大型首長墳以前の段階であるのに対して
強力な首長が登場したということを東胡族が本来持っていた葬制上の表現形式で
具象化したものと考えられる。


333 :出土地不明:2009/08/18(火) 11:44:26 ID:fxE8aiTt
山陰・出雲に古代朝鮮人が侵入してきたのは疑いようがない。
山陰では、人のみならず犬さえも朝鮮の犬に遺伝的に近い。
朝鮮人が連れてきたのだろう。

334 :236の続き:2009/08/18(火) 12:39:09 ID:sTKZUmhw
古代史において、里芋の扱いはどういう状況なのでしょうか?

日本の行事の風習などから考えて、米の前は里芋が主食的地位にあった、
里芋に連作障害があることからして、それは焼き畑農耕であった、
と雰囲気的に思っているのですが、
そういう考えは異端ですか?

米の場合のプラントオパールのような、
里芋の存在を示す証拠は残らないものなのでしょうか?

縄文時代に伝わったと書いているサイトがありますが、
これはどういう根拠によるものなのでしょうか?

335 :334:2009/08/18(火) 12:42:25 ID:sTKZUmhw
>>334
の名前欄は、誤記ですので無視してください。

336 :出土地不明:2009/08/18(火) 18:31:51 ID:yyoW+Sv+
>>333

山陰のY染色体を見ないと何ともいえないよ。
朝鮮人に近いって分かってるのか?

337 :出土地不明:2009/08/18(火) 21:43:38 ID:477xgtyr
白馬青牛よ、「坂の上の雲」を貶すのは、君の旧士族に対する僻みかな。

338 :出土地不明:2009/08/18(火) 22:05:47 ID:cynAOyyU
アジアの混血なんでしょ?

339 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/19(水) 01:47:11 ID:awVeHcny
>>329-330
考古学板でも、わりゃ精度の低い単一遺伝標識のY染色体だけ
抽出して妄想しよるじゃないか。神話は文化人類学ゆえ総合的
考察に欠かせまぁに。オロチはツングース語で土地の人の意味じゃ
けぇ現地先住民云うことよ。考古学的に古墳期に北方渡来系
人骨が増えるが、出雲渡来勢力の浸透でオロチは土雲ゆえ、
縄文形質じゃった可能性が強いのう。
>>334
米が日本人の主食になったんは戦後からで半世紀の出来事よ。
里芋は雑穀類で焼畑耕作の系統。稲作でも水稲と違い陸稲は
焼畑耕作の系統に属する。それらは縄文期に日本へ伝わった
可能性が強いじゃろう。まあ、里芋は花粉を出さんけぇ存在を
確かめることが難しいし、イモ類は腐り易いし、植物遺体としても
見つかり難い。と、しても縄文後期の畑作の文化複合要素から。
>>336
馬鹿か。山陰のY染色体が解っても、渡来人か先住民かYだけで
判断出来るわけあるまぁ。他の遺伝標識や形質人類学の結果から
複合的、総合的に調べにゃあ。まあ、形質人類学的には、山陰は
渡来系じゃ。Yカルトは馬鹿たれじゃのう。

340 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/19(水) 02:09:16 ID:awVeHcny
>>337
司馬氏の「坂の上の雲」は岡山人の谷寿夫氏の「日露戦争機密史」が
ネタ本で、谷氏は、クラウゼヴッツ理論の受け売りで、戦利、
戦略論ドイツ式功利主義者じゃ。
近代合理主義信者の司馬氏が谷氏論に洗脳されただけよ。
旧士族云うて、上層部は単なる役人じゃないか。「拙者も逃げた
人数なり」で、要領よう姑息な手段で武士になったに過ぎん。
足軽の下級武士以外は低脳官僚云うことじゃ。
武士の妻は、夫が参勤交代の時期になったら不義密通の不倫男を
造るし武士妻女尻軽日記みたいもんよ。
ほいで低脳に僻んでどうすんなら。武士道は士族よりも、
武士の起源の一つである漁夫や猟師等に残った価値観よ。

341 :出土地不明:2009/08/19(水) 04:09:36 ID:4aqvqClD
坂の上の雲で出てくる軍の指導者達って、
有能な上に顔の堀が深いイケメン揃いだよな。
西日本出身者が多いが、四国とか南九州の血のせい?

342 :出土地不明:2009/08/19(水) 04:51:27 ID:+4pZahYY
朝鮮人(兄) 日本人(弟) アジアの常識

343 :334:2009/08/19(水) 10:06:57 ID:UCA5NMQM
>>339
里芋は、全く証拠が残らないのですか。
それで考古学者さんは怖くて書けないわけですね。
では、今後も、里芋と分かる圧着痕とか里芋の絵のある土器なりが発見されない限り
縄文時代の解説に里芋が出てくる可能性はほとんどないのでしょうね。

縄文時代と推測されているのは、
縄文時代遺跡に栽培の証拠が発見された植物から推測して、
これを栽培しているなら里芋も栽培していただろう
という推測方法のようですね。

里芋の北限は現在でも東北地方という南方型植物なので、
里芋が花粉を残すような植物ならば、
縄文時代以前の日本人の生活や起源の理解が変わっていたかもしれないのに
残念なことです。


344 :出土地不明:2009/08/19(水) 10:10:02 ID:Ll0tta8H
漢人、倭人、モンゴル人、ツングース(親)、朝鮮人(子) アジアの常識


345 :出土地不明:2009/08/19(水) 10:29:12 ID:Ll0tta8H
>>327 少なくとも畿内の日本語と関東の防人階級では同じ日本語で方言差しかなかったことが万葉集から分かる。

 日本国内での他言語ならアイヌ語だけだっただろう。その他、粛慎、ポリネシア系言語が僻地、離島に細々と残っていたかも知れんという程度だ。



346 :出土地不明:2009/08/19(水) 12:41:22 ID:G4CmgEQs

!!白馬青牛さん下の写真本人?中々良い男じゃない?!!

http://spysee.jp/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E9%9D%92%E7%89%9B

!!二千円欲しさでオーマイに市民記者登録したんじゃろ。!!


347 :出土地不明:2009/08/19(水) 12:42:18 ID:G4CmgEQs

!!白馬青牛さん下の写真本人?中々良い男じゃない?!!

http://spysee.jp/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E9%9D%92%E7%89%9B

!!二千円欲しさでオーマイに市民記者登録したんじゃろ。!!


348 :出土地不明:2009/08/19(水) 13:13:47 ID:mU/I8QCi
>>339
>精度の低い単一遺伝標識のY染色体

だから男系遺伝しないと言ってる学者の名前を一人も出せないのだな?

おいジジイ。
答えろ。

349 :出土地不明:2009/08/19(水) 21:15:19 ID:GSRgXM30
白馬さんよ、あんたみたいな「馬の骨」の子孫は良いね。
祖先のことなど何も分からないんだから。
あんたみたいな特殊な階級の旧士族に対する僻みは凄いんだね。


350 :出土地不明:2009/08/19(水) 22:18:44 ID:BWL+UnCm
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

351 :出土地不明:2009/08/19(水) 22:19:53 ID:BWL+UnCm
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

352 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/19(水) 23:45:18 ID:awVeHcny
>>341
明治期の軍の指導者は有能な者より無能な者が多いにしても、下級武士、
足軽出身者が多いだけ、昭和の軍の秀才エリート指導者よりましじゃろう。
明治の軍指導者の顔では、長州系はベルツ氏の満州・朝鮮系の日本の
上流階級に多い公家顔の長州型じゃのう。山県有朋氏なんか典型よのう。
薩摩の大山巌氏なんか東日本や庶民に多い縄文形質の薩摩型。
伊予の秋山兄弟は立体的な顔をしとる。特に秋山好古氏なんか西洋人的な
容貌じゃのう。多分瀬戸内の蝦夷系佐伯の末裔の残存が強う出たんじゃ
ろう。

353 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/20(木) 00:40:54 ID:73ENbdrS
>>343
出土品や文書の記録に残るんは、ごく一部の物ですよ。
考古学者でも明治生まれの騎馬民族説で有名な江上波夫氏なんかは、
将来の発掘も考慮して、多くの考古学者が朝鮮南部の伽耶地方に
騎馬民族要素、馬具が無いと云う批判にさらされたけど、伽耶地方に
大量の馬具が発見され、騎馬民族説批判者が恥をかいたことも
ありましたね。今の考古学者は仮説に乏しく、出土品が出てから
私見を述べるだけで、学者とも思えん臆病さで、自分の見識が
間違うておった結果が出たら怖いんでしょうね。
里芋は縄文後期に伝わったんは仮説ですが、可能性として、
弥生期や古墳期より高いだけです。学問は仮説ですから証拠じゃ
無いですよ。事象が解らん場合どの時期が可能性が高いかの
問題となります。出土品や記録文書に出んことを考察するんが
人文科学ですから、多面的要素から判断するんですよ。
植物生態は気候条件によるので、生活は兎も角、人の起源とは、
違うんですけど。
>>345
畿内の上層階層に解るように書かれた万葉集から、本当の防人が
使うとった言語が解るけ無いじゃないか。現代の日本でもTVの
報道番組なんか方言に標準語のルビしとるんで。
ましてや当時東夷の吾妻言葉なんか異国語じゃろうに。
>>348
千年単位で男系遺伝子型がそのまま継続された根拠を指摘した
学者もおらんど。じゃけぇ空理空論よ。
>>349
わしが「馬の骨」の子孫なら、大名に出世した連中も、先祖の
知れん「馬の骨」になろう。
ほいで、特殊な階級から出世したんが、旧士族に多いんじゃないか。
徳川氏に限らず、屠殺者、芸能民と同一階級なんが武士じゃし。
武士はカタギじゃ無いけんのう。現代のヤクザや芸能人の多くの
出自となんら変わらんよ。じゃけぇ、逮捕されて話題になっとる
のりピーちゃんが、武士の妻女を演じるんがリアルじゃろうね。

354 :出土地不明:2009/08/20(木) 00:44:13 ID:ks8kJEIr
>>353
>千年単位で男系遺伝子型がそのまま継続された根拠を指摘した
学者もおらんど。じゃけぇ空理空論よ。

アホか。遺伝するなら継続するじゃないか。
結局、男系遺伝しないという学者の名前を一人も出せないのだな?

355 :62:2009/08/20(木) 03:11:08 ID:RCkD23tL
日本人の生物学的ルーツの多くは、遺伝的に見ても縄文人D2と弥生人O2b。
だが歴史をみると、常に少数の北アジア渡来系が獅子身中の虫となってきたと疑われることが多い。
(古代以来では平安京を拠点に隠然と閨閥を維持してきた藤原氏が、北東アジア系の弊害の代表かと思う。)

日本の軍事・外交的天才、英雄達

 東郷平八郎元帥(日露戦争にてバルチック艦隊に圧勝。世界史的な提督。)
 http://bbs16.meiwasuisan.com/bbs/history/img/12326449000001.jpg

 秋山真之(日露戦争にて、東郷平八郎の下で作戦参謀)
 http://www.jacar.go.jp/english/nichiro/img3/saneyuki_01.jpg

 陸奥宗光(治外法権の撤廃に成功。明治の外交的成功の立役者。)
 http://nikko-spot.com/blog/bw_uploads/l6SJnI9AjPU.jpg

 秋山好古(日露戦争にて、世界最強の騎兵集団を撃破)
 http://www.jacar.go.jp/english/nichiro/img3/yoshifuru_03.jpg


日本の売国奴、腐敗リーダー達

 山縣有朋(明治政府の官僚機構を支配し権勢を振るった。晩年はソ連の走狗。)
 ※1910年の韓国併合を強行。増税による天文学的な金額を朝鮮へ振り向けた。
 ※特に巨大な私的利権を形成したことで有名な人物。
 http://www.yoshida-shoin.com/monka/Yamagata2.jpg

 後藤新平(南満洲鉄道初代総裁。スターリンに心酔。政党政治を破壊。)
 http://www.bunka.pref.iwate.jp/rekishi/yukari/data/photo/shinpei.jpg

 尾崎秀実(近衛文麿とともに日本を対中・対米英戦争へ誘導。ソ連KGB工作員。)
 http://www.iwanami.co.jp/moreinfo/6030750/img/hotsumi.jpg

 伊藤博文(ロシアへの売国奴。日英同盟を破壊。親韓派。)
 http://www.ndl.go.jp/portrait/1024_1536/419-34/0001_l.jpg

356 :出土地不明:2009/08/20(木) 05:52:16 ID:EbgatoXw
>>353 >>畿内の上層階層に解るように書かれた万葉集から、本当の防人が
使うとった言語が解るけ無いじゃないか。

・・・防人の歌には東国方言をそのまま書いてあるが、畿内上層部に解かりやすいように書いているのか?

 解かりにくい方言をそのまま書いてあるんだが。

357 :出土地不明:2009/08/20(木) 07:05:09 ID:EbgatoXw
>>353 防人が故郷の関東ではアイヌ語をしゃべっていたバイリンガルだった、という証拠でもあるんか?


358 :出土地不明:2009/08/20(木) 09:45:59 ID:ks8kJEIr
>>353
>大量の馬具が発見され、騎馬民族説批判者が恥をかいたことも
ありましたね

騎馬民族説批判者は恥をかいてないが。
単に乗馬道具として輸入しただけの馬具なのに、
大陸人が日本を征服したなんて言ってた江上や、
その信者であるおまえが恥かきなんだが。
現在、車が世界中にあるがドイツ人が世界制覇したわけではないのと同じ。

359 :出土地不明:2009/08/20(木) 14:26:19 ID:8c1Aar3E
  >日朝間には縄文頃より交流は有るが、木の曲げ物(杓子、樽作りの技術が無いので
甕を多く使う)水車等は明治に入るまで無かった。つまり幾ら交流が有っても興味が無い、必要性
(宗教上含)が無い、技術が無い、唐の様に絹の製法を国家管理してる場合などは伝達しにくい。

>朝鮮人が水車の技術を導入しようと苦慮していたことに関しては、1880年代になっても
金弘集が「朝鮮には灌漑設備がない。水車もない」と未開性を嘆いていた。つまり、朝鮮人は、
朴端生が1429年に日本に来た後、500年近くかけても水車を実用化できなかったということだ。


360 :出土地不明:2009/08/20(木) 16:15:31 ID:PIwEautI
結局、このスレって、日本人がどこから来たのか考えつつ、単一ルートのみしか考えられない人を論破する混合民族論者のスレなんだよね。
つまらない人には揚げ足とってるだけにしか見えないんじゃないかなぁ。

361 :出土地不明:2009/08/20(木) 17:09:34 ID:Jt+iw0Ou
まず文化的・言語的な共通集団である日本人なるものはいつ成立したんだよ?

362 :出土地不明:2009/08/20(木) 18:27:19 ID:WUda2LSY
大和朝廷の東方侵略で成立
各地の有力者が日本人を意識するようになる

363 :出土地不明:2009/08/20(木) 19:40:00 ID:3t1bi4W+
>>361
倭国大乱後の卑弥呼共立

364 :出土地不明:2009/08/20(木) 19:47:23 ID:1IefFZ2Y
>>360
で、それを裏で牽引してるのが台湾政府工作員とそのシンパ。

あらかじめ誘導工作用に用意された、

最初から親が勝つように仕組まれた、

「誘導工作に不都合な文物や他の遺伝学との整合性の一切ない、
最初からどうとでも解釈できるYを使った自分たち台湾チンクに
好都合に創作した解釈」

を頭の弱い日本人に向かってそうなるまで永遠に組織で焚き付け殺してるってわけ。

365 :出土地不明:2009/08/20(木) 21:10:49 ID:Jt+iw0Ou
現在の三島(本州九州四国)を完全に支配したのって明治だろ?

366 :出土地不明:2009/08/20(木) 21:28:42 ID:DrjOQHJG
四国は本州の延長

むしろ東国のほうが異人地で、稲作のルーツである西方は大和政権と親和性が高い

367 :出土地不明:2009/08/20(木) 21:51:29 ID:EbgatoXw
>>365 江戸時代には東北にも北海道の松前にも藩があっただろう。


368 :出土地不明:2009/08/20(木) 22:17:35 ID:9oih1DNc
>>360
というか何か必死に自分の考えと違う人間を工作員認定したりカルト信者認定したりする連中ばかりだな
こんなんじゃまともな議論は望めんと思うよ
誰が〇〇厨だとはあえて言わないがしっかり議論して欲しいわ

369 :出土地不明:2009/08/20(木) 22:57:40 ID:l//njXBb
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

370 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/20(木) 23:05:11 ID:73ENbdrS
>>355
東郷平八郎氏は、対英米強硬派(艦隊派)に担ぎあげられたわいのう。
広島人の加藤友三郎氏は英米協調派で業いったもんよ。
山県有朋氏を含め長州閥主流派は親英米派じゃし、日英同盟が解消したんは
1923年(大正12年)で、伊藤博文が当時生きとらんのに、日英同盟を破壊
出来るわけあるまい。途中にソ連側のスパイじゃった尾崎秀実氏を
挟むことで姑息な印象工作しよるのう。じゃけぇ嫌韓ナチス大陸
朱子学崇拝者のYカルトは嘘吐きじゃわいや。
なんぼ朱子学派が南宋の敵で夷狄と嫌う満州族(女真族)と容貌が
似とる長州人を貶め、朱子学薩南学派の薩摩出身者を賛美する。
北東アジアの弊害じゃの生物決定論のナチス優生学じゃあるまいし。
日本が北東アジアの渡来人の国なならんかったら、今頃フィリピンと同様の
公用語が英語の国になったろうね。
またあんたらカルトは自分政治信条と違う人間は売国奴云う処も朱子学
勧善懲悪論で自分の思想は善で、違う思想を持つもんは悪と決め付け
たいんじゃろう。東郷平八郎が対英米強硬派でも、日露戦争の
指揮官として評価出来るけぇ売国奴じゃ思わんし、逆に親英米派の
長州閥も売国奴じゃ思わんのが、思想洗脳されとらん、普通の者の
見解じゃ。Yカルトは蔵琢也氏を先頭にあんたも政治運動しずぎじゃ。
まあ、政治思想の為にY染色体を利用したいだけじゃろうけど。
薩南学派の姑息な手段を使う薩摩贔屓にゃあ笑えるが、あんたら朱子学派
は、バレる嘘を平気で吐くけんのう。

371 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/20(木) 23:42:27 ID:73ENbdrS
>>356-357
東国方言をそのまま云う根拠は?関東では、渡来系が流入して高句麗語、
新羅語を話しとった集団も、原住民のおそらくアイヌ語系を話す
人達もおったろう。徴発された奴隷民の防人がどの言語を話したか
解るわけあるまい。大伴氏が奴隷兵を徴発して、大伴氏経由の詩じゃし
のう。
>>358
伽耶の支配層は木槨墓で墓制まで北方騎馬民族じゃけぇ残念じゃのう。
しかも、日本列島においては、埴輪の服装まで北方民族の胡服じゃ。
弥生期の列島倭人の継続なら服装も事大した中華風、南朝風にしたろうに、
夷狄の北方民族の真似をするたぁのう。全体的に見て輸入説は
却下されるのう。
>>361-363
文化・言語集団の日本人の成立は、6〜7世紀の国家形成期以降。
倭国大乱期は黄巾の乱と同時代で、日本列島でも人口を減らしたのに
日本語が成立するわけがあるまぁ。
>>366
異人は畿内でも吉野以南の山岳地帯は稲作民で無い、焼畑民の土蜘蛛の
住まう異境。東北でも平地の田蝦夷と山に住む荒蝦夷の類は違う。
じゃあ焼畑の方が縄文系か云うたら、高句麗系の様に山地焼畑を生業に
した渡来系が居るけぇ、縄文直系でも無い。文化的違いじゃろう。
彼等山地の焼畑狩猟民は武士や芸能民の一つの起源であるが、
近世領主の山狩りによって勢力が衰えた。彼等が里や町へ出て、
侠客や歌舞伎、売春業、屠殺業と職分化されるわけじゃが。

372 :出土地不明:2009/08/21(金) 00:20:12 ID:uD3d5GZm
!!牛っ、お前の頭は腐ってるんか!!!!!!!!

もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の
誇り高き武器、彎弓、短弓が広がらず日本古来の和弓、長弓のままなのかね?

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。例、愛新覚羅。もう氏ね氏ね氏ね!!!!!


373 :出土地不明:2009/08/21(金) 00:41:00 ID:95KKv33x
>>371
>伽耶の支配層は木槨墓で墓制まで北方騎馬民族じゃけぇ残念じゃのう

だからその木槨墓が日本で見つかってないのだから、
騎馬民族説なんて成立しないじゃないか。
アホだろおまえw

374 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/21(金) 01:00:16 ID:vzO/hFtq
>>372
五胡、北朝の時代は重装騎兵、重装歩兵の時代ど。
北方胡族も長弓を使うとったよ。軽装騎兵や軽装歩兵において
スキタイ式彎弓を使うたんで。重装、軽装の弓の違いは、
パルティア時代から成立しとる。また、日本の長弓が弥生期から
使われた根拠も乏しいけどのう。
また騎馬民族説批判者が彎刀が蕨手刀以前に無いとも云うとるが、
湾刀は中央アジアでは多分ハザールが最初で、民族移動期に彎刀を
騎馬民族が一般的に使うた根拠も無いのに、騎馬民族説批判者は、
同じ言を繰り返す、あたかもお経を唱えて繰り返したら、
一般の人が真実と錯覚する期待からじゃろう。
倭人系の名前?と何を根拠に判断しとるんか?
その根拠を提示せにゃあ、お経を唱えとるんと一緒でぇ。

375 :出土地不明:2009/08/21(金) 01:10:10 ID:44ix0BVh
>>374
お前は弥生時代銅鐸の弓を射る人物像の絵を100回見て来い。命令ダ!

376 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/21(金) 01:28:27 ID:vzO/hFtq
>>373
木槨墓は、岡山の四御神湯迫車塚にも見えよう。
四隅突出墳は、高句麗の方墳プランじゃし、前方後円墳も方墳
プランと立体的にも高句麗影響じゃろうに。
>>375
銅鐸の弓が長いんなら、敦煌莫高窟の鮮卑騎馬戦闘図の弓も長い
ねぇ。じゃが銅鐸の狩猟は、穀物だけで喰えん状況じゃったんじゃ
ろうのう。

377 :出土地不明:2009/08/21(金) 01:57:10 ID:95KKv33x
>>376
>木槨墓は、岡山の四御神湯迫車塚にも見えよう。

大王墓じゃないし、前方後円墳じゃねぇのか?
全然違うじゃねぇか。
都合のいい部分だけすり合わせるなボケ。

>四隅突出墳は、高句麗の方墳プランじゃし、前方後円墳も方墳
>プランと立体的にも高句麗影響じゃろうに

高句麗の影響なんてまったくない。
山陰の四隅突出墳出土品で高句麗と関連するもの言ってみろ。



378 :出土地不明:2009/08/21(金) 10:09:55 ID:udNeaJJa
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━

379 :出土地不明:2009/08/21(金) 12:18:06 ID:QwRFtShQ
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

380 :LUNAMASK:2009/08/21(金) 12:23:49 ID:vls9ai9+
主に宮崎県方面にある地下式横穴墳、これはコーカサス・黒海北岸のカタコーム墳
文化に由来し、これは下記の肥後型石室墳が突厥に近い時代の南シベリアに出現する
のとは違ってその極東への出現は殷周革命時代の前であろう。
http://www.jomon-no-mori.jp/no9.htm
熊本県にある肥後型石室墳、これは全国に広がる。↓
http://kobunken.web.infoseek.co.jp/note/note1/note1.htm
これが秦氏が招来した夕月民、月氏であるとすれば、宮崎の地下式横穴墳は山東半島
・遼東半島・吉林省・朝鮮半島・九州北部に入った支石墓文化にかかわるもの考えら
れる。

381 :LUNAMASK:2009/08/21(金) 12:43:00 ID:vls9ai9+
日本では肥後トンカラリン遺跡で見られる人工的頭骨変形は山東省↓から半島(辰韓)
経由で来たものと考えられるが、これはスキタイ・サルマート族に特徴的。サルマート
族は銅鏡を集める特性を持つ。この先祖が地下横穴式(カタコーム)文化人。
「史前的東夷人,流行頭骨人工變形的習俗。所謂頭骨人工變形,俗稱扁頭,就是人為
的使枕骨變扁。(山東省)泰安大?口墓地、(山東省)曲阜西夏侯墓地、(山東省)諸城
呈子遺址、(山東省)?縣魯家口遺址、(山東省)膠縣三里遺址、(山東省)鄒縣野店遺
址及江蘇大?子遺址等地出土的人骨中都有發現。此為東夷特有的習俗(15)」
従って支石墓は山東省に入ったカタコーム文化人(イラン系以前の印欧語)が、ちょうど
同時期にインドに入るアーリア族(支石墓・甕棺)同様に持ち込んだのであろう。
支石墓にはピラミッド・ストーンサークルなどににた民力結集の効果がある。
「史前的東夷,曾流行石棚墓葬的習俗。石棚墓葬,又稱支石墓、大石棚或石室文化。
就是在地面上豎立3-4塊石板,上面再蓋一塊大石板構成的墓室。山東龍山文化時期
的石槨墓,大約是這種葬俗的雛形。建國後,山東地區,特別是山東半島,多有此類
墓葬的發現(30)。?外在江蘇北部的連雲港地區,亦“有著相當密集的分?”(31)。」
李コ山 撰
《東北師大學報:哲社版》,1995/04,91〜96頁

382 :LUNAMASK:2009/08/21(金) 12:59:45 ID:vls9ai9+
「堯舜禹の史實として傳へらるゝ記事が創作物なりとせば、そは何れの時代に於いて製
作せられしか。換言せば易、陰陽、五行、十二宮、二十八宿等の思想智識はいづれの
時代に現はれしか。これ當面の問題也。
 禹の九州の事は『書經』の中にも見え、齊の鄒衍之をいひ、堯舜禹のことは孔子が堯
を天に譬へしに徴せば、今日傳へらるゝが如き堯は孔子時代にも知られしなるべく、又
『詩經』の時代にも知られし也。次に十二宮、二十八宿の中の星の名は『詩經』に見え、
陰陽の思想は『詩經』になく『論語』にも見當らざれども、これらのものに發見せられずと
て全然之を否認するは不合理なり。されば他の事實より類推して之も亦同時代のものと
するを得んか。然らばこれらの思想智識は春秋時代に於いて孔子時代以前に存せしは
明也。されど禹貢の九州が荊州即ち楚の地を含めるに見、一方この地方の知られたる
は春秋時代なるに見ば、兎に角周時代まで泝らせ得べきには非ざる也。
 もしこの臆説を眞とせば、次に考ふべきはこの思想は支那本來のものなりや、はた
外來のものなりやの問題なり。思ふに陰陽及び天地人三才の思想はカルデアにも
アッシリアにも存し、イラン民族に起りしゾロアスターの教は、陰神陽神を設けてその
世界觀を説きたり。印度にては三才の思想は梨倶吠陀(リグヴェーダ)に存し、佛教の
眞如と無明とは陰陽思想の變形なり。この思想はアリアン及びセミチック種に著きが
如し。而して二十八宿は印度にては二十七宿( 初めは二十八宿なりし也、ナクシ
ヤトラといふ )にして、アラビアにては二十八宿なり。この類似は三者偶發的とする
よりも、同一起源に基けるものと考ふるを至當とす。その起源に就きては、從來之れが
研究に從へる西人の間に考説の區々なるありと雖、とまれセミチック族に起りしものな
らん。支那より西方に移り行きしものとは考ふる能はず。而してラッセンによれば二十八
宿の印度に入りしは、西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明ならざれども、支那
に入れるもその前後なるべきか。」 白鳥庫吉
明治四十五年二月二十二日、漢學研究會の講演、明治四十五年四月『東亞研究』
第二卷第四號



383 :LUNAMASK:2009/08/21(金) 13:54:43 ID:vls9ai9+
「コノハナサクヤヒメを嫁にと願う鬼は山の神、オオヤマツミの指示どおり一夜にして岩屋
を造り遂げます。
安心した鬼はうつらうつら・・・夜が明けて鬼がおきて見るとちゃんと完成したはずの
岩屋の石が一枚抜けています。
これは朝、鬼が寝ている間にオオヤマツミが石を一枚抜き取った跡とも言われてい
ます。
オオヤマツミが朝あわてて岩屋から抜き取って投げたこの石は 西都市の石貫神社
参道入口に据えられている。
古墳の入口から玄室に至る道の天井に大きな隙間があります。
鬼の窟古墳という名前はこの伝説から由来しているのでしょうね。
 東霧島神社(つまきりしま神社)の鬼岩階段にも同様の伝説がある・・・。」
http://www.pmiyazaki.com/saitobaru_on/
古墳・巨石遺跡は鬼が通婚・通商のため現地人に向けて役務提供を行うもので
九州北部の支石墓の遺骨が縄文人のものであったり、コーカサスにおけるウルク
文化マイコープ人の墓が巨石文化・印欧語文化人によって建設されたりするが、
役務jも商行為の対価として解釈すれば理解できる。


384 :LUNAMASK:2009/08/21(金) 15:06:45 ID:vls9ai9+
頭骨変形は大月氏国にもある↓
http://www.iriston.com/nogbon/pictures/Tabol/jivko_cherep_07.jpg
辰韓に千年間も逼塞していたとするよりは大月支国自体がカタコーム(ヒッタイト・トカラ・
ケルト等の関係)・サルマート関係とエフタル・ソグド等パミール・フェルガナ系との
混成民族との考え方もできる。

385 :出土地不明:2009/08/21(金) 15:46:47 ID:QwRFtShQ
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

386 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/21(金) 23:23:57 ID:vzO/hFtq
>>377
>高句麗の影響なんてまったくない。云う根拠は?
四隅突出墳自体、方墳高句麗プランじゃ。
しか四隅突出墳の被葬者は、高顔北方形質じゃけぇ、日本列島の
原住民じゃ無いのう。

387 :出土地不明:2009/08/22(土) 00:06:47 ID:mBfcTJNf
>>386
>四隅突出墳自体、方墳高句麗プランじゃ。

方墳高句麗プランて何なんだ?
副葬品の類似は言えないのか?
類似してないのに高句麗系なんてなるわけないだろうがボケ。
いい歳こいてそんなことも分からないのか。


388 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/22(土) 01:45:00 ID:F/XLZEfs
>>387
http://www.kodai-bunmei.net/bbs/bbs.php?i=200&c=400&m=201876
水野祐氏の方墳文化には細部に問題があるが、概ねの傾向として、
四隅突出墳は高句麗→出雲じゃし、出雲、北陸、信州、東国が
新羅系北朝仏教であったこと、日本海側から東国は高句麗、新羅、
伽耶の満州・朝鮮の日本海側の勢力圏にあった。
東国でも信州は高句麗系が多く、上野には新羅系が多い等
地域による違いはあるが、出雲神信仰で元来黄海側から渡来した
鮮卑、百済、伽耶の征服した大和王朝系じゃない。
副葬品も弥生期の現地民の物から古墳期になると須恵器、土師器と
渡来系文物が出て来る。枝葉じゃない全体的考察から、
渡来系じゃ云うとるんで。わりゃ毎度馬鹿じゃのう。

389 :出土地不明:2009/08/22(土) 01:56:33 ID:mBfcTJNf
>>388
何が全体的考察だよ。
まず渡来系にしたいという前提があって、
適当にすりあわしてるだけだろが。
10の出土品のうち1が渡来系であっても、その古墳の被葬者は渡来系にはならない。
残り9の方が意味が重いからな。
考古学の鉄則だボケ。

だいたい水野祐が何なんだ。
水野のネオ騎馬民族説なんてのも今じゃどう成立できると言うのだ?
おまえっていつも学者の名前出してその権威で説明するけど、
心底権威に弱い権威従順主義者のようだな、情けな〜W

