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銅鐸について語ろう

1 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/16 02:02 ID:lr+gAgu8
銅鐸の謎
いろいろな謎が彼らにはあります。

・どんなことに使われたのか?
・なぜ土中に埋められたまま忘れさられたのか?

こんなことを基本にいろいろな謎がついてきています。
そしてこの後の古墳時代の墳丘墓には彼らは副葬品として、現れることがないということが
多くの人々の記憶から、彼らの存在を消し去り、謎を生んでしまったのでした。
 しかし、もっとも可能性のある祭祀行事につかわれたのなら、その教えを引き継ぐ者が必ず
存在したはずなのですが、教えを引き継いだ人々はどうなってしまったのでしょうか?
卑彌呼の鬼道として歴史にでてくる道教の後継者たちにも存在が認められません。
ということはこれ以前の祭祀である可能性が高くなります。
文献的な記録が無い今、考古学的な研究からしか答えは出てこないでしょう。


2 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/16 02:04 ID:xCOl/tAI
2

3 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/16 02:04 ID:H/O+JJ8G
銅鐸ってたたけば鳴るの?

4 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/16 07:38 ID:/ibrmeHr
はかた銅鐸

5 :とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/18 23:37 ID:uRvk1CAj
とりあえず、「木にぶら下げていた」らしいです(土器片に描かれていました)。

小さいのは楽器…と見るのも間違いではなさそう…(大きいものには叩いた跡は無かったかと)。

トンデモ系では「炊飯器」というのを聞いたことがあります(逆さにしてご飯を炊いてみたら、美味しく炊けたとか…)。

6 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/18 23:39 ID:4sXJKLCv
中世の地鎮の(かわらけや銭の)様にわざわざ埋めた、という事も言
われていると思いますが、埋めた理由としてはどんな説が挙がってい
るのでしょうか。

7 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 01:35 ID:9Qi28ijU
NHKの深夜に放送してる中国の映像で道教の祭っぽいのがでてくるけど
銅鐸みたいな形をしている鐘をたたいている。
あれって銅鐸とのつながりはないのだろうか?

8 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/10/19 01:48 ID:nO9qzz3F
>>7
書道の金文の手本によく使われる春秋戦国時代の鐘の中には
「この面を叩くと○の音が出て、こっちの面を叩くと●の音が出る」
みたいな文字が彫られていたりするのがある。
が、銅鐸は基本的に1音だろう。
まあ道教だけでなく、儒教でも打楽器はよく使うな。

9 :名無しさん@お腹いっぱい。<illusion>:03/10/19 01:49 ID:0eBvMfrm
てす

10 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 02:00 ID:CEnNSPVP
復元された銅鐸の音TVできいたけど
チーン
ていう甲高い音で拍子抜け〜

11 : :03/10/19 02:10 ID:PG8IiCQy
●●●マスコミの「盗聴、盗撮」は許されるのか?その2●●● http://natto.2ch.net/mass/kako/988/988402795.html
864 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/25(金) 02:10
>>860
856じゃないけど、盗聴/盗撮は、トイレの音や、自分の過去、
今日その日思いついた事、買ったもの、自分の体までネタですよ、
気持ち悪いですよ、
本当に大変だから、気軽にそう書かない方がいいですよ。(マジレス)
(笑)って冗談のように書く時あるけど、別に気楽な気持ちで書いているんじゃ
なくて、悲しい事を楽しく表現する事で、重い気持ちを無くしたいんです。
じゃないと、体にくるから・・・

949 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 2001/05/28(月) 18:46
>>916
直接の実行犯はわからなかった。ただし、その盗聴機関がマスメディア産業の
各方面につながっていることは確認済み。団体名なんか書く必要ないでしょ?
フジ・テレビとか読売新聞社とか電通とか...みんなが知ってるあの会社って
感じ。講談社の週刊誌(現代とかフライデイとか)が政治家の過去を暴露する記
事や写真をよく掲載するでしょ。あの手の記事は、盗聴/盗撮で得た情報で商売
をしている人達がいるという証拠。あういう人達に、オレの個人情報をつかまれ
ているんで非常に心配ですが、現状では、対抗策がない。

12 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 11:46 ID:70Yuv3D8
寺の鐘とか教会の鐘とかそういうのと同じ使い方をされてたのかな。
それとも金属だから、お金代わりとか。

13 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/19 12:00 ID:L0KHgUmf
沈鐘伝説……鐘を霊物とし、水界を支配する主と密接な関係を有すると考え、
       池沼・湖海などの水に縁のある所に多い。わが国では諸所にある
       「鐘ヶ淵」は、普通にこの伝説を持っているが、俵藤太の竜宮の鐘
       を奪う伝説が最も有名(広辞苑)。 

14 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/19 12:08 ID:kieZ2N4F
>13
『宇治拾遺物語』にある龍神の鐘が三井寺に収められた話、ルイス・
フロイスの『日欧文化比較』にある「日本の船乗りは鐘を積み込みた
がらない」というのが古い例でしょうか。
欧州にもあるようですが、異界の演出には聴覚や嗅覚が重要でしたか
らね。弥生時代にも何か焚いていたのでしょうか。

15 :鷂@軍板からの屯田兵 ◆Kr61cmWkkQ :03/10/19 12:13 ID:nO9qzz3F
「大辞泉」を引いてみると、叩いて鳴らすのではなく、
内側に舌を吊るして振って鳴らすと書いてある…。
後期の大型銅鐸は楽器にあらず、てスタンスだな。

16 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/20 17:49 ID:Cm9buePw
入れ子になってるヤツもあるんだよね?
アレはどうして入れ子になってるの?

17 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/21 00:42 ID:5ZwjpHE2
サムスピRPGを思い出す

18 :名無しさん@お腹いっぱい。:03/10/22 01:57 ID:Dx6NzbU+
>>6
>中世の地鎮の(かわらけや銭の)様にわざわざ埋めた
地鎮っていうより、境界というか、道祖神的な意味合い。
あとは、水脈を枯らさないためのおまじない。かな。

古称の「さなき」からは文献学的な進歩はないのかな?


19 :山野野衾 ◆F6mxNHihgE :03/10/22 11:23 ID:u+zKvqlc
>18
それは銅鐸の役割が、という事でしょうか。それ以外のものが水脈などに関わる
と想像されるかたちで埋められた事は無かったのでしょうか?

20 :出土地不明:03/10/22 16:45 ID:vbCkG7dY
真っ赤になるまで焼いて、風呂に投げ込むんだよ。
料理法でも似たようなのあるじゃん。

21 :とてた ◆0Ot7ihccMU :03/10/22 22:09 ID:tnuJFI4g
文様から(トンボ・クモ・カメ)、水田農耕との絡みはある(全部とはいえませんが)ような。

22 :出土地不明:03/10/22 23:23 ID:44ogVdwi
五行説で言えば、金生水(結露)であり、金属は水を生み出す。アメノムラクモ
の剣とかがその例。
また、金剋木であり(伐採)、金属は木性である鱗虫=蛇を殺す呪術具でもあった。
杉の幹に鉄製の鎌を打ち込み、暴風雨除けの神事を行う神社が北陸にあるが(祭神
はタケミナカタ)、まさに水神を呪術的に殺していると言えよう。

23 :18:03/10/24 00:48 ID:+3jG5xXN
↓銅鐸の画像・音
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/HOME.HTM
↓国立博物館・弥生時代(中期)<21さんのいう文様のアップ
http://www.tnm.jp/scripts/col/MOL1.idc?X=J37433
↓国立博物館・弥生時代(後期)
http://www.tnm.jp/scripts/Col/MOD1.idc?X=J826
↓国立博物館・弥生時代(中期)
http://www.tnm.jp/scripts/Col/MOD1.idc?X=J37433
↓国立歴史民族博物館(銅鐸で検索)
http://www.rekihaku.ac.jp/up-cgi/login.pl?p=param/syuz2/db_param
↓京都国立博物館(銅鐸で検索)
http://www3.kyohaku.go.jp/knm/ja/menu00.php
ふう


24 :さすらいの考古学者[ YahooBB218176054038.bbtec.net]:03/10/31 10:33 ID:j2QgOYit
銅鐸

25 :出土地不明:03/11/05 02:10 ID:Qmax0nfq
五行って、そんなに前から日本に入ってきてたんですか?

26 :出土地不明:03/11/06 00:59 ID:Rdr+IOJS
近隣の村とか、盗難を避けるために、地中に埋めてた、という説はどう?


27 :出土地不明:03/11/06 07:11 ID:ftspRnQM
そもそも棺でないことは証明されているのかと

28 :出土地不明:03/11/06 07:54 ID:U0+EysNF
>>27
誤爆か?
竪穴住居が棺でないとは証明されてないし、金印が棺で無いとも
証明されてないし、ポリバケツが棺でないとも証明されてない。


29 :出土地不明:03/11/13 22:35 ID:0dP+fD/f
中期の銅鐸が中期のうちに丁寧に埋納されたという明確に時期のわかる遺構はあるんかいな?
知ってたら誰かおせーて。俺はほとんど後期〜末(庄内式まで)に埋められたと思ってるんだが。


30 :出土地不明:03/11/14 00:28 ID:FigsD0Nb
明確にというのはないんじゃない。
中期終わりというのは、

一つは、荒神谷の銅剣が中期おわり頃のものがもっとも新しいので、
その埋納時期は中期終わりからさほど遠くないと推測されるので、
一緒に出てきた荒神谷の銅鐸、および、ほぼ同時期の埋納と考えられる加茂岩倉銅鐸も
中期終わり頃(後期初頭を含むか?)と考えられる。

二つめに、山陰の青銅器が銅鐸に限らず後期にはいると一斉に姿を消すので、
山陰の青銅器の祭祀が中期で終わったと考えられ、銅鐸の埋納もこの流れで行われたと推定される。

三つめとして、複数の銅鐸が埋納されている事例を調べると、
中期の銅鐸と後期の銅鐸が共伴している事例がないので、
中期の銅鐸は後期の銅鐸の生産が始まる前か始まった直後に埋納されたと考えられる。

など、いろいろな状況証拠がみんな中期終わり(後期のはじめぐらいまでは含むかな)の埋納を示唆してるから。

他にもあるかな?

31 :出土地不明:03/11/28 03:23 ID:170EHiIU
しかし、そのことと宗教とか支配と直接関連付けては
いけないような気がするんだけど。
素朴な疑問だけどね。

32 :出土地不明:03/11/30 17:11 ID:cAbV0wb9
朝鮮半島の”小銅鐸”はカウベルで”まむし”とかの毒蛇よけというのを
読んだことがある。朝鮮の復元呪術師は、小銅鐸をじゃらじゃらぶら下げている
(半島の復元ってしんじられるのかあ?)

日本に入ってきて、銅鐸に変容するわけだが、初期において銅鐸はやはり
”音が鳴る”ということに意義があったんだろうね。
鋸歯文って蛇のウロコがルーツじゃなかったっけ。
銅鐸の音は、魔物を払うのか、神を呼ぶ音なのか(神社のスズみたく)どっちだろ。

家に野洲の銅鐸博物館で買った小さい銅鐸(草津市支那出土)レプリカ(銅・錫・鉛
比率もばっちり合わせてある)がある。窓をきっちり磨き上げ、型持ちの穴をドリル
とヤスリで開けたら、黄金の神々しい銅鐸になったが、これに付属の舌をつけて
鳴らすと、心地よい音が鳴る。スナップを利かせて円を書くように振り回し、
連続音を鳴らすとなぜか家族がよってくる(w
故に、これは神を呼ぶものだと確信している(w ただし、40センチ級はひどい
音だね。ガラガラって音。もはや鳴らすモノではないんだろう。

ちなみにレプリカをもう一つ買って、軒下に吊し、風鈴にしている。
これは悪天候を知らせてくれる。

33 :ok:03/11/30 18:54 ID:BuOozlqb
◎7254最新情報◎
http://homepage3.nifty.com/hot-hot/7254.html

34 :出土地不明:03/12/04 01:40 ID:xApOIHOi
ふむ。ある意味実用から信仰の象徴へと変化したとお考えか。


35 :出土地不明:03/12/07 09:55 ID:svGEeP0V
銅鐸の用途に関しては、概ねその外観からの推測が多くをしめている。
しかし、民俗学的な検証から銅鐸の本質に迫るべきだと思う。
幸い弥生時代以降、日本には他民族の侵入及び文化破壊がほとんど起こら
なかったため、弥生時代以降続いているかもしれないような宗教儀礼など
が残っている。そこから銅鐸の用途を推測すれば以下のような説もありうる
のではないか。

銅鐸。舌があり、叩くのではなく振って音を出す。紐にはぶら下げた形跡がない。
   表面が磨耗している。
手に持って振る動作が行われていた可能性が大きい。

用途。宗教儀礼。

現在に残る民俗的宗教儀礼で手に持って振る動作が伴い、しかも音を出すもの。

魂振りの神事。現在の魂振り神事の祭具は大きな鈴。従がって銅鐸は魂振りの
神事の祭具であった可能性が高い。
魂振りの神事とは、森羅万象イキトシイケルモノ全ての生まれ変わりを願う儀式。
生けるのも死して冬となり、再び春が巡って再生する事への祈り。

36 :33:03/12/07 13:04 ID:H4wbqp2M
>35

40センチ級は音が悪い。ガラガラいって興ざめ。
手でもってということだけど、

釣り手を持って振り回せない。(とてもやりにくい)
鰭 をもつともっと持ちづらい上に、響きが止まり音が汚い。。
まあ現在、神社の賽銭箱の上に釣ってあるスズ並の音です。
とりあえず、弥生博物館(大阪)のレプリカで実験してみた感想。



37 :出土地不明:03/12/07 13:28 ID:FoNDczbi
陶器の不法投棄

38 :出土地不明:03/12/07 14:02 ID:zhGASVz1
≫36
実際にやってみたわけですね。その精神共感します。

魂振りの神事では大きな鈴を懐に抱えるようにして静かに振ります。
したがって音は篭ったようなガラガラ音です。
紐や鰭は持たずに文様のある本体を持ったのかもしれません。
何故ならば、古い時代の銅鐸ほど文様が摩滅しているじゃありませんか?

ヒ、フ、ミ、ヨ、イ、ム、ナ、ヤ、コ、ト、フルベユラユラ、フルベユラユラ。

この神事を現在でも行っているのは、奈良県石上神宮。秘伝だそうです。
いまから25年くらい前にNHKで放送しておりました。番組名は忘れました。

39 :33じゃなく32:03/12/07 14:09 ID:H4wbqp2M
かかえる・・・か。

そういう手もありますね。
十種の神宝のなかの”ヒレ”は銅鐸という説というか話はありますね。

40 :33じゃなく32:03/12/07 15:13 ID:H4wbqp2M
摩耗・・・・はじめから鋳上がりが悪いという可能性の方が
強い様に思いますね。

鏡でも伝世鏡だという根拠に”てずれ”による摩耗があるとか言われて
いた鏡が有りましたが、最近では鋳上がりが甘かっただけとされているようです。

41 :33じゃなく32:03/12/07 15:14 ID:H4wbqp2M
1Mもある近畿式は抱えて・・・

42 :出土地不明:03/12/07 15:21 ID:zhGASVz1
≫41 はははははは。
1Mの銅鐸は抱えられないだろう。見る銅鐸じゃないの。間違っても釣る
銅鐸、叩く銅鐸じゃないよね。そんな形跡は無いんだから。

鋳上がりが甘い。鋳込みに失敗。でもね。邪視文銅鐸以前は鋳上がりがいいよ。
しかしよく見て。あれは鋳込みに失敗して湯がうまく回らない結果なのか、
それとも磨耗したのか? 湯皺が出ていないのは磨耗だと思うよ。

43 :出土地不明:03/12/07 18:32 ID:2s24WDy4
>>35
>紐にはぶら下げた形跡がない。

古いやつにはあるよ。
1m級のやつも、地面においたらならない、
人間が抱えるにはでかすぎる、
ってわけで、
使用頻度が少なくて摩耗しなかっただけで、
実際にはつるしたんだろうね。


44 :出土地不明:03/12/07 19:24 ID:IVG3Npms
≫43
1m級あるいは1m超級の銅鐸を実際に吊るしてみた?
重すぎて紐が破損するんじゃない? 短時間なら可能だが、
吊るして振ったりすると。あ、紐が取れた!!
近畿式も三遠式も紐は吊るには扁平すぎて薄すぎ。

古い銅鐸には吊った形跡とは、九州、山口県あたりの綾環紐式のこと?
あれは紐が吊るように最初から設計されているね。 しかしそれ以降は
どうよ。みんな扁平の紐に向かって時代が下降してるんじゃない。

つまりある時点から吊る銅鐸が持つ銅鐸に変化した可能性は否定できない。
吊る銅鐸は矛と一緒に竿に取り付けられた祭具であった可能性があるのでは。
古語拾遺には銅鐸とは書かれていないが、それを匂わせるサナギという言葉が
ある。

如何脱線した。イデオロギーに拘る厨坊を誘発させる言葉だった。失礼。

45 :出土地不明:03/12/07 20:28 ID:2s24WDy4
>>44
>古い銅鐸には吊った形跡とは、九州、山口県あたりの綾環紐式のこと?

たとえば八王子銅鐸。
あと、京博(だったかな?ちがうかも)でみたやつは激しく摩滅してた。

八王子は外縁付き1式。
京博のやつは記憶が定かではないが、たしか菱環鈕式か外縁付き。

綾環紐式ってなに?菱環鈕式のこと?
菱環鈕式は九州にも山口にもないよ。

46 :33じゃなく32:03/12/07 22:32 ID:H4wbqp2M
>イデオロギーに拘る厨坊を誘発させる

こういう発言はよそうね。
銅鐸の数すくないスレなんだからさあ。

祭りのカネ銅鐸(講談社 佐原真)138頁に
内面突起が著しくすり減っているにもかかわらず、吊り手(鈕)が
著しくすり減っている銅鐸は少ない、T・U式の身の上半分がすり減っている
ことが多いから身の上半分を手で振りならしたのかも知れないと書いてあります。

私は前にも書きましたが、上半分を持って鳴らすと音が汚いんですよね。
音的には吊って、鹿の骨を舌にして、さらに舌にひもをつけて鳴らした方が
よっぽどいいんですけどね。(私が良くてもカンケー無いと言えば関係ない)

ちなみに”舌”が銅鐸と同時にほとんど発見されないのは何故でしょう?
木や鹿の骨で出来ていたから風化しちゃったんでしょうか?
それとも、舌は金属製だけど、我々にはわからない理由で、取り外して
銅鐸だけ埋納したのでしょうか?

47 :出土地不明:03/12/07 23:59 ID:8SBA7en/
大英博物館展で展示していた銅鐸はどうよ?

48 :出土地不明:03/12/08 01:15 ID:km2cAe50
>>46
>内面突起が著しくすり減っているにもかかわらず、吊り手(鈕)が著しくすり減っている銅鐸は少ない、

内面突帯にあたるのは、固い石や金属でできた舌、
つり手につけられるのははるかに柔らかい蔓とかひもとか植物原料のものだろうから、
すり減り方に差があるのは当たり前のような・・・・・・

>ちなみに”舌”が銅鐸と同時にほとんど発見されないのは何故でしょう?

使い捨ててられているわけじゃなくて埋納されてる例がほとんどだから、
舌が外されてるんじゃないの。

それでも、銅鐸本体に舌が伴う例は小銅鐸7例を含んで13例。(いまは多少増えてるかも)

49 :出土地不明:03/12/16 01:40 ID:HcS8GxkW
銅鐸をサナギと読むとするならば、
サナギの「サ」は穀物霊のあらわすと思うのですが。

50 :出土地不明:03/12/18 01:03 ID:Fh97QpCN
狭田のサですか(※サ=神稲の意)。
サna田が、サno田の転化とすると、
サnoギで、
じゃあ、ギ(orキ)って何だとお考えです?>49

51 :出土地不明:03/12/18 16:45 ID:l6k+cN/G
サナキという。サナギと読むから誤認する。サ・ナキでは?
というのもあるが、サナグだった可能性はないか?

52 :出土地不明:03/12/18 20:56 ID:QF03S4TI
サナギでしょうな。ツルキ=ツルギ サナキ=サナギ。

53 :出土地不明:03/12/19 00:26 ID:bYMe25Pz

和賀淤岐斯 都流岐能多知
ツルキと読むべきでは?

54 :出土地不明:03/12/19 03:24 ID:bYMe25Pz
古いニュースですが。

全国最多の銅鐸(どうたく)三十九個が一括出土した加茂岩倉遺跡(島根県加茂町)
の十号銅鐸は、全面に水銀が塗られ、朱色に染められていたことが、全国で初めて、
奈良国立文化財研究所の分析で明らかになった。

55 :出土地不明:03/12/19 03:29 ID:bYMe25Pz
すんません、さげてしまいました

56 :出土地不明:03/12/19 23:57 ID:hUOriF7c
ミャオ族の銅鼓との関わりは?

57 :出土地不明:03/12/20 01:24 ID:iaCKHrdj
葦の根に形成される褐鉄鉱の団塊「スズ」を採って、それにて鉄器を生産し、
開墾を進めたのである。
(中略)
銅鐸ないし銅剣・銅鉾の祭祀の時代、いいかえれば弥生時代の褐鉄鉱(サナギ)に
よる鉄文化を象徴した神々、すなわち、サナギ、サナミを名とした神が、
イザナギ・イザナミ二神にほかならない。イザナギ・イザナミ両神を「鐸(サナギ)」の
神と推定したのは福土幸次郎である。
http://vimon.infoseek.livedoor.net/Zipang/q-hiroimon-001.html

58 :出土地不明:03/12/20 19:34 ID:66GTPi0u
≫57
あったな。そんな本。だったら単純にスズと呼べばよいものを。
なんでサナキなんだ。一番最初を外してないか? その本!!

59 :49:03/12/21 19:33 ID:lnjuduN5
「ナギ=和ぎ」ではないでしょうか。カンナギみたいに。

60 :出土地不明:03/12/23 00:43 ID:koXMIpIl
鈴の古称がサナキである。銅鐸もサナキと呼ばれていた。
頭に神威を示すイをつけると、イサナキとなる。
というとこまではまともだと思うけどな。

61 :出土地不明:03/12/24 00:39 ID:2f2+fr22
これか? 読めんが(笑
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImage.cgi?L=0&IMG=/DATA08/img/wood/00006/400785510000400000020&GIF_RESO=170

62 :61:03/12/24 02:55 ID:2f2+fr22
読んでみました。

宝鐸
『四声字苑』に鐸(徒落の反)は太鈴(かなりでかい鈴)なりと云う。
李徳林、并州の西山の塔銘に、宝鐸は音を交わし
その声は調べを凝らすと云う。

あってる?

63 :61:03/12/24 03:44 ID:2f2+fr22
『古語拾遺』も国会図書館にありました、先生!
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImage.cgi?L=0&IMG=/DATA01/img/wood/00007/400131670000000000140&GIF_RESO=170
サナギ(キ)の論拠です(右んところ)。


64 :61:03/12/27 17:13 ID:Kuzi8RaF
http://kindai.ndl.go.jp/
1回適当な本検索して、GIFで本文表示させないと、表示できない
みたいです(クッキーの関係で)。すみません。

65 :出土地不明:04/01/03 05:25 ID:huVFdCJ1
小鳴

66 :出土地不明:04/01/05 01:43 ID:T0eSAA3X
古語拾遺 (天岩戸のときに作らせた)鐵鐸 ※注(古語)佐那伎 サナギは少鳴の義

倭名類聚鈔 鐸は太鈴

扶桑略記(11世紀) 668年、奇異なる宝鐸(仏具)がみつかる

----
結局、資料に出てくる“鐵鐸”や“鐸”や“宝鐸”が、
今で言う銅鐸と同じものなんて証拠はないと思う。


67 :出土地不明:04/01/05 15:36 ID:I1UujGAl
さぁ、皆で銅鐸探しに行くか!

68 :出土地不明:04/01/05 18:06 ID:MBN/Wufx


69 :出土地不明:04/01/12 21:07 ID:Pu16faxQ
>>60
イサナキに関連付けるなら、時代が降って、常陸国風土記に
古老が言うには「昔、国巣(土地の人の言葉ではツチクモ、またヤツカハギという)
山の佐伯(さへき)野の佐伯(さへき)があった。...」とある。

サナキ、サヘキ...まぁ気のせいかな w

70 :出土地不明:04/01/26 21:13 ID:aHti0+SK
>69
気のせい。

71 :出土地不明:04/01/27 00:25 ID:x4uKF8h6
まとめ

●初期小型銅鐸 北九州で出土
●北九州から銅鐸が消える  >>近畿で大型化
※北九州東遷説の証拠!

●近畿、出雲と一斉に銅鐸が消える
※新しい信仰を持つ、大和朝廷の成立!

●大阪で、1世紀の小銅鐸発掘
※北九州説ピーンチ!

72 :出土地不明:04/01/28 13:09 ID:c8aM2lhc
どうよ?

http://mentai.2ch.net/history/kako/971/971435877.html
岩手県花巻市に銅鐸が?
1 名前: 日本@名無史さん 投稿日: 2000/10/13(金) 20:17

ぼくの知り合いのおじさんから聞いたんですが、
岩手県花巻市の、おじさんの知り合いの人が
家を増築するときに
土台の工事をしていたら、
地面から銅鐸が出てきたんだそうです。
申告すると、家が建てられなくなると言って
内緒にしていたそうで、
知っている人はあまりいないとのこと。
歴史には詳しくないのですが、
銅鐸といったら、大和朝廷とかその前の話ですよね?
こちらのほうまで銅鐸って流れてくるものでしょうか?

73 :出土地不明:04/01/28 14:37 ID:imDiNa68
近年のレプリカか可能性は低いが本物。
非常に貴重で古美術業界では高価

74 :出土地不明:04/02/08 18:27 ID:Sf2KhMHM
本物は1000万ぐらいするって聞いた事あるけど。

75 :出土地不明:04/02/24 19:45 ID:DqSWkGLR
伊賀国一ノ宮の敢国神社の近くには、御墓山古墳という前方後円墳があって、
付近の地名が佐那具(さなぐ)という。

76 :出土地不明:04/03/04 01:52 ID:b3P3ozOg
銅鐸と青銅剣の成分比率に詳しい本ありませんか?
レプリカ作りたいんです。

77 :出土地不明:04/03/04 10:42 ID:kNwp4VbH
谷川健一の青銅の神の足跡はよんだ?

78 :76:04/03/05 22:55 ID:VlBx1tMI
読んでません。
それに書いてありますか?>成分比率

79 :出土地不明:04/03/05 23:51 ID:n/u2YPcJ
>>76
大阪府東大阪市に、再現に挑戦した鋳物工場がある。
会社名は、近つ飛鳥博物館に問い合わせると教えてくれると思う。

80 :KKK:04/04/13 22:20 ID:qQVg+mt3
銅鐸だけじゃなく古代の銅器は皆お金じゃなかったかと思っている。銅幣だ。つい最近
までポリネシアでは石貨が使われていたんだから、銅幣があっても不思議じゃない。石鏃
何かもひょっとしたらお金として流通していたのかもしれませんよ。原始共産主義じゃなく
原始資本主義の奨め。

81 :出土地不明:04/04/14 11:08 ID:yy/SQz5b
原始資本主義って何なんだよ(w
意味わかって書いてんの?
貨幣を使ってたからといって、そのまま資本主義なんかじゃねーぞ(w

82 :KKK:04/04/14 12:05 ID:t/EY04e7
お前何にも判っていないな。どあほ!貨幣こそが資本主義の原点だ。資本主義こそ
文明の始まりだ。

83 :出土地不明:04/04/14 22:20 ID:OyD4Xiom
銅器のご神体は「貨幣」というわけだ

まさに日本は上古から拝金教だな。


84 :出土地不明:04/04/14 22:29 ID:a7516MpS
銅鐸は棺だってば。初期のは楽器だけどな。

85 :とてた ◆0Ot7ihccMU :04/04/16 22:22 ID:0lF3Xd2T
>>80
ヤップ島ならミクロネシアですよ。

それからあの石貨は権威の象徴の意味もあったからこそ、大型なものが尊ばれていたので、
「資本主義」的な意味での「貨幣」じゃありませんよ。

86 :晒し:04/05/27 05:23 ID:1tPLFF3j
回収業者大進大和撫子番組料\42000至急明日15時迄降込め!
りそな銀行上野普1047572マエダケンイチTEL0358125670


87 :出土地不明:04/05/27 10:16 ID:jeiH9X9Y
米というもの、土地というものが計量、計測が容易でフローストックの
単位にもってこいだから日本の資本主義発展を陰で支えたと思う。

88 :出土地不明:04/06/04 13:24 ID:9b1Cxti+
奈良の国立博物館にいったら中国の古代の祭器がいっぱい展示してあった。
結構でかいのもあったよ。
あれみたら銅鐸が中国から来たって言うのもすぐに納得できる。

除福伝説ってのもあったよね。

89 :出土地不明:04/06/04 23:06 ID:rhKuy3O5
先ず鉄鐸については諏訪神社の神事につき
下記のような情報がある:
「この湛神事の元の目的は農耕儀礼でなく、
鉄製品の原材料と考えられた「スズ」の育成
を祈願するのが目的であったと考えられる。
湛神事の巡路は、平安時代の八ヶ岳西麓・諏
訪湖盆地の小鍛冶跡の分布図と一致している。」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/10-8-1.html
現代韓国語の鉄=スェ、出る=ナグダから考えると
サナギとは「スズ」の育成を祈願するのが目的で
ある鉄鐸のことであり、クサナギの剣とは9個の
鉄鐸を一本の剣に鍛造したが如き強靭な剣と理解
する。銅鐸はその鋳造生産プロセスを強調する
五十鈴(鋳鈴)が適切であろう。


90 :出土地不明:04/06/05 07:03 ID:u6ePJpj9
「信濃は火山帯でこの地方の沼沢、湿原の水は鉄分を含み、
そこに生える葦・茅・薦の根もとには褐鉄鉱の団魂「スズ」が多
く生成されている。」・・・上記HPにはこうあるが、スサノオのスサ
とこの「スズ」がにているし、オオナムチ<-オオアナムチの穴は
鉱山という意味なのでスサノオ、オオナムチ共に鉱業関係であ
り、朝鮮半島、出雲、近畿、信濃、関東に足跡を残しているよう
である。国譲り時代、つまり、倭首長連邦形成時にアマテラスと
スサノオの間に対立があることは鉱業集団と稲作集団の宗教
管轄区域の調整を巡る問題であったのであろうか。


91 :出土地不明:04/06/05 07:09 ID:u6ePJpj9
あるいは、スサノオ-オオナムチは銅鐸・銅剣・銅矛時代
の神であり、アマテラスは銅鏡時代の神であり後者が
前者に取って代わる時代のことを物語っているのであろうか。

92 :出土地不明:04/06/05 19:29 ID:JV41ly0F
どこまでを倭国の範疇に入れるかという問題もあるけど。
もし神武東征が史実なら、強大な銅鐸国家群と鏡(剣・矛)の文化圏とは
敵対関係にあったと言うことになりますね。まあ初代の割には結構情けない顛末だから、
剣・矛文化圏の征服行為は数次に渡ったのかもしれないけど。

荒神谷・出雲王国の場合は、両方の文化圏の影響を受けていたということでしょうか。

93 :出土地不明:04/06/06 12:34 ID:AXCFjtx+
出雲は特に青銅加工では九州との深い関係(吉野ヶ里の
銅鐸等)を持ちながら、製鉄、鉄工の面では独自性があ
り、九州を楽浪(半島西部)系とすれば出雲は地理的に
辰韓(半島東南部)系とでもいうような特徴があり、百
済の影響が感じられる長野県、高句麗の影響が感じられ
る埼玉県などに出雲系の神社が多く、水田地帯の茨城、
上総などでは大和の影響が強いようですね。山陽地方の
広型銅剣、阿波との銅鐸、奈良県南部では九州の他に更
に丹波系(尾張、海部)ともクロスしているいるようで
すが、蹈鞴儀式関連が出雲でしょうか。大和との関係で
見ると九州系とは対立しており、その関係は天照大神対
スサノオ命の関係でしょうね。

94 :無名武将@お腹せっぷく:04/06/07 00:55 ID:zPtDt5Lq
>水田地帯の茨城、 上総などでは大和の影響が強いようですね

この部分もう少し詳しく後教唆頂けますか?前方後円墳については大和だけでは
ありませんし、土器のことですか?

