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日本人どこから来たんだ?6

1 :出土地不明:2009/03/17(火) 01:12:04 ID:XvSLwRWd
日本人どこから来たんだ?5

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1225715306/


日本人どこから来たんだ?4

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1217864779/

日本人どこから来たんだ?3
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1209009011/

日本人どこから来たんだ?2
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1189633821/

2 :出土地不明:2009/03/17(火) 01:58:04 ID:0ukGRjLO
日本人は黒潮に抱かれた豊葦原の瑞穂国に住んでいたから日本人になったんだと思うよ



3 :出土地不明:2009/03/17(火) 10:00:34 ID:5+7TpdXR
170cm代後半で、つりあう日本の男性が少ないので、
両親は私に最強のハーフ日本人を産ませるに、
北欧男性と交際させています。


4 :出土地不明:2009/03/17(火) 12:27:42 ID:AS8PPtMZ
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀で、日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀で、日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf



朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀で、日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





5 :出土地不明:2009/03/17(火) 12:56:46 ID:kitcyv3z

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm

さあ、反論しよう。
↓↓


6 :出土地不明:2009/03/17(火) 19:26:52 ID:AAZ+FaEQ
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体が極めて疑わしいと
言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

7 :出土地不明:2009/03/17(火) 23:18:07 ID:nbADqWlD
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





8 :出土地不明:2009/03/17(火) 23:33:41 ID:pXCzV6pt
>>6
中国の検出を待てば良い。

9 :出土地不明:2009/03/18(水) 00:01:10 ID:IZLuMEuu
当時は私も日本で発見されるこうした先史時代の文字(ペトログラフ)は、
シュメール人がもたらしたものではないかと考えていましたが、その後調査が進むに連れて、
日本の方がシュメールより古いのではないかと思いだしました。
また、世界の学者も最近はそのように思いはじめているようです。
なぜなら、シュメールやエジプト文明はたかだか四、五千年前ですが、
日本には八千年から一万二千年前に縄文の文化が繁栄していたのです。
ということは、日本の方がはるかに古いわけです。
ですから「日本こそが世界の文字文明の発生の地ではないか」
とユネスコ系の学者たちは恐れを抱きはじめているのです。
http://slicer93.real-sound.net/0-jj-space-5551.html

10 :出土地不明:2009/03/18(水) 01:25:31 ID:IEWhjqlN
C3系統
13% アイヌ
 0% 青森
 2% 東京
 2% 静岡
 3% 徳島
 8% 九州
 0% 沖縄

91% オロチョン(ツングース)
68% エヴェンキ(ツングース)
27% 満州(ツングース)
84% ブリアート(モンゴル)
52% ハルハ・モンゴル(モンゴル)
50% ユカギル(古アジア)
33% コリヤーク(古アジア)
25% チュクチ(古アジア)

74% カザフ(テュルク)
18% ウイグル(テュルク)

12% 朝鮮
 5% 漢族(華北)
 3% チベット

 5% 漢族(華南)
 4% ミャオ
 4% ベトナム
11% マレー

42% タナナ(ナ・デネ系)
16% シャイアン(アメリンド系)

11 :出土地不明:2009/03/18(水) 01:26:53 ID:IEWhjqlN
D2系統
88% アイヌ
39% 青森
48% 新潟
40% 東京
33% 静岡
26% 徳島
28% 九州
39% 沖縄(北琉球)
 4% 八重山(南琉球)

D1系統
16% チベット
 1% 東京
16% イー
 3% トゥチャ
 7% ミャオ
 2% ヤオ
 3% ベトナム
 3% マレー

D3系統
33% チベット
 0% 東京
 6% ホイ
 1% モンゴル

12 :出土地不明:2009/03/18(水) 01:27:50 ID:IEWhjqlN
O2a系統
 1% 東京

 0% 朝鮮
 2% 漢族(華北)
 0% チベット
 0% オロチョン(ツングース)
 0% ブリアート(モンゴル)
 0% ハルハ・モンゴル(モンゴル)

30% 漢族(華南)
11% ミャオ
68% チワン(タイ・カダイ系)
36% ベトナム
28% マレー
47% タイ

O2b系統
 0% アイヌ
26% 東京
30% 沖縄(北琉球)
67% 八重山(南琉球)

 0% 漢族(華北)
 0% チベット
51% 朝鮮
 4% 満州
 0% オロチョン
 2% ブリアート
 0% ハルハ・モンゴル(モンゴル)

 0% 漢族(華南)
 0% ミャオ
 0% チワン(タイ・カダイ系)
 0% マレー
 1% フィリピン
 6% タイ
14% ベトナム
20% インドネシア

13 :出土地不明:2009/03/18(水) 01:28:56 ID:IEWhjqlN
O3系統
 0% アイヌ
15% 青森
14% 東京
20% 静岡
21% 徳島
26% 九州
16% 沖縄(北琉球)

66% 漢族(華北)
33% チベット
38% 朝鮮
38% 満州
 0% オロチョン
 2% ブリアート
23% ハルハ・モンゴル(モンゴル)

33% 漢族(華南)
71% ミャオ
52% ヤオ
16% チワン(タイ・カダイ系)
31% マレー
41% ベトナム

14 :出土地不明:2009/03/18(水) 02:01:27 ID:oxMOGAXe
韓国人ってなかなか可愛いな。
http://www.google.co.jp/gwt/n?eosr=on&q=%E3%82%AD%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%92%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%83%B3&hl=ja&ei=wtK_SbnSFpTk7APkx9iKAQ&source=m&sa=X&oi=blended&ct=res&cd=8&rd=1&u=http%3A%2F%2Fwww.wowkorea.jp%2Fnews%2Fenter%2F2008%2F0812%2F10047302.html

15 :出土地不明:2009/03/18(水) 02:03:36 ID:oxMOGAXe
えみし=縄文人ですよね?。
なぜ文明国である日本が漢字を取り入れたのか?
やはり日本は昔から物好きな
民族だったんでしょう。

16 :出土地不明:2009/03/18(水) 15:20:05 ID:LpqphMNc
日本人の中核を成す大和民族はイスラエルから来たんですよ

17 :出土地不明:2009/03/18(水) 16:52:20 ID:KVBngYJr

日本人の中核を成す大和民族の先祖は
旧石器時代のかなり前の時代に、アフリカを発し
中近東(現イスラエル)付近を通過して
アジア大陸に広がって、日本列島にたどりついたんですよ。

に変えませんか?


18 :出土地不明:2009/03/18(水) 18:45:16 ID:Q4np6DJ0
>>17
10万年前に出アフリカに成功したグループ(パレスチナグループ)は絶滅したと考えられている。


19 :出土地不明:2009/03/18(水) 23:10:48 ID:9n25rVVm
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html

20 :出土地不明:2009/03/18(水) 23:26:20 ID:U1+poygN
>>10
チンギスハン、ヌルハチはC3とされてるんだっけか?
ハルハや満洲はもっと多いかと思った。

21 :出土地不明:2009/03/19(木) 20:22:12 ID:ryxmDCXT
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

22 :出土地不明:2009/03/20(金) 21:44:58 ID:dsrlExG9
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

23 :出土地不明:2009/03/21(土) 21:59:12 ID:lQCQpAkf
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

24 :出土地不明:2009/03/21(土) 22:01:40 ID:lQCQpAkf
朝鮮半島で最古の水田遺跡は今のところ前11世紀。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





25 :出土地不明:2009/03/21(土) 22:05:53 ID:lQCQpAkf



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif




26 :出土地不明:2009/03/22(日) 09:02:46 ID:S0DgCFko
http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm

朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。
それでも、日本よりは、古くないよ。
良く読んでね。




27 :出土地不明:2009/03/22(日) 09:37:01 ID:S0DgCFko

稲作は、温暖な地域から寒冷な地域に人間が広げたと考えるのが
普通ですね、稲は冷害で寒冷な地域での栽培が難しいので。
稲作は南方から北方へと広まっています。
日本列島と、朝鮮半島の稲作の歴史を見れば分かりますね。



28 :出土地不明:2009/03/22(日) 10:24:05 ID:yz2NFGTw
>>26
そのトリックは小麦のプラントオパールを隠しているだけw

29 :出土地不明:2009/03/22(日) 10:32:26 ID:yz2NFGTw
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

30 :出土地不明:2009/03/22(日) 13:13:20 ID:s41pKJay
コピペ野郎ばっか。

31 :月光仮面:2009/03/22(日) 13:15:51 ID:wwfs8ao7
小麦の伝来についてこういう意見もあるが↓
「中国への小麦の伝来も文献などからシルクロードが開かれた紀元前1世紀頃(前漢)時代と考えるのが
一般的であり、中国経由で伝来されたと考えられている日本でも約2000年前の遺跡から小麦が出土して
おり、伝わったのはそれから遠くない弥生時代であると考えられている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%A0%E3%82%AE
「エチオピア、英国、アイルランド到着はBP5,000年、中国にはその千年後」・・・つまり今から4000年前
http://en.wikipedia.org/wiki/Wheat
となっている。NHKのシルクロードで放映されたタクラマカン砂漠(小河墓)ミイラは小麦の種を持って
いた。大体今から3800年程前とされていた。上記の英文wikiと合っている。ロシア・中国ではこれより
古いアジア地域での小麦発見の情報はない。この頃の縄文日本は
「当時、温暖化による縄文海進の最中で、近畿地方以西の植生が、やがて常緑照葉樹林帯にかわる過
程にありました。その食料供給力は落葉広葉樹林に対して著しく低いのです。その結果、縄文時代のこ
の時期以降、西日本の人口は伸び悩み、縄文時代を通して東日本よりも、その生業痕跡が稀薄になり
ます。この環境悪化に加え、6,300年前に、九州地方に鬼界カルデラの大噴火の猛威が襲い、九州から
本州の大半を被うアカホヤ火山灰の存在にも示されるように、九州地方の全ての文化を壊滅させました。
"東高西低”と言われる縄文遺跡分布の片寄りは、実はこのような過程で生み出されました。ただの気候
環境の変化程度でしたら、九州縄文人も対応しえたでしょう。その後復活するのに、約3,000年という人類
にとって、気の遠くなるほどの時を必要としたのです。」
http://www.geocities.jp/rarememory/jyoumon/j.htm
http://sennboku.web.fc2.com/bunarintokodaisi/minamikiyuusiyu/uenohara/2/clip_image011.jpg



32 :月光仮面:2009/03/22(日) 14:28:00 ID:wwfs8ao7
「今回、中国科学院のチームは、中国青海省の喇家遺跡で出土した土器の底から長さ50cm、直径
約3mmの麺と思われるものを発見しました。これを放射性同位炭素による年代測定にかけたところ、
約4000年前のものと判断されました。現在、麺は小麦から作られることが大部分ですが、この麺はアワ
とキビでできており、碗に湯を入れて煮て食べていたと考えられます。」10割粟・黍ヌードル、これは
小麦でやっていたのが原料が不足したということもありえるかも。
http://kisosuu.cocolog-nifty.com/zakki/2005/10/4000_fcb0.html
小麥的栽種在中國也有五千年歴史。
http://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E9%BA%A6
仰韶人は広くミレット農業を行い、一部の集落では小麦や米も作っていた。
http://www.ibiblio.org/chinesehistory/contents/02cul/c03s04.html

33 :出土地不明:2009/03/22(日) 17:48:17 ID:0iUuOX7v
通り道に過ぎない朝鮮。

34 :出土地不明:2009/03/22(日) 21:15:46 ID:Xuqt+2Mx
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

35 :出土地不明:2009/03/22(日) 23:49:01 ID:BqKyShjP
>>31 参考になれば、幸いです。
九州の縄文時代について(縄文時代草創期〜中期までのポイント)

・縄文時代草創期---おおよそ1万5千年前後〜1万年前後の期間(不確定かつ不明瞭)
 □豆粒文土器
・縄文時代早期---約1万年前後〜約6000年前
 「寒の戻り」であるヤンガー・ドリアス寒冷期(1万3200年前〜1万1500年前)が終わり、
 完新世の急速な温暖化。温暖化とともに縄文海進(海に隔てられる日本列島化)が始まり、
 この頃から縄文時代早期が始まる。
 ■九州南部の定住遺跡(上野原遺跡、加栗山遺跡等々)←約9500年前〜7500年前
 □円筒形の貝殻文土器(南九州)/押型文土器(中部・北部九州)
 ■鬼界カルデラ噴火(アカホヤ火山灰)←約6400年前によって南・中九州早期定住が壊滅。
・縄文時代前期---約6000年前〜5000年前
 □轟式土器(約6000年前頃から)
・縄文時代中期---約5000年前〜4000年前
 □曽畑式土器(約5000前頃から)←大陸や沖縄との交流のキーワード

『その後、アカホヤ火山灰が降灰した後、最初にみられる土器は轟式土器であり、続いて曽畑式土器
が出現してくる。--(略)--照葉樹林によって発展し、拡大しつつあった南九州を核とする早期文化は、
アカホヤ火山灰の降灰によって壊滅状態となったようである。その後、照葉樹林の定着にともなって
発達した西日本の前期文化は、次第に植生が回復した南九州へと南進したことが轟式土器の南下に
よって裏づけられるのである。』---「南九州に栄えた縄文文化」 新東晃一著より一部抜粋

※尚、壊滅した南九州早期定住縄文文化の炉穴や耳栓等々は本州に伝播したのではないかと
現在、考えられている。

36 :出土地不明:2009/03/23(月) 13:10:03 ID:3+IQHXvI
>>29

6000年前がなぜ小麦が中国よりも数千年も前から
栽培されていた事になってしまうのか、
同時代の中国の仰韶文化では米や麦が栽培されていたことは
遺跡の発掘から分かっているのに。

重要なのは“彦崎貝塚”の調査で“多量”の稲のプラントオパールが
出たことだと思うのだが。

・Wikipedia(ウィキペディア)より抜粋

<仰韶文化>
中国の黄河中流全域に存在した新石器時代の文化である。
仰韶文化の年代は紀元前5000年から紀元前3000年あたりである。
彼らは広く粟を耕作していた。麦や米を耕作していた村もあった。



37 :出土地不明:2009/03/23(月) 13:27:03 ID:3+IQHXvI

稲作は、温暖な地域から寒冷な地域に人間が広げたと考えるのが
普通ですね、稲は冷害で寒冷な地域での栽培が難しいので。
稲作は南方から北方へと広まっています。
日本列島と、朝鮮半島の稲作の歴史を見れば分かりますね。



38 :月光仮面:2009/03/23(月) 13:46:48 ID:rKqnBcSO
「大分県では、縄文前期の最古の 条痕文土器 (轟A式)はアカホヤの下部から出土し、
その直上からは条痕文に加えて口縁部に数条の粘土ヒモを平行に貼りつけた土器(轟B式)や幾可学的
な平行沈線文をもつ 曽畑式土器 等が出土する。
アカホヤの噴出源に近い鹿児島県でも直下から 塞(せ)ノ 神(かん)式土器 と
その下部に南九州円筒土器(吉田式 石坂式)が、直上からは大分県と同様に轟式、曽畑式土器が出土
している。
 鹿児島県の場合、アカホヤを挟んで土器型式上大きな相違が認められるところから、またアカホヤ
噴出の縄文社会への甚大な影響を考え合わせ、そこに早、前期の大きな画期があると論じられている。」
http://www.e-obs.com/heo/heodata/n13.htm
これが境目なんですね。・・・上野原ではアカホヤの後東北から移住が始まるというような説明があった
ように思っていますが、YDNA YAP+が東北と沖縄・九州方面に布石されるのはこの辺から来るのでしょう。
こうした縄文人の狩猟採集ゾーンの中間地帯である沿海灘、瀬戸内、伊勢湾方面に渡来O-47z O-SRY
の農民が入り込むのかなーと思います。

39 :出土地不明:2009/03/23(月) 19:40:23 ID:2IWesQKO
>>36-37
くせえベトナム顔のツブレ広がった鼻の穴をさらに広げて喚けよ

ハッカクくせえ台湾江南豚(ゲラゲラと嘲り笑うwwww

40 :出土地不明:2009/03/23(月) 19:55:30 ID:JLHGrqPl
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/





41 :出土地不明:2009/03/23(月) 20:52:42 ID:mD8TfXRr

シベリアやアムールの高床式建物には、
米や麦が保管されていたのですか?
何を保管する倉庫だったのでしょう。



42 :出土地不明:2009/03/24(火) 12:10:06 ID:w7p9ndnG
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた



43 :出土地不明:2009/03/24(火) 12:10:46 ID:w7p9ndnG
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

44 :出土地不明:2009/03/24(火) 12:11:30 ID:w7p9ndnG

その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!


45 :出土地不明:2009/03/24(火) 12:35:51 ID:K3Y9v6QA
>その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
>遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
>先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

どこの遺跡から?
教えてもらえますか。


46 :出土地不明:2009/03/24(火) 12:45:02 ID:K3Y9v6QA

それと、
>これが入れ墨として記録されている
>世界最古のものではないかと想像されています。
想像は、個人の自由ですが?
想像は証拠ではないですね。



47 :出土地不明:2009/03/24(火) 20:38:59 ID:oFDIPdQP
↑おい、そこのハッカク。

懺悔するなら今のうちだぜw

48 :出土地不明:2009/03/24(火) 21:05:17 ID:GNDSXgtA
テレ東の新説ミステリー見てきた。
全部が本当かはわからんけど色々な人種の血がバランスよく混じったから韓国人や中国人とは異なったのかな?と。

49 :出土地不明:2009/03/24(火) 22:14:36 ID:FpXY9dJs
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
━━━┫
      ┗━━┳━━━━━━━━━━━━━━ B
            ┃
            ┃    ┏━━━━━━━━━━━ C
            ┃    ┃
            ┗━━╋━━━━━━┳━━━━ D
                  ┃            ┗━━━━ E
                  ┃F
                  ┗━━━┳━━━━━━━ G
                          ┣━━━━━━━ H
                          ┣━━━━━━━ I
                          ┣━━━━━━━ J
                          ┃   K
                          ┗━━┳━━━━ L
                                ┣━━━━ M
                                ┣━━┳━ N
                                ┃    ┗━ O
                                ┃  ┏━━ Q
                                ┗━┻━━ R
                                  P

50 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/25(水) 00:55:41 ID:89DrJ3k/
>>38
月光仮面さん、前回書き込めんかった事ですが、>>822記紀や神話は、
他地域との文化、習俗と比較して分類形態を示すもので、歴史的事実
云うたらカルト新興宗教の世界ですよ。>>823宮内庁の管理している陵墓と
期待論じゃぁ、根拠になりません。>>825パミール・フェルガナ人種で、
如何にも西洋的な容貌を抽出されますが、中央アジアのコーカソイドは
モンゴロイドの影響も強く、逆に中央アジアのモンゴロイドは、
コーカソイドの影響を受けております。
パミール・フェルガナ人種のタジク人は西洋でも南部の地中海人種に近く、
また、モンゴロイドの影響もあるでしょう。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~tianduan/genngodaigaku.htm
http://www.fivestar-club.jp/fscdir/photolib/uzbekistan13/uzbekistan0258.jpg
大月氏のクシャン王国は、ガンダーラ美術が如く、ヘレニズムの西方文化と
仏教の混合で大乗仏教を産みました。浄土信仰も西方文化の影響でしょう。

51 :出土地不明:2009/03/25(水) 07:36:52 ID:5Az1maO9

>その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
>遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
>先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

どこの遺跡から?
教えてもらえますか。



52 :月光仮面:2009/03/25(水) 09:00:17 ID:NyXWQ3Ks
白馬青牛さん、おはようございます。
WBCの快挙は参加諸国のみならず環太平洋を初めとする世界各地の沈滞したムードに一条の明るさを
投げかけたものでした。強い意志力はバットの先に、投げたボールに変化していったのでしょう。
シュリーマンはトロイの遺跡にホーマーの英雄を探していたのでしょうが、われわれも神武、天照大神、
素盞嗚命等の中に古代日本の姿を探しているのではないでしょうか。侍ジャパンは存在していたはずで
あり、これから先にも存在するはずだと信じています。

53 :月光仮面:2009/03/25(水) 09:19:58 ID:NyXWQ3Ks
http://www.fivestar-club.jp/fscdir/photolib/uzbekistan13/uzbekistan0258.jpg
>パミール・フェルガナ人種のタジク人は西洋でも南部の地中海人種に近く、
>また、モンゴロイドの影響もあるでしょう。
これは確かにモンゴロイドの影響がありますね。



54 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/25(水) 23:32:58 ID:tY6jUc2S
>>52
ほんま、WBC連覇はようやりました。わしもサムライ・ジャパンの
ビジターと同じ濃紺の勝色のTシャツを着込んでワンセグで応援
しとりました。対韓国戦の勝利への執念とミスが少なかったことが、
快挙を実現させたと思います。
ですが、サムライ・ジャパンを古代日本人に押し付けても、
朝鮮半島以上の大国になるんは時期尚早です。西洋でも島国の
英国が強国になるんは年月がかかったもんです。極東の島国の日本も
同様です。
吉田敦彦氏が指摘されるよう、スサノヲが肉親の女性たちに対して
甘ったれ、だだっ児じゃったんは、現在でも日本男性の特徴で、
日本人女性、特に西日本の女性は、男に頼らん独立心が強いですし、
九州の人身売買で売られた「唐ゆきさん」「娘子軍」と称された
女性たちは、苦境な境遇でも自分の人生を切り開くしたたかさを
持っておりました。日本人男性の方は逆に女々しいでしょう。
その点からも渡来系スサノヲの子孫たる性質の日本男児です。

55 :月光仮面:2009/03/26(木) 09:49:20 ID:4kwamA2j
うーん、女子ソフトの上野選手の粘り、強さ・・・岩隈も強かったが、あれを持ち合わせている男性ピッ
チャーがいればねー。
ところで牛頭天王は江原道春川に降臨されるが、伏見稲荷・豊川稲荷、祇園社なんかもあの辺でしょ
うね。悦般・烏孫の故地、セミレチエ方面には突帯文土器がたくさんあるようです。

56 :出土地不明:2009/03/26(木) 18:13:06 ID:jy9OrrY4

1度目のWBC優勝は快挙かもしれませんが、
今回のWBC連覇は実力でしょう。
2度目の優勝を快挙とは、
一般的にあまり言わないような気がします。






57 :出土地不明:2009/03/26(木) 18:24:25 ID:jy9OrrY4

それから、朝鮮半島に良くも悪くも周辺の民族を侵略するような大国。
又は、面積や人口が大きな国があったことは、無かったような気がします。
※※大国と言う言い方なら、当てはまる言い方も有ると思いますが。






58 :出土地不明:2009/03/26(木) 18:32:26 ID:jy9OrrY4

日本の女性が強いのは同感、この文化はどこから来たのか。
アメリカからか、中国,韓国からか、日本発か?
こちらも興味ありますね。



59 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/26(木) 23:38:48 ID:sExlsv2s
>>56-57
今回のWBC連覇は快挙でしょう。実力的には韓国と拮抗しとった
でしょうし、日本の方がヒット数が多いとしても緒戦の韓国戦の
コールド・ゲーム以外は点数に結びつかんかった場面もようけ
ありましたど。拮抗した同士の対戦じゃあミスが多い方が負けで、
決勝戦の韓国側のエラーで試合の主導権は日本側にあり。と、
思いましたわ。運も実力の内じゃけぇ、決勝戦で運を引き寄せる
実力も備えておったんがサムライ・ジァパンじゃった分、
韓国よりも紙一重強かった云うことですけぇ快挙でしょう。
あなたの言じゃ日露戦争の勝利に驕った昭和初期の軍人と
同じで思い上がりですよ。勝利した戦いからも反省点を検討せんと
次代の勝利に繋がらんでしょう。反省点を忘れ勝利の美酒に
酔うんが、サムライ精神じゃと誤解されん為にも。
あなたのような他民族蔑視の先入観が、昭和初期のような
亡国の危機にさらしたんですよ。他民族も自民族も同じ人類に属し
能力も同じ。そこから他民族の長所、短所を実例から考察する以外に
無いでしょう。他民族蔑視は自民族に偏見と希望的観測で隙を
与えます。まぁ、隙を見せた方が負けますわい。
>>58
横社会の西日本人女性は人身売買で売り飛ばされても自己の運命を
切り開くしたたかさがありましたけど、縦社会の東日本女性は
精神がボロボロになって帰郷する方が多かったんじゃないですか。
それは風土の違いです。また文化も、その土地の風土が造るもん
ですから、日本人と韓国人が人種的に同一でも、違うた人間に
なります。西洋でも英国人とドイツ人が違うように。

60 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/27(金) 00:17:08 ID:4bYY57NW
>>55
ソフトのオリンピック快挙も大したもんです。日本女性の勝負強さを
世界に示しました。苦闘に耐え抜く精神力では日本男児よりも日本
女性の方が強いでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/guy-f/e/9de99f3ffa72f3c14bb59db37caa3442
宮本常一氏の『女の民俗誌』から人身売買で明治時代満州に渡った
女性が馬賊の頭目の女房となり采配をふるったこと。ええ姐さんに
なったでしょう。日本は商家でも旦那は道楽して、女房がお上さん
として経済権を握っておりましたし、特に西日本は農村でも経済は
女性の権限と裁量が重視されました。『後漢書』の烏垣伝の「
はかりごとは婦人に従がい、ただ戦闘の事は男子が自ら決した」
習俗形態と同じです。列島に渡来した牛頭大王も、おそらく女性には
頭が上がらんかったんでしょう。

61 :月光仮面:2009/03/27(金) 09:10:01 ID:wD6q7ugF
神功皇后が臨月の身で玄界灘の怒涛を乗り越え三韓を征伐したことについて好太王碑は触れていない
ものの、それを支える男性の力があって女性が三韓をも征することが出来るというたとえ話かもね。

62 :月光仮面:2009/03/27(金) 10:28:19 ID:wD6q7ugF
>>60
>後漢書』の烏垣伝の「はかりごとは婦人に従がい、ただ戦闘の事は男子が自ら決した」
>習俗形態と同じです。
日本には西日本を始め、かかあに頭の上がらんのは多い・・・そのようですね。が、かーちゃんまたは
とうちゃんが互いに相手の都合の悪い場合に、つまり、聖徳太子の外交辞令に煬帝が激怒するような
場合に推古がなだめ役に回るというのはどこの家庭でも使われるやり方ではないかな。
それよりも、
「実際、近代蒙古語で投下奴隷をunaganといい、信憑性はありそうである。また、Edwin G. Pulleyblank
は、古代中国人は外国語の「a」をしばしば「烏」で写す例が多く、音声上では烏桓の古音はah-hwarであり
うる可能性が強く、烏桓はむしろ後世ヨーロッパに侵入したアジアの遊牧民族Awar(アヴァール)を写した
ものではないかとしている。もし烏桓がAwarを写したものであり、Awarがモンゴル語のabarga(蛇・蠕動)
と連結するならば、烏桓族はテュルク・モンゴル族に普遍的にみられる狼をトーテム獣とするが、その狼
を虫(蛇)という隠語で呼んだ柔然族の祖であった可能性が高い。いずれにせよ烏桓の原音原義を決定
的に断定するには、今後の研究を要するべきであろう。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E6%A1%93
スキタイ文化圏に残る地下横穴墳・穹窿羨道墳/突帯文土器文化を考えるとトルケスタンを中心に東西に
広がった古代文化の存在が見えてくる感じです。そのステップ・ノマド文化としてユーラシア戦士・祭司
女王、司母と言うものが考えられる。

63 :月光仮面:2009/03/27(金) 10:48:26 ID:wD6q7ugF
多突帯文土器(Multi-cordoned Ware)拡散想定図
http://i044.radikal.ru/0712/5e/71c63fbaabad.jpg
地下横穴墳文化前段階に出現する多突帯文土器
http://www.archeologia.ru/Library/Image/32033ea9376c/large/pic116
こうした文化の拡散と渤海湾沿岸へのドルメン文化の到来はその千数百年後の列島への横穴
古墳の再上陸の形を取るが、その担架者を表現しているのが毛野(群馬)、武蔵、上総等の鷹を
とまらす鍔広帽武人埴輪、これはエフタルの風習、であろうと考えます。

64 :月光仮面:2009/03/27(金) 10:57:57 ID:wD6q7ugF
磐井(シ歳)は近江・毛野に対し、貴様と俺は同じキャンプで寝食を共にした大陸馬賊でないかと
言ったようですね。磐井の墓は後の清の北陵とか、北京の十三陵とかを想起させる石の動物像
人物像で飾られる。飛鳥の巨石文化に共通するものがあり、穹窿石室墳のこの延長線上にある
のでしょう。

65 :月光仮面:2009/03/27(金) 12:43:54 ID:wD6q7ugF
これが関東に入ったエフタル人↓
http://karamatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/hakkutsuten_edohaku_010.jpg
http://www12.wind.ne.jp/tomohm/img_2/a.jpg
縁の広い帽子、肩にとまった鷹が特徴。



66 :月光仮面:2009/03/27(金) 12:49:47 ID:wD6q7ugF
ヘア・スタイルはヒッタイトと同じであり、ドルメン・地下横穴墳・多突帯文土器と共通するものであろう。

67 :月光仮面:2009/03/27(金) 14:26:59 ID:wD6q7ugF
旧大陸から新大陸に渡った無毛犬
http://www.mayankids.com/images/xoloitzcuintli.jpg
エジプトのアヌピス
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/1f/Tutanhkamun_jackal.jpg
豊川稲荷
http://www2.u-netsurf.ne.jp/~sanpo/tokyo/inari.html
犬戎はエジプトアマルナ文書に登場するが、シリウス信仰・天文学を有し、その地質探査能力の為に
ニジェール河、ドゴン族に踊り、仮面、天文観測情報を残してものとみられるが、アバーシェヴォ文化
に近いウラルのバシコルスタン情報では黒犬信仰とダビデ信仰を持つ遊牧民が存在するとのことで
あり、日本の稲荷系神社、大僻神社、籠神社、伊勢神宮等に多くのユダヤ教的痕跡を残しているのは、
中央アジアのこの系統の文化が甘粛オルドス方面に流入したことを物語っているようだ。

68 :月光仮面:2009/03/27(金) 14:31:49 ID:wD6q7ugF
エジプトと中南米を結ぶ無毛犬、ミイラ、ピラミッドの背後にあるのはバイカル湖周辺の旧石器文化から
復元できる旧石器人の高度な天体観測技術によるもので、ナスカの地上絵の秘密の鍵はここにあるの
だろう。

69 :月光仮面:2009/03/27(金) 14:38:19 ID:wD6q7ugF
出羽三山の月山に詣でたものが、ボリヴィアのモホス文明を築き、その子孫がアンデス文明を築いたと
考えてもおかしくない。DNA骨鑑定でモホスの王が弥生東北日本人であると言う結果がでたことは既に
テレビで放映された通りのこと。

70 :月光仮面:2009/03/27(金) 14:52:57 ID:wD6q7ugF
ヒクソスは馬・二輪車文化の民族ではあるが、モンゴロイドであり、羊飼いともされ、Khyanなどと言う
羌に近い発音の王がいる。統治はわずか百年程度。一方、フルリ人はヒッタイト、ミタンニ等に入り込む
インディアンと同じ、シナ・コーカサス・ナデネ語族で、形質的には見たところタタール系。歴史も非常に
古く、BC2300年頃にはコーカサス北麓に達している模様。

71 :月光仮面:2009/03/27(金) 15:04:08 ID:wD6q7ugF
エフタルは出身地がバダフシャン渓谷とされ、ソグド人と同類のイラン系統。しかし、ヘアスタイルは
ヒッタイトと同じであるということは、ソ連学者トルストフの唱えたようにフェルガナ盆地方面にフルリ人
の国としてのホレズムが存在したという仮説が有効なようにも思える。しかし、烏孫がいたとされる
イリ地方が、イラン語によるフワリズム=「低地」と言う解釈を満たす。

72 :出土地不明:2009/03/27(金) 15:27:25 ID:g+ZlbVtE
母から娘に伝わっていくミトコンドリアDNAの塩基配列のグループ構成については、
日本人は朝鮮半島や中国東北部のものと構成が似ているとされる(『日本人になった祖先たち』)。
父系のY遺伝子が特殊系で、母系のミトコンドリア遺伝子がアジア特有のものということは、
Dグループとアジア系のOグループが融合した上古代の社会の上層部は、
DグループがOグループより遥かに多かったことを示しているのである。
要するにDグループを祖先とする比較的少数の人々が社会の上層部にいて、
多数のOグループの人々を支配していた事になる。これ以外のパターンはあり得ない。

73 :出土地不明:2009/03/27(金) 20:23:54 ID:g+ZlbVtE
異父兄弟である日本人と韓国人
http://kuroneko.blogdns.net/HP/aicient-Japanese/Japan-Koria.htm

>中国人の位置
>以下はミトコンドリアから見たものである。中国北部(斉の辺り)に幾つかの時代の骨が出土し
>ている場所があった。そこでその遺伝子を調べてみたのである。すると驚いたことに、戦国時代頃は
>ヨーロッパ人に近い遺伝子だったが、漢代あたりから、今の中国人に近い染色体になっているという
>のである。これがこの地域だけのことで、そこに住んでいた人が、どこかヨーロッパか中東あたりか
>ら移民してきた後、どこかへ消えたのか、それとも昔は北部中国全体がヨーロッパ系に近く、
>その後、今の中国系になったのかは今後の研究しだいだろう。

74 :出土地不明:2009/03/27(金) 23:02:11 ID:cjcu23t0
斉…、山東半島には今も1〜2%程度YAP+遺伝子を持つ
集落地域が数ヶ所ある。

75 :出土地不明:2009/03/28(土) 00:23:55 ID:Sd43Fmie
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━ B
      ┃    ┃
      ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━ C
            ┃    ┃
            ┃    ┃            ┏━━━━ D
            ┗━━╋━━━━━━┫
                  ┃            ┗━━━━ E
                  ┃      F
                  ┃      ┏━━━━━━━ G
                  ┃      ┣━━━━━━━ H
                  ┃      ┣━━━━━━━ I
                  ┃      ┣━━━━━━━ J
                  ┃      ┃    K
                  ┗━━━┫    ┏━━━━ L
                          ┃    ┣━━━━ M
                          ┃    ┣━━┳━ N
                          ┗━━┫    ┗━ O
                                ┃  ┏━━ Q
                                ┗━┻━━ R
                                    P

      ・    ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
   90420 82000 68500  53000 35600 29900

76 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/28(土) 01:03:06 ID:eD696nNB
>>61
好太王碑文の倭は日本列島の倭じゃのうて、倭の本拠地、伽耶の北方木槨墓
人のことでしょう。三観を征伐する力なんか、当時の日本列島には
ありません。
>>62-63
烏垣は、赤山信仰の赤≒烏垣(蒙古語で赤い、現在の首都が
ウラン・バートル≒赤い英雄は共産国となった政治イデオロギーの
問題ですが)、明色信仰と、ウラン説は無視出来ません。
ヨーロッパまで侵攻したアバールは、柔然説も強いでしょう。
トルコ系説のあるエフタルは、4世紀の民族移動期に南下しとりますね。
エフタルが関東に入植した可能性は低いでしょうけど、埴輪の胡服、
髪形は北方民族そのものです。髪を二条に分けたミズラからトルコ系よりも
モンゴル=ツングース系の確率が強いと思います。

77 :出土地不明:2009/03/28(土) 01:09:22 ID:wmHU0MrT
>>76
倭が日本では無いという根拠は?
力が無いという根拠もどうぞ提示して下さい。

78 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/28(土) 01:54:51 ID:eD696nNB
>>73
ネット右翼を煽る蔵氏のブログを挙げても、政治思想の工作活動に
なろうに。山東省に西洋に近い遺伝子があったとしても、彼らの
容貌がコーカソイドであった云う根拠も無い。馬鹿げなのう。
http://sicamber.at.webry.info/200804/article_12.html
http://sicamber.at.webry.info/200703/article_9.html
上の方は、Y染色体論者の崎谷氏の妄想論についての疑問を
書いておられるが、「疑問点」の崎谷氏の、長江文明などと、
縄文文明派、長江文明と中共の空想見解に擦り寄り、
架空の縄文言語も空想し古代を空想物語にしたい思惑が強い。
佐藤洋一郎氏の架空の縄文人の心想定と大差ない。
遺伝子を弄ぶ人たちが、自民族賛美の優生学まがいの説を
唱える日本はナチスの継続国家にいよいよ成ったようじゃ。
下の方に挙げてある篠田謙一氏の方が余程正常じゃ。
文中の「分子遺伝学の一般向けの書籍のなかの一部のデータを
根拠に、日本人の起源は※※にあるとかないとか単純に論じる人が
少なからずいるだけに、ややくどいくらいに限界が強調されて
いたのには好感が持てます」と、云うことじゃ。
どうも、Y染色体論者は、遺伝子の単一標識で全体が判ったような
ホラを吹き、民俗学も言語学の分野まで勝手な自己投影妄想論を
押し付けるけぇ始末に悪りいわい。それに洗脳されとるんが、
>>74のような連中じゃろう。カルト教団Y染色体教会でも作ったら
どうか。

79 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/28(土) 02:03:49 ID:eD696nNB
>>78んは、erじゃのうてreじゃったか。
http://sicambre.at.webry.info/200804/article_12.html
http://sicambre.at.webry.info/200703/article_9.html


80 :出土地不明:2009/03/28(土) 07:12:51 ID:SFCZ6WLu
https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html

81 :月光仮面:2009/03/28(土) 09:33:04 ID:Vvno3VuX
>>76
>好太王碑文の倭は日本列島の倭じゃのうて、倭の本拠地、伽耶の北方木槨墓
>人のことでしょう。三観を征伐する力なんか、当時の日本列島には
>ありません。
たとえなくても、三韓側から高句麗の南下に対する防衛に参加して欲しいと切望される状況に
あった。神功と仲哀の論戦はこの点にあったと思います。神功の考えが政治家としては器が大きい。
しかし、仲哀の考えも帝王としては正しい。国内平定が先決と言う考え。



82 :月光仮面:2009/03/28(土) 09:43:37 ID:Vvno3VuX
>>76
明色信仰、モンゴル風俗などは東洋中心に考えるべきではなく当時としては中央アジア、ユーラシア
全域でとらえるべき問題。烏桓は日本に入って和邇となっているもので、国際的外人部隊。主として
漢の警備をしたもの。これに烏孫よりのものが入ったのが東漢で、新羅とか東漢は大月氏と交易して
いたもの。金海で前時代の陵墓を破壊するのは烏桓の持つ東胡的ヴァンダリズム。・・・こう考えます。
烏桓とシ歳とはdiachonicallyに共通する部分がある。

83 :月光仮面:2009/03/28(土) 10:09:11 ID:Vvno3VuX
神功皇后を祀る神社である住吉神社が皇后が不倫をしたというようなリークを行うのは当時の人々には
万世一系どころか、一夫一妻の考えもなかったことを物語るようである。神社側の説に従えばシングル
マザーが天下を、世界を治めたということになる。

84 :月光仮面:2009/03/28(土) 10:16:30 ID:Vvno3VuX
>>81
神功皇后の確立した三韓倭国集団防衛圏構想の基盤がないことには倭の五王
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B
を中国が認定することはありえない。

85 :月光仮面:2009/03/28(土) 10:20:09 ID:Vvno3VuX
神功皇后が殷の司母に相当するユーラシア女性戦士・祭司であり、仲哀は神武とか、殷の時代は
背番号のような干支で呼ばれる男王であったことは非常にライクリーである。

86 :月光仮面:2009/03/28(土) 10:33:21 ID:Vvno3VuX
>>82
通時的diachronicallyといいたかったもの。時代を超えて考えるにといった意味。

87 :月光仮面:2009/03/28(土) 10:41:09 ID:Vvno3VuX
ヒクソスから帰還した渡来人
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1204867737/menu360
こういっちゃなんだが、烏桓なんていうのは現在のメジャーリーグ外人選手のようなもので、女性に
生まれると美人がいたりするではあろうが、すんなりと当時の日本の天皇になれるようなものでは
ないと思うがねー。


88 :月光仮面:2009/03/28(土) 11:37:30 ID:Vvno3VuX
>>80
https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/lan/en/atlas.html
YDNA Dが日本→モンゴル→チベットに反時計回りに回りこむのは轟B式多条突帯文土器のその後の
欧州への普及を考える上で参考になる。逆もありえるが。

89 :月光仮面:2009/03/28(土) 11:46:23 ID:Vvno3VuX
>>74
YDNA YAP+の痕跡的ポケットが点在することは>>80 https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html
にもある通りで、日本にボウフラのように生まれたのではないことを意味するのだろう。

90 :月光仮面:2009/03/28(土) 12:23:19 ID:Vvno3VuX
応神のホムタはモンゴル語天帝Hormustaであり、牛に引かれて善光寺の善光はAhuramazdaであるが、
これがモンゴル語でHormusta、善光寺は本田夫妻を祭る。この牛は「『続紀』には東漢氏の渡来に関して
「神牛の導き」で中国漢末の戦乱から逃れて朝鮮に移住したことや氏族の多くが才能に優れて朝鮮で
重宝されていたこと、聖王が日本にいると聞いて渡来してきたという伝承が記載されている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%BC%A2%E6%B0%8F
ここにある牛でエジプトApisを初め闘牛等として地中海に広がっており、日本では魔多羅神信仰となって
いる。「聖王が日本にいると聞いて渡来してきた」・・・新約聖書にもでてくる考え方。



91 :月光仮面:2009/03/28(土) 12:51:03 ID:Vvno3VuX
>>78
>山東省に西洋に近い遺伝子があったとしても、彼らの
>容貌がコーカソイドであった云う根拠も無い
いや、逆に秦の始皇帝の兵馬俑、地下宮殿、これらはエジプトのピラミッドの地下構造知識がないと
湧いて来ない。イラン系の人骨が発見されており、当時ローマ帝国であったエジプトに関係を有する
民族が建設、葬礼に関与した可能性は極めて高いと思いますね。

92 :月光仮面:2009/03/28(土) 13:00:17 ID:Vvno3VuX
いうなればノマド・遊牧民が農耕社会で生きるチャンスの一つは「送り人」であったってこと。しかし、
同時に現在のフェデックスのような国際輸送業に手を染め、仏教を初めとする東西文化交流に寄与
した。

93 :月光仮面:2009/03/28(土) 16:32:35 ID:Vvno3VuX
>>63
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko25.jpg
水稲農耕と突帯文土器
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html
藤尾さんがここで九州型と分類される屈曲突帯文土器、これはドン河流域で木槨墳時代の特徴
とされ、「肩がとんがって折れている突帯文土器」とされる。このやや南部にはコーカサスドルメン
文化圏があり、日本におけるこの分布は支石墓・甕棺と関連している。これは弥生早期から騎馬民族
文化の影響が始まったことを示すと考える。

94 :月光仮面:2009/03/28(土) 16:48:32 ID:Vvno3VuX
秦氏発生の地、甘粛・礼県の犬丘、これは、エジプトのCynopolis、ギリシャ人のいう犬市。ギリシャ人は
アヌピス神を蔑称して吼え人と呼ぶが、これは隼人と同じで古代警備の際吼えたことを示す。日本の稲荷
はおそらくこれと同根。ギリシャ人はアヌピスをヘルメースと習合させているがこれは大国主命のようなもの。
ヘルメースをモーセの時代の人間としているのも秦氏が多くのユダヤ人からみのエピソードを伴うことと
同様である。要するに秦氏はエジプト・印欧・ユダヤの中枢部と関係があるということで、秦始皇帝の葬礼の
ゴージャスなのとか、泰山封禅を行うのはこの辺の絡みであろう。

95 :月光仮面:2009/03/28(土) 17:02:12 ID:Vvno3VuX
ギリシャ文明も中国文明も非常に古い。なのに神話が新しいことは騎馬民族の拡大期に神話の
Renewalがあったことを意味している。バージョン・アップというか。

96 :月光仮面:2009/03/28(土) 18:25:13 ID:Vvno3VuX
>>94 アンソニー他が発見したヘルメース信仰のサイト http://users.hartwick.edu/anthonyd/ritual.html
そこはまた木槨墳文化の中心地、そこでは犬と牛が神に捧げられた。ラブドーといわれる魔法の杖が
出土した。

97 :出土地不明:2009/03/28(土) 23:53:35 ID:7KkX2WIf
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

98 :出土地不明:2009/03/28(土) 23:56:09 ID:7KkX2WIf
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

99 :出土地不明:2009/03/28(土) 23:58:21 ID:7KkX2WIf
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

100 :出土地不明:2009/03/29(日) 10:22:36 ID:GohDrtfh

日本列島の倭と言われていた国々に住んでいた人々は、
その覇権を朝鮮半島まで伸ばし、独自の文化に加え、
中国の新しい文化を取り入れながら、発展進化したことが
よく分かる内容です。
日本列島には、太古に刺青などの文化を持った人々が渡って、
銅鐸などの独自の文化を持っていた倭の国々が、いまの日本の
姿の出発点で、アイヌ文化、中国文化、朝鮮文化などを
取り入れながら日本列島の人々は、
すばらしい国を作り上げたのですね。



101 :月光仮面:2009/03/29(日) 11:50:03 ID:mo6z47cD
>>76
>好太王碑文の倭は日本列島の倭じゃのうて、倭の本拠地、伽耶の北方木槨墓
>人のことでしょう。三観を征伐する力なんか、当時の日本列島には
>ありません。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
ここに東シ歳(西に北から楽浪、帯方、伯済、馬韓)、シ歳、辰韓(サロ/新羅)、弁韓とありますが、
この東シ歳・シ歳方面のものが烏桓と同族で、雄略がクレと呼んでいるものではないかと考えます。
熊本、江田船山とか、磐井の墓とかは高句麗系といわれるが、正しくは雄略の言ったようにクレ系、
つまり、シ歳系ではないかと考えます。で、おっしゃるように彼らはプロの戦闘集団ですから、
「振飛車」のように対馬海峡を越えては東シナ海を南下し、遂には隋を挑発し、琉球で征伐された
こともあるのかと考えますが。島夷ですね。


102 :月光仮面:2009/03/29(日) 12:00:43 ID:mo6z47cD
琉球討伐軍に参加した民族で崑崙方面のものだけが琉球人の言語を理解できたとされるのは、やはり、
烏桓がジュンガル方面にあるとする後漢書の記述と合っています。

103 :出土地不明:2009/03/29(日) 13:09:11 ID:GohDrtfh
>好太王碑文の倭は日本列島の倭じゃのうて、倭の本拠地、伽耶の北方木槨墓
>人のことでしょう。三観を征伐する力なんか、当時の日本列島には
>ありません。

倭の本拠地というのは、どの国を指すのでしょうか。
連合国家だと思ったのですが、何は文献に残っていますか?



104 :月光仮面:2009/03/29(日) 13:16:00 ID:mo6z47cD
>>102 一説に曰く
「ところで、何蛮らが流求についての知識をえたのは、[山昆]崘人からではあるまいか。陳稜の流求征討
軍には、流求語をよく解する[山昆]崘人が従軍している。[山昆]崘は、『旧唐書』林邑国伝に、「自林邑
以南、皆巻髪黒身、通号為[山昆]崘」(巻一九七・列伝第一四七・南蛮・西南蛮)とあるように、現在のベト
ナム南部・カンボジア・タイ・ビルマ・マレー半島などの諸国の汎称であるという。」
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/simin15/ryukyumo.html
とはいえ、久米島なんていうのは狛島から来ているのではないかと思うが。

105 :出土地不明:2009/03/29(日) 13:19:19 ID:GohDrtfh

古代日本列島の住人とは関係ない烏桓民族を出して説明することには
少し無理があるでしょう。その文化が列島には入っていないので。



106 :出土地不明:2009/03/29(日) 13:27:46 ID:GohDrtfh

琉球語については、
日本語と同系統である唯一の言語と見なされ、
日本語族琉球語派と分類されるようですが。
大きく分けると日本語ではないのですか?

 

107 :月光仮面:2009/03/29(日) 15:41:15 ID:mo6z47cD
「中国文明発祥の地は、黄河の南の殷帝国だとされる。殷の通貨は子安貝であったという。財、買、賠、
貨、購、寳など財産関係を表す漢字には、貝の字が必ず入っている。殷の廃墟からは、子安貝が大量に
発掘されている。通貨として使われていたのだ。ところが、河南の海岸はおろか、中国のどの海岸にも子
安貝は産しない。子安貝は珊瑚礁の海岸でなければ生育しない。アジアでは琉球、特に宮古島が最大
の生育地なのだ。そこで柳田の仮説は、世界最大の子安貝の消費地が殷の王室で、最大の産地が琉球
だとしたら、殷人が貝を求めて琉球に渡ったであろうことは、容易に推定できる。やがて彼らが日本列島
に至って、我々の祖先となったというのである。」
http://www.st.rim.or.jp/~komatsu/ryukyu.html
「桓檀古記〜高句麗国本紀」 倭は会稽山の東、東冶の東にあり、船で9千里いくと那覇に至る。根島は
一名を柢てい島ともいう。
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya312.htm
この高句麗の認識は殷の時代の非常に古いものではないかという気がする。すなわち、弥生以前から
「突帯文土器様式の地域的様式差は西部九州と東部九州以東の地域の間に認められる」
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko1.jpg
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/suitonoko/noko.html
こうした区分が成立していたのではないか。稲作の開始前に子安貝を殷に輸出する淮夷、莱夷、嵎夷
等の東夷経済圏が存在していたのではなかろうか。

108 :月光仮面:2009/03/29(日) 16:01:43 ID:mo6z47cD
ロシアのBoris Popovという人が殷は欧州系のタガール人が東夷と共に東方の島から上陸して樹立した
のではないかという仮説を出している。「武乙(武乙 (紀元前1147年 - 紀元前1113年) 在位35年 )の衰
勢の時代、東夷は次第に隆盛となり、遂に淮・岱(淮水流域と泰山一帯)に分かれて移住し、次第に中国
の地に住むようになった。」殷もまたこの東夷と同じではなかったということらしい。

109 :月光仮面:2009/03/29(日) 16:03:33 ID:mo6z47cD
その説によればタガール人というのはヒッタイトだとしている。

110 :月光仮面:2009/03/29(日) 16:19:29 ID:mo6z47cD
ヒッタイトはドルメン文化圏。するとこの五島列島の王位石 
http://hifumi.sakura.ne.jp/powerspot96.html
http://www.nir3.com/arubamu_ishi/page_thumb14.html
http://www.gainendesign.com/taizan/nippon/jpn012.html
これと関係してくる。

111 :月光仮面:2009/03/29(日) 17:41:19 ID:ym32CM+F
蝦夷(えみし)は何語を話してた?

112 :出土地不明:2009/03/29(日) 17:54:47 ID:srN9UPUv
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

113 :出土地不明:2009/03/29(日) 17:55:58 ID:srN9UPUv
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

114 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/30(月) 01:01:02 ID:Z5jTdY2M
>>81-82
架空の天皇の話はどうでもええんです。漢の直属隷属の列島の倭に
軍事力なんかないでしょう。
明色信仰は北ユーラシア的特徴でもありますよ。トルコ系カザフ族では
上層階級をアク・スエク(白骨)平民をカラ・スエク(黒骨)と分類した
ように。アクはトルコ語系の白ですが明るい色の総称から白や赤を好んだ
んでしょう。黒は暗い色であんまし縁起のええ色じゃないんで共通しとり
ます。
>>84
倭の五王の記述が日本の記紀に無いんですよ。しかも第三品上の百済よりも
倭の五王は格下の第三品下です。
>>87-90
渡来系の東漢氏は崇峻天皇の妃である河上姫と不倫関係にあったように、
血統は個人の行動によってどうにでもなります。本当は蘇我氏が天皇
じゃったかも知れませんし、系譜は近世の成り上がり大名家もええ加減な
もんですから。
東漢氏自体は、神牛伝説の内陸アジアの牧畜民要素、蒙古・ツングース系の
腹(ハラ)氏族要素。>>90のウイキの東漢氏の宗家なんか近代の宗族制で
この時代には有りませんでした。「兄腹・中腹・弟腹に分れても、どこの
腹が本家でどの腹が分家という差別はなく、互いに平等の立場で分れた。
本分家関係からなる近代日本の同族制の目で、古代の社会を見るのは問題で
ある。」(大林太良氏。)平安期でも、摂津源氏と河内源氏に本分家は無く、
関東へ行ったら源氏もそれ以前に関東へ行った平氏も縦社会の本分家や
譜代、被官、下人と親方子方制になりますね。


115 :出土地不明:2009/03/30(月) 01:22:41 ID:Y//qZ/qL
白馬糞子のキムチ小説か!!