390 :出土地不明:2009/08/22(土) 12:10:07 ID:q3vv4IiW
>>389
そのくせ、全てに一知半解
基礎が無いから解釈が滅茶苦茶なんだよなー。
何歳なんだろうか?科学的知識レベルは中学生以下だが、
雑学的知識は割と持っているみたいだから、60歳以上かな(^o^)

391 :出土地不明:2009/08/22(土) 17:53:03 ID:ptjXmZYB
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

392 :出土地不明:2009/08/22(土) 17:54:45 ID:ptjXmZYB
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





393 :出土地不明:2009/08/22(土) 17:55:59 ID:ptjXmZYB
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

394 :出土地不明:2009/08/22(土) 22:30:44 ID:gQK9WAgZ
>白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA

こいつほんとカルト臭がただようわ。NGワードに入れたほうが良いと思う。

395 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/22(土) 23:39:25 ID:F/XLZEfs
>>389
四隅突出墳で縄文系形質の被葬者が出土した例を提示せにゃあ。
水野祐氏の縄文馬など現在否定されとるもんも多いけど、
騎馬民族日本征服説の江上説とツングース水軍日本征服説の梅棹氏が
戦国時代南へ出て鎖国せんかったら海洋国家として覇を唱えたろう
とする期待論に対して批判的で水野氏ご自身の戦争体験から実例から
語られる現実的な識見を示しておられるよ。
水野氏は、日本民族の主流をなす種族として鳥居龍蔵氏や西村真次氏
の日本人の基本人種は南ツングース族であることに同意されても、
日本は歴史上騎馬戦闘技術に乏しく、騎馬運用の例は近江朝側の
渡来系田辺小隅(田辺史は東漢氏と同様鮮卑、百済、伽耶系)の
奇襲しかないとされる。水野氏の戦争体験で騎馬隊を造ったが、
馬賊討伐に落伍する兵、馬を逃がす兵で混乱して、そこへ敵の
騎馬隊が来て、一斉射撃で日本の騎馬隊が全滅した。
「なにしろ向こうの騎馬の連中は、手綱も外してうしろを向きに
なって、ちゃんと正確に狙って射ってくるのです、小銃で。
あんなものには絶対かなわないと思ってみていたのです。
私の父は日露戦争に行きまして、旭川の騎兵隊で、いつもとにかく
日本の騎兵は弱いんだといってました。ロシアのコザック騎兵
なんかに絶対かなわないから、コザックが来たら逃げた話ばかり
聞かされてました。(後に日本の)騎兵の主任務は斥候ですから敵に
見つかる前に逃げるというわけがわかったんです。」
まあ、日本は伝統的に騎馬戦闘下手じゃ。

396 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/23(日) 00:14:27 ID:H6tP9pw2
>>389
ほいで>>395の続き。今度は水野祐氏の日本水軍論じゃ。
水野氏は日本を航海民の国としながら、「日本の組織化された水軍は
弱いのです。伝統的にいつも最後は負けています。(例外的に)日露戦争の
日本海海戦は勝つのが当然なんです。ロシアのロジェンスキー艦隊は、
途中イギリスなどのいやがらせを各地で受けて、補給も休養もとれない
まま、日本海にたどりついた。これに対して元気一杯の日本の艦隊が全力で
ぶつかったのですから、ボクシングで何回戦かやったあとの疲れ果てた
選手と全然疲れてない選手がぶつかって試合をしたようなもんですから、
勝つのが当然です。古代の白村江の海戦一つとっても海軍が強いというのは
間違えだと解ることですし、朝鮮の役だって、太平洋戦争でも、
日本の連合艦隊は最後に全滅に近い負け方をしています。それほど日本の
水軍は元来強く無くて、それは船が小さいし資力もないためです。」
まあ、元寇でも海戦じゃのうて、敵船へ侵入する肉弾攻撃じゃし、
日本の船自体が船体でぶつかったところで壊されるけんのう。
日本は騎馬も海戦も伝統的に駄目。残るんは歩兵しかないわ。
 わしゃは、江上説とも梅棹説とも水野説とも部分的に違うし、
権威云々じゃあるまい。逆に権威に従順なんはYカルトで、共産主義者が
科学的唯物論を主張するよう、>>390のYカルトが科学的云う抽象論で、
低脳市民が崇拝したがる科学云う魔法の権威を使いがっとることから、
権威に対する奴隷根性はYカルト側じゃと解ろうに。

397 :出土地不明:2009/08/23(日) 01:25:17 ID:AM40x27V
>>395
>四隅突出墳で縄文系形質の被葬者が出土した例を提示せにゃあ

アホか、弥生時代以降にはいわゆる弥生人的な人骨だろうが。
しいて言えば青木遺跡に抜歯習俗の人骨が見付かってるがな。
それより四隅突出墳の出土品に高句麗由来のもの言えよ。
そんなものあるかよバカが。
四隅突出墳が高句麗系などとは残念ながら定説とは程遠い。
誰も言うわけねぇよボケ、誰がそんな論文書いてるんだよ。
何をうざい長文書いてるんだアホが。

398 :出土地不明:2009/08/23(日) 02:36:16 ID:KldpqDIc
>>396
すいません。素人なんですが、ちょっと気になったので。

古代の水軍を語る時に、1000年以上も後の時代の海軍が参考になるんですか?
イタリアとか第二次大戦での弱さからは考えられないくらい、中世の海軍は強かったですし。

あと、大砲が充実するまでの時代、海戦の基本は接舷切り込みと体当たり
だったようですが、なぜ元寇での敵船侵入攻撃は海戦に当たらないのでしょうか?

何か、無関係の出来事を並べたて、さらに恣意的に解釈しているように感じます。
その上、それが伝統だから古代もそうだった、という論理展開は客観性に欠けないでしょうか?

個人的には、騎馬民族征服王朝説はロマンがあって大好きなのですが、
>>396に限らず以前からの、無関係な話や恣意的な解釈が、征服説の分を悪くしてるように感じます。

勝手言ってすいません。でも、1ファンとして、客観的でフェアに証明がされて欲しいと願ってます。

399 :出土地不明:2009/08/23(日) 03:09:20 ID:skbvW8J+
>>201
>韓国人は何故、自分が中国系だと言い張るんだろう。
>ソフトバンクの孫も結婚する頃は華僑だと言い張ってたよね。

米国留学時代に自分は華僑の息子と言い触れて、
お嬢様と結婚したと、昔、週刊誌に記事が出てたね。
しかも、そのお嬢様も没落お嬢様でお互いに…という
オチが付いてた。

「孫正義 華僑」でググってみたら面白かったよ。

本とのところはどうなんだろう?

400 :出土地不明:2009/08/23(日) 03:40:44 ID:7Ydlz1CU
>>395
>四隅突出墳で縄文系形質の被葬者が出土した例を提示せにゃあ

ただの通り過ぎだが、あまりにも的外れで我慢できなくなった。
奇抜な見出しの帯が付いた本が好きそうだけど、大学1回生が読む考古学概説書から読みなさい。
コテハン名乗るほど自己顕示欲強いんだから、基本的なこと分かってないと恥かくばっかりだ。
四隅じゃなくてもいいけど、何か対象にするもの1つに絞って、それについて書かれた論文を片っ端から読みなさい。
調査報告書も読みなさい。眉唾一般書ばかりじゃダメだ。

401 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 10:59:41 ID:0pAtoLHa
びっくりしたなー、もう。大和纒向の布留川によく似た地形、立地の「沸流川」こと中国
東北部渾江、ここだ↓
http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=41.957908&lon=126.472816&p=%E6%B8%BE%E6%B1%9F&ei=UTF-8&type=scroll&mode=map&sc=15
ここに http://japanese.cri.cn/151/2006/06/15/1@65769.htm
「2006-06-15 13:11:59  考古学者は、このほど吉林省蛟河市ソルハ漁場付近の
山で、古代陵墓群を発見しました。 それによりますと、この陵墓群は、いまから
2500年-3000年前の青銅器時代の遺跡だみられています。  陵墓では大きな石造り
棺がみつかり、墓室の墓の長さは2メートル、幅1.5メートル、高さは1メートルです。
墓室の上部は花岡石で出来ていて、重さは約3トンです。この陵墓の規模から、主は
部族の首領である可能性が大きいとされています。」
これは高句麗・扶餘神話で沸流とされる存在を想起させものだが、興味あるのは支石墓
ドルメン形態を取っていることだ。



402 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 11:04:23 ID:0pAtoLHa
さらにまた、
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kozoku/kozoku1-koui.htm
高夷(こうい)
 黄帝の時代、黄帝の家臣の高元が家屋建築を考案したとされ、高辛氏帝?や高陽氏??
の後裔も高姓を名乗ったという。ただし、四千年前の伝承なので確証はない。
 中国の学会では高夷を高句麗の祖とする。下記に四篇を紹介する。・・・・・
「西周初年、發人、穢人、高夷(高句麗族の先祖)、良夷、粛慎が各々その地に居住
した。粛慎は今の牡丹江流域、穢人は今の吉林省の大部分と朝鮮咸鏡道と江原道一
帯、高夷は我国の渾江流域、良夷は今の大同江中下流域(漢の武帝がそこに楽浪郡を
置いた)一帯。貊人は穢人と高夷の南に在り、良夷の北(または西)、その地域は西を
今の医巫?山を起点として、東に今の清川江に到り、南は大海の沿岸。貊人は同じく
古朝鮮(良夷、または楽浪夷)の境界線である清川江に在った。これは「山海経」の
記す貊国の歴史から実証される。 」
この沸流川一帯は殷周革命直後から東夷の本部であったようである。



403 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 11:13:27 ID:0pAtoLHa
東夷すなわち山東龍山文化を代表する卵殻土器はバイカルのグラスコフ、イェニセイ
のオークネフ、ウラルのアバーシェフ文化に拡散しており、ウラルと東夷は鳥トーテム
を共有している。殷の時代に安陽と黒海をつないだカラスク文化人は東夷と原スキタイ
文化とみられるパミール・フェルガナ人種であった。


404 :出土地不明:2009/08/23(日) 14:32:26 ID:5uXaZKDc
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


405 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 14:53:53 ID:0pAtoLHa
東夷の範囲は温帯ジャポニカ、ミレット農業先進地帯であり、弥生遺伝子移動があるに
してもすべては東夷の域内のこと。日本への遺伝子の流れに元寇のような軍事侵略的
なものがあったという考古学的事実はない。月氏の上陸を撃退したという出雲日御碕
神社の伝承はある。その付近では孝霊帝が黄魃鬼を討ったという伝承がある。
一般的に記紀は大和朝廷が三韓から騎馬技術を導入したことになっており、考古学
的にも裏付けられている。逆に倭から三韓へ遠征の史実は非常に多い。


406 :出土地不明:2009/08/23(日) 14:55:05 ID:SWAAgXNl
これ見るに附け宝来博士が言ってたことが嘘だって分かる
宝来は日本人は中国・韓国人の合いの子みたいなこと言ってたのに
http://i126.photobucket.com/albums/p104/kinnchii/deyap.gif

407 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 15:00:40 ID:0pAtoLHa
九州に多いスキタイ系地下式墳墓も現在でいえばマクドナルドのようなもので、実際
には熊本の縄文人が日本支社社長であったということも考えられる。

408 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 16:01:22 ID:0pAtoLHa
>>405
出雲日御碕神社の月氏撃退、孝霊帝の黄魃鬼討伐は青谷上寺地の渡来人と関係して
いる可能性大。

409 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 16:10:29 ID:0pAtoLHa
↑黄魃鬼だが「184年(中平1)張角らは後漢王朝の滅亡と新たな社会〈黄天〉の樹立を
叫んで一斉に蜂起,政府は党禁を解いて結束を固め,10ヵ月後に鎮圧した。だが黄巾
余党や五斗米道の宗教反乱,一般の民衆反乱が続発,地方秩序は解体して群雄の
割拠を招来,後漢王朝は滅亡する。 」時期的にはこれとピッタシなんだが。

410 :LUNAMASK:2009/08/23(日) 16:16:13 ID:0pAtoLHa
こうなると孝霊帝は帥升以来の後漢との政治的関係を考慮していたのだろうか等と
考えたくなる。

411 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:16:20 ID:rihmueq1
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

412 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:17:04 ID:rihmueq1
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

413 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:18:17 ID:rihmueq1
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

414 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:18:59 ID:rihmueq1
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

415 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:19:58 ID:nf/X2EmV
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ爆笑


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

416 :出土地不明:2009/08/23(日) 16:20:34 ID:PQwQNT7P
小麦作も約6000年前からやってたんだけど何か?(ゲラゲラ大爆笑


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

417 :出土地不明:2009/08/23(日) 21:12:17 ID:XoquwTOO
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!



418 :出土地不明:2009/08/23(日) 21:37:33 ID:SB1NcMPv
確か大昔は世界中が長弓だった。

中国でも短弓に取って変わったのは春秋戦国時代頃のはず。

北方や南方の辺鄙な地域ではおそらく紀元後まで長弓だったと思われ。

419 :出土地不明:2009/08/23(日) 22:49:04 ID:+tO14rJZ
>>418 >>417の話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

射撃法の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る
射撃法は倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif
長弓を使う民族は太平洋島嶼部に何部族かは居るみたいだけど全て
弓の中心で射撃を行なってる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-7.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-12.jpg
彎弓 ・・・・・モンゴル、朝鮮、ペルシャ
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-6.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-8.gif


420 :出土地不明:2009/08/23(日) 23:11:59 ID:KWTcpwkk
なるほどなるほど?

421 :出土地不明:2009/08/23(日) 23:16:50 ID:32mz9rMN
>>382「支那文明のメソポタミア起源説」ですね。私はそのころ(今から3500年前、
ちょうど青銅文明真っ盛りの時期)にモンドロイドは古代エジプトの王に朝貢してたと考えてます。

422 :出土地不明:2009/08/23(日) 23:18:47 ID:32mz9rMN
日本の埴輪が胡服(要するに武装装束)なのは霊魂を外来の敵から
守るためで、埴輪はその殉死者に見立てたものではないのですか?

423 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/24(月) 00:19:44 ID:ap7ePrq1
>>398
古代の水軍も近代の水軍も、その国や地域の伝統ですよ。
第二次大戦のイタリアや西洋諸国から食われた頃の中国は
弱かったんですが、軍閥の寄せ集めに近代日本は日華事変を
長期化して勝てんかったんですよ。
中世イタリアの云うても、統一国家じゃないが、ヴネチィア共和国が
スペインに付いてレバント沖でオスマン・トルコに勝ったことはあります。
古代ローマがカルタゴに陸戦法を海戦に応用したコウルス戦法、つまり
兵士が敵船に乗り込んで戦う方式です。
船と船を体当たりさせたら海戦の得意なカルタゴが強いゆえです。
古代中国も側面から体当たりする船には先端に金属をはめて敵の船を
壊したり火を放って敵船にぶっつけたりしたもんです。
日本の半構造船から発達した小船では、中国の巨艦に勝てません。
水野氏の話のどこが無関係なんですか?ほいで、あなたは、
客観的じゃの証明じゃの、装飾語を使うとりますが、内容の無い空虚な文
ほど装飾語を使いますけぇ、気のきいた人間からは足元を見られますよ。

424 :出土地不明:2009/08/24(月) 00:25:40 ID:j+pKVUYZ
>>422
5世紀になって渡来人が多く来たのだから、
彼らがもってきた文化。

425 :出土地不明:2009/08/24(月) 00:33:06 ID:j+pKVUYZ
>>423
>古代の水軍も近代の水軍も、その国や地域の伝統ですよ。

なるほど。日本海海戦は世界海戦史上最大の勝利だ。
あ〜素晴らしい日本。
日本最高!

426 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/24(月) 01:06:33 ID:ap7ePrq1
>>417-418及び>>419
>>374でも云うたが、中央アジア、北アジアでも長弓はあったんでぇ。
http://www.geocities.co.jp/SiliconValley-SanJose/4402/histo2-5.html
http://www.kcn.ne.jp/~toyo/yumi/yu_reki/gensi.html
上の方の、装備の差(弓と鉄砲について)
「元軍は短弓・長弓を併用した。現存する蒙古弓は半月状であるが、
『蒙古襲来絵巻』には和弓に似た弓も描かれている。」
蒙古軍は、オアシス都市の攻城戦にも長弓を使うとるし、安息重装騎兵が
長弓を使う伝統は中世モンゴルにおいても使われた。
下の方は、弓の射法じゃが、日本は蒙古式射法。「蒙古中国朝鮮のほか古代
ペルシャ、トルコなどがこれにより、現代日本の射法もこれに属して
いる。」少なくとも原始的射法じゃないど。

427 :出土地不明:2009/08/24(月) 01:16:59 ID:j+pKVUYZ
>>426
だから何なんだ馬鹿。
騎馬民族説が成立なんて言うのか?
成立するわけねぇよ。
河内王朝最盛期の武装(帯金短甲)は大陸のどこのものでもなく日本独自のものだ。
逆にこの武装(帯金短甲)が伽耶や百済にまで波及してるのだから、
日本書紀の半島南部を支配し百済を属国にしてたという記述を証明してる。

428 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/24(月) 01:17:02 ID:ap7ePrq1
>>425
日本海海戦はグロッキーになったロシア相手よ。世界海戦史上最大の
勝利?
冗談が過ぎるわい。人物個人崇拝のトンデモ自慰歴史観なら、
反英米派の東郷さんや秋山弟は英雄にされるんじゃろうが、
実は、日英同盟が機能してギリギリの勝利で、元来日本の海軍は
伝統的弱いことを隠蔽しとるだけよ。現実を知るんが歴史じゃにのう。

429 :出土地不明:2009/08/24(月) 01:20:43 ID:j+pKVUYZ
>>428
>日本海海戦はグロッキーになったロシア相手よ。世界海戦史上最大の
勝利?

グロッキーであろうが関係ない世界海戦史上最大の勝利だ。
言い訳するな、自虐変態オカマかおまえは。

430 :出土地不明:2009/08/24(月) 07:06:04 ID:Fy9DM5me
他虐変態だろ
隣の大国をけなして喜んでるんだ

431 :出土地不明:2009/08/24(月) 11:01:49 ID:ZzjhBjaR
>>408
その時代に月氏がどうやって日本列島に来たのか教えてくれ

432 :出土地不明:2009/08/24(月) 21:08:54 ID:xchSLGxX
>>428
ロシア艦隊がイギリスに補給を封鎖されて負けた時は、イギリスのせい。日本海軍の勝利は例外。
日本海軍が連合国に補給を封鎖されて負けた時は、日本海軍の伝統的な弱さのせい。

ちなみに、黄海海戦やマレー沖海戦も何かの例外だよな!

433 :出土地不明:2009/08/24(月) 21:18:59 ID:CiFpZw7S
━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   「ほうじゃ無かった根拠を提示せえや」
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━

434 :出土地不明:2009/08/24(月) 21:57:15 ID:G2SqzDem
>>426 白馬さんへ。射撃法の件は弦の握りじゃなく弓本体の握り位置の事です。
   >話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る射撃法は
倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
1,《弓道史概論》日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、非常にその長さが長く、
独特の形をしている。世界の弓は握りの位置が弓の中央にあるのにくらべ、我が国の
弓は握りの位置が下から約三分の一のあたりに位置しているという特徴がある。日本の
弓は世界に類を見ない ...
kyu-do.hp.infoseek.co.jp/rekisi.htm - キャッシュ - 類似ページ

古代史獺祭 獺祭メモ帳09日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、次のような特徴
があります。 @ 弓の長さが非常に長く、独特の形をしている。 A 握りの位置をみると、
世界各地の弓はその中央を握るのにくらべ、日本の弓は下から約三分の一のあたりを握る
(「下短上長」)。 ...
www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/.../gimonn09.htm - キャッシュ - 類似ページ


435 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/25(火) 00:21:57 ID:30BX7yJK
>>429-432
自虐たぁ自慰の方が敵状軽視で戦前の概念の現在進行形
じゃけぇ我が国の為にならんよ。黄海沖なんか海軍力のない清
じゃし、マレー沖も広島師団ら陸軍上陸した後じゃし、先手を取って
優位に進めたゆえじゃ。じゃが、日本は短期的に勝っても、戦線が
膠着する長期戦になると結局負けるんじゃ。
>434
弓の握りが下三分の一が倭人じゃの日本独特云う妄想論に還元
出来るんか?騎乗戦士が長弓で弓の中央部を持ったら、
弓の左右変化に難渋するよ。重装騎兵なら、弓の下部を
持った方が楽じゃ。長弓は安息重装騎兵の例で、破壊力から
重装騎兵の役割じゃし、彎弓の短弓は機動力から軽装騎兵の
役割じゃった。
歩兵時代の弥生期でも列島倭人自体、遼寧、山東、朝鮮からの
渡来した渡来系弥生人の技術が列島原住民に広まったと
考える方が自然じゃのう。

436 :出土地不明:2009/08/25(火) 00:43:28 ID:r+/5s1dT
>>435
世界史における日本海海戦以上の完全な勝利を提示できないようだな。
このボンクラうすらお釜ハゲはw

437 :出土地不明:2009/08/25(火) 07:54:05 ID:ik05fA9P
>>435
>日本は短期的に勝っても、戦線が
>膠着する長期戦になると結局負けるんじゃ。


必死だなwwwwwwwww

そんなの民族の問題じゃないだろw
国力のあるほうが長期戦では且つ。日本だとか朝鮮だとか言う問題ではない



438 :出土地不明:2009/08/25(火) 09:28:56 ID:QA0zlkvT
>>435>>列島原住民に広まったと考える方が自然じゃのう。

牛さんは何時も簡単に言って退けるが縄文人の木工技術はすごいよ、
本読みばかりしないで考古遺物、現物を見ようね。

また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と呼ばれ木工技術が使われて ...

縄文の風景/NEWS97富山県小矢部市の桜町遺跡から縄文中期末葉(約4000年前)の
高床式建物の壁や柱などの建築部材50点が出土した。 地上部の建築木材がこれほど
多量に出土したのは全国で初めて。また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と
http://www010.upp.so-net.ne.jp/onhome/report/image/0202c/00450.jpg
呼ばれ木工技術が使われて ...
www.ne.jp/asahi/landscape/jomon/.../news1997.html - キャッシュ - 類似ページ


439 :出土地不明:2009/08/25(火) 11:23:20 ID:3Y9PDhDc
>>423なるほど。ではなぜ日本の海軍は伝統的に弱いのでしょうか?
私はやはり海のような場所で戦闘をするには「それ以前の準備作業と
敵の装備・戦略を徹底的に想定」することが大事で、それは日本人の不得意な
持続的で長期的な次の世代を考えた戦争形態になるからなんだと思います。
戦前も戦後も「今がよければすべていい」で「問題が表面化してから
対策を考える」という気質がそういった事前準備が大切な戦争全般に
対して弱く、けっか海鮮も戦略戦争にも負けるのだと。
それと煽りみたいなレスには応えないほうがいいですよ。

440 :出土地不明:2009/08/25(火) 11:33:07 ID:Xzluvgvv
>>439
日本海海戦知らないとか?

441 :出土地不明:2009/08/25(火) 11:56:21 ID:RLAZ2avb
伝統的に海軍が強いか弱いか

日本 弱い
中国 伝統がない
朝鮮 伝統がない

アメリカ 伝統がない
ロシア 伝統がない
ドイツ 伝統がない
イタリア 弱い
フランス 弱い
イギリス 強い
スペイン 弱い
トルコ 弱い

442 :出土地不明:2009/08/25(火) 16:59:35 ID:YjG6MZ2P
>>435
>黄海沖なんか海軍力のない清
じゃ、アヘン戦争なんかもとにかく日本以外の国が負けてたら例外ってことですね!
・海軍力の無い国が負けた! → それが日本なら弱くて伝統
                   → それが日本以外なら例外

>先手を取って優位に進めたゆえじゃ。
先生!それを強いというのではないでしょうか!
・先手を取って優位に進める → それが日本だったら例外
                  → それが日本以外(ミッドウェイ海戦とか)だったら日本の弱さの伝統

てかさ、ずっと後世の都合の良い話だけ抜き出して伝統ってことにして、
都合の悪い話は例外とかって言ってたら、どんな説だって出来るんじゃね?

新羅の入寇、刀伊の入寇、元寇、応永の外寇と大陸勢力は一度も日本征服に成功しなかった。
(アメリカには占領されたけど、日本は海軍力も弱かったし例外)
よって、大陸勢力は弱いのが伝統なので、騎馬民族征服王朝は無かった、とかさ。

443 :出土地不明:2009/08/25(火) 17:39:36 ID:3Y9PDhDc
>>441戦争というものを見誤っている。戦争は戦闘じゃない。それ以前の
準備を単に戦闘という形で行使しているに過ぎない。戦争に強い国は単に
事前準備や物資・外交関係の蓄積が上手なだけである。イギリスはその最たる
例だろう。かの国は戦闘自体は強くない。だがその弱さを補ってあまりある
外交の成功、戦争継続可能な国力の醸成に成功している。こうなれば戦闘を
して多少部隊が撃破されても最終的に勝つのである。これが日本の伝統的に
弱いところだ。戦闘行為自体は強いものの、外交・物資戦略を怠り最終的に
負ける。こういった戦争における事前準備がしっかりしている勢力が、さまざまな
物資や技術を必要とする海戦に強いというだけなのでしょう。

444 :出土地不明:2009/08/25(火) 18:05:14 ID:vj78uweH
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


445 :出土地不明:2009/08/25(火) 18:11:47 ID:vj78uweH
>>444の話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る
射撃法は「倭人」しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
長弓を使う民族は太平洋島嶼部に何部族かは居るみたいだけど全て
弓の中心で射撃を行なってる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-7.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-12.jpg
彎弓 ・・・・・モンゴル、朝鮮、ペルシャ
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-6.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-8.gif


446 :出土地不明:2009/08/25(火) 18:13:51 ID:vj78uweH
>>426 白馬さんへ。射撃法の件は弦の握りじゃなく弓本体の握り位置の事です。
   >話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る射撃法は
倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
1,《弓道史概論》日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、非常にその長さが長く、
独特の形をしている。世界の弓は握りの位置が弓の中央にあるのにくらべ、我が国の
弓は握りの位置が下から約三分の一のあたりに位置しているという特徴がある。日本の
弓は世界に類を見ない ...
kyu-do.hp.infoseek.co.jp/rekisi.htm - キャッシュ - 類似ページ

古代史獺祭 獺祭メモ帳09日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、次のような特徴
があります。 @ 弓の長さが非常に長く、独特の形をしている。 A 握りの位置をみると、
世界各地の弓はその中央を握るのにくらべ、日本の弓は下から約三分の一のあたりを握る
(「下短上長」)。 ...
www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/.../gimonn09.htm - キャッシュ - 類似ページ


447 :出土地不明:2009/08/25(火) 18:17:09 ID:vj78uweH
>>435>>列島原住民に広まったと考える方が自然じゃのう。

牛さんは何時も簡単に言って退けるが縄文人の木工技術はすごいよ、
本読みばかりしてダラダラ作文書きしないで考古遺物、現物を見ようね。

また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と呼ばれ木工技術が使われて ...

縄文の風景/NEWS97富山県小矢部市の桜町遺跡から縄文中期末葉(約4000年前)の
高床式建物の壁や柱などの建築部材50点が出土した。 地上部の建築木材がこれほど
多量に出土したのは全国で初めて。また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と
http://www010.upp.so-net.ne.jp/onhome/report/image/0202c/00450.jpg
呼ばれ木工技術が使われて ...
www.ne.jp/asahi/landscape/jomon/.../news1997.html - キャッシュ - 類似ページ


448 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/25(火) 22:08:09 ID:30BX7yJK
>>437
国力じゃのうて、長期化したら現地軍側が有利になる。
進攻は速度じゃ。膠着したらそこが限界点よ。後は現地の宣撫活動如何に
なるのう。
>>438
縄文の技術力なんか、想像でどがぁにも云えるけんのう。じゃが
縄文期はあくまで採集狩猟時代で文明云うもんじゃ無い。
>>439
海軍に関らず、日本は兵隊は強いんですけど、戦争は強くないですねえ。
あなたの云う通り、日本人は長期戦略プランがありません。
「そこに敵が居るから叩く」と即物的ですから。

449 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:15:00 ID:+u7yPjqE
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html

450 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:25:41 ID:+u7yPjqE

>>448 まあ〜牛さん>>449のサイト開けてみんしゃい生意気ばかりじゃダメヨ。

451 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/25(火) 22:37:33 ID:30BX7yJK
>>441
鄭和の遠征の実績のある中国や慶長の役で日本水軍を撃破した
朝鮮は伝統皆無じゃ無いし、弱くも無い。日本が弱すぎる面が
あるけぇ、隣国の方が強く写る面もあるけど。
>>442
新羅の入寇は、略奪目的で新羅側の成功じゃし、新羅を海戦で
追い出したんじゃのうて、弩戦で追い返しただけじゃ。
刀伊の入寇で女真に拉致された者は、女真が帰る途中高麗が攻撃し
拉致された日本人の一部でも救われ、日本側に引き渡れたけんのう。
朝鮮のおかげと云う、あんたら嫌韓ナチスには都合の悪い結果に
なったのう。
海戦に大陸が弱いじゃのあんたの偏見による決め付けに過ぎんよ。

452 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/25(火) 22:43:21 ID:30BX7yJK
>>444-445及び>>446
また繰り返し工作か。>>426>>435で回答しとるで。

453 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:55:53 ID:G0PvSejb
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


454 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:57:02 ID:G0PvSejb
>>444の話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る
射撃法は「倭人」しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
長弓を使う民族は太平洋島嶼部に何部族かは居るみたいだけど全て
弓の中心で射撃を行なってる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-7.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-12.jpg
彎弓 ・・・・・モンゴル、朝鮮、ペルシャ
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-6.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-8.gif


455 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:58:20 ID:G0PvSejb
>>426 白馬さんへ。射撃法の件は弦の握りじゃなく弓本体の握り位置の事です。
   >話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る射撃法は
倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
1,《弓道史概論》日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、非常にその長さが長く、
独特の形をしている。世界の弓は握りの位置が弓の中央にあるのにくらべ、我が国の
弓は握りの位置が下から約三分の一のあたりに位置しているという特徴がある。日本の
弓は世界に類を見ない ...
kyu-do.hp.infoseek.co.jp/rekisi.htm - キャッシュ - 類似ページ

古代史獺祭 獺祭メモ帳09日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、次のような特徴
があります。 @ 弓の長さが非常に長く、独特の形をしている。 A 握りの位置をみると、
世界各地の弓はその中央を握るのにくらべ、日本の弓は下から約三分の一のあたりを握る
(「下短上長」)。 ...
www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/.../gimonn09.htm - キャッシュ - 類似ページ


456 :出土地不明:2009/08/25(火) 22:59:33 ID:G0PvSejb
>>435>>列島原住民に広まったと考える方が自然じゃのう。

牛さんは何時も簡単に言って退けるが縄文人の木工技術はすごいよ、
本読みばかりしてダラダラ作文書きしないで考古遺物、現物を見ようね。

また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と呼ばれ木工技術が使われて ...