95 :出土地不明:04/06/07 09:23 ID:XeIXwc5M
鹿嶋香取両社/千葉県市原市の神門古墳群(最近は神奈川県の中央部
秋葉山古墳群の方が依り古いことがわかったようですが 
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/kohun.htm こうした前方後円墳)
これらはさいたま市大宮神社などの出雲系に対置して大和系としてみま
した。年代的に出雲系は新しいようですが。


96 :出土地不明:04/06/07 20:26 ID:zPtDt5Lq
まあ全国的にC14測定をやってないから何とも言えないけど、多分これまでの説が
がらがらぽんされてもう一度組み直さないといけないと思います。本当に前方後円墳
の始まりが大和かどうかも含めて。九州には何度測定しても紀元前660年頃とでてし
まう前方後円墳もあるそうですがw

97 :出土地不明:04/06/14 14:16 ID:JAhCa9Wc
銅鐸とお寺の鐘は本質的にはおなじじゃないのか?
つまり時を知らせるとか緊急異常時の連絡用とか。


98 :無名武将@お腹せっぷく:04/06/14 22:09 ID:7fK8v1sV
奈良時代既に用途不明と言う記事があるから、違うような・・・。
お寺の梵鐘は、中国から来たと言われています。
でも、それも実は周代の青銅彝器から来たという説もあって、結局起源は同じかもしれませんね。

99 :出土地不明:04/06/17 02:49 ID:C8daQ94D
青銅器は全般的に編年が古くさかのぼるんじゃない?
銅剣ばかり話題になるけど、それなら
同時期だとされてきた銅鐸も一挙に古くなるはずだと思うんだが
そのへんどうよ?

100 :出土地不明:04/06/17 23:22 ID:2hMgrNgc
銅鐸と佐奈岐って同じものなの?

101 :出土地不明:04/06/18 09:36 ID:bo0YOOh7
諏訪神社上社にある鉄鐸は「さなぎの鈴」と呼ばれる。現代韓国語では鉄をスェ
ともいう。古代朝鮮語では鉄、牛はソイだという。
http://www.tcp-ip.or.jp/~amano-ta/tatara-tetu03/toukai-tetubunka-saguru2000.9.10.htm
これを基にサナギ=サ+ナギと考える。ナギはイザナギ、
カンナギ=神に仕え、神楽を奏して神慮をなだめ、また、神意を伺い、神おろし
を行いなどする人---つまり、シャーマン。するとサナギは鉄シャーマンとなる
が、サナギが使用する鈴をもサナギというようになったのではないかと思われ
る。この見地からではサナギは銅鐸とは無縁。

102 :出土地不明:04/06/18 10:20 ID:bo0YOOh7
奇怪なことに銅、銅鐸という言葉は記紀から抹消され、他方スサノオは
田中正造翁よろしく英雄となっている。参考まで↓
http://hon.web.infoseek.co.jp/dust/tan/tan-1.htm
上記URLでも「丹(アマルガム)」というところまで追求が迫っている。ここで
想起すべきはイザナギ神話のクガツチの粛清である。これは狗奴国のクガ
チヒコとも似ているのだが、この背景に鏡宗教による銅鐸宗教の抹殺が秘
められていると仮定したい。ここでニニギノミコト、ニギハヤヒに出てくるニニ
ギをサナギに対する言葉としてみると、ニニギはニナギが母音調和によって
ニニギとなったということが考えられる。サナギは鉄鉱資源探鉱集団シャー
マン、ニニギを非鉄金属探鉱集団シャーマンとなろうか。ニギハヤヒ、ナガス
ネヒコも粛清された。
「ホトタタライスズヨリヒメ」という神名があったと思うが、「ホトタタライスズ」と
いうのは「ホト(徐福の市)」を祖神とする集団が「鋳造する鈴=タタライスズ」、
すなわち、吉野ヶ里から難波、近江に移動した渡来青銅器鋳造集団の製造
する鈴と解釈し,「ホトタタライスズ」を失われた古語「銅鐸」の一つの呼称と考え
てみたい。

103 :出土地不明:04/06/18 10:32 ID:bo0YOOh7
卑弥呼政権は農業優先で、青銅製品には重金属汚染問題があり、
国内製造を禁止し、輸入策に転じた。ここで失業問題(狗奴国)が
発生したが、輸入業者/代理店スサノオ商事創立者も企業イメージを
「大和の大蛇と戦い公害を防止した出雲の英雄」とするべく新たな
神話が生まれた・・・現代人にわかりやすくするとこういうことであった
のでは。

104 :出土地不明:04/06/18 10:40 ID:bo0YOOh7
応神というのはひょっとして非常に古い三輪王朝の血統を持ち
敦賀近辺に雌伏していた人物かもしれないぞ。

105 :出土地不明:04/06/18 11:01 ID:bo0YOOh7
大和は巳輪山(ヤマタのオロチ)でその神はオオクニヌシに対し従属する
スクナヒコナ、つまり出雲から銅鐸原料を握られていた属国であったが、
ここに筑後ヤマタイ国が移動してから形勢が逆転、逆に属国にされてし
まった。この間の大騒動を物語るのが国譲り神話だろう。つまり邪馬台国
とは移動する国なのだ。


106 :出土地不明:04/06/18 11:20 ID:bo0YOOh7
銅鐸、公害などは言いがかりであり、実際は農業システムが集落、クニ単位
から列島全域へと拡大する農業経済発展の必然的一こまを面白おかしく
歴史化したものであり、古代人の智恵というべきかもしれないね。鏡を分与
して従属関係を決定するとは現代ならDVD分与を先取りしたアイディアだぜ。

107 :出土地不明:04/06/18 12:00 ID:bo0YOOh7
銅鐸(狗奴国)抹殺は国の根幹を揺るがす大虐殺であり、既にその祟りは
アマテラス朝においてツキヨミノミコトに対しイラク兵虐殺を非難するような
形で現れるが、更に垂仁朝の倭媛、聖武等が行幸するのがその罪の償い
の意識であろう。この辺が政治家のつらいところ。小泉君、わかるよ。

108 :出土地不明:04/06/18 17:19 ID:whqwTwGH
ありゃりゃ。電波だらけになっちゃった

109 :出土地不明:04/06/18 21:56 ID:rtBjWray
| ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄|
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110 :出土地不明:04/06/19 09:54 ID:IBlBgPX2
>筑後ヤマタイ国が移動してから

あり得ませんなw 当時の生産力と国家システムの限界を超えるでしょう>政体移動

>国譲り神話だろう

どこを読むとそうなるのでしょうかねw どう呼んでも出雲と筑紫の話ですが。

111 :出土地不明:04/06/19 15:23 ID:fsQpvk6f
日矛による太陽礼拝、葬礼祭祀(土師(隠亡<忌部))の起源は志
賀島-背振山-吉野ヶ里/日の隈山辺り、これが日田日の隈-宇佐
に移動、更に紀州国懸社-葛城-葛城-箸墓-夕月嶽へと移動する
が、途中出雲、吉備等で次第に職業化していったものだと思う。移
動する葬儀屋程度のものであったが、青銅器で山に登り、山立て
をしたのであろう。纒向に集合したのは新潟茨城/鹿児島までの邪
馬台国全国であったからその集合体では大した数ではなかったか
もしれないが、要の役割を果たしている。

112 :出土地不明:04/06/19 15:27 ID:fsQpvk6f
筑紫の帰りに阿波に寄ったりするかい(w

113 :出土地不明:04/06/19 15:34 ID:fsQpvk6f
邪馬台国と倭国とごっちゃにした。ところで葬儀屋、これって、ニギハヤヒで
山陰経由難波、葛城に入り大和を制圧したのだろう。

114 :出土地不明:04/06/20 11:17 ID:0LIEYF79
銅鐸を五十鈴とし、矛鏡族が銅鐸族を抹殺したとすると欠史8代中、五十鈴と
いう名、尾張との関係が切れるのは孝霊、考元時代だ。これがアマテラス時
代の始まりで、これ以前はイザナミ時代。この継承が箸墓であるとすると、公
孫、魏から鏡を調達この祭祀を行なったのがモモソヒメとなる。


115 :出土地不明:04/06/20 11:20 ID:0LIEYF79
モモソヒメが卑弥呼であるかどうかは別としてその墓は伝承と異なり
西殿山古墳辺りであろうか。

116 :出土地不明:04/06/20 14:34 ID:DtqzRSpZ
>纒向に集合したのは新潟茨城/鹿児島までの邪
馬台国全国であったからその集合体では大した数ではなかったか
もしれないが、要の役割を果たしている

日本語しっかり学んでくれw

一部の人間だけが移動して国家そのものが移動するなんてあり得ないよな。
基本にあるのは、今でさえそうだけど、当時は徹底的にその土地土地の農業や鉄、銅器、衣服や
生活必需品などの生産物と生産拠点であるはず。当時の技術水準なら、その土地を離れても権
力を維持できると言うことは、数万の独立した常備軍でも持たない限りあり得ない。

それに、大陸利権(半島経営や中国との朝貢貿易など)を放棄してまで、当時としては勢力圏の
東の端の奈良に移動するメリットがわからない。東国が中国や半島以上の先進国でもあるならば
話は別だがw

117 :出土地不明:04/06/20 17:24 ID:7yzIWi2T
纒向搬入土器は大和85%、外来系15%(このうち半分が東海)、更に
外来系(123個)を細分すると東海49%、山陰北陸17%、河内10%、
吉備7%、関東5%、近江5%、西部瀬戸内3%、播磨3%、紀伊1%という
ことだが、九州のものは西部瀬戸内に入れてあるようだ。いいたい
のは土器ではなく夕月嶽に向かう箸墓などの設計作業が要では
ないかということ。

118 :出土地不明:04/06/20 17:41 ID:7yzIWi2T
北部九州の上流階級が動いたとは考えられない。北部九州の仕事だけで
は不足であった吉野ヶ里工業団地出身の技術屋が、長い年月を経て、出
雲、吉備などに引っ張られ最終的には近畿に達したものだろう。全ては
プッシュでなく、プルの関係じゃーなかろうか。


119 :出土地不明:04/06/20 18:28 ID:7yzIWi2T
搬入時から見ると纒向建設は大和-尾張の蜜月時代、尾張ヨソタホ媛を皇后とする孝昭帝の頃、に着工されたされたようだが、そこで銅鐸を「五十鈴」と仮定すると
孝昭帝と安寧、懿徳が同世代、その前に綏靖-五十鈴依媛がいるが、こ
の辺は尾張=狗奴国の近所=銅鐸国とすると、全体として銅鐸時代。する
と銅鐸の禁止は孝霊-考元時代、そのとき既に箸墓はC14で布留式が210
年頃になる最近の結果を考慮し、238年の第1次卑弥呼遣使時には既に
完成済みと見たい。神話上のカグツチの生誕に関連するイザナミの死、
イザナギの古墳暴き(魏鏡の埋納)、官女の追及、カグツチの粛清、狗奴
国クガチヒコの反乱をこの辺の出来事としたい。この頃卑弥呼も死にトヨ
の時代に入る。


120 :出土地不明:04/06/20 20:05 ID:vLmSfDEa
カグツチ神話と箸墓伝承を結ぶ失われた説話---イザナミが蹈鞴神事で
雨乞いをしていた。土師が蹈鞴の火窓(ホト)に「ホト突き」バールを入れ、
炉温検査、調整を始めた際、炉が破壊した。溶解していた「ノロ」は溶岩の
如くイザナミを襲い、足を取られたイザナミはノロの中にしりもちをついたあと
死に至った。モモソヒメはイザナミをアマテラスとして復活させる天と地を
象徴するデザインの箸墓を作って葬り、イザナミを祭った。

121 :出土地不明:04/06/20 20:47 ID:vLmSfDEa
皆さん!クイズですよ。イザナミって神様ですよね。死ななくてもいいはず。
じゃー、箸墓に葬られたのは誰でしょう。次回のお楽しみに。サヨナラx3

122 :出土地不明:04/06/20 21:08 ID:DtqzRSpZ
なんか近畿説と九州説が並列して凄いことになってるなw

123 :出土地不明:04/06/21 17:59 ID:7TUaWLN4
電波vsトンデモの闘いという様相を呈してるなw

124 :出土地不明:04/06/21 19:42 ID:U5M1Gcqr
銅鐸の消滅の謎は記紀に秘められている。記紀は特に神々に対する穢れ、
中傷等タブー的な面が重要である。ここに判例集のような機能がある。結婚、
政治などの社会制度、法律制度、農業、気象予報等は一切呪術によって
行われた。逆に言えば呪術は科学、法律などの代わりである。こうした面
からの記紀や神社伝承の研究が盛んになることを祈って寄稿したもので
ある。各位の御笑覧を願う。

125 :霹靂:04/06/22 08:26 ID:6/2Zh6a3
まあ こういう学者きどりが歴史を難しくさせると思うよ 呪術で政治をやるようなレベルに議論はいらないでしょ 不満はあっても 銅鐸ににてるのは 寺の鐘じゃない八幡だよ 八幡

126 :出土地不明:04/06/22 09:51 ID:aCydgMJ0
電波に電波があたると共振する。鉄鐸の音波が褐鉄鉱の反射すると発信音が
渇鉄鉱の鉄原子の波長共振のためにエネルギーを失い反射音が減衰する。その
差を関知して探鉱を行なうという可能性はないかな。たとえば↓
http://village.infoweb.ne.jp/~fwif4861/2001-9-19takasi.htm

127 :出土地不明:04/06/22 10:30 ID:aCydgMJ0
寺の鐘とはイメージ、響きの点で共通だが時代の開きが大きいな。八幡がその間の
響きを取り持つことは日本人の感覚としてよくわかる。あのだんじりの鐘の音だろう。

128 :出土地不明:04/06/22 10:47 ID:aCydgMJ0
ノーといえる日本人、つう−か、倭人になったのが雄略、倭王武であり、
スタッフに中国語ペラペラの三国人を抱えていたんだろう。三韓を版図に入れ
前方後円墳を強制していたんだからね。

129 :出土地不明:04/06/22 10:48 ID:aCydgMJ0
すまん、レスまちがえた↑

130 :霹靂:04/06/22 18:40 ID:6/2Zh6a3
?そうか時代の開きか 、確かに…。


131 :出土地不明:04/06/22 21:59 ID:LI2unWj3
うーん、微妙・・・・・。

下手すると1000年ぐらい時代が離れていて、そんな鐘の音にノスタルジー感じるかなあ。
本当なら面白いけど。

132 :出土地不明:04/06/25 03:19 ID:I/8vJvOf
薬師寺の五重塔の軒にぶるさがってるのって銅鐸に似てますよね。
あれの名前って何? 由来とかどうなってるんです?


133 :出土地不明:04/07/02 13:35 ID:YQe552PB
風鐸(ふうたく)というんじゃなかったかな。
由来は↓

134 :出土地不明:04/07/04 07:58 ID:uxoRVb5J
ぷーたろーのおたくだろ?

135 :出土地不明:04/07/04 18:07 ID:zEGDZ/hR
これか
http://www.city.sennan.osaka.jp/~maibun/juubun_sourin.htm


136 :出土地不明:04/07/06 18:18 ID:vurf59aP
まあ、持ち込んだ中国の人たちにすれば何と言うことは無かったかもしれないけど、
それをさもありがたい儀式のように披露されると、それがご神体になっても不思議じゃないよな。
まだ鉄器どころか銅器も珍しい時代だし。

137 :出土地不明:04/07/06 23:15 ID:fid2Z+WN
↑鈴鐸は中国でも道教の呪具。その起源は古いだろう。
祭具であることでは日本も中国も同じ。

138 :出土地不明:04/07/07 19:37 ID:ZomDganU
もちろん。ただ、時代が下るほど珍しい物では無くなっていったのも事実で、終いには軒先に
ぶら下げる風鈴になってしまったw

どの時代に伝わってきたかにもよるかと存ずる。

139 :貝塚マニアと倭王:04/08/14 02:19 ID:d0Nfaio3
>>1
銅鐸は朝鮮でも支那でも出ております。
どこかのスレでも書いたんだけど、
「南」の象形文字は銅鐸そのものです。(白川静翁)
銅鐸を用いたのは南蛮人(楚蛮の民)で、中原の民は
彼らを「南人」と呼んでたそうだ。

140 :ハゲメ:04/09/03 01:21 ID:NQqqHZUk
アテネの閉会式で見かけたのですが、
入れ子の銅鐸みたいなのを腰に提げて踊っている人たちがいました。

141 :出土地不明:04/10/30 03:53:05 ID:Jon6ePM4
…ねえ、東海で出土する(という)
「三遠式銅鐸」の情報が徹底的に、ないんですけど。


142 :出土地不明:04/10/30 13:45:12 ID:8fMT5srH
探し方が足らないのでは?

銅鐸分布考
近畿式と三遠式
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/dotaku/dotaku02a.html

143 :出土地不明:04/10/31 02:28:45 ID:RNzILdwo
>142
さんきゅです。
しかし、私のいう意味は「この「銅鐸」を語るスレ」の中で、
九州、近畿、山陰の銅鐸に集中してません?
といいたかったのです。


144 :出土地不明:04/10/31 13:23:22 ID:0qga8lWi
九州や近畿の人が多いから?

145 :出土地不明:04/10/31 22:59:59 ID:RNzILdwo
>144
そんなにずばりいわれましても。。。。。
頑張れ東海

146 :出土地不明:04/11/14 15:19:23 ID:GrBXs0VO
爺の家に銅鐸がある。
昔はどうせレプリカか何かかと思っていて記憶から消えていた。
が、最近思い出し色々と電話で爺から聞いてみると、どうも気になる。
何しろ、買ったんじゃなくて爺自ら発見したという。
昔、植林する際に山を造成した時に出てきたという。
今度、爺の家にちょっと見に行ってくる。

147 :出土地不明:04/11/14 22:55:17 ID:JmBiVPpl
場所は何処?

148 :出土地不明 :04/12/08 02:27:02 ID:4/qAfa95
置いときますね。

最古の銅鐸鋳型 愛知・朝日遺跡 「謎の青銅器」解明へカギ
http://www.sankei.co.jp/news/041207/bun055.htm
写真
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20041207-02191208-jijp-soci.view-001

なぜ東海? 伝播のシナリオが書き換わるか

149 :邪馬台国はどこだ:04/12/15 23:37:01 ID:3LhDK1hg
出土土器次第だな。

その土器は
AD0年ごろだと思うがな。

つまり、KD工場と一緒で
初期型と最新型しかでない地域は後進国なんだよ。


150 :出土地不明:2005/03/22(火) 21:31:03 ID:TOBQevfI
NHKの人気番組 「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」にて、「千年の秘技・たたら製鉄 復活への炎」と題し、島根県のたたら製鉄の復活がとりあげられます。
番組では日本刀の素材である和鋼(わこう)の製造法であるたたら製鉄の復活に取り組む安来-奥出雲地方の人たちの奮闘が描かれています。

ぜひ、ご覧ください。

放送予定
・放送日 3月29日(火曜日) 21時15分〜21時58分
・再放送 3月31日(木曜日) 00時15分〜00時58分

詳しくはNHKのホームページをご覧ください。

151 :出土地不明:2005/03/23(水) 10:53:13 ID:oSsncGxC
>>150
まぁ、玉鋼を制作してくれている人たちを取上げるのはいいけど、
軽薄なプロジェクトXでやって欲しくないな。
ETVでちゃんとした番組を作って欲しい。
多分、
寂れた技術を復活させる
困難
なんか解決策みっけ
できた

こんな感じであのナレーターがあの口調で語るんだろうな。
で、技術的なこととか、あんまり触れずに、適当な人間ドラマにされそう。
あと、よく食べた定食屋のメニューとかが出てきたり。

152 :出土地不明:2005/03/30(水) 02:54:15 ID:bAUXy9OE
鐘と鐸の区別もできない愚か者。

153 :出土地不明:B.P. -55/04/02(土) 07:40:30 ID:wTlx8Jy8
巫女さんが神楽を舞うとき、手に鈴をもってシャンシャン鳴らすけど、
あれは銅鐸の名残?
いや、思いつきだけど

154 :出土地不明:B.P. -55年,2005/04/03(日) 17:55:54 ID:/9CUwtBl
>>153
おもしろい考察だが、考古学はそういう考察をする学問じゃないんだよ

155 :名無しさん@お腹いっぱい。:B.P. -55年,2005/04/03(日) 22:12:23 ID:IXZUYtka
春成秀爾氏は
神社の賽銭箱の鈴を振ってありがたがるのは銅鐸の系統だろう
と書いていたな。

156 :出土地不明:2005/04/06(水) 00:02:53 ID:IXHHF9Sc
>>155
ああ、やあっぱり、春成ってば、そういうデタラメ書く人なんだ。

157 :出土地不明:2005/04/19(火) 23:55:11 ID:rsguw8cC
そういや銅鐸が空飛んで戦うマンガがあったなあ

158 :邪意案吐:2005/08/09(火) 22:11:58 ID:RHLjwFPm
銅鐸の使用法についての定説はあるのですか?あれって大きな音を出せますねー音を出す必要があるのは、戦争の敵が来たー敵を攻撃する時、だから銅鐸を埋めるというのは「戦争をお互いにしない」と言う約束のためというのはいかがでしょうか?

159 :出土地不明:2005/08/10(水) 05:44:52 ID:wsShGh40
実用品じゃないでそ

160 :オイルふえち:2005/08/13(土) 09:12:26 ID:HDN6PsP+
政権交代があって、いそいで埋める必要があった、使用法は神棚に置いて
あれを祭ってた。

161 :出土地不明:2005/08/19(金) 22:54:04 ID:iz/p2jVG
もともと最初から「埋める」というのが使用法だったんだよ

162 :出土地不明:2005/08/27(土) 22:15:32 ID:IBXvN9/3
いやいや捨てるように埋まっているんでしょ?宗教革命で慌てて捨てたんじゃないの??

163 :出土地不明:2005/08/29(月) 22:44:16 ID:AkjITni1
捨てるように埋めた?根拠は?

164 :出土地不明:2005/09/05(月) 20:54:01 ID:Gau9nwy5
縄文人は岩に神が宿ると信じていた。
弥生人がやってきて、農具を作る為の鉱石採取で岩を破壊して反発を受けた。
農具無しではやっていけないので銅鐸を作って磐座の上で破壊した岩の霊を慰めることにした。
これでどうか。

165 :出土地不明:2005/09/05(月) 21:10:52 ID:Gau9nwy5
アー自分が乗ってどうする
前か横で。で、それを眺めるために大きめに作った。

166 :出土地不明:2005/09/06(火) 01:50:26 ID:wFdI3iyA
捨てられたのは征服者が気持ち悪い物はいらないから。
近畿から東に追い出されたから武器を作るようになってますます岩を壊すから銅鐸も大きくした。

167 :出土地不明:2005/09/07(水) 11:12:18 ID:5lJ0m9o6
動タクは高級な金属で造られており、捨てるのはかなりのバカで

168 :出土地不明:2005/09/09(金) 11:44:36 ID:In2tmQbw


169 :出土地不明:2005/09/09(金) 18:07:26 ID:yCpI0EHd
もともと音を鳴らす道具だからね。

田の神、水の神等を音で招くためのものだよ。と同時に音で邪悪なものを
祓った。

だんだん道具が立派になってきて、道具が神の象徴になったんだよ。


170 :出土地不明:2005/09/09(金) 20:07:28 ID:p9qqIoAT
銅鐸使ってたのは、東征してきた勢力に駆逐された人々だろう
だから辺鄙なところに隠すように埋まってる

171 :出土地不明:2005/09/09(金) 20:10:37 ID:sB8HHJ4P
魏志東夷伝は、3世紀後半頃の東アジアの国々の習俗を知る貴重な資料です。
朝鮮半島の南には、馬韓・弁韓・辰韓があったと記されています。
韓は東西が海に面しているが、南は倭と接していると書いてあります。
辰韓は、秦からの亡命者の居留地で、弁韓は辰韓と雑居しており、
習俗や言語も同じだったとあります。
つまり、もともとの住民は、馬韓付近に住んでいたようです。

馬韓での祭祀の様子は、次のように記されています。

信鬼神 國邑各立一人主祭天神 名之天君 
又諸國各有別邑 名之爲蘇塗
立大木 縣鈴鼓 事鬼神

鬼神を信仰し、國邑毎に一人の神官を選んで「天君」と呼んだ
國邑毎に特別の邑があり、これを蘇塗と呼んだ
大木を立てて、鈴や鼓をかけ、鬼神を祭った

倭人の活動圏に接していたことからも、この記録は
「鐸」を使った祭祀のスタイルを知る手がかりになりそうです。

余談
馬韓はこの後、夫余系民族に征服され、百済となりました。
百済では、支配者層と被支配者層の言語が異なっていたという記録が
中国の文献に残されています。
また、辰韓は、後に新羅となりますが、建国神話は非常に興味深く、
倭のタバナ国(丹波ではないかとの説あり)から流れ着いた卵から王がうまれたり、
重臣(倭人)が見つけてきた箱のなかから王(金氏)が生まれたりなど、
倭人の強い影響力を物語るかのようなエピソードが多々見受けられます。
出土品などから、金氏は鮮卑系であったと考えられています。

172 :出土地不明:2005/09/09(金) 20:53:26 ID:8bRQExb4
青銅を造る技術は高度なものであり、大陸の人が紀元前にはいってたと見た方がいい

173 :出土地不明:2005/09/09(金) 23:16:50 ID:RcP1pr/i
>>172
日本で精銅が行われたのは、奈良時代だよ。
確か、銅が採れたのを記念して、年号を「和銅」にしたんだ。
そんで、精銅に携わったのは、武蔵国に入植していた帰化人たち。
それ以前は、輸入かスクラップ利用。

174 :出土地不明:2005/09/09(金) 23:19:18 ID:RcP1pr/i
>>173
http://www.kumagaya.or.jp/~sizensi/print/dayori/18/18_2.html


175 :出土地不明:2005/09/09(金) 23:55:27 ID:nkbFnJlu
青銅は高度かもしれんなー
製鉄はコークス混ぜて高温炉でいけるが
青銅ってーとスズ混ぜたりする合金だからな
極めて体験を元にしたノウハウが必要だな。
熟練的な技術が必要という点では鉄よりは糖度。
その意味で渡来か輸入しか考えられないわけです。

176 :出土地不明:2005/09/10(土) 00:06:00 ID:jpT6sHJg
高度な技術で作ったものであり、高価でもある。
だからこそ地下の神々に捧げる=埋める意味があるんだろうが。

177 :出土地不明:2005/09/10(土) 01:25:13 ID:mrYBD68i
青銅は、弥生時代中期までは、半島のスクラップをつぶして、使っていた。
このことは、対馬の遺跡などからあきらかで、対馬の人々は半島のスクラップ
の交易で生計をたてていたようだ。
で、実際青銅に含まれる鉛の同位体比からして、完全に半島産だ。
ところが、古墳時代に入ると、中国産のものが増えてくる。また、それ
らの中間のものも出てくるが、これは、半島産のものと中国産のもの
を混ぜて使ったということだ。日本で銅が出てくるのは、まさに、
「和銅元年」のあたりのことではないかい?だから、和銅開珍だか、
和銅開宝だかを作ったのだ。

178 :出土地不明:2005/09/10(土) 11:00:10 ID:Gj0+qKk5
>日本で精銅が行われたのは、奈良時代だよ。

あちゃ〜 じゃあ、八咫鏡を作ったのは、朝鮮半島になってしまう。

高天原=朝鮮・・・・

179 :出土地不明:2005/09/10(土) 14:10:40 ID:cdkXBWzu
>>178
だから、八咫鏡は、半島のスクラップ銅を使って作られたわけだ。
作ったのが、半島人とはかぎらん。

180 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:01:22 ID:0S2NsGZu
技術に詳しい人いないの?
青銅って本当にそんなに高度なノウハウいるの?