116 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/30(月) 01:51:22 ID:Z5jTdY2M
>>90
続いて東漢氏については、烏垣と同族の鮮卑要素は無視出来ません。
http://www.oct.zaq.ne.jp/kashiko_yushikai/reikai/reikai0610.htm
http://inoues.net/ruins/niizawasenduka_museum.html
http://avantdoublier.blogspot.com/2008/01/blog-post_16.html
東漢氏のものとされる新沢千塚古墳ですが、上のブログの126号墳の
出土品が鮮卑、百済、伽耶の製品であり、真ん中のブログの下の方に
森浩一氏「藤木古墳の遺物はせいぜい中国止まり。新沢千塚古墳ははるかに
飛び越えてヨーロッパの遺物が出ている。戦後の発掘調査で遺物が
ヨーロッパまで及んでいたのはここだけです。」
「鮮卑など中国の北方系の人達と古代日本人の接触は『古事記』にも
『日本書紀』にも出てこない。しかし出てこないからといって、接触がなか
ったと考えるのは大間違いだ。これまで渡来系と言うと、大部分は朝鮮半島
と中国大陸を指していたが、126号墳はそれをもっと広げてくれた。」
新羅の西方文化に対抗できるんは新沢千塚墳だけでしょう。
一番下のブログに、新沢千塚126号墳の金飾歩揺と遼寧省の金飾歩揺は
そっくりです。鮮卑族には段部があり、東漢氏にも段氏がおりましたね。
段部と共に鮮卑の慕容部も含め、様々な部族が東西漢氏になり、それが
日本全国に拡散したんでしょう。

117 :出土地不明:2009/03/30(月) 02:03:18 ID:+abUlud3
>>114
天皇が架空とする根拠を提示しなさい(笑笑笑)

118 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/30(月) 02:29:15 ID:Z5jTdY2M
>>105
>>116で云うたよう、烏垣と同族の鮮卑の文化も日本へ入って来とるで
しょう。東漢族と同族の河内漢氏(西文氏)も、天皇家の騎馬護衛
ボディガードでしたが、西文氏の加龍は河内の同じ渡来系の田辺氏の娘と
結婚し、その娘は夫の家で出産しました。平安貴族は実家出産ですが、
神話では海神の娘トヨタマビメが山幸彦の子を海中で産まずに、夫の住む
陸上で産んでます。近年までの日本では、実家出産地帯は、九州南北・
北陸・滋賀・愛知・南奥羽と関東地方、婚家出産は近畿・中国・四国で
した。朝鮮半島は前者の実家出産地帯ですが、その北のモンゴル人や
満州族は婚家出産地帯です。西日本がモンゴルと同様末子相続制が
強うて、東日本の方は朝鮮半島と同様長子相続制であることも。
渡来系でも習俗に多様性がありますし、日本においても、西日本の方が
より北方民族的な習俗の影響が強いと思います。

119 :月光仮面:2009/03/30(月) 08:49:03 ID:hqImTuta
>>116 >>1
http://1.bp.blogspot.com/_71OM9lkGuVg/R41lOjuDgEI/AAAAAAAAGiw/YXM7uxea98A/s400/X7-41.jpg
この金をたたいて伸ばす技術、また、七枝刀の錬鉄技法、これは塊鉄からの製鉄と呉の鋳鉄の差ですね。
欧州と中国の差がありますね。この時代に広まる穹窿石室墓は前漢のアルタイで始まっていますから
遠く、後の、西ローマ・東ローマの聖堂のドームと同じ発想でしょう。日本と欧州を結ぶユーラシア草原
ベルト地帯は開放されていたのですね。

120 :月光仮面:2009/03/30(月) 10:26:07 ID:hqImTuta
>>106 琉球語
>>102 ジュンガリア方面だとするとアルタイ語
>>104 東南ジアとすると南アジア語
しかし、現在の沖縄語は日本語の方言だからねー。どうなんだろう。
隋によってAD610年に征討された後、唐代には都貨羅・舎衛人訪朝の際の中継地とされている
所からすると征討された後復活している感がある。

121 :月光仮面:2009/03/30(月) 10:52:02 ID:hqImTuta
>>114
>倭の五王の記述が日本の記紀に無いんですよ。しかも第三品上の百済よりも
>倭の五王は格下の第三品下です。
記紀には異国の元首を品定めするようなことはしてないもんね(笑
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B
重要なのは縄張りですよ。縄張りを認める・つまりそうゆう風に仕切られたわけですね。これは
その地域において効力があると思います。

122 :月光仮面:2009/03/30(月) 10:56:52 ID:hqImTuta
記紀が中国のコピペをすればそれは聖徳太子の「日いずる国」のたてまえに反します。当時の国際
関係は多少高飛車に出なくっちゃだめだったんでは。

123 :月光仮面:2009/03/30(月) 11:06:01 ID:hqImTuta
>>111
自問自答のようにされちゃうな(笑
えみしっていうのは蝦夷と大和の中間地帯、緩衝地帯ではないかと思っているんだけど。中国の場合だと
草原地帯のいるものと言うことか。

124 :出土地不明:2009/03/30(月) 11:49:51 ID:jWRBwy6X

日本列島の倭と言われていた国々に住んでいた人々は、
その覇権を朝鮮半島まで伸ばし、独自の文化に加え、
中国の新しい文化を取り入れながら、発展進化したことが
よく分かる内容です。
日本列島には、太古に刺青などの文化を持った人々が渡ってきて、
銅鐸などの独自の文化を持っていた倭の国々が、いまの日本の
姿の出発点で、アイヌ文化、中国文化、朝鮮文化などを
取り入れながら日本列島の人々は、独自に
すばらしい国を作り上げたのですね。



125 :出土地不明:2009/03/30(月) 11:55:54 ID:jWRBwy6X

特徴的な烏垣の文化で、どんな文化が日本列島に入って来ていますか?
具体的に説明できないと思いますが。
空想をもとに理論を組み立てても、すべてが無意味に聞こえます。




126 :月光仮面:2009/03/30(月) 12:40:02 ID:hqImTuta
刺青はどちらかといえば真っ黒の人ではなく、着色しても見栄えのする人々がしたのではないかと思い
ます。イランのハラフ文化の文様がフルリ人・イラン人に入り、それが太平洋岸からミクロネシア・
ニュージーランドの方に移動するのでしょう。烏桓というのはこの地域がトルコ系民族によって一色化
される前の段階のもので、漢などの警備・シルクロードの交易等を行っていたもので、後にトルコ民族が
鍛鉄とか武具・金細工のようなものを得意とするところから、古代においてもこうした分野とか、更に
古代においては巨石文化のような葬祭関連行事とかを得意としていたものではないかと思います。

127 :月光仮面:2009/03/30(月) 12:56:45 ID:hqImTuta
>>121
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%81%AE%E4%BA%94%E7%8E%8B
貢物合戦において百済なんかを差し置いてトップになったのは雄略の時代ということかも。


128 :月光仮面:2009/03/30(月) 16:48:12 ID:hqImTuta
>>107
トゥーヴァ国立大学のアバーイェフ教授は高句麗と唐怒烏梁海はGURと言うと語根が入っており同じ意
味とする。この高句麗建国神話にでてくる天王郎のような男性が天に登る図案はアルタイ・オークネフ
のステラに描かれている。
http://www.han.org/oldboard/hanboard4/msg/2289.html
一寸法師のような姿で天に登る考えはコーカサスのドルメン文化の周辺遺跡でミニチュア祭司用具
が出土することにより天とこの世を往来する存在を意識したものと考えられる。またコーカサスドルメン
はエジプトピラミッド同様に密閉性が高い。高句麗神話に含まれているのはドルメン神話といっていい。
つまり、支石墓がコーカサスから内モンゴル・遼寧・朝鮮半島に到達した時代に高句麗神話が成立
したと見ていいのではなかろうか。


129 :月光仮面:2009/03/30(月) 17:01:37 ID:hqImTuta
>>108-109
シドニー大学Jai先生のレポートでも遼寧銅剣時代に山東半島から遼東半島への岳石文化の流れ、
リーピングナイフの到来による半島稲作の開始とされている。やはり殷は遼寧方面からの東夷が
築き上げ、周によって殷が滅びると箕子朝鮮によって、本来の場所に帰還したと考えるべきではない
かと思う。

130 :月光仮面:2009/03/30(月) 17:12:26 ID:hqImTuta
沿海州マルガリートフカ遺跡で琵琶型銅鏃が出土したとの情報があり、ウッソとおもったが、天神信仰
とはミニチュア青銅器埋納と言うことを考えるとなるほどそんな琵琶型銅剣ミニチュアもありかと思う。

131 :月光仮面:2009/03/30(月) 17:31:52 ID:hqImTuta
大汝(おほなむぢ) 少彦名(すくなびこな)の 座(いま)しけむ 志都(しつ)の石室(いはや)は 幾代経
ぬらむ 
返歌 千代に八千代に
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfaks108/mm239.htm


132 :出土地不明:2009/03/31(火) 00:03:43 ID:466KtKil
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

133 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/31(火) 01:58:43 ID:2eqt0PCB
>>121-122
倭も韓も3世紀までは、漢人の縄張りでした。4世紀の北方民族の南下で
漢から北方民族の縄張りに転換しました。西欧のローマの属州がゲルマン
によって奪取されたように。「日いづるところ」は『随書』であって、
記紀の『日本書紀』には、そがぁな記述はないでしょう。聖徳太子が
そういわれたと云う根拠もないでしょう。
>>124
当時の倭を日本列島だけに当てはめる自体可笑しいでしょう。
しかも朝鮮半島に勢力を伸ばし、独自の文化?共産主義的自民族発展段階説
を唱えられても爆笑ですよ。。イギリス人が「ブリテン島のブリトン人、
ゲール人と言われた国々に住んでいた人々は、その覇権をフランスの
ノルマン地方、ブルターニュ地方まで(いや、ガリア全体でも、いっそ南部
ドイツを加えて)伸ばし、独自の文化に加え、ローマの新しい文化を
取り入れながら、発展進化したことがよく分る内容です。
ブリテン島には太古に巨石文化を持った人々が渡って来て、青銅器などの
独自な文化を持っていたブリトンの国々が、いまの英国の姿の出発点で
アイルランドゲール文化、ローマ文化、テュートン文化などを取り入れ
ながらブリテン島の人々は、独自に素晴らしい国を作り上げたのですね。」
イギリス人が聞いたら笑い転げるでしょうが、日本の国粋主義や共産主義者
ら全体主義者の歴史妄想が日本では妄想がまかり通るんですから、あなたの
ように。


134 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/03/31(火) 02:19:50 ID:2eqt0PCB
>>125
烏垣を含め、遊牧民の文化は気候風土が違う日本にも入って来てますよ。
例えば>>116-118でも云うたよう、習俗の面でも。
兄嫁を妻とする嫂婚制は、日本や烏垣だけじゃのうて『旧約聖書』の
申命記の第二十五章にも出とるでしょう。やがて妻となる家で、
働く労役婚も日本、烏垣、『旧約聖書』の創世記第二十九章に出とる
でしょう。北ユーラシアの内陸アジアを通じて習俗文化の流入が
ありましたよ。独自云う国粋的共産主義的鎖国主義たぁ、世界的視野で
事物を見たほうが妄想にならんでしょうに。

135 :月光仮面:2009/03/31(火) 13:31:46 ID:+fOy5Ytg
>>131
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/a/a9/Ishi-hoden.jpg
生石神社の社伝によると、大穴牟遅神と少毘古那神が出雲国から播磨国に来た際に石の宮殿を造ろうと
して一夜のうちに現在の形まで造ったが、途中で播磨の土着の神の反乱が起こり、宮殿造営を止めて
反乱を鎮圧したと伝えられる。奈良県橿原市に益田岩船という巨石があるが、両者には関連があるので
はないかと言われている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E3%81%AE%E5%AE%9D%E6%AE%BF
シェシの「偽扉」ステラ
扉を模したステラ(石碑)を通って死者は死の世界からこの世に戻ることができると信じられていた。した
がってエジプトの墓において、呪術的な象徴で覆われた偽扉は、極めて重要な役目を果たしていた。
また、偽扉が取り付けられていることは、その墓が、死体を埋葬した後に壁で締め切ってしまう地下構
造と、生者が入れる礼拝堂の上部構造から出来上がっていることを示唆している。このステラは古王国
時代の高官シェシのものとされている。
http://www.louvre.fr/llv/oeuvres/detail_notice.jsp?CONTENT%3C%3Ecnt_id=10134198673225545&CURRENT_LLV_NOTICE%3C%3Ecnt_id=10134198673225545&FOLDER%3C%3Efolder_id=9852723696500776&bmLocale=ja_JP
カーが粒子から波動に変身するようにバーに変わる・・・
オモイカネ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A2%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%83%8D
八意思金 
http://www16.ocn.ne.jp/~omoikane/frame-yuisho.html
グノーシス主義
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%82%B9%E4%B8%BB%E7%BE%A9
デーミウルゴスまたはデミウルゴス(ギリシア語:Δημιουργ??、英語:Demiurge)は、プラトーン
の著作である『ティマイオス』に登場する世界の創造者である。「デーミウールゴス」とも呼ぶ。ギリシア語
では「職人・工匠」というような意味である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9
伊勢神宮に祭られるデーミウルゴスがオモイカネ。

136 :月光仮面:2009/03/31(火) 13:46:23 ID:+fOy5Ytg
コーカサス北麓・ドン河にあった土壙墳文化が地下横穴墳に変わるのはBC2300年頃。これはエジプト
的輪廻・地底世界の概念が普及したものであろうが、欧州には紀元前4000年紀よりドルメン文化が
存在する。しかし、コーカサスのドルメンに偽扉の構想が入るのは遼寧で支石墓の始まる頃。オモイカネ
は古墳時代に到来したグノーシス系統の宗教の影響であり、島津の家紋、ホアカリ、ムラクモ、善光
といった言葉に現れるが、八意思金命にヤーヴェと通ずる音素が含まれている。

137 :月光仮面:2009/03/31(火) 13:50:30 ID:+fOy5Ytg
天の岩戸は太陽神のこもる岩の表面にある偽扉に他ならない。大己貴は岩戸神社建設の作業中であっ
たのだろう。

138 :月光仮面:2009/03/31(火) 14:19:29 ID:+fOy5Ytg
>>133
贈り物を多くもらう方が偉いのだとすると卑弥呼の貰った銅鏡と差し出した生口とを比較すると卑弥呼の
方が偉かったんじゃないかなー。張政と難升米を比較しても向こうの方が偉い人が来ている感じ。
相手を卑下する漢字力はなかったものの人間性なんかではかなりの評価を受けていると言う感じがしま
すね。

139 :月光仮面:2009/03/31(火) 14:35:47 ID:+fOy5Ytg
>>137
大己貴とは国土神、少彦名とは天空神のことであり、人間ではなかったではあろうが、擬人化して
しようされることもあったのでは。

140 :出土地不明:2009/03/31(火) 14:46:37 ID:jDhHy2C1

日本列島の倭と言われていた国々に住んでいた人々は、
その覇権を朝鮮半島南部まで伸ばし、独自の文化に加え、
中国や朝鮮の新しい文化を取り入れながら、発展進化したことが
よく分かる内容です。
日本列島には、太古に刺青などの文化を持った人々が渡ってきて、
銅鐸や前方後円墳などの独自の文化を持っていた倭の国々が、
いまの日本の姿の出発点で、アイヌ文化、中国文化、朝鮮文化などを
取り入れながら日本列島の人々は、独自に
すばらしい国を作り上げたのですね。



141 :出土地不明:2009/03/31(火) 14:55:37 ID:jDhHy2C1

“特徴的”な烏垣の文化で、どんな文化が日本列島に入って来ていますか?
具体的に説明できないと思いますが。
空想をもとに理論を組み立てても、すべてが無意味に聞こえます。
鳥垣以外にも見られる文化は、鳥垣が取り入れたのかもしれません。
意味がわかるかな〜。






142 :出土地不明:2009/03/31(火) 14:57:19 ID:jDhHy2C1
鳥→烏 でした。


143 :月光仮面:2009/03/31(火) 15:22:54 ID:+fOy5Ytg
>>136
「日本のイザナギとイザナミの神話においても、オルフェウス的要素というものが見られるが、これは、
驚くべきことにオルフェウスとエウリュディケのような神話類型が東アジアにも浸透していったことを物語
っている。それはほぼ間違いなく、金属器時代への移行期、おそらく前1千年紀の中ごろか後半ごろに起
こったものと考えられる。東南アジアや日本において何世紀も後に、それも特に古墳時代に現れた非常
に特徴のある葬祭建造物持ち送り式あるいはヴォールト式の天井があり、壁には夫婦の宴の様子が、
そして天井には星座が描かれ、不死の象徴としてとてつもなく大きな鍵穴状のトゥムルスが上部を覆う
−は、まさにトラキアと同じ小宇宙の主要な特徴、精神を表わしており、数千年の時を超えた独特かつ
普遍的な思想を体現しているのである。 (訳:松田 陽)(ブルガリア科学アカデミー考古学研究所)
Diana Gergova 」
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Afterlife/04/0401.html

144 :月光仮面:2009/03/31(火) 15:40:38 ID:+fOy5Ytg
↑>それも特に古墳時代に現れた非常に特徴のある葬祭建造物持ち送り式あるいはヴォールト式の
>天井があり・・・↓
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/yoko.htm

145 :月光仮面:2009/03/31(火) 16:00:38 ID:+fOy5Ytg
Diana Gergova さんが
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Afterlife/04/0401.html
↑でニッチ(壁嘉)といっているのが↓
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/yoko.htm
ここに言う「石屋形と石棚」であり、これは横穴墳(カタコンベ墳)文化に認められ、この類似は驚くに値
する。


146 :月光仮面:2009/03/31(火) 16:25:33 ID:+fOy5Ytg
石屋形と石棚が歴史時代の寺院で後戸となり、戦前の講堂の演壇の後に御真影を飾ってあったところ
ではないかと思うんだが。
http://www.kuniomi.gr.jp/togen/iwai/usirodo2.html

147 :月光仮面:2009/03/31(火) 16:31:25 ID:+fOy5Ytg
戦後はこれが偽扉になってしまった。

148 :月光仮面:2009/03/31(火) 17:48:25 ID:+fOy5Ytg
>>143
>それはほぼ間違いなく、金属器時代への移行期、おそらく前1千年紀の中ごろか後半ごろに起
>こったものと考えられる。
BC11-BC9世紀カザフスタン-トラキア地方は突帯文土器文化と言う文化で直結されていたことが判明した。
カザフスタンカラガンダ国立大学はこれを現地名称でDandybay文化と命名している。

149 :月光仮面:2009/03/31(火) 19:07:14 ID:+fOy5Ytg
Dandybay文化の青銅器のトップは素環頭刀子であり、日本に入り始めるのは吉野ヶ里時代でから
「おそらく前1千年紀の中ごろか後半ごろに起こったもの」とするのは正しい。支石墓と関連している
のであろう。

150 :月光仮面:2009/03/31(火) 19:18:34 ID:+fOy5Ytg
歴博藤尾さんの甕棺ホームページでは前4世紀頃からのこととされている。
“Kamekan” or jar burial is a super large jar type earthenware developed particularly for burial i
n the northern part of Kyushu in the Yayoi period (4C.B.C.−3C.A.D.).
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html

151 :出土地不明:2009/03/31(火) 19:47:09 ID:nur4yiLE
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





152 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/01(水) 00:07:28 ID:ZDUq0dBF
>>140-141
じゃけぇ>>133-134で答えておりますが、共産主義的自民族発展段階説を
連呼しても意味がないでしょう。倭は日本列島の集団だけではありません。
その点からも空想をもとに理論(理論とは観念論で屁理屈ですが)を
組み立てよるんは、あなたのことですよ。
>>138
生口を素直に献上した、隷属列島倭人に悪い感情は無いでしょう。
奴隷民として侮蔑心があったにしても。
>>143
トラキア云うたら、広島県立美術館では、黄金文明展は今日が最終日でした
けど、ブログに出とる馬形リュトンはバジョヴァ墳丘墓出土の
前5世紀後半と、される物ですね。
>>150
歴博の年代は信用せんほうがええと思いますけど。黄金文明展でも、
パネルに弥生期は紀元前1000年に繰り上げしとったんは、おそらく文化庁、
歴博ラインのごり押しでしょう。旧石器捏造に懲りず、弥生期や古墳期の
年代繰り上げに必至なようですが、今度は誰が責任取るんでしょうか。
どうせ上の連中は下っ端がやったと、責任を擦りつけるんでしょうけど。

153 :月光仮面:2009/04/01(水) 08:54:36 ID:9VuNtOz6
>>152
歴博の較正年代の出し方ということかな。どこがおかしいのかよくわかりませんね。捏造事件というのは
どっかのお役所かなんかでなかったっけ。要するにゴッドハンドなるものが出たらいかんちゅーこってす
よね。似たようなのはどんな業界にもあるよなー。

154 :月光仮面:2009/04/01(水) 10:59:36 ID:9VuNtOz6
http://history.novosibdom.ru/files/u7/sibir_58.jpg
これはカザフスタン・ダンディバイ文化より北方のアルタイ・カラスク文化の素環頭刀子。
ダンディバイ文化の素環頭刀子の画像がないのが残念だが、カラスク文化後期はダンディバイ文化
と同一化するとされるので、この素環頭刀子がダンディバイ文化のものと同じと見ていいのかも。

155 :月光仮面:2009/04/01(水) 11:26:14 ID:9VuNtOz6
http://history.novosibdom.ru/files/u8/sibir_64.jpg
夏家店上層にかかってくる時代の鹿石に、上図下部にある物体の彫刻が散見されるものの
使途が不明につき、とりあえず上記のように二輪戦車部品と解釈している模様。
日本であえて類似のものは
http://kamnavi.jp/mn/togusa.htm
河内物部十種神宝オキツ鏡が同様に左右対称であることと、河内を中心に青銅戈が出土すること
程度しか考えられない。どなたかいいアイディアないですかね。

156 :月光仮面:2009/04/01(水) 12:08:52 ID:9VuNtOz6
>>153
歴博年代は下記シドニー大学レポートと整合している。
4000BP山東省岳石文化が遼東半島に入る。
3500BP山東省岳石文化から遼東に“Yan” コシキセットが導入される。
3000BP遼河下流・遼東・朝鮮北西部に銅剣埋納墳文化が興る。
遼寧銅剣埋納墳文化が山東省岳石文化より半月形石庖丁を導入して大麦・稲の生産を開始する。

157 :月光仮面:2009/04/01(水) 12:22:44 ID:9VuNtOz6
民族移動については、Yu. Vostretsovのいう、ロシア沿海州では気候寒冷化海退により下記IVを除き
農耕民族が拡大する↓
I 5400―5200BP
II 4700―4300BP
III Margaritovskaya文化      3600―3300BP
IV              2500―2200BP
この最後の段階で松菊里方面に沃沮が流れ込み、その勢いで北九州にもいろいろ入ってくる
のであろう。

158 :出土地不明:2009/04/01(水) 12:24:08 ID:Q9wT5L2Z

日本列島の倭と言われていた国々に住んでいた人々は、
その覇権を朝鮮半島南部まで伸ばし、独自の文化に加え、
中国や朝鮮の新しい文化を取り入れながら、発展進化したことが
よく分かる内容です。
日本列島には、太古に刺青などの文化を持った人々が渡ってきて、
銅鐸や前方後円墳などの独自の文化を持っていた倭の国々が、
いまの日本の姿の出発点で、アイヌ文化、中国文化、朝鮮文化などを
取り入れながら日本列島の人々は、独自に
すばらしい国を作り上げたのですね。

>>133
>倭も韓も3世紀までは、漢人の縄張りでした。
基本的な質問ですが、倭と韓の境界はどの辺だと考えていますか?
>4世紀の北方民族の南下で漢から北方民族の縄張りに転換しました。
韓は転換しましたが、倭は影響を受けただけでしょう。
韓を無視して中国に使いを出していますので。
>日本では妄想がまかり通るんですから、あなたのように。
日本近辺で妄想がまかり通らない国などありますか?


159 :出土地不明:2009/04/01(水) 13:09:22 ID:Q9wT5L2Z

>生口を素直に献上した、隷属列島倭人に悪い感情は無いでしょう。
>奴隷民として侮蔑心があったにしても。
生口が多い所ほど、高い位を得るのが隷属の特徴ですね。
>旧石器捏造に懲りず、弥生期や古墳期の年代繰り上げに
>必至なようですが。
何を根拠に?

本当に妄想しているのは、どちらかな〜。



160 :月光仮面:2009/04/01(水) 16:23:22 ID:9VuNtOz6
>>152 角杯、↓ここだけの話だが騎馬民族は来たらしい、とでもおっしゃっているみたいですよ。
http://www.hyogo-koukohaku.jp/topics/p6krdf000000020r.html
筑紫の磐井に昔は同じ飯を食った仲なのにとなじられた近江毛野、どうも出身はこの辺くさいですね。


161 :出土地不明:2009/04/01(水) 16:50:20 ID:Q9wT5L2Z

角杯は、漢の時代の中国青銅器製が有名ですね。


162 :出土地不明:2009/04/01(水) 21:55:51 ID:CKnFUI4r
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html

163 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/02(木) 00:54:25 ID:nAb0ec/m
>>153
http://shushen.hp.infoseek.co.jp/hitori/yayoijidai1.htm
http://www.asahi-net.or.jp/~fv2t-tjmt/daihachijuunidai
http://www.okunomasao.com/saikin/rekinenndai/rekinen.htm
一番上の方の、U 歴博発表の検討 @歴博の発表の形式について 
イ)問題点 に、あるよう、測定の試料のデータについて、「どの遺跡の
どの出土物の何をどれだけ試料として使ったのかに関する具体的記述が
見受けられません。」処から始まっとるんです。戦時中の大本営発表
じゃあるまいし。
まん中の3、石器の観察ー見えるものが見えないー では、中国や韓国の
学者が疑問点を抱いておっても、日本人には見えなかった。と云うお粗末さ
の原因は、6、捏造「事実」から生まれた歴史像ー理屈と膏薬はどこにでも
付くー騎馬民族は来なかった論者の佐原真氏(注20)を含め多くの学者が
捏造を事実と受け取り電波を発信したんです。解説の「このように
おかしいと思われる点は日本の独自性であり、」の文は、「独自」を
強調する>>158氏の狂信鎖国思考だけの問題じゃのうて、日本人の
特に学者、政治家や官僚、旧日本軍の軍人ら上層部、知識人に見られる
希望的観測、自民族時自惚れ妄想の反面他民族蔑視が思考の根底にあり
ますからね。だいたい「日本独自」云う連中は、日本を滅ぼす剣呑さを
持ってますよ。
一番下の、 はじめに 反省のない歴博のAMS法年代値騒動 「捏造を
批判した学者・研究者を学会八分(村八分)にして、捏造批判を押さえつけ
ました。」「捏造発覚後、考古学協会は、手を汚した関係学者の免責
(無罪放免)と引き替えに、Fの「告白」なるものを公開し、すべての責任を
F一人にかぶせて一件落着を図りました。考古学界は文化庁・歴博関係者の
批判をタブーのように口を閉ざしています。」と、日本の閉鎖的、隷属的
体質の見本ですからね。

164 :月光仮面:2009/04/02(木) 10:11:28 ID:mXtJ2Jny
>>163
白馬青牛さんのおっしゃるとおりです。また、歴史事実そのものも環境変動の波動の影響を受けたり、
戦争等の影響を受けることがあるのかもしれませんね。しかし、農業技術の面からすると >>156
のように前1000年紀開始頃に稲作が始まる、環境的には >>157 前5世紀頃に稲作技術が定着、人の
移動が起こるといったところでしょうか。

165 :月光仮面:2009/04/02(木) 10:52:28 ID:mXtJ2Jny
全ては天皇の責任だといった無責任、事なかれ主義が周辺及び世界中の人々、資金から日本が白い
目で見られている原因でしょう。またなんかやらかすんじゃないかという。そうした観点は正しいと思い
ます。しかし、世界の考古学も日進月歩でして、最近ではBC11-BC9世紀トラキアと中央アジアの間が
突帯文土器・素環頭刀子でつながっていたことが解ったわけです。これは歴博のように繰り上げた編年
が正しいということになります。

166 :月光仮面:2009/04/02(木) 11:15:03 ID:mXtJ2Jny
日本の古墳文化はナイル・ユーラシア巨石文化の一部であり、天皇・伊勢神宮・式年遷宮とは、環境と
人間社会のあり方を踏まえ、それを究極に高めた象徴であり、世界中で最も完全な姿で残っているもの
と言えます。伊勢神宮の」千木はアルタイに、片持ち柱、堅魚木は小河墓遺跡の棺に出現しているものと
同じ起源のものと考えられます。

167 :月光仮面:2009/04/02(木) 11:28:30 ID:mXtJ2Jny
クロマタ山<ホムタワケ・善光寺本田<モンゴル語Hormusta天帝<イラン語Ahuramazda善光
つまり、クロマタ山は天火明命を祀るピラミッドであろうと思います。
http://www008.upp.so-net.ne.jp/k-hime/kuromanta.html/
ピラミッド思想は岩手まで来ていたということ。

168 :月光仮面:2009/04/02(木) 11:35:16 ID:mXtJ2Jny
失礼、秋田だった。で、これも秋田だが↓
http://inoues.net/ruins/ohyu_stone.html
これは沿海州でも発見されているし、例の小河墓の付近では石の変わりに木を使って製作した
ものもある。

169 :月光仮面:2009/04/02(木) 12:20:11 ID:mXtJ2Jny
>>166 >>135
>デーミウルゴスまたはデミウルゴス(ギリシア語:Δημιουργ??、英語:Demiurge)は、
>プラトーン の著作である『ティマイオス』に登場する世界の創造者である。「デーミウールゴス」とも
>呼ぶ。ギリシア語では「職人・工匠」というような意味である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%9F%E3%82%A6%E3%83%AB%E3%82%B4%E3%82%B9
>伊勢神宮に祭られるデーミウルゴスがオモイカネ。
古代日本人が伊勢神宮に天の岩戸神話を演出した思兼命を祭っていることは、天照大神、月読命
等の自然現象をさす神を除いては「職人・工匠」という人間の属性を示すものに最高の地位を与える
価値体系・パラダイムであり、これがナイル・ユーラシア巨石文化の核心で、それを忠実に維持して
いると言う点で伊勢神宮が世界唯一の存在ということ。現在世界一の匠の技を持った日本人は新し
い時代のチャレンジを受けている。伊勢の森とせせらぎの神は永遠の太陽エネルギーを与え続ける。


170 :月光仮面:2009/04/02(木) 13:09:08 ID:mXtJ2Jny
>>143
しかし、卑弥呼のものとされる箸墓については
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/2000Afterlife/04/0401.html ここで言う
人は悪魔にも神にもなり得るのだという思想、また肉体の牢獄から解放されるべき彷徨う魂といった
思想が、3段階にわけて墓の上に築かれたトゥムルスの背景にはあるに違いない。その第1段階では墓の
前と上に石の層が積み上げられ、第2段階ではその頂上先端部が積み上げられ、さまざまな儀式が行
われ、第3段階として、いよいよ墓へ入ることが出来た。トゥムルスの建造中に時には羨道が延長される
こともあった。この3つの段階は、浄化、昇華、神格化に相当する。つまりはトゥムルスの建造自体が、
不死の秘儀の一部としての聖なる行為であったのである。・・・
こんな調子で建設され、倭人伝は「有棺無槨」といっており、第一段階儀式で判定したのかも知れない。

171 :月光仮面:2009/04/02(木) 14:24:44 ID:mXtJ2Jny
>>154
戦国時代になると燕などでは貨幣となり、柄の部分のワッカは現代日本国5円、50円玉の祖先でもあり、
ロシアでは中原が蛮族のデザインを通貨に使用するはずはないので、おそらくは、殷の青銅文化が
西方に伝わるのだろうとしている。私は銅鐸のワッカ部分もそうだが、綏遠方面において、先行する
趙宝溝期の土器に見られる突帯文と猪・鹿・鳳のようなデザインからして天球における黄道を意味する
もので、綏遠方面が発祥の地ではないかと考える。

172 :月光仮面:2009/04/02(木) 16:56:57 ID:mXtJ2Jny
>>166
棟持柱↓これを間違えたもの。改めて失礼。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/roman/isefukugenzu11111.jpg
これは伊勢遺跡だが、ここにある神殿配置はストーンサークルに通じる。倭姫巡回を定常化する、
つまり、伊勢式年遷宮のルーツではなかろうか。
http://www.sakai.zaq.ne.jp/roman/ise2.htm

173 :月光仮面:2009/04/02(木) 17:49:16 ID:mXtJ2Jny
>>161
角杯 スキタイ、トラキアなんかに多いようですね。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Scythian_stelae_01.jpg
http://en.wikipedia.org/wiki/Drinking_horn


174 :月光仮面:2009/04/02(木) 17:54:15 ID:mXtJ2Jny
青森のネブタでラッセラー踊りを踊り終えて、一杯やる時に、腰からカップを出して呑むんですが、
紐の代わりにゴムを付けている方もいます。どこにでも手が届き失礼のないように。

175 :出土地不明:2009/04/02(木) 22:29:52 ID:aEFE5N4d
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

176 :出土地不明:2009/04/02(木) 22:31:37 ID:aEFE5N4d
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

177 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/03(金) 01:59:09 ID:F3Y6YqSl
>>157
古墳期以前の世界的民族移動期は、BC1500年期のアーリア人や東洋では
殷に相当するでしょう。
>>158
倭と韓の境界云うね封建領土概念なんか後世の戦国時代の領地概念に
よるものでしょう。当時の朝鮮半島においても、倭と韓の領地概念なんか
無いんじゃないですか。沿岸部に倭人がおったら、内陸部の住民は韓人に
分類されたと、本人たちも気付いてないでしょう。近代の領土概念や
中世の封建制度の領土概念で妄想しても意味がありません。
韓人は漢に反抗したけど、列島の倭に関しては奴隷隷属で従順なもんです。
日本近辺では、中国と韓国の歴史論争が起こってますからね。日本側は
中共側が指定した場所で考古学調査ですから自由に掘らしては呉れません。
佐原真氏の親分で騎馬民族説嫌いの江南派の樋口隆康氏が団長で中共側の
思い通りなっただけです。江南派と縄文文明派を味方につけて韓国を
挟み撃ちにして、まあ中共側は日本については、漢の奴隷民の国で根拠は
取れてますから。歴史、考古学や生物学なんか政治的悪臭が強いもんです
から、悪臭を如何に取り払うて解釈するかの作業が必要になりますね。
>>158
そりゃあ>>163に書いとります。
>>160-161>>173
角杯は、西方文化の影響で、中国では戦国期や北方民族が中原を支配した
時期ですからね。朝鮮半島では、北朝の胡漢文化の影響が強い高句麗や
百済よりも、中国文明と距離を置いた新羅、伽耶に角杯が見られます。
日本では北陸に多く、北陸から興った継体天皇の勢力も伽耶の王子の
ツヌガアラシト系の勢力でしょう。

178 :月光仮面:2009/04/03(金) 10:36:06 ID:CVZb/Flc
>>177 それではなく↓
「以上、西・北方民族の南下現象は寒冷・乾燥化に起因する生態環境の悪化がもたらしたものと考
えることができよう。中国甘青地区でもこの時期寒冷乾燥化が生じたことが明らかにされている(陳洪海

2003)。・・・が匈奴の祖先に関係するとすれば(余太山1999)、中国の西方地域でもこの時期居住環境

が悪化して、より生態環境が良好な地点を求めて移動を余儀なくされたことは想像に難くない。これらのこ

とは、モンゴルから中央アジアの草原地帯に共通して出現した現象と見るべきであろう。内蒙古小黒石遺

跡で副葬品として出土した「許季姜」や同じく内蒙古扎魯特旗で出土した「井姜大宰它」などは、その銘

文から贈答品と考えることは出来ず、この時期の中原へ侵入した結果持ち帰った略奪品とも見ることが

可能である(甲元2006)。中国北辺でミルク製品を製造する必要から発明された銅?が (甲元1992)、この
時期の寒冷乾燥化に伴って中国北部からトルキスタンに拡がり、さらにはスキタイ勢力の西方への拡大
とともに、中央アジアからヨーロッパまでその分布が到達する状況は(江上・水野1935、 1995、郭物1999、 2002、高浜2005)、気候変動を起因として広範囲に及ぶ騎馬牧畜民の往来を招来し、結果としての共通の
文物交流をもたらしたことの証左とすることができよう (2002)。
[論文] 気候変動と考古学 甲元眞之 より
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/7901/1/BR0097_001-052.pdf
白馬青牛さんより御紹介あった↓
http://avantdoublier.blogspot.com/2009/03/blog-post_17.html
ここにあるとおりでしょう。


179 :月光仮面:2009/04/03(金) 10:46:28 ID:CVZb/Flc
前1千年紀の初めからの朝鮮半島は2つの異なる方向と時限の影響を受ける。一つはユーラシア草原
西方からの騎馬民族文化、一つは長江・黄河下流域からの稲作文化。このためにスリットの背後にある
列島のスクリーンには2つの縞模様が現れる。列島の青銅器埋納・環濠集落はその第二番目の縞模様
に相当するものであったということが出来るのではないでしょうか。

180 :月光仮面:2009/04/03(金) 10:53:04 ID:CVZb/Flc
>>177 角杯
角杯と銅フクのようにユーラシア・ノマドは双方向に文化をスゥィッチしている。東から西に流れたのは
黒陶・石器研磨もあると思います。勿論、絹・ラピスラズリは言うに及びませんが。

181 :月光仮面:2009/04/03(金) 11:00:39 ID:CVZb/Flc
後の世では、ユーラシアにランドクルーザ、ダットサンの中古車が増えることが日本人が軍事的に
侵略したのかもしれないとされるかもしれませんが、考古学的発見が全て民族移動とするとそうした
結論に至るかもしれません。

182 :月光仮面:2009/04/03(金) 11:10:25 ID:CVZb/Flc
>>155
>朝鮮半島では、北朝の胡漢文化の影響が強い高句麗や
>百済よりも、中国文明と距離を置いた新羅、伽耶に角杯が見られます。
>日本では北陸に多く、北陸から興った継体天皇の勢力も伽耶の王子の
>ツヌガアラシト系の勢力でしょう。
やっぱり百済と新羅の中間にあった伽耶がくさいですね。ユーラシア・ノマドの回廊と言う感じがする。
倭も百済も新羅もここから影響を受けている。伽耶はそうした中心でなかったかと思いますね。

183 :月光仮面:2009/04/03(金) 11:30:36 ID:CVZb/Flc
ソフィア・ローレン、シルヴィーノ・マンガーノなんかが腰の疲れる田植えがヘッチャラなのは驚きですが、
彼女らとて、高温・多湿/寒冷が荒れ狂うように押し寄せるモンスーン地帯の風土には耐えられないはず
で、ユーラシア草原を東進し、太平洋岸に達したユーロペイドが見切りをつけて一斉にU-ターンを開始
する歴史的局面があったはずで、それが匈奴ならぬフンであり、それがクッキリ現れるのが冒頓単于
による月氏の駆逐だと考えます。推古・斎明時代に訪朝するトカラ・インド人を最後に大航海時代を
迎えるまでの間、東西の人種的住み分けは定着するのではないでしょうか。

184 :月光仮面:2009/04/03(金) 11:39:34 ID:CVZb/Flc
シルヴァーナ・マンガーノ (Silvana Mangano、1930年4月23日 - 1989年12月16日)は、イタリアの女優。

185 :出土地不明:2009/04/03(金) 12:14:57 ID:ka5L4T29
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

186 :世界に冠たる日の本の:2009/04/03(金) 12:24:03 ID:1GMWMjQR
漢人はどっから来たのよ。
まさか先祖はシナ大陸の猿かね。
結局、人類の祖先はアフリカの猿に収斂するんだよ。
時代で区切って何処から来たなんて議論する価値はない。

187 :Y染色体の系譜:2009/04/03(金) 15:33:06 ID:EZhVYevp
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━ B
      ┃    ┃
      ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━ C モンゴル人 アボリジニ
            ┃    ┃
            ┃    ┃            ┏━━━━ D 日本人(縄文系)アイヌ チベット人
            ┗━━╋━━━━━━┫
                  ┃            ┗━━━━ E
                  ┃      F
                  ┃      ┏━━━━━━━ G
                  ┃      ┣━━━━━━━ H
                  ┃      ┣━━━━━━━ I
                  ┃      ┣━━━━━━━ J
                  ┃      ┃    K
                  ┗━━━┫    ┏━━━━ L
                          ┃    ┣━━━━ M
                          ┃    ┣━━┳━ N
                          ┗━━┫    ┗━ O 漢人 日本人(弥生系)
                                ┃  ┏━━ Q
                                ┗━┻━━ R
                                    P

      ・    ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
   90420 82000 68500  53000 35600 29900

188 :月光仮面:2009/04/03(金) 15:55:56 ID:CVZb/Flc
>D 日本人(縄文系)アイヌ チベット人
縄文人ならある程度わかるが、アイヌはそうだと断定できるだけのサンプルがあったのか。疑わしい。
縄文人のDの拡大はOと共に弥生時代の農業・稲作の拡大によるものと考えられるんだが、そんなに調子
よく農業革命にフォローできたのか。なかなかついて行けない。DのHabitatについてはもう少し拡大の
可能性はないのか。


189 :月光仮面:2009/04/03(金) 16:09:18 ID:CVZb/Flc
アムール中流の北岸にポリツェ/邑婁文化があり、前4−0世紀に袋状鉄斧、鉄製釣り針等を使用、
農業・漁業に従事しているがその前身は同地域の粛慎時代のウリル文化。ポリツェ期になっては
海賊のように近隣を脅かしている。青銅器も使用している。アムール河沿いの上流、ザバイカルには
強力な青銅器文化・石板墓文化が存在する。ポリツェ文化は豚を非常によく利用し、衣類にもしている。
また、無目勝間というか白樺でカバーした舟も使用し、相当の航続能力を持ち海賊でもあったようだ。
高句麗伝説にある河伯というのはこれであろう。問題はこうした豚食習慣が九州西岸から沖縄に展開し、
また袋状鉄斧は広く弥生日本に広まっていることであり、Dの広がりと一致を見せることだ。日本神話も
海幸山幸と言う形で海人族の存在を描いている。

190 :月光仮面:2009/04/03(金) 16:14:33 ID:CVZb/Flc
更に、このポリツェ文化の南隣の旧満州・松花江・ノン江流域において鉄器が登場するのは白金宝文化
の後の漢書文化であり、西暦紀元前後と言うことでポリツェ文化は専ら弁辰と交易していたとしか考えら
れないことであり、シ歳という三韓・倭人と並んで弁辰の鉄を取っていたとされるのはこれではないかと見
られることだ。

191 :月光仮面:2009/04/03(金) 16:19:32 ID:CVZb/Flc
驚くべきことは10CMもある鉄の釣り針を使用していることで、これだけの大物はキャビアの親である
チョウザメとか、イトウクラスのものであろうとみられる。クジラに近いわけである。

192 :月光仮面:2009/04/03(金) 16:42:40 ID:CVZb/Flc
「朝鮮半島北東・中央地方の鉄器時代への移行はJungdo文化と密接に関連している。そして、今次調査
の重要な総括は、集落跡と発掘された建造物、土器類、青銅器具、鉄器、石器、粘土製品、木工品出土
物及び環境事実といったその主要な構成物の分析に基づくその詳細な内容にある。調査においては
この文化の年代の研究が行われた。この成果として、半島北東中央部鉄器時代の開始はJungdo文化と
同時期の前4-3世紀であることの確認が出来た。朝鮮半島北西で出土する燕鉄器も同時代である。これ
は朝鮮半島北部全域において実質的に同時に鉄器時代への移行が行われたことを意味している。
同時に、朝鮮半島におけるこの過程は近隣地域各種文化圏との相互関係の中で推移した。朝鮮半島
北西部住民は中国である燕と積極的な接触を保っていた。この時期の朝鮮半島北東中央遺跡出土品
の分析に依れば、この地域の住民の文化は、中国考古学会においてはTuanjie文化と呼ばれる、
沿海州 Krounovskaya文化と多くの共通点を有している。一連のJungdo文化遺跡出土品は漢楽浪郡
からの輸入物資であるが、鉞形状鉄斧は外見上ポリツェ文化圏起源である。この結果としてJungdo文化
の起源は沿海州及び中国東北部Krounovskaya(Tuanjie)文化にあるとする仮説が出された。」・・・
最近のロシア研究調査による。注)Jungdo=江原道中島、欣岩里に近い。

193 :月光仮面:2009/04/03(金) 17:03:50 ID:CVZb/Flc
しかしながら、日朝ダウールに共通するHaplogroup O2 (Y-DNA)の拡大を懇切に説明するhttp://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2_%28Y-DNA%29
このwiki情報には説得性があり、D2が朝鮮半島にはないこと(少しあるのはD1らしい)からして、
縄文D2は非常に優秀な農業文化取得能力を持っていたものと考えるのが妥当かなー。或いは、
O2-D2の混成集団があり、D2は半島に痕跡すら残さなかったと考えるべきか。

194 :月光仮面:2009/04/03(金) 18:21:13 ID:CVZb/Flc
(Peter) Wei Ming JIA PDF Volume 2 p.108 115/187 の土器編成でもTuanjieで高坏、屈曲突帯文甕
と編成が日本のものに同じになっている。つまり沃沮文化だ。

195 :月光仮面:2009/04/03(金) 18:25:29 ID:CVZb/Flc
江原道春川・中島(Chundo)の文化はワイを包含する沃沮文化だったとされている。つまり、ポリツェ文化
を包含する沃沮文化ということか。

196 :出土地不明:2009/04/03(金) 20:31:16 ID:ayoFkbJO
土建屋D2と農民O2のコラボが日本なんでしょ。
日本の気候条件じゃ、米作には灌漑が必要条件だしな。

197 :出土地不明:2009/04/03(金) 22:48:50 ID:e/ieAnjj
「日本人のミトコンドリアDNAの割合」をグラフにしてみました。

L3.....┳M... ┳D  ┳━━━D4   32.61%
    ┃    ┃    ┗━━━D5 .   4.8 .%
    ┃    ┣━━━━━━G.   6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47%
    ┃    ┃    ┣━━━M7b.  4.45%
    ┃    ┃    ┗━━━M7c.  0.76%
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┗━━━N9b   2.13%
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27%
                ┗R9. ━F    5.34%
                        他...  6.62%

分岐は年代を考慮してません。。。
「他」は恐らくM、Nからの派生系統が殆んどでしょうが、
内訳が分からないので別個に独立させちゃいました。。。
ちなみに>>49>>75>>187の方とは別人であります。

198 :月光仮面:2009/04/04(土) 13:49:43 ID:dJ6Om8Uf
L3.....┳M... ┳D  ┳━━━D4   32.61%
    ┃    ┃    ┗━━━D5 .   4.8 .% D小計 37.41%
    ┃    ┣━━━━━━G.   6.86% G 6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47%
    ┃    ┃    ┣━━━M7b.  4.45%
    ┃    ┃    ┗━━━M7c.  0.76% M7小計 12.68%
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22% M8小計 2.98%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .% M10 1.3% M小計 61.23%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85% A小計 6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┗━━━N9b   2.13% N9小計 6.7%
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27%
                ┗R9. ━F    5.34% R小計 18.6% N小計 32.15%
                        他...  6.62% 他 6.62%

199 :月光仮面:2009/04/04(土) 14:11:34 ID:dJ6Om8Uf
「東アジア・ミトコンドリア・ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」では「朝鮮はアイヌと 10%,
本土日本人と7%, 琉球人と5%,のハプロタイプを共有、日朝間には共有が限定されている派生遺伝子
A1a, B4c1, B4f、ほぼ限定されているN9b, B4a1, B4b1, G1a, M7b2, M12があり、弥生の遺伝子移動を
物語る。」とされるが、YDNAで日韓共通、弥生移民とされているのはM175の O-47z O-SRYで、これが
沃沮系、すると、YDNA Oを農民系とするとM122系が残るが、これが山東省、遼東、半島経由のもの
ではないかと思う。また、mtDNA M12がyDNAのYAP+に対応するとしている。 すると、
mtDNA yDNA
A1a, B4c1, B4f O-47z O-SRY
N9b, B4a1, B4b1, G1a, M7b2, M122
M12                      YAP+
と言うことになるが>>197にはM12は出てこない。



200 :月光仮面:2009/04/04(土) 15:05:12 ID:dJ6Om8Uf
渡来弥生人は男系ではYDNA-Oであり、母系ではmtDNA-Nに対応していたと見ることができようか。

201 :月光仮面:2009/04/04(土) 15:10:45 ID:dJ6Om8Uf
そうするとM7b、G1a等は日本人妻、カラユキさんの帰国ということかも。

202 :月光仮面:2009/04/04(土) 15:31:55 ID:dJ6Om8Uf
そうすると、残りのmtDNA中、YAP+に対応するのは新しい南方系とみると、古い北方系に関係する
Dを除くその他のMにほぼ対応するのではなかろうか。そうするとこうなる。
日本列島には新大陸や中国大陸の古いアジア系のD、比較的新しく男性遺伝子としては日本・チベット
等に取り残されたYAP+に対応するその他のmtDNA M、弥生時代に稲作関連で入ってきたmtDNA N.。
こんなことでいいだろうか。

203 :出土地不明:2009/04/04(土) 15:36:37 ID:ERM3b3+5
支配者層と被支配者層
YDNAとmtDNAでは増え方が違う

支配者層のYDNA 激増
被支配者層のYDNA 激減

支配者層のmtDNA 微増
被支配者層のmtDNA 激増

204 :月光仮面:2009/04/04(土) 15:44:18 ID:dJ6Om8Uf
↑大和朝廷成立・卑弥呼時代の日本は倭人伝に描かれており、確かに一夫多妻はあるが、上戸、下戸の
2階級程度で、政府は邪馬台国でも4官、各国は2官程度であって、そんなに格差はひどくない。これより
以前の社会はなおさらのこと。

205 :197:2009/04/04(土) 15:53:39 ID:9fKyR+5E
早速使ってもらえて嬉しいw

L3.....┳M... ┳D  ┳━━━D4   32.61%
    ┃    ┃    ┗━━━D5 .   4.8 .% D小計 37.41%
    ┃    ┣━━━━━━G.   6.86% G 6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47%
    ┃    ┃    ┗┳━━M7b.  4.45%
    ┃    ┃      ┗━━M7c.  0.76% M7小計 12.68%
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22% M8小計 2.98%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .% M10 1.3% M小計 61.23%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85% A小計 6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┗━━━N9b   2.13% N9小計 6.7%
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27%
                ┗R9. ━F    5.34% R小計 18.6% N小計 32.15%
                        他...  6.62% 他 6.62%

M7系統間は先ずM7aの祖先とM7b、M7cの共通祖先が枝分かれした。
なのでちょっと表を弄りました。

206 :月光仮面:2009/04/04(土) 16:50:19 ID:dJ6Om8Uf
「東アジア・ミトコンドリア・ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」では「M7a1は琉球に最多、
頻度は14%、ダイヴァーシティー/種類の多さ率は86%、中国全体では非常に多く、ダイヴァーシティーでは
76%、しかし、朝鮮、アイヌには皆無、日本本土では稀。M7aも同様に琉球ではダイヴァーシティー83%。
フィリピンには両方とも多い。 M7bは中国北部でダイヴァーシティーは75%-62%と最高。これから派生したM7b2は琉球で100%、朝鮮53%、日本本土45%。反対にM7cはアイヌには皆無、日本本土では稀である
が、サバ、フィリピンでは多いが、中国全土ではダイヴァーシティーが76% ± 11%と最も大きい。」
これはBP6300年の喜界カルデラ爆発で琉球人が長江下流域に移住し、後に西進し仰韶文化を建設
することを物語る。台湾・ニュージーランドの刺青の模様と仰韶土器の模様が幾何学的なこと、魚の
模様があること、洪水伝説があることから想定できる。

207 :月光仮面:2009/04/04(土) 16:57:08 ID:dJ6Om8Uf
チベット・雲南・モンゴルなどのYAP+もこうした琉球発のYDNA-D/mtDNA-M7の動きに沿って考える
べきかもしれない。

208 :月光仮面:2009/04/04(土) 17:07:24 ID:dJ6Om8Uf
東シナ海の露出した海底の上を巨大なきのこ雲が天を覆い、震源地では巨大な外輪山が出現して
火砕流が開聞岳に到着上陸、日本列島は火山灰に埋もれる。噴火口は長江のちょうど前にあたり、
浅瀬に乗り上げた津波は河に沿ってソリトーンと化し、ヒマラヤ東麓に激突する。大地は東南に傾き、
北極星の位置は狂う。不周山が崩壊する共工伝説は洪水伝説でもあった。このとき列島に降り注いだ
火山灰は植物相・動物相を破壊した。津波の波高は火口で15メータと言う試算もあるが、屋久島の
猿が一匹と縄文杉が耐え抜いたとされている。

209 :出土地不明:2009/04/04(土) 17:07:25 ID:9fKyR+5E
>>206
M7cは出稼ぎフィリピーナが比率上げてたりして、なんちて。

>>12
私が読んだ書籍では北京のサンプルの中でO2b比率がそこそこあった。
西日本や南朝鮮に多数だと思うが渤海周辺にも居そうな気がする。

210 :月光仮面:2009/04/04(土) 17:12:43 ID:dJ6Om8Uf
↑北京と言うのは燕と言うことだから、北方から燕に農民が南下してきていたということもありえる。

211 :月光仮面:2009/04/04(土) 17:16:31 ID:dJ6Om8Uf
鹿児島上野原の資料では被災後最初に鹿児島に入るのは東北縄文人とされている。しかし、鹿児島・
熊本には亀甲墓のようなのもあるし、琉球人のDNAが生き残っていたということも考えられようか。

212 :月光仮面:2009/04/04(土) 17:19:38 ID:dJ6Om8Uf
いずれにせよ殷に宝貝を供給したのは沖縄人であるはずで、また高句麗方面も倭国が那覇に延びる
国との認識とか、後漢書で楽浪海中に倭人ありと言う認識のもとになる海人族と言うものはあったので
あろう。

213 :月光仮面:2009/04/04(土) 17:20:57 ID:dJ6Om8Uf
スマトラ沖地震では地軸の狂いは発生しなかったそうであるが。

214 :出土地不明:2009/04/04(土) 19:17:02 ID:9fKyR+5E
L3.....┳M... ┳┳D  ┳━━D4   32.61%
    ┃    ┃┃    ┗━━D5 .   4.8 .%  D .   37.41%
    ┃    ┃┗━━━━━G.   6.86%  G.   6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47%
    ┃    ┃    ┗┳━━M7b.  4.45%
    ┃    ┃      ┗━━M7c.  0.76%  M7.  12.68%
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22%  M8   2.98%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .%  M10.  1.3 .%  M   61.23%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85%  A     6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┗━━━N9b   2.13%  N9     6.7%
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27%
                ┗R9. ━F    5.34%  R     18.6%  N .   32.15%
                        他...  6.62%  他...  6.62%  他...  6.62%

DとGが他と比べて近いようです。
ttp://i106.photobucket.com/albums/m246/bagger1508/mbev-19-10-16-f01.jpg?t=1238838228
ttp://i106.photobucket.com/albums/m246/bagger1508/dsfwui786876.jpg

215 :出土地不明:2009/04/04(土) 20:44:20 ID:VyVQ4Fip
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

216 :出土地不明:2009/04/04(土) 20:57:59 ID:ERM3b3+5
>>204
一夫多妻だと女が足らなくなるから上戸は絶えず下戸から女を調達することになる

生まれる子供の男は全員上戸のYDNAを持つが女は違う 
世代が進むたびに下戸由来のmtDNAが比率が増える

上戸=支配者層 
下戸=被支配者層
上戸は正妻1人、側室2人を持つ(上戸の娘は上戸に嫁ぐ)
子供は男女2人ずつ 上戸のmtDNA→A 下戸のmtDNA→B とすると

第0世代 正妻の子 男2女2 側室の子 男4女4

第一世代 男   6人 女 正妻の子 2人A      側室の子   4人B
第二世代 男  36人 女 正妻の子 4人A  8人B 側室の子  24人B
第三世代 男 216人 女 正妻の子 8人A 64人B 側室の子 144人B

第一世代のmtDNA 上戸由来2 下戸由来  4 上戸由来のmtDNA 33% 
第二世代のmtDNA 上戸由来4 下戸由来 32 上戸由来のmtDNA 11% 
第三世代のmtDNA 上戸由来8 下戸由来208 上戸由来のmtDNA  3.7%

217 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/04(土) 23:54:49 ID:WmeOhSVG
>>179
朝鮮の民族形成期も日本と同様4世紀以降の民族移動期以降ですから、
紀元前の文化が主流ではないと思うんですが。
>>183
白人がモンスーンの風土に耐えられないとしたら、インド・アーリア人の
成立も無かったことになりますよ。苦い米になるかどうかは解りません
けど。
>>187
>>78-79で云うたよう単一遺伝標識では、「日本人はどこから来たんだ」の
根拠になりません。カルト論者のオナニーですのう。
>>204
漢人に奴隷を提供しとりますから、邪馬台国の実態も階級差はひどいで
しょう。

218 :月光仮面:2009/04/05(日) 08:31:55 ID:FfJJsSy4
>>179
>朝鮮の民族形成期も日本と同様4世紀以降の民族移動期以降ですから、
>紀元前の文化が主流ではないと思うんですが。
そうですね。
>>183
>白人がモンスーンの風土に耐えられないとしたら、インド・アーリア人の
>成立も無かったことになりますよ。苦い米になるかどうかは解りません
>けど。
インドアーリアは神話によるところが大きいようですね。


219 :月光仮面:2009/04/05(日) 08:55:13 ID:FfJJsSy4
>>214
この辺が極東と新大陸をつなぐようですね。中南米の饕餮紋類似文化、南米ボリヴィアで最近発見され
たモホス文化等は弥生時代の移住のようですね。モホス巨人王は形質・遺伝子で山東・遼寧・日本東北
弥生時代人と正式に認定され、棺には隼人紋がありました。

220 :月光仮面:2009/04/05(日) 11:39:41 ID:FfJJsSy4
>>190-191
アムール河上流はブリャート共和国であり、西部ではイェニセイ水系となる。BC1800-BC1300年ころ
バイカル湖・イェニセイ水系アンガラ河流域に漁労・農耕のGlazkov文化が存在する。これがDerevyanko
によれば突帯文土器を持っているとされるが、龍山文化のような卵殻土器、タタキ目手法を使用し、銅器
文化で、銅製釣り針には戻り、ぎざぎざ等を施してあるという。その後この地域はユーロペイドのヘレク
スル文化の影響を受け牧畜文化が主体となる時代を迎える。そしてこの地域には石板墓文化が登場。
匈奴とも言われるが、東胡と言うのが適切kも知れない。ポリツェ文化はグラスコフ文化と同じ漁労文化
であり、東胡のように戦闘的であるのでグラスコフ文化が移動し変化したものと考えられる。ブリャート
共和国地域が牧畜に転ずる時に農耕民が南下して燕、沿海州の方面に入り、山東半島から遼東に
石包丁と共に北上してくる岳石文化人と共に朝鮮半島、日本列島に入ってくるというシナリオではなかろ
うか。



221 :月光仮面:2009/04/05(日) 12:05:32 ID:FfJJsSy4
>>217
>漢人に奴隷を提供しとりますから、邪馬台国の実態も階級差はひどいでしょう。
巨石運搬・古墳建設に動員される労働は苛酷、それを支える税徴収は苛烈だったでしょう。が、支配
構造はさほど分厚くはなかったのでは。

222 :月光仮面:2009/04/05(日) 12:51:39 ID:FfJJsSy4
>>215
>最後に帰国直前ソウルの国立中央博物館で日本では在地の縄文土器とされているのと同じ 突帯文
>土器を目にしてびっくりしてしまった。韓国南部晋州大坪里遺跡のものだった。これはどう理解したら
>いいのだろうか?
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/.shared/image.html?/photos/uncategorized/2007/10/11/photo_2.jpg
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
>縄文時代終わり頃の「突帯文土器」(多賀町土田遺跡)
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/buried_cultural/story/26/image/4.jpg
http://www.pref.shiga.jp/edu/content/10_cultural_assets/buried_cultural/story/26/
これに対する答えは >>220 にあるのだが、グラスコフ文化人の到着が岳石文化人の到着よりも
やや早かったということも考えられる。

223 :月光仮面:2009/04/05(日) 13:06:28 ID:FfJJsSy4
琵琶湖はバイカル湖にそっくりなので渡来人が故郷のグラスコフを湖南に求めそこを高湖原(たかあまが
はら)としていたということであろうか。

224 :出土地不明:2009/04/05(日) 17:47:11 ID:U0Ih5TQd
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

225 :出土地不明:2009/04/05(日) 17:49:15 ID:U0Ih5TQd
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





226 :出土地不明:2009/04/05(日) 17:51:18 ID:U0Ih5TQd



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif




227 :出土地不明:2009/04/06(月) 06:32:34 ID:X1Op1JQP
白馬青牛先生と月光仮面先生のレスは、いつも格調が高い。


228 :月光仮面:2009/04/06(月) 09:45:26 ID:i04Ktxu3
What is "突帯"? It's a
cordon CATEGORY: ceramics
DEFINITION: In ceramics, a strip of clay added around the outside surface of a pot before firing
for decoration or handling. The cordon(s) may be decorated in some way, for example with fingertip
or stick impressions. On wheel-turned pots, cordons may be created by pushing the clay out in a
narrow ring from inside, achieving a similar effect. In metalworking, a cordon is formed in much the
same way as for a wheel-turned pot, that is, by the repousse technique.
http://www.archaeologywordsmith.com/lookup.php?category=&where=headword&terms=cordon
valik
Utolshchyonny i prodolgovaty predmet tsilindricheskoy formy.
Podlozhit v. pod spinu.
Ulozhit volosy valikom.
V. iz testa.
http://www.megakm.ru/ojigov/encyclop.asp?TopicNumber=2628&search=%E2%E0%EB%E8%EA#srch0

229 :月光仮面:2009/04/06(月) 11:19:37 ID:i04Ktxu3
Multi-Cordoned Ware Culture (Mnogovalikovoy Keramiki Kultura)
南ロシアステップ地帯青銅期文化。カタコンベ墳文化の後にくる。この後に木槨(スルブナ)墳文化が
続く。葬制は木槨、箱式石棺、地下横穴。特徴的出土品は骨製バックル/クラスプ。土器は多条突帯、
線刻で飾られている。ミケーネと似るディスク角製轡。青銅斧及び石斧。前17-15世紀頃。

230 :月光仮面:2009/04/06(月) 11:26:03 ID:i04Ktxu3
グラスコフ文化はカラスク文化を介して上記の多条突帯文土器文化に接しているわけであり、突帯文
と言う形で何らかの文化的要素を共有していたと言うこととみらっれる。

231 :月光仮面:2009/04/06(月) 17:22:43 ID:i04Ktxu3
突帯文の起源についての推測
↓これは有名な趙宝溝の土器であるが、↓この絵は天に昇る鹿、天を飛翔する鳳、地に潜る猪、
すなわち太陽の毎日のフェースを表す
http://www.pitt.edu/%7Echifeng/pottery/Zhaobaogou4.jpg
すると、はがまの鍔のような位置にある↓突帯文は地平線を表す。
http://www.pitt.edu/%7Echifeng/pottery/Zhaobaogou4a-.jpg
ピッツバーグ大学趙宝溝調査データ→ http://www.pitt.edu/%7Echifeng/text.html
で、轟B式のようなボルガ・ドン地方の多条突帯文についてはイラン社会における7段階の天国といった
神学の発展に対応するのではないかと思う。これは小河墓の墓標に7本の切れ目がいれてあり、
タタールの墓標にも同様の7本の切れ目が見られることからそう判断するんだが。突帯文の手法は
縄文と同様、特に日本を中心とする、東アジア起源のものではなかろうか。


232 :月光仮面:2009/04/06(月) 17:35:54 ID:i04Ktxu3
モンゴルの近所だから朝青龍等のマワシもそうした起源があり、出雲族の手によって、四隅突出型土俵
もろともブリャート・モンゴルから入ってきたんじゃないかな。出雲大社の注連縄もだ。

233 :月光仮面:2009/04/06(月) 17:38:25 ID:i04Ktxu3
茅の輪くぐりは牛頭天王に由来するが、水平を上下に換えた結界表現とも言える。この場合の茅の輪も
突帯文、まわしだ。

234 :出土地不明:2009/04/06(月) 20:39:05 ID:SlCJmqbF
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

235 :出土地不明:2009/04/06(月) 20:40:09 ID:SlCJmqbF
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

236 :月光仮面:2009/04/07(火) 09:13:34 ID:k/QLCfOr
>>230
山王神社は山の上にあり、坂道に赤い鳥居が列を成し、豊川稲荷では幟が列を成す。鳥居は霊(バー)
をガイドするもので、電子レンジにあって電磁波をガイドするマグネトロンとか、電子管の偏向ヨークのような
役目を果たすものと古代人に認識されたのであろう。
蛇と光は横波
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%A6%E6%B3%A2
チチェン・イツァ
http://www.ne.jp/asahi/fuse/abraham/america/mexico/mx-maya/mx-snake/mx-snake.html
ピラミッドの内部構造はこれを意識している。階段を登って天にいたる構造はピラミッドも出雲神殿も
同じであり、古代に宇奈提と呼ばれたのは雲梯と言うことであろう。鳥居はこうしたガイドであり、茅の輪
は偏向ヨークを表すものと解釈できる。スサノオは遠い過去においてフラダンスを踊る地方から中央
アジア、アルタイに移住したものと考えられる。

237 :出土地不明:2009/04/07(火) 10:36:49 ID:8zGyQoJw
アフリカからはるばる来たんじゃないのかな

238 :月光仮面:2009/04/07(火) 11:04:37 ID:k/QLCfOr
そのとおりで、グラスコフ文化にはエジプトの鰐が描かれている↓
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_2
これは海の民
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E3%81%AE%E6%B0%91
の一員としてグラスコフ文化人がエーゲ海からエジプトに入っていたことを意味する。この結果
日本にも装飾古墳の壁画に太陽神の舟が描かれ、ドーム石室墳にエジプトのニッチ、壁龕を意味
する石屋形、石棚が設けられる。 
http://homepage2.nifty.com/mononoke-kofun-room/HP/yoko.htm
ジョセル王のピラミッドの時代に既にグラスコフ文化は存在していたとされる。
http://kimi.jocv.net/egypt/menphis-saqqara/Goser-malik-map.jpg
http://kimi.jocv.net/egypt/newpage24.htm


239 :月光仮面:2009/04/07(火) 11:12:20 ID:k/QLCfOr
これも同じソース、エベンキ郷土博物記者調査隊がアルタイのサヤンに赴いて太陽の子を復元したもの。
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_1/orig
ヒミコとはこうした側面も兼ね備えていたことであろう。

240 :月光仮面:2009/04/07(火) 11:19:47 ID:k/QLCfOr
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_3
この時に調査隊の発見したグラスコフ土器だが、なんと1-5MMの卵殻土器で表面はたたき目仕上げの
上から木の葉のような模様がつけてあるという。

241 :月光仮面:2009/04/07(火) 11:30:38 ID:k/QLCfOr
グラスコフ文化人は海の民に参加したか、乃至は、海の民に参加していた地下横穴墳文化人から
こうした文化を吸収したものであろうが、ハブール土器、ヒルベト・ケラク土器を持って小アジアに入る
ヒッタイト(フルリ人)、ミタンニ方面からエジプトに馬・二輪車を伴ってはいるヒクソスが別にある。
フルリ人はケト人、羯族、ヒクソスは秦氏・羌族という風に推定する。

242 :月光仮面:2009/04/07(火) 11:32:10 ID:k/QLCfOr
こうした文化は日本列島で全員集合し、天孫地祇神話体系を作り上げたのであろう。

243 :月光仮面:2009/04/07(火) 12:07:27 ID:k/QLCfOr
イスラエル大使はソロモンの宝が隠されているとされる徳島県剣山の麓に白人神社があり、その形が
建屋・タバナクルと同じであることに納得し、皆さんはユダヤ人かもしれませんよと言っていた。が、
白人とは狛人であり、方形周壁を巡らす神殿はエジプトから東夷諸族に伝わったものと考えれば
ユダヤ人の皆さんは東夷と同じ文化を受けたのかもしれませんよと言うこともいえる。

244 :月光仮面:2009/04/07(火) 15:24:25 ID:k/QLCfOr
>>232 四隅突出型墳丘墓の形は↓
「この遺跡はモンゴル中西部の北側、フブスグル県の県庁所在地ムルンの西側20qほどのところに所在
する。」「1号ヘレクスルは積石塚の直径が約13m、高さ2m足らずで、方形の石列によって囲まれ、主とし
てその東側に21基の石堆をもつ(写真4)。」これだ↓
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/image/5-4.jpg
http://homepage.kokushikan.ac.jp/kaonuma/tokuteiryouiki/news/newsletter03/news03_05.html
「調査最新情報 文部科学省科学研究費補助金 「特定領域研究」 Newsletter No.3 (2006年8月号)より
公募研究「北方ユーラシア遊牧民部族社会の考古学的研究」の開始にあたって 
高濱 秀(金沢大学)公募研究「北方ユーラシア遊牧民部族社会の考古学的研究」研究代表者 」
おそらく、このサルボボ(太陽の子)は太陽とそれに照らされる大地を表現しているのであろう↓
http://www.hida-azusa.com/10125.htm




245 :月光仮面:2009/04/07(火) 15:46:01 ID:k/QLCfOr
>>236
オークネフの石柱(ステラ)
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image007.gif
そこに茅の輪と同様に垂直方向に描かれた四隅突出型墳丘墓平面に似た図面、それは土俵のようでも
ある。オークネフこそ牛頭天王の宗教が確立された地点と考えていいのではなかろうか。オークネフは
高地性集落祭祀遺跡が多いところである。

246 :月光仮面:2009/04/07(火) 15:54:18 ID:k/QLCfOr
この図案は天動説宇宙像↓
http://chss.montclair.edu/english/furr/images/ptolemai.gif
によると、角が月に対応しており、中心は大地となる-すなわち素盞嗚命である。
古代人は天動説宇宙における惑星運動↓が常に脳裏にあったのであろう。
http://csep10.phys.utk.edu/astr161/lect/retrograde/epicycle-move.gif

247 :月光仮面:2009/04/07(火) 16:21:02 ID:k/QLCfOr
オークネフの牛頭天王はブリャートでは閻魔になって行く。チベット、ネパールでも同様。
http://img.sunhome.ru/UsersGallery/religion/04200723204107.jpg
これはオークネフのたたき目突帯文土器↓
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_2_sm.jpg
オークネフのこけしのような凍石製人形↓
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_3_sm.jpg

248 :月光仮面:2009/04/07(火) 17:48:08 ID:k/QLCfOr
オークネフ人の人類学的分類は、ユーロペイドでないことははっきりしているが、イェニセイ・サモエード
語族系統ではないかなどと判然としていない。私見であるがこれは小アジアを中心としてコーカサス方面
で活躍したフルリ人であり、中国では羯族とされ、日本神話では気多大社に祀られているものと考える。
周の召公がこれで、匈奴の実体もこれであったのではなかろうか。人種的にはハンマー投げの室伏
選手によく似た感じでYDNA Qであろう。

249 :出土地不明:2009/04/07(火) 21:15:02 ID:9TXOJgTT
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/





250 :月光仮面:2009/04/08(水) 08:50:53 ID:FlhnQoFM
道成寺、安珍と清姫、女心、焔、蛇、銅鐸生産工程を芸術化したものであろう。香具山/金峰山/金剛山/
金山/アルタイ/ピラミッド/オベリスク 嶽神、山戎 こうしたものはパミール、アルタイ、ザバイカル等の
里山トランスヒューマンス=季節巡回放牧・農業牧畜共存と関係する。牛頭天王を平地的/戎とすると
銅鐸は山戎の宇宙像、天蓋と大地を表し、オークネフの山上遺跡でシャーマンがタンバリンを振って
天と交信する、金属音を発することに由来するものと考えたい。モンゴリアを東西に両断する境界線で
エウロペ・円墳系とモンゴロイド・方墳系の2つの埋葬形式が分布しているという。オークネフはモンゴロ
イド系要素の方に取り入れられるのであろう。

251 :月光仮面:2009/04/08(水) 15:37:06 ID:FlhnQoFM
「山戎の一部は近隣にいた穢系部族連盟と交わり、数百年かけて相互に同化吸収し、最終的に一体化し
ていった可能性もある。」そして、遂には日本列島に銅鐸文化を持ち込んだ可能性もある。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kozoku/kozoku3-sanjyu.htm

252 :月光仮面:2009/04/08(水) 16:05:46 ID:FlhnQoFM
この地図の一番右、上、シラムレン川方面に赤峰がある。そこに山戎文化とか、銅鐸文化があったのだ。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo28.jpg
それは江上波夫によって発見された↓
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo42.jpg
121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ一・八cm、
文学部考古学研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、長さ二・〇cm、
文学部考古学研究室列品室 赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸
である。夏家店上層文化は、初期遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、スキトーシベリア動物意匠
も既に見出される。
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html

253 :月光仮面:2009/04/08(水) 16:16:02 ID:FlhnQoFM
「中原の夏・殷・周時代に相当する、この地の青銅器文化には、早期では夏家店下層文化、殷
末周初では喀左県などで穴蔵から出土したものを含む青銅器軍、西周・東周時代頃の相当する
ものでは夏家店上層文化や青銅曲刃短剣などが発見されている。文献によると、この地で生活
していた民族には、華夏・粛慎・束胡などがあり、いずれも今の中国を構成している民族である。
また、西周初期には燕国の勢力範囲が既に遼寧に達していた。」東胡の生業モードとしての山戎か。
http://www4.ocn.ne.jp/~yuukoh/ryouneirishi.htm

254 :出土地不明:2009/04/08(水) 20:27:07 ID:KT2DNlqr
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた



255 :出土地不明:2009/04/08(水) 20:28:22 ID:KT2DNlqr
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

256 :出土地不明:2009/04/08(水) 20:29:27 ID:KT2DNlqr

その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

そして世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

257 :出土地不明:2009/04/08(水) 22:00:54 ID:rtmg1lDl
↑↑ は嘘でした。

>その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
>遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
>先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

どこのいせきから?