縄文の風景/NEWS97富山県小矢部市の桜町遺跡から縄文中期末葉(約4000年前)の
高床式建物の壁や柱などの建築部材50点が出土した。 地上部の建築木材がこれほど
多量に出土したのは全国で初めて。また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と
http://www010.upp.so-net.ne.jp/onhome/report/image/0202c/00450.jpg
呼ばれ木工技術が使われて ...
www.ne.jp/asahi/landscape/jomon/.../news1997.html - キャッシュ - 類似ページ


457 :出土地不明:2009/08/25(火) 23:01:44 ID:G0PvSejb
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://bunarinn.fc2web.com/gozaru1/gozaru/sakuratokaboto/sakuratokaboto.html


458 :出土地不明:2009/08/25(火) 23:03:53 ID:G0PvSejb

>>448 まあ〜牛さん>>449のサイト開けてみんしゃい生意気ばかりじゃダメヨ。


459 :出土地不明:2009/08/26(水) 00:02:23 ID:aKRj81/G
>>448
はい、日本海海戦以上の戦果を言えないのだな。
歴史上ないという事でいいな。

日本って本当に凄いよね!
おまえのような下賤な人間にはわからないだろうが。

おい賤人、何か言えw

460 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/26(水) 01:27:56 ID:LQn2gtYJ
>>450-458及び>>456-457
縄文文明派の江南慕夏主義の電波を挙げても意味が無いよ。
>>459
賤民なら、武士の出自もそうなるのう。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/18408_27478.html
一の大名華族の中には、其身元を洗うて見ると、」ごろつきじゃし、
四の江戸幕府を築いた徳川氏の先祖徳阿弥も遊行僧の賤民。
八の男色で取り入った者、後北条氏も、広島県安芸へ移住した小早川氏も
流浪の連中。二一に彼等の起源は、山地で舞ひや踊りを職業としたものが
里や市、城下へ出て行ったもので、武士、侠客、盗人、河原乞食とされた
芸能民、男女の売春者は、同一階級で同一起源よのう。
じゃけぇ武士は江戸期お役人になる以前はカタギじゃ無いし、
現代のヤクザや芸能人の出自と同一じゃ。わしの先祖の中には江戸期
帰農して武士から足を洗う人も多かったけぇ、お役人や賤民に含まれん
かっただけじゃ。

461 :出土地不明:2009/08/26(水) 01:31:57 ID:aKRj81/G
>>460
おい、ツルピカ糞ハゲ爺。
日本海海戦以上の戦果を言えないのだな。



462 :出土地不明:2009/08/26(水) 09:00:29 ID:1weTcX3p
>刀伊の入寇で女真に拉致された者は、女真が帰る途中高麗が攻撃し
>拉致された日本人の一部でも救われ、日本側に引き渡れたけんのう。

初耳でした。なぜそんなことをしなくてもいいのに彼らは救出した上に
送り返したのでしょうか?対馬(攻撃されたのはここですよね?)の民に
なにか思い入れでもあるのでしょうか?

>>460武士の起こりは武装農民や下層民ですよね。ところでなぜ日本は
入唐し留学した際に律令制は取り入れても科挙制度は無視したのでしょうか?

463 :出土地不明:2009/08/26(水) 13:50:36 ID:3j1J3PWv
同じコピペ連発してるのって嵐と一緒

464 :出土地不明:2009/08/26(水) 17:51:27 ID:O0vLTTFN
もし北方騎馬民族が大和を征服したのなら、なぜ北方騎馬民族の誇り高き武器、
彎弓(中国・朝鮮の弓はみなこの形式である)、短弓が広がらず日本古来の和弓、
長弓のままなのかね?
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-2.jpg

日本では弥生から現代まで長弓を下3/1(唯一倭人だけ)の握り位置の所で射るやり方だよ。
騎馬戦法でも短弓の方が便利なのに、無理して長弓を使うどうしてかな?倭人の誇りだから。
『魏志倭人伝』に「木弓は下が短く、上が長い」と記されているのも、この弓のこと。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)

それに、誇り高き北方騎馬民族が、征服者なのに名前が倭人系の名になるはずが無いだろ。
先祖や神の名も倭人系なのを消すはずだろ。朱蒙や檀君の神話は一切無いね。!!!!


465 :出土地不明:2009/08/26(水) 17:53:31 ID:O0vLTTFN
>>464の話題の主旨は只単に長弓短弓を使ってる使ってないの問題じゃ無く

握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る
射撃法は「倭人」しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://www.fieldnote.info/wp-content/uploads/2009/08/emaki.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-1.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
長弓を使う民族は太平洋島嶼部に何部族かは居るみたいだけど全て
弓の中心で射撃を行なってる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-10.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-7.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-12.jpg
彎弓 ・・・・・モンゴル、朝鮮、ペルシャ
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-6.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-8.gif



466 :出土地不明:2009/08/26(水) 17:58:45 ID:WyyR68qx
握り位置の問題で下3/1辺り、下を短く上を長く取った位置で矢を射る射撃法は
倭人しかやらないって事なんだよ。
http://img.houseco.jp/blog/photo/5244.jpg
http://yamatai.cside.com/katudou/image/265-9.gif (この銅鐸絵、弓の握り位置注意)
1,《弓道史概論》日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、非常にその長さが長く、
独特の形をしている。世界の弓は握りの位置が弓の中央にあるのにくらべ、我が国の
弓は握りの位置が下から約三分の一のあたりに位置しているという特徴がある。日本の
弓は世界に類を見ない ...
kyu-do.hp.infoseek.co.jp/rekisi.htm - キャッシュ - 類似ページ

古代史獺祭 獺祭メモ帳09日本の弓は世界各地の弓と比較してみると、次のような特徴
があります。 @ 弓の長さが非常に長く、独特の形をしている。 A 握りの位置をみると、
世界各地の弓はその中央を握るのにくらべ、日本の弓は下から約三分の一のあたりを握る
(「下短上長」)。 ...
www001.upp.so-net.ne.jp/dassai/gishi/.../gimonn09.htm - キャッシュ - 類似ページ


467 :出土地不明:2009/08/26(水) 18:00:16 ID:WyyR68qx
牛さんは何時も簡単に言って退けるが縄文人の木工技術はすごいよ、
本読みばかりしてダラダラ作文書きしないで考古遺物、現物を見ようね。

また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と呼ばれ木工技術が使われて ...

縄文の風景/NEWS97富山県小矢部市の桜町遺跡から縄文中期末葉(約4000年前)の
高床式建物の壁や柱などの建築部材50点が出土した。 地上部の建築木材がこれほど
多量に出土したのは全国で初めて。また法隆寺に見られる渡腮(わたりあご)と
http://www010.upp.so-net.ne.jp/onhome/report/image/0202c/00450.jpg
呼ばれ木工技術が使われて ...
www.ne.jp/asahi/landscape/jomon/.../news1997.html - キャッシュ - 類似ページ


468 :出土地不明:2009/08/26(水) 18:02:35 ID:WyyR68qx
**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html


469 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/26(水) 22:23:08 ID:LQn2gtYJ
>>462
http://www.tabiken.com/history/doc/M/M281L100.HTM
に、あるよう対馬だけで無く、九州北部海岸に来襲し、
多数の男女、ここには出て無いが千人以上を拉致したわけです。
彼等は、高麗の東海岸を襲ったんですが、「高麗の兵船に打ち
破られて北方に逃げた。高麗は救出した日本人270名を大宰府に
送り届け、一件落着した。」と、出とるが、実際、拉致された者の
多くは救いだせんまま云うことです。
武士の起りは武装農民云うんは、石母田正氏の共産主義史観で
しょう。武士の起りは朝廷の渡来系の弓馬の士と、渡来系と
在来縄文系が混じった山地の狩猟民、芸能民集団、賤民集団です。
彼等は近世に入るまで、農奴と違い、自由民でした。
科挙制度は身分の低い者でも学さえあれば良いわけで、
藤原氏始め、豪族の利害に反するでしょう。武士も文士も勢力化に
置きたいわけですし。天皇家ですら牛耳ったわけですから。
独裁制と科挙制度で唐の貴族性を宋代無くして仕舞うたんが
中国ですよ。

470 :出土地不明:2009/08/26(水) 23:22:00 ID:vKaTHVe9
South Korea launches satellite into ocean - August 25, 2009
韓国、衛星を海へと発射 - 2009年8月25日

 緊張が高まる朝鮮半島。北朝鮮が最新型通信衛星が海に飛び込んだと誇らしげに発表した数ヵ月後、
今度は韓国が衛星の海洋投入能力がある事を立証した。


471 :出土地不明:2009/08/26(水) 23:52:51 ID:aKRj81/G
>>469
>武士の起りは朝廷の渡来系の弓馬の士と、渡来系と
>在来縄文系が混じった山地の狩猟民、芸能民集団、賤民集団です。

根拠もなく決めるなボケ。


472 :出土地不明:2009/08/27(木) 04:44:11 ID:vSK7ms86
>>471
今でも軍人になる人間を考えてみ

473 :出土地不明:2009/08/27(木) 10:29:31 ID:9qcC9V4X
>>472
お前がアホだと言うことが良く判るな(^o^)

474 :出土地不明:2009/08/27(木) 11:43:12 ID:6N4GR0OS
>>469私も科挙制度は合法的な革命ができる(権力の循環)から時の貴族連中が
忌避したんだと思います。第一科挙が行われたのは当時の支那において貴族に
よる権力の囲い込みを打破したいがために実施したのがその理由ですから。ところで
本当に武士は今で言う「かわらこじき」がその出自だったのでしょうか?単に
貴族が勝手に農民の土地を奪い取るがゆえにおこった自衛集団の台頭(といっても
当時の農民は最初から武装していた)じゃないのですか?

475 :出土地不明:2009/08/27(木) 13:13:35 ID:6N4GR0OS
それでも一時的には導入してたみたいです。wikipedia科挙項

>日本でも、平安時代に科挙が導入されたが、蔭位の制と呼ばれる
>例外規定が設けられ、

>>高位の貴族の子弟には自動的に官位が与えられたため、

>受験者の大半は下級貴族で、合格者は中級貴族に進める程度であった。
>このため、大貴族と呼ばれる上級貴族層には浸透せず、当時の貴族政治を突き崩すまでには至らなかった。
>その後、律令制の崩壊とともに廃れ、院政期から官職の世襲制化が進み、
>基本的に江戸時代まで続く。科挙が日本の歴史に及ぼした影響は少なかった。

現在と基本的に同じですね。

476 :出土地不明:2009/08/27(木) 19:10:19 ID:upT4v5fP
侍の起源は平安時代に蝦夷俘囚が各地方に配置され、
彼等から優れた武術を伝播された集団。
朝廷が蝦夷を配置したのは地方の領主たちの反乱に楔(くさび)を打つため。

その証拠は日本刀の起源が蝦夷の蕨刀であること。

477 :出土地不明:2009/08/27(木) 19:17:54 ID:upT4v5fP
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/7880.html 

俘囚とは、奥州における蝦夷征服戦争の中で生じた大量の帰服蝦夷を指し、
当時、国は、これら俘囚を強制的に全国各地に再配置(内国移配)し、
税を免除し生計費(俘囚料)を与えて扶養していた。
これは、第一に教化による公民への同化のため、
第二に、地方の受領の傭兵的な武力として、
郡司富豪層の中で乗馬が巧みな「勇敢者」「武芸人」と称された者とともに、
群盗海賊鎮圧に当たらせるためであった。

478 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/27(木) 22:35:15 ID:st1BUJhZ
>>474
武士も河原乞食の芸能民も山地の狩猟民が源流云うことです。
http://www.toride.com/~sansui/materials/date/yago000.html
http://moriheiku.exblog.jp/10738440/
http://www1.bbiq/hukobekki/seji/seji.html
上の方の「職能的な武士」の面から農耕民が武装しても戦力に
ならんでしょう。伝承された戦技が無いと。「弓馬」の術が
出来るんは朝廷の武官として伝承されるか、「武士は、九世紀から
狩猟集団から組織された弓馬の精兵を源流に持ち、」と、
渡来系の馬技と渡来系や縄文系の狩猟集団です。
真ん中は、五味文彦氏の武士の起源狩猟民から、山賊、海賊、
供御人、悪党、芸能者、神人、僧兵と、後に賤民視された
芸能者や神人も起源は一緒ですよ。
下の方は九州の例ですが、農奴を徴発した「健児の制」から、
「選士・統領制」に変わったんですが、「豊後国大野直入両郡、
騎猟の児、兵の要となす」ことが、出てますが、馬に乗って
狩猟をする集団を選んだんですよ。また、牧場の「牧」は、
軍事組織に運用し易かった面もあります。
狩猟・漁撈・牧畜・焼畑農耕の地は兵の供給に便利ですからねえ。

479 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/27(木) 23:36:21 ID:st1BUJhZ
>>478の上の方は
http://www.toride.com/~sansui/materials/date/yogo000.html
下の方は、
http://www1.bbq.jp/hukobekki/seji/seji.html
じゃったか。
>>474-475
続き。狩猟民から、武士、河原乞食と呼ばれた人達も出たんです。
里へ出て農民に対し、芸能で祝福の舞、躍りや用心棒に雇われて衣食し、
やがて主客逆転で領主に成ったりするわけです。農民の収穫をシノギに
してカスリを取る集団でカタギじゃ無いんですよ。武士、庄屋は
そうやって暮らしてましたからね。現代ヤクザでは、在日朝鮮人と
被差別民が多いんですが、村落上層部の庄屋や職業軍人の子弟も
多いですし、上層におっても、賤民におってもカタギから衣食する
集団である面で違いはありません。ヤクザは江戸期でも上州ヤクザが
名主出身が多かったことも、伝統でしょう。
ほいで、科挙の制度のことですが、中国においては、『顔氏家訓』のように
役人からの没落を怖れますからね。日本は新羅の骨品制度の上層貴族優位
なように、当時階層性が強かったわけです。江戸期になると
貴族制は左右せず科挙じゃのうても官僚制の一部です。
現代では世界中に試験によって人材を選ぶ科挙制度が蔓延しました。
世界中の中国化現象ですよ。
>>476-477
蝦夷俘囚奴隷も武士の起源の一つ。平安貴族も俘奴を蝦夷から購入し
とったけんのう。安芸東西佐伯部も奴隷から上層階層になった例じゃ。
じゃが、武士団も渡来系が主流じゃわいや。源平藤を名乗っとる連中なんか
渡来系がほとんどじゃろう。信濃の高句麗系渡来人前方黒麻呂が、
戦国大名信濃村上氏になるし、武田信玄の母方甲斐の大井氏も高句麗系
じゃし。

480 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/27(木) 23:40:24 ID:st1BUJhZ
>>479
また、下の方が出んかったのう。
http://www1.bbiq.jp/hukobbekki/seji/seji.html
かいのう。

481 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:06:22 ID:8YPXqCTm
庄屋なんて1キロに満たない範囲に点在する集落ごとに居住していて、
江戸期まではそこに城(砦)を築いている武士(当時は農民でもある)であったのに、
そんなに多くのものが全部特殊な出自だったら、湿った耳垢が10パーじゃすまんわな。

482 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:17:02 ID:VOwhuDom
日本人

日本人(にほんじん、にっぽんじん)とは一般に日本国の国籍を持つものである。
しかし、日本国内では大和民族以外の民族が非常に少ないため、日本人という
単語は一般に大和民族を指す人種的ないし民族的な範疇としても流通している。
このことから、学術的、また、政治的にも議論の争点となることがある。以下、
各項目で詳細を記述する。



483 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:19:06 ID:VOwhuDom
日本では、国籍、文化・習俗・民族、遺伝的形質のそれぞれを基準とした分類による
「日本人」の対象が重なる割合が比較的高いと認識されているため、概念的にもどの
基準によるものかは日常的には明確にされず、しばしば混同される。



484 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:21:08 ID:VOwhuDom
日本人は、大方、以下のように分類される。

国家による分類 - 日本国民[1][2]。ただし、「日本」を国号としたのは701年頃とされており、
それ以前は倭国と自称していた。その意味では倭人のち日本人とするのがより正確である。
地理的分類 - 日本列島に居住する者。
人類学的分類 - モンゴロイドの一つ。皮膚は白色または黄色、虹彩は黒褐色、毛髪は黒色で
縮毛または直毛。言語は日本語[1]。旧石器時代または縄文時代以来、現在の北海道から琉球諸島
までの地域に住んだ集団を祖先に持つ[3]。
民族的分類[4]:日本国において98.5%の多数派[5]を占める民族である大和民族(日本民族また
和人ともいう[6])のこと[7]。ただし、翻訳語としての「民族」という概念にはnationと
ethnicityの二つの意味があり、一意的なものではない[8]。


485 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:24:29 ID:VOwhuDom
縄文人と弥生人
先史時代の日本列島に住んでいたものを縄文人とよんでいる[9]。縄文時代末期・弥生時代に
日本列島に移住したものを弥生人といい、その移動ルートについては諸説ある(下記「学説」参照)。

弥生人と縄文人は他の地域(ユーラシア大陸やサフル大陸など)での混合よりもその度合いが高いこと
から、比較的穏やかに交わっていったと推定されている。無論、部族間戦争は多数あったと推定される。
時代は下るが、例えば、倭国大乱などが中国の歴史書に記されている。

ヤマト王権など倭(後年、大和と改名される)民族を中心とした社会が台頭するとともに、他の住民
たちは征服されていった。東方の蝦夷、南方の熊襲と呼ばれた在来人と推定される部族は抵抗したが、
隼人の反乱の失敗や、坂上田村麻呂の活躍などによって征服され、後に大和に同化した。後年には、
白村江の戦い以後、倭国の同盟国百済からの亡命者も移住し、大和民族に溶け込んでいった。



486 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:27:04 ID:VOwhuDom
このように、縄文人も弥生人もそのルーツはユーラシア大陸や南方から移住・渡来した人々にあり、
それぞれがハイブリッドとしての日本の民族集団を形成する一部となっていった。大和民族が
朝廷権力とともに勢力を拡大した後に「日本」という枠組みの原型がつくられ、その後、文化的・
政治的意味での日本民族が徐々に形作られていくとされる。もっとも、完全に同化されない少数民族
は常に存在したし、「日本民族」というような認識(ナショナルアイデンティティ)が多数者に浸透
していくのは日本における近代国民国家の成立期である明治時代ともいわれる[10]。当時、西欧
列強諸国が東南アジアを中心に植民地を広げている社会情勢から、国民の意識の統一を目指して列強
諸国に対抗できる国にしてゆかなければならなかったのである。

487 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:28:46 ID:Rw3zph2q
旧琉球王国地域については大和民族の一支族とする主張が伊波普猷などによって提起される一方、
文化・歴史の違いなどを抽出して、独自の民族としての琉球民族とする考えもある(沖縄学や
琉球語などを参照のこと)。


488 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:30:29 ID:Rw3zph2q
ネーションステート下の認識
大日本帝国の版図日本が近代ネーションステート(国民/民族国家)として朝鮮半島、
台湾島、南樺太などを領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、
台湾人など日本国籍を付与された植民地の先住民族を含む国籍的概念であった。
大日本帝国が多民族国家であることは強く意識され、現在の日本国民に相当する人々は
内地人と呼ばれた。ただし、当該の先住民族の間では日本人が内地人と同義として
使われることが多かった。



489 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:32:10 ID:Rw3zph2q
南樺太に住んでいたロシア人、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人、朝鮮人、ウィルタやニヴフ
のなかには日本国籍をもっていたものもいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって「日本人」
として北海道に強制送還された朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された
者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。



490 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:34:22 ID:Rw3zph2q
系統関係 詳細は「モンゴロイド」、「人種」をそれぞれ参照

形質人類学的観点からは日本人は、縄文人・弥生人・本土日本人、アイヌ人・琉球人いずれも
モンゴロイドに属する。むろん「モンゴロイド」という分類概念では中国人や朝鮮人などの
東ユーラシア人全体が包括されるし、アメリカ先住民も含まれる。

だが、遺伝子の研究が進むにつれ、従来の人種概念は棄却され、便宜的に使用される分類名称
としての各人種も、推定される起源地(原初の居住地)の地理的名称を基準とすることが多い。
モンゴロイド集団の分布は日本人形成過程の分析にとって今日もなお重要な手がかりである。

491 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:36:50 ID:Rw3zph2q
斎藤成也は人類が単一種であることを前提にし、地域的な特徴を持つ集団として、約1万年前の
居住地域を基準とし、アフリカ人、西ユーラシア人、サフール人、東ユーラシア人、南北アメリカ人
という分類を提唱する[11]。また、サフール人を含めた、以前の広義のモンゴロイドを互いに
遺伝的に近い人類集団として全て網羅する定義として「環太平洋人」が提唱されている[12]。

日本人の発生的系統を考えるとき、上記分類によると、日本人はまずは東ユーラシア人ということが
できる。ただし、たとえば中国の山東省の臨?(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析
では、春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集団は
中央アジア集団のクラスターに入るものであった[13]。それゆえ王朝の交代や戦乱や様々な事情で
人類集団の系統は地理的にも定住するとは限らないし、「アジア人」と「ヨーロッパ人」とが分岐した
からといって両者は完全に分割できるものではない。

また、日本人だけを調べても日本人の起源はわからないので、各人類集団との対照研究が必須である。



492 :出土地不明:2009/08/28(金) 00:46:25 ID:CnNbssYI
>>479
>武士団も渡来系が主流じゃわいや。源平藤を名乗っとる連中なんか
>渡来系がほとんどじゃろう

何の根拠もないね。
「じゃろう」じゃダメだ。
アホだろおまえw

493 :出土地不明:2009/08/28(金) 01:11:58 ID:6S8bSZyA
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/






494 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/28(金) 01:34:34 ID:iyZNANLz
>>478及び>>479-480で出んかったけぇ再度チャレンジしょうよ。
ほんまパソコン云う機械は融通が利かん。
http://www1.bbiq.jp/hukobekki/seji/seji.html
じゃろうて。
>>481
日本人自体、縄文直系の末裔のアイヌ人や琉球人の湿型多数と違い、
北東アジア由来の乾型がほとんどじゃに。農民になるもんと特殊な
出自のもんと差が無いわ。芸能民でも傀儡師なんか北狄の習俗に似て
半島で賤視された連中の系統じゃないか。遺伝子カルトは同一集団を
同一人種に還元したがる癖があるのう。
>>486
縄文人も弥生人も、日本人の主流たる古墳期の渡来人も北東アジア系で、
南方から来るわけあるまい。斉藤成也氏も日本人を北東アジアのグループに
入れておられるよ。

495 :出土地不明:2009/08/28(金) 07:32:08 ID:fdL2SwHh
源氏 新羅
平氏 百済
藤原 高麗

天皇 伽椰

496 :出土地不明:2009/08/28(金) 08:31:28 ID:CnNbssYI
>>494
>南方から来るわけあるまい

ところが来てるんだよね、不思議。
Y染色体は男系遺伝しないと証明した学者の名前を一人も出せないで偉そうに言うなよ、この糞おカマ。

497 :出土地不明:2009/08/28(金) 10:29:09 ID:NIX6L0qB
>>494
だからよ、形質増殖とコアDNAを一緒にするなよ。
東アジアは新モンゴロイド形質が増殖してるが、形質を左右する
DNA部分を書き換えてるだけだ。

498 :出土地不明:2009/08/28(金) 12:31:05 ID:qZ5nJVVn
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

499 :出土地不明:2009/08/28(金) 12:44:08 ID:qZ5nJVVn
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

500 :出土地不明:2009/08/28(金) 12:44:52 ID:qZ5nJVVn



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



501 :出土地不明:2009/08/28(金) 13:21:05 ID:k5gJsqcN
>>531 アクセス不良なのでコチラへ
   *下記のアクセス先も潰されました。
*余程都合の悪い情報なんだな?民潭工作隊!必死さが目に浮かぶぜ。

**これは縄文なのか弥生なのか分から無く成ってきたぞ。

桜町遺跡と河姆渡遺跡・・「高床の道は米の道、河姆渡遺跡と桜町遺跡はつながっている」

縄文中期末葉から後期初頭(約4.000年前)の「高床建物」の柱材が100本以上も出てきた。
貫穴(ぬきあな)や桟穴(えつりあい)、ほぞ穴などといつた二つの部材を組み合わせる
加工技術があり、「渡腮(わたりあご)仕口」(木材を凹凸に削って組み合わせる)といった
高度な技法も見られた。渡腮仕口は、法隆寺の金堂(7世紀後半)に使われていたのが最古と
されていた。その加工技術が約4.000年前の桜町で既に存在していることが明らかとなった。
http://siyasin.ninja-x.jp/sisou-2/kodaisi/hokuriku/sakurahukugen/hukugen.html


502 :出土地不明:2009/08/28(金) 13:48:22 ID:oRblMMs3
>>478確かに訓練された職業兵士集団と農民ではまったく勝負になりませんね。
ただしそれは戦争の中の戦闘行為といった大規模かつ洗練された職業技能を要求される
戦場であって、現代で言えば武装警察(軽武装の警官)で制圧できるくらいの
山賊に対する防衛でそれほどの武力が必要だったかどうかも気になります。相手が
職業軍人ほどの統率力や武器を持っていたら話になりませんが、農村を荒らしまわる
山賊程度なら軽武装・半農半武でも対応できたのではないかと。当時中央政府は
まったく機能せず(有名な平安時代)税だけとられた上にさらに傭兵に用心棒代を
払うのではとてもやっていけない(といっても平安時代は生き地獄だったという)と
思うのですが。

503 :出土地不明:2009/08/28(金) 13:51:47 ID:oRblMMs3
>ただし、たとえば中国の山東省の臨?(りんし)から出土した古人骨のミトコンドリアDNA分析
>では、春秋戦国時代の集団は現代ヨーロッパ人類集団・トルコ人集団に近く、前漢時代の集団は
>中央アジア集団のクラスターに入るものであった[13]。

私はこのコーカソイドの人骨は「後ろ手に縛られた上に首をはねられている」形で発掘されたもので、
おそらくは奴隷だったのだろうという話を聞いたことがあります(それか当時の道に対する魔よけのために
イケニエとなった異民族)。この墳墓はどうなんだろう?

504 :出土地不明:2009/08/28(金) 14:28:06 ID:GioNSUc0
武士をヤクザに例えるのは天皇をヤクザの親玉にでもしたいのか。
中国でも劉邦や後の三国志の劉備もヤクザものだったからといって、武士を
比喩的表現でヤクザと揶揄することはよくあるが、それと同一視したらいかんだろう。
徳川や小早川の例でもって主客逆転が頻繁に起こっているかのような印象操作を
しているが、大抵は中央から派遣された役人が中央に帰らずに武士化したものだよ。
もちろん、開発農民で出自を詐称したものもいただろうし、忌み嫌われる出自のものも
いただろうがな。

505 :出土地不明:2009/08/28(金) 17:56:49 ID:y4J5knWL
>>世紀の大発見!!縄文時代土器の常識が覆すかも。櫛目文土器より曽畑式土器の方が可なり古い<<

この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器。

発掘調査が待たれる茂の脇遺跡

案内板のある茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさすらしいが、縄文前期から古墳時代に至る
複合遺跡で、本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期
の土器、石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。
今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが学会の常識
であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から
曽畑式土器が見つかった。つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということに
なってしまう。


506 :出土地不明:2009/08/28(金) 18:19:40 ID:uwN1sA3J
縄文時代嫌い
だって際限なく古いものが見つかるし
紀元前後の日本は世界で後進国だったくせに
縄文時代は世界一古いから発展してたみたいな言い方で

507 :出土地不明:2009/08/28(金) 18:38:32 ID:U+X2ZpyW
そうですね、縄文時代は先進国だったかも知れません。
小国が乱立してたでしょうが、
吉野ヶ里遺跡や三内丸山遺跡などを見れば分かりますね。


508 :出土地不明:2009/08/28(金) 21:07:15 ID:oRblMMs3
>>504ミササギを調査させないから要らぬ憶測を生むんだと思いますよ

509 :出土地不明:2009/08/28(金) 21:27:00 ID:w6fIjP1r
up

510 :LUNAMASK:2009/08/28(金) 21:45:26 ID:w6fIjP1r
>>421 ヒクソスがアジア人。フルリ人はタタール乃至はインディアンのような風貌。
>>431 >>408
>その時代に月氏がどうやって日本列島に来たのか教えてくれ
-------------------------------------------------------
日御碕神社伝承が伝えるように孝霊時代
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AD%9D%E9%9C%8A%E5%A4%A9%E7%9A%87
とすると248年に没した卑弥呼の一世代前、伽耶に楽浪・漢系騎馬民族の類が入るころ
となり、まだ後の穹窿墓が西域近隣の堅昆のものであることから隴西匈奴渾邪/休屠等
が前漢で報奨金等で蓄財の後、更に漢王朝の黙認のもとに、月氏胡とか小月氏のよう
なおそらくは地下横穴のスキタイ系埋葬慣習を持つものを伴って武帝の四郡創設に際
し馬韓月支国に到来することも考えられる。ポスト冒頓善宇の前漢武帝の西域政策・
半島政策がこうした世界史的規模の動きの背景にある。柔然=アヴァール説は非常に
蓋然性があり、エフタルは熊本・宮崎に渡来した可能性が大。

511 :LUNAMASK:2009/08/28(金) 22:01:03 ID:w6fIjP1r
参考まで
バイカル西方の東胡石板墓文化圏に四辺内反り墳があるが、モンゴル西部の
堅昆文化圏に土俵型マウンドに祭壇のついたようなものがあるとされている。

512 :出土地不明:2009/08/28(金) 22:19:23 ID:RhZGYMaN
乾いた耳垢を持つ人
>おそらく弥生時代に大陸・朝鮮半島から別集団が流入したため本州域では変化したが、
>おそらく弥生時代に
>おそらく弥生時代に
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/132.html

>まず、福岡県下では最大規模の埋葬遺跡である筑紫野市の隈・西小田遺跡で計算すると、
>弥生時代中期前半には、年率1%前後で人口が増えていたことが明らかになった。
>こうした高い人口増加率からすれば、弥生〜古墳期の急激な人口増加も十分説明可能であり、
>大量の渡来人を想定する必要はないと考える。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/164.html

>したがって、わが国における人口増加を渡来人によると考えるのではなく、稲作農耕の定着
>とともにおこった人口の急激な増加によると考える方が自然であろう。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/165.html

>そして、この地域は、縄文時代の遺跡が少ないことでも知られる。つまり、もともと少ない
>縄文人の中に渡来人たちはやってきた。
>すでにみてきたように、この地域では弥生時代開始期からずっと人口が増加しているが、
>これらは少ない縄文人と渡来人が混血した人々であった。したがって、混血でできあがった
>「渡来的弥生人」の形質は効率よく増加していったと考えられるのである。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/166.html

私見:基本的に、弥生初期の段階で難民状態の渡来人は在来の縄文人と共存の道を選択。
そして、混血も受け入れつつ、弥生文化(縄文文化+渡来文化)を形成、灌漑水稲技術を駆使し、
渡来的形質は急激に増加、日本列島の中に溶け込んでゆくのである。

513 :出土地不明:2009/08/28(金) 22:35:00 ID:DccwDLmC
和の国、大いなる和の国の始まりですね。いい話だなあ。

514 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/28(金) 23:10:40 ID:iyZNANLz
>>502
山賊を甘う見てはいけませんよ。狩猟行動は軍事訓練ですからね。
薩摩でも家老重臣が集まって戦事の準備や陣立て人数を
定めることを「狩相談」と呼んだでしょう。
出雲の山地の舞いや躍りをする芸能集団であった鉢屋賀麻党は、
尼子氏の富田城奪回の依頼で、武器を隠し持ち、富田城内で祝いの
舞いの最中、太鼓の音を合図に城内の武士に襲いかかり、
同時に尼子勢が城内に乱入して塩屋氏を討ったでしょう。
山の民や海の民こそ、ほんまの武人ですよ。
平安時代を暗黒の側面だけで見るんは、戦後左翼史観でしょう。
http://www.ktmchi.com/rekisi/cys_35.html
このブログの、高橋昌明氏の標的・在地領主論的武士論 に、
左翼史観の石母田正氏の階級闘争史観が標的じゃないかと
ありますが、あなはも、左翼の階級闘争史観の影響で
堕落した貴族を倒した革命戦士の武装農民を設定されとるんじゃ
ないですか?
高橋昌明氏の「職能武士論」は武の専門家としての武士を考察
されとります。