181 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 18:14:19 ID:0oxcoHcA
精錬がでしょ。
成分の調整は、吉野ヶ里でスズが出ていて弥生時代から行われていた可能性が農耕。

182 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/10(土) 22:25:53 ID:Gj0+qKk5
>179

八百万の神が天の安河の川原に集まり、どうすれば良いか相談をした。
オモイカネの案により、様々な儀式を行った。常世の長鳴鳥(鶏)を集めて
鳴かせた。天の安河の川上にある堅い岩を取り、鉱山の鉄を採り、鍛冶師の
アマツマラを探し、イシコリドメに命じて八咫鏡を作らせた。/////

天の安川上流から鉄を採掘して作ったと書いてある。スクラップを
使ったと書いては居ない。

つ〜と天の安川=朝鮮、高天原=朝鮮・・・・・・

183 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 09:39:02 ID:BX49p7zn
>>182
鉄については、いろんな説があるみたいだよ。
弥生期っていう説もあるよ。

あと、魏志なんかに、半島で倭人が鉄をとってたって記録があるから、
やっぱり半島にも倭人のテリトリーがあっただろうって説もあるよ。
現地で製鉄してたのかも。だって鉄鉱のまま運ぶより、現地で製鉄してから
もってきたほうが運搬しやすいもんね。
銅と鉄とじゃ、やっぱ違うのは人体や環境への影響とかだと思うよ。
半島からもってこれるなら、別に自前でわざわざ作らなくてもいいもんね。

184 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 12:05:20 ID:K8ORqQw+
>やっぱり半島にも倭人のテリトリーがあっただろうって

つまり高天原=朝鮮

185 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 16:02:01 ID:HxX2ubjz
ちがうな、
スサノオは高天原から
新羅ソシモリに天下ったりしているだろうが。

朝鮮にも出雲にも北部九州にも天下れるのは
対馬だよ。

天=海というあたりまえの話だよ。

186 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:25:18 ID:Mjt6oCuH
確かに漏れも対馬とか弁辰は怪しいと思うよ(仮に高天原が実在のものとして)、
でもよー、天の安川とかの近江から東の地名ぽくね?
つまり、あれって後の逸話を元に創作した可能性の方が高い。
だいたい、仮にその地域が天下りしたどころで、その天下りの拠点は
対して持続してないし、その後の歴史にもあまり影響していない。
少なくとも6世紀以降の天下りの拠点は畿内から東なのであーる。
そうだ、新羅に天下りしたのはタバナ国だ、やっぱり近江より東
とみるべきであーる。
そう、近江・濃尾、紀伊近辺で間違いない。

187 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:37:14 ID:Mjt6oCuH
壬申の乱の時、近江朝廷は太宰府の熊王に援軍を打診しているが、
これってつまり近江から天下りした殿様だったんじゃないかな?
そのくせ、援軍拒まれて、濃尾の勢力に破れ
尾張、海部(アマ)族、大海人皇子(後の天武天皇)が勝利し
濃尾のアマ族が天下を取る。
アマ下りとは近江・濃尾辺りの言葉でしょう。

188 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2005/09/11(日) 17:48:40 ID:Mjt6oCuH
つまりだ、ハヤト、クマソ、みたいに
近江・濃尾・紀伊近辺の
ヤシをアマトといったてたわけさ。
そのアマトが天下りしたのさ。
畿内周辺はもう大アマトの天下だし天下りする必要もないよな。

189 :出土地不明:2005/09/12(月) 10:25:02 ID:bIvD94P3
ヤマトどころか日本で最初に精銅が行われたのは奈良時代。
故に、弥生以前と想定される高天原で精銅(製鉄?)が行われた
と古事記に書いて有る以上、高天原は日本ではあり得ない。

190 :出土地不明:2005/09/12(月) 15:33:08 ID:9R8OAnNq
青銅器は弥生時代から国産があるだろうが。アホか。

191 :出土地不明:2005/09/12(月) 17:33:10 ID:bIvD94P3
>190

m9(^Д^)ギャハハハハハ バカジャネーノコイツwwww  うぷっぷぷぷっぷぷぷっぷぷ

過去レス良く読め低脳。

日本で精銅(つまり山から銅鉱石などを取ってきて銅を作った)のは
奈良時代からと書いてあるだろうが。

そして古事記には八咫鏡は山から鉄を取ってきて(つまり鉄鉱石)鋳造した
と書いてあるだろうが。八咫鏡はおそらく銅鏡とする説が主流だから、「鉄」
は「銅」だったとして、山から採取した銅鉱石を溶かして鏡を作ることは
弥生、いや、古墳時代でさえあり得ない。

つまり八咫鏡の材料の産地である天の安川上流のある場所は日本ではないし
ひいては天の安川のある高天原は朝鮮半島であることは明らかである。

弥生時代の国産青銅器は、大陸からのインゴット輸入、もしくは青銅製品の
スクラップを鋳つぶして作ったものであり、国内で銅鉱石を精銅した材料を
使ったのではない。

全部過去レスに書いてあることだ。「朝鮮」という言葉を見て、脊髄反射するな
ドアフォが 。゚(゚^▽^゚)゜。 ブヒャヒャヒャ


192 :出土地不明:2005/09/12(月) 22:29:39 ID:2yglJtt6
銅鐸は紀元前に日本の東奈良遺跡で造られたが、原料は朝鮮から仕入れた

193 :出土地不明:2005/09/12(月) 23:53:31 ID:AH6yDHVv
なんかスレ違いっぽいけど、最初に三種の神器の鏡と剣が朝廷に献上されたのは690年。
後に玉が加わった。記録にも残っている。
大和政権の最初からあったわけではないよ。
もし紛失せずにこれが残っていたとしても、弥生時代まで遡るような古いものではない可能性が大きい。

ちなみに現在発見されている最古の製鉄所跡は、確か6世紀半のもの。
だけど、風土記に記載されながら遺構が発見されていないものもあるから、
国内での製鉄がいつ始まったのかは、まだはっきりしたことは言えないんだ。
イメージとして青銅→鉄になるのは分かるけど、日本じゃ逆だったってこと。
弥生時代に既に製鉄が行われていたという説も根強くあるんだ。

八咫鏡の材質については、これもいろんな説があるけど、御神体なので分からない。
銅だっていう人も中にはいるけど、今のところ妄想するしかないってこと。

以下引用
690年の持統天皇の即位の際に臣下の忌部氏が剣と鏡の2種を献上している。
後に中臣氏が3種説を主張して勾玉が加わった。
忌部氏(後の斎部氏)は伊勢神宮の祭事を司る人でもあった事と
伊勢神宮では天皇の即位に際し須賀利御太刀(すがりのおんたち)と
御鏡(みかがみ)を献上する事が習わしとなっている事から、
この剣は形代であった可能性もある。
又、須賀利御太刀と御鏡を所持する事は天照大神から認められた正統な天皇を意味する。

194 :出土地不明:2005/09/13(火) 00:37:46 ID:zCIbJUrA
銅鐸や銅鏡って、鋳直して武器にするためのストック的存在だったのかも
しれないな。平和なときには外部勢力にそれを見せびらかせて、コレだけの
国力を持っているという誇示をするための存在という一面もあったかも知れない。

それか逆に、弥生末期の大乱が収束に向かうとき、中央政権の要請で平和裏に
武器などを鋳潰した象徴的存在→平和の象徴だったのかもね。

そういう風に妄想解釈するのが楽しいw

妄想系カキコにつきガイシュツ、矛盾あればスマソ。。

195 :出土地不明:2005/09/13(火) 20:48:30 ID:81wg9owQ
>194

あほか

196 :出土地不明:2005/09/14(水) 19:06:35 ID:tjluvvru
>>195
銅鐸や銅鏡が、ある意味財産的に扱われていた点については、
ストック的存在という考え方もあながち間違いではないような気がする。
かなりの銅鐸が鋳潰されて銅鏡となり、かなりの銅鏡が鋳潰されて銅銭となったと考えられる。
融点が低く加工し易い銅は、鉄とは違った意味で価値ある資源であり続けた。
半島から手を引いたのは白村江で大負けしたからと言われているけど、
国内で銅山の開発に成功して、わざわざ他所から手に入れなくても良くなったから
というのもあるかもね。


197 :出土地不明:2005/09/14(水) 19:37:02 ID:cIbh1Vvr
>>191
神話に依拠するなら八咫鏡は鉄製だろうが。
勝手に銅の話にすりかえるのは御都合主義もいいところだね。

198 :出土地不明:2005/09/14(水) 20:59:50 ID:nlBk6Y4z
銅鐸のような、貴重な高価なものを隠すように埋めたのは、いかにも
政権が激変して、宗教と政治を分離するように言われて、あわてて格下ような

199 :出土地不明:2005/09/15(木) 00:26:47 ID:cY77zoNX
鏡、玉、剣をいただく勢力が銅鐸を崇める土蜘蛛どもを駆逐したと考えるのが妥当でしょう

200 :出土地不明:2005/09/15(木) 10:07:58 ID:4j4Wm8m1
>197

製鉄の日本最古の遺跡も奈良時代だぜ ( ´,_ゝ`)プッ

201 :出土地不明:2005/09/15(木) 16:29:40 ID:clVJJldn
>>196
ストック論について

当時ははっきりした通貨概念がなかったが、物々交換の代替として銅製品
や装飾物が利用されていたことは推測できると思う。
その場所の権力者に依る製品の代表的存在だっただろうし。

自分的にはあまり宗教的観点で捉えたくないという考えがあるから、
リアルな財産価値があったのだろうと思うんだよね。
埋めてたのも、今の税逃れと同じ感覚w

鋳潰して武器にしたりできただろうし、輸入や移動をするには手ごろなサイズだし。
現在の金の延べ棒や高価な絵画などと同じ感覚で、貨幣ではなく財産として意識していたと思う。

で、銅鐸と鏡、剣が違う勢力に属していたというのは、今で言う円とドルの違いみたいな。
2つの種類の財産概念があると統一政権の構築は不可能だし。

202 :出土地不明:2005/09/15(木) 21:03:25 ID:Tq7Nap5i
>>200
おまいの奈良時代はずいぶん早く始まるんだな
とレスしようとしたら、こんなの見つけた
発掘されてないだけで、製鉄自体はずいぶん古くから行われていたのかも知れないな

1995年1月13日朝日新聞夕刊
広島・小丸遺跡   日本で最古の製鉄炉を発見   3世紀に工具類作る?

弥生時代後期の遺跡とされる広島県三原市八幡町の小丸遺跡から、三世紀のものと推定される製鉄炉が見つかったことを、広島県埋蔵文化財センターが明らかにした。
これまで各地で確認された製鉄炉は、六世紀後半以降がほとんど。国内での鉄の生産は、西日本全域で大陸系磨製石器が減り、鉄器が急に増えた弥生時代後期ととらえる説もあり、小丸遺跡はこの説を裏付けるという。
http://yamatai.cside.com/katudou/kiroku202.htm

203 :出土地不明:2005/09/15(木) 21:17:53 ID:NkBpRb2l
先に来てた新羅系青銅文化のひとが、後からきた百済系青銅器文化人に追い出されて
いやいや、関東にいって栄えた

204 :出土地不明:2005/09/15(木) 22:07:15 ID:rTTwzZZF
新羅系とか百済系とかって何?
辰韓と馬韓のこと?

辰韓・・・中国からの流民の住んだ地域で、12の集落に分かれる。馬韓の干渉を常に受け続けた。
馬韓・・・50の集落に分裂し、統率がとれていない。
     帯方郡(中国の役所がある)から遠い地域は囚人や奴隷のあつまりのような状態。
西暦280年〜290年に書かれたとされている中国の資料より。

205 :出土地不明:2005/09/20(火) 22:04:38 ID:+0gwr2Hc
銅鐸は紀元前の物で、当然つきあいのあった、当時の青銅器文化のある白木人を
メインにしてます

206 :出土地不明:2005/09/20(火) 22:57:39 ID:rAWJMn/+
白木人とか逝ってるアホは電波。

207 :出土地不明:2005/09/21(水) 09:55:23 ID:SfZc9eNZ
紀元前にさんざん新羅をせめてる倭があるので、当然銅製品も略奪してかえり、集めてたし
人も連れてきて、有名な銅タクの鋳型がでた、東なら遺跡で、紀元前に銅鐸を造ったわけであり、
原料はどこから用意したかは、これからの研究になる

208 :出土地不明:2005/09/22(木) 00:56:08 ID:u0IWDZdQ
↑読点の打ち方が神経症的でキモい。

209 :出土地不明:2005/09/23(金) 10:23:54 ID:OiFKCd9j
白木人より高麗人のほうが、先に銅鐸をもってきて、鋳型は高級な石でできてるので
どこで用意したのかは、わからへん

210 :出土地不明:2005/09/25(日) 23:06:54 ID:IUyrq5jM
白木人とか逝ってるアホは電波

211 :出土地不明:2005/09/27(火) 22:00:09 ID:Uk6PibyN0
どうたくが使われてたのは、紀元前でしょうか

212 :白木人:2005/10/02(日) 08:21:43 ID:G0nyPu2Y
銅鐸に使われてる、スズ合金は製造技術が難しくて今でも容易につくれますやろか

213 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/09(日) 22:02:21 ID:GTeCwLps
一般的には3世紀終盤に邪馬台国が東遷したから
銅鐸文化は廃れたと考えられてますが
僕は真実はその逆だったと考えています。
つまり畿内政権が邪馬台国を滅ぼしてから
銅鐸文化は消滅したと。三角縁神獣鏡も
畿内から大量出土し各地に配られてますし
邪馬台国の銅剣も持ち帰られたのでしょう。
ではなぜ畿内政権が邪馬台国の鏡や銅剣を
さも自分たちのものだというふうにしたのか?


214 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/09(日) 22:06:59 ID:GTeCwLps
それは1世紀後半〜2世紀前半にかけて
畿内に東遷してきた神武天皇が邪馬台国王家の者だったからでしょう。
しかし支流の落ちこぼれだったと思います。
その神武の子孫である畿内政権の王が邪馬台国を滅ぼした際
九州邪馬台国の存在を隠蔽し、自分たち(畿内政権)が
邪馬台国だというふうにすり替えが行われたのです。
それは記紀において神功皇后が卑弥呼であると
暗示してるところからも伺えます。つまり全く時代が異なると
わかっていながら卑弥呼は神功皇后である、つまり
畿内政権は邪馬台国であるとしているのです。

215 :16歳中卒ヒッキー ◆HCmIhYMlyc :2005/10/09(日) 22:15:34 ID:GTeCwLps
こう考えれば銅鐸文化が消滅した3世紀終盤に
邪馬台国が滅ぼされたことがわかります。
つまり壱与の時代にです。266年で中国への
朝貢がとまってしまった理由もこれで解けます。
そして記紀において邪馬台国の存在は隠蔽されているので
神武東征の出発点である日向もカモフラージュです。
日向は邪馬台国ではないということがわかります。
では邪馬台国はどこであったのか?
畿内政権が壱与を殺したとしたら壱与を祀る社があるはずです。
出雲大社の大国主や、中尊寺金色堂の奥州藤原氏のように
大国を治めていた王には怨霊を恐れて立派な社があります。
倭国30国の女王であった壱与にもそれがあるはずです。
これにあてはまるのは宇佐神宮しかありません。宇佐神宮の
比売大神が壱与です。宇佐神宮が伊勢神宮に次ぐ2番目の
格式を誇る宗廟なのも壱与が自分たちの本家である王であり
宇佐が自分たちの先祖の地だからです。

216 :出土地不明:2005/10/11(火) 05:11:34 ID:GRxMiEUP
じゃ、邪馬台国は宇佐にあったとでもいうのか?

217 :16歳中卒ヒッキー:2005/10/11(火) 14:00:05 ID:vlfBXO9v
>216
そう考えるのが1番しっくりきます。
宇佐は古来から渡来人が多く住んでいた土地ですし、
おそらく邪馬台国の神武は東征する際に
渡来人を引き連れていたはずです。なので
吉備で先端の技術を伝授することが出来信頼を
獲得し、吉備から兵力を出させることに成功したのだと
考えます。倭人伝の記述を見ても
女王国の東海渡ること1000里国有りと書かれてますし
宇佐の地がこれにぴったりあてはまります。

218 :出土地不明:2005/10/11(火) 21:19:21 ID:7KLCA2Zd
銅鐸は当時の五右衛門風呂だったんだよ。中に水を入れて下から火で・・・

219 :妄想中:2005/10/12(水) 19:12:12 ID:U/FXWaiK
宇佐の八幡の軍神が隼人征伐に功績があったので、白木系の秦氏は
当時は人気があったが、途中できらわれてしまい。

220 :出土地不明:2005/10/14(金) 00:03:21 ID:beQ6U7Oa
たたら製鉄を行う技術力があれば、銅・錫の製錬(鉱石から金属を得る工程)は可能。
あくまで技術的には、という話だが。
たたら製鉄と古代の銅製錬は共通する点が多いよ。
むしろ製鉄のほうが難しいかもね。

こういう技術の伝来ってのはどうやって行われたんでしょ?
それまではスクラップを輸入していたのが、何が契機になって
銅を国内で生産するようになったんでしょうね。
技術集団が渡来してきたのかなあ・・・

221 :出土地不明:2005/10/14(金) 00:42:44 ID:UcPdgZ8c
>>220
そんなの決まってるじゃん。銅鉱、銅山の発見が契機だよ。
発見がなされるまでは輸入になる。当たり前のこと。

222 :出土地不明:2005/10/14(金) 06:57:16 ID:JrsGrOYa
>>221
素人はすっこんでろ。

技術がなくば鉱山など発見されるわけがない。
鉱石から精錬する技術がなければ、ただの石だろうがw
それがただの石でないと気付くことが発見だ。

223 :出土地不明:2005/10/14(金) 10:09:18 ID:UcPdgZ8c
>>222
何、興奮してんの? 意味不明なんだが。
日本の場合、銅を国内で生産する前段階が長いだろ?
それまで海外から輸入して銅製品を生産してきているわけだし
日本では、銅よりも鉄のほうが早く始まったという説もあるくらいだから
蓄積は十分進んでいたわけだ。
輸入から国内生産に移行した契機が国内の鉱山発見ということの
どこがおかしいんだ? 

224 :出土地不明:2005/10/14(金) 10:22:05 ID:UcPdgZ8c
実際、銅鉱山が発見されてから、すぐに生産が始まっているから
それまで十分な技術蓄積がなされていたと考えるのが自然。

225 :出土地不明:2005/10/14(金) 11:08:40 ID:ufyQeOhM
海外から輸入していたのが銅鉱石で、精錬や鋳造を国内でやっていたなら、鉱山発見から
即、国産への切り替えをしても不思議はないな。
銅製品や銅塊を輸入していたのなら、すぐに切り替えるというわけにはいかないだろう。

ただ、銅鉱山の発見と採掘は技術的に簡単なのか?
国内でも探してはいたと思うが、中国なり朝鮮なりで鉱山開発から一貫して関わってでも
いないと技術の蓄積は難しくはないか?

226 :220:2005/10/16(日) 00:46:52 ID:9JIV5FW9
>225
銅鉱石を輸入していたというのは疑問。
例えば、100`の銅鉱石を製錬して、100`の金属銅を得られる訳ではない。
せいぜい10`ぐらいがいいところであると思われ。
古代の海上輸送能力なんてたがが知れてるんだから、そんな非効率的なことをするぐらいなら
最初から金属銅(あるいはスクラップ)を持ってくるでしょう。
つまり、日本で銅生産が始まる以前はもっぱら鋳造を行っていたと考えられる。
これは、製錬や鉱山の開発とは基本的に別の技術。

銅鉱床の発見は、経験と知識があれば比較的簡単。
鋳造をやってたころの日本人は、銅鉱床をそれと認識できなかったんでしょう。
技術と経験を持った技術集団がなんらかの理由で渡来し、日本の銅鉱床を認識(つまり発見)し
日本の銅生産が始まったんじゃないか、と思ってるワケ。

なんだか銅鐸の話からずれ気味だけど、
使用された銅がどのような由来を持つかというのも
銅鐸の謎解きの一つの材料になると思うわけで、ということで勘弁。

227 :妄想中:2005/10/16(日) 11:04:24 ID:Axc+GBFx
銅鐸は合金製で、スズとニッケルの配合比率をどうやって、

はかり混ぜていたのか知りたい

228 :妄想中:2005/10/17(月) 11:25:49 ID:Bma7dBRK
それは、わかりまへん、合金の配合比率はいまでも極秘です

229 :出土地不明:2005/10/17(月) 21:14:56 ID:t08hJgJ0
>>227
経験と勘

火力も経験と勘。

230 :出土地不明:2005/10/17(月) 21:15:25 ID:t08hJgJ0
>>227
ちなみに、ニッケルは混ぜてない。

231 :白木人:2005/10/18(火) 20:18:57 ID:RMh2P/nP
高性能の重量計で合金の配合をしないとおかしな金属になってしまうと、
時の大王に首を切られる、この切られは、刃物で切られる

232 :出土地不明:2005/10/18(火) 21:07:47 ID:aE5mkaGu
「白木人」ってなに?
新羅人のことか?



233 :白木人:2005/10/19(水) 20:39:31 ID:EG3FO13T
久太良人は、倭人と共通の指導者層で、上品だった

234 :白木人:2005/10/20(木) 20:16:17 ID:OCJULinW
久太良町は 繁華街で風俗店もあってウハウハだ

235 :出土地不明:2005/11/04(金) 23:02:24 ID:EUDbwYzx
また電通の煽りか。

236 :出土地不明:2006/02/10(金) 03:12:36 ID:mfD7XkOt
【歴史】 日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]
http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1139471974/
http://www.sanyo.oni.co.jp/newspack/20060209/20060209010016921.html
日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に発展したというのが定説だが、
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると指摘している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。


237 :出土地不明:2006/02/10(金) 09:21:39 ID:nAvtnB67
■日経1月16日(月)夕刊・20
銅鐸は呪器だった
埋められた青銅器、白川静氏が新解釈
http://64.233.179.104/search?q=cache:5s72b6wCE8YJ:www.nssbook.co.jp/cgi-bin/news.cgi+%E7%99%BD%E5%B7%9D%E9%9D%99%E3%80%80%E9%8A%85%E9%90%B8%E3%81%AF%E5%91%AA%E5%99%A8%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=3


埋められた青銅器・銅鐸

 1月16日付けの日経新聞文化欄に「銅鐸は呪器だった」という見出しで埋められた青銅器に対する白川静氏
の解釈が記事として報道されていた。
 
「古代中国では神霊の力が絶対視されていた」
 白川氏の説によれば、青銅器は鋳込まれた文字そのものに呪の意味が込められ、呪器としての性質が
あったことを指摘している。
http://blog.goo.ne.jp/ngc3003/e/349263f866fe1ebc7f06af84f1a437f5

238 :出土地不明:2006/02/10(金) 09:22:57 ID:nAvtnB67
銅鐸(レプリカ)を・・・・

鹿の角で叩いた音
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/AUDIO/SMALL.WAV

銅の棒で叩いた音
ttp://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/AUDIO/SMALL_CU.WAV

239 :出土地不明:2006/02/10(金) 14:37:09 ID:zyDaoyRA
>>232
白木屋の中の人だろ

240 :出土地不明:2006/02/11(土) 11:09:26 ID:zGumaGXB
銅鐸の文化は、島根県出雲市が中心でしょう。その土地柄自体も、山口県の
海岸から、続く、弥生時代の遺跡が多数発見されている地域であることを考え
れば、移住民が、日本海岸線一体に独自の文化を開花させていたと考えられな
いですか。そして3世紀後半から4世紀に掛けて、日本には大和を中心とした連
合体が国家の体をなしていく。その過程において大いなる役割を果たしたのが、
三輪神社(神体は三輪山、その姿は蛇神=水神)であり、そこに祀られるの
は大物主の尊。つまり出雲神なのですよ。連合体の中核を担ったと考えられる
出雲勢力が、強大な軍事力を背景に、政治的パワーを手に入れたとして、祭祀
面ではどうであったか?後世の前方後円墳が語られるごとく、それまでの分
散されていた地方勢力の祭祀の特徴を併せ持つことからも、出雲もまた、何が
しかの失うものがあったのでは無いでしょうか?それが出雲流祭祀。ひいては
銅鐸が埋蔵され後世への歴史の糸を途切れさせてしまった原因では無いですか?
つまり、当時の文化は政治と祭祀が近接しており、一大政治力を手にした、出
雲は集合的な祭祀に迎合せざるを得なかった。そう考えれば、出雲神話の中の
諏訪神社への下りも、出雲祭祀の保守派(出雲温存)と改革派(出雲を捨てる)
派閥の戦いであったとは理解できないでしょうか?

241 :出土地不明:2006/02/19(日) 19:29:49 ID:usb5XvOW
最近越で銅鐸そっくりの形をした土器が出土したよね、誰か詳細知らない?

242 :出土地不明:2006/02/19(日) 19:37:06 ID:1X9vIFDg
今更何を。
銅鐸=祭器&呪器
銅の精錬技術が完成するまでは土で作られていた。

これでこのスレ終了かな?

243 :出土地不明:2006/02/19(日) 22:21:06 ID:EHzfgOHD
消防の6年時だたか学校の発掘穴から銅鐸でてきて皆順番に見に行ったお。
ちょとだけ顔出してた。
いきなり出したら崩れるお。

244 :出土地不明:2006/02/21(火) 23:23:55 ID:8WyDqbZ7
>>242
241だが、俺へのレス?
銅鐸についての学説を知らないの?

245 :出土地不明:2006/03/07(火) 20:59:20 ID:DFugwZjS
ところで「倭面土国王帥升等」AD107って誰だろう?
帥升をスサンノヲと読む人もいるけど
後漢書だと帥は大酋長、升は魏志倭人伝をみると村長クラスの役職だと思うけどどう思う?

246 :出土地不明:2006/03/09(木) 02:57:41 ID:3Ehg0aSE
スサノオだのクニオシヒトだのと読むのは電波。

面土は国王の重出(誤写)

王帥は「主帥」の誤写だろう。三国志によると
烏丸・鮮卑では「小帥」と書き
烏丸・沃沮・穢・辰韓・弁辰では「渠帥」と書き
馬韓・沃沮では「長帥」、
馬韓では「主帥」と書いている。

247 :出土地不明:2006/03/09(木) 20:32:45 ID:f46TM7cf
成る程、分りました。でも奴国は王、邪馬台国は女王なので、やはり王で、いいのではないですか?
後、倭面土国はやはりヤマト国の確率が高いと思いますがどうですか?

248 :出土地不明:2006/03/09(木) 22:43:19 ID:J8Akcm3P
奴国が王だったのは後漢時代だけ。

三国志の頃の王は邪馬台国の女王と狗奴國王と伊都国王しかいない。
あとの国は「官」だけ。

107年の倭国主帥は奴国だろう。主帥は王ではない。

249 :出土地不明:2006/04/10(月) 22:19:05 ID:ryTGQNzo
http://www.rekihaku.ac.jp/kikaku/index33/pict7.gif

素人ながら仮説を立ててみます。
筒の周りに「星」がありますね?
山に見えませんか?
つまり銅鐸は高い山です。
こんな高い山あるかいボケ!と言いたいでしょうが、あります。
スメール山(須弥山)です。
しかも、銅鐸は現在も各家庭に仏壇としてあります。
そして神社にもあります。


250 :249:2006/04/11(火) 19:40:08 ID:NrtzoYqa
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/doutaku.png


で、飛鳥時代の須弥山石。
http://www.asukanet.gr.jp/GIF/suminoyama.GIF

なんだか似てませんか?

251 :249:2006/04/11(火) 21:50:44 ID:NrtzoYqa
世界の真ん中にそびえ立つと考えられたスメール山の世界観は、
シュメールで生まれ、古代インドで大きく展開され、中国に伝わったそうです。
ヒンズー、仏教、マニ教等もこの世界観を共有してるそうです。
日本には、弥生時代に青銅技術が伝播された時に伝わったのだと思います。

252 :249:2006/04/11(火) 21:57:57 ID:NrtzoYqa
銅鐸には共通の特徴がありますね?
筒のてっぺんが丸く平らになってます。
ここが最も意味があると思います。
いわゆる「有頂天」です。
私は冠婚葬祭のすべてに使われたと思ってます。
そして、上のほうのレスでもありましたが、
呪いにも使われたかもしれません。


253 :249:2006/04/11(火) 22:31:42 ID:NrtzoYqa
その銅鐸が、なぜ消えたのか?

消えてません。
鏡に意味を変えたのです。

鏡という小さな物の中に、
自分たちが仰ぎ見てたスメール山を中心とした、「大きな世界」が描かれてたため、
「もはや作る必要がなくなった!」というのが、銅鐸が消えた最大の理由だと思います。

254 :249:2006/04/11(火) 22:39:13 ID:NrtzoYqa
http://inoues.net/mystery/himiko_book6.jpg


天空から見た、見事なスメール山(須弥山)世界観です。

255 :249:2006/04/11(火) 23:07:03 ID:NrtzoYqa
なぜ、天空から見たと断言できるのか?
とお思いでしょう。
次に証拠をお見せします。

256 :249:2006/04/12(水) 19:06:43 ID:XtS79v1l
http://www-ku.magma.ne.jp/~ark/f031-sengoku.jpg
BC5世紀の中国の鏡です。
私はスメール山世界観をシュメールからの影響と言いました。
当初、海上に浮かぶ絶壁状の高山だったそうです。
この波状紋はシュメールからの影響です。
まさに海上に浮かんでます。
で、この波=海の中に4本の矢印が見えるでしょうか?
四方を指していると思います。

という事は、鏡を天空から見よという意味だと思います。

257 :249:2006/04/12(水) 19:56:10 ID:XtS79v1l
そして古墳ですが、スメール世界観から説明できます。
円墳は有頂天を表そうとした。
方墳は基部を表し、
そして四隅突出墳は四天王に比重を置き、
何かの祭祀が行われてたのかもしれません。
前方後円墳ですが、前方部をスメール山、後円部を有頂天だとすれば、
高さを表現するために、水平軸にしたのだと考えられるし、
より高さを表現したいがために、造り出し、つまり月と太陽を表したのでしょう。

258 :249:2006/04/12(水) 19:59:15 ID:XtS79v1l
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/shumisenzu.gif
江戸時代に描かれた須弥山図(スメール山)ですが、
月と太陽をも越える高山です。
まさに前方後円墳そっくりです。

259 :249:2006/04/12(水) 22:38:50 ID:XtS79v1l
以上、銅鐸・鏡・古墳をスメール山世界観で解いたのですが、
銅鐸とは目線で見たスメール山・国つ神であり、
鏡とは天空から見たスメール山・天つ神であったのかもしれません。

つまり時代遅れになった神・銅鐸をどう処理したのかを考えると、
謎が解けるような気がします。



260 :249:2006/04/12(水) 22:58:45 ID:XtS79v1l
今まで、銅鐸とは何か?が言われず、
何に使われたか?ばかりが言われてきましたが、
私の意見は、銅鐸とは弥生人が崇めたスメール山であり、
銅鐸とは彼らにとっての神であり、
冠婚葬祭すべてが銅鐸・神の神前において行われたと思います。
反論がある方は、まず銅鐸とは何かについて、
自説を言ってから反論をお願いします。


261 :249:2006/04/13(木) 20:22:48 ID:kIhQRQnV
よく、山の上に小さな祠や神社がありますが、
その下に銅鐸が埋葬されてる可能性が高いと思います。
かつての神を偲ぶためです。
じゃ、発見されたのは何だ?と言われそうですが、
全部を埋葬できないため、
依代(よりしろ)し、埋葬した銅鐸の上に祠を作り、
それが今では神社になってると思います。
また地鎮祭というのも、銅鐸を埋葬した事から始まったのかも?
などと考えたりします。



262 :249:2006/04/13(木) 22:51:24 ID:kIhQRQnV
銅鐸は、錆びる前は黄金色だったし、
てっぺんの穴から太陽を拝んだ時には、
ヒンドゥーが言うところの黄金の山メール(スメール)そのままだったでしょう。
どれほど神々しい事だったでしょうか。

263 :mafoid:2006/04/13(木) 22:54:54 ID:7IpSX5Ys
実行されて3時間以内に3万円以上儲からなければ即返金致します

http://infostore.jp/dp.do?af=moneyclick&ip=takashi&pd=005

(*´▽`*)本当に儲かった!3万どころか6万2000円って。。。
儲からなかったら返金されるらしいけど、多分そんな必要ないっぽいよ♪


264 :出土地不明:2006/04/13(木) 23:36:15 ID:8elACKjs
test

265 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 17:07:45 ID:gRuzqv6g
鬼束ちひろスレや街BBSと同じトリップつけます。

ご意見・反論を期待してアゲます。

266 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 21:54:57 ID:gRuzqv6g
●銅鐸は、つねに、人目につかない谷問の斜面や、山腹などに、とくべつな施設もなく埋められた状態で、発見される。
●銅鐸は、弥生式時代の住居のあとから、出土した例がない。
●古い型式の銅鐸は、磨滅した状態がみられ、長年伝世されたあとに埋められたようにみえる。
●新形式のものには、鋳造してから、すぐ埋められたようなものもある。
●新旧の銅鐸が、いっしょに埋められている例も多い。
●銅鐸は、祭器であったといわれている。しかし、他の祭器といっしょにみいだされることはほとんどない。
●徳島県麻植郡牛島村出土の銅鐸のように、ことさらにうちこわされたとみられるものもある。
●銅鐸の発見は、予測は困難である。これまで出土した銅鐸のほとんどは、農耕などのさいに、偶然みいだされている。

一応、私の説で説明できてると思います。

267 :出土地不明:2006/04/14(金) 22:15:43 ID:/dXS1bv/
前を読まずにカキコ

>●銅鐸は、弥生式時代の住居のあとから、出土した例がない。

一つあったような・・・・・

>●新形式のものには、鋳造してから、すぐ埋められたようなものもある。

これって、加茂岩倉の話でしょ?
新形式って言ってもいわゆる「見る」銅鐸の最後の段階。紀元前後。

>●新旧の銅鐸が、いっしょに埋められている例も多い。

新旧の中身が問題だが、見る銅鐸と聞く銅鐸が一緒に見つかるケースはない。
少なくとも記憶にない。

>●銅鐸は、祭器であったといわれている。しかし、他の祭器といっしょにみいだされることはほとんどない。

荒神谷わぁ

268 :出土地不明:2006/04/14(金) 22:16:40 ID:/dXS1bv/
>>267
>新形式って言ってもいわゆる「見る」銅鐸の最後の段階。紀元前後。

間違い。「聞く」銅鐸、が正解。訂正しまつ。


269 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 22:22:44 ID:gRuzqv6g
私の>>266は、http://yamatai.cside.com/tousennsetu/doutaku.htm
で拾ってきました。
最近はどういう謎があるのかは知りません。

なにより銅鐸が巨大化するという謎。
山だからです。
絶壁の高山・スメール山を表現したかったのです。

>268さん、私の説をどう思われますか?