258 :出土地不明:2009/04/08(水) 22:22:45 ID:KT2DNlqr
これで文句ねえだろ?江南ベトナピーノ広鼻ブラック台湾類人猿w



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

259 :出土地不明:2009/04/09(木) 08:16:04 ID:Vl/0Z/I4
 ↑↑ は嘘ですね。

“おアソビ”で作っているリンク先を示されても、その内容に

>その入れ墨の歴史はとても古く、今から10,000万年以上前の旧石器時代の
>遺跡から、人骨とともにいれずみをするのに使っていたであろうお皿や
>先のとがった棒が発掘されているらしいよ。

と書いてあるが、どこの遺跡でしょうか。
裏付けがまったくされていませんね。
裏付けのないリンク先なら、もっと凄いのがいっぱい有りますよ。




260 :出土地不明:2009/04/09(木) 08:41:29 ID:HyIDM7yO
>>259
リンク先に聞いてみたら?w

261 :月光仮面:2009/04/09(木) 09:24:05 ID:jdLO0XyK
>>251-253
アムール・日本海海人族は海幸、遼河・ザバイカル山戎は山幸として記紀に謳われたのだろう。

262 :月光仮面:2009/04/09(木) 12:48:25 ID:jdLO0XyK
海幸山幸の元はグラスコフ文化人、これが半島、列島に移動を始めるのは印欧諸族が極北
http://i044.radikal.ru/0712/5e/71c63fbaabad.jpg
において、ギリシャのアポローン 
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%9D%E3%83%AD%E3%83%B3
が、おそらくは多条突帯文土器と共にバルカン半島に下り、犬戎・ハビル・海の民がエジプトに
太陽神アテンを持ち込むころ、
アテン
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%B3
[アメンホテプ4世(Amenhotep IV)は古代エジプト第18王朝の王(ファラオ)で、生年紀元前1362年?〜没
年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?〜紀元前1336年?ころである。]
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%974%E4%B8%96
ヒミコの原型はグラスコフ文化が太陽神思想を吸収したこと
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_1/orig
によると考えられる。



263 :月光仮面:2009/04/09(木) 12:58:56 ID:jdLO0XyK
Ye.N. ChernykhがT.V. Gamkrelidze-V.V. Ivanov印欧アルメニア原郷説のうち拡大最終局面の部分を
是認しているが、そこにはセイマトゥルビノ文化の西進に伴う青銅袋状(ソケット)斧の欧州への伝播、
周黒海圏の崩壊、晩期青銅器時代の開始がある。私はこのソケット鋳造技術に殷・龍山文化の寄与
があり、印欧族の大返しは二輪車・馬の獲得により欧州での拡大に自身をつけた結果であろうと推測
する。

264 :月光仮面:2009/04/09(木) 13:08:14 ID:jdLO0XyK
遊牧民の交易に神話の共通化が付随したことはオルドスとアルタイの夏家店上層における
製造・供給関係を研究してもうかがい知ることが出来るとされる。太陽神は青銅文化・技術の拡散に
付随したものといえる。

265 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:17:01 ID:jdLO0XyK
日本における太陽神・天照大神が青銅器文化の中心地、九州北部・出雲に集中していることは
天孫と言うのは九州北部の青銅器文化であったことを物語る。

266 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:23:46 ID:jdLO0XyK
アテン神は高良玉垂という言葉がよく表している。↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Aten_disk.jpg

267 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:26:14 ID:jdLO0XyK
太陽を象徴する特大内行花文鏡が出土した平原遺跡はアテン神殿を想起さす↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/64/Small_aten_temple.jpg

268 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:31:18 ID:jdLO0XyK
アテン→玉垂→アマタラシ→アマテラスと言う線が浮上する。

269 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:44:28 ID:jdLO0XyK
>>266
実際にひらひらのついたのは秋田県横手の梵天である。

270 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:51:28 ID:jdLO0XyK
>>250
>オークネフの山上遺跡でシャーマンがタンバリンを振って天と交信する、金属音を発することに由来
>するものと考えたい。
日光二荒山山頂では鉄鐸が出土し、会津磐梯山は宝の山とされるが、これは鈴鳴りと解釈できる。

271 :月光仮面:2009/04/09(木) 14:57:08 ID:jdLO0XyK
>>263
>印欧族の大返し
新世代ユーロペイドY DNA Rの分布から、その発生と拡大がこの多条突帯文土器・馬・二輪車と一致
する。

272 :月光仮面:2009/04/09(木) 15:58:01 ID:jdLO0XyK
ロシアのウェブサイトで縄目文土器と言うのがあり、画像があるとしているのでクリックするとこれ↓
http://www.archeologia.ru/Library/Image/32033ea9376c/large/pic116
「すみませんが、縄目文土器の画像が外されましたので代わりにこれを出します」としてあった。
これは突帯文だよなー。おそろしや。

273 :出土地不明:2009/04/09(木) 19:45:22 ID:OnT8s4r1
     ∧__∧    
    (・ω・`)  資料をご覧になって下さい
     と  ⊂)
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

   ∧__∧    韓国に対する愛情はないのかーっ!
   <#`Д´>||| 
  (     O//バンッ!!
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

     ∧__∧    
    (・ω・`)  資料を見て下さい
     と  ⊂)
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
    ∧__∧    
    <;`Д´> 資料はそうだけれど…
   (つ/⌒と)
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
     ∧__∧    
    (・ω・´)  ・・・、資料を見てくれ
     と  ⊂)
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

    ((⌒⌒))
   ((((( )))))
     | |
    ∧_∧    研究者としての良心はあるのかーっ!
   ∩#`Д´>'') 
   ヽ    ノ
 | ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|

274 :出土地不明:2009/04/09(木) 20:24:11 ID:w129YwdA
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

275 :出土地不明:2009/04/09(木) 20:25:07 ID:w129YwdA
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

276 :出土地不明:2009/04/09(木) 20:26:07 ID:w129YwdA
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

277 :月光仮面:2009/04/10(金) 12:48:04 ID:JC2PFIcm
>>262
アメンがあるのにアテンとは、ヘリオスがあるのにアポローンとは、スサノオがあるのにアマテラスとは、
インドにはヒンズークシュの西回りでヴェーダの神が、東回りでオークネフの神が南下し、中原には
10個の太陽が照りつけることとなる。これを打ち落として一個の太陽に統一するのが傭兵、東夷の
任務で御日射として、ブリャートモンゴル、日本にその慣習は残っている。山海経で倭と朝鮮の間に
存在する列陽もこうした諸族乱立状態と考えられる。全ては晩期青銅器時代の冶金技術革新、馬、
二輪車の急速な発達の結果がもたらしたもの。アポローンにも高夷/高句麗にも白鳥が登場するが、
アルタイには今も白鳥族がいる。

278 :月光仮面:2009/04/10(金) 16:04:15 ID:JC2PFIcm
新羅の太陽が消滅し、九州では辛国息長帯比売大目の命が出現する。
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/sinkan-siragi/siragi.-king8-adara.htm
そうして平原遺跡に太陽を象徴するヒンドゥー教のシュリ・ヤントラの形をした国産内行花文鏡が大量に
埋納される。太陽を失った国は大慌てしたことであろう。


279 :月光仮面:2009/04/10(金) 16:08:42 ID:JC2PFIcm
この太陽の象徴を平原に放置すると大和朝廷も新羅と同様の立場になる。かといって九州側も
簡単には渡せない。神武等はどうももらえなかったようで、仲哀の代になって初めてウルサンに降臨した
者の子孫で伊都国の県主であるイトデからやっと貰える。この間大和における歴代のヒミコの立場は
きわどいものであったことであろう。

280 :月光仮面:2009/04/10(金) 16:16:15 ID:JC2PFIcm
記紀では一応崇神が鏡をもっており、寝食を共にしている、宮殿に祀ってあることにはなっている。
しかし、そうなら、仲哀は何もイトデから鏡を貰う必要もなかったはずなんだが。

281 :月光仮面:2009/04/10(金) 16:20:06 ID:JC2PFIcm
もし、平原女王の葬儀に大和朝廷の代表が出席しており、無事に大和への移管が行われたのであれば
崇神のところにあってもおかしくはない。しかし、女王の葬儀の時邪馬台国は存在していなかった可能性
が高い。

282 :月光仮面:2009/04/10(金) 16:56:06 ID:JC2PFIcm
ハヤヒワケと言うのは肥前・肥後の国ということで、シロヒワケと言うのは筑前・筑後のようであるから、
ニギ・ハヤヒというのは筑前・筑後の王と言うことになるが、これが安曇海人族であり、出雲にも勢力
を持ち、河内・大和も支配していたようで、神武と言うのはこの支配を脱却した大和河内を中心とする
連合国家を形成することにあった。伊都国のイトデなどというのは何代目かのニギハヤヒと言うことに
なる。当時の列島は海幸党、山幸党の二大政権国家。神武は山幸党の男性総裁のようなものか。

283 :出土地不明:2009/04/10(金) 23:27:13 ID:aZvGnqCI
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

284 :出土地不明:2009/04/10(金) 23:29:14 ID:aZvGnqCI
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

285 :月光仮面:2009/04/11(土) 09:59:50 ID:hcGfUpbW
>>282
>当時の列島は海幸党、山幸党の二大政権国家。神武は山幸党の男性総裁のようなものか。
(1)秦・漢時代は青銅器埋納時代であり、九州に海幸圏(倭人)が、近畿に山幸圏(山戎・銅鐸)が形成さる。
(東夷/東胡を水辺系、里山系に分類、これを海幸、山幸とする。これ以外に中央アジアには犬戎・鬼方・
西戎等ユーラシア・ノマドがある。)
(2)三国時代に近畿山幸が邪馬台国を中心とする倭国連合を樹立するが、海幸は狗奴国として抵抗を
開始する。
(3)五胡十六国前秦時代に三韓と倭が対高句麗で共闘することにより、山幸・海幸の対立が解消され、
戎(犬戎・秦、鬼方・東漢などユーラシア・ノマド)系の渡来人の流入が始まる。山戎王朝は衰退を開始
する。
(4)AD507年継体王朝、百済、ユーラシアノマド文化、大化の改新、壬申の乱→




286 :月光仮面:2009/04/11(土) 10:22:13 ID:hcGfUpbW
(2)縦穴古墳
(3)横穴古墳 「磐立たす少彦名」、エジプト・ユーラシア巨石文化、牛頭天王・ユーラシア牧畜ノマド
等の価値観の存在が認識された。
(4)穹窿・装飾古墳 こうした文化は仏教伝来、隋・唐からの文化吸収と共に終焉し、奈良時代に入る。

287 :月光仮面:2009/04/11(土) 10:46:20 ID:hcGfUpbW
天皇が縄文系、弥生系、何系であったかは解らないが、神功皇后、天武天皇等は、現代で言えば、
票読みの天才であったことには間違いない。そうした天才達が見た当時の倭国の構造こそ実態を
表すものであろう。すなわち海幸・山幸軸は琵琶湖と吉野の間に存在していたのだ。

288 :月光仮面:2009/04/11(土) 11:06:52 ID:hcGfUpbW
邪馬台国・大和朝廷琵琶湖・淀川・大阪湾・庄内土器/ニギハヤヒ・長髄彦陣営と大和川・奈良盆地・
布留式土器/神武との戦いと言うか、神武と初代ヒミコ・イスケヨリヒメの神婚によって成立したのでは
ないだろうか。イスケヨリヒメの出自は淀川中流域である。これは東進してきた四隅突出型墳丘墓文化圏
と拡大を始めた近畿銅鐸圏が吉備で衝突した結果の反映であるとも言える。

289 :月光仮面:2009/04/11(土) 13:07:44 ID:hcGfUpbW
アマテラスの嫡男はオシホミミ、これは
九州甕棺 表4 地域毎の時期別基数 
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan.html
これから見ると「小郡・鳥栖 筑前・肥前・筑後の三国地域で福岡県筑紫野市南部,小郡市,佐賀県鳥栖
市東部を含む。将来的には鳥栖市地域で独自の地域圏をつくる可能性もある。 」
図6-1九州における大形甕棺分布図 X期/図6-2北部九州における大型甕棺分布図 X期
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan6.jpg
図8地域毎の時期別規模
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan8.jpg
図7甕棺墓の時期別分布図
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/kenkyuusya/fujio/kyushu/kamekan7.jpg
小郡・鳥栖であったが後に邇邇藝が伽耶から帰国する頃には遠賀川上流に達していた。同時に
元伊勢の秘宝と国宝海部家系図
前漢内行花文昭明鏡 辺津鏡
後漢内行花文長宜子孫八葉鏡 息津鏡
鏡の考古学
http://home.p07.itscom.net/strmdrf/kagami.htm
前漢内行花文銘帯鏡
三雲遺跡南小路1号  甕棺 弥生3
須玖岡本遺跡D地点  甕棺 弥生3
三雲遺跡南小路2号  甕棺 弥生3
後漢内行花文鏡
平原遺跡       割竹 弥5/古墳
これを考えると、元伊勢・籠神社にも到達していた。
これがすんなりと大和に出なかったのは邇邇藝・神武と言う集団には四隅突出型墳丘墓と言う陰の
石棺墓文化があったからと考ええられる。これが狗奴国の正体ではなかろうか。


290 :月光仮面:2009/04/11(土) 13:27:10 ID:hcGfUpbW
日本に流入するモンゴリア方墳・東夷/東胡系山戎文化は方形周溝墓→四隅突出型墳丘墓の2つの
時代があると想定できる。その最初に時代が銅鐸時代で、後の時代が四隅突出型墳丘墓・埴輪時代
である。

291 :月光仮面:2009/04/11(土) 13:29:45 ID:hcGfUpbW
九州甕棺・支石墓の後、山陰の四隅突出型墳丘墓と共に、西都原の円墳が始まり、この2つが融合する
のが吉備、そこから生まれた前方後円墳が大和に伝わる。

292 :出土地不明:2009/04/11(土) 15:27:08 ID:Gz8ZOtE+
思いやりとか目くばり気くばりとかそんなサヨク(左翼ですらない)臭いもんじゃなくてさ
日本人だったらもっとこう粋(いき)とか鯔背(いなせ)ってもんが
生まれ育った中で身体に染み付いた物として自然に出て来なきゃ駄目だよ
人のためなんて一々頭で考えるんじゃなくて、格好悪いから野暮な事はやらない。
それだけで充分だろ。
江戸しぐさとか知識武装にだけ必死な自称江戸っ子のお上り百姓が多過ぎだよ。戦後の東京は。

293 :月光仮面:2009/04/11(土) 15:46:45 ID:hcGfUpbW
>>289 ←これと↓これを合わせて読んで見る。
「九州・山口地域の弥生人骨の発見地 九州では、福岡平野や佐賀平野などの水田稲作に適した地域か
ら出土する人骨は渡来系弥生人です。一方、九州でも、長崎県や五島列島などの山間部や、伝統的な
漁労を続けていた海岸部の地域から出土する人骨は縄文人そっくりです。つまり、この時代には渡来系
弥生人と縄文人の子孫たちが「住み分け」をしていたようです。 」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_13_01.jpg
どうもオシホミミは石棺墓(四隅突出型墳丘墓)に取って代わられたようだ。しかし、肥前・肥後には
已然として支石墓の残党は残っていた。



294 :月光仮面:2009/04/11(土) 15:49:59 ID:hcGfUpbW
↓これはその後の神武(ニニギ)、海部(ホアカリ)の足跡かもしれない。
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_13_02.jpg

295 :月光仮面:2009/04/11(土) 15:58:21 ID:hcGfUpbW
単に一時のニニギとか、ホアカリの渡来では説明できない。そうしたイベントと共に弥生農耕民が近畿
東海で出現する稲作適地の増加に追随して移動する長期的なトレンドが重なっているのではなかろうか。

296 :月光仮面:2009/04/11(土) 16:58:42 ID:hcGfUpbW
「日本最古の伝世鏡  海部宮司家に国宝以上に重要なものとして伝えられてきたのが、神宝「息津鏡」
「邊津鏡」です。 国宝系図に天祖からこれらの鏡を授かったと書かれており、その素性の正しさを表して
います。 また考古学的にも出土したものとは全く異なることが認められ、古代丹波王国の王権のシン
ボルといわれています。」
http://www.tankai.jp/amanohashidate/konojinjya/image/kagami1.jpg
http://www.tankai.jp/amanohashidate/konojinjya/image/kagami2.jpg
http://www.tankai.jp/amanohashidate/konojinjya/image/konojinjya.jpg
真奈井神社
http://kammuri.com/s1/motoise2/manai/04-1.jpg
これはダビデ紋だ、ソロモンの紋だという人もいるが、ヤントラ↓
http://www.tantra-kundalini.com/images/tantra-sri-yantra
と考えるのがいいのでは。インドの国章も菊紋のようだし。いずれにせよホアカリとは太陽神だ。

297 :月光仮面:2009/04/11(土) 17:03:20 ID:hcGfUpbW
http://en.wikipedia.org/wiki/File:SriYantra_construct.svg
ヤントラ

298 :出土地不明:2009/04/11(土) 17:07:10 ID:IRvg8cpA
YAP+の話なんですが、
日本人特有のD2は、
D*を基に
1ヶ所TがCに置換(M55)され、さらに
どこかに1塩基が追加で挿入(M57)されたもの
だが、M55にとどまっている人は見つかってない
という理解でよろしいのでしょうか。

とすると、M55の変異によってD*から分かれ
集団内でM55がほとんどになったのち、
さらにM57が発生し、M57がほとんどになった
ということで、

これは、日本列島に来る前に、どこか(例えば沖縄)で
隔離、ボトルネック現象が起きたということを意味してるのでしょうか。

それとも、
2ヶ所の変異が同時に起こることは、
それほどめずらしくないということなのでしょうか。



299 :出土地不明:2009/04/11(土) 17:18:46 ID:pUF1fopM
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

300 :出土地不明:2009/04/11(土) 17:57:32 ID:waYpySlw
>>298
生物板できけ

301 :月光仮面:2009/04/12(日) 08:39:32 ID:K3Q3/y5g
>>298
# D2 (M55, M57, M64.1, M179, P37.1, P41.1, P190, 12f2b)
↑大奥・ホストクラブ的縄文時代
↓歌垣時代
* D2a (M116.1)
o D2a1 (M125)
+ D2a1a (P42)
# D2a1a1 (P12)
+ D2a1b (022457)
# D2a1b1 (P53.2)
o D2a2 (M151)
o D2a3 (P120)
こんな感じですかね。



302 :月光仮面:2009/04/12(日) 09:19:12 ID:K3Q3/y5g
>>299
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/KyotoFushimiInariLarge.jpg
魂をガイドするものではないかな。

303 :月光仮面:2009/04/12(日) 09:54:12 ID:K3Q3/y5g
サッカラの偽扉を通過し、ピラミッドの大回廊を蛇行しては上昇し、少彦名の隋道を潜り抜け、天の
極北の天御中主に達したバーは草原、氷原、タイガの上でオーロラを発し、千の風となって日本海を
吹き降ろし、鳥居を通って社に収まる。しかし、それは実際には犬戎、牛頭天王/鬼方などのユーラシア
ノマドの言霊となって日本に渡来した。道すがらセム・イランの地で宗教化したのがアブラハム宗教
であったのであろう。

304 :月光仮面:2009/04/12(日) 10:09:04 ID:K3Q3/y5g
>>302
鳥居は天を表す赤い部分と地を表す黒い部分に分かれている。太陽が地平線に沈み、大地の底も
通過することを表すものであろう。こうした思想は太陽の沈まない白夜と、太陽の昇らない冬が繰り
返す極北の地でしか実感できない。シリウスの動きでナイルの増水時期予想をエジプト民に教えた
のはウラルの犬戎であったとする説に合点が行く。極北の地とは鉱物資源の豊富な金の山アルタイ
地方と見られる。

305 :月光仮面:2009/04/12(日) 10:21:01 ID:K3Q3/y5g
なぜあんな寒いところに行って太陽を実感しなくっちゃならないんだ?これこそピラミッドの謎を解く問題で
あるが、それこそ青銅器時代の象徴で、青銅の持つ価値を表す金字塔がピラミッドであろう。アルタイ
(金山)に登る太陽の軌跡こそ、銅鐸が表すもので、金峰山、金剛山、金山は自然の山が銅鐸同様の
効果を持っていたことによるものと考える。それは青銅刀子、中国の貨幣のデザイン、五円玉、五十円玉
となって現在にも生きている。

306 :月光仮面:2009/04/12(日) 10:32:09 ID:K3Q3/y5g
ギリシャのヘリオスはバルカン半島を大きな中心とする砒素を合金元素とする初期青銅器文化の太陽
神とすると、アポローンは錫を合金元素とする晩期青銅器文化の太陽神とすることができるのではない
だろうか。中国の場合はこれにおまけに鉛が加わる。

307 :月光仮面:2009/04/12(日) 10:36:41 ID:K3Q3/y5g
アポローンの使いとされる白鳥は高夷、高句麗、日本にもあるが、おそらくは王権(鳥の王様)といった
意味でなかろうか。

308 :月光仮面:2009/04/12(日) 10:53:50 ID:K3Q3/y5g
印欧原郷問題を複雑化させる東から西への流れとピラミッド問題は錫を添加合金とする晩期青銅器文化
の拡散と言うことで、セイマ・トゥルビノ青銅器文化の急速な西進と関連するが、中国及びその周辺の
急速な銅器・錫/錫鉛青銅器文化の展開、商・殷/周といった黄河中流域への金属文化の流入とも同じ
文脈で解釈できる。そして、無文・弥生時代の開始もこの延長線上で解釈できる。

309 :出土地不明:2009/04/12(日) 10:59:58 ID:dLz6hYBu
おい、月光、おまえスレが終わったら責任持ってスレ立てしろよ。

スレを一番ムダに激しく消耗してるのはおまえなんだからな。

310 :月光仮面:2009/04/12(日) 11:41:09 ID:K3Q3/y5g
天命というか、山上の垂訓と言うか、封禅と言うか、高地性集落、ワカタケル、天武天皇・・・山戎と言うのも
綏遠にとどまらず普遍的なものかもしれない。ソロモンの虎の巻が剣山にあったりしてね。

311 :月光仮面:2009/04/12(日) 11:52:50 ID:K3Q3/y5g
>>303 ユーラシア少彦名のアブラハム教への影響↓
「針の穴(ルカによる福音書18章〜25〜27節)「・・・金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る
方がまだ易しい。」これを聞いた人々が、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言うと、イエスは、
「人間にはできないことも、神にはできる」と言われた。 」

312 :月光仮面:2009/04/12(日) 12:06:46 ID:K3Q3/y5g
>>301 変異の列は相撲トーナメント実績チャートのようなもんで
韓国、チベットなんかのD1は朝青龍と園児の対戦、朝青龍が勝ちっぱなし、日本のD2は園児対
高砂部屋で、園児はくりくり変わるだけ。これを説明するのはドリフトという現象だが、ペット屋さんで
名犬を生産するのと同じ。要するに「ヨンサマ」見たいな流行ものを追っかけたというか。


313 :月光仮面:2009/04/12(日) 12:17:43 ID:K3Q3/y5g
遺伝的浮動(いでんてきふどう、genetic drift)とは、生物個体群での選択圧から直接影響を受けずに偶
然性に左右される遺伝子プールの変化のことである。機会的浮動とも云う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E6%B5%AE%E5%8B%95
集団遺伝学におけるボトルネック効果(-こうか)またはびん首効果(びんくびこうか)とは、生物集団の個
体数が激減することにより遺伝的浮動が促進され、さらにその子孫が再び繁殖することにより、遺伝子
頻度が元とは異なるが均一性の高い(遺伝的多様性の低い)集団ができることをいう[1][2]。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9C%E3%83%88%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%83%E3%82%AF%E5%8A%B9%E6%9E%9C
屋久島では牝ざるとしては一頭しか生き残れなかったとされる喜界カルデラ大爆発、これはD2ボトルネック
に多大な影響を与えたはずだ。イソラという恐ろしい伝説がある。

314 :月光仮面:2009/04/12(日) 17:35:58 ID:K3Q3/y5g
「もしこの臆説を眞とせば、次に考ふべきはこの思想は支那本來のものなりや、はた外來のものなりや
の問題なり。思ふに陰陽及び天地人三才の思想はカルデアにもアッシリアにも存し、イラン民族に起りし
ゾロアスターの教は、陰神陽神を設けてその世界觀を説きたり。印度にては三才の思想は梨倶吠陀
(リグヴェーダ)に存し、佛教の眞如と無明とは陰陽思想の變形なり。この思想はアリアン及びセミチック
種に著きが如し。而して二十八宿は印度にては二十七宿( 初めは二十八宿なりし也、ナクシヤトラと
いふ )にして、アラビアにては二十八宿なり。この類似は三者偶發的とするよりも、同一起源に基ける
ものと考ふるを至當とす。その起源に就きては、從來之れが研究に從へる西人の間に考説の區々なる
ありと雖、とまれセミチック族に起りしものならん。支那より西方に移り行きしものとは考ふる能はず。
而してラッセンによれば二十八宿の印度に入りしは、西紀前一一五〇年頃ならんと。その眞僞は明なら
ざれども、支那に入れるもその前後なるべきか。」
http://www.aozora.gr.jp/cards/000603/files/4729_17130.html

315 :月光仮面:2009/04/12(日) 17:41:31 ID:K3Q3/y5g
ユーラシアノマドの天・地・人の思想が「西紀前一一五〇年頃」中国に到達したことを白鳥博士が
看破したのはなんと→初出:「東亞研究」第二卷第四號 1912(明治45)年4月
まさに、幾世経ぬらむ志都の岩屋はである。


316 :出土地不明:2009/04/12(日) 20:06:38 ID:zJpXV9g+
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





317 :月光仮面:2009/04/13(月) 11:50:11 ID:29SZ1X2o
東カザフスタン・シェモナイハ出土プルジェヴァルスキー馬首刀子。これがセイマ・トゥルビノ「現象」で
洗練される。
http://www.aaa.kz/images/2007/200702_11a.jpg
このセイマトゥルビノ「現象」は先ず西欧に向けて発進を開始する。
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_42.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_40.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_39.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_38.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_37.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_36.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_35.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_34.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_33.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_30.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_32.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_29.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_28.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_26.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_25.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_24.jpg
http://history.novosibdom.ru/files/u5/sibir_23.jpg


318 :月光仮面:2009/04/13(月) 11:56:35 ID:29SZ1X2o
http://www.metmuseum.org/toah/ht/03/nc/ht03nc.htm
↑セイマトゥルビノとカラスクの年代関係
セイマトゥルビノ 前16-14世紀
カラスク      前12-10世紀、これが殷・商時代

319 :月光仮面:2009/04/13(月) 12:07:48 ID:29SZ1X2o
[論文] 気候変動と考古学 甲元眞之
http://reposit.lib.kumamoto-u.ac.jp/bitstream/2298/7901/1/BR0097_001-052.pdf
「以上の遺跡の状況から推察される考古学的事実は、西周末期から春秋前期にかけて寒冷乾燥化し、風
成砂層が堆積する環境にあったことを示すものであると言いうる。この点は中国の文献上でも確認するこ
とができる。『太平御覧』が引用する『史記』は本来『竹書紀年』であったと推定されているが、この周孝王
七年条には、王生る。冬、大雨と雹あり。牛馬死し、江・漢、倶に凍る。と記され、ひどく寒い時期であったこと
が知られる。また今に伝わる『竹書紀年』の記事から、この頃晋の領域で寒冷乾燥化した状況であったこ
とを窺うことが可能である。紀元前9世紀末から8世紀にかけての頃には極めて劣悪な環境が展開してい
たことが分かる。
この時期の寒冷化現象は北方及び西方地域では極度の乾燥化をもたらした(1993)。ためにこの時期中国
西・北方地域で生活していた非中原系民族が幾度となく南下して黄河流域を席巻した事実は、中国の史
書に詳しい記載があり、中でも『竹書紀年』には宣王の後半期に戎との戦いが頻発したことが記されている
(補注)。」

320 :月光仮面:2009/04/13(月) 13:39:25 ID:29SZ1X2o
>>307
エジプト伝説では世界は混沌の中から水島(丘のような島)が盛り上がり、鵞鳥が卵を産み、太陽となり
形成されるということで、卵の黄身から太陽が生まれるらしい。水鳥は渡り鳥であり、太陽が季節によって
天球を南北に移動するのが水鳥の属性と同一視されたようだ。日本の賀茂氏、古墳の上で振られる鳥型
木製品の由来はどうもこの辺にあり、大三島が神聖視されるのもこの辺からのようである。白鳥も太陽の
線の解釈が可能である。

321 :月光仮面:2009/04/13(月) 13:45:17 ID:29SZ1X2o
太陽が地平線に沈み夜の世界に入ることが黄泉の国に入ることとされ、古墳の葬送儀礼の一環となった
と言うことが考えられる。

322 :月光仮面:2009/04/13(月) 14:07:04 ID:29SZ1X2o
>>135
>>169
デーミウルゴスはエジプト神話のプタハ・牛、大地、石工、職人と解釈するとフツの御霊、萬思兼命
の両方に通じる。ホトタタラ姫は女陰を祭ったのではなく神牛を祀ったと解釈できる。

323 :出土地不明:2009/04/13(月) 14:18:15 ID:ipjMl2pT
月光仮面とやらいい加減読書感想文を書き込むのは止めてくれないかね。

324 :月光仮面:2009/04/13(月) 14:22:27 ID:29SZ1X2o
往古イェニセイ河はエベンキ語でKem(鴨)川と呼ばれたとされる。京都の賀茂川には賀茂神社がある。

325 :月光仮面:2009/04/13(月) 15:30:59 ID:29SZ1X2o
記紀、由緒等につき民俗・神話学的方面からもう少しクリアにする必要があるようだ。
車線変更し、民俗・神話版、ヒクソスから帰還した渡来人、の方に移動する。
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1204867737/


326 :出土地不明:2009/04/13(月) 19:00:29 ID:HFBtimKG
月光たん
いつも目からウロコの書きこありがとねm(_ _)m

ところで過去スレ見ると、オークネフ三つ目文明を日本に浸透させたのは、秦漢時代の山戒の銅鐸族と、五胡十六国時代の鬼方の東漢氏とどちらなの?両方なの?

いつも混乱しちゃいます(^_^;)

327 :出土地不明:2009/04/13(月) 19:13:28 ID:TRxN+X2Q
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html

328 :月光仮面:2009/04/14(火) 10:00:23 ID:52Yy+twH
>>326
斉家文化期には盾形銅牌飾の意匠に頻出し、西周時代にはその角の形から鬼方とされたオークネフ
三つ目を日本に最初に入れたのは五胡十六国時代の東漢氏でしょう。
エジプトのアピス信仰、地中海の闘牛、牛頭信仰、コーカサス・マイコープ文化の牛像、アーロンの牛
等となったもので、大地を意味するPtah(おそらくフツの御霊)のお姿が牛ですね。
銅鐸はおそらく天地人三点セットであり、牛頭天王と同じ趣旨でしょうが、山岳、ピラミッドのような山の
形をするものと関係するのではないかと思います。これは東漢氏よりも早く秦漢時代に入ってきている。
吉野ヶ里に入った小銅鐸から鏡に転換される直前の琵琶湖南岸の大型見る銅鐸にいたるまで日本国内
で完成の度を増していったが、祖形の夏家店上層時代には既に形としては後期のものが出来ていた。

329 :月光仮面:2009/04/14(火) 10:25:32 ID:52Yy+twH
>>301
D2の異常な変異については解釈に困っています。比較的に類似のものとしてはRがあり↓
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpR.html
D2はこれ↓
http://www.isogg.org/tree/ISOGG_HapgrpD.html





330 :月光仮面:2009/04/14(火) 10:28:35 ID:52Yy+twH
Rについてはスコットランド・マクドナルド家の血統だとしているので、こっちも負けずに吉野家の血統だ
といってみるかな(笑

331 :月光仮面:2009/04/14(火) 10:59:29 ID:52Yy+twH
>> Ptah
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/0/00/Ptah_standing.svg/291px-Ptah_standing.svg.png
もしかして、笏杖の部分がフツの霊で、X印のボデーがホトタタラのホトかもしれない。X印が
スキタイ・シベリア文化では冥界と太陽を表す。太陽の交点から来るようだ。

332 :月光仮面:2009/04/14(火) 11:46:31 ID:52Yy+twH
Daily交点とは日の出、日没、Annually交点とは春分、秋分という太陽の属性。青銅器埋納時代
終焉の出雲荒神谷においては青銅器にX印を刻して埋納した。わからずやの崇神も垂仁のアドバイ
スで国家予算から神社建設費を回したようだ。

333 :出土地不明:2009/04/14(火) 12:08:51 ID:XAZPDFK9
>>328
わかりやすい回答ありがとう(・ω・)/

応援しているから、今後も頑張って!!

334 :月光仮面:2009/04/14(火) 13:54:51 ID:52Yy+twH
↑お役に立ててハッピーです。話は変わるが牛頭崇拝につきNHKシルクロード放映の小河墓遺跡、
あのドキュメンタリーほど衝撃的なものはなかった。

335 :月光仮面:2009/04/14(火) 14:38:09 ID:52Yy+twH
http://www.artyfactory.com/egyptian_art/egyptian_gods/apis.htm
Anubis→稲荷(ユーラシアの犬は日本の狐となる)
Apis→牛頭天王(素盞嗚命)
Bastet→狛犬
Horus→天日鷲
Khnum→春日(日鹿、太陽を天に上げる鹿)
Seth→麒麟(スフィンクス、複合動物)
Sobek→千尋鰐(アンダーワールド、海中の王者)
Thoth→天神(学問の神)
こういう形でエジプトパンテオンはユーラシアパンテオン、日本はその一つの類型だ。


336 :月光仮面:2009/04/14(火) 15:31:23 ID:52Yy+twH
ヘロドトスは社会学者的であり、スキタイ社会を王族、農耕、遊牧の3世界に分ける。地政学的には
ユーラシアを農業適地(夏)、遊牧適地(戎)に分けられる。中国4千年の歴史は夏と戎のせめぎ合いで
あった。これを陰(いざなみ)、陽(いざなぎ)の両神で表すと二柱の神の相互補完関係、バイアスロンと
野球のような2つの異種の文化のシンビオーズはノマド(戎)の標榜する理想社会であり、弥生社会を
管理される国家に転換するためのメインテーマであった。これが三貴神の前段階に陰陽の神をおいた
意味であり、日本国家建国の意味であった。

337 :月光仮面:2009/04/14(火) 15:39:09 ID:52Yy+twH
日本国家は弥生から突然生まれた訳ではなく、助走過程が存在した。それが銅鐸を基本とする青銅器
埋納文化であり、テイクオフは古墳時代に始まった。古墳作りに動員された技術、リソースは奈良時代の
文化を生み出す基盤となった。

338 :月光仮面:2009/04/14(火) 15:56:30 ID:52Yy+twH
四千年の間、万里の長城を建設することなく、海洋は外敵の侵入、環境の悪化から国土を守り、太陽と
大地は海水を淡水浄化の電力を無料で国民に提供した。世界中どこでもこれは有料である。伊勢の
社はこのことに対する国民の反対給付によって維持されてきた。

339 :月光仮面:2009/04/14(火) 16:12:33 ID:52Yy+twH
>>335
いくらエジプトでも製塩土器の塩釜神社はあるまいと思うのが日本人だが、さすがに神武、東遷の
前には天神とシオツチと2つの神を列挙している。縄文の認識はあったのではなかろうか。

340 :出土地不明:2009/04/14(火) 20:40:46 ID:oO4+yzbs
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

341 :出土地不明:2009/04/14(火) 20:42:07 ID:oO4+yzbs
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

342 :月光仮面:2009/04/15(水) 08:26:34 ID:BO47QOBB
>>335
複合・変身系としては饕餮・インドラ(帝釈天)もあり、鰐系としては燭陰などもある。

343 :月光仮面:2009/04/15(水) 08:34:00 ID:BO47QOBB
ご成婚記念番組で両陛下が「鵜がいる」と、皇居の中に鵜が来ていることを示された。
帝王と鳥は縁のあるものである。

344 :月光仮面:2009/04/15(水) 14:36:01 ID:BO47QOBB
>>277
>アメンがあるのにアテンとは
フロイド説のように、エジプトの一神教宗教改革がハビル(戎)に入りモーセが生まれる。セム系以外の
戎においてはアポローンになって見たり、日本でもオシホミミ、ホアカリがあるのにニニギとと言う風に
なり、吉田神道においては特に一神教的面が強調されるとされる。時代的にはカラスク文化時代であり、
ユーラシア・ステップは欧州と極東を直結しており、コーカサスのドルメンは極東支石墓と直結して
いたものと考えられる。日本のニニギはモーセ・アポローンと同一のレベルにあると見ていいのでは
なかろうか。アマルナ宗教改革がなかったら存在しなかったが、モーセとは独立したものであったのでは。

345 :月光仮面:2009/04/15(水) 18:45:10 ID:BO47QOBB
文明を陽とすると陰の部分はノマド(戎)これ↓一卵性双生児であろう。
「遊牧民の存在は人類の歴史に大きく影響を与えてきた。特にユーラシア大陸の歴史においては、西ア
ジアで牧畜の場を定住集落から離れて拡大する集団、すなわち遊牧民が誕生したことと、中央ユーラシ
アで遊牧民が騎馬技術を獲得したことの2つは、歴史の流れを大きく変えたと言える。軍事的には遊牧民
は騎兵を中心とした戦術を取った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%8A%E7%89%A7%E6%B0%91


346 :月光仮面:2009/04/15(水) 18:59:06 ID:BO47QOBB
>>344
↓ツタンカーメン、この人の運命はイエス・キリストに似ている。
「アクエンアテンの死後、即位すると伝統的な神であるアモン=ラーの信仰を復活させ、トゥトアンクアメン
(「アモン神の生ける似姿」の意)と改名した。また、首都をアマルナからテーベに戻した。在位中、王妃
アンケセナーメンとの夫婦仲は良かったといわれている。その後若くして死に、王家の谷に葬られた。
ツタンカーメンの死後、王位は王家の血を引かない大臣や将軍たちによって引き継がれてゆくことになる
(但し、アイは王族の一人)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%84%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%83%B3


347 :出土地不明:2009/04/15(水) 20:59:02 ID:t5wEaJRz
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

348 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/15(水) 23:36:10 ID:UBX9JsGG
>>315
天・地・人も遊牧民的思考でしょう。大乗仏教もクシャン朝月氏の
インド仏教の遊牧民的解釈で、大乗仏教も遊牧民の価値観の宗教ですね。
大乗仏教がチベット・モンゴル・満州族・日本とアルタイ・チベッタンに
残りましたことも、興味深いですね。
>>319-337
気候寒冷化によって、弥生期の列島の住民は、中国の黄巾の乱の人口減少
傾向のように、日本列島の在来民は人口を減らしたことでしょう。
古墳期の渡来系が日本人の主流になったことで人口は増加したんが、
4世紀以降の世界的の民族移動によるものの結果でしょう。
>>336
印欧語族からスキタイ経由、草原の道を通って日本神話の構造になった
「三機能体系」ですね。

349 :出土地不明:2009/04/16(木) 11:36:08 ID:i9kc10AQ
古墳期の渡来人は、言葉も残せなかったぐらい日本では少数派でした。
古墳期以降に日本に2種類(渡来系、日本人系)の言語の混在が認められない。
また、人口の増加は稲作の発達から、食料が増産しての自然増加である。
何年間にどれだけ増加したか、他の時代と比較して
自然増では考えられない数値なら別だが。
日本神話にしても、日本の島々が作られた天地創造がどのように
草原の遊牧民と関係が有るのか、具体性が書かれていない。
人間が作ったものどうし、似たところは有るのが普通だ、
古墳期に渡来系が日本人の主流になったなど、
論証できない空想を持つこともロマンであるが、
事実を見据える事も大切です。



350 :月光仮面:2009/04/16(木) 13:16:27 ID:vdUHZqsp
入れ子銅鐸というのがあるが、ツタンカーメンの棺、マトリョーシカに似ている。マトリョーシカは日本発
と言う説もある。マトリョーシカは長宜子孫の思想とされる。銅鐸は破壊して埋納される場合もある。
山・大地の神の御許におくり再生を願ったと考えられる。他方、軻遇突智神と言う神があるが、金属神
であり、生まれる時にイザナミの産道に火傷を負わし、父、イザナギによって切り殺されたとされる。
アブラハムがイサクを神に捧げる話と類似している。軻遇突智神と銅鐸は時代的に一致している。
銅鐸祭祀には諸説あるが、山のふもとに埋納されていることから、山岳風景を借景したものではないか
とする説もある。また、ピラミッド(金字塔)は金冠に耀くともされる。
http://www.geocities.com/davidjayjordan/Capstone.jpg
王家の谷とピラミッドは繋がっているのではなかろうか。こうした構想がノマドによって日本に伝えられた
可能性は大きい。ドルメン・支石墓文化もその一貫ではなかろうか。

351 :月光仮面:2009/04/16(木) 15:16:57 ID:vdUHZqsp
「テーベ丘陵に一つ高くそそり立つアル・クルン山、古代エジプト人は「峰」ta dehentと呼んだ。この山の
形はピラミッドであり、おそらくこの形がこだまのように反響して古王朝のピラミッドとなり、何千年か後に
はここに最初の王陵が営まれることになったのであろう。 その弧絶した立地がおそらく接近を妨げる結果
となり、特別の陵墓警察(Medjay)がこのネクロポリス(奥津城)を守ることを可能にしたのであろう。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/7/77/%C3%84gypten_Tal_der_K%C3%B6nige.jpg
ピラミッド→ドルメン/支石墓→銅鐸祭祀の起源もこれに関係するのではないか。

352 :月光仮面:2009/04/16(木) 16:03:22 ID:vdUHZqsp
エジプト古王朝からヒクソス、アマルナ時代、つまり、中近東初期青銅期末から晩期青銅期末にかけ
コーカサス黒海沿岸地域・マイコープドルメン文化は上記のテーベ山岳王陵の伝統を明確に反映して
いる。遼西から渤海湾両岸にかけて広がるドルメン/支石墓文化もこのコーカサス文化乃至はエジプト
文化の影響によって生まれたものと考えられる。


353 :月光仮面:2009/04/16(木) 16:15:58 ID:vdUHZqsp
>>132
>>137
コーカサス・ドルメン文化の最終段階はトラフ型前面Π字型石棺墓となり、正面に偽扉、祭場を、
裏面乃至は側面に山上を眺める通り穴を設けているのがあり、おそらく、ニニギ信仰はこうした
ドルメン文化の持つ岩戸信仰を日本に持ち込んだのではなかろうか。


354 :月光仮面:2009/04/16(木) 16:42:16 ID:vdUHZqsp
>>136-137 >>167-168 >>285-286
ピラミッド上昇回廊
http://www.valdostamuseum.org/hamsmith/ggal.gif
鳥居
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/16/KyotoFushimiInariLarge.jpg
↑ここにピラミッドから鳥居へとの概念の流れを感じる。が、五重塔も、出雲神殿もそうかも。
五重塔ににているのは↓
http://www.valdostamuseum.org/hamsmith/uch-ich.gif
http://www.valdostamuseum.org/hamsmith/upper-chamber.gif



355 :月光仮面:2009/04/16(木) 17:10:10 ID:vdUHZqsp
伊勢神宮に向けての鳥居の出発点は↓ここであり、最初の岩戸神事はこの辺で行われたのであろう。
http://www.bell.jp/pancho/travel/yamanobe/hibara_jinja.htm

356 :月光仮面:2009/04/16(木) 17:21:57 ID:vdUHZqsp
三輪山がアル・クルン山、纒向が王家の谷、では、箸墓の稜線が黄道であり、三輪山に向いていな
い理由は。つまり、その墓は太陽の化身、日御子、と認識されたからであろう。それは没後天照大神
と合体すると考えられたのではなかろうか。

357 :月光仮面:2009/04/16(木) 18:03:16 ID:vdUHZqsp
コーカサスのドルメン↓
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/1/11/Dolmen.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/14/Dolmen_Russia_Kavkaz_Jane_2.jpg
これはコーカサスの正面が偽扉ではなく穴あきのもので、通常は穴に石のフタがしてあるという。

358 :出土地不明:2009/04/16(木) 20:30:20 ID:+JggIXko
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

359 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/17(金) 01:26:28 ID:6sH5TaUT
>>349
古墳期の支配者層の言葉はアルタイ系文法ですよ。
現代日本人もアルタイ系文法を使うております。
稲作の発達云うて、日本人が大都市部を除いて米を主食にしたんは
戦後のごく最近ですよ。日本神話の天の概念はステップルートで
しょう。神話に具体的に今の話は遊牧民のものですじゃの
銘記した神話が世界的にあったんですか?珍説を唱えられても
困りますよ。あなたの空想でしょうに。
歴史に確証なんかありません。19世紀の人物を証明出来る手段を
現代人が持ち合わせておらんように。あなたが19世紀の人物の存在を
確証出来る手段を持っておったんなら、人類史上初の快挙で、
世界中から賞賛されるでしょう。事実を見据えた学説?として。
現時点であなたの自民族発展段階説は、戦後のマルクス史観の
自民族発展段階説の域ですし、確証出来ない空想と空虚な言葉遊び
じゃぁ理論構築も出来とらん状況でしょうに。

360 :月光仮面:2009/04/17(金) 09:15:52 ID:Q5z4KqxX
日本には何故ピラミッドがないか、ピラミッドができなかったのか。それはピラミッドとは山の姿を崇拝する
ことに由来しており、エジプトのように平地が多いところでは天に届くような建造物の必要があったが、
日本のようないたるところに青山、金峰山がある国では名山の麓で山を拝めば、山を建設しなくても
すんだからであろう。アルタイも同様に名山の多いところであり、山を拝むにはいい場所であった。
高句麗の集安、半島中部では金剛山山麓・江原道がこれである。屈折ピラミッドにも似たチベット西部の
カイラス山はヒンズー教・チベット密教の聖山であり、ヒマラヤ東部にも、中国にも名山はある。

361 :月光仮面:2009/04/17(金) 09:29:20 ID:Q5z4KqxX
平原地方は環境において気温、湿度が適切であれば非常に大きな農業、牧畜の生産性向上をもたら
すが、環境の激変期においては山岳と平原が混在したり、接している地方に植物相、動物相が集中する。
山と里を回遊するトランスヒューマンスという遊牧が発生するのはそういう地方である。テキサス、オクラ
ホマだけではなく、カリフォルニア、ペンシルヴァニアとリンクしていることが大切なのだ。しかし、青銅器
時代のユーラシアでは銅資源、晩期に至っては銅資源と錫資源が混在する地方と農業生産力の大きな
大河流域が結ばれなくてはならなかった。

362 :月光仮面:2009/04/17(金) 10:06:27 ID:Q5z4KqxX
千光寺 玉の岩 『往古この岩上に如意宝珠あり、夜ごとに異光遥かに海上を照らす、しかるに異国人来
たりてこの山に登り、寺僧に向かって、我に金あり、汝これを与えるにより、この大石を我に与えよと、寺
僧それに答え、売ることはできぬがこの大石を買いて何にするかとあやしむに、異国人は、この僧が
岩上に宝石のあるを知らぬことを確かめ、心中欣び、ひそかにこの大石に登り美玉を奪い去りたり』
http://www.senkouji.jp/guidance/info008.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/45/Kailash_south_side.jpg
カイラス山(かいらすさん)(チベット文字:Gang Rinpoche, ワイリー方式:Gangs Rin-po-che; 蔵文?音:
カン・リンポチェ)はチベット高原西部(ンガリ)に位置する独立峰。中国名は岡仁波其峰(、ヒンディー語名
はカイラーシャー・パルヴァタ。標高6656mの未踏峰(信仰の山であるため、登頂許可は下りない。
ただし、修行僧でもあり、吟遊詩人でもあるミラレパが山頂に達したという伝説がある)。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/15/Kailash_Tibet.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%82%B9%E5%B1%B1
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d3/MtKailash_location.png

363 :月光仮面:2009/04/17(金) 10:29:35 ID:Q5z4KqxX
「中宮定子からの「少納言よ、香炉峰の雪いかならむ」の問いに対し、清少納言が
唐の詩人白居易の七言律詩「香炉峰下新卜山居 草堂初成偶題東壁」の中の
「香炉峰雪撥簾看」(香炉峰の雪は簾を撥げて看る)のフレーズをとっさに思い浮
かべ、御簾を高くあげてみせた」中国の名山↓
http://www.arachina.com/heritage/lushan/index.htm

364 :出土地不明:2009/04/17(金) 10:30:37 ID:6FQ+CAtx

古墳期の渡来人は、言葉も残せなかったぐらい日本では少数派でした。
古墳期以降に日本に2種類(渡来系、日本人系)の言語の混在が認められない。
それぞれの言語が認められる文物の例は?
支配者層と被支配者層の言語の違いを認められるような資料が残っているのは、
日本列島近辺では古代の朝鮮半島南部ぐらいですよ。
日本語の起源について解明されていますか?
解明されていないものをあなたの独断で珍説を唱えられても
困りますよ。あなたの空想でしょうに。
また現存する日本の神話はいろいろな神話の集合体と考えられていますよ。
「今の話は遊牧民のものですじゃの」と断言されても
人間が考えたもの、似ている所が見られるのは当然、
それ以外に何を持って断言されているのでしょうか?
「米を主食にしたんは戦後のごく最近ですよ」
私は、主食などとは言っていませんよ。
米を栽培して、食べるようになったのです。
その時代に、なぜ米を栽培するようになったのですか?
安定した食料の確保が大切であったからですね。
食料の確保と人口の変動は関係ないとでもお考えですか?
何年間にどれだけ増加したか、他の時代と比較して
自然増では考えられない数値なら別ですが。
古墳期の渡来系の民族移動で日本人の人口が増加したなどと
確証出来ない空想と空虚な言葉遊びに専念しないように。



365 :出土地不明:2009/04/17(金) 10:33:44 ID:6FQ+CAtx
↑↑ >>359 への返答でした。


366 :出土地不明:2009/04/17(金) 10:44:49 ID:6FQ+CAtx

余談 月光仮面さん、
私の好きな(時々登る)日本の山々も
写真を見る限り、香炉峰には負けそうですね。
・・北アルプスの麓の住民より・・


367 :月光仮面:2009/04/17(金) 11:48:10 ID:Q5z4KqxX
↓コーカサス
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/14/Dolmen_Russia_Kavkaz_Jane_2.jpg
「ドルメン正面の場所において祭司は捧げもの供献の儀を行い、火をおこし、その他の儀式を行うが、これ
は祭司がドルメンのフタを外した際に、既に墓の中に閉じ込められている霊が外に飛び出すことがないよ
うにするのが趣旨である。その後、助手祭司がドルメン内部にもぐりこみ、その人に遺骨と埋葬品を手渡
し、その人はドルメンの内部の壁際の開いた場所にそれらを置く。」
コーカサスのドルメンと似たものとして↓
http://kamnavi.jp/en/kyuushu/oonamuj3.jpg
http://kamnavi.jp/en/kyuushu/oonamuti.htm
神奈備さん、大穴持神社 石灯篭 鹿児島県霧島市広瀬3-1098(国分市)
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/35/Ohyamato-jinja02s3200.jpg
↑茅の輪くぐり

368 :月光仮面:2009/04/17(金) 11:54:20 ID:Q5z4KqxX
大穴持は三輪山にこもる、コーカサスのドルメンも山岳の麓であり、山にこもると認識されたのであろう。

369 :月光仮面:2009/04/17(金) 12:03:56 ID:Q5z4KqxX
>>366
フォッサ・マグナ、富士、那須の黒曜石と山岳風景を考えると旧石器時代からも人間と山岳の関係が
見えて来ますね。

370 :月光仮面:2009/04/17(金) 12:58:37 ID:Q5z4KqxX
「西コーカサスドルメン建設者の黄泉の国信仰の特徴はドルメン内部と外部世界を出来るだけ強固に
隔離しようと志向するところにある。石板を石板は交互に驚くほどに念入りに合わされ微塵の空隙をも許
していない。ドルメン内部から出土する土器はミニチュアであり、これらの土器が死者のみならず、当時
の世界では非常に小さい大きさになると考えられていた死者の霊のためでもあったと考えられる。おそら
くは、多分に生き残ったものの不安と恐れが、このように堅固で、自己の血縁者の終の棲家となるべき、
永久の眠りのための完全な密閉性を創り出さしめたのであろう。」
高句麗の朱蒙、日本の少彦名等の小童神神話、伝承の起源はこのドルメン文化及びエジプトピラミッド
文化にあるのであろう。

371 :月光仮面:2009/04/17(金) 13:07:09 ID:Q5z4KqxX
>>311
マイコープ文化はエブラ文化との関連があるとされるコーカサスでは唯一のセム系文化であり、
おそらくはアブラハム教、アブラハムの生まれたのはこの辺であろう。この辺から後にハザール
文化が拡大している。

372 :月光仮面:2009/04/17(金) 13:14:18 ID:Q5z4KqxX
↓韓国のドルメン
http://www.gcdolmen.go.kr/japanese/2008/main_sub.html?mTop=A2000

373 :月光仮面:2009/04/17(金) 14:57:51 ID:Q5z4KqxX
>>63-71 >>101-110 >>128-131 >>135-139 >>241
YDNAでは欧州系統と兄弟関係にあるアメリカ・インディアン系統のQ、言語的にはシナ・コーカサス・
ナデネ語を話す↓
ヒッタイト人←フルリ人←イェニセイ・ケト人→カラスク人→羯族→後趙・石氏→石上 →気多大社
これが朝鮮半島・日本にコーカサス・ドルメン文化を伝えたと考えられる。

374 :出土地不明:2009/04/17(金) 18:58:48 ID:2Lnj/O59
>>364
>古墳期以降に日本に2種類(渡来系、日本人系)の言語の混在が認められない。

何々式アクセント異民族起源説というのはある。

>日本語の起源について解明されていますか?
>解明されていないものをあなたの独断で珍説を唱えられても

おまえこそ独断で発言してないか?