515 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/28(金) 23:36:48 ID:iyZNANLz
>>504
江戸時代のお役人武士以前は、千葉徳爾が「暴力団や侠客と武家の
大名小名とは、まだ当時は不可分といってよかった。」と、云われるよう、
当時の武士の「切り取り強盗は武士の習い」なんか強盗集団でも
あったことは当然のことよ。
派遣した役人が武士になるんか?どうも戦後の左翼史観の影響が強い
ようじゃ。武の専門家や軍事貴族が下ったんでぇ。ほいで武士化云う
んも可笑しい。武士は中央畿内の武の専門家から始まったこと。
>>502の挙げたブログでも読んどれ。

516 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/28(金) 23:42:35 ID:iyZNANLz
>>504
間違えたわい。>>514に挙げたブログでも読んどれぇや。

517 :出土地不明:2009/08/28(金) 23:51:42 ID:GioNSUc0
>>515
アホ。
ヤクザは私的警察だくらいの比喩的表現はする俺もするが、
その表現をそのまま当てはめるな。
武の専門家や軍事貴族は役人でないのか、そうか。
お前は言葉遊びが好きだなあ。
プロ愚だと。お前はネットでしか勉強するつもりがないから
原著や論文を読まない馬鹿だから駄目なんだ。
書評で読んだ気になるな。読んでから物をいえ。
俺の先祖もネットで勝手に開発農民にされてしまってたから
しまったから、困ったものだ。

518 :出土地不明:2009/08/28(金) 23:54:34 ID:GioNSUc0
もうひとつ。
著者が使った芸能人の定義を明らかにせず、ここを読んでい人をミスリードするのはやめろ。

519 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:23:49 ID:xWbL2QAF
Y染色体による系統分析

母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、
1990年代後半から研究が急速に進展した[28][29][30]。ヒトのY染色体のDNA型はAからRの
18系統があり、これらはアフリカ限定のA系統とB系統、出アフリカのC系統、DE系統、FR系統
に分けられる[31]。崎谷満の分析によれば、これら5系統のうち、世界の多くの地域ではせいぜい
2系統しか見られないが、日本人にはC,DE,FRの出アフリカ3系統すべてがみられ、従来の予想に
反して日本人の遺伝子は多様であることが分かった。以下にY染色体のDNA型の比率を示す[31]。
複数の研究成果をまとめたものなので[31]、合計が100%にならない。空欄は資料なしで、必ずしも
0%の意味ではない。



520 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:26:55 ID:xWbL2QAF
D系統分析からのシナリオ

D系統はYAP型(YAPハプロタイプ)ともいわれ、アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布する
E系統の仲間であり、Y遺伝子の中でも非常に古い系統である。東アジアの地域全体にはアジア系
O系統が広く分布し、島国の日本や山岳のチベットにのみD系統が残ったと崎谷のシナリオでは
考えられる。

521 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:27:56 ID:vHlT+gqJ
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

522 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:28:33 ID:xWbL2QAF
アリゾナ大学のマイケル・F・ハマー(Michael F. Hammer)のY染色体 分析でもYAPハプロタイプ
(D系統)が扱われ、同じく日本人に固有に見られるタイプで朝鮮半島や中国人にはほとんど
見られず、それゆえこの YAPハプロタイプ(D系統)の集団はいわゆる「縄文人」と考えられたが
、さらにハマーはチベット人も沖縄人同様50%の頻度でこのYAPハプロタイプを持っていることを
根拠に、縄文人の祖先は約五万年前に中央アジアにいた集団が東進を続けた結果、約三万年前に
北方ルートで北海道に到着したとするシナリオを提出した[32]。つまり日本人と他のアジア人とは
遺伝的類縁性を持ち[33]、父系を示す Y染色体 を共通して所持する集団がアジア大陸から
日本列島へと移動していき、列島において母系集団を形成することを長期にわたって継続し、
縄文時代において混交を繰り返したとする。


523 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:28:42 ID:vHlT+gqJ
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

524 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:29:26 ID:vHlT+gqJ



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



525 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:29:58 ID:xWbL2QAF
崎谷満に対する説明

以下、前掲崎谷の分析に依拠して説明する。最初に日本列島に到達し、後期旧石器時代を
担ったのはシベリアの狩猟民であるC3系統である(2-3万年前)。バイカル湖周辺から
アムール川流域およびサハリンを経由して、最終氷期の海面低下により地続きとなっていた
北海道に達した。また、一部はさらに南下し、北部九州に達した。細石刃石器を用い、
ナウマンゾウを狩っていたと考えられる。



526 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:31:31 ID:xWbL2QAF
その後、一万数千年前に、大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。D2は日本だけで見られる
系統であり、アイヌ88%、沖縄県56%、本州42-56%で、朝鮮半島では0%である。近縁のD1,D3がチベットで
見られる。D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西がD1,D3になったと考えられる。

同じころ、経路は不明であるが、インドに起源を持つC1系統が南方から入ってきた。貝文土器を用い、
縄文人とは異なる文化を南九州に築いた。



527 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:33:32 ID:72upVJDk
O1系統は台湾が起源であり、オーストロネシア語族との関連が想定されている。台湾と
近いにも関わらず、日本列島ではO1はごく少数に過ぎない。

O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が移動を開始したのは
2800年前である。長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは南下し、百越と呼ばれた。
残りのO2bは北上し、山東省、朝鮮半島、日本列島に達したと考えられる[35]。長江文明
の稲作を持ち込んだと考えられる。



528 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:35:12 ID:72upVJDk
O3系統は黄河中上流を起源とし、漢民族に典型的に見られる他、周辺の諸民族にも広く見られる。
歴史的にO3は一貫して拡大しており、このためにD系統およびO2系統が駆逐されたと考えられる。

日本列島の特異な点は、D2やO2bなど、大陸で敗者となった集団、または新しい地を求めて移動して
来た集団が、絶滅せずに混じり合って存在していることである。その他にもC1,O1,O3など多様な
遺伝子集団を吸収し、保持し続けている。



529 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:36:05 ID:vHlT+gqJ
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

530 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:37:13 ID:72upVJDk
一方、ミトコンドリアのハプログループに注目すると、日本には世界で(主に)日本人にしか見られない
M7aというグループがある[37]。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ない
という特徴的な分布をしている(Mグループについて、M7aは台湾沖縄から朝鮮半島中国北東部への北上。
M7b,cは南方及び中国沿岸へ)。



531 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:37:45 ID:vHlT+gqJ
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

532 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:38:33 ID:vHlT+gqJ



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



533 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:39:49 ID:AzZ1noTV
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

534 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:40:11 ID:72upVJDk
稲作の起源とその考古学的分析

日本人の渡来ルートを知るために稲作の渡来ルートを考える研究があり、いくつかの説が存在している。

かつて、佐々木高明らによる照葉樹林文化論は、稲作が中国雲南省などの山間部における陸稲を発祥と
していると主張していたが、近年、長江文明の全貌が明らかにされるにつれ、稲作は長江下流域の水稲
耕作を発祥とする説が有力視されつつある。



535 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:40:35 ID:tEdsXSpe
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

536 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:41:16 ID:tjpzaDy2



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



537 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:42:26 ID:Tx4kwoGu
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

538 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:43:17 ID:L8DlrbJL
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

539 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:43:47 ID:51fXbrAr



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



540 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:44:32 ID:q36WV64g
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

541 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:45:11 ID:wWWwxPo8
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

542 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:46:41 ID:Y3kLEsAZ



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



543 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:47:16 ID:qCXGPquu
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

544 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:47:53 ID:vOY2oSPV
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

545 :出土地不明:2009/08/29(土) 00:48:24 ID:zus9TFHd



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



546 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/29(土) 02:46:08 ID:AyDnu3PI
>>517-518
高橋昌明氏の原文著書は読んどるで。他板でも第U部 武芸と戦闘
第三節 西行と鶴岡八幡宮流鏑馬行事 の、P219の西行の弓馬芸能談
なんかのう。
芸能人の定義は、『普通唱導集』に武士、歌人、遊女、鍛冶、博打と
商工民、文化人、音曲、売笑婦、武士まで様々な職能民に及んでおる。
これらは芸能人じゃったよ。わしはこの中でも山の民の要素が強い、
歌舞音曲や山地の狩猟から伝承した、殺生を生業とする武士、随身、
屠殺者の山の民の芸能要素を云うたんで。中国でも、兵は華北なら
アルタイ・チベット系の牧畜民が採用されるし、稲作地帯の華南
じゃったら、苗族、チベット系被差別民ら焼畑狩猟の山地民が兵として
採用される。山と里の文化要素も近隣国の事例も考慮して自国の歴史を
考察するもんじゃ。

547 :LUNAMASK:2009/08/29(土) 08:42:47 ID:xRQDl8pP
>>510
冒頓単于が誤字になっていた。

548 :出土地不明:2009/08/29(土) 11:13:11 ID:QZTxaaQc
>>546
お前の場合は読んでも意味無いだろ(笑笑笑)

549 :LUNAMASK:2009/08/29(土) 11:43:54 ID:xRQDl8pP
>>511
>モンゴル西部の堅昆文化圏に土俵型マウンドに[祭壇のついたようなもの]
これはサヴィノフ・古チュルク期南シベリア諸民族にある「堅昆(キルギス)が当初蒙古
北西部に居住したとする説は次第に優勢になったが、冒頓単于・老上単于と二段階に
わたってチュルク語族堅昆がミヌシンスク盆地に向かって北上し、現地のタガール
(丁霊)族と混交し、これがキルギス民族形成の端緒となったとする説を裏付けるも
ので、これには、後にタシュトィク文化・イェニセイーキルギス文化に特徴的なモンゴル・
トゥール川流域で発掘された火葬墳、ならびにミヌシンスク盆地の早期タシュトィク文化
穹窿墓に含まれる中央アジア要素、土俵型マウンド、横穴/羨道、動物葬送石像、
儀礼傘等で、前漢後漢の遺跡、西暦紀元辺りのノインウラ匈奴単于墳墓に類似品が
見られる。」・・・という記述から。

550 :出土地不明:2009/08/29(土) 13:03:25 ID:ciulcxww
>>534
水稲は、陸稲より歴史は古く、直接中国から伝わったのですね。


551 :出土地不明:2009/08/29(土) 14:36:36 ID:OWleusU+
>>550 >>ひょっとして水稲、陸稲、は種子が違うと勘違いされてる?
    水田に植えれば水稲で畑に植えれば陸稲ですよ。

稲は元々湿地に生える植物ですが、乾いた土地でも生育は可能です。それで、
水田で栽培する稲を水稲、畑で栽培する稲を陸稲といいます。取り立てて
品種が違うというわけではなく、普通の水田用の稲を陸稲として栽培する事も、
その逆も可能です。畑に撒いた場合と水田に撒いた場合では全く異なる形の
根が生えてきて、それぞれの環境に対応し、生育します。
 
 ただし、現在の稲はそれぞれに合った形で品種改良をされており、水稲用の
稲を陸稲として作ったり、陸稲用の稲を水稲として作ってもあまり収量は
上がらず、品質もいいものはできません。ちなみに水稲と陸稲を比較すると、
圧倒的に水稲の方が収量が高く、品質もいいです。


552 :出土地不明:2009/08/29(土) 14:58:18 ID:+XnVzNah
どこからやって来たのやら、四角い顔に優しい目、誰でも皆が好きになる

 悪人どもには鬼より怖い、ライフルマーン、

553 :出土地不明:2009/08/29(土) 16:19:34 ID:2fco64E1
コピペ馬鹿キエロ

554 :出土地不明:2009/08/29(土) 18:40:37 ID:eIgvo/qi
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

555 :出土地不明:2009/08/29(土) 18:45:51 ID:eIgvo/qi
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

556 :出土地不明:2009/08/29(土) 18:48:09 ID:eIgvo/qi
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

557 :出土地不明:2009/08/30(日) 00:00:54 ID:PkjabPUK
歌垣   出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

歌垣(うたがき)とは、特定の日時に若い男女が集まり、相互に求愛の歌謡を掛け合う
呪的信仰に立つ習俗。現代では主に中国南部からインドシナ半島北部の山岳地帯に分布
しているほか、フィリピンやインドネシアなどでも類似の風習が見られる。古代日本の
常陸筑波山などおいて、歌垣の風習が存在したことが『万葉集』などによりうかがう
ことができる。

現代の中国南部および東南アジア北部で見られる歌垣を概観すると、祝祭日(多くの場合
、播種前の春先)の夜に10代半ばから20代の男女が集会し、互いに求愛歌を掛け合い
ながら、対になり恋愛関係になる、といった類型が多い。このように、歌垣は未婚男女の
求婚の場という性格が強く、また、集団での成年式に起源すると考えられている。





558 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 11:29:47 ID:0X4O7Cwg
389 :出土地不明:2009/08/29(土) 21:07:38 ID:oqHxVwoH
>>382-388
よう!

日本人のルーツを台湾人の祖郷江南に誘導する事がミッションの
侵略者チャイニーズタイペイ工作員くんw

馬鹿と低脳しかダマせない欺罔ネタはそれでもう終わりか?w

では、神の俺様から下々に向かってご神託をしてやろうw

その中で縄文高床式倉庫の証拠として使えるのは、数百以上の跡がある
三内丸山遺跡と高床式倉庫を構成する大部分の部材が出土している桜町遺跡だけだな。

跡や建材の一部だけだと、旧石器時代からある竪穴式住居のものだと言えてしまうからな。

で、肝心のその高床式倉庫の伝来先だが、三内丸山遺跡と桜町遺跡がある青森と富山に
当時登場してきた土器を見れば一目瞭然だな。

「円筒土器」は、東北地方北半部から北海道南西部にかけてと、不思議な事に
東北地方南部を飛び越えて北陸の富山から出土している。

で、この円筒土器、当時の遼寧から沿海州南部にいたる北東アジアに広がっていた
「平底筒形罐」と器形が全く一致している。

つまり、日本海を縦断した青森や富山から一番近い大陸だった「沿海州南部」との
交流を通じて、縄文高床式倉庫も円筒土器も玉ケツ(ケツ状耳飾)も伝わっただけなのである。

ただし縄文高床式倉庫と弥生高床式倉庫は連続していない。

西日本での縄文期の高床式倉庫の確証遺構が全く無いからである。

弥生高床式倉庫は弥生開始期と同時に九州北部に突如として登場するのである。

559 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:04:25 ID:Dq+a+T6j
日本人の先祖は欧州人男性じゃね?戦国時代から種付けされまくりじゃん。
日本人がアジアの中で色白で鼻が高いのは欧州人とバイタが混血児残しまくったから。

560 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 14:16:24 ID:cSh2j4E6
>>世紀の大発見!!縄文時代土器の常識が覆すかも。櫛目文土器より曽畑式土器の方が可なり古い<<

この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から曽畑式土器。

発掘調査が待たれる茂の脇遺跡

案内板のある茂の脇遺跡は、八幡神社の周辺一帯をさすらしいが、縄文前期から古墳時代に至る
複合遺跡で、本によっては夫婦石遺跡とも呼ばれている。韓国新石器時代の土器、縄文前期・中期
の土器、石鏃、石斧、古墳時代の須恵器などが出土。考古学的には非常に重要な遺跡らしい。
今までは朝鮮半島の櫛目文土器に影響されて、九州の曽畑式土器が生まれたというのが学会の常識
であったが、この遺跡では10層・11層から櫛目文土器が現れ、さらに深い(さらに古い)13層から
曽畑式土器が見つかった。つまり、曽畑式が櫛目文に影響を与えたのかも知れないということに
なってしまう。


561 :LUNAMASK:2009/08/30(日) 14:40:07 ID:e2+RNFi3
>>558
旧石器、縄文、弥生といったスケールの話では現代日本人遺伝子における
出現頻度で歴史的イベントの復元もできようが、ミクロのイベントの復元の
場合にはどうしても問題がある。それと、列島を通過したトランジット遺伝子
の存在は記紀における白人の言及とか、埴輪におけるエフタル武人等から
推論することができる。白人、コーカソイドには印欧語族と原突厥語族の
2種が想定できる。吉備から紀伊にはいるのは原突厥系であり、日向・肥後
のものは印欧語族ソグド系でなかったかと考えられる。でも弥生の多数派は
沃沮系と江南系、つまり、O2とO2であり、その他の少数派はこれらによって
駆逐されたと考えられる。Dは逆に弥生において繁栄している。

562 :LUNAMASK:2009/08/30(日) 14:41:48 ID:e2+RNFi3
江南系はO3だと思う。

563 :出土地不明:2009/08/30(日) 14:55:08 ID:e2+RNFi3
日本におけるカースト制度の残滓の起源は印欧語族ソグド系のイデオロギーに
起源があるもので、印度亜大陸におけるカースト制度と同根と考える。

564 :LUNAMASK:2009/08/30(日) 15:25:09 ID:e2+RNFi3
弥生末期から古墳初期における渡来人には農耕民O2,O3,コーカソイド騎馬民族、
金海/吉備(キメ・キビ)、ソグド系蘇我、等のほかに東胡系もおり、これが前方後方
であるとか、方形周溝墓、四隅突出墳丘墓等の四方クナド神文化を持っていたと
見られる。大和が前方後円墳一色になろうとする時、尾張では前方後円墳と
前方後方墳の対立が顕著であった。これが狗奴国の存在と関連付けられる
と思う。


565 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 16:12:42 ID:MmoWoWvn
ちと、在来りなのですが、参考までに。

『ここで注目したいのは、渡来系弥生人の北方起源説の根拠である。彼[埴原]は、頭蓋計測値
を使って縄文人・渡来系弥生人・現代日本人・北東アジアの先史時代人・現代人の関係を分析し、
土井ヶ浜・三津などの渡来系弥生人がウリチ・ニヴフ(ギリヤーク)・オロチなどアムール川流域に
住む諸民族にきわめて近いことを明快に示している。しかし、この分析結果から、渡来人の原郷を
ただちに北東アジアと断定するわけにはいかない。弥生時代以前に特殊化モンゴロイドの形態を
獲得している東アジアの集団ならば、ほとんどすべてが渡来人の母集団候補にあげられる資格を
そなえているからである。』---「日本人のきた道」 池田次郎著より一部抜粋

>渡来人の原郷をただちに北東アジアと断定するわけにはいかない。
>弥生時代以前に特殊化モンゴロイドの形態を獲得している東アジアの集団ならば、
>ほとんどすべてが渡来人の母集団候補にあげられる資格をそなえている

>ほとんどすべてが渡来人の母集団候補にあげられる資格をそなえている

566 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2009/08/30(日) 18:49:49 ID:nfFDv92Y
845 名前:名無しさん@そうだ選挙に行こう :2009/08/30(日) 18:42:16
朝鮮半島の櫛目文土器はBC40C頃から登場するんだから、
単に13層がBC4OCよりも新しいだけだろうが

で、10層・11層の時代になって半島から櫛目文土器が輸入されただけだろうが。

しかし、URLも出典先も無い、怪しさバツグンだな台湾政府w

567 :334:2009/08/30(日) 20:11:01 ID:uFod3YU3
山東半島や上海付近の古代人が新モンゴロイドに変わったのは、
いつごろなんでしょうかね。

彼らはどんな石器を使っていたのか、
あるいは、石器ではなく竹を使っていたとか。

どうも縄文時代は1くくりにするには長すぎて、
どこかで南方的な要素が入ってくるはずなんですが
石器からは北方のつながりしか示されてない。

あるいは、
現在、いわゆる縄文的と言われているものは、
実は弥生時代に入ってきた江南人のものなのかもしれませんけども。



568 :出土地不明:2009/08/30(日) 21:36:58 ID:ubwIjmJ7
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

569 :出土地不明:2009/08/30(日) 21:37:37 ID:ubwIjmJ7
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

570 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/08/31(月) 01:41:09 ID:jBwSpZ6p
>>565
池田次郎氏も、北東アジアの渡来集団が日本列島の主流に
なっとる見解では埴原和郎氏の見解と違わんよ。
http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page2-2.html
表1を見たら解ろう。
全体の文を読まず一部の文を抽出しても意味がないど。

571 :出土地不明:2009/08/31(月) 01:54:08 ID:3boCmnyJ
>>567
>山東半島や上海付近の古代人が新モンゴロイドに変わったのは、
>いつごろなんでしょうかね。
そうですね。

その辺の話はまだ調査中なんでしょう。

YAP+を持った人が住んでいた時代、
後にポリネシアンになった人が住んでいた時代、
後にベトナムのキン族になった人が住んでいた時代。

その辺の調査を望みますよね。

そういう疑問を提起すると、
すぐに媚韓の変な奴らが出てきて、
中国から来た土器がどうしたとか
時代と民族グループを無視した
馬鹿話で揚げ足を取ってくるw


572 :出土地不明:2009/08/31(月) 02:05:48 ID:FUr2BhPX
>>570
池田次郎氏や埴原和郎氏の何が主流になったかの見解は、別にどうでもいいよw
何をもって主流となすかは様々な見解があるんでしょ。
述べたい事は、
>弥生時代以前に特殊化モンゴロイドの形態を獲得している東アジアの集団ならば、
>ほとんどすべてが渡来人の母集団候補にあげられる資格をそなえている
ということ。
で、各自考察したらいいんでね。

573 :出土地不明:2009/08/31(月) 02:25:54 ID:KvGvRu/C
>>570

出た権威奴隷w
科学の前に撃沈する古臭い説。
あぁ哀れ…w

574 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/08/31(月) 03:28:19 ID:MEe+FD6J
>>572
う〜ん、

>弥生時代以前に特殊化モンゴロイドの形態を獲得している東アジアの集団ならば、
>ほとんどすべてが渡来人の母集団候補にあげられる資格をそなえている

ですが、それはそうなのかもしれませんが、その“割合”と言いますか
“度合い”が地域により違いますよね。特に東エイシャの南部へ向かえば向かうほど
古蒙古人種と言いますか類オーストゥルェイリア人種的な形質の人が増えると思います。
現在でもそうですが、特に昔であればよりこの傾向は強かったはずです。
例えば現在でも東南エイシャ方面に行くと、明らかに目の“彫り”が
現在の一般的な日本人に比べ目立つ人が増えますよね?
「各自考察」と言いますが、やはり日本でも関西方面を筆頭に多く見られる
新蒙古人種系の形質が色濃い人々に、強く影響を与えた人々(祖先)は、
現在の支那南部や東南エイシャから来た人々とは考えにくいですよ。
普通に考えてそう思いませんか?
勿論いわゆる“縄文人”など、これ以前の人々の話はまた別ですよ。

>>571
あなたも「媚韓」などと、訳のわからない事を言っていないで、
もう少し冷静に物事を観られないのですか?どうしても偏見や蔑視の情で
物事を色々な角度から、またはひとの意見に素直に耳を傾けられなくなってしまう
ようですね。可哀想な人です。
ですから「西蔵の仏教も日本の仏教も上座部(南伝)系だ」などと、
強引で根拠の無い虚言を言う事になるのですよ。くどいようですが。
それで“耳垢”を左右する形質の遺伝子はどこから来たのですか?もし昔、
支那南部からいわゆる“弥生人”の多くがやって来たとして、現在の日本人の
耳垢の性質が、現在のような度合いになるのでしょうか?
この状況の理由を、あなたのお得意(?)の自然科学的な論理で説明してみて下さい。

575 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/08/31(月) 04:35:15 ID:MEe+FD6J
>>570
あなたも「科学」と言いますが、あなた達の好きなY染色体の分析でも、
>>522の文章の研究者のように、“D系統”の人々が、どのような経路で
日本に入って来たかなども、現在の分布状況をどのように判断するかは
研究者によってもまちまちなのではないでしょうか?
またここでもよく見受けられますが、“C系統”の人々も、日本などから、
ぐるりと平仮名「つ」を描くような形で、サイビリアに入っていったように
主張・理解している人達がいますが、なぜこの道のりしか考えないのでしょうか。
日本からあの極寒のサイビリアに行けるのに、なぜ人類は現在のイラーン付近から
東や北東方面には行けない(行ったと考えない)のでしょうか?彼らはそこから
南東のインディア方面にしか向かわなかったのでしょうか?C・D系統の“古い”
人々の痕跡が、後に来た別系統の人々により消されたのでありましたら、尚の事
人類の東進・北進の道のりがイラーン辺りでずっーと“止まった”ままでいたとは
考えにくいような気もわたしはするのですがね…。
たしか東南エイシャが起源と考えられているこの“N・O系統”の特にNなども、
アラビアから中央エイシャが起源で、アルタイ方面から東進してきたという
話、と言いますか図のようなものを、見た事があったような…。
話は戻りますが、C系統等は、考古学等では逆に北回りの説のほうが多いようですが、
わたしにはどれが信憑性が高いのか、まだ判りません。“黒潮”は、まずないと
思いますが(理由はまた後ほど)、海岸付近を伝い南方から、は、十分あり得る
話だろうとは思います。ま、何が真実かは難しいところでしょうが、“二重構造説”は、
何のかのと言われつつも、実は今日でも正しかったり…、などとも考えています
(この辺りは、特に言語学的な視野から見ますとそのような気が…)。
なにはともあれ、嫌韓ですとか嫌支ですとか、そのような全く無意味な感情で
議論や考察(本来喧嘩ではないはずです!)に水を差す事ほど、つまらない事は
ありません。皆さん、殺伐としていないで楽しめるとよいですね^^

576 :出土地不明:2009/08/31(月) 10:26:20 ID:x6a5jB6S





貴方はこの文章のどこがウソなのか、もう分かりますね?w



「夏后少康之子が長江下流域南部の會稽に封ぜられた時、斷髪文身をして
蛟龍の害を避けた。今倭の水人は好んで潜って魚や蛤をとるが、同様に文身して
大魚や水鳥の危害をはらっている。・・・」と書かれ、長江下流域南部の風習と
日本列島の倭人の風習との関係の深さを示唆している。

 鳥越憲三郎氏の中国江南地域の現地調査によっても、『魏志』倭人伝に
記録されている「貫頭衣」の存在が確認されており、そのほかにも高床式住居・鳥居など、
倭人の文化・風習の江南的要素が指摘されている。

http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page2-2.html#tyugoku






577 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 11:37:19 ID:9V0SNbIi
「夏后少康の子、会稽に封ぜられ、断髪文身、以て蛟竜(こうりゅう)の害を避けしむ。
今倭の水人、好んで沈没して魚蛤(ぎょこう)を捕え、文身しまた以て大魚・水禽を厭
(はら)う。後やや以て飾りとなす。諸国の文身各々異り、あるいは左にしあるいは右に
し、あるいは大にあるいは小に、尊卑差あり。その道里を計るに、当に会稽の東治
(とうや)の東にあるべし。」
会稽に遠からぬ連雲の近辺は支石墓が多いという。イランにおける刺青はハラフ文化
時代の文様を伴うとされる。夏はイラン系をも含む遊牧民族であったのであろう。ただし、
江蘇・安徽・山東の東夷は北上し遼東半島から満州、内モンゴル、ザバイカルまた、
朝鮮半島へと移動している。倭人の刺青の起源を会稽と結び付ける洞察力には非常に
深い知識があるようだ。

578 :出土地不明:2009/08/31(月) 11:46:29 ID:x6a5jB6S
>>577
知的障害者はどっか逝けよ。

このスレ汚し。

579 :出土地不明:2009/08/31(月) 12:45:55 ID:bsVH4F7n
ランチタイムにワンちゃんの話

北海道犬(アイヌ犬)ヒグマ狩に使われてた。
ご先祖様はインドネシアのジャッカルだそうです。

580 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 13:08:53 ID:9V0SNbIi
BC2000-1250年ころ、黒海北岸からコーカサス北麓において、先行する
BC2300-2000年ころのピット墳(赤いシャクドという土を土壙の底に敷く)に代わって
地下横穴・カタコム墳(宮崎県に多いもの)が出現した。おそらくは同時期のコーカサス
北麓平原に出現したシュメール・ウルク文化人のマイコープドルメン文化からシュメール
の地底王国神話が取り入れられ、青銅器文化に接したためであろう。BC1250年ころに
この文川北方ボルガ方面からの木槨墳文化に押され姿を消す。殷が始まるのはまさに
このころ。そして戦国時代になって地下横穴・カタコーム文化はおそらくはアラン族として
里帰りする。日本において地下横穴が始まるのは古墳時代の後期である。重要なことは
スキタイ神話、クルガン(高塚)文化が残るのは世界でもコーカサス・黒海、アルタイ、
日本の3か所に限定されることだ。

581 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 13:16:24 ID:9V0SNbIi
赤い土というのは、日本では、鹿の血を大地に流す習慣などとして残るが、血と肉、
生命のシンボル。これが青銅器時代には火の神の色、そして、普遍的な太陽・日輪
として火の邇邇藝、三雲、盾築遺跡、始皇帝陵等に見る朱となる。

582 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 13:21:36 ID:9V0SNbIi
コーカサス・黒海方面では宮崎・熊本のように竪穴に続いて羨道のある長いプラン
のものをカタコームと呼び、横穴が直結のようなのは地下横穴墓と呼ぶ。

583 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 13:33:37 ID:9V0SNbIi
日本が印度のようにコーカソイドがブラーマン・クシャトリアとなるカースト制度に
ならなかったのは桃太郎のような東胡族主導による反撃があったからであろう。
冒頓単于等の匈奴が月氏の首で髑髏盃を作った伝統は吉備の温羅から信長に時代
まで受け継がれたようだ。

584 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 14:16:00 ID:9V0SNbIi
タクラマカン砂漠、小河墓遺跡では女王の逝去に際し、牛を三頭も三枚下ろしにし、
鮮血の冷めやらぬ間にポプラの巨木を倒し、極めて巧緻な、伊勢神宮の堅魚木・
棟持ち柱の原型のごとき棺を作っている。極めて高度な木工技術が見られた。
山東半島方面から遼東に移住する高夷は住宅建設技術を持ち込んだとされる。
沃沮文化経由九州比恵遺跡に入る木造住宅の技術はこうしたルートを経ているの
であろう。


585 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 14:43:52 ID:9V0SNbIi
古墳時代以降の日本のたどった道はタタールモンゴル、トルコとよく似ている。幕府とい
うのがオルダHordeということだ。

586 :LUNAMASK:2009/08/31(月) 14:54:00 ID:9V0SNbIi
源氏の白旗、平家の赤旗、円餅、角餅、日の丸、三種の神器・・・日本人のご先祖は
極めて真面目に古墳時代からの出来事を何一つ違えることなく伝えてきているといえ
よう。記紀の重要な所以である。

587 :出土地不明:2009/08/31(月) 15:00:20 ID:IEv3i5hH
そんな国がはじまるよりはるか昔だろうな。氷河期の終わりにはそんな国々なんてないかったから

588 :出土地不明:2009/08/31(月) 17:07:05 ID:Rtqh5e8H
インドの神話に出てくるサルはモンゴロイドに思えてならない

589 :出土地不明:2009/08/31(月) 17:46:09 ID:2eBNeaxf ?2BP(702)
オーストラロイドだよ


590 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:36:44 ID:x4jYfW9s
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

591 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:37:21 ID:QZ97yome
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

592 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:38:23 ID:QZ97yome
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

593 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:38:59 ID:w0vlzScp
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

594 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:40:10 ID:w0vlzScp
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

595 :出土地不明:2009/08/31(月) 20:41:38 ID:w0vlzScp





貴方はこの文章のどこがウソなのか、もう分かりますね?w



「夏后少康之子が長江下流域南部の會稽に封ぜられた時、斷髪文身をして
蛟龍の害を避けた。今倭の水人は好んで潜って魚や蛤をとるが、同様に文身して
大魚や水鳥の危害をはらっている。・・・」と書かれ、長江下流域南部の風習と
日本列島の倭人の風習との関係の深さを示唆している。

 鳥越憲三郎氏の中国江南地域の現地調査によっても、『魏志』倭人伝に
記録されている「貫頭衣」の存在が確認されており、そのほかにも高床式住居・鳥居など、
倭人の文化・風習の江南的要素が指摘されている。

http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page2-2.html#tyugoku






596 :出土地不明:2009/08/31(月) 23:19:17 ID:RUhIBnhz
>>586
たった13世紀以前の事だし、紅白は支那の風習だろ、
丸餅だって支那由来だし。
日の丸はもっと後だよな。
日本人の起源を云々するには関係ない物ばかり。

597 :出土地不明:2009/09/01(火) 12:11:16 ID:k3TSJLN9
鳥居は東インドのダージリンあたりから雲南やシーサンパンナにかけての地域で
紀元前より存在してるよ。
鳥のレプリカまでトッピングされたものが多数あるよ。

598 :出土地不明:2009/09/01(火) 13:46:10 ID:nzTNbmdp
>>597
見たい!史料ある?