270 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/14(金) 23:14:04 ID:gRuzqv6g
考古学者の人は、前方後円墳の造り出しの「意味」が分からないから、
つい「機能」を考えてしまい、船着場と言った人もいました。
力が抜けてしまいます…
意味としては月と太陽の方が、
よっぽどスメラノミコトの墳墓にふさわしいと思いませんか?
銅鐸も同じで、意味が分からず、機能ばかり考えておられるようです。
銅鐸の意味は「スメール山」です。
ちなみにスメールのスメの意味は「皇」です。


271 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 08:33:03 ID:M8TJl+Dn
銅鐸の形状で、見る者を混乱させる要因が、
山の周りをとり囲む紐?というのですか、ヒレのようなあれです。

早い話がサンバイザーです。

太陽を見る時、眩しいので手をかざして光線をさえぎりますね。
あれと同じ事です。
だからヒレ自体には意味がありません。
こちらは機能の問題でしょう。

272 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 09:36:27 ID:M8TJl+Dn
>>267

私が>259で言った「古い神をどう処理したか?」に帰納する話です。
どう処理したかは人それぞれでしょう。
価値観が変わり、古い神を叩き壊した人もいたでしょうし、
きちんと埋葬した人もいたでしょうね。


273 :出土地不明:2006/04/15(土) 10:34:52 ID:26Ip8vfI
スメル山って東南アジアのどこかの島にあったよね。
あの山のこと?

274 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 11:35:47 ID:M8TJl+Dn
>>273
はい、インドネシアです。
今でも信仰されてます。
チベット人は聖山カイラスを須弥山(スメール山)に見立て、
五体投地 しながら巡礼してます。

275 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 11:59:42 ID:M8TJl+Dn
>>273
誤解があってはいけないので言いますが、
弥生人がインドネシアの山を崇めてたというのではありませんw
共通に持ってた世界観という意味です。
早い話が、西洋人から地球儀を見せられる前のアジア全般の世界観です。
縄文時代から山信仰があったそうですから、
かなり早くから伝わってたかもしれません。

276 :がいやまん:2006/04/15(土) 12:34:03 ID:1QmjNXxy
はじめまして。以前モンゴルの考古学的出土品の展示会でミルク容器のような
のを見たのですが、これが銅鐸そっくりなのには驚きました。しかし銅鐸というのは
日本では朝鮮・吉野ヶ里・大阪の朝鮮小銅鐸から発展させたものということで、
また出土状態も長江流域の青銅器埋納同様に丘のすそといったような場所のようで
すね。また、風景のいい山の見えるところにも多いようなきがします。山頂、そして、
水源、村落そうしたものを管理するシステムがあり、それが鏡、古墳に吸収される。
銅鐸に描かれていた蚩尤のようなシャーマン、アメノヒボコの兵主神、この辺に渡来系が
同族であったのかなとの感じも受けます。カグツチの負わされた原罪ともなにか。

277 :がいやまん:2006/04/15(土) 12:43:51 ID:1QmjNXxy
失礼、時々茶々が入りまして。
ところで、「サナギ」は諏訪、二荒山の鉄鐸、鉄鈴関係で探鉱に関連するのでは
ないか、銅鐸は「イスズ」ではなかったのかという疑念を持つものです。明智の
足助の方でしたか、猿投げという地名がありますが、これは銅鐸終焉と関係が
あるのではとも思われるのですが。

278 :がいやまん:2006/04/15(土) 13:08:09 ID:1QmjNXxy
環境ロビーストがいて、青銅器国産による膨大な森林伐採、農地汚染に
敢然と鉄の剣を振り払って立ち向かう農民の友、なんだか、田中正三翁
でしたか、スサノオでしたか、そうした政治家というお方はいつの時代にも
いらっしゃるが、実は、公孫という漢鏡の輸出拡大を画策するものの回し者
であったりして・・・こんなことがあったことかもしれません。

279 :がいやまん:2006/04/15(土) 13:40:41 ID:1QmjNXxy
剣一千口を作った丹後の集団
http://www.max.hi-ho.ne.jp/m-kat/nihon/7-5kenn.htm
漏れは、これを鉄剣ではなく、銅剣とみる。当時崇神が出雲の宝を
見たいといって垂仁がそれをいさめている。それは神社配置、これは
崇神が国庫支出し祠を建てたとされていることからだが、これから見て
荒神谷の銅剣とみる。この時代鉄剣が1000振りというのはアホのいうこと。
回収した銅鐸の改鋳と見るのが普通の考えだ。

280 :がいやまん:2006/04/15(土) 14:03:15 ID:ETQ5uSpb
この1000本の銅剣又はホウ製三角縁神獣鏡の原料インゴット等は出土しない。
国庫備蓄はホウ製三角縁神獣鏡に改鋳された可能性もあろう。

281 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 14:58:19 ID:M8TJl+Dn
がいやまんさん、はじめまして。
以前、どこかのスレで前方後円墳は須弥山であると書いたら、
あなたがあっさり納得してくれてたのを覚えてます。
同じ事を某スレで言うと、あるコテハンさんが、
須弥山世界観=仏教とかたくなに主張し、
何で仏教渡来以前に前方後円墳が出来るのだ?と言い張り、
何度言っても納得してもらえなかったのですがねw

282 :がいやまん:2006/04/15(土) 18:03:50 ID:ETQ5uSpb
そういう時、↓これを見ると安堵します。

http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor461769
英彦山
「伝説によると、まだ日本に仏教が伝来しない時代、人皇10代崇神天皇
(一説では西暦紀元元年の弥生時代中期)の御代、すでに日子山権現
(権現とは仏の仮の姿)の霊神が、天竺から東に向って五つの霊剣を投
げだといわれ、また26代継体天皇の御代に、大唐(いまの中国で異説で
は魏国)から善正和尚という僧が飄然として海を渡って大宰府につき、
豊州(豊前国)の高岳(英彦山)の聖なる地に「彦山霊仙寺」という一寺を
建立して、釈迦如来、阿弥陀如来、観世音菩薩を本地(仏)にしたという。」

私はこのHPは最も史実に近いのではと思っているんです。

283 :がいやまん:2006/04/15(土) 18:28:15 ID:ETQ5uSpb
須弥山は仏教よりもはるかに広く、グローバルな人間の宇宙像を表現するものだと
思います。二次元においてはチベットの曼陀羅、中国の銅鏡にも表現されています。
また、二次元でもこれを三重丸、三ツ星、等各種の表現方法があり、神社の神紋などに
よく現われます。なんといっても最終的には三重塔となり、それが五重塔に発展するの
でしょう。仏教はお釈迦さまでもごぞんじないようなお経、宗派がありますので全てを
含有するのでしょうが、だからといってアステカ、インカのピラミッドまでもお釈迦様には
できないと思います。古墳は三重塔と祭壇のセットですね。

284 :mafoid:2006/04/15(土) 19:07:39 ID:dcgqduVD
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285 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 19:24:57 ID:M8TJl+Dn
>>283
私は、須弥山思想は、死が現代よりはるかに身近だった古代に、
何人であれ、自然発生的に生まれてきた思想なんじゃないかと思ったりします。
例えば、子供から「死んだらどうなるの?」と聞かれた時、
大人は子供が安心する説話を用意しなければなりません。
その時、太陽や月や星に魂が行くと言うと、子供は不安がるわけです。
子供にしたら、自分がいる土地でお友達や家族とずっと暮らしたいから。
じゃ、見た事もない高山という話を用意し、死後、そこに行くんだと言ってやれば、
その土地に一応つながってるし、子供は安心したのだと思いますね。
だからアステカやインカの人達も、同じ事だったんじゃないかとも思いますね。


286 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 20:37:13 ID:M8TJl+Dn
銅鐸は山の頂上から少し下に、
必ずと言ってよいほど、穴があいてます。
4つありますね。
やはり須弥山に住む四天王でしょう。


287 :273:2006/04/15(土) 21:43:52 ID:0NKjp/2f
>249さん
型持ち穴と解釈されている4つの穴ですけど、
あれはヒレを東西に向けて銅鐸を整置すると、
斜めに対する2つの穴を貫通した方角が夏至・冬至の太陽の上がる方角に一致する、
という説がありますね。
このHPの方の説です、→http://www.enjoy.ne.jp/~hisasi/index98-4.html
249さんの説では、これと90度ずらした向きに置いて、吊り手の大きな穴から太陽の光を見たという事ですか?


288 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 22:52:14 ID:M8TJl+Dn
>>287
面白いですね、それ。
いや、私が考えたのはね。
ふつうに、http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/doutaku.png
この位置から太陽を拝むようにすると、
逆光で山は暗くないますね。
ただ、向こう側の2つの穴から光が銅鐸の内部に入りますね。
そうすると、暗くなってる手前の面の2つの穴がボーと浮かび上がり、
紐の中は太陽で帝釈天になり、
手前の2つの穴は、四天王のうちの2人に見えたんじゃないのかと思うんです。

289 :273:2006/04/15(土) 23:30:26 ID:0NKjp/2f
>>288
私は正確に正置する方法も考えました。
銅鐸を地面に置いて、その周囲に土で土手を作って水を溜めるんです。
銅鐸には何本か横線が描いてありますよね、その線と水面が一致するようにすると、水平が出るわけです。
そして、薄いヒレを銃の照星のように使って、なにか真東の目標物に合わせて向きを調整すると、東西方向に正置できるわけです。
そして、夏至または冬至の日、太陽光が子穴を貫いて覗けた時に、何かの儀式を行ったのではないかなと・・・。
太陽の運行が今年も正しく行われている事の確認とともに、日の出位置のターンニングポイントを祝うような儀式。
現代の土木工学で使う、レベル器のような使い方ですよ。
でも、水溜りの中に置かれた銅鐸って、絶海にそびえ立つ須弥山そのものですよね。(笑

290 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/15(土) 23:42:30 ID:M8TJl+Dn
発泡酒のアルミ缶で実験しましたw
一応、光る「感じ」がします。
287さんの紹介してくれたHPでは、方位器という事ですが、
そういう機能があったかもしれませんね。
いや、あったでしょうね。
ただ、それだけなら巨大化せず、
もっと簡素化しても良かったんじゃないかとも思います。

291 :273:2006/04/15(土) 23:47:30 ID:0NKjp/2f
銅鐸って、須弥山なんでしょうか?


292 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 00:14:34 ID:y8kWudJ6
>>291
そう思います、私は。
やはり何ほどかの宗教的意味があると思います。
意味と機能を分けて考えるべきだと思います。
機能としては方位器があったでしょう。
意味については誰も言わないので仮説を立てました。

293 :273:2006/04/16(日) 00:28:50 ID:6gTJo9Jv
方位器による太陽の測量そのものが、信仰に伴う儀式であった可能性があります。
太陽信仰ですね。
太陽の運行を「知る」のが、稲作を指揮する者の勤めであり権威の源であったかも。
アステカなどは、太陽の運行を維持するために生贄を捧げたり、実に細かい暦を作ったりしてますね。


294 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 00:37:24 ID:y8kWudJ6
>>293
はい。
ただ、それだけじゃ、銅鐸の形の意味は解けないですね。
やはり、あの意味は絶壁状の高山だと思います。
スメール山しかありません。

295 :273:2006/04/16(日) 00:52:50 ID:6gTJo9Jv
インドネシアのスメル山ないしはチベットのカイラス山の地方では、太陽信仰の形跡はどうなんでしょう?
私は銅鐸は太陽信仰の祭器だと思うんですが。
あの形は鐘が形骸化し
皇尊(スメラミコト)は

296 :273:2006/04/16(日) 01:00:19 ID:6gTJo9Jv
↑すみません、何故か書いてる途中でUPされてしまいました。
書き直します。

インドネシアのスメル山ないしはチベットのカイラス山の地方では、太陽信仰の形跡はどうなんでしょう?
私は銅鐸は太陽信仰の祭器だと思うんですが。
あの形は鐘であり、時代が下って「見る銅鐸」へと形骸化したと言われていますね。
私の方位器の考えでも、鐘とは符合しませんから悩んでたんです。
製鉄技術を携えてやって来た、同じく太陽信仰系の皇尊(スメラミコト)が鏡を頒布する前の、
ひとつ古い時代(青銅文化)の太陽信仰の祭器だと思います。

297 :出土地不明:2006/04/16(日) 01:17:13 ID:BUX3F9Ge
銅鐸を再現するのはいいけど、ヤフオクに出すのはやめてくれw

298 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 01:23:51 ID:y8kWudJ6
銅鐸を見て「鐘」というのは、当然、連想しますね。
でも巨大化し、叩いた痕跡もない、そして仰ぎ見る…

ここはテレビ番組の「サルヂエ」の世界ですねw
固定観念を変えないといけない思いました。

銅鐸を「山」と見れば、神獣鏡の中心にも、仏像(須弥壇に乗ってる)にも、
そして現在、各家庭にある仏壇にも通じてて、何も死生観の変遷はないと思いました。

299 :273:2006/04/16(日) 01:40:18 ID:6gTJo9Jv
三角縁神獣鏡では、
中心の紐がスメール山、それから同心円状に神像-霊獣-獣紋帯と聖なる順に配置され、
その周囲を結界である鋸歯紋帯-海を表す波紋帯が取り囲む、という構造ですね。
解りやすい神仙界の描写です。
銅鐸では、描かれている絵に順序とかあるんでしょうか?
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/image/doutaku.png では、
横線で区切られた何か階級構造がある様にも見えますが、描かれているえとの関連は?

300 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 01:50:24 ID:y8kWudJ6
銅鐸に描かれてる絵は分からないけど、
スメール山(銅鐸)を中心にした世界が三角縁神獣鏡だと思います。

銅鐸の横線で区切られた構図は、カバラ…
これはやめましょうw


301 :273:2006/04/16(日) 01:50:49 ID:6gTJo9Jv
http://www.tctv.ne.jp/tobifudo/newmon/betusekai/uchu.html
この円盤の絵なんか三角縁神獣鏡そのものですよね。
乳という小突起が人間の住む島なんですかね?

302 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 02:06:39 ID:y8kWudJ6
>>273
金輪・水輪・風輪と言えば、
三角縁神獣鏡も分かりやすくなるのに…と思います。
仁徳天皇陵の3重の堀と同じ意味だし。

あなたは面白い…おやすみなさい。

303 :273:2006/04/16(日) 02:26:35 ID:6gTJo9Jv
>302
この場合もそうですが、何で鏡という実用品の裏側なんですかね?
古代人の心理は複雑です。(笑
では、おやすみなさい。

304 :がいやまん:2006/04/16(日) 10:06:23 ID:LtRPOyZX
寺沢さんは銅剣(矛)、銅鐸埋納を対立する勢力圏境界付近における呪詛と
みているが、青銅器にはこの呪詛という一面もあるかと。それと水源、蛇の神
に対する何らかのまじないもあるかと思います。つまり山、岡は水源に絡みます。
山を巡って下りてくる水脈は蛇を連想させます。金色の輝きが太陽と関係している
こともありましょうが、地中に埋納するのは水との関係を捨てきれない。しかし、これは
銅鐸だけであって、利器の方には水とつながるものはないのかもしれない。
さて、邪馬台国論争で出てくるクナ国ですが、現在は壬申の乱のような構図で
みられる傾向にあるが、銅鐸v銅矛の闘いとした方が仲哀をピークにした熊襲
との闘い、後のイワイの乱との関連からも面白いと思うんです。銅鐸圏を制圧した
邪馬台国を中心とする倭国連合と西郷さんのように九州南部にこもったオシホミミ
神武系というのも面白い。そして、応神は九州男児。

305 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 18:40:15 ID:y8kWudJ6
>>299
飛鳥の須弥山石の説明では、上段が世界の中心にあると言われる須弥山を表わし、
中段がそれを取り巻く山々、下段は水波紋という事だから、
それと関係あるかも。

306 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 20:22:23 ID:y8kWudJ6
>>303
現代人が実用品としてる鏡も、
古代の人からすれば、驚いただろうし、
神器にしたのでしょうね。
姿形を写すと同時に、裏面では思想を写してきたと思います。


307 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 22:07:35 ID:y8kWudJ6
http://www.city.minamiawaji.hyogo.jp/imageparts/image6224_1.bmp

これは逆光だからわかりやすい。
型持ち穴は、やっぱり四天王でしょう。

308 :273:2006/04/16(日) 22:32:12 ID:6gTJo9Jv
上面にも2つの型持ち穴があるでしょう。
あれは意味無いんですかね?

309 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/16(日) 22:45:55 ID:y8kWudJ6
上面とはてっぺん(有頂天)の事ですね。
分からないのでゆっくり考えましょうw

310 :がいやまん:2006/04/17(月) 10:36:42 ID:wgTuFihA
見る銅鐸の周辺の飾りにつき
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
これはアルタイの風習ですが、似たものがありますね。

311 :出土地不明:2006/04/17(月) 16:23:53 ID:Mhus+9Xp
325 名前:名無しって何ですか?:2005/12/27(火) 07:14:19 ID:YevwbuuZ
       ________   
       /:.'`::::\/:::::\   
      /::            \
     /::.  /"""  """\ ヽ
     |::〉   ●"    ●" |  
   (⌒ヽ             |)
    ( __     ( ∩∩ )    |
      |  、_____  /   
      ヽ   \____/  /
       \        /
         \____/

         竹石 圭佑
      (1986〜 愛知県名古屋市)

在日中国人の両親を持つ為か、日本語のアクセントがおかしい時が多々ある。
小学生の時に万引きで補導されたらしく、その頃から既に歪んだ性格であった考えられる。

中学・高校時代…意中の女子には露骨にちょっかいを出して気を引こうとし、また、その時の言動は挙動不審で相手に好意があることがミエミエな為、非常に痛々しい。
でしゃばりで、なぜか偉そうな態度をとっていたが、不良学生相手にはビクビクしながら機嫌をとっていたという不可解な面も併せ持つ。
また特に自分より力の弱い女性教員や女子生徒等を格好の的としていたので、その様な人間には異常に高圧的な態度をとり、馬鹿にし、いつも幼稚な悪口や悪質な嫌がらせを考えて楽しんでいた。

相当な目立ちたがり屋で「地球は自分を中心に回ってる」という性格。しかし、何の能力・才能の欠片もなく、ヘラヘラしていただけなので精神が不安定だったとも考えられる。あだ名はダメ石(何をやってもダメなくせに口八丁なので)→デメ石(非常に出目金に似た顔なので)。

愛知県の底辺の大学に通ってるが、名古屋大学医学部を目指しているらしく、医学生になった自分を日々妄想している。
余談だが、KAT-TUNの田中聖をライバル視しているらしい。

※注 これは自分の知っている範囲の竹石圭佑の情報であり、全てではないと思われ。



312 :出土地不明:2006/04/17(月) 18:06:42 ID:9C7MsqQq
↑プノンペンチャンコロwwww

313 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 18:49:54 ID:OznBymfM
>>308
見る銅鐸、仰ぎ見る銅鐸から言えば、
見えない部分なんで意味ないかも…
あの穴が本当の型持ち穴かもしれません。

314 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 19:16:52 ID:OznBymfM
>>がいやまんさん

四隅突出墳とジグラットってまじで関係あるかもね。
メソポタミアでのスメール山世界観がどんなのかは知らないけど。
もし四天王のような存在が、すでに考えられてたのなら、
同じ意味かもしれませんね。


315 :がいやまん:2006/04/17(月) 19:34:57 ID:BOzMm6Jq
妻木晩田で四隅に上るとき横綱になったような気がしました。御柱、地鎮祭
等もそうですが方向性はあるでしょう。ピラミッドは北極星を意識しているそうですね。
ジッグラトについては勉強不足でわかりません。いずれにせよ仏典なんていうのは
こうしたものよりはるかに時代が下るわけですから、たとえば山海経にある記述も
西アジアあるいはエジプトかもしれません。


316 :がいやまん:2006/04/17(月) 19:46:28 ID:BOzMm6Jq
「 『山海経』の大荒西経では、”西海の南、流砂のほとりに、赤水を前にし
黒水を後にした大山崑崙の丘がある”とされている。海内西経では”崑崙
の城に九井九門があり、開明獣がその門を守り、人面虎身、東に嚮(む)
かって崑崙上に立ち、鸞鳳(らんほう)などがその盾の上にいる”とされている。」
この西海は地中海、流砂はサハラ、赤水は紅海、とするとスフィンクス、グリフォン
らしきものもいるようです。黒水は黒海となりましょうか。既にシルクロードはあった
のでしょうか。この場合崑崙の岡とはピラミッドでしょうね。


317 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 22:54:10 ID:OznBymfM
可愛いですね、これ。
http://www.city.kashihara.nara.jp/bunkazai/yayoi/doutaku.gif

こんなに小さかろうと、大きかろうと、
台形の筒は変わらないですね。
ここだけは絶対変わらないのが銅鐸ですね。
やはり、山でしょう。

318 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/17(月) 23:16:37 ID:OznBymfM
特に、右側の小さいのは、
有頂天を横線でくっきり表し、
紐の中の帝釈天(インドラ)を見るだけの、
シンプルなものです。

319 :273:2006/04/18(火) 00:16:33 ID:Nle0kq3Z
中に舌(打ち棒)のある物もありますね。
やはり鐘という疑念も残ります。
ガムラン音楽が残っているし、何かそういう、
音に感応して続いて太陽を拝むという儀式だったかもしれません。

320 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 08:49:20 ID:Jtt11tnN
初期は鐘だったらしいですね。
太陽を拝むという儀式ですが、
銅鐸を何に見立てたのかという話です。

321 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 21:48:14 ID:Jtt11tnN
安本美典.
銅鐸祭祀を、早急に廃止し、銅鐸をいっしょに埋めなければならないような事情が生じた。
そのような事情とは、外部勢力による征服であろうと考える。
銅鐸は、銅剣や銅鉾に匹敵するほど、はっきりとした、そして、宗教的な意味をもつ製作物である。
それが、古伝承に、痕跡をとどめていない。
これは、古伝承が、銅鐸中心の文化圏、すなわち、畿内において発生したものではないことを物語る。
それとともに、銅鐸をもつ大和の先住民が、三世紀の後半に、
九州からきた神武天皇によって減ぼされたのであろうとする推測を、支持するものと思われる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

違う。征服ではない。
三輪族の神(銅鐸)が、
次元の高い神(鏡)に変わっただけ。


322 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 22:20:41 ID:Jtt11tnN
>>がいやまんさん

アルタイって黄金の山々って意味らしいですね。
なんだか関係あるかもね?

323 :273:2006/04/18(火) 22:39:07 ID:Nle0kq3Z
>三輪族の神(銅鐸)が、
>次元の高い神(鏡)に変わっただけ。
スメール山を眺める視点の変化、麓→上空、と捉えて良いんですかね?

324 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 22:42:11 ID:Jtt11tnN
>>323
上空から「↓」を見た視点だと思います。
鏡は天つ神だと思います。

325 :273:2006/04/18(火) 22:53:54 ID:Nle0kq3Z
スメール山自体は、人間を超越した神の世界なんでしょ?
さらに上から眺めるって、思想的にはどういうこと?

326 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/18(火) 23:01:12 ID:Jtt11tnN
http://www.pandaemonium.net/menu/devil/Sumeru.html
ところで、須弥山がいくら高いと言っても所詮は大地の一部である。
この為、この山に存在する四天王天及び三十三天の地と住民を指して、
特に「地居(じご:「大地に住まう」の意)天」と言う。
天人の圧倒的多数は空中に住んでいるからである。

天孫というのはこの事かも。



327 :273:2006/04/18(火) 23:31:56 ID:Nle0kq3Z
天孫をアピールする道具が三角縁をはじめとする鏡ですかね。


328 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/19(水) 06:48:45 ID:NLVNfjUH
実は、日本史板に作家の方がおられて、
いろいろレスくださったので宣伝しておきます。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%91q%90%BC%97T%8Eq/list.html

で、私の説を言うと、大変面白いと言ってくれました。
ただその頃の私は、九州勢が鏡を入手し、天孫族を名乗り、
畿内を征服したのかななんて考えてましたが、
鏡は三輪族の祭器なんで、それは違うのではと言われました。

で、考えを変えました。
天空からの視点を持つ鏡を神器にした人達が、
自らを天孫と名乗り始めたのだと思います。

329 :出土地不明:2006/04/20(木) 02:02:53 ID:nLpiuoo3
どこから来たその人達天孫は?

330 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/20(木) 06:54:01 ID:lFIzE/Oq
どこから来たかというより、
鏡を神器とした時点で、天孫になったと思います。

331 :がいやまん:2006/04/20(木) 10:24:12 ID:paw5Daz9
>>322 249さん
アルタイとはトルコ語で黄金の山々を意味するそうです。


332 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/20(木) 20:01:52 ID:F3Mu31uy
>>331
やはりそうでしたか。
銅鐸=スメール山説、どんなもんでしょうか?
素人なりに面白い仮説だと思うのですが。

333 :出土地不明:2006/04/21(金) 00:28:38 ID:+TCEQMtL
>>330
それは後付けの理屈です。
あなたがアメリカ国旗を振り回したらアメリカ人か。そうではないでしょう。
そういうことです。

334 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 00:34:34 ID:j5A26MEQ
>>333
私は銅鐸は何かと言ってるだけで、天孫族に興味ありません。

335 :273:2006/04/21(金) 00:46:46 ID:5OwvOzx6
>328
>天空からの視点を持つ鏡を神器にした人達が、
>自らを天孫と名乗り始めたのだと思います。
その人達は、もとは銅鐸を神器にしていたのでしょうか?
少なくとも、スメール山を遥拝するという思想はあったのですね。
というか、古代の共通思想か。

336 :がいやまん:2006/04/21(金) 07:28:44 ID:JA2IgnIJ
スメール山信仰の一環と見たいですね。ただ、スメールというのはインドに
南下した北方アーリヤ系等の持ち込んだものであり、アララト等が心中にあり、
インド人としては近くにあるチベット・カイラスが心中にあったのかもしれません。
崑崙というのは西方から中国に流入してくる一切の神話を平均したものではない
かと思うのですが。

話は変わりますが、型持ち穴を天体、山岳観測用に転用する発送は朝鮮小銅鐸
時代にはないはずであり、矛・鏡文化の影響を受けて、見る銅鐸時代とその普及した
近江から三遠方面に広がった、つまり、前方後方墳地域と重なるのではないかと思う
のですが。

337 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 19:06:44 ID:j5A26MEQ
 http://www.mainichi.co.jp/hanbai/nie/nazo_nihon6.html

考古学者、藤森栄一の『かもしかみち』(学生社)に、八ケ岳を縦走中に黒曜石製のやじりを拾うシーンが出てくる。
場所は、標高約2400メートルの地点。縄文時代の石器がなぜ、そんなに高いところにあったのだろうか。
動物を追い、深山にまで踏み込んだ誰かが落としたのか。

縄文時代の中期ごろ(4000〜5000年前)、八ケ岳山ろくはシカ、イノシシなどの動物や木の実などが豊富で、
日本列島全体でももっとも住みやすい地域だったと考えられている。
だが、遺跡が分布するのは800〜1200メートルの一帯だ。
その周辺だけで食糧は十分調達できたであろうし、
第一、ハイマツ帯直下の森林限界に近いあたりに狩りの対象となる獲物はいない。
狩りに出た縄文人が落としたとは考えられないものが見つかったのだ。

しかも、縦走路がある現在とは違い、当時はまさに原生林だった。
けもの道はあったにしろ、立ち木や倒木に覆われた場所を金属の道具を持たない縄文人が
石器の力だけで切り開き、問題の高さにまで達したのである。
「その驚くべき忍耐と努力とは、当然、登山史の第一頁(ページ)にあがなわれてしかるべきものに違いない」と
藤森は驚嘆と尊敬を込めて記している。

338 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 19:24:29 ID:j5A26MEQ
>>336
がいやまんさん。

面倒くさいので、私は、
古墳を全部須弥山世界観で解こうと思ってるのですがw、
前方後方墳は、山の頂上近くの四天王につながってると思います。
前方後円墳は直接、有頂天につながってると思います。

で、http://tukineko.pekori.jp/heian/nen/01.html
四隅突出墳ですが、この四方拝などは、四隅突出墳時代の名残があるのかな、
と思ったりします。

339 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/21(金) 23:20:29 ID:j5A26MEQ
>>335
>その人達は、もとは銅鐸を神器にしていたのでしょうか?

三輪や加茂系の地域に銅鐸が多く出るらしいので、
多分そうでしょうね。

340 :がいやまん:2006/04/22(土) 08:41:51 ID:MMsbIKb0
>>338 249さん

>面倒くさいので、私は、

気が短いお方のようですね。私は気短がいいと思います。ただ、ご忠告したいことと
しては、それを世界観としないで、相対性を持たせ、連続ドラマ的に仕上げることです。
そうすると、その続きが書けるからです。えらそうなことを申し上げ失礼しました。

341 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/22(土) 15:24:24 ID:dDSnW6SR
いえいえ、いいんですよ。
私は全く素人だし。
ドラマ的なことは、歴史を知らないし苦手ですね。
邪馬台国論争なんかにしても、どっちでもいいじゃいかと思いますね。
ただ銅鐸に関しては、考古学界もはっきりした見解出せてないし、
素人でも、あれが何なのか考えても良い分野ですしね。
「銅鐸=高山説」は>>337で紹介した縄文人の山への想いからしても、
間違いないと思います。

342 :出土地不明:2006/04/24(月) 23:23:22 ID:88XGA0bT
アゲ

343 :出土地不明:2006/04/25(火) 20:30:48 ID:7jOYTzoR
学研6年の学習S52年5月号付録「銅鐸・銅剣セット」

344 :出土地不明:2006/04/26(水) 11:03:53 ID:D9oaKI6o
銅鐸は「玉」のかわり。

345 :出土地不明:2006/04/27(木) 01:20:24 ID:fkxyKgQc
違う。玉と対立するもの。
玉と銅鐸でワンセット。

346 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/28(金) 22:13:28 ID:xux9vao/
>>344
>>345
銅鐸=須弥山説、いかが思われますか?