言語に関する話は、それ専門の場所でやれ。

375 :出土地不明:2009/04/17(金) 23:03:21 ID:5sUtTLjX

>インド仏教の遊牧民的解釈で、大乗仏教も遊牧民の価値観の宗教ですね。

宗教に関する話は、それ専門の場所でやれ。

>印欧語族からスキタイ経由、草原の道を通って日本神話の構造になった。

宗教に関する話は、それ専門の場所でやれ。

などと私は言いませんよ。
“日本人どこから来たんだ?”の趣旨に迫れるのなら、
各民族の言語の話もOKではないのですか?
日本民族は遊牧民族とは基本的に違うと私は考えています。
遊牧民族の日本列島への移動があったなら、
各種の家畜の輸入や、基本的な乳製品の食生活文化が
日本列島に入って、大衆文化に大きな影響を与えたはずですが、
古墳期以降にその影響が認められない。
遊牧民との一部の類似点を強調して、
独断で発言しているのはどちらでしょうか。





376 :出土地不明:2009/04/17(金) 23:31:27 ID:tX24SbT+
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html

最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html

然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

377 :出土地不明:2009/04/17(金) 23:32:35 ID:tX24SbT+
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





378 :出土地不明:2009/04/17(金) 23:33:45 ID:tX24SbT+



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif




379 :月光仮面:2009/04/18(土) 11:27:15 ID:FAvyIR8T
>>373
>カラスク人→羯族→後趙・石氏→石上 →気多大社
この辺はチョールヌィフの↓いうような大きな枠組みで解釈する方が適切。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/1.jpg
ユーラシア牧畜文化「ステップ・ベルト」:地域ドメーン外郭
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/2.jpg
前5000年紀バルカン・カルパチア冶金圏-文化中央ブロック
B-トリポリエ文化ブロック
C-ステップ牧畜文化ブロック
上・左-銅製道具・武具セット(ヴァルナ・ネクロポリス)
右・ステップ・ブロック文化遺跡銅製装飾品
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/3.jpg
周黒海冶金圏第一フェーズ・右・マイコープ文化青銅製武具・道具、人形、金・銀製容器
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/4.jpg
周黒海冶金圏第二フェーズ。古ピット・グレーヴ文化及び推定されるそれの周辺類似文化
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/5.jpg
ユーラシア冶金圏及び東アジア冶金圏北西境界。定着フェーズ。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/6.jpg
ユーラシア冶金圏の統合フェーズ。形成された文化が拡大する2つの波のぶつかり合い。
赤色のポイントは墳墓及び聖域(星印)並びに個別セイマ・トゥルビノ型金属出土(ポイント及び卵型)
上・セイマ・トゥルビノ型金属製品の若干の形式
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
ユーラシア・ステップ・ベルト統合最終段階における東アジア冶金圏北西(サヤン・アルタイ)センター
文化結合の主要な影響方向。

380 :月光仮面:2009/04/18(土) 11:33:05 ID:FAvyIR8T
↑周黒海冶金圏第一フェーズ・右・マイコープ文化青銅製武具・道具、人形、金・銀製容器
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/4.jpg
ここにある牛を串刺しにしたようなブロンズ像が後にアーロンの黄金の牛とされるもので、この
ドルメンを含むセム系コーカサス文化が渤海湾両岸に伝わり、日本に流れるものと考える。

381 :月光仮面:2009/04/18(土) 11:52:22 ID:FAvyIR8T
「初期は西方のカラスク文化の影響を受けるとともに、周の青銅器文化とも影響しあっているとされる。紀
元前5世紀頃からはスキタイの強い影響を示す武具、馬具や、動物(特に猛獣が草食獣を襲う場面など)
のデザインが現れる。特に南シベリアのタガール文化と共通のデザインが多く、直接影響を受けたと考え
られている。」「この文化について直接の歴史記録はないが、関連するものとしては次のような中国の
記録がある。古い時代にはこの地域の異民族は狄と総称されていた。紀元前3世紀には、この付近から
西側にかけて月氏がいたとの記録がある。月氏の正確な系統は不明であるが、サカ(塞)あるいはスキタ
イの系統とする考えもある。また地理的には秦の故地とされる地域も近い。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%83%89%E3%82%B9%E9%9D%92%E9%8A%85%E5%99%A8%E6%96%87%E5%8C%96

382 :月光仮面:2009/04/18(土) 12:46:05 ID:FAvyIR8T
>>380
失礼、マイコープがずれていた。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/3.jpg
この地図のアゾフ海と黒海の間の右/東側、コーカサス北麓の縁取りをしてあるのがマイコープ文化。
その上が木槨墳(スルブナヤ)文化、これが夏家店上層文化に繋がる。

383 :月光仮面:2009/04/18(土) 13:16:36 ID:FAvyIR8T
ロシアのボリス・ポポフ氏は東夷と言うのはタガール人であり、ヒッタイト人であるとしている。そういう
「小説」というウェブ・ページを出している。半島・九州・沖縄をつなぐ島夷と言うものがいたのではとも
いっている。アイディアとしては非常に面白い。

384 :月光仮面:2009/04/18(土) 13:24:46 ID:FAvyIR8T
↑これは天孫が甑島、串木野方面に降臨し、高千穂に移動するという伝承によくあっている。

385 :出土地不明:2009/04/18(土) 14:56:37 ID:6SIm8Jn2
>>378
> 朝鮮半島の自然環境に
> 適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった

気候上育てることもできないものをなんでよそに伝えられるんだよ。
あほかいな。

386 :月光仮面:2009/04/18(土) 15:08:35 ID:FAvyIR8T
>>384 ピラミッド、王陵は同根、すなわち、山陵はこれをワンセットにしたもの、すると、 
「鹿児島には神代3代の神が祭ってある神社と墓があります。{内、宮ひとつは宮崎}
それらの墓は古事記・日本書紀の記紀類にも、場所など詳しく書かれています。
私は皇室の回し者でも、宮内庁の職員でも、また極右偏りでもありません。
判りやすくするために、下記に、表にあらわしてみましょう。
人(神)名 墓の場所 祭られている場所 奥さん
初代 ニニギノミコト(天孫降臨) 可愛山陵・鹿児島川内市 霧島神宮 木花開耶姫
2代 ヒコホホデミノミコト(山幸彦) 高屋山陵・溝辺町(鹿児島空港そば) 鹿児島神宮 豊玉姫
3代 ウガヤフキアエズノミコト 吾平山陵・肝属郡吾平町 鵜戸神宮(宮崎) 玉依姫 」
http://www3.ocn.ne.jp/~nansatu/rekisi.html
↑これは古墳文化の基本思想を持った天孫が最初に日本に上陸した地点とみなすことができる。

387 :出土地不明:2009/04/18(土) 15:56:32 ID:fqqtUSlG
>>385
朝鮮半島に入った瞬間にRM1-b遺伝子が消えるのか大馬鹿。

388 :月光仮面:2009/04/18(土) 15:59:36 ID:FAvyIR8T
http://www.lifence-inc.co.jp/daikoku/sinwa4.html
↑銅鐸の神であった少彦名命は古墳の神でもあった。大国主命は前方後円墳、土俵、の神であった。
この二柱の神の関係をこれほどうまく説明することはできない。


389 :出土地不明:2009/04/18(土) 16:01:38 ID:PFaAqSrQ
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

390 :月光仮面:2009/04/18(土) 16:01:57 ID:FAvyIR8T
おっとっと、土俵は四隅突出型墳丘墓であった。

391 :出土地不明:2009/04/18(土) 16:02:54 ID:PFaAqSrQ
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

392 :月光仮面:2009/04/18(土) 17:41:55 ID:FAvyIR8T
>>383 ボリス・ポポフ
「島夷は朝鮮よりはるか南方の中国に住み着いたわけであるから、これをツングースとするわけには行か
ない。ヒッタイト及びメソポタミアと関係を持つ何か別の民族に属すると考えた方が手っ取り早い。他方、
朝鮮には著名な朴氏(新羅)がる。始祖は東夷。台湾はこの朴氏に属していた。これは朝鮮、台湾、南ツ
ングース、島夷の間に非常に密接な同族関係があることを証明しているのかもしれない。」
真偽のほどは確かめようもない。しかし、沖縄伝承には
「天孫氏(てんそんし)は、『中山世鑑』や『中山世譜』などの琉球の歴史書に登場する琉球最初の王統と
されている。
天孫氏は、天帝が下界に下した神の子(一説にはアマミキヨ)の長男の子孫とされ、25代17802年間統治
したという。25代目のときに、利勇という家臣に滅ぼされた。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E6%B0%8F
こういうのもあるし、ボリスのいう察哈爾=タガールというのなら、タガールとトカラ列島も似ている。

393 :出土地不明:2009/04/18(土) 23:16:51 ID:gguqKz6g
>>299
鳥居は紀元前2000年くらいまで江南地方にいて、現在雲南からタイ・ベトナムなどにいる
少数民族の太陽信仰によるのでは?。

太陽は鳥が引っ張るそうで、鳥居は太陽を引っ張る鳥に止まる場所を提供している。また、鶏が太陽を
呼ぶので、鶏を止まらるための物が高くなったのかもしれないね。
>>http://homepage3.nifty.com/yao/minzoku-akha.html

あと彼らの習俗には、海女、鵜飼、チマキ、納豆、コンニャク、竹馬、下駄などと言うのも
有るそうです。



394 :出土地不明:2009/04/18(土) 23:27:01 ID:gguqKz6g
>>378
韓国で消滅した遺伝子を日本へどうやって伝えたのか?。


395 :出土地不明:2009/04/19(日) 00:07:50 ID:iKC1gvsT
>>359
アルタイ語文法と言うのはSOVのことを言ってるの?。

それなら、日本の男性の40%がもっているというD遺伝子を日本人以上に持つチベット人の
言葉もSOV。世界の半分はSOVで話してるらしいよ。

しかも、膠着語で、丁寧語・尊敬語、さらに韓国人の苦手な言葉の違う謙譲語が日本語以上に
あるらしい。勿論、何万年も前に、しかも未熟な言語の時に分かれたから、違うところも
有るだろうけれどね。

D遺伝子の経路はアフリカから直接海を渡り、インドの先端をかすめてインドネシアから
日本へ来る途中で、江南地方から長江を遡り雲南からチベットへ分かれた一派があったのかも。
いずれにしても、何万年も前に大航海するなんて大変な冒険魂だね。

そこで、常々思ってたことだが、なぜ中国人や、特に韓国人に冒険家が少ないのかが分かった
ような気がする。貧乏な時代なら分かるが、今の韓国なら太平洋ヨット一人横断や、エベレスト
登頂とか、そこからスキーで降下とかやる奴がいてもおかしくないと思うのだが?。

現在も筏かなんかでインドネシアから海流にのって日本まで流れ着こうなんて日本人が居る。
歩いて北極点へなんていわないが、そう言うニュースが韓国から殆ど来ないね。日本人は貧乏な
頃でも白瀬中尉とか、冒険ではないが野口英世とかいたんだがね。

野球でも失敗してもいいからと、メジャーに挑戦する韓国人が少なすぎるのでは?。日本では
安定的な生活と名声を捨てて、例えぼろぼろになろうともメジャーに挑戦しようとする選手が
一杯いる。そして、色んな分野で世界に挑戦してる。

でも、インド以西は良く知らないけれど、このD遺伝子の冒険魂というかチャレンジ精神というか、
それが日本がいつも東アジアのトップを走りいろんな分野を切り開いてきた日本人の原動力かもね。


396 :出土地不明:2009/04/19(日) 01:01:05 ID:8EyegYzX
>>393
よかったねー

東京たわーの屋上から飛んでみよう!


>>394
まだ消えていない段階のうちに日本入りしただけだろが。

さあ、さんしゃいん60の屋上から飛んでみよう!

397 :出土地不明:2009/04/19(日) 01:32:40 ID:aCHdidyu
>>396
飛んでるのはお前の頭だろw

>>まだ消えていない段階のうちに日本入りしただけだろが。
韓国人の屁理屈そのものだな。韓国人学者は遺伝子を選んで持ってきたといって中国人学者と
日本人学者に大笑いされたらしい。まあそれよりはましな意見かな。

でも、もう世界では常識なんだが、その水稲米の遺伝子は日本へ入って韓国で消えた。少なくとも
ほぼ同時くらいに別に入って韓国では消えた。ついでに、一緒に入ってきた潜水漁(海女)は済州島と
日本に残ったが、鵜飼は韓国では消えた。


398 :出土地不明:2009/04/19(日) 01:42:07 ID:8EyegYzX
フッ、じゃあ、サギ師・小林洋一郎をボコボコにするスレでも
別個で立ててやろうか?w

399 :出土地不明:2009/04/19(日) 01:53:24 ID:iqmmCMtg
>>397
秀吉が全部燃やしちゃったんだよ、きっとww

400 :出土地不明:2009/04/19(日) 01:55:36 ID:aCHdidyu
>>244
そんなスレを韓国以外で立てたら笑いものになるだけ。

笑われるのは、此処のスレだけにしたらw。



401 :出土地不明:2009/04/19(日) 02:02:18 ID:8EyegYzX
小林洋一郎容疑者追及スレ

う〜ん、いいねえ〜w

402 :月光仮面:2009/04/19(日) 10:41:15 ID:RysWWhPF
>>400
逆に韓国には四隅突出型墳丘墓がないから問題にならない。何故モンゴルと日本、日本は山陰・裏日本
だけなのかと考えると素盞嗚命が「神やらい」で出雲に追放されることと関係しているのかなー。つまり、
吉備あたりで円墳系統(エジプトの場合だと吉村さんのいう太陽祭祀)とフラット型(夜間天体祭祀)、天孫
と地祇でショバを仕切ったんじゃないかな。素盞嗚命が高麗連邦を要求したのに対し、天孫は縦割り従属
を命じている。

403 :出土地不明:2009/04/19(日) 11:17:55 ID:GLo9uZGE
>>402
月光たん
方形周溝墓や方墳はどっち型?
コーカサスドルメンは太陽祭祀だから、天孫の円墳系でよいの?

404 :月光仮面:2009/04/19(日) 11:53:52 ID:RysWWhPF
>>403
コーカサスの場合
ほぼ同時に存在する平原部のカタコンベ(地下横穴)墳と山岳部のドルメンは垂直と水平の差こそあれ、
黄泉の世界を認識した点においては類似性があります。
日本の場合
弥生墳丘墓と古墳の差は水平と垂直であり、上記の場合と似ています。つまり、方形周溝墓・四隅突出
型墳丘墓は水平型です。では方墳の場合はどうなのか・・・これは四隅突出型墳丘墓が成長した古墳
といえるかもしれません。こうした形が同時に出現するのは前3-2世紀のモンゴル北西トゥ-ヴァ地方
です。この時代既に穹窿横穴石室墓も登場しています。コーカサスーアルタイー日本と移動する間の
ステッピング・ストーンはトゥーヴァであったと考えられます。

405 :月光仮面:2009/04/19(日) 11:58:29 ID:RysWWhPF
トゥーヴァから日本に移動するのは媒介した民族が必要ですが、一つの大きな候補は柔然・烏桓です。
これがシ歳と合流して九州、近畿に入ってくるのではないかと考えています。

406 :月光仮面:2009/04/19(日) 12:08:48 ID:RysWWhPF
>>392
ヒッタイトが島夷と言う説が面白いのは九州に地下横穴墳があること、沖縄・台湾の亀甲墓がトラキア
の地下横穴墓の前面と似ていること、沖縄のグスクの石垣が緻密な組合せであること、沖縄のジュリ馬
がポーランド・クラコワにあること、コシキ島のトシドンはスイスにあることなどとの関連からです。

407 :月光仮面:2009/04/19(日) 12:48:41 ID:RysWWhPF
>>402
四隅突出型墳丘墓が安曇海人族勢力圏に沿って展開するのは月を中心とする夜間天体観測が漁業、
海洋航行と密接に関係するという理由が強いのかもしれない。これに対して山陽・表日本というのは
太陽観測による農耕開始時期などを知ることが重要であった。

408 :出土地不明:2009/04/19(日) 13:11:47 ID:r+pIKcN/
>>406
亀甲墓が支那の影響により形成されたのは常識でしょ。

409 :月光仮面:2009/04/19(日) 13:19:00 ID:RysWWhPF
問題はどこからシナに入ったか。これヒッタイトだけど、北方マイコープ文化圏からの移住ともされる。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/80/Hattusa.liongate.jpg
シーサの起源もこの辺ではないかな。

410 :月光仮面:2009/04/19(日) 14:12:53 ID:RysWWhPF
これは新疆におけるC14鉄製品出土頻度表。
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFE01.GIF
私はこれがネオ・ヒッタイトの烏孫への移住を示すものではないかと考える。中国におけるその後の
製鉄は最終的には呉に移動した後に鉄斧のような農具用のキャップ生産の際に世界最初の鋳造が
発明されるという展開を見せる。呉とか楚とかには沖縄人の子孫のようなものが住んでいたと考えられ
福建・台湾・沖縄に類似の文化があるのは当然だが、そうした地方にヒッタイトの影響があってもおかし
くない。

411 :月光仮面:2009/04/19(日) 15:32:13 ID:RysWWhPF
倭人は呉の太白の子孫ではなく、呉の太白は倭人の子孫であったかも。いや、魏志倭人伝は
倭人がそういう風に言っているとしているだけのことで、陳寿とは関係ないが。

412 :月光仮面:2009/04/19(日) 15:39:39 ID:RysWWhPF
ようするに仰韶文化というのは沖縄方面の民族が中央アジアに広げ、東地中海・中央アジアにはシナ・
コーカサス・ナデネ語を話すアメリカ・インディアンと同族の民族がおり、逆に東に向かった。

413 :出土地不明:2009/04/19(日) 15:48:07 ID:r+pIKcN/
>>410
シーサーの起源は支那それも近世・・・
神社の狛犬は何時か知らんが支那で有ることは間違いないな(笑笑笑)

414 :月光仮面:2009/04/19(日) 15:59:49 ID:RysWWhPF
東地中海の地名、民族名でCrete Cyprus Greece Corsica Caria Kartli等に含まれるK-Rというのが
シナ・コーカサス・ナデネ語であろうとされている。他方、Korea Kure Kur (帯・日鹿)はアルタイ語で
民族名を表すとされる。布留・沸流も同じだあろう。
"khooray" -都市, "khuree"- 寺院; alt. Korbustan; bur.-mong. Khormusta; iran. Khormazd), "uygur"
(khoy - khor), "khooray", "khongoray" Khakasia), ブリャート部族名 "khongodor", "ekhirit", "khori-buryat", "khoro-yakuty", "kurrykan", "guran", "uryankhay", チベット部族名Gar, tuva部族名Oorzhak
( "oykhor"
+ "chik"), Kol, Kyrgyz ( "uker" + "oguz") 高句麗のKoguryo、高霊Koryo、これは匈奴による呼称 、
"khor"は匈奴語で太陽のと言う意味。 "Uryankhay" とは"Khoray" - "Khongoray" - "Kurrykan"がつ
まってできたものだが、全て太陽の鹿を意味する。・・・ur.-mong. Khormustaこれがホムタワケ、本田
善光の語源であろう。
私はケト語で孤立した柱状の岩を指すケクリというのが高句麗の意味で菊理媛はこれから来る、また、
フルというのは石を意味するのではないかと考えているが。

415 :月光仮面:2009/04/19(日) 16:04:48 ID:RysWWhPF
>>413 いや、シナよりはメソポタミアが古いと思うな。獣の毛皮をまとうのは欧州の旧石器時代の洞窟画
に登場している。日本には鹿踊りと言うのがある。

416 :月光仮面:2009/04/19(日) 16:08:33 ID:RysWWhPF
苅谷俊介氏が隠岐に言った際に鹿が泳ぐのを撮影していたが、まさしく龍だな。キモイよ。

417 :月光仮面:2009/04/19(日) 16:20:38 ID:RysWWhPF
>>414
匈奴語では太陽の・・・もしかして、ホルスから来ているのかも。ホルスの時代より古いものはない。
石上<石神<ピラミッドの神、ピラミッドの上を飛ぶホルス。

418 :月光仮面:2009/04/19(日) 17:12:19 ID:RysWWhPF
>>411
「太伯(たいはく)とは中国周王朝の古公亶父の長男で、呉の祖とされる人物。泰伯とも。虞仲(ぐちゅう)
は古公亶父の次男。『史記』「周本紀」では弟が虞仲とあるが、「呉世家」では仲雍とある。季歴の兄、
文王の伯父に当たる。姓は姫(き)。紀元前12世紀・紀元前11世紀頃の人物。
古公亶父には長子・太伯、次子・虞仲、末子・季歴がいた。季歴が生まれる際に様々な瑞祥があり、更に
季歴の子の昌(文王)が優れた子であったので古公亶父は「わが家を興すのは昌であろうか」と言って
いた。
これを推し量って太伯と虞仲は季歴に後を継がせるために荊蛮の地へと自ら出奔した。周の者が二人を
迎えに来たが、二人は髪を切り、全身に刺青をして中華へと帰るに相応しくない人物としてこれを断った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E4%BC%AF
全身に刺青を入れたからにはもう足は洗えません・・・しかし、この周というのは印欧語族ではないかとも
されており、白人だとしたらこんなに固いことは言わないのではなかろうかという気もする。しかし、
こうした金細工の鉄剣
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFEfig3.GIF
明確なカラスクの伝統を持つ環頭ナイフ
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFEfig4.GIF
青銅・鉄製剣
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFEfig5.GIF
こうしたものが周に近い陝西省から出土している。そうして遂には呉において鋳鉄の生産にまで
到る。ということは陝西省から江蘇省、浙江省に向かう流れがあったことには間違いない。
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFEfig1.GIF



419 :出土地不明:2009/04/19(日) 17:14:47 ID:WXty2UgQ
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/





420 :月光仮面:2009/04/20(月) 08:14:09 ID:FoJSz4JL
烏孫ネオヒッタイトの鉄はアムール河ウリル・ポリツェ文化、夏家店上層、呉・楚へと流れる。高句麗、呉
太白等には入海伝承がある。マリーン・ノマドと言うか海人族の誕生だろう。NZのマオリが東周文化、刺青
を持ち、白人遺伝子を持つという。共通するものにはアキナケス式短剣・径路刀がある。
参考
パジリク 全身刺青
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_82.jpg
パジリク 全装備
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_85.jpg
パジリク 馬副葬木槨墳
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_81.jpg
パジリク チャグチャグ馬子
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_79.jpg
パジリク 青銅戈
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_72.jpg
パジリク アキナケス式短剣
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_74.jpg
104-短剣、青銅、中国、長城地帯収集、前六−五世紀(春秋時代)、長さ三一・二cm、文学部考古学研
究室列品室
105-短剣、青銅、中国、長城地帯収集、前六−五世紀(春秋時代)、長さ三一・四cm、文学部考古学研
究室列品室
黒海沿岸の遊牧民スキタイはアキナケスと呼ばれる剣を使用したことが知られているが、同種の剣は
ユーラシア北方草原地帯に広く分布している。中国北方でそれに相当するのがこれらの剣であり、文献
に現れる「径路刀」がこれにあたると考えられている。これらの剣は中国北方草原地帯のなかでも北京・
河北省付近の文化に見られる型式である。(高浜)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/020400.html
谷(黄金)を守る鳥見彦
http://history.novosibdom.ru/files/u9/sibir_77.jpg


421 :出土地不明:2009/04/20(月) 09:01:55 ID:XlAX05rO
>>423
月光たん
ケトの流れをくむ烏孫ヒッタイトはシ歳と合流して安曇海人族・海幸になったのですね(^O^)/

すると天孫・山幸は誰?山戒の銅鐸族でないの?

422 :月光仮面:2009/04/20(月) 09:57:21 ID:FoJSz4JL
>>421
イェニセイ・オビ・ウラル・ボルガ・ドン・黒海・エーゲ海・ナイル、特に亜寒帯は夏場海と化すため、舟が
ないと移動できず、ノマドがトライアスロン、トライデントを持ったポセイドン・河伯、と化した、海の民、
河の民と化した。クマン族のことをスラブは泳ぐ人と言いますがこの辺からきたのでしょう。シュメール
が島の人というのは東地中海との関係を示唆しています。形質的にタタールににており、ヘアスタイルが
おさげ髪であるヒッタイトはケト人、インディアンのYDNA-Qと考えるのが適切です。
さて、東アジアには貝塚文化があり、太古よりビーチ・コーミング、潮干狩りは行われ、漁業も盛んであり、
これに付随して沿岸部に海人族のような集団が出来上がるのは自然です。他方、古代の天文学は今の
新暦・旧暦のように2つの天体観測から出来上がっていたと考えられますが、太陽のほうは年貢、つまり、
王権の方と関係し、月の方はもっと地域密接型、銅鐸的スケールの社会かなといった感じですね。

423 :月光仮面:2009/04/20(月) 10:03:52 ID:FoJSz4JL
山幸はニニギの祖のようですが、どうも鹿児島川内市の新田神社の方面から来たのではないかと思い
ます。その先がどこから来たのか、九州のウェブ情報では徐福ではないかといった感じがしますが、
沖縄にも天孫氏の伝承があり、高句麗・隋等も南北に長い倭国の存在を示唆しています。ですから、
この辺は今後の考古学の発展に任せて、今は断定を避けるのがよろしいのでは。

424 :出土地不明:2009/04/20(月) 10:26:43 ID:FKrRX83N
>>423
なるほどいつもありがとう(^-^)/

すると海幸と山幸は兄弟で同族の可能性もありますか?
徐福の秦氏は犬戒で、山戒とは別とおっしゃっていた気もしたものですから..

425 :月光仮面:2009/04/20(月) 14:24:30 ID:FoJSz4JL
>>424
海幸・山幸はほぼ日本独自の関係でしょう。高句麗・扶余神話では兄貴分が入海すると言うのがあり、
なんだか倭人のような気がしますが。生業の異なる経済圏の補完的関係といいますか。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage2.files/image001.jpg
宮崎の沿岸部と内陸部の関係が基本でしょうね。秦氏と犬戎は縁が深いようで、欽明と秦の大津父
の逸話からもうかがえます。しかし、山岳信仰などとは関係がないのでは。



426 :月光仮面:2009/04/20(月) 14:49:29 ID:FoJSz4JL
「このとき磐井は近江毛野に「お前とは同じ釜の飯を食った仲だ。お前などの指示には従わない。」と言っ
たとされている。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A3%90%E4%BA%95%E3%81%AE%E4%B9%B1
筑紫の磐井と近江毛野はどこで同じ釜の飯を食ったは大問題。近江毛野、ひいては継体王朝の出自が
隠されている。それは磐井と隣接した地域、鹿児島県市来貝塚を中心とした地域であり、プロト倭国であ
ったというシナリオがありえる。皆さん、どうでしょうか。

427 :月光仮面:2009/04/20(月) 15:38:04 ID:FoJSz4JL
よくわからんが、日本には薩長土肥といった地方に反骨の機運が強く、継体の時代にもその辺の
武人が朝廷の周辺に入ってきた可能性はある、程度でやめておきましょう。

428 :出土地不明:2009/04/20(月) 19:06:10 ID:uHdGnXmb
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた



429 :出土地不明:2009/04/20(月) 19:06:49 ID:uHdGnXmb
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

430 :出土地不明:2009/04/20(月) 19:07:40 ID:uHdGnXmb

世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

431 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/20(月) 22:35:44 ID:ppkSbUTI
>>364
記紀の時代以前の言語なんか解るわけあるまぁに。北アジアのアルタイ系
文法を使うとった事実が残っとるだけですよ。空想が激しいんはあなたの
方でしょう。神話に類型パターンが似とったら、密接な関係と考えられ
ますけど。米は保存がきいて、貨幣の代わりになる貴重なものでした。
人口も自然増加だけじゃのうて、気候寒冷化による減少化もあるでしょう。
中国では黄巾の乱以降のように。同時期の列島も倭国大乱があったと
すれば、列島内の倭人も人口を減少させたでしょうに。同時代現象として
捉えるが歴史学ですよ。
>>375
生業は概ねその土地の風土で決まります。モンゴル帝国時代雲南遠征で
土着した雲南のモンゴル族は稲作農耕民になってますよ。しかも
ツングース系はトナカイ飼育民のエヴンキ族が乳製品を利用するくらいで、
騎馬民族である満州族には乳製品利用文化はありません。乳製品を利用せん
南ツングースの人たちが日本列島の支配層になっても乳製品が根付く訳
ないでしょうに。もう少し諸民族の歴史や文化を調べてから書かれたら
どうですか。

432 :出土地不明:2009/04/20(月) 22:42:32 ID:+yX0+sG2
             数詞対照表

  古代日本語 高句麗語 新羅語 高麗語 中期朝鮮語 現代朝鮮語

1   Φi1to2    −−  hっtっn hっtっn   hΛnah    hana
                 (一等)  (河屯)
2   Φuta    −−  tu¨pっ¨l tuβっr   tulh      tu:l
                 (二尸)  (途孛)
3    mi1     mil    siet    sei     s∂ih     se:s
            (密)    (悉)   (洒)
4    'jo2     −−   −−   nei     n∂ih     ne:s
                       (廼)
5    'itu     'utsu   −−   ta∫us   tasΛs    tasっs
           (于次)        (打戍)
6    mu    −−   −−  'jul∫us  'jっsΛs    'jっsっs
                       (逸戍)
7   nana    nanun  −−  'ilkup    nilgub    'ilgob
            (難隠)        (一急)
8    'ja     −−   −−  'jultap   'jっdщlp    'jっdっl
                       (逸答)
9  ko2ko2no2  −−   −−  'ahop    'ahob     'ahob
                       (鴉好)
10   to2'wo    t∂k   −−   'jっl     'jっlh     'jっ:l
            (徳)         (噎)

※古代日本語の[i1]はイ列甲類、[o2]はオ列乙類。[っ]は母音[?]の代用。
  高句麗語の数詞「5」については村山説を挙げたが、
  李基文や板橋義三は再構語形を[uc]としている。

433 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/20(月) 23:26:04 ID:ppkSbUTI
>>395
チベット語では、「高い山」は「リ(山)ツォポ(高い)」「一の筆」は
「ニュク(筆)チ(一)」と云う。日本語やアルタイ諸語と違う処じゃ。
チベット語は、シナ・チベット語族なんで。敬語があるんは韓国語と
日本語の共通特徴じゃし。何万年前に長江沿いに移住した集団なんか
根拠がないよ。唐代新羅人は航海に長けておったけぇ海外で活動したが、
奈良期の日本列島の者は帰国船が難破して新羅人に頼む以外なかったほど
じゃ。しかも遺伝子型を民族優越論の優生学に結びつける処ナチス君としか
云いようがない。
「自分の民族、自分の文化をもって偶像をつくるな。全ての人は能力的
(ポテンシャル)に同じであることを知れ。ギリシャ人であろうとユダヤ人で
あろうと、白人であろうと有色人であろうと。」と、
学問を学ぶ者の基礎たる言葉じゃが、ネットの世界では、ファシスト
生物学者による優生学を唱えるナチス君が多いのう。
>>426-427
継体王朝は、北陸ですから。薩摩は阿多隼人として、大隈隼人、日向隼人
と共に朝廷から異民族視、賤視された列島の原住民でしょう。
宮崎や鹿児島は隼人族ですが、鹿児島は秦氏系の島津氏の統治や儒教の
影響で韓国人の気質に似てますね。


434 :出土地不明:2009/04/20(月) 23:33:48 ID:+yX0+sG2
「三国史記」に記された高句麗の故地名の音訓併用表記

新羅意訳 高句麗語
三餐郡 密波兮 「み(つ)はけ」(中国語フォントでは餐が山+見になる)
五谷郡 于次-呑忽 「いつたに/たむ」
七重県 難隠-別 「ななへ」
十谷県 徳頓忽 「とたに/たむ」
兎山郡 烏斯含達県「うさぎだけ?」
海曲/海西県 波旦県 「わた」

三 mit (jap.み(つ))
頂上が平らな山 pua-kei (jap.はけ、はげは山梨・神奈川でまだ使われているようです)
五 (h)u-tsi (いつ)
谷 ta/on-mut (呑忽 = 頓忽) (たに、たむ?)
七 nan-in (Tungusic nadan)
重 in-pet,pet
十 to/ek (と(を))
兎 o/u-si/e-g/ke/am (をさぎ)
山 d/ta
海 pua-dan(波旦)? (Korean pada / Jap.わた)

水 買 mai (Jap.*mi-)
深 伏斯 b/puk-si/e(ふかし?)
谷 呑,旦 (たに)
鉛 乃勿 nai-mut (Korean nab) (なまり?)
口 忽次 kut-tsi (くち)

435 :月光仮面:2009/04/21(火) 09:56:15 ID:jFarsscQ
>>433
>継体王朝は、北陸ですから
ですよね。だがあの辺もコマツ、白山、菊理媛なんていって高句麗系移住の痕跡が残る。磐井の墓、
岩戸山遺跡は石像・石室型であの近辺の装飾古墳と同じでしょう。エジプトの太陽の舟を描く。これは
イェニセイ・ウルグケム文化の埋葬形式です。後に突厥に移行するものと見られます。この突厥が
高句麗と倭に傭兵として入り込む。磐井と近江毛野は大陸浪人時代に同じ釜のめしを食った仲なので
しょう。亀甲墓・地下横穴式は揚子江下流から台湾、南西諸島を北上するが、トラキア穹窿墓・ヒッタイト・
フルリ文化から来るものと思います。突厥が鍛鉄奴隷から来るのと同じででしょう。熊本のピンク石
セールスマンは相当商売が上手であったのか、全国には系列のネットワークのようなものがあったのか
穹窿古墳等は燎原の火のごとく列島に拡大します。なんだか騎馬民族が到来したかのような錯覚に
襲われるのはこのためかも知れませんね。

436 :月光仮面:2009/04/21(火) 10:35:20 ID:jFarsscQ
阿蘇のピンク石が阿讃播の地元石材に代替される過程、徳島県吉野川盆地における初期の鳴門
ホケノ山型萩原2号墳から美馬市の穹窿墓への移行を考えると忌部集団の存在が浮上しますが、
伝承では天日鷲は房総経由関東に上陸しています。こうしたものは忌部集団の系列のようなネット
ワークの存在を示唆します。

437 :月光仮面:2009/04/21(火) 10:39:08 ID:jFarsscQ
トラキアの穹窿墓は日本の穹窿墓と東京のニコライ堂の中間見たいですが、天井絵等はニコライ堂
以上かもしれませんね。

438 :月光仮面:2009/04/21(火) 11:10:42 ID:jFarsscQ
↓磐井、近江毛野の仲間、ホレズムのモンゴル
http://search.yahoo.com/search?p=Horezm&fr=yfp-t-501&toggle=1&cop=mss&ei=UTF-8

439 :月光仮面:2009/04/21(火) 11:40:18 ID:jFarsscQ
ホレズムのモンゴル↓
http://www.youtube.com/watch?v=hOnhVX7Q8FM
髪型がヒッタイト型で二本に分けて前に出している。

440 :出土地不明:2009/04/21(火) 13:52:03 ID:Dlp4eEnT
>>431  >>433

騎馬民族とか遊牧民などの民族移動は、朝鮮半島止まりで
日本列島には、直接入って来ていないようです。
なぜなら、古代の各種の倭人伝に騎馬民族や遊牧民を示すような
文化が認められない事です。どのように書かれていますか?
日本の古代神話にしても、天地創造をはじめとして、
馬や遊牧民族の代表的な家畜が活躍していますか?
騎馬民族や遊牧民の食文化である家畜の肉食や家畜の乳加工食品も
貝塚や各種遺跡、文物などから認められますか?
裏付けのない一時期に流行った説を狂信的に言われても...。
広い目で、現実を見てください。
歴史や文化を良く調べている白馬さんなら簡単ですね。
日本列島から一番近い馬乳酒の飲める所はどこでしょうか。
私も、経験のため、一度は飲んでみたいものだ。


441 :月光仮面:2009/04/21(火) 14:21:11 ID:jFarsscQ
ミケーネ・ライオンの門
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/9/9d/Mycenae_lion_gate_dsc06382.jpg
ハットゥシャ・ライオンの門
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/80/Hattusa.liongate.jpg
首里城・歓会門
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b2/Kankai-mon_in_Shuri-castle.jpeg
召方は、商代に西史召と呼ばれ、西方の祭祀権を商王朝から委譲されるほどの有力な与国でした。
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point21.html
↑これがカラスク文化↓
中国北部、バイカル湖方面からウラル山脈、黒海方面まで活発に交易し、文化的一体性を保って
いた。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%96%87%E5%8C%96
三本の水鳥のミズカキ付足のペンダントをロザリオのように帯同し、子安貝のイミテーション、環頭
青銅刀子をもつ、内モンゴル/パミール・フェルガナ形質、箱式石棺墓の殷のエージェント集団。

442 :月光仮面:2009/04/21(火) 14:24:48 ID:jFarsscQ
烏孫は高句麗・日本装飾古墳、アポロン神話に登場する八咫烏の子孫、天の国とされるが、何故高句麗、
日本、敦煌の遺跡だけに三足烏のデザインが多いのかを説明するのがカラスク-烏孫の歴史的関係。

443 :月光仮面:2009/04/21(火) 14:34:26 ID:jFarsscQ
カラスク人はイェニセイ河文化の出身とされるが、ケト語でイェニセイ河はケム河=鴨川、日本で鴨川の
賀茂氏は八咫烏、つまり、賀茂神社はカラスク人の神社だ。

444 :月光仮面:2009/04/21(火) 14:39:50 ID:jFarsscQ
http://museum.kemsu.ru/pics/archfoto/bronza/5-5,6,7b.jpg
カラスク人のお守り、今でも現地では鴨を信じ、子供の足に何事もありませんようにとお守りにしている。

445 :月光仮面:2009/04/21(火) 16:57:29 ID:jFarsscQ
山海経にある「鉅燕」とでもいうべきユーラシア牧畜文化「ステップ・ベルト」:地域ドメーン外郭
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/1.jpg
その造幣局たる子安貝生産者は亀甲墓と地下横穴墳以外に何も貰っていない。
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/voyage2.files/image002.jpg
これは鉅燕を支えた召方は故郷の産品を供給するだけで何も貰わなかったことなのであろうか。それと
も彼らは九州北部から日本に弥生人として渡来するのであろうか。

446 :月光仮面:2009/04/21(火) 17:00:40 ID:jFarsscQ
それはもはや天孫が降臨したとする方が手っ取り早いのかもしれない。

447 :出土地不明:2009/04/21(火) 20:10:51 ID:K/1mj5tA
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

448 :出土地不明:2009/04/21(火) 20:12:35 ID:K/1mj5tA
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

449 :出土地不明:2009/04/21(火) 20:13:58 ID:K/1mj5tA
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

450 :出土地不明:2009/04/21(火) 21:02:51 ID:KhfPRXyi
>>447 >>448 >>449

これは、どこの工作員?




451 :出土地不明:2009/04/21(火) 21:53:40 ID:ZYZ1jeu2
>>450
同じコピペをいろんなスレに貼りまくるアホな奴だから
チョーセンジンじゃね?

452 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/22(水) 00:23:18 ID:OFpuQrbt
>>440
騎馬民族≒遊牧民ではありませんし、>>441で満州族の例を挙げとるで
しょう。生業は土地風土が決めることも。騎馬民族説が一時的に流行った説
ですか?戦前の日独同盟の頃から優生学が流行る以前まで、日本人多民族
起源論が主流でしたし、騎馬民族と云う言葉を使わんだけでした。
http://web.sfc.keio.ac.jp/~oguma/report/book/The_Myth_of_the_Homogeneous_Nation.html
http://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-26-6.html
http://www.geocities.jp/tamatorijisi/matuurasi2.html
上の方に単一民族神話が主流となったんは戦後ですし、騎馬民族説も
戦前からの継続論です。戦後の左翼マルクス史観や国粋主義者が反発が
現在形なだけですよ。
真ん中に挙げたブログでは、戦前から単一民族説の実証史学の
津田左右吉氏や日本民族混合説から転向しナチス・ドイツのバスに乗った
清野・長谷部氏ら人類学者は「ナチスの「科学的人種理論となんと瓜二つ
の議論であることか」そういう人達が戦後でも学者生命を失わず、
学会に君臨してあなたのような、現代の嫌中韓ネット右翼にまで洗脳させ
とるんですよ。
一番下の「松浦史」序説、ニ、民族上より見た松浦にも、
日本民族は、北方から南下したツングース、南方からの苗族、インドネシア
の混合で統治征服したした「高天原族は同じくツングース族であろうと
されている。」「朝鮮南部の韓人と松浦民族とは同種族」と、
戦前世代の人達の一般な認識です。(黒潮や江南からの直接渡来は
遭難ルートで問題があり、山東、朝鮮半島経由ならあり得る。三韓征伐
と日本書紀、記紀史観も戦前皇国主義の欠点であるが。渡来人が日本人を
造った云う全体的な面で正しいでしょう。)

453 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/22(水) 00:55:27 ID:OFpuQrbt
>>440
続き。国粋主義による列島鎖国史観、左翼マルクス史観の
自民族発展段階説を狂信的に受け売りしとってんはあなたでしょう。
世界的事象から日本の歴史を考察する視野が大切ですよ。
日本から一番近い場所で馬乳酒を飲む習慣があるんはモンゴルで
しょう。ほいで、チベット系でも、チベット人は乳利用文化が発達して
ますが、羌系は乳利用文化に乏しいですね。雲南のぺー族は例外的に
乳利用文化がありますけど。羌なら文字通り元来羊飼いです。
環境風土による違いは大きいですね。
>>435
高句麗と突厥は同盟関係じゃった時期もありますが、突厥の傭兵は
知られておりません。倭においても。
『通典』百済伝によると、百済の遺民は突厥に散って行った者がありました
ね。彼らの子孫は中央アジアや西アジアで活躍したんでしょうけど。

454 :月光仮面:2009/04/22(水) 08:50:24 ID:5h3AeGJq
>>453
磐井の岩戸山古墳、装飾古墳、特に飛鳥の猿石のような突厥的石彫り、これは済州島では現在も
受け継がれているようですが、渡来人によるものと見ていいのではないかと思います。しかし、突厥
傭兵と限定することはおかしいでしょうね。柔然・烏桓などで中国・高句麗・三韓を渡り歩いたもの
というのはいるのではないでしょうか。騎馬民族説に異を唱えるあまり、軍事技術の導入にまで
否定するのはおかしい。逆に大和朝廷側で軍馬飼育技術導入に積極的であったのは史実の通り。

455 :月光仮面:2009/04/22(水) 08:57:21 ID:5h3AeGJq
岩戸山古墳のように大和朝廷の影響力の弱い筑後を中心に装飾古墳が広がるというのは、筑後の
豪族には大和朝廷に対抗する自負心があった。文化的には九州の方が大和より先輩であり、奈良の
ウリナラが何をぬかすかといった気概があったように感じるんですが。

456 :月光仮面:2009/04/22(水) 09:57:32 ID:5h3AeGJq
>>452
>騎馬民族≒遊牧民ではありませんし、>>441 で満州族の例を挙げとるでしょう。
満州族的なところは多分にある。カラスクはロシア・アムール州ウリル・ポリツェ文化、ブリャートモンゴル
東部・石板墓文化に影響し、特に、石板墓圏には三足土器を導入しているようです。だが、ロシアは
カラスクの人類学的分類を華北(つまり内モンゴル・河北)モンゴロイドプラスパミール・フェルガナ
(ソグド系)ユーロペイドではないかとしている。別のロシアの興隆窪文化研究で幼児を家の中に
埋葬するところなどから興隆窪文化の起源を南アジアとしている。


457 :月光仮面:2009/04/22(水) 10:54:55 ID:5h3AeGJq
カラスク文化圏は西周時代になるとトラキア-アルタイ突帯文土器文化圏に変貌する。その後に
続く夏家店上層時代に鉄器時代に入るものとみられる。

458 :月光仮面:2009/04/22(水) 16:53:48 ID:5h3AeGJq
>>457
参考まで
↓スキタイの磨研突帯文土器:この突帯文は皮製容器のループと取っ手を模したものとされる。
http://ww.hermitagemuseum.org/imgs_Ru/13/hm13_3_033_2_big.jpg

459 :出土地不明:2009/04/22(水) 19:27:13 ID:KuTCHjIN
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

460 :出土地不明:2009/04/22(水) 19:27:54 ID:KuTCHjIN
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

461 :214:2009/04/22(水) 22:43:25 ID:vR+L6gt9
mtDNA tree Build 3 (1 Mar 2009)
ttp://www.phylotree.org/ ←中央のZIPファイル

かなり最近の資料だけど、これを見るとDとGはそんなに近い訳じゃないみたいだ。
>>205のままのがよかったのかな。

>>199
これだとGはM12の系統から派生してる。

462 :月光仮面:2009/04/23(木) 08:41:41 ID:xRMW+4Jv
ゼロサムでYDNA-mtDNAを対比させるとmtDNA GのパーセントよりYDNA Dの方が多い。どこかの
mtDNAに入ると考えるとmtDNA Dではないか、ここにYDNA Dが入っているのでは。

463 :月光仮面:2009/04/23(木) 11:50:43 ID:xRMW+4Jv
>>456
>カラスクはロシア・アムール州ウリル・ポリツェ文化、ブリャートモンゴル東部・石板墓文化に影響し、
>特に、石板墓圏には三足土器を導入しているようです。
更にヤクートで出土するスキタイ期供献土器Choron、
http://img-fotki.yandex.ru/get/13/cherry200.2/0_8863_9dd65070_XL
これはスキタイの深鍋
参照→タガール文化深鍋
http://museum.kemsu.ru/pics/archfoto/kotelsk.jpg
とヤクート独自のチョロン
http://www.culturemap.ru/images/71_67.1099054981.95461.JPG
の合成。
こうしたものにスキタイの突帯文文化の特徴を垣間見ることができるが、日本の特殊器台の発展
ともよく似ている。


464 :月光仮面:2009/04/23(木) 12:07:52 ID:xRMW+4Jv
ここで見逃せないのが
http://img-fotki.yandex.ru/get/13/cherry200.2/0_8863_9dd65070_XL
このチョロンが三足土器、鼎と同一視されている点で、これが殷の司母の鼎のあり方を示唆している。
殷の鼎もスキタイの深鍋もルーツは同じだが、殷のものは良渚文化の影響で独特のものになったと
考えられる。更に殷の鼎の饕餮紋はスキタイの獣紋に通じるが、ブリャート伝承の女王の魔法の
大銀杯に通じる。そして共に日本の吉備の特殊器台に織り込まれたと考えられる。吉備には
鬼の温羅との戦いの際の変身伝説があるが、ブンブク茶釜のように変身する鍋釜が女王の
パワーであったのであろう。
スキタイの青銅深鍋
http://www.crimea.edu/crimea/history/pic/m12.jpg
http://www.artkavun.kherson.ua/images/gallery/big/383-Ij9ZkI.jpg
http://www.visualrian.ru/storage/PreviewWM/0315/72/031572.jpg
http://www.istorya.ru/book/kb/img/tmp408C-66.gif
http://sspa.bashtel.ru/facultets/history/his/DIV/SA/Gorod47.files/image017.jpg
http://www.atur.com.ua/pages/1327/vase3.jpg
宇宙を釜と見立て、その釜を操る阿弥陀仏のような竈神と言うのがスキタイの最高神の姿で
あった、突帯文は土俵の綱、大地の結界、茅の輪を意味していたと考えられる。
鮮卑の白樺まげわっぱ
http://www.odessaonline.com.ua/_photo/guides/museums/arch1.jpg
ここにも突帯文の起源を物語るものがある。

465 :月光仮面:2009/04/23(木) 12:46:53 ID:xRMW+4Jv
鮮卑の白樺まげわっぱ
http://www.museums75.ru/images/arxeo11.jpg

466 :月光仮面:2009/04/23(木) 12:58:03 ID:xRMW+4Jv
「箸墓古墳は、宮山型特殊器台を出土していることから、その頃に築造されたと考えられるから、古墳時
代は終末型特殊器台・特殊壺が現れた頃に始まると考えてよい。 箸墓古墳(280メートル)の他に、西殿
塚古墳(219メートル)、天理市の中山大塚古墳(120メートル)、橿原市の弁天塚古墳(およそ100メートル
以上)などの比較的大型で前方部が撥形で最古式の前方後円墳から宮山型特殊器台が発見されてい
。宮山型特殊器台は吉備で1遺跡から、大和で4遺跡から出土しているが、どちらがはじめに作り始めた
かは分かっていない。」・・・特殊器台を司母鼎と見るとこれらの古墳は女王である可能性が高い。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%99%A8%E5%8F%B0%E3%83%BB%E7%89%B9%E6%AE%8A%E5%A3%BA

467 :出土地不明:2009/04/23(木) 20:33:31 ID:sBTcXkNh
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

468 :月光仮面:2009/04/24(金) 11:23:28 ID:+H95kDzH
中国3・4足コードロン
http://www.bravochina.com/relics/image/tripodIncense.jpg
http://www.chinainfoonline.com/images/ancientrelics/TheBronzeTripodorCauldron/014.jpg
http://www.chinainfoonline.com/images/ancientrelics/TheBronzeTripodorCauldron/001.jpg
http://www.chinainfoonline.com/images/ancientrelics/TheBronzeTripodorCauldron/013.jpg
ギリシャ世界では巫女がその上に座りご神託を告げたりする。アポロンに関係する。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/32/Themis_Aigeus_Antikensammlung_Berlin_F2538_n2.jpg
八咫烏と関係がありそうだ。



469 :月光仮面:2009/04/24(金) 11:35:55 ID:+H95kDzH
三つ鳥居 水鳥が宇宙を創造する 三足烏等と関係するか
http://www.geocities.jp/mizu69room/torii.html


470 :月光仮面:2009/04/24(金) 15:24:55 ID:+H95kDzH
http://dragons-nest.ru/incl/image.php?args=../def/def/alkin-image002.jpg
「南台地では趙宝溝によくある猪龍の他に角のある鹿の頭をして鱗の付いた存在が描かれている。鱗は
細かな菱形網目で表される。こうした網目模様は新石器紅山文化及び早期銅時代夏家店下層にもある
が、それらは趙宝溝のように切込みではなく、描かれたものである。南台地の存在のボデーは厳密に言
えば蛇ではなく、南台地土器研究家Shao Gotyanyuは鱗の存在から描かれた存在を「鹿の頭を持つ竜」
だとした。更に、南台地文様には太陽のモチーフがあり、鹿竜の尻尾の後から旭日の半円がのぞいてい
る。今のところ、これが中国北東新石器では唯一の太陽図案の例である。S.V.Alkin」
ヤクート、吉備、纒向供献土器デザインの源流としてはこれが考えられる。

471 :月光仮面:2009/04/24(金) 15:37:56 ID:+H95kDzH
地下横穴墳文化前段階に出現する多突帯文土器
http://www.archeologia.ru/Library/Image/32033ea9376c/large/pic116
これはアルタイ-バルカンに広がるものであるが、↓多突帯文土器
(Multi-cordoned Ware)拡散想定図
http://i044.radikal.ru/0712/5e/71c63fbaabad.jpg
ヤクート、日本ではこれに夏家店下層のデザインが加味されている。


472 :月光仮面:2009/04/24(金) 15:48:03 ID:+H95kDzH
天界、人界の界を、タラシ(帯、突帯)で表すと息長(天人界)・帯姫、仲(人界)帯彦という解釈が
成り立つ。三界を統べる太陽女神の供献土器デザインは吉備で開発され、同時に付帯する思想と
共に大和朝廷に献じられたと言うことであろうか。勿論、それまでの大和には山岳信仰、鳥信仰
等が存在したではあろうが。

473 :月光仮面:2009/04/24(金) 16:08:30 ID:+H95kDzH
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/51/Izushi_castle09s4592.jpg
魂のウェーヴ・ガイド。

474 :月光仮面:2009/04/24(金) 17:54:11 ID:+H95kDzH
ケレクスルと言うのは三重丸のフラット石積施設であり、この内域、中域、外域を奥、中、辺とすると
奥津、中津、辺津という言葉がぴったりする。傘のような形状の三輪山は名実共にケレク(輿)・スル
(国魂)である。大国主命を三輪山に祀るというのはケレクスル時代(カラスク時代)のブリャート東部
(ザバイカル)の風習そのものである。

475 :月光仮面:2009/04/24(金) 18:02:54 ID:+H95kDzH
「イシク・クルの湖底には多数の遺跡が水没していることが確認されている。湖畔の砂浜には陶器など
湖底遺跡から流れ着いたものが打ち寄せることがある。なぜ遺跡が存在するかは未だに謎である。この
件に関しては何度か潜水調査が行われ、遺跡は1つではなく、様々な時代の遺跡が水没していることが
判明した。そのうちの1つにかつて湖畔に存在したという烏孫の赤谷城がある。」・・・高湖が原原か。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AB

476 :出土地不明:2009/04/24(金) 19:43:50 ID:ZqJvTq5h
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





477 :月光仮面:2009/04/25(土) 11:54:56 ID:mSnU3LDj
>>475
イシク・クル湖の北方は烏孫、つまり、天孫の国、八咫烏・三足烏の国。しかし、
「早在太延三年(437年)之前,蒙古高原的柔然曾経数次攻打烏孫国。柔然可能曾経与悦般連手,挟撃
烏孫,烏孫被迫西遷天山山中,時間可能是柔然君主社論〔402年−410年〕或后来的斛律(410年−414
年)在位其間。烏孫約在五世紀初至五世紀中叶南遷至葱嶺。他門被塞人(Saka)所同化,不再独立成国,在史籍上消失。」・・・AD5世紀頃にはエフタル・烏桓の挟撃により亡国、パミールに退散。
http://en.wikipedia.org/wiki/Wusun
だが後漢書に依れば烏桓の所在地を烏孫と同じ場所としている。


478 :月光仮面:2009/04/25(土) 12:09:08 ID:mSnU3LDj
柔然=アヴァール説 「アヴァールはテュルクに撃破されると、その一部がTaugasなる国とMukriに逃亡
した。」「フランスのマルクァルト(Josef Marquart)は、「Mukri」に逃亡したアヴァールについて、「Mukri」は
メルキト部に比定し、五代の胡山喬『陥虜記』に「バイカル地区に嫗厥律なる種族がいた」という記述から、
「嫗厥律(Yukuelu)」は、郁久閭(Yukiulu)に間違いなく、メルキト部に柔然の一部が逃亡していたとし、
柔然=アヴァール説を一層深めた。しかし、マルクァルト氏の説は妥当ではないと、フランスのシャヴァン
ヌ(Ed.Chavannes)は「Mukri」=「勿吉(Muki)」とした。テオフィラクトの記録には、「MukriはTaugas(拓跋
王朝)に隣接する極めて勇武の民族」と記し、『北史』勿吉伝には、「勿吉国は高句麗の北にあり、東夷に
おいて最強である」と記していることから、勿吉がテュルクに対抗する一大勢力であり、テュルク(突厥)
に敗れた柔然の一部が亡命することは極めてあり得るとした。」


479 :月光仮面:2009/04/25(土) 12:10:31 ID:mSnU3LDj
「さらにシャヴァンヌ氏は、テオフィラクトの記録に「アヴァール民族中に住むHermichionの王のAskelな
る者が、563年にビザンツに使者をよこした」とあるが、この「Hermichion」を、真正アヴァール(柔然)が虫
に関する蠕蠕と呼ばれたように、ペルシア人が偽アヴァールをKerm(虫)の名で呼んだものであるとした。
これを裏付けるようにSchaeder氏は、「アヴァール(Avars)」の語源はモンゴル語の「abarga(蛇、蛇動)」と
している。」

480 :月光仮面:2009/04/25(土) 12:18:54 ID:mSnU3LDj
以上 → http://en.wikipedia.org/wiki/Rouran 日本語版より
このMukri、これは百済の木羅斤資→日本の蘇我氏となるものと見られる。
蛇・蜈蚣・かいこ等は藤原、すなわち中臣(ナーガ=蛇、長髄彦、倭人伝の邪馬台国ナカテ)に通じ、
烏桓=和邇=丸=烏丸等琵琶湖の瀬田川右岸・左岸流域、大津京の地名と符合する。元伊勢遺跡
はアルカイム、シンタシュタ、客家の囲楼に通じる。

481 :月光仮面:2009/04/25(土) 12:29:30 ID:mSnU3LDj
蛇・蜈蚣・かいこ等は狼信仰で、ずばり狼というと狼に襲われるので、代わりにニックネームで呼ぶ
ということからきており、スルメのことをアタリメというようなもの。狼を祀る神社はこれに関係しているもの
と見られる。

482 :月光仮面:2009/04/25(土) 15:44:34 ID:mSnU3LDj
「共通名称 KimekはImi 族及びImek族という2つの部族の合同体に由来する。"Kimek"と言う言葉で単独
部族を自己表現することはない。Imi及びImekはアムール河(黒竜江)支流Argun川峡谷に流入するImi
川にちなむ名称。Marquartはチュルク語によって"2つのImek"を意味するKima"k Iki Ima"kが語源でない
かとする。」ここにいう「Imi及びImekはアムール河(黒竜江)支流Argun川峡谷に流入するImi 川にちなむ
名称。」今来漢というのは当て字であり、忌部同様 KimekはImi 族及びImek族という2つの部族の合同体
http://www.amazines.com/Kimek_related.html
つまり、渡来人は東漢、西漢、新漢に分けられた。しかし、新漢はどうもブリャート系だ。

483 :月光仮面:2009/04/25(土) 16:54:59 ID:mSnU3LDj
>>480
アルカイム
http://kladina.narod.ru/arkaim1995/arkaim1995_03.gif
同じ文化圏のシンタシュタ突帯文土器
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ru/e/e7/Sintashta.jpg
客家円楼
http://www.geocities.jp/ninoike2905/er.html
伊勢遺跡
http://www.bell.jp/pancho/travel/oumi/ise%20iseki.htm


484 :月光仮面:2009/04/25(土) 17:32:57 ID:mSnU3LDj
>>477
柔然可能曾経与悦般連手,挟撃烏孫・・・柔然が手を組んだ悦般↓それがこのエフタル。
http://karamatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/hakkutsuten_edohaku_010.jpg
同盟関係はカザフスタンから関東平野にまで及んでいた。

485 :出土地不明:2009/04/25(土) 17:33:31 ID:FtbHdDio
糸引き納豆の登場は室町時代頃、なれずしは3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html

486 :月光仮面:2009/04/25(土) 17:58:38 ID:mSnU3LDj
>>484
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/87/Asia_500ad.jpg
これでは悦般は匈奴であり、エフタルとは別となっている。しかし、エフタルと柔然は国境を接している。
ムクリは黒龍江省、靺鞨は吉林省あたりにおいている。匈奴と言うより烏孫の残党とか、烏桓とか
言ったほうがいいのかも。

487 :出土地不明:2009/04/26(日) 15:00:08 ID:O2BG88Kh
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

488 :出土地不明:2009/04/26(日) 15:01:07 ID:O2BG88Kh
しかも日本の鵜飼は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

489 :月光仮面:2009/04/26(日) 15:42:09 ID:7VMtSmMj
奈良の鹿の角
http://www.naradeer.com/prod04.htm
七枝刀
http://www2.memenet.or.jp/kinugawa/hp/hp740.htm
Gold Horn Deer
http://albcache.gallery.ru/gallery/0000028913-178948-6965975-.jpg
http://www.hermitagemuseum.org/imgs_Ru/04/b2005/hm4_1_07_2_big.jpg
石野博信、考古学ここだけの話 vol.9もったいないので公開します!
石野館長がクリスマス前に当館のボランティアのために語った
「ここだけの話」です。
http://www.hyogo-koukohaku.jp/topics/p6krdf000000020r.html
新羅に吹き寄せるユーラシアの風
http://www.miho.or.jp/japanese/member/shangrila/vol23/jshan23_2.htm
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Scythian_stelae_01.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Sif_from_Swedish_Edda_translation.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4
http://en.wikipedia.org/wiki/Drinking_horn
「角はユトランドにいた部族、とりわけキンブリー族かジュート族に起源を持つとされているが、それ以外
にもこれの出自を特定する説がいくつか存在する。角はおそらく宗教的な儀式で飲酒に用いられた後、
神への捧げものとして大地に埋められたものと考えられる。しかし同地域で木やガラス、骨、青銅などで
作られた類似した形状の角が見つかっており、これらのうちのいくつかは明らかに酒を飲むためではなく
吹き鳴らすために作られていたため、前述の説も明確なものではない。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E8%A7%92
加賀獅子
http://morisa.co.jp/matsuri/shishimai/kaga/s/
http://en.wikipedia.org/wiki/Unicorn

490 :月光仮面:2009/04/26(日) 15:54:42 ID:7VMtSmMj
七枝刀は鍛鉄民族勿吉が支配する百済が神功皇后への誓約の証に献上したものと解釈すると
明確に意味がわかる。この盟約のおかげで高句麗故国原王を破った百済の近肖古王は東晋から
鎮東将軍楽浪太守を封じられる。神功皇后は熊襲を抑え、王位継承の反乱を抑え、三韓を征伐し、
神の子の聖母となるが、さもなくば、押し掛け女房が不倫し、シングルマザーになるという厳しい局面
に逆転満塁ホーマーを放った。

491 :月光仮面:2009/04/26(日) 16:05:10 ID:7VMtSmMj
>>483 高天原はクリルタイ
「モンゴル皇帝(カアン)の命のもとに広く召集された王族および有力諸部族の首長、重臣たちからなる
遊牧国家の最高の政治会議である。その役割は第一に皇帝候補者の選定と即位、第二に諸外国への
遠征計画、第三に法令の制定、などが含まれていた。開催時期は春期や夏期が多く、大河の水源地域
など牧草地や水情に恵まれた土地が開催地として選ばれた。また回数も皇帝一代のうちでせいぜい2、3
回程度で、皇帝のオルドの近傍で定められ、国政についての様々な討議ののちに、場合によっては一週
間以上にもわたる長い祝宴(トイ toi )が常に伴った。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A4
元伊勢の起源はクリルタイであり、式年遷宮の起こりはクリルタイの定期的開催にあるのではないだろ
うか。

492 :月光仮面:2009/04/26(日) 16:20:08 ID:7VMtSmMj
「銘文の冒頭には「秦■四年」の文字が確認できる。これを「秦和四年」のこととして、東晋の太和四年
(369年)に鋳造されたと解釈するのが通説であるが、異論もある。日本書紀神功皇后摂政52年条に、
百済と倭国の同盟を記念して神功皇后へ「七子鏡」一枚とともに「七枝刀」一振りが献上されたとの記述
があり、百済から倭国へ献上された年が372年にあたるため、これと同一のものであろうと考えられて
いる。」
仲哀が突然崩御され、初産を終えられる時が摂政52年だと、70歳程度であり、いくら神様に近くても
これはありえない。二十歳代であろう。この摂政52年は七枝刀勢作が開始されてから献上にいたる年月
を考えると摂政3年程度であったのであろう。

493 :出土地不明:2009/04/26(日) 17:48:42 ID:IPD3EQGr
おい、月光。

ここはみんなが参加するスレだろ。

おまえ一人のせいでみんなが参加できないだろ。

そろそろ、自分のスレ立てて、そっちで一人禿しくオナっててくれないか?