599 :出土地不明:2009/09/01(火) 13:56:30 ID:Lk6eb82I
>>597 東インドのビルマ語系少数民族の言語に日本語と身体語が多数一致する種族がいるしな。

 チベット・ビルマ語が日本語と語順が同じというのも偶然ではないだろう。


600 :出土地不明:2009/09/01(火) 14:00:15 ID:bHBfpcI/
鳥居は重要じゃない。神社のゲートなだけだから
神社のような本殿と拝殿と手水舎を備えた宗教施設が重要

601 :出土地不明:2009/09/01(火) 17:36:40 ID:RnzHH5Uc
神社の神饌も家畜の肉は使わない、

神社などでは、米、塩、水、野菜、鯛、鰹節(干鰹)、海藻、果物、清酒などを供える。
基本的には、かわらけと呼ばれる素焼きの焼き物を器にするが、
地域によっては鮑の貝殻を代用する場合もある。『ウィキペディア(Wikipedia)』

北方騎馬民族(遊牧民族)に支配された朝鮮半島とは基本的に違う。
朝鮮半島では、色々な行事で古くから肉類も供え物として使われる。

韓国の焼肉とビールは美味しかった。(個人的見解)




602 :出土地不明:2009/09/01(火) 18:19:59 ID:XEOpt8Bs
>>601
しかも日本では動物の皮を剥いでなめす人たちって被差別民だしね。

603 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/01(火) 18:31:38 ID:ZIKhc2Qs ?2BP(702)
日本の被差別民は在来系の旧石器人のなごりだろう。

大陸の遊牧民とは独立した日本固有の北方民族とでもいうのだろうか

604 :出土地不明:2009/09/01(火) 19:21:34 ID:Lk6eb82I
>>600 神社の重要施設ダンジリ、神輿があるのも日本とインドだ。

 シナ、朝鮮に神社、ダンジリがあるという話は聞かないな。


605 :出土地不明:2009/09/01(火) 20:40:48 ID:aFPtyovc
日本の濃い顔立ちの人らとアイヌはインド人そっくり。
アーリア系じゃなくて南のドラヴィダ系の人ら。
日本語、タミール説もとんでも説には思えない。

606 :出土地不明:2009/09/01(火) 20:42:48 ID:YMCsl1IA
みなさんは鳥居と云えば神社と思われるでしょうが違いますよ。
日本最初の官寺、四天王寺には東西南北にそれぞれ門が有り
その内西方浄土の西正門は鳥居です。

鳥居は元来、聖地結界の門で聖界と俗界を分ける境界の入り口、門
なんです。インドのストゥーパの東西南北にあるトラナが鳥居の
ルーツで紀元前3世紀頃より有るそうです。

607 :出土地不明:2009/09/01(火) 21:05:18 ID:gD4h3lvr
そうですか。

それはそれは良かったですね。

でも日本には8Cより前の鳥居なんかありませんし、

その遺物もありませんから。

飛鳥時代の鳥居があったら是非教えてみてください。

あしからず。

608 :出土地不明:2009/09/01(火) 21:47:15 ID:h2J/NeEZ
ウィキペディアで鳥居をしらべたら、これもぜんぜん明確な起源も目的そのものも
わかってないのな。ご先祖様いい加減すぎだろw

609 :出土地不明:2009/09/01(火) 21:49:15 ID:h2J/NeEZ
>>605新潟出身のお笑い芸人で濃い顔・長髪のすごくクドイ顔の人いるよね?
ああいう人が純粋血種日本人なんでしょ?

610 :出土地不明:2009/09/01(火) 22:29:33 ID:mr3W0qKh
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





611 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/01(火) 23:22:18 ID:S9RGmGlO
>>601
諏訪の神社は鹿の首を供えるのう。宮崎県の神社でも動物供儀も
ある。しかも農耕民族でも家畜の水牛を供儀はタイ系民族に顕著
じゃ。動物の流血供儀や人身供儀は岡正雄氏が指摘されたよう、
南方系に多いんじゃないか。モンゴルなんか火の神を汚す云うて、
動物の流血供儀は無い。モンゴル人やチベット系ブータン人は、
羊を屠殺する時、小刀で胸を裂き、心臓の動脈を切断して、
大地に血を流さんようにする。血はケガレじゃけんのう。
あんた、もう少し勉強して書き込むことじゃ。
>>602
家畜の皮を剥いでなめす人たちはのう。野生動物なら狩猟したもんが
シゴするけどのう。ほいで、遊牧民系のチベット・ブータンでも
屠殺者は被差別民じゃ。仏教思想と共にインドのカーストの影響か
どうか断定出来んが考慮する必要はあろう。
>>603
被差別民が旧石器人?起源を古うするのう。近世でも、武士から
被差別民に転進したもんもおるんに、被差別民は縄文系もおれば、
遅れて渡来して上層部に入れんかった連中もおる。江戸期に
農民から癩病で隔離された人たちも含め様々な集団の集合体じゃ。
被差別民単一起源は、あり得んよ。

612 :出土地不明:2009/09/01(火) 23:44:40 ID:XEOpt8Bs
>>611
>家畜の皮を剥いでなめす人たちはのう。野生動物なら狩猟したもんが
>シゴするけどのう。

革をなめすというのはそれまで日本にになかった高度な技術であって、
大陸からの渡来系がもってきたと考える方が蓋然性が高い。
5世紀前後に新羅から来た人間がもたらしたという地方伝承もある。

613 :出土地不明:2009/09/01(火) 23:58:20 ID:ggkhKymn
崎谷満先生の父系Y染色体による系統分析、の要約と補足

「日本人の出自から見たDNAの平均値 」

約38% D2型、日本にしか残されていないシベリア経由で入ってきた縄文人の血
約34% O2b型、ジャポニカ米と共に揚子江から海路渡ってきた弥生人(長江文明人、百越人)の血
約18% O3型、山東半島〜朝鮮半島〜日本と渡って来た漢族の血
約 5% C1型、インド経由、南方系海人族の血
約 1% N型、フィリピンに顕著に残り、ツングースも保有する血筋
約 1% C3型、樺太から北海道に、アイヌに残るバイカル湖経由のツングース系の血
     朝鮮半島から九州に、扶余の血? ルート違いのバイカル湖経由のツングース系の血
その他 1%以下、D1、D3型、チベットに残るテュルク系?の血
     O1型、台湾経由の大陸系の血
     O2a型、渡来時期、ルートの異なる長江文明人の血

(出身地域により特定血筋を多く持つ者も、全く持たない者もいます)
(アイヌより縄文人のほうが渡来が早いとの説もあります)
(扶余の祖、東胡も民族系列は謎、ツングースか、テュルクとの混血ともいわれます)
(扶余が天皇家とは限りません。蘇我氏説もあります。皇統断絶説、二回説もありますしね)
(朝鮮人はO2b型5割、O3型4割、C3型1割、O1型数%です)
(日本人は10種類もの血筋が入り混じった稀有な民族なんだそうです。負け犬の吹き溜まりとも、冒険野郎の終着点ともいえるでしょう)


614 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/02(水) 00:29:27 ID:ye1lPm42
>>612
皮をなめす技術は、動物を狩猟対象とした各地にあろうに。
大陸からの技術云う根拠も無い。また原住民の技術云う根拠も
無いが。地方伝承たぁ具体的にどがぁな技術か?
また、それと類似の技術がそれまで日本に存在せんかった根拠は?
>>613
Yカルトの電波がまた始まったか。

615 :出土地不明:2009/09/02(水) 00:45:22 ID:FokXQNkf
>地方伝承たぁ具体的にどがぁな技術か?
>また、それと類似の技術がそれまで日本に存在せんかった根拠は?

姫路の高木村の伝承で神功皇后の時代に来た渡来人がもたらしたとある。
「なめす」というのはほっとけばカチンカチンに硬くなる皮を柔らかくするということだが、
その柔らかくするのに使われるたのが牛や馬の脳だ。
だいたい牛馬自体が渡来系が持ち込んだのだから、そんな技術を倭人は知る由もない。
逆におまえに聞くが倭人がそういう技術を知ってたという根拠を聞かせてもらおうか?

616 :613:2009/09/02(水) 02:50:22 ID:UboGEoDp
>>614
今、最新の遺伝子技術が歴史の定説を覆しています。
もちろん、ファンタジー史観wwwは全ての科学的史料を全否定していますが・・・。

百越人(倭人、弥生人)とは、黄河文明より三千年も古い長江文明の失われた担い手です。今そのDNAは越南、日本、朝鮮にしか残されていません。
穏やかな農耕民族だった百越人は、残虐な漢族に侵略され南へ、長江を下り日本へと揚子江上流原産ジャポニカ水稲を携えて逃げてきたのです。
そして山東半島から、水稲と共に日本から朝鮮半島へと進出していきました。

現在、朝鮮より日本の稲作の方が古いことがわかっています。
そして日本米のDNAが朝鮮米に残されていても、朝鮮米のDNAは日本米に存在しないことで、稲作文明は定説(いわゆる朝鮮日教組史観ですね)の逆、日本から半島に渡ったことが判明しています。

今でも北朝鮮ではコリョ族(高麗族、扶余族とは敵対)のDNAが強く、南朝鮮では百越人のDNAが強いそうです。
千百年前までの南朝鮮は、日本から渡った弥生人を扶余族の王(三韓、倭共通で親族)が統べる日系の社会だったということです。


617 :出土地不明:2009/09/02(水) 08:22:06 ID:fTgBTix0
>>611

神社の神饌も家畜の肉は使わない、

神社などでは、米、塩、水、野菜、鯛、鰹節(干鰹)、海藻、果物、清酒などを供える。
基本的には、かわらけと呼ばれる素焼きの焼き物を器にするが、
地域によっては鮑の貝殻を代用する場合もある。『ウィキペディア(Wikipedia)』

北方騎馬民族(遊牧民族)に支配された朝鮮半島とは基本的に違う。
朝鮮半島では、色々な行事で古くから肉類も供え物として使われる。

神社の神饌も“家畜の肉”は使わない、と言っているのですよ、
農作物や、山海の幸は当然使うでしょう。
祭ってある神によっては、例外的にあるかもしれませんが、




618 :出土地不明:2009/09/02(水) 09:17:14 ID:9Ecq38Aa
D 理屈で反論できなくなるとレッテル貼りか人格攻撃


━ 白馬青牛の特徴 ━

━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
A 脳内ソースを持ち出し.    ┃B 得意技は悪魔の証明
  根拠の無いことをわめく   ┃   ほうじゃ無かった根拠を提示せえや
  ∧_∧.....               ┃    │     |   │彡
 <#`Д´>O  Y染色体は    ┃    │   .i|○ │彡<「ないことの証明」をしろ
Oー、 //|  父系遺伝しない! ┃    │     |   │    
ビリビリ\ (;;V;;)/             ┃    │     └― ┘ 
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
C なぜか右翼の話しをする  i.┃D 理屈で反論できなくなると
   从_从人_从_从人_       ┃  レッテル貼りか人格攻撃
从从ゞ ウヨの妄言ウザい !/,   ┃     ∧_∧ <分子生物学者は全員ナチス
ウヨクタバレ∧__∧  从_从人__....  ┃     <♯`Д┌―――┐
⌒WWY´<#`Д´>ナチスダマレ! ┃     /    . | i ̄ ̄i |
 从_从( |   | )⌒WW⌒⌒Y..┃    jm==== | i :: i |
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━
E ムキになって駄文荒らし   .┃F 事実に対して都合のいい仮定を持ち出す
     ((((( ))))))         ┃ +   ∧_∧   .. ' ,:'.
       | |           .┃  ,:'.<  `∀´>   ,:'     
       ∧__∧    从_从人__....┃+ , ..⊂    つ     +  
   ∩<#`Д´>'') フザケヤガッテ┃  ' ,:'ノ  つ ノ    +  。  , .. .    + 
   ヾ      ノ  WW⌒⌒Y ┃      レ レ  〜 幸せ回路作動中 〜
━━━━━━━━━━━━━╋━━━━━━━━━━━━━━━

619 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 10:28:02 ID:qe0uO9WR
BC1000年頃、山東省岳石文化圏から遼東山岳部Machengzi文化地域を経由松嫩地域
に入った西團山文化には三足土器、石包丁のほかにヒッタイトのマーカーである、
グロビュラー(球形)土器、ギリシャローマによく残っている双耳罐shuangerhuan型土器
をもつものであった。おそらく体格の良い穢人というのは淮河方面からこの地方に移住
してきた、殷を構成した欧州系を含む民族であったのであろう。彼らの墓は岩を積み
上げたパイルド・ロック墳であったという。三輪山北麓には磐座が多いが、この線からの
関連もあろう。

620 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 10:48:51 ID:qe0uO9WR
西團山文化では袋状ソケット付青銅斧、青銅鎌が出土しているが、ヒッタイトの
マーカーであるグロビュラー土器は北方に隣接するアムール河ポリツェ方面の
ウリル文化圏に波及する。ウリル・ポリツェ・沿海州ヤンコフスカヤ文化は既に
西團山文化時代に鉄器時代に突入する。これはこの時期に新疆に入る鉄器文化
とも関係している可能性がある。沿海州ヤンコフスカヤ文化は貝塚文化で、マグロ
を食べたりしている。九州方面との関連が考えられる。

621 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 11:00:53 ID:qe0uO9WR
神武に討伐される兄滑、とかその弟、弟滑、金屋などは滑>發>狛、アヴァール
族ではなかったかと考える。オオハツセのワカタケル等というハツセ、伯済等も
関係があるのだろう。

622 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 11:56:26 ID:qe0uO9WR
はせ↑粛慎をみしはせと呼ぶがウリル・ポリツェ文化は粛慎・邑婁文化。一方ハツセ川
はスキタイ族居住地の立地条件である峡谷を満たしている。入り口には防衛隊長、
おっさか(サカ族の)のおおなかつひこ(大王)=とみひこが陣取る。これがスキタイ=
サカ=月氏のとみびこであり鳥見山古墳群被葬者
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_77.jpg 
ということになる。

623 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 13:36:30 ID:qe0uO9WR
吉備の盾築遺跡は後の突厥文化に見られるひげクルガン、中円双方墳形式。
解読される人面像もカルムィク人のような容貌。おそらくは渾邪王、すなわち、
拘邪韓國、金海系統。これに対し当時の月氏というのは匈奴と対立した歴史を
持つ民族なので、月氏系の初瀬川に興った雄略が吉備を忌み嫌うのは当然の
ことと考えられる。いずれにせよこれらは穢人とは世代が異なるコーカソイドであり、
穢人はおそらく小河墓遺跡のミイラのような西部欧州出自の古代人であったのでは
なかろうか。

624 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 13:52:48 ID:qe0uO9WR
>>619
>ヒッタイトのマーカーである、グロビュラー(球形)土器、ギリシャローマによく残っている
>双耳罐shuangerhuan型土器
これは日本では提瓶(ていへい)と呼ばれる形式のもの↓
http://www.hakubutu.wakayama-c.ed.jp/permanent/teacher's/004.JPG
ロシアのサフロンコフがこの土器をトレースしヒッタイトが中央グロビュラー・アンフォラ
土器文化圏からコーカサス経由小アジアに進出する道筋の仮説をだしており、非常に
説得性がある。

625 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 13:58:24 ID:qe0uO9WR
中欧というのが誤字になっていた。東独のエルベ川方面。

626 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 14:23:42 ID:qe0uO9WR
下図の右肩上がり斜線部分がグロビュラー・アンフォラ 土器文化圏
http://histline.narod.ru/002.jpg
ギリシャ・アテネ中央広場アゴラ出土の提瓶
http://archaeology.kiev.ua/byzantine/amphorae/classification/fig/118.jpg

627 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 15:51:13 ID:qe0uO9WR
戦後活躍したロシア考古学者トルストフは小アジアのフルリ人がバクトリアに移動しホラ
ズムを建国したとするが、ヒッタイトの形質とされるのはインデアン・タタールのようなケト
人であり、これは中国・日本に入った羯族とみられる。この言語はシナ・コーカサス・ナデ
ネ語とされるが、これはYDNA系統においてOと分岐するNに相当し、ユーロポイドであ
る、Rの先祖である。原突厥系とは完全な西欧型ではなく、このN、すなわち羯族系統で
ないかと考える。これがHvar=Avar=滑=發と考えると呉に製鉄技術をもたらしたのも、
ポリツェに製鉄技術をもたらしたのも、ヒッタイトを構成していたフルリ族であり、吉林省
蛟河市
http://www.chinaknowledge.de/History/Altera/sushen.html
に存在したであろう沸流国もこれに関連するとみるべきかもしれない。

628 :出土地不明:2009/09/02(水) 15:52:19 ID:FlhqHugF
その遺物が広がっているのはわかるけどさ、どこの地域がそのオリジナルだと
だれがどうやって決めてるの?

629 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 15:56:28 ID:qe0uO9WR
吉林省蛟河市ソルハ↓  URLが間違ってた。
http://japanese.cri.cn/151/2006/06/15/1@65769.htm
2006-06-15 13:11:59

630 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 16:00:38 ID:qe0uO9WR
>>628
ロシア考古学者サフロンコフがこの地図、彼が描いたもんだけど、全域の出土土器
とか考古学遺物・遺跡を比較検討して仮説として提示している。

631 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 16:08:29 ID:qe0uO9WR
その説ではインドヨーロッパ語は新石器時代の農業が開始するのと同時に小アジア
からドナウ川方面に飛び、そこを拠点として四方に拡散したというもの。

632 :出土地不明:2009/09/02(水) 16:41:50 ID:FlhqHugF
インドが起源ということはないのかね?何が何でも西洋人がものごとの
起源でなくてはならないのはなぜだ?

633 :出土地不明:2009/09/02(水) 16:43:58 ID:tD/N83dX
言うだけなら誰でも言える。大陸渡来人がヤマト王権支配者となったと
世間に広く認められるには明確な証拠の提示が条件

634 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 17:04:53 ID:qe0uO9WR
崇神なんか豚を祀るという意味だから九州系のような気がするよなー。

635 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 17:08:26 ID:qe0uO9WR
>>632 西欧言語の起源の話だから西欧起源でいいと思う。タミール語とかについては
もっと古いんだろう。


636 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 17:14:51 ID:qe0uO9WR
卑弥呼の時代のギリシャ・ローマ、エジプトなどの世界遺産を見ていると悔しいけれど
大きな差はあるね。しかし、日本人のすごいのは追いつこうとするパワーだね。

637 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 17:21:01 ID:qe0uO9WR
>>632
新石器時代よりもさらに古い時代インド起源の言語があり、それが基になっている
可能性はあると思う。残念ながらそんなに深い話はわからない。

638 :LUNAMASK:2009/09/02(水) 17:34:33 ID:qe0uO9WR
>>632
歴史はなぜ西から東へと流れるのか・・・気候変動がジェット気流のような西から
東への流れに沿って発生するということもその一因かもしれない。決して西欧人が
東洋人より優秀ということではない。

639 :出土地不明:2009/09/02(水) 17:43:50 ID:tD/N83dX
東から西へ向かったスキタイ、古代中国、アメリカ合衆国

640 :出土地不明:2009/09/02(水) 17:48:45 ID:qqTMoIVe
「断髪」を倭人がしていたなんて魏志倭人伝には書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





641 :出土地不明:2009/09/02(水) 20:09:48 ID:FlhqHugF
現在「人類はどこで発生したか?」で意外ともめてるらしいぜ。アメリカは
複数の地域に複数の人種(本当の意味での)が発生したという立場らしい。

642 :出土地不明:2009/09/02(水) 20:20:48 ID:ddw5a/ty
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は7C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

日本最古のすしといわれる「鮒ずし」は、7世紀、近江大津宮に天智天皇が
遷都した以前からこの地にあったといいます。フナずしは、すしといっても
現在の握りずしとは違い、すしの原型といわれる「なれずし」の一種です。
なれずしは、米作民族が考え出した動物性タンパク質の原始的な保存法で、
そのルーツは東南アジアとされ、中国、朝鮮をへて日本へも伝えられました。
http://asamiya.sakura.ne.jp/gotouti/siga/siga.html

643 :出土地不明:2009/09/02(水) 22:41:56 ID:16+c71KB
既出かな?
http://www.asukanet.gr.jp/tataki/yayoizin2.html
>今回日中共同調査で渡来系弥生人にそっくりの江南人骨の発見も驚ききであったが、
>実は江蘇省徐州近郊の梁王城遺跡(春秋時代、紀元前5〜6世紀)から、すでに渡来系
>弥生人に似た人骨が出土していたことはさらなる驚きであった。

・江蘇省は長江の河口域あたり

644 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/02(水) 23:12:25 ID:ye1lPm42
>>615
列島倭人よりも古い縄文系の採集狩猟民に皮をなめす技術が無い云う
根拠自体無いじゃないか。
>>616
精度の低い単一遺伝標識のY染色体の分布だけで解釈するんは、科学じゃ
のうてカルトでしょう。科学的とは、多数の遺伝子型や形質から誤差を
少のうするよう総合的に解釈のことですよ。HLAやmtDNAすら無視ですか?
倭人は、記述範囲が内蒙古、朝鮮、日本と時代が下るたびに南方に拡散
しとります。日本から朝鮮へは電波論に過ぎません。
>>617
家畜の肉は平安期まで、民間でも供えたんですよ。
http://kanjikamusaan2.blogspot.com/2009/03/blog-post_6730.html
http://blhrri.org/kenkyu/bukai/rekishi/rekishi/rekishi_0028.html
上の方の殺牛馬祭祀は、古墳期後期にまで、さかのぼれますし、
下の方では、大阪城跡の難波の宮の北から、「日本最古の絵馬が出土して
いる。」と、「絵馬」は馬の供儀を簡略したもので、今の神社でも
絵馬があるでしょう。元来馬供儀の代用の為ですよ。ほいで牛の
供儀祭祀は、平安期まであったことを示してます。その福万寺遺跡で、
「ウシの頭蓋骨を仰向けにして埋めたものと下顎骨のみを埋めたものとが
みられる。」と、あるように。
あなたは嫌韓ブログの受け売りで、洗脳されて発言しとるようですが、
少しは、勉強して発言された方が良いかと思うんですが。
余りにも歴史や民族学、民俗学の知識が無さ過ぎますよ。

645 :出土地不明:2009/09/02(水) 23:46:15 ID:hbhBcUpy
江蘇省で渡来系弥生人骨に似た人骨が出土し始めるのは
新石器時代の中頃からだぜw

2000年近く早いんだよ。

だが、そのサイトも当時の日中の文物の著しい相違を一切出さず、
故意に包み隠して欺罔工作している確信犯だなw

646 :出土地不明:2009/09/03(木) 00:09:12 ID:RSLRnhE7
>>645
>2000年近く早いんだよ
いいんじゃね。それでw

>故意に包み隠して欺罔工作している確信犯だなw
知らんがなw

647 :出土地不明:2009/09/03(木) 00:54:08 ID:xsJcz3LP
長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、
何を血迷ったのか、自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、
長江に無いはずのクワを農耕具として伝えてしまったんです。
しかも木製の。

最後の最後まで故郷の石鋤などの石製農耕具は一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、
何をとち狂ったのか、故郷の江南系中国土器を伝えず、
遠く離れた北方の沿海州系の土器を最古の水田遺構に
伝えてしまいましたとさ。

おしまい(爆

648 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:03:29 ID:RSLRnhE7
>>647
難民状態であったがゆえに、日本の風土にあった縄文文化を受け入れた方が
楽だったんでしょうね。

で、
>北方の沿海州系の土器を最古の水田遺構
の北方の沿海州系の土器とは?w

649 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:10:44 ID:xsJcz3LP
口縁部に刻み目の入っているのが特徴の刻目突帯文土器という土器ですねw




650 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:13:16 ID:W9pJ+GWu
>>644
>列島倭人よりも古い縄文系の採集狩猟民に皮をなめす技術が無い云う
>根拠自体無いじゃないか。

何言ってんだ馬鹿かおまえは。
あったというならその根拠を示せばいいだけだから、
俺はおまえに聞いてるんだ。
早く示せボケ。
皮と革(なめした物)は違うからね。

651 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:14:31 ID:RSLRnhE7
>>649
ほーっ、でそれはいつから日本列島に波及してるのw

652 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:18:40 ID:W9pJ+GWu
>>644
>家畜の肉は平安期まで、民間でも供えたんですよ

確か桓武天皇の時代だったかに、
漢神を祀るなということで禁止されたのだよね。
つまり外来文化と認識されてたわけだ。
これは日本の天皇家が渡来系でない証拠だよね。

653 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:19:33 ID:xsJcz3LP
九州北部ではもちろん縄文最晩期でしょうねえw

654 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:22:06 ID:RSLRnhE7
>>653
それのソースは?
で、年代は?w

655 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:22:34 ID:xsJcz3LP
王様というもの自体が渡来系のものだよ。

ただし北方由来の王な。

656 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:24:57 ID:xsJcz3LP
ほれw


水稲農耕と突帯文土器

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html

657 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:32:49 ID:RSLRnhE7
>>656
九州北部の年代の記載がないみたいだが、いつ?B.C.1000年頃?

658 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:44:10 ID:xsJcz3LP
もちろんBC10Cだな。

朝鮮にも数百年早くに登場しているが、朝鮮には刻目突帯文土器の出土が
数点しかないため、朝鮮土器ではないと分かり、朝鮮においては明らかに
外来系土器である事に注意。

http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/kenkyuhokoku/031221/shiryo7.pdf

659 :出土地不明:2009/09/03(木) 01:54:34 ID:RSLRnhE7
>>658
九州北部の夜臼I式土器を刻目突帯文土器と認識しているわけですね。
表ではB.C900年ぐらいですね。

で、なぜか、
香川県居石遺跡の突帯文土器はB.C.1400〜B.C1030のものとされているようですがw

660 :出土地不明:2009/09/03(木) 02:04:28 ID:xsJcz3LP
最初に香川に刻目突帯文土器人が上陸したとも考えにくいから
単に炭素測定のエラーだろうな。

環境の違いで炭素の崩壊具合に誤差も出るだろ。

661 :出土地不明:2009/09/03(木) 02:05:47 ID:RSLRnhE7
>>660
それは、君の主観に過ぎない。

662 :出土地不明:2009/09/03(木) 02:14:30 ID:xsJcz3LP
>>660
じゃあ、おまえの主観をなんなりと言ってみw

663 :出土地不明:2009/09/03(木) 02:15:23 ID:xsJcz3LP
俺は寝るから書いといてくれ。

おやすみ。

664 :出土地不明:2009/09/03(木) 02:19:41 ID:RSLRnhE7
>>662
主観を記載するつもりはない。

665 :出土地不明:2009/09/03(木) 10:41:10 ID:rb256yEW
長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、
何を血迷ったのか、自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、
長江に無いはずのクワを農耕具として伝えてしまったんです。
しかも木製の。

最後の最後まで故郷の石鋤などの石製農耕具は一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、
何をとち狂ったのか、故郷の江南系中国土器を伝えず、
遠く離れた北方の沿海州系の土器を最古の水田遺構に
伝えてしまいましたとさ。

おしまい(爆




666 :出土地不明:2009/09/03(木) 11:13:51 ID:tGivUesx
>>665

何を血迷っているのか。
長江流域の古代の稲作の農機具には、
鋤も鍬(クワ)もありますよ。

沿海州からは、稲作の農機具は出土してるのw

おしまい(爆爆


667 :出土地不明:2009/09/03(木) 11:23:20 ID:rb256yEW
>>666


で、そのソースは?w




668 :出土地不明:2009/09/03(木) 12:52:17 ID:tGivUesx
で、そのソースは?w

http://abc0120.net/words/abc2007122205.html
間違っていたら、ごめんな。
これをちょっと見かけたので、


669 :出土地不明:2009/09/03(木) 13:09:10 ID:rb256yEW
前漢中期のものじゃなあw

670 :出土地不明:2009/09/03(木) 13:15:36 ID:tGivUesx

日本列島や朝鮮半島から伝わったと考えられないので、
長江流域にも鍬はあった、と考えているが、
はっきりとした、自信はない。
この地域の詳しい出土例がもう少しあれば、解決するのだが、、



671 :出土地不明:2009/09/03(木) 13:25:43 ID:rb256yEW

掘り棒やクワ(鍬)、スキ(鋤)などの農耕具の共通性と個性を検討。
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく、
クワの系譜が山東半島―朝鮮半島―九州であることを調べました。

「農耕具の流れ・系譜からみて稲作伝播は北回りルートしか考えられません。
そうでないと、日本でのクワの成立はありえません」と同教授はいいます。
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200205/2002050621.htm

弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく

672 :出土地不明:2009/09/03(木) 15:29:00 ID:tGivUesx
(1)中国南部―台湾―南西諸島経由で九州にいたる説(南回り説)、
(2)直接、海路で九州に伝播した説(江南説)、
(3)山東半島―遼東半島―朝鮮半島を経て九州に伝わったという説(北回り説)
の三つの説があります。

 その中の(3)の仮説をのべている教授の意見を写しているのですね。


673 :出土地不明:2009/09/03(木) 15:54:20 ID:rb256yEW

掘り棒やクワ(鍬)、スキ(鋤)などの農耕具の共通性と個性を検討。
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく、
クワの系譜が山東半島―朝鮮半島―九州であることを調べました。

「農耕具の流れ・系譜からみて稲作伝播は北回りルートしか考えられません。
そうでないと、日本でのクワの成立はありえません」と同教授はいいます。
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200205/2002050621.htm

弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく

674 :出土地不明:2009/09/03(木) 16:37:41 ID:tGivUesx
(3)の仮説では、説明できない事が多く、現在の主流ではないですよ。

例(1) 雲南省の遺跡から鍬が出土している。
例(2) 台湾の卑南遺跡からは、鍬が出土している。



675 :出土地不明:2009/09/03(木) 16:52:41 ID:54GQjxM5
卑南遺跡は石鍬だろが。

676 :出土地不明:2009/09/03(木) 17:15:09 ID:54GQjxM5
長江下流域にクワがあったら出してみ?w

677 :出土地不明:2009/09/03(木) 17:18:41 ID:tGivUesx
>>675

木製の鍬に話題を絞るのですか?



678 :出土地不明:2009/09/03(木) 17:20:04 ID:tGivUesx
これからの話題には木製の鍬以外は、
入れないのがよいですか?


679 :出土地不明:2009/09/03(木) 18:54:19 ID:uFpdgDQ5
>本でも買って読んだら。>縄文朱漆塗櫛クシを大きく丈夫にすれば鍬クワだろ。
>丸木船の櫂カイを流用すれば鋤スキだろ。

山田昌久, 2000, 「縄文の鍬鋤を使い続けた人々」 考古学で掘る民俗誌, 東北学
2巻 巫女のいる風景, 作品社, 260-272, 既読. 山田正浩, 1981,

2000年8月上旬 - 考古学のおやつ/NEWSLINK
茂原市・下太田貝塚の縄文中期の木製鋤,総南文化財センター8/1発表。[読売新聞]
▼読売は珍しいというだけで最古とは書いていない。

考古学のおやつ/http://www.city.oyabe.toyama.jp/sakura/img/990629.jpg
富山県: 小矢部市・桜町遺跡(さくらまちいせき)で縄文中期中(4000年前)頃の
木製鋤、土掘り具としてこのほかに「掘り棒」なども出土しています。 ...