347 :273:2006/04/29(土) 00:37:22 ID:fpl79rMO
なんで鋳造技術は後退したんでしょうね?
三角縁なんて鋳上がりが悪くて彫りも浅いでしょ
直径2〜30cmの鏡より、薄くて大型の銅鐸の方が遥かに難しい

348 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 00:58:38 ID:MEKBXseZ
>>347
技術的な事は、ちょっとわかりませんね。
銅鐸であれ、神獣鏡であれ、私が興味あるのは意味です。


349 :273:2006/04/29(土) 01:15:47 ID:fpl79rMO
でも、神とも見立てる対象ですよ。銅鐸も鏡も。
銅鐸は、一品一品、それこそ神に捧げる至高のものとして、
民族・集団のもてる最高の技術を傾けて作った感があるんです。
ところが、鏡は量産品ぽい。
2種類の青銅器のもつ意味は同じであっても、なんか、主観→客観 への変化tが見受けられますね。
地面に置いてその前でひれ伏して見上げるスメール山と、手の内にとって俯瞰するスメール山。
視点の変化も物語っていやしませんか?

350 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 01:53:12 ID:MEKBXseZ
はい、銅鐸から鏡への変化について、
私は視点の変化を言ってます。

鏡は量産品ぽいというのは、
あなたの主観ですね。
私には分かりません。

351 :出土地不明:2006/04/29(土) 17:24:28 ID:Yw9cCJMa
鏡餅、銅鐸=鈴
鈴木(穂積、尼子亀井)

352 :出土地不明:2006/04/29(土) 17:27:48 ID:Yw9cCJMa
銅鐸と呼ばず鈴と呼ぼう、鈴は本州東部の重要な古代祭器
彼らはその祭祀をやめた後も苗字として残した。

鈴木:鈴も木からぶら下げる人の意味。
五十鈴、五十猛もその系統でしょうよー

353 :出土地不明:2006/04/29(土) 17:58:56 ID:Xzf8ngTP
このスレに来ている連中は超スーパーウルトラ級にレヴェルが低い。

だって、このスレができてもう2年以上も経つのに、銅鐸の最も大切な
特徴の一つである文様の名前の一つさえ出てこない馬鹿ばかりなんだから。

頭が弱い!

脳弱!

知恵遅れ!

知的障害者!

354 :出土地不明:2006/04/29(土) 19:27:36 ID:MEKBXseZ
>>351
>>352
鈴と言う事ですが、初期は叩いたり、舌で鳴らしたりしたのでしょうね。
ただ後半は仰ぎ見てたんでしょう?
鈴を何故、仰ぎ見てたのでしょう?
鈴というのは機能であって、意味ではなかったからだと思います。
意味は「山」だったからだと思います。

355 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 19:57:30 ID:MEKBXseZ
ごめんなさい、>>354は私でした。

356 :出土地不明:2006/04/29(土) 20:07:19 ID:Yw9cCJMa
大辞泉では
さなき【×鐸】
鉄製の大きな鈴。上代、祭式に用いられた。ぬりて。ぬて。

もともと銅鐸は「鈴」と呼ばれていた可能性は極めて高い。




357 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 20:12:07 ID:MEKBXseZ
>>356
銅鐸と呼んだのは現代人ですから、
鐸の説明は意味がないと思います。

私はスメヤマと呼んでたのかも?と思います。

358 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/29(土) 23:00:01 ID:MEKBXseZ
>>1
もし違ってたらごめんなさい。
1さんはここのペギラさんですか?
http://hpmboard1.nifty.com/cgi-bin/thread.cgi?user_id=ZVF02050

スレタイがここのHPと同じだし。
ならここでも論争しますか?
「おーやん」というのが私です。

359 :273:2006/04/29(土) 23:56:28 ID:fpl79rMO
滋賀県の多賀神社はイザナギの尊が鎮まった場所とされていますが、
イザナギ=さなき=銅鐸 と考えれば、湖東に銅鐸が多数出土している事と一致しますね。

360 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:02:41 ID:hkzinPW7
もしかするとそうかもしれん。
さなき=鈴、銅鐸
名称は時が経っても必ず何らかの形で残っているもの。
クサナギ氏は朝鮮から小銅鐸と一緒に移りすんだのかな?

249さんのスメヤマってのは何が根拠かわかりませんが


361 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:05:42 ID:hTH9KtoL
大辞泉
しゃかい‐の‐ぼくたく【社会の木×鐸】シヤクワイ‐
社会の人々を指導する人。

物部、ニニギのことか

362 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:14:42 ID:QzmlOmoZ
>>360
すめ(皇)やま(山)です。

363 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:19:52 ID:hTH9KtoL
世界大百科事典


たく
⇒関連項目
青銅製の〈かね〉の一種。中国では有柄有舌の〈かね〉をさす。
すなわち,筒状の身(かねの本体)の閉じた方の端に長い柄が直立し,
他端は開いたまま終わる。身の内側につるした発音用の棒(舌(ぜつ))
を振り鳴らす。周代に出現し,〈鐸〉の銘をもつ実例もある。一方,
中国では有鈕有舌のかね,つまりつり手(鈕(ちゆう))をそなえた
揺れ鳴るかねを鈴と呼んだが,日本では7〜8世紀以来,これを鐸の文字
で表現し,〈さなぎ〉〈ぬりて〉〈ぬで〉と訓じた。正倉院には
聖武天皇の一周忌(757)に使った幡(ばん)につるした有鈕有舌の
かねが伝存し,〈東大寺枚幡鎮鐸……〉の銘をもつ。今日,
風鐸と呼ばれるものは,堂塔の軒あるいは相輪に垂下し,
舌が風に揺れ身に触れて鳴るかねで,《西大寺資財流記帳》は,
奈良西大寺薬師院薬師金堂,弥勒金堂の風鐸を〈鐸〉〈銅鐸〉と表す。
また薬師金堂の鴟尾(しび)の上に飾られた金銅製の鳳凰が,
口に〈銅鐸〉をくわえていたとも記している。7〜8世紀に発見された
弥生時代の銅鐸は,すでにその用途や名称が伝えられていなかったが,
当時知られていたかねのうち,鐘ではなく鐸と判定され,
その名を得たのであった。⇒鈴‖

364 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:22:36 ID:QzmlOmoZ
なんだか腹たってきました。
>>359ー361
ゴチャゴチャ言っても意味ないでそ。
銅鐸の形の意味を言えよ。
君たちのなかに小心者のペギラがいるのだろうけどwww

365 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:28:20 ID:hTH9KtoL
金属加工技術が進歩して銅の鐸は鉄や鈴になり
形状も末端が閉じたものになった。
やはり銅鐸は鈴と同じである。



366 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:31:35 ID:QzmlOmoZ
銅鐸が「鐘」なら穴があいてるのも変ですね。
音響効果を考えてもね。
音響効果を考えたのなら、穴もなく、てっぺんも丸くなったでしょうしね。
だいたい銅鐸が鐘なら巨大化した意味が分かりませんね。

ペギラくん、どうよ?wwwwww



367 :273:2006/04/30(日) 00:39:14 ID:QBEZKFoG
>249
たしかに、銅鐸の変遷を通して、形が一定なのは意味あるでしょうね。
方もち穴が、同じ位置で角度的にもほぼ一定というのは、穴に意味があるからでしょう。

368 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:41:35 ID:XZfrYzuE
私はペギラという者ではありませんが、手前勝手に思いついた仮定として
子供をひり出す女性(器)の象徴だとしたらどうでしょう。
だとすると、穴にこそ意味があると思えます。
叩きも鳴らしもせず、単に愛でたり崇めたりするシンボルとすれば、
後世になって偶像崇拝の意味として巨大化したのもわかるような気がします。

369 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:42:26 ID:QzmlOmoZ
>>367
273氏。
そうでしょう。
ところで、ペギラは私の説にキチガイみたいに反論し、
まったく受け付けないのです。
273氏、あなたはどう思いますか?

370 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:44:49 ID:QzmlOmoZ
ごめんなさい。
なんで消えるのかな、369は私です。

371 :出土地不明:2006/04/30(日) 00:48:42 ID:hTH9KtoL
>>368
深く考えすぎ、あれは鈴、鐘。
土に埋めたのは生前死者がその鈴を使って
情報を伝達していたから
蓑虫のさなぎ(鐸)のようにぶら下げて
村の情報を伝達していたのでしょう。

372 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:49:14 ID:QzmlOmoZ
>>368

ペギラ乙wwww

373 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 00:53:10 ID:QzmlOmoZ
ペギちゃん。
泣いてるのかい?www


374 :出土地不明:2006/04/30(日) 20:36:53 ID:QzmlOmoZ
>>371
鈴や鐘なら、後期には、何で眺めてたのかという話だ。

375 :出土地不明:2006/04/30(日) 20:42:34 ID:RnoCY39Q
>>374
えー、初心者ですが、眺めていたという証拠はあるのですか?


376 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 20:55:33 ID:QzmlOmoZ
>>375
初心者?w
まぁいいけど。
そんなもん、あっちこっちのサイトに書かれてますやん。


377 :出土地不明:2006/04/30(日) 20:56:59 ID:RyIh628D
>375
初期の銅鐸には中に舌(ぜつ)という鳴らし棒が入ってるのもある。
ハンドベルみたいに本体ごと振って鳴らしたのだろう。
でも、むしろ舌が発見されないのが普通。舌が木で腐ったという考え方もあるにはあるが。
後半に巨大化してからは揺すって鳴らすどころか、吊り下げるのも容易でなかったと思われる。
吊り下げられた形跡が無いもしくは、つり穴部分の作りが薄すぎて不可能という意見らしい。

378 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 21:06:38 ID:QzmlOmoZ
>>377
そうですよね。
じゃぁ、そのでかい銅鐸は何なんでしょう。
スメール山だと思いませんか?
私の説に乗りませんか?W

379 :出土地不明:2006/04/30(日) 21:55:53 ID:RnoCY39Q
スメール山?
なんすかそれw

それはともかく、銅鐸を眺める意味ってなんだべ?
それがわからないとそんなものを眺めてたといわれても
俄に信じがたい。

380 :249 ◆GPDV33Riho :2006/04/30(日) 22:15:33 ID:QzmlOmoZ
>>379
ペギラ君、乙。

381 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/01(月) 17:38:51 ID:6YZSUlmI
あ〜ぁ…
ペギラは俺の投稿を消した。
銅鐸掲示板で、銅鐸に対しての仮説を、
「はじめまして、よろしく」と言いながら述べただけやのに…
いきなり妄説とかわめき散らかして、
弾き飛ばそうとしたよね、ペギラ。
一度も謝罪する事もなく…

最低の小心者だな。

382 :出土地不明:2006/05/02(火) 01:09:35 ID:4tQuh/QL
つうか誰かの気に入らない書き込みをしたらそれは全部ペギラ

383 :出土地不明:2006/05/02(火) 03:31:42 ID:aKw8H/hC
で、そのペギラってなんなの?


384 :うーーん:2006/05/02(火) 03:54:31 ID:Qqb4M/jN
だいぶ前に読んだ本で銅鐸は昔、鐘みたいに使用
していたと考えられたがつり穴部分の強度がもたない
と判明してからは祭祀用のものと考えられるように
使用用途が判らないと何でかんでも
祭祀用にって結論ずけるとか

385 :sage:2006/05/04(木) 08:54:11 ID:k+Eo7qCI
200ちょっと辺りからの青銅についての話に補足してみる

続日本記によると、和銅改元以前、文武天皇の二年に
因幡などで銅は出てるよ。10年ぐらいしか変わらないけど。
ちなみに、翌年「始めて鋳銭司を置く」って記述がある。
ってことは多分この数年前から山師みたいな連中が
一種の国家事業として国内の銅山を探してたのかもしれない。

銅鉱石には大体錫も含まれてるんで、
(インゴットの状態だとこの比率で大体産地が特定できる)
青銅自体を取り出すのには大して手間はかからない。
錫が多いと硬く脆く白い(百円玉っぽい色)感じで、
錫が少ない(銅が多い)と柔らかく粘りがあって
金色っぽく(新しい十円玉っぽい色に)なる。

ついでに、鋳造で文様等をきれいに出すよう加工するには
微量(1%弱)でいいんだが、鉛を配合しないと文様がはっきりでない。
青銅が溶ける温度まで上げちゃうと鉛は蒸発しちゃうから、
スクラップを使うにしても固まる前に再度鉛を足さないと、
多分銅鐸に書いてあるような細い文字や刻線はぼやける。

大体同時代の後漢時代、董卓が長安に遷都した時、
市中で流通する銅貨が不足したんでインフラも整わないうちに
始皇帝の銅人を鋳つぶしてまで銅貨を作ろうとするんだが、
文字が潰れていたので信用が落ち悪質なインフレが起きたって話がある。

多分配合費、銅鐸とかだと銅:錫:鉛=75:24:1 ぐらいだと思うんだよね。

386 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 12:34:06 ID:v3aKwW91
古代人は地球儀知らないし、
「絶壁状の高山が世界の中心にある」と
考えてたのなら、こういう環状列石なんかも
銅鐸と同じ意味だとも捉えれるよ。
http://www.ifnet.or.jp/~chisao/image/heian/ooyu_4s.jpg

387 :がいやまん:2006/05/04(木) 12:49:24 ID:ALV85AWG
これはすごい写真だ。右の遺構は夏至の日の出ではないかな。大体当っておれば
天文ソフトを使って建築年代が求められるんだけどナー。

388 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:09:45 ID:v3aKwW91
やぁ、がいやまんさん。
他スレでマダラ神の写真貼ったのは私です。w

389 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:13:33 ID:v3aKwW91
http://www.kyuhaku.com/pr/museum/museum_info04-11.html

どう見ても、
星、高山。
で頂上に「神」がいる。

たったそれだけ。
古代人はそんなに難しいもの作らないよ。

390 :がいやまん:2006/05/04(木) 13:33:33 ID:ALV85AWG
チワー、 249さん、

突線鈕袈裟襷文銅鐸の鰭ですが、これはアルタイ地方の出土復元↓
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/lady.jpg
これの影響を受けているのではないかと思っています。



391 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/04(木) 13:38:27 ID:v3aKwW91
なるほど!
ヘアースタイル自体が須弥山ですねw
何故、彼らがこんなに高く髪を飾るのかを考えれば、
同じ意味でしょうね。

392 :出土地不明:2006/05/04(木) 17:26:56 ID:DO1G0J+e
銅鐸は錫は14%前後だな。

銅鐸の薄いところでは厚さ1〜2mmしかないから
24%では硬すぎて脆いはずだ。

393 :出土地不明:2006/05/04(木) 22:42:44 ID:LlZqv3Mr
鋳物の場合
冷却時の収縮による空隙や肉薄の発生、つまり引け巣の問題と、
細かい凹凸への充てん性、つまり湯流れの問題への配慮が重要となる。
不純物の添加量によってそれが変わってくるから、
鉛と錫の含有量は意図的に調整していたと思うよ。
一般的に大型で薄い物ほど、鋳込みにくいんだよ。
後期の銅鐸ってすごい技術だと思うよ。

394 :がいやまん:2006/05/05(金) 07:05:43 ID:MWRvwyU+
>>391
つまり、信仰の対象のようなものだと思うんです。もちろん後世の仏像のオーラ
のようなものかもしれません。話は変わりますが、こうした銅鐸が一斉に消滅こと、
天孫と地祇の明確な区別ができること、巻向に巨大古墳の建設が始まることには
関係があろうかと思われます。銅鐸が物語るのは銅鐸時代の終末期に銅鐸を
巨大化、美化する技術的集団の渡来があり、その後に古墳、埴輪、須恵器、鏡、
鉄刀などの文化に移るということかなと思います。

395 :がいやまん:2006/05/05(金) 08:24:52 ID:MWRvwyU+
然し、この銅鐸文化の中心において、革命的に鏡文化への転換を起こした勢力、
それは天孫というのでしょうか、恐るべきパワーだと思います。その内容としては
北部九州の鏡文化と出雲・吉備方面から来た、相撲などの強いモンゴル系の感じ
のするものとが連合したものであったのかなと思うのですがはっきりしません。
倭人伝、記紀神代などを基に考えてみると琵琶湖の野洲川付近、つまり、伊勢遺跡
の辺りで九州、出雲、烏丸(烏桓)、東海、播州・北四国、摂津河内などの豪族が
談合し、女王共立に向かい、出雲を中心として銅鐸廃止、つまり、国譲りを行うことの
誓約を取り付け、播州・北四国に勢力を持っていた豪族が中心となって邪馬台国が
成立したのではないかと思います。烏桓を中心とする流民が発生したのは、曹操による
烏桓征伐の結果、公孫支配下の楽浪経由大量の流民の南下が始まり、伽耶地方の
ものも一緒になってアメノヒボコとして流入したのでないかと思います。渡来系は三上山、
比叡山方面から南下して大和盆地に入るのでしょう。


396 :がいやまん:2006/05/05(金) 08:31:43 ID:MWRvwyU+
なぜ銅鐸が一瞬にして消えたのかというと、後期銅鐸は渡来系の技術オンリーで
宗教心のない製作者集団によって作られたことで、彼らとしては簡単に偽ブランド
三角縁神獣鏡の生産に入れたのだと思います。OEMの専門家だったんじゃないで
しょうか。

397 :がいやまん:2006/05/05(金) 09:19:08 ID:MWRvwyU+
垂仁は新羅アメノヒボコに播磨、淡路のいずれかを上げようと即答しているが、
逆にこれは垂仁の出身が播磨・淡路であり、その辺にしか権限がなかったのだ
ろうと思われる。つまり、邪馬台国の四官の一人であったと思う。

398 :がいやまん:2006/05/05(金) 11:17:45 ID:MWRvwyU+
野洲=夜須=湯臼、つまり、青銅改鋳工場だろうが、問題は鉛であり、どこから
入手したかということになる。弁韓には鉛御津とも読める国があるが、これは
富山の滑川(鉛川)の租界であり、高山の鉛を取って三韓に輸出していたので
あろう。野洲銅鐸工場での発注者は尾張、海部などの系列。これは伊勢湾の
S字甕土器集団とか、京都の方面とも連帯して、狗奴国同盟を結成していたの
ではないか。狗奴国のクガチヒコのクガKUGというのはトルコ語、シュメール語
では金属を意味するらしい。そういわれれば、キンという言葉は古代になく、
クガネという言葉がある。クガツチ、クガミミノツカサというのも京都北部と関係する
ようだ。諏訪大社、二荒神社の鉄鐸、後年の秩父神社の和同開珎、東北の鉄、金
の開発を考えると一部の鉱山関係渡来人が日本国内においても流民となって移動
した感がある。どうも孝霊帝辺りで派遣が播磨に移った感じがあり、黒田の庵とは
播磨の黒田ではないかという感じがする。イワレビコもイワ大神の関係かもしれない。

399 :出土地不明:2006/05/05(金) 14:02:52 ID:5dpOQ33M
食べ物】日韓対決!!! 第4ラウンド
http://food6.2ch.net/test/read.cgi/food/1146712392/l50

400 :出土地不明:2006/05/05(金) 16:40:42 ID:9a9JwXBN
こないだ、NHKで明代の南方進出の話をしてたが
アフリカ人の当時の有力者が墓に中国の皿を
埋め込んでいた。彼らが中国系渡来人の末裔と
いうことはないだろう。
舶来品を権力の象徴として世間に誇示するのは
世界共通の一般的な権力者の行動でしょう。

そう考えると、銅鐸も鏡もそれにピッタリ一致する。

401 :出土地不明:2006/05/05(金) 17:31:21 ID:xoDn3Hwq
渡来人がやって来た頃に日本に青銅器が伝わるが、
弥生前期のBC7C頃に伝わったものと弥生後期に伝わったもの
では全く違う。

銅鐸も鏡も後期に伝わっていて、衛氏朝鮮や楽浪郡を通じた
中国青銅器の影響が見られるが、前期に伝わったものは
中国青銅器の影響がさっぱり見られない。

つまり青銅器はBC7C頃にやって来た渡来人が中国からやって来た
のではないという最も重要な証拠なのである。

402 :出土地不明:2006/05/05(金) 17:44:16 ID:xoDn3Hwq
人が渡来して定着すれば文化は確実に伝わるが、
単に交易だけでも伝わるし、
交易しなくても、時間が数千年もあれば、
非常に緩慢な速度で、文化は世界中に広がっていく。

403 :出土地不明:2006/05/06(土) 00:35:27 ID:OvsHStg8
本州における巨大都市が出雲にあったのは確か、
この都市は本州の首都であったと考える。
ここは高麗(高句麗)と密接なつながりを持ち
高麗棄民の本州受け入れ入国センターになった。

他方、九州では中国に朝貢をする倭人国家があった。

北慮南倭というくらい、倭とは九州を指し、倭は北にはない。
倭とは九州以外の何者でもないのであろう。
日本(日(天)を崇拝する国家、民族)は
本州や新羅にあり
その首都が出雲であった可能性が高い。



404 :出土地不明:2006/05/06(土) 02:07:55 ID:CmXxJFPX
銅鐸の製造がOEMだったとすれば、それを委託した主な地域があるはずですな。

405 :がいやまん:2006/05/06(土) 08:01:09 ID:6AzgpfYU
>>404
施主は尾張、三河、伊勢、遠州かなと思います。ヤマトタケルに対してしぶとく
抵抗した熱田神宮を中心とする勢力、後生、天武が頼った政治勢力ですね。
彼らは邪馬台国建設に大きな力を貸した挙句に銅鐸、前方後方墳文化を失い
天孫には深い恨みを抱きながら遠州方面に後退したものもあったはずです。

406 :がいやまん:2006/05/06(土) 08:13:18 ID:6AzgpfYU
更に後には信長、秀吉、家康がおこり、更に後には薩長土肥が起こる。こうした
対立軸の初期のものは琵琶湖の瀬田川あたりを中心に発生してのかなーと
思ったりするんですが。

407 :がいやまん:2006/05/06(土) 11:20:11 ID:6AzgpfYU
>>405
後世、後の世、とうとうとするといつも間違えて後生が出てきております。失礼しました。


408 :出土地不明:2006/05/06(土) 13:45:33 ID:DpEAs2rz
>ここは高麗(高句麗)と密接なつながりを持ち
>高麗棄民の本州受け入れ入国センターになった。


在日の願望妄想がよく現れている(嘲笑


409 :出土地不明:2006/05/06(土) 22:02:22 ID:028ojmpv
>398
伊賀の国は鉛の産地でっせ、丹生という地名おおい。

410 :がいやまん:2006/05/07(日) 07:43:11 ID:uuateQMJ
丹生とは重金属の意味でしたか。壬生というのもあり混同します。こちらが水銀で
したか。いずれにせよ伊賀という言葉は古代人名に多くなにか金属製品とか貴重品
と関係するのでしょうね。甲賀、加賀、久我などの意味も何かつながりがあるので
しょうか。諏訪にある甲賀の三郎伝説と何らかのつながりがあるのかとか。次から
次へと疑問がわいてきます。伊賀に鉛が出るというのは非常に貴重な情報です。

411 :がいやまん:2006/05/07(日) 11:25:48 ID:uuateQMJ
>>408
壱岐・対馬から親潮に乗ればバイパスで大和に到着できるがその航路の重要な
船着場というだけだろう。ところで北方のスサノオは朝鮮を通過するとき持参した
樹木の種苗を朝鮮人は渡さなかったとされる。これは彼らには日本人のように盆栽、
植林という習慣がなかったことであろう。l現在も日本人はボランティアで中国の砂漠化
防止のために私財を投げ打って働いているが、指導部の先導による愛国無罪の
スローガンによる日本人襲撃を続けている。反抗期の長男次男を抱えたようなもんだなー。

412 :出土地不明:2006/05/07(日) 21:10:21 ID:Nmj9DP+5
>385
>銅鉱石には大体錫も含まれてるんで、
>(インゴットの状態だとこの比率で大体産地が特定できる)
んなこたーない。
基本的に銅と錫は一緒に産しない。
インゴットにしたときに青銅になるほど錫を含む銅鉱石なんて、
その存在自体が猛烈に希少でつ。
もちろん、銅鉱石は微量の錫を伴うものもあるが、
その比で産地が分かるなんて乱暴すぎ。。。

>409
伊賀で鉛が産出するなんて寡聞にして聞いたこと無いが・・・
少なくとも大きな鉱山は皆無だな。
ごく小規模なやつならあるかも知らんが。
個人的には丹生はやっぱり水銀と関連した知名だと考えてる。

鉛もそうですが、日本には錫を産する鉱山って少ないんだよな〜
銅鐸にしろ、銅銭にしろ、大仏にしろ、どっから錫を手に入れてたのか、不思議でつ。

413 :249 ◆GPDV33Riho :2006/05/07(日) 22:53:17 ID:1d/Q4ZPA
俺が>>389で紹介したようなデカイ銅鐸は何よ?
だいたいあの形は何よ?
配合率がどうだ、チンコがくさいだなんてどうでもいいよ。

モウ寝るから明日までに答えろ。
おまえらのフナムシ並みの脳みそで答えろ。

おーい、ペギラ。
おまえも答えろよ!

414 :がいやまん:2006/05/08(月) 09:23:10 ID:VpaHN6oZ
>>412
無錫あたりかなー。

415 :出土地不明:2006/05/18(木) 02:39:36 ID:qnLqb6ro
シュメールの話があるけど

http://www14.plala.or.jp/tm86/newpage4.html


シュメール人は”文明は神々からのおくりもの”といつも言っていたそうです。
シュメールの粘土板古文書にも”われわれの知識はニビルの住人である神々によって
与えられた”と書かれています。
”神々”はシュメール語ではan unna ki アヌンナキという言葉で表されます。
an は天、 na は〜から(降りる)、 ki は地を意味します。
アヌンナキは「天から降りてきた人々」という意味です


シュメールの女神イシュタルの彫像は航空服のようなものを着て、頭にはヘルメットの
ようなものを被っています。そのヘルメットはシュガルラのヘルメットという名前で、
シュガルラとはなんと「遠く宇宙へ行かせるもの」というシュメール語です。
・シュメールで出土したアヌンナキの飛行士の粘土人形
http://www14.plala.or.jp/tm86/09_02_0.JPEG(日本の土偶に似ている)


・インドのマハーバーラタ・飛行船の技術書「ヴァイシャス」に基づいて描かれたヴィマーナ
http://www14.plala.or.jp/tm86/09_02_5.JPEG
・典型的なインド南部の寺院。そびえたつ寺はヴィマーナと呼び、飛行船を模したものだという
http://www.ne.jp/asahi/arc/ind/information/hindu/gangai.jpg

416 :出土地不明:2006/05/18(木) 02:42:37 ID:qnLqb6ro
銅鐸はシュメール神話のロケットで、土偶はシュメール神話の宇宙飛行士ってことで、
ファイナルアンサーw

417 :シュリーマン:2006/05/20(土) 20:06:23 ID:TNEaSNr2
 最近、出雲東部での弥生遺跡がたくさん発掘されているらしいですね。大集落や製鉄遺跡がたくさん出ているようですが、出雲風土記や古事記にも安来の話はのっていた。しかし、歴史学者は神話であって歴史ではないといい続けていた。
 こりゃひょっとすると日本版ダビンチコードってことになるのでしょうか。

418 :出土地不明:2006/05/21(日) 00:32:33 ID:p+oaRWMo
1)出雲風土記や古事記にも安来の話はのっていた。
2)出雲東部での弥生遺跡がたくさん発掘されているらしいですね。大集落や製鉄遺跡がたくさん出ている

2が1の何かを証明するものであるかないかは、1の記述内容によるだろうね。

419 :出土地不明:2006/05/22(月) 23:04:40 ID:4YkfMt9w
>412
鉛もそうですが、日本には錫を産する鉱山って少ないんだよな〜
銅鐸にしろ、銅銭にしろ、大仏にしろ、どっから錫を手に入れてたのか、不思議でつ。


別に不思議でもないだろう。
輸入青銅器自体に入っていたわけだ。

荒神谷の400本ちかい
銅剣も錫含んでいるわけだ。


420 :出土地不明:2006/05/23(火) 13:26:33 ID:LWC/Rv5G
おーやん(ブラックバス太郎・指並太郎)◆GPDV33Rihoが自分で晒した個人情報

年齢40〜45歳
2004年12月中旬 10年以上前(1995年あたりに買った)に和泉中央から光明池間の分譲マンションを売却
2005年2月初旬 光明台の賃貸マンションに引越し
マンション購入価格4000万弱 売却価格1500万前後
5年前に嫁に逃げられ子供と一緒に捨てられる
子供は小学生の娘2人息子1人
そのうち2人は泉北の竹山産婦人科にて誕生
子供は光明台北小
父子家庭を理由にPTA役員をやらない卑怯者
元嫁(30代後半〜40代前半)は宮崎県日南出身、日南に居る義理の甥っ子も失業
鬼塚ちひろに御執心(指並太郎◆GPDV33Rihoとして鬼塚ちひろスレに貼りつき大変嫌われている)
仕事は自営業
女鹿坂の三輪歯科にとても強いこだわり
創価学会・在日韓国朝鮮人が嫌い
サンエー・マンダイに早朝などによく現れる

421 :出土地不明:2006/05/24(水) 22:51:46 ID:xCGO3+eU
畿内と四国、三河と遠州では銅鐸の作りが違うらしいね。

422 :出土地不明:2006/05/26(金) 23:14:19 ID:9FFbyAUx
◆粘着■まちを追われそうなブバカ太郎■ネバネバ◆
http://ex9.2ch.net/test/read.cgi/net/1148614306/l50

◆GPDV33Rihoウゼーって人は見に来てくれ

423 :出土地不明:2006/05/29(月) 01:09:24 ID:wdsJITfz
>>422のスレたて人の姿。
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg1/2005.12.30/31667d6e_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg1/2005.12.30/413a58a9_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg/2005.12.30/ad9abb52_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg/2005.12.30/43561453_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg1/2005.12.30/4b36b5e4_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg/2005.12.30/53c4e6e6_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg1/2005.12.30/4db494b2_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg1/2005.12.30/778c6ba4_zari.jpg
ttp://imga.ihot.jp/album/album_img/jpg/2005.12.30/a4dc631e_zari.jpg


424 :出土地不明:2006/05/30(火) 00:55:43 ID:alAStTeH
銅鐸や土偶って他の国で出てないの?

朝鮮半島は?