誰もおまえの脳内デムパ創作なんか見てないし期待してないから。

とにかくおまえ専用の独立スレでやって、ここには書くな。

494 :出土地不明:2009/04/26(日) 18:35:06 ID:eFt0VMWo
>>493
おまえの方が無駄にスレ消費しとる

つまらないことわざわざ書くな

495 :出土地不明:2009/04/26(日) 21:00:56 ID:9OUdTb1m
>>494
おまえがな。

496 :出土地不明:2009/04/27(月) 19:23:54 ID:+2nr5wnF
本当に百済や高句麗の遺跡からD系のY染色体が出てるのか?
信じられん

297 :日本@名無史さん:2009/04/27(月) 12:38:40
百済系遺跡での出土した骨のDNA鑑定結果は現代韓国人に見られないD系の遺伝子が、必ず
見つかっている。高麗(高句麗!?)の骨からもD系が検出されている。(中国)

高句麗〜百済までの流れを確認すると、当該国の中核的民族にD系統の遺伝子が確認される。
つまり、古朝鮮と呼ばれる国家・文化の担い手は、実は源日本人の一派であり、現韓国人
とは全く血縁関係の無い民族が中心であった。
→朝鮮人は日本人の一部祖先であった民族の周辺に住み、その民族が残した文化遺産を、
 さも自分の文化であると詐称している、単に最後に流れてきた、日本人の直系とは全く異なる民族。
⇒恥知らずにも、日本人の直系の祖先が残した功績を、自分たちの祖先が語った・作った
 と詐称する真に恥知らずである事も、DNA的に証明されている。現朝鮮人は、他人の空家
 に移り住んできた盗人であり、日本人とは赤の他人。

ttp://blog.livedoor.jp/plus10a/archives/1153574.html
興味のある人は↑もチェックしてみてください。

497 :出土地不明:2009/04/28(火) 10:17:22 ID:5+iT0ZL3
朝鮮半島に檀君朝鮮の時代から朝鮮民族がいたかどうかと言うことは、先ず檀君という神話の世界が
実際に存在していたかどうかと言う点から考えて疑わしい。次に、太古から純粋の朝鮮民族と言うものが
いたかと言うことも疑わしく、現在の遺伝子研究では半島以外の大陸内部から南方系と北方系の両系統
が入ってきたとされている。

498 :出土地不明:2009/04/28(火) 11:11:58 ID:gj6XRKjb
魏志東夷伝 ?婁

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。

・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

 射撃が上手・・・これも同じだ。

 漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

 掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。

・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。


499 :月光仮面:2009/04/28(火) 14:30:18 ID:5+iT0ZL3
>>490 >>492
神功の個人的な手柄になって入るが、実際は神功を取り巻く軍事顧問団の成功であり、それもまた
武内宿禰という超時代的英雄になっている。この武内宿禰、先祖は孝元天皇の曾孫(『古事記』には
孫)、父は屋主忍男武雄心命(やぬしおしおたけおこころのみこと)、『古事記』は比古布都押之信命
とする。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%A6%E5%86%85%E5%AE%BF%E7%A6%B0
これはホケノ山古墳の時代となる。
この御酒は、吾が御ならず。くしの神 常世に坐す いはたゝす すくな御神の、神寿寿きくるほし、
豊ほき 寿き廻ほし、まつり来し御酒ぞ。あさず飲せ。さゝ(仲哀記)・・・これはスキタイの慣習である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000933/files/13205_14240.html
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5b/Scythian_stelae_01.jpg
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a6/Sif_from_Swedish_Edda_translation.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%B4
http://en.wikipedia.org/wiki/Drinking_horn
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%84%E9%87%91%E3%81%AE%E8%A7%92


500 :月光仮面:2009/04/28(火) 14:40:08 ID:5+iT0ZL3
ホケノ山古墳、西殿塚古墳等には後の時代の入れ子式追葬があるが、スキタイ以前から遊牧ノマドに
見られる慣習である。
追葬墳
http://www.archeologia.ru/Library/Image/6420eba768ac/large/pic46
追葬木槨墳
http://www.altaiinter.info/project/culture/Geography/Culture%20of%20Scyphian/Ukok/Pictures/ukok05.gif
追葬墳出土コードロン
http://sspa.bashtel.ru/facultets/history/his/DIV/Smirnov/Illustr/page_70%E0.files/image006.jpg
戦闘光景付黄金製櫛
http://www.hermitagemuseum.org/imgs_Ru/08/hm89_0_0_28_0_big.jpg
サルマート キンメリア スキタイ移動経路
http://mandara.narod.ru/kimer01.gif
これは、例えば孝元帝の子孫が何世紀も九州で活動していたのが、元の大和に回帰したような場合
に行ったものと見られる。

501 :月光仮面:2009/04/28(火) 16:13:22 ID:5+iT0ZL3
>>480
>このMukri、これは百済の木羅斤資→日本の蘇我氏となるものと見られる。
しかし、蘇我氏は表向きは孝元帝の末裔。木羅斤資というのは応神政権の行政官であったものの、任那・
百済で朝廷の権威を背景にのさばり、百済に告発されたもののようでもある。勿吉出身か。

502 :出土地不明:2009/04/28(火) 17:28:59 ID:UZW76+at
ここにいるみんなは、4月26日夜にNHK教育テレビでやってた
「日本と朝鮮半島 2000年」についてはどう思ってんの?
番組の中で、広開土王碑の内容(倭人が一時期、朝鮮半島の半分まで征服した後、
高句麗に押し戻されたこと)は認めないうえ、
稲作も、漢字も、仏教も、朝鮮半島に住んでた文化・教養の高い人間が、
文化の遅れた倭人に教えてやった、といってたけど。
これは抗議しなくていいの?

503 :出土地不明:2009/04/28(火) 22:29:35 ID:hC72KygI
http://blog.livedoor.jp/plus10a/archives/1153574.html

日本で確認できる系統
:O2a系統(4%)、O2b系統(26%)、O3系統(16%)、C3系統(1%)、D2系統(45%)、N系統(6%)

朝鮮で確認できる系統
:O2b系統(50%)、C3系統(12%)、O3系統(38%)

これだけだと、O2b+O3が共通で、その割合は日本:(42%)、朝鮮:(62%)で、
非常に共通性が多い。そのうち
O3が渡来人なら、朝鮮、日本とも漢民族が征服したことになるだけなので意味なし。
よってO2bが朝鮮系弥生人でD2縄文人を征服したというのが彼らの拠り所だった。

ところが、最新の研究で、そのO2bが日本と韓国では全く違う物であることが判明した。

http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_(Y-DNA)

>Haplogroup O2b* Y-chromosomes have been detected at a similarly low frequency
> among the Koreans, but Korean males display a very high frequency of a derived
>subclade, Haplogroup O2b1* (P49). In fact, Haplogroup O2b1* comes close to being
> the modal Y-chromosome haplogroup in Korea, occurring in approximately 35% of all
>Korean males.

>A subclade of Haplogroup O2b1, namely Haplogroup O2b1a (47z), is found at a fairly
>high frequency among the Yamato people and Ryukyuan populations of Japan.
>Haplogroup O2b1a has been detected in approximately 22% of all males who speak a
>Japonic language, while it has not been found at all among the Ainu or Nivkhs of the
> northern extremes of the Japanese Archipelago.

つまり、同じO2bでも、日本人はO2b1aで朝鮮人はO2b1*と完璧に別れている。
朝鮮系の

よって、>>502
ネタ以上の意味を見いだすことが不可能で、渡来人は現代朝鮮人とは全く関係なかったw

504 :月光仮面:2009/04/29(水) 11:10:23 ID:MNRCSzkb
>>501
邪馬台国時代、半島には倭国海外領土、拘邪韓國があり、帯方郡は必要に応じて「載斯烏越」から
倭国国内情勢、特に、対狗奴国戦闘状況を聴取していた。この載斯烏越が応神朝の「木満致」
に相当するものであろう。
「ヤマトに質人としてきていたが、父の死で帰国した百済の直支(とき)王の死(420年)ののち、久爾辛
(くにしん)があとをついだが、この王は幼少であったので木満致が国政をとった。ところが満致は、
久爾辛の母(直支王の妃八須夫人) と「相婬けて多に無礼を行」なったので、「(応神)天皇、聞しめし
て、召す。」とある。また百済記には、かれは「其の父の功を以って任那に専(たくめ)なり。我が国
(=百済)に来入て、貴国(=ヤマト、日本)に往還ふ。制を天朝(ヤマト朝廷)に承りて、我が国の政を
執る。権重(いきおい)、世に当たれり。然るを天朝、其の暴を聞こしめして召すといふ」とある」
百済国王の母と不倫を犯すとは日本人としての倫理観、潔癖性を欠いており、現地採用の勿吉人
ではなかろうか。いずれにせよ、百済の行政が応神の部下の手中にあったことを物語り、百済国民
としても腹に据えかねていたのであろう。

505 :月光仮面:2009/04/29(水) 11:23:07 ID:MNRCSzkb
神功皇后の渡海伝説は国際航路のサンタ・マリア、日本船の金毘羅さんのような海人族の守り神
伝承であり、身重の女性が丸木舟で玄界灘を渡るということはありえない。逆に玄界灘で遭難に
際しては女神の助けを祈るということはありえるが。

506 :月光仮面:2009/04/29(水) 11:38:09 ID:MNRCSzkb
>>504
倭国海外領土とはいえ、韓国学会のいうように労働力を提供して生産物(鉄)を受け取る制度で、
シ歳も鉄を取ったというが、シ歳も国土は持っていた。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
拘邪韓國もステータスはこれと同様で辰王との租借協定に基づいたもので、アカルヒメが天日矛に
追っかけまわされるのはこの租借協定上の義務によるものと考える。



507 :月光仮面:2009/04/29(水) 11:45:14 ID:MNRCSzkb
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/5/5a/History_of_Korea-001.png
この弁韓(Byeonhan)の北部がシ歳で、南部が倭国各国コンセッションと見られる。

508 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/04/29(水) 15:46:43 ID:7K1f4dot
>>496-498
嫌韓サイトを挙げる、レイシストじゃのう。
>>502
教育テレビのは視たが、中橋氏の弥生人口増加論や日本と韓国南部が
別々の民族集団に描きよる処もつまらん内容じゃったのう。
広開土王碑文の倭は伽耶じゃに、日本側の列島勢力半島支配論の妄想と
同様、韓国側は、中世の倭寇についてもそうじゃが倭≒列島云う固定観念が
あるんが可笑しい。日本の文化は概ね朝鮮半島経由じゃけぇ、日本は文化を
受け入れる側じゃ。
>>504-506
月光仮面さん。日本人としての倫理観、潔癖性たぁ何ですか?
しかも勿吉人のせいにして。これはレイシストそのものの書き込みですね。
倭国海外領土云うて、近代概念の領土なんか、当時はありません。
鉄は当時から農具や兵器に使う貴重品で、産出する国は強国ですからね。
北方木槨墓人が南下して伽耶を支配した頃は、かなりの強国で高句麗とも
対抗出来たでしょう。鉄を売る経済力なら、兵もそれだけ養える云うこと
です。

509 :月光仮面:2009/04/29(水) 16:20:13 ID:MNRCSzkb
百済の王妃が後家さんになったのを、大和朝廷の行政官に任じられたのをいいことにして、関係してしま
ったということですね。倫理的、きれいじゃないですね。日本人でも、百済人でもないようですね。勿吉と
するとごへいがあるかもしれないが、北方木槨墓人、アルタイ方面ですかね。・・・
鍛鉄技術は勿吉なんかでしょうね。七枝刀の話に鉄は7日も奥地に入るところで取れるといっているので
洛東江流域以外に別の産地があったんでしょうか。・・・


510 :月光仮面:2009/04/29(水) 16:27:56 ID:MNRCSzkb
まー、そうした鍛鉄技術、製鉄技術が出雲・伯耆・吉備などに伝来し、日本刀、大和の鍛冶に成長する
ワケですから、多少のことには目をつぶりますか。

511 :月光仮面:2009/04/29(水) 16:35:59 ID:MNRCSzkb
拘邪韓國は倭国の北岸なり・・・とするのは魏志倭人伝なんで、別に倭人が海外領土といったという
ことではないでしょう。中国も当時はおおらかな気持ちで別に領土と言う認識ではなかったのかも。

512 :出土地不明:2009/04/29(水) 17:19:07 ID:7SXhwH2a
>>496
現代でも韓国人にはD系遺伝子が5〜8%あるよ。しかし、韓国人のはD1系で、日本人のD2系とは
インドネシア(氷河期の海面低下でインドシナ半島とスマトラ・ジャワからボルネオ島までが陸続きだった
スンダランド)辺りで分離したもの。しかし、韓国人のD1は日本では見られず、日本人のD2は韓国人の
にはないらしい。

日本人のD2は縄文人の中心となる遺伝子だが、中国の華南・華北・東北部及び朝鮮半島にもないため、
江南から北に一切遺伝子が見られないOb2遺伝子がと同様に、海を渡ってきた遺伝子だと思われる。

D1・D3遺伝子は日本へ向かうと同時に、インドシナ・ビルマ及び長江周辺に遺伝子の跡を残して、
チベットでの主な遺伝子となり、その周辺へ再度広がっていった。そして韓国へ持ち込んだのは、歴史的
記録や伝承が正しければ辰韓ではないかと思われている。
A secondary, minor spike in the frequency of Haplogroup D1 occurs again in Korea, where it may
reach as high as 5% to 8%; this somewhat heightened frequency does not stretch into Manchuria
to the north or Japan to the east, which may corroborate historical accounts of immigration
from the country of Qin in the far west of ancient China to the country of Jinhan, which is
believed to have been located somewhere in the southern half of the Korean Peninsula. Ancient
Chinese historians are known for their habit of drawing what often seem to be forced connections
between contemporary peoples and putative ancestors of misty antiquity, and the comments
about immigration from Qin to Jinhan might have been motivated by the similarity that the ancient
central Chinese perceived between the languages of Qin and Jinhan. Nevertheless, on this occasion
the genetic evidence seems to provide the story with some independent corroboration.
注:Qin=秦、Jinhan=辰韓
>>http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D1_(Y-DNA)

でも、何故か崎谷満氏の表には出てこないんだが。どうも、Dが華北で分離したという崎谷氏の説明に
とっては都合が悪いらしいね。
>>http://mwkp.fresheye.com/mb/m.php/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA?6


513 :出土地不明:2009/04/29(水) 17:24:56 ID:7SXhwH2a
訂正

X:D1・D3遺伝子は日本へ向かうと同時に、インドシナ・ビルマ及び長江周辺に遺伝子の跡を残して…
O:D2遺伝子は日本へ向かったが、D1・D3はインドシナ・ビルマ及び長江周辺に遺伝子の跡を残して…

514 :出土地不明:2009/04/29(水) 18:17:06 ID:wHU164ic
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

515 :出土地不明:2009/04/29(水) 22:22:03 ID:Av43OLhB
秀吉が朝鮮出兵した理由は、信長、秀吉の時代に高度成長経済をとげた日本に
半島からあまりに移民が来るから、いっそのこと併合してしまおうって言う理由もあったらしいしな。

逆に鎖国はバテレン追放もあったけど、朝鮮人の渡航禁止という意味合いもでかい。

現在の朝鮮人と同じDNAを保有する日本人はこのときのやつと、
日韓併合以降に帰化した人がほどんどだというはなし。

大阪にいったら、部落=朝鮮人となるのはそのためらしい。
ただ、そうではなくて部落には古い歴史を持つ部落もあるから、
味噌も糞も一緒にして運動をしたのは大きな誤り。

ちなみに、江戸幕府の開墾にも下層労働者としてこのときの朝鮮人を大量動員したらしく、
当時の江戸の遺構からは犬を食ったあとの骨が大量に出てくるらしい。
綱吉の生類哀れみの令は、犬食うやつの成敗が主目的だったらしいね。

516 :出土地不明:2009/04/29(水) 23:39:54 ID:VYx1kN+z
>>515
聞いたことのない珍説だな(笑笑笑)

517 :出土地不明:2009/04/30(木) 13:12:31 ID:WUBp+/0y
刺身の起源は韓国

 釜慶大学が刺し身専門家課程の国際化に向け、米国で刺し身専門家課程の開設に乗り出した。

 釜慶大学は29日、今年中に米国ニューヨークにある釜慶大学国際財団に「刺し身博士」として
有名なチョ・ヨンジェ教授を派遣し、現地の人たちを対象に刺し身専門家課程を開設する計画だと発表した。

 釜慶大学の朴孟彦(パク・メンオン)総長は「チョ教授を研究あるいは休暇の名目で米国に派遣し、
韓国式刺し身の世界化を推進する計画を検討中だ」と述べた。現在、生涯教育院で4カ月の刺し身
専門家課程を設けている釜慶大学はこれを拡大し、ソウル市鍾路区にあるソウル事務所に刺し身
専門家課程を開設する一方、米国ニューヨークに同様のプログラムを設ける計画だ。

 昨年、学術書『刺し身学』を出版したチョ教授は、「日本はすしで有名だが、日本の熟成させた
刺し身とは違う韓国ならではの味、活魚の刺し身の味を世界に知らせる専門家の養成が必要だ」と述べた。
ニューヨークには活魚刺し身店や和食レストランが多く、現地の調理師を対象にした専門家課程が
必要で、これを通じ韓国式刺し身文化の伝播と国際化が可能になる、と釜慶大学側は説明している。

http://www.chosunonline.com/news/20090430000042

518 :出土地不明:2009/04/30(木) 13:16:06 ID:WUBp+/0y
中央日報

「しょう油は韓国が元祖」世界進出計画

最近、トンウンFCは自社ブランドの開発に乗り出した。国内市場よりも世界市場を狙ったブランド戦略だ。
「時期尚早だ」「リスクの負担が大きい」と懸念する声もあったが、チョ・キュス社長は強力に推し進めている。

チョ社長の自信は綿密な準備から見られるものだ。チョ社長は「自社ブランドで海外市場を攻略する計画は、
ある日突然考えついたのではない。数年前から段階を踏み、発売の段階に入った」と話した。

トンウンFCはテリソースから市場に発表する予定だ。世界市場で韓国の伝統発酵食品のしょう油が日本の製品
のように認識されていることを正したいという。初期には日本のテリソースをベンチマーキングして世界市場に
軟着陸した後、世界の人の舌を変えていく計画だと会社側は紹介する。2年以内に米国アナハイムに支社を設立する計画だ。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=100879

519 :出土地不明:2009/04/30(木) 22:16:38 ID:aUW+0Q0d
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

520 :出土地不明:2009/05/01(金) 00:45:18 ID:Cxgjw5m6
>>393
>鳥居は紀元前2000年くらいまで江南地方にいて、現在雲南からタイ・ベトナムなどにいる
>少数民族の太陽信仰によるのでは?

同意です。

521 :出土地不明:2009/05/01(金) 02:30:37 ID:7OUbjshq
自演楽しいか?w

大和時代、古墳時代に鳥居は無い。

その跡も遺物もな。

522 :出土地不明:2009/05/01(金) 11:04:45 ID:6m5Aeccq
日本人ピープリング[素案]
D*は何故インド亜大陸に存在しないのか。D*は約5万年前にEと共通の祖先からペルシャ湾付近で分
かれ、中央アジアに入った。D1は中央アジアからモンゴリア・朝鮮半島に達していたものの、東シナ海大
陸棚には至らず、D2は約2万年前には東シナ大陸棚に、D3はチベット方面に達した。D2は東シナ大陸棚
が水没した後も、沖縄南西諸島・九州西部で生き続けた。しかし、YAP+の精子形成遺伝子欠損による弱
性逆選択の他に、海水面の変動、火山活動等の影響により幾度となくボトルネックを経験した。しかし、
約3千年前にアルタイ・バイカル湖・内モンゴル方面から朝鮮半部・九州北部に渡来したO2b1a (47z)
民族が持ち込んだアルタイ言語・スキタイ的農耕牧畜文化(オルドス/新羅、綏遠/高句麗、ブリャート/
百済)と山東半島から遼東半島に入る石包丁を伴う稲作等の農耕技術がもたらした朝鮮半島の無文
土器、日本列島の弥生文化の拡大と共に東日本に向け急速に拡大し、人口が膨張、遺伝子が多様化
した。

523 :出土地不明:2009/05/01(金) 11:15:45 ID:6m5Aeccq
日本人ピープリング=日本民族形成仮説

524 :出土地不明:2009/05/01(金) 11:25:56 ID:4FlB5t21
なんで3千年前や

525 :出土地不明:2009/05/01(金) 11:35:23 ID:6m5Aeccq
歴博などの研究で3000年前から弥生が開始することがわかったからだ。同時にこの頃O-SRY465/O-47
以外のO-M175が山東半島から遼東半島に石包丁を伴う稲作等の農耕技術と共に半島・列島に入って
いる。呉の太白だ。


526 :出土地不明:2009/05/01(金) 12:40:16 ID:Qn/ALGum
辻褄あわせですか

527 :出土地不明:2009/05/01(金) 12:57:50 ID:dxl24Ca4
>>521

>大和時代、古墳時代に鳥居は無い。
>その跡も遺物もな。

正しくは、

大和時代、古墳時代に鳥居はあった。
その跡や遺物が吉野ヶ里遺跡から出土した。

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/index.html

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/DSC00038.JPG


528 :出土地不明:2009/05/01(金) 13:43:14 ID:6m5Aeccq
>>512
>そして韓国へ持ち込んだのは、歴史的記録や伝承が正しければ辰韓ではないかと思われている。
これは、日本に応神朝に秦氏が来朝するのと軌を一にするが、秦氏と言うのがD1の多い青海省方面
なので、韓国のD1の起源を秦氏ではないかとするもの。こうなると日本に来た秦氏はD1ではないので
にせものということになる。



529 :出土地不明:2009/05/01(金) 14:07:03 ID:6m5Aeccq
>>521 http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_D1_(Y-DNA)
シナ西蔵語族としては青海西蔵にはD1、四川雲南にはO3a5-M134が広がるが、青海西蔵のD1の
起源については(1)創始者効果&/or遺伝的浮動、(2)中央アジア&/or北東アジアに繋がるチベット化
された旧石器下層、(3)言語学的には失われた中央アジア・北東アジア由来の系統のものがあり、
後にシナ・チベット語をもたらす・・・こうした複数の仮説を提示している。

530 :出土地不明:2009/05/01(金) 14:13:21 ID:6m5Aeccq
>>528
日本に来た秦氏がD1でないということは、韓国に存在するD1は秦氏とは関係なくD2同様、約2万年前
から韓国に到来していたと考えるべきかもしれない。

531 :出土地不明:2009/05/01(金) 14:21:31 ID:dNXBgOPC
>>527
吉野ヶ里は弥生遺構だし、それは後から加えた創作物だろがカス。




飛鳥時代も古墳時代も鳥居は無い。

その跡も遺物もな。





532 :出土地不明:2009/05/01(金) 15:00:27 ID:dxl24Ca4
>大和時代、古墳時代に鳥居は無い。
>その跡も遺物もな。

正しくは、

大和時代、古墳時代に鳥居はあった。
その跡や遺物が吉野ヶ里遺跡から出土した。
遺物から復元した鳥居。

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/index.html

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/DSC00038.JPG





533 :出土地不明:2009/05/01(金) 15:24:12 ID:dxl24Ca4

>>531 は
鳥が付いたままの門でも発掘されないと、納得いかないようだな。
鳥が付いた門は、内と外の境界として、集落の出入り口などに使用され、
後世に神社などの境界に使用されるようになった。
現在の鳥居には鳥が付いていないが、名前のみ鳥の字が残っている。



534 :出土地不明:2009/05/01(金) 16:17:15 ID:6m5Aeccq
>>529 The Himalayas as a Directional Barrier to Gene Flow http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=1852741
「遺伝子の流れにとりヒマラヤ山脈は北から南への一方通行だ」
これによるとD遺伝子はチベットまでで、ネパールには入っていない。チベットのD1-M15とD3-P47 の
共通先祖年代はそれぞれ5.1±1.8および11.3±3.7千年であり、日本のD2より新しい。・・・としている。
もしかして日本のD2、韓国のD1もチベットと同じ年代ではないのか。




535 :出土地不明:2009/05/01(金) 16:35:53 ID:dNXBgOPC
>>532
>大和時代、古墳時代に鳥居はあった。



で、その証拠は?

飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出してみな。




536 :出土地不明:2009/05/01(金) 17:07:36 ID:ObvKqozw
> そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
> 日本へ伝わってきたと考えられているようです。

またそうやってさりげなく根拠のないデマを潜り込ませるww

537 :出土地不明:2009/05/01(金) 17:12:57 ID:6m5Aeccq
>>525
「男子無大小、皆面黥面文身。自古以來、其使詣中國、皆自稱大夫。 夏后少康之子、封於會稽、斷髪
文身、以避蛟龍之害。 今倭水人好沈没捕魚蛤、文身亦以厭大魚水禽、後稍以爲飾。 諸國文身各異、
或左或右、或大或小、尊卑有差。 計其道里、當在會稽東冶之東。」倭人と会稽東冶方面の習俗が
似ているという。これはO-SRY465/O-47以外のO-M175の人々が来ていたことを言っているのだろうが、
ルートとしては沖縄経由の線も強い。


538 :出土地不明:2009/05/01(金) 18:27:21 ID:6m5Aeccq
高天原は渡来人の持ち込んだものを倭人が自国の伝承に合わせ鹿児島・宮崎に設定したと考える
べきか。

539 :出土地不明:2009/05/01(金) 18:47:17 ID:dxl24Ca4

だから、「大和時代、古墳時代の鳥が付いたままの門でも発掘されないと、
君は納得いかないようだな。」と言ってるの。

吉野ヶ里遺跡の遺物から復元した鳥居。

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/index.html

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/DSC00038.JPG

鳥が付いた門は、内と外の境界として、集落の出入り口などに使用され、
後世に神社などの境界に使用されるようになった。
現在の鳥居には鳥が付いていないが、名前のみ鳥の字が残っている。

この文から、現在までそれが続いていると読み取れないの?
それとも、途中で途切れたという証拠でもあるの?



540 :出土地不明:2009/05/01(金) 20:14:41 ID:p5xTj8Tw
>>539
それは捏造だし、吉野ヶ里は飛鳥時代の遺跡でも古墳時代の遺跡でも
ない。

図々しい江南ベトナム顔の台湾式インチキ、ペテン、スットボケは
止めて、

早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。

541 :出土地不明:2009/05/01(金) 20:15:30 ID:p5xTj8Tw
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

542 :出土地不明:2009/05/01(金) 20:20:48 ID:p5xTj8Tw
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。



弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





543 :出土地不明:2009/05/01(金) 20:21:44 ID:p5xTj8Tw



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が朝鮮半島の古代遺跡から出土した炭化米でなされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif




544 :出土地不明:2009/05/01(金) 21:34:28 ID:3YtxeIbf
>>540

>それは捏造だし、
何を持って捏造と言い切れるのですか?

だから、「大和時代、古墳時代の鳥が付いたままの門でも発掘されないと、
君は納得いかないようだな。」と言ってるの。

吉野ヶ里遺跡の遺物から復元した鳥居。

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/index.html

http://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/WebLibrary/yosinogari/DSC00038.JPG

鳥が付いた門は、内と外の境界として、集落の出入り口などに使用され、
後世に神社などの境界に使用されるようになった。
現在の鳥居には鳥が付いていないが、名前のみ鳥の字が残っている。

この文から、現在までそれが続いていると読み取れないの?
それとも、途中で途切れたという証拠でもあるの?


545 :出土地不明:2009/05/01(金) 22:11:18 ID:xnl3af65
>>544
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
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早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
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早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw

546 :出土地不明:2009/05/01(金) 22:24:05 ID:3YtxeIbf
>>540

>それは捏造だし、
何を持って捏造と言い切れるのですか?

これを言えずに必死になっていますね、

稲作とRM1-b遺伝子の事は、あまりあちこちに書き込まないように。
1000回書き込んでも真実は変わりませんよ。
こちらも、必死ですね。

同じID:p5xTj8Twになっていますよ、気を付けましょう。






547 :出土地不明:2009/05/01(金) 22:35:44 ID:xnl3af65
>>546
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
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早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
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早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
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早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw

548 :出土地不明:2009/05/01(金) 22:45:34 ID:5bPQgl+s
>>547
どんだけ釣られてんだよ

549 :出土地不明:2009/05/01(金) 23:06:27 ID:3YtxeIbf

ごめん、人の迷惑も考えずに、
面白いので、釣ってしまった...。
すまん。


550 :出土地不明:2009/05/01(金) 23:14:21 ID:mi7iYwDF
いくらでも釣られてやるぜw

釣られるたびに江南サギの脳と心臓部はえぐり抜かれていくwwww

551 :出土地不明:2009/05/01(金) 23:44:24 ID:mi7iYwDF
>>549
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw
早く飛鳥時代、古墳時代の鳥居の証拠を出しなさい。跡でも遺物でも良いぞw

552 :出土地不明:2009/05/02(土) 21:43:07 ID:J9whHLDU
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

553 :出土地不明:2009/05/02(土) 21:44:11 ID:J9whHLDU
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

554 :出土地不明:2009/05/03(日) 01:05:14 ID:fxTv4ONC
> かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
> 適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

これって笑うところですか?

555 :出土地不明:2009/05/03(日) 02:43:21 ID:ZR1NVQ7o
江南サギ犯が泣くところでしょう。

556 :出土地不明:2009/05/03(日) 05:30:29 ID:ZR1NVQ7o
>>554
おまえのためにニューバージョンを作ってやったぜw



中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。

http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

557 :出土地不明:2009/05/03(日) 08:44:27 ID:J+JSX5lr
>>556

かわいそうに、思うつぼにはまっているキムチ君。



558 :出土地不明:2009/05/03(日) 08:46:05 ID:fxTv4ONC
> 中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
> 調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
> なされていない。

そんなにぐたぐだご託抜かすなら自分で調べりゃいいじゃねえか。
少なくとも今わかっている事実から素直に考えれば朝鮮半島伝来説を
支持する根拠は薄い。

> 朝鮮半島の自然環境に
> 適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

証拠もなしにこんな主張しているおまえの方がよっぽどあれだよ。
まず事実とエビデンスを積み重ねような。

大多数の人間にとっては、稲作が朝鮮半島経由で伝わろうが、江南から伝わろうが
どっちでもいいんだよ。知りたいのは真実だけ。
あからさまに朝鮮半島経由説という結論ありきで、居もしない台湾工作員という幻
と戦ってるのはおまえだけだって気付よな。

559 :出土地不明:2009/05/03(日) 10:16:56 ID:be5RwwEG
無アクセント(福島、栃木等)が縄文語の韻律的特性だと思う。

無アクセントが京阪アクセントと接触して、
東京アクセント(関東西部、中部、山陽)が生まれた。

京阪アクセントには中国的四声の影響があると思う。

弥生時代当初の渡来人は、中国的四声を備えた言語を話していた人々
ではないかという想定が生まれてくる。
すなわち、渡来人は、彼らの母語に不可欠な「高、低、上昇、下降」
という声調を、縄文語の上にかぶせて弥生語のアクセントを作り出した
という見方をここに提唱したい。

(縄文語の発見 小泉保 青土社 1998年)



560 :出土地不明:2009/05/03(日) 11:55:06 ID:WnQpcjZa
アクセントの曖昧化が進んで型が崩壊した崩壊アクセント(無アクセントとも呼ばれる)もあり、東北地方
南部〜関東地方北東部、福井県福井市周辺、愛媛県大洲市周辺、長崎県五島列島、佐賀県北部〜九
州山地〜宮崎県の大部分などに分布する。

561 :出土地不明:2009/05/03(日) 13:05:38 ID:KBMcTeIa
【科学】月面上に特異点「モノリス」か…NASA
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/news7/1239345702/

>米航空宇宙局(NASA)は1日、月面南緯43度、西経11度の地点に、理論的に説明のつかない特異点を見つけたと発表した。
>(中略)
>の中でも20ケルビン程高く、これも誤差の範囲を超えている。我々は月面地下数十メートルに何かがあると確信している。
>私は、この事実を知ってから、2001年宇宙の旅を既に百回以上見た」
>週明けにも、オバマ大統領から全米に向けてのテレビ会見が行われる。

562 :出土地不明:2009/05/03(日) 13:57:38 ID:FA+B56au

中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif


563 :出土地不明:2009/05/03(日) 15:10:41 ID:f1tKZq7E
>考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

朝鮮考古学会を混乱させた。朝鮮民族に対する罪と言いたいわけだなw

564 :出土地不明:2009/05/03(日) 15:42:24 ID:FA+B56au
日本考古学会を混乱させた。日本民族に対する罪と言いたいわけです。

565 :出土地不明:2009/05/03(日) 20:24:36 ID:zBbiGTt8
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/





566 :出土地不明:2009/05/04(月) 00:53:36 ID:lBl355wx
>>527
>大和時代、古墳時代に鳥居はあった。
>その跡や遺物が吉野ヶ里遺跡から出土した。

了解です。

朝鮮ヨイショの奴らには困った話だね。

567 :出土地不明:2009/05/04(月) 01:53:29 ID:lhRX2hO8
自演で誤魔化して何か楽しいか?w

早く大和時代、古墳時代に鳥居があったという証拠を持って来いよw


568 :出土地不明:2009/05/04(月) 04:13:33 ID:oo7MMc3p
鳥居って伊勢神宮や出雲大社にもある奴だろ?

2000年前には日本にあったんじゃないか?

569 :出土地不明:2009/05/04(月) 05:36:22 ID:+ZLgQE99
で、2000年前にあったという証拠は?

570 :出土地不明:2009/05/04(月) 10:16:18 ID:vtFRXKJ7

【日韓】新羅の夫婦が海を渡り日本で神様として慕われていた…日本と韓国はむしろ仲が良かったのです(毎日新聞)★3[04/22]
http://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1240659099/l50

571 :出土地不明:2009/05/04(月) 17:39:20 ID:oo7MMc3p
>>569

おまえすごい情報難民だな

古い神社の歴史をすこし調べればわかるだろ

情報弱者にレスしても意味ないかな…



572 :出土地不明:2009/05/04(月) 22:16:09 ID:YRXtOL2s
>>571
つまり証拠がないから出せないと言う事だろ。

じゃあ、とっとと失せろこのウソツキ。

このライヤー。

このペテン野郎。

このサギ師。



573 :出土地不明:2009/05/04(月) 22:18:34 ID:LNks7y48
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた



574 :出土地不明:2009/05/04(月) 22:19:38 ID:LNks7y48
日本には世界最古の7000年前の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

575 :出土地不明:2009/05/04(月) 22:20:24 ID:LNks7y48



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!




576 :出土地不明:2009/05/05(火) 20:08:45 ID:aJA9wFeH
歌垣は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

577 :出土地不明:2009/05/05(火) 20:10:09 ID:aJA9wFeH
歌垣は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

578 :出土地不明:2009/05/05(火) 20:11:49 ID:aJA9wFeH
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

579 :出土地不明:2009/05/05(火) 21:21:45 ID:WiM4RadZ

なぜ、歌垣を貼り付けるのが好きな人がいるのでしょうか。

歌垣なら、↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
を読めば、誰でも理解できるのですが。



580 :出土地不明:2009/05/05(火) 21:32:46 ID:aJA9wFeH
それには日本の歌垣のルーツが書かれていない。

581 :出土地不明:2009/05/05(火) 21:47:25 ID:WiM4RadZ

自然発生した原始的な文化だから、
明確な記録が残っていないのはあたりまえ。
これを読めば分るでしょう。

歌垣なら、↓↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3
を読めば、誰でも理解できるのですが。



582 :出土地不明:2009/05/06(水) 15:32:58 ID:xEmQjjfu
L3.....┳M... ┳D  ┳━━━D4   32.61%
    ┃    ┃    ┗━━━D5 .   4.8 .% D小計 37.41%
    ┃    ┣━━━━━━G.   6.86% G 6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47% 隼人・阿多
    ┃    ┃    ┗┳━━M7b.  4.45% 隼人・阿多
    ┃    ┃      ┗━━M7c.  0.76% M7小計 12.68% 隼人・阿多
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22% M8小計 2.98%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .% M10 1.3% M小計 61.23%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85% A小計 6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┗━━━N9b   2.13% N9小計 6.7% 安曇海人族
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27% 海部
                ┗R9. ━F    5.34% R小計 18.6% N小計 32.15%
                        他...  6.62% 他 6.62%



583 :出土地不明:2009/05/06(水) 15:49:27 ID:xEmQjjfu
↑mtDNA系統図。Dは渡来・秦氏、夕月の民(現在半月を国旗にするチュルク系が古代蟠踞していた
七河地区由来の民)。

584 :出土地不明:2009/05/06(水) 16:36:21 ID:xEmQjjfu
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━ B
      ┃    ┃
      ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━ C モンゴル人 アボリジニ
            ┃    ┃
            ┃    ┃            ┏━━━━ D 日本人(縄文系)アイヌ チベット人
            ┗━━╋━━━━━━┫
                  ┃            ┗━━━━ E
                  ┃      F
                  ┃      ┏━━━━━━━ G
                  ┃      ┣━━━━━━━ H
                  ┃      ┣━━━━━━━ I
                  ┃      ┣━━━━━━━ J
                  ┃      ┃    K
                  ┗━━━┫    ┏━━━━ L
                          ┃    ┣━━━━ M
                          ┃    ┣━━┳━ N
                          ┗━━┫    ┗━ O 漢人 日本人(弥生系) ←秦氏はここに入る
                                ┃  ┏━━ Q
                                ┗━┻━━ R
                                    P

      ・    ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
      ・     ・     ・       ・    ・   ・  
   90420 82000 68500  53000 35600 29900


585 :出土地不明:2009/05/06(水) 19:00:33 ID:gv7wJZK6
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

586 :出土地不明:2009/05/06(水) 19:01:30 ID:gv7wJZK6
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

587 :出土地不明:2009/05/06(水) 20:28:13 ID:YMA6arcs
>>582
「他」の内、0.4%ほどがハプログループYだそうで。

L3.....┳M... ┳D  ┳━━━D4   32.61%
    ┃    ┃    ┗━━━D5 .   4.8 .% D小計 37.41%
    ┃    ┣━━━━━━G.   6.86% G 6.86%
    ┃    ┣M7....┳━━━M7a.  7.47% 隼人・阿多
    ┃    ┃    ┗┳━━M7b.  4.45% 隼人・阿多
    ┃    ┃      ┗━━M7c.  0.76% M7小計 12.68% 隼人・阿多
    ┃    ┣M8....┳CZ....┳C.   0.46%
    ┃    ┃    ┃    ┗Z    1.3 .%
    ┃    ┃    ┗━━━M8a.  1.22% M8小計 2.98%
    ┃    ┗━━━━━━M10.  1.3 .% M10 1.3% M小計 61.23%
    ┗N..━┳━━━━━━A     6.85% A小計 6.85%
          ┣N9. ┳━━━N9a   4.57%
          ┃    ┣━━━N9b   2.13% 安曇海人族
          ┃    ┗━━━Y    0.4 .% N9小計 7.1%
          ┗R..━┳B..━┳B4 .   8.99%
                ┃    ┗B5 .   4.27% 海部
                ┗R9. ━F    5.34% R小計 18.6% N小計 32.55%
                        他...  6.22% 他 6.22%

588 :出土地不明:2009/05/06(水) 20:48:31 ID:YMA6arcs
>>584
新しい資料によるとDEに対してCとFが近くに括られてる。
K2、K5とされてたものに、それぞれTとSの割り当てがされてる。
ttp://www.isogg.org/tree/
http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup#Major_Y-DNA_haplogroups

その表だとDとEの分岐が比較的新しく見えちゃうけど
6万〜5万年前(くらい?)みたいだ。

589 :出土地不明:2009/05/06(水) 22:05:03 ID:ox+TJIFG
1 中国人と日本人は血縁関係がありますか?
徐福はその後すでにデマだと証明されました!
日本人の主体は阿依が人を傷めるのですか?まだ朝鮮人の後裔ですか?
多くの日本の写真を見て、日本人と中国人の顔立ちの違いがとても大きいことを発見します
作者:61.185.114.* 2009-1-17 13:27

6 返答:
あって、多数の日本人は古代の漢族の亡命者の後代で、
少数は古代の東南部の沿海の百ベトナム人の後代です。阿奴あの人ただひと握りの人。
作者:Qぁぁ 2009-1-17 18:36

7 返答:
朝鮮人の後裔の、外でモンゴルのたぐいを少し加えます。
作者:星の森の民兵 2009-1-17 18:39

13 返答:
近代的な日本人はほぼ混じる血の民族です。
日本で生活したのは1番早く阿伊は人を傷めて、
紀元前からそれぞれ大陸から来た中国人、朝鮮人は
および海の来る一部の東南アジア人を渡って日本に移転して、
次第に今の日本の民族の主体を形成しました。
作者:61.148.60.* 2009-1-18 13:40

15 返答:
日本人は簡単に朝鮮人(実はこの部分の朝鮮人も中国大陸から朝鮮まで(へ)移るのです)
の同化する百ベトナム人(百ベトナム人も中国大陸で分布します)にだと言います。。。
一部の阿伊をつけ加えて人と沖縄人を傷めます。実は沖縄の人材は本当の日本人です。
作者:211.145.31.* 2009-1-18 15:41


590 :出土地不明:2009/05/06(水) 22:06:17 ID:ox+TJIFG
16 15返答します:
朝鮮人は古代の漢族の駐屯軍と東北の高い文の美人の後代で、
南朝鮮の棒人は日本列島の原住民の後代です。
日本の伝統のものはすべて中国から来ます:
和服は漢は(適切なのが江南地域漢が“呉服”に従うのです)の派生に従って、
武士の刀は江南の標準的な兵器の“呉鈎”
(呉がかぎ針で編むのがかぎではありませんて軍刀です)
の寿司は漢朝から軍隊の携帯用食品から商人の携帯用食品に変化して更に日本に入って来るので、
刺身が中国の明な前のごちそう(明の初めが環境が関係して大胆に食べたことに人がいないため)
がカメを崇拝するのは明の以前は漢族の伝統
(明朱元璋が“妓楼”に妻の不義を知らぬ亭主を持ってそこでカメまで(へ)
連想することを命令を下しました、
そこであれらの妻と娘の売春者をののしってカメになります)で、桜に与えるのは同様に漢族の伝統が宋の後で消えてなくなるので、
相撲も春秋戦国から滅ぼす時の杭州の72軒の相撲の代々の名門が日本を逃亡して
今日の日本の相撲の代々の名門の祖先になる宋があるのです。
作者:Qぁぁ 2009-1-18 19:09

34 返答:中国人と日本人は血縁関係がありますか?
ありません
作者:鮮やかです名残惜しく 2009-1-18 23:30


591 :出土地不明:2009/05/06(水) 22:08:04 ID:ox+TJIFG
41 返答:
日本人は族の琉球族と朝鮮族とで構成するので、一族の人の容貌と漢族人と更に接近して、
顔立ちは比較的に立体で、頬骨は突き出て、隠れて組、と一重まぶた多数を占めて、
2重まぶたの少なめに。
その中がかなりあって漢族の後裔がいます。
朝鮮の一族の人、見分けることができて、大きな餅の顔。
普通は一族の人と朝鮮の一族の人にあまり嫁ぎたくありませんて、
だから朝鮮族の日本人は韓国人と同じにすべてそんなにみっともないです。
日本の琉球の一族の人と中国人は更に似ていました。
族と元来日本の民族の大いに解け合う産物、阿依が人を傷めるのは主体で、
人も含んで時に異なった時期にそこの漢人
(漢人の先進的な文化が日本に極めて大きい助けを与えます)まで(へ)亡命します。
日本人の中朝鮮の一族の人は最も噛んで殺して、悪名高い南京大虐殺、
朝鮮族の日本人がしたことで、
東北を連想して連合軍の中朝鮮の分遣隊を抵抗するよく軍紀に反して、
燃やして殺すことを略奪します。私はアジアの最も恐ろしい民族が朝鮮族だと感じます。
作者:現代の阿炳 2009-1-20 15:14

48 返答:中国人と日本人は血縁関係がありますか?
間違い
全てはすべて韓国人です
作者:【イバラの王冠】 2009-1-23 22:00

52 返答:
必要な研究これらがない、全世界のすべての人類はすべてアフリカのチリ人の後代です
作者:123.60.193.* 2009-1-25 15:21
共有します29編は子を貼ります
返答を発表します


592 :出土地不明:2009/05/06(水) 22:10:00 ID:ox+TJIFG
1 日本人は確かにとても中国の北方人とモンゴル人ような~~~~~~~~です
日本の街は美人をたたいて、しかし誠実な一般人、
しかし容貌の上からほとんど南方人の痕跡が見えないことを見て、
明確にして日本人を言うのは朝鮮半島から来るツングース人の後代です
http://tieba.baidu.com/f?kz=550451195
作者:大和の民族は言い伝えられています 2009-4-27 00:38

4 返答:
私は教科書を読んで、清人のあっさりしているモンゴル人の後裔を感じます
作者:芝娜の王女 2009-4-27 08:58

7 返答:
あなたも日本人を承認するとこのように言うのは中国人の後代ですか?????
作者:222.183.225.* 2009-4-27 18:28


593 :出土地不明:2009/05/06(水) 22:11:18 ID:ox+TJIFG
13 返答:
北方の漢人はもっと前にモンゴルに全て殺されました。
前の北朝は殺戮したことを始めますが、でもモンゴルのこのような絶滅性がありません
今の中国人は自然と過去の数百年、千年前に原住民の血筋ではありません
一体アナン、朝鮮はすべて比較的に安定して、血筋は比較的に純粋です
作者:116.230.108.* 2009-4-27 21:12

21 返答:
あなた達はどれだけの日本人に接触したことがあって、日本に着いたことがありますか?
中国の南方の民族は最低です.
本来の日本人が東北のツングースの民族の血筋を持つのはとても高いべきで、
しかし混じった南の島の馬が南方人の血の才顕の低さに来るためです.
作者:李・清水 2009-4-27 23:05

22 返答:
つまらない血統論、日本国土は狭くて長くて、同様にたとえ日本人ですとしても、
容貌も異なっていて、北海道と沖縄を持ってあなたが比べてみて、違いは大きいです。
作者:★あっさりした鳴尊★ 2009-4-27 23:08
共有します20編は子を貼ります
返答を発表します


594 :月光仮面:2009/05/07(木) 15:42:48 ID:8Hgnnpzh
>>509
┌────────────────────────────────────────────┐
http://zh.wikipedia.org/w/index.phpYtitle=%E6%BF%8A%E8%B2%8A&variant=zh-tw                  │
│●Y貊(韓語:Yemaek)                                                   │
│是在北到中國吉林省東部、朝鮮西北部的古老民族,是朝鮮人的先民之一。                   │
│古文獻稱之為「白民」,「毫人」或「發人」。                                       │
│Y貊族是Y族與貊族的合稱,以農業城柵為特點,不同於遊牧族。                         │
│有人認為他們與西伯利亞的科里亞克族有關。Y貊,肅慎,東胡被稱為古東北三大民族。          │
│●早期社會                                                         │
│Y族在夏商時本居於山東半島,屬東夷民族,                                     │
│周滅商時,Y族被周所迫,大部分向東北遷徙,並以松嫩平原為中心定居下來,                  │
│其活動竹範圍比較廣闊,最南端在長城以北,與燕國為鄰;東北部在遼河以東,與肅慎族相接。      │
│Y族早在西周時代,就是周王朝的朝貢國。                                       │
│Y語當中,也有未被阿爾泰化的語言−東穢語。東穢語是未受貊語影響的東部沿海地區的最原始Y語。  │
│至此,嫩江中游東岸的夫余族融合到肅慎和東胡系統之中。這些人可能與大和族有關,            │
│他們的語言與百濟語,高句麗語及上古日語相似。他們的語言被定性為扶餘語系。              │
│烏伊的原型是扶餘國的鳥夷人,摩離就是貊人,高句麗一名在闕特勤碑文中名bokli,就是貊人。     │
│                                                                │
└────────────────────────────────────────────┘
木羅斤資は貊人か。

595 :月光仮面:2009/05/07(木) 15:48:16 ID:8Hgnnpzh
↓ズーズー弁の起源か。
「Y語當中,也有未被阿爾泰化的語言−東穢語。東穢語是未受貊語影響的東部沿海地區的
最原始Y語。」・・・或いは標準アクセントに対する関西アクセントといったことなんだろうか。

596 :月光仮面:2009/05/07(木) 15:56:48 ID:8Hgnnpzh
>周滅商時,Y族被周所迫,大部分向東北遷徙
mtDNAにおける沖縄とブリャートの非常に大きな一致は克殷時代に黄海・東シナ海を時計回りに一周
する沖縄起源の遺伝子が存在したという可能性も排除できない。それには反時計回りの動きの可能性
もありえる。

597 :月光仮面:2009/05/07(木) 16:00:37 ID:8Hgnnpzh
http://zh.wikipedia.org/w/index.php?title=%E6%BF%8A%E8%B2%8A&variant=zh-tw
台湾語がうまく出てないナー。

598 :月光仮面:2009/05/07(木) 16:40:51 ID:8Hgnnpzh
>這些人可能與大和族有關,他們的語言與百濟語,高句麗語及上古日語相似。他們的語言被定性為
扶餘語系。
これらの人々は大和民族に関係しているのかもしれない。彼らの言語は百済語、高句麗語、古代日本語
に似ている。それら言語は扶余系とされる。


599 :出土地不明:2009/05/07(木) 20:39:55 ID:ox2u64PA
鳥居の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

600 :出土地不明:2009/05/07(木) 22:19:48 ID:cANbWZiK
>>589
>多数の日本人は古代の漢族の亡命者の後代で、
>少数は古代の東南部の沿海の百ベトナム人の後代です。

古代の漢族にはYAP+があったのかな?

601 :出土地不明:2009/05/08(金) 00:05:27 ID:ViiSe36y
そこらはヤバイだろ。

連中もDNA情報は餌ばら蒔いてる可能性もあるし
日本の学者拒む遺跡領域もあるんじゃないか?

602 :出土地不明:2009/05/08(金) 00:06:04 ID:tmspWhog
      ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ A
      ┃
━━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ B
      ┃    ┃
      ┃    ┃          ┏━━━━━━━━━━━━━━━ D 日本人(縄文系) アイヌ チベット人 
      ┗━━┫    ┏━━┫
            ┃    ┃    ┗━━━━━━━━━━━━━━━ E
            ┃    ┃
            ┗━━┫    ┏━━━━━━━━━━━━━━━ C モンゴル人 アボリジニ
                  ┃    ┃   
                  ┃    ┃    ┏━━━━━━━━━━━━ G
                  ┗━━┫    ┃
                        ┃    ┣━━━━━━━━━━━━ H 
                        ┃    ┃
                        ┃    ┃          ┏━━━━━━ I
                        ┗━━┫    ┏━━┫
                              ┃    ┃    ┗━━━━━━ J
                              ┃    ┃
                              ┃    ┃    ┏━━━━━━ L
                              ┃    ┃    ┃
                              ┗━━┫    ┣━━━━━━ M
                                    ┃    ┃
                                    ┃    ┃          ┏ N 
                                    ┃    ┃    ┏━━┫
                                    ┃    ┃    ┃    ┗ O 漢人 日本人(弥生系)
                                    ┗━━╋━━┫ 
                                          ┃    ┃    ┏ Q
                                          ┃    ┗━━┫
                                          ┃          ┗ R
                                          ┃ 
                                          ┣━━━━━━ S
                                          ┃
                                          ┗━━━━━━ T

http://en.wikipedia.org/wiki/Human_Y-chromosome_DNA_haplogroup#Major_Y-DNA_haplogroups

603 :出土地不明:2009/05/08(金) 13:36:04 ID:a3jxmopS

→ http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.gif

604 :月光仮面:2009/05/08(金) 16:09:55 ID:a3jxmopS
Y貊族是Y族與貊族的合稱,以農業城柵為特點,不同於遊牧族。つまりY貊は最もアルタイ化が
進んではいるものの農耕民。モバイルではない。ところが古墳時代の日本に流入(敵対的侵入
ではなく平和的渡来)するのは最初に東胡石板墓文化、横穴石室墳時代には柔然系アルタイ
文化であり、満州オリジンではない。これは漢四郡・高句麗を横断して流入する中央アジア文化
であり、黄巾の乱・烏桓・鮮卑・柔然の難民が公孫、高句麗・三韓をすり抜けながら移動したもの
であろう。


605 :月光仮面:2009/05/08(金) 16:39:47 ID:a3jxmopS
>>114-118
http://www.oct.zaq.ne.jp/kashiko_yushikai/reikai/reikai0610.htm
http://inoues.net/ruins/niizawasenduka_museum.html
http://avantdoublier.blogspot.com/2008/01/blog-post_16.html
上記白馬青牛さんの資料にもあるように古墳時代においては渡来文物が次第に高級化している。
これは勿論交易のためでもあろうが、海外移民のための持参金のようなものではなかったのでは
なかろうか。

606 :出土地不明:2009/05/08(金) 18:21:14 ID:gQ8/T+TK
魏志東夷伝 邑婁

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。

・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

 射撃が上手・・・これも同じだ。

 漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

 掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。

・・・これが朝鮮人の先祖だ。

607 :出土地不明:2009/05/08(金) 22:23:00 ID:x3hGhcAs
魏志倭人伝には倭人が断髪をしていたなんて書かれていない。
倭人の男子は皆、髪を結って露わにし、木綿を頭に巻いていたと書かれている。




男子皆露? 以木緜招頭

http://www.g-hopper.ne.jp/bunn/gisi/gisi.html
http://boat.zero.ad.jp/~zaw10107/1/yayoi_2.htm
http://members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun1-gisi.htm





608 :月光仮面:2009/05/09(土) 11:14:34 ID:VKQpcw65
>>604 mtDNA研究に当てはめると↓
The closest affinities of mainland Japanese were to three population groups.
弥生本土のmean P-valueが最も近縁である三大大陸民族
(1)朝鮮、山東(0.29 ± 0.06)・・・弥生時代
(2)遼寧、新疆、Tu族(0.20 ± 0.06)・・・古墳時代(前期-遼寧/烏桓・鮮卑、後期-新疆、
Tu族/柔然*)
(3)西安、彝族 (0.15 ± 0.06)・・・古墳時代(応神朝秦氏)
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=15466285
*プレ堅昆の装飾古墳

609 :月光仮面:2009/05/09(土) 11:21:10 ID:VKQpcw65
上記は↓このGroup名称によって
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=524407&rendertype=table&id=tbl3
この表にある民族関係を参照することによって得られる結論。
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?artid=524407&rendertype=figure&id=fig4

610 :出土地不明:2009/05/09(土) 13:23:47 ID:pbISj/53
>>562
朝鮮人の涙目は見慣れているが、相変わらず醜いものだな


611 :出土地不明:2009/05/09(土) 15:01:55 ID:xGmxfBTG
↑邪魔な日本人に向かって朝鮮人呼ばわり虚偽の犯行をくり返す罪日台湾人犯罪者




●罪日台湾人の情報工作の仕方


@日本人を装い、

A朝鮮人の魔の手から救ってくれる正義の味方のようなふりをして、

B全くさらさら関係の無い台湾人祖郷「江南」に虚偽の創作で誘導。




基本的に全てこの手順

612 :出土地不明:2009/05/09(土) 15:33:41 ID:TpSsbktz
「糸引き納豆」の登場は室町時代頃、「なれずし」は3C頃に朝鮮経由で伝わる。


平安時代の文献にも塩辛納豆の名は残っているが、一般に広まったのは
室町時代以降でこの頃から糸引き納豆も登場しており区別するために
塩辛納豆を久喜と呼び糸引き納豆を単に納豆と呼ぶようになった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%8D%E8%B1%86

なれずしの歴史は古くて、紀元前には中国で食べられていたらしいんだ。
それが三世紀頃に日本にも伝わって、奈良時代には文献にも登場する。
http://www.kouryu.or.jp/asobi/2003syoku/d/3.htm

「すし」のルーツは遠く東南アジア、メコン川の地域と言われております。
メコン川周辺地域から中国へ、そして朝鮮半島から稲作の伝播とともに
日本へ伝わってきたと考えられているようです。 
http://www3.ocn.ne.jp/~kosaka/izusi.html

613 :出土地不明:2009/05/09(土) 19:08:16 ID:v917cORX
>>612
稲作の伝播って稲作は6000年前にはされてたってのが現在の研究成果なのによ

614 :出土地不明:2009/05/09(土) 20:18:17 ID:GzyQn+JE
朝寝鼻貝塚からは6000年前の小麦のプラントオパールも稲と同時に
検出されていて、小麦が中国よりも数千年も前から栽培されていた事に
なってしまい、改めてプラントオパールの調査自体の精度が極めて
疑わしいものであると言わざるを得ない。


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html

615 :出土地不明:2009/05/09(土) 20:31:38 ID:T4yTULMc
>プラントオパールの調査自体の精度が極めて
>疑わしいものであると言わざるを得ない。

現実を受け入れられないんですね。わかります。

616 :出土地不明:2009/05/09(土) 20:56:46 ID:7D0j6F4h
>>615
おまえがな

617 :出土地不明:2009/05/09(土) 23:19:32 ID:0ggDfauY
>>1-1000
間違ってるよ
日本人は早い時期にアフリカから西に向かった古モンゴロイド
アジア全体に居たし、もちろん陸続きの日本にも向かった(縄文系)
その後バイカル湖あたりの新モンゴロイド(エベンキなど)が中国大陸に広がり、
陸の孤島のチベットと大陸から分離した日本を除き古モンゴロイドを滅ぼした。
日本は島国になってからは南方系の流入の方が多かった
手っ取り早く言うと超混血で南方系の方が濃い
一方、中、モンゴルは侵略した所の男を殺しまくるので
遺伝子のバリエーションが少なくなって今の有様


618 :出土地不明:2009/05/10(日) 00:16:05 ID:TqCaOQ3K
>>617
>南方系の流入の方が多かった



で、文物的な証拠は?