680 :出土地不明:2009/09/03(木) 19:30:11 ID:Bi4NyQLA
そんな事より、長江下流域のクワを出せばいいんですよw

681 :出土地不明:2009/09/03(木) 20:01:39 ID:H9h5kdF2
>>680
は水田にこだわり過ぎ、便利だったら建物の柱穴堀、道路工事メンテ
土器様の土堀、墓石用の掘削道具、など何にでも工夫して使うだろ。

*4000年前頃に鍬鋤が有ったのは事実だから仕方ないね。


682 :出土地不明:2009/09/03(木) 20:46:08 ID:NncAIZz3
じゃあ陸稲時代にさっさと木製クワを開発すりゃあ良いじゃないかw

そんな便利なもん。

最古の水田の出現とともに完成形で木製クワが出現するのは事実。

だいたい開発の過程がさっぱり見られない。

しかもそれまで無かった太型蛤刃石斧、扁平片刃石斧、柱状片刃石斧、
半月型石包丁とセットで新登場してくるんだぞ。

太型蛤刃石斧も扁平片刃石斧も柱状片刃石斧も半月型石包丁も
木製クワとともに最古水田で開発したのか?

なわけねえ。

ただ単に完成品を水田導入先から導入しただけだ。

683 :出土地不明:2009/09/03(木) 22:12:10 ID:NGHdn89z
>本でも買って読んだら。>縄文朱漆塗櫛クシを大きく丈夫にすれば鍬クワだろ。
>丸木船の櫂カイを流用すれば鋤スキだろ。

山田昌久, 2000, 「縄文の鍬鋤を使い続けた人々」 考古学で掘る民俗誌, 東北学
2巻 巫女のいる風景, 作品社, 260-272, 既読. 山田正浩, 1981,

2000年8月上旬 - 考古学のおやつ/NEWSLINK
茂原市・下太田貝塚の縄文中期の木製鋤,総南文化財センター8/1発表。[読売新聞]
▼読売は珍しいというだけで最古とは書いていない。

考古学のおやつ/http://www.city.oyabe.toyama.jp/sakura/img/990629.jpg
富山県: 小矢部市・桜町遺跡(さくらまちいせき)で縄文中期中(4000年前)頃の
木製鋤、土掘り具としてこのほかに「掘り棒」なども出土しています。 ...


684 :出土地不明:2009/09/03(木) 22:13:26 ID:NGHdn89z
水田にこだわり過ぎ、便利だったら建物の柱穴堀、道路工事メンテ
土器様の土堀、墓石用の掘削道具、など何にでも工夫して使うだろ。

4000年前頃に鍬鋤が陸稲作でも便利だから使った。
だから縄文遺跡に埋まってた!事実だから仕方ないね。

4000年前頃に鍬鋤が陸稲作でも便利だから使った。
だから縄文遺跡に埋まってた!事実だから仕方ないね。


685 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/03(木) 22:59:36 ID:6t7p4dfo
>>652
桓武天皇の時代、漢神を祀るな?勝手な妄想すなや。
http://homepage2.nifty.com/mino-sigaku/page264.html
韓神と園神は、宮内省に祭られとるんが伝統じゃ。資料Fに、あるよう、
韓神の大己貴命も園神の大物主神も大国主命で渡来系じゃ。
資料Iに「歴代の天皇が祭ってきた神は韓国神であるという論文を
1891年10月、東大の久米邦武教授が発表している。天孫民族である
朝鮮民族が日本に渡り、古代日本を治めたと主張する学者は久米教授だけで
はない。岡正雄教授などもそうだ。岡教授の朝鮮民族が古代日本を支配
したという学説は、日本の著名歴史学者たちの評価を受けている。」
と、あるが、朝鮮民族も日本民族の成立せん時代に朝鮮民族が古代日本を
支配した等、Y染色体ネット右翼同様、政治思想の思惑を古代に反映
させたいもんで感心せんが、南ツングース族の日本支配として、
久米氏や岡氏の見解は、ほぼ正しいと云えよう。

686 :出土地不明:2009/09/03(木) 23:34:07 ID:hyRLjlpW
「鵜飼」は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

687 :出土地不明:2009/09/03(木) 23:35:23 ID:hyRLjlpW
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

688 :出土地不明:2009/09/03(木) 23:41:32 ID:hyRLjlpW
>>683
ほほーう、なーるほどねw

沿海州南部との日本海縦断交流をしていた桜町遺跡から木鋤か。

木鋤、木鍬は沿海州経由なんだな。

ヒントをど〜もwwww

689 :出土地不明:2009/09/04(金) 00:03:43 ID:ZSbhHotF
>>685
>勝手な妄想すなや

殺牛祭祀の事だ、馬鹿。
桓武天皇が禁止してる。

690 :出土地不明:2009/09/04(金) 00:31:28 ID:ZSbhHotF
それと

>>685
>大己貴命も園神の大物主神も大国主命で渡来系じゃ。

スサノオは高天原を追放されて新羅に行って帰ってきたのだから倭人だ。
当然その末裔も倭人。
いい加減な事ぬかすなボケ。
つーか考古学板で神話の話するなボケ。

691 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 10:51:53 ID:As4C2BxL
デレヴャンコ「古代の道は現代に至る」より。
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000041/st008.shtml
「バイカル湖Bolshaya Chana湾から南行すると湖岸はかなりの湾によって分断されて
いる。特に興味のあるのはKurla岬からSeverobaykalsk市109°18'60.00"E 55°37'60.00"N
に至る広大な湖岸平地である。距離にして15-20kmではあるが、この辺では古代集落
遺跡が多く発見されている。 われわれは、ここで新石器時代仮泊地及び鉄器時代早
期集落と共に、複雑な層をもつ2ヶ所の遺跡発見 に成功した。この2つの遺跡間の距離
は小さかった。第一の遺跡はバイカル湖岸の高い段丘にあるMalaya Kurla川の河口
から300m上ったMalaya Kurla谷で発見された。芝の下の褐色砂交じり粘土層で水で
磨耗 した川石の上に、表面が円滑であり、紐の痕の付いた、刷毛及びスタンプで押して
刻まれた文様を持つ、容器及び土器の砕片が集まっていた。容器表面は円滑であり、
基本的には2つの形状があって、弱輪郭、厚手ズン胴平底甕で、表面には分断貼り付
け突帯があり、突帯表面に装飾があるものと、薄手で胴が膨らんでいて、口縁に斜めの
刻目があり、その下に貼り付け突帯があり、その下には紐で押した痕がはっ きり付いて
いるものとかあった。一つの容器は形状も装飾もバイカル湖周辺グラスコフ文化埋葬
遺跡から出土する容器と瓜二つであった。この時代はバイカル湖、アンガラ川峡谷に住
み着いていた民族が銅製 品の使用を開始した時期に相当する。」

692 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 11:13:20 ID:As4C2BxL
ザバイカルはグラスコフ文化(BC18-13世紀)のあと石板(スラブ)墓文化に入るが、
これは、
1) 四隅突出型墳丘墓(グラスコフ文化のあったザバイカル西部に限定)
2) 前方後方型(前方後方が通路でつながり、後方は東方に向く)
3) 方形石籬型(普遍的)
の3形態を取り、日本には1)が到来している。


693 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 11:18:14 ID:As4C2BxL
上海→大連→ハルビンと入って来た西團山文化は殷の亡民的集団であるが、
グラスコフ集団は沿海州からバイカル湖に広がる原住民集団であり、おそらくは
O2であったのであろう。

694 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 11:32:24 ID:As4C2BxL
>>692
日本神社の石造玉垣、本殿、橋、拝殿の構造の起源はこの辺にあるのではないか。

695 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 12:02:29 ID:As4C2BxL
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000016/pic/map11.gif
前二千年紀国家・民族
1 殷・商
2 龍山文化諸族の要塞都市群
3 沿海州狩猟漁労民族(貝塚系)
4 グラスコフ狩猟漁労民族
5 アンドローノヴォ農耕民族
6 スルブナ農耕民族
7 ウラルシギル泥炭地狩猟牧畜民族
8 アバーシェボ狩猟農耕民族
9 ファチアノボ牧畜民族
10 ドニエプル中流牧畜民族
11 晩期トリポリエ農耕民族
12 ドニエストル上流農耕民族/コマロフ文化
13 ウネチツ(後のラウジッツ)農耕牧畜民族
14 スイス水上生活農耕民族
15 ドナウ河峡谷水上生活農耕民族
16 ポー河峡谷テラマール水上生活農耕民族
17 東沿ライン河民族
18 南沿バルト牧畜農耕民族
19 東バルト牧畜農業漁労民族
20 スカンジナビア農業牧畜民族
21 英国青銅器民族
22 フランス農耕牧畜クルガン民族
23 牧畜農耕青銅器鋳造文化エル・アルガール集落
24 クレタ島・南ギリシャ古代文化
25 前アジア国家群
26 トロイ
27 古代エジプト
28 トリアレチ・クルガン墳南コーカサス農耕牧畜民族
29 アナウII、III農耕集落と隣接するアンドローノヴォ系諸民族集団
30 アンドローノヴォ系農耕牧畜タザバグヤブ民族
31 ハラッパ文化圏
重要なことは
3 沿海州狩猟漁労民族(貝塚系)
4 グラスコフ狩猟漁労民族
この2つがアムー川によって結びついていることだ。


696 :出土地不明:2009/09/04(金) 12:04:29 ID:sdxKn9dp
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

697 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 12:17:23 ID:As4C2BxL
>>695
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000016/pic/map11.gif
前二千年紀国家・民族
ここにおいていみじくも↓
2 龍山文化諸族の要塞都市群
として位置づけられてている東夷、これが殷の崩壊後北上し、山東から遼東、松嫩、
楽浪に入ったものであり、東胡の祖、グラスコフ文化人とは生い立ちがことなるが、
これこそ後の日本文化における東西対立であった。モンゴリア高原にはこれとよく似た
対立が月氏と東胡の子孫である匈奴の間におこった。これは日本では吉備で起こった
ものと考えられる。


698 :LUNAMASK:2009/09/04(金) 12:28:59 ID:As4C2BxL
鏡の表す日輪、アーリア文化ではこれはヤントラとするが、サカ系は内行花文鏡と
したのであろう。月牙の表す銅剣、そして生命を表す玉、これは興隆窪文化・グラス
コフ文化に続く玉の文化。この三つを融合させて三種の神器が出来上がったのであろう。
慣性系地球を表す□の中に描かれる慣性系太陽、天と地、それが日の丸の由来だろう。

699 :出土地不明:2009/09/04(金) 17:48:49 ID:dssYWnfh
長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、
何を血迷ったのか、自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、
長江に無いはずのクワを農耕具として伝えてしまったんです。
しかも木製の。

最後の最後まで故郷の石鋤などの石製農耕具は一切伝えてくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、
何をとち狂ったのか、故郷の江南系中国土器を伝えず、
遠く離れた北方の沿海州系の土器を最古の水田遺構に
伝えてしまいましたとさ。



おしまい(爆




700 :出土地不明:2009/09/04(金) 18:27:49 ID:k6i+RMtT
朝鮮南部あたりから3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した朝鮮の渡来人、
何を血迷ったのか、自らの故郷の種籾を伝えず、
朝鮮半島に無い品種の種籾を伝えてしまったんです。
しかも中国製の。

おしまい(爆爆


701 :出土地不明:2009/09/04(金) 18:34:36 ID:k6i+RMtT
沿海州あたりから3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して沿海州系の土器を伝えました。

ところが、なぜかこの沿海州系土器を残した沿海州の渡来人、
何を血迷ったのか、沿海州に無い水稲栽培を伝えてしまったんです。
しかも中国系の種籾の。

おしまい(爆爆爆


おしまい(爆爆


702 :出土地不明:2009/09/04(金) 19:17:47 ID:9FZqKK19
沿海州あたりから3000年前、渡来系弥生人が大量にきましたが、
一人も子孫を残せませんでした。 以上 しまい。

703 :出土地不明:2009/09/04(金) 19:53:11 ID:kbbwLL1I
朝鮮南部あたりから3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した朝鮮の渡来人、
何を血迷ったのか、自らの故郷の種籾DNA(cdefgh)を伝えず、
朝鮮半島に無い品種の種籾DNA(b)を伝えてしまったんです。
しかも中国製の、倭人は遺伝子工学使って意地悪されたんだ〜〜。

おしまい(爆爆


704 :出土地不明:2009/09/04(金) 20:54:02 ID:ZehxUYhB


平成21年度 三重県職員(文化財技師)採用選考試験

この選考試験は、平成22年度の三重県職員(文化財技師)の採用にあたり、次の人材を選考するために実施します。

文化財保護にかかる行政施策・業務を遂行できる、幅広くかつ専門的な知識のある人
埋蔵文化財の発掘調査だけでなく、調査成果等の活用及び普及啓発などを積極的に進めようとする意欲のある人
 ■第1次試験日  10月25日(日曜)

 ■受付期間  9月7日(月曜)〜9月30日(水曜)(必着)

 募集及び提出書類の詳細はPDFでご覧ください。
http://www.pref.mie.jp/MAIBUN/HP/info/h21bosyu.htm


705 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/05(土) 00:50:30 ID:5N6H5Fg8
>>689-690
桓武天皇が丑年生まれで殺牛祭祀を禁じても、牛肉は中世、近世の
日本では食べられたけぇのう。
高天原が何で日本列島に想定できるんかのう。妄想すなや。
倭人自体も外来北東アジアの水辺民を表したもんじゃし、出鱈目を
羅列せんことよ。

706 :出土地不明:2009/09/05(土) 02:16:19 ID:qZYaT0Aq
>>705
>殺牛祭祀を禁じても、牛肉は中世、近世の日本では食べられたけぇのう。

だから牛を食べる事がメインストリームだったのか?

>高天原が何で日本列島に想定できるんかのう。妄想すなや。

高天原がどこか特定の地域ならそう書けばいいだけ。
何で書かれてないのだ?

お前が出鱈目を羅列するな、このクズがw

707 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 08:29:56 ID:5mOLFmZV
http://historic.ru/books/item/f00/s00/z0000016/pic/map11.gif
4のグラスコフ文化はバイカル湖からイェニセイ河を左回りに進みアンドローノフ文化と
接触するように描かれているが、この接触部分においてはグラスコフ文化と同時期に
オークネフ文化が成立する。その石像に描かれた神像はまさに「牛頭天王」、のちに
モンゴルでは冥界の王閻魔と同一視される。つまり、これが日本のスサノオの原像だ。
この牛頭天王石像に描かれる結界の図が四辺内凹型で、四隅突出型墳丘墓のプラン
である。こうしたオークネフ・グラスコフ文化がザバイカル東部のアムール河のポリツェ
(粛慎・邑婁)から沿海州のヤンコフスカヤ貝塚文化につながっているが、この辺は
もはや安曇海人族と同一の存在であろう。これが遠賀川・出雲・安曇野・諏訪へと
つながり、太平洋岸に出ては関東平野に拡大する。源氏の白旗の源流だ。

708 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 08:38:52 ID:5mOLFmZV
そしてオークネフ・グラスコフ文化と接し、西方オビ・ウラル・ボルガ方面から延びる
アンドローノフ文化こそ伽耶に到達するスキタイ文化の先駆者で、列島を東西に二分
して政治的に対立をもたらすことになる。壬申の乱、源平の戦い、関ヶ原がこれである。

709 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 08:42:29 ID:5mOLFmZV
それは天孫地祇、つまり、邪馬台国と狗奴国の戦いでもあった。

710 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 08:44:21 ID:5mOLFmZV
それは銅鐸と銅鏡・銅剣・銅矛との戦いでもあった。

711 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 09:46:37 ID:5mOLFmZV
>>707
>この牛頭天王石像に描かれる結界の図が四辺内凹型で、四隅突出型墳丘墓のプラン
>である。
オークネフ文化のあったのは現在のハカス共和国であるが、同国の国章には
この結界図案が使用されている。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/c/ca/KhakassiaCOA.gif
これは高山のサルボボにもみられる図案であり、おそらく中央の円は太陽を
表すのではなかろうか。

712 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 10:30:10 ID:5mOLFmZV
牛頭天王の起源であるが↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8d/Victory_stele_of_Naram_Sin_9062.jpg
「ナラム・シンはサルゴン以来用いてきた「世界の王」(シュメール語:Lugal kishki)に替えて、四方領域の王(シュメール語:Lugal kibratim arbaim)を名乗った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%A9%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%B3
コーカサス北麓におけるウルク・マイコープ文化からヒッタイト提瓶文化人にむけてこの
ナラム・シンのスタイルが流れていることは小アジアにおけるヒッタイト彫刻からもうかが
えるので、こうした流れでアンドローノフ文化乃至はその先駆的文化によってアルタイに
持ち込まれた可能性もあるのではないかと考える。

713 :LUNAMASK:2009/09/05(土) 11:07:09 ID:5mOLFmZV
三つ目の神像はヒンドゥー文化にも影響を与えている。

「前 2-1千年紀中国西方諸文化・諸民族」においてジェットマー・カールは述べている。
「オークネフ文化の重要性 ステップ・ベルト北縁地帯で、私はオークネフ文化の極度の
重要性を強調したが、それは一方で極東と関連し、他方で中央アジアの南と明確な関連
を持っているのである。ところで、私はインダス峡谷チラスにおいて主モチーフ、形式の
特異性がオークネフ岩絵と関連を持っている一連の岩壁画を発見した。これについて
私は一つ二つの報告書を出している。前三千年紀中および前二千年紀初頭初期牧畜
ノマドの数千キロにわたる移住によりこれら地方間に関係があったのであろう。
Stacul (1977:251-252) ならびに Allchinsによっても当該方面の関係が述べられて
いる。」




714 :出土地不明:2009/09/05(土) 12:39:39 ID:FV4IP/6U
>>685
>1891年10月

100年以上前じゃなくて、
最近この学説に肯定的な意見を述べている学者はいますか?

715 :出土地不明:2009/09/05(土) 13:18:56 ID:VXM4EX3c
台湾民族は隋との関係を?
フィリピン民族は唐との戦いに?
朝鮮民族は倭国との戦いに?倭国、朝鮮民族と戦った事あったかな〜?

なんだかな〜

716 :出土地不明:2009/09/05(土) 13:30:32 ID:WQmwRg6Q
>>715
じゃ日本が新羅、百済、の後裔だあと名乗り、カラクニを奪還するのは
侵略じゃ無く祖国復興運動だな。
みんなイスラエルに負けるな!まっ朝鮮だけは要らんけどな。

717 :出土地不明:2009/09/05(土) 16:25:10 ID:7WmZY7vb





貴方はこの文章のどこがウソなのか、もう分かりますね?w



「夏后少康之子が長江下流域南部の會稽に封ぜられた時、斷髪文身をして
蛟龍の害を避けた。今倭の水人は好んで潜って魚や蛤をとるが、同様に文身して
大魚や水鳥の危害をはらっている。・・・」と書かれ、長江下流域南部の風習と
日本列島の倭人の風習との関係の深さを示唆している。

 鳥越憲三郎氏の中国江南地域の現地調査によっても、『魏志』倭人伝に
記録されている「貫頭衣」の存在が確認されており、そのほかにも高床式住居・鳥居など、
倭人の文化・風習の江南的要素が指摘されている。

http://www.k4.dion.ne.jp/~isshun_y/page2-2.html#tyugoku






718 :出土地不明:2009/09/05(土) 18:41:49 ID:8mGAkvqE
ビーズの反町くんと竹野内二宮くん

719 :出土地不明:2009/09/05(土) 23:00:12 ID:nLBV0xvC
「呉服」は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

720 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 07:53:07 ID:quLUU1WI
大月氏の風貌につき、「前2-1千年紀中国西方諸文化・諸民族 ジェットマー・カール
1981」によれば:「ソ連考古学もこの際助けになる。貴霜王朝の聖域であるKhalcajanに
は厳粛な同盟式典を描いた美術的価値の高いレリーフがある。Pugacenkova (1971)は
参列集団の一人の男性を次のように表現している。「頭骨には人工的に加えられた
変形が明白であり、横顔を見ると歴然である。後頭は平坦であり、後退する前頭は
鼻柱を通して[顔が]前面にそり出して見え、老いも若きも一様に厳しい男性の風貌を
与えている。細面であり、鼻筋はまっすぐであり、鼻は大きくない。眼は黒目であり、
標準の大きさであり、蒙古襞はないが、目じりはこめかみに向かって黒い輪郭を伸ばし
ている。このことと頬骨の高いことにより、一種のタタール的風貌をかもしている。
黒い髪の整髪は他の古代民族には見られないものであり、髪の毛は紐で結わえ、
前頭部から上げては両耳の脇から外に出し、耳の下でカットされており、小さな矢の
ように尖った口ひげが上唇をかたどり、頬髯を生やしている。」」

721 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 07:55:27 ID:quLUU1WI
>黒い髪の整髪は他の古代民族には見られないものであり、髪の毛は紐で結わえ、
>前頭部から上げては両耳の脇から外に出し、耳の下でカットされており、小さな矢の
>ように尖った口ひげが上唇をかたどり、頬髯を生やしている。
これは日本人のお財布においては聖徳太子としておなじみのもの。

722 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 08:07:19 ID:quLUU1WI
西日本はソグド系スキタイ文化、東日本は東夷・東胡系安曇海人族文化ということに
なろうか。

723 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 09:32:01 ID:quLUU1WI
>>720
描かれた式典は民族同盟式典であり、聖徳太子のような風貌のものは北方
烏孫(天孫)系とみられ、完全なコーカソイドとは違ってトゥーラン形質である。
烏孫はキメク、つまり、金海(吉備、伽耶)系である。いわゆる悦般フンというものが
天孫の正体であろう。
http://zyzg.us/thread-168051-1-1.html
縁の広いエフタル武人像は関東の埴輪に多いがこれが天孫に随行してきたの
ではなかろうか。




724 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 10:08:25 ID:quLUU1WI
烏孫・天孫国には高天原Highland Lake Fieldともいうべきイシク・クリ湖があり、
古代の遺物が岸辺に打ち上げられているという。大津京などはこうしたところを
イメージしたものかもしれない。

725 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 10:40:57 ID:quLUU1WI
推古・斎明時代の朝廷と西域諸国との緊密な交流については↓
記紀に現れた聖書思想(渡来人研究会研究報告第一号)渡来人研究会代表 下枝 
広明・・・において非常に具体的に説明されている。

726 :出土地不明:2009/09/06(日) 11:16:39 ID:1nJ3QRaI
>>725
交流じゃねーよ(^o^)
単なる流民だろ。

727 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 11:19:27 ID:quLUU1WI
シェフィールド大学のコア・ペリフェリー・マージン
http://www.archatlas.org/Trade/CPM2a.
を使って倭人の機能を考えると、それはコアである彩夏を中心に配置される存在で
あった。他方、ソグド・天孫はメソポタミア・彩夏・インダスにたいしてヒル・フォートの位置
にあり、長距離方向交易を展開する存在だあったといえる。そして日本というアグラリア
ン・セットルメントにおいて彼らはコアの機能を発揮する立場になる。

728 :LUNAMASK:2009/09/06(日) 11:23:08 ID:quLUU1WI
画像↓
http://www.archatlas.org/Trade/CPM2a.jpg
単なる流民、されど、天孫だ。


729 :出土地不明:2009/09/06(日) 11:31:51 ID:f9r7jlka

掘り棒やクワ(鍬)、スキ(鋤)などの農耕具の共通性と個性を検討。
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく、
クワの系譜が山東半島―朝鮮半島―九州であることを調べました。

「農耕具の流れ・系譜からみて稲作伝播は北回りルートしか考えられません。
そうでないと、日本でのクワの成立はありえません」と同教授はいいます。
http://www.nouminren.ne.jp/dat/200205/2002050621.htm

弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく
弥生時代の農耕具の主役であるクワが、長江中・下流域にはなく

730 :出土地不明:2009/09/06(日) 19:20:38 ID:9k+p8JVD
>>729

説明できない事が多く、現在の主流ではないですよ。

例(1) 雲南省の遺跡から鍬(クワ)が出土している。
例(2) 台湾の卑南遺跡からは、鍬(クワ)が出土している。

※鬱火病を出さないでください、稲作伝播を議論するところでやりましょう。


731 :出土地不明:2009/09/06(日) 19:38:49 ID:HOX3z8yj
>>729
http://abc0120.net/words/abc2007122205.html
半円筒形鍬
前漢中期
青銅
長30.8cm 幅14cm 袋穂径4.8cm 重1.15kg
1956年雲南省普寧県石寨山出土

732 :出土地不明:2009/09/06(日) 20:33:13 ID:Xq4Hek3c
だったら、長江下流域の3000年以上前のクワの証拠を出してみたらぁ?wwwww


雲南は長江上流域だし、出たのはBC1〜2C頃の漢代中期のものだろ。

この頃はすでに漢人である華北人がベトナムまで支配しており、
華北文物が南方まで入り込んでしまっているんだよ。

漢の支配領域
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%A4%E3%83%AB:%E5%89%8D%E6%BC%A2.jpg

鬱火病と間接的に俺を朝鮮人認定しているナマイキなところを見ると、
おまえはいつもの台北駐日工作処のワン人だろが。



 と っ と と 日 本 か ら 出 て け よ 朝 鮮 人 中 国 人 と と も に 。




733 :出土地不明:2009/09/06(日) 20:43:09 ID:9k+p8JVD
>長江下流域の3000年以上前のクワの証拠を出してみたらぁ?
まったく必要ないよ。
台湾の卑南遺跡からは、鍬(クワ)が出土しているから。

それで、
朝鮮南部で3000年以上前のクワの証拠は、あるのかな?w


734 :出土地不明:2009/09/06(日) 22:11:33 ID:mAVDSdMH
台湾のは石鍬だろ?

日本から南下して南太平洋に広がっていった石器が結構あるから、
台湾のは日本から伝わった可能性が極めて高いな。

ゆえに長江下流や江南の3000年以上前の鍬の証拠を出さない限り、
長江下流や江南に3000年以上前に鍬があった証拠にはならんね。

それと、韓国のどこぞの博物館のサイトには新石器時代から石鍬があると
書いてあるが。


>新石器時代の磨製石器には石鍬、銛、やす、石錘、石針、石斧、石鏃や
>骨や角で作った繋ぎ釣道具、錐、装身具などがある。
http://www.dolmen.or.kr/j_html/j_exp/sub01/j_exp01_02_03.html

735 :出土地不明:2009/09/06(日) 22:15:52 ID:9k+p8JVD
それで、
朝鮮南部で3000年以上前のクワの証拠は、あるのかな?w

この質問の答えは?
逃げていますね、、


736 :出土地不明:2009/09/06(日) 23:35:52 ID:Iblk6C9r
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

737 :出土地不明:2009/09/06(日) 23:37:17 ID:Iblk6C9r
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





738 :出土地不明:2009/09/06(日) 23:37:58 ID:P0jH0JTS
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

739 :出土地不明:2009/09/07(月) 08:35:13 ID:kcPixuSM
>>734

>台湾のは石鍬だろ?
そうです、石鍬です。
話題を木鍬に絞りましょうか。
それで、
朝鮮南部で3000年以上前のクワの証拠は、あるのかな?w


740 :LUNAMASK:2009/09/07(月) 11:18:21 ID:Ezltfg30
>>722
しかし、大和朝廷のヤマトタケルによる東国経営は着実に進み、合従連衡による
狗奴国・尾張挟み撃ちのような形がとられることになる。
「毛野の古墳文化は古墳が出現する三世紀末から、終末期古墳の七世紀にいたるま
で、東国古墳文化の中核となっていた。鉄製武器・武具の出土量も東国最大であり、
実用的な馬具の保有量も多い。埼玉県稲荷山古墳の鉄剣にある百十五文字の金象
嵌銘文(ぞうがんめいぶん)が語るように、武装して王宮を守る兵士として畿内の大和
王権に仕えるケースは、十分にありうることであった。そうした過程で前橋市山王金冠
塚古墳例のような新羅系統の金銅冠や金鋼製大帯を所持する人物も輩出した。毛野の
首長や兵士たちが、毛野の地域内に常にとどまっているという見方ではなく、五世紀以
降、さまざまな国内の政治的動向と軍事的側面の必要性から、国内・国外への移動が
あったことは明らかである。毛野の古墳の内容は墳丘のみでなく、埴輪・石室構造・
副葬品など多くの点で、毛野の動向を如実に語っていると思う。」
http://www.gunmaibun.org/osoretoinori/kohun-02.html


741 :出土地不明:2009/09/07(月) 12:50:19 ID:pSpNUDu7
だから何を以って何時から日本人ってできたんだ?
何があると日本人でなにがないと外国人になんの?
それを定義しないとこのスレは↑みたいに単に歴史資料の
羅列だけで意味を成さなくなるよ

742 :出土地不明:2009/09/07(月) 15:29:33 ID:44Evwoki
>>1 米国人はどこから来たんだ?


743 :LUNAMASK:2009/09/07(月) 16:05:25 ID:Ezltfg30
「『三国志魏書』馬韓伝  桓、靈之末,韓穢彊盛,郡縣不能制,民多流入韓國。建安
中,公孫康分屯有縣以南荒地為帶方郡,遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓穢,
舊民稍出,是後倭韓遂屬帶方。
 桓帝と霊帝の末(146年−189年)、韓と穢が強勢となり、郡県では制することができ
ず、多くの民が韓国に流入した。建安年間(196年−220年)、公孫康、屯有県以南の
荒野を分けて帯方郡とし、公孫摸や張敞などを遣わし、流民を集めるため、兵を挙げて
韓と穢を討伐したが、旧民は少ししか見出せなかった。この後、倭と韓を帯方に帰属さ
せた。
 ここでいう韓とは、三韓の大王「韓王」を擁する辰国のことだと思われる。 196年−
220年(建安年間)は、三国時代に突入する直前の混乱期にあたる。 特に霊帝の時代
は『黄巾党の乱』で実質的に後漢は崩壊寸前の末期状況にあり、黄巾党の残党が各地
で強力な武力集団と化していたが、なかでも百万と称される「青州黄巾党」と「五斗
米道」が帰属したことで曹操の勢力が一気に増強された。 この青州は朝鮮半島の
対岸の山東省で、戦乱を嫌った大量の黄巾党が海を越えて半島や日本列島にも逃げ
込んだと思われる。彼らは鬼道に通じた方士であり、時期的にも鬼道の女王である
卑弥呼の出現と重複する。」出典「さだべえ」サイト
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/tungus/tungus-4-waihaku.htm
「播磨国風土記から 韓国から来た天日槍命が宇頭の川底(揖保川河口)に来て、国の
主の葦原志挙乎命に土地を求めたが、海上しか許されなかった。天日槍命は剣でこれ
をかき回して宿った。葦原志挙乎命は盛んな活力におそれ、国の守りを固めるべく粒丘
に上がった。」出典神奈備サイト
http://kamnavi.jp/ym/hiboko/index.htm

744 :出土地不明:2009/09/07(月) 20:05:19 ID:B48kgGV/
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

745 :出土地不明:2009/09/07(月) 20:05:52 ID:p8M4O0a1
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

746 :出土地不明:2009/09/07(月) 20:07:19 ID:YQMcozr1
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

747 :出土地不明:2009/09/07(月) 20:23:48 ID:pMOIdLOD
縄文農耕の世界―DNA分析で何がわかったか 縄文への道
同著は著者の最新(本年9月刊)の書で、専門のコメを始めクリ・ヒエなどを沢山の植物が
『どうも縄文時代には栽培されていた』ということを、専門のDNA鑑定を通じて明確に
証明して行く。一方我々が「農耕」というとき、どうしても現在の整備され ...

縄文農耕 とは
2005年7月、熊本県天草市・大矢遺跡で出土した5000?年前(縄文時代中期)の土器に
稲もみの圧痕跡があることが判明、当時の稲作が確実視されるようになった。稲以外でも
小麦、大豆、三内丸山遺跡のクリや鳥浜貝塚のヒョウタンなどの栽培種が認められ、
打製石斧(石鍬)や石鎌、掘り棒、石包丁等の農具が多数出土し ...


