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日本人どこから来たんだ?7

837 :出土地不明:2009/07/28(火) 23:50:13 ID:JuYZAhHc
最新の遺伝子(y染色体)研究+考古学での日本人男性のルーツは、3か4派で構成される。現在の構成比は
C1が1%、D2が40%前後。C3が2〜3%、Nが1%前後。O3が25%。O2bが30%前後。

1)3.5〜4万年前:後期旧石器(局部磨製石斧・台形石器→ナイフ型石器・一部は木葉型尖頭器へ変化)
スンダランド(東南アジア)からハプロタイプCとDが直接渡ってきた。そして2万年前後にCはC1、
DはD2という優勢な突然変異によるサブグループに変異した。故にC1もD2も日本にしかいない。

彼らは基本的に森の民で、主に太平洋側の落葉広葉樹帯で木を削った槍で小動物・魚の狩猟、海産物・植物や
木実果物の採集で生活したが、寒冷期に南下、一部中部山岳地帯草原で大型の動物を石槍で狩るものも現れた。

2)1.5〜1.2万年前:細石器(石刃技法細石器 ← バイカル湖周辺で発生した細石器)
氷河期の海面低下で大陸と繋がった北海道と九州西部経由(朝鮮半島経由の北九州ではなく、長崎辺りで
草原となった黄海・東シナ海経由)でハプロタイプCから2万年前にC3へと変異したグループと、九州西部
から15万年前発生のタイプNが日本に渡ってきた(C3はツングース系、Nはアルタイ系を代表する遺伝子)。

彼らは草原に住む大型動物を追って、寒冷期に南下した植物相に伴い動物を追って、内海化した日本海で
乾燥化した裏日本の草原にまで遺跡を残した。温暖化に伴う植相変化で北方へ去ったが、一部日本に取り残
されたグループは大型動物を取り尽くすと森の民に同化され、細石器文化は1.2万年前くらいに消滅した。
(北海道へはD2が2万年少し前に入った。その後海峡が浅いので本州より早く18万年前にC3が入って来た)

3?)1万年〜7千年前:米・麦等の栽培植物をもたらした?
ハプロタイプOから1万年前にO3に変異したサブグループが陸稲米と麦を持って日本に渡ってきたかもしれない。
もしそうなら、縄文人は以上の3派の渡来人が交じり合ったものだと考えられる。そして土器の「縄文」も
彼らがもたらしたかも知れない。ただし縄文人の頭骨からは否定的。

ただし、土器自体は1.6万年前に日本で自然発生した無紋土器、次に九州西部から細石器文化と一緒に入って
きた豆粒文土器、そして「縄文」以前に隆線文土器や爪形文土器が有る。

4)紀元前1世紀:水耕田技法もしくは田植え等の画期的技術をもたらした弥生人。
Oから派生したO2の、そのまたサブグループのO2b(2800年前に発生)が中国戦国時代の混乱期に江南地方から
海を渡って日本と韓国南西部へ渡ってきた。

水耕田の稲の遺伝子はもともと日本にあった陸稲米遺伝子と同じで、日本の水耕田は2800年前くらい前まで
遡れる。一方、O2bは百越の特異な遺伝子であり、その大多数は百越が亡びた紀元前334年以降に日本に入って
きたと思われる。しかも日本で優勢を保ったのだから、何らかの生産性増大技術を持ってきたと思われる。

上記O3はこの時O2bと伴に日本へ入ってきたものかもしれないが、それにしては日本でのO3の比率が多すぎる
と考えられる。


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