619 :出土地不明:2009/05/10(日) 03:49:43 ID:2eYvkxde
>>618 魏志倭人伝の倭人はシナ人から見ても南方系だったようだ。

 海南島の東にあると認識していたんだからな。


620 :出土地不明:2009/05/10(日) 10:49:29 ID:IzJIuNB/
>>619



だから、その南方系の文物的証拠は?




621 :出土地不明:2009/05/10(日) 12:15:14 ID:GfhVpD9a
>>620 入れ墨、お歯黒、ふんどし、ターバン、稲作がそうだろうな。

 稲作は南方系だろう?北方なら麦作ではないか。南船北馬というから船も南方系なんだろう。



622 :出土地不明:2009/05/10(日) 13:40:55 ID:YbNBW1eM
>>621
南方系の定義が人によって違うんだよ(^o^)
弥生人を南方系と見るか北方系と見るかで議論が違ってくるだろ。

623 :出土地不明:2009/05/10(日) 14:40:00 ID:Ov0JWGIg
総合的に現在出ている文献から推測すると、弥生人は多くが北方でごく一部が南方だな

624 :出土地不明:2009/05/10(日) 14:47:26 ID:Ov0JWGIg
いや
縄文人が北で弥生人が南の可能性も強い

625 :出土地不明:2009/05/10(日) 15:04:06 ID:GfhVpD9a
>>624 稲作文化複合はインド系という説まであるしな。


626 :月光仮面:2009/05/10(日) 16:10:08 ID:Ncf3AGjp
>>608
弥生本土のmean P-valueが最も近縁である三大大陸民族
(1)朝鮮、山東(0.29 ± 0.06)・・・すなわち、東夷、これ弥生時代 (蘇我氏はY貊で、東夷)
(2)遼寧、新疆、Tu族(0.20 ± 0.06)・・・すなわち、東胡、これ古墳時代(前期-遼寧/烏桓・鮮卑、
後期-新疆、Tu族/烏桓・鮮卑の子孫、柔然*) (物部、藤原氏、平氏、源氏等)
(3)西安、彝族 (0.15 ± 0.06)・・・すなわち、羌、古墳時代(応神朝秦氏)
http://www.pubmedcentral.nih.gov/articlerender.fcgi?tool=pubmed&pubmedid=15466285

627 :出土地不明:2009/05/10(日) 17:34:57 ID:tFqNXXL5
>>621
>入れ墨、お歯黒、ふんどし、ターバン、稲作


全部ウソ材料ばっかりじゃねえかこの江南台湾人サギ師!



入れ墨・・・・・説明不要

お歯黒・・・・・古墳期に登場。お歯黒の跡のある弥生人骨など無い。

ふんどし・・・・遣隋使・遣唐使により導入された説が有力。

ターバン・・・・なんじゃこれ?????  あ ほ か お ま え !

稲作・・・・・・説明不要



インチキ材料ばーっか。

628 :出土地不明:2009/05/10(日) 18:32:24 ID:HqBhrTGW
鵜飼は満州や朝鮮半島にも見られる。


満州の京都ともいわれた古都吉林の松花江の鵜飼は6月から9月までの日中に
行われる。鵜縄をつけずに川に放った鵜が魚をくわえると網で船にすくい
あげて吐かせるという満州式の鵜飼であった。
http://www.jiyuu-shikan.org/shoseki_video4.html

日本の鵜飼いは、鳥居氏に便乗すれば、江南よりも朝鮮や満州の
北方民族から伝わったのかもしれません。鴨緑江や松花江などでも
鵜飼いは見られます(注9)。
http://www.han.org/a/half-moon/hm080.html

629 :出土地不明:2009/05/10(日) 18:33:18 ID:HqBhrTGW
しかも日本の「鵜飼」は中国よりも古い。


鵜飼いの歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に鵜養部のことが見え、
『古事記』にも鵜養のことを歌った歌謡が載っている。また中国の史書
『隋書』開皇二十年(600年)の条には、日本を訪れた隋使が見た変わった
漁法として紹介されている。

隋書の書かれた時代には鵜飼いは中国人にとって珍しい漁法だったが、
その後中国においても鵜飼い漁法が定着した。

確実な記録として最古の物は、10世紀の文人・陶穀が残した『清異録』
(965年)において、当塗(安徽省太平府の都市)の漁民が「魚を捕らえる
のに非常に機敏な鵜を使う」と記述されているのが最初である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%84

630 :出土地不明:2009/05/10(日) 19:55:21 ID:H9DPYrlb
一つ教えると考古学的には、渡来系なんて少ないとされている。
特に半島からの渡来なんて、発掘物からも極少数ってのが定説である。

631 :出土地不明:2009/05/10(日) 20:39:29 ID:YbNBW1eM
>>630
聞いたことの無い珍説だな(^o^)

632 :出土地不明:2009/05/10(日) 20:48:41 ID:G4mAD3db
伝わっている土器見りゃ渡来人なんか一発で分かるの。



弥生開始時=沿海州南西部から内陸部方面の土器と一致

古墳期=加羅の韓式土器や朝鮮陶質土器と一致



633 :出土地不明:2009/05/10(日) 21:09:11 ID:zpNfaA5d

>>627
>入れ墨、お歯黒、ふんどし、ターバン、稲作


全部言い逃れしたい材料ばっかりじゃねえかこの半島サギ師!



入れ墨・・・・・古代朝鮮半島由来 ※証拠の捏造中
        捏造が不可能の時は日本列島発祥と言い切る。

お歯黒・・・・・古代朝鮮半島南部由来 ※証拠の捏造中
        捏造が不可能の時は、日本発祥で古墳期に登場と言い切る。

ふんどし・・・・古代朝鮮半島南部から伝わった説が捏造できるまで、
        遣隋使・遣唐使により導入された説にしておく。

ターバン・・・・なんじゃこれ?????、
        半島文化で理解できないことは、アホ呼ばわりしておく。

稲作・・・・・・説明不要。
        DNAなど生物学的な難しい内容にはついていけないので、
        深入りしないで逃げておく。


言い逃れしたい材料ばーっか。




634 :出土地不明:2009/05/10(日) 21:18:52 ID:zpNfaA5d

朝鮮半島と日本列島の正しい関係。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%96%87%E7%8C%AE



635 :東アジアニュース速報+:2009/05/10(日) 21:19:15 ID:SxC9XUNc
東アジアニュース速報+ 板
ttp://takeshima.2ch.net/news4plus/

【大阪・枚方】日本に先進文明を伝えた百済人渡来の再現フェスティバル、市長が「日本文化の基礎は半島由来」と挨拶 ★5
ttp://takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1241943313/

636 :出土地不明:2009/05/10(日) 21:52:00 ID:G4mAD3db
まーたウンコ色したウンコくせえ江南台湾ゴキブリが湧いてるのかwwww



>入れ墨・・・・・古代朝鮮半島由来 ※証拠の捏造中 捏造が不可能の時は日本列島発祥と言い切る。


入れ墨の証拠は日本が最古!入れ墨の証拠は日本が最古!入れ墨の証拠は日本が最古!入れ墨の証拠は日本が最古!


>お歯黒・・・・・古代朝鮮半島南部由来 ※証拠の捏造中 捏造が不可能の時は、日本発祥で古墳期に登場と言い切る。


で、お歯黒した弥生人骨が出土したという証拠でもあんの?w


>ふんどし・・・・古代朝鮮半島南部から伝わった説が捏造できるまで、遣隋使・遣唐使により導入された説にしておく。


百済経由で呉服とともに入ってきた可能性も高いな。


>ターバン・・・・なんじゃこれ?????、半島文化で理解できないことは、アホ呼ばわりしておく


これ、笑うところか??w


稲作・・・・・・説明不要。DNAなど生物学的な難しい内容にはついていけないので、深入りしないで逃げておく。


早くBC10C以前の朝鮮炭化米を使ったb遺伝子の調査結果持ってこいよw




ウンコ色ウンコ鼻の江南台湾半ニグロの言い訳は本当に見苦しいですねえ(ゲラゲラ嘲笑

637 :出土地不明:2009/05/10(日) 21:54:39 ID:G4mAD3db


稲作・・・・・・説明不要。DNAなど生物学的な難しい内容にはついていけないので、深入りしないで逃げておく。


早くBC10C以前の朝鮮炭化米を使ったb遺伝子の調査結果持ってこいよw




ウンコ色ウンコ鼻した江南台湾ウンコ土人の言い訳は本当に見苦しいですねえ(ゲラゲラ嘲笑

638 :出土地不明:2009/05/10(日) 22:35:57 ID:zpNfaA5d
まーたウンコ大好きなキムチくせえ半島詐欺師が湧いてるのかwwww

>入れ墨・・・・・古代朝鮮半島由来 ※証拠の捏造中 捏造が不可能の時は日本列島発祥と言い切る。
         入れ墨の証拠は日本が最古!と根拠の書いてないホームページを上げて騒ぐ。

>お歯黒・・・・・古代朝鮮半島南部由来 ※証拠の捏造中 捏造が不可能の時は、日本発祥で古墳期に登場と言い切る。
         で、お歯黒した民族が日本列島のみという証拠でもあんの?w

>ふんどし・・・・古代朝鮮半島南部から伝わった説が捏造できるまで、遣隋使・遣唐使により導入された説にしておく。
         百済経由で呉服とともに入ってきた可能性も高いな、と根拠を示さず願望だけを書く。

>ターバン・・・・なんじゃこれ?????、半島文化で理解できないことは、アホ呼ばわりしておく
         これ、笑うところか??w、ととぼける。

稲作・・・・・・説明不要。DNAなど生物学的な難しい内容にはついていけないので、深入りしないで逃げておく。
        早くBC10C以前の朝鮮炭化米を使ったb遺伝子の調査結果持ってこいよw、と逃げの一手。
       
ウンコ大好きなキムチくせえ半島詐欺師の言い訳は本当に面白い(ゲラゲラ嘲笑

と釣った魚と遊んでみる。

639 :出土地不明:2009/05/10(日) 22:45:05 ID:zpNfaA5d
朝鮮半島と日本列島の朝鮮半島から見た関係。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E3%83%BB%E5%80%AD%E4%BA%BA%E9%96%A2%E9%80%A3%E3%81%AE%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%96%87%E7%8C%AE




640 :出土地不明:2009/05/10(日) 23:25:33 ID:L6b+ZcG2
>>631
うわー、そんな有名なことを・・
不勉強の無知がいる事が分かるな

篠田『日本人になった祖先たち 』p185
でも読んでおきなされ

641 :出土地不明:2009/05/10(日) 23:27:12 ID:L6b+ZcG2
>>636

ゴキブリ朝鮮人が湧いていることは誰にもわかるがな

642 :出土地不明:2009/05/10(日) 23:47:29 ID:L6b+ZcG2

考古学の面からは朝鮮半島系の発掘物が少ないことから渡来系は1割程度といわれている。

しかし人類学の遺伝研究からすると、渡来系は少なくとも半数近くとされる。

その差はなぜか?

これについて、中橋や九州歯科大の研究から、渡来自体が少数でも、農耕民族である渡来系は
狩猟採民であった縄文系よりも、人口増加率が激高であることが示され一つの有力な説となってる

しかし近年の稲の発見により、縄文人も稲作はしていた事が明らかにされつつあり、
まだまだよくわからん状態



643 :出土地不明:2009/05/11(月) 00:13:01 ID:KIHT3vkp
>>642
精子の生殖能力に差があるんだよな。

季節によっても渡来系と縄文系の精子の活発さが変わる。



>>638
>>641
おまえら台湾人工作部隊の朝鮮人=都合の悪い邪魔な日本人の事なw

今日はこの2人が対で工作当番かw

今どこにいるの?

白金台の台湾代表処かw

644 :出土地不明:2009/05/11(月) 03:03:39 ID:hYgJdQ1b
魏志東夷伝 邑婁    >>朝鮮人の先祖発見<<

穴居生活、豚の飼育、住民は不潔で家の真ん中に便所を作りそれを囲むように暮らしている。
・・・、これは明治時代の日本人の朝鮮観察とほとんど同じだ。

射撃が上手・・・これも同じだ。
漢の時代から夫余の家来となっていた。夫余が重い税を課したので黄初年間(220年〜226年)には反乱を起こした。

掟や習わしにはもっともルールが欠けている民族である。
・・・これは朝鮮人の先祖に間違いない。

>>204 『晋書』粛真・邑婁伝には下記も載ってるよ!

坐るときは両脚を投げ出して座り、足を脇に挟んで(猿が坐って物を食べる姿勢)
風俗は皆、髪を編み、布で丈の短い上着(チョゴリの事か?)を作る。


645 :出土地不明:2009/05/11(月) 09:31:57 ID:SCObc7oH
2009年5月10日(日) 午後9時00分〜9時49分 総合テレビ
サハラ砂漠 謎の岩絵 〜エジプト文明の起源に迫る〜
http://www.nhk.or.jp/special/onair/090510.html
BP5500年、サハラ、サヴァンナ牧畜民は気候乾燥化によりナイル流域農耕文明への移行を余儀なくさ
れた。こうした気候変動による遊牧民の定住化はBP3000年頃のモンゴリア・マンチュリアの牧畜民の
日本列島、朝鮮半島、中原への移動においても繰り返される。
キーワード
ギルフ・ケビール岩絵 
関連 千尋鰐 燭陰 リバイヤサン ベゲモス スイマー 河童

646 :出土地不明:2009/05/11(月) 09:58:46 ID:FbldfRG/
>>645
NHKの番組なんて信じるな
http://www.youtube.com/watch?v=3zdxmqSNJBM&feature=channel

647 :出土地不明:2009/05/11(月) 10:30:40 ID:SCObc7oH
>>645
「アメミット (Ammit) は、古代エジプトで云われている幻獣の一種。アーマーンともアミマッドとも言う。
冥界の転生の裁判にて、天秤にかけられた真実の羽(マアト)よりも重かった死者の心臓(バー)を貪り
喰らう。喰われた魂は二度と転生できない。霊魂の不滅が信じられていた古代エジプトでは、それは
永遠の破滅を意味していた。
壁画などでは常に鎖に繋がれているが、それは束縛しないとこの世の全ての畜生の肉を食べ尽くしてし
まうからだと言われている。
特徴
頭は鰐、鬣と尾と上半身が獅子、下半身はカバ。 性質は丈夫で、性格はかなり獰猛。
カバの足で立ち上がることも出来る。しかし歩く事は出来ない。 最高級の肉、ワインしか食べない。
アメミットのモデル
アメミットのモデルはそもそも大鰐であると言われている。 その証拠に古代エジプトでは、鰐を神獣とし
て大切に飼っていたという記録が残っている。 それによれば鰐は最高級の肉を食べさせられ、ワインま
で与え大きくさせられていて、死ぬとミイラを作ったという。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

648 :出土地不明:2009/05/11(月) 10:38:53 ID:SCObc7oH
情報は紅山文化時代のバイカル湖、グラスコフ文化に伝わる。
http://www.krasrab.com/archive/2005/06/24/34/photo_19_2
その後約4千年の後、アルタイから肥後の装飾古墳に太陽神のモチーフが伝わる。

649 :出土地不明:2009/05/11(月) 11:25:26 ID:SCObc7oH
忘れられかけようとする鰐の世界とのインターフェース、それを何とか残そうとするような鰐淵寺
http://www.shinbutsu.jp/33.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%90%E6%B7%B5%E5%AF%BA

650 :出土地不明:2009/05/11(月) 12:58:17 ID:SCObc7oH
鰐淵寺には洞窟があり、
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/b4/Gakuenji_temple_Zaodo.jpg
Gilf Kebirにも洞窟がある。
http://www.touregypt.net/featurestories/gilfkebir2-1.jpg
聖堂の天井を宗教壁画で飾ることの起源はこうした、おそらくは旧石器のアルタミラ壁画のような
ことが背景にあるのではないであろうか。

651 :出土地不明:2009/05/11(月) 14:28:00 ID:SCObc7oH
[mtDNAハプログループにつき、]琉球においてはM7a、M7a1、M7b2、本土においてはN9b、B5b2に非常
に大きな多様性が見られることは、旧石器時代以降、これら地域は、それより北方の島々、ひいては、
大陸に向けての移住拡散の中心地であった可能性を示している。東アジアミトコンドリア・ゲノム変化と
日本民族の起源 Tanaka et.al. 2004
ブリャート、米州、大洋州とのYDNAの一致は日本発である可能性が強い。
http://genome.cshlp.org/content/14/10a/1832.full

652 :出土地不明:2009/05/11(月) 20:30:41 ID:uOo4RUKL
半月型石包丁(桂葉形雙孔石刀)は遼寧を経由している。


中国遼寧省羊頭窪遺跡.  黒陶系土器 石器(石包丁 磨製石鏃) 紡錐車 骨角器 卜骨
http://www.museum.kyoto-u.ac.jp/museumF/jpncul.html

紅山文化は北方地区の新石器文化の中で重要な文化です。ここでいう北方地区とは、
東北3省(遼寧、吉林、黒龍江)、内蒙古自治区および新彊維吾爾(ウイグル)自治区を指します。
大型石器の中で特徴的なものに、土掘具(耜あるいは犁とも呼ばれる)、桂葉形の双孔石刀があります。
http://kohkosai.web.infoseek.co.jp/kaisetu/15-1kouzan.htm

中国北部の文化が東北部の遼西まで及んでいるいることを知りえた。それに、石包丁が出土していた
のには目を見張った。日本に石包丁が伝わったのはそれから3千年もたった弥生時代になってからなのだ。
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/
◆遼寧の石包丁
http://kyohiro.blog.ocn.ne.jp/./photos/uncategorized/2008/02/04/070827_078_2.jpg

653 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/11(月) 23:04:23 ID:e/5LrmFL
>>642
中橋氏は、農耕民族でも人口増加を過大に見積もり、
黄巾の乱の人口減少は、倭国大乱の同時代現象として列島での
人口減少を全然考慮しとられん独善鎖国見解に終始されとる。
文物から伽耶系とされる古墳期の老司古墳の人骨は縄文的形質も
強いわけで、弥生期の北方新モンゴロイド系はどうなったんか。
弥生期の人口増加が崩れように。伽耶は礼安里の古墳のよう、
北方新モンゴロイド系と韓人、倭人的な古モンゴロイド系の人骨が
出とるゆえ、古墳期に朝鮮土着民の古モンゴロイド系が九州北部に
渡来したとも云える。北方民族の移動南下期は、世界的に4世紀以降
じゃし、日本だけが例外云うんは鎖国史観に過ぎんのう。

654 :出土地不明:2009/05/11(月) 23:57:31 ID:26y1vl7f
>北方民族の移動南下期は、世界的に4世紀以降
>じゃし、日本だけが例外云うんは鎖国史観に過ぎんのう。



と言いながら何の確証も出てこない。




655 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/12(火) 00:37:17 ID:Ef1Av9pj
>>654
古墳期の北方新モンゴロイド化の拡散と根拠があるど。
あんたらの鎖国、共産主義史観の自民族独自の発展段階説の確証たぁ
何なら?

656 :出土地不明:2009/05/12(火) 00:51:25 ID:UYgRSr5E
>>653
お前の「意見」はどうでもよい
研究者の研究が重要

657 :出土地不明:2009/05/12(火) 00:58:03 ID:UYgRSr5E
そもそもなんで、人口増加率が高いという研究結果が「独善鎖国見解」となるのか意味不明だな。
そこには、朝鮮人が渡来したんだという希望的結果からの「独善民族主義見解」が見え隠れしとる。
ま、君の見解が正しいのならば、日本は祖国でもあった半島を併合するという戦前の
日鮮同祖論が正しかったことにもなるワナ

658 :出土地不明:2009/05/12(火) 01:11:41 ID:UYgRSr5E
>>655
古墳期??

ヤヨイの話かと思ってたら、百済滅亡あたりの日本への亡命難民の渡来を話をしてるのか?w

だめだこりゃ

659 :出土地不明:2009/05/12(火) 02:37:30 ID:OET49Ty2
>>653 古墳期に朝鮮土着民の古モンゴロイド系が九州北部に
渡来したとも云える。

・・・それは半島南部の倭人が列島に移動してきただけではないか?

 倭人語から日本語へ断絶が無いのはそういうことだろうな。


660 :出土地不明:2009/05/12(火) 22:21:36 ID:E/3pRQx4
呉服は百済経由で伝わっている。


また百済国に、「若(モ)し賢(サカ)しき人あらば貢上(タテマツ)れ」
とおほせたまひき。かれ、命(ミコト)を受けて貢上(タテマツ)りし人、
名は和邇吉師(ワニキシ)、すなはち論語十巻・千字文一巻、并(アハ)
せて十一巻(トヲアマリヒトマキ)をこの人に付けてすなはち貢進
(タテマツ)りき。この和邇吉師(ワニキシ)は文首(フミノオビト)等(ラ)の
祖(オヤ)。また手人(テヒト)韓鍛(カラカヌチ)名は卓素(タクソ)、
また呉服(クレハトリ)の西素(サイソ)二人を貢上(タテマツ)り、
また秦造(ハタノミヤツコ)の祖(オヤ)、漢直(アヤノアタヒ)の祖(オヤ)、
また酒を醸(カ)むことを知れる人、名は仁番(ニホ)亦(マタ)の名は
須須許理(ススコリ)等(ラ)参(マヰ)渡り来つ。
http://kamnavi.jp/link/kojiki2.txt

661 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/12(火) 23:03:35 ID:Ef1Av9pj
>>656-657
研究者の研究云うて、例えばゴッドハンドの新石器捏造を支持した
歴博の編年が重要なんか?起源を古うすりゃあええ云うもんじゃ
あるまい。『記紀』の年代に合わせようする思惑かのう。
韓国が新羅の建国を紀元前と云う電波妄想と同類じゃないか。
人口増加率も、マッケビティとジョーンズの紀元後千年間の
農耕民族の数値では、年平均増加率は、0,04%で。
しかも中橋氏は、ディクソン・マウンドの農耕移行期1,7%農耕後0,5%
と近世日本、現代の先進国、発達途上国を入れて、つまらん作為
じゃが、何とか弥生期の1%超えにしたい「独善的」な思惑が
見え過ぎとるよ。
当時に朝鮮人じゃの日本人じゃの云う概念はあるまいに。朝鮮半島
から渡来した連中が日本人の主流になっただけのことよ。
形質や遺伝子を総合的に見たらそうなるけんのう。否定的な連中は
遺伝子のY染色体の単一標識で「希望的観測」の妄想しとるん
じゃけぇ話にならんわ。総合的な根拠が無いと学問にならん
わいのう。ほいでおんたの日鮮同祖論の取り上げ方は、英国が
祖国である、スカンジナビアからドイツ北部を併合するんが
正しいかどうか云うとるようなもんじゃ。つまらん。

662 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/12(火) 23:26:09 ID:Ef1Av9pj
>>658
古墳期の方が弥生期よりも渡来者が多く、現代の日本人の主流となった。
世界的にゲルマン、匈奴鮮卑らの五胡、夫餘・高句麗系北方民族の
南下時期じゃし、日本だけ例外云う、鎖国的共産主義的自民族発展段階説の
自慰でしかない。
>>659
倭人は人種的概念じゃないし、弥生期、朝鮮半島南部と九州の北部や西部
は、同一文化圏じゃった。また、古モンゴロイド系が、倭人系か韓人系か
人種概念じゃないゆえ区別はつかんじゃろう。
倭人語云うて倭人が話した言葉なんか誰も解らんのに、日本語への
断絶が無いと断言出来る根拠でもあるんか?電波妄想が好きじゃのう。

663 :出土地不明:2009/05/13(水) 00:31:37 ID:yh7vdTi6
なんか騎馬民族説を信じてるような馬鹿が湧いてるなw

664 :出土地不明:2009/05/13(水) 01:01:34 ID:uLQi9NHF
>>662
言葉とYDNAの関係は深い。
現代においても日本語を話す集団と朝鮮語を話す集団とではYDNAには明確な違いが見られ共通性が乏しい。

665 :出土地不明:2009/05/13(水) 01:33:05 ID:6Sw0vMNc
>当時に朝鮮人じゃの日本人じゃの云う概念はあるまいに。朝鮮半島
>から渡来した連中が日本人の主流になっただけのことよ。


おいおい!

日本人の主流がいつ半島になったんだよ。

主流は縄文に決まっておろうが。

で、サブが縄文末に沿海州内陸部からやって来た土器集団の
ツンギーデのヴァイキングだろうに。

古墳期の半島人なんて日本人の人種形成が終わって日本人口がもう
何百万人もなっていた頃に1万人程度帰化しただけだっての。

半島、カンケーない!

666 :出土地不明:2009/05/13(水) 05:23:25 ID:yh7vdTi6
白馬青牛

かわいい朝鮮人だな

667 :出土地不明:2009/05/13(水) 06:32:50 ID:CJfAR2u/
>>665
Y染色体研究(中堀豊、他)では日本人は5割が弥生、3割が縄文、残りは不明となっているよ。
君が縄文が主流という根拠は何?

668 :出土地不明:2009/05/13(水) 06:38:41 ID:yh7vdTi6
割合を専門に研究した結果によると60パーが縄文だな。
沖縄抜かしても、50パー以上が縄文
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080804/trd0808041444013-n2.htm

もっとも>>642が言うように、このヤヨイ系は渡来後の人口爆発と思われる

669 :出土地不明:2009/05/13(水) 06:41:21 ID:yh7vdTi6
そもそもこのヤヨイがすべて半島経由かどうかも不明だしな。
何しろ半島系の発掘物が日本で少ないってのが事実であり、
逆に前方後円墳や日本特有の遺物などが半島で見つかっているところをみると、どういうことなのかねえ

670 :出土地不明:2009/05/13(水) 08:55:18 ID:ZA1c3js/
>>667
ハプロの頻度なんか移動先で選択されてどんどん変わっていく
ものなんだから、渡来時の頻度でもないから頻度は役に立たんの。

671 :出土地不明:2009/05/13(水) 10:15:31 ID:Xv8c/ZR+
>>638
どうしても日本人のルーツを北方系にしたいみたいだね
もしかしてトーホグの方?
ちなみに醤油・寿司なんかは南方由来なんだけどな逆にオカルト的な解釈以外に
北方由来の文物って何?


672 :出土地不明:2009/05/13(水) 10:30:24 ID:kt7T/2W9
「水石里式土器は,舶載青銅器の登場と軌を一にして日本列島に登場するので,青銅器を搬入した
人びとの土器である蓋然性は高い。また,擬朝鮮系無紋土器と呼ばれる変容した土器を生み出す
ことから,朝鮮半島からの人の移住が想定されており,筑後平野や肥後地域ではそのような集落が
青銅器生産に関与したことが指摘されている。北部九州のほか,有明海沿岸や南九州,山陰沿岸に
も分布しており,海を利用しての直接の渡来も想定できる。」
勒島貿易と原の辻貿易 
−粘土帯土器・三韓土器・楽浪土器からみた弥生時代の交易− 
粘土帯土器と三韓土器の並行関係
東京国立博物館白井克也研究員
http://www.ops.dti.ne.jp/%7Eshr/wrk/2001a_t1.gif


673 :出土地不明:2009/05/13(水) 10:33:38 ID:kt7T/2W9
「朝鮮半島情勢の手がかりとして重要なのが,沖縄県の貝塚文化後期の遺跡で出土する滑石混和土器
である。下地安広は浦添市・嘉門貝塚,読谷村・大久保原遺跡,同村・中川原貝塚,宜野湾市・真志喜
荒地原第一遺跡で出土した滑石混和土器を楽浪土器とみなした〔下地安広1999〕。しかし,共伴土器に
年代幅のあるものを除いて考えれば,沖縄の滑石混和土器は南部九州の弥生前期中葉から中期前半
にかけての弥生土器とともに出土しており,楽浪建郡以前にさかのぼる。そのため,筆者は沖縄出土の
滑石混和土器を西北朝鮮の古朝鮮土器と考えている〔白井克也2000:94〕。
滑石混和土器を出土する沖縄の遺跡では青銅器片などを出土する場合があり,弥生前期末〜中期
初頭の北部九州に朝鮮産青銅器が流入することと一連の物資の流れが沖縄まで及んだと考えられる
が,古朝鮮の人びとが南方に移動するような情勢がその背景にあったと考えられる。
渡来の経路は,北部九州に上陸したもののほか,山陰に向かう流れや,九州西側を回って有明海や
南九州に向かう流れがある。いずれ奄美や沖縄でも水石里式土器が出土するものと期待する。」
同上


674 :出土地不明:2009/05/13(水) 11:26:29 ID:kt7T/2W9
沃沮=Krounovka=Tuanjie=[南下]>中島文化=
瓦質土器+廊下玄関付正方形住居+鉄製品
瓦質土器/粘土帯土器・水石里>勅島>弁辰韓>庄内土器文化圏

675 :月光仮面:2009/05/13(水) 11:59:24 ID:kt7T/2W9
>>157 >>188-196
「弥生時代後期にはいると西日本一帯で突如として平面プランが方形あるいは長方形へと変化し、
次第に長方形へと統一されていく。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E6%99%82%E4%BB%A3


676 :月光仮面:2009/05/13(水) 12:14:27 ID:kt7T/2W9
↑D2が列島に島流しになったように孤立を見せることから、列島が大陸から離れる頃には日本に
いたのではないかとする説につき、とりあえずはそうしておこう。もっと新しく到来したが、インフルエンザ
ウイルスのように成長が目覚しく別の株に変化したことだってあるとは思うけど。いずれにせよ、D2は
枝分かれをしており、弥生のような経済成長に乗る能力はあるわけだ。が、これは渡来系ではないとすると、
上記のような渡来系は何型なんだろうか。

677 :出土地不明:2009/05/13(水) 12:15:16 ID:ZA1c3js/
しょう油の登場は7C、なれずしは弥生期とされているが確証がない
ため、確証のある近江の百済の帰化人がもたらした鮒ずしが最初の
なれずし説を支持する。

いずれにせよ渡来人時代のものではありませんから。




         残 ! 念 !





678 :出土地不明:2009/05/13(水) 12:24:07 ID:ZA1c3js/
>>672-673
じゃあ何で水石里式土器も朝鮮無文土器そのものも日本で作っていないの?

それは搬入したのも擬似物を作ったのも日本人自身だから。

679 :出土地不明:2009/05/13(水) 12:33:27 ID:WldaPnfO
まあ、出稼ぎだよなw

土器が変わるたんびにDNA増やしたんじゃ幾らあっても足りんし


680 :月光仮面:2009/05/13(水) 12:36:04 ID:kt7T/2W9
日本で始めて四角い家を作り、住み着いたのは玄界灘の岸辺、比恵遺跡。難民扱い。

681 :月光仮面:2009/05/13(水) 12:44:12 ID:kt7T/2W9
「九州では、福岡平野や佐賀平野などの水田稲作に適した地域から出土する人骨は渡来系弥生人
です。一方、九州でも、長崎県や五島列島などの山間部や、伝統的な漁労を続けていた海岸部の地域
から出土する人骨は縄文人そっくりです。つまり、この時代には渡来系弥生人と縄文人の子孫たちが
「住み分け」をしていたようです。 」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_13_01.jpg
「弥生時代、西日本に姿を現した渡来系弥生人は、日本列島の東のほうでは、どこまで広がっていった
のでしょうか。東日本でも、数は少ないですが弥生人骨はみつかっています。たとえば、歯の形態から
は、関東西部の三浦半島や長野県にも渡来系弥生人が来ていたと推定されています。北海道でも渡来
系弥生人の特徴をもつ人骨が1体だけ見つかっています。」
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_13_02.jpg


682 :月光仮面:2009/05/13(水) 13:50:30 ID:kt7T/2W9
ザバイカル夏家店上層期石板墓とは、
1)[西部ザバイカル地方に特有な]四面内反り方形石籬平坦石積式異形墳
2)[通常東方に]低い通行庭付き墳墓
3)[最も多く見られる]方形石籬つき墳墓
この1)が水石里期に広島県の三次盆地に始まる四隅突出型墳丘墓と見られる。

683 :出土地不明:2009/05/13(水) 14:00:03 ID:uLQi9NHF
後漢時代の居住区域からして
http://ja.wikipedia.org/wiki/外満州

朝鮮人の先祖はこれだから、
http://ja.wikipedia.org/wiki/?婁

>食事をするときに、他の東夷諸国では食器(爼豆、高杯形土器)を常用していたのに対し、
>?婁人は食器を使う習慣がなく、『三国志』では「東夷のなかで最も無規律な者たち」とあらわしている。


列島周辺における土器の共通性はそこに過去において倭人がいたことを補弼するだけ。

684 :月光仮面:2009/05/13(水) 14:52:17 ID:kt7T/2W9
後漢書東夷伝等で中国が描く「クサイ」シ歳なんていうのは額面道理解釈できないらしい。
逆に中原が汚く描く部分を別に解釈すると非常に武勇を尊ぶ東夷の価値観が出てくるという。こうした
研究は中国では行われていないようだ。

685 :月光仮面:2009/05/13(水) 15:15:09 ID:kt7T/2W9
西部ザバイカル夏家店下層期はグラスコフ文化(エベンキ民族紙などは紅山+夏家店下層としているが
墓を研究すると夏家店下層のようだ)。極めて豊富な銅・錫等の金属資源を持ち、鏡、ソケット付チョウナ
銅剣、戈等の青銅器鋳造技術を持っている。これは黒龍江省鶯歌嶺方面の沃沮に狛として入り、日本海
沿いに南下し、水石里、沿海灘、山陰に向かったもの。沿海州の考古学者Vostretsovが推定したとおり
であり、韓国・ロシアの江原道・中島文化の調査で検証された。

686 :月光仮面:2009/05/13(水) 15:19:45 ID:kt7T/2W9
グラスコフ文化は突帯文土器文化のようであるが、白人系の文化には極めて積極的ではあるようだが、
こうした文化を一元的に研究しようとする気のせいか希薄なような気配がある。

687 :月光仮面:2009/05/13(水) 15:44:23 ID:kt7T/2W9
「Haplogroup O2bの祖形はHaplogroup O2*であるが、これは先史時代から東アジア全域に薄く広がって
い たようである。この派生Haplogroup O2b* (M176)は、ツングース、朝鮮人、日本人及びProto-
MongolicとProto-Tungusic言語間の移行的古代方言より派生したモンゴル語を話すと考えられていた
達翰爾族(ダフール族)までも含む、Greater Manchuria全域の全民族において、低い頻度で検出されて
いる。朝鮮と日本の国民間では(朝鮮人ではSTR多様性がやや高いとされている)主要なクレードO2b1* (P49)が共有されているが、この分布は北方のツングースや達翰爾族(ダフール族)には及んでいない。」
こういう風に古いところから新しいところに移住するように言うがそうではなく、日本のほうが本家なんで
代替わりしているが、そうでなく古い時代に本家を出た方が昔のままと考えるべきであろう。

688 :月光仮面:2009/05/13(水) 15:49:33 ID:kt7T/2W9
突帯文土器のようなものは、例えば轟B式等、日本にある。日本から行った可能性が強い。

689 :出土地不明:2009/05/13(水) 19:07:28 ID:n4YDTbco
>>671
日本人のルーツ(縄文)が未だに南方なんて言ってる馬鹿っているのか?

690 :出土地不明:2009/05/13(水) 21:17:04 ID:3wYijoU1
朝鮮半島に稲作が伝わったのは4〜5000年くらい前。


1990年金浦佳■(山と見)里泥炭層から採取された稲籾は4,010+-25BPと
報告されており、問題もあるがもし報告が正しいとすれば韓国での稲の
出現は新石器時代中期段階にまでさかのぼる可能性がある。
http://inoues.net/study/japonica3.html
最近は紀元前2000年ころ(?)とみられる種籾が、漢江の河口に面
する金浦(キムポ)と一山(イルサン)で発見されました(注)。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~halfmoon/hm072.html
然し1992年には、それよりも早い時期の粳米を韓国の清州市における
家瓦遺跡から大量に発見された。今から4721年(+−50)年前と
推測されているが、同時に出土された樹木年輪測定からすると、
今から5020年前のものだと修正がなされた。
http://sakura-nokishita.spaces.live.com/blog/cns!6CB04EFFB064FA79!1873.entry

691 :出土地不明:2009/05/13(水) 21:17:52 ID:3wYijoU1
朝鮮半島で最古の水田遺跡は前11世紀のオクキョン遺跡で日本よりも古い。




弥生時代の始まりと深く関連している韓国南部だが、最古の水田は
慶尚南道蔚山・オクキョン遺跡で見つかっており、孔列文〜突帯文土器が
伴っているところから、前11 世紀頃と考えられている。
http://www.rekihaku.ac.jp/press/yayoi_kaishi.pdf





692 :出土地不明:2009/05/13(水) 21:18:31 ID:3wYijoU1
中国から直接日本に伝来した事にされているRM1-b遺伝子の稲の
調査が日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の朝鮮の炭化米で
なされていない。

かつては朝鮮半島にもRM1-b遺伝子の稲は存在したが朝鮮半島の自然環境に
適応できず遺伝子が消滅欠損してしまった可能性が十分に考えられる。

佐藤洋一郎容疑者はただちに日本に水田稲作が伝わったBC10Cより前の
朝鮮の炭化米でRM1-b遺伝子の有無を調査し、その結果を国民に公表せよ。

考古学界を混乱させた貴方にはその責任がある。

それをしない内はペテン、詐欺と言われてもしかたがない。
http://www.athome-academy.jp/archive/images/0000000116_discussion_004.gif

693 :出土地不明:2009/05/13(水) 21:33:42 ID:826E9CiH
日本人のルーツ(縄文)が未だに半島なんて言ってる馬鹿もいるよ。


694 :出土地不明:2009/05/13(水) 22:44:49 ID:IcjXQAiY
DNAでたどる日本人10万年の旅―多様なヒト・言語・文化はどこから来たのか?
崎谷 満 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4812207533/
http://www.amazon.co.jp/gp/product/images/4812207533/

Y染色体からみた日本人
中堀 豊 (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4000074504/

人類の足跡10万年全史
スティーヴン オッペンハイマー (著)
http://www.amazon.co.jp/dp/4794216254/

695 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/13(水) 22:45:11 ID:WRFpIin+
>>663-664
単一遺伝標識と言語を関連とるY染色体論者の妄言を信じる方がもっと
馬鹿じゃ思わんか?
>>665-666
近隣の民族と人種が似とらん民族なんか世界的に例が無いど。日本への
渡来ルートは対馬海峡か古墳期の後期の日本海ルートぐらいしか無いのに。
アイヌ人や琉球人を除いて日本民族の主流は渡来人じゃ。日本人の人種形成
は、平安期でも新羅人の移住があったけぇ、日本の国家形成期の6〜7世紀
よりも遅いかも知れんが、古墳期の渡来人が一番多かったろう。
埴原和郎氏によると近畿地方で渡来9対土着1、中国地方で渡来8対土着2、
東日本でも、渡来7〜6対土着3〜4で、古墳期は北方新モンゴロイド化の
速度が速い分、それだけ多くの渡来者が多かったとされる。古墳期に
一万人じゃあ、北方新モンゴロイド化せんし、国家形成も出来るわけ
あるまいに。
>>668-669
弥生の渡来後の人口爆発たぁ、共産主義史観の農業形態の変化が
社会の内的発展をもたらすと考える社会進化論に洗脳されとるんか?
まあ、マルクス農本主義的経済理論で解釈するんが日本の学者の
主流じゃけんのう。半島の遺物が少ないたぁ、あんたの脳内妄想じゃし、
前方後円墳は朝鮮北部かも知れんけぇ判断出来んが、少なくとも、
方墳プランは高句麗的じゃ。日本から輸出したんは勾玉なんかあるけど
のう。


696 :出土地不明:2009/05/13(水) 23:39:48 ID:ByoJXHJw
>アイヌ人や琉球人を除いて日本民族の主流は渡来人じゃ。

根拠プリーズ

697 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/13(水) 23:42:00 ID:WRFpIin+
>>671
醤油・寿司はアジア湿潤地帯に見られるんを無理に南方に結びつける
こともあるまい。
http://www.esri.jp/~nobu/asia/map2/21gyosho.jpg
http://www.esri.jp/~nobu/asia/map2/22naresusi.jpg
図1の魚醤と図2のナレズシの分布図で破線のかつての分布範囲を含めると
アジア湿潤地帯の食文化圏になる。魚醤は日本でも四国東部、北陸、
東北日本海側の者以外現代では馴染みが薄うなったのう。
東南アジアはベトナムやタイ等ヌクナム、ナンプラーでお馴染みじゃが。
納豆なんか日本でも、東日本の食文化で伝統の古い醗酵方式は周辺部に
残る。まあ、騎馬民族であった満州族でも醤油と味噌は使うたけんのう。
ちなみに満州語でも味噌はミソと云う。日本語と一緒である。
>>681
九州西部の支石墓人は縄文形質ですが、支石墓が朝鮮西南部から伝わった
ことから、朝鮮南部の縄文形質の韓人か倭人が渡来したとも解釈出来ます。
篠田謙一氏も日本の縄文人もmtDNAでは、韓国人に近いゆえ、そのような
可能性もあるとされましたね。
ほいで、下の方の図は、あたかも弥生期、西日本全体に渡来形質が
広がっていたように喧伝する作為的思惑が見られるのですが、
広島県でも渡来形質は県北部中国山地の四隅突出墳の人骨で、
県南部瀬戸内沿岸部は弥生期、古墳期も縄文形質です。現代では瀬戸内側も
渡来形質ですけど。

698 :出土地不明:2009/05/13(水) 23:56:24 ID:uLQi9NHF
>>695
民族と言語が密接な関係にあるのは常識ですw

699 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:04:15 ID:jgHlBPHV
>>695 近隣の民族と人種が似とらん民族なんか世界的に例が無いど。

・・・シナ人とウイグル人やインド人が似ているとは思えないが。

 インド人とビルマ人、アラブ人と黒人も似ていないな。

700 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:07:08 ID:jgHlBPHV
>>695 近隣の民族と人種が似とらん民族なんか世界的に例が無いど。

・・・ロシア人がややモンゴル人に似ていることは認める。


701 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/14(木) 00:26:10 ID:k/TCz5D4
>>697の図は、
http://www.esri.jp/~nobu/asia/map/map2/21gyosho.jpg
http://www.esri.jp/~nobe/asia/map/map2/22naresusi.jpg
じゃったか。
>>696
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/154.html
中橋氏サイドに近いブログじゃが、古墳期に渡来形質が日本の本土で
主流になったと云えよう。「とくに近畿は古墳時代に多くの渡来人が
来たことが文献に記されており、その反映でもあろう。また、関東・東北
地方にも渡来形質はおよんでいることは、文献に登場する近畿勢力の
進出や渡来人の関東移住などとの関連で興味深い。」
文献が記されたんは、奈良・平安期で、記紀の時代以前の4〜6世紀の
渡来者は莫大じゃったろう。中部瀬戸内が渡来形質が少ないんは、
>>697でも云うたことと、文献的には、古墳期にも我が広島県の安芸は、
蝦夷の俘因である東西両佐伯部が置かれたことも要因の一つじゃ。
南九州も土着の隼人の地じゃった。まあ、豊前の渡来系秦氏が大隈に
移住し、鎌倉期には、同じ秦氏系の惟宗(島津)氏の移住もあるせいか、
秦氏の地、新羅の習俗に似とるんじゃろう。現代の鹿児島県人の気質が
韓国の新羅の地である慶尚道人の気質に似とるんも、それなりの理由が
ある云うことよ。

702 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:34:54 ID:d0KB/bDd
古い資料で論じてもあまり意味ないと思うよ。

https://genographic.nationalgeographic.com/genographic/atlas.html

日本人が南方系なのはすでに世界的には常識レベルなんだけどな。
半島から渡ってきた人のルーツも江南だし。

また
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O_(Y-DNA)
http://en.wikipedia.org/wiki/Haplogroup_O2b_%28Y-DNA%29
日本人と朝鮮人のO2bにも非常に共通性が薄く、
これは半島南部にいたはずの倭人系O2bがほとんどすべて列島に移住していることを意味している。

703 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:40:32 ID:nxgBrk0e
>>701
そんなのが根拠かよ(笑

704 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/14(木) 00:44:37 ID:k/TCz5D4
>>701ナレズシの分布図は、
http://www.esri.jp/~nobu/asia/map/map2/22naresusi.jpg
じゃろうて。
>>698
古代日本語に一番近い言語は今の所、高句麗語じゃ。
>>700
ロシア人の東方移住や新大陸の白人拡散は、近世の現象じゃ。
あんたが、出来るだけ近現代に近いよう誘導工作してものう。
日本と同じ島国のイギリスは、先住民系のケルト系がアルプス人種や
一部地中海人種も混じるが、渡来系のアングロ・サクソンは北欧人種
で、大陸の西洋北部に似ておる連中が主流になった方が適切な例の
出し方じゃ。


705 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:46:52 ID:nxgBrk0e
>>701
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/166.html

一つ言っちゃうと、少ない渡来と言ってしまってるので、
君の「アイヌ人や琉球人を除いて日本民族の主流は渡来人じゃ」の根拠になってないのがイタイところだな

706 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:48:10 ID:nxgBrk0e
>>704
高麗語(笑)
どんな言葉かも実際には判明してない言葉をモトに語るなよw

707 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:55:59 ID:7/v2xTZy
スペインにハポン(日本)姓を持つ人達が600名ほど暮らしている。
支倉常長率いる遣欧使節団の子孫である。

ハポン姓を持つ人たちはどこからきたのか?

男系(Y染色体)では日本
女系(mtDNA)ではヨーロッパ

これ以外の答えはない

708 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:56:50 ID:nxgBrk0e
>>690
半月城通信(爆笑)

もうちっと読むところ選んだほうがいいよw

709 :出土地不明:2009/05/14(木) 00:59:19 ID:nxgBrk0e
>>695
>埴原和郎氏によると

おいおい、そんなヤツに頼るなよw
間違えだらけの骨計測の研究者なんてよ

710 :出土地不明:2009/05/14(木) 01:24:18 ID:v6fG9DEg
>>702
だから江南から来たという文物的証拠は?

711 :出土地不明:2009/05/14(木) 01:44:39 ID:v6fG9DEg
他の遺伝学や文物との整合性の無いYオンリーマスターベーションなんか
要らん。

おまえがやってる事はな、人前でおもむろに性器を出し、
禿しくマスターベーションを見せつけて、


「さあ、あなたもやりなさい!」


と言っているようなもんだよ。

変態の一種だ。

712 :出土地不明:2009/05/14(木) 08:51:54 ID:Qg1C5gvl
難しい問題だ、
科学的(論理的)な分析では、どのような事例に対しても目をつぶる事ができない。
感情的に無視することは簡単だが、その理論はだれからも相手にされなくなる。
むきになり、いたるところに貼り付けて、罵倒したくなる地獄に落ちてしまう。
だれもが気を付けなければならないだろう。


713 :出土地不明:2009/05/14(木) 09:11:43 ID:9flZnhzn
>>710
アホか?海流乗ればゴミでも届く

714 :出土地不明:2009/05/14(木) 09:48:57 ID:jgHlBPHV
>>704 高句麗語は40%弱しか日本語に類似しておらず、語形も相当違う。これが直接日本へ入ってきたものとは思えない。

 朝鮮語になると基礎語彙で日本語に類似するものはほとんどないから、英語とゲルマン語の顕著な類似とは比較にならない。

 日本人と朝鮮人は全くの異民族という証明になるだけだろう。同様にアイヌ語も日本語と違い、容貌も違う。


715 :出土地不明:2009/05/14(木) 11:03:01 ID:jgHlBPHV
朝鮮の地域対立感情が激しいのは元々多民族雑居国家で風俗、言語、容貌がバラバラだったからだろう。


716 :月光仮面:2009/05/14(木) 13:27:05 ID:oXEHAZlP
>>697 >>681
>九州西部の支石墓人は縄文形質ですが、支石墓が朝鮮西南部から伝わったことから、朝鮮南部の
>縄文形質の韓人か倭人が渡来したとも解釈出来ます。篠田謙一氏も日本の縄文人もmtDNAでは、
>韓国人に近いゆえ、そのような可能性もあるとされましたね。
遺伝子、形質上、縄文の基盤が不変に見えるが、実際には歴史的ブーメラン、民族回帰現象が起こ
っていた。つまり、歴史的に古い時代に大陸・朝鮮半島に進出していた縄文倭族が弥生時代に入って
リパトリエーション(九州西部の原郷への回帰)を行ったと解釈できますね。楽浪海中の倭人とか、
また、一部はバイカル・黒竜江・沿海州の漁労文化圏に入っていた可能性もある。山海経では鉅燕、蓋と
燕、朝鮮の間に倭人が認識されている。

717 :月光仮面:2009/05/14(木) 13:34:50 ID:oXEHAZlP
↑問題はこのブーメランと新型のいわゆる弥生人が一緒にやって来ていることを理解することが
難しいこと。山陰に入ったのを地祇とすると、熊本・鹿児島に入ってきたブーメラン形を天孫とするか。

718 :月光仮面:2009/05/14(木) 14:15:32 ID:oXEHAZlP
天孫・地祇対立というのはエジプト内においても、吉村さんが太陽族と星辰族的対立を示唆されている
が、そうしたものがあるが、日本におけるものは遼寧・楽浪のドルメン(ユーラシア文化)とザバイカルの
ケレクスル(東胡文化)の対立であり、モンゴリアに視点を向けた場合、東西で西方の円墳文化圏と
東方の東胡文化圏(方墳)の対立があるとされるがこれに近い。ノマドの社会でスキタイ的階層化が
進むとクルガン(円墳)的になり、氏族社会の同族共同墓地的(方形周溝墓的)社会構造が残る地方
では方墳となるのであろう。

719 :月光仮面:2009/05/14(木) 14:19:10 ID:oXEHAZlP
日本では支石墓は箱式石棺墓に追われるように筑後のあたりで消滅した後、日向に円墳の西都原
遺跡が登場している。阿蘇の草千里から高千穂に降臨したような感じである。

720 :出土地不明:2009/05/14(木) 18:04:53 ID:Qg1C5gvl
日本列島で墳墓といえば、甕棺墓でしょう。
その歴史と分布を調べれば、真実が分かります。
真実から逃げようとする人は、甕棺墓の話題からも
逃げようとしますね。



721 :出土地不明:2009/05/14(木) 18:12:34 ID:Qg1C5gvl
補足すると、甕棺墓は、支石墓より古く
日本列島、半島、中国大陸に分布しており、
埋葬形式の文化の特徴で、古代の人間の移動を
考察する上で、支石墓より重要である。


722 :出土地不明:2009/05/14(木) 20:29:20 ID:o8KgjPZd
>>717
月光たん
おいらも海幸と山幸は兄弟(同族)で、縄文人が列島から大陸を西進した後、弥生人の一部として帰還したのだと考えていたよ(^-^)/

でもその仮説だと祖系のD*が日本でもチベットでも、その途中でも見つからないのはなぜなんだろう?

723 :出土地不明:2009/05/14(木) 21:30:15 ID:zHFDUpR8
日本では、小麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?(嘲笑)


岡山市の縄文時代の貝塚「朝寝鼻(あさねばな)」を調査している岡山理科大の
考古学チームが1999年4月21日、「縄文前期の土壌から稲の細胞に含まれる
プラントオパールが見つかった」と、発表。約6000年前に「米作り」が
行なわれていたとする発見で、稲作の歴史が縄文前期にまでさかのぼることになった。
このプラントオパールはイネ科の葉の細胞内に含まれるケイ酸体の粒子で、同貝塚の
下層(深さ2メートルの土壌)からのサンプルを採り調査したところ、356点の
サンプルから10点、形状からジャポニカ(短粒種)とみられる稲のプラントオパール
が検出された。また、稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった。
http://www.local.co.jp/news-drift/agri-99kome.html
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった
稲のほか小麦とハトムギのプラントオパールも見つかった

724 :出土地不明:2009/05/14(木) 21:33:27 ID:zHFDUpR8
日本では、小麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?(嘲笑&嘲笑)


縄文時代前期とされる岡山県灘崎町、彦崎貝塚の約6000年前の地層から、
稲の細胞化石「プラント・オパール」=写真=が出土したと、同町教委が18日、発表した。
同時期としては朝寝鼻貝塚(岡山市)に次いで2例目だが、今回は化石が大量で、
小麦などのプラント・オパールも見つかり、町教委は「縄文前期の本格的農耕生活が
初めて裏付けられる資料」としている。

http://osaka.yomiuri.co.jp/inishie/news/is50219a.htm
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり
小麦などのプラント・オパールも見つかり

725 :出土地不明:2009/05/14(木) 21:36:54 ID:zHFDUpR8
見よ!