748 :出土地不明:2009/09/07(月) 22:26:56 ID:Ux6rGjWF
日本の神道はヘブライ起源
http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb010.html
http://www5.ocn.ne.jp/~magi9/isracame.htm


749 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:09:03 ID:ddc3lMnk
神社の神饌も家畜の肉は使わない、

神社などでは、米、塩、水、野菜、鯛、鰹節(干鰹)、海藻、果物、清酒などを供える。
基本的には、かわらけと呼ばれる素焼きの焼き物を器にするが、
地域によっては鮑の貝殻を代用する場合もある。『ウィキペディア(Wikipedia)』

北方騎馬民族(遊牧民族)に支配された朝鮮半島とは基本的に違う。
朝鮮半島では、色々な行事で古くから家畜の肉も供え物として使われる。


750 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/07(月) 23:26:29 ID:OCsjghHM
>>749
じゃけぇ前にも云うたよう、日本でも平安期までは、頻繁に
家畜の肉を生贄の供犠にしとったよ。
しかも、家畜供犠は遊牧民族や農耕民族云う生業に関係無い。
タイ系水稲農耕民が牛を供犠することについてどう思うとるんか?

751 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:34:25 ID:GZx8MSYi
>>744
全部、黄河文明の素晴らしい土器だな。

これが、縄文,弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上(黄河文明地域)を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。


752 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:45:57 ID:ddc3lMnk
>>750
>じゃけぇ前にも云うたよう、日本でも平安期までは、頻繁に
>家畜の肉を生贄の供犠にしとったよ。

初耳だ、どこの神社で?
伊勢神宮?出雲大社?大神神社?
ソース(出典)希望します。


753 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:50:15 ID:urecmcGt
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)◆主に内蒙古・満州から長江中・下流域あたりまで出土
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)◆華北からインドシナ半島まで広く出土
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

754 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:52:00 ID:urecmcGt
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

755 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:52:49 ID:c0e/oEqe
【爆笑ニュース】 爆笑!小麦作、6000年前には、もうあった!(爆爆


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

756 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:54:01 ID:c0e/oEqe
891 名前:日本@名無史さん :2009/09/07(月) 23:13:27
>>888
鼎が登場する前の江南の炊飯器は丸底釜。

旧石器時代から江南にある器種だよ。

罐(壺)もな。

そして農耕具は石鋤。

なーんにも伝わってねえけどな。

炭化米から3500年前頃から縄文陸稲作があるにしてもだ、
江南から伝わっておいて何で農耕具も炊飯器も何も無いんだ?

そもそも何で水田稲作を伝えんのだアホウ!


757 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/07(月) 23:54:20 ID:OCsjghHM
>>752
このスレは繰り返しが多いのう。>>644でも読んどれ。

758 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:55:36 ID:ddc3lMnk

稲作が伝わった6000年前の長江や江南にこのような黄河文明の
土器が伝わっていたの?




759 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:59:01 ID:80/hziVq
>>753
全部、黄河文明の素晴らしい土器だな。

これが、縄文,弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上(黄河文明地域)を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。


760 :出土地不明:2009/09/07(月) 23:59:14 ID:c0e/oEqe
893 名前:日本@名無史さん :2009/09/07(月) 23:38:34
長江ダイレクトルートなら、なおさら鼎だらけじゃねえかカス。

北周りルートはダイレクトルートじゃないからこそ、長い旅路の間に
中国土器の器種器形を失いながら朝鮮、日本と伝わってきたんだろうが。

761 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:04:11 ID:Rx61Xy+i

稲作が伝わった6000年前の長江や江南にこのような黄河文明の
鼎が伝わっていたの?



762 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:15:21 ID:5ri7JQEX
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南に丸底釜文化が広がっていました。

763 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:16:46 ID:5ri7JQEX
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。
稲作なんか伝わってない6000年前の長江や江南には丸底釜文化が広がっていました。


764 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:29:32 ID:7cvkkW5k
日本人に弥生系は20%という最新の調査結果がでましたね

765 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:34:34 ID:4IbnbZYf
>>763-764
全部、黄河文明の素晴らしい土器だな。

これが、縄文,弥生土器と違うのは、長江文明が日本に伝わる時に中国北方の陸上(黄河文明地域)を通ってないことの証明だな。

後は、長江→日本の、ダイレクト・ルートと長江→台湾→日本の、南回りルート
どっちかだな。

766 :出土地不明:2009/09/08(火) 00:59:01 ID:9ETMRdNr
見よ!

これが6000年以上前の長江江南の炊飯器である。

(※双耳に注目!縄文土器にも弥生土器にも一切ない。)



釜(丸底釜)
http://inoues.net/museum/torihama81.jpg
http://inoues.net/museum/kaboto_n07.jpg
http://homepage3.nifty.com/sugar-tr/imgJ7/kaboto8.jpg




767 :出土地不明:2009/09/08(火) 04:51:16 ID:OANlfeWu
実は3000年前頃から縄文人たちは、九州あたりを出て朝鮮半島南部までの海を越えていたことが分かってきた。
対馬からほど近いこの慶尚南道や釜山広域市で、
最近相次いで日本列島から縄文時代の人々が渡っていたことを示す痕跡が見つかっている。
東三洞貝塚では大量の縄文土器と九州産の黒曜石が出土した。

朝鮮半島には独自の土器があり、そこで出土する縄文土器は縄文人がやってきた確かな証拠品といえる。

朝鮮半島では銛や鏃といった漁労具や狩猟具に最適な黒曜石が産出されない。
このため半島で特に貴重であった黒曜石を携え、縄文人たちは交易にやってきたのではないかと考えられている

768 :出土地不明:2009/09/08(火) 06:28:13 ID:Ooryc8hI

今からおよそ2万年前、地球全体が寒くなる氷河期の頃、
シベリアのバイカル湖付近の人々が、陸続きとなったサハリン経由で南下、
北海道から本州へとやって来たのではないかと考えられるようになったのは、
発掘された頭蓋骨のDNA鑑定から明らかになったものである。

その頃インドネシアのジャワ島を中心とする幻の大陸、スンダランドではかなり進んだ文化があったが、
やがて氷河期も終わりに近づく1万年前の頃になると、海面の上昇によりほとんどの陸地が水没したため、
一部の人々は陸地を離れ、黒潮に乗って北上するようになった。
このことは、インドネシアの洞窟、フィリピン、沖縄、鹿児島のそれぞれの遺跡から出土した丸木舟を作るための道具とした
磨製石器のほとんどが一致していることからも同じ文化圏と言えるのである。

地球が徐々に温暖化すると、北からの寒流の勢いが弱まり、南からの暖流(黒潮)の勢いが強くなっていった。
縄文人は、四季折々の恵を得られるようになり、集落を形成して定住生活を始めるようになっていったと考えられる。
今からおよそ9500年前に栄えた南九州の上野原遺跡からは、これを示す大集落の跡が窺われるのである。

その大集落は、海底火山の大爆発により一瞬のうちに火山灰の下に埋もれてしまった。
しかし、黒潮に乗って北上を続けた人々は、シベリアから南下してきた人々との交流により、
縄文人としての原型を築き上げていったと思われる。

769 :出土地不明:2009/09/08(火) 08:11:44 ID:F+bi62c9
>>757
>>>644でも読んどれ。

間違えてるレスを繰り返されても困る。

770 :LUNAMASK:2009/09/08(火) 09:01:16 ID:fZ0oJfUs
>>743
>この青州は朝鮮半島の対岸の山東省で、戦乱を嫌った大量の黄巾党が海を越えて
>半島や日本列島にも逃げ込んだと思われる。彼らは鬼道に通じた方士であり、時期的
>にも鬼道の女王である卑弥呼の出現と重複する。」
しかしながら卑弥呼の鬼道とは銅鐸から銅鏡へと祭器の内容を切り替えたことにあり、
これは魏の方が「汝の好物」と認識していたことでもうかがえる。銅鏡に執着する
のはスキタイ・サルマート族に顕著であり、卑弥呼の鬼道の源流は伊都国・奴国
の漢鏡文化にあったのではないかと思う。卑弥呼のおくり名とみられるヤマト・
トトヒ・モモソヒメから浮かぶのは↓
ヒメチルリャ・テペ出土
http://www.ogoniok.com/common/archive/2001/4680-2/80-34-37/80-36-3b.jpg
チルリャ・テペ女王のファッション
http://www.anaharsis.ru/ornam/image/Orn1/Orn20.jpg
これはアッカド以降のイシュタル像であり、おそらくは西王母に匹敵する東王母クラス
の認識であったのであろう。


771 :出土地不明:2009/09/08(火) 09:16:38 ID:a2EwXOIL
>>766

長江江南の土器を調べてみたけれど、
耳が付いていないのが多いよ、(※博物館のホームページでは、)
日本列島のどこかで見かけたような形の土器がいっぱいのっているよ。

http://www.hemudusite.com/products.asp?sort_id=5


772 :出土地不明:2009/09/08(火) 09:18:43 ID:2UZ+bPYw
239 :名無しさん@十周年:2009/09/07(月) 05:42:25 ID:gFPG2cpe0
台湾は日本の敵である。

理由は、
(第二次上海事変〜支那事変を起こし、ナチスドイツと同盟を組んで)

日本を侵略し、第二次世界大戦を引き起こした。
(第二次上海事変こそが太平洋戦争〜第二次世界大戦の発端であり、
ナチスとソ連赤軍によるポーランド侵攻より2年も早い)

台湾は、南京大虐殺事件を捏造した。
(この嘘を支那が引き継ぎ、支那による反日運動に協力している)

数多くの無実の人間を、A〜C級戦犯にでっち上げて、処刑したのは台湾である。

尖閣、沖縄を台湾領(支那領)と主張し、実効支配を目論んでいる。
(台湾は沖縄を九州以北の日本本土と区別し、旅券業務などで自国扱いとしている)

現在の台湾は、日本領台湾を不法占拠している賊である。
(これは南鮮、北鮮も同じ)

台湾の賊と、日本が友誼を結ぶべきではない。
(支那の共産党は山賊であり、彼らとの関係も絶つべきである)

773 :出土地不明:2009/09/08(火) 14:22:21 ID:I88tXC3K
http://blog.livedoor.jp/greywizard/archives/915044.html

朝鮮半島人が何故、東アジア、東南アジア地域での遺伝子分布統計数値を、いじくるのか?

22 名前:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´  )さん[] 投稿日:2009/06/27(土) 00:15:49 ID:5+IBz2Ij

現在は、「漢民族(台湾)」と「台湾」と別項目になってるが、NHK「JAPANデビュー」の
件で、 NHKの「台湾人は漢民族」が批判され、WIKIでの「台湾人」のデータがおかしい
という批判が起きたら4月26日、(Generalarbiterによって)、「台湾」という項目が追加され
その後、5月19日には(Dondokkenによって)「台湾」に、いきなり「FR-O1」だけに「65」という
数値が書き込まれた。

Dondokkenは、コリアンである。コリアンが何故、台湾の遺伝子分布をいじくるのか?

つまり、ネット掲示板で「どうもWIKIでの分布表はおかしい。」と批判されたら、突如、
「台湾人」の 項目が新たに追加されて、そして最終的に「FR-O1」だけに数値が書かれてる。

「百越人(江南民族)」のY染色体遺伝子である「FR-O2b」が南琉球で濃厚に見られるのに
台湾人と中国人にまったく見つからず、北方系の朝鮮で濃厚というのは、明らかにおかしい。

「朝鮮半島人の主張に都合のいい情報」として何か政治的意図をもって、Y染色体遺伝子の
日本をとりまく分布を捏造してるとしか思えない。

774 :LUNAMASK:2009/09/08(火) 15:50:44 ID:fZ0oJfUs
私の論述はユーラシア・ステップ・ベルトにおける新石器・金属器時代の考古学的・
歴史的発展を考慮すると日本ではイェニセイ・日本海東岸に広がる海人族文化と
バクトリアから黄海・瀬戸内海へと延びてきたスキタイ文化が交わっていることを
述べたが、東アジアについては↓
「辰王の系譜、天皇家の遠祖−騎馬民族は来なかったか?−宝賀寿男」
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku2.htm
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm
ここにおける記述が最もよく当てはまっている。

775 :出土地不明:2009/09/08(火) 20:57:19 ID:mm2PiQ7W
日本人の起源は、5万年前頃に現インドネシア周辺のスンダランドから黒潮の海流に乗って
沖縄に渡ってきた人々であると言われています。

スンダランドに定住したポリネシア人がカヌーで黒潮に乗って琉球列島弧に至りました。
沖縄の港川で出土した1万8千年前の人骨(港川人)はワジャク人(ジャワ:約1万年前)
や縄文人とよく似た特徴を持っています。

又、与那国島の海底遺跡は巨石の加工技術を持ったポリネシア人が、海退が進んで陸地だった
与那国島沖に作った神殿だと思われます。

さらに黒潮と対馬海流にのって、ポリネシア人(縄文人)は九州・四国・本州の両側の沿岸に
入植し、さらに青森県(三内丸山遺跡)や北海道(礼文島)まで行って、そこに定住しました。

東北・北海道の縄文遺跡からは沖縄のイモガイの腕輪が沢山出土していますし、
東京武蔵野台の旧石器遺跡(3万2千年前)からは、150KM離れた神津島産の
黒曜石が出土しているなど、縄文人はポリネシア人の伝統をそのまま引き継ぎ、
かなり高度の航海技術を持っていて、頻繁に外洋航海をしていたと推定されます

日本列島の文化は、温かい黒潮の恵みを多く受けており、黒潮圏文化と呼ぶことも可能です。

776 :出土地不明:2009/09/08(火) 23:07:18 ID:xd9qk0MZ
高床式「倉庫」は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/






777 :出土地不明:2009/09/09(水) 00:18:11 ID:o4Klq5ou
>>高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?
犬小屋じゃん

778 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/09(水) 00:38:15 ID:2k9huckt
>>767-768及び>>775
列島の縄文人海外進出電波たぁ、朝鮮半島の縄文形質の人間が
日本列島に移住したんじゃ。
黒潮から云うて、古代に船で夜間走行する技術でもあったんか?
>>769
間違えとるんは、あんたじゃろう。しかも、北アジアの家畜
無血供儀と東南アジアの流血供儀との違いも無視しとろうに。
>>772
地理・人類学板でも云うたが、東西冷戦時代、中華民国の台湾の
南京虐殺40万に乗ったんはサンケイ新聞じゃろう。40万虐殺は
電波としても、日本軍による南京虐殺は事実じゃ。
南京虐殺が捏造なら旧国軍上層将校は嘘吐きになるけぇ、
ネット右翼も困るじゃろうに。
>>773
Y染色体カルトこそ、嫌韓ナチスネット右翼の政治的意図じゃ
ないか。
>>774
概ね妥当な見識ですね。古墳期でも、黄海から瀬戸内ルートと
日本海ルートの違いがあったでしょう。


779 :出土地不明:2009/09/09(水) 01:32:20 ID:MgGEi4yn
また来た…。

780 :出土地不明:2009/09/09(水) 03:37:03 ID:NSSfX6aP
南京攻略という戦闘行為と「虐殺(白人が原住民を面白半分に殺すような
類)」って別じゃねーの?

781 :出土地不明:2009/09/09(水) 07:32:28 ID:wk53GBQl
”haplogroup D2は日本列島で最も一般的で、日本の人口の50パーセントの頻度で存在します”

自分の遺伝子はアフリカ発が31,000から79,000年前で、インド、マレーシア、
台湾あたりを経由する南回りルートで移動したグループのようです。HAPLOGROUP D(M174)と
いう名前のグループです。

この移動ルートの図を見て面白いと思ったのは、南の海洋経由で移動してきて日本海からロシア、
中国北部、中国南部と移動してゆく流れになっているところです。
なんとなく、日本は大陸あるいは南のいずれかから来て、
行き止まりになっているところというイメージをかってに持っていたのですが、どうもそうではないようです。

地図の経路で、日本にたどり着いたあと大陸に行ってもいるみたいだけど、
これは一部日本列島から朝鮮半島を経てユーラシア大陸にも広まっているから、らしい。

782 :出土地不明:2009/09/09(水) 07:33:18 ID:wk53GBQl
今からおよそ2万年前、地球全体が寒くなる氷河期の頃、
シベリアのバイカル湖付近の人々が、陸続きとなったサハリン経由で南下、
北海道から本州へとやって来たのではないかと考えられるようになったのは、
発掘された頭蓋骨のDNA鑑定から明らかになったものである。

その頃インドネシアのジャワ島を中心とする幻の大陸、スンダランドではかなり進んだ文化があったが、
やがて氷河期も終わりに近づく1万年前の頃になると、海面の上昇によりほとんどの陸地が水没したため、
一部の人々は陸地を離れ、黒潮に乗って北上するようになった。
このことは、インドネシアの洞窟、フィリピン、沖縄、鹿児島のそれぞれの遺跡から出土した丸木舟を作るための道具とした
磨製石器のほとんどが一致していることからも同じ文化圏と言えるのである。

地球が徐々に温暖化すると、北からの寒流の勢いが弱まり、南からの暖流(黒潮)の勢いが強くなっていった。
縄文人は、四季折々の恵を得られるようになり、集落を形成して定住生活を始めるようになっていったと考えられる。
今からおよそ9500年前に栄えた南九州の上野原遺跡からは、これを示す大集落の跡が窺われるのである。

その大集落は、海底火山の大爆発により一瞬のうちに火山灰の下に埋もれてしまった。
しかし、黒潮に乗って北上を続けた人々は、シベリアから南下してきた人々との交流により、
縄文人としての原型を築き上げていったと思われる。

783 :出土地不明:2009/09/09(水) 07:37:44 ID:Odpi4rPf
>LUNAMASK

お前もいい加減にしろよ精神異常者が
>>1立てたのお前だろ

784 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 08:19:58 ID:uKe8Y0tB
>>778
> >>774
>概ね妥当な見識ですね。古墳期でも、黄海から瀬戸内ルートと
>日本海ルートの違いがあったでしょう。
瀬戸内ルートは高地性集落と一致してますね。
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/33144977.html
高地性集落は高句麗山城、燕の長城、遼西城塞、オークネフ高地性集落に通じる
ものがあり、バルカン東部においても草原文化の南下時に起こり、アクロポリス、
ローマ等にもその類型をみることができます。本来移動する牧畜ノマドの戦略の
一貫と考えられます。

785 :出土地不明:2009/09/09(水) 08:21:56 ID:FWKy92C+

その頃インドネシアのジャワ島を中心とする幻の大陸、スンダランドではかなり進んだ文化があったが、
やがて氷河期も終わりに近づく1万年前の頃になると、海面の上昇によりほとんどの陸地が水没したため、
一部の人々は陸地を離れ、黒潮に乗って北上するようになった。

このことは、インドネシアの洞窟、フィリピン、沖縄、鹿児島のそれぞれの遺跡から出土した丸木舟を作るための道具とした
磨製石器のほとんどが一致していることからも同じ文化圏と言えるのである。

786 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 08:29:17 ID:uKe8Y0tB
後の古墳文化はこの高地性集落の範囲内に起こり、前方後円墳から横穴石室古墳
のと変化し、その末期は蘇我氏の時代。奈良時代を過ぎると列島への海外からの
集団渡来は次第に少なくなっていったのでしょう。

787 :出土地不明:2009/09/09(水) 08:32:35 ID:52ON/q40
>>778

結局Y染色体は男系遺伝しないと言ってる学者の名前を一人も答えられないのだね。
君のようなカルト信者は消えてくれ。

788 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 08:34:38 ID:uKe8Y0tB
次に邪馬台国はどのようにしてできたのかを考えてみる。車線変更↓
邪馬台国、大和朝廷成立前夜の日本について
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1231491589/


789 :出土地不明:2009/09/09(水) 08:39:15 ID:+jT5vUiz
>LUNAMASK

おまえ蘇我氏大好きだなキチガイ

790 :出土地不明:2009/09/09(水) 09:00:05 ID:RjhsdSeN
約8000年前頃になると、黒潮本流は東シナ海のトカラ海峡あたりで二分し、
分流(対馬海流)が北上し日本海側に流入しました。
こうして日本列島の広い範囲が黒潮の影響を受けることになり、
現在と同じ温帯モンスーン気候になりました。

東北・北海道の縄文遺跡からは沖縄のイモガイの腕輪が沢山出土していますし、
東京武蔵野台の旧石器遺跡(3万2千年前)からは、150KM離れた神津島産の
黒曜石が出土しているなど、縄文人はポリネシア人の伝統をそのまま引き継ぎ、
かなり高度の航海技術を持っていて、頻繁に外洋航海をしていたと推定されます

丸木舟で黒潮に乗って北上し、琉球列島にまで到達した人々がいたことでしょう。
彼らの子孫が、港川人や縄文人になったと考えられます。

http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/3/img/02a.jpg

791 :出土地不明:2009/09/09(水) 09:01:22 ID:RjhsdSeN
黒潮の流れ
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/3/img/03a.jpg

792 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 09:21:18 ID:uKe8Y0tB
高地性集落の分布は↓、しかし、同時に出雲から会津に向かって日本海を北上
http://yamatonokuni.seesaa.net/article/33144977.html
していたもう一つの流れ、四隅突出型墳丘墓、四辺内反り墳丘墓の流れとは
別のものであった。これは鏡の分布による社会の階層化を目指すのとは全く
思想が異なり、従来の銅鐸文化圏等に近い集団墳であった。おそらくは高地性集落
は軍事的階級意識を持ち、命令によって古墳造営を行ったのに対し、四隅突出型
墳丘墓は集団の独自性と結集を基盤にしていたものとみられる。

793 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 10:15:51 ID:uKe8Y0tB
>>784 燕の長城につき、
ソウル大学Hong教授 「古代燕国とY貊朝鮮」2005年3月
http://www.upkorea.net/news/photo/5778-2-7660.pdf
燕の長城については3/17頁イラスト参照
「この長城はノマドと農民を分離するために造られたものではなく、強力な軍事的プレ
ゼンスを造成し、人々の移動を監視するものであった。
この長城の主要目的は主として非農業地帯の防衛にあった。この長城はこの地域に
あって本来主に牧畜に従事している異民族もともと居住していたところにできた中国人
入植地を保護するものであったということを示す証拠はない。われわれはこの長城の
正確な定義とそれが防衛するものは何であったのかがわからない。」
このことはそのまま倭国の高地性集落に適用されると考える。

794 :出土地不明:2009/09/09(水) 10:18:04 ID:L4UCHJB1
>ソウル大学Hong教授
>ソウル大学Hong教授
>ソウル大学Hong教授
>ソウル大学Hong教授

795 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 10:19:17 ID:uKe8Y0tB
つまり、燕の長城の中国サイドから見れば塞外の民族が日本列島・瀬戸内海沿岸に
入り、その戦略を再び展開したのではないかと考える。

796 :出土地不明:2009/09/09(水) 10:38:56 ID:l1VNBGfF
>>795
中国人ってもともとは中東系の人種だったのに、いつからモンゴル人になったの?

797 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 11:30:26 ID:uKe8Y0tB
高地性集落は本来交易と関係していたようであり、
「(4) 弥生中期末〜後期前半
弥生中期末に三韓土器・楽浪土器が搬入され始めるようである。三雲遺跡群には楽浪
人が居住し,政治的な交渉が行われたと考えられる。漢鏡や金銅四葉座金具〔町田章
1988〕,ガラス璧などは,かかる交渉の結果としてもたらされた政治性の強い遺物と考え
られる。
原の辻貿易による輸入品として,まず鉄器が挙げられる。畿内でもこの時期に舶載鉄器
が増加し,その余波が埼玉県朝霞市・向山遺跡〔照林敏郎 1997〕などの関東にも一部
及んでいる。
畿内や瀬戸内の弥生中期末には高地性集落がみられ,この時期を境に旧来の拠点
集落が廃絶し,新たな拠点集落が営まれる。これは北部九州からの物資の新たな流通
に対処するための集団の再編を示すと考えられる〔松木武彦1995〕。瀬戸内が北部
九州から東に向かう主たる交易経路となるのも,このときであろう。」
http://www.ops.dti.ne.jp/%7Eshr/wrk/2001b.html

798 :LUNAMASK:2009/09/09(水) 11:38:19 ID:uKe8Y0tB
日本と関係が深いスキタイ文化の中心地のひとつバクトリアもシェフィールド大学
のメソポタミア都市文明を中核圏とする、中核圏、周辺圏、裾野圏の三分類における
周辺圏であり、丘陵城塞(ヒル・フォート)(吉備の鬼が城、鬼が島の類)に商品を
デポする民族ということで説明すれば、高地性集落とは伽耶から加美・久宝寺に伸
びる交易路の中継デポであったともいえる。

799 :出土地不明:2009/09/09(水) 12:28:31 ID:AvizUoRu
>>790
ポリネシアに人類が入ったのはまだここ3500年ほどだぜw

35000年前には列島に縄文人が流入していたんだから、丸木舟で九州から
南下して港川人になったとも十分考えられる。

800 :出土地不明:2009/09/09(水) 13:12:21 ID:+suvhISi
貝飾りで探る古代の交易ルートは
面白いアプローチだよね。

801 :出土地不明:2009/09/09(水) 13:27:02 ID:nU3E9saa
縄文はインドシナ沖縄経由40%+樺太経由20%で日本人の6割だそうです

802 :出土地不明:2009/09/09(水) 15:13:55 ID:AvizUoRu
そのウソの証拠は?w

803 :出土地不明:2009/09/09(水) 17:03:10 ID:HVsTXdjR
最新のDNA調査の結果ですよ

804 :出土地不明:2009/09/09(水) 17:44:59 ID:tRdhq21a
どうせまたYサギだろ?w

805 :出土地不明:2009/09/09(水) 18:04:41 ID:U3HpFbKY
「古事記」は「天地のはじめ」、「島々の生成」につずき、「神々の生成」を記す。
伊邪那美命(いざなみのみこと)は火の神を産む前に「鳥の石楠船の神」を産む。
またの名を「天の鳥船の神」という。鳥の石楠船(トリのイワクスぶね)であるが、
古代ポリネシア語で、TOLI=to whittle,pare,trim (木やミカンの皮をむく、木の表面を削って形を整える)
IWA=Frigate or man -of- war bird (軍艦鳥)
AMA=Outrigger float;the longitudinal stick of the outriggerof a canoe

「古事記」の「神々の生成」の終りに海幸彦、山幸彦の話が登場する。
借りた釣り針をなくした火遠理(山幸彦)が途方に暮れていると、
塩椎の神が来て「无間勝間」小船を作り綿津見の神の宮に行かせる。
「无間勝間」小船を「マナシカツマのこぶね」とし、
古代ポリネシア語のMANASII−KATAMARANに対比すると、
MANA=Supernatural,divine power,miracl power (超自然の、不思議な)
SII=to fish, to troll, to cast(釣る)
KATAMARAN= (筏、双胴船)「不思議な双胴の釣り舟」となる。

釣り針を見つけて戻った山幸彦は、海神の娘のお産する姿を見てしまう説話がある。娘の名は豊玉媛。
古代ポリネシア語で、TOI-O-TAMAは子供を産む陣痛。
TOI=pains of child-birth O=of TAMA=child
降って「古事記」の仁徳天皇の項に、
「是の樹を切りて船を作りしに、甚早く行く船なりき。時に其の船に号けて枯野という」
ここに記された「枯野」は、素直にKANO=canoe(カヌ−)と読んでいいのではなかろうか。

806 :出土地不明:2009/09/09(水) 20:05:04 ID:vLyMjrNm
ポリネシア人が来たらラピタ土器の影響土器が残るだろが。

だいたいポリネシアなんかから日本にカヌーでやって来れるくらいなら、
目と鼻の先のオホーツク海沿岸のツングース諸族なんか
年がら年中、日本に入り浸って、縄文人なんか千年と持たずに
簡単に消滅しているはずだろうが。

807 :出土地不明:2009/09/09(水) 20:10:10 ID:2SxhBq/C
ツングース諸族は中国行くんじゃね?海渡る必要ナシ

808 :出土地不明:2009/09/09(水) 20:16:03 ID:HUfKGwq+
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた

809 :出土地不明:2009/09/09(水) 20:17:04 ID:zSfz0TrZ
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

810 :出土地不明:2009/09/09(水) 20:17:58 ID:M/zvurCs



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!