425 :がいやまん:2006/05/30(火) 07:32:21 ID:T0KXOKPG
銅鐸は朝鮮から日本に伝えられたもの。中国にもよく似たものがあるようだ。
祀り方は中国の長江のあたりと似ているといわれている。漏れはモンゴルの
考古学的展示会でミルク容器で日本の後期銅鐸とそっくりなものがあるので
びっくりしたことがある。なんか関係あるのかなー。

426 :出土地不明:2006/06/02(金) 15:52:44 ID:QeyPZyeV
奈良だけど銅鐸出たって看板があるんだけど 他にもなにか埋まってそうで
看板の周辺掘りたい気分になる時がある

427 :出土地不明:2006/06/03(土) 02:47:37 ID:kPs27w7x
看板の場所そのものは違うんでないかい?w

428 :出土地不明:2006/06/03(土) 16:09:44 ID:QCz9wCau
銅鐸を検索してたら銅鐸サイトで音色を聞けて結構幸せ
郷愁感じちゃったよ

429 :出土地不明:2006/06/04(日) 02:04:02 ID:ETA/XjyN
銅鐸て鳴らすもんなのかい?

430 :出土地不明:2006/06/04(日) 13:44:49 ID:vp6upexS
よくわかんないけどさ、鹿の角かなんかで銅鐸を叩いてみた音だと思うよ

431 :出土地不明:2006/06/04(日) 13:48:58 ID:A0eWKkV7
>>424
どこにでもあるが、問題は、日本の銅鐸の「でかさ」なんだよ。
あのでかい銅鐸は日本にしかないだろ。

432 :健太:2006/06/07(水) 13:37:09 ID:d+FnY87S
銅鐸のことがよくわかりません何のために作られたか教えてください

433 :出土地不明:2006/06/08(木) 21:41:36 ID:WqT1BapE
>>401
早く私の質問に答えてくだされ。
やはりあなたは、韓国の方だったようですね。

434 :出土地不明:2006/06/09(金) 11:07:22 ID:IiDjObeB
やっぱ作りたてだとキラキラしてるの?
頭にかぶるのかなと思ったけど、意味はよくわかんないよね。
重そうだし。
冠?もっと後の時代の烏帽子ってなんでかぶるの?

435 :がいやまん:2006/06/10(土) 21:55:16 ID:x+9OU7bu
鹿児島県の解釈では古代カゴというのは金を意味しており、鹿児島県は
全国一の産金量を誇っている。鹿児島というのは金山という意味だという。
日本の記紀、神話には天の香具山とか、かぐや姫、カグツチ等が金に関係する
ようだ。金峰山、金剛山とかいう名も良く効く。また、アルタイ山というのも金山の
意味だが、その近所には天山もある。アルタイ地方はユーラシア有数の金属資源、
石炭などの地下資源の多いところだ。アルタイには高地性遺跡が多く、山上で
タンバリンを使って宗教儀式が行われたことがあるらしい。日本に伝えられる青銅器
文化はどうもアルタイからオルドス、遼寧、新羅を経由してきているようだ。銅鐸と
山岳崇拝には何か関係がありそうな気がする。

436 :出土地不明:2006/06/10(土) 22:22:44 ID:qPzHGUW2
電波で有名ながいやまんも随分と知識を上げてきたなw

そう、弥生期の渡来人は北方系青銅器文化を持ち込んだ人々。

渡来人骨と青銅器は弥生前期の中頃(BC7C頃)に同時に現れる。

青銅器を知る事はつまり、渡来人を知る事である。

ただし銅鐸と銅鏡はBC2C頃に伝わったらしい。

ともに中国系青銅器文化。

楽浪経由だろう。

437 :出土地不明:2006/06/11(日) 00:06:44 ID:KL2TE+zK
銅鏡が伝わったのは3Cだった。スマソ

438 :出土地不明:2006/06/11(日) 00:12:47 ID:KL2TE+zK
銅鐸は楽浪より前のBC3〜BC4C頃に満州から半島に伝わったもの
らしい。またまたスマソ

439 :がいやまん:2006/06/11(日) 08:49:25 ID:bD3+gv5p
>>436
銅剣、銅矛ってことですね。漏れなんざー、寺沢先生の王権誕生の感覚でそんなに早
いとは思っていなかった。目からうろこです。しかし、生産技術が渡来するのは前2世紀
頃、スクだの吉野ヶ里の頃ってことですか。
ちょっと変なことなんだが、BC2000年の小河墓遺跡では何で木を削ったのかなー。


440 :出土地不明:2006/06/11(日) 19:07:03 ID:KL2TE+zK
旧式弥生時代開始4C末だと、確かに日本に青銅器製法が伝わったのが
堅田遺跡のBC3C末頃なのだが、更新弥生時代開始BC10Cで換算すると
日本に青銅器製法が伝わったのはだいたいBC8〜7C頃だろう。

ちなみに日本最古の青銅器は縄文晩期の三崎山遺跡の青銅刀子だが、
他に青銅器が出土しないところや器形が他に見られないところから
満州南東部あたりとの交流で招来した輸入物と見ていいだろう。

中国青銅器
http://www2s.biglobe.ne.jp/~karasawa/futagawa/id01/

小河墓遺跡の時代だと、まだ鉄器ではないだろう。
タリムやトルキスタンには古代に進んだ青銅器文化があったとの事。
青銅の鑿を使っていたのかもしれない。

ちなみに日本には中国の青銅武器にある銅刀、銅鉞、銅戟が
伝わっていない。

441 :出土地不明:2006/06/11(日) 20:49:47 ID:KL2TE+zK
そうそう、日本史板のHLAモンゴル人スレが終わって
新スレ立てておいたから、がいやまんもまた色々と物議を
醸し出してくれたまえよ。よろしく。


弥生人は朝鮮半島に定着しなかった北方アジア人

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1149941437/



442 :出土地不明:2006/06/15(木) 11:19:46 ID:/6P3ywOP
銅鐸は瓶棺と同じように南インドから渡ってきた説
即ちシュメールのヴィマーナ信仰の伝播

443 :がいやまん:2006/06/15(木) 19:12:28 ID:RMAZTNvK
小河墓遺跡の胡楊の柱は六角、八角の鋭いエッジが突いており、製材工場の
ようなフレームに掛けた感じ。あれだけのカットは細石刃のような黒曜石石器
がないと、無理かなと思う。ヒッタイトは黒曜石資源を握り、シリア方面の鉄を
入手していたという最近の説があるがそういう背景かな。そうした石器の出土はなく
銅製ブローチの使われ方を見てもまだ貴重品の扱いであった。
胡楊の表面は荒削りであったのが砂塵によるサンドペーパー効果が出たのかも
知れない。

444 :がいやまん:2006/06/15(木) 19:21:54 ID:RMAZTNvK
小河墓の裏返し舟形ないしは箱舟型木棺は製作後直ちに血まみれの
生の牛皮で巻いてあり、これには砂塵による影響はないものと見られるが
きわめて美しい精密な仕上げであった。全体に丸みが出ており砂か何かで
磨いたのかもしれない。

445 :出土地不明:2006/06/16(金) 01:08:10 ID:WB/moldW
銅鐸を埋めるのは地鎮祭みたいなもんじゃないかって個人的には昔から思ってるけど。どう?

446 :がいやまん:2006/06/16(金) 14:51:43 ID:KUPzd7WA
たしかに、失われた伝説というものがあるのではないかと思う。それは地下、山、天
を結ぶ大きなスケールのものであったのであろう。アルタイ(金山の意味という)の
パジリク遺跡出土のミイラ、その鬘の部分を再現したものを見ると、パジリク以前の
オークニェフ文化に通じるものを感じる。
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/lady.jpg
ところがこれが銅鐸の形に似ているのだ。

447 :がいやまん:2006/06/16(金) 15:41:16 ID:N3rrZZ2b
日本青銅器文化はタガール、オルドス、遼寧、朝鮮半島経由伝来したもので
タガール(アルタイ地方)との関係があっておかしくはない。ただ、銅鐸の文様
には後世の埴輪、古墳輪郭(立体化されたもの)、ずっと世を経て絵馬に通ずる
日本独自の人間と神のかかわり方を示すものが感じられる。他方、オークニェフ
文化は仏教の思想芸術に少なからぬ影響を与えたと考えられる。もちろん時代的に
日本よりもインドへの影響のほうが早かったことは言うに及ばないが中央ユーラシア
文化が南、東と別の方向に流れたことはありえよう。

448 :がいやまん:2006/06/18(日) 06:17:58 ID:CXZV/4zL
銅鐸世界観の背後にあるのは朝鮮の金剛山のような山岳信仰であったのであろうが、
朝鮮半島においてその信仰は開花することはなく日本に入り吉野ヶ里、出雲、摂津と
遍歴した後三上山麓で定着した。この思想の根源は世界山とも呼ぶべき3つに分かれた
宇宙観であり、後の世では三重塔に変化するものであろう。田和山、熊山、
http://www.ncn-t.net/kunistok/P2110015.jpg
「『爾雅』の釋丘篇には、”丘の一成(段)を敦丘と為し、再(ニ)成を陶丘と為し、
再成の上の鋭きを融丘と為し、三成を崑崙丘と為す”とある。」
http://www.pandaemonium.net/rdb/menu/file/2427.html
アルタイオークニェフ文化の石像彫刻もこの世界観で解釈ができるという。これは
時代的に中国の殷と夏の中間程度であろうか、その後インドに侵入するインドイラン
系の思想と共に仏教の形成に一役買ったのであろう。

449 :がいやまん:2006/06/18(日) 06:29:07 ID:CXZV/4zL
オークニェフ文化の画像を見ていて気付くことは特殊器台の思想が人の頭上を
天に昇るものとして描かれているということで、これは人間の魂が多くの世界を経て
上に上るとも、あるいは、宇宙にある神仏の世界がこの世に下りてくるとも捉える
ことができるのだが、人類が竹とか、節足動物の住む南方から北上してきたという
過去を示すのではないかともかんぐっているんだが。

450 :がいやまん:2006/06/18(日) 06:47:27 ID:CXZV/4zL
さて、滅びた銅鐸文明は中山道を岐阜から信濃へと逃れた。そして
龍伝説「龍になった甲賀三郎」
http://www.geocities.jp/sizen_junnosuke/ryudensetu8.html
こういう伝説を残している。これこそがカルパチア・コーカサスから銅資源を求め
ウラル・アルタイに移動し、中央アジアの乾燥化に伴ってはカナート・カレーズ
の潅漑施設にも寄与した鉱山掘削文化ではないかと思う。巻向に穴師という地名が
あるが意味深である。東京の石神井と諏訪のミシャグチは似ている。


451 :がいやまん:2006/06/18(日) 08:37:51 ID:CXZV/4zL
性というものは旧石器時代にあってはさほど重要視されるものではなかったようだが、
氷河期を経た後、狩猟・採集のその日暮しができなくなり、保存食からやがては植樹
のような森林共生、照葉樹林型文化へと発展、それが大地に穀類・豆類を撒種する
という発展をしたのであろう。農業の起源についてはレバントの砂漠で忽然と派生した
ように言われているが、これはサハラから中央アジア・地中海沿岸、特に、アルジェリア
近辺に豊かな草原、森林があったことを想定していないからおかしい。チベット・日本系
パプログループDと同じYAPプラスの子孫にE型があるのだが、これのアナトリアから
西欧への移動を新石器直前とする説もあり、Y染色体ハプログループYAPの起源を
頭から旧石器と決め付ける遺伝学会の方向付けには警戒が必要と感じている。

452 :がいやまん:2006/06/18(日) 08:40:43 ID:CXZV/4zL
つまり、YAPのアフリカから欧州、アジアへの拡大は新石器時代の初めの森林共生
に伴う人的な移動ではないのかと疑っているのだがね。

453 :出土地不明:2006/06/18(日) 11:13:19 ID:iluqPaDx
・中国河南省殷墟出土銅鈴 3500年前
http://www.rekihaku.ac.jp/press/shinshu2005/pic01.jpg
犬や馬の頸、馬車の旗、青銅容器(祭器)につけた鈴。
怪獣をあらわしたとうてつ文を施している。


・オルドス青銅器
121-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、
長さ一・八cm、文学部考古学研究室列品室
122-鐸、青銅、中国、赤峰市付近収集、前九−七世紀(西周-春秋時代)、
長さ二・〇cm、文学部考古学研究室列品室
赤峰市付近を中心として内蒙古東部に分布する夏家店上層文化の鐸である。
夏家店上層文化は、初期遊牧民文化のなかでも早い時期の文化で、
スキトーシベリア動物意匠も既に見出される。(高浜)
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/02/img/02photo42.jpg

454 :出土地不明:2006/06/18(日) 11:22:23 ID:e3EM60lR
>>453
上のヤツは朝鮮式銅鐸よりも日本の初期型に似てる気がする

455 :出土地不明:2006/06/18(日) 13:05:17 ID:72eqZoeW
YAP+の発祥はアフリカじゃなくて中央アジア周辺が定説。

この頃の人類はまだオーストラロイドしか居なかっただろう。

中央アジア周辺からアフリカに出戻りしたYAP+集団も
あったという事も忘れるな。

456 :出土地不明:2006/06/18(日) 14:14:01 ID:72eqZoeW
悪意の何者かによって前スレが削除されたので、
新しく立て直しました。

まずはご報告まで。


弥生人は朝鮮半島に定着しなかった北方アジア人

http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1150607297/




457 :がいやまん:2006/06/18(日) 15:07:25 ID:NURtFj/q
>>453 >>454
銅鐸との関係は否定できない。非常に貴重な情報だと思う。

458 :がいやまん:2006/06/18(日) 15:54:24 ID:NURtFj/q
>>455
http://www.kahaku.go.jp/special/past/japanese/ipix/5/img/5_26_03.jpg
↑米国筋にもこうした見方があるのは承知しているがどうかな。
http://www.genetics.org/content/vol165/issue1/images/small/GEN3656.f2.gif
http://www.genetics.org/cgi/content/full/165/1/229
実際は↑議論が紛糾している。
http://www.scs.uiuc.edu/~mcdonald/WorldHaplogroupsMaps.pdf
チベット・日本に」近いと思われるYAP-Dがスマトラ周辺に多いことに注意。
またアフリカのYAP-Eを見るにつけ逆移住はどうかと思う。
やはり、マドラス近辺に移住してくる農耕文明の先端を走るものがアンダマン、
マレーシア半島付近からチベット・日本に向かうこと、そしてそれが日本に到達
スルのは三内丸山時代の前あたりと読んでいるがね。


459 :出土地不明:2006/06/18(日) 16:12:29 ID:5oDCyjme
それ逝け!でむぱまん!

460 :がいやまん:2006/06/18(日) 16:32:25 ID:NURtFj/q
>>458
M174という突然変異は中央アジアではなくスリランカあたりで発生したのではないかな。

461 :がいやまん:2006/06/19(月) 10:34:58 ID:6TT0tqZO
要するに、YAPというのは大別してEとDというパプログループがあり、アフリカ、欧州、
アジアにおいてはどういった歴史的状況において、どういった社会的出現をしており、
日本のYAPはそうした世界的枠組みの中で時代的にどこに位置づけるかというのが
われわれ2CHの人間ならばきわめて常識的なやり方だと思う。それを戦前の皇国史観
のやり方で上意下達で指し示すから日本どころか国際的に引っ込みのつかないことに
なる恐れがあるという警鐘を鳴らしているのであり、方法論批判の一つである。だから
この電波で何かを扇動する意図はまったくないことは理解してほしい。単なる外野の
傍観者なのだ。

462 :がいやまん:2006/06/20(火) 09:43:17 ID:FHWu4T2d
インド筋の情報
インド、中近東、アフリカ、アジアYAP
北インドシーア派回教徒E 11.30%
南インド・シッディーE/D不明 38.40%(南西部らしい)
中近東E
イラク12.2%
レバノン25.8%
トルコ16.6%
シリア20.0%
パレスチナ19.0%
サウジアラビア5.0%
アフリカE
ズールー81%
ピグミー79%
コイサン46%
東南アジアD
アイヌ87.5%
本州36.6%
九州27.9%
沖縄55.6%
タイ2.9%

463 :がいやまん:2006/06/21(水) 10:08:17 ID:uzYEBDhw
日本民族二重の起源にあるハプログループ分析が有益である。
http://img438.imageshack.us/img438/5519/japan9zr.th.gif

464 :がいやまん:2006/06/21(水) 10:11:16 ID:uzYEBDhw
ありゃー?大きくなってないぞ。
http://img438.imageshack.us/my.php?image=japan9zr.gif
こいつはどうだ。

465 :出土地不明:2006/06/23(金) 12:37:18 ID:9iXIjpaw
銅鐸レプリカいりまヘンカ? 安うしときまっせ by京○科学

466 :がいやまん:2006/06/24(土) 15:18:54 ID:gPPcVx6h
>>450
この情報は銅鐸は殷文明印で生まれ、オルドス文明に吸収され、朝鮮半島、九州北部に
多分銅剣・銅矛文化と共に南下したものという説を成立さすことになるかもしれませんね。

467 :出土地不明:2006/06/24(土) 19:02:08 ID:5cwS7FwK
いや、銅鐸は満州を経ている。

商周の青銅器文化がまず内蒙古の赤峰の夏家店下層文化に吸収されて
満州南部一帯に広がり、BC3〜BC4C頃に朝鮮半島に伝わり、
BC2C頃に九州北部に伝わったのだろう。

468 :がいやまん:2006/06/24(土) 21:25:37 ID:eWLWKAb5
http://www.rekihaku.ac.jp/koohoo/journal/no121/rekishi.html
「銅鈴から銅鐸へ
中国では、銅鈴は3900年前(龍山文化末)に純銅製品が現れ、3700年前(夏代、
二里頭文化)から青銅製品が普及する。世界最古の青銅鈴は高さ8cmほどの
小型品で、人の腰につけて使っていた。3500年前(殷代)には、人のほか、犬・
馬の頸や馬車に銅鈴をつける。朝鮮半島には前6世紀ごろ銅鈴が伝来する。
司祭者が身体に着け、神懸かりの状態になるのを助けていたようである。
前4世紀ごろ海を渡った銅鈴は、近畿地方で高さが20cmをこす大型品に
変わった。そして、鈕にも身にも文様を施した。 」
これが途中で「赤峰の夏家店下層文化に吸収された」
>>453
地下伏流水のような付帯文化が近畿地方で開花するということか。

469 :出土地不明:2006/06/25(日) 02:32:00 ID:coNshMul
>>385
のレスを見て、ここまで金属の知識があるのなら、奈良時代以前に銅の精錬くらい
できたのではと思うのだが、日本列島はそれこそあちこちから銅が出るからな。
今いまだに銅の鉱石は四国の山の中だとごろごろ転がっている。ただ採算に
会うだけの量がないだけだ。あの縄文人でさえ、黒曜石を捜し求めて伊豆諸島や
信州の山の中を探検したくらいだから、銅の鉱石だって必死になった探しまくると
思うのだが。

470 :出土地不明:2006/06/25(日) 02:37:50 ID:XF424kZN
>>496
同位元素の含有率比較で、弥生時代終わりごろまでは半島産の銅を使い、
後に、中国産のものをつかっている、ということで決着しているんだが。

471 :出土地不明:2006/06/25(日) 02:54:05 ID:coNshMul
あの時代の人もコスト意識があったのかな。ww
どう見ても、銅鐸を作れる技術力があるなら、銅の鉱石を精錬すること
くらいわけないとしか考えられない。また銅の鉱石くらいは本気で
探せば見つけることができたと思うのだが。ww
中国の漢代の銅銭はコイン商で見たけど、一枚100円だったからなぁ。
いまだに一枚100円だから、漢代だとそれこそものすごい数の銅銭が
流通していたのだろうな。それくらい銅銭が流通していたのだから
日本国内で手間隙をかけて銅の鉱石を探して、精錬するのがあほらしいと
考えたのだろうな。

472 :出土地不明:2006/06/25(日) 03:00:04 ID:XF424kZN
>>471
朝鮮半島では日本の弥生時代は銅器の時代から鉄器の時代にうつりつつ
あり、その段階で、スクラップ銅が安く日本に輸入できたんだよ。
対馬の人たちはそれを日本に運んで儲けていた。魏志倭人伝にあるとおり
だな。それで、日本国内で、銅の精錬をする必要もなかった。
日本で銅が必要になったのは、結局、白村江で半島との交流、あるいは
中国との交流が本気で途絶えたとき以降のことだ。だから、和銅になる。
で、和銅開宝ってわけだ。

473 :がいやまん:2006/06/25(日) 07:39:48 ID:OHmYBLgF
銅、鉛の鉱石を日本から大陸に輸出し、インゴットを輸入する形態もあるよなー。

474 :がいやまん:2006/06/25(日) 12:04:10 ID:bidM2b98
銅鐸は金冠からを経由している可能性がある。
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1123811439/menu:729

475 :出土地不明:2006/06/25(日) 13:52:52 ID:qMSP1DC9
>>473
もちろん、弥生時代から古墳時代まではそれはあり得ないだろ。
っていうか、日本から大陸に輸出したものの同位体比が大陸産のそれに
なるはずないし。

476 :がいやまん:2006/06/25(日) 14:14:48 ID:qREAV5Qv
弁辰にナメリミトという国があるがこれは富山湾の滑川河口、上流に神岡鉱山があるん
だが、これの租界地ではないだろうか。神岡の鉛を出していたと思うんだけど。

477 :がいやまん:2006/06/25(日) 14:17:33 ID:qREAV5Qv
富山というところは信州の黒曜石、ヒスイなどで縄文時代からの国際港であったは
ずだがなー。

478 :出土地不明:2006/06/29(木) 23:57:45 ID:WbkwRuOR
>>472
なるほど、面白い。

>>473
ないないw
古墳時代ところか現代にいたるまでありえんw

つーか、このスレの住人は仮にも金属製品について語ってるんだから、
「製錬」と「精錬」は別物だときづいてほすぃ・・・

479 :出土地不明:2006/06/30(金) 14:30:02 ID:evqCxxsD
>>471
コスト意識は生物なら全て持っている。

480 :出土地不明:2006/07/01(土) 01:17:06 ID:hlr6O5ex
>>479
コストを考えたから硫化水素から酸素に鞍替えしたんだよな.

481 :高二:2006/07/22(土) 23:26:02 ID:ftcxlAW3
那須大社にある鉄鐸を知ってますか?名前はサナキの鐘と言います。

482 :出土地不明:2006/07/23(日) 19:35:51 ID:EK/yA4Jy
銅鐸は実は風呂。日本人は昔から清潔好きだった。

483 :出土地不明:2006/07/27(木) 07:41:07 ID:vnssr3eL
wikipediaに祇園祭の山車(だし)は銅鐸信仰が受け継がれたものだと書いてある。
確かに銅鐸とは神がかりな力の象徴で、それを祇園祭で流行り病を治めるための
シンボルとして使ったのは、神道の中の呪術に関する繋がりを感じる
山車と銅鐸は四角錐と円錐の違いこそあるが、山車は山の形をした車であり、
銅鐸も須弥山を表すものであるならば山そのものであり、その関連性は否定できない。

平安時代の山車。全国の山車祭りの先駆けは祇園祭である。
http://www.nichibun.ac.jp/meisyozue/kyoto/jpg/jpg2/km_01_02_008.jpg

484 :出土地不明:2006/07/27(木) 07:43:31 ID:vnssr3eL
上の絵図は江戸時代のものだった。スマソ

485 :がいやまん:2006/08/02(水) 18:36:59 ID:VR7wYLB6
山車は鉾との関係が強いかと。一方、銅鐸は破砕する点で鏡、そして、
それ以前は玉、勾玉などの系統であろう。武器系、玉系とでもしようか。
そして玉系にはアマテラス・スサノオにも登場する生命生産の意味がある。
それに対して武器系は見てのとおり防衛、護身である。鉾とか山車も
どちらかといえば防衛的なものといえようか。テポドンよりは少子化対策
の必要なわが国としては刀剣類よりネックレスのほうがいいのだろうか。

486 :がいやまん:2006/08/02(水) 18:41:31 ID:VR7wYLB6
ただし、鉾とか剣も男性のシンボルとすれば、少子化対策には
重要なものともいえる。割られないで刺すだけでは平等ではない
という声も出てくるかもしれないが。

487 :出土地不明:2006/08/02(水) 22:31:56 ID:PXwNkZVg
ボクシングライトフライ級王座決定戦
【亀田興毅vs.ファン・ランダエタ判定の真実】
http://society3.2ch.net/test/read.cgi/mass/1153162406/37



488 :出土地不明:2006/08/02(水) 22:40:13 ID:jQ24UGM9
チャンネル桜

http://hisazin-up.dyndns.org/up/src/14540.wmv

在日特権在日特権在日特権在日特権    21.68MiB



489 :がいやまん:2006/08/04(金) 15:33:16 ID:MFsu9Yqo
祇園の山車は全国の模範のようなものだ。全く違うがネプタ、ネブタもよく似た
行事。祇園の地車の鉦の鐘の音が銅鐸の鐘の音の伝統を継承したというのは
よく理解できる。京都の暑い夏に鐘の音はよくマッチしている。古代人も銅鐸は
夏に鳴らしたのであろうか。

490 :出土地不明:2006/08/05(土) 19:58:08 ID:h/DHZTZq
 スサノオもオロチも出雲神話で
八幡とは関係ないのになんで八幡が
出てくるのだろう?もしかして日鉄?

491 :出土地不明:2006/08/11(金) 01:51:44 ID:dRUF7bVs
製鉄がらみの歴史だからだろ。

492 :がいやまん:2006/08/21(月) 17:20:33 ID:7Omgz6ZA
八幡信仰は豊前綾幡辺から発生したのではとも言われるが、この辺は
きわめて歴史の古いところのようだ。弥生遺跡としては↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/news/map.jpg
古墳時代には↓
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/shinpo/164.gif
この石塚山古墳被葬者は邪馬台国政権の大物だろう。
古墳時代には出雲の出る幕がないことはよくわかる。邪馬台国、すなわち
天孫によって放逐された銅鐸を含むが鏡を含まない文明の根拠地であった
のだろう。出雲の荒神谷・加茂岩倉遺跡からは鏡を含まない多くの青銅器
が出土することがこのことの裏づけとなる。

493 :がいやまん:2006/08/21(月) 17:31:29 ID:7Omgz6ZA
http://homepage3.nifty.com/kiya/sehachi/kiya330a.htm
>━綿津見豊玉彦━┳宇都志日金折━多久置━━━穂己都久・・・[安曇・安曇犬養・辛犬                                             甘(穂高)]
  (海神)       ┃(穂高見)
             ┗振  魂━━┳武居起━┳━珍 彦・・・・[倭直・倭国造・明石国造]
          (布留多麻) ┃    ┃(       椎根津彦)
                        ┗大鐸比売┗━八玉彦・・・・[八木]

神武・珍彦より1世代前に大鐸比売と言うのがいるのがくさい。どうも神武は銅鐸文明
の破壊者のようだ。





494 :月光仮面:2006/09/20(水) 09:58:04 ID:GflMlTzA
銅鐸は珍彦(椎根津彦)の世代、神武の前の世代までは存在した。神武は
葛城のアカガネのヤソタケルを討っているので、銅鐸を駆逐し、鏡を導入しようとする
九州文化の継承者であった。しかし、近畿における銅鐸の駆逐は神武が開始した
ものの、神武の死後、その子、タギシミミは殺され、銅鐸勢力は盛り返し、尾張
ヨソタオ姫の頃までは続いたものの、孝霊の頃、吉備の勢力と共に鏡が最終的に
銅鐸を駆逐、同時に、東海土器も伊勢湾西岸を離れる。

495 :月光仮面:2006/09/20(水) 10:22:11 ID:GflMlTzA
邪馬台国は最終倭国乱、国譲りを含んでいる。であるから、初代卑弥呼はイスケ
ヨリヒメであり、ホト+タタラとは宝鐸+祟り(霊)であり、銅鐸を祀っていたのに、最終
卑弥呼であるヤマトトトヒモモソヒメは既に鏡に変わっていたということになる。
ヒメがホト(宝鐸)を刺して崩御したことは銅鐸の残党、狗奴国への呪詛であったのかも
しれない。

496 :月光仮面:2006/09/20(水) 10:25:08 ID:GflMlTzA
>>494
紀州の銅鐸祭祀の一時的中断はこの頃の動きに連動するものかもしれない。

497 :月光仮面:2006/09/20(水) 18:34:25 ID:pAR83Aaz
参照→【シルクロード】日本人と謎の秦氏?【始皇帝】
http://academy4.2ch.net/test/read.cgi/history/1157465721/menu188
>>494-495
しかしながら、三輪神社にはヒメタタラ・イスズヒメとヤマトトトヒモモソヒメしか
祀られていないところを見ると実際の卑弥呼は庄内時代に一人と布留時代に
一人の合計二人ではないかと思われる。欠史八代の残りの天皇は各卑弥呼
の4官であったのではなかろうか。


498 :月光仮面:2006/09/20(水) 18:59:40 ID:pAR83Aaz
イスズヒメが崩御し、国のシンボルが銅鐸から銅鏡に変わり、公孫に使節が派遣される
頃に、モモソヒメが卑弥呼となったものの、10年足らずで崩御したことになる。こうすると、
箸墓はイスズヒメのために作られたが出来上がるとちょうどモモソヒメがなくなったので
モモソヒメの墓としたということなのだろうか。

499 :月光仮面:2006/09/21(木) 10:18:58 ID:gADB1aao
衝撃的なことではあるが、この三島出身のイスズヒメが活躍したのは大和ではなく
伊都国であり、その墓は平原にあった可能性もある。平原遺跡は九州北部に庄内
土器が押し寄せた頃のものである上に、平原遺跡は弥生時代前期後半の大阪府池
上遺跡・同府四ッ池遺跡・同府東奈良遺跡など大阪府下で始まるものである。一方、
この時期に纒向遺跡から国産大型鏡などは全く発見されない。逆に纒向では
布留時代に入って突如箸墓ができるのだから、倭国全体で捉えると河内から平原へ、
そして平原から纒向へと何らかの移動があったと考えられる。

500 :月光仮面:2006/09/21(木) 10:46:06 ID:gADB1aao
ただし、共立された倭国女王と言うのは勢夜多々良媛↓
http://www.baika.ac.jp/~ichinose/ibaraki/mizokui/shomotu-kojiki.khtml.html
であり、これは摂津にいたのが、その子の代に伊都国に移ったということもありえようか。
いずれにせよ神武の影は薄かったのだろう。ところが神武には長髄彦との戦いという
存在意義がある。長髄彦は荒神谷遺跡の銅剣に象徴されるニギハヤヒ、ウマシマジ
など軍神、武神系統で、これはさらに月読命とか大陸の太公望との関連↓
http://www1.ocn.ne.jp/~matsuo3/books/taikoubou.htm
もありそうなのだが、一時出雲、吉備辺りで銅剣をシンボルとする国家設立という
野望を秘め、倭国大乱の原因となったのではないかと思われる。天下を取った
暁には鏡の代わりに銅剣によって全国を統治する腹をもって出雲と結託したものの
結局は物部として大王家の中に組み込まれたのであろう。