これが稲作が伝わった当時の長江江南や華北の炊飯器である。

(※色、彩文、フタ、単耳、直耳に注目!これらの要素が弥生土器には一切ない。)


鬲(レキ=袋状の足を持つ三足土器)
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050618/4482.jpg
http://infoimages.nmgnews.com/information/20050610/2764.jpg
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/090.jpg

鼎(テイ=棒状の足を持つ三足土器)
http://www.ccnt.com.cn/antique/zhiliaoku/wenwujingcui/crockery/introdution/099.jpg
http://www.sx.xinhua.org/ztjn/2003-08/29/xin_49b7e0a2d93511d7be2c0050ba1967d3.jpg
http://www.shtong.gov.cn/node2/node4/node2250/songjiang/node70313/node70604/images/00004623.jpg

726 :出土地不明:2009/05/14(木) 22:15:50 ID:6MKrDPNp
>>723 >>724

>日本では、小麦作は約6000年前からですが、何か問題でも?
何も問題ないよ。(嘲笑&嘲笑&嘲笑)



727 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/14(木) 23:19:51 ID:k/TCz5D4
>>702-703
単一遺伝標識だけで考察するんが世界の常識たぁ初耳じゃし、カルトで
しかないが、学問の根拠は総合的考察によるんが常識じゃないか。
>>705
渡来者を少のうしたいんは、共産主義史観の農業生産形態の変化の発展
段階説が日本の学会の主流になっとるし、弥生時代云う概念も
共産主義史観の概念じゃわい。ほいで、九大は中橋氏サイドじゃけぇ
のう。実際結果的に本土日本がアイヌ人や琉球人より渡来系が主流で
ある根拠は、同じブログでも明らかじゃないか。
http://www.museum.kyushu-u.ac.jp/WAJIN/132.html
耳垢、歯のサイズ、顔や頭骨の形質と複合的根拠があるわいのう。
>>706-714
古代日本語も解明なんか出来とるわけあるまい。解る範囲で今の所、
高句麗語よりも、古代日本語に近い言語が無い。
その40%説は誰の見解か?語形はアルタイ系文法じゃけぇ同じじゃろう。
英語とゲルマン語、トルコ語とウイグル語なんかの距離は、中国の北京語と
上海語ほど離れとるまい。東アジアでは、近隣でも言語距離が大きい云う
特色じゃけぇ、異民族の証明根拠にもならんのう。

728 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/15(金) 00:07:09 ID:7GAB5f8Y
>>716
縄文期に列島の者が半島へ進出した根拠なんかありません。
ほいで篠田氏は、「日本の縄文人DNAは、朝鮮半島や遼寧、山東の近隣の
人たちに最も近く、ブリアートや雲南の遠地の人たちとも近く、
弥生人よりも幅広い範囲から渡来し、同じ北東アジア系が主流で
あるが、弥生人よりもやや南方の要素も含む。」と、されますが、
縄文人が、遼寧や雲南まで出て行ったんですか?食人習慣もあり、
喰うや喰わずかで海外飛躍なんか出来るんですか?
それに、池田次郎氏の見解によると、朝鮮半島南部の櫛目文土器人も
縄文形質ですから、朝鮮半島南部は北方新モンゴロイド形質では
無かったと考えるんが妥当でしょう。
月光仮面さんは、人類の起源は日本とでも云いたいんですか?
日本的な朱子学的慕夏主義から中朝論に発展した日本型中華思想ですね。
慕夏主義者(現代の江南の長江文明派、縄文文明派)の本音が中国人に憧れ、
中国人になりたいように(中国が「畜類の国」となったゆえ、日本が正統
とする江戸期の朱子学者の継続で、現代日本の江南長江文明派は、
長江文明の子孫と云う妄想で、日本こそ華の正統とデンパを飛ばして
ますが)、朝鮮半島と同様の事大主義で、文明人たる華ではない、夷で
ある卑屈さ(日本人は柔弱化した文明人でのうて野蛮人で結構である)が、
列島発の拡張主義になったんじゃと思いますがね。

729 :出土地不明:2009/05/15(金) 00:36:23 ID:o8EKsy6U
参考までにどうぞ
食人:
『縄文時代の食人風習については、E.S.モースが東京都大森貝塚発見の人骨に切創のような傷痕
のあることによって、日本の石器時代に食人がおこなわれたのではないかと推測したことでよく
知られている。鈴木尚は愛知県伊川津貝塚、宮城県中沢貝塚出土の成人ないし熟年の男性人骨
に切創が多いことなどを認め、食人の存在を推定している。ただ、現在までに報告された事例は
きわめて乏しいため、縄文時代の一般的な習俗とまではいえない。』
---「縄文時代研究事典」戸沢充則編より一部抜粋

>現在までに報告された事例はきわめて乏しいため、縄文時代の一般的な習俗とまではいえない。
>現在までに報告された事例はきわめて乏しいため、縄文時代の一般的な習俗とまではいえない。

730 :出土地不明:2009/05/15(金) 04:29:54 ID:RFZ+W0YL
>>727
だから「アイヌ人や琉球人を除いて日本民族の主流は渡来人じゃ」なる馬鹿発言の根拠になってねえんだよ
お前の挙げるソースは。
アフォかおまえは

731 :出土地不明:2009/05/15(金) 04:53:23 ID:kqs1ot0P
>>727

日本に存在する現代朝鮮人のY染色体の大半が
植民地化されてい以降、日本に渡ってきた人にしか存在しないということは。

太古において同じY染色体の人が渡ってきていたとしても、
男系の子孫を全く残せていないことを意味する。それは完全な奴隷となって系統が途絶えたか。
あるいは太古の渡来人と、現代朝鮮人の系統が全く違うことを意味する。

これは科学的な論理的帰結で、疑う余地がない。

732 :出土地不明:2009/05/15(金) 05:11:36 ID:RFZ+W0YL
>>727
そのリンク先の資料は情報が古いし、しかもアバウトな図すぎるだろw

最新の専門研究を良く見ろよ
>>668
しかもこの渡来(ヤヨイ)が半島人とは言えないし、大陸から半島と列島にきた連中ってのが
普通の考えだわな。

733 :月光仮面:2009/05/15(金) 10:41:05 ID:+uH6eJWT
>>716-719
海が割れるのよ 道ができるのよ
島と島とが つながるの
http://www1.ocn.ne.jp/~naka222/index2000322.html
そして、モンサンミシェール・・・
http://en.wikipedia.org/wiki/Mont_Saint-Michel
Tombolo 陸繋島
http://en.wikipedia.org/wiki/Tombolo
旧怡土郡地区からは大量の副葬品を伴う平原遺跡などの弥生時代の遺跡が何ヶ所か発見されており、
同じ弥生時代には旧志摩郡地区も、ごく一部を除いて旧怡土郡地区とは船越湾から今津湾にいたる
水道によって分離された状態であったと考えられている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B3%B8%E5%B3%B6%E9%83%A1
嶋の大臣(オトド)蘇我馬子
http://asukakaze.gozaru.jp/pt102/pt102.html
瀬田の烏丸半島
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%83%8F%E4%B8%B8%E5%8D%8A%E5%B3%B6
バイカル湖のトンカ、ザバイカルのクダラ・スモン、牡丹江の鶯歌嶺、
江原道春川市中島、ヨンサマの中ノ島、松江・・・

734 :月光仮面:2009/05/15(金) 10:43:49 ID:+uH6eJWT
今日は昼間からカラオケに招待します。右脳・左脳を切り替えてください。

735 :月光仮面:2009/05/15(金) 10:59:57 ID:+uH6eJWT
古代の珍島物語
http://nire.main.jp/rouman/fudoki/33kyot16.htm

736 :月光仮面:2009/05/15(金) 11:16:17 ID:+uH6eJWT
>>722 >>717
>おいらも海幸と山幸は兄弟(同族)で、縄文人が列島から大陸を西進した後、弥生人の一部として
>帰還したのだと考えていたよ(^-^)/
>でもその仮説だと祖系のD*が日本でもチベットでも、その途中でも見つからないのはなぜなんだろう?
D*はチベットで発見された。これほんと。D1は韓国にいる。日本はD2のみで、多くいる。多様化も段違い。
これは弥生時代の宇宙インフレーション拡大にも似た遺伝子膨張が起こったと考えるのがいいのかも。
D1、D2のチベット方面から太平洋岸への移動はO2、O3より前の時代かも。

737 :月光仮面:2009/05/15(金) 11:27:59 ID:+uH6eJWT
>>728 >>716
「Furthermore, the fact that the highest diversities for M7a, M7a1, and M7b2 have been found in Ryukyuans and for N9b and B5b2 in Japan raises the possibility that this area was within a focus
of migratory radiations* (*radiation -- Event of rapid cladogenesis, believed to occur under
conditions where a new feature permits a lineage to move into a new niche or new habitat, and is
then called an adaptive radiation.) to northern and southern isles and even to the mainland from Paleolithic to recent times.
琉球におけるM7a, M7a1, M7b2、日本におけるN9b、 B5b2の大きな多様性はこの地が縄文時代から
現在に至る南北諸島、大陸への移住拡散中心地であったことを意味する。」
「東アジア・ミトコンドリア・ゲノムのバリエーションと日本人の遺伝子構成」
Mitochondrial Genome Variation in Eastern Asia and the Peopling of Japan
2004年度 科学技術振興機構 科博 国際バイオ研 長寿医療センタ 東工大 名大 山形大 三
重大 スペイン・ラグーナ大 慶応大 順天堂大  共同研究  
http://genome.cshlp.org/cgi/content/full/14/10a/1832
日本を中心とする一部遺伝子の放射↑私はこれの単なるコピペです。

738 :月光仮面:2009/05/15(金) 12:31:35 ID:+uH6eJWT
これは沿海州方面からの黒曜石を専有する鶯歌嶺文化↓
「鶯歌嶺遺址屬新石器時代遺址,在寧安縣鏡泊?學園村西南1.5公裡處,南距南湖頭屯2公裡。
嶺的西、北、東三面伸入湖中,形成半島,遺址就在半島之上。  遺址的地層堆集分上下兩層,
毎層都發現居住址兩處,均半地穴式建築。下層的兩處居住址,長方式,長6米左右,ェ3米左右,
深3米多,靠牆有柱洞,室中有火土坑,火土邊圍以石牆。」火土これは一文字で、坑と合わせて
オンドルのようだ。家の平面が円形ではなく比恵遺跡のように角型であることが注目に値する。
黒竜江省寧安市 http://maps.yahoo.com/broadband/#mvt=h&lat=43.46&lon=128.55&mag=6&zoom=8&q1=43.46%252C%2520128.55
http://culture.big5.dbw.cn/system/2005/06/20/050061628.shtml


739 :月光仮面:2009/05/15(金) 12:33:42 ID:+uH6eJWT
「室?出土有陶器、石器、骨器。陶器為罐、碗、?、紡輪,陶塑有豬、狗等;石器主要是鋤、斧、網墜;骨器
有骨針、錐、鹿角鋤。  上層居住址,也為長方形,深約70厘米。因遭破壞,看不出長度和ェ度。穴壁?
築有石牆,其間填以?土。靠牆處有柱洞。居址?出土物較少,附近有一灰坑,出土物較多。陶器火候
較高,陶質較硬,部分表面磨光,以罐類為多,也有碗、杯、?,陶塑動物有豬、狗和熊,造型逼真,姿態
各異。石器以打制、磨制為主,有石斧、有肩石鋤、束腰石鋤和石?、茅、鏃及長刮器、短刮器、石片
刮器。骨器有針、錐、簪、匕首,還有牙刀、牙錐、蚌刀和樺樹皮器。鶯歌嶺下層文化類型是已知
牡丹江流域最早的新石器時代文化遺存。對上層出土物經?- 14測定,為距今3025±90年,應在商周
之際。下層當較上層更早,應在商代初期。」←殷の初めの頃。

740 :出土地不明:2009/05/15(金) 12:38:23 ID:IwKrSb9p
>>727 解る範囲で今の所、高句麗語よりも、古代日本語に近い言語が無い。
その40%説は誰の見解か?

・・・韓国言語学会会長李基文のいう数字で正確には38%だった(80数語のうち38語の類似)。

 そして高句麗語は中期朝鮮語とも40%類似するが、日韓では類似が殆ど無いという奇妙な結果だ。

 日本語が高句麗語と類似するが朝鮮語とは類似がない、というのが重要だろう。

 また朝鮮語は高句麗語に類似するが日本語とは類似がない、奇妙な関係だ。


741 :月光仮面:2009/05/15(金) 12:38:24 ID:+uH6eJWT
この鶯歌嶺下層において水石里に繋がる沃沮文化、雑穀文化が生まれている。この辺に四隅突出型
墳丘墓に繋がる源流があったものと思うが、この半島、黒曜石への執着に黒曜石山地としての九州
西部あるいは隠岐との繋がりがあるのではないかと思う。白頭山の黒曜石とするには噴火時期から見て
無理がある。

742 :出土地不明:2009/05/15(金) 12:50:17 ID:IwKrSb9p
>>727 解る範囲で今の所、高句麗語よりも、古代日本語に近い言語が無い。

・・・そして日本語と朝鮮語は近い関係にはないことを見れば、日本と高句麗には相当接触があったが日本と朝鮮には接触が殆どなかったとしか考えられない。


743 :出土地不明:2009/05/15(金) 13:36:11 ID:Cg5EaPvR
>>677
なんでそこまでこだわるか理解出来ないが魚を発酵させて保存するのは
現在の寿司の原型以前に東南アジア地方で古くからあった手法
誰が飯の上に魚が乗った物が南から流れ着いたと言ってるのか
あと醤油は原料大豆だが、それ以前に魚を原料としたものとして魚醤があるでしょ
基礎となるものがあって、
発展・変質して行って現在の形になるという基本的な考え方が欠落してないか?
確かに一部の大陸系の移住はあったとは思うが、それを以て日本人の根源と考えるのは
「戦後の日本の復興は在日のおかげ」とかほざく
奴らと変わり無い考え方じゃないか?
あと先に出てるDNAについてはスルーですかそうですか
残念なのは君の脳味噌だよ


744 :月光仮面:2009/05/15(金) 14:04:25 ID:+uH6eJWT
>>728
>食人習慣もあり、喰うや喰わずかで海外飛躍なんか出来るんですか?
ハワイ・ポリネシア文化センタの話では勇敢な海洋民族には強者である若者の力にあやかり、その肉を
食らうといいます。喰うや喰わずかで海外飛躍ではなく、強いものは食べてしまうということのようです。

745 :月光仮面:2009/05/15(金) 14:15:03 ID:+uH6eJWT
>>728
鶯歌嶺文化人によって沿海州の北方に追いやられるボイスマン文化人と言うのが櫛目文土器とされて
います。沿海州南部はBP4,800-4,300年頃ボイスマン文化→ザイサノフカ文化(鶯歌嶺系統)への移行
が起きています。これは朝鮮半島より1500年くらい早くなりますが。しかし、ボイスマン文化は北方では
相当遅くまで続いているようです。

746 :月光仮面:2009/05/15(金) 14:26:00 ID:+uH6eJWT
承前↓歴博年代では朝鮮半島ではBC1300年頃に櫛目文土器から突帯文土器への移行が起きる。
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b.html
ただこれは民族移動によるものか、単なる土器意匠の変化なのかは明らかではない。従って、縄文人
形質のものがそのままいたという可能性もある。

747 :月光仮面:2009/05/15(金) 14:36:29 ID:+uH6eJWT
考古学的事実が戦前の満蒙政策にフォローの姿と言うのは、極めて反日帝的な周辺諸国の考古学
調査にとっては逆に大きなアゲインストの風になっているということは白馬青牛さんが内心危惧される
所かと存じますが、これは日本の歴史愛好家にとっても困ったところだと思います。ですから、鬼の首を
取ったような書き込み、発現は厳に戒むべきことと存じます。日本人としては近隣諸国との友好関係の
維持拡大こそ望むところです。

748 :出土地不明:2009/05/15(金) 14:53:27 ID:+uH6eJWT
抗日ゲリラの本拠地で、共産党・公安が愛国度の点数を付けているところで、日本人の先祖が活躍
していたことを立証する論文を出され、よくやったというような先生がいた・・・そんなことないよなー。

749 :587:2009/05/15(金) 22:45:09 ID:z891u72I
別の資料だと↓こうだった。

.     日   韓   台   中
D4    35.5%. 31.9%. 12.5%. 14.2%
D5 .    4.7%  1.0%  5.3%  2.7%
G2a...  2.8%  1.7%  1.3%  3.0%
G4a...  5.7%  3.5%  1.3%  0.0%
M.     0.0%  0.7%  2.6%  4.2%
M7a1. 10.0%  2.8%  0.0%  0.0%
M7b2  2.8%  2.8%  0.7%  1.5%
M8a.   0.5%  1.0%  3.9%  4.9%
M10.   1.4%  4.2%  2.6%  1.9%
A      3.8%  6.9%  6.6%  7.2%
A5 .    5.2%  2.8%  0.0%  0.0%
B4a    0.5%  1.4%  7.9%  4.6%
B4b1 .  6.6%  2.1%  3.3%  3.4%
B5a    0.9%  4.2%  1.3%  2.3%
F1a   0.9%  1.0%  5.9%  5.7%
F1b   4.3%  0.3%  2.0%  3.0%
N9a    1.9%  3.5%  2.6%  4.6%
他....  12.5%. 28.2%. 40.2%. 36.8%

750 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/15(金) 22:45:58 ID:7GAB5f8Y
>>729
日本の考古学者の隠蔽体質が、食人の事実を認めながら、報告された極めて
乏しいためと、真実を誤魔化す文章なるわいのう。食人を恥じる気持が
本人か本人の親分にあるんじゃろう。琉球は食人習慣があったし、
本土日本でも飢饉での食人は江戸期まで当たり前のことで隠蔽する
必要はあるまいに。
>>730-731
わしの言に反論したいんじゃったら、複合的根拠を提示せぇ。
単一遺伝標識じゃあ、科学じゃのうてカルトじゃろうが。
青海で支配層の鮮卑が被支配民の羌族に遺伝子が残せんかった珍説と
同じじゃのう。
>>732
資料に古いも新しいも無いど。学問はトレンドを追うファッションや、TVの
健康情報番組の発信者の一方的な垂れ流しと違うんで。批判に晒されて
残ったもんが学説じゃ。まあ、日本的な学会ムードでは、具体的反論より
も、否定されたと独善的意見を述べる者が出たら、他の者はその意見に
追従するんが、学会の空気を読む無難な対処法じゃけんのう。
戦前の軍部と同じ体質じゃわい。

751 :出土地不明:2009/05/15(金) 22:50:51 ID:z891u72I
韓国でのY-DNA頻度にか?
ttp://pds13.egloos.com/pds/200902/01/76/d0022076_49855348716cf.jpg

752 :出土地不明:2009/05/15(金) 23:32:42 ID:QWhowhxU
>>750
おいおい琉球の食人習慣って、
そういう伝説が有ったという伝聞でんがな(笑笑笑)

753 :729:2009/05/15(金) 23:41:20 ID:e61la9VF
>>750
何いってんの?
「誤摩化す文章」であるとのイメージ植えつけたい、そして、
縄文時代の食人があたかも「一般的な習俗であった」と語りた
いのであれば、>729以外の報告された事例を多数提示してよ。

754 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/15(金) 23:46:09 ID:7GAB5f8Y
>>737-744
日本の縄文人と新大陸移民は、シベリアから拡散したので、篠田謙一氏の
云われるよう、縄文人と南米に共通の遺伝子があっても、日本起源に還元
したら電波トンデモ論になりますよ。
特に中国南部〜オセアニアに食人習慣もありましたが、中国南部は北部から
支配され続れた歴史から海外飛躍と食人を重ね合わせても無理ですよ。
あなたの共産主義的な適者生存論は兎も角、強い者云うより、運よく
生き残った者が、同胞の肉を喰うだけのことです。
>>740-742
李基文氏は、夫餘・韓共通語から、夫餘語系の高句麗・日本語と、
韓語系の新羅語、中世朝鮮語と分かれた説じゃったが、12世紀に書かれた
『三国史記』と同類の地名の多い日本語は深い結びつきがあったろう。
数詞も40割り程度は共有制があるようじゃし。言語も単一遺伝標識と同様
それだけでは根拠にならんが、日本語のアルタイ語要因の一つにはなる。
朝鮮半島は新羅が覇者となったけぇ言語の共通性が少のうなる現象よのう。
>>743
魚を醗酵させる文化はアジア南北ともにあるが、刺身や捕鯨となると、
北アジア系漁撈文化の影響が強いとしか云えまぁで。
「戦後の復興は在日のおかげ」と考えとる人間なんか日本でも少数派で
むろん事実じゃ無いし、戦後の朝鮮人や台湾人の三国人と云われた人達の
戦勝国人しあがって、態度の豹変振りは、戦争体験者世代にとって許せん
傲慢さじゃった。じゃが、日本の将校ら上層部は米国やソ連の捕虜になって
奴隷根性を発揮しての敵国に阿諛しとるけぇ、日本が他民族を批判出来る
立場に無かったんじゃ。残念じゃが。自民族の汚点を云うて他民族の行為を
批判するんならええが、一方的に他民族だけ悪い云うても自慰行為でしか
ない。


755 :出土地不明:2009/05/16(土) 00:05:11 ID:ennSjZwu
>>750
君のファンタジーは聞き飽きた
研究というものはな、進化するんだよ。
覚えとき

発言の根拠にもならんもんを提示するという時点で、
君が脳内妄想で語ってしまっている事が証明されてしまったんだ。

気付きたまえ

756 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/16(土) 00:42:58 ID:wruKjNCm
>>747-748
月光仮面さんの考古学的事実がと、抽象的で何のことか言及して
おられんので解りませんが、戦後の左翼は自民族国粋主義でしょう。
幕末明治初期の攘夷運動や廃仏希釈も、戦後の左翼も進駐軍の
外来者に対する反発から外来文化に対抗して国粋主義的土着の
自己主張と云う点で同じです。
「他民族外来者の圧迫に対して、土着の人たちは救済を宗教に求め、
土着主義運動は新興宗教の形をとる。つまり、外来の文化に対抗して
土着の文化伝統の自己主張という性格で、運動の指導者たちは、
主観的には、この面を表に打ち出すのが普通である。ところが、
このような新興宗教は外来の新しい宗教によって触発され、
その要素を一部採用して成立する。」
外来抑圧から生まれた国粋主義の本質ですよ。
旧ソ連や中共と揉める日本の共産党なら、現自民党の北方領土妥協も
我慢出来ん売国奴と写るでしょう。一旦領土としたものは、死守せよ
と戦前の軍部と共産主義派は同じですよ。領土とは政治的な利益を
もたらすチェスの取り合いで、固定的思想産物でも無いんです。
要は、利益が取れるかどうかの国益の問題ですわ。
愛国度の点数なんか、思想概念ゆえ意味が無いでしょう。
現実的にその土地の利益を考えることが最初じゃないですか。

757 :出土地不明:2009/05/16(土) 01:40:41 ID:eh0unlHO
>>25
>>29
>>33

このスレよく読めてないんだけど、これについては議論されてる?
http://www.nias.affrc.go.jp/press/20080707/ref2.html

758 :月光仮面:2009/05/16(土) 09:59:38 ID:Y/LTwnIa
おれはアカヘルだ・・・といったものは誰に、どんなものがあってもよい。しかし、広島球場に集まらん
奴は敵じゃ、というのはおかしいということでしょう。「考古学的事実」というのは旧ソ連圏で発見される、
特にカザフスタンの烏孫の故地とか、バイカル湖に多い突帯文、粘土帯貼り付け土器です。これは
倭人系ではないのかナーと思う。


759 :出土地不明:2009/05/16(土) 14:02:01 ID:7u6K5sLK
>>754
刺身は寿司から来ているんでしょ。
捕鯨もインドネシヤでも行なわれているぞ。

760 :出土地不明:2009/05/16(土) 15:27:08 ID:/dikrH2p
嫌韓煽り厨=日本人を装う台湾人朝鮮煙幕部隊


ひょっとして、もうこれ常識だった?w




761 :出土地不明:2009/05/16(土) 15:53:00 ID:6Mrjw5R4
>>758
月光たん
縄文倭人はバイカル湖からモンゴル・青海地方に進出した後、南下してインダス文明人(ドラビダ人)と接触、古代きょう族を形成。弥生・古墳期の列島に帰還したというストーリーなのかしらん(^-^)/

北中南米インディオと同種のケト人(鴨族)とはどこで出会って一緒になったんだろう?

762 :月光仮面:2009/05/16(土) 16:40:26 ID:Y/LTwnIa
日本=ホームプレートとすると、
バイカル湖=一塁ベース、朝鮮半島日本海沿岸・江原道周りで山陰に。
インダス=二塁ベース、この辺にいたのは人種的にドラビダ人、これが北上しオークネフ三つ目神像宗教
を習得、カラコルムを越えてインダスに至る。
青海=三塁ベース、この辺にいたのは羌、ミタンニ、カッシート方面を経由し、エジプトに入り、カザフスタ
ンに帰還。最終的には秦族として日本に。(製鉄技術は呉方面とバイカル経由黒竜江ポリツェに移転)
ケト人(鴨族)が羌・秦族と知り合ったのは新疆・オルドスあたり。

763 :月光仮面:2009/05/16(土) 16:46:11 ID:Y/LTwnIa
バイカル湖のブリャートが黒竜江のポリツェに製鉄技術を伝えたのは、デレヴャンコ説ではBC1000年
という驚くべき早期であり、ヒッタイトから帰還した秦氏のようなものが介在していたか、或いは、ヒッタイト
そのものである北中南米インディオと同種のケト人(鴨族)が介在していたのでしょう。

764 :月光仮面:2009/05/16(土) 16:49:29 ID:Y/LTwnIa
北中南米インディオと同種のケト人(鴨族)はカラスク文化人と同じでもあったはず。

765 :月光仮面:2009/05/16(土) 16:57:54 ID:Y/LTwnIa
ドラビダ人の行動は不可解ですが、インダスに自然災害のようなものが発生したのか、金属資源を
求めたのか知れませんが形質的に南方人種の人骨が南シベリアで急増するようです。

766 :月光仮面:2009/05/16(土) 17:04:14 ID:Y/LTwnIa
北中南米インディオというか、北米のナデネ・インディアンと同系統の言語を話し、同じY染色体
ハプログループに属する民族と言うことですね。

767 :月光仮面:2009/05/16(土) 17:35:56 ID:Y/LTwnIa
ヒッタイト語の話されていた小アジアにフルリ人が北方のコーカサスから入ってくるわけですが、
フルリ人はナデネ・シナ・コーカサス語と言うのを残しており、他方、アルタイにはモンゴロイドの
オークネフ人、これは
オークネフ突帯文土器
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_2.jpg
滑石こけし
http://www.nhkm.ru/imgs/ancient/okunev_cult_3_sm.jpg
等を特徴とするが、間宮林蔵が樺太で目撃しているゆりかごも特徴的で
http://bronza-lib.narod.ru/s/9.jpg
今は極北に住むチュクチ族との関係が深いとされます。
沖縄には滑石混入土器というのが出土するのですが、上記滑石文化というのはヒッタイトの
領域であるクレタ島の土器にも特徴的です。古朝鮮にも関係し、高句麗。古朝鮮とコーカサスは
ドルメン・小童神神話で結ばれます。これは日本の少彦名神となるものと考えられます。

768 :月光仮面:2009/05/16(土) 18:00:40 ID:Y/LTwnIa
ユーラシア・ドルメンの最終便はウルグ・ケム(イェニセイ=鴨川)穹窿石室古墳が烏孫の地から
柔然・烏桓・高句麗経由同族の筑紫の磐井に伝えられる頃でしょう。この頃西の突厥と日出る国
はそれぞれの運命の道を進むことになったのでしょう。

769 :出土地不明:2009/05/16(土) 18:33:44 ID:Qi0k0Hbb
高床式『倉庫』は北方アジアから直伝している。




高床式建物はシベリアやアムールにもあるけど何か?

http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1164871625/






770 :出土地不明:2009/05/16(土) 21:16:56 ID:6Mrjw5R4
>>762月光たん、なるほどいつもありがとう(^-^)/

一塁打方向の「ザバイカル山戒」が東胡すなわち地祇になり
三塁打方向の「コーカサス山戒」が秦族すなわち天孫になって
それぞれ日本にバックホームしたということかな

おいらには縄文倭人がホームラン打って戻ってきたように見えるんだけど..


771 :出土地不明:2009/05/16(土) 21:19:36 ID:RvE3jrd3
>>1 大陸に類似語族がいないんだから日本列島で発生したに決まっているだろう。


772 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/16(土) 22:46:31 ID:wruKjNCm
>>752-753
http://mblog.excite.co.jp/user/trushnote/entry/detail/?id=7876738
http://www5.ocn.ne.jp/~vorges/sub16.html
上の方のブログに、沖縄の葬儀で今日でも近い親類は真肉親類、遠い親類は
脂肪親類じゃし、ここには出とらんが、その琉球を支配した薩摩には
処刑された罪人の胆を血まみれになって取り合う「ひえもんとり」が
あった。取った胆は、干してアサマン丸(ブログの文中にある浅右衛門の
薩摩訛りであろうと、海音寺潮五郎氏は書いておられる。)海音寺氏の
家にもあって「弟や妹がのまされたのをおぼえている。」と。
明治・大正期でも人肉の胆の需要が一地方にはまだあったわけじゃ。
伝説じゃのうて事実じゃわい。
下のブログの、下の方で下野氏がタイム・スリップした甘いお魚さん女史が
「よそものは殺せ」で「谷底に突き落とされて、あえない最期(笑い)」
か縄文人の「食人儀礼」で「よそものの美女は食ってしまえ」と
「sweetfishさんは食われてしまうんだ。だいいち、おいしそうな名前だ
もの。(爆)」と、わしゃは、縄文文明派の学者の「タイム・スリップ
うるるん滞在記」を想像して爆笑したよ。現代で縄文社会を妄想美化しても
、縄文時代では人身供儀で殺されるか、縄文人の胃袋を満たすものでしか
ない。長江文明派も同じで食人習慣があった江南で食われるか殺されるか
じゃ。日本で時代を下げて平安時代の関東でも剣呑じゃけぇのう。
縄文期の食人なんかモース氏のでも熊本県の当尾貝塚もあるじゃないか。
まあ日本の考古学者よりも、外国人に調査させた方が隠蔽の可能性が低う
なるけぇええんじゃないか。

773 :出土地不明:2009/05/16(土) 23:21:02 ID:6Mrjw5R4
>>772
犬戒が犬食べるのと、山戒が人食べるのと大して変わらんと思うよ
人身御供は、倭人(東夷)や西南夷がやっていたけど、文明国だった殷もやっていた
アステカやマヤでは毎日のように行われていた。

人命軽視であるけれど、それだけ自然に対する畏怖が大きかったわけだし
現代の常識にあてはめて文明の程度を語ってもあまり意味がないのでは


774 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/16(土) 23:39:35 ID:wruKjNCm
>>755
ファンタジーは、縄文文明派や長江文明派の専売特許でしょうに。
共産主義史観の進化論者君よ。
>>758
「考古学的事実」たぁ何ですか?突帯文なんか日本に伝わっただけで
しょう。仮に列島から大陸へ進出したら、>>772のように殺されるか、
食われるだけです。日本人の幸せ回路発想が問題ですよ。
旧国軍の上層部が敵は補給は不可能で、日本人には不可能はないと、
独善的、自民族美化と他民族蔑視の幸せ回路体質を、古代人に投影しても
意味がないでしょう。
>>759
捕鯨の文化領域は、シベリア沿岸部、朝鮮、日本、アメリカ大陸の極北よ。
インドネシアの一部に弱った鯨や海岸へ座標した鯨を食う文化と同一視は
出来んのう。江南〜東南アジアに捕鯨文化は乏しいし、刺身食文化も
捕鯨の文化領域のシベリア〜新大陸極北と一致しとるよ。
江南〜東南アジアの越文化圏に刺身文化もほとんどあるまい。
長江の魚なんか生で食うたら、旧日本兵のように体にコブが出来て困るよ。
寄生虫の問題かも知れんが、刺身文化が流入した現代の中共と違い、
戦前の越人の末裔は、日本人が生の魚を食うことを不思議がっとったし、
彼らは、「おにぎり」のように冷えた飯も食わんかったよ。
>>761
鴨族なんか、鴨を取る狩猟集団からでしょうに。広島県の賀茂郡や
愛知県の三河の加茂郡なんかも。それらの集団が渡来系か土着系かも
判断出来んよ。
>>762-764
ケト≒鴨族カラクス文化人と云う根拠があるんですか?
まあ、ここのスレは、ファンタジーと古代に自己投影するスレですからね。

775 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/05/17(日) 00:14:39 ID:+7tfvlw+
>>773
人身供儀は、雲南とか東南アジアの農耕社会に多い。
北アジアでも、江戸初期の越前商人の漂流船が沿海州で座標して、
野人女直(沿海州ツングース)に襲われ多数殺されたね。
時代を遡ったら、渤海の使節は、出羽に漂流し、現地の蝦夷に
殺されたし。通常異集団は受け入れんし、武装集団でないと
殺される。特に中国南部〜東南アジアや日本なら東日本のように、
異集団の圧迫と疫病にさらされた連中は。
北ユーラシアの遊牧民や西日本人は疫病を蔓延させる集団で
嫌悪された面もあろう。じゃが、北ユーラシアの遊牧民や西日本人に
人身供儀や旅人の殺害、赤子の殺害は皆無じゃないが、中国、
東南アジアや東日本と比較すると少ないんは、疫病をもたらす
側で略奪と警固料の徴収(つまり恐喝)の概念が発達し、搾れる乳を
殺しては無益と考える概念で、道徳的優劣の問題でもないですわ。

776 :出土地不明:2009/05/17(日) 00:18:48 ID:qTuphaLq
江南ファンタジーwwww

青牛爺さんにしてはたまにはイイ事言うじゃねーかよwwww

777 :出土地不明:2009/05/17(日) 00:57:34 ID:GeAHfrRo
>>774
君の中では研究というのは進化しないわけか
うむ
だったら世界はずっと天動説だったわな

778 :出土地不明:2009/05/17(日) 01:09:45 ID:GudxrNYX
>>671
>醤油・寿司なんかは南方由来なんだけどな
それはそうだね。

北方由来にしたいのは
これから日本に居座りたいコリアン系の
風説流布工作員たちの気持ちなんだろ。

779 :出土地不明:2009/05/17(日) 01:16:50 ID:GudxrNYX
>>731
>日本に存在する現代朝鮮人のY染色体の大半が
>植民地化されてい以降、日本に渡ってきた人にしか存在しないということは。
>
>太古において同じY染色体の人が渡ってきていたとしても、
>男系の子孫を全く残せていないことを意味する。それは完全な奴隷となって系統が途絶えたか。
>あるいは太古の渡来人と、現代朝鮮人の系統が全く違うことを意味する。

それは全くそうだと思うよ。

780 :出土地不明:2009/05/17(日) 01:43:10 ID:GeAHfrRo
>>778
北方由来が半島系とは言えないだろうよ

781 :出土地不明:2009/05/17(日) 02:52:48 ID:26so+LH0
しょう油の直接のルーツは13Cだぜ。

宋に留学した禅僧・覚心が中国から持ち帰った径山寺味噌の製法をヒントに
日本のしょう油が開発された。

食用酢と刺身を使うにぎり寿司の起源は日本だぜ。

発酵食品のなれずしとにぎり寿司は別の料理。

ただし、なれずしの最古の確証は近江の鮒ずしだから、
百済の帰化人が持ち込んだものだろう。

782 :月光仮面:2009/05/17(日) 10:44:21 ID:AkCo8gk3
>>770
>>206-208
バクトリア・マルギアナ複合
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%82%AF%E3%83%88%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%83%8A%E8%A4%87%E5%90%88
この西のトルクメニスタン・ゴヌル・デペ遺跡、ここには日本とか、長安の内裏、四隅突出型墳丘墓に見ら
れるコンセプトがある。
http://www.stantours.com/pics/tm_gal_her_gon_air.gif
http://www.stantours.com/tm_rg_mr_mm.html
この地方にオークネフ文化が南下している。
http://www.weavingartmuseum.org/ex3_prehist.htm
これはミタンニに近く、エジプトに向かうヒクソスが通過したのではないかと思う。また、この近所の
セキザバード
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/grafics/chizu-iran.jpg
につき、
「もう一つセキザバード土器が注目される理由があります。それは1970年代に江上波夫博士が既に
指摘していますが、この彩文土器群が中国の甘粛・青海地方、特に馬廠期と幸店期に属する彩文
土器との間に土器形式、彩文文様において多くの類似点が見られたからです。ただ江上博士が述べら
れているように現段階では同時代の中央アジアの様相が確認されていない為、これ以上東西交渉の
可能性を解釈することはできません。」
http://www.city.okayama.okayama.jp/orientmuseum/net-kikaku/saimon-04.html
甘粛・青海方面の秦氏との関係、ひいては沖縄出身の縄文DNA仰韶文化の西進とも係って来る。

783 :月光仮面:2009/05/17(日) 11:15:05 ID:AkCo8gk3
>>774 昔は人間食わない方がおかしい程度で行かなくてはね。コザックはダウールを食べたとか。
カラスクも歴史的に3段階程はあるらしい。初めの方はウラル系だそうですが、ウラルには鴨神話
があります。

784 :月光仮面:2009/05/17(日) 11:56:58 ID:AkCo8gk3
>>782
>この地方にオークネフ文化が南下している。
「前3千年紀末から前2千年紀初めにかけそれまで欧州人種一色であった当地北方草原に更に北方の
モンゴロイド集団人種が混入する。この傾向は西暦紀元まで続き、全住民は基本的に中央アジア型モン
ゴロイドとなる。この時に忽然としてオークネフ文化が所々に現出し、前文化との完全な断絶が起こる。
彼らは中央アジア系モンゴロイドであり、北部シベリアモンゴロイドではなかったことが埋葬遺骨から判明
しており、シベリア森林地帯出自であったであろうとされている。埋葬品の充実から、生活水準が向上し、
牧畜が進歩し、牛を荷役に使用し始めたこともわかっている。食物供給管理の向上と共に、宗教、崇拝
活動も増加したと推測される。数多くの出土品は芸術表現の進歩を示し、この推測を裏付ける。前2千年
紀半ばこの文化はアンドローノヴォ文化に交代するが、アンドローノヴォ文化は先行するオークネフ文化
の痕跡のないところに限定して拡大を見せている。」抜粋
http://www.weavingartmuseum.org/ex3_prehist.htm

785 :月光仮面:2009/05/17(日) 12:12:55 ID:AkCo8gk3
>>782
>食物供給管理の向上と共に、宗教、崇拝活動も増加したと推測される。
>数多くの出土品は芸術表現の進歩を示し、この推測を裏付ける。前2千年紀半ばこの文化はアンドロー
>ノヴォ文化に交代するが、アンドローノヴォ文化は先行するオークネフ文化の痕跡のないところに限定
>して拡大を見せている。」
「アンドロノヴォ文化の最大領域を橙色で示す。シンタシュタ・ペトロフカ文化を赤色で示す。初期のスポ
ーク型車輪つきチャリオットの出土範囲をピンクで示す。隣接または重複する文化(アファナシェヴォ
文化、スルブナヤ文化、バクトリア・マルギアナ複合BMAC)をそれぞれ緑で示す。」
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/0c/Andronovo_culture.png
「宗教、崇拝活動」の維持こそ、オークネフ文化人がヒッタイト・ヒクソスのイデオロギーを堅持し、
小アジア・エジプト統治後中央アジアを経由し、最終的には日本に回帰したことを意味している。

786 :月光仮面:2009/05/17(日) 12:44:13 ID:AkCo8gk3
ユーラシア金属文化圏vs東アジア金属文化圏のインターフェース
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/5.jpg
東アジア金属文化圏の二又分岐、しかし、北方は黒竜江中流ポリツェ
で資源不足によってBC1000年頃鉄器文化を生み、南方は5世紀ごろ呉において龍山文化の築炉・
高温窯業技術によって鋳鉄を生む。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
帰還するヒッタイトはこうした流れに沿って東進した。他方、カラスクには召方に似た機能があった。
http://www.h3.dion.ne.jp/~china/point21.html
この召方の影響力が准夷であるとか、後の東冶・会稽方面、台湾、沖縄に及んだ可能性は大きい。

787 :月光仮面:2009/05/17(日) 12:48:34 ID:AkCo8gk3
>>441-446
ヒッタイトは沖縄に来たのではなかろうか。

788 :729:2009/05/17(日) 16:09:07 ID:vHpHhicO
>>772
2008年8月現在、奈良文化財研究所データベースに蓄積されていた縄文遺跡の(種別)
個別データは27,563件、その内、日本列島に存在する貝塚遺跡の総数は約3000ヵ所
(その大部分は縄文時代に属する)にのぼり、日本全国から発見されている縄文人骨は
少なくとも数千体になるといわれている。

上記のことを踏まえた上で、君が提示した、
当尾貝塚の人骨情報から食人の存在が推測されている貝塚を合わせても"縄文時代"の報告事例
は数カ所程度でしょ。貝塚遺跡の約3000カ所に対してたった数カ所の報告事例である。ということは、
「報告された事例はきわめて乏しい」という表現は誤摩化しではなく妥当だということができる。
ゆえに、相当数の事例が提示されない限り、「食人は縄文時代の一般的な習俗とまではいえない」
もう一回言っとこ。
>相当数の事例が提示されない限り、「食人は縄文時代の一般的な習俗とまではいえない」

789 :出土地不明:2009/05/17(日) 17:18:07 ID:4VVGGjT0
入れ墨は日本では旧石器時代からおこなわれている。


タトゥーは少なくともオセアニア大陸で新石器時代からおこなわれていました。
タトゥーをしたミイラが発見されています。日本では旧石器時代から
おこなわれていたと考えられています。その他の多くの文明でも、
それぞれ独特のタトゥーの様式がありました。
http://blog.livedoor.jp/sakae101/index.rdf
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた
日本では旧石器時代からおこなわれていた



790 :出土地不明:2009/05/17(日) 17:19:11 ID:4VVGGjT0
日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。


紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて?

日本人が最初に入れ墨を取り入れたであろうと想像できる縄文時代の土器が
発掘されています。縄文土器にあしらわれた顔には埋葬者を守る意味合いを
持つ神秘的な「入れ墨」のようなものが認められ、これが入れ墨として記録
されている世界最古のものではないかと想像されています。
また、日本原住民族であるアイヌには優れた入れ墨技術があったものと
思われます。
http://www.ta2.com/tattoohistory.html
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの
紀元前5,000年前-日本人が世界で初めて
入れ墨として記録されている世界最古のもの

791 :出土地不明:2009/05/17(日) 17:21:16 ID:4VVGGjT0



世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!

紀元前5,000年の縄文時代の土器から、入れ墨をほどこした人面器が
発見されているんだ。
http://www.tnc.ne.jp/oasobi/oasobi03/119tatoo/index.html
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!
世界的に「入れ墨」として認められる最も古い記録はなんと日本!!




792 :出土地不明:2009/05/17(日) 18:57:10 ID:8fjC1XTg
刺青好きな方ですね。
上記のホームページは自己矛盾していますよ、
気付かれていますか?

A.
>10,000年以上も前の旧石器時代の遺跡から、
>人骨と共に入れ墨に使用されただろうと思われる
>カラーインクが入った皿と先の尖った棒が発掘されています。

B.
>日本には7000年前の世界最古の入れ墨の証拠遺物がある。

世界最古は????



793 :出土地不明:2009/05/17(日) 22:34:45 ID:DkQMWiHq
>>787
おっちゃん久しぶり。

船はどうしたのかな?


794 :出土地不明:2009/05/18(月) 01:31:12 ID:BMbEszQZ
日本人てユダヤとアルメニア人の混血だろ

795 :出土地不明:2009/05/18(月) 07:24:01 ID:P43eCDkU
違います、どちらも一滴も血は混じっていません。

796 :出土地不明:2009/05/18(月) 09:24:49 ID:UxfvM3KN
やっぱり.D2の人は体毛.濃いの?

797 :月光仮面:2009/05/18(月) 14:00:14 ID:Zk21pxz6
>>787
燕(遼寧他)/召公、箕子(古)朝鮮(楽浪)、台湾・沖縄・九州の亀甲墓、これがカラスク・烏孫・ホレズム
を通してフルリ人/コーカサスドルメン文化と関係があり、岩戸神話・忌部氏・鴨氏等と関係しているので
はないか。秦氏は始祖大費、大僻神社からしてイスラエル・ダビデとの接点があるようだ。

798 :月光仮面:2009/05/18(月) 14:10:32 ID:Zk21pxz6
>>786
ユーラシア金属文化圏はモンゴリア高原を北回りするバイカル・アムール・日本海・出雲方面と
南回りでセミレチエ・新疆・オルドス・甘粛(南はタイ・三星堆)・呉という2つの経路で東アジア金属
文化圏とつながり、この南北が日本において天孫地祇のような対立となるのだが、楽浪・筑後・沖縄
はその南回りが日本列島に入り込む地帯と考えるべきではなかろうか。

799 :月光仮面:2009/05/18(月) 14:47:48 ID:Zk21pxz6
「わが後に王となりてハットゥシャを治めるものあらば、天の嵐の神よ、そのものを撃ちたまえ。」
クッシャラ王アニッタ
ヒッタイトの嵐の神、日本の素盞嗚命は天照大神に「根の堅州の国」の支配を願うもかなわず、
辺境の地でクナドの神となった。

800 :出土地不明:2009/05/18(月) 20:35:10 ID:vPbgMXcI
>>798
月光たん、2塁打は?

北方回り・東胡と南方回り・長江河拇渡のどちらかに吸収されちゃったのかな?

801 :出土地不明:2009/05/18(月) 21:59:25 ID:3FsnQjao
「歌垣」は百済の帰化人から伝わっている。


翌宝亀元年(770年)3月には、男女230人が歌垣(うたがき)
には百済から河内の地に渡来した王仁(わに)の末孫たちが奉仕した
との記録が残されています。(続日本紀)
http://www18.ocn.ne.jp/~doukyou/shirukai/sub01.html

弓削の道鏡の出身地で称徳天皇がこの地に遊行されて、百済の人々が
歌垣をして慰めたという
http://www.shiga-miidera.or.jp/serialization/shinra/136.htm

歌垣を行った葛井氏ら六氏は百済からの渡来人を先祖としており
http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou26/kaihou26.html

802 :出土地不明:2009/05/18(月) 22:00:23 ID:3FsnQjao
「歌垣」は現在でも朝鮮半島に見られる。


先生は「韓の国紀行『歌垣』」のなかで、「朝鮮民族には凄味がある、
と、ほとほと思ったのは、この仏国寺の松林で野遊びを見、歌垣の
歌声をきき、そして杖鼓(チャング)のリズムをきいたときであった。
http://homepage2.nifty.com/kodaijin-tamat/index.files/karanokuni.htm

日本にも野遊びはあった。万葉のころ歌垣は絶えた。韓国ではいまも
生活の中にある。
http://www.ric.hi-ho.ne.jp/nishikawasan/siba/karakuni.htm
 
韓国の山野では野遊びをする人々に出会うという。司馬さんは
「人々は強烈なリズムにのって群舞しており、さながら万葉時代の
歌垣や踏歌を現(うつつ)に見る思い」がすると書いていた。
http://www1.coralnet.or.jp/kn/tenti/c2002401.htm

803 :出土地不明:2009/05/18(月) 22:01:21 ID:3FsnQjao
次に、歌垣(かがい・歌會)について語ろう。七七〇年三月、河内の弓削の称徳離宮で歌垣が
行われた。万代にわたる帝と離宮の存続を祈り、周囲六ヶ村男女二百三十人の渡来人が夜を
通して歌い踊った。歌垣は若い男女にとって、他の部落との間の通婚の機会設定に大きな役割を
果たしていた。このころは、山麓の景勝地まで人々が出かけて、賑やかに野外舞踏会を開いた
ものであった。というよりは、日のあるうちは野に遊び、日が暮れると篝火が灯され、酒が
入って宴は佳境に入る。日野の朝鮮坊山では、毎年歌垣が行われていた。
お月見の習慣と併せて、韓半島からの伝来の風習であった。いまも扶餘や慶州あたりの野原では、
夏の夕べに月見の宴を張る。これを野遊とよんでいる。大和の民衆もこの楽しみをまねて、
農業神事に取り入れた。慶州の仏国寺の松林で、水色・桃色・緑・赤など色とりどりの袴・上衣を
着た老若男女が楽しそうに踊るのを見ることができる。杖鼓を膝の前において鞭のようなバチで
打つ。このリズムに合わせて踊る。韓国ではいまでも一般の家庭で使われている楽器である。
日本舞楽の羯鼓に似た楽器である。筑波山麓の歌會や常陸国風土記にある童子女松原の歌會が
知られている。筑波嶺の歌會で詠んだ歌一首と短歌が万葉集巻九にある。この伝統が盆踊りの形で
現在の日本に引き継がれた。
http://www.tmd.ac.jp/med/mtec/wakamatsu/emperor/historybackground.pdf#search

804 :出土地不明:2009/05/18(月) 22:58:59 ID:nFSAr0bk

歌垣
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%8C%E5%9E%A3

古代の朝鮮半島に歌垣の記録はあるの?
朝鮮半島の地名が載っていないのだけど。


805 :出土地不明:2009/05/19(火) 12:37:58 ID:8d9HpIIr
>>800
つまり縄文倭人は、北回りで東胡ダウール人(O2b)と、南回りで江南河拇渡人(O3a)と一緒に弥生期の日本列島に帰ってきたのかな?(^-^)/

806 :月光仮面:2009/05/19(火) 14:49:51 ID:pZDHSkUl
>800 >>805 (^-^)/
沖縄の旧石器人であってmtDNA/M7a、M7a1、M7b2のものが仰韶文化の西進と共に中央アジアに至るこ
ともありえよう。三足烏、鳥トーテム、彩文土器、黒陶等からある程度新石器時代からの彼らの活躍は推
測される。しかし、青銅器の晩期は馬・車輪による機動性が、騎馬民族・スキタイ文化に移行する時代。
本来的に遊牧、山岳遊牧の生きかたをするのは羌であり、戎的な動きをするのが羯。セミレチエからウラ
ルに急進するセイマトゥルビノ現象に新疆の羌/羯が入っていたであろうことは青銅利器の柄頭のプルジ
ェワルスキー馬、野生ヤギの原産地みて推察される。他方、
http://mbe.oxfordjournals.org/cgi/content/full/17/9/1396
山東省リンシでは戦国時代にはトルコ、アイスランド、フィンランド人に近い人、後漢時代にはキルギス、
カザフ、ウイグル人に近い人、現在では朝鮮人に近い人と言う風に人種が変化。これは春秋、更に、西
周時代、ドルメン文化人はコーカサスでマイコープのセム系文化と接触していた欧州系人種そのものが
主体であった可能性を残す。

807 :月光仮面:2009/05/19(火) 15:31:53 ID:pZDHSkUl
コーカサスドルメン文化はDNA的に欧州人から共生していた東アジア系東夷人(箕子(古)朝鮮人・西部
九州人)に文化的に継承された。甕棺・銅鏡を同時に埋葬するのはイラン北部でも見られる。欧州DNAが
減少するのは匈奴vs月氏に代表される東洋系騎馬民族による西欧系騎馬民族の駆逐、中華思想的
駆逐によるものかもしれない。背後にはギリシャ・ローマの西欧文明の開花ということがあったのかも。

808 :月光仮面:2009/05/19(火) 15:42:44 ID:pZDHSkUl
聖書ではモーセが牛の像の崇拝を糾弾するが、コーカサス・セミ系マイコープ文化は牛の像崇拝の
文化。秦氏・東漢氏も牛は崇拝するようである。また、中央アジアにはダビデ教徒であり、黒い犬を崇拝
する遊牧民がホレズム・トルケスタン方面に存在していたという伝承が残る。これは豊川稲荷の狛犬に
残るようで、この辺にユダヤ教との極めて古い接点があるのではなかろうか。

809 :出土地不明:2009/05/19(火) 21:57:25 ID:iLkr1OS1
貫頭衣は単に人類最初の服装の形で、古代から現代まで世界中に見られる。


●貫頭衣 (かんとうい)
一枚の布を2つに折り、その折り目の中央に穴をあけ、そこから頭を貫いて
(通して)衣服としたもの。エジプト時代から見られる原始的な衣服の
形式である。ポンチョやガラビアなどもこの一種。
http://www.frontstyle.com/dictionary/j_ka.html

人類最初の服装の形は一枚布であったり、一枚布の真ん中に穴を開けて
被るという貫頭衣というシンプルな形であった。
http://homepage1.nifty.com/mottoi/kokusai8.htm

人類の衣服の工夫の中で最も単純な基本形として、貫頭衣の分布は広いが、
南米アンデス諸国に見られるポンチョがその代表的なものとされている。
http://www.h6.dion.ne.jp/~fu35/minzokuHP/ajia/indonesia.htm

810 :出土地不明:2009/05/19(火) 21:58:39 ID:iLkr1OS1
古代ローマ時代の貫頭衣のような、一枚の布の頭の部分をくりぬいた
だけの服を着ていた。
http://home.att.ne.jp/red/senseofwondr/mou2.htm

古代中国もローマもギリシャも布を纏うか貫頭衣であった。
http://www.lcv.ne.jp/~yokota/contents/mumble/ykt/970410.htm

ローマ時代のイタリアでは男性はトーガという貫頭衣
http://www.psats.or.jp/psats.or.jp/column/nakamura027column.html00

811 :出土地不明:2009/05/20(水) 09:18:27 ID:WqIQAkQl
日本人が朝鮮から渡来したのなら、なぜ民族の魂アリランが伝わっていないんだ?


812 :月光仮面:2009/05/20(水) 10:54:43 ID:m3RPW1WR
>>418-429
>>805
太平洋で最も獰猛且つ勇敢なマオリの40%は北西欧州人遺伝子だという。
http://med.stanford.edu/profiles/frdActionServlet?choiceId=showPublication&pubid=14903&fid=3792
この割合は尋常ではない。刺青のイラン、パジリク或いはアラル海漁労民マサゲットが呉の太白として
メラネシア経由ポリネシアに向かったと考えるのが順当だ。刺青の模様が仰韶彩文土器に似ている。

813 :出土地不明:2009/05/20(水) 11:38:26 ID:hGahnMu6
>>804
>古代の朝鮮半島に歌垣の記録はあるの?
>朝鮮半島の地名が載っていないのだけど。

歌垣らしい風習が魏志高句麗伝に載っているさ。
「暮夜男女羣聚、相就歌戲」


814 :出土地不明:2009/05/20(水) 14:12:52 ID:KuVCkiok
らしいではなく、歌垣と思われますが、
朝鮮半島では、やはり、高句麗だけしか記録が
残っていませんせしたか。
百済や新羅にも有っても良いのに。



815 :月光仮面:2009/05/20(水) 14:18:52 ID:m3RPW1WR
トラキア、キンメリア、マサゲット、スキタイ、烏孫、呉、東冶会稽、浙江省、台湾、沖縄、西南九州
は天孫神話、三足烏、三つ巴、三つ輪、太陽/火の三女神・三男神、カタコンベ・地下横穴墳等で
結ばれるが、亀甲墓・地下横穴墳が北部九州から南下する痕跡はない。逆に東胡的な三輪王朝、
これと銅鏡で結ばれている魏・楽浪の時代が終わると、代わって江南の宋、晋等、倭の五王の
河内王朝が始まる。その次には烏桓・柔然系統と言うように南北が入れ替わる。日本神話において
南九州の天孫降臨神話が非常に重要なのは弥生時代を殷の時代から通してみると西部九州が
中心であったということを反映しているのであろう。呉の太白がスキタイ文化であり、台湾・沖縄・
九州に大きな影響を与えたというのは、目下、私の予想に過ぎないが、将来徐福の研究等を通じて
日中韓で共同研究が進むと裏が取れるかもしれない。


816 :月光仮面:2009/05/20(水) 15:35:53 ID:m3RPW1WR
雄略天皇・倭王武関連
471年(泰始7年)順帝(じゅんてい)は南朝宋の末代皇帝。
477年(元徽5年)、兄の後廃帝が殺された後に、蕭道成によって擁立された。名目上は皇帝ではあった
が、実権は斉王・相国となった蕭道成に完全に握られていた。
477年 宋 昇明1 興(武) 11月、遣使して貢物を献ずる。これより先、興没し、弟の武立つ。武は自ら
「使持節都督倭・百済・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓七国諸軍事安東大将軍倭国王」と称する。
478年 宋 昇明2 武 上表して、自ら開府儀同三司と称し、叙正を求める。順帝、武を「使持節都督倭・
新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓六国諸軍事安東大将軍倭王」とする。
479年(昇明3年)4月、順帝は蕭道成に禅譲し、ここに宋は滅びて斉が成立する。司馬光の『資治通鑑』
によると、順帝は宮殿を出る際、「後世生まれ変わっても二度と帝王の家には生まれまい(願後身世世、
勿復生天王家)」と言って泣いた。退位後は汝陰王に封じられ、不臣の礼と宋の正朔を許されたが、
1ヶ月後の479年5月、蕭道成により殺された。

817 :出土地不明:2009/05/20(水) 16:10:30 ID:L4HZCetg
>>812
ニュージーランドにヨーロッパ人が来て何年たってるか、
その後、支配階級はどちらかだったかを考えれば、
マオリ(に分類されている人たち)にそのぐらいヨーロッパのY染色体が入っていても、
何の不思議もない。

元の英文も着目してるのは、マオリにおける東南アジアの影響等だ。



818 :月光仮面:2009/05/20(水) 16:42:54 ID:m3RPW1WR
マオリ起源、YDNAハプログループ、太平洋人類史上の意味
http://hpgl.stanford.edu/publications/HM_2001_v17_p271.pdf
YDNA STR有効変異率の人間集団分岐年代への適用
http://hpgl.stanford.edu/publications/AJHG_2004_v74_p000-000.pdf
アンダヒルの基本的研究:Yハプログループを鍵にしての人類史推論
http://hpgl.stanford.edu/publications/Underhill_2004_p487-494.pdf
アンダヒルのマオリ起源についての要約
http://med.stanford.edu/profiles/frdActionServlet?choiceId=showPublication&pubid=14903&fid=3792
これだけの研究はしているものの、呉の太白については何も知らないようだ。

819 :月光仮面:2009/05/20(水) 16:47:56 ID:m3RPW1WR
おっしゃるとおり、ポリネシアはもろにメラネシアの影響を受け、「台湾特急」等はなかったというのが
結論。でも、それでは日本人にとって全く面白おかしくないよな。子供の結論だ。裏を考えなくっちゃ。

820 :出土地不明:2009/05/20(水) 16:58:00 ID:L4HZCetg
>>818
のhpglのPDF論文の序論にこう書いてある。

19世紀初めにヨーロッパ人が入植を開始して以来、
すでに50年足らず(by 1850)で、
マオリはヨーロッパ人入植者より少なくなり、
現在ではニュージーランドの全人口の13%にまで落ち込んだ。
ヨーロッパ人入植者は、マオリの文化だけでなく、
そのgene poolにも影響を与えている。

とんでも話が読める話になるのは、
せめて中世まで

821 :出土地不明:2009/05/20(水) 19:58:55 ID:hy1DylHp
>>815
どうやら江南方面からの渡来の大きな波は
二度あったようだ

822 :出土地不明:2009/05/20(水) 22:20:09 ID:8Waz4m+/
「鳥居」の登場は8C。


鳥居の起源については諸説あるが、確かなことは分かっていない。
天照大御神(あまてらすおおみかみ)を天岩戸から引きずり出す
ために鳴かせた「常世の長鳴鳥」(鶏)に因み、神前に鶏の止まり木を
置いたことが起源であるとする説、インドの仏教やヒンズー教に
みられるトラナや中国の華表など海外に起源を求める説などがある。
いずれにせよ、8世紀ごろに現在の形が確立している。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B3%A5%E5%B1%85

8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している
8世紀ごろに現在の形が確立している

823 :月光仮面:2009/05/21(木) 08:46:55 ID:cYAX4dTV
古墳時代千葉、埼玉、群馬方面の埴輪に描かれたスキタイ人、帽子、ズボンはカウボーイそっくりだ。
http://karamatsu.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/hakkutsuten_edohaku_010.jpg
http://chikatsu.mediajoy.com/2007_winter/images/07winter_2.jpg
http://karamatsu.cocolog-nifty.com/blog/images/haniwa1_23.jpg
http://www.geocities.jp/wind_of_hometown/image/hakkutu/haniwa_oinezuka1.jpg
http://www12.wind.ne.jp/tomohm/img_2/a.jpg
http://www.tnm.jp/gallery/search/images/500/C0010468.jpg
いろいろな風俗があり、鷹匠のようなのはエフタルであろう。

824 :月光仮面:2009/05/21(木) 08:58:36 ID:cYAX4dTV
昔は吾が伴として、肩摩り肘触りつつ、共器にして同食ひき
(かつて同じ飯を食った仲間がなぜ命令するか)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E6%B1%9F%E6%AF%9B%E9%87%8E
↑これはスキタイの青銅深鍋↓の使用を意味しているのではなかろうか。
http://www.crimea.edu/crimea/history/pic/m12.jpg
http://www.artkavun.kherson.ua/images/gallery/big/383-Ij9ZkI.jpg
http://www.visualrian.ru/storage/PreviewWM/0315/72/031572.jpg
http://www.istorya.ru/book/kb/img/tmp408C-66.gif
http://sspa.bashtel.ru/facultets/history/his/DIV/SA/Gorod47.files/image017.jpg

825 :月光仮面:2009/05/21(木) 09:42:34 ID:cYAX4dTV
スキタイ文化の近畿圏への流入については新沢千塚古墳(邪馬台国大研究)が参考になる↓
http://inoues.net/ruins/niizawasenduka_museum.html
「記紀に現れた聖書思想」(渡来人研究会研究報告第一号)によれば推古斎明朝渡来人は西海ルート
を取っているがこれは、「吐火羅」列島方面に根拠地があったと考えられる。  


826 :出土地不明:2009/05/21(木) 12:04:30 ID:qmwv6Fin
>>813
三国志は3Cの著書。

百済の帰化人が来たのは4〜7C。

3Cの高句麗にあった歌垣がその後、百済にも伝わって、
そいつらが4〜7Cに日本に来たんだろ。

827 :月光仮面:2009/05/21(木) 14:53:55 ID:cYAX4dTV
>>820
http://hpgl.stanford.edu/publications/HM_2001_v17_p271.pdf
この結語「更に、欧州Y染色体変化構成の分類化[Semino et al., 2000]が最近できたことによって、われ
われはマオリに存在する欧州ハプロタイプを北西欧州の典型的なハプロタイプであり、北西欧州人に
よる大洋州の殖民という「記録された歴史」とも整合している推定することができた。」この記録された歴史
と言うのは「19世紀初めにヨーロッパ人が入植を開始して以来」程度の認識であろうが、それは浅い。
前6世紀頃の出来事を考慮するべきだと考える。


828 :出土地不明:2009/05/21(木) 15:40:15 ID:2wVdZvXd
>>826 単に江南>日本と江南>高句麗という伝播ルートがあっただけだろう。

 言語も日本と高句麗に類似があるのと同じだ。そして朝鮮には伝わっていない。



829 :出土地不明:2009/05/22(金) 11:24:21 ID:SYMQFAyD
Rom専がたまに質問しますよ。
江南から渡来したとして、その民族は百越の系統と考えて
よいのでしょうか?
大陸側の例えば前5世紀ごろの古人骨は染色体から漢族、匈奴、
山越等の民族系統を特定する事は出来るのでしょうか?