811 :出土地不明:2009/09/09(水) 22:25:30 ID:yjmJEOQZ
>>790 参考になればと思います。
およそ3600年〜3500年前、「ラピタ土器」はメラネシアで発生したといわれている。そのラピタ土器
を伴って突如として現れた集団はラピタ人と呼ばれている。

そこで、Wikipedia「メラネシア」から参考までに引用。↓
「メラネシアの民族集団は大きくオーストロネシア語族とパプア諸語の話者に分かれている。メラネシア
の先住民はおそらく今日のパプア系の祖先に当たる人たちであったと考えられる。彼らは数万年前に
ニューギニア島を占め、放射性炭素年代測定によれば少なくとも3万5千年前にはメラネシアの島々、
おそらく一番東はソロモン諸島やその東の小さな島々にまで到達した。
4000年前、ニューギニア北部やニューギニア東方の島々において、オーストロネシア語族の人々が先住
のパプア系の人々と接触したと思われる。こうした接触は長期間にわたったため、言語や文化、遺伝形質
などが複雑に交じり合う変化が生じた。また、メラネシアで生じたこれらの混血の集団の中から、少人数
の集団がさらに東に海を渡り、ポリネシアを形成したと思われる。また、メラネシアの中には、ポリネシア
文化を保持する地域が飛び地のように点々としており、域外ポリネシア(Polynesian Outlier)と呼ばれて
いる。」

もう一つ、既出ですが、参考までに。「海上の道の始まり」 http://ao.jpn.org/kuroshio/kaijo.htm
「世界最古の海上航行:約5万年前頃東南アジアのスンダランドからオセアニアのサフルランドヘ
移住した旧石器人集団が知られている。かれらは目視できる島々を伝って渡海・移住し、新天地を
第二の故郷としてメラネシアの島々に拡散・定住し、今日まで生活している。」

個人的には、現在のポリネシア文化の土台は、
「スンダランドから波及した旧石器人+台湾・中国南部から南下した"原ラピタ"(モンゴロイド)」
であると考えています。

812 :出土地不明:2009/09/09(水) 23:08:41 ID:3NLePDlV
ラピタ土器は台湾と北ベトナムあたりの印文土器に酷似しているゆえに、
ラピタ人の故郷は台湾か北ベトナムあたりが有力だと言われているんだよ。

813 :出土地不明:2009/09/09(水) 23:19:37 ID:yjmJEOQZ
>>812
そうだと思いますよ。>811でも台湾・中国南部と記述してるでしょ。
で、あるがゆえに、わざわざ"原ラピタ"と表記しているのですが。

814 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/09(水) 23:39:41 ID:2k9huckt
>>780
南京での捕虜や民間人の面白半分の虐殺は否定出来んよ。まあ、日本を
含めて欧米の空爆攻撃なんかも酷いもんじゃが。
>>784
高地集落は弥生期で、瀬戸内の連中は縄文形質でした。おそらく縄文形質の
韓人が移住したんかも知れません。大量の民族移動期は古墳期ですね。
>>790-791
黒潮は死の海じゃけぇ遭難ルートに過ぎんよ。琉球人も九州から南下した
縄文系の方が多かろうに。ほいで、華南の漢人が台湾へ移住したんも、
南宋元代以降で、今の台湾人のほとんどは、17世紀以降の移民じゃろう。
華南から台湾へ行くだけでも、南宋時代じゃけぇ、以前時代に台湾海峡を
渡るだけでも難しかったんじゃ。江南から日本へ直接行くんは難しい。
江南から山東半島経由で波静かな黄海を朝鮮へ渡り、朝鮮南部から
日本列島へ渡るんじゃけぇ、遠い処よのう。

815 :出土地不明:2009/09/09(水) 23:57:28 ID:3NLePDlV
むかーしむかし、長江の河口域あたりの江蘇省から3000年前、渡来系弥生人が
九州北部に渡来して水田稲作を伝えました。

ところが、なぜかこの最古の水田遺構を残した長江の渡来人、何を血迷ったのか、
自らの故郷の石鋤などの石製農耕具を伝えず、長江に無いはずのクワを農耕具として
伝えてしまったんです。しかも木製の。

最後の最後まで当時の江南の農耕具の主役だった石鋤を一切伝えてはくれなかったんです。

おまけに、この水田稲作を伝えてくれた長江の渡来人、何をとち狂ったのか、
故郷の江南系中国土器を一切伝えず、わざわざ遠く離れた北方の沿海州系の土器を
最古の水田遺構に伝えてしまいましたとさ。



おしまい(爆

816 :出土地不明:2009/09/10(木) 00:11:14 ID:8Il95tSP
【韓国】中国は反省せよ・・・我々の祖先の国は「韓国古代国家」と明らかになったではないか
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2035

【韓国】漢字は東夷族が作った文字。我が国は漢字教育を堂々と推進すべきだ … 朝鮮日報コラム ★3 [09/22]
http://jsmind.blog18.fc2.com/blog-entry-1388.html

【韓国歴史】 私たちの先祖が作った漢字には韓民族の哲学思想が込められている〜韓民族史観定立意識改革会講義[11/05]
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=5462

【韓国】 殷は東夷族の国だった〜漢族はその事実を信じたくなくて意図的に無視した[03/18]
http://news24.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1206025708/

【サーチナ/中韓歴史論争】韓国TV「満州はわが領土」に「その通り(笑)」。「お母さん(中国)のもとに、帰っていらっしゃい」[09/08]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1252411416/

【韓国】教育現場に日本植民地時代の痕跡多数、清算めぐり見解差も 中学校校長「満州と朝鮮半島は単一圏とみなすのが正しい」[08/13]
http://yutori7.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1250143141/


817 :出土地不明:2009/09/10(木) 02:45:19 ID:hBWPOufG
朝鮮人=倭人+中国人

818 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/10(木) 07:22:40 ID:bD1DPH2F ?2BP(352)
東夷族(笑)

じゃあ北荻族とか南蛮族も研究しないとなww

819 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 08:32:06 ID:RKBeemvC
>>814
>>784
>高地集落は弥生期で、瀬戸内の連中は縄文形質でした。おそらく縄文形質の
>韓人が移住したんかも知れません。大量の民族移動期は古墳期ですね。
「『三国志魏書』馬韓伝 桓、靈之末,韓穢彊盛,郡縣不能制,民多流入韓國。建安中,
公孫康分屯有縣以南荒地為帶方郡,遣公孫模、張敞等收集遺民,興兵伐韓穢,舊民
稍出,是後倭韓遂屬帶方。
 桓帝と霊帝の末(146年−189年)、韓と穢が強勢となり、郡県では制することがで
きず、多くの民が韓国に流入した。建安年間(196年−220 年)、公孫康、屯有県以南の
荒野を分けて帯方郡とし、公孫摸や張敞などを遣わし、流民を集めるため、兵を挙げて韓
と穢を討伐したが、旧民は少ししか見出せなかった。この後、倭と韓を帯方に帰属
させた。」
そして先ずは筑前・豊前・長門方面に上陸↓
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_13_01.jpg
この流民を吸収するためには高地性集落、古墳のような大型工事と新たな配布シス
テム、階層構造の中核となる銅鏡を創造することが必要となり、そして
「ところが、3年前の平成13年(2001)、神庭荒神谷遺跡の西約3kmの山あいの斜面
で、弥生時代中期後半(紀元1〜2世紀)のものとみられる集落跡が見つかった。斐川
中央工業団地の造成に先だって、斐川町教育委員会が試掘調査を行った斜面で人の
手で整地された跡が集中的に約10カ所出土した。整地跡からは、竪穴式住居跡や
甕(かめ)や壷など数百点が見つかった。土器の9割(わり)以上が弥生時代中期後半
のもので、神庭荒神谷から出土した銅剣の製作時期(弥生時代中期の中ごろ〜後半)
とほぼ重なるという。」これは銅鏡時代開幕のプレリュードであったのでしょう。l

820 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 08:44:47 ID:RKBeemvC
↑葦原中国(=銅鐸圏 http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku08.html)平定は神話として語られています。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E8%AD%B2%E3%82%8A

821 :出土地不明:2009/09/10(木) 08:54:14 ID:cZTl2vb5
朝鮮人=倭人+中国人+満州人

822 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 10:10:07 ID:RKBeemvC
新政権による埋蔵金探しは昔からあったようであり、
「神宝検校事件
 日本書紀の記録「天皇が武日照命が天から持ってこられた出雲大神の神宝がみた
いといったので勅使を送り,出雲振根に神宝を朝廷に差し出すようにいったが,振根が
筑紫に出かけていって留守だったので,弟の飯入根が朝廷に渡してしまった。これを知
った振根は飯入根を殺し,その振根は朝廷から派遣された吉備津彦に殺された。この
後,出雲は出雲大神を祭るのをやめた。しばらく祭礼をおこなわなかったが,丹波の
氷上の氷香戸辺という人の子が不思議な歌を歌っているのを聞いて鏡を祭らせた。」と
いうものである。日本書紀では,この事件は第10代崇神天皇60年とされているが,
吉備津彦が孝霊天皇の子なので,孝霊天皇の頃のことと考えられる。この時代は半年
一年暦で干支で年を数えていたようであるから崇神天皇60年と孝霊天皇時代の年とは
干支が同じである可能性が高い。孝霊天皇時代で同じ干支になる年を調べると
孝霊73年(185年後半)となる。この記事は前述の島根県三刀屋町の粟谷神社の記録
に対応しており、この半年間にここに書いてあるすべてのことが行われたはずもなく、
最後の決戦となったのが崇神天皇60年ということであろう。これを実際は孝霊73年と
推定する。それでは、朝廷が出雲の神宝に疑念を持ち始めたのはいつごろからなので
あろうか。」
http://www.geocities.jp/mb1527/N3-18tairan2.htm

823 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 10:28:50 ID:RKBeemvC
上記筋による青銅器埋納の時期は
「埋納時期  次に,荒神谷遺跡に埋納された時期についてであるが,埋められていた
祭器の最も新しい形式の中広型銅矛が,後期初頭から中葉のものと考えられ,また,
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b3.gif
埋納土の上にあった焼土の熱ルミネッセンス年代が250±80とされているためにこれが
下限となる。祭器に,事態が急変したために埋められた様子が見られるため,倭の大乱
の頃と推定する。」つまり、→桓帝と霊帝の末(146年−189年)とみるべきであろう。

824 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 10:32:53 ID:RKBeemvC
逆にいえば纒向古墳の築造はこの倭国乱をさかのぼることはないであろうといいう
ことになる。当時の政権の引き渡しは激しい交渉による細かい詰めに基づいたことは
神話から読み取ることができ、古墳建設の開始も一斉に始まるものと考えられる。

825 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 10:44:17 ID:RKBeemvC
神武はこうした神々の交渉結果を執行する初代の行政官であり、布留地方の
土器の規格制定式典も行っている。したがい日本建国は布留式・庄内式土器
が開始されるAD200年頃としていいのではなかろうか。

826 :LUNAMASK:2009/09/10(木) 10:50:24 ID:RKBeemvC
休憩
http://inoues.net/ruins/new_koujin.html

827 :出土地不明:2009/09/10(木) 12:07:24 ID:PKtNi7cG
>>824
まつろわぬ民は武力で制圧するものだよ。

828 :出土地不明:2009/09/10(木) 12:13:17 ID:hatvyuBu
やはり倭は半島にたくさん進出してたんだなあ
そして倭と韓は違う、と

ふむふむ

829 :出土地不明:2009/09/10(木) 12:34:33 ID:oYJibSjD
青牛さんが南京大虐殺なんて与太話を信じてることに正直おどろいた

830 :出土地不明:2009/09/10(木) 12:44:51 ID:Er8hULov
中国人、和人、蒙古人、満州人、そして現在の米国人は半島の支配者。
半島住人自体はシベリアから南下してきたツングース。
大戦後に米国が作った傀儡国家・韓国に米国人の血が混じってないように
支配者の血は半島には入りも残りもしない。

831 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/10(木) 18:18:49 ID:bD1DPH2F ?2BP(352)
>>830
漢人と倭人は半島住人です。
俺の知ってる在日の友達でも中国人と見分けが付かない顔の奴が2人いる。

シベリアから南下してきたツングースは国家であり言語。

ウイグル自治区やチベット自治区で漢人が多数派なように、半島でも漢人や倭人が多数派。

そもそも中華や大和が支配者というのはありえない。
中華と大和は稲作によって国家が必要とされることを利用して拡大した農耕帝国であり、常に帝国本体よりも住人が先に進出する。
支配被支配でいうなら、モンゴル人や南ツングース人が支配者で、漢人や倭人が被支配者。

モンゴル王国や女真王国、アメリカ王国が大繁栄している中で、徐々に漢人や倭人が浸入していき、
いざ王国が衰退に入ったら待ってましたとばかりに帝国本体が触手を伸ばしてくる。

日本は明治維新とともに農耕帝国から武力や資本力で成立する普通の王国に転換した。
これは被支配者たる漢人が強大な大日本帝国近辺まで進出してきたため、地味な農耕帝国よりも
TOPに権力が集中する王国として目先の利益に集中するほうが国益に適うようになった為。

832 :出土地不明:2009/09/10(木) 20:51:00 ID:+1wiQ44D
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

833 :出土地不明:2009/09/10(木) 20:51:48 ID:+1wiQ44D
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

834 :出土地不明:2009/09/10(木) 20:52:43 ID:+1wiQ44D
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

835 :出土地不明:2009/09/10(木) 22:38:23 ID:Er8hULov
沖縄の歌垣は毛遊という。シーサンパンナや東南アジアと共通する古代からの風俗。

836 :出土地不明:2009/09/11(金) 00:15:55 ID:NcA/+rDv
>>813
なぜ俺が、

ラピタ土器は台湾と北ベトナムあたりの印文土器に酷似しているゆえに、
ラピタ人の故郷は台湾か北ベトナムあたりが有力だと言われているんだよ。

と言ったか分かるか?

反面、日本には長江江南以南に広がっていた印文土器も、
様々な器種器形を持つ長江江南中国土器も、はたまた華北中国土器も、
無いし、伝わってもいない。

つまり、ラピタ人は日本には長江江南以南からも華北からも、
要するに中国大陸以南を故郷とする渡来人など無かった事を
教えてくれているんだよ。

837 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/11(金) 00:39:08 ID:vDQx3AZL
>>828
弥生期の倭は朝鮮半島から北九州のごく一部なんに、何で
倭が朝鮮に進出した御都合主義の解釈になるんか?
鮮卑族に拉致され奴隷化された倭も無視しとるのう。
>>829
わしゃあ、地理・人類学板の南京スレにも書いとるじゃろうに。
何を今更。南京事件の蛮行を隠蔽するんは、ネット右翼と、
扇動者で、世界中の国で日本軍が南京虐殺をしとらんかった
云う国なんか無いよ。しかも、松井石根大将も「南京事件では
お恥ずかしい限りです。日露戦争の時は、シナ人に対してはもちろん
だが、ロシア人に対しても、俘虜の取扱い、その他よくいっていた。
今度はそうはいかなかった。武士道とか人道とかいう点では、
当時とは全く変っておった。ある師団長の如きは、『当たり前ですよ
』とさえいった。私だけでもこういう結果になるということは、
軍人達に一人でも多く、深い反省を与えるという意味で大変に
嬉しい。」と、云われたんは嘘かどうか、ネット右翼は明言を
避けとるじゃろうに。
>>831
漢人や倭人が多数派かは疑問じゃが、南ツングース人が、
朝鮮や日本列島の支配者になったはその通りじゃろう。

838 :出土地不明:2009/09/11(金) 01:00:46 ID:vfMs1bzl
>>837
結局、Y染色体は男系遺伝しないと言ってる学者の名前を一人も出せないのだな。
42回もスル〜してるおまえに大笑いだw

839 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/11(金) 01:33:59 ID:vDQx3AZL
>>838
何回も云うとるんは、わしの方じゃが、Y染色体が長期間遺伝子が
変らず、必ず男系遺伝すると根拠を持つ学者もおらんけぇのう。
もしおるとしたら、タイムスリップした有名人になろうに。

840 :出土地不明:2009/09/11(金) 02:31:17 ID:fLAEOB6p
>>836
甕棺墓についても御意見をどうぞ。

841 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/11(金) 07:13:27 ID:oq5rTFZD ?2BP(352)
>>837
>漢人や倭人が多数派かは疑問じゃが、
は?お前は中華の古文書を疑うのか?じゃあお前の中では考古学なんて完全崩壊だな?

>南ツングース人が、
>朝鮮や日本列島の支配者になったはその通りじゃろう。
は?俺は朝鮮半島で南ツングース人が高句麗や沃祖を通じて強大な権力を行使したといったし、
新羅の支配層も人種的には北方の支配者との通婚を繰り返していただろうが(もちろん倭漢とも)、
朝鮮も日本も基本は漢人や倭人のものだぞ。百済は王家ですら非アルタイだったらしいし。

ましてや日本など朝鮮や華北の支配層と通婚した平安顔こそあれ、
史実として騎馬民族云々は刀寇以外全く残ってないし、地理的に考えても電波がすぎるぞ

842 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/11(金) 07:14:35 ID:oq5rTFZD ?2BP(352)
>>839
>Y染色体が長期間遺伝子が
>変らず、必ず男系遺伝すると根拠を持つ学者

世界中の生物学者だろwww

843 :出土地不明:2009/09/11(金) 07:32:55 ID:vfMs1bzl
>>839

全員だが?w
や〜い恥さらし!w

844 :出土地不明:2009/09/11(金) 09:07:58 ID:EQpeztPi
高句麗好太王碑文や『日本書紀』にも見えるように、
半島へ攻め込んでいるのは倭国であって、逆じゃない。
これは古墳の副葬品からも分ります。
副葬品に馬具などが入るのは大和地方が先で、九州は後です。
もしも、騎馬民族が攻め込んできたなら、九州の古墳に馬具が入り、
徐々に大和の古墳に波及します。
それが逆と言う事は、騎馬民族が日本を征服したという可能性が皆無に近いことを意味します。

845 :出土地不明:2009/09/11(金) 10:32:32 ID:XsTjp4qM
>>837なるほど。しかしそれは敗戦後に言ったのか攻略最中に制圧終了後に
言ったのかでも異なりますね。

846 :出土地不明:2009/09/11(金) 10:35:25 ID:XsTjp4qM
>>842Y染色体は変化(というか欠損しながら)子孫に残されると聞いたことは
あります。

847 :出土地不明:2009/09/11(金) 10:37:36 ID:kP0lRx4s
海流は、朝鮮南部から出た船を出雲や北陸へ流す。つまり近畿地方へ。
倭の邪馬台国が九州に先にあって、後にに大陸から来た騎馬民族が近畿に大和王国をつくった
両国は共存した。それが倭とヤマトは別種ということだろ
後にヤマトが九州邪馬台国まで征服した

848 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 11:42:53 ID:yYZBbs6P
>>619-631
辰王の系譜、天皇家の遠祖−騎馬民族は来なかったか?−宝賀寿男
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/kodaisi/kibaminzoku/kibaminzoku1.htm
主にBC3世紀ころから黒海北岸、コーカサス北麓草原に中央アジアから到達する騎馬
民族サルマート(銅鏡埋納文化)、アラン・アヴァール(烏桓・柔然)は神武の出身地、
日向の地下式横穴墓の埋葬形態をとる民族。神武・百襲姫・景行・ヤマトタケル等は
鳥トーテム文化人であり、この時代に近畿に入る天日矛・スクナヒコナ(神農)・兵主
(蚩尤)は山東省から遼寧省・吉林省に入る支石墓文化が宝賀寿男氏の言葉を借りる
と「高木遺跡の三号木棺墓(俗に早良王墓という)は多鈕細文鏡とともに細形銅剣・
細形銅矛・細形銅戈など三種神器原型の出土もある。わが国の多鈕細文鏡副葬の
時期は、弥生中期初頭頃とされており、これらを主として天孫族が朝鮮半島からもた
らしたとしたら、その渡来時期は弥生中期頃ということ」になるが、天孫の得意とする
労働集約事業(巨石・高地性集落・古墳等)による葦原中国(東方平野国)支配は
倭国乱時代を経た後に始まる。

849 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 14:17:40 ID:yYZBbs6P
三輪王朝生誕の地である奈良県東南部には古い順に纒向古墳群、大和(オオヤマト)
古墳群、柳本古墳群の3大古墳群があるが、纒向古墳群は最も古く、その中でもホケノ
山古墳は最も古くて大規模。ホケノ山古墳には築造直後に追葬があるが、これは第二
代カムヌナカワミミに殺された神武の嫡男と考えられる。更にホケノ山古墳には5世紀
頃の追葬があるが、これは歴史的記憶をもとにエフタル・アヴァール族(日向の豪族)が
追葬されたものと考えられる。追葬はスキタイの風習である。つまり、ホケノヤマ古墳は
神武の墓である公算が非常に大きい。
 

850 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 14:35:35 ID:yYZBbs6P
卑弥呼・トトヒモモソの概念はバクトリア・チルリャ・テペ出土の竜に乗る有翼のイシュ
タルであろう。
http://www.ogoniok.com/common/archive/2001/4680-2/80-34-37/80-36-3b.jpg
卑弥呼もチルリャ・テペ女王のようなファッションをしたていたのではないか。
http://www.anaharsis.ru/ornam/image/Orn1/Orn20.jpg
これは日本の羽根を挿す白馬チベット族の女性であるが
http://www.gesanmedo.or.jp/imgs/sg_bp_photo/bema.jpg
群馬県あたりの武人埴輪にも日本の羽根を挿す兵士の像がある。
http://www.gunmaibun.org/osoretoinori/kohun/kohun12.html
おそらく卑弥呼も若いころは白馬チベット族の女性のような人でなかったかと思うね。

851 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 14:42:47 ID:yYZBbs6P
>>849
神武をカシワラ神宮に葬るという発想は当時の邪馬台国ではありえないことであったと
考える。

852 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 17:19:04 ID:yYZBbs6P
ここに纒向古墳群の全景地図があるが、ここにおいて大女王卑弥呼とホケノヤマ古墳
の関係がよくわかる。つまり神武以来の大女王扱いであったということだ。当時一女王
あたり天皇クラスが4官いた。神武から卑弥呼までは麻雀でいえば2巡、ニ連チャン程度
であったわけだ。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/images/image-18/0701-23.jpg
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/2009_07_02.htm

853 :LUNAMASK:2009/09/11(金) 17:36:41 ID:yYZBbs6P
東から海人族・スサノオ(青銅器東胡)、オオクニヌシ(鉄器東胡)、騎馬民族・神武
(スキタイ)ゾーンだ。
http://www.bell.jp/pancho/k_diary-2/images/image-18/0701-18.jpg

854 :出土地不明:2009/09/11(金) 17:51:15 ID:fZB2Gj0N
連投は荒らし行為ですよ

855 :出土地不明:2009/09/11(金) 18:06:02 ID:9rlP4ls0
朝鮮半島で水稲耕作が確認されているのは約1500年前でしかない。
そしてDNA研究では、日本に2種類しかない水稲DNAタイプのうち、ひとつが朝鮮半島の主流となっている。
いずれにしても、寒冷な中国北部は熱帯及び温帯種である水稲が不向きな地域で、高句麗など朝鮮北部も同じことだ。

しかも水稲は陸稲よりも遥かに生産性が高いので、当然、陸稲地域よりも水稲地域の方が人口が増えやすい。
論理的帰結として、人口爆発した倭人が海を超え、
比較的温暖で日本と気候が似ている朝鮮半島南部に進出し、水稲耕作を始めたということが最も自然な流れだ。
古代朝鮮半島が三韓時代から三国時代へと移行しても、
古代日本が半島に任那という権益を持ち続けたのはそういう事情が背景としてあったということだろう。

856 :出土地不明:2009/09/11(金) 22:11:19 ID:lskxme6m
>>836
まぁ、現在、ラピタ人の痕跡は日本列島にはほどんどないので、ラピタ人に
"関しては"、日本列島へ渡来し、波及した可能性はかなり低いでしょうね。

で、なぜ俺が、
>>790氏にアンカを付けたか
か分かるか?

>790氏は、
>縄文人はポリネシア人の伝統をそのまま引き継ぎ、 かなり高度の航海技術を
>持っていて、頻繁に外洋航海をしていたと推定されます
と述べている。そこで、「ポリネシア人の伝統をそのまま引き継ぎ」と言う表現では、誤解が
生じるのではと感じたので、「スンダランドからメラネシアに波及した旧石器人の航海技術
を縄文人は引き継いでいる」と推定したほうがよりベターではと思った。で、参考までにレス
を付けたというわけ。

857 :出土地不明:2009/09/11(金) 23:57:40 ID:+j91bqh4
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





858 :出土地不明:2009/09/12(土) 00:02:11 ID:b2CgqduL
「貫頭衣」は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

859 :出土地不明:2009/09/12(土) 00:04:49 ID:b2CgqduL
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

860 :出土地不明:2009/09/12(土) 00:18:17 ID:3urfWoQA
>>857
現状では各型式毎の測定値が1?2点しかないので、
これ以上十分に絞り込むことはできない。暫定的な較正年代と理解いただきたい

wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

861 :出土地不明:2009/09/12(土) 01:11:23 ID:u/u9oVrf
韓国は韓国だから
その年代主張も
韓国なんだろう

誰が信じるんだよ

862 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/12(土) 01:24:36 ID:+9btDQSv
>>841
百済の支配層は夫餘系ど。中華の文書の東夷伝にも、そう記してあるが、
あんた東夷伝も読んだことも無いのに電波飛ばしとるんか。
日本人の公家顔や西日本に多い長州型は、満州・朝鮮系じゃしのう。
地理的に電波じゃあるまい。満州、朝鮮から日本列島へが、航海の近道
じゃし。
>>842
世界中の生物学者云うて具体的に誰か銘記せにゃあ。

863 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/09/12(土) 01:36:38 ID:+9btDQSv
>>844
一世紀前に奴隷を漢に献上した列島に軍事力は無いのう。
馬具も朝鮮半島から日本列島云うんを無視しても意味かあるまあ。
>>855
水稲の米を主食としたんも、日本は戦後のつい最近のことで。
しかも水稲稲作民が、軍事力が強かった類例も世界史に無い。
任那日本府なんか共産主義史観の電波よ。



864 :出土地不明:2009/09/12(土) 01:49:02 ID:QYEeEGVW
>>863
戦国時代の石高も知らんのか
ホンマ鈍牛は朝鮮思考の嘘つきやで

865 :62:2009/09/12(土) 03:27:35 ID:dY852qW7
稲が温暖な地域以外でも多く収穫できるようになったのは結構最近ですね。
温帯といえやや冷涼な地域での米の多収量化は、日本の大きな技術的成果と言えるでしょう。
今では高級ブランド米として新潟のコシヒカリや秋田コマチなどが有名です。

そういうわけで中世の頃から北国でもジャポニカ米が普通に栽培されて主食だったわけですが、
但し冷害が起こりやすかったために、そういった時などに代用食は必要で人口は少なかった。
このような北国での稲作技術が進んだ日本でさえ、結構比較的最近まで西南日本が米生産の中心でした。
戦前までは今では考えられないことですが、奈良県や大阪府が狭かったり山が多い
地域にも関わらず、米生産量が最も多い都道府県だったそうです。

866 :865:2009/09/12(土) 03:53:16 ID:dY852qW7
>>864
> 水稲の米を主食としたんも、日本は戦後のつい最近のことで。
大和国家は日本各地の豪族が連合しつつ、この水田に適した奈良や大阪のを中心として
日本の統一国家を形成していった訳で、非稲作民の国家みたいな認識は無理がありますね。

> しかも水稲稲作民が、軍事力が強かった類例も世界史に無い。
大和国家は元々奈良盆地南部から大阪南部が根拠地でした。
この場所は水田によるジャポニカ米栽培に適しているとともに、
背後に日本有数の多雨地帯であり多くの森林資源を持つ紀伊半島がある。
大和国家はこの地域を軍事力や鉄の供給などの基盤にできた。

熊野や吉野がある紀伊半島は近畿でも特に縄文的な血が濃い地域で、
地理的に繋がりがある東国や四国との関係が深い。
軍事的に強力な縄文系を背景にできたので、大和が強力な統一国家を形成し、
鉄鉱石の産地だった任那を支配しても全く不思議ではないのだが。

> 一世紀前に奴隷を漢に献上した列島に軍事力は無いのう。
これは卑弥呼の時代前後の話ですね。近畿や南九州中心の大和国家が
北九州の倭人国家を制圧して吸収したのではと思われますが。

それにしても1000年間軍事的に負け続けの南ツングース族の僻みが満載ですね。

867 :出土地不明:2009/09/12(土) 03:53:19 ID:jplzvmFg
>>862
>世界中の生物学者云うて具体的に誰か銘記せにゃあ。

だから生物学者全員。
定説に反論する場合は、
君が先に答えないとね。
卑怯なオカマだな。

868 :865:2009/09/12(土) 04:03:31 ID:dY852qW7
>865補足。
日本でさえ古代からゆっくりと地道な改良で北国での米生産を増やして来たわけで、
ましてや古代において、日本よりも寒冷な地域に住む南ツングース族が水田農耕を背景に人口爆発させ、
その後日本へ渡って縄文人や弥生人を圧倒したというのはデタラメにも程がある。
今に至っても北朝鮮は風土に合わない米を無理に生産しようとして失敗しているが。
(中国では賢明にも、今でもほぼ長江流域より南においてしか米を主食としていない。)

>857の年代の信頼性は低いが、百歩譲ってそこそこ古いと考えても
東アジアの古代人口にどれほど意味があるか非常に疑問があると言えます。

869 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/12(土) 07:53:45 ID:o5u1/xUd ?2BP(352)
>>862
>百済の支配層は夫餘系ど。
お前これを根拠に延々好き勝手述べてるけど、扶余は南ツングースじゃないぞ。
嘘を混ぜたり論点をずらしたりして電波とばすのやめろ

>世界中の生物学者云うて具体的に誰か銘記せにゃあ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E7%89%A9%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7
Wikipedia:生物学者の一覧

このうちの20世紀以降の人はまずそう認識してるだろ


870 :bienner ◆KvKoaNcMgg :2009/09/12(土) 07:57:44 ID:o5u1/xUd ?2BP(352)
>>863
>一世紀前に奴隷を漢に献上した列島に軍事力は無いのう。
東アジア中の国が中華には奴隷なり金品なりを献上するもの。そしてそれ以上のものを中華からもらうというのが朝貢貿易
そんなことも知らずにお前は朝貢や柵封を認識していたのか。学生からやり直せ

>水稲の米を主食としたんも、日本は戦後のつい最近のことで。
ソースは?


871 :LUNAMASK:2009/09/12(土) 09:46:44 ID:wKbsc2yM
>>848-853
しかし、伽耶に本格的スキタイが到着するのは河内王朝のころで、日向に地下横穴
が開始されるのもそのあとのこと。神武の時代の伽耶は漢式木槨墓の時代。神武
集団は謎の集団だ。伝説の箕準亡命の時に吉武高木遺跡に上陸した人々が、
勃興する伊都国・奴国の王権に押され甑島、沖縄、薩摩、大隅へと南下し、雌伏して
いたのだろうか。

872 :LUNAMASK:2009/09/12(土) 13:53:00 ID:wKbsc2yM
「蘇我王権内の秦 隼人と天武」
http://www5.ocn.ne.jp/~toyokazu/jpn/nswana/nsw-09.html
上記によれば隼人とはイ族であるということ。mtDNAによる調査では日本人には
イ族と同じ遺伝子があるという。しかし、イ族が対馬の方から九州に上陸するような
歴史的記録はない。ただ沖縄・台湾方面からの記録についてはオープンなので
江蘇省方面にいた集団が沖縄経由で北上するということもあろうか。地下式横穴墓
はどちらかといえばソグド・エフタル系なので彝族は鹿児島の竪穴墳とか、熊本の
石板石室墓とかであろうか。

873 :出土地不明:2009/09/12(土) 14:47:48 ID:fDN11uLR
>>862
> 世界中の生物学者云うて具体的に誰か銘記せにゃあ。

顔写真つきのを探しといたよ!
ttp://en.wikipedia.org/wiki/Spencer_Wells
ttp://leidsewetenschappers.leidenuniv.nl/show_en.php3?medewerker_id=833

874 :出土地不明:2009/09/12(土) 16:55:39 ID:zWQqhe+W
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

875 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/12(土) 17:58:26 ID:0Ydw5Qe1
やはり少し論点や視点が各々でずれているような所が見受けられますね。
誤解も多少あるようです。
ここは最近、少し考古学的な面白い議論がされていただけに残念です…。
皆さんもう少し落ち着き書き込んでほしいものです。

876 :出土地不明:2009/09/12(土) 18:32:34 ID:3nfCdSoN
>>875
ちょwっをまww

877 :XYZ ◆PH4Mje0jPU :2009/09/12(土) 18:49:56 ID:0Ydw5Qe1
1つ追記しますと、現在ポルィニーシャ人と呼ばれる人々の先祖は
ほとんど“黒潮”で北上はしていないでしょう。
ラピタ人等ポルィニーシア人の航海に関する研究(者)にもある
ようですが、彼らの時代までのように、まだ自然の力に大いに
依存しながら航海していた時代の人々に、引き潮と言いますか、
自分のいる陸地(島)から先(前)のほうへ流れる海流に乗り航海していく事は
非常に危険です。これはもう解る人もいるでしょうが、先の見えない(知らない)
航海をする際に、陸地から離れていく海流に乗れば、諸事情により自分の元にいた
陸地にいざここで帰ろう・帰らなければいけないとなった時に、相当の人力
が必要になり、計算が立ちづらくなるからです。
例えば同じ大洋州でも、メラニーシャからポルィニーシャに人類が辿り着くまでには、
それまでの人類の拡散の進行時間より、はるかに時間がかかっています。
地図上はメルァニーシャやオーストゥルァリアからそれほど離れているわけでは
ないニュー ズィーランドゥも、考古学的には非常に近年に人類は辿り着いています。
おそらくこれも上述した海流の向きによるものからなのでしょう。

わたしもハワイ等まで行き、優れた航海術を生みだしたと言われる彼らが、
台湾までは言語・遺伝・考古学上は色濃くその痕跡を残したのに、それ以北の
沖縄から先の日本方面へはほとんど影響を及ぼしていない(サツマイモのような
例外も少しあるようですが(サツマイモはかなり後世の別関係の人々の影響ですかね…))
事を非常に不思議に思っていたのですが、この説に非常に納得しました。
地図上にはとても近くに感じられる箇所でも、海流によっては航海し難い、
進みづらい箇所とあるのですね。特にこれが世界3大(急流)海流の1つである
“黒潮”となりますと、相当の困難・危険性が予想されたせいか、これに乗り
冒険する事はしなかったのでしょう。あらかじめ死が予想される可能性が高い事に、
勇敢な古代人とは言えそうそう挑戦出来るものではありませんからね。

ということで、日本に残る南方からの影響と思われるものは、大部分が
台湾から沖縄の一部、そして黄海から朝鮮半島が九州辺りと、大陸が日本と
繋がっていた時代の、大陸の海岸沿いを北上した人々の残存でしょう。
どこかで以前にも書きましたが、言語学的にはこれは満州(現支那東北部あたり)
まではあったのではないかと、個人的には感じています。

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