501 :月光仮面:2006/09/21(木) 10:55:04 ID:gADB1aao
漢が三国志時代に入る頃に、倭国も三国志時代に突入した。それは平原の鏡、
荒神谷の剣、矛、そして加茂岩倉の銅鐸のそれぞれの集団の激突であり、結果
全てを土中に秘めたまま、倭国は三種の神器に象徴される3つの文化の統合
されたものとして誕生したのではなかろうか。アマテラスはこうして生まれたので
あろう。

502 :月光仮面:2006/09/21(木) 11:28:12 ID:gADB1aao
物部の方は天下統一の暁には流通神器を銅剣にしようとするシステム構想と
更には物的な銅剣まで準備していた。一方、天孫は大量に同権を配布する構想、
これは、九州では旧伊都国にはあった構想ではあるが、その準備はなく、纒向
建設時には生産が追いつかず、急遽公孫に銅鏡を求めた。これは河内庄内政権
と言うものは本来システム構築構想を持たず、ニギハヤヒ、ウマシマジ、長髄彦
に対してリベラルであったが、彼らの野心に気付いたはじめて神器の重要性、
論功行賞の重要性に気付いたのだろう。それがAD238年頃の公孫への遣使であった
のか、あるいは銅鐸産業を鏡作りに転換しようとして失敗したのか。


503 :月光仮面:2006/09/21(木) 11:59:52 ID:gADB1aao
しかし、倭国の使節が帯方に行くと公孫が魏に殺され、生まれたばかりの倭国に対し、
生まれたばかりの魏が世界史上異常な一方的経済援助を行というのはいかなる出会
いよりも不自然であり、こんな外交は現在の米英でもできないであろう。魏から受け取る
銅鏡には銅出徐州ということばがあり、倭人伝は倭人が呉の太白の末裔ではとする。
この辺に時空を超えた銅製品崇拝の風習を共有するつながりがあるのではないかと思う。
この点で気になるのは生口であり、これも殷の時代からの交易のプロトコールであるの
かもしれない。

504 :月光仮面:2006/09/21(木) 12:24:29 ID:gADB1aao
>>499
倭人伝の時代に」伊都国に駐留し、周辺諸国がこれを畏怖したという強力な
権力、一大率は平原古墳との歴史的関係があるのかもしれない。ここに
伊都国の地図がある。
http://www.city.maebaru.fukuoka.jp/city/bunka/ito-museum/tanbomap.htm
この右上に志摩町というのがあるが、葛城の島の率彦というのはこの志摩町
で一大率を勤めたものだとすることもできる。また、タケシウチの宿禰というのは
九州の蛮族を制圧する鎮西将軍と言った職務であると言うことになろうか。


505 :出土地不明:2006/09/21(木) 17:19:38 ID:AZoBswUF
いや、けっこう、けっこう。

けっこう仮面。

506 :月光仮面:2006/09/22(金) 10:11:08 ID:TZZ4W6rx
>>504
三雲南小路遺跡においては三種の神器が勢ぞろいしているから王権が成立
http://www.k2.dion.ne.jp/~kisa/fukuoka_so2.htm
していたと思われるが、平原は銅鏡39面、鉄製大刀1口、メノウの管玉12個…等々、
どちらかと言えば鏡と鉄製太刀、すると、ホト=フツの御霊のフツ≠銅鐸/宝鐸
と考えたほうがいいかも。
モモソヒメの死も、狗奴国をのろい、鉄製大刀をさかさまに立てて祈って江いたところ
老齢でそれに倒れて職務中に殉職したと言うことかな。

507 :月光仮面:2006/09/22(金) 10:46:01 ID:TZZ4W6rx
倭面土国帥升であるが、官職は大宰府権のソチのソチを帥升といい、出身は豊(豊前)、
葦原瑞穂国(豊前と東方周防、長門、安芸)を領地とする大元/御許国、倭面土国国王
で、この子孫が多分ニニギとか、神武、そして邪馬台国時代には石塚山古墳に埋葬さ
れた有力者であったのではないかと思っている。

508 :月光仮面:2006/09/22(金) 10:56:00 ID:TZZ4W6rx
さらに、その東方出雲、伯耆、因幡、吉備が投馬国で、更にその東部には
阿讃播があった。投馬国は豊前の伽耶系渡来人、秦氏系の冶金・鉱山関係者が
多く、巨大古墳とか、特殊器台、埴輪の技術を持ったものがいたが、内乱を起こし
阿讃播に制圧され、同様にして制圧された東海の技術者共々纒向に連れられ
巨大古墳、布留式土器をはじめるのであろう。

509 :月光仮面:2006/09/22(金) 15:31:37 ID:Ag+DBpe4
>>506
ブリャート考古学会情報ではヒモロギ部と祭壇部に分かれる祭祀遺跡を
結合する部分は「橋」と呼ばれるが、牛馬のごとき役蓄をも意味するとのこと。
箸墓周濠からは世界最古の木製鐙が出土しているが破損している。これは
ブリャート同様、広隆寺牛祭りに見られるような牛に司祭者がのって後円部
に向かうと言うアクロバチックなことを行い、途中で事故が発生、卑弥呼が
神器の鉄剣によって誤って身を傷つけ事故死したと言うことも考えられる。

510 :出土地不明:2006/10/27(金) 07:28:00 ID:QAfGmN+Z
ドータクン

511 :出土地不明:2006/11/12(日) 00:57:40 ID:NCBn14Dj
>>500
これ面白いな
そういえば高槻(三島)で卑弥呼の時代っぽい鏡がみつかったもんな


512 :出土地不明:2006/11/15(水) 05:15:52 ID:MKdwIg18
【徹底】削除ボーイズ0326【検証】
http://book3.2ch.net/test/read.cgi/bun/1163513797/

賞金2000万円の小説大賞ですが、盗作疑惑なので中立な判定できる冷静な人が必要です。
小説と映画の両方を見て冷静に判定できる方だけお願いします。

どこにでも面白半分の子供がいるので、未明の考古学板に来ました。
分別のある大人の方だけお願いします。

513 :月光仮面:2006/11/19(日) 12:44:05 ID:+6vI3b2i
銅器の埋蔵について、長江下流域とか日本では岡の中腹に多いと聞くが、これは銅鐸
のような形状の銅器と山岳風景、更には、山岳風景による日月星辰崇拝宗教の一環と
して、またはその祭具として銅鐸が使用されたと考えられる。たとえば、諏訪大社の湛神事
には鉄鐸がしようされ、日光二荒神社、二荒山、男体山山頂への鉄鈴献納などに見る
ことができるが、加茂岩倉の銅鐸埋納にもこうした背景があるのだろう。埋納される神器
としては銅鐸から、鏡、矛、剣と金属製のものが多いようであり、金属の神、金神(コンジン)
への供献とも考えられる。

514 :月光仮面:2006/11/19(日) 13:21:39 ID:+6vI3b2i
だが、鏡池となると話は異なる。例えば御来光を池に移して拝むと言うこともありえ
ようし、平安鎌倉時代には羽黒山で鏡を奉納する池が出現している。これは古代で
はなく中世となる。しかし、この背後には古代の金属器を山に奉納すると言うドクトリン
が働いているのかもしれない。

515 :月光仮面:2006/11/19(日) 13:29:19 ID:+6vI3b2i
山岳信仰と金属の関係を考察して見ると、古代の初期において金属と言うものは、
コーカサス、カルパチア、アルタイ、タイ北部、アンデス等の特に山岳部で産出され
た事によるものかもしれない。中国でも山岳信仰と共に銅緑山、無錫方面に西方
から入ってきて殷の青銅器文化を作り出したのであろう。

516 :出土地不明:2006/11/21(火) 03:48:20 ID:f+E/8uc6
>>492
八幡は八秦(ヤハタ)
秦氏が作った神社

517 :出土地不明:2006/11/21(火) 22:52:37 ID:oycq1Qn/
八幡は「八・波・多」=海

518 :名無しさん@お腹いっぱい。:2006/11/30(木) 12:39:21 ID:MQZ8VLZB
関連wiki
http://wiki.ninki.org/wiki.cgi?p=%c6%bc%c2%f8%a4%cb%a4%c4%a4%a4%a4%c6%b8%ec%a4%ed%a4%a6


519 :出土地不明:2006/12/11(月) 13:33:52 ID:y6pxMb+a
銅鐸の形ってどうして前方後円墳に似ているのだろう
表面の模様は抜きにして外郭だけで見ると
同時期にこんなに似通ったもの2つはほかには見当たらないんだがね

520 :出土地不明:2006/12/12(火) 00:32:09 ID:gbkXlxKA
似てない

521 :月光仮面:2006/12/12(火) 17:07:44 ID:y8fcN9hL
>>519
上方、つまり、天の方向に向かう角度につき何らかの宗教上の根拠に基づく
共通の角度を適用したと言うことでしょうか。たとえば、時代は飛鳥時代に
なりますが来朝するトカラ人が須弥山を構築する能力を朝廷に売り込んで
います。百済方面の石造五重塔とか、法輪とかも入ってくる。こうしたことの
背後には何らかのノウハウがあるとも考えられますね。

522 :出土地不明:2006/12/12(火) 23:53:05 ID:Ph7L8s15
銅鐸のコップ形状というか、その勾配の比率は大体共通してるように見えるな

523 :月光仮面:2006/12/16(土) 08:22:25 ID:f+/tbWyF
>>514
現在のアルタイ地方で行われる夏至の太陽光線を氏子集団
の集団祖神山山頂に置いたタンバリンを通して拝む風習、
これが内蒙綏遠山戎文化において江南から伝わった銅鈴を
改良した銅鐸にと変化したものとも考えられる。勿論、
後漢書・魏志韓伝にあるような木に銅鈴を吊るす風習も
あったことであろうが、朝鮮小銅鐸が日本に入ってから
特化、重量化してゆくのは、江南的な祭り方と並行して、
上記のアルタイ風習が、特に中部地方を中心とする特定の
場所において三遠式銅鐸として特化することの原因になった、
そしてその起源は琵琶湖南岸の三上山を信仰する渡来集団
にあったのではなかろうか。

524 :出土地不明:2006/12/17(日) 00:22:28 ID:AtSx310/
>523
それって、もろですな

525 :出土地不明:2006/12/17(日) 00:23:23 ID:AtSx310/
>523
ちなみに、タンバリンをどの様に使って太陽を拝むのですか?


526 :月光仮面:2006/12/18(月) 07:55:32 ID:rdnk/Pnb
>>525
透かすのだそうです。曇りガラスによる日食観測みたいですね。銅鐸との共通点は
音響効果ということになります。日光男体山山頂の鉄鐸遺跡等に何らかの鍵がある、
赤城山の蜈蚣、つまり、鉱業関係集団との戦闘伝承もあり、鉱山関係集団の信仰
対象であったこともあるのかなと思います。

527 :出土地不明:2006/12/18(月) 09:02:18 ID:/KrcONH8
>>523
朝鮮銅鐸は日本最古の銅鐸より3世紀も新しいんだが

528 :月光仮面:2006/12/18(月) 10:56:36 ID:rdnk/Pnb
朝日遺跡のものよりはその程度新しいということでしょうね。逆に朝日遺跡の
方が朝鮮銅鐸よりも3世紀も古いということでしょうね。吉野ヶ里方面にもあるし
逆コースもありかな。今後の発掘に期待します。

529 :月光仮面:2006/12/18(月) 11:20:45 ID:rdnk/Pnb
燕人衛満時代列島に到着した馬韓月支族の中にはアルタイ・パジリク時代
のクマン(白鳥人)がおり、そのシャーマンの髪型に銅鐸の飾り耳
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
飾耳 http://f1.aaa.livedoor.jp/~megalith/kouko10doutaku.html
を見ることができる。刺青もこの頃のアルタイにはあるし、
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/tatu.jpg
後の後漢・魏志韓伝でも三韓に刺青の到着していたことは読み取れる。
この時代アルタイは馬の犠牲が活発でスサノオの馬皮生剥ぎはナマハゲ
等の伝説になったのかもしれない。
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/pogreben1.gif



530 :月光仮面:2006/12/18(月) 11:39:29 ID:rdnk/Pnb
刺青で倶梨伽羅紋というのがあるそうだが、ブリャートにはクダラ(避難地の意)地名
とかクリカンという古代部族がいる。倶梨伽羅峠もこの点から見直す必要があろう。

531 :月光仮面:2006/12/18(月) 12:03:32 ID:rdnk/Pnb
欧州に入ったクマン(カザフスタンのキプチャク、ロシアのポロベツ、これって幌別郡
(ほろべつぐん)は胆振国にかつて存在した郡に似ているが)はヤクート人の先祖である
クリカン族というが、これが富山に入りクリカラ峠になったのかもしれない。さもないと
スイスと秋田のナマハゲがつながらない。

532 :月光仮面:2006/12/18(月) 12:23:59 ID:rdnk/Pnb
アルタイで指摘されているのはカザフスタンにスイトン料理が入っていることで
あるが、日本には稲庭うどん、むぎきり、きりたんぽなどが入っている。讃岐うどん
の南には阿波の大滝山があり馬の首切り伝説がある。熊本も馬肉が有名。

533 :月光仮面:2006/12/18(月) 12:29:07 ID:rdnk/Pnb
また、闘牛、闘犬、月山神社、裸祭りもこれら文化のキーワードだろう。東テイ人
の話には土佐犬のようなものが出てくる。チベタンマスチフのような系統が飼われ
ていたのであろうか

534 :月光仮面:2006/12/18(月) 12:32:05 ID:rdnk/Pnb
>>529
古墳にも飾り耳のようなものが付くことは、銅鐸と古墳の外形の類似が信仰対象である
神の姿を意味しているのかもしれない。

535 :月光仮面:2006/12/18(月) 13:49:33 ID:rdnk/Pnb
>>530-531
「平家軍は、倶梨伽羅峠の「猿が馬場」という所で兵を休ませた。それに対して義仲
は、兵を7隊に分け、夜ひそかに平家軍を包囲し、牛の角に結んだ松明に火を点けて
平氏の陣中に追込み、これを合図に総攻撃をかけた。寝込みを襲われた平家軍は、
恐慌を来し、戦うどころか逃げ惑い、砺波山の「地獄谷」に追込まれて多数の死傷者
を出した。これが世に名高い倶梨伽羅峠の戦いで、敗北した平家の人は白川に隠れ
住み。之が五個荘集落 」
http://www.geocities.jp/vk8tokmt7/sizukaninemurusirakawakyou.html
これは西部劇駅馬車などにあるスタンピード戦略を軍略としているもので木曾に住み
着いた異族が朝廷の討伐を受けたのもこうしたところにあるのではなかろうか。

536 :月光仮面:2006/12/20(水) 15:18:13 ID:hRJ2ENBs
>>529 >>534
日本列島に入ってきたのは満蒙・朝鮮半島の多彩な民族の中でも、特に、金神
(香具土神、天香具山)と言うテクノクラートとそれを支配するスキタイ系シャーマン
・物部などであり、いわば鉱山関係の選民たちで、彼らは歴史的にシナイ半島で
史上初めて同様の経験を持つユダヤ人と似たところがあるのであろう。古代人金属
関係は探鉱、開発、生産、製品販売を一手に握る現在で言えばダイヤモンドとか
貴金属のシンジケートのようなものであったのではなかろうか。弥生日本と言うのは
文化的に何でもいいから吸収して成長して行ったのだろう。だからと言ってわれらごと
きが日本の天皇家の出自を憶測することはできないが、稲作社会、土地を持つもの
強さと言う保守性を考えると渡来人が天皇になれるような環境でなかったことは想像に
難くないのではないかと思う。

537 :出土地不明:2006/12/21(木) 12:15:00 ID:DmxvjgSM
結婚を迷っている若き独身男性諸君、結婚ほど馬鹿馬鹿しいものはない。
今の20代、30代の女は「どうやって男にたかるか」を必死に考えている。だまされるんじゃないぞ。

「結婚は1億円の無駄遣い」

実際は1億どころじゃ済まないけどな。子供ひとりで4000万の出費だ。宝くじでも当たったら、考えてくれよ。

結婚した瞬間に、30年間の強制労働が約束される。
どんなにがんばって稼いでも、自分で使える金額は1日数百円程度になるぞ。
どうしても買い物がしたければ、妻に頭を下げて「お願い」するんだ。
そして「無い袖は振れません」と、あっさり却下される。
残りはすべて、ガキと女が「当たり前のように、何の感謝もなく」吸い尽くす。

家事は極めて軽労働になった。
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538 :出土地不明:2006/12/29(金) 13:24:04 ID:2mWB2Sl6
銅鐸のルーツは中国雲南省周辺から出土する銅鼓だと言ってる学者が多い。
銅鼓、てん王などで検索すれいろいろ出てくる。
雲南省の古墓から出土した銅鼓に描かれた、まるっきり伊勢神宮のような千木を有す建物、
2100年前に雲南のテン王に漢から贈られた金印と、倭に漢から贈られた金印の類似性などから
神社建築や銅鐸を持ち込んだ人々は確実に雲南省のほうから来ているか、あるいは
中国の長江下流域辺りから2つに分かれてしまったのだと思われる。

539 :出土地不明:2006/12/29(金) 23:28:44 ID:TiYKBk3y
あほだろおまえ。

何で銅鐸が銅鼓(ドラム)なんだよ。

器形がさーっぱり違っているだろが。

銅鐸のルーツは銅鈴。

銅鈴が遼東・朝鮮経由で大型化してBC4C頃に日本に伝わり、
さらに日本で大型化したのが銅鐸。

銅鼓も銅鉦も弥生期に伝わってませんから。

残念でした(嘲笑)

540 :出土地不明:2007/01/26(金) 13:07:54 ID:sX76Wl6L
神武東征と、銅鐸祭祀集団消滅が関連付けられてるが、
日本武尊が死ぬ間際に残した言葉は、熱でうなされていたせいなのかなんなのか、
かなり九州言葉が入り混じってると感じる。
神武東征で中央に九州言葉が入り込んだのだろうか。

541 :出土地不明:2007/01/28(日) 19:30:40 ID:jbwxl1gf
銅鐸のルーツはカウベルらしいけど。

蛇よけの銅の鈴。

鈴の音が重要だったようだ。
音に魔よけ・「へき邪」の力があった。
蛇よけが発展して邪悪なものを払うものとなり激しく鳴らして魔よけにしたのだろう。
そしてだんだん大型化。40センチくらいまでは
持ったりひもを紐にかけて樹からつるしてならしたりしたのだろう。
古段階のものには「目」の模様が鋳込まれていたこともある。眉目秀麗の
が。吉野ヶ里出土のものとか、福田銅鐸とか。
流水紋・渦巻き紋は目なのかもしれない。
鋸歯紋は魔よけの模様といわれる。中国では同じ模様が竜の鱗らしい。
そして魔よけからさらに発展して仏教で言うところの輪廻・弱肉強食の自然の摂理
を表現し目に見えぬ神に豊穣・安全を願うものになったのだろう
模様には毒虫のムカデ、蛙をくわえた蛇、魚、魚を食べているサギ、
亀、トンボ、アメンボ(本には蜘蛛と書いてあるが、あの4本足は絶対アメンボだ。アメンボも
水面に落ちた虫を食べる肉食昆虫。水面に浮いたアメンボは4本足に見える。蜘蛛で4本足に
見えるのは黄金蜘蛛くらいだが、田圃には普通いないだろう))など田圃で蹴り広げられる
生命の連鎖、再生、弱肉強食を思わせるものが多い。サギと鹿は魂の移動と再生の象徴だろう。
そしてさらに発展しそれを持つ者は冨と権力を得られるということになり、より大型化した。もはや
鳴らすことが出来なくなった。銅鐸の音ではなく銅鐸そのものが神となった。

銅鐸の埋納は、普段から行われており、祀りの時に掘り起こされて使用したと考える。
地中において銅鐸は大地のエネルギーを吸収すると考えたと思う。もともと銅鐸の材料は地中にあった。
ゆえにエネルギーの吸収も地中から行うと考えても不思議ではない。そして、神としての力を失い
不要になった銅鐸はまた地中に返される。時に破壊され、逆立ちにされ・・・・

銅鐸祭祀が終わったのはやはりアマテラスによる天壌無窮の神勅がなされ、太陽と魔よけ、農耕の
神が銅鏡に移り変わり、機能がダブる銅鐸は廃棄されたのであろう。生まれ故郷の山中に・・・
同じ材料の銅矛・銅剣も不要になると山中に返された。しかし太陽の象徴の銅鏡は山中に埋納される
ことはなかった。返す先は空であるから・・・

542 :出土地不明:2007/01/30(火) 22:27:05 ID:r0GJ0MTu
講談社の日本史概説書にも半島から渡ってきたばっかの頃の銅鐸が載ってた。

なんか、風鈴モンたいな感じだった。

543 :出土地不明:2007/01/31(水) 06:28:31 ID:y/Pa9DUE

銅鐸とは中国の華南地方から稲作と同時に日本に渡ってきたもの。

当初より祭祀や実用の品ではなく、日本列島に多い、『地震(地の神)』

を鎮める目的で製作さた。

現在の科学では地震発生のメカニズムは小学生の子でも認知しているが、

その太古の人々にとって、突然に訪れる「地震」の恐怖は相当であったろう。

恐れおののき、タブー視される「鎮魂」の意味をこめて、ひそかに

山間地などに埋められたとさ。と村の長老がいっていました。

544 :出土地不明:2007/01/31(水) 10:56:48 ID:B7I5udJr
福建省の弥生時代の遺物w



●福建浦城??西??越国大型聚落?址

器形有鼎、瓮、罐、盆、釜、?、?、杯、匏?、香栫A??等。
http://www.fjww.com/news1.asp?ID=32&PD=69





545 :出土地不明:2007/01/31(水) 11:21:34 ID:B7I5udJr
雲南省の弥生時代の八塔台古墓群からの遺物w



●八塔台古墓群

上述發掘出土文物1000余件,有兵器、生?工具、生活用品、裝飾品、
樂器和貨幣等,包括青銅、鐵、陶、玉、石等器物。器物中的兵器有刀、
劍、戈、矛;炊飲器有鼎、釜、罐碗等;裝飾品有?、珠、扣飾;
樂器有銅鼓、鈴等。
http://www.yn678.com/big5/zt_show.php?ztid=279&ztkind=10

炊飲器有鼎、釜、罐碗
樂器有銅鼓、鈴
炊飲器有鼎、釜、罐碗
樂器有銅鼓、鈴

546 :出土地不明:2007/01/31(水) 12:35:53 ID:UWuZlQBs
倭人の移動


             河北(燕)→馬韓→百済→任那
             ↑                 ↓
シュメール?・・・・→河南→江蘇→九州(天孫?)→ 倭国(蛇の金印)
             ↓                 ↑
      広西壮族← → 雲南(蛇の金印)→→沖縄

547 :出土地不明:2007/01/31(水) 12:43:04 ID:B7I5udJr
止めどもない笑いが込み上げてくるのを禁じえませんなw

548 :出土地不明:2007/02/02(金) 22:11:21 ID:ZLrSha+P
何で無文土器時代の韓国に中国系の遺跡も遺物(特に炊飯器の三足土器)も
一切出てこないのかな?w

江蘇→九州なら、何で九州から炊飯器の鬲が一切出ないのかな?w

雲南→沖縄なら、何で沖縄から水田遺跡も炊飯器の鼎や釜も一切出ないのかな?w


♪何でやろぉ〜〜

何でやろぉ〜〜

何でや

何でや

何でや

何でやろぉ〜〜〜〜(嘲笑)

549 :出土地不明:2007/02/05(月) 12:08:41 ID:6ERAyhvP
修善寺の益山寺の銅鐸知ってるやついるか

550 :出土地不明:2007/02/09(金) 14:46:34 ID:VwEs1HRy
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
古代中国では,いわゆる三足土器で炊飯していました。
http://www.hibari.ed.jp/club/ki/ki.html

551 :出土地不明:2007/02/12(月) 13:19:09 ID:xk572JVc
炊飯器チガイこんなとこにも来てたのねw

552 :月光仮面:2007/05/27(日) 15:40:36 ID:2ipHy5S0
雨乞い・龍・蛇
雲を出す・引っ掛けて蜘蛛
道成寺は銅鐸の本場・鐘には蛇が巻き付いたり、入り込んだりする
銅鐸文明をだました山伏、僧安珍に対する怨念
3セットでランドスケープ的に埋納するのは鴨神話との習合か
いずれにせよ銅鐸ユーザー王国紀州の話が多い。


553 :消毒太子:2007/05/28(月) 22:45:31 ID:oLwHlpdJ
植物はー地面に埋めるとーまた増えて生えてくるからあ、きっと銅鐸も
増えるんじゃなかろうかーって思って埋めたんだよう。
「産む」と「埋む」って共通してるしー。

554 :出土地不明:2007/05/29(火) 01:03:04 ID:5nNXTHKB
紀元前2世紀のローマ遺跡から銅鐸そのものが出土するんだが
お前らはそんな遠く離れた場所が起源だなんて信じる?
お馬鹿な学者は似て非なるものといいたがるだろうが
用途もまるっきり銅鐸と一緒

555 :出土地不明:2007/05/29(火) 01:47:27 ID:MvqL2kkJ
画像くれ

556 :出土地不明:2007/05/30(水) 19:30:35 ID:wSnw9DVT
ancient roman holy bell でぐぐれ

557 :月光仮面:2007/06/01(金) 06:53:28 ID:ZWp1Q4E3
http://www.edgarlowen.com/a52/b6263.jpg
http://www.edgarlowen.com/a52/b6266.jpg
http://test.huntmuseum.com/qzty2o/1229.jpg
http://www.qaronline.org/rcorner/bell3.jpg
日本のドウタクと同じで、鐸でなく、鈴だね。
日本のは東周時代までは中国で発達を続けていたのだが、戦国時代になって
ストップし、朝鮮・吉野ヶ里・東奈良で朝鮮小銅鐸が始まる。これは出直しに戻った
簡単な形だが、また中国的に発展を開始するがデザインは発注者の好みに合わせ
たもので、紀州などでは3ヶ所分散等のような埋納も見られるが、三遠式で見られる
ように東部では特化して行った。この文化圏が特に西部の紀州方面から自己崩壊
することにより銅鏡文化に移行するのだと考えられる。

558 :月光仮面:2007/06/18(月) 11:18:07 ID:cDHRagWM
伊勢神宮にはキリストの十字架が!?
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/min/1012827902/menu172
「「×」の選刻  加茂岩倉銅鐸の中に、鋳造後に「×」を刻した例が14個(1・5・11・13・
18・22・23・26・28・31・32・35・36・38号鐸)みとめられた。いずれも鈕の菱環部にタガネ
状の工具により打ち込まれたものである。こうした事例はこれまで荒神谷銅剣344本
のみで確認されていたものである。荒神谷銅剣の「×」印と比較した結果、いくつかの
類似点を見いだすことができた。「×」印の意味については不明であるが、加茂岩倉
遺跡と荒神谷遺跡の青銅祭器の一部が、埋納されるまでのある時期、同じ集団の管理
下にあったとも考えうる。」
http://www.highlight.jp/kougindani/16.html



559 :月光仮面:2007/06/18(月) 11:50:16 ID:cDHRagWM
プラトンは宇宙創造者がそれを創造したときに星宿黄道と天の赤道の交差X
で表したとした。X形は宇宙球を表す。ミトラス教では球の上に立つ星宿黄道
と天の赤道の交差を表す獅子頭神
ttp://www.well.com/user/davidu/lionhead_jp40.jpg
が登場する。

560 :月光仮面:2007/06/18(月) 11:56:52 ID:cDHRagWM
「神原神社の東側に加茂神社が鎮座、風土記記載の屋代社の後裔社とか。事代主を
祀る。摂社に上賀茂神社があり、味耜高彦根神を祭神としています。これらはどうも後
から持ち込まれた気がしてなりません。同町には貴船神も山城から勧請されています。
 神原神社の神原は神宝の訛のような説明ですが、カモのタカラからの変化かも知れ
ません。この神社が星と関係がありそうな磐裂・根裂神の子の磐筒男、磐筒女を祭神
としているのは、埋められた神宝への祭祀を思わせる所。 (ミトラス ウロボロス)
 この遺跡の北側に、磐座を神体とする矢櫃神社が鎮座しており、地名の岩倉の元と
なったようです。南側には赤秦神社が鎮座、神体は石で、徐々に大きくなると言われ、
あたかも常陸の甕星神社に居た天津甕星を彷彿とさせます。」 
http://www.pref.shimane.jp/section/bunkazai/fudoki/fudokif/kamot.html

561 :月光仮面:2007/06/18(月) 12:08:25 ID:cDHRagWM
ミトラス=天香々背男(天甕星)
http://www.well.com/user/davidu/cosmicmithras_jp40.jpg
http://www.well.com/user/davidu/atlasmithras_jp40.jpg
ミトラスの左右のものが足を交差するのは
http://www.well.com/user/davidu/esquiline_jp40.jpg
星宿黄道と天の赤道の交差を意味する。
http://www.well.com/user/davidu/diagram2_jp70.jpg


562 :月光仮面:2007/06/18(月) 12:15:17 ID:cDHRagWM
「「託宣集」によると、八幡大神は小倉山にいた先住の地主神である北辰神に、一緒に
住んで法界衆生利益の願を発そうと持ちかけたところ、北辰神は彦山に権現がいて、
一切衆生を済渡していると云った。香春大明神も八幡大神にむかって同じようなことを
云った、とある。北極星を神格化した北辰神を、妙見菩薩といって鉱山に関係がある。
北極星の信仰はもともと道教から出発したもので、渡来人が持ち込んだものである。
香春には妙見金鉱山がある。この妙見金鉱山の近傍には比口羊神が祀られている。
比口羊神が鉱山技術者の神であることから、香春では北辰信仰と比口羊神への信仰
が一対として伝えられ、それがそのまま宇佐神宮の二の御殿の比売大神とその脇殿の
北辰神との関係に置き換えられたと思われるふしがある。それでは北辰神と比口羊神
とを宇佐の小倉山で斎祀したのは誰か、ということになるが、それは渡来氏族で、宇佐
地方に誕生した辛嶋氏以外にない。大神氏は大和国中の近傍からの移住者と
思われる。また宇佐氏は土着の氏族であって北極星の信仰を持たない。総じて日本
には星に対する信仰は育たなかった。 」
http://www.sysken.or.jp/Ushijima/Den-buzen.html#anchor846664

563 :出土地不明:2007/07/10(火) 14:46:26 ID:pMsbcQ8g
俺も一回で良いから弥生時代の銅鐸を叩いてみたい

564 :月光仮面:2007/07/10(火) 16:33:28 ID:fV/rNQ87
どうぞこれを叩いてください↓
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/HOME.HTM

565 :出土地不明:2007/07/11(水) 12:27:17 ID:0S03dfke
↑ありがとう、あなたは神です。

566 :出土地不明:2007/07/12(木) 15:37:24 ID:RJn9WRVq
銅鐸は活断層の上に分布している↓

新たな視点〜銅鐸と地震
http://www.geocities.jp/atelier_efraym/yamataikoku10.htm

567 :出土地不明:2007/07/24(火) 17:09:09 ID:siFGmn0Q
銅鐸には錫合金が使われたと習ったんですがそれはなんのためにですか??