830 :月光仮面:2009/05/22(金) 11:53:55 ID:GnqF8Jni
>>799 ヒッタイト 
>>806 羯=ヒッタイト 山東省リンシでは戦国時代にはトルコ、アイスランド、フィンランド人に近い人→ヒッ
タイト(羯と欧州系)
>>807 コーカサスドルメン文化はDNA的に欧州人から共生していた東アジア系東夷人(箕子(古)朝鮮人
・西部九州人)に文化的に継承された。
>>812-815 刺青・呉の太白・マオリはスキタイであってヒッタイトではない。
>>823-825 関東に入ったのはスキタイであってヒッタイトではない。
つまり、燕・古朝鮮・九州北西の支石墓はヒッタイト、後期古墳時代の装飾古墳・穹窿石室墳等は呉の
太白・マオリ同様パジリク・スキタイ人ということ。天孫の中身は時代と共に代わっている。日本においては
ヒッタイトとスキタイの中間に東胡系古墳が入る。これはY貊・沃沮系。


831 :月光仮面:2009/05/22(金) 12:06:37 ID:GnqF8Jni
すると、台湾・沖縄・南西九州の亀甲墓、九州中南部の地下横穴墳は何系かと言うことになるのだが、
亀甲墓はトラキアに似ており、地下横穴は黒海東部に多い。パジリクとは違うがトラコ・キンメリア系
スキタイ人というところか。

832 :月光仮面:2009/05/22(金) 14:04:00 ID:GnqF8Jni
ヒッタイトと言うのは印欧語族であり、小アジアでヒッタイト、アッシリア、ミタンニ方面で活躍したのが
シナコーカサス語族のフルリ人。従い、高句麗・百済神話に登場する沸流、日本で言えば石上神宮
に祀られる布留の御霊と言うのはヒッタイトと考えると石の神、ドルメンの神が明確になる。布留/沸流
は民族名だ。コーカサスではドルメンはウサギの背中に乗る小人族の為に巨人族が築いたものだという
伝承がある。少彦名とよく似ている。石上神宮は支石墓文化圏から来たものであろう。

833 :月光仮面:2009/05/22(金) 15:52:44 ID:GnqF8Jni
このドルメン文化をコーカサス北麓からアルタイ・殷車馬坑、そして、燕・古朝鮮支石墓に伝えたのは
↓この図のようなヒッタイト・チャリオット文化
http://history.novosibdom.ru/files/u8/sibir_65.jpg
を持つ鹿石文化であり、勇者をたたえて鹿石を残す慣わしを持っていた。高句麗好太王碑もその例で
ある。Deerstone Cultureとされる。

834 :月光仮面:2009/05/22(金) 16:02:12 ID:GnqF8Jni
この鹿石文化時代のカザフスタンから黒海沿岸にかけて突帯文(,粘土帯)土器が主流となる。朝鮮半島
においてもこの影響が出てくるのであろう。鹿石文化は早期鉄器文化とされており、西周期に新疆で鉄器
出土が増加しているのはこの影響であろう。

835 :月光仮面:2009/05/22(金) 17:02:59 ID:GnqF8Jni
>>833
槍を構える向かって左の戦士が腰に挿しているのが青銅戈。これがたくさん出土した長野県には
長野・柳沢遺跡で「九州型」「大阪湾型」銅戈が同時出土
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200802290353.html
と言うのがある。この近所に合掌型石室というのがあるが、
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai00/tz2012.html
ヒッタイトも有力者を地下の石の家に埋葬する習慣がある。


836 :出土地不明:2009/05/23(土) 00:00:28 ID:nFQKB+GJ
>>832
むりやりこじつけなくても良いよ(笑笑笑)

837 :月光仮面:2009/05/23(土) 08:37:01 ID:OR9f419f
考古学のおやつで白井克也氏が「勒島貿易と原の辻貿易」で述べられている滑石混和土器の古朝鮮
楽浪から沖縄への流れが示すような遺伝子の流れも存在したのだろう。
「滑石混和土器を出土する沖縄の遺跡では青銅器片などを出土する場合があり,弥生前期末〜中期
初頭の北部九州に朝鮮産青銅器が流入することと一連の物資の流れが沖縄まで及んだと考えられる
が,古朝鮮の人びとが南方に移動するような情勢がその背景にあったと考えられる。渡来の経路は,
北部九州に上陸したもののほか,山陰に向かう流れや,九州西側を回って有明海や南九州に向かう
流れがある。いずれ奄美や沖縄でも水石里式土器が出土するものと期待する。」と述べられている。

838 :月光仮面:2009/05/23(土) 08:46:04 ID:OR9f419f
>>645-650
フルリ人の他にヒクソスの活躍もあるが、秦氏にユダヤとの接触を物語る事物が多いことはヒクソス
と秦氏が関係するのではないかと思わせる。


839 :月光仮面:2009/05/23(土) 10:06:58 ID:OR9f419f
>>832 >>836
高句麗・百済神話と日本神話では朱蒙/神武、松譲/長髄彦の共通点がある。これは背振山周辺の
支石墓文化が高句麗・百済と神話を共有していたとみなしてよい。しかし、高句麗・百済では朱蒙が
沸流国に南遷した際に先住民族として松譲がいたということであり、これは神話と言うよりは古朝鮮
がフルリ人の国であり、その国人が仁川の付近で入海(ヒッタイトは小アジア沿岸で海人族的生活を
していた)したという史実を伝えるものと考えられる。日本建国は庄内土器文化圏が臨界に達し、古墳
時代に入るということで始まり、倭人伝の伝えるとおり、男王による統治は失敗し、女王制度で始まった
ようである。女王は纒向に君臨し、それを警護したのが物部で、その社が石上神宮だと考えられる。

840 :月光仮面:2009/05/23(土) 10:45:32 ID:OR9f419f
安本美典氏の古墳↓これは三輪王朝の積石・縦穴前方後円墳の次の後期古墳の系譜であり、
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku212.htm
http://yamatai.cside.com/katudou/image/212touseki.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/212itaisi.gif
http://yamatai.cside.com/katudou/image/212bunpu2.gif
古朝鮮のドルメン文化の延長線上にあるもの。つまり、三輪王朝とか、四隅突出型墳丘墓とかは
こうしたフルリ人ドルメン文化の途中で割り込んできたものと考えられる。

841 :月光仮面:2009/05/23(土) 10:55:13 ID:OR9f419f
>>839
高句麗・百済神話が物語るのは高句麗、百済、三輪王朝というのは東胡の系列で新参者。古朝鮮
のフルリ人文化のほうこそ殷の時代からの長い歴史を持つものということ。ザバイカルでは鹿石を
倒して石板墓を作っていたが、これも東胡の後発性を裏付けている。

842 :月光仮面:2009/05/23(土) 11:17:12 ID:OR9f419f
この御酒はわが御酒ならず酒の司「常世に坐す石立たす少御~」の~壽き壽き狂し豊壽ぎ壽き廻し奉り
来し御酒ぞ飽さず食せささ 神功皇后
http://inoues.net/tenno/chuai_tenno.html
「石立たす少御~」というのはコーカサス・ドルメンの神、つまり、神功皇后は三輪王朝の神に見切りを
つけ、ユーラシア・ドルメン文化に同調することにより以後の河内王朝、継体王朝の国際化の道を開いた
と言うことがいえる。


843 :月光仮面:2009/05/23(土) 11:39:37 ID:OR9f419f
フルリ人=物部氏は新疆出身、ヒクソス=アジアの羊飼い=秦氏は甘粛出身、馬・二輪馬車(チャリオット)・
錫青銅器無しに彼らの小アジア・エジプト席巻はありえなかった。ところが当時の世界最先端青銅器には
東トルケスタンにしか生息しないプルジェワルスキー馬、野生のヤギが登場する。つまり、彼らは東
トルケスタンを発して中東を席巻した。彼らは鹿石文化と共にコーカサスから遼寧へ帰還し、遂には
日本列島に渡来し、弥生文化から古墳時代にかけて重要な役目を果たした。

844 :月光仮面:2009/05/23(土) 12:50:03 ID:OR9f419f
日本神話はギリシャ・小アジア・スキタイ・モンゴルの神話と非常に強い関連があるが、レビ・ストロース
がアマゾン神話との関連も述べている。これについてはボリビアのモホス人骨が弥生日本人である
と言う立証が出来ている。つまりインカ文明の誕生にも日本人がからんでいた可能性がある。

845 :月光仮面:2009/05/23(土) 14:09:25 ID:OR9f419f
♪ここの山の刈 干しゃすんだよ−
♪明日はたんぼで稲刈ろかよ−
http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/miyazaki/miyazaki_sa2.html
田の神 ファラオ ジンギスカンの格好
http://www41.tok2.com/home/kanihei5/tanokansa.html
これがコーカサスドルメンの神。ドルメンは山の斜面に作り、羊飼いは冬になると山を下り、春には
登る。
↓古墳・横穴墳・地下横穴墳混在圏がこの世界だ。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/212bunpu2.gif



846 :月光仮面:2009/05/23(土) 15:07:20 ID:OR9f419f
ドルメン正面の場所において祭司は捧げもの供献の儀を行い、火をおこし、その他の儀式を行うが、これ
は祭司がドルメンのフタを外した際に、既に墓の中に閉じ込められている霊が外に飛び出すことがないよ
うにするのが趣旨である。その後、助手祭司がドルメン内部にもぐりこみ、その人に遺骨(洗骨された)と
埋葬品を手渡し、その人はドルメンの内部の壁際の開いた場所にそれらを置く。
↓コーカサスのドルメン
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/14/Dolmen_Russia_Kavkaz_Jane_2.jpg
日本にもそれらしいのが↓
http://kamnavi.jp/en/kyuushu/oonamuj3.jpg
http://kamnavi.jp/en/kyuushu/oonamuti.htm
神奈備さん、大穴持神社 石灯篭 鹿児島県霧島市広瀬3-1098(国分市)
これもだ↓
神明穴立石 御本殿東側にあり、少彦名命が海外にいかれし時の浜の石をここに運び『何首鳥』と刻し
(薬草名)霊石とされし時代もあり、一夜の内に和歌浦より住吉浜に来たりし妙石なりとの伝説も今は
古老の人のみが知る仮設である。
http://homepage2.nifty.com/tntm/oosaka/ikunejinjya/IMG_1981.JPG
手力命というのはこの丸い石の蓋を開く神主のようなものだったのか。

847 :月光仮面:2009/05/23(土) 15:50:46 ID:OR9f419f
http://homepage2.nifty.com/tntm/oosaka/ikunejinjya/IMG_1981.JPG
これはコーカサス・ドルメン、エジプト古王朝の偽扉に相当するのではないかと見られる。
http://yamatai.cside.com/katudou/image/212touseki.gif
コーカサスでは↑この一番底の石室と言う部分が先祖代々の墓であり、そこに埋葬されると
偽扉(蓋石)によって仕切られ、霊は自由に出入りできるが人間は入れない。掌石と書かれた
空間は人間のアクセスできる祭祀空間。

848 :月光仮面:2009/05/23(土) 15:56:03 ID:OR9f419f
日本では忌部氏が岩戸神事を行うので、忌部氏の出自は日本国内ではこうした支石墓・地下横穴
墳の分布する地域であり、出雲の勢力範囲の銅鐸圏とは対立するものであったと考えられる。

849 :出土地不明:2009/05/24(日) 00:52:54 ID:WR30YgSS
おもしろいね。本書かないの?

850 :出土地不明:2009/05/24(日) 02:17:33 ID:iy6pI7Oo
>>842
三輪王朝の神とは?

大国主命?

851 :出土地不明:2009/05/24(日) 05:45:39 ID:DD7Ji/Q+
ものすごい手力命がいたぞ
http://www.jma-inc.jp/blog/user/taiken/staff/photos/takachiho87.jpg

852 :月光仮面:2009/05/24(日) 08:17:37 ID:W+vu+jU0
>>850
基本は素盞嗚命、大国主命を含む出雲系パンテオン。しかし、纒向建設的には全国的な参加があり、
ドルメン系、スキタイ系、中国系を取り込もうとしたのでしょう。

853 :月光仮面:2009/05/24(日) 10:36:08 ID:W+vu+jU0
>>833-835
http://en.wikipedia.org/wiki/Kurgan_stelae 黒海沿岸キンメリアのクルガン(墳丘墓)・ステラ(石碑)
これが飛鳥の猿石であることは見ての通りだ。モンゴリア高原では鹿石Deer Stoneとなるが同根だ。 http://en.wikipedia.org/wiki/Deer_stone
これが長野県のお地蔵さんのような安曇野の道祖神の起源とみられる。ブリャート語でクダラという
のは忍びの野、信濃、落人部落といった感じの意味で倭人の百済の発音はブリャート人の読み方
そのものだ。

854 :月光仮面:2009/05/24(日) 10:44:29 ID:W+vu+jU0
長野に入った「御石神」こそ、布留の御霊で物部の崇拝したキンメリアのクルガン・ステラ、モンゴリア
の鹿石そのものと考える。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%82%B0%E3%82%B8

855 :月光仮面:2009/05/24(日) 10:47:32 ID:W+vu+jU0
安曇野の道祖神のカップルはヴェーダでアーシュヴィン双神として登場する馬の神であろう。

856 :月光仮面:2009/05/24(日) 11:03:07 ID:W+vu+jU0
コーカサスには物部麁鹿火のようなアラクセス川・アラグヴィが残るが、信州にもフルリ人の足跡は
残る↓
「守屋神社は、奥宮と山麓の国道256号沿いにある里宮の総称です。「1400年前、蘇我氏との戦いに
敗れて逃げてきた物部守屋の一族が創建し、この辺りでは唯一御柱を建てない神社」と伝えられて
います。」
http://genjin.cool.ne.jp/sanpo/moriyasan.htm

857 :月光仮面:2009/05/24(日) 11:11:56 ID:W+vu+jU0
↓モンゴリアでは本堂をケレクスル(御霊の輿)、前立本尊をDeerstone鹿柱とする。
http://www.gokaicho.com/
人々は数千年間同じ儀式を継承し、何万キロの旅をしてきたのだ。

858 :月光仮面:2009/05/24(日) 11:26:18 ID:W+vu+jU0
http://genjin.cool.ne.jp/sanpo/pic/moriyajinja.jpg
↓祖霊は石の下に眠るとするフルリ・コーカサスドルメン思想が現れている。
http://genjin.cool.ne.jp/sanpo/pic/hokora.jpg

859 :月光仮面:2009/05/24(日) 11:31:25 ID:W+vu+jU0
しかし、甲信越は縄文黒曜石文化、黒曜石の女王黒姫のドメーンでもあった。弥生渡来人は縄文の
奥座敷に逃げ込んだともいえる。

860 :月光仮面:2009/05/24(日) 15:36:57 ID:W+vu+jU0
「陶芸品 [編集]フルリ人は横柄な陶芸家であった。その製品はメソポタミアとユーフラテス川の西で全
般的に発見され、また新王国時代のエジプトで高く評価された。考古学者達はフルリ人が轆轤を使って
製造した製品をハブール土器(Khabur ware)、ヌジ土器(Nuzi ware)と呼ぶ。これらの土器は赤い線の
塗装、茶色と黒によって作られた三角形パターンと点によって作られた幾何学的な装飾によって特徴付
けられる。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AB%E3%83%AA%E4%BA%BA
フルリ人は陶芸に優れていた・・・と言う意味だ。
「紀元前4300年ごろまた新しい文化、たぶん新しい民族と思われる人々が到来し、山岳地域を支配する
ようになる。彼はフルリ人(Hurrians)という。」メールダド R. イザディ (クルド人の生活(Kurdish Life)7号
1993年夏発行).
http://homepage3.nifty.com/fetakampli/kurd-2.htm
↑これだと仰韶期にはイラン高原に入っていたことになり、仰韶・トリポリエどちらの彩文にしてもフルリ
人が仲介したということがいえるし、また、龍山黒陶も仲介したとすることが出来る。


861 :月光仮面:2009/05/24(日) 15:47:33 ID:W+vu+jU0
「興味深いのは、現在でも伝統的なクルド人が自分の体を刺青で飾るときに使われるモチーフの起源
の多くがフルリ人の像のモチーフのコピーであることがわかることである。一例として、蛇、太陽、円盤、
犬、櫛がモチーフとして組み合わさったデザインなどが挙げられよう。フルリ人の刺青のモチーフの幾つ
かもクルド人のイェジド(Yezidi)族の宗教的装飾品にも現れている。」
http://homepage3.nifty.com/fetakampli/kurd-2.htm
これからすると、パジリク人の刺青はフルリ人から来ていると考えられる。フルリ人はアラル海の海人族
であった可能性は強い。イェジド(Yezidi)族の宗教というのはユダヤ教にも似ている。秦氏がダビデ教徒
となるというのはこの辺の関係があるのかも。秘密結社的な点が似ている。

862 :月光仮面:2009/05/24(日) 16:32:34 ID:W+vu+jU0
↓s早期青銅器時代前2750年頃コーカサスからレバントに南下するヒルベト・ケラク黒色磨研土器
http://www.tau.ac.il/humanities/archaeology/projects/betyerah/images/kkw.jpg
http://www.tau.ac.il/humanities/archaeology/projects/betyerah/kkw.html
これもフルリ人であろう。

863 :月光仮面:2009/05/24(日) 16:54:30 ID:W+vu+jU0
↓アララト山上の遺跡はノアの箱舟とされるが
http://www.noahsarksearch.com/ararat.htm
そうではなく、フルリ人の磐舟信仰遺跡であるとすべきであろう。
http://www.weblio.jp/content/%E7%A3%90%E8%88%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE+(%E4%BA%A4%E9%87%8E%E5%B8%82)


864 :月光仮面:2009/05/24(日) 17:22:46 ID:W+vu+jU0
アブラハムとヒッタイトの関係は
「より後代の、十分に明白である古代ヒッタイト「洞窟」墳墓は、特に岩盤に掘り込まれた、ドルメンへの
埋葬慣習にと近づく。この慣習は非常に古い時代、前22世紀頃からヒッタイトに存在したことは創世記
が証拠になる。創世記23: 19には[アブラハムは]「ヒッタイト人の息子らから地面とその上ものである
埋葬用の洞窟を入手した」とある。」
こういったものである以上、アララト山の遺跡をアブラハムのような遊牧民のものと考えるのには
無理がある。

865 :月光仮面:2009/05/26(火) 12:27:09 ID:tO/IfNlX
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
「ロシアの南シベリアと中国中央アジアにかかるアルタイ山地はセイマ・トゥルビノ現象と名づけられる謎
の青銅器文化発祥の地である。紀元前2千年紀の初めにこの地域において気候条件に問題が発生、
環境、経済、政治面での変化を引き起こし、住民をして北東欧州と中国南東、ベトナム、タイに向けて
辺境の地を4千マイルも移動せしめた。この移動はわずかに5−6世代の内に行われ、西はフィンラ
ンド、東はタイに同一の金属文化をもたらし、地域によっては馬の牧畜と騎乗をもたらすことになる。また
更にこの現象によってウラル語族が欧州とアジアに拡大し、最終的にはハンガリー、フィンランド、エスト
ニア、ラップ等39の言語を生んだのではないかと見られる。」これがアルタイ→古朝鮮(沸流国)→
大阪→長野県へとやってきたのだ。それは小アジア、レバントにも行った。土器を持って行き、持って
帰った。

866 :月光仮面:2009/05/26(火) 13:18:22 ID:tO/IfNlX
突帯文土器の東西両方向への流れを層位学的に組み立てることは裁判員制度において死刑と無罪の
判決をを同時に出しえる高度に成熟した考古学、歴史学風土の存在が要件となる。そうした土壌が
存在する旧ソ連の考古学は、たとえばその地域を最近研究した英米考古学と比較しても格段の差が
ある。野球でもそうだが裾野を育てるのには歴史が必要である。

867 :月光仮面:2009/05/26(火) 15:11:03 ID:tO/IfNlX
↓ロシア考古学者チョールヌィフ氏が参照する(つまり、彼が最適と考えている)印欧原郷説
http://www.biblemysteries.com/images/migration.jpg
http://www.biblemysteries.com/library/indoeuropean.htm
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/1.jpg
ロシア考古学者チョールヌィフ氏の考えるユーラシア金属文化の歴史
第1図 ステップベルト-ユーラシア牧畜文化:地域領域外郭
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/2.jpg
第2図 前5千年紀バルカン-カルパチア冶金地帯
А - 同文化圏中央ブロック;
B - トリポリエ文化ブロック;
C - ステップ牧畜共同体ブロック.
上左 - 中央ブロック銅製道具及び武器セット(ヴァルナ・ネクロポリス出土);
右- ステップブロック文化遺跡出土銅製装身具.
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/3.jpg
第3図 環黒海冶金圏早期フェーズ
右: マイコープ文化青銅製武器道具、像、金銀容器.
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/4.jpg
第4図 環黒海冶金圏二期フェーズ。古土壙墳共同体領域と推定される近隣類似地域
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/5.jpg
第5図 ユーラシア冶金圏領域と東アジア冶金圏北西境界。安定化フェーズ。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/6.jpg
第6図 ユーラシア冶金圏統合フェーズ。
2つのぶつかり合う文化圏拡大の波。
墳墓・聖域は赤い点(星印)、ならびに、セイマ・トクルビノ金属個別出土品(点と楕円形印)。
上:セイマ・トゥルビノ金属製品の例。
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
第7図 ユーラシア・ステップ・ベルト最終統合における東アジア冶金圏北西(サヤン・アルタイ)中心連
合の主要な影響方向。

868 :月光仮面:2009/05/26(火) 15:20:17 ID:tO/IfNlX
私の主張は、↓この左上を左に(西に)進むセイマ・トゥルビノ文化が、
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
↓このPOSITED HOMELAND(緑色)の部分を中心に反転、東進し、元のアルタイに帰還するとする
http://www.biblemysteries.com/images/migration.jpg
もので、別にロシアにそうした説があるわけではなく、あくまでも私の自論であることに留意のこと。



869 :月光仮面:2009/05/26(火) 15:53:45 ID:tO/IfNlX
チョールヌィフ氏は中国青銅器文明は始皇帝時代の「法家」で表される思想ではなく、「儒家」の路線を
取った点が西欧と異なるところだとする。私はZhuanxu(せんぎょく)は、上古中国神話上の帝王が、民間
の人々が神と関わる事を厭い、曾孫の重、黎に命じて天へ通ずる道を閉ざさせ、神と人との別を
設けさせたという。これは、限られた階級のみが祭祀権を掌握する事を意味しているといわれ、その意味
でZhuanxuは神権政治の先駆といえるであろうとされる↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%83%A7%E3%82%AF
このセンギョクが共工を幽州(北京)で処刑しているが、おそらくこれは三星堆文明を滅ぼし、銅緑山
の資源を殷が独占支配したことを物語るのであろうが、ここに遠因があると考える。このセンギョクの
思想は、ウラルのシンタシュタ遺跡において出土するチャリオットが葬礼用であり、ツタンカーメンの
スポーツカーとは全く似ても似つかぬものであることから、セイマ・トゥルビノ時代においても西側に
影響力を持っていたものと考える。

870 :月光仮面:2009/05/26(火) 17:03:57 ID:tO/IfNlX
http://stepnoy-sledopyt.narod.ru/history/esp/7.jpg
第7図 ユーラシア・ステップ・ベルト最終統合における東アジア冶金圏北西(サヤン・アルタイ)中心連
合の主要な影響方向。 図の中に前14/13-8世紀カラスク文化とし、河北方面、洛陽方面のルートがある
が、天孫(楽浪・九州西部)と言うのはこの両方、地祇(三韓・出雲)というのは河北方面がその北東方面
のツングース系諸族に影響を与えたことによるものと考えられる。秦氏などは洛陽、甘粛方面。

871 :月光仮面:2009/05/26(火) 17:21:20 ID:tO/IfNlX
纒向で箸墓を守る兵主神社、蚩尤、
蚩尤(しゆう Chihyu)は中国神話に登場する神。天界の帝王である黄帝と大戦争をした。獣身で銅の頭
に鉄の額を持ち、また四目六臂で人の身体に牛の頭と蹄を持つとか、頭に角があるなどといわれる。砂
や石や鉄を喰らい、超能力を持ち、性格は勇敢で忍耐強く、黄帝の座を奪うという野望を持っていた。同
じ姿をした兄弟が80人くらいいたという。戦争にあっては、神農氏の時、乱を起こし、兄弟の他に無数の
魑魅魍魎を味方にし、風、雨、煙、霧などを巻き起こして黄帝と遂鹿の野に戦った(遂鹿の戦い)。濃霧を
起こして敵を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、遂にこれを捕え殺したといわれている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%A9%E5%B0%A4
山東省にいたというから東夷。風、雨、煙、霧などを巻き起こして黄帝と遂鹿の野に戦った、濃霧を
起こして敵を苦しめたが、黄帝は指南車を使って方位を示し、遂にこれを捕え殺したといわれている。
これは鹿石によって平原に移動用標識ネットワークを築こうとした鹿石政権(黄帝)の領土の鹿石を
破壊し、通行を妨げたのではないか考えられる。こうしたサボタージュは東胡の得意とするところ。
卑弥呼は東胡の軍神によって守られていた。と言うことは、天孫ではなかったということになるんだが。

872 :出土地不明:2009/05/27(水) 14:51:17 ID:/zgd2fDe
日本考古学最大のテーマのスレがこのような閉鎖空間とは…。

873 :月光仮面:2009/05/27(水) 15:36:43 ID:kj/jUlh1
http://www.metmuseum.org/toah/ht/03/nc/ht03nc.htm
BC1700年頃<南シベリア・オークネフ文化>
BC1500年頃<セイマ・トゥルビノ文化/フルリ人西アジア進出>
BC1300年頃<カラスク文化・燕>
BC1050年<箕子朝鮮・高夷沸流国>
BC195年<衛氏朝鮮>
BC109年<漢楽浪郡・三雲/邪馬台国>
AD313年<高句麗・河内王朝>
AD668/682年<天武王朝
↑すっきり、くっきりさすとこうなる。

874 :月光仮面:2009/05/27(水) 16:07:27 ID:kj/jUlh1
↑これの裏街道をバイカル・アムール・沿海州・日本海と走ったのが、グラスコフ文化 無文土器 
鶯歌嶺・中島文化 瓦質土器 庄内/布留式土器の流れで初期古墳・邪馬台国・三輪王朝をもたらし
たと考える。

875 :月光仮面:2009/05/28(木) 14:17:31 ID:qKEPqMUX
サンクトペテルブルグ・ウラジーミル氏のロシア掲示板「裏面歴史」
への投稿から。
セイマトゥルビノ型○青銅器vsサムシ・キジル型●青銅器出土分布図
http://i022.radikal.ru/0901/82/8268eac5b3bf.jpg
セイマ・トゥルビノ「帝国」(中央上方黒線で囲んだところ)とヒッタイト・ヒクソス(下方赤・紫・緋色部分)
http://s49.radikal.ru/i123/0901/ee/3255074f9600.jpg

876 :月光仮面:2009/05/28(木) 17:28:09 ID:qKEPqMUX
↑出土分布図No.86、カラー地図No.116がツングース・グラスコフ文化だが、ここをセイマトゥルビノ
集団の出発点としている。ここは弥生日本人発祥の地ではないかと見られ、西アジアから帰還した
ものが日本に渡来していたとしても弥生人のDNAに混じってしまっていると思われる。

877 :月光仮面:2009/05/28(木) 17:31:57 ID:qKEPqMUX
モンゴロイドだけで小アジア席巻は荷が重過ぎる。印欧ヒッタイト語を話す西欧人形質とシナ・コーカサス
語を話すフルリ人がジョイントで活躍したと言うことかもしれない。

878 :月光仮面:2009/05/28(木) 17:50:37 ID:qKEPqMUX
http://narty.urbanelis.com/Your%20Genetic%20Journey%20-%20The%20Genographic%20Project_files/041_map.jpg
↑このYDNA N-LLY22gはウラル型だが日本に入ってきており、おそらくはこの近所N-M178
も一緒にウラル方面ではないかと思う。フルリ人が日本に入っているのは間違いあるまい。

879 :出土地不明:2009/05/28(木) 18:47:39 ID:2B0u9xgx
>>846>>762
月光たん(^-^)/
ケト人との出会いが北回りも起点になっているなら
南回り東夷人と北回り東胡人は兄弟じゃね??

>>768
ドルメン文化の最終便は、北回りでケム川から列島に渡来しているようだし(^-^)/

880 :出土地不明:2009/05/28(木) 20:40:40 ID:2B0u9xgx

>>876>>762だったm(_ _)m

881 :出土地不明:2009/05/28(木) 21:34:58 ID:wrpL4Fp8

>>876>>763だったm(_ _)mm(_ _)m

882 :月光仮面:2009/05/29(金) 10:08:33 ID:hW+Hk5qz
http://s49.radikal.ru/i123/0901/ee/3255074f9600.jpg
↑この表のYDNA Haplogroup↓
http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.gif
地図の凡例
Samody族(107-109)
107  Samuss文化
108  Krotov文化
Ket族(109-110)   YDNA Haplogroup N-LLY22g*
109  Sartynyin文化
110  Ortin等ケト文化
Tunguss族
116  Glazkov文化 YDNA Haplogroup O-SRY O-47z
Paleoasia族 (117-118)
117   Doronin文化
118   Ymykhtakh文化
Nivkh族 (119-120)
119   Evoron文化
120   Margaritov文化
Zone-116を出発、Zone-110の最南端、アルタイ山岳西麓で合流、
以下、
Iran族(85-87)
85 Abashev文化
10 アッシリア
11 Hanigalbatフルリが統治、ミタンニアーリアを含む
12 キズワトナ(フルリと移住してきたルヴィア)
13 Hapallay
2 Amurru民族連合
3 Ashtata.
4 Yamhad
1 ヒクソス
帰路は、
5 Kassit
9 Elam
等が関与しているかなと。


883 :月光仮面:2009/05/29(金) 10:23:54 ID:hW+Hk5qz
>>879
O3に対峙するという意味で同じ陣営だった。それは西周・春秋・戦国を通じて維持されたということでは。


884 :月光仮面:2009/05/29(金) 12:42:38 ID:hW+Hk5qz
承前 
http://s49.radikal.ru/i123/0901/ee/3255074f9600.jpg
110 ケト族
トカラ族(89-92)
89 Andronov文化
90 Tazabagyyab文化
91 小河墓遺跡等ターリム盆地ミイラ文化
92 Cherkasul文化
93 インド・アーリア族灰陶文化
NHKシルクロードで仰天したのは墓標、木棺、仮面等の木工技術の高さであったが、セイマトゥルビノ、
カラスク青銅器、スキタイ・シベリア彫刻の造形美術能力を持つケト族と接したいたことがわかり、
納得が行く。伊勢神宮を初めとする日本の神社仏閣、仏像、食器等の技術は渡来ケト人によるもので
あろう。

885 :月光仮面:2009/05/29(金) 13:19:00 ID:hW+Hk5qz
承前
http://i022.radikal.ru/0901/82/8268eac5b3bf.jpg
セイマトゥルビノ型○青銅器 BC16世紀頃
サムシ・キジル型●青銅器 これはポスト・ゼイマ・後期セイマ・トゥルビノ、BC16/15-13/12世紀頃

886 :月光仮面:2009/05/29(金) 13:38:24 ID:hW+Hk5qz
セイマ・トゥルビノは↓に繋がる。
「エジプト第15王朝(紀元前1663年頃 - 紀元前1555年頃)は第2中間期時代の古代エジプト王朝。いわゆ
るヒクソス(ヘカ・カスウト「異国の支配者達」の意)と呼ばれる異民族によって立てられた王朝である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%B8%E3%83%97%E3%83%88%E7%AC%AC15%E7%8E%8B%E6%9C%9D

887 :月光仮面:2009/05/29(金) 13:58:27 ID:hW+Hk5qz
>>238-248
エジプト-バイカル-日本は繋がっている。

888 :出土地不明:2009/05/30(土) 19:49:35 ID:JsmKWcuh
>>883月光たん、いつもどうも(^-^)/

>>871
全く異なる民族の南周り東夷人と北周り東胡人が突帯文文化や牛頭信仰を
共有していたということなの?

やっぱり兄弟じゃね?

889 :出土地不明:2009/05/30(土) 20:54:17 ID:0ipfdCd/
下 下 下

890 :出土地不明:2009/05/30(土) 20:58:51 ID:0ipfdCd/
した下した?

891 :月光仮面:2009/05/31(日) 09:03:27 ID:R1JNxJQd
>>888 「北回り東胡人」、バイカル湖青銅器グラスコフ文化人(O2)はアルタイ北部でケト人(LLY22)と
合流、西アジアを席巻後日本にも渡来、ケト人(LLY22)は布留・物部、グラスコフ系(O2)はホレズム・
トルケスタン・オルドス経由、主として秦氏の夕月の民として渡来、これらは全般に突帯文土器・牛頭
信仰の影響下にあったものの、夕月の民へは甘粛の青銅器・斉家文化の影響が強く残っていたと考えら
れます。
http://en.wikipedia.org/wiki/Ordos_culture
http://en.wikipedia.org/wiki/Zhukaigou_culture

892 :月光仮面:2009/05/31(日) 09:11:17 ID:R1JNxJQd
>>879 >>883
中華思想↓
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Tianxia_zh-hant.svg
これが、東夷・東胡を一つの陣営にまとめる働きをしたということでしょう。

893 :月光仮面:2009/05/31(日) 09:15:03 ID:R1JNxJQd
斉家文化は青銅器と言うよりはその前段階の銅器文化であり、この後に始まる三星堆、安陽の
先駆的なものであったと思います。

894 :月光仮面:2009/05/31(日) 09:19:24 ID:R1JNxJQd
>>891
グラスコフ系の農民は朝鮮半島では櫛目文土器を突帯文・無文土器に変え、日本列島では縄文土器を
突帯文・弥生土器に変えるものであり、オルドスに入るのはそのうちでもノマド的な部分であったのでしょう。

895 :月光仮面:2009/05/31(日) 13:57:13 ID:R1JNxJQd
>>885-886
セイマトゥルビノ上限はミケーネと併行と考えるのが西の方では主流だが、東は西周とする諸説が
あり、その間に相当の開きがあるが、私のエジプト15王朝・新王国併行説、グラスコフ文化が、燕・
古朝鮮としてUターンする説を採ると行きが殷/帰りが西周ということで見事に説明がつく。

896 :月光仮面:2009/05/31(日) 14:10:58 ID:R1JNxJQd
帰還した布留・夕月の民はこの地図の↓KAZAKHSTAN/XINJIANG
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFEfig1.GIF
にヒッタイトの鉄を持ち帰った↓
http://www.staff.hum.ku.dk/dbwagner/EARFE/EARFE01.GIF

897 :月光仮面:2009/05/31(日) 16:23:16 ID:R1JNxJQd
>>404 >>406 >>409 >>441
鬼瓦、シーサの起源として考えられるのは、キンメリア人と同定されるタウロイ>タウリ人。コーカサスに入
ったアブハズ・アディゲ族との説もあり。
http://maps.yahoo.com/broadband/#mvt=h&lat=44.499444&lon=34.155278&mag=6&zoom=6&q1=44.499444%252C34.155278
「ヘロドトスによると、タウロイ人による人身御供の方法は人間の首を棍棒で打ち、首を取り除き、胴体は
埋葬するか、または、崖の上から投げ捨て、最後には首を十字架の上に釘付けにしたとされる。戦争
捕虜も同様に首を取られ、首は長いポールの先に付け、「一家のお守りとして」家のそばに立てられたと
いう。」鹿島様の発想もあるが、鬼瓦、シーサに近い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Tauri
彼らの墳丘墓は円丘の頂上に鹿石を挿すもので「神籬」型
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%B1%AC
箱式石棺墓はオークネフ、カラスク、スルブナヤ、コーカサスに偏在。
コーカサスでドルメンと共存。日本では甕棺・箱式石棺墓は時代的に重ならないようだが。

898 :月光仮面:2009/05/31(日) 16:38:39 ID:R1JNxJQd
生首を曝すのに似た行為として東胡が鹿石を逆さまに生めるというのがあるが、日本では男鹿半島の
伝説に鬼が怒って抜いた樹を逆さに挿すというのがある。また、剣の柄の部分、これが鹿柱の頭に相当
するが、これを埋めて国譲りの談判を行うと言うシーンがある。これは、例えば、奈良盆地を始めとし、
国土が成立すると樹を逆さに立てて祝うという儀式があったのではないかと考えられる。卑弥呼がお尻に
刃を敷いたというのはどうも誤りではないかと思われる。正しくは新しく作られた神籬に刃を挿された時に
身罷られたといったことではなかったのかなと思う。

899 :月光仮面:2009/06/01(月) 08:46:06 ID:PIFlOfMr
「埋葬遺跡は伝統的文化においてあの世への旅立ちに関係する場所だけでなく、そこは再生の場所

(大地のへそ)であり、毎年儀式を行う場所でもあり(正月から始まる生活サイクルの一切の儀式、つ

まり、共同体全員の誕生日、婚礼、共同葬儀と法要などが含まれ)、それらが方形あるいは矩形の

形をとることは、「石板墓」を残した民族が大地崇拝儀式を行うものの、天の崇拝は行っていなかった

と思われる。この関係で、「戎」とは「野において贄の供養を行う」民族であるとされてきたことが想起さ

れる。これは石板墓文化人による先住民の鹿石(鹿ステラ)の頭頂部に籠められた聖なる太陽/火の

属性破壊を象徴するように、鹿石(鹿ステラ)を上部からさかさまに地中に埋めることによって、鹿石(

鹿ステラ)を再利用するということにも現れている。アルタイ語族が生まれる地域におおいてはこのように

西部と東部に文化慣習が分かれてゆくことは 突厥可汗諸国においても見られる。」
「モンゴル語族文化慣習の類型」より

900 :月光仮面:2009/06/01(月) 08:59:36 ID:PIFlOfMr
鹿柱もケレクスル(御霊の輿)も太陽を収納するものということが基本的な意味であるが、石板墓文化

に最も特徴的なことは大地のシンボル乃至しるしである矩形或いは方形であるといえる。・・・同上

901 :月光仮面:2009/06/01(月) 11:43:35 ID:PIFlOfMr
「しかし、他方において、近年、研究者は(その民族自体によって自民族の共同体形成が無条件に認識さ
れる)モンゴル語諸民族の伝統的な文化において、前3千年紀に重合し、共存する二つの異なった文化
類型の存在の証拠を次第に多く言及するにいたっている。 著者はこれをモンゴロイド等と関係する東ア
ジアの文化伝統及びチュルクモンゴル語が生まれる地域に居住するコーカソイドの文化伝統と名づけて
いる。」同上
中央アジア・アルタイ・モンゴリアの岩絵には太陽を頭にした有蹄類動物と張った弓が描かれ、これは
正月行事として部族男性全員で太陽を射る儀式、西ブリャート語ではスルハルバンsurharbanとして残る
とされている。日本では御日射として残る。中国の黄帝の黄は土、また、土と言う名称を持つ民族がある
一方で、火とか太陽を意味する炎帝もある。太陽を射るゲイという伝説もあり、黄河文明にはこれらア
ルタイ系統諸族が主要な活躍をしたことがうかがえる。炎帝の起源は印欧語、特にイラン系と見られる。
の民族が

902 :月光仮面:2009/06/01(月) 16:50:01 ID:PIFlOfMr
石板墓文化というのは、弥生人の原郷と見られるバイカル湖周辺の西周-春秋期の文化で、墓制は
1) 四隅突出型墳丘墓(ザバイカル西部に限定)
2) 庭付き墳(主石籬に通路と下段石籬が付く)
3) 方形石籬墳(普遍的)
と言うことであり、石板(スラブ)墓というのは石籬に石板(長く平たい石)が外向きに並べて立ててある
楯築遺跡のようなものが多いことからと見られる。

903 :月光仮面:2009/06/01(月) 16:56:42 ID:PIFlOfMr
>>901
土(トゥー)族
「チベット族はトゥー族をホルと呼び、トゥー族の間では、祖先はモンゴル人と現地のホル人が結婚した
ことが起源となったとする伝説を持っている。ホルは4〜7世紀現在の青海省に勢力を持った国吐谷渾
の一集団であり、西晋時代末、遼東の鮮卑系の部族に源を発している。彼らは甘粛省や青海省まで西
へ移動し、当地の先住部族を征服し、吐谷渾国を建てた。」
http://www.gesanmedo.or.jp/uli227.html
この鮮卑も石板墓文化圏に属する、東胡族。


904 :月光仮面:2009/06/01(月) 17:56:51 ID:PIFlOfMr
>>902
青銅器時代のバイカル湖周辺グラスコブ文化から内モンゴル、満州北部にいた農耕民はオルドス及び
アルタイ方面から侵入してくるカラスク文化・スキタイ/シベリア文化に押され朝鮮半島・九州島に移住し
突帯文・無文土器・弥生土器時代を開いた。モンゴリア東部・ザバイカルに留まったものはノマド(戎)的
遊牧経済に入り、石板墓文化を生み、オルドスでは匈奴がコーカソイドの月氏を駆逐して中国に影響力
を持つに至る。やがては秦・漢の動乱時代にこのノマド化した弥生農耕民の同族が日本に流れ込む。

905 :出土地不明:2009/06/01(月) 19:50:42 ID:f+kYezIt
http://video.google.com/videoplay?docid=3031125939592548381
http://video.google.com/videoplay?docid=-5334843523818408771
http://video.google.com/videoplay?docid=-8142677247936155656
http://www.harmonicslife.net/gallery/main.php?g2_itemId=3701
http://doujibar.ganriki.net/00menu.html
http://homepage.mac.com/ehara_gen/jealous_gay/muck_raker.html
http://rose.eek.jp/911/
http://nvc.halsnet.com/jhattori/green-net/911terror/nyterror.htm
http://www.youtube.com/results?search_type=&search_query=%E5%9B%BD%E4%BC%9A%E3%80%809.11&aq=f
http://vision.ameba.jp/watch.do?movie=600415
http://www4.atwiki.jp/911insidejob/
http://www.geocities.jp/yhp20010911/index.html

906 :出土地不明:2009/06/02(火) 05:47:43 ID:zjFMBaZn
>>904
これまで散々書きちらしてきたYAP+の話は
もう全く無しでっか?w

907 :月光仮面:2009/06/02(火) 11:11:08 ID:UVGhMMlM
無文土器開始直前の沿海州・白頭山方面では、Boisman(Zhenxing)櫛目文土器文化が北方に後退し、
満州東部鶯歌嶺、沿海州にザイサノフカ早期農耕文化が登場( 鶯歌嶺下層 Zaisanovka 黒曜石交易、
鶯歌嶺上層 Xingcheng 黒曜石交易、当時白頭山の噴火はないので九州西部・隠岐方面から入手した
のではなかろうか):
1. 新しい土器文化(デザイン及び文様技法)
2. 石器生産の変化、石器セット及び新石器素材
3. 新しい生業システム・雑穀(ミレット)栽培
4. 定着パターンの変化、
このことは遼寧・古朝鮮方面からの初期農耕文化民族の移住を意味するものと見られる。

908 :月光仮面:2009/06/02(火) 12:01:54 ID:UVGhMMlM
古朝鮮支石墓▲琵琶型銅剣●細形銅剣□分布地図
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/b/b9/Bipabronze1.jpg
支石墓の分布が早期農耕文化の伝播と重なるようである。

909 :月光仮面:2009/06/02(火) 13:19:46 ID:UVGhMMlM
細形銅剣□は咸鏡北道をウラジオストク方面に延びているが、沿海州では、3000-2300BP頃青銅器と
早期鉄器時代が並存。
青銅器時代はSinegayskaya、Margaritovskaya*、 Lidovskayaの3文化があり、
全体として          2980±50 - 2320±55BP (C14Cal)。Yankovskaya文化並行 
マルガリトフカ青銅器文化遺跡出土石器の基本的なものは(槍先、ナイフ等の)青銅器を模倣した器具
の特徴が出ている修正加工及び研磨製品。土器としては、首の広い各種押紋の付いたオーバーハング
で広がる分厚い口縁部を持つ弱輪郭土器 光沢のある明るい暗赤色の分厚い土器。本遺跡の特徴は
青銅器にあり、葉形槍先、平円錐形ペンダント、槍、ペンダント、組合せ鋳型、ソケット式二重スペード形
銅鏃、釣り針鋳造用組合せ鋳型。形状と寸法が現在の短剣に近い透明でやわらかい材質の石材を使用
したナイフは本遺跡独特のもの。これはBoisman(Zhenxing)櫛目文土器文化とザイサノフカ早期農耕文化
の接点に存在する。黒曜石の交易にはこれが関与したということもあろうか。

910 :月光仮面:2009/06/02(火) 15:28:25 ID:UVGhMMlM
ソウル大学Wontack Hong教授によれば満州・朝鮮半島は新石器時代から民族的に一体であったとの
こと。こうした考えであれば更に拡大して満州・モンゴリア・モンゴリアに接する地域も新石器時代から
同じ民族O2が住んでいたのであって、その地域ではそれほど大きな民族移動はなかったという
ことも言える。Hong教授によれば、支石墓文化圏は鉄に関係していないという。これは沸流国は
フルリ人だから鉄とも関係するのではないかということと相反する。他方、黒竜江の粛慎・邑婁は
非常に古くから鉄に関与しているという。沸流国というのは箕子朝鮮であり、領民はネイティブの
O2であったもののこれを支配したのがコーカサスのドルメン文化を共有する、リンシで発見された
欧州人DNAを持ったものであったということもありえる。いずれにせよ無文土器の始まる頃に山東省
の岳石文化とか、甕棺文化とかがどのようにして遼寧省に入るのか、このへんがすっきりしない。

911 :出土地不明:2009/06/02(火) 17:38:37 ID:ORc5oEm0
O2bって前8世紀にO3に長江流域から押し出されて山東経由で朝鮮方面
に移動したのではないのですか?
ワイ族の系統はC3じゃないですかね?(自信は有りませんが)
人骨調査は、してないんですかね。
O2b、O3、C3、どの順番で半島に流入したのでしょうか?
ああ、天皇のY染色体を調べたい。
O2bなのかC3なのか…D2だったら、ひっくり返る。

912 :月光仮面:2009/06/02(火) 18:57:13 ID:UVGhMMlM
>O2bって前8世紀にO3に長江流域から押し出されて山東経由で朝鮮方面
>に移動したのではないのですか?
変異が生じてから4000年くらいのようですね。夏家店下層期の満州・朝鮮あたりか、あるいは
もっと南の長江あたりかでしょうか。
>ワイ族の系統はC3じゃないですかね?(自信は有りませんが)
>人骨調査は、してないんですかね。
O2bの仲間では。
>O2b、O3、C3、どの順番で半島に流入したのでしょうか?
C3>O2b>O3でしょうか。
>ああ、天皇のY染色体を調べたい。O2bなのかC3なのか…D2だったら、ひっくり返る。
昔の人はDNA鑑定しませんからね。なんとも。


913 :月光仮面:2009/06/02(火) 19:01:16 ID:UVGhMMlM
ヒクソスと言うのはレーシストのマネトと言うエジプト人にものすごく悪く書かれてしまっちゃったようで
すね。しかし、フルリ人は悪く言う歴史書はなく、いつも勇者ですね。

914 :出土地不明:2009/06/02(火) 19:48:02 ID:ocvK5pqs
>>月光仮面さん、そろそろ南インド方面の交易海民に着目しては!
  中国内陸文化は無視出来るよ、マドロスさんの文化だからね!

南インドには突帯文式甕棺墓、支石墓、箱式石棺、子持ち壷(楽器)、
金属器(カネ)、北部はナンだが南部は稲作、弥生前期の北部九州人?

[PDF]http://jomon.sakura.ne.jp/kiyou2-fukao.pdfファイルタイプ:
PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
Gクダイッカル―ドーム状の石を地上に置いて、甕棺を納めた地下の墓室を閉じたもの。
H掘抜式墓室(ロックカット=ケイブ)―石窟墓とも呼ばれ、ラテライト岩盤中に墓室を
掘りこんだもの。 南インドの巨石文化においては、ストーンサークル(環状列石) ...
jomon.sakura.ne.jp/kiyou2-fukao.pdf - 類似ページ

915 :出土地不明:2009/06/02(火) 23:41:28 ID:4HsibR9n
>>911
弥生人がO2bで天皇家がO2bなら、侵入者がこの国を支配したことになるわけだから、
通常のケースは、2000年もたってD2がこのような高い割合で残ることはまずない。

ので、D2が有力だと考えられます。天皇はひょっとしたら熊野系?

興味深いのは、天皇を支え続けた渡来系といわれる秦氏で、
どうも彼らもD2系統だという話です。
個人的には、京都の中心部の街中では、およそアジア人だとは思えないような
古くからいる人に出くわしますので、十分可能性があるかなと感じています。

しかし、だとすると、渡来人もD2あるいはD2を含む集団だということになって、
古代史に対する再検討が必要になります。このあたりは正確な資料が欲しいところです。

916 :出土地不明:2009/06/03(水) 00:24:24 ID:X88VVI3C
>>915
大王の母体の集団が極少数でありながらも畿内を制圧したと言う可能性は
無いでしょうか?モンゴル人も満州人も華北を支配した頃、しかし人口割合
を増やせなかったのではないかと想像しますが…。
話は変わりますが、日本人においてO3の割合は無視できない程度ありますが
この集団はどのような形で流入してきたのでしょうか?02bに混じって来た
のでしょうか?一度のムーブメントで、それとも断続的に?
ちょっと自分には仮説が立てられません。
またこれについての記述を目にした事がありません。不勉強なのかも
しれませんが。

917 :出土地不明:2009/06/03(水) 02:48:11 ID:Mbo05XnI
>>916
それはまずない。
支配者側に立つ部族に女性を貢ぎたいと思うのは世界中での現象だし。藤原家なんてまさにそれ。
そして、日本の場合は王権の交代もなく2000年近くの年月がたっているし。
中世の支配者の条件も天皇家の血統を有していることが条件だったしね。
天皇系の男系遺伝子が少数派というのはまず考えられない。

そして、日本が特徴的なのは、非移民系の男系遺伝子が非常に多いということ。
これは非移民系が移民系に征服されたことがないことを意味している。
もしくは、移民者と非移民者の間での遺伝子構成にあまり大きな差がなかったかだと思う。

百済の人種構成には、おそらくO2b1aが多くまた漢人が多く含まれていたようだから、
O3系統はその移民のなかに混じっていた可能性が高い。また遣唐使のように断続的な交流もあった。
中国からの移民者は鑑真のように高い地位を与えられたこともあり、その子孫も多く残せたんだと思われる。
日本で漢字が使われるようになったのは彼らの影響だろう。

現代朝鮮にはO2b1*でO2b1aはほとんどいない。
日本にはO2b1*は非常に少なく、併合時代以降の帰化者がその主たる保有者らしい。
これは現代朝鮮と同じ文化圏の人が古くからは日本にはきていないことを意味する。
同じO3を朝鮮系が保有するからといって、そのO3だけが日本に渡ってくることはあまり考えられない。
仮にあったとしても、朝鮮文化圏内で孤立した文化を有していた集団があり、それが日本に渡ったケース。
つまり、半島が漢人の通過路になったケースだけです。


918 :出土地不明:2009/06/03(水) 03:09:25 ID:Mbo05XnI
仏教を広めた、蘇我氏なんかはO3系統なんじゃないだろうか。
大化の改新にいたる流れの中で、天皇家から蘇我氏の血筋(女系だけど)はきれいに消えているんですよ。
天武天皇は中大兄皇子の兄である古人大兄皇子という説もあるが、その説に従っても。
結局は血筋が途絶えている。

平城京を放棄した理由が仏教勢力が強くなりすぎたからという説がある。
そうだとすると天武天皇が官僚制度を整えるときにO3系統の漢人を多く呼んだ&重要視したことが考えられる。
そしてその血統が途絶えたときに、百済系(O2b1a)の母方の血をひくという桓武天皇が出現したんじゃないかと。

また、こう考えた場合でも、天皇家がD2系統でないとD2はどこいったんだ?
ということで現代日本の遺伝子構成は説明できないしね。



919 :月光仮面:2009/06/03(水) 08:30:54 ID:gocfTCVu
O3というのは↓による
http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.gif
O-LINE1 3.1%
O-M122* 6.6%
O-M134 10.4%
東南アジア、北東アジア、中央アジアにも多い。これはmtDNAで言われる沖縄発で大陸、日本本土以遠
に拡散したものと違うかな。ジャポニカの仲介とか、仰韶文化の中央アジア、西アジア、欧州への拡大に
貢献したということもありえるが。


920 :月光仮面:2009/06/03(水) 09:58:39 ID:gocfTCVu
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・N ・・・・D-P37.1・・O-P31・・・・O-M122
Ainu (AIN), this study・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・4 ・・・・75・・・・・・・・0・・・・・・・・0
Ainu (Tajima et al. 2004)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・16・・・・87.5・・・・・・0・・・・・・・・・0
Aomori (AOM) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・26・・・・38.5・・・・・・30.8・・・・・・15.4
Shizuoka (SHI)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 61・・・・32.8・・・・・・36.1・・・・・・19.7
Tokushima (TOK)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 70・・・・25.7・・・・・・32.9・・・・・・21.4
Kyushu (KYU) ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・53・・・・26.4・・・・・・35.8・・・・・・26.4
Okinawa (OKI)・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・45・・・・55.6・・・・・・22.2・・・・・・15.6
All*・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 259・・・34.7・・・・・・31.7・・・・・・20.1

921 :月光仮面:2009/06/03(水) 10:04:39 ID:gocfTCVu
上図でO-P31と言うのがO2で、O-M-122と言うのはO3系統。

922 :月光仮面:2009/06/03(水) 10:21:58 ID:gocfTCVu
>>919
O-LINE1 につき、韓国での調査では北京漢族14.5%、朝鮮族12.%、満州族4.5%、日本人1.9%という結果が
出ており、漢四郡の朝鮮支配によるのではないかと見られる。

923 :月光仮面:2009/06/03(水) 10:45:47 ID:gocfTCVu
>>919 >>922
しかし、O-LINE1も沖縄発とすれば東シナ海を一周して朝鮮半島に入ったということもできる。


924 :月光仮面:2009/06/03(水) 13:43:28 ID:gocfTCVu
>>914
>>910 ソウル大学Wontack Hong教授のウェブ情報では半島の支石墓に関し、「Nelsonによれば朝鮮に
おける支石墓の数はブリテン諸島に発生したのと同様それら支石墓の起源が現地であることとY貊の
支配層が自らの墓所によって自らのテリトリーのマークとしたことを示唆しているとのこと。
Nelson (1993: 159, 163)」とあります。また、http://s49.radikal.ru/i123/0901/ee/3255074f9600.jpg
では、
93 トカラ インドアーリア 灰陶
ドラビダ諸族 (97-100)
97 - Dashla文化
98 - Markhashi王国
99 - ハラッパ文化
100 - その他中東ドラビダ文化.
と言うように亜大陸南端に達するまでにトカラ及びインドアーリアの文化圏の存在を示しています。
こうしたことは亜大陸に向かったドルメン文化と朝鮮半島に向かったものが時代的に同一のものであり、
従ってそのドルメン儀式の背景となった社会的・宗教的な儀式にも同じものがあるのではないかと
考えられます。このインド亜大陸へのインドアーリア文化の伝達については単なる欧州民族の侵入では
なくハラッパ文明・ドラビダ文化人が中央アジア・南シベリアに遊牧・交易の為に進出し、文化を持ち帰っ
たと言う可能性もあります。それは日本語にタミール系の要素が残るとする学説からも言えるのでは
ないかと思うのですが。


925 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/03(水) 22:56:00 ID:Gn5l0nqR
>>915-916
さっき、地理人類学板を覘いたら、単一遺伝標識で妄想する
Y染色体カルトがわしにカバチ垂れよったが、あんたもY染色体
単一遺伝標識で妄想しょうるのう。D2じゃのO3の人種集団なんか
あるわけ無いのに。遺伝子カルトは妄想が好きじゃのう。

926 :出土地不明:2009/06/03(水) 23:46:07 ID:Mbo05XnI
>>925
馬鹿だな。単一で移動することはありえないから、日本にO2b1*がないので、
朝鮮からO3もきていないということをいってんの。おつむ弱すぎ。

927 :白馬青牛 ◆B3h9hvY9bA :2009/06/04(木) 00:34:30 ID:4sskRIRO
>>925
馬鹿なんは、おどれじゃわい。古代に単一遺伝集団の移動なんか
あるんかいのう。しかも単一遺伝標識じゃあ長い年月で
遺伝子も不変云う根拠すら無い。遺伝子カルトは、
ナチス優生学の影響じゃろうか、可笑しげなことを毎回云うのう。
あんたのおつむが遺伝子カルトに洗脳されとる哀れな人間よ。

928 :出土地不明:2009/06/04(木) 01:55:47 ID:VWs6ToK7
頭の良い方々はワザトぼかして言ってるんですよ。
騎馬民族の方々がショック受けない様。

929 :出土地不明:2009/06/04(木) 09:21:18 ID:PJRBdaq0
>>927
現代の日本から外国へ、一定の規模の移民があったとする。
その際その集団の、Y遺伝子の主たる構成は、D2,O2b1a,O3となり、
頻度の違いはあれ、特定のY遺伝子が混じらないことはありえない。

同じように、もし現代朝鮮人と同じ民族が日本に移民していたとしたら、O2b1*,O3,etcの構成に
なるはずで、O2b1*がその集団の中に混じらないということはありえない。
現代日本に存在するO2b1*の大半が、日韓併合後の帰化者にしか存在しないということは
太古において現代朝鮮人と同じ民族が日本に移住してきたというメルマークが存在しないことを意味する。

もし、日本に存在するアイヌが外国に移住したとしたら、D2,C3の構成の集団が移住することになる。
太古において朝鮮からO3に特化した集団が移住してきていたとしたら、それは同じことを意味する。
ただし、D2,C3は日本における先住民族である。それに対してO3は漢人系列の遺伝子である。
よって、彼らは中国→半島→日本と、半島人と融合することなく通過して日本に移民してきたことになる。


930 :出土地不明:2009/06/04(木) 09:36:44 ID:uqEOkkNR
アイヌのC3ってオホーツク文化人の痕跡じゃないですかね…って、
もしかしてデフォ?

931 :出土地不明:2009/06/04(木) 09:52:22 ID:PJRBdaq0
日本における漢人系渡来人として、まず間違いないと思われるのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/東漢氏
である。

東漢氏は蘇我氏との関係が深く、仏教伝来にも深く関わっていると考えられる。
よって、蘇我氏を渡来系と考えるより、渡来系の東漢氏と土着系の蘇我氏の連合勢力だとも解釈できる。

東漢氏系列で有名な氏族は坂上氏であり、
最初の征夷大将軍であり清水寺を建立した坂上田村麻呂はその末裔である。

坂上田村麻呂の容姿は、身長180pを超える当時としては大男であり。
赤髪で青い目であったといわれている。
それ故、坂上田村麻呂をペルシャ系じゃないかという人もいる。

そこで興味深いのは
http://ja.wikipedia.org/wiki/兵馬俑
>新華社電によると最近では兵馬俑の眠る始皇帝陵の陪葬墓から出土した人骨
>がペルシャ系のDNAと同じ特徴を持つ男性の骨と分かった。

坂上氏については、田村麻呂以外も同様な容姿であったということではないので、
基本的にはO3系統の漢人系であり。そのなかに、形質的にペルシャ系を発露させる
遺伝子を保有していたと考えると、坂上田村麻呂においてその形質が出たと解釈できる。

とすると、東漢氏が中国皇帝の子孫だとする伝承はまんざら嘘でもないということになる。

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