568 :出土地不明:2007/07/25(水) 01:00:16 ID:w241I6zC
鋳込むときに流動性を良くする為


569 :出土地不明:2007/07/25(水) 12:15:37 ID:DPQrp+3A
博多銅鐸

570 :出土地不明:2007/07/26(木) 02:32:19 ID:gblVUUqq
ちょっと面白かった

571 :出土地不明:2007/07/26(木) 12:02:20 ID:ENqIyApy
弥生時代の銅鐸って貴重なんでしょうね。

572 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 01:20:10 ID:zBynsMfU
なぜ巨大化したんですか?

573 :名無しさん@そうだ選挙に行こう:2007/07/29(日) 02:02:04 ID:kknatrMi
>572
ゴシック建築がなぜ巨大化したのか?という問いと同じ答えかと
Q=神への捧げ物だから 信仰の為に持てる技術を尽くすという行為
 

574 :出土地不明:2008/02/01(金) 13:43:35 ID:chfldiHI
DT

575 :月光仮面:2008/02/03(日) 16:53:03 ID:+bgyMMoH
http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/sousei/yayoinoukou/hokoku05/b/b4.gif
↑青銅器祭器は神々の時代、青銅器祭器からの離脱は「ヒューマン」天皇、大和王朝
時代。

576 :出土地不明:2008/04/19(土) 20:28:01 ID:GTUgVKn2
>572
巨大化=権力の象徴
ピラミッドしかり、万里の長城しかり、奈良の大仏しかり、戦艦大和しかり。これは人間という生き物の本性みたいなもの。
当時の1メートルをこえる銅鐸の製作は、今では1億円を超える(はるかにそれ以上か?)事業に値いするのではないかと思う。


577 :出土地不明:2008/04/20(日) 04:33:58 ID:1+/+reew
銅鐸文化が消えたのは、廃仏毀釈みたいなもんだったんですかね?

578 :月光仮面:2008/04/20(日) 09:18:44 ID:ImWp1x/h
↑旧銅鐸圏にとっては廃仏毀釈的要素が強く、その他の地域では御一新的だったの
では。山間部で銅鐸祭祀に専従するシャーマンとか、琵琶湖南部の銅鐸生産地とかは
リストラのようなことでしょう。名草姫が神武に八つ裂きにされたりするのは単に銅鐸を
破砕して埋納したことかもしれません。伊勢湾西岸方面から信州・関東方向に向けて
土器製作者等の移動が起こっていますし、尾張方面では墳墓形式が前方後円墳と前
方後方墳の2種類に分かれるようになります。西南の役のような過激なことはなかったよ
うですが。

579 :月光仮面:2008/04/20(日) 09:28:21 ID:ImWp1x/h
崇神のオオタタネコ登用、出雲神宝検校、垂仁朝の天日矛渡来などが表面的な
動きであり、その裏に隠れて銅鐸から三角縁神獣鏡への移行が進行していたのだと
思います。

580 :出土地不明:2008/04/20(日) 21:20:25 ID:SLT1xhim
銅鐸に描かれている絵が、原日本語を表すという説を以前聞いたが、信憑性は?

581 :出土地不明:2008/04/21(月) 19:32:34 ID:V3RPKH6O
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、張所長は、鐸が中国南部の越から日本
に直接伝わった可能性があると指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。


582 :出土地不明:2008/04/26(土) 17:16:09 ID:ZhEiMyRr
日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(最下方)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がったゴンドラ舟形、頭に鳥羽
を付けた人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の
模様と同じ。

http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

583 :出土地不明:2008/04/26(土) 17:24:01 ID:ZhEiMyRr
隼人の盾

http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html

584 :出土地不明:2008/04/28(月) 20:05:34 ID:6A10nqgj
あれっ、知らぬ間に!

585 :出土地不明:2008/08/25(月) 02:32:55 ID:H/Wr7mCv
>これは同じ水軍人物像だよ!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44846995_5?1219505900





586 :出土地不明:2008/08/25(月) 02:36:09 ID:H/Wr7mCv
じゃ瓜二つの紋様は鳥がくわえて飛んで来たのかね??答えてみろ。

一部を取り上げて否定しても駄目だぞ、全体的に一致点が多すぎるだろ
これらは偶然の一致か?鋸歯紋、鋸歯紋の内部の斜線、流水紋、波紋、
窓枠様の構成等々、頭に羽の羽人像、太陽、船先の鳥(イビス神)
これらは誰が伝えたって言うんだよ。答えてみろ!



587 :出土地不明:2008/08/25(月) 02:42:22 ID:k8Q1HXy2
>>これって他人の空似かな!!この紋様は朝鮮半島からは出て来ません。

日本の銅鐸のルーツ? ベトナム・雲南地方の銅鼓、貯貝器の模様(P35,38)
逆S字、のこぎり形、流水形、舳先の立ち上がった太陽の舟、頭に鳥羽を付けた
人物、等々器形は全く違うが模様はうりふたつ逆S字は「隼人の盾」の模様と同じ。
http://www.hum.u-tokai.ac.jp/journal/no76/BUNGA76Y-02_15162.pdf

淀江町角田遺跡
http://www6.ocn.ne.jp/~sako07/sumita.jpg
珍敷塚古墳
http://blog.livedoor.jp/warabite/archives/50018910.html
隼人の盾
http://www.kazuart.com/nazo/kodaibunmei/hayato/kiji/hayato/index.html


588 :出土地不明:2008/08/25(月) 02:51:47 ID:k8Q1HXy2
日本の銅鐸のルーツ? 中国で青磁器の「鐸」出土 [02/09]

http://sawyer.exblog.jp/tags/%E5%BC%A5%E7%94%9F%E4%BA%BA/

日本の銅鐸は、中国大陸を起源とする鈴が朝鮮半島から伝わり独自に
発展したというのが定説だが、朝鮮の鐸は遊牧系の鐸で日本の鐸とは
宗教感、使用目的がまるで違う。
張所長は、鐸が中国南部の越から日本に直接伝わった可能性があると
指摘し模様の表現方法も類似している。
稲作農耕を中心とする弥生文化のルーツ解明にも影響を与えそうで、
発掘結果をめぐる今後の議論が注目される。


589 :出土地不明:2008/09/01(月) 20:50:04 ID:8k1YbeSC
銅鐸と岩手南部の鉄風鈴は関係ないの?
形状が似てない?
物部氏が散らされて東北に行ったというけど。

590 :出土地不明:2008/09/05(金) 13:19:29 ID:Li5L3OnJ
>皆さん三足土器は東北,九州地方を中心に、数多く出土してるよ土器人に騙されないでね。
 北方沿海州だの九州から出てこないだのとワメキ騒ぐので要注意!!!

1. PDF] 縄文土器は、多種多様で彫り刻む文様が組み合わさり、世界的にみても ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat
漆塗り皿形土器〔大洞式土器〕/. 青森県重宝. 024. /注口形土器〔大洞式土器〕
/風韻堂コレクション. /鬲状三足土器〔大洞式土器〕. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕
/重要文化財. /漆塗り壺形土器〔大洞式土器〕/重要文化財 ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
六ヶ所村富ノ沢遺跡と、相次いで縄文晩期の大洞式に伴って三足土器が発見されることになる。
いずれも青森県埋蔵文化財センターの正式調査による出土であり、ことに今津例はポジの雲形文
’. とネガの工字文からなる大洞C2式ないしは聖山式特有の文様を ...


591 :出土地不明:2008/09/05(金) 13:20:56 ID:Li5L3OnJ

1. [PDF] 岩手県川目遺跡調査概報 草間俊一 ...
ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
にほ縄文式晩期の大洞式のものが多く,第1区にほ晩期のものが僅か混入する程度で,
後期のもの .... この類の土器では図版第2図の2の如き三足土器が. 損土している.
この土器の文様ほ,胴部全体を縦に六つに区劃し,その区劃は2条の沈腺によって ...

1. [PDF] 青森県虚空蔵遺跡出土土器の共同研究ファイルタイプ: PDF/Adobe Acrobat - HTMLバージョン
九州の一部で発見される三足土器について、賀川光夫氏はそれらが黒陶類似の黒色土器.
と共伴することに注目し、大陸との交渉を肯定的にとらえた(賀川 1961)。この説を
支持した. のは、梅原末治氏で、瑛状耳飾りや大分県秋葉遺跡の有足土器をもとに、 ...
dspace.wul.waseda.ac.jp/dspace/bitstream/2065/8557/1/80466_42.pdf


592 :出土地不明:2008/09/05(金) 13:22:21 ID:Li5L3OnJ

一九七〇年、大分県の国東半島にある重藤遺跡から鉄製の剣が木炭とともに出土した。
これをC14年代測定法で分析したところ「紀元前六九五年プラスマイナス四〇年」
という結果が出た。しかし考古学界はこれをほとんど黙殺。「鉄は弥生時代」との通説
と合わなかったからだ。
縄文式とも弥生式とも異なっていて、中国大陸最古の王朝「殷(いん)」のものと
よく似たトウテツ紋様の土器片が数多く出土している。

伊木力遺跡からは、瀬戸内海沿岸特有の船元 U 式土器が出土した。 それによって、
そこの住民が瀬戸内海沿岸まで交易に出かけたありさまが伝わってくる。
大分県豊後大野市「秋葉遺跡」で、中国の青銅器そっくりによく似た三足土器が出土し ...


593 :出土地不明:2008/09/05(金) 13:24:54 ID:Li5L3OnJ

>これは同じ水軍人物像だよ!! 待てよチブサン古墳って起源前か!!

熊本・チブサン古墳「冠を被った人物像」
http://www.pref.kumamoto.jp/arinomama/contents_dbpac/asp/bunkazai/frame.asp?m_id=0&disp_img=&group_id=6&wk_group_id=&order_kind=&pageCnt=&id=73&name_in=&area_id=&rank_id=&shitei_id=&bunkazai_id=&b=map&imgcnt_flg=some

呉越時代・臨し出土「水軍戦闘図」(アクセス変更の様なのでコチラヘ)
http://img.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1585292/img_1585292_44914340_3?1219768360


594 :出土地不明:2008/09/05(金) 16:47:42 ID:tVjiQelq

陝西龍山文化系三足土器は何と無く弥生っぽく親しみ湧くね。

紅陶雙耳鬲(陝西龍山文化系、BC2500〜1500)
http://www.daito.ac.jp/~oukodou/gallery/gallery-576.html


595 :大和島根:2008/10/30(木) 22:10:33 ID:OiSNW7tM
いま、薮田絃一郎著「ヤマト王権の誕生」が密かなブームになっていますが、
それによると大和にヤマト王権が出来た当初は鉄器をもった出雲族により興さ
れたとの説になっています。
 そうすると、がぜんあの有名な山陰の青銅器時代がおわり日本海沿岸には四隅突出墳丘墓が
作られ鉄器の製造が行われたあたりに感心が行きます。当時は、西谷と
安来-妻木晩田の2大勢力が形成され、そのどちらかがヤマト王権となったと
考えられるのですがどちらなんだろうと思ったりもします。
 同じ出雲でもちょうど、西谷は出雲大社の近く、安来は伊邪那美尊の神陵地の近くなので神話とのかかわりにも興味が出ます。

596 :月光仮面:2008/11/05(水) 14:58:21 ID:UBeROv0V
>>594
バイカル石板墓時代(春秋)三足土器。
http://www.museums75.ru/images/arxeo9.jpg

597 :出土地不明:2008/11/05(水) 16:33:50 ID:RGAMh67B
自分の田んぼや畑を耕していたら偶然、銅鐸が出土して
自宅に持ち帰って飾っても犯罪にはならないよね?

598 :出土地不明:2008/11/05(水) 23:51:38 ID:d1iLNPKy
>>597
法律上は出土遺物も「落とし物」扱いなので
勝手に持ち帰って占有すると犯罪になります

599 :出土地不明:2008/11/06(木) 09:05:50 ID:uQ8jTbgk
>>598サンクス

(´・ω・`)犯罪になるんだね

貴重な銅鐸だったら重要文化財として行政機関に強制的に徴集されちゃうんだろうな〜

600 :出土地不明:2008/11/10(月) 20:06:37 ID:GFZKLB3P
オマエラ何にもしらないんだなぁ、
銅鐸は測量機器だよ。
北斗七星を観測しながら
日本地図をせっせと造ってたんだよ!

ただそれを使いこなせルテクノロジー集団が勢力争いで駆逐されて、
銅鐸諸とも、あるとき突然消えちまったんですよ。

601 :出土地不明:2008/11/10(月) 21:03:49 ID:9u0qCcRd
だから銅鐸は炊飯器だって

602 :出土地不明:2008/11/12(水) 12:16:56 ID:a3QPfFtk
銅鐸は罪人の頭に被せて外から叩いて苦痛を与える拷問器具だよ

603 :出土地不明:2008/11/13(木) 22:23:52 ID:KxnzM1Kp
>600
型持ち穴を兼ねている穴がヒレを挟んで30°ずつの方向に開いているから
それぞれ夏至と冬至の太陽の登る方向に一致する
ヒレを東西ラインに一致させて置くと、夏至と当時の日には穴から太陽が観察できる
今年も無事太陽の運行が規則正しく行われている事を喜び神に感謝する祭

604 :出土地不明:2008/11/16(日) 17:37:03 ID:2MUrHHCI
天体観測 宇宙観 こうした確固たる理念を持つ宗教が銅鐸圏で成立していた。つまり、それは仏教、
道教の背後にある須弥山思想と同根。銅鐸圏の人々は仏教が成立するのと同時期から同じような
生い立ちの宗教をもっていた。603さんのお話では季節を読み取るカレンダーのような役割も持っていた
らしいですね。当時中国大陸は春秋・戦国の乱世。日本は太平の銅鐸時代を謳歌していた。・・・
いまさらながらわれわれのご先祖の偉大さがわかる。

605 :出土地不明:2008/11/16(日) 17:40:33 ID:2MUrHHCI
春秋戦国ではなく後漢・前漢の時代であったか。春秋戦国の乱世を嫌って東海の平和の島に移り住
んだ大陸の工人もいたことでしょう。

606 :出土地不明:2008/11/18(火) 16:02:15 ID:pCk/kMvU
参照 扶余族
http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/archeology/1186721165/140-142
銅鐸圏の祭祀集団と銅鏡・邪馬台国の祭祀集団はうまくいったのかどうか。国譲り神話・出雲国造
神賀詞などを見ると出雲は名誉ある引退をしたようにも見えるが、銅鐸の神はどう見ても香具土であり、
信仰の対象は近江の三上山のようなもので香具山、金山、金峯山等と呼ばれるアルタイ(金の山)思想
だったとみてよかろう。すると金剛山から三上山、畿内から三遠銅鐸圏へと連なる尾張、海部族がその
背後にあり、この尾張、海部は欠史八代時代から天皇家の系譜に入っているのではないかと見られる。


607 :出土地不明:2008/11/18(火) 21:49:20 ID:hEmK2o+D
銅鐸は冠です。むかしウルトラマン=篠田三郎=タロウが頭にかぶっていました。

608 :出土地不明:2008/11/19(水) 14:43:43 ID:TYtkQhms
俺は銅鐸を王冠か兜の一種だと思っている

異議は認める

609 :出土地不明:2008/11/20(木) 16:32:53 ID:f9ygKH3W
X形、すなわち、斜め十文字はカラコリ-オークネフ動物図案の主要分別用シンボル、この解釈には太陽
説と黄泉の世界説があるが、雄牛の胴体部、オークネフ想像的猛獣に描かれる。
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image010.gif
「アルタイ・カラコリ文化ベショゼクの異種動物融合図案は描き方がオークネフ猛獣に近いが魔術的斜
め十字が付されている。X形はオークネフ文化石像の主要仮面・仮装図案であり、カラコリ文化において
は唯一の素朴な仮面・仮装形式である。太陽を表象するX形はハカス共和国から搬出されるオークネフ
石像に描かれ、ロシア・アルタイの丸石においても検出された。バガ・オイグル大石にあるこの図案はア
ルジャン-マイエミール期初頭、前12-9世紀のものとされる。最近エニセイ中流域カラスク遺跡のC14デ
ータからはこの年代を繰り上げ前14-15世紀とする必要がある。更にロシア・アルタイ、クルマンタウ山
クルガク及びウコク孝元ではいくつかのこれより古い前2000年紀初頭とされる象徴的異種動物融合
図案が発見されている。」
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
上記オークネフ神像Бの頭上のX形は太陽であるからそれを90度回転したXY座標と見て太陽の天体運行、黄道と赤道の交差と四季を表現する者と見ると日本古墳時代の直弧文の起源に迫るものであり、荒神谷銅剣に残るX形は黄泉の世界、地下の世界を意味するものといえる。

610 :出土地不明:2008/11/20(木) 16:38:20 ID:f9ygKH3W
このオークネフ神像の頭上部分↓
http://sibirfilm.narod.ru/RUS/proekt-bronz.files/image008.gif
これを表すパジリクの女王ミイラ↓その復元
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/ladyaltay.jpg
http://www.websib.ru/noos/history/material/img/lady.jpg
これが銅鐸の鰭部分に取り込まれたと考えると、銅鐸時代と装飾古墳時代が
シームレスにつながる。

611 :出土地不明:2008/11/22(土) 15:20:34 ID:lWhS9jYa
アルタイ・ハカス・トゥーヴァ・ブリャート/ジュンガル・タリム・甘粛・青海方面と日本には
遺伝子的及び分化的関係があるが、銅鐸時代から古墳時代の長期にわたり、文化的な
連続性を維持するには新羅、高句麗、前秦のような、日本の仲介的存在、さらに、秦氏
のようにそれ自体が仲介的存在であるものが介在したのだろう。

612 :出土地不明:2008/11/22(土) 16:35:05 ID:lWhS9jYa
連続渦文に見られるS字、これは巴、巴形銅器などにも見られるが、石器時代の動物肩甲骨、大たい骨
から勾玉がたに転じ、隼人紋に見られる非対称渦巻き紋などにもなる。スキタイ動物文様の基本。
神戸市神岡4号銅鐸連続渦文での世界の区切り、これは宇宙樹から巴となり結界的に領域を表すもの。
日本では次第に原意は薄れる傾向にあるようだ。

613 :出土地不明:2008/11/23(日) 15:54:47 ID:mvLv4GOQ
オークニェフって、大国主を連想させるな

614 :出土地不明:2008/11/27(木) 12:02:36 ID:lY1/Wyin
銅鐸の意味を知るには、現代の観念を削いで、島根の出土先を、時間をかけて、くまなく歩いてみることですね。
ここでは、だれも報告してませんが、きっとある重要なことが、いくつかわかるはずです。
今なら、まだ出土地はそれなりの原風景が残っていますから、その意味と秘密がわかっていただけるかと思います。
どんな崇高な先生が書いた本よりも、まず直接自分の目で見て、行動することが銅鐸の意味を探る早道かもしれませんね。

615 :出土地不明:2008/11/27(木) 15:43:25 ID:S8t4Gmdx
出雲市東材木町青木遺跡、銅鐸が古墳に変身する頃、大国主命は出雲大社に引退せざるを得なくなる
という記紀の国譲りの記述に即したことはここで行われた。銅鐸を墓に埋めることは神様扱い。
>>609 X形は黄泉の王、素盞嗚命、それは同時に青銅器文化の象徴であった。美談社の前身であった
青木遺跡においてこれが実行され、細目は荒神谷、賀茂岩倉にて執行された。それは、銅鐸の前方
後円墳への転身であった。崇神はこの間の実情に疎く、皇太子とされる垂仁の方が出雲の事情に
詳しかった。彼らはミマカキ、イキマとして倭人伝に登場する卑弥呼の事務次官クラスなんであろう。

616 :出土地不明:2008/11/27(木) 15:57:57 ID:S8t4Gmdx
いかなる組織にも上納金、お布施、お賽銭、シノギといった収入があってこそシステムは働く。近畿、
三遠の銅鐸圏にそれがなかったといえば、ヤマトタケルも税収不足で息吹山で不自然に白鳥に化け
る必要も、草薙の剣を熱田神宮に残す必要もなかった。大地の神、黄泉の世界を治めるスサノオへの
お賽銭に変わり、銅鏡の配布を受けた主張は大和朝廷に納税の義務を負う筈であったが、ヤマトタケルは
駒ヶ根では娘の提供を受けたり、各地で鬼達と戦ったりしている。

617 :出土地不明:2008/11/27(木) 16:01:35 ID:S8t4Gmdx
古代は天皇といえども手元に贈答品を持ち合わせない場合、芸を見せないと渡し舟にも乗船を
拒否された。銭金にはそれほど厳しかったのである。

618 :出土地不明:2008/11/27(木) 17:31:23 ID:S8t4Gmdx
スキタイを初めとするユーラシア動物文様におけるX形には、大地、黄泉の国の意味と共に、太陽の
意味があるが、後者は日本においては木曾の「サルボボ」に如実な形を見ることが出来るとともに、
猿田彦の意味もサダルと言う解釈の他に太陽神の解釈を許す。

619 :出土地不明:2008/11/30(日) 21:16:11 ID:mCwqeRsG
銅鐸は、夏至と冬至の祭りの時しか出してはいけなかった
夏至は太陽が最も力強くなる日、つまり陽
冬至は最も弱くなる日、つまり陰
夏至の祭りには水を捧げ、冬至の祭りには生贄を捧げた
祭りが終わると神官は銅鐸を山に埋めに行き、埋めた場所を明かしてはならなかった


620 :出土地不明:2008/12/01(月) 08:41:24 ID:OKv4meFk
山の峰の位置、夜の星の位置、日の出の太陽の位置、自然界の移り変わりから季節を読み、
前回埋納の場所を思い出す。その行為自体が神がかったことであったのだろう。

621 :出土地不明:2008/12/03(水) 21:01:58 ID:KH8u/OT/
夏至と冬至の日、銅鐸を出してきて日の出の太陽が拝める場所で祭りを行った
銅鐸は、神官の手によってヒレを正確に東西の線に一致させて置かれ、日の出を待った
いよいよ日の出の瞬間、神官に促された首長は銅鐸に顔を寄せて型持ち穴を覗き込む
この特別な日の太陽光線は、ヒレから30度の角度を持って設けられた小さな型持ち穴を、真っ直ぐに射抜くのだ
首長は型持ち穴を通して太陽を遥拝すると、この日この瞬間、昨年と同じ位置に今年も太陽が来た事を居並ぶ皆に告げる
太陽の運行が今年も異変無く行われていると、日の光は今年も人に有益に働くであろうと、その確認が行われたのである
夏至は太陽の力がいちばん強まった日である、だから旱魃を引き起こさないように、太陽には水が捧げられた
冬至は逆にいちばん力が弱まる日である、この日を境に太陽の勢いが回復するようにと、動物の生贄が捧げられた
このように銅鐸は太陽の運行を見守る祭器であり、首長は太陽の動きを己が目で確認するという神事を行っていたのだ

622 :中腹埋蔵:2009/02/16(月) 23:05:14 ID:gJEMgPHG
初めまして。鳩摩羅童子という人が次の様に言っていますので、紹介します。
@ 日本の銅鐸とは、
A 女性器【下の開口部は、大陰唇[だいいんしん]、上の先細筒部は、膣[ちつ]・産道に対応】をシンボル化したもの。
B また、真上に乗っている半ドーナッツの取っ手は、実は子宮を模している、のカモ。小さめな子宮。
C 安産・多産・収穫(海/山/畑/豊年満作)の祈願のための道具。 膣(ちつ)は、土(つち)に返し、山の中腹に埋める。あえて言うなら、
山道(さんどう)に産道(さんどう)を埋める。 何故、山の中腹か
---それは、女性器は、横たえた身体の、またぐらの、恥骨(山頂)と、尻部(山の下)の真ん中ほどに位置するから。
D 日本の古代人の美的センスの抽象度は、低くない。 文明が進むと、真意を知った時の権力者は、その卑猥な形を拒否した。
(公衆の面前でそうゆう物を飾ってもらっては、困る[=公序良俗、風俗法に反す]、と。
--- その代わり、もっと大きくして、皆に見えるようにして、神社への渡り道を参道[さんどう]、と呼ぶようにしてあげるから、
「それで勘弁してチョ」と交渉したら賛同(さんどう)を得た、とさ?。 めでたし・めでたし。 ウッソー??。 
あるいは、「その意を前方後円墳で代替するから、勘弁してチョ」と言った。--- 銅鐸の巨大化は、違う形で受け継がれた(be inherited)、ことになります。)
..... 新政府は、知恵者ですネ。
E また、内側面には、中の舌(ぜつ、と発音)と呼ぶ(風鈴)棒のぶつけ先としての先突起腺状の出っ張りが水平についている
(当初は1本。後期になると3本というのも現われた、そうな)。
→銅鐸作者は、これを、クリトリス、あるいは、小陰唇[しょういんしん]ですヨ、というかも知れない。


623 :出土地不明:2009/02/17(火) 10:39:31 ID:TwqbXLnY
鐘には道成寺にあるように女性の情念といったものを連想さすところはある。しかし、銅鐸の埋納は
広義において中国東北・朝鮮半島にも見られる青銅器埋納の一貫であり、しいて女性的といえば
製造工程で出現する液相金属と水等に見られるなよなよとした蛇のような特徴に水の神を見ようとした
ことによると考えるのがいいのではないか。

624 :出土地不明:2009/02/18(水) 15:18:47 ID:SegijuW1
全くの素人の意見なので御伽噺と思って読んで下さい。
銅鐸は各集落に設置され(家屋などに紐で吊るす?)、叩いて音を鳴らすための
ものだと思う。山に埋められたのは、敵対勢力に没収され歴史から消し去ろうと
されたから。鐘の音で人々の心を綺麗にし、より一層宇宙の真理と共鳴しやすくする
もの。銅鐸自体が大事ではなくて、その音を媒体として万物森羅万象と共生して、その
中での人間の役割や尊い生き方を忘れない為、心を研ぎ澄まし万物創世の神と自然に
感謝する事、愛を忘れない為に使われた。天皇はそういう精神を体現し人々を導くもので、
宇宙や自然との交信者。そういう社会に秦氏など大陸勢力が侵入し、権力と物欲に重きを
置くシステムを持ち込み、天皇は形だけの存在に成り、神との交信のかわりに軍事力と富
の頂点に立つものとなった。
秦氏は、自然と調和した足るを知る豊かさ、澄んだ心から来る神との交信こそが人間にとっての
真の幸せであり、無限の可能性をもたらすと考える時代から、自然を征服し、物質的な力の
ある物が恐れと渇望感で人を支配するように、人間の力の方向性を変えた。

625 :出土地不明:2009/02/18(水) 15:43:05 ID:kjL7l52Y
↓銅鐸の響き
http://www.um.u-tokyo.ac.jp/DM_CD/DM_CONT/DOTAKU/HOME.HTM
金色の耀きと同様に弥生時代の自然界には存在しない人間・神の領域ののもの。記紀における
神話には登場しないので、鏡・玉・剣の三種の神器に取って代わったと考えられる。鏡などは
その内面が異界であり、もはや鬼道と言うようなものだったのでは。

626 :出土地不明:2009/02/21(土) 14:20:40 ID:mFmEmdjA
>621

お馬鹿な机上の空論。

日本の天候は雲や雨や雪が多いので、都合よく日の出を見られるとは限らない。
引きこもってないで、早起きして本物の日の出ぐらいみたらどうだ。
夏至・冬至・春分・秋分など、日本ではプラスマイナス何日かの余裕の中で観測せざるを得ず、あまり厳密な意味を持たないことがわかるだろう。
これらは暦そのものを作るようになってからの後付の節目に過ぎない。

627 :出土地不明:2009/02/21(土) 23:12:58 ID:+7CAFAV1
>626
アメノウズメを呼んで来たらいいだけの事だろ クズ!


628 :出土地不明:2009/02/21(土) 23:17:43 ID:+7CAFAV1
>日本の天候は雲や雨や雪が多いので・・・
>日本ではプラスマイナス何日かの余裕の中で観測せざるを得ず・・・・
踊って飲み明かしているうちに天候が回復する、それまでアメノウズメが銅鐸の上で踊ったのさ

629 :出土地不明:2009/05/04(月) 15:43:29 ID:wKqj6Adn
つまりテルテル坊主の起源は銅鐸なのですね

630 :出土地不明:2009/08/31(月) 02:14:41 ID:JdW2R4Ez
手頃なレプリカが欲しくて、ググったら売ってる情報とかは見つかったけど
ネット販売じゃないから詳しいデザインとか材質とか値段とか分かんないな

レプリカ持ってる人いたら、大体どんな感じの銅鐸を何処で買ったか参考にしたいので教えてくれませんか
お願いします。

631 :出土地不明:2009/09/04(金) 16:14:42 ID:pQh0ETl5
>>630
オクに出てたよこういうの?
http://page5.auctions.yahoo.co.jp/jp/auction/e91166092
産直、電話したら送ってくれそう
http://www.shigasci.com/navi/07/07repu.html


632 :出土地不明:2009/09/10(木) 09:57:00 ID:mUZ8VuGF
古代人の見分け方
 ヽ           ヽ
 8(^ω^)8┐     8(^ω^)8┐
┗-ヽ ノ       ┗-ヽ ノ
  ┏┘         ┏┘


(1)脚を開かせよう
 ヽ    /      ヽ    /
 8(^ω^)8      8(^ω^)8
┗-ヽ ノ-┛    ┗-ヽ ノ-┛


(2)股間をよく観察しよう
 ヽ    /      ヽ    /
 8(^ω^)8      8(^ω^)8
┗-ヽ ノ-┛    ┗-ヽ ノ-┛


(3)性器の様子で男か女か分かる
 ヽ    /      ヽ    /
 8(^ω^)8      8(^ω^)8
┗-ヽ ノ-┛    ┗-ヽ ノ-┛

   男          男
この場合はどっちも男。簡単だね。


633 :出土地不明:2009/12/07(月) 14:19:26 ID:g5Q0BEu3
銅鐸のぬいぐるみがあったら欲しいな

634 :出土地不明:2009/12/08(火) 09:48:33 ID:dNRCCj0V
ドータクンのぬいぐるみならあるらしい

635 :出土地不明:2010/01/14(木) 12:32:57 ID:B387OA/4
鈍いの銅鐸ってあるんですか?

636 :出土地不明:2010/05/02(日) 22:36:09 ID:DogSbwQF
銅鐸の模様に、「餅つき」と「鶴と亀」があって驚いた。
鶴亀は健康と長寿の象徴だろうか?
銅鐸は作られなくなっても、そこに描かれた風習は今も残ってるって、
すごいよね。

637 :出土地不明:2010/05/25(火) 19:44:59 ID:vUu3V6S7
>>636
逆に、三角縁神獣鏡の模様は、実生活とは関係ない精神世界を描いているから訳解らない

638 :出土地不明:2010/06/29(火) 20:02:11 ID:i8moNc3Q
三角縁神獣鏡の仙人が被る「三山冠」って
ヨーロッパの王冠に似てるね?

639 :出土地不明:2010/07/01(木) 10:08:10 ID:XvF/hLpw
朝鮮半島南部、かつて縄文人が交易コロニーを作っていた東三洞(今の釜山)は
縄文時代より日本列島人のテリトリー。そこが弥生時代と古墳時代にも
倭人のテリトリーだったのは(魏志倭人伝に記述)、当たり前田のクラッカー。

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